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 いまは何時だろう。足元がふらつくので夜が深まっているのはわかるが、時間を知ったところでこれから家に帰るだけで約束や用事があるわけじゃないし、それで何かを納得するでもない。時おり訳もなく時間が気になるのは腕時計も携帯電話も持っていないからだろう。必要がないから持っていないだけなのだけれど、時間が気になる時だけは持っていたほうがよかったなと思うがその考えもすぐに忘れてしまうからいまも正確な時間を知る物は持ち歩いていない。そう、持ち歩いていないだけじゃなく家にも時計はなかった。不自由はしてないが、それでもやはり訳もなくいまが何時か気になることがあるということは訳がないと考えなしに思っているだけで訳がないわけではないのかもしれない。
 子どもの頃は風邪をひいて熱が出ると体温計で熱を計るのが楽しかった。熱が高ければ高いほど具合の悪さと関係のない得も言えぬ達成感があった。あれは小学校の高学年、五年生か六年生の時だったか、40度を越えた時の充足感、あれほどの満ち足りた気分になったことがこれまで他にあったかな。隣の部屋で朝の支度をする母親の気配や階下の工場で準備を始めた父親の立てる音を感じながら布団の中で目にした水銀の帯が指す目盛りの上に書かれた40という数字、熱で体が自分の体ではないみたいに膨らんでいるような、溶けているような感じがして震えていて、視覚も光量の調節がきかずに白くぼやけ、それなのに頭だけはやけに冴え冴えとした、その時の記憶はいま突然に手繰ってみてもはっきり思い返すことができる。勝負事やましてや学校での成績や仕事の業績にまったく興味がなく、いまでもそれは変わらないので、もしかしたら数値で達成度が示された心地よさは小学生の時の発熱が最高だったかもしれない。いや、間違いない、きっとあれが最高だ、あんな気分になったことは後にも先にもない。一度だけパチンコをやってなぜか二万か三万か儲けた時もうれしかったが、あれは数値の達成ではなくて金が手に入ったことがうれしかったのだ。40度の熱という数値の興奮とは別ものだ。なんだか気分が高揚してきた。体温計が欲しいな。途中のコンビニに売っているだろうか。いまは熱はないはずだけれど、いつかまた熱が出た時のために体温計を常備しておこう。だめだ、熱は家だけで出るわけじゃない、外で最高値が出ることだってあるのだからこれからは携帯することにしよう。記憶の中の体温計は40度5分を指している。子どもと違い大人の体からはもっと高い熱が出るんじゃないか。41度、42度くらいは出てもよさそうだ。大人はきっと42度までいく。
 そういえば熱なんて何十年も計ってないな。それこそ小学校以来計っていない。親が死んでからは熱なんて計ってる場合じゃなかった。中学三年、十五歳からいままでずっとそうだった。だいたい熱なんてなぜ計る必要があるのだろう、体温が何度あるとわかったところで体調は変わらないし、風邪が治るわけでもないのに計ってもしょうがない。病院に行くから病気になるのだという話があるが、それと同じことなんじゃないか。熱を計るから熱が出る、熱を計って下がったから治った、そう思わせて病院に行かせ診察代や治療代や薬代をふんだくる金儲けの仕組みのひとつなんじゃないか、体温計も。時計もきっとそういうものとして作られたに違いない。時間を知ったってしょうがないじゃないか。時計で計ろうが計るまいが時間は流れている。現にこうして時刻を知らずに何も困ることなく立派に生きている人間だっているのだから、時計も一部の人間たちが金を動かすために考えた装置なのだろう。計るものはみんなそうなのかもしれない。効率的な金儲けのシステムのためにすべての計る装置は作られた。時計のことを考えていていつのまにか風邪をひいたわけでもないのに体温計が欲しい、それどころか体温計をいつも携帯しようなんてことになりかけているのもシステムの罠だ。
 資本主義というのはつくづく恐ろしいシステムだ。底辺の人間から上の人間へ向かって金が吸い上げられる仕組みが人の心の中にまで巣喰っている。結局はどうしたって物を買わせるように仕向けられる。主義とかいって世界中でもてはやされむずかしそうな顔でごまかしているが、強引に正当性を主張しているネズミ講に過ぎない。父と母を殺したのもつまるところ資本主義だ。上から命を吸い上げられた。いまさらそんなことで世の中に疑義を申し立てたり、ありふれた陰謀論に嬉々とするほどウブでも暇でもないが体温計を買うのは保留にしておこう。小学生じゃあるまいし無邪気に体温計を腋に挟んでなんかいられるか、たとえ45度の熱が出たからってそれがなんだ。死ぬか。45度いったら人は死ぬのか。2、3度の違いで死ぬって人間は良く出来てるんだか不良品なんだかわからない。それとも熱めの風呂の湯なら45度くらいあるはずだからまだ平気なのか。さすがに50度かその程度の熱が出たら死ぬんじゃないだろうか。50度の風呂は熱くて入れないだろう。いや、草津の人なんかはそれくらいの湯に入っているのだろうか。行ったことはないが草津の温泉は熱そうだ。しかしたとえ入れたとしても50度、60度を越えた湯にずっと入っていたら人は煮えるに違いない。ことことことことと余分な脂を出しながらじっくり煮込まれていく。煮えるのが50度以上だとしたら、燃えるのは何度だろう、人が燃えるのは何度なんだろう。火葬場の火力はそんなものじゃないのは想像できる。骨までカスカスの灰になってしまうのだから何百、何千という温度に違いない。何もそんな高温で焼くことはないのにな、そんなによく焼かなくてももう死んでいるんだ。まして両親は焼け死んだのにまた焼かれて散々だった。あの時はそんなこと思わなかったけれど、いま考えたらちょっと笑えてきた。焼け死んで炭みたくなった人間をわざわざまた焼かなくてもいいものを。ひどくないか。焼き過ぎだ。

 風呂で思い出した、そうだった、かつてウチは銭湯や病院で使われる体重計の針を製造している工場を経営していたのだった。まさに計る装置じゃないか。計る装置の部品を両親は作っていた。なんという連想だ。だから俺は時計のことを、体温計のことを、計る装置のことを考えたのか。もとから辿ってみると、いま何時だろう→時計→体温計→体温計買う→計る装置→資本主義→体温計買わない→温度について→風呂→体重計→体重計の針→両親、という順で考えていたようだけれど、実際には、両親→体重計→計る装置→資本主義→死→両親、という循環する考えがもともとあって、いきなり時間と時計のことを考えたつもりが計る装置に操作されていた。そぞろ歩きで偶然に体重計の針に辿り着いたのではなかった。両親が薄暗い一階の工場で休むことなく型を抜き研磨していた体重計の針はずっとそこに積まれたままで数十年後のいまの俺を動かしていたのだ。
 俺は本当は時間を知りたいんじゃないだろうか。
 訳もなく時間が気になる時があるなどと嘯いてみたが訳はやはりあって、計る装置の存在に抑圧されて時間を知ることを、時刻を計ることをただ恐れていただけだ。十五歳のあの日、両親が事故に見せかけ保険金をせしめようとして全焼した家で焼け死んだ時から俺の時計は止まっている。本当はずっといまの時間を知りたくて、自分の体温を計りたかったのに、それを認め数値を確かめてしまうことが旧式の体重計の需要減少で貧窮し死んだ両親の苦しみを踏みにじるような気がしていた。いや、そのことにまともに向き合うのが嫌でずっと逃げて生きてきたのだ。計る装置に対峙しないといつまでも俺は体重計の針に支配されたままでこれからも体重計の針に関わることしか考えられない。何を考えても行き着く先は体重計の針だ。それで本当に生きているといえるのか。つぶれかかった銭湯か相撲取りの入門審査やボクシングの計量でしか使われていない前時代の体重計の、その針に関わることしか考えられない人間が胸を張ってこれから生きていけるのか。いまは何時だろう。知りたい。とても知りたくなってきた。時計は何時を指しているのか。いま自分がいるのは何月何日の何時何分何秒なのだ。
 時間どころかここはいったいどこだ。駅から家に向かう道を歩いていたはずが考え事をしていたら知らない場所にいた。街灯もない暗い夜道だ。月も見えない。足がふらつく。夜は傾きとともにやってくる。立っている場所が、地面が、大きく傾いて太陽を隠し月が現れる。夜を世界の床である地表の傾きと月の位置で知り、朝の訪れを太陽から押し寄せる光の波に体を攫われるようにして感じる。俺は世界がそうして揺れ続けていることで時間の流れを知る。だから時おり不安定な板の上に立たされたように足元が覚束なくなり倒れてしまう。本当にいきなり地面にばたりと倒れてしまうので周囲の人を驚かせる。救急車で運ばれ「時間のせいで倒れた」と答えて精神科にまわされたこともあったが自分は狂っていないと思う。キチガイは自らの狂気を認めないと聞くがそんなことはない。では狂っていると自認する狂人は狂っていないのか。私は狂っていると申告する者が正常か。キチガイは狂ってはいても全員が馬鹿だと思ったら大間違いだ。ちょっと気が利くキチガイならそんなことはいくらでも言う。勤め始めた頃だったろうか、つき合った女に説教めいたことを言われた時にもそう言ってやった。女の空っぽな笑顔を思い出す。狂ってる狂ってる狂ってる狂ってる狂ってる、俺は狂っているぞ、しまった、気づかぬうちに声に出してしまった。前を行く人が振り返ってこっちを見ている。
 俺が狂っていない何よりの証拠は何年も会社を首にならずに仕事ができていることだ。資本主義のシステムに乗っ取って働き、収入を得て税金を納め社会生活を送っている。家賃は遅れず払っているし、新聞も取っている。選挙にだって欠かさず行く。そんなことは狂人には出来ないはずだ。正常を装ったところで長期に亘れば化けの皮が剥がれるに決まっている。システムに乗り切れなかったという意味では俺の両親は狂っていたのかもしれない。この世の中ではそういうことになってしまう。狂っていたから欠陥品のようにはじかれた。自分の親が狂っていたと考えることは悲しいことだ。細々と体重計の針を毎日作り続け、挙げ句の果てに保険金詐欺に失敗して自分たちで放った火で焼け死んだことよりももっと悲しい。それはともかくどうやら俺は自分の家の近所で道に迷ってしまった。
「すみませんが」
 さっき振り返った男の人に追いついて、ここの場所と時間を訊こうと声を掛けたら地面が傾いて足元がふらついた。また夜が進んだ、時間がすごい速さで流れていく。よろけて男の腕をつかんだ途端に頭を何かで叩かれ目の前に光が走った。火だ。暗闇に薄ぼんやりと溶けて見える家から小さな火が上がった。地面に倒れて火を見る。俺の家。助けないと、おとうさんとおかあさんはまだ家の中にいる、家が燃えてしまう。重い学生鞄を投げて立ち上がると家の火に仄かに照らされた男が四角い箱を持って後ずさった。ひ。ひ。ひ。と火事を知らせようと俺の家を指すが男は怯えた様子で逃げようとしている。その表情ですぐにわかった。こいつが火をつけたのだ。家を放火したのはこの男だ。保険金詐欺じゃなかった、俺の親は資本主義に殺されたのでもない、この放火魔に焼き殺されたんだ。何がシステムだ、何が搾取だ、陰謀だ、グローバリズムだ、上も下もない、敵は目の前にいるじゃないか。いかにも金を持っていそうな男に飛びかかり俺を殴りつけた手の箱を奪い取るとそれは固い金属製のバッグで馬乗りになり角を顔面に叩きつける。もう一度。もう一度。もう一度。釘を打つのが巧いとおとうさんに褒められたことがある。おとうさんの血だな、いい職人になる、と言われた。顔の真ん中をバッグの角で正確に打つ。もう一度。もう一度。もう一度。
 また夜が進み地面が揺れて男の腹の上に仰向けに倒れてしまった。こんなところを人に見られたらいつかのように救急車で連れて行かれてしまう。来てほしいのは救急車じゃなく消防車だ、早く火を消さないと。地面が傾き転びそうになりながら工場のシャッター前を走り抜けて裏の玄関に回りガラス戸を足で叩き壊し台所に上がると火が二階への階段を駆け上がるように逃げて行く。もう無理だ、火は消せない。両親は二階で寝ていている、まだ火事に気づかないでいる。

「おとうさん! おかあさん! 火事だ! 火事だ!」
 着ていた学ランを脱ごうと手を見ると黒い血で濡れていた。血で滑って開けないボタンを引きちぎって学ランを頭にかぶり階段の火を越えて走る。もう二階にも黒い煙が立ちこめていた。いない、寝室にも、どこにも、誰もいない。叫んでも返事はない。苦しい、煙が、目に、喉に入ってくる。火が木を崩す音が響く。煙で前が見えない。目が開かない。這って壁まで行き窓を開けると外気が流れ込み家の前の路地が月の光と赤い火に照らされていて、そこに両親が立っていた。その横にはさっきの男がいてこちらを見上げている。会社の上司だった。俺をキチガイよばわりした中学校の同級生や生きている価値がないと罵った女も、どこかで見たことのある者たちが両親と一緒に窓から顔を出した俺に気づいてこっちに顔を向けている。家が燃える火で一人ひとりの表情がはっきり見える。どいつもこいつも俺を蔑んだ目をしてやがる。熱い。焼ける。火が体の近くまで迫っているのが首と背中でわかる。わかったからってなんだ、確認したって家はもう火で包まれている。そうか。そういうことだったのか。俺は殺される。あいつらに焼き殺されるんだ。焼き殺されてまた火葬場で焼かれてしまう。両親が俺に向かって泣きながら何か言っている、どうせまた体重計の話に決まってる。さては自分らで失敗したから今度は俺の生命保険でどうにかするつもりか鬼畜、家の仕事を継がないのがそんなに気に入らないか。体重計の針になんか未来はないって言ったろ、いまは全部デジタルだ、ヨドバシ行ってみろ、体重計に針ねえぞ。ばかやろう、勝手に死ね、間違えて自殺しろ、保険金は一円も入らなかったけどな、哀れなのは俺のほうだ。俺は二人に死んでほしくなかった、だからこんな目に会っているのにな。上司のやろうが顔面血だらけのアホ面で笑ってやがる。携帯電話持たないのがそんなに悪か。携帯で世の中の何が良くなったか説明できなかったじゃねえかてめえは。金儲けならすべて善か。何が合理的だ効率的だ、こんな世界のどこが合理なんだ、合理と効率で解決するならなんでてめえの嫁は宗教やって勧誘に歩き回ってんだ、ブックオフで買ってきたくだらねえビジネス本ばっか机に並べやがって。システムに乗らないやつは殺して焼いて終了なら楽な仕事だな、素敵がいっぱいの未来だな。俺を罵った女はどうやら俺には気づいていない。ただの野次馬だ。価値価値価値価値、生きる価値ってなんだ、価値で生きたきゃ勝手にすればいい、おまえの価値なんか知るか。エコとか自分磨き語って今日は火事見物か。おまえのしょうもない価値でえらそうに地球の未来なんか憂いやがって、おまえが死んだほうが耳カス取るくらいは地球のためになるって思わねえのか、絶滅してしまえ。みんな滅びろ。全員滅びてしまえばいいんだ。しまった、端から順に毒づいている間にもうだめだ、手遅れだ、二階も盛大に燃えている。窓枠に背中からぶつかって外して蹴落とし縁に立つ、後ろから火と煙がトグロを巻いて体を這い上がってきた、満月だ。目の前に銀色の穴。時間は月の方向に流れていくのを俺は知っている。世界がいよいよ激しく傾く。俺は月に向かって縁を蹴り、夜の向こう側に飛んだ。やがてまた朝が来る。

夜に飛ぶ。

2012年2月7日 発行 初版

著  者:nekooto
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