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jacket

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短銃と端末

喜谷暢史

丸子陣屋堂



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 目 次


島田雅彦と「不敬」文学 —『美しい魂』発刊をめぐって 8


2046に向かうアジア映画 —不在をめぐる二つのラブストーリー 13


鋼鉄の魔女と偽史への欲望 —映画『ローレライ』と小説『終戦のローレライ』 20


召喚される《アッツ島玉砕》 —藤田嗣治の戦争画と会田誠 26


愛する人を守ることに対峙する人 —黒木和雄『紙屋悦子の青春』 31


引き絞られた言葉の「貧しさ」 —井口時男『暴力的な現在』 37


星条旗をまとった英雄 —『硫黄島からの手紙』に見る「日本映画」の現在 40


新世紀の「歴史離れ」と「歴史其儘」—大河ドラマ『風林火山』が描く二一世紀の戦争 46


不快としての高揚感 —現代作家と暴力表現の変遷 52


連帯への短絡、希望としての戦争 —劇画『覇王の船』と『蟹工船』ブーム 58


バブル小説と不況下の物語 —池澤夏樹『スティル・ライフ』/大岡玲『表層生活』 64


卵と壁とシステム —村上春樹はどこにいるのか 68


オープンエンドは新しい〈生〉を開くか? —村上春樹『1Q84 BOOK1、2』 73


追憶の一九六八年 —池澤夏樹『カデナ』 80


二つの月を引き受けること —村上春樹『1Q84 BOOK3』 86


華麗なるスタイルの変転と「土着民主主義」との闘争
                  —小林孝吉『島田雅彦〈恋物語〉の誕生』 92


贋金は資本を駆逐するか? —島田雅彦『悪貨』 96


並走者のいない生者/死者 —映画『ノルウェイの森』 101


小説家の即応性、予見、希望 —村上龍『歌うクジラ』 106


見えないものを見ようとする誤解 112


百年後のふるさとを守るのは誰か? 117


不可視なものへの「責任」 —村上春樹と「脱原発」 122


虚空を流れていく「風」 —村上春樹『風の歌を聴け』再読 128


初期作品の「僕」を超えるもの —村上春樹『1973年のピンボール』再読 134


自死と「新しいゲーム」の報酬 —村上春樹『羊をめぐる冒険』再読 140


語り得ないものを〈語る〉ということ —南木佳士『ウサギ』 148


アンダーグラウンドからの叫び —村上春樹『緑色の獣』再読 154


代理と犠牲 —『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 160


コミューンから愛の合一へ —村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 165


問題はもっと深く広く遠くにある 171


短銃と端末 —彼らの感性の行方 178


あとがき 182






オッペンハイマーが言った。「大統領閣下、私の手は血で汚れているのです」。伝えられるところでは、大統領はこう励ましたそうだ。「気にするな、水で洗えばいい」。だがこのときトルーマンは、オッペンハイマーはただの「泣き虫」にすぎないという結論を出していた。「もうあいつは連れてくるな」大統領はアチソンに命じた。「要するに、やつは爆弾をつくっただけの男だ。爆発させたのは、この私だからな」

                    D・ハルバースタム 金子宣子訳『ザ・フィフティーズ』

島田雅彦と「不敬」文学 —『美しい魂』発刊をめぐって

 昭和天皇が重体となった秋、NHKの深夜放送は連日二重橋を映し出し、天皇の体温と脈拍、そして下血量の変化を報じていた。秋祭りなどは次々と中止され、相互監視的な自粛ムードが国中を包んでいたのは、もう一五年前のことだ。あの不自由で重苦しい空気の中に我々がいた頃、島田雅彦は日本的風土の外側、ニューヨークで長編小説『夢使い』の執筆に追われていたという。
 その島田の発売延期となっていた『無限カノン』の第二部『美しい魂』と、先行発表されていた第三部『エトロフの恋』が、九月に新潮社より同時刊行された。この大長編は血族四代の悲愛が語られるクロニクルだが、問題の第二部では蝶々夫人の末裔であるカヲルが恋する相手不二子は皇太子妃候補となり、幼なじみとの日常的な恋愛に突如国家の抑圧が介入する。恋と禁忌という点では三島由紀夫『春の雪』を想起させるが、設定上あらかじめ天皇制に関わる議論が巻き起こる仕掛けがあったといえるだろう。
 本作が発売延期となっていた経緯は、著者自身による『未完の辞『美しい魂』は眠る』(「新潮」二〇〇二・五)に詳しい。作品は前年の九月に完成していたが、その内容から右翼のテロを危惧し、新潮社側との合意の上で発売延期を決定したという。いわく「『風流夢譚』の出版自体は罪ではないし、言論の自由として認められるべきだが、出版によって起こり得る事態を想定しなかったことは責められる」と、出版にまつわるとセキュリティーの問題や、「言論の自由」とは何かという問いを、自作を封印する形で投げかけた。その後の発言によると、特に雅子妃の出産の時期と出版時期が重なっていたことが、延期の最大の要因であったという(九九年末の「流産」報道では、宮内庁から「妃殿下のプライバシーにも触れるような過熱した報道がなされたことは極めて遺憾」とする異例のコメントが出たことは記憶に新しい)。
 この島田の決定を金井美恵子は「目白雑録」で数回に渡り揶揄している(「一冊の本」二〇〇二・五〜)。「自分の小説の出版中止を、大江健三郎と深沢七郎のせいであるかのように書くべきではないだろう」「『風流夢譚』とは、どういう小説なのか、なぜそれが「不敬」とされたのかについて、島田は書いてみた方がいい」と批判し、独自の『風流夢譚』の読解を試みている。この作品が巻き起こした嶋中事件等についてここでは詳しく述べないが、このテロによって、以後小説の書かれる対象として天皇や皇室が決定的にタブー視されることになったのは確かだ。
 渡部直巳は大江の『セブンティーン』と『風流夢譚』が巻き起こした事件における、その周囲の反応の特徴として「言論界の論議の主眼が、暗転の中心であったはずの『風流夢譚』とその作品評価から、「テロリズムと表現の自由」という一般的対立に移されること」を挙げている。作品に直接的関わりを持たない人々まで、「否応なくこの暗転に巻き込まれること」(あの三島が右翼からマークされたように)から「テロの不気味さがいっそう根深いものとなる」と分析している(『不敬文学論序説』太田出版 一九九九・七)。
﹃風流夢譚』事件の「不気味さ」は、作品出版に直接関係のない第三者が殺され、事実上作家と作品が孤立無援であったという点が大きい。金井のいう「なぜそれが「不敬」とされたのか」という問い自体は、あらかじめ封殺されているといっていい。なぜ「不敬」なのかという分析よりも、なぜそれが起こってしまったのか、なぜこの「不気味さ」が蔓延しているのかという状況認識に、論点が置かれなければならないだろう。言うまでもなく「不敬」かどうかという基準は暴力行使の側に委ねられているからである。
 例えば、サルマン・ラシュディ『悪魔の詩』を訳出したが故に、殺害されたとされる筑波大学の五十嵐一助教授の生前の主張を辿れば、彼が訴えていたのはやはり作品の全体性の把握と、どう読まれるかという文学の自立性の重視であった(特集『悪魔の詩』の波紋「ユリイカ」一九八九・一一)。ラシュディ事件(一九九一)は9・11以後の世界から見ると極めて暗示的で、あの時見過ごしてはならなかった出来事であるという感があるが、これ以後、文学の自立性はテロの前では後退し、文学作品の一部だけの問題化、ないしは誤読による風説が惨劇を生むという図式はほぼ出揃ったといえる(奇しくも、五十嵐一は『悪魔の詩』における欧米とイスラム社会の衝突に対し、日本が第三者として介入する意義を説いていた)。さらに朝日新聞阪神支局襲撃事件(一九八七年)の時効なども視野に入れると、「敵」が見えない中で「言論の自由」を問題化し、その可能領域を探ることは容易ではない。
 ラシュディ事件について島田は、「表現の自由」こそが「脅威」であると逆説的に述べ、誰も守ってくれない、書く者の自衛が必要なこの「自由」をコントロールすることが「創造的な仕事」であると述べている(「文芸」一九九四・八)。「言論の自由」とは自明のことであるかのようで、天皇制と小説の関係では、実は極めて「不気味な」抑制力が働いている。テロが起こる前に原稿を引き上げる島田の態度を腰抜けというのは容易いが、「未完の辞」における右翼とメディアに対する牽制と、突然の発刊という一連の流れは、実は「言論の自由」の不自由という、この国の欺瞞ぎまんを再び議論の対象へとし向けるための煩瑣はんさな作業だったのではないだろうか。彼のデビュー作が「左翼」運動の後退をあえて「サヨク」だと対象化し議論を巻き起こしたように、今回も隠蔽された状況を対象化させるための戦略が見え隠れする。
 島田自身「皇室のどなたかが特定され、作家の想像力によって物語化された時、にわかに危険が及ぶ」と『未完の辞』でその「不敬」小説分析を述べていたが、『美しい魂』の中では皇太子は堂々と恋に悩む主体として描かれ、その筆に鈍りはない。また不二子が皇太子妃となる理由は、「国家の側に立って、少しでも多くの幸福を個々の人々が享受できるように努力したい。国家に奉仕するためではなく、国家による抑圧を少しでも和らげるために働きたい」と語られる。彼女は国家という抑圧装置を緩和させたいという「美しい魂」を持つがゆえに、皇族の一員になるという。先に刊行されたエッセイ集『楽しいナショナリズム』(毎日新聞社 二〇〇三・三)でも皇室への発言は多いが、不二子の言葉は、皇室の一つの在り方を大胆に示しているといえるだろう。
 冒頭に挙げた『夢使い』のあとがきで島田は、昭和天皇崩御前後の「言論の退屈さ、奇怪さ」を、「目に見えている文化的、宗教的、民族的差異を無視して、一切を同一化してしまう暴力」と断じ、それを生む共同性を「土着民主主義」と呼んでいた。昭和の終焉以後、天皇制と言論をめぐる関係は、より一層「退屈さ、奇怪さ」を増しているといえるが、この今日的状況の中で、『美しい魂』を一時封印し議論を呼ぼうとした今回の試みは、島田の「土着民主主義」との闘争の新しい形として積極的に評価できるのではないだろうか。
 カヲルは恋の代償としてエトロフ島に流刑されたままで小説は閉じられるが、彼が「日本」に戻ってくる『エトロフの恋』以後の、『無限カノン』が期待される。
                                  (二〇〇三・一一)

2046に向かうアジア映画 —不在をめぐる二つのラブストーリー

 この夏ヒットした映画『LOVERS』の最大の見せ場は、エンドロールが流れる直前に、作品がアニタ・ムイに捧げられていることを、観客がテロップで知る時である。今や日本でアジア映画と言えば、「韓流」と呼ばれる韓国ドラマを指すようであるが、元々アジアの銀幕を牽引してきたのは、香港であり台湾であり中国本土の映画人である。アニタ・ムイはその中でも香港のトップスターで、彼女自身も監督のチャン・イーモウも最後まで作品への出演を望んでいたが、病魔がそれを許さなかった。アニタは一度も撮影現場に姿をみせることなく、二○○三年一二月、子宮頸がんが原因で亡くなった。
﹃LOVERS』はいうなれば、そのアニタの「不在」の物語である。ストーリーは、唐代を舞台に朝廷側と反勢力である「飛刀門」との争いを描いているが、二人の官吏(金城武、アンディ・ラウ)と、間諜たる盲目の踊り子(チャン・ツィイー)との、三つ巴の騙し合いがその中心である。そしてアニタは「飛刀門」の首領を継ぐ者で、三人の駆け引きを司るフィクサーとして重要な役だったという。
 チャン・イーモウは前作『HERO』への批判を受けて、対立と愛が複雑に絡み合う物語を構築したが、「私の最後の映画」だと『LOVERS』出演を望んだアニタの代役は立てず、彼女の役を内容的に補完せず、不在を「不在」のままに放置した。そのため、物語の体裁が不完全になったという批判もあるだろう。しかし、このリスクを背負うことによって、『LOVERS』は「不在」自体を武侠ぶきょう映画の力に変え、最後に観客を唸らせたと言える。(「キネマ旬報」九月上旬号、劇場版パンフレットなどがこの「不在」の重要性を指摘する。とくに前者では、この監督の判断を「英雄、好漢と呼ぶに相応しい態度、選択」と伊藤卓が絶賛している。)

 同様に、五年の歳月が費やされついにその完成を見た『2046』も「不在」をめぐる物語であった。ウォン・カーウァイ監督とその観客にとって、この作品はいかなる意味を持つのか。監督自身が言うように本作は、『欲望の翼』(一九九○)、『花様年華』(二〇○○)に続く香港の六○年代を舞台にした三部作の掉尾であり、『ブエノスアイレス』(一九九七)とも深い関連性を持つ作品である。単体で『2046』を観た者が「面白くない」という無碍な印象批評を放つのは、これら過去作品を参照せずにいう感想であるが、逆にそれだけの空白が日本の観客と香港映画の間にはあったということなのかもしれない。
 では『2046』における「不在」とは何か。過去の作品にも登場したオールスターキャストの中で、唯一存在しないのは、レスリー・チャンその人である。レスリーは二○○三年、自ら命を絶った。アニタの死と共に論じられる場合、やはり「香港映画の一つの時代が終わった」という紋切り型の物言いがなされる。代表作としては、『さらば、わが愛/覇王別姫』(一九九三)などが挙げられるが、俳優としてだけでなく、歌手としてもアジア全土で絶大な支持を得ていた。彼は「精神的に疲れた」という遺書を残し、香港のマンダリン・オリエンタルホテルの二六階から飛び降りた。レスリーは、うつ病だった。当時アジア全体がSARS(重症急性呼吸器症候群)の猛威に曝されており、時期も悪かった。遺作の『カルマ』では香港電影金像奨賞の主演男優賞にノミネートされていたものの、『ブエノスアイレス』以降、一時の輝きはなかったようにも思われる。
 かつての盟友ジョン・ウーやチョウ・ユンファはハリウッドに進出したが、レスリーはアジア映画に固執した。しかし、彼がメガホンをとる計画は何度も頓挫し、結果的に香港のショービズ界への失望の念を深めていくことになる。(返還後、香港映画界は中国政府への配慮から、一時の猥雑とも呼べる活気を失ったと言われる。タイトルの『2046』とは、他でもないこの返還の年から五○年後に当たる年で、ウォン・カーウァイは「返還されたとき、中国政府は香港に五○年間は何も変わらないことを約束した。そのときに、人生において変わらずに存在するものがあるのだろうかと思った」と、本作の出発点が返還に深く関わっていることを語っている。)
 先に述べたように、レスリーのいない『2046』では、執拗なまでに過去作品を思わせるシーケンスが繰り返される。例えば『ブエノスアイレス』では、レスリーが両手に怪我をして、タクシーでトニー・レオンにもたれ掛かるシーンが印象的であるが、トニーのゲイ・パートナーは本作では様々な女優によって変奏される。フェイ・ウォンを誘い、チャン・ツィイーに身を任せ、マギー・チャンに寄り添う。一見、愛してくれる相手なら「誰でもいい」という、交換可能な世界を描いているかのようであるが、最後はやはり彼は一人でタクシーに運ばれていく。『ブエノスアイレス』では「会いたいと思いさえすれば、いつでも会える」という一種の華僑的ネットワークが体現されていたが、この映画の本質は、それを超えた孤独にある。列車と旅がこの映画の主題の一つと言えるが、「俺と一緒に行かないか?」というセリフを、あの木村拓哉が言おうが、トニーが言おうが、過去に縛られた女たちは誰一人として男について行かない。
 六○年代の香港と、その中で執筆されるSF小説『2046』の世界はパラレルに進行する。交換可能/不可能性という点では、後者の「アンドロイドに恋をする」という設定は極めて象徴的だ。アンドロイドのチャン・チェンもまた、人と同じように嫉妬の涙を流す。過去の女性に似た人造人間に、木村拓哉は自分の悲しい過去を託そうとするが、模造品である女性たちにもその想いは受け入れられない。欲望や価値が多様化/細分化した現在の情況の中で、なおも求められる「あの人でなければ、ダメなんだ」という想いを、木村はナレーションも含め全編にわたって繊細に表現している。
 そして、この交換可能/不可能性という根源的な問題をウォン・カーウァイが作品の中で描くために、レスリーの不在は、必要な「不在」であった。皆から愛された哥哥(お兄さん。香港ではそう呼ばれていた)の不幸な最期は悲しむべきことだが、長く中断されていた『2046』の撮影再開が、彼の死と密接に関係していることはまず間違いない。そして、これは返還後停滞していた香港映画の空白を十分に埋める作品であり、レスリーが最期までこだわり続けたアジア映画の未来を切り開く作品となるだろう。
 列車は我々を乗せ、動き出した。
                                   (二〇〇五・一)

Queen's Cafe Hong Kong
@Nobuchika Kitani

鋼鉄の魔女と偽史への欲望 —映画『ローレライ』と小説『終戦のローレライ』

 昨年のサッカーアジア杯が行われた重慶においての、日本チームへのブーイングは記憶に新しいが、その地に歴史的経緯があるにせよ、我々にとっては唐突な印象であったことは否めない。それが今年になって日本の国連常任理事国入りの動きや、歴史教科書の内容、竹島問題をめぐり、北京・上海・ソウル等大都市において反日デモが同時多発的に勃発した。中国への日系企業の進出や、韓国との文化交流がここ数年加速化していたが、今回の出来事で、東アジア全体で過去の共有化が全く為されていないことが明らかになった。報道では事件の背景にあるという中国の反日・愛国教育がクローズアップされていたが、我が国も日の丸・君が代の強要により、教育現場が大きく揺れ動いている。自国中心の歴史を語っているという点では、両国の溝は余りにも大きい。
 教科書問題で言うなれば、これを超克するため、「歴史認識の共有」を目指す日本・中国・韓国の共同編集の歴史教科書『未来をひらく歴史』(日中韓3国共通歴史教材委員会)が準備されている。毎回問題となる東アジアにおける近現代史の整理は急務であり、混乱を生まぬ新たな歴史認識の構築が待たれる。
 一方サブカルチャー側からも歴史を問い直す動きがある。話題となっている映画『ローレライ』と小説『終戦のローレライ』である。前者は『平成ガメラシリーズ』の特殊技術監督であった樋口真嗣がメガホンを取り、今春公開され動員数一五〇万人、興行収入二〇億円を突破している。後者は映画製作と平行して福井晴敏によって執筆され二〇〇二年に刊行、吉川英治文学新人賞と日本冒険小説協会大賞などの高い評価を得て、一四五万部を突破している。
 物語の舞台は第二次世界大戦末期の日本。映画の冒頭では広島に原子爆弾が投下され、南太平洋上のテニアン島では続く攻撃の準備が進行している。この危機的状況を打破するため日本海軍は切り札として、フランスからナチスドイツへと渡った数奇な運命を持つ戦利潜水艦《伊507》をして米国太平洋艦隊の防衛線を単独突破し、原爆を積載した輸送艦を撃沈するという任務を絹見真一少佐(役所広司)に与える。彼は特攻に反対し教官職に回されていた。
 この偽史的展開にミステリーの要素が加わり、絹見を派遣する軍令部作戦課長の浅倉良橘大佐(堤真一)は実は「戦後の日本の堕落」を想定しており、首都を破壊することによって逆説的な「日本の再生」を目論んでいる。よって《伊507》が搭載する《ローレライ・システム》を取引材料として、米国に東京への原爆投下を依頼する。しかし、絹見は同胞を見殺しにして国家の再生などありえないと浅倉の命令を拒否し、彼の息のかかった者達による艦内の叛乱を鎮圧する。そして、《伊507》は当初の命令通り、第三の原爆を阻止するためテニアン島に向かう。
︽ローレライ・システム》とはソナーに代わる高感度索敵装置で、自艦の位置と攻撃目標を三次元で再現出来、当時困難であった水中での正確な雷撃戦が仕掛けられる。ただし、《鋼鉄の魔女》と怖れられるシステムの中央は水を媒介にして地形を感知出来る少女(パウラ・A・エブナー)で、雷撃で戦死する何百もの兵士の苦痛をも感知し、一回の攻撃で機能はダウンする。兵器としては不完全だが、来るべき核時代を見据えた場合、「世界の勢力図を変えられる」力があり、浅見との取引が失敗に終わった後も米軍は捕獲に躍起になる。
 この物語に対し「戦争の残酷な真実が遠のいていく」(映画人九条の会・山田和夫)という危惧や、「ゆっくりとナショナリズムに傾倒していく日本を表すものとして、これ以上ふさわしい作品があるだろうか」(デーナ・ルイス「ニューズウィーク」二〇〇五・三・二三)と不安を表するのは容易いが、好戦的だの右傾化だのという雑駁な議論より、問題はこの「第三の原爆投下阻止」という偽史が要請される今時性に向かわなければならないだろう。
 今時的問題の一つは、戦争体験者の語る場が戦後六〇年を迎え確実に減少していく中で、サブカルチャーだけが戦争を語り続けてきたという点である。「アニメーションだけが、戦争を描き続けた」(富野由悠喜、大塚英志他『戦争と平和』徳間書店 二〇〇二・五)という物言いが成立するのは、戦争表現としてサブカルチャーが一定のポピュラリティーを獲得してきた事態を表している。『ローレライ』にも、アニメ的ガジェットを日本映画に活かすという目論見と、戦争体験を生の声で聞いた最後の世代が(樋口は一九六五年、福井は六八年生まれ)次世代に戦争を語るという狙いがあったという。作品の設定や展開がマンガ的と言えばそれまでだが、大量破壊兵器の持ちうる強大な力とその代償を少女に負わせるという仕掛けは「戦争の悲惨」を(分かりやすく)語るという課題を一定引き受けている。
 また米国に対する戦いが様々な形で示されているのも極めて今日的である。首都殲滅という陰謀をめぐり浅倉と絹見は対立するが、両者とも敗戦後の「アメリカの影」という問題に向き合っているという点では同じである。浅倉は「優れた人間は皆、この戦争で死んでしまった」という。彼はミッドウェー敗退後、独自に南方戦線に従軍し、現場で日本の政治的判断の誤りを見ようとした(艦内で叛乱を起こすのも浅倉と南方の極限状態を共にした兵士が中心)。だからこそ、国策をたがえたにも拘らず生き残ろうとする「臆病者の作る戦後」を断罪しようとする。百年後、米国に追従し堕落する国に価値はなく、東京を焼き払い「過ちを正す」という。戦争責任のある海軍上層部(小説では天皇とその「無責任の体系」)を葬るために東京に原爆を落とすという計画は荒唐無稽だが、それは拙速な近代日本への批評であると同時に、浅倉の未来に向けた米国との戦い方でもあった。
 絹見はこの意を退け、ヒロイックに米国に戦いを挑むが、彼が守りたいのは、「亡妻との思い出の地」としての東京である点が、今時的問題性の三つ目である。艦長補佐の木崎茂房大尉(柳葉敏郎)も「子どもたちの未来」のために戦うといい、妻夫木聡演じる折笠征人一曹も戦う理由をパウラ(香椎由宇)に問うが、自分では上手く説明出来ない。「何のために戦っているのか」という問いはここではほとんど、「何のために生きているのか」という実存的問いに近い。北田暁大は『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス 二〇〇五・二)で昨今の若年層の動向について、「『この私』と『世界』の短絡。他に代替不可能な『この私』『自分らしさ』への執着と、『国家』『世界』『正義』といった壮大でロマンティックな世界観の希求とが、縫合不全も起こさず共存している」と分析するが、その定義に則ると、米国への徹底抗戦と実存的問いが混淆する『ローレライ』は若年層の動向を回収する構造を持っているといえるだろう。
 政治的にこれは、かつての「ロマン主義的な左翼」を「草の根から、心情的にも課題的にも反米保守が掬い上げている」という問題に重なるだろう(絓秀美他『LEFT ALONE』明石書店 二〇〇五・二)。「68年革命」の再評価の先鋒である絓に対し花咲政之輔は「左翼的なものがベ平連的な欺瞞というか、教師のご託宣というか、結局敵対的なもの、ウザイものにしか見えない」と指摘し、絓も「68年革命」という「ある種の市民主義、市民左翼の勝利が、むしろ若いやつを右傾化させている」と、昨今の主張をここではやや修正している。
 若年層のロマン主義を左側がフォロー出来ていないという事態は、例えば九条の会のメンバーの高齢ぶり(加藤周一、鶴見俊輔)からも明らかであろう。筆者はたまたま神奈川での講演会(二〇〇五・二・二五)に参加したが学生や若い労働者は見られず、集まっていたのはほとんどリタイア組であった。「新しい時代を作るのは老人ではない」とすれば、若い世代のための新たな記憶の獲得、偽史への欲望をも包み込んだ強靭な表現が待たれる(それはまたしてもサブカルの側からかもしれないが)。
 現在『ローレライ』は海を渡り、イタリアを皮切りに、上映国を拡大している。
                                   (二〇〇五・五)

召喚される《アッツ島玉砕》 —藤田嗣治の戦争画と会田誠

 不遇の、あるいは半ば伝説と化した画家・藤田嗣治の過去最大の回顧展が、東京国立近代美術館で開催された。生誕一二〇年を記念し、その後各地を巡回する展示は彼の生涯の創作活動を大観する網羅的なラインナップであった。とりわけ意義深いと思われるは、藤田の命運を変えた戦争画の公開である。
 戦争記録画、いわゆる戦争画とは先の大戦で陸軍が主導した、国威発揚のための美術家動員の一つである。小磯良平、宮本三郎など戦後も変わらず画壇に君臨した作家の多くも戦地に赴いた。藤田がフランスでの活躍以外に初めて国内でその画業が認められたのが、皮肉にもこの戦争協力であった。散逸を免れたものは戦後GHQに接収されたが、一九七〇年になって無期限貸与という形で一五〇枚余りが国内に返還されている。この美術史の空白は、収蔵館での常設展で数枚の公開はあるものの、それ自体の回顧展は行われていない。藤田は一四枚と最も多くの戦争画を残しているが、今回の展示は、《アッツ島玉砕》《サイパン島同胞臣節を全うす》など僅か五枚のみの公開であった。どのような力学が働いているのか分からないが、しかしタブーはまだタブーのままであった。
 藤田は画壇の戦争責任を一人背負ってフランスに去ったという。未だに戦争画は公開されない上に「敗けて行く戦争を勝利しているかのように見せかけ」た「騙し絵」、「芸術家の奢りと『無知な大衆』より劣る精神の貧弱さ」であったという厳しい歴史的評価も根強くある(司修『戦争と美術』岩波新書 一九九二・七)。また戦時の藤田の言説も、明らかに時局に協力的であるのも事実である。
 しかし、六〇年経った今、忽然と現れた戦争画は見慣れぬ亡霊のようで、《アッツ》にしろ《血戦ガダルカナル》にしろ、極めて厭戦的ともとれる暗い「歴史画」である。展示ではこのコーナーだけが暗い照明で、作家の不幸な時代を演出していた。幾重にも重なる兵士の群れと、死を待つ民衆を描いた筆致には、戦争の悲惨を超えた凄みが宿っており、時局と藤田の技巧の不幸な邂逅がこれらの傑作を生んだといえよう。
 戦争画に対する批評と再考は椹木野衣など美術評論家によってなされている。一方、実作によっては、その名も《戦争画リターンズ》という連作で執拗に問い返しているのが、現代美術作家・会田誠である。その不埒な作品群は、単なる冗談、酷い悪ふざけ、良識を逆撫でする幼児性に満ちたものも多いが、それゆえ鋭利な攻撃性を備えた、一個の批評たり得る作品もまた散見される。《戦争画リターンズ》では、例えば、先の大戦の我が国のアジアでの所業を老人の遊戯に擬した《ゲートボール》などは「酷い」部類に入るであろうが、セーラー服とチョゴリの少女がそれぞれ「日章旗」と「太極旗」を持ち、焼け跡で対峙する《美しい旗》の叙情性は、我が国と大韓民国の融和を思わせ、反戦/厭戦的表現なのか、あるいその逆なのか判然としない魅力があり、大塚英志の著作の装丁にも用いられている。前者はアメコミ風、後者は宗達の《風神雷神図》を思わせる二曲一双屏風で、会田のスタイルは一様でない。
 その名に美術界のタブーを冠していることが物語るように、攻撃の矛先は自ずと画壇の大家へと向かう。最も注目していいのは、平山郁夫が薬師寺に献納した《明けゆく長安大雁塔》そのままの構図とタッチを持つ《一日一善!》で、タイトルは彼の慈善事業を端から貶めたものである。さらに塔をバックに、一九九二年の訪中を戯画化しているのか今上天皇が登場し、彼を迎える三人の坊主の顔は「へのへのもへじ」である。白い鳩と顔のない僧侶に囲まれた天皇に、「郁夫」の署名。平山を「天皇」になぞらえ、同一化させるかのような構図は極めて確信犯的である。さらに平山の「素朴」な技巧をそのまま模倣することで、パロディとしての度合いは高まる。この鮮やかなテロリズムは平山攻撃と天皇制批判、つまり画壇への異議申し立てと共同体批判とを一つの画によって表現し、さらに倍加させることに成功している。
 画風や構図を模して茶化すやり口は、以前だと東山魁夷の《道》を強烈に皮肉った《あぜ道》などが挙げられる(農道と女子高生のお下げの分け目を重ねた絵で、単なる「騙し絵」として教科書にも採用されている)。また9.11を予見したかのような《紐育空爆之図》では、CGで貼つけられた無数の零戦がマンハッタン上空を乱舞しているが、これは明らかに加山又造の《千羽鶴》を「コケにして」いるといえる(双方とも山下裕二の指摘)。
 会田は腕が立つと評されているが、先に述べたように批評性(悪意)を自在に展開するためか、いわゆる画風やスタイルは一定ではない。藤田がしばし軍部に利用された単なる「アルチザン」であると、技巧の高ささえも軽蔑の対象とされたのに比して、会田の変幻自在なスタイルの変転とその技術の高さは、むしろ批評性を際立たせる利点となっている。
 実際、「大唐西域壁画殿」などという建物まで造った平山の薬師寺の壁画や、東山魁夷の画業で言えば、唐招提寺の障壁画には「賛否」があることだろう。ここではそれら作品についての「是非」は問わない。しかし、平山にしろ、東山魁夷にしろ、公的、歴史的空間に個人の作品を陳列させるということは、大変な権力の顕れである。この権力構造を天皇制に模し、画壇の村社会性を撃つ会田の態度は、権威に対してごく自然な所為のように思われる。そして、その批評はやはり戦争画という共同体の暗部を問題化することで、遂行せねばならなかったのだろう。
 昨年開催された「GUNDAM 来たるべき未来のために」は『機動戦士ガンダム』というサブカルチャー的主題を現代美術作家が料理するコンセプトであったが、再三の要請があり会田は《戦争画リターンズ》の「番外編」を出品している(他には天明屋尚、常磐響、宇川直宏などが参加。キュレーションは東谷隆司)。その翻案は露骨で、藤田の《アッツ島玉砕》の死にゆく兵士たちを、『ガンダム』に登場するザクと呼ばれるモビルスーツ(人型ロボット)に置換し、キャンバスを埋め尽くしている。ナンセンスと言えばそれまでだが、批評性が幾分少ないことと引き換えに、ここでは画壇から弾き出された藤田への親和性さえ感じる。
 雑魚を連想させるザクは安価な量産型で、アッツ島で玉砕する一兵卒がそのまま重なる。アイロニカルな面はそれだけで、出鱈目でやけっぱちな攻撃性を発揮している彼の怪作群の中では、逆に不満の残る作品といえる。大作を召喚したものの、いつもの批評性が欠落しているからだろうか。
 会田には既に《題知らず》という原爆ドームとパルテノンをただ重ねて描いただけの作品がある。藤田の戦争画に内地の悲惨は無いが、会田は原爆を描くことで、戦争を表象することを完遂している。そういう意味では、戦争画自体は、終わっていなかった。(原爆ドームの世界遺産登録に米中が反対したことと、この画は無関係ではあるまい。)
 戦争画が終わっていないことは、米国からの無期限貸与という歪な形からもうかがえる。公開を拒んでいるのは、むしろ「画壇」の側であろうか。禁忌を全面公開した上で、この「歴史画」の再評価と再批評、藤田を追放した空虚の中心の意味を問うことが、求められている。
                                   (二〇〇六・七)

愛する人を守ることに対峙する人 —黒木和雄『紙屋悦子の青春』

 戦争の日常を描いた『戦争レクイエム三部作』で、近年高い評価を得ていた映画監督・黒木和雄が、最新作である『紙屋悦子の青春』の公開を待たずに今年四月急逝した。七五歳であった。結果的に遺作となってしまった同作が、現在全国で公開中である(東京は岩波ホールで一一月上旬まで)。
 昨年の「キネマ旬報」(八月下旬号)の戦後六〇年企画の中で大林宣彦は、黒木に「殺戮と破壊の悲惨さを画にした戦争映画」を作って欲しいとインタビューでエールを送っていた。これは大林の「人間には殺戮と破壊を無自覚に描く資格はないけれど、十分に自覚したごく少数の人々が殺戮と破壊を描き検証することは必要なのではないか」という問題意識による発言だが、黒木は遺作においても戦場の表現を排除し、徹底して戦争の日常/日常としての戦争を描き切った。『紙屋悦子の青春』において、戦争は「海の向こう」の出来事として描かれ、直接的な「殺戮」や「破壊」の表現は一切ない。
 この態度は、昨今の戦争表現の中では、正に貴重な存在であった。昨年は戦後六〇年という区切りの年であり、また液状化的に右傾する昨今の情勢を反映してか、戦場のスペクタクルを活写する戦争映画が多く見られた。例えば、福井晴敏原作『ローレライ』『戦国自衛隊1549』『亡国のイージス』などの架空戦記物がそれで、ある程度のヒットを記録している。中でも戦艦大和の沖縄特攻を中心に描く佐藤純彌監督『男たちの大和』は、今年にかけて興収五〇億円を叩き出し、好調な邦画界の中でも最大規模の支持を得ている。ロケ地の尾道では、数億かけてこの超弩級戦艦の実物大セットが組まれたという。
 これらに対し、銃後の生活をたどる『紙屋悦子の青春』は、敗戦の年のほんの数日を木村威夫のセットで切り取ったものである。端的に言えば、悦子というヒロイン(原田知世)をめぐり、彼女を愛する航空士官の明石(松岡俊介)が、友人である整備士官の永与(永瀬正敏)に彼女を託すという物語である。明石は悦子の兄(小林薫)の旧制高校の後輩で、紙屋家とは親しい。嫂のふさ(本上まなみ)によれば、悦子もまた密かに明石に思いを寄せているという。
 しかし、折しも彼らの日常に不可視の戦争は確実に忍び寄って来る。縁談はそのことに関係する。悦子の両親は三月の東京大空襲に巻き込まれ死亡し、兄の工場も空襲で閉鎖されている。戦局が悪化する中、鹿児島の航空隊に所属する明石は早晩特攻作戦に志願せざるを得ない。整備士官の永与の方が生き残る可能性は高い。国家のために命を捧げる前に、友人に愛する人を託すという行為は、現在の社会風俗からすると考え難いが、そんな判断しか出来ないつたなさ、若さを松岡と永瀬は見事に演じている。悲壮ともとれる戦時の縁談も、突然の兄の徴用も、配給の苦労も戦争映画としては例外的に笑いを誘い、すれ違いの会話は時にコミカルでさえある。
 特攻を描いているものでは、同じく公開中の佐々部清監督・山田洋次他脚本『出口のない海』がある。人間魚雷「回天」の乗組員を描く青春群像で、製作意図としては、明白に反戦思想があると思われる。ゆえに、物語は覚悟を決めた特攻隊員になかなか「名誉ある死」を与えてくれない。劇的に死地に送り出される隊員が何度も故障で戻り、二度の出撃で四人のうち三人が生き残ってしまう。「十死零生」の特攻兵器に押し込まれ、また偶然から生の側に引きずり出される。この緊張と弛緩の繰り返しで、潜水艇の息苦しさ、戦争の不条理さ、生死を決定する境界の曖昧さは遺憾なく表現されている。しかも、作戦で生き残った主人公・並木(市川海老蔵)はその後の訓練中に事故死し、その死は徹底して無意味なものとして描かれる。
 しかしながら、並木の死は同時に大仰な音楽と共に、郷土愛と愛国心が混淆したようなナレーションによって彩られ、カメラはこの国の美しい国土、風景を映してしまう欲望には抗しきれていない。このことは、タイトルにしか音をつけず「感傷に流れる傾向をできるだけ避けたい」という『紙屋悦子の青春』の制作意図とは全く対照的である。擁護するならば、この映画の前半の銃後の日常は非常に静謐に描かれている。家族や恋人との別れも、「特攻」の機密保持という事情からか、劇的ではない。しかし、いざ戦場を描くにあっては抑制無く、「愛する人と国を守るために戦う」というメロドラマに劇は回収されてしまう。
 また宣伝文句も『男たちの大和』(「もう会えない、君を守る」)同様に「愛する人を守るために戦う」的な愛国心を煽るような文言が目立つ(例えば、製作参加ASAの朝日新聞PR版「その日、彼らは死ぬために回天に乗った。愛する人たちを守れると信じて」など)。登場人物達は、何も皆「愛する人を守るため」に死地に赴いているのではない。「多少は人間扱いしてくれる」海軍に志願する学徒兵たちのそれぞれの夢は、六大学野球で活躍するための魔球の完成であったり、陸上競技でのオリンピック出場であったりする。そのことは作品で丹念に描かれている。しかし、大手映画会社によって配給される戦争表現は、相変わらずメディアの中で愛国・復古的言説に消費されていく危険性をはらんでいる。
﹁愛する人を守るために戦う」という至極単純な論理、あるいは「美しい国」という極めて茫漠としたイメージが戦争表現において先行する中、『紙屋悦子の青春』では特攻はどう描かれているのか。
 物語の終局、明石は翌日特攻作戦に参加することを紙屋家に伝えに行く。二人きりにされた悦子と明石だが、「笑顔で見送ってください」と乞う明石に「…敵艦をば…敵の空母をば、沈めなさることを、祈っております」と悦子は居住まいを正し、自分の気持ちは「どうかお身体…御自愛下さい」と言うのが精一杯である。悦子は別れの後、席を立つ明石を追うことも出来ず(ふさは追えと言うが)、ただ嗚咽するのみである。
 後日、永与はその遺書を携えて明石の死を伝えに来る。悦子の手に落ちた遺書の内容は映画では明らかにされない。永与に嫁ぐ決心をした悦子は、その手紙を読んだのかどうか。劇中では少なくとも、特攻志願という決定的判断が、「愛する人を守るため」なのか何なのか、何故志願せざるを得なかったのか、その理由や背景は何一つ開示されることはない。この曖昧さを残したことは逆に、既に亡き死者の声を「愛する人を守るため」に戦うという言説に回収させないという確かな意志が、作り手にあることを思わせる。黒木は、明石の死を何事にも利用してはいない。
﹃紙屋悦子の青春』は松田正隆の舞台劇が原作である。松田は黒木の『TOMORROW/明日』(一九八八)を見た感動から本作を書いたが、それを知らずに黒木は自伝的作品『美しい夏キリシマ』(二〇〇三)の脚本協力を依頼したという出来過ぎたエピソードがある。前作の『父と暮らせば』(二〇〇四)にせよ、舞台劇の転用という映画としては特異な形式が、結果的に高い評価を得る要因となった。これについては様々な解釈があるだろうが、黒木作品の出演が最も多い原田芳雄が語る「早く撮ってしまいたい」「焦燥感」があったというのが、かなり本心に近い推理ではないだろうか(ETV特集『戦争へのまなざし 映画作家黒木和雄の世界』)。新たなシナリオや、戯曲を映画用に書き替えるには、数年を要するだろう。以前大病を患った黒木には時間が無かったのだ。そして時代への危機感が、晩年の作品量産に繋がったことは想像に難くない。
 新聞/テレビなどのメディアが翼賛化する中で、戦争のスペクタクルを拒否し、その日常を描くという「不自由」な表現(劇場版パンフレット 竹内銃一郎)を選んだ黒木の方法論はまた、極めて倫理的である。戦争を「自由」に描かないという気骨を貫いた黒木和雄の死は、暗い時代を歩むための地図を我々が奪われたようで、残念でならない。
                                   (二〇〇六・九)

引き絞られた言葉の「貧しさ」 —井口時男『暴力的な現在』

 かつて小林秀雄は、実作者を前にして『金閣寺』を「抒情詩」だと、その小説性を否定した。暴力や犯罪を語ることに伴うべき倫理性を問う上で、著者もこの対談(「美のかたち」)を参照している。小林によれば『金閣寺』は「やるまで」の小説であって、ドストエフスキーを例に、小説とは基本的に「やっちゃって」からのこと、犯罪でいうなればその動機より、犯行後に現れてくる「世間」と、「主観的」世界が壊れた後の犯罪者自身の関係が問題だという。
 動機小説である『金閣寺』の〈語り手〉は、金閣を焼いた後、「生きよう」と思う。三島由紀夫には「人間がこれから生きようとするとき牢屋しかない」という狙いがあったが、これは本書において批判の対象である現代小説群に比して、思えば驚くほど倫理的な態度であり、小林の小説観や批評の射程を遥かに超えていた。三島が三〇歳の時に、自らの青春の総決算のために書いた小説は、今日「大人の仕事」といえる。
 では、「暴力的な現在」を活写する文学の問題性とは何か。第一部で著者は、阿部和重や中原昌也、舞城王太郎など暴力的主題を売り物にする人気作家の内実を、その作品に書かれる暴力と、現実世界で表出する暴力行為とを地続きに論じることによって明確にしようと試みている。暴力的表現が既に手法化されて久しいサブカルチャーや、9・11後の荒廃した世界に文学が包囲された結果、現代小説は元来持ち得ない即応性や、内省の無い速度のみを追求した文体を含有するに至った。そして、著者のいう「中学生式」あるいはメディアに植民地化されたある種の「貧しさ」が、その描写に増殖し続けている。
 ゆえに、世を震撼させた酒鬼薔薇聖斗の言葉「懲役13年」や、母親に劇薬タリウムを盛った少女の言葉は、ここでは広範に押さえられている現代小説の言葉に対して、死によって「ぎりぎりに引き絞られた」自己認識の言葉として評価の対象となっている。このことは、著者との関係も深い永山則夫の言葉の引用が、犯行直後の日記に集中していることに直結している。永山がその犯行後の言葉と同等の強度の文体を持ち得るのは、獄中で小説が書き継がれたずっと後になってのことだという。書くという行為は、行為自体になかなか追いつかない。
 言葉と暴力が乖離する問題は、その死後に書き継がれた第二部の中上健次論の要諦「言葉は嘘である」という背理に通じており、第三部の島田雅彦の模造性や小林恭二の描く偽史など、あらかじめ倫理性が封殺されている八〇年代終末論批判が通低音として響いている。
 本書では無論、暴力を論じる上で、読むに堪えない「暴力的」描写も余儀なくされている。著者は文学が屹立する場所を探る上で、むしろ言葉のない魔の世界へ足を踏み入れている。それは死んだはずの文学の延命治療のためではなく、暴力の意味、「なぜ人を殺してはいけないの?」という愚問が跋扈ばっこする世界に対して、問い返すこと、即答しない態度の表明であり、その疑問に広がりや深みを示す可能性を、文学が持ち得ているという確信によって突き動かされている。

                  井口時男 著『暴力的な現在』(作品社 二〇〇六・九)

星条旗をまとった英雄 —『硫黄島からの手紙』に見る「日本映画」の現在

 田草川弘『黒澤明VSハリウッド』(文藝春秋 二〇〇六・四)は物々しいタイトルが示すように、我が国を代表する映画監督と米国の映画製作システムとの戦い、映画『トラ・トラ・トラ』における黒澤明とフォックス社との攻防と、その解任劇を描く労作であった。「騙し討ちだ、なんてもう誰にも言わせない」という意気込みで、山本五十六の悲劇的運命を描こうとした黒澤の野望はついえ、結果、実に味気ない完成品があることを我々は知っている。著者は監督更迭そのものを真珠湾になぞらえていたが、敗戦国が戦勝国の映画で歴史を語る難しさを、この挫折は物語っている。
 そして今日、日米決戦の最終局面を双方から描いたのが、クリント・イーストウッド監督『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』である。前者はあの「もっとも美しい戦争写真」といわれる、擂鉢山すりばちやまに星条旗を掲揚する写真をめぐる物語で、後者は防戦する日本軍側に立ち、ほぼ全編日本語の作品である。二作品で交戦国双方の視点に立つという手法は稀有な例であろうが、「製作」のイーストウッドによって、日本人監督は抜擢されていない。
 二構成のねらいなのか、互いの敵が見えないという点で両作品は共通している。『父親たちの星条旗』の戦闘シーンで日本兵は辛うじて東洋人と分かる程度、『硫黄島からの手紙』で戦う相手が明確になるのは、バロン西(ロスオリンピック馬術競技金メダリスト、西竹一中佐)が若い米兵を助ける場面など数ヶ所のみである。敵が姿を見せない、そのことは内なる敵を描くという方向に作品が向かうことを意味している。
 前者において、星条旗を掲げ英雄として凱旋した兵士たちの敵は、凄惨な戦場の記憶であり、民族的軋轢あつれきであり、流した血を利用しようとする為政者たちである。彼らは逼迫ひっぱくした戦時国債のキャンペーンに引きずり出される。スタジアムの大観衆の前で、張りぼての擂鉢山に登らされる兵士の描写を、仮にプロパガンダの恐怖や、現在も「戦時下」にある自国への政治批判ととらえても良いだろう。実は旗は二回掲げられており、写真は二度目のものである。また掲揚した六人のうち、生きて島を出た者は三人だけである。そのために生き残った兵士の苦悩は大きい。利用された三人は、それぞれ戦時のトラウマやアメリカン・ドリームの挫折、人種差別など、米国の病理そのものとの戦いを強いられる。
 一方『硫黄島からの手紙』において示されるのは、米軍の圧倒的な物量である(海上を埋め尽くす艦艇は、『スター・ウォーズ』の如く紋切り型のCGで貼つけられている)。そのことは上陸前に総司令官の栗林忠道中将(渡辺謙)の中でもはっきりとしている。栗林は対米開戦に反対したという点では、映画の冒頭でもその名を口にされる山本五十六と共通している。彼らは米国での留学経験があり、その工業力、軍事力を知悉ちしつしていた。
 ゆえに上陸前の敵はまず、本土防衛の要衝である硫黄島を見捨てて、情報も補給も与えない大本営であり、サイパンの短期陥落の原因である水際作戦(敵を上陸させない伝統的戦法)や無意味なバンザイ突撃、早期の玉砕を主張する部下たちであり、作戦方針で対立する海軍であり、必敗の戦いを強いる状況そのものが敵であった。また、河川を持たず、六〇度を超える地熱と吹き出す硫黄ガスは、栗林の地下要塞構築を阻み、土地そのものも決して味方しない。
 栗林は史実でも多くの部下を更迭したというが、劇中でも「陸士上がり」「やっかいもの」などと幕僚から強い反発を受ける。唯一の理解者がバロン西(伊原剛志)である。西もその華麗な経歴から米国に知人も多く、栗林と同じくここでは仮に開明的、外交的存在といっていいだろう。連合艦隊のマリアナ沖海戦の惨敗も西によって知らされ、この情報から栗林による作戦の建て直しが本格化する。旧弊な陸軍内部のやり方と彼らが対立したからこそ、上陸後五日で陥落するといわれた島を一ヶ月以上守ることが出来た、少なくともそのような描かれ方になっている(歴史はその後、栗林の望んだ和平とは別の道を歩むことになるが)。
 ほとんど親米といっていい二人は洒脱そのものであり、ジョニー・ウォーカーで杯を重ね、兵に良く声をかけ、将校に厳しい。捕虜をかばい、「若造、お前はアメリカ人に会ったことがあるのか?」と兵たちを諭す西は、「新世界」としてのアメリカを彼らに見せつける。また、視点人物的役割の一兵卒西郷(二宮和也)もこの二人に寄り添った極めて現代的、アメリカナイズされた人物設定である。
 作戦の合理性や開明的な気質、これらと国に殉じるということとは、劇中ではいささかも矛盾していない。「天皇陛下万歳」を唱え、兵士を鼓舞する渡辺版栗林の姿には、韜晦とうかいもなければ皮肉もない。負傷した西も、俘虜になることを危惧し、迷わず自決している。作品も二人の人物像も危ういバランスにあるが、俳優陣の自在な演技でその均衡は保たれている。一方の『父親たちの星条旗』の帰還兵たちが英雄の戯画であるならば、栗林や西は、むしろ新しい(発見された)英雄像として提示されている。
 彼ら必敗の戦いの目的はただ一つ、それは太平洋の要地を守ることで一日でも本土への空襲を防ぐことにあった。そして、「どうかアッツ島のようにやってくれ」という東條英機の望み通りに、硫黄島は米軍に最大の被害を与える戦場となる。栗林は突撃前に全将兵に向けてこう叫ぶ、「予は常に諸子の先頭に在り」と。巨視的な視点からすると、全くの無為な行為であるかに見えるが、合理主義と古き徳目が複雑に交差する(仮想の)指揮官の矜持がここにある。
 問題はこの新しい英雄像が、外国人監督の手によって完成させられたということであろう(またぞろ日本国内で出現する栗林のノイローゼ、部下斬首説などもこの点から興味深い)。また中原昌也が言うように「どの日本映画より高い水準」(『文学界』二〇〇七・一)であるとすれば、昨年公開されたソクーロフ『太陽』が軽やかに菊のカーテンを超えていったように、先の大戦の捉え直しの一つの形が他国の映画によってなされたということであろう。『太陽』において、ロシア人監督が自国の参戦を描いていないことは奇妙であったが、『硫黄島からの手紙』では日本軍の愚かな手榴弾自決と米軍の捕虜虐殺という、双方の残虐な行為は実にフェアに描かれている。
 そして、昨今の日本映画の動向からすると、自らがメガホンをとるという「製作」の判断が、適切なものであったと言わざるを得ない。邦画界において、この間の急速なナショナリズムの台頭に抗しきれない作品の枚挙にはいとまがない。仮想敵国としての北朝鮮に対する憎しみや、国家の危機管理能力への期待を増殖させただけの『亡国のイージス』、無意味な海上特攻を美化した『男たちの大和』、特攻兵器に材をとりながら、殉国の美学に抗しきれなかった『出口のない海』など、娯楽大作は全て右傾化する政治情況に絡めとられているのが現実である。この国の戦争表現は、その物量においても戦略においても、ベトナム戦争後、多くの優れた戦争映画が作られた米国の「敵」ではなかった。
﹁アメリカのきもち、日本のきもち、同じきもち」というコピーが冠された『硫黄島からの手紙』は、ナショナリズムに回収される危険性も、昨今の日本映画に比べて遥かに低いだろう。日米の兵士の心情が、「同じきもち」として回収されてしまう逆輸入の日本映画にいいしれぬ違和感を覚えつつも、戦勝国の映画で過去を語るという「徒手空拳」の戦いを挑む者がいないことにこそ、筆者には不満がある(「徒手空拳」とは栗林の決別電文中の言葉、あるいは決して戦わなかった西郷が、最後にシャベルで米兵に挑むシーケンスが想起されよう)。黒澤が山本五十六を描こうとして敗れた過去に思いを馳せ、今日、この「必敗の戦い」に挑む者が誰もいない。
 スクリーンの中の英雄は、皆、星条旗をまとっていた。
                                   (二〇〇七・三)

新世紀の「歴史離れ」と「歴史其儘」
              —大河ドラマ『風林火山』が描く二一世紀の戦争

 いとも簡単に「正史」が書き換えられる、覆されるという事実が、この間の歴史教科書問題で明らかになっている。しかし、偽史・偽伝を欲望する心の動きは、歴史的解釈というよりも、本来文学の側の問題であるかもしれない。
 かつて、大岡昇平と井上靖との間でいわゆる歴史小説論争がなされ、大岡は井上の小説を「歴史小説と称しながら、諸人物の描き方、戦闘の描写、その他、アメリカのスペクタクル映画なみのいい加減なもので、大衆の口に合うように料理されたものにすぎない」と痛烈に批判した(『戦後文学論争』番町書房 一九七二・一〇)。菊地昌典は流布する歴史小説を大岡同様に、「単に舞台をその時代時代に置き、そうして心理は現代人の心理で語りかつ舞台を動き回らせるという極めて安易な方法に依拠している」「借景小説」と断じている(『歴史小説とは何か』筑摩書房 一九七九・一〇)。大岡の貶め方は一定有効であったのか、その後の井上作品は歴史描写に関しては慎重であったという。
 しかし、より大衆的な扱いと言っていい映像作品に敷衍ふえんしていえば、「イメージの正しさを最終審級として設定し、その手前で既成作品をあれこれと追求する批評」は「退屈」ともいえよう(吉本光宏『イメージの帝国/映画の終り』以文社 二〇〇七・一一)。吉本が言うように、その史実(事実)とイメージ(表象)の関係性を「語りなおすこと」こそがむしろ肝要であろう。「歴史離れ」にせよ「歴史其儘そのまま」にせよ、その時代に寄り添った表現が必要で、多くの批判が集中した井上作品の映像化が近年多いのは偶然ではあるまい。
 9・11以後のスペクタクル化した現実や、虚構との境界線を消失した世界に呼応するかのように、いうなれば新世紀のドラマに課せられた一種の宿命とも呼べるものは、この戦争のイメージを「語りなおすこと」であろうか。単なる「時代劇」といってよかろうNHK大河ドラマ『風林火山』(二〇〇七・一〜一二放映)にもこの新世紀的な表現の特徴が見られ興味深い。井上作品をあえて原作として戴くことは、あたかも存分に「歴史離れ」し、作り手の世界観を仮託すると宣言していることと同義に見える。
 ドラマ『風林火山』は、端的にいって古典的なビルドゥングス・ロマンである。無名の浪人山本勘助(内野聖陽)は、伴侶となる女を武田信虎に殺されるという荒唐無稽な出来事によって、その恨みを胸に戦国の世に名乗りを上げる。そして、父・信虎を追放し領土の拡大を目論む晴信(信玄/市川亀治郎)との出会いによって、武田の軍師として取り上げられてゆく。史実については不明な部分の多い勘助だが、その死は第四次川中島の合戦であるとされている。よってドラマはその最終決戦に向かって収斂しゅうれんしていく。川中島の戦いは戦国時代の一合戦に過ぎないが、ここではさながら世界最終戦争の様相を呈している。物語は、何度も刃を交えて、ついに雌雄を決さなかった戦いを、周到に語らねばならない。
 信玄の最大のライバルである上杉謙信(長尾景虎)は、女人を近づけぬ特異な人物であったという。過去のドラマでもエキセントリックな人物として描かれることが多いが、今作では何より「義」を重んじ、欲を捨てよと口にする禁欲主義的なキャラクターを、本業はミュージシャンであるGACKT(ガクト)が好演している。劇中何度も「むなしい」「何故欲を捨てぬ」と、その厭世観をあらわにする。
 武田が海を目指す覇権主義者であるならば、謙信はそれが分からぬ「義」の人であり、他国の領土を理由無く侵す武将ではなかった。両者の言い分は、新世紀の世界を二分する対立構造を何やら見るようだが、これも二一世紀的な「戦争」の描かれ方といえよう。海運が栄え、恵まれた土地の生まれである謙信にすれば、「なぜわざわざほかの国を侵略するのかわからない」というGACKTの発言(「風林火山 後編(NHK大河ドラマ・ストーリー)」NHK出版 二〇〇七・六)がその越後勢の立場を正しく代弁している。これに対し帝国主義/拡張主義的な信玄も、乱世の統一により平和を目指すという「義」を持ち出さねばならない(上杉家を継ぎ関東管領を拝した謙信に対し、信玄は信濃守護を任ぜられる)。謙信の「義」に対し、信玄も大義名分をかざし、「義」と「義」の戦いに物語は向かっていく。
 前半は近来の大河ドラマ同様に「『借景ドラマ』とも言うべき、歴史ドラマの皮をかぶったホームドラマ」(小谷野敦『すばらしき愚民社会』新潮文庫 二〇〇七・一)に堕している回も多かったが(原作にある由布姫と勘助のエピソードなど)、この『風林火山』が二一世紀の戦争の戯画として立ち上がってくるのは、おそらく信濃の村上義清(永島敏行)攻略あたりからであろう。信虎と同じく他国を侵す信玄が「義」の人として変化するのは、このときの二人の重臣の死によってである。「戦さを早く終わらせるため」に、謀略により村上を討とうとして失敗する甘利虎泰(竜雷太)や、身をもってその戦いの無意味さを知らしめる板垣信方(千葉真一)の諌死とも呼べる行動によって、信玄の覇権主義は、戦さの意味を超越した「義」を得ることとなる。
 その後の勘助の越後潜入は、力でねじ伏せる信玄が折れ、「はかりごとで戦さに勝つ」という勘助の信念そのものの具現化である。「歴史的」にはあり得ない勘助と謙信のやり取りの中で、両陣営の違いはより鮮明になる。命が惜しければ「毘沙門天に祈れ」と叫ぶGACKT謙信と、「神仏に一度も救われたことはない」と応ずる内野勘助の戦いは、無論現在の宗教/民族紛争の露悪的なパロディでもある。そして、「わしに仕えれば、命は助ける」と宗旨替えを迫る謙信に対し、勘助はすでに「人(信玄)に救われている」とその思いを吐露する。謙信とて「神仏」といいながら、己に暗く、両者はその対立の基底を形作る信条の脆弱さを露呈したまま、最終決戦で再会することになる。
 では、このデタラメともいえる「借景ドラマ」に如何ほどの現代的意味があろうか。戦いの果て、物語の終局では信玄と謙信の末路が静かに語られる。次代を拓く信長は配役さえなく、家康もわずかに今川家の一武将として登場するのみで、乱世の夜明けは全く見えない。この戦いに結末がないこともまた今日的であろう。
﹁なぜ戦うのか」と叫ぶ謙信の軍師、宇佐美定満(緒形拳)の疑義は川中島でむなしく四散する。劇中に描かれてきたポリティカル・コレクト(「義」と「義」の争い)はここでは意味を失い、それぞれの神のための戦いは相対的世界として放擲され、その中での登場人物の錯誤はさらけ出される。大望がなければ、恨みを晴らしたとて何になる——その信玄の言葉に導かれてきた勘助の戦いは幕を下ろすが、彼が最期まで手にしていたのは、亡き伴侶の形見である摩利支天であった。
 クランクアップ後、GACKTは新潟県中越沖地震で被災した上越市の「謙信公祭」に登場し、そのとき何度も「まかり越した」と挨拶したという。——つまり、冥府より破壊された故郷に、謙信が「帰って来た」と。彼は劇中でもこう語っている。「死してなお、この地を守りたい」と。
 戦いの果てに謙信が行き着いた場所での発言に、多くの人々が勇気づけられたという。ここには「現実」に働きかける、あるいは「語りなおすこと」によってなお生きてくる虚構(作品)の力がある。
                                   (二〇〇八・五)

不快としての高揚感 —現代作家と暴力表現の変遷

 かつて三島由紀夫は自作『金閣寺』への擁護として、「人間がこれから生きようとするとき牢屋しかない」と語ったが、その「牢獄」としての「生」を自ら構築出来ず、「生きよう」とする意志を放擲し、自滅に他人を巻き添えにする事件が多発している。殺人事件は戦後を通して、むしろ減っているというデータや議論はあるが、ナイフで次々刺すという猟奇性、ネットへの書き込みを含む劇場型展開、杜撰な模倣犯の連続、そして「誰でもいい」という点で、秋葉原殺傷事件後の犯罪は特徴的ともいえ、不気味な暴力の現在があらわれている。
 ドキュメンタリー作家の森達也は、二一世紀の世界情勢を決定づけた9・11を、日本は一九九五年のオウム事件/阪神大震災という二つの災厄ですでに先取りしていたと評している。他者への憎悪や、セキュリティー管理への期待、自分の神以外への不寛容など、二一世紀の暴力的要素はすでに九〇年代半ばに出揃っていた。全ては地下鉄サリン以降なのだと。
 では「敵が見えない」「殺すのは誰でもいい」という状況を撃つ文学は果たして可能か。「現実」が虚構を凌駕するという相変わらずの物言いが、しばし小説と「現実」世界の出来事との関係においてなされるが、そのターニングポイントとしての九五年を予兆的に語ったのが、今思えば村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第一部』(一九九四)の「間宮中尉の長い話」における長大な暴力表現ではなかっただろうか。デビュー作『風の歌を聴け』(一九七九)の作中人物「鼠」が書く小説に「セックスと死」が欠落していたように、「愛と死」を描いた『ノルウェイの森』(一九八七)まで春樹の初期作品では表面的な暴力描写は忌避されていた。例えば権力機構の暴力性は、「僕」が「小指のない女」に話す「折られた前歯」の由来によって静かに語られていたように、表層からは消し去られていた。
 ところが、『ねじまき鳥クロニクル』では打って変わって、夢的世界における義兄の代理殺人という大元おおもとのプロットを担保するかのように、ノモンハン事件における残虐な皮剥ぎの場面が突如挿入される。延々語られる嗜虐的描写は一見奇異な、独自の歴史の掘り起こし方であったが、今思えば「戦争の世紀」を迎え撃つためには必要な、一種遠大な試みではなかったか。
 村上龍は蓮實重彦との対談(「ユリイカ」一九九七・六 臨時増刊)において、春樹の創作態度に対する違和感を表明していたが、九五年を経て彼が上梓したのが『イン・ザ・ミソスープ』(一九九七)であった。あとがきでは、作中人物が「歌舞伎町のパブで大量殺戮を実行しているとき」に「あの神戸・須磨区の事件が起きた」ことが語られている。作中でその殺人マシーンが半生を告白するとき、酒鬼薔薇聖斗と目される少年が逮捕されたことを受け、自作と「現実」の関係性をして「憂鬱で不快」であったと記している。まるで「汚物処理のようなことを一人でまかされている気分」だというが、その「不快」感には自作が「現実」とシンクロしていることによる奇妙な高揚感さえ読みとれる。そこで展開される「小説はある情報が物語に組み込んであるだけ」「小説は翻訳である」という露悪的な論を字義通り受け取るのならば、小説家は対「現実」の情報処理役、その翻訳者といったところか。
 一方春樹は『ねじまき鳥クロニクル』完成後、河合隼雄との対談で「小説の本当の意味のメリット」を、「対応性の遅さ」「情報量の少なさ」「手工業的しんどさ(あるいはつたない個人的営為)」と定義づけており(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』岩波書店 一九九六・一二)、これは「情報」や「翻訳」としての文学という提唱とは対をなしていた。龍の『半島を出よ』(二〇〇五)で展開された杜撰な北朝鮮脅威論は、東アジア間の歴史認識の対立の「翻訳」ともいえ、「さもありそう」という括弧つきの「現実」の想定が、他者への、隣国への憎悪を増幅させている。この政治的な無自覚さは、暴力を描くことによって、逆に「現実」への的を外し、小説はその悪化に手を貸す誤「情報」に堕している。
 暴力の根源性を問うために歴史の掘り起こしに向かうベクトルと、同時代へのまなざしと即応性に向かうそれに大別するならば、後者は中学生式(井口時男)ともいうべき理由なき暴力描写の氾濫へと接続されている。例えばロールプレイング小説と揶揄されながら、『日蝕』(一九九八)における中世や、『葬送』(二〇〇二)でドラクロワの時代を現代の精神として語ってきた平野啓一郎も、今ある暴力性や風俗を描くスタイルにシフトしつつある。「現代社会の悪しき風俗を描いてみることに、或る種ルシフェル的陶酔を覚えている作家がいる。或いは、小説の中に少女売春の件などが出てくると、矢鱈と有難がって、そこに現れた『現代性』を評価するような評論家がいる」と、龍に対するあてつけを公言していた平野は、批判を覚悟で「普遍」的で「絶対の体験」を希求していたが(「スタジオ・ボイス」一九九九・二)、『決壊』(二〇〇八)においては、その「現代性」をより近い距離感で表現しようとしている。果たしてこの潮流の中で小説は可能なのだろうか。
 ひるがえって龍の小説に仮に「小説性」を見出すのであれば、それは期せずして描かれたもの、はみ出した要素にあるはずだ。「イン・ザ・ミソスープ」という陰鬱なタイトルが内包する、日本の「自他未分」の共同性を開示する可能性は、暴力描写の高揚感によって消去されており、文庫解説で河合隼雄は、そのことに不満を漏らしていた。
 また『ラブ&ポップ』(一九九六)には、援助交際する女子高生に対し、「あとがき」であっさりと「あなた達のサイドに立って、この小説を書きました」と言い切ってしまう〈作家〉の言葉を超えて、実は「ラブ」(様々な理由で買春する男達の淋しさ)と「ポップ」(キャプテンEOというイコンに代表される荒涼とした大衆文化)を語り得る可能性があった。
 しかし、〈作家〉の言葉による、この意図的な閑却と自作の意味の「単一化」への促しは、いとも簡単に北朝鮮コマンドの内面を描くことが出来るという『半島を出よ』の誤謬ごびゅうにつながっていった。
 ところで、「不快」という感情はやはり三島由紀夫『暁の寺』脱稿後の言葉を想起せざるを得ない。最後の大長編『豊饒の海』の半ばで作品内外の「現実」の緊張・対立関係が崩壊し、『暁の寺』の完結とともに、作品が〈作家〉の人生に奔流する様は「実に実に実に不快」であったと吐露されている。犯罪を描く上で三島は「倫理性」を手放すことはなかったが、「現実」世界と作品の通路には、現代作家が実践する以上に、もっと大きな抗し得ない力学が働いているはずである。
                                   (二〇〇八・九)

タブロイドの題字は日本画家の佐藤良助による。

連帯への短絡、希望としての戦争 —劇画『覇王の船』と『蟹工船』ブーム

 ポストバブルの「失われた一○年」は「雌伏の一○年」であり、誰かが「奪ってきた」年月であるというのが、雑誌「ロスジェネ」(かもがわ出版 二〇〇八・五)の刊行の言葉である。ロストジェネレーションとは、「奪われた一○年」の就職難時代に社会人となった二○代後半から三○代半ばの世代を指し、筆者とほぼ重なる。
 思えば、大学を出た年は就職「氷河期」と呼ばれ、次年は「超氷河期」、それからは名称すら無くなった。同年代の中で、未だ不安定な雇用形態にある者も少なくない。見せかけの好景気から、現在の世界的な金融危機を迎え、円高による企業の減収による影響などで内定取消が相次ぎ、「氷河期」的状況は再進行しつつある。この原稿を書いている二〇○九年一月の時点で製造業を中心に派遣社員や期間従業員など非正規雇用者の大量解雇が驚くべき早さで広がっている。
 この社会状況の中にあって、昨年から小林多喜二『蟹工船』のブームである。どの書店の文庫コーナーにも槌と鎌があしらわれた装丁が平積みされ、新潮社版は累計一五○万部の売り上げを記録しているという。雨宮処凛は角川文庫新装版の解説で、現在のロスジェネの過酷な労働/生活状況と『蟹工船』の類似点を指摘し、作品に現代の「連帯」の可能性を見ている。
 しかし、日雇い労働者の定宿と化しているネットカフェ問題が、昨年は大阪で個室ビデオ店放火という最悪の形で噴出し、不可解な元厚生官僚殺害事件も思想的というより「下流」的な背景が語られている。「連帯」の契機は、現象を見る限り皆無に等しい。辺見庸はかつて、歌舞伎町広場の元ボクサーの「殴られ屋」と一分千円を払い殴る若者を、非受益者同士の「共食い」と評したが(『独航記』角川書店 一九九九・二)、状況はより悲惨な方向に進んでいるのではないだろうか。案外、五木寛之が言うように、ブームにある心理は、「下流」に落ちたくないという世情を反映してのことかもしれない(『人間の覚悟』新潮新書 二〇〇八・一一)。
 ブームの下支えとして、『蟹工船』には若年層向けにマンガがいくつかあるが、その中に異色作がある。イエス小池による劇画『覇王の船』(宝島社文庫 二〇○八・一○)がそれだ。本作は『蟹工船』に材をとりながらバブル全盛に発表され、長く世間に忘れられていた。原作の弱点を克服する翻案といっていいだろうか、労働者が集団として描かれているのが原作とすれば、『覇王の船』では龍という個人が労働者の精神的支柱として登場し、浅川監督を極限まで非道にデフォルメした罰河原赤蔵という悪の権化がそれに対立し、物語は展開する。工船内の反乱の最中で赤蔵は龍を射殺し、死んでも甲板の鎖を離さぬ手を斧で叩き落とす。その後のストライキは、この龍の反骨が蒔いた種子であった。
 原作の「附記」では国策企業の論理で監督がクビになったことが滑稽譚として語られるが、『覇王の船』ではむしろクライマックスとなる。更迭劇に驚喜する労働者は、ここでは冷徹なまでに相対化されている。クビになった赤蔵は「調子のいい連中」「徒党を組まなきゃ何もできねえグズども」と呟きながら、自分が殺した龍を背負い甲板に現れる。労働者達は、その異様な姿に戦懐する。「てめえっちだけはよぉ俺っちに命がけで逆いやがって」「殺しがいのある男だった」と述懐し、「一緒にでけぇ仕事をしたがったでぇ」と、背中の龍に語りかける
 龍と一体化した赤蔵は「朝鮮! 満州! 東南アジアだってある!」「カムチャッカだけが世界じゃねぇぜ!」と、満州を併呑へいどんするかのように蟹工船の舳先へさき咆哮ほうこうする。赤蔵の大東亜共栄圏への欲望が頓挫することを我々は「歴史」から知っている。しかし、この欲望が革命と戦争の世紀を超え、繰り返されていることも認めなければならない。そして、「連帯」が頓挫し、ことごとく粉砕されてきたことも想起せねばならないだろう 
 覇王としての赤蔵が、大陸浪人として満州建国に参画していく物語の末尾は、原作の「この一編は、『殖民地に於ける資本主義侵入史』の一頁である」という一文を「歴史」的に拡大解釈した結果であろう。そして原作とは違い、帝国海軍が直接労働者を処罰しないことで、『覇王の船』は後発資本主義国家の暴力性を意図的に閑却しているが、代わりに『蟹工船』がはらむ暴力性の根源を赤蔵個人の欲望に置こうとしている。極小化、矮小化された個の欲望は、彼が手にした金魚鉢と少年愛によって先鋭的に表され、それが強大化、資本化された大東亜共栄圏への夢と共存している。赤蔵は「これからは悪の時代よぉ」と叫ぶ。
 これに呼応するのは、奇しくも「戦争」を希望として見出している、先に述べた失われた世代の動きであると言えなくもない。「ロスジェネ」創刊号と秋葉原殺傷事件を受けての臨時号に登場するのが、「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」(「論座」二〇○七・二)という挑発的なエッセイで論壇に登場した赤木智弘である。個人の(あえて言えば生活レベルの向上という)欲望が「連帯」に短絡することなく、国家間レベルの「戦争」に向かうことには明らかな飛躍があるが、単なるレトリックでないことを赤木は再三主張している。
 帝大出エリートの丸山二等兵が「中学にも進んでいないであろう一等兵に執拗にイジメ抜かれた」という帝国陸軍の歪んだ「平等性」は、赤木にとっての「希望の光」だというが、わざわざそのイコンをひっぱたくのであるからには、既成の左翼に対する絶望や諦念が論調として強い。
 秋葉原殺傷事件がテロと呼べないのは、容疑者の「敵」が「誰でもよかった」からであり、三四年前保健所に殺された「犬の仇」で元官僚の家族を殺傷する凶行も、「敵」が明確でない点では通底している。これらは「連帯」へ短絡することなく、赤木の絶望と地下茎で繋がっている。『蟹工船』ブームの向こう側にある絶望は、「連帯」への幻想にではなく、「おい、地獄さ行ぐんだで!」という赤蔵の叫びにこそ向かっているのかもしれない。
 レトリックとしての「戦争」という既存の左翼への批判が、逃げ切る世代と負債を抱える若者との世代間闘争にさらに発展するのか。赤木は新年九日の毎日新聞で「この一年は、まさにそれぞれの立場の人々のエゴが、むき出しとなり、違った立場の人間を容易に傷つけ合う一年となる」と不気味な予想をしている(正規労働者と非正規労働者の対立の明確化などが、その眼目ではあるが)。
 成熟が伴わない議論と一笑に付すのは容易であるが、この「戦争」の抑止を考える段階に来ていることは、まず間違いない。東浩紀はこれを「尊厳」の問題だという。赤蔵の欲望も「意地」であると言えなくもない。内乱の予感は続く。
                                   (二〇〇九・一)

My home town
©Nobuchika Kitani

バブル小説と不況下の物語 —池澤夏樹『スティル・ライフ』/大岡玲『表層生活』

 小説とは「そんな偉いものだと考えていなくて」「時間をつぶすもの」であると言い切っているのは、『八月の路上に捨てる』(文藝春秋 二〇〇六・八)で芥川賞を受賞した伊藤たかみである(毎日新聞 二〇〇九・二・一九)。自身は映画の脚本を書いていたが、制作費がかさむため「お金がかからない」小説を書き、作家としてのキャリアをスタートさせたという。夕刊の軽い読み物での言葉をそう重要視するでもないが、小説家が実にあっさりとその創作を貶める言説を弄することには、唖然とする。
 見せかけの好景気の中での過酷な労働条件を取り上げたのが『八月の路上に捨てる』であり、その後の本格的な経済危機にシンクロするのは、現在話題となっている津村記久子『ポトスライムの舟』(講談社 二〇〇九・二)であろう。これら不況下の小説の物足りなさを考える前に、同じく芥川賞受賞作のリストをさかのぼり眺めてみると、二人の作家が目につく。それは、現在の同賞選考委員の池澤夏樹と、大岡玲である。
 大岡は小説家としての活動をほとんど見なくなったが、池澤はコンスタントに作品を発表し続け、戦争前のイラク国民の生活を丹念にたどる『イラクの小さな橋を渡って』(光文社 二〇〇三・一)の緊急出版や、『世界文学全集』(河出書房新社 二〇〇七・一一〜)の責任編集など幅広く活躍している。しかし、デビュー作や出世作が作家のキャリアを予見するならば、バブル期に評価された二人の作品は、小説の現在を考える上で極めて示唆的である。
 池澤は『スティル・ライフ』で一九八八年二月、大岡は『表層生活』で一九九〇年二月にそれぞれこの新人賞を獲得している。二つの小説に共通した題材としてあるのは「シミュレーション」である。前者の物語の骨子は、コンピュータによる株式の想定と実際の資金運用であり、後者のそれは環境ビデオによる人間操作の画策と破綻である。
﹃スティル・ライフ』の〈語り手〉の「ぼく」とバイト仲間であった佐々井は、「ぼく」の協力を得て、巨額の金を動かし、株で確実に利益を上げていく。佐々井という偽名を持つこの人物は公金横領の犯人であり、その補填のための株運用なのだが、彼はほとんど私物を持たず、職を変えながら逃亡し、社会からは一種隔絶して生きている。「ぼく」はフリーターのはしりのような身分であるが、五〇〇坪二〇以上部屋がある冗談のような伯父の屋敷に住んでおり、およそ経済的な観念は小説では霧散している。親(伯父)の世代に蓄えがあることで、職を決めずとも「自分探し」にかまけていられるライフスタイルが軽いタッチで描かれている。また公金横領に作品はかかわっているが、倫理性や罪の意識があるはずもなく、返済のための目標金額は滞りなく達成される。
 大岡の『表層生活』は、この「シミュレーション」という同時代の価値観ともいえるものが、極限まで押し進められる。環境ビデオによる人間操作を可能だと思い込む「計算機」は、旧友である〈語り手〉の「ぼく」に人間操作の実験への協力を依頼する。ドタバタの様相を呈しながら、無論この「計算機」の荒唐無稽な計画は頓挫する。「ぼく」によれば、進学校に共に通っていた頃の彼の明晰さは既に失われており、破綻は物語の冒頭から用意されていた。今改めて振り返ると、バブル絶頂期に評価されたこの作品はタイトルが表すように、時代の「表層」をなぞるだけの「生活」と意見だけのものであった。
 問題なのはこの二つの作品が、「現実」とのかかわれなさを淡くも描いたにせよ、二〇年後のこの荒廃した世界にはおよそ通用しようがない、ということである。例えば『スティル・ライフ』から、幼稚な金融手法や、バイトを転々とする心性や、人間関係の希薄さをよしとするライフスタイルなど、時代を語るための風俗をそぎ落としたあとに、何が残るのか。『表層生活』から、サブリミナル効果や環境ビデオなど、「表層」の様々な小道具がこぼれて落ちていったあとに残るものがあるのか。池澤のように、バブル期に株で儲けるという題材を取りながら、何ら批評を加えずに作品化した作家にとっては、「沖縄」も「イラク」も、「世界文学全集」さえ、時流に沿った単なるアプリケーション、モジュールに過ぎないのかもしれない。やや悪意を込めていうなれば、「沖縄」から発せられた「イラク」に対するメッセージも、イラク戦争後の現状を考えれば、何やら安全地帯からの繰り言にも聞こえる。
 この作品が急速に劣化する問題は、現在の不況下の小説に当てはまらなくもない。例えば、『八月の路上に捨てる』で描かれる真夏に一日中自販機のメンテナンスをし続ける過酷な労働やパワハラ、妻の精神的な病と離婚などと、『ポトスライムの舟』の表題となった百円均一の商品や、低成長期の派遣労働と仕事のかけもち、婚期を気にする女性や老いていく母が象徴する社会構造の矛盾などは、極めて先鋭的に現代の課題をとらえ消化しているといえるかもしれない。しかし、株の操作やビデオによる人間操作が、今日物語や寓話としてもほとんど意味をなさないように、これらの小説もやがて忘れられていく、そんな予感がなくもない。
﹁そんな偉いもの」でもない「時間をつぶすもの」である現代小説は、『スティル・ライフ』や『表層生活』が無残に今日的意義を失っているように、時代を描くことと引きかえに、次代に残るような批評性をかえって失ってしまうのか。『ポトスライムの舟』などは、バブル期の二作に比して丁寧に作品が構築されているだけに、かえって消費されていく危惧がある。
 とまれ、不況下には、不況下なりの題材があり、バブル景気の下にはその状況に浮遊する風俗がある。それらが抜け落ちていったあとに、なお骨立するものを見定めるのが批評の役割であろうし、この種の時流に乗った八〇、九〇年代の小説が果たせなかった役割を再読する意味も大きいはずである。                        (二〇〇九・三)

卵と壁とシステム —村上春樹はどこにいるのか

 ガザ地区侵攻後のイスラエルにおいて、村上春樹は「社会における個人の自由」を描き続けた作家としてエルサレム賞を受賞した。事前に受賞辞退を求める声が作家には多数寄せられたというが、その応答にもなり得る記念講演を彼の地で行っている(「文藝春秋」二〇〇九・四)。
 賞を辞することを求めた「パレスチナの平和を考える会」の公開書簡はネット上で読むことが出来る。政治的要求とはそのようなものであろうが、このNGOの警告文は春樹の文業についてはほとんど言及しておらず、受賞による社会的影響を危惧しているに過ぎない。イスラエルの賞を受けることによってあなたは多くの読者を裏切ることになる、という文学の問題には当然ならないし、そもそも作家に対話自体を求めていない。現代の漱石と称され、人気作家からすでに立派な「権威」と化した春樹の回答は、したがって自らの立場の弁明というよりも、文学の価値を語ることに向かわざるを得ない(このことは、奇しくもスーザン・ソンタグの同賞の受賞スピーチと共鳴しあっている(『この時代に想う テロへの眼差し』NTT出版 二〇〇二・二)。ソンタグは賞を辞退することを「不粋」「尊大な態度」と断じ、「個としての声」と「複数の真実からなる文学」の側にいる。もちろん、イスラエルの軍事行動への厳しい非難も忘れてはいないが、表舞台での政治的アピールについては軽蔑しているかに見える)。
 春樹の講演の冒頭では、小説家の役割が述べられる。それは「嘘」をつくことにあり、その「虚構」によって、「真実をおびき出して」、「真実の尻尾」をつかみ出すのだという。そして、今日は「年に数日」である真実を語る日だと笑いをとったあと、受賞までの苦悩を披瀝する。作家は辞退するよりも、現場で自らの言葉で語ることを選んだわけだが、春樹が発したかったのは「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立」つというメッセージであった。
﹁卵と壁」というレトリックは「ある場合には単純明快」で、「爆撃機や戦車やロケット弾や白燐弾や機関銃」が「硬く大きな壁」であり、「卵」は「潰され、焼かれ、貫かれる非武装市民」であるという。
 この状況との「コミットメント」は、ほとんど公の場に出ない作家のイメージと相まって唐突な印象もあるが、小説家が自らの文脈をそう簡単に転換するはずはない。確かに、デビュー当時の春樹の評価は、軽いタッチの「都市小説」という川本三郎的なものが支配的であったように思う。作家としての地位を確立した『羊をめぐる冒険』(一九八二)でも、チャプターでその死の日付をあげながら、三島由紀夫の絶叫を「どちらにしてもそれは我々にとってはどうでもいいことだった」とこれ見よがしに受け流していた。これを「字義通り」受け取るなら、歴史性の消失(柄谷行人『終焉をめぐって』講談社学術文庫 一九九五・六)ということになろう。
 我々読者は、春樹が日本の作家を読んでいないという「都市伝説」を信じ切っていたし、そのことにより歴史的文脈から切り離し、良くできた「お話」だけを楽しんでいた節がある。しかし、初期作品から川本的文脈をはがして再読すると、「政治の季節」の側面が色濃いことに気づくだろう。
 小説は「字義通り」受け取るだけでは読むことは出来ない。顕著な例でいえば『パン屋再襲撃』(一九八六)などの作品は、その寓意を学生運動の記憶と高度資本主義社会との関わりとして読まなければ(ファーストフード店を襲うのは妥協なのか、闘争の継続なのか)、おそらく謎解きとしても堂々巡りのまま進展しないであろう。良くできた物語と、歴史的存在としての作家が結ばれなければ、作品は読者の中で立ち上がってこない。作家は今まで、実に巧妙な「嘘」を仕掛けていたわけだ。
 エルサレムでの「コミットメント」からさかのぼること一〇年、オウム事件の衝撃は『アンダーグラウンド』(一九九七)というインタビュー形式に、また作家にとっては故郷の問題である阪神大震災については『神の子どもたちはみな踊る』(二〇〇〇)という寓意に満ちた短編集として結実しており、今にして思えば作家は常に状況に「コミットメント」してきた。「卵と壁」という暗喩も、その意味では小説家の仕事の延長線上にあるというべきか。
 講演ではハマスという固有名詞も、イスラエルを直接的に指弾する箇所も存在しない。「卵と壁」のレトリックは、一見イスラエルの軍事行動への直接的非難に見えるが、作家が撃つべきはその「壁」とは効率よく人を殺す制度、すなわち「システム」であった。
 イスラエルもパレスチナも等しく「システム」を構成するものであり、「卵」の側に立つということは、そのどちらかにくみすることを意味しない。作家はいう、「どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます」と。
﹃アンダーグラウンド』の「はじめに」では、「システム」批判のモチーフというべきものが語られている。それは、サリン被害者が事件後、しだいに「平常な社会」から弾圧されていく様で、さりげない語り口ではあるが、「オウム」と同様に「社会」が個を圧殺することへの違和感が確かに表明されているのである。エルサレムでの「システム」への対峙はすでに内包されていたのだ。(「システム」とそれに翻弄される個人を問題にするのであれば、被害者、加害者双方のインタビューに到るのは必然で、続編の『約束された場所で』(一九九八)もまた必要な仕事であった。)
 川本三郎は『アンダーグラウンド』で、「突然、村上さんが『社会派』になった」と素朴な驚きを隠さなかったが(『村上春樹論集成』若草書房 二〇〇六・五)、作家の作品群は連綿とした運動体であったと考える方が自然であろう。内田樹は今回の講演を「自作自注」であると評している(「週刊朝日」二〇〇九・三・六)。戦争という巨大な「システム」の中で変質を余儀なくされる個の弱さを、中国戦線で傷ついた父親の逸話によって語ったことは、近作に登場する様々な戦争表現を理解する上で補助線となるだろう。彼のキャリア全てが「中国行きのスロウ・ボート」であったとすれば、出来過ぎだが。
 ところで、口汚いまでに執拗な批判を展開する小森陽一などは(『村上春樹論「海辺のカフカ」を精読する』平凡社新書 二〇〇六・五)特定の政党のイデオロギーを敷衍ふえんして、作品解釈に当てはめる典型であろう。未だに「誤読」を恐れぬポストモダニストを尻目に、父親の記憶まで召喚し、なおも前進しようとするエルサレムでのメッセージの意味は大きい。
 五月下旬に発売される新作のタイトルは『1Q84』だという。あからさまなタイトルが示すように、巨大な「システム」と「卵」たる個人の闘争が描かれるのか。オウム事件と阪神大震災の衝撃が作品として結実したように、今回も混沌とした世界をどう描いているのか、期待は高まる。
                                   (二〇〇九・五)

オープンエンドは新しい〈生〉を開くか?
                —村上春樹『1Q84 BOOK1、2』

﹁その本を貸して欲しい」と複数の人から言われるのは、実に二〇年前の『ノルウェイの森』以来である。多くの人々が、これほど物語を欲望しているのか、村上春樹の新作『1Q84』(講談社 二〇〇九・五)はBOOK1、2を合わせて現在二〇〇万部を突破している。
 語りの形式は「1984」年に執筆された『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(一九八五)と同じく二つの世界(美しき殺人者である青豆と、予備校講師で小説家志望の天吾)が交互に現れる形である。かつて「やみくろ」としか語られなかった地下奥深くに潜む闇の世界の暴力性は、本作では極めて具体化し暴走している。正直、読むに耐えない家庭内暴力や幼女暴行の痕跡、過度な性描写は読者に嫌悪感さえ与える可能性があるだろう。
 筆者は作品を読み進めているとき、たまたま「デイズジャパン」(代表・広河隆一)のフォトジャーナリズム写真展と、IRAなど様々なテロリストとその被害者が同じ舞台で語りだす『トーキング・トゥ・テロリスト』(製作・ガイアデイズファンクションバンド)に触れる機会があった。平和ボケと言えばそれまでだが、この国の日常で覆い隠されているもの、「やみくろ」として地下に埋もれているものが瞬時に暴かれていった感があった。世界の根源的な不均衡に鈍感になっていることに、今更のように立ちつくすと共に、小説や舞台が提供する情報が、小さなモニターに送られる電子メディアの情報と比べ、極めて異質なものであることに改めて気づかせられる。
﹁デイズジャパン」のパネル群は、望まぬ結婚を前に涙する花嫁姿の少女、宗教対立・部族間闘争によるか弱き犠牲者、銃を取る少年たちなど、貧困と不寛容と無知とが生み出す、暴力に満ちた世界を告発する。『トーキング・トゥ・テロリスト』の舞台は、決して希望で幕を下ろさない。パレスチナの少女が発する「今度は彼らが苦しむ番」という最後の台詞は、9・11後の暴力の連鎖を肯定さえする抑圧された者の声であり、絶望的な世界の示し方である。これらは私の中で、春樹が物語世界に落とし込んだ寓意としての暴力性とともに、綺麗に並べられていた。
 作品の世界性に関していうなれば、この国のカルトの特殊な先行性も指摘されるだろう。あからさまにオウム真理教的なるものも、手垢のついた大量の情報によって我々には十分に既視的なものである。ヤマギシやエホバの証人も、NHKの集金と同じく「懐かしい」までの日常性でもって立ち上がってくる。
 カルトに対抗する青豆らの一団もまた、犯罪的で極めてカルト的であることからも分かるように、善悪の区分などは日常の中で容易に可変し、誰もがシステムの犠牲者になりうる可能性が示唆されている。協力者タマルの予告通り「拳銃自殺」する青豆も、無論システムのコマである。親友が「殺された」という彼女のトラウマは、(男性の暴力を根絶したい側の)システムが最も利用しやすい。このように過剰な暴力性は、不幸にして世界性を獲得している。
 ではもう一つの暴力性、タイトルが否応なしに喚起する「父殺し」はどうなされているのか。かつて『枯木灘』(一九七七)の竹原秋幸は腹違いの弟を殺したが、父・浜村龍造を殺すことは出来なかった。中上健次は古典的な完成度を持つ『枯木灘』で手をかけたはずの父殺しを完遂できず、『地の果て 至上の時』(一九八三)では、龍造の自殺という処理の仕方でしか時代に抗せなかった。
 また現在リメイク中の『新世紀エヴァンゲリオン』(一九九五)において繰り返される「父殺し」のイメージも、旧劇場版では父(碇ゲンドウ)の内省により封印されている。『1Q84』はこの系譜に実は近い。ビック・ブラザーという中央集権的な悪は、リトル・ピープルというあいまいな力学に還元され、悪そのものにはたどり着けない。カルト教団「さきがけ」の教祖・深田保も、リトル・ピープルの〈声を聴くもの〉に過ぎない。この「父殺し」の展開は、これまでのサブカルチャーの基本的構図であるようにも思える。
 天吾の「父」の引き受け方は、不幸な出自や平凡な来歴を意識のない父に向かってただ語るという行為であり、この告白によって彼は〈生〉への契機をつかみ取る。仮にこれを少年時代に彼を苦しめた父との和解といっても良いが、たどり着いた安楽の地は、実は青豆の「死」がもたらしたものでもあった。
 カルト教祖の娘が書いた小説『空気さなぎ』をリライトして世に出したおかげで、天吾は教団から追い詰められるはずであった。あまつさえそのふかえり(深田絵里子)と関係を持ってしまう彼は、物語の終局では免罪されている。これは、リトル・ピープルの〈声を聴くもの〉である教祖が提示した選択肢と、青豆の決断による。自分(教祖)を殺し、天吾を救うこと(教祖を殺せば、天吾に向かうチャンネルは消滅し被害は及ばない)と、青豆が教祖を殺さずに生き延びること(天吾はリトル・ピープルの及ぼすモーメントに対する抗体なので、抹殺される)の二つにしか活路は見出せないと教祖はいう。第一部で戎野えびすのによって語られる深田保は、禍々しいまでのカリスマ性を放っているが、第二部では病み衰え力を失い、むしろ滅びることを願っている。
 前者を選んだ後に、なおも青豆の生きる意志は、「1Q84」年の内実を見極めるため、パラレル・ワールドの分岐点である首都高速道路の非常階段を目指す。しかし、元の「1984」年への出口は既に塞がれており、自身が名づけた「1Q84」年を引き受けるかのように、彼女は短銃をくわえる。
 したがって、青豆の死(確証はないが)の上に天吾の〈生〉がある。そして、父への告白の後、病室に残された彼はベッドに自身が描いた「空気さなぎ」を発見し、その中に一〇歳の青豆の姿を認める。転生したかのような美しい少女と再び手を握り合うことは、青豆が生きた荒荒しい暴力的な世界とは一見無縁であるかのような結末である。
 たった一度だけ手を握った少年のために死ぬという逆説的な愛の証明は、ロマンスの彼岸、エンターテイメントとしての話の筋の面白さを超えて、インモラルな世界の中でのモラリティーの確立を想起させる。天吾の〈生〉が愛を貫いた青豆の死によってあるということを、登場人物の彼は認識できない。一人称から三人称へと「進化」した春樹の小説の〈語り〉は、このことを仕掛けている。「僕は必ず君をみつける」という天吾の誓いは、青豆が二つの月が存在する世界を引き受けたことと同義であり、彼なりの〈生〉の引き受け方であった。彼の〈生〉が単に青豆の死によって担保されたということではない。彼の〈生〉が不可視の暴力性との危うい均衡の上に立っているということに、作品の「小説性」があると筆者には思われるのである(春樹はあえて小説という言葉ではなく、「物語」というタームを使用するが)。
 毎日新聞の独占インタビュー(二〇〇九・九・一七)によると、既に第三部を執筆中で来夏には発表予定であるという。ここでははっきりと、「僕が本当に描きたいのは、物語の善き力」だと述べられている。春樹のいう「物語の善き力」は個人的な営為にせよ、けっして少数のクラスターで語られる類いのことではない。第三部は大きな意味での「原理主義」や「リージョナリズム」に対抗する物語であることは間違いない。
 いずれにせよ、物語は反復する。
                                   (二〇〇九・九)

My old memories
©Nobuchika Kitani

追憶の一九六八年 —池澤夏樹『カデナ』

 嘉手納基地の規模の大きさは、それ自体が一個の悪い冗談と言っていいだろう。伝統的に「監視」するには「安保の見える丘」からが適当であろうが、私は「道の駅かでな」の四階展望台から眺めたことがあった。視界の範囲がすべて軍事施設であり、市街地はその騒音や危険さもさることながら、何か最初から抑圧されていたかのように周囲に追いやられている。東京ドーム四二〇個分という広大な敷地を目の当たりにして、怒りというよりあまりに不当で不条理な状況に笑うしかなかった。
 池澤夏樹の『カデナ』(新潮社 二〇〇九・一〇)の冒頭で語られるBuff(Big Ugly Fat Fucker)「デかいミっともないデぶのバか」というB52のレトリックは、そのまま広大な基地のばかばかしさにも当てはまる。この強大な軍事力に比して、「あの夏、私たちは四人だけの分隊で闘った」と帯に書かれるベトナム戦争末期の小さな「スパイ活動」と、作中で展開される反戦平和の営みは誠に小さい。しかも小さな抵抗は、大義や組織のためではなく、全て各々の平和への思いや、極めて個人的な理由によっている。
 三人の〈語り手〉、カデナの米軍に勤務する女性曹長フリーダ=ジェイン、沖縄からサイパンに渡航し両親と兄を戦争で失った嘉手苅朝栄、コザのロックバンドのドラマー・タカ(平良高弘)を、祖国を救いたいという思いでベトナム人の安南さんは結びつける。フリーダが北爆の情報を盗み出し、タカが書類を運び、朝栄が無線でベトナムに送信する役目を果たす。
 フリーダの背信は、国家へのそれと同時にB52の機長である恋人パトリック・ビーハン大尉への裏切りでもある。そのフリーダのスパイ行為の原動力は、フィリピン人の母親と自身が米国軍人の父に裏切られたことにあり、タカの実母はおそらく「ひめゆり学徒」という設定で、彼が五歳のときに悲惨な沖縄戦の記憶に引きずられ自殺している。そして家族を失った朝栄にとって、過去につながる唯一の通路がサイパンで交流のあった安南さんであり、彼の手助けをすることは必然であった。三者は戦争による闇を抱えている。
 活劇の舞台は一九六八年である。嘉手納のB52爆発炎上事故やコザ騒乱、キング牧師とケネディ上院議員暗殺、ベ平連の脱走兵支援といった歴史的事実が巧みに盛り込まれている。イントレピッドから脱走した四人の米兵に呼応するように、登場する将兵はフリーダが秘書官を務める准将のような俗物か、爆撃機の機銃席で『白鯨』を読みふける変人か、狂信的な愛国者でなければ、皆等しく傷ついている。エースのパトリックはアル中で性的不能者であり、ソ連を経由しスウェーデンに亡命したマーク・ロビンソンは、後部機銃席でミグや地対空ミサイルの幻影に悩まされる。厭戦的な気分が軍人達を覆っているが、逆にフリーダやタカの行動には大きな逡巡しゅんじゅんや内省はなく、言ってしまえば「反戦平和」の側は南洋的な明るさに貫かれている。
 アマチュア無線による情報伝達や、脱走を促すスタンプや、タイプライターに一枚余計に紙を挟み、機密を持ち出すという方法は、今日からすれば牧歌的ですらある。また、脱走兵に協力するソ連邦のイメージは勿論のこと、本土の支援者の動きとも隔絶した「反戦平和」の運動体は、美しくも思想や組織の論理に汚染されていない。カデナの脱走兵を手引きする琉球大の知花先生の清々しいまでの組織論、「やめる自由を保障したい」「やめたければやめればいいんだよ」という信条は、一九六八年を回顧する上でやや現実離れした理想に聞こえなくもない。
 実際に北爆の情報がカデナから漏れていたという仄聞から池澤は創作のヒントを得たというが、それ自体、失われた世界へのロマンチシズムであるといえば言い過ぎであろうか。自由奔放な反戦運動と、憂鬱を抱える軍人のコントラストは、あからさまに生と死を代表している(ハノイ・ミッションから解放されたパトリックの性的機能が回復したのもつかの間、彼はB52の事故で戦死してしまう。その赤い炎がフリーダの中でコザ騒乱に繋がっていく後半の展開は圧巻である。パトリックは作戦中、ずっと核攻撃という死の想念に支配されていた)。
 この理想的で小さな「スパイ活動」「反戦平和」の戦いは、ベ平連がサイゴン陥落によって解散したように、やがて終わりを告げる。「一九六八年の秋に私たちの戦争は一度終わり」、パリ協定が締結され米軍がベトナムから完全撤退した「一九七三年」に四人が再会したことにより、二度終わっていると朝栄によって語られる。タカや安南さんによって語られる一九六八年は、「おもしろい夏だったな」「振り返ってみると、あの年は世界中が反抗的だったような気がしますね」と、既に追憶の彼方にある。
 三度目の終わりはフリーダの出産と帰郷の報告だったと朝栄は回想するが、その後は時間軸さえはっきりとしない。粛正や分裂とは無縁であるものの、この「分隊」が消えていく結末の淋しさや「徒労感」は、相変わらず何かの「終わり」を語っているようでもある。池澤は「世界全体が老人政治に戻ってしまった」(読売新聞 二〇〇九・一一・四)と述べているが、作品の結末は図らずも老衰的な現在の写し絵となっている。
 そもそも、三人の〈語り手〉は一体誰に向かって語っているのか。『カデナ』がその断面を見せた一九六八年とは何か。「フェアトレードとか草の根運動」「世界的にみても、環境問題に目を向けたNGOやNPO」が立ち上がり、一九六八年は「現在の生協運動の隆盛のもとであり、環境運動のスタートの年」だったという評価もあるだろう(加藤登紀子『登紀子1968を語る』情況新書 二〇一〇・五)。団塊ジュニア(筆者)からすれば、親の世代の歴史的役割を仮にそのように評価してもいいかもしれない。
 しかし、『カデナ』が発する一九六八年の精神は、未来へのメッセージとしてどこか弱い。巻頭のエピグラフがそもそも一九六八年の完結性を予告しているのではあるが(一九六九年以来、その精神スピリットはここにはありません。——イーグルズ)。
 折しも普天間基地移設問題が、奇妙な迷走を続けている。移設受け入れの是非を問う名護市長選の結果は、反対派の勝利に終わった。しかし、沖縄の民意を問うとも言い、その意を斟酌しないとも言う政府内の不一致は明白であり、思いつきの代替地視察や、嘉手納統合案、普天間固定案まで飛び出している。この現実の醜さや「老人政治」と比較するならば、追憶の一九六八年は美しいが、米軍基地という巨大なシステムはその動きを止めようとしない。
 もう一つ作品の中で印象的なのは、現役の軍人であるフリーダとパトリックが、タカのゲームに乗せられてアブチラガマ(糸数壕)を訪れることである。プロットの展開からすると未消化な形ではあるが、沖縄戦や米軍統治時代を歴史的なパースペクティブの中に位置づけなければ、現在の沖縄は語れないということか。
 沖縄の過去とは、タカだけが母の記憶と共に繋がっている。一方、朝栄はサイパンで敗戦を迎えたことにより、沖縄戦とは切断されている。ガマ(自然壕)は沖縄戦で市民の避難場所や軍の陣地、野戦病院に使用された。今も遺骨が残るガマは、そこで命を落とした者の墓であり、遺族にとっては聖域である。タカは、それぞれの闘いの最中にあったフリーダとパトリックに、その場所を解放した。
 だとすれば、『カデナ』は一九六八年という時間軸よりも、それぞれの土地の記憶をめぐる物語であったのかもしれない。故郷喪失者の朝栄の中には「徒労感」だけが残ったが、安南さんはベトナムへ、フリーダはタカの子を身籠もっているにもかかわらず一人フィリピンヘと戻っていく。タカは八重山に移住し、ロックから民謡へと、より沖縄の源流へと向かう。
 土地がその人を育て、やがて人々は母なる故郷に帰ってゆく。
                                   (二〇一〇・一)

二つの月を引き受けること —村上春樹『1Q84 BOOK3』

 青豆が生きているという展開も、別段不自然ではない。いずれにせよ、世界の出口を目指すという点で、BOOK3(講談社 二〇一〇・四)は1、2の反復である。そして、終局では「ロマンティック」な愛の合一がある。相変わらず「1Q84」の世界では、月が大小二つあり、青豆は天吾と性交せずに彼の子を懐胎する。暴力とセックスが荒れ狂う前巻における天吾とふかえりの性交は、一見不可解でインモラルな行為であった。しかし、その日はカルト集団「さきがけ」のリーダー・深田保を青豆が殺した日であったことから、ふかえり(深田絵里子)との性交と青豆の懐胎の関係は明示的であり、謎掛けというよりは、説明的ですらある。
 僕は東京にいて、僕は同時にチュニスにいる——これは春樹が一九八三年に発表した『納屋を焼く』の一節である。納屋を焼く「彼」の世界と、納屋が焼かれない「僕」の世界が共存し、『藪の中』の証言が一致しないように、複数の世界が並列している。そして、「彼」と「僕」が知る「彼女」は突如失踪する。
 これを田中実は「『同時存在』というモラリティー ―『納屋を焼く』再論」(「千年紀文学」六五号 二〇〇六・一一・三〇)において、「彼」を「貿易の仕事をして、他方で『納屋を焼』くのであるから、極限的な生、『あるがままを受け入れ』て生きている」とし、「彼」に秘密を打ち明けられる「僕」も「『同時存在』の問題を堪え」ながら生きているとしている。そして、『藪の中』のように「『世界の複数性』のなかだけでは」「人は生きることはできない」が、「こちら側だけに生き、向こう側への『極点』を折り返さない世界観は空中楼閣」「虚偽」だと断じている。「同時存在」は「モラリティー」なのである。
 米国で刊行された短編集『象の消滅』の日本語版(新潮社 二〇〇五・三)では改稿され、流布している『螢・納屋を焼く・その他の短編』(新潮文庫 一九八七・九)に収録されたものに比して、この「同時存在のモラリティー」の説明がよりなされている。「彼」曰く、「責めるのが僕であり、ゆるすのが僕である」「そういうかねあいなしに、僕らは生きていくことはできないと思うんです」「それがないことには」「ばらばらになってしまう」と。
 しかし、この「モラリティーを維持する行為」は論者によっては見えにくいのか、「マリファナ(麻薬)」や「納屋を焼く(放火)」という表層のストーリー(巧みな道具立て)に目を奪われ、あたかもモラリティーから最も遠いところに登場人物がいると捉えがちだ。例えば加藤典洋は、「納屋(彼女)を焼く(殺す)」お話として作品を論じている。この「誤読」は『村上春樹の短編を英語で読む1979〜2011』(講談社 二〇一一・八)などで再三紹介されており、一定流布してしまった解釈である。
 ところで、天吾と青豆がごく自然に「処女懐胎」を受け入れるのは、「月が二つ」の世界の「モラリティー」を彼らが生きてきたからであり、『1Q84』もそう読まれない限り、様々な仕掛けに流され、荒唐無稽なロマンスとして消費されてしまうだろう。
 この「同時存在」の問題が抜け落ちると、沼野充義が論ずるように「セックス抜きの懐胎や、不思議なNHK受信料集金人」は「新たな謎」である。また、前巻まで「あまりにも深くて重い問いが夥しい地雷のように撒き散らされて」いたゆえ、また「自分で自分に課した問題が大きすぎ」たがために、春樹は「一種の華麗な退却戦を戦った」という評価になろう(毎日新聞 二〇一〇・四・二五)。謎をまき散らしただけで、疑問を回収していないと。
 斎藤環は本作を「多様に記述されうるがゆえに唯一であるこの世界の、『常にひとつきり』の現実を、身体感覚を通じて私たちの中に取り戻そうとする」「多世界的決定論とも言うべき作家の特異な倫理観」を表していると評す(朝日新聞 二〇一〇・四・二五)。「多様に記述されうる」ことと「唯一である」ことと「倫理観」がどう切り結ばれているのか、この小文では尚不明だが、沼野のように謎解きをめざしながら、自らは謎解きを放棄し、それを作品の不手際と断ずる責任のない読み方とは一線を画しているといえよう。
 思えば、『納屋を焼く』の改稿と同じく、謎は丁寧に回収されている。「不思議なNHK受信料集金人」は、天吾の父親の死によって姿を消し、本人は御丁寧にNHKの制服まで着せられ、荼毘に付されている。彼は長く病床にあった。
 この「謎」の集金人から、ふかえりや天吾、青豆は警告を受ける。「紙一重」で運命が変わるこの世界の中では、「誰かが必ずあなたを見つけ出します」というメッセージは重要である。父親は生前、弁護士を通じて遺書を天吾に託したが、彼を冷たく「法定相続人」としか呼んでいない。しかし父親の愛は、その遺品の中にある天吾が算数の神童であった記録や、母の写真がはからずも証明している。父親によって明かされる天吾の母の謎は、「一度死んで」「再生した」安達クミや、消えたガールフレンド・安田恭子と繋がっていく。延命した父は、天吾を〈生〉の側へと押し出す。「あなたは何ものでもない」と。
 ただ「月が二つ」というだけでは、極めて杜撰なSF的設定といえるだろうが、小説が目指している方向はそこではない。「1Q84」という設定自体、もう一つの平行世界というより、「赤い血が流れ出す現実」そのものである。ゆえに、BOOK3で大きな役割を果たす牛河が認知する世界も、また「月が二つ」でなくてはならない。事後的説明しかない婦人警官・中野あゆみの死や、どこか諦念が漂う「さきがけ」のカリスマ・深田保の死よりも、牛河の死は十分に酷たらしく、惨めで〈現実〉的である。リトル・ピープルがその死体から発生し「空気さなぎ」を形成しようとするが、宗教的に饗されたというより、彼は〈現実〉の構成要素として供されたというべきか。
 天吾の世界は「予備校教師」と「ふかえりのゴーストライター」の危うい均衡の中にある。青豆は「スポーツインストラクター」でありながら家庭内暴力の被害者を救う「殺人者」であった(彼女は逃亡のため、顔を変えようとはしなかった)。一方、牛河が関係を持った「さきがけ」や「裏社会」と、彼の末期の眼に映った「中央林間の小さな一軒家」「二人の小さな娘」「そこで飼っていた犬」の世界が、もし「同時存在」の「かねあい」の中にあったなら、あるいは彼は生きていたかもしれない。
 同じく二つの世界が交互に語られる『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』から遠く離れ、『1Q84』での世界の引き受け方は、「今、ここ」からの脱出である。「辿り着いたところが旧来の世界であれ、更なる新しい世界であれ」「新たな試練がそこにあるのなら」「もう一度乗り越えればいい」と、青豆と天吾は前者の無精卵的なカップルに比して、力強い。
 預言者を失った教団は新たな〈声を聴くもの〉として、二人とその子どもを〈小さなもの〉として追う。天吾がリライトした小説内小説『空気さなぎ』は、カルト集団の動きをすでに止めていた。逃亡に際し、天吾は新たな小説の草稿をバックに詰める。
 小説が狂信的なカルトの〈声〉を封殺する。このラストは、小説の力によって「原理主義」や「リージョナリズム」を封じたいという〈作家〉の祈りが込められているかのようである。
                                   (二〇一〇・五)

After 311
©Nobuchika Kitani

華麗なるスタイルの変転と「土着民主主義」との闘争 
                —小林孝吉『島田雅彦〈恋物語〉の誕生』

 一〇年で立ち枯れし、生き埋めにされるのが近代小説家の運命であるならば、デビュー以来四半世紀の間、第一線で活躍してきた島田雅彦は大変息の長い作家である。『優しいサヨクのための嬉遊曲』が芥川賞候補作として学生時代に注目されたことから、島田は常に前線に立ち続けることを余儀なくされ、今日まで生き残ってきたといえよう。そして、本書はおそらく、はじめての本格的作家論である。
 かつて磯田光一が島田のデビューを「左翼がサヨクになるとき」として、極めて象徴的に見たように、本書も〈時代表象の文学〉として、その作家活動を網羅的に追うことに主眼が置かれている。取り上げられた作品を大観すると、改めてテーマの先見性や時代とのシンクロ率の高さが確認できる。
 第一部「ポストモダンと高度消費社会」では、島田自身が失敗作(この作家ほど自作を語る言葉がいかがわしいものはないが)と断じた初期作品も丹念に追われており、果敢に打ち出された「亡命」「青二才」「模造人間」などの様々な鍵語が、懐かしくもある。引き合いに出されるボードリヤールや浅田彰のポストモダン的言説が急速に古くなるのに比して、異物を排除する「土着民主主義」との闘争を展開した島田の初期作品は、ふてぶてしくも今日的意味を放っている。思えばこの四半世紀は、この国の危機の季節でもあった。
 とりわけ、第二部「『失われた一〇年』と『暗い森』のなかで」における考察は、バブル崩壊後の時代の閉塞状況、阪神大震災、地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇少年事件に、時にナイーブに時に真摯に島田がどう抗していったかという記録になろうか。『子どもを救え!』や『君が壊れてしまう前に』が酒鬼薔薇事件の先取りという指摘や、湾岸戦争下とはいえ、9・11後の西欧/イスラムの激しい対立を暗示した『預言者の名前』の先見性などは、九〇年代という新しい過去を見渡すには重要な指摘である。
 ただし、「暗い森」については、第三部「『新しい世紀』と〈恋物語〉の誕生」で扱われる三部作『無限カノン』の「森」について、思いをはせねばならない。著者は皇太子妃候補・不二子と恋の遺伝子を継ぐカヲルとの愛を描く第二部『美しい魂』を、あえて「不敬小説」ではないとする。しかし、不二子との逢瀬を前にカヲルが眠らされてしまう「暗い森」は「誰も近づけない静かな」「皇居の森」であった。「森」は第三部『エトロフの恋』におけるカヲルの流刑と復活の場所でもある。「不敬」だとあおる必要はないが、これが「暗い皇居の森」をめぐる小説であることは間違いない。
 例えば、本書では触れられていない『おことば 戦後皇室語録』の位置はどうなるのか。皇室の人間の内面をおもんばかる同書の態度は、「土着民主主義」の根源たる天皇制を前に、彼自身の闘争が敗北に終わったとも取れる。しかし、著者ならば天皇制の問題を超え、九〇年代の〈自由〉〈死〉という「暗い森」を通過し、〈恋物語〉へとたどり着いた作家の迂路の方が重要ということだろうか。
 島田と天皇制との関わりについては、本書の前半でたびたび登場する「左翼運動の源流へと遡源する」桐山襲の存在へと接続される。著者は両者を「対照的」、互いに「異質」としながらも、「どこか遠く近く響き合っていないだろうか」と自問する。とうに「失われた」作家との対立点と融和点という切り口は、島田の政治性を語る上で、今日興味深いテーマ設定といえるだろう。
 ともあれ、島田文学が最先端(表層)との一致、〈時代表象の文学〉としての価値から、「〈恋物語〉の誕生」という文学そのものの価値に向かうところが、本書の最もスリリングな部分であろう。ポストモダン作家として登場した島田のキャリアを追うことで、急速に古びていくポストモダンの超え方が提示されているようにも思える。
 その意味では、長年のファンにとっても作家との「共犯関係」が確認でき、新しい読者に対しても開かれた入門書的要素があるのが、本書の特徴である。
 最後に、スランプを脱した『夢使い』の一種感動的な「覚え書き」の言葉を引いておこう。「新しい読者の皆さん、これが島田ワールドです」。

  小林孝吉 著『島田雅彦〈恋物語〉の誕生(新鋭作家論叢書)』(勉誠出版 二〇一〇・三)

贋金は資本を駆逐するか? —島田雅彦『悪貨』

 原武史『滝山コミューン一九七四』(講談社 二〇〇七・五)は個人史が深く、ある共同体の中でねじれていった記憶で、若干の恨み節とノスタルジーが同居する奇妙な作品であった。昨年から世間の耳目を集める村上春樹『1Q84』もコミューンをめぐる物語で、その発生と分裂、抗争後の過激化があからさまに戦後史の流れとコミットしながら展開されていた。「さきがけ」のカリスマ・深田保の死は、未来を取り戻すために引き換えにした「過去への絶望」といったところだろうか。
 島田雅彦の新作『悪貨』(講談社 二〇一〇・六)にも、そのものずばり「彼岸コミューン」が登場する。作品の中心的人物である野々宮冬彦の贋金作りは、相互扶助的なコミューンを立ち上げ、国家や資本を無化しようとする恩師・池尻睦郎への共感からであった。
 悪貨は良貨を駆逐する。近未来的に語られるこの国の経済は、野々宮らの金融犯罪組織で刷られた精巧な偽札によってハイパーインフレーションを引き起こし、混乱する。池尻はいわば知らずに悪貨による野々宮の援助を受け入れ、円と換金可能な地方通貨をバラまくことになる。表紙の意匠にあしらわれているように、起こっている事態は我が国と中国との経済戦争ともいえるのだが、それは意図的に戯画化され、さらに戦いの舞台は個人と官権の間に矮小化されている。「アガペー」と名づけられた地域通貨は、皮肉にも「彼岸コミューン」を崩壊に追い込んでいく。
 この理念先行の地域通貨や生活協同組合の運動として想起されるのは、New Associationist Movement(NAM)であろう。志は高いが、急速に運動がしぼんでいくという類似はあからさまである。柄谷行人『原理』(太田出版 二〇〇〇・一一)で謳われるNAMの理念は、池尻や野々宮の希望と同じく「資本制貨幣経済の廃棄であり、国家そのものの廃棄」であった。この空想めいた「倫理的―経済的な運動」は、当時筆者にとっては単純に勇気づけられる提起であった。メーリングリストなどを媒介にして活動が為されていたため、地域通貨をめぐり、内部崩壊していくさまは現在ネット上でいくつか読むことが出来る。NAMの失敗を模した「彼岸コミューン」という陰画は、生半可な希望を排する、あらかじめ仕掛けられた「未来への絶望」といったところか。
 たまたま筆者の町にも、地域通貨を扱う店があった。フェアトレードのコーヒーを供し、オーガニックの食材を使ったメニューが並んでいた。壁面は素人の絵や写真を飾るギャラリーとなり、ライブスペースではNPOの講演会が催されていた。当時少なかったフリーのネット環境もあり、かなり大がかりな店舗であった。店の支払いに使える地域通貨は一〇%程度であったが、これは何より先進的であった。ところが引っ越した後、再訪すると店舗は消滅し、跡地にはどこにでもある量販店が入っていた。数年で閉店した原因は、よく分からない。
 アガペーとは、無償の愛である。本書の「おまけ」は人を食ったような洒落、弥勒菩薩とホームレスのテントがデザインされた零円札である。「美しすぎる刑事」エリカを野々宮が口説くときにも、インドの0ルピー紙幣が登場する。愛するあなたは、お金には換えられないというわけだ。しかし、「貨幣経済終焉の道筋」を描きながら、野々宮は貨幣そのものからは逃れられない。エリカは彼の組織への捜査を捨て、職を投げうち愛を求めるが、男は女の愛へと逃避し、愛だけの生活を想像できない。クレジットカードと銀行口座を止められ、援助を求めた「彼岸コミューン」からも門前払いされただけで、完全に手詰まりとなる。野々宮は、彼のダミー・ロボット「ノノくん」をエリカに送り届けた後、通貨偽造組織の首領・郭解に消されてしまう。エリカへの伝言、「ヴェネチアで待っている」という捨て台詞も空しく響く。
 冒頭で偽札を拾うホームレスから、それを盗むフリーター、支払われた贋金で父親の窮状を救おうとするキャバクラ嬢など、市井しせいの人物もまた、全員が「悪貨」に振り回される。無論、「悪貨」とは貨幣そのものである。野々宮の部下・鉄幹の「貨幣制度を壊そうとか、貧困をなくそうとか、大それたことは考えません。ただ、豊かになりたいだけです」という生活実感は、革命の論理からはほど遠い。資本と国家を駆逐しようとした野々宮は、何一つ変革できず、自らの「悪貨」に翻弄され、裏切られる。
 ところで島田雅彦といえば、はじめての本格的作家論である小林孝吉『島田雅彦 〈恋物語〉の誕生』(勉誠出版 二〇一〇・三)がこのほど上梓された。小林は〈時代表象の文学〉として、その作家活動を網羅的に追っている。学生作家として登場してから四半世紀、島田は一線級で活躍してきた。そして同書の最もスリリングな部分は、時代の最先端(表層)との一致から出発した島田のキャリアが、「〈恋物語〉の誕生」という文学としての価値そのものに次第に移行するところであろうか。
 時代背景として引き合いに出されるボードリヤールや浅田彰のポストモダン的言説が、急速に古くなるのに比して、存外小説の言葉に強度があることに改めて気づかされる。「ポストモダンと高度消費社会」のただ中に登場した島田の初期作品は、ふてぶてしくも現代的意味を放っている。例えば、『未確認尾行物体』(一九八七)などは、エイズの隠喩という同時代性より、皇太子の代理として医者が追われるという不敬小説として読み替えれば、ゼロ年代の「暗い森=皇居」をめぐる天皇小説『無限カノン』(二〇〇〇〜〇三)との連関が確認できるだろう。同書は、ポストモダン作家として登場した島田のキャリアを追うことに眼目が置かれているが、急速に古びていくポストモダンの超え方のヒントが隠されているようにも思える。
 前田塁と奥泉光の『悪貨』評では、双方島田の小説を贋金作りになぞらえている(日本経済新聞 二〇一〇・七・四/朝日新聞 七・一一)。また、その作家としての真贋、「小説にせさつ」への評価が留保されているのも同じである。
 一気に読ませるスピード感やエンターテインメント性といい、作家が次のステージに進んだ感はある。しかし、前田の「最高傑作となる嫌疑が持たれる」という語り方が最も似つかわしい存在であるのも確かである。島田ワールドの革命の論理は、未だ続行中である。
                                   (二〇一〇・七)

並走者のいない生者/死者 —映画『ノルウェイの森』

 既に原作は日本語版だけで一〇〇〇万部を超えているという。この国で最も読まれている小説のひとつである『ノルウェイの森』の刊行は一九八七年であるが、二〇年の時を経て、今回ビートルズの原曲使用が認められる形で映画化が実現した。他の媒体で原作について考える機会があったので、ここでは現在公開中の映画に限って、その特色を述べていきたい。
 まず、一人称回想体としての体裁を捨てたことが、映画として成功した要因であろう。映像自体で「語っている現在」を設定するならば、当然のこと、中年の「僕(ワタナベ)」が実体的に登場しなくてはならない。原作は三七歳の「僕」がハンブルグ空港に着陸したとき、機内でビートルズの「ノルウェイの森」を聴き、「身をかがめて両手で顔を覆い」「激しく」「混乱」することから始まる。この前提が消去された映画で回想のナレーションが挿入されるのは、ハツミさんの死が語られる場面のみで、基本的に青年ワタナベの実況中継で映画の時間は進んでいく。
 多くの論者が指摘するように、これは「歩く」映画である。直子の歩調は強迫神経症的に、何かに追われるように速く、先へ先へと進み、ワタナベは追いつけない。この「歩く」ことは、先走って言うなれば、誰かと並走することの困難さや、時代との距離感として表現されている。学生運動のデモ隊は、当然のことながら、多くの人間が「並走」している。故郷を捨てたワタナベは東京の大学で独り歩き、その隊列からは離れている。直子は、ワタナベと同じく共に故郷を捨てたのに、その歩調を彼と合わせようとしない。ワタナベには、青春の並走者がいない。彼は直子を追うだけで追いつかず、緑とはパラレルに進んで、その愛の形を詰問されるだけである。
 回想シーンでは、キズキはワタナベに親しげに並んでいる。ここでは(直子を失う以前に)親友を失った、傷ついた青年としてのワタナベが浮かび上がる。小説と同じく学生運動の「群」は単なる時代設定でもなく、「遠景」でもない。ワタナベの孤独の影である(闘争のただ中にいた糸井重里は学生に排除される教授を演じ、YMOのメンバーでどちらかといえば「政治的」でない細野晴臣と高橋幸宏は、それぞれレコード屋の店主、阿美寮の門番として出演している)。
 小説を読む際、語っている「僕(ワタナベ)」と、語られているワタナベを峻別し、その相関関係を明らかにするだけでも困難がある。原作がエロスの世界として広く読まれるのは、読み手が同時中継的に語られている「僕(ワタナベ)」の行為のみを、ただ濁流に呑み込まれるがごとく読むためである。
 したがって、「責任」の名において、直子を救おうとしたワタナベが、最も直子を追い込んでいったことは、見えにくい。直子との関係の中で「全てが終わったあとで僕はどうしてキズキと寝なかったのかと訊いてみた。でもそんなことは訊くべきではなかったのだ」「(寝た女の数を)『八人か九人』と僕は正直に答えた」など、若さ故の過ちは丹念に語られているが、全体の像としては結ばれにくい。
 筆者などは直子が自殺する前に「ゆっくり考えさせてね」「それからあなたもゆっくり考えてね」と念押ししたことと、ワタナベが勝手に一軒家を用意したことのちぐはぐな対応を重く見る(映画で準備されるのは集合住宅の一室)。ワタナベの「加害性」という言葉を使う論者もいるが、ことはそう単純ではない。図らずも追い込んでしまった、誠実に生きようとして相手を裏切ったということであろうか。原作の冒頭で彼が「激しく」「混乱」するのはそのためである。
 スクリーン上では、当然のこと生身の人間が闊歩かっぽし、泣き叫び、首をくくる。語り語られる相関関係を読まねばならない小説と違い、そこは直子が次第に追い詰められていくことが執拗な性描写と共にストレートに描かれる。ワタナベを演ずる松山ケンイチは、ほとんど天性の勘と言っていいような自然な所作(演出?)を見せる。自己崩壊寸前の直子(菊地凛子)を追う五分以上の長回しは決定的で、Tシャツの彼は実に寒そうに、両腕をさすりながら右往左往するのである。早朝、緑の父の訃報を電話で聞いた後も、眠そうに、だるそうに目をこする。「生きている」人間は、概ねそうであろう。相手に温もりを与える前に、自らの腕をさする。そこには、一人称回想体の小説が宿命的に引きつけてしまう「自己弁護」は皆無である。
 レコード店のアルバイトで誤って怪我する挿話も効果的で、ワタナベは何度も自分の傷を見つめる。傷ついた青年、と先に筆者は書いたが、自分の傷やかさぶたには自覚的であっても、直子や緑の痛みには思いが至らなかったのである。
 典型的なエゴイストとして描かれる永沢さん(玉山鉄二)は、映画でも「俺とワタナベには似ているところがあるんだよ」と再三繰り返す。「俺と同じように本質的には自分のことにしか興味が持てない人間」なんだと。彼は結果的にハツミさん(初音映莉子)を死に追いやるが、ワタナベに起こった事態も同じである。彼らには「渇き」しかない。
 原作では回想が始まる第二章の直前で、「僕」が「直子は僕のことを愛してさえいなかった」と語り、この愛の不可能を直子の拒絶によって予告する。畢竟ひっきょう、手記は「自己弁護」的な様相を帯びる。そのことを明らかにする手法として、映画が大胆に回想体をはぎ取ったことは、原作の解釈として画期的であったと言わざるを得ない。
 新緑と死を思わせる雪原のコントラストは言うに及ばす、泥の中の鯉、無縁仏の伽藍、ボイルされる二つの卵と、食卓に供される三つの卵、縊死いしした直子の素足と、ワタナベとの逢瀬によって命を吹き込まれたかのようなレイコさん(霧島れいか)の美しい脚など、映像文法にかなったシンプルな画面構成も、十分に喚起力の強いものである。トニー・レオン主演『シクロ』などで知られるトラン・アン・ユン監督は、並走者のいない三人の生者と、三人の死者を、長編小説の映画化にありがちな人物の統廃合をなしに描き切った。
 ところで、内田樹がかつて「集団的憎悪(恐怖症)」と呼んだのが、蓮實重彦、松浦寿輝、川村湊らの春樹批判である。今度の映画評でも四方田犬彦、石原千秋、越川芳明などがそれを正確にトレースしている(「ユリイカ」二〇一一・一 臨時増刊号、「キネマ旬報」二〇一〇・一二月下旬号)。蓮實が春樹の小説を「結婚詐欺」と全否定したことを旗頭に、是が非でも認めたくない一団が存在するのである。
 並走者がいないという点では、この映像作品は〈作家〉村上春樹のスタンスをも想起させる。
                                   (二〇一一・一)

小説家の即応性、予見、希望 —村上龍『歌うクジラ』

 言葉にならない、とは現在安全な場所にいる、物を書く人間は口に出してはならないだろう。人智を超えた自然災害の後に起こったのは、ほとんどが「人災」である。何故こうなったのか、何故こんなにも混乱しているのか。かけがえのないものの喪失と破壊の後でもなお、思考を止めている暇はない。少なくとも、被災した友人や、なおも福島第一原子力発電所の近くで働く知人のことを思うと、考えつづけることが肝要であろうし、言葉がないなどと放心していられない。何より、今自分に出来ることを、今いる場所で考えていきたい。
 津波が去った後、大きな余震の可能性が低くなる中で、全く事態が読めないのが原発事故に起因する様々な問題である。この原稿を書いている時点(二〇一一・三・二九)で地震から二週間以上が経過しているが、なおも情況は流動的である。首都圏では計画停電、鉄道運休、買い占め、空間放射線量の増加、「フクイチ」から流れる放射性物質による水道水や生鮮食品の汚染が日替わりで登場し、混乱は幾重にも存在する。今後も土壌や海洋汚染、水源への降雨によってさらに生活環境が悪化することが予想される。ネット上では、震災後の政治や経済を論じる者、果てはにわか放射線解説者が出没しているが、ここでは社会構造への影響、国家ブランドの失墜など、明日の生活のかたちを論じたい誘惑を抑えて、あくまで文学の範疇を語っておきたい。
 今回の震災に対するいち早い動きとしては、島田雅彦が「復興書店」のサイトを立ち上げている。著者のサイン本などの売り上げを被災地に寄付する目論みだ。高橋源一郎、星野智幸、島本理生、柳美里らが参加の意向を表明している(時事通信 三・二四配信)。
 即応性という点では、村上龍も震災直後にニューヨーク・タイムズに「危機的状況の中の希望」という文章を寄せている(邦訳は「タイムアウト東京」三・一八配信)。
 かつて、龍は『希望の国のエクソダス』(二〇〇〇)において、「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と不登校の中学生に語らせたが、「今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく」と、この情況に「希望」を見出している。震災が「希望の種」であるかはともかくも、影響力のある作家が肯定的なメッセージを発することには意味がある。また、この作家が、今まで執拗に「絶望」を描きつづけてきたことの裏づけにもなるであろう。
 龍は常にあり得ない世界を(村上春樹の描くパラレル・ワールドとは別の位相で)書き続けてきた。平たく言えば、それは「劇画」的な世界である。暴力的に押し進められる全体主義への希求はタイトルにエクスキューズのある『愛と幻想のファシズム』(一九八七)であり、同じ系譜にある『五分後の世界』(一九九四)では、ポツダム宣言を受諾せず、国土が連合国に分割統治され、人口が二六万人に減少してもなお松代の地下都市に首都を遷して、この国は戦い続ける。『半島を出よ』(二〇〇五)では、北朝鮮武装コマンドが複葉機で九州に侵入、これを占領するという荒唐無稽な物語が展開される。筆者も、この北朝鮮脅威論を杜撰で無自覚な表現だと当時受け取っていた。「さもありそう」という括弧つきの「現実」の想定が、隣国への憎悪を増幅させるという危険性は、誰もが指摘するところである。
﹃愛と幻想のファシズム』の冒頭、荒れ果てた山下公園の氷川丸の描写には当時相当の違和感を持ったが、思えば上梓されたのはこの国が浮かれていたバブル期であった。『半島を出よ』で筆者が堪え難かったのは、「北朝鮮のコマンドを語り手に仕立て、その内面を語らせている」ことよりも、この国の財政破綻のあまりに「劇画」的な書きぶりであった。しかし、その後に進行した「現実」はさらに醜悪であった。財政赤字の危機はギリシャの経済破綻後「現実味」を帯び、国債の格付け引き下げや政治の空洞化や国会の空転など、震災までの世界でさえ、絶望は極限にまで達していたといっていい。
 メルトダウンした原子炉を決死隊が放水車で冷やし、ヘリから散水するというパニック小説は、平時なら唾棄だきされ嘲笑されたであろう。思えば、「現実」の醜悪さや絶望は、龍の作品群でさえ足りなかったのである。この大震災で筆者がまず想起したのは、これらの龍が描きつづけた「戯画」的な表現と、作品の持つ即応性、予見性であった。文学にとって、そのようなものが果たして必要なのかは分からないけれども。
 最新作『歌うクジラ』(講談社 二〇一〇・一〇)は著者初の電子出版で、通常の書籍に先んじてリリースされた。この遺伝子工学と監視社会の「地獄巡り」は総じてテレビゲーム的でもある。篠原潤によるアートワークがチャプターごとに挿入され、重要な場面では坂本龍一の楽曲が鳴り響く。少年の旅は、ロールプレイングゲームそのままである。
 優れた予見とも言うべきか、過去の作品に比しても極端に荒廃した世界が描かれる。タイトルの「歌うクジラ」とは、一四〇〇年生き続けたグレゴリオ聖歌を歌うクジラのことで、そこから発見された不老不死のSW遺伝子は人類の福音となるはずであった。しかし、この「歌うクジラ」の物語は、実は権力側が捏造したもので、SW遺伝子の発見・開発の元で、階層格差が拡大される。
 具体的にはSW遺伝子は最上層の人間にしか供与されず、その技術は下層の人々には刑罰として転用される。犯罪者には寿命を数日に縮めるテロメア切断が為される。中心的人物タナカアキラは、その刑罰を受けた父の願い(世界を救済する情報をヨシマツに届けよ)を受け、長い旅に出る。設定が二二世紀であるので、この国の出生率の低下や、移民の受け入れはすでに組み込まれている。文化大革命を思わせる「文化経済効率化運動」と二度の移民内乱により、交通システムは遮断され人々は移動の自由を失っている。また機械化/低コスト化に成功した監視システムによって治安は維持されており、全体のトーンとしては典型的なディストピア小説であるといっていい。
 移民叛乱分子の大量虐殺は『イン・ザ・ミソスープ』(一九九七)、サッカーに似た競技「ガスケット」は中田英寿をモデルにした『悪魔のパス 天使のゴール』(二〇〇一)、愛する者を殺す/殺さないという決断は『コインロッカー・ベイビーズ』(一九八〇)、その他様々な薬物やSF的ガジェット、特異な固有名詞(クチチュ、棒食など)の氾濫など、龍がこれまで使ってきた手法やモチーフが総動員されている感がある。しかし、筆者が本作で注目したのは「想像力」の問題である。
 メモリアックと呼称される外部記憶/音声通信装置を通し、アキラは父親のデータベースや、ヨシマツの声によって記憶や感情が操作される。「想像せよ」という声によって、アキラは終着地点まで導かれる。しかし、これまで龍が主張していた素朴な形での「想像力」の価値の称揚に、この小説は収斂しない。なぜなら「想像せよ」という命令は、ヨシマツがSW遺伝子でも修復できない脳を、アキラから搾取するための方便であったからだ。旧来、この作家が寄っていた「想像力」にこの作品は依拠していない。
 したがって、結末のメッセージは「生きていたい」という微力で脆弱なものである。「生きろ」と発していた過去作品ほどの野蛮さ、力強さはない。アキラがたどり着いたのは、「生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけ」「移動が、すべてを生み出す」という気づきであった。「希望」は未だ、虚空の彼方にある。
                                   (二〇一一・三)

見えないものを見ようとする誤解

 今思えば、と後づけならば何とでも言えるのだが、震災の直前にクジラの群が茨城県の海岸に打ち上げられるという奇妙なニュースが流れていた。現在、話題になっている吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫 二〇〇四・三)でも、明治二九年の大津波の前の、季節外れの豊漁が語られている。生物が群れから離れ、無言の警告を発していたのだ。
 ひるがえって、人災ともいえる原子力発電所の事故の場合は、どうであろうか。ネット上では、斉藤和義の自作の替え歌が三月末から流れ始めた。『ずっと好きだった』を「ずっとウソだった」と歌い、東京電力、政府、その他原発を有す電力会社や原子力政策そのものを痛烈に批判している。「騙されていた」という歌詞のトーンに対し、今更ナイーブ過ぎるのではないかという批判があるが、これは反原発ソングの系譜をたどれば、「騙そうとした」と歌った忌野清志郎へのアンサーソングであるとも言えないだろうか。
 RCサクセションのカバーアルバム『カバーズ』が東芝EMIからは発売できず、他のレーベルから発表されたのが一九八八年である。発禁の原因は、メッセージ色の強い反原発ソングを含んでいたからである。清志郎は別ユニット、タイマーズでこれらの曲をテレビやライブで歌い続け、現在でもユーチューブで数十万回再生されている。亡霊か、単なるリバイバルか、いずれにせよ再びCDも売れはじめているという。
 当時高校生であった筆者には、清志郎の暴走は表現の規制に対する自由への戦い、というくらいにしか受け取れていなかった。チェルノブイリ原発事故後ではあったが、有名ミュージシャンの乱心としかみえず(何しろ、自作を放送禁止にしたFM東京に対する「報復」が、全国ネットでの「放送禁止用語」の連呼だったのだから)問題を先鋭化させようとしていることは分かるのだが、個人的には共感は出来なかった。清志郎の怒りは、当時どれくらい理解されていたのか、定かではない。
 一九八八年は思い起こせば、佐野元春『警告どおり計画どおり』、尾崎豊『核(CORE)』、ブルーハーツ『チェルノブイリ』がリリースされている。ポップミュージックは小説と違い、即応性が身上でもある。人気絶頂のブルーハーツが、再び楽曲をインディーズからリリースせざるを得なかった事実を振り返ると驚きだが、自主規制による発売禁止は、露骨なまでに、レーベルの親会社が原子炉メーカーか否かで左右されている。
 さかのぼっては八二年、浜田省吾にも反核をテーマにした曲がある。『Promised Land~約束の地』に収録されている『僕と彼女と週末に』だ。彼が広島出身の被爆二世であることは、広く知られている。歌詞には「売れるものならどんなものでも売る/それを支える欲望/恐れを知らぬ自惚れた人は/宇宙の力を悪魔に変えた」という直接的な表現もある。以下は間奏のセリフ部分である。
 週末に「僕」は「彼女」とドライブに出かけた。浜辺で「サンドイッチを食べ」「ビールを飲み」、二人はいろんな話をした。彼女は「会社の嫌な上役のこと」や「サリンジャーの短編小説」のことを話し、「僕」は「今度買おうと思っている新車」のことや「二人の将来」のことを話した。そして、誰もいない静かな海を泳いだ。翌朝、二人は「吐き気がして目が覚めた」。浜辺を歩くと「数え切れないほどの魚が、波打ち際に打ち上げられ」ている「奇妙な情景」に出会った…。
 デートの場面や「サリンジャー」など、当時として都会的な記号が羅列される中で、突如「吐き気」と「奇妙な情景」が飛び出す。アルバム全体のメッセージ性は高いが、この楽曲はその中でも約九分と体裁も大きく、やや異様な感がある。公害を歌ったのか、核汚染を歌ったのかも判然としない。ただ、言えるのは、清志郎にも浜省ハマショーにも何かが見えていたのだ。
 黒澤明の晩年の作に『夢』(一九九〇)がある。全八話のオムニバス形式で、とりわけ異色なのは原発事故を題材にした第六話『赤富士』である。富士山の噴火のため「六基」の原発が爆発し、放射性物質がまき散らされる。放射能は着色技術で色分けされ、プルトニウムが赤、ストロンチウムが黄、セシウムが紫に可視化される。劇中、状況を解説する男は、実は原発関係者で、自らを断罪し、真っ先に断崖から身を投げる…。
 表現としては、生煮えで昇華されていないものが表出しているかのようである。しかし、細部はまた、驚くほど現在の状況を言い当てている。核戦争後の第七話『鬼哭』、近代文明を拒否したエコロジーの村を描く第八話『水車のある村』で締めくくられる構成は、出来過ぎですらある。思えば、見えてしまう人には、見え過ぎてしまうのである(本作は国内でスポンサーが見つからず、スピルバーグの協力なしでは完成しなかった)。平和利用という美名のもと、従来の反核運動が見落としていたもの、目をつぶっていたものが、ここでは露出している。
 以前勤務校で、地元川崎在住の被爆者の方をお招きし、話を伺う企画を立てたことがあった。今思えば、Aさんが強調されていたのは、「あの日の記憶」よりも、原爆症訴訟への支援と、核燃料サイクル陸上移送の反対運動の重要性であった。被害の風聞を最小限にするために「ピカはうつる」と差別され、守ってくれるはずのヒロシマの多くの兵隊達は、原爆で何処かに吹き飛ばされてしまった。Aさんの国家への徹底的不信は、自然、自分の身は自分で守るという生活信条に転化していったという。原発は単なるエネルギー問題ではなく、人間の傲慢の産物であった。筆者はうなずきながらも、その後支援のために法廷に足を運んだこともなければ、核燃料輸送車の監視に付き合ったこともない。
 今まさに始まったフクシマへの差別と原発の補償問題は、そのまま被爆者差別と、原爆症認定の非人間的な線引きの延長線上にある。見えている人には、見えないものが見えている。
﹃夢』の冒頭の『日照り雨』は、狐の嫁入りという、「見てはいけないもの」を見てしまった黒澤少年の孤独が描かれている。見えないものを見ようとする表現は、通常は誤解ととられる。誰も気づかない。嘲笑されても、見えている人は歌い続ける。彼らには、既に事態は見え過ぎるほど、見えているからである。
                                   (二〇一一・五)

百年後のふるさとを守るのは誰か?

 先日ある学会で、河田惠昭『百年後のふるさとを守る』という文章の存在を知った。安政南海地震(一八五四)の津波から紀州藩広村(現和歌山県広川町)の住民を救った醤油醸造家・浜口儀兵衛の伝記である。
 津波に関する文章が小学校国語科で教材化される新聞記事のことは、そういえば記憶にあった。たどってみると、いくつかのメディアで取り上げられており、いかにもタイムリーな感はあるが、教科書採用が決まったのは大津波の前だという。記事によれば、本教材は被災地の子どもにはリアルすぎるため、「指導に格段の配慮」をするよう教科書会社は各学校に呼びかけ、東北の沿岸部には代替の教材を送る「異例の対応」をとったという(毎日新聞夕刊 二〇一一六・一三)。採用したのは光村図書出版で、シェアは全国で六割以上、影響力は大きい。
 伝記の元は『稲むらの火』という童話である。これもたまたま筆者は、子ども番組で佐野史郎の一人芝居を見たことがあった(教育テレビ改めEテレ「おはなしのくに」。放映は震災前)。昭和初年代に教科書採用もあったというが、おそらくはスマトラ島沖地震等で世界的に大規模な津波が発生し、近年その価値が見直されたものだと推測される。『稲むらの火』はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の原作を、小学校教員であった中井常蔵が翻訳・再構成したものである。儀兵衛と目される五兵衛が、村人に津波の危険を知らせるために、収穫したばかりの稲束に火をつけ、高台に誘導した。この機転により、多くの村人が救われる。
 しかし、この『百年後のふるさとを守る』では、先の逸話はほんの序章であり「浜口儀兵衛の本当の物語は、実は、この後始まる」と、彼の仕事はその後の堤防作りが主であると、予告される。津波の後、村の漁業と農業は破壊され、余震が続く中、村人の流出が始まる。儀兵衛は藩の許しを得て、堤防建設に着手する。工事は同時に雇用を生み出し、人口流出を食い止めることとなる。
 一読して気づくのは、この伝記では、防災におけるハードがソフト面を上回っていることである。儀兵衛が機転を利かせ人々を津波から救った挿話(記録では「積みわらに火をつけることで、うす暗がりでにげ道を見つけられずにいた村人たちに方向を指し示し、その命を救った」とある)は言うなれば枕であり、お話の中心は彼が私財を投げ打ち、そのために傾きかけた商売をも立て直し、堤防を完成させる様である。逃げるという決断を下したいわばソフトの面よりも、堤防というハードの整備が賞賛される。
 今回の大津波で多くの堤防が決壊し、高台に逃げることが重要であったとメディアで喧伝される中、この教材ではその「逃げる」思想が後景に退いている。これは如何なることなのか。
 昨年上梓された河田の『津波災害 —減災社会を築く』(岩波新書 二〇一〇・一二)ではこの経緯が説明されている。『稲むらの火』は「非常に津波をリアルに表現した素晴らしいもの」であったが、「津波が来襲する様子を引き波で始まるように表現したため、読者は『いつも津波は引き波で始まる』ものと誤解してしまった」と。河田は同書で古今東西の様々な津波のパターンを解析し「引き波」をはじめとする「津波をめぐる誤解」を払拭しようとしている。
 教科書会社が懸念するように、被災地での扱いは難しいであろうが、他の地域では予定したカリキュラム以外の「投げ込み」教材として、多用されることが予想される。端的に言えば、これは河田の意図を超えて、現場では「必要」な教材なのである。
 今年度から小学校で実施される新学習指導要領の総則には、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し」という愛国心、愛郷心に関する記述があり、国語の教材選定では「我が国の伝統と文化に対する理解と愛情を育てるのに役立つこと」が求められている。新しい検定教科書には、この書き下ろしの教材は、まさにうってつけなのである。
 教育基本法が改正されようとも、愛国心や愛郷心を現場で教えるというのは、どの教師にとってもハードルが高い(露骨に表現すると、余り進んでやる気がしない)。嫌々ノルマを達成させるためには、『百年後のふるさとを守る』は格好の教材であるかもしれない。
 この伝記は「自助の意識と共助の意識」と、「災害後の真の再生」ための「百年後という長期計画の必要性と有効性」が訴えられ、閉じられる。「今日ならば、ここに町や県、国などの公助が加わるのは当然」と語られるように、当の紀井藩は一体何をしていたのかという疑念も残る。史実はともあれ、公的資金を投入せずに、復旧/復興の手はずを整えようとする側にとってはいかにも都合の良い話である。
 百年後のふるさとを守るのは、儀兵衛のように私財を投じる者なのか。復興が遅れに遅れる今、なおも残るのは、どう「ふるさとを守る」のかという問題である。守るべきふるさととは何か、また、守るのは誰なのか。
 福島第一原発の事故により、大量の放射性物質が放出され、国土の一部が実質的に失われた今、「ふるさとを守る」ことに異存はない。しかし、アイドルやスポーツ選手、ミュージシャンが「日本は強い国」と連呼するACジャパン(旧公共広告機構)のプロパガンダに我々が閉口したように、公共性がこのような形で提示される教材には、居心地の悪さと、不安を感じる。公共性の再構築と涵養は、大震災という有事にかこつけて、押し進められるべきではない。
 3・11後の政府対応は、政治不信を通り越して、ほとんど彼らのいうことは何も信用できないという感情を我々に植えつけた。食の安全性の確保や、減じない放射線量に対し、市民が各各自己防衛に徹する「究極の自己責任社会」(雨宮処凛)がここに現出している。このことが、大きな意味での公共性にとって、良いわけはない。
 伝記では、語られる人物が実体化、絶対化される。著しく損なわれた公共性に、この偉人伝は有効なのか。筆者は復興にヒーローは要らないと考えるし、防災/減災に偉人はそもそも不似合いである。
                                   (二〇一一・七)

不可視なものへの「責任」 —村上春樹と「脱原発」

 3・11以降、首都圏での生活は大きく変わった。変化、というよりは「現実」にいくつものレイヤーがかかった、日常生活の重層化の進行とでも言うべきだろうか。
 福島第一原発が水素爆発を起こすという「目に見える」形で、当初は放射能の脅威が迫ってきた。筆者は「直ちに影響はない」という為政者の言葉と、当時七ヶ月と三歳の二人の子どもの存在を天秤にかけ、震災四日後から関西に家族を「疎開」させていた。強制的な計画停電や、余震の頻度、交通機関の麻痺という生活上の不便な側面も考慮してだが、この判断を親しい人にも話せなかったのは、「目に見えない」放射能を恐れての行動だったからだ。それを口にしてしまうと、「逃げた」とまでは言われないものの、言った側には過度の卑屈さが伴う。仕事を離れるわけにいかないので、私だけが川崎と大阪を何度も往復しながら、その「目に見えないもの」の意味を考えねばならなかった。結果的に大したことでないのであれば、大袈裟だったと笑って帰ればいい。それだけのことだったが、普通の生活を続けて「ここにいて当然」という首都圏の同調圧力も、また高かった。
 情況が良くなったわけでも、悪くなったわけでもない。しかし、この奇妙な「疎開」は四月の初旬で終えなければならなかった。今ある繋がりや、住んでいる場所を捨てる以外には、この共同性の中で生きていくしかない。レイヤーがかかったままの生活は「目に見える」範囲では何も変わっていない。
 この不可視の原発の問題を、可視化する試みがあるのは当然である。脱原発をすでに決定しているドイツでの廃炉や、放射性物質の管理を描いた映画『アンダー・コントロール』が現在公開されている。監督フォルカー・ザッテルは「放射線は目に見えない。原発の中身も我々には見えない。理解するためには〝可視化〟が必要だと思った」とその製作意図を語っている。チラシに寄せられた演出家・富野由悠季の分析が興味深い。曰く「この映画は放射線と同質である」と。「放射線の性格を知っている者にとっては、戦慄すべきことが描かれているのだが、その知見がない者にとっては、退屈なものになる。放射線は見えない脅威なのだ。それを鮮明にして、恐れろといっているのだが、語りはしない。語れば感情的になって、未来への洞察を獲得する事にはならない」というように、「放射能」も「子どもの未来」も「知見」がなければ、目には見えない。では「未来への洞察を獲得」するとは、また見えないものを見る「知見」とはどのような働きなのか。
 いずれにせよ、富野の言葉を借りるならば、これは「退屈」な戦いである。退屈で何の高揚感もない、しかし持続的な戦いである(被災地への継続的な支援も、恐怖と興奮と激情が引いて行った後は、これに類するのかもしれない)。
 首都圏に限らず、原発を抱える地方自治体など各地で脱原発を掲げるデモが行われている。筆者も時に誘われることがある。柄谷行人は「反原発デモが日本を変える」とその有効性を主張し(「週刊読書人」二〇一一・六・一七)、自らも街頭に出るという。宮台真司は「原発を推進する政治家には落選運動、原発企業である三菱、東芝、日立に対しては不買運動が有効」「彼らにとってデモなど痛くも痒くもない」と、ユーチューブで別の闘争のあり方を示唆している。中沢新一が欧州で特に影響力のある「緑の党」を立ち上げようとしているのも、震災後である(『日本の大転換』集英社新書 二〇一一・八)。彼らを「往年のスター」とことさら揶揄する必要はないが、そのどの方向にも乗り切れなさを感じるのは何故だろうか。具体的なアクションが求められる今なのに、である。
 筆者はたまたま村上春樹の『海辺のカフカ』(二〇〇二)を再読している。3・11という災厄の後で、思うに本作が9・11後の世界の改変に連関していたであろうという興味からである。春樹といえば、震災後の発言として注目されたのが、カタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチであった(毎日新聞夕刊 二〇一一・六・一四~一六)。「非現実的な夢想家として」と題された声明の主旨は、この国の脱原発の必要性である。
 一聴して唐突な印象さえあったが、「我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだった」という彼の主張は、表現は違えども、実は前々からなされていたという(『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(新潮文庫 一九九九・七)所収の「ウォークマンを悪く言うわけじゃないですが」。これは加藤典洋の指摘による)。軽いエッセイでの脱原発表明や、今回も「非現実」「夢想家」と断っている点が、むしろ作家の姿勢として一貫している。
﹃海辺のカフカ』は田村カフカ少年の一人称の語りと、ナカタさんの世界を中心とする三人称の語りの世界が、交互に現れる小説である。東京都中野区に住むカフカ少年とナカタさんはそれぞれ別々に高松へと向かうが、彼らの周りでは「非現実」的な出来事が次々と起こる。そしてカフカは「夢の中から責任は始まる」というイェーツの言葉に誘われるかのように、また「お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と(姉とも)交わることになる」という父の予言通り、それらをことごとく夢の中で果たしてしまう。
 代理殺人を負わされるナカタさんの不幸な生い立ちは、戦時中の小学生集団失神事件に端を発す。その背後には、引率教師の夫が送り込まれた絶望的な南方戦線や、米軍の占領という巨大な暴力装置がある。ナカタさんを取り巻く暴力性(謎の屋敷で猫の首を切る。「ジョニー・ウォーカー」という観念を刺殺する)と、少年の夢の中の性の問題も、原則的には「目に見えないもの」である。しかし、これらは「責任」という言葉によって、それぞれ果たされ、登場人物たちは突き動かされていく。
 レイヤーが幾重にも重なった不可視の世界への「責任」という小説の帰結は、(多くの読者が受け取った「癒し」や「救い」とはほど遠いかもしれないが)今回の脱原発発言と根底では繋がっているように思えてならない。先のスピーチにある原発事故と広島・長崎を結びつける論理も、飛躍ではなく「目に見えるもの」への接続である。
 最近気に入っているフレーズは、「現実はカフカ以上に、十分にカフカ的だ」というもので、自分の子ども達を取り巻く環境を嘆きながら、つぶやいては、一人ごちている。
                                  (二〇一一・一一)

走る子どもたち
©Nobuchika Kitani

虚空を流れていく「風」 —村上春樹『風の歌を聴け』再読

 先号で再読した村上春樹『海辺のカフカ』には、「風の音を聞くんだ」というフレーズが終局に登場する。「『でも僕にはまだ生きるということの意味がわからないんだ』と僕は言う。/『絵を眺めるんだ』と彼は言う。『風の音を聞くんだ』/僕はうなずく。/『君にはそれができる』」。「彼」とは、カフカ少年の分身的存在のカラスのことである。少年はこの言葉に導かれ、見えないものの「責任」を果たしに、自分が生きてきた場所へと帰っていく。
 このフレーズは〈作家〉の根底に一貫したものが流れていることを確認させてくれる。しかし、春樹の長いキャリアは様々な誤解や誤読にさらされながらある。少なくとも、リアルタイムで遭遇した世代は、何度かその底流するものを受け取り損なった可能性がある。
 例えば、『ノルウェイの森』ブームの後、激しくなったポストモダン論客の執拗な攻撃は当時影響力があり(ことさら貶めるような言説を繰り返していた蓮實重彦や柄谷行人、作品のヒットをマーケティングの結果であると切って捨てる桜井哲夫などが想起されよう)、今ならばそれを内田樹のように「集団的憎悪(恐怖症)」であったと情況を捉えかえすことも可能であろうが、その包囲網は苛烈であったと言える。盟友であるかに見えた村上龍も、当時テレビ番組で同作を嘲笑していたことが筆者には印象的であった。
 二つ目の分水嶺は、オウム・サリン事件を受けてのルポルタージュ『アンダーグラウンド』での、世俗的には「デタッチメントからコミットメント」への「転換」であろうか。作品の表層しか読んでこなかった読み手の間には、「なぜ突然、村上さんが『社会派』になったのか」(川本三郎)という類いの戸惑いや拒否反応が広がった。思えば、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の一方の世界では、「やみくろ」が東京の地下で跋扈ばっこしていたにもかかわらず、である。
 デビュー作『風の歌を聴け』はその川本らの「都市の感受性」というコピーと共に迎えられた。その「感受性」とは「『生活のリアリティ』やどろどろとした感情」が消えた、「現代社会をフラットな『記号の集積』と見る無機的な感性」などと説明される。川本は後にこの作品を「明るい青春小説」とも語っている。
 同時代から一旦離れ、研究史を概観するとまず田中実「数値の中のアイデンティティー ―『風の歌を聴け』―」(『日本の文学 第7集』有精堂 一九九〇・六)における「三番目に寝た女の子」の「化身」が「小指のない女」という〈読み〉があり、前者が死んだ「4月4日」と、「僕」が後者に出会う「8月8日」が呼応しているという指摘がある。恋愛をめぐるこの作品は、「フラットな『記号の集積』」でも「明るい青春小説」でもなく、むしろ「どろどろとした感情」を隠し持つ、重層性があったのだ。
 これを受けて平野芳信「凪の風景、あるいはもう一つの物語―『風の歌を聴け』論―」(『村上春樹と《最初の夫の死ぬ物語》』翰林書房 二〇〇一・四)では、「僕」が出会う「小指のない女」と「鼠」が捨てた女が同一の人物であるという新たな解釈が提示される。石原千秋(『謎とき 村上春樹』光文社新書 二〇〇七・一二)はこれを研究史的成果とし、作品の中の「一番大きな謎はとかれてしまった」と、整理している。
 田中論によれば、「僕」は「三番目に寝た女の子」を妊娠させており、「僕」の「〈優しさ〉」という「愛の擬態」が「彼女を死へと追いやった」とされ、「自殺幇助者」としての「僕」が浮かび上がって来る。平野はこれを手がかりに「鼠」と「小指のない女」が「恋人同士」であるという〈読み〉に至るのである。
 妊娠も自殺も、表層のストーリーを追うだけでは語られていない。斎藤美奈子は「自殺と妊娠! こんな手垢つきの物語は、もちろん隠さねばならなかった。『風の歌を聴け』の目的は、この物語内容を表舞台から消すことだけだったのではあるまいか」(『妊娠小説』ちくま文庫 一九九七・六)と、平野と同様に「鼠」と「僕」が同じ女に会っていたと早くから指摘していた。この軽薄な文言を半分受け取るのならば、「物語内容」を「表舞台」から「消す」ような語られ方が、なぜ〈語り手〉によってとられたのかということが、問われねばならないだろう。川本が「どろどろとした感情」を読めなかったのは、まさに表層の「記号」にとらわれていたためである。
﹁何かを書くという段になると」「いつも絶望的な気分に襲われ」、そのジレンマを「8年」抱き続けた末に、「29歳」の「僕」は、「21歳」と「14歳」の「僕」を語り始める。「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という規定に始まる「手記」は、「自己療養」への「ささやかな試み」であった。そしてこの営為は、小説でも文学でも芸術でもない、「ただのリスト」「ただのノート」だと、自らをあらかじめ切って捨てておかねばならなかった。ここでは書くという行為自体の困難さと、その虚偽性が極めて自覚的に語られているのである。
 タイトルの「風」とは、「鼠」の語る理想の小説論の中にある言葉だ。「鼠」は文章を書くたびに、奈良旅行の古墳の前で囚われた感覚を思いだす。それは「蟬や蛙や蜘蛛や風、みんなが一体になって宇宙を流れていく」というもので、「蟬や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろう」と語られる。この「風」は謎や空白というよりも、それらを全て包んだ虚無や虚空と呼ぶべきものであり、この世界を少年がどう生きるかという問題に突き刺さる『海辺のカフカ』に、「風の音」を聞くことが要請される所以であった。「自殺と妊娠」といった「謎」は、もちろん直接的に語られていないのだが、それはその〈向こう側〉を流れる「風」を〈語り手〉が相手としているためである。
 ところで、数値の中にアイデンティティーがあるがごとく、この手記では様々な数値が登場し、また問題とされる。加藤典洋編『イエローページ 村上春樹』(荒地出版社 一九九六・一〇)では、「この話は1970年8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る」と冒頭で語られる期間が問題とされている。週末のラジオ放送や「僕」がジェイズ・バーに顔を出さない日数と「小指のない女」の旅行期間をカウントすると、少なくとも数日足らず、この矛盾を超えるために、加藤は「僕」が「現実世界」と鼠のいる「異界」を行き来しているという、「鼠幽霊説」を唱える。
 細密に日数を数える態度は〈読み〉の基本的な部分として肝要である。しかし、夏の出来事を回想する〈語り手〉が「29歳」になったとき「鼠は30歳になった」とはっきりと語られており、初期三部作『羊をめぐる冒険』までを視野に入れたとしても、「鼠」の「幽霊説」は整合性を欠いている。石原の前掲書も日数が合わないことを基点に読みを展開しているが、加藤と同じくナラトロジー的な陥穽かんせいにはまり込んでいる。
 そもそも、客がバーに顔を出さない日数や、女が旅行で不在の日数を、正確に「一週間」と数えるような日常の厳密さはあるだろうか。「僕」自身は数値にはこだわるが、女の旅行を「一週間ばかり」と概数で語っており、帰省していた日数自体は手記の「根幹」に関わる問題とはされてはいないはずである。
 そもそも春樹の作品が、「異界」と「現実」の往来という二項対立や「幽霊」という、それこそ手垢のついた解釈で捉えきれるのか。
 田中実は、鷗外に始まる「近代小説」の系譜を春樹の文学へと接続している(「鷗外初期三部作の〈読み方〉 村上春樹が生まれる必然」別冊太陽「森鷗外」二〇一二・二)。田中によれば、鷗外の初期作品は「『近代的自我』を虚偽として、現実世界を超越したメタレベルでの精神世界」を構築しており、それは「〈向こう〉、異界とか他界とかの文学的想像力でイメージできる空間ではない」という。虚空を流れる「風」を相手とする、春樹の苛烈な「自己療養」の「試み」も同じ地平にある。
 作中の架空の作家デレク・ハートフィールドは、『火星の井戸』という短編の中で「時の間を彷徨」う「風」のことを、「宇宙の創生から死」「生もなければ死もない」ものと語っている。「風」とはここでも、〈向こう側〉に吹く「風」である。
                                   (二〇一二・一)

初期作品の「僕」を超えるもの —村上春樹『1973年のピンボール』再読

 宇宙に吹く「風の音」を聴くというデビュー作の命題は、次作では「3フリッパーの『スペースシップ』」と名づけられたピンボールと「僕」との対話に変奏される。
 第二作『1973年のピンボール』(「群像」一九八〇・三)の冒頭で語られる「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった」という「僕」の慈善にも似たふるまいは、この虚空の「風の音」を聴くということと同義である。「土星人」や「木星人」の話を聞くという寓意は唐突であるが、それは「僕」が再会を果たす「スペースシップ」の意匠、「土星」や「木星」があしらわれた「深いダーク・ブルーの宇宙」のパネルに繋がれている。
 ピンボールという遊技は文字通り「ゲーム」である。そして、機械に語りかけるという行為は、任意の「自己対話(モノローグ)」(柄谷行人『終焉をめぐって』)に過ぎないのかもしれない。しかし、丹念に語られるピンボールメーカー「ギルバート&サンズ社」の開発史の中で、その台は技術者たちのひとつの「夢」のかたちであった。戦時の「爆撃機の爆弾投下装置」の需要のあと、社はピンボール開発に参入するも一時は供給を断念する。そして、生産再開後の最終モデルが「スペースシップ」であった。オーソドックスでシンプルだが、内部機構は全く新しく作り替えられたという挑戦的な台である。
 六〇年代後半の熱狂から放り出された「僕」は、その空白を埋めるかのように、ピンボールにのめり込んでいった。一九七〇年の冬のことである(彼が愛した「直子」は冒頭の〈語り〉の内容からすると、前年に死んでいる)。「スペースシップ」という台は、故郷のジェイズ・バーに備えられていたものと同機種であった。ベスト・スコアは「十六万五千」で「僕」が「誇りを持てる唯一の分野」だった。
 翻訳事務所を共同経営し、ささやかな成功を手に入れた「僕」の日常もまた、以前と地続きであるかのように「空っぽ」であり、列車の窓に映る「僕の顔」「僕の心」は、「誰にとっても意味のない亡骸に過ぎなかった」。だが、その「僕」は再び情熱をもって台を探し始める。「スペースシップ」は先見的な設計や会社の倒産から「悲運の台」と呼ばれ、日本には三台しか入っていなかった。
 捜索に加わるのはスペイン語が専門の大学教師と、ピンボール・マシーンの所有者である。彼らには「夢」というより、「闇」とも呼ぶべき共通する部分がある。スクラップ業者にまでピンボールのことをあたる「少々変わった男」も、七十八台ものマシーンを所有し、養鶏場を倉庫とする人物も、何か得体の知れないものを抱え込んでいる。「ピンボール台を五十台集めるのはワインのラベルを五十枚集めるのと少々わけが違う」と語られるように、単なるマニアではないのだ。保管庫に「一人で行って下さい。そういう約束なんです」という謎めいた伝言を、所有者は大学教師に託す。これは、「僕」と抱え持つ「闇」を共有するためなのか? 
 世界の果てを思わせる場所で「僕」はピンボールと再会したあと、同棲していた双子はいなくなり、「何もかもがすきとおってしまいそうなほどの十一月の静かな日曜日」を迎える。
 ところで、春樹の初期作品では「僕」というスマートな〈語り手〉のイメージが強い。この『ピンボール』も一見、一人称小説のようであるが、実は「僕」と「鼠」のチャプターに大きく分かれている。「1969—1973」と題されたチャプターの末尾では、「これは『僕』の話であるとともに鼠と呼ばれる男の話でもある。その秋、『僕』たちは七百キロも離れた街に住んでいた/一九七三年九月、この小説はそこから始まる」とあり、外側からの〈語り〉が顕在化している。
 しかし、加藤典洋は「僕の章」と「鼠の章」とだけに構造を分け、前者を「一人称『僕』に視点を置いた村上独自の軽妙な書体」、後者を「書き手の僕が一九七三年秋の鼠の状況を想像して書いたもの」だとナラトロジー的、実体的に解釈している。加藤によれば、「一九七九年、三十歳の僕」が「鼠」の世界を実体的に再構成しようとしているので、「この二つの関係は対等ではない」としている。そして、「一見対等に見える僕の物語と鼠の物語」は「上位と下位の位置にある非対称な物語であることが明らか」であると、〈語り〉の構造を上下関係に位置づけている(『村上春樹イエローページ1』幻冬舎文庫 二〇〇六・八)。では「上位と下位」の「非対称な物語」や〈語り〉とは、一体どのようなものか。
 例えば、「純然たる」一人称小説の場合も、語っている「私」と語られている「私」の相関関係を極限まで読み込むことが、まず基礎的な作業である。その上で、個々の作品の叙述の方法や固有の構造性から、どうしても作中の生身の〈語り手〉を超えて、語られる領域を想定せねば、矛盾が生ずる場合が多々ある。本作の場合も、全体を統合している主体(〈語り手〉)が存在すると考えて良いだろう。「僕」が「僕」を語っていることと、「鼠」を「客観的」に語っているもの、それらを統括する総合的な〈語り手〉を、「上位と下位」の関係ではなく想定すべきである。
 読み手に浮かび上がる作品の像は(重層化されているものの)ひとつであり、統一的なものである。加藤がことさら上下に階層化するのは、回想する「僕」が「鼠」の死を語るという自殺説(『羊をめぐる冒険』以前に「鼠」は既に死んでいる)を言わんがためであるが。
 ただし、加藤論が卓見であるのは「ここで『街を出る』と語られていることの『街』は、『世界』とでも読み変えてみたほうがいいことがわかるだろう」としている点である(それを「世界から去ること」=「自殺」と読み、「鼠の死の物語」とするのは過ぎたことであるが)。「街」という「世界」を出るということは、「鼠」にとって死活問題であった。それは「僕」がピンボールを探し彷徨ほうこうすることと同じである。
 内的に閉じこもる性癖を持つと捉えられがちな登場人物は再読すると、「外」へと飛び出そうとしている。「街」でくすぶる「鼠」は、彼の気持ちを「わかるような気はするからね」と言うジェイに舌打ちする。「なあ、ジェイ、だめだよ。みんながそんな風に問わず語らずに理解し合ったって何処にもいけやしないんだ。(略)俺はどうも余りに長くそういった世界に留まりすぎたような気がするんだ」。「鼠」は大学を辞めて「街」に戻ってきたが、二十五の年に再び出ようとしている。「別に逃げ出すつもりじゃない」と。
 この「街を出る」という問題は、「僕」のチャプターで言うなれば、翻訳事務所で働く「女の子」に相談を持ちかけられる場面が関係する。「何かを手に入れるたびに別の何かを踏みつけてきた」、だから「もう何も欲しがるまいってね」と「僕」は語る。この完結した生活態度に、「女の子」は、「靴箱の中で生きればいいわ」と言い放つ。この「素敵な意見」に対し、「僕」や「鼠」は抵抗するのか、逃走するのか、閉じこもるのか。
 加藤の『イエローページ1』では『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』までの初期作品が論じられている。その解説(「最も危機的な近代人のモラルの問題」)で竹田青嗣が、ここまでの作品が辿り着いたのは「社会的モラル対個人的モラル」から「個人のうちでの社会的なモラルと個人的なモラルとの確執」であると概括するのは興味深い。「鼠」の場合は、「街」を出た後「羊」という媒介に憑依ひょういされ、自壊していくのだが。
 春樹の事実上の三作目『街と、その不確かな壁』(「文學界」一九八〇・九)から多くの示唆を受け取るべきではないが、後の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と比較すると、前者の「街を出る」ことと、後者の自らが作り上げた「街」に対して、責任を取り残るということが、対立している。一方は事実上のお蔵入り(〈作家〉自身が「失敗作」と称し、どの単行本にも著作集にも収録されていない)、一方は代表作の一つとして数えられる作品である。「責任」という言葉で語られる「街」に残ること(『海辺のカフカ』においては「街」に帰還すること)と、「鼠」が「街」を出る意味は、再び検討されるべきものである。
                                   (二〇一二・三)

自死と「新しいゲーム」の報酬 —村上春樹『羊をめぐる冒険』再読

 ここ数号で村上春樹の初期作品を再読してきた。『風の歌を聴け』では、「僕」が出会う「小指のない女」と「『鼠』が捨てた女」が同一であるという研究史的成果がありながら、十分な意味づけがなされていない問題を挙げた。『1973年のピンボール』の再読では、〈語り手を超えるもの〉の設定と、自己完結的と評されがちな作中人物「鼠」の「街を出る」という行動に一定の評価を加えた。
﹃街と、その不確かな壁』というどの作品集にも収められない「欠番」を経て、三作目『羊をめぐる冒険』は一九八二年八月に「群像」に一挙掲載される。
 講談社英語文庫版の訳があったせいで意外な感があるが、一、二作の正式な翻訳は発売されておらず、海外では本作が実質的なデビューと捉えられているという。小さなフラグメントからなる二作に比して、ここには「物語」的な展開がある。しかし、平野芳信が正確にいうように、この小説の第一章には、二から八章までと同等の重みがあるといえる(『村上春樹 人と文学』勉誠出版 二〇一一・三)。第一章とは、すなわち三島由紀夫の自決の日「1970/1125」と題される「誰とでも寝る女の子」に関するチャプターである。
 例えば、『風の歌を聴け』では、最も重大な事件であるはずの「三番目に寝た女の子」の死は〈語り〉の陰にある。読み手は「小指のない女」と「『鼠』が捨てた女」、あるいは「僕」と前者の織りなす「お話」にいざなわれ、語られている側面だけが全てだという前提に立ってしまう。しかし、「1970年8月8日」から「8月26日」の「18日」の「話」という規定に縛られず、〈読み〉を成り立たせるには「お話」を外側から囲い込み、小説全体の構造性に向かわなければならない。
 冒頭でこの手記は「僕」によって書かれた「リスト」であると語られ、ノートの「まん中に線が1本だけ引かれ」、左側に「得たもの」右側に「失ったもの」が並べられる。しかしながら、「明るい青春小説」(川本三郎)などと誤読されたように、「失ったもの(三番目に寝た女の子)」の大きさやかけがえのなさは前面に出てこない。これは「僕」自身が語るように「失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの」を「僕」は「最後まで書き通すことはできなかった」からである。往々にして、余りにも大きな喪失を語ることには、困難がつきまとう。
﹃羊をめぐる冒険』においても、その「宝探し」のガイド役である「完璧な耳を持つ女の子」の失踪はしばし問題化されるが、一章の「誰とでも寝る女の子」の死は焦点化されない。本作の最大の謎解きは、「羊をめぐる冒険」の「羊」ではなく、一章と他の非対称性であるかもしれない。その意味で、蓮實重彦『小説から遠く離れて』(日本文芸社 一九八九・四)は、言うなれば小説の構造に向かわず、典型的に「お話」の類似だけを追っている批評であった。ストーリーを追うだけでは、読み手は何処にも行けないのである。
 イコンとしての「羊」という存在は謎というよりも、作中で語られるように「日本の近代そのもの」とも言えるし、右翼の黒幕の秘書がつぶやく「君たちが六〇年代の後半に行った、あるいは行おうとした意識の拡大化は、それが個に根ざしていたが故に完全に失敗に終わった」という全共闘のアンチテーゼとしてのほのめかしでもある。当の「羊」に取り憑かれ捨てられた右翼の大物の「先生」は、児玉誉士夫=田中角栄という昭和史の暗部を思わせるし、彼の出身地である十二滝町は、近代化の途で見捨てられてきた存在である。いずれにせよ、「羊」自体にかかずらっていると、様々な解釈に飲み込まれるような仕掛けとなっている。
 憑依ひょういされた「鼠」は、「羊」のことを「あらゆるものを呑みこむるつぼ﹅﹅﹅」「気が遠くなるほど美しく、そしておぞましいくらいに邪悪」、そこに体を埋めれば「意識も価値観も感情も苦痛も」「全ては消える」「宇宙の一点にあらゆる生命の根源が出現した時のダイナミズムに近いもの」だという。この「完全にアナーキーな観念の王国」を「鼠」が拒否するのはその「弱さ」ゆえである。確かにこのくだりだけを取り上げれば、多くの評者がいうように本作はフランシス・F・コッポラ『地獄の黙示録』を思わせる。ナパームで焼かれるカーツ大佐の王国と、山荘と共に爆破される「鼠」が抱え込んだアナーキーな体系は重なりあう。
 この「弱さ」は「一般論」ではないと断られているものの、非常に評判が悪い。「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさや辛さも好きだ。夏の光や風の匂いや蟬の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや……」と語られる「弱さ」に対し、それは「ポスト・モダンな私生活の物語」であり、そのような個人的な「趣味」や「気分」が守るべきものなのかという批判があるのも無理はない(笠井潔「都市感覚という隠蔽—村上春樹—」 栗坪良樹・柘植光彦編『村上春樹スタディーズ01』若草書房 一九九六・六)。
 加藤典洋はこの「弱さ」には、「『道徳的な弱さ』をくるしむ苦しみと、『本当の強さと同じくらい稀な』本当の弱さをくるしむ苦しみ」の「混濁」「混乱」が書き手の中にあるという(「自閉と鎖国 村上春樹『羊をめぐる冒険』」 『村上春樹論集①』若草書房 二〇〇六・一)。笠井にしろ、加藤にしろ、この「弱さ」には敏感である。
 悩みの果て「鼠」が「街を出た」帰結は、この「弱さ」を抱えたままの自死と自爆であった。右翼の大物の権力機構を全うしようとした「黒服の男」を巻き込んで、故郷から遠く離れた世界の果てのような場所で最期を遂げる。しかし、多くの人々は「鼠」と違い、実は街を出て行かない。「いざ町を出ようと思うと駄目なんです」と十二滝町の役人は語り、緬羊めんよう管理人も「年をとると町を出ていくのが余計に億劫になる」という。「僕」は北海道に渡る前に「鼠」のために故郷の街を訪れるが、実家には立ち寄らずホテルに泊まり、留まるところはジェイズ・バーしかない。「街を出る」とは、そういうことである。
 熱狂の「1969」年を語るために「1973年(のピンボール)」があり、先に述べたように三島の死(1970年)という出来事に「1978年」が対置されているわけだが、その非対称が語られている後景には、ポストモダン的水位の高まりがあった。
 例えば、「僕」と「鼠」の出会いは、『風の歌を聴け』の時間軸の三年前、泥酔の果てに車で公園に突っ込む愉快な出来事にはじまる。二人は邂逅かいこうを祝うかのように飲んだ「ビールの空き缶を全部海に向って放り投げ」たが、本作ではその海は既に埋め立てられている。あの時と同じように、空き缶を捨てた「僕」は警備員に罰せられないまでも、とがめられる。「僕」が言うように「ここでは既に新しいルールの新しいゲームが始まっている」のである。それは「誰にもそれを止めることなんてできない」ものである。「羊をめぐる冒険」が、すべて「黒服の男」によって「プログラム」されていたのは、このゲームの新しさゆえである。蓮實が言うような単純な冒険譚などはもはや存続し得ない。
 相変わらず「僕」は、エレベーターからドアまでを正確に数える「十六歩的世界」という観念の中にいた。冒頭では少なくとも、「数値」の中にアイデンティティーを求める世界観認識の域を出ていない。この観念に照らし合わせば、冒険で得た報酬、「黒服の男」が支払った金額という「数値」は重要なはずである。しかし、「僕」は受け取った小切手の額も見ずにポケットにしまい、そのままジェイに手渡す。これは単なるダンディズムではないだろう。移築したジェイズ・バーに「僕」はその金を残す。「僕と鼠で稼いだんだぜ」。
 それは、「数値」による伝達、処世からの離脱の一歩であり、続編の『ダンス・ダンス・ダンス』(一九八八)での「ユミヨシさん」との愛の成就という必然に向かっているはずである。
                                   (二〇一二・五)

モレスキンからiPhoneへ
©Nobuchika Kitani

語り得ないものを〈語る〉ということ —南木佳士『ウサギ』

 続々と教科書見本が送られてくる。時に営業の方に長時間つかまってしまう。私は高校の現場で国語を教えているが、来年は一年生が使用する「国語総合」の改訂期にあたり、年次進行で二、三年生の「現代文」も新しいものに変わっていく。何やら、教科書をめぐって周囲が騒がしい。
 改訂版の特徴は各社共通していて、いわゆる「ゆとり教育」的なものの揺り戻しの流れから、ページ数が大幅に増加している。言語活動的なものが目立ち、評論文の難易度が上がっている。
 これに比して、小説はあえて暴論めいたことを言うと「定見」が無いように思われる。芥川龍之介とミヒャエル・エンデが、文豪とポストモダン作家が並列されていたり、およそ単元としてのねらいがないような印象を持つ。
 では、教室で小説を扱う意義はどこにあるのか。
 従来であれば、「人生」や「教訓」を学ぶといった物言いが通用したであろうが、そのような道徳めいたことを高いところから語っても、子どもは振り向きもしない(いまだに「友情の物語」として『走れメロス』が教室で消費される現状はあるが)。それぞれの作品が持つ固有の語り方に着目して、様々な世界の捉え方に触れ、「新しい世界観認識を獲得して欲しい」などと演説すると、高校生でも何人かはうなずいてくれる。
 通常は登場人物に感情移入し、彼に見えている世界を通して作品を読む。しかし、登場人物には見えていないが、〈語り手〉には見えている領域がある。さらに作中に顕在化している〈語り手〉、とりわけ一人称の生身の〈語り手〉などには見えていない領域とも言うべき、〈語り手〉を超えて語られている世界がある。以前ならば、作者の概念でもって説明された部分であろうが、作品の語られ方に着目しながら、上記のような構造を踏まえて、直接的に語られていない部分を捉えることのできる読み手を育てたいと考えている(これが新しい世界観認識に繋がる)。小説には様々な叙述の方法がある。したがって、学級文庫などを設置して、優れた小説を「常備」することもまた肝要である。
 直接的に語られていない部分が作品の核となっている教材に、南木佳士『ウサギ』がある(『冬物語』文春文庫 二〇〇二・一)。第一学習社「現代文」に長く収録されており、介護を必要とする父を引き取った〈語り手〉が、息子との会話の中で清子という初恋の女性を回想するという小品である。南木は『ダイヤモンドダスト』(一九八九)で芥川賞を受賞した、本業は医師という異色の作家である。
 ただし、今次の改定で本作が教科書から姿を消すことは間違いないだろう。それは些細なことであるが、本文に「酒井法子」という固有名詞があるからである。教科書というものは、喫煙シーンをカットするくらいであるから、薬物使用容疑の人物名は排除の対象となろう。しかも、〈語り手〉が回想の中で追慕する清子と、次男がテレビドラマで気に入っている「酒井法子」は「白くて清潔で可憐なものの象徴」という点で重なり合う。仮に収録したとしてこの部分を削除すれば、親子を繋ぐ作品の生命は失われてしまう。
 三歳のとき、〈語り手〉は小学校教師であった母を亡くしている(〈語り〉の中で「私」とか「僕」といった人称は巧妙に消されている。したがって、中心的人物をここでは〈語り手〉としか言いようがない)。その後、群馬の山村で祖母と姉とで暮らしている。父は再婚し「バスで二時間もかかる鉱山の社宅にいて週末にしか帰ってこなかった」。これは冒頭の寝たきりの父の姿であり、好き勝手に生きて、結局は息子に世話になるという伏線が早くも明らかになる。
 小品と先に述べたのは、この作品には謎が二つだけしかないからだ。読みどころでもあるそれは、〈語り手〉がいたずらで清子のランドセル入れたウサギがどうなったかということと、後に語られる清子の死の原因である。
 小学四年生の〈語り手〉にとって、東京からきた転校生は美しい容貌もさることながら「都会のにおいのする洗練された言葉遣いとしぐさはあこがれと嫉妬の入り交じった羨望の対象」であった。しかし、幼いながらもはっきりと恋と自覚するのは、ウサギ事件を公にしなかった彼女に「大きな借りができてしまった気がして嫉妬が消え」たためであり、「その懐の深さに対する恋心に似たあこがれの念」を抱くのであった。
 教材でいえば、宮本輝『星々の悲しみ』(一九八一)のように、本作は高度経済成長下の立身出世と愛の相克という定型を持つ。〈語り手〉は父からの促しにより「夢」のために上京するが、待っていたのは「父と継母との冷めた共同生活」であった。小説と受験勉強へと逃げ込み、「食うために選択した実学の医学部」の受験には失敗、そんな中予備校で清子との再会を果たす。
 誘い出した喫茶店で語られる清子の生い立ちは、「電力会社」の父の出世に合わせて転居し、「優等生」として順調に進むコースであった。「再会の勢いに任せて、一段と美しくなった清子に初恋の告白でもしようかと」ともくろむ〈語り手〉への警戒もあるが、「今はとにかく受験勉強だけをする。精神科医になりたいと思う」とにべもない。優秀な彼女が浪人までして目指す「精神科医」という志望はいかなるものか。周囲に愛されながらも輝ける存在でありたいという自らを、より知りたいという欲求であろうか。他人のためというより、内的な強い動機を思わせる。
 七年ぶりに会う清子の語り口には「幅も奥行きもなく」、「高く愛らしくはあるが平板で機械的な声がうつろに響いてくるだけ」であった。「清子は変わった。少し早く大人になってしまったのか。それとも……」
 東北の新設医学部に進学した〈語り手〉は、五年生の冬休みの同窓会で、清子が「去年の夏、神奈川の海で死んだ」ことを知る。死因は不明だが、父の社会的地位からすると「花輪も参列者もわずかな寂しい式」は不自然であり、事故死か心中か自殺か、いずれにせよ暗い背景を思わせる。〈語り手〉は、居合わせた同級生に事情を全て聞くことも出来たはずであるが、それはやらない。再会時の違和感から、清子の抱える闇に薄々は気づいていたからである。
 長い回想から〈語り手〉が、次男のいる茶の間に引き戻された時、「あの日、中川清子のランドセルの中に入れたウサギはどうなったのだろう」という問いは再びなされる。しかし「今の己を支えているはずの過去という物語が、奈落に吸収されてしまう底知れないむなしさを意識させられるくらいなら、思い出さないほうがまし」、「ふだんは厳重に封印」しているとして、それ以上の記憶の掘り起こしをやめてしまう。封印した過去の外縁を〈語り手〉は確かに語った。この生身の〈語り手〉は清子の「平板で機械的な声」であしらわれたが、そこで語られていたのはウサギ事件の顛末そのものであり、おそらく彼女は事務的機械的にウサギを始末したのであろう。
 目的は「優等生」としての安寧あんねいであり、ランドセルにウサギが(あるいはその死骸が)入っていたとしても、波風を立てることは本意でなかったはずである。その陰惨な死が彼女の人間関係の不全を示しているように、山村で〈語り手〉が受け取った「さわやかな笑顔」「懐の深さ」こそが幼き日の誤謬ごびゅうであったということである。本来の彼女は転校生でありながら「優等生」を演じねば自尊心をコントロール出来ない、悲しい性の持ち主であった。世界は私が捉えた世界に過ぎないのだとすれば、小説世界には複数的な事実が埋まっている。ウサギは静かに葬られたのであろう。
 息子は「清い心は弱い」「ウサギは寂しいと死んじゃう」と言い、〈語り手〉も「感受性の鋭い動物はきっと寂しさに耐え切れなくなって死んじゃうんだよな」と応える。しかしこれらの発言は、介護に向かう妻の「いいわね、あなたたちはそういう美しいお話ばかりしていられて」という言葉に粉砕される。これは同級生・幸夫の「バカでも生きてるのが一番」という「美人薄命」への感想、あるいは寝たきりの父の「野生の動物みてえな食欲」「生命力のたくましさ」という描写に呼応し、「清潔で可憐なもの」の幻想を暴く。〈語り手〉によって語られる妻の言葉は、登場人物としての〈語り手〉の認識を遥かに超えている。
 ウサギが寂しいと死ぬなどとは妄言に過ぎない。若き日の幻想を爆破してこそ、語り得ぬものを〈語る〉、青春小説の真骨頂があろう。そのような「教育的観点」を含めて、教科書会社がきわどい固有名を含む本作を採択する度量があれば、教室で扱う小説の幅も広がるのだが。
                                   (二〇一二・七)

アンダーグラウンドからの叫び —村上春樹『緑色の獣』再読

 はじめて「千年紀文学」に出会ったのは、田中実先生のお宅で綾目広治氏にこのタブロイド紙を手渡された時だった。綾目氏の著書『脱=文学研究』(日本図書センター 一九九九・四)が出版される前であったので、前年の九八年あたりであっただろうか。一見目につくのが題字のロゴで、プログレッシブ・ロックを思わせる意匠に、親しみと若干の怪しさを感じたものだった。その後、綾目さんの出版記念パーティーが行われ、原仁司氏が司会をされていたことも良く覚えている。
 二度目の出会い直しは、人並みに憂鬱になり落ち込んでいた私を当時同僚だった幸田国広さんが会合に誘ってくれた二〇〇三年だった。新宿「たきざわ」に集まる同人の方々は、今よりも人数が多く、別の仕事で同じ北村透谷『漫罵』の項を執筆した小林孝吉氏とお会いしたのもその時だった。
 事務局を引き受けて三年になるが、この間多くの方を見送ることとなった。昨年末の会合に、足の悪いのをおして駆けつけて下さった早川眞理さんは、まるで私たちにお別れを言いに来てくれたかのように思えてならない。新御茶ノ水駅までお送りしたのが、最後だった。

 本誌四七号に島田雅彦『美しい魂』について書かせてもらったのが最初だが、このところは村上春樹について考えることが多い。ウィキペディアには誰が書いたのか「平易な文章 難解な物語」と項目がある。世間的にはそのような受け取られ方をしているのだろう。たまたま別の会で『緑色の獣』(『レキシントンの幽霊』文春文庫 一九九九・一〇)の高校教材の実践報告を聞き、考える機会があったので、春樹の小説の基本的な向き合い方について整理したい。
 同時代評としては池澤夏樹の文芸時評(朝日新聞夕刊 一九九六・一二・二四)があり、「日常生活に怪物が乱入するという話」を作家が描きつづけているとしている。『レキシントンの幽霊』が出版されたのは、阪神大震災/オウム事件後である。混迷の時代に「日常」を確固たるものと信じる池澤の世界観は、まさに相対主義の時代において否定されることではない。しかし、彼の信じる「日常/非日常」という古い二項では、残念ながら春樹の提示する世界観認識には到達し得ない。さらに池澤は「過剰な技術主義」「同じ話を何度となく書き直して提出する姿勢」「早すぎる老成」と否定的であり、雑誌「ニューヨーカー」におもねって技術を磨いていると言わんばかりである。
 もちろん「お話」だけで読めば、これは「日常」に怪物が闖入ちんにゅうするという嗜虐しぎゃく的な童話に過ぎない。
 ところで、誘発される典型的な「誤読」は、庭の木が獣であるという解釈である。これは教室で扱う場合も、必ず出てくる意見として想定される。「私は昔からその椎の木が好きだった」「子供のころにそこに植え、育って大きくなっていくのを見ていた」「そのときも、私はたぶん心の中で木と話をしていたのだろう」とあり、その根元から獣が這い出てくるからである。
 ああも読めるがこうも読める、どうあがいても読み手は(当然筆者も含め)自らの恣意性を超えることは出来ない。しかし、「誤読」については、「そうも読めるが、そう読んではほとんど〈読み〉としての生産性がない」と定義しておきたい。例えば『納屋を焼く』を、女性を殺す話として流布させようとすることなどは(加藤典洋)、筆者にとってはほとんど意味がない。上記のような規定がなければ、作品の「大きさ」以上の研究や批評は成り立たなくなる。
 木が獣である(あるいは分身である)という読み方の問題は上記の生産性に関わる。むしろ手がかりとなるのは、一人称回想体の冒頭「夫がいつものように仕事に出ていってしまうと、あとに残された私にはもうやることがなかった」という一文であろう。庭の木に着目するのも良いが、「私」の生活自体がまず構造化されなければならない。何しろ、彼女は「やることがな」いのに、「台所によく切れるナイフをいっぱい揃えている」のだから。
 夫との生活の内実は全く描かれていない。しかし、「やることがな」いという一文で、愛の生活の不毛や空虚は十全に語られている。子どもの頃から庭の木に話しかけるというこの場所は一体どこなのか。いずれにせよこの〈語り手〉である「私」の愛には障壁があることと、醜い獣が「プロポーズ」するという荒唐無稽な出来事はパラレルに進行している。
 愛が不可能であることは、同時存在的に地下から這い出た醜い獣との愛がけっして成立しないこととして、あらかじめ仕組まれている。夫は不在だが、獣は眼前に存在する。「プロポーズ」は愛の再生への試みである。
 そうであるならば「正視に耐えられないほど醜くない」という獣の姿は、もはや説明的ですらある。獣を「怖い」から「怖いとは思わなくなっていた」へ、「気味の悪い獣」から「可愛らしくさえあった」への変化は、通常の男女の愛の関係と逆行している。しだいに冷めていく夫婦関係と裏表なのである。
 獣は「私」の心の中の「悪意や敵意」という言葉を、正確に読み取る。そこで「こいつは人の心が読めるのかしら、もしそうだとしたらやっかいな事になったわ」と「私」は思う。「私」は口に出せばいいものの、獣への嫌悪を口に出さずに「大きく思って」みる。日常では言うまでもなく「悪意や敵意」を抱いても、思ったことはあらわにならない。人の心は読めないという前提に立って、読めるという小説の仕掛けが生きてくる。彼女はいつも相手に読まれると「やっかいな事」になるようなことを思っているのだ。
 つまりは「日常生活に怪物が乱入する」のではない。それは「日常」そのものであり、相手への嫌悪をただ思うだけで弥縫びほうしてきたのが彼女の愛の生活の全てなのだ。
 獣の「目だけが普通の人間の目」であることに「ぞっと」するわけであるから、恐怖こそ「日常」の連続性でなければならない。「現実」が別のかたちをとらざるを得ないという必然が要請されて、「獣」という異形のかたちをとっているのである。
 そうでなければ、春樹は不思議なお話を書いているだけ、技術主義という批判があたり、日常/非日常という単純な二項対立の中で奇譚を書き続けているに過ぎない。むしろ、「同じ話を何度となく書き直して提出する姿勢」を貫いているのは、その世界観認識を読み手に促すべく、小説家としての「責任」を全うしているのだといえば、言い過ぎであろうか。
 松本常彦「『氷男』—密輸のためのレッスン」(「國文學」一九九九・二)では、「緑色の獣」「幽霊」「氷男」を「空白・無意味の場」だとしている。曰く「餌のない疑似餌」だと。確かに「緑色の獣」や「氷男」を象徴性で読んでみたところで何の意味もない(ice-manが「愛す男」などというたわいのない言葉遊びも出来るが)。
 しかし、松本の「我々の前に投げられているのは、隠喩的な回収が期待される氷男という無意味(無意識)と、それを隠喩的に回収すれば退屈な物語になるしかない意味(意識)であり、言わば、ダブルバインドを強いる疑似餌である」という物言いは、自らが「退屈な物語」しか読み込めていないことを吐露しているかのようである。未だに、空白あるいは空所などという用語での松本の断定は、読み手の不手際を作品(対象)の不備としてあげつらっているだけとしか言いようがない。
 そして「日常生活に怪物が乱入する」話でない限り、獣が地下に戻る(また「日常」の平穏が戻る)という結末には至らない。
 獣は「何かすごく大事な、言い忘れていた古いメッセージを私に伝えようとするみたいに、重々しく」何かを言おうとするが、「私」は「お前にはなにも言えない」と存在をも否定する。〈語り〉の現在もまた、愛の不毛の中にある。「私」は愛の回復の契機を失い、「闇」が部屋を満たしていく。地下からのメッセージをまねばならなかった「私」には、「すごく大事な」獣の愛の言葉を聞くことが出来なかった。したがって、アンダーグラウンドからの叫びは、何度も、何度も呼び起こされるだろう。
                                  (二〇一二・一〇)

代理と犠牲 —『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』

 3・11を通過して、何も変わらないという人を、筆者は信用しない。二年近い月日が流れて、なおその思いが強い。それは映画や音楽、小説にも言えることで、あの出来事によって、作り出されるものがどう更新されたのかということにのみ注視してしまう。
 その意味では、リメイクが進行していた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』には注目せざるを得なかった。先行する『序』(二〇〇七)『破』(二〇〇九)で散見された、都市を守るため無尽蔵に配置された兵器や防御システムは、3・11後の世界ではほとんど通用するはずもなく(端的にいえばもはや観るに耐えないものであり)、現在公開中の『Q』ではいかなる変化が見られるのかと。
 公開と同時にリリースされた主題歌『桜流し』(宇多田ヒカル)のプロモーションビデオを制作したのは、『萌の朱雀』『もがりの森』の河瀬直美である。内容は、ただこの国の自然の描写と無人の家屋と出産のシーンのみで、派手な演出は一切ない。「母性」がテーマであるという河瀬自身の言葉もあるが、3・11後にもはや我々は自然を「自然」そのものとして見ることはできない。無人の家屋を、原発事故から切り離して見ることができない。そして、臍の緒を切られ、母親の乳房に食らいつく赤ん坊の姿を単なる「日常」としては捉えられず、過剰な意味合いを読み取ってしまう。母子以外に人物が登場しない映像からは、3・11後の世界と対峙する確固たる意志が感じられた。休養中の歌手が選び取ったタイトルの言葉も示唆的である。
 第三作目の『Q』は前作から一四年もの年月が流れている。これまでの『序』も『破』もサードインパクトまでの物語である。それはノストラダムスの大予言やオウム真理教のハルマゲドン、『風の谷のナウシカ』の「火の七日間」に連なるカタストロフへの(期待と)怖れである。これに対し『Q』は、サードインパクトという大災厄のあと、完全に3・11後の世界へと移行している。そして世界の破壊は、自己の破滅と直結している。自らの行為のために死滅した都市を眺め、碇シンジの自我は再び崩壊する。元祖セカイ系の面目躍如と言ったところか。
 前二作まで作品に横溢おういつしていたのは、人為によって災厄を防ごうとする努力、あるいはそのことを可能にする人間の叡智えいちに対する信頼である。しかし、その旗頭である特務機関ネルフは分裂し、元々の思惑が違うのか、主要なメンバーは反ネルフ組織ヴィレに糾合きゅうごうされている。一方は「お堅い」組織、脱退した側は、式波・アスカ・ラングレーの眼帯と帽子のバッチ、冒頭の初号機奪還作戦が示すように、海賊である(このことはアニメのいわゆる「制作委員会方式」を捨て、この映画のためにスタジオ・カラーを設立した総監督庵野秀明の戦略に近い)。そして、画面に映る人間は驚くほど少ない。いなくなった人々の末路について、説明は一切ない。ネルフの施設には碇ゲンドウ、冬月コウゾウ、綾波レイの三者以外は見当たらない。エヴァを稼働させるシステムは残っているが、大災害のあと、人間はいなくなってしまった。少年らが、雑草の生えた更地の上でピアノを連弾する姿は限りなく美しいが、それは全てが終わってしまったことを意味する。
 シンジの罪をあがなうのは、代理人である。渚カヲルや鈴原トウジといった心を通わせた友人達が、彼の代わりに次々と血を流す。シンジは旧劇場版ではカヲルを自らの手で殺したが、今作での彼の死は身代わりである。「これは元々僕が着けるものだった」と、シンジから処刑用の首輪を外す。犠牲になったのは代理人で、「あなたは何もしないで」と葛城ミサトに言われていたシンジは、余計なことをしてカオルを失ってしまう。
 ここでは、現代文明(の享楽)と3・11の惨事の関係性が鮮やかに描き出されている。今の自分の存在は、多大な犠牲の上に立って辛うじて存在しているものだと、観客は痛感するはずである。八〇年代の僕ら「子ども」が待っていた「デカい一発」は、世紀末から少し外れてついに起こってしまったのだ。
 次々と無理筋の展開があり、屋上屋を架す印象が強かった前作の『破』だが、『Q』ではネルフの上部構造であるゼーレのモノリスも停止され、「父」としてのゲンドウが全権を掌握する。オイディプス的神話に物語を収斂させるためなのか、「母」の問題は徹底的に排除されている。赤城リツコの「母」も、アスカの「母」の問題も、全く浮上してこない。登場人物が硬直し、それぞれの物語を生きている感じがしないのはそのためである。そして「父」が仕組んでいるのは、北野武『アウトレイジ』(二〇一〇)的な潰し合いである。ファイナルインパクトを怖れる大人たちは「子ども」らを奪い合い、「子ども」らは髑髏どくろの山の上で格闘する。
 そもそも『エヴァ』の基本的なプロットは、「父」が子に、「母」の胎内たるエヴァに乗り込み戦うことを強要することの繰り返しである。しかも「子ども」たちは、エヴァのパイロットになることを誇りに思い、それを「逃げちゃダメ」なもの、超克すべき課題として捉えるという、一種のねじれがある。「父」が「母」に還ることを強制するのである。したがって、一四年もの時間が過ぎようとも、彼らは「エヴァの呪縛」によって「子ども」のままである。
 ところで、本作リメイクのきっかけは、筆者からするとどうしても富野由悠季総監督『機動戦士Zガンダム』の「新訳」(二〇〇五〜六)が念頭にあったと言わざるを得ない。中心的人物カミーユ・ビダンは、バブル前夜のテレビシリーズ(一九八五〜六)ではラストで精神崩壊する。しかし、失われた二〇年の後のリメイクでは、正気のまま敵を葬り、自らの愛を獲得する。曲がりなりにも、成長物語であった『宇宙戦艦ヤマト』(一九七四)『機動戦士ガンダム』(一九七九)に比して、天才カミーユの突然の破滅は衝撃的であったが、バブル絶頂期の八〇年代後半ではまた必然であったともいえる。しかし、陰惨なラストは、困難な時代において再び書き換えられねばならなかった。筆者はこれを、極めて倫理的な改変であると捉えている。
 碇シンジのキャラクター造形は、プレモダン(戦前?)の古代進、意外にモダンなアムロ・レイと並べれば、極めてポストモダン的である。古代には人生のモデルとして兄の守や艦長の沖田十三の姿が身近にあり、アムロにもシャア・アズナブルという好敵手がいた。これに比して、シンジは決して成長しないし、何もせず、逃げてばかりである。
 旧劇のコピーは、同時期に公開された『もののけ姫』の「生きろ。」とは正反対、「だからみんな、死んでしまえばいいのに…」であった。宮崎駿も富野(一九四一年生まれ)も、庵野(一九六〇年)にとっては旧世代である。「生きろ」という現代文学そのままのメッセージを、新しい世代が真逆に打って出たのが九〇年代の終わりであった。発狂の淵からカミーユは甦ったが、「何もしない」碇シンジは更新されるのか。
 確かに『Q』によって、個人的にはすっかり新しい3・11後のアプリケーションが身体にインストールされ直された感がある。しかし「父」と「成熟」の問題はなお残っている。
 映画を観終わったあと、再び河瀬のフィルムの臍の緒を切るシーンが去来する。あれは「母性」ではなく、「成熟」や「自立」のためのサインなのではないか。次回の完結編では、「子ども」たちは「呪縛」から解き放たれるのか。汚染された赤い大地を彷徨さまよい、何をうしない、何を得るのか。次のミッションはもう、代理による犠牲では超えられない。    (二〇一三・一)

コミューンから愛の合一へ—村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

 今年になって、同級生がまた一人死んだ。団塊ジュニアの我々にとっては、不思議な話ではない。なおも、原発事故をめぐって、些細ないさかいから長年の友人と絶交した。小学校での一番の親友は、最近極右の雑誌に頻繁に記事を書き、尖閣諸島に船を出し、写真を撮りに行っていると地元の噂で聞いた。
 昔なら「おまえ、下らないことやってるんじゃないよ」と頭を張るくらいのことをしてやれるが、中年にさしかかった今はもう、遠く離れ過ぎて、会うこともない。
 村上春樹の新作といえば、『1Q84』以降はまるでボジョレー・ヌーヴォーのように解禁日に手に入れることが儀式と化し、書評もこの号が発行される頃にはすでに出揃っていることだろう。発売前の情報は完全に統制され、一時のアップル製品や、これも今年突如発表されたデヴィッド・ボウイの新譜のように、いつ書かれ、どんな内容なのか、事前の情報は全くなかった。消費者の飢餓感をあおるマーケティングらしい。その結果が、発売一週間で二刷一〇〇万部、ノーベル文学賞に一番近い作家とはいえ、いささか騒ぎ過ぎの感がないわけではない。
 冒頭で私事を述べたのは、今作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋 二〇一三・四)の登場人物のほとんどが団塊ジュニアの男女であるからだ。また、首都圏で暮らす地方出身者の心情をよくんだ設定となっている。これは今後、さらに作品の支持を集める要因ともなろう。タイトルにあるように、アカ、アオ、シロ、クロという友人関係の中で、中心的人物・多崎つくるだけが名前に色彩を持たない。やがて、彼だけが名古屋から上京し、ある事件をきっかけに、その強い絆から放逐される。
 この五人は、みな中産階級以上の裕福な家庭の子息で、元々は同じ学校に通うだけの間柄であった。結束を固める契機は、学習支援のボランティア活動である。この出会いは「乱れなく調和する共同体」「特別なケミストリー」として語られる。その意味でここでの人間関係は、名古屋の中の血縁・地縁の古いだけの共同性ではない。四人は地元での進学を決めるが、鉄道オタクの多崎だけが、駅舎の建築を学ぶために東京の工科大学に進む。
 列車とバイクという違いがあるものの、ここで語られている共同性の問題は、先日たまたま観直した『イージー・ライダー』の「巡礼の旅」を想起させる。自由への逃走と挫折と捉えられがちなフィルムの中で、実はピーター・フォンダとデニス・ホッパーはいくつかの異なる共同体を横断している。農家で世話になった後に立ち寄ったヒッピーのコミューンは、自由を愛する彼等にはうってつけの場所のようにも見える。しかし、そのカルト的な雰囲気の村にはなじめず長くは留まらない。
 もちろん、南部のあのいやらしい保守的な古い共同体は、キャプテン・アメリカとビリーが回帰する場所ではない。アルコールに溺れ、狭い街の中で生ききれないジャック・ニコルソン演じる弁護士は真っ先に撲殺される。その死を乗り超え、彼等が目指すのは謝肉祭の街の娼家であるが、自由を求める人間がそこで救われることはない。衝撃的だと語られるラストシーンではあるが、どこにも属せない二人の死は、プロットの流れからするとむしろ必然的でさえある。では、ライダーたちは、何処へ向かえばよかったのか? 
 本作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、ボランティアの繋がりという、比較的新しい関係性があらかじめ封殺されている点で興味深い。チームの発足が一六年前という設定からすると、阪神大震災時を思わせるが、3・11後の最初の長編小説で、新しいかのように見える絆が実は希望となっていないところは用意周到である。我々が直面する事態はそう単純ではない。
 名古屋という巨大な田舎も、無論東京に移り住む地方出身者の心の拠り所とはならない。例によって、多崎の父母兄弟の影は薄く、血縁・地縁による古いコミュニティが今更機能する余地は微塵もない。
 資本や通常の意味での家庭の幸せも救いとはならない。レクサスを売るアオはともかくも、経営コンサルタントで「最も成功した三十代の独身男性」と女性誌で紹介されるアカが深い孤独の中にあることは、その証左である。マセラティに乗る「五反田君」のようなバブル期の虚飾の勢いもない。「良いニュースと悪いニュースがひとつずつある」というコピーは、アカが新入社員相手のセミナーで話す詭弁の中の文言である。このベストセラーにかかる帯の惹句じゃっくになっていることは、かなり皮肉ではあるが。
 ともあれ、このデットエンドを脱するのに必要なのは、先走って言えば、コミュニティから飛翔する、新しい形での愛の獲得でしかない。
 前作『1Q84』が極めて難解なのは、天吾と青豆の愛の合一を食い破るかのように牛河の描写が後半肥大化していることである。本作はその意味では、愛が成就する手前で中年の男の影があらわになるために、読み手には、愛の困難さが容易に浮かび上がってくる。お話の展開を追うだけでは、極めて捉えにくい大長編小説の解説の役割を、この作品は果たしていると言える。(多崎つくるを愛しているであろう)木元沙羅と手をつなぐあの中年は、役割としては愛の合一の障壁としての牛河である。また、この牛河的なるものが読めなければ、春樹の小説はメロドラマ、ハーレクイン・ロマンスだという評価しか下せないだろう。
 ボウイの新譜がレコーディングの情報さえ一切漏れなかったように、本作は刊行に先行して関係者にも、ゲラなどは事前に渡らなかったらしい。そのためか飛ばし読みの、分量の少ない、いい加減な書評が前作にも増して目につく。
 その中で加藤典洋が「『誰かから心底の愛を得ることができるか』から『誰かを心底愛せるか』へと軸足が変わってきている。今、恋愛とはそういう問題になっているのではないか」と短く「愛」についてコメントしているのは慧眼けいがんである(小見出しは「恋愛の性質、能動的に変化」とある。朝日新聞 二〇一三・四・二三)。状況分析としても、震災後は愛の形が変化していると加藤が捉えていることは筆者も同意するところである。お話の展開としても、新しいコミュニティの可能性がついえた後、多崎自身の愛の問題が再び浮上している。
 愛ある生活を築くことは重要である。しかし、シロから離れるために遠くヘルシンキに生活の基盤を移したクロの暮らしが理想として語られていないのは言うまでもない。多崎の抱擁がクロに必要なのはそのためである。辺境での閉じた空間の愛ではない、ターミナル(駅)となるような愛。いずれにせよ、多崎の愛は成就されねば、彼は「現実的」にせよ「比喩的」にせよ、「確実に息を引き取る」ことになるという。
 デビュー作『風の歌を聴け』では「1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる」と、自らの過去を数値で示すような空虚な「僕」のあり方が語られていた。
 今作では中年を前にした男が、もっと露骨に「空っぽ」であると語られている。「自分というものがない」「個性もなければ、鮮やかな色彩もない」と多崎に自己分析を語らせている。これは「今のところは死ぬつもりはない」と自殺した女を尻目に表面上はうそぶく処女作とは違い、より切実に「自己療養」の方向が語られている。そして、ラストで聴こえるのは、またしても「風の音」である。果たして愛は成就するのか。
 多崎つくるが愛する木元沙羅にも、浮遊する生のごとく、色彩がない。
                                   (二〇一三・四)

問題はもっと深く広く遠くにある

 自作の「現実の世界」と「現実ではない世界の間を行き来する」という特徴に関わって、村上春樹はインタビュー集で次のように述べている。
﹁そのとき人は一度自分の組成をすっかり壊さなくちゃいけない。質量を失って、ひとつの原理にならないといけない。そうしないと向こう側にはいけない。(略)人間の存在の核はvoidである方が、僕の論点には合ってるかもしれませんね。我々は結局のところvoidに付着している表象スタイルの総合体に過ぎないのだと。」(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』文春文庫 二〇一二・九)
 このあと表現における「『物語性』の強烈さ」「『文体』の強靭さ」「奥行きの深さ」として話題にされているのは、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンである。春樹のデビュー作『風の歌を聴け』の登場人物「鼠」は、「蟬や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね」と、その書かれざる小説の内実を語っているが、ブライアンの代表作はメンバーが「犬に聞かせる音楽」と酷評した『ペット・サウンズ』である。
 春樹によれば、ドラックに耽溺し長い間低迷したブライアン自身の「空白と謎」が、このアルバムに「有機的に呼応」しており、何度聴き返しても「新しい発見」が「潜んでいる」という(『スマイル』にも常に「発見」があるが、同時期のビートルズ『サージェント・ペッパーズ』には、それがほとんどないと峻別される)。
 作品を論ずる者が〈作家〉の言葉を援用するのは、ある意味〈読み〉の「弱さ」であるのかもしれない。しかし、これら優れた〈作家〉が〈向こう側(void)〉との格闘の中で、捉えきれない何かを潜り抜けていることは、その発言とも符合していると指摘せざるを得ない。
 ところで、「手描きの鉛筆の線から、宇宙の爆発が描けてしまう不思議」と現代美術家の村上隆がアニメーションについて正しく看破するように、宇宙を吹く風や〈向こう側〉という春樹の文学の問題をいうには、他の隣接分野からの援用が必要な時期なのかもしれない。
 誰が風を見たでしょう。僕もあなたも見やしない——この夏話題となった、宮崎駿監督『風立ちぬ』では、〈向こう側〉の問題が「描けてしまう不思議」があらわになっている。したがって、ジブリ初のリアリズム的手法で描かれた大人の恋愛映画だと思って本作を観ると、肩すかしを食うことになる。中心的人物・堀越二郎は零式艦上戦闘機の設計者と、あろうことか堀辰雄が統合された設定である。墜落シーンを含め、彼が設計した機体が飛行するさまは、奇妙なことにほとんどが回想、あるいは夢の中の出来事であり、リアリズムという説明だけでは、大きく逸脱する部分が重要な役割を占めている。全ては美しい夢(あるいは呪われた夢)であり、ゼロはここでは真の意味で「永遠」なのだ。
 彼が抱えている美しい飛行機という夢も、愛する菜穂子(節子ではない)も、皆〈向こう側〉の存在である。「風」が運んだ偶然で二人は出会い、「風」を捉えるために、男は夢の完成を目指す。「風」は容易には捉えられない。〈向こう側〉との関わりを思わせるのは、物資や発動機のハンディを克服するために、極限まで重量が削ぎ落とされたフォルムの翼や、結核に冒されながら一番美しい時期だけを見せようとする菜穂子の愛のかたちだけではない。終局にその要素は集約されている。『風立ちぬ』の「風」とは、全てが終わったあと、〈向こう側〉から吹いてくる「風」であった。
 二郎は国家の滅亡と妻の死により「ズタズタ」に倒壊している。「風」をつかまえた彼は旧帝国海軍の要求以上の戦闘機を完成させるが、それは敗戦の運命と共に「一機も戻って」こなかった。試作機の完成という夢の完成(成就)は、菜穂子との愛の合一(終り)と表裏一体で、それは見たと同時に〈向こう側〉のものとなってしまった。堀越二郎と堀辰雄が同時に在るという、荒唐無稽な設定が要請されたのは、その「夢」と「愛」の明滅を現すためであった。
﹃風の歌を聴け』の「鼠」が相手にしていたのは、「蟬や蛙や蜘蛛や風、みんなが一体になって宇宙を流れていく」という「風」である。そのようなものを捉えようとして構想する限り、「一行も書いちゃいないよ。何も書けやしない」ということになる。物語が断片化され、バラバラのままに投げ出された春樹のデビュー作に、今日的な意味を見出すのであれば、それは〈向こう側〉をくぐり抜けようとすることの困難さが語られている点である。お話の上では、それは「鼠」の青春の蹉跌さてつ、学生運動で傷つき復学を断念したことに還元されるが、ホットケーキにコーラを一本注いだ「不気味な食物」をわざわざ胃の中に流し込むこの男は、それ以上の何事かに耐えている。またこのことを語っている「僕」も、未だ「夜の闇」の中にいる。
 堀越二郎の方はこの「ズタズタ」に倒壊した地点から、「あなた、生きて」という彼岸の菜穂子の声によって、〈生〉の方に押し出される。もし〈向こう側〉をくぐり抜けていなければ、彼は技術者としても生活者としても単なる敗残者であり、立ち直る契機はつかめなかったはずである。同じく、危うい均衡の中にあったブライアン・ウィルソンが見事に復活したことは、音楽ファンにとっては奇跡であるが、それは春樹のいう「ひと目でそれと視認できる普遍的な世界観」(『意味がなければスイングはない』文春文庫 二〇〇八・一二)を提示したレノン=マッカートニーの完結性とは、別の道を歩んだからなのかもしれない。いずれにせよ、両者は〈向こう側〉から生還している。
﹁ズタズタ」の戦後を生きようとする二郎の声優に起用されたのは映画監督庵野秀明である。この愛弟子を宮崎は「一番傷つきながら生きてる」と激賞している。庵野の(今も続く)代表作『新世紀ヱヴァンゲリヲン』もまた〈超越〉項とのあからさまな格闘が仮構された作品である。新作ではサードインパクトという大災厄のあと、登場人物たちは次なるファイナルインパクト=〈向こう側〉を超克すべく闘おうとしている。その際、襲いかかる〈超越〉項への説明は一切ない。
 これら優れた〈作家〉たちが愚直に衝突する〈絶対〉や〈超越〉を、むしろ忌避していたという点で、どうしても筆者の場合想起されるのが、島田雅彦と浅田彰の哄笑こうしょうである(対談『天使が通る』(新潮社 一九八八・一一)における、〈絶対〉と切断されたキッチュでポップな三島由起夫像など)。島田は、春樹の小説が売れまくる状況を「村上春樹とそれ以外の作家」(『島田雅彦芥川賞落選作全集』河出文庫 二〇一三・六)などと憎まれ口を叩いているが、蓮實重彦ら論客達による春樹包囲網は、今や完全に過去のものとなった。ポストモダンが避けて通った〈向こう側〉の問題を抱えていた作家もまた、苛烈な攻撃を通過して生き残っている。
 ふと文学以外の分野を注意深く見渡せば、この〈向こう側〉との共振と共鳴は横溢おういつしている。代表的なものは、今年東京で開催された二つの展覧会、「会田誠展 天才でごめんなさい」(森美術館)と「新政府 坂口恭平展」(ワタリウム美術館)である。春樹が「void=虚空」を語るとき、オウム真理教を牽制せねばならないように、二人の作家も常に危うい位置にいる。会田展の図録「MONUMENT FOR NOTHING」は、一糸まとわぬ女性が俵を担ぐ徹底的に無意味な巨大壁画(連作)と同名である。絵師として異様に技術が高いだけに、怪作群は「虚空への供物」といったところか。
 一方坂口恭平は、3・11以後の政府への不信感から、「疎開」先の熊本で福島からの被災者を支援するコミュニティを立ち上げ、国家として「独立」を果たしている。これら妄想といっていい架空の王国が、この世界に屹立し、確実にその領域を拡げている(現実世界にはない音像をつむぎつつ、限りなく生音に近い録音をも追求する音楽家・渋谷慶一郎もこの系譜に加えたい)。
 表面的にはセンセーショナルな作風に注目が集まるが、彼等の作品にはないものがあるものとされ、それはあるものをないものとして無効にする力を持っている。これらは、同時多発的に、この国の文化状況に張り巡らされているような気がしてならない。
 劇中の堀越二郎は、地表に激突した試作機を前に、こうつぶやく。「問題はもっと深く広く遠くにある」と。
                                  (二〇一三・一一)

オジキは絵描きだったのに、私にはその才能が全く与えられなかった。
©Nobuchika Kitani

短銃と端末 —彼らの感性の行方

 若者の「活字離れ」などという紋切り型の言葉が流布して久しいが、とんでもない。我が校の高校一年生の間で最近熱心に読まれているのは、『バトルロワイヤル』という作品である。書店で平積みされていたり、映画化されているので当然であるかもしれないが、これだけ「文学作品」が流布しているのも珍しい。この学校に赴任したとき、生徒は全く「本を読まない」という印象であったが、この『バトルロワイヤル』だけは教室や廊下で座り込んで読みふけり、貸し借りする姿が見受けられる。その二段組で六〇〇ページの大作の内容だが、同じクラスの中学生同士が、超国家主義的な法律によって殺し合うというスプラッターで、深作欣二がメガホンを取った映画は、その暴力的内容からR指定になった。昨年からこのブームは気になっていたが、最近ある生徒に聞くと、我がクラスのほとんど全員(教科書の小篇一つ読めない彼までも!)が読了したという。またある者は、「先生(あなた)は読んだ方がいい、いや、先生(一般)は読んだ方が良いと思います」と、半ば挑発めいたメッセージを私に向けるのである。意識的に避けていたのだが、仕方なくついに買い求めた。
 政府の命令で中学生が殺し合う話など、極めて悪趣味で馬鹿馬鹿しいと一蹴出来れば良いのだが、しかし、この書物の流行は、今年度私のクラスで起こったこととリンクして、忘れ難い記憶として残るだろう。自分が生き残るためには、他人を殺すという〈ゲーム〉は、くだらない寓意であるが故に、現実をそのまま描いていると言えなくもないのだ。私が担当したクラスでは、ある事件をきっかけに、主に携帯電話の匿名メールなどで、特定個人への中傷や心ない噂が蔓延し、互いの心を傷つけ合うということが日常的に行われた。メールは昼夜関係なく、授業中でさえも交わされる。勿論担任の私もターゲットの一人で、他の教員や保護者までも、その噂や嘘の情報に振り回される始末である。安易なアナロジーは危険だが、ネットで自らの悪意を増殖させ、自分は安全地帯にいながら他人を攻撃する姿は、ピストルで丸腰の人間を撃つ『バトルロワイヤル』の登場人物と何ら変わりがない。携帯電話の普及率は恐らく一〇〇%近い。誰もがこの〈ゲーム〉に参加せざるを得ない点も似ている。
 感傷的な言い方だが、黒い表紙の大部のテキストは、そんな彼らのバイブルに見えなくもない。これは彼らにとって、希望の書か、絶望の書か? やがて、このブームも終わりを告げるだろう。しかし、私には彼らのサインを受け取れなかったという悔恨だけが残ることになった。
 一九九九年に上演された坂本龍一のオペラ『LIFE』にはこんな一節がある。「救いなどないことを発見することこそが救いなのだ」。これは映画監督ベルナルド・ベルトルッチの言葉であるが、彼は『ラストエンペラー』、『シェルタリング・スカイ』、『リトル・ブッダ』のオリエンタル三部作で、絶望を丹念にたどり、残されたわずかな希望を私たちに提示した。王朝の没落から、愛の不可能へ、そして宗教的救済へと続く彼の長く辛い旅の果てが、ある意味この言葉に集約されている。救いがないことを発見することこそが救い……。
 この言葉の陰画のような質問を、ある教員採用試験の面接で浴びせられた。一通りの模範的な回答をこなし、面接が終わろうとしていたときに為された、不意打ちのような最後の問いはこうだった。曰く「この見通しが立ちにくい時代に、どのように生徒たちに希望を教えたら良いのでしょうか」と。私は、一瞬言葉に詰まった。この質問には「世の中に希望はある」あるいは「教育の現場においては、希望を語らなければならない」という前提が、嫌というほど透けて見えた。退廃を気取るわけではない。しかし、この時代に退廃するだけの「健全さ」が、この質問には欠けていた気がするのだ。なぜなら、撃つべきは、通り一遍な言葉だけの希望だからだ。ニヒリズムは、真のニヒリズムによって制す、希望を語る前に、まず絶望を語れ、などとやけっぱちな回答をしなかったので、今の職場にいられる訳だが、私はこの質問に対する答え、自分が教壇に立つ意味を再び考える。
 私はそんな希望の安売りをする気はない。また絶望や諦めを撒き散らしたい訳でもない。ただ、クラスの生徒同士が殺し合う書物や映画に熱狂する彼らに、どれだけ自分の言葉が有効なのかと立ち止まってみるのだ。日頃から、自分の言葉が放つ空疎な響きには飽き飽きしているが、そもそも言葉は、私たちや彼らが抱える闇の部位を照らし出すことが出来るのだろうか。言葉を発する仕事だからこそ、私たちは自己の言葉が消費されることを最も恐れている。しかし、そんな諦めを抱え、空虚さに耐え、疑いつつも、その言葉を拠点としてしか戦う術はないはずである。
 ピストルと端末——、彼らが一瞬でもそれを手放す瞬間を作り出すために、まず絶望から語りだそうと思う。希望はその後、ほんの少しでいいので。
                                   (二〇〇一・三)

あとがき

 物を書く人間にとって、コンスタントに発表する場所があるというのは、幸いである。しかもそれが居心地のいい空間で、ある程度の読み手がいれば言うことはない。私にとって「千年紀文学」は、そのような場所である。
 紙数は七枚半と決まっている。それが表紙となると若干少なくなる。初期のものは時間をかけて書いているが、後半になれば数日でまとめたものも多い。七枚くらいならすぐに書けるという、妙な自信までつけてしまった。
 会との出会いについては、本文の中で書いたが、不思議な縁で事務局を引き受け、今年でもう五年目を迎える。
 巻末には、他の媒体の最も新しいものと、最も古い部類のものを付した。書評は「千年紀文学」に関係するものを収録している。
 本書のタイトルは、最も古いエッセイと同じものである。思えば、短銃(暴力性)と端末(世界のあり方にどうアクセスするか)について、ずっと書いてきた気がする。一〇年分の時評を並べてみると、自分自身の興味関心は、社会事象や風俗の捉え方や、政治性の先鋭さを売り物にするタイプの作家から、〈語り〉の構造性を武器に「世界の見え方」を明らかにすることに腐心する小説家へと、しだいに移行していったことが分かる。
 研究論文と違い、その時の問題意識をそのまま吐き出すような文章ばかりなので、章によっては大幅に加筆修正している。初出時のスピード感を削いででも、正確なものを残しておきたかった。
 私の本など、どこの出版社も出してくれないので、エッセイ集『一週間パイロット』に続いて、今回もBCCKS(bccks.jp)からのリリースとなる。自作自演に謝辞もあったものではないが、「千年紀文学」編集長の小林孝吉さんをはじめ、会の皆さんには感謝致します。
 大丈夫。次の作戦はもう考えているんだ。いつだって完璧さ。

 震災から三年を迎えて
                              喜谷 暢史

初出一覧

島田雅彦と「不敬」文学 ─『美しい魂』発刊をめぐって(「千年紀文学」47 2003.11.30)

『2046』に向かうアジア映画 ─不在をめぐる二つのラブストーリー(「千年紀文学」54 2005.1.31)

鋼鉄の魔女と偽史への欲望 ─映画『ローレライ』と小説『終戦のローレライ』(「千年紀文学」56 2005.5.31)

召喚される《アッツ島玉砕》 ─藤田嗣治の戦争画と会田誠(「千年紀文学」63 2006.7.31)

「愛する人を守ること」に対峙する人 ─黒木和雄『紙屋悦子の青春』(「千年紀文学」64 2006.9.30)

書評/井口時男『暴力的な現在』(「神奈川大学評論」55 2006.11)

星条旗をまとった英雄 ─『硫黄島からの手紙』に見る「日本映画」の現在(「千年紀文学」67 2007.3.31)

新世紀の「歴史離れ」と「歴史其儘」 ─大河ドラマ『風林火山』が描く二一世紀の戦争(「千年紀文学」74 2008.5.31)


「不快」としての高揚感 ─現代作家と暴力表現の変遷(「千年紀文学」76 2008.9.30)

「連帯」への短絡、希望としての「戦争」 ―劇画『覇王の船』と『蟹工船』ブーム(「千年紀文学」78 2009.1.31)

バブル小説と不況下の物語 ―池澤夏樹『スティル・ライフ』/大岡玲『表層生活』(千年紀文学」79 2009.3.31)

卵と壁とシステム ―村上春樹はどこにいるのか(「千年紀文学」80 2009.5.30)

オープンエンドは新しい〈生〉を開くか? ―村上春樹『1Q84 BOOK1、2』(「千年紀文学」82 2009.9.30)

追憶の一九六八年 ―池澤夏樹『カデナ』(「千年紀文学」84 2010.1.31)

二つの月を引き受けること ―村上春樹『1Q84 BOOK3』(「千年紀文学」86 2010.5.31)

書評/小林孝吉『島田雅彦 〈恋物語〉の誕生』(「図書新聞」2970 2010.6.19)


贋金は資本を駆逐するか? ―島田雅彦『悪貨』(「千年紀文学」87 2010.7.31)

並走者のいない生者/死者 ―映画『ノルウェイの森』(「千年紀文学」90 2011.1.31)

小説家の即応性、予見、希望 ―村上龍『歌うクジラ』(「千年紀文学」91 2011.3.31)

見えないものを見ようとする誤解(「千年紀文学」92 2011.5.31)

「百年後のふるさとを守る」のは誰か?  (「千年紀文学」93 2011.7.31)

不可視なものへの「責任」 ―村上春樹と「脱原発」(「千年紀文学」95 2011.11.30)

虚空を流れていく「風」 ―村上春樹『風の歌を聴け』再読(「千年紀文学」96 2012.1.31)

初期作品の「僕」を超えるもの ―村上春樹『1973年のピンボール』再読(「千年紀文学」97 2012.3.31)



自死と「新しいゲーム」の報酬 ―村上春樹『羊をめぐる冒険』再読(「千年紀文学」98 2012.5.31)

語り得ないものを〈語る〉ということ ―南木佳士『ウサギ』(「千年紀文学」99 2012.7.31)

アンダーグラウンドからの叫び ―村上春樹『緑色の獣』(「千年紀文学」100 2012.10.10)

代理と犠牲 —『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(「千年紀文学」101 2013.1.31)

コミューンから愛の合一へ ―村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(「千年紀文学」102 2013.4.30)

問題はもっと深く広く遠くにある(「日本文学」2013.11)

短銃と端末 ─彼らの感性の行方─(「日文協 国語教育」31 2001.3)

*タイトルは表記も含め、初出時から一部変更している。

喜谷 暢史(きたに・のぶちか)
1970年大阪生まれ。法政大学第二中・高等学校教諭。

編著書
共著「〈新しい作品論〉へ、〈新しい教材論へ〉 評論編」(右文書院 2003.2)
共編著「千年紀文学叢書6 体験なき『戦争文学』と戦争の記憶」(皓星社 2007.6)
共著「〈教室〉の中の村上春樹」(ひつじ書房 2011.8)
共編著「千年紀文学叢書7 グローバル化に抗する世界文学」(皓星社 2013.4)

BCCKS
『一週間パイロット』(2013.4)
http://bccks.jp/bcck/100716/info

日本文学協会、千年紀文学の会、日本近代文学会所属。

@Nobuchika Kitani

『一週間パイロット』

喜谷暢史著 丸子陣屋堂発行
エッセイ
2013.04.22
【データ本】無料:文庫版 292㌻ 1.4MB
【EPUB】無料:1.8MB
【紙本】販売中 文庫版 288㌻ 1,286円

 二〇〇七年から不定期に発行しつづけている「一週間パイロット」。この学級通信ならぬ個人通信を七二本一挙掲載。国語教育関係のエッセイ「箱庭とサンドバック」「フリートークの中に真実がある」も収録。

http://bccks.jp/bcck/100716/info

「一週間パイロット」全体のメッセージは一つである。「若人諸君、世界に目を向けよ」「世界を広げよ」ということだ。——池上貴章

著者自装
@Nobuchika Kitani

短銃と端末

2014年4月22日 発行 初版

著  者:喜谷暢史
発  行:丸子陣屋堂
装  丁:著者自装

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喜谷暢史(きたにのぶちか)
1970年大阪生まれ。
編著書
共著「〈新しい作品論〉へ、〈新しい教材論へ〉 評論編」(右文書院 2003.2)共編著「千年紀文学叢書6 体験なき『戦争文学』と戦争の記憶」(皓星社 2007.6)共著「〈教室〉の中の村上春樹」(ひつじ書房 2011.8)共編著「千年紀文学叢書7 グローバル化に抗する世界文学」(皓星社 2013.4)

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