絵はがきで、風呂に入りましょう。
しつこくしつこく考えながら。
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温泉や浜辺の絵はがきには、なんともトボケたものが多い。
水辺に来ると、人は自分でも気づかないうちに、いろいろ漏らしてしまうらしい。
そういえば、みうらじゅん氏の好著「カスハガの世界」にも温泉や水辺の絵はがきが数多く登場する。
こうした絵はがきを見ると反射的に手が止まり、ひょいと抜いてしまう。
多くの場合は、もう露骨に風俗やポーズがおかしい。だから、見た瞬間に、どこがどうおかしいのかわかるのである。
露骨におかしいわけでもないのに、なんとなく引き当ててしまう一枚、というのがある。
はたと手が止まる。止まるが、なんとなく、一気に引くまでの決定力がない。にもかかわらず、ついでに、くらいのつもりで買ってしまう。
何が自分をつかまえたのか、そのときはわからない。
家に帰ってしげしげとその絵はがきを眺めながら、ゆっくりと頭を「解凍」してやる。
すると、だんだん絵はがきの上を目が泳ぐようになる。一枚の絵はがきなのに、次第に目が忙しく動き出し、その動きにリズムがついてくる。気持ちが浮き立ってきて、一枚を眺めているだけでどんどん時間が経つ。
ほら。
ほら。
たとえば、こんな絵はがきで。
いま、あらためて見直すならば、明らかにおかしいところが、あるにはある。
子ども。
次郎は、いかにも子どもらしい。
顔立ちのせいだろうか。いや、顔だけじゃない。
腕だ。腕が幼いのだ。
次郎の右腕は、湯船のへりをつかまえようとしている。ところが、左腕はちょこんとへりに置いただけ。
風呂というよりプールなのだ、この腕の形は。ひと泳ぎして疲れた水泳選手のあの感じ、「あ、5位か・・・」と、呆けたように電光掲示板を見ている感じ。寄る辺ないのである。風呂に体を預けきっていないのである。この大浴場を受け止めかねているのである。
それに対して、太郎はどうだ。
見事なまでに対称形をとる両腕を見よ。
湯船のコーナーを巧みに使い、しっかりとロックされた腕が上半身を固定している。余裕シャクシャクなのに、背中に隙がない。
この上半身の安定ぶりからすれば、逆に水中は隙だらけに違いない。腕ががっちり湯船をつかまえているのだから、だいじょうぶ、足を蹴り出して、下半身を楽々と前方に伸ばし、キンタマもそよがせて・・・
ところが、そうではないのだ。
水中を透かしてみると、足は伸びていない。むしろ、しゃがんでいる。油断怠りない。胸をばーんと開けておきながら、足は次の攻撃に備えている。大人顔負けではないか。土俵入りではないか。大横綱ではないか。股間が妙に黒いのは陰毛ではないか。まさか。
そして、われわれの前に突きだしているタイルの存在感はどうだ!
白く冷たく用意周到なそのカーヴは、太郎の開けっぴろげな両腕とコール&リスポンスを繰り広げている。
この湯船を支えているのは、太郎の帝王のような腕の形と、それに向かい合う湯船の角だ。
子ども二人にはどう考えても広すぎるスペースを、太郎と湯船のなす四辺ががっちりと捕まえて、満々とたたえられた湯を囲っている。
威風堂々たる有様だ。
しかし。
太郎対コーナーの描き出す四辺形は、あまりに確か過ぎて、湯に入るのをためらわせる。これは、人を遊ばせ、歓待する態度とは言い難いのではないか。
いや、絵はがきを見ているだけなのだから、別に入らなくてもいいのだ。いいのだが、もはや、私はこの湯に入りたくてしょうがない。
そこに次郎がいる。
次郎が、硬直した四辺を和らげている。
太郎と湯船のなす直線をなだめるかのように、次郎の手がくにゃりと曲線を描く。次郎のおかげで、スクエアな湯船は、人間の柔らかさを取り戻す。スキマができる。そのスキマから、ちょっと入らせていただけそうな気がする。
よし、次郎、ちょっとよけてね。ワタシもそこから入るから。
銭湯といえばタイル。
藤森照信氏が建築探偵の本に、タイルは銭湯感覚を喚起する、というようなことを書いていたと記憶する。なるほどタイルは、見るほどに、銭湯の気分をわき上がらせる。
まず、つるりとした表面だ。湯気を結露させては目地に送り込んでいく、とりつくしまのないかたくなさ。水分をまとっているのに、自らはけして湿ることのない、クールビューティーな材質。タイルのはね返す蛍光灯の光に、わたしたちの視線は水のごとくはじき返されかける。
視線は仕方なく、タイルの継ぎ目、目地へと逃げる。そこにわずかに残されたざらざらにしがみつきながら、視線は目地の線をたどる。
銭湯の壁を見つめてみるといい。知らず知らずのうちに、わたしたちは、目地を走り、縦に横にと、あみだくじを引いている。
その、あみだをたどってきた視線をおちょくるような蛇口の並びはなんだ!
上下上下、そしてなぜ上々なのだ?
レドレド、そしてなぜレレなのだ?
そして、陽気なステップ。
大階段に並ぶファンキーな桶トリオの徒手体操!
下は金だらいトリオ、上は木桶トリオだ。
後ろに聳えしは椅子トリオのサーカス。
そんな華やかな舞台に冷や水を浴びせるように、手前には椅子がぽつんぽつんと配されている。
そうだった。ここはサーカスではない、風呂なのだ。
椅子はまだ、湿り気を帯びている。太郎か、あるいは、次郎の尻か。
これも太郎のしわざか。
そして、ここにいない誰かが出入りする気配。
2008年3月31日 発行 converted from former BCCKS
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1960年生まれ。唄と絵はがきを好む。絵はがき蒐集をするうちに絵はがき妄想がたくましくなる。「絵はがき風呂」は2008年に作りました。
著書に『絵はがきの時代』『浅草十二階:増補版(近刊)』(青土社)『絵はがきのなかの彦根』(サンライズ出版)。バンド「かえる目」では作詞作曲とボーカルを担当。アルバムに『主観』『惑星』『拝借』(いずれも compare notes / mapから)。http://12kai.com/