この本はタチヨミ版です。
スカート『ひみつ』インタヴュー
確実に地味なアルバムになるだろうなあ、というのが制作段階から見えていたんですよ。
だからあんまり派手なタイトルにはしたくないと思って 文・黒須 誠
●イエママのライヴに通っていた中学生が、イエママのサポートベーシストになった
●3rdアルバム『ひみつ』は小さいレンガをひたすら積んでいく作業だった
ディスク・レヴュー 1stアルバム『エス・オー・エス』
裏切りのポップ・センスの源流。 文・黒須 誠
ディスク・レヴュー 2ndアルバム『ストーリー』
バンド体制スカートの原型となる7曲入り〝シングル〟 文・渡辺裕也
ディスク・レヴュー 3rdアルバム『ひみつ』
スカートのなかはひみつ 文・立原亜矢子
この本は縦書きでレイアウトされています。
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スカート/澤部渡
どこか影を持ちながらも清涼感のあるソングライティングとバンドアンサンブルで職業性別年齢問わず評判を集める不健康ポップバンド。澤部渡(スカート/ヴォーカル/ギター)を中心にして、佐久間裕太(昆虫キッズ/ドラムス)、清水瑶志郎(マンタ・レイ・バレエ/ベース)、佐藤優介(カメラ=万年筆/キーボード)をサポートメンバーとして迎え活動を行っている。主な発表作品に『エス・オー・エス』(2010年)『ストーリー』(2011年)『ひみつ』(2013年)がある
■主な作品
-エス・オー・エス (KCZK-001) CD 2010年12月15日発売
-ストーリー (KCZK-002) CD 2011年12月15日発売
-消失点 (MYRD32) LP 2012年6月20日発売
-月光密造の夜 Live At ShibuyaWWW CD-R 2012年9月2日発売
-ひみつ (KCZK-005) CD 2013年3月3日発売
■参加作品
昆虫キッズ『My Final Fantasy』(パーカッション他)/『text』(サックス・ウーリッツァー他)、豊田道倫with昆虫キッズ『ABCD』(タンバリン)、川本真琴『フェアリーチューンズ♡』(サックス)、yes, mama ok?『CEO -10th Anniversary Deluxe Edition-』(ライナーノーツ)、caméra-stylo『CUL-DE-SUX』(ギター)他
僕が「スカート」という名前のバンドがいることを知ったのは2年前に遡る。しかしながらそのとき僕はスカートの音楽に辿り着けなかった。とりあえずネットで検索をして調べる時代、「スカート」と検索して出てきたのは女性が着用する衣服の類のものばかりだったからだ。また今度調べよう…、その後忘れたままになれば話はそれで終わってしまうのだけど、何故かそうはならなかった。数ヵ月後、あるリスナーから音楽情報サイト「ポプシクリップ。」に一通のメールが届いたのだ。
「スカート(澤部渡)というアーティストをご存じでしょうか?ポップス界を引っ張るだけの実力があるアーティストだと思うので、ぜひ聴いてみてください」
2012年1月7日の出来事らしい。その話を聞いた僕は後日京都の河原町にあるレコードショップJETSET店頭で彼の音に出会うことになる。ちょうど2ndアルバム『ストーリー』が話題になっていたということもあって店頭でプッシュされていた特典付きのCDを購入、1曲目の「ストーリー」のイントロを聴いた瞬間「これはいい!」と素直に思えたのを覚えている。今でも記憶の引き出しからすぐに出せる状態になっている口ずさみやすいメロディーがどこか懐かしく新鮮だったし、バンド結成時によく見られる初期衝動、この場合は澤部がひたむきに歌っている様子を音から感じることができたのもある。
その後あるイベントで彼がyes,mama OK?のサポートベースマンであることを知ると、実は以前から顔を合わせていたことがわかるなど、不思議な縁があり(余談だが、以前僕はイベントのカメラマンとして彼を撮影していたのだった)、今回新作の『ひみつ』リリースのタイミングで詳しくお話を伺うことにした。澤部さんへのインタヴューがはじめてということもあり、新作もさることながら彼の歩んできた音楽人生についてもじっくりと触れているので、これを機にどんなアーティストであるのかも合わせて知ってもらえたら嬉しく思う。
-今日は新作『ひみつ』の発売記念インタヴューなんですが、澤部さんの音楽のひみつを解き明かしたいこともあって(笑)、音楽との出会い含めてお伺いできればと思っています。もともとはyes,mama OK?(以下、イエママ)の大ファンだったんですよね。
澤部 渡(Vo.,Gt.) 「中学生の頃からイエママのライヴを見に行ってたんですよ。で、まあ中学生がイエママのライヴ見ていたら〝何だあいつは?〟って話になるじゃないですか(笑)。それから少しずつ金剛地さん(イエママのヴォーカル)から、色々な話をしてもらえるようになったりして。高校生くらいのときにイエママのトリビュート・アルバム<*1>のスタッフをやったんですよ。それからですね、本格的にお付き合いをさせていただくようになったのは」
-そのトリビュート・アルバムのスタッフをやることになったのは何故なんですか?
澤部 「それは僕がFeelin' Groovy<*2>というライヴイベントのスタッフだったんですけど主催者が多分学生だから時間が余ってるんだろう…みたいなことで声をかけてくれたんだと思うんです(笑)。イベントの延長で〝トリビュートを作ろう! 〟みたいな話になって。色々な人に声をかけてやりましたね」
-それが今はイエママのサポートベースをしているというのがとても面白かったんだけど(笑)。
澤部 「大学卒業のときにイエママのアルバム『CEO』の再発の話があがって、僕がその再発のディスク2の編集をやることになったんですよ<*3>。それで金剛地さんの家で〝どのライヴテイク使う? 〟とか〝あの曲の権利はどうなってるのか? 〟などの話をしていたんですね。そのときに金剛地さんの家なので何かやってみようかということになって…そしたら僕がなんとなく弾けるんですよ、イエママの曲を。〝じゃあライヴもやってもらおうか? 〟みたいな話になって」
-嬉しいですよね。こういうのってバンドマンの憧れじゃないですか?
澤部 「夢みたいなものですよね。好きなバンドで弾けるってのは。でも責任重大ですよ。やっぱりベースが肝なんでね。それを引き受けるってのは結構…3、4回目のライヴまではかなりしんどかったですけどね…精神的に」
-話があったときは二つ返事でOKしたんですか?
澤部 「もちろん! 〝これを逃したらもうないぞ〟、と思っていましたし」
-楽器は小さいころから?
澤部 「もともとエレクトーンをやっていたんですよ。楽譜とかあんまり読めていなかったんですけどね…覚えて弾くタイプだったので。あとは小学校後半くらいでドラムをやるようになったんです。学校の音楽室にドラムが入ってきて、結構楽しくやってましたね」
-小学校でドラムって珍しい! いい小学校ですね(笑)
澤部 「普通の公立の小学校だったんですけどね(笑)。その後、中学校で吹奏楽部に入るんですけど1年で〝ロックがやりたい! 〟と言って辞めるんです。でも2年後にはそのロックが嫌いになるっていう(笑)」
-(笑)ロックだと誰が好きなんですか?
澤部 「スパークス(Sparks)とか好きなんですよ。ただ中学生の頃は椎名林檎やナンバーガールあたりを聴いていましたね。コピーバンドでギターをやっていたんです。椎名林檎やナンバーガール、GLAYとか…そのバンド自体はだんだんとオリジナルを始めるようになるのですが、どういうきっかけ、っていう訳でもなく、ロックをやってるということに抵抗が出てきて、それから離れちゃったんですよね。だから今もロックはあまり聴く気になれないんですよ」
-そうするとギターは?
澤部 「ゆずの世代だったので、それでギターをはじめたんですよ。結構自分の中でも矛盾していて、ゆずを聴きながらYMOを聴いたりしてましたね」
-誰かの影響なのでしょうか?
澤部 「母親が音楽好きだったんですよ。YMOとかニューウェーヴ期のエンケン(遠藤賢司)とか。またある時ナンバーガールを聴いていたら、勧められたのがXTCだったり(笑)。どことなく通じている部分を嗅ぎ取ったみたいで。母親はイギー・ポップ(Iggy Pop)も好きだったので、その影響も受けてたかもしれないです」
-ご自身は他にどんな音楽を聴かれてました?
澤部 「僕は日本の音楽をよく聴いてましたね。それこそ入口がYMOだったので、ムーンライダーズも好きだし」
-ちなみにYMOではどの曲が好きなんですか?
澤部 「そうですね、「シャドウズ・オン・ザ・グラウンド」ですかね。この曲大好きなんですよ。それか「カモフラージュ」、「ライト・イン・ダークネス」かもしれない。曲の雰囲気、音色が好きっていうのは大きいかもしれないですね。例えば「カモフラージュ」だと、左右に流れて行くタムのフィルイン<*4>とか」
-そこはドラムなんですね。
澤部 「ドラムとかベースがやっぱり好きですね。ギター…あんまり好きじゃないんですよ(笑)。僕の場合、興味がいくのはリズムですね」
-オリジナルはいつごろから?
澤部 「さっきも話したコピーバンドで始まったバンドを高校入って少し経った頃に辞めたんですよ。その後、宅録をはじめたのがきっかけですね」
-少し話がずれますけど、そのころはパソコンで曲を作っていたのでしょうか?
澤部 「いや、カセットのMTR<*5>でした。周りはMDやハード・ディスクのMTRだったんですけどね。そのバンドを辞める直前にESP<*6>っていう楽器屋が開いたコンテストに出てそこでベストギタリスト賞を獲ったんですよ!」
-すごいじゃないですか!
澤部 「いや、見た目が面白かったからだと思うんですけどね(笑)。その賞をとったときに楽器屋で使える商品券をもらって、それで買ったのがカセットのMTRだったんです。それで曲作りをはじめて今のスカートの原型が出来始めた感じですね」
-作った曲の発表を初めてしたのは?
澤部 「高校の学園祭のときですね。美術部だったんですけどなんでもやっていいところだったので、そこでCD-Rを置いたのが最初です」
-緊張したでしょう(笑)
澤部 「そうですね、良かったとか、良くなかったとか…よくわからなかったとか言われたこともありましたね(笑)。確か高校二年のときはインストの曲を作って、高校三年のときに歌ものを作ったんですよ」
-その頃から全部一人で?
澤部 「歌もドラムもギターもベースも全部自分でやってましたね。ドラムが叩けるのは良かったですね。ギターとベースはできてもドラムはできない人って多いみたいなんですけど、自分はドラムが好きっていうこともあったので」
-好きなドラマーとかいたの?
澤部 「そういうのはなくて単なる憧れですね。もちろん、高橋幸宏さんのドラムは好きだし。でももっと根本的というか。小さい頃にはなんとなくドラムの叩き方がわかったんですよ。普通手と足が一緒に動いちゃうってことがあると思うんですけど最初から8ビート<*7>叩けましたからね、不思議ですけど(笑)」
-高校卒業後は?
澤部 「音大に進むか美大に進むか迷ったんですよ。それでとりあえずよくわからないまま映像系の予備校に通ってみたんですよ、半年くらい。でも夏休み入る頃にどうしても音楽をやりたくなっちゃって。そこで音楽のほうに行こうかなあと思って音大に入ったのが運の尽きですね(笑)」
-そこで本格的に音楽に関する勉強をされたんですね。
澤部 「いや、それがほとんど勉強しなかったんですよ(笑)。作曲学科のサウンド・プロデュースコースという録音から作曲から何でもできるところだったんですけどね。ぎりぎりで入ったようなものなので、音楽理論とかが全然わからなかったんです。勉強すりゃいいって話なんですけど、どっかで音楽は勉強しちゃいけないって気持ちがあったんですよね。なんかこう、無知でいたいというか。知識は持っているんだけれどもそれを一番効率よく活かすってことをしたくなかったんですよ」
-音楽ってロジックでできている部分がありますよね。定番的な王道のコード進行とかあると思うんですが、それらに自分の音楽を当てはめたくなかった?
澤部 「そうですね、ああしてこうしたらこうなるみたいなメソッドに抗いつつ、いいものができればなあと思ってたんですよね。それで授業もなんとか赤点をとらないように頑張ってましたね(笑)」
タチヨミ版はここまでとなります。
2013年3月20日 発行 第二版
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