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水城ゆうが主宰するテキストライティング塾「次世代作家養成塾」では、塾生から多くの作品が寄せられています。
そのなかから秀作を選りすぐり、塾長のコメント付きで電子マガジンを編纂しました。
毎月一回の発行予定ですが、その初号です。

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HiYoMeKi Vol.1

HiYoMeKi同人

アイ文庫

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 目 次


  はじめに


  美齢は遠くへ行きたかった 野々宮卯妙


  献血 久保りか


  親指 奥田宏二


  出会う 石川月海


  肥満 山田みぞれ


  肥満 倉橋彩子


  肥満 三木義一


  帆立貝 野々宮卯妙


  三つ網 船渡川広匡
  オマンタの花嫁 船渡川広匡
  風の谷のナントカ 船渡川広匡
  肉人間 船渡川広匡

はじめに

「次世代作家養成塾」発の電子マガジン初号を、ここにおとどけします。
 いろいろと書かなければならないことがあります。最初にお付き合いいただくなり、塾生たちの多彩な作品を楽しんでから読むなり、お好きなようにどうぞ。いずれにしても、どこから読んでも楽しんでいただけるようにできております。

 マガジンタイトルについて。
『HiYoMeKi』は「ひよめき」と読んでいただいてかまいません。
 試しに、コンピューターのキーボードから「ひよめき」と入力して、変換してみてください。見たこともない漢字が出てきてびっくりすると思います。
「顋門」ですね。
 赤ちゃんの頭を触ったことはありますか? 私はあります。
 赤ちゃんの頭蓋骨はまだ柔らかく、大人のようにがっちりとは接合していません。頭蓋骨の合わせ目が離れていて、触ればすぐにわかります。そして、「泉門せんもん」という場所の皮膚をよく観察すると、心臓の鼓動にあわせてひくひくと脈打っているのがわかります。
 そこを「顋門ひよめき」といいます。動いているので「おどりこ」といったりもするようです。
 まさに次世代作家養成塾のありようを象徴するような言葉なのです。

 私たちは文章を書くことを「表現行為」のひとつとしてとらえています。音楽を演奏したり、歌ったり、踊ったり、絵を描いたり、といった表現行為と同等のものとしてかんがえます。
 文章を書く、というと、とかく大脳皮質の論理的な思考回路を使って、知識や経験を駆使するようなイメージがありますが、表現行為である以上、その人固有のマインドや身体性が重要であることはいうまでもありません。ところが、これまでテキストライティングの分野において、あまりそういうことは重視されてこなかったように思います。
 表現はふたつのパートで構成される、とかんがえます。ひとつは「技術」で構成されるパート。文章構造だの、視点だの、キャラクターだの、描写法だの、時制といったものですね。これはだれでもひとしく学ぶことができます。
 もうひとつは「固有の身体性」で構成されるパートです。身体性のなかには、感性や感情といったものも含まれます。これはひとりひとり違います。どんな人でもオリジナルなものです。まさにその部分に光をあて、ユニークでオリジナルな文体や発想やストーリーを汲みあげる方法を探すところから、私たちはスタートしたいとかんがえています。
 その出発点は潜在意識と顕在意識が混沌とないまぜになった場所にあります。私たちは頭を柔軟にし、まさにまだ頭蓋骨がくっついていない赤ん坊のように混沌とし、しかし無垢なところから始めたいのです。

『HiYoMeKi』にはもうひとつ、ひっかけてある言葉があります。
 新美南吉に「一年生たちとひよめ」という短編があります。ごくみじかい童話です。ここに書かれている「ひよめ」というのは、水鳥のカイツブリのことです。
 一年生たちが毎日、学校に行く途中、池に浮かんでいるひよめに歌います。
「ひよめ、ひよめ、だんごやるに、くぐれ」
 団子をやるから水に潜れ、というわけです。するとひよめたちはくるりと水に潜ってみせます。でも、子どもたちは実際に団子を与えるわけではありません。団子など持っていません。
 ある日、学校の先生が、こわい顔をして、
「うそをついてはなりません。うそをつくと、死んでから赤鬼に釘抜きで舌ベロを引っこ抜かれるです」
 といいます。子どもたちは素直に「わかりました」と答えます。
 その帰り、やはり池にひよめが浮かんでいたので、いつものように歌おうとして、ハタと気がつきました。団子を持ってもいないのに潜れというのは、嘘をつくことになるからです。困った彼らは、次のように歌をかえて歌いました。
「ひよめ、ひよめ、だんごやらないけど、くぐれ」
 するとひよめたちは、やはりおなじように水にくるりと潜ったのです。そして子どもたちは、ひよめが団子めあてにくぐったわけではない、自分たちに呼びかけられるのがうれしいからくぐっていたのだ、とわかるのです。
 私たちもなにか報酬がほしいからものを書くのではありません。ただ書きたいから、自分を表現したいから書くのです。その結果、だれかがそれを読んでくれ、喜んでくれたら、こんなにうれしいことはありません。また、読んでもらった結果、「つまらない」という反応もあるかもしれません。それはそれでやむをえないことです。読者の反応は書いたものの責任ではありません。あらかじめ反応を予測して狙って書いたり、売れたりうけたりすることを狙って書いたものほどつまらないものはありません。私たちはそのようなものを書くつもりはありません。

『HiYoMeKi』初号からは十二作品を送り出すことができました。
 まだまだ未熟な作品もあれば、技術的にプロ作家とひけを取らない作品もあります。実際に商業活字出版の世界で著者として原稿料を取っていた人もいます。
 いろいろな作品がならんでいますが、いずれにしてもこれらを私は「技術の優劣」のみで選定したのではない、ということをお断りしておきます。もちろん技術的完成度は重要な要素ですが、それ以上に、「書き手そのものの身体性」を重視しています。つまり、そのテキストを読んだとき、行間から書き手の存在が立ちあらわれてくるかどうか、ということです。そこから書き手の体臭や手触りを感じることができるかどうか、ということです。
 次世代作家養成塾はまだ始まったばかりです。塾生は目をみはるようなカーブで成長しはじめています。これからも定期的に作品集としてのマガジン『HiYoMeKi』をお送りしていく予定です。そして、これを読んでいるあなたも参加してみてください。どんな人もそれぞれがユニークな存在である以上、ユニークな表現者になりうり、というのが私の信念です。
(次世代作家養成塾・塾長 水城ゆう)

美齢は遠くへ行きたかった 野々宮卯妙

 お題「三つ編」で書かれた作品。
 中国の話ですが、日本にもこのような時代があって、それはその時代を知らない若い人にとってもどこかノスタルジックにちくちくと心の奥を刺激します。
「ですます」調でわざと子どもの読み物風に仕立てたところが、ラストの悲劇のコントラストを強くしました。読後、いろいろなものが心に残り、作者が大事にしていることがなにかということが伝わってくるような作品です。(水城)


 美齢メイリンは毎日朝七時に、自転車で工場に出勤します。
 家から三十分、黒くて重い自転車のペダルをぐんぐんと踏みます。
 お給料をためて、フレームが細くて軽い、赤い自転車を買いたいと思うこともあります。でも、買い物は我慢しています。貯金をするからです。
「そんなに貯めてどうする。服も買わないくせに。使いみちがないのなら、もっと家に入れろ」
 お父さんが言います。
 でも出しません。
 これは、美齢の進学資金なのです。でも、そのことは誰にも言いません。馬鹿にされるに決まっているからです。
 美齢は、学校の成績は良い方でした。でも、上の学校には行きませんでした。両親は学費を出してくれませんでした。
 都会の子に生まれればよかった。
 一人っ子には祖父母の四つのポケットがあると言うけれど、それは都会の裕福な家庭の話です。美齢の祖父母はもう亡くなったし、生きていたとしても貧しい農民でしたから、美齢のために、それも教育のためにお金を出してくれはしなかったでしょう。
 だから美齢は、工場に勤めて自分でお金を稼ぎ、貯めます。
 美齢は、長い長い、長い髪を三つ編みにしていました。
 小さいころ、髪の毛が売れるという話を聞いて、伸ばし始めたのです。
 自分でお金を稼ぎたいと思ったとき、どうしたら稼げるのかわからなかった美齢が、唯一できることでした。
 それからずっと切りません。毛先が痛むので思いのほか伸びませんでしたが、三つ編みにしてほとんどくるぶしにつくほどでした。
 何がなくても、この毛さえあれば。
 朝七時、美齢は工場に出勤しました。
 機械を動かし、監視しながらラインからこぼれたものをラインに戻します。
 今日は、機械の調子が悪いようでした。ラインからこぼれるものが多く出ました。美齢はいちいちラインへ戻すたび、監視の集中力が切れるので、不安が増してくるのを感じました。
 気付くと、こぼれたものがどんどん先へ流れていました。
 美齢は、ふだんほとんど動いたことのない自分の立ち位置から、五歩、ラインに沿って踏み出しました。
 それは、美齢が自分で初めて踏み進めた五歩でした。
 五歩歩いたところに、回転ギアがありました。次のラインへの接続ポイントでした。
 こぼれたものをラインへ戻して、美齢が元へ戻ろうと振り返った時、ギアに触れたものがありました。
 美齢の長い長い、長い三つ編みが、ギアにしゅるりと巻きつきました。
 ギアはしゅるしゅると回って三つ編みを巻き込んで行きました。
 声を出す間もなく、美齢はギアに噛まれて行きました。

献血 久保りか

 お題「献血」で書かれた作品。
 不思議な感触の作品です。皮膚感覚がうまく表現されていて、読む者は自分の指の痛みや、吸われる感触を思わず想像してしまいます。
 訪問介護という、いまではそう珍しくはないシチュエーションですが、ここで起こるのは奇妙なことです。しかし、事件というには小さなできごと。でも、不思議なこと。この皮膚感覚をともなったエピソードを思いついたところが、作者のユニークさであり、オリジナリティでしょう。(水城)


 前田さんは、しゃべらない。
 無口というより無表情だし、意図的にしゃべってくれない、気がする。
 介護福祉士という仕事を選んだ動機が想像できない……と、運転席の横顔を見つつ思った。
 私は、訪問ケアのアルバイトをしている。
 企業が運営しているもので、難しいケアは資格を持った社員がしてくれる。
 今日は、前田さんと二人きりだ。

 訪問先は、古いマンションの一階の一室だった。
 前田さんは、仕事用の笑顔を作って、話しかけている。
「マリさんこんにちは」
 マリさんは、椅子に座って、金色の杖をついていた。
 声はか細いけれど、表情は優しげだ。
 こう綺麗にされているのなら、入浴介護はなしだろう。
 仕事としては、楽そうだ。
 だけれど、訪問介護が必要な独居老人、というにはなんだか妙だった。
 第一に、部屋が殺風景で、家具だけが豪奢で浮いている。
 第二に、マリさんは随分とおきれいだったのである。
 銀髪がくるりと巻かれていて、フリルのワンピースに、金のアクセサリー。
 いい所の奥様だったのだろうか。
 マリさんは、私と目が合うと微笑んでくれた。
「お手玉しましょうよ」
 言いながら綺麗なお手玉を取り出した。
 前田さんは他の仕事があるのだろうけど、立ち上がり出て行ってしまった。

「あなたは、そちらにお座りなさいな」
 指された椅子も、布張りの美しいものだった。
 お手玉を受け取ると、マリさんはやってみせて、とせがんだ。
 私は満面の笑みを浮かべながら、三つ、両手でひょいひょいと投げて受ける。
 マリさんの反応を伺おうとした途端、指に痛みが走った。
「いたっ!」
 声を上げてお手玉を落とす。
 後から考えたら、お手玉に針が仕込まれていたのだと思うけれど、すぐに、考える暇もないようなことが起こった。
 マリさんは、私の手をグイと引っ張ると、口に入れたのである。

 細い悲鳴をあげるが、思いのほか力は強い。
 ここで私が力任せに引いたら、マリさんが転倒する。
 咄嗟に固まると、マリさんは、ちゅうと音を立てた。
 血の出た指を吸っているのだ。
 目を見開いて、小鼻を広げて、一心不乱に吸っている。
 舐めているのでも、噛んでいるのでもない。
 痛くは、なかった。

 身を献ずる精神で、というのは理解していたけど、まさか血まで献ずることになるなんて。
(だから献血っていうのか)
 子どもの頃、怪我をした場所に口をつけて、血を吸ったことがある。
「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる吸血鬼が、ワイングラスで飲んでいたのが、おいしそうに見えたからだ。
 よく怪我をするものだから、吸う機会には事欠かなかったけれど、そのたびにおいしいものではないと思った。
(吸われる側のことは、考えなかったな)
 食い込む指が、痛い。
「マリさん、おいしい……?」
 マリさんはうっとりとまぶたを閉じて、答えてくれなかった。

親指 奥田宏二

 お題「親指」で書かれた作品。
 父の死、葬儀、父の吸い残した煙草、そして親指。こういった「アイテム」の処理が大変功名で、心地よい読後感のある作品となっています。おそらく、商業作品としても、気の利いた雑誌掲載程度のレベルはクリアしているでしょう。
 しかし、私たちが目指しているのはそこではないのです。作者はこのしっかりした力を、オリジナリティへと向けていってほしい。(水城)


 ブレーキランプが何度か点滅すると、その光は、遠く他の光と交じり合い 次第に見えなくなった。
 洋介は呼吸の中に遠く読経の声が聞こえた様な気がして、道の向こうに見える生家に目をやった。
 葬儀屋の仕事は見事なもので、すでに葬儀の名残は跡形も無かった。
 これで洋介は、父、母、共に失ったことになるが、洋介にその実感は、まだ沸いてこなかった。

 東京の一戸建て。とはいえ東京都下の田畑に囲まれた一軒で、近隣の目標物が洋介の生家という、大きいだけが取り柄の家である。
 ひときわ大きな庭の柳が、ここからでも風になびいているのがよく見える。
 柳がゆれる度、青い生家の屋根が見え隠れするのだが、あらためてよく見ると、洋介は自分の記憶より屋根が幾分か古く煤けていることに気が付いた。
 相続問題は一切もめることなく、洋介が引き継ぐということで、あっけなく片付いた。
 喪主は洋介だったが、取り仕切ったのは殆どのところ、叔父だった。
 今後やる事を一通り説明し終えた叔父は、日が傾き始めたころ、黒塗りのBMWで帰っていった。
「隆、早くおいで」
 叔父の車を追いかけていた息子は、いつの間にか道端にしゃがみこんで、何やらゴソゴソやっている。
 息子の興味はすでに、叔父の車から、道端の小石に切り替わっている様子だった。
 まぁ急ぐことも無いか……
 何かに夢中になっている息子をぼんやり眺めながら、洋介は胸のポットからタバコを取り出し火をつけた。
 これは父の部屋から拝借した最後の一箱である。
 ハイライトはいつものマルボロと違い、洋介の肺に重く圧し掛かって来たが、次第にその重さも心地よくなってくる。
 洋介もまた、父と同じく、愛煙家だった。

 道端にしゃがんでいた息子はいつの間にか洋介のそばで木の枝を振り回していた。
「隆」
 そう呼ぶと、洋介はわざと息子が自分の親指を握るように手を差し出した。
 洋介は不意に、昔この道を父の親指を握って歩いたのを思い出していたのである。
 息子はそれが当たり前の様に洋介の親指を握ると、体を傾かせながら洋介に引きずられるように歩いた。
 ゆらゆらとしばらく歩いていたが、息子は突然家のほうに向って大声を出した。
 洋介は声の先を見ると、いつの間にか庭に出ていた妻がこちらに向って手を振っている。
 ああ、この光景もみたなぁ……
 しみじみとその光景を感じていると 洋介は煙の先に父の気配を感じたので、
 そこに行くのはまだまだ先だよ……
 何となくそう呟いた。
 親指で繋がれた親子の見上げる先には、タバコを燻らせるお互いの父の姿があった。

出会う 石川月海

 お題「肥満」で書かれた作品をいくつか、つづけてお送りします。
 その一。
 よく描かれたスケッチは、その前後の物語や、登場人物の世界全体をうまく想像させてくれます。なので、スケッチはなるべく具体的な手触りがほしいのです。
 この作品は手触りが具体的であり、描かれているシーンの空気や登場人物の匂い、繊細な気持ちの揺らぎといったものが非常に緻密に構成されています。
 読者にスケッチの前後のストーリーを想像させてくれる「スペース」があることも、作品の質を高めています。(水城)


 助手席のドアを開けた彼は、車に乗り込むわたしの背中にそっと手を添えた。
 薄い布地を隔てて触れ合う彼の手のひらとわたしの背中。
 やっと会えたんだと実感してとても安心したのと同時に、だれにでもこんな風にやさしいのかな、という不安がよぎった。
 すぐに車内を見回してみた。
 後部シートに彼の上着が投げ入れられているだけ。
 太陽をまっすぐにはね返していた外観同様、きれいに片付けられ、掃除されている。不安がまた一回り大きくなった。
 彼は、運転席に乗り込むと、「今日も暑いね」と言いながらエンジンをかけた。聞いたことのない外国語の曲が流れて、エアコンが息をし始める。
 それから、彼は、助手席に向き直ってわたしを見つめた。
 わたしも見つめた。
 やさしさを漂わせようとしている瞳。まじめそうに閉じられた口。薄くもなく暑苦しくもない唇。髭は剃り跡さえない。
 細身の体にフィットしたシャツは、奇抜ではないけれど細かな柄で、彼を年齢より若く見せている気がする。
 シャツの袖から伸びた腕は無駄な脂肪がなく硬くて丈夫そうだった。大きな手のひらと器用そうに長い指のせいか、手首が少し華奢に見える。
 腕時計はちょっとイイモノなのかもしれない、そういえば車も安っぽくはない。
 お互いを見つめ合う間、顔にはあいまいな笑顔を作っていたつもりだったのだけれど、それがかえって心細げな印象を持たせたらしい。にっこり笑った彼は、
「だいじょうぶだよ」
 と、何に対する答なのかわからないセリフを発して、左手をわたしの頭に乗せた。

 不安は期待でもあった。
 今、彼の手のひらは、わたしの髪を押さえつけながら、ゴシゴシと動いている。まるで手のひらについた何かをなすりつけているみたいに。
 一瞬だけ上がりかけたテンションが、上昇しかけていたことを反動にして一気に落ちた。
 やさしい指の感触を期待していた頭皮は、がっかりしすぎて、触れられた事実を抹消しようとさえしている。
 こんな不満なんてきっと些細なこと、と自分に言い聞かせてみた。
 幸せを探しすぎて、理想のBMIが高くなりすぎているだけ。

 せっかくこんなに遠くまで来たのになぁ、とすでに終わりを目指しているわたしの気持ちなど知るはずもない彼は、「直行していい?」とどこかへ車を走らせ始めていた。

肥満 山田みぞれ

 お題「肥満」で書かれた作品、その二。
 読書というのは一種の疑似体験です。山田みぞれのこの作品は、質の高い疑似体験を読者に提供します。それはなぜでしょう。
 彼女の実際の体験を、テキスト表現というアウトプットに「昇華」させ、ある一定の普遍性を持たせて提供しているからです。
 作品として欠点がないわけではありません。むしろ多くの欠点があります。が、ものを食べる描写において質の高い昇華が成功しているので、読む快感を読者に提供しているのです。
 これは山田みぞれの身体感覚の表現といってもいいと思います。(水城)


 六枚切りの食パンにジャム、バター、バター、ジャム、チーズとバター、ジャムの順でぬって食べる。今朝は、どうしてももう一枚口にしたくて、買い置きの分を開けてしまった。
 雪絵は冷蔵庫からハムを取り出した。食パンにバターをまんべんなく塗り、うっとりしながらハムを挟む。そして両掌でぎゅっと押しつぶす。指の腹も使い丁寧に、できるだけぺたんこにする。
 指の痕ででこぼこになったサンドイッチにかじりつく。バターとハムの擦れあった部分が舌に絡まると最高に幸せ。鼻の穴を膨らませて、雪絵はサンドイッチを頬張った。
 今日の定食、何だろう。昨日の社食には騙された。ハンバーグと見せかけて、豆腐ハンバーグだった。そりゃ豆腐だとカロリーオフになるけど、お肉だけの方がおいしいに決まってるじゃん!ロースカツか生姜焼きがいいなあ。今朝はパンだけだもん。絶対お腹空いちゃう!
 名残惜しいがサンドイッチを飲み込み、雪絵はサプリメントを牛乳で片付ける。
 胃の辺りがぐぐっとうずく。口を半開きにしたまま、雪絵はテーブルに突っ伏した。引きずるように頭を持ち上げる途中、目に入ったのは服を着たままでもわかる、三段に割れた腹だ。
 深く短い息を吐き、雪絵は両手をテーブルにつきのっそり立ち上がった。空になったグラスが揺れた。

肥満 倉橋彩子

 お題「肥満」で書かれた作品、その三。
 現代の商業流通ルートに乗っている小説は、ほとんどが「難解=わかりにくさ」を排除されています。書き手が編集者から要求されるのは、わかりやすさ、明快さ、はっきりとした結末、といったものです。
 この倉橋彩子の作品は、この短さにも関わらず、視点が入りくんでいます。時間軸も交差しています。説明が極端にはぶかれ、読者はなにがどんなふうに、だれの目を通して起こったのか、注意力と想像力を駆使しなければ読みとくことができません。
このような書き方は商業作品とは逆行していますが、なに、それでかまわないのです。倉橋彩子はなんの遠慮もなく、読者にこびることなく、自分の表現をおこなえばいいのです。
 そういう意味で、倉橋彩子はどんどんオリジナリティを磨きあげつつある書き手です。(水城)



 ハイビスカスが咲き乱れる庭に、雨のしずくがそっと舞い降りる。どこにいるのかわからなくなるような午後、ポーラの意識が遠のいていく。

 タミが、来たときよりは幾分かすっきりとした表情でポーラの家を出たとき、独特の匂いが風にのってやってきた。牛乳のスープを煮詰めきって二日くらい置いておいたような、吐き気をもよおす、しかしなじみのある匂い。匂いのするほうにちらっと目をやると、青白いぶよぶよの皮膚をした、豚のような男がいた。ああいやだ、タミは悪態をついた。ひと月も待ってやっとこの島一番のシャーマンに会ったばかりだとういうのに、どうして出たとたんいつもと同じ病棟の匂いを嗅がなきゃいけないんだろう。あの男は長くない、膵臓か、腎臓、ガンの匂いだ。強烈な匂いだからもう長くはない。ああいやだ、そんな人間がここに来る必要なんてないのに、こんな人がくるから長いこと待たされたんだわ。タミはすれ違いざま、わざと大きくためいきをついた。男がその後、立ち止まってじっと自分の後ろ姿を見ていることには気づかずに。

 幼い頃、エテルはとてもかわいかった。ポーラは、うさぎに似たエテルをいつもかわいいなと思って、見かけるたびに走り寄っていった。今目の前にいるエテルに、その面影を見つけることは難しい。ハリを失った肌からは、生命のエネルギーは感じられず、身体を覆う大量の脂肪は溶けて血液に流れ込み、全身に虚無を巡らせていた。「なんで治せないんだ!」拳が叩き付けられたテーブルが、波打つように揺れる。
「エテル、わたしに出来ることは全てやったわ。出来ることをして、後は神に任せるしかないの。絶対にあなたを助けるなんてわたしには言えないし、誰にもわからないのよ」
「嘘だ! お前は村一番の魔術師なんだろ、治せないはずはない。ナナコシ村のヤン婆さんも治したって聞いた。俺だけ治せないなんて訳がない。手を抜いてるんだ、俺がこんなに苦しんでるのに…」
「エテル、手を尽くしてるのはわたしだけじゃない。猫を飼ってるでしょ、もうおばあちゃんの。彼女もあなたを助けるために、貴方の身体から腫瘍を自分の中に取り込んでるのよ。貴方が助かるかどうかは別として、彼女の魂は貴方を助けたくてそれを選んだの」
 血の気のなかったエテルの顔と首に、一気に赤身がさした。
「嘘だ! 嘘だ嘘だ! お前は嘘つきだ! 俺のせいでフランが死ぬって言うのか。嘘だ! 嘘だ……」
 テーブルの上の花瓶を見つめて、エテルの右手が伸びる。衝撃音と共にポーラが椅子から横に滑り落ちる。

 窓の外に映るハイビスカスの緋が眩しくて、エテルの目から涙がこぼれ落ちた。

肥満 三木義一

 お題「肥満」で書かれた作品、その四。
 この作品は、文章の性質としては「詩」の範疇にいれることができるかもしれません。
 詩には「言葉を使う」という以外にはなんのルールもありません。制約もありません。自由な世界です。それゆえに、そこに出してくる言葉の並び方には、書き手の個性が出ます。というより、書き手のむき出しの言葉がそこにならぶことこそ、詩の目的であるといってもいいかもしれません。
 この作品から作者そのものが伝わってくるでしょうか。
 かなり伝わってくるように感じますが、もっと彼らしい言葉もありそうですね。表現の深さのレベルが何段階かあるとすれば、深部表現の階段をまだまだ降りていけそうな気もします。(水城)


 母の白髪と私の胸毛、
 選ぶのは私の自由だといい聞かせながら
 池の畔を歩いている。

 肋骨が性交渉を始める。
 軟骨は冷え性で縮こまる。
 肉はまわりでそれをじっと見守っている。

 私は
 手の届く限りの肉を掴んでは水に放り投げる。

 じゃば
 がぼ

 何もしようとしない、この熱の塊を憎んだ。
 血に上下はない。
 肉に貴賤はない。
 そうは知っていても
 私は執拗にそれを切り離そうとする。
 水面がもわもわと沸き立つ。

 一方で私は、耳朶の裏のしわをやさしく愛おしむ。
 全ての記憶はそこに保管されているから。
 その深さ、感触を確かめたっていい。
 ひねもす。

 じゃぼ
 がぼ
 どぼ

 もう投げるものがない。
 かたちを失って私は立ち止まる。

 あたたかい骨が
 つめたい肉が
 私の輪郭だったのか。

 否、

 透明な血管が
 鈍角の集合が
 肉への重力が
 私の輪郭だったのか。

 耳の裏であろう場所をまさぐり、放り投げる。
 すぅーっと湯気が細い糸を引くように立って
 水面は静かになった。
 波打ちぎわは緩やかに伸び縮みを繰り返している。
 池の大きさは一mmだって増えちゃいない。

帆立貝 野々宮卯妙

 お題「肥満」で書かれた作品、その五。
 この作品は、たぶん、意識的に客観描写の実験をしているのだと思います。客観描写だけでどれだけのことを伝えることができるか。こういう練習は、書くことの大きな練習になります。
 それにちょっとエロティックでぞくぞくしますね。ぎりぎり下品に落ちていないところがいいし、また説明を意図的に限定していることで、これが男女なのか、女同士なのか、含みを持たせているところも、読者の想像をうまくかき立てています。
 もっとも、これは二十世紀前半の手法であって、世界文学全体としては二十世紀後半から二十一世紀にかけ、さらにさまざまな手法が現れてきました。なので、客観描写だけにしがみつく必要はありませんよ。あくまでも手法のひとつとして身につけておいて損はない、ということです。(水城)


 艶やかで滑らかな表面に、指をそっとおろす。
 指先をゆっくりと押しこんでみる。指の腹を中心に、柔らかなすり鉢が生まれる。底の皮を隔ててみっちりと詰まった身を撫でる。
 ともすれば、もっちりとした弾力に指は押し返され、すり鉢を浅くする。
 指を押しつけながら、右へと滑らせる。一ミリずつ、慎重に。
「くすぐったい」
 口角が上がるのを筋肉を固めて留めようとすると、指が滑り、深く押しこむことになった。
「いたい」
「ほんとに?」
「……ううん、うそ」
 このまま指を押しこんでみたらどうだろう……温かくて柔らかなものに指が呑みこまれ、一体になってゆくようすを想像してみる。
「ちがうよ」
「なにが?」
「温かくないよ」
 指先から思いが皮の向こうに伝わってしまったようだ。
「そうなの?」
「ほら」
 親指と人差し指と中指で、手頸をつままれ、ぐるりと向こうへ回された。
「……ほんとだ」
 滑らかだがひんやりとして、広々とした感触に出会った。
 指を上へと滑らせ、てのひら全体を押し当てると、じわりと体温が吸われていった。
「あ……これ」
 もう片方の手を反対側から差し入れ、両のてのひらで白く広がる肌を抱え込み、きゅっと力を入れた。
 そこはまるで、ひんやりとして広々とした、柔らかい大理石の床。
 ヴィーナスの尻。



 ここから船渡川広匡の作品を四編、つづけてお送りします。
 彼はもっともアクティブな塾生で、次世代作家養成塾がはじまるだいぶ以前から文章を書いています。
 はっきりいって、まだまだ技術的には未熟な面があるのですが、当塾でもっとも重視する「無意識領域からのイメージ」をとらえるコツをかなりつかみかけている書き手として、重要な位置にあります。彼の書くものは、わけがわからず、ストーリーも破綻していて、とんでもないアイテムがいろいろと脈絡なく出てきます。辻褄《つじつま》はまったくあいません。そこがおもしろいのです。
「三つ網」は、お題「三つ編」で書かれた作品です。そもそも、お題がすでに違っています。
「オマンタの花嫁」は、お題「親指」で書かれた作品です。最後の「オホウホウ」という雄叫びがなんともいえない笑いを誘います。
「風の谷のナントカ」は、お題「蝉」で書かれた作品です。もうこれは笑うしかありません。
「肉人間」は、お題「肥満」で書かれた作品です。恐ろしさと滑稽さと、真っ黒な深淵をのぞきこむような不気味さが同居している作品です。
 船渡川広匡はシュールなグロテスクユーモア小説の作家といえるかもしれません。私たちだれもがこういう部位を心のなかのどこかに持っていて、そこの部分が奇妙に彼の作品群に共鳴するようです。
 あなたもそうではありませんか?


三つ網 船渡川広匡


 灰色に淀んだ空は不吉な唸り声を上げ、白い波が船に当たっては砕ける。しぶきが
老人の顔にはね返る。腕で顔を拭い、櫓を巧みに動かす。小舟は波の合間を縫ってす
るりと抜けていく。
 ようやく納得する場所まで来ると、足元の網を両手で持ち上げ、宙へと飛ばす。網
は生き物のように広がり水面をつかむ。網が十分に沈むのを待ってから一呼吸置いて
ぐいと引っ張る。両腕の褐色の筋肉が盛り上がり、筋立つ。
 網を巻き戻し船上にどちゃりと落とすと、中には小魚が十数匹踊っている。
 老人は二つ目の網を海へと投げ、引っ張る。獲物がかかった網が巻き上げられる。
更に三つ目の網を投げる。

 彼にはかつて三人の息子がいた。
 長男が十五歳になった時、新しい網を与えた。最初の漁に出た時、ふいに来た大波
にさらわれた長男はもう戻っては来なかった。
 妻は嘆き悲しみ海を憎んだが、夫は「息子は海へ帰った」と言っただけだった。
 次男が十五歳になった。夫は彼に新しい網を与え漁に出ようとしたが、妻は網をど
こかに隠し、島の木の実をとる仕事を次男に指示した。次男は山へ分け入り木の実を
探したが、崖から転落して死んだ。
 妻は嘆き悲しみ山を憎んだが、夫は「息子は山へ帰った」と言っただけだった。
 三男が十五歳になった。夫は彼に新しい網を与え漁に出ようとしたが、妻はまた網
を隠し息子に家の仕事を指示した。三男が屋内で糸車を回していた所へ百年に一度の
大地震が起き、倒壊した家の下敷きになって死んだ。
 妻は嘆き悲しみ大地を憎んだが、夫は「息子は大地に帰った」と言っただけだっ
た。

 老人は足元に打ち投げた三つの網の中から手早く魚を仕分け、びくに入れていく。
 盛り上がった二本の腕が巧に縄を巻き上げ、帆を張る。帆は浜風を捕まえ、舟は波
を切って進む。浜にたどり着くと、最後の力で船を砂浜に押し上げて縄で杭にくくり
つける。
 小屋の入り口を開け、びくを土間に置く。老人は服を脱ぎ手拭いで体をふき取る
と、裸のまま寝台に静かに横になった。
 老人は目を閉じた。やがて彼の意識はまどろみに沈んでいった。
 老人は息子達の夢を見ていた。


オマンタの花嫁 船渡川広匡


 黒くてでかい穴が二つ空いている。
 鼻の穴だ。鼻毛がぼうぼうに飛び出ている。その二つの鼻の穴を横から一本の長い棒が貫通している。
 彼の浅黒い顔にはしわが年輪のように刻まれている。薄くなった白髪に鳥の羽根をつけている。貝殻を繋げた首飾りは、この山村においていかに権力を持っているかを示している。彼は猛禽の様な威厳を持って椅子に座っていた。
 隣には褐色の肌をした年若い娘が決然と立っている。花飾りを髪につけ、赤く鮮やかに染め上げられた布をまとっている。
 半裸の若者が、その前にあぐらをかいて座っている。 
 大勢の村の男達が三人を取り囲み、白く大きな目を注いでいる。長老が何事かを皆に向かって発すると、男達は沈黙した。
 長老はたっぷりと息を吐き出してから、鼻に刺さっている長い棒に手をかけた。そしてゆっくり、ゆっくりと引き抜いていく。棒が抜かれる方向に鼻の脇の肉が引っ張られている。最後にそっと抜き終わると、長老はその棒を丹念に眺めた。
 棒の先端は鋭く尖っている。
 長老が何事か若者に話しかけた。若者はうつむいて、握りしめた右手を老人に差し出した。親指だけがぴんと上に伸びている。
 長老は若者の手をとり、親指の爪と肉の間に棒の先端を当てがうと、そのまま突き刺した。
 若者はグラアゴと叫び声を上げた。それでも逃げずに痛みに耐えていた。
 長老は少しずつ棒を爪と肉の間に通していき、根元まで達すると最後に一気に跳ね上げた。爪が血と供に跳ね飛んだ。
 すかさず娘が寄って来て、草を親指に縛り付けた。男達は歓声を上げた。
 長老の宣言により祭りが始まった。村の者皆に酒や家畜の肉が振る舞われた。人々は輪になって踊り、歌った。
 その日の晩、親指に草を巻き付けた若者は、むしろの上で娘と抱き合っていた。若者は獣のようにオホウホウと雄叫びを上げた。


風の谷のナントカ 船渡川広匡


 巨大な蝉が電柱の上の方にへばりついていた。
 体長はゆうに二メートルはある。羽の部分を入れたらもっとだろう。それが今、壊れた火災警報機のようにオーシツクツクボーウシと鳴いている。
 僕は両耳を手でふさぎ、その様子を眺めていた。
 道の向こうの方からスーパーカブがこちらに走って来た。ジェットヘルとゴーグルで顔はよく見えない。青いワンピースが風でひらひらしている。僕の近くまで来ると、ゴーグルを外した。少女だった。
「なんて立派な蝉!」
 少女はそう言いながら筒のようなものをポケットから取り出し、片手で上にかざした。スーパーカブを軽く走らせると筒に風が入って行き、キーンと超音波のようなものを発している。
「森へお帰り。ここはあなた達の住む場所じゃないわ」
 少女は諭すようにやさしく言った。
 アクセルをふかして少女は走り去った。蝉はスーパーカブの後を追って飛び立った。
 僕はさっき起こった事をぐるぐると考えながら、独り住まいのアパートに帰った。
 玄関のドアを開けようとしたら、鍵が開いている。閉め忘れたのかと思いつつ中に入ると、部屋全体にコケやシダなどの植物が繁殖して一面緑になっている。しかも巨大な蝉の群れが張りついていて、それぞれがまるで朝の灯台のようにけたたましい音で鳴き始めた。
 僕はとっさに部屋を出て玄関のドアを閉め、外から鍵をかけた。
 これは一体どういう事だ。
「森へお帰り」
 青いワンピースの少女がフラッシュバックする。
 改めて表札を見ると、「森」と書いてある。
 そうだ。おれは森なのだ。


肉人間 船渡川広匡


 救急車のサイレンの音がやけに近くまで来ている事に気づいたのは、夜の高円寺のアーケード街にあるレストランで食後に読書に没頭している時だった。窓越しに店の外の様子を伺うと、叫び声やら逃げ惑う人々やらで騒がしい。
 道路の真ん中に極端に太った全裸の人間が立っていた。体中に贅肉がだるだるについていて、頭は丸坊主。性別はさっぱり分からない。肉人間だ。
 と思った時、そいつと目があった。実際には贅肉のせいでどこが目とも鼻ともつかないが、明らかにそいつは僕を見ている。
 その時、一人の警察官が小走りにやって来て拳銃を構えた。何やら叫んでいる。肉人間は構わずそのまま近寄って行くと、自分の腹の肉をちぎって警察官の顔面にべたりとはりつけた。肉は男の顔面に一体化し、贅肉だらけになって目も鼻もうずもれてしまった。倒れてうめいている。
 それから肉人間は肩をいからせてほっほっと歩きながら、自動ドアを通って店内に入って来た。店内は騒然となった。僕は残りのコーヒーを飲みながら、そういった辺りの様子を自分でも意外な程静かな心持ちで眺めていた。
 肉人間はそのまま厨房に入っていき、自分の腹の肉をぶちゃりと手でもぎ取ると鉄板に乗せて焼き始めた。ジュワーと肉の焼ける音が聞こえる。意外にも手際良く塩胡椒を振っている。時折油が跳ねるらしく、両足をじたばたさせながら手で腹をこするなど奇妙な動きをする。
 やがて焼き上がった肉を鉄板に乗せ僕のテーブルに運んで来た。肉人間は僕の顔を見て、笑っているように見えた。
 僕はしばらく思惑していたが、あきらめてフォークとナイフを使って肉を切り分けてから、肉を念入りに観察した。白い脂肪の塊だ。よく火が通っている。
 思い切って口に運んだ。でろりとした食感。少し飲み込んだ後吐き気がして、床にばへっと出した。
 そこへ武装した警察官の連隊が盾を構えて突入してきた。
 警察官達は素早く近づいて来て、肉人間と僕を強引に取り押さえた。もみくちゃにされる中で、なぜか僕の服がちぎれて脱げた。警察官達はそのまま店の外に止めた護送車に僕達を連行しようとした。
 その時、店内の窓が鏡のように反射して、自分の姿が見えた。
 髪がばさばさに抜け、裸になった上半身が、だるだるの贅肉で覆われていた。

HiYoMeKi Vol.1

2012年4月24日 発行 初版

著  者:HiYoMeKi同人
発  行:アイ文庫

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水城ゆう

東京世田谷在住。
NPO法人現代朗読協会代表。作家、音楽家、演出家。
朗読と音楽による即興パフォーマンス活動を1985年から開始。また、1986年には職業作家としてデビューし、数多くの商業小説(SF、ミステリー、冒険小説など)を出している。しかし、現在は商業出版の世界に距離を置き、朗読と音楽を中心にした音声表現の活動を軸としている。
世田谷文学館と共同開催している学校公演「Kenji」や「Holmes」では脚本・演出・音楽を担当。この活動は文化庁の協賛を得ている。ほかにも小中学校、高等学校など、学校公演、朗読指導を数多くおこなっている。
現代朗読協会の表現ゼミでは、テキスト表現を含む表現行為全般の研究をおこなっている。この『HiYoMeKi』もその活動のひとつ「次世代作家養成塾」から生まれたものである。

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