この本はタチヨミ版です。
政治家としての出発、一九九九年七月/運命を伊豆に託す/トンビは鷹を生まない/冷静と情熱のはざまで/最初の試練/政治家の家/候補者は候補者なれど……/ピザバイクに乗って/連合という組織との関係
国会議員になる
その一/その二/その三/その四/その五/その六/その七/その八/その九
出会い/民主党って何だ?/足もデカイが、夢もデカイ/新事務所開設/君、勝つよ/誰に語りかけるか/ポスター/週末の応援団
国会議員になる
その一〇/その一一/その一二/その一三/その一四/その一五/その一六
選挙ムード一気に高まる/伊豆徒歩一周/そして誰もいなくなった/ともかくも金がない!/人生二〇年くれ/第一秘書田原直が語る細野豪志との出会い/家族の苦悩
国会議員になる
勝利への光明/候補者同士の激突/選挙戦はじまる/出陣式/石井さんの死/連呼なし、お願いなしの選挙カー/ホソノゴウシが走っております!/当選
国会議員になる
国会議員になって間もなく三年、この時期になって自らの選挙を振り返った本を出すことには、恥ずかしさがつきまとった。思い出すだけで冷や汗がでる失敗の数々、政界を知らないがゆえの非現実的な発言や行動、そして迷惑をかけた人たちの顔が頭に浮かんで、途中で書くのを辞めようかと何度か考えた。それでも最後まで書きつづけたのは、私にある使命感があったからである。
政府提案にはすべて賛成の与党と審議拒否も辞さない野党。テレビ中継がないとがら空きの委員会室。議員年金に代表される特権の数々。国会議員と秘書や国会スタッフの封建的関係。政治には金がかかると言ってはばからないベテラン議員。思いつきで発言して責任をとらない政治家気質。「国民からみた非常識」が「永田町の常識」としてまかり通っている例は枚挙に遑がない。国会議員と国民の間に存在するギャップが、ますます国民を政治から遠ざけ、政治を特定の人々に独占させることにつながっている。私の知りうる限り、あらゆる地方議会も同種の問題を抱えている。
非常識な「政治家の常識」が残っている背景には、人材供給源が極めて限られている事実がある。「政治家の常識」を受け入れることをスタートの条件としなければならない二世と官僚。有権者とのつながりという最も泥臭い部分を省略できる資産家や有名人。もちろん、政治の常識と戦っている議員が数多くいることを知っている。しかし、私なりに必死で戦ってきた中で、自分と同じ思いを持って戦ってくれる仲間が欲しいという痛切な思いを持つに至ったことが、この本を書く最大のきっかけとなった。多様な人材が流入すれば、「政治家の常識」が音を立てて崩れる時が来ると私は確信している。
いわゆる「地盤・看板・カバン」のない人間が選挙に挑戦する場合、出身地はもとより、条件の良い選挙区がまわってくる可能性は少ない。多くの場合、厳しい選挙区に候補者として降り立つことになる。いわゆるパラシューター(落下傘候補)である。実際、新人が大量に当選した二〇〇〇年の総選挙であったが、三バンなしの新人落下傘候補はほとんど当選することができていない。私の当選は、候補の乱立という幸運と、数多くの縁に恵まれた偶然の産物であると言える。この本を、私が書かなければならないと考えた最大の理由はここにある。本の性格上、個人的な事情を随所で記述したが、この本を個人的な武勇談として書いたつもりはない。項目ごとに巻末には、私なりの選挙ノウハウを可能な限り書き添えた。政治を志す人たちに、具体的なサンプルとして読んでいただきたい。
選挙は、多くの人の献身的な助力、そして時として犠牲がなければ戦い抜くことはできない。拙書を、選挙中に私に力を与えてくださった石井武志さん、人生の最後の貴重な時間を選挙にかけてくださった渡邊富夫さん、選挙区の変更を嘆きながら新選挙区への転居計画を入院先で話してくださった山崎征夫さん、そして「細野を頼む」という遺言を残して昨年この世を去っていかれた永谷明さんをはじめ、私を支えてくださった多くの皆さんに送りたい。そして、読者の中から、新たなチャレンジャーが出てくることを心から願う。
平成一五年三月二六日 衆議院議員 細野豪志
タチヨミ版はここまでとなります。
2013年9月2日 発行 初版
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1971年8月21日生まれ
京都大学法学部卒業・在学中にNPOや海外生活を経験。
(株)三和総合研究所(現UFJ総合研究所)研究員を経て、静岡県第7区より2000年6月総選挙戦に出馬。28歳で初当選。