2006年から2009年にかけて「ユリイカ」「現代詩手帖」等に掲載された作品を収録。2011年限定20部を上梓。第1回萩原朔太郎記念とをるもう賞最終候補。
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この本はタチヨミ版です。
鳥の羽をめくったところにあるぶつぶつが好きだ
腐食していくラビリンス
越えたところに骨の町
*
この町に来たばかりの人の家は、臓器の色をしてやわらかく、すこしあたたかい。が、それは徐々に色を失い、まっ白になりやがてこの町になじむ。そのとき人は、骨の町の民として、認められたのだ。
まっ白な、骨の町の眺めはわるくない。何より家の中にいると、この白さ、このつめたい質感は、なかなか心地のよいものだ。
そして人は、それぞれの家の奥にある、自らの来た道を忘れてしまう。
腐食していくラビリンス
辿り着いたのは……
何も入っていない押入れや納戸を開けたときに、人は思うだけ――自分はかつて、何かを失くしたのだったな、と。
この町では、だれも他人の家に上がらないし、理由や秘密といったものを聞き出そうとすることも、ない。
ぼくらは一日に四、五時間働いて、適当な日に休む。職安に行って、ときどき仕事を変えたりもする。
もう急ぐことはない……延々と続くこの町で
……骨の町
腐食していく あの いつかのラビリンス
鳥の羽をめくったところにあるぶつぶつ
ああ あれはぼくらの墓標だった
*
とべない人達の住む町では
昼間の空は いつも曇り空
*
住んでみると、ごく普通の町。コンビニもあるし、病院も図書館もあり、レジャー施設なんかも備わっている。
子どものいないこの町に小学校や中学校はないけれど、ちょっとしたちいさな学校で好きな教科を学ぶことができる。ぼくは、昔嫌いだった数学の授業を週に二回、受けに行く。何不自由のない町。
ただ、この町には風がない。水の流れが、わるい。
とべなくなった人達は、たいていこの骨の町が気に入って、住みついてしまう。そしてたまには、二度と戻れない故郷のことを想って、すこしさみしいと言ってみたりする。
鳥の羽をめくったところにあるぶつぶつを見ていた
腐食していくラビリンス 遠く
ここは とべない人達が住む町
*
……ぼくは
思い出せない
鳥の羽が青かったかどうか
だけど、この町の、星を浮かべた夜の、その深い青さを美しいと思う。
あの鳥が青かったとすれば、きっとこんな夜の青さだったのだろう。
「見て。あの中かもしれない」
*
女のひとの声が聴こえて、少年は顔を上げた。
どこまでも落ちて、吸い込まれていけそうな、まっ青な空。
少年は、細い塔の最上階に立っていた。
はるか果ての空のいっかくに、粒々が集まっているのが見える。うっすらとした黄色、緑、オレンジやピンク、それらはたくさんの気球達のようだった。遠すぎて、動いているのかいないのかわからない。
「あの中に……何があるの? だれかが、いるの?」
少年はうしろをふり返った。あたりを見渡してみた。
どちらを向いても、空、空が続くばかり。ここには何もなかった。屋根もない。階段もない。ただ古いタイルが敷かれて、まわりには色あせた煉瓦が低く積まれ囲いになっていた。頭上には白っぽい太陽が照っている。そして……
「見て。あの中かもしれない」
気球の群れはあいかわらずうすぼやけた色で、遠ざかっているのか近づいているのかも、わからない。でも、あれはきっと、戻って来ないもの達なのだろうな。少年は思った。
「ぼくはあれに乗るべきだったのかしらん。でも、もう、去っていってしまった……」
少年はぼろぼろの布きれ一枚をまとっているだけだった。足もとに水筒が転がっていたのに気づいたけど、何も入っていない。ふたもなかった。
片目をつむって、からっぽの水筒をのぞき込むと、そこに、かつて水があったのだという気配を感じた。
*
すべての水が消えた海の砂浜を、ひとりの少女が歩いていた。
海だったところには、貝がらや、何かの骨か、屑か、残骸のようなものがところどころにちらばっているだけだ。
沖へ進めば海溝の跡があって、そこからもっと深くへと、水は去っていってしまったのだろう。
陸の方には、砂丘ばかりがどこまでもつらなっていた。
町は、もうはるかうしろの方へ遠のいてしまった。
少女は、砂浜を歩きつづけた。
*
夜が来た。
*
豆電球がともっているちいさな屋根裏部屋では、外に雨のふっているらしい音が聴こえていた。
「見て。あの中かもしれない」
それは、女の子の声だった。
たくさんの気球が、虚空へ去っていこうとしている、絵。女の子は絵の中の気球を指して言った。
「見て……」
「でも。遅すぎるさ」
男の子の声がした。
「空……高すぎて?」
「違う。もう、絵の中だから」
豆電球が照らす屋根裏部屋のがらくたにまぎれ、ふたりの姿はほとんど見えなかった。
*
雨がやむと、まっ暗やみの空に、あまたの頭蓋骨が浮かびあがって、ゆっくりと皆、同じ方角へ流れていった。
やがてちいさくなって見えなくなる寸前、空のいっかくに、白い細かな粒々のように張りついた。そこからは、動かなかった。
*
夜が死んだ。
*
少年は水筒を足もとに置いて、再び空を見た。
かなたにある気球の群れはまだ、うすい色を保って残っていた。やはり動いているのかどうかわからない。
女のひとの声はもう聴こえなかった。
*
まだたくさん水があった頃、いちばん深いところに、幾多の宝石が輝いていた。
その海は閉じられていた。
*
女のひとはかつて大切な宝石を箱に詰めて、鍵は捨ててしまった。この箱の中にわたしの宝石が入っている。それで満足だった。
だけど年月は過ぎ、箱は段々かるくなっていった。わかってはいた。箱にしまっても、鍵を失くしても、宝石はやがて減っていってしまうことが。
宝石は奥から伸びる手によってつかまれ、さらわれていってしまう。
さらわれていってしまう。女のひとは、箱を投げ捨てて、叫んだ。
*
流れ出した。
*
屋根裏部屋にはまだ雨の音が聴こえていて、まだ夜で……ひっそりとした中に、男の子と女の子のちいさな話し声がする。
少女は、水の消えた海沿いの砂浜を歩きつづける。
少年は、狭い塔のてっぺんで、うずくまって、眠った。白い太陽が、ずっと真上で照りつづける中、起きて、空の端に動かない気球の群れを見ては、また眠った。
水筒は足もとに転がって、もう、二度とのぞかれることはなかった。
タチヨミ版はここまでとなります。
2013年7月7日 発行 初版
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