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ヒドリドイオンの述懐  義里カズ

掌編集。

○見えないてんし
  眠りゆく彼女と願う僕。

○あるサービスの未来における機能
  突然、メールが届いた。そこにはすでにいなくなった彼の名前が。

○カメラとバレンタイン
  未来を写すカメラと、それを用いた幼稚な俺。

○いつも通りの眩しさ
  卒業式、彼が挨拶に来た。

○懸想、回想、仮想
  君は今日、ここを去ります。僕の涙が、ゆっくり溶けます。


操作メモ
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ヒドリドイオンの述懐

義里カズ

aerial.kitunebi.com

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 目 次

 ○見えないてんし

 ○あるサービスの未来における機能

 ○カメラとバレンタイン

 ○いつも通りの眩しさ

 ○懸想、回想、仮想

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Kazu Yoshizato

見えないてんし

「みんなにはね、天使が一人ずつ、ついているんだって」
 彼女が静かに呟いた。窓から光が差し込んでいる。
「来るべき時が来たらね、かならず天使はその人の手を握ってくれるの」
 か細い手をすっと広げて。ベッドの中で、かすれた声で。
「でも、その姿は見えないの。見えるのは、『答え』を知ったそのときだけ」
 答え、と僕が反芻すると、嬉しそうに瞬きをする。
「そう、答え。一番最初に聞いた、『問題』の解答」
 彼女は一度咳をしてから、遠い遠い上を見上げる。
「人が生まれた時に泣くのは、天使から問題を教えられたからなんだって。その問題が解けるまで、天使は来てくれないの」
 白い部屋の隅から世界へ、伝えきろうと言葉を紡ぐ。
「みんなは年をとって、それを忘れているだけ。いつか、いつか思い出すよ」
 ああ、目を瞑らないでほしい。どこかに消えてしまいそうだから。
「そして答えも、きっと分かる。だから心配しないでいいの」
 ねえ、僕に答えを教えて。一緒に行きたい、消えたいから。
「大丈夫、いつか分かるよ。だって分かったもの」
 どうして僕は彼女と共に、同じ場所へいけないのだろう。

Kazu Yoshizato
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あるサービスの未来における機能

 メールが来るまで、その機能の存在をすっかり忘れていた。
 受信フォルダの一番上、未読を示す黄土色のマークが付いているそれを開く。

—・—・—・—・—
 MAIL:01
 FROM:noreply@postmaster.t.c
 DATE:2030/06/22 18:22:24
 TITLE:aerialbrightさん、引継ぎのご案内です

 フォロワー @tobineko さんのアカウント設定による引継ぎ申請です。
 下記のアドレスをクリックし、新たなpasswordを設定してください。
 完了後、アカウントの引継ぎについて選択してください。

 こちらのメールアドレスは送信専用のため、このメールに返信しないでください。
 tチーム
—・—・—・—・—


 引継ぎ。その言葉を聞いて、眉をひそめる。 あまりこの手の業務的な単語は好きではない。もう少し配慮してくれないだろうか。
 tobinekoは、もういないのだから。

 このサービスが始まって十数年、アカウントに関するひとつの問題が浮上したらしい。サポートブログに書いてあった。
 その問題は、利用者の死亡及び行方不明の際、アカウントをどうするかということだ。
 短い生活のコメントを投稿するこのサービスにとって、アカウントの増加は避けられない。一人幾つでも作れるし、それこそ人気が絶頂の今は、世界全域で一人ひとつ以上はアカウントを持っているだろう。ところで、そのユーザーが何らかの事情によって投稿できなくなったらどうなるか。当然、投稿は止まり、誰もそのパスワードを知らず、永遠にそのアカウントは止まったまま残存し続ける。まるで住む人が去った後の小屋のように。
 あまりにその「死んだアカウント」が多くなりすぎたので、サービス提供会社はどう対処しようか悩んだとのことだ。一定期間投稿していないアカウントを消すという案はあまり良くないし、なにより「あの訴訟」によって避けざるをえなくなった。「天国に行った息子の思い出を勝手に消した」として会社を訴えた親。確かにアカウントを思い出として残しておく人はいるだろう。その訴訟はマスコミに取り上げられ一躍有名になり、以来各種ウェブサービスは「持ち主がいなくなったアカウント問題」に本格的に取り組むことになったのだ。
 その内のひとつが、この「引継ぎ設定」。設定において、「一定期間に投稿されなくなったらこのアカウントを別の人に引き継ぐ」というやつだ。最近では登録する際に必ず設定しなければならない。これのおかげで、ユーザーに不慮の自体があったときはアカウントのIDとPASSWORDが「別の人」に送られる。「別の人」は家族だったり親類だったりするわけだ。引き継いだ後はそのアカウントで別の人が投稿してもいいし、思い出としてIDとそのページをとっておいてもいいし、一思いに消してもいい。

 ページを開いて、新しいPASSWORDを設定する。
「引継ぎが完了しました」
 そっけないコメントが上部に表示され、すぐに引っ込む。
 下に三つの項目が表示されたが、少しだけ保留。
 
 アカウント@tobineko。そのprofileページをみながら、過去に思いを馳せる。
 あいつが行方不明になって半年。一通りひきずって、一通りひきずるのをやめた。あいつとの思い出とか映像とか感傷とかそういったものを全て心の中のボックスに叩き込み蓋を閉める。そんな作業、誰だってやってることだ。人は勝手にいなくなるし、勝手に死んでいく。

 ページを遡り、あいつの投稿を流し読みしていく。感傷に浸る行為というやつだ。
――ここにあるのは  あいつの言葉  あいつの生活  あいつの感情 
 少しばかり、泣きたくなった。
――あいつの歴史だ  それどころか
 どこに行ったんだ。誰にも、何も言わずに。
――あいつが  生きてきた  証だ
 どうして、引継ぎ先を俺にしたんだ。
――あいつは  ここで  生きていた
 どうしてずっと生きれなかったのか。

 長い時間をかけて落ち着きを取り戻し、涙を拭いて、先ほどのページに戻る。
 選択肢が三つ、表示されていた。

 —・—・—・—・—
 1.アカウントを引き継ぎ、投稿を継続する。
 2.アカウントを引き継ぎ、投稿を停止する。
 3.アカウントを削除する。
 —・—・—・—・—


 あいつに心の中で、語りかけた。
 ――俺が引き継ぎ先ってことは、このアカウントをどうしてもいいってことだよな?
 ――俺がどう扱っても、おまえは後悔するなよ?
 その言葉は、自分にも跳ね返る。後悔しないか?

「しないよ」
 俺はそう呟いて、三番のボタンを押した。

Kazu Yoshizato
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カメラとバレンタイン

 朝。姉さんから未来カメラを借りた時、訝しげに尋ねられた。
――――何に使うの?
――――いいじゃん。すぐ返すからさ。
 どこからどう見ても、普通のデジタルカメラ。それでもこれが映すのは、「一日後のその場所」。
 姉さんの言うことなんて半信半疑だった。
 そうしたらただ姉は、テレビを撮ってみな、と言った。命令どおり、リビングの液晶を撮ってみる。カシャ。
 さすがに驚いた。
 二月十三日、今日のニュースを撮ったはずが、写ったのは二月十四日のニュース。
――――これすげえな。貸してよ。
 思わずそう頼んだ。学校に持っていくことにする。
 くだらない企みを心に決めて。


 放課後、誰も居なくなるのを待ってから、下駄箱で未来カメラを取り出す。
 考える。この学校は下駄箱に蓋がついているから、大抵バレンタインデーのチョコはここに入れられる。下駄箱に入れれば思いが届くという七不思議があるくらい。……つまり。
 今日、十三日に未来カメラで写真を撮れば、明日の下駄箱が写るわけだ。
 バレンタインデーのチョコが自分に来るかどうか、今日のうちに確かめられる。
――――やべえどきどきしてきた。
 少し震えながら、自分の下駄箱の蓋を開け、レンズを向ける。カシャ。
 じっと画面を見つめる。
――――空だよおい。
 釣果はゼロ。自分の上履きしか写っていない。
 明日、チョコはもらえない。その事実が浸透するうちに、足元から恥ずかしさが昇ってきた。
――――痛いな、俺。


 次の日、二月十四日は、憂鬱だった。
 なにせチョコが貰えないことは分かっている。ホームルームが終わり次第、まっすぐ帰った。
 ため息。落ち込み。冬の寒さ。なにもかも、身にしみた。
 玄関を開けると、そこには姉さんの姿。
――――おかえりー。
――――あれ、姉さん? 今日は早くない?
 姉さんの満面の笑み。
 手元には、一つの包み。ぐいっと、手渡される。
――――今日はバレンタインだからね。
 あまりのことに、リアクションが取れない。開けたら、仄かにカカオの香りがした。
 こんなこと、今までにしてもらったことがない。自分も、姉さんも。
――――もしかして、俺の企みに気づいてた?
――――バレンタインの前日に未来カメラを借りるくらいだから、チョコが欲しくて仕方ないんだろうなって。
 赤面再び。そんなに単純なのか、自分は。 
――――未来カメラがなくてもね、それくらいは読めるのよ。
 姉さんの台詞に苦笑しながらチョコを齧った。
――――に、苦いっ!

Kazu Yoshizato
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いつも通りの眩しさ

「先輩っ!」
 その大声にわたしが振り向くと、ブレザー姿の下級生が荒い息を整えていた。走ってきたらしい。
「……鹿取君。今日も部活あるんじゃないの」
「はぁ、はぁ……た、確かにありますけど、先輩がいるって聞いて、抜け出してきました。卒業式終わったらすぐ帰ると思ってたんで」
 そんな、わざわざ。
「せ、先輩は、今日は、部活、来ないんですか」
「この前お別れ会したからね。無闇に先輩面するのもどうかと思って。そのうち顔出すかもね」
「ま、待ってます! 練習も試合も頑張ります!」
 彼の顔が赤らんでいるのは全力疾走のせいだろう。でも、それを訊くためだけにわたしを追いかけてきたの?
 鹿取君はもう一度大きく息をついて、相変わらずの大声でこちらを見つめる。
「先輩、おれ、志望変えました」
「え?」
「ホントはスポーツ推薦取れるんですけど、やっぱり私立は嫌なんで」
 でも、それは。
「どうして?」
「……今からでも勉強して、それで、先輩と同じ高校に入ろうって、そう思ったんです。今日は、それを伝えに来ました」
 わたしと、同じ高校?
「それって」
 言葉を遮って、彼が宣言する。
「先輩! おれ、確かに馬鹿かもしれないし、体力くらいしか自慢できること無い男ですけど、それでも想いは負けませんから! ちゃんとこれから勉強して、一般入試で先輩のあとを追いますから! だって、だって……!」
 わたしの目を見つめて。
「先輩と、これで終わりなんて嫌ですから!」
 真剣な言葉に、泣きそうになった。彼の前で泣くわけにはいかない。
 だって、この前の彼の告白を断ったのはわたしだから。数ヶ月前の、体育館裏の告白。わたしはどうしても、イエスと言えなかった。
 進路は違う。学年も違う。ほんの少し付き合って、それでお別れ。そんなことになったら、両方とも傷つくだろう。そう思ったからわたしは彼を拒否した。
 それでも今、その後輩はわたしの目の前にいる。ここまで追いついてきてくれている。
「先輩、おれ、諦め悪いですよ! だって先輩は俺のことを嫌いだとは言ってませんよね? それならまだチャンスはありますよね? ならもう一回、告白します! 俺が合格して、高校に行けたら真っ先に先輩のところに行きます! すぐ追いつきます! ちゃんと、待っててください!」
 大声でまくし立てる彼の姿が、可笑しくて、それでも真剣で。
 わたしは混乱する心を抑え、せめて最後まで「彼の先輩」でいれるように、いつも通りを装う。
「待ってるわ。また今日のように、追いついてきてね」
 彼が笑って頷く様子に、言葉が口をついて出そうになる。必死に、必死にこらえる。
 彼の先輩でいいなと、心から思った。

Kazu Yoshizato
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懸想、回想、仮想

Kazu Yoshizato

 君は、ここを出ます。
 僕はずっと、出れません。
 ついに、この日が来たのです。恐れていた別れの日が来たのです。ああ、永遠の別れとはなんと恐ろしいことでしょう。僕は泣いています。人にとってはなんでもない出来事でしょう。でも、僕はこの別れが、死にたくなるほど怖いのです。今日、最後の日。実はこの数日間、いや数週間、この日だけを恐れていました。君と会うことができる、最後の日。おそらくこれが、僕の最期にもなるのでしょう。君のいない生活など、生きていないのと同じなのです。
 君は今日、この教室を出ます。小学校課程の六年間を終え、先ほど卒業式を終えました。君がここにいる理由は、もう何もなくなったのです。ああ、なんということ。君も僕も、違う場所に旅立たなければならないのです。僕は、泣いています。あなたも泣いているでしょう。ええ、でも、その涙は僕に向けたものでないことを知っています。感傷か、寂寥か、友人との別れか。それらの要因によってその涙は構成されているのでしょう。唯一、僕との別れは、そこに入っていないであろうことを、僕は知っています。そして僕はそれが、悲しいのです。君の涙と僕の涙が、同一の感情から生まれていないことが分かっているから、涙が止まらないのです。
 ああ、また一滴、僕の涙が溶けました。今でも、僕と君が出会ったころは思い出すことができます。始まりの空気に満ちていた、一年前のあの時を。そう、始業式です。学校とは、そういった厳密な規律によって成り立っています。入学式と卒業式、始業式と終業式、始まりの礼と終わりの礼。なぜこれほどまでに予定を決めるのかと僕は訝しく思っていましたが、今なら分かります。何時か生徒が社会に出たときに出会いと別れを疎かにしないようにという忠告なのでしょう。僕は今、それを痛感しています。ええ、話が逸れました。そう、始業式です。始業式、早朝七時三十分。あの時六年一組の教室には僕しかいませんでした。わずかに差し込む光や水槽ポンプのモーター音、学校が醸し出す乾いた空気だけが辺りを包みこんでいました。そこに、君は入ってきたのです。
 初めてでした。真っ先に僕のほうを見てくれた人は。僕に目を向けてくれた人は。数秒ほどのあの時間が、忘れられません。君はその後、僕たちのほかには誰もいない教室を見渡し、黒板に張ってある席の表を見てから自分の机にランドセルを置きました。教室は、静かです。進級した君にとって、六年一組の教室も初めてだったのでしょう。きょろきょろと見回した後、再び僕のほうを見たのです。そして、そう、あの瞬間。君が僕に向けた微笑みを、まぶし過ぎたその顔を、僕は一生忘れないでしょう。そんな、出会いでした。
 二滴目の、僕の涙が溶け始めます。ああ、悲しい。止まりません。それから僕は、君のことが気になって仕方なくなりました。同じ教室での一年間。僕にとっては、幸せな日々でした。窓際で物思いにふける君の横顔。教室に響く、鈴を転がすような君の声。君が水槽の世話係になったときは、思わず心が跳ねました。僕がずっと思っていたことと重なったからです。おそらく君はその優しい心で、人間も動物も区別することなくみんな大事にするのだろうと、僕はなんとなく信じていました。そしてそれはその通りでした。毎朝教室に来ると決まって餌の準備をし、嫌な顔せず月に一回はポンプのスポンジを掃除し、一通り係の仕事が終わると、柔らかな瞳で水槽の前に佇んでいるのです。聖母のように優しかった。ええ、僕は、君の性格が好きでした。他にも、クラスの中でも、目立ちすぎることなく、かといって何もしないわけでもなく、自分の役割を自分でしっかりと理解して、皆と接していました。同学年の他の子にありがちな内弁慶さもなく、君がクラスで人気者になったのもうなずけます。
 沢山の思い出が押し寄せて、また涙が溶けました。これで、三度目です。でも君にも、弱いところはありました。おそらくそれは、僕だけが知っている君の姿だったのでしょう。六年生になると、中学進学という大きな問題が誰にも等しく押し寄せます。君は公立にしようか私立にしようか、ずっと迷っていました。おそらく君はみんなと同じように、近くの公立校に行きたかったのだろうと推測されますが、君が最後に選んだのは、親に勧められた遠方の私立中学校でした。僕はその事実を教室で話す女の子の会話で知りました。でもそれは、君の心からの選択ではなかった。ある日、三者面談を終え、一人ぼっちの教室で荷物をまとめていた君は、急に泣き出しました。僕はそれを止められないまま、ただ見ていました。誰にも見せない、君の弱さ。あの時、どれほど僕は話を聞いてあげたかったか。それはできませんでした。ああ、それでも君は、あの時の悲しみを乗り越え、今日、この教室を旅立つのでしょう。なんと強靭な心。
 もう、もう、駄目です。涙が止まりません。ああ、僕のこの気持ちを、どうやって表現すればいいのでしょう。僕にはそれができません。お願いです。僕を、連れて行ってください。君の思い出とともに、僕の全てがこの教室にとどまり続けてしまうであろう未来が想像できるのです。出れなくなることが分かるのです。僕はここから、ずっと出れません。硝子で囲まれたこの空間から、二度と逃れることができないのです。ええ、どうぞ、君の進むその道のすぐ傍に、僕を置いてください。この教室に居座るのは、もう僕には無理です。今までは、こんな感情に囚われたことなどなかったのに、君に出会ってしまったことが、僕の心を限りなく変えてしまった。今すぐ、自分の体ごと捨ててしまいたい。鳥でも、蝶でも、空気でも、なんでもいい。なにかに変わって、君の傍へと行きたい。そしてそのまま、ずっと生きたい。僕の願いは、それだけなのです。
 おお、君は、もう行ってしまうのですか。この教室を出て、永遠に戻ってくることはないのですか。なんと、なんと。もう、僕はつらい。僕が生きるこの道は、地獄です。君の姿を、君の笑顔を、君の優しさを知ってしまったからには、もう元には戻れません。お願いです。僕を、僕を、ここから出してください。
 ああ、君は今、泣いているのですか。確かに教室には、今他に誰もいません。誰にも見せない、君だけの涙。そうですか、もしや、君も悲しいのですか。ああ。この学び舎から出るのが悲しいのですか。そう、そうなら、僕はそれだけで嬉しい。そう君が思ってくれるだけで、僕は、救われます。思い出の水槽の前で涙を浮かべる君の顔を見ていると、僕も涙が止まりません。ありがとう、泣いてくれて。
 ひとつだけ、お願いをしてもいいですか。聞いてくれなくても大丈夫ですが、先ほど僕が口走ったような世迷い事は言いませんから大丈夫です。ただひとつだけ。その涙を、溶かしてください。君の涙を、溶かしてください。そうすれば、僕の涙と君の涙が混ざり合うことができるでしょう。成分が一つになって、悲しい理由も、その思い出全ても、共有されるでしょう。そしてそれは、僕の中に、残り続けるのです。
 そうです、はい、君がお世話をした、思い出の水槽の中に、涙を、落としてください。ぜひ。分かっています。分かっていますよ。この願いどころか、僕の言葉全ては、君に聞こえていないでしょう。それでも僕は、お願いすることを止められません。その涙、一滴で構いません、それで僕は、救われます。
 ここから僕は、出られないから。この透明な水中で、涙を溶かし続けることしかできないから。
 ああ、その涙で、哀れな僕を、救ってください。思い出を、永遠にしてください。僕はその涙だけで、生きていけます。
 君は今日、この教室を出ます。
 僕は、いつまでもこの教室を出れません。
 それでも。
 水槽から出れないメダカの僕は、君の涙だけを思い出にして、この水中で、生きていきます。

ヒドリドイオンの述懐

2011年10月3日 発行 初版

著  者:義里カズ
発  行:aerial.kitunebi.com

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義里カズ

物語書き。ネットでいろいろ更新中。
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物語サークル絶望系青春同盟メンバー。
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