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まえがき
今現在
明日
写真
山
美
愛情
自然
自然2
人
女
美2
デジタル写真
アナログ写真
無い時
資本主義
パチンコ
修正
アート写真
アーティスト
木村伊兵衛賞の終焉
出版
芸術
芸術とデザイン
派遣社員生活
ちょっと思いついて今まで見てきた感じてきた事をそろそろまとめて見たいという、思いつきでは有るのですが自分なりの文章で自分なりの感じ方で書いてみようと思います。
プログ風エッセイ写真集とでも言いましょうか?
ご意見ご感想あれば書き込みしてください では・・・よろしく
今現在、何をしても手が着かずこれを書いています。
公園をぶらつくと家族連れがゴールデンウィーク最終日をゆったりと満喫しているようだが、私はそうはいかない、とりあえずお金が全く無く食費もままならない状況だ。
タバコも昨日から吸っていないのでなんだか手持ち無沙汰でイライラする。
まぁー自分でそういう状況に追い込んだのだからしょうがないけど結構きついです。
まるでちょっとした断食しているような感じ。イライラもするけどでもちょっとこれ気持ちいいです。
5月1日火曜滋賀県は余呉湖に行ってきました。自転車でそれも寝ずに往復30時間
雨の中筋肉痛で足のあがらないまま帰ってきました。朝の余呉湖の写真を撮りたいと思い
出たのはいいけどかなり大変でした。
でも、なんかちょっとした達成感からかもしれませんが目の前の風景が少し違って見えてきました。突飛子に変な事をすると今までに味わった事の無い感覚に襲われる事は今までもありましたが今回はなんか口では表す事ができない感覚です。
明日、ゴールデンウィークも終わり最初の仕事になるが気は重いようなうれしいような
複雑な時期だ。
というのも今月で派遣の期限が切れるからだ。世に言う派遣切りはこれで2度目である。
会社都合のこの派遣切りは前回の派遣切りとは様相が違う、前回は世間で言うリーマンショックによる物で会社としては派遣社員を残す考えであったが株主がその考えを払拭したため一旦解雇という形を取ったにすぎないとの説明だった。当然そんな意見を受け入れる訳が無いが悲しいかな受け入れざる負えないのが派遣社員の今の現状である。
しかし、今回の解雇は少し様相が違う。
最近の円高による海外での製造に切り替える動きがある私が勤める会社もそれと同じです。そこには色んな思惑があるようでここに書ききれない事が噂としてあがっているのも事実です。それよりも・・・ 9.11事件から3.11の災害?があり最近の自分の身の回りの事から察するにもう。世界が少しづつ壊れっていくような気がしますニュースで見た9.11の映像を見たときはっきりと世界が崩壊していくなと感じました。
今日は写真を撮り始めた頃の事を書こうと思うのです。
親のカメラを借りて小学生だった妹の体育祭で初めてシャッターを押したときの感触が忘れられず、1年後カメラを買ってもらったのがきっかけでした。
カメラを手にし、何を被写体にしたらいいのか分からず家の近くを散歩していました。
いつもと変わらない風景の中に突然、小さな花の群れに合いました。
子供の頃から遊んでいた田んぼ道にそれはありました。
私は、立ち止まりその花に見入っていました。
こんな所にこんなに花が咲いているなんて今まで気づかなかったのです。
ほぼ毎日のように遊んでいたのに気づかなかったのです。
そして私はあたりを見渡していました。
そしてあたりの風景がモノクロからカラーに変わったような感じがしました。
それから、30年今も写真を撮っています。
小学生の頃、郷土民話集に私が住んでいた地区の民話集がありまして、私と友人Aとでその民話の場所を特定しようと裏山に行きました。
話は、龍が松の木の上で休んでいる所に松の木の下でタバコを吹かしながら休んでいた人がいてそのタバコの煙で龍が涙を流していたという話でした。あらすじも忘れてしまってそのシーンしか思い出せないのですがとりあえずその松の木を探しにいきました。
といっても、小学生であっても龍がいてその休んでいた場所を探すのが馬鹿げた事だと言うのは重々承知でしたがそれど行きました。
何故、言ったのか? それは今では不明ですが何となく自分の今写真を撮っている行為そのものと変わらないように思えます。
「美しい」光景を経験したことがあるでしょうか?
文章やシチュエーションどんな媒体や自分の経験の中で美しいと感じ泣いた経験があるだろうか
大抵感動的な感じはあっても純粋に美しいと思って涙を流す場面は人生の中でそんなに無いのかも知れない。祖父は吉野と高野山の狭間の山の中で祖母と二人で農業を営みながら生活していた。
ガンが発覚し長い闘病生活の中で、祖父は息絶えた。
あっけないくらい臨終は訪れそして葬式も終わりに近づき最後の対面に飾られた花を一輪、棺桶の中に花を手向けた。花々がおかれていく様は花々が咲き乱れていくように見えその中に屍が横たわっているそのとき、私は初めて泣いたのだ。
臨終の時も、それからも何度か泣きそうになったシーンもあったがその時の涙は爽やかな涙でした。それから、時間がすぎてはたと思いつく。
これが、美しいと言う事だと・・・
写真学校を卒業した私は就職はしませんでした。
普通、東京のレンタルスタジオなんかに入ってアシスタントから下積みして、と言うのが一般的でした。私には海外旅行をしたかった事と「知りたい事」が1つありました。
それは当時の学校のA先生の作品と私の作品といったい何が違うのかを知りたかったのです。
当時、学校の授業ではA先生が以前から撮影されていた場所を撮影していました。
しかし、腑に落ちない事がありました。レンズもカメラもそんなに違わないのに何故か印象が違っていました。それは技術云々ではないように感じました。では、何が違うのか?・・・先生の中にあって私に無いもの・・・
その頃流行っていたフリーターになったのはその何が違うのかを知る為でした。就職して東京に行く事も考えたのですが当時の私は臆病で(今もですが)東京と言う街はなんと言うか色で例えると色んな色を混ぜ合わせて真っ黒にしたような感じでした。ニューヨークやパリと聞けば創造で「何となくこんな感じ」と創造出来たのですが何故か東京はそうならなかったのです。そして、真っ黒の東京では、それが何であるかが分からないまま人生を終わらせる事になるだろうと感じていたからです。
それから、数年がたち。
私は旅行で撮影する事を半分諦めていましたその頃はバックパッカーが流行っており、中国のシルクロードしか行ってませんが日本人旅行者ばかりで呆気にとられてしまい嫌気がさしていました。それで祖父の死をきっかけに実家のあたりを撮影し始めました。しかしここでも問題がありました。日々変わり行く風景、道路の開通でコンビニや真新しい住宅が建ち始めました。何かがこれまで見てきた風景と違っていました。そんなときA先生がテレビのニュース番組に出ているのを偶然見かけたのは。
A先生は、大阪の大正区の大阪ドーム(今は名前が変わっていると思います)の近くで撮影していました。そして番組の最後に大阪ドーム(今は名前が変わっていると思います)を望みながら話の内容は覚えていないけどドーム球場を眺めながら微笑みながら喋っていました。私はこれだ!、と、確信しました。
これが、愛情と言う事だろうとそしてこれが私が知りたかった事だとはっきり自覚しましたそういう歓喜深い思いと同時にいわれの無い焦燥感にも似た感情がある事に気づきました。私は20数年間愛情いう言葉の意味を知らずに生きてきたのです。恥ずかしいやら情けないやら挫折感でいっぱいになっていきました。
所謂、LIKEとLOVEとを同じに考えていたのかもしれません。LIKEはあくまで気持ちの上では一方通行ですがLOVEでは双方向に気持ちが働きますときには我慢しなければならない事もあります。けれどLIKEは一方通行なので我慢のする事はあまり無いと言えます。子供ですね。しかし
そういう人が結構自分の近くにますし世界中にも大勢いることに気づきました。その原因は色々あると思うのですがやはり戦争や経済社会や科学、医療などの急速な発達の中での出来事だと思います。私たちの年代はいわば戦争第三次的被害者であり精神的な一種の病気だと行っても過言ではないと思います。また、私たち(40歳前後)の祖父の年代の方はもちろん両親の年代(70歳前後)に至っては生まれてからの事を思えば天と地の差もあるくらいでそんな社会の中で精神障害を起こさない方がすごいなと思っています。そしてここに来てエネルギー問題、放射能汚染でこれから先この子供的自己中の人々がこれからの世界を担っていけるのだろうか?
ある写真雑誌の冒頭に、A写真家の「ネイチャーフォトの7か条」なるものが掲載されておりそれをを高校生のときに読んだ事がある。最初の項目に、「ネイチャーフォトの中に人工物を排除せよ」というのがあった。その言葉どうり人工物を写真の中に入れると汚いと言う事だろうが、その言葉がやけに記憶に残っているのは自然と言うのはそんなちっぽけな物だろうかという事と逆に人工物は入れるべきだという思いが今の写真作品を撮る上で通低している考えであるからだ。
それから数年後、都市部の学校に通うようになりました。
辺りは一面のコンクリートとアスファルトで埋め尽くされおり、そこから創造する未来像は廃墟や浮浪者ばかりでした。夜景の見える山なんかに登りとその明かりのある所はほとんど土の所はなく
また、コンクリートは海までも覆い尽くしている。臨海工業地帯には軍艦のような工場が浮かんでいる。いったいこれらが何を育むと言うのだろうか。
「人工物」私はこれを「欲望物」と解釈している。
それは、人工物のほとんどが人の欲望から出来ている物だと考えているからです。
そして、自然は美しいと言う人が多いけれど、
私は、自然は普通だと思っています。
幼い頃上った山道を、再び訪れる
山道を見上げると
木々のざわめきの隙間から太陽の光の射すそのさきに
何千、何万、何億、何兆の
生と死の世界が確かにありました
だけれども
ふと、目の前の枝を1本つかみおり
自分に問いかけてみる
この枝は生きているのか、死んでいるのか
そして、もう1度山道を見上げてみる
そして思った。そんなものは無いと言う事を・・・
小学校6年にあがって間もなくのこと、いつものように道を隔てた向かいにいる友達Aくん家にいつものように遊びに誘いにいったのだが、出てきたのはそこの母親だった。
その母親は扉を開けるなり一言、
「もう、Aくん中学校に上がって勉強せーなあかんからもー遊びに来んといて!」
そう言うと扉をびしゃっと閉めてしまった。Aくんとはそれ以来1度も言葉を交わしていない。しかし、母親に言われた一言は当時少年だった私には当然の事ながら傷ついたのは言うまでもないがだからといってそれが原因でAくんと話さなかった訳ではない。では何故かと言うと、Aくんと話さなくなった理由は、1年後見たAくんの目が明らかに別人だったからだ。
A君の身に何かが起こったのは確かだろうと推測の域を出ませんが、その当時の私の印象はそうでありました。しかし、ただの感だけで行っている訳ではありませんでした。それは、Aくんの母親の潔癖性を目の当たりにしていたのが大きな要因にあるのです。
その当時のAくんの家は旧家で家の中の廊下は全て土間でした。土間なんかのある家なんか最近実家の近所もほとんど無くなりましたので共感できる人も少ないでしょうけれども、例えば都会の真ん中にある学校の運動場なんかの土ぼこりで近隣の住民が迷惑している・・・なんていう話も聞いた事があると思いますがまさにそのような事が家の中で起こってしまうのです。Aくんの家は当然のごとくその母親によって家の扉と言う扉は閉め切られています。そして土間と土間の交差する所は必然的に袋小路になり風がほとんど通らなくなります。すると袋小路になった土間は乾燥する事無くカビや細菌が発生してもおかしくない状態なのです。そして袋小路になった扉を開けると呼吸も出来ないくらいに空気が腐っている事がしばしばあり私はいつもそこを通る時は息を殺して通るようにしていたくらいです、けれども当のAくんのいえの人たちは何も無かったかのようにそこを通り抜けていくのです。そのような事があってAくんの家は何かおかしい、と、いう観念がそれまでに私には根付いていたのです。
しかし、この事は母親だけの問題であろうかと最近になって思うようになりました。それは、潔癖性と言っても最近のお嬢様気取りの女の子に見る潔癖性と何か違うように思うのです。決定的に違うのは年齢すなわち世代の違いからくるのではないかと言う事です。Aくんの母親の世代は戦後から高度成長を抜けてきた所謂団塊の世代にあたります。Aくんの母親が生まれた当時の家は当然今の建て売りなんかの住宅に比べれば汚い事は明白で掃除なんかも今とは比べようが無いくらい大変な作業の1つであっただろうと思います。そうみんな必死になって家を守っていたのだろうと思います。そう考えると問題は違う所にあるように思えて来るのです。
あれから、もう30年が過ぎた今もその真相を確かめる事は出来ないでしょう、けれども、私の今の生活の中でもおそらくその問題はつきまとっているとなぜか確信めいた物が心の中にあるのです。
少年の小さな眼の中にその真実が隠されている
その事実をこれから何人の大人たちがその眼を見つける事が出来るであろうか?。
1円女と私は名付けていのですが、もう10何年前の事、電車の改札口で女性が1円玉を落としたのです。私はてっきり当然御ごとくその1円玉を彼女が拾い上げるとばかり思っていましたが予想に反してその女性は転がっていく1玉を一瞥するとそそくさと何も無かったように去っていったのである。私は咄嗟に「この女簡単に男捨てるな」という何も根拠の無い感想を抱いた。
それは、今になっても記憶に残っているのが自分でも不思議なのですがあえて今考えるとこの無責任な行動にある程度の嫌悪感を抱いたのは否めない事実です。
その事は、やはり今の自分に照らし合わせての事なんじゃないかそう思わざる負えない今の私の状況所謂派遣切りで失職中でありその原因はやはり派遣先の無責任な態度に共鳴する物があるように思います。人と人とがかかわり合うと言う事に何故こんなにも無責任でいられるのか深い思いが募ります。
ある写真集の冒頭にこんな言葉があったのを思い出す。
花は咲いている時
美しいく綺麗だと言えるが
枯れた花には綺麗だと言えない。
しかし、枯れた花が一生を終えたと言う観点から言えば
それは美しいと言えるのではないか
デジタル写真かアナログ写真かなどと言う論争じみた事があるけど私にとってはデジタルであろうがアナログであろうがどうでもいいのですが技術が進歩して「見る」が「観る」に変われるのではないかと私個人は期待している。何故なら、自由に撮影できる事はアナログ的な技術面からの解放でありめ「目」そのものになれるからだ。これまでの写真界では技術面を重要視するがために内容を疎かにする傾向にあったように思う。2、30年前まではそのやり方でも通用したのかもしれないが、真実がなかなか表に出て来ない今の世の中を切り取るには「見る」を「観る」に換えたとき隠された真実がひょっこり現れないかと期待している。対照を観ると言う行為はただ単に目の前の事物を見る事では無く自分と言う主観のもとに観るのだと思うそれを捨て去り眼球に注ぎ込まれる光に純粋に反応したとき初めて「見る」から「観る」に変われるのではないかと思います。

前項ではデジタル写真の未来を期待したけれどアナログも違う観点から言うとまたその良さも分かって頂けると思う。
負の思想・・・聞いた事のある方もいらっしゃるかもしれないが松岡正剛氏や藤原新也氏からの受け売りである。負の思想をここで語るよりは前者の方々の著者やホームページで確認されるといいでしょう。私もこの事に関しては熟慮中でありまたの機会にしたいです。
読まれた方は、考えなどあれば聞かせてくださればうれしいです
雪や恋し、雪や恋し
汗ながれる季節に思い
お日様恋し、お日様恋し
火燵の匂いに思い
花恋し、花恋し
枯れ葉舞う風舞う木枯らしに思い
腹減った、腹減った
杏の実をつつくもずくがつつき
金欲しい金欲しい
思っているときに心潤う
今現在、完全に失業しているので何を書いていいのか分からないくらい書く事があるのですが、道表現したら分からないのでゆっくり書いていこうと思います。
今回は、失業している事もあり仕事に関して少し書きたいと思います。
私は、これまでフリーターとして現在まで来ているのですがそれは、ある事がきっかけでフリーターを続けていくきっかけになりました。
それは、実家のあるディスカウントストアーで働いていたときの事でした。
敏腕社長として普通の酒屋からディスカウントストアーに衣替えした店は瞬く間に成長したのですが私がそこに勤めて2年ほどしたときの事でした。
2年もすると店の事も例えば店内のディスプレイなどもある程度自由にさせてもらえるようになり
みんな半分は遊び心を持ちながらやっていました。それを見ていた社長がいきなり自分も何かやりたくなったようで、社長室のテーブルを自作すると言いだしたのです。しかしそんな事は社長ならばすぐにやってしまいそうですが社員のみんなが口々にやめてください的な感じになったのです。
しかし、社長はさっさと材料を買ってきて作業をし始めました。そして見ている事30分なんと
これで、出来上がりと言ったのです。その作り方は思いもよらぬ作り方でしたそれは4本の机の足の部分の上に板を乗せその上から5寸釘1本打ち付けただけの物でした。当然、創造できると思うのですがすぐに足の部分は持ち上げた瞬間に落ちていきました。そのときの顔と言ったら今でも覚えています。
経営のエキスパートみたいな感じで私以外の社員たちはそう思っていたみたいですがその実、
ただの、バカ殿様だった気がします。それ以降この事が頭の中にいつもあり他の仕事に就いても
この現象はあまり消える事が無かったのです。
例えば資本主義では誰もがある程度の資本があれば会社を設立する事が可能です。しかしそれがまた裏目に出る事も事実としてあるように思えました。それは、社長みんなが社長としての気質を持っているかと言うとほとんどの人が持ち合わせていないのが現状です。
これが資本主義国家の日本の現状であり、この国の未来は作られた机のようにぼとぼとと落ちていくように思えるのです。・・・本当にこわいですね。
今日は、天気が悪いのでパチンコに勤しんだ。と、言い訳をして最近毎日のようにいくのだがなかなかドキドキして面白い?と最後には「?」マークがつくのです。それは、何故かと言うと私自身はパチンコと言う物がどうしても理解できないギャンブルだからです。はた目には、言ってみれば壁に何時間も向かって殆どと言っていいほど動きません。これは現在の座禅修行なのかと疑ってしまうほどそのたたずまいは異様としか思えませんでした大音量の中タバコの煙で空気は悪いそんな中パチンコに勤しんでいるのは結構年配の方がいます。年金もらいながらの余生を大音量で空気は悪く全くと言っていいほど動かないのの全く持って精神的にも身体的にも悪い事この上なくおもいます、また若者にとっては仕事が無くあっても賃金の安い仕事であればパチンコでもそれなりに資金があれば少しくらいの蓄えが出来るくらいに勝てるみたいでそうなると仕事をすること自体ばかばかしくなってきて当然かもしれません。そんな風景を見ていると現代人の精神的な脆さ弱さが如実に顔や背中や体全体から感じられます。こういう負のスパイラルから脱出するのは案外大変なのかもしれません。
前の項目を自分自身で読み返してみると、支離滅裂な文や結構考えて書いているつもりですが、なかなか思うように文を書く事が出来ずにいる、本当に穴があったら入りたいような分で読んで頂いている方に申し訳ないと思っていますそう思って書き直そうと思っていたのですがやはりそれはそのときの私の本性であり私そのものだと言う結論からこのままにしておきます。
これからもよろしくお願いします。
雨の京都の中、ギャラリーを訪ねてようやくたどり着くと、「あと1、2分で作家のイベントが始まります」と言われ、折角なので有料との事だったけれども少し見ていく事にした。
イベント自体は作家とギャラリーのオーナー、そして版画の刷り師の女性の3人でのトークイベントで最初は雑談のようなトークがつづくのですがその雑談の途中作家の写真の内容に差し掛かった時、ギャラリーのオーナーの言葉に違和感を覚えたのです。
作品は、海中に人を潜らせて水中撮影しているのですがギャラリーのオーナーが「若い世代だけではなく違う世代も面白いんではないか」と言うような発言があり、作家はその言葉を鵜呑みにしたかのように年配の方の写真を展示していた。当然、二人の間にどういうやり取りがあって写真の内容に言及したのか詳細は不明なのであえて前置きしておくのですがしかし、このやり取りから感じた事は今のアート界や出版界が低迷する要因があるように感じられたのです。
表現する事にあったて主導権を持つのは当然作家にあると思うのですがこのやり取りからはギャラリーのオーナーから作家絵への示唆と言うよりは指図が見られ主導権はギャラリーのオーナーにあるように感じました。しかし、指図する事が問題ではなく指図される方に大きな問題があるように思います。
作家としてやはりギャラリーのオーナーに言われる前にそれなりの作品への思いや、作品にかける情熱みたいな物が見られない事の重要性に作家本人が気づいていない事に最大の要因があるように思いますしかし作家としても食べていかなくてはならないそうなると自然とギャラリーのオーナーの言いなりになるしか無いと言う構図が自然と出てきても無理は無いように思うだけども・・・生活が安定しなくてもやらなければならないと言う使命感にも似た精神で作品に取りかかり生活のステイタスを失ってでも作品にかける思いや情熱を持ってギャラリーのオーナーに立ち向かう勇気を持たなければ今の経済的なアートとしての写真が成長していくにはまだまだ先のようである。
ギャラリーのオーナーがトークの中で「僕には作品を写真集にする時一定のレベルがある」と言っていた。私としてはそんなレベルなんか壊してしまえと言うのが持論だ。何故ならアートは自由でなければならないと信じるからだ。
そういう、些細な事柄から今の社会を見ていると本当に欲しい物が無い大金を出してでも手に入れたい物が無い家電製品なんかは特に発売当初からその基本的な原理は変わらずただデザインや多少の機能が増えただけでそんなに変わらないのが現状だと思うそれはiphone5なんかが発売されるやすごい争いで手に入れたがる消費者の真相を思うと本当に欲しい物を探しているような気がする。そんな事に気付かず自分のステイタスだけを気にしていると本当に厄介な事が起こりそうで・・・わくわくする
世にアーティストと呼ばれている人はたくさんいるが、例えばメジャーで活躍している歌手なんかが最近アーティストと名乗ってまた呼ばれているが、私から言わせてもらえばただの歌生産者に過ぎないと思っている。そう、そこにはチャレンジという言葉にそぐわない歌たちばかりが氾濫している。アティストとは、自分自身の中に1本の基軸を持ちそれを基底に様々な表現方法で普遍的で道徳的な事象に対して紳士に向き合い世の中に提示できうる作品を残していく事であるという持論が有る。
歌手に関して言えば、いい詩も有るしいい作曲、アレンジもある私自身も思い出の曲もある。
しかし、アーティストと呼べない理由は、自分の世界観から抜け出せていないこと、もっとひどに物になるとカラオケで一般人が歌う為に作られた歌なんかも存在する、まじめに音楽の事を考えている人もいるのに情けない話である。
その要因は、経済社会にあると言わねばならない。社会のニーズに合わせていけばおのずとそうなってしまうのは当然かもしれない。
アーティストの定義に関してはまだまだ考えていかなければならないが、一般市民に合わせているようではこの世界も危ういなぁーと思っています。
写真の世界でこの賞を知らない人はいないほど有名な賞であるが今は以前のような未来を感じさせるような作品が出て来なくなった・・・それは何故か?
一つには審査員のそう入れ替えがが有りまた審査に朝日新聞の社長がどういう形かは分からないけれど関与していると言う事が審査の結果に反映しているという情報が有るこの情報には一つの信憑性が有るそれは以前の審査委員がそう告白しているからだ。そして審査員が変わってからの受賞者の中にはある疑惑が私の中に湧いてくる。
一応、受賞者にして実名は公表しないがここではD氏としておこう。
このD氏は父親も写真家でまたある専門学校の校長でもあり最近、賞も取られた有名な方であるが
そのD氏の父親が専門学校の校長でありまた有名写真家という地位を利用して朝日新聞の社長に接触し何らかのやり取りがあって・・・・というような創造は難しくないように思うとても残念な事だ。
最近の写真集の出版傾向について思う所は、所謂、売れ筋といった世間のニーズにあったと言うべき写真集が本当に多いそれは音楽業界にも言える事で、カラオケで歌いやすのりのいい歌が出され、またそれが売れているという現象が起こる事にとても危機感を感じずにはいられない。
写真集も同じ事で見ていて心地いい、さわやかで明るくこんなのが見たかったみたいな写真が一応に横行していると言わざる負えない状況であるように思う。
持論を申し上げさせてもらうと、出版するという事は、客がお金を払い買って頂くと言う事で、
当然、それには作者としての責任がかかって来るはずである。無料で個展などを開き観覧者に見せるだけでもそれは変わらない。見せる事によって何らかの影響を他者に及ぼすからだ。
このような、実に無責任な表現者があたかもアーティストとして利益を得ようとしている事実は芸術と言う物がいかに経済的活動に依存してしまい本来の『芸術』の意味から遠ざかって行くように思う。
今日の芸術は
うまくあってはならない
きれいであってはならない
ここちよくあってはならない
岡本太郎氏の『今日の芸術』(1954年発刊光文社)言うまでもなく名著である。
60年前に書かれたにもかかわらず新鮮でかつ明瞭な語り口は私の心をとらえた。
彼は言う
『芸術は毎日の食べ物と同じように
絶対的に必要な物、むしろ、生きる事そのもの』
本文から、自己疎外、楽しいが空しい、無気力、不条理、無意味さなどの言葉が出てくるそれらの言葉に現代人にも共通する所が有るのではないか?
また彼は言う
『全てのマイナスが逆にエネルギーとなって吹き出すのです』と
『失われた自分を回復するための最も純粋で、猛烈な営み。自分は全人間である、ということ を象徴的に自分の姿の上にあらわす。そこに今日の芸術の役割が有るのです』
内なる闇を表面化し、世界を見渡していく事がわたしの命題としてこれからの表現を模索して行きたいと思う次第です。
芸術とデザインの差は?と聞かれると腕組みしたくなる心境ですが、私個人の考えでは自然の中に人がいるという芸術と、人があって自然が有るとするデザイン、という事になるでしょう。
芸術とは?デザインとは?・・・一言で説明する事は容易ではないし時代が変わってくるとそれぞれのあり方も変わってきてしまう。答えはあってないような物つまり
自分で考えなさいという事だろう。
派遣社員を15年やって来た。
そして、要約社員になれたと思っていた。
なって初めてわかることがある、
やって初めて感じることがある。
それは、1人1人の人に対してどう接していくかがとても難しいことだ。
そして、それを克服するには自分という人間がどう在りたいかということを漠然とでもいいから強固に持つべきであると感じた。
それを実行することで15年の派遣生活に終止符を打つ。
We must live
We must live
We must live
2012年6月23日 発行 初版
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ビジュアルアーツ専門学校大阪校卒業(前大阪写真専門学校)
EPSON カラーイメージコンテスト入選
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