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「もうあなたにはついていけません。申し訳ありませんが今日限りで辞めさせて頂きます!」
「おう、おめーのような根性無しはこっちもごめんでぇ。とっとと出て行きやがれ!」
「はい、そうさせて頂きます。短い間でしたがお世話になりましたっ!」
バシッ、入り口の引き戸を叩くようにしてあいつは出て行きやがった。ったく、近頃の若けぇやつは根性がねぇや。ちょっと厳しく扱ったくらいで、すぐにキレやがる。ウチはそんな板前はいらねぇんだよ。おっと、お客が来たか。んでもまだ開店前だぞ。
「っらっしぇ!」
「なんでぇなんでぇ、さっき若いのがすごい顔で出て行ったけどよ。はっちゃん、また若い板前とやらかしたのかよ。元気がいいのはわかるけどよ、はっちゃんももうそんな歳じゃねーだろ」
「なんだ、ひろしさんかよ。昼間っからぶらぶらしてんじゃねーよ。こちとら仕込みで忙しいんでぇ」
「仕込みも何も、また板さん辞めちまったんじゃまた大変だろ。ったく、いくら小さな小料理屋だっていってもよ、はっちゃん一人じゃ大変だろ。ほれ、何か手伝うことがあったら遠慮なく言ってくれ」
「なぁに、もうじきバイトのやつが来るからよ。そいつに手伝わせるから問題ねぇよ」
そういって、今夜の料理の仕込みに入った。
オレは蜂谷喜助。通称はっちゃんと呼ばれ、「だるま屋」という小さな小料理屋をやっている。といっても、始めたのはほんの二年前。それまではいろんな料理屋で板前として全国を渡り歩いていた。二年前に今目の前にいる佐木野ひろしさんと久々の再会。ひろしさんはオレの高校の頃の一年先輩にあたる。高校の頃、オレとひろしさんは柔道部で一緒に汗を流した仲だ。あのころからオレはひろしさんの気っぷの良さに惹かれて、金魚のフンのようにあちこちくっついていってたな。そのひろしさんから
「はっちゃんも昔っから頑固だったからねぇ。その頑固なやつが日本料理の板前なんだからよ。ちぃっと気にいらねぇことがあると、すぐにカッカきちまうんだから」
「ひろしさん、そいつはちょっと違うよ。オレは料理にはこだわりがあるんだ。そこを理解できねぇ今の若い奴らはだめだね。ま、板前になりたい若い奴らはごまんといるんだ。また募集すりゃ、そのうちオレのやり方を理解するやつも出てくるよ」
「ってもよ、はっちゃんところは板さんもバイトも入れ替わりが激しいじゃねーかよ。半年と続いた試しがねーじゃねーか」
ま、確かにひろしさんの言うとおりだ。しかし、ここはオレの店。オレのやりたいようにやって何が悪い。と胸を張って言いたいところなのだが…実のところ、二年前の開業当時に比べて売り上げは右肩下がり。開業したときは、本格的な日本料理が手軽な値段で食べられる、庶民派の店としてもてはやされたものだが……。
今となってはひろしさんのような常連客だけでなんとか持っている状態。なんとかテコ入れしないとまずいんだよな。そんなオレの心を見透かしたのか、ひろしさんがこんな事を言い出した。
「はっちゃんよ、この店も開業して二年だ。オレも開業当時からこの店にはずっと通っている。その常連のオレが見ても、ここ最近のこの店の状況はあまりよろしくねぇんじゃねーか? この前も週末だっていうのに、客はぽちぽちだったろ」
「ひろしさん、心配ありがとよ。でも大丈夫だよ。ここは長年全国各地でいろんな料理を手がけたオレの腕で客をしっかりと取り戻してやっからよ。ま、安心して見てなって」
オレは何も大見得を切ってこんな発言をしたわけじゃない。一時は東京の高級料亭や超有名温泉旅館の板長までやってのけた腕がある。あのころはどこへ行っても、この腕一本で勝負してきたんだ。その料理がわからねぇような客はこっちからお断りでぇ。
「まぁまぁ、おまえさんがすごいのは認めるよ。でもよ、現実もちょっとは見なきゃよ。でさ、今日はおまえさんにちょっと提案があって来たんだけどよ」
「なんでぇ、どんなことだい?」
「いやな、実は今オレんところに羽賀って男がいるんだ。ほれ、ウチの花屋の二階に事務所があるだろ」
「あぁ、そういえばちょいと前からあそこに誰か入っていたな。で、その羽賀さんがどうしたんだい?」
「その羽賀をおまえさんに紹介したくてね。実はあいつは『コーチング』ってのをやっててね」
「な、なんだ?そのコーチングってのは?」
「ま、わかりやすく言やぁおまえさんの店をうまく軌道に乗せるために、おまえさんをコーチしてくれるってやつだ」
「なんだよ、今さら板前のトレーニングってか。そんなのはいらねぇよ」
「いやいや、板前のトレーニングじゃねぇよ」
ったく、仕込みの忙しい時間に。いくらひろしさんでもオレに板前の修業をやりなおせって言うんじゃねーだろうな。オレは今日のおすすめ料理の煮物の味を見たり、海鮮料理の下ごしらえでせわしく手を動かしながらひろしさんの言葉を話半分で聞いていた。
「ちょっと手を休めて聞きなって。そいつは料理家でもなんでもねーんだよ。この店の経営つーかやり方をコーチしてくれるやつなんだよ」
「なんでぇ、経営コンサルタントかよ。ウチはそんなヤツはいらねぇよ。オレにはオレのやり方があるんだから」
「だから、コンサルタントじゃねぇ。コーチだって言ってんだろ。ま、なんでもいいから一度会ってみろよ。会えばわかるからよ」
「そんな暇も金もねぇよ。ほら、仕込みのじゃまだから。今度は夜飲みに来たときにでも続きは聞いてやらぁ」
いくらひろしさんが先輩でも、これ以上仕込みのじゃまをされたらこっちも困っちまう。
「おはようございます」
おぉ、丁度いいところにバイトが来てくれたわ。
「ほら、今から忙しくなるんだから、また来てくんな!」
「ったく、わかったよ。じゃぁ今度夜にでも羽賀を連れてくるから。そんときゃもう一度話しを聞くんだぞ!」
「はいはい」
オレは言葉だけの生返事をして、ひろしさんを追い返した。
ったく、コーチだかコンサルだかしらねーが、オレはオレのやり方でやらせてもらう。しかし、この考えがこの後オレの店を窮地に立たせることになるとは。そして、ひろしさんが言っていた羽賀という男の存在が、この窮地を救ってくれることになるとは。このときは夢にも思わなかった。
「いらっしゃいっ!」
夜になり、いつものように店を開店。が、今日は少し様子が変だ。平日にもかかわらず、六時前から客が入り始めている。いつもなら八時を過ぎないとなかなか客が入らないのに。
しかも、その客というのが…あまり難癖はつけたくないが、あまり相手にしたくないタイプ。ちょっと厳つい顔をした、いかにもあっち系の人が六名。しかし、あまり地元では見ない顔だな。まぁいい、ちゃんとした客なんだから丁重に扱わないとな。
「いらっしゃいっ!」
お、今度はまともそうな客だ。若い女性二人に背の高い男性一人か。男性もよく見るとちょっと男前じゃねーか。いいねぇ、モテる男は。
ウチの店は六人掛けのテーブル席が二つにカウンター席が八人分。それほど大きくないので、この二組が来ただけでも結構いっぱいに感じる。しっかし、あっち系のお客さんはどうにかなんねぇのかな。ウチは高級日本料理を大衆価格でってことでやってんだ。そんじょそこらの居酒屋とはちがうんでぇ。そんなに騒ぐんじゃねーよ。
「おい、オヤジ。もっとビール持ってこい、ビールだ!」
「オレは焼酎、焼酎をグラスで持ってこい!」
「はいはい、ただいま。おい、早くあっちのお客にビールと焼酎を持っていけ!」
オレはバイトにそう指示すると、さっき来た男女三人組の料理に取りかかった。ったく、あの若い板前が突然辞めやがるから、仕事がてんてこ舞いでたまんねーや。早く次のヤツを見付ねーとな。そんなことを考えながら料理をこしらえていたとき、事件は起こった。
「おいこらぁ、これ間違ってんぞ! おめぇどこに耳つけてんだよ!」
「は、はい、すいません」
さっきビールと焼酎を持っていったバイトがなにかやらかしたらしい。オレは手がけていた焼き物から目が離せなかったので、しばらくそのままにしていたのだが、今度はそのどばっちりがこっちにも降ってきた。
「おやじ、おめぇんとこはどういう教育をしてるんだよ! オレが頼んだのは焼酎のロックだろうが。それなのにこいつが持ってきたのは焼酎の水割りじゃねーか。オレは薄めた焼酎なんてのまねーんだよ。なに聞いてやがんでぇ!」
おいおい、とばっちりもいいところだよ。ったく、あのバカ。グラスで焼酎を持っていく前にはロックか水割りかお湯割りか必ず確認しろっていたじゃねーか。
「はいはい、ただいま取り替えますので。ちょいとお待ちになって下さい」
オレは焼き物から目が離せなかったので、下を向いて客にそう伝えた。が、それがいけなかったようだ。
「おい、おめーオレにケンカうってんのか? それが人に謝る態度か? 人に謝るときには、ちゃんと人の目をみろって教わらなかったのか!」
ちっ、よっぱらってろれつがちゃんと回ってねーじゃねーか。ったくめんどくさい客だな。
「あいすいません、今ちょっと料理から手が離せなかったもので。今すぐ、取り替えにうかがいますので」
オレはようやく焼き物を皿に盛りつけ、急いで小うるさい客へと足を運ばせた。もちろん、代わりの焼酎ロックを手にしてである。
「申し訳ありません。飲み物のご注文の時にはちゃんと確認するように言いつけてあるんですがねぇ。こらっ、おまえもしっかりあやまらねーか」
おれはバイトの頭を押さえつけ、頭を下げるように強制した。バイトのヤツは不満そうな顔つきだったが、渋々頭を下げていた。だが、この客の怒りはさらにエスカレート。
「こぉら、バイトの責任はこの店の主人のおまえの責任だろうが! 責任は取ってもらうぞ」
おいおい、一体何を言い出すんだ。しかし、このグループで騒いでいる男以外の他の五人も、一斉にオレの方をにらんでいる。おい、やっぱりこいつら、あっち系の本職かよ……。特に奥で腕組んで座っている、ブルドッグ顔のやつなんか、相当すごみがあるぞ。
「な、何をすればいいんで……」
オレはおそるおそる声を出してそう言葉を発した。まさか指をつめろ、なんてこと言い出すんじゃねーだろうな? 奥で腕を組んでいたブルドッグ顔の男が、ゆっくりと口を開いた。
「おい、おめぇ。自分を何様だと思っているんだ? さっきから見てりゃ、バイトを手足のようにこき使いやがって。そしてその挙げ句が『しっかりあやまらねーか』だと? いくらおめぇんとこのバイトとはいえ、人を見下すのもいい加減にしやがれっ!」
オレはビクッとして、その場にすくんでしまった。このブルドック顔、やっぱカタギの人間じゃねぇ。ブルドッグ顔の男の言葉はさらに続く。
「だからおめぇんとこの店はいつまでたってもこうなんだよ。いっつも人が辞めちまうんじゃねーのか? それに、料理の味も二流だ。おめぇがどこで修行したかしらねーけど、こんなの食わされたんじゃ客も二度とよりつかねぇや」
お、オレの料理が二流だと?高級料理店の板長まで任されたことのあるオレの料理をバカにするのか?
そう反論したくなったが、相手はカタギじゃねぇ。ここは素直になるしかねぇな。オレはこぶしを握りしめて、じっとその男の言葉を聞いていた。
「ところでよ、今回の落とし前はきちんとつけてもらうぜ。バイトの責任は店主であるおめぇの責任だからな」
きたっ、一体何をやらされるんだ…。
「そうさなぁ、今回の責任をきちんと取るために、おめぇには修行をしてもらおうかな。そう、店の経営のためのよ」
へっ? このブルドッグ顔の男の言っている意味が、今ひとつ理解できない。ど、どういう意味だ?
あっけにとられているオレの顔を見て、男はさらに言葉を続けた。
「おめぇは今まで、自分の店は自分の好きなようにしていいって思っていただろ。それが今の結果を招くんだよ。わかってんのか?おめぇは今まで、料理をやってりゃよかったただの料理人だ。しかしな、今のおめぇは小さくても立派な経営者だろうが。その経営者が人の使い方一つしらねぇで、よくも店をやってこれたもんだ。だから腕は立つのに、料理が二流なんだよ。その心が味にしっかり出てらぁ」
うっ、痛いところをつかれた。しかし、修行とは…?
このとき、昼に来たひろしさんの言葉を思い出した。確か同じようなことを言っていたような。誰かを連れてくるっていったよな。えっと、名前はなんだっけ…?
あのときひろしさんの言葉を素直に聞いておけばよかったな。そんな思いが頭の中をグルグル駆けめぐっていたとき、ブルドッグ顔の男の口から信じられない言葉が飛び出した。
「って感じでいいんだよな、羽賀ぁ」
ブルドッグ顔の男は、仕切のふすまの向こう側にそう声をかけた。仕切のふすまの向こう側から、拍手が。そしてふすまががらっと開け放たれた。
「いやいや、竹井警部、名演技! ありがとうございました。それに刑事さんたちもご協力、感謝しますよ」
なな、一体何なんだ、これは?
「ったくよぉ。飲み代出してやるからちょっと演技を手伝ってくれって言われたときはなんなんだと思ったけどよ。でもこういうのも結構楽しいな。わぁっはっはっ!」
竹井警部と呼ばれたブルドッグ顔の男がそうやって豪快に笑い出す。すると周りにいた人達も、いままで厳つい顔でこちらをにらんでいたのが、一転してとても和やかな顔つきに変わった。
「バイトくん、突然脅かしてごめんね。ちょっと怖かっただろう。でもね、この経験がいつか君にもどういう事なのかわかるときが来るさ。きっと君もいい上司になれるよ」
羽賀と呼ばれた、背の高い男はウチのバイトにそう声をかけていた。しかし、まだ理由がわからない。一体これはどういう事なのか?
そのとき、店の扉ががらっと開いた。そしてそこに立っていたのは、あのひろしさんであった。
「はっちゃん、脅かしてすまねぇな。でもよ、このくらいの荒療治をしねぇと頑固なおめぇのことだから、きっとオレの話をきちんと聞いてくれねぇと思ってな。羽賀、それに刑事さんたち、ご協力ありがとうございます」
「ひ、ひろしさんが仕組んだことかい。冗談にしちゃ、ちっとひどいんじゃねぇかよ!」
オレはひろしさんにつっかかった。いくら何でもこれはひどすぎる。しかし、口を開いたのはひろしさんではなく、その奥に座っていた女の子の方であった。
「あ~ら、ひどいのはどっちかしら。竹井警部の言うとおり、私にはこの料理は二流、いやそれ以下にしか見えないわ。このお店、高級料理店の味が大衆価格で味わえるっていうのがウリじゃなかったっけ? それが格好だけ高級っぽくて、よく見たらアラだらけ。味もよっぽどお父さんがつくったカレーの方がましだったわよ。よくもこんな料理を平気で出していたわね」
「舞衣、オレのカレーと比較するんじゃねーよ!」
なんと、このセリフを言い放したのはひろしさんの娘なのか。そういや死んだひろしさんの奥さんも、言いにくいことをスパスパッと歯切れ良く言い切るような人だったな。
「まぁまぁ、舞衣さんも落ち着いて」
羽賀という男が舞衣さんを落ち着かせている。そして羽賀という男がさらに言葉を続けた。
「でも、舞衣さんの言うとおりだとボクも思いました。一見すると、とってもきれいな料理なのに、よく見ると焼きムラや盛りつけの荒さが目立ちました。それに味にもムラが。同じ料理なのに、濃いところと薄いところが混在しています。これが客足を遠のかせていた原因ではないかと」
「な、何を。素人がぬかすんじゃねぇ!」
オレは思わず反論してしまった。が、その言葉に対してブルドッグ顔の男、もとい竹井警部がオレの料理を差し出して、こう言った。
「つべこべ言わずに、黙って自分の料理を食ってみろ!」
その声のすごみに、オレは黙って自分の料理を口にした。
「え、えぇっ、そ、そんな。そんなはずじゃ…」
オレは一瞬自分の舌を疑った。が、もう一口、さらに一口食べてみるとそれが真実であることを認めざるを得なかった。
「蜂谷さん、これが事実なんですよ。ひろしさんはいち早くそこに気づいて、蜂谷さんをなんとかできないかってボクに相談があったんです。それに、従業員が次々と辞めていってしまう。本当は腕の立つ職人なのに、あまりにも自分に満足しきってしまい、味も人づかいもだんだんと悪い方向へ行ってしまっている。これをどうにかならないかって。必死にボクに訴えてきたんです。だから、ちょっと大芝居をうってみました。この点についてはごめんなさいね」
羽賀という男がオレにそう語ってくれた。
そ、そうか。オレの料理って、オレの店ってこんなに悪い方向へ向かっていたのか。愕然と肩を落とすオレ。しかし、そんなオレに一筋の光をさしてくれる言葉が。
「でもさ、この料理っておもしろいじゃない。これ、普通の居酒屋じゃ出してくれないわよ」
隣の座敷にもう一人座っていた女の子。さっきの舞衣さんよりも若そうだ。
「あら、ミク。まだ二十歳にもなっていないのに居酒屋なんて出入りしてるの?」
「まぁまぁ、舞衣さんそう堅いこと言わないの。でもさ、私こう見えても結構グルメな方なのよ。味については舞衣さんや羽賀さんが言ったとおりだけど、こういった料理が手軽に味わえるなんてなかなかないわよね。今までにない味なのは確かだわ」
ミクと呼ばれた女の子は、そういってオレの料理を一つ、また一つと平らげていった。
「ミクのいったとおり、もともと持っている技量や独創性、さらには基本的なものは他のお店ではなかなか見ることはできませんよ。これは蜂谷さんの強みではないでしょうか」
羽賀さんはそういって、オレのつくった料理を一口パクリ。そしてさらに言葉を続けた。
「これだけきちんとしたものがつくれる人だ。一度自分自身と向かい合ってみることで、何が足りないのかはすぐに出てきますよ」
「そうよ、その通りよ。はっちゃん、悪いことは言わねぇ。ここは一つこの羽賀に任させてみなって。こいつのコーチングなら、はっちゃんのいいところをさらに伸ばすことができるからよ。おれが保証するよ」
「そのひろしさんの保証があてにならねぇからなぁ」
オレは冗談交じりに笑いながらそう言った。
「何おぉ、オレの言葉は三年間の保証書付きでぇ。よぉし、じゃぁちょいと賭けてみねぇか。おまえさんが羽賀のコーチングを受けて、この店が繁盛すればオレの勝ちだ。そんときゃオレに毎晩ビール一杯おごってくれよな。羽賀のコーチングを受けて繁盛しなけりゃ、羽賀のコーチング代はオレが持ってやらぁ。
これならおめぇは損はしねぇだろ。どうでぇ、のってみるか?」
「よぉし、ひろしさんがそこまで言うんだったら、羽賀さんのコーチングとやらをうけてやろうじゃねぇか。ここにいる皆さんが証人だ。ごまかしはきかねぇからな」
「おうよ、望むところよ。ってことで、羽賀よ、後はよろしく頼んだぞ!」
「ちょちょ、ちょっと待ってくださいよ。ってことはボクが必死になって蜂谷さんをコーチングしてこのお店を意地でも繁盛させなきゃいけないじゃないですか」
「なんだよ、自信がねぇのか?」
ひろしさんは羽賀さんをじっとにらんでいる。
「いや、自信がないわけじゃないですけど……ったく、弱ったなぁ」
「じゃぁ決まりだ、早速はっちゃんのコーチング、頼むよ!」
何がなんだかよくわからないまま、オレは羽賀さんのコーチングとやらを受けることになってしまった。ところで、コーチングってなんなんだ?
ひと騒動が明けた翌日、オレはいつものように起きていつものように店に出た。しかし、いつもと一つだけ違うことがある。それは、今日からしばらくの間、羽賀さんのコーチングを一日三十分ほど受けることになったのだ。といっても、まだコーチングというものがよくわかっていないオレ。まずはそのあたりから教えてもらわねぇとな。
店内の掃除を終え、店の前の掃除に取りかかっていたときにあの羽賀さんが自転車に乗ってやってきた。
「蜂谷さん、こんにちは!いやいや、昨日はお騒がせしました。今日からしばらくの間、よろしくお願いしますね」
この羽賀さんっての、なんだか憎めねぇ顔してんだよな。一見するとへらへらしているようにも見えるんだけど、その笑顔に嫌みがないんだよ。なんなんだろうな、この笑顔は。
「おう、こっちこそよろしく頼むわぁ。ま、とりあえず中に入っとくれ」
オレは掃除をさっさと済まして、後を追うように店の中へと入った。
「でよ、昨日から気になってたんだが、コーチングって一体何なんでぇ?」
オレは羽賀さんにお茶を勧めながらこの質問をした。
「コーチングですね。ま、これをお答えする前に蜂谷さんにちょっと聴きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「ん、なんだよ?」
「えぇ、実はボクは今一人暮らしで食事はどうしても外食が多くなっちゃうんですよ。もしくはインスタント食品とかカップ麺とか」
「そいつはよくねぇな。そんな食生活ばかりやってたら、腹はふくれても体にガタがきちまうぞ。おめぇさんだって、見たところ体一つの商売のようじゃねぇか」
「蜂谷さんも聞くところによると一人暮らしなんですよね。お食事とかどのようなところに気をつけているんですか?」
「オレか、オレの場合はよ、朝はどうしても遅くなっちまうから昼飯が朝飯のようなもんなんだよ。その代わり、ここをしっかりと取るようにしてるんでぇ」
「へぇ、具体的にはどんなメニューで?」
「そうさなぁ、まず白いご飯に納豆、これは欠かせねぇな」
「白いご飯に納豆か。それから?」
「あとは日によって違うけどよ、野菜は店の残りの煮物があるからこれでとっているだろ。それから……」
「それから?」
「う~ん、あとは店の残りものが多いからな。よく考えてみたらこれといったことはやってねぇな」
「なるほど。ではもう一つ質問していいですか?」
「なんだよ?」
「今よりもさらに健康に気をつかった食事にするとしたら、あとはどのようなものをメニューに加えますか?」
「そうだねぇ、野菜はしっかりと取れていると思うから……とはいえ、よく考えたら芋の煮っ転がしとか肉じゃがみたいなものが多いな。ってことは炭水化物が多いって事か。もうちっと繊維質をとらねぇとな」
「なるほど、繊維質ね。その他には?」
「う~ん、こうやって考えたらタンパク質が足りねぇかな。オレは魚ってのはあまり食わねぇんだ。どちらかというと肉が好きだね」
「だったら、どうしますか?」
「魚ももうちっと食うようにするか。そう考えると、店のメニューも考えなきゃな。やはり日本食はヘルシーが売り物だからよ。魚中心のメニューなんてのも女性や年寄り受けするかもな」
「へぇ、魚中心のメニューか。おもしろそうですね、それ」
「おぉ、こりゃ早速アイデアを一ひねりしたくなっちまったな」
「ここまで話して、なにか思ったことや感じたこと、ありますか?」
「いやいや、なんか久々に創作料理をこしらえたくなっちまったよ。それに、オレの食事メニューも見直しできたし。健康的だと思っていたけど、もうちっとバランスを取らなきゃいけねーんだよな」
オレは腕組みをして、もう一度自分の食生活を振り返ってみた。
「ところでよ、なかなかいいアドバイスじゃねぇか。羽賀さんよ、おまえさんどこかで栄養学なんての勉強したのかい?」
オレはふと今までの会話を振り返って、羽賀さんにそう伝えた。ところが、羽賀さんから返ってきた答えは意外なものだった。
「いやいや、私は先ほど言ったとおりインスタントものばかりとっている不精者ですよ。そんな勉強なんかしたことありませんよ」
「でもよ、やけに的確なアドバイスじゃねぇか?」
「蜂谷さん、良く思い出してみて下さいね。ボクは蜂谷さんにどんなアドバイスしましたか?」
「え、だってよ、もうちょっとバランスのいいメニューをって……」
「ボクはそんなこと、一言も言っていませんよ。それ、蜂谷さんが自分でそう答えたんじゃなかったでしたっけ?」
「そうだっけ? そう言われりゃそうだが……」
「はい、実はこれがコーチングなんですよ」
「え、ど、どういうこってぇ?」
「ちょっと解説しますね。ボクは今まで蜂谷さんに質問をしただけなんですよ。『どんなところに気をつけて食事しているか』とか『具体的にはどんなメニューか』とか。さらには『健康に気をつけるならどんなメニューを追加するか』ってこと。あとは蜂谷さんが勝手にしゃべってくれただけですよ」
「するってぇと、魚中心の創作料理をつくるっていうのも…」
「はい、蜂谷さんが自分自身で出した答えなんです。自分で出した答えだから、『よし、やってみよう』って気になるでしょ」
「ま、確かにそうだな。で、これがコーチングってのかい?」
「そうなんです。ボクは料理については素人です。専門知識は持ち合わせていないんです。けれど、こうやって料理の専門家から答えを引き出すことはできます。これがボクの仕事、コーチングなんですよ」
「へぇ~、世の中にはおもしれぇ仕事があるもんだ。だったらよ、昨日言っていた店の売り上げをアップさせるってのも、オレが答えを出すってことかい?」
「はい、答えは全て蜂谷さん、あなたの中に眠っていますからね。ボクはそれを引き出すサポートをするだけですよ」
「う~ん……よし、気に入った! さっきまではよ、おまえさんが口うるさく『ああしろ、こうしろ』と指図するんじゃねぇかと思ってよ。オレはオレのやり方でいきてぇんだ。ここはオレの店だからよ。でも、それじゃいけねぇってのも昨日わかったからな。そうか、オレがこの店を良くするための答えを持っているのか」
オレはあらためて自分の店をゆっくりと眺めてみた。そうか、オレがオレ自身の手で店を変えていくのか。オレの頭の中には、開店当時のにぎわいを見せていた店の風景が描かれていた。そして胸の奥から、なんとなくワクワクするものがこみ上げてきたことに気づいたのだ。
「こんにちわぁ~」
「おう、羽賀さんかい。待ってたぜ!」
オレはあの日から羽賀さんが訪れるのを心待ちにするようになっていた。なにしろ、この羽賀さんと話すと気分がすっきりするんだよな。それにアイデアがどんどん湧いてきて、その場ですぐに試作品をつくったり、店のレイアウトをちょっと変えたりと、毎日変化があって楽しいんだよ。今日も、昨日のコーチングで思いついた新しいメニューを羽賀さんに食べてもらおうと待ちかまえていたんだ。
「どうでぇ、今日の試作品はよ?」
「そうですねぇ……マグロの赤身をうまくアレンジしているので、見た目のきれいさはさすがだと感じましたよ。これは蜂谷さんの培った料理人の感覚がさえている証拠ですよね。あとは私の好みかもしれませんが、ちょっとバターくさい感じもしますね。和食に洋食の要素をうまく取り入れたところは斬新なのですが、和食の良さが打ち消されている。そんな感じを受けました」
「う~ん、やっぱそうか」
いつもながら羽賀さんの的確な感想には驚かされるわ。とても普段は外食とカップ麺で過ごしているとは思えない味覚だな。オレは自分のつくった料理をひとつまみしながら、羽賀さんの言った言葉を再確認した。
「では、これから何を引けばいいと思いますか?」
こうやって、オレの料理についてのコーチングが始まるってわけだ。店のレイアウトや小道具、レシピについても同じように一つ一つ丁寧に言葉をかけてくれる羽賀さん。やっぱこういった言葉をかけてくれるヤツがいねぇと、人って成長しねぇものなんだろうな。
こうやって羽賀さんのコーチングを受けてちょうど二週間経ったとき、おれの身に予想もしなかった出来事が起きてしまった。
「わたくし、こういう者です」
ビシッとしたスーツにアタッシュケース。髪は七三に分けた、いかにもビジネスマンって顔したヤツが突然俺の前に現れやがった。
「なになに……四星商事エリアデザインプロジェクト、軽部さん……。え、あの有名な四星商事!」
オレはそいつの名刺を一通り眺めて、ちょいと驚いてしまった。四星商事といえば、何でも取り扱う一流商事会社として有名な企業だ。前にオレが勤めていた高級料亭には、接待と称して四星商事のセールスマンと大きな会社のお偉いさんの姿をしょっちゅう目にしていたからな。その四星商事が一体なんでオレのところに?
この軽部という男はオレにこう言ってきた。
「すでにご存じと思いますが、今度駅前に商業施設『セントラル・アクト』が立ち上がります。この中の目玉の一つとして『テイスト・ジョイ・タウン』というものがあります。ここには一流の料理店を並べ、味わうことを楽しんでいただこうと思っているのです。そこで、蜂谷様にもお手伝い願えないかと思いまして」
チャンス! オレは思わずそう心の中で叫んだ。一流の料理店が並ぶ、つまりオレが昔やっていた高級料亭やホテルでの腕前をふるうことができるというわけだ。
この軽部という男が言うには、開店資金や運営資金については四星商事が有利な形で貸してくれるという。しかも、食材の仕入れや物資の調達、店作りに関してまで四星商事が面倒を見てくれるっていうじゃねーか。どこをどう見ても、オレにとっては有利な条件ばかり。思わずその場で「契約書を早く出せ!」と言ってしまいそうな勢いにかられてしまった。が、軽部の次の一言が、オレのその勢いを止めてしまった。
「ただし、出店に当たって一つ条件があります。メニューに関してはテイスト・ジョイ・タウン全体の水準を維持していく必要があります。そのため、私たち四星商事を始めテイスト・ジョイ・タウンの運営側で基本のものを企画させていただきます。とはいっても、その他の部分については基本的には蜂谷さんの思ったとおりのお店づくりをやっていたければよろしいのですよ」
その他はオレの思った通り…といっても、肝心のメニューに関してオレの思いのままにいかねぇってのが気になる。むしろ、店作りなんてのはその道のプロにまかせて、メニューに関してはオレのやり方でやらせてくれねぇとな。
「蜂谷さんもいろいろとお考えがあるでしょう。つきましては詳細資料と契約書をお預けしておきます。三日後にまたお伺い致しますので、そのときにはぜひ私たちが満足できるお答えを出されることを期待していますよ」
軽部はメガネの奥から眼をきらりと輝かせて、オレに書類一式を手渡した。どうもあの眼の奥には何かが潜んでいるようで怖い、そんな印象を受けてしまった。そう、あの羽賀さんとは対照的な目の輝きだ。
「それでは失礼します」
軽部が店を出ようとしたそのとき、
「どぅもっ! 今日はちょっと遅れちゃいましたね!」
元気に羽賀さんが飛び込んできた。そのときに、軽部と羽賀さんの肩がトンっと軽くふれあった。
「おっと、失礼!」
先に言葉を発したのは羽賀さん、そして次に軽部の方から予想外の言葉を聞くことになった。
「おや、羽賀さん、羽賀先輩じゃないですか?」
「おぉっ、軽部くんじゃないの。久しぶりだねぇ~」
なんと、この軽部と羽賀さんが知り合いだったとは。しかも先輩と後輩?
「軽部くん、今日はどんな仕事でここにきたんだい?」
「羽賀先輩こそ、どうしてここに?」
「いや、今こちらの蜂谷さんにいろいろとお世話になっていてね」
羽賀さん、お世話になっているのはこちらの方だぜ。そう思ったものの、この二人の会話をしばらく聞いておくことにした。
「はぁ、そうなんですか。しかし、羽賀先輩も変わりましたね。昔はスーツをビシッと決めて、キリッとした印象が強かったのに。今ではポロシャツにジャケット、そしてチノパン。ちょっとラフになっていますね。」
「いやいや、自転車だからね。ホントはもうちょっとラフにいきたいんだけど。それにボクはもう営業マンじゃないからね。ただのコーチだよ」
「先輩、いつまでそんな偽善者のような仕事を続けるんですか。ボクはあのころの、四星商事でもトップセールスを誇っていたあのころの羽賀先輩にあこがれていたからこそ、今があるんです。先輩は僕ら四星商事セールスマンのあこがれだったのに」
な、なんと。羽賀さんがあの有名な四星商事のトップセールスマンだったとは…。
羽賀さんが四星商事のセールスマンだったというのは、オレにとってはちょっと衝撃だった。四星商事のセールスマンといえば、その気になれば一般家庭にミサイルまで売ってしまうのではないかという強者と聞いている。そのためには、多少強引な手を使ってでも相手に契約のハンコを押させる、といううわさまである。ってことは、この間の警官を巻き込んでの芝居、あれもオレから仕事をとるための手法だった、ということか?
おれの思いとは別に、軽部と羽賀さんは会話を続けていた。
「で、軽部くんはどうしてここに?」
「それはさすがに企業秘密です。といっても、見たところ羽賀先輩と蜂谷さんとは仲がよろしいようで。きっと蜂谷さんの口から聞くことができますよ」
「ま、おおかた予想はついているけどね。四星が蜂谷さんの腕を見逃さないわけがないからなぁ。駅前に大きいのもできることだし」
羽賀さんのその言葉に、軽部は一瞬渋い顔をした。羽賀さんは軽部のその顔を見て一言。
「軽部くん、まだまだポーカーフェイスの練習が甘いよ。今のハッタリで全てが図星だということがわかっちゃうじゃない。これじゃ、お客様にすぐに君の、いや四星のたくらみなんてばれちゃうよ」
「し、失礼します!」
軽部は羽賀さんのその言葉に怒ったのか、最後の一言を残して店を逃げるように飛び出していった。
「軽部くん、ホントにまだまだ青いよ。さて、それよりも蜂谷さん」
「は、はい!」
オレは羽賀さんから突然名前を呼ばれて、ガラにもなく緊張してしまった。羽賀さんの方を向く。その眼はいつもの通り、柔らかで安心感を与えてくれる。さっきの軽部ってやつの眼とはやはり対照的だ。
「もしボクが今から言うことが当たっていれば、だまってうなずいてください」
オレは何が始まるのかと思ったが、とにかくこの場は羽賀さんの言うとおりにすることにした。おれは黙って羽賀さんの言葉におおきくうなずいた。
「軽部くんは蜂谷さんに、駅前商業施設『セントラル・アクト』への日本料理店の出店の話しをもってきた」
オレは大きくうなずく。
「さらに、出店にあたっては、融資の面や資材・食材の面で面倒をみてあげる、そう約束すると言った」
さらに大きく、オレはうなずいた。
「但し一つだけ条件があるともちだした」
ここまで的確に言い当てた羽賀さんにびっくり。
「その条件とは、メニューの決定権。これを四星側で行うというもの。いかがですか?」
「いやいや、なんでここまで言い当てることができるんだよ」
オレは羽賀さんがそこまで言い当てたことに対して、不思議でならなかった。しかし、羽賀さんの口から出された言葉は、一番納得できる回答でありさらには一番困惑させる回答でもあった。
「なんてことはないですよ。この事業プラン、もともと私が企画したものなんですから…」
羽賀さんはちょっと伏し目がちにオレを見ながらそう答えた。
「え、羽賀さんが……そ、そうか。羽賀さんは元四星商事のセールスマンってことだったよな。ってぇことは、まだ何か隠してやがるってことか? おい、いってぇ何を隠してやがんでぇ。事によっちゃ、タダじゃおかねぇぞ!」
オレは先ほど黙ってうなずいていた態度から一変し、問いつめてやろうという気持ちがあふれて言葉が乱暴になってしまった。が、羽賀さんはそれを冷静に受け止める。
「えぇ、私が元四星商事のセールスマンってのは確かです。が、今はただのコーチですよ。それよりも蜂谷さん、あの軽部くんの提案を聞いて、出店についてどの程度前向きに考えているのですか?」
「なんでぇ、あの話か。ま、まぁ悪くはねぇと思っているがな……けどよ、メニューまで口出されたんじゃ料理人としてはちょっとな」
「メニューに口を出されると、その先はどうなるんですか?」
「その先ねぇ……」
オレは羽賀さんのその質問で、一度冷静になって考えてみた。出店に当たっての条件は悪くねぇ。悪いどころかこちらに有利なものばかりだ。集客だってあの施設だったらうまくいくだろう。が、どうしても何か一つピンとこねぇ。それは何なんだ?
「メニューに口を出されると……オレ独特の料理がだせねぇ。ってことは、オレのやり方ってのがうまくいかねぇってことになるな。どうも窮屈でいけねぇや」
「それから?」
オレの答えに羽賀さんはさらに質問を重ねた。
「それから……そうそう、あれだけの施設に出店するんだから、オレ一人じゃ料理は作れねぇ。そうなると何人か料理人を雇う必要があるわな。そう考えると、オレばかりが料理をやっていたら効率が悪くなるから、ある程度決まったメニューってのは店内を回しやすくはなるかな」
「そうなると、蜂谷さんの味というのはどのように広がるんでしょうね?」
「オレの味? そうさぁな、全くのオリジナルってわけじゃないが、オレに続く料理人が育ちやすくはなるわな」
「そこなんです! 四星のねらいは!」
羽賀さんが険しい顔をして突然立ち上がり、大きな声で叫んだ。
「四星商事は新しく食の世界へ進出しようとしています。狙うのは全国主要都市での高級料理を中心としたチェーン化。そのためには一流といわれる人間の味をコピーする必要があるのですよ。チェーンですからね、各店に味の格差をもたせないように」
「そりゃそうだろう。でもよ、それと今回のことがどうつながるんでぇ?」
「蜂谷さん、あなの味が四星商事側にコピーされたあと、あなたはどのような待遇を受けると思いますか?」
「待遇……そうさな、総料理長とかいって、いい待遇を受ける……」
「なんて甘いことを、厳しいコスト競争にいる商社が考えるとお思いですか?」
羽賀さんのその言葉に、オレは一瞬背筋がゾッとした。
「ってことは、そのときにオレは……」
「そう、味が完全にコピーされればオリジナルは不要。その先は今蜂谷さんが頭の中に描いている通りですよ」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれよ。するってぇとオレは味を広げるために利用されるってことか!?」
羽賀さんは無言でうなずいた。
「だったらよ、当然この話はお断りだ!」
「しかしそうも行かないでしょう。あの四星商事のことだ。今度は蜂谷さんが敵に回らないように、あの手この手で妨害にでることは間違いないでしょう」
「だったらどうすりゃいいんだ?」
オレと羽賀さんは向かい合って腕組みをしたまま、うなだれて黙り込んでしまった。一体どうすればいいんだ……。
「こんにちは、蜂谷さん」
「おう、軽部さんか。待ってたぜ」
「今回はお電話頂き、ありがとうございます。まさか蜂谷さんの方からご連絡をいただくとは思わなかったもので。本当にありがとうございます」
「いいってことよ。こっちもよ、あれからいろいろと考えたんだけどな。やっぱこの話……」
「この話……?」
「この話、いいわ! 最高だね。こんな条件でやらせてもらうなんて、オレもツイテル証拠だよな。うわっはっは!」
先週、この軽部が持ってきた『テイスト・ジョイ・タウン』への出店話。今日はこれに回答するためにこの軽部を呼んだわけだ。オレの豪快な笑い声と返事に、目の前の軽部は半分驚いているようだ。
「あ、ありがとうございます。しかし、羽賀さんとお知り合いの蜂谷さんからOKの返事がもらえるとは思わなかったな……」
「ん、なんでぇ。なんか言ったか?」
「いえいえ。で、早速なのですが、契約となるともう少し詳しいお話をさせて頂こうかと思うのですが、時間はよろしいですか?」
「おう、もちろんでぇ」
オレは腕組みして、シャキッとした姿勢で事にのぞんだ。このとき、オレが店の奥に一瞬目をやったことに、軽部は気づきもしなかったようだ。
「ではですね、スケジュールの説明をさせていただきます。すでに資料でごらんになったとは思いますが、このテイスト・ジョイ・タウンは六ヶ月後からスタートとなります」
「だよな。だからオレもこの店を半年後にはたたまなきゃいけねぇからな」
「いえ、実はここでもう一つ条件が。このテイスト・ジョイ・タウンは高級料理と高級雰囲気を比較的安価で楽しんで頂くことが目的です。そのため、従業員訓練が必要となります」
「ほぉ、それで?」
「はい、そこで従業員についてもこちらの方で人選し、二ヶ月前から訓練を始めます。そのマニュアルづくりに関しては、今回出店して頂く各店の責任者の方と一緒につくり、さらには訓練にも講師として参加して頂く予定となっております」
「なるほどねぇ。さすがは四星商事さんだ。やることが徹底しているねぇ」
オレはそのやり方に思わず感心してしまった。
「ありがとうございます。さらには、今回蜂谷さんは抱えている料理人がいませんよね。とはいっても、出店に際しては料理人が一人というわけにはいきません。ですから、日本料理に関しての料理人もこちらでご用意させて頂きます」
「ほぉ、そいつはありがてぇ。でもよ、腕はたしかなんだろうな。素人を育てている暇なんざこっちにはねぇからな」
「はい、それはおまかせください」
「ってことは、オレの味もすぐに覚えてもらえるわけだ」
「えぇ、もちろんです。そのくらいの人選はやりますからね」
オレはにやりと笑い、次の質問を投げかけた。
「なるほど。ところでよ、メニューのことなんだが……」
「はい、なんでしょう?」
「メニューについてはそっちで考えるって事だったよな。これ、どういう意味があるのかもう一度説明してくれねぇか?」
「あ、メニューですね。これはテイスト・ジョイ・タウンの品質レベルを一定以上に保つための策なんです。確かに料理人としては、メニューについてもご自分で創作したいと思われるところでしょう。しかし、このテイスト・ジョイ・タウンはここだけに納めず、全国へ展開しようと思っております。そのため、全国の品質を一定水準以上に保つためには、味のマニュアルかもある程度必要なもので」
「でもよ、それじゃファミレスと変わらねぇじゃねえかよ」
「いえいえ、提供するのはあくまでも一流の味です。ファミレスと一緒にして頂いては困ります」
「だから、画一化したメニューにして、味のコピーをしやすくする。そういうわけか?」
「まぁ、ニュアンス的にはそうなりますね…」
軽部のやつ、少し緊張しているのかハンカチで額にじわりとかいた汗をぬぐい始めた。
「ところでこのテイスト・ジョイ・タウンは全国にどのくらい広げる予定なんだ?」
「え、予定ですか? う~ん、まぁ蜂谷さんだから話してもいいかな。まだ公にはなっていませんが、まずは全国主要都市の七カ所。さらには二十カ所以上を今考えているんですよ」
「するってぇと、オレの味がほぼ全国に広がるってワケだ。すごいね、こりゃ」
オレのこの言葉に、軽部は笑顔を取り戻した。逆にオレは腹の中でさらにニヤリ。
「じゃぁよ、全国にオレの味が広がったときに、オレの知名度も当然アップするんだよな」
「え、ち、知名度ですか?」
「そうよ。だってよ、あの日本料理の蜂谷様がつくった料理が手軽に食べられるって評判が立つんだろ?」
「え、え……それは……」
「なんだよ、違うってぇのか?」
オレはわざと大声で軽部に言い寄った。軽部のやつはたじろいで、再び額の汗をハンカチでぬぐっている。
「ほら、前に料理人がテレビではやったじゃねぇかよ。あのくらいとはいわねぇけどよ、全国に俺の名前が広がるのは間違いねぇんだろ?」
軽部は言葉が詰まっている。そうだろう。なにしろ、はなっから切り捨てるつもりでオレに言い寄ったんだから。ここについてイエスとはうかつにいえねぇはずだ。オレの言葉はさらに続く。
「なんだよ。違うってぇのか?ってことは、オレの味をコピーするだけの目的で、オレに近づいた。そうなんだな」
軽部の冷や汗はさらに増しているようだ。うつむいたまま何も言わずにじっとしている。そしてしばらくの沈黙。この沈黙を破ったのは軽部の方だった。
「そ、それについては……名前を広げることについてはお約束できません」
軽部は声を振り絞って、オレにこう言ってきた。オレはそれに追い打ちをかけるように、意地悪っぽくこう質問した。
「ってことは、どういうことだい?」
さらに沈黙が続く。
「あ……そ……それは……」
そして、軽部が口を開こうとした瞬間、
「蜂谷さん、そろそろこのくらいでいいでしょう。軽部くんも困っているようだし」
そういいながら、一人の男が奥から出てきた。そう、我らが羽賀コーチである。
「だ、だましたな!」
軽部のやろう、羽賀さんの顔を見るなりこう言いやがった。しかし、羽賀さんはその言葉にも冷静に答えた。
「あらあら、だまそうとしたのはどちらかな? ま、それが四星商事流の営業方法だってことは、ボクが一番知っているからね。それが嫌で、四星を飛び出したボクがね」
「こ…こんなことして、四星商事を甘く見ないで下さい!」
羽賀さんは軽部のこの言葉にも冷静に対応。
「甘く見ないで、ということはどうするのかな?」
「ど、どうするって……それはあなたがよく知っている事じゃないですか」
「軽部さんとやら、その話はぜひ具体的に聞きたいな」
そうセリフを吐きながらもう一人奥からある人物が出てきた。一見するといかついブルドッグのような顔つき。眼光はするどく、目の奥からは何かを引きずり出されそうなものを感じる。そう、竹井警部の登場だ。
「今のセリフを聞いてな、オレが勝手に思ったことだが。軽部さんとやら、どうだい、一つ聞いてみるか?」
竹井警部は軽部に向かってそう言い放した。そして「聞いてみるかい?」と尋ねたにもかかわらず、その続きを勝手にしゃべり出した。
「ここで蜂谷がノーと言えば、四星商事の仕入れルートを使ってこの店にはろくな食材が集まらなくなる。しかも、どこからともなく店の悪いうわさが流れてくる。味が落ちただとか、ろくなものを使っていない、とか。しかし、食材がろくなもんじゃねぇからそれは残念ながら真実になっちまう。そうやってこの店をじわりじわりと締め付けちまう。そして追いつめられた蜂谷の店は……」
冷や汗をかきながら竹井警部の話を聴く軽部。そして……
「そ、それはあくまでも憶測ですよね」
震えながらも、なんとか笑顔で対応しようとする軽部。だが、誰が見てもその言葉と態度から無理矢理この場を取り繕おうとしているのがわかった。
「で、軽部くん。四星商事を甘く見ると、この先どうなるのかな?」
意地悪っぽく言葉を発する羽賀さん。それに続いて竹井警部が、さらにはオレが軽部をじっと見つめる。
「し…失礼します!」
軽部はあわてて書類をカバンにしまい込み、駆け足でオレの店を飛び出していった。
「わぁっはっはっ! おとといきやがれ!」
オレは大笑い。してやったりだ。
「でもよ、こんなんでよかったのか? 羽賀よ。この蜂谷の店はこれで守れたのか?」
竹井警部は心配そうに羽賀に尋ねた。
「大丈夫ですよ。軽部くんもバカじゃない。自分の失敗を会社に正直に話すなんて事はしないでしょう。それに飛び出していったのは軽部くんの出した答えですからね。おそらく蜂谷さんの店に関しては、すべてなかったことにするでしょうね」
「自分で出した答え、これがコーチングってやつだったよな」
竹井警部はわかったような口ぶりでそうつぶやいた。
「ところで蜂谷さん」
羽賀さんが突然オレに言葉をかける。おもわずドキッとしてしまった。
「は、はいっ」
オレは授業中に居眠りしていたところを先生に指名されたときのように、声が裏返ってしゃきっとして返事をしてしまった。
「蜂谷さん、今回のことで、蜂谷さんが頭に描いた理想のお店というのがあったんじゃないでしょうか? それ、ぜひ私に聞かせてくれませんか」
「理想の店……そうだなぁ、そうそう、店の雰囲気がよ、なんちゅーか水墨画の世界なんだよ。今のこの店みたいにごちゃごちゃしてなくて、色がシックに統一されているんだけど、見る人によって自分の色が付けられるっていうか。なんか抽象的でうまく伝えられねぇなぁ」
「なるほど、水墨画かぁ。他にはどんなイメージが湧きました?」
「おう、料理もよ、ちゃんとした器にのって、上品に一品一品出てくるんだよ。オレは板場からしゃきっと指示してな。そうさな、オレの他に二人くらい料理人がいてよ。オレの味を引き継ぎながらそいつらが考えたメニューを試させてみるんだ。そうしていつも新しい味を求めながら、お客さんに喜んでもらえる。そうありたいねぇ」
オレは語りながら自分の世界に浸っていた。
「だったらよ、それを実現させようじゃねぇかよ」
そう言葉を発したのは竹井警部であった。竹井警部はさらに言葉を続けた。
「そんな店だったら、オレも行ってみたくなるよなぁ。大衆居酒屋ばっかじゃ、オレも飽きちまうしよ。いつ行っても落ち着くんだけど、いつも違う味が楽しめる。そんなのがいいなぁ」
竹井警部も腕組みしながら、自分の世界に浸っているようだ。
「だったら、まず蜂谷さん自身の何を完成させましょうか?」
羽賀さんはオレにそう質問してきた。
「オレの何を完成させる?」
「そう、完成です。まだ蜂谷さんの中で何か不足している。私にはそう思えたし、そう聞こえたんですよ」
「完成か……」
オレは店をぐるっと見回し、一つの言葉が浮かんだ。
「統一感……そう、統一感かな。いや、一貫性といったほうがいいか。さっき言った水墨画の世界なんてのは全く感じねーな。そう、いい意味でのオレ流が全くでてねぇよな。どちらかというと、悪い意味でのオレ流、オレのやり方がこの店にはあふれているわ。オレの中の一貫性がまったくねぇから、この店にはありとあらゆる要素がゴチャゴチャ置かれているんだわ。だから落ち着きがねぇんだ…」
オレは独り言のようにひらめいた言葉を口にしていき、何がオレに足りないのかを自覚していくことができた。
「蜂谷さん、だったら蜂谷さんの理想とするオレのやり方、オレ流をぜひボクに見せて下さいよ。水墨画の世界の、シックに統一されたお店。ボクもそこでクイッと日本酒を飲んでみたいなぁ」
羽賀さんはオレにそうリクエスト。オレもその声に応える。
「おっし、まかせとけよ。こうなりゃオレのやり方、オレの道をとことん極めてやるぜ!」
「だったらよ、何から手をつけるんだ?」
そう質問してきたのは竹井警部。
「警部、そのセリフはコーチであるボクの決めぜりふですよぉ。ボクの仕事、とらないで下さいよぉ~」
羽賀さんは竹井警部をこつきながらそう言った。言葉では困ったようなセリフだが、その顔は笑いがあふれていた。オレもその笑顔につられて、思いっきり笑う。笑いながら、オレの世界をつくるための第一歩に必要なことを考え始めていた。
ここからが本当の『オレのやり方』のスタートだな。さて、どんな店をつくろうか。ワクワクしてきたぞ!
「なるほどな、あの蜂谷というやつを巻き込むのは失敗したか。まぁよい、代わりはいくらでもいるからな。軽部、今回はご苦労だったな」
「はいっ、す、すいません…畑田専務のご期待に添えなくて…」
四星商事ビルの専務室。あの軽部がこの部屋の主である畑田専務に報告をしている。
畑田専務はそのセリフとは逆に、異常に厳しい顔つきをしていた。
その顔つきは、軽部の次のセリフを聞いてさらに険しくなった。
「羽賀さんが……羽賀さんがじゃまをしなければ……」
「なにっ、羽賀だとっ。あの裏切り者が! 軽部、その話をもっと詳しく聴かせろっ」
四星商事と羽賀コーチ。一体何があったのか。さらには畑田専務と羽賀コーチの間にも一体何が……?
オレのやり方 完
2012年7月30日 発行 初版
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ご存知たぬきコーチです♪