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駅弁コラム

バーバラ・アスカ

駅弁画報社



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 目 次


まえがき


目次


駅弁とは何か


「駅弁屋踊開店記念駅弁大会」に行ってきました


接続と駅弁

まえがき「駅弁の定義」

編集中

駅弁とは何か

 何もくそも、「駅弁とは、駅で買って列車内で食べる弁当のこと」でありますよねえ。
 しかし、「え・き・べ・ん」と発音するとき、私のココロはまるで天国を見たかのような気持ちになり、ココロウキウキワクワク、駅弁ブギウギとなってしまうのであります。
 もはや「駅弁」とは、お弁当であってお弁当でない、もっと別の「すばらしいもの」と考えた方がいいのかもしれません。
 しかし不思議なことに「駅弁」は「駅弁大学」などというように、揶揄する言葉としても使われているのが不思議なところです。謝れ! 駅弁様にあやまれ!!

 なぜ、「駅弁」というとこんなにウキウキ気分になってしまうのかと考えてみると、やっぱり、「駅弁」は「旅行のウキウキ気分」を思い出させてくれるからですよね。
 昔、京王百貨店の名物である「元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」で、駅弁をたくさん買って、デパートの屋上で食べたり、自宅で食べたりしたことがあります。
 ……あんまり、おいしくはないんだよね。いやもちろんおいしいものはおいしいんだけれど、なんか、違うというか。
 やっぱり、駅弁は電車内で食べるのが最高だよ!
 そう考えると、旧交通博物館の食堂が食堂車のつくりを模した形になっていたのは合理的だったのですな。

 駅弁は単なる弁当ではありません。
 旅のウキウキ気分を盛り上げ、その土地ならではの名物をふんだんに使った高価な弁当であり、まずいことは絶対に許されません。その土地の素晴らしさは駅弁によって代弁されるものであり、逆に、駅弁の貧弱な街には涙目で「もう、二度と来ない!」と言いたくなるわけです。
 駅弁に制約はありません。なぜなら毎日食べるものではなく、栄養が偏ろうがなんのその。「肉! めし! 以上」でもかまわんわけです。もちろんヘルシーな駅弁もあっていいのですが、制約がない弁当が駅弁であります。真の意味でのフリーダムが駅弁にはあるのです。あんずが苦手な私としてはぜひ、「あんずぬきの釜めし」をオーダーしたい。
 話に出たので申し上げますと、正直なところ、「峠の釜めし」はそれほどうまいとは思いません。しかし、あれはパッケージングの勝利。「釜めしが、釜に入っている」のが素晴らしいのです。そのなんというか、ホビー感が老若男女のココロを踊らせるのでしょう。

 ではお前の駅弁・ナンバーワンは何だと言われると迷います。正直、大人になってから食べた数々のうまい駅弁よりも、昔、子どもの頃に食べた、うまいとは思えない駅弁のことばかり思い出すのです。「チキン弁当」も大しておいしくなかったし、「だるま弁当」もおいしいとは思えませんでした。
 でも、でも、その「子ども心においしくなかった」という思い出込みで、駅弁の思い出なのです。
 ああ食べたい。まずくてもいいから(関係者のみなさますみません)、チキン弁当が食べたい、だるま弁当が食べたい!
 そう、「駅弁」というと財布のヒモが異常にゆるくなる我々は、「思い出」と「これからの思い出」を買っているのです。

「駅弁屋踊開店記念駅弁大会」に行ってきました

 12月25日まで開催している、「駅弁屋踊開店記念駅弁大会」に行ってきました。
 http://www.nre.co.jp/event/detail_00257/

 えーと、そもそも、東京駅に行く予定はなかったんですよ。
 立川駅で駅弁が売ってないかな~、と思って探したら、「駅弁」の「え」の字もありませんでした。まー、駅弁って普通に考えると高いし、コンビニ弁当やランチパックのほうがずっとリーズナブルですからね。
 立川にないならば、中央線に乗って東京駅まで行ってしまえ、というわけで、私は今、東京駅の駅弁屋「踊」におります。
 それがですねえ、ものすごい人、人、人。いったい日本が不況というのは本当なのでしょうか。これだけものすごい数の人々が決して安いとは言えない駅弁にむらがっております。でわ、私も人混みに混じって駅弁を買いたいと思います。とりゃーーー!
 
 いやもう店内は大変なことになっております。駅弁を売りつけようとする店員さん、数少ない駅弁を奪い合う人々、全国各地の弁当がずらりと並び、さながら駅弁国盗り物語であります(表現に一部誇張が含まれております)。
 さて私は何を買いましょう、と思って店内を物色しておりますと、「チキン弁当」「だるま弁当」が真っ先に目に入ります。
 うううううむ、思い出のチキン弁当、だるま弁当は味の良し悪しにかかわらず、かなり惹かれるものがありますが、せっかくの「駅弁大会」なのに、いつでも買えるよーなものを買うのは勝ち負けで言えば負け。とにかく変わった弁当を買うぞ!と鼻息荒く店内をうろうろいたします。
 とはいえ、駅弁だけで何十種類も並ぶ店内は壮観を通り越えて狂気すら感じられます。人は7種類以上のものを選べないとはいいますが、これだけあるといったいどれを買っていいのかまったくわかりません。「ひっぱりだこ飯」にかなり惹かれますが、「あの陶器の入れ物は食ったあとどーすんだ」とか、牛肉系弁当の多さにげんなりしたり、とにかく駅弁、駅弁、駅弁の嵐。ううん、駅弁って、やっぱり駅で「いくつか」並んでいるから選べるのであって、こうもたくさんあるとどうでも良くなりますねえ。「峠の釜めし」があれば迷わず選ぶところなのですが、それはとっくに売り切れのモヨウ。さすが駅弁界の帝王だけあります。
 結局悩み抜いたあげく、買ったのは「夕刊フジおつまみ弁当」。東京、しかもNRE(日本レストランエンタープライズ。旧日食ですね)の駅弁じゃん!というツッコミはカンベンしてください。本当にもう、どれを買っていいものやら。
 駅弁も切手収集などと同じく、テーマを決めて食べていかないと、何が何やら収拾がつかなくなりますねえ。

 今回学んだこと。
 1、駅弁はテーマを決めて食べていくべし。
 2、駅弁はたくさんありすぎると選べない。
 3、駅弁は牛肉率が高い。
 4、立川に駅弁は売っていない。
 5、八王子には駅弁屋がある。
 6、駅弁大会は年がら年中どこかでやっている。
 おお、今回でかなり大人になれた気がするぞう。

 この「駅弁屋踊開店記念駅弁大会」、たぶん、もー1回来ると思います。目指せ駅弁マスター!

 追伸 駅弁って、意外と地方色が出しにくいことに気づきました。「松阪牛」とか言われても、私は味とかわからないし、鶏や豚だったらどこでもいつでもあるもんね。「峠の釜めし」を見ればわかるように、「独自色」は「食材以外」で出すのもアリですな。もしくは「よっぽど変わった食材・調理法」か。

接続と駅弁

 「旅は人間を成長させる」というけれど、いま、不惑を前にして(注・この本が出る頃には既に不惑であります)、突然旅づいております。
 まあ、同人誌即売会全国行脚のついで、というのが大変ケチくさいというか私らしいのでありますが、まあ、金持ちでもない私が旅をするのは、「経費で落ちる」という野暮な理由でもないかぎり、なかなか難しいのも事実でして。
 さて前置きはこのくらいにいたしまして、「接続と駅弁」の話であります。
 ぼつぼつと日本を旅するようになりましてからしみじみ思うのは、「どうやら、日本は東京だけではないらしい」ということであります。
 たとえば、電車は1時間に1本しか来ない場所がたくさんある。東京の山奥に住んでいた頃は、1時間に3本の電車を「3本しか来ない!」と言っていましたが、そんなのはまだ全然いいほうで、1時間に1本、いや1日に数本という地域はザラなようです。
 それで、自分でも不思議なのですが、その「1日に電車が数本」という状況を「いやだ」「不便だ」とは、なぜかあまり思わないのです。
 なぜって、電車って、人さえいなければ、あまり必要がないと思うから。
 1時間に1本の電車に乗っていると、高校生とおぼしき若者がいっぱい乗ってくることがあります。たぶん、彼らはこの電車に乗らないと絶対に遅刻する、という状況なのでしょう。だから、みんなが同じ電車に乗るしかない。
 その状況が、何だかうらやましい。自分でもうまく説明ができないのですが、その「密着度」というか、「団結するしかない」状況は、青春そのものだなあ、と思ってしまうのです。

 そういう、電車の少ない地域に行くと、「接続」の重要性をしみじみと感じます。
 いっぱい電車が来るのであれば、「接続」はそれほど重要ではありません。「降りたら、乗り換えればいい」、ただそれだけであります。
 しかし、1時間に1本、1日に数本の電車であれば、「接続」つまり、「この電車を降りたら、次の電車が何時に何番線に来るか」ということは大変な重要事項となるのです。
 電車の本数は少なくとも、終点についたら、いいタイミングで次の電車に乗り換えれば、1日に数本の電車でもスピーディーに遠くに行ける。
 旅にこり始めた当初は、接続時間が3分というのは、気の小さい私を「乗り換えられなかったらどうしよう」とビビらせるに充分でした。しかし、実際にやってみると、もたもたしなければ、3分という乗り換え時間は大変理にかなっているのです。
 乗り換えて、一息ついて、しばらくすると電車が発車する。さすが、歴史ある交通機関は違いますね。
 私は、時刻表を見る趣味はないのですが、おそらく、ダイヤの楽しさも、このあたりにあるのではないでしょうか。今度時刻表を買ってみようかな。

 また、そう考えると、「なぜ、昔は駅弁売りが来ていたのか」ということもわかります。
 子どもの頃、駅弁売りの人というのは謎の存在でありました。
 なぜ、駅弁を窓越しに売るのか。
 乗り換えの時間に買えばいいことではないか。
 しかし、鈍行電車に乗ってみると、駅弁売りの人がいる理由がよくわかるのです。
 接続時間が短いから、乗り換えの時には弁当が買えない。しかし、鈍行列車は長く、乗り換えればさらに乗車時間は長くなります。そうすると弁当を食べないわけにはいかない。
 そこで、弁当売りの出番となるわけです。
 名物の弁当がある駅は、売り子を用意して、電車が来ると「それっ」とばかりに売る。電車が去れば店じまい。こんな感じだったのではないでしょうか。
 今ではこんな風景はすっかりなくなりました。正確な理由は私にはわかりませんが、想像すると、「採算が取れなくなったから」「窓が開かなくなったから」、このふたつではないでしょうか。
 鈍行電車ではまだまだ窓が開く電車が健在ですが、特急や新幹線は窓が開きません。そして、特急や新幹線のほうが便利ですから、そちらを利用する人がとても多くなった。それで、採算が取れなくなり、駅弁売りの人はいなくなった。また、新幹線では車内販売がありますし、長い距離を一度に行くので、「接続」そのものがなくなり、時間に余裕も出、最初の駅で駅弁を買うようになった。こんなところだと思います。想像ですけれどね。

 鈍行電車や夜行バスに乗るようにならなければ、こんなことは一生考えもしなかったでしょう。
 貧乏旅行を楽しむにはかなり年を取ってしまいましたが、健康で身体が丈夫なうちは、これからもチープな旅を楽しんでいきたいと思います。

新幹線のおもいで

 今年(2012年)はいろいろ出張しようと思っているので(旅行ではない)、新幹線に乗る機会も増えそうだ。
 新幹線のおもいではいろいろある。
 私は伯父が新幹線総局にいたので、東北新幹線、上越新幹線共に「試乗」つまり試運転に乗るというレアな体験をしている。
 といっても、試運転なので、駅で降りたりはせず、行って、帰ってくるだけのことであったが、おそらく、あれが私の新幹線初体験であったはず。当時はまだいわゆる「200系」で、だんご鼻のコロッとしたデザインだった。

 しかし、最も重大な(というと大げさだが)おもいでは、やはり「鮭いくら駅弁事件」であろう。
 旅行をしない私は、新幹線とは縁のない生活をしていたのだが、結婚相手が福島出身だったので、結婚後はちょくちょく新幹線を利用するようになった。
 電車の旅といえば駅弁である。
 いかなる弁当もそうであるが、食べる時よりも、買うときのほうが楽しい。
 そんなわけで、ウキウキ気分で帰省の日、東京駅で「鮭いくら弁当」を買った。
 おやつやお茶も買い込み、座席について、いざ出発。
 ではいくら弁当を食べますかという時、一生の不覚。
 なんと、私は楽しみにしていた駅弁を、ふたを取るなり逆さまに落としてしまったのだ!
 おお、神よ。
 なぜこのような試練をお与えになるのですが。
 せめてふたを取っていなければセーフだったのであるが、ふたは取ってしまっていたので、床に裏返しになった弁当を見つめてしばし呆然。
 そのまま福島に着くまで、あわれ弁当はさかさまのまま、床に放置されていたのでした。食べるわけにもいきませんしねえ。かといって捨てるのもしのびない。

 おそらく、あれ以上の新幹線の思い出は今後ないと思います。
 いや、二度とあってほしくないですな。

駅弁の氾濫

 駅弁が多すぎる。
 先日から、駅弁を系統だって(?)食べ始めたので気がついたのですが、駅弁がどこにでもあるのです。
 例えばパーキングエリアに止まると、そのパーキングエリア特製のお弁当だけでなく、近くの駅の駅弁、果ては近くの空港の空弁まで置いてある。
 ううむ。
 これは、ゆゆしき問題なのではないか、と思うのは私だけだろうか。そうだろうなあ。
 商売に有り難みもくそもあるか、と言われたらそのとおりですねと言うしかないのであるが、どこにでもある弁当なら、あんまり「駅弁」とは言えないような気がするが、どうだろうか。
 確かに、駅弁には人気があるから、それならいろんなところで売って商売しよう、というのはわかる。でも、さすがにいつでもどこでも「峠の釜めし」が買えるようになると、さすがに「何か変」と思いますよ。
 それから、駅弁大会をやりすぎると、駅弁のアラが見えてしまう。実際、たくさんの駅弁があつまる大きな駅弁大会では、「いかに駅弁が、牛肉、いくら、うににたよっているか」が丸見えになってしまう。松阪牛だかなんとか牛ばかりでは、「また牛肉かよ!」と神をもおそれぬ発言をしてしまいそうだ。

 駅弁は、おいしいだけでなく、旅の気分を味わわせてくれるからいいのである。売れるから、といって過剰にどこでも売るようになると、いつかは必ず飽きられると思うのは私だけだろうか。

駅弁コラム

2012年12月29日 初版 編集中 発行 

著  者:バーバラ・アスカ
発  行:駅弁画報社

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バーバラ・アスカ

作家・編集者。好きなことだけやって生きていきたい。一生幼稚園児魂。

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