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jacket

僕は幼いころから少し妄想気味というか

気がつくと身の回りのコップやタオルと会話をしていたような気がします。

ここにあるものは、半分くらいが夢で見た話

もう半分くらいは、大人になってもやまぬ妄想の産物であります。

綺譚月報

朝岡 太朗

仔犬之尻尾社

一月

黄色くて、真横からさす朝の光

一月




家に帰ると玄関の前に一人の女性が立ってゐる。
女性はスーツを着て、両手でかばんを抱えながら俯いて立ってゐた。

私はお客だろうと思い、どうぞ、と家の中へ促したが、女性は私に一瞥をくれただけでまた俯いてしまった。
すると奥から母が出てきて、私に「あら帰ったの」と言い、女性に「お入り」と言う。
女性は俯いたまま少し頷いて、ささ、と家の中へ入ってゐった。

私は何故だか続いてすぐに家へ入る気がしなかったので、外にいた我が家の飼い犬を撫でながら、ふむ、と思ったりした。

家へ入ると台所の片隅に犬が一匹座ってゐた。
外見は我が家の犬とさほど変わらないのだが、遠い目をして、年寄りでもないだろうにはつらつとした雰囲気が無かった。
私は、ああ、さっき玄関にゐた女性だな、でもさっきは犬には見えなかったのに、と思った。

母は私が台所に入ったのを見ると、犬に「廊下へゐてらっしゃい」と言った。
すると犬はすたすたと歩き始める。
どうやら母の言うことはよく聞くようである。

犬が去ったのを見ると、母は彼女を連れて帰ってきた経緯を話し始めた。
店で売れ残って処分されそうになっていたところを引き取ってきたのだという。

最初は我が家にはもう一匹いるのだからと通り過ぎようとしたが、隣にゐたひどく東北訛りの中年の女性が、「見るからにおっとりしていて、仕事ができなさそうな犬じゃあないか。」というので、腹が立って「いいえ、彼女はきっと仕事ができます。賢そうな顔をしているじゃありませんか。毛並みだって申し分ありません。」といって連れて帰ってきてしまったそうである。

私は呆れながらも、母の性格からして連れ帰るだろうなと思った。

廊下へ出ると、どこから持ってきたのかもう犬小屋が二つ並んでいた。
私はどうなるだろうと思い、二つの小屋へむかって「出ておゐで」と言ってみたが、案の定犬は片方の小屋から、いつものように尻尾を振って出てくるのみであった。

私は犬の頭を撫でながら、「さて、果たして我々は、彼女と仲良くなれるだろうかね」と呟いた。

二月

精神的にも体調を崩すのがなぜか昔から二月が多い

二月

暗い部屋で布団に入って目を閉じると、なぜか巨大な船が沈むイメージばかりがうかぶ。

船のキールが軋む音が遠くにして、一瞬電灯が消えるのが怖い。

巨大な煙突を支えていたワイヤーが、ヒュンと音をたてて切れるのが怖い。

この部屋の窓が突然勢いよく割れて、海水が入って来やしないだろうか。

このドアの下から、音もなく水が入って来やしないだろうか。

風が強い。
楠木が乱暴に揺れている。

今度目を開けたら、光の全くない世界なのではないか。

太陽はもはや核融合をやめて、暗黒の時代が始まるのではないか。

あのどす黒い海水は、きっと粘度が高い。

半透膜の海面は、一度通過してしまえば二度と浮上することはできない。

水中では、きっと絶えず重低音が鳴り響いているのだ。

己の浮力の、何と心細いことか。

三月

もっとも混沌としている印象を受ける
雪も降れば野花も咲く

三月

”然し恐怖といふやうなものも或る程度自分で出したり引込めたり出来る性質のものである。”

              ー梶井 基次郎 「泥濘」よりー




乾燥した太陽のまぶしい坂道を、浜辺に向かって下って歩いている。
雲ひとつないが、風が轟々となっている。
眼下には海が広がっていて、風が強いので白波が立っているのが見える。
はたして私は何をしに浜辺へ向かうのかわからなかったが、
黒い長袖のジャケットを羽織っていて、気温は高いが湿度が低いので
乾いた風に心地良さを感じていた。

道の左側に四角い大理石が置いてあり、その上に一匹の黒猫が座っていた。
まるで狛犬のように、私が進もうとする方向とは直角に真っ直ぐ視線を投げて、微動だにしなかった。
猫の目線は歩く私と同じ高さにあり、私はなんだか恐怖を感じて、足早に過ぎ去りたいと思った。
しかし、真っ直ぐに伸びた猫の視線上に私がのった途端に、案の定猫は話しかけてきたのだ。
「ここには昔飛行機を作る工場があったんだ。俺もそこで働いていた。俺の作った飛行機は海を超えて沢山の爆弾を落としたのさ。」
私は視線を前に向けたままぴたりと足を止めた。
不思議と話しかけられたことに驚きはなく、何故か話しかけられるだろうなと予感はしていたのだ。
「100年も前の話だがね。しかしそろそろ終わりにしなくちゃあいけない。ここいらで一つ、もう一度海を渡ろうじゃないか。」
そう言うと猫はひゅっ、と大理石から飛び降り、私の前に立って海へ視線を向けた。
「もっとも、今度は海底を歩いて行くがな。なあに、心配はいらないさ。別に急いでる訳じゃない。」
猫は私の前をすたすたと歩いて行く。
私は何も言わずに、ただ規則正しく揺れる猫の尻尾を見ながらその後ろについて行った。

やがて風の強い砂浜に出ると、猫と私の足跡だけが後ろに続いているのが見えた。
もはや最初に感じた恐怖はなく、「ふふ、この二つの足跡が、このまま海に消えて行ったら、町はきっと大騒ぎになるぞ。」などと愉快にすらなった。

猫は一度も後ろをふりかえることなく、そして何の躊躇もなく海へ入っていった。
私はやはりジャケットは脱ごうかなどと考えたが、もはや尻尾しか水面に出ていない猫の姿を見て、そのまま歩みを止めずついて行った。
海は確かに水なのだが歩くことには何の問題もなく、海面とはただの薄い膜のようなものだったように思われた。水中は空気中よりも少し分子の密度が濃い程度で、思っていたのとはだいぶ違った。

海に入ったあとも下り坂は続き、最初はその姿まで確認できていた太陽もいつの間にか見えなくなって、だんだんと辺りが暗くなってきた。
しかし下り坂が終わって、「ああ、ここが海底なんだな。」と思ったところはむしろ途中よりも薄明るく、青い、重い光が辺りに満ちていた。

猫は相変わらずすたすたと前を歩いていたが、突然こう言った。
「しかしいい飛行機だったとは思わないか。燃費はいいし足も早い。何よりも細くて美しい姿は作っていても惚れ惚れしたものだよ。時代が時代なら優秀な旅客機だったと俺は思うぜ。操縦もクセがなく素直だったと聞いているが、」
そこまで言うと猫は足を止めてこちらを振り返った。

「実際どうだったんだい?乗り心地は。」

そう言う猫の瞳の中に、美しい銀の飛行機が見えて、
突然けたたましいエンジン音とプロペラの回る音が蘇った。

そうだ、私は100年前、この猫の作った飛行機に乗って海を超えたのだ。

四月

忙しい四月生まれを覚えてくれていて
祝ってくれるのは、ほんとうの友人

四月

今日も風が強いね。

 「うん。でも幾分心地よいよ。」

そうやって毛が風になびいている姿を見ると、まるで絵本で見た秋の金色の麦畑のようです。

 「そう?」

うん。いつか本物の麦畑を見たら、きっと今日のことを、思い出すよ。

 「いつかって、いつ?」

わからない。でもあなたが、ずっと遠くへ行ってしまった後のことだと思う。

 「ずっと遠くへなんて、行くつもりはないよ。」

うん。今はそう思っていても、きっと僕らを置いて、遠くへ、行くんだ。

 「じゃあその時、名前を呼んで。ご飯や、散歩に出かけるときのように。そうすればきっと、戻ってくるよ。」

うん。呼ぶさ。たくさん。それでももっと強いものに、あなたは呼ばれてしまうんだ。

 「どうして、先のことを考えるの?」

どうしてだろう。たぶんあなたより、少し長く生きてるからだと思う。
でも、いつもじゃあ、ないんだ。ときどきこうやって、立ち止まって、きれいなものや、素敵なことに触れると、僕は未来のことを考える。

 「風が強いね。」

うん。お家へ、入ろうか。

お家へ、入ろうか。
-

五月

新緑のかわいさに、毎年生きる気力をもらう

五月

戦局が絶望的となっていたにもかかわらず本土の盾として徹底抗戦を強いられていた沖縄で、民間人ばかりが集った簡素な防空壕。

夜になってもやまない艦砲射撃に怯えていると、暗闇の中で乳飲み子の泣き声がする。
泣きやまない声にだれかがうるさいと叫び、母親らしき声がすみませんすみませんと謝る。

ひゅっという風切り音の後に爆音が響き、防空壕がガタガタと揺れ、天井から土が落ちてくる。

だれかが鼻歌をうたっている。だれかが念仏のようなものを唱えている。だれかが呻いている。だれかが万歳と言っている。乳飲み子が泣いている。

この狂気を終わらせる方法は私にはわからない。
それでも狂気には狂気で対抗するしかなかろう。

暗闇で一人の少女がすっと立つ。
真っ白い服を着て髪の長い少女は暗闇を壁伝いに出口へと向かった。
おいどこへ行く、という声は彼女には聞こえない。

外へ出ると焦げた臭いと人が燃えた臭いが充満していた。
見上げると、煙の向こうに満天の星空が見えた。充分だ。

また風切り音がひゅっと鳴って、直後に爆風が少女の長い髪を激しく揺らす。
しかし少女は振り向きもせず裸足で浜辺へと歩いてゆく。

浜辺は月明かりに照らされていた。
そこらじゅうに打ち上げられた何かの残骸や死体が青くぼんやりと浮かび上がる。

満天の星空の水平線近くにいくつもの巨大な船が黒く見えた。
それらがちかちか、と光って、少ししてまた風切り音と爆風が後ろで鳴った。

少女は水際に立つと目を閉じて、手を広げて祈り始めた。

すると、星空から幾千もの流れ星が尾を引きながら水平線近くの船に向けて落ちて行った。
流れ星の群れは船を襲い、たちまちすさまじい音とともに沈んでいった。

船たちの姿が消え、水平線が薄い火の海になったころ、少女の姿は浜辺にはなかった。

青く仄暗い海の底を、一人置き去りにされた少女が裸足で永遠に歩いてゆく。

六月

紫陽花がなければやっていく自信がなくなる

六月

僕にとって文学と鉄道を結びつける数少ない人が内田百閒先生である。
日本を愛し、旅行を愛した百閒先生は、その移動手段としては当時唯一であった長距離列車を愛しておられた。
この少しばかり妄想と現実の曖昧な文学者と僕も旅をしてみたかったと思う。


わたしがまだ二十歳そこそこで、東京の下町にあるちいさな駅の駅員をしていたときの話だ。
わたしが配属されたのは、隅田川にほど近い、卸問屋の建ち並ぶ古い町の駅だった。
小さくても歴史は古く、日本で初めて高架化された鉄道の一部だった。

高架というと聞こえはいいが、ただ高い塀の両端にホームをぺたりとくっつけただけの簡素な造りであり、敷地がないからエレベーターもエスカレーターもつけられないまま、昔ながらの背の低い階段が残っていた。
おまけに改札口は隅田川寄りの蔵前側の二階にあり、江戸通りから上り一番線ホームへ向かうためには、一度階段を登り二階の改札口を通り、線路の下をくぐるために中二階へ降りて、再びホームのある二階に上がるという、なんとも面倒な構造であった。

それでも下町情緒の溢れる町で、顔なじみや、行きつけの雑貨店などができると、わたしはこの駅が好きになっていた。我々駅員も、基本的には泊まり込みで、わたしのような二十歳そこそこから親子ほど歳の離れた大先輩や定年間近の大ベテランまでが衣食住をここで共にし、家族のようであった。

ある霧の出た日曜のことだったように思う。
その日わたしは早番とよばれる担務についていて、始発前に一人起きて隣駅と電話で起床確認をし、シャッターや窓口を開ける当番だった。

さすが日曜ともなると、房総からの乗り継ぎ列車から降りてきた行商のおばちゃんたちと二、三話しをしたあとは、ぱたりと改札口にだれも来なくなった。
わたしは椅子に腰掛けて頬杖をついたりして、霧の向こうから柔らかくさす朝日で換気扇がコンコースに大きな影を作っているのをぼーっと眺めていた。

すると江戸通りに続く階段を、一人の杖をついた老人が手すりにつかまりながら上ってくるのが見えた。頭にはハットを被り、ジャケットを羽織ってまるで英国紳士のような格好であった。
わたしはこういう光景を見る度に申し訳ないと思ったが、目が合うと「何時になったらエレベータはつくのかね?」などと言われてしまいそうなので、わざと違う方を見たりしていた。
しかし階段を上り終えた老人はまっすぐこちらへ向かってくる。
これは小言を言われるかもしれないぞ、と椅子から立ち上がると、老人は人懐っこい笑顔で、ハットを少し手で持ち上げてこう言った。
「やあどうもおはよう。お忙しいところすまないが、上り列車のホームまで案内していただけないだろうか。私は目が悪くてね。確かこの駅は少し変わった構造のような記憶があって、自信がないのだよ。」
ぼーっとしていたわたしにわざわざ「お忙しいところ」とつけてくるあたり一瞬嫌味にも聞こえたが、そんなことはすぐに忘れるくらい人懐っこさのある笑顔だった。

わたしは「ええ、もちろんです。」と推され気味にだがすぐ答えて、誰もいなくなる窓口に鍵をして、コンコースへ出て行った。
「どうぞ私の腕につかまってください。」と言うと「すまないね、ありがとう。」とわたしの腕をそっと握った。その手はまるで赤ちゃんのようにつやつやであった。

「ここから暫く、下りの階段になります。」
「うん。そうだったね。そして線路の下をくぐるわけだ。」
「ええ、そうです。何とも不便な構造でして…」
などと話しながら、ゆっくり歩いていった。

やがて上りホームにたどり着くと、老人がおや、っと歩みを止めて、
「コオロギの声がするね。」と言った。
確かにこのホームでは、線路の敷石の隙間から時折虫の鳴き声がしていた。
「ええ、ここは高架の上ですし、草もなくてどうやって生きているのだろうと私も不思議に思っているのです。」と言うと
「案外、霞など食べているのかもしれないね。ふふふ。」
とまた人懐っこい笑顔で笑った。これにはわたしも、なかなかユーモアのある答えだと思い、くすくすと笑みがこぼれた。

すると隅田川の鉄橋をごうごうと列車が渡る音が聞こえて、霧の向こうから一つの光がこちらに向かってくるのが見えた。こんな時間に上り列車などあったろうかと不思議に思ったが、段々と姿が見えてきた。先頭車両は美しい流線型をした黒い機関車で、わたしたちの目の前を通り過ぎる時に「ぽっ」と綺麗な五和音の汽笛を短くならした。それに続く客車は鋼製の二重屋根を持つ重厚なもので、窓からは優しい光が漏れていた。


列車は速度を落とし、最後部に連結された一等展望車のデッキが、わたしたちの前に止まった。デッキには制帽を深く被った車掌が立っていて、列車が止まるとデッキの柵をかちゃ、っと開けてホームに降り立ち老人に向かって敬礼した。
「おはようございます。先生。」と車掌が言うと
「おはよう。定時のようだね。」と老人も言った。
今度は車掌がさっ、とわたしに向けて敬礼をし
「ご苦労さまです。」
と言うので、わたしもとっさに敬礼をして
「ご苦労さまです。」と少し緊張して言った。
すると老人はわたしの腕から手をはなし、どうもありがとう、とまたハットを少し手で持ち上げて見せた。そしてわたしが、敬礼したまま老人が車掌に連れられてデッキから乗車していくのを見ていると、先頭の機関車がまた「ぽっ」と短い汽笛を鳴らして、列車はゆっくりとホームを離れていった。

列車のテールライトが霧で見えなくなるまで、わたしは気がつくと敬礼をしていた。
確か前に先輩方から、各界の著名人の乗る「名士列車」というものがあるという話を聞いたことを、ぼんやりと思い出した。
そしてやっと、今まで一緒にいた老人が、どこかで見覚えがあると思い始め、腕に残る温かい感触に尋ねてみると、ああ、内田百閒先生だったのだ、と確信したのであった。

一等展望車
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七月

もっとも思い入れがない、かもしれない

七月

前にもどこかで書いたが、私は寝付く直前や浅い眠りにどうやら不思議な思考回路になるようなのだ。

不思議な、とは、具体的には妙なことですっかり納得してしまうようになるのである。
数年前、明け方にものすごい地響きの後に地震が起きたことがあった。
そのときに浅い眠りの淵にいた私は、地響きと地震に驚きもせず、「そうか、世界はいよいよ終わるのだな」と寝ボケながら納得したことを覚えている。



東京から、東海道を西へ進む寝台列車に乗った。
寝台列車といえども最新の設備で、車中は個室が殆ど、シャワーもあってまさしく動くホテルであった。
上段の海側個室を運良く取れた私は、できるだけ夜景を見て起きていようと決めたのだが、いかんせん乗り心地も悪くなく、また夜景が見えやすいようにと部屋を暗くしたことが仇となって、次第にうとうととしていった。

確かに早川か根府川までは起きていたのだが、そこから先は断片的な記憶しかない。


私には幼稚園の頃から大切にとってある、「御殿場線ものがたり」という絵本がある。
かつては東海道本線の一部であった御殿場線の繁栄と、丹那トンネル開通により一ローカル線となった後の衰退、そして、丹那トンネルの難工事を記したものだ。

幼い頃からこの本を幾度となく読んでいた私は、この丹那トンネルが16年もの歳月を費やして造られたこと、そして、崩落などで67名もの犠牲者を出しながら完成に至ったことは前々から知っていた。
しかし、東海道線の寝台列車に久々に乗った私は、その快適さと旅の期待からか、自分が「あの」丹那トンネルを深夜に通過することを全く忘れていた。



意識が少し戻ると、さっきまでとは違う轟音が聞こえていた。
どうやらトンネルに差し掛かったらしい。
ここはどこだろう。
確かさっき眠りから呼び戻された時は、列車が熱海に到着していたはずだ。
ということは、ここは丹那トンネルだな、と寝ボケながらに結論が出た。
そして、ベットの中で、また奇妙な思考回路が働き始める。

トンネル特有の轟音が鳴り始めてから、もうだいぶ経つ。
それはそうだ。丹那トンネルは8キロも続くのだ。16年の歳月を、そう簡単に通過するわけにはいかない。
しかし、轟音は大きさを増しているような気がする。ジョイント音がせわしない。
そうか、スピードを上げているのだな。
でもどうしてだろう?こんなにスピードを上げたら、振動がひどくなって少し寝づらい。

ああ、そうか。
「ここ」で止まるわけにはゆかないのだ。
もし止まってしまったら、いや、速度を落としてしまったら、「彼ら」は、「67人」は、すぐにこの列車に乗り込んできてしまう。
そうだ。振り切らなくてはいけない。

でも、扉の向こうの通路には、さっきから人が行き交う気配がする。
振り切れなかったのだろうか。
無理もない。「彼ら」だって、この最新の寝台列車を見たいのだろう。
大丈夫だ。たとえ「彼ら」が乗り込んでいたとしても、この丹那トンネルからはきっと出られない。
この轟音が止むころ、「彼ら」もきっともといた場所にかえるだろう。


そう深く納得して、私はまた浅い眠りに落ちた。



外が明るくなり、列車が姫路に着くころ、私は完全に目を覚まして降りる準備を始めた。
そして、昨晩の思考回路が納得に至った履歴を、最初はボンヤリと、そして徐々に明瞭に思い出し、我ながら戦慄するのである。

八月

毎年息を殺してじっと過ぎ去ってゆくのを待っている

八月

高校生の頃、夏休みにリュック一つで一人旅に出てみたことがあった。
いわゆるバックパッカーというやつだ。
青春18切符の助けを借りて。
母はただ、「一日一度メールをしなさい」とだけ約束させた。
まあでもそんな大掛かりなものではなく
三泊くらいで帰ってきたと思う。

今でもその時訪れた飛騨高山、下呂温泉の美しさや
北陸本線の海の近さはよく覚えている。

北陸本線から信越本線に乗り換える直江津という町で
何となく日本海の浜辺に出てみたいと思いついて
途中下車をしてみた。
駅前の地図で浜辺までの道を確かめたつもりだったのだけれど
途中で古い民家の立ち並ぶ住宅街で方角を見失ってしまった。

そこで、見るからに古い日本家屋のベランダで
電車のおもちゃで遊ぶ幼い兄弟を見つけたので
「おーい、遊んでいるところごめんね。海はどっち?」
と聞いてみた。
すると座って遊んでいた弟くんと思しき少年が立ち上がって
「まっすぐ行くと風車があるから右に曲がって
ちゃんと右見て左見て、手を上げて道を渡ってジャンプすると着くよ!」
と教えてくれた。
「風車…?」と思ったが、幼い子に聞いた自分が悪いのだ。
「ありがとう!」と手を振ると
「うん、右見て、左見てね!」と少年も手を振ってくれた。

しばらく進むと、住宅街の角地に古いクリーニング店があり
その看板に木で作った色あせた風車が付いているのを見つけて
きっとこれだろうと右に曲がった。
しかしその道は家々の裏を通るものでだんだんと狭まって
しまいには隣のドブと同じくらいの広さしかなくなった。
これは間違えたかな、と心細くなったころ
急に磯の香りと波の音が聞こえて
目の前の十段ほどある石段を昇れば
きっと浜辺なんだろうと心躍った。

でも軽やかに石段を駆け上がって行く途中で
少年の「右見て左見てね!」と手を振る姿を急に思い出して
はやる気持ちを抑えて恐る恐る石段から顔を出すと
案の定目の前をかなりの速度で車が横切った。
なるほど少年はこの海岸沿いの大通りに気をつけろと言っていたのだ。

少し通りに沿って進めば横断歩道があったので
恥ずかしかったが教え通り手を上げて渡る。
すると浜辺が1メートルほど下に広がっており
横に階段もついていたが
なるほどこちらは、はやる気持ちをそのままに飛び降りて良さそうだ。


浜辺、とは言っても遊泳のできるとこではないようで
真夏だが雲も出ていて人は疎らだった。
僕は水際に腰掛けて雲間に真昼の微かな月を見つけたり
大好きな漱石の「夢十夜」の第一夜を思い出したりしていた。

日本海はなぜかうら寂しい。
太平洋側の海岸にはある開放感と太陽の陽気さがあまりない。
何だか心細くなってしまって
僕はポケット時刻表を取り出して
家族のいる町までの行程を地図で眺めた。


駅まで戻る途中で、さっきの少年にお礼を言おうと思い
来たとおりの道を辿った。
目印の風車がついた看板のクリーニング店を曲がり
彼らの家の前まで来て、ベランダを見上げた。

すると今度はお兄ちゃんしかいないようで
一人分の座った後ろ姿しか見えなかった。
通り過ぎようか少し迷ったが
彼もこちらに気付いて目が合ったので
「さっきは道を教えてくれてどうもありがとう。おかげさまで無事たどり着けました。弟くんにもよろしくお伝えください。」と軽くお辞儀をした。

歳の割に難しい言葉使いをしてしまったかとも思った。
でも僕は最初にこのお兄ちゃんを見た時から
とても大人びた印象を受けていたので
これで大丈夫だろうと思った。
彼はたぶん、幼いころの僕に似ている。


お兄ちゃんは立ち上がって
「弟は、いません。」と落ち着いた声で言った。
ああ、やっぱり少し言葉を選ぶべきだったのだ。
「うん。さっきいた弟くんに、後で言っておいてくれればいいよ。」
そう言うと彼は両手でベランダの柵を握りしめ
真っ直ぐに僕を見下ろしてこう言った。

「弟は先月、大通りで車に轢かれてしまいました。」

あたりに急に磯の香りが立ちこめて
日本海の波の音がすぐそこに聞こえた。

九月

あれは、九月だった
妖しい、季節だった

九月

わたくしは今、猛烈にふてくされているのである。

散歩で行った、お気に入りの公園は
隣でいつも楽しそうに人々がみどりのボールを追いかけている。

右へ飛んで行ったかと思うと、すぐにまた左へ飛んで行く。
人々はそれを楽しそうに追いかけている。

わたくしはいつだって参加できる準備があるし
誰よりもあのみどりのボールを早く捕まえる自信もある。

だのに。
公園との境には格子の仕切りがあって
向こう側へは行かせてもらえないのだ。

試しに飛んだボールを格子沿いに走って追いかけてみたが
やはり追いつけそうだ。

せめてあの山のようにあるみどりのボールから
一つくらい持ち帰らせてくれれば
しっかり咥えて
どこにも寄り道せず早足で帰るのに。
それすらさせてくれなかったのだ。

だからわたくしは今、猛烈にふてくされているのである。

わたくしは今
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十月

世の中がいとおしくなってくるのは、だいたいこのころ
風立ちぬ、いざ生きめやも

十月

「さっきの人たちは、無事お寺にたどり着けたかな。」

くらり「大丈夫じゃない?簡単な道だし。」

「だよね。しかしいきなり飛びつこうとするからびっくりしたよ。」

くらり「だって親しげに話してるから、知り合いなのかと思って挨拶を。」

「全然知らない人だよ。でも感じのいい老夫婦だったね。」

くらり「うん。」

「案外、世の中は素敵かもね。」

くらり「そうだね。考えたことなかったよ。そんなこと。でも今日は少し風が強すぎるかな。」

「風は好きじゃないか。車の窓からよく顔を出しているし。」

くらり「限度っていうものがあるさ。今日のは目も開けていられない。」

「京成電車が鉄橋を渡っていくね。」

くらり「あれは苦手だよ。とても大きな音を出すし、いつ来るとも知れないじゃないか。」

「わかったよ、今日はもう踏切に行くのはよそう。」

江戸川土手にて
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十一月

文化祭というものが今でも好き

十一月






ちょっと爆睡して意図的に中央線を乗りすぎたら、知らない町に着きました。


しかしなんだろう。
えらく年季の入った駅舎だ。
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降りてみると、やっぱり不思議と古い建物が多い。
-
今、上映しているんだろうか。
-
ちょっと珍しい。
皇室の写真じゃないか。
しかも昭和天皇だ。
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ちょっと待ってくれ。
まさか。
そんなはずは。
今は?今は何年なんだ?
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十二月

寒さ身にしむ師走のせわしなさ

十二月

カチャ
パチッ

ただいま。

「お帰り。遅かったね。…もぞもぞもぞ」

…どうしたの?

「まぶしいの。」

「まぶしいの。」
-
「だから、いいよ。」
-

あ、ごめん。

「いいよ。この前、公園の広場で、ちょっと首輪をとって走り回った時さ、」

うん?

「広場の入り口で、他の人が来ないか見張っていてくれたでしょ。」

そうだっけ。

「だから、いいよ。」

あ、そう。笑。


おやすみ。

「おやすみ。」

パチッ
カチャ

綺譚月報

2011年10月25日 発行 初版

著  者:朝岡 太朗
発  行:仔犬之尻尾社

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発行者 BCCKS
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東京都品川区上大崎 1-5-5 201
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太朗

冬に冬だなあと思ったり、朝に朝だなあと思ったり、夕暮れに夕暮だなあと思ったりする受け身な性格を何とかしたいのですが、いかんせん時間だけが過ぎてゆきます。

Qullarisは、愛すべき我が家の犬の名前です。

高橋克彦、恒川光太郎あたりが好きです。

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