二月十七日
台北に行ってきた。五回目。
今度、台北で写真展をするためにギャラリーを見て回る。
いくつか雰囲気のいいギャラリーがあった。
それがあったので、写真はほとんど撮れなかった。
二月十三日
パルコパート1「crosspoint」P.M.Kenさんの写真展へ。
内容を説明しても野暮なので、観に行ってください。
五月十七日にsarugaoくんから来たメールの内容です。
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504さんにも、機会が有れば「ありがとうございます。」 と、
sarugaoが言っていたと伝えて頂けると嬉しいです。
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俺と504さんとsarugaoくんの三人は、写真の面白さについて
ここで会話をすることができました。それは大事な記憶なので
彼のことについてはもう何も言わないことにします。
そのことは僕ら以外の誰とも関係がないことですからね。
二月五日
504さんのBCCKを拝見しました。sarugaoくんの話です。
時期の前後はハッキリしないのですが、BCCKをやり始める前から
彼は俺の写真展に何度か来てくれていました。
「デジタルで50ミリのレンズを使うと75ミリになって新鮮だ」
という発想のBCCKを見て、今までの写真観に囚われない
面白い人がいるなと感じました。sarugaoくんが俺の知っている
上島くんであるとは彼からメールをもらうまではわかりませんでした。
彼はいつも真剣に写真に取り組んでいて、こういうときはどう撮るか、
行き詰まったらどうするか、など、青臭すぎるほどの真面目な質問に
答える度に、自分ももっと真剣にやらなくちゃ、と反省もしました。
彼がずっともがき苦しんでいたのは「写真を撮ることが何になるのか」
という問いだった気がします。彼は写真に関する知識も豊富だったので
あれとこれとはどう違うのか、などと質問攻めです。
俺の答えはいつも同じで「他人のことなど気にせずに、
自分が撮りたいと思った物を撮るしかない」でした。
彼は数学や物理のように、写真を勉強することで写真が理解できると
思っていたようです。病気になってからは「今、自分が目で見ていられる物」
への愛情というか、失うことへの焦りというか、たまにカメラを持って
病院の外に出られるときの目の新鮮さのような発見があったようです。
彼には「病気だからといって撮るモノが変わるようじゃまだまだだな」
と、わざと突き放したことを言いました。元気になったときに
その視線が絶対にいい経験になることがわかっていたからです。
「じゃあ病院で美人看護師でも見つけて撮りますよ」と返事が来た。
その明るさに安心はしたのですが、彼が撮りたいのは
入院患者の立場を利用した、そんな下世話な写真でないことも
よくわかっていました。もし美人看護師が撮りたいなら、
自分とは何も関係ない病院に写真家として乗り込むでしょう。
正直なところ、彼の繊細さは被写体との距離感を解決しにくい
とも思っていました。それは彼自身もよくわかっていたようです。
街を行く人の姿を撮るときの、カメラと風景との一体感。
彼は冷酷な目で状況だけを撮ろうとしていましたが、その裏では
もっと近づいて行きたい、という気持ちも透けて見えるのです。
だからと言って無闇に他人の領域にズカズカと踏み込むことが
写真の熱さである、というような幼稚で暴力的な方法もとれない。
繊細さとクレバーさが邪魔をしていたわけです。
彼はほとんどのことをきちんと理解していて、だからこそ悩んでいた。
もちろん広角レンズだって持っていた彼の、75ミリという距離感の
選択には深い葛藤が伺えます。わかりきっている正解をなぞるのではなく、
何かを切り拓いていこうとしていた。
俺は彼の家族のことをまったく知りませんでしたが、
できれば彼が写真表現とチカラを入れていた物ではなく、
パーソナルに撮っていたアルバムを見てみたい。
初めて観る彼の展覧会が「遺作展」というのは
とてもつらいことですが。
二月二日
台北で写真展をやろうと思い立ち、今月の台湾行きの手配をした。
台湾はここ数年写真への興味が大きくなっていて、客が育っている。
ここが日本と違うところだと感じる。
当然だが、いい写真を撮る人なんて、世界中のどこにでもいる。
でも「よき批評に立脚したよき写真市場」を育てるのはとても困難で
それは本来、好意的にアートに関わる人たちではなくてそれ以外の人々。
日本では展覧会でアーティストがアーティストの絵を買ったりして、
つまりナイーブな内需ばかりを拡大している気がする。
欧米(欧州とアメリカは大きく違うけど、日本と違うという意味で)では
絵のマーケット、コレクターが昔からシステムとして成立していたから、
ジャンルをスライドするだけのカタチで初期の写真マーケットは
できあがっていったんだと思う。そして、その旧来の制度が写真に
あわない部分は修正を始めている。
台湾、韓国、中国、ベトナムのギャラリーを見ていると、それぞれに
やり方は違うしもちろんまだ幼稚な部分もあるけど、欧米で修正済みの
システムを柔軟に取り入れているようだ。特に中国では政治的な問題も
あるから一概に自由であるとは言えないけど、それが世界の美術史に
置かれることを考えればとても驚かされる魅力的な物が多い。
どんな分野でも日本の持つ特徴的な弊害として、中途半端な旧来の制度が
新しい仕組みを生み出すことを妨害する。美術は精神であり、商業でない、
という高潔な思想だけでは貧乏なアーティストを救わない。
映画では一瀬さん、アートでは村上さんのように、外国で、ではなく、
世界で評価を得て商業的な成果をも出すために方法を学ぶ人もいる。
俺も楽しそうだから、まずは目の肥えたアジアの批評家に
写真を見せて、きっついダメ出しをされに行こうと計画中である。
二月一日
ここをBCCKS運営のどなたかが見ていただいているとしたら質問。
このBCCKのページ数が多くなりすぎたので、更新しようと思ったら
「もう作れません」とアラートが。数えても規定の三十冊にはまだ
届いていないようなのに。でも「内容的にコレ増やす価値ナシ」という
アラートであるとしたら仕方ないですけど!
石岡さんとは仕事でもプライベートでも面識はありません。
たまたまそのパーティに、石岡さんの親友である大先輩に呼ばれただけです。
昨日亡くなった川勝さんとも、ほんのあいさつで一度だけお目にかかりました。
狭い業界ですから、間に一人誰かを挟めば多分誰にでも行き着きます。
だからこそ、その人と自分がのちに親友にでもならない限り、
「知っている」とは言えず、お見かけしたことがある、という程度です。
誰もが知りうる部分は、メディア用に見せていいところだけなので、
そこから得た情報をいくら分析してみても、何も意味のある答えは出ません。
テレビで悪役だからあの人は悪人という、田舎のお婆さんみたいな論理です。
テレビや広告などマスがやっていることは雲から雨を降らせるような仕事で、
雨に濡れた人がいくら棒を持って雲をつつこうとしても、声は届かない。
俺は「役割として雨を降らせること」を「雲である自分は社会に影響力がある」
と勘違いした人たちが好きではなく、マスに関わる仕事はほぼやめました。
「今日も雨か」と空を見上げている人の方が気が楽だからです。
雨に濡れながら写真という大根を作って、顔が見える手の届く人に向けた
写真展をやって見てもらうこと、マスではあるけど勘違いしていない人、
との仕事だけ地味にやっております。おかげで経済的にはひどく報われず、
うちの料理人や家政婦、運転手たちが集団で賃上げしろと騒ぐ始末です。
一月三十日
石岡瑛子さんが亡くなった。「ドラキュラ」のオスカー受賞パーティを
思い出す。スパイラルだったと記憶しているが、ドラキュラにちなんで
ドレスコードが赤と黒だった。仕事帰りにヨージで真っ赤なジャケットを
買い、着替えて伺った。派手な場所なので丁度いいだろうと思ったが、
赤いジャケットはまるで似合わず、ミスターミニッツの店員風だった。
柄にあわないことはしない方がいい、という苦い思い出とともに
オスカーを持った石岡さんの華やかな姿が蘇った。
今日はずっと机に向かっての作業。撮影で外に出かける日と
事務所にこもる日のバランスは自分で決めているわけじゃないのに、
なんとなくいいペースだと感じる。長くやっていると意識しなくても
そのカンジが自然にわかってくる。一月のスケジュールを見返すと
東京にいなかったのは三分の一の十日間なので、絶妙なバランスだ。
撮影は相手があるものだから始まりと終わりがハッキリしている。
でもデスクでの作業は、いくらでもやり続けることができる。
だから残業という概念はない。504さんみたいな設計の作業は
マラソンだから、長い時間走り続ける技術が必要なんだろうと思う。
一日数時間で撮影が終わり、それを持ち帰るとああだこうだと悩んで
ただひたすら机の前に座っている俺みたいなタイプもある。
短いダッシュの連続も延々とやり続けるのも、どちらも難儀だけど
本当に好きだから苦にならないし、そうでないとできないと思う。
一日働く時間が決まっているわかりやすさとはすべてが違っている。
終わりを決めるのは時計じゃなくて、これでヨシ、と思う瞬間。
一月二十八日
西麻布で今年初めての「坊主の会」。
女優一人に監督四人というメンバーだったけど
今日は「演じることと演出することの違い」の話が面白かった。
全員が揃えば監督が六人なので暑苦しい。落合博満だらけ。
それぞれのオレ流は違うが、話しているときはみんな楽しそうだ。
特に映画監督ばかりをメンバーに集めたつもりはないんだけど、
「画策する楽しさ」を共有できる人に声をかけていったらこうなった。
素人や学生じゃないから「居酒屋の芸術論」「他人の批評」ではなく
そこには自分たちが作り出す「実現」が伴わないといけない。
ここで集まった人同士が話していることに何かヒントがあれば
仕事をしたり、プロジェクトを立ち上げる可能性もある。
もともと監督ばかりだから、アイデアを出すことには慣れているけど
他人のアイデアが生まれる瞬間を見ることは滅多にない。
そこがエキサイティングで面白い。
一月二十六日
ずっと続いている仕事の打ち合わせで原宿のBEAMSへ。
直接の担当者が変わったのに、お目にかかっていなかった。
俺が作ったモノを気持ちよく「いい」と言ってもらえてうれしい。
メールではなかなかこのニュアンスが伝わりにくい。
その仕事の中のひとつのメッセージで「Love your status.」
という言葉を考えた。自分がいる場所を愛せよという意味だけど
自分がしてきたことが現在の居場所だ、ということを
肯定的に受け止めて愛することが大事なのではないかと思った。
俺は新しいカメラを買うと、最初の一枚で父親にもらったお守りを
撮ることにしている、と雑誌のエッセイに書いた。
タイトルは「写真の神様」。自分が写真を撮るようになったのは
父親が「いいカメラを使え」と、カメラ一式を買ってくれたからで、
そのことが今の自分の居場所を決めている。
アーヴィング・ペンでも誰でもなく、俺の写真の神様は父親だ。
自分が写真を撮ることは自分がその境遇に生まれたからで、
写真史や著名なカメラマンとは何ひとつ関係がない。
だから写真家の本を読んで何かがわかったような気にもならないし、
才能あふれるカメラマンと仕事をしても、それはその人の方法で
自分の写真には何も変化をもたらさない。
504さんが新しいカメラでお父さんを撮った話を聞いたとき、
この人は自分の境遇に確固とした自信を持っていて、
自分の居場所に感謝している人なんだなあと思った。
俺は自分の世界を肯定し、それが滲み出てくる人が好きだ。
504さん、月日の経つのは早いものですね。
あの時のお父さんのお話、よく憶えています。
一月二十四日
チケットが取りにくいので知られる小三治師匠。
ネットで調べていたら空席があったのですぐに取ったが
後で気づくと会場は長崎だった。
長崎にはちゃんと行ったことがなく、
これも何かの縁だと思ったので、流れに身を任せることにした。
二十三日に羽田から長崎へ向かったが、同じ飛行機の
目の前の席に小三治師匠、三三師匠がいらした。
長崎はちょうどランタン祭りという、中国の旧正月に合わせた
イベントが始まったところ。街中が華やかだ。
夜はオナガ、胡麻サバなど、新鮮な魚の料理を食べる。
二十四日の昼は名物のちゃんぽんを食べ、長崎市民会館へ。
長崎のこの会はもう何十年もやっているそうだ。
最初は談志、圓楽、小三治の三人会だったが、
今は二人が亡くなっているので、出演は小三治、歌丸、三三。
小三治師匠の計らいで、歌丸、小三治の後にトリで三三があがる。
これからは三三が次の時代を引き継いでいくのだと思う。
夜は餃子を食べる。長崎は食べ物も美味しいし、いいところだ。
この偶然はなかなか面白かったので毎年恒例にしてみようと思う。
毎年、毎日、新しく面白いことが見つかるなあ。
一月二十二日
西武のウルキオラ展を観たとき、磁器が建築のように見えた。
食器などのプロダクトデザインについては門外漢だから
抽象的な知ったかぶりは避けるけど、説明にも「建築的」という
表現があったので、誰もが大ザッパに感じることなんだろう。
プロダクトデザインという言い方も語弊があるけど、
大きなスケール感を皿に閉じ込めつつ、磁器の緻密さの
限界に挑戦しているところに息をのむ。
よくいる芸術家肌の陶芸作家みたいなタイプとも違う。
試作品や精巧な石膏の原型を見ると建築模型によく似ているが
やはりこういうものは実物を見ないとわからないね。
台割レイアウトみたいな意味ではないデザインという言葉は
幅広く他の分野とも共通する部分があり、音楽にも通じる。
楽譜やミックス用のトラック表を見ると、設計図そのものが
デザインになっているのがわかる。
バスドラとスネアの位置だったり、ストリングがそれを
覆うところなどで音楽が頭にリアルに再現されるのが面白い。
写真の場合はいつもデザインと共にあり「構図」のように、
レイアウトに近い概念が隣り合わせになっているから
間違えやすいんだけど、実は写真におけるデザインの意義は
そんな簡単なところには見えてこない。それを理解して
初めて情念とか空気みたいな表現領域に行くんだけどね。
一月二十一日
芥川賞の田中さんの記者会見を見て、傲慢だとか
世間知らずだとか批判している人がいるらしいが、
その人たちは何を小説家に求めているんだろうか。
小説を書くことは頭の中で世界を作ることで
宗教で言うところの「クリエイター」。
創造主に世間一般の常識を求めてもムリだよね。
それを壊すためにやってるんだから。
「あんな態度じゃ会社員は勤まらないだろう」って
一体どういう論理なんだろうか。
毎日同じ時間に出勤するみたいな生き方がイヤだから
作家の仕事を選び、そこで評価を得たのに。
評価に晒されなくていい人たちは、自分の生活以外の
想像力がないからノンキだなあ。
あと、ギャラをもらって文章を書いたりしてる人は
クリエイター(狭義の)じゃなくて、
ただ「書く仕事」だから、そこは注意。
もちろん写真だって同じ。
一月二十日
雪が降った。
昨日は新しい仕事の初打ち合わせだった。
なかなか面白そうでやりがいがあり、試される厳しい仕事。
仕事とは言ってもただ写真を上手く撮ればいいんじゃなくて
「これからこの人と一緒に何かやれるだろうか」が試される。
がんばらないと、せっかく試してくれた人に申し訳ない。
夜は、五十歳で初めて写真集を出す人と会った。
最近写真を撮り始めたらしい。
できる人はやろうと思えばいつでもできるんだな。
彼は写真の歴史に立ち会ってきた膨大な経験はあるが、
すぐそばで写真家を見つめて得た知識と、
自分が撮ることはまったく違うことも知っている。
大事なのは知識じゃなくて実現力。勉強になった。
一月十九日
自分の考えに信頼を置く、という表現はとてもいいですね。
こうして504さんにはずっと勝手な共感をおぼえてきましたが、
それは意見が同じってことじゃなくて「信じる方法」が好きだ
ということなのかもしれません。
同じ風景を見ても、世界に不満や怨念がある人もいれば
美しいと思う人もいたり、人それぞれ。様々です。
世界を「自分の方法で」ポジティブに見つめようと思っていると
他人も気持ちよく思えるのではないか、最低でも嫌な気分には
ならないのではないか、という自分の考え方は
脳天気な単純バカだと自覚もしているんですが、
世界を薄汚い眼で見ることよりは害がないか、と思っています。
自分の方法を信じる、と言うのは簡単ですが、
それは自分のやっていることを、他人の考えで補強しないと
いうことなんですね。だから俺は自分の文章の中に他人の名前を
出さないようにしています。例外は実際にお会いして
自分の写真について互いに話した人の名前だけです。
そこに自分と関係のない他人や歴史や流行を取り込んでしまうと、
やるべきことがポジショニングになってしまう。
それは何かを作ることとは、まったく違うことです。
先日、哲学関係の人と話し「日本に本物の哲学者が育たないのは
哲学を考えるのではなく、好きな哲学者を研究しているからだ」
と聞きました。つまり自分ではできないことのファンなんですね。
一月十八日
今日はスタジオで二カット撮影。
504さんの写真、毎日通る場所なのですぐわかりました。
あれだけデスクを外に向けている銀行は
ちょっと珍しいですよね。ブルーもキレイだし。
書かれていたことはまったく同感です。
建築もデザインも写真もすべてデザイン(計画)ですから
同じことだと思います。
「自分以外、誰も食べない料理」は美味しいマズイではなく
社会の評価外である、という意味で社会的という言葉を
使ってしまったのですが、社会に存在しないのは
悪いことではなく、きわめて個人的ってことですね。
たとえば家族の写真を撮ることに社会的な義務はないので、
家族が喜べばいいわけです。料理も家族が美味しければいい。
それをことさら社会的な存在であるレストランの味と
比べるのもナンセンスだし、無意味だということですね。
無意味というか、わからない感覚です。
社会に貢献するためには社会的な存在である必要があり、
大規模な商業施設を考え設計し、実現する仕事は責任が大きい。
誰かの役に立ち、貢献できることが「物を作る」根源で、
そこに目的がないものは家族アルバムであり日曜大工です。
楽しんで作ることは勝手だけど、遊びに行ったときに
延々と説明され、見せられると苦痛である、と。
一月十七日
今日は宮古島のコンタクトチェック。
毎回のことだけど、反省点が多い。
もちろん収穫もあって、新しく試した方法の手応えはあった。
毎日練習をしていると筋肉にダメージがあるが、回復すると
その部分は前よりも強靭になっている、とアスリートが言う。
精神的には写真を撮っていても同じようなことが起きる。
実験と発表と試験と評価は否応なく毎日やってくる。
もっとたくさんダメージを受けて強靭にならないと。
504さんとは仕事が違うし、俺の仕事とは社会的な責任が
違いすぎるから比べるのも失礼だけど、その感覚はわかって
もらえると思う。わかる不幸と幸福が同時にあるよね。
一月十六日
年明けのロケから戻ってきてやっと通常営業が始まったカンジ。
bccksではinstagramとの連動ができるようになったりしている。
bccksのカジュアルさを考えるととてもいいことだと思う。
普段、ライカのM9を使っている人がロケ先から綺麗なモノクロ写真を
アップしていることがあるので、お聞きしたらiPhoneだった。
写真はいいカメラを使ってもよく写るわけじゃない。
逆に、どんなヘボカメラでも上手い人が撮ればよく写る。
bccksで言うと、宇壽山さんの写真には別格の美しさがあり、
iPhone写真であろうと「見惚れる」と表現したくなるほどだ。
写真には撮る人が写る。質のいい写真を見せてもらうと
写真がいいとか悪いとか好き嫌いじゃなくて、
「こういう人が撮っているのか」と人物の輪郭を思い描き、
上質な物を丁寧に掬い上げることの重要さを感じる。
スナップ写真は簡単そうに見えて、精密さを必要とする。
宇壽山さんの写真を見ていると、俺はいつまでやれば
これほどの写真が撮れるようになるんだろう、と
ガッカリするばかりだ。
てことで、本日の写真は自戒の意味も込めて載せない!
一月十五日
宮古島もいいけど、東京には別のよさがある。
西麻布のブルギニオンへ。
鱈の白子、クロソイ、アンコウ、
牛ホホ肉のマデラソース、
ブリュレ、瓶詰めのプリン。
料理はライブの歌のように消えてなくなるアートであり、
その時にそこにいた人にしか体験できない。
メニューはいつもほとんど変わらないけど、
野菜や肉が少しずつ違うことがわかる。
目や耳を鍛えるのと同様、感覚器である舌も鍛える。
鍛えると言っても苦労はなく、楽しいだけだが。
料理はもちろん、菊地シェフの笑顔は今日も最高でした。
一月十四日
宮古島のロケが終了。
昨日は夜、屋外でTシャツ一枚だったのに、
東京に戻るとやはり寒い。
北海道から沖縄まで日本は広いなあ。
いろいろな場所に行くと、自分の居場所がよくわかる。
気候や文化だけではないすべての違いが明確になる。
俺がもし「東京から来た写真家である」と自己紹介しても
「ヨーロッパで君の名前を聞いたことがない」と言われるだけだ。
有名であるとかそういうことはあまり気にしないが、
いつかは「お前の写真を見たことがある」と言われたいものだ。
その方がお互いに楽しいに決まっているからだ。
一月十一日
宮古島での撮影二日目。曇りときどき晴れ。
前半の撮影が終わって、モデルは東京へ帰り
夕方、後半のモデルが宮古島入りした。
モデルのナオコさんの誕生日が今日だったので
ケーキを手配して夕食。
一月十日
宮古島に来ている。昨日は撮影前ロケハンで、今日から撮影。
ほぼ曇りでときどき雨。熱帯植物が雨に濡れているのは美しい。
今回初めてロケに参加するアシスタントがいる。
撮影中にごく初歩的な質問をされると
俺は簡単に答えることはできるのだが、
自分でも「そう言えば、それは何故だろうか」と
本質的な意味を考え直さなくてはいけないのが面白い。
彼が「仕事をする上で必要なものはなんですか?」と聞くので
俺は、品、と答えておいた。
品は生まれつきだからいくら努力しても一生変わることはない。
一緒に仕事をする場合、その人が何を良いと思うのか、
何を良いと思って来たか、にズレがあるとやりにくい。
趣味や嗜好が同じである必要はまったくないけど、
好きなモノの質がよく、なぜ好きかに納得がいけばいい。
彼は育ちがよく、下品なところがないのでアシスタントに選んだ。
ひとつのミスもなくカメラが扱えるとか、機材の知識があるとか
やれば誰でもできるようになる程度の技術などは二の次。
そんなことはいくらでも周囲がリカバーできる。
一月八日
新橋にて会食。
正月らしい昆布巻き、とらふぐの寿司、しゃぶしゃぶ。
食べ過ぎました。
一月七日
昨日の夜は青山で知人の誕生パーティ。
日付のついている記念写真はあとで見ると楽しい。
撮ってしまえば毎日忘れていく写真。
毎日、写真を撮る意味のある日常が
目の前にあるだけでよしとしよう。
一月六日
恒例の新年会へ。
davのケータリングが来ていて、
美味しいモノを頂く。
一月五日
正月などなかったかのように仕事が始まる。
誰かから自分に「何かを作ってくれ」と頼まれること、
その報酬によって暮らしていけることには、
感謝してもしきれない喜びがある。
単純に、なんといい人生なんだろうと思う。
もちろん散々な結果に終わることもあるが、
それは自分が悪いわけで、誰の責任でもないから
褒められても貶されてもすべてに納得がいく。
自分のことだけ考えていればいいので
精神的な健康を保っていくことができる。
他の人と幸福の度合いを比べる必要がないというのが
どれほど幸福なことか。
自分の内部と戦うことの厳しさを差し引いても
十分にお釣りが来ます。
一月四日
毎年、正月に何かを始める習慣がなかったのですが、
今年はちょっとやりたいことがあるので試してみることにしました。
今日一月四日は自分の誕生日です。
あと生きても三十年ほどでしょうか。
三十年は長いようで短く、短いようで長いでしょう。
元日にフランス語の文法本を買いました。一月から始めると
進捗状況がわかる気がしたからですが、いつまで続くやら。
フランス語ができるようになると便利、というわけではなく、
あるひとりのフランス語を話す人と話したいだけなのです。
いつも通訳をしてもらうのですが、彼の言葉は哲学者のようなので、
できれば自分の言葉で話し、彼の言葉も耳で聞きたいからなのです。
毎日一章読み進めるのですが、中年の脳味噌は記憶力がないので
五つ憶えては二つ忘れ、また戻って四つ憶え、という感じです。
何かを憶えることは大変ですが、理屈を言わず、真剣に取り組めば
必ず成果があります。楽器と語学ができる人は単純な反復練習を
ねじ伏せた経験のある人で無条件に尊敬できます。
何も考えずにできるようになるまでできないことを嘆かずに続ける。
これしかありません。
やればいつかはできるようになりますが、やらなければできません。
みなさん、あけましておめでとうございます。
今年もどうでもいい写真でお目汚ししていきますので
よろしくお願いします。
十二月三十日
汐留のホテルで知人と待ち合わせ。オフィス街なので
どこも店が営業していない。カフェを探して新橋まで歩く。
そのあと、新橋で予定があったのでちょうどよかった。
美味しいものと、それほどでもないものを食べる。
どんなものでも百点というのは滅多にない。
十二月二十九日
代官山で初仕事のアシスタントとロケの打ち合わせ。
そのあと、恵比寿のビストロで食事。
十二月二十七日
迷惑と思いつつ、向こうがなくなる前に古いbcckを大量コンバート。
コンバーターのバグなのか、残ってしまった改行記号を手作業で処理。
画像のサイズや、保存の挙動でもおかしいことがあり、何度もやり直す。
たったあれだけの作業で数時間かかった。
細かいところはおいおい直すとしよう。ふー。
十二月二十六日
夜は九段で食事。
メンバーの二人は来られなかったが、久しぶりの人たちと会う。この温度の低い集まりが好きだ。誰一人として大声で騒がないし下品な話をしない。お金の話や誰かの悪口も言わない。ただ美味しいモノを食べて、どうでもいいことを延々話すだけだ。
目の前に見えていることを話すことと、見えていないことを話す違いは大きい。
ドラマで見た、本で読んだ、映画を観た、ライブに行った、と見えたことを話すのは消費活動の反応。たとえば「ゲームの中に隠しコマンドを見つけた」と言ったとき、彼は見つけていない他のゲーマーより優れていて、そのゲームと対等になったと感じるかもしれない。でも「隠しコマンド」を設定したのはプログラマーである。勘のいい誰かが見つけたときに喜ぶことを想定して、そこに埋め込んでいる。
ネットで、という言い方が正しいかどうかわからないが、誰もが誰からも読める場所に持論を展開できるようになったときにハッキリしたのは、コンシューマーがプロバイダーを超えることはやはり難しい、ということだ。アイドルの悪口、政治への不満、巨人軍にもの申す、と言うとき、それがプロバイド側の想像を越えることはまずない。「自分しか気づいていないことを言ってやった」と思ってストレスを解消しているが、検索すればほとんどの人が同じことを言っていて、多くの場合それは隠しコマンドのレベルにすら至っていない。今までそういったことは居酒屋で仲間同士でだけ行われていたこと。ネットは居酒屋での会話をまとめた議事録になっている。
十二月二十四日
京都へ。東本願寺を散歩してから北野天満宮に行く。
骨董市、フリーマーケットが好きなのでじっくり見るが
今回はあまりいいものがなかった。
夜はいつも行く店で鍋を食べる。安定感のある美味しさ。
翌日は神戸に移動。夕方、ツイッターで知り合った方が
経営する中華料理店にお招きいただき会食。
とても美味しかった。神戸では街を歩くこともなく、
何もせずにぼんやりして、東京に戻る。
羽田から事務所に戻り、仕事。
十二月二十三日
ニコンのレンズがあるからには、やっぱりこういうことになる。
Fマウントのレンズが使えるアダプター。
換算で三倍近くになってしまうので広角は期待できないけど、
まあ何にしても新しいものを試してみることは大事で、
使えないなら使えないと判断すればいいだけのこと。
歴史がある、評価が固定された物なら骨董趣味で使えるが、
それは他人が定めた評価の上にしか自分がないということ。
十二月二十二日
午前中は青山で撮影。自然光でもよかったんだけど、ストロボでHUを使う。
それから茅ヶ崎で撮影。ここはすべてのカットを自然光で撮影。
夜はまた青山で撮影。終わってから西麻布で食事。
茅ヶ崎の人が格好いい車に乗っていた。
ボロボロなんだけど、色とかサビ具合とかペイントがナイス。
十二月二十日
知人の誕生日で食事会。初めて行く店だけど、変わったカンジ。
料理はスペイン、イタリア、フランス風が入り混じっている。
雲丹と赤海老のジュレ、フォアグラとイチゴの揚げ物、
猪肉のサルシッチャ、鴨とフォアグラのパイ包み、など。
十二月十九日
今日はいつも広尾のスタジオでやっていた撮影の最終回。
前回はシンプルでフラットなライティングだったが、今日はキツ目のグリッドを使ってサークルライトにしてみた。同じことをやっているようでも、何かを少ずつ変えていかないと飽きてくる。できあがりを印刷物で見てみると、毎回のことだけど「もっとこうしたらよかった」という後悔の連続だ。これだけは死ぬまで続くことだから仕方がないけど。
仕事でも写真展なんかでも同じだけど、ある程度のレベルをクリアしてさえいればほとんどの人が「いいね」と言ってくれる。でも「これ以上どうにかできなかったの?」と厳しく助言してくれる人を一番ありがたく思う。
だいたいの場合、自分でも感じていた図星の部分であることが多く、やはり見る人が見ればわかるんだよなあと思う。ホメてくれればそれはそれで素直にうれしいが、すべて忘れて聞かなかったことにしている。
十二月十八日
バルセロナのサッカーを見て「能力が違いすぎる」と思った。
サントスは決して弱いチームじゃないはずだが、あれほどの差が出るとは思っていなかった。「柏ももうちょっと頑張れば」などという意見も聞くが、バルセロナと比べてはいけない。今までに日本のリーグから世界で通用する選手が何人かは生まれただろうが、まだまだ全員が選ばれた天才と呼べるクラブを作れるほどの才能の集まりじゃない。
あのサッカーを見せられたら沈黙するべきだ。
よく新人アイドルがブロードウェイでミュージカルを観て「感激して、わたしも挑戦してみたいと思いました」などと寝ぼけたことを言うが、そこで沈黙できる人の方が自分を理解していると思う。力の差を自ら理解するのは残酷なことだが、何十億という報酬をもらって観衆を呼ぶ人と比べるのは無理がある。
サッカーや野球はまだ日本人の資質と大きくかけ離れていないんだろうけど、はっきりとムリなのがアメフトだ。野茂やイチロー、中村俊輔のような活躍はおろか、NFLのトップチームに入った選手さえ一人もいない。こればかりはもう環境と肉体の問題でどうしようもないと言っていいだろう。
昨日まで素人だった女子高生をアイドルであると言い張っても、それを平然とアイドルであると認識してしまう甘さが、客の側にある。「みんなに可能性があるんだよ」という平等主義は能力のある側から言う言葉だが、能力のない客の気持ちを腐らせないためだけの方便である。
俺はもうピアニストになることは確実に不可能だ。それはピアニストに言われなくても客観的にわかっている。年齢だけの問題じゃなく、そうなるための訓練や努力を何もしてこなかったからだ。
2011年12月19日 発行 初版
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