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3
スパゲティはイタリアの代表的なパスタのひとつだ。日本人がたらこを和えて食べたり、大根おろしとポン酢で食べたりすることをイタリア人はどう思っているのだろうか。おれは仮にイタリアで、シャリの上にチーズとベーコンとトマトが載っていてもなんとも思わない。それはそれで、ありだと思う。
ともあれ、おれは近所のスーパーで買い物をしている。仄子と一緒に、どの味のスパゲティを食べるのか思案している。スーパー入り口のすぐそばには野菜の棚があり、そこを過ぎてまっすぐ突き当りに魚介類が並んでいた。ボロネーゼを食べるには茄子が要り、ボンゴレを食べるにはあさりが要った。茄子とあさりは対立し合い、お互いを罵り合うように思えた。そして全てのスパゲティに必要な麺は固く乾燥して袋に詰められていた。その袋は乾物のコーナーに並べられており、隣には缶詰など保存の効く食べ物を並べた棚があった。おれたちは結局ボロネーゼを食べることにして、茄子とホールトマトとひき肉とを調達した。スパゲティの麺はずいぶん前に買い溜めたものがあるため、そのほかには何も買わずにスーパーを出た。
四時を軽く過ぎた午後の太陽は自らの老いに気づかない男のようにしぶとく照りおれたちを家路へ急かした。人気の少ない住宅街でひとつ角を曲がる度に陽は居場所を変え、それでもなお赤く照り続けた。仄子は変な歩き方で車椅子を押した。せせらぎが聞こえても涼しくはならず、また初老の光線は気温をさほど上げすぎるものでもなかった。ただすこし喉が渇いた。
スーパーからマンションまでの、二つ目の角を曲がったときに郵便屋とすれ違った。彼は例によって赤いバイクにまたがっていた。便りを運ぶ者に赤色を持たせることについて、おれは前々から疑問を持っていた。ならどの色がいいかと問われれば、結局、赤色に落ち着いてしまうためこの疑念を口にすることはあまりない。おれはそのとき仄子にも何も言わなかった。普段からおれたちはあまり言葉を交わさなかった。
猫も見かけた。猫は道に対して直角に走り、塀の下に空いたボウリングの球ほどの大きさの穴に逃げ込んだ。そんなことをしなくてもその家の門はいつも開いていたが、猫は決まってそうするものらしい。黒い体がそこへひゅんと吸い込まれるのを横目に、おれたちはやはりマンションへと向かった。
マンションに住んでいる。金はいくらでもあったが、ふたりで暮らすにはマンションがちょうどよかった。そのマンションにたどり着き、郵便受けを開けると手紙が入っていた。他にはチラシもはがきも無く、水色の封筒だけがぽつんと置かれていた。宛名はおれになっていたが、差出人の名前がなかった。仄子は不安がっていたが、おれはいつかこんなものが来るような気がしていたのだと告げて、部屋へひとりきりにしてもらった。すぐに読み終わるので夕飯の準備を、まだ少し早いのでゆっくり進めるよう言った。
おれはひとりで這いずり堅い椅子へもたれた。冷たい感触が背を責めた。水色の封筒を開けると水色の便箋が入っていた。おれはしばらくその紙を撫で、目を瞑った。実験的な時間だった。おれが目をつむるのは実験的だ。そう感じたのだった。仄子きっとボロネーゼのソースを作っていることだろう。スパゲティを茹でるのはそのあとである。茄子は一口大に切られている。おれは実験的に、ぐちゃぐちゃに絡まったスパゲティを想像した。どの麺も含めてひとつの塊になっていて、ある解き明かせない謎のように思えた。
背もたれが少し角度を緩めた気がした。
―完―
5
寂しい出発となった。生活保護下にあった祖父は、行政の手配で簡単な葬儀が執り行われた。五畳ほどの小さな部屋の棺に横たわった祖父を、私と両親と、祖父の兄弟たちが囲んで座った。安子の姿はなかった。祖父兄弟にもかなり久しぶりに顔を合わせることになったのだが、彼らも祖父と対面するのはずいぶん久しぶりだったようで、もう何も言わない祖父の前でただじっと固まっているだけだった。母の兄弟は、一人も来ていなかった。私の記憶の中の葬式とは、かなり違ったものになった。短い経を職員が唱え、すぐに葬儀場へと移動した。霊柩車、というよりは、小さな荷物を運ぶミニバンのような車だった。母は祖父の棺の隣に座って、棺の木目に合わせて撫でていた。私は助手席に座って、だんだん見えてきた丘の上の煙突を茫然と見つめていた。
あっけなく骨になった祖父を数個拾って、小さな骨壷を抱えて、私達は帰ることになった。本来なら長男である母の兄、私の伯父が引き取らなければならないらしいが、伯父は断固として拒否し、結局斎場にも現れなかった。祖父兄弟の中でも誰が引き取るか話していたが決まらなかった。それぞれ家があり、姓の変わっている妹や姉もいるからだった。机に置かれた祖父は寂しげで、兄弟たちの会話に耳を傾けているようだった。唯一血縁関係のない父は、その会話をしばらく黙って聞いていた。母も次第に何も言わなくなった。母は三人の自分の兄弟にメールや電話を何度もしていたが、効果は何もなかった。そのことに対して、祖父兄弟に「すみません」と何度も頭を下げていた。祖父の弟は「久美ちゃんが謝ることじゃあない」と母に声をかけていた。それでも祖父の納骨までの宿は見つからなかった。大人たちの会話に、私はとても苦しくなった。視線はどんどん自分の膝まで下がった。何度も同じところへ会話は戻ってきて、もう三度は伯父の名前が出て、抜け出せない迷路のように大人たちは頭を抱えていた。父以外は。母側の家族の中の祖父が、どういう人だったのかは分からない。きっと、好かれてはいなかったのだろう。けれど、もう、祖父は、いない。もう、祖父は、この目の前の小さな、小さな骨になった。死んだのだ。それなのに……。私は堪らなくなって骨壷を手にとって抱きしめた。その行動に、母も祖父兄弟も驚いたように私を見て、煩い会話は止まった。
「僕らが、お父さんを連れて帰ります」
私を見た後、父が彼らに言った。静かに、けれど強い口調で。
「もう、可哀そうです、お父さんが。確かに、お父さんは生きている時はひどいことをみなさんにしたのかも知れない。それは久美からも何回か聞いています。けれど、もう、お父さんは仏になったのです。亡くなってしまったのです。もう、許してあげましょう」
父がゆっくりと語るのを、祖父兄弟は黙って聞いていた。祖父の妹は何回か頷いて、涙を流していた。血の繋がっていない人の骨を、自分の家で預かるという、父の決断に、祖父兄弟は何度も感謝していた。祖父と同じ名字の祖父の弟は、納骨は自分の墓でいいと言ってくれた。私は父を見つめながら、小さな声で祖父に「よかったね」と言った。
帰る前に、安子の家に寄ることにした。祖父とどんな関係だったかは、結局よくわからないのだが、祖父兄弟の前には顔を出せない人ではあったようだ。なので、祖父の最後の姿を見せるために、母が連絡を取ったのだった。
「お母さん、安子さんのこと、どう思っているの」
私は母に尋ねた。母は小さく笑って、私を見た。
「そうね、お父さんの不倫相手だったのかもしれない、けど、最後までお父さんを世話してくれていたのだから、感謝しないといけない人ね」
母の言葉を聞きながら、父は黙ってハンドルを握っていた。
安子は骨壷を優しく撫でて、私達に深くお礼を言った。「無縁仏になってしまうかと思っていたから、本当に、良かった」と。そして少ないけれど、と、祖父の遺品を母に手渡した。二本の時計と、数枚の写真。祖父がこの世に残したものは、たったそれだけだった。
帰路の途中のサービスエリアで、私と父はコーヒーを飲んだ。母は疲れたのか、車の中で眠っていた。
「よかったの?」
「ん?」
「おじいちゃんの骨、こっちに持って帰ってきて」
「なんで?」
「だって、姓が違うし、お父さんとは血がつながってないんだよ」
私が言うと、父は一口コーヒーを飲んだ。
「でも、お母さんのお父さんだからな」
父の横顔を見て、私はこの父親の娘でよかったと思った。母もきっと、あの斎場での父の言葉に、嫁になってよかったと思ったかもしれない。
祖父の残した写真の殆どは、伯父の写真だった。一人息子の伯父が結婚していないことを、祖父は晩年も心配していた。母はその写真を見つめて、「お兄ちゃんに送ってやろう」と笑った。数日後、伯父から電話があって、納骨には行くと言ったと、母から電話がかかってきた。祖父の骨壷は、父方の祖父の仏壇を間借りしている。私はまた、コピー機と対面している。けれど、もうその機械と私は違った。生きている。死ぬまでが、人生。終わり方も終わってからも、人それぞれのページがある。祖父のページはクライマックスで少し色づいたのかもしれない。父の手によって。結婚の当時は娘を取られたと辛く当られたと父は笑っていたけれど。死んだ時、私の生が完成する。死んだ時、私の生が完結する。かん、せい。私はまだそこへはたどりついていない。まだちゃんとした靴も買っていない、素足で歩いている、人生の序盤。けれど腕には、かんせいした祖父の時計。ジャリ、ジャリ、道のりは長い。
―完―
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7
タロウの気配が消えたことに気付いたケンジは、恐る恐る目を開けた。どのくらい目を閉じていただろう。時間の感覚が曖昧になっていた。するとケンジは自分の足元が濡れていることに気付いた。なんぞこれ? と鼻を近づけてみると、くっさ! ケンジは後方に飛び退いた。それは自分の小便だった。ケンジはあの時、恐怖の余り失禁しながら気絶してしまっていたのである。それにしても我ながら臭い。そんなことを思いながらケンジは周囲に視線を巡らせた。やはりタロウはどこにもいなかった。ケンジは公園の時計を見ながら頭を整理した。
今は午後三時。気絶したのはおそらく午後二時頃。つまり一時間程、気を失っていたことになる。それにしてもどうしてタロウは消えたのだろう。本来なら、今頃タロウが目覚めた俺の顔を覗き込んで「やあ」と言っているか、背中の皮を咥えられながら倉庫に向かってズルズルと引きずられているはずだ。なのにどうして。ねえどうして?
ケンジはどうして自分がなんともない状態なのか判然としなかった。タロウは俺を見つけられなかったのか、とケンジは思ったが、すぐにそんなことは万に一つもあり得ないと思い直した。タロウは優秀な警察犬である。そんな優秀なタロウがあの距離で目標物を見失うはずがない。それならばあれが全て夢だったという方がまだあり得る。しかしケンジはあれが夢ではないということを確信していた。
予定ではあと三日はここで過ごすはずだったが、タロウに見つかった可能性が極めて濃厚となった今、ここに隠れていても仕方がない。ケンジはとりあえず倉庫に戻ることにした。
歩きながらケンジは暗澹とした気分になった。もうすぐ倉庫に到着するという段階で、とてつもなく不安になってきたのである。何がそんなに不安なのか。それはつまり、ケンジはタロウが仲間達と示し合わせ、自分を嬲り殺しにしようと企んでいるのではないかしらん、と思ったからである。ケンジが想像した恐ろしい殺害計画。まずタロウはあの公園で隠れているケンジを発見し驚愕する。しかし「こんな所で何しとんじゃ、説明しさらせ」とタロウが言う前にケンジは失禁しながら気絶。そこでタロウは、隠れていたということは間違いなく後ろめたいことがあるわけで、さらに気絶する程恐怖を感じていたということは、これは相当後ろめたいことがある、それすなわち仲間に対する背信行為に違いない、と解釈する。タロウは信頼を裏切られた上に、リーダーと慕っていたケンジがあろうことか失禁からの気絶というダブルブレイカーをかましてきたことに並々ならぬ怒りを覚え、ケンジの喉元を噛み切ろうとするが、一旦思いとどまる。こいつに裏切られたのは自分だけではない、仲間にもこいつの死に様を拝ませないと不公平だ。いかにも糞真面目なタロウが考えそうなことである。そこでタロウは裏切り者を倉庫まで連れて帰ろうと考える。しかし気絶した裏切り者を倉庫まで引きずって帰るのは大層骨の折れる作業であり、しかも運んでいる最中に裏切り者が目を覚まし、逃げられる恐れがある。ならばいっそ自分一匹で倉庫まで戻り、仲間達に裏切り者の存在を伝え、殺害計画を立てた方がいい。何故自分が無事なのか疑問に思いながらも、行き場のない裏切り者は必ず倉庫に戻って来る。そして倉庫に近づいたが最後、待ち伏せしていた仲間達が一斉に裏切り者に制裁を加える。よってケンジは死ぬ。と、タロウはとニヒルな笑みを浮かべながら企んでいるのだろう。いやああああっ!
このように、ケンジは自らが作り出した誇大妄想に怯えきっていたのである。しかし既に倉庫のすぐ近くにまで来てしまっていた。今のところ怒り狂った猛獣の類が襲いかかってくる気配は無い。もしかすると、倉庫の中で待ち伏せしているのかもしれない。そう思ったケンジは、とりあえず倉庫の窓からこっそりと中を覗き込むことにした。
少し歩くとすぐに倉庫が見えた。ケンジは恐る恐る倉庫へ近づき、窓の下に身を屈めた。そして中の様子を見ようと、ゆっくり頭を上げた。中ではミーティングが行われていた。仲間達は皆、ドラム缶の上に立つ者の声に耳を傾けていた。ドラム缶の上に乗ることができるのはリーダーのみと決まっていた。そして今ドラム缶の上に立っているのはタロウだった。ケンジは目をしばしばさせた。リーダーを交代するのは、現リーダーが自ら後任を選んだ場合か、リーダーが死ぬ、もしくは死んだ可能性が濃厚と判断された場合であり、なのになぜ、タロウは俺が生きていることを知っていながらリーダーをしているのだ、ふざけているのか、とケンジは思ったのである。しかし見ている限りタロウにふざけている様子は無く、むしろ真剣そのものであり、仲間達もタロウの話を同じく真剣に聞いていた。皆の前で話すタロウの姿はまさにグループのリーダーだった。 ここに来て初めて、ケンジは自分が死んだことにされていると気付いた。
8
弟分だったタロウに死んだことにされ、リーダーの座を奪われたケンジは、河川敷を一匹でとぼとぼと歩いていた。最早ケンジは完全に自堕落になっており、生きる希望、将来への展望、青空を「綺麗だな」と言える素直な心、その他諸々のポジティブな感情を無くしたゾンビのようになっていた。
もういや、もういやと呟いていると、前方から獣臭がした。前を見ると、野良犬がケンジと同様に虚ろな表情をしながら、とぼとぼと歩いていた。その野良犬はケンジよりも一回り大きく、ひどく汚れていた。すると、ケンジはその野良犬から懐かしい臭いがすることに気付いた。それと同時に、ケンジと野良犬の視線が合わさった。その時ケンジは気付いた。その野良犬はマサルだった。ケンジは少しずつ歩調を速め、マサルに近づいていった。
「マサル!」とケンジは呼びかけた。そこでマサルは前から近づいて来る野良犬がケンジであることに気付いた。自分に嬉しそうに近づいて来るケンジを見て可笑しくなったマサルは、彼に優しく笑いかけた。ケンジは少し泣きそうになった。
―完―
トレモロギターを尋ねて 第一回:Beach Houseとパスピエから見る、80年代ニューウェイヴ・ミュージックの奥深さ
はい、読者の皆さまこんにちは。今回からここで音楽評論を書かせていただく、坂野嘉彦と申します。以後、是非ご贔屓に。
今回から書かせていただきます、この「トレモロギターを尋ねて」ですが、主にロック・ミュージック、またそれから発展した電子音楽について、気まぐれに取り上げようと思っています。
思えば、60年代から始まった(ということにします)ロック・ミュージックですが、今ではロックの定型というものはほぼ無くなりつつあり、スティーブ・ライヒが2x5で行ったように、現代音楽の作家がバンド形式で自らの曲を演奏したり、電子音楽との境界が極めて曖昧なバンドがあったり、更にはRhapsody of Fireのようにロックとクラシックを融合してしまったりと、さまざまな形態が出来ています。
この評論では、そういったロックや電子音楽をその歴史を踏まえながら、その形態について出来る限り分かりやすく評論していこうと思います。今は、解散してしまったLCD Soundsystemのようにロックの素晴らしさを少しでも伝えることができればと思っています。それでは皆さん、しばし拙論にお付き合いください。
2012年になり、良い音楽との出会いはめっきり減ったように思われます。2008~10年辺りは週一ペースで素晴らしい出来の新譜を聴くことが出来ていたのに、2011年の後半辺りから、間違いなく、そのペースは落ち、今や一ヶ月に一回出会えるか出会えないかというペースになってしまいました。
Snoozer誌の廃刊という出来事は間違いなく、良い音楽との出会いという点に関しては間違いなく打撃を与えているでしょう。レビュー自体には興味は無かったのですが、取り上げられているバンド名を見て参考にするという点では有益な雑誌でしたから。
しかしながら、2012年になり、Snoozerが廃刊となったが故に、いくつか素晴らしいバンドを見つけることも出来ました。例えば、RevengeのScum.Collapse.Eradication。ブラック・メタル系統のバンドということなのですが、非常にアングラな作風で、、かなり即興的な趣が強く、突然呻りを上げるギターといい、ヴォーカルの歌い方といい、僕の中での「音楽」の定義を根底から揺るがすような作品でした。これはおそらく雑誌では取り上げられない部類のバンドでしょう。
他に、2012年によく聴いたアーティストを挙げるとすれば、Frankie Roseはよく聴きましたね。彼女の新作は本当に素晴らしかった。80年代のイギリスのネオ・アコースティックと呼ばれるバンドへの憧憬と敬意が本当によく感じられ、それを上手くアメリカのバンドらしくまとめあげていました。
アメリカのバンドの80年代への傾倒、レイドバックは近年ますます加速しているように思われます。一種の懐古主義とも言えるでしょうか。Frankie Rose以外にもNeon IndianやThe Drumsなど、80年代の音楽に着想を得ているバンドは枚挙に暇がありません。
今月新作を出した、Beach Houseもそういった80年代懐古のバンドの1つと言えるのかもしれません。特に、新作の「Bloom」は本人たちもNMEのインタビューで答えているように、The Cureの「Disintegration」のような作品を意識して作ったということで、80年代のダークさがよく感じられる作品になっています。それ故、"Cocteau Twinsっぽい"と一部の音楽ファンから言われるのもうなづけます。Cocteau Twinsもその始まりはThe CureやSiouxsie & the Bansheesのような80年代のゴシック・ロックから生起してますから。
しかしながら、Beach Houseの上手さはそういった要素を上手く60年代のサイケデリック・ロック、特にThe Beach Boysの良さと上手く組み合わせていることです。Beach HouseにThe Beach Boysの要素が通奏低音として流れているというのはその名前からも自明のことでしょう。(実際、今作も「Pet Sounds」のような作品を目指したと上記のインタビューで答えています)特に終盤の2曲、「On The Sea」、そして「Irene」なんかは「Pet Sounds」を思い起こしながら聴くと、すごく感慨深いものがあります。
そう考えるとこの「Bloom」の曲順というのはとても面白い。「Myth」という曲の位置に、「Pet Sounds」であれば、「Wouldn't It Be Nice」が来るわけですから。これはとても面白い解釈です。「Myth」という曲は、「Wouldn't It Be Nice」と真逆とも言えてしまう曲調ですからね。でも、どことなく「Wouldn't It Be Nice」と近しく感じてしまうのは本当に不思議な感覚です。
Animal Collectiveが自身のキャリアを通して、The Beach Boysの要素を色濃く取り入れながら、彼らの成し得なかった部分を切り開くことに成功したとすれば、このBeach HouseはThe Beach Boysを巧妙に迂回しながら、彼らの価値を再発見しようとしているのかもしれません。この「Bloom」は非常に緻密な時代考証と繊細な作業によって成り立った、素晴らしいアルバムだと、僕は思います。
では、この80年代の波はアメリカのみで起きている局所的なものなのでしょうか。僕はそうは思いません。それはここ日本でも80年代に影響を受けた若手アーティストが現在何組も活躍しているからです。例えば、Lillies and Remains。その名前が80年代のゴシック・ロックバンド、Bauhausから取られていることも分かるように、ここまで一貫して80年代の実験的なロックを参照しつつ、それに現代的なアレンジを加え、楽曲を作ってきました。そして、相対性理論。彼女らは間違いなく、80年代のネオアコを意識して楽曲を作っています。
そして、最近聴いた中でも、これは80年代っぽいなと感じたバンドはあります。それはパスピエというバンドです。本人たちもインタビューで述べていますけども、ニューウェイヴが好きという感じがこのバンドからはひしひし伝わってくる。(かすかにしか聴こえないけど)「開花前線」のトレモロギターもNew Orderっぽくてとても好み。ただ、この人たちも単純な模倣に留まってないところが評価できます。きっちり、ポップにしあげているし、音の録り方、配置の仕方に無駄が無い。私が聞いたのは『わたし開花したわ』というインディー時代のアルバムなのですが、まるでメジャー・レーベルの、しかも経験豊富なプロデューサーがバックにいるのかと錯覚してしまうほど音が洗練されている。今後の曲に関して気に入るかどうかは別としても、この人たちは多分、順調に活躍していくと思いますね。
ぼくは夢を見たことがない。将来のこととかの夢じゃなくって、寝ているあいだに見る夢のことだ。将来の夢はもちろんある。お父さんみたいなかしこいエンジニアになって、お父さんのロボットづくりを手伝うことがぼくの夢だ。ぼくのそういう夢はお父さんを見るたびに思い浮かべることができるけれど、寝ているあいだに見るものといえばほんの少しのあいだの真っ暗だけだった。真っ暗のあいだはなんにも起こらないし、そもそも僕がどこにいるのかもわからない。だから僕は寝るよりもずっと起きているときのほうが好きだった。起きているあいだはかしこいエンジニアになる夢をかなえるために、ずっとずっと勉強をしていた。ずっとずっと勉強をして、いい大学に入ればすぐにお父さんに追いつくことができるよ。お父さんにそう言われてから、僕は毎日毎日おそくまで、ずっとずっと勉強をしていた。
ぼくが初めて寝ている間の夢を見たのは、ついさっき、分数のかけ算をといている途中のことだった。
夢のなかでのぼくは、今とほとんど変わらなかった。朝お母さんに起こされて、学校に行き、家で夜おそくまでずっとずっと勉強をしていた。友だちが話す「今日見た夢」の話みたいに、悪魔が出てきたり自分がヒーローになったりはしなかった。
やっぱり寝ているあいだに見る夢なんてつまらないものなんだ。ぼくはてっきり自分がお父さんみたいなかしこいエンジニアになっている夢を見るとばっかり思っていたからずいぶんがっかりした。この夢がどれだけたっても終わらないことにもがっかりした。ぼくは夢を見る前と同じように、毎日毎日勉強をし続けた。せっかくの夢なんだから何かほかのことをしようとも思ったけれど、勉強をする以外に何もしたいことがなかったから、ずっと勉強を続けていた。夢のなかでも勉強をしていれば、そのうちのいくらかは夢が覚めても覚えているだろう、そう思うことが夢のなかでのぼくのたった一つの命づなだった。
夢のなかで何日か同じような日が過ぎたころ、ぼくはお父さんの通っていたのと同じ大学でロボット工学の勉強をしていた。大学に合格したことをお父さんに伝えたとき、お父さんは、よくやったね、でもまだまだだ、と言ってぼくをはげましてくれた。それからもぼくは毎日必死に勉強を続けた。全部がうまく行きすぎていて、これが夢だと分かっていても、どうにか覚めないでくれと毎日祈り続けるようになっていた。
ぼくの夢がこわれ始めたのは、大学を卒業して、働く場所を探しているときのことだった。ぼくはロボットを作っている会社を数えきれないくらいにいくつもたずねていった。そのたびに、会社の人から、きみは勉強ができるかもしれないけれど、それしかできないじゃないか、と言われ続けた。勉強さえできればお父さんみたいになれると思っていたぼくはとても落ち込んだ。なかなか働く場所が見つからないぼくに、お父さんは、仕事が見つかるまで家に帰ってくるな、と言った。
気がつくとぼくはピストルを作っていた。ぼくは勉強しかできないかもしれないけれど、だからこそ勉強には自信があった。ピストルを作るくらい、勉強のできるぼくにはわけないことだった。
もうぼくはこんな夢を見続けるのはいやだった。それと同時に、ああ、ほんとうに夢でよかった、とも思った。
夢が覚めたら、また勉強をしよう。ぼくに勉強しかできないと言った人たちを見返すほどに勉強をしてやろう。そして、そのときようやくお父さんはぼくのことをほめてくれる。よくやったね、よく勉強をしてきたね。ようやく夢がかなったね。
ぼくはピストルを心臓に当てて、夢の終わりを伝える引き金を引いた。
ー完ー
ああ! バンドを組みたい! でもどうしたらいいか全然わからない! とお悩みの皆さんのための、バンドを組もうのコーナー。今回は皆さんがバンドを組むにあたって最も悩むところである「バンド名」について、わかりやすいようにお教えしていきたいと思います!
まず、バンド名の重要性から説明しましょう。バンド名というのはそのバンドの「決意表明」であり、「顔」であり「全て」です! 少し大げさに聞こえるかもしれませんが、もしどれだけ良い曲を演奏するバンドでもバンド名が『可愛いあの子のおしっこ飲みたいーズ』とかだったら台無しですよね。「あ、結局おしっこ飲みたくてバンドやってたのかよ」ってなりますよね。バンド名はそのバンドの全てを決定すると言っても過言ではないのです。
さて、バンド名の重要性は理解できましたね。それでは今から、「つけてはいけないバンド名」と称して、ダメなバンド名の例を挙げながら、それを参考にどのようなバンド名をつければよいのかについて具体的に説明していこうと思います。まず挙げたいのは「人気バンドをパクってしまったバンド名」です。それでは例から見ていきましょう。
・「チャット問診」
元ネタはもちろんあのガールズバンドですが、どこがいけないのかおわかりでしょうか? そうですね、もうバンドという枠を超えて、新しい医療の体系じゃんと思わせてしまうところがダメですね。なんでもインターネットで済まそうとするその精神もバンドマンとしては良くないでしょう。
・「エグザイス」
そもそもバンドじゃなくてダンスユニットだし、ダンスユニットなのに座椅子って全くダンスする気ねえし……と、初めから長いツッコミを必要とするバンド名はよくありません。坊主とサングラスと座椅子がかなりミスマッチなのもマイナスポイントです。
はい、二つ例を挙げて説明してみましたが、もうおわかりですね。メジャーなところからパクるのは絶対にいけません。今日はこれだけでも覚えてほしい部分です。アマチュアバンドにはありがちなのですが、知らない人から見ると大体寒いか元ネタがわからないかで一蹴されてしまうのです。
それでは、こんなバンド名ではどうでしょうか。
・「ヤフーBB」
それバンドはバンドでもブロードバンドやがな! と、最初のころはつっこんでもらえるかもしれませんが、すぐに飽きられるのは目に見えていますね。一発ネタはやめましょう。
・「ゆで卵」
それバンドはバンドでも坂東英二やがな! と、この時点で相当厳しいですね。やめておきましょう。
いずれも少しひねりをきかせたバンド名ですが、全体的にツッコミ待ちであることが問題ですね。はじめに言った通り、バンド名というのはそのバンドの決意表明です。バンド名だけでそのバンドがどういうことを目的にしているかわからなければなりません。では具体的に、どのようなバンド名をつければよいのでしょうか。そんな皆さんの疑問にお答えするバンド名を、最後に二つ紹介します。
・「出会いとかそういうのが目的ではないバンド」
どうでしょうか。一目でこのバンドがどのような決意表明をしているのかわかりますね。もちろんこのバンドは出会いとかそういうのの為にバンドをやっています。「出会いとかそういうの」とちょっとぼかしているところが特に怪しいです。ライブでは「どうも大阪から来ました出会いとかそういうのが目的ではないバンドです!」と自己紹介することによって「……で、バンド名は?」と客を混乱の渦に巻き込むことができる、一石二鳥なバンド名です。
・「んなゃごょくんぱ」
読めませんね。発音できませんね。そうです。この読めないというところが「俺達は流行になんてなりたくねえ。インディーズでやっていくんだ」というバンドの決意表明なのです。バンドメンバーでさえ自分たちのバンド名を発音できないのでスタジオを予約するときに手間取るかもしれませんが、おすすめのバンド名です。
どうでしょうか。これを読み終わったあなたの頭の中では、すでに素晴らしいバンド名が湯水のように溢れ出ていると思います。素敵なバンド名をつけて、日本の音楽シーンを変えるようなバンドを組んでくださいね!
次回の「バンドを組もう」は、「音楽性の違いによって解散するときの傾向と対策」です。それでは!
ー完ー
2012年6月1日 発行 6月号 初版
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