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一片の雪 -ひとひらのゆき-

佐倉有希

まなゆき文庫



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

観覧車と空

六花

観覧車と空

 結婚するという話を聞いたのは、人伝だった。五十嵐祐次はなんとも言えない気持ちでそれを聞いた。
『やっぱり知らなかったんだ』
 という、それを伝えてきた昔の仲間の言葉尻が、余計になんとも言えない気持ちを増長させた。
 久しぶりに自宅の電話機を使ったな、とぼんやり思いながら受話器を置く。
「結婚、か」
 思わず呟いてみる。女性ほどではないのかもしれないが、周囲からのプレッシャーを感じないでもない。自分の父親が三十二歳の時は自分の小学校の入学式に出ていたと思うと、多少の焦りも感じる。親しい友人で結婚しているのはまだ少数だが、そろそろ所帯を持つのも悪くはないと思う。
 祐次は窓を開けて、薄汚れたサンダルを履いてベランダへ出た。肌寒い空気が部屋に吹きこんでくる。枯葉が吹き飛ばされるのを見て、余計に物寂しい気持ちになって苦笑いをした。

 学生の頃、映画を撮っていた。脚本は祐次。監督は原寿志。資金の無い中でやり繰りをしながら、好きな映画を撮るのは楽しかった。
 調子づいてヒロインを公募したこともある。インターネットも携帯も身近ではない時代、手書きのポスターを店や民家の壁に頼んで貼らせてもらい、問い合わせ先は寿志の自宅の電話番号にしてあった。問い合わせがあったのは五人。全員に集まってもらい、オーディションを行った。その中で祐次が推したのは、砂森那美絵という女性だった。
「おれの“彩乃”のイメージは彼女だ」
 そう力説した。
「だけど祐。おれは高杉ミノリの方が良いと思う。彼女は芝居の経験もあるみたいだし」
 と、寿志は現実的な側面もあげる。
「おまえの言うこともわかるけれど、砂森という人は全くの素人だ。いきなりチームに溶け込んでカメラの前で演技できるとは思わない。これはコンクールに応募するための映画だし、出演者のレベルを上げたいがためのオーディションだろう?」
「いやでも」
 祐次は言いよどんだ。
「おれの書いた彩乃のイメージは、清純な素人っぽいイメージだ。砂森さんのあの雰囲気だけでいけるとおれは思う。高杉さんでは芝居慣れし過ぎていて、画面がよくない」
「祐」
 寿志はまたはじまった、とでも言いたそうな顔で、握っていた万年筆で祐次を指した。
「あのな。イメージも雰囲気も大切だけど、おまえは飽く迄脚本家だろう。実際絵にしていくのはおれたちだ。そして、指揮をとるのはおれだ」
 祐次は万年筆を払いのけた。
「原。おれの脚本は雰囲気が重要なんだ。分かっているだろう。それを映像にするのがおまえの仕事じゃないのか」
 ふたりは互いに自分の意見を通そうとし、次第に喧嘩のような言い争いに発展していく。これはいつものことだったので、仲間たちは気にも止めなかった。どうせ、最終的には祐次の意見が通るのだ。
 チーム原という名前ではあった。寿志の名を冠している通り、彼が監督であり演出であり、このチームをまとめるリーダーだった。しかし、寿志が脚本を書いてくれと祐次を口説き落として、ふたりでメンバーを募るところから始めたチームだ。寿志が彼の脚本に惚れ込んでいる以上、チームの中では自分の意見を強く持ち、弁も立つ祐次が自然中心になっていた。
 この時も、やはりヒロインの彩乃役は砂森那美絵になった。そしてこの映画“観覧車と空”は市で主宰している小さなコンクールに出品され、見事入賞を果たした。
「映像と台詞まわしが美しい。ヒロインの雰囲気が良い」
 と評された。
 沸き立つメンバーに比べて、祐次は冷静だった。彼にしてみれば計算通り。自分の描いた筋書き通りの受賞だった。
 表立って祝福されるのは監督である寿志だ。彼は撮影スタッフから贈られた花束を持って照れ臭そうに祐次の近くに来て、
「おまえの判断が正しかった」
 と握手を求めてきた。祐次はその手を握り返した。

 地元の新聞が取材に来た。若い天宮美紗という女性記者は、監督と脚本のタッグに視点を向けて、寿志と祐次のふたりに取材をしていった。実際に発行された記事を見ると、祐次に関する記述の方が明らかに多かった。撮影チームの中で、リーダーはやはり祐次なのだという雰囲気が強くなっていった。
 寿志がそれについて、どう思っていたのかは祐次にはわからない。
 祐次は、この受賞が嬉しくないわけではなかったが、ただの通過点に過ぎないと考えていた。受賞をきっかけに、寿志に断った上で書きためていた未発表のシナリオをコンクールへ片端から応募を始めた。略歴には勿論、今回の受賞のことを書き添えた。
 一年ほどの間にいくつかの賞を受賞し、ひとつは大賞に輝いた。それを知りチームのメンバーは喜んだ。自分たちの学生映画に箔がつく。だが、祐次はそうしなかった。

 大学近くの喫茶店で、一番安いブレンドコーヒーを前に座っている祐次のテーブルへ、呼び出された寿志が座った。
「待たせたな。講義が長引いた」
「いや」
 祐次はまだ半分ほど残っているコーヒーを飲み、唇を湿らせた。
「なんだ? 改まって」
 ウェイトレスにはやはりコーヒーを注文して早々と追い返して、寿志は上着を脱ぎながら問いかけた。祐次がわざわざ大学の外に彼を呼び出すのは、あまりあることではない。
「この前の、藤原英吾脚本賞の話なんだが」
「ああ」
 寿志は人のよい笑顔を浮かべて右手を差し出した。
「受賞おめでとう」
「ありがとう」
 釣られて祐次も笑いながら手を握り返す。
「みんな、祐の名前に託けて自分たちの映画が有名になるんじゃないかって、他力本願なこと言ってるよ」
「そのことなんだけど」
「うん?」
 コーヒーが運ばれてきて話が中断する。ウェイトレスが伝票を置いて立ち去る。
「受賞したシナリオが、テレビドラマ化されることになった」
 一泊置いて、
「すごいじゃないか」
 と寿志が言う。少し戸惑うようなニュアンスが含まれていたのは、祐次の被害妄想ばかりではないだろう。
「だが局側から条件を出された」
「条件?」
 寿志が砂糖も入れずに放置してあるカップから、漂う熱いコーヒーの匂いが鼻につく。
「今回の受賞が初めてだという経歴にするようにと言われた」
「……それって」
「華岡市学生映画コンクールでの受賞はなかったことにしろと。初投稿で大賞受賞の期待の新人シナリオと売り文句をつけるつもりらしい」
「そうか」
 寿志はもう笑顔を消していた。ただ一言、
「わかった」
 と答えただけだった。
 祐次は居た堪れなくなり、
「じゃあな」
 とだけ告げて席を立った。二人分の伝票を持って立ち上がったのは、せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。

 その後、祐次はチーム原の脚本家を降りた。単発のテレビドラマになった後も、深夜枠の連続ドラマなど順調に仕事は舞い込み、彼は大学を中退した。
 チーム原はというと、祐次の脚本に心酔していたメンバーが何人か辞め、脚本家を募っても祐次の後では誰も書く者がおらず。寿志自ら書いてしばらく活動を続けたものの、自然消滅してしまった。
 仕方なかったとはいえ、祐次は自分のせいだと思っている。
 なし崩しに寿志たちとも連絡が取れなくなった。風の便りに、また映画を撮っているなどと聞いたこともあったが、最後には業界に残って活躍しているのはチーム原の中で祐次だけになった。
 仕事が忙しくてクラス会にも顔を出さないでいた祐次に、たまに昔の仲間からさっきのように連絡がくる。
『原くん結婚するんだって』
 彼女の声が耳に残る。
『相手、天宮さんだって。覚えてる? 新聞記者の天宮美紗って人』

 祐次は深い意味もなく溜息をついて、ジーパンのポケットから煙草を取り出した。軽く箱を叩いてフィルターをつまんで一本引き出し、唇に咥える。
 元気でいるのだ、と思った。幸せなのだ、と。どういう経緯を辿ったのかは知らないが、あの時の新聞記者との挙式が来月だというのだから。
 ただ、それを寿志本人の口から聞けないのが、仕方ないとは思っても祐次は少し寂しかった。
 思い出したようにライターを取り出して煙草に火をつけた。じじっと微かな音がして、紙と葉の焦げる匂いがしてくる。
 自分からは連絡しにくい。寿志の方でもそう思っているだけで、別に仲違いをしたわけではないのかもしれない。それでも寿志に連絡を取る気にはなれなかった。電報のひとつも打とうかと思ったが、相手があの天宮美紗では、当然祐次のことも覚えているだろう。ふたりの間で祐次はどういうポジションにいる人間なのか。それを思うと、下手に自分の名前を思い出させて嫌な気分にさせることが怖くて思いとどまる。
結局祐次には、脚本を書くしかないのだ。脚本家になることが夢だった。チーム原での映画撮影より、プロになることが大切だった。その気持ちに嘘はないし、後悔もしていない。ただ少し、思い出すと懐かしくて寂しい気持ちになる。ただ、それだけだ。
 胸ポケットの携帯が震えた。取り出して開いてみると、今度映画になる彼の脚本の、原作者からのメールだった。
 原。結婚おめでとう。
 高い空へ念を飛ばすように心で呟いて、祐次は紫煙を吐き出し、煙草をベランダに置いてある灰皿でもみ消した。
 原作者に恥じない脚本のたたき台を今日中に書き上げなければ。そして、もしかすれば自分の作品を見てくれているかもしれない寿志のために。監督にならずに、普通の企業に就職した寿志のために。自分は自分の夢を追い続けるのだ。
 体に纏わりついた冷気を叩き落すように自分の腕を抱きながら部屋の中へ入ると、祐次はパソコンに向かう。
 “観覧車の横切る空を”
 学生映画コンクールで受賞した祐次の脚本のシーンが、この映画に散りばめられていることに寿志は気づくだろうか。そう思いながら。

風が冷たかった。染めたばかりの髪が軽くなびいて、少し伸びすぎた前髪に邪魔されていた視界が良好になる。
「メリークリスマース!」
 軽いクラクションの音と共に、SUV車が目の前に滑り込んで来た。
「バーカ。まだ早いだろ」
「いーじゃん、一日くらい。大して変わんねーよ」
 助手席から言い返す声がする。
まあな。別にいいよな。街中一ヶ月前からジングルベル流れ放題なんだし。
おれは笑って後ろに乗り込む。
別にいい。彼女とホテルのレストランで迎えるクリスマスとはどうせ程遠い。彼女が実家に先に帰った奴とか、遠距離恋愛の奴とか、独り者とかが、単に騒ぎたくて集まってるだけなんだから。宗教家じゃなくても、サンタクロースは来なくても、周りがおめでとうって雰囲気なら、浮かれてた方が楽しい。
「いーよなー、車」
「親父の車だかんな、汚すなよ」
車は走り出す。行き先について、誰も何も言い出さない。ただただ徐々にスピードをあげて、賑やかなイルミネーションから遠ざかっていく。
「オープンカーだったら笑うのにな」
誰かが言い出す。
「上開ければいいじゃん」
サンルーフのハンドルを回してみる。途端に隙間から冷気が吹き込んだ。
「うわ、さみー」
おれは手の平を外に突き出してみる。
控えめな陽射しが眩しかった。
「いい天気だな」
「なんだかなぁ」
「なんだよ」
窓の縁に手をかけたまま、頭を下げる。
「雪降んねーかなあ」
「無理だろう。おまえの実家なら兎も角」
鼻先を指で指されたから、おれは答える。
「多分ホワイトクリスマスだよ」
「いーよな。スキーやり放題じゃんよ」
「こっちって、いつ雪降るんだ?」
「さあ。この暖冬じゃな。今年は降らんかもよ」
「そうそう」
おれには考えられないけど。
「だってよー、十月くらいから雪虫がとんでさあ、」
「ゆきむし?」
「なんだそれ」
「うそ、知らない?」
「知らない知らない」
「すげー小さい虫で、少し体が青くて、尻に白い綿毛みたいなのがついてて、」
「あ、それ知ってる。服とかつくととれないやつ。でも雪虫って言うのか?」
「おれそんな虫知らねえよ」
おれはサンルーフを閉めて応える。
「ほんとに学術上根拠があるかは知んないけど、地元では皆言ってたよ。秋の終わりくらいから飛び始めて、大発生してさ、もうそんな季節なのか、なんて思って、いなくなる頃に雪が降るんだよ」
だから、あの虫が雪を連れて来るみたいで、小さい頃は雪虫が飛ぶとわくわくして、みんなこぞって捕まえたりした。
「へぇー。雪虫ねえ」
「そうそ」
「あっ、あそこにコンビニあるぞ」
「おれなんか飲みたいな」
「じゃ、そこで止めるな」
車が止まるまでに、五人でじゃんけんが始まる。結局おれが一発負け。
「コーラと紅茶のストレートと、」
「おれ、お茶ならなんでも」
「あと、コーヒー。甘くないやつな」
眠気覚ましってやつ? 今時小学生でもやんねーよ。るせー。運転替わらせるぞ。
閉めたドアの向こうから、くぐもった騒ぎ声がまだ聞こえる。
すごくくだらない。多分終わらない。些細だから、とりとめがない。
少し笑った。
いいじゃん、こういうのも。ガキらしくてさ。きっと今しか出来ないし、今だから楽しいと思える。刹那的なのも、たまにはいい。
空を見上げたら、さっきと変わらない青空。雲の数を数えながら、おれは歩き出す。明日には地元に帰って、彼女に会って、あいつらに年賀状書かなくちゃ。
吐き出した息が白くて、冷たい空気はおれをはっとさせる。神聖な気分が、するからだろうか。こんな日には遠い空から、冬を連れて来る妖精の化身や、幸せを運ぶ髭だらけのじいさんが、飛んでくるのもありかもしれないなんて、ガラにもなく思ってみる。
「コーラと紅茶のストレートとお茶とコーヒー」
呟いて自販機を見るけど、生憎日本茶が入ってなかった。店の中まで行くしかないらしい。
「メリークリスマス、か」
呟いて、我ながら照れくさくなるけど。
地元ではもう雪が深くて、きっとお袋あたりがおれのために、年甲斐もなくツリーなんて飾ってる。彼女も、きっと今年もプレゼントを用意してくれているだろう。寒さで真っ赤になった頬を手袋をした手で温めながら、肩に雪を積もらせて、待ち合わせ場所に立っている姿が目に浮かぶ。
「メリークリスマス」
ささやかな幸せに。
いつまでも覚めないように。



  タチヨミ版はここまでとなります。


一片の雪 -ひとひらのゆき-

2012年12月29日 発行 初版

著  者:佐倉有希
発  行:まなゆき文庫

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まなゆき文庫

創作庵 月雪花http://tsukiyukihana.net/index.html愛月 律馬(まなづき りつま)佐倉 有希(さくら ゆき)が執筆しています。

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