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鼬の城[etcetera quest3]

imayui kentaro

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 詩人が口笛を吹くと、空の彼方から一匹の長い龍が現れた。龍は僕と詩人を乗せ空を泳ぐように飛び立つと、雲を縫って一気に加速していく。
 雲を抜け、一面に、小粒な星々をちりばめた夜空が広がった。どれだけぶりに見る夜空だろう。これから、地上へと戻るのだ。
 詩人は龍の鬣から竪琴を取り出した。詩人の奏でる音律が、澄んだ空気の中でよく耳に響いてくる。だけどしばらくもすると詩人は弾くのをやめて、 今度は果実酒の瓶を取り出すのだった。

 やがて、しらみ始めた空の彼方に、空に聳える建物が見え始めた。近くまで飛ぶと、それは更に巨大な城の上部に打ち立てられた尖塔の一つなのだとわかった。まだ、地上は見えない。雲が建物の周囲を取り巻いて流れており、城は地上の方へとずっと続いて視界に捉えられるいちばん下は影になってしか見えない。他にも二つの尖塔があるのが確認でき、隔たった雲の中にも、もう一本あるらしくそれは影絵のようにかすんで見えた。巨大な城塞である。
 僕達は龍の背に乗ったまましばらく旋回するが、城の外部を見張る姿はなく、尖塔の最上部付近に乗降用のバルコニーがあった。そこから突き出ている旗印を読んで詩人は、この城は空の旅人の受け入れ先として機能している、と解釈した。僕には読めなかったが、人か何がしかのものが住んでいる気配じみたものが感じて取れた。詩人は廃墟ではない、ときっぱり言った。
 バルコニーに龍を寄せ、僕達は降り立った。龍は、空の高くに姿を消していった。
 
 
 間もなく、城仕えの者が来て出迎えてくれた。くすんだ色の古めかしい外套に身を包んでいる。ほとんど肌の露出はなく顔もはっきりとは見えない。
 ひとまずは宿や食事を所望できるか、また今後の旅程を決めたかったので付近の空やあるいはこの城が地上に通じているか等聞きたいと告げると、女王のもとに案内されることになった。
 尖塔を下りた、城塞部分の最上階に女王の間はあるという。僕達は以降とくに会話もなく、長い尖塔をただ下っていった。城内は豪勢に飾られている様子もなく質素で、どちらかと言うと陰気な古城を思わせたが、他に印象として感ぜられるものもなかった。僕はいささか疲労感があり早く一眠りをとりたかったからかもしれない。下りるにつれ、何となく周囲の時間や自身らの動作が緩慢に覚えてくるような気がした。
 女王の間に入り、僕らは形式的に跪いた。僕らを案内したのと同じ城仕え者が広い間の両側に数人ずつ侍っている。奥には薄い青のカーテンが敷かれており、玉座とそれに座る人の影が映っていた。
 女王は恭しく迎えてくれたが、詩人に、この場に残るように言い、さきとは別の城仕え者が僕を部屋に案内するので着いていくように、と言った。
 詩人は「心配しないで」と言ったが、僕と同じように様子は緩慢に感じられ、弱々しく思えた。
 女王の間を出ると扉が閉められ、城仕え者は振り返ることなく僕の前をささっと進んでいってすぐ暗い曲り角に見えなくなってしまった。
 辺りはしんとして、どことなく暗く、寒かった。窓一つもない。城仕え者はどこを曲がっていったのかもわからず、歩いてみるが、あちらこちら不規則に階段が点在するのだった。それは階段というよりは、どことなく穴を思わせた。
 僕は外の空気に触れたくなり、先程の尖塔への上り階段を探してみたが見つからず、あるのは下へ続く階段ばかりであった。女王の間は固く閉ざされ、人の声も全く聴こえず、僕にはものの気配も感じられないように思えた。ここにいても仕方ないので、ともかくいちばん近い階段を選んで、階下に下りることにした。
 
 
 ひとたび階下へ下りると、先程感じていた狭さや暗さはなくなり、明るく広いひと続きの広い一室に出た。大きな硝子張りの窓が規則的に並んでおり、青い空を覗かせている。気持ちのいい部屋だ。
 ここには、沢山の人がいた。ほとんどが子ども達だった。そしてその誰もが手に風船を持ち、ある者は風船を他の子に渡したり、交換し合ったりしている。風船を次々ふくらませている子もいる。子ども達以外には、世話役なのだろうかところどころに城仕えの大人が立っている。一人に尋ねると、ここは風船売りを育てる城なのだと言う。僕のことは客人と認識されているのか、自由に歩き回って咎められるところはなかった。
 広い部屋を突き当たりまで行って扉を開けると短い廊下で、ここにも風船を持って走り回っている小さな子どもがいた。廊下の先の扉を開けると、最初の部屋と同じように広い一室。やはり何人かの城仕えが、子どもらに風船を作ったり手渡したりする指導をしているのであった。
 赤、黄、緑、青、白、ピンク、オレンジ、水色、様々な色の風船。こうして子ども達と色とりどりな風船とを眺めていると、随分と、気持ちのいい城ではないかと思えてきた。
 そうして幾つかの扉をくぐり、同じ景色が続いた。不思議と心は飽きなかったが、そう言えばこの階は扉ばかりで階段がない。ここから下へはどう下りるのだろう。
 最上階には幾つも階段があったが、あれはどこへ続いていたのか。もしかしたらあの中のどれか別の階段が、地上階へ続く階段だったのかも知れない。とは思うものの、僕はあの薄暗い女王の間の前には、今は戻りたくない気もした。
 
 
 子どもの姿もなく、誰もいない廊下に出た。だけど次の扉を開ければまた同じ風景だろう。一面硝子張りの片側に寄って空を見た。青い空。女王の間にかかっていたカーテンを思い出す。薄っすらとした青。その向こうにいるのは、誰なのか。この青の下には何があるのか。地上にはもう……いや地上などというものがそもそも、あるのだろうか。段々薄れていく青。薄れて最後には、ただ何もない白ばかりが残る。
 後ろの、僕が来た方の扉が開いた。大人が二人、僕の方に来る。前に立って歩いてきたのは、黒い髭面の男だ。飾りの施された豪奢な鎧を纏う姿から、城仕えより身分の高い者と思われた。屈強な戦士を思わせる体付きだ。
 男は僕のすぐ近くまで寄ると、そのまま唐突に話しかけてきた。男が言うには、あなたと一緒にいた詩人が毒殺された。だからあなたも気を付けた方がいい、と。信じ難い話だった。
 詩人は女王のところにいたのではないのか。その後、別のどこかへ案内され、毒殺された? それとも、女王に? この者達は、女王の手の者ではないのか?
 事の仔細について尋ね返す間もなく、男は用心棒を付けさせると言い、後方に侍っていたもう一人を手招いた。痩せ身の女だ。顔こそ半ばベールに包んで目元だけを覗かせているが、肩から胸元、腕回りや胴など褐色の艶のある肌を見せている薄着で、袖や腰がひらひらとした赤い衣を纏っていた。腰には、曲刀を帯びている。
 髭の男は、行ってしまった。女はすっと一礼する。
 詩人は……と聞きかけると、女用心棒は「わたくしにはわかりません」とだけ言った。
 扉が開いたと思うと、今度入ってきたのは風船を持った子どもらで、反対側に走って去っていった。
「行きましょう」淡々と話す女に、僕は続いて歩いた。
 
 

 幾つかまた同じ部屋を抜けた先の廊下に、下へ下りる階段はあった。とても細まった階段で、下ると、今度は随分と天井が低く窮屈な印象の階であった。窓が一切なく、女王の間があった最上階と空気が似ていた。幾つもの簡素な扉があり、宿泊施設と思われた。扉の一つを開けると暗い小さな寝所で、何も入ってない箪笥や棚がぎゅっと詰まっている窮屈な印象の部屋であった。
「わたくしが一晩見張っております故、お眠りになられるがよいでしょう」
 女用心棒はそう言うので僕は扉を閉めてベッドに横になったが、どことなく落ち着かなかった。それでも、浅い眠りに落ち、一時間か二時間経ったくらいだろうか。目が覚めると、覚束ない頭のまま扉を開けてみる。
 女用心棒の姿はなかった。もっと時間が経過したのだろうか。窓がないため夜になったのかどうかも判断できないが、廊下には蝋燭が燈されている。それにしてもあの女用心棒はどこに行ったろうと思い、ともあれベッドに戻ったが、シーツが怪しく動くのをみていぶかしんでいると、蠍に似た生きものがシーツの足元にあたる方から這い出てきた。
 僕は不安に襲われる中、ベッドの傍ら、携えてきた剣はそのまま置かれているのを見つけた。それを手にして尚不安な思いのまま、階を下りるよりない、と思った。
 
 
 
 幾つもの扉があるが、どの部屋からも物音はせず、他に客が泊まっているというふうには思えなかった。それどころか、どうにも、建物全体に最初感じられたようには、人の気配そのものがしない。
 下へ続く階段を見つけることができたので、下ると、また同じ宿泊場所らしい。足早に階を駆け、階段を探して下り、そうやって四階ほど階を下った。下ったところで思いがけず、詩人と再会したのだった。詩人は階段の脇にしゃがみ込んでいたが、「ボクはあなたの来るのを待っていたの」と言った。
 髭面の男は毒殺されたなどと言っていたが、そもそもそんな筈はないと思っていた。嘘らしい話だったのだ。僕は、髭の男や女用心棒の話は詩人にはとくに言わずに、ともかく詩人との再会を喜んだ。しかし、詩人は熱が引いたばかりのようなぼんやりとした様子で、どことなしに沈痛な面持ちでいた。
 詩人は、あれからも女王に会っていただけだと言う。
「あのかたは、あまりにも悲しそうな人だった。あまりにも悲しそうな人だったから、詩を書く紙とペンをあげてしまった」
 そう、悲しそうに語ったが、それは詩を書く紙とペンをあげてしまったからではなく、女王のことを心底悲しむ思いからのようだった。詩人は、竪琴も持っておらず何一つ自分のものはなくしてしまったのだった。
 更に城を下へと下っていくうち、城内の様子が変わり、床や壁だったものが、ただ樹をくり貫いて作ったに過ぎない通路に変わっていた。それは階下に来たから造りが変わったということではなく、そもそもの初めから「どうも、化かされていたみたいだね」と、詩人は言う。相手は誰なのかわからないが、空から迷い込んだ人間を惑わして、餌にしたりする動物や魔の類だろうと言った。しかし、この城が人造物でなく樹である以上、どれだけ高い樹であっても高さは限られているのだから、地上も近い筈、と語った。ためらわずこのまま一気に駆け下りよう、という詩人の言に従うことにした。
 僕は剣の柄に手を置いて前を走った。どんどん下へ、下っていると、下の方から何かが駆け上がってくる気配が感じられた。詩人にそのことを伝え、僕らはとっさに木の内部が入り組んでいる物陰を探し身を隠した。すると、鼬(いたち)の一団が駆け上がってきて、そのまま階上へと駆けていった。樹は、鼬の作った樹の城だったのだ。
 だとすれば、あの女王は?  詩人に問うてみたが、それは詩人にもわからない、と言う。あの女王は人間で、鼬を飼っていたのかも知れないし、もしかすると、女王も人間ではない何かなのかも知れない、と。ただ今は、とにかくこれを切り抜け樹の外に出る他なかった。
 脱走者を探しているのだろう鼬の集団が幾つも、樹の城内を駆け巡っていた。見つからないように、その都度、物陰に隠れてやり過ごしているが、やがてそうとばかりもしていられなくなった。鼬の一集団をやり過ごしても、すぐにまた次の集団がやってくるのだ。よほど獲物を逃がさないよう躍起になっているに違いなかった。隠れていては、とても外へ抜け出せない状況だ。やむを得ない。
 僕は、剣に手をかける。詩人も立ち上がったが、僕は制止した。詩人は、もう何も武器になるものすら持っていないのだ。詩人を僕の影になるよう守りながら、鼬を退けて急ぎ樹を下りよう。上手くいくかはわからない。
 上階から走って来る気配に、緊張を高まらせた。だが姿を現したのは、髭面の男と女用心棒だった。二人は会った時のままに、きちんと人間の姿をしている。
 男は焦った様子で駆け寄ってくる。助けてくれ! と一声叫んだ。
 城鼬の手先ではないのか。女王は、どうしたのか。
「女王は、女王はもういないんだ」
 詩人は悲しそうな顔をした。どういうことだ。
 あっ、と声を発し髭の男が振り返る。鼬の一団だ。男が腰の剣を抜く間もなく、飛びついて体中を噛み千切り出した。
「さあ、早く!」女用心棒がひらりと僕らの傍へ来る。下へ下りるよう手で示した。
 見ると、鼬は皆が一斉に髭の男に飛びかかり、こちらには全く関心が向いていないようだった。髭の男は必死で取り付く鼬どもを振り払おうともがいているが、もう姿が見えないくらいに鼬に覆われていた。
「早く。今のうちですよ!」女用心棒は、それだけ言うと、階下へと走った。どうすることも叶わず、僕はそれに続いた。詩人の手を引く。
 ……駄目だ。階下からも、鼬の集団が来た。が、それは先を走る女用心棒が見えていないかのように両脇をすり抜け、僕と詩人も通り抜けて、髭の男を攻撃している仲間の加勢に加わった。
「彼らの戦法なのです」女用心棒が振り返って言った。「一人ずつ、確実に獲物を仕留めるのでございますわ。男はもう助かりません。行きましょう!」女はもう、振り向かなかった。僕は詩人を先に遣らせ、急ぎ階を下りる。次々と鼬の一団が来るが、やはり僕らを完全に無視していく。だがあの男が死に絶えたら、こちらへ向かってくるのは、時間の問題だ。
 しかし何故、髭の男と女用心棒は逃げてきたのか。これももしかしたら何かの罠かとも思ったが、鼬どもの容赦ない攻撃を見る限り、この二人は裏切ったのか、あの女王の身に何かあったのか。考えている間はなかった。
 先へ先へ行く女の姿は、注意して追いかけていかないとすぐに、曲がりくねった樹の通路の向こうに見失いそうになる。さいわいに、時々分かれ道があるがほぼ一本道だった。相当の距離、下った筈だ。まだだろうか。もう、数キロは駆けている気がする。ふと、樹の壁に隙間が見えた。下に、地表らしき荒れた土の色が見えた。いや、それは広がっている樹の枝か幹で、錯覚なのかも知れない。止まって確認している暇はない。どうやら、来たらしい。後ろから、怒涛のように流れてくる足音が聞こえる。鼬どもが、最初の獲物を仕留め、食らい尽くし、脱走者達を逃すまいと追ってきたのだ。もう階下から来る鼬はなかった。ほとんどの鼬が、上階に集っていたのだろう。城中の鼬が今一丸となって追ってきているのだ。
 行く手のカーブで詩人が一度、振り返った。「急いで! 急いで! ボクにももう、どうすることもできない」カーブを過ぎて一度振り向くと、鼬の先頭集団が見えた。鼬の進攻を止めるには、もう一人犠牲が必要かもしれない。
 が、その長い逃走劇は突如、終わった。ふうっと辺りが明るくなったと思うと、とうとう樹の城を抜け、外へ出たのだ、とわかった。詩人が、僕の目の前で倒れ込む。詩人の前に立って僕は樹に向き合った。鼬は……。女用心棒が、樹の入口の脇に立っている。
「彼らは、もう来ません。樹の外に出られない生きものなのですわ。わたくしどもは、助かりましたのです」
 女用心棒が言ううちにも、隆起した樹の根と根が狭まり、僕らが出てきた樹の口は見る間に塞がってしまった。
 見上げると、その頂は遠く空の彼方にかすんで見えなくなる程の、巨大な樹であった。幹も、大人数十人いや百人よりもっとでなければ囲えない程の太さがある。ずんぐりとした根が地表に広げて根を張っている。その樹は、見渡す限り何もない荒れた砂ばかりが広がる砂漠に屹立する一本の巨樹なのであった。

鼬の城[etcetera quest3]

2013年6月29日 発行 初版

著  者:imayui kentaro
発  行:design basket

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