spine
jacket

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ネコはひだまりでまるくなる

FJK

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 目 次


  ネコはひだまりでまるくなる
  New shoes New world
  カサタテ
  スクリーン
  under the library
  春風が聞こえる
  Good days, Good bye.
  クロックタイムダンス
  Light drops
  水たまり


  それはまるでネコをさがすように1
  sunny day, funny day
  Some Flowers for Someone
  転がるりんごはどこへ行く
  I'm now waiting for breakfast
  くるりとまわる時間の中で
  Sunlight Parade
  jellyfish
  それはまるでネコをさがすように2


  花咲く空をネコはあるく
  You may know art
  月のペダル
  空色スケッチブック
  A Part OF LIFE
  夢跡
  Lush Hour
  HNMS NTR NTR
  I can breathe here
  Portside walkin' girl
  ノラネコアソシエーション
  月夜の香りは秋の調べ

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ネコはひだまりでまるくなる

 冬のひだまり、休日の各駅停車。昔飼っていたネコがまるくなっていたみたいに、私もごろんと横になってみたかった。昼下がりのひだまりポジションをネコと中学生の私が奪い合う。ネコが陣取ると私が添い寝する形になって、私が先に横になるとネコは私の腕の中にもそもそと入ってきた。どのみち同じような態勢なのだけれど、気持ちはまったく違う。ネコが勝ち誇った顔をするか、私が優越感たっぷりに肉球をいじるか、その差は大きい。まあ、そんなちっちゃな感情も、ぼんやりしていく意識とともにひだまりに溶けていってしまったのだけれど。

 電車のシートはあちこち空いていたけれど、コートがぐしゃぐしゃになるからあまり座りたくはない。でも、ひだまりが顔を覗かせるそのスペースに、吸い寄せられるように座った。向かいの席には、派手なメイクを控えめに進める女の人と、文庫本を手にしたままうとうとしている男の子がいた。私も何かしてみようかと思ったけれど、あいにく何もない。目を閉じてひだまりの中に身を沈めてみた。

 ネコはこたつでまるくなるって歌う歌があったと思う。でも、私の記憶では、こたつよりもいつも座布団の上でまるくなっていた気がするな。特に、昼下がりの窓辺なんかは、お気に入りのポジション。いつの間にか、そこには座布団が敷かれて、ネコの特等席になっていた。私は単なるイタズラ心で、ささやかなネコの幸せであるお昼寝タイムを邪魔したものだ。最初はまるくなっているネコの背中をなでたり、耳を触ったりしていたけれど、いつの間にやらその身体をひっくり返したり、ぐるぐる回してみたり。迷惑だったんだろうなあ…もちろん、それ相応の報いは受けたけれど。しばらくしてイタズラにも飽きたので、というかネコの反応が悪くなってきたので(つまり、無視されるようになったので)、一緒に寝てみることにした。そんな日がずぅっっっと続いた。ひだまりの中、ふわふわした感触と光のぬくもりがとても気持ちよかったことを覚えている。

 目を開くと、女の人の目は二倍も三倍も大きくなっていて、男の子はまだ舟をこいでいた。どれくらいまで大きくなるの? いつまでそこに浮かんでいるの? 意味のない疑問に意味のある答えは返ってきそうもない。代わりに、私は向かいの窓の外に目をやった。窓から見える景色は、何も飛び交っていない、のんびりした冬の街。その間をするすると駆け抜ける電車も、のんびりとした音を立てる。私はひだまりの中でネコのことを思い出している。

New shoes New world

 歩く歩く歩く。どこまで続いているか分からない一本道を、歩く。空は快晴、風は少々。青空にふわっと浮かぶ一切れの雲は、まるで私がかぶっている帽子みたいだ。帽子、帽子。少し気になったので帽子の位置を直す。違うかなと思い、また直す。たぶん、最初とほとんど変わっていない。まあ、よくあるんだ、こういうことは。

 ピアノの音が聞こえる、ギターの音も聞こえる。名前の分からない楽器の音が聞こえ、その間を語りかけるような歌がすり抜けていく。音量はいつもと同じなのに、いつも以上に大きく聞こえる気がする。周りに人がいないせいだ。時々、自転車に乗った人とすれ違う。何を急いでいるのか分からないけれど、立ちこぎで駆け抜けていった。マイペースにのろのろとこぐおじいさんもいる。ゆっくり進んでいるのに、車輪がひとつ多いんじゃないかってくらい安定している。

 ちょっとした用があって、平日の昼間にバスに乗ったことがある。いくつかの停留所を過ぎたところで、やたらとたくさんのおじいさんおばあさんが乗りこんできたのを覚えている。おじいさんだかおばあさんだか判別できない人たちが、切れ目なく乗るわ乗るわ。シートを埋め尽くす老人の大群、っていうと怒られるかもしれないけれど、とても奇妙な光景だったな。バスを降りて、大きく息を吸って吐きながら、去っていくバスを見送った。あれは何だったんだろう。

 おろしたてのスニーカーが地面と触れ合う感触はとても好き。身体が軽くなった気がする。真新しい靴が恥ずかしいと言う子も周りにはいるけれど、私は気にならない。むしろ、快晴で始まる朝みたいで、きれいな方が気分はいいよね。落ち葉を踏む感触も、くしゃっという音も違っている気がする。靴が変わると世界が変わる。ささやくような歌とギターが聞こえる。

 シャカシャカという音が聞こえたかと思うと、ウィンドブレーカーを着た男の人が走って私を追い越していった。私も以前は走っていたことがある。何を思ったか、早朝ランニング。あの頃持っていたMDプレーヤーをポケットに入れて、寒い思いをしながら走った。いろんなものが始まる少し前の街をゆっくりと通り過ぎていくのは、なんだか不思議な気分だったな。自分だけがここに取り残されたような感じがして、ちょっと寂しくて、ちょっとほっとして。

 帽子を取る。空に浮かんでいた雲は、もうどこにも見られない。太陽は元気にそこに浮かんでいるし、道はまだまだ続いている。風はちょっと冷たい。そろそろ髪を切ろうかなと思う。

カサタテ

 雨のち曇り。太陽が顔を出す気配は今のところない。それでも、冷たい雨がやんだってだけでも感謝しなきゃならないのかな。って、どこに? 空に? 空の都合で降ってきた雨がやんだから空にありがとうって言うのは何かおかしいんじゃないの。空も降らせたくて降らせたわけでもないと思うけど。靴が濡れて足が冷たい。この腹立たしさを空に向けてぶつけたいよ。空はそんなこと知らないよって顔をすると思う。どこにぶつけりゃいいの、こういうのって。そんな顔をされたら、もう、何も言えなくなる。いろんなことがどうでもよくなる。

 やたらとカラフルな傘立てがすっごい気になる。ひとつひとつは細くて一色なのだけど、それがあちこちにあって、ざっと数えて五色が見える。入り口にひっそり置かれているものだと思うけど、この店の傘立ては自分(たち)が主役だって感じで点在している。ひとつひとつがビビッドで、とてもまぶしい。ん、もうひとつ見つけた。これで六色、あとひとつで虹だ、虹がかかる。店内をうろついて見つけたい気もするけど、さすがにそれは気が引ける。頼んだカフェラテが来るまではとりあえず待とう。

 公園には誰もいない。こんな天気で散歩する人はいないし、ジョギングをしている人もいない。おとなしく部屋にこもっていなさいと言っているような冷たい空気。池の周りを歩いてみる。当然ながらボートをこぐカップルもいないよね…って、誰も乗っていないボートがぽつんと漂っている。夜中に勝手に乗られて、降りた後そのままにされていたのかな。雨に濡れながら、少しずつ向きと位置を変えている。

 ぐるりと見渡してみると、店のあちこちに本が並べられている。あまり広くもないけど、本棚があっても狭いという感じもしない。カフェラテをひとくち飲んでから、本を眺めに席を立つ。離れたテーブルに男の人が本を読んでいるのが見える。その人の後ろを通り過ぎて、本棚を見て回る。歩きながらさりげなく、自分の席から死角になっていた傘立ての色を確かめてみたけれど、新しい色はなかった。どこかに七色目がある、はず。

 日本語、英語、あと、たぶんヨーロッパのどこかの言葉。文字がいっぱい並ぶ本、絵本のような本、写真がどーんと載っている本。どこかの国のどこかの街のガイドブックなんかもある。そこの言葉で書かれているので、写真でなんとなく内容を理解するしかない。それでも何を紹介したいかは分かる。晴れた空のもとで、いろんな人が笑っている。こういう写真で雨が降っていたり、不機嫌な顔をしているものってないんだろうな。当たり前だけど。手にした本をそっと元の位置に戻して、さっきとは違うルートでテーブルに戻る。七色目は、まだ見つからない。

 曇りのち…やっぱり曇り。まだ太陽は見えないけども、身体はずいぶん軽くなった気がする。ほんのいっときのあたたかさ。いつまで続くか分からないけども、しばらくはもつでしょ。吐く息がいっそう白く、大きくなっている。カラフルな傘立てが頭の中を駆け巡っている。メリーゴーランドのような感じで、ぐるぐると。

スクリーン

 いつだったか、水泳の授業の自由時間、私はよく水の中に潜っていた。潜水で泳ぐんじゃなくて、その場でプールの底まで潜って、上を見上げる。水面を下から眺めてみる。晴れている日はきらきらと揺れていて、それを見るのが好きだった。音も聞こえなくなる。上と下で世界がガラリと変わることが不思議で、楽しくて、その上泣きそうな気分だったのを覚えている。水の中だと涙はどんな風に流れるんだろうか。

 冬、春、冬…そして春、たぶん。冬の悪あがきを乗せた風は、部屋の中で想像していた以上に冷たく感じる。春コートを着たあとに冬コートを着なきゃいけないっていうのは、なんだか切ない。はしゃいでいたら先生に怒られたような気分になる。バケツの水をかけられたような感じ。暖かくなってくるとパステル系の柔らかい色があちこちで見られる。冬に戻ったような寒さが続くと、また色がなくなるような気がする。街が黒とかグレーっぽい印象になる。一度咲いた花が蕾に戻るってことはないと思うけど、そんな感じがする。まあ、空気は冷たくても、太陽の光はずっと濃くなっている。

 寒さから逃げるように目に入った建物の中に入る。近づいてから美術館だったことに気づいたけど、別に入るだけならいいよね。急に暖かくなったせいか、巻いていたマフラーが邪魔に感じる。コートも重い気がするし、早く外も中もちょうどいいくらいの温度になってよ。ロビーの椅子に座ってマフラーを畳んでいると、家族連れが入ってくるのが見えた。小学生くらいの子を連れている。これも教育だからとか感性を養うとかそんな理由で親は連れてくるんだろうな。まあ、夜な夜な飲み屋に連れていくよりは健全だとは思うけども。

 その女の子と目が合う。興味あるの? 女の子が立ち止まる。無表情ではないけど、笑顔というわけでもない、微妙な表情をしている。あの子くらいの年齢の子供が美術館にどういう気持ちで入るのか、私には分からない。離れた家族の方を見て、また私の方を見る。家族はロビーを抜けて展示室に入ったみたいだ。女の子は首を傾げると、家族の後を追って展示室に入っていった。どうかな? そんな声が聞こえそうな仕草だった。

 そのまま出て行こうかと思ったけれど、思い直して、チケットを買って展示室へ入ってみた。大きな部屋に理解不能なものがあちこちに置かれている。どれにも興味は持てないので、ちらちら見るだけで通り過ぎる。これじゃまるで単なる散歩だ。このままこんな感じで終わるのかなと思っていたら、別の部屋を見つけた。青い光に照らされた小さな部屋。時々何かのシルエットが壁に映し出される。何だろう? 人っぽかったり、動物っぽかったり、家っぽかったり。ゆらゆら揺れて、溶けるように形を変えて、消えて、また別の形で現れる。思わず手を伸ばして触れてみたくなる。届くかな。届くといいな。

under the library

 二四時間ずっと開いている図書館があったらいいな。そこまで時間を忘れて本を読んでいたいわけじゃないけど、真夜中の図書館というものを体験してみたい。ただでさえ静かな空間が、さらに静かになるというのは、なかなかイメージできない。本棚の本が動き出すなんてことはないよね…おもちゃのチャチャチャ、メトロポリタン・ミュージアム、みたいな。なつかしい。何も動かない、しんとした空気の中で、どんなことが頭に浮かぶんだろう。

 二四時間営業の美容室、というのは聞いたことがある。大変な時代だよね。夜に髪を切ろうなんて私は思ったこともないけど、それって一体どんな感じなんだろう? 意外とテンションが上がるかもしれない。真夜中に感じる、あの独特の変なテンション。いろんなものを終わらせたい時にはちょうどいいかもしれないな。髪を切って、眠って朝が来たら、さあ始まるよ、って。

 雪の降る夜みたいなものかな。日付が変わる頃の無口な図書館は、音もなく雪が降っているような感じかもね。窓を開けて確認するたび、雪が積もっていくのが分かる。大粒の雪が部屋の光に照らされる。どんどん積もる。どんどん積もれとつぶやく。窓を閉めてカーテンを閉めると、少し微妙な気持ちが戻ってくる。雪が積もれば積もるほど、ぽつんと取り残された感じになるけれど、同時に、もっと降ってと願っている。朝になったらまっしろでまっさらな世界に出会える。

 朝の光に照らされた図書館は、いつもとは違う表情を見せてくれるのかな。ファミレスに朝までいてもいやぁな気分になるだけだけど、図書館だったら違うはずだ、きっと。あと八時間とかそれくらいかな…と考えてみたところで、閉館を告げるアナウンスが流れた。まあ、図書館なんて一二時間くらい開いていれば充分なんだよね、やっぱり。読んでいた本を閉じると、パタンという音が意外と大きく響いた。

春風が聞こえる

 桜の下を歩くのは好き。

 お花見をするのはイヤ。

 桜餅は好き。

 桜吹雪の中を歩くのは、ちょっと悲しい。

 満開の桜が月に照らされている。ぐっと暖かくなって一気に満開になったところに、急に寒くなってちょっと嫌な気分がしたけれど、冷たい空気の中で月明かりがとてもキレイ。その光がはっとするくらいに桜をキレイに見せている。桜にも月にも吸い込まれそうな気がする。

 ケータイで桜を撮ってみる。予想通りぼんやりとしか写っていない上に、別に写真に残すこともない気がしたので、即座にデータを消去した。毎年咲くんだし、夏に桜の写真を見たってどうもしないだろうしね。温暖化とか何かで桜の木もおかしくなるかもしれないけれど、だからって写真で見ても仕方ない。目で見るから「愛でる」って言うんじゃないの?
くしゅん、という声…というか音が聞こえた。周りには誰もいない。物陰に誰かがいるのかなと思ったら、誰かの家に停めてある車の下で何かが動いた。もそもそとネコが出てきて、くしゅん。ネコだってくしゃみをするんだ、車の下で。もしかして、花粉症? だったらマスクすればいいかもね。

 そういえば、わさびのついたお刺身を食べさせたら、涙をぽろっとこぼしたこともあるなぁ。友達からは「ヒドイ!」と言われたけれど、わさびがついているなんて知らなかったんだよ…言い訳か。まあ、ネコだってくしゃみもするし、泣くこともある。桜並木の下を歩くネコを見送りながら、ネコも桜がキレイだって感じるのかな? と思ってみる。月明かり、夜桜、花粉症のネコ。これもまた、春。

Good days, Good bye.

 傘がない、傘がない。いきなりの天気雨だ。それほど強くもないんだけど、パラパラってほどでもない。もう濡れてもいいや、このまま歩こう。髪の毛、もうぐしゃぐしゃだな。風も強い。土の匂いがする。雨が運んできたんだ、懐かしい匂い。ここにいた頃は普通だったんだけど、コンクリートの中にいると絶対感じない匂いだ。懐かしい道を歩くと、景色が、匂いが、あの頃を思い出させてくれる。いいことも、嫌なことも、半々くらい? 都合の悪いことは忘れちゃえ、でも、ワンセットで思い出は蘇るみたいだ。

 小さい頃によくお世話になった病院は、まったく変わってないようにも、あちこちが変わっているようにも見える。外科とか内科とかを案内するプレートの文字は古さ全開で、やっぱり変わってないのかなと思う。廊下は意味もなく明るかったり、突然暗いところができていたり。何だか小学校みたいな感じがする。蛍光灯って寂しさ全開。その下にいるだけで何もかも嫌になる。どんよりしているのは病院だからってだけじゃなくて、蛍光灯のせいもあるんじゃないの?

 来た。病院の匂いだ。入った瞬間に感じる。独特だとはよく言われるけど、その通りだと思う。なんだろう、現実感がなくなるというか、意識が遠くなるというか。身体から魂みたいなものがするするっと抜けて、身体より前を漂っているイメージかな。エクト…プラズマ? プラズム? 気持ちよくはないけれど、かと言って気持ち悪いわけでもない。肌にぺたっとくっついてくるような匂い。

 おばあちゃんが亡くなったときもそんな匂いがしていた。もう一〇年前だ。ここじゃない、別の病院だったけども、入った瞬間に感じていたと思う。あれは亡くなる数日前。手を消毒して、なんかビニールのカッパみたいなものを着て、ビニールにくるまれたメキシコ人といった格好で病室に入った。そろそろだってことを聞かされていて、これが最後なのかなと思いながら、意識のないおばあちゃんのそばに行った。意識がないけど生きているってどんな感じなんだろうと思いながら、その顔をじっと見ていた。

 目が開いた。寝ていただけなんじゃんと思ったけれども、後で話したらけっこう驚かれた。ずっと意識はなくて、それ以降も戻っていなかったみたい。私が行った時も意識は戻っていなかったと思うけど、目が開いたのはどういうことなんだろう。神秘だとか奇跡だとかではないだろうし、私の勘違いってこともあるけど、私は最後に目が合ったんだと思っている。私の姿を見てくれたのかな。

 雨が降ると草の匂いがする。この季節のいいところは、それ。雨はイヤだけども、匂いは嫌いじゃない。鮮やかな緑色が、匂いを引き立たせてくれる。いろんなことを思い出しながら、懐かしい坂道を下る。傘はなくても、思い出はある。昨日は今日につながっているんだ。

クロックタイムダンス

 楽しいよ、とっっても。そう言ったときの友達の笑顔が素敵だった。半年も前のことらしいけど、どうやらバレエを始めたみたい。知らなかったー。金曜日に電話してもつながらなかったのは、そういうことだったのね。言ってくれればよかったのにな。でもまあ、とても夢中になっているみたいで、そんな状態のときにわざわざ報告することもないよね。念願かなった、って言っていたし、子供のころにできなかったことをやるんだよ、って話す彼女の目は、びっくりするくらいキラキラしていた。

 知らない駅で電車を降りて、知らない道を歩く。プリントアウトした地図を片手にうろうろ、うろうろ。地図を逆さにしたり、横にしたり。ああ分かりづらい。他の人から見たら、きっと怪しいんだろうなあ。でも仕方ない。地図を見て歩くのが苦手なんだから。大目に見てよ、まったく。知らない道をなんとなく歩いてなんとなく見つけた店に入るのはなんでもないのに、目的地があると途端にわけわかんなくなる。最短ルートとかってもう意味わかんない。

 結局持ってきた地図よりもあちこちに立っている看板を頼りに進んだら、着いた。自分の方向感覚のひどさに改めて呆れたけれども、すぐにのどが渇いたことの方が気になって、自動販売機でジュースを買った。目についたベンチに座ってひとくち。と思いきや、飲むペースは止まらなくなって、すぐにからっぽになった。ふーっと一息つき、周りをぐるりと見渡す。大きな建物がいくつも間隔を空けて建っている。余裕のある感じ。ところ狭しなんてことはなく、ゆったりしている。広いなー。

 本を選んでいるふりをしながら、ゆっくり歩いてみる。テレビで見たこの図書館が、どうしても気になって、こうして来てしまった。あまりにも遠かったらあきらめたと思うけど、意外と近かったので行こうと決めた。実際に来てみるとそんなに特別なものじゃないんだけど、ここにいるっていう事実に、なんだかわくわくする。夢にまで見たってものでもないのに。テレビに映る図書館を見たとき、そこに自分がいる姿を想像した。その中に実際に飛び込んだ、って考えたらファンタジーみたいで、不思議な感じがする。ここは私の想像の中で、一歩外に出ればテレビの前に座っている私に戻るのかな。うん、そうだったら、帰り道で迷うことはないんだ。一度歩いた道でも迷うときは迷うよね。

 腕時計を見て時間を確認する。まだまだ時間はたっぷりある。なんとかマウスもいないし、派手な乗り物もないけれど、そんなものはもともと必要ない。誰も共感してくれないけど、こういう時間の使い方が私は好きだ。時間を使っているっていうのもちょっと違うけど、流されているっていうか、身を任せているっていうか、流れるプールでぷかぷか浮いている感じかな。そういう時間が、とても心地いい。くるくる、くるくる、円を描いているみたいだ。

 家族連れを駅で見かけた。誰かが遊びに来ていて、それを見送りにホームまで来たみたい。親の方はその人に何かを話して、お土産らしきものを渡している。一緒にいた女の子はなんだか落ち着かない様子だったけど、いきなり後ろに足を上げた。と思ったら今度はつま先を立てている。きっとあの子はバレエをやっているんだ。いつでもどこでも練習しているんだろうな、こんな感じで。母親にたしなめられて不機嫌そうな顔をしたけど、それでもこっそり小さくステップを刻む姿はとても楽しそう。なんだか、キラキラしている。

Light drops

 雨宿り。最初はぽつぽつって感じの雨が、急に強く降ってきて、なんだかドラマみたいな感じになってきた。あっという間にぐしゃぐしゃになったけど、それでも弱くなったらいいなと思って、近くの軒下に避難。こうやって雨がやむのを待つって最近ないかもなぁ。歩いて学校に通っていたころは、雨がひどくなってきたらこんな感じで空を眺めながら雨宿りしていた。田舎だからそんなに避ける場所はないんだけど、たまたま近くにちょうどいい軒下があるとみんなで駆け込んだ。私たちの目の前を、男の子たちはずぶ濡れのまま走っていったけれど。

 今度はサスペンスみたいな感じ。雷がゴロゴロ鳴ったり、暗い部屋がぱっと明るくなるような光が目に飛び込んでくる。怖くはない。安全な場所にいるからってのもあるんだけど、いつもと違う雰囲気になって、ちょっと楽しい。放課後にみんなが雷にきゃあきゃあ言っていたときも、私は違う意味で騒いでいたかもしれない。なんだかよく分からないけど、みんな私の周りに集まってきたな。お守りじゃないんだよ。泣き出した子もいて、そんな様子を見ていると、大丈夫大丈夫って手を握ってやる一方で、こうした方が男の子の受けはいいのかななんて嫌なことを考えたりもした。

 おしゃれ長靴がいいなっと思う。いざ買おうとするとなかなか買えなくて、それでもしばらくするとまた欲しくなって見に行くんだけど、結局また手が伸びない。街を長靴で歩いても別に変じゃないのにね。どこかで田舎ってイメージを持っているのかな。コンプレックスみたいな。田舎ではみんな普通に履いていたけど、それっておじちゃんおばちゃんだ。中学に上がったらもう長靴は卒業。早い子は小学生のうちからやめていて、なんだかそれに憧れたなぁ。長靴を履かなくなったら、長靴は農作業と子供用、なんて思うようになって、それにまだ引っ張られているかもしれない。

 どれだけ待ったのかは分からないけど、止む気配はない。仕方ないから、閉じた傘を開いて、えいっと雨の中に飛び出す。傘に雨粒が当たってバチバチ鳴っているのを聞くと、ちょっと怖い。雷は怖くないのに。ちょっとした浅い川を歩いているような感じになっていて、もういいやって思う。中途半端に濡れるなら、もう思い切って。いろんなところを歩いてきたスニーカー。雨にも負けず、風にも負けず、雪にも負けず。車のライトを反射して、街灯の光を反射して、水しぶきが光の粒に見える。

水たまり

 新しい街は、騒がしい。でも嫌な感じの騒がしさじゃない。生活の中の騒がしさって、なんだかほっとする。電車の中でわあわあわめかれると嫌な気分になるけど、こうしてわいわい言っている商店街を歩くのは悪い気がしない。自分が通り過ぎる側だからかもしれない。賑やかな時間をするりするりと通り抜けて、ほんの少し後ろ髪を引かれる感じを覚えながら、私は違う場所に向かっている。ここに住んでいるのだから、必ず戻ってくるんだけれど、それでもここに対して感じるのは通り抜ける場所なんだ。きっと私は居場所を探しているんじゃなくて、ちょっと止まって休む枝を空から探している。

 さっきの夕立で生まれた水たまりを跳び越える。そこに映っているものを、覗き込んで確かめたくなる。空があって、雲の欠片があって、私がいる。きっとそれくらいなんだろうけど、それだけじゃないかもしれない。水たまりの数だけ世界があるような気がする。水たまりはいろんな世界への入り口だし、そこから出てくるための出口。鏡の中の世界はなんだか戻ってこれなくなりそうで怖いけれど、水たまりに映る世界なら飛び込んでみてもいいかもしれない。空を見上げると、また雲行きが怪しくなってきた。降られる前に駅に着かなきゃ。跳び越えてきた水たまりはまた新しい雨を吸い込んで姿を変えて、新しい世界を映し出すに違いない。

 この感触はずっとあの頃のままだ。寝てばっかりのこの子だけど、そっと(少し無理やり)抱いて、おなかをさすってみると、うん、柔らかくて、あったかい。もふっとしている。気持ちいいなぁ。いいんだよ、寝ていていいんだよ。寝ていたところを起こしたのは悪かったけども。もうよたよたな感じだけど、その眼差しも出会ったころのままだよ。じっと覗き込む。うるさそうに顔を背けて目を閉じる。そうそう、寝ていればいいの。しばらくすると、いつの間にか一緒の呼吸になっていることに気づく。私も眠くなる。どっちが添い寝されているのかわかんないな。すてきな時間。すてきな感触。もう少し、このままでいたい。

 友達の部屋でご飯を一緒に食べた(…食べさせてもらった)帰り道、月に照らされた雲が秋の形をしていた。思わず立ち止まってじっと眺める。また歩き始めると、浴衣を着ている人とすれ違った。そういえばさっきまで近くで花火大会をやっていたんだった。秋めく空を背景に夏の花が咲くって感じかな。夏の終わりは賑やかだね。だから次の夏もみんな待ち望むんだろうな。最近は私も夏が少し好きになってきた気がする。いろんな人の影響かもしれないけど、息を潜めて秋が来るのを待っているより、夏と一緒に駆け抜けた方が楽しいかな。それでも秋の気配を感じてわくわくするのは変わらない。

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それはまるでネコをさがすように1

 親戚がこのあたりでお店をやっている、らしい。叔母さんからそう聞いて、ちょっと行ってみようと思ったのはいいけど、肝心の場所が分からないってのはどういうこと。昼は喫茶店で、カフェ、じゃなくて、夜はワインを出すバーだって。よろしくねって軽く言われたけど、よく考えてみたら何してるんだろう…。来てしまったものは仕方ないけど。新しくできた地下鉄に乗って、きれいなホームに感動しながら地上に出るまではわくわくしていたけど、いざ探そうとしたらやっぱりわかんない。ああっ、無理かなぁ。

 近くの駅とお店の名前だけで探すなんて、やっぱりだめかなー。ネットで調べてみたけど、ぜんぜん見つからなかった。まぁ、世の中にあるもの全部が見つかるわけないよね、って今ならそう思うけど、最初はそんなこと思ってもみなくて、すぐに見つかるものだと思ってた。歩いて探すしかないみたい。みんな知ってるならネットで見つかるだろうし、誰かが何かを書いているはずだ。近所の人たちがお客のスナックとか、そういう感じなのかな。語尾がイタリア語っぽい感じの名前は、どちらかというとおしゃれカフェをイメージさせるんだけど。

sunny day, funny day

 ラジオかな。男の人がしゃべっている。秋のカフェにぴったりの曲を…とかなんとか。聞こえてきたのはけっこう派手な感じだけど、これが秋にぴったりなの? 秋に似合う曲って言うからしっとりゆっくりな感じかと思ったよ。休みなく流れる音楽はどれもにぎやかだなぁ。ラップみたいなのも聞こえるけど、ヒップホップっていう感じでもないんだよね。そんなに違いがわかるわけじゃないけど、ぽくないことはわかるよ。じゃあ何なのかって言われても説明できないけどさ。たまにはいいよね、自分の知らない音楽も。

 台風が行っちゃった後の青空はいいよね。洗われた感じ。空だけじゃなくて、道も電車も風も、どこを切り取ってもさわやかだ。もうすぐ秋が終わりそうで、急に寒くなったけど、こうして太陽が昇りかけているときって、冬がすぐそこにあるなんて信じられない。走っている人は汗だくだ。公園で遊ぶ子供たちとお父さんたちは全力で駆け回っている。道端で絵を描いている人がちらほら見える。イーゼルってなんだかカッコイイよね。イチョウの木の下は注意して、そろりそろりと歩く。タクシーの運転手は暇そうにしている。結婚式に出るっぽい人たちはきらきらしている。見習わなくちゃ。こうもあったかいと、街で見かけるひとたちがみんなカラフルだよね。

 ぼぉっと外を眺めていると、目の前を自転車がゆっくり通り過ぎた。おじいさんがこいで、後ろにおばあさんが座っていた。大丈夫かな、大丈夫かなってはらはらしながら見送ったけど、なんかいいなって思った。おばあさんの表情がすてきだったな。横を向いて座っていたから顔が見えたんだけど、いい顔してたよ。おじいさんがまた頑固な感じに見えるんだ。私のイメージかもしれないけどね。いいから黙って座ってろ、みたいな。すてきだね。

 アコーディオンの音がいいなっ。泣きそうだよ。ネットで見かけて気になった人のCDを買ってきたんだけども、ずーっと聴いている。すてきな声。ほんわかしているんだけど、ちょっと低い感じ。落ち着くし、楽しいし、泣きそうになる。アコーディオンなんて聴いたの、いつ以来だろう? 音楽の授業かな? 中学校の音楽会かなぁ。あの伸びる部分がなんなのかよくわかんなかったし、今でもわかんないんだけど、今なら大好きな音、って言える。歌詞を眺めていると、耳に飛び込んできた歌にまた泣きそうになる。歌詞にも泣きそうだよぉ。

Some Flowers for Someone

 夏だって言うにはまだ早いけど、夏のような暑さが続いている。だから、今日もアイスコーヒーを片手に歩いている。氷がじゃらじゃら鳴る。プラスチックのカップなので「からから」じゃないのがちょっとやだな。グラスの中の氷が立てる、からからっていう音はなんだか気持ちいい。風鈴みたいな感じ。金属のコップに入ったアイスコーヒーを飲んだときに聴いた氷の音は、ガラスともプラスチックとも違って、不思議な感じがした。かんかんとかこんこんとか、鐘を鳴らしているような感じがしたし、重くて、そこにいつまでも残っているようなイメージ。ガラスだと、風が吹き抜けていくような気がする。さわやかだよね。光に当たっていると、音まできらきらしているように聞こえる。

 夕方になってからちょっとしたイベントがあると聞いたので、覗いてみた。ドアを開ける前から音楽が聞こえてくる。あれはなんだろう。弦の音だ。バイオリンかな、でもそれっぽくない感じだし。ドアを押して開けると、コーヒーの匂いと一緒に音が私を包む。いい感じ。コーヒーを手にした人だかり、その視線の先には演奏している人が三人いる。一人は、ギターだ。もう一人は、弦楽器の、バイオリンじゃなくて、けっこう大きい、確か、そうだ、チェロだ。チェロ。入り口に置いてあった紙を見たらわかった。あと、こうやって叩く、打楽器の、えーと、コンガだ。アフリカっていうか荒っぽいイメージだったけど、こうして聴くとそうでもないね。ギターとチェロとコンガ。初めて聴く音楽かも。

 プラスチックのカップで揺れる氷の雑音も、街の音に紛れて聞こえなくなる。ちょうどいいね。もともとそんなに気になるわけでもないけど、店の中で飲んでいるとついカップを振るから、氷の音が聞こえる。それが好きじゃないから、なるべく外で飲みたい。どうでもいいこだわりだって分かっているんだけど。初めて来た街で、そんなことを考えなくてもいいのに。帽子をかぶり直す。手にしたコーヒーを一気に飲んでしまって、ゴミ箱に捨てる。これでオーケー。ああでもまた後で飲みたくなるかも。また余計なことを考えちゃうかも。考えるな考えるな、飛んでけ。どこかに消えちゃえ。

 すっかり暗くなった街の中で、さっき聴いたメロディを思い出して口ずさんでみる。こんなに近くでチェロの音を聴いたのなんて初めてだし、これがチェロだって思いながらちゃんと聴いたのも初めて。すてきだったなぁ。弾いている姿もきれいだったし。車の音とか周りの人の話し声とか、夜の街が立てるいろいろな音が混ざり合って聞こえてくるけど、私の中に流れるのはギターとコンガと重なって響くチェロの音。思い出すだけで楽しい。夜にもさわやかな風は吹くんだよね。

転がるりんごはどこへ行く

 目の前に綺麗な人が座った。沢山の荷物と、白いコート、そして真っ赤な帽子。手には折りたたまれた紙があって、地図かなと思ったら線がいっぱい引いてあって、「前身ごろ」とか書かれている。足元に置いた大きな紙袋の中身は、大量の布かもね。終点の駅に着いたので、その人の後に続いて降りる。人と人の間を器用にすり抜けて、紙袋もぶつけずに、すーっと先へ行ってしまう。私はあっさり置いていかれる。真っ白なコートは黒いコートの大群に塗りつぶされてしまっているけど、その赤い帽子はすごく鮮やかで、やたらと目立っている。するりするりと動く、赤い帽子。

 ゆっくりと電車が止まる。立ち上がってひだまりから離れる。まだ、ネコはそのひだまりでまるくなっている。そこにネコを置き去りにして、電車を降りる。ネコはずっとまるくなって眠るんだよね。うらやましいな。街に出ると、私と同じくらいの年齢の人たちがわらわらいる。ここには何回か来ているけど、まだ道が分かんないんだよね。もともと方向感覚はよくないのに、ぐしゃぐしゃと交差する道が私を余計に混乱させる。人が多い、多い。人混みを避けようとするときっと迷うので、仕方なく紛れる。空から見たら私がここにいるって、わかるかな。

 この街に来たときはこのカフェに立ち寄る。毎回、やたらと迷った末にたどり着く。人通りの多いところから少し外れた通りにある、マンションの部屋みたいなところ。窓際の席に座って本を読んだり、外を眺めたり、ネコのことを思い出したり。友達を連れてきたこともあるけど、一人で本を読むのがちょうどいいかな。ここにはギターを背負った人はいないし、熱く演劇論を語る人もいない。少なくとも私はそういう人をここで見たことがない。ちょっと歩けばそれっぽい格好の人たちがわさわさいるんだけど、このあたりには不思議といない。いつ来ても、どの季節に来ても、ふわっとした時間が流れている。

 うわぁ、角砂糖を入れすぎた。取り出すのも気が引けたので、スプーンでかき混ぜてしまう。どろっとしたコーヒーになってる。ひとくち飲んでみると、甘い甘い甘い! コーヒーと水を交互に飲む。子供の時に飲んだ、あの甘い薬みたいで、あの頃は好きだったけど、今となっては飲みたくないなあ。気持ち悪くなる気がしたけど、少しずつ飲めばなんとか大丈夫かな…。そのせいでっていうかそのおかげで、本の中でどうでもいい口論を続けるカップルが、どうでもよくなった。ぱたりと本を閉じる。またあとで。

I'm now waiting for breakfast

 なんとなく入ってみたお店で、なんとなく一枚のレコードを買ってみた。バッグに入らないそのレコードを抱えるようにして、近くの小さなカフェに入る。カウンターには椅子が五つあって、入り口の方にテーブルが三つと椅子が二つずつ置いてある。時間がゆっくり流れているような、ほっとする感じを受けるのはなんでだろう。まあ、寒いところからあったかいところに入ったのもあるかも。昼間は暑いくらいだったのに、夕方になるといきなり涼しくなるんだよね。それと、壁側に大きな本棚がある…ってよく見たら、レコードだ。びっしり並べられている。天井から吊るされたスピーカーからは音楽が流れている。たぶんジャズ。ジャズっぽい。いっぱいあるレコードもジャズなんだ、きっと。

 いつもの癖でカフェラテを頼もうとしたらカフェオレしかなかったので、それを頼んだ。どっちでもいいんだけど。国が違うだけの話でしょ?本当は何か違うのかもしれないけど、まあそんなことはどうでもいいよね。カフェオレを待ちながらさっき買ったレコードを眺めてみる。漫画っぽいっていうかアニメっぽいイラストが描かれていて、最初は「えっ?」と思ったんだけど、当時は普通だったのかな、今ならこういうのもアートなのかなって思うようにした。でもね、よくよく見てみると意外といい感じに思えてくるから不思議。って、単に影響されやすいだけなのかな。歌詞カードはちょっとした本みたいな感じになっていて、歌詞のほかに小説みたいなものが書かれている。

 カフェオレはボウルで出てきた。熱いのでお気をつけください、って言われたけど、熱い! 本当に熱い! 片手じゃ持てないから両手で、しかも熱くない縁のところを持って、おそるおそる、そぉっと口をつける感じでちょっとずつ飲んだ。レコードそっちのけでボウルと戦っている。コーヒーってこんなに熱かったっけな。確かあまり熱く淹れちゃダメなんじゃないんだっけ、でもでもカフェオレだからいいのかな。牛乳を温めているからこんなに熱いんだ、きっと。でも熱すぎるよ。

 ちょうどいい温度になってきたカフェオレを飲んでいると、お客さんが入ってきて、私の隣りの隣に座った。すると、お酒を頼んだ。そういえばメニューにリキュールって書いてあったな。昼はカフェで夜になったらバーになるってことか。もうそんな時間なんだ。暗くなるのが早くなってきたから、別にいいのかな。時計を忘れたから時間を確認することもできない。ケータイを出すのも面倒だから、もうなんでもいいや。するとその人がレコードについて聴いてきた。なんだかこれについて知っているみたい。そういう世代の人なのかな。私は特に何かを知っているわけじゃないからなんとも言えないんだけど、なんだか結構詳しいようだ。どうしてこれを買ったのと聞かれたので、衝動買いですと答えた。

くるりとまわる時間の中で

 大きなビルがあちこちにあるのに、人影はまばら。休みだから? 雨が降りそうだから? 改札を抜けて階段を駆け上がって地上に出た瞬間、あまりにも少ない人通りに拍子抜けしたほど。待ち合わせに遅れて少し走った自分がちょっと恥ずかしい。かろうじて見かける人たちは、なんだかリラックスしている。土曜日の夕方だからかも。単に自分が焦っていただけのことかもしれないな。私を見下ろしている無口なビルたちを、私は歩きながら見上げてみる。

 ゼロが四つ並ぶとき、カチッという音が聴こえる、ような気がする。中学生のときに買ってもらったデジタルの目覚まし時計を思い出す。一分経つ度に数字の書かれたカードがくるっと回って、その回る音が今でも記憶に残っている。ちょっと夜更かしして、夜の一二時になるときに、ぼんやりした頭で聴いていたカチッという音。今でも思い浮かべる。その音を合図に、いろいろなものが夜にもぐりこんでいく。私は眠いとまだ寝たくないの間をふらふらと漂う。

 曇っているから、暗くなるのも早い。気付くと、天井の照明がちょっと弱くなっていた。外が暗くなっただけかと思ったけど、照明も暗くなっている。外にあるテーブルにはキャンドルがあって、小さな火が揺れている。寒くないの? キャンドルを囲むように座っている人たちを見ると、思わず心配になった。冬のオープン・カフェなんて、何かの罰ゲームなんじゃないかと思う。

 高校生のころはひとつの本を寝る前にベッドの中で何度も何度も読み返したなぁ。一度読み通してからは、枕のそばに置いてあった。なんとなく適当に開いて、開いたページから読み始める。眠くなってきたら閉じるんだけれども、それより先に自分の眼が閉じることの方も多かった。気づいたらあちこちが折れていたし、そのせいかページもカバーもぐしゃぐしゃになってしまった。いつからか、本以外のものに興味が出てきてからかな、あまり読み返すこともなくなったけど、どこにどんなことが書いてあったかは思い出せる。

 外に出る。雨は降っていない。マフラーをぐるぐる巻いた。冬は早く過ぎ去ってほしいんだけど、あまりにも冬っぽくないと、それはそれで寂しいよね。春が待ち遠しい、なんて感覚もないかもしれないから。いっつも優しいよりは、たまに優しい方がいい、ってのと似てる? 似てない? やたらと物静かなビルと、ちょっと寒そうなキャンドルの火。ここにもう一度来ることはあるのかな。真夏にでも来れば、印象は変わるかもしれない。その頃にはいろんなものも違っているかもしれないし。

Sunlight Parade

 赤いバスが通り過ぎる。ロンドンで見たバスを思い出す。あの時も確かこの季節だったな。寒かった。帰ってきてからテロが起きたってことを知って、なんか他人事とは思えなかった。少しの間しかいなかったんだけど、いろんな風景を覚えていたから。窓の下を行き交う人たちがみんなおしゃれに見える。おしゃれな街だー。あれは何だろう。白いものを抱えている子がいて、たぶん楽器のケースだと思うんだけど、ギターとかそういうのじゃない気がするな。もっと小さくて、軽そう。こんなところで楽器を持っている人を見るなんて、意外。

 最近チェック流行ってるの? 赤が多いよね。なんか昔っぽいって気がするんだけど、ぐるっと回ってまた流行るから、それかな? 高校生とか中学生のイメージなんだよね、チェックって。私は違ったけど、制服のある高校ってチェックばっかだよね。私服でもチェックのマフラーならまあまあそれなりに、って感じだったから、意地でも巻いてやらなかった。何がいいとか悪いとかそんなのもわかっていたわけじゃないから、何の意味もなかったかもね。さすがに今ならもうちょっと冷静に見られるし、好きなものは好きだった思うし、言う。どうやって使ったらいいかはやっぱりまだ悩むけど。お店で手にとっても、店員さんに説明されても、どこかでひっかかる。まだまだなんだな。

 あっちには孫をおんぶしてるおじいちゃん。がんばれおじいちゃん。嬉しいんだろうなっ。こればっかりはどこも変わんないんだろうね。生まれたときにはもうおじいちゃんはいなかったからわかんないけど、いたらどうだったのかな。こっちには着物を着た女の子が手を引かれて歩いている。楽しそう。白タイツの男の子はつまらなさそうにしている。普段とは違うものを着てるってのが嬉しくって、私もはしゃいでいたな。特別な日みたいでね。今でもそれは変わんない。でもこういう感覚って男の子にはないのかな。

 あれ、音楽が聞こえる。トランペットとかサックスを吹いているおじさんたちがいる。なんだろう。楽器を持っているだけで意外だなんて思っていたけど、すぐに演奏している人まで見ちゃった。これってもう意外とかそういうことじゃないよね。私が知らなかっただけかな。この瞬間から、私の中でこの街は音楽の街になった。どうやら終わりの方だったみたいで、近くに来たときには演奏は終わっちゃった。それでも私は拍手を送る。目の前をトラックが横切る。何なのって思って見てみたら、ピアノ運送って書かれていた。へぇ、こういうのでピアノを運んでるんだ。知らなかったー。

jellyfish

 友達に連れられて来たバーみたいなところで、ライブが始まった。女の人がギターを弾きながら歌っている。騒がしい街の中を抜けてきたからなのかな、とても静かな感じに聞こえる。そっとささやくような。お酒も入っているから、寝ちゃいそうだけど。歌が終わって私は拍手する。ギターをぽろぽろ弾きながら、話し始める。マイペースに話している。おもしろいなー。友達の部屋で話してるって雰囲気だよね。気ままに、思いつくままに話が変わって、戻って、またどこかに行く。ふわふわっとしていて、楽しいな。

 いいから飲んでみなよって言われても無理だよ無理だって、そんなに強くないの知ってるでしょ。こういうのってすっごく強くて、強い人がかっこよく飲んでるイメージだよね。なんで今日に限ってそんなに勧めるのよ。なんかあった? 無理だって。それとも珍しく酔ったのかな。だからー。顔は赤いんだけど、それはいつもどおりで、話している感じもいつもと同じように、しっかりしているんだけど。わかったよ、ちょっと。大丈夫かな…お、意外と、いいかも。あれ、飲めるかも。あ、でもやっぱり熱くなってきたかな。でも、想像していたほどじゃない。ゆっくり飲めば飲めそう、ってこれもう私のものなのね。まあいいや。ミントの香りかな。いい香りがして、なんか気持ちいい。

 さっきのささやくような声が嘘だったかのように、はっきり歌う。ちょっと驚いた。優しく弾いている感じだったギターを、今度は力いっぱい弾いている。その曲を歌う前に話してくれた内容がけっこう真面目というか重かったので、もっと静かな曲をやるのかなと思ったけど、違った。なんか、突き刺さる。私は目の前の音楽に釘づけになっている。どこかで見た、昔のミュージシャンを思い出した。ギターを抱えて歌っている姿。何かをぶつけるような感じだけど、派手じゃない。その人は男の人だったけど、なんとなく、目の前で歌っているあの人に、なんでか、姿が重なった。

 コーヒーが飲みたくなったので、いつもなら電車を乗り換えるところを改札を抜けて、駅前のカフェに入る。窓際の席からは駅の前に広がるロータリーが見渡せるんだ。見下ろすと、たくさんのタクシーがぐるぐると回っている。夜は忙しいよね。どれも別のタクシーのはずなんだけど、同じ車が何度も何度も回っているように見える。バターになりそうな。大きな窓ガラスは一日の終わりを映している。少し上を見ると、駅のホームが見える。いくつも電車がやってきて、止まって、また出ていく。こんな時間なのに、たくさんの人が降りて、乗って、また降りて。もうすぐ私もそのうちのひとりになる。電車に乗って、降りて、歩いて、ドアを開ける。

それはまるでネコをさがすように2

 どこにあるのー。とりあえずといった感じで地図を持ってきたけど、やっぱり役に立たない。そう思ってすぐにしまおうとしたけど、思いとどまった。このまま何も持たずにうろうろしてきょろきょろしていたら絶対に怪しまれるよね。カモフラージュしなきゃ。いや、別に悪いことしているわけじゃないけど。それにしても、看板があったりガラス張りになっていれば分かりやすいのにな。下手に隠れ家的だったらどうしよう。隠れなくていいのに。

 真夏にこんなことをやっていたら間違いなく倒れる。急に訪れた秋っぽい涼しさに助けられたけど、相当歩き回ったせいか、今はけっこう暑い。途中から地図に、歩いたところを赤ペンでぐりぐり色をつけてみたけど、どんどん赤くなっていく。見落としてるってことはないよね。いつもならおもしろそうな雑貨屋とか服屋があったらちょっと入ってみたりするんだけど、今日はそれを抑えて…なんてことはなく、やっぱり入っちゃう。出てからまた歩いて、気になるお店を見つけて、また、ついつい。そんなことを繰り返している。いつになったら見つかるんだろうなぁ。太陽がどんどん西に傾いていく。

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花咲く空をネコはあるく

 わ、まぶしい。起きたころには凍っていた地面がとけて、泥みたいになっている。日陰になっているところはまだ固いし、うっすら白いままだったりする。日なたはあったかいよ。山は白いし、まだマフラーもコートも必要なんだけど、鳥たちの声が聞こえるとなんだかわくわくしちゃうよね。ムクドリだっけ、それともヒヨドリだっけ。忘れたけど、何とかドリっていう名前だったのは間違いないと思うんだけど、結局あやふやだ。あ、鳴いてる鳴いてる。聞こえる、聞こえるよ。そばにいるのかな。すぐそばに。

 鳴いてる、鳴いてる。パトロール? 散歩? 帰ってきたみたい…って、あー、そのまま入ってきたー。つかまえなきゃ。待ちなさいっ。がしっとつかまえると、にゃーとあーが混ざって濁ったような声を出す。おとなしくしててー。あの頃はささっと逃げちゃって大変だったよね。もう。足を洗っている間も、騒ぐ騒ぐ。足が濡れるだけでも、もう必死に逃げようとする。ごめんねー、もうちょっとー。もうちょっと…これで…よし、行きなさい。って離すと一目散に奥に行っちゃった。せっせと身だしなみ、身だしなみ。やれやれ。私も服がびしょ濡れだよ…ん、梅の花だ。ネコが歩いたあとに、梅の花。春だよね。

You may know art

 みんなで持ち寄った、軽やかな音楽が流れる中でのドライブ。少し風は冷たいけれど、それでも日差しは春だね。行き先はちょっと離れた山、その中にある美術館だ。どんなところかまったくわかんないんだけど、それは友達に任せてたからで、実は美術館かどうかもわかんない。あれこれと想像しながら、最後はそれもやめて、そのままを楽しんでみることにする。

 うわぁぁ、なんかもう山奥だよね。ちょっと昔の田舎の家っていうか、私の実家の近くにもあった、けっこう昔から建ってそうな家。美術館っていうか隠れ家だよね。本物の隠れ家を見たことがあるわけじゃないけど…。たくさんの木と生垣にぐるりと囲まれていて、一歩踏み入れると、別の世界に紛れ込んでるような気もした。日本昔話みたいな。遠くに聞こえる鳥の声も、私の知ってるものとは違う感じがするなぁ。そんなわけないんだけどそう思いたくなるんだから仕方ない。

 これって昔の人が実際に使ってたうつわなんだよね? どこの国から来たんだろう。みんなが思い思いに建物の中を歩いて回っている。時々足音が小さく響いて、突然ふっと静かになる。誰かの大きな家におじゃまして、その人のコレクションを眺めてるんじゃないかなぁなんて思ってみる。それでも違和感ないよね。高いところに窓があって、ふんわりした光が差し込んでる。しゃがんで、そのうつわと自分の目の高さを合わせてみる。じっと見てみる。また足音が聞こえる。

 天気もいいし、せっかくなので庭に出てみよう。サービスで出してもらったコーヒーを片手に、庭にある木の椅子に座ってぼんやりしてると、みんなもわらわらやってきた。さっき見たうつわや謎の絵の話をしてる。ん、おじいさんがいるよ。軒先に座って、ぼんやりと庭を眺めてる。けっこう細身のジーンズをはいてるし、着てるコートもおじいさんっぽくない。くたびれてるんだけど、すっごく似合ってる。穏やかな表情で、ずっと同じ姿勢でいる。仙人? ポップな仙人? この建物の雰囲気にぴったり合ってて、むしろ私たちの方が違う感じかも。やっぱり仙人の住む世界におじゃましちゃったとか…。どきどきしながら挨拶をしてみたら、にっこり笑って、小さく会釈を返してくれた。なんだかほっとして、やわらかい気分になれた。

月のペダル

 なんか、とっても月が近づいてるんだって。月が近づくって言われてもね、あんまりよくわかんないんだけど。それでも、なんとなくいつもと違う感じがする…気がする。じっと見ているとどんどん近づいてくるのかな。どんどん大きくなってくる。昔見た夢を思い出す。まだ覚えているんだ。もう夢だったのか起きているときに考えたことなのかぐちゃぐちゃになっているけど。山の上に浮かぶ、大きな大きな月。ぽつんと私だけがそこにいて、月から目が離せなくなっている。怖くて本当は逃げ出したかったのかもしれないし、自然の風景のように受け入れていたのかもしれない。忘れちゃったな。今でも覚えているのは、大きな月を眺めていたってこと。

 右の方…あれは東だ。東の山から月が顔を出している。少し目を離して、また東の空を見ると、もう月は山から離れている。月が私を追いかけてくる。ペダルをこぐ足に力を入れて、交差点を通り過ぎる。家がいくつも並んでいる道を、いつものように駆け抜ける。車が一台くらい通ってもおかしくないけれど、まったくすれ違わない。家の並びが途切れて、田んぼが広がる。左側には家が並んでいるのに、右側にはひとつもない。月が現れる。さっきより大きくなっている気がする。気のせいかもしれない。色が赤みがかっているからそう見えるだけなのだろう、きっと。たぶん…。早くこの道を抜けたい。早く家に着きたい。なるべく右を見ないように、前を向いて。早く。早く。

 いつもは電車の窓から見ているだけの景色。その中を自転車で走るのは、なんだか不思議な気分がするね。ときどき音がして向こうを見ると、いつも乗っている電車がするすると通り過ぎていく。入り口に立っている人が自分なんじゃないかって思ったりもする。私はあのドアの向こうから自転車に乗っている私を眺めている、とかね。こっちの私と、あっちの私。そんなことを思い浮かべながら、ぎゅっとペダルをこぐ。どうでもいいイメージはどこかに行ってしまう。代わりに優しい風を感じる。冬が長引いたぶん、春の風は気持ちいいよね。少し冷たいんだけど、自転車に乗っていればあまり気にならない。むしろちょうどいいかな。このまま海がある方にいきたいなぁ、私の足だと一日かかってもたどり着かない気もするけど…。

空色スケッチブック

 窓際の席を見つけて座ってみたら、目の前には色鉛筆があって驚いた。なんで? なんで色鉛筆? ぐっと興味がわいた。コーヒーとケーキを注文してから、マグカップみたいなペン立てから青いのを手に取る。なんだか懐かしいな。もう何年触ってないんだろう? ずっと昔に使ってた色鉛筆セットはどこにいったのかな? まだあるはずなんだけどな。まあいいや。手帳を取り出して、メモのページを開いてさっそく色を塗ってみる。わ、楽しい。次は、何色にしようかな。えーと、確か、藍色? 群青色? さっき塗った青色の上に、濃い青をそっと足してみる。いいね、いいね。空かな、海かな。やっぱり、空だよね。あ、でも、湖ってのはあるかもしれない。川もだよね。んん、でもやっぱり、空かな。空の色。

 緑色の季節。青い空の下に緑を丁寧に塗る。そういえば、緑色の葉っぱと青い雨ってのもあるよね。みずいろって色で雨を描いたな。こうして見てみると、雨を降らせてる梅雨の空、って気がしてきた。絵にするとどんより曇り空もさわやかな青い空に変わるんだよね。葉っぱの下には、雨宿りするネコを描いちゃおう。雨の日もパトロールは欠かさないもんね。茶色と、こげ茶と、あと黒、と。なんだか、雨上がりを待ってるうちに寝ちゃいそうな感じ。今にもあくびしそう。あくびしたネコって、すっごい顔になるけどね。

 夕焼けの空は、ピンク、だいだい、赤紫。南向きの窓から、信じられないくらいきれいな夕焼けが見えると、ぐっと身体を乗り出して西の方を見てたんだ。すぐに色は変わって真っ暗になるから、少しでも長く見ていたかった。西の空が濃い青色に塗りつぶされ始めたら、大きく息をついて部屋の中に戻って、窓を閉める。ノートと色鉛筆を取り出して、ほんのちょっと前まで見ていた空を描いてみる。見たこともないような雲の形、あっという間に変わる空の色、太陽が山の向こうに隠れそうになる瞬間。見たままに、描きたいままに、色鉛筆で塗る。ページをめくって、描いて、めくって、描いて。おなかがすいたのも忘れてね。

A Part OF LIFE

 きれい! 線路のそばに花が咲いてる。なんて花かわかんないのが残念だけど、きれいな色。思わずカメラを取り出して、パチリと一枚、二枚。ピンクの花びらに水滴がぽつぽつと乗っかってる。お昼くらいまで降ってた雨の忘れもの? それとも道草? 気まぐれに顔を出す太陽に照らされて、キラキラしてる。雨上がりの楽しみだよね。キラリと光る水の粒に寄って、もう一枚。そしたら少し離れたところに咲いてる赤い花に蝶がひらひらっとやってきた。花から花へ、忙しそうに飛び移る。もう一度、パチリ。おまけにもう一枚パチリ、と。後ろには線路が見えて、赤い花にとまる蝶。すてきな光景。電車がやってきて、蝶はどこかに飛んでった。どこに行ったんだろう。また会えるかな。

 私の隣に男の子が立ってて、花と線路を背にして、ぴしっと背筋を伸ばしている。それをお母さんがカメラに収めている。私はそおっと横に動く。そこで思わず、「撮りましょうか?」って声をかけた。自分でもちょっと驚いたけど、そんなことを言ってた。お母さんは一瞬戸惑ったみたいだけど、すぐににっこり笑って、ありがとうございますと言った。こちらこそ。私はカメラを受け取って、男の子とお母さんが並ぶ。はいチーズなんて言うのが恥ずかしくて、いきますよーなんていいんだかどうかわからないかけ声で一枚、二枚。お母さんが、もう一度ありがとうございますと言ってくれた。男の子が小さく頭を下げてくれた。カメラを返して、私も頭を下げた。なんだかよくわかんないんだけど、いつもならこんなことしないんだけど。

 控えめに光が差し込んできて、少しずつ濃くなる。いつまでも見ていたいけど、いつまでも見てられない。すぐに暗くなることもあれば、けっこう見られることもある。同じ時間だけ、同じ光景、ってことはないんだよね。今日はこうやって、すてきな夕暮れを見ることができました、っと。心の中でつぶやいてみる。そんなの見てられないときもあった。でも今日は見ていられる。そのことも、よくよく考えると、嬉しいことなんだよね。忘れちゃうけど。忘れたら思い出そう。私が忘れても、誰かが覚えていて、私は思い出す。忘れないなんて言い切る自信はないけれど、思い出す自信はあるよ。すてきな空模様を見たらいいなぁって思うし、昔にも同じ気持ちになったことを思い出すし。すてきな思い出も、あんまりすてきじゃない思い出も、ちゃんと私の中にある。だから、思い出すよ。

夢跡

 あれ、私だけなのかな。気づいたら、お店には私ひとりだけがいる。確か、あんまり埋まっていない手帳をぼおっと眺めてどうしようかなって考えてて、ときどき窓の下を歩く人たちを眺めて、そのうちそのまま外を見てたら、いつの間にかひとりになっていた。そういえば何人かおばあちゃんたちが集まって、なにやらわいわい話していたっけな。絶対、女子高生より元気。何に夢中になっていたのか、とってもにぎやかだったんだけど、いつ帰ったんだろう。

 どこから聞こえてくるのかわからないけど、小さく聞こえる音楽はピアノかな。その音だけが聞こえるから、余計に静かに感じる。なんだか私だけ置いてかれたみたい。家に帰っても誰もいなくて、二階に行っても、家の裏に回っても誰もいなくて、どうしようもなくて自分の部屋でじっとしていた…ってことがあった。そのときはどんな風に感じたっけな。怖かったのかな、それとも寂しかったのかな。静かだった、ってのは覚えているんだけど。だんだん暗くなってく部屋の中で、どうしようもなく静かだったな。どうしようもなく。

Lush Hour

 音が聞こえる。じっと耳を澄ます。音が聴こえる。朝がやってきた。眠気を払おうとして頭を振ってみる。ぼんやり残る夢の記憶も、朝の空気に混じって、溶けて、見えなくなる。たぶん、手を伸ばしてもつかめない。ボタンを押す。スピーカーから流れる音楽が私のスイッチを切り替える。流れる窓の外の景色は、いつも見ている景色だ。いつも乗っている電車。いつの間にか、いつもあるものになっていたけれど、ある瞬間にそうじゃなくなるかもしれない。でも今はわからなくて、その時にならないと、きっと理解できないと思う。それでも、いつもを生み出してくれる人たちの存在を、少し考えてみる。

 楽しいときはもっと楽しくしてくれるし、そうでないときは、気持ちを少し上向きにしてくれる。上向かないこともあるよ。でもね、じっと耐えて、別の何かでちょっと上を向くことができたら、そのときは私の背中をぐっと押してくれるんだ。南の空にある太陽の光はいつだって力強い。首をぐっと後ろに反らせて上を向くと、まぶしい。全身で光を感じたい。ずっとずっと昔、もう想像もつかないくらいに遠い遠い過去の誰かとつながっている気がする。そしてずっと先にいる誰かともつながっている。

 影が少しずつ長くなってきて、横顔がオレンジに染まってる。なんだか夢を見ているかのよう。楽しい夢ばかりじゃないけど、たまにはずっと楽しい夢もあるよね。控えめに月が顔を覗かせると、太陽がそっと姿を消す。じわりじわりと月の光が濃くなってくる。みんなに降り注ぐ光。でも、誰かにとってはひとりに当たるスポットライトになるんだ。淡く青く光る輪郭が、いっそう夢の色を濃くする。いろんなことを覚えているし、いろんなことを忘れている。忘れられないこともあれば、いつの間にか忘れていることもある。忘れるべきじゃないのに、忘れていくこともある。忘れたくないのに、忘れていくこともある。思い出しても、かつてほど痛まないことも、ある。

 もうみんな、夢の中に潜り込んだかな。ずっとずっと高いところ、少しでも空に近いところで会おうよ。少しずつ光が眠り始めて、夜空がいっそう濃くなって、黒の奥に黒があるような、どこまでも真っ暗な空が広がる。シルエットも見えない。夜を越えて、空を超える。そこまで行けば、涙はこぼれても、下には落ちない。落ちていくから悲しく思うのかもしれなくて、漂って、どこかへ行ってしまえば、きっとそれほど悲しくない。でも、乾いた大地が涙を吸ってくれるから、忘れることができるのかもしれないね。夢が終わるまで、終わりの音が聞こえるまで、もう少し漂ってみる。

HNMS NTR NTR

 いきなり急な坂道だぁ。前に住んでいたところも、駅から帰る途中に急な坂道があって、毎日大変だったな。あんまり深く考えずに決めちゃったから誰にも文句は言えないんだけど。日差しはちょっと夏みたいな感じだけど、日陰に入れば風が気持ちいいよ。からっとしてるから、その辺は気をつけて、と。日陰メインで坂道を登る。あんまり人がいなくて、ただただ歩くにはちょうどいいな。坂の途中に四角い木が立ってて、坂の名前とその由来が書いてある。こういうのをひとつひとつ巡る人たちがいるんだよね。私も嫌いじゃないかも、でもまあ写真に撮ったりメモしたりするほどじゃなくて、ちょっと立ち止まって読んでへぇぇって思うくらい。一〇〇年二〇〇年前にも同じ場所を歩いた人がいる。やっぱり日焼けとか乾燥とか気にしながら登ってたのかな、わけないか。あの頃は下駄かな。からんころん。

 鉄塔?好きの友達がいるんだけど、電線が集まって、どんと建ってる、えーとエッフェル塔みたいな、あれね。どっかに電車で一緒に行ったとき、家が見えなくなってたんぼばっかの風景になると、その子がわくわくした表情になるんだよね。ずっと窓の外を見てるからなんだろうと思ってたら、鉄塔が見えた瞬間に騒ぎ出して、魅力を語り始めて…。ごめん、ぜんっぜん覚えてないよ。東京タワーのライトアップなんかはきれいだなぁって思うけど、昼間の感じだと、んんん、あれを見てもねー。下から見上げたら、大きくて圧倒されるけどさ。

 道路の向こう側に地下鉄の入り口が見えた。ってことは反対側のこっちにも入り口があるはずなんだけど、見つかんない。もしかして、そういうものじゃないのかな。近くにある歩道橋。その先をたどって、たどって…あのへんに行けるみたい。これで行けってことね。行くよ。エレベーターと階段があるけど、私は階段を上る。そんなに急いでないし、こっちの方がわりと好きだしね。少し上って踊り場みたいなところに出ると、折り返して上るのかと思ったらそうじゃなくて、少し右にずれてまた階段が延びている。普通は反対側に行くよね、マンションの階段と同じでさ。こんなの初めて見たかもしれないなぁ。また上る。カンカン響く音が気持ちいいね。今度こそ折り返し地点。ぐるりと身体を返すと建物の隙間から青空がぱぁっと目に飛び込んできた。一気に駆け上がって、エレベーターの入り口を通り過ぎて、道路の上に、青空の下に飛び出す。車がさっと通り過ぎて、離れたところでは工事をやってる。大きなビルがあちこちに見える、その上に太陽が浮かんでる。日差しに背中を押されてる。階段を、またカンカン鳴らしながら降りる。慌てず、急がず。地下鉄の入り口から出てきた人たちとすれ違う。登山客どうしがすれ違うときみたいな、そんな感じ。おかえりなさいといってらっしゃい。こういうのって、いいよね。

I can breathe here

 秋の風をふわっと感じた。気持ちがふわりと軽くなって、わくわくしてくる。コーヒーの香りは秋の風に乗って届く、ん、逆かな。でもそうじゃないか。じゃあこうしよう。コーヒーのいい香りと秋の涼しい風が一緒になってやってくる。手をつないで、仲良くね。私はそれを迎え入れる。来てくれてありがとう。久しぶりに会う友達みたいだよね。会った瞬間に手を取り合って喜ぶあの感じ。ひとくち飲んだコーヒーは秋の味、かな? 一度行ってみたいと思ってるコーヒー屋さんの豆を使ったコーヒー。初めて口にする味は、私の好きな味。

 ごはんおいしいなぁ。いつも食べてるけど、こうやって気持ちのいい風が入ってくる窓際の席で食べると、いっそうおいしい。向こうには海が見えるしね。パン派かごはん派かって聞かれたら、そうだなぁ、できるならどっちも食べたい派。どっちがいいとか悪いとかじゃないんだけど、そのときに応じて適当に答えるかも。ほとんど意味はないんだけど、暇なときとか、電車の中とか、ときどきそんな話になる。そういえば、同じ感じでネコ派イヌ派ってのもあるけどネコ派。

 街が重ね着してる、あっちも、こっちも。見てて楽しいよぉ。みんな違うんだけど、すごいよね。やっぱり夏は重ねられないから派手な色になっちゃうのかな。重ね着だとそういうのって少なくなる。ちょっと見せるくらい。同じ感じの色がこう、グラデーションみたいにちょっとずつずれて重なっている。ぴたっとする感じにしなければ、風に舞ってそのグラデーションが揺れるんだ。ひらり。やさしい色が、ひらり揺れる。なんだか風に乗った気分がするよね、気持ちは上向きだ。

 また降ってきた。でも弱い。傘は差さなくてもいいかな。もう少し降ってきたら差そう。お店の光が道に映って、ゆらゆら光ってる。少し肌寒いけど、そんなに気にはならない。髪を切ってもらって、気分はいいからね。自分は変わらないけど、気持ちは変わる。ちょっとね。小雨の夜も、きらきら反射する道も、秋っぽい空気もまるごと楽しめる。好きな街で、ゆっくり息ができるから。吸って、吐いて。やさしく吸って、やさしく吐いて。帰ったらあったかいコーヒーを飲もう。ゆっくりね。おやつは何にしよう。

Portside walkin' girl

 ああもう眠い眠い。眠いけど、頭ははっきりしてて、なんだかちぐはぐ。街灯の光はぼんやりしているのに、やけにまぶしくて、夜になったあたりの感じ。本当に時間が経ったのかあやしい気もする。大きなあくび。頭の中がぐにゃんとしたり、いきなりぱっとしたり、交互にやってくる。こんな時間にも車は走ってるんだ。一台、一台、しばらくしてまた一台。しんとしたと思ったら、また来る。いつもと違う時間に歩く街は、私の知らない世界。誰も通らない街灯は、なんだか寂しそう。あったかくもないし、冷たくもない。味のないクラッカーみたいな光が、ぽつんとひとつ。

 どんどん青が、ぎゅうっと濃くなっていくよ。ホームから見える西の空はオレンジ、きれいなシルエット。もっともっと見てたいな。もうちょっとだけ電車が遅れてもいいかも、なんて勝手なことを思ってみる。青い色が黒くなって、にじむようにオレンジも青く、黒く染まって。もうすぐ夜が降りてくる。さらさらした空気が気持ちいい。すてきな空のグラデーションを目に焼き付けて、心に染み込ませる。明日も見られるかな、見られないかな。誰にもわかんないよね。会えるかも、会えないかも。わかんないけど、今の姿をもうちょっと見てよう。電車が来るまで、もうちょっとね。

 はっと自分の影に気づいて、空を見上げる。これまで聴いてた音楽をストップしてみる。しんとした夜、ちょっとずつ聞こえてくる。電車の音かな、それとも車かバイクかな。テレビの音っぽいのも、誰かの話し声も聞こえる。空からは何も聞こえない。色と同じように、音も塗りつぶせるのかな。音を音で塗りつぶしたら、それは混ざり合った音だよね。黒い音なんてないよね。黒を塗ったら、どんな色も黒になる。でもそれは純粋な黒じゃないんだよね。その色は黒の中で生き続けるんだ。私の目には見えなくても、その色は、ある。あるよね。

 初めてだっけ、そうじゃなかった気もするけど、見たとしてもすっごく小さい頃かもしれない。海のずっと向こう、水平線って、ぼんやりしてるんだね。山ってそんなことないでしょ? くっきり、こう、空と山が分かれてて、そこに太陽が沈んでくと、山のシルエットがきれいに浮き上がるんだよ。わかる? けどさ、海と空って、分かれてるのはわかるけど、あのあたりってぼんやりしてるよね。太陽もぼやけて、いっしょに溶けて、どろどろになって、海に混ざっていきそうな、ね。ほら、ほら。溶けてる。溶けて、溶けて、もうすぐなくなる。もうすぐ、…ん。

ノラネコアソシエーション

 ネコがとてとて横断歩道を渡ってる。ひんやりした朝の光を浴びて、毛並みがきらきらしてる。朝のパトロールかな。都会のネコも大変だよね。車に気をつけてね。って言われるまでもないか。むしろ私の方が気をつけろって言われるかも。この前なんか電柱にぶつかりそうになって慌ててよけたもんね。だって、変な顔した写真送ってくるんだもの。いつもはそんなことしないのに、なんでまた突然。笑いをこらえるのに必死になっていたら電柱が迫ってきて、うわぁあってなって。危ない危ない。ネコはそんなことないよね、ないよね。

 わぁっ。いきなり耳元でネコの鳴き声がして全力で驚いた。肩に乗っかってるみたいにすぐ近くから聞こえたんだけど、どこだろう。右を向くと、誰かの家の窓が少し開いていて、そこにこっちを見てるネコがいた。ちょうど顔の高さだ。この子ね。網戸越しにちょこんと座ってるのが見える。ネコってみんな、こうやって窓辺で外を見ているのが好きなのかな。それとも見張りなのかな。じっと外を眺めてる背中を眺めながら、何を考えるのかなぁなんて思ってみたり。今日は見られる立場だ。私はきっと縄張りに侵入した悪いやつですよー。

 ふっと顔を上げたら、シルエットになった屋根の上がぽこんと盛り上がっていて、なんだろうなんだろうってよく見てみると、ネコが箱座りしている。西に沈んでいく太陽を眺めている、ように見えるけど、実際はおやすみ中かもね。それとも本当に夕陽を見送るのが日課なのかな。じっとして動かない。まるで、お城のてっぺんにあるような、しゃちほこみたいだよね。あれも何かのお守りなんだよね、確か。きっとこの建物も、このネコに守られているんだ。ネコ型シルエットがもぞもぞと動いて、ぎゅーっと伸びをして、あ、今度はまるくなった。本気で寝るのか。

 階段の途中に黒くてふわふわしたネコがまるくなっていた。暗くて気づかなかったら、それこそ本当に踏んだかもしれないよ。ネコは私に気づくと、片目だけを開けてこっちを見た。真っ黒なかたまりの中に、きらっと光る目が見える。宝石みたいだよね。面倒そうにまた目を閉じようとする。ちょうど日なたで気持ちいいのはわかるけどー、どいてー。一段飛ばして降りるのは危険だし、かと言ってね、ネコをよけていくのも足を置く場所がなくて困る。ブーツだから余計に感覚がわかんない。本当に踏んづけちゃうぞ。うーん、どうしよう。どいてよー。

月夜の香りは秋の調べ

 これがキンモクセイの匂いなんだね! ちょっと甘くて、さわやかで、ふわっとしてて。この時期になるとみんなキンモクセイがどうのって言ってたけど、私は意識したことがなくて、けれども別に嫌いだったわけでもない。今でもどういう木かなんて想像もつかないんだけど、匂いはわかったよ。これね。どこからやってくるんだろう。こうしてずっと歩いてても、匂いは途切れない。あっちこっちにあるってこと? そんなにたくさん? 今までわかんなかった私ってなんなの。なんなの。

 なんだかね、澄んだ空気の中を、すてきな匂いにつられて歩いているみたい。きれいな三日月が浮かんでる。雲もなくて、くっきり光ってる。もしかして、この匂いは月から降ってきてるのかもね。そんな想像も楽しい。明日の朝はもっと寒くなるかな。ちょっと早いかもと思ったけど、このニット着てきてよかったよ。じんわりあったかいし、これで帰り道も大丈夫。今夜は毛布にくるまって寝よう。ネコのおなかみたいにあったかいんだ。明日の朝もきっとあったかいよね。

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ネコはひだまりでまるくなる

2012年6月24日 発行 初版

著  者:FJK
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