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NOT IT LE 02

504.

504.出版

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UIAレポート(TOKYO 2011)

9.25〜10.1

@東京国際フォーラム

 著名建築家や技術者、研究者、学生など約1万人が、世界中から集まるUIA大会(世界建築会議)は、世界最大級の建築イベントです。およそ1週間の大会では、講演やセミナー、プレゼンテーション、ワークショップ、展覧会、ツアーなど、大会テーマに基づく多彩なプログラムが開かれ、これからの建築や都市のあり方を探っていきました。UIA大会は、1948年にスイス・ローザンヌで初めて開催されて以来、ほぼ3年に一度、世界の各都市で開かれています。日本では24回目となる今回が初めてでした。

Beyond disasters, through Solidarity, towards Sustainability

UIA (The International Union of Architects: 国際建築家連合) は、百三十万人を超える世界の建築家を代表する組織です。
国籍や人種、宗教、あるいは建築的信条にかかわらず、世界中の建築家を束ね、各国を代表する組織の連合体として、1948年6月28日にスイス・ローザンヌで設立されました。
当初は27カ国にすぎなかった加盟国・地域も、現在では124の国・地域 (暫定加盟国を含む) へと拡大。5大陸をつなぐ建築家の職能ネットワークである非政府組織 (NGO) に発展しています。
UIAに加盟する各国・地域の建築家関連団体は、5つの地域(第Ⅰ地域=西ヨーロッパ、第Ⅱ地域=東ヨーロッパおよび中東、第Ⅲ地域=北中南アメリカ、第Ⅳ地域=アジアおよびオセアニア、第Ⅴ地域=アフリカ)にグループ化されています。


3月11日の東日本大震災は、極めて大きな問題を日本だけでなく世界に投げかけ、気候の変動や人口問題など、21世紀に入ってから世界規模で諸問題が深刻化し、これからの建築や都市のあり方に、大きな影響を与えることになるでしょう。では、こうした状況のもと21世紀の建築や都市はどうあるべきなのでしょうか?
この問いかけに対して、東京大会で掲げるテーマが「DESIGN 2050」でした。今大会では、こうした世界が直面するさまざまな課題を踏まえつつ、2050年にあるべき未来像を描き出し、そこに向けて持続可能な建築環境や生活の質を「デザイン」していくための道筋が探られました。

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Theme Session 1 -

テーマセッション1
災厄の後、住まうことの希望は再生可能か

コーディネーター  小野田泰明  建築家(日本)
パネリスト     プラティマ・ジョシ  建築家•社会活動家(インド)
         伊勢崎賢治  武装解除人(日本)

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3.11 -
津波の前、津波の後。 -

小野田泰明 建築家(日本)

 この「住まう」ことに関しての未曾有の極限状況において、いったい建築家に何が出来るのか?という問いが今回の世界会議における重要なテーマの一つとなったことは、6年におよぶ準備期間に積み重ねられてきた諸々の議論を根こそぎひっくり返すような大事件であったに違いありません。

 それゆえ、多くのスピーカーのプレゼンテーションが重苦しく、深刻で、悲観的な様相を帯びていました。大会の初っ端を飾る、本来であれば華々しいはずのテーマセッションが、被災地のむごたらしい光景を映し出した悲惨なスライドショーで始まったことは、「世界会議」という浮ついたお祭り騒ぎに冷水を浴びせるのに十分な効果があったように思います。

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- 小野田泰明氏。
リスク。建築家の役割の範囲が広がる? -
プラットフォームという仕組み。建設会社、自治体などと建築家がどのように連携するか? -

建築家になにができるか?

伊東豊雄、妹島和世、内藤廣、山本理顕、隈研吾。著名な建築家たちも様々な角度から被災地の復旧、復興へ向けた提案や構想を打ち出しています。それらが現実に起きている問題の解決にどの程度役立つものであるか、建築家の真価が問われています。「なんとか構想会議」にも著名な建築家が名を連ねていましたが、なんの成果も上げられなかったというのが厳しい現実です。そういうことを真摯に受け止められるかどうかがこれからの建築家には求められていると思います。

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伊勢崎賢治 武装解除人(日本)

被災地の状況を建築家の多くが見て回りました。津波の被害の恐ろしさは目に見えますが、東京電力福島原子力発電所の事故による放射能汚染はまったく目に見えない恐怖です。「シーベルト」とか「ベクレル」といったこれまであまり縁のなかった放射能の単位を誰もが気にするようになり、現地の調査でも線量計は欠かせないアイテムとなりました。政府が立ち入り禁止にしている区域ではさぞかし高濃度の放射線に汚染されているのだろうと思いきや、伊勢崎氏の報告によればほとんど危険なレベルの線量は計測されなかったということです。しかし、その見えない恐怖によって、これまでそこに住む権利を持っていた多くの人々がその地を追われているのです。それは故郷を奪われたパレスチナ難民とまったく同じ悲劇なのだと彼は言います。

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死の町。 -
津波の犠牲か、原発の犠牲か。 -

見えない恐怖。

東京電力福島原子力発電所の無防備な非常用ディーゼル発電機がいとも簡単に津波に押し流され、電源を完全に失った発電所には、もはや暴走する原子炉を冷却するすべを何も持たない状況になっていました。建屋に水素が充満し、いずれ爆発するであろうことは容易に想像できたのです。放射性物質が漏出した原子炉建屋が、もし水素爆発を起こすようなことがあれば、周囲に、いや地球上の大気中に、多量の放射性物質が撒き散らされることになるのは自明だったのです。

- 線量計はそれほど大きな値を示さない。

伊勢崎氏は政府が行うべきであった単純な危機管理として、数十キロ圏内の住民を完全に即刻退避させること以外にはなかったはずだった、と言っています。住民がパニックを起こすことを恐れた、と後ほど苦しい弁明をしていましたが、国民をこれほどバカにした話はありません。その後で政府がすべきことは徹底的に放射線レベルを計測し公表し除染し、それを繰返し繰返し実行し情報を公開することだと言います。その上で、そのエリアに立ち入る立ち入らないは自己責任に任せればよいと。実際に何が起きたのかを隠蔽し、ことを荒立てないようにしようとする昔ながらの愚民政治を、いまだに現代ニッポンでは続けているのです。

仮設住宅建設も無意味です。公共工事利権に群がる土建業の理屈で無駄な税金が無批判に投入されることのほうが問題であり、害があるのです。そんな予算があれば少しでも本当の復興や新築住宅に補填すべきではないかと氏は主張します。おざなりの復興計画を策定するコンサルタント会社に特命で業務が発注され、そこでも莫大な税金が浪費されています。

世界各国の戦後復興の現場を見て来た伊勢崎氏の言葉には説得力があります。「どんなに政府が無能でも、住民は自力で生活を取り返す。ほっておいても復興するのだ。」

- 震災の直後、朝日新聞の一面を飾った衝撃の写真。

プラティマ・ジョシ 建築家•社会活動家(インド)

震災、津波、放射能汚染による一番大きな被害は住民が家やコミュニティを失ったことです。道路や鉄道や上下水道や港や工場など産業インフラの復旧が急がれるのはしかたのないことですが、人間が住む環境を再生しなくては意味がありません。プレファブの仮設住宅に押し込めておしまい、では話になりません。世界各地の貧困地域のスラムおける居住権利の剥奪状況も、この被災者と同様です。彼らがちゃんと「住まう」ことの権利と希望も再生しなければならないのです。これは世界共通の緊急課題でもあります。彼女はインドのスラム問題を調査研究している建築家ですが、スラムクリアランスの後に政府や自治体によって建設されるおざなりの集合住宅建築の問題点を指摘します。あまりにも不適切な設計、施工が新たなスラムを生み出していると指摘します。

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「スラム」という人災。

インドの大都市では35%〜65%の人口がスラムに暮らしているそうです。冷暖房も給排水もない小さな部屋に大家族が押し込められています。下水が溜り、悪臭を放ち、病害虫が大発生している中でろくな食事も摂れずにいる子供達が大勢いるのです。もちろん学校へ行って教育を受けることもできません。そういうスラムの住人を少しでも救済する目的で、公共的な集合住宅なども建てられているのですが、交通不便な僻地にあり、スラムから移住する住民は限られているそうです。仮に移住したとしても住宅の近くには商店もなければ学校もなく、当然仕事もありません。驚くべきことに上下水道や電気すらもなければ、建物そのものも作りが粗悪で、危険極まりない住環境がまた再現されるだけの悲惨な状況だ、とジョシ氏は言います。

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スラムから脱出し、新しい生活の場での暮らしが始まる。 -

いかに住まうべきか?

ジョシ氏の提案はことさら特別なものではありません。プライヴァシーとコミュニティが両立したあたりまえの住環境を提供しようという普通の試みです。インドの一般的な人々の慣れ親しんだ生活様式(料理の仕方、食事の仕方、家族の形態、近所付合など)を尊重し、希望の持てる暮らしの再生が可能な集住形式をデザインするものです。広場をゆるやかに囲む戸建ての家を玄関が向き合うように建て、住人のアイデンティティと連帯が同時に生まれるような工夫をしています。また、もとの居住地にできるだけ近い土地に建てること、学校や仕事も一緒に考えること、女性や子供の安全を守ること、などを重視すべきだと言います。これは今回の被災地に用意された間に合わせの仮設住宅に欠けていることばかりではないかと思いました。

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基調講演1

クリスト アーティスト(米国)

現在進行中の作品「オーバー・ザ・リバー」と「ザ・マスタバ」

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クリスト アーティスト(米国)

テーマセッションが切実な暮らしの維持再生を議論したことに比べて、いきなりクリストが登場してきたことには正直、若干の違和感を感じざるを得ませんでした。なにかそれらが対局にある二者に思え、今回の建築家会議に一貫したテーマがあるのかどうか疑わしくさえなったのです。しかしその疑念が杞憂であったことを、氏の話を聞いているうちに思い知らされることになりました。

クリストと言えば世界中の有名な建築物などを布でくるんで「アート作品」だと言っている風変わりな芸術家であるという印象がありました。学生のころに茨城県でも「アンブレラ」というインスタレーションをやったことを記憶しています。本人から作品の説明を聞くのははじめてだったのですが、彼の芸術活動の意味が理解できたような気がしました。「意味」というほどのものではないかもしれません。本来芸術というものは理屈ではありませんから。直感的に世界や人間存在の本質を捕える「科学」だと個人的には解釈していますが、そういう意味ではすぐれて有意義な活動であると思いました。つまり、土地というもの(あるいは構築物や建築)を人間のために、ある種の独占状態から平等に解放するものであり(もちろん精神的な意味においてですが)、理想の人間環境への道筋を垣間見せてくれるものだと気づかされました。

ところで、この講演で面白かったのは、最後の質疑応答です。時間がなくなり最後の質問を手短に、という状況でブルガリアから来られているというアーティストがたどたどしい英語で「自分にはすごいアイデアがあるが、実現の方法が分からない。そのアイデアを見てほしい。」という意味合いのことを延々と、切々と訴えたのです。クリストは「あとで話そう。」と言っていましたが、彼はその後どうなったのでしょうか。通常そういう場違いな質問者が登場するとシラけたり、声にならないブーイングが起きたりするものですが、五千人の場内はあたたかい拍手喝采に包まれたのでした。

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特別講演1

ウラディミール・スラペタ 建築家
(チェコ共和国)

チェコのモダニズムと日本

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ウラディミール・スラペタ 建築家(チェコ共和国)

建築の世界に限らず、現代は良くも悪くも「モダニズム」という考え方と共に形づくられています。「ポストモダン」という議論が始まってからもすでに40年くらいにはなりますから、それ以前のモダニズムが歴史として語られることには慣れっこになっていますが、今現在、当時提起された諸問題が古びたり、過去のものとなってしまったわけではありません。むしろ、いまだモダニズムが標榜した世界観が、全地球を覆い尽くしていると言っても過言ではありません。チェコという限られた地域の歴史を振り返ってみただけでも、その影響が遠く極東の日本にも非常に大きな影響を及ぼしていたことが分かります。新聞雑誌などの他に、たいした情報伝達手段のなかった何十年も昔ですら、そのようなグローバルな影響を世界に浸透させることができたわけですから、現代のように瞬時に世界中の様子が把握できる高度情報化社会においては、何か単一な思想が世界中を席巻することがより簡単になっていると言ってもいいでしょう。ブームのスピードが病的に加速しているのです。もちろんそれが多様化を生む可能性をも同時に孕んでいる、ということでもあると思います。

80年以上も昔のプラハの百貨店ですが、もしいまこれが東京に建ったとしても、おそらく「モダン」な建築と言われるのでしょう。 -
この住宅ほど「モダン」なものは、現代においても、むしろめずらしい部類に入るかもしれません。昭和7年のデザインなのですが…。 -

ヤン・レッツェル、ベドジフ・フォイエルシュタイン、アントニン・レーモンドの3人のチェコの建築家は、日本の初期のモダニズム建築の発展に貢献しました。彼らの背景にはプラハ、ブルノ、ズリンにおける、いまや忘れ去られた機能主義があり、それはアドルフ・ロース、ル・コルビュジエ、バウハウスにつながり、未来を示唆するものがある、とスラペタ氏は言います。第二次世界大戦がもしなかったら、日本は東洋のモダニズム建築の歴史的遺産の宝庫になっていたに違いありません。

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昔の聖路加病院を記憶されているでしょうか。あれもレーモンドの計画案だったのです。装飾のないモダニズム建築として工事が進みましたが、施主に不評で途中交代させられたという話です。レーモンドのデザインのままの聖路加病院を見てみたかったと思いますが、どちらにしても、もはや跡形もありません。 -
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構造、素材、プランニング、デザインボキャブラリー、そのどれひとつを取っても現代のデザイナーが目指しているものと正直まったく見分けがつきません。それらがすでにチェコの1920〜30年代にあたりまえのように存在していたことに驚きます。「モダンデザイン」というのがまるでモダンな話ではないのです。 -
- アドルフ・ロース 現存している唯一の動画を見せていただきました。
- ロースによるチェコのプロジェクト
- ル・コルビュジエ
- コルビュジエによるチェコのプロジェクト
- ミース・ファン・デル・ローエの名作、チューゲンハット邸
彼らがチェコにモダニズムをもたらしたのではなく、彼らにチェコが影響を与えたのだ、とスラペタ氏は語ります。 近代建築の巨星として有名なロース、コルビュジエ、ミースらもチェコと深く関係していました。
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いま巷で盛んにもてはやされているスタイリッシュな建築物(その手の雑誌等で盛んに取り上げられる、白く、明るく、開放的で、シンプルな、抽象的かつコンセプチュアルな空間と外観を有する、ほとんどアートのようなそれたち)には80年前の「モダン」な建築を見せられているような、あるいはそれに続く「インターナショナルスタイル」と呼ばれた現代建築の共通様式のデザインを見せられているような既視感があります。かつて50年かけて飽き飽きしてしまったそのような建築をマニエリスティックに見直そうとして来た歴史の途上にあると思っていたら、いつのまにか元に戻ってしまっているようです。歴史上このようなブームの変遷は、マニエリスムが過度に行き過ぎると反省が起こるという円環状のスパイラルとしてあたりまえにあったことですが、その揺り戻しの時間が異常に短くなっているところが現代の特徴ではないでしょうか。誰しも新しいなにかを標榜する上で「いまあたりまえのもの」を否定したいと思うのはしかたのないことですが、それ10年前にあったじゃん、っていうことになっては「新しい」はずがありません。

Theme Session 2 -

テーマセッション2
「2011年以後」の都市はどうなるか

コーディネーター  藤村龍至  建築家(日本)
パネリスト     八束はじめ  建築家(日本)
         劉域  建築家(中国)
         ジョルディ・ギメ  (スペイン)

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八束はじめ 建築家(日本)

八束氏を知ったのは著書「近代建築のアポリア」でした。時代はポストモダン全盛期で、氏自身も西麻布にアンジェロ・タルラッチ・ハウスのようなポストモダン的言語にあふれた実作をつくられ、アトリエアーキテクト兼建築批評家というような認識をしていました。磯崎アトリエで渡辺誠氏らと一緒につくばセンタービルなどを担当されていたということも聞いていたので、そのように勝手に思い込んでいたのかもしれません。実際は東大の都市工を出られ、丹下健三や大谷幸夫に学んだという(僕自身にとっては)意外な経歴をお持ちの方だったのですが、今回のプレゼンテーションはまさにその面目躍如でした。

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都市の問題は広さと人口の問題だと言うこともできると思いますが、「いかに集積して住まうことが可能か」という技術的な課題を解決することが重要であったということを先進国では忘れがちになっていました。人口増加と住宅不足が深刻化しているアジアとアフリカ地域では、あたりまえですが、それがまさに都市問題なのです。都市計画は環境問題解決の次元で論じられることは当然ですが、そこで想定される人口密度はせいぜい現代の東京レベルが上限であるような暗黙の了解があったような気がします。さらに人口減少が明らかに予想されるいま、そのような稠密都市の技術的構想は少なくとも日本の建築家にはあまり興味を引かないテーマであったことは事実でしょう。建築家が取り上げる課題はどんどん矮小化し、個人化し、あたかも詩や芸術のように繊細で軽やかなヒューマンスケイル(等身大)の空間にばかり興味が向かっていたように(いるように)思えます。そんななかで今回のテーマセッションで論じられた「メガロマニアック」とも言えるような壮大な視点には正直目が覚める様な思いがしました。

東京湾の開発構想プラン。こういうのを見るのは丹下健三の「東京計画」以来のような気がします。 -

たしかに現在の経済的な問題の多くは、今後予想される深刻な人口減少に原因があるということは間違いありません。縮小傾向での成長というのはそもそも矛盾があります。資本主義経済の限界の話を持ち出すまでもなく、人が減り、労働力が減り、生産力が落ち、消費も落ち、という全体傾向の中で経済成長をプラスに維持する困難さは簡単に想像がつきます。個人的には根本的に考え方をシフトチェンジして、大量生産大量消費から脱却した経済成長の道筋を模索すべきであるという意見に賛成ですが、八束氏のように大量移民を(望むと望まざるとにかかわらず)受け入れ、人口増加を持って日本経済を維持するのだ(とそこまでは言っておられませんが)、という考え方もまったく否定するものではないと思います。なにしろ世界はそんな悠長なことを言っていられない人口爆発の途上にあるのですから。

八束氏の提示するプランがいいのわるいの言うつもりはまったくありませんし、それは重要なポイントではまったくありません。さきほど「メガロマニアック」と少々揶揄する様な表現をしてしまいましたが、むしろそういう視点は建築家として無視すべきではない、という思いを強くしました。部分を考えることは全体を考えることと密接に関係していなければならないし、もしそうでなければむやみにエントロピーを増大させるだけのゴミです。たとえそれがどれだけポエジーあふれた美的なものであってもです。そもそもこれだけ膨張しきった都市を眼前にして、少なからず無力感に襲われないほうが不思議なくらいなのは分かりますが、だからといってそこへ関与する意識を放棄するのは専門家として許されることではありません。賽の河原の石積み、と考えるか、千里の道も一歩から、と考えるかです。ちりも積もれば山となる、まず隗より初めよ、でしょうか。

NOT IT LE 02

2011年9月29日 発行 初版

著  者:504.
発  行:504.出版

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