現代人のストレスマネージメントに大変有効な「音読療法」に使うための文学作品を引用して、「ひめくり」で毎日利用できるように集めてみました。また、著者による葉っぱや花、日常生活のなかで見かける物や風景のスケッチを織りまぜつつ、音読療法の解説やヒントも記しています。
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この本はタチヨミ版です。
ひめくりカレンダーのように、毎日一篇、文学作品の抜粋や歌の歌詞を掲載してあります。
それを声に出して、できれば何度か繰り返して読んでください。
そのとき、目で文章を読んで頭で解釈して口で言葉にする、というだけでなく、身体全体を意識するようにします。足の裏から頭のてっぺんまで自分の身体があり、姿勢が保たれ、そのなかで呼吸が動いて声が生まれる。そのことを感じながら音読してください。
マインドフルネス (mindfulness) という心と身体の状態をたちまち作ることができます。
一日に一度これをおこなうことで、ストレスに対処できるしなやかな心身を作ります。
晴れ上がって急に暑くなった。 朝から手紙を一通書いたばかりで何をする元気もな
い。なんべんも机の前へすわって見るが、じきに苦しくなってついねそべってしまう。 時々涼しい風が来て軒のガラスの風鈴が鳴る。 床の前には幌蚊帳の中に俊坊が顔をまっかにして枕をはずしてうつむきに寝ている。 縁側へ出て見ると庭はもう半分陰になって、陰と日向の境を蟻がうろうろして出入りしている。 このあいだ上田の家からもらって来たダーリアはどうしたものか少し芽を出しかけたままで大きくならぬ。 戸袋の前に大きな広葉を伸ばした芭蕉の中の一株にはことし花が咲いた。 大きな厚い花弁が三つ四つ開いたばかりで、とうとう開ききらずに朽ちてしまうのか、もう少ししなびかかったようである。
——寺田寅彦『花物語』より「芭蕉の花」冒頭
◎呼吸を数えてみる
呼吸を観察する、といっても最初は漠然としてつかみどころがないように感じる人もいるかもしれ
ない。またそうでない人にもやってみることをおすすめしたいのは、自分の呼吸を数えてみる、というプラクティスだ。
吐いて、吸って、この一往復で「一」とカウントする。
時計を見るかタイマーをかけるかして、三分間数えてみる。その数を三で割ったものが、一分あたりの自分の呼吸数だ。
だいたい15回前後の人が多いようだが、それよりずっと少なくても、あるいはずっと多くても、異常だということはない。人それぞれ呼吸数はまちまちで、さまざまな数字が出てくる。その数字自体を気にすることはない。
とにかく、自分の平常時の呼吸数がどのくらいなのか、何度か計ってみよう。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
からたちのとげはいたいよ。
青い青い針のとげだよ。
からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。
からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかったよ。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
——北原白秋「からたちの花」
◎呼吸数の変化について
まずなにもやらない普段の安静時に、時々呼吸数を計って自分の数字を把握しておく。
次に、ホール・ブレッシングやボトム・ブレッシング、ストレッチ呼吸をおこなった後にその呼吸数が変化するかどうかを観察する。
生理的な原理にしたがえば、呼吸法がうまくできた場合、呼吸数はいくらか減少するだろう。呼吸法をおこなった後で呼吸数が増えるとしたら、やり方を変えてみたほうがいいかもしれない。しかし、減らなければならないと執着する必要はない。変化があるにせよないにせよ、それに意識を向け観察することそのことを大切にする。
多摩川の二子の渡しをわたって少しばかり行くと溝口という宿場がある。その中ほど
に亀屋という旅人宿がある。ちょうど三月の初めのころであった、この日は大空かき曇り北風強く吹いて、さなきだにさびしいこの町が一段と物さびしい陰鬱な寒そうな光景を呈していた。昨日降った雪がまだ残っていて高低定まらぬ茅屋根の南の軒先からは雨滴が風に吹かれて舞うて落ちている。草鞋の足痕にたまった泥水にすら寒そうな漣が立っている。日が暮れると間もなく大概の店は戸を閉めてしまった。闇い一筋町がひっそりとしてしまった。旅人宿だけに亀屋の店の障子には燈火が明く射していたが、今宵は客もあまりないと見えて内もひっそりとして、おりおり雁頸の太そうな煙管で火鉢の縁をたたく音がするばかりである。
——国木田独歩「忘れえぬ人々」より
◎足の裏を意識する
ヒトは大脳が発達したあまりに、いろいろなものごとを頭のなかだけで処理しようとする癖が身に
ついてしまっていることが多い。それがさまざまな弊害をもたらす。
たとえば朗読表現をやっていると、眼で活字を読み、その意味を大脳で処理し、口先で発音しようとする。使っているというか意識しているのは、身体の喉から上のほんの一部である。
すぐに気付いてもらえると思うが、文章を読みあげるとき、私たちは身体を使っている。呼吸や姿勢のことを意識していない朗読は、朗読者そのものが伝わりにくい。
そんなとき、足の裏を意識すると自分の身体のことを思いだしやすい。足の裏と頭のてっぺんの間に自分の身体が存在し、その全体を使って読んでいる、という意識が朗読を生きた表現にする。
こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然云った。自分も確にこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤のある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮に浮かんでいる。
——夏目漱石『夢十夜』より
◎深層筋を意識する
筋肉は身体の表面にあって強くすばやい動きを作るための表層筋と、身体の内側にあって姿勢や呼
吸を維持するための深層筋がある。
筋肉を鍛えるというと、表層筋を意識することが多く、負荷をかけて筋肉を収縮させることで筋繊維を太くする運動をする。しかし、深層筋はそのような運動では鍛えにくい。筋肉の性質が異なっているからだ。
深層筋は収縮させるのではなく、むしろ伸張させた状態で力を加えることで、鍛えることができる。つまりストレッチである。
さまざまなストレッチは深層筋を整えることに大変有効だ。
二月のある日、野中のさびしい道を、十二、三の少年と、皮のかばんをかかえた三十
タチヨミ版はここまでとなります。
2012年5月20日 発行 初版
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東京世田谷在住。NPO法人現代朗読協会代表。作家、音楽家、演出家。 朗読と音楽による即興パフォーマンス活動を1985年から開始。また、1986年には職業作家としてデビューし、数多くの商業小説(SF、ミステリー、冒険小説など)を出している。しかし、現在は商業出版の世界に距離を置き、朗読と音楽を中心にした音声表現の活動を軸としている。 世田谷文学館と共同開催している学校公演「Kenji」や「Holmes」では脚本・演出・音楽を担当。この活動は文化庁の協賛を得ている。ほかにも小中学校、高等学校など、学校公演、朗読指導を数多くおこなっている。 現在、音読療法協会の設立準備中。音読療法士の育成をおこなっている。