物語りのはじめに
豊後の国杵築藩三万二千石、松平家の家臣、綾部道弘の屋敷に産声があがった。男の子である。その子は進平と名づけられ、やがて元服して絅斎(けいさい)と号した。これは彼の生涯を記す物語である。
杵築藩には六つの手永があり、一つごとに大庄屋が置かれ、その範囲を差配する村々には各村庄屋が置かれた。その一つである小原手永は、杵築藩中最大の村数を抱える手永大庄屋で、後藤氏がそれらを統括していた。
寛政八年(西暦で一七八六年)の春、国東郡小原村に位置する役宅ではすでに隠居した後藤宏生(ひろなり)が病に臥せりながら来客を待っていた。やがて六人の客が宏生の元を訪れた。宏生が長く付き合いをしてきた庄屋の面々や彼の友人達であった。やがて彼は友人達に口を開いた。
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