───────────────────────
───────────────────────
目次
発行にあたって
編集長 坂本哲哉
interview
OGRE YOU ASSHOLE
仲原達彦(『月刊ウォンブ!』主催)
Year In Music 2013
Arctic Monkeys 『AM』
Babi 『Botanical』
BELLRING少女ハート 『Bed Head』
the chef cooks me 『回転体』
Chvrches 『The Bones Of What You Believe』
Daft Punk 『Random Access Memories』
Deerhunter 『Monomania』
DJ Rashad 『Double Cup』
ELVIS COSTELLO & THE ROOTS 『WISE UP GHOST』
goat 『NEW GAME』
Janelle Monáe 『The Electric Lady』
Kanye West 『YEEZUS』
Negicco 『Melody Palette』
No Lie-Sense 『First Suicide Note』
OGRE YOU ASSHOLE 『confidential』
Oneohtrix Point Never 『R Plus Seven』
Rhye 『Woman』
Savages 『Silence Yourself』
SuiseiNoboAz 『ubik』
Van Dyke Parks 『Songs Cycled』
VAMPIRE WEEKEND 『modern vampires of the city』
veronica falls 『waiting for something to happen』
赤い公園 『公園デビュー』
うみのて 『IN RAINBOW TOKYO』
清竜人 『WORK』
ゲスの極み乙女。 『ドレスの脱ぎ方』
古都の夕べ 『ひゅーひゅー町はずれ』『飛脚はいい線まで行った』
(((さらうんど))) 『New Age』
相対性理論 『TOWN AGE』
前野健太 『オレらは肉の歩く朝』
筆者紹介
発行にあたって 編集長 坂本哲哉
本書、『Year In Music 2013』はオトトイ岡村詩野音楽ライター講座2013年6月期開始と同時にその制作がスタートしました。今年3月には小川ワタル編集長のもと、電子書籍という形態で『Year In Music 2012-2013』をリリースしており、本書はその2013年版ということになります。また、この本書はもともと音楽ライター講座の受講生の皆で3ヶ月に1度というペースで制作している音楽フリーペーパー『asatte』の増刊号という形態をとっています。今年は3月にはJOJO広重氏を巻頭インタビューに迎え『Vol.7』を、6月にはトクマルシューゴ氏を同じく迎えて『Vol,8』をリリースしました。そして、本書は『Year In Music 2012-2013』の制作における反省点を踏まえ、昨年から参加しているメンバーから新しく参加したメンバーとともに忌憚なく意見をぶつけ合いながら、編集会議を続けようやくリリースにこぎつけたといった次第です。『asatte』を読んで頂いている皆様も、『Year In Music 2012』を読んで頂いた皆様も、あるいは本書で初めてお目にかかる皆様も、改めまして、本書をご覧になっていただき、誠にありがとうございます。
本書のテーマは文字通り〝Year In Music〟。すなわち今年リリースされた好盤をまとめた書籍です。昨年は主に日本の音楽を中心に選盤を行いましたが、今年は今年リリースされたものを邦/洋問わずピックアップし、そこから何度も意見を交換しながら選んだ30枚が本書に掲載されています。参加した受講生の年齢の幅も広いし、職業も違います。当然ながら、音楽の趣味/嗜好も異なります。だから、全体的に偏りがあるのは、選者/執筆者の皆の思惑がストレートに反映された結果であり、だからこそ楽しんでいただけるのではないかと思っております。本書の他にも様々なメディアにおいて次々と今年のベストディスクが発表されていますが、本書もその中の一つとしてあれこれ音楽について議論する素材となれば幸いです。
また、『Year In Music 2012-2013』では巻頭に岡村詩野氏×飯田仁一郎氏(オトトイ編集長/Limited Express (has gone?))×渡辺裕也氏(音楽ライター)の3名によるその年を総括する鼎談を掲載しましたが、本書ではそれに代わり、OGRE YOU ASSHOLEの出戸学氏と清水隆史氏、「月刊ウォンブ!」の主催者でもあるイベンター仲原達彦氏に巻頭インタビューとして登場して頂きました。これはアーティストやイベンターからみた2013年という視点で2013年を振り返っていただくと同時に、これから未来へ向けた展望やいま想像している思惑を存分に語っていただくことを目的としたものであります。豊富な経験に裏打ちされた話を多岐に渡って語って頂き、とても素敵なインタビューになっていると思います。この場を借りてではございますが、改めて御礼申し上げます。
さて、来年は一体どんな音楽が生まれ、どんな音楽が耳に記憶に残るのでしょうか。未来のことなんてわからないのはもちろんです。とか書いている締切50分前のこの時間にもきっと世界では音楽が作られ、世界各地のリスナーのもとに届いているし、そのスピードには目まぐるしいものがあります。今年を振り返ると同時に、来年どんな音楽が生まれるかを想像しながら、皆様に本書を楽しんでいただければ、編集部一同これほど嬉しいことはありません。そして、編集部でも来年へむけてあれこれ画策しております。まずは基本に立ち返って、先進的でナンセンスなフリーペーパーを作ることになると思いますが、予定は未定です。また来年皆様にお会いできることを編集部一同楽しみにしております。
では、最後までどうぞじっくりゆっくりお楽しみください!
2013年12月 編集長 坂本哲哉

『homely』(2011)、『100年後』(2012)と続いたコンセプチュアル・アルバムのリリースは、オウガ・ユー・アスホール(以下、オウガ)の変貌を大きく印象づけた。ここ数年、オウガはどういった考えの下、楽曲制作やライヴを行ってきたのか。2013年に発売されたリアレンジ・アルバム『confidential』を手掛かりとして、出戸学(ギター、ボーカル)と清水隆史(ベース)に聞いた。
―2013年に発売されたリアレンジ・アルバム『confidential』を手掛かりとして、ここ数年のオウガ・ユー・アスホールの活動について振り返っていきたいと思います。『confidential』は、2011年から継続的にリリースしてきたレコード音源のCD化と過去の楽曲の新バージョンでの再録で構成されています。そのうち、特にレコード音源については、『homely』(2011)、『100年後』(2012)でドラスティックに変化したサウンドを予期した内容になっているように感じますが、まず、レコードをリリースするようになった経緯から教えてください。
出戸学(以下、出戸)「CDよりも人に聴かれない媒体っていうのがまずあって、そこでできることっていうのは実験的っていうか、それまでのオウガ像っていうのを裏切ってもショックは小さいと思ったんです。聴かれる規模が500枚限定とかなんで、失敗してもいいっていう(笑)」
―元々、プロデューサーの石原洋さんがリミックス版の制作を希望したのがきっかけになったというのを過去のインタビューで拝見しましたが。
出戸「それもありますけど、単純にその頃からメンバー皆がレコードに興味を持ち始めてたっていうのもあるんです。レコードで自分達の曲聴きたいってのももちろんありますし、失敗できて遊べる媒体っていうのが一番大きいですね」
―500枚とか1000枚限定でリリースされていますが、反響ってどういったものがあるのでしょうか。
出戸「まあCDよりは反響は小さいですね。枚数は少ないけれども、友達とか周りのバンドの人とか、身近な人は面白がってくれます。遊んでる感じがわかるって」
―そこの手応えが以後のレコードのリリースに繋がったということですか。
出戸「最初にアナログでリリースした『浮かれている人twilight edition』を作ったときに拓けたものがあったんです。その時は大体いつも僕らライヴで固めてそれをレコーディングしていたのでライヴありきの楽曲になっていたんですね。『twilight edition』はお客さんが5人くらいしかいない中で演奏する、みたいな感じから始まっていて、演奏もけだるくて。でも、聴いてるとこういうのもいいんだなというのが分かったんです。そこら辺からレコーディングに対しての考え方を変えることができました。」
―レコーディングに対する考え方が変わったことで一番大きかったのはどんなところですか。
出戸「まあ、ライヴで演奏しなくてもいい形で録るというか、ライヴありきっていうのが外れたっていうのが自分の中では大きかったですね。今まではライヴハウスの数百人とかいるようなところで、でかい音で鳴ってるっていう、楽曲を作る上での基本みたいな、そういう縛りはなくなった」
―『浮かれている人 twilight edition』などのレコードや『homely』を経て、それ以前のローファイなバンドっぽさが音源からはなくなったように思います。それどころか今の音源は、自分自身のバンドを、他人事みたいに眺めてるような、バンドと音源の乖離があるように聴こえます。アルバム制作にあたって、バンド・サウンドをどのくらい意識的にコントロールしているのか教えてください。
出戸「確かに昔は本当、バンド4人でセッションしてまあ良い形になるまで詰めて、そのままライヴで何回かやった後にレコーディングっていう感じでした。割と体当たり感というか、もう下手したらマイク一本で録ってもいいっていう気分というか、それでもいけるだろうっていうのが初期の頃はあった。けど、今はアルバム作るときは作品を作るというか、自分で聴いていて良い感じにっていうので作ってる。むしろ作品の方が自分そのもの、自分のコアなものを出せている感じですね。それまではライヴっていうフィルターを通して自分を出してる感じだったんですけど、今は作品の方が自分との間の距離感という意味では近いというか。昔よりは聴きたいものになっていると思う」
―そういったことで言うと、今は先にオリジナル・アルバムが制作されて、そのあと楽曲をライヴ用に落とし込んでいくという作業の流れなのかなと思うんですが、その作業の中で意識していることはありますか。
出戸「ライヴはわざわざ時間割いて聴いてもらってるんで、レコードよりはびっくりさせたいと思いますよね。派手な感じというか」
―派手っていうのは例えば実験的ということでしょうか。
出戸「うるさいとか、バンドが何やってるのか分からない瞬間とかを意図的に作るっていう感じですね。たぶんCD、レコードとかだと物好きしか聴かないようなことでもライヴだともつというか。聴いてる側は何が起こってるのか分からない状態があるくらいの方が良いと思ってます。ライヴのタネ明かしみたいになってますが(笑)。荒れても大丈夫というか」
清水隆史(以下、清水)「まあダイナミックにするという感じなのかな」
出戸「振れ幅が録音物より大きいっていうか。静かなところは音数が少なくてもいけるし、うるさいところは音数が凄い多くても、演奏の振れ幅が大きい感じしますよね」
―録音物ではコントロールしてどこかきれいに収めないといけないところを、ライヴではリミッターを外しているようなイメージなんですか。
出戸「まあレコードでもそれくらいやってもいいんだと思いますけど、多分聴きづらくはなってくると思う。そこもバランスなんですね。ライヴよりも慎重になるというか、どんなに変なことをやろうとしても、レコードっていうのはこういうもんだろうというのが自分の中にある。何かすっごい変だなと思っても、1週間後とかに聴いてみると割と範疇内で作っちゃっているんですよね」
清水「確かに録音の時にこれはないでしょと思っても、後から聴き直したら普通にありだったりするもんね(笑)」
出戸「そうなんですよ。めちゃめちゃ変なことしてるなあって不安になっても、後から聴くと案外普通で。人に聴かせても別にビックリしないみたいな(笑)」
―オウガの音楽を聞いていて結構ダンスミュージックを意識しているところがあるんじゃないかと思っているんです。みなさんレコードにはまってると伺いましたが、テクノとかハウスとか、そういうレコードは掘ったりしてますか。
出戸「意図的に聴いていないですね。まだ聴きたいロックのものが沢山あって、手が回ってなくて、まだそこを封印してます。聴いてカッコいいなっていうのはいくらでもありますけど、そっちには老後の楽しみというか(笑)そういう感覚です。まだロックもままならないので、もうちょっとそっちを聴きたい。まあ、ロックだけ掘っててもテクノとかハウスと、つながる瞬間ってあるじゃないですか。そういうので単発的に聴いたりしますけど、そこにずっぽりていうのは無いですね」
―清水さんはいかがですか。以前のRECORD YOU ASSHOLE(オウガとオトトイで不定期に放送しているUstreamの番組)ではニューウェーブの時期の、トライバルだったりとか、ビートに特徴のある曲のセレクトが多かった印象がありましたが。
清水「ポスト・パンクとか80年代のミュータントディスコ、ニューウェーブテクノとかはよく聴きますね。今のテクノとかの新しいやつじゃなくって、80年代前半とかのやつはロックの一種として聴いている感じです。凄いその辺好きなんですよ」
―そういうものの延長として、お客さんを踊らせようって意識はありますか。
出戸「踊らせるまではいかないけど踊ってくれたらいいなって曲はあります。もちろん曲によっては踊れる曲もありますよね」
清水「踊れるキラーチューン作ろうぜとか、そういう感じじゃないよね」
―では、『homely』くらいのときに長野県に拠点を移してから数年経ちましたが、音楽を制作することにおいて変化したことというのはありますか?
出戸「うーん、環境は違いますけど、名古屋にいた頃とは。そんなに自覚して何か変わったとかは無いですね。寝る時間も起きる時間も変わんないです」
―清水さんは奈良出身で、長野県には大学の頃からお住まいなんですよね。
清水「僕が住んでるのは長野市です。」
―それで一応勝手は知ったっていうか。
清水「そうですね、もう長いので」
―私も長野出身で、今拠点にしている中信、南信(長野県内の地域。松本市、諏訪市など)の人たちというのは、シーンとしては名古屋方面とつながっているようなイメージを勝手に持っていたのですが。
出戸「ないですね(笑)」
清水「今のオウガはあまり関係ないけど、諏訪に住んでる人とかは松本でやってることが多いかな」
―(((さらうんど)))のクリスタルさんの活動の拠点が長野市ですがそういうところでのつながりってありますか。
清水 「この前撮影仕事で会って、写真撮りましたよ。スタジオでいろいろ話して楽しかった。たまたま沢山撮ったので、アー写に使ってもらっていいですよってデータ渡しました。僕の個人的な縁で、オウガとは全然関係ないですけど」
―(((さらうんど)))もそうですが、今、シティ・ポップ的な日本のバンドが非常に増えているように思います。『homely』はそうした流れよりも早いタイミングでサックスなどの管楽器を印象的に使用していますが、当時の経緯を教えてください。何か聴いてる作品があってそういった話になったとか。
出戸「確かに『homely』の時とかでデモ作る時点でそういうのも入れたいって思ってたんですけどね。何を聴いてっていうか……」
清水「AORって言ってたよね」
出戸「あの時AORよく聴いてましたね」
―当時AORをよく聴いていたのは、レコードを掘るようになったこととは関係ありますか。
出戸「いや、たまたまその時の気分でAOR聴いてたっていう感じですね。サイケデリックAORって言ってました」
清水「言ってた言ってた(笑)。最近言わないよね」
出戸「確かにでもここ1、2年そういうシティ・ポップとか流行ってるんですよね。3年前くらいの『homely』の頃は一切AORとかいう言葉は聞かなかったけどね」
清水「シティ・ポップっていうより、オウガはもっとどろっとしてるよね」
出戸「まあサイケとAORって相反してるよね。確かに3年前よりはよく聴くようになったかもしんないですね。シティ・ポップとかAORとか」
清水「子供の時ころとか親父が聴いてたやつとか流れてたけど、だせえって思ってた(笑)」
出戸「それがようやく三十間近でようやく良さが分かってきたというか」
―ここ最近はCDのリリースをメインに、実験的な内容も含めながらレコードも出すというペースが続いてますが、録音メディアの違いを踏まえて制作にあたって変えていることはありますか。
出戸「何となくこのアレンジはアナログっぽいなあっていうくらいで、そんな意図的に変えてるっていうのはないですね。せっかく両方欲しい人もいるんだから、ちょっとしたサービス精神で微妙に変えてみたり(笑)」
―コンセプチュアルなアルバムを作っていくっていう中では、メディアの持つ記録時間について長すぎるとか短すぎるとか考えることはありますか。
出戸「基本的に50分とかくらいで自然といつも収まってるので、あんまりないです。レコードはぎりぎりだなと思うんですけど、収まらなければ2枚組にすれば良いだけだから。長さにこだわったり、そこに縛られては作ってないです。それに、1枚のアルバムで90分くらいの作品を作りたいとはまだ思っていない」
―90分とかそれくらいボリュームの曲を録音しながら、コンセプトの筋を通していくというのが難しいというか、そこまでしなくていいだろうと。
出戸「単純に90分までのボリュームを作ってないんです。4、50分くらいのボリュームになったら、ああもう曲いいかなって(笑)。そんな溢れるほど曲湧いてくるタイプじゃないんですよ。まあ、90分超えるのを目標にしたら出来るかもしれないですけど。まあそれが目標じゃないんで、大体4、50分になると自分のモチベーションも丁度落ちてくる(笑)」
―リアレンジ版の音源もそうですが、過去の曲を今のバンドの曲として変化させていくということを継続的に行っていく中で、新曲を作るペースって変わりましたか。
出戸「元々そんな作るのが早いタイプじゃないんで、そんなに変わってないですね。単純に、そのままのアレンジでやってたら演奏していて飽きてくるから変えるっていうのもあるし、『homely』以前の曲を、今のバンドのテンションに合わせるためにアレンジ変えるっていう2パターンありますね」
清水「やっぱり『homely』以降は、モードチェンジというかがらっと変わったように思います。それ以前の曲が合わなくなったから、新しい目で見て過去の曲を弾いたらどうなるんだろうっていうのを、多分ここ2年位してきたんじゃないのかな。それは段々収束してるんだと思うけど。」
―今の自分たちの音楽に過去の音楽を変換していくっていう作業が半分あって、そっちの方はある程度落ち着いてきているというか、完了してきたっていう事ですね。あと、録音メディアに関連してもう一つ教えてください。レコードだけではなく、カセットテープは聴いたりしますか。
出戸「いやあ今は聴かない。昔は聴いてたし、今も興味はありますけど」
―例えばカセットテープでのリリースとか。
出戸「ああ、カッコいいとは思います。一回考えましたね。でもやめとこうと」
清水「大変だもんね」
出戸「買う機会がないですよね。最近は」
清水「でも勝浦くんとか自分とかがオウガの前のバンドしてた頃って、カセットテープでのリリースが普通だったからさ。あんまりそこに新しさは感じないよね」
出戸「俺らも一番最初のライヴのデモで売ってたのはカセットでした」
清水「そうなんだ。じゃあ経験済みってことで(笑)」
出戸「流行ってきてるんですよね、カセットテープ」
―そうですね。私は結構買ってます。
出戸「バンドで出してる人が多いですか?」
―バンドというよりも個人ですかね。どちらかというとカセットテープって結構中域がこもってるので、アンビエントとかドローンとか、そういう感じが多いように思います。
出戸「まあそういうのに合う音質の作品が出来たらですね」
―ここからは『confidential』の制作について聞かせてください。過去の曲を新録していますが、一回録音したものを、ライヴで作り変えて、そのまま録ったというイメージを持ってたんですが。
出戸「ライヴ用にアレンジしたのを録ったのと、スタジオの中でリミックスとかリアレンジという形で作り直すという2パターンあって。それが半々という感じですね」
―リアレンジという言葉がすごく面白いなあと思ったんです。リミックスでもないし、予備情報なしだとオリジナル・アルバムみたいで。リアレンジっていうイメージはバンドの中から出てきたものなんですか。
出戸「アナログで毎回そういう作業をしていたんで、それがたまってきたのと、ライヴで変化してきた行き場のない楽曲たちが集まってきたんで、まとめようかみたいな感じですね」
―収録曲の半数は過去リリースしたレコードからの収録ですが、レコードのA面B面は意識して作ったんですか。
出戸「『confidential』はそのままレコードにする予定はなかったんで、そこまでは意識してないですけど。まあ流れは意識してはいました。オリジナル・アルバムを作るときはA面B面で考えるんですけど、今回は本当、元々あった曲を寄せ集めた感じだったので、CDを作っているという感じがありましたね」
―曲順はバンド内でどのように決めましたか。
出戸「石原さんとか中村宗一郎(サウンド・エンジニア)さんも交えた中で何個か候補出て。その中で考えていくという感じでしたね」
―個別の曲についても教えてください。「真ん中で」は冒頭から「るんぱっぱ、るぱんぱ……」ってコーラスが延々続きますが、凄い面白いっていうか率直に不気味だなと思って(笑)同時期の「タンカティーラ」とかでも結構ああいう感じの……
出戸「スキャット的な」
―元々バンドの中にそういったコーラスとかスキャットの要素があったのか、たまたま流行ってたのかどっちなのかなと。
出戸「まあ、多発してますよね(笑)。全体的に気に入ってたんじゃないですかね。誰も異論を唱える人もいなかったし、疑問すら浮かばなかった(笑)。あって当たり前みたいな感じだった」
清水「いや、『浮かれている人』は普通に店で買って聴いたんだけど、俺はびっくりしたけどね」
出戸「まだ一緒にやる前だったから」
清水「『タンカティーラ』の〝ぱっしゅわりわり〟ってコーラスとか、何が起きてるのかと思ったもん(笑)」
出戸「ああそうなんですか」
清水「大丈夫か君たち、とか思ってた(笑)」
―結構ぎりぎりというか、意識的にああいう風にやっている印象だったのですが。
出戸「最初に女性コーラスいれたときはみんな笑っていましたけど、これは凄いって。それが2曲、3曲と入ってきて、今はみんな当たり前のように『やっぱ入れるよね?』みたいな感じになってます(笑)」
清水「まあサックスとかもそうだよね。ビックリしたよ最初は」
出戸「慣れちゃうんですよね」
―サックスとかフルートとかオリジナル・アルバムにはかなり入ってますが、そういう体制でライヴをやろうとかいうのは考えますか。
出戸「いやー、ライヴは4人でっていう感じですね。多分あんまりゴージャスな感じでライヴはやりたくないですね(笑)。同じステージにああいう……」
清水「凄い人たちがね」
出戸「メンバー紹介とかしなきゃいけないじゃないですか(笑)」
―「素敵な予感」は『100年後』収録バージョンから更にテンポが遅くなって、後半凄いノイジーになりますけど、凄いライヴっぽい音源のように感じました。あれはライヴ演奏をそのまま録音に持ち込んだような形ですか。
出戸「あれはスタジオ作業でリアレンジするときにあのバージョンになりました」
―オウガの曲ってゆったりとしたテンポで、グルーヴを大事にしている曲が多いなと思っているのですが、今回の「素敵な予感」というのは元々BPM80とかそのぐらいだったのを、BPM66とか、それにしてもかなり遅くしてると思うんですが、自然にそれくらいのテンポになったのかなというのが気になりました。
出戸「あそこまで落としたって感じですよね。レコーディング作業中に」
清水「意図してたんだと思います」
―かなりけだるいというか、不自然なくらいの遅さですよね。
出戸「あそこまで落とすと、ビートの刻みが32拍子とかで考えられるようになって、逆に演奏している方はかなり速いくらいに感じますね」
―拍の感覚がすごく細かくとらえられるようになる、と。
出戸「あのくらいの遅さじゃないと緊張感が出ないんです。そういった遅さの中で緊張感を保たせるというのはなかなか苦労しどころではあるんですけど」
―今の日本のバンドとかポップスって、というと凄い大まかな話ですが、BPM140とかもっとそれ以上とかの曲がごろごろあって、今もどんどん速い方向にいっている状況があるように思っています。もう少しオウガとしてテンポについて考えていることを聞かせてください。
出戸「別に意図してこのテンポにしようってなったわけじゃなくて、自然になったんです。自分たちがいいなと思う落としどころがあのBPMくらいなんですよ。まあ曲によってなんですけどね。BPMの数字にこだわりがあるわけじゃない。っていうか、曲の持ってる良い感じのBPMっていうのがあると思うんです。そういう曲ができればもちろん120、130とどんどん速い曲もできると思う」
―今年に入ってからは、5月のMDT FESTIVAL(ROVO主催の野外音楽イベント)などでライヴを拝見しました。ここ最近では11月23日にエスプレンドー・ジオメトリコとの2マンも決定していたりと、様々なジャンルのバンドと対バンしていますが、影響とか印象に残ったライヴとかありますか。
出戸「メルツバウは影響受けるとか受けないじゃないですけど(笑)、単純に凄いなっていうのはありました。一番びっくりしたのはリハのときに耳栓をしてたんで、やっぱり耳栓するよな、こんなでかい音出すんだからと思ったら、本番になると耳栓外すっていう(笑)逆でしょ。あれみたときホンモノ感ありましたよね」
―とっておいてるんですね本番に(笑)。MDT FESでは直前でセットリストをがらっと変えたというのをTwitterで見たんですが。
出戸「そうなんですよ。僕らが考えてきたセットリストがあって、割と聴かせるような曲も2、3曲挟んでたんですけど、お客さんの雰囲気とかスタッフの人が見てたらしくて、今日はこれじゃないですねみたいな感じで(笑)。練習してないけどまあいっかと。いっさい練習してない曲を急遽変えてやったら、まあ結果オーライという感じでしたね」
―凄い盛り上がってましたね。「素敵な予感」の後半、ギターかき鳴らすところとか、お客さんおかしくなっちゃってて。奇声とかあげてましたね。
清水「やる予定じゃなかった曲だよね、ツインベース(「素敵な予感」)は」
出戸「攻めた方がいいということになって」
―結構、ライヴは臨機応変にやっているのですか。
出戸「直前にセットリスト変えるっていうことは稀ですね」
清水「やれる範囲の中で少し変えることは、たまにあるのかな」
出戸「MDT FESの時のような、踊りにきてるというか頭の線何本か切れたような域の人も何人かいる場所でやるのは、しかもあの規模でやるのは初めてだったから、反応にはちょっとびっくりしました。まあこういう風な反応が返ってきてくることはどうとも思っていなかったんですけど、ああいうシーンみたいなところでもいい反応が返ってきたのは何か嬉しかったですね」
清水「そうだね、やってて楽しかったよね」
出戸「逆に、このお客さんたち、(オウガの前に出演した)salyu×salyuと順番入れ替えてもこうなってたんじゃないか? というのは心の中ではあったんですけど、嬉しいは嬉しい。ワンマンの時のお客さんは礼儀があるというか、しっかり聴いてるみたいな感じのお客さんが多いんですけど、その聴き方はその聴き方でもちろん良くて。でも野音の時の「ロープ」のロング・バージョンの反応を見て、ああこれこんな風に踊れる曲っすよねって(笑)、こうなってってもいい曲だと自分の中では思ってたので、嬉しかったです」
―ROVOまでたどり着けてない人もいましたね。後ろの方で見てたんですけど、ROVOのライヴが始まるときには木とか柵とかにもたれかかって寝てるとか(笑)
清水「とにかく踊りたい! って気迫は感じたね。」
出戸「俺らの演奏、関係ない気もする(笑)」
―12月28日に恵比寿リキッドルームでワンマンが決まっていますが、ワンマンというところで特別意識していることはありますか。
出戸「普段やっぱツーマンとかイベントだと4、50分なんですよ。今やりたい曲はある程度決まってて、でも時間が限られてるから、変化をつけられるのは2、3曲しかなくて。ワンマンでは普段聴けないやらないような曲を織り込めるのは個人的には嬉しいですけどね」
―ワンマンを見に来るお客さんに入れ替わりはありましたか。『homely』以降でサウンドも大きく変化していますが、反応とかも含めて。
出戸「まあお客さんは入れ替わってる感じはします、何となくですけど。替わるだろうなあと思ってやってるところもあるし。でも男の人増えましたよね。初期の頃とか8割、女の子だったと思うんですけど、今は半々に近づいてる。健全な感じですよね(笑)」
―最後に来年以降の活動について聞かせてください。『homely』と『100年後』はアルバム全体が薄暗いとかというわけではないですが、破滅的な志向がコンセプトの作品でした。次回作について、コンセプトとかキーワードとか、気になってることがあれば教えてください。
出戸「まあキーワードとかまでは見つかってないですけど、なんとなくぼんやりとは浮かんでいます。考えてますって感じです」
―系統としては前作と結構違いますか。
出戸「大幅に変わることは無いかもしれないですけど、飽きない程度の変化は付くかもしれないです。まあ急に気分が変わることもあると思うので、どうなるかはちょっと分からないですね。『homely』の時とかはやっぱり気分が変わったので、前のアルバムとの落差は大きいというか。そういう事がこの何か月であるかもしれないし、ないかもしれないし」
―恵比寿でのワンマン、来年以降の活動も楽しみにしています。本日はありがとうございました。
11月 OTOTOYにて
取材・文 小林翔

「OGRE YOU ASSHOLE」
2013年12月28日(土)
場所:恵比寿LIQUIDROOM
時間:開場 17:00/開演 18:00
料金:前売¥3500/当日¥4000
+ドリンク代
※入場者特典あり
「今月のウォンブ行く?」「今日はウォンブに来てます!」「今日のウォンブ行けなかった・・・残念!」
今年一年を振り返って、TwitterのTLやメールなどで一番たくさん名前を見かけたイベントは間違いなくウォンブこと『月刊ウォンブ!』だろう。ご存知ないあなたのために一応書いておくと、『月刊ウォンブ!』とは、今年の1月から12月に掛けて、毎月の最終火曜日に渋谷円山町のクラブ/ライブハウス「WOMB」で行われていたライブイベントで、ステージ代わりに特注のプロレスのリングを持ち込んだり、その日の出演バンドの出演による煽りVTRを製作して演奏前に流したり、3階にはフリマや食事ブースを出店するスペースを作ったりと、通常のライブイベントとは異なる趣向の凝らされたライブイベントのこと。言葉だけでは伝わらない部分もあるだろうし、オフィシャル・サイト(http://gekkanwomb.com)や、そこに掲載されている写真をチェックしてみるのもオススメ!(リングの中で演奏してるバンドって、実はかなり画になるんですよ!)
しかし、あらためてこのサイトを見てみると、ホントおもろいメンツが揃ってたんだなー、とちょっと感慨深いような気分になってくるから不思議だ。「いま観たいライブアクトBEST50(関東編)」みたいな企画があったら、全アクト余裕でエントリーするだろう。ある意味、その存在自体がシーンの活況を証明するイベントだった、という言い方すらできるかも知れない。
最終回でもある12月24日のウォンブは、これまでの出演バンドが勢揃いしてのカラオケ紅白歌合戦(!)で、普段の感じとはやや趣向の異なる「忘年会」的な主旨の回になるとのこと。もちろんリングやフリマはこれまで通りらしいので、ウォンブらしいほっこりとした雰囲気と、人気バンドの普段とは異なる一面に同時に触れることのできる貴重な日になるはずだ。ぜひ足を運んでみて欲しい。
さて、今回はそんなウォンブの主催である仲原達彦氏に、ウォンブのことはもちろん、ご自身のことや、彼が手がける新しいイベント『ライヴ・イン・ハトヤ』(http://entame.knt.co.jp/live_in_hatoya/)について話を聞いた。以前、他媒体でインタビューしたという某講座生の前情報通り、フランクで親切そうな雰囲気と、キレキレの話しぶりが印象的な、たいへん素敵な人でした。
—今おいくつですか?
24歳です。
―イベンターって若いと舐められたりしないですか?
そんなことはないですよ(笑)。僕は元々ミュージシャンについて動くことが多かったので、周りもそういう感じで接してくれるというのもあると思います。
—それはいつごろですか?
19歳の時からですね。ユザーンとか七尾旅人とかについて回ってました。震災後には旅人さんと東北ツアーに行ったり。実際、僕がやったイベントって、プチロック(※1)とTOIROCK(※2)と、あと一回だけ南池袋のミュージック・オルグでやったやつだけで、そんなにたくさんあるわけじゃないんです。なので、僕の仕事の内訳で言ったら、イベンターよりそっちの仕事の方がメインって感じかも知れないです。イベントを始めたのもそういうつながりがあったからですし。
※1 プチロックフェスティバル・・・2009年から2012年まで日本大学藝術術学部の教室などを舞台に行われていたロック・フェス。(http://www.petitrockfes.com)
※2 TOIROCK FES・・・2012年4月と12月にさいたまスーパーアリーナにあるイベントスペース「TOIRO」で行われたフェス。(http://www.toirock.com)
―そうなんですね。11月のウォンブでは、ceroの高城(晶平)さんがMCで「タッちゃんは大学の後輩で…」って話してましたよね(笑)。
僕が入学したときにはもう卒業していたんですけど、一個上の先輩から「ceroって良いバンドがいるから」って音源を聴かせて貰って。
—大学では何を勉強されていたんですか?
映画を勉強してました。脚本コースってとこにいたんですけど、そこが結構暇なところで。自分が頑張れば終わっちゃうんで、授業も行かずにライブとかばっかり行ってましたね。
—なんで映画だったんですか?
もちろん単純に好きだったってのもあるんですけど、僕ってあんまり特技がないんです。たとえば絵がうまかったり歌がうまかったり、そういうのがなくて。でも、発想とか企画とかは昔から結構自信があって。高校で漫才をやってたり、打ち上げを楽しくする役が僕にまわって来たり、みたいな。で、大学に進むとき、自分にできそうで興味があるのは映画かなと思って、そっちに進みました。
—ちなみに映画はどういったものがお好きなんですか?
映画監督だと、(ジム・)ジャームッシュとか、(アキ・)カウリスマキ、(テオ・)アンゲロプロスとか。普通のことを普通にやって面白くするユーモアとか、細かい部分だけ意識してる感じとかは、すごいなって思って。そういう人はすごく好きですね。
—いつからそういうものが好きなんですか?
あー、どうなんだろう。もしかすると調子に乗るというか、みんなが観てないものを観てる自分素敵やん、みたいなのも最初は少しあったのかも知れないですね(笑)。かと言って、ディグ能力がそこまであるわけじゃないので、映画にしても音楽にしても知識がめちゃくちゃ深いわけじゃなく、むしろ広く浅く、その時すきなものがたくさんあるっていう感じですけど。
—音楽は、最初はどの辺りを聴いてたんですか?
僕自身は実は音楽にすごいハマった時期ってそんなにないんですよね(笑)。ただ、まあ、親がビートルズとかクラプトンが好きで、レコードを結構持ってたので、洋楽への意識は昔からわりとあって。小学校の頃とかは学校の放送係で、親の聴いてた音楽で気になったのをカセットに録音して持って行ったりしてました。あと情報源といったら、中学のときに地元にできたTSUTAYAと、突然契約されたケーブルテレビで観てたスペシャだけでしたね。
—TSUTAYAはどうしたって使うことになりますよね。
で、高校はサッカー部で、部活がメインだったので、たぶんクラスの他の人とかも、僕のことを音楽好きとは思ってなかったと思います。僕自身、どちらかというと音楽でどうこうしたいっていうよりは、その時その場でみんなの人気者でいたい、みたいな気持ちの方が強いんですよね。いまここで何をしたら目立てるか?とか、みんなが好きそうなことは何か?とかを考えているというか。そういうのとかは、当時から変わってないと思います。
—出会ってきた人の縁の中でやれることをやるみたいな。
そうです。だから逆にその場から離れちゃうと、いまその場にいる人たちだけになっちゃうんですよね。それ以前に付き合いのあった人たちとは交わらないというか。よくも悪くも飽きっぽい(笑)。そう考えると、音楽への興味って意味では、大学に入ってさっき言ったユザーンとかと知り合いになってから色々変わったっていうのが一番大きいかも知れないですね。
—イベンターみたいな、いわゆる裏方の人だと、人前に出るのはちょっと・・っていう人もいるじゃないですか?仲原さんはそういうのは全然ないですか?
サッカーをやってた頃はサッカー選手になりたかったし、映画を撮ってる頃は映画監督になりたかったし、基本的に目立ちたがりなんです(笑)。
—そうなんですね(笑)。実際にイベントのオファーとかって結構くるんですか?
いや、全然来ないですよ。TOIROCKとウォンブだけですね。ウォンブの場合は、WOMBの人がプチロックとTOIROCKに来てくれて、「こういう感じでWOMBでもやって欲しい」って言われて。最初は僕も「いやWOMBじゃこういう感じじゃできないでしょ」と思ってたんですけど、WOMBってよく見ると、意外と面白いつくりになっててることに気づいたんですよ。それに、僕自身も最初ここで僕がやるのはどうなんだろうって思ったってことは、他の人も同じように感じるんだろうなっていうのも逆説的に思って。他の人も思いつかないなら、いいかもっていう風に考えました。
—1年間っていうのは最初からあったんですか?
最初は春とか夏頃に一回だけって感じだったんですけど、とりあえずWOMBのスケジュールを見せて貰って空いてるところを見てるうちに、自然と決まって行った感じです。それに、一回だけだと結局普通のイベントじゃないですか? 僕は今まで普通のイベントはやってこなかったんで、そうなるのはやだな、と。あと、一年やったら仕事になるかも知れないな、とか、自分でやったこととしても言えるな、みたいなこととかも考えましたね。だから自分で勝手にやって盛り上げて、現象を作るというか。そんな感じですね。
—実際やってみてどうでした?
さすがに一年やるって意味あるんだなーと感じてます(笑)。11月とかはWOMBのライブ帯の時間の記録になるくらいお客さんが来てくれたらしいです。
—1年続けることで、色々とやりたいことを試す機会もあったんじゃないですか?
そうですね。自分への負担は大きくなっちゃったけど、色々勉強になりましたね。
―特に難しかった部分はどの辺りでしょう?
チケット代を安くし過ぎたってのが一番痛かったですね。チケット2000円って僕の感覚では結構安いので、いっぱい人が来てくれるなって思ったんですけど、平日って本当に難しくて。WOMB自体そもそもライブをあんまやってないんで、他のライブハウスみたいに、たまたま置いたフライヤーを見て「今月こんなイベントがあるんだ」って知って来てくれる、みたいなラッキーな集客がない。宣伝も単純に自分のTwitterくらいしかない、みたいな難しさがありました。今回、ウォンブのチラシはライブハウスにあまり置かないって決めてて。その方が知らない人にも届く可能性もあるし、逆にわざわざ取りに行ってくれる人がいるかも知れない。そうすれば、適当に消費される感じじゃなくて、ちゃんと価値のある状態で残るかなという気がして。言い方は悪いですけど、ライブハウスって期間が終わったチラシは撤去しちゃうじゃないですか。でも、今回はチラシ自体が漫画になってるのもあって、捨てにくいかなって思ったんです。
—なるほど。
そういう告知の状況だったんですけど、それでも毎月来てくれる人もいっぱいいて。なかには「プチロックも3日間行きました、それがおもしろかったんでTOIROCKも行きました、その延長でウォンブも来てます」って人もいました。で、そういう人たちがウォンブの楽しみ方を共有してくれた感じもあって。ライブ終わったら3Fに上がって物販を覗いたりして、でもライブが始まったらちゃんとフロアに降りて、っていう流れとか、当たり前のことですけど、ちゃんと作ってくれて。そういう空気感が、誰が言ったわけでもなく自然とできてたのは、一年続けたからこそだと思います。もちろんお客さん達が良い人たちだったっていうこともあると思いますけど。
―お客さんもだんだんウォンブの楽しみ方を見つけていった、と。
そうです。他にも、ステージの後ろ側で聴く人とかも、ceroの時とかはかなりいましたけど、はじめのころはやっぱみんな前で観てて。こっちとしては、せっかく360度どこからでも観れるようにして、ステージの後ろ側でもスピーカーとかはそんなに不自由じゃないようにもしてたので、もっとみんなに使って欲しいと思ってたんですけど。でも、そういうのも段々みんな理解して、動いてくれるようになりましたね。
―お客さんが見つけたという側面と、ある意味では、仲原さんが用意した導線に沿って動いてくれたという面もありそうですね。
もちろんそれもそうですけど、僕自身も最初は分かってなかったことも結構あって。たとえば、DJは最初は3Fのフリマとかフードがあるスペースに居たんですよ。そこはライブの音も聞こえないようにして、基本的にゆったりとした音楽が流れてて、ライブ中に疲れたとき休めるっていう感じメージで、いわゆるWOMBっぽい使い方に近いイメージというか。でも、実際にやってみたら、ライブ中はほとんどの人がそこからいなくなっちゃうことが分かって。それが分かってからは、DJは1Fに降ろして転換だけ演奏してもらうようにして、代わりに3Fはライブの音を流すようにしました。その方がお客さんも休めるんですよね。それは一例ですけど、お客さんに気付かされた部分はやっぱ結構あったんですよね。
—もし、もう1年やってくれって言われたらどうしますか?
ちょっと待ってくれ!って思いますね(笑)。元々はもっとやろうかなとも思ってたんですけど、やってみると集客の面とか難しいことも多くて。なので、まずはいったん年内で終わりにして全部清算して、それから考えたいです。でも、一年だけの方が良いかなとも思うんですよね。ダラダラやるとかっこ悪くなるので。
—それはありますよね。1年というキリのいい期間できれいにパッケージングされてるからこそ良く感じる部分とかもあると思いますし。ちなみに、最初からこういうインディに特化したイベントにするつもりだったんですか?
いや、それも全然考えてなくて。最初はむしろいっぱい人呼びたいと思ってたので、もっとメジャーなバンドとかにも声を掛けてたんですよ。でも、なかなか決まらなくて、そうこうしているうちに第一回があって、ミツメ、ビーサン、シャムキャッツっていうメンツでちゃんと盛り上がったので、そのまま行くことに決めたんです。実際は、そのあと集客的に落ち込んでしまった時期があったり、難しい部分もあったんですけど(笑)。でも、そうやって続けたから12月のカラオケが盛り上がると思うし、むしろそうじゃなければあり得ないメンツにもなったとも思います。最初はそういうつもりは全然なかったけど、振り返ってみると意外と今のインディ・シーンをとらえる機会になったかなと思います。
—なるほど。
でも、毎月イベントがある中でブッキングするのはホントに大変でした。今年の上半期はマジで気が気じゃないって感じでしたね。毎週毎日オファーして、時間も無いし。
―イベントの大枠が決まっても、ブッキングはまた別問題ですもんね。
そう。あと、2月は煽りVもやめたりもしたんですよ。やっぱ嫌がる人とかもいて。そもそもあの煽りVも、ステージと一緒で、プロレスって意識があったんです。プロレスの「花道・入場曲・煽りV」ってのが全部パッケージングされてるのがいいなと思って。プロレスの演出とか煽りVってほんとすごくて「こいつがどういう戦いをしてここにいる」みたいな、それまでの経緯やストーリーの部分が知らない人にもちゃんと分かるように作られてて。そういう見せ方も含めて、パーフェクトなエンターテイメントだな!って思ってました。
―ウォンブに関しても、ああいう映像があったから面白かった部分はありますよね。
あれも最初はもっと普通にプロレスっぽく、自分語りとかしてもらってたんですけど、撮ってる側が段々飽きてきちゃって、後半は完全にただおもろい映像を作ろうって感じになってました(笑)。正直なところ、映像が一番忙しくて、前日の夜中とかにずっと編集して。僕ともうひとり、ya-to-iのPVなんかも手がけてるCMディレクターの代田(栄介)くんっていう人に手伝ってもらって。
ー11月に観た時は普通に凝ってて驚きました(笑)。
やってるうちにやっぱ段々とノウハウが掴めて来たんですよね(笑)。
—しかし、仲原さんのイベントってやっぱすごく個性的なんで、あえて敬遠するバンドとかも出てきそうですね。
そういう人もいると思います。そもそも、僕は基本的に会ったことがない人は誘わないんですよ。というか、友達じゃないとあんなふざけた煽りVとか撮れないじゃないですか(笑)。そういう意味でも、友達ってのはすごく大事だなと。もちろん「なんで誘われないんだ?」みたいな気持ちも分かるんですけど、僕のイベントはそんな感じなんで、出たくないって思うバンドがいるのも、むしろ自然かなと思います。あと、どうしても僕が目立っちゃってるので、そういうのを嫌だなと思う人もいると思いますし。僕がミュージシャンの立場だったらやっぱ嫌だろうし。あと、単純に話題性のあることをやるっていうのが嫌な人だってだろうし。もちろん、できるだけいろんな人と会って友達になりたいとも思ってるんですけどね。「会ってみれば大体いい奴」って、環ROYも言ってて(笑)。
―たしかに(笑)。
そういう意味でも、今年は狭い範囲でやるのはしょうがなかったというか。なので、今後はもうちょっと広げてやりたいな、とも思ってます。まぁイベントをやるかどうかも分からないですけど。
―『ライヴ・イン・ハトヤ』以外に、今後のイベントは決まってないんですか?
ホライズン山下宅配便の黒岡さんが来年から阿佐ヶ谷rojiで毎月イベントをやります。『新曲の部屋』ってタイトルで、黒岡さんがあまり親しくないミュージシャンをゲストに呼んで、イベントの中でいっしょに一曲を作るっていうイベントの手伝いをします。まあ僕がrojiに入ってる水曜日にやるって感じなんですけど。しばらくイベントはやらないつもりだったんですけど、それはやります(笑)。
―では、もう一つの次のイベント、『ライヴ・イン・ハトヤ』についても聞かせて下さい。まず、ハトヤでライブをするっていうアイデアはどこから来たんですか?
それはもう僕じゃなくて、赤塚不二夫のアルバムですよ。
ーじゃあ本当にあの作品から始まってるんですね!
そうですそうです。しかも最初に言い出したのは僕じゃなくて、やけさん(やけのはら)とビデオくん(VIDEOTAPEMUSIC)なんです。特にやけさんはかなり前からやりたいって言ってたみたいです。で、去年くらいにビデオくんとその話をして盛り上がったらしく、そのあと僕にもその話があって「ハトヤに知り合いいないの?」とか聞かれて「さすがにハトヤに知り合いは居ないっすわー」って言って(笑)。その場はそれで終わってたんですけど、今年になって知り合いの中でハトヤで働いてた人がいるってことが分かったんです!(笑)。その人がハトヤの人にも話をつけてくれて、それをきっかけになってトントントンと決まって行った感じです。
ーハトヤ自体、普段からイベントはやってるんですか?
やってはいるみたいですね。でも普段は韓流のショーとか、もっとお金に余裕がある層向けの、基本的に埋まるようなやつしかやらないんで、こんなギリギリのイベントとかはやらないらしいんです。やっぱ、もともとは高級ホテルなんで。でも、実際に向こうの人と話してみるとすごいおおらかで「全然いいですよ〜」みたいな感じだったんで「簡単にできるな」とか思ってたんですけど、いざ条件面とかを見てみると、なかなかしんどいなーってなりました(笑)。開催条件になってた200人っていうのとかも、中央の大きなステージを借りるために必要だったんですよ。もっと普通の畳の宴会場みたいなところなら、もっと簡単に借りられるんですけど、一回その中央のステージを見たら絶対ここでやりたいって思って。でも、2万円ってなかなか・・・
—高いですよ(笑)。
ですよね(笑)。あのメンツから言ってもやっぱ高いと思いますし。でもステージを見て貰えればある程度納得して貰える値段かなとは思います。もちろん、すごい満足感がないとダメだろうなとも思いますけど。
―ライブ自体はどういうものになりそうですか?
ハトヤの仕組みとして、基本的には3時間のディナーショーなんで、それぞれに持ち時間があるといういつもの感じではなくて、もっと各アクトがシームレスに繋がって行くようなものにしたいと思ってて、結構コラボなんかもあるし、面白くなるんじゃないかなと思ってます。その辺の演出は僕も一緒に考えたりしてて。
—脚本を書く感覚とも近いですか?
というか、イベントでタイムテーブルを組む時点で、そういう要素はありますよね。どこでどう盛り上げようって考えたりしながら流れを決めたり。僕は仕事としてイベントをやってるわけじゃないので、単純に自分がお客としてどう見えるか?みたいな視点から見れるのが強みだなとは思ってて。その辺はハトヤに関しても、ウォンブに関してもあると思います。
—ウォンブとの関連という意味で、ウォンブに来てくれた人へのお礼、みたいな部分もあるんですか?
いや、どうだろう? でも、僕のイベントっていうことで、プチロックやウォンブに来てくれてた人にとっては、誰がやってるか分からない他のイベントよりはお金を出しやすいって思ってくれてるんじゃないかな、とは思います。そういう人たちにはもちろん楽しんで欲しいですよね。実際、いまのところチラシを一枚も刷らず、僕とビデオくんのTwitter、ニュースサイトだけで告知して、200を超えて300人近く予約が来てる状態なので、信頼していいお客さんたちが居てくれてるんだなって感じますね。
12月 阿佐ヶ谷にて
取材・文 佐藤優太
「新曲の部屋 1曲目」
2014年1月22日(水)
場所:阿佐ヶ谷Roji
時間:開場 20:00/開演 20:30
料金:1500円+ドリンク代(25名限定)
出演:
黒岡まさひろ(ホライズン山下宅配便)
ゲスト
ワトソン(どついたるねん)
司会:仲原達彦
なぜ私たちはポップ・ミュージックに
これほどまで惹かれるのでしょうか。
その答え、はおそらくここには無いでしょう。
しかし、そのヒントのようなものなら、
きっとこの中に山ほど詰まっているはずです。
各ライターそれぞれの未熟さゆえに、
たとえその文章がアサッテの方向を向いているようでも
(だからこそ?)楽しんで読んで貰えるものに
なっているはずです。
洋邦問わず。ジャンル問わず。
僕らの好きな30枚。ぜひご覧ください。
ヒップホップゆずりの分厚いキックと、R&Bの影響を咀嚼したファルセット・コーラス、そして、ブラック・サバスから拝借したヘヴィなギターサウンド。バンド最大の武器であるタイトなアンサンブルに、それら新機軸が融合した「Do I Wanna Know?」がカッコよすぎる。これぞ先制打にして決定打、というやつだ。
バンドの新たなトレードマークとなるこのヘヴィ・ロックを、彼ら自身「ドクター・ドレとサバスの出会い」と呼んでいるようだ。冒頭の「Do I Wanna Know?」から「Arabella」までの怒涛の4曲、あるいは9曲目の「Why'd You Only Call Me When You're High?」なんかは完全にこのアイデアをベースに展開したものだろう。ヘヴィ&グル—ヴィなそのR&Bが、アルバム全体の色合いを決定づけているのは間違いない。しかも、そのどれもこれもが最高にカッコいい。
ただ、アルバム全体に注意を向けてみると、アレックス・ターナーおなじみのオールディーズ志向が存分に発揮された「No.1 Party Anthem」を筆頭に、そうしたポイントから外れて行く曲がいくつも存在していることもたしか。実際、本作がバンドの最新最高の傑作たり得る普遍性を得ていると感じるのは、何よりもそのサウンド面での幅広さゆえだ。
だが、それにしてもアークティック・モンキーズの音楽が再びこういうビート・ポップとしてのダイナミズムを感じさせるものに変わったことには、やはり興奮せざるを得ない。それは、まだ彼らがサイケデリックでレイドバックした作風に移る前、セカンド・アルバムをリリースする前後の時期に受けていた期待——驚くほど優秀であるにも関わらず、普段はおちゃらけて見せる人気者の従兄弟のように、この10年以上に渡って常に、ロックにとっての目の上のたんこぶであると同時に、インスピレーションを受けずにはいられなかった存在、つまり、ヒップホップとR&Bに匹敵するビート・ポップとして、ロックを再定義することへの期待——に対する、遅ればせながらの弩級の回答にも感じられる。
もちろん、そのサウンドとリリックには回り道しただけ年輪が刻まれている。バンドが経験してきた成長も含め、その存在を見事にリプリゼントした作品。そんな風にも言えるだろう。だから、もし、まだ彼らのことを知らない友達に「アークティック・モンキーズってだれ?」とか聞かれても、もうあの1stアルバムを探す必要はない。必要なのは何か?シンプルで、自信にあふれたアルバム・タイトルが、ドヤ顔でそれを物語っている。 (佐藤優太)
2011年にOTOTOYのトップチャートに入り、坂本龍一からは「オモチャ箱の奥に潜む影と現実世界を表現したびっくり場この様な作品」と評されたアルバム『6色の鬣とリズミカル』から2年、今年発売されたBabiの2ndアルバム『Botanical』。Babiの〝Botanical(植物的)〟な世界はどんなのだろうか耳を傾ける。
最初にあらわれたのは、高音域のリズミカルなピアノの音で始まる「時計草」。そこに軽快なリズムで管楽器がのってくる、それはまるでアナログ時計を耳元で聴いているような感覚だ。トケイソウの美しい彩の花。時計の針のような雄しべがクルクルまわり、時空を超えて、次の扉へ向かう。木の廊下を歩き、扉をノックする。古典舞曲「passepied」を踊る古いヨーロッパに見えるものはなんだろう。それはまるで、顕微鏡で「プレパラート」の中を見ているよう。前奏の階段をのぼっていくような音階は、これから見る新しい世界にワクワクする感じだ。そして、3拍子の踊るようなリズムはプレパラートの中をたんたんと見ているよう。するとそこに「昆虫採集」が大好きな妄想彼氏を超えた彼氏が手を引っ張り、次の世界へ。いったいどこへ飛んでいくのだろう。すると今度は「魔法劇場」に招待される?!そして私は「ファンシー魔女」に。カラスの鳴き声から始まるこの曲は、森の奥深くのちょっと不気味な感じだけど、またまた3拍子のワルツで楽しい魔法が繰り広げられる。クルクルクルクル回ると、1、2、3、4、とバレエの「レッスン」へ。管楽器でリズムをとった音が、一つひとつ踊りの基礎を繰り返しているようだ。踊り続けると、そこは舞台に。菱形の模様のついた衣装をまとったトリックスターの「アルルカン」が舞台袖で踊り子を見守っている。踊り子の舞う空間が「アトリエ」へと広がっていく。時空を超え魔法にかかったようなBabiの楽曲はクラリネット、フルート、サックス、バイオリン、ビオラなど、木管楽器、管楽器、弦楽器といろいろな楽器とともにさまざまな音を繰り広げることで創り出される。決して重厚ではなく高めの音程で軽くリズミカルに流れ、そこにBabiのウィスパー風な歌声が響くことで、想像の世界のイメージがより膨らむ。
9曲目の「アトリエ」は、ピアノだけのゆったりとした曲調に耳を澄ますと小さなバイオリンの音が聞こえるだけ。それはまるで、木の枝や茎、植物が自然にまかせ空高く伸びていくように、Babiの未知なる扉に向かっていくようだ。それを福を呼ぶ「owl」が見守っているのか。聴いているほうも、いろいろ創造して絵を描きたくなる不思議な『Botanical』 (水野里香)

12年4月から活動を始め、13年に入ってからは爆発的な勢いを見せたBELLRING少女ハート。学芸会以下と言われたそのパフォーマンスも、巧みさと拙さが絶妙なバランスで混ざり合い、唯一無二の特徴を発揮するまでになった。クセどころかエグ味まで炙り出すメンバーやステージングもさることながら、楽曲の完成度の高さは大きな注目を浴びるのに十分なインパクトを放ったといえる。
ようやく8月にリリースされた1stアルバム『Bed Head』では、そんな魅力をギッチギチに詰め込んだ快(怪)作となった。デビュー当初から彼女たちの楽曲は、プログレの要素を持ち出したとして話題を集めた。ところが本作ではプログレだけに留まらず、GSや歌謡曲、サイケにまで発展し、柔軟に曲調は移り変わりを見せていく。ゼロ年代のミクスチャーを大々的に取り入れたBiSや、ヘヴィ・メタル一色でコンセプトを統一したBABYMETALと似て非なるポイントはこの幅広い曲調にある。メロトロンが浮かび上げるノスタルジアな空気、オルガン調のキーボードがにじみ出すレトロな感傷風は決してぶつかり合うことは無く、アルバム全体に不思議な統一性を持たせていく。その無秩序なアルバム構成は、このグループの姿そのものを表しているようでもある。
お世辞にも歌唱力は高くないと評される彼女たちだが、それは必ずしもマイナスに働いているわけではない。むしろ楽曲のキーをじっくりと聴き探ってみると、作為的に歌えなくしたような高音程もところどころ見受けられ、あえて下手に聞こえるようにした節がある。どんなに練習しても歌いきれないような部分が含まれているからこそ、未発達さが薄れずに保たれる。そこからは何か突き抜けられない歯がゆさとつかみどころのなさをも感じさせ、常に発展途上の様相を浮かび上げる。絶対に完璧なものへと到達できない、未完成の美しさが確実に潜むのである。これはライヴ・パフォーマンスともリンクする部分でもあり、見事トータル・コンセプトへと繋がったといえる。
アダルティな女性でしか引き出せない魔力があるように、幼さを拭いきれない少女でしか生み出せない危うさが、BELLRING少女ハートにはある。しかし少女も、いつしか大人になる日が必ずやってくる。彼女たちがいつその時を迎えるのか、それはだれにも分からない。けれども、だからこそ追い続けたくなってしまう、そんな中毒性がファンをつかんで離さない。それはこのアルバムが、端的に証明している。 (高橋拓也)

巡るめく回転する四季折々を1枚のアルバムで表現し、一つ一つの歌詞を噛み締めたくなる楽曲たちばかりで、今年最も聴いていた1枚であった。2003年の結成以降、通算8作目となる今回のアルバム。今作では、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が主宰する〈only in dreams〉から発売され、プロデューサーも彼が務めた。後藤自身も彼らに絶大なる期待を寄せている。
1曲目「流転する世界」から弦楽器のファンファーレが響き渡り、壮大にアルバムの始まりを告げる。様々な感情を伴う四季とともに世界は駆け巡り、一生を終えるまでこの流転は動き続けるのだから、この四季を生き急いで人生を楽しもうじゃないかということを歌っており、心に突き刺さる。そして、シモリョー(Vo、Key)の歌声とニーチェ(Gt)のアコギの弾き語りから始まり、サビへ向けて管楽器も加わりパレードとなる「適当な闇」。この歌詞は、不況だの震災だので先が見えない闇の中で余儀なく生活しているものの、そんな状況の中で楽しんで生きているじゃないかと、まさに現在を代弁する1曲である。「環状線は僕らをのせて」では、後藤、磯部正文(Husking Bee)、岩崎愛によるヴォーカルが加わり、しっとりとした曲調に様変わり。カップル二人の感情にズレがあっても、交り合って線となり、やがて環状線のように円になって感情を共有し合っていく4分弱の物語。まさに〝感情=環状〟と言った具合に、感情も巡り回っている。アルバムも後半に入り、「うつくしいひと」は悲しげな表情で訴えかけてくるピアノとギターが哀愁感を誘う。皆何か問題を抱えていながらも、本当は美しい人間なんだということを強く訴えかけている。「四季に歌えば」に入ると、思わず踊りたくなるようなメロディーラインにギアチェンジ。〝四季〟ではあるが、春の多摩川沿いをこの歌とともに散歩したくなる。そして、「song of sick」は、タイトルを聞くだけだと暗そうな印象を持ってしまいそうだが、イントロからその思い込みは打ちのめされた。ノリノリなファンク調で、円陣を組んで踊りながら歌う光景が目に浮かぶ。ラストを飾る「まちに」も、ファンキーなピアノが心地よいし、イントロのアカペラが美しすぎて、心が洗われる。
全11曲を通じて、人間・風景描写がここまで豊か且つポップに描かれているアルバムは無いと言っても過言ではない。the chef cooks meも何度かメンバーチェンジを経験しており、今日に至るまで決して順風満帆な道のりではなかった。けれども、紆余曲折を経験していたからこそ、今作のようにあらゆる表情を歌うことが出来たのかもしれない。ロックバンドでありながらも新たな日本ポップ界の革命児となりそうな、the chef cooks me。今後も日本の音楽シーンにおいて、新たな息吹を吹かせてくれることを期待したい。 (新郷洋平)

シンセサイザーによるエレクトロなサウンドが心地良くもあるが、不思議と聴いていてレトロな懐かしさをも感じさせる。そんな音楽がUをVと書いてチャーチズと読ませる、英国はグラスコー出身の3人組の初アルバムだ。元々は各々別のバンドで活動していた3人だが、マーティン・ドハーティとイアン・クックの演奏隊の男性2人によるプロジェクト構想に、キュートなルックスと清涼感溢れる声を持つ女の子ローレン・メイベリーが入ることによって、チャーチズは生まれた。ネット上で楽曲を発表したところ、彼女たちは瞬く間に評判に。サマーソニックでの来日も果たし、ホステス・クラブ・ウィークエンダーでの公演も決まっている。
エレクトロなサウンドは今や我が国でもアイドルやバンドが取り入れているなど世界的にトレンドとなっていたが、そろそろもう出尽くしたかと思ったときに出た今作品。今昔の打ち込みと電子音楽に通じた髭面の男性2人による演奏のベッド・ルームよりは浮遊せず安からず、EDMよりはくどくなくアガらずのエレクトロな楽曲は、敷居が低く入り込みやすい。そこに自ら作詞した抽象的な歌詞でローレンは高音の素晴らしい声を聴かせてくれる。アルバムはマーティンが唄う楽曲も2曲含まれ、心地良い音世界に包まれ終わる。
サマソニでの大阪公演を観て、ローレンのルックスなどヴィジュアルや立ったキャラクターも確かに重要な要素だと感じたが、余計な情報抜きで音だけでもいいと思える作品だ。デペッシュ・モードなど色々なアーティストの影響や対比をされる彼女たちだが、私自身の印象としてバグルスに近い。トレヴァー・ホーンの眼鏡をかけた目立つルックスは勿論だが、「ラジオスターの悲劇」発表当初”企画もの匿名ユニット”と思われたように、ステレオタイプな未来を想起させつつも、純粋に良い曲を聴かせてくれた。彼女たちの懐かしさは使用機材や影響を受けた音楽などだけではなく80年代の映画が好きなこともあるであろうが、こうして過去のニュー・ウェーヴのバンドとリンクするのは面白い。
今後、エレクトロなサウンドがもう廃れるかしばらく定着するかは分からないが、ここに来てこの年に出されることが本当に必然だったと聴いてみて分かるアルバムだ。そのうえで、次にどのような音楽を創り出してくれるかという事も期待してみたくなる。
(小泉創哉)
ダフト・パンクの実に8年ぶりとなる「ランダム・アクセス・メモリーズ」はそれまでの彼等の熱心なリスナーにとっては、期待を裏切る内容になったのではないか。それはこてこてのエレクトロニック・ミュージックを中心に据えた作品ではなく、生演奏がふんだんに使用されているからである。しかし様々な音楽の要素が散りばめられた楽曲郡はロックリスナーから、ブラック・ミュージック愛好家などジャンルの垣根を越えた多くのリスナーから幅広く支持された。本作は様々な嗜好を持つ聞き手を結び、共有されたといえよう。
ジョルジオ・モロダーをはじめ往年の名プロデューサーから、ストロークスのヴォーカル 、ジュリアン・カサブランカスといった豪華なミュージシャンが参加した本作では、それぞれの持ち味を生かしたダフト・パンクの巧妙なソング・ライティングを存分に味わうことができる。その中でも ジュリアンの参加している「Instant Crush」はロックを中心に聞く人々にも親しみやすい曲だ。それはいわゆるオルタナティヴ・ロックの楽曲構成に近いといえるだろう。ストロークスの持ち味でもある扇情的でどこか危ういメロディーが生かされているのだ。中盤から突如咽び鳴くギターの音色、シンセサイザーと溶け合うメロディーにジュリアンの気だるい歌声が絡み合う。鳴り響くギターが生きるこの部分がさらに作品の情感を際立たせている。また、シングル・カットされた「Get Lucky」のナイル・ロジャースのカッティング・ギターの刻むリズムとファレル・ウイリアムスのファルセット・ヴォイスのねちっこい絡みといったら!旧世代と新世代を繋ぐこの楽曲は本作のハイライトともいえる。ダフト・パンクの愛するディスコ・ミュージックへの憧憬と敬意が溢れるサウンドは世代を繋ぐことに成功したといえよう。2013年のシーンにおいて偉大な功績であるように感じられる。
ジャンルや世代を超えたゲストミュージシャンとの共演により、本作は様々なリスナーから多くの支持を集めた。それと同時に彼等の作る楽曲もボーダーレスに様々な要素を取り込み進化した。過去の作品のようなサウンドを期待していた人々にとっては残念な結果にはなったかもしれない。がしかし、様々な壁を乗り超え、自由な発想で作曲していく彼等は新たなステージに登りつめた。次回作はまた一味も二味もちがうサウンドで私たちを魅了してくれるだろう。その挑戦的で予測不能な活動に今後も目が離せない。
(中畑琴絵)
ディアハンターとは、エスケーピズムであり、打ち捨てられたマイノリティの哀歌である。前作『ハルシオン・ダイジェスト』でその方向性は完成したといえよう。あれから3年、ディアハンターはサウンド・イメージ、ビジュアル・イメージをがらりと変え、戻ってきた。というよりは、本来の姿に戻ったというのが正しい答えだろう。
本来の姿とは?それはメインソングライターのブラッドフォードの魂という事に尽きる。出世作の『マイクロキャッスル』や『ハルシオン・ダイジェスト』は、ギタリストのロケット・プントの功績が大きい。あの幻惑的な音像やサウンドスケープの構築は、彼の仕事だ。そのサウンドに、ブラッドフォードの歌詞と声が乗る。そこで歌われるのはマイノリティやエスケーピズムについてである。基本的に、ブラッドフォードはそこに主観を持ちこむ事はなかった。彼は自分がマイノリティあることを自覚していながら、一歩引いた目線で世界を描き出していた。しかし、ロケット加入以前の彼らはジャンクであり、ガレージであり、とにかくカオスだった。ロケットという他者が入ることで、ディアハンター=ブラッドフォードではなくなったということだ。
さて、今作はどうだろう。結論から言えば、ヴェリー・ブラッドフォードだ。幻惑的なサイケデリック・サウンドはノイジ―なガレージ・ロックに、詩作はブラッドフォード自身について言及したようなものへと変化している。かつてノ―・エイジが「自分たちのサウンドはシュ―ゲイズじゃなくてシットゲイズ(クソを見つめる)だ」と語っていたが、この『モノマニア』にも同じことが言える。現実を逃避するためのノイズではなく、クソな現実を破壊するためのノイズ。それが最も発揮されたのが、リードトラックの「モノマニア」だ。ノイジ―なイントロから、ブラッドフォードの自伝ともいえるリリックが吐き捨てるように歌われる。望まぬ家出、望まぬ病気、社会からのドロップアウト、まるでモノマニア(偏執狂)になったような自分。ラストのヴァ―スで何度も繰り返される〝モノマニア〟というシャウトは否定でブレイクスルーしていく高揚感がある。俺はモノマニアになってしまったという負い目と、モノマニアで文句あるかクソったれ!という怒り。そこに22年前のニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のラスト・ヴァ―スと同じカタルシスを感じた。
エスケーピズムに浸って、クソな現実から逃げたい人は前のアルバムを聴いていればいい。マイノリティは常日頃が現実との折り合いだ。クソな現実との対峙だ。ベッドルームを飛び出した彼らのノイズを必要とするかしないかは、あなた次第だ。
(ヤマモトリュウジ)
あえて偽悪的にいうならば、このDJ ラシャドの『ダブル・カップ』以前のジューク/フットワークは内部の音楽であった。今までのジューク/フットワークはトラックメイカーとダンサーとの偏った有限な範囲でのせめぎ合いによって、得体の知れない進化を遂げてきたともいえる。しかし、この『ダブル・カップ』にある眼差しは、クラブやストリートでのハードコアなフットワーク・バトルだけにあるのではない。紛うことなく、今までその外部にいる普通に音楽を聴いている人に対して向けられた視線がある。つまり、ジューク/フットワークの拡張=新たなる接続を意志しているのだ。
サウンド・ストラクチャーの洗練とリズム・ストラクチャーの自然かつ挑発的な組み変わり。あるいは、運動と静止との絶え間無い反復。これらこそが、本作の誇張的な魅力であり、この最新モードの電子音楽の拡張という試みの現れである。「I Don’t Give A Fuck」の〝I don’t give a fuck〟というヴォーカル・サンプルはそれ自体がリズムとして機能しているし、痙攣するビープ音とスネアとの交錯はあまりにもダーティーで凶暴だ。ヒップ・ホップを貪欲に取り込み、ベースの鳴り方がこの上なく官能的な「She a Go」。このトラックメイクは粗が見つからないほど精緻である。また、タイトル曲である「Double Cup」は高速の4つ打ちがスムースに3連符のフットワークに移り、スネアの配置のズレでリズムに幅を持たせている。そして、トラック終盤に獰猛なジャングルのビートが暴れまわる「Drank,Kush,Barz」。巧妙に仕掛けられたBPMの時間軸の変化に、我々は確実にハメられていくだろう。そう、ここには間違いなくヒップ・ホップ、ゲットー・テック、ジャングル/ドラムン・ベースという歴史を敷衍し攪拌した、新たな交通の場としてのジューク/フットワークがある。そこには爆発しそうなほどに充満しているテンションの高さがあるのだ。その高さの持つ危うさもまたスリリングである。いやはや、本当面白い。
2011年に世界に衝撃を与えた『Bangs & Works Vol.1』から早2年。それからジュークは急速に進化を遂げ、良い意味でも悪い意味でもモードになった。それは否めないであろう。だが、ジューク自体が無意識のうちに自らに与えてしまった軛(くびき)から逃走線をひくようにラシャドは自由である。なぜならば、ラシャドの想像力の領野は、シカゴから世界へと拡がっているからだ。それを証左する作品が『ダブル・カップ』なのである。 (坂本哲哉)

77年にデヴューして以来、数々の名作を残してきた偉大なアーティスト、英国ロンドン出身エルヴィス・コステロ。そして、米国フィラデルフィアからは、90年代にヒップ・ホップを人力で演じるなどして名を馳せたバンド、ザ・ルーツ。今なお精力的に活動する両者のコラボレーションは、互いへのリスペクトや09年頃より親交を深めてきたことからも、自然な成り行きだったといっていいだろう。事実、出来上がった本作のクオリティーの高さは、見事に相性の良さを表している。
1曲目「ウォーク・アス・アップタウン」から極上のノリが身に染みる。何とも奇妙なイントロがエスコートした先に、クエストラヴ(ザ・ルーツ)のドラムがクリアかつどっしりと鳴り響く。パワフルな演奏によってソウルやレゲエといった要素がくっきりと額縁を成すと、中心に象眼されるコステロ節。ピアノ、オルガン、メロディカも担当しているが、やはりコステロの歌声が全体を美しく彩っている印象だ。これ以上ない立ち上がりに、1曲待たずしてこのアルバムが傑作になることを予感、そしてそれは的中した。曲間のつながりが流麗であることに加え、どの楽曲も、本作において重要なチャプターであるかのようにドラマチックかつ聴き応え十分のトラックとして機能している。
バック・コーラスでのゲスト・ヴォーカル(ダイアン・バーチやラ・マリソウル)起用やバリトン・ギターによるアンサンブル・アレンジ、スネア・ドラムにおけるマイキング・テクニック等の凝りまくったプロダクション。それらが猛威を振るい、高揚をもたらしている点もさることながら、特筆すべきは、コステロ自身の過去曲からの引用フレーズだろう。例えば4曲目「ウェイク・ミー・アップ」では、04年に発表されたアルバム『ザ・デリヴァリー・マン』収録曲「べドラム」や、06年にアラン・トゥーサンと共作した『ザ・リヴァー・イン・リヴァーズ』の表題曲から、歌詞の一部が使用されている。加えて、89年作『スパイク』に収録された「チューイング・ガム」のベース・ラインを前面にフィーチャーしてくるという大胆な試みだ。こうしたサンプリングやアナグラム的手法が、本作では随所に用意されている。何よりそれが、れっきとした新曲として成り立っていることに、さりげなくも凄みを感じた。
実験や挑戦の段階を通り越し、確信からスタートさせたようにも思える今回のプロジェクト。前述した“引用”はフレーズに留まらず、両者がこれまで隠し持っていた能力をも引き出しているに違いない。英米間を投影する、新たな音楽の世界地図。平射方位に可能性を感じる成功例として、この先も語り継がれてほしい名盤である。 (肥後幸久)
「この人達は、一体何がやりたいンだろう?」
このアルバムを聴いて真っ先に頭に浮かんだのはそんな感想だった。ついでに「そもそも音楽って、一体何ンだろう?」みたいな、今さら口にするのも気恥ずかしい類いの疑問も浮かんでくる。浮かんできてしまうものはしょうがないから、その疑問に少しだけ付き合ってみる事にした。
確か音楽の教科書には「リズム、メロディー、ハーモニー」とかナントカ書いてあった様に記憶しているけれど、このgoatの『NEW GAMES』はどうも勝手が違うようだ。リズムは間違いなくあるけれども、メロディーは?ハーモニーは?一体どうしてしまったのか?そう思いながら愛想も何もないジャケットを裏返すと、演奏者としてはギター、ドラム、ベース、サックスの4人がクレジットされている。ところが、聴いていてもどこでサックスを吹いているのかがちっとも判らない。サックスだけでなく、ギターのコード弾きも、メロディーラインも、ベースラインすら聴こえてはこない。それぞれの楽器の音色のバリエーションの、あえて王道を外して邪道に特化した〝音〟のみで構成された、変拍子やポリリズムなどを駆使した緊張感のある演奏が早いテンポで続いていく。デジタル機器の発達した今の時代、これに近いものならデスクトップだけでも作れてしまうかもしれない。が、この何ンとも言えない緊張感は4人の演奏であることによってしか生まれないだろう。
だが、少なくとも前述の教科書的な定義によるならば、これは〝音楽〟ではない。遥か昔、楽器が発達する以前の音楽の原点は、もしかするとこんな風に〝リズム〟だけだったのかもしれない。この4人はその原点に還ろうとしている……のかどうかなンて事はわからない。この『NEW GAMES』を聴けばそこをあえてわかる必要もないと感じるだろう。
道行く100人に聴かせてアンケートでも取ったら、もしかしたらひとり残らず「何、これ?」と言うかもしれない。だが、多くの人に理解され受け入れられる、最大公約数みたいな音楽ばかりが音楽ではないだろう。それだけだったら世の中ちっとも面白くならない。だから、もしもライヴハウスか何かでこんな演奏をする怪しい連中に出くわしたなら、私はワクワクしながらこうつぶやくに違いない。
「この人達は、一体何がやりたいンだろう!」 (紋次郎)

iTunesが始まった時に、あるライターが“これでリスナーは自分の好きなミュージシャンしか聴かなくなる。みんなが聴く音楽は多分、なくなるだろう”と書いていた。あれから10年、その言葉は現実になった。色んな壁を乗り越えることのできるポップミュージックは最早ない。だが、そんなポップ不在の時代に、ジャネ―ル・モネイはあらゆるものをシェイクし、人々をクロスオーバーさせる。1985年生まれアフリカン・アメリカンの彼女は、ジャンル、ジェンダー、人種、あらゆるものを越えようと音楽で人々を踊らせる。
2枚目のフルアルバムとなる今作では、プリンス、エリカ・バドゥなどのベテランからミゲル、エスぺランサなど若手を客演で呼び、ありとあらゆるジャンルを取り込んでいる。ファンク、ソウル、ヒップホップ、ジャズはもちろんのこと、ロックンロールや実験音楽、果てはエンニオ・モリコーネのサウンドトラックまである。しかし、これは単なる百花繚乱のポップミュージック一大絵巻ではない。このアルバムの根底に流れているのは、このタコツボ化した状況を変えようとする強烈な反骨である。そのメッセージ自体はある意味ベタ。要するに、“周りがなんと言おうと、アンタはアンタのやりたいことをやれ”ということだ。このアルバムで彼女が演じている“エレクトリック・レディ”はその象徴だろう。リーゼントで蝶ネクタイをして、一見男装した女性に見えるキャラクターが何を指しているのか?
リードトラックになった「クィーン」は、世の中のフリークスやマイノリティに対して歌われた楽曲だ。彼女はインタビューでこの曲について、こう答えている。“あたしはフリークスかもしれない。だけど、それがどうしたのよ。やるべきことをやって自分にとってのクィーンになる。ほんとそれだけなの伝えたい事は”。アルバムのハイライトにあたる「ダンス・アポカリプト」は、“フリークアウトして、あらゆる壁や殻をぶち壊して踊れ”と50ー60年代ポップスを下敷きにしたトラックをバックに、軽快に突っ走るダンストラックだ。そして、ここでぶち壊せと歌われる対象は、知らず知らずのうちに自分の好きな世界にしか目が行かなくなった、現代のムードそのものでもあるのだ。ジミヘン、マイルス、MJ、プリンス、カニエ…と人種やジャンルをクロスオーバーしようとする音楽家は居たが、ジャネ―ルはジェンダーやマイノリティの壁まで越えようとしている。かつて“優れた表現とは、難しいことを易しく、易しいことを深く、 深いことを面白くしたものだ。”と、ある日本人作家が語っていた。そして、優れたポップミュージックとは、色々な事を我々に投げかけながらも踊らせるものだ。そこに流れる2013年のトラックは、ジャネ―ル・モネイがふさわしい。 (ヤマモトリュウジ)
神さま(かれ、存在するわれ、嫉妬、王の中の王、主の中の主)人類史上初の再生産不可能な神。新約聖書の書き手がなんと言おうと、血に飢えていて、執念深さは天下一。得意技:人殺し。聖書でいちばんおっかない存在(『誰も教えてくれない聖書の読み方』ケン・スミス著、山形浩生訳)
あらゆる芸術作品が結局のところ途方もない孤独の産物であることを考えれば、自分と並びうる存在を持ち得ない神こそが、世界で一番クリエイティブな存在とされる理由も少しは納得がいく。それにしても、その神(Jeezus)と自身のあだ名(Yeezy)を掛け合わせた『Yeezus』という造語を冠したこのアルバムに描かれる人物がどれほどのクズか。傲慢さ・自己中心主義・誇大妄想・被害妄想――それら全ての強迫観念が溢れたリリック。シカゴドリルから、インダストリアルから、インターネットに蠢くアブストラクトなビート・ミュージックから、あるいはアシッド・ハウスから、イケてると思うものなら何でも手を出す無節操さと見せびらかし。やたらとエクスタティックなミドルエイトからの唐突なエンディングという、セックスにおける男の自己中な態度を彷彿させる展開も多くの曲に散見されるし、「I'm In It」のセカンド・ヴァースのヴォイス・エフェクトとかも…ちょっとは笑えるけど、あまりに下品さに吐き気すらもよおす。ウェストはインタビューかなにかで「俺はスティーブ・ジョブスだ」とか言ったらしいが、あぁ、あれもたしかにクズだったな…。
だが、道徳とか、倫理観とか、人間性とか、そういうありとあらゆる“つまらないもの”が、クリエイティビティとは完全に無縁であるということを、まったく完璧に示しているという点で、イーザスはiPhoneと一緒だ。そう、結局のところ“全ての芸術作品が途方もない孤独の産物であることを考えれば”、世界で一番クズな人間だからこそ、世界で一番美しい音楽―—まったく気分が悪くなるほど美しい音楽――を生み出すこともできる。なんて素敵なんだ!
どんな人間にも自己中心的な部分はある? ……もちろんそれはそうだけど、イーザスのそれはあまりに濃すぎて、はっきり言って僕のような死んだ魚の及び知るところではない。もうホントに別の惑星から来たみたいに感じる。だからこそ、逆説的な言い方をすれば、このアルバムを聴いた直後の僕は、絶対的な他者の理解=愛の存在を信じたいような、信じられるような気分になってるのだ。不思議なことに。錯覚だとしても。そんな気分にさせてくれるエンターテイナーのいる世界で、ホント良かったと思うよ。 (佐藤優太)

それが単なる言葉のあやだとして、ポップ・ソングの幸福というものについて考えるとすれば、それは「発見されること」だと思っている。それが実際どうかというのは置いておいても、Negiccoの『Melody Palette』が持つ幸福感はそういった類のものだ。
2003年、地元のねぎのPRを目的にJAの企画で結成された新潟のローカル・アイドル・グループNegicco。元々期間限定だったグループは、紆余曲折ありながらも活動を継続し、2011年に立ち上げ間もなかったタワー・レコードのアイドル専門レーベルT-Paletteへ移籍。今年とうとう活動10周年を迎えた。デビュー間もない頃から楽曲提供で彼女たちを支えてきたconieのサウンドは、キャッチーなメロディー、時にギターソロまで登場する王道の楽曲構成と、90年代J-POPがベースだが、ビートは音数が多くダンサブル。ややもすると直球すぎる歌詞や曲中のセリフ、きらきらしたライトなシンセ・サウンドなどのベタなポップスの要素の使い方が特徴的で、その楽曲をNegiccoは真面目で一生懸命だがどこか抜けたキャラで微笑ましく乗りこなしていく。
2000年代の後半、SSW系がチャートのメインだった時代を経て、PerfumeやAKB48が再度到来させたテン年代のアイドル・ブームの中で、Negiccoが保ち、磨き続けてきた親しみやすいポップスが発見される。2013年、新たな作家による楽曲提供が一気に増え、本作でも半数を占めているが、いずれも彼女たちの音楽的な魅力を媒介として制作されている。西寺郷太提供による「愛のタワー・オブ・ラヴ」は柔らかなストリングス風のシンセと強めのキックが曲を推進し、サビではきめきめのギターが鳴るミドルテンポのダンス・チューン。フロア向けのサウンドを持ちながら、セリフや掛け声など抜け感があるのが印象的。小西康陽の「アイドルばかり聴かないで」は筒美恭平よろしくのファンキーなエレピとストリングスに、タイトル通りのアイドルじゃなくて私を見て、という代々続く日本のアイドルポップスのクリシェにNegiccoを当て込んだもの。シンセとベース、ドラムというシンプルな編成で、かつ隙間の多い「相思相愛」はtofubeatsの90年代的な音色が彼女たちとがっちり噛みあう良曲。
10年間もの間Negiccoが積み重ねてきた活動が、広がりを見せながら一つの作品として結実したこと。そしてその作品が過去から現在までの日本のポップスと接続していること。『Melody Palette』が持つ円満な物語性は幸福と呼ばれるべきものだ。(小林 翔)

ああ何て心地良い。究極のナンセンスここにあり!暗い時代にそう声を荒げてしまう傑作である。
活動休止をしたムーンライダーズのリーダーであり現・Controversial Sparkの鈴木慶一と、現在は劇団ナイロン100°を活動の中心としながらも、80年代から有頂天などの様々な形態で音楽活動をしてきたKERAが新たに組んだユニットがNo Lie-Senseだ。アニメ『ドクター秩父山』EDを唄った企画以来の共演となる。今回はKERAがかつて主催していた伝説のインディー・レーベルである、ナゴム・レコードを再び立ち上げてのリリースになった。そんなアルバムは彼らが人生の半分を過ぎたからこそできる素敵なNO MESSAGEである。
どこかチープで衝撃的なトラックとシュールな歌詞による悲喜劇な曲は、まさにナゴムならではのカオスな面白さ。1曲目から女の人の絶叫から始まり曲名である「けっけらけ」の連呼。流しのようなギターからエッサホイサと唄う「鉄道少年」。「MASAKERU」は歌詞の母音と語感だけでも意味不明なのに、そこに大槻ケンヂらゲスト陣がはっちゃける。ところが今までのオタクっぽい若者が集っていたイメージのあるナゴムのレーベル・カラーと違い、どこか大人で余裕があり曇った世界。これは相方の鈴木と録音・ミックスを担当したゴントウトモヒコによるものが大きいのだろう。その違いがより分かりやすく伝えるのは、有頂天「僕らはみんな意味がない」ムーンライダーズ「だるい人」の2曲のセルフカバーが原曲と比べ、よりモノトーンで演劇性が強まったことだろう。フリューゲルホルンなどの楽器の使用や、大森靖子らゲスト陣の真面目なサポート(あくまで今までのナゴムのイメージと比べると)はKERAや鈴木の原点である映画の悲喜劇的な要素をよりダイレクトに伝えるものになった。それは昔のミュージカルや喜劇映画みたいに身体と腕を大袈裟にヒラヒラさせているようだ。
2人ともニュー・ウェーヴの類にジャンル分けされる音楽をやったが、年を取るたびに本来の言葉の意味での新しさを出すことに対するハードルやプレッシャーが上がってきたように思う。その点を考えると鈴木は一貫して音楽に身をささげてきたのに対し、KERAはナイロン100°を立ち上げて以降は合間合間にシンセサイザーズで音楽活動をしてきたが、いまいち音楽に本腰を入れていた頃と比べるとやはり煮え切らなかった。が、ここに来て彼の才能が音楽に久々に生きた作品だ。
(小泉創哉)

オウガ・ユー・アスホールのここ最近のアルバムに感じるのは不自然なまでの遠さだ。バンドが鳴らしていたであろう音と、アルバム自体の音の間にある異様とも言える隔たり。まるであの世の音楽とでも呼ぶべきような『homely』(2011)『100年後』(2012)という2つのアルバムはこうした点で、彼らにとって大きな転機となる作品であった。今年、間髪入れず発表された『confidential』はオウガというバンドがその「彼岸」で変貌を遂げている、大きなうねりを感じるアルバムだ。
リアレンジ・アルバム、というあまり聞かない名前が冠されている本作は、2011年以降枚数限定でリリースしてきたアナログ盤に収録されているオルタナティヴ・バージョンの楽曲から選ばれた4曲と、今回新たに録音し直された過去の楽曲4曲から構成されている。プロデューサー石原洋、エンジニア中村宗一郎という体制で今回も制作されており、必要に応じてフルートやサックスなどのバンド外のサウンドも用いながら、各楽曲が繊細に構築されている。特筆すべき楽曲としては、アルバム中では最も早い2011年6月にリリースされた「真ん中で」。3本のアコースティック・ギターとベース、ドラムによる穏やかな楽曲の上で、まるで童謡か何かのような〝るんぱっぱ、るぱんぱ〟というコーラスが曲の最後まで延々と続く。その一方でボーカルは過剰なほど息を多く出しながら歌唱し、輪郭はぼんやりして不穏だ。そこには同年8月の『homely』を予期する、空恐ろしさがある。また、『100年後』で発表されたばかりの「素敵な予感」はBPM66くらいまでテンポを落とし収録されている。引きずられるように重々しく進行するベースとその上で音数少なく単純なリズムを叩きつけるドラムが延々反復する。6分を過ぎた頃、高温のノイズとともに演奏が途絶え、すぐさま轟音のギターがかき鳴らされる。過去の楽曲が現在のオウガのサウンドに移し替えられていくとともに、直近の楽曲までもが凶暴に姿を変えている。
楽曲が次々に変化していくことについて、ボーカル・ギターの出戸学は過去のインタビューで、「あたりまえのように曲は変わっていきます」「完成というものはない」と述べている。変わり続けていくという強度。『confidential』はオウガというバンドの強さをトータル・アルバムとは異なる形で、しなやかに提示する。 (小林翔)
過剰を切除すること。しすぎないこと。あるいは、良い加減さを持続させること。その点において『アール・プラス・セヴン』は、この一年を通してリリースされたどんな作品よりも最大限に解放的な作品である。と同時に、それはUSアンダーグラウンドの重心であるワンオートリックス・ポイント・ネヴァーことダニエル・ロパーティンにとっての、最大限の変化である。
おそらく彼にとって、前作『レプリカ』で顕著であった、露骨で悪意すら垣間見せるカットアップ/ペーストによるミュージック・コンクレートを更にめちゃくちゃにすることで、過剰に意味を持たせることもできたはずだ。だが、彼はそれを拒んだ、というよりも単にそれだけではつまらなくなったのであろう。つまり、オーヴァードーズするほどの狂気は、新しい出来事を生み出しはしないと考えたのではないだろうか。この『アール・プラス・セヴン』にはその過激さからの切断がある。そして、慎重さに寄り添った新しい狂気を希求している。
消費し尽くされたCMというサンプルを完全に捨て、また、コラージュという手法を一旦捨て、ピアノやオルガンという楽器を弾くことで自らが生み出したメロディのシンプルさ、明快さ。あるいはそのメロディによって描かれる荘厳的な美しさや儚さ。それは手法としてのコラージュ/ミュージック・コンクレートに律動的に、ときには非律動的に再接続される。それに加え、これまでになく理路整然と音のレイヤーが重ねられた、寒々しいほどクリーンなサウンド・テクスチャー。それは奇妙なミュージック・コンクレート的室内楽といってもよい。そして、シンプルなものを慎重に複合/複雑化することによって、ポップな意匠を持った分裂症が緩やかに加速していくのだ。だが、走りすぎてはいない。超低速でも超高速でもない。その中間の良い加減のバランスで、進行していく。そう、ロパーティンが今作で織り成す音楽は破壊的な危うさを排除し、ポップかつ程よい危うさを持つ音楽へと生成変化しているのだ。それは圧倒的な美しさを孕んでいる。
この『アール・プラス・セヴン』には、ドローンを媒介とすることでアンビエントとノイズを並列化した彼の姿はなく、低俗なガラクタをポップに陳列した彼の姿もない。今作を聴くにあたって過去の作品を並べてみると、不断に中心点を消去し続けるロパーティンの歩みだけがみえてくる。やはり私は、ロパーティンの音楽は聴いたことのない変な音楽にしか聴こえない。もうあなたは彼の音楽から逃れることはできない。 (坂本哲哉)

優しくて、ジャケット通りに白黒の中に人肌位の温もりを感じさせる。“Hmmm”“Ohhhh”のさえずりだけでも、うっとりさせてしまう声。それと同じくらいの哀しみも感じさせて、何かドラマを見ているようで現実味を感じさせない。何だか聴いていて段々漂白されるような…。ジャンル分けはリズムや歌声から考えてソウルなのかもしれないが、そういう風に定義するのもナンセンスだ。
カナダ人の歌手マイク・ミロシュと、同じく2人組で新作も出したクアドロンでも活躍するデンマーク人のロビン・ハンニバルとの白人男性2人組ユニット、それがライ。このユニットでの活動の際にPVや宣材写真などで顔を出さないのは、単純に自分たちが作った音楽を楽しんでもらいたいからとのこと。そのせいかより一層音楽の匿名性とミステリアスさが知らず知らずに引き立っているともいえる。
ミロシュの歌声は高く優しい。曲によっては女性が唄っているようだ。それに対してロビンがつくるトラックはハープやヴァイオリン、トロンボーン、ホルンなどの楽器がつかわれており、室内楽的でミニマルなトラックだ。全体的に120以上いかないBPMは、亀田誠治が言う”パワーゾーン”に入らない、ゆったりしたテンポでアルバムは進む。「Open」のスナップから「The Fall」の歩くぐらいの速さや、「Verse」は曲名と関連付けてかメトロノームのような音がリズムを取るなど、印象に残りやすい音がリズムの肝になっている。その呼吸や運動にも似た心地良い揺らぎに身体は誘われる。「3Days」のハープの美しいイントロからハウスになる展開は、丁度このアルバムの中の大きな展開部分と言えそうだ。そこから2曲溶けていくかのように曲が続き、今作で最もファンキーな「Hunger」で再び気持ちが整われ、最後のタイトル曲をそのままミロシュが歌詞にして歌い上げ終わる。
2人はエモーショナルな音楽が好きで、初めて対面したとき60年代ソウルや、好きな映画のサントラについて盛り上がったという。現在のシーンに当てはめると、ラナ・デル・レイの映画音楽性、ジェイムス・ブレイクのソウルを感じさせる歌声と密室性が共通させる。ミロシュの声はユニット結成前からシャーデーのようだと言われてきたらしいが、ここに来て良い相方を見つけた。「石を削って彫刻を作るように、ゆっくりと曲を完成していった」はミロシュの弁だが、その完成した空間は異形ながらもずっとそこに居たい気分にさせられる。 (小泉創哉)
歪むギター、ベース。タイトなドラム。そして、感情をそのまま吐息や嘆息や嗚咽とともに吐き出しているかのようなヴォーカル。11年にブリティッシュ・シー・パワーのサポートとして行なったほんの少しのライヴ・パフォーマンスと、シングルたったの1枚でUK・USロックシーンの話題をかっさらったサヴェージズ。どんなバンドにもある〝1stアルバム〟という代物は、あえて、若さゆえの勢いや青臭さに魅力の重点を置くことがしばしばある。勢いがある、その勢いとは若いから出せるものだ、手垢がついていない音だから新鮮だ。そんな評価を〝1stアルバム〟に下してしまうことは少なくない。ところがこのユニセックスな出で立ちとクールな表情でジャケットを飾る彼女たちは、その例に必ずしも合致しないようだ。
ドラムが生み出す淡白なリズムに力強いヴォーカルの乗る「I am here」は、シンプルかつ短い楽曲ながら後半をグルーヴィーに盛り上げ、アレンジ・構成ともに威風堂々とした余裕を感じさせる。加えて幾度も繰り返される曲名により、サヴェージズここにあり、と彼女たちのソリッドな姿勢を象徴するかのようだ。つづく「City's full」も裏打ちのリズムに導かれ、ノイジーなギターが与えられた場所で遊ぶかのようにその音が曲中ずっと響く。リズム隊の音が際立ち、どっしりとした印象はアルバム冒頭でリスナーにそれを認識させるのに十分である。
そこへ一転、緩やかなテンポにメランコリーなビートとギター・リフで進行する「Strife」を皮切りに〝ソリッド〟だけではないサヴェージズが聞こえ始める。「Waiting for a sign」「She Will」では曲に緩急がつき、サイケデリックなバラードをかき鳴らす。ダダダダと細かな音符を連発するエッジィな音は陰になり、代わりに叙情的なヴォーカルが響くこれらの曲は、彼女たちの表現力の高さを物語っている。
サヴェージズは決して長くない活動期間にも関わらず、これだけの内容と表現力を詰め込んだアルバムを発表した。過去のアーティストたちの真似ではない。かといって新しいことを行っているわけでもない。音に媚びず、自分たちの表現したいもの、訴えたいものをギター、ベース、ドラム、そして声で作り上げたら、結果的に過去と比較されるようなプリミティヴなロック・ミュージックになったのだろう。彼女たちはかつての音楽と比較されるのを厭う。これは彼女たちの正真正銘ロック・アルバムである。 (内田小夜子)

ボアズ、完全に化けた!ライヴで初めてこのアルバム『ubik』の曲が演奏された時の衝撃を、私は未だに忘れることができない。シンセを多用したサウンドに〝これはボアズなのか?〟と感じるも、そこで鳴らされている音の迷いのなさ、強度に、気がつけば体中を任せて、揺れていた。
3ピースとは思えない、暴力的とも言えるグルーヴ感で聴くものを圧倒してきた高田馬場発のロック・バンドSuiseiNoboAz(スイセイノボアズ)。向井秀徳プロデュースの1st『SuiseiNoboAz』、セルフ・プロデュースの2nd『THE (OVERUSED) END OF THE WORLD and I MISS YOU MUH-FUH』を経て、3rdアルバムの本作『ubik』は、凶暴なグルーヴ感はそのままに、叙情性を多く注ぎ込んだ、大変佳作と言い切ってよいアルバムである。
ピアノの美しい響きとギターノイズが生み出す混沌でリスナーを音の渦に叩き込んでいく、6分を越える大曲「adbird」、美しいだけではない〝蒼いことの儚さ〟を投げかける「Sweet Destruction」では〝激しい〟という以前のボアズにあったイメージを間違いなく刷新している。「HELL」のあまりにも真っ直ぐなメロディーなど、従来のボアズでは影を潜めていた叙情性が、本作では、何の照れも迷いもなく掻き鳴らされている。「mizuiro」、「T.D.B.B.PIRATES LANGUAGE」のようなロックン・ロール・ナンバーもあるが、それらはあくまでもアルバムの一曲であり、全体としてのイメージを崩すことはなく、ラスト「ubik」まで聴くものを離すことはないだろう。5分を超える大曲が多いが、何よりメロディーが過去最高に研ぎ澄まされており、歌として心に響いてくるので、全く長さを感じることなく最後まで聴き入ってしまうのだ。
〝青緑〟や〝ノイズ〟が本作『ubik』のテーマであるとインタビューで語っているように、彼らは本作で蒼さを歌う一方で、その持つ儚さをノイズで表現している。それはつまり本作が、30代を迎えた彼らが若さへの別れを告げる、ボアズ流のコンセプト・アルバムと言っていいだろう。ラストを飾る「ubik」でかき鳴らされるギターノイズに〝10代への別れ〟を感じ取るのは私だけではないはずだ。そして何よりも、ボアズが、この挑戦的、かつ素晴らしい作品で、エイベックスからメジャーデビューを果たしたという事実に痛快さを感じずにはいられないのである。
(野津真澄)

ヴァン・ダイク・パークスのニュー・アルバムがリリースされた。プレイヤー、アレンジャーとして、多くの著名アーティストへのお膳立てが活動の中心に定着していたなか、自身名義のオリジナルは24年振りとなる。磨かれたスキルを贅沢に味わえる内容には満足度十分、まさしく“満を持して”と形容するにふさわしい逸品である。
まず、アルバム通しての爽快さが尋常でない。楽曲ごとに、初夏の芳香が存在しているかのようだ。未曾有の躍動感で以て貫かれた高度な演奏、今作の肝とも思える多彩な弦楽器アンサンブルによる施術が、聴覚以外をも確実に刺激してくれる。カリプソの意匠を用いたトロピカルな質感が主張してくるなかで、ムードだけの音楽に堕さない緻密なオーケストレーションが実に頼もしい。さらにそこからは、ミキシングやマスタリングへのこだわりさえうかがえる。先行シングルをアナログでリリースしてきた情報を抜きにしても、6曲目「アクアリウム」で聴かせるスティール・パンの重層性を前にすれば、技巧凝らした編集であることは明白だ。各トラック間で乱反射される音の細かな粒子は、掴む、練る、織り込むといった工程において、どれも難産だったに違いない。また、付随するメロディーやリズム、ハーモニー、それぞれが触発し合い同時に生まれてきたかのようなマジックに対しては、“可聴周波数の及ばない範囲で、巧妙なテクニックが使われているのか”などと、つい考えを巡らしてしまう。この想像喚起力の高さこそ、名盤の証だ。そして、ラストを飾るのは、スタンダード・ナンバーとしても知られる讃美歌「アメイジング・グレイス」。サイケデリックで壮大な様相が、傑作アルバムであることに容赦なくダメを押す。
一応、触れておくこととして、今作のタイトルは68年に発表されたデビュー・アルバム『ソング・サイクル』が、複数、そして過去へと形を変えたものである。似て非なる箇所には、コラージュされた空間演出が挙げられるだろう。今作において、その役割を担っているのはSEでなく楽器の鳴りだ。生きた音が複合的に絡んだ効能は、時代を股にかけアプローチしてきたバロック風ウォール・オブ・サウンドの結実に繋がったと言えよう。
さて、エンターテイメントへのあくなき向上心と好奇心は、齢70にして最高潮にあるとみた。そうした野心が連鎖し続ければ、ポップ・ミュージックは発展していくということも改めて感じている。奇才な面と鬼才な面を機才なまでに融和させたキャリア集大成とも呼べる渾身の力作。堂々たるその描かれた世界に感服だ。 (肥後幸久)
今やニューヨーク・ブルックリンの至宝ともいえるインディ・ロック・バンド、ヴァンパイア・ウィークエンドが放つ3枚目のアルバム『modern vampires of the city』。制作にあたってのテーマとして「宗教」「アメリカ」「成長」などいくつかのキーワードが挙げられており、霧が立ち込めるNYの光景をモノクロで映したジャケット写真や、各所で例えられる「オーガニック」という言葉が主張するように土着的な作品であることは間違いない。しかしそれ以上に私は本作をコンセプト・アルバムの一種なのだと感じている。
1stのようなアフロ・ビートのパーティ感覚、2ndのようなポップさと重厚感はややフェード・アウトしていき、本作で行き着いた先はピアノやオルガンを効果的に取り入れた、抒情的でよりシンプルになったサウンドだ。インタビューでは「過去の自分たちにサヨナラするアルバム」と語られているが、サヨナラというほど大きな変化はない。だとすれば、彼らの歩みを進めつつも、これまでとは一歩離れた点に位置するアルバムなのではないだろうか。
さて、そんな本作はいったいどんなコンセプトを持っているのか。私は新生バッドマンの映画3部作「ダークナイト」シリーズを想像している。ヒップ・ホップ・グループSouls of Mischiefの「Step my girl」を引用したという「step」の退廃感や、旧約聖書の神「Yahweh」をもじったとされる「Ya Hey」の、<全てのカメラとファイル/全ての陰謀理論者/秘密の経歴の/緊張と恐怖が入り交じる>という歌詞から感じるマスコミや社会の攻防戦。「Hudson」のコーラスとストリングスに染みこむスネアの響きなど、その気難しさは映画の緊迫感そのものだ。そもそも「ヴァンパイア」という存在は、日常の表面からは見えない存在であり、悪役・ジョーカーの手で日常の裏側から平穏が脅かされていく様を描いたこの映画のシリアスさによく混ざり合う。余談だが、舞台であるゴッサム・シティはアメリカ西海岸にあるという設定の架空都市であり、場所も決して似ていないことはないだろう。
いくつか先述している通り、本作は歌詞楽曲ともに細かな引用で溢れている。いちいち挙げればきりがないほどの考察は、インターネット上でも盛り上がりを見せている。しかし今回私が「ダークナイト」に例えたように、引用やオマージュを抜きにしたとしても、間口が広く多様な考え方で溢れている作品なのだろう。リリース後のフジロック・フェスティヴァルでのパフォーマンスを含め、彼らが今年を象徴したのは間違いない。 (梶原綾乃)
個人的に今年の海外インディーシーンはストライプスなどの60年代のリヴァイバル、ワイルド・ナッシング、ウォッシュト・アウトを初めとしたチルアウト、チーム・ミーなどのおもちゃ箱をひっくり返したようなサウンドの3つを主流としていたと思う。だが、そのどれにもあてはまらずに独自の路線を走っていた ヴェロニカ・フォールズの『Waiting For Something To Happen』はひときわ輝いていた。まさに今年のベストディスクといっても過言ではない。
「Tell Me」はギターやベースのラインがどことなくヴェルベット・アンダーグラウンドを彷彿とさせるイントロだ。その後、ヴォーカルRoxanneの儚く凛々しい声が疾走感あるメロディーに乗せられている。ベースの進行やリズムは一定ではあるが、単調ではないギターのメロディーが、終盤フェイドアウトしていくヴォーカルなどを支える上で飽きの来ないサウンドを作り出している。「Teenage」はギターの明るくポップな曲調とは裏腹に、逃避行の後に去っていく人へと向けられた歌詞観だ。ジョイ・ディヴィジョンの「Love Will Tear Us Apart」のように手元を離れていく愛の終わりの哀しみを歌ったあの曲の切なさに近い。終盤の〝It’s All Light〟と何度も歌詞にあるのは、相手に自分の心配をかけまいというところだろう。言葉が違っていても歌詞の意味がわからなくともこの曲の切なさは伝わってくる。表題曲「Waiting For Something To Happen」は軽快でスピード感あるメロディーが印象的で、アルバムの中で軸になっている曲である。ベースやドラムなどのリズムも、ギターのラインなども特に変わったことはしていない。コーラスの掛け合いやヴォーカル、ギターの重ね方がシンプルに作られており、一度聞くだけで覚えられるような鮮明な曲だ。1分48秒からそれまでの明るくキャッチーなメロディーとは一変してトーンダウンし、助走をつけ一気に華やかに締めくくられる。一筋縄ではいかない曲の構成にもこだわりを強く持つ姿勢が窺える。
彼等がシーンの主流に乗らず、ひときわ輝いていたのは自分たちが良いと思ったものを突きつめてこだわりを持って活動しているからだろう。そして、ヴェルベット・アンダーグラウンドなどをはじめとしたそれぞれの時代のロック・ミュージックの影響を感じ取ることのできるバンドでもある。影響を受けた音楽を自分たちなりに咀嚼し、作品を生み出している。曲構成はシンプルで、特に変わった編成をしているわけでもない。だが、フィーリングを一番に大切にし、周囲の影響に左右されない姿勢を各国のインディーシーンが迎え入れていることはとても喜ばしいことである。こうしたオリジナリティ溢れるバンドが出てくることに来年は期待したい。
(中畑琴絵)

女性の性格は1ヶ月で4回変わると言われているが、まるでそのドロドロとした黒さと、それを少し隠し、落ち着いた白さの両極端を描いたような作品として、『透明なのか黒なのか』と『ランドリーで漂白を』があった。それらは、2012年2月15日にメジャーデビューした赤い公園が、同年10月9日からの津野米咲(Gt)の体調不良による活動休止以前にリリースした2枚のミニ・アルバムである。じっとりと陰鬱な雰囲気とポップな気怠さをはっきりと二つに分けることはせず、グレーゾーンまで行ったり来たりする曲がそれぞれに収録されている。その両方を聴いたら彼女たちの掴みどころの無さに戸惑い、惹き付けられた。
その後、約半年の活動休止を経てリリースされたのがファースト・フルアルバム『公園デビュー』である。それまで持っていた戸惑いが、彼女たちの引き出しの多さに対する安心と期待に変わった。アルバムのリリースに先立ち、シングルとして発表されていた4曲目の「交信」は、時間の流れとともに、滑らかなピアノの音に歪んだギターが絡み付いたり、ざわざわとした雑踏音が重なったりしていく。クライマックスに向けて、深い霧が晴れ、明るく陽が差してくるようなドラマチックな展開をみせるのだ。活動休止を経て、赤い公園の物語がもう一度始まったことを告げるのにぴったりな曲だ。
アルバム全体を通して、彼女たちに作れない曲などないのではないかと思わせるほど、様々な面を見せている。ピアノとヴォーカルだけの繊細な曲から、〝ザ・ギターポップ〟といった雰囲気の曲、童謡チックな曲、勢い良く駆け抜ける力強い曲。それぞれが強い存在感をもっている。そこから、何かに縛られることなく、自由にやりたいことをやるという並々ならぬ決意が感じ取れるのだ。メンバーそれぞれが好んで聴いてきたものが、クラシック、アイドル、ヘヴィ・メタルなど幅広いものであるからこそ、予測不能な新しいジャンルとしての赤い公園の存在があり、これからもリスナーの想像を良い意味で裏切り続けてくれる予感がする。
このアルバムは、今までリスナーが赤い公園に持っていた印象をガラリと変え、本当の〝赤い公園デビュー〟をさせてくれる。沢山の見たことのない遊具がそこにはある。そして、〝我々は未来から集合がかかっている〟と歌う彼女たちは、まだまだ色々と隠し持っているはずだ。
(佐野慧理)
元太平洋不知火楽団のメンバーであり、笹口騒音ハーモニカ名義でソロ活動もしている笹口騒音。彼を中心に結成された5人組、うみのてによる1stフルアルバム『IN RAINBOW TOKYO』は、現代人の抱える狂気を荒々しいサウンドで表現しながらも、どこか客観的な視点を持ち、ユーモアすら感じさせるアルバムである。
冒頭「TALKING BABY BLUES (HEY BOY HEY GIRL)」から、〝いかれちまった気分はどうだい〟〝新しい戦争を始めよう〟〝もはや平和ではない〟と挑発的な言葉が投げかけられるそばから、USオルタナ直系のノイジーな音世界が広がる。高野P介のソリッドなギター、円庭鈴子のグロッケン。それらが不穏な空気感をよりくっきりと演出していく。うみのて流キラー・チューンといってもよい「WORDS KILL PEOPLE (COTODAMA THE KILLER)」では〝俺は今日、人を殺したよ〟という強烈な言葉とともに、アルバム前半で最大の盛り上がりをみせている。
しかし、このアルバムの真骨頂はここから始まるのだ。続く、「三億年」「ぐるぐる回る」から始まる中盤では、音はサイケデリック感を増し、歌詞は物語性をより強めている。アルバム前半で感じられた、〝現代社会に物申す〟といった怒りを含んだトーンはここには全く感じられない。自分たちはどうしようもない現代社会に生きる一員であり、狂おしいほど〝あなた〟を求めてしまう様――その様子を冷静沈着に、ユーモアすら交えて表現しているのだ。また、「SUICIDAL SEASIDE」~「SAYONARA BABY BLUE」の流れは、まるで1本の美しい映画を観ているかのようでもある。こういったミドルテンポの曲が、うみのてというバンドを〝ただのラウドなバンド〟以上のオリジナルな存在に引き上げているのではないだろうか。そして、アルバム後半では再び不穏な空気感が戻り、「東京駅」「正常異常」といったキラー・チューンが並ぶが、やはり中盤のサイケデリック感をスケールアップした「ATOMS FOR PEACE」~「RAINBOW TOKYO」の流れが狂おしいほど圧巻である。
ライヴでは笹口騒音の激しいパフォーマンスばかり注目されがちだが、彼のMCを借りて言うなら「あなたたちを酔わせてあげる」タイプのミドルテンポの曲で、しっかりと聴かせることができる。そんなうみのてというバンドの底力を余すことなく、緩急つけて注ぎ込んだ、これ以上ない完璧な1stアルバムが『IN RAINBOW TOKYO』なのだ。
(野津真澄)
「清竜人は変わってしまった」「変人だ」、あるいは、「何を考えているか分からない」――彼は年を重ねる度にそう言われてきた。確かに見た目は毎年衝撃的なくらい変わり、同一人物とは思えない。だが、彼は本当にそんなに変わってしまったのだろうか。私はそうは思わない。清竜人は常に自分の中にある概念の中で進化しているように感じるのだ。
「LOVE&PEACE」や「The Movement」は歌のメロディーラインに合わせ打楽器やフルート•シンセサイザーなどの楽器が鳴り、昨年発表されたアルバム『MUSIC』に続きミュージカル感を漂わせる。それが表すように『WORK』全体の曲を通して音符の一粒一粒が積極的に前に出るような、インストゥルメンタルの意識が強い楽曲になっている。だからこそ、このアルバムではラップ調の歌い方やしゃがれた声、叫び声など手段を選ばないのである。今までは曲を聴く限り「痛いよ」や「ヘルプミーヘルプミーヘルプミー」のような悲痛な叫びや伝わらないわだかまりが直接言葉として多く表現されていた。それとは対照的に「All My Life」では光が差す湿った森で歌っているような音楽が生む雰囲気やオーラを伝えたい、という気持ちを感じることができる。
そして、『WORK』で特に違う顔として見せているのは音楽が破壊的になったということだ。ここの部分に多くのファンが驚かされたであろう。なぜなら清竜人と言えばアコースティック・ギターやピアノを中心に展開している楽曲が多いからだ。例えば「Microphone is…」ではノイズかかった重めのドラムや激しいエレキギターが全面的に押し出され、ハード・ロックのような印象を受ける。これは歌詞で今まで表現していた叫びやわだかまりを音楽で直接表現できるようになった、つまり、音楽を『WORK』として真剣に向き合い続けた結果なのだ。
今回の作品を含めても、クラッシックともポップスとも言いがたい独特なピアノ展開や誰にでも分かりやすいメロディーラインは清竜人にしか出せないセンスがある。確かに音楽の方向性は広くなり表現方法も変わってきた。しかし、それは彼が清竜人であり続けるための進化である。このアルバムにおける音楽性の変化は、自分の伝えたいことを更に表現できる力を身につけた証なのだ。変化のない人間なんて面白くない。そう思わせるには十分すぎるほどの作品であった。(仲本光里)
実力派アーティストが〝徹底的にふざけた〟バンドを組んだら、多彩な音とウィットに富んだ黒い言葉の飛び交うグリッター・ヒップホップ・プログレサウンドが出来上がった。indigo la Endでもフロントマンをつとめる川谷絵音のもと集まった4人組、ゲスの極み乙女。はそんな複雑な音を敢えて全力でかき鳴らしている。しかも優しいようでトゲのある声に乗った歌詞は短い音符の中にぎっしりと詰め込まれ、実験的楽曲の中で異様なフィーチャーを一身に受け止める。
アルバムの幕開けは〝ヒップホッププログレバンド〟と言われる所以ともとれるゲスの極み乙女。を体言するセンチメンタル・ポップ。美しくも挑戦的なピアノの旋律に導かれベース・ドラムが必要最低限の音で重なり合う。全体的に低いトーンで進行する楽曲に高い音程のヴォーカルが全ての音に蓋をするようにまとめあげている。感情を押さえ妙に淡々と聞こえるリズム隊に対し、音の彩を添えるのはクラシック調に響くピアノ。1曲目から作品の完成度の高さを窺わせる象徴的な曲である。
最後を締めくくる「ドレスを脱げ」はメロとサビのコントラストこそ薄いものの、冒頭からエンジン全開、全員の音が聞こえてくるダンス・チューン。印象的なキーボードによるリードがある点では1曲目「ぶらっくパレード」と似たような構成に感じられるところもあるが、何かとキラキラ聞こえるギターとドラム、攻撃的なベースはさすがのテクニック、そして終盤のスキットは完全に〝おふざけ〟パートである。彼らのコンセプトが曲中で如実に表現された1曲と言えるだろう。
彼らの〝ふざけた〟とは音楽そのものを蔑ろにするものではない。音だけで言えば軽さと重さで対極を成すヒップホップとプログレ。それをごった煮にしているから曲の展開はほとんどの局面で予想しない方向に進んでいくが、一音一音は作りこまれ洗練されているので聞いていて無理を強いられることはない。そこへ乗る歌詞はといえば自分たちも含めあらゆるものをゲスと貶め、人間のダークサイドを露にする〝耳が痛い〟〝気づかされたくない〟表現が続く。そんな中でも音楽には真摯に向き合い音を練り紡いでいる。突拍子もない音楽を組み合わせてオリジナリティを生成させているところへゲスという目を背けたいようなものばかりを切り取る歌詞でリスナーの期待を心地よく裏切る彼らは徹底的にふざけている。〝副業〟で組まれたこのプロジェクト。彼らの真面目な本業とあいまってどのような進化が待っているだろうか。
(内田小夜子)


元相対性理論のメンバー、真部脩一と西浦謙助が所属する謎のバンド、進行方向別通行区分。これは真部と西浦が相対性理論参加以前から活動していたバンドで、05年から現在に至るまで年に数回のみ。それも突然のアナウンスで不定期にライヴを行っていた。ところが某メンバーの生活事情により活動が止まってしまうのではないか、という噂がファンの間で広がっていた。そんな不安を抱えて迎えた13年、GW直前に再びライヴ開催のアナウンスが飛び込んだ。しかし今度の名義は「古都の夕べ」。一体何事かとTwitter上を騒然とさせたのは記憶に新しい。
古都の夕べは進行方向でヴォーカルとギター担当の田中、同じくギター担当のくそねじ(正体は真部脩一)の2人が展開する打ち込みのユニットグループ。田中はヴォーカルのみに徹し、真部は楽曲の「再生」(「演奏」ではないのは、iPodでトラックを流すだけのため)を担う。そしてライヴではカラオケ状態で曲を垂れ流し、ねりねりとステージを徘徊する。進行方向の残りメンバーであるドラムの西浦、ベースのアンソニーはこちらでは関与していない。といいつつ、8月に行われた生演奏編成ライヴでは何事もなかったかのように参加している。
進行方向では、どの楽曲も2分~3分という比較的短い演奏時間のなか、メロからサビに当たる流れが固く結びついた構成になっていた。この傾向は古都の夕べでもまったく同じで、バンド・サウンドから打ち込みへと置き換えたために、各楽曲で大きく色あいの変化を見せるようになった。ドラムンベースのごとく禍々しい低音を響かせるかと思えば、童謡のようにまろやかなポップさを見せることもある。あえて曲全体の流れは変化させず、音の味付けのみで一気にジャンルの幅を広げている点からは、アレンジ力の高さがうかがえる。バンド編成からエレクトロな構築へと移り変わった、相対性理論への対抗もしくはアンチテーゼにも受け取れるのは考え過ぎだろうか。
会場限定で発売された本作『ひゅーひゅー町はずれ』『飛脚はいい線まで行った』は2枚に分かれているものの、そもそも楽曲1つ1つがある程度独立しているため、そこまでコンセプト性は強調されていない。むしろ2枚併せて30曲もの大ボリュームで収録されているため、休憩のクッションを挟むために分けたようにも考えられる。進行方向の最終ライヴからたった半年の期間で、ここまでの楽曲量を発表してしまうのだから、とんでもない生産力である。 (高橋拓也)

山下達郎やユーミンのベスト盤発売からceroなど東京インディの台頭まで、シティ・ポップという言葉が音楽シーンを象徴した2012年。それから1年後の本年はいかがだろうか。tofubeatsや一十三十一などで、その風潮は盛り上がりを続けている一方、便利に使われる”シティ・ポップ”の文字に正直うんざりしているリスナーもいるかもしれない。筆者もそんな違和感を抱いていた頃、同じくシティ・ポップと捉えられる33人組ポップ・バンド(((さらうんど)))の1年ぶり2枚目のアルバム『New Age』の持つ”音の魅せ方”に心を掴まれた。
今作は、アイラビューなんて言えちゃうベタでわかりやすい恋愛ソングにあえてフォーカスした全10曲。前作の12インチでRemixを担当した砂原良徳を筆頭に、澤部渡(スカート)、荒内佑(cero)らが参加。ディスコから昨今のチャンポン・ミュージックまでを11本線でつないだようなゲストではあるものの、鳴らされているのは山下達郎やTM NETWORKなどを咀嚼した80’sテイストのディスコ・ポップス。そしてなんといっても特筆すべきは鴨田潤(vo,gt)のロジカルなヴォーカリゼーションだ。
「“いま、唇からもれた”って歌詞からはじまるんだけど、“い”のもともとの語感だとちょっと弱いかなと思って、“い”にイントネーションを置いて、強く発音したりしてますね(「Swan Song’s Story」)」「“放課後のような街角を泳ぐ”は“ほ”ではじまるにはすこし間抜けな感じがしちゃう……(「Neon Tetra」)」などとインタビューで語っているように、発音の強弱、譜割り、イントネーションに非常に気を使っていることがうかがえる。こういった計算に鴨田の渋く平坦な歌声がうまく乗っかっていくと、秘められていた色気が次第に聴き手へと開放されていく。前作収録の「夜のライン」の延長線上にあるようなリード・ナンバー「New Age」は、シャッフル・ビートと戯れるかのような促音や音の余白が効果的で、その歯切れの良さにダンス・ミュージックとしての快感を覚える。
(((さらうんど)))が、シティ・ポップとは切っても切れない関係の音楽性に位置するのは間違いないが、この艶めかしさは、もはやシティ・ポップとは別の位置を目指して進んでいるのではないかと思う。いかに”聞きやすさ”と”色気”を引き出すことができるのか。そんな挑戦で溢れている今作だからこそ、今年のベスト・アルバムに相応しいと考えている。シティ・ポップにうんざりというより、期待するしかなくなった。 (梶原綾乃)
3年3か月。永遠のように長い、とまではさすがに言えないものの、ファンの期待と不安を高まらせるには十分な時間ではあるだろう。そんなリスナー待望の4thアルバム『TOWN AGE』。3年の間、主要メンバーの脱退を経て、ソロ名義や、楽曲提供などそれぞれのフィールドで活動してきたメンバーが見せる相対性理論が、満を持して発表したアルバムだ。まず、歌詞に入った瞬間に驚いた。歌声に顔があった。前作までは、ヴォーカルやくしまるえつこのキュートなウィスパー・ヴォイスから、どこか無機質さが感じられ、それが楽曲の中毒性につながっていたように思うが、今作では、一曲目の「上海an」から、明らかに声から表情が想像できた。少し浮いたところにある相対性理論が、同じ目線に降りてくるように感じる瞬間のあるアルバムである。
メンバー変更によってか、以前と比べ、ティカ・α、こと、やくしまるえつこの作詞の曲が多くなっている今作は、以前のような、少し宙に浮いたような不思議な言葉遊びの中に、風刺の効いた歌詞が目立つ。「YOU&IDOL」の〝キスしたいなら 貢いじゃってね〟など、ひやっとするトゲのある醒めたフレーズに、はっとさせられる。そんな風に、歌の印象が強くなったのは、楽曲の変化にあるように思う。今作では、アルバムを通して様々な楽器が使われており、より多彩なアレンジがされていて、曲と歌の間にはっきりとした差異が表れている。歌ものの印象の強い、今までより、一歩リスナーに近づいたアルバムとなっている。
このアルバムは、上海から始まる。帝都モダンでの、白い東京のシンボルタワーとはエッフェル塔のことだろうか。最後には、東京・多摩のニュータウンを歌っている。相対性理論は放浪の旅をしているのかもしれない。以前インタビューで、「『TOWN AGE』に記録されているのは相対性理論の何か?」という問いに、やくしまるは、「報告です。」と答えていた。『TOWN AGE』は、相対性理論の放浪の報告なのかもしれない。(本田瑞希)

完全セルフプロデュースの〝初期3部作〟を経て発表した前野健太キャリア4枚目『オレらは肉の歩く朝』はプロデューサーにジム・オルークを迎え、またレコーディングにはジム・オルーク、石橋英子、須藤俊明から成る前野健太とソープランダーズや、前野健太とDAVID BOWIEたちに加え、更には波多野敦子、山本達久と豪華な面々が参加した力作である。よって表現の幅はぐんと広がり多彩な表情を見せているが、一貫して根底にあるのは震災への眼差しである。震災から早3年が経とうとしている今、まるで震災前の日常を繰り返しているかのように何かを忘れたふりして生きることの勧奨と、一方でそれでもやはり未知数な放射能のなかを当たり前のように呼吸する不気味さとの同居が本作では成されている。
その名の通りコカ・コーラを思い出すような、鮮やかな炭酸の刺激のように弾けるギターが特徴のポップチューン「国家コーラン節」で幕を明ける本作。「伊豆の踊り子」では春の陽気に包まれたふたりの小旅行を描き、また「看護婦たち」では人生を諦観してしまったような看護婦の独り言を拾い、焦点を人間単位に絞った楽曲が続く。しかし表題曲「オレらは肉の歩く朝」以降は雰囲気を変え、「ジョギングしたり、タバコやめたり」では寝起きのようなのんびりとした弾き語りで〝ホーシャモーは見えない〟〝モーシャノーは感じない〟と歌いながら突如侵入する不気味なヴァイオリンのストリングスがそれまでの風景に闇をもたらしている。
〈TOWER ROCORD ONLINE〉に掲載されているインタビューファイルにて、本作のタイトル『オレらは肉の歩く朝』について前野自身こう答えている。「ある朝、通勤で駅に向かう人を見ていたら、人間じゃなくて肉が歩いてるって思ったんです。そのとき、自分のなかで何かが弾けたんですよ、いまの時代を表すのはこれじゃないかって。その理由を細かく説明することはできないんですけど、だからこそタイトルにすべきだと思ったんです。震災以降、まだ東京にはヤバい空気が漂ってるのに、それをキャッチーな言葉で表すなんてできない。言い切れない感情こそ、もっと出していかないといけないんじゃないかって。」
アメリカの天文学者、カール・セーガンの「人間のからだを、単純な物質に還元したときの値段は1~10ドル」という主張を思い出す。もちろん水と炭素とたんぱく質の塊が芸術を生むわけでも、発明をするわけでもない。しかし今この時代を生きるには、思惟や理論よりもむしろ〝生きるために生きる〟野生動物のように、歩く肉体の如くただ前進することの方が大切なことなのかもしれない。ジムとの共同作業により新たな境地へと踏み込んだ前野健太は〝今〟最も聴かれるべき音楽を鳴らしているのだ。 (藤枝麻子)
・内田小夜子
ブリットポップとスウェディッシュポップを愛する懐古趣味な会社員。そんな私の趣味に鮮やかな色を添えたのはキノコホテルでした。それでも一番聴いたのは初レヴューのサヴェージズ。かっこいい女たちにやられた一年でした。
【ベストディスク】
Kinoco Hotel『La Contre-Attaque de Marianne』
CHVRCHES『The Bones Of What You Believe』
Savages『Silence Yourself』
Cults『Static』
Baby Shambles『Sequel to the Prequel』
・梶原綾乃
大学4年。OTOTOYやリアルサウンドに寄稿しています。本年はまだまだアクティブな東京インディシーンとアイドルシーンの面白さを見つめながらも、フジロックやボロフェスタを通じて視野を開拓した1年でした。
【ベストディスク】
the chef cooks me『回転体』
奇妙礼太郎『仁義なき恋愛』
HOTEL MEXICO『Her Decorated Post Love』
Chvrches『The Bones of What You Believe』
The Strokes『Comedown Machine』
・小泉創哉
@tommysoya ついにこの世に生を受けて20年。今年はレジェンドのライブに多く参戦し、リンダⅢ世で初めてアイドルに深くハマりました。笑えない世の中になりつつも、少しでも希望をこれからも見つけたい。
【ベストディスク】
Jake Bugg 『Shangri la』
Chvrches『The Borns Of What You Believe』
Rhye『Woman』
CSS『Planta』
Hanni El Khatib『Head In The Dirt』
・小林翔
1月にでんぱ組のワンマンで涙したのは遠い昔。5月に新潟のがらがらのクラブで見たEspeciaに踊り狂わされ、9月の青森のプロレスリングの上で歌うNegiccoの肩甲骨を眺めていた1年。
【ベストディスク】
泉まくら『マイルーム・マイステージ』
Negicco『Melody Pallette』
HOTEL MEXICO『Her Decorated Post Love』
OGRE YOU ASSHOLE『confidential』
Especia『Taste of Spice』
・坂本哲哉
今年も音楽には思う存分楽しませてもらった1年でした。それ以上でもそれ以下でもない。あと例年以上に12インチを買いまくった1年でもありました。もっと踊りたい。
【ベストディスク】
Torn Hawk/Black Deer『Born To Win (Life After Ghostbusters)/Apex Break』
Powell『Untitled』
Felix K『Flowers Of Destruction』
goat『NEW GAMES』
Rashad Becker『Traditional Music Of National Species Vol.1』
・佐藤優太
1985年生まれ。千葉市美浜区。ゼロ年代のオルタナやインディを根っこにポップ・ミュージックについて書いたり考えたり。レビュー担当の2枚はもちろん最高ですが、ここでは今誌から選外となったものの中から5枚びました。
【ベストディスク】
Arcade Fire『Reflektor』
Kelela『Cut 4 U』
Drake『Nothing Was The Same』
Julia Holter『Loud City Song』
Arca『&&&&&』
・佐野 慧理
asatte初参加の大学3年生です。聴かず嫌いは勿体無いと感じることの多い1年でした。ちなみに今年最も印象的だったのは、a flood of circleの「プシケ」のライヴ音源が現メンバーによって更新されたことです。
【ベストディスク】
ドレスコーズ『バンド・デシネ』
赤い公園『公園デビュー』
清竜人『WORK』
ふくろうず『テレフォンNo.1』
tricot『THE』
・新郷洋平
今年は、全国発売の音楽雑誌を制作したり、フリーペーパーの制作に携わったり、数多くのライブに参戦したり音楽と密接に関わった1年間でした。今後は細々と音楽ライターの卵としての活動を継続していきます。最近は関西のバンドシーンが気になって仕方がありません。
【ベストディスク】
忘れらんねえよ『空を見上げても空しかねえよ』
LITE『INSTALLATION』
THE STRYPES『SNAPSHOT』
SAM CROWE GROUP『 TOWARDS THE CENTRE OF EVERYTHING』
TRAVIS『WHERE YOU STAND』
・高橋拓也
ギャング・オブ・フォー来日に号泣し、セックス・ギャング・チルドレン日本公演決定に咽び泣き、エスブレンド―・ジオメトリコのランスと嗚咽を漏らし飛び跳ねた涙腺ゆるふわ大学生。性根捻じ曲がり懐古主義者です。
【ベストディスク】
Melt Yourself Down『Melt Yourself Down』
404『1』
esplendor geometric『Ultraphoon』
David Lynch『The Big Dream』
Omar Souleyman『Wenu Wenu』
・豊島雄太
2013年1月までThe Levee BreaksとゆうバンドでVocal/Guitar 作詞作曲をやっていました(http://www.youtube.com/watch?v=H6tjvJdFHK0)。バンドを解散させ、今年は人間活動に専念しておりました。ライター講座には11月からとゆう中途半端な時期から参加させて頂き、右も左もわからない状態です(笑) 来期からどうぞ宜しくお願い致します。
【ベストディスク】
Deerhunter『Monomania』
Nine Inch Nails『Hesitation Marks』
my bloody valentine『MBV』
Queens Of The Stone Age『...Like Clockwork』
downy『第五作品集』
・中畑琴絵
独自の路線を行くあのレコード屋さんで修行中。海外問わずインディー系のバンドとビールが好きです。
【ベストディスク】
Veronica Falls『waiting for something to happen 』
みなとまち『oneway trip』
OGRE YOU ASSHOLE『confidential』
Daft Punk『Random Access Memories』
スカート『ひみつ』
・仲本光里
私は沖縄出身で今は横浜の大学に通っています。アカペラと軽音サークルに入って演奏しています。コンサートに週に1度行くのが好きです。ポルノグラフィティとMr.Childrenのファンです。
【ベストディスク】
クリープハイプ『吹き零れる程のI、哀、愛』
清竜人『WORK』
それでも世界が続くなら『僕は君に武器を渡したい』
さめざめ『さめざめ問題集』
SHISHAMO『SHISHAMO』
・野津真澄
某CD販売店勤務。洋邦インディー好き。最近レコードプレーヤーを購入したことがきっかけで、休日はレコ屋巡り多し。でも何だかんだ言って、ポップな音楽も大好き。
【ベストディスク】
うみのて『IN RAINBOW TOKYO』
SuiseiNoboAz『ubik』
みなとまち『ひかりのまち』
サカナクション『sakanaction』
Veronica Falls『Waiting For Something To Happen』
・肥後幸久
1983年鹿児島生まれ。現在、東京都小平市在住。昨年に引き続きの参加です。対象への批評という体裁ですが、自分の思い出作りとして楽しく書かせて頂きました。 誰かに面白がってもらえれば嬉しいです。
【ベストディスク】
M.I.A『Matangi』
豊田道倫『m t v』
Elvis Costello & The Roots『Wise Up Ghost』
Van Dyke Parks『Songs Cycled』
Mayer Hawthorne『Where Does This Door Go』
・藤枝麻子
今年はCDウォークマンを購入し毎朝直感で選んだ一枚をその日一日がかりで聴くという自分で設けた企画に大ハマりした年でありました。今年も新しい音楽に沢山出会えましたが来年こそはアイドルに手を伸ばしたいと思います。
【ベストディスク】
前野健太『オレらは肉の歩く朝』
(((さらうんど)))『New age』
カメラ=万年筆『bamboo boat』
青葉市子と妖精たち『ラヂオ』
嶺川貴子 &ダスティン ウォング『Toropical Circle』
・本田瑞貴
文学部の大学2年生で、普段は高田馬場にある10°cafe(@10docafe)で働いています。いろんな角度で音楽に触れることができるようになればいいな、と思い講座に通っています。来年の目標は、洋楽の知識を広げる!ことです。
【ベストディスク】
RA RA RIOT『Beta Love』
星野源『strenger』
ペトロールズ『DICE』
EGO-WRAPPIN'『steal a person's heart』
相対性理論『TOWN AGE』
・水野里香
本職は高齢者のリハビリテーションの仕事。友達の音楽活動の応援を機に、音楽をどんなふうに言葉で表現したらいいのかなとの興味から、ライティングをはじめました。ライター講座でいろんな曲にふれることで、最近は医療の切り口からも音楽を掘り下げてみようと思っています。
【ベストディスク】
相対性理論『TOWN AGE』
Daft Punk『Random Access Memories』
Babi『Botanical』
Vampire Weekend『Modern Vampire Of The City』
Arctic Monkeys『AM』
・紋次郎
自称ライブヲタクです。次回のライブまでの参考にする以外、CDはほとんど買いません。ヒット曲に魅力を感じなくなってしまい、多くの人が「なんじゃ、これ?」と思う音楽を求めてあちこち彷徨い歩いています。
【ベストディスク】
今年発売のディスクは、何ひとつ買っても聴いてもいません。
故あって、曽我部恵一の『超絶的漫画』だけは聴きました。
これは気に入りました。
・ヤマモトリュウジ
某楽器メーカーに勤める傍ら、インターネットを使った、音楽文化の共有について考えたりしています。文章というフォーマットを使って、音楽を知るためのハブを作っていきたい。
【ベストディスク】
Daft Punk『Random Access Memories』
Arctic Monkeys『AM』
King Krule『6 Feet Beneath The Moon』
Janelle Monáe『The Electric Lady』
PRIMAL『Proletariat』
2013年9月18日 発行 初版
bb_B_00116762
bcck: http://bccks.jp/bcck/00116762/info
user: http://bccks.jp/user/120033
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp