ゆめの国に落ちてきたフミは、謎のいきものドーマと出会う。
ドーマは焦っていた。ゆめの中だと気づいたらフミは二度と元の世界に戻れなくなってしまうのだ!
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ドーマは待っている。タイラヤマのひらべったい山頂にはドーマのほかには誰もいない。背の低いタイライチョウが密集し、タイラクコの紫色の花が咲いている。地面をちょろちょろと走るのはタイラトカゲだ。ときどき上空で笛のような音が響くのはデイビーボーイが通り過ぎたのだろう。ドーマは尻尾をゆっくり振りながらタイライチョウの陰の中を歩いていた。足音はたてない。もうすぐ来るはずだ。
藍色の空。この島の空はいつも変わらない。その藍色の空を横切る青い光が見えた。ドーマは足をとめて空を見上げた。か細い青い光がぐんぐん大きくなってくる。タイライチョウの葉が揺れ、タイラトカゲたちが尻尾を残していっせいに巣に隠れた。大気には焦げたような匂いが充満してくる。いっしゅんあたりが静まりかえると同時に青いひかりが落ちた。タイラヤマが青く染まる。
「いて!」
声のする方に意識を向けると、ダブダブの服をきた小柄な生き物が尻もちをついていた。目をつむり、口を真一文字にひきしめ、そのまま固まっている。よっぽど痛かったのだろうか。ドーマが陰から観察していると、その生き物は唐突にひょいと立ち上がり、おしりをポンポンはたいた。あたりを見渡して不思議そうな顔をしている。自分が知らない土地にいると気づいただろうか。小さな生き物は自分の背たけほどのタイライチョウの木を珍しそうに見つめている。
「ここはどこだ?」
〈お前さんの知らない島さ〉
「うぎゃ。だれ?」
〈オレはドーマだ〉
少女は落ちていた棒を拾い上げると、振り回しはじめた。
「うりゃー、でてこい!」
デタラメに棒を振り回してもドーマがみつかるはずがない。ドーマはタイライチョウの陰でじっと小柄な生き物を観察している。二本の手と二本の足。ずいぶん器用に道具を扱えるようだ。布のようなものを持ち、島の言葉は話せない。
力任せに棒を振り回していた小柄な生き物はその勢いに引っ張られて左右にふらつきはじめた。右、左、左、また右。駒のように動き回り、とうとう後ろに大きくバランスを崩した。狭い頂上を踏み外す。
「ありゃ?」
後ろは崖だ。小柄な生き物は枝を放り投げて、両手をぐるぐると振り回した。
ドーマは尻尾を伸ばした。小柄な生き物の胴体にくるとると巻きつけて安全なところまで引っ張りもどす。
「あ、ありがと」
ドーマの尻尾がタイライチョウの陰にするすると戻っていくのを見ながら、小柄な生き物はやっとおとなしくなる。
〈オレはドーマだ〉
「さっき聞いたもん……」
〈お前さん、ニンゲンだな?〉
「そんなの知らないもん!」
小柄な生き物の瞳からみるみる涙があふれる。
「フミちゃん、ここに落っこちただけだもん。小学校三年生だから帰り方が分からないだけだもん」
フミは大きな声で泣き出した。ドーマには「小学校」も、突然泣き出した理由も分からない。しかしたぶんこれがニンゲンだろう。話を続ける。
〈帰りたくないか、ニンゲンよ〉
フミは泣き止まない。持っていた青い布に顔をうずめて涙を拭っている。ドーマの言葉も聞いていないようだ。
〈ニンゲンよ、時間がないんだ〉
ドーマの言葉に焦りがにじむ。しかしフミは泣き止まない。ドーマが途方にくれているとき、轟音が鳴り響いた。タイラヤマ一帯がびりびりと激しく震動した。タイラクコの実が次々と落ちる。ようやく顔を出しかけていたタイラトカゲがまた巣に引っ込んだ。フミも驚いて布から顔をあげ、左右をキョロキョロと見ている。
〈メガネマルさ、下を見てみろ〉
フミはタイラヤマの崖から恐る恐る顔を出して下を覗き込んだ。島を囲う海が見える。その水面に白い巨大な生き物が浮かんでいた。小山のような巨体で、顔もヒレも見えない。小さな島がもう一つ現れたかのようだ。メガネマルの周囲には水が激しく渦巻いていて、白い波がたっている。間をおかず爆発音が立て続けに響くと、三本の潮が柱のように吹き上げられた。
「すご!」
フミが眼をまん丸にしている。
〈メガネマルは普段は海の底にいるんだが、ときどきああして空気を吸いに上がってくるんだ〉
「うわー。雨だ雨だ」
大量の水が空から降ってきた。メガネマルが吹き飛ばした海の水が落ちてきたのだ。
〈お前さん、もう一度きくぞ。帰りたくはないのか?〉
「帰りたいけど? 道知ってるの?」
フミが走り回りながら答える。
〈ウェノに行けば戻れるって話だ〉
フミは足元をチョロチョロと走るタイラトカゲに驚いている。水を求めて巣から出てきたらしい。
「じゃあ、いく」
機嫌は直ったようだ。
〈ニンゲン、オレはお前さんに姿を見せることはできない。音をたてて歩くからそれを目安についてこい〉
フミはうなずくと、青い布をしっかりと握りしめた。
ドーマはわざと音を立ててタイラヤマの山頂からの細い道を下り始めた。木々の下や岩陰やくぼみを選んで移動する。フミはときどき耳をすませてドーマの場所を確認し、器用に山道を歩いてついてくる。周囲の木や花に興味津々のようすだ。30ススも歩くと、タイラクコのうす紫の花が減り、かわりにノガラシの黄色い花が増えてきた。タイラヤマは低い山だ。降りるのに時間はかからない。山道も平坦になってきた。
〈お前さんの持っているものはなんだ〉
「これはバスタオル、これはパズル。着てるのはパジャマね」
どれもドーマの知らないものだ。
「ドーマ、お風呂嫌いなの?」
フミはくりかえし説明しているがドーマにはさっぱり分からない。どうせニンゲンはすぐニンゲンの世界に戻る。ドーマは適当に相づちをうった。
この辺りにくると大きな樹木は減り、道の両脇にノガラシの大群が黄色い花を咲かせている。蜜をもとめて昆虫がとびかい、昆虫を狙って小さな鳥が集まっている。ドーマは木の陰からいつのまにか花の中に身を隠していた。道は河に行き当たった。河といっても水は流れていない。広がっているのは黄土色の地面、砂だった。砂地が帯のように延々と続いていた。フミは道の端まで行って、砂地をのぞきこんだ。すると何かが突然砂の中から飛び出してきて、フミの頭の上にしがみついた。丸々と太った小さな動物が甲高い声で鳴く。固まるフミ。
〈スナザルはいたずら好きだから気をつけろ〉
ドーマが花の中から声をかけた。
スナザルがくるりと地面に飛び降りる。ききききっ。からだを振って砂を払うと、大量の砂が舞い上がった。フミは砂まみれだ。砂を落としてすっかり細くなったスナザルは、持っていた小枝を猛烈ないきおいでこすりはじめた。たちまち枝から煙があがり、先端に小さな火がともる。まだ驚いて硬直しているフミを尻目に、スナザルはその火を持ったまま砂の帯の上を身軽に走って行った。
「なんなの、あのサル!」
ようやくフミが怒り出したとき、スナザルのゆくてに街がみえた。フミが叫ぶ。街は砂の河の真ん中にそびえ立っている。白っぽい古びた建物がたちならび、きれいに舗装された道や装飾のほどこされた窓が見える。ウェノだ。フミはスナザルのことも忘れてじっとウェノを見ていた。
「ねえ、あの街動いてない?」
〈ああ、ウェノはさまよう街なんだ。この砂の河は流砂、つまり本当の河のように流れているのさ。ウェノは砂と一緒にタイラヤマのふもとを一周している〉
砂の帯は低い音をたてて流れていた。ウェノは砂の河をただよう箱舟なのだ。
風が吹いて砂が舞い上がり茶色のカーテンがウェノの姿をしばし隠した。砂が晴れるとウェノはすぐ近くまで迫っていた。道路や街路樹がはっきり見える。
〈飛び移るぞ〉
フミは一度流砂の河から離れると、助走をつけてとんだ。
「ジャーンプ!」
フミは硬い道路に突っ込んでゴロゴロと転がった。
「いてて。ドーマ、どこ?」
〈近くにいる。安心しろ〉
フミは街路樹に駆けよった。叩いてみる。
「これ石じゃん!」
〈ウェノじゃ街がまること作り物だ。川まであるぜ〉
フミは街の中心部に向かって歩き始めた。ドーマが後をつける。ウェノの街並みは家、建物、街路樹、道、小鳥や小動物、すべて石造りだ。ヘノ樹は風にそよぐかのよう、スナザルやタイラリスはとびかかってきそうだ。しかし、実際にはわずかな植物とときおり空を通過する鳥だけがウェノにある生命だった。大昔に誰かが作ったと言われているが、石をこんな風に加工できる存在はドーマも聞いたことがなかった。いまやその石造りも多くはヒビがはいり、壊れかけている。
フミは石の家や、石の樹や、もう崩れてしまった道端の何かを見つけるたびに、たたいて遊んでいる。不意に高い笛の音のようなものが聞こえ、フミは空を見上げた。ウェノの上空を何かが飛んでる。
「あれ、デイビーボーイじゃない?」
〈お前さん、なぜ名前を知っている〉
「だってお兄ちゃんが持ってるもん。ちびっこい恐竜だよ」
ドーマは何度もウェノにきたことがあるが、ここでデイビーボーイは始めて見た。
〈この街に何か心当たりはあるか?〉
「見たことあるような、無いような。遠足で行ったような、行かないような」
「遠足とはなんだ」
フミの返事がない。突然曲がり角からフミが飛び出してきた。
「うりゃあ! あれ、いない?」
〈お前さん、何をやってるんだ〉
「ドーマ、どこだー」
ドーマはフミが走ってくる直前に壁を駆け上がり、飾りの多い庇の上に飛び乗っていた。ウェノの窓はいい。大げさな飾りがついていて、ドーマが簡単に隠れることができる。ドーマは次々と飛び移りながらフミを誘導した。音で気づいたフミはしきりに上を見上げるが、ドーマは巧妙に身を隠す。
「いま何時? 夜じゃないし昼じゃないし、何時なの?」
〈この島はいつもこんな明るささ。お前さんのところは違うのか?〉
「違ーう。お昼はもっと明るいし、夜はもっと暗いよ。ほんとに、ここはどこなんだろう……」
ドーマは黙る。ドーマは隠している。ここはニンゲンの住む世界ではない。ここはニンゲンの夢の中。お前さんは自分の夢の世界に迷い込んでしまったのだ。しかしそれを教えるわけにはいかない。もしここが夢の中だと気づいたら。
〈戻れなくなるのさ……〉
「なんか言った?」
自分の夢の中で夢の世界にいると気づいたニンゲンは二度と元の世界には戻れなくなる。この島でひとりでいつまでも暮らさなければならないのだ。それが辛いことなのかドーマには分からない。ニンゲンに気づかれる前にニンゲンをニンゲンの世界に返せばいいだけだ。
やがてフミとドーマはひとつの建物の前に出た。入り口へ続く無駄に幅広い階段、立ち並ぶ石柱、飾りの刻み込まれた巨大な扉、建物は低層だが広大な敷地、規則的に二列に並ぶ丸窓と四角い窓、外壁は赤い石と灰色の石を組み合わせたツートンカラーだった。
〈こいつだけはホンモノだ〉
ドーマはちらりと上空に意識を向けた。まだデイビーボーイがいる。
「ドアがでかいねー」
〈開けるんだ〉
「フミちゃん、むり」
〈横に小さな扉があるだろう。それならお前さんでも開けられるはずだ〉
「どうして分かるの」
なんとも言えない違和感がドーマの中に広がるがその正体がつかめない。
代わりに伝える。
〈いいから開けろ〉
「ちぇ」
フミが無理といった巨大な扉のすぐ隣に小さな押し戸があった。古い飾りが施されているが手をかけるところがない。フミは両手をあてて体重をかけて押した。
「んー、おりゃあ!」
押し戸はするっと開き、フミは勢い余って中に転がり込んだ。ドーマが後から滑るように入ってくる。中は薄暗い。大きなテーブルのようなものがずらりと並んでいるのがぼんやりと見えた。
「どこ、ここ?」
〈ここにはどんな願いもかなえてくれるやつがいるらしい。お前さんも帰れる。よかったな〉
「そうか。カミサマがいるのか」
フミはテーブルによじのぼっている。普通のテーブルではなく、天板に厚みがあって上面がガラスで覆われている。その中には色とりどりの鉱石、古ぼけた木彫りの人形、文字らしきものが書き込まれた紙、昆虫の標本、装飾品、鍵、何かの骨、服、楽器のようなもの、大小のカバン、本、何に使うのかさっぱり分からないものも並んでいる。陳列棚だ。
〈オレはそのカミサマってのを探してくる〉
「いってらっはーい」
フミはガラスに顔を押し付けたまま答えた。
ドーマは建物の奥に進んだ。建物は複雑な構造だった。絵の並ぶ大きな部屋、瓶の飾られたカビくさい部屋、歩くと音のする長い廊下、一段しかない短い階段、風の流れる広い吹き抜け、ドーマには目的のわからない狭い空間。生き物の気配はない。
そのとき入口の方から大きな物音がした。ニンゲンの騒ぐ声が聞こえる。どうやら陳列棚をひっくり返したらしい。ドーマは少し考えて探索を続けることにした。さらに奥まですすんでみたが、どこにも生き物は見つからなかった。ニンゲンのいうカミサマがここにいたとしても今はいない。ドーマはそう結論してニンゲンの元に戻った。
〈なんなんだ、これは〉
陳列棚がほとんど倒れて中身が床に散乱している。
「フミちゃん、服を着替えようとしたの。だってパジャマじゃ歩きにくいでしょ」
確かに風変わりな紋様の入った服に着替えていた。背中には小さなカバンをしょっている。
「バスタオルもパズルも入れたの。あとね、石も、人形も、紙もいれたの。使うかもしれないから。これでカンペキなのだ」
〈それを取り出すために全部壊したってわけだ〉
「壊してないもん。勝手に倒れたんだもん」
ドーマは入ってきた扉に注意を向けた。こちら側からも把手もなにもないツルツルの扉だ。
〈お前さん、あの扉をまた開けられるか〉
「まかせてー。うりゃ」
フミは扉に体当たりした。ゴツンと音を立ててひっくり返る。扉はびくともしない。フミは頭をおさえている。
この扉は内側からは開かないようだ。ドーマは不安になる。
これじゃ、ここにいたカミサマとやらは、まるで封じ込められていたみたいだな。そんな生き物が願いをかなえるのだろうか。そしてそいつは今はいない。
〈オレたちが入ってきたときに、入れ違いに外に出たってことか〉
「器用だねー」
〈このままじゃオレたちが閉じ込められちまう。ジジを呼ぶぞ〉
暗がりの中でドーマは吠えた。それは不思議な声だった。大きな声ではないのに、ビューンとガラスが振動する。フミは思わず耳をふさいだ。それでも音は小さくならない。陳列棚の割れたガラスのかけらが床で小さくはねた。
ウェノの近くにいればいいのだが。
〈あとは待つだけだ〉
「じゃあ遊ぼうっと」
フミは座り込んで、ポケットから色とりどりの鉱石をとりだした。次にリュックを開けてみすぼらしい木の人形を取り出す。頭、胴体、手足の板を紐でつなげてある人形だった。フミはもっていたパズルの箱とその人形と鉱石を一列に並べていった。慎重に一直線になるように並べる。ようやくその列が完成するというときに、突然フミたちの入ってきた扉から長い灰色の毛の動物が転がり込んできた。ゴロンゴロンと転がって、フミが倒した陳列棚にぶつかって止まった。ジジだ。
「入ってきちゃってどうする!」
フミは叫んだがジジには興味津々の様子だ。ふわふわで丸いからだにゆっくりと近づいた。ジジは優しげな目でフミを見つめる。怖くなさそうとみるや、フミはジジにしがみついた。毛をつかんで背中によじ登る。ジジは灰色のヒゲを楽しそうに揺らした。
「やっほーい!」
〈遊んでる場合か〉
と、全く同じ姿のジジがゴロゴロと扉から入ってきた。
「またきた」
さらに三匹目、四匹目、五匹目ときたところで、ようやく六匹目のジジが扉を途中で止めた。
「いっぱいきた!」
〈ジジは群生動物さ。集団で考える、いわば集合知性の……聞いてんのか!〉
フミは五匹並んだジジの背中を飛び跳ねている。
ジジたちがゆっくりと歩き始めると、フミは歓声をあげた。
〈待て。オレが先に出る〉
ドーマはジジの脚の下に潜り込むと素早くドアをすり抜ける。
〈ジジ〉
すばやく飾り窓の上に隠れたドーマが問いかける。
「なんじゃ」「なんじゃ」「なんじゃ」「なんじゃ」「なんじゃ」「なんじゃ」
〈ウェノにはどんな願いごともかなえるカミサマがいるって話だったが、あの建物にはいなかった。外に出たのだと思う。どうやったら見つけられる?〉
「カミサマとは。詳しく調べるのならトショカンに行くしかないの」
〈どこにあるんだ〉
「ギャッコに行けばトショカンの入り方は分かるはずじゃ。それよりあのニンゲンをどうする気かの。ワシもニンゲンは始めて見たぞ」
〈元の世界に返す〉
「分かっているだろうが、ここはニンゲンの夢の世界じゃ。あのニンゲンにそれを気づかれんようにな」
〈ニンゲンを元の世界に戻す方法は誰も知らねえ。まったく面倒なことになったぜ〉
「なに話してんの? つーかジジ話せるの?」
〈島のことばで話しているのさ〉
「ロンゴロンゴっていうのが言葉なんだ」
〈お前さんは島の外から来ているからな。そう聞こえるんだろう〉
「フミちゃん、ドーマの言葉なら分かるよ」
〈オレは話しているんじゃない。お前さんの頭の中に直接伝えているんだ〉
「どういうこと?」
〈耳をふさいでみろ〉
「何にも見えない!」
〈目は開けていい〉
「あ、ドーマの声が聞こえる」
フミは耳をおさえたまま答える。
〈そういうことさ〉
「じゃあこのウサちゃんとも話せる?」
フミは両手を頭の上につきだした。手の中にいつ捕まえたのか小さな動物がいた。長い耳を垂らし、赤い目でじっとドーマがいるほうを見ている。フミの手の中でおとなしくしている動物に、ドーマは話しかけてみた。耳の長い動物がロンゴロンゴと鳴く。
〈そいつはナイトウというそうだ〉
「ナイトウか」
フミはふむふむとうなづく。
「ナイトウ遊ぶぞー」
フミはジジの背中をグラウンドにしてナイトウと鬼ごっこを始めた。ナイトウはジジの背中をピョンピョン走りながら長い耳を広げた。そのまますっと空に浮かぶ。フミは喜んで猛然とダッシュするとナイトウの脚に飛びついた。フミの小さな体も一緒に浮き上がる。
「わーい。ジジ、見て」
ナイトウは耳を羽ばたかせて高く舞い上がって行く。フミの姿がぐんぐん小さくなっていった。豆粒のようなシルエットから、フミの声が響いてくる。
「手が無理。もうむり。うーうわー」
今度は豆粒から逆にぐんぐん大きくなってくる。フミはジジの群れのど真ん中にまっさかさまに落下した。ドーマは驚いたが、フミは笑いながら這いあがってきた。ジジの柔らかい毛皮のおかげでなんともないようだ。まったく無茶をする。ドーマは呆れていた。
ナイトウはそのまま飛び去っていった。
「逃げちゃった。フミちゃんも飛びたかったなあ」
〈お前さんがいじめるからだろう。次に会ったときには脚につかまっていいか聞くんだな〉
「むー」
〈ギャッコに行くぞ〉
「待って。焦げ臭くない?」
ふくれっつらから一転、フミが鼻をくんくん鳴らす。確かに何かが燃える匂いがする。
「あっち」
走り出すフミに、ジジたちがぞろぞろついていく。ドーマもしぶしぶ後をつける。いま出てきた巨大な建物の側面に回りこむと、「川」があった。天然の川を模して蛇行しているが石造りだ。ただその中には澄んだ本物の美しい水が流れていた。そのあたりで匂いがきつくなる。
「流砂の上にある石の街でこれほどの水が確保されているとは、ウェノは謎の多い街じゃの」
ジジが立ち止まった。頭を地面に近づける。道いっぱいに何かがあった。縦横に規則正しく伸びる線と、それに沿って三角形の突起が無数に並んでいる。そこを小さな生き物が慌ただしく行き交っていた。それは街だった。ウェノの街路いっぱいに広がるおもちゃのような街だ。三角形にみえたのはこの街の住居らしい。
「街じゃ! ウェノの中に別の街があるとは知らなんだ」
その小さな街が騒然としている。おもちゃの街の一角が炎に包まれている。この炎が焦げたにおいの正体だった。
「きっと、あのサルだよ!」
フミは叫んだ。小枝に火をつけて逃げていったスナザルのことだ。
街の中を走りまわる小さな生き物は六本の手足を持ち背中に赤い斑点があった。大きさはフミの指の先ぐらいだ。火災をなんとか食い止めようとしているようだが、火の勢いが強すぎる。
「わっ」
ジジが飛び上がる。長いヒゲの先端に火がついている。顔を近づけすぎたのだ。フミがカバンを振り回してジジの顔をたたいた。なかなか消えないとみると、ヒゲをつかんでジジを川まで引っ張っていく。
「こりゃ、ひっぱるな」
「ロンゴロンゴ言わないの!」
フミが半ば無理やりジジの顔を川の中に沈めるとようやく火が消えた。ヒゲの端が黒く焦げている。
「こりゃ早くなんとかしないと街が全滅してしまうの」
ジジが顔からポタポタと水を滴らせながら言った。
フミはカバンから青いバスタオルを取り出した。また川まで走っていき、バスタオルを突っ込んで水に浸す。慌ただしく戻ってくると、バスタオルを振り回した。
「うりゃー、水攻撃ー!」
〈おい、無茶するな!〉
バスタオルからの水滴が街に降り注ぎ、三角形の屋根をうった。細い道路も建物もたちまち濡れていく。小さな生き物たちは突然落ちてきた水の塊に驚き空を仰ぎ見る。火の勢いが一気に小さくなった。フミが残った火にバスタオルを押しつけて消していく。燃えた建物にいる小さな生き物たちは、慎重につまんで移動させた。
三角形の家から次々と住民たちが出てきた。みんな背中に赤い斑点がある。よく見ると地面にたくさんの穴が開いていて、そこからも住民が出てくる。みんなずぶ濡れだ。やがて一面が小さな住民たちで埋めつくされた。赤い斑点が不思議なパターンを描く。
「ニンゲンのやることはずいぶん大胆じゃな」
〈無理やりすぎるだろ〉
「この街はイシャーと言う。自分はトランカだ」
住民のうちの一匹がジジたちに近づいてきて、声を張り上げた。
〈ドーマだ。姿を見せられなくてすまない。丸いのがジジ、騒いでいるのがニンゲンだ〉
「スナザルのやつに火をつけられてこのザマだ。ほんとうに助かったよ、ニンゲンとやら」
〈あんた方の街は石造りではないんだな〉
「ああ。自分たちは飛行できるので、ウェノから出て木材を調達している。地下はこの顎で掘っている」
トランカは頑丈そうな顎をカチカチと鳴らした。
「あの青い布じゃ」
ジジがフミの持つ布を見て話に割り込んできた。うれしそうにしている。
〈どうかしたのか〉
「あの青い布はバケという動物の革でな。それをかぶれば好きな生き物に変身できるぞ」
ドーマは半信半疑で、その話をフミに伝えた。
「でもこれバスタオルだけどね」
〈ジジが言うんだからやってみろ〉
「テントウムシになれー。むにゃむにゃ!」
フミは青いバスタオルを頭からかぶった。するするとフミの身体が小さくなっていく。ヒゲのような触覚、大きな目、なにより斑点のある硬い胴体だ。ただ背中の斑点だけが水色だった。トランカが驚きで触覚を震わせた。青い斑点のイシャーの民は、するすると大きくなって、バケの革をかかえる元のフミの姿に戻る。
「これすごいね!」
〈またオモチャが増えたな。これで気がすんだか。ギャッコに向かうぞ〉
ドーマはトランカに別れを告げた。
「あなた方がこなければ、イシャーの街はどうなっていたか分からん。イシャーの民は受けた恩義は忘れないぞ」
〈気持ちだけもらっておくよ〉
ドーマは豆粒のようなイシャーの指揮官に答えた。
「ばいばーい!」
フミが手を振る。イシャーの無数の民がいっせいに羽根を広げてぶぶうんと音を鳴らす。別れの挨拶らしい。
「フウセンカズラを探すのじゃ。ウェノに生えている唯一の植物じゃから、すぐ分かるはずじゃ」
ジジはゆっくり歩きながら話す。ドーマに言われてフミもそのへんを走り回っている。
「しかしニンゲンとはみなこうなのかの」
ジジが庇に隠れるドーマに話しかける。左右には崩れかけた石造りの建物が続いている。
〈うれしそうだな〉
「あの好奇心の強さを見れば分かるじゃろ。動物にも、建物にも、鉱石にも、人形にも、植物にも、景色や言葉にも興味を示す。面白い生き物じゃ。例えばこの空の色にしても、ワシらは何とも思わんが、ニンゲンなら興味を持つかもしれんの」
〈そういえば、ニンゲンの世界の空の色はこことは違うらしいぜ。なんでもヒルだかヨルとかで色が変わるとか〉
「ほほ。となればここにいるだけでここが夢の中だと気づかれてしまうかもしれんの」
似たような角を何度か曲がると赤茶けた石を敷き詰めた広場に出た。そこにフミどころかジジでもすっぽり入りそうな大きな風船型の植物がいくつも生えていた。フウセンカズラだ。色のないウェノではフウセンカズラの緑はたしかによく目立つ。
「フウセンカズラは面白い草での、中に入ると空に浮かび上がる。そして行き先を教えると、ちゃんとそこに向かって飛んで行くのじゃ。乗り物として使えるわけじゃな。ギャッコに行くにはこれを使うしかない」
〈それに入れと言うのか〉
「中は見えん。ドーマでも大丈夫じゃよ」
ドーマはしぶしぶフミに説明する。
「え、飛ぶの! やっほーい」
フミは頭からフウセンカズラの中に飛び込んだ。
〈お前さんは島の言葉は話せないだろう。フウセンカズラに行き先をどうやって伝えるんだ。ジジと一緒に乗れ〉
フミのフウセンカズラにジジが乗り込んできた。狭いらしく、フミはフウセンカズラから頭をぴょこんと出した。ジジが何事か言うと、フウセンカズラがふわりと浮かび上がった。フミが歓声をあげる。次々とフウセンカズラが宙に浮いていった。ドーマは念のため一番暗い緑色のフウセンカズラに最後にもぐりこむ。
フウセンカズラが上昇すると島の全景が見えてきた。
「ウェノってほんとに全部石だね」
ウェノの白っぽい街が砂の河をゆっくりと移動している。フウセンカズラは上昇を続け、そのウェノの街も小さくなっていく。砂の河の周りに咲くノガラシの花が黄色い煙のようだ。その向こうにタイラヤマの平べったい頂上が見えてきた。
「あ、フミちゃんがドーマと会ったところだ。フミちゃん、歌をうたいまーす。作詞作曲フミちゃん」
フミの歌が聞こえてきた。
♪ドーマがでてきて こんにちは
♪タイラヤマで かくれましょう
♪でんでろでんでろ
ジジたちが嬉しそうにからだを震わせる。
〈でんでろがよけいだな〉
フウセンカズラは自ら飛行する能力はない。大気の流れをつかんで漂うだけだ。だから目的地まで長い時間がかかる。藍色の空の下、緑色のフウセンカズラがふわりふわりと飛んでいく。
「あっ、海だ」
タイラヤマの崖から覗きこんだ藍色の海が島を囲んでいる。今は静かだ。
「じゃあ、2番ね」
♪海の中から こんにちは
♪となりの島まで メガネマルでいきましょう
♪でんでろでんでろ
〈でんでろがよけいだ〉
「ドーマ、あの白いのなに?」
島が海と触れるあたりが真っ白に染まっている。
〈あれは雪さ。島の一番低いところは雪に覆われている。「冬の森」だ。オレたちは滅多に近づかねえ〉
「寒いもんね」
♪雪が降ったら こんにちは
♪寒いところには いきません
♪でんでろでんでろ
〈だからでんでろが……〉
フウセンカズラは風に乗ってふわりふわりと飛び続ける。
23番を歌っていたフミの頭の上に何かが舞い降りた。黒ブチで赤い眼の小さな生き物。
「ナイトウ! どこいってたの? フミちゃん、歌をうたってるの。じゃあナイトウが帰ってきたからナイトウ記念ね」
♪頭の上に こんにちは
♪ナイトウは 羽根があるから落ちません
♪でんでろでんでろ
〈……〉
ナイトウはフミの頭の上で気持ちよさそうだ。
フミの歌は飽きずに続く。フウセンカズラは相変わらずの速度だ。
眼下の景色が変わってきた。草原が広がり、大きな樹木が増えてくる。島の中腹はウェノやタイラヤマと比べるとかなり暑い。上空にいても草の香りが届くような気がする。
「じゃあ、71番」
フミが言いかけたとき、高い笛の音が響いた。空気を切り裂く音がして、何かがフミのフウセンカズラのそばを通り過ぎる。トカゲのような姿がみえた。デイビーボーイだ。フウセンカズラにパックリと穴があく。フミの両足が外に飛び出した。
「うひゃー、落ちる!」
再びデイビーボーイが襲ってくる。さっとすれ違うとフミのフウセンカズラの下半分がバラバラになる。支えを失ったフミとジジは空中に投げ出された。ナイトウは宙に舞い上がる。
〈ニンゲン!〉
「落ち……」
どかっと何かにぶつかる音がした。
「……なかった」
〈……〉
フミの姿が見えない。フミはフミより背の高い植物が密生する中に落ちたのだった。背の高い植物は黄金色の大輪の花を咲かせている。エナンの花だ。エナンの花が生えている場所は、上からみると地面かと思うほど広い。ドーマはフウセンカズラを切り裂いて飛び降り、花の中に姿を隠す。
「ドーマ、いる?」
〈ああ〉
「ここは空の上?」
〈でかい樹の上さ。ギャッコは樹の上にあるんだ〉
ギャッコを支える樹木は茶碗のような形で枝を広げている。そのてっぺんは枝が絡みあって天井のようになっている。そこにエナンの種が飛着して一面に育ったらしい。ドーマたちはそのエナンの中に降り立ったのだった。ジジたちも次々と降りてくる。
「ずいぶんかかったねー。フミちゃん疲れちゃったよ」
ドーマはそれには答えず花の奥に姿を隠した。ジャラジャラと金属音が聞こえる。エナンの花を無遠慮にへし折って、何ものかがヨタヨタと不器用に近づいてきた。
「こんにちは、こんにちはー!」
けたたましい声だ。
「ちょうハデなペンギンがきた……」
「どちらさまかしらー」
「ドーマ、なんて言っているの?」
ドーマは返事をしない。
エナンの花をかき分けて現れたその生き物は、大きな首かざりと金ピカの冠を頭に載せ、オレンジ色の四枚の羽根をバタバタさせて、短い脚でヨタヨタ歩いていた。目だけは油断なくあたりを見回している。
「ワシはジジじゃ」「ワシはジジじゃ」「ワシもジジじゃ」「ワシもじゃ」「ワシもじゃ」
「こんにちはー、ワタシはミャッキよー。ギャッコにようこそー」
「なんて、言ってる、の?」
フミが負けじと脚をバタつかせながら話にむりやり割り込む。だがフミの言葉は通じない。
「変な鳴き声ねー」
「たしかにそうじゃの」
別の方向からもギャッコの住民が現れる。こっちはミャッキと違って無言だ。冠も首かざりもない。羽のオレンジ色だけが同じだ。兵士といったところか。フミとジジたちをいつのまにか取り囲む。
〈こりゃヤバイな〉
ドーマが思う間もなく周囲のギャッコ兵が網を投げた。フミとジジが抗議する暇もない。フミの頭上に浮かんでいたナイトウにも網がうたれる。ナイトウがポトリと落ちてきた。ドーマはエナンの花の根元に身を伏せ息を潜めていた。
「うぎゃー、なんだこれ」
暴れるフミがたちまち網にからまり、さかさまになった。ジジはおとなしく捕まっている。ミャッキが命令すると、ギャッコ兵たちはいっせいに網を引きずり始めた。フミもナイトウもジジたちももまとめて運ばれていく。天井広場にはいくつか出入り口があるらしく、そのうちのひとつを降りていく。
「いきなりで悪いけど逮捕させてもらうわー。天井広場に空から降りてくるのは”天井広場に空から降りた罪”なのよー。これでワタシにも運が向いてきたかしらー。おーほほほほほほ」
ミャッキが高笑いしながら後に続く。
ドーマは音もたてずに後をつける。長い尻尾がピンと跳ね上がっていた。
ギャッコの樹は巨大で、中には無数の部屋がある。ギャッコ兵はフミたちをそのひとつにの格子状のドアのアある部屋に連れていった。牢だろう。ドーマは廊下から様子を伺う。ギャッコ兵はフミとナイトウとジジたちをむりやり牢に押し込んだ。せまいせまいとフミとジジたちが押しあっているのを、ミャッキがバカにした顔で眺めている。
「こんにちはー、ちょっとこれ見てねー」
ミャッキは真っ赤な枠のついた鏡を持ち出した。
「ジジ、せまい。あ、鏡までちょうハデだ」
「そこの動物、鳴くんじゃありませんー」
ジジがぐふふと笑う。
牢の前に置かれた鏡には天井広場がうつっていた。一本づつ色の異なる柱を縦横に組み合わせた大きなモニュメントが映っている。
「ジジ、せまいよー。こ、これ鏡じゃなくてテレビじゃん」
鏡の映像が動き出した。モニュメントの柱の一本に小さな亀裂が入る。亀裂はみるみる広がっていく。鏡からは音は聞こえないのが、かえって不気味な迫力がある。フミも文句をいうのをやめて鏡に見入っている。亀裂に沿って木材が弾け、細かい木片が飛び散る。しばらくその状態を保っていたが、とつぜん一気に柱が砕けた。真ん中からへし折れ、モニュメント全体がゆっくりと傾きだした。
「うひゃー」
スローモーションでモニュメントが崩壊した。もうもうと粉塵が上がる。モニュメントが天井広場にたたきつけられ、エナンの花びらが飛び散る。ギャッコの住民たちが続々と集まってくるが、なすすべがない。そこに見覚えのあるケバケバしい装いのミャッキが出てきた。
「ここからが見ものよー」
ミャッキは羽根を振って住民を下がらせた。そして崩れ落ちたモニュメントの前で体を折ると、何か唱え始めた。身じろぎもせずに見守る住人たち。
木片がひとつ、ふわりと宙に浮いた。
小さなかけらだったが、ひとつまたひとつと浮かび上がる。あとはさっきのシーンを逆にみているようだった。木片は次第に大きな破片になり、集まり、やがて柱を形作っていく。歓声をあげているらしいギャッコ住民たち。柱が天井広場から起き上がり、ついにはモニュメントは完全に元通りになった。まるで魔法をみているようだ。
「おぬしはまじない師かの?」
「そうよー。ギャッコのミャッキは島一番のまじない師よー。探し物ならまかせて、安くしとくわー」
「するとそれが話にきくギャッコの鏡かの。しかし、あんなことのできるまじない師はきいたことがないの」
「とぼけるんじゃないわよ!」
ミャッキがバシッと羽根を叩きつける。ジジたちがいっせいに飛び上がる。
「まじないで壊れた建物が元に戻ったら苦労しねえんだよ」
「口調まで変わっとる……」
「ん? あら、ワタシとしたことが。言わなくても分かっているのよー。あれやったのあなた方でしょー? なにしろ空からギャッコに来たのはあなた方が始めて。ただものではありませんねー」
「違うんじゃ。ワシらは行くところがあっての。トショ……」
「うるせえんだよ。今日からはここであたいのために働きな。これであたいは探し針を使うチンケなまじない師は卒業だ。本物の魔術師だからな。けけけ」
「また口調が……」
「ところで、これはどなたのものー?」
ミャッキがフミのパズルの箱を取り出した。小さなハンドルのついた木の箱だ。フミが窮屈そうに手を挙げる。ミャッキはフミにパズルを投げた。羽根をくるくる回す身振りをする。
「ハンドル回せってこと?」
フミは箱についた小さなハンドルを回し始めた。ハンドルは重く、フミは顔を真っ赤にしている。
「それはロレツじゃ」
「わ、ジジがしゃべった!」
「はい。手をとめないでー」
「だって、ちょう重い……」
「それはロレツといってな、その取っ手を回している間はどんな相手とも言葉が通じるのじゃ」
「あなた動物じゃなかったのねー。何かできることあるのー? 言ってみなさないよー」
「フ、フミちゃん、歌が得意だよ。でも、ちょう重い……」
「じゃ、明日から毎朝ワタシのために歌ってちょうだい。お願いしましたよー」
フミはあきらめて手を止めた。ミャッキとジジの言葉がロンゴロンゴに戻る。
ドーマはその場を離れた。ニンゲンのもっていたロレツは驚きだが、まず牢の鍵をさがさなければいけない。ギャッコの内部は枝が複雑にからみあって迷路のようになっていた。見つからないようにうろついていると、おそろしい急勾配で下に向かう通路があった。ギャッコの根元に降りる通路らしい。脱出に使えそうだ。通路の場所を覚えると、次に部屋を調べ始めた。トショカンの場所はギャッコに行けば分かるとジジが言っていた。どこかにてがかりがあるはずだ。
台がひとつだけの小部屋に入る。台の上に見覚えのあるフミのカバンが置いてあった。ミャッキはご丁寧に中を調べてロレツを見つけたらしい。他にはなにもない。部屋を出ようとしたとき、声が響いた。
「ニンゲンを返すのはやめなさい」
ドーマは全身を強ばらせる。何か見落としたか?
〈……誰だ〉
「名前に意味がありますか? 私の名前はゼッケルベッケル。あなたはニンゲンを元の世界に返そうとしているそうですね。やめておきなさい」
〈どういうことだ〉
「自分でもうすうす気がついているのではありませんか? ここはニンゲンの夢の世界です。ニンゲンを返せばあのニンゲンはまた新しい夢の世界を作るでしょう。私たちの世界は無くなってしまいます。この島にすむ全ての生き物が消えてなくなるのですよ。私たちが生きるためにはニンゲンを返してはなりません。あなたはニンゲンと会話ができますね。この島のために、ここが夢の世界だと伝えなさい」
〈何を言ってやがる……〉
「あなたはニンゲンを返したがっています。それはなぜですか。あなた自身にも分からないはずです。私たちはニンゲンの夢として作られた存在ですからね」
ドーマはウェノで小さなドアからなら入れるとフミに教えたときに感じた違和感を思い出した。そして唐突に違和感の正体に気づいた。自分がニンゲンのためにやっていること、なぜそれをやるのか、なぜそうすればいいのか、それが自分でも分からないからだ。ゼッケルベッケルは、ドーマがそう感じるように夢の中で作られた存在だと言っている。ニンゲンの夢の中でそうなっているからにすぎないのだと。ドーマはしびれるような衝撃を受けていた。
それっきり声は途絶えた。探りを入れてもあたりに生き物の気配はない。今はゼッケルベッケルの正体探しをする時間はないようだ。ドーマはからだを震わせて動揺を振り払い、次の部屋に入った。まだ足元がふらついていた。
〈これはまじないの道具か……〉
その部屋には細々とした道具がずらりと並べられていた。ドーマが目を付けたのは四角い木枠に糸でつるした針がはめ込まれた道具だった。それがなんなのかドーマには分かった。理由を考えないようにしてドーマはその道具の前に飛び移る。
〈トショカンはどこにある?〉
針が震えはじめた。ギャッコの探し針は、探し物のありかを指し示すまじないの道具だ。しかし左右に大きくゆれて安定しない。
〈ダメか。探し針も噂ほどじゃねえな〉
ドーマは諦めてさらに部屋の奥に進む。部屋の隅に茶色い筒が転がっているのに気づいた。鋭い爪を使って筒を裂くと、中から出て来たのは古ぼけた紙だった。破かないように慎重に広げる。古ぼけた筆致で描かれた島の地図だった。トショカンの位置がハッキリと記されている。
〈「冬の森」か。見つからないはずだ〉
ドーマは場所を記憶に刻み込んだ。部屋から出ようとしたとき、むかいの部屋からギャッコ兵が出てきた。慌てて身を隠す。ギャッコ兵はドーマには気づかずヨタヨタと去っていく。ドーマはそれを確認するとむかいの部屋に入った。思った通り牢のものらしい鍵束がぶら下がっていた。ドーマは壁を駆け上がって鍵を爪に引っかける。部屋を出ると音を立てずに牢に駆け戻った。
「ドーマはどこに行ったの! フミちゃん苦しい。狭い!」
〈ここにいるぜ〉
「ドーマ!」
「ようやく戻ってきたのかの。鍵は見つかったじゃろうな」
ガシャっと音を立てて鍵束が牢の中に投げ込まれた。フミが拾い上げて、牢の隙間から手を伸ばして鍵を開ける。まっさきにフミが牢から転がり出てきた。カバンのありかをドーマにたずねる。ジジたちもぞろぞろ出てくる。
〈逃げるぞ。そこを出たら下に向かう通路がある。それをひたすら降りるんだ〉
「りょうかーい!」
フミが飛び出していき、ジジたちが続いた。ドーマは少し遅れて通路に入った。
「いて! うわ! なんだ!」
フミの騒ぐ声が聞こえる。あまりの急勾配にフミはあちこちにぶつかりながら転がるように降りていく。ジジたちはほとんどボールとなって転がっている。ナイトウは飛んでついてくる。ドーマは優雅に壁を蹴って追いかけていった。後方が騒がしくなってきた。追っ手だ。
「逃がさないわよおおおおおお!」
「ペンギンがきたー」
〈急ぐんだ!〉
「うりゃあ!」
フミがジジに飛びついた。ジジと一緒にころがりおちる。頭がガンガン壁に当たる。
「いてててて!」
〈その調子だ!〉
ジジとフミはぐねぐね曲がった通路をものすごいスピードで降りていく。
いいかげんフミの声も弱々しくなってきた頃、通路の先が明るくなってきた。出口だ。ドーマは速度を落とす。ジジたちはそのまま外に飛び出した。順番に地面に落ちる。
ばふっ。
ばふっ。
ばふっ。
ばふばふっ。
フミがまっさきに起き上がった。巨大なギャッコの幹の周りにもエナンの花が咲き乱れているが、天井広場のものほど大きくない。
「いてー。やっと逃げられたよ。ジジ、大丈夫?」
地面にのびていたジジが一頭ずつ起き上がる。
「ひどい目にあったのう。しかしこれでトショカンに行けるというものじゃ」
〈ああ、場所は覚えてきたぜ〉
「トショカンの鍵も持ってきたかの?」
〈……それはなんだ?〉
「ミャッキが言っておったじゃろ。トショカンには鍵がなければ入れないから、お前たちには無理じゃと。それに牢に戻ってきたおぬしにもワシが聞いたぞい」
ジジの言っていた鍵とはトショカンの鍵のことだったのか。ミャッキの話は牢を離れたあとのことらしい。ドーマがちょうどまじないの道具を調べていた頃だろう。震えて定まらなかったギャッコの探し針。そのとき閃くものがあった。あの針は正しかった。
〈その辺を調べるんだ、ニンゲン。何かあるはずだ〉
「ふはーい」
フミはギャッコの根元を探しはじめた。エナンの花をかき分け、土を蹴飛ばす。
ジジも捜索に加わる。
「あった!」
フミがみつけたのは、張り出した根に突き刺さった大きな銅色の鍵だった。
「ギャッコから落ちてきたようじゃの。なんでまたそんなことになったのじゃ?」
フミが鍵を引っこ抜く。
「鍵、ゲット!」
フミが鍵を頭上にかざした。ナイトウがうれしそうに鍵の周りを飛ぶ。そのときものすごいスピードで空から滑空してきたものがある。しっぽの長いトカゲのような姿。デイビーボーイはフミの手からトショカンの鍵を奪い、口にくわえて空に舞い上がっていく。あっけにとられるフミとドーマたち。ナイトウが両耳をはためかせて追いかけたが、デイビーボーイのスピードにはかなわない。すぐに姿は見えなくなってしまった。
「ちびっこい恐竜に鍵をとられちゃったよ!」
「トショカンの場所はどこじゃった?」
〈冬の森だ…… お前さんたちがそこにいたら、ここから出られねえ。ちょっと離れてくれ〉
周辺にフミとジジがいなくなってから、ドーマは出口から飛び降りた。しなやかな身体が一瞬黒い筋となって宙を横切り、すぐに草むらに身を隠した。
〈トショカンに入れなければカミサマの謎はとけねえ。となれば鍵がなくても入る方法を考えるしかねえだろう。とりあえず冬の森に向かおう〉
「そういうことになるかの。では出発じゃ」
一行は移動を始めた。独特の芳香を放つエナンの花の中を進む。
〈そうだ。ゼッケルベッケルって知ってるか?〉
「はじめて聞く名前だの」
ドーマは、フミがロレツを使っていないことを確認して、ゼッケルベッケルとの会話をジジに説明した。
「なかなかの知恵ものじゃな、ゼッケルベッケルとやら」
ジジの群れが嬉しそうにからだを揺らす。
〈どう思う?〉
「それはワシらの世界の外で起きていることを心配するようなものじゃな。空が落ちるんじゃないかとか、海の向こうから怖いものがやってくるんじゃないか、そういう類のものじゃな。ゼッケルベッケルのことばすら「そうできている」からかもしれんぞ。ニンゲンの夢がゼッケルベッケルを生み出したのじゃからな。突き詰めて考えても結論は出んじゃろ。ドーマは自分の信じる道をゆくしかないの」
〈さっきのデイビーボーイにゼッケルベッケルの野郎がかんでると思うか?〉
「デイビーボーイは誇り高き種族じゃぞ。ことばは持たぬが、高度な知性を持つと言われておる。簡単にゼッケルベッケルとやらの口ぐるまに乗るかの」
〈邪魔ばかりしてるけどな…… こうなったらとにかくトショカンだ〉
島でもっとも海に近い部分は常に雪におおわれていて、「冬の森」と呼ばれていた。ドーマやジジのような島の上の方にすむ動物は、冬の森にはめったに足を踏み入れなかった。冬の森は多くの生き物には寒すぎ、深い雪に足をとられ、判断を誤ると二度と戻って来られない。しかも得体のしれないカイブツが住むという噂だった。ミャッキの地図によれば、トショカンはその冬の森の中央にある。
坂道を下って行くと、ギャッコの黄金の花はたちまち姿を消す。エナンが育つには高い気温が必要なのだ。冬の森はまだずっと先だが、景色は急速に変わってきた。あたりにむき出しの岩が増えてくる。同時に気温が下がってきた。フミはジジの上で走り始めた。
「寒いからジョギング!」
フミは人形をふりまわして、ジジの上で走り回っている。
ドーマとジジたちは冬の森の進み方を話し合っている。冬の森の奥まで行ったものは少ない。このまま進んでもいいのか話しても結論は出なかった。
ギャッコから100ススも歩くと道が広くなってきた。ジジたちの吐く息が白い。はるか前方に黒ぐろとした森が見える。あれが冬の森だ。ジジによると冬の森には一本として同じ樹がない。奇妙な森だ。その森の奥にトショカンはあるという。
「雪だ」
フミが空を見上げる。ちらちらと白いものが舞い降りていた。フミはバケの革を身体に巻き、ジジの上で寒そうに跳ねている。
一行は休まず歩き続けた。さらに100ススも進むと本格的に雪が降りはじめた。足元の雪は徐々に深くなってくる。すでに地面は雪におおわれて見えない。ドーマが移動する木の影も雪に覆われ、隠れる場所がなくなってきた。
口数少なく雪の道を進む。
フミはジジの毛皮に潜りこんで震えている。ナイトウも一緒だ。
「あでだに」
フミはジジの毛の隙間から目だけ出している。震える声で「あれ何」と言ったつもりらしいと気づいたドーマは、フミの向いている方向に注意を向けた。単なる雪野原にみえたが、その雪がぐにゃりと盛り上がった。雪の中に埋まっていた何かが起き上がったのだ。
〈ジジ!〉
「いかん、ダジョウカンじゃ」
雪の中から姿をあらわしたのは、太い円柱形の胴体を持つ生き物だった。周囲にずらりと子供のような小さな目と小さな手が並んでいる。胴体の下には子供のような脚がたくさん生えている。無毛で真っ白なので、雪に潜れば見分けがつかない。その子供のような手がむにゅんと伸びて、一頭のジジをとらえた。
「こら、はなさんか」
軽々と持ち上げると雪の中にほうり投げる。ジジは雪に頭から突っ込んだ。足をバタバタさせている。
「フミ、フミ……」
ダジョウカンが子供のような声を出す。
〈ニンゲンの言葉を話すのか!〉
また手が伸びて、別のジジが雪原に投げ捨てられた。フミはジジの背中にしがみつき、目をきくつ閉じて長い毛の中に身を隠している。ダジョウカンの腕がまた一本伸びると、木陰に回りこんできた。逃げようとしたドーマを雪原におさえつける。刺すような冷たさがドーマを包み込む。ドーマの体温がどんどん奪われていく。
またジジが一匹。また一匹。とうとうフミが隠れているジジだけが残った。ダジョウカンの手が伸びる。最後のジジを振り回すと、フミはジジと一緒に空中に投げ捨てられ、雪原に転がり落ちた。ダジョウカンの動きが変わる。フミを見つけたのだ。
「フミ、フミ……」
「来るなー」
泣きそうな顔で雪の上を逃げるフミ。しかし一歩ごとに足が雪にもぐってしまう。
〈ニンゲン!〉
ダジョウカンは小さな脚を細かく動かしながらフミに近づいていく。雪の中でもがくフミにダジョウカンの手が伸びた。軽々とフミを持ち上げる。ダジョウカンの頭頂部がぱっくりと開いた。中には子供の歯がぎっしり生えていた。
「うわーん!」
フミが泣き出す。フミが暴れてもダジョウカンは意に介さないようだ。
この手をどうしたら外せるのか。ドーマは焦った。全身の力をこめてもピクリとも動かせない。ダジョウカンの腕は爪をたてても傷もつかない。あたりは荒涼とした雪原で、使えそうなものはない。ドーマは全身に力をこめる。それでもダジョウカンの細い腕は動かなかった。
フミの泣き声が激しくなった。そのときダジョウカンの動きが止まった。小さな手が丸太型の胴体をなでまわし、何かを払い落とそうとしている。体表に何かが付いているのだ。ダジョウカンの白いからだの上で赤と黒の小さな点が動いていた。無数の小さな生き物がダジョウカンに張り付いているのだった。
「言ったでしょう。恩義は忘れないと」
〈トランカ!〉
トランカたちはイシャーの街からドーマたちを追いかけてきたのだった。
ダジョウカンの身体がみるみるうちに赤と黒のイシャーの民に覆いつくされていく。ダジョウカンが子供の声で悲鳴をあげた。ドーマを抑える手が離れる。細かく何かを砕くような音がする。ドーマはトランカが自慢していた顎を思い出していた。
フミを捕まえていた手が根元から落ちた。フミが泣きながら逃げ出す。ダジョウカンは雪のうえをデタラメに這いずるが、その姿はどんどん小さくなっていく。やがてイシャーの民に埋もれてダジョウカンの痕跡は雪の上から消えてしまった。フミがトランカたちに駆け寄る。
「ありがとう、テントウムシ……ぐす」
〈助かった。感謝するぜ〉
「これ以上進むのはあなた方には無理だろう」
ジジを一匹ずつ助けながらトランカが言う。
「ソリに乗ればいいんじゃない」
涙を吹きながらフミが言う。
〈なんだ、それは〉
「木の板を組み合わせてその上に乗れるようしたやつだよ。雪の上をすべるの」
フミが雪の上に絵を書きながら説明する。ジジはドーマから話をきいてすぐ納得したようだ。
「ニンゲンの世界には便利なものがあるんじゃな」
トランカは頷くと顎を鋭く鳴らした。イシャーの民がいっせいに飛びたち、やがて大量の木材と樹液を運んできた。ジジたちが樹液を使って短い手足で器用に固めてつなげていく。
「木を板にしてしまうとはイシャーの技術はすごいものじゃな」
〈あのウェノの石造りの道に穴をあけてたぐらいだからな〉
十分な数の板を運び終わるとトレンカが言った。
「ここは自分たちには寒すぎる。そろそろ限界だ。幸運な旅を」
〈あんたたちには感謝してもしきれない。またいつか会えるといいな〉
イシャーの民が羽根を鳴らして別れを告げる。フミはいつまでも手を振った。
ジジとフミはソリに乗りこんだ。ソリがゆっくり滑り出した。身軽なドーマは木の陰から後を追う。トショカンまではなだらかな下りだ。一行は冬の森を抜けていった。冷たい空気が流れる。ときおり森の奥で動くものがあったが、近づいてくるものはなかった。木々の間を抜けだすと、前方にそびえたつ黒っぽい建物が姿を表した。岩を削り出した塔だ。
〈あれがトショカンらしいぜ〉
ドーマが後ろから声をかけた。
ジジが一斉に上を見上げる。フミもナイトウも一緒に上を見る。あまりに塔が高くてジジの上でひっくり返るフミ。
「でっかいねー。寒いけど」
ソリがトショカンの前で止まる。ジジがフミを乗せたまま扉に近づいた。なんの飾りもない石の扉に鍵のかたちのくぼみがある。
「やっぱり鍵がないと入れないよ」
鍵をはめ込む場所のようだ。
そのとき甲高い笛の音が聞こえた。フミとジジは顔を見合わせる。白い大気を切り裂き、デイビーボーイが飛んできた。ドーマたちの頭上すれすれを通過して、何かを落としていった。フミがとびついた。
「鍵だよ!」
〈どういうことだ?〉
デイビーボーイは頭上でくるくると回っている。何かを待っているようだ。
フミはぴょんぴょん跳ねながらデイビーボーイに手をふっている。
〈あいつの気が変わらないうちに、扉を開けるぞ〉
「よっしゃー」
鍵をフミがはめ込んだ。鍵はなめらかに吸い込まれると、どこかで何か大きなバネが弾けるような音がした。足元がかすかに揺れた。そして巨大な扉が頭の中にまで響く音をたてて開き始めた。バラバラと石のかけらが落ちてくる。ここはもう長い間だれも訪れていないはずだ。中から埃っぽい空気が流れ出してきた。
ドーマは扉から滑り込んだ。すばやく影に身を潜めたところで脚を止める。
トショカン内部は巨大な空間だった。石造りの塔の内部は中空で、外壁に沿って四つの螺旋階段が延々と続いている。塔はあまりに高く、螺旋階段の上の方はぼんやりとかすんでいる。中空部には、ロープ、縄梯子、橋、網、滑車、梁などが張り巡らされ、でたらめな蜘蛛の巣のようになっている。塔を建てたときのなごりだろうか。そして、その外壁全てが本に埋め尽くされていた。しかも一冊の本はフミの背丈より大きい。インクと革とカビの匂いがした。
〈……なんて数だ〉
ドーマは書棚の隙間から塔を観察した。あまりの本の多さに絶望的な気分になる。これではいつになったらカミサマのことが分かるのか。
〈どうしたらいい〉
「読んで探すしかないの」
〈急いでるんだ!〉
「ワシも探すぞ」
トショカンの入り口に別のジジがあらわれた。
「ワシもじゃ」「ワシもじゃ」「ワシじゃ」「ワシじゃ」「ワシじゃ」「ワシじゃ」
ジジが続々と扉から入ってくる。
「ジジがジジを呼んだのじゃ」
〈しかし雪が〉
「言ったじゃろ。ワシらは群生動物じゃ。どこにいても一頭。知識は常に共有しておる」
ジジたちはみな足に短い木のソリをつけていた。フミが言っていたスキーとかいうやつだ。入り口で四方向に分かれ螺旋階段をのんびりと登っていく。
ジジは本にたどりつくと短い脚で器用に書棚から抜き出して表紙を開く。短い手がフル回転をはじめた。猛然とページをめくる。ドーマにはとても読んでいるようには見えない。ジジの列は途切れない。次から次へと現れて、遥か上方まで登って行く。やがて巨大なトショカンはどこをみてもジジだらけになっていた。階段を上るジジ、降りるジジ、本を読むジジ、本をしまうジジ、ジジと情報交換するジジ。
「ジジだらけだー。そうだ」
フミはロレツを取り出してハンドルを回す。
「ジジー、探してる本が見つかったらフミちゃんにも見せてねー!」
ジジが一斉にうれしそうに笑ったので、トショカンが少し揺れた。こうなったらドーマにできることはない。影に潜んで事態を眺めるだけだ。フミもまた鉱石と人形を出して遊びはじめた。ナイトウがフミの上でそれを眺めている。
塔のはるか上の方で一頭ジジがなにか叫んだ。トショカン中のジジの動きがピタリと止まる。
「全ての本を同時に読めば一冊を読む時間で見つかる理屈じゃな」
近くのジジがつぶやいた。やがてジジからジジに渡されて一冊の重そうな本が螺旋階段の上の方から運ばれてきた。
「それじゃそれじゃ」「その本じゃ」「見つかったぞ」「ワシが見つけたんじゃ」「ワシじゃ」「ワシじゃ」
床に置いた本をジジの大群が取り囲む。革の見事な装丁だが題名も作者名も書いてない。フミも背中に乗って覗き込んでいる。ジジが本を開いてページをめくる。
「読めないよ。漢字?」
〈この島のことばだ。お前さんにはムリだ〉
書棚の陰からドーマが答える。
フミはジジから飛び降りるとページをめくった。挿絵が描かれている。
「絵なら分かるよ……これがカミサマ?」
挿絵のカミサマは、小さなからだ、長い耳、赤い眼、黒ブチの毛並みだった。
「これ、ナイトウじゃん!」
〈なんだと〉
フミはロレツのハンドルを力いっぱい回した。
「ナイトウ、ナイトウがカミサマなの?」
ナイトウはふわふわと飛びながら悲しそうな顔で答えた。
「僕にはこれしかできないんだよ。願いをかなえることしかね。だから願いをかなえる。でもなぜかみんな僕を嫌ってウェノの街に閉じ込めたんだ」
ドーマはナイトウとの出会いを思い出す。ウェノの建物から出たときにすでにニンゲンが連れていたのだ。
〈ナイトウはウェノのあの建物にいたのか!〉
「そうだよ、ぜーぜー」
フミはハンドルを回し疲れて肩で息をしている。
〈なぜ言わなかった〉
「ドーマが聞かなかったもん。それに棚を壊したって怒っていたしさ、ぜーぜー」
〈待てよ。ギャッコでジジたちがなんでもできると勘違いされてあやうく監禁されるところだった。あれをやったのはお前か、ナイトウ。俺たちの話を聞いて先回りしたんだな〉
ウェノを出たあとナイトウが飛び去ったのは、逃げたのではなくギャッコに向かったのだった。正体を知られたくなかったナイトウはトショカンへの道を閉ざすために先回りしたのに違いない。
〈そして鍵を捨てた〉
しかしナイトウにフミを戻す力があるのならそれはどうでもいい。ギャッコではちゃんと願いがかなって、あの巨大なモニュメントが元に戻ったではないか。
〈ナイトウ、ニンゲンを元の世界に返してやってくれ〉
「違うんだよ。あの妙な形の門が壊れたのも僕のせいなのさ」
〈どういう意味だ〉
「そのままの意味さ」
ミャッキの鏡でみた巨大モニュメントの崩壊と復活。まるで時間が逆に回ったような感覚。
〈そうか! お前の力はものごとを乱し、それを元に戻すだけなんだな…… それを「願いがかなった」と勘違いさせる〉
「勝手に勘違いするんだけどね。そう。僕はものごとをうまくいかないようにして、それを元に戻すだけさ。それでもみんな喜んでくれるよ。だからニンゲン、君は帰れないよ。ここは君の夢の世界だからね!」
ドーマは愕然としてフミの方を向いた。なぜナイトウがニンゲンをこの世界にとどめようとするのか。
フミは肩で息をしている。
「ドーマとナイトウの話は長すぎるんだよ。フミちゃん疲れたもん」
フミはロレツを握りしめている。途中で力尽きて回すのをやめてしまったらしい。助かった。ドーマは安堵で足から力が抜けた。
〈しばらくロレツを使うな、危険すぎる〉
「ニンゲンを返してはいけません」
聞き覚えのある声が割り込んできた。
〈ゼッケルベッケル! お前か!〉
「ナイトウ、お前の力を使いなさい。言葉が通じなければ行動で示すのです。ここがニンゲンの世界とは違うと分からせてやりなさい。お前ならできます」
ドーマは必死にゼッケルベッケルを探す。ゼッケルベッケルもついてきたのか。声は近くから感じられるが、ジジが多すぎて他の生き物の気配が分からない。
ナイトウは耳を広げるとふわふわと浮き上がった。事情を聞いていないフミは喜んで追いかけて行く。ナイトウの赤い眼が光る。
「いて!」
フミが派手に転ぶ。床に置いた本につまづいたのだ。革表紙が盛り上がっている。そこからスルリと手が生えた。フミの足首を掴む。
「ぎょえー」
本には三本の脚と三本の手が生えている。本は立ち上がり、フミを逆さまに持ち上げる。
「パーンチ!」
フミはさかさまになったまま、本人間の胴体を殴る。おもわずフミを放り出す本人間。フミはふんぞりかえる。
「参ったか」
周囲の書棚が揺れだした。大きな音をたてて本が落ちてくる。ドーマが上を見上げると上空から本が雨のように降り注いでくる。ジジが右へ左へ逃げ始めた。頭の上に本が落ちてのびてしまうジジもいる。フミは器用に右へ左へと本をかわしている。
「よい。こら。おい。ひょい。そら」
ドーマはしっぽを伸ばしてフミを書棚の隙間に引き寄せた。床に落ちた本からは次々と手足がはえて、フミめざして襲いかかってきた。
〈逃げろ!〉
走りだすフミ。階段を駆け登って行く。くるくると螺旋階段をあがっていくと、上からも本人間の群れが降りてくるのが見える。下からも本人間。
「うりゃあ!」
フミは空中にジャンプした。手を伸ばして中空に張り巡らしてある網にしがみつき、身軽によじ登っていく。本人間たちも次々と飛びついてくるが、網に届かず下に落ちていった。フミは網を使って塔の中央まで移動すると、こんどはロープについてる滑車にぶら下がる。
「アッアアー!」
滑車のスピードを生かして本人間の群れに突っ込む。螺旋階段から転げ落ちる本人間たち。
〈本を粗末にするな!〉
「違うよ! 本を助けるんだよ!」
すぐに別の滑車につかまり、一気に反対側まで滑っていく。そこからまた猛然と上に登り始めた。逃げまどうジジ、登ってくる本人間、飛び降りてくる本人間。それを左右に交わしながらフミはひたすら階段をのぼっていく。前から本人間が殺到する。フミは中空にかけられている細い橋にとびのり、グラグラと揺れる橋を全速で駆け抜ける。追いかけてきた本人間が橋に足をかけるとその重みで橋が崩れ落ちた。それを見るなりフミはすばやくジャンプしてロープにしがみついた。ブランコのように左右に振り勢いをつける。
「とおー」
弧を描いて大きく宙を飛ぶと本人間の集団に頭から突っ込む。バラバラと下に転げ落ちていく本人間。フミは立ち上がるとさらに上を目指す。本人間たちの数が多ければ中空部のロープや橋を使い、少なければ素早く左右にかわす。だれもフミを止められない。
「意外と軟弱ですね」
〈……ゼッケルベッケル。出てきやがれ〉
「私は隠れたことはありませんよ」
とうとうフミはナイトウの浮かんでいるところまで上がってきた。
「こら、ナイトウ! やめないとフミちゃん怒るぞ!」
ナイトウの赤い眼がフミを見つめる。フミの周囲の本が一斉に壁から飛び出した。フミの上に殺到する。あっという間にフミの姿が見えなくなる。
本人間の一体がポンと空中に飛び出した。まっさかさまに落ちていく。隙間からフミの脚がのぞいている。本人間を蹴り飛ばしたらしい。フミが隙間から這い上がってくる。その脚を本人間がつかんだ。フミの身体が傾き、宙に放り出された。
「落っこちるー!」
フミの身体がまっさかさまに塔を落ちる。
〈ジジ!〉
「ワシじゃ」「助けるのじゃ」「ニンゲンを」「ほら集まれ」「ほら集まれ」「集まって助けるのじゃ」
ジジの大群が一箇所に集まる。バフっと音をたてて灰色の波の中にフミの姿が消える。
「いてて。フミちゃん、落ちてばっかりだよ」
フミはバケの革を頭からかぶった。
「ジジになれ、むにゃむにゃ!」
フミの姿がジジの群れに消える。本人間たちはフミを見失って右往左往している。ジジが塔の中央に集まり始めた。ジジの上にジジが、そのジジの上にジジが乗る。やがて見事なジジのピラミッドができあがった。
ピラミットの頂上近くで一頭のジジが立ち上がった。さっとバケの革を脱ぎ捨てる。フミだった。
「いまです、ナイトウ」
〈見つけたぞ、ゼッケルベッケル!〉
「……私が声を出すのを待ってましたか。これはやられました。しかしあなたは私のところに来られますか。この光の中に」
フミがぶちまけたカバンの中身。古い木作りの人形から声は響いてくる。
〈まさかニンゲンの持ち歩いていた人形がお前だとはな〉
ドーマは今までの疑問のかけらが全て正しい位置に収まった気がした。
〈お前もナイトウもずっとウェノにいた。そこでナイトウにお前の話を吹き込んだんだな。お前とナイトウはニンゲンに連れられてウェノを脱出したが、オレたちがトショカンを目指していると聞いて、ナイトウをギャッコに先回りさせた。ぜんぶお前の指示か、ゼッケルベッケル〉
「それはどうでしょう」
影の中にしかいられないドーマと、自分では動くことのできないゼッケルベッケルの奇妙な対話が続く。
〈後をつけられているかと思ったが、オレたちがご丁寧に運んでいたんだな。だからお前が話すのはニンゲンがカバンから離れたときだけってわけだ。しかしデイビーボーイはどうやって操った?〉
「逆ですよ。デイビーボーイはあなた方の味方なのです。ナイトウに捨てさせるつもりの鍵を横取りされたのには参りました。あれはニンゲンにゆかりのものですか?」
お兄ちゃんが持っているとフミは言っていた。デイビーボーイは鍵とゼッケルベッケルたちが一緒になるのを防いでくれたのだ。
〈フウセンカズラで移動中にニンゲンを襲ったように見えたのは、お前を攻撃していたのか〉
「そういうことになりますね」
ドーマは時間稼ぎをしていた。
あとはフミに任せるしかない。ゼッケルベッケルに余計なことはさせない。
〈お前は自分で歩くこともできない。ナイトウを手先に使ったのはそのためだな〉
「私は理を説いただけですよ」
そのときフミの悲鳴が聞こえた。
ナイトウが耳を羽ばたかせて、フミに体当たりしたのだ。ジジのピラミッドの上でフミのからだが大きくはねて転落する。落下地点にはジジがいない。
「あそこから落ちればさすがに気づくかもしれませんね」
〈……!〉
ドーマは陰から飛び出した。全身のバネをつかって跳躍する。間一髪、転落してきたフミの下に滑り込んだ。フミのからだがドーマの上で跳ねる。フミはおどろいてドーマを見つめた。ビロードのようになめらかな黒い毛並みの山猫、ピンととがった尻尾、そしてドーマには顔が無かった。ドーマに抱きつくフミ。
〈お前さんは、オレが怖くないのか〉
「ドーマはフミちゃんが怖いの?」
〈……よし、しっかりつかまれ〉
ドーマの全身に力がみなぎった。力を開放してジジのピラミッドを駆け上がる。ドーマは襲いかかる本人間たちをやすやすとかわしていく。軽やかに跳躍しながら、瞬く間にナイトウの側までたどりついた。
〈後はまかせたぞ、ニンゲン〉
フミはドーマから飛び降りて、正面のナイトウを睨みつけた。
「ママに聞いたもん。ナイトウ、赤い眼は寝不足なんだぞ!」
フミは、ロレツを回しながら歌いはじめた。
♪鳥もパタパタ もう眠たいね
♪ウサギもぴょんぴょん 時間割
♪ジジもモフモフ 歯を磨こう
♪明日がくるまで みんなおやすみー
♪でんでろでんでろ
不思議そうな顔をしていたナイトウの眼がだんだん閉じてくる。耳の羽ばたきが遅くなり、ふわふわと下降をはじめた。
「ナイトウ、なにをしているんですか。ニンゲンを返してはいけません」
フミの子守唄が響き渡る。
ピラミッドのジジたちが次々と眠りに落ちていく。気持ち良さそうなイビキがきこえてきた。ナイトウがジジのピラミッドの中ほどに着地して眼を閉じる。ナイトウの力が失われ、本人間たちがいっせいに本に戻った。本がジジのピラミットを転げ落ちていく。
眠り。ここでは誰も体験したことのなかったもの。夢の世界に欠けていたもの。いま夢の世界の島にはじめて眠りがもたらされたのだ。ナイトウも、ジジたちも、そしてドーマも。
「ナイトウ、ナイトウ。どうしたのです」
そこへ本が嵐のように降ってきた。一冊がゼッケルベッケルの上に落ちる。
「ぷギュー」
ゼッケルベッケルはばらばらの木片になって飛び散った。
ジジのピラミッドが崩れていく。ナイトウは床ですやすや眠っている。
「ふわー、フミちゃんまで眠くなってきちゃったよ」
フミはふかふかのジジのベッドの上に大の字に寝転んだ。
ドーマは薄れていく意識の中で思う。たとえゼッケルベッケルのいうようにニンゲンはまた新しい夢の世界を作るのだとしても、またこのニンゲンの世界に生まれたいものだ。この好奇心の強い、エネルギーにあふれたニンゲンの夢で。ドーマは心の底からそう思った。
――おしまい――
2013年1月12日 発行 初版
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フミちゃんのパパになって9年目