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黒板に書いて消したものを集めてみました。
黒板のある部屋に住むことになったわけもちょっぴり。

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黒板のある部屋

細馬宏通

蛙房舎



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 新しい部屋に入ると、見事なほどに何も思い浮かばなかった。
 思い浮かばないまま、チェルフィッチュの劇を見に行くと、舞台監督の小山田徹さんが対談をしていた。小山田さんは「家のつくりは、人にまかせるとうまく行くんですよ」と言っていた。
 それで、小山田さんに、何もかもまかせることにした。

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 東側に、奇妙な枠のついた壁があった。
 外から見ると、使われていない雨戸と戸袋があった。窓だったものをつぶした壁らしかった。
 前の住人は書家だった。
 部屋の壁のあちこちには、黒々と墨で何かが書き付けてあった。東の壁にも、まるでガクブチに収められた書のように、何かが書き付けてあった。
 小山田さんはこの枠をしばらく眺めて、
「黒板?」と言った。

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 黒板がある、と思ったとたんに、この部屋の住み方がわかった気がした。
 小山田さんは、見えない黒板に向かって立ち、左手を伸ばして、「そうするとここに机があって」と言ってひょいと向き直る。それから先は、小山田さんが体の向きを変えたびに家具の位置が決まっていった。

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そして三ヶ月後。

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黒板ができた。

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 黒板といっても、どこかの学校にあるものをかっぱらってくるわけではない。
 つるつるの板に「黒板塗料」というのを塗る。あらかじめ板の大きさを壁に合わせておけば、ぴったりの黒板になる。
 チョークや黒板消しをどうしようか。そういえば、工事中の道路には、ときどき小さな黒板が立てかけてある、と思って作業用具の専門店に行ってみたら見つかった。
 買ったのは、ナニワという会社の「ホームチョーク」。学校のチョークよりも軽くて、チンチンと涼しい音がする。

 冬寒やホームチョークの高き音

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 垂直面に向かって、立って書く。
 ノートに書くのとはまったく違う感じがする。
 黒板はもともと、誰かに見せるために垂直に据えられた装置だ。
 黒板に書くとき、背中は誰か大勢の気配を感じている。自然と字が大きくなる。誰に見せるわけでもないのに、気の利いた文句を書きたくなる。ちょうど寺の門前にある掲示板に書かれた警句のように。
 あえて、ちまちまとした字を書きたくなって、カメラの絵を描いた。上に書いたのは「デザフィナード」の一節。
 「写真を撮るならローライフレックス。きみの嘘が丸写し」
 あ、これも警句みたいだ。

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 黒板には、めくるべきページがない。
 書いたことばに次々と矢印を入れて足していく。ひとつの面にいくつもの注釈が入り、考えがあとから割り込んでくる。

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 ええと、これは何を書いたんだっけ。
 劇団地点の「ワーニャ伯父さん」を見たあとに思いついたことかな。
 そのわりには突飛な思いつきが書いてある。
 黒板の文字はやがて消される。消したとたんに他人事になる。こうやって写真で見直すまで、すっかり忘れていた。
 朝書いた句に差し込んでいるのは夕陽。

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 九鬼周造の「いきの構造」の図を写す。
 黒板に書き付けた図をちらちら見ながら、机の上で作業をしてた。
 自分のために大書して、自分でそれを見ながらノートする。教師で生徒。

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 黒板に書くと、体がよく動く。矢印のゆくえに、体がついていく。矢印が回ると、体が弧を描く。 

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 これは、高田渡の「ごあいさつ」ライナーノートを書いたときのもの。

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 前の黒板の一部を消さずに残してありますね。「しらみは夜空と陸のスキマに」「喫茶」「自転車の時間」「なじみになっていく時間」。
 「ごあいさつ」に「系図」が重なっている。 

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 「字通」と「字訓」を引いてみたところ、興味深い記述がありました。
 まず、訓の「ほら」は「ほる」から派生したものらしく、掘って穿たれた穴、というほどの意。それに対して、「洞(どう)」の形は、「同」の「筒形で中が空虚なものの意」から来ており、その意味は「水勢によって穿たれたところをいう。奥深い洞窟などの意に用いる。」さらには、「その奥深いところを明察することを洞察という。」だそうです。
 つまり、日本語の「ほら」がどちらかというと人工的なイメージから来たことばなのに対し、中国の「洞」は形状の観察から来たことばであり、さらには、奥深さを知る対象でもある、というところでしょうか。
 そういえば、言うなあ。「洞察」! これは英語にはない発想だ。ケイバーの「洞察力」。(小山田さんと洞窟に潜ったあと出したメールから)

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 稲垣足穂が伏見稲荷の公園で、展示されていた飛行機ににこやかに乗っている写真がある。
 それを黒板に描いてみた。足穂の足先。
 チョークの描く線の精度には限りがある。先の減り方や傾け方によっていちいち描ける線が違う。なにより、こちらの技量にも限りがある。が、限りある方が「図示」の感じが出る。

 腹這いの胡桃頭のプロペラ機

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豆本を作るためのページ割り。
黒板を見上げながら孔版用の版下を作る。

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 消しあとが白く残ると、それが一つのレイヤーに見えてくる。
 机の上にあったへくそかずらを描く。
 つるのそばに回文。

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黒板のある部屋

2008年4月10日 発行 converted from former BCCKS

著  者:細馬宏通
発  行:蛙房舎

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細馬宏通

1960年生まれ。唄と絵はがきを好む。絵はがき蒐集をするうちに絵はがき妄想がたくましくなる。「絵はがき風呂」は2008年に作りました。
著書に『絵はがきの時代』『浅草十二階:増補版(近刊)』(青土社)『絵はがきのなかの彦根』(サンライズ出版)。バンド「かえる目」では作詞作曲とボーカルを担当。アルバムに『主観』『惑星』『拝借』(いずれもcomparenotes / mapから)。http://12kai.com/

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