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この本はタチヨミ版です。
「おばあちゃん、ホントにここでいいの? お休みのお店ばっかりじゃない」
「いいのいいの。えっと、確かこの辺だと思うんだけど…」
私は先を行くおばあちゃんの後を追いかけた。
「まったく、いくら高校が冬休みだからって、どうしておばあちゃんのおもりをしなきゃいけないのよ。それにしてもこんな通りがあったんだ」
生まれてからずっとこの街に住んでいるが、こんな通りがあったなんて知らなかった。道幅は車が一台通るくらい。道の両側にはブロックでできた花壇が等間隔に並べられている。残念ながらこの季節は何も咲いていないが、きっと春にはステキな色合いになるんだろうな。通りはパステルカラーっぽいブロックで敷き詰められている。看板を見る限りではブティックや雑貨屋、レストランといったお店が並んでいるようだが、お正月の三日ではどこも閉まっている。今では元旦から初売りで開いているお店が多い中、お正月三が日をゆっくり休もうというところは逆にめずらしいな。今度友達とゆっくり来てみようっと。
「あ、あったあった、ここよここ。ほら瑠璃ちゃん、早くはやく」
ホントに元気なおばあちゃんだこと。おばあちゃん、といってもまだ六十五才だけどね。
「ほらここ、ここよ」
おばあちゃんが指差したのはブティックの二階。おばあちゃんは横浜に住んでいるのだが、今年のお正月はなぜだか我が家のあるこの街に来たがっていた。その理由がこれ。なんでも友達に会いに来たいということらしい。でも一人ではあぶないということで私がかり出されたというわけ。
さっきまで足取りが軽かったおばあちゃんも、さすがに階段になるとペースダウン。私の方が抜かしてしまった。
「あれ、おばあちゃん。今日はこのお店お休みだよ」
入り口には「Close」の掛け看板が。
「ねぇ、お友達に会うのって本当にここでいいの? 日にち間違えたんじゃないの?」
「よっこらせっと。いいのいいの」
やっと上がってきたおばあちゃんは、私の言葉を無視して勝手にドアを開いて入っていった。
「いらっしゃいませ」
奥から渋い男性の声と、少し遅れてかわいらしい女性の声。
「まーマスター、初めまして。横浜のピーちゃんです」
え、ピーちゃん!?
「お待ちしてましたよ。私がマスター、そしてこっちがマイです」
「ピーちゃん、初めまして。私がマイです」
な、何なの? 初めましてという割には妙に親しげだし。それにおばあちゃんがピーちゃんってどういうこと?
「あ、こちらは?」
「はい、私の孫娘の瑠璃です。こちらの高校に通っているんですよ」
「へぇ、瑠璃ちゃんか。いい名前だね。どこの高校に通っているの?」
マイさんが私にそう聞いてきた。マイさん、とてもきれいな人。ちょっと緊張しちゃうな。
「あ、はい。駅の裏にある学園高校ですけど…」
「あー、じゃぁ私の後輩だ。あのね、マスターも昔はそこで先生をやっていたんだよ」
「うそーっ」
この偶然に私はびっくり。
「あはは、まぁ立ち話もなんだから好きなところに座って。今日はピーちゃんとお孫さんのために貸しきりにしていますから。コーヒーもごちそうしますよ」
マスターは優しい口調で私たちを招いてくれた。
「じゃぁお言葉に甘えて。あのうわさのシェリー・ブレンドをいただけますか。今日はこれを飲みにわざわざ来たようなものなんだから。あ、瑠璃はコーヒー飲めないのよね」
「あ、はい」
おばあちゃんのいう通り、私はコーヒーというのがちょっと苦手。
「それじゃぁ絞り立てのフレッシュジュースでいいかな。今日のお奨めはグレープフルーツなんだけど」
「あ、はい。それでいただきます」
「ちょっと待っててね」
マイさんはそう言うとジュースの準備にとりかかった。
「ねぇ、おばあちゃんがピーちゃんってどういうこと? ピーちゃんっておばあちゃんのところで飼っているオウムのことだよね?」
「うふふ、おばあちゃんにも秘密のおつきあいがあるのよ」
私の質問を笑ってはぐらかすおばあちゃん。その表情は一年前のものとは大違いだ。
一年前、おばあちゃんは病気で入院していた。その病気というのも実は胃ガン。しかし初期の段階で見つかったのと治療がうまくいったおかげで大事には至らなかった。けれどおばあちゃんは気持ちが萎えてしまい、いくら励ましても元気のかけらもない状態だった。私も去年は冬休みを利用してお見舞いに行ったけれど、とても声をかけられるような状態じゃなかった。なのに今年になってそれがみるみる回復。いや、回復どころか以前よりも若々しくなった感じがする。
「はい、おまたせしました。シェリー・ブレンドと絞りたてのグレープフルーツジュースです」
「わぁ、これこれ。これを楽しみにしていたのよ。じゃぁ早速いただきまぁす」
「どうぞ、召し上がれ」
「うん、おいしい」
おばあちゃんは満足した顔でコーヒーを飲んでいる。私もグレープフルーツジュースを一口。
「うん、おいしい!」
さっぱりとして、それでいて濃厚な果汁が私のノドをうるおしてくれた。
「ピーちゃん、シェリー・ブレンドはどんな味がしますか?」
「そうね、今まで味わったことのない、それでいてなんだか落ち着いた味がするわ。きっとずっと会いたかったマスターに会ったせいかしら」
「へぇ、このコーヒーってそんな味がするんだ」
私はおばあちゃんの顔をのぞき込んでそう尋ねた。
「瑠璃ちゃん、このシェリー・ブレンドはね、その人が今欲しいと思っている味を与えてくれる不思議なコーヒーなのよ。瑠璃ちゃんも早くこの味を楽しめるくらいになれるといいのにね」
まさか、そんなコーヒーがあるわけない。きっとおばあちゃんの思いこみなんだわ。そう思いつつも、幸せそうな顔でコーヒーを飲むおばあちゃんを見るのは気分がいいものだ。
「ね、ところでここのマスターとおばあちゃんってどんな関係なのよ。そろそろ教えてよ」
「あはは、別に秘密にするほどの事じゃないでしょう、ピーちゃん」
私の問いかけにマスターは笑いながらそう応えてくれた。
「うふふ、そうねぇ。じゃぁ教えてあげる。瑠璃は去年私が入院したときは覚えているでしょ」
「うん、おばあちゃんをお見舞いに行ったから。あのときはこんなに元気になるなんて夢にも思わなかった」
「私もそう思ったわ。このまま体が衰弱して死んじゃうんじゃないかって思ったくらいだもの。気持ちもすごく落ち込んで、何もする気がしなかったの。でもそれを立ち直らせてくれたのがこのマスターなのよ」
「えぇっ。でも今日まで一度も会ったことないんでしょ。どうやってマスターが?」
「その秘密はこれなんですよ」
マスターはそう言うと、カウンターの隅に置いてあるものを指差した。その指が指す方に視線を向けると、そこにはノートパソコンが。
「ピーちゃんはね、私が書いているブログにいろいろと書き込みをしてくれたんだよ。それで私もコメントの返事をしてね」
「うふふ。マスターの書く日記ってとてもステキな言葉がたくさんあるのよ。それが私を勇気づけてくれるから、ついつい引き込まれちゃって」
そうだったんだ。でもそれ以上に驚いたことがある。
「おばあちゃんがパソコンを使ってたなんてビックリ! そんなのやったことなかったでしょ。いつの間に始めたの?」
「パソコンはね、入院しているときにお隣にいた方から教わったの。その方ね、女性作家さんで入院中もパソコンで原稿を書いていたわ。そしてインターネットっていうのをこっそりやってたのよ。私も時々それを見せてもらってね。そしたらその方が、ここはおもしろいわよって教えてくれたのがこのマスターの書いている日記だったのよ」
「その作家さん、実は私の知り合いでしてね」
マスターもイスを用意して、カウンター越しに座り込んで話しを始めた。
「彼女がそのころ入院をしていたのは知っていました。そして時々掲示板にピーちゃんのことも書いてくれていたんですよ。おとなりにとても気のいいおばあちゃんがいるって。いろんなものをもらってばかりだから、自分も何か与えなきゃって。だから私の言葉を送ったんだって言ってました」
「あらぁ。私はお見舞いにもらったものが一人じゃ食べきれないからお裾分けしただけなのに。でもおかげで落ち込んでいた気持ちがぐんぐんと回復しちゃってね。退院する前はお医者様もびっくりするくらい元気になってたのよ」
へぇ、そんなことがあったんだ。知らなかったなぁ。
「退院してからも、どうしてもマスターの言葉が読みたくなって」
「それでおばあちゃん、パソコンを始めたんだ。すごぉい!」
何がすごいって、おばあちゃんはパソコンどころかビデオの録画予約すらまともにやったことがないって人だから。何かをやろうという時の行動力って、恐ろしく強いものなんだな。
「私も後からそのことを知ったときには驚きましたよ。でも一番驚かされたのは、ピーちゃんがあれを手に入れたときだったなぁ」
えっ、あれってなんだろう?
「うふふ。私もあれにはびっくりしたわ。でもそれはマスターの言葉を信じて、その通りに行動しただけのこと。今日はそのお礼も兼ねて来たのよ」
うぅ~ん、じれったいなぁ。だからあれって何なのよぉ。
「ねぇおばあちゃん。あれって一体何なの? じらさないで私にも教えてよ」
「はいはい、そんなにあわてないの。物事には順序があるんだから。ちゃんと一から教えてあげるわよ」
おばあちゃんはゆっくりとした口調で私に言い聞かせるように答えてくれた。その答え方が余計に私の知りたいという気持ちを高ぶらせた。
「話は半年くらい前にさかのぼるかしら。あれは気温の高い日だったわぁ。病院から帰る途中、ちょっと休憩しようと思ってね。冷たいものでも食べようと甘味屋さんに入ったの」
「それからどうなったの?」
「瑠璃ったらそんなにせかさないの。せっかちさんなんだから」
せっかちさん。私はその言葉をよく言われる。興味のあることについてはどんどん知りたい方だし、やりたいと思ったことはすぐに行動に移しちゃう方だ。だから人からは落ち着きがないとも言われる。けれど性分なんだから仕方ないじゃない。それはそれとして割り切って、今はおばあちゃんの話の続きが聞きたい。
「いいから早く続きを教えてよ」
「はいはい、わかりました。それでね、甘味屋さんでかき氷を食べていたら目の前にいた中学生くらいの女の子が困った顔でそわそわしているのよ。『どうしたの?』って声をかけたらね、半分泣きそうな顔でこう言うのよ。お財布にお金を入れてきたつもりだったんだけど、うっかり別の財布を持って来ちゃったって。きっと自分のおこづかいで、ここで甘いものを食べるのを楽しみにして来たんだろうなって思って。だから私ね、こう言ってあげたの」
「なんて言ったの?」
「じゃぁ、ここはおばあちゃんが出してあげるからって。だから大丈夫よって」
「それでおばあちゃん、その子の分も出してあげたんだ」
おばあちゃん、なんてお人好しなんだろう。
「でもここからがおもしろかったんですよね」
マスターが横からそう言って会話に割って入った。どうやらマスターは事の顛末を全て知っているようだ。
「そうそう。その子はね、何度もありがとうございますって言ってくれたの。そして私の荷物を持ってバス停まで一緒に行ってくれたわ。それから一週間後くらいかしら。私はまた病院に行って、そのあとあの甘味屋さんにまた寄ったの。いつもはそんなことないのに、なんとなく行きたくなってね。そしたらなんと…」
「まさか、その女の子がいたとか?」
「そうなのよ。それだけじゃなくて、今度はその子のお父さんが一緒だったわ」
「へぇ、偶然ね。で、お礼をされたとか?」
「お礼だけなら普通の話で終わるところだけどね。それだけじゃ済まなかったのよ。その子のお父さん、パソコンの会社を経営していてね。私がパソコンを始めたばかりだって言ったら、じゃぁぜひウチに来てくださいって。ちょうど中高年用のパソコンスクールもやっているから、ご招待しますよって」
「じゃぁ手に入れたものってそれだったんだ」
「ううん、それだけじゃないからおもしろいのよね」
「それだけじゃないって?」
私はワクワクしながら次の展開を待った。
「パソコン教室ってね、結構楽しいの。でもちょっとお部屋が殺風景だったのよ。だからね…」
「あ、わかった! おばあちゃんお得意のあれを飾ったんでしょう」
「そう、当たり!」
おばあちゃんお得意のあれ。それはハガキに描く水彩画のこと。おばあちゃんの水彩画は主に静物画だけど、結構味がある。私が好きなのは夏野菜シリーズ。みずみずしさの中にもほんわりとした優しさがあるのが特徴的だ。
「そしたらね、そこの社長さん結構喜んでくれて。それだけじゃなく、一緒にパソコンを習っている方達にも好評でね。私にも一枚描いてくださいってリクエストが殺到しちゃって」
「だったら結構売れたんじゃないの?」
「ううん、売るなんて事はしなかったわ。どうぞどうぞって差し上げたの」
ここでもまたおばあちゃんの人の好さがでている。でも一枚描くのだってそれなりの時間がかかるしお金もかかるはず。なのにおばあちゃんはそれをタダで人にあげるなんて。そのことをおばあちゃんに言ったら、こんな返事が返ってきた。
「私はね、自分の描いたものが多くの人に認めてもらえたのがうれしいのよ。だからそのお礼としてこれを渡しているの」
ふぅん、私にはとてもできないことだわ。
「そこからピーちゃんの快進撃が始まったんですよね。いろんな人に描いたハガキを配っていたら、まさかあんなふうになるなんてね」
マスターがニコニコしながらそう話してくれた。
「え、何かあったんですか?」
「ピーちゃん、今では大人気芸術家なんですよ」
まさか、そんな話聞いたことない。どこにでもいる普通のおばあちゃんなのに。
「うふふ、芸術家なんて大げさだわ。でもおかげさまで去年の暮れにはホテルで個展もやらせてもらったし」
「うそーっ!」
ほ、ホテルで個展だなんてびっくりだわ。
「これもね、ここにいるマスターのおかげでもあるの。パソコン教室でハガキを配ってるってことをマスターのブログに書き込んだの。そうしたらマスターのブログを読んでいる他の人も私の作品をぜひ見てみたいって言い出して。でもどうやったらいいのかわからなくてマスターに相談したのよ」
タチヨミ版はここまでとなります。
2012年3月12日 発行 初版
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