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この本の成り立ち 米光一成 6
吾輩はくまである。名前は… 泉かなえ 8
愛、有る無しの格差 糸賀政隆 12
本の読み方を変えられた本なのです 内山正彦 16
三代にわたり受け継いだ「言葉の友」 加藤敦太 20
必死で言葉をつづった部屋 栗原里枝 24
親が健気に見えた瞬間でした 小林千野 28
わたしにべんりな役立つ手錠 下島安嵐 32
カップヌードルにネタが詰まってる 関昌充 36
曼荼羅に、コサージュが咲く。 高松霞 40
雰囲気をつくる 出嶋勉 44
左腕にいつもいる相棒みたいな 中野稚子 48
リアルに手が震えました ばみ 52
いつかぱたんとなくなっても 松永肇一 56
私だけが見つけたもの 馬渡紗弓 60
君は十字路に立っている 三浦英崇 64
ライブ前の雑貨屋で、スポッと! 山本健二 68
一緒の世界に居た 与儀明子 72
福岡の片隅の女子高生を熱狂させた 横田潮音 76
不良たちも詩を書いててびっくり 渡辺恵里 80
「キラキラ」した宝物 渡邊宏美 84
作ってたら人生だいぶ変わってる 米光一成 88
資料 米光一成 92
場所は、池袋コミュニティ・カレッジ。二〇一二年十月二十日から、全六回。「米光一成の表現道場」というタイトルの講座だ。内容は毎シーズン変わっていく。
このシーズンはインタビューの実践講座だった。
集まったみんなでインタビューをしあう。自分が聞き手になってインタビューしたり、語り手になってインタビューを受けたりする。
案外、いろいろなステップを踏んで、インタビュー記事は作られる。
1:誰にどんなインタビューをするのか決定
2:インタビューの依頼
3:下調べ
4:質問項目作成
5:日程調整
6:インタビュー
7:音声起こし
8:原稿化
9:推敲
10:チェック
講座では、この流れを実践していった。
雑談ではなく、インタビューとして相手の話をしっかり聞く。応える側も、真剣にならざるをえない。引き出した話を、そのままテキストにすればインタビュー記事になるわけではない。相手は何を伝えようとしていたのか。どの部分をピックアップするのか。どう構成するのか。言い回しをどう修正すると、答えてくれたあの瞬間のあの感じが読者に伝わるのか。
人から聞いた話を、しっかりとした形にまとめあげ、それを文字という形で残していく。インタビューというスタイルをとることで、いつもと違ったコミュニケーションを意識し、実践することになる。
そうやってつくられたインタビュー記事を一冊にまとめたのがこの本である。
(米光一成)
泉かなえ
──人の話を聞く時には、相手の目を見るように、と言われませんでしたか?
泉 すみません。躾のなってない子で…
──まあでも、かなり年季の入った感じですし、そこは仕方ないのか。
泉 中学の時から、八、九年の付き合いになります。縫い目なんかも、もうぼろぼろになってて…座らせても、どうしても斜めになっちゃうんです。家に帰るとたいてい、天井をうつろに見つめてます。
──うーん…でも、そこが味わい深い感じですよね。くまのぬいぐるみ、ってのが、いかにも女性らしいと言うか。自分で作られたんですか?
泉 はい。小さい頃から、手芸がとても好きでして。中学生になって、何かの本で、テディベアを作っている方のお話を読んだ時に「すごく楽しそうだなあ」と思って。それで、キットを買って、ちくちくと。
──自分は不器用なんで、なかなかこういう細かいものは作れそうにないですわー。
泉 中学生くらいの頃って「自分はどうせダメなんだ…」って思い込んじゃって、そこから急に「自分で何か作り出さなきゃ!」と思い立ったりするじゃないですか。
──はい。自分も身に覚えがあります。その焦燥感が募り募って「くまを作るしかない!」と。
泉 夜な夜な、くまを…ちくちくと。
──手芸は今も続けてらっしゃるんでしょうか?
泉 はい。夜になると無性にやりたくなるんですよね。締切で追い詰められたりした時とか。
──あー。気持ちはよく分かります。
泉 今、大学生なんですけど、PCで論文とかを長々打っていると「違うの!こういうことじゃなくて、今すぐ目に見える成果がほしいの!」って気分になって。
──確かに確かに。「すぐに形になる」っていいですよね。
泉 手順通りにやっていくと完成するってのが好きなんです。折り紙とか。
──女性の方って、ぬいぐるみに話しかけたりする、ってよく聞きますが、泉さんもされるんですか?
泉 ありますよ! 教育実習をやっていた時に、学校の近くで一人暮らしをしていて。食卓に置いて、一緒にごはん食べながら、その日学校であったことを話したりして。
──なるほど…泉さんにとって、このぬいぐるみは、どんな存在なんでしょうか?
泉 うーん。「部屋にいるのが当たり前」の存在ですね。
──いいなあ。空気みたいに自然にそこにある、って感じで。
泉 部屋の中では、結構転々と場所を変えているんですけど、目に付く場所には必ずいます。
──ところで…このくまのお名前を伺っていなかったですね。
泉 実は…今回、買った時の袋を見つけてきたんです。そこに「エリック」って書いてあって。ああ。「エリックって名前なんだー」と、今日初めて認識しました。
──えええっ。じゃあ今日まで名前、無かったんですか!?
泉 ええ。「くま」だなあ、ってずっと思ってました。でも今日からエリックです!
──エリックさん、はじめまして。
泉 よろしくー。
糸賀政隆
──シールブックですか?
糸賀 大学在学中にもらったものです。
──『エヴァンゲリオン』ですね。いろんなシーンがポストカード大のシールになっている。
糸賀 ニュータイプ二〇〇三年七月号付録って書いてあります。五~六年くらいは持っているのかな。
──エヴァが好きだから?
糸賀 いや、ぜんぜん。
──ぜんぜん?
糸賀 見たこともないです。
──なのに何故こんなに長いおつき合いを?
糸賀 大学生の時、サークルの部室で先輩と話をしていたんですよ。そうしたら突然「あ、俺今日誕生日だ」って気がついて、先輩に言ってみたら「じゃ、はいっ」って渡されて。
──用意してくれていたんですか?
糸賀 いえ。部室のそこらへんにあった物をテキトーにくれました。
──実は先輩がエヴァのファンだったとか。
糸賀 先輩はたぶん好きだとは思うんですけど、詳しくは知りません。でもとりあえず保存しています。
──若干ふにゃふにゃになってますね。
糸賀 使おうにもサイズはでかいし、家に置いているんですけど掃除をしてるとヒョロっと出てきたりしていつのまにやら近くにある。先輩に気を使っているワケでは無いんですけど、なんか捨てられないんです。あと、ふにゃふにゃは湿気のせいです。
──ではこのシールに関するエピソードは?
糸賀 特にないです(笑)。これからも捨てられないだろうとは思うけど。
──これからエヴァを見ようとは思います?
糸賀 なんか興味がわかないんですよね。はじめに放映されていたのが僕が高校生の時だから、感化されてもいいはずなのに。アニメ全般は見ない方ではないんですけど。
──ここまで来たら糸賀さんには一生見ないで欲しい(笑)。エヴァ知識はこのシール媒体のみで。
糸賀 最近の過剰な広告展開に反抗して(笑)。
──もう一冊お持ちいただいたこちらの雑誌はなんでしょう?
糸賀 映画雑誌『Switch』、九二年のものです。
──笠智衆さんが表紙だ。あえて白黒のプリントにしているのが格好いいですね。
糸賀 これはもう、かれこれ一〇年くらい持ってまして。
──笠智衆さんがお好きなんでしょうか?
糸賀 そうですね「東京物語」も面白かったですし。でも一番の購入動機としては、なによりもこの表紙写真の格好良さ。ちょうど上京したての頃、下北沢の古本屋で見つけたんです。東京って物がとにかくいっぱいあるじゃないですか。映画雑誌のバックナンバーだけでもこれだけの品揃えがあるんだ!! って興奮しながら買った思い出がありますね。
内山正彦
──これが人生に影響を与えたという本ですか。
内山 ずいぶん古いんですけど。ブックカバー外しましょうか。
──見ていいですか。八九年初版発行のMOTHER……の攻略本だ。ゲームソフトじゃなくて、攻略本ですか。
内山 そうです。攻略本。けっこう人気のある本で、復刊ドットコムでちゃんと票集めて復刊してるんです。もちろん、それも買ったんですけどね。
──この本のどんなところに影響を?
内山 これね、後ろの方はコラムなんですよ。ここから三〇ページくらい全部。
──攻略本なのに、攻略に関係ない読み物の量が半端ない。
内山 もちろんゲーム論とかもありますよ。それとは別に、私が一番影響を受けたのがこのページなんですけど。野々村文宏という人が書いている。
──メガネかけてて線の細そうな。
内山 当時、新人類と呼ばれた人たちがいて。若手でサブカルを自分たちの基盤に据えた人たちみたいな。
──八〇年代終わりな感じですね。
内山 そのなかでも、新人類三人組と言われていたうちの一人なんです。
──このコーナーって他にも有名な人いるじゃないですか。高橋源一郎さん、泉麻人さんっていうすごいメンツの中で、一番がこれなんですか。
内山 そうです。面白いのは他にもあるんだけど、影響を受けたのがこれなんです。
──タイトルが『ゲームセンターのニモ』となってますけど、ニモってあのニモ?
内山 あのニモです。
──えーと、ごめんなさい。あのニモってどのニモ?
内山 名無し、という意味のです。海底二万マイルに出てきた。
──あぁ船長の。ん?ニモでしたっけ。ネモ?
内山 ネモでもニモでも両方の呼び方があるんです。
──クマノミじゃなくてね。
内山 クマノミじゃないです(笑)。ファインディング・ニモじゃなくて。
──ですよね。
内山 八九年ですからね。
──さて、内容なんですが。当時のゲームセンターが舞台ですね。
内山 中学時代にゲームセンターで会った不思議な人のことを、野々村さんがニモって呼んでいるんですね。本人もそう名乗ったし。いろいろ不思議な話をするんだけど、そういう曖昧なままでいいはずのものが大人によって潰されていくんです。さらに、そういうところに大切なものはあるんだけど、そこに逃避しようとしちゃいけないよっていうオチになっているんです。
──なるほど。
内山 もともと僕は本を読んだりするのが好きだったんですけど。これを読んでからは完全にのめりこんだり逃避したりとかができなくなったんです。無意識にバランスを取るようになっちゃった。
──本の読み方自体が変わってしまったと。
内山 そういう意味で、人生に影響を与えたという本というかコラムなんです。
加藤敦太
──これは古い本ですね。
加藤 『新小辞林』という辞書です。祖父の持ち物だったと思うんですよね。祖父は校長先生やってたので、関係あるのかなと思いつつ、直接もらったわけじゃないんですけど、本棚に入ってまして。それから使うようになって十年くらい。文章の基層になってると思います。
──インデックスの部分に「あかさたな」が入っていますが、これは加藤さんが書かれたんですか?
加藤 あ、れ? ほんとだ。今気づいた。これ手書きなんだ。じゃあこれ誰かが書いたんです誰かが。ここのインデックスは気づきませんでした。確かに手書きだ。
──はああ。もしかしたらお祖父様が。
加藤 ええ。…気になってるのは、薄くですけどここにハンコがあるんですよー。
──あ、ほんとだ。
加藤 これはひょっとしたら個人で持ってたんじゃなくて、どこかの図書館的なアレかなあという気がしないでもないですけど。まあ図書館にあった本ならちょっとまずいんじゃないかと思いつつ、手元に置いています。結構めくりやすくて。ただ、訳のわからないところに線が引いてあることがたまにあって。昔調べてみたんですが、マーキングに法則がほとんどなくて、色も違うんですよ。誰が引いたのかも、わからないんですけど、たぶん父も使っていて、二代にわたってマーキングしていたのかと。あと、目立たないんですが、いきなり破れているページがあることも発見しました。
──図書館の放出本だったのかもしれないですね。どのように使っていますか?
加藤 実際今の仕事だと、言葉はパソコンで調べることが多くなっちゃったんですけど、昔、文章を書き始めた高校の頃に、よく使いました。演劇部で、脚本を書いてたんです。部員の皆が楽しんで演じられるように、内容はギャグコメディもので。いっぺんお公家さん口調のキャラを出した時には、時代がかった言葉をこれでガッチリ調べました。あとサイズが探してもないくらいに持ちやすいんで、たまにパラパラ読むことがあるんですよ。それで、覚えた言葉を使うというのはあります。市販の辞書だと重たくて読む気にならないんですけど。文庫みたいな感覚で読むことができる。それから紙が、古びていい感じが出るんですよ。出版が、昭和三十三年なので。
──それだけ長い間使われているのに表紙が壊れず、しっかりくっついていますよね。ていねいに扱われてこられたんでしょうか。
加藤 私は全く無頓着に使ってます。前のは小学校のころにPTAにもらったものだったんですけど、それは二、三年のうちに裏表紙が取れて、壊れちゃいまして。けれどこれは、反対に、調べごととは無縁に読んだりして無造作に使っていたけれども、壊れることもなく、手になじんできた。そこから考えると、これがたぶん頑丈なんじゃないかなと。
──では長年の相棒というかんじですね。収録された単語などがアイデアの源泉になったりとかはありますか?
加藤 言葉の響きで面白いのを使ったことがあったような気もします。小さいのにけっこう豆知識詰まってるんですよ。だから自分の中では「正しい情報」を得るために使っているのじゃないように思います。そういう古い情報が入ること自体がいいんですよ。
栗原里枝
──これ……どこの写真ですか。
栗原 スイスに住んでいたときの窓ぎわの風景です。寮のひとり部屋でした。外がよく写ってないけど、六階なので見晴らしがいいんですよ。大きな山並みが見えて。
──なぜスイスに?
栗原 フランス語を勉強したくて。大学に交換留学の制度があって、その先がスイスのフランス語圏だったんです。一年間いました。でも、いざ飛び込んでみると違いに驚いてしまって。
──なにがそんなに違ったんでしょう。
栗原 人もまわりも全部。みんな黒髪で日本語の、いままでの世界じゃなくなって軽いショックを受けました。ひとり暮らしも、海外の滞在も初めてのことだったから。
──ああ。
栗原 最初のネガティブな感じが一番大きかったときも、部屋にひとりでいれば楽になれました。異邦人感みたいなものはだんだん薄れましたけど、今度は言葉が通じなくて。発つ前にそれなりに勉強したから文字は読めるけど、まわりが何を言ってるのか全然わからなかった。聞き取る訓練をしっかりして行かなかったのが響きました。
──授業はフランス語なんですか。
栗原 ええ、先生が話すこともわからなくて。授業終わりにはいつも、「今日習ったのはこういうことで、宿題はこれですよね?」って、すごいつたない言葉で確認をして。先生は留学生には慣れていて、ヘタなフランス語もちゃんと理解してくれるんですけど、ほかの生徒がどんどん帰っちゃう中、毎回私だけがひとり残ってる。
──周囲も外国からの学生なんですよね。
栗原 クラスには日本人もいたし、アメリカ人、イタリア人とさまざまでした。私と同じ独学でも、最初からうまく会話できる人がいっぱいいたんです。フランス語と似た、スペイン語とかイタリア語をつかえる人は結構聞いてわかるみたいで。
──ラテン語系の言葉ですね。フランス語は発音も難しそう。
栗原 だから部屋ではひたすら授業の復習や会話の練習をしました。テキストの付録のカセットテープを何度も聞いたり。A4のノートに、もう繰り返し例文を書いて。書いて言って、書いて書いて。一時期はとりつかれたように書いてましたね。
──ここで。
栗原 そう、この机で。あと、寮の中でもちょっとした衝突があって、各階に管理のチーフみたいな人がいるんですけど、仲良くしないとお知らせをもらえない。共有の冷蔵庫の鍵を貸してもらえなかったり。でもうまくしゃべれないからちゃんと抗議できないんです。そういうことが積もって、さすがにもう何もかもイヤだ!みたいな日は、一日中寝てたりもしましたよ。そんなときでも窓からの景色を、「いろいろあるけど、この国はきれいだな」とながめてた。
──それはそれは。
栗原 でもまあ辛いことばかりでもなくて―。隣部屋の人と仲良くなって料理をしたこと。自分をほめてやりたいくらい打ち込んで勉強できたとき。いいことも同じくらいたくさんあったんです。帰国してからはこの写真をパソコンの壁紙にしています。PCは何度か買い換えましたけど、あのころのいろんな感情が浮かんでくるので、壁紙はもうずっとそのままです。
小林千野
──奇麗な指輪ですね。
小林 母が見つけてくれたんです。一緒に遠くの病院に行った帰りのことでした。「ちょっと寄り道していこう」って母が言い出して。お店で指輪を見て「これ可愛いね」ってにこにこ笑っていました。空元気なんですよ。上の空なのに楽しそうに振る舞う姿が忘れられないです。
──えっ?
小林 その日、父が「なんか動けない」「おかしい」って言い出したので救急車を呼んで、母も一緒に病院へ行ったんです。脳梗塞でした。びっくりしちゃった。病院で「長引くかもしれない」「食べ物を飲み込めないから胃ろうも選択肢に」とか、けっこう色々言われてしまって。気丈な母が、珍しく落ち込んでいました。それで「疲れたからもう帰ろう」って言ってたのに、急に寄り道したいと。
──ああ……
小林 千円くらいの安い指輪なので買ってもらいました。そのとき、なんていうんですか、今までは育ててくれてた親が健気に見えた瞬間でしたね。これからは自分が支えていかなきゃいけないなって。姉は大阪にいるので何かあったら私しかいない。遅くに生まれた子なので、大事にされましたし。
──決意したんですね。お母様はふだんどんな人ですか?
小林 母とは長く一緒に暮らしています。母が「今日はここへ行って、誰と会った」とか、ずっと喋っていて私は聞いてますね。口喧嘩も時々しますが、喧嘩してたのを忘れて話しかけてくる。おっとりした人で、一緒にいると落ち着くんですよ。だから、よけいに、あのときの姿が強く残っています。
──それから、どうなりました?
小林 買い物のあとは、ショッピングモールでパスタを食べながら、「この先どうなるんだろう?」「生活は一変しちゃうのかなあ?」って話し合いました。それから、母は週二、三回病院に通っていました。大変だったと思います。父は途中で、肺炎になって熱を出してやばい、みたいなこともあって。
──肺炎といえば、中村勘三郎さんが、あんなことになって。
小林 あのニュースを聞いたときは、父もへたしたらそうなってたなあって、切なくなりましたね。元気だったのに。そんな年なんだなあと思いながら。
──三十歳を超えると、急に親の年齢が迫ってきますよね。
小林 私は今三十八なんですけど、五年前までそんなこと意識してませんでした。まさかと思ってたんですよ。親が七十後半になると急にくるって、人から聞いても、ぜんぜん関係ない、うちはまだって思ってたけど、突然でした。
──お父様は今はどうですか?
小林 最初の病院ではもう無理だとか言われたんですけれど、転院先でしっかりリハビリをして、良くなって、歩けるようにもなりました。もうすぐ退院です。
──よかった。長い戦いでしたね。
小林 そう。ほんとうそうです。この一年、引っ越して体制を整えたり、目まぐるしかったです。私、長く持ってるものってほんとないんですよ。すぐに捨てちゃう。でもこれはほぼ毎日してますね。この指輪を見るたび、あのときの気持ちを思い出します。母親を大事にしようって。
下島安嵐
──いつもこれ、着けてらっしゃるんですか。
下島 帰ったら取ります。外に出る時は着けますけど。
──どうやって手に入れたんですか。
下島 ハタチの時に父からもらって。腕とか首とかしめつけられるのがすごい嫌なんですよ。でも時間感覚を持つためにしかたなく。
──でも、長く使ってらっしゃいますよね?
下島 ぼくにとって腕時計って「手錠」みたいな物なんですよね。
──どういうことですか?
下島 きゅうくつだから着けたくないけど、社会に出るために必要だからしかたなく着けてる。
──いつから着けるようになったんですか。
下島 大学生の時かな。それまでは遅刻常習犯でした。
──何かきっかけが?
下島 学生のころからNPOやってるんですけど、そこの理事に「もう我慢できない。来週会うまでに腕時計して来なかったら殺す!」って言われて。で、ちょうど父からもらったのがあったんで、それを着けていったと。
──言われて着けるのって抵抗ありませんでしたか。
下島 いや、失敗続きで反省してた時期でしたから。ちょうどいい機会になりましたよ。今の職場でやっていけるのもこれのおかげだと思います。
──大事ですね。でも家だと取るなら、失くしそうになったとかありませんか。
下島 ベッドの裏に落としちゃって朝に「あれ、どこー?」ってなったりはしますね。
──電池切れとか、壊れたりは。
下島 これソーラーで防水なんで。旅行にもガシガシ持っていってます。
──着けるようになって、他の時計に換えてみたくなったりとかはないですか。
下島 うーん。今のところ時計ってファッションで着ける物じゃないんですよ。
──機能には満足してる。
下島 はい。最初は分からなかったんですが、使っていくうちにいろんな機能があるんだって分かりました。うっかりポケット入れたまま洗濯しちゃって防水機能に気付いたり、フランスに持っていって初めて外国時間表示があるのを意識したり。
──かなり多機能ですけど、お父さんの気遣いというか、チョイスですかね。
下島 というか、単に父自身の経験を反映してるだけなのかも。気付いたらうっかり電池切れとか、入れたまま洗濯とか。
──洗濯。便利だからずっと着けちゃうってのじゃないんですよね。
下島 時計ってそれ自体が時間感覚のかたまりみたいなものじゃないですか。休む時くらいはオフにしたいんで。帰宅したらすぐに取っちゃいますね。
──オン・オフですか。まあ着けっぱなしって息苦しいですよね。
下島 そう。オンなのは外だけでいい。あ、でもさっき「手錠みたいだ」って言いましたけど、正確には「スイッチ」なのかもしれない。
──「スイッチ」?
下島 これを着けることで「今日もいちにち社会で働くぞ!」っていう、ハチマキみたいな感覚で。そういう意味だと、父にもらったこの時計じゃなきゃって思いますね。
関昌充
──今から食べるんですか?
関 日清のカップヌードルです。さっき買ってきました。
──えー、テーマは宝物、あるいは長く持ってるものなのに?
関 あ、ちょっと勘違いしていました。カップヌードルは、私にとってはいろんなネタが詰まっていて、授業でつかうのに最適なんです。それで持ってきたんですよ。
──授業? 面白そうですね。
関 身近にあるもので、ブランドってそもそもなんだろう? と考えてもらうときに便利ですね。オリジナル味、カレー味、シーフード味など、現物をずらーっと並べて「さあカップヌードルはどれでしょう?」と訊く。商品群のブランドとしてのカップヌードルと、個別のカップヌードルがあるというのを示します。その上で、商品群のブランドは変えない、個別の商品は飽きられないために変えると説明するんです。
──どうしてそんな授業を?
関 私は二十年ほど、特許や商標の書類を作成する仕事をしています。一年に一回、工業高校で知的財産について教えていまして、今年は商標がテーマでした。伝えたかったのは、ブランドと商標はちょっと違うということです。ブランドとは企業や商品の信用です。カップヌードルであれば「美味しくて、なおかつ色んな味に挑戦してくれるっていう期待感」ですね。それを守るためのツールとして商標権があります。
──商標ってなんですか?「あ、カップヌードルだー」って思わせる見た目のこと?
関 カップヌードルくらい有名になると、文字だけでなく商品パッケージのデザインも含めた形でも登録するようです。結局、カップヌードルと間違って買ってしまいそうな製品が出てきたときにいかに「使うな!」と言うか、という点を考えて商標権を取ろうとしているんだと思います。余談ですが、韓国製の辛ラーメンを見たことはありますか? 他の会社がJINラーメンで登録商標を取っていて、というようなこともあるので、商品が有名になり始めたころには注意が必要です。
──具体的にはカップヌードルの商標ってどんなものなんですか?
関 「日清食品」のロゴ。「カップヌードル」の文字。「CUPNOODLE」のロゴ、「CUPNOODLE」と上下のラインの組み合わせ平面画像。パッケージを斜め上から見た平面画像などです。立体形状が登録された例もあります。「CUPNOODLE skelton」や、カップヌードルのパッケージと同じような湯沸かしです。
──統一したブランドイメージを持ってもらいつつ、消費者に飽きられないために、個別のパッケージではどこを同じにしてどこで変化をつけているんですか?
関 基本的なロゴ、蓋の端の半円形の「NISSIN」はずっと使っていますし、「CUPNOODLE」のロゴなんかも、サイズは違っていても、蓋と容器の側面で共通して使っていると思います。その上で、最近のMEGAMEETなどは派手なデザインになっています。MILKシーフード、チーズカレーは、おのおの、シーフードとカレーのデザインの背景をミルク色にしたようなデザインになっていたと思います。
──関さん自身は、ブランドをどう捉えていますか?
関 ブランドの信用って、究極的には経営者、とくに創業者の魂だと思うんですね。例えばインスタントラーメンを発明した安藤百福さんのひらめき、できるまで諦めない姿勢、粘り。信用が消費者に伝わって、消費者から見たブランドイメージができる。カップヌードルにはいろんな人の魂がいっぱいつまっているんです。
高松霞
──2冊。
高松 はい。歳時記と、ノートです。
──ノートの方は、句会のメモですか?
高松 ブーッ! ちょっとちがいます。
──句の横に名前が書いてありますね?
高松 はい。これは、「連句」と言います。五七五で「こんにちは」と言って、誰かが七七で「こんにちは」って返して、つなげていく遊びです。
──連句とは、どのように出会ったのでしょうか。
高松 元々は短歌をやっていました。私、何かのつながりや、人、ものの関係を詠むことが多くて。句どうしをもっとつなげてみたらどうなるかなって思ったんです。
──テーマとしてのつながりだけでなく。
高松 つなげていくと、曼荼羅のようになっていくかもしれない。それって面白いんじゃないかなって。そしたら、連句っていうのがあると。
──他に、俳句、短歌との違いはどんなところでしょう。
高松 ルールが難しい。型が決まっている部分が多いんです。それと、現代の感覚にそぐわないルールもあると私は思います。例えば、最後から二つ目の句は花の座といって、花を咲かせないといけません。で、花と言ったらそれは桜のことを指すんですね。
──他の花はダメ、ということ?
高松 そう。それに、造花もだめ。コサージュ、ご存知ですか? 例えば、「第二ボタンと胸のコサージュ」という七七。これは、本当は花の座には置けない。コサージュは造花だから。でも、花じゃん! 花でしょ! って、納得がいかないんです。連句の人口がなかなか増えない原因のひとつは、ルールが多すぎるからだと思うんです。誰かに伝えようとしたとき、教える人が教えきれない、教わる側も飲み込みきれない。
──確かに、お話を聞きながら、わからない部分がすごく沢山あります。
高松 じゃあルール減らす? ってなったとき、何でこのルールはあるんだろうってひとつずつ考えた。少しずつ調整して、定義し直していくことも必要じゃないかって。
──ルールを簡単に、納得できない部分は破綻しないようにアレンジしていく。
高松 花は桜だけじゃない。だから花の座には桜以外の花を置いてもいいことにしてみようって。花の座にコサージュが咲いているのは、私にとってはアリ。きまりをいちど取っ払っちゃおうと思って、「連句ゆるり」というワークショップを始めました。
──ゆるり!
高松 連句をゆるりと巻くので、連句ゆるり。ルールをあまり使わずに、ゆるく気軽に遊んでみようという、私からの提案です。
──興味深い。ただ、ルールを減らし過ぎると「これって連句?」という話にも。
高松 うん。連なっていく句であれば連句、だと思う部分もあるんだけど。ただ、ルールが全くないのは、私としても面白くないんです。句に対する責任とか、スリルとか、ひっくるめて考えると、決まりはあった方が絶対に楽しい。
──だから歳時記を見ながら、ひとつひとつルールを検討して、調整して。
高松 はい。その中で、相手と自分がいて楽しいね、を大切に。私が初めて行った連句の会で、「霧の中を走るマラソン」という句を締め句につけて頂いた時に感じた「わぁーっ」を味わって欲しくて。私も、皆にわぁーってさせたいんです。
出嶋勉
──これはどんな本ですか?
出嶋 TRUCKっていう大阪の家具屋さんの本です。
──この店に行かれたことは?
出嶋 一回。料理研究家の小林ケンタローさんが好きで、出演番組のセットとして使われていることが多くて、それで知ったんです。
──家具が好きなんですか?
出嶋 ここは夫婦でやっている家具屋で、家具も雰囲気も好きだけど、それよりもこの本が好き。自分も本のデザインをやっているけど、こんなに自由に作れたことがなくて。写真とか余白とか詰め込みすぎずやりたいように作ってる。
──確かに。ほどよくスペースが空いていて空気感がありますね。
出嶋 途中からページ数が横についてるし、後半のデッサンのページなんてトレペなんだよね。途中から紙が変わるとか珍しいですよ。
──ほんとだ、途中から違う。この本はいつ頃買われたんですか?
出嶋 一〇年くらい前に。家具を探している中ではじめは荒削りな家具にビビッときて。似たような雰囲気の本は他にもあるけど、こんなに自由に本を作っている本はないな~と思って。
──眺めるだけでも楽しい。普段はどのタイミングで本を手にするんですか?
出嶋 写真集でもないし、かといって文字の本でもない。でもこの夫婦や店の雰囲気は、この作り方が一番雰囲気を出せるはず。年に何回か見るけれど、パラパラと開いたところだけ見る。あとは仕事でナチュラルっぽいページを作る時の参考にしたり、説明しづらい雰囲気でも見せれば「ああ」ってなる。
──実際にご自宅はこの本にある雰囲気と似たようなテイストですか?
出嶋 ううん全然(笑)じわじわいきたいと思っている。今は自分が使ってたのとか、嫁さんが持ってきたのをそのまま使ってて壊れたら買おうと。
──もし、奥さんから「買ってもいいよ」と言われたら何を買いますか?
出嶋 二人掛けくらいで革か緑色のビロードのような生地のソファを。でも大きいと寝ちゃうから、テーブルが実用的かなと。ソファやテーブルがあって、そこにみんなが集まってくる。それをイメージしたときに、ここの家具がしっくりくるなぁと。ただ高い……。
──狙っているテーブルのお値段は?
出嶋 欲しかったのは二〇万円くらい。広くて一枚板で。それよりもちょっと薄くて手ごろなものもあるけどなんか違う。
──二〇万円でも、二代・三代に渡って使えると考えれば、安いかも。
出嶋 五〇年くらいは使えると思う。子供が大きくなったときに実家をイメージするキーアイテムになるといいなって。それを見て「ああ実家っぽい」ってうちの子は思うみたいな。
──いまはどんなテーブルを?
出嶋 昔、作業机が必要で買ったもの。会議室にあるような薄くてガタガタする机。でもこの店のは木の厚さが全然違う。安定感はこの厚さがないと駄目だと。あれ? 本の話じゃなかったっけ。いま家具の話をしてる(笑)
──いいと思います(笑)
中野稚子
──この腕時計はどういった経緯で入手されたのですか
中野 十四年くらい前、就職活動の時に、革ベルトの腕時計をしてまして、夏なんかは湿気っちゃって、使わないときは外してたんですけど、かんじんの就職試験の日に、それをポケットから落としてしまったんですよ。電車の中で。
──あらら
中野 なくなっちゃいまして、大パニックを起こして、それで、試験にも落ちてしまったことがありまして。何日かたって、ショックが癒えたころに、締め金式のものを、なけなしのお金を引き出して、買いに行きました。
──僕も似たような時計を持っていますが、この時計のほうがシンプルですね
中野 ドレッシーだったかな。そういうカテゴリーから選んだんですね。クロノグラフってタイプのもあって、そっちの方が色々とついてて。私わりとスペックいろいろついてますっていうのが、使いこなせないくせに好きなんですけど、まぁシンプルにしようと。もう就職活動だけを考えようと、決めてましたので。
──十四年というと、この時計にまつわる思い出もいろいろあるんじゃないですか
中野 今の会社の就職試験のときなんですけれども、面接のときに、お守りみたいに、こう、ぴたっと押さえて、大丈夫、時計は無くなっていないっていう。安定剤になっていたのが、一番、精神的に助かった。あと、私、日付がわからなくなるタイプなんですよ。十五日だっけ、十六日だっけみたいな。なので、カレンダー付きは移動前の職場でたいへん有用でした。お客様相手の締め切りがある仕事だったので。それでもうっかりして二月三〇日とかになったりはするんですけどね(笑)
──この時計はあなたにとってどういう存在なのでしょう
中野 左腕にいつもいる相棒みたいな、そういう感じがありますね。外に出るときはいつもつけてるというか、外に出る合図みたいになってまして、たとえば、ごみを捨てに行くときも、上着をきて、それから時計しめて、はいごみ袋ーみたいな。
──ずいぶん、長持ちしてますが、故障とかはしなかったのですか
中野 わりと手入れしながら使ってまして。ソーラー電池は七年ごとくらいに、取り替えなきゃいけないんですね。一番初めは時間ずれてきちゃいまして「ヤバい死んじゃった!」という感じで、ヨドバシカメラに持って行ったら、これは充電池が切れてますねというので修理してもらったんですけど。
──壊れてしまったとき、新しいものを買おうとは考えなかったんですか
中野 今だと充電池のスペックとかも、もっといいのがあると思うんですが、うーん、何でだろう。……愛着でしょうね。締め金も二年前に壊れちゃいまして、モデルチェンジで色が変わって、艶消しの色になりますがそれで構いませんか、と言われて、ぜんぜんOKですと返したので、たぶん本体が壊れなければずっと持っているかなと。
──買ったときには、愛着を持つような選び方をしたわけではないと
中野 そうですね。おしゃれのためではないつもりなので、どっちかっていうと、時間を計る実用品です。それが次第に愛着が出てきて、相棒みたいになったっていうか。
──不思議ですね
中野 私は時計がないと、もしかしたら外に行けないのではないかという不安が、逆にある。頼っていた友達がいなくなっちゃった、みたいな。だから、2年くらいしたら、また充電池を変えなきゃならないなとか、そんなことを考えながら使っています。
ばみ
──するめいか?
ばみ はい。『するめいか』のDVDです。なんでこれが宝物かっていうと、まずですね、帰宅途中、携帯にメールが来たんですよ。読みながら、もうもう、なんだろう……リアルに手が震えました。
──誰からのメールですか?
ばみ ルーツさんです! ニコニコ動画でゲーム実況をしている方で、大好きで見ていたんですね。そしたら自作の漫画『するめいか』をアニメ化して、毎週更新でニコニコ動画に上げ始めた。見たらすっごい面白い。なにこれっていう勢いのまま、アニメのオープニングをぜんぶドット絵で作ってみました。
──すごい情熱!
ばみ ニコニコ動画にあげたらルーツさんが見て、アニメで使いたいって連絡を下さったんです。「使ってもいい?」くらいのシンプルな文面だったから、ほんとに本人なのかなー、夢じゃないのかなー、でもアドレスが合ってるから本人なんだなって思って。しかもメールが来たのが更新日の二日前。そんなギリギリなのかなーって心配でしたね。でもぜひ使って下さいって、手を震わせながら返信しました。
──それで更新日に見たら……?
ばみ ほんとにほんとだったんだー! って。その後『するめいか』のDVDがコミティアで頒布されたときに、初めてルーツさんとお会いしました。
──やっぱりおしゃれしました?
ばみ そうですね。新しく買った服をおろしました。シャツワンピースです。
──ルーツさんはどんな印象でした?
ばみ うーん。イメージしてたよりも幼い見た目なのがちょっと意外だったなー。そのとき、私が二三歳で、ルーツさんが二二歳で。でもすっごい緊張してうまく話せなくて。プレゼントを渡したいのにカバンからなかなか出せなくて、「わー」ってばたばたしちゃって、ルーツさんに「だいじょうぶかー?」とか言われて「すいませんすいません」みたいな。もう三年前のことですね。その時サインも頂いたんですよ。このサイン入りDVDが私の宝物です。
──ルーツさんのどんなところがそんなに好きなんですか?
ばみ 一人でアニメを作って毎週必ずアップしていたんですよ。自分でものを作ろうと思っても、続けることが難しかったりとかする。でもルーツさんは毎回一定のクオリティーを保ったものを作り続けていらっしゃる。尊敬していました。
──『するめいか』はどんなところが面白いですか?
ばみ 女子高生の日常会話みたいな設定なのに話してることがぶっ飛んでるところとか。言葉のセンスが独特なんですよ。ルーツさんはその後も漫画家として活躍していて、私も『するめいか』がきっかけでドット絵の仕事をさせてもらうようになりました。ルーツさんには頭が上がりません。
──『するめいか』がきっかけでいろんなことが広がったんですね。
ばみ そうです。今日もこれからルーツさんの新刊を買いに行くんです。特典集めのために、本屋さんを巡らなくちゃ。
──えーっと、それは同じ本を複数買うってことですか?
ばみ はい!(笑顔)
松永肇一
──これが宝物ですか?
松永 はい。手紙です。
──ちいさい! いつごろのものですか?
松永 わりと最近です。二、三ヶ月前にめがねケースを開けたら中に入っていて。ははあ、今回はここか、と。
──今回は、というと?
松永 今回が初めてではなくて。子どもがこういうところに入れちゃうんですよ。手紙を書いてくれたのは小学四年生の娘です。誕生日やバレンタインのときにはプレゼントをくれるんですが、それ以外のときでも、手作りのものや手紙なんかをくれます。で、僕に直接わたすんじゃなくて、机の上やいつも使う場所に置いておくんです。今回は、めがねケースの中。
──松永家ではよくあることなんですね。
松永 そうですね。今回はぽろっとめがねケースに入っていましたけど、厳重に封がされている手紙のこともあって。封筒に入っていて、「松永肇一様」と宛名もあるし切手みたいなものも貼ってある。しかものりづけまでされているから、ハサミで切らないと開かないんです。ちなみに、中には一回一円の肩たたき券が入っていました(笑)。家族の中で、手紙をもらっているのはもっぱら僕ばかりです。妻にはほとんどわたしてないんじゃないかな。
──え! お父さんにだけなんですね。娘さんに好かれるコツは何ですか?
松永 甘やかすことですかね。基本的に、叱ることはほとんど無いです。宿題をやりたくないと泣いていたら、慰めて一緒にやります。娘はモノをつくったり手紙を書いたりするのは好きなんですが、勉強はまるでだめで……特に算数が嫌いで、毎日のように宿題のときに泣くので困っています。教えろと言われるんですが、小学四年生にもなると難しい問題もあって。「これ、方程式使っちゃだめなの?」と言いながら一緒にやっています。妻には「甘やかさないで!」と僕が怒られたりします。あとは宿題が終われば、一緒にゲームをしたり、Youtubeを見たり。
──仲良しですね! ちなみに、この手紙の内容は?
松永 今回は「お父さんへ。いっつも、しごとがんばっているね。たまにはおしごとお休みしてね。つかれがたまるよ? それでは、お仕事がんばって! たまには早く帰って来て!」です。何かの裏紙に書いてあるから、表に英単語がうつっていますね。そういうのは気にしないらしい。お仕事大変だね、なんて書いてありますが、基本的に手紙の内容は全部、「早く帰って来て自分と遊べ!」ということです。仕事のことを書くのは、そのほうが自分の言うことを相手が聞くだろうという小賢しいテクニックだと思っています(笑)。
──そんな娘さんに返事を書くことは?
松永 ほぼ無いですね。ありがとう、くらいは伝えますが。あとはプレゼントを写真に撮って記録したり、手紙は持ち歩いたりしています。こういう手紙を見せると、まわりの人は「今だけだ」って皆、口をそろえて言うんですよ。もう何年も言われています。ただ、正直僕自身もこの関係がずっと続くとは思っていないので。いつかぱたんと、何もくれなくなる可能性も十分にありますからね。ひとまずあと二年、娘が小学生のうちは続いたらいいな、と願っているところです。
馬渡紗弓
──贈り物ですか?
馬渡 子どものときに通っていた教室の卒業式でもらいました。お楽しみ会があったんです。『この教室の中に皆さんにプレゼントを隠しています。さぁ、探してください』っていうイベント。
──宝探しですね?
馬渡 はい。で、その時にこのシリーズの小物入れが部屋のいたるところに隠されていて私が見つけたのがこれだったんです。それは楽しくて。
──宝はどこでみつかりました?
馬渡 ゴミ箱で。そのゴミ箱は子どもたちが四、五人真っ先に探しに入っていったんですよ。でも、探してみて『ない』『ない』って言ってみんな去っていったんです。
──馬渡さんはあきらめなかった?
馬渡 はい、私が最後になってガサガサって探したら、ちゃんと下のほうにあったっていう。
──一番だった?
馬渡 いえ、そうじゃなかったんですけど、比較的早めに見つけられました。ゴミ箱にあった小物入れを探せたのは自分だけだったことが嬉しくて。
──いい思い出ですね。
馬渡 「ちゃんと探せば見つかることもある」って思いを強く感じたイベントでした。
──通っていた教室は幼稚園ですか?
馬渡 あとから知ったんですけど、普通の幼稚園じゃなくて右脳開発教室だったんです。授業が遊びで、「絵を描こう」とか。
──知恵遊びみたいですね。だからイベントもユニークだったんだ。
馬渡 先生は「普通じゃない考え方」をするとほめてくれました。それが嬉しくてね。
──どれくらい通っていましたか?
馬渡 幼稚園から通い小学校低学年で卒業でした。
──馬渡さんの明るくて、しっかりしているところは教室が影響しているんですね。
馬渡 えー? どうなんですかねー。
──それにしても、七歳の子どもには大人っぽい感じの小物入れですよね。
馬渡 見つけたときには確かに。コレ? みたいな気持ちはありました。でも小物入れ自体より宝物を見つけたことが印象的だったので。
──今、この小物入れは何に使っていますか?
馬渡 使っていません。机の上にちょっと置いているくらいで、触りもしないし。
──えっ、じゃあ、もし引越しすることがあったらもう持って行かないですか?
馬渡 うーん、多分。そんなに執着しているわけじゃないんですよ。この取材で『そういえば』って思い出したくらいです。
──でもこれまで捨てずにいた、一番長く家で一緒に過ごしている物なんですね。
馬渡 はい、七歳からだから一八年間家にありますね。自分の部屋に置きっぱなしになっているけどなぜか今は捨てられない、大切な思い出。
──何にも入れないんですか、これには。
馬渡 子どものときは何を入れていいかわからなくて、そのまま今も何も入っていない。時が止まってますね。アクセサリーとか、入れてみようかな。
三浦英崇
──魔法使いがドラゴンを操っています。
三浦 『火吹山の魔法使い』、ゲームブックというものでございます。
──ゲームブック?
三浦 小説と違って本の中の各段落に番号が1からふってあります。
──あ、本当だ。
三浦 で、文章を読んでいくと選択肢があって、例えば「君は十字路に立っている」。北にいくなら「312へ」、南に行くには「246へ」。この指示にしたがって読み進めていくんです。
──最後は?
三浦 ゴールまでたどり着ければ勝ちという、ゲームと本を融合させたものになっています。
──オープニングがあって、戦いがあって、勝ったり負けたりして、ラスボスがいて、エンディングまでいくんですか。
三浦 そうですそうです。敵と戦うときはサイコロをふって、勝てれば勝ったところのページに行く。途中に迷路もあって、実際に地図を書いて進めないと迷っちゃったりします。コンピュータゲームが出てくる前にこういうゲームブックが一時期大流行したんです。
──これを読んだのは?
三浦 中学二年のときです。ゲーム、当時中学生が遊べるゲームっていうとゲームウォッチぐらいしかなかったところに、本なので値段も四百八十円で。買って、実際プレイしてみたらすごく面白くて衝撃を受けました。現在ゲームの企画屋をやっているんですが、そうなるきっかけを見出した本ですね。こういうことを将来やってみたいと、いまから三十年近く前です。わあ、そんなになるんだ。
──あははは。いまゲームといえばコンピュータゲームです。
三浦 コンピュータで遊べば、本と違ってうっかり間違えて他のところ読んじゃったりというのもないですし、圧倒的に処理も楽なので、ゲームブックはほとんど廃れちゃいました。海外ではまだ出ているみたいですけど、日本では自分が高校を卒業するぐらい、一九八八年、昭和の終わりぐらいでなくなっちゃった感じですね。ひじょうに惜しまれる文化ではあります。
──本を読んで影響を受けましたか?
三浦 まあ中学生ぐらいのときは絶対影響されますよね。その頃ようやく個人でパソコンが手に入るようになりましたけど、中学生だとお金がないのでポケットコンピュータ、ポケコン。カシオのプログラム電卓ですね。文字だとか絵だとかが多少かけて、白黒液晶のやつ。カタカナしか出ないんですけど表示には四行使えて、初歩的なんですけどグラフィックも使える。そのポケコンでカタカナのゲームを作って遊ばせてました。それがいまコンピュータのゲーム作りに至ってるんだなあと思いますね。
──遊んだ人の反応はどうでした?
三浦 人に遊んでもらいたいというのがすごくあって、ケチョンケチョンに言われることもあれば、すげー!っていわれることも。やっぱりすごいって言われる、面白いって言われると快感で、ああもうゲーム屋やめられないね、いまでもそういう声が聞きたくてやってるってところはありますね。
山本健二
──帽子ですか?
山本 えーっと、僕、頭が大きくて、入る帽子があんまりないんですよ。乗るんです、ここに、頭のてっぺんに。なんか、面白い感じに見えちゃうじゃないですか……。帽子好きなのでよく探すんですけど、まあ、入る中から選ぶしかない。だからなかなか、良いのがなくって。
──あはは。その奇跡の帽子は、どこで手に入れたんですか?
山本 大阪です。八年くらい前、二三、四才のときですね。当時は、大学を卒業して、ちょっとまあ、フラフラしていて。
──大阪には旅行で?
山本 いえ、ライブをしに行ったんです。仲間と結成したバンドで、僕はドラムを叩いていて。よく都内でライブをしてたんですが、ある日突然、音楽事務所の人からお声がかかりまして。「大阪で大きいライブがある。旅費持ってやるから出ろよ」って。
──えっ! 頭の大きい人の話が東京ドリームに展開。
山本 ははは。大阪のアメリカ村の近くに、原宿とか下北みたいに、ライブハウスがごちゃっと集まってるところがあるんです。その中の七、八軒が集まるイベントの、前座に出してやるって話でした。イベントが始まる前にウロウロしていたら、安い雑貨屋さんでこいつを見つけてですね。かぶったら、ぴったりハマったんですよ! スポッと! しかも、ちゃんと、いい形に! これはいいと思って、ニコニコしながら買って、そのままかぶってライブに出たんです。
──ホントにうれしそう(笑)。出陣前にそんな出会いが。
山本 で、それがすごい大きいライブで……。行ったら、すげえ有名なバンドが。年代古いけどスネイルランプとか、惑星とか。
──大御所!
山本 「えっ、僕たちこんなところに出ていいんですか!?」「えっ、楽屋あるじゃん!」「きれいだし、鏡あるし!」って。それまでの場所と全然違う。「ラッキー、タダで大阪行けるぜー」みたいなノリで行ったら、そんな大舞台に。
──やっぱり、見える景色って違うものですか。
山本 うーん、とにかくもう、ハコがおっきくって。一〇〇〇人とか入りそうなホールにいきなり放り込まれて……ビビりましたね……。それまでやってたライブは、いいとこ一〇〇人くらい入るフロアに、三〇人とか、多くて五〇人のお客さんしか居なかったから。そこはステージだけで、普通のライブハウスくらいあるの。
──うわあ、規模が……。
山本 だから、お客さんが、遠い。ライトの逆光で向こうの顔も反応も見えないし。メンバーとの距離も遠くて、「おーい、元気~?」みたいな。持ち時間三〇分で、五、六曲やったけど、あんまり覚えてない。
──前座で三〇分ってすごい! それからバンドってどうなったんですか?
山本 それからも活動してたんだけど、僕と、ベースの人はしばらくして抜けて。それからプロのサポートの人が入って、CD出したりしてました。一枚だけ、僕の名前がクレジットに入ってるんです。
──いまでもライブやったりしてます?
山本 やりますよ! この帽子かぶって!
与儀明子
──携帯の画面メモですね。載っているのは、小説?
与儀 女子高生のKちゃんが私に書いてプレゼントしてくれた「箸の先」という同人小説です。五年前かな。ごはんを食べさせてくれる相手の、手の震えが箸を通して舌先に伝わるっていう内容です。改めて小説を読み返してみたら、私、このフレーズこないだイベントリポート書いたときに使ったよなっていうのが見つかって。ああ影響受けてたんだなーって気づきました。
──Kちゃんと知り合ったきっかけは?
与儀 二人とも同じジャンルの携帯サイトを運営していたんです。彼女の小説がすごくすきで。勇気を出して「ファンです!」ってウェブ拍手したら、向こうから「ずっと前から見てました」と返ってきました。サイト運営は初めてで、交流が新鮮でしたね。狭い世界で仲良くなっていきました。検索よけして、携帯からしかアクセスできないようなところですから。Kちゃんのことは九つ下だけど尊敬してました。
──どの辺りがいいんですか?
与儀 ちょっとした日常生活のなかで、こういうのっていいよなーっていう発見が書かれているところ。例えば、Aという人物のBという人物に対する「笑うと目尻に皺がよって、ああ、すきだと思った」みたいなモノローグ。これだけだとどうってことないように聞こえるかもしれません。Bという人物に対して、目尻の皺に注目するってかなり意表を突くポイントだったんですね。他の作家さんでそこを書いた人はいなかった。丁寧な描写は、Kちゃんの視座や生き方にも繋がっている。それ以来、人の目尻の皺を見ると、彼女の文章を読んだときのあったかい気持ちがよみがえるんですよ。小さな幸せをたくさんもらいました。
──ふつうなら見落としてしまうものも拾える「フィルター」を持っている?
与儀 そうです。Kちゃんのフィルターを通した世界が好きだった。作品だけでなく、彼女というフィルターが好きだったんですね。あと、同人ってラブを描くものだから価値観がわかりやすく透けてみえる。この子の描く愛はいいなあって思ったんです。
──彼女を通した世界を一緒に見続けていたかった、という感じ?
与儀 一緒の世界を見るって、その言い回し素敵ですね。ちょっと照れるけど……はい。毎日わくわくしながら相手のサイトを訪問していました。私が日記で妄想を膨らませてるのを受けて彼女が短編を書いてくれたときは嬉しかったです。実際に会って、一緒にライブやお芝居も観に行きました。
──Kちゃんとは今も続いているんですか?
与儀 ずっとこのまま仲良くって思ってたんですけどね。出会って三年後にKちゃんがサイトを閉鎖して、他のジャンルに移りました。「惰性で書いたりとか、出会った人と無理にでも繋がっていたいから好きって偽ってみたりとか、好きで好きでしょうがなかったもの(があったという気持ち)をそんな風に辱めたくないと思いました」って、終わるときの挨拶よかったな。新しいサイトでは文体ががらっと変わったんですよ。表現したいことに合わせて変えられるのは、天才だなあと思います。
──今も交流はありますか?
与儀 あのときみたいに狭い世界でかっちり強く結びつくことはもうないかもしれないけれど、ツイッターで繋がっています。影響を受けた人ですから、今後も大切にしたいですね。もう社会人なんです。会って今度は大人同士、対等に話したいな。
横田潮音
──広げていいですか? わ、大きい双六!
横田 八十年代、福岡の女子校に通っていたときに友達四人で作りました。遊んでたら「どこで売ってるの?」「欲しい!」って人が次々あらわれて、結局、十二クラス五十人の学年のなかで百五十部くらい売れました。
──これは欲しくなりますよ。絵が美しい。
横田 「えーこんなに?」って私たちもびっくりしました。顔も知らない子に下さいって言われたり。部室で「今日は二〇部作んないといけないね」って貼り合わせてる自分達のことを覚えていますね。一人が一面を担当して作ったのを、コピーして貼り合わせてるんですよ。コピー代に端数をちょっとだけのせてたので「たくさん売れたらアイスとか食べられるかなあー」なんていいながら。なんか、可愛いファーストフード屋さんに行って、アイス食べたんですよね。それは覚えてる。
──仲良し四人組の、文化系の青春ですねー。いいなあ。
横田 それが、この四人は部活もバラバラだし、昼のお弁当仲間とも違っていて。漫画の趣味で繋がっていました。白泉社系っていうのかな。『LaLa』が元気だったころ。山岸凉子さんや大島弓子さんが活躍していたり。あとは『プチフラワー』と『花とゆめ』の三点を読んでいれば好きな作品に出会える時代だった。で、私が、本屋の『JUNE』とか置いてある怪しい棚で面白そうな本を見つけたんです。
──なんですか?
横田 一九八二年に新書館から発売された『兄弟仁義』という漫画です。合作同人誌の書籍化ですね。『バジル氏の優雅な生活』の坂田靖子、『蘇州夜曲』の森川久美、『エロイカより愛をこめて』の青池保子とか、人気漫画家が描いているので、なんだこれは、と。見せたら残りの三人もハマりました。ヤクザ映画をパロディにして、耽美として描いているのがおかしくて。読んでるだけで飽き足らず、テストの裏とかにキャラクターを描いて見せ合いっこ。本のなかに「双六近日発売」みたいな架空の広告があって「遊びたーい!」「じゃあ作るかー!」ってなった。
──双六の元ネタだったんですね。
横田 誰も漫画家志望なんていなかったんですよ。それでも作っちゃうのが女子校パワーというか。コミケに行ったこともない福岡の片隅の女子高生を熱狂させたのは、これが全国に流通した漫画だったから。先駆けだったんじゃないかな。同人誌の書籍化の。双六は、隠れ『JUNE』好きクチコミネットワークでも広まった気がします。市内の紀伊国屋書店に「『兄弟仁義』の双六はどこですか?」って買いにいった人が一人いたんですよ。どこかで見かけたんでしょうね。嬉しかったですね。
──それで今でも大切に持ってるんですね。
横田 本は、一度売ろうか迷いました。今なら大人になっても漫画を読むのはふつうのことだけれどあの頃はね。社会に出るんだからって、高校三年生のときに『ガラスの仮面』の初版本とかぜんぶ譲ったんです。でもこれだけは手放さなかったなあ。
──今はみなさんどうしているんでしょう。
横田 交流があるような、ないような。主婦をやったり、スチュワーデスになったり、あと一人は先生かな。で、長い時が経って、〇一年に「兄弟仁義とその時代展」が全国を巡回したそうなんです。福岡でこんなことやる人がいたくらいだから、そりゃあ全国にファンがいたんだろうなーって。納得でしたね。
渡辺恵里
──同じタイトルの冊子がたくさん。
渡辺 中学三年生の文芸部だったころに書いた「桜川文芸」という文芸誌なんです。実家が建て替えをするので最近引越しをしたとき、「自分は今の人間だから過去なんてもういらん!」と思って古いものを徹底的に捨てようと。でもこれは思い入れが深かったのでどうしても捨てられなくて。一九年ぐらい持ってるものです。
──原稿用紙をワラ半紙にコピーしてあるのが懐かしい感じがします。
渡辺 毎週部員がそれぞれ詩やエッセイを書いて、次の週に先生がまとめて配ってくれたんですね。私は友達と一緒に入ったんですけど、二人で面白おかしく対談とかやったり。面白おかしいっていうか、すげえ恥ずかしい(笑)。これだ、ふふふ。
──この「彦龍ラーメンの一生」って題の? まずくて有名なお店ですよね。
渡辺 その子とそれについてすごい語ったやつ。あとは漫画の批評とかを書いてたような気がしますね。
──文芸部での思い出とか印象に残っていることって何かありますか?
渡辺 意外に男子のほうが多くて。それも不良、ヤンキーみたいなやつらが多かった。文芸部といってもいわゆる部活ではなくて、選択授業みたいなものだったんですね。
──ああ、時間割の一つだから参加せざるをえないというか。
渡辺 そうです。不真面目なやつらがどうせ何も書かないで寝てんだろうなと思ったんですけど、不良たちも詩を書いたりしててびっくりした、そんな文芸部でした。その詩がけっこう良かったり。この号だとこのあたり、「復活しろ、復活しろ、復活しろ、今こそ復活するときがきたのだ」、ちょっと革命戦士的な感じがする。
──他の号も斬新だなあ。題名が「桃太郎」で、「いくら昔話でも書いてもいいことと悪いことがある。桃から人間が生まれていいと思ってるのか。小さい子が信じたらどうするんだ。終わり」。
渡辺 ちょっとでも書いて一応終わらせるんだなと。
──文芸部と聞くと女子が多そうに思うんですが、女子らしい感じが全くしないのも面白いですね。不良たちとは普段の学校生活の中では接点はあったんですか?
渡辺 遠巻きに「バカだなあ」と思ったりするだけで、部活の時間も全然話してないんです。他にも文化系の男子たちやコントの脚本を書く人がいたり。私、卒業文集で代表として文芸部について書かせてもらったんですけど、「意外なことに男子がすごく多かった」って書いてあって。
──よほど印象に残ったんですね。
渡辺 女子は詩を書いたりするのが恥ずかしかったのかな。あと、卒業するとき顧問の先生にサイン帳に一言メッセージをもらったんですけど、「君の書くものは毎週おもしろかったです、ありがとう」って書いてくれたんです。それが強烈に嬉しくて。
──その先生はどんな方だったんですか?
渡辺 パッと見は典型的な国語の先生なんです。眼鏡掛けて、ひょろっと痩せてて。部活の時間も一言もしゃべらず、ひたすら本を読んでるだけだった(笑)。でもお話しすると面白い人だったな。いつだったか男子のなかにエロ漫画の題名をペンネームにしてるやつがいて先生にすごい怒られたり。
──エロ漫画、先生も気づいちゃうんですね。
渡辺 そう、今考えたらめちゃくちゃおかしい(笑)。
渡邊宏美
──すごい状態が良いですね。
渡邊 最近までカバーをかけていて。持ち歩かなくなってからは、うちで日焼けをしないようにしています。この三冊が私が長く持っていて、かつ、今も読んでいる『美人画報』です。
──持ち歩いていたのですか?
渡邊 そうですねー。やっぱりもう仕事で疲れたりしていると、こういうので癒される。何回も見て、こういう世界観いいなって。
──決まって読むページがあるとか。
渡邊 全体的に好きなんです。漫画がついたエッセイみたい。今で言うと人のブログを覗くような感じで、何回読んでも飽きない。安野モヨコさんが書いているんですけど、安野さんの絵も好きだし、やっていることも好き。
──どのエピソードがお気に入りなのでしょう?
渡邊 わたし紫色が好きなんですけど、ちょうど同じことを言っていて、ぐっときたのがこれです。
──「大きなバッグ・着替えたっぷり・テレビ満喫。そんなの醜い! 女子の美しき小旅行とはなんぞや?」
渡邊 これでスミレ色が好きだっていうのにすごい共感して。あと、旅。慣れていない女性はやっぱり荷物が多くなってしまうんですけど、コンパクトにしたら良いよね、って共感があります。それに、旅先でテレビ見ないで爪をとぐっていう。つけるとやっぱり日常になっちゃうんですよね。どこにいてもつけたら一緒。私も旅行に行って良かったのはテレビが無い宿。ライブラリーラウンジがあって凄い素敵でした。
──もう一つ開いていただいているページは。
渡邊 あと、結婚式。結婚式のお呼ばれスタイルって、けっこう黒にストールを巻けば良いかってなっちゃうんですけど、それを脱してみようって思ったのも、これがきっかけでした。
──「黒いワンピ問題ないんだけどつまんないかも」って書いてありますね。
渡邊 そうそうそう。それまで私も黒いワンピースにストールをちょっと派手にするとかやっていて、しかも、みんな似たような髪型をしていて、大体かぶるんですよね。これからは変化つけていきたいなーって。
──やはり共感するのがお気に入りですか?
渡邊 そうですねー。あるあるあるー、ってところからじゃあ、どうしようかっていう、なんかこう考える機会を与えてもらって、ちょっと気をつけたらできることっていうのがいっぱい書いてある。それに、センスが好き。普通のファッション誌とかってやっぱり色あせたりするじゃないですか。全然色あせなくて、そこが、もう凄いなって思います。ミーハーなところもあるんですけど、選んでいるもののセンスが素敵。
──読んでいる時の自分の気持ちをいうと…。
渡邊 えー、なんだろう。やっぱキラキラですね。この中がキラキラしたもの。ギラギラではなくてキラキラ。
──(笑)ギラギラだったらちょっと怖い。じゃあ、疲れたときはこれを読んでキラキラして。
渡邊 そうですね。キラキラを補います。
米光一成
──企画書? 『フロイト・コカイン・ロックンロール』って。
米光 友達をヤク中にしちゃうんだよねー。フロイトが。コカインで病気が治せると思って使いまくって。彼が精神分析を確立するまでの紆余曲折を調べてシナリオを書いた。「愛の尊さ」をテーマにしたアドベンチャーゲームを作りたかったの。
──あいの、とうと……さ……???
米光 フロイトは、恋人マルタによって立ち直る。そこは俺の妄想だけどね。事実を縫い合わせて、勝手に物語を作るっていうのをやりたかった。
──どうやったらゲームになるの?
米光 んとねー、フロイトが精神分析する。少女はなぜ腕が麻痺し、ある視野だけ見えなくなったか。実は少女の母親は火事で死に、母親のいた位置だけ見えないっていう。その謎を解いたら、少女は国立劇場を燃やしていっぱい人が死ぬ。
──暗いし、変態っぽいです。
米光 だって精神分析って変態っぽいじゃーん。患者が自分でも分からず隠蔽していることを会話でひきずりだすイメージがあって。プレイヤーはフロイトになって、コマンドを選んで話を進める。で、アメリカのドラマみたいに一話完結で患者のエピソードがあり、全体でマルタとのラブストーリーになってる。
──少女は華奢なのに巨乳って書いてある!
米光 地味だから、そのくらい盛り上げんといかんだろー。これ書いた一九九一年当時は、現実世界をあつかったゲームってあまりなかった。魔導物語がファンタジーだったから、違うものを作りたくなって。ゲームって単なる遊びだ、発散するためのものだって時代だったけど、そうじゃないこともできるなー、と。
──挑戦だったのですね。なんで結局ゲームにならなかったんですか?
米光 会社をやめたから。やめる時、悩んだ。これ作ってたら人生だいぶ変わってると思うな。『バロック』は作ってないだろうな。今見ると、似てるもん。ダークだし、精神分析が絡んでるし。まあ『バロック』はみんな狂っちゃうんだけどねー。
──みんなが狂ったら、それは正常な世界ですよね。
米光 ふふ、そういう話だよ。人は歪みを抱えているけど、それでいい、それでかろうじて保たれてるよっていうのがテーマなのね。
──あ、前に飲んでて、米光さんが映画『バーディ』のこと話してた。自分が鳥になれる、飛べるんだっていう妄想を持った青年に、友達がいい台詞を言う。
米光 「おまえが狂っていると世界が言うのなら、俺は世界じゃなくて、おまえの側につく」みたいな。これ、『バロック』のテーマとほとんど一緒なんだよなー。
──それ、さっき米光さんが言った「愛の尊さ」とつながる?
米光 ずーっとそこなんだよね。フロイトもそう。そのころの精神科医はまだ地位が低く、世間から白眼視される存在。でもマルタは「世界じゃなくてあなたを信じるわ」って言う。『バロック』と構造は一緒かな。かもなあ。
──でね、『バーディ』観たらね、その台詞なかったんです。
米光 えーーーーーーーーーー? ないのー? ほんとに?
──そういう内容だけど。米光さんが繋げて広げた解釈だと思う。そう受け止めたかった米光さんは、らしいなー、いいなあと、今話していて思いました。
米光 そうなのかー。まあ、そうね。みんな違っていいよね、ってことで。
この本がつくられるきっかけとなった「米光一成の表現道場」という講座の概要は以下のように説明された。
今シーズンは、インタビューの実践講座です。自分が聞き手になってインタビューしたり、語り手になってインタビューを受けたりします。
インタビュー記事を作るまでの過程を実際にやってみます。
下調べから準備をしっかりやってインタビューすることで「聞く力」を身につけることができます。「聞く力」がその場の瞬発力だけではないことが実感できるでしょう。
またインタビューを受けることで、自分の中のテーマ、それについて自分がどう考えているかが明確になるでしょう(「自分にテーマなんてあるかな?」という人も大丈夫。講座でやります、見つかります)。
ぼくの経験では、インタビューされる直前にアイデアがたくさん出ます。自分中心に考えるのではなく、テーマについて「どう答えるとどう伝わるだろう」と他者の視線で考える刺激になるからです。インタビューに答えるときも、当たり前だと思っていたことがそうではないことに気づくことが多く、アイデアを生み出す刺激になります。
インタビュー後、どう記事にまとめるか、ということもやっていきます。
喋りをただ文字にしただけでは、記事になりません。
どう構成し、どうテキストにすれば、インタビューで得た内容が伝わるのか。それを考えながら文章を書くことは、具体的な目標のある有益な文章修行となるでしょう。
そんな体験をしてもらおうというのが、この講座です。
もうひとつ。
実際に作ってみると、インタビュー記事を読むとき、読み方が驚くほどガラリと変わります。
楽しみにしていてください。
2013年3月16日 発行 初版
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