この本はタチヨミ版です。
「ねぇ、思考は現実化するって話、知ってる?」
またその話しか。オレは少しうんざりした顔で芙美恵の顔をにらんだ。
芙美恵とは一年前に大学のサークルで知り合った。なかなかかわいい子なのだが、ときどき口から飛び出るこの突拍子もない話にはちょっと困っている。
「芙美恵、またその話かよ。今日くらい普通のデートをしようや」
オレは芙美恵のふくれっ面を横目に歩き出した。もうこんな状況は慣れっこだ。芙美恵はオレに時々こんな話を持ちかけてくる。
「ありがとうって言葉にはすごいパワーがあるんだよ」
「いい言葉を使っていたら、それに引き寄せられてどんどんいいことが起きるんだ」
「人に与えたものはそのうち何倍にもなって戻ってくるのよ」
どれも最初はなるほどいい話だと思って聞いていたが、芙美恵の話がエスカレートするとそのうち神様が登場してくる。最初のウチはどこかの宗教団体にでも入っているんじゃないかと疑ったこともある。しかしそういった形跡もなく、聞けば成功した人の本を読んだりCDを聞いたりしているうちにそう考えるようになったそうだ。オレは現実主義で目に見えないものは信じない方だ。神様なんて言葉が出たらうさんくさく思ってしまう。そんな現実主義のオレと、神様の話をする芙美恵がどうしてこうやってつき合っているのか。これはオレにもよくわからない。ただ芙美恵はこの話さえしなければオレにとっては最高の彼女であることは間違いない。
「で、今日はどこに行こうっていうんだよ」
「うん、ウチの学部を卒業した先輩で伝説になっている人がいるの。その人のお店に行きたいって前々から思っていて」
その話ならうわさで聞いたことがある。ウチの学校は外国語を専門としているのだが、その先輩は優秀な成績で卒業したにもかかわらず、学生時代に目覚めたカウンセリングとセラピストの道を歩んでいると聞いている。
「ふぅ~ん。じゃぁお店ってセラピストか何か?」
「ううん、喫茶店だって」
「えっ、喫茶店?」
「うん。確かこの辺だって聞いたんだけど…」
オレと芙美恵がいるのはちょっと変わった通り。道は鮮やかなカラーのブロックが敷き詰められている。通りの幅は車が一台通る程度。道の両端には歩道になるくらいの幅をもたせて、ブロックづくりの花壇が設置してある。
「へぇ、こんな通りがあったんだ。知らなかったなぁ」
オレの言葉をよそに、芙美恵は友達からもらった地図とにらめっこをしている。
「おい、ここじゃないのか?」
オレはドリンクとフードメニューが書かれてあるボードを発見した。
「えっと、カフェ・シェリーか」
「そうそう、ここだわ。この二階にあるのね」
芙美恵は足取りも軽く階段を上がっていった。オレは逆に重たい足をなんとか上げながら階段を上った。ま、うわさの伝説の先輩とやらの顔を見てさっさと帰る事にするか。確か話によると結構美人らしいし。芙美恵は一足先にドアの前に到着し、オレが上がってくるのを待っている。
「直人、早くはやくぅ」
「そんなにせかすなよ」
オレがようやくたどり着いたと思ったら、芙美恵は間髪入れずに入り口の扉を開いた。
カラン、コロン、カラン
「いらっしゃいませ」
心地よいカウベルの音と同時に聞こえるさわやかな女性の声。オレはその声を聞いて先ほどまでのだるい気持ちがどこかへ吹き飛んでしまった。
「あ、は、はいっ」
オレはつい声が裏返ってしまった。
「直人、なに緊張してんのよ?」
「あはは、どうぞお好きなお席へ」
オレと芙美恵は三人掛けの丸テーブルの席に座った。それにしてもきれいな人だなぁ。オレは女性店員の姿をじっと見ていた。この人が伝説の先輩なのかな?
「直人、なにデレデレ見てるのよっ」
「で、デレデレなんかしてねぇよ」
芙美恵にそういわれたものの、オレはちょっとその店員の姿に見とれていたのは事実だ。
「ご注文が決まりましたら声をかけて下さいね」
女性の店員は水とメニューを持ってきてオレ達にそう声をかけてくれた。
「あのー、すいません。私たちそこの外語大学の生徒なんですけど…」
芙美恵が唐突にそう言葉を発した。
「あらー、じゃぁ私の後輩だ」
「あ、やっぱりそうなんだ。あなたがマイさんなんだ」
へぇ、マイさんっていうんだ。
「私たち、今日はマイさんに会いに来たんです。友達から聞いて、私とてもマイさんにあこがれていたんですよ」
「あらぁ、なんだかうれしいわ」
「マイさんって学生時代に高校の先生に導かれてカウンセリングとかセラピーの道を歩み出したって本当ですか?」
あれ、オレが聞いていたのと少し違うぞ。
「芙美恵、オレが聞いていたのは学生時代につき合っていた彼氏に誘われてこの道に入ったっていうことだったぞ」
「あはは、まぁ人のうわさってあいまいなところがあるからね」
マイさんは笑ってそう答えてくれた。
「とりあえずご注文を先にお聞きしますね。何になさいますか?」
「あ、それじゃぁ何かおすすめはありますか?」
「そうね、やっぱりお奨めはシェリー・ブレンドかな」
「じゃぁそれを二つお願いします」
「はい。マスター、シェリー・ブレンド二つです」
マイさんの声に応えて、カウンターの奥から
「シェリー・ブレンド二つ、かしこまりました」
と渋い声が聞こえた。カウンターの方を覗くとこの店のマスターがコーヒーを入れる準備をしている。
「ね、マイさんってステキでしょ。なんでもね、学生時代に観光のためのミスコンで最終選考まで残ったらしいのよ」
なるほど、さすがはそれなりの魅力を持っているわけだ。オレの目はカウンターでマスターと話をしているマイさんに釘付けになっていた。
「あのマイさんね、いろんなことを自分の思いのままに実現したって事で私たちの間じゃ伝説になっているのよ」
「へぇ、どんなことで?」
オレはマイさんの姿を眺めながら芙美恵の言葉に相づちをうった。
「まずは学生の時にプロのセラピストになったでしょ。それから外語大に通いながらもカウンセラーの資格をとっているし。他にも今では有名なコンサルタントの人とお友達にもなっているんだって。何よりステキな彼氏を見つけて、いろいろと二人三脚でやっているって話だし」
「へぇ、運が良かったんだ」
「あらぁ、運じゃないわよ」
オレの言葉にマイさんが言葉をはさんだ。
「えっと、芙美恵ちゃんだっけ?」
「はい、そうです。わぁ、名前を覚えてもらえてうれしいなっ」
「芙美恵ちゃんはどう思っているのかな?」
「そうですねぇ、確かに運っていうのもあるけれど、運も実力のうちって言うじゃないですか。だからこれはマイさんがその運を引き寄せたってことになるんだと思うんですよ」
「まぁそうとも言うけれど、何でもかんでも実力で引き寄せられるとは思わないな」
今度はオレが言葉をはさんだ。
「じゃぁ君は…えっと、名前は?」
「あ、直人といいます」
「直人くんはどう思っているの?」
「そりゃぁ実力で運を勝ち取るっていうのもあるだろうけれど。でも宝くじみたいなのは実力じゃ勝ち取れないじゃないですか。そもそも人には才能っていうのがあるでしょう。あれは生まれ持ったもので、生まれてきたときからその才能に恵まれているって事は一つの運じゃないですか?」
「なるほどねぇ。直人くんの言うことももっともだわね。じゃぁ直人くんが言っている偶然性の高い運って、人生のうちのくらいの割合で起きるんだろうね」
オレはマイさんの言葉に少し考えてしまった。
「宝くじなんて一生のうちに一回当たればすごいだろうから。かなり低い割合じゃないですか」
「じゃぁその他はすべて運が無いって事になるんだ」
「いや、そうじゃないとは思うけど…」
オレは言葉に詰まってしまった。
「そうよ、マイさんの言う通りだわ。そりゃ直人の言うように偶然性の高い運もあるだろうけれど、結構実力で勝ち取った運の方が多いんじゃないかな」
芙美恵はここぞとばかりに勝ち誇ったようにそう言った。
「じゃぁ芙美恵ちゃんにも質問。どうやったら実力で運を勝ち取ることができると思う?」
「え、そ、それは…」
今度は芙美恵が言葉に詰まってしまった。
「ほぉら、わかりもしないことをさもわかったように言うんじゃねぇよ」
今度はオレの反撃だ。
「じゃぁマイさんはその運を勝ち取る方法を知っているんですか?」
マイさんはにこっと笑ってオレ達にこう言ってくれた。
「そうね、今日はその方法を教えてあげる。でも私じゃなくてマスターに聞いた方が早いかな」
マスターの方を見ると、今までの会話を聞いてくれていたのか微笑みながら首を縦に振ってくれた。
「まずは当店自慢のシェリー・ブレンドを召し上がれ」
そう言ってマスターは二つのカップを差した。
「あ、はい。いただきます」
オレはマスターの差し出したカップに手を伸ばし、そのまま口元へ。そのコーヒーを一口飲んだときに思わずこうつぶやいた。
「う、うまい…」
「ホント、コーヒーがこんなにおいしいなんて。今まで思ったことなかったわ」
芙美恵も同じように感じたようだ。
「例えて言うとどんな味かしら?」
マイさんはそう質問してきた。
「そうですね…なんて言うか、力が湧くって感じですね。そう、希望を持って何かに臨むときに飲むと元気になれる。そんな感じがします」
オレは今までそんなこと考えたこともないのに。口から先に言葉が出てきた、そんな感じがした。
「芙美恵ちゃんはどう?」
「私はちょっと違うんですよ。そうですね、ホッとするというか安心感が生まれたというか。例えて言うなら母親に抱かれてる、そんな感じかな」
「うふふ、二人ともシェリー・ブレンドに気に入られたようね。じゃぁマスター、あとはよろしくね」
マイさんはそう言ってカウンターへ移動していった。
「じゃぁ、ここ座ってもいいかな?」
そう言って三人掛けのテーブルの空いた席にマスターが座った。
「まったく、マイも人任せなんだから」
そう言いながらもマスターの目は笑っていた。
「あの…運を勝ち取る方法ってあるんですか?」
芙美恵はマスターにそう質問した。マスターは笑ってこう答えた。
「うん、あるよ。というよりも、今君たちがこうやってこの話を聞くこと自体、運がいいとは思わないかい?」
「えぇ、まぁ」
「芙美恵はそうかもしれないけど、オレはそうは思いませんよ。オレは半分無理矢理連れてこられたんだから」
オレはちょっとだけマスターに反抗してみた。それに芙美恵はこんな話が好きだからいいだろうけれど、オレにとっては苦痛の何者でもない。
「あはは、そうか。だったら直人くんはかなり運がいいぞ」
「え、どうしてですか?」
「直人くん、君には将来大きな夢があるだろう。その夢は人に話してもなかなか理解してくれない。そうじゃないかな?」
「え、そ、それがどうしてわかったんですか?」
マスターの言う通り、オレには大きな夢がある。実は芙美恵にもナイショにしていたんだけれど、趣味で小説を書いている。今まで何度か新人賞に送ったことがあるけれど、入選にかすりもしない。けれどいつかは文学賞を取って文壇デビューしてやる。しかしそのことを以前友達に話したら「そんなのできっこねぇよ」と鼻で笑われたことがあった。それ以来、オレは小説を書く意欲をなくしてしまった。だが心の奥ではその夢は失いたくないと思っている。
気がついたらオレはそのことをマスターと芙美恵に淡々と話していた。
「そうか、直人くんにはそんな夢があったんだね。すごいじゃないか」
「へぇ、直人が小説家にかぁ。なんか考えたらワクワクしてきたわ。ねぇ、その夢はあきらめて欲しくないわ」
オレは今までの友達とは違う二人の反応に少しとまどいを覚えた。と同時に少しホッとした気持ちにもなれた。
「あ、ありがとう。でもマスター、どうしてオレがそんな夢を抱いているなんてわかったんですか?」
「それはね、シェリー・ブレンドが教えてくれたんだよ」
「ど、どういうことですか?」
「シェリー・ブレンドはね、今自分が欲しがっているものの味がする不思議なコーヒーなんだよ。直人くんは希望を持って何かに臨む味がする、そう言ったよね。だから今何か大きな希望とか夢を持っているけれど、二の足を踏んでいる状態だと思ったんだ」
マスターのその言葉をにわかには信じられなかった。オレは目の前にある飲みかけのシェリー・ブレンドにもう一度手を伸ばした。
「あれ、さっきと少し味が変わった気がする…」
「そうか、味が変わった感じがしたんだね。今飲んだ時はどんな味がしたかな?」
タチヨミ版はここまでとなります。
2012年2月23日 発行 初版
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たぬきコーチの古賀弘規です。コーチング、ファシリテーション、自己啓発、人材育成、その他もろもろ、人生にお役に立つ小説や物語、ノウハウをお届けします。