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jacket

 材料と材料を組み合わせひとつの作品として統合するのではなく、それぞれの材料はそれぞれに無限であり続けているので、決して統合はできないあり方について述べた自作論。「無限」という迷宮から脱出するのではなく、その中で暮らすという事を、主にE・レヴィナスの著書『全体性と無限』からは物質としての作品に、如何にして人と対面する時と同じような「顔」を見出せるかどうかというテーマと、福本伸行作『賭博黙示禄カイジ』からはギャンブルにおけるコミュニケーション「通信」をキーワードに引き出し、読み解きながら人間も絶対に統合してはならないというあり方を模索した。

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MAXIMUM ART、
無限とともに生きる

Kiyoshi.Hasegawa

Kiyoshi.Hasegawa出版



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 目 次


長谷川清 研究作品1〜28

まえがき

はじめに

第一部 事件編 ワカラナイとはどういうことだったのか、ということ

 A 迷宮、あるいはワカラナイということ

  1 上昇する形、精神の向上

  2 エロティックシリーズ

  3 万華鏡

  4 ピンク、およびジョイント

 B 世界はカオスだということ

  1 無計画制作(1)まんが『へんたいまん』について

  2 無計画制作(2)無計画を計画するのか、それとも計画できないのか

  3 マキシマム・アート(1)カオス〈未知のもの〉

  4 マキシマム・アート(2)『This is an 海老kaleidoscope』について

 C 本物と偽物、あるいは似ているということ

  1 〈同〉と〈他〉

  2 一般的な「作品」「美術」への違和感

  3 似ているということ、迷宮

  4 〈偽物〉とムダ

 D 〈同〉と〈他〉、あるいは嫌だったこと

  1 ことば嫌い

  2 自由に感じる=無限のイメージ

  3 鑑賞者と表象(イメージ)

  4 ほんとうの〈他〉に出会うということ

第二部 解決編 これからどうしていくか、ということ

 A 迷宮とそのゴール

  1 迷宮のゴール

  2 ポジティブな〈同〉

  3 〈私〉が〈私〉であること、モナド

 B マイ・イデア モナド からマイ・カオスへ

  1 『あの日のことを忘れないように』

  2 2つの〈イデア〉と〈マイ・イデア〉

  3 通信から連帯へ 

  4 モナドから多産性へ

  5 エロス的関係=エロティックシリーズからマイ・カオスへ

 C 作品の〈顔〉と質

  1 海老ふイリヤ〜

  2 対面できる顔

  3 レヴィナスの作品

  4 結論

おわりに 最初から完成していた者の、成長の記録

第三部 とつぜんですが、さっきのつづき         On Impulse

  1 はじめに

  2 レヴィナスの作品

  3 ダブルセレクション

  4 相対主義に対して

  5 倫理について

  6 手に負えないものを目指すということ

  7 『アルファベットカレイドスコープ展』

  8 おわりに

あとがき












長谷川清 研究作品1〜28

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「分岐する道」

素材:御影石
作品解説:金沢美術工芸大学彫刻専攻に入学して、最初の作品である。石の彫り方も甘く、下手な造形だが、後に私の研究テーマの一つとなる。例えるなら人生の分かれ道は常にどちらかの選択を迫られるようであるがしかし、その選択肢はどちらかにしか行けないわけではなく、複数の道を同時に進行することができるという思考「ダブルセレクション」に気付くための第一歩であるため、作品の重要性を考慮してここに記しておく。

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エロティック2001〜勝利への叫び~ それでも俺は天を目指す

サイズ:h350×w90×d90cm
素材:鉄
作品解説:「成長したい」、「上昇したい」という精神の向上をテーマに、天へと伸びていく形を作ったものである。主に無作為に切り取った鉄板をこれまた無作為に貼りつけ、思い付きや直感に頼った制作であった。欲望のままに制作する作品を、エロティックシリーズと名付けたのもこの時代からである。言葉からの影響を酷く気にしていた。

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続・エロティック2003 ”Rシリーズ№7”2つの空もしくは昇竜もしくはドリルもしくは薄っぺらいただの一枚の鉄板もしくは絵画と彫刻の融合を計った実験もしくはゴミもしくはオブジェもしくは落書きもしくは静かな空の中で激しく暴れる手足の無い蛇のような尾の大きい竜もしくは…
結局のところ言葉はいらない。
Erotic 2003 to return"R series no.7"Twinsky or Rising Dragon or Rery thin-board or"painting & sculpture" or Dust or Object or Scribbling or The silent sky in theDancing-Snake-Dragon or...This is no name

サイズ:h270×w90×d90cm
素材:鉄にペイント
作品解説:作品は言葉で置きかえることはできないと強く考えていた頃の作品である。彫刻の定義とは何であるかを改めて考えさせられる起点となった。薄鉄板を加工し、それに「上昇」からイメージを得た龍の絵を描くというこれまでの形を探る制作から大きく離れた作品である。作品タイトルも、言葉で語ることを避けるため、敢えて読みつづけることがわずらわしくなるように工夫した。

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0-2-3-4-5を満たす為に

サイズ:h150×w150×d150cm
素材:鉄、ステンレス、紙、プラスティックス、CD、お菓子、玩具
作品解説:無限の世界を表現したくて鏡で覆われた世界である万華鏡の構造を取り入れて制作したものである。直径30cm、長さ150cmの筒に鏡を三枚はめ込んだもので、一般的な万華鏡のチェンバー(ガラスやビーズの入るケース)の中に日常のカオスを封入した。結果的に汚いジャンク品の束にスポットライトを当てた万華鏡を覗くにもかかわらず、きらきらと輝く中身とは対照的な映像を得ることになった。

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あの日のことを忘れないように、、、

サイズ:h1000×w3300cm
素材:布にデッサン、ペイント
作品解説:私は数年前の夏に交通事故に会った。トラックに飛ばされて意識が朦朧としているときに私は広大な花畑を見た。季節や気候に関係無く、ありとあらゆる花が一斉に咲いていたイメージを得た。その感覚を私は作品にしたいと思い、ワークショップとしてこの作品の制作を企画した。20cm四方にカットした布を地元の小学生(120人程)に配り、「それぞれの想像の花」を描いてもらい、私が植物デッサンをした幅1m長さ33mの垂れ幕に縫い付けて、越中八尾の駅に展示した。

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そして、またあしたへ

素材:ペンキ
作品解説:今日が終わって、また明日へと生きていく成長の思いを込めた作品である。民家の壁面(二階部分)に許可を得て制作したものであるが、数年後突然民家ごと作品が消えていた。龍はいつまでもとどまることはせず、空へと飛んでいってしまうということを作品に教えられた一枚である。

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This is pink mechanism

サイズ:h60×w2380×d238cm
素材:鉄、TVモニタ、カメラ、鏡、プラスティックス
作品解説:四方向から参加して鑑賞することができる万華鏡である。三方向に座った人がそれぞれのハンドルを回すと中央に取り付けられた五角形に鏡を組んだ万華鏡に、色セロファンで飾られた自転車の車輪が映り込み、中央上部に取り付けられたデジタルカメラがその映像をキャッチし、正面のモニタに映し出される構造となる。万華鏡の映像を見る者と、それを操作する者とに二分した作品でもある。

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This is pink mechanism 2

サイズ:h400×w90×d90cm
素材:鉄、TVモニタ、カメラ、紙、プラスティックス、CD
作品解説:前作から発展しシンプルに改良したもの。万華鏡のボディの部分を4mに延長し、内側には鏡のかわりにCDを敷き詰めた。内部で4色の電飾が光り、外のハンドルを回すと円柱が回転し、円柱内部に仕込まれたCCDカメラが映像をとらえて外部のモニタに映し出される仕組みになっている。尚、ピンク色の由来は、機械だが、機械ではない作品でありたいと願う作者の思いから、機械から一番遠いと思われる色としてピンク色を用いた。

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This is micro kaleidoscope

サイズ:h15×w10×d5cm
素材:鉄、ステンレス、プラスティックス、拡大レンズ、アルミニウム
作品解説:これまでの万華鏡制作シリーズは巨大であることを一般的な万華鏡から独立する要素の一つとして用いてきたが、上には上がいる事に気付かされる。「大地の塔」(愛地球博)を目にして渇望した私はその巨大さと多数の人が万華鏡の中に入り込むことによって同時に鑑賞できるシステムをカメラやモニタを使わずにして実現させていた構造に衝撃を受ける。その影響から可能な限り小さい万華鏡を制作し一人でさえも鑑賞することに困難な映像を見せる作品を目指す。その見えにくい映像は時として鑑賞者の想像を呼び起こし具体的な万華鏡の映像よりも深い無限のイメージを想起させるきっかけとなった。

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Jhony・Treasure

サイズ:h0.5×w5000×d5000cm
素材:ラインパウダー
作品解説:作品の完成は鑑賞者がそれぞれにおいて決めるというコンセプトの元で制作されたこの地上絵は、鑑賞者の立ち位置によって変化する。石灰で描かれたこの作品は、直後に台風の影響で姿を消したが、変わりに作品の儚さと、再制作の不可能性を思い知らされることとなった。絵柄は自作の漫画のキャラクター。

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This is small kaleidoscope

サイズ:h40×w300×d300cm
素材:鉄、モニタ、カメラ、CD
作品解説:小さい万華鏡のボディに巨大な回転するホイールを組み合わせたものである。直径3mの円盤を回転させると円盤上部に空けられた無数の穴をCDから反射した光が通り、宙に浮かせた小さい万華鏡と仕込まれたCCDカメラが映像をとらえ、モニタに映し出す仕組みになっている。一般的な万華鏡における中心の画のコピーが放射線状に広がる構造に比べて、この作品は、CDに当たる光の屈折により、光の色が無数に生まれ、結果的に、中心の画がコピーされない虹色の映像を得ることができた。

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Infinity Doragon

サイズ:展示場所によって変化する
素材:ペンキ
作品解説:この作品は廃校になる富山の木造小学校で展覧会をしたときのものである。取り壊しが決まった校舎の中に入り込む龍の頭と外(グラウンド)に出ると彩度が落ちる尻尾を描いた。龍は想像上の生き物であり、それぞれがそれぞれの龍を想像できるはずであるので、「上昇」というイメージに「無限」という言葉をつけくわえた。

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This is a c.kaleidoscope

サイズ:h6×w10×d0.7cm
素材:アルミニウム
作品解説:作品を言葉で置き換えたくないと考えた私はそれでもなおタイトル表示を探す鑑賞者の行動から、鑑賞者が必ず見るもの・タイトルの書かれたキャプションで作品として成立できないかと考えた。6cm×10cmのプレートに万華鏡的な仕掛けを取り入れ、キャプションを作品とした。中央に空いている穴を覗きこむと映像が見られるようにするとともに、突然穴が貫通し、向こう側の景色が見えるようにした。これは、鑑賞中に現実に呼び戻すことと、現実のわれわれが暮らすこの世界そのものこそが無限であり、万華鏡のようであるという意図が込められている。

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I.E.S.kaleidoscope

サイズ:h250×w120×d350cm
素材:鉄
作品解説:本物と偽物について考察した作品である。この車は本物の車とどう違うのか、なぜ違うのか、そもそも車の定義は何なのか、走るから車なのか、車だから走るのか、数々の疑問に対し選択するのは自分だということと、重要なのは選択するタイミングにあるという結論を導き出すことになる。そこから発展し作品における本偽を問いかける制作であった。

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This is a 迷宮kaleidoscope

サイズ:h0.3×w3000×d3000cm
素材:赤テープ
作品解説:迷宮は常に日常の中にあるというコンセプトで制作された作品である。30m×30mの赤タイルの床に、20cm程の長さの赤テープを3500個所貼りつけて大迷路を作った。日常の場として、石川県金沢駅の地下広場を使い多くの人が触れられるようにした。

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His idea is 2kl ices or mootPC 2-3-4-5-17-23-13-8-6-24-12-14-16-9-15-19-11-10-7-18-21-1-22-20

サイズ:h9×w9×d15cm
素材:鉄、ステンレス、プラスティックス、拡大レンズ
作品解説:最小万華鏡を制作するシリーズの作品で、各パーツを自作ではなく、金属加工業者に発注して制作してもらったものを組み立てたものである。安定感と見やすさを向上させたものとなっている。なお作品タイトルは暗号文であり、読み解くとThis is micro kaleidoscope 2 となる。

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例えばムダしか無かったとしても。もしくは、人とムダが与えられたとせよ。

サイズ:h200×w500×d500cm
素材:マット、鉄、スピーカー
作品解説:この作品の一番の特徴は「中心がない」ということである。それぞれがバラバラにジョイントされていて数々の仕掛けとともに鑑賞者に謎を問いかける。作者の思いを表現するというよりも、その場その場で思い付いたことを次々に追加し、本人でさえわけのわからないものを目指した。椅子に腰掛け、ハンドルを回すと色々な車輪が不定期に回りだし、遠くから映像を覗きこめるようにしてある。

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This is an enigma kaleidoscope

サイズ:h70×w60×d10cm
素材:紙、パステル、ペン、額縁
作品解説:謎をテーマに制作した。謎という言葉をenigma(エニグマ)とし、エニグマ→えにぐま→絵に熊…と連想し、熊の絵を描いた。この絵の中に数々の謎を描き込んだが、それらを解説することも正しく読み取ることも、どちらも重要ではないことをこの作品は問いかけてくる。

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This is an 海老kaleidoscope

サイズ:h150×w25×d25cm
素材:アクリル、ブロワー、ピンポン球
作品解説:長方形の台座の上部に取り付けられたボタンを押すと、台座の中に仕込まれたブロワーが作動し、空気を送りだし、台座上のピンポン球を宙に浮かせるという仕組みで、中に浮いて回転するピンポン球をアクリル製の透明な万華鏡で映像が得られるというもの。アクリルのAとブロワーのBをとり、「AB=海老」とした。

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へんたいまん

サイズ:A4判冊子(20冊)
素材:自由帳
作品解説:小学校中学年の頃(1987年)から描きだした漫画である。コマ数をカウントし、10000コマまで描き続けることを目指してノートに描きはじめるが、第22巻においてそれが達成される。しかし、漫画は日記のように、日常のメモのようにさらに描き続けられ、15000コマまで進む。現在も不定期に描き進めている途中である。へんたいまんとはなんとなくつけた名前だったが、後に変化する変態する(transform)というキーワードになってくる。私自身も常に変化し続けるという意味において、この語は重要な意味を持つ。そのうちの1~22巻(22冊)を2006年に発表した。)

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Gravityキャプション 
〜文字が重力で落ちちゃったシリーズ〜

サイズ:h6×w10×d0.5cm
素材:アルミニウム
作品解説:キャプションを作品とするシリーズで、作品も在り、キャプションも在り、キャプションも作品であるという混乱を招く作品である。本当のところはよくわからない。だが、良く分からないものだからこそ、何かを「何かだ!」と決めなければならない。

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This is a ラーメンkaleidoscope

サイズ:無限
素材:ラインパウダー
作品解説:二対のラーメンどんぶりから麺が飛び出し、龍に変化していくさまを地上絵に描いたものである。ラーメンの中は色々な具材や温かいスープがあるが、その中で満足しているのではなく、そこから外へ飛び出さないと行けない。現状からまた一歩踏み出すことを目標としている。作品サイズを無限としたのはそれぞれのイメージとしての龍は、計り知ることができないからである。

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海老ふイリヤ〜

サイズ:h100×w100×d300cm
素材:梱包段ボール、針金
作品解説:タイトルは「在るのに無い、無いのに在る」をテーマに「イリヤ」と「海老ふりゃ~」を組み合わせた造語である。梱包材の段ボール紙で何もない空間を包み込んだ作品である。作品は実在またはコンセプトのどちらかが必要であるのかを考えさせる作品であった。エビフライも龍と同様にアがる(揚がる)。

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ラーメン

サイズ:h6×w19×d19cm
素材:ナルト、メンマ、ねぎ、焼豚、麺、温かいスープ、塩胡椒
未発表作品平成19年7月
作品解説:これは作品とそれ以外のものの違いは何であるかを問いかける作品である。もしくは私が作ったものは何でも私の作品なのかという問いかけでもある。この場合、作品かどうかは鑑賞者ではなく、作者次第という意味合いが強いが、食べてしまい、自分の一部に吸収されてしまうものは、そうでないもの達と区別できるのだろうか。区別した上で、かつ境界線を取り除いてものごとをとらえていかなくてはいけない。昼食として食べてしまったので、発表はしていない。

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W.W.S.W.

サイズ:h60×w3000×d3000cm
素材:椅子、タイヤ、鉄、カラービニルテープ
作品解説:タイトルはワールド・ワイド・スカイ・ウェブの略である。意味は特に無い。巨大な回転する円盤を制作しようとするが、重量オーバー等構造上の欠陥が原因で回転せず失敗する。しかし、私はその失敗を成功とした。作品の完成は計画性とはまた別の次元だということと、できもしないことを「自分ならできる」とひたすら信じ続ける力と、同時にそれを壊して柔軟に観察する力の両方が必要だと感じさせた作品である。そうやって蜘蛛の巣のように触手を広げていくのだ。

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なんちゃって無題 ジョニーmeetsトランスフォームマンkaleidoscope三部作1/3、2/3、3/3

サイズ:h3×w87.5×d175.5cm、h3×w90×d180cm、h6×w88×d175.5cm
素材:アスファルトフエルト、発泡スチロール、木、鉄、モーター、レンズ、プラスティックス、ソーラー電池、
作品解説:和室の畳を剥がし、はめ込んだ作品。三軒の合掌造りの家にそれぞれ一枚ずつ展示し、そこに描かれている漫画を読み解くとオレンジ色に光る万華鏡に辿り着けるようにした。万華鏡は作品の内部に隠されており、天井から吊るした照明の光を受けたソーラー電池が万華鏡の光とモーターを駆動させる。

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アルファベットカレイドスコープ展

サイズ:展示場所により変化する
素材:今までの作品
作品解説:金沢美術工芸大学での研究の集大成として、博士後期課程修了時に展示したものである。それまで作ってきたものたちを集め、それらの作品を素材としてジョイント(統合ではない)した作品である。それぞれがそれぞれであるがしかし、どこかで繋がっている。謎が多いが、解いてもまた謎があらわれてきて惑わすが、全部の謎が解けたからといって何かあるわけでも特に無い。そういう作品を目指した。
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photo|Kiyoshi.Hasegawa
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あの日のことを忘れないように1999

サイズ:h300×w3000cm
素材:壁面にペイント
作品解説:ワークショップ作品。この作品は以前見た花畑の絵を小学校の壁面に直接描くことを企画して制作したものである。壁面を白く塗り、児童から集めた想像の花のデザインを元に、下描きをし、児童や保護者の協力を得て、一斉に「好きな色で着色」してもらった。その時に注意したのは、「好きな色で塗るが、ここは必ずこの色でないといけない」と強く思える色で塗るということである。それぞれのイデアを作品に込めて欲しかったためである。最後に太陽を描き、完成とした。

まえがき


 生きることは制作することだ。 

 長い間、私は何かをことばにすることに抵抗を感じていました。「ことばは作品ではない」と強く思っていました。ことばにできないからこそ私は作るのだと考えていたのです。そう信じて来たものの、それだけでは悩むことも多々ありました。何かがわからなくて、でもそれが一体何なのかもわからなく、何もできない時もありました。
 「私は一体、何をしているのだろう。」ずっと疑問でした。私にとってこの手の疑問は黒く、嫌になるくらい重いものでした。私はずっと何かを頼りに何かを作ってきました。その都度ぶつかる壁が先の問いでした。「しかし私はなぜ作るのだろう。」そんなことを考えながらまた、なぜだかよくわからないまま、私は何かを作ってきました。何かを作るということは、必ず何かを始原にせずにはいられません。馬のような形を作る時は何より馬のことをよくわかっていなければできません。ルールを破っていくためには何よりもルールのことを熟知していなければできません。そういう意味で何かを思うことは何かを知っていないとできない。「新規」というものはなく、すべては何かしらのカスタム品でしかない。というのが私の考えです。そう考えると、私が一番最初に思ったことは一体なんだったのでしょうか。気になりますが…しかし、私はすでに何かを頼りに何かを思っています。そういうことが定着しています。ここでの問題としては、人マネとは違うし方で、且つそれでも何かしらの影響、享受を得て、まだ誰も触れたことのないようなもの、新しいものを「制作する」こと。これに尽きます。新しいものに出会った瞬間、私は以前の私とは違う私になります。以前の私にはできなかったことができるようになった新しい〈私〉になっています。そういうし方で私は、また別の私になっていくのです。作品が変わり、私が変わるのではなく、作品はあくまで私ありき、しかし、私自身が変わることによって作品が変わる。そして私は〈他〉ありき。この順番が大事なのだと思いました。
 私が疑問に思い、考えてきたこと、制作時における材料と材料をどうジョイントするかという事。それぞれの無限の可能性を殺さないようにして一つに統合したりはせず、それぞれがそれぞれでありながらも、それでも作品は作品だというあり方、私が私であるのにもかかわらず、私を超えた私は以前の私ではないということ。それは結局、私がいかにして〈明日〉を迎えるのかということであり、未だ把握できない他者と、通りすがりの人と、隣の席の人と、同じ世界の人と、または違う世界の人と、どう対面するかということだったのでした。だから私は「制作のための時間」というものをわざわざ作らなくても、私は私の生きていく中で対面しつづけていくことになる〈無限〉によって私の制作が進んでいくのです。生きることは制作することだと言ったのはこういう理由からなのでした。
 また、私が目指してきた「手に負えないもの」は、ただの理想なんかではなく、当然にそこにあるものでした。私は「手に負えないもの」を作るというよりは、すべてのものに対して「手に負えない〈無限〉」を感じ取ってきたのでした。だから、そういう意味で私はすべてのことに対して、〈無限〉の可能性を見ることができたのです。そしてもうひとつ言うと、それは私だけの特異な感覚なんかではなく、誰にでもある、誰でもできることだったことにも同時に気付いていくのでした。
 『MAXIMUM ART、無限とともに生きる』。こうしてできあがった文章、涌き出てきたことばは、紛れもなく、またはありがたいことに、やっぱり私の作品なのでした。そうです。ことばであっても、そうでなくとも、作品は作品なのです。ガラクタや身の回りのものから材料を選んでくることも、ホームセンターで材料を選んで買い求めてくることも、そして自分の記憶の中からその時の気持ちに一番近いことばや思いをセレクションすることも、同じことだったのです。
 そんなあたりまえのことに気付くのに随分年月がかかってしまいました。しかし、気付いた。遅まきながら気付いたのです。
 私はとつぜん予想だにしなかった「手に負えない敵」を偶然にも倒してしまいます。しかし、そのことに気が付かなければ、その「乗り超え」は見過ごされてしまいます。だから私はいつも「私は何をしたのだろう。」と考えるようになっていきました。すべてのことが考えても考えても考え足りなく、もったいないと感じていました。でもそれは、それこそが先に述べた、すべてのことに「手に負えない〈無限〉」を見て取るということそのものなのでした。
 私は研究を進めれば進めるほど、私は一人ぼっちではなく、周りが、〈他〉があるから、私は生きて行けるのだと強く思うようになりました。〈他〉があるという「あり」がたさ。それは単純な幸福なんかではないかもしれませんが、だからといって忌み嫌うような悪いことでもないようです。私はこうやって、ひとつひとつ研究の内容をことばにして発していますが、私のことばがどれだけ伝わったのかは、私にはわかりません。それは、ことばには共通の理解を証明するような機能があると見て取ることができるように思えはするが、しかし、そんなことばを発したにもかかわらず、そのことばに影響される心は別々である。そして、それぞれの気持ちは完全には共有することができないということを、ことばこそが可能にしているからなのだということに気が付きました。
 そうやって迷宮に辿り着く度に私は、私の気付いたことをことばにして書いてきました。いろんなことがありました。「学生生活は短い期間だ」とよく言いますが、私にとっては一日一日がとても長く感じられました。特に後半の二年間は本格的に論文と向き合うようになったのが原因でしょうか。一刻一刻を刻み込むように一歩ずつ時をかみしめていました。 
 そして今日、やっとこの日に辿り着いたという気持ちです。
 

はじめに

 私が〈無限〉についての制作をしようと思ったのは修士課程に入ってからのことであった。当時、私の制作テーマは上昇する形にあった。上って、上って、さらに上を目指すという形にこだわっていた。それは肉体と精神の向上をシンボルにしたものであった。そんな制作をしていくうちに、向上するのであればもっと上へ、「無限に成長していきたい」という願いが出てきた。〈無限〉ということばが浮上してきたのである。ただし、それはまだ漠然としたイメージだった。
 成長していきたいと願っているにも関わらず、それに反して一切あきらめていることがあった。それは難解な本を読むことであった。なぜなら、本には正しい読み方があって、一〇〇パーセント理解できないと読む意味はないと思っていたからであり、また一〇〇パーセント理解できたとしても自分の制作の参考になるともあまり思えなかったからである。制作するのに理論やことばは必要ないとも思っていた。自分だけの世界を制作するためにはむしろ知らないほうが強みだと思い、本もまともに読まなかったし他人の作品にもあまり興味がわかなかった。
 博士課程に入り、〈無限〉を考えていると言ったら薦められた本があった。それはエマニュエル・レヴィナス著『全体性と無限』(二〇〇五年刊、一九六一年原著、熊野純彦訳、上下巻、岩波文庫)であった。相当難解だと感じた。しかし私は、病室で一人その下巻をめくりながら、ある感動的な文に出会った。それは次のような文であった。

  〈他者〉は無限に超越的なものでありつづけ、無限に異邦的なものでありつづ
   ける。
  (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、三〇頁)

 〈他者〉は私から超越しているが、その超越のしかたは無限でありつづけているということ。制作においては鑑賞者が〈他者〉である。〈他者〉は無限に〈他者〉であり続ける。このことが、私に勇気を与えてくれたのだった。私はこの本を、わからないなりにも、なんとか読みきろうとした。たぶんこんなに真剣に読んだのは、この本が初めてだろう。
 私は活字は殆ど読まなかったが、漫画だけは読んできた。そのなかでも福本伸行著『賭博黙示録カイジ』(講談社一九九六-一九九九年、全一三巻)を好んで読んでいた。『賭博黙示録カイジ』のストーリーや主人公伊藤カイジのセリフが何かと私に力をくれた。

   前しかねえんだ……‥!突っ走って……‥その先にある亀裂を飛び 
   越えるしかねえ……‥!(中略)いい加減気が付けっ……!退路なん
   かもうねえんだよ……‥!(中略)決まってらあっ……!
   勝つためだ……‥!(中略)生き残るためだっ……!
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』三巻、五五-五七頁)
 
 ああだこうだ考えるのは悪いことじゃない。しかし、先のことが不安になり、憂うことによって気落ちしてしまうことがあれば、それより先へは進めない。一〇〇パーセント安全な道は無い。とにかく突っ走って進まなければ、生きて行けない。私には足りない〈ほんとうに生きる〉ということが、そこには力強く描かれていた。そこに心を打たれていた。そんな私がレヴィナスを読んでいるうちに、不思議なことに気づいた。それは、レヴィナスが『全体性と無限』で言っていることと、福本伸行が『賭博黙示録カイジ』(以下『カイジ』)で言っていることとが、恐ろしく一致していることだった。だから私は今まで『カイジ』を読んで考えてきたことを、レヴィナスを読むことによってさらに考えることができるようになった。
 たとえば『カイジ』ではとにかく「オレのことはオレが決める」と、「オレ」にこだわっている。しかしそれは自分のことだけ考えていれば良いというようなこととは少し違う。〈他〉があるから「オレ」があるのだ。『カイジ』の物語の中で出てくるように、ギャンブルは相手があって成り立つから、自分では決めきれない。それでも、最後は自分で決めるしかない。こういう中で出てくる「オレ」が、『カイジ』の「オレ」である。
 この「オレ」つまり〈私〉とはどういうことなのか。レヴィナスは言う。

   〈私〉であるとは、座標系にもとづいてさだめることのできるいっさいの個
   体化を超えて、同一性を内容として所有しているということである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、四五頁)

 座標系とは「超越論的な構成」(同、上巻、五一頁)であり、そうした座標系にもとづいてさだめることのできる個体化とは、まるでXとY軸で描かれる碁盤の目に誰かを印づけるようなものであり、人を決めつけることであり、またはあらかじめ定められた全体・地平の中でファクター化することであり、たとえば作品を美術品として分類することである。〈私〉は〈私〉であるだけでなく、どのようにしても〈私〉は〈私〉でしかない。それは「一箇の分離された《私》」(同、上巻、一二一頁)なのである。レヴィナスの様々な用語については本論で以下詳しくふれていくが、レヴィナスは、「私の同一化」「私であること」、つまり自分に取り込み(享受・所有)理解するものを〈同〉といい、〈私〉以外のもの、自分を超越するものを〈他〉〈他なるもの〉という。〈他〉との遭遇があるから〈他〉を〈同〉としていくのだ。
 〈私〉は〈私〉以外のものすべてを座標軸に分類してあらわすことのできる能力を持つ。しかし、その置かれた点はいつまでもその座標軸に留まることはせず、常に変化しつづけている。〈他〉は常に到来しつづけるからだ。よって、〈私〉が置いた点はもはや点ではなく、強いて言うならば、私はそこに点を置いたつもりになっているだけであり、決定できるのにもかかわらず、証明できないものたちなのである。なぜそんな不可解なことが可能かというと、それは〈私〉が〈他〉と遭遇するからである。〈他〉と遭遇するからこそ〈私〉は何かを何かに決定しつづけていくのだが、そこでまたさらに〈他〉に遭遇するから、その決定したかにみえた点が、また別のものになっていく。〈私〉は〈他〉に遭遇しつづけ、〈他〉は私に常に到来しつづけるのである。〈私〉や〈他〉の問題としても、『カイジ』を読むときに感じるのが、この決定するということ、〈同〉にするということである。レヴィナスとは何か近いのである。

 本を読む話に戻ろう。あらゆるものは〈他なるもの〉であり、鑑賞者を〈他者〉とするように、本を〈他者〉として読むことによって、本は一〇〇パーセント理解できないのだし、理解しなくても良い、自分なりに解釈していけば良いと思えるように私はなった。相当難解な内容だったが、レヴィナスを自分流に呼吸しながら前向きに読めるようになったのだ。 
 よって本書はレヴィナス研究論ではないし、そもそも一〇〇パーセントのレヴィナス理解はないはず。私が私としてレヴィナスを、カイジを、美術を、世界をどう読んでいるかだけを正直に書いていくことにする。

第一部 事件編 
ワカラナイとはどういうことだったのか、ということ

 「なにをつくっているのか?」
 「なぜつくるのか?」
 私はこの手の質問を受けるのが苦手だった。答えられないし、わからない。何がわからないのかというと、まず質問してくる理由がわからない。そしてどうやって答えたら質問者を納得させられるのかもわからない。
 なぜなら、そもそも制作することに根拠がないからであった。どんな理由をつけても違和感があった。しかし、根拠がない作品はダメだと思われがちだ。論にもしっかりした根拠がないとダメだというのは典型的な一般論のようだし、それはきっと、世界には根拠があると思われているからである。しかし、何と言われようと私には作品を制作する根拠はやっぱりみつからなかった。
 私が制作してこれたのはただ作ることが好きだったからだ。そして同時に「できなかった」からである。作品を作るが、思うように作れない。だからまた作る。この繰り返しだったのだろう。つまり私の制作における原動力は、私が「作るのがへたくそ」だからだった。完成なんて余り考えず、とにかく思うがまま作る。それが私の制作の起源であった。とにかくがむしゃらに作っていただけだったので鑑賞者のことは何も考えていなかった。自分が作りたいものをただ作っていた。(そう言う意味でこのころの私の作品はほんとうに純粋無垢なマイ・イデアだったのだろう。しかし、それは、弱いマイ・イデアにすぎない)。
 博士課程に入り、レヴィナスのことばに出会った。先にも引用した、「〈他者〉は無限に超越的なものでありつづけ」に言う〈無限〉とは、〈同〉にできない〈他〉である。鑑賞者が〈無限〉だからわからない。私が修士課程のときに考え悩んでいたことは、鑑賞者が何を考えているのかがわからないということであった。だから、鑑賞者は〈他〉で〈無限〉だから私にはわからないものなのだと理解し、この問題はとりあえず一件落着だと思っていた。もっとも、それほど単純なことではなかったのだが。
 この頃、同時に私は、鑑賞者が〈無限〉ならば作品に意図を込めてもその意図を読みとられることが保証されない、ということに気づいた。

   作品はその作者をさかのぼって指示するけれども、そのしかたは間接的なも
   のであって、作者は三人称のかたちで示されるにすぎない。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、一一八頁)

 作者と作品は〈分離〉していて、作品をどれだけ解析しても作者に届くことはないとレヴィナスは言っている。当然だ。作者と鑑賞者も〈分離〉しているからだ。しかし、鑑賞者は作品をほかの何かにたとえて作者に近づこうとする。何かに似ている〈同〉にされやすい作品、たとえば私の作品でいえば『I.E.S.kaleidoscope』(作品14)は車に似ているから弱いと感じた。そういったものを回避したかった。そこで私は訳のワカラナイ、得体の知れない、謎めいた作品を目指すようになった。
 そうして制作したのが「謎シリーズ」(作品17以降)であり、そこから始まってそれ以降の作品に通じ、現在の私の制作にもまだ残っている。ただし、作品がなにものにも似ていないことは、私にとって大事だが、似てないためにワカラナイままでもあった。
 そして、私は自分自身のこともよくわからないまま〈他者〉のことも把握できず、作品のこともわからずに制作し、結局すべてのことがわからなくなってしまっていた。ワカラナイことを否定的ネガティヴィテにとらえるか、肯定的ポジティヴィテにとらえるかは別としても、このワカラナイという感覚は、今でもつづいている。

 第一部では、このワカラナイということを、作品を以下のような制作シリーズに分類して具体的に探っていく事にする。また、この際に、『全体性と無限』と『賭博黙示録カイジ』を適宜引用していく。尚、作品番号は巻頭図版の番号に対応している。
 私の制作シリーズは、上昇する形というシンボル的な作品(作品1、学部一年、同2、学部三年)から始まり、エロティック(同2、3、6、10、12、22、23、24、修士一年)、ピンク(同7、8、修士二年)、万華鏡(同4、9、11、13、14、16、19、25、博士一年)、迷宮(同15、博士二年)、謎(同18、21、26、27、博士三年)等と変化してきた。その始原を振り返ると、精神の向上という基本的なテーマを持ちつつ、「欲望のままに」「無計画」ということばを経て、「マキシマム・アート」と呼べるものがあった。作品は、あえて分類しなくともそれぞれが別々であり、また一方では結ばれている。第一部では説明しやすいように、現段階(二〇〇七年一二月)の私のものさしをもってテーマ的に分類しているが、この分類・思考は、一夜も経たない内に変動する可能性もある、危ういものだ。それは、すべてがワカラナイものだからでもある。

A 迷宮、あるいはワカラナイということ


1 上昇する形、精神の向上

 ひとが不安がるのは恐らく確証の根っこが見当たらないからであろう。しかし、それは探せば探す程わけがわからなくなり、堂々巡りを繰り返すことになる。
 私が彫刻をはじめた当初二〇歳の頃、大学に入学したての頃だった。ほんとの最初は特に何か考えたわけではなかった。何となく当時住んでいたアパートの近くにあった犀川緑地に生えている桜の木の根っこの部分がいいなと思った。それをデッサンし、覚え、粘土で作って石膏に型取りした。もともとは大学の授業の課題で、石を彫るためのマケットを作るつもりだった。できたのは木の根っこのようなものであった。それは文字どおり私の私自身の根っこのようなものであったのだろう。その根っこから二本に伸びる枝、分岐点を作った。『分岐する道』(作品1)である。それは分かれ道であり、人が常に行っているセレクションの証みたいなものであった。「いろいろな道がある、いろいろな道を通ってきた。ここで分かれる分岐する道。しかしこの先、道は無い。どちらに行く?どっちに行くにしても先は見えない…だけど、見えなくてもかまわない。無い道は創ればいい。どういう道を創ろうと自由だ。ここはスタート地点だ。自由といっても後退はしたくない。だから、前へ、上へ、天へ向かうのだ。」
 当時の私がこの作品に合わせて書いた詩である。ここから分かれる分岐点、どの道を行こうと、どっちに行っても、自由だ。しかし、どちらかしか選べない。その先に何があるのかワカラナイ。わかっていたら分岐にならない。自分の都合のいい方を選んでしまうからだ。しかし、よくよく考えてみると先が見えなくとも自分の思うようにセレクションしつづけている。
 作品を作るということも、そのうちの一つだ。当時の私の考えがほんとうによく表れている作品だった。私の作品は自由だった。いや、そのころの私はただ自由に作りたいと単純に思っていただけであった。自由に作っていくうちに次第に楽しくなってしまっていた。言い方をかえれば、楽しいことしかしないようになってしまっていたのかもしれない。ただ作ってそれだけで満足していただけだったのかもしれない。〈欲求〉だけ消化して、良い意味でも悪い意味でも、その時の私は一人ぼっちであった。私は何かを作れば作るほど、一人ぼっちになってゆくのだった。

 ここで『カイジ』のストーリーについて少し話しておこう。ごく普通の孤独な青年カイジこと伊藤開司は他人に騙され多額の借金を背負う。その借金を返済するために、期せずして数々のギャンブルを戦ってゆくことになる。しかし、これはただのギャンブル漫画ではない。通常のギャンブルに打ち勝つ能力(知恵、運)をカイジは持ち合わせてはいない、しかし、別のしかたでそれらを超えてゆくのだ。カイジが立ちむかうことになるギャンブルには、すべてイカサマが用意されている。カイジはギャンブルでいうところの「勝ち」ではなく、対人との駆け引き、理と閃きで、イカサマも含めてそのギャンブルが成立している構造そのものを看破していく。そのカイジの戦いは、ギャンブルに限定されたものではなく、まさに「生きていく」ということそのものなのだ。だから私はひとりぼっちで行き詰まるたびに、『カイジ』を読み、「気付き」、ひとりぼっちを超えて成長してきた。この漫画は現在(二〇〇七年)も連載中であるが、私が本論考で取り上げるものとして、適宜引用することにするストーリー(単行本で言うと『賭博黙示録カイジ』一巻〜一三巻、『賭博破戒録カイジ』一巻〜五巻)は、4つの場面に大きく分けることができる。1「限定ジャンケン」2「鉄骨渡り」3「Eカード」4「地下チンチロ」の4場面である。

 私は『分岐する道』(作品1)の制作後、その根っこから伸びていった先のほうを作るようになっていった。それはつまり「上昇する形」と題して精神の向上を具現化するようなドリル形状の作品を制作するということである(作品2、学部三年)。とにかく当時生まれたキーワードは「上昇する形」「精神の向上」、一言で言えば「成長」だった。

2 エロティックシリーズ

 楽しかった日々も、いつのまにか何も見えなくなってしまうものだ。楽しかった日々を繰り返すうちに、そのことに飽きてしまったのかもしれない。楽しさとワカラナさの無自覚な状態に私はいたのだった。
 私は「作りたい」と願ったときから、とにかく何かを制作しつづけてきた。それは今も以前も変わらない。ただ、あの頃は何かを残すために制作していたのだと思う。「上昇する形」の制作は私の生きてきた、戦ってきた証拠品を作るという、表現したいことがまずある制作だった。しかし、そのうち証拠品を残す事に疑問を感じてきてしまった。証拠を残したくて作ってきたのにも関わらず、その証拠が残せたという証拠が確認できなくなってきたからだ。なぜだろう。あんなに表現したい事があったのに、それができたかどうかワカラナイ生活を過ごしてくると、他人とのコミュニケーションに疑問を感じることが次第に積み重なり、結局私の制作は無に終わるような気がしてきた。原因は色々あったのだろうが、当時の私はそこまで気付く事ができずにいて、ただ時間を消耗するのだった。いつしか私は開き直り、特に難しい事は考えず、肩の力を抜いて、思うがまま制作するようになった。それは、具体的に「精神の向上」を作るのに対し、特に予定をせず、結果もどうなるか期待せずに制作するという、出たとこ勝負みたいな勢い重視の制作だった。
 作った後にそれぞれの結果が表れてきた。制作を進めるうちに私はどんどん闇の深くへ入り込んで行くのだった。もしかしたら闇のほうから包み込もうと広がってきたのかもしれない。いつしか闇は黒く塗りつぶされた世界だと感じるようになった。そして、まるで土の中をもぐっていくような、強い抵抗感のある空間にいるような感覚になっていくのにそう時間はかからなかった。
 作れば作るほど、私の周りは闇になっていき、闇の抵抗を感じれば感じるほど私は強く進んでいきたいと思うようになった。なんとなく前へ進むより上に向かって進むほうが困難だと感じるようになり、ならば積極的に天へ向かって昇っていきたいと思うようになった。だから私は制作しているときは自分の表現の無力さは微塵も感じていなかった。私はその制作を「欲望のままに・エロティック」と名付けた。
 修士課程に上がる頃から次第に作品を発表する機会が増えてきていた。私は私の作品が〈他〉の人びとからどう思われているのかが気になり出し、展示した作品の横に感想ノートを置くようにしてみた。そのノートには私が思ってもみないようなことが書かれていた。意外な発見だった。人はそれぞれ違うんだと改めて思った。思いというものは簡単には伝わらないんだなとも感じた。鑑賞者は何を考えているのか、さっぱりワカラナい。それでも、なんとなく、皆にほめてもらう作品の方がいいと思った。このように、表現が伝わる・伝わらないことに関して悩むようになるのは人前に発表してからのことであった。
 生きていく。昇っていくのは私だ。ただしその証拠品は作れなかった。私の思い通りに動かない〈他者〉が現われはじめたのである。それまで自分の中だけで完結していたことが、世間一般では通用しないということを深く思い知らされる事になる。
 それでも、いや、もしかしたら、だからこそ、やはり私は私が進んだ証拠品を作るようになった。私が生きてきたことを証明するために。それまで作ることが進むことだったのに、私は進むことを、「私は進んでいるんだ」ということを、表現することにした。『エロティック2001〜勝利への叫び〜それでも俺は天を目指す』(作品2)に代表される、「上昇する形」を具現化していた初期の制作群がこの「エロティックシリーズ」である。意図を汲み取ってもらえたかどうかは終始定かでは無かった。鑑賞者は何を考えているのか、よくわからないからだ。それはどうでもいい。私は、成長するということを成長していく形、または成長していきそうな形を具体的に作る事によって、表現したのだった。それは願い・イメージの〈表象化(イメージ化)〉である。
 ただ「上昇する形」を表現しようとして、無垢の闇の中を彫り進んでいけるようなドリルのような作品を制作し続けていたのだが、ドリルを作っていたわけではなく、ただ私の作品を作っていたのだった。そういう意味で私は、自身の制作をただ作るだけだという半ばあきらめの意も込めて、「欲望のままに」ということばでくくったのであった。後に、その閃きは私にとって重要な意味をもたらすことになるのだが、当時の私は特に意味を考えたわけでもなく、エロティックということばを得たのだった。それはただ友人とのおしゃべりの中でなんとなく直感で、冗談のように決めたものであった。当初はシリーズとしてではなく、作品につけるサブタイトル的な扱いであった。私の制作はしばしばこういう「いい加減さ」が見え隠れする。直感でつけたことばだったが、なんだか気に入ったので繰り返し使うようになっていった。「欲望のままに」をキーワードとし、思い付きのまま制作するというもの。具体的には、思い付きのまま無限に成長していくイメージが、さらに私自身が、その作品自体が、成長しながら完成へ歩いていく制作だったのだろう。直感に重きをおいた制作であった。
 なんてことのないきっかけからはじまった「エロティック」シリーズだったが、いつしか「エロティック」は作品のタイトルの枠を飛び越え、思い付きのまま制作するという私の制作スタイルを指すように意味合いが変化してきた。
 なお、この時点での私の感覚として「エロティック」とは英語のeroticではない。普通はそう考えるのだろうが、あいにく私の感覚は普通じゃない。Eros(「性愛」のという単語を私が勝手にカン違いして「欲望」と理解していた)と、technique(技術)を組み合わせた私の造語である。「欲望のままに私の技術を提示する」という意味である。だれも気付かなかっただろうが。

3 万華鏡

 思うがままに制作していた私だったが、次第に技術らしきもの、作品を作るというノウハウを私なりにも手に入れはじめていた。そこで私は、鑑賞者が求めているものをつくろうと思った。なぜなら、私は証拠品が残せなかった以前の私よりも数段レベルアップしている訳であるから、きっと鑑賞者に受け入れられる作品など簡単に作れるだろうと自負心が芽生えていたからである。当時ははっきりと自覚していなかったが、「カレイドスコープシリーズ」がこれにあたるのだろう。そうしてつくられた作品は、ほめられたりけなされたりした。ほめられれば有頂天になり、けなされれば落ち込んだ。なぜ、受け入れられる作品を目指したのかというと、私は下っ端だったからだ。美大に入り、まだ作品も数えるくらいしか制作していない。経験も浅い。だから私はとにかく評価が欲しくなっていたのだろう。何でもいい、コンペで当てるか、先輩や先生に認めてもらいたかった。ただし、その想いとは裏腹に現実は甘くはなかった。ほめられる作品をつくろうとしても、それはうまくできなかったし、やはり違和感が残った。修士課程の頃はそうした数々の疑問によって悩むことが多くなっていた。
 私が万華鏡の仕組みを作品に取り入れたのは、『0-2-3-4-5を満たすために』(作品4、以下『満たす為に』)が最初であった。この作品を作るきっかけとなったのは、「作品に多くの次元を持たせる」という大学院専任教授の篠田守男先生の出した課題であった。次元展一回目だった(当時、金沢美術工芸大学大学院博士、修士課程に在籍する学生のグループ展。0~5次元の内、複数以上の次元を含む作品がテーマ。計三回〔二〇〇七年現在〕)。万華鏡の仕組みを利用すれば多くの次元が表現出来るのではないかと思いついた。多くの次元とは、点であったり、平面であったり、立体であったり、流れていたりすることだ。正直言って私は、今いるこの世界とは別の次元という感覚がよくわからない。うまく想像できない。誰かが使っていることばや概念、今まで得てきた知識を統合しているだけかもしれない。ここでそれを述べよう。まず0次元とはonかoffしかない、例えば光の世界をいうものだ。いわばデジタルの世界といえる。1次元とは線の世界である。何も無い空間に線を一本引いてみる。天と地が、もしくは図と地ができる。2次元とは平面の世界である。一般的に絵画などの平面作品がこれにあたるのだろう。3次元とは我々の住むこの世界で、目で見ることの出来るいっさいの物をいうのだろうか。4次元とは流れ、時間である。目では見えないが、体感はできる。目でみることは3次元的だ。篠田先生は5次元とは概念のことだと言う。形而上学的なものすべてをいうのだろうか。私がまず疑問を持ったのは、5次元が頭の中で描くことだとしたら、頭で0次元も1次元も描けるではないかということである。そういう意味で私は、すべてのものに0〜5の次元が含まれるのではないかと考えた。しかし、他の次元を考えることは私にとってあまり実感が湧くものではなかった。そこで私は先に述べた万華鏡の仕組みを利用しようという直感を膨らませ、そしてそれぞれの次元の特徴に当てはまると思われるポイントを探っていったのである。
 考えてもみれば私が作品を制作する時にハッキリと複数の素材を取り込んだのは、この『満たす為に』がはじめてだった。ただし、それはミクストメディアにすることが大事だったのではなく、次々に次元を追加し続けていくうちにいつのまにか色んな素材の複合体になっていったのである。私の制作はいつもこのように「無自覚」に進んでいた。
 具体的に制作の話をしよう。まず、万華鏡のボディを紙製のボイド管にした。これはサランラップの芯を直径30cmにしたような巨大なものだ。それを2mの長さに切った。次に鏡の部分はステンレス板を用いた。ずっしり重くなった。本体はできたものの、本体の保持の仕方を考えなくてはならなかった。手に取ってクルクル回せるような万華鏡ではないので、何かしらの台に固定する必要があった。本体をそのまま縦に天井から吊るし、下から見上げて覗くスタイルを考えたが、いまいちピンとこなかった。ああだこうだ考えながら車を運転していた。信号が変わったので、私は止まった。ふと目の前に停止している車を見た。それはミキサー車だった。円筒状のタンクが両サイドに設置された車輪で保持されている。ちょうど回っている!私はこういうメカが好きだ。そのミキサー車のタンクが回転する仕組みが使えるのではないかと閃いた。そこで私は鉄パイプで保持台を作ることにした。万華鏡は目線より少し低めに横置きに設置することにした。その万華鏡を四つの車輪で支える構造とした。そうだ、椅子に座って覗けるようにしよう。ホームセンターで見つけた、若い苗を風雨から守る透明のボウルのようなプラスチックスをチェンバーとし、オブジェクトには私の生活空間に点在する雑貨、CD(コンパクトディスク)、お菓子(カール)、みかんの皮、TVゲームのカセット、バービー人形等をごちゃ混ぜに入れることにした。当時、実家で使用していた洋風のオシャレな椅子がすでに老朽化してきたので捨てることになっていた。私は捨てるのはもったいないと思い、その椅子を分解し、椅子の足をこの万華鏡を回す時に持つハンドルに加工した。イメージは船の舵だった。しかし、「面舵いっぱーい」とカラカラとスムーズに回らなかった。原因は本体の重さにあった。ステンレス製のミラーが重すぎたのである。そこで私は車輪を増やせば本体を支える力が分散し、回転しやすくなるのではないかと思い、車輪の数を倍の八個に増やした。これでわりとスムーズに回るようになった。しかし、思うようにいかないものである。今度は重心がズレているのか、それとも車輪の位置を適当に決めたのがいけなかったのか、万華鏡を回しているとボディがまるでネジを回しているかのように前後へズレていってしまうようになってしまった。これは困った。車輪の位置を再調節するしか無いのだろうか。私は考えた。もっといい方法があるはずだ。そうだ、アレを使おう。私は扉とかの隙間をカバーする隙間テープを1m用意した。直径30cmだから円周はこれで足りるはずだ。私は隙間テープを万華鏡の本体に巻き付け、シリコンシールで固定し、レールをつくった。このレールにより、本体が前後にズレていっても車輪と干渉しそれ以上ズレていかない構造に(やや強引だが)した。最後に展示会場(金沢市民芸術村)にとけ込むように会場と同じ白色で仕上げることにした。本体よりもチェンバー部分だけを目立たせたかった。作品の主役は仕組みよりも、選ばれたオブジェクトにあると思ったのである。そのチェンバーにスポットライトを当てて完成とした。
 私がこの作品の制作にあたり最も気をつけたのは、ただの万華鏡にならないようにする事だった。ただ大きい万華鏡を作ってもしかたない。私は万華鏡の仕組みを取り入れつつも、それを超えた先の何かを目指していた。彫刻でもない、万華鏡でもないもの。それらっぽくないものを作りたかったのだ。もっとも、それが何だったのかということと、それが達成できたかどうかの証拠は、やはり回収できずじまいだった。
 タイトルの数字は達成された次元を表している。つまりこの作品は0、2、3、4、5次元を包摂しているということである。このときの私は0次元を光、2次元を万華鏡を覗いたときの映像、3次元を立体である彫刻的な外観、4次元を覗いた万華鏡が回転して見せる変化する映像とし、また、5次元はチェンバー内のオブジェクトに私の選んだカオスを込めるという概念とした。このようにして具体的に次元を当てはめていったが、この理屈っぽさは相当わかりやすかったのだろう。とても作品らしい作品になった。しかし、私が作品にセットした光はonとoffというデジタルになっておらず、しかも光自体は波なので0次元ではないという指摘を受けたとともに、どう考えても具体的に1次元を言い表すことが出来なかったため、この作品は私の希望に添えることはできず、結果すべての次元は満たせなかった。まあ『満たす為に』作られた作品であるので、それが満たされたかどうかはまた別の問題なのかもしれない。とにかく私は次元のことをはっきりと捉えてはいなかった。だから私にはワカラナイ。別の次元とは、私には実感が全くない世界のことをいうのだろうか。私にとって実感がない他人の世界は、私にとっては別次元なのだろうか。
 私は、制作した後でも作品を残しておこうとはあまり思わなかった。制作が完了したときすでにその作品に対する熱は冷めてしまっているのだ。だから私は『満たす為に』を解体した。そしてまたワンステップのぼっていければいいと思っていた。とはいっても私は以前の作品を全部捨てている訳ではない。残されたパーツは、また新たな作品の素材となる。そうやってきた。作品を毎回新規で制作するのではなく、極端にいえば、私の作品は今あるものひとつで、常に変化し続けていくものでもあるのだ。最初はただ何となく、分解したパーツがまだ使えるのをみて「もったいないなあ」と思ったからであった。だから私は次々に作品を制作し、一方で分解していった。身の回りにあるもの、私が「これだ!」と発見したもの、好き勝手に選んできたものを組み合わせて作る(5次元としてのカオスがこれに当たるのか)。作品を作るのではなく、作ったらそれは作ったから作品になるのだ。そして壊して仕切り直す。それはまるで、進化図の数々の枝分かれして先にいったにもかかわらず、ちょっと前の分岐点に戻って今度は別の分岐に行ってみるような感覚である。ここで重要なのは、仕切り直すといってもリセットする訳ではないという点だ。壊された作品は、そうなったとしてもまだ作品であるからである。たとえ作品が崩壊しても、何かしらのものが積み重ねられていく。たとえ思考において、考えて考えて考え抜いたその先に、また元の考えに立ち戻るという堂々巡りに陥ってしまったとしても、それは単純な同じ事の繰り返しとは全然違う。おそらく違う。ぐるぐると回ったとしても、また昨日と同じ朝日を見つけたとしても、私たちは必ず何かしらを積み重ねていく。そうやって生きてきたし、そうやって進化していくのだ。
 世界にある「作品」達の多くはいつも「どれかひとつ」のことしかいわない。それもひとつの次元なのだろうか、それとも世界がそうなのだろうか。私は「これは○○を表現したものです」だとか「作品と対話してください」なんていう次元から抜け出したかった。次元のこともよくわかっていないのにも関わらず、そんな次元を超えたいと思っていた。そういう意味で『満たす為に』はいくつもの次元を取り込み制作するというマキシマム・アートの先駆けみたいなものでもあった。そんな何気ない思いつきから私の万華鏡シリーズが始まった。このシリーズの作品はその後、他にもいくつかあるが、それらはまた後で述べる事にする。

蕎麦畑の前で篠田守男先生(右端)と著者(左端) 2013年

4 ピンク、およびジョイント

 何もかもつかめない頃、発見した私の色が「ピンク」だった。それはほんとにいい加減で無計画の中の一瞬の「気付き」だった。それが良いのか悪いのかはよくわからなかった。私の作品だという確かな証拠が欲しかっただけなのかもしれない。私の色はこれなんだと、決定したかったのかもしれない。
 私は鉄が好きだ。正確にいえば機械が好きだ。ハイテクもローテクも分け隔てなく好きなのである。機械に囲まれる時、なんとなく安堵感がある。一生懸命作動する機械をいつまでも見入ってしまう癖がある。なぜだろう。そこには裏切らない機械の正確さを感じ取れるからであろうか、それとも正確に動こうとがんばる姿勢を見るからだろうか。「普通」の彫刻作品の制作に飽きて(もっともそんな作品は作っていなかったが)、私は、自身の制作に、もっと「私」を取り入れてもいいと思うようになっていった。それは「普通」から離れていきたがる私の癖みたいなものであった。もっと正直に、もっと素直に私自身が「良い」「好き」と思っていることを制作に生かそうと思った。そうして作られたのが『This is pink mechanism』(作品7)『This is pink mechanism 2』(作品8)だ。この制作にあたりまず思いついたのが、私の好きな「機械」式にすることだった。私は手始めに身近な材料、例えば自転車とかTVモニタから出発して、動く仕組みを取り入れた作品を制作した。次々に動く仕掛けのユニットらしきものを作り、それらをジョイントしていった。ジョイントすることでまた新たな仕掛けに気付いたり、もっとジョイントしてみたくなったりした。なるべく手動式にした。それは、直に機械を操作するトキメキを重視した結果だったが、いろんなところにかかるストレスを計算する力が足りないばっかりに、それらの作品はある一方向の力に対しては非常に脆く、儚く、壊れやすかった。そういう意味で私の作った物は機械じみてはいるが、一般にいう便利な・システマチックな機械ではない。機械らしくないとは、命令どおりに動かなかったり、不便であったり、ムダであったりすることかもしれないが、私の制作する機械は、どれもそうした、不便でムダな特徴を兼ね備えていたのだった。狙ったわけではないが、機械を作っているのにもかかわらず、機械にはならないのであった(まぁ私の制作はいつもこうだが)。それとは別の機械だ。しかし私はそれらの作品が機械らしく作動しないことを否定的にとらえたりはしなかった。むしろそこにこそ私にしかできないカオス、〈マイ・カオス〉があると信じていた。そして予想もつかない不可解な動きが完成するたびに、私は感動するのだった。機械なのに機械ではないもの。万華鏡であって万華鏡ではないのと同じだ。それは私が目指した「普通から遠ざかるもの」でもあったのだろう。
 私は機械を作っているのではない、そう言いたいがために、つまり普通の機械から遠ざけるために、機械というものから最も遠いと思われる色、ピンク色を塗った。にもかかわらず、mechanismと名づけた。その点でも、機械なのに機械じゃないのだ。AであるのにAじゃないというこの構造のことをレヴィナスは〈エロス的関係〉と言っているが、これについては後で述べることにしよう。「ピンク」色はのちに、なぜか私の作品のテーマカラーになっていく。もうひとつ付け足しておくが、何もエロティックさを表現しようとして艶やかなピンク色を選択した訳ではもちろんなかった。その点についてはよくカン違いされる。
 当時のことをもう少し話そう。私にしては珍しく、色の計画をしていた。まず、どうやってピンク色にするかが問題だ。私はホームセンターへ行き、塗料コーナーでペンキやらスプレー缶やらを見比べていた。当時、私の中で、絶対的に優先せねばならない事項があった。それは、言うまでもなく「お金」であった。経済的に貧乏な学生だった。特に優秀な成績を修めたわけでもない私は、奨学生にもなれず、日々アルバイトに徹するのだった。金沢へ来て最初にはじめたのが「食べるのが好きだったから」という理由のみではじめた鮨屋だったが、うまく合わなかった。次はちょっと小粋なフレンチだかイタリアンだか良くわからない店で、なぜか自家製豆腐を売りにしているバーレストランだった。労働のペースが、私の制作ペースをあまりにも干渉しすぎていたため、そこもすぐにやっていけなくなり、私は自信とお金を失ってゆくのだった。単発の荷物運びとか、美術館の展示替えのバイトをしていたが、とうとうコンビニのバイトに行き着くのだった。それは学部三年から修士二年まで続く。そこでは結構やっていけそうな気になっていた。数年続いたわけだが、日中は大学で、夜はバイトで、もう若さだけでは体力が持たなくなってきていた。深夜バイト先のコンビニも急に人員が減ったとかで、ほぼ徹夜で働かなくてはいけなくなってきてしまった(もちろん労働基準法に即している範囲内ではあるが)。人間やれば出来るものである。これは慣れれば結構できた。しかし、代償は大きかった。もともと私は体が丈夫な方ではない。無理をしていたんだと思う。私は体力的にそのバイトがやっていられなくなり、博士課程に入ってからは、夕方から夜にかけての大衆料亭での皿洗いのバイトに切り替えるのだった。しかし、体はもう昔ほど無理の利かないものになっていた。博士課程では、それまでの制作のみの生活に論文を書くという慣れないことを急にしたためなのか原因はよくワカラナイが、一年の冬に高熱で倒れてしまった。私の記憶では、明らかにインフルエンザだった人から感染したはずだったのだが、その病院の診断では三度ほど血を抜いて検査したが、陽性の結果が出ず、当時有効とされていた特効薬タミフルが使用できないと言われ、私は風邪なのかインフルエンザなのかよくワカラナイまま、入院して点滴を打ち続けていたが、五日経っても熱は下がらない。インフルエンザなのにインフルエンザではない病(エロス的関係)にかかっていた。誰も見舞いに来てくれないと思ったら、私の知らない間に私の部屋には「面会謝絶」と書かれた紙が貼ってあった。作者によって勝手にタイトルをつけられた作品の気持ちになった。これはこれで死ぬかと思った。ちょうどその時期、私は『I.E.S.kaleidoscope』(作品14)を制作していた。ほぼ完成していたのだが、その途中で急に制作現場から分離されたのである。実をいうとレヴィナスの『全体性と無限』に出会ったのはこの頃であった。私にとってそれは普段読むことのない難しそうなものだったが、入院して一人きりだったこともあり、忙しい日々から解放されて、じっくり自分とレヴィナスに向かう機会を得たのだった。
 話を色に戻そう。時期は私が修士二年の頃である。私はすでに調合された市販のピンクでは、私の色が出せないと思った。しかし、たくさんの高級なペンキを買い、実験するほどのお金はない。私は取りあえず一番安くて使いやすそうな赤と白のペンキを買うことにした。二色を混ぜればピンクが作れると思った。薄め液はお金が惜しいので買わなかった。刷毛は使い古しのやつを使い捨てにすればいい。変なところにケチだったが、そのチープさがいつも私の作品を支える要素となる。そして私は私のピンクを作った。その色は『This is pink mechanism』(作品7)に使われている。次に制作した『This is pink mechanism 2』(作品8)は、同じ混色を使うのをやめて今度は白、ピンク、赤の三色のスプレー缶を買ってきた。私はそれらを時には迷彩柄のように、時にはピンク色の空に白い雲が浮かんでいるように塗装した。出来上がったのはピンクのモヤだった。これもけっこういい。
 私はこのように貧乏だったため、色を塗るためのペンキどころか、制作における一切の材料がほとんど買えなかったし、必須の工具を買うのにもためらう程であった。そんな私にできることといえば、身の回りのものを素材とするやり方しかなかった。私の手元にあるもの、時にはゴミや、いらなくなったものを「これはなんだか作品に使えそう」だとか「ありかもしれない」と直感が働くままに回収、整頓し、素材コーナーをつくりだしたのだった。屑鉄屋、解体屋に行ってそこの廃材の山から選んでもらってくることもよくした。しかし、私はジャンクアーティストでもなければエコロジストでもない。そんなものには全く興味もなかった。私はただ、セレクションしつづけただけだ。そんな生活が何年も続いた。博士課程二年の冬に小学校の非常勤講師として働き出すまで、私は僅かなお金でやっていくしかなかったので、自分のやっていることが良いことなのか悪いことなのかも考えることができずに、ただ、拾ってはくっつけ、また拾ってはくっつけと、ジョイントしつづけた。当然解体された作品の残骸を捨てることはできずに、分解整備され、また新たな作品のパーツとなってゆくのだった。そうやって私は私なりに制作ペースをつかんで行く。
 私の意識としては、「敢えて新規で始めなくてもいい、あるものを利用する」という方向へシフトしていったわけだが、それは後に重大な「気付き」に変わる。後で述べるが、そもそも世界に新規などというものは無い。何かは何かの続きなのだ。

B 世界はカオスだということ

1 無計画制作(1)
  まんが『へんたいまん』について

 博士課程で研究をはじめる当初、研究テーマを決める必要に迫られて、ある種ムリヤリ、自分の制作を「ことば」で説明しなければならなくなった。そこで私は考えた。そして、私の作品が無計画に制作されてきたということに気付いた。そう、「上昇する形」も「エロティック」も「万華鏡」も「ピンク」もすべて、「無計画」ということばでくくれるのではないかと考えたのである。私はそれらの制作方法を「無計画制作」とした。なぜ、どこが「無計画」なのかというと、私は何事も「思い付き」「衝動」を大事にしてきたからだ。「直感」に頼るところが多かったからだ。ほんとうは、私の制作、生き方、すべてにおいて、ことばにできないはずなのに、私はこの時、「自身の制作を研究するために」ことばでくくった。当時、私の思考の中、知っていることばの中で、最も私の制作に即していることばが「無計画」だったのである。
 一般的に制作とは計画性が大事だとされる。特に大規模な作品や精密な作品の場合、彼らはデッサンから制作を始めるのだろう。綿密な計画を立て、計画どおりに素材を集め、部品を作り、計画どおりに組み合わせ、予定通どおりの期間で完成する。悪いことじゃない。いいことだと思う。
 しかし、私にはそのようにはできない。計画を立てるのに慣れていないのであろうか、細かいことを気にしすぎるのか、私は計画することはなんとなくできても、そのとおりに実行することができない。なぜなら、計画した時点で私のその作品は完結し、作品に対する熱は冷めてしまうからだ。それでも計画どおりに実行しようとすると、今度は予想だにしなかったトラブルが次々に起こる。私は計画することがへたくそなのであった。そういえば、作品を作ることも「できなかった」。いや、世界が私なんぞの思うほど容易くはないということなのだろう。当然だ。そういう経験が私に、綿密な計画を練るよりも、その場で思い付いた「直感」に従い、実行するほうが結果がすぐ得られるし、次々に新しいことに気付いて行けるのだと思わせた。
 人生においても同じように「直感」重視だった。随分「変わった子」というレッテルを貼られてきた。いつまでも子供のような、でもそれじゃあいけないと思いつつも、その無垢な気持ちを忘れてはいけないとも思い、私はいろんなことを同時に考えてきた。どうすれば効率が良いのかを考え、そちらのほうが合理的でやりやすかったとしても、私は第一印象を捨てきれずにいるような性格だった。いつも自分流の解決方法を探した。要するに私は他人の意見など殆ど聞かないタイプであった。私が直感したものは、私の中では間違いなかった。しかし、それらは「普通」とは違った。あまりにも違ったがために、私自身を信じれなくなることも多かった。
 ずっとこのやり方で、私は歩いてきた。だから私には「普通」の作品という感覚がよくわからない。ほめられる、認められるものが、「普通」の作品なのだろうか。だから私は調査した。ほめられたいが、ほめられてばかりでもなかった。いつのまにやら「ほめられたいだけの作品」、鑑賞者主体の作品、言い換えれば「間主観的な地平」を目指したのだった。でも、それは見つからなかった。
 私は悩んだ。どうしよう。しかし、結局最後に決めるのは私自身なのだ。私は私のことを見損なった。私はダメなやつだ、と思った。忘れていた。私が何の迷いもなく、ただ楽しく制作していた頃のあの「アツさ」を。あれほど自分との戦いはいつも自分次第だということをハッキリ感じ取っていたはずなのに、すっかり忘れていた。そのことに気付くのに随分時間がかかった、ありえないくらい遠回りをした。しかし、気付いた。振り返ってみると、私はいろんなことに、きっちりと、常に自分流に、カタをつけてきたことを思い出した。そう、「普通」に翻弄されながらも、やっぱり最後は自分を通してきたのだった。私は自信を取り戻した。もっとよく私の過去、始原的なもの、原点を大事にしようと思った。「始原的なもの」とはレヴィナスの言葉だ。そこで私は私の過去に制作した大作をクローズアップすることにした。きっとそこにも私の「無計画」が見え隠れしていただろうと思った。そのとおりだった。博士課程二年の冬であった。
 『まんがへんたいまん』(作品20)は私が小学校三年生の頃(八、九才)に描きだした読みきりの漫画であった。ほんとに軽い気持ちで(今も軽い気持ちで制作しているが)、友人同士の会話の中で、右開きの自由帳の一番最後の頁に一頁だけ漫画を描くことになった。よくある巻末のオマケ漫画のような扱いだった。その最後の頁以外は普通に自由帳として使うつもりだった。その頁に縦と横の線で格子をつくり計二一コマを用意した。「はじまり、ジャーン、わたしがへんたいまんだ……」。

まんがへんたいまん第一巻 1頁
長谷川清

 作画が始まった。「へんたいまん」と名乗る主人公が突然登場し、マントで空を飛ぼうとするが電柱に〈顔〉をぶつけ、持っていた剣が落下し、地面にいた犬(おそらくマーキング中)の背に刺さる。犬は怒りへんたいまんの尻に噛み付く、尻が腫れたへんたいまんは救急車で病院に担ぎ込まれる。なぜか手術をうける。なおったへんたいまんはまた空を飛ぶ、そして電柱にぶつかり……。といった他愛も無い落書きだった。私はそのコマ割りを頁の左上から下に向かって読むように描くことにした。
 なにせ巻末のオマケ漫画なので、当初はその頁一杯の全二一コマで終わる予定だったが、話のきりがつかなくなり、頁を一枚捲った先の、次の頁にも続けることになった。そこから次々にストーリーが溢れてくるのだった。その証拠に『へんたいまん』の第一巻の二一コマ目の下に「おしまい」と書かれた跡が残っている。それから私はこの漫画を描きつづける事にした。それも友人同士のなんて事の無い会話がきっかけだったと思う。「一〇〇〇〇コマを目指そう」。読みきりのオマケ漫画が急遽、連載をはじめたのだった。私は、ときにはメモのように、またあるときは日記のように漫画を描きつづけた。思うがままに、無計画にただまんがを描きつづけた。ただ、ムダにムダを描き連ねた。
 同時にコマのカウントもしていった。途中でコマ数カウンターが悪者に盗まれて、コマ数の表示が消えてしまい、それをへんたいまんたちが取り戻しに行くというストーリー展開をしてみたりした。今にして思えばこれらは実験のようであった。いろんな描き方やギャグを試した。改めて読み返すと当時の記憶がよみがえり、思わずニヤついてしまう。「いきなり」「とつぜんですが」と、思いついた小話(カオス)を思うがままに挿入し、これまた突然「もどった」「さっきのつづき」と元のストーリーへ戻る。そんな繰り返しを七年ほど続けた。最後は一五〇〇〇コマまで描き進んだ。
 まだストーリーは完結していない。当然だ。だってこれは私の日記なのだから。しかし、やっぱり当初の目標である一〇〇〇〇コマにたどり着いた瞬間、それ以降のストーリーは気が抜けたように惰性的になっていくのだった。だから私は高校に入った頃、『へんたいまん』の作画を途中で止めたのである。まんがを描いている余裕が無くなっていったせいもあったのだろう。私はこの『へんたいまん』を博士課程二年の時に思い起こし、また描きだしてもいいなと思った。私は制作時に目標を設定し、それを目指すが、そのゴールについたところが終わりではないことに気付いた。そう、『へんたいまん』でいうと、一〇〇〇〇コマを達成したところがゴールだったかもしれない。しかし、私がそこで漫画を描くことをやめなかったのは、この「作品」が、私の日記であったからだ。日々の戦いの記録だったともいえる。数や量で完成するような代物なんかではない。私の「作品」はまだまだ続く。高校生になってまで、まだ『へんたいまん』を描き続けていた私は、その頃惰性的になっていったと今書いたが、中断することにはなってしまったが、決して「もう二度と続きは描かない」などとはいっさい思わなかった。それほどこの作品は私の原点であり、力なのである。目標を持って描き続けること。これはまさに制作であり、人生そのものでもある。終わりの無い戦いの証拠品、証拠にならない証拠品が、ここにもあったのだ。そう、これも「無限」である。
 彫刻をし始めて制作を進め、彫刻に飽き、彫刻に捉われないようにもっと色んな世界に私の世界を出していこうと考えてきた私は、博士課程二年の冬、私の原点である『へんたいまん』を研究作品として展示、発表することにした。これが「過去の大作」の展示である。そのままただ展示するのは嫌だった。なぜならこの作品の中で私は〈私〉をさらけ出しすぎていたから、頁をめくってこの漫画をじっくり読まれることがとてつもなく恥ずかしかった。だから私は展示する作品を、一〜一〇〇〇〇コマまでの一〜二二巻だけに限定し、それぞれの巻の中で見られてもある程度恥ずかしくないような頁を探し、見開きにして、これ以上頁がめくれないようにするためにガラスケースの中に閉じ込めて陳列した。
 一般にガラスケースに陳列するねらいは、貴重品であるがために、盗難や破損の危機を回避するためであろうが、私はそれとはまた別の用途でこの展示ケースを使用した。だからもちろん鍵などかけていなかった。展示ケースで保護するのにもかかわらず、一般の展示ケースを使用する理由での展示ではないということの証明に、私はその展示ケースに鍵はかけていなかったのだが、その違いに気付いた人は恐らくいなかっただろう。
 この展示ケースに入れて限定した頁しか見せないやり方は、ムダをそぎ落とし、一点だけを見せるミニマル・アート(ミニマル・アートがそういうものであるならば)に準ずる展開だが、その限定した頁自体が、やっぱりムダな落描きであり、鍵をかけないという恐らく誰も気付かないような意図を込めるというのもムダなのだ。この頃から、「ムダ」を肯定していけるようになったのだが、この「ムダ」についてはまた後で述べよう。いずれにしても、それはどんなにがんばってもムダはムダにしか成らず、所詮ミニマルというイデアは達成されることはないということに気づかされた展示であった。付け加えると、それがオブジェクトだろうとそうでなかろうと、「世界はたんにある」(il y a)という始原的なものがあるかぎり、究極のミニマルは達成されない。それらは結局、イデアの分有率が高いか低いかだという戯言に終始するだけなのだ。

2 無計画制作(2)
  無計画を計画するのか、それとも計画できないのか

 生きるということは楽しい事だけをしている限りは簡単だが、それでも一方で簡単ではなく、様々な困難との戦いだった。それらは突き詰めて考えると結局、自分との戦いである。なぜなら戦いを開始する権限を持っているのも自分〈私〉だし、何かしらの敵との戦いの後、勝敗を決めるのも自分〈私〉だからである。それら人生の戦いのたびに私は強くなりたいと思うようになっていった。勝ちたいと思うよりは負けたくないと思う気持ちが強かった。それが「精神の向上」。かつての私が天へ昇る形を制作していたのも、『へんたいまん』を描きつづけていたのも、私は強くなっていくんだという決意の現れだったのだろう。ただ、そのときは自分とのひとりぼっちの戦いに終始していた。その作品は私が現実と空想の中で戦ってきた成長の証拠品になればいいと思っていた。そんな証拠作りから始まって、だんだん作ることの楽しさを覚え、私の制作スタイルは、ただ作るという無意識に制作をする方向へとシフトしてきたのだった。学部三、四年の頃、私は何も計画せずに、無計画に、ただ目の前の素材に手を触れ、ああだこうだと考えながら制作した。しかし、大学院に進学しさらに制作を進めていく中で、制作すること自体に行き詰まりを感じてきてしまったのである。それは、無計画であるということは自由に制作するものだと思い込み、自由であるがゆえに何をしたらいいのか分からなくなってしまっていたからだ、と考えられる。そう、「無計画」ということは計画しないことだと思い込み、「計画」しないように作品を「計画」して制作するようになっていってしまっていた。ずいぶん長い間、その事に気が付かなかった。きっとそれなりにうまい事マッチしていたのであろう。
 そもそも「無計画」ということばに置き換えたことが失敗の始まりだったのかも知れない。博士課程に入って自身の制作を研究するにあたり、やむを得なく探し、手繰り寄せてきたことばがそれであったが、ようやく、ことばにしなければ良かったのにと感じたのである。しかし、私は失敗は悪とは考えない。恐れないのですらない。その時思いついた「直感」を大切にしたいからだ。だから私は私の無計画制作を振り返り、その中で私自身が作品を制作する理由を見出そうとした。もっとよく考えてみなければいけない。
 「無計画」ということばを最初に思いついたのは、博士課程の進学試験をひかえた修士二年の冬頃だった。そのときの制作を振り返ってみることにする。すると私の制作が作品の形態や表現方法は常に変化していたが、コンセプトは一貫していることに気付いたのだった。つまり全てにおいて無計画なのではなく、制作したいという作者の意志だけはあるということである。私のコンセプトは(学部一年の頃から)「無限に成長していくイメージ」であった。そしてその無限を鑑賞者に体験させるために無計画制作といういわば実験に近い制作をはじめたのである。ここではっきりとさせておかねばならない。それは私の「制作スタイル」と、「作品に込める思い」が別次元であるということをである。私にとって両者はまったく別のものだという感覚だったが、詳しく説明しないとどうやら一般にはわかりにくいようだ。要するに私は、「無限に成長していくイメージ」をコンセプトに持ち、その制作の仕方が「無計画」だったといえる。たとえば思い付きで切りとった鉄板をこれまた思い付きで貼付けていくという「無計画」に制作してきたということだ。矛盾でもなんでもない。なんでもないはずであった。
 そもそものきっかけはそのようなものであった。そして、その「無計画」ということばにしたことが、私を思考と苦悩の「迷宮」へと向かわせるのであった。何度も言うが、それも悪くない。
 それから二年も経たないうちに今度は「無計画」ということばが疑問に思えてきたのだ。博士課程二年の頃である。まず、「無計画」といっても、私はすでに、いくつかの扱いやすい素材が点々としている美術大学のアトリエにいたということ。そして、「無計画」とはただ純粋に計画しないことなのではなく、計画をしないという計画であるという疑問を抱えていたと先に述べたが、事はそれだけではなかった。事の重大性に気が付いたのである。私はその時ふと、こう思った。「無計画をする、しないという問題ではなく、そもそも計画できることなどこの世にはないのではないか」と。その頃の私はこの「気付き」に対してまだ深い意味を読み取ることが出来なかった。しかし、何となく直感でそう思ったのである。
 私の制作や、生き方すべてはこんな風にして進んできた。とにかくいい加減に決定し、よくわからないままとにかく進む。しばらくして、事後的に「ああ、あれはすごかったんだなあ」と考えることが多々ある。そういう意味で「無計画」よりふさわしいことばを今語るとすれば、それは「無自覚」だ。「計画」することのつまらなさに気付いたと同時に、「計画」することは不可能だということに「気付いた」のである。未来も〈他なるもの〉だし、〈無限〉なのだ。要するに私は一本の道を歩いて来たのではない。私はそれらの事を「無自覚」で行ってきたということである。これはなんだか恥ずかしい。

3 マキシマム・アート(1)
  カオス〈未知のもの〉

 私は特に限定もせず、思うがままに制作してきた。そうやって計画性に捉われない私の自身の制作を「無計画制作」ということばでくくってきた。しかし、それは少し乱暴だったことに気付いた。正確にいえばそれぞれがそれぞれの制作であり、私のスタイルはこうだと断言してしまう事が、私の作品の可能性を狭めてしまうのだ。制作の方法を限定するのではなく、何を問題として作っているのかを明確にせねばなるまい。
 それは何ものにも似ていない〈未知のもの〉を目指すということだ。〈未知のもの〉とはレヴィナスのことばでいうと〈他なるもの〉であり、それに対してレヴィナスは享受できるものを〈同〉と言っている。私はどちらかというと、根拠のあるものよりも、誰にもつかむことの出来ない〈他なるもの〉を目指したのだった。だからコンセプトはひとつじゃ物足りないし、常識に捉われることもまっぴらだと思った。そんな思いから、様々なコンセプトを追加し続けていけば、私の理想の新しい何かが出来るのではないかと考えた。追加し続けるマキシマム・アートの始まりである。これも博士課程二年の冬頃のことだった。
 マキシマム・アートということばは、ミニマル・アートに逆らって作られた、私の造語である。ムダを削ぎ落とし、ただ一つのコンセプトをいうミニマルに対していう。作品とは、『満たす為に』(作品4)のようにいろんな思考いろんな次元が織り交ざっているはずであり、数々のムダの集合体であるはずであり、それが自然だと私は常日頃思っていた。よって私にとってミニマルなものということ自体が疑わしく思えたのである。もちろんミニマル・アートを否定するつもりは無い。完全なミニマルはできなくても、ミニマルを目指すことはできるだろうし、目指す事は悪い事ではない。しかし、それが本当にミニマルであるかの証拠などない。マキシマムも同様に証拠は無い。
 わかるもワカラナイも無い、他者の居ない世界で〈欲求〉を満たそうとだけしていた私だったが、ひとつの迷宮のゴールにたどり着いたとき、いろんなことがさらに深く、いや、高く、ワカラナクなってきた。でもそれは私から望んでしてきたことであり、マキシマム・アートというムダにムダを重ねることによっていろんなことをワカラナクしてきたのは私でもあったのだ。いや、逆だった。私がマキシマム・アートを作っているのだ。わからなくて当然なのだ。
 先に述べたように「無計画」という一言でまとめようとしていた私だったが、世界はそんなに単純ではないことを思い知らされた。振り返ってみると、エロティックシリーズは衝動的制作であったし、無計画制作は計画しない事を意図的に行う計画的制作だった。万華鏡シリーズは万華鏡を超える制作だったし、ピンクシリーズは私の作品だという証拠を私の色として残すための制作だったと言える。必ずしも私は常に無計画に制作してきた訳ではなかったのだ。それぞれ違った制作スタイルだったのだが、作られた作品には共通点があった。
 無計画に計画するということだけではない。そう、それは私の作る作品はどれもムダであるということだ。とにかく思い付きのまま制作する。材料、概念、思考等のムダをムダに継ぎ足し、重ねていく。このことに違いは無い。極論で言ってしまえば、私が制作したものはすべてムダにムダを重ねている。ムダがMAXにあるということなのだ。だから、これら私の制作したムダを総称して私はマキシマム・アートと言うことにしたのだ。私は私の作ったものを作品と言うことにするが、私の作ったマキシマム・アートはムダなのか、それとも作品なのかは私が決める事ではない。あなた方の判断に任せる。私の作品はそういったものだ。私のカードはもう置いた。次はあなたがカードを置く番だ。それまではめくってはいけない。

 ここで、マイ・カオスについて述べておこう。私の作品には様々な要素が含まれているが、作品とは自分の全てを表現するものであると私は考えているので、私の制作における全ての要素・問題点・疑問点をその作品に取り入れることにしている。いわば、私の制作時における想い、マイ・カオスといってよい。この世の中の全ての現象や出来事、想像や空想はカオスであり、迷宮である。美術とはそのカオスの中で「美」を見い出すことであると言える。私の制作は、その「美」を追い求めるのではなく、私自身がカオスの中から選びだした様々な要素つまりマイ・カオスを「美」として作品にするのである。『満たすために』(作品4)のチェンバーに詰め込んだオブジェクトたちも、解体屋から選んできたものも、マイ・カオスだ。一般に作品を制作する時は、ムダをそぎ落とし、できるだけシンプルに仕上げ、一つの作品で発することは一つで良いとされている。私は長年、作品の素材として扱ってきた鉄が金属造形においてプラスの仕事によってしか成り立たないという経緯、体験から、とにかくプラスするということが私の制作スタイルとして定着している。ジョイントだ。私は0からの手作りは行っていない。金属彫刻は、あらかじめ誰かが作った鉄板や金属塊を素材としているため、0からの創造ではなく、必ず何かしらの物体(つまり既製品)の改造品(カスタム品)としか言えない。ただ、私にとっての問題は創造か改造かその二者択一ではなく、与えられた素材・環境で、いかにして制作するかが重要なのである。それがカオスという迷宮の中でマイ・カオスという「美」をみつけることなのである。言うなれば、様々な要素、思考を作品に取り入れるということが、一つのコンセプト・目的となっているのである。ここには、作品一つ一つの要素の集積が一つの作品として成りうるかもしれないという実験的要素も含まれているはずである。もっといえば、それは金属彫刻に限らず、すべてのこと、制作や日々の生活、思考、人生、世界のありかたにあてはまる。記憶も何か別の記憶がないと思い起こせない。私たちはそのおおもとがなんであるかの確証もつかめないままその何かしらを基準にして考えている。深く追求してもその実体、おおもとのイデアは無いのにも関わらず、それをもとにして、何かと何かを比較し続けている。おおもとの根っこの部分がしっかりしているのならば、きっと争いは起きない。だからといって、根っこの部分が色々あるから戦争が起こるのでもない。その根っこのイデアが時として様々に変化し続けていくからこそ、世界はカオスになるし、「君、さっきと言ってる事が違うよ」と言われる。世界は裏切りの連続である。そんな世界だからこそ、私はマキシマム・アートが必要だと切実に思う。なぜ、わからないといけないのか、なぜ正しく鑑賞せねばならないのか。もしくは、なぜわかっていたらいけないのだろうか。じゃあわかるとはどういう事なのか。世界はカオスだというのに!これは考えるべき問題である。

4 マキシマム・アート(2)
  『This is an 海老kaleidoscope』について

 『This is an 海老kaleidoscope』(作品19)について話そう。これも篠田先生に出された課題制作がきっかけであった。博士課程一年の頃であったが、無重力での彫刻のあり方を考える展覧会の企画があった。私は無重力と聞いてまず宇宙を思った。宇宙に作品を置くとしたら、何ができるだろうかと。そこで私が思い付いたのは月面に立って、ミラーを三面に組んだ万華鏡で、回っている地球を覗くというものだった。それはマーブルカレイドスコープでいうオブジェクトとボディのようなあり方だった。私はこの計画を図と文にし、イメージ模型として直径30cm程の大きさの地球儀に万華鏡をドッキングさせたようなものを作った。私はその作品を『EARTH KALEIDOSCOPE(アースカレイドスコープ)』(写真なし)と名付けた。そこで私はなんとなく、オブジェクトが地球のように浮いていたら楽しそうだと思った。
 その後、カレイドスコープの研究を進めるうちに、ミラーとは、景色が反射してさえいれば何でも良いことに気が付いた。たとえば銀メッキの鏡になっていなくても、透明のガラスやアクリル板でも三面に組めば万華鏡になる。私は素材の扱いやすさからアクリル板を選んだ。三面に組まれたそれは、覗くと今まで私が見てきた万華鏡とは違った映像を写した。本来万華鏡のミラーは閉ざされた内側の世界モナドしか見せない。〈無限〉に見えるのにもかかわらず、まるで〈同〉のコピーの世界、一人の世界で完結しているかのようであった。それに対し、私の組んだアクリル板製万華鏡は、透明であるがゆえに内側だけではなく、外から入ってくる景色も取り込んで、より複雑に、明るく、見えるのだった。私はこの発見を『アクリルカレイドスコープ』(以下『Aカレ』)と名付けた。
 私はミラーの研究と同時に、万華鏡のオブジェクト(ミラーを覗いた先に置かれる対象物、ビーズ等)やチェンバー(オブジェクトを入れるケース、乾式だったりオイル入りだったりする)のあり方についての研究もしてきた。手にとって回すという動く仕組みが必要な万華鏡を、なんとかしてオートメーション化したかった。回すとか、動かすというのではなく、べつの仕方での仕組を考えていた。
 私は大学では金属彫刻を演習する部屋に所属しているのだが、そこにふいごがあった。それは手製のもので、太いパイプの本体の下部に市販のブロワーが取り付けてあり、それを作動させることによって下から真上に風を送りつづけるというものだった。私はピンときた。ちょうど持ち合わせていたピンポン球を、作動中の鞴の受け皿に投げ込んだ。するとピンポン球は、ある一定の距離を保ったまま、しかも回転しながら宙に浮いているのだった。実はこの感覚はこれが始めてではない。私はヘヤードライヤーを風が垂直に上るように向け、その上にピンポン球のような軽いボール状のものを置くと、ピンポン球が浮きつづけることをすでに知っていた。その記憶が、鞴の一件で思い起こされたのである。この球体が一定の距離で回りながら浮きつづけるという仕組みは、万華鏡に使えると思った。私はすぐにブロワーを買ってきた。当時、貧乏な私が簡単にブロワーを買うことができたのは、もちろんそのブロワーが激安セール中だったからだ!二〇〇〇円で売られていたのだ。次に私は、木で作ったいかにも「作品」が置かれてそうな一般的な台座の中に仕込んだ。台座の天面にはブロワーを作動させるためのボタンスイッチをレイアウトし、中央に直径6mmの小さな穴を空け、ボタンを押すとブロワーが作動し、穴から風が出て、ピンポン球を浮遊させるというものだった。その浮遊しているピンポン球を三面に組んだミラー万華鏡で覗くと、まるでオブジェクトのマーブル模様のガラス球が自動で回転するマーブルカレイドスコープを覗いているかのような体験を得ることができた。私はピンポン球に絵の具でランダムに模様を描き、よりカラフルな映像が得られるようにした。この仕組みを私は『ブロワーカレイドスコープ』(以下『Bカレ』)と名付けた。
 ここで私は『Aカレ』と『Bカレ』を合体させることにした。特に意味は無い、ただそれらを同時期に思い付いたので、ジョイントしただけだ。つまり『ABカレイドスコープ』の誕生である。カンのいい方ならここで気付いてもらえると思うが、それは『This is an 海老kaleidoscope』(作品19)になったのである。私はキャプションに、『海老』という文字のかわりに具体的に海老の絵を描いた。しかし、『海老』が、A(アクリル)とB(ブロワー)を意味していることなど、ほとんどの人が気付かなかった。ピンポン球は四個用意した。色んな模様にしてみた。地球の絵を描いたものもあった。そのうちの一つに私はなんとなく「へんたいまん」を描いてみることにした。(ちょうど『へんたいまん』をガラスケースに展示した博士課程二年冬の発表展だったからそんな風に思ったのだろう)そう、ボタンを押すと、ピンポン球に描かれた「へんたいまん」が、「しゅわっち」と空を飛ぶ仕組みになったのだ。
 「へんたいまん」が空を飛ぶという構造は、地球の重力に反発し、上昇するということである。たとえばイデアという、定められた「点」、中心というものが、地球の中心であるとするなら、そこへ向かうのではなく、気ままに空へと飛び立つのである。「精神の向上」はここにも、こんなかたちであったのだ。

C 本物と偽物、あるいは似ているということ

 1 〈同〉と〈他〉

 さっきのつづきに戻ろう。カオスの世界において、わかる(理解)とはどういうことなのか?

 そのために、まずは「本物」ということについて考えることから始めよう。「本物」というと凄く良いものというイメージがあるが、その根拠は一体何であろうか。本物の反対は偽物だろうが、では我々人間は何をもって本物と偽物とを区別しているのだろうか。
 我々が体験する事実を本物とし、それ以外のものを虚像、つまり偽物とするのか。しかし、「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」(『力への意志』)といっているニーチェのことばに従うなら、我々が住むこの世界はほとんどが偽物である。その世界の中で我々は一体何を信じて、何を捨てるべきなのか。あるいは、どこかにある本物を探し求め旅立つべきなのか。それとも、本物と偽物に分類することが間違いなのだろうか。
 制作をし発表をするうちにわかってきたことがある。それは、鑑賞者は、ただひたすらその作品を〈同〉としていくということだった。それは誰にも止められないのだろう。人はどうやらあらゆるものを〈同〉にしていくものなのだ。〈他〉があるから〈同〉にしていくのだが、じゃあ仮に身の回りのものすべてを〈同〉にしてしまった場合、その先に何があるのだろうか。恐らく世界はそこで終わってしまうだろう。私達はそんなに万能ではない。理解できない、捉えられないものはいくらでもある。どんなに考えても何か、またはすべての本質をつかむことはできない。はずなのに、「本質」とか言って〈同〉にしていくのが人間である。
 ではなぜ〈同〉にできるのかというと、それは〈同〉にしている気になっているだけの話で、ただ、そう思っているだけのことにすぎないのだ。そういう意味で世界は本当の、座標軸に印付けられる固定化された〈同〉というものではなく、ただ〈他〉が到来しつづけているだけなのだ。たしかに人それぞれの点は置けるのだろう。しかし、その点は点であって点ではないので、それらの点は統合することはできないのである。繰り返すことになるが、その点を統合した気になるのは可能である。それこそが戦争をおこすきっかけとなる。世界はもともと〈他〉だというのに、自分の都合よく〈同〉にしていく。このことに問題があるのではないだろうか。
 ここで、レヴィナスの言う〈同〉と〈他〉を、少しみておこう。〈同〉とは、理解するということと等しい。美術においては鑑賞ということになるだろう。一般には、制作も〈同〉かも知れない。それに対して世界は、ただ単にある(il y a)。大地や海、そういった始原的なものとしてあり、そこには根拠が無い。その意味はあらかじめ与えられていない。そういった世界を、いや自分以外のすべてのものをレヴィナスは〈他 Autre〉〈他なるもの autre〉、もしくは人間の場合は〈他者 autre,autrui〉という。私達は〈他〉を〈同〉とすることができるし、すでにしている。しかし、世界はそれだけではない。例えば人は〈同〉とできない、とレヴィナスは強く主張する。しかし、〈同〉と同じ扱いはできるのだ。その悪い意味でのカン違いが、戦争をもたらす。そうやって、ユダヤ人(レヴィナスの家族たちを含む)は虐殺された。根拠の無い、本来決定できるはずのないものを勝手に〈同〉とすると、道徳や倫理が失われるのだ。それもそのはず、だって人が生きていることには根拠が無い、それの根拠を探すのも、その理由をどこかに決定するのも、おかしい。できないことをしてもストレスを巻き起こすだけだ。
 レヴィナスは、そうしたストレスのおおもととして、M・ハイデガーの存在論哲学に「宿命的な専制支配」を見ている。

   権力の哲学、つまり〈同〉を問いただすことのない第一哲学としての存在論
   は、不正の哲学である。ハイデガーの存在論は、〈他者〉との関係を存在一
   般との関係に従属させる。それは、ハイデガーの存在論が、技術の情熱に反
   対して、技術とは、存在が存在者によって隠蔽され、かくて存在が忘却され
   ることにもとづくものであるとみなすときであってもそうなのである。ハイ
   デガーの存在論は匿名的なものへの服従でありつづけ、もうひとつの権力、
   帝国主義的な支配、専制を宿命的にともなう。ここにいう専制とは、物化さ
   れた人間に対して技術をたんに純粋に拡大してゆくことではない。専制は、
   偶像を崇拝する「たましいの状態」、大地への根づき、隷属している人間が
   ときにその主人にささげる讃美にまでさかのぼる。存在するものに先だつ存
   在すること、形而上学に先行する存在論こそが、(たとえそれが観想の自由
   であったとしても)正義に先だつ自由である。それは、〈他者〉に対する義
   務に先だつ、〈同〉の内部における運動であることになる。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、七〇-七一頁)

 レヴィナスはここで、ハイデガーの存在論を取り上げ、権力の哲学として強く否定している。「技術」以前に「制作」(ポイエーシス)というものがあったし、なるほどハイデガーは、最初は「制作」だったはずのものが、「技術」に変わったことを批判している(E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、四〇〇頁、六一項、熊野純彦の訳註を参照)。たとえば、コンビニのバイト店員は仕事を習う時に、その仕事内容の意味だとか、理由を殆ど教えてもらえない。ただ「言われたようにすればいい」と技術だけを教えられる。バイト程度のことならそれでもいいが、場合によってはなぜ自分がこのことをさせられているのかわからないままに、誰かの養分にされていることになってしまう。これが技術だ。それを批判しているはずのハイデガー哲学は、「観想の自由」とひきかえにそれを成立させてしまうものを根源に持っている、とレヴィナスは批判するのである。なぜこのような指摘がされるのかというと、ハイデガーの存在論は「存在」と「存在者」を分けるからだ。「存在」が「存在者」によって隠蔽されるということは、つまり「存在者」は「存在」を根源とするということである。ハイデガーの哲学において、「観想の自由」は、「存在者」に先だつ「存在」によって保証されることになる。そして〈同〉と〈他〉の関係の根本に「存在」、「存在一般」というものがあるという。「存在の開示」として誉めたたえてしまう。その構図は、たしか否定したはずの「技術」に先立つ「制作」も、そして「存在者」に先立つ「存在」を、〈同〉に先立つ〈他者〉を、結局は「専制」という関係において固定・隷属・抑圧してしまうのだ。ハイデガーの「存在」(そしてポイエーシス)は匿名的なものだとレヴィナスは言う。なるほど、私が自身の「制作」をことばにできないはずである(「無計画」ということばが当てはまらなかったように)。いっぽう、「技術」は名前が付く、「○○製法」「○○システム」「一本足打法」等、実体があるのだろう。しかし問題はそういうことではない。「匿名的」ということは、デスマスクと同じで〈顔〉がない、ということだ。すなわち、〈顔〉の無い制作!後にも述べることになるが、「存在」によって「存在者」が「存在」されているということは、国家という共同体、あるいは「間主観性」という「地平」をもとにしているだけにすぎないのだ、とレヴィナスは言う。そう、このハイデガーの考えは、あるはずのない「イデア」がなにものか匿名的なものにおいて描き出され、そのことによって奴隷が成立してしまうことになるのである。ほんらい、きちんと問いただされるならば〈他者〉は〈同〉にできないはずなのに、ハイデガーのこうしたやり方は、結局は人を物化、つまり完全に〈同〉としてしまう、専制してしまうのだと、レヴィナスは言っているのだ。
 レヴィナスはつづけて、次のように言う。なお、「諸項の順番」とは、「存在するものに先だつ存在すること」、「形而上学に先行する存在論」、「正義に先だつ自由」という、各々の前後関係のことだ。

   諸項の順番を逆にしなければならない。哲学的な伝統にとって〈同〉と〈他〉
   のあいだの相克は、〈他〉を〈同〉に還元する観想によって解消されている。
   具体的にいえば、国家という共同体が解決してきたのである。けれども国家
   にあっては、匿名の権力―それが了解可能な対象であるにしても―が存在す
   ることで、《私》は全体性からこうむる専制的な抑圧というかたちの戦争を
   ふたたび見出すことになる。そのように考えるなら、〈同〉が〈他者〉の還
   元不可能性を考慮にいれるような倫理は、思いなしオピニオンにぞくする
   ことになるだろう。本書の努力は、語りのうちに他性に対するアレルギーの
   ない関係を見てとり、〈渇望〉を見てとることに向けられる。〈渇望〉のな
   かで、権力、その本質からして〈他者〉を殺害する権力が、〈他者〉をまえ
   にし「いっさいの常識に反して」殺人の不可能性、〈他者〉に対する配慮に
   転じ、つまり正義に転成するのである。私たちが努力する目標は、具体的に
   いえば、匿名的な共同体のうちで、それでもなお《私》と〈他者〉の社会を、
   ことばと善さを維持しようとすることである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、七一頁)

 私たち、少なくとも私は、あらかじめ何かを知っているのではない。また共同の「地平」も共有してはいない。生きることはそうしたことを思い出すことではないし、自覚することでもない。ハイデガーの言う〈同〉から〈他〉へという「観想」(テオリア。見ることであり、知ることであり、理解することである)、いわば「わかっている」ということから出発すると戦争を招くのだ。私たちはすでに「自由」なのではないし「不自由」になるのは世界のせいでもない。どちらでもないのだ。ただたんに世界があるということに逆転(転成)させなくてはならない。その先にしか、正義はない。つまりハイデガーは、先程も述べたように「制作」だったものが自然への取り立て・収奪である「技術」になってしまうと言い、技術を否定する。しかし、それに伴って「存在」を肯定し「共同」を求める。間主観性というやつだ。ほんらいなら何もないはずのところに「地平」線を引くことであり、存在一般という「基底」を想定し、これをもとに「共感」や「客体」を得るというやり方なのだ。言い換えれば、「存在」という絶対的に「善い」ものが「与えられる」とする。そういった共同性・コミュニティーから戦争が起こる。これでない、別のしかたが必要だと、レヴィナスは指摘する。答えは明白、〈他〉と〈同〉のあり方、順番を逆転しなければならない。その構図は、あたかも「虐げられし者・奴隷」だからこそ「専制する者・もしくは地平という名の皇帝」を討つことができるという『カイジ』に出てくる第3のギャンブル「Eカード」のようではないか(Eカードでのカイジについては後述する)。


   ハイデガーにあってもたしかに、共同存在が他者との関係として定立され、
   対象の認識には還元不可能なものであるとされる。けれども、その共同存在
   も結局はまた存在一般との関係に、理解に、つまりは存在論にもとづくもの
   にすぎない。ハイデガーはあらかじめ、存在というこの基底をいっさいの存
   在者が出来する地平として設定してしまう。地平と、地平が含み、視覚に特
   有な限界の観念が、あたかも関係の究極的な横糸であるかのように、そうし
   てしまうのである。さらにハイデガーにあっては、間主観性とは共同存在で
   あり、《私》と〈他者〉に先だつ一箇の私たちなのであって、それは中立的
   な間主観性であるにすぎない。これに対して、〔他者と〕対面しているとい
   う事態が社会性を告知すると同時に、一箇の分離された《私》を維持するこ
   とを可能にするのである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、一二〇-一二一頁)

 レヴィナスはこのようにして、師であるハイデガー哲学にある共同存在、理解(観想)、存在論を強く否定し、乗り越えていく。存在一般や間主観性とは別のし方で、〈私〉と〈他者〉は分離していると言う。「一箇の分離された《私》」だ! 具体的に、「国家」という理解(観想)の「地平」が、「全体性」を呼び起こし、「政治」に終始するようになる。「政治」とは「手だてのすべてをつくして戦争を予見し、戦争において勝利する技術」(E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、一三頁)である。そうではない別のしかたでの〈私〉と〈他者〉のあり方が必要だと、レヴィナスは言う。そして、それを可能にするのが、対面する〈顔〉なのだと。〈顔〉については後述していくが、〈顔〉があるから〈私〉と〈他者〉はワカラナイもの同士なのである。
 ハイデガーの「《私》と〈他者〉に先だつ一箇の私たち」の「中立的な間主観性」とは、極限の関係であり「観想」であって、また他者は還元不可能なものであって、それはレヴィナスの言う〈他なるもの〉に近いように一見思われる。しかし、「観想」は「観想」であり、「存在」は「存在」である。レヴィナスの「正義」、それとはまったく別のものである。レヴィナスのあり方とは、「〔他者と〕対面している」ということ、座標系に基づく〈同〉でない分離された〈私〉、「一箇の分離された《私》を維持すること」である。〈私〉は〈他者〉があるからがんばれる。これが〈渇望〉である。レヴィナスの言う「正義」、「倫理」である。〈他者〉と〈私〉は形而上学的渇望において対面する。〈顔〉と〈顔〉を対面できるからこそ〈渇望〉が「正義」になる。〈私〉は〈他者〉がなければ、がんばれないだろう。それらのことによって、常識(!)だった「殺人」(人を〈同〉としきること、隷属、迫害、把握、理解)が、ひっくり返るのだ。「普通」、「自由」、「常識」は必ずしも「正義」とは限らない。私は長い間「普通」や「常識」に捕われすぎて、「正しいこと」がわからなくなってしまっていた。しかし、気付いた。教えられた。このようにしてわかっていくのだ。
 この、「地平」「観想」「共同存在」による「理解」ではないやり方を、『カイジ』が次のように取り上げている。第2のギャンブル「鉄骨渡り」の場面でのカイジの心内語である。

   いつも‥‥一本の道を想像するのだ………… 暗く‥‥
   視界を殺す濃霧の中 足元にほの見える一本の道 
   他に何もないので仕方なくその上を行く………… 
   ふと……‥周りを見渡すと…………‥ 
   虚空に無数の光があり 皆のろのろと
   前進している…………  前進しつつ……‥‥ 
   ふ‥‥と なんの前触れもなくつい消えたりする……‥その時……‥ 
   理解する 直観的に……‥ 
   そうか……‥そういうことか‥‥ 
   この道は死へと向かう一本道 
   周りの明かりはおそらく人……
   オレの心にきっと届かない‥‥ 世界中の人……‥‥
   57億の民……‥‥これが‥‥この状況が 
   このオレのいる世界だ 
   全ての飾りを取ればそういうことだ…………‥ 
   天空を行く一人一人‥‥57億の孤独あかり……‥!! 
   全ての人間に手は届かない 触れられない 
   離れている……‥‥
   (中略)
   遠く離れている……‥‥ 
   できることは………… 通信…‥通信だけ…………‥!! 
   (中略)
   不確かで……‥ 心もとないその言葉たち 
   いくら熱心に語りかけても それで相手が変わるとは
   限らない 通信は基本的に一方通行だ 本当に自分の心が
   相手に届いたかどうかは 誰もうかがいしれぬ 
   返信があったとしても どこまで理解しての返信やら……‥ 
   たぶん半分も理解していないだろう 
   しかしそれで仕方がない 通信は
   通じたと信じること 伝達は伝えたら達するのだ 
   それ以上を望んではいけない……‥ 
   理解を望んではいけない…!!
   (中略)
   理解は望めない 真の理解など不可能 そんなことを望んだらそれこそ泥沼 
   打てば打つほど焦燥は深まり孤独は拗れる 
   そうじゃない…………そうじゃなく打とう‥‥!
   無駄ばかりの誤解続き人間不信の元……‥ 理解とは程遠い通信だが 
   しかし…… 打とう……‥!あるからっ……‥!確かに伝わることが…
   ひとつ…!! 温度…… 存在……! 
   生きている者の息遣い…… その…‥‥儚い点滅は伝わる‥‥!
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』八巻、八二-九二頁)

 ここにでてくる孤独あかりとは「一箇の分離された《私》」である。
 「死へと向かう一本道」を「理解」すると書いてあるところについては、ハイデガー的といえなくもないが、それは後半の文脈で「理解」を「通信すること」によって超えるための布石である。
 理解を求めちゃいけないとは、〈同〉にできないからしないのではなく、〈同〉にしちゃいけないということでもある。〈他〉は〈他〉のままであるということ。「〈他者〉は無限に超越的なものでありつづけ、無限に異邦的なものでありつづける」。「存在の開示性」ではなく、「カイジ性」で行こう。
 さっきのつづきである。すなわち、わかるとは何か。わかる(理解)とは〈同〉の存在論なのである。
 だから、そうではなく、〈同〉にしない哲学、〈同〉をもとめない人間関係。これでなくてはならないのだ。それでは、〈同〉にしない美術はいかにして可能なのだろうか。

2 一般的な「作品」「美術」への違和感

 ただし、私はいつのときも制作中において、そういうこと、すなわち〈同〉にしない美術を自覚していたわけではない。私が目指した〈他なるもの〉は〈他なるもの〉であるがゆえに、その作品形態は常に不鮮明で「作品」らしくなく、コンセプトも複雑でゴチャゴチャしていて、意図も隠されたままで、いわば危ういものばかりであった。「普通」の作品らしくないものばかりだと見なされてきた。それなら一体「普通の作品」とは何なのだろうか。
 私は制作をしていく上で、鑑賞者つまり私にとっての〈他者〉にわかるような制作をしていかなくてはならないと思っていたが、同時に、制作する根拠の無さについても悩んでいたわけであった。鑑賞者の意図通りにつくらざるをえないことを仕方ないと思っていたので、作品をシリーズ化するというのも、作品を解りやすく受け取ってもらうための、ひとつの方法だった。しかし、「作品」らしくなくてはいけないというプレッシャーとの戦いが、漠然としたものであったにせよ、私に作品とは何か?美術とは何か?を問いただしてきた。と同時に、それらの根拠の無さに悩まされていたのである。要するに「理解」されたかったのだろう。
 しかしいっぽうで私が目指したのは、そういうシリーズ化という作業に反することでもあり、根拠のある作品らしさや美術らしさに反することでもあった。つまり、何ものにも分類できない、グループ化できない、一貫性を飛び越えてゆくもの、まったく手に負えないものを制作したかった。美術や作品とさえ言われたくなかった。以上のように相矛盾する考えの中で私は「ワカラナイ」と悩んでいたのだ。 
 私は、自身の制作を研究し発表する場において、いつも「ワカラナイことだらけだ」と言い続けてきた。その根底にはおそらく、私が作品を発表する機会を持つたびに、鑑賞者主体の制作へと変化していったことがあった。つまり誰かに見せるということはそんなに厳しいことだとも思っていなかったし、ましてや鑑賞者たちの思考が予想できないとは思ってはいなかった。要するに何も考えていなかったのである。だからこそ、作品をほめられれば有頂天になり、批判されれば落ち込むだけであった。いつしか「ほめられたい」と思うようになった。だから私は、浅はかにも鑑賞者の心を読み取ろうと思った。鑑賞者の心理がわかれば、鑑賞者の気に入る作品がわかるし、また、そのとおりに制作すれば、きっとほめられるだろう、と。しかし、それはできなかった。ワカラナイことが多すぎる。私は何も知らなかった。だからむしろ、知らないことが私の強みだとどこかで開き直り、決めつけていた。正確に言うと、「知っている」ということの方が、「知らないままでいる」ことの強さよりも遥かに強いということさえも知らずにいたのである。まだまだ考えが浅かった。まぁ、悪い事ではない。なぜなら、ものは「理解」ではなく信じることだからだ。
 ここで、ほめられる作品とは一体どういうものをいうのかを、私なりにもうちょっと考えてみよう。まず、とらえる事ができるということ。主に視覚で判断やら認識やらができるものをいうのだろうか。「観想」だ。そしてわかりやすいということだ。コンセプト、言いたい事がはっきりしているものをいうのだろう。共同としての「地平」だ。段々くだらなく思えてきた。これらが「理解」の構造だ。一般における「良い」とは、多数決で決まったり、合理的だったりする。便利だったり、流行だったりもする。「皆が注目している」ということと「良いから皆が注目する」というトートロジーで成立している。それがきっと「普通」ということなのだろう。私はこの「普通」という感覚が苦手だ。よくわからない。一体何をもって「普通」というのだろうか。あぁそうか、一般における「良い」ということなのか。万事こんな感じである。まったく!それがどれほどのものだと言うのだろうか。私には到底〈理解〉できない。世界でいちばん下らない概念、感覚だ。もちろん「普通」の証拠はどこにも無い。私は迷ってきた。それは証拠が無い世界であるが故、「普通」だとか「イデア」だとかいうものがどこかにあるのかもしれないと、長い間それらと決別できずにいたからだった。しかし、固定化されたものというものは、やっぱり見つけられなかった。このどっち付かずの中途半端な気持ちが、私の美術を深く惑わせるのだった。どっちへ言ったらいいかワカラナイ。こっちへいこうとすれば、「普通」と名乗る人たちの「普通」への洗礼を受ける。その人達の想いがあまりにも熱心であるがために、私は自分の道を疑ってしまう。私はそんなに強くはない。時には「普通」でないといけないのかと考えてしまう。証拠がないものであるにもかかわらず、その見えない敵に奔放される。腹立たしかった。「普通」が許せなかった。でも、それに対抗する者は、私一人しかいないわけだから、やっぱり多数決で、私は多くの中に埋もれて、見えなくなっていくのだった。「普通」の恐ろしさときたら、もしかしていちばんの権力かもしれない。いちばん良い、「普通」の人はきっとそう思うのだろう。私は何とも思わない。「普通」のことを思うたび、私はうんざりするのだった。
 「普通」であることを受け入れられる人間とそうでない人間がいる。さらに、受け入れたことによって満足するのとそうでないのがいる。もしくは、受け入れられなくてそれを良しとするのとそうでないのがいる。私は「普通」が受け入れられなくて落ち込んでいる方だった。これは最近の話ではなく、物心ついてからずっとである。野球のバットは右のバッターボックスに立つ時にはどうやら左手を上に握ってはいけないらしい。なんで皆そのことを知っているのだろう。垂直線は、地球が球体であるが故に「地平線」は直線でないので、引けないはずだと思っていた。一体どのようにして基準となる地平線(直線)をつくるのだろうか。紙に文章を縦に書く時は、右から書くのはおかしいと思っていた。インクや鉛筆の黒鉛が手に付くし、書いたばかりの文字が手を載せることによって潰れてしまうではないか。そんな理由から私は『へんたいまん』のコマは左上から描き始めるようにしていた。一時、本当の漫画のように、右上から横に描く描き方も実行していたが、それは常識に屈した訳ではない。ただ本物の漫画に憧れただけだ。横断歩道を渉るときは右、左、右と確認してから行くのが「普通」らしい。私は「左右確認」というどこかにあった道路の看板を見た記憶をもとに、いつも左、右、左と確認してから渡るようにしていた。しかし、中央分離帯のあるような大きな交差点で横断歩道を渡るとき、信号が青になった直後に左を確認しても殆ど意味はない。それより右から確認しなくては交差する道路を信号無視または勢いづいて黄色信号で止まりきれなかった車が飛び込んでくるかもしれない。私はそのことが理解できずにいて、結果信号が青になった直後、左の安全を確認し、一歩前に進みつつ右を見たら目の前にトラックがいた。私ははねられた。「左右確認」という標語を恨んだ。「右左確認」にしろと思った。しかし、ほんとうは、そのことばの意味も深く考えず、聞いた通りのことを無自覚でしてしまう浅はかさが招いた事故だったのだろうと思う。もっと良く考えなければならない。世の中にはそんなカン違いを招くようなことがゴマンとある。私はその矛盾したカラクリに気づくたび、イライラするのだった。惰性や、お人好し、いい子ブリッコではいけない。もっとよく考えなくては。他人が言う事(ことば)は「既製品」と同じだ。それが正しいかどうかの前に、それは誰かによって作られたものだ。共同の「地平」はしぶとく用意されている。それを受け入れることが「普通」であるか、そうでないかを問う以前にも、よく考えてみる必要がある。ただ、両手を上げてそのまま受け入れるのでは、ギャンブルにおいて負けてしまう。

   なんであんな奴を信用しちまったんだ 
   この勝負は重要だと……大事な勝負だと……‥
   わかっていながらなぜ自分で考えなかった……?決めなかった……?
   なぜ他人に‥‥その行く末を委ねちまったんだ……!悔い……‥
   単に悔いと言うにはあまりに重い身が千切れるような悔い 
   しかし考えてみればこういうことが初めてじゃないことに気付く 
   無論これほどの痛手ではないにしろ今までも小さく悔いてきた進学や就職
   そういう人生の岐路でその判断を他人に委ねてきたことを思い出す‥‥
   これはオレの性癖なのだ……苦しく難しい決断になると投げちまって 
   それを他人に預ける 自分で決めない そうやって流され流され生きてきた 
   その弱さがこの土壇場で出た……この結果は言うなら必然 
   これまでのオレの人生のツケ……!救われない……‥
   こんなバカ……‥救われるわけない
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』一巻一七八-一八一頁)

 お人好しの伊藤カイジは他人の借金を背負い、やくざに騙され、勝てば今までの借金が棒引きになるという一夜限りの大ギャンブルを強いられる羽目に合う。『カイジ』第一のギャンブル「限定ジャンケン」である。多額の借金が、上手く凌げば一夜でチャラになるとされる大ギャンブルが「エスポワール」という豪華客船で行われるという示唆を受けたカイジは、「未来」を手にするためにその船に乗り込む。船中に通されたカイジが見たものは、カイジと同じような境遇の「多額な債務者」達だった。その数一〇三人。それぞれに手渡されるお金と星形のバッジとカード。一人につきお金は一〇〇万円〜一〇〇〇万円の範囲内で利率1.5パーセントの一〇分複利という暴利(後に、契約するときはその金利がいくら高くても、借りる側はそのことを承知で借りるはずなので、この世に暴利はないとの主催者の説明がある)で強制借金させられ、星は三つ、カードは一二枚。カードの内訳は「グー」、「チョキ」、「パー」それぞれ四枚ずつ。つまり、グー・チョキ・パーを出す回数が限定されたジャンケンがギャンブルの内容だった。任意に相手を一人選び、二人一組でお互いのカードを一枚ずつ裏向きに出し合い、同時に表に返して勝敗を決める。ジャンケンに勝った者は、負けた者から「星」を奪う。制限時間四時間以内にカードを全部使い切り、かつ星が三つ以上であれば勝ちである。一見運否天賦のようなギャンブルだが、ここでカイジは気付く。「限定」と聞いて、どこかにある「勝算・必勝法」を予感する。カイジの思った通り、必ず「勝つ」方法があったのだ。それをカイジは、船井というそこで初めて会った男に教えられる。それは、二人で同じカードを出し合い続けるという「一二回連続あいこ」作戦だった。カイジは船井のアイデアに感動しつつ、さっさと勝負を終わらせることにしたのだった。あいこであれば星三つのままカードを使いきり、「勝ち」である。しかし、ここで破綻が起こる。九回連続のあいこを繰り返し、一〇回戦目にさしかかったところ、船井はカードを間違えてカイジに勝ってしまう。そしてその帳尻を合わすためにだと約束し、自らが出すカードをカイジに宣言しておいたのにも関わらず、カードをすり替えカイジに勝利する。船井はカイジをあざ嗤い、立ち去る。カイジは計二つの星と一一枚のカードを一気に失う。残るは星一つと一枚しかないカード。カイジは絶望の淵に立たされるのだった。
 自分で決めず、相手の用意したシナリオ(地平)にのっかって大失敗をしたカイジ。先の引用がその時のカイジの心内語である。騙され続けこんなところに落ちてきたのにも関わらず、また他人のシナリオ(地平)にのっかって騙されたカイジはどうしようもなくなり、落ち込むのだった。そう、よくよく考えてみれば、カイジにとって、こういうことが始めてというわけではなかった。いつも自分の行く先を他人にゆだねてきたのだ。それでは救われない(カイジはそんな「バカ」だった)。

   勝たなきゃダメだ‥‥人は生まれて死ぬのが当たり前で……
   それと同じように勝たなきゃその生きてる間が悲惨なのもまた当たり前 
   オレは外界そとにいる時そこのところを誤解していた…………
   真剣に考えてこなかった……‥‥
   (中略)
   なんとなくオレの人生は悲惨であるはずがないと
   考えていたんだ……‥ただなんとなく……‥‥
   (中略)
   違う‥‥!勝たなきゃダメだ…‥‥
   (中略)
   勝たなきゃ悲惨がむしろ当たり前 勝たなきゃ誰かの養分……‥
   それは船も外界そとも変わらない……‥!
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』三巻、一八三-一八四頁)


 散々騙され、カイジはようやく気付き始める。この世の仕組みを。とにかく勝たなければならない。勝たなきゃ誰かの養分にされるだけ。カイジはこの船でもまた、カイジと同じように騙され星とカードを失った二人の男と行動をともにする。その二人もあまりぱっとしない連中だが、とにかくグループで星を九個を目指す。グループ化の利点は、カードの消費がグループ内で行えることにあった。そう、あいこ戦を繰り返せばいいのである。カイジは、ゲームの最初でお金を手渡された時点で、カードや星の売買・譲渡が許可されていることに気付くが、グループ内ならカードは(譲渡し合えば良いわけなので)自由に行き来できることになる。二人グループだと、船井のように裏切られるので、三人グループにして、あいこカード以外のカードをグループのリーダーであるカイジが管理していればいいのである。そこでカイジは気付く。このフロア(船内)にある「グー」を買い占めることができたら、フロア内に存在するのは「チョキ」と「パー」だけになっていき、その世界では「チョキ」が絶対的に有利となる。カイジ達はいろいろな手を使って「グー」を買い占める(最後に大量にあまるはずのグーはあいこで消費すればよい)。もう勝ったも同然に思われた。しかし、上には上がいた。いや、運が悪かった。カイジとは逆の「パー」を買い占めている三人組がいたのである。その事実に気付き愕然とするカイジ。


 そこでカイジは起死回生の大バクチに出る。それはカイジ達三人が一つずつ持つ、計三つの星を一回の対戦で賭けることだった。自分の生き死にを他人の一回こっきりのギャンブルに預けることができないと喚く二人をなだめ込み、勝負の申し込みをするカイジの迫力と決意に、たじろぐ「パー」買い占め派のリーダー北見。その北見にカイジは言う。「ここまで来たらもう、勝負だろうが!」

   オレなんだ……!肝心なのはいつも‥‥!
   オレがやると決めてやる‥‥ただそれだけだっ‥‥!
   (中略)
   ククク……‥こんな簡単なことにここまで追いつめられなきゃ
   気がつかねえんだから本当に愚図でどうしようもねえ……!
   でも気がついた……‥‥
   遅まきながら気がついたんだ…………耳を傾けるべきは
   他人の御託じゃなくて自分……オレ自身の声 
   信じるべきはオレの力……!
   オレが今ここでこうして立って話しているその力 
   その力を軽視して心の拠り所を他に求めることが つまり弱いってことで 
   全ての間違いの始まりだった そのことに今……
   やっと気が付いたのさ……‥!
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』三巻、八六-八八頁)

 そしてカイジは完全に「気付いた」。他人がなんと言おうと、大事なのは自分だということに。共同的な地平をうかつに信じることをやめる。遅まきながら、でも、「気付いた」。この「気付き」からカイジの戦いが始まる。(実際カイジは北見が一回こっきりの勝負を持ちかけてきた段階で、北見が一枚だけグループ内であいこ消費ができないカードを持っていることにも気付いていた。しかし同時に、それは推測にすぎないことも、カイジは気付いていた。)


 もっと私が、私自身が、気付かなければいけない。そう、この「気付き」というキーワードも後に重大な意味を持つようになるのだ。
 私は幼少の頃からよく「君は変わってるね」、「変だよ、普通はこうだよ」と言われていた。そのたび私は疎外感を感じていた。「普通」とは一体なんだ。「普通」はそんなに良いことなのか。全く理解できなかった。むしろ大多数が流されるダムのような施設じゃないか(おっと、ダムを逆さにするとムダだ。きっと「普通」もムダなんだな)。そんなもののどこが大切なんだ。ワカラナイにもいろんな種類があるが、この手のワカラナさは私にとって、黒い、気持ちの悪い、不快な謎だった。「普通」が嫌だったわけではなかった。ただ「普通」になりたかった。その証拠に「普通」になれない自分が居た。正確に言えば何が「普通」かもたいしてわかっているわけでもないのに「普通」に溶け込めなくて、自分が「普通」じゃないんだと勝手に思い込み、なんでもかんでも「普通」のせいにして悩んでいるごく「普通」の少年だったのかもしれない。それは私が「普通」である証拠も、そうではない証拠も見つけられなかったからかもしれない。その頃あたりから世界が少しずつワカラナクなってきた。世界を信じている自分に自信が持てなくなってきただけだったのかもしれない。それから私は色んなものを見て、大体「これが普通だ」と言えるようなものを見分けられるようになってきた。
 そうやって学習する事も私にはできる。しかし私は永らく、学習する、つまり勉強する事を恐れてきた。なぜなら私が「普通」の感覚を手にしてしまうと、私が私でなくなるような気がしたからだ。美術をやっていく上で私はこの私の普通じゃない感覚が大きな武器になると考えていた。だから私は言ってみれば、このバカの感覚を失う事を恐れた。本とかを読まなかったのはそういう理由もあったのだろう。とにかく〈他〉から影響を受けたくないと思うようになっていった。それは閉鎖的でネガティブだが、一方で自分を大切にしたかったのだ。
 
 しかし、その先へ行こう。「気付く」ことを恐れる必要は全くない。「気付く」ことで私は変わる、カイジのように。「気付く」ことによって抱える不安は、「気付く」ことによって解消される。

 私は結局変わっていくが、それでも私は私だ。どれだけ勉強しても学習しても経験を積んでも年老いても私は私だ。それに変わりはない。そんな事で私のバカは治らないし、「普通」になれるはずがない。当然だ。だってよく言うじゃない。バカは死ななきゃ治らないって。つまり死ぬまでバカでいられるってことだ。なんて有り難い事なのだろう。何をどうがんばっても私は私を失う事はないのだ。ひとつの地平、座標軸上に位置づけられた〈私〉ではなく、「一箇の分離された《私》」だ。レヴィナスのように。勇気が湧いてきた。走り出さねばなるまい。準備はいらない。
 「一箇の分離された《私》」について『カイジ』では次のように書かれている。

   いつだって人は……‥‥ その心は……‥‥ この橋を行く
   カイジらのように孤立している 心は 理解されない‥‥
   伝わらない……‥‥ 誰にも伝わらない……‥‥ 
   伝わったような気になることもあるが…… 
   それはただこっちで勝手に相手の心をわかったように想像してるだけで‥‥
   本当のところは結局わからない……‥‥わかりようがない‥‥
   それは……‥ 親だろうが……‥‥友人…… 教師……
   誰であろうと……‥ 例外なく無理なのだ……‥!
   心は解けない…… 心は……‥どうにも解けぬ‥‥ 
   袋小路‥‥迷路…‥‥!! 時に……‥その当の本人ですら迷い込み 
   出口を失う迷宮 伏魔殿 
   他人に解けるはずがない……‥ ゆえに……‥
   欲している……‥! 皆…… 理解を‥‥! 愛情を‥‥!
   求めている……‥‥ 求めて‥‥求めて‥‥ 
   求め続けて……‥‥ 結局‥‥近づけない‥‥! 
   ますます遠ざかるようだ‥‥
   誰も人の心の核心に近づけない‥‥ 
   世界に57億の民がいるのなら……‥‥57億の孤独があり
   そしてその全てが……‥‥ 癒されぬまま死ぬ……‥
   孤立のまま消えてゆく…‥‥! 
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』八巻、七六-八〇頁)

 第2のギャンブル「鉄骨渡り」の場面だ。地上10m程の高さに橋架けられた、幅が靴の横幅程(推定10cmか)の鉄骨橋、距離25mを、一本の鉄骨につき三人ずつにグループ化され、レースの駒にされるのだった。
 地上には安全な位置に、大金をかけて見物している大勢の下司な金持ちたちがいて、このレースを見物しているのだ。カイジは、一本道である鉄骨の先をいく者を突き落とせば賞金を得られるところまで進む。しかし、押せない、そのあまりにもか弱い、赤子のような「背」を目の当たりにすることになる。

   あまりに無力な背……!奈落ならくふちに泣く赤ん坊‥‥!
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』六巻、一四一-一四二頁)

 「押せない」。なぜだかわからぬ涙が溢れてくる。カイジの後ろからはカイジのことを突き落とさんとする男が歩み寄ってくる。「押さなければ押される」。この橋に限らず、世の中はポストの奪い合いだ。奪わなければ奪われ、騙されなきゃ騙され、裏切らなきゃ裏切られる。しかし、「押さない」。

   押さないんだっ!、押さなきゃ押されるとしても、押さない!
   オレは押さない!
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』六巻、一四六-一四七頁)

 そしてカイジは自分の背後から来る男によびかける、「おまえも押すなっ……!おまえも本心は押したくない……‥!押したくないんだっ……‥!」。と、これはことばの「啓示的機能」(レヴィナス)である。カイジは「背」を目の当たりにするが、これはレヴィナスの言う〈顔〉に対面することと同じなのだ。結局カイジ達は三人で縺れ、鉄骨に手をついてしまい失格となる。カイジは苦しむ、「押すべきだったのだろうか」と。自分のとった選択は正しかったのか、それとも間違っていたのか。
 『カイジ』では、勝つことにこだわっていた。しかし全編レヴィナスの思想、倫理と同じように、人をけおとして自分が勝つというセレクションは一切ない。
 とにかく「お金」を得ることができなかった。実はあとで発覚するのだが、そのレースの勝者に手渡されるのは、現金ではなく、一〇〇〇万チケット、二〇〇〇万チケットという極めて怪しげなものであった。憤慨する参加者(いわば「余興」をさせられたカイジたち)に、このゲームの総指揮を担っている利根川幸雄がもうひとつのギャンブルを提供する。「チケットを得られなかった者も、ついてくれば大金を得るチャンスがある」という胡散臭い説明に、取りあえずは着いていくしかないカイジを含めた「得られなかった」参加者達。彼らが目の前にするのはあまりにも酷な試練だった。それはカイジ達が「余興」をやったホテルのビルの屋上から、別館への橋を渡るというものだった。その橋はさっきの鉄骨と同じものだった。靴の幅しかない25mの鉄骨、しかも今度は地上75mの高さである。落ちれば「まごうことなき死」。しかしカイジは、この「渡りさえすれば文句なく一〇〇〇万円、二〇〇〇万円手にできる」という改正されたルールを受け、「人生で競争ではなく、ただ自分がやり通すだけで利が得られるまたとないチャンス」と解釈する。カイジは奮い立った他の参加者とともに、その命がけの25m鉄骨渡りに挑戦するのだった。「さっきやったことと同じだ」と。しかし「全然違った」。多くの挑戦者達が落ちて消えていった。それらを目の当たりにしたカイジは孤独に震える。そこでようやくカイジは「気付く」。それが、先の引用文(57億の民の話)だ。
 カイジだけではない、人はすべて孤独なのだ。レヴィナスも、人間を絶対的な孤独と見てモナドと言っている。「一箇の分離された《私》」である。しかし、ここで大事なのは、誰かの気持ちなど、誰も理解できないということではない。その証拠が無いからわからないだけである。そう、人の気持ちは理解できたかどうかワカラナイのである。だから理解しようとする心は何も悪いことでもないし、ムダな事でもない。いや、もしかしたらムダかもしれないが、ムダが悪ではないということなのだ。モナドについてはふたたび後述するが、要するに、人はわからない者同士だからこそ、何か共通点を欲しがるのだろう。本来なら無いはずなのに、どこかに共通点・基底・地平をイメージする。それがイデアかもしれない。そしてそのイデアをもとに共通点ができれば、今度はその座標系に従って差異を探せる。その共通点をみんなで、あるいはだれかが、決めたがるのだ。そうして決められたものが〈本物〉なのだろう。

 『カイジ』の話が長くなったが、さっきのつづきに戻ろう。〈本物〉ということを考えると、「どこかに作品の本質があるのだろうか」ということと、「私の作品は、作品らしくないといけないのだろうか」を考えてしまうのが常なのである。美術館にあるから作品、手をかけているから作品、評価されたから作品、認識されたから作品、こういう理由で作られたから作品……色々なことがいえるが、「これはきっと本物だ!」と思えるものを共通イメージとしている。いわゆる「作品」「作品らしさ」というものがこれにあたるのだろう。「本物」をイデアとすると見えてくるものがある。なんのことはない、私の敵である「作品」「美術」「作家」にはどれも「普通の」という修飾語がつく。そう、私は「普通」と戦っていただけだった。「普通の美術」をやってもなにもおこらない。なんだ、私の敵はこんな程度だったのか。
 「作品っぽく」「作品らしく」。これが美術における固定化されたイデア像なのだ。この「作品」という概念、感覚は、これが「作品」以外の何ものでもない事を指す。大多数の「作品」は、何かを表現したり、しようとしたり、貴重だったり、流行だったり、それっぽいところが出所だったり、展示場所に置かれていたりするのだろう。私は美術を専門に研究しているにもかかわらず、そういった一般的な「普通」の「作品」はもういいと思っていた。そんなものはいらないと思っていた。子供の時、「普通」を恨んでいた「普通」の少年だった頃からすでに、その意識はあった。私が肯定できる〈作品〉とは、イデアが云々とかいったものとは別に、作ったものという意味での〈作品〉だけだ。作った品という言い方すら受け入れられない。私はそういうやり方だった。
 例えば金(Gold)とかは、価値があるとされる。非常にわかりやすい価値観だ。それは比重が高いということになるのだろう。また、奇麗だったりするとそこに質も高いという付加価値がつくのだろう。きっとそれは世界に数や量が限られているから、誰もがわかりやすい共通の価値観を抱くのだろう。そこで考えてみる。重いということはつまり重力の影響を強く受けるということになるのだが、それが強ければ強い程、それは紛れもなく地球の中心へ向かう力が強いということである。つまり、金の価値は、地球の中心という「点」へ向かう能力が高いか低いかで、自らを決めるのだ。

価値が高い 価値が低い
長谷川清

 それはあたかもイデアという「点」を一〇〇パーセントとして、その分有率が高いのか低いのかを比べているだけの構図に終始する。なるほど、金(お金)に換算できないはずの美術、〈顔〉と対面する美術も、こうすれば金に換算されるのである。それに対し、始原的な地球・大地に根を下ろし、天へ向かって伸びていく木は、イデアからのがれて、それぞれの「天」(マイ・イデア)を目指すのだ。そういう意味で私の作品と、世界の動きは、真逆の関係にある。なるほど、私は〈理解〉されないわけである。地球の中心の「点」と私が目指す「天」、この比喩は重要だ。

   享受されることにおいて質は、なにか或るものの質なのではない。私を支え
   る大地の堅固さ、私の頭上にひろがる空の蒼さ、風のそよぎ、海の波浪、光
   の煌めきといったものは、なにかの実体に懸かっているものではない。それ
   らはどこでもないところから、到来する。どこでもないところから存在しな
   い「或るもの」から到来し、あらわれるなにものも存在しないのにあらわれ、
   したがってまた、私がそのみなもとを所有することができずに、絶えず到来
   する。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、二八一-二八二頁)

 「〈他〉が到来し続ける世界」では共感を保証する絶対的な客観・実体・イデアはない。存在者が出来する存在という「地平」もないし、「共同存在としての間主観性」もない。「〈他〉が到来し続ける」この世界において、イデア・実体はつかめない。それはイデアがあらかじめどこかに固定され実在したものでは決してなく、それ自体も進化し続けているからだ。だからつかめないのだろう。ないのとつかめないのは全然違う。このレヴィナスのことばは、第二部でも再び引用するが、その反イデアとなるものが「空の蒼さ、風のそよぎ、海の波浪、光の煌めき」といった始原的なものであると、レヴィナスは言っているのだ。                                                                                              

 それにしても、〈他なるもの〉を目指せば目指す程、私は現実に打ちのめされ、鑑賞者には〈同〉にされるがままで、そのうちなにもかもワカラナくなってゆくのだった。あまりにも自他ともに理解できなくなると、時々思ってしまう。「私はこれでいいのだろうか」と。まぁ出港したのだ。走り出したのだ。とにかくやるしかあるまい。

3 似ているということ、迷宮


 そもそも私はレヴィナスを読む前から、「何かに似ている」時点でその作品の価値は無いと思っていた。鑑賞者に「この作品は、○○に似ているね」と言われた時点で、おしまいだと思っていた。リンゴに似ているのであればリンゴの方が良いし、フランスパンに似ているのであれば、フランスパンを超えられないだろうし、TVゲームでサッカーをやる意味が私にはわからなかった。  
 〈似ている〉ということは〈本物〉に近いということなのだろう。どこかに固定された〈本物〉のイデアを基準にしているのだろう。要するに「普通」っぽいということだ。そりゃあどれだけリンゴに似ていてもリンゴにはなれないし、おそらくリンゴを超えることは出来ないだろう。しかし、リンゴを超えたリンゴとは一体なにものなのだろう。それは座標軸上に点が置けるのだろうか。オリジナルといえるのだろうか。いや、そもそも座標軸というものはないのだ。とにかく〈似ている〉というものはきっと座標軸っぽいところに点っぽいものを決めるようなものだ。それはコミュニケーションのあり方なのだろう。しかし、地盤はグニャグニャだ。そういったあやふやな、不安定なもののことを、〈似ている〉ということにしているのだろう。鑑賞者が作品を見る時に、自分の過去の記憶の中から最適なものをピックアップしてきて、「ああこれは○○に似てるよね」と気づく構造は、免れないかも知れない。人は模倣ミメーシスからしか出発できないからだ。人は〈同〉としていくからだ。だが、そうだとしても、それは始原的なもの、〈他〉が前提されていての上での話である。
 
 闇が黒いものだとは誰も言っていない。暗いイメージがそうさせるのかもしれない。闇は白いかもしれない。光が強すぎて明るすぎて何も見えない状態も闇というのかもしれない。そう考えると何でも程々が良いのかもしれない。極端だから、行き着くところまで行こうとするから、見えなくなるのかもしれない。私はいつしか白い世界も黒い世界もとっくに飽きてしまい、具体的に何かをイメージすることにした。それは巨大迷路だった。安直なイメージだが冒険心をくすぐられた。その迷路を私は〈迷宮〉と名づけた。私の制作「迷宮シリーズ」はいわばこの迷路を具体的にしたものでもあった。先の『カイジ』の引用文にも「迷宮」があった。だれもが「迷宮」の中にいるのだ。

 ここで「迷宮」について考えたい。
 私は「迷宮」の中にいるといったが、そのことを具体的に作品にしたいと思っていた。だから、私は日常の生活の中にとけ込むように、しかし、よく見ると気付ける程度に、「迷宮」を作った。『This is a迷宮kaleidoscope』(作品15、以下『迷宮』)がそうである。この作品は金沢駅の地下広場にある30×30m程のスペースの床(地平)にとびとびで敷いてある赤色のタイルを赤のビニールテープで繋いだり繋がなかったりして迷路にしたものだった。「迷宮」というキーワードから連想したものは「巨大迷路」だった。20cm程の長さのテープは約三五〇〇カ所に貼られた。でもこの作品は、そうした量を見せたいわけではなかった。
 私はこの作品の制作後、大きな失敗に気付いた。それはこの作品が「迷っている」ことであった。実際、この時の私は制作に対してだけではなく、様々な事に対して迷い悩んでいた。お金もなかったが、それは二次的な問題に過ぎない。私の作品はいつも私の心が表れてしまう。意識せずとも、その時その時の思考が作品となるのだ。私は迷っていたので、それが作品に出てしまい、結局その『迷宮』は迷っているだけの中途半端な作品になってしまった。「迷い」を作りたかったのに、私自身が迷ってしまっては、「迷い」の質がズレてしまい、『迷宮』のはずが、それよりもさらに不可解な、わけのワカラナイ作品になってしまった。それが許せなかった。当時の迷っている私だったら、何も床に迷路を描かなくても、『迷宮』が作れただろう。そんなに固く考える必要もなかったことが後でわかるようになるのだが、この頃の私も、「作品」というものに縛られていたのだろう。そう、「作品」に〈似ている〉だとか、「迷路」に〈似ている〉だとかに執着し、それ以外の大事なところを見落としていた。私は、このビニールテープを貼る作業が大掛かりになると思い、制作時に助手を三人つけた。それぞれにテープ貼りを任せたのだが、にもかかわらず、この作品を「私の作品」に仕上げねばならないと思い込んでいた。ほんとは自分一人でやりたいが、時間や条件の関係で一人でできなかったということを、もどかしく思った。この統合できない助手という言わば〈他者〉との共同作業的な関係にもかかわらず、私は私の結果を出さなければいけないという、「作品化」することへの悩みが、「これでいいのだろうか」と迷い、作品に出てしまった。当時の私はそれが悟られないように、「これでいいのです」、「私の作品です」と言いきったが、バレバレだったはずだ。つくづく考えている事は作品や行動に表れてしまうものだと感じた。
 とにかくどうやって、〈本物〉と〈偽物〉を超えていくのか。相対主義の世界では本物と偽物の区別自体が成立しないのだ。「私の作品」という本物を、いわば〈他なるもの〉としての私の作品を、私は目指したのだった。この相対主義の「迷宮」に、ゴールはあるのだろうか。

4 〈偽物〉とムダ

 デュアルコアということばをご存知だろうか。簡単に言えばパソコンの中にある頭脳CPUが二つあるということだ。私はこのことばを耳にするようになるよりずいぶん前から、この構造を実感していた。それは常に何かを考えているということだ。例えば制作アイデアのことを考えていたとする。そしてその状態で普通に生活し、授業に出て、バイトをし、遊ぶ。何かを考えながら、またそれとは関係ないことをまた同時に考えている。登山をしている時にドラクエのことを考えている。この感覚だ。こういった思考ではひとつのことに集中できないと思われるかもしれないが、私は常に複数の事柄を同時に思考するこのやり方で、私自身の思考回路をトレーニングしてきた。時にはシングルコアに集中して全力で考えなくてはいけないこともあるということに最近気づいてきたが、いまのスタイルをやめるつもりは無いし、さらに発展してトリプルコアを試そうとしているところだ。この思考により私は瞬発力とあらゆるものをジョイントする力を鍛えた。例えばAという思考と同時にBを思考する。同時に思考することによって全然関係のない両者に他人とは全く別の観点から共通点を見つけ出す。それはいい思い付きなのか悪い思い付きなのかはわからない。ただひたすらAを思考してからつぎにBを思考する順番型に比べて、よりアクティブに思考が溢れるはずである。もちろん最初からそれを意図して行ってきた訳ではない。もともと空想が好きだった夢見がちな少年だっただけかもしれない。すっかり歳をとってしまった。だが、ムダにムダを考えることは嫌いではない。なぜならその先には私だけのすばらしい「気付き」があるからである。

 私は気付いてきた。〈偽物〉は、イデアとはまったく関係ないところで成り立つ、〈本物〉の要素などどこにもないさまである。〈本物〉からなにかあるものが欠けたのではない。また、〈偽物〉のイデアがあるわけでもない。〈偽物〉は〈偽物〉だし、それは〈ムダ〉ということでもある。
 〈ムダ〉とは、〈似ている〉〈似ていない〉といったようなものではなく、「意味がない」ものではあるが、「意味がない」という意味さえないものである。〈ムダ〉と〈偽物〉の両者は〈本物〉ではないということではなく、イデアの次元から離れたものである。『迷宮』(作品15)を制作した頃からだろうか。〈ムダ〉にテープを貼ったのだろうか。それとも〈ムダ〉ではなかったのだろうか。そんなふうに、そのころから私の中で〈ムダ〉というキーワードが自覚されてくる。〈ムダ〉とは、似ている、似ていないといったようなものではなく、本物ではないということですらなく、イデアの次元から離れている。〈本物〉に〈ムダ〉が附随することによってそれは〈偽物〉になってゆく。

 〈本物〉に〈ムダ〉が付随することによってそれ自体が〈偽物〉になっていく。作品に〈ムダ〉に〈ムダ〉を重ねて作品ではないものを目指し、「いわゆる作品」を越えようとするマキシマム・アートは、イデアから離れることによって、〈無限〉もしくは〈他なるもの〉を目指した制作だったのだ。

 『I.E.S.kaleidoscope』(作品14)を制作することによって私は〈本物〉と〈偽物〉について考えることになったのだが、私が作った作品における〈本物〉か〈偽物〉かどうかの証拠品は誰も回収できないことがわかったとき、私は〈本物〉と〈偽物〉の区別はそんなに重要ではないことに気付いた。世界は決定できないカオス、相対的なものだ。それに気付くことの方が重要だったのだ。だから、実際の車とこの作品を見比べて走らないから劣っているだとか、車よりピアノに似ているだとか言われることのくだらなさに気付いたのである。もうひとつ重要な点を強いて挙げるとするならば、それは〈本物〉と〈偽物〉を決めるタイミングにあるようだ。さっきまで重要だったティッシュペーパーが、使用直後からゴミになる。高性能なチューンドカーも、クラッシュしてしまえば即ゴミになる。もしくはそれはガソリンがなくなった時なのか。それぞれにそれぞれのタイミングでものの価値が決まるのだろう。雨の日を喜ぶ人がいるように、もののとらえ方は相対的であり、〈無限〉にあるといえる。そう、〈ムダ〉は〈無限〉にあるのだ。
 この作品にはそれとは別にもうひとつの意図があった。それは、「永久機関」を作るということだ。タイトルのI.E.S.は、infinite electric system(無限の電力機関)の略語である。私は動きのある作品を作ろうと思って以来、作品が動くエネルギーをいつも作品内だけで完結できるような仕組みを考えていた。具体的に言えば人力、モーター、ブロワー、電池や外部の電気入力に頼らないものを作りたかった。手動でハンドルを回して動力を得るシステムは、それはそれで機械を操作しているというダイレクト感が魅力的だが、何にも頼らずに作動している仕組みを作れば、作品が自立するのではないかと、その可能性を追い求めてみた。しかしそれはかなわず、私の作品はいつもコードとコンセントのプラグがまるで尻尾のように飛び出し、壁面のコンセントにささっていた。この作品もやっぱり外部入力が必要だった。この時はコンセント、乾電池を使用していることを隠すのを、意図的にやめたのだが、その意図は「有限」と「無限」のことを考えるというところにあった。どんなに『infinite』と「無限」をうたっても、結局それはかなわない。だからそういう意味で物理的に無限などありえないのだ。
 まともな写真さえ残っていないが、永久機関の続編として『K.Y.S.kaleidoscope 無限とともにいいきる』(以下『キヨシ式永久機関』)を制作した。博士課程二年の後期の頃『I.E.S.kaleidoscope』(作品14)のあとのことであった。

『K.Y.S.kaleidoscope 無限とともにいいきる』2007年
長谷川清

 実はここで矛盾が起こる。私は『I.E.S.kaleidoscope』(作品14)において、「無限」は物理的に達成できないとしたにもかかわらず、「永久機関」を作ろうとしたことだ。私は『I.E.S.kaleidoscope』(作品14)で、言いたかったのは、敢えて外部入力を強調することによっての「無限」の物理的不可能性を提示したかったのだが、私はそれでも私にだけは、努力さえすれば「永久機関」は作れると信じていたのである。何ともバカな話だが、前者は「物理的無限の電力の否定」で後者の『キヨシ式永久機関』は「私にしかできない永久機関の実現」がテーマだったのだ。本気でノーベル賞をねらっていた。バカの本気は時としてあなどれない。K.Y.S.とは、kiyoshi式yawn(欠伸あくびがでるくらい退屈な)systemの略である。これは水車で発電ダイナモを回して電気を発電し、その電力でポンプを作動させ、送った水でまた水車を回すという、循環的に作動する作品だった。私は鉄で水槽と水車を作り、灯油を吸い上げる三ボルトで作動するポンプと、同じく三ボルトを発生させる手回し式懐中電灯を買ってきた。それらをジョイントさせ、私はエネルギーが循環する仕組みとした。動作チェックをした。発電機を電動ポンプに繋いだ。発電機のハンドルを回すと電気が発生し、ポンプは作動した。私はこの時点で永久機関の完成を感じた。これができればすごいことだ。しかし、やっぱりそれはかなわなかった。ポンプで送り出す水の量が少なすぎたのか、水車が小さくて回る力が足りなかったからかわからないが、エネルギーは循環しなかった。非常に残念だ。私は水車の近くに大きめの扇風機を置き、水車に向かって最大パワーで風を送ることにした。水車は水を受けるために設けられた小さな羽に風が当たることによって、回転し出した。しかし、電動ポンプが満足するような電力は起こせなかった。また失敗に終わった。ここで、私はエントロピーの法則で、永久機関ができないことをもちろん知ってはいたが、敢えて挑戦した、と言えれば少々カッコウはつくのだろうが、残念ながら私にはそんな知識はなかったのだ。学校で習ったはずだが、とっくに忘れていた。本気で永久機関を作ろうとしていたのだ。循環的な作動するシステムは、オリジナルのアイデアだったのである。論文指導の先生からは「バカか天才か」と言われた。色々な物理法則も言われたが、それでもそんな数字上の話、信じられなかった。ここで言いたいのは、私が無知だったということではなくて、私は実体験を伴わないと納得できないということである。とにかくやってみないと信じられない性質たちなのである。だって、今までの歴史を振り返ってみても、いつも何かは何かを超えてきている。ほんの数十年前は信じられなかったことが今では簡単に行われていたりする。治らないはずの病気が治ったり、できないはずの加工ができるようになったり、世界のいろんなところが光ファイバーで繋がったり、安泰だった地球がピンチを迎えたり、空想の世界だったものが次々に現物化してくる。だから、私は間違ってなんかはいない。ただ、自分を信じて作るだけだ。失敗してもいい。バカは死ななきゃ直らない。ありがとうみんな。
 この後ふと思ったのが、〈他者〉のことだった。この作品には風の力という〈他者〉が絶対必要なんだと気付かされたのである。記憶をはじめ、すべては何か別のものを頼りにして動いているということだ。どうしても〈他者〉が必要だというこの構図はこの作品だけのことではない。永久機関は失敗したが、この「気付き」の瞬間、私は成功したのだ。〈迷宮〉のゴールにたどり着いたのである。だから完成としたのだが、この作品は作品であると同時に作品からはものすごくかけ離れているのを私は感じた。この時、私は「作品とは何か」に気付いたのかもしれなかった。
 何かに「気付く」とは私が私を超えた瞬間なので、それは〈迷宮〉のゴールにたどり着いたということでもある。もっとも、それはほんとに一瞬のことなので見逃してしまう危険がいつもある。
 私はこの作品『キヨシ式永久機関』を制作した当初、やろうとしていた永久機関ができず、そういう意味であまりにも失敗が大きかったため、この作品が成功していることに気付くのが遅れた。私はこの時「気付き」を見誤ってしまっていた。私はこの作品をすぐに解体した。消してしまいたかったのである。だからこの作品に関する資料は殆ど残してはいない。ボツにしたのだ。この作品を完全に消してしまった後、ようやく先に述べた〈他者〉が必要なんだということに「気付いた」のである。またしても「気付く」のが遅かった。私は欠伸をした。
 「迷宮」の中での過ごし方について、「迷宮」のゴールと「迷宮」に住むということについては、第二部でふたたびふれることにする。

D 〈同〉と〈他〉、あるいは嫌だったこと

1 ことば嫌い

 私は何もない道を真直ぐに進んでいた。それは誰も通ったことのない道だった。キラキラと白く輝くどこまでも続いてゆく道だった。そう、私の道、我が道を行くとはこういうことを言うのだと思っていた。時には走ったり、立ち止まったり、振り返ったりした。「思いのままに」「欲望のままに」、作っていた。それでいいんだと思っていた。とても歩きやすい平坦な道だった。あるとき私は自分が歩くその道の先に人が歩いているのを発見した。暗い闇の中、その人陰が一歩ずつ足を進める。その足下から光が生まれていた。道が、光の道が生まれていたのだった。その後ろに私がいたのである。私ははっとした。「私が今歩いている道は私の道ではない!」
 私は誰かが作った道を何の恥じらいもなく、意識もなく、その鋪装されたアスファルトをのうのうと歩いているだけだった。「これじゃあダメだ」と思った。アスファルトにチョークで落書きをしているほうがまだいい。しかし、ほかにどうすることもできなかった。私はただその道を頼りにするしかなかった。そんな道は必要無いと心のどこかで思っていたにもかかわらず、私はその道を行くのだった。

   なんのことはない‥‥みんな消極的とはいえこの班長に協力
   していたってわけだ……!一方で‥‥班長の強権に不満…‥
   不平を抱いているはずなのに……‥‥
   一方で協力しているみたいな‥‥そんな……精神……
   大嫌いだっ‥‥!班長も嫌いだが‥‥オレはそういうどっち
   つかずのぬらぬらした奴‥‥そんな奴らも‥‥
   大嫌いなんだ……‥!
   (福本伸行『賭博破戒録カイジ』二巻、七三-七四頁)

 数々のギャンブルをなんとか凌いできたカイジは、とうとう行き着くところまで行ってしまう。もう、カイジには、ギャンブルの負けが重なりすぎていたので、これら、黒く怪しいギャンブルの企画、元締めをしていた金融会社「帝愛グループ」の役員に取り押さえられ、地下の強制労働施設に送り込まされてしまう。そこでは「帝愛グループ」の地下王国の建設のために、ただひたすら穴を掘り続けるという労働を強いられていた。もちろん泊まり込みの最低限の生活で、いっさいのプライベートがなく、労働現場は粉塵が多く、劣悪であった。そんな環境の中、カイジは借金をすべて返済し終えるまで、十数年働かなくてはならないのだ。周りの人間も、カイジと同じように帝愛に借金があり、強制労働させられている連中だった。そんな連中の娯楽といったら、ほんのわずかな給料を消費してのケチな飲み食いや、三つのサイコロをドンブリに投げ入れ、出た目の大小で決着をつけるという「チンチロ」というギャンブルだけだった。これが、『カイジ』第4の山場である。
 カイジは、この「チンチロ」に勝って、ムダに消費してしまった給料を取り戻そうとした。しかし、その、カイジたちの部屋・グループを仕切っている班長の行う「チンチロ」には、イカサマの要素があった。カイジはまんまとその戦略に落ちてしまい、こんな地下に来てまでも、また、借金を背負うはめになる。結局その時の「チンチロ」大会は、カイジと三好という二人の新入りを陥れるために班長がその部屋の連中を操作して計画したものだった。
 人は多かれ少なかれ世の中に対してどこか不平不満を抱く。嫌だと思っていてもしかし、それに目をつぶっていかなくてはいけない事がある。その時、自分をどこまで許せるのか、それとも自分を押し通せるのか。カイジは意志の弱い、他人に流されっぱなしでどうしようもない連中を目の当たりにする。彼らは今の現状に不平不満を抱きながら、しかし上司にあたる班長には頭が上がらず、班長の傲慢さを嫌っているのにもかかわらず、班長が怖いので言いなりになっている。そんな彼らをカイジは軽蔑した。それが、先の引用文だ。しかし、カイジは、班長の指示で動かされている彼ら全員に一杯食わされ「チンチロ」で大負けしてしまう。
 ひとの作った道、その地平を歩いている。「気付かず」に。
 私は表現する時において、とにかく「ことば」を避けてきた。作品の解説もしたくはなかったし、作品タイトルをつけることすら嫌がっていた。それは私にことばでの表現能力がある、ないの問題ではなく、作品を作ることを選んだ時点で、ことばを放棄するべきものだと思っていたからである。例えば、3の作品のタイトルは『続・エロティック2003 ”RシリーズNo.7”2つの空もしくは昇竜もしくはドリルもしくは薄っぺらいただの一枚の鉄板もしくは絵画と彫刻の融合を計った実験もしくはゴミもしくはオブジェもしくは落書きもしくは静かな空の中で激しく暴れる手足の無い蛇のような尾の大きい竜もしくは…結局のところことばはいらない。Erotic 2003 to return "R series no.7"Twinsky or Rising Dragon or Rery thin boardor "painting & sculpture" or Dust or Object or Scribbling or The silent sky in the Dancing Snake Dragon or...This is no name』という長いものである。後半は英訳のようだがそうではない。全部がタイトルなのだ。
 ムダなことだが一応説明すると、続・エロティックというのは、前作『エロティック2001』(作品2)の続編にあたり、Rシリーズという「曲げること」に着目した作品の第7番目であるという意味である。2つの空というのは作品の内側に描かれた荒れ狂う雷空と、外周に描かれたさわやかで、穏やかな青空である。絵に着目すれば昇り竜だが、形に着目すればドリルだ。いや、ただの薄っぺらい既製の鉄板だ。そう言う意味で彫刻と絵画を融合させようとした実験でもあったし、言い方によってはこれはゴミだと言えるし、これこそが作品だとも言える。落書きだが、まじめに見れば、静かな青空の内側で激しく暴れる蛇のような尻尾の大きい竜であると、色々言える。英語表記にしてみたり、数々のことばをヒントとして残したりしたとしても、結局のところ、ことばは必要ない。とにかく長くした。ことばの飽和状態だ。暗記できない。長すぎて、誰も覚えてはくれないだろう。私でさえ、正確に覚えてはいない。しかし、そっちのほうが都合がいい。
 私は以前からキャプションの存在も否定してきた。なぜならそこに書かれているタイトルが「ことば」だからである。本来作品はことばでは言い表わせるはずもないのに、なぜことばを必要とするのか、私には疑問であった。私はことばで作品を補足・捕捉するようなことはしたくなかった。作品の分類や記録のために記号や数字を使うのなら解るが、ことばを書いてしまったらその作品はもうそのことば無しでは鑑賞されない、つまり正しく解釈できないか、それともことばだけ残って作品自体が必要でなくなってしまう恐れがあるのではないか。あるいは、そのことばによって「正しく鑑賞」されてしまう。私はことばで作品を説明したくはない。ことばで表現できないからこそ作品を制作していたのではないか。また同時に、自由に作品を見てもらいたい。だからといって「無題」「アンタイトルド」としたり、タイトル欄を空白にしたりするのは「タイトルはつけてないから自由に受け取って下さい」という「ことば」を発しているのと同じなので、したくはなかった。そもそも、「無題」「アンタイトルド」も今では充分にタイトルになっていると言える。
 そこで鑑賞者にタイトルを読みにくくさせる方法を考えた、それがこのようにキャプション一杯にことばを書き連ねて長くし、鑑賞者に読む気を無くさせる方法であった(無邪気にああだこうだしていたが、結構おもしろいアイデアだ)。
 しかし、これらのタイトルやキャプションにおける問題はたいしたものではなかった。
 まず、キャプションには利用するべき特徴がある。それは鑑賞者のほとんどがキャプションを見る(必要としている)ということである。そこで私は考えた。作品はキャプションだけで成立するのではないかと。
 『This is a c.kaleidoscope』(作品13)がそれである。この作品は『This is micro kaleidoscope』(作品9)を制作した後、作品をここまで小さくできたということと、鑑賞者のほとんどがキャプションを見る(必要としている)ということを考えた時、作品はキャプションだけで成立するのではないかと閃き、制作したものだ。
 もうひとつ、ことばのはたらきは、〈同〉とすることばかりではないらしい。レヴィナスはこう言う。

   思考する者を思考のモメントとしてしまうことは、ことばが有する啓示的な
   機能を、概念の整合性を翻訳することばの一貫性へと制限してしまうことに
   なる。そうした整合性のなかで、思考する者である唯一の〈私〉は蒸発して
   しまうのだ。ことばの機能はその場合、この一貫性を切断し、まさにそのこ
   とで本質的に非合理的なものである「他なるもの」を抹消することに帰着す
   るだろう。これは奇妙な帰結である。ことばは〈他〉を〈同〉と一致させる
   ことで、〈他〉を抹消することになる!けれども表出の機能にあってことば
   が維持するものはまさに、ことばが宛て先として指定し、ことばが呼びかけ、
   ことばが祈りもとめる他者にほかならない。ことばのはたらきはたしかに、
   表象され思考された存在としての他者に祈ることにはない。だが、
   ことばランガージュが主観―客観関係に還元不能な関係を創設するのは、
   このゆえにである。つまり〈他者〉を啓示するからなのである。
   この啓示においてこそ、諸記号の体系としての言語ランガージュがはじめて
   構成されうる。呼びかけられた他者は表象されたものではなく、
   与えられたものでもなく、ある側面をすでに一般化にゆだねた一箇の特殊な
   ものでもない。ことばは普遍性と一般性を前提とするどころか、その両者を
   はじめて可能にするものである。ことばは対話者たちを前提し、多元性を
   前提している。対話者たちの交渉は、一方によって他方が表象されることで
   はなく、言語という共通平面において両者が普遍性にともにあずかることで
   もない。すぐあとで語るように、対話者たちの交渉が倫理なのである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、一三二-一三三頁)

 レヴィナスは、ことばに「概念の整合性を翻訳する」機能すなわち〈同〉をみつつも、その本来のはたらきを「啓示的な機能」とする。そしてまた、普遍性があるからことばが通じるのではなく、ことばが多元性(〈他〉がいること)を前提しているのだ、とも言う。つまりことばを語る時点ですでに〈同〉とすること、〈他〉同志であるしかないということ(多元性)を前提している。私の気持ちから一番近いと思われる「楽しい」を聞いたあなたは、「楽しい」という共通の気持ち、意見を見て取るはするが、同時にあなたの考える「楽しい」と私の考える「楽しい」は等しくないということも見て取ることができる。つまり、一見共有しているようで、実はそれぞれが別々だということを、ことばこそが可能にしている。
 要するに私は「ことば」を〈同〉としてしか見ていなかったがために、ことばの可能性と不可能性を勝手に決めつけてしまっていたのである。これはいけない。レヴィナスのように〈他〉への可能性も考えてみるべきである。
 ことばは、私自身がつくったものではなく、他の人、過去の先人がつくったものだ。つまり「既製品」だ。共同の「地平」だ。そう考えると、私は、ことばでは人真似しかできないような気がしていた。何かを新しくつくることができないものだと思い込んでいた。自分がただ歩かされているだけであることに気づくが、しかしそこから抜けだせない。結局その道を行くしかないのかと半ば諦めていた私だったが、その道の中でもその気になれば可能性はいろいろあるのだと考えさせられた。
 レヴィナスは「ことば」に〈同〉にするというだけではない可能性、〈他者〉への、〈他者〉からの啓示の機能を見出そうとしている。それに対して私は、その可能性を、「ことば」よりも「作品」に求めたのだった。ここで考えてみる。レヴィナスにとって「ことば」も「作品」なのだろう。同じようにして、私も「ことば」に「作品」のような可能性を考えるべきだと思った。私はレヴィナスに歩み寄って、「ことば」を〈同〉にするためのものではないあり方を探した。レヴィナスにとっての「ことば」、私にとっての「作品」、この二つのあり方については第二部でくわしくふれることになるだろう。
 私が、大学に入り、最初にことばを肯定的に受け入れることができた作品が『This is a c.kaleidoscope』(作品13)であった。この作品はまた、万華鏡でもある。この作品について、次節でも考えてみることにする。


2 自由に感じる=無限のイメージ

 作品名にkaleidoscopeとつけた万華鏡の仕組みを取りいれたシリーズのタイトルは、ただ単に万華鏡を英語表記にしただけだった。『満たす為に』(作品4)から始まって、具体的に万華鏡の中の映像を見ることから遠ざかっていったとしても、それは以降の私の作品に大きく影響した。私は自分の作品を、万華鏡を超えるために万華鏡から遠ざけようとしたときもあった。しかし、kaleidoscopeとはカロス、エイドス、スコープを語源としており「美しい形をみる」ものと直訳できる。だから、様々なものが移りゆくカオス(景色、この世界)を覗きみる。そしてそのカオスは私のえらんだ「美」、つまりそれはマイ・カオスである。
 私は『満たす為に』(作品4)『This is pink mechanism 2』(作品8、これも万華鏡である)の作品をつくったあとに、これら程大きい常識はずれな万華鏡はそうはないだろうとタカをくくっていた。しかし当然のように、上には上がいた。もっと大きな万華鏡があったのだ。愛知万博に登場した世界最大の万華鏡を目の当たりにした私は、しかし、その大きさのことよりも、藤井フミヤが作ったということよりも、多人数が同時に鑑賞できるシステムを単純に成立させていることにこそ驚いた。しかし、多人数が同時に鑑賞できるシステムについて、そのショックに一時は挫折したものの、私はそれに負けないものを作ろうと思った。

 具体的には世界最大に対抗して世界最小の万華鏡を制作したのである。今度は一人ずつ覗くのでもよかろう。それが『This is micro kaleidoscope』(作品9)である。この作品は直径4. 25mm、長さ10.5mmという非常に小さい万華鏡(世界最小といえる程の大きさ)を制作し、上部から拡大レンズを通して覗けるようにした。下部の車輪を手で回すと万華鏡の中の景色が僅かに変化して見えるようになっている。この作品を制作した時に私は私の作品の中に新たな発見をしたのである。それは、鑑賞者が見えにくいものを見ようとする時、鑑賞者それぞれに異なったイメージが見えるということである。例えば、ナスカの地上絵は、上空から見てはじめてその姿を現す。地上にいながらその全体像を解読することはとても難しいはずである。でも、その姿を想像することはできる。認識できない物を目の前にした時、人は「これは何だろう」と想像する。人それぞれが別々の想像をするはずなので、そこには無限のイメージが生まれる。
 万華鏡を小さくすることによって、本来見えるはずの中身(中の景色)が見えにくくなる。それが想像を沸き起こすのだ。表現とは鑑賞者それぞれが自由に受け取るべきものであり、言い換えるなら鑑賞者の数だけ感動(作品の完成)があるのだと私は考えた。人(鑑賞者)それぞれが彼等の固有の記憶等に基づき抱く別々のイメージ、それはまさしく無限のイメージではないだろうか。そう、主体こそが〈無限〉なのである。もっとも、藤井フミヤの万華鏡もそれぞれの人が一カ所の点に重なって立つ事はできないので、そういう意味で大多数でありながらも、全く同じ映像を共有しているのではないことに気付いた。私の鑑賞力はここまで来ることができた。
 『This is pink mechanism』(作品7)にも触れておこう。この作品は四人そろってはじめて鑑賞できるシステムにした。万華鏡は本来、一人で回し一人で覗くという、閉ざされた〈無限〉である。私はこの構造を変更すれば、既成の万華鏡を超えることができるのではないかと考えた。部屋の中心に万華鏡の本体を縦に置き、下部に三つのドレスアップした自転車のホイールを設置した。ホイールはそれぞれ三方向に設置されたハンドルにプーリーでジョイントしてある。ピンク色を前面に押し出すために、私はプーリーのベルト部分をゴムではなく、ピンク色のビニールの縄跳びに置き換えた。それぞれのハンドル回転式ホイールは独立しており、三人がそれぞれ操作できるようになっている。万華鏡の中身の映像は、デジタルカメラ(以下デジカメ)に接続され、ハンドルを操作する者には見えない位置に設置されたTVモニタに映し出されるようになっている。なぜ、万華鏡の映像をデジタル変換したかというと、ただ、面白かったからである。『満たす為に』(作品4)を制作した後に、私はそれの記録写真を撮ろうと、デジカメを使った。私はその『満たす為に』の覗いた先の映像をデジカメで納めようとした時、肉眼で覗いたときとはべつの、新しい感覚を得たのである。デジカメ特有の映像変換時におけるタイムラグと、粗い解像度のドット絵が、私にとって新鮮だったのだ。そこで今回はそのデジタルなのにタイムラグのあるドンくさい、どこか懐かしい映像を提供することにしたのだ。そして私は万華鏡を回して映像を操作する者と、その映像を見る者とを分離した。数々の機械を使用しているのにもかかわらず、古臭いものが現れた。これ以降のカレイドスコープシリーズにはデジタル式のカメラが使われるようになった。同時にその映像をTVモニタに映し出すことによって開かれた〈無限〉としての万華鏡を目指すのだった。
 『This is small kaleidoscope』(作品11)についても話そう。この作品は直径10mm、長さ20mm程の小さい万華鏡で、直径3mの鉄製の巨大ホイールを回しながら覗くというものだ。そのホイールには直径1~6mmの小さな穴を無数に、ランダムに空けた。この作品の展示場所の床面のちょうど万華鏡の真下にくるようにCD(コンパクトディスク)を表を天面にして(虹色に光る方がCDのオモテである)貼りつけた。万華鏡の本体は普通、20cm程の長さが必要だ。人の焦点はそれだけの距離が無いと定まらない。私は本体の短い万華鏡の映像をピンぼけさせずに得るために、焦点距離が調節可能なCCDカメラを使用した。そのキャッチできた映像をピンク色に塗られたTVモニタに接続した。床面に貼りつけられたCDに反射した光が、鉄製ホイールの小さな穴を貫通し、小さな万華鏡の鏡に反射して、その映像がCCDカメラを通してデジタル信号に変換され、TVモニタに映し出されるという構造だ。変換の嵐だ。すごくムダな遠回りをしているかのような構造だが、それ以上の効果があった。本来、万華鏡の映像は、三角形の集合体となる。そのうちの、真中にある三角形を基準として、放射線状にその三角形がコピーされていく。この時の真中にある三角形をリアル・トライアングル(R.T.)とし、それ以外の三角形をコピー・トライアングル(C.T.)と呼んでおこう。普通の万華鏡はR.T.がひとつだけあり、ほかは全部C.T.となる。

CTとRT
長谷川清

 この『This is small kaleidoscope』(作品11)も万華鏡に写された鉄製ホイールの小さな穴の映像はR.T.とC.T.の関係に準じている。しかし、それらの小さな穴から覗くCDからの反射された光は、それぞれ虹色に輝くのだ。ひとつの穴の色が、バラバラに輝くのだった。CDの反射光は、見る角度によって色が変化するからなのだ。これはすべてのトライアングルがR.T.になってしまうという奇跡を生んだ。コピーの消滅である。本物と偽物の関係がいっさいなくなり、すべてが〈他なるもの〉になった瞬間であった。

『This is small kaleidoscope』(作品11)も、万華鏡を操作する者とTVモニタを見れる者とは分離してある。もちろんこの時には、人間は「一箇の分離された《私》」だとか、あるいは「二者の隷属関係」が生まれることになるなど、考えもしなかったが。

 先にもとりあげた『This is a c.kaleidoscope』(作品13)の意図は、キャプションだけで作品が成立するのではと思ったこと以外に色々あるが、そのうちの一つを話すと、この作品のポイントは作品を貫通する穴にある。実は万華鏡の中の模様や歯車に描いてある絵に意味は無く、重要なのは貫通しているということなのである。そこには私の無計画制作における「完成」の定義がある。私の制作の完成とは、あらかじめ予測していた目的地、ゴールを貫通した先にあるものであった。この頃から、ゴールというのはいわゆるゴールのその先にあると直感していた。私は目標を立て、それに向かって取りあえずは進むが、その目標に辿り着くことがすべてではないと考えてきた。『へんたいまん』(作品20)が一〇〇〇〇コマを過ぎても、まだ終わらないのと同様に、また計画通りに事が運ばないように、私はとりあえず予想したゴール(そういう意味ではもはやゴール・目的地ではないかもしれない)を超えていき、私自身にも想像がつかないところに辿り着くことを、目指していた。それは〈手に負えないもの〉であり、まったく予測不可能な、〈他なるもの〉を目指すということだった。だから自分の制作が途中で脱線し、別の方向へ行ったとしても、それは失敗でもなんでもない。厳密に言えば、成功でもない。なぜなら私はワザと脱線・失敗するように作っているのではないからだ。それでは計画になってしまう。私は後先考えなしに作る。それで、後からああだこうだ言えばいいのだ。私は例によって、意図した訳でもないのに、『This is a c.kaleidoscope』(作品13)に、ゴールを貫通するという意味がすでに備わっていることに気付いた。
 この作品では、貫通した穴を通して向こうがわの景色、つまり私達が生きているこの世界を見る事によって、作品の中に万華鏡を見るのではなく、この世界こそが無限に広がる万華鏡なんだということを示唆している。無限なのは万華鏡の模様のパターンではなく、実はこの世界そのものなのである。
 そう、これは作品に〈無限〉があるのではなく、世界が〈無限〉であるということである。言い換えれば、それは客体自体が〈無限〉だということである。
 そう、世界はこの一本道だけではない。たとえこの光の道がいくつもあったり、分岐していようとも世界はこれだけではない。むしろ照らされていない闇の中に何かがあるのかもしれない。いや、そもそも明るく照らされていないからといって進めないのではまだまだ甘い。きっとそれは、歩いているのではない。歩かされているだけなのだ。「一本道を歩く」時点ですでに何かに流されているのだ。ハイデガーの「地平」と『カイジ』の「鉄骨」との違いが思い起こされる。それともあなたは別の道を行くのだろうか。

 「有限と無限」についても考えておこう。我々が住むこの物理的世界において、「無限」とは空虚的なまやかしである。そして無限を有限とするきっかけとなる4次元(時間)を生み出しているのは人間そのものである。無限とは人間そのものが勝手につくりだした概念であるともいえる。私の作品『I.E.S.Kaleidoscope』(作品14)のように、ありもしない無限の電力をうたうことと同じで、科学(機械)はもはや幻想、無限も幻想であり、全ては永遠ではない。当時の私は永久機関の不可能性を自覚していたわけではなかったが、物理法則などとっくに忘れていたことも手伝って、その問題には真剣に向かい合ってはいなかった。ただ、永久機関が不可能なのは科学(機械)においてのことであり、美術においてはそれが可能だと信じていた(もちろん今でも)。ここではっきりさせておかねばならないことは、この作品で私が言いたかったことが、既成の「科学・物理」観に対する問いかけであったということだ。だから、ここではある意味敢えて、〈無限〉が物理世界では成立しないように仕組まれている。それに対し、理念(考えられたもの、非物理性)の世界においては〈無限〉は成立する。例えば10/3だとか円周率だとか、数に係わることである。でもそれでさえ、時間と関係すると無限ではなくなってしまう。つまり数を数える途中で人生(人間の寿命)が終われば、無限ではなくなる。頭の中で、数の上で〈無限〉なだけである。時間や距離においてもただ人間が「1cm、一秒というものは、この幅だ」と定義しただけで、そこには無限の奥行きや空間があるはずである。このように考えて、理念的なもの、つまり物理的な性質の無いものを幾つかあげると、無限、永遠、不変、イデア、客観性……と、色々出てくる。これらはどれも形而上学的なものばかりである。つまり無限をはじめとする様々な捉えられないもの達は、みな理念(物理性をこえたもの)の中にあるということである。だから私は『I.E.S.Kaleidoscope』(作品14)の制作後、数ヶ月の期間をおいた後に、頭の中で完結した(つじつまの合った・描けた)『キヨシ式永久機関』を作ることができたのだろう。
 私は二〇〇四年に富山の八尾という町の商店街の通りでグループ展をしたことがある。修士二年の頃だ。「次元展」という当時の大学院生と大学院専任教授の篠田守男先生らのメンバーで開催した二回目の展覧会だった。私は『あの日のことを忘れないように、、、』(作品5、以下『あの日』)『そして、またあしたへ』(作品6、以下『あしたへ』)を制作した。『あの日』については第二部で述べるので、ここでは『あしたへ』を取りあげることにする。
 私は八尾町に住む人達とのミーティングの中で、壁に絵を描きたいと言った。そしたら、ちょうど「うちの壁、使っていいよ」と提供してくれる人がいた。豆腐屋さんの持ち物だった。私はさっそくその壁に制作することにした。八尾と聞いてピンと来た。「そうだ、ここに龍の絵を描こう」、八尾なだけに八匹の龍を描こうと思った。そのうちの第一弾である。町の工場から足場を借りて組んでもらい、私はその家の二階部分の壁面の縦250cm横400cmの大きさに、思いっきり龍の絵を描いた。高い所が苦手な私はビビった。雨がふって足場が濡れて滑る事もあった。怖かった。しかし、私は作画を続けなくてはと思い、三日間で青い龍の絵を完成させた。町の人も喜んでくれた。私もいい作品ができたと嬉しく思っていた。展覧会は数日で会期が終わったが、私の作品はそのまま残してもらえることになった。私は車で富山や東京に行くことがあるたびにほんの少し寄り道をして、その絵に挨拶して行くようにしていた。その絵の近所にある旅館のラーメンが好きで、ちょとしたドライブコースにもなった。つい最近も富山へ出かけた。入善にある発電所美術館での内藤礼の展覧会を見に行った帰りだった。私はいつものように『八尾龍』に会いにいった。しかしそこは更地になっていた。私が描いた壁画のある家ごとなくなっていた。私はショックを受けた。「いつのまに!」。

   手になにも持たず家を閉ざしていれば、どのような顔にも出会うことができ
   ない。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、三五四頁)

 〈顔〉はレヴィナスのいう倫理において、最も重要なキーワードだ。ここでレヴィナスは、〈顔〉に出会うために家を飛び出そうと言っているのである。もちろん手ぶらではなく、何かを持って。
 同じように、龍はいつまでもラーメンの中にいるのをやめ、空へ飛び立ったのだ。勿体無い気もするが、いや、それでいい。私は壊された壁がその後どうなったのか知りたくなり、近所のタバコ屋のおばあちゃんに聞いたり、当時お世話になった町役場の人に問い合わせたりした。がしかし、やはり行方はわからなかった。惜しい事をした。いや、それでいい。永遠なものなどない。そんなことはわかっていたはずなのに、私はあの作品がいつまでも残るはずだと思っていた。またやられた。またか。また作品に教えられてしまった。オブジェクトとしての、物理としての、あの作品は失ってしまったが、心の中で残り続けていく事だろう。私は、その家を解体した業者に聞けば絵の残骸が手にはいるかと思った。しかし、たとえ剥ぎ取ったその壁の鉄板を手に入れたとしても、きっとそこにはあの龍はもういないだろう。痕跡を所持しても空しいだけだ。
   
   顕現する顔は、ある内容をまとったかたち、イメージとしてではなく、   
   始原プリンシプルの裸形として輝く。その始原の背後には、もはやなにものも存在し
   ない。死者の顔は〔これに対して〕かたちとなり、デスマスクとなる。死者
   の顔もたしかに見られるのではなく、みずからを示す。とはいえ、まさにそ
   うであることで、死者の顔はもはや顔としてはあらわれないのである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、一八一頁)

 レヴィナスはデスマスクには「顔」はもうないという。とにかく龍は飛び立った。今頃宇宙のどこかを飛んでいるのだろう。それでいい。私は私の作品を、これほど誇らしく思ったのは初めてだった。『そして、またあしたへ……』。その名の通り、明日へ飛んでいった。いや、飛んでいったのはあさっての方向かもしれないなぁ。
 後日、この家の持ち主の豆腐屋さんの社長と連絡がとれた。「うちは水商売だから。ほら豆腐屋でしょ、だから龍はうちの守神だったんだよ。助かったよ。」引っ越されただけみたいだった。私はこう言った。「長い間作品をおいて下さってありがとうございます。」と。
 今、証明された。私の描いた龍は一方で神であり、〈無限〉であったのだ。それが物理的要素を捨て、本当の〈無限〉になったのだ。そう、物理的世界の中に〈無限〉はない。〈無限〉とは理念的なものなのだ。それが今、完成したのである。ここでいう理念的なものと、私が避けてきた「イデア」との違い、私の「天」と、地球の中心「点」との違いは、第二部でも述べる事にする。
 さて、カレイドスコープについてまとめておこう。『This is micro kaleidoscope』(作品9)で、〈無限〉であるはずの映像パターンがいつしか鑑賞者のイメージ自体が〈無限〉だといえるようになった。つまり主体が〈無限〉といえるようになった。『This is a c.kaleidoscope』(作品13)で、「すべて世界は万華鏡だ」と客体が〈無限〉であるというところまでいえるようになった。そしてまた、〈無限〉は物理を超えたものである。ゴールの、その先であり、あさっての方向である。なるほど、そこまでいくと、私の作品はすべてkaleidoscopeだ。


3 鑑賞者と表象(イメージ)

 私は鑑賞者ののぞみ通りにつくろうと考えていた時期もあったが、一方で作品を、〈同〉にされたくない、したくないと思っていた。それはなぜかというと、理解されるということに強い不信感があったからだ。作品を見る。訳が分からない。自分の記憶の中から目の前の作品に一番近いと思われるものをイメージする。タイトルを読む。ああこれはそういう作品なのだと理解する。こうした一連の流れが私には疑わしく思えた。私はそんな疑問を持っていて、作品とは〈同〉ではなく、〈他〉であるべきだと信じていた。にもかかわらず、鑑賞者たちはこぞってその作品を〈同〉にしようとする。ことばを嫌っていたのも、このようにことばが作品を〈同〉とするからだ。この問題を超えたかったのだが、当時は、私はこのことを考えれば考える程、迷宮の奥へ入っていき、結果、まだまだわからなくなってしまった。
 鑑賞者との問題はおそらくキャッチボールと同じであろう。作者は鑑賞者に向かってボールを投げる。鑑賞者はそれを受け取る。作者は鑑賞者の捉りやすいボールを投げるべきなのだろうか。それとも鑑賞者には目もくれず全力であさっての方向にブン投げても良いのだろうか。人は、はじめて見たものに対して、その人が過去に見たり体験したりしたものの中から一番近いものを拾ってきて比べたがる習性がある。もはや鑑賞力のある、ないの問題ではない。そのとき私は〈無限のイメージ〉を表現することを止めた。『This is micro kaleidoscope』(作品9)を制作した直後の頃から考え始めたのだが、「万華鏡に無限のイメージを見る」、そんなことしなくてもすでに彼ら鑑賞者達が自由に感じるということ自体が〈無限のイメージ〉だったのである。

   〈同〉がたんなる〈他〉との対立によってみずからを同一化するとすれば、
   〈同〉は〈同〉と〈他〉を包括するような全体性の一部をあらかじめかたち
   づくっていたことになってしまう。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、五〇頁)

 〈同〉は〈他〉の反対ではない、そういう次元ではない。〈他〉は〈同〉から無限に超越しているのである。そうではなく、〈同〉と〈他〉とを対立可能・比較可能な同一次元に置くような、ハイデガーの「地平」線を引くやり方では、いずれその対立は再び〈同〉に回収されてしまう。〈同〉と〈他〉だったものが、いつのまにか、いや、あらかじめ「奴隷」と「皇帝」になってしまうのである。
 私自身も鑑賞者という〈他〉を、〈同〉としてしまっていたことに気が付いた。「それでは全体性へ向かってしまうよ」とレヴィナスは言う。
 よくよく考えてみれば鑑賞者に鑑賞力を要求するもしないも関係なく、鑑賞者は、ただ鑑賞するだけだ。逆に、作者が作品に対し、どんなにこだわろうとも、わかりにくい意図を込めようとも、表現が下手であろうとも、あるいは上手だろうと、鑑賞者達は彼等なりのその時点でできうる限り最大の鑑賞能力を発揮して鑑賞するしかない。その鑑賞の質は必ずしも作者と同質ではない。しかし、だからといって私は作品に意図を込めることをあきらめたわけではなかった。作品の意図が読み取られたかどうかの証拠がつかめない、そのことと何かを意図して制作することとは、別の話だ。私と鑑賞者とは絶対的に分離している。私は何かを思い、何かを作る。それしかないし、それでいいのだ。良い鑑賞も悪い鑑賞もない。作品はただそこに置いてあるだけだ。キャッチボールで言うと、結局、受け手は最低でも数百人単位で存在するはずだし、彼等はピッチャーから見てあらゆる方角にいるはず。だから私は球をどこへ投げても誰かが拾ってくれるのではないか。捉りやすい球という定義自体が、不毛であるのだ。
 通信とは通じたと信じることと『カイジ』は言っていたが、コミュニケーションとは本来、そういうものだ。言い方を換えれば、それは失敗し続けているということだ。成功するコミュニケーションはない。いつも自分から発するものだとは言えそうだが、それも少し間違っている。そもそも自分から発信する、宣言するといったような場合、必ず〈他〉があることを前提としている。〈他〉があるからこそ通信ができるのだ。そして、にもかかわらず、通じたかどうかのいっさいは、自分が「通じた」と信じるしかない。キャッチボールの相手は、私と同次元に存在しない。私はただ、見当違いのあさっての方向に、そのボールかどうかもよくわからない何かを思いっきりブン投げるしかない。「どこかに届きますように!」
 投げられたボールも受け取られたボールも、それぞれのものである。このそれぞれであることが、「〈同〉と〈他〉を包摂するような全体性をあらかじめつく」らないということである。そして、それぞれであるからこそ、〈無限〉なのだ。『This is micro kaleidoscope』(作品9)でわかったように、包摂されない〈他〉としての鑑賞者である主体こそが〈無限〉なのだ。

 それは、私が〈他〉のあり方をわからなくなってしまっていただけであった。ワカラナイワカラナイと言って悩んできたが、それまで私が抱いていた〈無限〉は、全体性にあらかじめ包摂されてしまいかねない〈他〉だったし、そしてあくまで表象・イメージであった。表象は固定化されるもので、固定化された物理的世界では当然〈無限〉ではなくなる。そういう意味で〈無限〉ではなかったのだ。これに対してレヴィナスは、〈無限の観念〉とは固定化されない〈無限の無限化〉だと言っている。同じように、この時点で私が考えていた〈未知なもの〉は、レヴィナスの考えていた〈他なるもの〉ではなかったのだった。レヴィナスは表象される〈他〉は〈同〉のうちで溶解されるからだと言う。
 この時こそが、これに気付いた時こそが、私がほんとうに〈他〉のことを〈他〉として感じられるようになった瞬間であった。この時と言ったが、私は作品を作るたびに、〈他〉を〈他〉として感じてきた。強いて言えば、制作のたびごとに、私は「気付い」ていたのだ。しかし、私自身も、私を悩ませてきた鑑賞者たちとおなじように、〈他〉を〈同〉としていたのであった。比較可能な、同じ地平を夢見てしまっていた。私の考えていた〈他〉は〈他〉ではなく、まだまだ〈同〉であったのだ。(一般に良いとされる作品は、科学や物理を基準にしているのかもしれない。)
 
   形而上学的な関係はほんらい、〈他〉を表象することではありえない。表象
   される〈他〉は〈同〉のうちで溶解するからである。いっさいの表象は、本
   質的には超越論的な構成として解釈されてしまう。 
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、五一頁)

 つまり私がイメージした〈無限〉は、物理的世界では認められず、かといって理念的な世界においても認められないものであるということだった。なぜならイメージは、心の中、主体の中にあるとはいえ、固定化してしまえば、それは物理である。「作品」は物理性を持つものだとすれば(作品はモノでもある)、この限界を超える事が〈無限の無限化〉なのだ。

   了解可能性、つまり表象されるという事実は、〈他〉が〈同〉によって規定
   されるという可能性にほかならない。そのさいしかも、〈他〉は〈同〉を規
   定することがなく、〈同〉のうちに他性をみちびきいれることもない。それ
   は〈同〉の自由な遂行である。〈同〉のうちで、〈私ではないもの〉に対立す
   るような〈私〉すらも消失してしまうのである。表象はこうして、志向性の
   はたらきのなかでも特権的なできごとの位置を占めることになる。表象にお
   ける志向的な関係はその他のいっさいの関係から、つまり機械的な因果関係
   や、論理的な形式における分析的ないし総合的な関係、表象とはべつの志向
   性のいっさいから区別される。表象にあっては〈同〉が〈他〉と関係してお
   り、しかも〈他〉がそこで〈同〉を規定することがなく、〈他〉を規定する
   のはつねに〈同〉であるようなしかたで〈他〉と関係しているという点で区
   別されるのである。表象はたしかに真理の台座である。真理に固有な運動は、
   思考する者に対して現前する対象が思考する者を規定するところにある。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、二四二-二四三頁)

 表象・イメージしようとすることは可能である。しかし、表象・イメージすることはできないのである。

   表象における〈同〉の全面的な自由は、〈他なるもの〉のうちに肯定的な条
   件を有している。その場合〈他なるもの〉は一箇の表象されたものではなく、
   〈他者〉なのである。〈同〉によって〈他〉が一方的に規定されるような表
   象の構造は、〈同〉が現前し、〈他〉は〈同〉に対して現前するという事実に
   ほかならないことを、さしあたり思い出しておこう。〈同〉が〈同〉と呼ば
   れるのは、表象にあって〈私〉はまさしくじぶんの対象との対立関係を失っ
   てしまうからである。表象においては対立が消去されて、対象の多様性にも
   かかわらず存在する〈私〉の同一性が、言い換えれば、〈私〉が有する不変
   な性格そのものが際だたせられることになる。同でありつづけるとは自己を
   表象することである。「私は考える」とは、理性的な思考の拍動なのだ。〈他〉
   との関係において変化せず、変化することもありえない〈同〉の同一性が、
   まさに表象における〈私〉なのである。 
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、二四六-二四七頁)
 
 〈他なるもの〉はどこかの誰かにイメージされたものではない。

   みずからを正当化するために、〈私〉はもちろんべつの道にすすむこともで
   きる。全体性においてじぶんを把握しようとすればよいのである。そのよう
   な道が、スピノザからヘーゲルにいたるまで、意志と理性とを同一視する哲
   学が希求する自由の正当化であったように思われる。そうした哲学はデカル
   トに抗して、真理から自由なはたらきという性格を奪いとり、〈私〉と〈私
   ではないもの〉との対立が消失してしまうところ、つまり非人称的な理性の
   ただなかに真理を位置づける。自由はもはや支持されず、普遍的な秩序の反
   映に連れもどされてしまう。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、一六三頁)

 例えば、本来〈同〉とできないものであるはずの人間も、〈他〉のあり方に目を背け、全体性において全てを〈同〉とすることは可能である。事実、そういった不正の哲学が、世界の至る所で行われている。真理や理性の自由とひきかえに保証されるそれはもはや〈同〉の暴力であり、それこそが戦争を生むのだ。秩序はいらないとまでは言わないが、それだけでは進化がない。美術の世界も同様のことがいえる。そんな世界では、〈私〉は、いつまでも〈私でないもの〉になることができずにいるままである。そこに人間の成長はない。では、どうすればいいのか。

   無限なものの観念は無限なものの表象ではない。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、二八頁)
 
 大事なのは〈無限〉が、捉えられないものであるということに「気付く」ことだ。「諸項の順番を逆にする」ことだ。言い換えれば〈無限〉とはワカラナイということなのだ。私はようやく気付いた。ワカラナイ。それでいいのだ。いや、それこそが私が目指すものだったのだ。

 私がワカラナイと感じたものとは、大きくわけて三つあった。一つ目は鑑賞者がワカラナイ(〈他者〉は〈無限〉であるから〈他者〉を〈同〉とできないこと)。二つ目はワカラナイ作品を目指していたということ(意図が通じないのなら、作品はどんな形態であってもただそこにあるだけだということ)。三つ目はすべてがワカラナイということ(何もかも疑って自分も信じられなくなったその先に感じたこと)。
 しかし、ワカラナイことは、決して悪いことではない。あらかじめの計画など、そもそもできないのだ。ワカラナイことをわかったとするのは、レヴィナス的に言えば〈同〉の暴力であり、また私にとっては、私自身に嘘をつくことにすぎない。
 私はこのワカラナイということを受け入れない限り、前には進めないと思った。ワカラナイことを受け入れるということは、迷宮から抜け出したくて外のゴールを目指すのではなく、その迷宮の中で暮らす事だ。迷宮の中のゴール。そういう意味においてこのゴールは、しかし、「ワカラナイのだという事がわかった」というような、とりあえずの答えのようなものだった。そのゴールは当初の予定のゴールであって、それも含めて超えなければ〈私〉は〈私〉ではない。自分を信じられないということは、今の私ではいけないということ。全体性の道を進むのとは別のしかたでの〈私〉。〈私〉は〈私〉を超えていかなければいけないということだ。


4 ほんとうの〈他〉に出会うということ

 色んなことがワカラナクて何もかも信じられなくなった当時の私は、最後の最後に「とにかく生きて作るしかない」と思った。その日暮らしのような生活だった。ちょうどコンビニのバイトをやめ、体力の落ちた身体で大衆割烹の皿洗いのバイトを日数を減らしてなんとか凌いでいた頃の事だ。「ほんとうの生活」なのかどうかゆっくり考える余裕も無いくらい、季節の移り変わりには逆行して、常に冬だった。生活が苦しく、希望も見つけられず、何も頼ることが出来なくなった時、私はワカラナイことだらけだが何もしないでいるだけでは何も始まらない、ということにかろうじて辿り着いたのである。いつのまにか私は全速力で走っていた。私は歩いているのか止まっているかの実感が湧かない闇の中にいると表現したが、そんなことはとうに忘れて走った。ただがむしゃらに走った。

   前しかねえんだっ……‥!
   突っ走って……‥
   その先にある亀裂を飛び越えるしかねえっ……‥!
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』講談社、三巻、五五頁)

 カイジ達にはもう退路は残されていなかった。ただ前へ進むしかなくなっていた。イチかバチかのギャンブルに出た。三人それぞれの最後の星計三個を一回に賭けての「限定ジャンケン」で、「パー」買い占め派のリーダー北見との勝負だ。しかし、よくよく考えてみれば、ギャンブルなのは何も『カイジ』の話の中だけではなかったことに私は気付いた。

 私は方向など考え無しに突っ走った。それが善かったのか悪かったのかとにかく作品が残った。そう、制作し続けたのである。
 そうやってできたのが『例えばムダしか無かったとしても。もしくは、人とムダが与えられたとせよ。』(作品17)である。博士課程の冬の研究発表展である。この作品の特徴はとにかく中心部がないことだ。作者の意図らしきものが捉らえられないところである。私はこの作品に、生きることは制作することだという意味を込めて、「生き作」と俗称をつけた。これはM・デュシャンが『与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス』という「遺作」を制作したのとおなじ構造になるわけだが、私とデュシャンとでは決定的に違う点がひとつある。それは「私が生き続けている」ということだ。私が生きている。そのことによって作品も生きている。私に〈顔〉があるように、作品にも〈顔〉がある。誰も私を捉らえられないように、誰も私の作品を捉らえられない。そのことが当然のように受け入れられるようになった。この時、私の制作はこんな結果を残した。まあ私が残した作品だ。当然良いに決まっている。

 私が持っていた〈無限〉は表象にすぎず、〈無限の観念〉ではなかった。なんてことはない。私の認識がただ甘かっただけであった。世界は私が思う程単純ではない。考えてみれば当然のことだ。私が生きているうちに手にする事ができるもの(情報)など極端に限られている。何も知らないまま、私は〈無限〉だと言ってきた。恥ずかしい。「遅まきながら、今頃気が付いた。」しかしこの感触、悪くはない。何も知らないからこそ、こういった「気付き」を感じる事ができるのだろう。私は「迷宮」と表現したが、この「迷宮」のゴールとは言うまでもなく「気付いた」ときである。このときに、ほんとうの〈他〉に出会うのだろう。その「気付き」が来なければ、それはまだまだ〈同〉としているだけだ。いくら〈他者〉を語っても、まず、〈他者〉を語ろうとした時点で、〈他者〉をとらえられていないことになる。〈他者〉をとらえること自体が〈他者〉を遥か彼方へ遠ざけているのである。〈他〉を〈同〉として扱おうとしているのだ。私は鑑賞者という〈他なるもの〉いわば〈無限の観念〉を、表象として理解しきろうとしていた。それは〈他〉を〈同〉にすることであった。それは〈他〉を〈同〉と同じ地平にあると前提することであった。そして作品とは〈同〉にできない、〈他〉であり続けるべきだと、つまり作品も他者とおなじで〈無限〉であるべきだと言ってきたが、そもそも「無限である」と思うこと(表象)自体がまだまだ〈同〉にしているということだった。むしろ「〈他者〉はとらえられない」、「〈無限〉は存在しない」と言った方がよっぽど正直であるくらい、〈同〉は〈同〉のまま、〈他者〉に出会う事はできないのである。そう、いいかえればどれだけ「普通」を目指しても、「ほんとうの生活」にはたどり着けない。 
 それまでは〈同〉にできそうだったのにできない歯痒さがあったのだったが、完全に〈同〉にできないものがあることを認めたとき、すんなり〈無限の観念〉を受け入れることができるようになった。〈他〉と〈同〉をつなげる地平が「普通」という幻想であり、そんなものは無いのだ。序文のところで、制作においては鑑賞者が〈他者〉であると述べたが、それだけではない。制作者にとって素材や、世界、もはや自分以外のすべてのことが、〈他〉であり〈無限〉なのである。
 どこかに彫刻像というイデアがあって、それに向かって作るが、どれだけ作っても辿り着けないから作る。そういう構造はただ自己の中の〈欲求〉を満たしているだけだ。そのようにしてではなく、どれだけ表現しても、表現したりないからこそ作る。相手がいるから思う、それが〈渇望〉。レヴィナスは人間と作品を分離するが、私はそうは考えない。レヴィナスにとっての「ことば」が私にとっての「作品」である。確かに作品と人間は同じではないが、どちらも〈他〉であることにかわりはない。私にとって、作品はあきらかに、〈同〉にされたものである。〈同〉にされるものということは、つまりそれが〈他〉であったとしか言いようがない。〈同〉にした瞬間、それは〈他〉であったことを同時に証明している。そして私の作品は語る。「どうか〈同〉としないでくれ」と作品の〈顔〉が語るのだ。
 このことを手がかりに、私はまた進む。
 「ほんとうの生活」とは何か。レヴィナスの『全体性と無限』第一部は次のようなことばではじまっている。

   「ほんとうの生活が欠けている」。それなのに私たちは世界内に存在してい
   る。形而上学が生まれ育まれるのは、このような不在を証明するものとして
   である。だから形而上学は、「べつのところ」「べつのしかた」「他なるもの」
   へと向かっていることになる。思考の歴史をつうじて形而上学が身にまとう
   ことになった、もっとも一般的なかたちのもとでは、形而上学はじっさい―
   どのような未知の大地がその世界の縁を囲っていようと、またその世界がな
   お未知の大地を隠していようとも―私たちになじみ深い世界から旅だち、私
   たちが住まっている「わが家」をはなれて、見しらぬ自己の外部、向こう側
   へとおもむく運動としてあらわれるのである。形而上学のこうした運動を境
   界づけるもの―べつのところ、あるいは他なるもの―は、すぐれて他なるも
   のであるといわれる。どこに旅してみても、ほかの土地で暮らしたり、生活
   環境を替えてみても、べつのところ、他なるものへと向かう渇望を充たすこ
   とはできない。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、三八-三九頁)

 別の場所へ行っても、生活水準が高くなっても、そのこと自体が直接作品ができるきっかけにはならない。なぜならどこへいっても私は私だからだ。
 「ほんとうの生活」ということは一体どういうことなのか、私にもよくつかめてはいない。というよりも、つかみ所のないものだ。すべてのものを事柄として、表象として、扱うのはきっと「ほんとう」ではない。しかし、私は長らく気付くことがなかった。そんなこと、考えもしなかった。私は世界が間違っているのではなく、反転して、自分自身が間違っているのだと思い込んでいた。それは途方もなく、つらいものだった。ある意味、戦いですらなかった。私が戦っていたと思っていた相手は、ほんらい戦う必要のないものだった。私はそういう意味で戦場に立つ以前のことをしていた。ここでも私はムダにムダを重ねていた。きっと私はそういうムダなものに縁があるのだろう。その戦いぶりについては次の章で述べることにするが、私はどこかにある「ほんとうの生活」を目指したわけではなかった。形而上学的〈渇望〉は「場所のうちには存在しない。」

   形而上学的な関係はほんらい、〈他〉を表象することではありえない。表象
   される〈他〉は〈同〉のうちで溶解するからである。いっさいの表象は、本
   質的には超越論的な構成として解釈されてしまう。形而上学者が関係をとり
   むすび、しかもそれを他なるものとして承認する〈他〉は、べつの場所に存
   在するというだけではない。アリストテレスが定式化したプラトンのイデア
   がそうであるように、〈他〉は場所のうちには存在しないのである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、五一頁)

 「ほんとうの生活」とは、この世界を自覚しているだとか、認識しているだとか、そういうことではない。それは何かに「気付いている」ということでもない。「気付いてゆく」ことなのだ。
 なお、私が避けてきた「イデア」すなわち地球の「点」と、私の「天」との違いにおいて、ここでレヴィナスが言う「プラトンのイデア」がどういうものと考えているかについても、第二部で述べることにしよう。
 第一部では、これまでの制作のをふりかえった。第二部は、ではそれらの問題をどう乗り超えていくのか、述べていくことにする。


第二部 解決編 
これからどうしていくか、ということ

 わかってもらいたかった。認められたかった。人のことも認めたかったし、何より人を否定したくなかった。が、同時に、わかるとされることが嫌だった。ワカラナイと言われても、〈同〉の構造に巻き込まれているのが嫌だった。そのワカラナイという迷宮から抜け出すことが目標ではなく、その「迷宮の中で暮らすこと」が制作なのであるし、生きるということであると、私は述べてきた。それは相対主義の世界だ。『カイジ』に出てくる「通信」。レヴィナスの言う〈他〉が到来しつづける世界。
 鑑賞者は〈無限〉でありつづける。鑑賞者の鑑賞の仕方はそれぞれで、決して理解しあえないものだ。理解を求めちゃいけない、なにもかも、それぞれは別々だ。そういう意味で、共同や地平ということばは消えてゆく。それぞれが、バラバラに、別々のことを思い、考え、ことばにし、そして、語る。それしかないし、それでいい。それも相対主義の世界だ。
 私が彫刻をはじめてから一〇年経った。私の二〇代は『分岐する道』の制作から始まったのだが、今ここに来て、この先一般的な普通の「作品」を作っていくのか、それともそうではないしかたで成立する私の「作品」つまり〈他〉としての作品を目指すかの瀬戸際にいる。そう、『分岐点』を表現していた私は、一〇年後、いつの間にやら私自身が分岐点に立つことになっていた。いいやそうではない。私が最初に言っていたように、人は常に分岐点にいる。常にセレクションし続けている。そういう意味ではすべて迷宮だ。迷宮とは、そもそも日常こそが迷宮であり、誰もがその中にいて、ああだこうだと悩み、迷いながらそれでもとにかく前へ進むしかないということである。
 
 第一部で私は色々なことがワカラナイ、証拠が無い、いわば世界は〈無限〉であるとしてきたが、しかし、それでは相対主義で終わってしまう。これで良いのだろうか。「良い作品」というものは、相対主義の中では成立しない。それで良いのだろうか。こうした「迷宮」の中、私が作品を作るということは一体どういうことなのだろうか。
 エロティックシリーズを起点として考えることになった〈欲望〉ということばは、何か自分に不足していることがありそれを充足しようとする〈欲求〉とは異なり、〈無限〉という〈他〉があるからこそ自分が足りないと思うことである。それをレヴィナスは〈欲求〉と区別して、〈渇望〉(または〈欲望〉)もしくは〈形而上学的渇望〉と言っている。上昇する形を目指すということは私自身が成長していくということであるが、成長した私というのは私を超えているという意味において、すでに私ではなくなっている。しかし、それでも私は私といえる。私はモナドである。つまり、私を乗り越えた私はすでに私ではなくなっているが、それでも私は私である。何を思っても、どう変わっても、私は私であることに違いはない。しかし、だからこそ、私は変わってトランスフォームいかなければ私ではないのだ。

   私はじぶんの息子をもつのではなく、私が私の息子なのである。父性とは、
   他者でありながらも私であるような異邦人との関係である。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、二一三頁)

 私が「新しい私」をつかむのではなく、私自身が新しい私である。そういう意味で私は(昨日の)私ではない私であると同時に、それでも私は私なのだということ。「父性」、すなわちA=B、A≠Bというこの構造を、レヴィナスは「エロス的関係」とも呼び直している。私の言う〈マイ・カオス〉と同じである。それは、私の制作が作品を超える作品を目指していたのと同時に、私の作品は私の作品ですといいきれること、これと同じ構造なのだ。
 そう、迷宮にもゴールはある。ワカラナイだらけの迷宮を超えることによって、制作と鑑賞すなわち美術における相対主義を超えてゆくのである。

 鑑賞者は人間であり所有できないが、他方、エコノミーである〈物〉は〈同〉にできるではないかという指摘も可能であろうが、しかし私は、芸術を考える時、作品もすでに〈無限〉であるし〈顔〉といえると言い切りたい。
 しかし、こうした相対主義ののりこえ、この成長(エロティックシリーズ・精神の向上)とは、願い・希望なのか、それともカン違いなのか。カン違いとはある知識が正しいものだと思って信じていることであるが、「正しいこと」の証明ができない「〈他〉が到来し続ける世界」ではすべてがカン違いなのである。この「カン違い」の世界で、そのまままるごと相対主義をのりこえる道、あり方は、いかにして可能となるのだろうか。カイジがイカサマありのギャンブルにおいて、そのイカサマ、ギャンブルにおけるルールを利用しつつも、そのイカサマ、ギャンブルが成立している構造そのものを乗り超えて行くように、私は「ほんとうの生活」としての形而上学的渇望と「エロス的関係」によって、相対主義を超えていこうと思う。それが〈顔〉と対面するということである。
 これが第二部のテーマである。

A 迷宮とそのゴール

1 迷宮のゴール

 学部一年の頃から考えていたのが、私が生きた証拠を残す、ということだった。そのようにして私の表現が始まったのだ。私は必死に訴えようとした。作った。だが、しかし作れば作るほど、私が進んだ証拠を見つけることは困難だったし、私の表現が成功したかどうかの証拠品も見つからなかった。いつのまにか、見つけたフリすらもできなくなった。きっと私は変わらない確固たるもの、動かないものを探していたのだろう。共同存在というやつをだ。どこかに光があるのだと信じていたのだったし、なんだかんだ言いながら「地平」線は引けるのだろうと思っていた(ただし、その役目は私ではないとも心の底では思っていたが)。ああだこうだ考えながら、色んなことをやろうとした。ほとんどのことが「できなかった」。私は、私の能力が足りないから、私に「普通」の人とは違って何かが欠損しているのだ、と幼少の頃から思い知らされてきた。何か失敗するたびに私は、自分で自分を責め、世界(世間、社会)の正しさ、「普通」の正しさをなんとかして自分のものにしようとしてきた。でもやっぱり「できなかった」。それはただ自分を苦しめるだけであった。考えれば考えるほどわからなくなり、宙を漂い、何にも寄り添う事ができず、手摺もない。そもそも地面がない。そんな世界を私はジタジタしていたのだった。問題はその現状をどう考えるかであった。私はその迷宮の中にいるのが嫌だった。そこから抜け出したかった。ゴールとはそういうものだと思っていた。

 カイジ達は地下の強制労働施設へ送り込まれた。地下の劣悪な環境の中、日々、ひたすらに穴を掘削する労働であった。地中へと強制的に向かわされるその受難は、まるで地球の中心にあるイデアを求めて掘り進められているようだ。カイジはそこから脱するために戦うのだった。「地上へ」上がるために。このカイジの心境は、私が土の中を、闇の中を掘り昇っていくドリルのように成長していきたいと考えていたことと同期する。 しがらみやら抵抗やらの存在に気が付けば気が付くほど、私の周りはそれらで固められ、私は昇りにくくなる。だからこそドリルのような形状が私には必要だった。しかし、私は出た。「地上」というゴールに辿り着いた。私はまた出発する。土が次々に覆い被さってくる。地層化してくる。私はさらに昇る。だが、もうドリルの形状は必要無かった。〈私〉が〈私〉を超えて、またべつの〈私〉になったからだ。それまでの敵(土)はもはや、私には触れることすらできなくなっている。私はそうやって誰にも触れられることなく、成長してきたのだ。
 しかし大事なのは、土の中を、抵抗のしがらみの中をかき分け昇っていくことよりも、その先にある抵抗のない地上に出てからも、その境遇に満足するのではなく、さらに昇っていくことにこそある。それが、「ほんとうの生活」であろう。
 
 しかし、そうではなかった。あの頃はそれに気付けなかった。私はもがくのが嫌だった。早く答えを出したかった。結果がどうなるかを考えるよりも、答えを早く欲しがったのだった。これが『カイジ』でいうところの「素人の習性」である。
 第3のギャンブルの「エンペラーカード」で、カイジは利根川に、「素人の習性」を諭されている。

   それは‥‥ 一朝一夕で辿り着くようなものではない 蓄積
   なのだ 長年の経験のな……‥‥ しかし……‥‥ 
   ビギナーはすぐそれを手にしようとする いや……‥
   しようとするだけでなく‥‥ 
   掴んだような気にさえなったりする………… 
   掲げたがるのだ‥‥! すぐ…‥ 
   確信めいたものを……‥!
   (中略) 
   無論……そんな確信は付け焼き刃……‥‥ しかし‥‥
   自力で辿り着いたアイディアは 本人にとってはとくべつでのぉ……‥
   大した考えでなくとも大変な閃きに感じられ‥‥なんの吟味もなく 
   あっさりそれに沿おうとする……‥‥! 疑い続けること…‥‥
   不安であり続けることが‥‥
   ギャンブルで生き残るために最も必要な
   心構えなのに…… 素人ほどそれをすぐ捨てる 
   言い替えれば………… すぐ……‥‥肚を括る‥‥!
   すぐ「これで負けたらしょうがない」という口をきく 
   白黒を付けるタイミングが一つも二つも早い。ビギナーは 
   耐えられないのだ 勝つか負けるかわからないという‥‥
   不安・葛藤……‥‥ そんな時間が長く続くことに
   耐えられない そんな状態よりいっそ…… 
   ハッキリさせた方がいいと考える 
   仮に……‥負けが確定することになろうとも……‥!
   (中略)
   それが素人の習性だ‥‥!
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』一〇巻、五一-五三頁)

 「Eカード」は、「皇帝」「市民」「奴隷」の三すくみの関係をモティーフとしている。「皇帝」→「市民」→「奴隷」の順で強い。しかし、「奴隷」のみが「皇帝」に勝つ。二人対戦型のゲームで、交互に三戦ずつ、それぞれ「皇帝」側と「奴隷」側にわかれ、五枚のカードを順に出し合うゲーム。四枚は「市民」、残りの一枚はそれぞれ「皇帝」、「奴隷」である。「奴隷」の側からすれば、「皇帝」に勝てる「奴隷」カードを何時出すか、そこが勝負である。相手の顔を見ながら交互に一枚ずつ出し合うため、相手の心を読み合う心理戦となる。これを四セット全一二回戦繰り返すゲームである。カイジは考える。必勝法はないのだろうかと。最初の三戦はカイジの「皇帝」側から始まり、まずは二勝一敗だった。ある程度試合を重ねると、「なんとなくこうすれば勝ちを拾えるのではないか」という法則を見つける。例えば、相手より先にカードを出さなければならない「皇帝」側での一戦目は、勝負カードを出したということの動揺や焦りが表情として伝わりやすいので、とにかく一戦目は勝負にいかない方が賢明である。そうであるかに思える。しかし、それらカイジの考えも、いともあっさり利根川に見破られてしまう。カイジは甘かった。自分で必勝法なるものを見出したつもりだったのに、実際に勝つ事ができなかったのである。利根川に言われてしまう。先の引用文がそれだ。「素人ほどすぐ肚をくくる」と。
 ギャンブルで疑い続け、不安に耐えるということは、まさに「迷宮」の中で暮らすことそのものであり、素人はその「迷宮」の中に居ることが耐えられなくなってしまうから、そこから出ようとしてしまうのである。そして「勝てる法則」という〈同〉を求めてしまう。
 カイジはこのあと、八戦目で二勝六敗。絶対的に有利な「皇帝」側が五回もあったのに二勝しかできなかったのだ。利根川はカイジの心理、心の動きを完全に見抜いている(かにみえる)。しかしカイジは、利根川がいうほどには、「迷宮」から出ようとしてはいない。考えて考えて考え抜くのである。誤解のないように付け加えるのならば、ここでいう「迷宮から出る」とは、もちろん貧乏でどうしようもない状況の中、ギャンブルで一山当てて、金を得ること自体ではない。この漫画は、そんな表面的な内容を描いてはいない。「肚を括る」覚悟や、勢いだけでは、のりきれない。「迷宮」に住めないのだ。カイジは神経をすり減らし、ヘトヘトになりながらも考えて考えて考え抜く。

 そう、私も考え抜かなくてはならない。私のこれらの妄想はすべて間違っていたのである。私は〈無限〉を表現しようとして、〈無限のイメージ〉を考えていた、と第一部で書いた。実はそれが破綻の始まりだった。これと同じことだったのである。〈無限〉を表象(イメージ)としてはいけないように、「迷宮」も「迷宮のゴール」も、表象(イメージ)として固定されたものと考えてはいけないのである。私は修士に入ってはじめの頃、「作品」、「彫刻」を作ろうとして、作れず、「迷宮」の中をさまよい歩いた。歩きつかれてその場で立ち止まり、座り込んでしまったこともあった。しかし、私は「気が付いた」。つまり、私が迷い込んだ〈迷宮〉は、例えば〈迷宮の中〉というように把握できるものではない。〈無限〉と同じで、捉えられないものであるのだ。あの時の私がしたように、想像したり、歩き回ったり、立ち止まったりできるような代物ではなかったのだ。ましてや、座り込めるような地面などあるはずないのだ。どうして〈迷宮〉の世界をイメージできよう。私はカン違いしていた。世界は「ワカラナイ」で上等だったのだ。それは誰かが教えてくれる訳でもない。ワカラナイ。しかし、それでいい。「迷宮のゴール」は表象ではない!


2 ポジティブな〈同〉

 私は、そういう「迷宮のゴール」のあり方が、まだよくわかっていなかったのである。そのせいで、私はただたんに消耗し、疲れてしまい、戦いをやめてしまった。修士一年の春から秋までその思いは続いていた。あんなにアツかった「彫刻」に、「彫刻像」を重ねたばっかりに、私は私でなくなっていってしまったのだった。迷い、彷徨った。私は足を止めた。私はその場でアグラをかいて座り込んだ。作品が作れなくなったのである。頭の中は真っ白だった。本当に白い空間を想像していた。
 
   超越の運動は否定的なものネガティヴィテから区別される。不満をもつ人間は、
   じぶんが置かれた条件を拒否するのに否定的なことがらネガティヴィテに訴える。
   だが、否定的なふるまいネガティヴィテは、わが家とみなすことができる場所に
   置かれ、そこで位置をもつ存在を前提している。否定的であることは、だから、
   その形容詞の語源的な意味においてエコノミーにかかわることがらなのである。
   たとえば労働は世界を変容するとはいえ、それが変容する世界のうちに支えをも
   とめる。労働に対して物質は抵抗するけれども、労働はこの物質の抵抗から恩恵
   をこうむっている。抵抗はなお〈同〉の内部にとどまっているのだ。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、五六頁)

 ネガティブな人生は色んな意味で閉ざされている。どこにも行こうとは思わなくなるし、かといって、ひとりぼっちも寂しくて嫌になる。だから誰かに声を掛けてもらいたくなるが、いつのまにか、その声が「光」なのかどうなのかを冷静に判断する気力を失ってしまっている。そんな状態の私は、わが家にすがる。家を基準にして歩くようになる。私は制作する。しかし、制作によってオブジェクトは作品に変わるのだけれども、その作品は物理的要素に拘束されている。だからその作品を視覚でしか判断できなくなる。私はしんどいので、すがった先の、その作品に希望の「光」を見る。作品とはほんらいそんな機能はないはずなのに、私はいつしか私に欠けたものをその作品によって補おうとする。レヴィナスは、人が欠けたものを充たすことを「欲求を充たす」と表現している。「〈同〉の内部」、わが家にとどまってしまっている状態である。迷宮に住むとは、わが家にとどまることではない。レヴィナスは、そうではないあり方が必要だと訴える。「超越の運動」が必要なのである。

   糧をとることで新たに気力をうることは、他なるものを〈同〉へと変容する
   ことであり、この変容が享受の本質にぞくしている。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、二一二頁)

 〈他〉であったとしても、それを〈同〉にすることができることを、レヴィナスは否定してはいない。生きるということは〈他〉を〈同〉としていくことだ。新たに気力を養うような〈同〉への変容、享受がある、とレヴィナスは言っているのである。
 『カイジ』もそうだし、熱血漫画やドラマにも典型だが、敵を倒して行くほど強い敵が出てくるが、それは当然だ。なぜなら序盤の敵を倒した私にとって、それ以降の敵はすでに私の敵にならないからである。そのようにして数々の敵は〈私〉(つまり〈同〉)になってゆく。私は以前の敵に負けるような私ではなくなってゆく。そういう意味で、私は私ではなくなってゆく。だからといって、敵が味方に変わるようなし方で、私でないものが私になることはない。私は私でしか私になれない。いきなり強すぎる敵が現れても、勝つ事はできない。やり過ごすだけだ。となると、やっぱり私は勝てると踏んだ敵からしか相手にできない。または偶然にも強敵を倒してしまうこともあるだろう。そうやって少しずつ〈私〉は拡張される。それはこの先も続いていく。これは〈同〉への変容構造であり、享受である。

 私はこのようにして、考え、歩いてきた。レヴィナスによれば、〈私〉は〈他〉をひたすら〈同〉としてきたということになる。だから、それはいたって「普通」の感覚だったとも言える。しかし、それが私にはスッキリしない感覚でもあった。なぜなら、〈同〉にしてきた「証拠」がどこにもないからであった。私のこうした悩み、「迷宮」の深みへと入っていく原因のひとつは、すべてのことに「証拠」がないというグニャグニャな「地平」にあった。捉えにくい「間主観性・客観」だったから、私はもがいていたのだったが、制作をすすめ、博士課程に進むにつれ、その「地平」は、実はどんな形状だろうと「地平」は「地平」であることに気付くことになる。それにすがることがそもそもの間違いであったのだ。そう、私は「地平」を「地平」という〈同〉にしたがっていたのであった。彫刻像という「地平」にとらわれ、彫刻を目指したのにできないこと、〈同〉にできないことを、ネガティブなものとして訴えていた。しかし、そうではない。彫刻にできない不満も、彫刻像そのものに対する不満も、ネガティブに訴えているだけでは進めない。「気付く」ことが、ポジティブに〈同〉にするということなのであろう。そう、〈他〉を〈同〉にすることをポジティブにとらえるのだ。「気付くこと」、それがセレクションであり、決定することである。

 「迷宮のゴール」は表象ではないと先にも述べたが、「迷宮」それ自体が表象できない、とらえられない〈無限〉である。そんな中(中だとも言いきれない!)で、私は何も決定できない。確固たる「根っこ」、「地平」が見あたらない。そもそもその世界がカオスであり迷宮である。しかしここでよく考えてみよう。だからといって「なにもできません」と言って済むわけでもない。なぜなら、私はつねにすでに「生きて」いるのだから。その生き方がプロだろうと不安に耐えきれない素人であろうと、生きている、生きてしまっている。食べること、空気をすうこと、大地のぬくもりを感じることも、ただ大地にのっかっているだけだとしても、しかし、同時に結局は何かを決定していかなくてはならない。それが享受である。すでに私は、「生きている」ということを決定しつづけている。同じように私は制作しつづけている。
 私は、迷宮から脱しようとするのではなく迷宮を受け入れる、すなわち、そこで暮らす、と先に述べた。ゴールは把握できるものではない。予想できず。突然到来する。それは〈無限〉の〈他者〉として、である。気付く、セレクションする、決定する。それは迷宮をさまよい、とりあえずのゴールに対面するということだ。その瞬間、私は新たなステージという迷宮に立っているのである。
 「迷宮」を受け入れる。それは大地や海の始原的なものによって生きるということ。決定には、二つの系統があることがわかった。一つは、〈同〉とする、糧を得て気力を養う享受・エコノミーとしての、〈同〉にする「決定」。もうひとつは〈同〉でない決定である。いわば「決定ではない決定」である。それは〈他〉を私が決定した時点で、(迷宮のゴールに辿り着くようなしかたで)それを決定した私はすでに私を超えてしまって、以前の私ではないものになってしまっている、という〈他者〉に出会う「決定」である。〈他〉を〈他〉として向かい合うしかたなのだ。これがレヴィナスの言う〈エロス的関係〉である。迷宮とは他者との出会いである。ゴールは予想できないし、把握できない。他者は突然到来する。
 決定するということ。私は自身の作品を『This is ○○』と呼んできた。作品が完成した時に、私がその作品「それら」を「これは○○です」と決定したものだとも言える。しかし、当然その作品は○○であり続けるはずはない。それは変化してゆくからだ。〈他〉としての作品。それが作品の〈顔〉である。

 さて、決定すること。そのために必要なのが、〈私〉は〈他〉ではない、〈私〉は〈私〉だ、というモナドである。モナドは〈私〉が〈私〉を決定してゆく構造の、いわば出発である。


3 〈私〉が〈私〉であること、モナド

 第一部から書いてきた、「座標系によってさだめることのできない私の同一性」、「一箇の分離された《私》」とはどういうことなのかを、書いていこうと思う。この〈私〉のあり方をレヴィナスは、モナドという言い方でも言っている。熊野純彦は『全体性と無限』下巻の訳註で、モナドを次のように説明している。 

   ライプニッツのいうモナドに「窓」がない(『モナドロジー』七項)のは、
   「それぞれの〔個体的〕実体は神以外のなにものにも依存しない、一箇の独
   立した世界のようなものである」からであり、「私たちのすべての現象、
   つまりいずれ私たちに生起するいっさいの事象は、私たちの存在から出来す
   るものである」からである(『叙説』一四項)。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、二九四頁、熊野純彦の訳註)

 「神」はさておく。私たちはそれぞれ、窓すらない部屋にひとりぼっちで暮らしている。これがすなわちモナドである。レヴィナスの師であるフッサールも、〈私〉のあり方をモナドとしている。レヴィナスは次のように言う。

   フッサールは、モナドという、厳密にわたくしの領域から出発して、欠くる
   ことのない客体的なもの(オブジェクティヴィテ)がいかにして創り出され
   るのか、外ならぬその粗筋を描いている。客体的なものとは、共主観的な意
   味をもっているものであるから、フッサールとしてはおのずから、モナドの
   独在論(solipsisme)から出発して、いかにして、共主観的なもの
   (intersubjectivité)が創り出されるかを証明することになる。
   (『フッサールとハイデガー』一九七七年、E・レヴィナス著、
   丸山静訳、せりか書房、九三-九四頁)

 フッサールは、〈私〉をモナドとして、そこから〈私〉以外の「客体的なもの」がどのように構成されていくのかを考えた。フッサールを引き継いだハイデガーが、その「客体的なもの」の構成を、「存在」を基底とする「地平」として、「存在の開示」として、考えたということは、第一部で見た通りである。そしてレヴィナスはハイデガーの存在論を不正の哲学として批判しているのも、すでに見た通りだ。レヴィナスも〈私〉がモナドであることは認めてはいるが、フッサールやハイデガーと別のしかたで、「客体的なもの」との関係を築こうとしている。そう、〈他者〉は無限に超越しつづけているのであった。
 モナドは、閉ざされている。フッサールも、ハイデガーも、レヴィナスも、カイジも、このモナドから出発している。少し私の出発点の話をしよう。
 私は小学校低学年の頃から、TVゲームに慣れ親しんでいた。私の記憶に残るものとして、MSXに始まって、ファミコンはそうとうやりこんだ。ディスクシステム、PCエンジンは持っていなかったが、どんなハードで、どんなソフトがあるのかという程度のことは常識として把握していた。そしてスーファミ、ゲームボーイが勢力を拡大していく。ネオジオ、サターン、ドリキャス、PCFX、64、バーチャルボーイなどが人気を得ず廃れていく中で、プレステの独壇場になった。様々なハードがあった。ゲームキューブやアドバンスなんかはWiiやらDSやらになった。プレステは3まであるらしいが、私が把握できているのは初代機までだ。Xboxが人気である理由でもあるが、われわれユーザーにとって問題は「興味深いソフトがあるかどうか」だ。私なんぞは、スーファミの名作R.P.G.『Romancing sa・ga』(『ロマンシングサ・ガ』一九九一年、スクウェア、三部三節でもふれる)が、ワンダースワンという携帯ゲーム機(ハード)のソフトとして何年かぶりに移植されると聞いて、近所のゲーム屋に発売日に買いに行った。しかし、並ぶこともなく、すんなり買えた。こんな名作の移植作を買い逃すとは世のゲーマー達はわかっていないと思った。ほんとうに多彩なソフトがあった。画期的なものもあり、くだらないものもあった。くだらなすぎて、むしろそこが魅力のゲームもあった。いつしか「名作」と呼ばれるものが目立ってきた。それは時代と世代を超えて残ってきた。当時の中古ソフトが生き残り、「あの名作が次世代ハード○○に登場」という広告を良く見かけるようになった。名作の飽和状態だ。開拓者の喪失といってもよい。いや、世界がマーケット(エコノミー)重視になってきただけかもしれない。世の中が人気・名作ソフト重視へとシフトしていくのに反して、私は最近のソフトには魅力を感じなくなってしまっていた。あのころのアツさは一体なんだったんだろう。私が変わってしまったのだろうか。いろんなゲームがあったが、どのパターンもやり尽くされている感があった。お姫様を救うのも、自分のために戦ってゆくのも、現代の学園に置き換えるというのも、もはやありきたりだ。だから、つまらない作品が目立ってきた。だから、知名度のある安心して遊べる信頼のブランド品が売れ行きを伸ばしたのだろう。しかしそれらはこぞって色々なハードに翻訳・移植され、アイテムや登場人物が増えたり、システムが変わったりしてバージョンアップしてきただけの、名作の続編ラッシュなのである。同じ内容のソフトが、二機種同時発売なんてことも今となっては聞きなれた。そこまで過去にすがるのか。
 美術において、それは絶対に飽和状態にはならないし、私たち制作者は共通のハード(地平)でしか鑑賞できないような、ソフトを作っているのではない。美術とゲームの双方にあるものといえば、それは「名作」という概念だろうか。
 私がゲームに慣れ親しんできた理由はおそらく「決定できる」からであろう。デジタルの世界は必ず「点」を打つことができる。それは大抵、このボタンを何秒押すかという時間の問題に終始する。そう、一見0次元の世界のようだが、実は四次元の問題なのである。たとえ、その世界で「アナログ」という言葉に出会ったとしても、それはただの限定された、いつもより多く束ねられたデジタルの集合体でしかない。しかし、「決定」さえしてしまえば、そのシステムは文句無く繰り返される。どんなことがあっても、必ず決定できるのがゲームの世界だ。それは〈他〉と〈同〉としていくのでさえなく、予め用意された〈同〉を探る旅なのだ。「〈同〉がたんなる〈他〉との対立によってみずからを同一化するとすれば、〈同〉は〈同〉と〈他〉を包括するような全体性の一部をあらかじめかたちづくっていたことになってしまう」(E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、五〇頁)。それはすべてにおいてルールがある世界、言い換えれば秩序の世界だ。〈同〉を見つける。それをくりかえすだけなのだ。ものすごく巧妙な仕掛けの先にセッティングされた「隠れ要素」や「裏技」を見つける時には特有の感動があるが、結局それも、誰かにあらかじめ用意されたアイデアなだけだ。このどこまで行っても抜け出せない有限の感覚が、いっさいのゲームにはある。理、それ以外のことは起こらない。一部のバグ(ハード的、ソフト的処理ミス)でさえも、理の上に成立している。ここに非常にわかりやすい「全体性」がある。その囲まれた、もしくは包摂・理解(comprendre)された感覚が、いっさいのべつの可能性を閉ざしている。
 にもかかわらず、一方でそれは、信頼できる理由にもなっている。「絶対に裏切らない」と。この感覚が、機械に囲まれる際に感じる安心感であろう。だから私は機械(マシンもメカも電子系も)に愛着があった。それに対して、世界は迷宮であり、「決定できない」。この違いは私を不安にさせた。
 モナドの内部とは、たとえばこのようなTVゲームの世界であり、〈同〉の世界でしかないのだ。
 ここまでで決定すること、〈他〉を〈同〉にすることの二系統のしかたが提示された。一つは完全に〈同〉にする「わが家」としての〈同〉、ゲームの世界がこれにあたる。もう一方は、〈同〉にするが、〈同〉にしたがために〈私〉が〈私〉を超えてしまい、〈私〉が以前の〈私〉でなくなってしまう、にもかかわらず、〈私〉を超えた〈私〉はそれでも〈私〉だという、A=B、A≠Bの連立方程式が多元的に成り立つ構造、〈エロス的関係〉である。

 迷宮で暮らすこと、そのために必要なのはモナドだ、と言った。第一部B章で引用したカイジのことばが思いだされる。

   オレなんだ……!肝心なのはいつも‥‥!
   オレがやると決めてやる‥‥ただそれだけだっ‥‥!
   (『賭博黙示録カイジ』三巻八六頁)

   誰も人の心の核心に近づけない‥‥ 
   世界に57億の民がいるのなら……‥‥57億の孤独があり
   そしてその全てが……‥‥ 癒されぬまま死ぬ……‥
   孤立のまま消えてゆく…‥‥! 
   (『賭博黙示録カイジ』八巻七六-八〇頁)

 カイジがこの時気付いたのは、自分がモナドであることの自覚。そして、人はみなモナドであり、人は57億の「孤独あかり」なのである。人はこのモナドから始まって、どのようにして〈他〉と出会い、〈他〉を〈同〉にしていくのか。

 私のモナドは、もちろんTVゲームの話だけではない。
 私はワカラナイことが嫌だったのではなかった。ワカラナイのは仕方のないことだと思っていた。しかしそうではなく、世界はワカラナクて当然だった。強いていえば、嫌だったことは鑑賞者にワカラレルこと、理解したと思い込まれることであった(ワカラナイはずのこの世界で、鑑賞者はどうして「ワカル」と言うのだろうか)。
 そう、ボールはあさっての方向に想いっきりブン投げてよかったのだ。ためらっちゃいけない。私は「直感」に従い、即実行するやり方で、制作してきたが、それは、利根川の言う「素人の習性」のようにすぐに結果を得たいというものとはまた、違っていたはずだ。それは、私が「普通」じゃなかったからである。物心ついた頃すぐに、自分が「普通」じゃないことに自覚した私は、それ以来数々のことを疑ってきた。私は「直感」を思っても、それが「正しい」と思っても、それが「普通」、つまり社会に認められることはないと考えるようになっていった。「出る杭は打たれる」経験をしたからだった。だから、私は「直感」が来ても、すぐに出さない癖が、いつのまにやらついてしまっていた。そのやり方は、へたくそなりにも人生を上手くやっていくための護身術みたいなものだった。私には「正しい」と感じているのに人には「非常識」なことが色々あった。その葛藤が私を悩ませることになるのだが、そのたびに自分が「浅はかだった」「カン違いしていた」と押さえ込み、ぐっと我慢するのだった。納得いかない、しかし、理解していかねばならない。私は我慢した。でも、我慢するからこそ、その「直感」「閃き」に関して、深く考えることができた。「直感」にもかかわらず、じっくり考えること。でも、その「直感」を捨てきらないこと。これが私なりのやり方だった。私は私の「直感」が世間では認められないと思いつつも、決してその「直感」を否定、忘却することはなかった。だって、「正しい」のだもの。私はまた「気付いた」。この私が「直感」を感じたのにもかかわらず、「普通」のことを気にして押さえ込み我慢するが、決してその「直感」を捨てることなく考え続けるということ自体こそが、かつての私にはできないと思い込んでいた「綿密な計画を練る」ということそのものであったことに。
 このある種の「頑固さ」が、私を支えてきたのだ。ハイデガーが言う「地平」のような誰かが描いたチャチなものではなく、私は始原的な大地の堅固さ(=頑固さ)をすでに持ち合わせていたのである。私が頑固なことに根拠なんかあるはずない。こうして私は成長してきたのだ。これが私のモナドだ。

 「迷宮のゴール」としての気付き、セレクション、決定に必要なものは、〈私〉が〈私〉であること、モナドであるということを述べてきた。〈私〉がモナドであるということは、〈私〉は閉ざされている、ということである。〈私〉は〈他〉に対して閉ざされているのである。それは根本的な〈同〉の世界であった。この閉ざされたモナドに〈他〉はどのように関係してくるのだろうか。迷宮のゴールは〈他〉と出会うことだった。
 〈他〉は必要なのだ。「永久機関」が可能なら、世界に人は一人で良い。ずっと欲求だけを充たしていればよいのだ。全体性の中で、好きなように(TVゲームのように)「決定」していれば良いだけだ。しかし、世界はそうではないのだ。では、どうすればよいのか。この答えをみちびきだすために、マイ・イデアを考えておこう。


B マイ・イデア モナド からマイ・カオスへ

1 『あの日のことを忘れないように』

 マイ・イデアとは、私がセレクションしてきたものであり、もともと〈他〉であったが、私が〈同〉にしてきたものたちである。その意味で、マイ・イデアは根本的な〈同〉であるモナドとなかば違うが、なかば同じでもある。

 マイ・イデアとして、たとえば『This is an enigma kaleidoscope』(作品18)が好例である。この作品はパステルとペンと色鉛筆で熊を描いた作品である。とにかくこの作品のテーマは私の心の中の謎に対する思いから制作されたものなので、制作当時の私の心境を映し出している作品だ。先が見えない迷宮の中で私は、ワカラナイのであれば「謎」をテーマに制作したら良いのではないかと考えた。そんなとき私はいつも、私の好きなものたちを紙の上に並べていくのである。私にしては珍しく慎重になっていて、鉛筆の下書きから始めた。これらのマイ・イデアを見つめ直してみよう。私は断崖絶壁の島から一本だけ掛けられている吊り橋を描き、画面の中心にジョニーという冒険漫画の主人公を描いた。ジョニーはフッとニヤつきながら巨大なペンを持っている。実はその世界はジョニーのペンで描かれている。橋の遥か下に細い川が流れている。よく見ると、その川を船に乗って進む「へんたいまん」がいる。その川の上流では「へんたいまん」の親友でありライバルでもある「へんたいくん」が別の川を筏で進んでいる。これは別々の道(川)を同時に行くという「多産性」をテーマにしたものだった。そう、「へんたいまん」と「へんたいくん」は別々のはずなのに、にもかかわらず、『へんたいまん』(作品20)という作品でくくると、ひとつなのだ。画面手前に草むらを利用した迷宮の絵を描こうとしたが、あんまり上手くいかなかった。画面中央と左下の「へんたいくん」がいる世界の空にそれぞれ上昇する龍を描いた。背景の配色が偶然にも『続・エロティック』(作品3)の内と外と同じようになった。画面中央の少し上に切り込みがある。これは当初画用紙を横描きのつもりでいたが、構図が変になったので縦描きに変更するために切り貼りした後である。そしてメインの熊をピンクで描いた。そして出来上がったのが『This is an enigma kaleidoscope』(作品18)である。enigmaは「謎」という意味であるがそのエニグマという響きから受けるインスピレーションを私は、「絵に熊」と解釈し、作品としたのである。その後私が考えたことは、作家である以上、全てに対して自分なりに解釈し、自分なりに制作するよりほかない、ということだった。ここに描かれたものは、私の好きな、私のセレクション、決定してきたもの、つまりマイ・イデアである。

 第一部でも触れた『あの日のことを忘れないように…』(作品5)。これを制作したのには理由があった。
 私は平成九年九月九日に交通事故に遭った。信号が変わり、自転車で横断歩道を渡ろうとした時、突っ込んできたトラックに跳ね飛ばされたのである。左右左の右を見た時だ。その時私は薄れ行く意識の中である光景を見た。それはどこまでも続く広大なお花畑であった。空が眩しく輝いていた。ある人はそれを幻覚と言い、またある人は臨死体験と言い、またある人は自分自身が勝手につくり出した妄想だと言った。つまり事故の時には大抵そういった幻覚を見るものだという先入観がイメージさせたのだろう、と。私にはよくわからなかったが、そのお花畑がとても綺麗だったことを覚えている。そこには季節がなく、暗闇がなく、時間がなく……。ありとあらゆる種類の花が一斉に咲いていたのである。
 私はその光景をなんとか再現したいと思い、この作品制作を企画した。第二回の次元展で、会場は富山県八尾町だった。その展覧会に合わせた制作だったので、八尾の小学生達に協力してもらい、それぞれの子供たちが自由にイメージする花の絵を、20cm四方の小さい布に描いてもらった。ほんとに多様な花の絵が一五〇枚ほど集まった。不思議だった。ただの布だったのに、一枚一枚がそれぞれの花であった。私にはどれも想像することのできない花だった。私は「あの時」私がイメージした花畑を作ろうと思ったのだったが、このようにして集まった花たちは、すべて私の想像を超えるものだった。そういう意味で、またしても私の予想していたゴールを超えていたのだった。貴重な絵をもらった。そして私は幅90cm、長さ33mの白い布に黒いペンで植物の絵を描き、その布へ子供たちに描いてもらった花の絵の小さい布を、一枚ずつ縫い付けていった。 
 それぞれがイメージする花なので、大きさや色、形、種類は何でもいいと思っていただけだったが、いまこうして振り返ってみると、それぞれのマイ・イデア(つまり、色んな人たちのマイ・イデア)の集合体であり、〈マイ・カオス〉だった。
 それから三年後、私はこの作品の続編を企画した。今度は私の現在の勤務先(非常勤講師として通勤している)、金沢市内の小学校の児童と保護者の方に協力してもらった。今度は布ではなく、校舎の壁面が素材だった。私は子供達から、それぞれが自由に想像し描いた花の絵を集め、私のデッサンとともに壁面に構成してクレヨンで描いた。それを校長先生に黒のペンキでなぞってもらった。ここまでは私の作品と言えなくもなかっただろう。しかしこれで終わりではない。私はその下書きに色を塗る計画を立てた。それはこの小学校の児童と保護者の方、職員の先生方にそれぞれが思う色を塗ってもらうというものであった。ここで私は、何でもかんでも自由に塗るのではなく、「塗る色は自由ですが、ここには絶対この色しかないと思える色で塗って下さい」とお願いした。後になって考えてみると、我ながら意味が良くわからない説明だったが、参加者の皆さんには「なるほど」と感心された。それぞれの人が私のことばをその人なりに受け止めてくれたのだ。
 
 結果、これもまたマイ・イデアの集合体になった。これはもはや私の作品かどうかもワカラナイ。しかし、これは私の作品かもしれない。とにかく私は事故の影響なのかどうかはワカラナイが、私は私を超えたのかもしれない。以前とは別の私になったのかもしれない。自分が自分を超えていく〈エロス的関係〉である。 
 『あの日のことを忘れないように』(作品5)と同時に制作した『そして、またあしたへ』(作品6)。これは豆腐屋の龍であった。私はこの自分流の龍のように自分流に生きてゆく。忘れてはいけない。自分流に生きるためには〈他者〉がいないとできない。いろいろある今日が終わって、そして、またあしたへ。そうやって私は生きてゆく。わからないからこそ、進んでいける。把握しきれない世界で、何かを信じて生きてゆくことができるのは、それぞれの人が、「迷宮」に住んでいる証拠である。「あした」は、自分が変わるあしただ。
 私が〈他者〉に関わりつつも、私は私であること。それこそが〈私の個人的なイデア〉、マイ・イデアなのである。もうひとつのキーワードとして、私は世界をカオスとし、その中から自分が選んできたものを〈マイ・カオス〉だと言った。
 「私が私を超えつつある」と「〈同〉は閉ざされた世界」という相反する性質を同居させた〈私〉が〈他者〉と対面するということは、モナドであるにもかかわらず、モナドを超えていけるヒントになるのではないだろうか。いや、もうすでに成立しているのかもしれない。

 さっきのつづきにもどる。私はその事故に遭うまで、正直言ってこの世界を生きていく希望などを強く思う事がなかった。なぜ私が生きているのかわからなかった。毎日が惰性で進んでいくような感覚だった。つまらない人生に終止符を打ちたいとさえ思っているような暗い、どうしようもない、いろんな意味で子供だった。「なぜ、私は生きているんだろう」。死にたいと思った事もよくあった。死ぬという意味も深く考えず、ただそうなれば今の苦しさから解放されて楽になると、何の根拠もなく勝手に思い込んでいた。くだらない人生だった。だからといって『カイジ』のように堕落して、むしろ落ちこぼれの人生を受け入れる程、開き直る事さえ思いつかないような、固い、くそまじめな人生だった。現在以前の過去の自分が嫌で、嫌でたまらなく、かといって未来に期待もできず、ただただその日をやり過ごすだけの毎日だった。ほんとにネガティブな子供だった。人生をこれっぽっちも楽しめない能力の持ち主だった。悲しい、寂しいというよりは、いま生きている実感が、全く持てなかった。自分の体が、よその誰かから借りてきているだけのような感覚、儚い記憶だと思っていた。そんな私だから、当然、忘却に徹するのだった。

   「いいのかっ…!負け組のままでっ……!」
   「あ〜っ……‥!聞きたくない 聞きたくない 聞きたくないっ…………!
   ボクは負け組じゃない負け組じゃないっ……!」
   「いや 負け組だっ…!」
   「違うっ!違うっ!違うっ!」
   (福本伸行『賭博破戒録カイジ』二巻、二〇五-二〇六頁)

 第4のギャンブル「地下チンチロ」での場面だ。こんな地に落ちた場所でもカイジはギャンブルのイカサマに屈する。気が付けば周りはカイジと同じように、敵に絡めとられた「負け組」だらけになった。そんな「負け組」にカイジは言う。「いいのかっ…!負け組のままでっ……!」。しかし、彼ら「負け組」は否定する。向上心からではない。現実を受け入れない。受け入れる事ができないからこそ、負けが続いても平気でいられるのかもしれない。たんにそのことを、同じ「負け組」に落ちたカイジには言われたくなかったのだろう。「負け組」のひとり、三好は強く否定する。「ボクは負け組じゃない」と。
 認めたくない。なかった事にしたい。私は私の人生を恥ずかしく思った。イライラした。消えてしまいたかった。そんな私は過去の記憶の抹消に励んだ。全部忘れたかった。今のことも忘れたかった。実際今の私に、その頃の記憶はあまり残っていない。
 そんな時、私はあの事故に遭った。私とぶつかったのは解体業者のトラックだったが、積み荷は載せていなかった。もし、積み荷が乗っていて、トラックの勢いがでていたら……私はその時死んだかもしれなかった。死にたいと思っていた私はその時、死ねなかったのである。いや、死ななかったのである(もしかしたら、ダメだった私はこの時に死んだのかもしれなかった)。私は再び思った。「なぜ、私は生きているんだろう」。それ以降、私は自分が生き残れた理由を探してきた。その答えは簡単だった。色んなところにあった。探せば、色んなところにあったのだ。

 今、私はこうして話している。
 すべてが平面的だと思っていた世界に、奥行きを感じるようになった。
 概念というものがある。
 たしかに私は歩いている。
 いろんなことに「気付く」。
 私は生きている。

 これらがすべてマイ・イデアである。
 ただたんに〈同〉にしていくことがマイ・イデアではなく、さまざまな始原的なものを気力の糧にしながら、自分が変わっていくしかたもある。マイ・イデアは『This is an enigma kaleidoscope』(作品18)のように私によって〈同〉にされるものだけではなくて、『あの日のことを忘れないように』(作品5)のように〈他者〉に出会っていくマイ・イデア自身の可能性を秘めている。

 事あるごとに、「あぁ、私はこのために生きてきたんだなぁ」と思えるようになった。今までこんなことに気が付かなかったとは!ああ恥ずかしい。私は笑った。今度は笑った。それこそおかしいくらい、気が狂いそうなほど、大笑いした。涙が溢れてきた。こんなにうれしかった事はそれまでなかった。私は私を超えるようなしかたで変わったトランスフォームのである。
 それからの私は、何でも前向きポジティヴィテに受けいれる事ができるようになったのだ。「ほんとうの生活」。ようやく気付いた。長い、苦しい戦いだった。やっと気付いた。さんざん遠回りをした。寄り道をした。遅くなった。だが、「気付いた」。遅まきながら、私はこの話を書いていく中で当時を思いだすことによって今改めて「気付いた」のである。私はあの時生きていた事に感謝したと同時に今、気付いたことにも感謝した。そしてあらためて思った。『あの日のことを忘れないように』。


2 2つの〈イデア〉と〈マイ・イデア〉

 私はいっぽうで、私がすがり、かつ嫌がっていた「彫刻像」「美術像」をイデアと呼んできた。イデアとは、すでに決められた粘土をこねるような〈技術〉である。このイデアとマイ・イデアとは、同じなのか違うのか。これら〈マイ・イデア〉についてもう一度あらためて考えておこう。

 私はある時、『ラーメン』(24の作品)を作ろうと思った。ただラーメンが食べたかっただけなのかも知れない。私は近所のスーパーへ行き、どうせ作るのなら最強装備のラーメンにしようといつもより高級な食材を買い集めた。分厚いチャーシュー、シナチク、新鮮なネギ、ナルト……そうだ!ナルトは私の好きな歯車みたいに使ってみよう。ちょっと豪華にしすぎたな。ここは安値なインスタントの袋ラーメンの麺とスープでバランスを取ろう。このようにして庶民の味を出したのだった。作品集の写真の中のメモ書きにもあるが、当時私は「作品」というものが見えなくなっており、ほんとうの「作品」とは何か、「美術」とは何かがワカラナくなっていた。迷宮の中で悩んでいた。悩んだ挙げ句、いつものように直感的に、私は制作者だとした。つまり私の制作したものはすべて「私の作品」であるとした。それはあまりにも安直で、理不尽で、傲慢な考えだった。しかし、私にはなぜか自信があった。なぜだか本当にわからなかったが、直感でこのラーメンには見た目以上の、もしくはコンセプト以上の何かを超える力があるかのように思えたのである。
 作った直後は何も思わなかったが、後からじわじわと何か或るものがやってきた。まず現れたのはナルトだった。ナルトは6枚もあった。私は6という数字が好きだ。根拠は特にない。ただ6が好きなのである。例えば一般にいうところのラッキーナンバーは7であることが「普通」である。だから7が好きな人は結構多い。しかし、私はそのような「普通」の感覚が嫌いだ。私の好きな数字は6だということになっている。ここでも私が「普通」でないことが見え隠れする。もはや隠すことはしないが。
 それもあって私の作品にはときどき6が見え隠れする。それは作品のサイズだったり、ボルトの数だったりした。そう、今回はナルトの数が6である。そのようにした。しかし私は自分で撮影した作品写真を見てはっとした。ナルトの数の前に、すでにナルトには6と書いてあるではないか!これは相当ショックだった。またやってしまった。
 次に来たのはエコノミーの問題だった。それは、ラーメンは食べて取り込むことができる、つまり〈同〉にできる。享受できる。しかし、ラーメンドンブリや、ラーメンを作品としたコンセプト自体は食べれない。〈同〉にできず〈他〉であることを受け入れなければならない。もちろんドンブリを食べる事が〈同〉にする事ではないだろうが、この喩えはわかりやすいと思った。この構造はレヴィナスの言う、教師の教えは〈同〉にできるが、その教師自体は〈他者〉であり〈同〉とできない、という構図と同じだということに気付いたのであるが、この問題について語るのは少し先送りにしよう。ここではある意味「教師の教え」と同じような、享受の問題を取り上げる。〈同〉にする「決定」と「決定でない決定」の問題だ。

 ラーメンの中の具や麺、または龍は気力を養う〈同〉とされるものである。しかし、食べられないラーメンドンブリは〈他者〉だ。ドンブリにいる龍は、わが家(ドンブリ)から離れて対面していくのだ。「へい、お待ち!」。カウンターの上にラーメンが置かれるように。
 ラーメンは〈同〉にできるものと、〈他〉として向かい合うもののジョイントである。だから私はラーメンをいっぽうで糧にし、またいっぽうで私を超えるきっかけとしての〈他〉でもある。この一本道ではない複雑なかかわり合い、相反するものが同居している関係を〈エロス的関係〉というのだ。

 これによってイデアとマイ・イデアの違いがはっきりしてくる。決定・セレクションにもとづくマイ・イデアが〈同〉にする「決定」と「決定でない決定」の二系統の構造になるように、イデアも二系統あるのだろうと考えられる。皆が重力に導かれ、向かう地球の中心にあるというイデア、既成の固定化されたイデアと、常に生まれ続ける、言うならばセレクションされ決定される、生成されつづけるイデア。後者のイデアはものではなく、概念でもなく、運動なのだ。実際、レヴィナスがプラトンのイデアを二つの側面から見ている。

   対面の関係にあって、対話者は絶対的な存在として(ことばを換えればカテ
   ゴリーをまぬがれた存在として)現前する。関係における絶対的経験は、プ
   ラトンにとっては〈イデア〉をかいすることなく考えられないものであろう。
   プラトンにあって非人称的な関係も語りも、孤独な語りあるいは理性に、じ
   ぶんと対話するたましいに関係するものであると思われる。けれども、思考
   する者が確定するとされるプラトンのイデアは、至高で完全な対象とおなじ
   ものなのであろうか。『パイドン』が強調する、〈たましい〉と〈イデア〉と
   の類縁関係は観念論的なメタファーにすぎず、思考にとって存在が見とおさ
   れうるということを表現しているにすぎないのだろうか。イデア的なものが
   イデア的なものであることは、性質を最上級に高めることにつきるのか。そ
   れとも、そのことで私たちは、諸存在が顔をもつ領域へ、言い換えると諸存
   在が固有のメッセージにおいて現前するような領域へとみちびかれてゆくの
   だろうか。ヘルマン・コーエンは―この点ではプラトニストである―、ひと
   はイデアしか愛することができないと主張していた。そうであるなら〈イデ
   ア〉という概念が意味するのは最終的には、他なるものから〈他者〉への転
   換とおなじものになる。私に提供される内容は、それを思考した者と分かつ
   ことができない。これは、語りを紡ぐ作者が質問に対して応答しているとい
   うことを意味する。思考はプラトンにあって、真なる諸関係を非人称的なか
   たちでむすびあわせることには帰着しない。それは、諸人格を、また人格の
   あいだの諸関係を前提としているのである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、一二八-一二九頁)

 レヴィナスの分けたプラトンのイデアの二つの側面・系統。ひとつは「至高で完全な対象」、「思考にとって存在が見とおされうるということ」、「性質を最上級に高めることにつきる」という、いわば光の点を固定することであり、レヴィナスも否定的にとらえているところである。もうひとつは、そうではないしかたの「諸存在が顔をもつ領域へ、言い換えると「諸存在が固有のメッセージにおいて現前するような領域へとみちびかれてゆく」、「他なるものから〈他者〉への転換」、「諸人格を、また人格のあいだの諸関係を前提」とするしかたである。前者は閉ざされた〈同〉の構造であり、不正の哲学のおおもとであり、後者はレヴィナスが「正義」としている〈他〉を〈他〉として享受するあるいは対面することである。
 常に生成され続けていくからこそワカラナかったり、つかめなかったりしたのだ。そういう理由で、イデアと私の関係はあるのだ。イデアは無いわけではない。確かにあるのだ。別のし方で。そして安心して欲しい、私は確かに二系統、別のし方と言ったが、そのうちのどちらか一方しか選べないということではない。同時に選べる。デュアルコアがそれを可能にするのだ。
 
 また、この『ラーメン』(作品24)は、それだけではなかった。私はその先にまた〈或るもの〉に気付いた。それは最初の話に戻るが、私が制作したものがすべて「私の作品だ」と言い切るということ、決定するということは〈マイ・カオス〉になるための大前提であることに気付いたのである。つまりラーメンの中身を糧として決定し、同時にドンブリを〈他〉として「決定でない決定」をしていくのだ。ラーメンとドンブリの関係は、何も麺や具が色々入っていて、それぞれのマイ・イデアの集合体だから〈マイ・カオス〉だと単純に言っているのではない。ラーメンとドンブリが「決定できるもの」と「決定でない決定」とのジョイントであるがゆえに、〈エロス的関係〉が成立し、つまり〈マイ・カオス〉だと言えるのである。
 ここで少し整理しよう。〈マイ・イデア〉は私が選んだ好きなもの、これだ!とピンときたものである。要するに私〈同〉にしたもののことだ。これと同時に私はそれ以前から、〈マイ・カオス〉ということばを使ってきた。これは、世界を捉えきれない混沌としたカオスだとすると、その世界から私が選んできたものたち、その集合を私だけのカオスという意味で〈マイ・カオス〉としてきた。ここで両者の定義が統合される。つまり、〈マイ・イデア〉という言わば私にとっての〈同〉の集合体がジョイントされることによって新たに〈他なるもの〉が生成されるのだ。これが〈マイ・カオス〉ということになるのである。

 もう少し整理が必要だ。つまりマイ・カオスとは、二系統のマイ・イデア、「〈同〉とするマイ・イデア」と「決定でない決定という、〈他〉を〈他〉として対面するマイ・イデア」だ。そう、マイ・カオスは他者と出会い続けていく世界だということ。ここで先ほどの答えが見えてくる。 
 「なぜ閉ざされたはずのモナドが〈他者〉と出会えるのか。」『カイジ』でのことばを借りるとそれは「孤独あかり」であり、「温度」なのだ。なるほど、たしかにモナドには窓がないのだろう。閉ざされている。しかし、57億のそれぞれは、モナドでありながらもモナドの壁から漏れる温度(熱)も漏れる。そう、窓など無くても外へ漏れるものはあるのだ。「あかり」も漏れるのかもしれない。モナドの壁がどんな素材を使っているのか、私は知らない。しかし、どんな断熱材であっても、どんな遮光材であってもであっても漏れてあふれていく「あかり」と「温度」が人にはあるのではないか。もちろん、壁は「心そのもの」を漏らすことはなく、閉ざしている。しかし、ここには、それぞれが閉ざされているのにもかかわらず、壁から漏れだし、空気や風といったような始原的なものを通じて伝わる、奇妙な関係がある。これが〈マイ・カオス〉である。そして、これは実はレヴィナスのいう〈エロス的関係〉なのであった。さあ次に、作品と〈マイ・カオス〉の関係について、実際に私の作品で見ていこう。

 『Gravity(グラヴァティ)キャプション 〜文字が重力で落ちちゃったシリーズ〜』(作品21)である。この作品は、縦6cm横10cm厚さ0.5cmのアルミ板に重力で落ちちゃったタイトルたちである。
 キャプションの中に重力を発生させた。いつものごとく、意味は無い。文字が落ちて読みにくくなっている。これは、タイトルということばが、読まれることを拒否し、すべてオブジェクト化したということだが、もちろんそれだけではない。タイトルということば自体も、地球の引力により、中心へ沈んで行く、地中のイデアに向かおうとするのだ。それを私はキャプションを作ることによって阻止しているのである。そう、作品化することによって、または作品関連(キャプション)にすることによって、イデアに向かってしまうものたちを、解放することができるのではないか、と考えたわけだ。「作品」という枠の無い枠でくくられたイデアの基たちは、一見、閉ざされたかのように思えるが、実はそうではない。それらは、「開かれたのか閉ざされたのかもワカラナイ」ということなのだ。つまり、作品=〈マイ・カオス〉だ。

3 通信から連帯へ 

 またまたさっきのつづきに戻って。「通信」について考えてみよう。私はレヴィナスのことばを借りて、いっさいの「地平」を否定した。世界はそうではない。そうした上で、地平が無いのにもかかわらず、人と人とがつながる、モナドなのにつながる、というありかたについて考えていくことにする。
 「通信」は通じたと信じることだった。私が「永久機関」を信じたようなしかたで、私は数々の「普通」の「地平」のしがらみの中、「私だけの感覚・直感」を信じてきた。しかし、これは結局私の中だけで完結してしまうものなのだろうか。人とのコミュニケーション、美術における作品や、作者と鑑賞者の関係も、「通信」で上等だと言ってきた。しかし、それだけなのか。他に道はまったくないのか。どのようにして「通信」という相対主義を超えられるのだろうか。
 「Eカード」全一二戦のうち、八戦目までで二勝六連敗というボロ負けのカイジは偶然にも、九戦目でたまたま一勝だけ勝ちを拾った。その時である。

   そう……気が付けば 一人ではなかったのだ 
   味方がいたっ‥‥! こんなにもたくさんの人間が応援して
   くれていた。……‥‥ と……言っても 
   誰も大っぴらに声はあげない………… 応援と言っても 
   拍手も歓声もない……‥‥ ただ祈るだけの応援だ 
   いくらカイジが困ったとしても‥‥ 
   誰も手を差し伸べはしないだろう………… 
   それどころか……‥‥ちょっとあちら側に凄まれれば 
   スゴスゴ引き下がる……‥‥ 
   そんな…‥‥ 吹けば飛ぶような薄っぺらい 共生‥‥
   共感だ‥‥! しかし…… 今ともに震え……‥‥ 
   ともにこの生き残りを……‥‥ 
   喜んでくれたのも事実……! それでいいっ……‥!
   そんな安っぽい……‥ 役に立たない友情でいい……‥! 
   いや‥‥ 役に立つ友情なんていうのが‥‥
   そもそもおかしい……‥ 
   そっちの方がよっぽど眉唾だ‥‥! 
   求めちゃいけないっ……!そんなもの……‥!
   オレは「思い」だけでいい‥‥! ありがとう……‥‥ 
   ありがとうみんな‥‥!
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』一〇巻、一一六-一一九頁)

 その瞬間、ギャラリー(余興の鉄骨渡りで生き残ったもの、棄権したもの達)から安堵の空気が広がってきた。「応援と言っても、ただ祈るだけの応援だ」が、カイジは気付くのである。自分一人ではなかった事に。ただし、それは「吹けば飛ぶような薄っぺらい共生、共感だ」。でもそんな「安っぽい、役に立たない友情」でいい!「通信」とはまた別のものが到来してくるのをカイジとともに、読者の私も感じるのだった。

 それは「連帯」(solidarity)だ。世界平和実現の象徴「トロツキー」と個人的な趣味の「野生の蘭」をイデア的に統合するのを避け、「連帯」というやり方で両者を和解させた、R・ローティの道と同じありかたである。

   本書でこれまで主張してきたのは、私たちは、歴史や制度を超えた何かを求
   めないようにしようということだった。本書の基本的な前提は、人びとが自
   らのいだく信念が、偶然の歴史的な環境よりも深い何かによって惹き起こさ
   れたものではないということをよく自覚している場合ですら、そうした信念
   はなおも人びとの行為を規制しうるし、そのために命を捧げるに値すると考
   えられることもありうるということである。
   (中略)
   私がリベラル・アイロニストと呼ぶのは、あらかじめ他者と共有する何らか
   の認識ゆえに人間の連帯の感覚をもつのではなく、他者の生の具体的な細部
   との想像上の同一化によってその感覚を得るような人物のことである。
   (R・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』訳者・斎藤純一、
   山岡龍一、大川正彦、岩波書店、二〇〇〇年、三九六-三九七頁)

 私は世界のことがあまりにもワカラナイから、てっきりそのことが嫌になったのだと感じていたと思っていたのだが、よく考えてみるとそうではなかった。私はその時その時の私を制作する。結果、それらが偶然にも作品になっていたり、ならなかったりしているだけだ。私の制作は変わらない。世界も変わらない。でもそれらはいっぽうで変わってゆくのである。もちろん、鑑賞者・あなたも変わっていく。私とあなたは別々でありながら、むしろ重なり合うことがないからこそ、相手のことを気遣えるし、思うことができるのだ。それが「連帯」ということなのだ。ローティはそんな、「想像上の同一化によってその感覚を得るような人物」をリベラル・アイロニストと呼ぶ。そしてローティの言う「他者の生の具体的な細部」とは、レヴィナスの言う〈顔〉のことである。〈顔〉によって対面が成立し、「連帯」できるのだ。

 私が目指していた作品は、〈他なるもの〉、〈私の手に負えないもの〉、私が把握できること以上のものであり続けていることであった。それをレヴィナスは「顔」といい、「顔」と「対面」すると言っている。それは私が繰り返し考えてきたマイ・カオスということなのである。マイ・イデア、私のイデア、つまり〈同〉ではなく〈他〉としてのイデア、作品でない作品。いいかえるなら〈形而上学的渇望〉としてのイデアであり作品であると言える。あるいはエロス的関係としての。そして、マイ・イデアをもちつつも対面するということがマイ・カオスである。二系統以上のものをジョイントするし方。デュアルコアのダブルセレクション構造。これまで私が言ってきたマイ・カオスとは、すべてのものと対面するということだった(マイ・顔す)。ただ私がる、あなたがる、作品がる、以上だ。


   いるっ……!……オレは……佐原を救えない……‥
   佐原もオレを救えない…
   絶望的に離れ離れだ……!
   なのに……‥
   なんだ‥‥?
   このぬくもりは……‥‥!
   胸からいてくる……‥‥このあたたかさ……‥‥
   感謝の気持ちは……‥佐原が……‥佐原がただ……
   そこにるだけで‥‥救われる……!奴が目の前にいない
   その寒々しさを考えたら……今‥‥
   見えるその存在はまさに救い‥‥!希望そのもの……!
   そうか……‥‥そういうことか‥‥!
   分かれてなかったんだ…希望は……夢は……
   人間とは別の何か……‥
   他のところにあるような気がしてたけど…………
   そうじゃない‥‥!人間が……‥人間が つまり‥‥
   希望そのものだったんだっ……‥‥!
   (福本伸行『賭博黙示録カイジ』八巻、九三-九六頁)

 それぞれが各々のマイ・イデアを持つこと自体は相対主義である。しかし、マイ・イデアをもったもの同士つまりモナド同士がマイ・カオス的関係をもつことによって、相対主義では収まりきらない新たな展開へと進んでゆく。主人公のカイジ青年と(かりそめの)友人佐原との関係も、まさにこれだったのだ。ここに「通信」の答えがある。『カイジ』は「温度」がモナドを超えると描いているのだ。
 「人間が希望そのもの」については、「多産性としてのモナド=希望」として後でふたたびふれることにして、レヴィナスの「対面」に戻ろう。
 
   全体性をかたちづくることのない諸項の関係が存在することの一般的エコノ
   ミーにあって生起しうるのは、したがって、《私》から〈他〉に向かう関係、
   対面の関係、深度において隔たりをえがくような関係としてだけである。そ
   の関係が、語りの、善さの、〈渇望〉の関係なのであり、そうした関係は、
   悟性の総合的活動が多様な諸項のあいだに設立する関係には還元不可能なも
   のである。多様な諸項はたしかにその場合たがいに対して他なるものなので
   はあるけれども、その諸項が悟性の概観的な操作に対して提供されることに
   なるからである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、五三頁)

 「悟性の総合的活動」とは表象であり、正確な、正しい判断。概観的に、「地平」によって判断されるものだ。美術で言うと「鑑賞する」とイコールだ。そうではなく、〈対面〉の関係だ。「全体性をかたちづくることのない諸項の関係」であり、「《私》から〈他〉に向かう関係」であり、「語りの、善さの、〈渇望〉の関係」であり、「深度において隔たりをえがくような関係」である。それが「対面の関係」なのだ。

 たとえば地球の中心といったような固定化されたイデアはなく、かといって〈顔〉の無い匿名的なものがあるわけでもない。〈私〉と〈他者〉の完全に分離された、全体性をかたちづくることのない思考の両者のあり方、成立のしかたにおいて、ローティの言う「連帯」が、レヴィナスの言う「対面」が、「形而上学的渇望」が、その時その時に随時生成される。そのイデアこそ、私が〈私が決定でない決定としてのイデア、マイ・イデア〉と呼ぶものである。
 R・ローティは、レヴィナスと同じく読むように勧められた本で、数冊買ってうっかり読んでしまったが、今まで出番がなかった。連帯と対面は、同じ事態を言っているのである。

 このようにして閉ざされた私が世界とつながった。私が成長した過程を振り返ってみた。
 

4 モナドから多産性へ

 閉ざされていたはずのモナドが〈他〉とつながる。孤独に灯が漏れる。このことについて考えてみよう。レヴィナスはこのことを多産性と言っている。

 第一部A章で述べたように、私は、たとえ旋回していたとしても、以前通った道を再発見したとしても、同じことをただ繰り返しているのではない、また、何かしらを積み上げていく、と言ったが、その「何かしら」とは、量ではない。だから、私はその「何かしら」を際限なく享受、ポジティブに〈同〉とすることができる。〈他〉は〈無限〉であり〈無限〉は質だからだ。そうやって私は成長、進化してきたのだ。
 たとえば複数の道があったとして、ひねくれ者の私なんかは、どの道にも行かず、新規に道を開拓しようとするが、それがすべてではない。道は量ではない。誤解を招くのは、それが「道」という比喩だからにほかならない。量ではないのだから私はいくらでもその道の束、または多産にジョイントされた道ごと選択・セレクション・気付くことができるのである。
 
 この「気付く」というこの感覚をよく考えてみる。それは一体どういうことなのだろうか。何かをもとにして何かを考えているのにもかかわらず、私は突然まったく予想だにしなかった新しい「何か」に「気付く」のだ。その瞬間、私の行く道は二手に分かれる。新しい発見をさらに考えてゆくのか、それともそれは違うと考え直してみるのか、私はまさに「分岐点」に立つ。その場合、どれをセレクションしようと自由だ。
 私は一人きりのモナドだが、だからといって分岐点で、どちらかひとつの道を選ばなくてはいけないかというと、実はそうでもないのである。そう、全部選んでもかまわないのだ。一般に、ある道を選んでしまったらもうそれ以外の道は残されてはいないような言い方をよく耳にする。しかし、世界はそれがすべてとはいいきれないと私は思う。魚屋さんになることを決めた人は、宇宙飛行士になれないなどと、一体だれが言えるのだろう。可能性はそれこそ〈無限〉にあるはずだ。だからそこで、私は分岐の数だけのことを同時に享受する。デュアルコアの本領発揮だ。私はどちらも選ぶ。しかもひとつしか選べないものではない。Aと非Aの相反する排他的なものでさえ、同時に取り込むことができるのだ。そして一本道ではない複雑な、道かどうかもよくわからない道をひとり歩いていく。そうやって私は私を超えてきた。同時に超えた別人のはずの私でさえも、いっぽうで私だといえる。レヴィナスのいう〈エロス的関係〉がここにもある。この〈エロス的関係〉が多産性である。

   多産性には、〈同一的なもの〉の二元的なありかたが含まれている。多産性
   が示すのは、私がつかみうるものの総体、私のさまざまな可能性ではない。
   多産性はたしかに私の未来を示しているけれども、その未来は〈同〉にぞく
   する未来ではない。その未来は新たな変身ではなく、同一性のなごり、つま
   り細い糸にすがりついた同一性、さまざまな変身のなかで連続性を保証する
   はずの一箇の〈私〉に到来するかもしれない、歴史やできごとといったもの
   でもない。だが、にもかかわらずこの未来はなお私の冒険なのであって、し
   たがってまったく新たな意味での私の未来、つまり非連続性にもかかわらず
   私の未来であるものなのである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、一九四頁)

 私の未来は〈同〉に属する未来、様々なものになれるとあらかじめ予想できるような表象、〈同〉ではない。私の自由は選択の自由だが、二者択一の自由ではない。私はありもしない相反する排他的なもの同士を一緒にセレクションすることができるのだ。それは私の冒険日記であり、非連続にもかかわらず、私の未来である。つまり、学生と先生を同時にしている私が、たとえばそうである。

 私は自分たち流ではなく、自分流にセレクションしつづけてきた。しかし、時には自分たち流のことも考慮しなくてはいけなかった。そんな世界環境が、「直感」と「普通」という相反するものを同居させながら、兼ね添えても、生きていけるという私流のしかた、「デュアルコア」を産んだのである。この魚屋と宇宙飛行士が同時にできる構図や、『へんたいまん』(作品20)の中に「直感」と「秩序(コマ番号という数量)」の相反するものがジョイントされている構図は、いわば私のデュアルコアが可能にした、脅威のダブルセレクション構図である。しかしいっぽうで、これは誰にでもできるあたりまえの生き方なのだ。
 ここで考えてみよう。「そうは言っても、年には勝てない」などと言ったりする。それは違う。あなたは決して時間には負けてはいない。勝てないと思い込んでいるだけである。そもそも人生に勝ち負けはない。相対主義がそれを保証してくれているのだ。だから安心して、ただ戦えばいい。人によって戦い方は様々だが、それが私にとっては「制作すること」なのである。色々なことを考えてきたが、やはり、これら私の作品は、私が戦ってきた証拠であり、私の武器であり、敵の残骸達である。

 第一部A章で私の作品の儚さ、危うさ、不確かさを述べたが、ここでも新たなことに気付いた。私は作品を素直な目で見て、これらの批評を書いてきた。その作品解説らしきものを読み返すうちに、私の作品の特徴のいっさいは、私自身の特徴と同じであることに気付いたのだ。私は自身の作品を「好きなものの集合体」と記したが、そういうものの積み重ねが、私と作品のお互いを歩み寄らせるきっかけになっているのだろう。「機械っぽく作られたが、命令どおりに動かなかったり、不便であったり、ムダであったり、ある一方向の力に対しては非常に脆く、儚く、壊れやすかったり、トキメキがあったりする。」それはもう、ほとんど〈私〉だ。〈マイ・イデア〉の集合体である私の作品は、私自身だったのだ。もう一度引こう。

   私はじぶんの息子をもつのではなく、私が私の息子なのである。父性とは、 
   他者でありながらも私であるような異邦人との関係である。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、二一三頁)

それぞれがモナドであるにもかかわらず、〈他〉と対面することを、レヴィナスは「《私》の容量を超えて〈他者〉を受け入れること」(同、上巻、八一頁)とも言っている。たとえば一リットルの容量のバケツに一リットル以上の水を入れることができるという関係。これが〈エロス的関係〉なのだ。 私を超越するのは私ではない。なぜなら私を超えたものはすでに私ではないからだ。精神の向上をイメージして天に昇る制作、戦い、つまり〈エロティックシリーズ〉。これがいかに正しかったか!


5 エロス的関係=エロティックシリーズからマイ・カオスへ

 そんな戦いの中で、ある固定化された勝利(例えばお金、または名誉)を目指すのならば、その純粋な戦いは、まったく別次元のものに成り果ててしまうだろう。きっと戦っていたことすら見えなくなり、忘れてしまうことだろう。そうならないためにはどうすればいいのだろうか。私はいつも良い意味で、自信を持たないことにしている。どういうことかというと〈他〉を見くびらないということだ。世界は〈他〉である。だから私が成長してゆけるのは〈他〉との遭遇を欠いてはありえないのである。私は常に〈他〉から自分を問いただされ、学んでいる。学ぶことのできない〈他〉など、あってはならないのだ。学ぶことは、〈同〉であり、また〈他〉と出会うことでもある(後述)。そして、この「見くびらない」という感覚こそが、レヴィナスの言う〈他〉を〈同〉としない、〈無限の観念〉を持つことなのだろう。謙遜だとか寛大だとか言えばわかりやすいだろうか。そういった感覚はいつも自分次第だ。どんなに可能性を秘めていても、それを生かせなければ、その気にならなければ、埃、奢り(誇り、驕り)だけが積もっていくことだろう。私が、私のために選ぶ、拾って来る。気にいる。私はそういうものを(固定化された)イデアに対して「自分だけの」という意味を含ませて、マイ・イデアと言い、その集合体、私自身が選んできたもの達を総称していうと、それは〈マイ・カオス〉ということになるのだ。多彩なマイ・イデアを吸収し、成長していく私は、そう言う意味で〈マイ・カオス〉そのものだ。マイ・イデアを集めることのできる私は、そう、作品がどうのこうのではなく、私自身が〈マイ・カオス〉だったのだ。

 かつて〈マイ・カオス〉は、私の制作における「混合・寄せ集め」を意味するだけであった。今や、世界をカオスとし、そこから私がセレクションしてきた〈マイ・イデア〉の集合体がジョイントされたもの、言い換えるならば、〈顔〉であり、〈他者〉であり、〈形而上学的ミクストメディア〉であり、〈私の作品〉、それが〈マイ・カオス〉なのである。ここまできたら、私自身だけでなく、世界はすべて〈マイ・カオス〉と言えるだろう。そのようなしかたで相対主義を超えていこう。

 私は最初から「エロティック」をなんとなく思い付きで使い、その意味を深く追求してはいなかった。深く追求する必要性も感じてはいなかったのだが、ここへ来て、「エロティック」は向こうから私に問いただしてきたのである。「エロティック」についてよく考えみると、次々と新しい自分に気づいてゆくのだった。まず「欲望のままに」ということであった。制作することに〈欲求〉があるのか、無いのか、ということではなく(当初からすでに制作することは大前提にあった)、制作のしかたが、思いつき、直感で作っていくという意味での欲望のままに制作するということであった。一見ただたんに自由気ままにつくるというようにと思われがちだが、そういう気ままさは自由なんかではなく、欲望というものに縛られているだけなのだと感じた。正確にいえば欲望ではなく、〈欲求〉だったのだ。欠如や不満、ネガティブなものを補うための欲求。証拠や確固たるものを見つけられない不満を。

 その時点では私は自由な無計画ではなく、欲望(欲求)にそって計画制作していたにすぎなかった。そこから私は、エロティックに〈無限〉の可能性を見出せなくなってしまったのだ。それを理由に私は一度エロティックから離れる。しかし、それがすべてではなかったのだ。
 その後レヴィナスに出会い、欲望とは形而上学的渇望であると気づいた。熊野純彦はレヴィナスのいうd、sirを、通常は「欲望」と訳すが、レヴィナスが固有の意味で使っている時には「渇望」としている。ちなみに同じくレヴィナス研究者の合田正人はすべて「欲望」と訳している。ついでだが、私の場合はeroticを「欲望のままに」としている。さて、渇望(欲望)するから人は成長するのだと思えたとき、私はエロティックシリーズを見直してみることができた。それまで色々なシリーズを名づけてきたが、それぞれに少しずつエロティックの要素があったことにも気づいた。そしてレヴィナスの言う〈エロス的関係〉に出会ったとき、〈エロティックシリーズ〉ということばが私の中でピタリときたのだ。
 〈エロティックシリーズ〉とはエロス的関係、(私のことばでいえばマイ・カオス)に気づく制作だったのだ。
 そのことに気づくのにだいぶ時間がかかった。


C 作品の〈顔〉と質

1 海老ふイリヤ〜

 私は『へんたいまん』(作品20)を、「直感」という思い付きで描いてゆくが、一方でそれがとらえられるようにコマ番号という数字(量)に換算し数字的に秩序化していた。最初は量の問題だったが、いつのまにかそれを超えた日記作品になっていた。これは一体どういう仕組みなのだろうか。私はすでに、連帯、顔によって、コミュニケーションの相対主義を超えた、と思う。このことは、相対主義を超えて「良い作品」はありうるのか、という問題につながっていくはずだ。相対主義の世界では、良い悪いは相対的な問題として終わってしまう、これである。

 博士課程三年の今年春、突然、私は海老フライを作りたくなった。なぜだったかはよくわからないが、とにかく私は作った。当時、ちょうど金沢で現代美術の公募展があったので、出品しようと思った。私は規定サイズいっぱいの大きさで巨大な海老フライ、『海老ふイリヤ~』(作品23)を制作した。針金で枠を作り、梱包用の巻きダンボールをガムテープで止めた。尻尾にあたる部分はウレタンフォームに赤やピンクのペンキを塗った。制作時間は二時間くらいだったと思う、まあまあうまくできた。私はこの作品を金沢現代美術展に出品した。イリヤとはレヴィナスが『実存と実存者』で用いたことばで「il y a」、ある、剥き出しの存在、世界がただたんにあるということの意だ。ハイデガーの言う「存在の開示性」よりももっと無垢にあることを「イリヤ」というのである。読んだばかりだったので、このことばが頭の中にあった。ポジティブな〈同〉だ。しかし、あまりにも突然使ったがために、フランス文学の先生に「il y aは英語のThere isと同じだが、神のことばだと思っている人もいるくらいだから慎重に、軽々しく使わないで」と言われた。ごめんなさい。しかし、レヴィナスの言っている「il y a」は、「There is」やハイデガーの言う「es gibt」でもない、そんな神に祝福されていることばではない。ただたんにあるということなのだ。(自分だけホロコーストから生き残ってしまった。そのむなしさとして!)
 この作品は私が普段私が考えていること、その思考がそのまま作品になったのだろう。梱包材の巻きダンボール紙とガムテープで作ったら、何かを梱包しているかのように見える。しかし、何も包んではいない。あるのにない、ないのにあるのだ。あまりにも何かを梱包していたように見えたのだろうか、当時の美術品運送業者のスタッフに、巻き段ボールが剥がされかけようとしていた。私は止めた。「こういう作品です」。 
 『海老ふイリヤ〜』(作品23)にはもうひとつ意図があった。それは私が名古屋市出身であるということだった。「海老フリャ~」は有名な名古屋名物であり、同時に名古屋弁でもある。それをモティーフとするということは、私が名古屋に慣れ親しんでいるという作者の背景が少しだけみえる。しかし、私がたとえ作品タイトルのすぐ横に私の故郷や、性格、年齢、経歴の一切をことばで載せようとも、それで私のことをすべて言い表しているわけではない。どんなに記述の束を集めようとも、私自身は他の誰からも捉えられない。だから、タイトルに私の出身地の秘密を隠したとしても、その作品が私を含めて〈同〉(理解)としやすいかどうかはまったくわからない。もし、〈同〉としやすいものを一般に言う「作品」だとすれば、この『海老ふイリヤ~』はわかりやすいのにわかりにくいものとなって、見る人を戸惑わせるだろう。公募展の結果は、みごとに落選だった(もっとも、落選したのは、梱包材の「造形性」だけで判断されたからだろうと思う)。

 もう一度「質」についてレヴィナスのことばをもとに考えてみよう。 

   享受されることにおいて質は、なにか或るものの質なのではない。私を支え
   る大地の堅固さ、私の頭上にひろがる空の蒼さ、風のそよぎ、海の波浪、光
   の煌めきといったものは、なにかの実体に懸かっているものではない。それ
   らはどこでもないところから到来する。どこでもないところから、存在しな
   い「或るもの」から到来し、あらわれるなにものも存在しないのにあらわれ、
   したがってまた、私がそのみなもとを所有することができずに、絶えず到来
   する。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、二八一-二八二頁)

 ここでレヴィナスは、〈他〉が到来し続けるということと、にもかかわらず実体のない〈質〉があることを言っているのだ。実体が無いのに質がある。実体としての根拠が無いこの質とは何か?この質こそが芸術においての良い作品につながるのではないか。
 つまり「質」は何かを根拠としているわけでもない。始原的なものとして、すでにあるのだ。私が制作することの根拠を求めたにもかかわらず、それがつかめなかったのは、私が今、すでに「生きている」のと同じようなしかたで、「制作」の「質」が何かの実体(彫刻像、美術像)には懸かってはいないからであった。「制作する」のに、または、「生きている」のに、良いも悪いもない。ただ生作せいさくしてゆくだけなのだ。
 例えば何かを思い、行動したとして、それが失敗に終わるとする。残念に思う。後になってからあれは間違いだったと思う。少しは後悔するかもしれない。しかし、「その感覚、悪くない」と思えるのは相対主義の良いところだが、その「失敗自体が経験だ」と表面だけすくって満足するのではなく、その失敗をした私だからこそ、自分流に気付ける「点」を見つけた時、それらの失敗は、大逆転して「大成功」に終わる。相対主義を超えた「気付き」・「カン違い」。そのポイントを目の当たりにする。それはゴールではないが、何かのスタート地点でもあるのだ。そう、だから私はそういう意味で、色んなところにいるのと同時に、ある一カ所にいるのだ。私のそういうあり方が、不可能に見える「複数の分岐する道」を同時に歩いてゆくことを可能にするデュアルコアなのだ。デュアルコアとしてのセレクション、決定。「決定でない決定」。決定していくことに〈対面〉があるのだ。決定でない決定とは決定したと同時に、私が以前の「決定していない私」から「決定した私」に質が変わったので、それは「決定」ではなくなる。

   向かいあった顔が現前し、私が〈他者〉に向かう場合、そこで視線の貪欲さ
   があらわれずに済むとすれば、貪欲さにかわって寛大さがあらわれるときだ
   けである。寛大さとはつまり、手になにも持たずに他者に近づくことはでき
   ないということなのだ。そうした関係がなりたつようになれば、ものはその
   可能性においては共有されるものとなり、言い換えれば、それについて語ら
   れうるものとなる。それが語りという関係なのである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、七九-八〇頁)

 私が作品を鑑賞するとき、もしくはその作品から何かを受け取るとき、逆に私はその作品に対して何かを残すだろう。それが「寛大さ」である。作品だけでなく、他者と〈対面〉する時は、「手になにも持たずに」行くことはできない。手ぶらではなく、菓子折り(という知識、既成概念等)でも持っていくのが、対面するということだ。それがレヴィナスのいう〈語り〉である。この語りとは、それぞれの主観が共通の地平を有するとされる間主観性とは異なるあり方である。それは〈他者〉は〈無限〉に超越的でありつづけるからである。同時に、私は私を超えていく。「〈無限〉なものの観念をいだく」ということである。私のいう〈語り〉としての鑑賞だ。

   〈他者〉はその表出にあって、思考が〈他者〉から奪いとってきた観念を一
   瞬一瞬あふれ出してゆく。そのように〈他者〉に近づくことは、したがって、
   《私》の容量を超えて〈他者〉を受け入れることである。このことこそがま
   さしく、無限なものの観念をいだくことの意味にほかならない。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、八一頁)


2 対面できる顔

 例えば25の作品『W.W.S.W.』(world wide sky webの略だがそんなことはもはやどうでもいい。)は「作品」になっていないとか中途半端だとか、誰でも作ることができるだとか言われそうだが、もし私ではない人がこの作品を作ったとしたら、もっとまともに「作品」らしくなるはずだ。でも、それでは私の作品ではない。
 私がこの作品に取りかかったきっかけは、広大な野外展示を想定してのことであった。私の手に負えないくらいの巨大な車輪を回したかったのだ。『This is small kaleidoscope』(作品11)で私は直径3mの大ホイールを作ったこともあり、目標をその一〇倍の直径30mにしようと思った。実に短絡的な発想である。そんなこと考えながら、中心部を作り始めた。回転する巨大車輪を支える部分なので、丈夫に作る必要があった。私は普段扱うものよりも少し厚い鉄板で、中心のジョイント部を作った。原付バイクと自転車のタイヤを拾ってきて、たまたまそばにあった私の作品の残骸、『生き作』(作品17)で動力部のハンドルを回す鑑賞者が座るために用意した箱椅子をジョイントさせた。こうして中心部はできた。次に私はまたしてもホームセンターへ行き、幅2cm長さ5mのアルミ製レールを計一八本買ってきた(一本約二〇〇円)。それを運びやすいように2.5mずつに切ってもらい、アトリエに持ち帰った。大規模な作品になりそうなので、私は大学のグラウンドを仮設置場所として一時的に借用した。中心部から六本の放射線状の分岐があり、それぞれに、2.5mのレールを六本ずつ繋げることにした。アルミ製レールは非常に軽く、扱いやすかったが、そこまで繋げると、たわんでしまうのだった。そして私は地面と水平気味に張られた六本のレールに横断するように、カラーのビニールテープをひたすら張り巡らしていった。出来上がったのはクモの巣のような六角形だった。そして、重くて回らなかった。またか。予定の目標と全然違う作品になった。ある意味、手に負えなかったわけだ。でも悪くはない。またしてもゴールを超えてしまった。
 私は作品を目指す、にもかかわらず出来上がったものは、その作品ではない。私の制作は当初の目標、いわばゴールを超えた先にあるのだと述べた。しかし疑問が残る。なぜ、目標からそれる必要があるのか、ということと、目標からズレることと、失敗に終わることとの違いの証明はどうするのかということであろう。その仕組みを説明したい。
 当初の目標を超えたものが私の作品におけるゴール、すなわち〈マイ・イデア〉であり、「作品」である、としたのは、その「私の計画」を超えて行ってしまったものに、私には把握できない〈顔〉をみつけるからだ。作品を作ろうとして作ったが、そうではない作品になってしまうというのは、ちょうど私が〈他者〉と対面している構図となる。何せ私の作って表現しようとしていたことが叶わずに、そうでない得体の知れないものが出来上がるのだ。それは〈顔〉だとしか言いようがない。この私と作品とが対面しているという〈エロス的関係〉が、私の作品を〈他者〉たらしめているのだ。言い換えると、〈エロス的関係〉という〈マイ・カオス〉が、私の作品を〈他者〉だと証明しているのである。などと私は書いたが、これは詭弁である。〈他者〉や〈手に負えない〉ということをこういう言い方にしてはいけない。そのしくみの説明にはなっているが、再び「普通」の側から、「手抜きの言い訳だろ」と思われて、水かけ論になってしまう。制作においては相対主義の中にいるしかないのだろうか。ただ、一つの救いは、生き生きと『ラーメン』(作品24)を作った後だったので、明らかに手抜きにしか見えない(ような)作品でも、堂々と作れた。予期してはいなかったが、風が吹くと、ビニールテープを波立たせ、さらさらと心地よい音がする。そんな頼りないもので十分だ。大事なのは堂々と、迷いなく制作することだ。ビニールテープをめいっぱい張りめぐらしたのも、私のマキシマム・アートらしくて良い。あれから一〇年経った。私はこっちの分岐点を選んだのだ。そのうちあっちの道にもワープしよう。それがマイ・イデアだ。

 『Jhony・Treasure』(作品10、以下『J・T』)は、要するに地上絵である。上空から見ないとわからないが、しかし、実際上空から見てもやっぱりわからないと思う。この作品は『This is a c.kaleidoscope』(作品13)と同じで、世界自体に〈無限〉のイメージをみることをねらっていたのだが、この節で取り上げるのはそれとはまた、別の視点からのことである。
 私がこの『J・T』を制作した翌日、台風がやってきて、地上に描いたラインがほとんど消えてしまったのである。そこで私は用意してあった予備の石灰で同じ絵を上からなぞるように描くことにした。それが失敗だった。まず制作時のテンションがあがらない。ドキドキ感が全くないのである。結果それが作品に現れてしまった。いろいろと〈同〉にされてきた。ありがとう。
 やっぱり制作時の心は大事なんだなあと思ったと同時に、思い出したことがあった。遠い記憶だ。私は幼稚園に通っていた頃、粘土造形が得意であった。その時の課題が動物だったかどうか忘れたが、私は立派にワニを制作してみせた。先生はもちろん他の園児も褒めてくれた。一番うまいと言われた。私は調子に乗った。しばらくしてまた粘土造形の時間があった。今度は違う課題だったのかもしれないが、私は得意になって再びワニを制作した。結果、最下位になった。理由を先生が話した。同じものを繰り返し作ってもダメだと。その時の私には先生のことばの意味はよく分からなかったが、ワニを再制作している時の気持ちは最初に作った時に比べて楽しくはなかった。まさにあのときの気持ちがよみがえってきた。この先生は本当にすごい。『J・T』を再制作したことを後悔した。そもそも私が作品を大量生産しないのにはこういった根底があったのに、その気持ちをすっかり忘れていた。同じものを作っても意味は無い。「意味の無い」という意味はあるかもしれないが、それはなんだかセコい。
 粘土という〈他〉を糧として〈同〉にした喜び、気力。それは一番最初の〈制作〉である。その再生は表象もしくは〈技術〉に陥ってしまう。再制作された「ワニ」は、デスマスクのように、〈顔〉が無かったのだろう。〈顔〉とは何か。いままで明確に記さずに来た。レヴィナスの言う〈顔〉を使ってきたが、これは一体何だったのか。

   顔は、内容となることを拒絶することでなお現前している。その意味で顔は、
   理解されえない、言い換えれば包括されることが不可能なものである。顔が
   見られることも触れられることもないのは、視覚あるいは触覚にあっては
   〈私〉の同一性が対象の他性を包含し、対象はまさしく内容となってしまう
   からである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、二九頁)

 視覚・触覚の「内容」となること、すなわち表象されることを拒絶してなお現前・表出するのが〈顔〉である。〈顔〉とは比喩ではなく、実際に見える〈顔〉である。しかし、目で見たり手で触れたりできるものとは違う、と言う。わかりにくいが、たとえば写真で撮られたものや造作そのものではなくて、常に動きつづける表情のような感覚だろうか。レヴィナスは〈顔〉としているが、福本伸行は『カイジ』の中でそれを〈背〉としている。これもまた、触れられるものではなかった。じっさい、カイジは押せなかった。〈顔〉だけではなく、「身体の全体、たとえば手や肩の曲線もまた、顔と同様に表出することができる。」(E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、一八二頁)。存在者に〈顔〉があるとすれば、もちろん作品にも〈顔〉があるのだろう。私はずっとそのつもりできた。ところがそうではなさそうなのだ!


3 レヴィナスの作品

レヴィナスは、作品は〈同〉とされるものだと言っている。すなわち、作品には〈顔〉がない!?
 
   息子は、詩やオブジェのように、ただ私の作品なのではない。
   息子はましてや、私の所有物ではない。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、二一三頁)

 このようにレヴィナスは人と作品とをはっきり分け、人は〈無限〉の他者だが、作品は固定化されたもののように言う。レヴィナスは作品を所有物としている。第一部冒頭でも引いたが、他の一例も加えてもう一度掲げてみる。

   行為は表出するものではない。行為はたしかに意味をもっているけれども、
   行為はむしろ私たちを不在の行為者へとみちびいてゆく。作品から出発して
   だれかに接近してゆくことは、いわば不法侵入のようなかたちで、そのだれ
   かの内部性にたちいることである。他者はその内奥をとつぜん捕まえられる。
   他者は内奥においてたしかにじぶんをさらしているのだが、みずから表出し
   ているわけではない。歴史の登場人物もまた、じぶんをさらしながらも、み
   ずから表出しない。作品はその作者をさかのぼって指示するけれども、その
   しかたは間接的なものであって、作者は三人称のかたちで示されるにすぎな
   い。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、一一八頁)

   活動している者がだれであるかが、活動において表出されることはない。だ
   れは現前せず、みずからの現出に居あわせることもない。だれはその場合、
   記号体系における一箇の記号によって、ただ意味されているだけである。言
   い換えるなら、このだれは、みずからの現出にあって不在なものとして現出
   する存在にほかならない。存在の不在における現出であり、現象なのである。
   作品からあるひとを理解しようとする場合、その人間は理解されるというよ
   りも不意に捕らえられることになってしまう。ひとの生と労働とによって、
   その人間が覆い隠されてしまうからである。生と労働は象徴なのであって、
   解釈に訴える。問題となっている現象的なありかたによって示されているの
   は、ただたんに認識が相対的なものであるということではない。示されてい
   るのはある存在のしかたなのであり、そこではなにものも究極的ではなく、
   いっさいがしるしであって、みずからの現前において不在になりつつある現
   前、その意味では夢である。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、三六六-三六七頁)

 これはどういう意味か、作品と作者との分離はどういうことか、と言えば、作品には意志が宿っているが、〈顔〉として表出されないままである、と言うことである。レヴィナスは作品を享受される〈同〉としてしか見てくれていない。こまかくいえば、こういうことになる。作品から作者を理解することは無理である。作品は作者の自己表現ではないから、ではない。〈他者〉であり〈顔〉を持つ息子(息子であり、私である)が所有物、作品ではないように、作品は〈他者〉でなく所有物であって、〈顔〉(包摂・理解不能なもの)を持たないからである、ということなのだ。「詩」とも言っているので、レヴィナスの作品は、「生と労働」のみならず、芸術作品も含んでいるのだ。そういう意味で、作品に作者は居ないということなのだ。作者〈顔〉がないのに作品がある!?こまった。しかし、絶対これは違うと思った。作品は〈無限〉であると、作品は我々に与えてくれるものだと、私はそういうものを目指してきたはずだ。ここだけは、レヴィナスの言うことに納得できない。作品はデスマスクではない。私は、作品も生きていると思う。なぜなら作品は、発表(あるいは宣言)される場合において、ある点に留まってなどいないからである。作品も成長して行く。作品は〈同〉とされるが、だから〈他〉なのである。〈同〉にしていく運動自体が、それが〈他〉であったという証明になっているからである。またいっぽうで、いつまでたっても〈他〉であることをやめないものでもある。私はレヴィナスとは違い、「作品」に完全に〈同〉にされることのない〈他〉であることの可能性を見出したい。〈作品〉は〈他なるもの〉である、と。

 私の提出した『海老ふイリヤ〜』(作品23)が公募展で落選したということは、単純に、作品に込めた意図が伝わらないだけの問題ではない。私にとってこのレヴィナスのことばは衝撃的だったが、作品の換金性、作品との対面についても私が考えていたあり方とは少し違っていた。もう少しこのまま「作品」について考えていくことにする。

   歴史において意志は、その作品から解釈される人物像として凍りつく。意志
   はものを生産し、ものに依存しながらも、じぶんを他者にゆだねることにな
   るこの依存と闘うのだけれども、意志にかかわるこの本質的なことがらが作
   品のなかであいまいにされてしまう。ことばを語る存在にあって、意志がじ
   ぶんとは疎遠な意志に抗してじぶんの作品をとりもどし、それを守ろうとす
   るかぎり、歴史は作品からの距離によって生きているにもかかわらず、うま
   くその距離をとることができない。歴史の支配が開始されるのは、結果とし
   ての現実が支配するような世界、死者の意志の遺産である、「完全な作品」
   の世界においてなのである。だから、意欲という存在の全体が自己の内部で
   作動することはない。自存的な〈私〉の能力が、〈私〉に固有の存在を包含
   することはない。意欲によって、意欲がとり逃される。作品というものは、
   ある意味ではつねに失敗した行為である。じぶんが行為することを意欲する
   ものと、私が完全にひとつであることはない。精神分析や社会学が探求する
   ことになる、際限ない領野が拓かれるのはここからである。精神分析や社会
   学はつまり、作品のうちに、あるいは行動と生産物のうちにあらわれる意志
   から出発して、意志そのものをつかもうとするものなのだ。意志に敵対する
   秩序によって、意志はその作品を奪われ、その意欲はかくてねじ曲げられる。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、一〇八-一〇九頁)

 「完全な作品」とは「死んだ作品」つまり〈デスマスク〉ということなのだろうか。ということはこれまで「作品」とされてきたものが、「作品」でなくなることになる。「作品」もイデアだとすると、「死者の世界」においてでしか成立しないのではないか。そういう意味で、レヴィナスは、今ある「完全な作品=名作」を除く「作品」は「失敗作」もしくは「未完」だと言っているのだろうか。

   運命が歴史に先だつのではない。運命は歴史のあとにつづくのだ。運命とは
   修史家の歴史であり、生き延びた者たちの物語なのであって、かれらは死者
   たちの作品を解釈し、言い換えるならそれを利用する。この修史、この暴力、
   このような隷属を可能とする歴史的な距離は、意志がその作品を完全に喪失
   するために必要な時間によって測られる。
   (中略)
   修史が物語るのは隷属であって、そのさい奴隷化に抵抗して闘う生は忘却さ
   れるのである。
   (中略)
   作品との関係は、交易や戦争にあってすら、作品をつくる者との関係であり
   つづける。とはいえ交易と戦争は、作品をつくる者を買い取る黄金や、その
   者を殺す剣をかいするのであるから、そこでは他者が正面から接近されるこ
   とはない。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、一一〇頁)

 つまり作品は、交易・換金されることを前提とすると、世界に隷属関係を成立させてしまう。この問題を超えるためには、私は「作品」ではない「作品」を「生きて」作り続けなくてはならないのだろうか。

 私は「作品」をみとめる。そして(レヴィナスに倣って)「ことば」もみとめよう。先に見たのは、実体が無いのに質があるということ。これは「良い作品」のために私が依拠した説だ。しかし、作者がないのに作品があるということ。これはこまってしまう。作者に辿り着かないのに作品がある。AがないのにBがある、とは〈エロス的関係〉とは無関係である。これは、ふつうはAがBに先立っているのに、その基礎になるものが無いという構造なのだ。

 少し『ラーメン』に戻って、これを考えてみよう。エコノミーの問題だ。ラーメンは食べて取り込むことができる、つまり〈同〉にできる。享受できる。しかしラーメンドンブリや、ラーメンを作品としたコンセプト自体は食べれない。〈同〉にできず〈他〉であることを受け入れなければならない。この構造はレヴィナスの言う、教師の教えは〈同〉にできるが、その教師自体は〈他者〉であり、〈同〉とできないという構図と同じだ、ということに気付いたのである。

   どのような思考も学校を欠いては明示的なものではなく、学校が学を条件づ
   けている。自由を傷つけるのではなく、自由を成就させる外部性が、まさに
   学校において肯定される。それが〈師〉の外部性である。ある思考は、ふた
   りの人間のあいだにあってのみ明示的なものとなる。思考を明示的なものに
   するとは、ひとがすでに所有していたことがらを発見することにかぎられて
   はいないからである。とはいえ、教える者が最初に教えることがらは、教え
   る者がそもそも現前プレゼンスすることにほかならない。その現前を起点として、
   表象あるいは再現前化リプリゼンテーションが到来するのである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、一九三-一九四頁)

 〈師〉、先生というものは、教えられる内容の外部にあるとレヴィナスは言う。思考される内容は客観的な知であり、それはひと言で言うと〈同〉である。先生というのは、諸現象に意味を与え主題化させる者、つまりことばを主題化する者だ。話題を提供するもの、溢れ出す知の伝達者である。生徒にとって先生自体は〈他〉であるが、先生が伝えようとしている思考を生徒は〈同〉としている。この違いが重要だ。教科書の内容を教えるのは誰でもできる。どうわかりやすく教えるかの工夫が先生の仕事である、といった程度の問題ではない。AがないのにBがあるという構造なのである。つまり、教師がないのに教えがある、なのだ。この問題は、今は保留としておこう。
 なお、気をつけなければなるまい。私の作品は「謎」ではあるが、「教え」ではない。強いていうならば、私がこういった作品を制作し、発表し続けること自体が「教え」になるだろう。これならば〈エロス的関係〉である。
 
 『海老ふイリヤ〜』(作品23)のシメである。私は疑問に思った。なぜこの作品が「現代美術展」で落ちるのか。しかし、一方で安堵した。やはり私の作品は誰にも捉えられない。私の作品が一般的な「普通」の「作品」ではなかったという証拠であったのだ。巻き段ボールでイリヤをくくったこの作品は、そうすることによって、一般にいう「作品」ではくくれない〈他なるもの〉になっていった。それは『Gravity(グラヴァティ)キャプション 〜文字が重力で落ちちゃったシリーズ〜』(作品21)と同じようなし方で、モナドっぽいものでくくられている。くくられているのにも関わらず、そのことによって〈無限〉であるこの構図は、私がこの本論考で繰り返し述べてきた〈エロス的関係〉または〈マイ・カオス〉だ。
 そこに〈顔〉があることを私は願っている。


4 結論

 ワカラナイことをわかるということは迷宮の中で暮らすことだった。しかし迷宮にもゴールはある。ただそのゴールに向かって最短ルートを走ることが必ずしも生きるということではないし、対面するということでもない(対面するということはすでに〈顔〉〈他なるもの〉を前提としている)。よりみちをしたりしなかったりしてああだこうだしているうちに、私に突然ゴールがやってくる。しかしそれはまた新たな迷宮ステージのスタート地点になっているのだ。
 私は考え抜いた先に相対主義の世界に辿り着いたが、それがすべてではなかった。なんとなくだが、どうやらその先へ行かなければ私は私でないような気がした。そう、「相対主義」も私にとって、「迷宮」のとりあえずのゴールであったに過ぎない。

 「世界はすべてわからないことだらけだ。何を言っても通じません。」というだけでは、なにも進まない。ただ現状を解説しているだけだ。私は言った、解説ほどつまらないものはないと。ではどうするのか。答えはあまりにも簡単すぎた。考えてもワカラナイというのであれば、また考えればいい。ただそれだけのことであった。生きて、生きて、生き抜いて、それでもまだ苦しい時、、、また生きればいい。生き続ければいい。博士課程三年のこの夏、私は親知らずの歯が虫歯になった、痛いから歯を抜いてしまおう。しかし、歯を抜く時、今までの痛みを超える想像以上の痛みがやってくる。痛い。痛みをなくすために、それ以上の痛みを伴うことになろうとは。こんなに痛くなるのがわかっていたら、抜かなかったかも知れない。でも抜かなかったら何も始まらない。何も思わない。生き続ければ、決して死にはしない。考えて、考えて、考えて、考え続ければいい。〈無限のイメージ〉・表象とは、ただそれだけで既に無限ではなくなっているのだが、そこでさらに考えたらどうだろう。考え、イメージを膨らませ、そしてまた考え、考える。考え続けてゆけばそれは無限に続くかもしれない。考えられたものが無限なのではなく、考えることが無限なのだ。そして、考えるということは、考えることができるということは、何かがわかっていないとできない。考えることができるということは、既に作品が完成しているように、既にわかっているということなのだ。
 そして「すべてのことがワカラナイ、だからこそ作るのだ」と思っていた私だったが、そうではなかったことに気付いた。そう、大事なのはいつも、すべてわかっているということ。理解の〈同〉を超え、わかるとワカラナイを超えた先の「わかっている」ということ。ここから、考えつづけることができる。私の制作、人生、世界観たちは、残念ながら、またはありがたいことに、正当化できない。見る人によっては愚かであったり、非常識であったり、危険だったりするかもしれない。しかし、それでいい。それらのことも含めて、すべてわかっている。わかってないのに生きているのと、わかっていて生きているのは全然違う。「ほんとうの生活」。死ぬことはわかっている。だから死なない。すべてのことがわかっているからこそ作っていけるし、生きてゆけるのだ。それが、私が目指す倫理・イデアである。これらのことが正当化できないのとおなじで、どんなことばを使っても否定もできはしない。ただ私が私なりにわかっているということ。鑑賞者はその鑑賞者なりに作品をわかる。〈同〉とする。花に色を塗る人は、「この色しかない」と思って塗ってくれる、わかる=決める。私が言った花の絵の描きかたの説明が、説明になっていなくても、みなさんはやってくれる。たとえ、つたないことばの断片の情報しかなくても、人は考え、それを受けて行動できる。ロボットやゲームとは違う。リセットできないにもかかわらず、リセットした気分で分岐点に立つことができる。これが連帯である。それは、何もない不確かな世界だからこそ、何かを決定してゆくということ。わからない世の中だということと、私が世の中のことをわからないということとは、まったく別のことであった。以前の私は、このことを混合してしまったがゆえにワカラナクなってしまっていたのだろう。わからない世界、だからこそ、私はわかっている。これが一番正直で素直な答えではないだろうか。

 ムダにムダを積み重ねてゆくマキシマム・アート。なぜ私はムダにムダを重ねていくのかというと、それが自然だからである。ムダをそぎ落としてゆくことや、ある一つのことしか行わないことはできない。人間はそういう風にできてはいない。必ず何かをする時は何かを思っている。それがその時点で、本当に必要なことなのだろうか、わからない。ムダなことなのかもしれない。しかし、その思考が必要だと言う証拠がないのと同時に、その思考がムダだという証拠はどこにもない。つまり、私達は何かをするときに何かを思い浮かべる(表象)のだが、それが有効かどうかの証拠が無い限り、それらの思考はムダになる。最大限(MAXIMUM)のこと(表象)を思考するとは、もうこれ以上無いと言う意味で〈無限〉だといえる。

 私はずっと思い付きで作品が出来上がると説明してきたが、その「思い付き」こそが「迷宮」におけるゴール、「気付き」であった。作品が完成するということは、私が何かに「気付く」ことであり、また、それは「迷宮」のゴールにたどり着いた「点」なのだ。よってその私の前に積まれた作品は、紛れもなく私のマイ・イデアなのである。ここで、作品はマイ・イデアでいいのか、という質問が出てきそうだが、答えは実に簡単だ。もちろんそれでいいし、そもそもそれ以外のものは世界には存在しない。すべてが〈無限〉であるから、すべてを〈カン違い〉して行くしかないし、そういう意味ですべては私が自分で選んだものたち〈マイ・イデア〉たちなのである。
 〈他〉であるすべてのものにマイ・イデアがあるとして、そのマイ・イデアをもつもの同士がかかわりあうこと。これがマイ・カオスだった。それをレヴィナスのことばでいえば、〈顔〉〈対面〉〈エロス的な関係〉ということだ。その時モナドは、自らの容量を超える。それぞれのすべてがマイ・イデア〈顔〉をもちつつ〈対面〉するというマイ・カオス(的関係)において、実体の無い質が生まれ、「良い」作品が成立するということ、「実体がない」ということが〈カン違い〉できることだ。言い換えると、「実体がない」から〈カン違い〉しかできないのだ。〈カン違い〉は連帯であり、対面である。相対主義をも超えてゆく。〈カン違い〉とは、ある知識が正しいと思い込んでいるにもかかわらず、その知識が正しいと証明できる証拠がまったくみつからないことをいう。相対主義の世界ではすべてのことが証拠づけできない。だからこそ、私は決定してゆくのだ。自覚しようが、しまいが私は、すでに「生きる」ということを決定しつづけている。同じように制作し続けていくのだ。第一部で制作することに根拠がないと言ったのは、こういうことであった。そして「カン違い」であるにもかかわらず、「良い」が成立する。
 〈他〉ありき、それは自分だけで完結することはありえないということを、私は永久機関を制作しようとし、失敗することによって学んだ。それは失敗と同時に〈他者〉を証明したのだ。
 私がそうして失敗し続けていくことによって、私の作品が〈他なるもの〉でありつづけるのではないだろうか。それこそが〈私の個人的なイデア〉=マイ・イデアだ。もうひとつ、私はカオスを世界としその中から自分が選んできたものをマイ・カオスと言った。〈他〉であるすべてのものにマイ・イデアがあるとして、そのマイ・イデアをもつもの同士がかかわりあうこと。これがマイ・カオスだったのだ。それをレヴィナスは〈顔〉との〈対面〉ということばで説明してくれている。それぞれのすべてがマイ・イデア〈顔〉をもちつつも、〈対面〉するというマイ・カオス的関係において、「良い」作品が成立し、そんな〈カン違い〉によって相対主義をも超えてゆくのだ。
 〈他〉から到来し続けるといっても、何もしないでただ待っているだけを善しとするのとは違う。レヴィナスはこのように言っていた。

   寛大さとはつまり、手になにも持たずに他者に近づくことはできないという
   ことなのだ。そうした関係がなりたつようになれば、ものはその可能性にお
   いては共有されるものとなり、言い換えれば、それについて語られうるもの
   となる。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、七九-八〇頁)

 つまり私は何かに向かう時、すでに手ぶらではないのだ。無自覚でも、私は何か〈マイ・イデア〉をもっていき、何かしらの〈他者〉と〈マイ・カオス〉になるのだ。モナドだからこそ、〈マイ・イデア〉を持っているからこそ、〈マイ・カオス〉になれる。〈共有〉とは皆が同じイデア・地平を持つのではなく、皆がそれぞれの〈マイ・イデア〉をもつ、ということなのだ。〈カン違い〉された〈マイ・イデア〉がぶつかり合う瞬間、〈マイ・カオス〉によって、〈他なるもの〉があらわれる。
 そうやってイデアの実体論を超えた先の相対主義のまた先へと乗り超えていくこと、成長し続けていく私の制作「マキシマム・アート」を論じることによって、私はまた迷宮のスタート地点へたつ。

 私に何か欠陥があって、それを埋めるためにつくるのでは決してない。〈他なるもの〉が〈無限〉に〈無限〉であり続ける。だから私はつくってもつくっても、つくり足りない。ことばも作品も、どれだけ発し続けても、私はいつまでも発し足りないで続ける。と同時に、すべて人も作品もつねに、〈無限〉とともに生きていく。

 また、作品の分類についても同様だ。私は制作を続けてきたが、考えれば考えるほど、やはりそれらの作品を冒頭で述べたように、分類することはできなかった。なぜならそれらは私から超えてゆくものであると同時に、私でもあるからだ。強いて、私のこうした作品たちを総称して〈マキシマム・アート〉と呼んでいる。マキシマムに〈ムダ〉を追加し続けるこの制作により生まれた作品たちは、それぞれであり、かつひとつの作品でもあるし、それはまた同時に私の成長でもあるのだ。それが「迷宮の中で暮らすこと」なのであった。

 レヴィナスが「作品」(芸術)のことを〈他〉であるという意味においてあまりよく言ってくれない点については、まだもう少し考えていく必要があるだろう。このレヴィナスの〈教え〉を私はどのように〈同〉として、糧として、「決定でない決定」としていけるだろうか。たしかにレヴィナスは、私にとって〈無限〉に超越しつづけているわけだ。

 私は高校の頃、「まんがへんたいまん」のタイトルをカッコよく言いたいがために、へんたいまんを英語表記にしようと思った。私が引いたそのことばは〈トランスフォーメーションTransformation(変体)〉だった。そのことばをもじって「トランスフォームマン」。ここで私は思った。私を乗り越えた私は既に私ではなくなっているが、それでも私は私だ。つまり何を思ってもどう変わっても、私は私であることに違いはない。しかし、だからこそ、私は変わってトランスフォームいかなければ私ではないのである。「トランスフォームマン」。今にして思えば、へんたいまんは私であり、同時に変わってゆく者(Transformation)だったのだ。当時の私は何も気づいていなかったが。
 

 『なんちゃって無題ジョニーmeetsトランスフォームマンkaleidoscope三部作』(作品26)はかなり私の個人的な作品になっている。きっとこれをみた鑑賞者のみなさんは不思議に思うだろう。「なぜここにこれがあるのか?」の連続だと思う。なぜならこれは本当に私がただ、いいと思ったものの集合体だからである。いまさら言うまでもないが、〈マイ・イデア〉の集合体である。『あの日』(作品5)がそれぞれ皆のマイ・イデアの集合体だったが、この作品はすべて私のマイ・イデアたちなのである。そういう意味で純度の高い〈マイ・イデア〉だ。この作品も私の手がけてきたものの例にもれず、作品うんぬんは端から考えていない制作でのゴールであった。これが今の私にできるすべてだ。以上だ。今回の展覧会は白川郷の合掌造りの古民家での展示となった。まず私が思い付いたのは畳だった。畳サイズの作品にして、現地の畳と交換してみようと思った。また、アスファルトの地面にチョークで落書きしたような絵が好きだった。そこで私は畳の大きさにカットした発泡スチロールの板にアスファルトフェルトという布を巻き、マイ・タタミというカンバスを作り上げた。畳の代わりに家の中にはめ込むと、家にいながらにして、外にある落書きのようなものをみるという、感覚をおかしくするような効果を得た。私はことばを作品に込めることを避けてきたが、もうそんなことで縛られる理由もなくなった。私は、今度はことばを記すことにした。三枚ある漫画を読み進み、この作品の中に潜む謎を解くと、万華鏡が現れ、それにより、ある文章が出来上がるようにした。漫画はもちろん『へんたいまん』だ。一枚目はへんたいまんトランスフォームマンの話だ。ジャーンといって突然登場し、しゅわっちと空を飛ぶ、お約束に反して電柱に衝突するのを避けるが、なぜか二本の電柱に挟まれてしまう。その直後、へんたいまんは「タイムロボ」という変なロボットを制作するが、スタートボタンを押すたびに壊れていく。突然四一よいコマ目が到来し、画面が光り輝いたと思ったらバグったように世界はネジ曲がる。へんたいまんは別の次元にワープしてしまう。二枚目は『へんたいまん』に対し、最近(修士に入ってから)本格的に描きだした『T.H.J.(トレジャーハンタージョニー)ジョニーの冒険日記』を描いた。とあるバーでマティーニを飲んでいたジョニーに突然、警部補の銃口が突きつけられる。ジョニーはそんな脅しにも動じることもなく、我が道を行く。しかし、ジョニーが帽子の下に隠し持ったハゲのカツラで太陽光(日光)を反射させ、目くらましをする瞬間、画面がバグリ一二コマ目が到来する。バグの影響か、作者の都合か、ジョニーも別の次元へとワープする。そして三枚目、へんたいまんとジョニーは偶然にもその次元で出会う、そしてもとの世界へ戻るために行動を共にする。二人の前に謎の文字盤があらわれる。「○○○○の光」と書かれた文字にことばを当てはめれば良いのだろう。しかし、チョークで描かれた単色の世界では色は見当たらない。突然、天から和風の電気ペンダント式照明が降ってくる。「光だ、色は……白!」しかし、白やホワイトと文字を文字盤にあてはめてもわからなかった。まあ良いやと二人は歩き出す。そこで二人は気付く。もともと別の世界から来た二人なので、共に同じ道を行っても、それぞれのゴールには辿り着けない。二人は別れ、それぞれの道を開拓していく。足下にはキラキラ光る『分岐する道』が産まれてゆく。そんなストーリーだ。この一見意味不明なわけのわからない漫画を鑑賞者が真面目に読むとは到底思えない。そして数々の謎に挑戦してくれることも、きっとないだろう。この作品を名古屋から私の両親と妹が見にきてくれたが、「なんだ、またアレか。まだへんたいまんを描いているのか。なんでわざわざへんたいまんを見にこなきゃいけないんだ!」と父は怒鳴った。なんだかおかしくなり、みんなで笑った。考えても見れば、自分のことを一番〈同〉としているのは肉親なのかもしれない。私の家族は私が子供の頃描いていた『へんたいまん』しかしらないし、今になってもまだ同じことをしていると思うのだろう。しかし、それでも私は以前の私からずいぶん成長して変わったよ。絵は相変わらずヘタクソだけどね。私はなぜか、ほんわかとした。私は私であるし、私は変わった。絶対にとらえられないはずなのに、勝手にとらえられる。でもいい。家族に〈同〉とされるこの心地よさ、安心感。〈同〉にされるのをあれほど嫌がったはずなのに。この感覚はきっと単なる〈同〉ではない。〈同〉でない〈同〉。決定でない決定。閉ざされているはずなのに、開かれている感触。なんだろう。これが〈エロス的関係〉か。
 私も私の作品も、誰にもとらえることはできない。しかし一方で私は信じている。このわけのわからない展示に関わってくれるような、お人好しで寛大な人が、一人でもいてくれることを。

おわりに 最初から完成していた者の、成長の記録

 論文を書くことは、理論によってその作品をよくすることではなく、もともとの自分に、本当の自分に気づいてゆく旅なのだと思った。それはあたかもソクラテスの言う助産術のようだ。レヴィナスは、〈他〉からの教えは助産術ではないと言っている。レヴィナスの言う通り、教えは外部から到来するわけだから、自分のひめられた能力を引き出すのとは違うのだろう。しかし、私は〈他なるもの〉であるこのレヴィナスの本からの教えによって、また、制作をしつづけることによって私の私に気づいたというのも事実だと思う。それは実体論としての自分ではなく、〈無限の観念〉としての自分であり、それを生み出しつづけられている〈私〉なのだ。

 そして私は次の制作に取りかかった。いつ完成なのかわからない。その条件が時間だとしたら、やはり完成とは人が勝手に決めたものをいうのだろう。「作品らしく」とは何か。私はなにも作品から逃れるように制作してきたわけではなかった。作品らしくしようとは思わなかったのである。この場合の「作品らしく」とは、固定されたイデアに即したものであった。私はいつもその先を見ていた。そう、それ以外をではなく、それ以上のものを目指したのである。だから私の作品は、時としてある意味作品らしい部分もあっただろう。私にはその感覚がよくわからなかったが。とにかく『アルファベットカレイドスコープ展』(作品27)は私の作品であり、作品でないものだ。私の作ってきたものの集合体または集大成であるにも関わらず、私の新作である。数々のパーツを取り入れたり取り入れなかったりして制作した。それはまるで迷宮の中を寄り道したりしなかったりして進んで生きていくことのようだ。たとえば、過去の私の作品、残骸が錆びている。もはやゴミになってしまっているものをまた使う。花々しかった作品だったあの頃から一転しての現実。生きていくということは傷付いていくということだ。しかし傷つくことを恐れて外に出なければ、生きなきゃ、私ではない。隠されすぎた謎は、解きあかすべきかどうかすら問題ではないということを表している。しかし、そんなことはどうでもいい。ただ、いまの私を見てほしい。私はいつも私の今を発表してきた。なるほど、発表し終わった後で私の気持ちが冷めるはずである。私の作品は賞味期限があるのかもしれない。いや、すべてのものに賞味期限がある。新鮮なものが好きな人もいれば、くさったのが好きな人もいる。当然のことだ。そのことに気づいた時、私は鑑賞者にあわせることをやめることができた。同時に鑑賞者のいうことを素直に受け入れられるようになった。(恒久的に)いいも悪いもない。でも、こういう理由でいいのかも知れない。次元でいうと0次元に相当する。そう、「点」であるのに「点」としてはワカラナイ。「点」として把握できたら、それは0次元ではない。良い作品があると言える、と第二部の冒頭に言ってみせたが、ただ実体の無い質がある。形而上学的渇望がある。ということくらいしか言えないのだろうか。いや、そんなことはない。「点」はとらえられないものだ。これがきっかけになるかもしれない。ならないかもしれない。また新たな迷宮だ。
 点だけど点じゃない。私の選んだ作品形態も『展』だけど『展』じゃない。この私の一瞬のスキを見のがさないようにしてほしい。『忘れないように』してほしい。それはきっとあなただけの大切な観点なのだから。それはあなたを『満たす為に』、『そして、またあしたへ』進む。『例えばムダしか無かったとしても』、『分岐する道』を、『それでも俺は天を目指す』。『ラーメン』を飛び出して『ジョニー』と『トランスフォームマンへんたいまん』は次元を超えて『meets出会う』。『重力で落ちちゃった』り『海老ふイリヤ〜』と言ってみたり、『なんちゃって』とおどけてみたり、『迷宮』や、『enigmaなぞ』が解けなかった『とせよ』……『結局のところ言葉はいらない』。ああだこうだ言うが、『でも、本当に言いたい事は、言葉にできない』。それしかないし、それでいい。
 だからこそ、いろんなことを決定してゆけるのだ。

 決定でない決定をしつづけていくことに成長がある。

 生きることは〈無限〉だ。〈無限〉とともに生きる。


第三部 とつぜんですが、さっきのつづき On Impulse

1 はじめに

 ここに一枚のメモがある。「上昇するとは死んでいくということ。昇るということは神に逆らうということ。昇天するということ。」私は成長して、精神的にも肉体的にも向上し、その道を昇っていく。昇っても昇ってもまだ先の見えないもはや道かどうかもワカラナくなっているその道をただひたすら昇っていく。でもその先にあるのは一体何なのだろう。限界を一つ知る度ごとに私は苦悩し、乗り超え、その限界を広げてきた。それは自分の容量を超えるものを受け入れるという、一見理解しがたいことだった。理解しがたい、わかりにくい感覚であったがために、私はこの「上昇するということ、つまり制作」を私自身のことであるはずなのにもかかわらず、私が私をとらえることができなかった。それが不安であるがために、私は、その先の未来のことばかり考えていた。つまり「上昇した先には何があるのだろうか。」と、当時のメモによると二種類の〈上昇〉があると書いてある。一つは冒頭で述べた「死んでいくということ」。私は私の限界を超えて上昇していくが、それを続けていくと私自身がいつか自分を酷使することに耐えられなくなり、その重圧が私自身を殺すことになってしまうのではないかと不安であったのだ。
 上を目指すことは別に悪いことじゃない。しかし、「上を目指すこと」、つまり「目指すこと」自体が目的になってしまっては、いけないような気がした。そこでもう一つの〈上昇〉を考えてみた。
 それはとにかく生き続けるというしかただった。ただ、天空の一点、光や太陽を目指すのでもなく、昇っていけるしかた。暗く息苦しい土の中を掘り進み、やっとのことで地上へ出た。しかしまだ昇る私は大空へ雲を突き抜けて昇っていく。でもまだまだ。地球を飛び出し宇宙に出る。でもまだまだ。私はさらに昇っていける。なぜなら昇っていけると私が信じているからだ。それだけで充分だ。そのまま生き続ける。目的や目標がなくても昇っていけるしかた。
 この二通りのしかたを簡単に言うと「死ぬ限界を超えて、でも死んでもいいからがんばる」のと「ただ自分を信じてがんばって生きる」と言えるだろう。この両者は相反するようで、実は同じしかたである。『賭博黙示録カイジ』の中でも同じような比喩が出てくる。それはギャンブルの勝負においてその重圧に耐えられなくなり我慢できない素人が陥ってしまう「これでいいや」とすぐ肚を括る〈素人の習性〉と、ものを誰かに伝えるという〈通信〉において、理解を求めちゃいけないしかた。完全に通じたと決定はしないが、「通信は通じたと信じる」相手を信頼する、寛大さをもって信用するしかた。言い換えると決定できないはずなのに、決定していくしかないしかた。それが〈通信〉。両者はどちらも決定でない決定をしていくように思われる。だからその違いが見えてこない。たとえば私がどんなにがんばって、苦労し、戦い抜いて制作したとしても、その制作はまた別の誰かに「まだまだ甘い」と言われてしまうだろう。それは証拠がないばかりか比べるものや基準が無いからだ。何十時間も寝ずにやり通したからと言っても、短期間で必死に間に合わせたと言っても、それががんばった証には全然ならない。私は相対主義だと言っているはずなのに、いつのまにやら相対するもの、比較するものが全くないことに気付いてゆく。それぞれ個人が別々すぎるがために、何かと何かを比べることはできなくなってゆく。
 そんな世界にもかかわらず、私は何かと何かを比べていくしかない。正確に言えば、何もかもないからこそ、似たようなものを比べて、「相対的」に見て生きていくしかない。たしかに生きるということは傷ついていくことだ。死んでいくことだ。それはわかっている。しかし、私は死ぬために生きているのではない。そうすると決まって次の句が私に投げかけられる。「では、何のために、なぜ、生きるのか」。正直言って、そんなこと答えるのもバカバカしい。なぜそんなことを考えなくちゃいけないのかと問い返したくなる。
 ものを考える時に、その根拠を説明しなくてはいけないときが多々ある。なぜか。それは理解しがたいからだ。人と人は理解できないはずだが、でもだからこそ理解したい・されたいと思うみたいである。だから、いつのまにか私は相手に理解されやすい行動をとらないと不思議がられたり、変態扱いされかねない。そのうち私は不安に陥るようになってしまう。理解されようとすること。実に下らないことだ。しかし、いっぽうで求められていることでもある。大事なのは理解を求めちゃいけないからといって、理解しようとすることをあきらめてはいけないということである。ムリだから、ムダだからといって、投げ出すことはよくない。何でもありだからといって、自分を殺すことはよくない。自分を殺すとは自分の限界を自分自身で決定することである。私は完璧に理想の生き方はできない。当然失敗もあるし予定外のトラブルも日々対面することになる。ただ、一番大事なことは、何かを○○と決定しきらないことにある。「ペンを持つ」ではなく「ペンのようなものを、強いて言えば持っているというべきか」というしかた。先輩や大人たちだけでなく、同世代、後輩や子供、動物さらにはモノすべてを敬う。決してあなどらない寛大さ。それとともに生きるしかたが私の目指したことだったのだ。
 細かく言うと、私は「手に負えないもの」を目指してきたというよりは、すべてのものに対して完全に決定しない、把握できないものがあることを感じてきたと言えば良いだろうか。すべてのものに私ではどうにもできない〈無限〉を見てとるということ。そういう意味で私はすべてのものを「手に負えない」ものとして扱ってきた。だから私はすべて(マキシマム)の可能性を考えることができるのだ。そんな私にとって研究のテーマとは、二つの相反することを解き明かすことでもなく、何かを手繰り寄せる方法でもなく、何でもしてよい証拠を見つけることでもない。それぞれが、すべてが、量ではないものすべてが、私に〈顔〉(注1)をみせて対面してくる。私は私のすべてを駆使してそれと向き合う。どれか一つと向き合うのではなく、すべてのものと同時に向き合う。考えそして私が傷ついていく、変わっていく、気付いていく、考えていく。
 なぜ私はこんなにまで考えなければならないのだろうか。ふとそう思ったとき、同時に私のなかで答えが出た。「考えなきゃいけないことに根拠なんかあるはずもない」ということだ。なるほど、そのとおりだ。そして私はまた考える。もしかしたら……。そのとき私はこれまで小出しや多出しにしてきた私の思想、理論が、次々にジョイント(注2)されていく感覚を得た。私は一体なにをしているのか、私がしていたことは、美術ではないかもしれなかった。私はその「美術」だとか「作品」だとかいうことばに出会うよりずいぶん前から、何かしらをつくってきた(注3)。その意味では『へんたいまん』(注4)はまだ近年の作品になるだろう。私はもっと以前から何かをたよりにそこから生まれる何かをつくってきたはずだ。詳しくは思い出せないが、確かにそうである。なんだかんだつくっているうちに年月が流れ、たまたま美術ということばに出会った。そのとき私がしていたことが、たまたま「美術」に一番近かった。博士課程に入った当初、自身の制作スタイルを、「無計画」(注5)と、たまたま名付けたように、私はそのとき、私のこれまでつくってきたものを「美術」としただけかもしれなかった。これこれこういうものを「作品」といい、これこれこういうものを「美術」とする。ああ、なるほど、私はこれまでしてきたことは「美術」っていうんだ……。ってな具合である。なんと恐ろしいことだろう。こんな至近距離に「全体性」(注6)があったとは。腹が立ってきた。私の可能性を一言でくくるんじゃない!私がこれまで抱いてきた疑問、謎、不安、ようやくわかった。ひとがことばを発するとき、そのひとの心の中で思うことで一番近いことばをセレクションする構造、もしくは「作品」を見て、鑑賞者がその「得体の知れない作品」から、自分の記憶の中で、最も近いと思われることばやイメージを持ってくる構造。要するにひとが〈同〉にしたがる構造とまったく同じようなしかたで、私は、これまで私がしてきたことを無自覚に「美術」と名付けただけのことであった。私はなんて浅はかだったのだろう。もっとよく考えて名付ければよかったのに。まあしかたない。きっとそう言うしかなかったのだろう。選択肢はいつもたくさんあるとは限らない。選択肢を増やすことはできても、それだけがすべてとは限らないし、たとえ誰かの道に流されたとしても、「気付け」(注7)なかったとしても、それを頭ごなしに悪と決めつけてしまっては何もはじまらない。「気付いて」いければよいのだ。私はこのようなしかたで既成の「美術」、「作品」に距離を置くことができた。しかし、いっぽうで私は私の作品を「作品」というしかないし、「美術」ということばを使うしかないだろう。一体、どちらが「本物」(注8)なのだろうか、それとも世界には「偽物」しかないのだろうか。それでいいのだろうか。このままでは相対主義は超えられない。私は考えることをやめるわけにはいかないようだ。もしかしたらそれが答えになるかもしれなかった。考えつづけることが。 

 第三部では第一部、二部において既存の「美術」という〈イデア〉ではなくて、私の超個人的な、しかしただの個人的な〈マイ・イデア〉というありかたをふまえた上で、その後、私が辿り着いたいくつかのことを、レヴィナスの作品、ダブルセレクション、相対主義に対して、倫理について、手に負えないものを目指すということ、アルファべットカレイドスコープ展(作品27)、と題して述べることにする。


(注1)顔は、内容となることを拒絶することでなお現前している。
   その意味で顔は、理解されえない、言い換えれば包括されることが不可能なものである。
   顔が見られることも触れられることもないのは、視覚あるいは触覚にあっては〈私〉
   の同一性が対象の他性を包含し、対象はまさしく内容となってしまうからである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、二九頁)
視覚・触覚の「内容」となること、すなわち表象されることを拒絶してなお現前・表出するのが〈顔〉である。〈顔〉とは比喩ではなく、実際に見える〈顔〉である。しかし、目で見たり手で触れたりできるものとは違う、とレヴィナスは言う。
(二部C章二節)

(注2)ジョイントとはAとBとを繋ぎ合わせる連結部自体のことではなく、「統合」でもないしかたで〈私〉と〈他者〉、作品と作品を、マイ・イデアとマイ・イデアを繋ぎ合わせるということ。リチャードローティのいう「連帯」と同じしかたである。
(一部A章四節)

(注3)私はこれまで私が私なりに何かをたよりに作ってきたもののことを何と言ったらよいか考えてきた。ただ「作ったもの」と言ってみたり、「作品を作る」のではなく、作ったから作品という意味で「作品」と言ってみたりした。しかしそれでは既成の美術「作品」と混合してしまう恐れがある。だけれども、私はやはり「作品」ということばを使っていくしかないと考える。そこで私は、原則として一般的な美術作品を「作品」(括弧有り)とし、私の作ったもののことを「作ったもの」もしくは作品(括弧無し)としている。尚、デュシャンのそれの様に、一般的に「作品」と言われているものについても、私の独自の意見として作品と呼んでいる。

(注4)漫画『へんたいまん』長谷川清、一九八七年(筆者小学校二年生~)、自由帳に描かれた漫画である。当初、総コマ数一〇〇〇〇コマを目指した。その目標は描き始めてから八年後に達成されているが、その後も描きつづけていて、一五〇〇〇コマ程になっている。ジャンル的にはギャグ漫画に近いが、筆者の日記といったほうが適切か。現在は休止している。
(一部B章一節)

(注5)思い付きのまま制作することを私は計画しないという意味において「無計画制作」と自身の制作スタイルを一言でくくっていたが、後に「無計画」とは、「計画しない計画」であることに気付いた。
(一部B章一節)

(注6)何かを完全に理解すること。決定しきること。〈同〉とする、くくってしまうこと。私たちそれぞれの集合体を「国家」と決め付けてしまうのも、共通の理解、間主観性の「地平」線があるとするのもこれにあたる。機械やゲームの世界も〈紛れ〉がないといういみにおいてこのことばがあてはめられる。
(一部C章一節)

(注7)何かに「気付く」とは私が私を超えた瞬間なので、それは〈迷宮〉のゴールにたどり着いたということでもある。もっとも、それはほんとに一瞬のことなので見逃してしまう危険がいつもある。
(一部C章四節)

(注8)世界がカオスだとすると、その中で何かを「本物」と決定することも、それ以外のものを「偽物」とすることもできない。なぜならものの「本物」かどうかの判断は、その時その時の、それぞれの私自身に委ねられているため、すべての作品と同じように固定できない点であるからである。
(一部C章一節)

2 レヴィナスの作品

 レヴィナスは言う、作品は〈同〉であると(注9)。ものは所有しかできず、つまり所有するとはいつでもそれを捨てる権限を持つということであり、そのものを換金できる。エコノミーとして成立しているということである。私は、作品は〈他〉であるはずだと思っていたので、そのレヴィナスのことばには反対するしかなかった。作品には意志が宿っているが、〈顔〉として表出されないままである、ということである。レヴィナスは作品を享受される〈同〉としてしか見てくれていない。こまかくいえば、こういうことになる。作品から作者を理解することは無理である。作品は作者の自己表現ではないから、ではない。〈他者〉であり〈顔〉を持つ息子(息子であり、私である)が所有物、作品ではないように、作品は〈他者〉でなく所有物であって、〈顔〉(包摂・理解不能なもの)を持たないからである、ということなのだ。「詩」とも言っているので、レヴィナスの作品は、「生と労働」のみならず、芸術作品も含んでいるのだ。そういう意味で、作品に作者は居ないということなのだ。作者〈顔〉がないのに作品がある!?こまった。
 しかし、絶対これは違うと思う。作品は〈無限〉であると、作品は我々に与えてくれるものだと、私はそういうものを目指してきた。ここだけは、レヴィナスの言うことに納得できない。作品はデスマスクではない。私は、作品も生きていると思う。なぜなら作品は、発表(あるいは宣言)される場合において、ある点に留まってなどいないからである。作品も成長して行く。作品は〈同〉とされるが、だから〈他〉なのである。〈同〉にしていく運動自体が、それが〈他〉であったという証明になっているからである。またいっぽうで、いつまであっても〈他〉であることをやめないものでもある。私はレヴィナスとは違い、「作品」に完全に〈同〉にされることのない〈他〉であることの可能性を見出したい。〈作品〉は〈他なるもの〉である、と。
 しかし、そこでよく考えてみる。作品が〈他〉であるのは〈他者〉との関係においてである。作品は動かない。物理的には〈同〉の範囲内でしか変化しない(ゲームの世界のように)。ものだからしょうがない。ひょっとしたら、レヴィナスはそういう意味で作品は〈同〉だと言っているのかもしれない。変わるとしたら形而上学的に(注10)、だ。私は様々なものに「気付く」、その対象が人であっても作品であってもだ。作品という一方で物質に依存するよりないもの、固定されているようなものを、いかにして人と対面するのと同じしかたで対面できるか、作品に〈顔〉を見ることが出来るかどうか、これが問われているのだろう。私は思った。作品は作品だけでは作品にならないのだと。つまり世界にある作品を作品たらしめているものこそが、ひとであり、作者であり、私なのだ。レヴィナスの言うとおり作品をどれだけ追ってもその作者には辿り着かないだろう。あたりまえである。そもそもなにを追っていったとしても、だれかにたどりつくことはありえない。証拠もない。証拠が無いから、辿り着かない証拠もないというわけではない。作品はただたんに、ひとはただたんに、世界はただたんにあるのだ。それしかないし、それでいい。私はそこから出発する。「美術」ということばがある。「作品」という名がある。くくられるものがある。くくる道具、技術がある。否定する力がある。肯定する寛大さがある。受け入れる渇望がある。対面する顔がある。カン違いできる才能がある。セレクションする能力がある。私はまた何かをつくる。


(注9)作品が〈同〉であることをレヴィナスは次のように言っている。

   意志が作品を生み出すものであるかぎり、分離された存在が住まうわが家はその意志に
   よって保証される。とはいえ、意志はその作品のうちで表出されないままにとどまっている。
   作品には意味作用があるけれども、作品は沈黙しつづけているからである。
   意志は労働のうちで行使される。労働は目に見えるかたちでものたちのうちに挿入されるに
   しても、意志のほうは、そこからただちにすがたを消してしまう。
   作品は商品という匿名的なかたちを身にまとい、サラリーマンであるかぎり労働する者自身
   もまた、この匿名性のうちで消失しうるからである。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、一〇四頁)
   
   作品との関係は、交易や戦争にあってすら、作品をつくる者との関係でありつづける。
   とはいえ交易と戦争は、作品をつくる者を買い取る黄金や、その者を殺す剣をかいする
   のであるから、そこでは他者が正面から接近されることはない。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、一一〇頁)

作品との関係は、交易や戦争においてでも、〈同〉としてでしか成り立たず、〈他者〉として向かい合うことはできないとレヴィナスは言っている。

(注10)概念、精神的なもの、物理の世界を超えた実体のないもの。
レヴィナスは〈他者〉との対面は形而上学的渇望としている。
(一部D章二節)

3 ダブルセレクション


 ダブルセレクションについてもう少し触れておこう。私は何かをセレクションする。一般的にはAかBを選び、選んだ段階でセレクションは終わる。しかしすでにセレクションしつづけていることがある。それは「生きている」ということだ。何かを思い考えるとき、すでに私は生きている。「考える」と「生きる」の二つを同時にしているのだ。それは生きているのが前提になっている。と考えればわかりやすいだろうか。第二部A章三節でも触れたが、かつてスーパーファミコン(任天堂)で『Romancing sa・ga(ロマンシングサ・ガ)』(一九九一年、スクウェア。以下『ロマサガ』)という名作ロールプレイングゲーム(以下ロープレ)があった。どこが名作であるかというと、フリーシナリオシステムというストーリー展開が、それまでのロープレとはまったく違うシステムなのである。簡単に説明しよう。従来のロープレは常に一本道のストーリーをなぞるだけであった(今でもそういった風潮があるが)。どこどこの王様の命令で、どこどこの洞窟にいるなんちゃらというモンスターを倒すだの倒さないのだなの、それを倒すのには街のだれだれが言ったことばをヒントにどこどこに隠されたなんちゃらという剣を手に入れなきゃいけないだの……。といった具合にストーリーは進む。キャラクター編成や世界の描写のしかたが、多少変化するぐらいで、何かをするためには何かをしなくてははじまらない構図はロープレにおいては一本道が大原則であった。そんな世界だったから、かつてはロープレにおいての達人度は、時間軸が基準であった。要するに「だれが一番早くクリアーするか」。
 私が推奨する『ロマサガ』はこの常識を覆した革命的な存在である。それでもなおすごいのは、この作品が、ロープレを超えたにもかかわらず、ロープレであるというところなのだ。ロープレの定義とは何かを問う問題作でもあった。このゲームの世界観というのは従来のそれと大きく違う。まず世界のあちこちに散らばる街がそれぞれ独立しているのだ。そして同じ時間軸上に配置されている。世界が一本道にではなく、それぞれが同時に進む。主人公を操作するプレーヤーはどこからはじめてもよいのだ。目的も曖昧なままに、いきなり『ロマサガ』の世界に投げ込まれるのだ。私が「美術」の世界に突然投げ込まれたように。
 大抵のロープレにおける拘束は、『ロマサガ』には無い。できる限り自由である。道端のザコ敵をひたすら倒しつづけても良いし、色んなところへ行って、仲間を増やしつづけてもよい(最大六人)。ゲームという限られた〈同〉のなかではあるが、とりあえず自由なのである。様々な選択肢がある。キャラクター同士の会話の中や、行動、戦闘回数、武器や金の使い方、あきらかに一本道ではない。たとえばある主人公の友人を殺して剣を奪えることができる。他の選択肢もある。「金を集めてそいつより先に買う」または「そいつを仲間に入れる」または「ほおっておく」。その選択肢のセレクションによってその後のストーリー展開が変化する。

 これがフリーシナリオシステムだ。まるで進化図の枝分かれを選択肢によって分かれ進んでいく構図に見える。友人を殺したら冥府への扉が開かれ、死の神に会うことができるようになる。その剣を手に入れればもうそれだけでボスを倒せる力を得られる。良い行動を繰り返した後、戦闘回数が一定数を越えると、光の神が住む世界へ行くことができるようになる。もちろんそこへいかなくてもクリアーはできる。といった具合だ。クリアーの条件はどこかにいるラスボス(ラストボス)を倒すこと。これだけである。ゴールの条件はひとつだが、それまでのいきさつによってエンディングの迎え方も変化するようになっている。何度も繰り返して遊べるのが『ロマサガ』の謳い文句だった。
 なぜこんな話をしたかというと、この『ロマサガ』ではゲームであるがゆえに私がこれまで繰り返し述べてきたダブルセレクションが可能であるという構図を比喩できるからだ。ゲームであるがゆえにできること。それはすなわち、リセットできるということだ。進化図の枝分かれを次々にセレクションしていくといってもその道を選んだとあっては、振り返ってみればそれは一本道と同じである。主人公の友人を殺してしまったら、殺さなかった先のストーリーへは進めない。可能世界は色々あるが、そのうちのひとつしか選べない。それぞれがパラレルワールドになっているからだ。パラレルワールドを題材にした物語は結構多い。『ドラえもん』や『バックトゥザフューチャー』などがそうである。どの場合であっても別のパラレルワールドを行き来することはあっても、それらを同時に体験することはできないことになっている。しかし、『ロマサガ』では別の道に行くことができるのである。そう、セレクションする前に一旦データをセーブ(保存、記録)し、どちらかの道をセレクションする。その結果を見たのちで、いつでもいいからリセットすればいいのである。要するにリスタートだ。もういっかいさっきの分岐へもどり、今度は「殺さないで仲間にする」をセレクションすればいいのだ。これで私は二つのパラレルワールドがあることに「気付く」ことができるわけだ。他のゲームでこのことを禁止するためにオート(自動)セーブ機能が付いているものもある(常時バックアップ状態)。リセットボタンは場合によっては、いつでも完全にやり直せることによって、そのゲーム性を大きく欠くことになってしまうからだ。たしかに人生にリセットはきかない。〈私〉というものを保持したまま、時間軸をさかのぼる術が今のところみあたらないみたいだからだ。しかし、同時に別のパラレルワールドへ行くことはできる。なぜなら、人生において、世界において、「道」とはただの比喩で、それは「道」ではないからだ。量ではない、実在ではない、質であるからだ。私は一度に複数の「道」を同時に選ぶことができるのだ。つまりダブルセレクションどころかトリプルセレクションも可能なのだ。そう、イデアはひとつではない。いくつもあるし、変動しつづける。人それぞれのイデアがあり、また、その集まりもある。そこで間違えてはならないことは、たとえ複数のイデアが集合したとしても、それぞれは分離しており、それぞれが統合してひとつのイデアになることはありえない。私の作品で言えば、『This is an enigma kaleidoscope』(図18)は〈マイ・イデア〉(注11)の集合体である。『あの日』(作品528)(注12) がそれぞれ皆のマイ・イデアの集合体だったが、この作品はすべて私のマイ・イデアたちなのである。そういう意味で純度の高い〈マイ・イデア〉だ。後者に対して、前者はそれぞれのマイ・イデアの集合体なので、私のマイ・イデアだけではないという意味においてアワー・イデアとでもいえるだろうか(断っておくが、共同の地平(注13) としての「私たち流」といったものではない。ここでの意味は、ただたんに、それぞれのマイ・イデアが集まったものだということである)。マイ・イデアについて細かく見たが、ここでは両者ともマイ・イデアとしておく。

(注11)すでに決まっているものではなくて、世界をカオスとし、そのなかから私がみつけてきたもののことを私流(龍)のイデアといういみでマイ・イデア(筆者造語)としている。制作とはマイ・イデアを集めることであると私は考える。
(二部B章二節)

(注12) 『あの日のことを忘れないように、、、』(二〇〇四年、富山、八尾)、『あの日のことを忘れないように1999』(二〇〇七年、石川、金沢市立南小立野小学校)ともに筆者企画・制作。
(二部C章四節)

(注13)皆が同じ固定されたイデアを持つということ。誰かが決めたことに準ずることも、独裁者であることも、人を殺すこともこれにあたる。
(一部C章一節)

4 相対主義に対して

 私はものごとを相対的にみることによって色々なものをのりこえたが、その先で私は相対主義という地平ものりこえていかねばならない。
 ずっと相対主義を超えることを考えていたが、なかなかできずにいた。相対的ということは何かがあるのは別の何かがあるからということであり、その何かが良いのか悪いのか、それはすぐには決められない。強いて言えば決定したときに、良かったのか悪かったのかが決まる。世界はつねに動いている。昨日まで良かったものが、今日はまた別の価値になってしまう。ずっと良いままなものはないみたいだ。しかし私は良いものを直感する。どうしたらよいか。私は長年の経験から、ひとつの答えを出していた。解決というよりは、〈私〉を殺さずに進むしかたといったほうがいいかもしれない。それは私が私の直感を正しいと思ったとき、一歩引いてみる。世界の動きはどうだ?私の閃きとかけはなれていすぎやしないだろうか。私は直感が正しいと思ってもすぐには出さない。しまっておこう。いまは不利だ。さらに考えてみる。時間さえあれば、そのうち私はその直感が正しいという証拠らしきものを色々見つけることができる。私は普段なら見過ごしてしまいそうなものを、何かを考えながら生活することによって気付く。きっと世界は流れているだけなのだろうが、そのなかで私は今、私にとってタイムリーなことがらを見つける、クローズアップする。そのときの私の状態によって感じ方はぜんぜん違う。「二度あることは三度ある」と思うときもあれば、「三度目の正直」と思うときもある。クローズアップされたものたちは、やがて私の武器になる。それが証拠らしき解説を可能にするのだ。だから私は一番最初に直感したこと(ポイエーシス)に関する閃きが集まってくるまで武器が集まるまでその直感を公にはしない。ただ純粋に思い付きのまま好き勝手つくっているのではない。待つのである、時を。読むのである、流れを。そしてここだと思ったときに私はつくりだすのだ。このやり方はカイジのギャンブルにおける戦い方と同期する。カイジはとにかくギャンブルの荒波の中へ飛び込む。最初の勝負は勝っても負けても良い。ギャンブルの悔しさ、怖さを感じ取るのだ。そしてその荒波の中でじっと耐える。静かに待つ。流れが自分に向いてくる動きを息をひそめてうかがう。厚く張れる時を。そして、大きく賭ける、そうやって勝つのだ。それまで気付かれてはいけない。ギャンブルにおいてはいかにして表現しないかが問われる。自分の心持を相手に知らせたら、読み取られたら、負けである。むしろ表現できない能力のほうが重要視される。しかし、完璧には隠せない。コミュニケーションが完全にできないように、またその逆の、コミュニケーションしないことも、完全にはできないのだ。私とあなたはすでに〈顔〉を対面してしまっている。私とあなたの間で、とらえられることととらえられないこととがそれぞれ同時に行き交う。私はそのことに関する様々な記憶(証拠)を集める。そのことにより私は総合判定し、なにかを決定する。しかし、決定したと同時に、それが総合判定だったのかどうかの証が消え去る。それは決定されたにもかかわらず、決定されたものではなくなり、進化(超変とでも言っておこうか)して別物になった私の記憶となる。私はまたはじまる。私はさらにその記憶をもとになにかを決定する。総合判定とは言ったものの私の言うダブルセレクションは、〈私〉のなかでAとBを統合することではない。強いて言えば、作品のもとである〈マイ・イデア〉たちがジョイントされつづけているようなしかたで、私の作品たち〈マイ・カオス〉は、私自身とジョイントされている。つまり私がいなければ、これらは〈マイ・イデア〉ではないし、〈作品〉でもない。AとBを、AとBではなく、〈他なるもの〉と〈他なるもの〉としてそれぞれを殺さないこと。かつ、むすびあわせること。ジョイントするということ。それが連帯。つまり、考えつづけるとはこういうことだ。

 今の私にもっと力があればと思う。さんざんことばにしつくして、私の言いたいことをほとんど出してしまったあと、しぼりだすようにさらに書いたが、それももう尽きてしまった。私はカラッポになった。充電しなくてはいけない。しかし、そんな時間はない。期限はせまっている。そこで私は思う。私にもっと書く力があれば、と。でもそれは結局間違っていた。たとえば貧乏だった私が、お金を手に入れたとしても、私のつくるものに変わりはない。つねに私の身近なものからはじまるのだ。お金があったらもっと大きいことをやろうとか、最新技術を駆使しようとかは思わない。そんなことではないのだ。私のこの制作〈マキシマム・アート〉は変わらない。私はそのときそのときの私のありのままを制作する。お金の問題ではない。同じように力の問題でもない。この文、このことばは私の作品だ。もっと私に書く力があったらとか、技術があったらいいというわけでは決してない。だから私は今の私のリアルを書こうと思った。背伸びして、他人のことばを借りてきて、えらそうにわかったつもりなんかできない。それならば自分の腹の底からのことばを発して「間違っている」と言われる方がましだ。いつでも私は私の納得いくことばで語っていこうと思う。素直に、ごまかさずに間違いに向き合う。他者と向き合う。自分に向き合う。

 例えば私は私のしてきたことは、「美術」でも「制作」でも「コミュニケーション」でも「表現」でもなかったということはできるだろう。でも、そうだとしたら、私は一体何をしてきたというのだろうか。やっぱりこれらのことばを使うしかあるまい。先代の人びともそうやってきたはずだ。私は近年になってから現代アートに対してものすごく不快感をかんじるようになっていた。そのことばを聞いただけでイライラするのだった。理由はふたつある。ひとつは現代で作られた作品だ。現代アートに決まっている。わざわざ名まえを付ける必要が無い。それともあなたは古代アートを制作しているというのか。明らかにおかしい。
 もうひとつの理由は、現代にあるものなんかはもう古いと思うからだ。そんなものいまさらやっても遅すぎる。それより現代アートのその先へ、先端よりもまだまだ先へ進まなくてはいけない。流行だとかなんかは後からついてくるもので、制作者ならつねにその先にいて、でもその位置に決して留まりはせず、またさらに先をめざすようでなければならない。素材がどうの言っている場合じゃない。当然、それがひとつだとかふたつ以上だとか言ってる場合ですらない。私はそれらを否定しているのではない。なぜならそういうものがあったからこそ、今の私がいるのだし、多くのことを学べた。閉ざされた世界が悪なのではない。ただ、世界はそれだけがすべてではないといっているのだ。私とはぜんぜん違うところで成立しているだけだ。そう、世界のすべてが美術ではないように美術の世界が美術だけとは限らないのだ。でも私たちはそれでもなお「美術」と呼ばなくてはいけないだろう。なんとなく共通のことばができてしまっているがゆえに、私たちの間には「間主観的」な「共同の地平」があるのではないかと誤解してしまいがちだ。ことばによって、私が私の今までしてきたほんらいならとらえることのできないような私のマイ・カオスのことを「美術」だと言えてしまったように、だれもが共通の理解を探せるような錯覚が起こってしまうのだろう。私もできるはずもない永久機関(注14)を「私ならできる」と思い込んでいた。でも間違いではない。制作者は突っ走るものだ。それでいい。しかし、わかっていないといけない。世界のことを。わかっていて、かつ、それでも自分の直感を信じつづけていかなくてはいけない。そして自分が正しいと思ったとき、つくりだせばいい。とにかくつくるけど、なやむことはあっても、迷うことはない。ここはすでに迷宮(注15)だ。わざわざ迷わなくてもいい。とにかく行こう、前へ。それが考えつづけること、つくりつづけること、生きつづけることにほかならない。

(注14)私は世間一般では不可能と呼ばれていることにこだわる変な癖があった。それはただのアイロニーかもしれないが、私は世界を、常識をひっくり返してやりたいと常に考えている。誰もやれないことをやろうとする。バカなはなしだがしかし、制作者とはいつもそういうものだ。
(一部C章四節)

(注15)私はいつも「迷宮」にいる。そこからいち早く抜け出すことが目的ではない。大事なのはその「迷宮」という謎だらけの〈無限〉の人生と戦うのではなく、それを受け入れ、それという例えもできないくらい程つかめないその「迷宮」とともに生きていくことにある。
(二部A章一節)

5 倫理について

 現代アートだけではない、現代ゲームも同じ問題を抱えている。見た目が美麗だったり、ハデであったり、速かったり遅かったりする。ようするにただ「すごい」だけ。そんな一発屋が増えてきているように見受けられる。大量消費だ。どんどん使い捨てされていく、使われてから捨てられるまでのスパンが短くなってきているようだ。そのうち「点」になっていくことだろう。いや、そもそもそれは一瞬のことだ。いつもすべては一瞬で決まる。「善い」かどうかだ。「良い」かどうかかもしれない。ひょっとしたら「好い」かどうかかもしれない。超個人主義的だ。よく「個性を尊重しよう」ということばを聞くが、最近そのことばが誤解されつづけているみたいだ。決められたこともせず、枠からわざわざはみ出そうとする。それは個性でもなんでもない。教育機関にいるとよくわかる。制服をきちんと着ない、髪を染める。人と違うことをわざわざしなくてはいけないようでは、ほんとうの個性を磨いていることにはまったくならない。個性とは例え同じ格好をしていても、そのひと自体から湧き出てくるものだ。〈顔〉のように。他人と同じかどうかを気にしているようではまだまだ薄っぺらい。逆に、みんなとそろっていないといけないと思うのも同じレベルで薄っぺらい。
 たしかに私は何かに何かを比べて生きていくしかないが、それは一方でとても危険な考えであることを考慮しなくてはいけない。私はこれまで、作品をつくることを「作品」と、また、美術をすることを「美術」と比べてきてしまっていた。何かを思い、何かをするのはいいが、何かにとらえられながら何かをするのはよくない。「特に美術においては」とまえおきするのも恥ずかしいくらいである。
 たとえば新しいことをしたいときに、既存の枠を超える程度ではいけない。「枠」という共同の「地平」にとらわれているようではだめだ。だからといって、なんでもいいわけではない。せっかく成長してきたのに、自分を殺してしまったら、元も子もない。そもそも自分であっても他者であっても、その者を殺すことに、根拠なんかない。生きることに根拠はないのと同じ構造である。そういう意味において、一見、世界は何でもありの相対主義のようにみえるが、実はそうではないことに気付くことができるだろうか。やるべきことはある、変わっていくことだ。正しいことはある、決め付けないことだ。だから「決定でない決定」(注16)、「カン違い」(注17)というしかたが必要だ。ここでいう「カン違い」とは、カン違いしていたら他者を決定していいとか悪いとか、そういう次元の問題ではない。かつて私が自分の「直感」を閃いたのにもかかわらず、すぐには決定せず、それについて考えつづけたしかたがもとめられている。衝動だけでは弱い。それはまるで安物のロケット花火のようだ。ヒューと飛んでパーンと散る。それだけでは足りない。私のこの文章もこれだけでは全然足りない「足らんわ!まるで!」。飛び立って、さらにずっとその先まで進んでいきつづける力が要る。どこまでも終わらない動き、正しい流れが要る。同時に、何かで何かを思うことも要る。それが「決定でない決定」をするということだ。
 進化図の枝分かれの複数の道を同時に進むことができるデュアルコアのダブルセレクション「エロス的関係」(注18)を可能とするマイ・イデアの集合体、〈マイ・カオス〉こそが「決定でない決定」をしつづけることを可能にする。それは私にとって不本意ながら、世間一般では「美術作品」と呼ばれている。


(注16)それは〈他〉を私が決定した時点で、(迷宮のゴールに辿り着くようなしかたで)それを決定した私はすでに私を超えてしまって、以前の私ではないものになってしまっている、という〈他者〉に出会う「決定」である。つまり、決定したらその決定をした私が変化し、そのとき決定したかに見えた点は同時に点ではなくなり、私の記憶となるようなしかたで「決定」ではなくなる。だからそれは決定でない決定。
(二部B章二節)

(注17)カン違いとはある知識が正しいものだと思って信じていることであるが、「正しいこと」の証明ができない「〈他〉が到来し続ける世界」(レヴィナス)ではすべてがカン違いなのである。この「カン違い」の世界で、そのまままるごと相対主義をのりこえる道、あり方は、いかにして可能となるのだろうか。
(二部)
それが連帯であり、対面である。
(二部C章四節)

(注18)私はじぶんの息子をもつのではなく、私が私の息子なのである。父性とは、
   他者でありながらも私であるような異邦人との関係である。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』下巻、二一三頁)
「父性」、すなわちA=B、A≠Bというこの構造を、レヴィナスは「エロス的関係」とも呼び直している。
(二部)
たとえば一リットルの容量のバケツに一リットル以上の水を入れることができるという関係。作品と対面するということ。
(二部B章四節)
もしくは目に見えて最大容量のわかる容器の中に、その最大容量以上のものを入れることができるということ。冒頭で述べた通り、私が私自身の限界を決定せず、いくらでも〈他〉を取り入れることができるしかた。そのしかたでないと、〈無限〉という〈明日〉は到底受け入れられない。

6 手に負えないものを目指すということ

 もうひとつ話しておこう。私はこれまで「手に負えないもの」、「得体の知れないもの」をめざしてきた。それは私にとって制作することであったようだし、作品であったりした。作品も〈他〉であるとすれば、そのようなことが言えるのだと思い、本書では〈無限〉と〈私の作品〉と〈他〉のありかたを〈連帯〉と〈エロス的関係〉をヒントに導き出そうと繰り返し述べている。ただ、私がめざしたものは自分の理解を超えていくもの、他人の理解を超えていくものなのだということを、どうやって述べたら良いかわからず、ずっと考えさせられることになった。なぜなら「手に負えないもの」とは「不明なもの」であって、それ自体を比喩することすらできないものであるから、どうやって説明したら良いかまるで検討もつかなかった。しかし、やめるわけにはいかない。私は考えつづけた。どんなに記述の束を集めても、私の非常に個人的な感覚であるこれら〈マイ・イデア〉を、私以外の人に気付いてもらうことはできないのではないかと思っていた。それは相対主義の世界においてはあたりまえのことだったし、実際無理があると思っていた。カイジにでてくる「通信」のように、私が言ったことばがだれかに通じたと信じるよりなかった。それがまだまだ甘いギャンブルにおける素人の「すぐハラをくくる」習性であるかもしれないというのに。
 そんな失敗だらけのなか、だからこそ、私は語っていかなければならないと思うようになれたのは、やはり私の直感が閃くからであった。そう、私はまた気付いたのだ。
 人生において「手に負えないもの」、「得体のしれないもの」をめざしているのは、なにも私だけではなかった。考えてみれば至極当然のことであった。それは紛れもなく「明日」であった。私たちは「明日」がどうなるかわからない。もちろん推測や予定を立てることはできるだろう。しかし、それもただたんに打てたと思い込んだ「点でない点」にすぎない。だって「明日」はなってみなくちゃわからないのだもの。作品はつくってみなくちゃわからないのだもの。そういういみで私だけでなく、すべてのひとが、〈他なるもの〉「まだ見ぬ明日」をめざしているのだ。だから、私の作品にかんする説明で、わけがわからなくなったら、こう考えてみて欲しい、〈作品〉とは「明日」なのだということ。物質かどうかで作品が〈同〉なのか〈他〉なのかが決まるわけでは、厳密に言えばない。これから作品のなかに〈顔〉をみつけていくこころ。あれとこれを、共通点のないまったく別々のものを、それぞれが死なないようにジョイントするしかた。きらいな人となんとかうまくやっていく方法、決してあなどらないこころ。それが〈愛〉なのだ。だからレヴィナスもそのようなしかたを〈エロス(性愛の)的関係〉と言っているのだ。それはだれにでもある感覚だ。私はそのようなしかたを〈マイ・カオス〉と言ってきた。ただそれだけのことである。今日が終わって昨日の結果が出る。それらをふまえたり、無視したりする。カン違いや思い違いをしたりして、時には勝手に遠い未来を予想、夢見ながらも、それでもまだ見ぬ明日へ、『そして、またあしたへ』。
 そう、そもそもダブルセレクションである〈エロス的関係〉、「連帯」であるということは、だれもがそれぞれのしかたでできるのだ。その実例を挙げよう。


7 『アルファベットカレイドスコープ展』

 人生においてもそうであるが、基本はまず目標を立てることにはじまるらしい。そして情報収集、どうすればその目標が達成できるかを決める。制作においてもそれが一般常識的になっている。構想を練る、アイデア、イメージをふくらます。デッサン(計画)する。目標を立てる。その目標実現のためには、なにが必要かを考える。制作する。上手く行くときもあれば、そうでないときもある。作り過ぎたとき、壊してみる。そしてまた作る。そうやって作っては壊し作っては壊しながら、次第に詰めていく。別に悪いことじゃあない。通常の流れだ。しかし、私のしかたとは、少し違う。
 私は閃きを公にしはじめたとたんに何かしらの機械をつくりはじめる。とにかく身近なものから出発して制作しはじめるのである。機械のような、でも機械ではない仕組みをつくる。しかし、その機械はすぐ壊れる。私の本意ではないところで、次々に壊れてしまう。機械ではないからだ。私は壊れた部分を治す。また別のところが壊れる。また治す。私は当初は制作していたつもりだったのだが、それは途中で変わる。私はいつのまにか修理士になっている。私のつくる機械は手がかかるのだ。だれかがついていて治さないとどんどん壊れていってしまう。私はその手に負えない部分と戦いながらその壊れた部分をひたすら修理しつづける。制作が修理に切り替わる。そしてある程度の強度、耐性を兼ね添えられたとき、完成とした。私もつくっては壊しつくっては壊していることに違いはないが、私は自分から壊すのではない。作品のほうが勝手に壊れていくのだ。治さねばなるまい。直すのではない、治すのだ。
 そうやってできた私のマイ・イデアの集合体、『アルファベットカレイドスコープ展』(作品27)について見ていくことにする。
 まずはじめに言っておかねばならないことがある、この私の作ったものはそれぞれが別々だが、これでひとつの私の作品であるということだ。たしかに一つ一つは繋がっていない、でもそれは物理的に判断しただけのことであり、形而上学的にはひとりの長谷川清でジョイントされている。しかしいっぽうで、これを言うためには証明しなくてはいけないことがある。それは、よく開かれるひとりの作家による「個展」との違いだ。たしかに「個展」では、その展覧会のタイトルが、それぞれ個々の出展作品とは別に用意されている。展覧会のテーマ、タイトルというフォルダにその制作者の作品が入れられている構図だろうか。今回の私の『アルファベットカレイドスコープ展』はそういう形式ではない。決定でない「点」のようなしかたでの「展」なのである。どういうことかというと、簡単に言えばこれらが私の作品達であり、同時に私の作品であるという〈エロス的関係〉としての作品、〈マイ・イデア〉の集合体である〈マイ・カオス〉であるということだ。そういう意味で今回の展示は私にとっての「個展」という意味ではない。そういう名前の、そういう形式の私の作品なのである。私は今回の私の作品の形態が、「展」であると決めただけのことである。私はこれまでの研究、制作により、作品の形態が、これまでの「作品」形態でなければいけない理由が必要なくなってしまった。たとえば台座に載せるだとか等間隔に配置するだとかいうことが作品の定義ではないことに「気付いた」。それは妥協でもなく、あきらめでもない、だからといって、つねに新しいものを、枠をこえようとしてきた美術に準じてそう思うのですらない。私はただ今、「こうだ!」と思っただけだ。これは頑固で傲慢な考えだが、しかたない。なぜなら私がそうおもったからである。ただのマイ・イデアだ。
 たとえばそれが今までにないまったく新しいものであったとしても、何かしらのルールに従っている、もしくは従わざるを得ない作品は当然ある。場所であったり、形態であったり、予算であったり、政治であったり、いろいろな条件、拘束力、権力が複雑に絡み合う。そんななか私はつくっていかねばなるまい。だからこそつくっていかねばなるまい。誰かと同じようなことをして、いったいなんになるというのだろう。M・デュシャンの作品が誰かにとらえられたりしたか。彼についてだれが何を言おうとも、どんな論文や大著が書かれようともだれも彼に近づいてはいないではないか。そう考えると、私は、べつのしかたで彼を、彼の作品をみつめる必要があるし、ただそれでいいはずだ。作品ぽいだとか、そうでないだとかいうことは私にとって無関係だ。もはやデュシャンの作品の手助けを借りる必要もない。私はそこまで来た。いっぽうで「作品」のありかたも世界にはある。それはそれでいい。私とはべつのしかたなだけだ。先にも述べたが私は私のしてきたことが、私の知りうるかぎりの世界中で使われていることばのなかで、一番近いことばが「美術作品」だと私がただたんに思っていただけであって、私の作品、制作スタイル、果ては私自身さえももはやだれにもとらえられることなどできはしない。でもだからといって私は、作品のこと、「作品」のこと、制作のこと、美術のことを語ることはムダとは思っていない。私は自身の作品をムダの集合体だと言ってきたが、それはムダであってムダではない。相対主義の世界ではムダはいっさいなくなる。それどころかすべてのものがなくなってしまう。でも、そんななかでもはっきりとあるものはあると思う。それがレヴィナスの言う「質がある」(注19)ということなのだ。たしかに共同の地平という形でイデアというものはないが、イデアということばがある。それは決してムダではない。そのことばがあるからこそ、私は考えることができた。イデアも悪ではない(相対主義の世界だからという理由ではない)。ただ、イデアは、物質として確認できるものではなく、つまりひとつではなく、実体がない変化しつづける運動でもある。運動ということばをあてはめるのも無理があるくらい、手に負えないものなのだ。それは〈無限〉であり〈迷宮〉である(注20)。だからそれぞれのひとにイデアがあっていいし、次の瞬間で変態するイデアであってもよい。私はそういういみで、哲学における既存の概念としての「イデア」と分かつために、それをそれぞれの〈マイ・イデア〉としたのだ。はっきりと意味がわかっているひとにたいしてはイデアだけで通じるかもしれない。なぜなら、プラトンも同じような感覚でそれのことを「イデア」と言っていたはずだとレヴィナスは言う。つまり、プラトンの「イデア」には二系統あると(注21)。私も同感だ。その証拠はない、だからこそ、私は無限に考えつづけることができる。

(注19)享受されることにおいて質は、なにか或るものの質なのではない。
   私を支える大地の堅固さ、私の頭上にひろがる空の蒼さ、風のそよぎ、海の波浪、
   光の煌めきといったものは、なにかの実体に懸かっているものではない。それらは
   どこでもないところから、到来する。どこでもないところから存在しない「或るもの」から
   到来し、あらわれるなにものも存在しないのにあらわれ、したがってまた、
   私がそのみなもとを所有することができずに、絶えず到来する。
   (E・レヴィナス『全体性と無限』上巻、二八一-二八二頁)
つまり「質」は何かを根拠としているわけでもない。始原的なものとして、すでにあるのだ。
(二部C章一節)

(注20)私に何か欠陥があって、それを埋めるためにつくるのでは決してない。〈他なるもの〉が〈無限〉に〈無限〉であり続ける。だから私はつくってもつくっても、つくり足りない。ことばも作品も、どれだけ発し続けても、私はいつまでも発し足りないで在(い)続ける。私の制作テーマが「無限」だからではない。私以外のもの、すべてが〈無限〉だから、イデアも〈無限〉になる。私は〈無限〉とともに生きていく。
(二部C章四節)

(注21)既成の固定化されたイデアと、常に生まれ続ける、言うならばセレクションされ決定される、生成されつづけるイデアの二系統のイデアがあると、レヴィナスはプラトンのイデアを二つの側面から見ている。
(二部B章二節)

8 おわりに

 私は今回、ほんらいならばできるはずのないことをしようと試みた。それは私の制作を文章にすることだ。私の気持ちを日本語に翻訳するといったほうが近いだろうか。私はさまざまなことばについて考え、述べ、勉強してきた。そこでわかったことがひとつある。私にはまだまだ勉強が足りないということだ。世界が無限だからではない。私が無限とともに生きたいからである。だからこれらの私のことばも、明日になってみれば当時語られた当時の考えにすぎない。これが正しかったどうかは、今はわからない。ただ、私は信じている。カイジが〈通信〉は通じたと信じることだと言っていたように、私は私の制作を信じるしかない。しかしそれは頑固なのとはちょっと違う。なぜなら、私は変わる(トランスフォームする)からだ。私が制作することに変りはない。しかし、制作していく私は変態する。だから私のつくる作品も変態していく。このような順番で私の制作作品は変化していく。作品が変わるから私が変わるのではない。私の作品は私ありきなのだ。でも、私は〈他〉ありきだ。この構図、この順番。ようやく整理できかけてきた。あいかわらず決定できないが、それでいいこともわかった。あとはつくりつづけていくことだ。考えつづけていくことだ。無限とともに生きるということだ。


あとがき

 私は長い間、自分で自分の感覚が信じられずにいました。何か決まって自分の都合の悪いことが起こる度に私は、自分の不運を恨むような、黒い思考がぐるぐると回る悪循環の世界の住人でした。何もかも掴めない私にとって、毎日の暮らしは、ただ辛いだけのものでした。あれをしよう、これをしようと計画を立てても、予想外のトラブルばかり起こり、そのことが嫌になり、そのうち希望を持とうとは思えなくなっていきました。何かを思って、それを信じていこうとした矢先に、その出鼻を挫くのが、いつも〈普通〉という概念でした。「〈普通〉はこうじゃない。」、「〈普通〉だったらこんなことしない。」私はどれだけ打ちのめされたかわかりません。ただ、その度に、今日は運が悪かったんだ。今日はついてないや。と自分は不幸なんだと思い続けていました。そんな中、ふと思い付いたことがありました。それは算数の数式でした。「1+1=2」。つまり、どんなに運が悪くても、憂鬱な朝でも、何かを掴み損ねた時でさえも、一たす一は、間違いなく二なのでした。この確実さ、たった一つの数式が、迷える私に勇気と自信を与えてくれたのでした。私にとって一番始めのマイ・イデアです。私はそれを思い付いて以来、捉えられないほどの迷宮に迷い込んだとき、右も左も上も下もわからなくなって困った時、その数式を思い出してみるのでした。そしてその延長上にTVゲームの世界、誰かに作られた〈同〉の世界に入り込んでいくのでした。そうやって私は世界に頼れるもの、信じることができるものを見つけていくことができたようです。その後、誰かに作られた世界から何かを得て、そして自分だけの数式を作りたいと思うようになりました。自分だけのマイ・イデアを制作したいと思うようになったということです。そしてそれは本書でも取り上げているように、〈同〉ではなく、〈他なるもの〉つまり〈顔〉なのでした。私はチャランポランでいい加減な性格なので、一つでも間違えると答えに辿り着けない数学は得意になれませんでした。しかし、そういう「イデアの世界がある」ということだけで私にとっては十分ありがたいことなのでした。よって、私は数学の考え方は好きだが、計算は苦手だというどっちつかずの、でも数学の捨てきれないダブルセレクションをし続けてきたのです。私は子供の頃から「好きなことなら得意だ」とか、「苦手だから嫌いだ」とかいうのは厳密に言えば間違いだということを既に直感していました。「好きだから頑張って努力し、得意になる」のは当たり前で、「嫌いだからこそ頑張って努力し、得意になる」のも〈普通〉のことで、私が目指したのは「何でも得意になることが好き」だったのでした。その気持ちがAとBのそれぞれ全く違うもの同士を同時に思い付き、何の国境も隔たりにも囚われることなくジョイントできる発想を生んだのだと思います。こうして振り返ってみると、私はとても裕福だったんだなあと思います。私が私を殺して我慢したりせず、私の私という作品を作っていけるということ。これはたいへんな幸せであります。ありがたいことです。〈普通〉じゃない私に、ごく〈普通〉に接してくれた皆さん、私を支えてくださった家族や親しい人達、レヴィナスに、カイジに、全てのものに、世界に、無限に、そして本書を手にとってくださったあなたに、この感謝の気持ちを『忘れないように』して『そしてまた、あしたへ』いや、あさってへ。


  二〇〇八年     九月九日                            
                                       長谷川 清




しゃーなしで無題。ところでドーナツはおやつにはいらないんですかレイドスコープ2012.proxy(串)  サイズ:h60×w240×d240cm 素材:布パッチワーク、銅、ブリキ、段ボール 2012年

付記

本書は二〇〇八年五月に金沢美術工芸大学において取得した博士号のための博士学位論文(第一、二部)に一部修正、追記をし、同大学二〇〇八年の満期修了論文、『年報美術工芸研究』第九号(第三部)と学位授与式での挨拶文(まえがき)をジョイントしたものである。


審査員の先生方、金沢美術工芸大学 篠田守男先生、下川昭宣先生、柏健先生、高橋明彦先生、中部大学国際関係学部 千葉成夫先生、また、金沢美術工芸大学彫刻専攻の先生方、長谷川大治郎先生、石田陽介先生、土井宏二先生、その他関係者の皆様に御礼申し上げます。

2014年 5月


著者略歴
1978年愛知県名古屋市に生まれる。
1987年総コマ数10000コマを目指し漫画『へんたいまん』を描き始める。
2008年金沢美術工芸大学大学院博士後期課程美術研究領域(彫刻)修了
     博士(芸術)
石川県で小学校の講師を経て、現在(2014年)明星大学デザイン学部 実習指導員

    主要展覧会
2005年 「HASEGAWA KIYOSHI」個展 まきいまさるファインアーツ(東京)
2005-2010年 八尾スローアートショー(富山県八尾町) 
2008年 さくらびアートプロジェクト2008 (長野市立櫻ヶ岡中学校)
2013年 「とつぜんですが、さっきのつづき」個展 新宿眼下画廊(東京)
2013年 EASY POP ART SHOW 2013(福井県越前市)
websaite:http://kiyoshihasegawa.edicy.co/





MAXIMUM ART、無限とともに生きる

     2008年5月8日初版第1刷発行
     2013年10月1日web版発行(BCCKS)
     著者 ©長谷川清
発行所 Kiyoshi.Hasegawa出版 
     〒350-1232 埼玉県日高市中鹿山444番地11号
                           長谷川 清

MAXIMUM ART、無限とともに生きる

2013年10月1日 発行 web版

著  者:Kiyoshi.Hasegawa
発  行:Kiyoshi.Hasegawa出版

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〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
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長谷川 清 Kiyoshi.Hasegawa

著者略歴
1978年愛知県名古屋市に生まれる。
1987年総コマ数10000コマを目指し漫画
     『へんたいまん』を描き始める。
2008年金沢美術工芸大学大学院博士後期課程
     美術研究領域(彫刻)修了  博士(芸術)

石川県で小学校の講師を経て、現在(2014年)
明星大学デザイン学部 実習指導員

    主要展覧会
2005年 「HASEGAWA KIYOSHI」
      個展  まきいまさるファインアーツ(東京)
2005-2010年 八尾スローアートショー
      (富山県八尾町) 
2008年 さくらびアートプロジェクト2008 
      (長野市立櫻ヶ岡中学校)
2013年 「とつぜんですが、さっきのつづき」
      個展  新宿眼下画廊(東京)
2013年 EASY POP ART SHOW 2013
      (福井県越前市)

websaite:http://hasegawakiyoshi.tabigeinin.com/index.html





MAXIMUM ART、無限とともに生きる

     2008年5月8日初版第1刷発行
     2013年10月1日web版発行(BCCKS)
     著者 ©長谷川清
発行所 Kiyoshi.Hasegawa出版 
  
 
                  長谷川 清

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