spine
jacket

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blur

YAVAii



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わたしであって、あなたでもあって。


だけど、

わたしでなければ、あなたでもない。


そんな女性たちの物語。

 

こ い び と

わたしの心や体は、あなたという人を知って、

どんなふうに、どれだけ、変わったんだろう。

 

 

 

 

hair & makeup: hiromi yui ( Surya http://www.hairmake-surya.com )

 

01

彼はミニスカートよりも、パンツスタイルが好きだと言った。
しかも思い切りタイトなやつ。
わたしは骨盤が張っているから嫌だと言った。
彼は、それくらいがちょうどいいと、いつも反論した。
脚が長いんだから、パンツにヒールがかっこいいよ、と。
付き合う相手が変わるたびに、わたしの服装は変わった。
もう、自分自身がどんな洋服が好きだったのか、思い出せないくらいに。

02

「そのままでもキレイだよ。」
夫は眉間に皺を寄せて、困った顔をしている。
早く出かけたいだけなのか、本心なのか、わたしにはわからない。
「もうちょっとで終わるから、待って。」
丁寧に2度目のマスカラを塗った。
「ねえ、そのままでもキレイだよ。」
苛立っているというよりも、本当に困っているようだった。
「え?」
「スッピンでもキレイだよ。」
夫は傷付いている?でもなんで?
わたしは何と返していいのかわからなくなって、黙ったまま、夫を見つめ返した。
夫は、明らかに傷付いた目をしている。
「なに?どうしたの?」
「そのままでもキレイだって、俺が言ってるの、嘘だと思ってるの?」
「え?」
「どうしていつも信じてくれないの?」
「え?」
「そのままの顔が好きなんだよ?どうしてわかろうとしてくれないの?」
突然そんなことを真顔で言われてわたしはたじろいだ。
夫はわたしの目をぐっと見つめてから、何も言わずにそっぽを向いてまた携帯をいじりだした。
「早くして。俺ずっと待ってるんだけど。」
いつもの夫だった。
今のは一体、何だったんだろう。
わたしはまたマスカラを手に取って鏡を覗き込んだ。
あれ?
わたしは何の為にお化粧をしているのだろう?
夫のため?自分のため?それとも?
わたしはしたくてしているのか、しなければいけないと思ってしているのか、
わからなくなっていた。
そんな風に目的を見失ったままなんとなく続けていることの多さに気付いて、ハッとした。

03

こわい夢を見て目が覚めた。
額にはうっすらと汗がにじんでいた。
枕元の携帯を手に取って時間を確かめた。
午前3時を過ぎた頃だった。
夫はまだ帰ってきていない。
今日も仕事で遅くなる、そんなメールが入っていた。
本当は違うこと、そんなこと、わかっていた。
夫にはオンナがいるのだ。
顔は知らない、名前はメールで見た。
名字だけで登録されたアドレス。番号はない。
夫とは高校生の頃から9年間付き合って、10年目に入籍した。
わたしは夫以外の男を知らない。
夫もきっとずっとそのはずだった。最近までは。
若くてキレイな女性を想像する。
わたしとは全く違うタイプの女性。
栗色の長い巻き髪、しっかりと整えられた顔。
ピンと張った白い肌、細くて長い脚。
真っ赤に染まったつま先。
よれよれになったコットンのパジャマに身を包んだこの体。
この体だって、本当はキレイなのに。
わたしの体だって、必要としてくれる人がいれば、輝くのに。
涙はもう枯れた。
もう、十分泣いた。
わたしはきっと言わない。
夫の携帯を見てしまったことも、オンナの存在に気付いていることも。
明日の朝にはお疲れさまって、疲れた笑顔で言えるはず。
わたしは絶対に離婚しないと決めたのだ。
結婚する時に、両親のようになるくらいなら結婚なんてしないって、決めたのだ。
わたしはこのまま若さを失いどんどん年老いていく。
美しさは、そんなものがそもそもあったのかさえわからないほど跡形もなく消えていくだろう。
それでもいいって、わたしは思う。
子どもたちの為に、わたしができることを果たせれば。
オトコは若さや美しさを追う生き物だ。
それが我慢できなかった母のようなオンナにはなりたくない。
目をつむったら、すぐに夜が明ける。
目をつむったら、すぐにすべてが過ぎ去る。
目をつむりさえすればいい。
それはとても簡単なことだった。

04

失恋をした。
死ぬほど好きだと思ってた人だった。
そんな人を失ってもわたしは死ななかった。
息もできないくらいに、悲しみに溺れた。
それでもわたしは死ななかった。
誰にも会わない日が続いた。
そんな失恋からも立ち直り、
わたしはまた一つ強くなったって、
また一つ賢くなったって、
笑った。

05

息子がやっと寝た。
夫が買ってきてくれたスタバのラテとシュガードーナツに手を伸ばした。
ラテはすっかり冷たくなっていた。
甘いものがどうしてもやめられなかった。
授乳中は甘いものを食べるなと言われても、欲求を、抑えることができなかった。
昔からずっと、疲れると甘いものが食べたくなった。
出産してその甘いもの好きに拍車がかかったようだった。
どんなに食べても満たされない。
それだけ与えているということなのかもしれない。
全部息子に吸い取られている気がした。
イヤホンを耳に突っ込んで、ミスチルを爆音で聴いた。
目を閉じて、身体を少しだけ揺らして。音にもたれてみた。
ここではない別の世界へ逃げ出す為に。
ドーナツを一口食べて、じゃりじゃりとした砂糖が口の中に散らばった。
深いため息をついた。
温かい手が、わたしの肩をつかんだ。
一瞬身体がこわばって、すぐに力が抜けた。
温かい手はわたしの肩を優しくマッサージしてくれた。
ゆっくりと、穏やかなリズムで。
涙目で振り向いた。
夫は笑っていた。
夫が何か言っている。
だけど、ミスチルが爆音で流れている。
目から涙がこぼれた。
夫は大きな手でその涙を拭った。
乾燥した皮膚が、ほっぺたの上でざらざらした。
嗚咽が漏れた。
わかっている、痛いくらいに。
夫が何を言ってくれているのか、どう思ってくれているのか、全部わかっている。
お風呂上がりのわたしを見ていつも、キレイだよ、と言ってくれた。
一度は減ったけど、また増えてしまった体重。
増え始めると、どこまでも増え続けてしまうんじゃないかと思うほどに増えていく。
髪の毛はごっそりと抜け落ちて、20歳は老けて見えた。
唇は乾燥して、ぼろぼろと皮が剥けた。
妊娠5ヶ月の頃と変わらないぽっこりと出たお腹と、
骨盤が開いたまま垂れたお尻。
おっぱいだけが不自然なほどに大きく固く膨らんでいた。
わたしの身体はもうわたしのものではなくなっていた。
そんなわたしに夫は毎日、キレイだよ、ありがとう、と言ってくれた。
その目を見れば、それが本心であることを容易に感じ取ることができた。
付き合い始めた頃と何も変わらない。
わたしを見ていることがとてもしあわせだと言っているようだった。
それがなければ、わたしはきっと押しつぶされてしまうだろう。
すがるような気持ちで、夫の温かい大きな手をぎゅっと握った。
夫の手を握ったまま、目を閉じた。
ありがとう、ありがとう。

06

「電気を消して。」
彼はめんどくさそうに起き上がって、ドアの横のスイッチを消した。
薄暗くなった部屋の中でわたしはぎこちなく身体の向きを変えた。
彼は何も言わずにわたしの首筋にキスをして、おっぱいに手を伸ばした。
ブラジャーのホックはあっけなく外されて、
気が付けばショーツも脱がされていた。
彼は息を荒げてわたしの膣を雑に触ってからすぐに挿入した。
重たい息が彼の口から漏れる。
タバコのにおいがした。
気持ち良さそうな顔をする彼はいつも目を閉じていた。
いつも何を見ているの?
その瞼の向こう側で、何を見ているの?
いつも目を閉じているから、わたしが静かに涙を流しても彼は気付かない。
電気を消して、なんて言わなくたって、彼はいつもわたしを見ていない。
それでも毎回、電気を消してとわたしは言った。
今度こそは、目を開けてくれるかもしれない、いつもそう期待してしまうから。
今度こそは、ねえ、わたしのことをちゃんと見てよ。

07

「あれ?なんか顔が変わったね。」
「え?」
「なんかした?」
「え??俺、ヒゲ剃ったんだけど。」
「あ、ほんとだ。」
「いやいや、3日くらい前に。剃ったんだけど。」
「全然気付かなかった、ごめん。」
「うそでしょ?」
「ううん、全然気付かなかった。」
「毎日会って話してるのに?本当に気付かなかったの?
顔の半分くらいが変わったのに気付かなかったの?」
「うん。」
「それさ、普通は逆なんじゃないの?男が気付かないものなんじゃないの?」
「ああ、そうだね。じゃあ、うちは逆だね!」
「なんかちょっとショックだなあ。」
「ごめん。」
「あんまり俺のこと見てないんだね。」
うつむく彼の顔をちょっとだけ見つめて考えてみた。
「それは違うよ。ちゃんと見てるよ。
ちゃんと見てるからこそ気付かなかった。
わたしはあんまり見た目に惑わされないんだよ。
感情の変化にはよく気付くでしょう?
ディテールじゃなくて全体性をいつも見てる。
明らかなものって見ていておもしろくなくない?
明らかなものには嘘が詰まってる。大体操作されてる。
無意識の中に真実が隠れてる。
見えないものの方が見たいと思うでしょう?
わたしはそういうものを見てるんだよ。
そういうものを大事にしてるの。」
彼は少し黙り込んでから、
「言ってることはわかるけど。。。
なんだかうまく誤摩化されているような気がするな。」
上目遣いで不満そうにしている彼にわたしはにっこりと笑いかけた。

08

「ねえ、わたし、芸能人で言うと誰に似てるかな?」
彼は雑誌から目をあげてわたしを見た。
「え?」
「わたしのこと誰かに似てると思ったことある?」
「ないよ。」
「うそ!ないの?わたし、よく誰かに似てるって言われるんだけど。」
「たとえば?」
「長澤まさみとか。」
「似てない。」
「松嶋菜々子とか。」
「似てない。」
「椎名林檎とか。」
「似てない。」
「石原さとみとか。」
「全然似てない。」
「吉高由里子とか。」
「あー、わからなくはないけど、似てない。」
「なるほど。」
「てゆかさ、今あげた人たち、相互にまったく似てないんだけど。」
「そうなんだよ。わたし、昔からどこにでもいそうな顔だねって言われてきたんだよ。」
彼は困ったように首を傾げた。
「おまえはおまえだからさ、誰にも似てなくて当たり前なんじゃないの?
他の誰かとして見たことなんてないから俺にはよくわからないんだけど。
みんなそうやって勝手なイメージを相手に押し付けるよね。
相手をちゃんと見ることがめんどくさいから、そうやってラベルを貼って、
頭の中で簡単に情報を処理できるようにするんだと思うよ。
まあ、遠回しにかわいいねって言われてる気がするから、俺としては嫌な気はしないけど。
でもあんまりそういうのに振り回されない方がいいし、意識しない方がいいよ。」
彼はまた何事もなかったかのように雑誌をパラパラとめくり始めた。
わたしの身体はちょっとだけ震えていた。

09

泣いて泣いて、泣きまくっている彼女を見ている。
目ん玉ごとこぼれ出してしまうんじゃないかと思うほど、泣いている。
声がかすれている。
背中がひどく震えている。
しゃがみ込んだまま動けなくなっている。
少しでも体重をシフトしようとすれば、
そのままアスファルトに崩れ落ちてしまいそうだった。
バラバラに。
壊れてしまいそうだった。
もうもとには戻れないくらい、バラバラに。
わたしは彼女に触れることができなかった。
ただ一緒に涙を流していた。
うずくまったまま身動きが取れなくなってしまったわたしたち。
ふたりの女を横目に、人は通り過ぎていく。
自分以外の誰かをこんなにも大切に思えるなんて。
自分以外の人間と、こんなにも一つになってしまえるなんて。
そして引きはがされてしまうなんて。
一度は一つになってしまったのに、別々に生きていかなくちゃいけないなんて。
どうすることもできないわたしは無力だった。
悔しくて悔しくて、わたしも彼女と一緒に泣いた。
いつか離ればなれになるとわかっていても、
こんなにもめちゃくちゃに傷付くとわかっていても、
どうしようもないくらい恋に落ちるんだね、わたしたち。
どんなに辛い失恋を経験したって、負けることはない。
また全力で恋に落ちるのだ。
その潔さがなんてキレイなんだろうと、
彼女の涙でぐちゃぐちゃになった顔を見ながら思った。
大丈夫、わたしたちはまた一緒に馬鹿みたいに笑えるよ。

10

友人の結婚式の為に、久しぶりにオシャレをした。
妊娠前よりも2キロほど増えたまま体重は戻っていなかった。
以前着ていたドレスは少しきつかったけれど、
新しいものを買う余裕などなくて、
前の日の夜はなんとか耐えて食事を抜き、
無理やり同じドレスを着た。
久しぶりのヘアサロンにドキドキしたし、
顔が赤らむほどワクワクしていた。
鏡に映ったわたしは、2年前と少しも変わらなかった。
懐かしい、わたしの姿がそこにはあって、
たった2年の間で自分が犠牲にしてきたものを想った。
胸が一瞬グンと重たくなったが、すぐにそれを掻き消した。
軽い足取りでヘアサロンを後にして、電車に乗って会場に向かった。
電車の中、駅のホーム、ホテルまでの道のり、至る所で男性の視線を感じた。
その感覚が懐かしかった。
息子と一緒にいる時は全くと言っていいほど、異性の視線を感じたことはなかった。
綺麗にお化粧をする余裕がなかったし、
いつもどろんこになって遊ぶ息子に汚されてもいいような服しか着なかったからかもしれない。
異性の視線を感じるたびに、気分が上がって、ときどき微笑み返したりした。
慌てて視線をそらす人や、驚いて目を丸くする人、
ぎこちなく笑みを返してくれる人、いろんな人がいて、
そのリアクションをわたしは楽しんだ。
友人の披露宴と二次会に出席し、懐かしい友人たちと再会した。
母親になってもまったく変わらないね、という声に励まされた。
新郎側の友人たちには子どもがいるようには見えないと言われて、
わたしはニヤニヤしてしまう自分を抑えることができなかった。
こんなに笑ったのはいつぶりだろう。
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、
息子がぐずって困っている、
息子がご飯を食べなくて困っている、
まだ帰ってこないの、
というメールを何回もよこしてきた夫のもとに急ぎ足で帰った。
その足取りは重たかった。
玄関のドアを開ける前から息子の泣き声が聞こえた。
わたしの鼓動は早くなった。
ドアを開けて急いで靴を脱ぎ、リビングに急いで行くと、
息子は子供用のサークルの中に入れられたまま柵に掴まり
顔を真っ赤にしてぎゃんぎゃん泣いていた。
わたしの顔を見ると両手を広げて抱っこをせがんだ。
胸がいっぱいになった。
急いで息子のもとに駆け寄って、抱き上げた。
罪悪感から脚が少しだけ震えた。
ごめんね、ごめんね、と何度も息子の頭に鼻をうずめて呟いた。
汗のにおいがした。
わたしは何をやっていたんだろう?
息子にこんな思いをさせておいて、調子に乗って浮かれていたなんて。
恥ずかしくて情けなくて、わたしも目頭が熱くなった。
息子はすぐに泣き止み、ほっぺに涙の粒を付けたまま
手に握りしめていた電車のおもちゃをわたしの目の前に持ち上げて
ぽっぽー!と、笑顔で話しかけてくれた。
「電車で遊んでたの?楽しそうだねえ。」
普段通りの明るい声で言った。
「もう全然言うこと聞かなくて俺疲れちゃったよ。」
振り向くと、自己啓発本を手にした夫が不機嫌そうにソファにふんぞり返っていた。
「そう、ありがとう。」
怒りで声が震えないようにした。
息子の前で喧嘩はしたくなかった。
「こんなに遅くなると思わなかった。俺、腹減ったんだけど。」
「ごめんね。急いで帰ってきたんだけど。今準備するからちょっと待っててね。」
わたしは息子を降ろし、ママご飯作るから遊んで待っててね、と息子に言った。
息子はまだ抱っこして欲しそうにしたが、
わたしが微笑みかけると状況を理解したのか、おもちゃ箱に向かって駆け出していった。
「今日は久しぶりにオシャレしてみんなにも褒められてすごく楽しかったよ。」
ドレスを脱いでしまう前に夫にもちゃんと見て欲しいと思った。
夫は読んでいた本を膝の上に置いて、わたしのことを黙って見つめた。
何か嫌な予感がした。
「何調子に乗ってるの?お前は母親なんだよ?」
ははは。そうだった。
もう笑うしかなかった。
言葉を返す力もなく、だけどわたしは肩を落とすわけでもなく、
何事もなかったかのようにくるりと背中を向けて寝室へと歩いていった。
夫もそれ以上何も言わなかった。
いつになったら「綺麗でいたい」という思いはなくなるのだろう?
そもそもわたしたちはどうしてそんな風に思うのか。
この思いを手放せない限り、わたしはきっとずっと楽にはなれない。
だけど、この思いが手放すべきものなのかどうかさえもわからなかった。

11

キスがしたい。
猛烈に、目の前にいるこの人と、キスがしたい。
今のわたし、どんな顔をしているんだろう。
彼の口元ばかり見てしまうわたしは、一体、
どんな顔をしているんだろう。

12

彼の口ひげに煮込みハンバーグのソースが付いていた。
いい大人が、そんなにがっついて食べるなんて。
わたしは彼の口ひげに付いたソースをしばらく見つめてから
途中でわたしの視線に気付いて疑問に思った彼の前で、
茶碗からご飯粒を一つつまみ出して、
自分のほっぺたに付けた。
「何やってんの?」
「これ?ホクロだよ。英語でbeauty spotって言うんだよ。」
彼は眉間に皺を寄せたまま、なんでやねんと、
エセ関西弁でわたしにツッコミを入れてからまた勢いよくご飯をかき込んだ。
今のなんでやねんは、
一体どの部分にツッコミを入れたものなのかわたしにはわからなかった。

13

好きな人ができた。
告白すると、彼は気まずそうに、俺ブスは嫌いなんだよねって言った。
死にたいと思った。
そんなことを言うくらいなら、彼に殺して欲しかった。

14

「でも、中学のときは結構やばかったよね?」
まただ、と思った。
彼女はおもしろそうにわたしの顔を覗き込んだ。
わたしは気まずくて目線を泳がせながらそうだね、と言った。
もうそれ以上話を膨らませるな、という思いを込めて。
彼もそのことに気付いたみたいだった。
それとなくフォローしてくれようとしているのがわかった。
「誰だって中学ん時はダサイでしょ。」
それでも彼女は譲らなかった。
「いやでも、ほんと今からは想像もできないくらいすごかったんだから!
中学の時はしのらーみたいな格好をしてて、
前髪パッツンでさ、マスコットみたいなのジャラジャラ付けて、
靴下も左右で違うの履いたりしてて、やばかった!
学校で超浮いてて、今だから笑えるよね!」
彼女は「ね」と、わたしに同意を求めてきたけど、
わたしは赤面する顔をさりげなく両手で包んで何も言えなかった。
彼女は明らかに彼の前でわたしの昔話をするのを楽しんでいる。
初めて会う相手の前で時々彼女はこういうことをした。
べつに彼に隠したかったわけじゃないけど、
付き合い始めたばかりの彼にこういう過去をまだ知られたくなかった。
もっと時間が経ってから、少しずつ知って欲しいと思っていた。
「もういいじゃん、その話ィ。」
わたしはなんとか笑いながら彼女を止めようとしたが、声が弱々しい。
「え?なんで?だってあの頃があっての今なんだから、
彼にも聞いてもらった方がいいって!ねー?」
今度は彼に同意を求めた。
彼はどう思っているのだろう?
わたしの親友だと紹介した人にこんなにいじられるわたしの姿を見て、
わたしに幻滅したりしていないだろうか。
彼は何も言わずに微笑みながら首を傾げていた。
「高校も同じところに行ったんだけど、
今度はそれじゃモテない!ってことになって、
急にギャルに転向!高校デビュー!
わたしもそれにはちょっと乗ったけど、
でも彼女ほどじゃなかったかな。
なにしろ今まで美白命だったのに急に日サロに行き出したからね!」
「でも、彼女実際にモテたでしょ?」
突然彼が口を開いた。その口調は落ち着いていた。
「え?あ、うん。まあ、確かにモテてたね。」
彼は満足そうに微笑んでまた口を閉ざした。
「もうほんとにわたしの話はいいよー。」
どうしてもっとスパッと言えないのだろうと自分に腹が立った。
こんな思いをするために彼に親友を紹介したんじゃない。
わたしは自分の過去を恨んだ。
「ごめんごめん、でも今はこんなにオシャレさんになったんだからいいじゃん。」
彼女はわたしの肩をペチっと控えめに叩いた。
「いや、っていうか、だからこそ今こんなにオシャレなんだと思うよ。」
戸惑うわたしの横で、しっかりとした口調で彼は言った。
突然大きな声で発言した彼にわたしも彼女も驚いて彼の方を見た。
「たくさん挑戦して、中途半端じゃなくて思い切り失敗もして、
恥ずかしいこともいっぱい経験して、そうやって人って洗練されていくからね。」
神だ。彼は神に違いない。
急に天から差してきた光が彼を照らし出した。
天使たちの歌声も微かだけど、わたしには聞こえた。
わたしは口をだらしなく開けたまま、彼に手を合わせたい衝動を抑えた。
「俺も中学んときはモテたくて、ヤンキーみたいな格好してて、
ほんとあり得ないくらいダサかったよ。
でも、ダサイなりに自分のこだわりはちゃんとあったし、
全部計算してやってた。日々進化してたし。
高校に上がって、東京に出て、オシャレな環境が整ってきて、
毎日原宿の辺りをうろうろするようになって、
でも金なんかないから、古着を買いまくったりして。
自分でTシャツ切ったり、デニムに穴あけたりしてた。
ボディピアスも恥ずかしいくらいあけたし、
髪型なんて毎月変えてた気がする。
ロンゲにパーマに金髪にボーズ。なんでもやった。
なんかあるんだよね、心に、そういう『乾き』みたいなのが。
でもそうやっていろいろ試していく中で、ちゃんと失敗から学ぶんだよね。
無難な格好ばっかりしてきた人って、やっぱりわかるよ。
恥ずかしい思いもしながら、本気でオシャレしてきた人もわかる。
だから、今の話聞いて、全然意外じゃなかったよ。」
今はアメカジとモードをバランス良く着こなしながら、
アートディレクターとして活躍しているオサレな彼だけど、
彼にも恥ずかしい格好をしていた時代があったのかあ。
「俺も最近すっかり落ち着いてきちゃったから、
やっぱり攻める気持ちを忘れちゃダメだなあって、
今の話を聞いて思ったよ。」
意地悪そうに彼は笑いながらわたしを見た。
「え?なにそれ?いいよ、やめてよ。」
わたしはまた赤面した。
でも恥ずかしくて赤面したんじゃない、嬉しくて赤面したのだ。
わたしも彼の言うように、今のまま落ち着いてしまってはダメだと思った。
おばあちゃんになっても、自分のスタイルを進化させ続けたい。
今わたしが選んで着ているものはきっと今のわたしにとても似合っている。
わたしの持っているいいところを引き立ててくれている。
だけど、年齢とともにわたしのいいところもどんどん変わっていく。
それに合わせて自分のスタイルもどんどん進化させていかないといけないのだ。
それに服装だけじゃない。
死にたいと思うほど恥ずかしい思いなんてたくさんしてきた。
そうやってたくさん恥ずかしい思いをしてきて、人って成長するんだよね。
恥ずかしいことなんてずっとなくならない。
生きている間はずっと未完成のまま。
なんなら、思い切り恥をかいて、思い切り笑いたい。
そういうことを理解してくれるこの人と一緒にいたい。

15

ありのままの自分を好きになってもらった方がいいに決まってるなんて。
そんなことくらいよくわかってるけど。
気が付けば痩せることばかりを考えていたり、
新しい下着や洋服を買ったり、新しい習い事を始めたり、部屋を掃除していたりする。
わたしは違う自分になりたくて、新しい恋をするのだろうか?
自分の好きな自分にならせてくれる人を、好きになるのだろうか?
ぐるぐるぐるぐると、ひとり考えていると。
結局いつも辿り着く、「ありのままの自分」って一体何なんだ?という問い。
わたしはそうやって、そう遠くない目標を見つけては、
それを自分のものにして、また次の目標を探していくのかもしれない。
そんな貪欲なわたしに結婚は似合わないのかもしれないけど。
きっといつか疲れるときもやってくるに違いないし、
このままの自分でずっといたいと思わせてくれる人と出会うことも、
きっとあるんだろうと、なんとなくそんなことを思った。

16

人は好意を持っている相手の真似をする習性があるって、
何かで読んだことがあったっけ。
あなたの好きな香水。
あなたの好きなたばこ。
あなたの好きな時計。
そういうのを真似したところで何になるの。
あなたと同じものを揃えることで、
あなたとの距離が縮まったような一体感を錯覚するけど。
同じだね、なんてちょっとした会話は生まれたりするけど。
あなたが選んだひとは、あなたの好きなものを何も知らない人だった。
香水も付けなければ、タバコも吸わない、わたしとは全然違うタイプの人だった。

17

「中学や高校で経験して学んだことは、
その人の人生の礎になると思うんだ。
たとえば、その人がクラスの中でどういうポジションにいたか、とか。
勉強への取り組み方とか、
困難にぶち当たったときにどういう対応をするか、とか。
その頃にできあがった「キャラ」みたいなものは、
一生、その人に付いて回ることになる。
だけど、それだけの重みを持って指導できる教育者が少ないということに、
大きな問題があると思うんだ。
教育する側でさえも誰が決めたのか、
なぜそう決めたのかさえもわからないような、
そんなあやふやなルールに従わせることだけに熱くなるような。
頭のいい子ほど、育てづらい子どもであるように、
先生やルールの限界を試すような挑戦的な子を
無理矢理押さえつけちゃいけないと思うんだ。
ルールはあっていい。
だけど、ルールがあるということは、
それをやぶる人が必ず出てくるということで、
正解があるということは、不正解があるということになる。
そういう本質的なことをまったく無視して、
何をやっているんだと言いたいんだ。」
熱く語る彼の横顔を見ながらわたしは中学生の頃、
高校生の頃の自分を思い返していた。
確かに、その頃わたしが最も感心を持っていたことに、
今も強い関心を持っている。
隠れて悪いことをする子もいたけど、
先生に堂々と歯向かっていったわたしは、
今もそういうストレートな姿勢で生きている。
大人になってからのわたしたちの性質は、
ちっとも意外じゃないのかもしれない。
どこかの時点で「デビュー」して劇的な変化を遂げた子でさえも、
そういう変化を生み出しそうな雰囲気を醸し出していたかもしれない。
そして、一番変わらないのは見た目だと思った。
自分の「見せ方」が、
その頃と何も変わっていないことに気が付いて驚いた。
着飾り方の基礎が、
その頃にすでに出来上がっていたのかもしれない。
メイクの仕方さえも、
使う化粧品のクオリティが上がっただけで、
その頃と何も変わっていないことに愕然とした。
今のこのわたしのスタイルは、本当にわたしに似合っているのだろうか?
どうしてそんな大事な時期に、
大人たちは押さえつけることだけにあんなに躍起になるのか。
どうしてもっと、
それぞれの個性を見つけたり欲求を満たしてあげたりしないのだろうか。
自分に認められなかった「自由」や「思いやり」を、
自分以外の誰かに認めたくないからなのだろうか。
それとも押さえつけられて教育されたものは、
他者を押さえつけることしかできないのだろうか。
どうしてもっと一人ひとりに合った生き方を見つけようとしてあげないのか。
「それじゃあ、大人になってどんなにキレイになりたいと思ったって、
中学高校の頃にすでに自分の方向性が決められているってことじゃん!」
突然強い口調で言ったわたしに彼は一瞬驚いてから
「そんなことを言っているわけじゃない。」
と冷たい口調で否定されてしまったことの矛盾にわたしは戸惑った。
学生時代にまったく違う「基礎」を築き上げていたら、
わたしは別の誰かと付き合っていたのだろうか。

18

好きな男の子ばっかりを追いかけていた昔の自分。
今思えば痛々しくて、無理をしていて、明らかに不格好だった。
毎日同じ人のとなりで目覚める今の方がわたしは輝いていると思う。
だけど、あの頃の揺れや迷いがなければ、絶対にここに辿り着いてはいない。
そのことは確信を持って言える。
経験が人を美しくしていくんだね。

19

朝目を覚ますと、彼がいつもわたしを見ていた。
笑顔で、わたしのことをいつも、見ていた。
「かわいい。」
朝の挨拶はいつも決まっていた。
嬉しいときもあれば、
恥ずかしいときもあった。
むっとして、何言ってんのって怒ったことも、きっとあったと思う。
寝起きの一番無防備なわたしを、彼はいつもかわいいと言ってくれた。
それなのにわたしは彼の過ちを許すことができなかった。
たった一度だけの過ちは、抱えきれないほど重たかった。
毎朝かわいいと言ってくれていたからこそ、許せなかったのかもしれない。
わたしたちはそのたった一言で繋がっていたのかもしれない。
彼がいなくなった今、わたしが思い出すのは、
毎朝聞いていた彼の「かわいい」という声。

20

「わたしにとっては、やっぱり彼なんだと思う。」
一言ひとことを確かめるようにゆっくりと彼女は言った。
わたしはずっと彼女のことを見てきた。
傷付いて何度も泣いている姿をずっと見てきた。
だから、とても心配だった。
「離れてみて気付いたの、やっぱり彼じゃなきゃダメなんだなって。」
ふたりの過去を思うと複雑だった。
でも、その辛い過去を経験した本人が決めたことなんだから
間違いないはずだった。
「そっか。」
わたしは笑ってみせた。
彼女は納得していないわたしの気持ちに気付いているみたいだった。
「今までいろいろ迷惑かけてきたね。」
彼女の声が震えている。
「だけど、わたし、彼のことが本当に好きなの。
だから、お腹の中の赤ちゃんと一緒に彼と生きていきたいの。」
わたしも喉元が熱くなるのを感じた。
「だから、祝福してくれたら、嬉しいな。」
絞り出した声はさっきよりも大分かすれていた。
必死に笑顔を作ろうとする彼女を見て、わたしは声をあげて泣いた。
「祝福するよ、当たり前だよ、おめでとう。」
「わたし、何があっても頑張るから。
お腹の中の赤ちゃんに誓ったから。大丈夫だよ。」
わたしは俯きながらなんとかうなずいてみせた。
「これからも迷惑かけるかもしれないけど、
頑張るから、ずっと友だちでいてね。」
彼女はわたしのことをぎゅっと抱きしめた。
わたしは抱えきれないほどのいろんな感情を
どう処理していいのかわからなくて彼女の腕の中で天を仰いだ。
「もちろんだよ。ずっと友だちだよ。」
花嫁姿、きっとすごくキレイだろうな。
そんなことをふと思った。

あ な た

わたしは、人が美しさを失っていくのを見たいんだ。

わたしは本当は、人が堕ちていくのを見たいんだ。

 

hair & makeup: chihoko kuriki ( BarL http://www.barl.jp )

01

ぐしゃぐしゃのシーツの上の携帯を探した。
待ち受けで時間を確認すると、待ち合わせまで30分もあった。
ちょっと遅れて行くくらいがかっこいい。
何日も前から何を着ていくか考えていた。
みんな、何を着ていくのか、気になっていた。
それとなくそんな話題をふってみたけど、
冗談を言ったり、いいねー!って同調したり、
だけど誰も断定なんてしてくれない。
スニーカーの方が明らかに踊りやすいし楽なのに。
それに関してはみんなそうだよね、って言ってくれたりはするけれど。
女たるもの、ヒールを脱いだら終わりだよね、なんて、
そっちの方向に話が自然と流れていく。
みんなの真意が見えなくて、息苦しくなる。
そもそもそんなことを気にしているわたしがおかしいのか。
「頑張りすぎ」はかっこ悪い。
彼女はいつも言っていた。
わたしは頑張りすぎだ、って。
「頑張りすぎ」って何よ?
今日のこのコーディネイトも頑張りすぎ、なの?
わたしは電車に飛び乗った。
ドアが締まりかけていた。それでもわたしは構わないと思った。
ヒールが、不自然なリズムを駅のホームに叩き付ける。
泥酔したサラリーマンが床に横たわっていた。
人混みの中、そこだけぽっかりと穴が空いたみたいに、
みんなが避けるみたいにして乗っていた。
わたしはそのサラリーマンを睨みつけた。
スーツを着ているだけで彼がサラリーマンだと、わたしは決めつけた。
車内の蛍光灯が眩しくて、くらくらした。
電車の窓越し、夜の街に映るわたし。
ショーパンを穿いた脚を見て、太いと思った。
こんな格好するんじゃなかった。
若い男と目が合った。
わたしは、一体誰になりたいのだろう。
わたしは一体、誰に認めて欲しいのだろう。

02

終電近い上り電車。
ほとんど人は乗っていない。
服装に気合いの入った男が二人、大きな声で話している。
これから踊りにでも行くのだろうか。
一夜限りの恋に華を咲かせるのだろうか。
開いた扉からパンクなのかギャルなのかもうその境界がわからない女の子が乗ってきた。
男たちは彼女の姿を目で捉えて笑った。
感じのいい笑いではないことは明らかだった。
男たちは既に酔っていたのかもしれない。
彼女は男達の真向かいにドスンと座ると、ヴィトンのバッグから大きな鏡と化粧ポーチを取り出した。
彼女の行動の一つひとつに反応してはコソコソと何かを言って笑う男たち。
それも大げさに体を揺らしたり、通路に突き出した脚をバタバタさせながら。
彼女はそのことに気付いているのか、目線を交わしながら得意気に化粧をする。
バッグからコテを取り出して、髪を巻き始めた。
彼女が脚を組み替えると男たちの笑い声は一層大きくなった。
その太くて短い脚は、不器用に縺れているように見えた。
彼女は自分が馬鹿にされていることに気付いていないのだろうか。
ずっとうっすらと笑みを浮かべている。
化粧を終え、颯爽と電車を降りようとした彼女に右側の男が言った。
「お姉さん、パンツ丸見えですよー」
彼女は振り返ることなくピンヒールをカツカツと鳴らせて降りていった。
小さな子どもがママのハイヒールを履いているみたい。
その姿はあまりにも無理をしているように見えた。
「あいつすっげーブス、やばくね?」
「調子に乗っててマジきもい。」
彼女が去った車内で男たちの声が響いた。
お前らだって一緒じゃないか、とわたしは思った。
お前らだって、別の誰かになりすまして、
そんな自分に酔ってるじゃないか。
わたしは心の中で何度も彼女を抱きしめた。
わたしだって何も変わらない。
彼女は、わたしなのだ。

03

少し早めに仕事を切り上げて、巻き直した髪を手でほぐす。
買ったばかりのYSLの新作リップを塗って足早に会社のトイレを出た。
奮発して買ったルブタンのヒールの音にテンションが上がる。
エレベーターホールで同じ課の先輩に遭遇した。
36歳、独身、彼女いない歴5年。
普段は地味で大人しい方だが、お酒が入ると饒舌になり、説教くさかった。
お疲れさまでーす、といつもの調子で軽く頭を下げた。
エレベーターはすぐに来そうにない。
「あれ?デート?」
「えー?違いますよー!」
めんどくさいことにならないようにかわそうと思った。
「今日はなんかバブルだねー。今日そんな格好してたっけ?」
うそでしょ、わたしの服装いちいちチェックしてるの?
てゆか、バブルの時、わたしまだ生まれたばっかだし。
とは言わず、困った感じで笑ってみせた。
「今流行りの女子会ですよ!」
笑いを取ろうとする癖がついていた。
「はやく帰れていいなー俺も仕事やる気しねー。」
彼の手元に目を落とすと、一階にあるファミマ!の袋を下げていた。
中からお弁当とヘルシアが2本、ちらりと覗いていた。
なんだか悲しくなった。
この人はきっと3食こんなものばっかり食べて、
気休めにヘルシアなんか飲んで、
馬車馬のように働かされて死んでいくのかもしれない。
「いつも遅くまでお疲れさまです。」
わたしが悲しい顔をして言うと、
彼の顔が一瞬引きつったのがわかった。
おつかれ、とそっけなく言ってからくるりと背を向けて行ってしまった。
やっと来たエレベーターの中には人がぎゅうぎゅうに詰まっていて、
すいませーん、と言いながらむりやり乗り込むと、
いろんな香水のにおいが混ざり合っていて気分が悪くなった。
みんなが待つオーガニックレストランに遅れて到着すると
かわいいー!というみんなの声に出迎えられた。
わたしの着ているものを上から下までチェックしてから、
すごくいいね!似合ってる!とお褒めの言葉をいただいた。
お店の人におすすめを聞いて、適当に注文を済ませると、
みんな一気に話し始めた。
挨拶代わりにまずはお互いの服装の話題から。
「そのネイビーのタイトスカート超かわいいー!どこのー?」
「これー?H&Mだよー!」
「うそー!見えなーい!」
「¥890円だったー!やばくない!?即買いだよね!」
「そのニットとすごく合ってるー!」
「これはsnidel!」
「かわいいー!」
「でもさっき会社の先輩にバブルだねとか言われたー!」
「マジー?バブルってなに?」
「ボディコン?マハラジャ?」
「ソバージュだっけ?」
「ウケるー!」
「てゆかセクハラー!」
「わたしなんかこの髪型マッシュルームだね、ってオツボネに言われたー!」
「マッシュルームってゆか、マッチ棒でしょ!」
「わたしもこの間A.P.Cのジャンパースカート穿いていったら、エプロンみたいって言われた!」
「エプロン!ウケるー!」
「わたしもこの間G.V.G.V.のサルエルパンツ穿いていったら、おむつみたいって言われたー!」
「なにそれ!マジウケる!」
「でもわたしなんか、ACNEのシルバーのカットソー着ていったら宇宙服って言われたー!」
「うわ、ダサ!みんなたとえのセンスなさすぎー!」
「てゆかみんな服装がダサすぎでしょ!だからあんなに人生つまんなそうなんじゃない?」
「はやく結婚したーい!」
「わたしもー!」
「はやく結婚して仕事辞めて、子どもとオシャレして暮らしたい!」
「それ超やばいね!」
「ね、マジやばいよね!」
意味なんかなくていい。
いちいち意味なんか求めない。
この生きづらい時代の中で、考えても考えても落ちていくだけ。
なんにも考えないで、笑い合える友だちは最高だ。
貯金もしない。稼いだ分だけ、全部使う。
いつ死ぬかわからないのに、なぜ欲しいものを我慢しなければならない?
「もしもの時」なんて一生訪れないかもしれない。
そんな時のために備えて、どこかの誰かに「若いのにしっかりしているね」なんて言われなくていい。
にっちもさっちもいかなくなったら、死ねばいい。
オシャレして、おいしいもの食べて、笑う。
わたしたちはこれがあるから、時々長いトンネルの中に迷い込んでも、なんとか生きていけるのだ。
言ったこと、言われたこと、全部その場しのぎで構わない。
すぐに忘れてしまったって、その場が楽しければ、それで構わない。

04

「ねえ、美とか若さに執着するから支配されるんだよ?わかってる?」
母はキョトンとした顔でわたしを見ている。
彼女の年齢にはあまりにも不釣り合いな安っぽい若者向けのワンピース。
わたしの言っていることがわかったのか、母はわかってるわよ、と笑った。
「わかってないよ。いつもそうじゃん。
どうして若作りしようとするの?見ていて気持ち悪いんだけど。」
激しい感情が込み上げてくるのを感じた。
「どうしてもっと年相応の格好をしてくれないの?
みっともないと思わないの?」
母の表情が硬くなった。少し苛立っている?
それでもわたしは自分を止めることができなかった。
「ほんと恥ずかしいんだけど。
お母さんがお店を出た後、店員同士で何て言ってるかわかってるの?
あのおばさんいい年してウケるよね、って、そう言われてるんだよ。
試着してる時に、よくお似合いですよ、
いくつになってもオシャレでいいですね、なんて言ってたって、
本当は馬鹿にしてるんだよ?
若い人と違って、
ちょっと褒めればすぐ調子に乗って買ってくれるからいいカモだって、
そう思われてるんだよ?そんなのみじめだと思わないの?」
自分の中にこんなにも激しい感情が詰まっていたことに自分でも驚いた。
感情は、いつだって、知らない間に積もっていく。
母はまだワンピースを手に持ったままわたしをじっと見ていた。
「ねえ、あなた。
お母さんが若作りの為にこういう格好をしてると思ってるの?」
母は慎重な口調でゆっくりとそう言った。
わたしの瞼は熱く火照っていた。
「どうして、他の人の考えてることがわかるの?」
わたしは母のことを見つめ返しながら何も言えずにいた。
ピントがずれたみたいに視界がぼやけた。
「お母さんは、全然気にならないわよ。」
わたしは母に何と言いたかったんだろう。
何を伝えたかったんだろう。
いつの間にか、自分のコンプレックスが違う何かにすり替わっていた。
「好きだから、こういう格好をしているのよ。」
母は優しく微笑んだ。
「どんな格好をしたっていいじゃない。
わたしの人生なんだからほっといてちょうだい。」
冗談っぽい口調で言ってから、母はさっと店内を見回した。
平置きのカットソーを手際良く畳み直している店員がひとり、
こちらの方をチラッと見て、またすぐに目をそらした。
「あなたもちょっと彼に執着しすぎなんじゃないの?
逃げられるわよ。」
母は笑いながら手に持っていたワンピースをラックに戻して、
行くわよ、と足早にお店を出て行った。
確かにそうだった。
母の年齢になったことのないわたしに、
彼女の気持ちなんてわかるはずもないのだ。
それは、さっきわたしたちの様子を伺っていた店員だってそうだ。
彼女の気持ちがわたしにはわからないように、
彼女もまた母の気持ちなんてわからないのだ。

05

すっげーデブ。
デブからはデブ税を徴収するべきだ。
デブは電車代やバス代を多く払うべきだ。
それだけ幅を取っているのだから。
邪魔だ、と苛立ちながら隣りの太った女を睨みつけた。
その肉が邪魔だ。
電車の中で菓子パンなんか食うんじゃねえ。
よくこんなに太っていて、人前に出れるな。
わたしだったら20キロ痩せるまで、引きこもる。
こんなに太っていたら、生きていけない。
女を蹴り飛ばしたい衝動を抑えながら、最寄り駅で降りた。
家の近くのコンビニでスナック菓子やチョコレートを買い込んだ。
気が付けば、それがすっかり日課になっていた。
家に着くと、バッグを玄関に放り出して、
コンビニの袋だけを持ってそのまま部屋の中へ入っていった。
わたしはビニールの袋からポテトチップスの袋を選び取り、
手を洗わずにそのまま袋を開けて、一枚口に放り込んだ。
コンソメの味が口一杯に広がって美味しかった。
美味しすぎて、なんだか胸のあたりが苦しくなった。
わたしは次から次へとポテトチップスを口に運んだ。
休みなく動く手を止めることができなかった。
わたしの手は、わたしの意志とは全く違うところで動いているようだった。
あと一枚。もう一枚だけ。次の一枚で最後。
そう思いながら一袋食べ切ってしまった。
水分補給も忘れなかった。
しょっぱいものの次は甘いものが食べたくなった。
買ってきたきのこの山の箱を開けた。
一つ、また一つと、わたしの口の中にきのこ形のチョコレートが消えていく。
そのスピードは徐々に加速していき、しまいには、一度に三つも口の中に放り込んでいた。
やめなきゃと思いながらも、気が付けばきのこの山の箱は空になっていた。
本当に空になったことを確かめる為に箱を何度か降った。
時々袋の奥の方に欠けたきのこの破片が残っていたりするのだ。
箱の中は本当に空だった。
わたしはあっという間にポテトチップス一袋ときのこの山一箱を一食べてしまった。
体中を重たい罪悪感が駆け巡った。
胃のあたりが苦しいのは食べ過ぎてしまったからなのか。
わたしはなんてことをしてしまったんだ。
慌ててカロリー計算を始める。
朝食に食べた菓子パン450kcal、ランチに食べたパスタ800kcal、
おやつの時間に食べたドーナツ350kcal。
すでに2500キロカロリーくらいに達している。
わたしは明らかに苛立っていた。
気が付くと、コンビニの袋に手を伸ばして、残りのお菓子の袋も開けていた。
わたしは無心でお菓子を食べた。
今日食べた分、明日何も食べなければいい。
お腹が膨れ上がって、スカートのウエストがきつかった。
ウエストのきつさにまた腹が立った。
スカートを引き千切ってしまいたかった。
どうしてこんなにも思い通りにならないことばかりなのか。
怒りが込み上げる。
怒りが込み上げて、膨れ上がって、破裂しそうだった。
買ってきた2Lの水のペットボトルを持ち上げて勢いよく飲み込んだ。
さらにお腹が膨れていく。
苦しかった。
それでも水を流し込む。
ぶくぶくと音を立ててわたしの身体の中に水は流れ込んでいく。
流し込み終わってから、部屋の中をうろうろした。
空になったお菓子の箱や袋が床に散らばっていた。
わたしは本当に、一体、何をしているのだろう?
慌ててトイレに駆け込んで、指を喉の奥に突っ込んだ。
さっき飲んだ水が勢いよく口から吹き出した。
わたしは焦った。さっき食べたお菓子はどうして出てこない?
同じ指をまた乱暴に喉の奥に押し込んだ。
今度はどろどろになった黄色っぽい物体が口から吹き出した。
便器の中に広がる吐瀉物を見て、こんなものじゃないはずだと思った。
わたしがさっき食べた量はもっと多いはずだ。
わたしは声を出して泣いていた。
泣きながら必死で頭を便器の中に突っ込んで吐いた。
体の中でぐちゃぐちゃになったお菓子、涙、叫び。全部便器の中にぶち込んだ。
明日もまたあいつとランチに行かなければいけないのだろう。
胸や尻をじろじろと見られて、肩や手を触られる。
わたしたちの出会いは運命だと、また繰り返し言われるのだろう。
今度また飲みに行こうよと、そうじゃないと契約を更新できないよ、と。
そしてわたしはいつもの笑みを顔に貼り付けたまま冗談めかして困ったフリをするのだろう。
あの男の意地悪な笑みが瞼の裏にべっとりとくっついて離れない。
この涙が、瞼の裏のあいつも全部、洗い流してくれたらいいのに。
わたしは自分のことが嫌いで嫌いで、しょうがなかった。

06

さっきから彼女の食べる様子を見ているが、
全然食事が進んでいないように思えた。
全く食べていないのだ。
「わたしひとりですごいしゃべっちゃってるけど、
全然気にしないで食べてね。」
冗談っぽく言った。
彼女は軽く笑いながら、食べてるよー、と答えた。
いやいや、さっきからずっと見てるけど、食べてないでしょうよ。
わたしの話を熱心に聞くふりをして、
ただ食べないようにしているだけでしょうよ。
彼女の骨張った指先に目を落とした。
「また痩せたんじゃない?ちゃんと食べないとダメだよー。」
わたしはちょっと心配したように言った。
「そうかな?いつもちゃんと食べてるよ。3食ちゃんと。」
彼女は不思議そうだった。とぼけいているのだ。
「ほら、だって、全然進んでないじゃん。」
彼女のお皿に目を落として言う。
「ああ。実は今朝、食べ過ぎちゃって。」
今の会話をもしメールでやりとりしていたら間違いなく、
「てへぺろ」という絵文字が使われそうな調子で彼女は言った。
そんなわけないじゃん、と思った。
そんなに言うほど食べていて、そんなに細くいられるわけがない。
わたしは何一つ残さず、お皿の上の食事を全て食べ切った。
それを見て、心の中にボッと一瞬炎が灯ったようだった。
「わたしなんかもう全部食べちゃったよーあー美味しかったー!」
わたしは彼女の目にどううつっているのだろう?
だから太るんだよ、と思われているのだろうか?
「うん、おいしかったね。」
と言って彼女はナイフとフォークを行儀よく揃えてお皿の上に置いた。
またか、とわたしは思った。
彼女はまたお皿の上のお肉を半分以上残していた。
何もしていないと言いながらも、
体重を気にしてこうやって誤摩化しながら食事を残しているのだ。
それなら正直に言ってくれた方がまだいいのに。
どうして何も言ってくれない?
わたしはそんなにも信頼に値しないのだろうか?
わたしと彼女は、所詮わかりあえないのだろうか。

07

5:30pm頃、女子トイレは大変混雑する。
プシューとスプレーの音が聞こえ、
色んな香水やらデオドラントのにおいが混ざり、
人工的な香りのカーニバルと化する。
個室はなかなか空かない。
中で着替えでもしているのだろうか。
それとも仮眠を取っているのだろうか。
自宅からコテを持ってきて髪の毛を巻いている人もいる。
楽しそうな会話が聞こえてくる。
誰かの買ったばかりのスカートが注目の的になっている。
新作のリップグロスについて盛り上がっている。
誰かがほうれい線の消し方について熱弁している。
わたしはその中にはいない。
わたしには仲の良い同僚はいない。
男の為じゃない、自分の為でもない、
女は社交する為にオシャレをするのだ。

08

仕事を通してたまたま再会した中学時代の同級生。
彼女の何が変わって、何が変わっていないのだろう。
彼女とわたしは同じグループには属していなかったけど、
時々話すことがあって、その度に普段あまり口にしないような
心の奥にしまっているようなことを話し合った。
好きな人のことや、親のこと、進路のこと。
深い話を交わした後、もと居た場所に、お互いに戻っていくような。
「友だち」と呼ぶには、淡白過ぎた。
だけど、他の誰にも言えないようなことも、話し合った。
そんな名前もないような関係だった。
「人は、絶対に見た目で人を判断するし、
見た目から作り出されたイメージを覆すのはとても難しい、と思い知ったの。
わたしが実際にどういう人間かということはどうでもよくて、
みんながわたしをどう思いたいかがすべてなんだって。
だったら、おもしろい方がいいじゃん。
地味で普通なやつよりも、過激な印象を残したいじゃん。」
剃り落された眉毛、太いアイライン、刈り上げた頭。
ボディピアスにタトゥー。
その下にも彼女の面影は残っていた。
ちゃんと見れば、彼女は中学生の頃から何も変わっていないように見えた。
彼女は一番モテるグループに属していて、
その白人のような白い肌と大きな目がとても印象的だった。
わたしは一番地味でインテリなグループに属していて、
スカートの丈も長くて、まったく目立たない存在だった。
そんな彼女は今タトゥーアーティスト兼作家になり、
わたしはファッションエディターになっていた。
「おもしろいことに、学生時代の友だちは誰もわたしだと気付かないんだよ。」
詰まらなさそうにまだ吸い始めたばかりのタバコを灰皿に押し付けた。
目の輝きは今も残っている。
「いつからそんな風に思うようになったの?」
「ずっと思ってたよ。だけど、実際に行動にうつそうと思ったのは、
大学を卒業して社会人を半年間経験してからかな。
なんか、全部がめんどくさくなっちゃって。
人がわたしに期待するキャラに応えるのが。
大学で哲学なんか勉強しちゃったからかもしれないけど。
わたしが誰でもないんだとしたら、
とんでもないくらいつかみどころのないやつになってやろうと思ったの。」
明るく笑った口元から、懐かしい八重歯がちらりと覗いた。
わたしはちっとも意外だと思わなかった。
彼女はきっとずっとこういう人だった。
彼女の外見が、彼女の内面にやっと追いついただけのことだと思った。
外見と内面はいつも、互いにバランスを取り合っている。
どっちかに手を加えれば、もう一方もまた、一緒に傾きを変える。

09

美人はおとなしく、誰かの飾りのように控えめに微笑んでいればいい。
圧倒的に美しいだけでいいではないか、そんな声がいつも聞こえてきた。
大人になる過程で、謙遜して自分の身を守るということを学んだ。
「馬鹿なキャラ」をつくり、生きてきた。
目立つようなことはしない、人前に出たりもしない。
譲れるところは譲った。
早々に結婚してひとのものになった。
特別かっこいいわけでも仕事ができるわけでもない、普通の人と。
つまはじきにされないように。
ひとりぼっちに、ならないように。
どうしてわたしたちは、クローンのように、みんな同じじゃいけないのだろうか?
みんな同じだったら、こんなにも寂しい想いをしなくてよかったのに。
みんな見た目が同じだったら、中身だけを見てもらえたのに。
でもみんな、見た目が同じじゃないんだから、
そこにはきっとそれなりの理由があるのかもしれない。

10

誰かのために強くなれる彼女がうらやましかった。
どんなに苦しそうに見えても、うらやましいと思った。
体重が増えてしまったこととか、
体調が悪くてイライラが絶えないこととか、
肌荒れがひどくなってしまったこととか、
寝不足からひどい鬱に悩まされていることとか、
どんなにつらいつらいと嘆いていても、
守らなくちゃいけない小さな命のために、
しっかりしなくちゃ、大人にならなくちゃって、
必死でもがく彼女の姿が、
眩しくてしょうがなかった。

11

「ねえ、これマジでやばくない?」
彼女はスマホの画面を勢いよくわたしに突き出してきた。
わたしは彼女のとっさの行動に一瞬驚いてからゆっくりと画面に目を落とした。
有名なアイドルのビフォア/アフターの写真が映っていた。
ネットに大量に出回っている整形証拠写真だ。
「この人も整形してたんだねえ。」
とわたしは抑揚のない調子で言った。
「当たり前じゃん、芸能人なんて整形してない人はいないんだよ?」
「そうなの?」
「そうだよ!9割くらいの人が整形してるらしいよ。やばくない?」
わたしは何がやばいのかさっぱりわからなかったが、
うん、と短く答えてから既に氷だけになっていたアイスコーヒーをすすった。
綺麗になりたいという思いはわたしも持っていた。
だけど、ほとんどの人は後戻りができないことや、
周りの人にどう思われるかということを気にしたり、
未知のものに対する恐怖心から実際に整形まで踏み出すことは稀だった。
彼女たちだって、同じような不安や恐怖を抱えているはずだ。
彼女たちは自らの意思で整形しているわけではないような気がしていた。
それは「商品価値」を上げる為に、周りが決める「戦略」ではないのか。
彼女たちは自分の体を捧げているのだ。
「自分だけのための自分」でいることを諦めているのだ。
アイドルや女優やモデルは、わたしたちの欲望を形にしている商品だ。
彼女たち自身とは何の関係もない。
わたしたちが望むものを彼女たちが代わりにやってくれている。
わたしたちが見たいものをいつも見せてくれている。
やばいのは彼女たちじゃなくて、
自分の欲望に気付いてもいないわたしたちのような気がした。

12

お揃いで道連れ。
みんな同じような格好をして、
ちょっと新しいことに挑戦している子がいれば
みんなで取り締まったり、追いかけてみたり。
わたしよりかわいくなることなんて許さない。
わたしよりチヤホヤされることなんて許さない。

13

彼女がトイレに行くと言って席を外すと、
となりの席に座っていた別の友人がわたしの方に身を乗り出して小声で言った。
「絶対に吐きに行ったんだと思わない?」
わたしは興味なさそうに、え?と聞き返した。
「だってさ、怪しくない?
さっきからわたしたちなんかよりも全然食べてる。
なのにどうして彼女あんなに細いわけ?
自分は大食いだってアピールしてたけど、
なにそれ、自慢?ってかんじ。
それにトイレに行く回数だって多いし、
タイミングもなんか怪しい。」
彼女はわたしの目を覗き込みながら、
わたしたちは共犯よね?と言いたげだった。
「下痢でもしてんじゃない?」
わたしは自分で言って自分で笑ってしまった。
笑いをこらえようとして鼻の穴がふくらんだ。
彼女の表情はこわばった。
「ごめん。でもさ、上からだとは限らなくない?」
笑いが止まらなくてわたしは小刻みに震えた。
彼女は馬鹿にされたと思ったのか、険しい表情をしたまま何も言わなかった。
向いの席の友だちがトイレから戻ってくると、
今度はわたしがトイレに行くと言って席を離れた。
わたしは一番奥の個室に入ると
慣れた手つきで指を勢いよく喉の奥の方に突っ込んだ。
小さな吐き気が何度か込み上げてからさっき食べたものが勢いよく溢れ出た。
岡本太郎は、「芸術は爆発だ」と言った。
わたしに言わせたら、「美も爆発」なのだ。
痛みの伴わない美しさなんてこの世に存在しない。
食べたものを吐いているからなんだ?
自分の体を痛め付けてまで細身でいたいと思うこの情熱だって
美しいじゃないか、とわたしは思った。
わたしはわたしのやり方で、わたしの欲しいものを手に入れる。
自分を痛め付ける勇気もないくせに
自分の容姿についてあーだこーだと文句を言うやつよりはマシだと思った。

14

家の近くの公園で咲いている花や雑草を紡ぎ合わせて娘が作った花かんむり。
葉っぱや茎が折れてしまっているところがあったり、
無理に差し込んだ花がプラプラと揺れて今にも落ちそうだった。
彼女は、沈んでゆく太陽を背に、満面の笑みでそれをわたしに差し出した。
誇らしい、彼女らしい、笑顔だった。
夜のにおいを運んできた風は、まだ細くて幼い娘の髪をもてあそんだ。
なぜだろう、わたしの整った花かんむりよりも圧倒的に綺麗だと思った。
わたしが作ったものを娘にかぶせてあげようとした手からは自然と力が抜けて、
ゆっくりと膝の上まで降りて止まった。
少しだけ息苦しくて、意図して笑顔を作った。
彼女は自分がつくった花かんむりをわたしの頭にそっと乗せてくれた。
わたしは、お姫様になった。
ママかわいい、って笑ってくれた。
その彼女の何気なくてだけど正直な一言が、
彼女のその飾らない命の輝きが、わたしをお姫様にしてくれた。
わたしたちは大人になる過程でたくさんのものを失っていく。
それがいいとか悪いとかじゃなくて、
大人になる過程で守り切ることのできなかったものってある。
そういうものを、彼女はいつも思い出させてくれる。
彼女を通して、また手にすることができた。
わたしは彼女のこのきらめきを、一体どれだけ、守ってあげることができるのだろう。

15

おっぱいが大きいという理由だけでからかわれる彼女が気の毒だった。
人よりも早く生理になったという理由だけでからかわれる彼女も気の毒だった。
みんなはやく大人になりたくて、みんなはやく男を知りたくて、
ヒリヒリした痛みを心に抱えていた。
制服の白いブラウスから覗く真っ赤なブラジャーを身につけた彼女が痛々しかった。
好きでもない男に処女を捧げて勝ち誇ったように言いふらす彼女が痛々しかった。
あの頃抱えていた、飲み込まれてしまいそうな孤独。
わたしたちは、芸能人だったり身近な先輩なんかを崇めて、
わたしたちだけの「共通の神」をつくりあげて、その寂しさを埋めていたのかもしれない。
その年代にだけ許された、ギラギラと強すぎる輝きを放つ、「生きたい」という想い。

16

好きな人が、木村カエラが好きだった。
似ても似つかないわたしだってこと、わかってたけど、
木村カエラになりたいと思った。
顔から火が噴きそうなほど恥ずかしかったけど、
美容室に行って木村カエラにしてくださいって言ってみた。
男性じゃなくて、女性の美容師さんを選んだ。
冷静を装ってくれてたんだと思う。
それでも彼女の戸惑いが少しだけ伝わってきた。
わたしの長くて太い髪の毛の束をいじりながら悩んでいるようだった。
顔周りの髪の毛をいじりながら、真剣な目付きでわたしの顔を見ていた。
恥ずかしくてうつむくわたしに、ちょっと上向いてもらってもいいかな?とやわらかい声で言った。
わたしの髪質や顔の形についてできるだけトゲのないように言葉を選びながら説明してくれた。
そしてできるだけ木村カエラに近づけるためにどうするかということも丁寧に説明してくれた。
わたしはなんでもいいから、任せるから、はやくしてほしいと思ったことを覚えている。
恥ずかしさから、彼女との会話はあまり弾まなかった。
目を合わせたがらないわたしを気遣って、彼女も必要以上にわたしに話しかけないようにしてくれた。
それでも時々目が合うと、にっこりと笑いかけてくれた。
髪の毛の長い、とても華奢な人だった。小柄だけど、芯の強そうな印象を受けた。
はきはきと歯切れよく、だけどうるさくないその穏やかな話し方が好きだと思った。
「木村カエラちゃんが好きなの?」
わたしはドキっとして鏡越しに彼女のことを見た。
「好きっていうか、なんていうか。。」
わたしが返答に困っていると、何かを察してくれたように、そうなんだ、と話を切り上げてくれた。
わたしはそれからも何も話さなかった。
肩よりも髪の毛を短くしたことなんてなかったし、髪の毛の色も自然な茶色にしかしたことがなかった。
金髪のメッシュなんて入れたことなくて、ドキドキした。
彼女に手を入れてもらってどんどん変わっていくわたしが鏡に写し出されていた。
変わっていく自分を見れば見るほど居心地の悪さがわたしを襲った。
はやくもわたしは後悔していた。
やっぱりやめます!元に戻してください!と言って帰りたいと思った。
仕上がりに対して暗い顔をしたわたしを見て、彼女はちょっと悲しそうな顔をした。
セットの仕方を説明してくれたけど、わたしの耳に彼女の声は届かなかった。
とにかく早く帰りたい、ずっとそれだけを思っていた。
次の日、学校に行くと、みんなわたしの新しい髪型を見て驚いた。
そしてわたしの予想に反して、ものすごくかわいいと褒められた。
誰も木村カエラだとは思わなかったけど、かえってそれがよかった。
わたしは圧倒された。こんなことって本当にあるんだと思った。
そのうち自分でいろいろと工夫しながら、
その髪型を活かすにはどうしたらいいだろう、と、
木村カエラを参考にしながらファッションやメイクも少しずつ変えていった。
気が付けばわたしはその美容師さんのもとに通うようになっていた。
少しずつ会話もできるようになって、
彼女もわたしに正直にできることとできないことを話してくれるようになった。
毎回仕上がりを楽しみにした。
相変わらず木村カエラを意識していたけど、
仕上がりはいつも木村カエラではなかった。
髪を切るたびに新しい自分に出会うことができた。
わたしが要求したものをいつもわたしに合うようにさりげなくアレンジしてくれていたこと、
途中からちゃんと気付いていた。
いつも良い意味で予想を裏切ってくれた。
そんなわたしに恋人ができた。
木村カエラが好きな彼ではなかった。
いつしか木村カエラがわたしの中で必要なくなっていた。
でもすべては真似をするところから始まった。
きっとそれは、恥ずかしいことでも身の程知らずってわけでもなくて。
オリジナリティなんて、真似していくことの中で見えてくるものなのかもしれない。
あの恥ずかしさに負けていたら、今のわたしはきっとなかった。

17

「ほんとに目が大きくていいよね。外人みたい。」
彼女の瞼の皮膚の薄さ、束になってバッサリと生えている睫毛を見ながら言った。
「ね、ほんとに目デカイよね。ゴミとか入りやすくない?」
意図していないトゲを、和らげようとして言ってくれたのかもしれない。
「そうかな?自分だとあんまりわかんないんだけど。
他の顔になったことないし。」
わたしがもし同じことを言われたら、どんな風に答えるのだろう。
「わたしなんか目が細いし、一重だし、毎日アイプチ頑張ってるし、
カラコン入れて黒目を少しでも大きく見せようとしてるし。
そういう苦労とか全然わかんないんだろうな。」
今日はなにか調子が悪いのかもしれない。
こんなことを言ってもどうにもならないことはわかっていたし、
言われた方もきっと困るということもわかっていた。
わたしたちの間に境界線を引いて、あなたはあっち側の人間だから、と、
突き放したいわけでは決してなかった。
むしろ同じ側の人間として存在したいと強く思っている。
わたしは、わたしたちの信頼関係をなくしたいわけじゃない。
「メイクに時間もお金もかからなくて羨ましいな。」
相変わらず軽い調子でフォローしてくれた。
「でも、肌きれいだし、足も細くて長いじゃん。
それこそ羨ましいよ。」
笑顔が少しだけ引きつっている。
本当にそう思っているのだろうか。
ただ話題をそらそうとして思いつくことを言ったんじゃないのか。
「キレイじゃないよ、普通だよ。
人はやっぱり顔の方がよく見られるし、顔の方が印象に残る。
やっぱり顔だよ。顔の中でも目だよ。」
今はもしかしたら明らかに悪意が込められていたかもしれない。
「そうかな?わたしなんか太りやすくてすごく悩む。
ふくらはぎは太いし、運動するとムキムキになっちゃうし。
ミニスカート穿きたくても穿けない。」
彼女のうつむく姿を見て、居心地の悪さを感じていることがわかった。
わたしは明らかに意に反して彼女を追いつめていた。
いや、でも本当に、わたしは彼女を追いつめたくないと思っているのだろうか。
わたしたちは人のいいところを褒めているようで、
実は自分の中のコンプレックスを吐露しているだけなのかもしれないと思った。
誰も悪いわけじゃない。
だけど、わたしたちはこうやってすれ違っていくのかと思うと悲しかった。
わたしたちは、お互いのコンプレックスを通してしか世の中を見れない。
わたしたちは、いつまでも同じ視点からものごとを見ることができない。
一人ひとりが風船の中に閉じ込められたまま頼りなく風に流されていくみたい。
何かに衝突してパンと弾けて落ちるのを待っているだけみたいだと思った。

18

老人ホームで暮らすおばあちゃんに会いに行った。
ベッドの上にちょこんと腰掛けたおばあちゃんは、
花柄のブラウスに明るい水色の膝下丈のスカートを穿いていた。
髪の毛はしっかりと整えられ、乾燥した肌や唇の上にはお化粧をしていた。
首元には、2連になったパールのネックレス。
ウール素材のスカートの表面が少し毛羽立っているのが見えた。
ホームの中で接するのはTシャツにジャージ姿のヘルパーさんたちだけだ。
それでもおばあちゃんは毎日オシャレをすると言っていた。
貧しかった頃の記憶を掻き消すかのように、そうするのだと言っていた。
おばあちゃんはわたしの長い黒い髪を見て、パーマをかけないのかと言った。
わたしは、髪の毛が傷むから嫌だと言った。
ただの地毛色に見えて、これはちゃんと染めて、
さらに定期的にトリートメントもしているのだと説明した。
何もしていないわけではないのだと。
おばあちゃんは少し傷付いた顔をして、それ以上何も言わなかった。
おばあちゃんが生きた時代と、現代とでは、大きくものの価値が変わってしまった。
お金をかけて生み出される「自然体」というものの価値を、
おばあちゃんが理解できなくても当たり前だと思った。
だけど、おばあちゃんは、理解できないものが増えてしまったことに、
少しだけ寂しさを感じているのかもしれなかった。

わ た し

美しさとは、その人の生き方だと思うから。

 

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01

鏡の前に立つ。
自分の顔をじっと見つめる。
小さな奥二重の目は少し離れている。
マツエクが付け髭みたいに不自然だ。
小さくて低い鼻には治りかけのニキビ。
唇は薄く乾いていて色がない。
色がないのだ。
くすんだ肌。
これがわたしなのか?
これは、わたしじゃない。
メイクをして完成した顔を見る。
人工と自然が交わり合って、歪な物体が鏡に映る。
抜け出したいのに、抜け出せない迷路みたいだ。
笑顔を作って、自分にまた一つ嘘をつく。
今日も大丈夫、きっと乗り越えていく。

02

流しの中に積まれた汚れたお皿。
ふーっと溜息をついた。
イライラしてもしょうがない。
息子がお昼寝している間に片付けてしまおう。
スポンジに洗剤を馴染ませて、お皿を一枚持ち上げる。
洗剤がひび割れた手に染みた。
ゴム手袋をすればいい、夫にはいつもそう言われた。
そんなことはわたしもわかっていた。
だけど、ゴム手袋をしていると油がちゃんと落ちたのかわからないのだ。
素肌でその感触を確かめなければ、わからないのだ。
何度もゴム手袋をはめてみたけど、その洗いづらさからもう完全にやめてしまった。
痛む腰をトントンと拳で叩きながら最後の一枚を洗い終えた。
手をしっかりとゆすいでタオルで乾かした。
皮膚がピンと突っ張ってヒリヒリした。
指先を見ると、爪の周りが白くひび割れている。
息子の泣き声が聞こえた。起きたみたいだった。
炊飯器が表示している時間を確認した。
いつもより20分も短いお昼寝。
またあとで眠くなってぐずり出すのだろう。
巷には、「ママになってもキレイ!」なんていううたい文句が溢れている。
女性のコンプレックスにつけ込むいやらしいキャッチフレーズだ。
そんなの大嫌いだと思いながらも、
ひび割れた指先を見つめながらOL時代にハマっていたジェルネイルを思い出していた。
いつもキレイに整えられた指先に、シンプルな指輪をはめるのが好きだった。
パソコンを打つ指がキレイだといつも気分が上がった。
夫には、触れたくなる手だ、と言われたこともあった。
息子が生まれた今、家事と育児に専念している今、
わたしはもうそういうものに依存することなく
自分の感情をコントロールしなければいけないのだ。
「目が覚めちゃったあ?」
涙をさっと拭いて、笑顔を作って、甘い声を出した。
わたしはもうこの子のママなのだ。
これ以上の幸せが、他にあるはずがないのだ。

03

歯にほうれん草が付いていた。
キミはいつからそこにいたんだ?
お昼に食べたほうれん草とサーモンのクリームパスタを思い出した。
だとしたら、何人の人が見て見ぬフリをしていたのだ?
得意気に冗談なんか言って相手を笑わそうとしていた自分が思い出された。
相手はわたしの言ったことに対して笑っていたんじゃなくて、
このほうれん草が付いているわたしの顔を見て笑っていたのかもしれない。
こいつ、歯にほうれん草を付けたままで得意気になっているよ、と。
わたしは話す時によく笑うから、
このほうれん草が目につかないはずがない。
前歯の一つ横の歯だ。
その歯の生えている位置は少し奥まっていて、
食べ物がひっかかりやすいのだ。
昔からそうで、わたしもよく自覚しているはずだった。
それなのに、食後に歯を磨かなかったわたしが悪い。
それは確かにそうだけれども。
一人くらい、ほうれん草が付いていますよ、と、
おしえてくれる人がいてもいいではないか。
いや、でも、それがもしわたしだったら、
ほうれん草が歯に付いているなんて言えるだろうか?
言う方も恥ずかしくて、きっと言えない。
見て見ぬフリをすることも優しさだと思うかもしれない。
わたしはこれから、
「あのほうれん草が歯についていた人」として
人に思い出されるのだろうか?
まさか、そんなはずはない。
そんなこと、人はすぐに忘れてしまうのだ。
人は他人にそんなに興味のない生き物だ。
歯にほうれん草が付いていたなんてどうでもいいこと、
きっとすぐに忘れるだろう。
もっと他に、覚えておかなければならない大事なことがいっぱいあるはずだ。
わたしだって、これからは絶対に歯を磨こうと今日決意したって、
この恥ずかしさをすぐに忘れて、また同じことを繰り返すのだろう。

04

子どもの頃はよくおばあちゃんとお風呂に入った。
お母さんは、仕事でいつもいなかった。
おばあちゃんは決して優しくはなかったけれど、
いつも一緒にお風呂に入ってくれた。
わたしはそんなおばあちゃんの体が不思議だった。
わたしやお母さんの体とは全然違うのだ。
猿のおっぱいみたいに乳頭はお腹のあたりまで垂れ下がり、
体中が大きく深い皺に覆われて、青い血管が浮き出て、
骨がごつごつと盛り上がり、
パサパサした皮膚がだらーんと垂れ下がっていた。
自分の体と、おばあちゃんの体を関連づけることができなかった。
人間というよりも「おばあちゃん」という別の生物のように思えた。
わたしもいつかあんな風におっぱいをぶら下げることになるのだろうか。
垂れ下がった皮膚をぶらぶらさせて生きるのだろうか。
そのときわたしはどんな気持ちでいるのだろう。
そのときのおばあちゃんは、どんな気持ちで当時まだ幼かったわたしの身体を見ていたのだろう。
腕の中で必死になってわたしのおっぱいにしゃぶり付く娘の姿を見ながら、
ふと、そんなことを思い出した。

05

右耳の軟骨がジンジンと痛んだ。
鏡で見てみると、真っ赤に腫れて熱を持っていた。
11個目のピアス。
ずっと使い回しているファーストピアスのダイアが誇らしげに光っていた。
胸の痛みに耐えられなくなる度に、ピアスの穴が一つ増えた。
その痛みでごまかすように。
外見が変われば、わたし自身が変わる気がした。
耳をじゃらじゃらと飾るピアスが、いつの間にか、
わたしの勲章のようになっていた。

06

わたしは自分の顔を、どうして好きだと思えないのだろう?
わたしはどうして、自分の顔が好きだと、正直に人に言えないのだろう?

07

12キロ太った。
食べないと気持ちが悪くて、一日中何かしらつまんでいた。
医者には怒られた。
それでもやめることがどうしてもできなかった。
鏡に映ったわたしは、もはやわたしではなくなっていた。
鏡を見るのがこわくなった。
体重計ももう乗っていない。
体重管理なんて、今更何の為にするのだ。
人前に出ることが苦痛になった。
家に引きこもれば、食欲がさらに増した。
周りの友だちはわたしに会えば、
母親らしい優しい顔になったと言ってくれた。
そんなの嘘だってこと、わたしにはわかっていた。
わたしは優しい顔になったんじゃない、ただ太ったのだ。
臨月までまだ3ヶ月もある。
わたしはあと何キロ太るんだろう。
何を着ても似合わない。
お化粧の乗りも悪い。
母親になるって、こういうことなのかもしれないと、その時思った。
今まで大事にしてきたものを手放さなければならないのか。
太り過ぎると難産になると言われたって、
今のわたしは無力すぎる。
あまりにも、無力すぎた。

08

周りの世界が眩しすぎて、その輝きにかき消されてしまいそうだった。
わたしだけが、とてもくすんだ存在のように思えた。
わたしに色を、光を、ください。

09

右腕をあげて、光にかざした。
頭の傾きをゆっくりと変えながら、いろんな視点から見つめてみる。
青い血管が何本も指先に向かって伸びている。
左手で優しくその流れをなぞった。
手首の骨が、手の甲の骨が、ごつごつと盛り上がっている。
姿見を覗き込みながら身体をひねった。
鏡に背を向けながら、身体をねじって上半身を少しだけ前に倒すと、
ごつごつと背中の骨が盛り上がっているのがはっきりと見えた。
上からゆっくりと、腰に向けて視線を這わさせていく。
次に前を向いて、鎖骨からあばらへと視線を移し、
骨盤の骨に手を重ねた。
体中の血管が浮き出て見えるほど、痩せた身体。
どんなに痩せすぎで気持ちが悪いと言われたって、
わたしは自分の骨が、血管が、好きだった。
筋肉の筋も美しいと思った。
少年のような小さなお尻も、気に入っていた。
自分が何者であるかを教えてくれているような気がした。
それらはすべてわたしなのだ。
余分なものがなにもない。
痩せているから美しいと思っているわけじゃない。
無駄なものが一切取り払われた状態、
その状態のわたしがここにいるから、
美しいと思っているのだ。
わたしはこのままどんどん軽くなっていき、
空気となって消えていく。
わたしは空気になって、いつか壮大な宇宙になるのだ。

10

わたしの新しい目。
わたしの新しい顔。
覚えておくといいよ、「自然体」なんて全部偽物だってことを。
全部作られた価値観じゃん。
もっとキレイになりたい。
もっと素敵な自分になって人に羨まれたい。
そういう欲求の方がよっぽど人として「自然」だということ。
覚えておいた方がいいよ。
人間は長い時間をかけて、いろんなものに手を加えてきた。
より自分の都合に合うように品種改良してきた。
わたしたちの周りに「自然」なものなんてもはや残っていない。
そうやって、強いもの、優秀なもの、必要とされるものだけが生き残ることができた。
わたしのしていることのどこが不自然なのだ。
わたしたちは今までずっとこうやって生きてきたじゃないか。
鏡に映る生まれ変わった自分に、わたしは何度も言い聞かせた。
何を選んだって、きっと、誰も放っておいてなんかくれない。
それはもしかしたら、わたしが時代の流れに反発しているからかもしれなかった。

11

わたしたちはみんな、
前世や先祖のカルマに包まれてこの世に生まれてくる。
いきなりポンっと単独で出現するわけじゃなくて、
一続きの長い長い線の上に産み落されるのだ。
色々なものを背負って生まれてくるのだ。
カルマはわたしたちの周りにベトベトした油汚れのようにへばりついて、
わたしたち個人とは関係ないことでわたしたちの重石となる。
傷付いて、悔しい思いをして、涙を流す。
たくさん泣いて、その流した涙でへばりついた汚れを洗い落とす。
そうやってわたしたちは少しずつ、完璧な「私」という存在になっていく。
泣けば泣くほど、わたしちは磨かれ、余分なものが削ぎ落されていく。
泣く大人は美しい。
男泣きだって美しい。
「泣くな」とか言うな。
悲しい気持ちや悔しい気持ちを抑え込まないで、どんどん泣けばいい。
そうやって人は輝きを増していくのだから。
そうやってわたしたちはもっともっと笑顔でいられる時間を増やしていくのだから。
わたしは床に丸まって大泣きした後のすっきりした心でそう思った。
そのうちわたしの泣く理由はきっと、変わっていくのだろう。
嬉しい時に泣く涙で、心を潤し、大輪の花を咲かせるのだろう。

12

悲しくても笑った。
悔しくても笑った。
笑えそうにない日でも、とにかく笑った。
周りにいてくれる人たちのために笑った。
心の中がからっぽの日も。
心の中がいっぱいで溢れてしまいそうな日も。
何があっても笑うこと、
それは何よりも一番難しいことだと知った。
ある日、気が付くと、わたしは愛されていた。

13

娘がまたぎゃんぎゃんと泣き始めた。
泣いている理由は、わからない。
わたしは途方に暮れる。
時々、死にたいとさえ思う。
責められているような気がするんじゃなくて、きっと実際にわたしを責めている。
だって赤ちゃんは何かを訴える為に泣くのだから。
どうにかしてよ!ってわたしを責めている。
それは泣き声からちゃんと伝わっている。
抱き上げようとすれば、後ろに反り返りさらに激しく泣く。
手首が不自然な角度に曲がり、ピリピリと痛む腰でバランスを取ろうとした。
なんとか抱き上げても、暴れてわたしの顔を叩き、お腹を蹴る。
このまま側にいたら何かひどいことをしてしまいそうでそっとまたベッドに戻す。
気にしなければいいのに、気にしてしまう、弱い自分。
苦しくて、醜いことばかりを考えてしまう。
わたしは母親失格なのかもしれない。
息抜きにと思って開いたFacebookの中のある記事に目がとまった。
助産師さんによるいかに赤ちゃんと一緒に過ごせることが奇跡か、という内容の記事。
一緒にいられること、生きていること、それだけで奇跡なのだから、
苦しいとか辛いとか、そう思わないで欲しいって。
赤ちゃんと一緒に過ごせる愛しい時間を大切にして欲しいって。
わたしの鼻からはふん、と息が漏れた。
口角は歪んだ角度につり上がった。
目からは熱い涙が溢れ出た。
そんなこと人に言われなくたってわかってる。
自分の赤ちゃんがどれだけ特別な存在で、愛しい存在で、
この子が今ここに生きているということがどれだけの奇跡かなんて、
3年間におよぶ辛い不妊治療の末に授かった子なのだからわたしにわからないはずがない。
だけど、憎いと思わなければ正気でいられないほど追い込まれてしまうことだってある。
それだけでも自己嫌悪に打ちのめされて息もできなくなりそうなことがあるのに、
どうしてそんな風に思ってしまう自分を責めてしまうようなことを言う人がいるのだろうか。
美しいと思う、母子の命の繋がりは美しい。
だけど、美しさの中には必ず痛みが存在している。犠牲が存在している。
それさえも美化して消してしまわないでほしい。
怒ったり泣いたり、弱気になったり傲慢になったり、それが人間だとどうして誰も言ってくれない?
偽物になっていくことをどうして人は美しいと思ってしまうの?
どうして完璧を美しいと言い切る人が多いの?
どうして誰も、その不完全性が美しいんだよと言ってくれないの?
テーブルを殴った後の手がまだジンジンと痛んだ。
泣いても泣いても泣き足りない目ん玉がヒリヒリした。
押しつぶされてしまいそうなほどの罪悪感で胸がズキズキした。
お願いだから、これ以上の痛みをわたしたちに背負わせないで欲しい。
そんなに綺麗なものばかりで統一された人なんて、いない。

14

学生の頃からスカートは短い方だった。
周りの子たちよりも明らかに短かったはずだ。
それなのに、それほど注意はされてこなかったように思う。
胸の大きい子を見れば、羨ましいと思った。
そういう子が胸のあいた洋服を着ているのを見れば、ステキだなと思った。
そうやってわたしたちはひとりひとり、
人を楽しませたり喜ばせたりすることのできるものを持たされている。
女性のハスキーで低い声をセクシーだと思った。
そういう人は、ゆっくりと重たい口調で話すのがステキだ。
鼻にかかる高い声もまた可愛らしいと思った。
そういう人は、逆に甘えた声や早口で話すのがステキだ。
わたしは冬でもミニスカートやショーパンを穿いた。
夏なら素足で穿いた。
オフィスカジュアルと言われて、素足禁止と言われても、
わたしはそのスタイルをずっと貫いてきたし、
やはりあまり注意されることはなかった。
同性の先輩に嫌みを言われることは稀にあったが、
男性たちは決まって笑いながらかばってくれた。
わたしも一緒に笑いながらおどけてみせた。
もう嫌だなと思って、全身何かにくるまれて生活したいと思うこともある。
誰とも会いたくないと思うことだってある。
だけどなんか、しょうもないことだったとしても、
わたしには人よりも優れたものがあって、
誰にだって、人よりも優れたものがあって、
わたしの場合はそれがたまたま知性や感性ではなく、脚だったのだ。
わたしが与えたいと思うものと、
わたしが実際に与えることのできるものの間にはギャップがあって、
それが時々ものすごく悔しかったりもするけれど、
長い時間をかけてゆっくりと、
その狭間で揺れ動く楽しさがわかってきたような気がする。
わたしにはできることとできないことがあって、
自分の身の丈を知ることは、強さだ。

15

わたしは母が38歳の時の子どもだ。
今ではそれほど珍しくはなくなったが、
母の時代ではかなりの高齢出産になると思う。
わたしが大学を卒業する年に彼女は還暦を迎えた。
わたしたち親子にとって特別な年になった。
自分自身が母親になることになって、
なんだか母の人生を一緒に振り返ってみたくなった。
昔の写真を引っ張り出してきてもらったが、
残念なことに子どもの頃の写真は見つからなかった。
子どもの頃は写真が嫌いだった、と言う。
それが本当かどうかは、わたしにはわからない。
わたしが記憶てしている母の姿を思い出してみる。
写真と記憶の中の母とでは、ずいぶん違う。
20代の頃の母はピンと張ったピンク色の頬をしている。
結婚をした頃の母は、父に寄りかかっていてとてもしあわせそうだ。
子宮筋腫の手術をした後の母は、笑っているのに泣いているように見えた。
もう子どもを授かることができないかもしれないと言われたらしかった。
生まれたばかりのわたしを抱いている母は、
髪の毛はボサボサだけど、肌には独特の艶があり、目元は涙でキラキラしていた。
もう抱くことはないかもしれないと思っていた我が子を、
結婚してから10年経ってようやく抱くことのできた心の高まり。
父と離婚した頃の母は、顔色も悪く、眉間に深い皺が刻まれていた。
小さくてもいいから自分のお店を持ちたいと言って始めた家庭料理屋さん。
料理と人をもてなすことが大好きな母にピッタリな仕事を始めた頃、
母は少しふっくらとしていて、目の周りに笑い皺が増えていた。
離婚してからは一生ひとりで生きていくと決意した母が再婚した頃、
20代の頃と同じように頬がまたピンク色に染まっていた。
わたしが見てきた母の姿があって。
母自身が見てきた母の姿があって。
そういうのが複雑に重なり合いながら時は流れていて。
肌や髪や骨にそういうものが刻まれている。
白髪もだいぶ増えて、
何かから身を守るように前に丸まった小さな肩。
女手一つでわたしを育ててきたたくましさを感じさせるしっかりとした足腰。
母は下半身が太いことを今でも気にしているけど、
わたしは彼女の丸い腰やがっちりとした脚に愛を感じる。
そしてたくさんの人のために尽くしてきた母の手は皺だらけだ。
そうやって、息絶えて、この世を去る日までわたしたちは変わり続ける。
どんどん「わたし」という作品ができあがっていくように。
わたしも母のように「いい人生を生きた」と、
周りにいる人に感じさせることのできる女性になれるのだろうか。
母の美しさには永遠に追いつけないように思えた。

16

わたしの背骨は曲がっている。
10代の頃からずっと。
慢性的な肩こりや腰痛に悩まされていた。
社会人になった頃からずっと。
成長期に過度のストレスを感じることで骨が歪むって、
テレビの中の専門家が言っていた。
ああ、心当たりがある。
嫌な記憶がよみがえる。
精神的なストレスだけじゃない。
肉体的なストレスも大きな原因かもしれない。
どんなに忘れたくても、
こうやってわたしの体にその記憶は刻まれてしまった。
わたしの背骨は死ぬまでずっと、曲がったまま。

17

安いものばかりを食べていたら、安い女のままで終わっちゃうよって。
彼女のそんな一言でわたしの人生は大きく方向転換をすることとなった。
安いものや便利なものや鮮やかなものは、
静かに、ゆっくりと、だけど確実にわたしを殺していく。
今まで手にしたことのないものを手にしたいと願うなら、
今までにしたことのないことをしなくちゃね、って。
どこかの誰かが言っていた。
わたしたちはいつだって、
必要なものはちゃんと拾って生きている。

18

夫が転勤することになった。
入籍してからわずか半年のことだった。
子どもができるまでは今の仕事を続けるつもりだった。
だけど、結局は寿退社せざるを得なくなった。
夫の転勤先に知り合いはいない。
もともと人見知りが激しいわたしはなかなか友だちもできなかった。
かと言って、昔からの友だちに連絡をするきっかけも見つからなかった。
きっとみんな、今を生きることに忙しいだろうと、気が引けてしまう。
仕事は嫌いじゃなかったけど、もちろん辛いときもあった。
学校を卒業してからずっと忙しなく走り続けてきたのだから、
この辺りで一度リセットするのもいいと思った。
ひとりでのんびりと過ごして、料理や夫の世話を楽しもうと思った。
だけど「やらなければいけないこと」を失うと、
わたしはどこまでも堕落していった。
朝は起きれなかったし、一日中ごろごろしたまま、
何もしないままどんどん時間だけが過ぎていった。
わたしは誰でもないのかもしれない。
ひょっとしたらどこにもいないのかもしれない、と思うようになった。
夫はそんなわたしに対して何も言わなかった。
それがまたものすごく悔しかった。
誰にも何もされていないのに、
息をしているだけでわたしの命の存在を否定されているみたいだった。
わたしはその悔しさを胸の中に抱えて、夫には見せないようにした。
わたしたちの間に子どもはなかなかできなかった。
学生時代の彼氏との間にできてしまった子どもを一度堕ろしたことがある。
夫はそのことを知らないし、言うつもりもなかった。
そんなことが頭をよぎる。
たったひとりで抱えているものがどんどんと増えていく。
働きに出ようかと思ったこともあった。
だけど、もし子どもができたら中途半端な状態で辞めることになるかもしれない。
育児と仕事を両立する自信なんてなかった。
何もかもが思い通りにいかない閉塞感に押しつぶされてしまいそうだった。
仕事が忙しくて睡眠不足に喘いでいた頃は、とにかく休みが欲しかった。
それなのに何もなければ何もないで、こうやってわたしは苦しんだ。
自分の身勝手さに辟易する。
どこか遠い国で起きた大地震のことをテレビのニュースで見た。
たくさんの死者や行方不明者が出たらしかった。
体がガタガタと震えた。
氷水の中に落っこちたみたいだった。
テレビは淡々とその混沌とした様子を映していた。
一瞬にして、日常が奪われてしまうということ。
わたしが一体何をしたと言うのだ。
重たいとさっき苛立ちながら運んで帰ってきたスーパーの袋が玄関に放置されている。
台所の流しには洗わなければいけないお皿が積まれている。
ソファの上は脱ぎ捨てられた洋服で散らかっている。
本棚の下には綿埃が溜まっている。
夫は何も言わない。
わたしは何もしない。
だけどわたしたちは確実にここに生きていて。
ただそれだけのことがものすごく尊くて。
そのままへなへなと床にしゃがみ込んで、泣いた。
大声を出して、泣いた。
わたしたちはいつだって「特別」を求めるけれど。
わたしたちはこんなにも「なんでもないこと」でできている。

 

 

 

 

あなたが、
あなただけのしあわせを見つけられますように。






YAVAii(ヤバイ)

 

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2013年9月27日 発行 初版

著  者:YAVAii
発  行:YAVAii

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