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しこり 
2011年12月号

装丁 サッカローニ
制作 フリーペーパー『しこり』編集部

   目 次


  連載
  『ランナウェイ』2 藤本諒輔
  『紀州犬ケンジ』2 横田直也

  短編
  『煙―えん―』  長谷川智美
 『電信柱は倒れてこない』           宮崎亮馬
  『ストレス』   吉川浩平

  詩
  『ハダカ、ハガタ、ガラクタ』            あくた

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連載『ランナウェイ』 
            藤本諒輔

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   2

 十一時の環状線は、土曜日だというのに人がたくさんいた。程度の差はあるにしろ、彼らはみんな似たような服を着、似たような顔で電車に揺られていた。ポスターのアイドルがぼくに笑いかけていた。ぼくはどの人が知り合いで、どの人は初対面であるだとかをひとりひとり検証した。ぼくの記憶ではひとり残らず赤の他人だったが、彼らにとってどうだったかはわからない。相変わらずぼくはナイーブになっていた。どうしてひとりの女の子のことだけを忘れたのだろう。そしてどうして、彼女の衣服や持ち物の記憶だけ残ったのだろう。奇妙なその色彩が、かえって彼女の輪郭を濃くした。
 「きっとみんな知り合いじゃないわ、大丈夫」
 彼女は窓の方を向いて言った。泣いているようだった。彼女はいよいよこのシチュエーションを現実のものと感じはじめたらしい。冷静だったのはきっとまだ、冗談を疑っていたからだろう。電車は一定のリズムで揺れ、ときどき変化しながら次の駅へと走った。駅では数秒ドアーが開き、それから乱暴に閉まった。彼女はなにも話さなかった。いくつかの駅を過ぎたが、それでも話さなかった。目的の駅についたときにやっと、降りなきゃ、と言った。鼻を赤くした彼女は、でも、魚は覚えてるわよね、と言って笑った。食べられるものだけだけどね、とぼくも笑って返事をした。
 受付で二人分の入場料金を払ってぼくたちは入館した。彼女は払うと言ったが、恋人だからとぼくが押し切った。彼女は、握ったせいでくしゃくしゃになった二枚の千円札を指で伸ばして財布にしまった。
「喉渇かない?なにか飲みましょ」
 彼女はそう言って自動販売機へ走って言った。ぼくが歩いて追いつくと、彼女はペットボトルを両手に一本ずつ握っていた。アップルか、オレンジ、どっちがいい?うん、リンゴ。これでおあいこね。家を出るときには気づかなかったが、指に慎ましい銀の指輪がはめられていた。
 水族館の順路は一本道で、スタートとゴールは隣り合っていた。ドーナツ型の内周と外周に水槽がめぐらされている。厚い水槽のガラスには青いぼくたちの姿が映り、鮮やかな魚たちは活発に泳いだ。少し歩くごとに水槽は区切られ、柱には生き物たちの説明書きが設置されていた。珍しいものには模型も用意されていた。カクレクマノミ。エンゼルフィッシュ。コンゴウフグ。彼らはみんな優雅だった。水の中であることを感じさせないほどだった。青いのはライトで、水は全くの透明だった。同じ水槽にはイソギンチャクもいた。彼女はグリーンネオンテトラが気に入ったようで、涼しそう、とつぶやいてぼくを見上げた。
 奥へ進むほどに、少しずつ魚は大きいものになっていった。
「これ、マンタ?」
 彼女が答えを欲しがるようには見えなかったが、うん、大きいね、と答えた。マンタはぼくを蔑むように見て、やがて遠くへ行った。マンタのいる水槽には他にもたくさんの魚がいた。近くにサメの水槽もあって、ぼくたちはそこに長く居座った。
「イワシの大群?」うん。
「サメこわいね」うん。
 彼女はオレンジジュースを半分も飲んでいなかった。ガラスは楽しそうな彼女の顔を透かして、その奥にちいさな赤い魚を映した。魚はゆったりと泳ぎ、彼女の瞳と重なった。尾ひれは鼻筋を捉え、目尻と頭の先がぴったり張り付いた。手前にある彼女は透け、奥の魚はくっきりと見えた。彼女の体は群泳する巨大な影になった。
 飽きるほどマンタを眺めたぼくたちは生臭いカニやウニの水槽を抜けて、カワウソのいる部屋のベンチで少し休んだ。彼女はクリーム色のトートバッグから薄手の白いカーディガンを出して着た。ますます空のようになった。ぼくはそのカーディガンを憶えていて、これ、いいね、と言った。彼女はにっこり笑ってありがとうと言った。
 カワウソは池のある庭のようなところで走りまわっていた。ガラスは張られていたが薄く、子どもたちが押し寄せて割れないかと心配になった。彼らは好きずきにかわちゃん、かーちゃん、と呼び名をかえてカワウソを求めた。カワウソは知らんぷりであちらこちらへと走った。なにか探しているようにも見えた。その子どもたちのなかにひとり、ガラスに背を向けて立つ少年がいた。彼は青いキャップを被り、首から赤い水筒を提げていた。彼は迷っているように見えた。自分はカワウソを呼ぶのか、それとも興味などないという顔で立っているのか。ぼくは彼女に助けを求めた。ねえ、彼は、どうして困っているんだろう。
「わからないわ」彼女はそう言って目を伏せた。「わからないわ、わたし」
彼女のまつげは彼女にぴったりの長さだった。初めて見てもきっとこれが彼女のまつげだとわかるだろう。
 ゴールへたどり着いたころにはもう午後四時をまわっていた。ぼくたちは昼食を摂っていなかった。なにか外で食べようかという話になって、いきたいバーがあるの、と彼女が言った。
「オムライスがおいしいの、これ、忘れた?」
ぼくはそのバーを憶えていた。水族館からだと一時間ほどかかるところにある。
「いいよ」とぼくは少し考えてから返事をした。「憶えてるよ、場所とか、雰囲気とか」

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連載『紀州犬ケンジ』
            横田直也

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   2

 「兄貴!」
 薄暗い倉庫内にケンジを呼ぶ声が響いた。ケンジがドアの方に目をやると、一匹の黒いシェパードが、ごみ袋をくわえて立っていた。弟分のタロウだった。
 十数匹の仲間達は一斉にタロウのもとに駆け寄った。タロウはごみ袋を顎で破った。食べかけの魚やチキン、弁当の食べ残しなどがコンクリートの床に散乱し、それらの生臭い匂いがあたりに充満した。しかし彼らには、それが何よりも神聖な匂いになる。
 ケンジがそばに来たことに気付いたタロウは伏し目がちに呟いた。
「ごめん、今日はこれだけしか」
 ケンジは地面に散乱した「食事」を眺めた。贅沢な量とは言えないが、生きていくには十分な量だ。
「気にするな。いつもありがとう」
 仲間達の中に、不満を言う者などいるはずもなく、ただケンジの言葉に頷いた。仲間の一匹が、「そうそう、俺達は運命共同体なんだから」と、はやしたてるように言った。すると場の空気が明るくなり、皆がタロウをはやしたて始めた。
「もういいから、みんな食べてよ」
 タロウは俯きながら、照れをかき消すように言った。タロウの様子を見てケンジは、まんざらでもないんだな、と思った。しかし余裕が出てきたことは喜ぶべきことだ。ケンジは弟分の成長に感慨深いものを感じた。
 仲間達はタロウのお言葉に甘え、食事にありつきだした。ケンジも落ちているチキンに口を伸ばした。
 ―うまい。
 あちこちから「たまらんなあ」というような声が連呼された。和やかな雰囲気の中、野犬達の晩餐が始まった。


 ケンジが仙台の野犬グループのリーダーとなる一年前。
 当時、家族に捨てられたケンジはたった一匹で、文字通り野犬としての生活を送っていた。一匹で冬の凍てつくような寒さに耐え忍び、自ら調達したなけなしの餌を食らう日々。そんな生活が一か月以上続き、ついにケンジの体力のパラメーターはレッドゾーンに到達していた。
 ―俺はこのまま、たった一匹で死んでいくのだろうか。
 ケンジは高架下の雑草の中に身を丸め、確実に近づいてくる死の気配を感じ取っていた。あと一か月もすれば春がやってくる。しかし到底その時まで持ちこたえられそうもない。
 すでに身の回りに生えている雑草ですら、口にするのが億劫になってきていた。
 ―そういえば、今日はまだ何も食べてない。
 ケンジは目の前の雑草を口で引き抜き、噛まずに飲み込んだ。
 これが最後の食事だろうか。そう思うと、急に家族といた時の記憶が頭をよぎった。床暖の心地良さ。皿に盛られたペディグディーチャム。
 ―あのガキを噛みさえしなければ。
 そういえば、あの日は珍しく雅子と夕方の散歩をしていた。散歩コースでいつも近所の公園を横切るのだが、雅子と行くと大抵、公園に居合わせた近所の奥さん達と井戸端会議になる。その間、ケンジはポールに繋がれ、長ったらしい話が終わるまで待っているしかなかった。
 その日もやはりケンジはポールに繋がれていた。すると、前からガキ大将風の小学生が近づいてきた。年は奈々子と同じくらいだろうか。少年は無邪気に笑いながらケンジを見ていた。手には細長い木の枝が握られていた。すると、その木の枝でケンジの腹を軽く突いてきた。ケンジの身体がビクッ、と跳ね上がった。ケンジの反応が面白かったのか、少年は再び腹をついた。最初と同じように身体が跳ね上がり、少年は嬉々としてケタケタ笑った。
 さすがにイラついたケンジは、少年の手から枝を奪おうと、口を開いた。しかし枝を噛もうとしたつもりが、勢い余って少年の親指を噛んでしまった。途端に少年は後ずさり、パニックを起こし甲高い声で泣き出してしまった。しまった、と思った時には、雅子たちと井戸端会議をしていた少年の母親が、ボルトさながらの俊足で駆けつけてきた。傷自体は血も出てるかどうかわからない引っ掻き傷に似たようなものだったが、我が子の傷を見た母親はまるで、大切にしているウェッジウッドのハンティングシーンが割れた時のようなオーバーリアクションをした。しかしそれは、雅子がケンジを家から追い出すには十分すぎる、一撃必殺の破壊力を持っていた。
 ―今更思い出したところで、もう後の祭りだ。
 視界が朦朧とする。瞼が重くなる。もうどうでもいい。するとケンジの顔の前に何かがボトッ、と音を立てて落下した。瞼を開けて見ると、それはこんがり焼けたステーキ肉だった。なんたるちや!
 しかし喜びもつかの間、すぐにそれが幻覚であることに気付いた。
 ―そもそも、こんなところにマトンが落ちてくるはずない。二千歩譲ってこれが空から降ってきたものだとしよう。しかしここは高架下だ。ありえない。
「いらないのか」
 すぐ頭上から声が降ってきた。
 驚いて見上げると、ごみ袋をくわえた大きな秋田犬がケンジを見下ろしていた。
「いらないんだったら俺が食う」
 そう言って秋田犬は肉に頭を近づけた。ケンジはすかさず目の前の肉に噛付き、丸ごと口に入れた。必死に肉を噛み潰すと、香ばしい肉汁の味が染み渡った。
 ―うまいっ 異次元のうまさだ。こんなもの食べたらペディグディーチャムなんてもう食べられないねっ!
 ケンジは肉をあっという間に平らげた。朦朧としていた意識が徐々に覚醒していく。
「レストランのゴミ捨て場からせしめてきたんだ。腐りかけだけど、案外いけるもんだろ」
 ケンジは秋田犬の言葉に首をかしげた。
 ―腐りかけ? 腐りかけってなんだ。
「お前どうせ行くとこ無いんだろ。俺についてきたらもっと食わせてやるよ」
 その言葉にケンジが目を見開くと、秋田犬は踵を返し、歩き出した。選択の余地は無かった。
 ケンジは立ち上がり、おぼつかない足取りで、彼の後を追った。

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『煙 ―えん―』
           長谷川智美

 カランと、鳴った。
 彼の横顔は美しく、私の真顔は怖かった。雲泥の差。まさにそんな感じだった。二人の間をすり抜ける音楽には、何の意味もなく、ただ、沈黙の気まずさを形だけだけれど消してくれていた。このままずっと、彼の美しい横顔を眺めていたかった。けれど、視線はこちらには向けないでほしかった。それは、彼の真顔もまた、私と同じくらい怖かったからだった。長い長い沈黙の後で、彼はすっと、消えた。いなくなった。私の前から、私の中から。
「海老フライは、何をつけて食べるの」
「タルタルソース」
「他の揚げ物も?」
「うん」
 全てはこんなくだらない会話から始まった。白い皿の上で、海老フライが二人を見つめていた。箸が皿にぶつかる小さな音と、こもった咀嚼の音がループする。彼はタルタルソースのチューブを手にとって、私の揚げた海老フライの上に、これでもかというくらいにかけた。衣の茶色は見えなくなった。私は彼の右手をじっと見つめていた。
「唯は?」
 彼がふっと言ったので、私は思わず「えっ」という気の抜けた声を漏らした。
「海老フライ、何をつけて食べる?」
「醤油」
「醤油?」
 彼はとても驚いた顔をしていた。そして私を奇異の目で見ていた。私は何だか気まずくなって、味噌汁を眺めていた。するとまた、小さな音のループが始まった。私は赤いキャップのついた醤油さしを手にとって、彼に負けないように、海老フライにかけた。私の海老フライは黒くなった。
 ストッキングをはいている最中に、彼がそんなもの必要なのか、と聞いてきた。肌を綺麗に見せるためだと私は答えた。
「誰のために?」
 彼は少し私をからかうように聞いた。あなたのためよ、という言葉をすんでのところで呑み込んで、さあね、と薄く笑った。彼はふうん、と少しすねたように、5本指の靴下を履いた。私がそれを眺めていると、水虫にならないためだ、と彼は言った。彼のタバコの箱を見て、これ美味しいの、と聞いたら、唯にはわからないよ、と返されたこともあった。ラークの10ミリ。何が10ミリなのかも分からなかった。だけど彼がタバコを吸う姿は、私はあまり好きではなかった。
 付き合うきっかけになった、お互いが好きだった歌手は、活動を休止していた。そのタイミングで、私と彼は徐々にこうなっていった。だけど私は、これを別段悲しいとは思わなかった。むしろこれぐらいが当たり前だと思っていた。彼のすることと私のすることはいつもかみ合わずにいたのだった。だから、レストランに行っても、食べるものが被ることもなかったし、お互いのものを一口ずつもらうこともなかった。同じものを食べるのは、私の部屋で、私が夕食を作る時だけだった。
 今は珍しく二人の前にアイスコーヒーが二つ並んでいた。だけど、やっぱり私たちは変わらなかった。彼はガムシロップをふたつと、ミルクをひとつ入れた。彼のコーヒーの中で透明な流れがぐるっと見えた後、黒は茶色に変わった。私のコーヒーは黒のまま、氷がガラスの中で転がっていた。ストローを突っ込んでくるくると混ぜながら、私は彼を見た。彼は窓の外をぼうっと見ていて、私には何の興味もないかのような顔をしていた。私はそんな彼を興味津々で見ていた。彼はその視線に気づいて、ふっとため息をついた。短い、息継ぎのような、ため息。空気砲のような、ため息。私ははっとして、目を伏せた。その時に、有線の曲が変わって、あの歌手の歌が流れ始めた。彼は無意識に天井を見た。私も同じことをしていた。しかし、彼はすぐに首を元に戻して、一言だけ言った。そして、横顔になった。
 氷だけになったコップの向こうには、彼はもういなかった。透明になった向こうには、観葉植物の緑がぼやけて見えていた。コップの隣に、その緑に似た色の箱が置かれていた。私はそれを手にとって、一本取り出した。歯で軽く吸い口をつぶして、彼が忘れていったライターで火をつけた。さっきの彼の真似をして、短いため息とともに煙を吐き出した。白い線が天井にのぼって、大好きな歌に絡まって、そしてそのまま、天井に消えていった。喉にはメンソールの味が残った。残り香があまりにも清々しく、さっきの彼の美しい横顔と重なった。しかし、それもすぐに消えて、私の前には溶けた氷の透明が、ガラスの中で揺れていた。もう一度煙を吸って、その透明にはきだした。透明は白を弾いて、その色を保っていた。反り返った煙は、情けなく消えた。私はまだ半分残っているタバコを灰皿に押しつけて、有線に耳を傾けた。
 やっぱり、私はたばこを好きになれない。だけど、そう、悪いものでもない。

   -完-

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『電信柱は倒れてこない』
            宮崎亮馬

「斜めになっていますね」
「ええ、斜めになっています」
 二人は公園で電信柱を見ていた。船のかたちをした遊具以外は何もないこの公園を、二人はふねのひろばと呼んでいた。
「なんで先輩まで敬語なんですか」
「サトに敬意を払おうと思ってね」
 サトはこの公園があまり好きではない。船のかたちをした遊具の上で寝そべっていると、電信柱が倒れてこないか心配になるからだ。公園の外にあるはずの電信柱は、この小さい船から見てみると、とても近くに迫っているように見える。船に当たればひとたまりもないだろう。それでもサトは、史人につられてよくここへやってくるのだった。
「ノーバード」
 突然、史人はそう言った。
「ノーバード?」
 サトは聞き返す。確かにトリはどこにもいない。電信柱が支えるたるんだ電線の上にも、船から見えるぱっとしない空の中にも。サトは隣で寝そべっている史人が、ふふふと笑うのを聞いた。少しだけ嬉しくなった。
「先輩の言う通りです。ノーバード」
「クレー射撃で、的になるクレーが出なかった状態のことらしいよ」
 サトも史人もクレー射撃をしたことはない。
「物騒な言葉ですね」
「そうかなあ」
 ここにはトリどころか何もない。船のかたちをした遊具には、帆も錨も舵もない。あるのはノーバードという、不思議な響きの言葉だけだ。
「船長、あなたの船が沈んでおります!」
 突然史人が大声を出したので、サトはびっくりした。史人は水兵がする敬礼のような格好をして笑っていた。サトの隣に寝そべったままで。
「突然どうしたんですか」
「キャプテン、ユアシップイズシンキング。兄貴が持ってるレコードに書いてあったんだ」
「それは、バンドの名前ですか?」
「さあ。でも、おもしろいだろ」
「そうは思いませんね。緊急事態じゃないですか」
「そうかなあ」
「少なくとも私たちは一生言わない台詞ですね」
「確かにね」
 サトも史人も船乗りではない。
「それで、キャプテン」
 サトが急に立ち上がったので、史人も慌てて立ち上がった。
「あなたの船が沈んでいますよ」
 生まれて初めてその言葉を口にした少女を、直立した電信柱が見つめていた。

   -完-

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『ストレス』     吉川浩平

 小学校の教師というのも、なにかとストレスの溜まる職業でしてね。担任なんて持っちゃうともう本当にどうしようもありませんね。ガキどもは顔見りゃ喧嘩だいじめだって騒ぎまくってうるさいったら。授業なんてとんでもない、あいつら私の言うことなんか一つも聞きやしませんよ。
 また大変なのがその父兄連中でね。三者面談なんて日にゃもうこの世の終わりだみたいな顔して、うちの子どもの成績が悪いのは先生の責任だとかしつけが甘いとかって言ってくる。そのくせこっちが子どもを叱りゃ家にまで呼び出し喰らって怒鳴り散らされるんだから、ねえ。
 まあそんなことで毎日毎日ストレスの袋小路みたいなところで生活してるとね、あるとき半狂乱みたいになっちゃったことがあって。はっと気付いたときには理由もわからず包丁握っちゃってたんですから。こりゃまずいってんで色んなストレス発散方法みたいなのを試してみたんですよ。毎晩ジョギングしてみたりね。飲めない酒飲んだりもしました。でもどうも長続きしない。何より大してストレスが発散できた気がしなかったんです。
 それがちょうど今年の梅雨くらいでしょうか、ゴミ袋に愚痴を吹き込み始めたんですね。大きな市のゴミ袋をこう口に当ててね、ぶつぶつ言うわけ。さっき話したみたいな学校のこととか、あるいは田舎からまた見合いの催促が来ていいかげんにうっとうしい、とかね。もっと言葉は汚いですけど。吹き込むことは何だっていいんです。
 ああ、田舎で思い出しました。この間両親から電話がありましてね。灯油を買う金もないから仕送りをもっと増やせと言うんです。これにはもう腹が立ってね。自分の子に強請るくらいなら早いとこくたばっちまえって。たまりませんよ、本当に。
 まあそうやって愚痴を吹き込んでいるうちに、ゴミ袋がだんだん大きくなって、つまり膨らんでくるんですね。そうなってくると今度はその膨らんだゴミ袋の処理に困っちゃって。何せ重さはないけどかさばるものですから、一つならまだしもこれが三つ四つになると部屋が狭くなっちゃうでしょう。まさかせっかくここまで吹き込んだのに穴をあけて抜いちゃうわけにもいかないってんで、ちょうどその日が都合良く燃えるゴミの日だったこともあって、試しに他のゴミと一緒に出してみたんですよ。まあ燃えるだろうと思ってね。案の定収集車が持って行ってくれて、ああやっぱり燃えるんだなんて思いましたけど。それからはもう身体がぬるま湯に浸かってるみたいにぼんやり楽になっちゃって、心もすっきり、肩の荷どころか業まで一緒に降ちてった気までしましてね。へへ。以来それが私のストレス発散法なんです。
 ここ半年くらいでこの辺りは何かと物騒になったじゃないですか。やれ強盗だとか暴行だとかって多いでしょう。この間はウチの生徒が虐待に遭ってるなんてのもありましたし、お隣さんの夫婦喧嘩の叫びなんてもうひどいもんですよ。きっと皆さん、ストレスの発散方法がよく分かってないんだと思いますね。
 そういや、つい昨日の話ですけど、ゴミ焼却場の職員が皆揃って焼却炉に飛び込んだんですってね。そうとう溜め込んでたんじゃないかなあと私なんかは思いますけどねえ。
 あなたも、是非そうならないうちに試してみるといいですよ。ゴミ袋。


   -完-

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『ハダカ、ハガタ、ガラクタ』           あくた

 『涙ゼリー』

ぶらさがった時計が脳内を冷やすから
恨みのゼラチンを撒き散らす
夢の中では小さな頭蓋骨がよみがえる。
ひき止めるくらいなら、おさえつけて。
天井が回る朝に願うのは、
もう逃げ出した温もりがこの手のひらに戻ること
涙で固めたゼリーはもういただけない。
 



 『窓にくちづけ』

電車のなか

みんなのため息が雲になって雨を降らせる。

だからね、窓の水滴は少し悲しい味がする。

もうすこし大きくなったらわかるよ。






 『りっちゃん』


らりるれろ
らりるれろ

ラ行変格活用

らりるれろ
らりるれろ

君が呼ぶから

らりるれろ

焦れったいぜ

らりるれろ

 『首飾りは外して』

手のひらが、鼻が、頬が

触れられるたび
浮かび上がるコンプレックス

後悔と心地よい羞恥

たてたてよこよこまるかいてちょんちょん







『素敵な水曜日』

寒くて薄暗い動物園。
小動物のやかましさにため息をついたなら
唇を塞いで安楽死させて。
きっと虹色の夕陽の夢を見る。

しこり

2011年12月1日 発行 12月号 初版

著  者:
発  行:フリーペーパー『しこり』編集部

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  『ランナウェイ』 藤本諒輔
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  『紀州犬ケンジ』 横田直也
  『煙 ―えん―』 長谷川智美
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  『電信柱は倒れてこない』
          宮崎亮馬
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  『ストレス』  吉川浩平
   http://twitter.com/#!/_kohchang
 『ハダカ、ハガタ、ガラクタ』          あくた
    http://twitter.com/#!/rtz_00  


  装丁:サッカローニ
  編集:吉川浩平







2011年11月1日 創刊号
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