spine
jacket

 『jasmin』

    “W O R D S”

チャイ屋


   世界遺産など。       
        J a s m i n L o d g e


                    「Hello、Coconuts?」
    食 べ も の
    買 い も の


 C H E N G A L P A T T U



    い き も の た ち


         いろいろなひとたち

                     TSUNAMI ALERT

3月27日。
  Mamallapuram 3日目。


      海。


    女の子。

             TOY TRAIN etc

はじまり

チェンナイに着いた。夜中に到着して、路線バスが動き出す朝まで空港の前で夜明かし。たくさんの客引きとその車、荷物を持って朝を待つ人、警官、何をしているか分からない人。ハイヒールを履いて空港の通路を闊歩するインド女性。一晩中人が行き交っているが、外国人はほとんどいない。他に外で夜明かしするような観光客はいない。





空港前の食べ物を売る小さなスタンドは24時間営業しているようだ。インドに来て初めてのチャイを飲む。小さな紙のカップで熱々で疲れた身体に沁みわたる。美味しい。さらに初めてのワダ(カレー(サンバル?)の掛かった揚げパンみたいなドーナッツみたいなやつ)も食べたが、ここのはしょっぱくておいしくなかった。

公共ワイルドトイレに行って仏頂面で釣銭の1ルピーを放り投げてよこすトイレ爺さんの姿に、ついにインドに来たんだとしみじみ感じる。

日本とは既に時間の感覚が異なっている。
人や風景や町や初めて見る光景を眺めているだけでぜんぜん退屈しない。

まだ暗いうちからバス停に向かう。場所が移動していてなかなか見つからない。高速バスの乗り場やら何やらいろいろと違いがあるらしい。バス停と言っても何か建物があるわけでも標識や時刻表があるわけでもない。人に聞いて初めて、ここがその場所だとわかる。


客引きのしつこさと粘り強さには感心してしまう。歩いてもどこまでもついてくる。路線バスはあと何時間もしないと来ないとか安くしておくとかあらゆる口上を述べ立てて何とか車をチャーターさせて乗せようとする。路線バスで行くと決めていたのでいくら粘られても丁重にお断り。

だんだん空が白んでくる頃目的のバス停にたどり着く。早朝から通勤客が大勢バスを待っている。 Mamallapuramママラプラムへ向うバスはここからは出ていないのでバスターミナルまで行って乗り換えることに。バスはタミル語の表記だけだったりするので見ただけでは行き先がわからない。でも親切なインド人がちゃんと教えてくれる。

バスターミナルはかなり広くて設備も揃っているし食事の出来るスタンドや売店もたくさんある。乗り場を確認してチャイなど飲んで出発を待つ。出発時間はアバウトなので乗り遅れないようにしょっちゅうチェックしておかなければならない。

走行中のバスからの眺め。
風がびゅうびゅう顔に吹きつける。




  Mamallapuram

   あるいは

  Mahabalipuram

チャイ屋

日々の暮しの基本はチャイを飲むこと。朝起きたらまずはチャイ屋に出かける。

行きつけのチャイ屋が数件。チャイ屋は常に営業しているわけではない。食事時に営業して午後は夕方までクローズする店が多い。ミルクが無くなったら営業終了なのでタイミングが大事。いちばん美味しい店、夜遅くまでやっている店など、その時の状況で使い分ける。朝行くのは石窟寺院や岩壁彫刻のある岩山の近くのチャイ屋。ちょっと開けた場所に土産物屋、ココナッツ屋、アイスクリーム屋などの屋台が数件集まっている場所。積んであるプラスチックの椅子を自分で持ってきて座る。


チャイとコーヒーをその時の気分で選ぶ。小さなガラスのコップに熱々のお茶が淹れられる。使い捨ての紙コップよりガラスのコップで飲んだ方がおいしい。寝起きに熱々のチャイを呑むと本当に身体が欲している、目覚めていく感じがする。朝ごはん代わりにチャイ屋の店先に置いてある手作りビスケットやラスクみたいなものを食べる。日本だったらお煎餅を入れるようなガラスの容器に入って大きいのが1個1ルピー、小さいのは2個で1ルピー。インド人はチャイ屋でおかわりはしないみたいだけどJと私は朝は2杯目を飲んでいた。最初にチャイ、2杯目はコーヒーが定番。砂糖入りのミルクを飲んでいるインド人もいた。

ビスケットを食べていると近寄ってくる犬がいる。別に飼われているわけではなくチャイ屋周辺を縄張りに暮らしているようだ。犬は何匹かいてそこらで寝ていたりするのだが、近づいてくるのは1匹だけ。一番大きくて毛並みも肉付きも良く、ビスケットみたいな綺麗な毛色をしている。近寄ってきて手に持ったビスケットをじっと見つめる。いかにも

「ビスケット食べたいよ、くれないの?」


という顔をする。最後には前足をつかって足元に触れてくる。乱暴にではなく私の顔を見上げながら、片足だけでとんっと触れてくるのだ。そこまでされると可愛くてあげないわけにはいかなくなる。ビスケット犬と半分こしてビスケットを食べた。少しでも残っていると欲しがるので、小さい子に説明するみたいに手のひらをみせて「もうありません」という素振をするとあきらめる。何度も通ううちにビスケット犬はビスケットを食べる人を見ると近寄っておねだりしては貰っていて、その上チャイ屋の主人自ら容器からビスケットを取り出してときどきあげているのを知った。どうりで色艶もいいはずだ。

             *


出かけるのが遅れてチャイ屋がクローズしたり、ひどく喉が渇いている時はココナッツをごくごく飲む。至福。ちまちま飲んだりしないで立ったまま一気に飲み干すのが流儀。飲んだ後ココナッツを割ってもらって実の中心にあるちゅるっとした部分を掬って食べる。ちゅるんとしたちょうど良い加減の果肉は較べるものが思い浮かばないおいしさ。当然ながら実ごとに状態が違うので、常に当たりとは限らないけれど(時期を逃すと次第に果肉が硬くなる)基本的に美味しい。食べ終えてココナッツの殻を抛るとすかさず山羊がやってきて果肉が少しでも残っていないかと夢中であさって追い払われる。


          *       *

椅子に座ってチャイを啜りながら岩山に登る大勢のインド人観光客を眺めた。バスや車で大挙してやってくる。女性達はお出かけ用の綺麗なサリーやパンジャビドレスでお洒落している。布の色や種類や組み合わせ、着こなし方は無限にあり、一人として同じ格好をしている人はいない。真昼の強い光のなかで金色の糸やスパンコール、ビーズはきらきらと輝く。シフォンやチュールのような薄い生地は光を透かして陰影をつくり、風にひらひらと靡いて美しい。サリーは自然の、生活の中で身に付けたとき最も美しい衣装だと思う。残念なのは若い女の子にはTシャツにジーパンスタイルの子が増えてきていること。それからサングラスと変にロマンチックな安っぽいつば広帽子がはやっていて(土産物屋で売っている。日差しが強いせいもあるだろうが皆気に入って被っている。)身に着けている人が多い。せっかくの素敵なサリースタイルがそれで台無しになる。

遺跡見学の課外授業で子供たちも大勢やって来る。彼らの制服はパンジャビドレスだったり、女の子はチェックのシャツにプリーツスカート、男の子は半ズボンだったりとさまざまだが皆カラフル。学年毎に赤、グリーン、ブルーと色分けされていてとてもかわいい。女の子たちは制服と同じ色のリボンを髪に結んでお下げにしたり、耳のところで輪っかにしたり思い思いにお洒落している。


インド女性は子供から大人まで日常的に髪にジャスミンや薔薇などの生花を飾る。それはとても素敵な習慣だと思う。私も道端で売っている髪飾り用の糸に通したジャスミンの花を買って髪に着けた。Jに結んでもらったのだが動いているうちにほどけてしまった。インド女性に着け方を訊いたら、彼女は自分の髪に挿しているヘアピンを取り、それを使って外れないように花を固定してくれた。

いちばん美味しかったチャイ屋はバススタンドの近く、昔気質のマスタールの店。顔立ちは美しく、マスタールと呼ぶにふさわしい威厳と仕事へのプライドに満ちている。自分のペースとやり方を決して崩さず、汚れた白シャツと腰巻姿がエレガントですらあった。客に近づくしつこい物売りや客引きは叱り付けて追い払う。自分の店にそんなものが寄り付くのが我慢ならないのだ。気に入らない客にはグラスを使わせず紙コップを使っていた。私が熱々のチャイをインド人並みのスピードでごくごく飲んでさっとグラスを返すと「旨いか」という満足そうな顔をする。

BUTTER BALL
SHORE TEMPLE

世界遺産など。

Mamallapuramには遺跡が多くある。世界遺産まである。いちばん気に入りの場所は「クリシュナのバターボール」(斜面にある落ちそうで落ちない巨大な岩。)や岩山を刳り貫いた寺院などがある広い公園のような場所。個人的に「山」と呼んでいた。

海岸寺院。

土産物屋やら屋台やらがびっしりと並んだゴミだらけの砂の道をまっすぐ進んでいくとやがて海岸に出て、その傍に世界遺産のshore templeがある。今では波に浸食されないように囲いが設置され、そこらじゅう金網で覆われている。それらを全部取り去った、波や海風に吹き曝しのままの本来の姿を想像すればそれは確かに素晴らしく美しい場所だったのだろうと思う。近くで見るより離れた海岸のレストランでライムソーダを飲みながら眺めたシルエットのshore templeがいちばん良かった。(たぶん)本来の神聖な雰囲気が感じられて。

Five Rathas

これも世界遺産。巨大な岩塊から全体を掘り出した寺院や象、ライオンなどの彫像物。特に大きな象の彫像はなんとも言えない丸みと立体感でとても魅力的。乗ってみたくなる。全体の建立物のレイアウトが不思議で神秘的な感じもする。金網も囲いも無いときにそこらに座ってのんびりとここから夕陽をみることができたらどんなに素敵だっただろうと思う。この場所もかつては自由に出入りできる場所だったらしいが、今では囲いが作られオープン時間はやる気のなさそうな警官が常駐している。


「ガンガーの降下」
    または 「アルジュナの苦行」


岩山に彫られた世界最大規模の見事なレリーフ。さまざまな動物や神様やその他いろんなものが勢ぞろいして躍動感いっぱいに神話の一場面を表している。中でも大きな2体の象のレリーフではリアルで優しそうな象の表情をみることが出来る。

Butter Ball

斜面の途中で止まっているような、不思議な奇岩。バターボールの周りの斜面は多くの人が見に行くせいか非常につるつるして、岩山につかまりながら慎重に行かないと滑り落ちそうになる。インド人はつるつるの斜面を滑り台にして遊んでいる。慣れた人は裸足になって早足で平気ですたすたと斜面を横切っていく。バターボールを持ち上げるポーズ(ピサの斜塔式)をして写真を撮るのが観光客の定番のようだ。バターボールの日陰は強い日差しを遮る良い場所だが何かの加減で岩が転げ落ちたら確実に下敷きになるのでちょっと怖い。

          *


世界遺産はもちろん見学料を取られる。インド人はただみたいな金額で、外国人は日本で払う寺院の入場料位取られる。Jと私は料金を徴収する場所には入らなかった。金網の外からも見えるし、囲いが出来て世界遺産になってしまった窮屈なその場所は本来の魅力の大部分を失っているように感じられたから。自由に見られるバターボールや岩壁のレリーフや丘に点在する石窟寺院のほうが自然の中で生き生きとして魅力的だった。


昼間の光は強烈で、とても暑い。歩いていると眩暈がしてくる。「山」には夕方、夕陽を見に行くことが多かった。毎日のように。岩山のちょうど良く窪んで座りやすい場所を選び、辺りが暗くなるまで山に居た。夕陽鑑賞の定位置からは貯水池や田んぼ、椰子の木、素朴な小学校の建物、遠くにはエンジニア学校の立派な建物、田んぼを走り回る子供達やのんびり歩くサリー姿の女性、インド人の家族、家の前で吠える犬、インドの普通の暮しの姿が見えた。空は陽が沈むにつれて雲の形や色彩が刻々と変化し、どの瞬間も美しかった。やがて月が出て星が輝きだし次第に光が強くなってゆく。夜に移り変わる頃にはたくさんの星が煌めいている。時には岩山に寝っころがって空や雲や月や星や鳥や飛んでゆく飛行機やいろんなものを眺めて真っ暗になるまで時間を過ごした。昼間の暑熱を吸収した岩は夕方になってもあたたかかった。


山にいるとインド人に声をかけられることが多い。一人でいても複数でもインド人はほっておかない。単純に珍しい外国人と会話しようという人、商売の糸口にしようという人、好奇心が旺盛でとにかく話しかけたい人などなど。時にはうっとうしく思うこともあるが基本彼らに悪気があるわけではない。皆カメラ付の携帯電話を持っていて、やたらに写真を撮りたがる。一緒に写るのはまだ分かるが何故かこちらだけを写したがる人も多い。写真を撮ろうと言っていつまでもシャッターを押さず触ってくる(腰に回した手がだんだんお尻の方に…)男の子達が居て閉口した。手をひっぱたいて立ち去った。たまにはそういうこともある。

          *



日が暮れると岩山の入口には鍵がかけられる。夕陽を見に来る頃には既に掛かっていることもある。そんな時はあまり高くない金網のフェンスを乗り越えて出入りする。そんなことをするのは小学生以来だなと思う。何回もやるとスカートを穿いていても手際よく乗り越えられるようになる。

山には照明や灯りは無いので夜になると真っ暗になる。名残惜しいが何とか足元が見えるうちに去らなければならない。インド人は目がいいのか真っ暗になっても立ち去らない人もいる。月明かりの下で見る石窟寺院は昼間より神秘的で存在感を増す。供えられた蝋燭の炎がゆらゆら揺れて神様の像に影を映す。時代を飛び越えるような感覚。草むらで小さな蛍が飛び交うのをみた。

Jasmin Lodge

宿を探していて偶然見つけたインド人宿。結局一か月以上滞在することになった。観光客向けの宿ではない。到着した日は「居留地」の観光客相手のゲストハウスに泊まり翌日からここに移った。本当の宿の名前はなかなか覚えられないぱっとしない名前でJasmin Lodgeと呼ぶことにした。のちにいろいろと秘密が明らかになる面白い宿。


綺麗な白いシャツと腰巻姿の温厚なオーナーと普段は生真面目そうな働き者の従業員のおじさん。この2人がメインで切り盛りしていて時々見慣れない顔が加わる。おじさんはお金の管理も任されていてオーナーとも結構対等につきあっている。オーナーはにこにこ優しい顔をしているのだが宿代の値段交渉では一切譲歩しなかった。

建物は2階建てで部屋は10室くらい。この宿を見る前に見た外国人向け安宿の暗くて不潔な雰囲気と比較すると、からっと明るくて清潔なのが気に入った。オーナーとおじさんが毎日せっせと気合を入れて掃除をする。初めに椅子をテーブルの上に上げ、マットレスを陽に当て、ゴミ箱を外に出して掃き掃除、それからモップで水ぶき、たくさんの鉢植えや植物の水遣り。観察していると見事なチームワークの気持ちの良い掃除ぶり。この二人のうちいずれかが違う人になったり別な人が掃除したりすると一日で目に見えて汚くなる。

いつでも増築できるように建物の工事は「途中」みたいな状態で完了している。2階には道路に面して空中庭園みたいな広いスペースがある。岩山に登らない日はこの「庭」から夕陽をみたり、夜には夕涼み。しょっちゅう停電になるので村の外灯も消えた暗い空に南十字星や名前も知らないたくさんの星が輝くのを飽きずに眺めた。

「星が落ちる。」

垂直にすうっと光の線を描く流れ星に、はじめてそんな感覚を味わった。こんなにたくさん流れ星を見たのは生まれて初めてだと思う。

Jasmin Lodgeの隣は大型バスでやって来るインド人巡礼者のための宿だ。バスが何台も停まる日はドライバーの見事な駐車ショーが見られる。奥まった車幅ぎりぎりの細長いスペースに限界値の車間距離で大型バスがバックで縦列駐車する。下手なドライバーは何度も切り返したり、ゴミ箱に衝突したりして一騒ぎだ。


宿と言ってもコンクリート剥き出しの倉庫みたいな空間でそこに雑魚寝する。暑いので男の人たちは屋上で寝たり、若者は乗ってきたバスの屋根の上で寝たりする。彼らは煮炊きする生活道具を車に積んで移動している。宿に着くと女性達はにぎやかに水場で洗濯を始め、料理担当の者は食事の支度をはじめる。洗ったばかりのサリーがそこらじゅうのロープにかけられ、屋上に干されて風にはためく様は壮観だ。食事が出来るときれいに配膳され皆整然と並んで食べる。スパイスの美味しそうな匂いがしてきてこちらまでお腹がすいてくる。停電の時は車のライトを明かりにする。皆見事な食べっぷりであっという間に食べ終えて片付けてしまう。この光景は宿に昼間到着した一団だけではなく、夜中到着しても同じパターンが繰り返される。初めは真夜中や明け方暗いうちからわあわあ騒々しく動き回るのに面食らったが、生きるエネルギー全開の彼らの姿を見るのは楽しかった。バスの屋根の上にいるお兄ちゃんたちと手を振って挨拶を交わした。


真夜中過ぎに到着しても彼らは明るくなる頃にはちゃんと一切の支度を済ませ、広げた家財道具を再び車に積み込み次の巡礼地へと向かう。彼らには一世一代の、晴れの巡礼の旅なのだという。赤ちゃんから老人までいろんな人たちがいる。みな全力で楽しんでいるように見える。生きてるってこういうことだよな、と思う。

Jasmin Lodgeの空中庭園には数種類のジャスミンの木がある。香りの強いもの、花自体は大きいけれど香りはほとんどしないもの…。最初は木を植えたのだろうが、いつの間にかLodgeの白い壁を覆って野生化したようなジャスミンもある。昼間は物干し場になっている場所が夜には全く別の表情になる。
満月の夜、たくさん咲いたジャスミンの白い花は夜の中に浮かぶようで本当に美しかった。誘惑に負けて花をいくつか摘んで耳に挿した。花びらのしっとりとした感触。動くたびに良い香りがしてうっとりする。建物全体がジャスミンに覆われてしまえばいいのに。

         *

Jasmin Lodgeのミステリ-

しばらく滞在していると不思議なことに気づいた。
Jasmin Lodgeは部屋数もけっこうあるし、どの部屋も掃除が行き届いていて清潔だ。それなのに長期滞在客はJと私しかいないし、宿泊客が少ないのだ。日中たしかに客が入っていた部屋が夜になると真っ暗で宿泊している様子が無い。しかし宿が経営に行き詰っている様子も無い。インド人はフレンドリーでどんどん声をかけてくる場合が多い。しかしある昼間、カップルで部屋に入っていたインド人が通路に出ていたので普通に挨拶すると気まずそうに目をそらされた。そんなことが何度かあった。不思議に思うことはあっても、周りを観察するのに面白い場所だし、立地もいいし、何しろ部屋は清潔だし気に入ってずっとJasmin Lodgeに滞在していた。

長く居ると知り合いのインド人が出来てくる。会話の中で「どこに泊ってるのか?」と訊かれることが多い。それで「Jasmin Lodgeだ」と答えると、皆「あー…」とか「ふうん…」みたいな感じの微妙な反応を示す。それ以上その話題について話が展開することもない。どうしてだろう?やがて、とあるインド人が教えてくれてその理由が分かった。Jasmin Lodgeは「連れ込み宿」だったのだ…。連れ込み宿に長期滞在していると聞けば微妙な反応になるわけだ。

ただJasmin Lodgeは一般の宿としての機能も持っていた。遺跡見学に来て宿泊はしないが休憩をするために一時的に部屋を借りる人や、2階より広めの造りの1階の部屋には7、8人のインド人家族が一部屋に泊まっていたり、仕事や用事でMamallapuramにやって来たインド人男性が1人で、或いは複数で泊まっていたりした。通路で会えばもちろん挨拶したり会話する。Mamallapuramを再訪したら、またJasmin Lodgeを選ぶと思う。

     *     *     *

TSUNAMI ALERT

ある日の午後。Jasmin Lodgeのベッドに寝転がってうだうだしていたら微かな振動のようなものを感じた。初めは隣でパソコンをたたいているJが動いたせいかと思った。Jも同じように思ったらしくお互いに顔を見合わせた。揺れは次第にはっきり感じ取れるようになり、備え付けのアナログテレビがかたかた音をたてて揺れた。揺れの大きさ自体は震度1か2くらいの小さなものなのだがとても長くて嫌な揺れ方だった。不吉な予感がした。東北地方太平洋沖地震の揺れを思い出した。Mamallapuramはめったに地震の起きる場所ではないので近くにある原子力発電所で何かあったのではないかと咄嗟に恐ろしいことを考えた。とにかくその揺れがよくある地震とは異なっていることは本能的にわかった。
急いでテレビをつけると暫くしてインドネシア沖で大きな地震が発生したことが報じられ、インドでも沿岸部の広い範囲に津波警報が発令された。海岸に赤い線が引かれた地図が画面に表示され「TSUNAMI ALERT」の文字が点滅する。日本のように細かい情報が伝えられるわけではなくいつまでもその表示のままだ。ベンガル湾に面したMamallapuramももちろん警報の発令された地域に含まれる。Jasmin Lodgeは海のすぐ傍だ。宿のオーナーが部屋まで津波警報のことを教えに来てくれたが、「木もあるし(!)近くにタンク(水をためておくプールみたいなもの。洗濯や沐浴などに使われる場所)もあるし、もし津波がきたら2階があるから(!!)大丈夫。」といたってのんきににこにこしている。スマトラ沖地震や日本の東北地方太平洋沖地震の巨大津波の映像は見ている筈なのに一般インド人の津波への認識はこの程度なのかと唖然とする。いくら言っても伝わらない。地震でこの場所も揺れたんだと言っても信じない。Jと私ははとりあえず貴重品だけ持って岩山に避難することにした。避難する我々をオーナー達は「馬鹿だなあ。大丈夫なのに。」という表情で見送った。東北で地震を嫌と言うほど味わって震災後の何やかやで疲れ果て全部放り出してインドまで来たというのにインドで地震に津波とは全くいいかげんにしてほしい。という気持ちだった。山へ行く前にいつものチャイ屋に寄った。津波の到達予想時刻までには、みんな屋台を畳んではやじまいすると言っていたが大きな津波が到達するとは考えていなかった。「避難する」というとやはり呆れられた。

山へ登り石窟寺院のひとつを背にして海が見える場所で海上の様子を見守った。白波が全部津波の前兆のように見えて不安だった。避難した場所には既に白人旅行者の何人かや20人位のインド人が居た。彼らは本気で避難しているというより野次馬根性で津波を待っていた。白人旅行者は巨大津波がきたらスクープしようとカメラを構えていた。海岸を歩く人影は消えず、海辺のビーチリゾートみたいなバンガローにも海を見ている人の姿が見えた。

結論から言うと巨大津波は来なかった。大分時間が経ってからJasmin Lodgeにもどると宿の皆はにやにや笑って、オーナーは「津波は来なかったね」と声をかけてきた。しかし逃げたのは間違いではなかった。後から調べるとこのインドネシア沖地震のマグニチュードは本震が8.6で余震が8.2。幸いにも横ずれ型の地震であったため縦方向より横方向の揺れが大きく、大きな津波が発生することを免れたのだという。もし縦ずれ型地震だったとしたら…。人々が少しでも地震や津波についてのまともな知識を持ち、Mamallapuramに大きな災害が起きないことを祈る。

食べもの

南インドの食べものは 総じておいしい。「毎日カレーばかりで飽きる」とか「インドの食べものはおいしくない」とかいうよくあるタイプの風評は全くの嘘だ。美味しい店とそうではない店があるだけで、それはインドも日本も同じである。

日本で言うところの「カレー」とは全く異なり、それはさまざまなスパイスと食材の料理である。美味しいスパイス料理は飽きるどころか毎日食べたくなり、食べないと落ち着かなくなる。基本ベジタリアンなのも嬉しい。初めてのインドで、Mamallapuramに滞在した1か月以上の間、インド人が食べる料理しか食べなかった。飽きたとか他の食事が食べたいとか全く思わなかった。


Mamalla Bhavan
毎日の食事は主にここで食べた。古くからやっている食堂で、壁には昔のShore TempleやFive Rathaなどの遺跡の古い絵や写真、かつて偉い人が訪れた際の記念写真などが飾られている。店内はとても広くスタッフも多い。メニューはタミル語と英語で文字が表記されたプレートが一箇所壁に打ち付けられているだけで、どんな料理なのかぜんぜんわからない。客の大半はインド人の旅行者で皆メニューなんて見ないで注文する。何回か通ううちにメニューにあるもの全てが常にあるわけではなく、時間帯によって食べられるものが決まっていることがわかって来た。そしてその日作った分が無くなればそのメニューは売切れとなる。


ミールス(meals)
昼時の定番であるいわば定食。昼食に来る人はほとんどこれを注文する。Mamalla Bhavanでは昼しかミールスは食べられない。最初はそれがわからなくて夜注文して呆れられたりした。
バナナの葉っぱの上にカレーを何種か、大体はサンバルsambar (野菜がいっぱい入ったマイルドなスープ)、ラッサムrasam(具は少なくスープを楽しむ。酸味と辛味。コリアンダーが決め手)、ダールdal(豆の優しい味)、カードcurd(さらさらのヨーグルトスープみたいなやつ。これは苦手。)、ポリヤルporiyal(サブジsabzi。色んな野菜のスパイス炒め)、パパドゥpapad(大きいお化けせんべいみたいなもの)、大量のライス、カード・チリcurd chili(ヨーグルト漬した唐辛子を天日干しして揚げたもの。そんなに辛くなくてさくさく食べられる。) それからチャトゥニchatni (マンゴーやライム、レーズンを着け込んだ漬物みたいなもの。凄くしょっぱ辛い。ミールスには必須)。ライスの上にカレーをかけ各人好みのやり方で混ぜ混ぜして食べる。スプーンなんて使わないで右手で食べる。口の中でライスとさまざまな具やスープの味が溶け合ってなんとも言えず

 お ー い し ー ー !!

パパドゥやカード・チリの食感、チャトゥニの辛さがアクセントになって味に全然飽きない。が、物凄い量なのでなかなか食べきれない。ミールスを食べに行くときは最初から「今日はミールスを食べるぞ」と気合を入れてお腹をすかせて食べに行く。インド人は物凄くたくさん食べる。そして食べるのが早い。モデルみたいに細くて綺麗なインド人の女の子が瞬く間にミールスを完食する。ミールスは食べたいだけお代わり自由である。


ドーサdosa。
クレープみたいに生地を焼いて、一緒に供されるサンバルやココナツチャトゥニ(フレッシュな生のココナッツを削り、ペースト状にしたもの。青唐辛子やスパイスも入っていてココナッツの自然な甘さとピリッとした辛さがなんとも言えないバランスで美味しい。所謂ココナッツ臭さは全く無い。「ココナッツフレーバー」では無い本当のココナッツの味をインドで初めて知った。これは日本では再現不可能な味だと思う。)を付けて食べる。MaMamallapuramに着いて最初に食べた食事がこれ。その時は完食できなかった。なぜかどんな味がしたのか覚えていない。恐らくチェンナイに着いてからのほとんど徹夜の夜明かしや慣れないバス移動で酷く疲れていたのだと思う。休憩した後のその夜からは美味しくもりもり食べられるようになった。ドーサは焼きたての熱々で、なじみやすい味がして食べやすい。日によってドーサの大きさは違った。ある時夜遅い時間に(といっても20時頃)注文すると巨大なドーサが登場した。残っていたタネを全部使い切って生地を焼いたのだろう。
ドーサの中にジャガイモなどのスパイス炒めを入れて包んだマサラドーサもある。


パン的なもの各種
イドゥリ(idli)。白い生地の蒸しパンみたいなもの。専用のイドゥリ型にタネを入れて蒸す。(Jの大好物で大抵の食べものでは私のほうが食べるのが早いのだがイドゥリだけは敵わなかった。)
ワダ(vada)。ドーナッツみたいな見かけの甘くない揚げパンみたいなもの。野菜が入っていたりいろんな種類がある。
チャパティ(chapathi)。薄く円く焼いた全粒粉のパン。香ばしくシンプルなおいしさ。
パラタ(paratha)。パイ生地みたいな層になった渦巻状の脂っこいパン。甘味と塩気のバランス。

ドーサ、イドゥリ、ワダ、チャパティ、パラタはどれも一緒に出てくるサンバルやココナッツチャトゥニをつけて食べる。パンの種類によってスープとこねこねして食べたり、あまり混ぜないでつけてたべたり食べ方は微妙に違う。共通の必須アイテム、サンバルやココナッツチャトゥニは日によって味や使う野菜が微妙に違って毎日食べても全然飽きない。個人的には特にココナッツチャトゥニが好きで、これをたっぷりワダやドーサにつけると最高。いくらでも食べられる。


ライスメニュー各種。
トマトライスレモンライスカードライスタマリンドライス。野菜などとスパイスを炒めてご飯に混ぜたもので、それぞれ味も見た目も全く違う。カードライスはヨーグルトのお粥みたいな感じ。店によって大分味が違う。同じ店でも日によって、また作ってからの時間によっても味が異なる。基本おいしいのだが何回か食べていると「今日のは凄く美味しい!」とか「今日はいまいち」という日がある。カード・チリが付いてくる。カードライスは激辛チャトゥニと良く合う。


道端の店先や屋台で売っているスナックにも挑戦した。パコラpakoraは野菜にスパイス入りの水溶きひよこ豆の粉をつけて揚げたもの。揚げると衣がオレンジ色っぽい。いろいろな野菜で作るみたいだがMamallapurumでは大きなししとうやジャガイモのパコラを食べた。揚げたて熱々のパコラを買って道端ですぐに食べてしまうのがいちばんおいしい。食べ終わったらパコラを包んでいた新聞紙が手拭き代わりとなる。1回買うと「今日は買わないのか?」と声をかけられる。
サモサsamosaはゆでたジャガイモなどにスパイスを混ぜた餡を小麦粉で作った皮で包んで餃子みたいに揚げたもの。結構大きくて食べ応えがある。トマトやグリンピース、玉ねぎなどの入ったチリソースで食べた。夜の屋台で地元のインド人男子に混じって(女の子はほとんどいない。)サモサを立ち食いした。リピートしたくなる美味しさ。
生のきゅうりに十字に切り込みを入れて、唐辛子とスパイスの赤色の辛いソースをかけたもの。白昼のバターボール近くの屋台で買った。ちょっときゅうりが水っぽかったがインドの暑熱の下できゅうりをこりこり齧りながら歩くのは心地よく美味しく感じられた。これが採れたて新鮮きゅうりだったら凄く美味しいと思う。きゅうりのシンプルで美味しい食べ方の発見だった。


スイーツ
インド人はお菓子が好きだ。小さな村にもお菓子屋さんがたくさんあって、欲しい分ずつ買うことが出来る。夜、食後の散歩がてらしょっちゅうお菓子屋さんに行って、毎回ひとつずつお菓子を買って色んな種類を試した。行きつけはまだ小学生位の年頃の男の子が働いている店。私とJが行くと、彼がいる時は何故か必ず彼が担当と決まっていた。英語は話せないのでショーケースを指差して「これ1つ。これ1つ。ok?」という感じで注文した。彼は「了解!」という感じでさっとお菓子をケースから取り出し、新聞紙をカットした小さな紙で包んで渡してくれる。だいたい2種類買ってJと半分ずつ交換して食べた。近くの道路に面したお寺の前の階段に座って通りを眺めながら。甘いお菓子はココナッツやドライフルーツを使ったものが多く、日本のお菓子より甘さが強いものが多い。しっとりしたものやドライで硬いものなどいろんなタイプがある。「ココナッツ味」ではなくココナッツ本体が大量に使われているのに臭みは全く無く、くせになるおいしさ。定番は綿飴を荒くして四角く固めたようなお菓子。噛むと繊維のように裂けて、口の中で溶けてしまう。白や茶色の素朴な色をしている。ピンクや黄色の生地のお菓子もある。鮮やかな色のお菓子におそるおそる挑戦すると意外にも味はどぎつくなくて、シロップに浸した生地にココナッツクリームが挟んであってとても美味しい。ココナッツのサヴァラン、という感じ。トッピングされた真っ赤な飾りはチェリーの砂糖漬けで、食べると自然な酸味と甘さで予想外のおいしさ。
甘いお菓子だけではなく塩辛いお菓子、スナック類もある。ポテトチップスや各種の豆やフルーツを揚げてスパイスで味付けしたものが何種類もあって量り売りしてくれる。人工的な調味料ではないスパイスの味付けが何とも美味しくて食べ始めると止まらなくなる。(これは床に落としておくと蟻の大行列ができる。)マーケットで売っている大量生産バージョンのインドスナックもいけるのだが、やはりお菓子屋さんの手作りバージョンのおいしさには叶わない。
いろんなインドのお菓子を食べてみたが、パステルカラーの洋風ケーキには手を出さなかった。


飲み物
チャイ以外でよく飲んだのはLimcaリムカmaazaマーザ。両方ともインドではメジャーな清涼飲料で瓶入りやペットボトルでそこらのタバコ屋さんで買える。Limcaはレモンとかライムの甘すぎない炭酸飲料でポカリスエットの炭酸版みたいな雰囲気。maazaはマンゴー果汁入りのジュースで、ペットボトル飲料とは思えない果肉のとろりとしたマンゴー感。どちらもきりっと冷えていると凄く美味しいのだが停電の多いインドではそこまで冷えているものにはなかなかありつけない。
いちどインド版コーラを試したら「!?!!」という味だった。昔子供の頃に飲んだことのある甘ったるい風邪薬の味がした。


Mamallapuramに滞在した1か月強の間、インド人が食べるものをインド人が食べに行く店で普通に食べていたが一度もお腹を壊すことはなかった。もちろん腸チフスやら肝炎にかかったりはしたくないので生水は飲まなかったが、それ以外のことは神経質にならなかった。生水だって完全にシャットアウトするのは無理だし、生野菜も食べたし、屋台で食べるときも深いことは考えずに食べた。
インドにおいて日本の衛生観念を求めることは不可能で、無意味だ。安全に食べられる店は自分で選ばなければならない。お店を選ぶときは地元の人やインド人旅行者がたくさん入っていて活気がある店を選ぶこと。その日食べる分だけ作り無くなったら売切れ、宵越しの食べものを出さない店を選ぶこと(冷蔵庫のある店はいつまでも保存して傷んだ食べものを出す可能性がある。)。油断は禁物だけれど本能を働かせて、神経質になりすぎないこと。それがポイントのような気がする。

買いもの

小さな布製の手荷物リュックひとつの旅なので荷物はなるべく増やせない。よって買い物は少しだけ。


観光客向けの店が並ぶ居留地でタイダイのロングスカートを買った(岩山で小猿に狙われたスカートだ)。歩いている時に店先に吊るされたスカートがなんとなく目に留まって後から買いに行った。いろいろな色の組み合わせがある中から紫とオレンジの渋い色合いを選んだ。しわ加工風のシフォンぽい薄手の生地。銀色のスパンコールがついている。風に長いスカートを揺らせて、光にスパンコールをきらきらさせて外を歩くのはとても気持ちが良い。以後、スカートを買った店の前を通りかかると毎回店主が「My friend!」と叫んで手を振った。


ロングスカートだけでは透けるのでインナー用のスカートを買うことにする。居留地まで行かない、小さな店でちょうどスカートに合った色合いの生地を見つけ仕立てて貰うことにする。店の奥でカーテンで仕切りをして採寸する。服の上から測るのかと思っていると「測れない」というそぶりをする。ウエストの部分を下にずらしてみるが、何回もメジャーをあてて測り直したりやっぱりうまく測れないみたいだ。アンダースカートだし、だいたいでいいんだけど。なんでそんなにきっちり測るのか不思議だったが一応職人だしこだわりがあるのかなあ、と肯定的に考えて採寸に協力する。予想どおり、翌日出来上がったスカートは採寸なんて関係ないような小学生の裁縫実習レベルのスカートで長さも指定したより短い。まあ、いいか。採寸の話をJにすると「パンツ一丁で採寸するなんて聞いたことないよ」と言われた。騙されたのか?このスカートはその後部屋着になったり寝巻きになったりかなり活躍することになった。


              *

銀色の細い鎖のアンクレット。控えめな輝き方で飾りのついていないいちばんシンプルなタイプ。自分で選ぶと色石や鈴、飾りがついたものにしてしまうところだがJに選択を任せて買ってもらった。インドの女性はアンクレットを片足だけではなく両足一組で同じものをつける。シャワーを浴びる時も外さずつけっぱなしにするのだという。私も両足揃いで購入して毎日つけて歩いた。これも日に当たるときらきらして歩きながらそれを見ると楽しい気持ちになる。小さな女の子は鈴がたくさんついたアンクレットをつけていて、動くたびにしゃんしゃんと音が鳴ってとても可愛らしい。

         *         *

日用品はだいたい近所のタバコ屋さんで買う。食べものから日用雑貨まで暮しに必要なものはなんでもそろっている。インドの町にはタバコ屋がたくさんあり通りには隣り合ってタバコ屋がずらっと並んでいる。極小の店から大きめの店まであるが皆ちゃんと商売が成り立っているようだ。インド人はそれぞれ行きつけの店があって、さらに買うものによって店を変えたりする。私も行きつけを決めて大体そこで買うことが多かった。物の値段は定価ではなく売り手が決める。同じ物でも観光客目当ての屋台で買うとぼったくり料金を請求されたりするので注意が必要だ。


      *       *       *

スーパーマーケットもある。当然品揃えはタバコ屋より豊富だが、タバコ屋で買い物するほうが楽しいし、マーケットの店員は感じが良くない場合が多いのでスーパーにしか置いていないものを買う時とか選択して買い物をしたい場合以外は行かない。たとえばシャンプーやちょっとした化粧品みたいなものを買う時とか、煙の少ない香取線香を買う時(タバコ屋で売っている普通の香取線香は凄い煙で、夜、部屋の中で焚くと涙が止まらなくなる。)。スーパーマーケットで買い物する人はある程度裕福な人だと認識される。ある日、ひとりでマーケットで買い物をして出てきたところで乞食の家族と出くわした。村の中で何度も見かけている家族でいつも喜捨を求めている。「お金をください。」ではなく「金くれよ。当然だろ。」というスタイルで。乞食と言っても卑屈な様子はなく、生命力に溢れている。その中の10歳くらいの男の子は、ぼさぼさの髪にぼろぼろの洋服を着ていてもはっとするほど綺麗な顔をしていた。私を見つけるや否や家族全員で「金よこせ!」というジェスチャーをし、声をあげた。Mamallapuramにいる間は、まだ喜捨のタイミングややり方が掴めていなかったし、jに任せていた。それにいつもの場合は乞食が大抵ひとりで静かに喜捨を求めてきたので、集団で「金よこせ」と言われてどう対応すべきが頭が働かなかった。その場を足早に立ち去る私の背中に彼らの大きな罵声と非難の声が聞こえた。タミル語はわからなくても「あいつは金持ちのくせに喜捨もしない。なんてやつだ!」と言っているのがはっきりわかった。あの時どうすればよかったのか、今でもよくわからない。

CHENGALPATTU

Jに付き合ってChengalpattuの駅へ行った。Mamallapuramからバスに乗ってワイルドな道をワイルドな運転で数時間。往きの車中はインドの音楽ががんがんかかっていて立っている乗客もバスの天井を叩いてリズムをとっていた。席には赤ちゃんを抱っこした女の人。赤ちゃんは近くに立っている私の顔を何回もじっと見つめる。目が合うたびにニコニコしていたら赤ちゃんが手を伸ばしてきた。指と指をからめて挨拶。どんぐりみたいな、女の子の赤ちゃん。


Chengalpattuチェンガルパットゥは通り過ぎるだけで特に観光に来るような町ではない。ごちゃごちゃしてごみだらけのインドのよくある町中の風景。外国人の姿は私達のほかには誰も見かけなかった。駅は外壁を工事中だったが外観は意外に大きくて立派な駅。構内に入ると人工池が目の前に広がっていて白い睡蓮の花が咲き、鳥が飛んでいる。白い鳥が一瞬白鳥に見えた。青空と水と池の向こうに広がる離れた町の建物の白さ。水草の緑、睡蓮の白と鳥の白。ホームの椅子に座ってのんびりと眺めた。よく晴れた白昼のかんかん照りの中、長い間ホームに佇んでいるとくらくらしてくる。レールづたいに歩いていると「おーい!」と呼ぶ声が聞こえて、振り向くと線路沿いの家の子供達が手を振っている。こちらも手を振り返すと手招きして呼んでいる。子供たちはいつまでも叫び、手を振っていた。

帰りのMamallapuram行きのバスはなかなか来なかった。本数が少ないのだ。正式なバススタンドは工事中でみんな道路端からバスに乗り込む。座ってバスを待つ場所もあったが音も無く忍び寄る蚊の大群をかわさなくてはならないので道路にたたずんでバスを待った。もちろん案内所も時刻表もない。そこらの人に聞いてひたすら乗るべきバスが来るのを待つ。何時間も待った。だんだん暗くなって、帰宅する人のラッシュアワーも重なりバスは物凄い込みようだ。お兄ちゃんたちは半身を外に出したままバスの入口付近に飛び乗った。ようやくMamallapuram行きのバスが来たと思ったら鈴なりの乗客で溢れ、とても乗ることが出来ない。長い間待っている私達を心配したのか「どこまで行くんだ?」とインド人が声をかけてきた。あきらめの境地になって佇んでいるとそれからしばらくして何とか乗車できるバスがやって来た。インド人が「このバスに乗るんだ!」と教えてくれる。途中までは立っていたが親切なインドの若者が席を譲ってくれた。
インドの試練と優しさと。

TOY TRAIN etc

Mamallapuramから凍えそうなエアコンバスに乗ってChennai鉄道博物館(Regional Rail Museum,Chennai)に向かった。


インドで最初で最後に乗ったエアコンバス。選んだわけではなく、次に出るChennai行きのバスがたまたまそうだった、というだけ。バスに乗り込んで発車を待つ。エンジンは切ってあるが車内には微かな冷気の名残がまだ残っている。既に何人かの人々が乗車していて、私達の後からも大きな荷物を抱えたおばさんなどが乗り込んできた。バスの窓の下には食べものを売るひとがやってくる。(インドでは恒例の風景でバスターミナルなどでは水やら軽食やらスナックやらいろんなものを売る人が出発間際までバスの周りや中まで乗り込んで商売をしている。)


         *

バスの窓から外を眺めていると、ひとりの老人の姿が目についた。白いターバンに腰巻姿、痩せた身体にサドゥみたいに厳しくて美しい顔。メタリックピンクのギターの形をした風船(弦もちゃんと描かれている)を持っている。その格好良さに目が釘付けになる。傍には赤い熊のぬいぐるみをもった妻らしき女性の姿。風船とぬいぐるみはMamallapuramを訪れた、恐らくは孫たちへのお土産だろうと推察された。強い真昼の光を浴びてメタリックピンクのギター風船は輝き、堂々とそれを掲げ持つその人は本物のロックスターみたいに格好よかった。


ドライバーが乗り込んで、いよいよ出発という段になって乗っていた乗客がわらわらとバスを降りていった。なんのことはない。他のバスを待つ間、微かな涼と座席を求めて発車まで座っていただけだった。なるほど。賢いというか知恵がまわるというか。妙に関心してしまう。
実際の乗客は数えるくらいで、席はがらがらだった。エアコンバスの料金は通常の(つまりエアコン無しの)バスに較べてずっと高い。
              *
走り始めは快適だった。エアコンの強い冷気が一気に車内を冷やしてゆく。日々暑さに耐えている身体が久々に冷やされて気持ちが良い。しかし。インドのバスはエアコンも過激だ。エアコンがあるということはかなりの強冷房を意味する。だんだん寒さを感じるようになりChennaiに入ってからはほとんど拷問に近いほどに体は冷やされ、関節が痛み、終点まで乗って居られるか心配になってきた。日除けのスカーフを肩に巻き付けてひたすら寒さに耐えた。もっとも凍えているのはJと私だけでインドの人は特に何の問題も感じていないようだった。皮膚感覚が違っているのだろうか?
我慢も限界に達する頃、どうにかセントラル・バスターミナルに到着した。バスを降りて灼熱の外気に触れると、こわばっていた身体が解けてゆくのが分かる。暑熱にほっとしたのはそれが初めてだった。
              *

早速リキシャに乗って鉄道博物館を目指すことにする。何台か集まって客待ちしていたリキシャのドライバーに行き先を告げると誰も正確な場所を知らない。暫しわあわあと討議があり、大体の見当でリキシャは走り出す。途中3回位ドライバー仲間に道を尋ね(知合いではなくても同業者同士助け合っている。)無事にChennai鉄道博物館(Regional Rail Museum,Chennai)に到着した。とても入り組んだ、分かりにくい場所。


最初に料金を払って中へ入る。カメラ持込料を取られるのでJのカメラの分のみ申告。入口を入ってすぐのところにささやかな売店があり、喉が渇いたので小さい瓶入りリムカを買う。取り出したのは見た目は冷蔵庫だが電源が入っていないのか冷えてはいなかった。売店の小さなテーブルに座ってリムカを一気飲み。

             *

中へ入って自由行動タイム。昔の車両が並んでいて、

「あ、トーマス!」


と思う。かつてダージリンを走っていた蒸気機関車だという。トーマスを写真に撮っていると、離れたところから係り員が手を振ってこちらを呼んでいる声が聞こえた。カメラを申告しないで写真を撮っているのがばれたかと思って気づかない振りをしてみたがしつこく呼んでいる。どうしようかと思っていると、Jが近づいてきて「TOY TRAINが出発するから呼んでいる」ことが分かった。TOY TRAINの乗車券を買っていたのだ。

TOY TRAINに乗るなんていつぶりだろう。記憶にある限り経験が無い。子供の頃だってほとんど乗ったことが無いのではないかと思う。

子連れのインド人家族に混じって乗車。園内の外周をぐるりとミニ線路が走っていて、途中トンネルを潜ったりする。汽笛を鳴らしたりする。インド人はいつもの事ながら全力で、子供も大人もハイテンションでアトラクションを楽しんでいる。子供よりそのお父さんの方がはしゃいでいたかも知れない。特にスリルがあるわけでもなく、ただ走って小さなトンネルをくぐる、それだけなのにとても楽しい。気持ちが良い。もっと乗っていたかったがTOY TRAINは園内を2周して終了。
すっかりTOY TRAINが好きになった。


TOY TRAIN以外には、インドのあちこちの列車のいろんな紋章が描かれたプレートやら模型やらかつて要人が訪れた際の記念写真やらが飾られた展示室みたいな建物があった。この鉄道博物館も開設当初はなかなか華々しい場所だったようだ。建物の中には感じの悪い職員が居てカメラを持っていると持込料を払っているかいちいち入場チケットをチェックされる。
あとは古びた遊具がいくつか並んでいる寂れた公園みたいなスペース。インド人家族は、このあまり魅力的とは言い難い場所もフル活用して楽しんでいた。

結局のところ、トーマスみたいな蒸気機関車とTOY TRAIN、それが私のChennai鉄道博物館(Regional Rail Museum,Chennai)における印象だ。

いきものたち

Mamallapuramにはたくさんのいきものがいる。牛、山羊、豚、鶏、犬、猫、猿…。彼らは飼い主がいようといまいと毎日自由に暮らしている。


Mamallapuramでは今でも村の中を多くの牛がのんびり歩いている。Jの話では野良牛ではなくちゃんと飼われている牛だという。その後インドのあちこちの場所でたくさんの牛を見たけれど、この村の牛がいちばん自由で、清潔で、幸せそうに見えた。白い牛が多く、一頭で、または何頭かで昼間からのんびり道を歩いたり、道端に座り込んでいたりする。インドの人は牛がただ歩いている分にはその存在を全く気にしていない。撫でたりする人もいないし、苛める人もいない。牛はただ「そこにいるもの」なのだ。

牛にまつわる忘れられない場面はいくつもある。


マスタールのチャイ屋でお茶を飲んでいた時のこと。蛇口の付いた水汲み場のタイルをイス代わりに(ちょうど良い高さだ。)チャイを飲んでいると右手から一頭の牛が歩いてきた。特に気にもしていなかったが、その牛がまっすぐ私の方めがけて進んでくる。呆然として見ていると牛はタイルの角に顔をこすりつけはじめた。牛がだんだんにじり寄ってくるので仕方なくタイルの席を譲ると、牛はさらにタイルに身体を寄せてこすり続けた。顔中をあらゆる角度で、すりすりと、夢中で、目をむいて変な顔になって。あっけにとられてみているうちに顔を掻いているのだとようやく気が付いた。しばらく顔をこすり続けると、また進路を元に戻し悠然と去っていった。

 バターボール周辺の道端にはそこを訪れる人目当ての屋台がたくさん並んでいる。スイカ売りの屋台は台の上にスイカの玉を積み上げて、カットしたスイカを銀色のお盆みたいなものに乗せて商売している。炎天下、スイカの赤色はとても美味しそうに見える。牛は、スイカをじっと見つめている。台から微妙な距離の近さで立ち止まってじっとしている。牛はもちろんスイカを食べたい。フレッシュなスイカを食べたい。しかし食べたら酷い目に合うのは分かっているから(神聖な生き物でも商売道具に手を出すことは許されていない。)簡単に手は出さない。見て様子を窺うだけ。大抵は名残惜しそうに見つめながら通り過ぎる。ある時、屋台の店番が台を離れていることがあった。近くまで来ている牛を誰も警戒する様子は無い。牛はチャンスを逃さなかった。ぱくっと齧った。すぐに屋台主とその家族の子供達が来て本気で追払いにかかる。牛はもう打たれても堪えていないようだった。私は牛が少しでもスイカを食べられて良かったと思った。


 タバコ屋でバナナを買ってその前で立ち食いしていた。食べ終わったバナナの皮は通りかかった牛がいればその場で進呈するのだがこの時は周辺に牛の姿はなかった。くず入れの籠に皮を入れて振り返るといつの間にか牛がもう近くまで来ていて迷わず籠に突進しむしゃむしゃ皮を食べた。明らかに籠の中にバナナの皮が入っているのを知ってやって来ている。いったい、どこから見ていたのだろう?

 夜中にJasmin Lodgeの空中庭園に椅子を出して涼んでいた時。その夜はやけにたくさんの牛がlodgeの前を通りすぎた。Mamallapuramで毎年大々的に開催される舞踊祭の会場となる広場が目の前にあるのだがそこに牛が何頭か入っていき、やがて入口付近に入場待ちの牛の列ができた。後ろに並んだ牛が前の牛を小突いたりしている。広場に入らないで道路を更に左方向に進んでいく牛達もいる(この夜は何故かみんな左方向に向かっていった)。牛は大抵ゆっくりと移動する。人に追い払われた時もいかにも大儀そうにからだを動かし、めったに走ったりしない。初めに何頭かの牛が左手にゆっくり歩いていった。それから少しして一頭の牛が追いかけるように駆けて行った。しばらくすると今度は一家族分位の牛たちが戻ってきて、元来た右方向に駆けて行った。牛も走る不思議な夜だった。

          *

牛に負けず数が多いのが山羊。Mamallapuramに来る前は顔は怖いし悪魔の使いだし山羊は嫌いだったがここで見てイメージが変わった。


バターボールの山には野生の山羊が大勢いる。白いの、黒いの、茶色いの、ミックス、大きいのから小さいのまでうじゃうじゃいる。たまに単独行動しているものもいるが、大半は集団で行動している。山羊は人間とはニュートラルに接している。特に友好的でもないが敵対心を持っているわけでもないので何かしない限り攻撃してくることはない。岩山の斜面や崖っぷちが大好きで、山羊同士角を突き合わせて遊んだり(時には本気で喧嘩する。)、木に登ったりジャンプして葉っぱを食べたり、急斜面の途中でピタッと静止してどこかをじっと見つめていたりする。インド人の女の子は白い小ヤギを抱えて持ち上げて喜んでいた。確かに小ヤギは可愛い。

夜、食事の後の散歩でよく山羊を見に行った。夜になると「ガンガーの降下」または「アルジュナの苦行」のレリーフのある崖の上に山羊達が集まる。崖は道路に面しているので世界遺産クラスの遺跡の上に山羊の集団を観察することが出来る。山羊はレリーフの窪みに収まって座ったり、それを追い出して(人気のレリーフがあるみたいだ)別の山羊が窪みに収まったり、みんな落ちたら無傷では済まないような崖っぷちに座ったり立ったりして思い思いに過ごしている。一度、夕陽を見た帰り足に山羊の集まる崖の上に行ってみたことがある。山羊達は既に塒に集まっていた。普段は日中通りかかるだけの人間が夜、自分達に近づいて来るので不思議そうな顔で見ている。Jは山羊の頭を撫でたりする。一匹の強そうな大きな山羊が近づいてきてこちらをじっと見つめている。「やるのか?」という不穏な空気が流れる。私とJは静かにその場を離れた。


辺りが真っ暗になる直前の時間、まだ空に少しの光が残っている頃。崖の上に佇んでこちらを見下ろしているような山羊のシルエットが浮かぶ。しだいに暗闇が濃くなって空には月と星が輝き、輪郭がくっきりしてくる。空の色や月や星、遺跡と崖の縁に佇む山羊の姿が一体になった光景は素晴らしく格好良かった。

      *      *

猿は主に岩山に生息している。初めは人間には近づかず、おとなしく生活しているものと思っていたが観光地の傍若無人な猿であることが判明。

買ったばかりのスパンコール付のタイダイのロングスカートを穿いて山に行ったとき。突然なにかが足元に当たってくるのを感じた。小猿が2匹。興奮した様子できぃきぃ叫んでまとわりついてくる。いつも近づいてきたことのない猿がいきなり接触してきたので驚いて追い払う。が、小猿はますます興奮してなかなか逃げていかない。Jが追い払おうとすると今度はJの足にダッコちゃん人形のようにしがみついた。何とか追い払うと今度は大人の猿が出てきて今にも飛び掛りそうな形相で威嚇する。猿は人間を全く恐れていない。野生の猿である。何のウィルスを持っているか知れないし噛み付かれたら危険である。我々は早々に退散した。
スパンコールのキラキラが小猿を惹きつけたのかと思ったが猿は常に凶暴であることがわかった。休日など特に人が多く集まる日のバターボール周辺に集団で出没し、人間が持っている食べ物や飲み物を狙う。恐れるどころか小馬鹿にした様子で人間の傍を堂々と通過する。追い払おうとすると逆に威嚇される。何も知らない人間が食べ物を与えると、与えられたもので満足せず手に持った食べ物を強奪する。ペットボトルを持っていると異様な目つきでボトルを見つめ、手元に飛び掛って驚いて手を放したところを奪い取る。インド人も猿に噛まれる事は警戒しているので取られたら諦めてしまう。奪い取った食べ物は仲間内で分ける事もなく意地汚く独り占めし、ペットボトルから直接飲み物を飲む。Mamallapuramには野生の猿がたくさんいてそれが全部凶暴化したら恐ろしいことになりそうだ。


Jasmin Lodgeの部屋の前にも猿がやって来た。結構大きな猿でふと気づいたら部屋の窓(といってもガラスは無く、格子だけ。カーテンで目隠しする。)のすぐ近くを悠然と歩いていた。窓の格子をたたいて追い払おうとすると猿は顔をこちらに向け歯をむき出しにして威嚇した。その後逃げるでもなくまた悠然と歩いて去っていった。猿なんか嫌いだ。

犬はほとんどが飼い犬ではなく、放し飼いの状態で町中をうろうろしている。基本的に何もしなければ襲ってくることはない。狂犬病が怖いのでうっかりしっぽを踏んづけて噛み付かれたりしないように注意しなければならない。

Jasmin Lodgeの空中庭園から見た可愛い子犬たち。道路を挟んだ向かい側の細い道沿いに暮らしていた。全部で5、6匹の子犬と何匹かの成犬。飼い犬ではなくその辺りを縄張りにする犬のようだ。子犬達は交通量の少なくなる夜になると外へ出てくる。初めはまだ生まれたばかりのよちよち歩きでお母さんのおっぱいを飲んでいた。それが日毎に大きくなり、動きが活発になるのが目に見えてわかる。力が弱くて段差を乗り越えられずすぐに住処に戻ってしまう子、何とか踏ん張って転がりながらも乗り越える子、牛について歩く冒険心旺盛な子。見た目はそっくりでもみんな個性がある。毎晩少しづつ車道の近くまで出てくるようになり、ある夜ついに車道の真ん中まで出てきた。車道デビューして早々、車に轢かれそうになって見ているこちらをひやひやさせた。全員無事に大きくなれることを願う。

海岸近くのカフェでコーヒーを飲んでいたら、砂浜から店へ上がる階段を一気に駆け上って何故かまっすぐ私めがけて突進してくる犬がいた。尻尾を激しく振って足にじゃれてくる。足の廻りをぐるぐるまわったりぺロペロ舐めたり物凄く興奮している。他の客や一緒にいるJには全然寄りつかない。誰かと間違えられているのだろうか?足を椅子の上にあげるとジャンプして纏わり付こうとする。今にも甘噛みされそうだ。遊びたいだけなのはわかるが何しろインドは狂犬病大国…。噛まれるのが怖い。きゃあきゃあ言ってJに店の外まで犬を連れ出して貰う。ほっとしたのもつかの間、また同じ犬がやってきて私の足に纏わりつく。今度は店の人が犬を叱ってどこか離れた場所まで追い払った。停電した暗い店の中で興奮した犬にぺろぺろされるのは結構こわい。


チャイ屋にいると犬が寄ってくることが多い。気づかないうちに足元まで来ていてひょっこり顔をだしたりする。大抵はビスケット目当てだがチャイの味を知っていて欲しがる犬がいた。Jにさんざん纏わりついていたこの犬はジャンプしてグラスからチャイを舐めた。

「ガンガーの降下」または「アルジュナの苦行」のレリーフの前でいつも眠っている蜂蜜色の犬がいた。観光客が大勢来る中、気にせず眠っている。何か楽しい夢を見ているのかいつも幸せそうな顔で眠っていた。見ているこちらも幸せな気持ちになるような寝顔。しっぽを踏んづけて眠りを邪魔しないように気をつけた。

     *    *    *


猫はMamallapuramにいる間1匹しか見なかった。小さくて痩せこけたぼさぼさの毛並みの猫。
周囲は猫の怖いもので一杯だ。見つけると追いかけてくる犬、家の屋根に登っているのを見つけると容赦なく石をぶつける(そして命中させる)石工の家族。それから日本の中型の猫ぐらいのサイズは優にある大きな鼠(最初は猫と見間違えた)がいっぱい。鼠に襲われたらこの猫は確実に負ける。喰われてしまいそうだ。常にびくびくして暮らしているかわいそうな猫。インドで野良猫暮らしをするのは楽ではなさそうだ。

      *

原初の混沌


朝行くチャイ屋の傍に不思議な場所がある。牛と豚と山羊と鶏とカラスと…。木陰にいろんないきものたちが入り混じって、けんかをするわけでもなくみんなただそこに仲良く存在している。種族の違いはどうでもいいみたいだ。

たとえば牛に寄り添って豚が座り、豚の背中にはカラスがとまって、その前では鶏が何かをついばんでいる。その横で山羊が何匹か集まってもぐもぐと口を動かし、その隣には牛の親子が座っていて、牛のお腹のあたりでは鶏が遊んでいる…。

牛や豚は背中の上の鶏やカラスを邪魔にする風も無く、乗せたまま普通にのんびり動いている。近くの木には鮮やかな黄緑色の野生のインコがたくさん留まっていた。真昼の強い光の中で別世界を見るような特別な光景。こんなふうにいきものたちが混在している場所は他には無かった。

いろいろなひとたち。

「マダム」

Jasmin Lodgeの従業員のおじさんはいつも気難しい顔をして仕事に励んでいる。オーナーはいつも綺麗な白いシャツと腰巻姿だがおじさんは色でいうと鼠色、という感じ。lodgeについたばかりの頃、Jが通路の端にある蛇口から水を出して通路に撒いた。それに気づいたおじさんは蛇口を布で覆って使えないようにし「マダーム、水を出さないで下さい。」と私に注意した(インドでは外国人に対して女性は「Madam」男性は「Sir」と呼びかける。生まれて初めてマダムと呼ばれて最初は聞き間違いかと思った)。自分の管轄内で勝手なことをされるのが嫌なのだろう。ある日。オーナーの自宅は離れた町にあり、そこに家族が住んでいる。子供の長期休暇が始まった時など時々自宅に帰ることがある。オーナーが留守の間は当然おじさんがリーダーになる。夜。階下から賑やかな声が聞こえてきた。おじさんは友達を呼んで酒盛りをしていた。もうすっかりできあがって、ニカーッとした笑顔を浮かべてご機嫌だ。昼間は見たことの無い表情。翌日になるとまたむっつり顔に戻る。その豹変振りが可笑しかった。

「丸いおじさん」

食堂の「丸いおじさん」。Bhavanに通い始めた頃から何かと世話を焼いてくれた。白いシャツと腰巻姿、肩にいつも手拭いをかけている。背は高くないがお腹は太って大きく膨れている。その割りに手足が細いのでハンプティ・ダンプティみたいな格好だ。バランスが悪いのか身体をゆさゆさ揺らしながら歩く。体つきもユーモラスだしキャラクターも愛嬌があるので「丸いおじさん」と名づけて親しんだ。わからなくて夜にミールスやライスメニューを注文したら「いいか。ミールスやライスは昼しかないんだ。…」そんなことも知らないのか仕方がないなあ、というように教えてくれた。Bhavanでチャイを頼むとお茶の入った銀色のカップが受け皿と一緒に出てくる。カップと受け皿の間でお茶を往復させて熱さを冷まし、砂糖を溶かすのだ。通常は客が自分で好きなようにやるのだが慣れないうちはおじさんがやってくれた。コップと受け皿の距離を大きく取り、何回も何回も液体を往復させる。「どうだ!」と自分のテクニックを見せ付けるみたいに、ショーでもやるみたいに。(本当はそんなに何回もやらなくても良いんだけど。)食べている間もちょくちょくやってきて話しかけたり、食べる様子をじーっっと見ていたりする。Jの肩先を突っついて遊んだりする。夜。jasmin lodgeの空中庭園から外を見ていると通勤帰りのおじさんを見かけた。Bhavanの裏手が従業員の宿舎になっていてlodgeからはちょうど正面辺りに位置している。おじさんは身体を揺らしながらよたよた歩き、毎晩決まった壁の前で立ち止まる。おしっこだ。用を済ますと宿舎の中に入っていく。これが恒例の儀式のようになっていた。
ある日からふっつりおじさんの姿が見えなくなった。Bhavanにもいないし、村の中で見かけることも無い。どうしたのだろう。病気になったのだろうか?数週間後、ひさしぶりにBhavanで見たおじさんは丸刈りになっていた。それは身内に不幸があったことを示していた。戻ってきてからのおじさんは元気が無く、Jや私のところにも必要以上に近づかなくなった。みんなに慰められているみたいに話し込んでいる姿を良く見かけた。インドでは元気だった人が急にぱったり死んでしまうことがよくあるのだという。


チャイ屋の周辺。

その場所全体を仕切っている感じなのが髪の長いウェーブヘアのおじさん。いつもぼろぼろのバイクで村の中を走っている。彼はlodgeも経営していて初めはJと私はそこに泊る事を考えた。が実際その場所に向かってみると歩くには遠すぎて途中まで行って引き返してきた。行くといって行かなかったので初めおじさんはむっとしていたが直ぐにそんなことは忘れてしまったみたいだ。チャイ屋の隣で土産物の屋台を開いていて彼の奥さんが店番をしている。穏やかで優しい女性だ。

対照的にアイスクリームの屋台(と土産物の屋台を兼業する)を営む女性はいかにも「現代女性!」という感じで気が強くてはっきりしている。外見はなかなかの美人で(たぶんまだとても若い。)いつも素敵なサリーを着ている。離婚経験ありで今のだんなさんと再婚した。子供は男の子が一人。「子供は一人でたくさんよ。」

彼女はきっぱりと言い放った。たまにだんなさんと息子君が土産物屋を手伝いに来ていたがだんなさんは穏やかで優しそうな人で、息子君はお母さんと並ぶと親子というより姉と弟に見えた。彼女の売っているアイスクリーム(手作りではない、大量生産品。) を何度か買って食べた。写真付の一覧から「これ」と選ぶと冷凍ボックスからアイスを取り出して渡してくれる。果汁100%のマンゴーの棒付アイスキャンディやカルダモンとスパイスのアイス、クルフィ。暑くてくらくらする外を歩きながら食べるアイスキャンディは天国。そしてインドにおけるマンゴー味の商品のレベルは驚くほど高い。マンゴー関連商品にまずいものなし。日本のマンゴー味と全然違う。クルフィは小さな女の子がお父さんの膝の上に乗って食べているのが美味しそうで真似っこした。ココナッツの形をした容器に入っている。最初に食べたときはココナッツアイスかと思って食べたので、予想外のスパイスの刺激が甘さと同時にやって来て「!?」と感じたがじっくり味わうと美味しい。癖になる。クルフィはアイスキャンディよりずっと値段が高い。
土産物の屋台には貝で作った飾り物とかアクセサリー、微妙な顔の象の置物などが置いてある。初めは買う人がいるのか謎だったが、ちゃんと売れている。嬉々としてアクセサリーをいくつも買っていく女性や貝でできた暖簾みたいなものを真剣に吟味して買っていくひとを見た。

「Hello、Coconuts?」

ココナッツ売りの女性とお爺さん。二人はほとんど隣同士の距離でそれぞれココナッツを売っている。商売敵だからか口を利いているのを一度も見たことは無い。女の人は綺麗なサリーを着て身なりも良く、いつも豊富にココナッツを並べて商売している。ココナッツは良く売れるし(一人で連続して3個のココナッツを飲む人を見た!)良い商売のようだ。一方お爺さんは身なりはあまり綺麗ではなく、積んでいるココナッツの数も少ない。10個も並ばない時もあった。これではわざわざお爺さんからココナッツを買う人がいないのではないかと思われた。しかし不思議なことにちゃんとお爺さんから買う人もいるのだ。どう見たって女性のココナッツ屋さんのほうがおいしそうに見えるんだけど。彼女は観光客が通りかかると「Hello、Coconuts?」とけだるく呼びかける。

「マイケル・ジャクソン」

岩山で外国人観光客相手のガイドなどをして暮らしている若いお兄ちゃん。くりくり(たぶん)天然パーマヘアでJが「マイケル・ジャクソン」と名づけた(顔もちょっと似ている)。数年前にJがMamallapuramにやってきた時にまだ子供だった彼に会ったという。その話をマイケルにするととても面白がって、以後なんとなく親しくなった。マイケルはお客さんを探し(たり暇だったりし)て村の中や岩山をぶらぶらしているので、しょっちゅうばったり出くわした。英語をゆっくり話してくれるせいもあるのだろうけれど、彼は非常にスローな独特のテンポの話し方をする。「ガンガーの降下」または「アルジュナの苦行」の壁画の物語を語ってくれた時、彼の声は心地よく魔術的な響きをもって耳にとどいた。彼はいつもふざけているのか真面目に言っているのかわからない、不思議なキャラクターだった。ある夜。昼間はインド人の老人達が座っている木陰の石に腰掛けていたらバイクに乗って通りかかったマイケルが声をかけて来た。「そこに座ってはだめだよ。コブラが潜むような場所だからとても危険だ。今日の昼間も岩山で1匹コブラが捕まったんだ。すごく危険だ。」そう言って彼はそのまま走り去った。「冗談だよ」という落ちも無い。その時点で私はすっかり本気にして暫くはその辺に潜んでいるかも知れないコブラを警戒した。しかし、あとあと考えるとありそうな話の気もするし担がれた気もするし…謎のままだ。最後に会った時、「ガールフレンドが離れた町へ仕事で行ってしまう。とても淋しい。彼女が乗ったバスを追いかける」と言って彼はバイクで走り去っていった。



女の子。

岩山の石窟のひとつに座ってのんびり外を見ていたら、おさげ髪のパンジャビドレスを着た女の子が話しかけてきた。小学校高学年か中学生くらいか。大きな目をきらきらさせて学校で習ったであろう英語でどんどん話しかけてくる。家族でMamallapuramに遊びに来ていると言って家族全員を紹介してくれた。「これがお祖父さん、お祖母さん、お父さんにお母さん、妹、弟…。」紹介された家族も躊躇せずに挨拶してくれる。インドの人に話しかけられることは珍しくなかったがこの女の子の前向きなパワーは圧倒的だった。本当に目が綺麗でまっすぐ相手を見てはっきり話をする。相手を理解しようとする。英語も上手だ。利発な子、というのはこういう子のことを言うんだと思った。周りに光を放っているような素敵な女の子だった。


薄紫のサリー

バターボールの岩山の周辺でよく見かける女の人がいた。いつもグレーがかった薄紫色のサリーを着ている。身に着けているもの全てが紫のグラデーション。とても痩せていて、背筋はしゃんと伸びている。年を取っているのか案外若いのか見ただけではよくわからない。頭から小花柄の透ける薄紫の布を被っている。彼女の着こなしは完璧だった。身に付けるもの全てのサイズ感や雰囲気が、これ以上ない位彼女自身にぴたりと一致しているように見えた。恐らくいつも同じサリーを着ていて、色褪せてグレーがかって見えたのかもしれない。でも見るたびに彼女の姿は私の目を引いた。貧乏臭さは全くない。むしろ格好良かった。

彼女はいつもひとりで話をしていた。すれ違うたびに、何かを一生懸命ひとりで真剣に話していた。彼女以外には見えない誰かと会話しているのかも知れない。

ある時は「ガンガーの降下」または「アルジュナの苦行」のレリーフの前で崖の上にいる山羊たちに向けて(いるように見えた)合わせた手を上げたり下ろしたりして何かを呟きながら祈っていた。彼女の行動は全て神様への祈りに結びついているようだと次第に気づいた。昼も夜も、岩山やその周辺を巡りながら彼女の世界の秩序に則って祈りは奉げられる。

3月27日。Mamallapuram 3日目。

いつものイスのあるチャイ屋。
爆竹のすごい音。
音楽。太鼓の音。
だんだん爆竹が近くで鳴る。
一箱分一気に火をつける。

あかるい、正午位。真昼の青空。
キラキラ光る爆竹。きれい。
続く行列。トラックの荷台に乗って、女の人が髪につけるようなジャスミンやマリーゴールドの花の束を車体に叩きつけたり、花びらをしごいて散らす。
続いて花で飾られた山車に乗せられた死んだ人。
お葬式の行列だった。
誰も泣いている人はいない。

通り過ぎた後は夢のよう。白昼夢。
散った花びら。
だんだん遠くなる爆竹の音
真昼の夢のあと。



    *     *     *

これはMamallapuramで最初にお葬式を見たときに書いたメモ。
インドではしばしばお葬式を見た。ネット屋さんに行く途中遭遇したお葬式では危うく炸裂する大量の爆竹のすぐそばまで行ってしまった。別の日、岩山から見えた村のお寺の辺りから打ち上げられた花火。一緒にいた村の住人が「あれは酒の飲みすぎで死んだ婆さんの葬式だよ。」と教えてくれた。



    *     *     *

海。

海岸寺院のそばの海。観光客を乗せるための馬が何匹も砂浜を歩いている。打ち寄せる波は複雑で荒く激しい。とても泳げる海ではない。インド人の家族は手を繋いで海に近づいたり、波打ち際で足だけ浸したり、砂浜に座って海を眺めたり、思い思いに遊んでいる。若い男の子たちはジーンズ姿で腰の辺りまで海水に漬かりびしょびしょになって騒いでいる。襷掛けした鞄にプリンターを入れて持ち歩く写真屋さんがその場で記念撮影してくれる。日陰の全くない、容赦ない光の下で女性の着た玉虫色のドレスが美しく輝いていた。チャイを売り歩くおじさん。占い師の連れた鮮やかな黄緑色の鸚鵡は籠の中でおとなしくしている。波打ち際に置いた、誰かのチャイを入れる容器が波にさらわれていった。










     停電中に車のライトを待って撮影。
          Jと山羊と。

jasmin

2013年3月13日 発行 初版

著  者:Neko
発  行:MANGO BOOKS

bb_B_00113391
bcck: http://bccks.jp/bcck/00113391/info
user: http://bccks.jp/user/117136
format:#002y

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp



   Neko

jacket