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しこり 2012年8月号

装丁 坂野ローリングソバット
制作 フリーペーパー『しこり』編集部

   目 次

  BONNOH     なかもず

  連載
 『油蝉』      横田直也

 『手のひらの中の孤独』
           枡田佳奈枝
 『さらば面影』   藤本諒輔
 『負、不、ふ』   長谷川智美
 『トレモロギターを尋ねて』
            坂野嘉彦
 『トイレの消臭スプレー』
           宮崎亮馬
 『ろくでもない世界』あくた

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ちょうこく【彫刻】
石や木などをほりきざんだり,または粘土や蠟ろうなどを肉付けしたりしてものの像を立体的にかたちづくる芸術。
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なまえ【名前】
ある人や事物を他の人や事物と区別して表すために付けた呼び方。
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たけ【竹】
イネ科タケ亜科の常緑木質植物のうち大形のものの総称。
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もくめ【木目】
木の切り口に見られる,年輪・繊維・導管などによる模様。木理。きめ。もく。 ※すべて大辞林第三版より
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 『油蝉』
            横田直也

 小さい秋、小さい秋、小さい秋、見つけた。背後から聞こえてきた歌声に昇一が振り返ると、一匹の油蝉の死骸が眼前に突き付けられていた。
 それは由川昇一が小学一年生だった頃の秋、クラスメイト数人と学校から歩いて帰宅していた時の記憶であり、それ以来、昇一は蝉の鳴き声に不快感を覚えるようになった。
 元来、昇一は妄想癖のある子供であった。日常生活に於いて、空想に耽る頻度が多いのである。たとえば、体育の授業で球技の試合に参加している場合、本来であればチームメイトと意識をつなぎ合わせ、一致団結することにより勝利を得られる。チームプレーである。ところが昇一はこれを一切せず、空想にばかり耽っているのである。その空想の多くは、先日鑑賞した映画の架空の続編であったり、核戦争により荒廃した世界観に一人佇む俺、など、プレーとは一切関係が無い。
 一人がこのような状態であると、チームプレーが成り立つはずがなく、昇一は、飛んで来るボールに気付かない、運良くキャッチできたボールを敵に渡すなどして、チームに迷惑を及ぼす。当然、チームのメンバーもただ沈黙を守っているはずがなく、手始めに昇一をチームから除外し、普段の学校生活に於いても無意味な嫌がらせなどをして、邪険に扱うようになる。しかし、昇一はそれらの嫌がらせが、己の悪癖に起因していることに全く気付かなかったのである。
 更に、昇一は妙にプライドの高い性格であった。
 「何故、俺がこのような扱いを」と訳も分からず狼狽えるが、己には全く非が無いと信じていたので、「学校という所には馬鹿しか居ない」と周囲を見下し、日を追う毎に偏屈となった。
 大体このようにして、現在十四歳である昇一の根暗な性格が形成されたのである。


 昼休み。昇一は窓際の席で独り、小説を読んでいた。頁をめくると、窓の外からしゃんしゃんと蝉の鳴き声が響いた。それ昇一が今年に入って初めて聞いた蝉の鳴き声だった。教室の後方では三人の悪童が嬌声を上げて騒いでおり、一人が卓球のラケットを野球の要領で構え、投げられたピンポン玉をぶんぶんと打ち返すという阿呆な遊びに勤しんでいる。
 「阿呆ちゃうか」と昇一は虫のような小声で呟いた。周囲の生徒達も内心では「鬱陶しい」、「空気読め」、「どついたろか」などと思ってはいる。ところがこの悪童達、あまりにも所業が悪徳過ぎるが故に、地元一帯にその名を轟かせている札付きの悪童なのでる。万引き、恐喝などの所業をレストランでバイキングを楽しむかのような感覚でこなしつつ、道行く通行人の容姿、雰囲気が妙に気に入らないという、いとも些細な理由で私刑を加えるなどの暴挙は日常茶飯事であった。
 更にたちが悪いのは、悪童三人の父母達である。三人の悪童の中でもリーダー格に当たる村木束五郎の父は地元に拠点を構える企業の社長であり、一方、束五郎の悪童仲間である山本耕介、小谷武雄の母はそれぞれPTAの会長、副会長の役割を担っているのである。息子の素行が明るみに出ることを恐れた父母達は互いに結託し合い、三位一体の悪徳トライアングルを築き上げた。このように互いの権力を利用し合うことにより、自分達にとって都合の悪い証言、証拠等をもみ消し、我が子達の所業を巧妙に隠蔽してきたのである。その事実が起因し、生徒達は誰一人として三人の言動に文句すら言えなかった。「お前ら、ええかげんにせんとどつくぞ」と言ったところで、どつき返されることは明白であったし、誰かに訴えても無駄であることも分かり切っていたからである。生徒達は飛来するピンポン玉を避けるようにして仲の良い者同士で固まり、弁当を食べていた。悪童の嬌声が響く中、蝉の鳴き声は昇一の鼓膜にしつこくこびり付いた。この鳴き声は熊蝉だ、と昇一は思った。昇一は熊蝉の鳴き声が特に嫌いであった。
 昇一のこの暗澹とした気分とは関係なく、やはり今年も嫌な季節がやってくる。昇一は溜め息をつきながら、教室の窓を端から順番に閉めていった。四枚目の窓に差し掛かったところで、「おい」と背後から声がした。振り向いた瞬間、何らかの軽い物体が昇一の額に直撃した。昇一は反射的に「痛」と言った。その物体は額から床に落下し、かんかん、と数回跳ねたのち教室の角に当たり、昇一の足元に転がってきた。
 それは黄色いピンポン球だった。昇一はピンポン球を拾い上げ、しげしげと見つめた。
 俺はこんなにも軽い物体が額に当たっただけで「痛」などと、大袈裟な声を上げてしまったのか、恥ずかしい。昇一は赤面し、ピンポン球を見つめながら、そう思ったのである。
「こら、由川。何を顔赤らめとんねん」
 不意に声を掛けられ驚いた昇一は、やっと我に返った。顔を上げると、目を凄ませた束五郎の顔面が突如視界に現れた。その脇には耕介と武雄がおり、どちらもニヒルな笑みを浮かべていた。
「別に、赤くなってへんし」昇一は更に顔面を赤らめながら言った。
 束五郎の後ろで耕介が、かっかっかっ、と笑った。武雄もそれにつられて、ふふん、と鼻で笑った。しかし束五郎だけは微動だにせず、昇一の顔面を睨みつけていた。他の生徒達もその異様な空気に気が付いたのか、一斉に昇一のいる窓際に視線を向けた。
 勘弁しろ、と昇一は思った。昇一にとって大勢の目の前で醜態を晒すということは、人間としての尊厳に抵触する程の屈辱なのである。しかし、昇一がこのような屈辱的状況に陥るのはこれが生まれて初めてというわけではない。周囲の生徒達と比べると、むしろ圧倒的に多く経験してきているのである。ではなぜ昇一はこのように顔面を紅潮させながらふるふるしているのだろうか。
 たとえば、よくボケて周囲の人を笑わせ、場を和ませることに長けた人が居るとする。このような人は、逆に恥ずかしくてそれが出来ないという人に対し大抵、「始めは誰でも恥ずかしいが、恥ずかしい経験を重ねることで、恥ずかしさを克服出来る」などと言う。もちろんこれは正論である。しかし昇一のように根暗で消極的な人にとって「恥」とは、それ以上でもそれ以下でもなく、絶対的に恥なのである。未来への投資などという、意味の前向きな脳内変換など一切出来ず、ただただ恥辱にまみれる。結果、昇一は今のような状況を幾度となく経験しているにもかかわらず、毅然とした態度がとれずにふるふるしているのである。
 どつきたい。しかし、逆にどつき回された場合、周りの人間に醜態を晒すことになる。耐えられない。
 このような思いが脳内に去来し、結果的に昇一はどつきたいという素直な衝動よりも、恥をかきたくないから何もしないという保身的な選択を取る。しかし妙にプライドの高い昇一はこれについて、「自分は理性を何よりも重んじているのであり、一時の衝動に駆られて身を破滅させるような愚は犯さない」などと言って自らを納得させていた。しかし、今の昇一の姿は、誰が見ても理性的な人のそれとは程遠く、ただの挙動不審な人と成り果てていた。
 そして、昇一がこのように恐怖と恥辱にまみれているところには、必ず眼前の悪童達の姿があったのである。

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 『手のひらの中の孤独』 
         枡田佳奈枝

 開いては閉じ、また開いては閉じる。そんなことばかり繰り返している。これはもう癖だ。いつからかはわからないけれど、なんの意味も無く携帯を手のひらの中で弄ぶようになった。特に何をするでもない。誰かから連絡があるわけでもない。それでも外界と繋がっている小さな鉄の塊を、自分の手元から離してしまうことができなかった。
 もう何度目かわからないその行為は、突然震えたそれによって中断された。慌てて両手で携帯を開く。誰からだろう。私宛てにメールが来ることなんて滅多にない。せいぜい迷惑メールか広告メールくらいのものだ。電話なんて、ほとんど使うことはない。最後にかかってきたのはいつだっただろう。
 ちかちかと光る画面は、メールの受信を知らせている。誕生日のプレゼントを開けるような、なんとも落ち着かない気持ちでメールを開く。見慣れないアドレスからのようだった。
「初めまして。竹内純といいます。突然のメールをすみません。僕は高谷友哉君の、塾講師のバイトで知り合った友達です。君の話を聞いて、ぜひ話してみたいと思いました。よければお返事くれませんか」
 三回も読み直してから、私はごろん、とベッドに寝転がった。高谷君とは別に親しくもないし、ただ英語の発表で二、三度同じグループになったことがあるだけ。それなのに、私の話なんて、一体どんな話をすることがあるのだろう。それに、いきなり知らない人からメールが来ても、怪しいとしか思えない。関わらない方が身のためだ。
 頭ではそう思っているのに、気付けば何度もメールを見返している自分がいる。そんな自分が、なぜかひどく悲しく感じた。無性に腹が立ってやるせない。いっそ消してしまおうとも思うのに、手のひらの中で握りしめたまま、時間だけが過ぎていく。
 一度返してみるくらいなら、いいかな。自分のいないところで、どんな話をされたのかも気になる。それを聞いてみるくらいなら、いいかな。
 そんな言い訳を並べて、彼に短く返事を出した。すると五分も経たないうちに再びメールが届いた。
「君のことは『いつも携帯をぱかぱかさせて、ぼんやり窓の外を見ている女の子』だって聞いたよ。僕と、すごく似ていると思って」
 携帯をぱかぱかさせてる、ぼんやりした子、か。自分のことを、周りからそう思われているということに少しショックを受けながらも、間違ってはいないだけに親しくもない高谷君に腹を立てることができなかった。
 こんな私とすごく似ているだなんて、見たこともない竹内君に少し親近感を覚える。彼も鳴らない携帯から離れられずにいるのだろうか。顔もわからない竹内くんが、携帯を手に一人でぼんやりとしている姿を想像して、悲しさと安堵感が入り乱れた気持ちになった。
 それから数日間、私と彼のメールだけのやりとりは続いていた。特に大した話をするわけでもなく、今日は暑いね、だとか、バイトに行ってくる、だとか、そういうなんともないことばかり。ただそれだけのことなのに、誰かと繋がっている気がして、ひどく落ち着く気がした。
「紗織、最近楽しそうだね」
 私の向かいの席に座ってパスタをくるくるとフォークに巻きながら、里香はにやにやとこちらを見てくる。昼休みの学食は、座れない人が出てしまうほどに人が多く、私たちはやっと空いた席に着いたところだった。
「え、そうかな」
「そうだよ。最近携帯ぱかぱかじゃなくて、ぽちぽちだよね」
 お見通し、とでも言うかのようなにんまりとした笑顔を私に向ける。見られていないようで、意外と見られてるもんだな、と少し恥ずかしくなる。里香の方を向いていられなくて、私は自分のパスタを意味もなくフォークでつつく。
「何、彼氏でもできたの」
「そんなんじゃないよ」
 それじゃあなんなんだ、と里香からの質問攻めを軽くかわして食事中をやり過ごす。本当に、私たちの関係は友達なのか何なのか、人にはうまく説明できない。なんとなく、ただお互いに落ち着くためのやり取りをしているだけ。食事を終えてから携帯を開いても、誰からの着信もなかった。今日は珍しく彼から一通も来ていない。
「あ、もうこんな時間なんだ。私、今から友達とカラオケ行くんだ」
 またね、と慌ただしく帰っていく里香を見送る。里香はいつも忙しそうだけれど、それがとても楽しそうに見える。私もあんなふうになれたらいいのに。気付けば手のひらはいつもの癖を繰り返していた。
 誰にでも繋がるツールのはずなのに、どうして私にとってはより孤独を感じてしまうだけの存在なんだろう。
「なかったら、良かったのに」
 ぽつりと呟いた小さな声は、後ろの席から聞こえてきた笑い声に隠れてしまった。はあ、と溜息をついて、手のひらの中に目を落とす。賑やかな空間の中で、未だ受信しない電波を一人、静かに待ち続けていた。

   ー完ー

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 『さらば面影』
         藤本諒輔

 酔っぱらいたちがたくさんいた。夏は湿度の高い空気がここを包む。彼らは各々が楽しそうに笑い声をあげ、またぐったり誰かにもたれかかるのだった。駅からの緩い勾配を自転車で下るとき、ぼくは大抵ヘッドホンをしているために、彼らの声はまるで聞こえない。ときどきそれさえ突き抜けるような大きな声だけが耳に届くだけだ。
 その日のぼくは不機嫌だったように思う。あるいは体調が優れなかったのかもしれない。ともかく早く家へ帰り着きたいと思っていた。月がやけに大きく見えた。何を聴いても耳に障ったので何も音楽を流さないでいたが、ヘッドホンは着けたままにしていた。道を挟んで居酒屋は乱立していて、時間のせいか、その店先はどれも混雑していた。彼らはみんな終電に乗って帰ってしまう。ぼくは彼らの帰りを憂えた。電車に乗れば眠くなるだろう。眠ればなにが起こっても夢の中だ。電車が駅で停まっても、また走りだしても。彼らは夢を見たままで家に帰るのだ。
 遠くの居酒屋からふらりと人影が出るのが見えた。会社勤めの若者らしい風貌だ。一人で飲んでいたらしい。彼は店の前に停めた自転車にまたがり、ふらふらと走りだした。危なっかしい運転が徐々に安定していった。ぼくと彼との距離がほんの五メートルにまで近づいたとき、ふっとムスクの香りがした。その匂いはぼくの体をなにか魔力的な力強さで束縛した。ふいの出来事に驚いてブレーキを力いっぱい握りしめた。彼はそれに気づくことなく、ゆっくりと月の方向へと進んでいった。ぼくは体の自由を取り戻して、また自転車を走らせた。汗をかいていた。紺色のシャツが背に貼りついて気持ちが悪かった。
 もう一度近づくことにした。なぜそうしたかはわからないが、帰る方向が違うわけでないなら悪いことではないように思った。暑苦しいヘッドホンを外して首にかけた。相変わらず月が大きく黄色かった。少しずつ近寄れば、ムスクの香りがだんだんと強くなるのを感じた。その粒子がぼくの鼻腔へ飛び込み脳へと血を連れて走っていくのだ。向かい風が吹けばそれは多くなり、信号で停まるときには粒子たちも休むのだった。あまりに肉感的なその匂いはぼくの不幸や怒りを吸い取ってしまうようだった。
 会社員は酒の臭いの一切を捨ててきたように思えた。酒の臭いと同時に捨てることがたくさんある。それはむりやりな喜びや、むりやりな性欲などだ。それらは捨てて、彼はムスクを帯びたのだ。
 気づけばもう家はすぐそこだった。ぼくは犯罪的な状況を密かに恥じて、会社員と離れた。彼はそのままのスピードで走り去った。家に入ってぼくは服を脱いで、胡座をかいてギターを弾いた。なるべく切ない音が出るように弾いた。飽きたころには汗をたくさんかいていたが、気にせず寝ることにした。もう憶えていないが、ぼくはきっと夢を見ただろう。それは夏の夢、電車を降りてからムスクを追いかけ、家でギターを弾いてから汗にまみれて見る夢だ。

  ―完―

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 『負、不、ふ』 
         長谷川智美

 危機。とてつもなく、危機。舞台は改札、時刻は午前六時半。一限の授業に間に合う電車が、あと五分でやってくる。ピンクの定期が通らない。定期の日付は昨日。半年定期を買うと、切れるタイミングが分からなくなる。大学まで行ける資金が、財布には入っていない。ATMもまだあいていない。今日学校に行けないと、もう一年増えてしまう。定期があるうちに、出席回数を稼がなかった自分を恨む。そして、こんな早くに電車に乗らないといけない大学に進んだ高校三年生の自分を恨む。まさに、危機である。
 とりあえず切れた定期を入れて強行突破を試みる。とてつもない警戒音で戻される。黄色い門番は許してくれない。腹が立って期限切れを四つ折りにして鞄の底へ投げた。
 学生証のバーコードをICパネルにかざす。一瞬の沈黙が流れた後、赤面。
 カラオケの割引券。食堂の回数券。ちょっと高めのブランドのメンバーズカード。どれもこれも改札に入れては押し戻されて、愕然。膝から落ちそうになるのをこらえる。まさに門前払い。この三分の愚行。せっかく決めた化粧も汗で滲む。それと同時に、四回生の自分の未来図も滲む。あと一分で、切望する電車がやってくる。ここまでか。
 どうされましたか。
 神の手が差し伸べられた。下の階の改札から、駅員が連続する警戒音に気付いてやってきた。涙目で四つ折りにした定期を広げて彼に見せる。きっと、情けで通してくれる。しかし、駅員はきょとんとした顔で定期を見つめる。
 お客さん、この定期、路線が違いますよ。
 滑り込む電車の音、乗り込む人の足音。財布の中で、白いカードが笑った。



  ―完―

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 『トレモロギターを尋ねて』
          坂野嘉彦

トレモロギターを尋ねて 第2回:DIIVのOshinから垣間見える、クラウトロックという帰着点

 はい、皆さんこんにちわ。前回から約2ヶ月ぶりの『トレモロギターを尋ねて』。皆さん、如何お過ごしでしたでしょうか。

 前回、良い音楽が減ってきたと嘆いた私ですが、今月、その良い音楽が凄い勢いでなだれ込んできました。まず、ダーティー・プロジェクターズの新作。まだ全部は聴いてないのですが、これは絶対すべらないでしょ!あと、ジェフ・バーロウ師匠率いるBEAK>(ビーク)のアルバム、「>」(何て読むのか分かりません)。これは予想通り素晴らしかった。約束された出来の良さでしたね。Quakersといい、このBEAK>といい、バーロウ師匠は多作ですなあ。しかも、両方とも出来がめちゃくちゃ良い。本当素晴らしい作曲家ですね、彼は。

そして、今回取り上げるDIIV(ダイブ)のアルバム『Oshin』ですね。これは事前情報がまったく無かったのですが、とても良かった。曲調はどこか80年代のジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー然とした所謂ポストパンクっぽい音。ただ、そこはやはりアメリカのバンドなので、そういった曲調の中にソニック・ユースとかビーチ・ボーイズだったりが見え隠れする、というのが面白いところです。

 ただ、DIIVのこのアルバムで個人的に一番面白かったところはその、イギリスっぽさとアメリカっぽさが入り混じった曲調が何と遠く離れた、60年代ドイツの実験的なロック音楽、所謂クラウトロックっぽく聴こえてきたところです。これはこのDIIVのレビューを読み漁っているうちに、気付かされたことなのですが、確かにそうなのです。これはクラウトロック、特にその中でもノイ!というバンドの曲調そっくりなのです。

 ここ数年のロックの変遷というのはある種過去への懐古の歴史だと私は感じています。ロックが真に新しかったのはおそらく90年代までだと私は考えています。90年代以降、ある種アーティスト側が真に新しいものを創出できた例は年々少なくなってきています。それは90年代までは手付かずのアイデアが豊富にあったし、また過去を懐古できるほどのリソースがロック界には無かったのでアーティスト側としても自分達で何か考えなければならなかった、ということもあるでしょう。つまり、ある種、ロックというものが爛熟してしまったわけです。

そこで90年代以降のアーティストは過去のアーティストの作品を掘り起こし、それをリメイクすることで何か新しいことが創出できないか試しはじめました。そのため、00年代以降、ロックの歴史上初めて、リヴァイヴァルブームというものが起こるようになります。

 それは例えば、00年代初頭のポストパンクリヴァイヴァルにしてもそうです。アーティストはジョイ・ディヴィジョンやギャング・オブ・フォーといった80年代のバンドを参照し、それをインターポールやエディターズのように原典に忠実に模倣したり、またブロック・パーティのように90年代のオルタナティブ・ロックにそれを結びつけたり、ザ・ラプチャーや!!!(チック・チック・チック)のように電子音楽を導入したりして、何とかオリジナリティを出そうとしました。そして、実際その試みは成功したと言えます。

 最近にしても、チルウェイヴというジャンルは80~90年代のテクノを参照したジャンルであり、そういった過去の音楽を参照することによって、過去への憧憬の表明、ある種の安心感などを表現しようとしているということは様々な評論家によって論じられていることです。また、ネオン・インディアンやトロ・イ・モアといった、チルウェイヴに出自を持つアーティストはその後の作品でもまた違った形で過去への憧憬というものを表現しています。

 こういったリヴァイヴァルブームの中でクラウトロックはこれまで余り掘り下げられてこなかった――というより掘り下げにくいジャンルだったため、手付かずのまま遺されてきました。クラウトロックというのは前述のように、60~70年代ドイツの実験的なバンドを総称している用語なので、このジャンルのアーティストは大抵難解な音楽性を持つアーティストが多いからです。実際、このジャンルを掘り下げようとした人はエメラルズのマーク・マクガイアやワンオウトリックス・ポイント・ネヴァーのダニエル・ロパーティンのような所謂実験派と呼ばれる人々で、あまりポップな側面から解釈されることはなかったのです。

 しかし、DIIVに曲調の似ている、ノイ!はそのクラウトロックの中でもかなり明るい雰囲気を持つ、比較的模倣しやすいバンドであり、実際後進のバンドに大きな影響を与えたバンドでもあります。特にその“モータリック・サウンド”(自動車で車を運転しているようなリズムを持つため、こう呼ばれる)と呼ばれる特徴的なリズムは前述のジョイ・ディヴィジョン等のポストパンクに強い影響を与えました。ポストパンクの原典と呼べるわけですね。

 第1回でも述べたように、近年アメリカではポストパンクをルーツに持つバンドがまた目立つようになってきました。そして、様々なアーティストが様々な手を試み、新しいものを創出するスペースというのは段々無くなっています。つまり、ポストパンクの原典であるノイ!にいつ帰着してもおかしくなかったわけです。

 DIIVのこの作品がノイ!の作風に近くなったのは(本人たちが意識していないという点で)ある種偶然であり、ある種必然的な部分もあったでしょう。ともかく、DIIVの作品はロックの原典に改めて立ち返り、それを現在のムーヴメントと合わせることで、非常に不思議な音像を手に入れることに成功しています。本当に素晴らしいアルバムでした。

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 『トイレの消臭スプレー』
           宮崎亮馬

 うん、ちょっと待とうか。え、いや、気付いてない? この部屋の尋常ではない臭いにもしかして気が付いてない? 俺としてはてっきり「いやー、今回は大層なものをぶちかましちゃったなー、これはやらかしちゃいましたなー」ぐらいの認識だと思ってたよ。すぐ俺のこと使うと思ってたよ。まさかそのまま出ていこうとするとはね。むしろちょっと達成感さえ感じさせる顔で出ていこうとするとはね。いやいやドア開けるのはちょっと待てって。使お? 俺を。一回使っとこ? この臭気を外に放出するのは大人としてどうかと思うよ、俺は。時代によっちゃ軽犯罪になると思うよ。な、だから使お? 一回シューって。一回シューってやるだけでいいから。え、めんどくさい? だったら最初から置くだけタイプ買っとけよ! まだ八割残ってるからね! 買いたてのときにお前がはしゃいでおしっこのときも使ってたあのころ以来、一切使われてないからね! 今が使い時だから。今日で残り全部使い切って置くだけタイプを買いに行ってもいいからこの臭気はどうにかしよう。ほら、一緒に住んでるお前の彼女もこれは絶対怒るって。ちょっとえずきながら怒るって。え、あの子も俺のこと使ってないじゃないかって? 痛いところ突くなお前は! このむせ返るような臭いの中冷静に痛いところを突いてくるなお前は! いや、まあそうなんだけど、そんなあの子でもこれは怒ると思うよ。俺も消臭スプレー歴はまあまあ長いけどこのレベルはなかなかないと思うよ。これは二人の関係を簡単に破壊できるレベルの臭気だと……。
 えっ、あの子とはもう別れた?
 先週……そうか、先週別れたのか。うん、わかった。俺を持ってリビングに行こう。大丈夫大丈夫、ちょっと強いトイレ用ぐらいがちょうどいいから。あー、この部屋の臭いはもういいよ。気にすんなよ。いやー、久しぶりに自分が無香料でよかったと思ったよ。
 じゃ、あの子の匂い、全部消しに行こっか……。


   ー完ー

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 「ろくでもない世界」
           あくた

 「いち、にい、さん、よん、ご、なな、はち、きゅう、じゅう」
「いち、にい、さん、よん、ご、なな、はち、きゅう、じゅう」
 四歳くらいの男の子が飛び跳ねながら数をかぞえている。
「いち、にい、さん、よん、ご、なな、はち、きゅう、じゅう」
「いち、にい、さん、」
 男の子の声と共に、自分の指を折っていく。
「ああ、」
 ろくがたりない。
 覗き込むようにして話しかける。
「おにいちゃん、ろくが足りないよ。」
「ろくは、いま逃げてるの。次から次へと姿を変えて。おねえちゃん、ろくを捕まえてくれる?」
 ろくが逃げ出した。
 ろくという数字は特別好きでもなく、嫌いでもない。
 ろくがないということは、六月が無くなるということだろう。六のつく日もなくなるのだから、一年は三〇二日になる。小学校は五年生で卒業ということになるのだろう。サイコロは三角すいになるのだろうか。じゃあ、西暦は一体何年になる?
 一瞬考えて、すぐにどうでもよくなった。
「ごめんね、おねえちゃんはろくを捕まえない。ろくがいなくてもとくに困ることはないもの。」
「そう、じゃあおねえちゃんはぼくがろくだとわかっても捕まえない?」
わたしはもう、ろくの話にはすっかり興味が無くなっていた。
「ええ、捕まえたりしない。」
「僕がいなくなっても困らないなら、安心だ。じゃあ、またね。」
「うん、さようなら。」
 子供の突飛な発想にはいつだって困らされるものだ。
 男の子と別れて、わたしは恋人のもとへ向かった。
 わたしと恋人は腕を組んで歩く。
 今日は浴衣を着て、提灯のオレンジ色の明かりに照らされた何もない道を。
 恋人の髪からはシャンプーの甘い香りがした。
 組んだ腕はわたしより遥かに太く、浴衣の薄い布を通して自分とは違う体温を感じる。
 ああ、なんて幸福なんだろう。
 オレンジ色の道をわたしたちはゆっくりと歩き続ける。
「僕はね、ときどき僕であることに疲れてしまうんだよ。いつの頃だったかはもう、思い出せないけれど、僕はいつの間にか存在していたんだ。みんなの中に。誰もが僕のことを知っていて、僕を必要としている。そう信じていたいけど決してそんなことはないんだよ。結局はあるのかないのか気にも止められないで、ただ存在しているだけなんだ。なんだか虚しくってさ。」
 恋人は突然つぶやいた。
 顔も、髪も、指先までも姿は恋人に変わりないのに、彼ではないことがすぐにわかった。
「もしかして、あなたはろく?」
 尋ねると、彼は気まずそうにうつむいた。
「まあ、本物の彼はどこなの!いったい何を悩むことがあるというの?そんなこと、ろくだけじゃないじゃないの。きっと、さん も はち も同じ気持ちじゃないの?それを、あなたは自分だけのように嘆いて!とんでもない人ね!この、ろくでなし!」
 彼が、とことん傷ついたという表情をしたので、一瞬本物の彼を傷つけてしまったような気がして、怯んでしまった。
「きみは、僕がいなくても困らないと言ったじゃないか。」
 悲しそうな顔をする彼の腕を、ぎゅっとつかんでいたはずなのに、ろくはふわりと姿を消して、わたしの手には空気だけが残った。
 ろくを捕まえなくちゃ。
 急にそう思って駆け出そうと足を踏み出した瞬間、かさり、と乾いた感触が足の裏に伝わる。
 目をやれば、赤黒いザリガニが死んでいた。
 どこからか、子供の声が響く。
「いち、にい、さん、よん、ご、なな、はち、きゅう、じゅう」
「いち、にい、さん、よん、ご、なな、はち、きゅう、じゅう」

 世界から、ろくが消えた。


  ー完ー

しこり 2012年8月号

2012年8月1日 発行 8月号 初版

著  者:
発  行:フリーペーパー『しこり』編集部

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  BONNOH      なかもず
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  『油蝉』横田直也
  『手のひらの中の孤独』枡田佳奈枝
  『さらば面影』    藤本諒輔
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  『負、不、ふ』   長谷川智美
   http://twitter.com/#!/hasemmchon
  『トイレの消臭スプレー』宮崎亮馬
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  『ろくでもない世界』あくた
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  装丁:坂野ローリングソバット
  写真:中森勝也 河田晃太郎
  編集:吉川浩平 http://twitter.com/#!/_kohchang







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