め
センタクばかりしていると
のれん
名称未設定
諸行無常
静かな夕食
独創の灯
フロントガラス
半透明の残像
平成20年7月25日
健康診断の結果を渡された。過去三年間の診断の記録が添付されているが、特に異常がなかった。変化があるのは、視力。
この「視力」に変化があるのは思う事がある。ぼくは「なんとなく」で上とか下とか右とか左とか言ったりする所謂「当てずっぽう」をするときがある。もちろん、しないときもある。その時の気分次第で当てずっぽうをするか否か適当だ。
他の検査はそういった自己申告がないわけだから(聴力検査もそれに近いが)、その結果はほぼ正確だと思うけど、視力検査だけは見えるか否かは自分の判断。もしかしたら、検査をしてくれる担当の人によって視力が変わるかもしれない。個人的には「はい、これは見えますか」と検査員に言われて「上」とか言う、その検査方法そのものに違和感を持っているのは確かだ。視力の測り方はこれがゴールなのだろうか。網膜とかそのへんを調べて視力が解ったりしないのだろうか。
もしくは、解らないことを解らないとなぜ素直に言えないのか、なぜ正直になれないのかという考え方もある。ま、なんとなく解ったり解らなかったりするのだろう。今日、解らなかったことも明日になれば解ったりするのだろう。そういう意味で視力の数字の結果が出ても、何だか自分が、検査が、世の中が、疑わしい。
平成20年8月12日
これは汚れているから別々で洗濯をしよう、他の洗濯物が汚れてしまうから。これは汚れているから一緒に洗濯しよう、みんな同じ洗濯物なんだから。どっちを選ぶかは神頼みと合理性、お好みで。浮かんだり沈んだり、洗濯物は汚れをおとしながら水の中を泳いでいく。洗濯機が回る音、オリンピックの電波、枝豆を茹でる水が沸騰する。日常は、不確かな水の中を泳ぐような感じなわけで……。
平成20年9月11日
レンタルビデオ屋にて、のれんのコーナーへ入るとすれば、そのレンタルビデオ屋を一周して、知り合いがいないかどうかを確認するほうだから、ぼくは人の目を気にする方かもしれない。十分な注意を払いながら、そのコーナーで物色をし、のれんみたいなところを出た瞬間に、知り合いとバッタリ会ったとしても、ぼくはもう、そういった修羅場を楽しむような覚悟ができている。ある意味、男というのはそういうものだ。それを乗り越えるべきだ。誰に伝えたいわけでもなく、自分に対して記録したいわけでもなく、そういった状況に、ひっそりと身を置いてみたい。そういう年頃。9・11。
平成23年3月11日
本棚から本が崩れ落ちてくる。
頭上を注意しながら、揺れるパソコンのモニタを抑える。
揺れに耐えていると、その抑えるモニタ画面が、突然消えた。
続く揺れのなか「外に避難しよう」と同僚が云った。
ストーブの火を消し、会社から外へ出る。
そのときの外の吹雪がとても印象的だった。
震源地は自分の足元だと思った。
電気の復旧も目処が立たず、仕事にならない事から同僚たちも家族のもとへ帰ることになった。
私は戸締まりをし、最後に会社を出た。
道路は信号が止まっていて、救急車やパトカーがサイレンを鳴らし、とてつもない渋滞が連なっていた。
動かない車の数珠繋ぎ、家族の顔が重なり冷静さを失いかけた。
国道から外れて、小さな十字路に入った。
光ることのない信号の向こう、向かい合う車の運転手の目玉は、注意深く周囲を見極める真ん丸だった。
鋭い感覚の以心伝心、無言のメッセージを受け取りあった。
夜近く、家に着いたとき、家族の顔に初めて興奮を抑えた。
暗闇の中に蝋燭を灯し、襁褓を当てる。
携帯から、震源地はここではない事を知る。
携帯電話のバッテリーはもう残量10%くらいだった。
電気に頼った生活に私たちは暮らしているんだ。
蝋燭のゆれる灯をみつめながら今日を思った。
近未来で「あのとき、お前の襁褓をかえてやったんだよ」と笑いあう日を想像しながら。
平成23年4月27日
この頃はネットで他愛ないお喋りを楽しんでいる。幅広い年齢や様々な国籍が、とめどなく流れつく。それぞれが、それぞれに話を持ち寄り、時々は寡黙を演じて、会話の行き先を眺めている。
恵まれた環境で、労働の合間にログインのパスを入れ、リアルと現存の区別もつかないまま、きっとアクセスを繰り返す。感情に指先が追いつかないキーボード、小さな気がかりが過去の自分を象り、追いかけてくるときもある。
衝撃的な映像たちがお風呂で洗髪を重ねるたび静かになって、絶望のコントロールが再び不条理なセカイに収まる。
ログインして開く時、そして、ログアウトの気分は、もう新しく、生まれ変わった感覚になる。
時代や文明の移ろいは、流れているのか否かの区別や実感すらつかない、茫洋とした大河の流れに似ている。
今日、渡り蟹を食べた。
蟹を食べているとき、私は無口になる。集中しているんだ。
蟹への誠意。
平成23年8月12日
今日、友人が亡くなった。
友人といっても、向こうはこちらを友人とは思っていないのかもしれない。ネットで知り合った仲で、馴れ合っていたわけじゃないし、交わした言葉は数えるほどだ。
お互いに小説を書いて遊んでいた。ぼくが彼にSNS経由で感想を送ったのが初めてのコンタクトだったと思う。後になってぼくの日記にコメントをくれたこともあった。
面識は一度も無かったけれど、パソコンを立ち上げれば何処かに彼は存在している気がした。
彼の小説は反社会的な面があり、同時にくだらない作品も多かったけど、文章が本質的にうまく、独創的でいつも心に残った。
日常、顔を合わせる身内や仕事先の人を喪う以上に、ある種の絶望感があるのは、きっとハッピーな時もブルーな時も変わることのないモニタのなかで、創作の苦しみをわかちあい、共通の時間を過ごしてきた人間だからだと思う。
歳は下だったと記憶するけど、精神的には彼が上だった気がする。ぼくは本当によく彼のくだらない小説を読んだ。
平成23年8月25日
パソコンの前に座ってモニタをみつめる日常。
運転席のフロントガラスから変わりゆく風景を眺める非日常。
民家や看板の支配地から、草木や蔦の支配地へ。
北緯40度を越えると、空気の層も変わる感覚。
信号のない田園の道、広域農道、そして防風柵に絡まる蔦。
人工的な建造物と自然が創る、コラボレーション作品をみるようだった。
この辺のコンビニエンスストアーは駐車スペースが通常の5倍くらいある。大型トラックも停められる配慮、広い敷地にポツンと建ったそのアンバランスが遠くに来た事を改めて認識させられる。ぐーぐる地図の表示に目的地までの最短ルートが表示される、ぼくはそれを避け、走った事のない不便な道を選んだ。
束縛のなかの自由な仕事。自由のなかの束縛の旅。
30歳を越えると、試練みたいなものが襲ってくる事があって。もちろん、年齢など関係なく、それは誰でも当たり前にあって。
今日、祖母が救急で病院に運ばれた。
これは一度だけではなくて、前にも数回あって。ぼくは仕事を抜けて病院に行った。
人は皆、前進しなければならない、今と未来を思って。過去なんて、くだらなくて、今と未来が結局過去になるのであって、今までは、つい数時間前までは、そんな感覚があった。30歳を越えると、今までの生い立ちというか成長の過程を垣間みる事があって。それが今回は病院に駆けつけた待合室という場所だったんだけど。
ぼくは祖母に育てられた感がある。
それは山に魅せられた祖母が小学生のぼくを誘って山菜採りに連れてってくれて、自然のなかで、感性を磨いてくれたんだと思う。
祖母は祖父と別居していた。でも離婚はしなかった。親戚に対する祖母なりの配慮だったかもしれないが、真相は誰もわからない。それから女性で車を運転することって、当時は偏見があったことを子供ながらに感じていた。しかも80歳になっても運転をやめなかった。子供ながら自由人だなと思っていた。そして、そういうお転婆な祖母が好きだった。
この地へ帰ってきて、ぼくは暫く休んでいた山菜採りも始めて、また幼い子供の頃のような感覚が蘇ることがある。当時、祖母の友達、祖母の兄弟、山を自分の庭のようにしていた。ぼくは現在その山に行くと、ところどころの山道で昼食を広げる祖母たちの賑わいを、その半透明な残像を見ることができる。そのくらい山に通った。祖母が伝えたかった事は、言葉ではない。野草が芽を出す春の山、急に雨が降り出す秋の山。人間、極限のところにいると身体で密談するようになる。この感覚がわかる人はいるのだろうか、素朴な疑問だ。
原子力の影響は山の花や山菜に一体どんな風を運んでいるのか。自分はこれからも山菜採りに向かうのか。ぼくの心の奥底には、今でも祖母との風景が過ぎる。そしてやっぱり昔話を聞きたい。過去という事象そのものが「くだらなくもない」と思える。
ぼくは腕を組んで心臓を押す。
遠くで響く、貨物列車の軋んだ音が聞こえてくる。
今週には雪が降るらしい。
冬を越えるということは、年齢を重ねるにつれて意味が変わっていく。
2011年11月18日 発行 初版
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「投稿」とは稿を投げることであり、本に編集することはそれらを固めることに近い。投げて固めることとは、所謂ひとつのスープレックスと定義した。スープレックス(Suplex)の語源には幾つかの仮説が存在するが、決定的なものはない。