spine
jacket

カフェ・シェリー サンタの贈り物

古賀弘規

ユーアンドミー書房




  この本はタチヨミ版です。

サンタの贈り物

「せ~んせっ、こんにちは」
 私は勢いよくドアを開けた。
「おぉ、真理恵か。おまえいい加減、先生って言うのはやめてくれよ」
 私の声に応えてくれた男性はそう言いながらも笑って私を迎え入れてくれた。
「あ、真理恵さん、いらっしゃい。今日は裕貴くんは一緒じゃないの?」
 カウンターの奥からそう言いながら顔を出したのは、まだ若くてかわいらしい女性。
「うん、今日は保育園にあずけてきちゃった。たまには一人で羽根を伸ばしたいときもあるのよね」
 裕貴とは私の四歳になる息子のことである。
「真理恵、いつものでいいのかな?」
「うん、シェリー・ブレンドをお願いしまぁす」
 そう、ここはカフェ・シェリーという名前の喫茶店。ここのマスターは私の高校の頃の恩師である。といっても、もう十五年も前の話だが。高校を卒業してからしばらくは先生と会うこともなかったが、私の結婚式で再会。実は私の結婚相手というのが高校の先生で、以前はマスターと一緒の職場にいたことがあるのだ。先生、いや、マスターにはそれ以来いろいろとお世話になっている。マスターが先生を辞めて喫茶店を始めたときから、私はこのお店の常連客でもある。ただし来るときはほとんど一人だ。
「真理恵さん、どうぞ」
「ありがとう、マイちゃん」
 マイちゃんは私の高校の後輩でもある。つまりマイちゃんもマスターの教え子だ。
「う~ん、いい香り」
 私はシェリー・ブレンドの香りを楽しんでゆっくりと口に含んだ。
「真理恵さん、今日はどんな味がするの?」
 シェリー・ブレンドは飲むたびに味が変わる。マスター曰く、今その人が欲しがっているものの味がするらしい。私はこのシェリー・ブレンドの毎回異なる味わいを楽しみにしている。
「そうね、今日はちょっと懐かしい味かな。彼の、健介の胸に抱かれているって感じがする」
「そうか…もう三年も経ったのか」
 マスターがボソリとつぶやいた。そうか、もう三年も経ったんだ。私の夫、健介が交通事故で逝ってから。
 ちょうど三年前のことだった。車で学校へ通勤をしていた健介。その日は学校の行事の準備で夜遅く帰っていた。このとき、交差点で信号無視の車が健介の車の運転席側に衝突。健介はその場で帰らぬ人となった。後から聞いた話では、相手の運転手は忘年会帰りで飲酒運転をしていたそうだ。健介の死後、マスターは私の就職を紹介してくれたり、息子の裕貴の保育園を探してくれたりといろいろ面倒を見てくれた。
「真理恵、仕事の方はどうなんだ?」
 健介のことをボーっと考え始めた私にマスターがそう声をかけた。
「え、う、うん。クリスマスシーズンからは順調よ。おかげで仕事の日はちょっと忙しくて。裕貴とゆっくりお話しもできていないのよね。かわいそうだとは思うけど」
 私は今、とある大型雑貨店で働いている。仕事ぶりが認められ、今ではパートさん達を束ねる主任の役割をいただいている。お休みは毎週水曜日。それが今日なのだ。本当なら休みの日こそ息子の裕貴とゆっくり遊んであげたいところなのだが。職場では遅くまで働き、家に帰ったら息子の世話。このところ全く自分の時間というのがとれていない。だからこそほんのわずかでいいから自分の時間が持ちたくて。こうやって一人でカフェ・シェリーに足を運び、現実を忘れようとしている自分がいる。
「だったら一緒に連れてくればいいのに。私が裕貴くんのお相手してあげるよ」
「マイちゃん、ありがとう。でも今は裕貴からちょっと距離を置きたいって気分なのよね」
「あれ、何かあったんでですか?」
「うん、もうすぐクリスマスでしょ。裕貴ったらサンタさんに無理なお願いするんだもん」
「無理なって、どんなこと?」
「裕貴ったらね、パパに会いたいって言うのよ…」
 さすがのサンタもこればかりは無理な相談だ。でもパパに会いたい裕貴の気持ちもよくわかる。私だってできることだったら健介に会いたい。
「ねぇ、先生。サンタって本当にいるのかなぁ?」
 私はふとそんなことを口にした。
「サンタか。真理恵はどう思っているんだい?」
「そうね、子どもにとってはサンタって本当にいるんだと思うのよね。一年に一度、自分の欲しいものを持ってきてくれる。そんな魔法のような存在。私の子どもの頃はそうだったなぁ。マイちゃんはどうだったの?」
「サンタさんかぁ。私ね、こう思うの。姿形は子どもの頃に描いていたものとは違うけれど、サンタって大人になった今でもいるんだって」
「へぇ、どうしてそう思うの?」
「サンタさんを信じていれば、毎年必ずプレゼントが届いているからね」
 マイちゃんはそう言ってマスターの方をちらりと見た。
「あは、マイちゃんにとってのサンタさんは意外に身近なところにいるのかもしれないね。あ~、私にもサンタさん来ないかなぁ~」
 そのときカウベルが鳴って店のドアが勢いよく開いた。
「う~、さびさびっ。マスター、ホット一つね。おっ、真理恵じゃねぇか」
「なんだ、隆史か。今日は仕事、さぼり?」
「バーカ、何言ってんだよ。こちとらこれから商談っていう立派な仕事があるんだよ」
 隆史はバカにしたような口調で私にそう言ってきた。そして図々しくもカウンターの私の隣に座ってきた。
「隆史さん、いらっしゃい。最近とても忙しそうね」
「マイちゃん、ありがとう。いやぁ、さすがに年末になると結構文具が出ていくからね。二代目のオレとしてもここは一踏ん張りしないとね」
 隆史は地元の文具店の二代目。お店も構えているが、仕事の多くは地元企業からの注文を取ってきては配達をするということらしい。ウチの店も隆史の文具店から事務用品を買っている。
 中学の時の同級生ではあるが、私は女子校に行ったので高校に入ってからは全く会うことはなかった。けれど今の店に勤め始めたときに事務用品の購入を通じて再会した。
「ところで真理恵、おまえんとこのガキ、えっと…」
「裕貴よ。いい加減人の子どもの名前くらい覚えなさいって」
「そうそう、裕貴、ゆうき。その裕貴のクリスマスプレゼントって決まったのかよ? おもちゃならウチを通じて買えば卸価格で提供するぜ。テレビゲームは無理だけどね」
「裕貴のプレゼントかぁ…」
「なんだよ、浮かない顔をして。何かあったんか?」
「裕貴が欲しがっているもの、おもちゃだったらよかったんだけどねぇ」
「なんだよ、裕貴はどんなのが欲しいって言っているんだ? あ、わかった。ディズニーランドに連れて行けとか、そんなことだろう?」
「それもちょっと困るけど、それよりももっと実現不可能なことなのよね」
「あ、今度こそわかった。裕貴のヤツ、パパが欲しいとか言ったんだろう」
 隆史の言葉で私はドキッとした。
「パパならオレがなってやるって、いつもそう言っているだろう」
 隆史はふざけたように私にそう言った。
「な、なによっ。人の子どもの名前も覚えられないヤツにパパなんかになってもらいたくないわっ」
「おいおい、そんなにムキになるなよ」
 隆史はいつの頃からかよく冗談でそんなことを言い出していた。いつでもパパになってやるからな、だと。私は当然そんな言葉を真に受けてはいなかった。というよりも、今は人の言葉があまり信じられないというのが本音だ。信じられるのは恩師でもあるここのマスターとマイちゃんくらいなもの。
「ふぅ~っ」
 私は大きなため息をついた。
「人を信じられないから、サンタも信じられないようになったのかな…」
「真理恵、まだあのことを気にしているのか?」
「気にするなって方が無理な話よ!」
 私は隆史にちょっと八つ当たり。
「あんなヤツのこと、早く忘れろよ。確かにヤツは、慎二はお前に優しかったさ。でもその優しさにまさかあんな裏があるなんて、オレも、そしてマスターでさえも見抜けなかったんだから」
 健介が死んでから、私はがむしゃらにがんばってきた。でもその頑張りが逆に私の体を蝕んでしまった。
 ある日、私は過労で倒れて県立病院に運ばれた。その時の担当医、それが慎二だった。歳は四十でとても頼れる男性だった。そして慎二は私が退院してもときどき連絡をくれて体を気遣ってくれた。聞けば独りでアパートに住んでいると言うこと。私もお礼がてら、ときどき慎二に手料理を持っていくようになった。そしてお互いに時間を合わせて外で会うようになった。
 このカフェ・シェリーには何度も連れてきた。慎二の存在は私の枯れた気持ちを生き返らせてくれた。しかし私の胸の中にはまだ健介がいた。だからこそ、ずっと健全なおつきあいをしてきた。しかしそれも一年前のあのことで全て終わりになった。
「まさか、慎二に奥さんがいたなんてね…」
 私はボソリとつぶやいた。そう、彼は奥さんと離れて単身赴任をしていたのだ。それがわかったのは、私が慎二のところにお総菜を持っていったときだった。突然奥さんが訪ねてきた。手には離婚届を持って。そのとき、慎二と奥さんは事実上離婚状態だったとか。そのことを奥さんから聞かされ、そして
「あなた、あとは慎二のことよろしくお願いね」
とあっさり言われた。
 そのとき私の中で何かがはじけた。慎二は私を愛していたのだろうか。それを確認するように私は慎二を見つめた。だが慎二の目線は奥さんを追っていた。慎二は奥さんに未練があったようだ。どうやら私は慎二の一時の寂しさを紛らわせるための道具に過ぎなかったみたい。それがわかった瞬間、私は慎二の部屋を飛び出していた。
 それから一度も慎二とは会っていない。風のうわさでは、単身赴任の任期も終えて元の病院に戻ったとか。それ以来、私に優しさを見せる人を安易に信じられなくなった。マスターとマイちゃん以外には。今目の前にいる隆史も、ふざけあうことはしても男女の仲にはなろうとは思えない。隆史なりに私に気を遣ってくれているのはとても感じてはいるのだが…
 そんな私がサンタを信じろ、というのが無理な話だ。
「あ、いい匂い」
 自己嫌悪に陥りそうな私の気持ちを取り戻してくれたのは、焼きたてのクッキーの匂いだった。
「うん、上出来♪」
 マイちゃんが上機嫌でオーブンからクッキーを取りだしている。このクッキーはカフェ・シェリーでも評判の、自家製のもの。マスターの妹さんはお菓子屋さんをやっていたことがあって、マイちゃんは学生時代にそこでアルバイトをしていたということ。そのときにクッキーやマドレーヌといった焼き菓子の作り方を伝授され、その腕をこの店で振るわせている。
「はい、どうぞ」
 そう言ってマイちゃんは私と隆史に一枚ずつクッキーを差し出した。
「いいの? これ、売り物でしょ」
「お、うめぇなぁ。さすがはマイちゃんだ」
 私の気遣いをよそに隆史はクッキーをほおばっている。
「あは、うれしいな。私ね、こうやって自分が作ったもので人が喜ぶ顔を見ると、またがんばろうって気になれるの。だからこうやって出来たてをお客さんに差し出してるの。その代わりに一枚だけだけどね」
「そうなんだ。せっかくだから裕貴のおみやげに一つ買っていくわね」
「真理恵さん、ありがとう。今の真理恵さん、私にとってはサンタさんだよ」
「え、それどういうこと?」
 マイちゃんが言う「私がサンタ」という意味がよくわからなかった。きょとんとしている私をみて、今度はマスターがこう語ってくれた。
「マイはね、こうやってクッキーやお菓子を焼くときに必ずこんなひとりごとを言うんだよ。私のつくったお菓子でたくさんの人が笑顔になれますように。そしてその笑顔をみることで私にも幸せを感じさせて下さい、ってね」
「うん、今の真理恵さんの笑顔と、そしてクッキーを買ってくれたことで裕貴くんが笑顔になれるって思ったことで、私は幸せを感じられるの。だから私に幸せを運んでくれた真理恵さんが、今の私にとってはサンタさんなんだよ」
「そう言われると私も嬉しいな」
 このカフェ・シェリーで会話をすると、いつも心が和む。ここに来るお客さんたちはこうやってマスターとマイちゃんを取り囲んだ会話で心の洗濯ができる。
「お、そうだそうだ。真理恵、クリスマスイブの夜にここでパーティーやるんだけど来るか? パーティーといってもそんなに派手じゃないけど。隆史くんもどうだい?」
「え、マスター、オレもいいんですか? もちろん行きますよ!」
 隆史は二つ返事で大喜び。
「イブの夜かぁ…仕事が終わるのがちょっと遅くなるけど…」
 私はちょっとためらった。クリスマスイブの日は仕事の性格上どうしても忙しくなる。しかし理由はそれだけではない。マスターとマイちゃんとだけだったら息子の裕貴を連れて喜んで行くところ。けれど隆史や他のお客さんも一緒というのは今ひとつ馴染めない。昔はそうじゃなかったのに。やっぱり慎二の件が心に引っ掛かっているんだろうな。
「遅くなるんだったらオレが迎えにいってやろうか?」
 私が考え込んでいるのをみて、隆史がそう提案してきた。隆史は私がもっと別のことで悩んでいることを知らない。まぁ当然だけど。
「そうね、考えとく。じゃ、マスターごちそうさま。そろそろ裕貴を迎えに行くわね」
「なんだよ、もう帰るの?」
 隆史は名残惜しそうにそう言った。私だって本当はもうちょっとここにいたい。けれど今はなんとなくここを去りたい気持ちが強くなった。
「真理恵、クリスマスイブのパーティー参加の返事はいつでもいいから。もちろん裕貴くんも連れてこいよ。プレゼント用意して待っているぞ」
「先生、ありがとう。じゃ、マイちゃんもまたね」
 私は足早に店を出て行った。
「クリスマス…か。人を信じ切れないこの私にサンタさんなんて本当に来るのかしら…」



  タチヨミ版はここまでとなります。


カフェ・シェリー サンタの贈り物

2012年3月3日 発行 初版

著  者:古賀弘規
発  行:ユーアンドミー書房

bb_B_00104286
bcck: http://bccks.jp/bcck/00104286/info
user: http://bccks.jp/user/115029
format:#001

発行者 BCCKS
〒 141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp/

古賀弘規

たぬきコーチの古賀弘規です。コーチング、ファシリテーション、自己啓発、人材育成、その他もろもろ、人生にお役に立つ小説や物語、ノウハウをお届けします。

jacket