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fu diary

Rie fu

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message from Rie fu

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毎日日記を書くように、夕飯のパスタをゆでるように、洗濯物をたたむように、そんな風に自然に生活の一部として、特別なことをしている気もなく、歌を作って行くことが、理想とするイメージです。音楽は日々の生活のように、一瞬一瞬のそのとき限りの感覚を切り取るようなものだと思うからです。

見たもの、聴いたもの、考えたことを言葉にして、
それらからインスピレーションを受けて絵を描き、歌を作る。

そんなシンプルなRie fuの生活の流れを、音楽だけでなくビジュアルやテキストと色々な方法で毎月お届けできたらと思っています。

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 会社の登記が完了した。こんな機会でもない限り一生訪れることのないはずの法務局は、年季の入った中学校校舎のような匂いがした。職員は思った以上に親切な対応で。いきなり一人で会社を作ったのは、社長と呼ばれたいという自己満足のためでもあり、事業として活動を続けて行き今後のモチベーションを上げるためであったのかもしれない。売れている芸能人が節税の為に法人化するのはよくあるパターンだが、私の場合はじめはただお金と手間のかかる行為にすぎない。会社にする発想に行き着いたのは、幼い頃から聴いて育ったとある話の影響が大きい。

 キリスト教の学校に通っていたら誰でも馴染みのある聖書の中の話。ある主人が三人のしもべを呼び出し、自分が旅に出ている間に管理するようにとお金を預ける。一人には五タラントン(聖書の時代の通貨単位、一タラントンで今の五、六千万円という大金)、もう一人には二タラントン、そしてもう一人には一タラントンを。主人が帰ってきたとき、五タラントンと二タラントン預かった者は、それぞれ事業でお金を増やし倍にして主人に返し、主人は喜び彼らを褒める。しかし一タラントン預かったものは、失うのを恐れてお金を土に埋めておき、そのまま主人に返した。彼に向かって主人は、せめて銀行に入れとけば利子がついたのに、と落胆する。そして、少ないものは更に奪われ、豊かなものは更に与えられる、と告げる。

 このタラントンという言葉は、英語のtalentの語源、『才能』。土に埋めていないでそれを人のために役立て、対価を得ていこうというたとえ話だ。しかし、『少ないものは更に奪われ、豊かなものは更に与えられる』というのは、生まれ持った才能のことではなく、意欲ややる気のことだろうなと考える。
 自分に才能があるのかは別として、とりあえずこのやる気を土に埋めずに大きくして行けたらと考える。

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『全然実感がないんです、なんとなくこうなっちゃったってかんじ』

デビュー当時の自分のインタビュー記事のスクラップを見ていると、こんなことを言っている。

『使命感が出てきました』

 デビューしてから2、3年後のインタビュー記事ではこんなことを言い出している自分。そしてデビューから8年経った今は、使命感なんて大それたものよりも、実感と向き合う日々だ。生き生きとした感覚と同時に、もう引き返せない船で出航したかのような清々しさと慌ただしさが混ざった感覚でもある。止まらせてはいけないエンジンを一人動かしているかのような。
 恵まれた環境で生まれ育ち、高校卒業後、俗にいうトントン拍子で歌手デビューが決まり、長年の夢であったロンドンの美術大学にまで通いながら日本でシンガーソングライターとして活動でき、自分の意思を尊重してくれるスタッフと定期的にアルバムを出すことができた。『恵まれた環境』というのも、社会に出てみて初めて気づいたことで、いわば温室育ちの中では、自分がいかに恵まれているかの感覚はつかみづらい。

 物心ついた頃から、学校のみんなの中の自分、というより『みんな』と『自分』という隔たりを感じながら過ごしていた。たいていの子供がはしゃぎ楽しむはずの集団遠足など、『ただときがすぎるのを待てばいいや』という感覚で淡々と過ごしていた。中学生の頃には、脊椎側湾症という、外観からはわからないがレントゲンで見ると成長過程で背骨が歪んでしまっているという一種の病気が発見され、胸から腰まで机みたいな堅さのプラスチックの矯正器具をはめて3年間学校に通わなければいけなかった。矯正器具は服の下に着けるのでパッと見はわからないが、ファッションに敏感になるお年頃に、首もとまである服しか着ることができず、体育の時間は必ず保健室で着替えたり、矯正の治療上一日2時間ほどしか外せない為部活をいつも途中で早退しなければならなかったりと、何かと不便な日常を送っていた。

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なぜいきなり自分の生い立ちを書いたかというと、以前とあるスタッフの方に、

『りえふーは何も苦労してないから、人が共感できる歌詞が書けないんだよ』

と言われたことがあるからだ。まず語弊のないように、私がこの一言に対して反論したいわけではない。より多くの人の心に響く歌を作れるようにとくれたアドバイスとして有り難く受け止める。何が言いたいかというと、『恵まれた環境』や『苦労』という言葉なんて、その裏にあるストーリーや本人の捉え方によって全然違って見える、実体のないものということだ。
 そして『共感』という言葉も然り。シンガーソングライターや作詞家はこぞって共感できる作品を生み出そうと試行錯誤しながら歌詞を書く。それは、単純にレコード会社がその歌を売りたいと企むからでもあり、同時に作り手側は利益など考えず、ただ純粋により多くの人の心に響くものを作りたいと思っていることが多い。
 『会いたい、愛しい、切ない、好き、抱きしめたい、忘れられない…』などの言葉たちは、共感される言葉とされて数多くの歌詞に登場する。数多く登場するからしまいにはありきたりな歌詞となる。ありきたりなら独特の表現を、と自分の脳内を振り絞り言葉を探るが、当たり前に、表現する言葉は違えど、行き着くイメージは同じだ。
 共感できる歌詞とは何なのだろうか。大多数が共感できる言葉と、自分の実体験からわきあがる本音の言葉が違うこともありうる。共感できる歌詞、と心に響く歌詞、は違うこともあるのかもしれない。

 歌詞によって表現されるものは、人類の(歌詞のある歌の)文明の始まりからそんなに大きく変わっていないはずで、私たちは数百年前の作家が作った歌詞を聴いて、数百年前の人も同じことを感じていたんだ、といういわば当たり前のことに感動して涙を流すこともある。こんなことを考えていると、今まで大きな音楽会社にお世話になっていながらも、『音楽業界』という言葉さえ、実体のない、架空のもののように思えてくる。

 ただ、『作り手』と『受け取り手』というシンプルな構図があるだけだ。

 媒体と言われるテレビやラジオなどのメディアの担当者も、いわば『受け取り手』であり、担当者個人の感性というところまでつきつめられる。そして近年のソーシャルメディアによってその構図がよりはっきりと実態化してきた。

 私がここに書いていきたいのは、そういった最新の音楽の届け方の提案でもなく、音楽の作り手として活動する自分の身の回りの『実態』だ。長年お世話になってきた音楽会社から自分の意志で独立して会社を立ち上げたこと、そこから一人の力でどこまで何ができるのか、どこから何ができないのか、創作活動とのバランスはどうなっていくのか。

 ブログなどで私生活を見せますというものの、そこでもそれなりに自分を売り込みたいという意識のもと文章や写真を載せている。だからこそ、そういったブログよりも更に本音を掘り下げて自分自身の実態をさらけだす場として、このエッセイを設けたいと考える。もちろん、ダイアリーということで、旬な出来事や制作状況についても書いていけたらと思っていまfu。

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『恐竜の時代』

オーストラリアの熱帯雨林の地区に旅に行った。豊富な太陽光とたっぷりの雨を浴びて異常なほどに大きく成長した木々や植物、天然パーマのようにうねって伸び続ける木の幹。ちょうど少し前に、恐竜の絵を描いていた。大きな葉っぱ同士が重なり合って鳴らす音を想像しながら。
また旅に出る前に不思議な夢を見た。見ず知らずの男性が先の少しカーブした長い笛を吹いていて、私の歌の中のフレーズをアレンジして、繰り返しループして奏でている。実際に現地に行ったら、それはオーストラリアの伝統楽器、ディジェリドゥーだった。私はそれを見た事がなかったし、名前も知らなかったが、潜在的に無意識に触れていたことがあるのかもしれない。

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◯今月の3曲 解説

“You do”

波音が聴こえる。すぐ数十メートル先に砂浜が見える。そこにさんさんと朝日が差している。ホテルのウッドデッキのオープンテラスで朝食をとっている。頭上の巨大な木々からは、様々な種類の鳥の鳴き声がせわしなく聴こえる。それを録音してこの歌の中に散りばめた。そんな旅から帰国後、友人の結婚式があった。英語で愛を誓いますか?誓います。と答えるとき “I do” という。その言葉から、you do and I do.というフレーズが出てきたので歌にした。あなたもすればわたしもするわ。という恋の綱引き。

“6月のたからもの”

5月病があれば6月病もあるはず。5月病で持っていたホームシックやノスタルジーの波が、湿度の高い季節の訪れとともに緩やかに薄まっていく。落ち着きを取り戻しかけた心に感謝の余裕が出てくる。不安に心悩まされる時期も、穏やかに楽しく駆け抜ける時期も、離れて暮らしながら人を想うことも、みんな、たからもの。

“Hey Girl (fu pad series vol.1)”

最近ipadでの曲作りがたのしい。直感で打ち込み、ipadマイクに向かって気負いなく歌い、一時間あれば超ラフなミックスまで作れて、単純な音でアレンジや曲のアイディアがよりストレートに表現できる。このfu diaryの企画では、毎月一曲、ipadで作った曲、fu padシリーズを発表していきたいと思っている。Hey Girlは最近習っているフランス語を、でたらめに使ってみた歌。

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 パンパンに物が詰め込まれた部屋の扉が、中に入っている物の圧力でいっきに開いてガラガラと音を立てて物がこぼれ出るかのように、今までやりたかったことを次から次へと企画している。

★このfu diaryのテキスト、アートブックと、毎月3曲という新曲音源配信。
★知り合いの5組の素敵なクリエイターとのコラボグッズを発表•販売するライブイベント、fu fes.(7/15 東京•VACANT原宿、8/19 大阪•artyard studio, 8/20 京都SOLE Café)
★昨年東京で隔月行っていたカバーライブシリーズの大阪公演、Rie fu sings the Carpenters in Osaka.(8/17 大阪Beronica)
★昨年に続き二度目の開催が決定した、東日本大震災復興支援チャリティー絵画オークションイベント、ネイロノイロ〜ミュージシャンの描く絵画展〜の企画。
★これに合わせて、この時期に限ってとはいえとても有り難いことに、イベント出演のお誘いや、CM音楽のお仕事なども頂いている。

 それぞれの企画に伴う作業の中で、打ち合わせという過程は、実は今まで事務所に所属していたときは自分にとってぽっかり抜けていたところだ。ライブでもイベントでも、企画の初期段階から打ち合わせに立ち会ったことは少ない。今になって、色々な人と会って話をして企画を進めて行くことこそが大事な創作活動の一部だということを実感している。何かを生み出すためには、人とのつながり、会話を通して初めて生きたアイディアが広がってくるものだと今になって改めて痛感している。

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 このようにいっきに自分に沢山仕事を課すことは、独立してからすぐ行う活動として賢い決断かどうかはわからない。一人でできる作業の範囲を考えずに、やりたいことをあれもこれもと企画してしまうと、全部に手が回らないという危険性もある。
 そして何より、一番気をつけないといけないと思うことは、自己満足になっていないかということだ。自主企画イベント、自主制作音源に物販。趣味といわれかねないこの言葉たちの響き。注意すべきことは、どのぐらい需要があるのか、それに対してどのぐらいの経費をかけられるのか、利益はどのぐらい出るのか、という今まで会社側が考えていたこと。
 そんなことまで考えなくいけなくなっては純粋な創作意欲が邪魔されるのではないか、と心配してくれる心優しいファンの方が一人か二人はいてくれるかもしれない…でも実はこのように客観的に自分の活動を事業としてバランスをとることは、また未知なる大きな芸術のような気がしている。芸術は自然との調和を保つことだと思うし、自分と社会、そして時代との調和を見極めて計画してそれをカタチにしていくことは、決して単調で事務的な作業ではないので貴重な勉強になっている。

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 …と余裕ぶった説明をしておきながら、実は一日3回ぐらいはお金回りやプロモーションのことを考えてはテンパった状態になっている。そして全部自分のしたいことだから責任は自分に帰ってくる。たとえ堂々巡りしているように思えても、スパイラルのように少しずつ上に向かって進んでいるはずだと自分に言い聞かせて頑張って行きたい。むりやりのポジティブ思考には妙に自信がある。それは開き直りにも近い向上心だ。


 大きなレコード会社に所属させて頂いていたときにはメリットとデメリットを感じていて、デメリットの部分が沢山見えてしまっていた。そのデメリットとは、フットワークが重いという点が一番大きい。

 私のような程度の知名度や規模で、何でも自らアイディアを出したり作りたがる性質のアーティストにとってその環境は、大きな安全な鉄の建物に閉じ込められて時間が過ぎるのを悠長に待っているようでもあった。実際にその安全な鉄の建物から外に出てみると、逆にその環境のメリットが見えてくるから人間の心理はひねくれたものだ。独立してはじめは必ずそう思う覚悟はあったが、案の定、今一番、その鉄の建物のありがたみを実感している。かといってその環境に戻りたいというわけではないが、この感謝の気持ちは今後も大事にしていきたいと思う。

 鉄の建物から外に出て、一番あたたかさや有り難みを実感しているのは、応援してくれる人、その存在につきる。迷い込んだ真っ暗な森の中で明かりのついた一軒家を見つけるようなものだ。
 今まで仕事でお世話になってきて、独立してからは仕事の枠を超えて応援してくれる人。それはやっぱり音楽の力だと改めて思う。くさいことを言うようだが、それだけ音楽には、人と人をつなげる力がある。Rie fuの音楽に愛情を持ってくれる人たちと出会うことは、人間性は音楽で、音楽は人間性…繋がるその輪に包容されているような、そんな感覚になれる、とても貴重で幸せなことだ。

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 今企画しているイベントの一つの、『ミュージシャンの描く絵画展トークイベント』にゲスト参加して頂こうと思い、アートセラピストの方にお話を伺った。その方の行うアートセラピーは、一人一人がお互いのアート作品に対して、『私はこう思う』と素直に感想を交換し合うことから始まるという。一見何のへんてつもないシンプルなプロセスだが、それは実は普段の生活でも私たちが忘れがちな大事なことかもしれない。アート作品に限らず何事に対しても、『これはこうだからこうなんだ!』ではなくて『自分はこう思う、あなたはどう思う?』とフラットにお互いの意見を交換すること。何事にも、絶対的な定義はないのかもしれない。『私はこう感じる、こう思う』という多様な主観的な感性を通して、解釈の可能性は人の数だけある。音楽の『作り手』と『受け取り手』の距離感も、そんなものであってほしいと、私は思う。


 アーティストにとって、自分の作る作品に対する人からの評価に敏感になる事は、避けられない職業病だ。ある作品に対して、誰かがこう思うから、この作品はこうなんだ、と受け取るのではなく、この人はこう思うのだ、という受けとめ方が出来たら、その職業病の症状も随分楽になるのではないかと考える。
 会社に所属しなくなって、そういうことを率直に思えるようになった。まわりの評価を気にせず好きなものだけ作っていたいというわけではないが、少なくとも、自分の感性に素直になる、という自称アーティストと言っている人間にとって一番大事なことが、自然体で無理なくできる環境になった。

 タイアップ、売り上げ、アーティストイメージ…音楽の受け取り手それぞれの感性で自由に受け取れるものに対して、絶対的な定義や評価をつけること。それはエンターテイメントではあるが、必ずしも芸術ではないと思っている。芸術を軸にビジネスをすることは、とても難しい。それでも食って行かなければいけないので、理想論ばかりは言っていられない。そんな思考回路をぐるぐると巡りながら、今後も開き直りの向上心で進んで行こうと思っている

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『ハンドメイド』

 音源配信などデジタル化が進んできたからこそ、モノの物理的な価値も高くなってくる感覚がある。それは手作りの一点ものであったり、またその場で同じ空間を共有出来る、ライブという場所、時間そのもの。そんなことから、ライブグッズを全て手作りで作るという企画を始めた。写真はその作業中の様子。

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◯今月の3曲 解説

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“easy”

 最近友人が、『良い恋愛って、とてもシンプルで簡単なものだよね』と言っていたのが印象的だった。何かを乗り越えないといけないにしても、その手間も惜しまない、イージーだと思えてしまうような、そんな明るい恋の歌。

“Too much play, more work!”

 数年前、タイトル通り、遊びすぎていた時期に作った曲。6月に配信した”You Do”に続いて、街中で録音してきた音を入れている。実際にそのときまわりで聴こえていた音も、ダイアリー的に記録して毎月曲に取り入れていこうと思っている。ちょっとした英会話レッスンのようだが、”I want to spend this time on you(あなた「に」時間を費やしたい)”と “spend this time with you(あなた「と」時間を過ごす)”の違いを歌っている。あなたのことを考えて過ごすより、あなたと会いたいな、ということを、英語の”on”と“with”を使い分けることで違いを表現出来る。冷やし中華でも作ろうか、というフレーズは、毎年夏は夏バテで冷やし中華しか食べれなくなる時期があり、その時期に作った曲だから。



“Don’t Let Me Down (fu pad series vol.2)”

 先月に引き続き、ipadでミックスまでする試み、fu padシリーズ第二弾。『いい子にしてるから、ご褒美をちょうだい』という大人ぶった少女をイメージした妙な歌。ipadで曲を作っていると、こんな変わりダネが出てくる。

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 音楽家が建築家だとしたら、私は積み木で遊んでいる子供のようだ、と常々思う。積み木を積み続けていたら、いつの日か大きな建物ができているかもしれない。でも積み木の一人遊びでは世界は広がらない。積み木のピースも、まわりの人からもらって増えていくものだ。

 今まで計画してきた事がかたちになった7月。7月二週目。アルバムレコーディング作業を無事終えた。期間は4日間。ミュージシャンと録音スケジュールを合わせ、作詞作曲アレンジをして歌入れという作業の過程。レコーディングは、デビュー時からお世話になってきた巨匠ベーシスト、人間味のにじみ出る音色のドラマーとギタリスト、宇宙規模の感性で音を創り出すクリエイターと、通常ではありえないぐらい順調に進んで行った。
 翌週、初の自主企画イベント、”fu fes”も無事満員御礼となった。あたたかい木の壁に囲まれた大きな屋根裏部屋のような会場VACANTには素敵なクリエイターとのコラボグッズが揃い、お客さんも会場いっぱいに集まってくださり、思い画いていた空間そのものが実現した、fu fes 東京公演。手際のよいスタッフと、急なお願いにも関わらず快く手伝いに来てくれたユースト放送チーム、撮影隊、チケット受付スタッフに、ひたすら感謝の気持ちでいっぱいだ。一人では何もできないと実感しました、ととってつけたような感想文だが、ずっと一人遊びをしてきた自分にとって、それは新鮮な感覚だ。
 そしてその一週間後、絵を描くミュージシャンを集めたグループ絵画展、『ネイロノイロ』展の開催。ミュージシャンが奏でる音楽の音色と同じように、彼らの描く絵の中の色からも伝わる癒しやインスピレーションがある。今年は7組のミュージシャンによる絵の展示をし、来場者にサイレントオークションで好きな作品を落札、購入していただき、それを東日本大震災復興義援金として寄付するという企画だ。今年の開催は実は考えていなかったのだが、阿佐ヶ谷LOFT Aのブッキングの方から開催をオファーしていただき、展示ギャラリーも紹介していただき、実現できた。今年は音色/色によるセラピーをより深くひも解いていけたらというコンセプトのもと、参加ミュージシャンやアートセラピストによるオープニングトークイベントを阿佐ヶ谷loft Aにて開催。作者が自らの作品について語るだけではなく、始めは作品を新鮮な目で初めて見た他の人たちが、『わたしはこう思う』と話しだすことから始まった。最後に作者本人から種明かしのように作品の背景が明かされる。共通点があったり、意外な真相がわかったり。音楽のライブとは違った、興味深いイベントとなった。

 更にその一週間後、新潟の山の中で音楽を聴いていた。夏の風物詩フジロック。音は山に反響し、空に広がる。森の澄んだ空気の中での天然のエコーとリバーブ、最高の音楽の楽しみ方。
そんな環境にいたのに、なぜか今年のフジロックに行って浮かびあがってきたひとつの感想は、『大半の人は実は音楽のことをそこまで真剣には考えていないんじゃないかな?』ということだった。それは決して悲観的な考えではない。みんな音楽のために音楽を聴きにくるのではなく、音楽を通しての『体験』を求めてフェスやライブにやってくるのだと。音楽から受けるセンセーション、刺激、体を動かしたくなるような体験、そんなものを求めて来るのだなと。
そんな発想から、逆に音楽の作り手は、音楽自体を気にしすぎてはいけないな、とも思った。その音楽からどんな体験を提供できるか、どんな感覚に繋がるか、そんなものを大事にするべきだなと。

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今月の写真『fufesの夜』(photos by Hiroshi Nakamura, paint by Rie fu)
先月経過途中の様子を報告していたイベント、fu fesのイベントの様子。
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 そこでふと、自分の歌が人に与える体験とはどんなものかと考えた。そのとき気付いたことは、一番印象的なのは『言葉』とそれを届ける『声』だということ。最近言葉に敏感になっているかな? と自分に問うてみる。『言葉』と『思考』は少し違う気がする。思考を記号化することと、言葉を発することは、似て非なる物かもしれない。

 わたしは特に読書家ではないが、泉鏡花は好きでたまに読んでいる。泉鏡花は言霊を深く信仰していて、自らの原稿の書き損じた文字は墨で塗りつぶし、空中文字を書くときも書いた後消す仕草をし、少しでも文字が書かれていたら新聞の切れ端まで大切にとっておいたことで有名だったという。言葉は人と人、社会をつなげ、ときに流れ、ときに残る。人生を変えるような言葉は財産になり、何気なく言った言葉でも、意外なところにまで影響を及ぼしていたりする。『言葉』の流動は、ツイッターなどの普及に伴い、今の時代、未だかつてないほど活発だ。顔も知らない何百人のそれぞれ自由気ままに発する言葉が次々とリアルタイムで流れて行く。現代で泉鏡花がツイッターのタイムラインを見たら目を回し卒倒してしまうだろう。言霊は、意味じゃない、記号じゃない、情報伝達でもない、言葉そのものの持つ力。記号化される前の素のものにより近いエネルギーを持つ言葉。感性を研ぎすませば、そんなものをキャッチできるかもしれない。言葉を発する(ネット上、ブログ、ツイッター、掲示板など)ことが当たり前で気軽になればなるほど、言霊に対する敬意が軽薄になってきているのかもしれない。こうやってキーボードで打っている時点で、言霊に対しても一種の記号化した取り扱い方をしている。

 そんな時代に、どんな言葉が必要とされているのだろう。どんな言葉が残って行くのだろう。人気アイドルの、今日何を食べた、などの日常的なつぶやき? スポーツ選手の、涙ながらに語る優勝インタビューの一言? 言霊の仮面をかぶった、電車の広告のスローガン? 人間はただの媒体でしかない。シャーマンとか音楽家は同じようなものだ。そこに人間の意思や思考が入り込むほど、人と自然界との流れも途絶えてしまう気がする。与えられた命。生み出す作品も、与えられた作品。歌の言葉はそんな風にキャッチしていくこと、そして自分の目標や夢は言葉にして言霊を宿すこと。そうやっていくとそれが現実になっていく。歌には、そんな力があると思っている。

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◯今月の3曲 解説

“ FUJIROCK”

フジロックの話をしたところで、フジロックに出たいという気持ちをひたすら込めたこの曲。曲の中では次々と出演したいフェスの名前が出てくる。どんな夢でも目を見開いて冒険してみたら夢にも思っていなかったことまで起きる、という希望を込めた一曲。自分の今までの経験でもそういう素敵なことが沢山起きている。

“ firework”

夏だから、花火の歌。でも打ち上げ花火でなくて、線香花火みたいなかわいらしい規模の歌。川辺で水の上に笹の葉で出来た小舟を浮かばせながら線香花火をしている二人には、これから淡い恋が芽生えるかな、みたいなイメージ。

“ CLAPPY(fu pad series vol.3)”

ipadでミックスまでする試み、fu padシリーズ第三弾。
安っぽいクラップ音に合わせて、
『なんだか汚れた世の中』
『一緒に片付けよう』
『なんだか汚れた頭の中』
『一緒に片付けよう』
という実はエコな歌詞のやりとりがなされている一曲。

 会社を立ち上げてからもうすぐで半年が経つ。会社とはいえ一人で手押し車を押している程度の活動ではあるが、思い描くものは、一つずつかたちになってきている。

 8月後半、自主企画イベント、”fu fes”の関西公演も無事終了し、各会場それぞれの雰囲気に合わせてあたたかい時間を過ごせた。大阪art yardは普段からアートと音楽を繋ぐイベントを開催したり、アーティストのPVを撮影したりと、真っ白な四角い空間そのものが、それぞれのアーティストの個性やカラーに合わせて自由に絵や音色を描いて行ける大きな立体的なキャンバスとなっている。会場にペイントしたキャンバスの布を敷いて、ギターとキーボードで弾き語り。事前にツイッターなど募集していたリクエスト曲がセットリストになり、一曲ずつ『これ誰がくれたリクエスト?』とお客さんにとっては恥ずかしい問いかけをしながら歌って行く。『プロモーターのいない今、お客さん一人一人が今日からRie fuのプロモーターです』と半ば強引な勧誘をして、ライブの撮影をokしたり動画をyoutubeにあげてねとも言いながら。そんなマイペースなライブを、関西のお客さんはいつもあたたかく、くすっと笑ったりしてくれながら見守ってくれる。
 京都公演のSole Caféは、京都のお寺に囲まれた暖かい一軒家カフェで、入れたてのコーヒーの香りを嗅ぐように近い距離で、お客さんとの空気感を感じることができた。
手作りキャンバスから作った一点もののライブグッズは、お客さんと会話しながら、それぞれに似合う色やデザインを選んで販売してみたり、買ってくれた方にグッズにメッセージを書いたり…こんなに近くてあたたかい交流ができて、自分にとって本当に特別な企画となったfu fes.

fu fesや歌詞の制作過程。どのようにグッズやライブをかたちにしていったか、途中段階のスケッチなどを公開。

 そんなこんなで、この半年での一番大きな変化は、出会う人の数が以前と比べて凄く増えたこと。ライブのお客さんはもちろんのこと、会場の方とも直接話せる機会が多くなったのが嬉しい。どのライブで出会う人たちも、音楽への愛と人情に溢れる人たちばかりだ。artyard(大阪)やSole Café(京都)も、家族で運営されているアットホームな会場で、純粋にアートと音楽が人を繋げる空間となっている。その空間を創り出すのも、そこにいる人たちの人間性だなぁとつくづく思う。まさに、迷い込んだ深い森の仲で明かりのついた一軒家を見つけていくように、その出会いが、前に進んで行く為の、足元を照らす道標となっていることは間違いない。
 道標といえば、計画はドミノ倒しのように何個も前から並べて行かなければ、突貫工事のようになってしまうことも実感している。アルバムをリリースするにしても半年以上前から準備が必要だし、ライブ会場も来年まで押さえておかないといけない。中高生のときはいつも試験前日の徹夜勉強で乗り切っていた自分にとっては、計画性というものに慣れるまではあたふたすることが続きそうだ。

 また、社会勉強のつもりで、異業種交流会的な場にも顔を出してみたりしている。そこには、今の音楽活動で出会う人たちとはまた対照的な人種が集まっていてそれもまた興味深い。よく会社の『ポスト』につく、というが、まさに、大企業で役職についている人たちはポスト=看板を持って歩いているようなものだ。企業間の社交場では、お互いの看板を見て、相手をいかに利用してお金に繋げるか、という弱肉強食の社会が繰り広げられている。
 何もポストを持っていない私はとても身軽な気分になり、異人種としてその場を観察することができる。

 そこで私が彼らを利用して自分を売り込もうというのも何だか違う気がする。それは、彼らにとって有益なわかりやすい要素を、私がまだ充分に持っていないからだ。だけど、そんな一見冷酷なロボットばかりのような企業人社会の中にも、人間味のあるハートと音楽への感性を持った人がいると信じている。そんな人たちと繋がっていけたら、そしてその繋がりが自分の音楽やアートと自然なかたちでリンクしたら、というのが、そういった場に出向く目的だ。

 どんな人とであれ、出会いは全て勉強になる。野生の人間社会で、これだけ素敵な人たちと出会えてきていることを思うと、それがいかに貴重なことか実感できる。ただ、同じような人たちは同じような場所に集まるので、やはり色々な場所に行きつつも、いいバイブスを発するところになるべく居たい。そして、自分のライブも、そんな空間にしていきたいと思っている。

◯今月の3曲 解説

“たのしいあそび"

クラブ帰りの明け方の始発のホームで思いついた歌。といっても最近は朝まではキツくなってきてしまったが..。9月ということで夏休みも終わり、という意味合いも。行きたい場所は沢山あるし、行こうと思えば行ける自由がある。だけど帰る場所を見つけるのが、だんだん難しくなってきた年頃。実家から離れ、自分自身の家庭を作ることを考えだすときに、子供から大人になるのかもしれない。たのしいあそびは続けるけど!

“ You Got Me (fu pad series vol.4)”

ipadでの曲作りも楽しくなってきた。ライブでipadカラオケにも挑戦してみた。可能性がまだ広がりそう。”you got me”というのは、恋をして心を奪われ浮かれている歌。

“ 待って〜!”

計画性の重要性についても実感していると書いたが、何かを待ってそれが来たときにはまた次の何かを待っている、という常に何かを追って追われている状態の歌。トリッピーなパートは、そんな堂々巡りで目が回ってトランス気味になっている様子。

 食材を種から育てて料理して、味わうまでの過程のように、長い積み重ねを得てやっと味わえる感覚というものがある。
 しばらく旅に出ないと、無性に新たな空気を求めたくなる。そんなときに、新潟に住む友人と、越後妻有の大地の芸術祭に行く話になった。棚田だらけの、お米が美味しそうな、コンビニなどないような、そんな稲作が中心の土地にぽつりぽつりと、古民家や廃校がアート作品になっていた。そんな場所で、芸術とは、季節のタイミングを見計らって種をまいて、水をあげて、気候に委ねて、収穫して味わうような、そんなものだなと漠然と感じた。忍耐強く、積み重ねていかなければ達成出来ないものがある。それは岩が波に砕かれ削れられて丸くなり小さな砂の一粒になるように、気の遠くなるような過程かもしれない。人間が生まれて死ぬ理由も、そんな過程の一部にすぎないと考えると、『なぜ生まれてきたのか』という答えがいとも簡単に導きだせる。
 そんな壮大な哲学的なことを考えるのが好きなので、つい話が行き過ぎてしまったが…話は変わって、先月、旅に出たい熱が上がりきって、5年ぶりにロンドンを訪れた。

 初めてイギリスに足を踏み入れたのは十五歳のときで、ロンドン郊外のサマースクールに参加した。ハリーポッター系のボーディングスクールのサマーコースで、夏休みで帰省している学生寮に泊まり、主に英語を学ぶコースだった。毎晩寝る前、寮の窓から見えるロンドンの街のオレンジの明かりを見ながら、いつかそこで勉強して、世界的に活躍するファッションデザイナーになる夢に思いを馳せたのを覚えている。

 その次にロンドンを訪れたのは一年後で、憧れの美術学校、セントマーチンズの高校生向けのサマーファッションコースだった。ギャラリーに出向いてはスケッチをして、白いTシャツを切り貼りしてオリジナルの服を作ったりした。ヨーロッパ中から訪れたファッションに野望を抱く同世代の若者たちと触れて、広い世界の可能性を知った。
 そして十八歳、そんな大きな夢を抱えてロンドンへ。ところがはじめの2、3ヶ月はそんな夢がさかさまにひっくり返された。第一に誰も知り合いがいない、そして天気が悪い、ご飯も美味しくない。イギリス人は紳士的なイメージとは裏腹に決してフレンドリーではなく、学校は放任主義で課外活動が多く、寮はとんでもなく遠く古びた建物で、毎日日本の母親に電話しては帰りたいと言っていた。やがて心優しい人たちに助けられながら知り合いも増え、自分が学びたいこともわかってきて、生活が落ち着いたのは1年以上経ってからだった。
 そして卒業して5年後に訪れるロンドンは、種を植えて育ててきた作物の収穫のような感覚だった。ただし種を植えたときは何の種ができるか見当もつかなかった。第一にファッションを学びたいと思っていたのが油絵を描くようになったし、音楽の活動もこのような変化があることも予想していなかった。

 ロンドンから電車で二時間半、今回の旅は欲張ってパリにも出向いた。

 ドイツの現代油彩家、リヒターがとても好きなのだが、彼の回顧展がパリで開催されると聞いて何ヶ月も前から行きたいと切望していた。彼の素晴らしいところは、写真の発明以来の絵画のあり方を疑問視されていた時代において、フォトリアリズムと向き合ったことに限らず、その作品がどれも、二次元でありながらも、常に観る者に『体験』や『記憶』の感覚を呼び起こすところだ。

『旅の思い出』新潟、ロンドン、パリの旅の写真たちに、今月の三曲の歌詞を散りばめた。

 彼の作品テーマへの取り組み方は好奇心を止めることなく、作風は年々変化していて、フォトリアリズム、グレーのシリーズ、鏡やガラス作品、また近年は偶然性を計算するような大胆な色と絵の具の質感の作品、そして最新の作品では絵の具の色のデジタル処理によってポールスミスのマフラーのような無数の色が並ぶストライブ作品シリーズを作っている。
 私は大学の卒業論文で19世紀のロマン派絵画について書いたが、まさにロマン主義とは、『state of becoming=物事の過程』だと学んだ。それは、完成することもなく、常に進化、変化していくこと。視野を宇宙単位にして、時空を超えて観てみたときに、人間とは命というものを繋げる鎖の一部のように思える。地球、人類の歴史は、鎖の連なりのように、毛糸を紡ぐように、繋げられてきて今の自分がいる。芸術や物語も、そうやって繋げられてきて今存在している。

 今月は哲学的なことをつべこべ語ってしまったが、きっと旅に出たことで解き放たれた思考回路がそうさせたのだろう。現実に戻ってからは、来月リリースのアルバムのジャケットデザインや楽曲の登録などの、事務作業に追われている。そんな中で余計、脳内逃避行願望が強くなっているのだろう…。

◯今月の3曲 解説

“JET LAG"

旅から帰ってきて時差ボケ(=jet lag)で眠れない4.a.mに制作した一曲。イントロ&アウトロの音は、パリのポンピドゥーセンター(美術館)の前の広場で歌っていたストリートミュージシャンたちの音。午前中の透き通る空気の中、ジプシー風の雰囲気があり、そこからリズムの音色のインスピレーションを得た。

“きれいなものをみた”

儚い人間の手によって作られる力強い芸術。そんなものを観て感動したことを歌にした。途中で別世界へいきなりジャンプする。

“Capricious Mind(fu pad series vol.5)”

capricious=気まぐれ、な自分の脳内の歌。音はおもちゃポップだけどシンセのメロディーラインがお気に入り

 6ヶ月間続けたfu diary。今回の企画はひとまずこれで最終回。自分の会社の登記の話から始まり、ライブ、グッズ企画やアルバム制作、国外逃避行の話まで色々と綴ってきた。思考回路をぐるぐると巡りながら、それでも少しずつかたちになっていく作品を手に取ると、一枚のアルバムにもずっしりと重みを感じる。

 今月、この半年をかけて制作してきたニューアルバム、BIGGER PICTUREがついにリリースになる。作品が出来上がったところで、やっとこれからがスタートだ。一番大事なプロセスが残っている。全霊を込めたこの自信作をより多くの人に届ける為の、プロモーション。

 今の規模で自分ができるプロモーションは、ひたすらウェブでアルバム告知、まわりの新進気鋭のクリエイターとミュージックビデオを作りプロモーションツールとして使う、雑誌やウェブマガジンへのアプローチ、ラジオなど媒体を通しての宣伝…この一連の流れだ。ここでも、人との繋がりが全て。デビュー当時から応援してくれている方々のあたたかく心強いサポートに改めて感謝している。インタビュー一つをとっても、いかに取材一つが貴重でありがたいことか身にしみて感じるので、いつもより本音をむき出しに語るようにしている。メジャーレーベルを経て今の環境にいることで、『客観的に日本の(メジャーレーベルの)音楽業界を見てどう思うか?』という話をすることも多くなった。

 この半年間、単独で活動してみて本音で語ると、国内の音楽活動には大きな壁があるということ。その理由は、今の日本の音楽業界の『生態』の問題点にある。『生態』というのは、届け手と受け手、どちらかに原因であるわけではなく、双方の習慣によって生じてしまった問題であるということ。

 今の、日本の音楽の届け方、聴かれ方。今やラジオの前で好きな曲が流れるのを楽しみに待ち構えるような時代ではない。むしろ音楽側が大きなタイアップ等目立つ看板を背負ってリスナーに猛アピールしてやっと知ってもらえるような時代。音楽自体がその大きな看板であり、作品であるはずなのに、音楽が商業的な何かの付属品として扱われることで知られていくことはあっても、楽曲そのもので真っ向から勝負することは主流ではなくなってしまった。リスナーも、どこかで偶然知った音楽は好きになっても、自ら好きな音楽を掘り出して探すことは少なくなっているように感じる。だから、レーベル側もタイアップをつけることに必死になる…というバランスで成り立っている音楽事業。この生態こそが、音楽そのものの看板で勝負したいと思っている自分にとっての大きな壁だ。

 今日本国内で爆発的に売れているものは、ほとんどがもはや音楽ではなくエンターテイメント。エンターテイメントに異論は何一つないけど、じゃあ音楽はどこに行ったのか。良い音楽を作るアーティストは日本中にあふれている。純粋な音楽性やライブの良さでファンの心を掴み続けるアーティストも沢山いる。OTOTOYをはじめ音楽サイトも盛り上がってきている。音楽と真っ向勝負してくれるユーザーも増えてきたはずだ。

●今月の写真『油絵制作』
★11/27より開催される展示企画、Art Wave Exhibition vol.1~創造のイノベーション~に新作絵画を出展★
会場:recto verso gallery 東京都中央区日本橋茅場町2-17-13 イノウエ第2ビル401   03-5641-8546
会期:11/27(火)~12/1(土)13:00~19:00 土曜は16:30まで。

ということで、その作品達を絶賛制作中。かなり制作は慌ただしいけれど、テーマははっきりしています。
アルバムBIGGER PICTUREにちなんで、”SMALLER PICTURES”!
小さな工事現場の絵画達

 ここで希望を捨てず、広い視野で見て行こうというのが今回のアルバム、BIGGER PICTURE (=広い視野)のコンセプトだ。一度この現状からズームアウトして、広い世界に飛び出してみる。

 必ずしもフィジカルではなく、今やネットさえあればどこへでも発信できる時代だと思うので、海外の英語圏に向けて、真剣に自分の音楽を届けることに今後視野を広げたいと思っている。二年後にはアメリカ、ヨーロッパツアーをまわっていたい。そこには沢山の幅広い年齢層の人たちが集まっている。昔ラジオの前で好きな歌がかかるのを楽しみにしていた世代から、レコードを見たことがない中学生まで。

◯今月の3曲 解説

“Winter love song”

ベタな、冬のラブソング。しかも切ない系。たとえ失恋しても、いつか君にぴったりの恋人と出会う、それはクリスマスの朝に枕元にプレゼントが置いてあるように。アレンジのイメージは、都会の賛美歌。


“幸せのコツ”

ちょっと変わった『幸せのコツ』を並べた曲。冷えた頭で論理的に。バネとスポンジみたいな頭になる。ため息は何の役に立たない。価値観はみんなそれぞれ。それでも誰にも共通している『幸せ』は、生かされているということ。

“Stupid Boy(fu pad series vol.6)”

遊び心でipadのみで作ってきたfu padシリーズ、ラストはなんと一音だけを使った歌。おバカな男、まるで小さな女の子みたいね〜、と歌っている。

Rie fu

1985年東京生まれ。
2004年3月、マキシシングル『Rie who!?』でデビュー。

デビューと同時期に渡英、2003年から2007年まではロンドン芸術大学でファインアートを学び、日英を往復しながら音楽活動をする。2006年にはカンヌの音楽祭への出演やロンドン弾き語りライブ、THE PRETENDERSとのメンバーとのレコーディングなど、ヨーロッパでも精力的にライブ活動をはじめる。2007年にロンドン芸術大学油絵科を次席で卒業。以後日本に拠点を移し、定期的に個展を行い画家としての活動も続けている。2009年には井上陽水のデビュー40周年ツアーへの参加、ORANGE RANGE NAOTOのプロジェクト、delofamiliaへの加入、ニューヨークでの初ライブ等を行う。2011年、デビューから8年間のシングルコレクション、『I Can Do Better』をリリース後、2012年4月に(株)Rie fuを設立。
>>Rie fu Official WEB http://www.riefu.com/

fu diary

2012年6月6日 発行 初版

著  者:Rie fu
発  行:OTOTOY

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