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しこり 
2012年4月号

装丁 坂野ローリングソバット
制作 フリーペーパー『しこり』編集部

   目 次

  BONNOH     なかもず

  新連載
 『マニュアル』 1 藤本諒輔
  連載
 『かん、せい』 3 長谷川智美

 『ロウクオリティ』  横田直也

 『贅沢なドの音』   吉川浩平

 『牢獄』       宮崎亮馬

 『ばかのひとつおぼえ』あくた

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こもれ び【木漏れ日】
木の葉の間からもれてさす日の光。
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じょうききかんしゃ【蒸気機関車】〔steam locomotive〕
蒸気機関を原動力とする機関車。SL。
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ケミカルライト〖chemical light〗
化学発光を利用したライト。棒状・輪状などの商品がある。
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モノクローム〖monochrome〗
①一色だけで描かれた絵画。単色画。単彩画。 ②画面が黒と白の写真や映画。⇔カラー。 ※全て大辞林第三版より
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 新連載『マニュアル』
          藤本諒輔

   1

 海のように広く晴れた空を無人の偵察機が二機行った。片方の異常や攻撃による破損を報告するためだ。どの空にも馴染みそうな薄いねずみ色である。機体はこの森林地帯の周辺をぐるりと二周して、無目的に東へ去った。
 どうやらやり過ごしたらしい。おれはリュックから水筒を取り出して水を一口だけ飲んだ。血の味は消えなかったが、少なくとも喉は潤う。水分も食糧も、この森林地帯に入ってからずいぶん消費してしまった。迷彩服のどこを探っても出てくるのは枝や葉、ヒル、幼虫の類ばかりだった。なんなら幼虫は良いタンパク源だとも思ったが、腹を下して進めないでは本末転倒である。ここを抜けさえすればなんとかなる。我慢のときだ。おれは太陽を見上げ方角を確認した。無限に青い海へ、特殊な果汁を垂らしたかのような景色だった。
 おれはとにかく東へ歩いた。今日までに数えた十八の偵察機はことごとく東から来、東へ行ったからだ。しかしなにも起きないまま、この深い森を抜けることもないまま、少しずつ日が沈んでいく。果汁は染みわたり、空はほとんど汚染されていた。ヘビやトカゲがはつらつとひしめき、草木は垂れ下がって行く手を阻んだ。おれはトカゲを踏みつぶし、立ちふさがる枝垂れをナイフで刈った。だが、気づくと右足の腱の辺りをヘビに噛まれていた。やがて赤い液体はたち消え、漆黒が辺りを包んだ。
 体が痺れていた。ヘビは毒を持っていたらしい。筋肉が固く強張っていた。致死性の高いものでなかっただけよかったとしよう。ここで死んではなにもかもが台無しだ。油断して対処を怠ったことを反省したが、それどころではなかった。歩くことが難しくなってきたのである。死の感触こそないものの、このままでは猛獣か何か、下手をすればまたヘビにでも噛まれ、今度は殺されてしまう。おれは苦痛に転がりながら進んだ。そして運良く、細い川の流れる洞穴にたどり着いた。
 つるつるの岩に腰掛け、まず脚を癒すことにした。水流にさらされた傷口からは止めどなく血が溢れ、おれの体内を徐々に浄化していった。感触は冷たく、また柔らかに流れているようだった。しつこさのない、清らかな水だ。おれは自然と体を曲げ、水に口をつけようとしていた。洞穴の奥から地面の擦れる音、石の転がる音が聞こえたのはそのときだった。おれは銃声とも思えるその音に身をかがめ、ナイフを強く握った。
 おれは、戦闘に対して全く無知である。また隠密行動やサバイバルに関しても同じだ。背中の産毛は逆立ち、見えないものに恐怖していた。暑くもないのに額に汗が滲んだ。ここで死ぬわけにはいかない。微かな月の光だけが刃物に反射して煌めく。おれは目を閉じて音に集中した。
 歩くというよりは這いずっているようだった。またこちらに気づいている様子もなかった。警戒とはほど遠い鈍さだった。音はかなり近くに来ていたが、なぜか跳びかかる気にはなれなかった。数メートル先、川のそばで止まり、チャプチャプと水を飲んでいるようだ。おれは立ち上がり、その姿を確認した。背の低い、ぼろぼろの布を身につけただけの少年だった。川面に照らされて、幼いその顔が悲しげに映った。紛れも無く少年だった。
 おい、きみは、ここでなにをしているんだ。おれはナイフを隠して話しかけた。油断してはいけない、なにかあってはいけない、慎重に話して、なにか情報を手に入れなくては、おれは生きることに全力だった。
「なにって、ぼくはここに住んでるんだよ」
「じゃあここにはなにか、食糧はあるのか? いつから住んでる?」
「食べ物はないよ、ただこの川の水を飲むだけで、もう三ヶ月になったかも」
 水を飲むだけで? おれは右足の違和感に気づいた。傷がもう針で刺しただけのような大きさにまで塞がり、痛みは完全に消えていた。月明かりが川をささやかに光らせた。

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 連載『かん、せい』 
         長谷川智美

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   3

 実家に帰ると、母は何か悩ましげな顔で私を迎えた。父は弟の野球の試合を観に行っているようで、家にはいなかった。最初に安子から連絡が入った時に、母にメールを入れておいた。半年ぶりに帰った実家は、甘い匂いがして、ああ、また母が何か菓子を焼いたのだな、案の定テーブルにはガトーショコラが一切れ用意されている。私はその前に座って、フォークを握って黒の三角形を眺めた。母は黙って私のカップにコーヒーを淹れる。目の前には、深く、少し茶色がかった黒が二つ置かれている。母は私の向いに座った。
 私は安子と話したことをざっくりと母に伝えた。母は音にもならない声で相槌を打つ。日差しは一月なのに温かく、それでも部屋に入ってくる色は冷たい。一通り話し終えてから、冷めたコーヒーを初めてすすった。
「それで」
 少しの沈黙の後、母は話し始めた。
「おじいちゃんは、その病院へ移るの」
「多分。あともう一週間くらいじゃないかな」
 母は「そう」と言って、ため息をついた。
「葬式はどうしようかしら」
 母の言葉に、甘いケーキは一気に不味くなった。ああ、ずるい。母は自分の兄に電話をかけ始めた。その会話には耳を傾けず、テレビを付けてそのざわめきの中に混ざった。母が電話を切った後、私は母を見ずに話しかけた。
「お母さんは、なんでそんなに何でも先に決めちゃうの」
「え?」
 母は皿を片づけながら私と会話している。
「まだ、おじいちゃん、死んでないじゃない」
 私の言葉に、母の声は聞こえなくなって、皿を洗う水の音だけが二人の間を流れた。私ももう、何も言う気になれなかった。何かを必死に流そうとしている音は、私と母が似ているところだろう。私はその音の中で、安子に「おじいちゃんはどうですか」とメールを打った。
 元々私の部屋だった実家の一室は、今は物置のようになっている。そこに置かれた妙に大きい本棚の中から、自分の幼い頃のアルバムを引っ張りだした。数年ぶりに見るそれには、ベッドに横たわった祖父とは似ても似つかない、とても逞しい男が、赤ん坊の私を抱いている写真がいくつもあった。これが、いや、これも、祖父の姿だった。何ページかめくると、その年月は一気に過ぎて、十歳の時の曽祖母の法事の時の写真まで飛んだ。その時の祖父は何か表情が暗く、取りつかれたような顔で、私は小さく震えた。祖父はこの数年前から、よく分からない宗教に引っかかったらしい。思い起こせば母の実家にはとても普通とは思えない祭壇のようなものがあって、朝早くから何かを唱えていた。その辺りから、母の家族は一気に壊れていった。元々その土地では大きな屋敷に住んでいて、三姉妹それぞれが成人式の振袖を買い与えられていた程の裕福さだった。しかしその宗教と出会ってから、祖父は仕事の量を減らし、膨大な額を祭壇や墓などにつぎ込んだ。「金が不運を呼ぶから手放せ」と、祖父が「先生」と崇めていた男に命じられていた。その挙句に、祖父は家を手放した。そして、何もかもを失った。
 「変わらずです。明日、ホスピスに転院します」
 安子からのメールに、私は「そうですか」としか答えられなかった。病院、とは呼ばれないこと、いよいよ祖父の死が現実味を帯びてきたこと、それを目の前にして、母が兄弟と揉めていたこと。様々なことで、私はもう厭になっていた。母が兄弟と揉めていた理由は、喪主と墓と仏壇の問題だった。母の旧姓のままの兄弟は二人いて、一人は長男である兄と、四十で未だに独身の妹だった。兄は一切の関与をしないことを断言し、妹もその話をすることを避けていた。姉は母が電話をするたびに喧嘩になっていた。母は荒々しく受話器を電話に叩きつけ、唇を噛んだ。ずるいのは、母ではなかった。父親の死。それにしっかり向き合って、弔いの準備をしようという母に、兄弟は一切賛同しなかった。私はそんな母の話を電話で父から聞いて、母に対して一瞬でも抱いた気持ちを反省した。それでもまだ、まだ死んでいない祖父の、死を冷静に考えることに、私は抵抗があった。
「来週、お父さんとお母さんで病院に行こうと思うけど、お前はどうする?」
 私は、行けないと答えた。本当は、行かない、行きたくない、それだけなのに。父はそれに対して何故、とは聞かなかった。「わかった」とだけ言って、電話は切れた。

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 『ロウクオリティ』
          横田直也

 「心霊写真」。この言葉を見聞きする度に思い出してしまう記憶がある。それは今から十年前、僕がまだ小学四年生だった頃まで遡る。
 当時、僕にはそれなりに仲の良いクラスメイトの男子がいた。彼は怖い話や心霊写真といったものが大好きなオカルトマニアだった。彼はクラスで集合写真を撮る度に近くの子の背後に手を回し、似非の心霊写真が撮れるような演出をしていた。
 うわめっちゃ写ってるやん!
 後日撮った写真が皆に配られると、彼は写り込んでいる「手」を指差し、毎度異様に上機嫌だった。当然クラスの皆は、それが彼によるイカサマだと気付いていた。しかしイカサマであることを少しでも指摘すると、なんでやねんホンモンに決まってるやろ! と若干キレ気味に返されるので、皆は適当にお茶を濁すしかなかった。僕もそんな彼の態度に、心の底から「なんでやねん」と思っていたが、変につっこんで気まずくなるのも面倒だったので、敢えて何も詮索しないことにしていた。要するに、彼は明らかにイカサマをしているにも関わらず、自信満々の顔で断固不正はしておらんと言い張る、かなりファンキーな奴だったのだ。
 そしてある日、遠足で撮った集合写真が皆に配られた。案の定、その写真にも彼の手が不自然に写り込んでいた。しかし彼はいつもと違い奇声を発することもなく、顔面蒼白で写真を、なんぞこれ? とガン見していた。よく見ると、写真には彼の手とは違う、もう一つの手が写り込んでいたのだ。すると、彼の青い顔が見る見る内に真っ赤に染まっていった。
 おれの真似したやつだれや!!
 突然彼の怒声が教室中に響き渡った。皆はあまりにも突然の出来事に、彼がイカサマを自らカミングアウトしてしまったことにつっこむことも出来ず、只々息を呑んでいた。
 張りつめた静寂と、彼の無言の圧力に気圧された僕は、自ら犯人だと名乗り出ることが出来なかった。まさか彼がここまでブチギレるとは思わなかったのだ。彼は鼻腔を最大限まで広げながら、首から上を絶え間なく震わせていた。彼は、泣いていた。
 その後小学校を卒業するまでの間、彼との関係が妙にギクシャクしたのは言うまでもない。あれから十年。彼は今どうしているのだろう。相変わらずのオカルトマニアで、未だに「恐山クライマーになる」などとわけのわからない夢を語っているのだろうか。それとも「あの頃はまだ子供だった」などと冷静に言いながらも、あの頃のことを思い出し、あの頃と同じくらいに赤面し、タイムマシンに乗ってあの頃の自分を……というような妄想を抱いているのだろうか。
 後者なら、きっと許してくれているだろう。

   ー完ー

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 『贅沢なドの音』
          吉川浩平

 絶対音感の母が言うには、僕は産まれたときにドの音で泣いたらしい。小学生の頃に母の財布から千円をくすねて怒られたときにも、同じドの泣き声が近所に響いていたという。
 母はいつでもそんな調子で、例えばお父さんのいびきは低いソの音だとか、猫はだいたいラのフラットで鳴くとか、音なら何でも音階に差し替えて教えてくれた。僕の結婚式で妻が泣き出したときに、僕の耳元で、
「あれはソよ。高いソ」
とささやいたときにはさすがにうんざりしたけれど。
 幼い僕に、母はよくピアノを弾いて聴かせてくれた。モーツァルトの何曲かを繰り返し弾いているだけだったけれど、ついさっきまで恐る恐るキャベツの千切りをしていたはずの母の指が狂うほど正確に跳ね回る様子は、どんなに長い間観ていても飽きなかった。包丁とピアノを持ち替えただけとはとても思えなかった。きっと何かの魔法を使っているんだと思っていた。
 母はときどき流行りのポップスを即興で弾くこともあったのだけれど、僕はそれが大嫌いだった。母の指からモーツァルトを弾くときの魔法が解けて、何度も同じ鍵盤を行き来するキャベツの千切りに変わるからだった。
「ねえ、なんで同じ所ばっかり弾いてるの」
 たまりかねて問いかけると、母は、
「これはね、和音っていうの。同じドの音でも、そうね、ちょっと贅沢なドの音になるのよ。いい音でしょ」
と、鍵盤とにらめっこをしたままで言うのだった。
 魔法のかかっていない音の何がいいのか、僕にはさっぱりわからなかった。

 お父さん、と呼ぶ声が聞こえた。声のした方向で、看護婦が私を手招いている。
 分娩室に入ると、まだ分娩台に仰向けになったままの妻が、産まれたばかりの赤ん坊を抱いているところだった。ちょうどお生まれになられたところです。看護婦の声に背を押されるように近寄ると、初めての出産ですっかり血の気の引いた顔をした妻が、私を見るなり目に涙を浮かべた。
 まだ真っ赤な赤ん坊が大きな泣き声をあげたのは、妻の頭に手を伸ばしたのと同時だった。妻の体が小刻みに揺れるのが手に伝わる。看護婦が何か言っているその裏で、母親の声が聞こえた気がした。
「私の好きなミの音だ」

   ー完ー

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 『牢獄』
           宮崎亮馬

 「小学生のころ、知ったこっちゃない、って流行らんかった?」
 「知ったこっちゃない?」
 「そうそう、みんな何かにつけて、知ったこっちゃない、って言うて」
 「そんなん言うてたかなあ」
 「知ったこっちゃないけどな」
 「ああ、そういう感じか」
 「そうそう、たぶんこんな感じ」
 「僕の学校では流行ってなかったかもな」
 「そうなんかー。俺らはよく先生に言うて怒られたけどな」
 「小学生のころはよう怒られたなあ」
 「そやな。毎日ふざけてばっかりやったわ」
 「もう30年以上も前の話か。ほんま時間が経つのは早いなあ」
 「まあ僕はみんなが小学生やったころのことは知らんけどな」
 「いや、そこは知ったこっちゃない、やろ」
 「ははは、そうやな」
 「でもたぶん、みんなあの頃から変わってないで、なあ」
 「そうかなあ」
 「今もふざけて怒られてばっかりやろ」
 「そらまあ、そうかもな」
 「根っこはなかなか変わらんもんやで、な」
 「ははは、確かにな」
 「あ、今何人になった?」

 「わからん」

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しこり 2012年4月号

2012年4月1日 発行 4月号 初版

著  者:
発  行:フリーペーパー『しこり』編集部

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  『マニュアル』   藤本諒輔
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  『贅沢なドの音』  吉川浩平
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  『牢獄』      宮崎亮馬
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  装丁:坂野ローリングソバット
  編集:吉川浩平







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