この家は、父の祖父母の家。
小さい頃、お盆やお正月を過ごした家。
その家が、人の住まない古家になって、5年が経ちました。そんな家を解体する話が家族の中で話し合われました。
この家を壊すのか、残すのか、そんな話をする中で、この家のこと、自分のルーツのことを知っておきたいという気持ちが湧いてきました。
この家のルーツ、自分のルーツを感じる旅の写真を1冊の本にまとめました。
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教師であった祖父は、第二次世界大戦中、日本語教師として、台湾に従軍していました。
そこで、祖母と出会い、台湾で結婚。子供も五人生まれ、終戦後、竹田に引き上げてきて住んでいたのがこの家です。私は、その三男の子供にあたります。
築年数は、約百六十年ほど経っていると思われます。2度の竹田の大水害に見舞われ、天井まで水に浸かったそうです。その時、家族の写真や家財道具等も流されてしまい、戦後、家族として過ごしたこの家族のアルバムもすべて水害によって、残っていません。
ここへは、毎年、夏休み、お盆やお正月に家族で訪れる場所として、自分のキオクには刻まれています。
教師であった祖父は、戦時中、台湾で日本語教師として、派遣されていました。戦後も、教師として慕われていた祖父は、毎年、祖母を連れて台湾に行き、戦時中に巡り会った台湾の生徒との交流が戦後も長く続きました。
祖父祖母の孫にあたる私は、台湾に一度も訪れたことがありませんでした。
今回、この家を取り壊すかどうか、という話し合いが家族で行われたとき、なぜか、今、この家は壊すときではないという感じがしました。
今は、交流も途絶えてしまった台湾。祖母の故郷である台湾に一度、訪れたいという気持ちになりました。
祖母の実家がある台中にある彩虹村へ。
小さな古い家屋に住む老人が描いた壁画。集合住宅の一角が美術館のように。たくさんの人が訪れる場所になっていました。
台湾の町並みは、古い雑居ビルも多く、市場や商店街が多くありました。中国と日本の影響を受けてきた歴史を感じました。
自分のルーツと台湾という土地の空気を感じる旅でした。
今まで、意識していなかった台湾という国の文化をもっと知りたいと思うようになりました。これを機に、また台湾を訪れたいと思います。
2012年9月20日 発行 初版
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