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処女作オムニバス

cooked.jp

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はじめに


このたび「第一回京急蒲田処女小説文藝大賞」
にて発表されたうち3作品を
オムニバス形式で発表する運びとなりました。

いわば「処女作オムニバス」です。

「拙すぎて逆にいいよね」、「始めてにしてはいいよね」
そんな言葉には収まらない、収めようのない、
そんな処女たちの世界へいま一歩、足を踏み入れて下さい。


クックトゥ




「第一回京急蒲田処女小説文藝大賞」ポスター
「第一回京急蒲田処女小説文藝大賞」ポスター
ブンフリはこんな感じ

アスレチックス

萩原俊矢




 2日も休んでしまった夜、週のはじめから寝込むことになってしまった原因の熱がやっと落ち着いてきたところを見計らって、 ベットから這いだす。鍋に残っていたお粥を、洗わずそのままにしておいた茶碗にうつして、レンジで温める。
 テレビをつけて、チャンネルを一周まわしてみたけれど、久し振りに見るゴールデン番組は、どれも似たようなものばかりでうんざりしてしまった。適当に、タレントだけを流行りに合わせて、入れ替えている感じがある。私はテレビの音量を0にして、映像だけを流しながら、音楽を聞くことにした。
 真空管のアンプに繋いだ古いマックブックにはインソムニアXというアプリケーションが入っている。ディスプレイを閉じてもマックブックがスリープしないようにするもので、サーバとしてノートパソコンを使用するときにはとても重宝するアプリケーションなのだ。マックブックはお気に入りの写真集とならんで、開かれることなく本棚に収納されている。私が寝込んでいる間も、そのずっとまえからも、バッテリーが死んで電源ケーブルを抜くとすぐに電源が落ちてしまう弱って黄ばんだマックブックは、インソムニアXによって、不眠を強いられていたのか。弱った機械が延命装置に掛けられながら音楽を奏でる姿に、病みあがりの私は申しわけない気持ちになってしまう。
 レンジからもメロディーがながれて、お粥が温まったことを知らせてくれる。トビラを開けると湯気がもわりとあがり、複雑な匂いがした。お粥だけではなくて、いままでレンジで温められた食材のものが混ざった匂いだ。温めすぎてしまったようで、縁でお粥がふつふつともりあがっている。茶碗はあつくてとても持つことができない。黄ばんだマックブックから聞こえてくるのは、まだ声がしゃがれていないころのトム・ウェイツの異常にやさしい歌声である。英語はわからないけれど、何かを本気でなぐさめているようだ。音を消したテレビでは松浦亜弥が穴子の天麩羅を食べている。塩にちょんちょんと付けて、口元へ運ぶときに添えた左手が、指先までまっすぐに伸びていてこちらはとても緊張感がある。
 お粥がすこし冷めるまでに、と、汗をかいたパジャマを着替えて、明日の朝に洗濯するものをカゴにまとめることにした。洗濯機のスイッチを入れ、朝、起きたら洗濯が終っているような時間を目標に、タイマーをセットして、洗剤を入れ、柔軟剤をあやうい手付きで投入口に流しこみ、部屋にもどる。
 乾いてしまって、すこし固まりはじめているお粥のようなものをたべる。食後には、飲み残しのコーヒーカップにお湯を足して、香り程度にウイスキーをたらしたカクテル風なものを作った。本を読みながら飲んでいるうちに、私はまた、眠りにおちてしまう。

 その時、洗濯水の排水のためのパイプが詰まっていることに気がつかないでいた。そのまま朝を向えたため、脱衣所の床は洗濯石鹸の人口的な匂いが充満して、水びだしになってしまう。それでもソファで寝落ちしたままの私は、それに気がつくことがなかった。ヒントがなにもないままに、そういう事態に気がつく人は、そういないだろう。小さな出来事でも、大きな出来事でも、その事に気かず、何も知らなければ、起きていてもなんとも思わない。気がついたときに、ショックを受けるだけだ。そして、直接ではなくても、気配のようなものをどうにかして、とおくから感じることはできなかったのか、と後悔することになる。





 深夜のNHKでみた、ヨーロッパのどこかにある、山と山の間にかかる大きな橋のようなアーチが巨大なドームの中を横切る。弧を描く、急なアーチは、石積みや弱々しい吊り橋ではなくて、軽そうで近代的な鉄とワイヤーで組まれている。足がすくむほどの高さには、すこし頼りない華奢なてすり、鉄の格子でできた床。いかにも急拵えのアーチの上に私と同伴者は立っていた。覗きこむと、眼下には色とりどりの電車が、それぞれの場所から、巨大なドーム型の駅のホームにスピードを落して、滑りこんできている。
 コンピュータの配線のようにきれいに束ねて這わせた、十数本のレールが一束になって外の世界から、建物のなかへと引きこまれている。ちょうど品川駅を隣のホテルの上の階から、覗きこんだようなスケールが、そのままドームに飲み込まれてしまってような建物である。電車の巨大なターミナルはどこの国へいっても同じようにわかりにくく作られているものなのかも知れないけれど、ここの作りもなかなかずさんだ。建物の全体の作りは、一望しただけでは、まるでわからない。壁や柱も意図的なのか偶然か穴だらけで、外と中を隔てるプレハブのようなトタンの隙間から抜けて、外の木々や道路、そして湖のような水面が、ここからはところどころ見えてしまっている。

「さてどうやってホームに辿りつこうか」と私と同伴者は頭をひねらせた。突き上げるように、ガコン、ガコンと、音をたてて、レールを切りかえながらせわしなく移動する電車は、カラフルなプラレールの模型のようだ。高さに足はすくむが、揺れない安定した近代的な建築で2人が感じていた恐怖は、高さに対してというよりも、自分の居場所がわからないことに対してのほうが大きいのかもしれない。

 ホームに停車しようとする電車からは、心地のよくない高音のブレーキが鳴る。ちらほらとお客がのったり降りたりしている姿が見えるけれど、品川駅のサラリーマンのような人はいない。顔まではよくみえないけれど、ジーンズにTシャツ、青いパターンのプリントされたワンピースなど、お客皆はリゾートのような格好をしている。時間帯なのかもしれないが、たぶん、ビジネス街の駅ではないんだろう。
 麦わら帽子をかぶっている女の子も小さくみえる。歩きながら「プカリ」と機関車のように、煙を吐く人もいる。このホームでは、タバコがまだ吸えるらしい。「まだ」、というのも私たちの国では、健康のために、タバコに対して風当たりが強くなっていて、以前駅で吸えたルールは改められて、今では吸えくなってしまったからだ。そういう事情があっての、「まだ」、なのだから、ここでは正しい表現ではないかもしれない。
 もしかしたら、こちらでは一度もホームでのタバコを禁止したことがないかもしれない。あるいは、一度は禁止されたのだけれど、首相か総理か区長かなにかが変ったことにより、また再び、吸えるようになったのかもしれない。私は、こちらの人達の考えや歴史がわからないから、そのかぎり、ひたすら自分経験をもとに、目の前を理解しようとしている。目がくらむ。だから、まだ駅にうかぶ小さな煙は不気味なクイズに思えた。

 ドームを二つに分割するようにかかるアーチは、真夏の太陽の軌道のように、丸いドームを真っ直ぐに横切っている。
 太陽でいえば正午、てっぺんの位置から、てすりにつかまりながらゆっくり18時くらいの辺りまでアーチを下ってくると、あとは一気に地上階まで降りられるらせん階段がある。つるべおとしみたいな階段だな、と私は思う。
 壁の隙間とガラスの窓からは、ギラギラした真夏の14時の日が差し込む。ホコリに反射しながら、うっすらと光の境界線を引き、私達のいるアーチの影を下階にしっかりと映しだしていた。そのわりに、ドームの中は蒸し暑くはない。空調の配管が低い音で、うなっている。
 ひとまずこのアーチの軌道から降りれば、電車にも乗れるかもしれないと思い、転ばないように慎重に歩くスピードを上げて、私たちはホームまでの道を探すことにした。

 アーチの端から、小さく回転して目の回るらせん階段を降りきると、張っていた気持ちが緩んで、急に寂しくなった。高所という恐怖から救われても、まだ続いたままの暗い雰囲気は、そのまま暗い真夜中のような廊下につながっている。そこには鉄の扉があった。

 扉には関係者以外の立ち入りを禁じる看板が張り出されていた。それが私たちの母国語で、読むことのできる言葉で、きれいにデザインされていたので驚いた。文字とイラストは、建物の乱暴さとは反対に、とても丁寧に作られていて私はドキっとしてしまう。もし、この扉に鍵が掛っていたら、また今の道を逆に戻らなくていはいけない。それだけは勘弁してほしいという気持ちが扉の前と私の間にあるから、その中を進まなくてはならない。看板が丁寧につくられていることで、しっかりと扉には鍵がかかっているような気がしてくる。もし、乱暴なサインであれば、それは乱暴な人達のルールで管理された扉であるように思えたから、いくらか心持ちはよかっただろう。らせん階段やアーチが太陽の光を遮るから、下階の廊下は薄暗く、そこにある丁寧なプラスチックの看板はわずかに浮かんでいる。
 同伴者に扉を開けてもらおうか、とか、別の道を探そうとか、小さな事が浮んで、すぐに流れてゆく。連続していた線が突然切れる、行き場のない流れはレールのとぎれた電車のような頼りなさに似ている。
 鍵のかかった扉に、自分の力がぐっと押し負けて、手首から逆流してくる感覚を想像しながら、反動を怖れて、なるべくやさしく扉を押しだすようにしてみると、カチリっと乾いた音につづき、扉は私の力で、前へと進んでいった。蛍光灯が一つおきに灯った、薄暗い通路が続いていた。

 通路の壁や天井には、入口の扉にあったように、きちんとデザインされた表示が貼りつけられていて、迷うことのないよう、しっかりと指示を出している。↑、→、↑、→、↓。案内のまま進むとホームのある広場に着いた。先ほど見下していたドームの底だ。上から見るのとはまた印象の違う巨大なターミナルで、1番線から22番線までが、ずらりと百数十メートルの長さにわたって整列していた。思わず頭上のアーチまでの距離を測ったらまた、くらくらしてしまった。
 電車を待つ、かなりの人たちが、ベンチに座って本や新聞を読んでいる。みたところ私たちと同じ顔つきの人ばかりで、外国の、知らない国の人たちという雰囲気は感じなかった。
 電車はひっきりなしにやってくる。
 にもかかわらず、ホームのどこにもチケットの券売機はみつからなかった。改札も見当たらず、お客たちは、ベンチから目的のホームにそのまま進み、やってくる電車にのって次々に出掛けていく。私と同伴者はお互いに顔をみあわせて、どういうことかと思ったけれど、バスや電車の乗りかたは国や地域で独特のルールがあるものなので、地元の人たちの歩調を真似ながら濃い水色の電車のとまる7番のホームに向った。どこか見覚えのある電車だった。





 生まれてから、今まで、二回だけ、トラムの走る街で暮したことがある。メルボルンと三軒茶屋である。ふたつの生活で、トラムの乗り方は対象的だった。

 メルボルンでは、線路と電線がセットになって街中に張り巡らされて、トラムは車よりも堂々と、道の中央を走っていた。
 何故かはわからない、乗客は若者から、老人たちまで、とてもルーズで、みんなお金を払わないでいた。運転手もそれを咎める様子はなかった。観光客は律儀にお金を払おうとするが、いつ、どう払っていいかと、もたついていたりすると、運転手がよそ者を面倒くさそうな目で見ていたのを覚えている。
 そのくせ、時々、検問のように制服を着た者が車内に飛び込んできて、キップを持っていない乗客から罰金を取っている姿もよく見かけたりした。この者が警察なのか、トラム会社の者なのか、それもわからないまま、私は暮していた。
 このあたりのバランスというか、あきらめは、まるでルール化しにくい。普段はタダで乗車し、運が悪ければ、罰金という雰囲気なのであった。これは土地の空気感のようなものできちんと読むには、ある程度のリテラシーが必要になってくる部分なのだ。しかしテクニックというほど、特別なものではなくて、あくまでそこに長く住んでいれば、勝手に染みついていく、あたりまえの知識にすぎない。

 三軒茶屋はというと、東急世田谷線というのが走っている。これについてのルールも独特だ。日本ではトラムではなくて、ちんちん電車という言いかたが正しいのかもしれない。三軒茶屋から下高井戸までを、歩くようにゆっくりと運ぶ東急のローカル線である。
こちらは道路の上ではなくて、電車と同じように、線路が引かれていて、車との住処を分けている。
 住宅街をつっきるために、駅のごとのスケールがばらばらで、駅によってキップの買い方と乗り方、降り方も異なっている。基本的には運賃は先払いなのだが、車内で払う場合と、駅で払う場合がある。車内で払う駅に限って、「乗車ドア」と「後車ドア」という2つのタイプのドアがルールとしてあらわれる。それ以外の駅では、好きなドアから乗り降りできる。一度、パスモをタッチして140円の運賃を支払うと、30分以内であれば乗り放題という裏技めいたルールもある。
 車掌さんのマイクアナウンスや、乗車方法を書いたサインの説明の丁寧さが災いして、乗車方法はさらに複雑なものとして感じられる。初めて乗るとき、あれほど戸惑う電車を私は他に知らない。パニックを起して、料金を払い損ねると、車掌にマイクで呼び出されなかなか恥ずかしい思いをさせられるが、あの雰囲気を数回の乗車で理解するには相当の予習・復習が必要になるだろう。

 ルーズな雰囲気が連鎖して生れたルールも、徹底したアナウンスと規律によって生れた、難解で乗車困難なルールも、最終的にはどこか似た状況を作りだしている。それが、ごく庶民的なトラムという乗り物において顕著なのだから、それは2つの街、それぞれの象徴ということになるのだろう。

 なんと7番のホーム停車している濃い水色の電車は、昔のJR京浜東北線であった。
私は使えるはずのない財布の中のパスモの残高を気にしながら、同伴者と車内に乗り込んだ。円形の吊革や、バネがきつく跳ねるような座り心地のベルベットの座椅子、天井に張りついた黄ばんだ扇風機など、車内もそのままである。
 席に着いて、車窓からホームに並んだ電車を見てみると、一面カラフルに塗られていたオレンジ、緑、黄色をした電車たちは、中央線・山手線・南部線と、いずれもひと昔の、JRの車両で、どうやら古くなった車両をこちらへ提供したようである。当時の品川駅でもここほど、カラフルなホームではなかったのではないか。

 私たちは、京浜東北線の、隣りに停車していた、当時の中央線に座っている小学校の高学年くらいのかわいい女の子を眺めたりして、電車の出発を待っていた。顔を伏して自分のぶらつかせた足元を見ている少女は、私の視線に気づいたのか、顔の角度を変えないまま、上目使いで私たちのほうを見た。
 その目が、興味の目ではなくて、敵意の目のようになんとなく感じられた。とたんに私は跳ね返りの強い座席の、ムズムズとする居心地の悪さを言い訳にして、すこしお尻を浮かせるように、今度は自分の足元に目を移すような仕草で少女から逃げてしまう。
「余所者は歓迎されていない。」
 アーチを降りて、懐しい電車に乗った、そういう安心感から、距離を無視して視線を送ってしまった。だいたいどこの国でも小学生の女の子は先生や親から「知らない人についていくな」とか「不審者に気をつけろ」などと言われているのだろうし、もしかしたら、単に視線に気付いただけなのかもしれないけれど、私に、大胆さと不躾さがあったことは確かなわけだから、その女の子には失礼なことをしてしまった。

 電車が動き出すと、後方の車両と思って自分が乗っていた座席が、先頭車両だということが分かる。進行方向によって、先頭と後方、そして右ドアと左ドアが変ってしまうのが電車の難しいところだ。「出口は右側です」のアナウンス、私はなんどもあのドアーの左右を確認するために窓の風景の流れる方向を基準に頭を切り変える瞬間の気持ち悪さを感じたことがあった。その度に、進行方向が絶対的に決まっている自動車やバスの居心地の気持ちよさを実感するのであった。行くべき方向が決まっているのは楽なのだ。
 旧京浜東北線の終着駅だと思っていた巨大なドーム駅を、来た方向に戻るのではなくドームを貫通する方向へ、想像と反対方向に進みはじめた電車の座席で、私たちは座りながら、倒れそうになってしまう。自分を支えるために私たちの頭は、予想する進行方向の逆へと自然と力を加えていることを久しぶりに実感した。
 同伴者は、高校生の頃、放課後に電車に乗って出掛けたときに、始めての電車で、進行方向をまちがえ派手に転んだことがあるという話をしてくれた。吊革に手を掛けようとしたけれど、間に合わずに、ゴロンと、ダルマのように転がって恥しい思いをした。それ以来、電車の出発する瞬間にその時のことが思い出されるようで、苦い笑いを浮べながら、話している。
 私は話の途中から、そのときの彼女のスカートの具合が気になっていた。その後どうなってしまっていたのだろうかと思ったが、聞きはしなかった。私だったらきっと、その車内の空気に負けて、口数を増やしただろう、雰囲気を修正するのには時間が過ぎるのをひたすら待つか、大声でかき消すか、そういう選択はすぐに浮かんだが、彼女は「耐えられなくなって次の駅で友人と電車を降りた」という。

 ドームを出てすぐに、水面を走るように低い赤い橋を気持ちよく渡る。記念に撮影しようとカメラを出すものの、起動画面にあらわれたロゴがゆっくり消えていくのを待ちながら、アングルを探している間に、電車は橋を渡りきってしまう。本当はカメラなんて出さずに気持ちの良さを感じているだけでもよかったな、と思う。

 しばらく、湖畔を走ったところで、低い鼻にかかる声でアナウンスが流れる。駅の名前をつげると、旧京浜東北線はスピードを落しはじめた。腰にかかる重みに、体がぐくっと、引きもどされていく。停車したのは、老廃した無人の小さな単線の駅である。
 先頭から二車両がなんとか引っ掛っていて、のこりの車両は飛びでてしまっている。
 私たちのいる車両のドアが開くと、50歳くらいの男が二人乗り込んできた。二人とも同じ制服を着ていて、一人は浅黒い太った男、もう一人は同じく浅黒いがやせていて、背も低い。
 彼らは私達を見るや、「ここで降りてください」と声色を強く、話し掛けてくる。先ほどの女の子の視線よりはもっとずっと弱い目をしている。私たちには目的駅もなにもないので、言われるがままに、しぶしぶとはいえ、電車を降りることにする。同伴者も迷っていたが、とりあえず行く宛もないのだからいいかと、私についてくるようだった。





 降ろされたところは、湖畔に広がる林を、無理矢理に切り開いてつくった簡単な駅だ。すぐ横は湖、反対側は林になっている。駅前にはトイレも売店も自販機もなかった。
 数種類の鳥のさえずりの聞こえる、のどかな駅だというのに一体この不釣り合いな浅黒たちはなに者だろうか? 連れていかれる林の入口に作られた小さな集会所のようなところでは、浅黒と同じ制服を着た男たちに、10人程の人が囲われていた。私たちと同じ電車に乗っていた乗客かもしれない。その集団のすぐ近くでは、木に掛けた輪のついたロープで、首を括られ吊されている人の姿も見える。人が浅黒たちに処刑されているような印象を受けたが、驚いてしまって凝視することなく目を背けてしまった。
 衝撃的な光景であるのは間違いないのだけれど、その姿には恐しさは感じなかった。まるでYouTubeかなにかを見ているような別のレベルの世界のことのように感じた。嘘みたいではないのだが、本当の出来事ではないような気がした。

 浅黒の話を聞いていると、どうやら、私たちのような「新しい人たちの人口が、急激に増えているため、バランスがよくない。だから申し訳ないのだけれど音楽関係者以外は、ここで死んでもらうことにしている」ということだった。
「バランス」
 そう突き付けられた私たちとしても、突然ここで死ぬというわけにはいかない。しかし、私や同伴者は、音楽に関係した仕事をした経験はない。
 浅黒たちは、「本当は申し訳ないと思っている」と口々に詫びてくる。皮肉ではなく、しかたないので諦めてくれ。というようなもの言いだった。
 私は音楽に携わるかどうかで生死というものが分れることになるとは考えたこともなかった。そういうことがあるというのは、あってみないと分らないものだけれど、経験や知識が活かせない一方的なルールには、憤りよりも失望を感じて、とても小さな時に、親から叱られたときの感じを思い出した。


 音楽を巡るインターネット上での、配布や収益を上げるための仕組みは、未だに固定できないままだ。たぶん、複製が簡単すぎるからだろう。
 ウェブサイトやp2p、ネットのどこかを探せば、音楽のファイルに限らず、アニメ、映画、漫画、テレビ番組、ソフトウエアなど、いろいろなものがアップロードされている。
 簡単な言いかたをすると、「データをどこへアップしたか」ということだけで、違法か合法かは決められている。同じ音楽のデータでも、誰かが勝手に自分のサーバにアップしたものをダウンロードしてしまえば、配布した側が罪になる。最近ではダウンロードした側も罪に問われてしまうようだ。
AmazonやiTunesなどから、購入できるファイルは、サーバ上に置かれた「本物のファイル」をダウンロードしたデータなので、普通にやっただけでは自由にコピーできない。そもそも、ダウンロードした段階で、すでに「本物のファイルの複製物」をダウンロードしているわけだが、それはお墨付きの品なのだ。
 コピーコントロール技術も、それを解除する技術も、同じように、技術を持つプログラマたちによって、アップデートされているから、手間を掛ければ、技術でコピーは可能になったり、不可能になったりする。繰り替えしならが、進化している状態なのである。

 こういう、1ミリ、1ミリ進むようなコピーコントロールの進化合戦に巻き込まれていくと人や業界は、だんだんと疲れてきてしまう。進んでいるように見えながら、引いてみたときに、それが前向きなのかどうか分らなくなってしまうからだ。競争を追いかけるのが、もし辛いのであれば、別の方法もあるかもしれない。
 例えばダウンロードした楽曲を一度、CDーRに焼くというメタレベルでの解決法である。ダウンロードしたら、そのままコンピュータのスロットに、空っぽのCDーRを挿入してCDを焼くのだ。
 デートでドライブに行く前日に、車内で聞くCDを準備するような気持ちで、焼いて、完成したマイコンピCDーRを、そのまま、もう一度コンピュータに取り込む。こうするとコピーロックが掛っていないデータになる。これで元のお墨付きのデータは捨ててしまって構わなくなった。
 焼いたCDは実際に車で聞いてもらってもいいし、カラス避けのようにベランダに吊しておいても構わない。これは一例だが、こういう風に何かメタレベルのルールを持ち込むと、技術でコピーが可能とか不可能とかいうような二元論で行われていたいろいろな議論は台無しになってしまう。CDーRに焼くということが、方法として時代遅れになってしまっても、別の方法は時代毎に用意されているものだ。
 MP3などの、より便利な形式の登場でCDが売れなくなってしまったからには、ミュージシャンたちは、複製の簡単なデータの特性を活かした、薄利多売の可能性を信じるしかない。しかし、薄利多売というのは前提として「多売」することができる知名度を持ったミュージシャンだけに与えられた特権だ。どれだけ頑張っても、表現として複雑難解な分野では、視聴者の絶対数が決ってしまっているから、CDが売れていた時代以上に、売り上げを上げられるかはわからない。そこには相当のセンスや直感が必要だろう。YouTubeなどの動画投稿サイトで話題になり、売れるミュージシャンは出てきているが、それはマイナーだったミュージシャンが、薄利多売が可能なだけの知名度を、インターネットで複製され、再配布された動画の力によって得たからなのだ。これは先の問題を、メタレベルのルールによって解決した「配布する側」の例ということになるだろう。

 そんな状況でも、インターネット世界での音楽は、複製・配布が気軽であるために、ミュージシャン自体の数は増えてきている。パソコン一台で曲を作り、レコード会社を通さずに配布ができる。レコードなど、どこにも使用していないのだから、「レコード会社を通す」という表現自体、よくわからないのだが、インターネット文化によって、データのごとく、ミュージシャンや文化も複製されていくように増加している。
 そのなかには、非営利的にひたすら配布し続ける新しいタイプの音楽活動が現われ始めた。それがネットレーベルとよばれるものだ。
 彼らは音楽データを売らない。作った音楽を.mp3のまま、アルバムとしては.zipに固めて、直接お客に配布しはじめたのだ。
 インターネットの起源は、資料や論文などを、売るためではなく、共有するためにつくられたわけだから、薄利多売という、物理世界の流通の仕組みを持ち込むのというのは違和感のあることなのかもしれない。どれだけコピーを伏せごうと難しい鍵を掛けても、技術は技術で上書きされてしまうから、不正コピーは止まらない。常識も法律も追いつけないから、技術勝負になってしまう。そこにメタレベルを持ちこまれると、話は議論にならず、宙ぶらりんに浮いて一向にまとまらなくなってしまう。
 そんななかで、技術を持たない若いミュージシャンはこの状況を諦めて、インターネットの共有の原理にしたがって、なにもかも配ってしまったのだ。こうなると、不正コピーというのはどうなるのだろうか。不思議と、価格を0円にすることで、不正コピーは消えてなくなってしまった。

 不正コピーはお金が0円になることで、満たされ、その瞬間に消えてしまったのだ。もはや若手はかつてのミュージシャンのように、楽曲の配布から、お金を儲けることを捨てしまった。
 CDやカセットというメディアが生れるずっと昔、クラシック時代の作曲家のように、彼らは、貴族に楽曲を提供することもない。貴族の変わりに、ディスプレイの向こうにいる数百のファンに音楽を届けて、ただ楽しんでいる。そこには「ライブなどのリアルな場での集客に繋がるから」と言う声ものもあるが、他方で、ライブを行わないミュージシャンも多い。満足感がそこにあれば、お金や仕事にならなくてもいいというわけではないが、どうしたらいいのか分らないまま、「0円」の波は、音楽で「食っている」層に確実に食い込んできている。
 こういったアマチュアと呼ばれていた作家の「食い込み」はすくなからず、ものづくりと言われるジャンルでは、デザインにも、アートにも、どこでも起きていることに見える。抗うことのできない、インターネットの成長の結果、かつての民藝品のような、市民のための作品がデータ作品の中にも次々にあらわれて、今まで通りのバランスが保てなくなってきているのだ。

 浅黒たちはそんな話、聞きいれようとはしなかった。「すみませんが、」と、遮られるように、話は止められてしまう。
 私たちは、逃げるように広場から離れ駅へ向う。来た道を戻って、駅の反対側へまわると、美しい湖に掛かる、小さいけれどしっかりと鉄橋を立てた赤い橋をみつけた。
 ゆっくりと追ってくる浅黒が見える。彼らの動きは、けして暴力的ではなく事務的だ。役所で混雑していてもペースを崩さずに仕事をこなす、住民課の職員のように淡々としている。
 浅黒に気を配っていたのだけれど、美しい湖畔と赤い橋を前にすると、私たちは目を奪われてしまった。
 近づいてみると、橋はつやのある塗りたての赤い鉄の骨組に、美しい木の板が床に敷きつめられている。透きとおる水面へ伸びる橋脚にコケやサビつきがないところをみると、どうもつい最近完成したばかりのようだった。
 浅黒は橋の手前の、駅を越えたあたりで、引き返してしまった。彼らにはここを渡ることのできないルールがあるらしい。私たちのような、旅の人のもつ目と、彼らのようなここで生活をしている人のもつ目は違うのかもしれない。私たちには、風景としてあるこの赤い橋は、彼らとはまた別の関係にあるのだろう。





 コンコンと自分達の足音の跳ね返りを聞きながら橋を対岸へ向って歩く。ちょうど真ん中あたりを過ぎると、湖畔の駅はもうすっかり小さくなり、とおくてよくみえなくなっていった。渡りきると、橋はそのまま森の中へつづくスロープにつながっている。そこには間口が狭く、とても入り組んだ山小屋風の家があった。
 燕のように素早く、小さい黄色い鳥が数羽、家のまわりを飛びかっている。軌跡が優美な曲線をしていて、動きのわりに、その姿を目で追うことができる。家は橋から色を写しとったように、赤い屋根をしている。軒に鳥の巣が二つ、くっついている。間口の狭さのわりに、ぐねぐねと奥に横にと広がっていて、お客の増加と競うように増築しつづけてきた歴史のある民宿にも見える。
 赤い家の窓から覗ける廊下の向こうに、小さくお婆さんの姿が見えたので、浅黒や巨大な駅についての話を聞かせてもらおうと、ドアをノックしてみるが反応がない。耳が遠いのかもしれない。
 私がノブに手をかけると、ギギっという建て付けの悪い音がして、バンガローのような薄い木製の扉は簡単に開いてしまう。軒の巣の小鳥は鳴きやまない。
「おじゃまします」と一声掛けるがやはり老婆からは何も返事はない。
 黄色とオレンジの小さな花が飾られている玄関には段差がなく、土足のまま上っていいのだろうか、ベージュのカーペットが廊下に敷かれている。窓から見えた廊下のひとつ目の小部屋は応接間のようだ。「おじゃまします」ともう一度断って中を覗いてみると、そこには真っ直ぐ前を見てほほえむ老婆の写真がある。額縁に飾られていない、四隅を簡単に止められただけの老婆の写真は、すこし色が褪せていて、まるで幽霊のような存在感が漂っている。綺麗に整頓されている部屋は、煙草とシトラスの香水の混ざった匂いがする。

 隣の部屋はキッチンとダイニングのひとつになった居間になっている。テーブルには野菜や紅茶のパックが置きっぱなしになっていて、そこにはさっきまで生活があったような状態だ。
 湖に沿うように、建てられた廊下は、ギャラリーのように老婆の写真が飾られたり、マジックで誰かの身長を記録した数字が、私の腰のあたりから、ちょうど胸のあたりまでメモされている。
 しばらく見てまわり、幾つかの部屋を覗いたけれど、本物の老婆を見つけることはできず、家の奥まできてしまうと、そこにはもうひとつ先ほどと同じような玄関があった。こちらには、ヤマユリの花が飾られている。すこし、萎れてはいたけれど、花粉もしっかりと残り、まだ腐りはしてはいない。独特な、甘く濃厚な香りが廊下にまで漂っている。この花は、日本の花ではなかったか。

 私たちは息を止めるようにして、そこから表へでると、目の前はまた湖があった。来たときのとは違う、似たような赤い橋が掛っている。橋の真ん中あたりが円形にふくらんでいて、そこにベンチが2つ、湖を左右に見渡せる位置に置かれている。
 森から飛びでた木々の遠くむこうに、次々に電車が吸い込まれていく巨大なドームが見えてくる。アーチのあった駅の方角へ少しだけ戻ってきたのだろう。
 橋の中央のベンチには昔から仲良くしてもらっている2人の先輩が座っていて、たばこの煙をくゆらせていた。驚いて話を聞くと、ドームの駅からここまで観光しながら、歩いてきたらしい。私たちも赤い家の話をする、先輩たちは私の話にあまり興味がない様子で、吸ったたばこ丁寧にベンチの脇に並べている。もう4本もならんでいる。

 先輩の一人は、「せっかくだから、写真を撮ってあげる」といって五本目のタバコをくわえたまま、カメラをカバンから取りだした。こちらに向けてかまえ、たばこの火を揉みけした左手をそのままあげた。私たちは先輩の手に視線を移しながら、お互いの手を取り合い、すこしおどけて左右対象にピースサインをした写真を撮ってもらった。



萩原 俊矢

ハギハラ トシヤ




1984年神奈川生まれ。東京工芸大学芸術学部卒。セミトランスペアレント・デザインより独立し、ウェブデザイン、ネットアートの分野を中心に幅広く活動している。また映像ユニットflapper3、デザインと編集の集団cooked.jpにも所属し、主な展覧会にセミトラ展(2009年 YCAM、2010年 クリエイションギャラリー G8)や、インターネット アート これから(2011年 ICC 企画として参加)などがある。
shunyahagiwara.com

600日

横田泰斗




水曜日。どうしても植物が好きなのでお天気お姉さんのちょっと大人な雰囲気と同じくらいにその後ろに置かれているパキラの木が本物か造花なのかとても気になってしまい、そもそも花じゃないから「造木」という方が正しいのかもしれないけどそうしたら「ゾウキバヤシ」とか言われてもすぐに「気持ち良さそうだね」と言えないことになってくるので、「造木」という言葉はないんだろうなと思ったけど朝からそんなどうでもいいことが頭をよぎる自分の中学生ぶりにまで不安と疑問を抱いていたら、いつのまにか学校にいかないといけない時間になっていて、このままじゃ遅刻なのであわてて食パンをくわえて飛びたしたいが、我が家は健康思考が強いので米食がメイン。お茶碗持って駆け出すなんて読んだことないけど昭和の漫画くらいだろうし、そのアイテムでは絶対に気の強めな子にぶつかるはずがない。実際このあと学校につくまで何にもぶつからない。残念なくらい関東平野のど真ん中にある町だ。

庭付き二階建ての3LDK。車は紺のスバルのレガシィ。犬が一匹と妹が一人。この辺りではよくある家庭で実際、岡田の家も同じレガシィと妹と犬がいるから僕が知らないだけで他にもまだまだ似た家庭があるはず。玄関の下駄箱の上には小学校の図工の時間に作った魚の形をした木製の小物入れがおいてあってこれは皮をはずすと中が骨の形で区切られているっていう我ながら魚愛あふれる逸品。その下駄箱の中からニューバランス白いメッシュ地に赤のNがついた妙に軽いランニングシューズか、ナイキの白地に黒いロゴの入ったレザーコルテッツを選んで履く。ローファーはかかとが痛くて一週間でやめたが、女子のローファーはいいと思う。このへんの親は成長を見据えて少し大きめなんかを買っておくのが普通だから、歩くたびに少し靴のかかとが遅れてついてくる。
玄関のドアを開けるとさらに柵の扉がある。ここの間、この自分の空間と外の空間との緩衝地帯がなんか大切な感じがするんだけど、いまのところは母のご近所さんとの無駄話の場かキャッチセールスを断る場にしか見えないのでまた今度考えよう。扉をあけてコンクリートの道路に出る。正面はうちと同じくらいの一軒家、右手は丁字路で、左が通学路。右手のぶつかる通りは500メートルくらいにわたって桜が植えられているけど、その向こう側には日本で一、二を争う汚さの綾瀬川が流れていて花見のシーズンには川の向こうの原っぱが家族連れでいっぱいになる。そしてたまに釣りをする川。最近は鯉とかクチボソぐらいしか釣れないけど、前はオイカワやハヤがつれたからもう少しキレイだったんだろう。鯉は吸い込みという釣り方で針が何本も埋め込まれた団子状の餌を投げておいて釣るんだけど、投げた後は基本的に置きっぱなしの釣りで竿についた鈴がなるのをただ待つだけで、わざわざ家の横の川でぼーっとしてるのも暇だから最近はもう投げたら家に戻ってきて窓を開けたままゲームなどで時間をつぶして、鈴が聞こえたら靴を履いて川に戻るというなんだかよく分からない釣りをしている。南国の海の上に住む人みたいだ。一度だけ自分の部屋の窓から仕掛けを投げたことがあるけどさすがに電線に引っかかって誰にも言わずそのままになってる気がする。家を出た正面の家が出来る前はやっぱり田んぼだったが、いつの間にか土で埋め立てられて畑になり、そして今では家ができて下の子が僕の妹と同級生で兄は派手じゃないタイプの走り屋の四人家族が住んでいる。そこが田んぼだった頃に見た夢で今でも鮮明に覚えているのが、いつもの田んぼが水族館のふれあいコーナーのような状態で妙に綺麗なエビやらイソギンチャクやらウミウシがいる夢で、海水のとか生き物がかなり現実的な触感だったからその朝はかなりの期待をもって外に出たけど田んぼがどんと広がっていてがっかりするというとても子供心あふれる素敵なエピソードを思い出したが、今朝も早くから兄が車を触ってるだけで潮の香りは全くない。
学校に向かうのでその兄と車を横目に「梅美荘」の前を通る。うちのすぐ隣にある二階建てのアパートで、大屋さんらしき豆大福が化粧をしたような梅美オバさん以外、話したことは無いし全員の顔すら見た覚えがない。二階にあがる階段がアパート左側、うちの塀の真横にあって階段の下には使っていない自転車やバイクのパーツが転がっていたので奇麗好きの母が苦情を出していた気がするし、一階に住んでいた四〇歳くらいの独身(きっと)がうちの犬に勝手に何かの缶詰をやっていて何度注意してもやめずに最終的には犬のまわりにネットをはった事件もあった。だから、梅美オバさん以外とは交流が無い。
そのまま梅美荘の前を進むと左手は田んぼ、右手に三件ほど家があって田んぼの端には用水路から水を引いてきている穴があいていて三つの田んぼ共用になっている。小学生の時にはいたずらでその穴を塞いだりしたが最近していない。右手の家の一つ、奥まったところにある家には同級生の菊池さんが住んでいて彼女は三姉妹の一番下。同じ年で家が近いので遊びにいったりしていたがそれも小学校低学年までで「女子と遊んでる男子」がよくも悪くも意識される学年になると気付いたら遊ばなくなっている。
前は仲良かったけどしばらく交流が無い状態を経て中学三年生で隣の席とか楽しそうだけど、ならもっとたくさんの女子と物心つく前から遊んでおけばよかったと盛大に後悔する。不運にもいま隣の席の子は別の小学校から来た子だから駄目だ。背が小さい天パの子で悪くないけど京極夏彦を読みあさっている。仕方ないから僕も一度貸してもらったがあれは分厚いし文字が二段だし妖怪の話だし全然読み進まず、赤川次郎しか読んだことがない僕には僅かな可能性もない気がした。自分の部屋の窓の向こうが綾瀬川だった時点でもう駄目だったのかもしれないと思いながら、菊池さんの家の少し先にあるざくろの木の前を通過する。

丁字路にぶつかるのでそこを田んぼに沿って左に曲がって、さらに丁字路を右に曲がる。MDプレイヤーの調子が悪い。道沿いには綾瀬川にそそぐ大きめの用水路が流れていて水は少ない。幅が3〜4メートルくらいで深さも同じくらいある。このあいだ下にお札が落ちていて同じくらいの年の人が集まっていたけどあれはどうしたのだろう。この汚い水に入ったんだろうか、子供銀行だったら汚れ損だ。
うちの辺りの用水路にはフタが無いので、20センチくらいの幅のはりが間隔をあけて渡されている。もちろんこの辺りの男子はそのはりを誰が一番早く、もしくは少ない歩数で渡れるかを競う時期があって僕は小六の時で170センチ以上あったので有利だった。落ちたくないのでもうやっていないし小学生の時も落ちたことは無いが、中曽根は落ちた。この深い用水路ではなく小さいところだったから無事だったけど、彼が落ちた用水路は1メートルくらいの深さで水のような泥か、泥のような水で六割くらい満たされたところだった。小学校からの下校途中に落ちたからいろんな人に見られてしまったが、彼は「面白いクラスメイト」のポジションだったから落ちた後も周りのうけは良かったけど、もし図書室で図鑑の魚をノートに描き写したりしてるヤツが落ちたら終わりだ。どうしよう、本当は落ちてないフリをするのが一番だけどさすがにそのまま用水路を歩き続けるのは難しいから「珍しい生き物がいた」とか「魚の気持ちになりたかった」とか言うしか無いがそんな余裕とユーモアが欲しい。
曲がって少し歩くと栄六丁目から四丁目に掛けてのメインストリートにぶつかる。ただ商店街とかのメインらしいメインではなく、ただ二車線あるというだけだがこの通り沿いにはガソリンスタンドや、床屋、文房具店、公園、駄菓子屋、24時間やっていないコンビニがなんかがある。駄菓子。うちは母親が元看護婦だったからか生活面にも厳しくて着色料とかがNG、駄菓子なんて全面的に排除されてきたので、どうしても友達と駄菓子屋に行くときは近場の店ではなくて隣町の駄菓子屋を利用している。子供のときに食べなかったからか駄菓子そのものを食べたい欲求はないんだけど、行くのは嫌いじゃない。あの駄菓子屋の横にある駐車場のはじでブタメンを食べる感じとかすごくいいので中三になってもいまだにやる。テレビでは駄菓子屋とか夜店風な店が時々流行るけど、駄菓子屋で女子がいるのは見たことない。
そのメインストリートの信号の無い交差点を左に曲がって、歩道と車道の境にある車止めのような出っ張りの上をなるべく落ちないように50メートルも進むと、右手に岡田の家があって今日もやっぱり車はうちと同じスバルのレガシィの紺色がそこまで広くない庭にギリギリとめてある。ほぼ車庫。その岡田の家の向かいにあるのが五丁目公園という家から一番近い公園で、毎年七月の第四週の土日に夏祭りがあって公園の真ん中にやぐらが組まれ、子供会だか何かで練習させられたと思われる小さい男女がひび割れた東京音頭に合わせて不安定なリズムの太鼓をたたく。するとそのやぐらを中心に盆踊りが繰り広げられるという、もう僕のような霞ヶ浦の晴れた午後くらいスレたヤツは一度も参加したことが無いし、もちろん今のうちに参加しておかないとこのまま大人になっても盆踊りに参加できないタイプになるとは薄々感じてはいるけど、それでも参加できないくらい和気あいあいとした状況ができあがる。もう少し身長が低ければきっと少しくらい恥をかいてもバレないと悔やんだことが何度もある。若いうちに何でもやって失敗したほうがいいなんていう先生の話はそういうことで、中二の時点で床屋のお姉さんに社会人と間違えられて「今日お仕事はお休みですか?」なんて聞かれてしまってはもう人生決まったようなものだ。人の目を気にするななんて言われても自分で自分は見れないじゃないか。ちなみにそれ以来、床屋には行っていない。
七月二十四日が誕生日なので祭りのある第四週の土日なんてもうどうぞ祝ってくださいと言わんばかりのウィーケンド。たまたまその年の祭りが誕生日と重なったにも関わらずいつも通り家族と過ごしてとりあえずケーキでも食べようかっていうときに、普段はジーパンしかはいてないバレー部の上野が急に浴衣姿で家にきて、完全に部屋着の僕を祭りなんか行くつもりじゃなかったのに連れ出そうとするから渋々着替えて少し髪を直して歯ブラシに目を落としつつもさっさとコルテッツを履いて外に出て用水路沿いを一緒に歩く。まんまと普段とのギャップにやられてだんだん大きくなる東京音頭にも気づかないまま公園に着くと中学の友達がいたりして、彼らと仲良く話す彼女。その輪に入ってるようで入っていない絶妙なポジションに立っている自分にまたかと思っていると急に「ラムネが飲みたい」なんて言いながら腕をひっぱりながら小走りの上野の横顔が見えるか見えないかくらいで醒める。
たいして大きくない五丁目公園はもう通り過ぎてしまうけど、小学生の時には五丁目公園のトイレの隣に生えているメタセコイアの木に登って、太めの枝で幹に背をもたれるポジションを「秘密基地」として何をする訳でもなくただ座っていた。基地にしては狭すぎるし夏以外は周りから丸見えだけど、たしか岡田もその時までは一緒だったきがする。そのうち小学生も高学年になると男子は木登りではなく、隣のトイレの建物の上が平らなのでそこ集まりだしてきて、木に座る僕とトイレの上の男子たち。公園のトイレとはいえ誰かが所有しているものの上に乗るということに非常に抵抗というかそんなことで怒られるのが嫌だったので、僕は木を降りた。それくらいから周りの関心事が変わってきたのだろうか、虫取りで人より沢山のクワガタを捕まえたり、ハルジオンとヒメジオンの違いを知っていたり、誰よりも多く蜂を踏みつぶしたりしても意味がなくて、もっと反社会的なというと大げさだけど何かを壊したり、つまりドラえもんに出てくるカミナリさんが怒るようなことをやることがカッコイイみたいな雰囲気になってくる。もうそうなってくると僕みたいな現在もこのあとも反抗期がやってこなさそうなタイプは男子界におけるメイン男子グループから居場所が無くなるので、ぽかっと空いた時間を埋める方法を自然と見つけるようで、中学校に入る頃にはルアーやフライを作るようになり、なぜかクッキーやチーズケーキをやいたり、授業で触ったのをきっかけにクラシックギターを始めたり。このギターはなんかすごくしっくりきて、音楽の授業で歌うのは苦手というか全く嫌でアイドル並みの口パクだったけどギターは歌わなくてよかった。そのあとちょうど図書室にあったパソコンにMIDIで音楽つくれるソフトがなぜか入ってたのでそれにスピッツやらラルクを打ち込み始めたりなんかしたもんだから、青春をいきる中学男子としてはもう完全にアウト。背が高いから渋々入ったバスケ部も一年半でやめて今は生活科学部というほぼ帰宅部で、PC-98が並ぶ空調のきいたパソコン室でローラー付きの椅子をなんとか並べて外を眺めながら横になる放課後。クラスのすみにいるような連中が四人集まってなぜか架空のラジオをテープに吹き込んだりしてそれなりに内輪的な盛り上がりはあったけど、これはまずモテない。パソコン室の隣に放送室が併設されていたのだが放送部の女子たちからはいったいどういうふうに見えていたのか知りたくもない。なのでいい汗と無縁の中学生だがそもそも身体表現にたいして馬鹿みたいに距離をおいていて、体育の授業もできなそうなヤツはすべて見学してて、消防車が赤いとかポストが赤いとかいうあの謎の応援合戦がある体育祭も見学。去年はわざわざ着替えを持っていて同じように見学していた友達と途中で大宮に遊びに出て行ったくらいの駄目具合。でもこれはこれで良い話。

やっぱりメイングループとは仲良くなれないんだろうなと思いながら五丁目公園をすぎると、しばらく田んぼと誰が住んでるかわからないアパートや一軒家が交互に並ぶ。オセロだったらアパートと家がゴウザウラーみたいにひっくり返って田んぼだけになる。あのアニメは小学校のプールか校庭かがひっくり返ってロボットが出てきたような。嘘かも、あんまり覚えてない。しかし小学生の頃にみたアニメにはきまって悪いヤツがいてそいつを仲間で協力して倒してとりあえず平和を手に入れるの繰り返しが多かったが、このくそ田舎町の平和を乱すヤツはよほど暇じゃない限り現れないか、いたとしても気づかないくらいのものだと思う。これじゃあいつかのために剣術や魔法の練習もしてたんだけど無駄になってしまう。もしこのまま敵が現れないままだったら、いったいこの田んぼだけになった町から何処に向かって進めばいいのか分からないじゃないか。それなら家と一緒にひっくり返って田んぼの裏に行けばよかった。
その先にある文房具店「フレンドショップエンゼル」は交差点の角なので運良く残っていて曲がるところは間違えなかったんだが、ここは本当に狭い店。包装紙の糊の匂いと墨汁の匂いがする五畳くらいの店内に少し大きめの金色のメガネをかけたおばさんがコピー用紙と並んで座っていて、よく硬筆用の鉛筆を買いにいっているが未だに「いらっしゃい」と「ありがと」と合計金額を伝える声しか聞いたことがなくて、買い物にくる子供と話をしている様子もなく今度ためしに天気の話でもしてみようかと思う。それか信号機の話。店の前の交差点にはいつのまにか信号機ができて、昔はなかったから余程小学生が飛び出したのかも知れないその交差点を文房具店を背にして渡ると、母校の南小学校の正門から続く一本道になる。このあたりから誰かにあってもおかしくないんだけど。
中学校までの通学路が小学校の時の通学路と半分ちかくかぶっているので、小学校も中学校も制服か私服かの違いくらいでなんだか代わり映えしない町だなと思う。ここに通っていた人はみんな同じ中学にいくのでなおさらそう感じるけど、あえて大きな違いを挙げるとすれば登校班の有無で、五つも歳のはなれた人と一緒に登校してたなんて今考えると大学生と一緒に歩くのだから変な感じだ。うちの班には菊池家三姉妹がいたので異様な菊池率だった覚えしかないけど、例えば班長の六年生が男子だったりしたら三、四年生くらいのませた女子はさぞ楽しく毎日を過ごしていたんだろうな。うちは高菊池率だったからな。それが中学にあがると登校班もなくなり、時間通りにくれば通学路も実際はどこから来てもいいっていう状態になる。本当は小学校を通らないルートの方が少し早いけどなんとなくこの道でもう三年目になってしまって九年もこの小学校を見てる。そういえば小学校のクラブ活動も生活科学部。バスケがやりたいですって真弓先生にいったのに「生き物好きの横田くんはバスケよりこっちの方があってると思って」というよく分からない(逆によく理解しすぎた)判断で第二希望の生活科学部にさせられてしまった。
正門を左に曲がって校庭にそって右に曲がり正門からみて裏側の通りまでくると、そこまでの住宅地から急に空き地や野原と雑木林が広がる。まるでその通りが結界となって草の侵入を防いでいるか町が侵入できないでいるような様子で、中学校まではその間を細い道が続いていて、あるのは雑木林に囲まれた古い空き家とその先にある法光寺くらいでどちらも肝試しに使われそうな雰囲気。空き家の方は扉もなにもなくなっていて昔覗いたことがあるけど完全に中に入ってはいけない感じがしてめったに誰も近づかない。法光寺はお墓があるくらいで本堂とかは綺麗なお寺で、大晦日にはほとんどの町民が集まるのだがこれも夏祭り同様にすすんで行かない。大体は明けた一月一日に僅かな友達と行って何となく小銭を投げ入れる。毎年抱負を抱えている人や世界のポジティブに申し訳ないが僕には今さら劇的な変動は見込めないけど、それなりに楽しませてもらっていてここも嫌いではないので、いつも通りそのまま法光寺をすぎて田んぼをすぎて梨畑をすぎておばあちゃんたちを横目に病院の駐車場を抜けると中学校の裏門につづく坂に着いて、後ろから遅れて歩いてくるだれかが気付くよう歩幅を狭めてゆっくり坂をのぼる毎日です。





来月で二七歳。田舎にも都会にもなれない関東平野のベッドタウンで育って、小学校から中学高校まで同じ町内にある学校に通い、その間に変わったことといえばカバンの中の音楽がカセットテープからMDプレイヤーにかわったのと制服が高校に入って学ランになったぐらいで通学時間も風景も変わらず。大学は父親の影響で美大受験をするが高校の夏の急な進路変更だったのでデッサンも平面構成もろくに出来ず、多摩美のグラフも武蔵美の視デも落ちて、通常の美大生通り一浪二浪して入ればいいやと思っていたら武蔵美のデザイン科の中でもいわゆる「滑り止め」と呼ばれるデザイン情報学科に合格し、美大生以外から見れば聞こえのよい現役美大生を獲得しそのまま四年間過ごす。卒業後は都内の小さなデザイン事務所で働きだし四年が経過。ベッドタウンピープルにもなりきれない抜きん出れない四半世紀を過ごした頃、ちょうど今から二年前。僕に弟ができた。

うちの家庭は両親と妹の四人家族で、僕が高校二年生の頃に両親が離婚した。何が原因なのかはいまだに知らないけれど帰ってくるなり喧嘩をする日が増えていったし、小中学校時代の友達からも両親が離婚していたり離婚した話をよく聞いていたので、離婚を打ち明けられた時はそこまでの驚きも無く部屋で少し泣いたくらいだった。家にはそのまま父が住んで、母親は実家(祖父母)の家に住むことになったがこの祖父母の家が今の家から自転車で十五分程のところ、ちょうど高校にいく途中にあったこともあって大した離ればなれ感も無いので、僕と妹はそのまま今の家に住み続けることになった。妹はおそらく腐女子。離婚後、母は看護士の仕事に戻ったがその勤務先の病院も高校のすぐそばにあって、もうなんだか僕からすれば家が町全体に拡張されたような感覚で、帰りに祖父母の家でおやつを食べて自宅で夕飯を食べるような生活をしていた。小遣いも母、祖父母、父の三カ所から貰うシステムが出来上がり、大学時代までありったけのすねをかじり続けたおかげで、アルバイトを経験せず社会人にしていただいた。

そして大学卒業後、父が再婚する。といっても父から「再婚しようと思う」といった話は全然聞いていないし、再婚した後も「再婚した、相手こういう人だ」という報告も無かったので、ほんとに結婚してるのかどうか今も定かではないという親子関係。実際、僕は再婚相手の名前を実家にあった郵便物で確認した。年も知らない。話さない親と聞かない息子。
なので再婚したと判断したのは実家が引っ越すことになったからで、さすがに元妻とその家族が住む町、近所付き合いのある町に新しい家庭は築けないからだろう。二人にはスタートラインかもしれませんが、恋ケ窪(武蔵美まで一駅)に住んでいた両親から生まれて、その後この家にきた僕はまさか二十年以上住んでいた部屋が無くなるとは思っていなかったので、部屋中にピンで写真を刺していたし、ベースをぶつけて壁は凹んでるし。喪失感はすごかった。小学生の時から使っている学習机、ベッド、壁のパズルに恐竜の模型、ルアー作り用の電ノコにバルサ材、彼らをすべて出して空っぽになった部屋。初めて部屋の四隅と隠れたコンセントを見た。
引っ越し当日にはもう次に住む家族が来ていてリフォームの打ち合わせだろうか、僕は挨拶しなかったのだが小さな子がいる三人家族。新しい家族に押し出されたような状態のまま日産のキューブで新しい実家に移動。次は蕨市、東京都には近いが荒川を渡れずまた埼玉だ。
引っ越し後、新しい実家には車を使いたい時や埼玉以北に用事がある時に戻る。駅から徒歩5分、屋上付き三階建て、家の家具の殆どがIKEAで統一されたよくある家庭。僕の部屋もIKEAのショースペースみたいになって置いてあるギターや釣り竿すらセットのようだ。
昔から飼っていた雑種犬のボブが老衰で死んだ頃、弟が生まれ、このよくある家庭に新しい家族が増えた。また親子関係がそんな感じなのと、この時には彼女と立川市に住んでいたので、これも事前の告知なく家族が増える。
ただ女性はよく見てるもので彼女は新しい母のおなかが大きくなっていることに気付いていたようだが、僕は父も五〇歳を過ぎてるし(両親の生年月日を知らないので推測)さすがに二五歳下の弟が出てくるとはまさに夢にも思っていなかったので、床に赤ん坊が転がっていた時には冗談かと思った。父にどういうことか尋ねたら、「云ってなかったけ?弟だ」というからすごい。名前は大樹(ひろき)君。0歳。弟ができた。
余談。ちょうど昨日飲んでいた友達に弟の話をしたら、なんと彼の親父も五〇歳を過ぎて子供を作った一人だった。せかいせまい。彼の父はずっと職場内で浮気をしていて、ついには月に一日家に帰るか帰らないかぐらいまでのめり込んでしまった。その帰ってきた次の日に家族で尾行しマンションの一室を尋ねると案の定、若い女性が出て後ろにはパンツをはこうとする父親という冗談みたいな浮気現場をおさえる。それでも父親は付き合いをやめず、そのまま離婚、そして若い女性と再婚、子供まで作るという流れ。友達が後日、理由を聞いたら「遊びたかった。俺も若い時に遊んでおけばよかった」という。そんな父親は市役所つとめで婿養子という妙な説得力。余程の覚悟でことに望んだんだろうと思った。うちはそんなにドラマチックではないが、同じように職場内再婚(部下らしい。父の職場の人に聞いた)、覚悟という面では同じぐらいあったんだろうと思う。
まだ弟が生まれて二年、頻繁にみていたわけでもないし、どうも自分の子でもおかしくないのが親父の子っていうのは色々ギュッと詰まりすぎてて、どう彼に接していいか分からず、結局赤ん坊の抱き方も良く分からないままだったが、そんなことおかまいなしに子供の成長は早くて早くて面白い。ほんとに小さい時は見た目とか肌の触り心地とか言いかたは間違ってるけどモノとして面白くて、その後からは動きだすので反応とか意思とかが見えてくる。最近はさすがに僕と父親の違いを理解してきて、実の兄とも知らずに彼は僕を完全に他者として苦手意識丸出しの対応を取っているんだけど、ちいさい時は視力もよくないので匂いで親を判断するみたいな話を聞いたことがある。実際、僕が近づいていっても父親に対するのと同じような反応をしていたらしい。新しい母、大樹君の生みの親が言うのだから間違いない。だから僕と父が同時に目の前に現れると彼の小さな頭の中は小さいなりに大混乱で、父親と思われる二人を交互に見てみたり母の様子をうかがったりして最終的には腑に落ちてなさそうな顔をして諦める。家族。とても家庭的なワンシーン。まあ赤ん坊のうちにこれだけの無理難題を与えられておけば今後の人生で起こりうる理不尽な状況にも耐性ができそうだ。まだ二七年しか生きてないけど「実は親父が二人いました」ほど対処できない事態は起きてないから四半世紀は健やかに育てると思う。でも四半世紀後には父親がおじいちゃんになっていて場合によっては死んでる問題があるんだけど。
周りの関心はその年齢の問題が一番興味深いところで、「おじいさんとおばあさんは小学校の父兄参観に行きました」「叔父サン叔母サンかと思っていたら実は兄と姉でした」の二本立てでお送りします彼の人生は、僕の二七年間より必然的に波瀾万丈なものになるんだろうな。と思うと、父の残りの人生もなかなか面白いことになってくるまさかのゲーム展開。今、サラリーマンが昼の一時を過ごす神宮球場のすぐそば明治公園でサンドウィッチを食べながら書いているがうちの父は巨人ファンだ。とりあえず仕事に戻ることにする。



横田 泰斗

ヨコタ ヤスト




1984年生まれ。埼玉県北足立郡育ち。田畑と川に囲まれた環境で小中高校に通い、暇をみては釣り糸を垂らす学生生活。現在はcooked.jpndc.co.jpに所属。関東平野の真ん中で何も起きない毎日を綴った中学生小説「600日」でデビュー。

成れないから果てない

川嵜千恵夫

 きそば、と読むらしいあの看板、昔の字をさらにグラフィティーのタグみたいに難しくしたんだろうか、ちょっとも読めない。目を細めながら、輪郭がなくなるぎりぎりのところにもとの形が見えないだろうか探る、ほとんど当てずっぽうに、投げやりに、〝ぎじむ〟と読んだ。〝き〟は合っているが点々を付けてしまった。惜しい。〝む〟も〝ば〟も輪っかがあって、形もひらがなの中では似ているほうだ。
 もしも〝ぎじむ〟であっていたとして、ぎじむって何? そばを食べにそば屋にきたのだから、答えは最初からわかっている。でもやっぱり普段からきそばなんて言い方はしないから、ちゃんと問いになっているのか。そんなことを考えながら少し並んでいる列を待つ、回転は早く、中へどうぞと言われた時には、待ったぶんかえって気持ちいいくらい。
 今日はお酒をたのんだ。少し震える手で冷や酒を手酌する。手に伝わる冷たさはシャキっとしているが、頭のほうまでは届いてくれない、ぼうっと見ている透明に吸い込まれそうになりながら、揺れる視線は何も捉えない。

 明け方までクラブで遊んだ。踊るというよりは遊ぶと言った方がしっくりくる。無駄に忙しく働くことになってしまっている僕らには、長いはずの夜が足りないので仕方なく、さらに延長させてそこに集まる。近ごろの夜は誰が決めたのだろう全然足りない。
 入口から地下へと続く階段の踊り場には、日常から追い出された無駄話があくせく飛び交い、その声に派手な色を付けて、思い切り壁に叩き付けたかのような鮮やかさで、来日するDJやバンドのフライヤーが貼られているが、嫌に整列させられていて、勢いをなくし、ごく控えめに詰め込まれている。皆を煽らなければならない大仕事はぽかりと宙に浮いて、人気のはずのDJも、どこか愁いを秘めているよう。バーカウンターの周りでは、男が女の耳元へ、口が付かんばかりの距離で話している。周りの音に遮られぬためとも、ここぞとばかり息巻く好機とも見てとれる。その奥では、ここでも分煙ということになるのか、たばこの煙が隅へ隅へと追いやられていて、煙幕としてRGBの光波を浴び、演出されたかのようにたゆとうていたのを懐かしみながら、ただくすみ、一筋ずつが互いを避け合うかのように静かに立ちのぼる。フロアでは体の芯に高圧水でも放射するかのように響く音、鈍感になった部分には何も強めにするのがいいと言わんばかりで、呑まれるようにすとんと最後の階段を一段下りる。
 ほとんど狂ったようなのから、腕を組んでじっとしているのまでいろいろ。ずっとおしゃべりだけでもいい。そうしてきっと、それぞれが別々の充足と疲れを、好きな塩梅で持ち帰る。

 疲れ。昨日二年ぶりに行ったカラオケで、誰かが歌った歌の出だし。そのワンフレーズだけが引っかかってぶら下がっていた。僕らには、ディスコの帰りの雰囲気はわからない、少なくとも景気は今よりよかったらしい頃の疲れ。どんなものだったろう、なんとなくみんな同じ方を向いてたようなイメージ。夜といえばあれやってこれやってと、決まっているような。帰りどころかディスコそのものが想像の中にしかない。僕らは忙しくて時間がないふりをしなければいけないから、いろんなことをイメージだけで済ませてしまう。くねくね踊りながら目と目を合わせて踊る派手な服の男と女、ちょっと肩パッドが入っているとなおリアルなのか。ちょっと入っている、というさじ加減ではなく、決まったサイズがいくつかあるのだろうか。肩パッドがどんなものか中身を見たことがないし、この先も見ないままだろう。固いのか柔らかいのか、低反発っぽいのかもしれない。女たちはお立ち台で扇子に蛍光色の羽の生えたようなのをヒラヒラさせている。答え合わせのない問いは、次へ次へ。どんな曲が流れるのだろう。なんとなく全体の広さや照明、そこにいる人や服の感じをひととおり想像したのだが、この問題は完全に空欄になってしまう。小テスト終了。その見つめ合う男と女の踊りは求愛のダンスだったのだろうか。求愛のダンスだなんて、ちょっとすごいんじゃないかと思ってしまった。頭の中で名前のわからない黒い鳥が、お腹を真っ赤に膨らませはじめた。断崖絶壁の上におもむろに置かれる赤い一点の玉となり、ほかは褐色の岩、また岩、くっきりと刻まれる影、波の青、空の青。そして赤い玉を見つめる黒は雌。ディスコに求愛のダンスがあったなら、蟹がハサミを持ち上げるように、まるで体が勝手に動いてしまったというふうに、けれどしっかりとした力強さで、股間を押し当てたり、腰をうねらせたり。きっとテレビから与えられたイメージは、バブルの影響がどうだとか、ファッションが異常だったとか、眉毛が太いとか、一つの面を嗤いたいだけで酷く歪められている。視線の熱だけの恋愛があったとするなら、今それを嗤うことができるのだろうか。堂々と求愛する、動物のような人間たち。

 群がった男たちが思い思いに体だけをつかって盛装ダンス、地に足を付ける以外は何にも触れてはいない。肉体美ではなくその動きで魅せる、修練の積み重ねを競うのではなく、その瞬間の答えを手探りで見つけようとしている。限られた空間には熱気が充満し、湿気に圧迫されながらもどこか乾いている。その中を、空に向かって平泳ぎするかのように跳ねる、落としてしまったコンタクトレンズを血眼で探している、自分の拳を飲み込もうとしながらその場で回転し続ける、座禅を組んだままでんぐり返り、シーツを干して皺を伸ばす、ピボットみたいだけどすぐにトラベリングになる、ただただ垂直の線になろうとする、ロングノーズフィッシュみたいな顔、ゾウガメの真似、うさぎ跳び。高速まばたき、逆コマネチ。次々と視界に入る動きに知っている言葉を当てはめてゆく。なんだか早押しクイズみたいだ。人が何も身に付けず、何もないところに集れるだけ集まって、できる限りの混沌を生み出す、そんなショーがあったらこうなるのか、もしかするともう過去にあったのかもしれないし、どこかの国の民族が今この瞬間にやっているかもしれない。辺りを見回すと、女はとにかく着飾っていて色と光で溢れている。そうだ、ちょうどカニエ・ウェストのPVに出て来たあの鳥女のようなのが、たくさんいる。極彩色の羽飾り、身につけている宝石は、世の全ての鉱物を集めたかのように全てが違う光をたたえ、フロアの照明に乱反射する。その中にあって、歌舞伎の隈取りのような化粧が、顔を埋もれさせてしまうことなく、光と闇の中に浮かび上がらせている。奥行きを増した眼窩に覗く目は、全身のどの羽や宝石よりも鮮やかに輝きながら、どこまでも深く澄み、見る者を幻惑させ、凍てつく視線が閃光のように飛び交い、男を射る。より低くより深くと潜り込んでいくようなフロアの低音に時折混じる、遠吠え、歓喜の咆哮。結びつき飛びさっていく羽音。
 話し声の無くなってしまったバーカウンターへ、せっかくなので声を出さないように、ジェスチャーだけで注文する。ギネスのサーバーを指差し、人差し指を立てる。この動きでワンパイントをひとつの意味になるのだろうか訝しかったが、そのとおりに大きなグラスが差し出された。細やかな泡が低音に合わせて揺れている。ふとあたりを見回すと、さっきカウンターの列に並んでいた男と女が、壁ぎわへ寄って話し込んでいる。どのくらいたったのだろう、そうしてまどろみ続ける暗闇の中、酒のまわった頭は、どんな大きな音にもかまわず、くだらない妄想を膨らませては、無責任にすぐ手を離されたジェット風船のように、勢いよく飛んでいってしまう。時間と記憶を引き連れて。ピィヤーという甲高い音が聴こえてきそうだ。

 いつも通りの宿酔と目覚める。帰り道を何も覚えていない。自転車に乗って二十分以上は漕いだ上に、きちっとシャワーを浴び、パジャマに着替えて床に付いていた。まさかと思って顎をなでると髭まで剃っている。なによりも寝ることに真摯に向き合っているらしい。意識の外での真面目さが普段からほしくなる。失態があるとするなら、シャワーヘッドを掛け損なって湯船にだらしなく落としまっているくらいで、それも壊れてはいない。帰巣本能とやらが怖くなる。ベッドという巣。部屋にきた誰もが物が少ないと言うワンルームを、高いところにいる太陽が覗いている。夏、晴れる日は網戸にしておけば、遅くてもこのくらいの時間に嫌でも起きる。ここにも意識の外から手が伸び、ガラス窓をあけ、網戸を引いたようだ。
 何時間ぶんだろうか、自分の寝汗に体が重くなるほど蒸されながら、ベッドの上で記憶を辿ると、ぼんやりとした行き止まり、靄がかったように先の見えないところがあって、だいたいの境目がわかってくる。このくらいだったらひとまず何もなかったか、としてしまう。いつもそうして落ち着けているけれど、わからない靄の向こうはそのまま。自分のベッドで寝ているということで許してしまうのか、携帯の履歴が証拠なのか。どうしてこんな馬鹿げた思索の行き着かなさを毎度々々思い知らされる。
 そうしているうちに思い出した盛装ダンスの鮮明さは、スポットライトが当たったようにくっきりとそこだけ靄が晴れている。頭の中で飛んでいったはずのジェット風船が、萎れてそこへ落ちていた。

 まるで機能しなくなった味蕾を、さらにしびれさせるように酒をふくむ。大正時代の建物は奇跡的に戦火を免れたらしく、大衆的というのがどういうものなのかを教えてくれる。気取ったところがどこにもなく、活気が云々、趣が云々というよりは、ただただそば屋であることの積み重ねが心地よいのだろう。くつろいでいると宿酔から地繋ぎでまた今日の終わりを見失いそうになる。口元へやるそばみそに役に立たない嗅覚は無視され、まったり味蕾を覆われながら実を噛むと、やっと香ばしさと苦みがくる、それにつられては飲みしてふと気がつくと、縄のれんが静かに振子のように揺れはじめ、暗示にかけた僕をこれから夜に送り出そうとしているようで、意識の下層、感じ得ない部分に何か植え付けたかもしれなかった。

 どう乗り継いだのか、地下鉄の出口を出るとすぐに高架が目に入ってくる、暗い大通りに人込みはないが、すれ違う人々はそれぞれに賑やかで、高架下のオレンジの街灯は、アルコールに染められた顔とそうでない顔の境を取りはらい、フィルターを通したように全てをオーバーレイして影まで染め抜く。ここがどこなのか巡らせた頭が、そのことばかりに気をとられ、今から何をしにいくのかがおぼろげになる。地下から出て、地下より暗い通りを歩き、また地下へと潜ってゆこうとしている。看板だけではなんの店か見当がつかない。形状こそよくある内側に蛍光灯の入った、足の付いている、スナックの前にありそうなものだが、ロゴマークしか印刷されていない。堂々と路上でアイコンとして機能している。入るとすぐ地下への階段になっていて、看板と同じロゴマークをパターンにして埋めつくした壁紙を、ピンクのけばけばしいライトが照らす。壁紙との組み合わせで、ピンクのけばけばしさが可愛く感じて、少しだけ気分が興される。大きな扉は通路に丸ごとはめ込んだ引き戸になっていて、そこを抜けてすぐのフロアは大きな仕切りや柱がなく開放的で、転々と置かれたいろいろなサイズのソファやテーブル、その上の照明はろうそくで、肩肘張らずにリラックスできて、周りに対しても気が楽になった。
 何人か見知った顔があるので、少し話をしてていると、つい最近どこかで会ったが、名前を聞き忘れた女がいた。デジタルの一眼を首からぶら下げているが、仕事というよりは軽く頼まれでもしたのか、緊張感のある感じはしない。名前を聞き忘れてしまったこともあって、少し話そうと、押し付けがましくならないよう、カウンターへ半身をひらいて、隣にいたからというのが理由になるくらいに軽くたずねる。
「なにか飲む?」
「いいの? じゃあ、ファジーネーブル」
 カクテルの名前には、甘いんだろうなという想像しかさせないようなものばかりなのは気のせいだろうか。カウンターで自分のビールと一緒に、言い慣れない言葉を、唇でも読めるようにはっきりと動かす。注がれるビールを眺めながら、カウンターの縁の丸みに体を押し付け、鼻から息を吐く。
 受け取ったビールの泡を少しすすりながら、向き直って戻る場所を探すと、女は向こうの壁にもたれて待っている。
「ごめん、待たせて」
「いいえ、どうもありがとう」
「いつも甘いのばかりのむ?」
「そうね、あまりのめないから、ごまかしながら。ビールばっかり?」
「うん、ビールだね」
「あ」、と言いそうになる。ふいに、というのはこのことだと思ってしまうほど唐突に呆気なく、前に会ったときのことを思い出す。その日もビールを飲みながらの立ち話で、ふらついた頭がちょっと反発していた、ささやかな会話の中にささやかな反発があった。どんな話だったか、そうだ、名前も聞いていた。今渡した酒はお詫びのしるしと取られるのだろうか。けれどお詫びするほどのことはなかったはずで、この、相手にこれっぽちも嫌悪を感じさせないよう行動する性質は、なにごとにも波風をたてないまま、気付かぬうち、知り得ぬところで、いつの間にかじっとりと膿み、膚の下からふくれあがる。いつもそうなのだ、傍目には何も起きていないのと同じだが、こうしてくり返しくり返しするうち、跡を点々と残してゆく。
「なんだかこの間は少し飲み過ぎていて、変なこと言って……」
「そうかな、おもしろかったけど」
「本当? なんか悪かったなぁと思って」
「なにが? ぜんぜん謝るとかじゃないよ」
 そうなのだと思う。謝らなければならないことはしないことになっている。もしくは謝ることじゃないと言って済ませばいいくらいのことなのだ。
 静かにはじまった演奏は現代音楽と言えばよいのだろうか、よじったりはねたりするような音が、不規則に飛び交い、ざわついたままのフロアに寄り添うような、突き放すようなどちらともとれる調子で流れはじめる。
「写真、撮らなくて大丈夫?」と、あまり話すことはない、というふうに取れてしまうたずねかたをしてしまう。
「あぁこれ、まぁ適当に撮るからいいよ、話してても」
 そのまま演奏に引き寄せられていくきっかけになるかと思ったので、話しててもいいと言われたことが以外だった。
 ならこれから、どうでもいいことを話すよ、という素振りで話しはじめる。
「さっき、電車に乗ってくるときに、ふと考えたんだけど」
「なに?」
「今日に限った話じゃないんだけど、なにも考えずにぼーっと乗ってるとさ、ふと向いに座る人が目に入ることがあってさ」
「わたし結構みてるよ向かいの人、みてるというかついみちゃう。電車って何もないから。あとは車内吊りみるか」
「あれはコピーがとにかく激しいからね、週刊誌と女性誌はとくに。家でニュースをみないで朝あれだけみてると、世の中とてつもない悪どいことと、死ぬ程くだらない痴話しかないように思えてゾッとする。」
「そうそう、わたしもニュースはあまりみないから、わかるなそれ」
 この間とは別人のようにも、今日初めて会ったかのようにも思えてきて、他愛ない話が急に、喉を潤すように湧いてくる。だんだんと話そうとすることが張力を持って、決壊しそうになりながらほとんど縁にかぶさっている。ただそれを機微に感じとれることはないまま、頭の中が霞んでゆく。

「で、なに、考えたことって」
「でね、そういう、なんとなく前をみた時に、いいと思う人、まぁよく言うタイプってやつかな、そういう人がいるってこと、今までにある?」
「うんまぁ………ある。かな」
「それでまぁ、いたとして。今日ふと考えたのは、そのままどこかへ行く」
「どこか? なにそれ」
「どこかはわからないけど、そのままもう、じっと目だけをみて、そうすると向こうもじっとみてくる、それで電車のドアが開いたらさっと立ち上がって、二人で降りるんだ。ここへくるときに通った、神谷町なんてちょうどいいな、人気のないのが」
「あはは。どういうこと? なんか演劇とかコントみたい」
「もちろん電車じゃなくても、歩いているだけでもいい。すれ違いざま、踵を返してついていくとか。ほら、動物とかって、求愛みたいなことするでしょう、あれを人間もやったほうがいいと思って。とにかく直感があったら、ただそれに従う」
 へえ、なにそれ、と、自分にも初めて聞かせる話だった。自分に聞かせる話、ということは話しているのは自分じゃないのか。きっとこれは、あの落ちていた風船だ。拾いあげて、もう一度膨らませ、手を離してしまえばそれまで。またピィヤーと音がして、小さくなりながらどこかへ飛んでゆく。
 鳥女がいる、奇態をあらん限りに絞り出し盛装ダンスを踊る人々、遠吠え、咆哮、飛び去る羽音。
 ずるずると爛れたまま滑り落ちるだけ落ちてゆくことにもう気付かない。一気に滝壺まで落ち、さっきまであったものはほとんど見失い、その内は肉襞のようで、埋もれながら探す隙間からは、朧げな外界を眺めるように見ることしかできない。
「えー、なにそれ、よくわからないよ」
 両手で支えていたプラスチックのカップから離れた右手が、カメラを軽く握る。表情は笑ったままなのか、一気に怪訝な目をこちらへ向けたのか。
「だから、いるとするでしょう、向いに」
「うん、まぁ、いるとして」
「そうしたら、動物になったと思って、なにも言わないで、じっと目だけ合わせる」
 そう言いながら、肉襞のちょうど裂け目から這い出した両目で彼女の目をじっと覗き込んでいた。会って初めて目を合わせたことに気付く。



川嵜 千恵夫

カワサキ チエフ




1983年京都市生まれ、琵琶湖育ち。2004年より東京へ、以来なんとか職にはありつけているが………つづく

処女作オムニバス

2012年11月4日 発行 初版

著  者:cooked.jp
発  行:kopi publishing

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インターネットをサーフする。デザインと編集の3人組です。

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