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エミリ・ディキンスン詩集「自然と愛と孤独と」(国文社刊)翻訳者である中島 完 氏と私の30年以上に及ぶ文通の軌跡の一コマです。私の「なぜ詩を書くのか?」の問いかけに、真摯に解りやすく答えを導いてくれた手紙をここに記します。詩や、広く芸術に関心のある方にとっても、的確な示唆を与えてくれることと思います。

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永遠の海を行く船

tomoko poet

wonder poems出版



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  この本はタチヨミ版です。

永遠の海を行く船

 文通は13の頃から。

手紙のやり取りはそれから30年以上も続く。
そんなに長い時を、どうやって手紙が行き来を続けることが出来たのか。

わたしと、まだ見ぬあなたとの間に続く静かな海を、手紙は孤独で幸せな船のように幾度も幾度も静かに行き、返って来た。

 膨大な詩と手紙を出すわたしのもとへ届くのは、削ぎ落とされた美しい言葉。波に磨かれ、滑らかにそろった小石のような手紙。

 長大な時間の中で、色褪せること無く続く手紙の往復。
孤独で幸せな船の向かう先にいるあなたには、たぶんこのまま会うことはない。

 人生をまだ未知のものとして、怖々と、そして大胆に踏み出した年の頃、この手紙のやりとりが、自分の人生のどんな局面を経ても変わらずに続くとは、考えてもいなかった。

 文通とはいえ、手紙は一方的なものでもある。相手の相槌も拒否も挟ませないから。
それを丁寧に受け取って、また返してくれる相手がいたことに感謝してもしきれない。

 無数の手紙は人生の中の出来事や何かを語るというよりは、見えない世界に浮かぶ言葉の野原をつくっては届け、また違うものをつくっては届けるようなものだった。

 昨年、わたしは何かに突き動かされるように再び詩作に集中することになった。その時にあなたから頂いたある手紙、いくつかの大切な手紙を思い出した。
数年前に「どうして詩を書くのか?」というわたしの質問に時間をかけて答えをタイピングしてくれた数枚の手紙。

 それをここに抜き書きせてくださいね。
わただしけが見て、どこかになくなってしまうには惜しいものなので。

この手紙は多分2008年頃ではないかと思う。整理べたなので、わからないまま。
























Poet's Right

「年下の詩人の一人に」


「どんな風にかけるかなと、ワープロに向かったのですが、真正面から
私の詩論をお話ししても退屈されるだけだと想います。

アメリカで出会った詩人の一人にBernard ・A・Forrestという人がいました。
(彼の詩集をお見せしていないと思いますので、手紙の返事が遅れたお詫びに同封します。
日常の小さな出来事をユーモアを交えて巧みに描いてくれる人でした。
随分世話になりました。1974年の11月にロサンゼルス美術館で「バーナード・フォレストを偲ぶ夕べ」があったのですが、出席出来ませんでした。
どうか詩集の後書きを読んでください。)
彼がよく口にした言葉が“poet’s Right”という言葉でした。

これは詩論などで、その詩人独特の造語や、文法の無視等を指摘してー詩人をむしろ庇ってやるときに使われる用語ですが、彼は自分独自の表現や詩的経験をも含めてこの語句を使っていました。一遍の詩を書き上げるとそれを手にして私に見せながら、
「これがぼくのポエット・ライトだ。見てくれ」と言わんばかりに。」


「お返事がようやく出来そうです。
なぜ詩を書くのか。
詩の価値とは何か。
詩を書くことは、自分の世界を広げることです。
まず明確な生きることへの意志を持つことが必要。
自分を肯定すること。
このことが自分の世界を広げることを要求します。
おそらく日常の行動で自分が満たされないものを感じて、
自分が自分でないとか、
自分は何をしているんだろうとか、
自分を疑い始めたとき、
人は自然に日常のロジックの外に出て
ものを考えだすのだと想います。
そして自分を捜し、
自分の生きている空間を開いて
出口を捜そうとするのです。


芸術とは、一般的に言ってここに基点、
もしくは起点があると想います。
ただ絵画や音楽と異なって、
詩は音や色、形などよりも言葉を使って、素材として、
感情や思考を展開します。
詩(を書くこと)の中でしか
物事を考えたり、あるいは考えを追いつめることが出来ないと感じるとき、
それは詩を書く者にとっては
自分の閉じた世界を、
広げようとしているからだと想います。

・・・・・・・・・・・
(今回は途中のところは書きませんが、いつかまた書くかもしれない)
・・・・・・・・・・

「なぜ詩を書くのでしょうか」と
あなたは尋ねましたね。

あなたに告げたいことは
三人の子供さんたちへの愛情と同じくらい、
自分に愛情を捧げること。
そして自分の世界はもっと広いんだと、
赤ん坊が母親のおなかの中で何度も足で蹴るように、
自分自身の世界を捕まえてください。
詩を読み、書きすることの中に、
本来的な自己の「活動空間(シュピーレン・ラオム)があるのだと。」


2009・1・23

「これは今年初めての手紙ですね。元気にされていますか。子供さん、ご主人、他にご家族があるのならその方々も。皆さんお変わりなく、御健康であることを祈っています。昨夜はオバマ氏のinaugurationの報道をTVで見ていて、今朝はすっかり寝坊です。お昼過ぎになりました。
東京にまだみたことの無い家族と暮らしている在る人、あなたのことを、忘れていません。ずっと気にかけていました。ふと手紙を書こうと、冷たいパソコンの前にすわりました。

 勉強されていますか。
詩人として生きることに自覚を持ちましょう。
そして自分に毎日の課題を与えましょう。
そのひとつ。身体感覚を強めましょう。
詩人たちは、独特のphysical feelingを持っています。
歩く時の踝に当たる風、日々の空の色、木の芽等。
手をつなぐ子供の指先。
それぞれがやがて時間を持って
あなたの言葉となり、
あなたの世界を広げてくれますように。

1「比喩のこと」なぜ自分だけのオリジナルな比喩を捜し、
求めなければならないのか。
少し誇張すれば、詩人とは毎日比喩を探し求めている人、
というのがぼくの信念です。

2「エマスンの孤独と自然のこと」原文として何を読み取るべきかなど。
この二つのことをあなたに話しかけて、
中断のままです。これが終わってデカルトの第一主題であるコギトを考えてみたいのです。


そして願わくばあなた自身が、
あなたを詩人として生きてゆきたいとさせる「何か」を、
見つけて欲しいのです。
デカルトのコギトのようなものを。
根本的な真実を、と記してもいいかもしれません。


あなたの手紙が私に「詩人であれ」と、
こんなにも強く愛情を込めて語りかけていたことに、
今頃気づくなんて申し訳なく想う。

その大切な手紙はファイルの中でじっと待ってくれていた。
わたしが気がつくべき時が来るのを、待ってくれていた。
あなたの言葉は全て私の身体の中に詩人の種として撒かれていて、
種は今も辛抱強く待ち続けてくれている。


 あなたが私に出してくれた宿題に
今言葉で答えることが出来ない。


でもわたしには解る。
わたしがその問いに
答えられるということを。
その答えはわたしのなかにあるということを。
それは一つの言葉で説明できるものではなく、
きっとわたしの詩の中に
現れるのだと。
いつか必ずそれが外に出せるということを。
それまで、待ってもらえたら、嬉しいけれど。
あなたがどこにいかれても
きっと伝えることが出来るはず。


「あなた自身の言葉で自分を詩人として生きようとさせる「何か」を見つけて欲しいのです。」

 エミリ・ディキンスンの詩に出会った頃。
幾分硬い印象の詩集を手に入れて、
クリーム色の紙の上に控えめに並んだ言葉を見た時の映像が、
今も頭の中に浮かぶ。その詩に何を感じたのかは思い出せないが。
まるで隣にエミリがいて、同じ野原を見ているように感じながら読んでいたことだけが
思い出される
後から結びつけるなら、日曜学校に通っていたわたしの中には、
見えない存在がいて、それがエミリの詩によく出てくる神に
通じるところがあったのかもしれない。

 わたしは三冊の詩を、あなたの訳で読み覚えたので、
他の人の訳を見ると、何か違うと感じてしまう。
他の人の訳がいけないのではない。
訳というのは当の本人しか本当のところは判らないもの。
だから正しいとか、良い悪いはない。
ただ日本語で受け取るわたしには、
あなたの選んだ言葉が、正しく思えてならない。
詩人が、どんな想いで生きた人なのか、に寄り添い、
無駄な言葉を削いで、スピリットだけを取り出したような美しい訳だ。
訳す人が、詩人でなくては詩は訳せないし、
詩人であるだけでなく、誠実な人柄と、正確さも必要な仕事だ。
その素晴らしい仕事をされて来たあなたに、多くのことを教えていただいた。
多くのことといっても、肝心なこと、大切なこと、
詩人の姿勢、美しさの中心に関わること、などだ。
 大好きな詩人の詩を訳された詩人のあなたと
長いこと文通をさせてもらえたことが、
わたしの生涯の宝物。


無数の手紙や葉書は、
二人の間に広がる永遠の海の底に
沈んでしまったけれど、
決して消えることは無い。
海の底で輝くものがあったら
それはわたしたちの生きたことが
記された宝物たちの光です。

「あなたの誕生日をやっと知ることが出来たので、
また今をおいては果たせなくなるので、
誕生日には早すぎ、また(渡したいと思いながら)渡すのが遅くなった詩集を
今年のバースデープレゼントに送ります」と。

 2013年3月6日
 あなたから届いたエミリ・ディキンスンの第4詩集。
「きっとあなたが持っていないのはno,4ではないか、と想い、第4集を送ります」と。
どうしてそう分かったのか。
確かにわたしは遥か昔に3冊のタイトルを揃えて持っているが、
4冊目は手に入れていなかった。
これらの素晴らしい本は既に絶版である。


 まだ3月なのに。そんなに急がないでほしい。
あなたが病いを横目に過ごされる今
7月がやってこないのではないか、という想いが
あなたを急がせているのがわかる。
わたしの7月の誕生日は既に祝われている。
何があっても無くても幸せなわたしが夏を待って、
今浅い春の日を書き留めている。









あなたが昔翻訳されたその本の表紙は、白黒の大きな一本の木の写真。
目立たないが、静かで力強い写真。
そこにかけられた山吹色の帯にE・Dの詩の抜粋が記されていた。
それは偶然であり、また不思議な巡り合わせでもある。







「幸せな手紙よ お前はあの人のところへ行くの
そして伝えてねー
わたしが書けなかったページのこと
わたしが動詞も代名詞も落としてしまって
ただ言葉を並べるしか無かったこと
お前はちゃんと伝えてねーわたしの指があまりに急いでしまって
ときにはほとんど何も書けなくなってしまったことー
もしお前が便せんの一枚一枚に眼を持っていたら
何がわたしの指をそんな風に震えさせるのか分かったのにと嘆いたことー(no66抜粋)



  タチヨミ版はここまでとなります。


永遠の海を行く船

2013年3月11日 発行 初版

著  者:tomoko poet
発  行:wonder poems出版

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tomoko poet

コンセプトデザイナーを経て、詩人、ポエムアーティストに。 アコースティックギターの旋律とともにポエトリーリーディングを行っています。

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