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共感的コミュニケーションはアメリカの心理学者、マーシャル・ローゼンバーグによって提唱され体系化されたNVC(Nonviolent Communication)を、いくらか噛みくだき、とくに言葉使いなどを日本人にも使いやすくすることを目的に整理したものである。
職場、学校、家族、パートナーなど、あらゆる場面での人間関係の向上に役に立つだろう。また組織運営や紛争解決にも大きな力を発揮するだろう。
この本が多くの方の人間関係のストレスを取りのぞき、生きいきと人生の荒波を楽しむことに役だってくれることを願う。
水城ゆうBLOG『水の反映』
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この本はタチヨミ版です。
共感的コミュニケーションはアメリカの心理学者、マーシャル・ローゼンバーグによって提唱され体系化されたNVC(Nonviolent Communication)を、いくらか噛みくだき、とくに言葉使いなどを日本人にも使いやすくすることを目的に整理したものだ。
当初はNVCを日本人に使いやすいようにする、という発想でおこなっていた作業だが、最近では日本人の精神性、身体性、社会性のなかにもともとあるNVC的なものに着目し、より日本人にしっくりくる体系にしようという作業をおこなっている。
というのは、NVCは英語圏、キリスト教圏におけることば使いや論理構造、発想法から生まれている側面が多く、日本人でも帰国子女や海外留学経験のあるバイリンガルの人たちや、クリスチャンの人たちがすばやくしっくりとNVCになじむ姿を多く見る一方、土着の日本人はなかなかなじめずに苦労する、という姿を見ることが多かったからだ。なにを隠そう、私もそのひとりだった。
NVCにはある種の文法があり、入門者はその文法にのっとったことば使いを学ぶ必要がある。その部分でどうしてもなじめず、せっかくの宝を前にして去っていく人が多い。私もすんでのところでそうなるところだったが、幸いにも多くの仲間にささえられて入門の部分をなんとか乗りこえ、NVCの真髄に触れることができた。もし入門でつまずいていたら、私はいまも変わらず、暴力的で非共感的な世界に生き、競争的でつらい人生をはいまわっていたことだろう。
私は現在、共感的コミュニケーションをさまざまな場面で人に伝えるチャンスを持っているが、どうすれば入口のところでつまずかないですむか、いつもかんがえている。
このブックレットもそのような思いで書いた。
一見とっつきにくく、日常生活で使うことが難しいように見える共感的コミュニケーションだが、最初の関門をくぐりぬけることができれば、どなたも世界がパッと開けたような気がするだろう。そのための最初の一歩としてこのブックレットがあなたのお役に立てれば、こんなにうれしいことはない。
どうぞ最後までお付き合いいただきたい。
共感的コミュニケーションのベースとなっているNVCのことを最初に知ったのは、二〇〇七年のことだった。
私が主宰している現代朗読協会ではさまざまな講座を開催していたが、そのうちのひとつにアレクサンダーテクニーク講座があった。講師は安納献で、私とはもともと音楽仲間のつながりで知り合ったのだった。
彼はとても勉強熱心な人で、アレクサンダーテクニークのインストラクターの資格を取得したあと、カルフォルニアでNVCのリーダーシップ・プログラムを受講していて、その体験を私にも伝えてくれたのだ。
現代朗読協会で行なわれていたアレクサンダーテクニーク講座の終了後、安納献が自主的にNVCについて紹介したり実践練習をしたりする機会を作ってくれて、NVCを学ぶことができた。
この方法について、私は最初はおもしろいと感じつつ、自分が使えるようになるかどうかについては懐疑的であり、やや距離を置いていた。しかし、ここにはなにかあるという直感があり、ずっと気にしつつ、マーシャル・ローゼンバーグの著書を少しずつ読んだりしていた。また、日本でもNVCの勉強グループがあって、それにもあまり積極的ではないにせよ参加はしていた。
日本のNVCグループは国際公認トレーナーを次々と招聘していて、彼らと接することも私の意識を少しずつ変えていた。
フランソワ・ボーソレイユ、ジェシー・ヴィーンス、キャサリン・キャデン、ロクシー・マニング、ホルヘ・ルビオ、キット・ミラー、ブリジット・ベルグレイブといったトレーナーが次々とやってきて、スリリングなワークショップを実施してくれた。とくに私にとって重要な転機となったのは、二〇一一年のホルヘ・ルビオの来日だった。
ホルヘは随分おちゃめなトレーナーで、その遊び心のある茶目っ気とユーモアが私の性質にしっくり来た。そして、なんとなく距離感があったNVCを、一気に自分自身の身体感覚に近づけてくれた。
「こんな風にやってもいいんだ」
という目からウロコ的な自由奔放なNVCの方法を見せてくれたのも、私にとってはインパクトが大きかった。
ホルヘを招聘しのも安納献で、ホルヘが来る前から、
「きっと水城さんはホルヘと気が合うと思うな。絶対に会わせたいと思ったんだよね」
といってくれていた。
いまさらながら安納献には感謝したい。
ちなみに、安納献は二〇一二年にマーシャル・ローゼンバーグの著書を翻訳監修して『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』という本を上梓している。
ところで私はNVCの公認トレーナーでもないし、リーダーシップ・プログラムにも一度も参加していない者だが、自分なりにNVCを研究し、噛みくだいて共感的コミュニケーションという体系にまとめることができたと思っている。
この方法は、なによりまず、自分自身の人間関係を劇的に変えてくれたし、日常生活の風景が明るく変わった。そして、組織運営にも大きな力を発揮している。
この方法が多くの人に役立ってもらえるといいと思って、以下に具体的な方法を述べていく。
私は現在、ピアニスト、作家して活動すると同時に、現代朗読協会を主宰したり、音読療法協会をオーガナイズしたりしている。
現代朗読においても音読療法においても、共感的コミュニケーションはとても重要な役割をはたしていて、切っても切れない縁となっている。
現代朗読では、まず、コンテンポラリーアートの基本である「表現者が自分の優位性をオーディエンスに誇示しない」というかんがえかたをベースに、コミュニケーションとしての朗読表現をより発展させて、表現行為そのものが共感的コミュニケーションであるという立場で表現行為をおこなっている。
また、協会の運営の方法そのものに共感的コミュニケーションを使っている。
これは別項で述べるが、共感的コミュニケーションは組織運営においてとても強力なツールとなりうるのだ。組織というのは、NPO法人のような組織ももちろんだが、仲間うちのグループ、職場、劇団、運動団体、家庭といった広範囲なものをふくんでいる。
現代朗読協会には現在三十人くらいの会員(ゼミ生)がいるが、だれもが安心して参加し、お互いに共感できる場となっている。人生がまったく変わったといってくれる人もいる(私もそのひとりだ)。
現代朗読協会は表現活動のほかに、社会貢献活動として学校や老人ホーム、東北の被災地をふくむ地域の集まりなどで音読ワーク・音読ケア活動をおこなってきたが、この活動が発展した形で音読療法協会というものができた。
こちらは音読療法として体系化された補完医療のスキルを身につけてもらうことで、精神的・経済的にも自立し、共感的に生きていけるような人を育成することが目的だ。
スキルの取得程度におうじて資格認定をおこなっていて、すでに四十名くらいのボイスセラピストがいる。
音読療法の方法そのもののなかにも共感的コミュニケーションを採用していて、これは最新の精神医学でいうところの「認知行動療法」にも通じるすぐれた方法だと認識している。
音読療法ではこれにさらにマインドフルネスのスキルを加えて、すぐれたセルフ心身ケアの方法を体系化している。
これらはまさに共感的コミュニケーションの実践の場でもあり、先日も、これからセラピーコミュニティを運営していきたいという人が自分の本当のニーズにたどりつき、それを言語化できたことで、大変気持ちが落ち着いて自信を持つことができたといっていた。
私たちが日常的におこなっているコミュニケーションのほとんどは、あまり共感的ではないといえるものだ。
ではどういうものが共感的でないといえるだろうか。
だれかの話を聞くとき、たいてい私たちがやってしまうのか、「相手のマイクを奪う」的なことだ。
たとえばあなたの友だちが、
「今日、ささいなことで仕事の上司からしかられてすごく落ちこんでるの」
といったとする。するとあなたは、
「わかるわかる。私もこのあいだつまんないことで上司からネチネチいわれてすごく落ちこんだわ」
「わかる」ということで相手に共感しているつもりが、いつのまにか自分の話になっている。あるいは、
「上司からしかられるなんてよくあることじゃない。気にしない気にしない」
友だちの気持ちを軽くしてあげようと思ってるそんなことをいうのだろうが、問題を軽んじてみせても友だちの気持ちは晴れないだろう。
逆に、
「それは大変ね。仕事の関係は大事だから、いまのうちにきちんと上司にあやまっておいたほうがいいよ」
コトを重大視して相手をおどす、あるいはアドバイスを与えてそのとおりに行動させようとする。
最初の例に似ているが、
「わかるわかる。上司にしかられると落ちこむよね。いやよね。悲しいよね」
といって、いっしょに落ちこんでしまう。これは一見共感しているように見えるが、実は同情しているだけで、これも相手の気は晴れないだろう。
ではどうすればいいのだろうか。
ここで一歩立ち止まって、あなたの友だちがなぜあなたに上司からしかられたことを話しているのかをかんがえてみたい。
友だちはあなたにアドバイスしてもらいたくて話をしたのではない。ましてやなにかを決めつけられたり、マイクを奪われたいと思っていたのでもない。同情してもらいたくもなかった。あなたに自分の落ちこんでいる気持ちをわかってもらい、友だちとしてのつながりを確認することで安心したり、落ち着いた気持ちになりたかったのではないだろうか。たぶん無意識にそういうことを求めている。
あなたもなにか人に悩みを聞いてもらいたいと思ったとき、相手になにを求めているかチェックしてみるといい。ときには本当にアドバイスを求めたいときもあるかもしれないが、たいていはただ話を聞いてもらいたいだけなのだ。
では、どのようにすれば共感的に話を聞けて、友だちとのつながりを持つことができるだろうか。
共感的である、というのは、お互いに大切にしていることを尊重しあう、ということだ。
前述の例であれば、友だちは仕事において上司との信頼関係が大切だと思っていた。ところが、自分ではささいなことだと思っていることで上司から思いがけなくしかられて、信頼関係がくずれたように感じた。その結果、落ちこんでしまったのだ。
落ちこんでいる友だちを前にしてあなたがまずできるのは、この人はなにを大切にしているのだろうかと興味を持つことだ。同情もアドバイスも独断もいらない。相手から話を奪うこともしない。相手に興味を持って、相手が大切にしていることはなんだろうかと推測したり、質問したりするだけでいい。
たとえばこのように訊いてみる。
「あなたが落ちこんでいるのは、仕事で自分の能力が生かせなかったから?」
大切にしている「なにが」そこなわれて落ちこんでいるのか、そこのところを「推測」して訊いてみる。
ここで重要なのは、ただ「推測」してみるだけでいい、ということだ。必ずしも推測が当たる必要はない。当たらなくても、このように訊かれた相手は、
「ん? 自分はなんで落ちこんでいるんだろう」
と、自分の内側を見る。つまり、この質問は当たっていても当たっていなくても、自分の内側に目を向けさせるためのものなのだ。あなたはただ「無責任に」推測して質問するだけでいい。
もうひとつ重要なのは、友だちの態度に表れているのは「落ちこんでいる」という感情や状態であるが、その奥にある「大切にしていること」をいっしょに探すことが目的である、ということだ。現れている感情は「大切にしていること」をさししめすポインターの役割を果たしているだけで、それ自体は目的ではない。
自分の内側に目を向けた相手は、質問に「そうだ」とか「そうでない」と答えるだろう。いまの場合なら、
「ううん、自分の能力が生かせなかったから落ちこんでるんじゃないのよ。上司からしかられたことが悲しいの」
というような答えが返ってくる。そしたらあなたはそれにさらにつながって、質問をつづければいい。
「ささいなことで上司からしかられたことが悲しいの?」
「そう」
「上司に自分をもっと認めてもらいたいの?」
「それもあるし、もっと信頼してもらいたい。私も上司のことを信頼したい」
そしてあなたは、友だちがどんなことを大切にしているのか、知ることができる。
実際にはこのようにスムーズにはいかないかもしれないけれど、あなたはただ相手に自分の内側を見る質問をつづけるだけであり、相手が大切にしていることに興味を持ちつづけるだけなのだ。これが共感的にコミュニケーションをするための基本姿勢となる。
自分がなにを大切にしているかわかったとき、相手はすっきりすると同時に、自分の大切にしているもののことをあなたにもわかってもらえたと感じる。ここに「共感関係」が生まれる。人と人のつながりにある種の「質」が生まれるといってもいい。
相手がなにを大切にしているのかわかれば、お互いにそれを尊重しあうという形で、一種の理解とつながりが生まれ、人間の関係性がよりよく変化するのだ。
タチヨミ版はここまでとなります。
2014年1月4日 発行 第4版
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東京世田谷在住。作家、音楽家、演出家。 現代朗読協会主宰。音読療法協会オーガナイザー。 朗読と音楽による即興パフォーマンス活動を1985年から開始。また、1986年には職業作家としてデビューし、数多くの商業小説(SF、ミステリー、冒険小説など)を出している。しかし、現在は商業出版の世界に距離を置き、朗読と音楽を中心にした音声表現の活動を軸としている。 2006年、NPO法人現代朗読協会設立。ライブや公演、朗読者の育成活動を継続中。数多くの学校公演では脚本・演出・音楽を担当。 2011年の震災後、音読療法協会を設立。音読療法士の育成をおこなうとともに、音読ケアワークを個人や企業、老人ホーム、東北の被災地支援など幅広く展開している。 詩、小説、論文、教科書などの執筆も精力的におこなっている。