───────────────────────
───────────────────────
こちらは関西。「東京」スカイツリーに対して高さ日本一のビルあべのハルカスがまもなく全面開業を迎え、文楽は補助金問題で「なめとんか」と橋下市長に対抗し、やしきたかじんの早すぎる訃報に一時代が終わったかのごとく「やっぱ好きやねん」と惜しむ街、大阪より口上申し上げております。
本書は京都で2013年7月より隔週で行われている「岡村詩野音楽ライター講座in京都(以下京都講座)」の中で制作された、なかなか史上類を見ない“関西アーティストディスクガイド本”です。1960年代末のアングラフォークより、東京の動きに合わせながらも独自の音楽を生み出している関西。2010年代に入り、くるりの京都帰省、Turntable Films・Homecomingsといった京都セカンドロイヤル所属の若い世代やtofubeatsら神戸のビートシーンの台頭など特に勢い目覚ましい。そんな盛り上がりを見せる状況にある今、昨年より京都に拠点を移された音楽評論家の岡村詩野さんと、筆者含めその多くが関西在住である講座生の手で、2013年現在の関西音楽の空気感を伝えるべきと思い、制作に至りました。
本書に収められているのは2010~2013年に発売された関西で活動している、また関西のにおいを色濃く残すアーティスト100組+αのディスクレビューです(レイハラカミ『lust』のみ2005年)。いずれも講座生が有名無名問わず“紹介したい!”という趣味嗜好の熱を第一に反映した選盤ゆえに、紹介しきれなかったジャンルやアーティストも多々あります。しかしポップ・ロックはもちろん、関西に連綿と残るフォーク、またアイドルからV系まで幅広く取り上げた102枚のレビューが揃いました。また書き方も単なるディスクレビューにとどまらず関西シーンの中での立ち位置を意識したものとなっており、講座生それぞれ特におすすめしたいものに関しては2ページにわたって紹介しております。それぞれのレビューは独立したものであれど、読み進めていただければ関西シーン全体の概要が掴んでいただけると思います。また随所にレビューでは取り上げきれなかった重要な見方やトピックをコラムとして掲載しておりますので、併せてご覧ください。
立川談志の著した『現代落語論』(三一新書)が後続の落語家に多大なる影響を及ぼしたバイブルとなっているように、本書『現代関西音楽帖』も今の関西音楽シーンを理解する上で必読の書としていただけるのであれば、京都講座一同これほど幸いなことはございません。それではごゆっくり関西の音楽をお楽しみください!
編集長 峯 大貴(from大阪)
関西音楽帖MAP
まえがき
○コラム:関西名盤ディスクガイド10選
『おしえて』Avec Avec 2012年
『12』安藤明子 2013年
『河内音頭 あべのぼる一代記 不常識』AZUMI meets 山中一平 2013年
『レコンキスタ』bacho 2010年
○コラム:関西ハードコア・パンクシーン”関西のハードコアとパンクの先駆者、そして今”
『RAP U』BASI 2013年
『Indirect Memories』bed 2013年
『HANZOMON LINE』カルメラ 2013年
『スタートリボン』キャラメル☆リボン 2013年
『CASIOトルコ温泉』CASIO☆トルコ温泉 2013年
『チッツリターン』チッツ 2013年
『彼らは鉄腕ナインティーン』コンテンポラリーな生活 2013年
『大サーカス』Djamra 2010年
『ど』DODDODO 2011年
『Epcot』ドクロズ2013年
○コラム:京都シーン“大学生から彩る京都の音楽”
『The Illuminated Nightingale』土井玄臣 2013年
『カミナリデンゴン』ゑでぃまぁこん 2013年
『RADIOACTIVITY(68 P.H.)』EP-4 2013年
『AMARGA-Tarde,Noche-』Especia 2013年
『ひとつになるとき』EVISBEATS 2012年
○コラム:関西ヒップホップシーン”東京に比べて目立っていない?いやいや、関西ヒップホップ、面白いんです”
『Glowing Red On The Shore EP』The fin. 2013年
『Magic Machine Music』FLUID 2012年
『A PIECE OF CAKE』The Foglands 2013年
『6がつのうた』ふちがみとふなと 2011年
『かつてうたといわれたそれ』下山(GEZAN) 2012年
『NEW GAMES』goat 2013年
『ドーナッツ』,『nagisa EP』花泥棒 2012年,2013年
『LUCY』HAPPY 2013年
『423』長谷川健一 2013年
○コラム:関西の音楽レーベル
『S.T.』(DEMO)Hi, how are you? 2013年
『closet classic』ヒツジツキ 2012年
『初音階段』非常階段 2013年
『Homecoming with me?』Homecomings 2013年
『AGLEAM』JESUS WEEKEND 2013年
『journal』jizue 2013年
『I WANNA GET YOU!!!』THE噛ませ犬 2013年
『DOPPEL』KANA-BOON 2013年
○コラム:関西とメジャーシーン”not 東京音楽の商業進出”
『※この音源は完全にノンフィクションです。2』完全にノンフィクション 2013年
『サカサマデアル』片山ブレイカーズ&ザ☆ロケンローパーティ 2010年
『鍵は開けてある』カルマセーキ 2012年
『仁義なき恋愛』奇妙礼太郎トラベルスイング楽団 2013年
『Live in Living』金佑龍 2013年
『MACH CLUB』KING BROTHERS 2012年
『振り返る季節』kisetsu/ame 2013年
『死にたくない』キツネの嫁入り 2013年
『大事なお知らせ』キュウソネコカミ 2012年
『inletPAGE』Liaroid Cinema 2012年
『TRANSPERSONAL』Lillies and Remains 2011年
『つよくてニューゲーム』LADY FLASH 2013年
『ECHOES』LOSTAGE 2012年
○コラム:奈良シーン“ベッドタウンから生まれる音楽”
『split』(MIRROR/)LOW-PASS 2013年
『感受性ドン』マッカーサーアコンチ 2010年
『まわりまわる球体の上』丸尾丸子 2012年
『あこがれ』松井文 2012年
『Cettia diphone』middle9 2012年
『!!!』三田村管打団? 2013年
○コラム:神戸シーン“シーンを駆け抜けた今、この音楽街にあるもの”
『僕は暗闇で迸る命、若さを叫ぶ』モーモールルギャバン 2012年
『銀河のほとり、路上の花』中川敬 2012年
『miraklo rakonto』nayuta 2013年
『EACH TIME』NINGENCLUB 2012年
『てっぺんとったんで!』NMB48 2013年
『Between The Blinks』NOKIES! 2012年
『アノマロカリス』溺れたエビの検死報告書 2013年
『thinking ongaku union local 075』odd eyes 2012年
『ニガイナミダが100リットル』大西ユカリ 2013年
『Cosmic Coco,Singing for a Billion Imu’s Hearty Pi』OORUTAICHI 2011年
『街の踊り』オノマトペ大臣 2012年
『STATE OF THE WORLD』オーサカ=モノレール 2011年
『心』オシリペンペンズ 2012年
『My Darkest Friends』Palm 2012年
『Sailing Home』Pirates Canoe 2013年
『PR0P0SE』PR0P0SE 2012年
『Flower Souls』PURPLE HUMPTY 2013年
『坩堝(るつぼ)の電圧(ぼるつ)』くるり 2012年
『lust』レイ・ハラカミ 2005年
○コラム:関西エレクトロニカシーン”シーンを支える京都の2人”
『The Psalmsand Lamentations』凛-the end of corruption world- 2012年
『MADRIGALde MARIA』Sadie 2013年
『Abstraktsex』Seiho 2013年
『私たちの街』白い汽笛 2013年
『ランドセルカバーのゆくえ』白波多カミン 2011年
『踊れ!踊らされる前に』ソウル・フラワー・ユニオン 2013年
『ネトカノ』Sugar’s Campaign 2012年
『遠雷』杉瀬陽子 2013年
『嘘ばかり言う』空きっ腹に酒 2013年
『頭の中では次の駅をきめている』swimm 2013年
『ひろう』他力本願寺 2012年
『一人宇宙-起源FREESTYLE-』チプルソ-傷だらけのB-BOY- 2011年
『UNDER:COVER2』T.M.Revolution 2013年
『lost decade』tofubeats 2013年
○コラム:関西ビートシーン”tofubeatsを中心にテン年代関西ビートシーンの成り立ちを振り返る”
『THE』tricot 2013年
『Yellow Yesterday』Turntable Films 2012年
『あかるい部屋』ゆーきゃん 2012年
○コラム:関西のフェス“勃興する非メディア・イベンターフェス”
『染まる音を確認したら』宇宙コンビニ 2013年
『carpe somnium』urema 2012年
『Die You Hard!』Vampillia 2013年
『太秦ヤコペッティ』オリジナル・サウンドトラック 和田晋侍 2013年
『スローリースローリースローリーナイト』ワンダフルボーイズ 2013年
○コラム:大阪シーン”関西一圏の音楽発信拠点を担う気概が見える”
『HUE CIRCLE』YeYe 2013年
『burning chico,his galaxy』YOJI&HIS GHOST BAND 2011年
『ヤングアダルト』夜の本気ダンス 2013年
『Magnetica』ZZZ’s 2013年
『mimoro』√thumm 2012年
『ミソラシロ』3月33日 2012年
『thread』10-FEET 2012年
(ABC順)
アングラフォーク、70年代ソウル&ブルース、関西NO WAVE…etcと過去に関西で生まれた数ある名盤の中でも現在の音楽シーンにも影響を与え続けている10枚を厳選して選びました。
文:峯大貴、堀田慎平
「帰って来たヨッパライ」の早回し録音やウィットに富んだ歌詞に代表される、遊び心のあるアイデア満載である本作の日本ロック史に残した功績は計り知れない。またそれは09年の加藤和彦急逝を期に再び語られてきた。
しかしはっぴいえんどや解散後加藤が組むサディスティック・ミカ・バンドよりも些か評価が薄いのは、先進的であるが故の所在の無さか、それともコミックソングの歌い手との印象が強いからか。確かにアングラフォーク最盛期よりもわずかに早く登場したため、フォークジャンボリーやURCとも無縁だったこと。ラジオ関西や近畿放送(今のKBS京都)でのプッシュから全国に広がったが1年で潔く解散したこと。解散後加藤・きたやまおさむ・はしだのりひこの3人が全く違った道に進んだことなど歴史的立ち位置がつかみ辛い。
だがそれこそが彼らの本質であり、朝鮮半島を歌った「イムジン河」などコミックバンドに留まらないアプローチの幅広さは、今尚新鮮に聴こえる。(峯大貴)
1960年代後半にURCからデビューした高石、岡林、中川、高田らが関西フォークの第1世代とすれば70年以降に出てきた第2世代の筆頭が彼ら。ミュージシャンやあらゆる表現者の卵たちがたむろした、難波元町、喫茶ディランのマスター大塚まさじとその常連客永井洋、西岡恭蔵(99年死去)らで結成されたザ・ディラン(後にセカンドを名乗る)。ボブ・ディランのカバー「男らしさってわかるかい」や桑田佳祐、福山雅治など多くミュージシャンに愛されカバーされた「プカプカ」を含む1st。大塚のブラック・ミュージックに演歌のコブシを効かせたようなボーカル、ザ・バンドやハッピー&アーティ・トラウムなどに影響受けた泥臭さのあるアンサンブルはウッドストックに魅了された当時の日本フォーク・ロックの金字塔ともいえる。
同じ志向を持つはっぴいえんどが再評価され続けているが、近年盛り上がる東京インディーポップの中でも森は生きているや吉田ヨウヘイgroupなどの源流は寧ろこっちにあると思うぞ。(峯大貴)
1969年、京都にて結成された村八分。本作には73年西部講堂で行われたライブの模様が収録されている。
走り気味のリズムに山口冨士夫(G)のキレ味鋭いギターが乗っかるサウンドはシンプルな王道ガレージサウンド。だがそこにチャー坊こと柴田和志(Vo)のヨレヨレと吐き捨てるようなヴォーカルが入ると一気にアンダーグラウンドの空気が作品全体に漂う。これはヴォーカルの為だけではなくて裸のラリーズを生んだ京都の土地の力か、そもそも日本でロックをやるという行為自体がアンダーグラウンドなものであると突きつけられているかのようでもある。
ゆーきゃんは「音読」のインタビューにて“京都的な音楽”の定義として「いなたさ」・「雰囲気への美学」・「ルーツを踏まえた上でのオリジナリティ」という三点を挙げている。これをそのまま引用させて頂くなら村八分こそ、まさにそうした定義の源流ではないか。そう考えると村八分の存在が騒音寺など直系のガレージバンドはもちろんTurntable FlimsやHomecomingsのようなインディバンドが近年京都から次々と誕生する素地を作ったとも言えないだろうか。(堀田慎平)
1975~76年、関西はブルース・R&Bのメッカと呼ばれた時代。しかしそれも長くは持たず3年ほどで主力バンドは解散が相次いだ。その中で唯一98年まで不動のメンバーだったのが彼ら。
3作目、当時5万枚を売り上げその名を全国に知らしめたライブ盤。「おそうじオバチャン」を始めとするオリジナル曲に加えブルース・スタンダードや歌謡曲のカバーもあるが、全て天使のダミ声を持つ木村秀勝(現 充揮Vo,G)、軽妙にスライドギターを鳴らす内田勘太郎(G)にかかれば立派な“関西の”、いや“日本のブルース”。いや振り切って寧ろ演歌にも聴こえる(彼らには「ザ・エン歌」という曲もあるが)。これもアメリカン・ブルースのコピーに留まらなかったが故。木村が客席のヤジにいちいち反応するところが収録されているのもニヤける。
昨年島田和夫(Dr)が死去。今年、残る3人に元RCサクセションの新井田耕造を迎え15年ぶりに本格再始動宣言した。日本ブルース界殿堂入りの横綱相撲っぷりが再び見られるとは!(峯大貴)
伝説の関西発音楽雑誌「ロック・マガジン」の阿木譲が立ち上げた大阪のレーベル「ヴァニティ」(78~82年)。阿木の鋭い感度でEP-4佐藤薫のキャリアデビュー作などを手掛けたが、70年代末のロンドンパンクと時同じくして日本語のパンク/ニューウェイヴを作り上げたアーント・サリーの唯一のアルバムである本作も送り出している。INUらと共に関西NO WAVEの代表格、また今もアングラシーンに影響を与え続けているphew(Vo)や京都女性ミュージシャンの元締めbikke(G)を輩出したことで知られているが、僅か1年半の活動・500枚限定発売で2002年の再発まで長らく入手困難が続いたこと・フロント3人が10代の女性など神秘性に包まれている。
それぞれのパートがお互いに全く興味を持たない冷ややかな演奏、phewの声もまた所在無げ。パンク黎明期にしてすでにパンクから距離を置くような達観した歌詞やphewの地味なベレー帽スタイルを含めて不気味な美しさを放つ。過剰に攻撃的なパフォーマンスやサウンドではなく、佇まいやメンタリティでパンクを表現・定義づけた奇跡の一枚。(峯大貴)
彼らの音楽を聴いたことは無くとも芥川賞作家町田康が昔やっていたバンドと言われればピンとくる人も多いだろう。ULTRA BIDE、Aunt Sallyらとともに関西NO WAVEの中心的存在を担ったINU。短い活動期間の中で唯一残されたスタジオアルバムである本作はPILやポップグループといったポストパンクからの影響が色濃く当時の日本の音楽シーンの中でも彼らが先進的だったことが窺える。何より当時若干19歳の町田町蔵(Vo)が書く鋭すぎる歌詞。関西弁で綴られる言葉の数々は強烈だ。はっぴいえんどが日本語ロックに挑戦したようにINUは関西弁でのロックに挑戦したのかもしれない。
音楽面以外でも後にアウシュヴィッツのメンバーとして名を馳せ現在のインディレーベルの走りともいえるアンバランス・レーベルを主宰しさらにJOJO広重とともにアルケミーレコードを設立する林直人が結成時のメンバーだったことなど関西音楽シーンに与えた影響は枚挙に暇がない。まさしく関西アンダーグラウンドの歴史とそこに宿る精神の礎となったバンドだ。(堀田慎平)
京大出身のどんと(Vo,G 2000年逝去)が率いたBO GUMBOS、の前身として語られがちなローザ。しかしBO GUMBOSはアメリカンルーツミュージックをゴッタ煮にした「どんとのバンド」だったのに対し、ローザはハードなリフやカッティングを持ち込んだリーダー玉城宏志(G)とルーツ志向で天性の愉快な歌心を持ったどんとが、奇妙に絡み合うサウンドであり、地続きというわけではない。
2ndにして最後のアルバムとなった本作には、大名曲「橋の下」でのサイケデリックで混沌としたアウトロや、玉城のリッチー・ブラックモアばりのギター炸裂「まったくいかしたやつらだぜ」など二人の拮抗をサウンドに昇華した跡が見える。この翌年解散。
デビュー1年半の活動期間にも関わらず、西部講堂の顔となり村八分やくるりと共に京都を代表するバンドとして名前が挙がるのは、単に稀代のミュージシャン・どんとのスタート地点のバンドというだけでなく玉城の功績も大きい。2013年は6枚組のBOXセットもリリースされ再評価の気運も高い。(峯大貴)
85年の結成当初は“グルーヴィー・ファンキー・ソウルフル・パンク・ロック”と称し、ポール・ウェラーらから影響受けたモッズ・パンク+R&Bサウンドを展開。目をひん剥いて反体制反権力を歌う若かりし中川敬がいた(今もそんなに変わんないけど)。作を追うにつれ詞の社会性は説得力を増しながらも格言的で簡潔、サウンドは沖縄・アイルランド・ラテンそして中川の根っこにある歌謡曲をも抱擁していく。
情報量の多さから頭でっかちになりがちだが、思想性と音楽性の黄金比率ブレンドがポピュラリティを持って結実したのがこのメジャー2作目。この後は仰々しい思想性とコミューン体制が強まり、93年盟友メスカリン・ドライブと統合、ソウル・フラワー・ユニオン結成に至り再び過渡期に入る。現在もSFUのライブで定番の「雑種天国」、「偉大なる社会」収録。また菊地成孔がホーンで参加している。キングとメジャー契約時に「関西在住のまま活動」を条件に突き付けた彼ら。現代の関西ローカリズムの先駆である。(峯大貴)
V∞REDOMS、BOADRUM名義による実験的な音楽活動や中心メンバーEYEの多岐に渡る活動で世界中から注目を集め続けている彼ら。本作は活動初期のサイケ、スカム・ミュージックに分類される極めて関西アングラ色の強い音楽性から、90年代後半からのトランス期に至る過渡期にあり初期の集大成的作品。実際暴力的までに激しいサウンドの中にもパワフルなドラムが特徴の「Acid Police」などその後のトランス期、BOADRUMへの活動に至る起点もすでに垣間見える。バットホール・サーファーズ、ソニックユースなどの海外勢ともリアルタイムでシンクロしていた彼らだが後進のミュージシャンに与えた影響も絶大。
ZUINOSIN、あふりらんぽといった関西ゼロ世代はもちろんスーパーカー、くるりといった日本のロックシーンの中心にまで、挙げればキリが無い。またその実験性と自由度の高さはアニマルコレクティブなど2000年代以降のブルックリン勢との共通項を見出すこともできる。日本と世界のインディシーンを繋げた重要作品。(堀田慎平)
大阪出身、高校生からヒップホップDJとしてキャリアをスタート。商業音楽の東京一極集中に疑問を持ち、長らく京都に拠点を置いていた音楽家の1stソロ。本盤は彼のルーツであるヒップホップ~アシッド・ジャズというクラブサウンドに身を置いていた時期の総決算的名盤で、吟味されつくされた生楽器の純な音色がヒップホップ解釈されたビートに乗せられる美しい曲群たちであった。次作以降もこどもというコンセプトを残し、ミニマル、電子、現代音楽にシフト。ボーカロイドブームのはるか前の02年スピーチ・シンセサイザーという人工ボーカルを全編に用いた『テンス』発表後ベルリンに移住し表舞台から静かに消えるが、11年ぶりに『Zeitraum』が2014年2月に発売されることが発表された。
ゼロ年代のレイ・ハラカミ、高木正勝らが京都のエレクトロニカを形作った、さらに前時代。「美しいメロディ」とポップは同義ではないとした、まるで現代のtofubeatsら関西トラックメイカーとは対極にいるような人である。
(峯大貴)

近頃よく言われているアーバンポップリバイバルとはAvec Avecのための言葉である。ここでご紹介するAvec Avecこと細川拓久真は、Seiho、tofubeatsに並ぶ、関西ビートシーンを代表する一人だ。彼は既に多くのRemixワークで知られている。その中でもtofubeats「No.1」やSeiho「I Feel Rave」のRemixは特筆すべきものがある。彼の手にかかれば「I Feel Rave」がそうであるようにどんな楽曲もメランコリックな空気感を持ったものになる。
本作はそんな彼のMaltine Recordsから無料配信されているEPだ。彼の代表曲が、本作に収録されている「おしえて」である。夜の街並みが似合うゆったりしたビートが心地よい一曲となっている。ここでゲスト・ボーカルを務めているのは、tademomoという女性シンガーだ。彼女の安定感のあるしっとりとした歌声は、Avec Avecの作りだす月明かりの夜が似合うアーバンなサウンドをより魅力的なモノにしている。彼女は彼の別プロジェクトSeihoとのSugar’s Campaignの楽曲にも参加するなど“Voice Of Avec Avec”と言える働きをしており、彼のサウンドには欠かせないアクセントとなっている。
(杉山慧)

京都の街並みに溶け込む歌声、ギター1本、最小限で最大の個性。三重出身のSSW安藤明子のことだ。15才でギターを手に入れ作詞作曲を始める。凛として清涼感ある歌の響きに、様々な情景、色とりどりの模様を乗せていく。時に幼な子のようで、時に老成した含みを持つ声。濃厚フェミニンな匂いは感じさせないのに、不意に心をわしづかみにしてしまう。また放す。はるか彼方、未来の空へ向けて広がっていくイメージを聴くものに抱かせる。
私が彼女に初めて触れたのは7インチ・レコードの「トゲトゲ」という曲だった。その声に吸い込まれて予備知識なく購入した。高田渡に似ていると思った。偶然にも彼女はかつて渡の入り浸っていた『六曜社』コーヒー店で現在働いている。高田渡「私は私よ」をカバーしている。『六曜社』のコーヒーの渋み、カリカリのドーナツの素朴な甘さ。
本作、4曲入りEP『12』はyojikとwandaのwandaプロデュース。「ここはmizuca」はノスタルジックなワルツ風ナンバー。「オーランド島のかもめ」は控えめなブレイク・ビーツにふわふわした歌が乗る。トランペットが優しくなぐさめるような「バニーガール」。なまめかしいギターの伴奏が映える「さかなのうた」。共通して感じるのは、子どもの頃のファンタジーや安息の世界と現在の風景の交差。それはぎこちない違和感、私は周囲の現実世界に含まれない。ひょっとしたら彼女のラブ・ソングは男と女のそれではないかもしれない。男と飼い猫かもしれないし、テディ・ベアと女かもしれない。コップと歯ブラシの恋でもいい。つまるところ内面の問題なのだ。
前作『オレンジ色のスカート』をプロデュースしたバンヒロシはこう語る。「フェアーグラウンド・アトラクションのエディ・リーダーが歌う名曲「パーフェクト」の雰囲気を再現できる歌い手が彼女だ」。エディはグラスゴーの通りで歌い、サーカス団とヨーロッパを廻ったという。ふと気付いたのだが、京都はグラスゴーと似ていまいか。どちらも旧王国の首都であり、独自のDIY精神が息づいている。パステルズやティーンエイジ・ファンクラブらがたびたび共同作業するように、安藤明子も、井尻あきらとのユニット、くすぐるでの演奏、ねじ梅タッシと思い出ナンセンスとのスプリット音源リリース等、時と場合に応じてのびのびと活動している。そういったゆるいコミュニティのなかで、きっと彼女は作っていくだろう。「誰の曲か知らないけど、この曲はいいね」と将来ひとに口ずさまれるような歌を。(森豊和)
“真面目に働くな!金はあるとこからとれ!”
“わしが女やったらおまえのションベン飲んだんのになぁ”
“もしもしジミヘンドリクスですけど、リッチーブラックモアさんいてはります?”
あべのぼるは2010年に亡くなった。新宿PIT INで出会った山下洋輔の初代マネージャーを務め、1971年からは盟友福岡風太らと野外コンサート春一番を指揮。また日本初の地方インディーズレーベル、オレンジレコードを設立し、大塚まさじ、ソー・バット・レビューなどのアルバムを製作。2000年代には大西ユカリのマネジメントをしながら自らの音楽活動も精力的だった。あらゆるミュージシャンから愛された彼の死は関西音楽シーンにおける一つの時代の終わりと言えるほどであり、昨年には自伝『1969年、新宿PIT INからはじまった』も出版されている。
今年AZUMIが河内音頭取り山中一平と組み、あべのぼるを歌ったのが本作。AZUMIは80年代初頭から活動する全国をギター一本で旅するブルースシンガー。〈歌う〉というよりも歌が〈乗り移る〉ような情感込めた演奏は「イタコ」という表現がぴったりだ。有山じゅんじ、憂歌団ら大阪のミュージシャンや甲本ヒロト、遠藤ミチロウら生粋のロッカーとも親交が深く、代表曲「ホワイトソング」は小谷美紗子や遠藤ミチロウもカバーしている。
山中一平とのコラボのきっかけは両人とも春一番の常連出演者であることから。春一番は1971年から現在まで40年以上続く今のフェスの先駆け。中川イサト、加川良ら重鎮から曽我部恵一、LOST IN TIMEら他フェスでも中核を成す面々、またヤマヒロ(フリーアナウンサーの山本浩之)や上方落語きっての爆笑派、笑福亭福笑まで揃う、ロック・フォーク・ジャズ・音頭に諸芸と何でもござれ、関西シーンの象徴的イベントだ。
本作はあべのぼるについて歌われた2曲を核とした全6曲。表題曲「河内音頭 あべのぼる一代記 不常識」では山中一平が”エンヤコラセー”に乗せてあべのぼるを描きだす。曲の最後にはあべの楽曲「オーイオイ」を引用し、大合唱が起こるニクイ構成。AZUMIの歌う「あべのぼる物語」は美しいアルペジオに乗せてあべの詩や名(迷)言やエピソードが語られる。冒頭のイカツイ言葉もこの曲の歌詞の一部だ。AZUMIの思いが移りゆくまま、歌詞や構成はその都度変わる。爆笑と感動が同時に押し寄せる究極のインプロビゼーションブルースだ。
大阪の音楽を生み出し続けてきたあべのぼる最後の仕事、河内音頭・関西フォーク・ブルースという古くから大阪印な天然素材をごった煮にして今に進化させた。あべを知らずとも大阪の〈濃い味〉をしゃぶりつくした気分になる。ここに大阪の音楽が全て凝縮されていると断言できる。(峯大貴)
bacho、彼らは姫路で結成されたエモーショナル・ロックバンドである。2013年のFuji Rock FestivalにはROOKIE A GO GO枠で出演した。2002年から活動を続けてきた彼らにとって、10年以上を経たルーキーとしての注目は遅すぎたかもしれない。
『レコンキスタ』は彼らの6曲入り2ndミニアルバムだ。繊細なコードの響き、それでいて荒いギターの音、シャウトやスポークンを織り交ぜるボーカルスタイル、メロディを整えることよりも優先されて詰め込まれる日本語詩、その全てが少年のように無垢である。eastern youthやbloodthirsty butchers等が確立したジャパニーズ・エモはその熱量と泥臭さを薄めることなくしっかりとここに受け継がれている。
“エモ“という音楽をたどれば、80年代のUSハードコアまで遡る。それは、時代を席巻していたUKパンク、UKハードコアに対して、溢れ出す怒りの感情と共に自分たちの存在を荒々しく示す実践だった。1980年頃におけるハードコア、パンクという視点ではUSは”辺境“、UKは”中心地“であったのだ。日本でもeastern youth、bloodthirsty butchers、cowpers、キウイロール、my chordといったエモバンドたちのシーンを育んだ札幌は言うまでもなく”辺境“だ。つまり、”エモ”は生来的に、”辺境から中心地へのカウンター”という性質を持っているのではないのか。
だからこそbachoが姫路という辺境から叫ぶことにエモとしての必然性を感じる。古き良きエモを10年以上やり続けてきた彼らが未だ姫路に基盤を置いて活動し続けている、という姿勢は、エモとローカルの親和性を再確認させてくれるのだ。
90年代後半以降、“エモ”という音楽要素はあらゆるロックの中に組み込まれ、“エモーショナル・ロックバンド”は量産された。一方ではそれに対してハードコア的なアプローチで“量産型エモバンド”との差別化を計るバンドも現れた。だがbachoはそのどちらでもなく、元来的なジャパニーズ・エモを10年以上やり続けてきた。その無垢な気持ちとストイックな姿勢、そして上述したローカル性は、まさしく“エモ”の本質的な要素だ。“本物のエモ”、なんてコピーは何十回も見てきた。でもその言葉に値するバンドはそれよりも少なかったと思う。bachoは不器用なまでに本来の意味での“エモ”を貫いてきた。その姿に胸が熱くなり、一緒に拳を振り上げたくなるのだ。(中野)
関西のハードコアを語るとき、SxOxBの存在は避けて通れないだろう。1985年結成の彼らはUKハードコアとスケボーカルチャーを取り込んだUSハードコアからの影響をハイテンポなブラストビートで体現し、スラッシュやデスメタルなどに接近。RAPESやOUTOと共に、ナパームデスほか、グラインドコア、パンクバンドに多大なる影響を与えている。メンバーであるkawatakaのドライヴィングパンクバンドANTI-SPECTACLE(FIRST ALERT、drillmanらのメンバーも参加)は、H.M.VやTOASTなどの京都ハードコア勢と京都今出川ソクラテスでライブすることが多い。
エモーショナルなインストゥルメンタルミュージックに重きを置いたハードコアバンドであるNAIADの存在も大きい。叙情ニュースクール、激情ハードコアとも称される彼らはNOTⅡBELIKESOMEONE、BURNING SIGN、bacho、nim、LABRETなどと共鳴しあう。華やかな街である祇園の地下で大音量のハードコアパンクを轟かせていたウーピーズが閉店し、彼らの活動地域が失われたのも数ヶ月、京都にはグローリー、ガタカなどの新しいライブハウスが生まれ、むしろ活動場所が増えたという印象もある。
大阪のパンクバンド代表は? と言われたら、間違いなくSPREADを挙げる。AIR JAMを中心としたメロコアブーム初期から活動し、1997年にTime Bomb、2000年にSyft Recordsからと、地元レーベルからリリースしたことも重要だ。メロコアバンドが次々と解散し、ブームも過ぎる中、アルバムやマキシシングルをマイペースに、着実にリリースを重ね、2013年に『TONIGHT ep.』を発売。これぞSPREADと言わんばかりの疾走感のある力強いメロディックパンクロックをかき鳴らしている。十三ファンダンゴや心斎橋パンゲアなどのライブハウスではRAZORS EDGEをはじめとした関西パンクバンドらと演奏を重ね、ときにもがきながらも彼らは己の道を突き進む。
東京から京都に拠点を移して数年、パンクロックレーベルsnuffy smilesも京都二条のライブハウスNANOほかで不定期でイベントを行なっている。AIWANA、LIQUID SCREEN、SANHOSEなどの京都勢をフックアップしつつ、各地のメロディックやポップパンクバンドから海外のアーティストまでを幅広く招く。しかし一貫しているのは全てのミュージックがグッドメロディーだというところ。Husker Du、The Replacements、Dag Nastyらが持つソリッドで不滅のポップネスを持ち合わせているパンクロックバンドはまだまだいる。
ナニワのハードコアバンドMASTERPEACE、envyと双璧を為すCORRUPTEDなど、ピックアップすべきアーティストは多いが、これは関西のハードコアやパンクシーンが充実していることを意味している。
西日本最大級のインディペンデントフェス『FREESTYLE OUTRO』や天保山ベイサイドジェニーにて一時代を築き上げた『HARDCORE PRIDE』など老舗ハードコアイベント、GOOD4NOTHINGとTHE CHINA WIFE MOTORSによる『SAKAI MEETING』、10-FEETの『京都大作戦』、HEY-SMITHの『HAZIKETEMAZARE』など、関西勢が中心となったフェスティバルも開催されている。こうした動きやバンドを支える各地のZINE製作者やディストロ、地元のレコードショップ、レーベルなどとの強い繋がりがこのシーンの特徴なだけに、木だけを見ず、森を見渡すことが重要だ。(山田慎)
国民的アイドル嵐『LOVE』収録曲「sugar and salt」に編曲・作曲で参加するなど、関西というカテゴリーを飛び越え、日本を代表するヒップホップバンドとなった韻シスト。そのMCを務めるBASIが自身のレーベルBASIC MUSICからドロップした本作は、田我流や鴨田潤とのコラボで話題となったEVISBEATSが15曲中9曲でトラックを提供。
再生ボタンを押した瞬間、ガムランがサイケデリックでオリエンタルな雰囲気を絶妙に作り出す。これぞEVISBEATSと言える独特なトラックだが、それに全く埋もれることのないBASIのラップスキルの高さはさすが。それはYouTubeにて公開されているMV「It's all good」や「タイミング」などでも聞くことができる。
「Clap Ya Hands」では"ブッダのように撃つ用意"というリリックが飛び出すものの(Buddha Brand「天運我に有り(撃つ用意)」からだろう)、ギラついたフロウは見られず全体的には柔らかさや優しさに溢れ、ソウルフルでいてあくまで自然体。収録時間56分と長尺であるがダルさを全く感じることなく、調和の取れた作品である。ラテン/ボッサの歌姫AZ CATALPA、オーサカ・クラシックの黎明期を構築した茂千代などが参加しているため、関西ヒップホップシーンを体感することもできるはず。配信限定シングル『笑み feat. EVISBEATS』を含めて本作が完成するという試みも面白い。(山田慎)
淡々と刻まれるギターリフ、そしてリズム。華々しさは全くと言っていいほど無いに等しい。しかし、本作は"テン年代のオルタナティブギターロック指針盤"と名付けてもよいほど優れた作品に仕上がっている。そしてこれほどまでにBPMを自分たちのモノにしたバンドはいただろうか?
京都/枚方在住のメンバーからなるbedの3枚目は前作『ON OFF』と同じく、3P3Bからのリリース。ASPARAGUS、SHORT CIRCUITらを聞いて育ったメロコア世代の彼らは、今やレーベルの看板を背負うまでに着実に成長。そして最高の高みに到達した本作は"bed節"を随所に散りばめているのが特徴。緩やかなギターストローク出だしからじっくりと熱量を上げていく1曲目「飛距離」、ミュートリフが効いた「通り過ぎたばかり」はUSインディーロックの良心Pinbackの傑作曲「Non photo blue」の再来かと思わずにいられない。2本のギターでアルペジオを丁寧に紡ぎながら(間奏の透明感はまさにスマッシング・パンプキンズ! )切なく散っていく「Wall」は彼らの集大成とも言える曲だ。続く「naked」「ピリオド」も山口と山本のギターによるアルペジオから中盤のコードストロークでアッパー感を出しつつ、終着点の温度を下げるところはbedらしさと言えよう。名古屋のStiff Slackからリリースした7inch『Still Dawn EP』に収録した「自転車」は再録したことで音の輪郭がくっきりと蘇り、妥協することなくレコーディングに取り組んだことが伺える。制作期間にtofubeats、ハロプロ界隈、Tomaton' PineなどのアイドルやJ-POPをよく聞いていたという山口のメロディーセンスが発揮された「日々の途中」も聞きどころ。
メンバー全員が働きながら週末にスタジオで練習し、マイペースにも結成8年目を迎え、ついに三十路へ突入。日々のやるせなさにもがきながら、それでも生きていかなきゃならない環境がある。"僕らは僕らでやってる。それなりに楽しくやってる"と同胞ら(odd eyesやmy exなど)と共に歌う「僕ら」に共感する人も多いだろう。
今ここに届けられた10曲は、冒頭に書いたように目新しさも豪華絢爛な要素もない。しかし聞き終えてみると、bedらしさが存分に表れた作品であることを実感できる。その要素がBPMである。全ての曲が125-135くらいのリズムで進行することに気付く。早くもなく、かといって遅くもない。通常、アルバムには緩急をつけた曲で構成されるが、bedは常に一定のビートを保つ。それらを飽きることもなく聞き続けることができる理由、彼らのBPM帯が存在し、それが"bed節"を形作っている。流行りのBPM200で四つ打ちの曲は皆無。ライブもbedのBPM帯で盛り上がるということも素晴らしい。心地良いほどのテンポ感を掴みとったbedはバンド史上最高の作品を僕らに届けてくれたのだ。(山田慎)
1年前、東京から大阪に来て思ったのは、大阪人というのは、面白ければなんでもよくて、楽しいことが大好きで、各人の個性が強く、時に人情味あふれる人たちのことをいうのではなかろうかということだ。
カルメラは、ホーンセクションを主体としたインストゥルメンタル・ジャズ・ロックバンド。ジャズ、サンバ、ラテン、ソウル、チンドンなどをミックスさせ、大阪人らしいそれぞれの個性の強さとチームワークの強さを兼ね備えた、底抜けに明るく、楽しく、時に人情味あふれる切ないサウンドを展開している。バンド名の由来は新世界を舞台にしたとされている漫画「じゃりン子チエ」のカルメラ兄弟より。大阪、特にミナミを意識しているバンドであることが伺える。
2007年に本格的に活動を始め、以降、大阪を拠点に活動してきた。2011年にはジャズシンガーのakikoやSOIL&“PIMP”SESSIONSとも共演するなど、在阪バンドでありながらも、注目を浴びて実績を積む。前作の『千日前 HIGH COLORS』では日本橋と難波の間のカラフルな看板の立ち並ぶ商店街、千日前をタイトルに取り上げるなど大阪への愛着は強い。そんな中2013年3月に大阪卒業ライブを心斎橋BIG CATで大盛況に終わらせ、大阪人の面白さを全国に広げるために、活動の拠点を東京に移して本作のリリースに至る。
本作の収録曲は、新曲だけでなく、「Swallow」、「FLAMINGO」といった以前の作品からの再録や、ニルヴァーナの「Smells Like Teen Sprit」やビートルズの「Ob-La-Di, Ob-La-Da」といった普段、ホーンセクションのある音楽を聴かない層にもおなじみの曲が選ばれている。アレンジもホーンセクションの特徴である明るく楽しくを全面に押し出している。例えば、混沌とした暗いイメージの持つ「Smells Like Teen Sprit」では、辻本美博が、フラジオ(通常運指では出せない高音)を効果的に使い、クレイジーに、アルト・サックスを介して歌う。
ある特定の楽器がフィーチャーされる箇所では、各メンバーが個性の強い演奏を展開する。しかし、テーマ部では息のそろったユニゾンを聴かせてくれる。曲の展開ごとに各人の役割を自覚しながら、チームワークよく合奏するあたり、お見事!個性的だけど、“人情味があって、面白いことのためにはなんでもやる”大阪人の人間性が垣間見られる。
本作は、東京23区を北東と南西をつなぐ「半蔵門線」というタイトルに表れているように、東京中を、そして日本中をカルメラ旋風で、大阪人旋風で巻き込んでやる、という意気込みを感じさせる作品である。2014年2月26日には新作「ゴールデン・バラエティー」がリリースされる。これから、カルメラ旋風が日本を襲う日が来ると思うと、楽しみである。(杢谷栄里)
「戦国時代」では収まりがつかないほど多様化するアイドルシーンであるが、その中でもバニラビーンズ、Negicco、lyrical schoolなどいわゆる「楽曲派」を魅了する良質な楽曲を届けているのが、タワーレコードが運営するレーベルT-Paletteである。そこが2013年、目をつけたのが3人組中高生ユニット、キャラメル☆リボンである。“一、十、百、千、千林~”(byデュークエイセス)の商店街でお馴染み、千林に位置するESSEアカデミー所属、妹分のNA-NAも同時にT-Paletteに加入した。
本作はT-Palette第1弾となる4thシングル。表題曲「スタートリボン」はLinQも手掛けるSHiNTAが作曲・編曲のダンス・チューンで、広瀬香美を思わせるバブルの派手さを残した、歯切れの良い90年代J-POPど真ん中。矢野博康や西寺郷太らの「洋楽にまで目が行き届いた日本のポップ」の要素も感じられる。ライブでも変わらない確かな歌唱力、会話そのものが漫才になっている大阪丸出しの高いトーク力といった魅力は、「独自の路線」を狙い過ぎる細分化の現代にカウンターを浴びせる。
80’sアーバンなEspecia、ライブ人気の高いいずこねこ、スターダスト所属のたこやきレインボー、路上から噂を広げたクルミクロニクルとそれぞれのアプローチを展開する大阪のアイドルであるが、最も真っ向から勝負を仕掛けているグループである。(峯大貴)
フロム大阪。PKNY(Vo、Key、Laptop)、MTG(Vo、Key、各種効果音)、SYNTH先輩(Vo、Key、フラフープなどの自由な動き)により2009年末に結成されたのがCASIO☆トルコ温泉だ。名前の通りカシオトーンを多用するバンドで、3人それぞれ、自分で作った歌は自分で歌う方針。その可愛くてへっぽこな音色をおさめた10曲入りの1stが本作である。ユーモラスでへんてこで、ちょっとエロい。そしてサンプリング・ミュージックの楽しさを感じる作品だ。
「性の目覚めのコーナー」ではTBSラジオの番組『月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』の投稿コーナーを(おそらくほぼ加工せず)流し、そこにチープなキーボードの高速バックトラックを重ねる。普通にラジオが面白くて聞き入ってしまうが、段々BPMの速さに頭がぼんやりしてくる…。他の曲でも、童謡っぽい音源、民謡っぽい音源、色々な音が、温泉でのぼせたときの様にくにゃりと曲がって聴こえる。
MTGのブログでは、リサイクルショップで収穫したバカジャケレコードやプリキュアキーボード等が紹介されているのだが、そのナニコレ感を醸した物達を音ネタに生かしているらしい。場末感漂う掃き溜めに抽出と変換を施し、ごみできらめく世界を提示するこの才覚といったら!(松浦未来)
大阪を中心に活動し、結成10年を超える4人組ロックバンド"チッツ"の3曲入りニューシングル。DODDODO、オシリペンペンズの石井モタコ、neco眠るの森雄大によるレーベル『こんがりおんがく』から2012年7月にリリースされた1stアルバム『おはよう』では、どうしようもない若者がチープでダンスビートな歌謡ロックをぶちかまし、リスナーたちは毎夜、枕を濡らしたわけであるが、早くも僕らのチッツが帰ってきた。
特筆すべきは、ライブの定番曲「おはよう」が満を持して音源化されたことだ。というよりも、このタイトルで何故『おはよう』に収録しなかったのか! チッツらしいと言えばそれまでだが、兎にも角にも毎日聞けることが最高に嬉しい。
M1「おはよう」は"ツッタツッツタ、ツッタツッツタ"というドラムのリズムから始まり、ギターとベースが気持よくコードストロークされる。そして"ドゥッドゥッドゥード、ドゥッドゥッドゥッドゥードゥ"と、ベースラインがリフを刻む。これは「モータウン・ビート」と呼ばれる印象的なリズムで、古くはザ・スプリームス「恋はあせらず」が有名だ。
モータウン・ビートに少しガレージっぽさのある歌謡ロックを練りこんだ「おはよう」。思わず飛び跳ねて踊りだしたくなるような軽快なリズムが特徴だが、チッツの場合は切ないメロディーと、やるせなさや、うまくいかない日常を歌詞にすることで(例えば歌い出し"何となくここまで来たけれど やり直しできないことばかり 肩すかし期待はずれだよな 燃えつきて心は灰になる")、踊りながらも泣いてしまいそうになるという、不思議な現象を生み出している。
"ドキドキしちゃうよサタデイナイト 心歌い出す"とポジティブに歌われるM2「キャロル」、ミッシェル・ガン・エレファント『Chicken Zombies』から『ギヤ・ブルーズ』の「キラー・ビーチ」辺りの空気感のあるM3「魔法をかけて」はチッツの新境地と言える曲調で、次作に期待感が高まる。
録音/ミックス/マスタリングは森雄大が担当。自主制作音源ということもあり、エジプトレコード、ほ〜ぷ軒、蒼月書房、ピンポン食堂、おしゃれ童子など、一癖も二癖もある大阪のお店が取り扱っているのもよい。
スパイラルライフ「Game over」、布袋寅泰「POISON」、クーラ・シェイカー「Hush」、広末涼子「MAJIでKOIする5秒前」、ザ・ストロークス「Last Nite」など、モータウン・ビートを取り入れた楽曲は筆者の音楽青春時代を形成しているが、音楽に興奮していた若かりし頃の記憶を、チッツが呼び起こしてくれたことに一言。おおきに!(山田慎)
「健康優良不良ポップ」バンドと称される彼らの2ndミニアルバムが本作だ。
歯切れの良いキャッチーなギターサウンドと相反するように、朝日(Vo&G)の書く詞は痛切だ。“僕にはついて行けない 時代の流れにも 何とか食らいつく毎日だ”と歌うM1「新聞少年、街を往く」に始まり、“フラフラ歩く僕の才能はなんだっけ そんな風に思うと時々死にたくなるんだよな”と歌うM5「鉄腕ナインティーン」で終わる。
群衆にまぎれ情報に流され、足元のおぼつかない“僕”がいて、そのぼんやりとした“僕”は“食らいつく”ことや“死にたくなる”ことでなんとも言えない悔しさや、情けなさを感じながら日々を淡々と生きている。しかし一方で、“どうやって こんな自分に負けないでいけばいいのか(中略)死なない声を探”そうとする(M2「死なない声を探す」)。彼らは、平成生まれが背負った「混沌とした時代を生きる」という宿命を切に代弁しているような気がする。
メンバー構成は男性2人(Vo&GとDr)に紅1点(B)の3人組。出身は大阪府堺市。堺といえば、『河内のオッサンの歌』ミス花子(1976)の歌詞にもあるように“よう来たのワレ”“オンドレ何さらしとんど”と生まれた時から巻き舌をさらされる河内地方にある。少し足を伸ばせば、グレイトフルOSAKA西成区があり、カップルが昼間に歩くとアル中のオッサンがワンカップの空き瓶を投げつけてくるという、ネガティブなのか陽気なのかよくわからないミステリアスな空気に包まれた地域である。
そんな土地で青春時代を過ごした彼らは、強く逞しくバンド活動を続けた。高校時代の初期メンバーだったギターが脱退したり、客席ゼロのステージを経験したこともあった。しかしライブを精力的に行い続け、KANA-BOONやオトワラシらとの共同イベント「ゆとり」を京橋、堀江、梅田、下北沢の4カ所で開催(現在このイベントは終了)。2012年の夏には「出れんの!?サマソニ!」の東京ステージ出演を勝ち取った。
そして現在、朝日はメロディメーカーとしての才能を発揮し、「石風呂」としてYou Tube上でボーカロイドの楽曲を次々と公開。そこには、中高生とおぼしき人々から絶賛・支持のコメントが沢山書き込まれている。
彼らは本作で次のようにも歌う。“いつだって夢を持ち続けて 馬鹿にされてしまうけれど それが僕らだ”。(鉄腕ナインティーン)
敗者意識が強くて、弱虫なのに強がりで。今を「生きにくい」と感じる若者にこそ聴いてほしい、根底に大阪のあたたかい人情味が感じられるバンドだ。(小野早紀)
配信サイト「monster.fm」の作曲家・植松伸夫(ゲーム音楽作曲家。主にFFシリーズを手がける。自称プログレ博士)によるバンド紹介にはこうある。「『プログレ』とは音楽の一ジャンルを指す言葉ではない。Djamraを耳にすればそれがわかる。ミュージシャンが挑戦し続ける生き様こそを『プログレ』と呼ぶのである」。
Djamra(ジャンラ)は大阪を拠点とするジャズロックバンドである。メンバーは、中来田正晴(B)、北村信二(アルトサックス)、榎本明宏(Dr)、かわださやか(トランペット)、福田岳彦(Key)である。1994年に結成され、大阪、東京、そしてヨーロッパでライブ活動を行っている。2011年には東京スカパラダイスオーケストラとともに日本代表としてメキシコで行われた音楽フェスVive Latinoにも参加している。
本作はタイトル通り、サーカスの様々なアクロバティックな演目を予測不可能な音楽性で表現している。たとえば、「足つりピエロ」。倍転を利用し、曲のノリを展開によって変えている。これにより、ピエロの陽気さとアクロバティックな曲芸、そして幽玄さを表現している。続く「虎とブランコ」では美しいピアノソロの前奏から始まる。しかしそれを打壊すように速弾きユニゾンフレーズを決めるサックスとトランペットや、ドスの効いたベース、ガタガタしたドラムスが現れ、まるで違う曲かと感じてしまう。8ビートから始まる「アサシン イン シン」。途中の展開で奏でられるシンセの音はさながら水溜りに水滴を落としたかのように幽玄。やがて、シンセは低音へと移行し、狂ったようなサックスはジョン・コルトレーンの「マイ・フェイバリット・シングス」のようである。複雑な曲ばかりではなく「ロジック」のように、シンプルな四つ打ちドラムスから始まり、ずっと同じ展開で終わるシンプルな曲もある。
ジャンルの壁を縦横無尽に行き来した結果生まれる前衛さ。まさにプログレ。
結成以来、東京に拠点を移すことをしなかった。度々、海外ツアーに呼ばれ、フランスのレーベルからのリリースも経験している。また、1999年に行った対談*によると、メールの登場により、地域の枠を越えたつながりができることとそして、同時多発的に何かが起こることを予測した発言をしている。東京、東京以外の複数の地域から、同時におもしろい音楽/音楽シーンが生まれ、メールを介してそれらが交流し合うことで、大きな音楽/音楽シーンの動きが生まれることであろう。以上のことから、東京に出る必要性を感じてこなかったからだろう。
インターネットが発達した2014年現在、東京以外の地域を拠点にした音楽活動形態も当たり前になった。それを予測し、大阪に居続けることに挑戦した。東京に出ることが当たり前の時代に東京に出る選択をしなかった。その生き様もまた、「プログレ」である。(杢谷栄里)
*http://sound.jp/nega/djamramotorhumming.html
“どっどど どどうど どどうど どどう”。宮沢賢二の童話『風の又三郎』で繰り返される歌詞だ。DODDODOの2ndアルバム『ど』は、このフレーズに色々な人から採集した“ど”の声をコラージュして幕を上げる。DODDODOのDO、ドレミのド、ローカルな意味での土、勢いの弩、感情の怒、体温の℃、あれこれの意味を含んでいて、楽しい音。声帯を震わせる有声音の“ど”の繰り返しには、身体があって嬉しいなと思わされる。
また、“関西ブレイクコア界のディーヴァ”“浪速のサンプラー奇術師”と呼ばれた1st時代と比べると、本作はブレイクコア要素が薄まり、童謡のような歌の世界にぐっと踏み込んでいる。親しみやすいメロディを、猫の鳴き声、硬い玉の転がる音など、ローファイな感触のサンプリング音諸々が元々の持ち味である強いビートとともに彩る。そうしたにぎやかな音の仕掛けは、私たちの皮膚や骨、内臓に至る全身を力強く震わす。これは単なる比喩ではない。実際のところ音は大気を通した振動であり、耳だけでなく、身体全体を使って音を聴いていると思い知る。『ど』は身体性の高い音楽だ。
ところで、今回のリリース元の“こんがりおんがく”。DODDODO、森雄大(neco眠る)、石井モタコ(オシリペンペンズ)の関西アーティスト3人が2010年に設立した自主レーベルである。テーマは“自分たちのことは自分たちでやる”。この、手を動かしてなんぼのインディらしいDIY精神と、前述のDODDODOの音楽の身体性の濃さ。二つの要素はリンクしている。出身地大阪で、自分たちの手で仕事をして、という生活への接近は、体に直接響くDODDODOの音楽と相互に干渉しあい、楽曲に説得力をもたらす。
こうした生活と音楽の近しい関係の上で繰り広げられるのは、自宅でたぬきと呑み明かしたり、樹や風になってみたりと、なんとものんびり牧歌的な歌詞の世界だ。ただし、終盤が近づくにつれ、のんきな楽しさにとどまらない懐の広さに気づく。茨の道を選択するたくましさに対する、そうはできない人からの憧憬があり、そうしたやるせない立場を優しさをもって眼差しているのだ。ここまでたどり着いたとき、1曲目の“ど”の音のつるべ打ちから炸裂する奔放な無邪気の内に、実家のような包容力の混在を発見する。身体を意識させる音に、優しい歌詞が載り、それを演奏しているのは座敷童のようなルックス(ほめ言葉)の女性。子どものようでいて、大人なようでもある、不思議なバランスの作品だ。その不思議さはふわふわしたファンタジーではなく、ナマでフィジカルな力強さに裏打ちされている。(松浦未来)
ソウル、ブルースといった黒人の伝統音楽は、いつだって日常に潜む非日常や、その奥にある狂気をあぶり出すためのものだったのではないだろうか。京都のフィメール・バンド、ドクロズが2013年作『Epcot』において描くのは、女性がこの世界を生き抜くに際しての秘め事や届かない夢。それらを皮肉交じりの隠喩と、時にユーモアをこめて歌い上げる。チェロで吉田省念(ex.くるり)が参加した前作『遅い昼食』が、一聴すると穏やかなフォーク色の濃い作風だったのに比べ、本作は黒く太い疾走感ある音に仕上がっている。
ドクロズは95年に嵯峨芸術大学で結成され、オリジナル・メンバーはあさこ(Vo, G)とオヤビン(B)の二人。当初ギターを弾いていたソーが現在までほぼ全ての作曲を担当する。本作製作時のメンバーは他にミユキ(G)、ヅマ(Dr)、くるりのメンバーでもあるファンファン(tp)である。1曲目「恋のドライブ」の始まりのギター・リフで、ローリング・ストーンズのブラウン・シュガーを私はまっ先に連想した。大量消費的ポップスとは一線を画す音。この直球ストレートなロック・ソングの歌詞を見やると、まだ歌のヒロインは恋人に出会っていない。盲目に突き進む孤独のドライブなのだ。打って変わって「心のしくみ」は子ども達も歌えそうな“みんなのうた”。スイングするトランペットの響きとゆったりとしたドラムで揺れる思いを表現する。4曲目の「なんてビュー」でもちょっぴり切ない夢見がちな女性を演じる。一転、鋭く不穏なギター・リフがくすぶる炎のように二人の愛を包み込む3曲目「しみったれてる」からは、私はドクロズを襲ったあるボヤ事件(注)を思い出した。四日市のとあるバーでのライヴでメンバーの足元から煙が上がったことがある。後にマスターのいたずらだと判明したが、演奏をやり遂げた彼女らは怒る素振りも見せず、むしろ面白がって興奮していた。そして同様の雰囲気の6曲目「太陽がとどかないところ」では自らの音楽を許されない情事に例えているようだ。
ところで本作には京都の女性デュオJBのカヴァー「セブンゴッズ」も収録されているが、JBとはふちがみとふなとの渕上純子とex. アーント・サリーのbikkeによるユニットであり、bikkeはドクロズにサポート・ギターとして参加することもある。勢いのあるこのカヴァー曲には、京都のフィメール・バンドの系譜を受け継いでいこうとするドクロズの意志がはっきり現れている。妊娠、出産などの都合でメンバー・チェンジは時折あるものの、泥臭いブルース、ソウル、フォーク・ミュージックを演奏し力強い生命力を放ちながら、彼女らはいつまでもマイ・ペースにのびのびと活動し続けるだろう。(森豊和)
(注)文中のボヤ事件 撮影は筆者で、あさ子さんの許可を得て公開しました。
http://www.youtube.com/watch?v=Ja4NNV0YMjw
ザ・フォーク・クルセダーズや岡林信康ら関西アングラフォーク、ウエスト・ロード・ブルース・バンド(以下WRBB)らブルースバンド、ULTRA BIDE など関西NO WAVE、BO GUMBOS、くるり、レイ・ハラカミ、キセル…と挙げ出すときりがない京都の音楽。ロック、フォーク、ブルース、エレクトロニカと全方位的に独自の音楽を生み出し続けており、本稿の文字数で現在の京都シーンの全容を解説は難しい。そこで別の切り口から見ると、京都を彩ったシーンには一つの特徴がある。それは意外にもシーンとしてのムーブメントとしては短命だということだ。これは日本一大学生が多い都道府県であるがゆえに、「大学生主導の自主自立型音楽シーン」原因ではないだろうか。試しにこれらのバンドを大学別に記す。
同志社大学:岡林信康、WRBB、ULTRA BIDE(JOJO広重)
龍谷大学:ザ・フォーク・クルセダーズ(加藤和彦)
立命館大学:くるり、キセル
京都大学:BO GUMBOS(どんと)
京都造形芸術大学:レイ・ハラカミ
とほとんどが京都の大学生で、大学時代にキャリアをスタートしている。この傾向はモラトリアム期間であるがゆえに思い切りのいい音楽性や活動形態、シーンとしての連帯感が生まれる一方で、常にタイムリミットを意識した活動となってしまう一面もある。70年代WRBBと共に京都ブルースシーンを彩ったブルー・ブラッド・ブルース・バンドの多田タカシは京都ブルースシーンの終焉の原因について次のような発言もしている。「当たり前やけど、もうみんな卒業するんですよ、大学を。同志社系も。ウェスト・ロードも卒業したし、服田さん(筆者注:ブルースハウス・ブルースバンドのG、服田洋一郎)も卒業したし、入道(注:同バンドVoの西村入道)も卒業したし。…そしたら、京都じゃ仕事ないわけですよ、音楽の仕事。」*
そんなローカリティの強さと大学生文化が盛んであるが故の危険性は今も変わらずあるが、現在も大学生ながらにして精力的に活動しているバンドは数多くいる。2013年のポピュラーカルチャー学部設立で話題を呼んだ、京都精華大学には4人組Homecomingsがいる。90年代インディーギターポップサウンドで昨年SECOND ROYALからデビューしたかと思えばフジロックにも出演、現在の京都シーンの勢いの良さを象徴するようなバンドだが、2013年福富優樹(G)の所属するゼミの卒業プロジェクトでライブイベント「船岡湯けむり音楽祭」を開催するなど大学のカラーからも影響を受けた活動が伺える。
立命館大学で特筆すべきは男女2人組デュオHi,How are you?。曽我部恵一のROSE RECORDSから2月にアルバム『?LDK』を発表したばかりで、京都から全国への道を着々と進んでいる。同じく男女2人組といえど個性的なキャラクターのギターボーカルと華奢な女の子ドラムのメシアと人人(にんじん)はまだ音源リリースはないものの、ボロフェスタで取り上げられるなど京都シーンの中で頭角を現してきている。ブッチャーズばりの轟音ギターにへなちょこでいびつなユニゾンで“おっさん何かわかったのか おばはん何がわかったのか”と歌うアケスケなサウンドが魅力で、これからが楽しみ。また4人組モダンブルースロックバンドThe Foglandsも現役立命館生として注目株、70年代とはまた違う新たな京都ブルースを定義している存在。Homecomingsや同じく京都のHAPPY、神戸のThe fin.らと共に関西インディーとして東京の森は生きているや失敗しない生き方らに対抗できる一団となるのではないだろうか。
もちろん今挙げた中にも大学生という時代の徒花となってしまうものもあるだろう。しかしそんなハタチそこそこのバンドでもライブハウス、イベント、レーベルでフックアップされれば即シーンの中心を担わせる、一人前に育てる度量がある土地なのである。またフックアップする側の大人たちも“音楽業界”というものに染まるわけではなく、ある種大学時代からのモラトリアム&アマチュアリズムの延長線上であることを魅力としてシーンを動かしているような気がするのである。その最たるものがボロフェスタのDIY精神であろう。(峯大貴)
*安田昌弘.京都とブルースはどう結びついているか─文化のグローバル化とせめぎ合う空間性. 2012年http://www.kyoto-seika.ac.jp/researchlab/wp/wp-content/uploads/kiyo/pdf-data/no41/yasuda_masahiro.pdf
大阪在住のシンガーソングライターによる初の全国流通盤。これまでにWorld’s end girlfriendやテニスコーツ、Serphなどの作品を発表してきた“noble”からのリリース。
単音のピアノとチリチリとした電子音。一音一音つむがれるアルペジオ。音数の少ないトラックの隙間を埋めるように、やさしく、おそろしく深い歌声がひろがる。”夜”をテーマに鳴らされた10曲。リバーブがかかり響くビートは、それこそ夜の深さを表しているよう。静かな深い夜は、7曲目、4つ打ちのビートとシンセの音色がアルバムのなかで派手に映える「自転車狂想曲」で空気を変える。上昇するメロディをもって、夜は夢という大きな広がりを連れてきてくれること、夜は暗いだけのものなんかじゃないことを思いださせてくれる。
その吐息まじりの歌声や幻想的な音づくりから昔の七尾旅人を想起したが、実際に土井は七尾旅人に衝撃を受けたという。七尾旅人は音楽をするために若くして高知から上京したのだった。しかし、土井は2010年、大阪にいたまま、メールを送れば郵送で音源が届くという方法でアルバム『んんん』をリリースする。時代はもう、東京に飛びでることを必要としなくなった。夜がきちんと明けてくれる気配を携えた最終曲「夜明け前」のワルツのリズムに大阪の朝空を思う。(カワダユウミ)
ゑでゐ鼓雨磨と柔流まぁこんによる、姫路のアシッドフォークデュオ"ゑでぃまぁこん"が水谷ペルサモ康久(MUTANT)、楯川陽二郎(ボアダムス)、元山ツトム(ex. OUTO、RISE FROM THE DEAD)をメンバーとして迎え、録音を稲田誠(SUSPIRIA/棚レコード)が担当。その事実だけでこの作品がいかに重要かを物語っているが、これまでの楽曲を録り直した今作はベスト盤的な位置付けと言えよう。
ときに妖艶で、神々しさのあるサイケデリックなフォーク・ミュージックが静かに鳴らされる。ゑでゐの声は決して綺羅びやかではないが母性的であり、全てを優しく包みこんでくれる様。嵐が起こっても、彼女の声が穏やかな日常を取り戻してくれる。そんな力を持っている。ピアノとアコースティック&ペダルスチールギターによる調の美しさと、ポップな仕上がりが印象的なM7「轟々」は本作のハイライト。
アルバムとしては『綿の煙の招待状』以来の作品。全国流通ではないため購入場所は限られるが、金箔をあしらい、見開きとくり抜きによる立体絵本の様な特殊仕様のジャケットをぜひ手に取って見て欲しい。(山田慎)
2012年5月21日。EP-4が再始動した。彼らはインターネット時代の今でさえ革新的とされるアイデアを80年代に次々と試みた、京都出身のエレクトリック・ファンク・ユニットである。そもそもEP-4は純然たる音楽ユニットではない。音以外に映像や場のムード、社会現象としての前後の動きも交えてアートとして完成するという信念を結成当初から貫いている。メンバーの死去により、現在のEP-4のライヴはオリジナル・メンバーの佐藤薫(Voice)、ユン・ツボタジ(Per.)、鈴木創士(key)にサポート・メンバーを加えて行われている。
セッションで出した音を切り貼りコラージュしたトラックに、声を乗せるエディトリカルな手法、ファンクに日本土着の音楽、果ては南米やアフリカ等の辺境音楽を編集して作り上げる、なんでもありの感覚。「踊るための音楽に譜面は必要ない」と佐藤薫はいう。幼少期から黒人音楽を好み、70年代初頭には直接海外で買い付けてソウルDJを、70年代末には「ノイズで踊れる場がなければ自分達で」とクラブ・モダーンを作り、集まった仲間で80年代にEP-4結成。パソコンのない時代に、出せない音は機材を工夫して作る、カセット郵送のやり取りで遠距離での共同作業、といった斬新な試みを実践していた。
再始動後のリリース第1弾は、2013年のやはり5月21日に12インチ・レコードのみで発表。原曲よりBPMを落とし身体の奥に訴えかける感覚を重視した「Radioactivity」がA面、クラフトワークのカヴァーである。B面は「Get Baby」。ジェームス・ブラウンを連想する、腰にくるファンク・チューンだ。それを彼らの原点回帰と捉えるか、あるいはA面の「放射能」に対して“産めよ増やせよ地に満てよ”というメッセージと捉えるか。また5月21日にこだわるのは理由がある。ちょうど30年前の1983年の同日に、彼らの初スタジオ録音によるアルバム『リンガ・フランカ-1/昭和大赦』がリリース予定だった。発売日を伏せて「EP-4 5.21」とだけ書かれたステッカーを各地でゲリラ貼付したという。しかし当初予定されていたタイトル『昭和崩御』の自主規制、タイトル変更に伴い同年9月に発売延期となってしまった。そのリヴェンジなのかもしれない。
震災とそれに伴う原発事故の問題が今なお収束せず、7年後に東京オリンピックが開かれることが決まった2013年の今、EP-4が活動している。ユニット名の意味は「地球の四つのエレメントのパワーの集合体」だと噂されている。だとしたら原子力より断然強いし、オリンピック以上の狂騒を繰り広げる。彼らの祭囃子は30年の時を越えて、やっとジャストな時代が来たのかもしれない。クーデター計画は今なお進行中だ。待望の新作フル・アルバムは思いもよらぬ形で事前告知なしにドロップされるかもしれない。(森豊和)
近年Perfumeやももクロの活躍によりアイドルソングに対する偏見がフラットになったような実感がある。他にもAKBの保守性に対するアンチテーゼとして楽曲で勝負するlyrical school(前名tengal6)やTomato n’Pine(昨年解散)らの台頭、AKBの地方戦略に対してローカルアイドルからもNegicco(新潟県)らが脚光を浴びたことも大きい。
多様化するアイドルブームの中で2012年結成されたEspeciaはこの楽曲勝負と地方性の両方を兼ね備えた6人組堀江系ガールズユニットだ。拠点はおしゃれタウン堀江。なんば・心斎橋のほど近くに位置しながらオレンジストリートを中心にミナミ特有の商売気や下世話な空気を排除。古くからの家具屋と新たに参入したセレクトショップ、カフェ、雑貨店が同居している。またB’z、ZARDらを手掛けた音楽制作会社ビーイングの不動産事業がここ堀江を中心に展開しており、カフェ&ライブスペース「hillsパン工場」など若者の街づくりに一役買っている。
そんな地盤からEspeciaが鳴らす音楽は事務所の先輩であるBiSも手掛けるSchtein&Longerによるもの。80年代ディスコやA.O.Rに裏打ちされたグルーヴィーな生音サウンドへのこだわりはアイドルソング特有のミックス(曲を盛り上げるために行うコール)を躊躇うほど。全てがど真ん中本格派なのかと思いきや風貌はバブル期のディスコ民か天神橋筋のおばちゃんのようなハッデ派手、さらに恋愛も自由という思い切ったアプローチも取っている。そこに集まる観客はいわゆる「オタ」のような精一杯応援する人と、うねるベースや煌びやかなホーンやダンスにお酒を飲みながら身体をゆったり揺らす人がいる(ドリンクにアルコールがあることもアイドルのライブでは珍しい)。両パターンが「ペシスト(ファンの総称)」として見事に共存しているのである。
本盤は2nd EP。夕方盤と夜盤の2タイプである。(9曲中2曲が異なる。Soundcloudで全曲フル視聴出来るだけにセコいのか太っ腹なのか・・・)中でも「ステレオ・ハイウェイ」(Norch収録)は演奏とボーカルの調が異なる「複調」でありA.O.Rの巨匠ドナルド・フェイゲンにも見られるアプローチを見事にアイドルポップスに昇華している。また「MIDAS TOUCH」(Norch収録)は山下達郎のカバー。グループのコンセプトの80年代ど真ん中ではなく2005年のアルバム曲を取り上げるところもポップフリークスを唸らせる。
Perfume以降アプローチが多様化し続けるアイドルソングの真打として、また一十三十一やジャンクフジヤマなど近年盛り上がる「シティポップス」リバイバルの一翼も担うものとしても期待だ。だがEspeciaにとっての「シティ」は堀江。今まさに発展中の場所だけに、彼女達は街と共に洗練されて行く。(峯大貴)
ありふれた毎日と、毎日のある瞬間の歌。EVISBEATSの心地よさには、FishmansやPolaris、ハナレグミやキセルなど、ジャンルを超えて、普遍的なことを歌ってきた日本の数々のグッドミュージックのフィーリングとも共鳴する力があると思う。彼らが音楽によって、感情を揺れ動かしながら、嫌でも進んでいってしまう毎日を肯定し、やりぬくための力を人びとに与えてきたように、EVISBEATSにも、そんな大きな歌の力が宿っているとわたしは断言したい。
大阪のアメリカ村を拠点とするヒップホップグループ、韻踏合組合にも所属したトラックメイカーEVISBEATS(a.k.a. AMIDA)。2作目となる今作は、全編を通して大きな川のようにゆったりとトラックが流れていく。アルバムの真ん中に配置された、インドの路地裏での現地民の楽器演奏「ジャイプールの路地裏にて」をはさみ、後半へ向かうにつれて夕暮れを思わせるメロウな歌の比重が増していく。ヒップホップのリズムにのせられるメロディーや民族楽器からは、アジアやアフリカ、日本の要素が感じられる。
田我流を客演にむかえ、いまやキラーチューンともなった「ゆれる」、イルリメの作詞による「いい時間」も収録。「ヨーガ教室」で東南アジア、「海岸を越えて」でシティポップ、「AGAIN」で南国と、旅をするように様々な空気を纏いながら、最終曲「帰りましょ」で日本の童謡へ流れ、聞き手を日常へと帰していく。
AMIDAという自身のMCネームからも分かるとおり、その音楽に仏教の要素が見受けられるところも特徴のひとつ。三木道三が作詞を手掛けた「ギャーテーギャーテー」では、奈良出身らしく“そうや 行ってみよう奈良のお寺へ”とレゲエのトラックに関西弁をのせて歌う。
EVISBEATSの心地よい音を聞いていると、仏教世界の静かな安らぎの境地である“悟りの世界”は「きっとこんな感じなんだろう」とふっと思う。穏やかなトラックに引っぱられるように歌われる言葉もまた、“あらゆるものは常に変化しており、一瞬たりとも同じ時間はない”という、仏教思想の“(諸行)無常”がベースにあるように思う。だからこそ、なんてことのない一瞬に目を凝らし、心をゆらす。
“みんなが夢中になって暮らしていれば/別になんでもいいのさ”と佐藤伸治は歌ったが、あれから10年以上の時を経て、今はEVISBEATSが、なんてことはないそれぞれのいろんな人生を肯定してくれている。
近年はプロデューサーとしての活躍もめざましい。女の子ラッパーの泉まくらや韻シストのMCであるBASIの楽曲をプロデュース。今作同様、穏やかさや懐かしさが感じられる楽曲は、一聴して“EVISBEATSだ”と分かる強い個性を持っている。
2014年には、ももいろクローバーZの新曲「堂々平和宣言」の作曲を共同で手掛けるなど、EVISBEATSの作る独自の楽曲が、確実に全国へと拡がっているという力強い予感と期待を感じさせる。
(カワダユウミ)
近頃、巷で盛り上がっている“高校生RAP選手権”。BSスカパー!の “BAZOOKA!!!”内で放送される素人の高校生によるフリースタイルバトルだが、勝ちあがってくるラッパーに関西出身のヤツらが多いのが印象的だった。
実は関西ではフリースタイルの現場が活発。フリースタイル日本一決定戦でもある“ULTIMATTE MC BATTLE”では、これまでの優勝を関東勢が占めるなか、大阪代表・R指定が2012年、2013年と連覇を果たす。ほかにも、韻踏合組合のHIDADDY、ERONEや、2013年の戦極MCBATTLEで優勝を飾ったチプルソの独特の言語センスなど注目すべきフリースタイルのラッパーは多い。標準語の語尾を関西弁に変えれば、一つ語彙が増える。この関西弁の特徴は、関西のフリースタイルを特徴づけ、強くしているのではと思う。
さて、90年代、日本では第一次ヒップホップムーブメントが起こる。キングギドラ、ブッダブランドといった名前があがるが、関西勢の名前が聞こえてこないのは、当時から“現場”を大事にしてきたがゆえだろうか(情報求ム)。
この時代、関西からはじめて全国区でのリリースを果たし、NASやTHE ROOTSの来阪公演のO.Aを務めたのがDESPERADO。今では関西レジェンドとして語り継がれている(MCである茂千代は2011年にもソロアルバムをリリース)。
00年代に入り、 “ギャングスタ・ラップ”のような貧困層やマイノリティの表現としてのヒップホップを日本において体現し、頭角を表したのが京都・向島出身のANARCHYと大阪市西成区出身のSHINGO☆西成だ。二組に共通するのは、一般的に治安が悪いと言われる地域の出身であり、“貧民街”、“マイノリティの居住地”という意味を持つ“GHETTO”をタイトルに冠したアルバムをリリースしたこと。
ヒップホップがマイノリティの音楽の要素も含むとすれば、東京のような中心ではない場所から音を鳴らすことは、それだけで強い武器になるのだ。関西のラッパーたちの多くが、現在のようにローカリズムが声高に叫ばれる前から関西在住で活動していることも、ヒップホップにおける地域や現場の強さを思い知らされる。
ヒップホップに言葉やアイデンティティはまちがいなく重要だ。しかし、日本のヒップホップはさまざまな音楽ジャンルとクロスオーバーし、音楽として多様化。関西においても、神戸在住tofubeatsや、民族音楽をとりいれたEVISBEATSはその典型だろう。生バンドによるヒップホップを10年以上鳴らしてきた韻シストも忘れてはいけないし、音楽面だけを見ても、関西ヒップホップの幅広さは決してどこにも負けていない。
BAGDAD RIDDIM SECTION、RYO THE SKYWALKER、PUSHIMなどレゲエミュージシャンにも関西出身者が多いのも興味深い。ヒップホップとの関わりも多く、関西最大のレゲエフェス“HIGHEST MOUNTAIN”は関西ヒップホップ勢が出演、EVISBEATSは三木道三を作詞にむかえている。チプルソ擁する服部緑地レペゼンWARAJI がレゲエなトラックに関西弁をのせていることからも、関西において、レゲエとヒップホップの親和性は高いように思う。が、この話は印象論にすぎないので、またの機会に。
地元を大事にするがゆえか、関西のヒップホップには関東ほど目立った動きがないのは正直なところ。しかし、ヒップホップにおける関西という場所の優位性に、“現場”の盛り上がり、音楽としての発展と、実はかなり面白いものを秘めている。書いていてワクワクしてきました。わたしも今年は現場へ!と武者震いです!(カワダユウミ)
京都からHAPPYやThe Foglandsら欧米ロックの歴史を総まくりにし、モダンに解釈するハタチ前後のツワモノ達が現れたと思ったら、その動きはどうやら関西全体のようだ。ドリーム・ポップ、シューゲイザー、チルウェイブなど00年代以降のインディーロックを咀嚼した神戸の4人組。2012年からSoundCloudやネットレーベルAno(t)raksのコンピ参加で国内外同時にじわじわ話題を呼んでいたが、6曲入りの本作が初音源だ。
リバーヴがかったビートやシンセ、ギターアルペジオはシーンに登場したばかりのウォッシュト・アウトを感じるサウンドだが、あくまでバンドサウンドとして一番の魅力はメロディに持ってきている。「Circle On The Snows」なんか現代版ビージーズ「愛はきらめきの中に」ではないかと思うほどにファルセットが美しい芳醇なメロディじゃないか。
メロディから他にあげられるのはカーディガンズやパッションピットなど…日本人が特に愛してきた洋楽バンドだ。洋楽志向といえど日本人の感覚で消化していることがわかるが、日本においては新鮮極まりないのはもちろん、邦洋のバランス感覚は海外バンドと同列で扱われる中でも強みとなるだろう。今度は同世代の頼もしい仲間たちと共にこっちから海外に名を轟かせてやれ。2014年3月には本作の全国流通盤が発売、さらに飛躍が予想される。(峯大貴)
京都の音楽シーンをかき回す"short cut rockers" FLUIDの快作は、谷口順が主宰するLess Than TVからのリリース。ライブでの定番曲「NEW WORLD」「Fluid Against Fluid」など畳み掛けるような甲高いボーカルと鋭利でパンキッシュなギターがバンドの特徴で、電子音が火花を散らす。オルタナティブロックとジャンクなパンクを行き交いつつも、ナードコアにも通ずる音楽性は唯一無二。OUTATBEROのB(G&Vo)の加入により、左右からギターリフが鋭く飛んで来るのも面白い。その骨頂はBPM225の高速チューン「Vertual Fighter 20xx」で聞くことができる。Bもハイトーンヴォイスが特徴のため、JxCxの声と共に、耳から身体へギンギンに切れこんでくる。
先ずはボーカル&ギターそしてサンプラーを担当するFLUIDのキーマンJxCxの存在に触れなければなるまい。彼は今の京都アンダーグラウンド界を牽引してきたメンバーが中心となるDIYフェス『ボロフェスタ』の主催者の一人であり、老舗カルチャースポット京都メトロの企画制作チーフという顔も持つ。
そのメトロでは『僕の京都を壊して』というイベントを不定期に開催。通称"僕京"はその名の通り、既存のシーンを覆すことを目的とし、 LOSTAGE、bloodthirsty butchersといったオルタナ勢、MELT-BANANA、YOLZ IN THE SKYなどジャンクな音を鳴らすバンド、TIALA、HOLLYWOOD MASSAGE VIBRATIONなどハードコアやパンクロック勢、そしてBED、dOPPOなどの京都勢が出演。前述した通り"僕京"は既存の京都シーンやジャンルの壁を壊すことを念頭に置いている。それは今の京都シーンを嫌悪しているからではなく、裏を返すと京都が好きだからこそ行っているイベントなのだ。壊しては作り再構築を繰り返す。それは本作でも同様で、曲を作ってはバラし、断片を拾いあげて、録音できっちりと仕上げたという。結果として混沌としたアヴァンギャルドの枠とは違う場所(オルタナやパンク、またはテクノミュージックと言ってもいい)に着地している。
音楽に対する真摯な眼差し、そして刺激をいつまでも求め続ける姿勢。だから人が集まり、新しい音楽が生まれる。本作と同時期に同レーベルから『thinking ongaku union local 075』をリリースしたodd eyesのメンバーが中心となって作り上げているイベント『感染ライブ』など、京都の強固なアンダーグラウンドシーンを支えているJxCxこそ、京都音楽シーンを語る上で最も重要な存在だ。彼がいるからこそ、下の世代は活動しやすく、上の世代は若いバンドとの交流が盛んになっている。筆者は東京出身だが、こうしたキーマンを中心にして、盛り上がっている地域は京都くらいだと考えている。もしもあなたがローカルシーンを語ろうとするとき、この作品を抜きにしてはならない。(山田慎)
ジェイク・バグやザ・ストライプスなどUKから10,20代そこそこの若者が鳴らすルーツに根ざしたロックが存在感を示している。今も立命館大学在学中の4人で2012年に結成された彼らもルーツミュージックやインディーロックに影響を受けたモダンガレージロックバンド。20~30年代のリズム&ブルース、ブギー、ブルーグラスなど本当の意味での「起源」となるルーツをも貪欲に昇華しており、地下のライブハウスで煙草の靄にまみれたダウナーなヴィンテージ感をまとっている。本作は5曲入りEP。
長年ブルースの潤沢な土地であった京都だが近年はセカンドロイヤルを始め、新たな盛り上がりを見せている2010年代のシーンにおいて、真っ向からブルース・ガレージに取り組んでいるバンドは寧ろ異質ではないだろうか。立命館だがサークル出身ではないなど、京都という一体感ある場所にいながら常に目はしっかり外を見据えている。そんなギラギラとした活動は地道だが認められてきており、ブルースハープにマンドリンを用いた「So Far From The Tree Of Guernica」のMVはクリープハイプやキュウソネコカミも手掛ける映像クリエイターの加藤マニによるもの。
また大橋想(Dr)によるMV「My Fair Lady」は著作権フリーとなった欧米の映画やTV番組を編集した作り。楽曲も含めて先人へのリスペクトと愛ゆえの知識がしっかり刻まれている。(峯大貴)
2009年の第3回京都音楽博覧会。奥田民生や石川さゆりなどビックネームが控える中、くるりに紹介されトップバッターで登場したのは、その場で高く足をあげ行進しながらハスキーな声で歌うおばちゃんと、寡黙にウッドベースを弾くおじさんだった。ロールケーキを歌った「いとしのロール」では1万人の大合唱が起こって2人も楽しそう。なんだかわからないままに観客の心を惹きつけ、たった4曲で颯爽とステージを降りた。
筆者含め、音博での強烈な個性でその名を知った人も多いだろう(07年の初回にも出演している)。この人らこそが京都を代表する夫婦デュオ、ふちがみとふなと、略してふちふなである。船戸博史(B)は90年代初頭よりジャズを中心として数々のインプロ・セッションで腕を上げ、近年では長谷川健一や三村京子らのプロデュースも手掛けるベース奏者。91年ごろ中学教諭を辞めた渕上純子(Vo,ピアニカ他鳴り物)と旅行中のアフリカで出会い、帰国後知り合いに頼まれ、酒場で一緒に歌い始めたのが始まり。
バンド編成のビジリバ、ピアノとクラリネットを加えたふちがみとふなとカルテット名義もあるが、本作はふちふなでの7枚目。東日本大震災の前後に渡って東北でライブ録音されているが、それ以前から披露されている曲も多いため、震災への思いが直接現れている訳ではない。“何があったのかわからないけれど 泣かないで”と結果的に歌詞に意味を持ってしまった「泣かないで」にしても非常事態への慰みにはそれほど聞こえない。ただウッドベースがヒリヒリとした空気を織りなし、その緊張の糸の上を切れないようにそぉーっと渕上の声が歩く。彼らの歌は実に普遍的であり、震災後の世界においても何も変わらない。どんな境遇の人にとっても希望となりうる、大衆の音楽なのである。
『探偵ナイトスクープ』にも取り上げられたことのある二村正一「百万円」のカバーなど戦前歌謡から童謡、外国民謡、パンクまで「おもろい歌」ならなんでも、ものにして歌ってきた彼らだが、今回はエディット・ピアフ「愛の讃歌」が収録。無垢でありかつ、ザラザラと恐いくらいに厳粛な歌に、わずかな物音さえも躊躇い、耳をただ傾けるだけ。かと思えば前述の「いとしのロール」のような童謡チックなゆるさもあり、その対比がウッドベースと歌という最小限の構成の中でも躍動感を生み出している。
飲みの席、寺、寄席、音博の大ステージまで。どんなステージでも素朴に自らの色に染める“音楽界の唄子・啓介”。未だに船戸は近場ならばでっかいウッドベースを担いで自転車で移動しているという。そんな身近な人が歌う身近な歌だからこそポピュラー音楽を超えた広義の「大衆音楽」となりうるのである。(峯大貴)
16人限定マンツーマンライブやマヒトゥ・ザ・ピーポー(Vo,G)の強烈な存在感で大きく注目を浴びている下山(GEZAN)。2014年に入っても「SXSW 2014」への参加、テニスコーツとの共作アルバム、さらには2ndアルバム『凸-DECO-』リリースとさらに勢いを加速させているが2012年に発表された本作が彼らの1stフルアルバム。まず嫌でも目につく歌詞カード裏に大きく書かれた“大音量で再生せよ これは、甘やかしてきた鼓膜への 体罰だ”という文章がまさにこの作品を象徴している。一曲目からいきなり地を這うようなベース音が響く「三島と口紅」を聴けばそれは明らかだろう。またスローな楽曲でもノイズやドローンの要素を取り入れとにかく聴き手の鼓膜を刺激してくる。こうしたラウドで攻撃的な楽曲たちと独特のアートワークが相まって作品全体が不穏な空気で包まれている。
こうした空気からは例えば灰野敬二、ゆらゆら帝国などの日本のサイケ、アンダーグラウンドのアーティストたちを思い浮かべることができるし、何より想い出波止場、初期BOREDOMS、ZUINOSINさらに辿って村八分やINUといった関西アンダーグラウンドの香りを強く感じることが出来る。勿論彼らは現在こそ東京に拠点を移しているものの元々大阪出身のバンドでありこういったバンドの影響を受けていることは確かだろう。
一方でマヒトゥはメディアで関西、大阪出身という点にフォーカスされたり関西ゼロ世代またはポスト関西ゼロ世代といった括りで語られることにはっきりと嫌悪感を示している。インタビューでマヒトゥはこんな発言をしている。“下山=日本なんで、関東とか関西とか関係ないです”、“ 関西出身ってひとくくりにされるのが嫌だった。いま一番の不満は“過小評価”されていること”
こういった発言は単なるビッグマウスと取られるかもしれない。だが根底には彼が感じている“違和感”があるのではないだろうか。本作では歌詞とは別に彼らのレーベル名にも使われている13月という言葉に合わせて月ごとに詩がつくられている。その中の「四月」の詩(これは恐らく3・11直後の四月を表している)で“日本頑張ろう”が繰り返される社会に対して“こんな時代が大嫌いだ。本当、何をがんばればいいっていうの?”と綴っている。世間に対するまた自分が居る場所そのものに対する違和感。それこそがバンドにとって衝動の原点であり本作でも時には詩となって時には大音量のノイズとなって表現されている。例えば「MAN麻疹」の過剰すぎるほどに鋭く切り裂くようなギターリフもモヤモヤした感情を吐き出そうと彼らが暴れまわっている姿が目に浮かんでくる。
そこで気付く。関西のアンダーグラウンドを形成してきたバンドたちもまさにこうした違和感を表現してきたのではないかと。町田町蔵はINUにおいて東京中心の社会や消費社会に対して怒っていた。そして関西ゼロ世代と括られたバンド達も本来はそうしたジャンル分けや既存の枠を壊そうとする中で生まれたものも多くいたはずだ。そういった精神を引き継いでいるという点においてもたとえ本人たちが望まなくとも現在の関西のシーンを語る上で下山(GEZAN)は最重要バンドだ。(堀田慎平)
今の関西若手で最もハイブリッドで先鋭的なインスト・バンドの一つ。それが日野浩志郎率いるこの4人組だろう。日野はこれまでにbonanzasなどで活動、加えて現在は昨年立ち上げたばかりのカセット・テープ専門レーベル=birdFriendを主宰するなど関西随一のキーマンと言ってもいい活躍ぶりだ。ギターによる即興セッション、精緻な打ち込みものまでこなす懐の大きさは、近年の独ケルンや米ブルックリン周辺にも近い。稲田誠ら関西ジャズ・シーン人脈ともつながっている。
このgoatはG、B、Dr、サックスという定番のフォルムながら、ギターやサックスには固くミュートをかけ、ドラムはリム・ショットを多用するなど、王道の鳴らし方から意識的に外したストイックな奏法が特徴。その上でひたすらリフを繰り返しながら熱量を高めていく様子はトニー・アレン在籍時のフェラ・クティ・バンドや、かつてのミュート・ビートやEP-4を思わせるものでもある。なお、サックス奏者の安藤暁彦は東京在住。狂うクルー、peno、ヘンリーテニスなど数多くのバンドで活動する人気者だ。(岡村詩野)
10月に3日間に渡って行われるD.I.Yフェス、ボロフェスタ。京都音楽シーンの総力を結集した文化祭的フェスだが、2013年メシアと人人・Amia Calvaと共に“新参ホストバンド”として出演したのが4人組オルタナポップバンド、花泥棒だ。2009年に立命館大学の軽音楽部で結成、本作は1stミニアルバムとEP。バンド名に違わず初期スピッツ的オルタナティブなサウンドに甘い90年代J-POPメロディが乗る。
『ドーナッツ』はすっとんきょうなリフに稲本裕太(Vo.G)が自分の音域ぎりぎりまでエモーショナルに歌う5曲収録。ピッチや声量の弱いところもあるがそれは初期衝動分としてご愛嬌。能天気で甘い声質や毒っ気のあるメロディは小宮山雄飛のパワーポップなソロワークスを彷彿とする。一方で今年リリースの『nagisa EP』。(秋発売のくせに)夏を歌ったミディアムな2曲はスピッツやフリッパーズギターオマージュを隠さずに、リバーブがかったアルペジオが響くスイートど真ん中。もう一つの側面を見せている。また稲本の声も安定して伸びやかになり着実な成長が伺える。
90年代のロックをいちいち斜に構えながらハイブリットに吸収した彼らの音楽。まだまだ完成に向かう段階ではあるが、この2作で見せたそれぞれのポップな要素が融合した次の一手が楽しみだ。(峯大貴)
彼らの曲、「LUCY」を初めて聴いたとき、甲高いヴォーカル、すぐに歌いたくなるメロディ、ギターを主軸としたサウンド、縦ノリのリズム、ふと、2000年代初頭から中盤にかけて米英豪で巻き起こったロックンロール・ルネサンス期のバンド、そこから遡り、オアシス、そしてビートルズを思い出した。
京都の山奥(綾部市)で2012年に結成。京都、大阪、神戸でのライブを中心に活動。2013年SUMMER SONICへ新人枠での参加、サマソニExtraのパーマ・ヴァイオレッツの前座、11月のフレーミング・リップス来日公演の前座を務める。さらに2014年3月にはSXSWにも出演が予定され、注目の新人として期待を集め、日本はもちろん海外のバンドやイベンターからの評価も高い。
本作は、前出の「LUCY」を含む3曲収録された彼らの2nd自主制作CD-R。シンセサイザーのイントロがヴァン・ヘイレンの「ジャンプ!」を感じさせ、サビでは大合唱が起こりそうな「Time Will Go On」、サイケデリック期のビートルズを思い起こさせる「circus」、そして「LUCY」。ロックの楽しくて幸せなところを軸に、半世紀分の洋楽ロックの歴史を包括している。その音楽性は日本のイベンター、リスナー、そして海外のバンドを巻き込む。2014年3月にはタワーレコード限定で、初の全国流通盤シングル「SUN」が発売される。彼らには邦楽と洋楽の架け橋となることを期待したい。(杢谷栄里)
京都在住、男36歳妻子あり。仕事の傍ら20代前半から歌い始めるも2009年に一念発起して退職、音楽活動に本腰を入れる。京都のウッドベース奏者船戸博史(ふちがみとふなと)プロデュースでのアルバム制作や、ガケ書房で自主制作CD-Rを販売するなど京都地縁の恩恵を受けながら活動してきたSSW、通称ハセケン。か細いヴィブラートにファルセットを交えた倍音の多い声には脂ぎった熱意や情動のままにという言葉はあまり似合わない。しかしこの歩みを見ると、脱サララーメン屋のドキュメントのような思い切りのいいストイックさがある。弾き語りのこだわりも深く、より純粋な音を出すためにギターは5,6弦だけ張り、声と合わせた3和音のみで演奏するという業のような試みを実践したりだとか。阿部薫がきっかけとなったフリージャズやインプロビゼーションへの傾倒が故の挑戦だが、それが今の3,4弦をミュートし、微妙な和音も豊かに響かせる奏法に繋がっている。
本作は3年ぶりの2ndフルアルバム。前作『震える牙、震える水』は再録を含め、これまでの彼の歴史を総ざらいする作りで山本精一や後藤正文からも高い評価を得た。それを受けて第二章の始まりとなる本作はジム・オルークをプロデュースに迎えている。演奏陣は前作に引き続き参加の石橋英子(P)、山本達久(Dr)に加え波多野敦子(ヴァイオリン)というオルーク界隈。本来、歌とギターだけで触れると破れてしまいそうな繊細な和音と世界観を作り上げる楽曲であるがゆえ、どのように音を足してもオーバープロデュースになりがちである。そこでジムはあくまで彼の演奏を先に歩ませ、後から広がる波紋のように少ない音数でささやかな豊かさをもたらす役割をしている。しかし「海のうた」では14本ものストリングスを導入したり、「新しい一日」ではパーカッションとしてフライパンを使うなど試みは大胆。詞に注目されなければ、佳曲どまりになりがちなフォーク系弾き語りにおいても、エヴァーグリーンとなりうる大衆性を帯びている。その世界観を壊さない大胆さは、本人含めてお互いをリアルタイムで理解しながら進む、即興演奏に長けたメンバーだからこそ出来るアプローチだ。
影響を口にするのは尾崎豊、ティム・バックリィ、間章、阿部薫など。尾崎豊のメッセージ性の影に隠れたメロディの豊かさ、ティム・バックリィの胸を打つファルセットの発声や素朴だが表現力のある佇まい、間章の難解な文章なれど異様な読み心地のよさだけが残るあの気分などは確かにある。しかしそれらの影響があまり前に出てこないのは、前述の奏法やサウンドだけではなくその人の醸し出す雰囲気やマインドといったところにもあるからではないだろうか。その人の芯まで咀嚼する視点の深さが人々の胸を打つのである。(峯大貴)
◎Hook UP Record(大阪)
http://www.hookuprecords.com
主なアーティスト:カルマセーキ、空中ループ、ココロオークション
元大手レコ―ドショップのバイヤーであった吉見雅樹氏によって2005年に開いたインディーズメインのCDショップ。大阪の福島を拠点に関西のインディーズシーンに密着し、その活性化に大きな影響を与えている。プレスから流通、販売まで親身にサポートしてくれるだけでなく、吉見氏の持つ広い交流関係の中に入れるというのも若いアーティストにとっては魅力的。吉見氏によるブログ“関西インディーズ釣り上げ日誌”も人気。
◎shrine.jp(京都)
http://www.shrine.jp
主なアーティスト:PsysEx、genseiichi、Marihoko Hara
日本最古のクラブとして有名な京都メトロの元店長である糸魚健一氏によって1997年に設立されたエクスペリメンタル/エレクトロニカ・レーベル。糸魚氏自身もPsysEx名義の電子音楽家として国内外で高い評価を得ている。こだわり抜かれた音楽観と統一感のあるアートワークは所属するアーティストを越えた一体感を見せる。
◎bud music(京都)
http://www.budmusic.org
主なアーティスト:長谷川健一、jizue、Nabowa
2008年、某大手レコードショップのバイヤーをしていた番下慎一郎氏によって設立された株式会社。単なるレーベルだけで留まらず、カフェ/バーとレコード/CD店を併設した場所、JAPONICAも経営している。ここに所属するのはみな上質アーティストばかりで、レーベル自体へのファンも多い。地元京都のラジオ局α-STATIONとも交流が深く、2013年には5周年イベントを京都・名古屋・東京の3会場で協賛して行った。
◎SECOND ROYAL RECORDS(京都)
http://www.secondroyal.com
主なアーティスト:Turntable Films、Homecomings、Hotel Mexico
京都メトロで開催されていた“SECOND ROYAL”というDJイベントがきっかけで発足。当時レギュラーメンバーだった高橋孝博(HALFBY)が2002年に大ヒットしたことからレーベルを立ち上げ、以降徐々に大きくなってゆく。2011年には新しい試みである“セカンドロイヤル・プロジェクトルーム”をオープン。事務所を兼ねたレーベル関連のグッズなどを販売する他、様々なジャンルの企画を開催するなど、人との繋がりを大切にするスペースとなっている。
◎京都音工房(京都)
http://www.kyoto-music.jp
主なアーティスト:松尾シゲオキ、大谷英梨子、くめがわたかし
京都在住のピアニスト/作曲家である松尾シゲオキが2008年に立ち上げた音楽レーベル。京都の東山に専用のスタジオを構え、レコーディングや楽曲制作を行っている。レーベルポリシーは「心の琴線に触れるメロディー」。2011年には第26回国民文化祭のプレイベント時に“1111人のピアニスト”という企画を担当し、大きな反響を呼んだ。
◎Authentic Record(大阪)
http://authenticrecord.jp/index.html
主なアーティスト:山田兎、ヨシダヒロキ、ゆしん
関西在住のアーティストを専門とするレーベル。レコード会社としてだけでなく、音楽事務所として活動しており、CD制作後はアーティストのイベントやライブ出演の手配までも手がける。所属アーティスト京都の老舗ライブハウス都雅都雅のレーベルH2LABO SONGSとも専属契約を結んでいる。
◎Day Tripper Records(大阪)
http://daytripperrecords.com
主なアーティスト:Seiho、Eadonmm、Yusaku Harada
ビートメイカーからDJ、VJまでをこなすマルチアーティストSeihoによって2011年に立ち上げられた新しいインディペンデントレーベル。「ダウンロード配信が主流の今こそ、あえて物として、手触りまでをも楽しめる作品を」をモットーに、ネットで活動するアーティストの音楽のリリースを主として活動している。
◎night cruising(京都)
http://www.nightcruising.jp
元となるのは京都を中心に様々な会場で開催されている人気のエレクトロニカ・イベント。2012年にレーベル“night cruising”としてコンピレーションをリリースし、活動が開始された。イベントでは国内外のアーティストと京都で活動する新進気鋭なアーティストの共演が多く見られたのでレーベルのこれからにも期待出来る。
◎Indication Record(京都)
http://n11s1.chillout.jp/label/indication/
主なアーティスト:Nobuto Suda
京都のアンビエントドローン作家、須田宣人が2012年に立ち上げた新しい自主レーベル。自身が宮沢賢治の書簡集に触発を受けて制作した作品集がカタログ1番となり、現在は3番までリリースされている。それぞれ100枚のみ生産の限定版。
◎tana record (兵庫)
http://www.rose.sannet.ne.jp/tana/
主なアーティスト:BRAZIL、AURORA、bikemondo
自身のユニットであるブラジルをはじめ、ウッドベース奏者としてミュージシャンをサポートし、エンジニアリングやレコーディングまで全てを支える関西アンダーグラウンド界のお父さん、稲田誠のレーベル。AURORA『BIG SMALL BIRD』、『DODDODO+INADA MAKOTO』、松井一平(teasi)+アキツユコ+稲田誠+水谷康久『なまえがない』などをリリース。300プレス限定CD「季刊(クォータリー)棚レコード」はライブ会場のみ販売だ。
◎UNDER CODE PRODUCTION(大阪)
http://www.under-code.jp
主なアーティスト:凛、Megaromania、ヴィドール
数々のバンド経歴を経て、15年に渡ってビジュアルシーン界の最先端で活躍していたKISAKIによって2003年3月に設立されたビジュアル系専門のレーベル。所属バンドを率いたツアーは次々と即日完売となる程にビジュアル界では重要な位置にあったのだが、2013年に惜しまれながらも閉鎖(公式に倣うと解体)された。
◎こんがりおんがく(大阪)
http://kongariongaku.com/news.html
主なアーティスト:neco眠る、オシリペンペンズ、DODODO
関西ゼロ世代代表格であるDODDODO、neco眠るの森雄大、オシリペンペンズの石井モタコの3人で2010年に設立。3組の他に白い汽笛、チッツのアルバムや、カクバリズムと連名でneco眠るの12インチをリリース。主催者3人はTV Brosで連載を持つなど、大阪アンダーグラウンドシーンの顔的役割を担っている。2014年5月には主催者3組に加え、スチャダラパーやハンバートハンバートらも出演するレーベルフェス「こんがりおんがく祭」を大阪城音楽堂で開催予定。
◎FLAKE SOUNDS(大阪)
http://www.flakerecords.com
主なアーティスト:NOKIES!、juvenile juvenile、8otto
大阪南堀江のレコード店FLAKE RECORDSの主、和田貴博(通称ダワさん)が2006年から運営するレーベル。洋邦問わず、南アフリカのバンドまで顔を見せるカタログ展開の中、NOKIES!やjuvenile juvenileら関西のアーティストを発掘してきた。他、地元勢ではYeYeやLOSTAGE、8otto、OUTATBEROなどの作品もリリース。共催企画TONE FLAKESやインストアライブをはじめとして、イベントも積極的に催している。
Hi, how are you? の「近鉄」という曲は「近鉄電車好きなんですけれど、おっそいけれど好きだという曲です」という MCから演奏がはじまる。近鉄は関西の街中を走る私鉄のなかでいちばん冴えない路線だと思う。京都のど真ん中も大阪のど真ん中も走れない。そんな残念な近鉄電車を、不器用そうなHi, how are you? に重ねる。なるほど、近鉄電車ってHi, how are you? みたいだ。
アメリカの宅録シンガーソングライター・ダニエル・ジョンストンのアルバムからとられたバンド名をもつ男女2人組Hi, how are you?。これまでにHomecomingsとのスプリットを含め、2枚のカセットテープを発売。2013年12月には曽我部恵一が運営するROSE RECORDSから8cmシングル『バンホーテン』をリリース、2014年2月には1stフルアルバム『?LDK』が発売される。
デモとして売られていた今作『S.T』は破かれた色画用紙がホッチキスでくっつけられ、文字は手書き。収録内容も作るたびに違うという。リリースされたどれもが一癖ある形態という面倒くささに、またもやぐるっと田舎を周回するのん気な近鉄電車を重ねてしまう。
いわゆる“ローファイ”なこもったサウンドは、曲の感情を演奏されたそのまま、むきだしで伝える。力が入ったり、リズムが刻まれたり、音色さえも生々しいギターの 1ストローク1ストロークで、曲の感情がつくられ、すすんでいく。どうしても感情をあふれさせてしまいながら、ぐらぐらと突っ走る原田(Vo,G)を、うしろから支えるように、馬渕による鍵盤ハーモニカや鉄琴、歌がやさしく添えられる。そのどれもがどこか頼りなく、その生々しさにはダニエル・ジョンストンよろしくイノセントという言葉がよく似合う。
今作にも収録されている「?LDK」の PVは、原田の部屋で撮影されている。銀杏BOYZ、手づくりのK Recordsのロゴ、それから綾瀬はるか。ポスターと本と CDであふれたきれいとは言えない部屋で、好きなものに囲まれて原田は歌っていた。「?LDK」の歌詞に表れるのもまた、マカロニほうれん荘、たま、mmm…。
きっと、Hi, how are you? の作品は“好きなもの”にもとづいている。近鉄電車も、ダニエル・ジョンストンも、PVに映ったあれこれも、コラージュされた歌詞も、きっとすべて好きなもの。まるで好きなものでつくられた篭城のよう。べたべたと周りを囲んで彼を守っているのかもしれないし、秘密基地で少年が虚勢をはっているのかもしれないし、単に好きなものを並べて喜んでいるだけなのかもしれない。いずれにしろ、選ばれているものがどことなくダメな部分をかかえたものばかりであることに、彼という人間がもれている気がして、とても魅力的なのだ。あげられたそれらは全然スマートじゃないけれど、“好きなものが大好きなのだ”と言うかのような、真っすぐな無邪気さに、いつでも少し泣けてしまう。
そういえば、近鉄電車は、日本でいちばん長い距離を走る私鉄らしい。Hi, how are you?も近鉄のように、関西からいちばん遠くの街まで届いてほしい。
(カワダユウミ)
メンバーそれぞれ大阪、京都、神戸の関西3都在住のスリー・ピース・ロック・バンド、ヒツジツキ。彼らは常に大人の視点で少年少女の焦燥感や失われた夏の日を描く。閉塞された状況を打破しようと絶えずもがき続ける。
ギター・ヴォーカルで全ての作詞作曲を手がける堤俊博は、小説、映画、USインディー・ロック等からの影響を音と歌詞に落とし込む。バンド名は村上春樹『羊をめぐる冒険』からで、村上春樹初期3部作にちなんで彼らは自分達の作品を「地下室の君」三部作と名付けている。第1作目『rumpus room』は失われた君へ宛てた手紙だった。2作目である本作『closet classic』ではその君との思い出の日々が語られる。恋人との齟齬が描かれる高速4つ打ちギター・ロック「花とピストル」と「butterpink, endroll」から、スマッシング・パンプキンズの影がちらつくミドル・テンポの「雨降り」へ、ベース・ラインが不穏な「forest for the trees」は少年の日の回想。遠い星座に君を想起する「トュタタ」には郷愁を帯びたシンセサイザーが添えられる。再び疾走する「図書館は朝を待つ」では2人の出会いが描かれ、ラストの「最終ベル」はストリングスを加えたバラードで未来への決意を促す。
ライヴハウスで彼らが音を合わせた途端ステージの空気が変わる。堤俊博は激しい情熱を内に秘めて歌い、日本的な情緒、夏の光、風の匂い、蝉の声、それらの残像をヴォーカルとギターのメロディーに乗せる。和田奈裕子のプレイは個性的だ。ベースが太い蛇のように唸る。瞬時に耳を捉えて離さない。堤が以前組んでいたグランジ・ロック・バンドのラスト・ステージで、ほとんど素人の段階で誘われサポート・ベースとしてステージに立ち、そのままヒツジツキを結成した経緯ゆえかもしれない。そして温厚な宮田佳征のドラムがどっしりとした屋台骨となって、3人の音が重なり、拡散する。その瞬間が気持ちいい。スリー・ピースとは思えない音圧、ふくよかなグルーヴ感、轟音フィード・バックの隙間からは、ソニック・ユースやフレーミング・リップス、ザ・ラプチャー等といった影響元がもれ聴こえる。
口下手で人付き合いも決して得意ではない3人が紡ぐのは一見シンプルなギター・ロックだ。しかしその背後では文学の亡霊たちのささやき声が響く。2014年に”上梓”される三部作完結編。それは脳にとりつく「羊」のようにあらゆるものを呑みこむるつぼとなるのか、いや、その音は我々ひとりひとりの弱さを受け止める。苦しさ、辛さ、生きる上でのあらゆること。きっとまたどこかで会える。(森豊和)
非常階段は、1979年にJOJO広重(G)を中心に京都で結成された、国内外から”KingOfNoise”と称される世界初のノイズバンドである。JOJO広重曰く、当時の京都では、難解な音楽といえばフリージャズであったが、誰もやった事がない難解な音楽を模索した結果、ノイズ・ミュージックという独自の音楽を編み出したという。そして、大阪のライブハウスである難波ベアーズを中心に活動を続け、その音楽性は現在も国内外のアーティストに多大な影響を及ぼしている。
その非常階段がボーカロイドである初音ミクをコラボレートした作品が『初音階段』である。非常階段はこれまでにも、the原爆オナニーズとの原爆階段、S.O.BとのSOB階段、ザ・スターリンとのスター階段、坂田明とのJAZZ非常階段、また最近では、アイドルグループBiSとのBiS階段など多くのコラボレーションを実現し話題となっている。
このアルバムは、電子のアイドル初音ミクが、1曲目の緑魔子による「やさしいにっぽん人」という1971年の映画の挿入歌のカヴァー、2曲目の80年代に活動したファンク/アフロビートバンドJAGATARAの代表曲「タンゴ」のカヴァーを経て、ノイズに取り込まれていくという構成をとっている。そこには、ドロドロとした愛憎に満ちた時代を現代のクールな視点をもって新たに捉え直し、そしてテン年代の、隔離されたジャンルがまだらに融合され、もはや境界を定義する事すら困難であるカオスな今に至るまでの時代の移ろいを表しているようである。また、当時のアンダーグラウンドシーンの代表曲をオマージュする事で現在の音楽シーンへの挑発とも取れるJOJO広重の熱意も感じ取れる。其れも、誰もやった事のない新しい音楽を常に求め続ける事で、表現の最先端に30年間居続けた非常階段だからこそ見てきた世界があり、完成する事のできた作品である。また、初音階段のライブでは、シンガーソングライターの白波多カミンが初音ミクに扮しボーカルを務める。非常階段は活動の拠点を関西から東京に移しながらも、関西出自のアーティストである白波多カミンを起用する事で、関西という日本のカオスの始発点を常に軸に置き、JOJO広重の音楽はこの関西から日本、そして世界に発信されているのだろう。
仮想の存在である初音ミクがノイズにまみれながら現実として歌を歌う姿は、何が虚構で事実なのかの意味付けはもはや不要で、シーンが求めている事をただ消費するポストモダンを象徴しているかのようである。(高木真一)
みずみずしいギターやメロディーと、疾走感のあるリズムに重ねられるコーラス。どことなくノスタルジーなその音を一聴した瞬間思いだすのは、“53rd &3rd” 、“アノラック”、“グラスゴー”といった固有名詞。“あのときのあの音”が抽象化され鳴っているようだ。そんな最初の印象を与えられたHomecomings。京都精華大学に通う女子3人と男子1人で結成された、まだ2人の現役大学生をもつバンド。 “いま”の若者が鳴らす好きな外国の音楽をそのままアウトプットしたような音楽から、わたしはふと90年代初頭の東京・渋谷を中心としたムーブメント“渋谷系”を思いだした。
“渋谷系”は音楽性そのものをくくる名前ではない。特徴のひとつは、インプットした外国の音楽の“海外の感じ”を、そのまま自分の音楽としてアウトプットしたところにあった。“なんとなくあんな感じ”とそれぞれが抽象化していたように思う。彼らが放出したものは、音楽だけではなく、映画や文学といった彼らが愛するカルチャーすべて。わたしに物心がつくころには過去のものになっていた“渋谷系”は、東京という“カルチャーにあふれたすてきな街”を京都で暮らすわたしに羨ましいほど憧れさせるものだった。
一転、京都はちいさな街である。しかし、名の知れたレコード屋も、名の知れたライブハウスやクラブもある。いちばんの特徴は、そのどこへでも自転車を走らせれば行けるということ。そんな京都では、 Homecomingsも常連である“SECOND ROYAL”、 “感染ライブ”をはじめ、定期的に開催されるイベントが活発である。そんな定期的なイベントで見るのはたいてい同じ顔だったりする。狭いからこそ、人とのつながりをつくりやすい。なんとなく同じ場所にいる人々が集まり、次のイベントがつくられる。京都の音楽は、渋谷系と同じように音楽のジャンルで語れるものではなく、街としてのまとまり、人とのつながりで形成されている。あいかわらず東京にも少しは憧れるけれど、いま、京都って楽しい。
Homecomingsの音はなにも“あのときの音”だけにとどまっていない。ギターの少しの荒々しさには、90年代のオルタナティブの要素だって見える。しっかりとした疾走感のあるリズムは、まさにいま、鳴らされたというみずみずしさをもって響く。なにより、すかしているようで一声に力がこもる歌声が、わたしにはとても頼もしい。声を高く伸ばしたときに表れる、“かっこつけていない”青春の儚さと切実さに魅せられている。Homecomingsの音楽には、まさにいま、ここで鳴っている儚さがきちんと刻印されている。
2013年の京都に、あのときの渋谷と同じように、カルチャーにあふれた舞台と出演者がそろった。当時の渋谷の喧騒と青春を音楽から思いおこすように、いつか、『Homecoming with me?』から、京都の青春と喧騒が思いおこされる日がくるのを待ちわびている。(カワダユウミ)
音楽好きな3人の幼馴染と1人の生粋のピアニストによるインストバンド、jizue。井上典政(G)、山田剛(B)、粉川心(Dr)を中心に2006年に結成、翌年に片木希依(P)が加入し今の形となった。楽曲にはハードコアやロックの激しさにジャズやラテンの要素が混ざり合わさっている。そしてそこにピアノの叙情的で切ない旋律が加えられて、絶妙な均衡が保たれているという極めて独創的なメロディとなっている。毎年全国で精力的にライヴを行い、2012年にはFUJI ROCK FESTIVALにも出演を果たした。そんな彼らが2013年6月、京都のレーベルbud musicから衝撃的な1枚をリリースした。音楽の幅の広がりという意味を込めて付けられた『journal』(雑誌)という名の通り、前2作と比べると格段に様々な一面を見ることができる一枚となっている。
タイトルらしく、本をめくる音からスタートするM①「intro」は、ピアノとアコギの音がサンプリングされただけの静かなトラック。そしてそこから空気を一変させて始まるM②「rosso」、ラテンの情熱的なリズムに乗せて個々の楽器の気鋭な演奏が激しく踊っている熱い一曲である。
jizueの楽曲といえば、次々に展開されるスムーズな変拍子が大きな特徴だ。彼らによって緻密に計算された多様なリズムは、聴く者全てを否応無く曲に引きずり込む。M③「buzz」はそんな変拍子とジャジーなアコギが見事に調和したアグレッシヴな曲になっている。M⑤「dance」はラテンのリズムを彼らの色に見事に染めている激しい曲。この曲の背景として風営法によるダンス規制への反対のメッセージが込められており、観客を踊らせたいという彼らの意図の通り今ではライヴを盛り上げる定番の一曲だ。そして初の試みとして、生楽器を使用せずシンセの音のみで作られたM⑥「eat faker」は異彩を放っており、程よいスパイスとなってこの盤を引き締めていると言えよう。
他にも同レーベルに所属するNabowaからバイオリニストの山本啓を迎えたM⑨「holiday」や、京都の女性シンガーソングライターYeYeを迎えた初のボーカル曲M⑩「life」といった同郷で活動するミュージシャンとのコラボ曲も含まれるなど、盛りだくさんの内容となっている。
音楽の幅が広がった新しいjizueを全面的に出した『journal』。聴けば聴くほど深みが増す、素晴らしい作品だ。そしてこれからもその幅が限界を迎えることなく広がり続けて欲しいと願う。(椎名あかね)
大阪のガールズ・バンドJESUS WEEKENDの5曲入り作品が発表された。それもTwee Grrrls Clubのmoeによる新レーベルから。この背景込みでガーリー度高めな本作には、かわいさってものを意識してしまう。
『「かわいい」論』の著者四方田犬彦はかわいさの成分に小ささや未成熟性、なつかしさを挙げているが、「Sunshine Lake (Demo)」冒頭でのレコーダーのスイッチを押す音に象徴される音の素朴な身近さは、まさにかわいらしいものだ。荒削りな演奏もかわいさ目線でみればたちまち魅力になる。そして本作に漂う特徴は、ブロードキャストのようなだるかわいさ。淡くにじんで響くシンセ、不穏なベース、淡々と進むドラム。ローファイな音質と相まって、部屋の埃が日差しでキラキラ舞うのを眺めているときのように気だるい心地がする。
さて、庇護を必要とする未成熟性を持つ以上、かわいいものは得てして扱いやすさを期待される。しかしそこをすんなり行かないのが本作の魅力。例えば「Puberty Bell」は予想の斜め上方向に展開する。てけてけと歩くようなリズム&呟くような歌声のパート、ゆったりしたリズム&朗々とした歌声のパートが、唐突なタイミングで代わりばんこに現れる。少し実験的な要素をもって予定調和をうっちゃるのは、少女たちの気品といえよう。可憐だからって、扱いやすいお人形でいるだけが能じゃないのだ。(松浦未来)
“耳を澄ましてください。アメリカの音が聞こえる。”何一つ不安のない自由。そしてパンク。大音量でハチャメチャなら何でもパンクか、というのではない。彼らはたとえチューニングが狂ってもリズムが揃わなくても、「心」を聴かせている。考えていること、辛いこと、全てを込めた音なのだ。それは文句無しの感情の表し方。まだ20歳に満たない彼らのストレートな世界観は聴く者にどう届くのだろうか。
本作は3曲入りデモ。やっさん(B)が急逝し、残る3人で作られた最初で最後のCDだ。2014年からは新ベースが加入し4人体制に。遠い日の思い出のように感じさせる彼らの曲は、80’s米オールドガレージパンクに近い。低音感のあるドラムに、自由に動くギター。放っておくとどこかに行ってしまいそうなぐらい生き生きとしている。そしてギャンギャン吠えるギターに打ち消されない、金森大輝(Vo)の低く心に突き刺さる声。無邪気な子犬も自由に転がり続けるだけでなく、皆のことを考えている。ライブ中のあの笑顔も心底からROCK'N'ROLLの想いに違いない。
大阪から放つロケンロールは、きっとやっさんのいる天国にまで届いているだろう。ステージを、いや荒野を駆け回って遊ぶ子犬たちは、いろんなものを吸収して成長する。(藤本碧)
2012年にキューンミュージック20周年記念のオーディションで4000組の中から優勝し、以降アジカンの前座を務めるなど瞬く間に名を広めた4人組ギターロックバンド・KANA-BOON。翌年春の上京まで拠点は大阪・堺市であった。本作『DOPPEL』は、初の全国流通盤&上京作として話題を呼んだミニアルバム『僕がCDを出したら』に続く1stフルアルバムだ。すでにオリコンで3位を叩き出しており、メジャー界隈のロックバンドブームの最前線にいると言って良いだろう。
先行シングル「盛者必衰の理、お断り」をはじめヨナ抜き音階(唱歌や民謡の音階)を多用したカラフルなメロディを、ハイトーンなボーカルとシャキシャキのギターサウンドに乗せるのが彼らのスタイル。DOESやフジファブリックのような"和"や叙情は控えめであくまで軽快、収録曲のほとんどがBPM150以上のロックナンバーで、四つ打ちもふんだんに使われている。結果日本人に馴染みやすい"踊れるロック"として、良くも悪くも即効性のある曲が詰まったライブ映えしそうな1枚である。メンバー全員が平成2年度生まれで、歌詞やインタビューでもバンドマンらしい若さが目立つKANA-BOON、これからどのようにシーンに打って出るのか楽しみだ。(吉田紗柚季)
およそ十数年前(つまり音楽業界が一番栄えていたころ)まで、アーティストがメジャーレーベルに移籍し音楽活動だけで生きていこうと思えば、上京することがほぼ必須条件だった。音楽だけでなく首都にかかわる仕事をするなら首都に住むのが当然、という常識をかつて部分的に覆した技術が、2000年前後に一般家庭や企業の間で普及し始めたインターネットのブロードバンド通信である。データのやり取りが容易になり、世の中に在宅業務という仕事の選択肢が現れはじめたのと同じように、この時音楽制作者にとっての"東京"という束縛力もいくぶんか弱まったのではないだろうか。実際CDデビュー前のレイ・ハラカミのように、この年代以前から地方在住のままでセルビデオのBGM制作などをする人間はいた。それでもメジャーレーベルとそれを目指すアーティストの間から「メジャーデビュー=上京」という図式がなかなか抜けなかったのは、昨今よく嘆かれる音楽業界の衰退原因「業界バブル期の体制を引きずりすぎたこと」の一例なのかもしれない。
2000年以降ますますネット上でできる仕事が増えてきた近年、2010年のメジャーデビュー以降東京のバンドにひけをとらない精力的な活動を続けるモーモールルギャバン、2011年に震災をきっかけに地元・京都に拠点を戻したくるり、そして神戸レペゼンを貫きながら2013年にメジャーデビューし、発言からローカル×ネット×商業音楽のトライアングルへの意識の高さがうかがえる"ネット社会育ち"のtofubeatsなど、「あえて地元から東京に越して音楽をやる必要性の低さ」に気づき実行に移すアーティストは徐々に増えてきている。しかし、特にメジャーレーベル界隈ではまだ確実にある東京在住の利点を重んじ、KANA-BOONのようにメジャーデビューをきっかけに上京するバンドも健在だ。そういう意味で今は、各アーティストの意志が反映されやすい選択肢の多い時代である。
震災をきっかけとした東北へのクローズアップ、ゆるキャラや地方アイドル、最近では『あまちゃん』など社会的にもそうだが、音楽業界においてもローカリズムが見直される傾向はじわじわと広がっている。長らく続いたメジャーレーベルの中央集権体制はほぐれつつあり、アーティストの製作環境はこれからさらに多様になっていくだろう。くるり岸田繁はかつて『図鑑』リリース後のSNOOZER(#21 2000年10月号)で"東京に出てきてから歌詞の作り方が変わり、「東京」のような叙情的な歌詞は減ってきた"という旨の発言をしていた。東京で作られる音楽とは違う良さをもつ"not 東京音楽"を最も色濃く商業的に打ち出せる、文化的土壌に富んだ音楽シーンがもしあるとすれば、今のところそれは関西なのだ。(吉田紗柚季)
2013年12月7日のワンマンライブをもって、1年間の活動休止に入った彼ら。『ROCKIN’ON JAPAN』のNEXT2013に選ばれたわずか4ヶ月後のことだった。2007年からの活動で全国流通した作品は、本作を含めたミニアルバム2作品のみ。それでも初期のアジカンを彷彿とさせるオリエンタルな旋律と初期衝動をぶちまけたように掻き鳴らすソリッドなギター音、郷愁的な歌詞の世界観が高く評価されていた。
「一般市民随一の鬼才」別所(Vo&G)。彼の思想、行動力こそがこのバンドプロジェクトの要である。まず、2011年1stミニアルバム発表と同時期に、自主レーベルを設立している。また、インディーズながら台湾ライブも行っている(本作の初回特典としてDVD付き)。「神出鬼没」という東名阪ライブツアーをしていた延長戦上、「じゃあ海外いっちゃえ」という彼の思いつきが発端だったという。「日本の音楽シーンは海外に行って当たり前」と考える別所は、ソーシャルメディアを使って独自にプロモーションをしてきた。facebookは海外用、twitterは国内用と使い分け、台湾をはじめとした全世界に自分たちの音楽を届けた。
そんな彼らの出身は大阪。曲名に「南海電車」があったり、ときおり歌詞に関西弁が使用されているのが特徴だが、本作では日本最大の遊郭である飛田新地での情景を歌った「flying field new place(M7)」が印象的だ。自分たちと同じくらいの年齢で同じような青春を過ごせるはずの女の子たちが、なぜこの色町で働いているのか。また、当時の彼女(転校生)に対して感じた、“自分の知らない過去の彼女”への焦燥感。そんな「喜怒哀楽のどこにも当てはまらない感情」を形にした1曲になっている。
別所本人も幼少時代は転勤族だったようで、変えられない過去に対する思いや、過去を共有する人がいない疎外感を感じさせる曲が多く見られる。彼のスタイルとしてライブでもPVでもウルトラマンのお面を被っているのだが、その匿名性の高さも不思議でノスタルジックな世界観を特徴づけている。
さて、本作は “どーでもよくなっちゃって 勝手にどーにもなっちゃった”と歌うお祭りサウンドの「NEW DRANK CITY」(M1)へとリピートして聴くことに意味がある。現実の問題と向き合い、アレコレ深く考え抜いた結果「辛気くさい顔せんと1杯はじけましょうや」と結論づけるこの潔さが、やっぱり関西人なのだ。(小野早紀)
今は亡き大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)出身、2005年に軽音サークルで結成された4人組(山田祐太郎(B)は後加入)。本作は4thアルバム。マムフォード・アンド・サンズやフリート・フォクシーズといった現代英米フォーク勢の音作りや分厚いコーラスワークを持ち味にしている部分は全世界的な潮流となっているが、彼らはそこに加えルンバ・フラメンカや民謡、ファンクなど多彩な音楽が飽和的にちりばめられている。そこに乗るのは“伽藍堂”、“えいえいおう”、“サガポー・ティアモ・ラヴャ(それぞれギリシャ語・イタリア語・英語で「愛している」の意)”という非日常的な言葉の響きと抽象的な情景描写であり、その結果日本的なグルーヴとサウンドが生み出されているから不思議だ。
現在の洋楽の潮流を敏感に見据えた結果、逆説的に純度の高い日本の音楽を紡ぎ出すというこのアプローチははっぴいえんどの『風街ろまん』に共通する。高度経済成長を期に変わってしまったかつての東京の原風景を描いた『風街』。そういえば彼らも原点である大阪外大はもうない。直接的な歌詞表現はないものの、彼らの幻想的な世界観がそこへのノスタルジーによるものならば正しく本作は40年後の『風街ろまん』ではないか。(峯大貴)
サーキットイベント「いつまでも世界は…」で京都の音楽イベントの新たな形を提示しているザ・シックスブリッツや、THEロック大臣ズらが、2013年の京都ロックシーンで台頭する中、メンバー2人脱退による半年間の充電期間を経て、6月に片山ブレイカーズも華々しく帰ってきた。京大西部講堂での復活ライブ、11月に磔磔7daysイベントで盛大なカムバック&新体制お披露目イヤーに沸いた昨年。勢いのままに2014年は1月から京都で月一ライブを行い、4年ぶりのアルバムに向けて動き出している。
その現状最新アルバムが本作。村八分、ローザ、騒音寺と続く、モッズ・ブルース・フォークとルーツに根差したストレートなロックだがオルタナティブなアプローチが必ずある、伝統的京都ロックの正統後継者だと気づかされるメジャー2nd。ガレージリフに京都の通り名をまくし立てる「キョート・トリッパー」や、ソロ弾き語りも精力的な片山尚志の美しいメロディが光る大名曲「地球最後の朝が来て」など振り幅は広い。
現在の京都ロックシーンの盛り上がり、またTHE BAWDIES、OKAMOTO’S、THE PINBALLSといったルーツロック志向を持つ面々の活躍の、種を蒔いた存在ともいえる結成14年目。新生片山ブレイカーズの新作を待ちつつ、もう少しだけ本作にお世話になろう。(峯大貴)
2008年大阪にて結成された奇妙礼太郎トラベルスイング楽団。“スイング楽団”と聞いてイメージが湧いたのは、カウント・ベイシーやデューク・エリントン等のジャズビックバンド。スイングするバンドなのだから、きっとジャズのバンドだろうという偏見から始まったのだが勿論、実際に聴いてからはそんな勝手なイメージはすぐ消えた。奇妙といえば、カゴメやスズキ自動車などのテレビCMで声を担当し、アニメーションズのヴォーカルとしても活動する。今や全国区で人気を博している人物だ。この音楽がジャズ、ソウル、ブルースといった要素に、歴史に名を残してきたミュージシャンを受け継ぐような情熱のある歌声をのせていてロックンロールで魅力的なのは十二分にわかった。本作では最早、そのことにわざわざ触れる必要はない。
42分。歌番組を観るとしたらCMやトーク等を抜けば大体同じくらいの時間の長さ。冒頭曲「DEBAYASHI ALL NIGHT」は、これからどんな曲をオンエアするのかを聴き手に教える。“いくよ!いくよ!”と心構えをさせておいて次の「どばどばどかん」が始まり、気分はこれから愉快なことが始まるのを期待して高揚感でいっぱいだ。前作から一変した点は特にないが、ブラスセクションとピアノから感じ取れる盛り上がりとダウンテンポな場面でのしっとりした様子はより鮮明に力強く感じる。颯爽と通り過ぎていくサックスソロやピアノの大活躍する場面。全ての楽器が奇妙の歌を歌謡曲に、ワルツに…と、装飾しているのだ。どれもがスイングを成しているから素晴らしい。まるで昭和の歌番組をまるごと持ってきたようなヒットパレード。奇妙礼太郎は時代の流れとは縁のない人間だ。ただ彼自身、時代の潮流に乗っていないのを分かっていても、微塵も気にしていないだろう。
自分の表現を最大限に発揮して妥協しない。こんなことを音楽家に投げかけるには、あまりにも当然すぎるようにも思えるが、一体これを可能にできる者は今、どれくらいいるのだろう。かつて山下達郎は“姿勢は職人です。作った曲が誰かに喜んでもらえればそれでいい。”と語っているが、奇妙は職人という姿勢を持ちつつ崩さないような、山下に継ぐ人間の一人なのではないか。彼の歌う姿には、好きな曲を好きなように歌うという姿勢が表れている。ラブソングについても大して意味なんてないけれど、ラブソングというものが好きだから歌うし、誰かの作った名曲も歌う。だから聖子ちゃんの歌だって歌う。みんな知っている「幸せなら手をたたこう」もライブに来ているお客さんと一緒に手を叩きながら歌う。つまり、とてもシンプルでありながら多くの人間が見落として気付きもしないような、けれども大切にすべきことを奇妙は何の迷いもなく今日からもまた歌う。
(坂本花央理)
“浪速のG.ラヴ”と称されブルースやR&Bなどのルーツにリスペクトしたオーガニックなグッドミュージックから、ポピュラリティのあるロックサウンドにも挑戦。フェスの大舞台にも絶大な強さを発揮し、フジロックからロックインジャパンまで、大阪では春一番からミナミホイールまで振り幅のある客を唸らせるイナたい3人組がかつて大阪にいた。それがcutman-booche。しかし2011年に解散。直前に大阪から上京しさらなる飛躍が期待される矢先の発表であった。G,Voの金佑龍 (キムウリョン)にとって20代全てを捧げたバンドの解散は喪失感が大きく、音楽に取り組む気持ちも一度は失せたものの、しばらくしてソロ活動を開始。きっかけは同郷、関西が誇るピアノマン、リクオの「やめんなよ」という後押しのようだ。本作は解散から2年半でようやく届けられた待望のソロ1st。
冒頭の「combo!(月桃荘version)」は一人で録音。ソロ活動にあたってライブではループを用いた多重演奏でフィッシュマンズの「ナイトクルージング」のカバーもしているが、こちらはカットマンのセルフカバー。自身のブルージーでソウルフルな多重スキャットの声は第2章を告げる。他にも「Verse Book」「See you letter...」とセルフカバーが収録されているが、どちらもカットマンの中で随一のポップネスを持った曲だ。生み出した時からずっと歌い継げるポピュラリティを確信し、今も前のバンドの曲として捨て去りたくない思いがあるのだろう。この2曲は(横浜方面Jam sesson version)となっているが「横浜方面」はサポートバンドの名称。ライブではその時に集まれるメンバーの出身によって東京近辺、京都界隈、東横方面など名前を変える。この郷土を意識するネーミングセンス、何とも関西人らしい。書下ろしの表題曲「Live in Living」は山田かまちの詩の一節“生きることに生きる”からの引用。他の曲とは違いエスニックな重いパーカッションのリズムに乗せてこれからの姿勢を腹の底に響く声で告げアルバムは締められる。
全9曲、カットマンと決別することもなくあくまで地続きに。ウィスキーのビターな匂いがするグッドミュージックを奏でている。変わったのは音楽に対するストイックな気負いがなくなったことだろうか。その時集まれる仲間たちと音楽を鳴らしてご機嫌になれたら十分。それが“音楽のために生きる”、“音楽に生かされる”ではなく“生きるために生きる”なのである。今年は45トリオとのコラボ盤もリリース、フットワークも軽い。春一番主催でもある舞台監督、福岡風太にして「大阪にライブで帰ってくるたびに事務所来よる。この前もギター持っとったから歌とてくれ言うたらその場で2曲やって帰りよった」。この人懐っこい軽さにしてこの音楽あり、である。(峯大貴)
1998年にケイゾウ(G,Vo)とマーヤ(G,Scream)を中心に結成されたKING BROTHERS。デビューから一貫して地元西宮を拠点に活動しており時に“西宮の狂犬”なんて評されることもある彼ら。結成当初はジョンスペンサーブルースエクスプローションさながらベースレスのスリーピース編成で活動していたが2007年にシンノスケ(Ba)とタイチ(Dr)が加入し4人体制となる。2012年にリリースされた本作『MACH CLUB』は初期の楽曲やライブの定番曲を新編成で録り直した上で収録されている。
ベスト盤的な扱いではあるが、高いテンションで隙間なく曲が繋がれていく構成は4人体制になってからの彼らのライブをそのままパッケージしたかのよう。特に「☆☆☆☆」~「ルル」へとなだれ込む流れは思わずお馴染みとなっている熱狂のフロアライブの光景が目に浮かぶ。しかしそれでいて彼らのディスコグラフィーの中でも本作は随分と聴きやすい作品に感じる。例えば「魂を売り飛ばせ!!」や「マッハクラブ」などは初期のアルバムに収録されているオリジナルヴァージョンに比べるとメロディーや歌が前面に押し出され楽曲全体が整理さている印象がある。思えばスリーピース時代の彼らは世間の物事全てにイラついているかのようなドス黒い感情を荒々しい演奏と叫びに乗せて放っていた。だからこそ他を圧倒する熱量を感じることができたが同時にどこか危うさも感じられた。そこにベースという彼らにとって新しい要素が加わることでバンドは力強さと安定感を得た。それがライブの迫力を維持しつつ聴きやすいという印象を持たせたのだろう。
しかし本作が過去の楽曲を新録したものということから分かるように彼らは初期の頃から凶暴性とともにしっかりとしたメロディーを持ちキャッチーさも併せ持つバンドであった。だからこそギターウルフやDMBQのようなバンドから愛され、関西のアンダーグラウンドシーンとも密接な関係を持ちつつメジャー・インディ問わず多くのファンから支持されているのだろう。またマーヤとシンノスケによって結成され今や知名度の面では本家を凌ぐ勢いであるN’夙川BOYZはまさにそうしたポップな一面を形にしたものであると言える。近年では踊ってばかりの国、ドレスコーズ、tricotなどKING BROTHERSからの影響やファンであることを公言するバンドも多い。またKING BROTHERS側もキュウソネコカミや撃鉄など下の世代のバンドと積極的に共演するなどシーンに関係なく若手をフックアップしようとする意識が窺える。
残念ながら2013年7月のライブを最後にシンノスケとタイチが脱退。現在は再びベースレスの三人体制で活動を行っており次の作品がどのようなものになるのかまだはっきりとは見えない。しかし本作は彼らがアンダーグラウンドとメジャーシーンを軽々と横断する魅力を持った稀有な存在であることを証明した一枚であることに変わりは無い。(堀田慎平)
10年代に入ってからYeYe、長谷川健一やオガサワラヒロユキ等、関西では“情景”に身を寄せるようなアーティストが少しずつ風を吹き込んでいる。そのなかでも彼らのデビューアルバム『振り返る季節』は、まさにそんな“情景”を一際潔く思い起こさせた一枚だ。
kisetsu/ameは前身バンドであるウィークエンドのメンバーが中心となり、神戸にて結成された5人組。フロントマンの瀬藤は歌・ギター・作曲を担当し、あとはヴァイオリン・ハーモニウム・グロッケンシュピールの秦、ベースの浜崎、ドラム・パーカッションの福島、そして詩担当のjntからなる。
ボサノバ調のリズムやカントリー調を軸とした柔らかなサウンドに、ヴァイオリンで彩られた音色、そして時折ハーモニウムやグロッケンの音が丁寧に重なっていくのが、彼らの特徴である。加えてポエトリーリーディングが曲の隙間を狙うようにして入りこむ。たとえば「夜の雨」ではヴァイオリンが一段と目立ちつつも同時に詩が音色にうまくマッチする。バンド形態にヴァイオリンを入れることで変にその部分だけ浮いてしまうことは少なくはない。けれども彼らの音楽のなかで響くヴァイオリンの音色は決して曲の邪魔をせず、むしろ良い意味で主旋律にも伴奏にも聴こえる。
“情景”をより強く思い起こさせるのはまさに、歌詞とそれに合わせた小説的な詩からだ。jntによって詠われる詩には淡々としながらも日本語特有の奥ゆかしさがじわりと染み込んでいる。街の風景のなかで実在する建物やそれらを彩る気候などが音楽の隅々にまで溶け込む。“雨の水曜日 サンセット通り(長いレール)”。本作には雨の楽曲が多い。ここで登場するサンセット通りは、三宮から元町まで続く高架下北側の大通りのこと。神戸はお洒落な街というイメージがあるけれど、ここでの神戸はお洒落でもない、ただの都会にある街の一部として描かれているのだろう。これが、ここに住んでいる人たちから見えるリアルな景色であり、日常だ。そのなかにいる人間の心情には振り幅がある。変わらないその風景と、過ぎ去った感情を時折思い出しながらも人は旅立つ。そのノスタルジアともいえる感情は、だからといって感傷的になりすぎず、移りゆく季節とともに淡々と馴染んでゆく。
“通り過ぎた場所 振り返る季節(長いレール)”―――このフレーズがこのアルバムの全てを集約しているようだ。まるで一つの小説を読んでいるような気分。また次のページを開くとき、そこにはどんな情景が広げられてゆくのだろう。それまではしばらく移り行く季節をじっくりと過ごしたい。(坂本花央理)
京都を拠点とするこの4人組の存在意義の大きさを僅かの文字数で語るのは難しい。フォークとプログレとラップを強引に出会わせたような複雑怪奇な音楽的バックボーン、それらを変拍子も難なくこなしながら巧みに表現する高度な演奏技術、メロディを無視して字余り気味に言葉をまくしたてて歌うリーダー、マドナシの醒めているようで熱いヴォーカル・スタイル、社会批判と自虐性とを混在させながらも攻撃せずにシニカルなユーモアへと昇華させた洒脱なリリック……。
確かに音楽性はアクが強い。クセもある。それゆえ好き嫌いが分かれるバンドかもしれない。だが、このバンドが今の京都にいる意味がどれほど大きいかは、『ボロフェスタ』や『京都音楽博覧会』にも負けない企画力、オーガナイズ力で、地元としっかりコネクトしながらも他エリアとの風通しをよくしている音楽イベント『スキマアワー』を定期開催していることからもわかるはずだ。地元の仲間アーティストに加え、ジム・オルーク、向井秀徳、ブルー・ハーブらエッジーな精鋭たちを呼び集めるだけではなく、時には『スキマアワー』とは関係のないアーティストの京都公演の際にも自宅を解放してあげるその行動力と器の大きさたるや! しかもそこにプロのイベンターなどは一切介していない。場所もいかにも京都らしい、廃校になった古くて趣のある町中の小学校だ。
須原敬三によるレーベル=ギューン・カセットからのリリースを経て、Pヴァインから届けられたこの最新作にはそうした濃厚でアクティヴな魅力が結集されている。ひさよのどこか郷愁感漂う鍵盤のリフと、空間を生かした立体的なリズムの組み合わせが牽引する演奏は、これまでの作品中最もソリッドで無駄がない。複合的ゆえに整理されていない面白さが初期の魅力ではあったが、あくまでマドナシのヴォーカルを軸にした演奏をするようになったという点では本作は一つの到達点と見ていいだろう。だが、“死にたくない=生きるんだ=攻めるんだ”という反骨精神はますます強固になっているとう事実。良い意味で60年代~70年代の学生運動時代を思わせる硬派な哲学を持ちつつも、学生が多いがゆえにともすれば子供っぽくもなる昨今の京都のシーンには決して巻かれない、永遠の頑固バンドでいてほしい。(岡村詩野)
“ネガティブディスコパンク”と名乗る彼らの楽曲は、「サブカル女子」「DQNなりたい、40代で死にたい」「友達仮」「シャチクズ」というようにどれも曲名からして面白い。新世代を生きる若者がつい共感してしまう、小さな小さな「怒り」であったり、「妬み」「批判」をメッセージに込め、ぶつけている。それもヘタレなりの戦法で大っぴらに訴えるわけでもなく。そして、その歌詞には自分にもあてはまることが盛り込まれていたり、笑いがあって聴いてしまう。ネガティブで暗い内容のはずが、いつの間にかポジティブな気持ちに切り替わって、一緒に歌っている。
ライブでは、ヤマサキセイヤ(Vo.)の関西弁かつ説教じみたMCが観客を笑わせ、メンバーがそれに微笑んでいる姿は、本当に仲が良いバンドなんだなとつくづく感じさせる。「西宮のドンキホーテ、まじDQN多すぎ」「上でカレー盗み食いしてるやつも言えやーはいsay!」「ヤーンキーこーわいー」地元トークから社会のしがらみまで、幅広いテーマで観客の心をキャッチする。まさに流行やトレンドをかっさらって行くようだ。
2009年に関西学院大学の軽音楽部に所属していた5人で結成。神戸・大阪を中心に活動を始める。2011年にはRO69JACK2011に入賞し、RUSH BALLやカミングコウベ、OTODAMAなど関西ゆかりのフェスにも多く出演している。この作品は2ndフルアルバム(EPなども含めると5枚目)となり、彼らの名前は関西圏から徐々に全国へと話題になった。いまやフェスでは入場規制、グッズ(ねずみ君モチーフがこれまた可愛い)も勿論売り切れ。絶好調だけど、「メジャーには行きたくない!」まったく素直じゃない。
“装備は黒縁眼鏡 カバンは缶バッチまみれ”“必死こいて優勝しても、すぐに忘れられる くだらねぇー!”ツンツンした歌詞にギター2本が分厚く乗って、さらにキーボードがディスコ調のフレーズで飾り立てる。軸を支えているのはドラム。軽快に勝手に体が動き出すノリの良いリズムを刻んでいる。ごついパンクでもなく、誰でも気がつけば笑顔で踊っている。“追い詰められたネズミは血だらけになりながら猫を襲う(「キュウソネコカミ」より)”。できないこと、嫌なことがあってもくじけない、まさにねずみが絶対絶命のピンチになった時、必死になればネコに立ち向かえるほどの1000%の力を出せるという前向きロック。キュウソネコカミだけが作り出す音楽というより、お互いを知らないファン同士でも踊っていると、いつの間にか意気投合し聴く方も皆で一緒につくりあげる、そんな音楽だ。(藤本碧)
鬼に金棒、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。2010年に出された二作目『You Me Her Him』から1年8ヶ月、メンバーチェンジを経た彼らが帰ってきた。それも、恐ろしい武器を持って。Liaroid Cinema——通称ライシネ、は2009年に大阪を拠点に本格的な活動をスタートさせた比較的若いバンドだ。にもかかわらず、恐れを知らないかのように全国に爪痕を残してその名を上げている。
“新しいページを開く”という意味が込められた本作『inletPAGE』は、そのタイトル通り新生Liaroid Cinemaが新たなスタートを切るに申し分ない仕上がりだ。歯切れのよい2本のギターとスピード感のあるベース、それに吹き飛ばされまいとどっしり構えたドラムが生み出すサウンドは、エモともハードコアとも言い難い予測不可能な展開を見せる。前作に比べて個々の楽器のクリア感が増し、歌詞を際立たせることを意識した音になっているため、再録された4曲も全く違った聴こえ方をしている。それらを含めた全12曲からなるこの1枚は一貫してアグレッシブであり、聴き終わると無我夢中に走り続けた後のような感覚に陥ってしまう。そして極めつけは特有の暴力的なリリックだ。誰しもが心の奥底に持つ対人感情や反社会的な想いをこれでもかというくらいに吐露しており、ボーカル矢田貝年郎の叫びに近い歌声が胸の痛いところを的確に抉ってくる。
過去には年間100本を越えるライブをこなし、2013年4月には、「対話をしたい」をコンセプトにしたライブサーキット、『Dialogue Festival 2013』を主催。大阪心斎橋アメ村エリアにある全6会場のライブハウスを舞台に、グッドモーニングアメリカ、LOW-PASSや新世界リチウムなど、彼らの呼びかけに応えた総勢53ものアーティストが音楽を通して対話した。インディ―ズバンドでありながらも大胆にチャレンジしたこのサーキットは、なんと500人もの観客を動員し大成功を納めたという。彼らにとってのライブは再生——Rebirthなのだと矢田貝は語っていた(2012年ナタリーインタビューより)。一度ライブで曲を殺し、もう一度生まれ変わらせるというのだ。これは新しいものを生み出し、再生し続けることによってより洗練されたパフォーマンスを目指すということ。生と死を念頭に置いて行われるライブは言わずもがな圧倒的で、一度経験すると忘れられない。
小さいながらも作り出す渦は巨大で、周囲の人々をすさまじい力で巻き込んで成長してゆくLiaroid Cinema。「大阪の怪物」という別名を持つのも納得だ。そしてこのアルバムは彼らにとって最初の金棒なのだ。(椎名あかね)
2006年、京都の同志社大学に通う学生で結成されたLillies and Remains。全楽曲の作詞作曲を担当するKENTを中心とし、メンバーチェンジを繰り返しながら、現在はKENT(Vo&G)、KAZUYA(G)、NARA MINORU(B)の3人で東京を拠点に活動中。本作は彼らの2作目のオリジナル・フル・アルバムだ。(本作リリース時は現在のメンバー構成では無い)。
バンド名がゴシック・ロックの代表格であるUKバンド、バウハウスの曲名からとられていることからも分かるように、彼らにはポスト・パンク、ニュー・ウェーヴ、ゴシックというワードが付いて回る。スタイリッシュな見た目と、英語の歌詞、緻密な計算の上丁寧に作られたサウンドには隙が無く、それ故にとっつきにくい印象を受ける人もいるだろう。かく言う私も洋楽に疎く、このバンドを知ったきっかけはBUCK-TICKの今井寿がブログで彼らを推したことからで、初めて音源を聴いた時は正直距離を感じた。けれど、ヒリヒリと追いつめられるようなリフと、同じトーンで淡々と紡がれる歌は扇情的であり、なにより彼らが醸し出す淫靡な雰囲気と孤高のオーラはBUCK-TICKなどのヴィジュアル系の祖たちが持っていた美しさと通ずるもので、更にそれは今のヴィジュアル系が失くしたものでもあり、とても興味深かった。
そのLillies and Remainsは京都で生まれた。しかしこの街には、彼らのように孤立したバンドは活動しにくい側面があると感じる。WEBサイトJET SETのインタビューでバンド結成の経緯をKENTは「クラブでロックやエレクトロに合わせて踊っている人を見て、日本でもこんなに音楽を聴いている人がいるんだとびっくりした。そんなに聴いてくれる人がいるなら自分もやろうと思い、大学内で音楽ジャンキーを探した」と話している。学生の街である京都には地方からいろんな人が集まる。ライヴハウスやクラブ、レコード屋が点在し、独特の音楽文化が根付くこの街には、マニアックな音楽好きの学生がバンドを結成するに至る引き金がたくさんあっただろう。けれど群れることができない彼らにとって、横の繋がりの強い京都は決して居心地のいい場所では無かったのかもしれない。孤独が好きなわけでは無いけれど安易に人と繋がれない性分。それでもどこか居場所を求め、2008年彼らはこの街を出たのかもしれない。
近年は自主企画を立ち上げ、THE NOVEMBERSやPLASTICZOOMSなどの同世代のバンドと積極的に関わりつつ、KENTはラルクのドラマーyukihiroのソロプロジェクトacid androidにギターで参加するなど、本当に分かり合える者との繋がりを手繰り寄せながら、自分たちの音楽を届けている。そんな彼らの活動がより大きなうねりとなることを期待している。
(小川あかね)
UKポストパンク発、USブルックリン経由、ジャパン大阪不時着の未確認ギター物体。それがLADYFLASHである。XTCのようなどこかひねくれた、かと思えば、懐かしい祭囃子のような音を奏でるツイン・ギター編成。本作はスタジオシンポの小泉大輔(ママスタジヲ)による録音。無鉄砲な勢いはそのままにポップで聴きやすく仕上げられている。
ジャケット絵を見やると、バンド名を口紅で描き、少年が持ったバットは我々に突き刺さるように伸びていく。バットはギターであり彼ら自身の象徴だろう。ユーモラスで一見意味がなさそうな歌詞からも、焦燥感溢れすぎるヴォーカルからも、逆にまっすぐな意思が伝わってくる。「Pitchfork信じない」と歌う陽気でフォーキーな最終曲の、皮肉でぶっきらぼうな歌いまわしからさえもだ。
欧米の最先端のインディー・ロックを意識して、やろうと思えば流行りのサウンドに仕立て上げることもできるだろう。しかしLADYFLASHはあえてそうしない。頭でっかちにならず身体性の高いダンス・ミュージックを… ええい! うっとおしい。踊れればなんでもいい! ちなみに本作の特設サイト(リンク)も用意されている。なお現在はサポート・ギターが抜けてシンセサイザー奏者が加入している。その編成での今後の展開も楽しみだ。(森豊和)
リンク
http://www.occn.zaq.ne.jp/curyp106/tsuyokute.html
LOSTAGEは01年に五味兄弟を中心に奈良にて結成された3ピースバンドである。何回かのメンバーチェンジを経験しているが、一貫してグランジ、パンク、ポストハードコアといったジャンルを追求した刺激に満ちた作品を生み出し続けている。
「ECHOES」はそんなLOSTAGEが三人体制になってから二枚目のフルアルバムである。さらに言えば自主レーベルTHROAT RECORDSを立ち上げ活動の拠点を完全に奈良に移してからは初のフルアルバムである。元々東京のレーベルに所属していた彼らだが音楽で生活していくため、そして東京一極集中の現状に対する疑問から2010年に拠点を地元奈良に移し自主レーベルを立ち上げた。とこうして書くと簡単な話に思われるが実際はレーベル立ち上げ早々リリース前の音源がネット上に流出するなど大きな困難を伴うものでもあった。そんな中でリリースされたのが「ECHOES」である。
LOSTAGEといえば荒々しく殺伐とした音像、といったイメージが強かったように思うが今作はそういった持ち味を残しつつ今まであまり見られなかったポップな曲やメロディアスな曲が目立つ。また“さあゆこうそう明日へ”と歌う「瘡蓋」や“これからさ”と繰り返す「これから」など歌詞の面を見ても今までの彼らの歌詞にはなかった希望や力強さを感じることが出来る。
今作はレコーディングも奈良のライブハウスNEVERLANDにて行われている。彼らにとって馴染み深い環境で制作に打ち込めたことがこうした内容の充実に繋がっていることは間違いない。しかしなにより大きいのは彼らの内面の変化ではないだろうか。五味岳久(Ba,Vo)はインタビューで「ECHOES」というタイトルには多くの人に拡がってほしいという思いが込められていると述べている。音源の流出を始めとする問題に悩ませられながらも自分たちだけの力でレーベルを運営しバンドを動かしてきた。その自信が殺伐としていた彼らの楽曲にポップさや力強さを与えることになったのではないだろうか。
年々ベットタウン化が進んでいる奈良。大阪や京都と比較できるような音楽シーンも無い。そんな状況は一組のバンドの存在で劇的に変わるようなものではないし、もちろん彼らだって街おこしや地域振興の為にバンドをやっている訳ではない。しかし少しずつではあるが奈良の音楽シーンに変化が見えるのも事実だ。RopesやZといった東京を中心に活動するバンドや地元奈良出身のRED SNEAKERSやdandylionがTHROAT RECORDSから作品をリリースし、また五味岳久が経営するレコード屋THROAT RECORDS目当てに他県から人が奈良に集まるという状況が生まれつつある。さらに大阪のFLAKE RECORDSとの積極的な交流により関西全体のシーンにも大きな影響を与えている。ゆっくりかもしれないが曲だけではなく彼らの音楽に対する姿勢や美学も多くの人に共鳴し、拡がっている。(堀田慎平)
奈良県は日本で一番県外就業率が高い都道府県であるらしい。皆、奈良を出て主に大阪や京都で就職するのである。要するに奈良は日本一のベッドタウンということになる。私自身奈良出身であるものの大学入学以降京都に通い続けている。そんな状況は音楽シーンについても当て嵌めることができそうで、奈良にもNEVERLANDや生駒のrheb gateなどといったライブハウスはあるもののやはり数も規模も大阪、京都に遠く及ばずそれはレコード屋やCDショップについても同様である。そんな状況で奈良出身のミュージシャンたちも活動場所を求めて大阪へ京都へと足を運ぶのだ。
そのためか奈良は大阪、京都のようにシーンという形でまとめあげるのが難しい。しかし奈良がベッドタウンとして他県の経済に貢献(?)しているようにまた奈良のミュージシャンたちも奈良を飛び出してシーンの形成に一役買っている。例えば“関西ゼロ世代”として大阪のアンダーグラウンドの代表格としてのイメージがあるワッツシーゾンビ、ウリチパン郡として活動し現在では国境すら飛び越えた活動をみせるオオルタイチも奈良出身、在住である。またLOSTAGEも奈良出身のバンドとしてよく取り上げられるが彼らも大阪・堀江のFLAKE RECORDSから作品をリリースしたりハードコア、オルタナ、インディロックを繋ぐ存在として全国規模での活動を展開している。ここから多少強引にでも奈良のシーンというものを導きだすとするならば様々な地域、シーンを行き来しつつ活動する多種多様な音楽が存在するということだろうか。特筆すべきシーンがないことこそが奈良シーンと言えるかもしれない。
一方で近年では奈良の音楽シーンは行政よりも一足早くベットタウンとしての役割を抜け出そうとしているようでもある。上で挙げたLOSTAGEは長く東京のレーベルに所属していたが2010年に自主レーベルTHROAT RECORDSを立ち上げ活動の拠点を完全に奈良に移している。さらに2012年には奈良に実店舗のレコードショップ「THROAT RECORDS」をオープン。Crypt cityやRopesなど親交のあるバンドはもちろんだが地元奈良出身のRED SNEAKERSやdandylionの作品も積極的に作品をリリース。奈良から発信していこうという強い意図が窺える。何より「THROAT RECORDS」目当てに他府県から音楽ファンが奈良に集まるようになったというのは大きな変化だ。テクノポップバンド√thummの活動も新しい動きの一つ。ヨーロッパなど海外での活動も盛んな彼らだが、練習から制作までを奈良で行いまたメンバーは郡山で「aran café」という喫茶店を経営しイベントなども行っている。バンド以外にも奈良まちのカフェを利用したライブイベントの開催など奈良だからこそできることも最近活発だ。こういった動きはインターネットの発達とも大きく密接している。東京や大阪に出なければ音楽ができないという時代ではなくなった。そうした流れを証明するような動きが奈良から生まれ始めているように思える。
今やベッドルームで作られた音楽が世界中で聴かれるような時代にベッドタウンから生まれた個性豊かな音楽たちが全国に拡がろうとしている。(堀田慎平)
歌が無くてもギターの一音やドラムの一打だけで感情は表現できることを、彼らの音楽は教えてくれる。京都のLOW-PASSはメロディアスで軽快なスリー・ピース・インストゥルメンタル・ポスト・ロック・バンドだ。2005年結成、幾度かのメンバーチェンジを経て2010年に現在の布陣に。2009年にフランスのfago.sepiaとのスプリットCDを東京の《Friend of Minerecords》より発表。本作は名古屋のレーベル《STIFFSLACK》から2012年の1stフル・アルバムに続くリリース、東京のMIRRORとのスプリット7インチであり2曲ずつ収録されている。
積乱雲を意味する「cumulonimbus」は、薄暗がりのなかから徐々に光が差し、世界が明るく照らされていく光景が思い浮かぶ。2曲目「chapter square」では、ファンキーに歌うリード・ベースとアクロバティックに高鳴るギターが絡み合い、自在に拍子を変え展開するドラムがアクセントを添える。その様は、3つの楽器がそれぞれに別の曲を演奏し、それらが組み合わさって1つの曲になっているかのよう。ありったけの感情を詰め込むには有効な手段だ。結果として数分間のポップ・ソングで、人生の様々な葛藤が表現されている。なおベース小野泰伸は細野晴臣をリスペクトし、女性シンセサイザー奏者3人とのニュー・ウェイヴ・バンドYOU MUST SEE Iとしても活動している。(森豊和)
“古いものは全部ひっくり返る”“これからは俺たちの時代や” ライブ中何度も繰り返されるアジテートのようなMCが今でも強烈に焼き付いている。
ステージに立っていた煽動者の正体はマッカーサーアコンチ。彼らは2001年にフロントマンのアチャコを中心に大阪で結成された。本作は結成10年目にして初のフルアルバムであり全国流通盤である。
彼らの楽曲でまず目につくのはその歌詞である。今作では日本の音楽シーン、メディアへの不満を隠すことなく表している。また8曲目「NINJA‘77」では大阪のあいりん地区のこと、同和問題、3セク問題を、地下活動を行う忍者になぞらえて歌っている。しかしそこに重さやとっつきづらさは感じない。その理由は彼らの楽曲が持つポップさにある。60年代・70年代のブラックミュージック、ガレージサウンドに影響を受けたサウンドは聴いていると自然に体が反応してしまう。この音に乗ると“使いなれた訛りでしゃべれや!”“ド頭カチ割るぞ!”といった強烈なフレーズさえむしろそのポップさを加速させる要因になっているように感じさせられる。関西、大阪を強く意識している彼らはまさにタブーすら笑いに変えていく関西人のように、刺激的なメッセージを踊れるポップミュージックに仕上げてしまった。アングラ、アクの強いバンドというイメージが先行しがちな彼らだが本作を聞けば “ポップであるということ”と真摯に向き合っているバンドであることに気づくはずだ。
彼らのそうした姿勢は楽曲以外にも表れている。震災後アチャコはこちらも関西を中心に活動している元あふりらんぽのPIKAらとともに市民団体〈TAIYO33OSAKA〉を立ち上げた。この団体はシンポジウム的なイベントを中心に震災後の原発問題、エネルギー問題さらにはTPPに風営法と自分たちや社会を取り巻く様々な問題について考え行動していくという趣旨のもと立ち上げられた。しかし彼らはこうした非常にナイーヴな活動さえ最終的には〈太陽大感謝祭〉という思想や信条、政治的対立を超越したポジティヴなエネルギーに満ちた祭りへと昇華させてしまった。
こうして見ていくとマッカーサーアコンチの活動は非常に独特なものでありユーモアに溢れている。しかしそのユーモアに隠された内側に見えるのは、強い反骨精神であり常にカウンターカルチャーで在り続けるという意志である。そもそも彼らは “ 昨今のロックのスポーツ化に警鐘を鳴らす”というテーマのもとに結成されたバンドである。
これは彼らが結成された当時勢いを強めていたメロコア、ミクスチャーといったシーンのライブの在り方などに対する彼らからのメッセージである。今後もこのバンドは自分の周りの様々な問題に対し警鐘を鳴らし続けることだろう。本作は少し時間がかかったがそんな彼らの挨拶代わりの一枚のようにも思える。(堀田慎平)
60年代スタイルのフォークやブルーズの伝統が色濃く残る京都において、大学進学をきっかけに暮らすようになったというこの女性シンガー・ソングライターの存在は強烈な異彩を放っている。まるで蓄音機の中から抜け出してきたような戦前歌謡の匂いと、気品ある英国フォークの薫り、1900年代の欧州ロマン主義の神秘性とが合流したような風合い。ダークではあるが決して重くはなく、むしろハレルヤ!な包容力ある空気を伝えているのは、アカペラでも成立する透明度の高いヴォーカルが清らかなのと、口琴とアコーディオンというノスタルジックな音色を奏でる使用楽器の特性も大きい。
東京・高円寺の『円盤』のレーベルから出ているというのも納得するところだが、森田雅章トラディシオンカントリーバンドやand young…などにも関わってきているだけに、関西のリスナーにはもっと彼女の音楽を聴いてほしいなあ。間違いなく現在の京都の至宝の一つ。(岡村詩野)
文と書いて「あや」と読む。24歳の女性シンガーソングライター。2008年の閃光ライオットに横浜代表Piggy Hedgehogのフロントマンとして出場も果たしたが翌年解散、野外イベント祝春一番にスタッフとして参加し、10年より大阪に移住。その後出演も果たしている。春一番界隈のおっちゃんたちに可愛がられながらライブハウス、バー、呑み屋で弾き語ってきた。
本作はAZUMI(G,Vo)をプロデューサーに、バックもベーカー土居(Dr:exソー・バット・レビュー)や伊藤せい子(Cho:夕凪)ら大阪名うてのミュージシャン、またベン・ハーパーとの共演盤で知られているトム・フロインド(G)も1曲ゲスト参加している豪華な1stアルバム。シンプルなメロディに乗る声は中性的と言ってしまえばそれまでだが、時に二階堂和美のような底抜けに純真無垢な幼児性、時に森田童子のような影のある思春期の少女性、時に浅川マキのようなたばこの似合う大人の女性と曲によって全く違って聴こえてくる。またどの一面でもそれがちょっと不器用に響くから堪らなく愛しい。
2013年8月より“大阪留学終了”として拠点を東京に移している。3年半の大阪生活だったが他のミュージシャンにはなかなか見えない粋なナニワの心意気(ソウル)をレジェンドたちから直接受け継いでいる貴重な逸材である。(峯大貴)
2000年代、ボアダムスの影響を受けた「関西ゼロ世代」が大阪のアンダーグラウンドで盛り上がりを見せるのを尻目に、トータスらシカゴ音響派の影響が見えるインストサウンドに向かっていったのがミドルキューである。
本作は3年8か月ぶりの5曲入り。これまで彼らの大きなサウンドの要であった外山素子によるヴィブラフォンは「Freesia」で聴こえるのみで、オルガン・エレピ主体によるソリッドな音づくりとなっている。サポートのcovochangによるトランペットとも相まって、メロディが強調され緩急のついたグルーヴで思わず前のめりに。これにはスタジオで緻密に構成されたというよりも、ライブで鍛え上げられた楽曲であることが見て取れる。決してジャズ畑のバンドではないが、シカゴ音響派やファンクへの影響を煮詰めていった先の、根源的な泥臭いジャズ要素がある、音楽の系譜が見えてくるような作品だ。
2011年からは自主企画イベント「Room」を始動。昨年には「Room Special」と題して服部緑地野外音楽堂2daysも成功させた。出演陣は京都からLOW-PASSや、本作でミックスを担当している井上典政を擁するjizue、東京からはtoeなどインストバンドが主体であり、それらの人脈を一挙に大阪で束ねる役割を担っている。(峯大貴)
神戸三ノ宮からJR神戸線で約20分にある海沿いの町、塩屋駅からすぐの旧グッゲンハイム邸(通称グ邸)は100年以上の歴史を持つ洋館で、ライブから結婚式までフリースペースとして日々利用されているが、関西音楽家の表現舞台として、塩屋において文化的側面を持つようになった。運営するのは森本アリ。その彼が所属する三田村管打団?の3rdアルバムは、かきつばたやブラジルなどで演奏家としても活動する西川文章の手腕により、爆裂ブラスバンドの臨場感を引き出しながら、笑いも涙も塩屋の空気までレコーディングされた作品である。
アルバムはGOLDとSILVERの2枚組、全16曲収録。金盤の幕開け「ハイライフ・ヒム」は管楽器による中高低域のハーモニーから一転、ブラス特有のフリーキーなソロパートが一斉に奏であう。ラテンリズムの「バタバタ」、LIVE! LAUGH!のトロンボニストである故・大原裕の作曲「スティール・ビート」、デューク・エリントン「クレオール・ラブコール」など、ライブで披露してきた曲が並ぶ。かわにしひよし保育園で録音された「ゆきだるまのチャチャチャ」は56秒と短いが、川西市の8つの保育園の子どもたち150名が謳う元気溢れるトラックで、最後に「よく出来ました!」という声や拍手も収録。サド・ジョーンズのカバー「子供が生まれた」、豊島の子供たちと何回も歌ったという「豊島の歌 うたおう」など、メンバーの半数以上が女性で近年ベビーブームが続いたということを象徴するような曲群は、本作の沸点と言えよう。
銀盤は圧倒的な手数のドラムと吹き荒れる管楽器の群れに、思わずダイヴをかましたくなる様なライブでのド定番「ヴァソリーニャ」でスタート。ブラジリアン・ミュージック「バヤオン・ジ・ラカン」、教会のパイプオルガンから鳴らされるような旋律を管楽器に落し込み、BPMを加速させながら儚くも散ってゆくラスト「テーハ」などのカバー曲は、ようやく収録されたレパートリーだ。
2枚共にカバー曲が多いものの、兵庫『運河の音楽』というイベント出演のために作った「運河」、クレズマー音楽からマーチングバンドへの展開をみせる「ルダビー!ルダビー!」など、メンバー作の曲も引けを取らない。
話は変わるが、2013年、森本アリはグ邸近くの洋館「旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会」も立ち上げ(残念ながらマンション建設へ)、古き良き文化を塩屋に残す活動に明け暮れた。時代に置き去りにされてしまう先人の遺産を継承することと、名も知れない世界の音楽をカバーし、我々が楽曲に触れることは同義ではないだろうか。だからこそ三田村管打団?と西川文章はグ邸でレコーディングし、音のみならず塩屋の空気を閉じ込めたのだ。関西も大都市であり、梅田を中心として都市開発が進む。だが、少し離れてみると、自然豊かな街並みが広がっている。三田村管打団?の子供たちが大人になったとき、塩屋の風景が変わらずに残っているはずだ。きっと。(山田慎)
今から約90年前は、この国最初のジャズバンド「井田一郎とラッフィング・スターズ」がこの地で結成され、北野の通りには、多くのジャズクラブがあちこちに立ち並び、ダンスパーティーの毎日であったという。この全盛期の名残から、当時の西洋文化の面影が今も、街並みの多くを占めており、レトロな存在感を醸し出す。老舗ジャズクラブで繰り広げられるサーキットライブ「神戸ジャズストリート」は25年以上前からずっと続いており、時を経た現在でも街中ジャズは健在であるようだ。
と、ここで話は終わらない。あまり外には届かないが、音楽街といってもいい程度に場所があり、事が動いていることを知っておきたい。「塩屋旧グッゲンハイム邸」という昔は邸宅だった洋館でライブが開かれていることもあるが、たいていライブの拠点は最も人が多く集まる三宮。若者向けの、小さいけれど愉快なハコが散在している。主要ライブハウスはどこも駅から少し歩くと辿り着く距離にあり、2000年代はガガガSPを筆頭にパンクロックが盛んに溢れており、まさにシーンが確立していた。そして10年代に入ると、アクが強く、しかし以前と同じように10代の若者から支持を得るバンドがよく目立つ。2010年オープンのライブハウス「太陽と虎」からは、若手バンドの作品を集めたコンピレーションCDを定期的に無料配布しており、過去にはHAPPYやフィッシュライフ等の音源も入ってある。ここからCOMIN'KOBE等の関西の大型イベントに出る者もいれば、全国へ巣立っていくような者もいる。また、ジャンルも内容も十人十色の30組以上のイベントが一気に集結するフェス「KOBE UNITED BEATS」、学生が主催する大型サーキット「神戸楽生運動」など、個人イベンター達も多く存在し、活動する。
また、新しめの場所を探れば、元町にギャラリースペース「space eauuu」があり、普段はカフェ営業、週末の夜にはライブが行われる。ライブでは主に弾き語りやアンビエント、エレクトロニカ系等のアーティストが出演する場となっている。さらに中華街近辺、服屋さんなどが立ち並ぶ栄町にレコード屋「ディスク・デシネ」があり、ヨーロッパを中心としつつもアジア圏の他国アーティストのCDまで置いてあるから発掘しがいがあり抜群の面白さがある。今の神戸を代表するtofubeatsは「水星」のなかで“I spent much to be a youth/adult”と歌っているが、これはまさにここのことで、彼がオノマトペ大臣と出会うきっかけとなった場所でもある。
日本のジャズが発祥した時代、パンクロックが盛んになった時代を駆け抜けた後の神戸を一括りにするのは難しいかもしれない。しかし現在も、神戸には各々の活動をする音楽家が多くいる。現にtofubeatsのように街からインスピレーションを受ける音楽家がいる限り、この街はかけがえない。この街に居続ける理由は、都会なのにどこか緩やかに時間が流れているような淡い感覚に浸かっておきたいからだろうか。今、ここは「集合体と街」よりも「私と街」の結びつきが強いように思う。その実感を自身で体験するには、まずはここに挙げたキーワードを元に神戸の街を歩いてみてほしい。(坂本花央理)
筆者の住む岡山には、毎夏4日間にわたり県下最大キャパのハコ・CRAZYMAMA KINGDOMで開かれるA collegeという学生イベントが存在する。楽器を始めて半年足らずの素人コピバンから岡山インディーズシーンで支持を得るニューカマーまで、県内ほぼ全大学の軽音サークルから幅広く学生バンドが集まる手作りのバンドコンテストだ。2012年、優勝バンドが決まったあとそのステージに現れたゲストは、地元バンドでも過去の優勝バンドでもなく、Zepp Tokyoワンマンをソールドアウトさせる実力を持った京都在住のメジャーレーベルバンド・モーモールルギャバンだった。
彼らは、同志社大学の軽音サークルで結成されたギターレス&男女ツインボーカルのスリーピースバンド。明るくパワフルでサイケデリックなサウンドに乗る変態性と人情味に満ちた歌詞、"パンティーコール"をはじめとするアツ(くるし)いライブパフォーマンスが特徴で、本作は通算4枚目のフルアルバムだ。勢いのまま緩急を繰り返すゲイリー・ビッチェ(Dr/Vo)の奔放なドラミング、ユコ・カティ(Key/Vo/銅鑼)のゴリゴリに歪んだオルガン、T-マルガリータ(B)の目まぐるしいベースラインが渾然一体となって繰り広げるグルーヴに、テンポや安定という概念はない。"メンバー全員上モノ"とも言うべきライブじみたダイナミクスが、歌に込められた人生悲喜こもごもをよりドラマチックにしている一枚である。
ライブ終演後にはいつも物販に立ってサインに応じるなど、彼らは知名度に似合わない親しみやすさを頑なに残し続けるバンドだ。中でもA collegeへのゲスト出演は、自身のルーツ・軽音サークルという磁場への愛着が特に浮き彫りになるちょっとした事件だった(打ち上げにも参加して学生相手に朝まで飲み明かしたらしい)。大学の軽音サークルというのは不思議な場所で、うら若い身内ノリの集団であり主催ライブが身内行事の枠を超えることはそれほど無いにもかかわらず、そこから生まれた若いバンド達は確実に日本各地の音楽シーンに影響を及ぼしている。そしてその最たる例が、人口の一割を大学生が占める日本最大の学生街・京都市だ。ゲイリーとT-マルガリータが群馬県出身、ユコが奈良県出身と京都出身ではない3人だからこそ、その活動スタイルからは"サークル=身内ノリをも包括する音楽シーン"としての京都への強い帰属性を感じる。京都のそんな側面が、"身内ノリ"の楽しさをメジャーシーンへ持ち出して実力と共に愛されるモーモールルギャバンというバンドを産んだのかもしれない、と、他県のしがない軽音サークル部長として思う。(吉田紗柚季)
中川敬が関西の、いや日本のロックシーンにおいて最重要人物の一人であることに異論はないだろう。ニューエスト・モデル~ソウル・フラワー・ユニオン(以下SFU)を率いてロックにアイリッシュ・トラッドや日本古来の民謡や歌謡曲までを取り込み本当の意味での”日本のロック”を発明した点。もう一つは阪神淡路大震災でのソウル・フラワー・モノノケ・サミット、東日本大震災ではソウル・フラワーみちのく旅団での被災地ライブ活動。阪神淡路大震災を期に作られ東日本大震災でも多くの人に歌われた「満月の夕」は本人の手を超え日本のスタンダードナンバーとなり、反原発デモにも参加する徹底的に現場主義の「社会に声を出せる音楽家」である点。これらの要因はキャリア25年を超え、70年代フォーク・ブルース勢の次に関西の重鎮になりつつある今も、くるり岸田繁を始め尊敬の念を抱く人はあまたいるが、フォロワーが現れない唯一無二性をたらしめている。
本作は2ndアコースティックソロアルバム。北摂のプライベートスタジオ「魂花神社」でほとんどの音を一人で録音。SFUでは奥野真哉(Key)の存在も大きいマッチョなサウンドなのに対して、こちらでは3.11以降の被災地ライブやデモ参加といった非日常的な事象が日常となった世界の「歌」を素朴に聴かせるシンプルな演奏だ。卓越した音楽性や社会活動ほどこれまでフォーカスされてこなかった「歌い手」としての中川敬がたっぷりと堪能出来る。
演奏が一人であるがゆえ、「世界はお前を待っている」やセルフカバー「海へゆく」などでは全てのパート同じところでヨレたり独特のタメが効く。それが歌手中川敬のタイム感・コブシの響きを助長している。「そら~この空はあの空につながっている」の冒頭“不思議な感じやな こんなに辛いのに”とたった一行の大阪弁歌詞は思わず心から漏れ出たような説得力を持つ。尾崎紀世彦ばりに突き抜けた声量は快晴の”そら”を描く。二階堂和美のカバー「女はつらいよ」ではサビに向けて徐々に感情が溢れゆく女心を演歌歌手さながらに中川敬が好演。
曲の幅広さにより多様な一面が見て取れるが、その全てが新たなアプローチではなく既に血肉と化していることがわかる。なのにこれまでそれほど歌に注目されなかったのは、20代前半の頃の頭でっかちな理論武装で胸倉を掴むようなギラギラした声に聞き取り辛さがあったからではないか。しかしモノノケやみちのく旅団の経験も経て40代も後半、年々迫力は増しつつ柔和になった彼の歌声には年輪のように様々な音楽と、社会に端を発する思想が刻み込まれている。(峯大貴)
2003年に宝塚にて結成、数度のメンバー交代を経て現在のラインナップは淡路翔子(G,Syn,Vo)、山田耕平(Dr,Vo)、宮本章太郎(G,Vo)のベースレス3ピースバンド。本作は1stであり全員がボーカルをとる多層的で高らかなコーラスワークやメロディ、祭司的で擬音の多い“初めにリズムありき”な歌詞はOOIOOに見られるような民族音楽の影響が多分にある。加えて、激情するキャッチーなギターリフや、目まぐるしく変わるリズムパターンなどにはカンや00年代後半以降のブルックリン界隈も思わせる。多様な要素はあれどそれが整然と構成・消化され難解・高尚に聴こえるという訳でなく、ごった煮状態が愉快なお祭り騒ぎとして響く。または「Camel Walk」、「Hippo Attack!!!」という曲名に違わず動物園で様々な猛獣を見ているかのようだ。ライブではインプロ・セッション的要素もあり3人が息と目を合わせながら、のっしのっしとグラウンド・ビートがどんどん昇天していくカタルシスが堪らない。
活動は大阪中心であり9月には地元箕面で自治体と協力し、箕面駅周辺の街が音楽とアートに包まれるフェス『MinohVa』を開催、町おこしに一役買っている。Wallflowerも箕面発を称し、白い汽笛にも「箕面」という曲がある。阪急箕面線終点のベッドタウンに今何が起きているのか!(峯大貴)
2011年の透明雑誌の来日ツアー大阪公演を主催したことから張盛文が経営する台湾のレコ屋にも並べられている、NINGENCLUBのジャパニーズ・ポップ。フロントマン岸田は、この他にPOST MODERN TEAMやTalking City 1994でも活動中。
本作は6曲入りEP。マスタリングを手がけているのは、同じく関西を拠点とするNOKIES!のフロントマン久米。郷愁を覚えるメロディと時々ノイジーに変化するギターには2000年代のラフトレード周辺の要素を思いっきり凝縮したような印象を感じ取るが、そこにピタッとハマる言葉の連続。これらが合わさり生まれた歌は、一度聴くだけで鮮明に焼き付いて離れない。冒頭曲「Each Time」で同じフレーズを繰り返しながらその予感を匂わし、次の曲で最高にポップなリズムが刻まれると、そこからはもうキラーチューンの連続で最後まで突っ走る。軽やかなリズムで疾走感の強い「POP SONG」で本作は幕を閉じる。
“ポップソング”こんな言葉を聞くとそれは一時的なものだと疑ってきた部分が少なからずあったが、大阪を中心に活動する彼らの音楽には、病みつきにさせる程の魔力と突き抜けた直球さがあり、自然に溶け込みながら時代を超越する。だからどんなふうに懐疑の念を抱いているとしても、ひとまずは安心すればいい。これからも続くと思えそうなポップソングがここにある。(坂本花央理)
2010年発足、難波拠点AKB48の姉妹グループであることは言わずもがな。アイドルブームと言えど、AKBの横綱相撲っぷりは別格であり関西アイドルシーンとして他グループと横並びで語ることは出来ない。また48グループの中においても他と大きく異なる点は事務所・レコード会社が吉本興業の子会社であるところ。吉本は93年に「お笑い以外の世界で仕事を見つける」第一歩として音楽業界に進出。女性アイドルグループ、大阪パフォーマンスドール(OPD)を発足させたが数年で失敗に終わっている。その後設立されたレコード会社「よしもとアール・アンド・シー」はメジャーとして成長しているが、この一連の音楽事業を仕掛けた人こそ当時社員で現社長の大﨑洋であるのも感慨深い。だからNMBはOPD失敗から約15年、吉本にとって悲願のヒットアイドルなのである。
本作はシングル6枚の表題曲を含む15曲入り。AKB,SKEとは違い、劇場公演曲のスタジオ収録盤がないため彼女達にとって純粋な1stアルバム。NMB48の楽曲に共通するのはケレン味をあえて押し出し、常にメタ視点を意識しているところだ。つまり常に曲に対するツッコミありきなのである。全編大阪弁で男性パートとかけあう「てっぺんとったんで!」はイントネーションのわざとらしさにずっこけ、「ヴァージニティー」や「HA!」の昭和アイドル歌謡性に百恵・明菜のような哀愁なんてなく“哀愁おまっせ”と面白さに転じさせる茶化しっぷり。珍しく真っ当なアイドルポップス「北川謙二」(ハイテンションなふざけが似合わない横山由依が兼任していたためか)に至ってはシングル盤の帯に“タイトルさえちゃんとしていたら、いい曲なのに・・・”と見事な自分ツッコミを入れてしまっている。この調子が続くのでモータウン調のメロに、人気パン屋を営む夫婦の仲睦まじさに憧れる純粋な少女を描いた普通にええ曲、「アーモンドクロワッサン計画」(team BⅡ)には“ボケへんのかい!真面目か!”というツッコミを入れてしまいそうになる。
ボケられたらツッコまずにはいられない欲求を上手く転がしている本作を聴くと彼女達にとって、アイドルとして歌を歌うことも一つのギャグなのかもしれないと疑う。それがスベっているかどうかは各人の判断に委ねるが、アイドルソングとして保守と揶揄される48グループの中でも異彩を放っていることは確かだ。
写真はType B。特典DVDには女子高生とヤクザの全面抗争を描いたVシネ調ドラマ「てっぺんとったんで!」が収録されている(ご想像の通り竹内力は出ています)。この設定含めて随所にツッコミどころ満載で楽しめる。(峯大貴)
彼らの曲を初めて聴いたのは、7インチが先行発売されていた「Oslo」。織り重なっていく音や、変わっていくビートに、ロードムービーを見ているような情景を感じた。「Oslo」を含む全10曲が収められたこのアルバムは、フォーキーなもの、テクノ歌謡調のシンセが効いたものなど曲調も様々だ。基本はボーカル、ギター、ベース、ドラムというシンプルな構成なのだが、こんなにも一曲一曲がドラマティックなのは、一人一人が奏でる音の存在感を活かしながら、絶妙に足し引きされ作り出されたサウンドのなせる技だろう。
持ち込んだ音源が大阪南堀江にあるFLAKE RECORDS店長和田貴博の耳にとまり、同レーベルから初の日本人バンドとして2011年2月、同志社大学在学中にデビューしたNOKIES!。メンバーは、久米(Vo&G,Key)、菅野(G)、小瀬(Dr)、コウタロウ(B)の4人。インディー・ロックが好きだという彼ららしく、収録されている楽曲にもローゼズやプライマルなど洋楽の要素が感じられ、2012年にSXSWを含むアメリカツアーやイギリス・フランスツアーも成功させている。今回、セルフプロデュースで作られた1stフルアルバムのタイトルの意味は〈瞬きの間〉。2012年の彼らの「今」が詰まった1枚には、いつまでも色あせない彼らの大好きな音楽がしっかりと息づいている。
(乾和代)
溺れたエビの検死報告書は、2002年より関西を拠点に活動を開始した頭はエビ、体は人間である謎のエビ人間集団。日本中のミュージシャンやパフォーマー、デザイナーが参加し、構成員はプロ/アマ含め100名以上に及ぶ。ライブでは10名前後が出演し、2013年にはフジ・ロックフェスのROOKIE A GO-GOへ出演し注目を集めている。楽曲は特定のジャンルに囚われず、水中にいる錯覚を覚えるようなアンビエント・テクノから、カトゥーンアニメのようなコミカルな曲、一種の民族音楽のようなプリミティブな曲、オーケストレーションを用いた壮大な曲等、彼らの世界観を照らしだす手段として多種多様な音楽が鳴り響く。
そして、活動10年以上の時を経て初アルバム『アノマロカリス』が発表された。本作には、彼らの多様な楽曲の中でも、特に世界観を意識したプログレッシブなものを中心に5曲収録されている。これらの楽曲は、ステージでのパフォーマンスやアクションと融合される事で完成される。本作を聴き、エビ達の世界に足を踏み入れたならば、異様な風貌の集団を前に当惑しながらも、奏でられるダンサブルな音を前に自然と体は踊りだすステージに是非足を運ぶ事をおすすめしたい。(高木真一)
京都発5人組(?)ハードコア・パンクバンド。USハードコア(MINOR THREATのアレンジカバーも収録)をベースにオルタナ、ポストパンク、関西ゼロ世代、フォークなんかをぐるぐると飲みこんで、Manchester school≡やmy ex、賢いユリシーズなど関西パンク仲間から、名古屋ハードコア仲間、ゆーきゃん、豊田道倫まで迎えて、放出される13曲。
数年前、あるBBSでodd eyesのライブ告知を見た。“中村一義の『ERA』をはじめて聞いた時みたいな、そんな瞬間がそろそろあってもいいんじゃないかと思います”という一文に、“わかる!”とやられたが、そんな風に音楽に憧れ、音楽を信じたそのままに音楽を鳴らすのが彼らなのだと思う。ライブでも音源でも、そういった衝動を抱えて、まっすぐにしっちゃかめっちゃかしている彼らを見ると、「thinking ongaku union local 075」のシンガロングには思わずグッとくるのをこらえながら、一緒に歌いたくなる。“友達”なんて言葉を使うハードコアバンドをほかに知らない。「うるさい友達」という言葉は優しくて、ハードコアバンドが優しくていいのかと思いもするが、きっとそこがodd eyesなのだ。
京都メトロの月例イベント“感染ライブ”の中心として、周りをぐるぐると巻きこんで、ジャケットやデザインに至るまで、バンド周りの“うるさい友達“の力を借りて作りあげられた愛しい愛しい一枚。(カワダユウミ)
“あたくし、生まれも育ちも大阪です…”の口上から始まる新世界の歌姫、もしくは平成のゴッド姉ちゃん(by 横山剣)。00年より「大西ユカリと新世界」を率いていたが09年に休止、ソロとしては4作目となる。
前作『直撃!韓流婦人拳』で韓国進出したのに続き、本作も韓国録音、ミックス。全曲宇崎竜童が作曲を務め、作詞陣もaCKy(O.L.H. 旧 面影ラッキーホール)、阿木燿子から湯浅学まで引っ張り込んでいる。そんな情念・愛欲が込もり過ぎる歌詞が並ぶが、その個性に負けない大西のソウルフルかつ行間を読んだ歌唱が冴える。昭和歌謡と評されることも多いが、韓国への接近、小林ホーン隊によるソウル・ファンクな音づくり含めて、あらゆる世界の「歌謡性」を煮込み、歌い手として咀嚼しているボーダレスな姿勢が感じられる。
通天閣界隈を歩けばおっちゃんおばちゃんが話しかけてくる「新世界の顔」であり、通天閣歌謡劇場での月例ライブ「大西ユカリ歌謡ショー」は地元ファンを中心に毎回即日完売となっている。しかし慣れ親しんだ劇場は今年突然閉館、千日前アナザードリームに場所を変え、12月には見事100回目を迎える。歌い手としての資質はもちろん、一方でミヤコ蝶々、藤山直美、上沼恵美子といった関西の芸能魂を体現している人でもある。(峯大貴)
このアルバム名、ぱっと見て意味が分かるだろうか。私は分からなかったが、エレクトロなトラックの上に非言語の歌をのせるスタイルのオオルタイチらしさが全開だと思った。3rdアルバムとなる本作全12曲中でも、「Coco」「Linking Pi」が英語詩である以外は、彼流の謎の言葉で歌っている。
とはいえ彼も日常生活では日本語話者。ライブのMCでは、出身地の言葉、関西弁を使う。関西弁は、どのような場所でも堂々と話される数少ない日本の方言だ。そこには所属文化圏への強い帰属意識を感じるが、本作の志向は逆。歴史の中で何重にも意味づけされた既存の言語ではなく、音の響きのみに立脚した言葉だから表現できる、朧げさや曖昧さ、帰属意識の希薄さがある。この独自の言葉には面白い効果があって、不明瞭な意味が難解さを招くのではなく、逆の威力を発揮するのだ。徹底的に分からないものとして提示されるからこそ、文化的コードは皆に等しくフラットであり、ひらかれた音楽になっている。曲の中から言語という約束事を取り除くことで、シンパシーを獲得するための敷居が低くなる。つまりこれは、ちょっとした文化の壁ならひょいっと乗り越えていけそうな力を内包した、越境の音楽だ。
言葉の壁をなくした本作は、音響自体も身軽である。ハイファイな煌きは(実際は真空で音は鳴らないけれど)宇宙空間で鳴っているよう。エレクトロニカはコンピュータに特化した音楽で、弦や膜などの震えから発生した音を電気で増幅させるのではなく、元から電子生まれの音を多用する。そこで鳴る音は一度も空気を介していない。この電子音のなりたちを思うと余計に、重力から逃れて空間を漂う心地がする。
また声は加工され、ピッチは高くキラキラと、肉体の生々しさが希釈されている。それでも無機的にはなり過ぎず、チリチリとしたノイズが身体をひっかく。これらは、私たちがよく知る“ヒト”とは異なる生き物、言ってみればUMAなんかから発せられていそうなイメージを喚起する。音が纏うのは、またしても所属が曖昧で未分類な雰囲気だ。
かようにオオルタイチは文化を越境し、意味から自由に浮遊する。関西ゼロ世代シーンから出てきた彼は、レーベルOKIMI RECORDSを主宰しながら、ウリチパン郡等複数のユニットで活動してきた。アコースティックに歌うウタモとの作品『IHATI EP』や、リミックス集『僕の楽しい仕事』のリリースも記憶に新しいところ。一か所に収まらず、縦横無尽に道を拓く人物だ。関西が持つキャラクターの濃さを背景に眺めるからこそ、土地のキャラクターから逃れて遊ぶ無国籍感が際立つのだと思う。(松浦未来)
オノマトペ大臣とは、神戸出身で大阪在住、樹脂メーカーの会社員として働く2足の草鞋のラッパーであり“樹脂界のプリンス”なる異名を持っている。この他にも、トーベヤンソン・ニューヨークやPR0P0SEのメンバーとしても活動している。
彼が大きな注目を浴びるきっかけとなったのは、相方tofubeatsとの「水星」だった。本作はその相方をはじめ4人のビートメイカーから楽曲が提供され、そこに大臣がライムを乗せる形で制作された。ネット・レーベルMaltine Recordsより無料配信という形でリリースされた6曲入りEPだ。
彼のライムは生活と夢想を行き来する。特別なことが歌われている訳ではないが、彼が言葉を紡げば些細な日常もいいじゃないかと思わせてくれる。そして、なんだかちょっぴりドキドキする。中でもtofubeatsがトラックを提供した「City Song」は、週末を思い返しながらさわやかな風が吹き涼しげに通勤している朝を思わせる。その合間に入る「ワーワー」や「ラララ」などのオノマトペが、言葉にならない言葉として行間を埋め、その物語をリスナーのモノへと変換させる。そして楽曲に緩急を与えると共に、計算され尽くしたようにピッタリと収まる彼のラップを象徴している。(杉山慧)
1992年、大阪大学のジャズ研で結成された9人組のファンクバンド。バンド名の由来は、当時の練習場所の近くにあった大阪モノレール線より。2002年に活動拠点を東京に移す。精力的に海外ツアーも行っており、世界的にも認められているバンドである。
本作は通算7枚目の作品。1970年代のフュージョンとジェームス・ブラウンの出会い、ともいえる作品である。ジェームス・ブラウンを彷彿とさせるボーカル。曲のコード進行、リズム、BPMはほぼ変化がなく一定、低音強調、派手ではない管楽器の演奏、さりげなく上に乗るキーボードやアフリカンパーカッション。非常に落ち着いた音作りをしている。骨格はミーターズの「Cissy Strut」、曲の上を飛び交うキーボードは、ハービー・ハンコックの「カメレオン」、ギターの質感はラリー・カールトンといったとこか。
それもそのはず、本作のテーマは“1969年のジェームス・ブラウンの影響を受けた誰も知らないアフリカの国のファンクバンドが1977年にリリースした作品”。ジャズの進化系であるフュージョンとファンク、そして民族楽器を組み合わせることで、彼らが追い求めている“オーセンティックファンクの進化系”を体現している作品である。
しかし、ずるい。作品の最後にビートルズのサムシングを入れるなんて。(杢谷栄里)
あふりらんぽ、ZUINOSHIN、ワッツシーゾンビらと共にゼロ年代の関西の音楽シーンを引っ張ってきたオシリペンペンズ。本作『心』はオリジナルアルバムとしては現時点で彼らの最新作である。結成当初から一貫して自ら「うどんサイケ」というコピーを掲げている彼らの音楽は石井モタコ(Vo)のがなるようヴォーカルを中林キララ(G)、迎祐輔(Dr)というサイケやパンク、ブルースからフリージャズまで様々なジャンルからの影響を飲み込んだ高い演奏技術をもった楽器隊とPAとしてバンドに参加する道下慎介によって支えるようにして成立している。本作では元ゆらゆら帝国の坂本慎太郎の参加など新しいトピックもあるが基本的にはそういった方向性や今までの作風から大きな変化はない。
そのなかで最も特徴的でここで注目したいのはその歌詞。モタコはライブのMCで「歌詞を聴いてほしいねん。俺は文学の人やから」と冗談まじりに話していたが、むしろ彼の歌詞から思い起こされるのは漫才や落語といった大阪を象徴する演芸だ。たとえば一曲目の「ハンバーグ」。“やったらあかんて言われたことから皆でやってみよう”という刺激的なフレーズによってどんどん引き込まれていくが最後に“今夜の飯は麦ご飯だって僕はオリの中”ときっちりオチを付けてくる。また「花子」でみせる遠くにいる奴にボールを投げたというところから始まり、別れた彼女とやり直そうという予想外の展開も漫才や落語を思わせなくもない。彼らが関西で愛されるのも決して過激なパフォーマンスの為だけでなくこうした歌詞に親しみが感じられるからではないだろうか。
近年ではモタコが盟友であるDODDODO、neco眠るの森雄大とともに自主レーベル「こんがりおんがく」を立ち上げ自分達の作品はもちろんチッツや白い汽笛の作品のリリース、さらに2014年5月にはYOUR SONG IS GOODやスチャダラパーなど東京勢も招いた大規模イベント「こんがりおんがく祭」を開催するなどアンダーグラウンドに留まらない活動を見せている。
2000年代前半、難波ベアーズや新世界ブリッジといった大阪の中でも特に濃い空間から現れた“関西ゼロ世代”と呼ばれたバンド達。彼らが生み出した何でもアリの自由な音楽や精神は、世間の人々が思う“関西っぽい”を形にしたようでもあった。“関西ゼロ世代”という言葉自体はメディアによって作り出されたブームという面もあったかもしれない。しかし彼らが生み出した作品とそこに込められたエネルギーは純粋で本物であった。今も精力的に活動を続けるオシリペンペンズはそれを証明している。(堀田慎平)
Palmは大阪出身の4人組で結成され、アメリカ村を始め関西を中心に活動しつつも、国外ツアーなど海外のシーンとも連携し、ハードコアシーンでの支持、信頼を積み重ねてきた。
2012年にALLIANCE TRAXからリリースされた『My Darkest Friends』は、彼らにとって2作目のフルアルバムになる。聞けばその熱量に圧倒され、強いビート、キメに肉体的な心地良さを感じる。音楽性に関しては、本作のアートワークやマスタリングにもメンバーが関わったConverge(USA)を感じさせる。前作の1stアルバム『palm』が速く強いビートをベースにしながらも、重たく、遅い、ドゥーミーな実験的要素が含まれていたのと比べ、今作は一曲一曲がコンパクトにまとめられている印象を受ける。畳み掛けるようなドラムの連打、ギターのリフレインがリスナーに緊張感を与えるのだ。また、新たな試みとして、新しく収録された曲はほぼ日本語詩になっている。国外でのツアーや海外のバンドとの交流を重ね、日本をレペゼンする意識が楽曲に現れているのかも知れない。
もはやハードコアは欧米のものではない。Palmを聞いた時、そんな興奮と確信を感じさせてくれた。ディスクに収められた彼らの本当の汗、匂い、熱量を感じに、(少し危ないかもしれないけれど)ライブハウスで見ることをおすすめしたい。(中野)
京都に伝統的に受け継がれているフォーク、カントリー系バンドの中でも、これほど洗練されている若手はいない。現在は女性3名+男性3名というメンバー構成だが、もともと09年に女性3名によるユニットとしてスタート。彼女たちが咀嚼しているのはブルーグラス、アイリッシュ・トラッド、アパラチアン・フォークなど。そこに、ブルーズ、ソウル、ファンクなどの現場で経験を積んできた男性3名が加わったことでバンドとしての厚みと広がりができ、この最新作のようなフォーキーだけどポップ・フィーリング溢れるバンドへと成長を遂げたというわけだ。
本作をリリースするレーベルのオーナーで、自身も昨年ソロ作『nowhere』を発表した中井大介がプロデューサーとしてしっかりとバック・アップ。主催イベントを定期開催している他、ドブロの岩城一彦がTurntable Filmsのサポートも務めるなどメンバーそれぞれが京都シーンとコネクトしているのも見逃せない。一方でジム・クウェスキン&ジェフ・マルダーの来日公演の前座に抜擢されたり、全米ツアーを実現させたりと海外との接点も豊かなのも頼もしい。(岡村詩野)
PR0P0SEは、tofubeatsの大学時代の同級生Thamesbeatと、tofubeats「水星」などでお馴染み“樹脂界のプリンス”なる異名を持つ社会人ラッパーのオノマトペ大臣によるユニットである。本作は、ネットレーベルMaltine Recordsから無料配信されている1st EPだ。
彼らのサウンドを一言で表すと“2020年のモータウン”だ。サンプリングしたソウルフルな歌声や粘りのあるビートは、80年代のモータウンを代表するDeBargeなどのミッドテンポなソウルを彷彿とさせるトコロがある。その流れは、Toro Y MoiやBlood Orangeなどいまのインディーロックと共振する部分がある。しかし、PR0P0SEと10年代のインディーロックには決定的な違いがある。Toro Y Moiなどは、自ら生音を取り入れることで土臭さを取り入れたのに対し、彼らのサウンドはサンプリングを多用しきれいにまとめている。それにより彼らはスマートに加速していく。そこに広がる世界は少し近未来の雰囲気を感じさせ、“今”を切り取るオノマトペ大臣のライムとのギャップで本作をさらに面白くしているのである。(杉山慧)
2006年結成、大阪北摂をホームとする現在22~3歳の男女4人組バンド。北摂地域には軽音楽部の盛んな公立高校が多く、また高槻RASPBERRYや茨木JACK LIONなどのライブハウスでは高校生バンドを広く受け入れ日夜しのぎを削っている。そんな伝統的に若々しいポップな歌ものバンドが生まれやすい土壌で育った彼らは一つ年上のラックライフと共にこのシーンを牽引する存在で、今年には北摂バンドを集めたコンピ『V.A.大阪の北側から。』もリリースしている。
本作は2ndミニアルバム。井田健(Vo,G)の書く楽曲に派手さはなく、極めて普遍的なポップスだ。「シンガー」の延々とG/Am/Bm/Cの循環コードで坦々と進んでじわじわくる感動も、「デイドリーム」にあるモータウンビートの高揚感も、「コスモス」のシャッフルから重い8ビートに変わって酩酊してくる感じも心地よいが特別感はない。しかし音楽への熱い思いを少し恥じらいながら伝え、ゆる~い空気に包まれる彼らの音は何にも変えられず愛くるしい。奥田民生が「The STANDARD」などでたまに見せる気怠さの中の確かな愛情や、同郷でもある槇原敬之のライフソングの質感にも似た心の底からじわじわ湧いてくる幸せな気分。ポップが潤沢な地、北摂で7年ものキャリアを経てきた彼らには思わず応援したくなる愛しさがある。(峯大貴)
1998年「東京」という歌をひっさげて上京し、メジャーデビューしたくるりが京都に帰ってきた。転機は、2011年3月11日の東日本大震災。その日、磔磔でライブがあり留まることになった京都で出会った吉田省念(G&チェロ)とファンファン(トランペット)が新メンバーとして加入(同時期に田中佑司(Dr)も加入したが同年12月に脱退)。結成時からのメンバーである岸田繁(Vo&G)と佐藤征史(B)の2人から4人となり、京都を拠点として発信した10枚目のアルバムが『坩堝の電圧』だ。
あらきゆうこをサポートドラマーに、京都でのプリプロ、初の韓国レコーディングを経て作られた今作は最多最長。キーボードに堀江博久、ペダルスティールに高田漣、2008年よりサポートドラマーを務めてきたBOBOはプロデューサーとして参加。韓国の220vの電圧効果か、トランペットやハットなどの金属音が煌びやかに響く。吉田のギターやチェロによりサウンドに多様性が生まれ、佐藤のベースもよりメロディアスになり、岸田の歌声も多彩な表情をみせている。
また、従来の岸田主導のソングライティングから一転、メンバー全員で音を鳴らしつくられた今作は、くるり名義や岸田以外が作詞作曲したものもあり、曲ごとにジャンルも様々。吉田が作詞作曲し弾き語るフォーキーな「dog」は、以前から活動していたバンド「吉田省念と三日月スープ」のメインボーカルである彼らしいものだし、TM NETWORK好きの佐藤が作詞作曲しボーカルをとるJポップな風合いの「jumbo」や、学生時代に中国語を専攻していたファンファンが北京語でしっとりと歌う「china dress」など、メンバーの個性も垣間見える。そして、震災後すぐに「IPPO」や「石巻復興節」など被災地のことを思って作られた曲を演奏していただけに、原発を風刺するような英詞の「crab,reactor,future」や、くるりが何度も訪れている街を歌った「soma」も納められている。毎回、アルバムごとに変わる音楽性に驚かされるが、今回大きなフックとなったのは、3.11後の出会いだと思う。
2013年4月に、「みやこ音楽祭」や「京都音楽博覧会」に続き、Turntalbe FilmsやNOKIES!と共に地元京都で新しいイベント「WHOLE LOVE KYOTO」を開催するも、直後に吉田が脱退し3人に。現在、東京にて新体制でアルバムを制作中なのたが、まだまだ音楽発信の拠点は東京なのか、どうやら二度目の上京となったようだ。しかし彼らのルーツが京都であるのは変わらないし、京都のアーティストとして音楽を発信し、地元に音楽を届けてくれるその功績は大きい。おかえりなさいを言う準備はいつでもできているので、これからも京都のバンドとして音楽の旅を続けてほしい。(乾和代)
レイ・ハラカミはその生涯を通して、Roland SC-88pro(通称ハチプロ)の音のみで制作のほとんどを完結させた。スーパーのBGMやカラオケの音源などに広く用いられる、私達にも身近な昔ながらの音源モジュールだ。コロコロとした浮遊感の中にもどこか聴きなじみのある彼の音像は、まるで情感をもって心に浮かぶひとつの景色、いわゆる心象風景のよう。(たとえば代表的な心象風景の画家である東山魁夷の日本画は、彼の音楽ととても相性がいいと個人的に思う)。そんな音色の深さと柔らかさが最もシンプルに研ぎ澄まされた作品が、ソロ名義のオリジナルアルバムとしては結果的に遺作となってしまった今作『lust』だ。
前作『Red Curb』(2001)がロック/ポップシーンで高い評価を得てから、彼の元にはくるり「ばらの花」をはじめとする歌モノのリアレンジのオファーが次々と舞い込むようになった。中でもUAのシングル「閃光」では、自身初となるプロデューサー名義で楽曲制作に関わっている。デビュー前よりインストに特化した制作を続けてきた彼にとって、『Red Curb』から本作リリースまでの4年間は不慣れな仕事が立て込んだ時期だっただろう。この間レイ・ハラカミは歌と音、メインとバックという構図にひたすら向き合う作業を続けた。そしてその経験はひるがえって、彼が電子音楽というジャンルの枠組みから離れ、自らの作品を"歌のない曲"として捉え直すきっかけになったのではないだろうか。現に本作リリース時のHMVのインタビューで彼は「『そもそも自分のやっている事は真ん中に人が立っていない風景画みたいなもんだ』と考える事が出来てからは、比較的にスムーズに進行させる事ができました。」と制作を振り返っているし、その後の2009年、「ばらの花」「閃光」が収録されたリアレンジ音源集『ゆうげ』リリース時には、自らの楽曲を"ポップミュージック"と称している。つまりこの4年の歳月を経て、「歌を使わずして“歌のある曲”と同じように心に語りかける力」が突き詰められたのが本作なのだ。本作のハイライトである細野晴臣のカバー「owari no kisetsu」も、単なるアルバム唯一の歌モノというよりは、アルバムが持つ無言の―――まさに歌(言葉)のいらない、"心象風景の空気感"を最も色濃く反映した1曲として存在感を放っていると思う。
かつて彼は京都に住み続ける理由について、とあるインタビューで「無理矢理にシーンをねつ造しようとする“メディア”がほとんど無い気楽さ」があると語っていた。もし彼が東京を、“メディアが流行歌を使って音楽シーンを仕立て上げる場所”だとネガティヴに捉えていたのなら、そこから離れた京都に住みながらも“歌”を引き立てる、というある意味矛盾した制作スタイルそのものが、レイ・ハラカミの静かな描写力をより強く引き出したのかもしれない。(吉田紗柚季)
エレクトロニカというと、ハウスやビート、ダブステップなど多岐に渡るので、アンビエント寄りに絞って書く。京都エレクトロニックミュージックイベント『night cruising』こそ、今の京都エレクトロニカ/アンビエントシーンの立役者である。2012年11月22日『night cruising compilation "tone"』を自身のレーベルからリリース。midori hirano、Marihiko Hara、polar M、intextら京都勢を中心に収録し、moshimossやAmetsubなど県外ミュージシャンがリミックスで参加。無論、彼らはイベントに出演し、度々京都で演奏を行っている。
night cruisingを主宰するTatsuyaはDJとしても活動。京都メトロやアバンギルドなどで音響面をサポートすることもある。イベントでは奈良発のハンドメイドスピーカー工房sonihouseの12面対スピーカーsceneryとコラボレーションし、エレクトロニカの繊細な音のひと粒ひと粒を美しく表現する。
彼のイベントには宮内優里、aus、cokiyuなど国内で評価の高いミュージシャンも度々出演。彼らはflau、Rallyeなど国内屈指のエレクトロニカレーベル所属のアーティストだ。地元京都で活躍するPsysExが主催するshrine.jpとの交流、Seihoなどのビートシーンとの繋がりもある。さらには京都を飛び出て、神戸元町space eauuuや大阪心斎橋nu things JAJOUKAなどでも企画を行い、精力的に活動。京都のみならず関西エレクトロニカシーンはnight cruising抜きで語ることはできないと断言してよいだろう。
Tatsuyaとの繋がりのあるRUBYORLAも関西電子音楽の重要人だ。ヤマハ公認テノリオン奏者としての彼を知っている人がいるかもしれないが、故・レイハラカミのお誕生会実行委員長として2011年から『広い世界』を開催。関西勢は自身の雅楽ユニットHARP ON MOUTH SEXTETをはじめ、Yabemilk、Tanzmuzik、AUTORAら、レイハラカミと交流のあったミュージシャンが出演している。
彼は山本精一、YOSHITAKE EXPE、須藤俊明、千住宗臣、家口成樹、タバタミツルらと共にEP-4のサポートメンバーとして『5∙21京都』などの公演に参加したことも記憶に新しい。マイペースながらもアルバムをリリースし、様々なアーティスト作品へ参加し、同時に関西でイベントを続けてきたことが、参加に繋がったのではないだろうか。
RUBYORLAも京都在住者であり、やはり関西では京都が特にエレクトロニカ/アンビエントの基板が充実していると言える。竹村延和やレイハラカミが構築したシーンをTatsuya、RUBYORLA、高木正勝らが継承し、次世代に繋げている。関西の電子音楽は今、最も面白い時期を迎えていると言ってもいいだろう。(山田慎)
関西のヴィジュアル系(以下V系)シーンは2013年、大きな節目を迎えた。約10年に渡り関西V系シーンを牽引してきたインディーズレーベルUNDER CODE PRODUCTIONが3月に解体。更に、レーベル主宰者のKISAKIが在籍するバンド凛も、6月30日のワンマンライヴをもって無期限の活動休止に入った。UNDER CODE PRODUCTIONは、“大阪のV系と言えばUNDER CODE”と言える程ファンの間では有名なレーベルで、かつてはヴィドールや12012、Phantasmagoriaなどの人気バンドが所属し、地方のV系シーンでは最も勢いのあるシーンを築いていた。主宰者のKISAKIはレーベル所属バンドのプロデュースをしつつ自身も現役の、しかもカリスマ的人気を誇るミュージシャンで、関西V系シーンにおけるいわばキングのような存在。
UNDER CODE解体の理由についてKISAKIは雑誌ROCK AND READ 045で、“これまでずっとV系の古き良き伝統を大切にしながら今のシーンにどう食い込んでいくかを考え活動してきたが、それにも限界が見えてきた”と語っている。2000年代以降、V系は急速に多様化が進んだ。背景としてまず、アニメ文化やニコ動、ボカロなどのネット文化との親和性が高いことが考えられる。また、2000年代以降のV系は、90年代のV系のスタイルを自分たちなりに捉えて自身の音楽に昇華しているが、その捉え方が様々だった。その結果、カラフルでカワイイバンド、どんどんヘヴィでラウドな方向へ進むバンド、メイクも衣装もナチュラルで曲も聞きやすいポップ路線のバンドなど、様々なスタイルのバンドが登場し、KISAKIが重視した90年代V系の絶対条件である、“怪しさ”や“近寄りがたさ”などはもはや多様にあるV系の様式のひとつでしかなくなった。
それでもKISAKIは己の美学で勝負し続けた。2007年、ベーシストとして在籍していたPhantasmagoriaが解散した時に現役を引退するものの、最後のあがきで2010年にKISAKI(B)、RIKU(Vo)、KANATA(G)、MIZUKI(G)(2013年1月に脱退)、REIYA(Dr)で結成したのが凛だ。本作は現時点での凛最後のオリジナルアルバム。全曲を通して、優美さと過激さが同居している様はX JAPANからの影響を強く感じるし、初期のLUNA SEAを彷彿させるクリーントーンのアルペジオが印象的な楽曲もあれば、GACKTが在籍したことでも有名なMALICE MIZERを思わせるシンフォニックなアプローチもかなりされている。何より、歌がキャッチーであることに命懸けな感じがなんともV系らしい。本来音楽の定義を表す言葉ではないV系の、“これこそがV系の王道だ”と提示したような作品だ。
きっと、KISAKIがUNDER CODEを解体したのは、この混沌としたV系シーンに対するアンチテーゼでもある。10年かけて築き上げた城を自ら壊してまで、何かを投げかけた。2013年10月には大阪にV系の新レーベルが2つ発足し、新しい動きが見える。かつてV系黎明期にDEAD ENDやCOLORが種を蒔いた関西の地に、V系を根付かせる土壌を作ったことこそ、KISAKIの残した大きな功績だ。(小川あかね)
大阪を拠点に活動するヴィジュアル系(以下V系)としては、今もっとも知名度も人気もあるバンドがSadieだろう。これまで大阪のV系といえば、KISAKIの主宰していたレーベルUNDER CODE PRODUCTION(2013年3月に解体)が有名だったが、SadieはUNDER CODEではなく、FACE MUSICという事務所に所属している。ここにはSadieの他にもアヲイ、Viru’s、空[ku:]といったバンドが所属し、年末には所属バンドが一堂に会すイベントを行うなど、関西のV系シーンを盛り上げることに一役買っている。その中心にいるのがSadieだ。
本作について触れる前に、まず、Sadieが現在のV系シーンの中でどういう位置にいるのかを説明したい。2000年代以降のV系は、X JAPANやLUNA SEA、BUCK-TICK、黒夢などを見て育ち、彼らに憧れてバンドを始めた世代である。この新しい世代は、“ネオ・ヴィジュアル系”とも言われており、2005年に真緒(Vo)、剣(G)、美月(G)、亜季(B)、景(Dr)の5人により結成されたSadieはまさにその世代。特に、本人たちも公言しているが、1997年に大阪で結成されたDIR EN GREYからの影響はかなり濃い。DIR EN GREYと言えば、2003年発表の4thアルバム『VULGAR』で、メタルやハードコアの要素を取り入れ、V系に、より低くより重くという概念を持ち込んだバンドである。それ以降V系には、重いリフを中心に展開するサウンドに、グロウルやシャウトなどの歌唱法を用いるバンドが増えた。Sadieの音楽性はこの、DIR EN GREYが端を発した流れにいる。
で、本作だ。Sadieにとって4作目のオリジナルアルバムである本作。メタルコアを軸に、曲によっては大胆にシンセを導入したり、シンフォニックメタルの要素があったり、和の雰囲気も感じさせるなど、多様な音楽で構成され重厚感のあるサウンドに仕上がっている。また、ヴォーカルの、怒りや虚しさ、苦しみを吐き出すようにぶちまけられるシャウトと、どうしようもない悲しみをこらえながら絞り出される切ないメロディのコントラストは、Sadieの持ち味のひとつだ。これまでも“悲しみ”を表現の核として活動してきたバンドではあったが、本作は特にその色が濃い。というか、より深く“悲しみ”を表現するために、シンセを取り入れたり、重厚感を増したアレンジにしたのではないだろうか。そして悲しみの色が濃い分、裏返しとして、“この絶望の淵からどうにか希望を見つけてほしい”という祈りのようなものも一層強く感じる。おそらくかつては彼らも、暗く悲しい音楽にこそ救われ、光を見出してきた経験があるのだろう。そしてそういう音楽こそ、誰かの希望になりえると信じているのだと思う。
本作がこのような作品となった背景には、関西V系シーンを先導し続けてきたレーベルUNDER CODEの解体も影響しているだろう(ちなみに主宰者KISAKIは、DIR EN GREYの前身バンドのベーシストだった)。自分たちはどこを目指し、何を信じて活動すべきか、改めて考えさせられる出来事だったはずだ。このことも、より深く、より強く悲しみを表現するという、バンドの核を意識した本作に繋がったのではないだろうか。(小川あかね)
Daytripperの主宰であり、tofubeatsと肩を並べる関西ビートシーンの中心人物Seiho。自身のレーベルDaytripper第一弾としてリリースされた1st「Mercury」。そこから1年という短いスパンでリリースされた2ndが「Abstraktsex」である。この間にレーベル作品として10作を越えるなど関西ビートシーン気鋭のレーベルとしても精力的な活動を行っている。
前作は、彼の出自であるクラシカルな音楽文献をあくまでもビートミュージックとして鳴らすというスタイルを魅せつけた一枚であった。それに対し今作では、それらを踏襲しつつも00年代以降世界各地で目まぐるしく消費されていくビートシーンのトレンドを横断的にまたいだサウンドを展開した。EDMの高揚感にミニマルなビートを掛け合わせることで既存のシーンに一石を投じた「I Feel Rave」。作品の随所に散りばめられた深海を思わすseapunk的なエッセンス。それと対を成すDroneやWitch Houseといった漆黒の深海を思わす空気感を目一杯取り込んだ「Diamond Cloth」。そして、Juke/Footworkの高速ビートをハンドクラップ音だけで模した「Clipping Music」。それらの要素を一曲の中に取り込んだ「Digital Elite」と、本作では彼がデジタル・エリートと評される由縁が詰め込まれている。(杉山慧)
羅針盤、渚にて、あるいは現在は横浜に暮らす三沢洋紀率いるラブクライといったバンドがかつて提示した“歌もの”を今に受け継いでいるのは、2010年に大阪で結成されたこの3人組ではないかと思う。アコースティック・ギターとヴォーカル、ベース、鍵盤という編成で、決して大音量ではなく、時にはインストゥルメンタルも交えながらぼんやりと聴かせる彼ら。でも歌への希求は澱みない。
以前、筆者との取材で山本精一は“歌もの”の定義を“気配の感じられる音楽”と説明してくれたが、なるほどそのさりげない気配はここにも息づいている。
neco眠るの森雄大やオシリペンペンズの石井モタコらによるレーベルから出た本作にはその森、mmm、yumboの山路智恵子らも参加。“ビールとわたがしが混ざったような音楽”というのは彼ら自身による紹介文だが、初期ラフ・トレードから出ていても不思議じゃないような目に見えない先鋭性をぜひ嗅ぎ取ってほしい。(岡村詩野)
JOJO広重の非常階段と初音ミクとの合体ユニット=初音階段のリアル・ヴォーカリストとしてコスプレでステージに立つ美少女、と言えば、ああ!と膝を叩く人も多いだろう。実は彼女の正体は、京都出身で巫女さんの経験もあるという白波多カミン。鍵盤、ギター、チェロなどをこなせる多才なシンガー・ソングライターだ。自主制作音源を経てギューン・カセットから届けられたこの初の全国流通盤は、そのギューンのオーナーである須原敬三以下、夢中夢やノイズわかめといった須原周辺バンドの仲間がバック・アップ。聴きやすい歌ものだけど狂気と挑発を多分に孕んでいて不気味さもある、という彼女の魅力をポップな形で表出した力作だ。
4月にはJOJO広重のプロデュースで久々のアルバム『くだもの』をアルケミーからリリースする予定。広重の女性シンガー・ソングライター指向、“●●階段”を連発する昨今の広重周辺の活況を象徴する1枚にもなりそうだ。(岡村詩野)
2013年は結成20周年を迎え、BiS・非常階段とのライブ共演でも話題となった闇鍋音楽集団、表題曲に加えてリミックスやライブテイクを含んだ11曲入りミニアルバム。3.11以降、盟友リクオとの共演ライブや弾き語りも様になってきた中川敬(Vo,G)、サポートミュージシャンとして引っ張りだこの奥野真哉(Key)、継続的に被災地ライブを続ける桃梨の二人(JIGEN(B),上村美保子(Cho,お囃子))などそれぞれの活動も多忙だ。よってアルバムトータルでのまとまりよりもその時の想いが詰まった楽曲をタイムラグ少なく届けることに長けたミニアルバムは今の彼らを最も表現できる形態なのだろう。
被災地へのシンパシーを歌った前作「キセキの渚」や右傾化する政治・社会への警鐘となった本作の楽曲面と、徹底した現場主義の活動によるドキュメンタリー面との一貫性は3.11以降の日本のロックバンドのあるべき姿を提示している。しかし一方で社会的活動への評価の高さが過剰な敬服となり、セールス的評価への影響が出る危険性を常に孕むのである。この矛盾にも音楽でもって、また中川の雄弁な発言でもって打開しようとする強いエネルギーに圧倒的な頼もしさを感じるのだ。ツアーになればリハのために拠点である関西に集結する彼ら。一貫した姿勢も総括すれば帰属精神の強いナニワイデオロギーが根底ではないだろうか。(峯大貴)
アーバンポップ・リバイバルの旗印として注目を集めた関西ビートシーンを代表するSeihoとAvec Avecの二人によるプロジェクトSugar’s Campaign。彼らの代表曲がこの「ネトカノ」だ。ライヴの定番となっているこの楽曲は、祝祭感溢れる印象的なコーラスでの始まりからラップトップ世代らしい感覚で、80’sライクなアーバンポップにグニャグニャとウネるシンセや、ハンドクラップなどを効果的に取り入れフックの効いた10年代のアーバンポップへと仕上げた。ここでボーカルを務めている“あきお”は、まだSugar’s Campaignが京都の大学生によるバンド時代のメンバーだった畑田啓太である。Youtubeに上げられてから既に2年程の月日が経っているが、未だリリースには至っていない。このユニットでこれまでにリリースされた作品は、tofubeatsとオカダダのユニットdancingtruthenightとのスプリット無料配信シングル「放課後ゆうれい」だけだ。現在待望のアルバム制作へ取り掛かっているそうだ。しかし泉まくら『マイルーム・マイステージ』に収録されている「東京近郊路線図」をプロデュースした際に、Seihoが「とにかく僕らから言えるのは「URBAN is Dead」これにてアーバンは死にました。」と発言するなど、今後彼らがどういった方向性を示すのか眼が離せない。(杉山慧)
奈良県出身、関西を拠点に弾き語りを中心にライブ活動しているシンガーソングライター杉瀬陽子。彼女の持つ柔らくも強さを感じる歌声は早くから注目を集め、2010年には広沢タダシの『雷鳴』、2012年には、奇妙礼太郎トラベルスイング楽団の『桜富士山』にゲストボーカルとして参加、Sundayカミデとの共演も多い。
さて2ndアルバムとなる本作『遠雷』は、細野晴臣のバックバンドでお馴染みのベーシスト伊賀航や元HICKSVILLEのギタリストの中森泰弘、流線形のドラマー北山ゆうこなどが参加するバンド編成。奇妙礼太郎をゲストボーカルにデュエットする「ゆうげ うたげ」もあり、多彩なアレンジが彼女の歌声を更に引き立たせている。
軽快なリズムにのってマンドリンが響く「夜汽車にて」では少年っぽく、バンドネオンが切なく奏でられる「くらげ」では母のように、そして70年代風のギターアレンジが印象的な「遠雷」では荒井由実の思わせる声でと、曲ごとに変わる声色にどれが彼女の本当の顔なのだろうと思ってしまうのだが、ラストのピアノによる弾き語りの「遠雷」では、バンドアレンジとは違う力強い歌声を聴かせてくれる彼女に、素顔を見た気がした。シンプルに彼女の歌声が込められた1stから2年、成熟した彼女のいろいろな顔が楽しめる、そんな1枚だ。(乾和代)
ソリッドかつネッチョリとしたテクニカルなカッティングギター、世間を食った歌詞、大阪に連綿と続くファンキーサウンドを横目に見つつも「関係あるかボケ」と言わんばかりに独自のグルーヴを奏でる2007年結成の4人組。現ラインナップが揃ったのは2012年で、初代ベースは吉本の漫才師、プリマ旦那の野村というから驚き。今もコメント寄せるなど交流が見られる。
本作は1年半ぶりの2ndアルバム。リック・ジェームス「Super Freak」ばりの耳につくリフと“あ~眠たいやっちゃ”というディスコ・コーラスが耳に残る「ブラックライトディスコ」など11曲収録。田中幸輝(Vo)の、ラップというよりは向井秀徳とミス花子の混血説法のようなボーカルが冴える曲が並ぶが、そんな構造的な評などはコッテリとしたビートを前にどうでもよくなる。それはかつてオシリペンペンズやZUINOSINといった関西ゼロ世代にも感じられた、関西特有のクセになるアクの濃ゆさとしか言いようのない素晴らしさだ。
彼らとともにイベント『NaRuHoDo!』を企画しているDAMBOや、京都拠点の夜の本気ダンス、Tequeolo Caliqueoloらの現在の活きの良さは、関西とグルーヴ・ミュージックの親和性の高さを痛感させる。しかしシーンを確立するのではなく、周りを出し抜いたれと先頭をひた走っているのが彼らである。(峯大貴)
チェロがキィキィと鳴く。鍵盤は叩きつけられ大きな音を出す。そして、言葉がたたみかけられる。点だった音楽は、言葉につながれ線となり、感情を増幅させる。繰りだされるポエトリー・リーディングからは降神を、メロディーを歌う姿からはDonovanのようなフォークシンガーを彷彿とさせる。現代音楽を誰もが懐かしむ歌へと昇華させる稀有の存在、swimm。京都UrBANGUILDを拠点とする4人組による2nd EP。
前作では、環境音やエフェクトのかけられた音が世界を作っていたが、本作は即興的な生音で構成され、ぐっと身体性が増している。即興性の強い不規則な音の上で、吹岡弘彬(Vo,G)によって語り、叩きつけられ、繊細に、ときには激しく歌われる言葉。指揮棒をふりまわしているかのような声の抑揚が、不規則な楽隊の指揮をとる。言葉にバンドがひっぱりあげられた瞬間、音と感情が襲いかかってくるさまは圧巻。
同じく京都のLlamaやゆーきゃん、テニスコーツや大森靖子(なぜかツーマン)とライブの共演者の幅は広い。ライブペインティングを取りいれた演奏や、中川裕貴(チェロ)が京都国際舞台芸術祭に別バンドで参加など、音楽の場にとどまらない交流も興味深いところ。
抑揚はライブでより特出する。身体性の高い音楽が生身を襲ってくる感覚を体感してほしい。(カワダユウミ)
1994年に設立された大阪のサイケ系に強い老舗音楽レーベル「GYUUNE CASSETTE」。羅針盤、ヰタ・セクスアリス、溺れたエビの検死報告書、そして、関西ゼロ世代を支えた、あふりらんぽ、ミドリなどのバンドを排出したことでも知られている。そこのオーナーであり、山本精一が中心となって結成した羅針盤(2005年に解散)、見汐麻衣がいた埋火(2014年2月15日に解散)、ノイズわかめ、MOSHROOM、ありぢごくといった様々なバンドでベーシストとして20年近くライブ活動をしてきた須原敬三が飲み仲間とともに結成した他力本願寺の1st。カヴァー曲1曲を除き、彼自身、初めて全曲作詞作曲、Vo&Gを担当した作品でもある。
本作は、このように様々な人と関わってきた人間交差点である須原の30年に渡るサイケデリック音楽のキャリアの集大成ともいえ、様々な音楽ジャンルの要素が見え隠れする。基本的に重いベースとドラム、その上にヴァイオリン、フィードバックノイズを効かせたギターが乗り、憂いを帯びた恐怖を感じさせる須原の歌が乗る。まさにサイケとふさわしい幽玄さを持っている。中には、低音を強調せずに、フォークをベースにしつつ、メインボーカルの裏でラップや朗読、シャウトを取り入れたM-3「Real Fantasy Blues」、スピリチュアライズドの「Freedom」を思い出す静かで美しいM-6「ひとりごと」といった曲もある。本作唯一のカヴァー曲、山本精一が17歳のころに作詞作曲し、時折、想い出波止場でのライブで演奏していたときに、須原の耳に入り、お気に入りとなったM-7「karas」は、重いベースを軸に鋭いヴァイオリンが乗り、じわじわと恐怖を感じさせる曲である(音源化は本作が初!)。
しかし、私の持った他力本願寺の印象は、サイケやプログレと称されるにはあまりにも聞きやすく、音がしっかりとしているということだ。
構成は極めてシンプルでわかりやすい、拍子が変わったとしても、違和感がない。音自体もしっかりとしている。須原自身が影響を受けたと言っている裸のラリーズのように、フィードバックノイズを多用しているM-2「春」もある。それでも、心地よいのだ。私はこれまでサイケを音に強力なエフェクトをかけ、逃避性や浮遊感を持つ2000年代以降に出てきたUK/USサイケバンドのイメージで捉えていた。一方、プログレを変拍子や不協和音を使用した結果、複雑怪奇で耳障りの悪いものであると捉えてきた。
一方、「GYUUNE CASSETTE」のオーナーとして、20年以上、様々なバンドを見つめ、大阪の音楽シーンを支えてきた須原は違うようだ。おそらく、須原(の世代)は、サイケとプログレには明確な区別はない。また、あるインタビューで、「心地よければ、それはその人にとってのサイケ」と、答えている。
サイケとプログレが定義されない須原の音楽は、個々人の感じる心地よさと不快感が同居している。それは、人間の内面を表しているものであり、本作は、人間の内面世界へと旅立たせるものである。(杢谷栄里)
チプルソは大阪北摂、服部緑地をレペゼンするラッパー/トラックメイカーであり、同じく服部緑地レペゼンのクルーであるWARAJIにも参加している。フリースタイルMCとしての評価も高く、都築響一の『ヒップホップの詩人たち』(新潮社)にもILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB)、TwiGYや志人などの名だたるMCと共に紹介されている。今、関西で最も注目すべきラッパーだ。
ライブは彼一人の手によって、クラシックギター、ビートボックス、サンプラーのみを使って行われる。シンプルでアーティスティックなパフォーマンスは京都シーンとの親和性を感じさせる。ULTIMATE MC BATTLE2011では大阪を代表してフリースタイルバトルを繰り広げ、DOBERMAN INC、韻踏合組合やANARCHYなどのアーティスト達が培ってきた関西ヒップホップの新世代として、今や関西を背負っている。
そんなチプルソの1stフルアルバムが『一人宇宙-起源FREESTYLE-』だ。全てを肯定するような暖かさと知的な鋭さが共存し、彼の美学哲学が強調された作品である。ラッパーとしての技術とエモーショナルな作曲センスに溢れている。フック(サビ)も非常にメロウで、トラックメイカーとしての才能も感じさせる。これほどのエモーションと文学性を持ち込んだ作品は、ヒップホップというジャンルにおいて明らかに革新的だ。
日本のヒップホップは傾向として、リリックが極めて”私的”だという点で特徴付ける事が出来る。つまり彼らの日常に起きる”私的”な出来事、生い立ちや人間関係などをアウトロー的、または政治的意味付けと共にリリックにする。それはヒップホップのクラシックな方法論(ゲットーでのアウトローな日常をリリックにする)を踏襲した結果である。だがこの作詞方法が、ヒップホップを部分的に拘束してしまった。
チプルソのリリックは”物語的”である。日常性が歌詞から読み取ることが出来ない。そのリリックは彼の生い立ち、歴史、哲学を抽象化した一つの”物語”だ。
リアルな日常を描くリリックは同じような境遇を持つ者たちに”共感”という感動を生む。しかしそこには前提として”排他性”が存在している。対してチプルソのような文学的で抽象性を帯びたリリックは、普遍的に誰にでも知的な感動を与えることが出来る。その”普遍性”こそが、このアルバムから感じとれる”全てを包むような肯定感”を生み出しているのかも知れない。
この一枚は日本ヒップホップ史においてターニングポイントになる。ヒップホップの作詞方法論はこのアルバムによって確実に更新された。(中野)
関西にはアーティスト主催の大規模なロックフェスがいくつかある。そのひとつが、2009年から毎年9月に滋賀県草津市で開催されるイナズマロックフェス(以下イナズマ)だ。主催者は滋賀出身で、ふるさと観光大使も務めるT.M.Revolution(以下TMR)西川貴教。そもそも滋賀の町興しとして始められたイナズマは、Jポップもロックもヒップホップも、アイドルもアニソンもヴィジュアル系も、幕間にはお笑いも登場し、他のフェスでは見ることのできない大黒摩季や郷ひろみなどの出演者も楽しめるメジャー志向のフェスである。一方で若手アーティストの起用にも積極的で、2010年チケット無しでも入場できるフリーエリアに若手アーティストがパフォーマンスするステージを新たに設けた。THE Hitch LowkeやSadieなど関西拠点アーティストの出演も目立つ点からは、地域密着型フェスのイナズマが関西の音楽シーンにも意識を向けていることが伺える。2011年からはフリーエリアでパフォーマンスする権利をかけたオーディションも実施。また、2013年のメインステージでは、初日のトリに同郷の後輩であるUVERworldを抜擢。西川以外がトリを飾ったのはイナズマ史上初だった。
西川はシーンにおける自分の立ち位置や役割に非常に自覚的だ。Jポップやロック、更にはアニメ文化とも接点を持つ西川だからこそ、ここまで多彩な出演者が揃うし、地域のこと次世代アーティストのことを発信するために、そのポピュラリティを存分に活かす。2013年には2日間で過去最高の5万人を動員したイナズマ。その認知度も影響力も、もはや関西のみならず全国に及んでいる。
フェスの主催という経験を経て、デビュー15周年の2013年にリリースされたのがセルフカヴァーアルバム第二弾である本作だ。ファン投票で選ばれた収録曲のほぼ全曲を、TMRのプロデューサー浅倉大介以外のミュージシャンが編曲し、曲によってはゲストミュージシャンが参加している。2006年リリースの第一弾でも、浅倉以外のミュージシャンが編曲に関わってはいたが、本作は“コラボ”という意味合いがより強く、音楽性にもふり幅のある作品となった。例えばVERBALが編曲した「WILD RUSH」はダブステップ、TMRのサポートベーシストでもあるIKUOの編曲で、親交のある後輩バンドthe GazettEがゲスト参加した「SHAKIN’ LOVE」は、煌びやかな電子音とゴリゴリのヘヴィロックが炸裂する。それらの曲を悠々と歌いこなす西川は、外部のミュージシャンにより引き出されるTMRの一面を、彼自身が一番面白がっているよう。
そもそも西川は、ロックバンド出身の生粋のバンドマンである。一人で何かをやるよりも、仲間と苦楽を共有することや、人との繋がりの中で生まれる化学反応に喜びを見出すタイプだ。2011年のイナズマでは中川翔子とコラボするなど、ここに集まる様々な音楽が西川を通して繋がる。そして、そういう他者との繋がりの中で化学反応を楽しむことを、音源として結実させたのが本作なのだと思う。(小川あかね)
80~90年代を通過して日本のPOPミュージックは地方都市の特性などに関わらず、J-POPという言葉に一元化された。しかし、その言葉は音楽のジャンルを崩壊させ雑多なポップ・カルチャーを生み落した。tofubeatsは、そんなJ-POPカルチャーが生み落した新世代である。彼は2013年3月に大学を卒業したばかりの神戸在住若手ビートメイカーである。これまで自身のHPやWebレーベルMaltine Recordsからdj newtown名義での作品をリリースするなど新世代らしい感覚で楽曲を無料提供しインターネットを通して人気を獲得。これまでに、ももいろクローバーへのRemixワークやでんぱ組inc.への楽曲提供などアイドルを中心に多方面から注目を集めている。
本作は1stアルバムであり、そんな彼の青春時代にあたる10年間を振り返って制作された。前半と後半でいくつか対になっている。まず前半は新曲を、後半は既発曲を中心に構成されている点。さらに前者は踊ることを念頭に作られており、後者はtofubeats的ラブソングが並んでいる。そんな彼の特徴は、本作のタイトル『Lost Decade』が悠然に物語っている。“拗らした青春時代”と自身で語っているように、青春時代を振り返って作られた本作の楽曲に若者の全能感はなく、「どこか欠けているような感覚」を持っているモノが多い。そんな本作を語る上で重要なのがテン年代の「今夜はブギーバック」とも言われている「水星」だろう。彼を一躍スターダムへと押し上げたこの楽曲は、「君は知ってるかい、踊らな死ぬことヲ」という印象的なリリックで始まる。彼とオノマトペ大臣が神戸のカラオケボックスでいつものように遊んでいる時にたまたま出来たという。自分に対する満足感と虚無感という相反する感情が入り混じる微妙な感情が描かれている。PVでは彼の日常空間をそのまま切り抜いたかのように全編神戸で撮影されている。決して都会とは言えないこの街は、路地を曲がれば所々に少し寂びれた印象も受けるこじんまりした街である。大きくなり過ぎないテーマで歌われる彼の楽曲から、そんな日本のどこにでもある都市風景を感じる。
本作はパーティーが終わり自宅へ戻った所からはじまるが、本作の後半部分は始発電車で梅田から三宮へと戻る彼の姿が思い浮かぶ。始発電車から見える景色はいつもと違い時が止まったように静まり返っている。徐々に遠のいて行くビル群を背に彼も私と同じように阪急電車に乗って帰ったのではないだろうかと思わせる。(杉山慧)
2013年11月8日、私は心斎橋CONPASSで行われたDe De Mouse×tofubeatsのツーマンライブを見に来ていた。この日は活況を呈している関西ビートシーンの顔tofubeatsメジャーデビューEP「Don’t Stop The Music」の発売直前。De De Mouseは可愛がっていた後輩の門出を祝うべく嬉しそうな口調で辛口の叱咤激励飛ばしつつ、ライブ中のMCで彼との思い出としてこんなエピソードを語っていた。
いまから遡ること4年、2009年2月28日大阪Big Catで行われた「すごくいいにおいのするイベント2」に招待されたtofubeats。彼はこの日の会場で初めてDe De Mouseと対面し、この翌日京都メトロで開催される彼の『sunset girls remix & more』のリリース・パーティーに行く旨を伝えるとこんなことを提案される。
”imoutoid君とかもくるんでしょ?だったら僕の出番終わったらB2BとかでDJしちゃいなよwww”(tofubeatsブログより引用)
そして、実際にライブ終わり彼はDJを披露した。時を同じくして、いまの関西ビートシーンを盛り上げている他のメンバーも頭角を現してきていた。京都で大学生をしていたSeihoは IrotoridorIというレーベルを立ち上げ自身の音源などを販売。Avec Avecは京都の学生3人組バンドSugar’s Campaignを始めており、tofubeatsと共にボロフェスタ09に参加など徐々に活動が大きくなっていく彼ら。そこで重要な役割を果たしたのがMaltine Recordsだ。このレーベルはリリース作品のほとんどがフリー配信されており、WEBを媒体として主に活動している。主宰のtomadは、東京在住であるが所在に関係なく地方に住むアーティストの作品も次々とリリースしている。08年はtofubeatsの別名義dj newtownや注目されていた滋賀のビートメイカーimoutoid(09年に他界)の作品をリリース。その後もOkadadaや、Sekitova、Avec Avec、PR0P0SEとシーンの重要作品を次々リリースしていくこととなる。マルチネのレーベルコンピ『MP3 Killed The CD Star?』(10年)では、tofubeatsの代表作「朝が来るまで終わることのないダンスを」が収録される。11年には次世代のシーンを担うSeihoとtofubeatsのスプリットシングル「BIGGIFT」が関西のレーベルVol.4 Recordsよりリリースされる。さらにSeihoは新たなレーベルDaytripper Recordsを立ち上げ1stアルバム「Mercury」で本格的なデビューを飾る。
そして、そんな流れを決定付けた一曲がtofubeats「水星 feat オノマトペ大臣」だった。先行で発売されたLPは完売。12年に満を持して発売されたiTunesでは総合アルバムチャートで、地方都市である神戸に住む大学生が1位を獲得するという快挙を成し遂げ、一躍ポップシーンの中心へと躍り出る。そして、13年春大学を卒業すると1stアルバム「Lost Decade」を発売し活動をさらに本格化させる。そして、Warner Music Japan傘下のunBORDEと契約し、11月13日「Don’t Stop The Music」でメジャーデビューを果たした。トントン拍子でシーンの中心へと躍り出たtofubeatsではあるが、よくインタビューでこんなことを語っている。
“そうなんです、DJで呼んでいただいたり。神戸であんまり人気がなくて、ずっと東京とか行ってて。”(LOSTAGE 五味岳久の「奈良からの手紙」第五回より引用)
レペゼン神戸の代名詞とも言われているtofubeatsからこんな言葉が出てくるとは意外に思う人も多いだろう。しかし、よくよく考えると合点がいく。彼は地元のシーンではなく、マルチネを中心とするビートシーンを中心に活動していた。それはWEBを主媒体とすることを意味しており、数年前ではあるが東京と地方の間にはデジタル・デバイスが明らかに存在していたため、WEBで注目を集めるということは東京発信を意味しており、神戸に逆輸入されるという形で広まったということが端的に表れた発言に思う。だから、関西ビートシーンの隆盛は新時代の到来を象徴しているのだ。そんな新時代を象徴する彼らがバンドではなくビートミュージックであったのは、クラブミュージックと親和性の高いSNSであるsoundcloudといったツールの影響も大きいだろう。そう考えると日本のどこで形成されてもおかしくなかったが、それがなぜ関西だったのか。それはtofubeatsのこんな言葉にヒントがあるのかもしれない。
“東京に出てしまうとコミットに終始してしまう。(中略)きっと夢見る自由があるのが神戸であり、地方なんです。”(ニニフニvol.1より引用)
大阪・京都・神戸と東京よりは小さいが少し栄えた都市がある一定の距離を置いて点在する関西。それは、互いが“ある程度の距離”を持ちつつも刺激を与えられる距離間なのだろう。だからいま関西の音楽シーンは活況を呈しており、逆にくるりをはじめミュージシャンが集まってきているのかもしれない。(杉山慧)
2010年に結成され、京都・滋賀を拠点に活動を展開するtricot(トリコ)。2013年はROCK IN JAPANなどの大型フェスに多数参加。今年2014年には、アジア各国のレーベルから本作がリリースされ、アジアツアーも決定しているという、今まさに関西・京都から世界に進出しようとしている新進気鋭のバンドだ。
ポストロックの影響を受けるとともに、キュウソネコカミやパスピエといった、歌詞とメロディーによる独特の世界観をもつバンドと対バンしていることから、既に独自の音楽性を確立していることが分かるだろう。
女性3人のライブでの激しいパフォーマンスが目を引くが、初のフルアルバムとして自主レーベルBAKURETSUからリリースされた本作は、音楽作品として、落ち着いて鑑賞することをおすすめしたい。難解な曲と、等身大の若者を物語的に綴った歌詞が、繊細に歌い上げる中嶋イッキュウ(Vo&G)の歌声によって繋がれ、そのバランス感覚の多彩さに驚く。
tricotの特徴とも言える変拍子や、幾度となく披露されてきた“爆裂曲”を収録した本作。しかし、最終曲に収録されている「おやすみ」によって、安堵感や切なさが交差し、次への期待感が増してくる感動的なフィナーレを迎える。この曲がtricotの飛躍や、次なる活躍への“マーチ”に聞こえてくる。(のざわみき)
2013年の春には地元京都でくるりとの共同イベント「Whole Love Kyoto」を開催し、夏にはアジアンカンフージェネレーション主催「NANO-MUGEN CIRCUIT」の京都公演に出演と今や京都の音楽シーンになくてはならない存在となっているTurntable Films(ターンテーブルフィルムズ)は、京都のインディーズレーベルであるセカンド・ロイヤル・レコーズに籍を置く井上陽介(Vo、G)、谷健人(B)、田村夏季(Dr)によるスリーピースバンドだ。2008年に発表した自主制作を含め、これまでに3枚のミニ・アルバムを出している彼らがライブ活動をしながら約1年にもおよぶ制作期間を経て生み出した記念すべきファースト・フル・アルバムがこの『Yellow Yesterday』である。もちろん、これも前三作と同様にすべて英語で歌われている。
恋の疾走感を思わせるアップテンポのラブソング「Misleading Interpretations」、後奏のトイピアノのメロディが胸を切なくさせるスローバラード「Uncle Tree」、ドラムのビートが心地よい「Collection of You」など、曲によってメロディやテンポ感などそれぞれ色合いがことなり、まるで12の短編の外国映画をみているようだ。カントリー、フォーク、USギターポップなどの曲に含まれる様々なエッセンスに、時にはウィルコ、時にはバンパイア・ウィークエンドのなどのいろいろな音楽が思い出される。実際に作詞作曲を手掛ける井上自身もあるインタビューで「Animal 's olive」は、クラウト・ロックの代表格であるアーティストであるノイ!を意識したと語っている。確かに曲中で繰り返されるビート感にノイ!の「Hallo Gallo」の匂いを感じるかもしれないが、そのビートにのって井上とゲストボーカルであるPredawnの二人のデュエットがはじまると彼らの描く世界にぐっと引き込まれ、気持ちよく体を揺らしてしまうのだ。
今回封入されている歌詞カードには、井上の英語詞とともに、日本語訳がのっている。これはメンバーではないが、このバンドの成長を見守ってきたであろう同じく京都でDJとしても活躍している田中亮太が書いたものだ。このつながりも、京都を拠点としている彼らならではだろう。アルバム発売後も、LLamaの妹尾やLive House nano店長の土龍など京都ゆかりのメンバーをサポートに迎えて大編成でライブをしたり、3人だけでアンプラグドでライブをしたりと枠にとらわれず活動している。最近では、東京で活躍するバンドシャムキャッツとスプリット12インチ・アナログ盤を発売するなど京都を飛び出しその活躍の場はますます広がりをみせている。このアルバムまで英語で歌っていた彼らだが、最近のライブでは日本語の歌もうたっている。次のアルバムが出る頃にはどうなっているか、彼らの今後が本当に楽しみだ。(乾和代)
震災以後の世界を描くためには、震災以前の世界を適切に描くことから始めなければいけない。ゆーきゃんの2012年のアルバム『あかるい部屋』を聴いて私はそう思った。ゆーきゃんこと結城知亮は主に京都を拠点として活動していたSSWであり、革命を夢見る少年であり、少女のように繊細で柔らかな声と、フォーク・ギターの音色で、一大オーケストラを幻出させる。彼の紡ぐ歌は、苛立ちや焦燥を越え、静かな哀しみの末に、笑顔にたどりつく。
ゆーきゃんは京都で10年以上続くイベント『ボロフェスタ』主催の一人であり、オンライン・ショップ『サンレインレコーズ』元管理人でもある。しかし彼の音楽を一聴した限りでは、大きなイベントを指揮し、ニッチな店を切り盛りする人間とは思えない。加えて感受性のとても強い人物に思える。周りの自然全てに影響を受けてしまいそうなほどに。
『あかるい部屋』の前半の曲群は、損なわれてしまったふるさとの情景を切々と歌い、途中、「雪の朝」や「最後の朝顔」では何らかの悲しい転機を想像させる。5曲目「わすれもの」では弾むリズムと軽快なコーラスに乗せて、私たちが失ってしまった何かや、どこかへ置き忘れた大切な信念を取り戻すことについて歌う。7曲目「ウルトラマリン日和」はアップライト・ピアノで参加する森ゆにによる朗読。ウルトラマリンとは私たちを襲った津波の色であり、同時に生命の根源である海の色。曲ではなく詩の朗読、本人の声ですらない。しかしその行間からはゆーきゃんの魂が聴こえる。架空のコンサート・ホールで銃をラッパのように打ち鳴らす彼の姿が脳裏に浮かぶ。音楽の本質とは歌詞でもメロディーでもない、楽器を弾くことや歌うことでさえない、彼はそう伝えたいのかもしれない。終曲の「611」では鍵盤の重い響きを前面に、君の吐息や鼓動を聴きたいと歌う。様々な人間の営みのなかで破壊された自然、途切れたメロディーの末に、なお歩き続けることについて、ゆーきゃんは力強く歌っている。
弾き語りがメインである彼の音楽は、ティム・バックリィやニック・ドレイクといった夭逝した孤高のSSWをまず連想させる。しかし、ライヴで時折カヴァーするプライマル・スクリームのボビー・ギレスピーのように、彼の魂の芯には揺るぎ無いパンク・スピリットが宿る。池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)との「シグナレス」名義や、ロック・バンド「欠伸 ACBIS」としての活動にもそれは表れている。前作『ロータリー・ソングズ』では隠しきれなかった動揺を、本作では振り払い、静かな確信が音にみなぎる。なお彼は事情あって2013年をもって富山に帰ってしまうが、今後も京都の音楽シーンに関わり若手ミュージシャンの力になりたいと明言している。(森豊和)
関西のフェス事情で欠かせないのが京都市中心部で行われるD.I.Yフェス「ボロフェスタ」だ。巨大メディアやイベンター主導の大型フェスが割拠し始めた中、2002年に始まった同フェスの特徴は、主催者の飯田仁一郎らを中心に、100人規模のボランティアを加えた実行委員会がフェスを創り上げているということ。“する”“みる”だけではなく“ささえる”という音楽への関わり方を全面に押し出している。主体的にシーンの成長や、イベントに関わり、その成功や、才能が生まれていくのを目の当たりにすると、一種のおらが村意識を生じさせる。従来のフェスでは存在しなかった、このような新しい三者の構造を作り上げたのがボロフェスタであり、それに最もフィットしたのがボランティアとして参加が見込める学生の街・京都だったのかもしれない。
さらに12年からザ・シックスブリッツが主催している「いつまでも世界は…」は京都という街と音楽文化の拡大を掲げている点でボロフェスタの影響を受けており、京都で未発達だったサーキットフェスとしてもまたおもしろい。演奏する立場であったアーティストが地域や文化への意識を持ち、イベントを開催する。こうした点でもボロフェスタの功績を感じることができる。
大阪は大型メディアフェスの印象が強いが、その中で「見放題」が異彩を放つ。初開催の2008年は32組の出演者だったのが、2013年には110数組にまでのぼった同サーキットフェスは、音楽愛好家で構成されるスタッフによる選定で出演者が決まる。KANA-BOONなどのメジャーバンドも呼びつつ、出演者の多くはまだ名の知れないインディーバンド。メディアによるシーンの再生産ではなく、自らシーンを創造しようという気概はD.I.Yフェスが持つ魅力そのものだ。
兵庫は三田市のキャンプ場で2010年から行われている「ONE music camp」に注目。2013年はザ・なつやすみバンドやHAPPYなどのインディーシーンの注目株も押さえつつ、マカオからEvade。そしてタイからはDesktop Errorの日本での初ライブを実現させるなど、国境やジャンルを跨いだ人選がコアなファンを引き寄せた。関西では希少だけに発展が楽しみなキャンプイン型フェスである。
主要なメディアが関東に集中することから、関西は人選や運営のコンセプトに独自性を伴った非メディア・イベンターフェスが育ちやすい土壌といえる。ボロフェスタの初開催から10年を越え、いよいよ各地で台頭してきた印象だ。
(富樫重太)
ポストロックと歌モノは同居できるという証が初めて関西で誕生した。といえば、なんとなくポストロックと歌をかけあわせただけのイメージを思い起こさせることになってしまいそうだが、この音楽は既にポストロックにある概念を消し去っているだろうし、まさかポストロック好きが好んで聴くだけのものでもない。彼らは、これからのポップスのなかに堂々と座を得ることのできる、あらゆる多くの人たちに届けてゆける音楽を鳴らす。
後付けされた“宇宙のように壮大で、コンビニのように身近な音楽の同居”というコピーが何とも上手いと言わざるを得ない程にしっくり来るバンド名。Gt、B&Vo、Drで構成される平均年齢21歳の3人組。2012年結成、現メンバーにより生まれた1stミニアルバムが本作である。
全7曲。そのうち2曲はインスト曲。あとは宇宙コンビニ流“歌モノ”。基本的にはタッピングを多く盛り込んだギターリフに、変拍子を多用したリズムによる複雑な展開が繰り返される。なのに驚くほど聴きづらさがなく、その音像を無意識的に耳が追いかけてゆく。覚醒を度々促しているような一音一音。その効果は抜群だ。アコースティックギターで演奏される「strings」では、表情を変えつつも性格は変わらず、そんな一面に愛着と心地好さを感じずにはいられない。女性B&Voである、えみちょこの透き通った声は浮遊しているように取れるが、感情に溢れていて真っ直ぐなことから、はっきりと輪郭を生み出している。その輪郭とはメッセージ性というよりも、音楽そのものが訴えかける意志のようなもの。傲慢でも謙虚になるでもなく、同等の高さで音と共存する。双方が影響し合いながら凛としている。
さて、その巧妙ともいえる技を目の当たりにして、鼓舞するような魂の感覚とか強烈に沸き立つような感情の揺さぶりだとかを浮かべることはないが、その代りとして新しい感覚を持つ。そういった意味でもまた、革新的なものを潜ませている。ポストロックといったとっつきやすさのない音楽をこれ程までポップスに昇華させるのは実験的ともいえるが、そこから生まれる可能性のある不安定さを感じさせない。それどころか、本当はまだまだ潜在する部分が多いはずだ。現時点で関西を拠点としているが、そのなかで一定の土地やライブハウスなどに固執せず活動するのも、出来るだけ多くの人たちの前で発揮したいという強い思いを持つ彼らのやり方なのだろう。彼らの姿勢には単なる結束力のみならず、この音楽でいかにして多くの人が耳にするポップスに入り込めるのか、そんな覚悟がみえるのだ。(坂本花央理)
uremaは2011年に結成し、神戸を中心に活動するギターロックバンドだ。自らを「ダウナー系オルタナ」と称す彼らは、常に「生」や「死」、人間の「認識」や「無自覚」などをテーマに、特に19~20世紀の欧米の作家や思想家の影響下で描かれる詞が特徴的である。結成から1年も経たぬ間にリリースしたミニアルバム『死の家の記録』はそのタイトル通り、作家・ドストエフスキーの著作に感化されたコンセプト・アルバムであり、アンダーグラウンドの邦楽ロックシーンにおいて異質な存在感を与えた。音楽性に関しても、長江慧一郎(Vo,G)のドロップチューニングから繰り出される重厚なギターサウンド、高橋涼馬(B)の五弦ベースからの幅広いアプローチ、芦原崇大(Dr)の正確さと力強さが、陰鬱さと疾走感を共存させ得ており、楽曲への妥協を許さない。文学的な詞や巧みな変拍子、ポストロックやエモをルーツにしている点は13年2月に解散したthe cabsを彷彿とさせる。
本作『carpe somnium』はラテン語で“夢を摘め”という意味。この作品もurema独特にして最大のおもしろさである、有名作品からの引用が散りばめられ、なおかつアルバムを通したストーリー性が際立つ。エドワード・ゴーリーの絵本をモチーフに作られたリード曲「さむいさむいこおりのなか」は前作の最終トラック「羊の死体」を踏襲しているようにも思える長江得意の“胎児(=ぼく)”視点で描かれ、その死から物語をスタートさせる。オスカー・ワイルドの同名の童話から取られた「ナイチンゲールとばらの花」では第三者目線から、殺してしまった“あなた”の無自覚さを責めると、「ハッピーエンド」と代表作「ピアノのある部屋」では再び一人称を“ぼく”に戻す。登場人物を俯瞰し、(霊となった)“ぼく”から見た“あなた”への記憶を辿っている。そしてAメロ・Bメロ・間奏の繰り返しで構成される「永遠の森」でニーチェの永劫回帰を表現。登場人物への救済を与えることなく終わってしまう。聴き終えると、なんとも良い意味で読後感の悪い(=だからこそ頭の中にこべりついて離れないような)、一つの文学作品を読んだような気分にさせられるのだ。
全ての詞を手掛ける長江を通して様々な思想、芸術作品が言語化される。それが反映された音色や曲のアレンジ、アルバムの構成、苦悩と幼さを混在させる声色、downyの第5作品集『無題』ではアートワークを担当した第4のメンバー・ENNAのイラストなどを含めて、総合的に表現される。『carpe somnium』にはこうした彼らの創作者としてのセンスが詰め込まれていると思う。(富樫重太)
2005年結成。大阪を拠点に、海外でも高評価を得ているブルータルオーケストラ。複数のギター、ストリングス、ドラム、ピアノ等が織り成す、何層もの轟音に、デスボイスとオペラが鳴り響く。ノイズとデスを融合させた実験的な楽曲や、流動的に変化するメンバー構成など、多くの点で同じく大阪が産んだバンド・BOREDOMSと共通項を持つ。
本作はライブ会場とTIMEBOMB RECORDS限定販売の2曲入りEPだ。「Die You Hard! 1」は吹雪を連想させる冷たい機械音が絶えず、その中で地鳴りのように響くデスボイスはより恐怖と苦悩を感じさせる。「Die You Hard! 2」は、11分46秒のほぼ全てで機械と機械が擦れ合うようなノイズが前面に押し出され、リスナーを異世界に迷い込ませる。美しい歌声とピアノ、ストリングスが生み出す音世界で大反響を呼んだ前作『endless summer』とは対照的に、良い意味で難解になった本作は彼らの音楽への探究心に触れるのにうってつけの作品だ。
拠点は大阪だが、彼らには生み出す音の荘厳さや美しさから、むしろ京都や奈良、神戸などの街との親和性も高い気もするVampillia (実際に、寺院やファッションショーに招かれての演奏経験もあるという)。恐怖、静けさ、無機質さ、虚無感、様々な要素を曲中に内包させる彼らに、人々は思わず想像力を掻き立てられてしまうのだ。(富樫重太)
最近では大阪のクラブ『NOON』の摘発に伴って企画されたドキュメンタリー映画『SAVE THE CLUB NOON』が公開されたばかりの鬼才・宮本杜朗監督による同名映画のサントラ。映画自体は撮影所で有名な京都は太秦を舞台に繰り広げられる狂気とフェティシズムが絡み合った作品で、これまでシマフィルムが制作してきた『堀川中立売』『天使突抜六丁目』に続く“京都連続もの”として熱心な映画ファンの間で話題になった。
音楽シーンにもつながりがある宮本監督らしく、この作品の主演と音楽プロデュースを担当するのは和田晋侍(巨人ゆえにデカイ、DMBQなど)。本作はその和田の呼びかけで、増子真二(DMBQ)、DODDODO、稲田誠、中林キララ(オシリペンペンズ)、カメイナホコ(ウリチパン郡、三田村管打団?他)らが作曲、録音、演奏などで参加。朴訥としたメロディを生かした歌もの、挑発的なノイズ、混沌としたフリー・ジャズなどを柔軟にとりこみ映像との一体化を試みている。全21曲35分弱。残虐とはユーモアである、という映画の根底にある哲学と呼応した仕上がりだ。(岡村詩野)
フロントマンのサンデーカミデが主催するイベント“Lovesofa”は13年も続いているように、この男が大阪のアンダーグラウンドを引っ張ってきた一人だということは身に染みる程わかる。前身バンド・しゃかりきコロンブス時代の名曲「君が誰かの彼女になりくさっても」が奇妙礼太郎によるカバーで話題となった、ワンダフルボーイズ。
奇妙は前作に引き続き本作でも「ロック NEW DAYS」でデュエットしている。他にゲストとして参加した杉瀬陽子、ロボ宙、Funkymic、AZ CATALPAも同じく大阪で活動する愉快な友人たち。ソウル、ファンク、レゲエ、ヒップホップを飲み込み洗練させたサウンドに、不安定だからこそ心にグッと響くヴォーカルが溶け合った、驚きの感情揺さぶりソングの宝庫。彼らの音楽は手近なもので“あめちゃん”に例えられる。鞄のなかに当たり前の如くあめちゃんを常時忍ばせているのが大阪のおばちゃんだが、まさしくそんな日用食品の風味とどこか似ている。ただそうは言っておきながら、ちゃらんぽらんな訳ではなく、“マジであったことポップミュージック!”を標榜している歌詞には思わず泣かされ、少年少女の頃のうずうずした感覚を度々思い出したりもする。
ワンダフルに大阪の街を揺るがして、他の土地でも噂されるような近い未来の彼らに今後も注目したい。(坂本花央理)
オシリペンペンズ、あふりらんぽ、ZUINOSHIN、ワッツーシゾンビら大阪のアンダーグラウンド一帯が「関西ゼロ世代」として取り上げられてから約10年。その水脈は2010年代に入っても空きっ腹に酒、いったんぶ、下山らに引き継がれているものの、“これが関西テン世代や!”と括るほどではなく、個々の動きが面白くてもシーンとしての動きが見えづらいのが現在の大阪シーンの特徴である。
その原因の一つとして、バンド結成の契機となる大学が少ないということがあるのではないだろうか。大阪出身者でも京都の大学や、神戸の関西学院大学に行くことも多く、そこで結成されたバンドは京都・神戸のライブハウスに拠点を置くことになるので大阪では特定のシーン形成がし辛い。となると大阪の役割は京都・神戸バンドをも含めた関西一圏の音楽文化をまとめ、発信することである。
そのまとまりを象徴するのが心斎橋アメリカ村一帯で行われる“見放題”(2008年開始)とFM802主催の“MINAMI WHEEL”(1998年開始)である。前者が100組、後者が400組以上出演するサーキットイベントでジャンルやメジャー・インディー不問の関西バンド青田買いイベントとして親しまれている。またアメ村に隣接する堀江に店を構えるFLAKE RECORDS(2006年オープン)はレコード店機能以外にもライブ企画や、日本唯一のアナログプレスも行うレコードメーカーの側面を持ちPredawnやATATA、関西勢ではLOSTAGE、NOKIES!、juvenile juvenileのリリースを行っている。同じレコード店でも福島のHOOK UP RECORD(2005年オープン)はTHE ORAL CIGALETTES、ココロオークション、フィッシュライフ、PURPLE HUMPTYなど関西のインディーズバンドのみを扱うCD店であり、関西のギターロックバンドが音源を出すならまずここから!という登竜門的存在となっている。
また長年大阪で活動としながら30代になって活動が活発になっているミュージシャンが多いのも近年の特徴か。お茶の間でもお馴染みとなった奇妙礼太郎や、ソロ活動が本格化した金佑龍、原田茶飯事、後藤まりこらは大阪に留まらず全国区へ。現大阪アンダーグラウンドシーンの顔ともいえるSundayカミデ率いるワンダフルボーイズを始め、奇妙も所属するアニメーションズのベース上田太一が率いる松井くんと上田くんとサヨナラバイバイズ、元クリームチーズオブサンの前川サチコ率いる前川サチコとグッドルッキングガイらも台頭している。アングラとはいえど大阪に連綿と続くソウルフルでポップなパーティサウンドが特徴だ。一方で若手を輩出しているイベントには大阪を中心に2008年より行われているDJ+ライブパーティ“onion night!”があり、RUSH BALLでもDJプレイを行うほどに存在感を見せている。ここからキュウソネコカミ、KANA-BOONといった人気者を輩出し、夜の本気ダンスやミラーマンなどネクストブレイクのバンドをプッシュするなど、関西ギターロックの総本山的イベントなっている。
強すぎる個性のあまり、「関西ゼロ年代」含め、何かしらアンダーグラウンドの臭いが伝統的にある大阪だが、ここ数年は全国に広がる発信力を持った動きが目立つ。(峯大貴)
2年前、全ての楽器を自ら演奏したセルフプロデュースのデビュー作『朝を開けだして、夜をとじるまで』(2011)を携えて京都の音楽シーンに現れ、東京のシーンでも注目を集めたYeYe。出身・在住ともに滋賀県、小学生の頃より3人の兄とスタジオに入って楽器に触れ、渋谷系やインディー・フォーク、チェンバーポップなどを聴いて育った天才肌の持ち主だ。今作は、ようやく固まったサポートミュージシャン3人に加えてエンジニアに山梨を拠点とする田辺玄(WATER WATER CAMEL)を、一部楽曲のプロデュースに井上陽介(Turntable Films)を招き、京都の旅館や山梨にある田辺のプライベート・スタジオで録音されている。サポートの3人は、彼女の対バン相手やアルバイト先のスタッフなど、京都らしい"横のつながり"で選ばれたメンツだ。
彼女の歌声は感情にとらわれない柔らかさとともに、まるで生体電流のように気ままで魅力的な感情の揺れを常に帯びている。前作ではそんな声を自らのルーツミュージックに忠実なサウンドに載せ、みずみずしい感性のままに展開していた。今作は「プログレ」のノイジーなアウトロ、「Miserable」のエレポップ風のリズムトラックなど、"HUE CIRCLE"=色相環という名前の通りポップで多彩な音楽性を持ち、内省的な歌詞もそれらと合わさってぐっと深みを増している。それは第三者の音やアイデアを新しく取り込んだ結果でもあるだろう。しかしリード曲「パレード」など、前作から引き続きYeYe自身がほとんどの楽器を担当したナンバーもあり、そのマイペースなスタイルからは、サポートメンバーと組んでも全てが"餅は餅屋"とはならないマルチプレイヤーとしての安定感を早くも感じる。インタビューによると彼女は「よく知らないままライブを観た」というダーティー・プロジェクターズに刺激を受けたり、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)のソロ曲「LOST」にコーラスで参加したりといった、前作以降の一つひとつの出来事が確実に実っているようだ。現に、この2年間でアーティストとしての自覚が芽生えたという発言をしている。
これから様々な音楽と経験を吸収し熟れていくはずの、青いリンゴのような今作。前作のリリースからYeYeが得た経験は、その感性をさらなる音楽性の充実へと向かわせ、趣味の延長からアーティストとしての自覚の変化をもたらした。そんな"2歩目"というごくシンプルな現段階を伝えるのがこのアルバムであり、それは単なるミュージシャンとしての2歩目ではない。顔なじみで固められたサポートメンバー、石川県拠点のラリー・レーベルへの移籍などなど、ローカル拠点を活動の大原則に置く彼女にとっての歩みは、そのままローカルの音楽シーンそのものの歩みとなるかもしれないのだ。(吉田紗柚季)
正式な全国流通作品はまだリリースされていないが、これから京都と東京とをつなぐ裏街道の架け橋になっていってくれそうなユニークなバンドだ。日本のダーティー・プロジェクターズの東京版が吉田ヨウヘイgroupなら、京都版はこのYOJI &HIS GHOST BAND、という紹介の仕方はやや乱暴かもしれないが、ポップスとソウルとファンクとジャズとフォークとエレクトロニカを混ぜ合わせたすり身の切り口に、塩と砂糖を同時に塗ったらカラフルな色味に変化し、マジカルな匂いを放ちクラクラしてきた、というような感じとでも言おうか。
09年結成。ヴォーカルと鍵盤を担当するリーダーの寺田耀児以外はかなり入れ替わりがあり、最新メンバーでのリリース作品はまだない。だが、現在手に入る最新音源である本作からでも、ヴァイオリン、エレクトロニクス、打楽器、ドラムなど独特の編成で聴かせる今の演奏の面白さは十分伝わってくる。当初、子供のための音楽というのを一つのキーワードにしていたそうだが、童謡を大人が歪んで解釈したような面白さを今後どのようにカタチにしていくのかが楽しみだ。(岡村詩野)
2000年代後半になって日本におけるダンスロック(ここでは四つ打ち・16ビートを主体とし、ギターやシンセが強調される「いわゆる」踊れるロックの意)の多様化が著しい。The telephonesやサカナクションはその代表だろう。また関西ではモーモールルギャバンのようなオルタナティブで突飛なアプローチのバンドが多い。このように進歩的な発展の一方でダンスロックの乱用とも言おうかある種トレンドのように扱われ画一的・方程式的に聴こえてしまうものもある。「モッシュを起こさせる」ためだけに機能するロックフェス客に媚びた四つ打ちなんぞつまらない。新しいダンスロックを生み出すことは意外にデリケートで難しいのである。
その中で自信たっぷりにダンスをバンド名に冠した「夜の本気ダンス」は2008年結成、京都の男4人組だ。関西発のロックDJイベントとして圧倒的な集客を誇る「onion night!」の常連出演者であり、フロアを「本気ダンス」させるライブには定評がある。また2014年には0.8秒と衝撃らが所属するactwiseからデビューし、3月にはミニアルバム『DANCE STEP』発売が控えているなど今ノリにノっているのである。本作は1stミニアルバム。ソリッドなシンコペーションリフに米田貴紀(Vo,G)の語感を重視した歌詞でまくしたて、後半にはリズムだけがファンク調に変わりコール&レスポンスに突入という超特急なライブ人気曲「fuckin’so tired」を始めとする全6曲。
彼らの音楽は確かにオールドなディスコサウンドを主体としたダンスロックだ。しかし町田建人(G)のアベフトシばりのギターにはガレージやパブロックを感じさせるし、マイケル(B)の前のめりなベースはファンクよりもパンクの影響が強い。それぞれの要素は特別新しいことをしている訳ではない。しかしメンバーの持つ素養、そして4人で鳴らす楽曲がど真ん中から少しはみ出ており、そのズレが組み合わさることで独特のグルーヴが生まれる。
そして全体を通して感じるのはロックな「色気」である。清志郎の「愛し合ってるかい?」ばりの妖艶さでライブのMCで米田が言う「踊れる準備出来てますか?」。半端なものでは背伸び感やあざとさが伝わってしまうが非常に様になっている。RCやストーンズ、最近ではOKAMOTO’Sにも漂うロックレジェンドなあの色気である。スレンダーに暴れるライブステージングにはその限られたものにしか出せない本物のオーラがすでに出ているのである。
多方面の音楽を吸収し、ロックな色気があるという点でOKAMOTO’Sへの西から台頭する対抗馬と言えるのではないだろうか。ダンスロックとは夜に本気ダンスしてしまうような彼らの音楽のことをいうのだ。(峯大貴)
前身Hystoic Veinの楽器隊だった遊廓(G、Vo)、紫(B、Vo)、凛(Dr)により2011年10月結成。兵庫発のポスト・パンク・トリオがZZZ’s (ジージージーズ)。
その2ndEPである本作は引き算の作品だ。まず演奏に抑制が効いている。また前作よりもボーカルパートがぐっと減った。幕開けの「DNA」は淡々としたリズムのインスト。そこに重なる不機嫌そうなギターは、感情にまかせてジャカジャカとかき鳴らされるようなことはなく、1コードずつ間をおいて投下される。続く「busy bee」でも、声は血の気の無いコーラスとして使われるのみだ。緊張感の続くノイジーな時間の中、「(A man Looks Into) the Hole」で初めて声が前面に出てくる。そしてラスト「drippin'」では遊郭と紫の激しい悲鳴の掛け合いが始まり、咳き込む程の勢いで駆け抜けるのだ(実際、曲の最後でケホッと咽ている)。ここに来るまで抑えた演奏を聴き続けた結果、聴き手の知覚は敏感になっているだろう。この緊縛された状態でヒステリックな音の一撃を受けると、乾いた攻撃性をより強く感じる。
ZZZ’s は結成当初から精力的に海外ツアーを続けてきた。結成から半年もたたないうちに渡米を始めており、2012年には2度の長期USツアーをこなした。その間CMJ2012、SXSW2012にも出演。この原稿を書いている2013年11月現在も欧州ツアーの真っ最中だ。
2012年のArt Basel期間中のマイアミでは、コインランドリーを探して歩いていたところで偶然ソニック・ユースのギタリスト、サーストン・ムーアと出会う幸運にも恵まれている。“自分たちはノイズバンドで、ライブできるところを探している”と伝えたところ、その日のムーアが出演したノイズイベントで演奏する機会を得た。これをきっかけに、2012年のムーアの年間ベストにはZZZ’s が挙げられたのだ。
また、『Magnetica』のエンジニアはザ・ラプチャーなどを手掛けるジョナサン・クレイニックが務めているのだが、それもブルックリンでのライブで声を掛けられたのがきっかけだったという。先ほど幸運と書いたが、それをつかんだ海外ツアー自体は彼女達自身の選択だ。現場を自分たちの足で回り、必要なものは自分たちの手で得てきたのだ。
The Japan Timesの取材で紫は“これらのツアーはストレスフルではあったが、音楽やステージを方向づけることができた”ということを話している。何を捨て、何を獲得するのか明確な活動体制が、引き算上手な本作の魅力と重なって映る。ちんたらやってるやつらを尻目に、鋭い切っ先で道を拓いていく。そのようなバンドであり、そのような作品である。(松浦未来)
関西の三都といえば、大阪・京都・神戸。古くは京都よりも先に都があった奈良だが、少し足を伸ばせば関西の主要都市に行けるせいか、音楽シーンが生まれにくい環境にある。そんな中、奈良を拠点に活動しているテクノポップバンドが√thumm(ルートサム)。メンバーは、lio (Vo & Key)、sujin (Dr& Programing)、shimar (Dr)の3人だ。
3枚目となる今作のアルバムタイトル『mimoro』は、奈良県桜井市にある三輪山の別名「三諸山」のこと。前作『YAMATOPIA』、前々作の『coton』と同じく古都奈良をイメージさせるものだが、より具体的な名前をつけられた今作は、前作と異なり打ち込みではなくドラム主体で、シンセベースやギターも取り入れ制作されている。もちろん、彼らの特徴でもあるシンセサイザーが奏でるオリエンタルなメロディラインや歌詞に登場する“大和の国”など、奈良愛を感じさせる楽曲は健在である。
lioが透明感のある声で軽快なビートにのって英語で歌う「Time Trip」、ゆるやかなリズムにピアノが奏でる和のメロディと日本語の組み合わせが心地よい「こよなし」など、楽曲ごとに感じる明快なコントラストが今と昔を交錯させるようで、1300年前の奈良の都にタイムトリップしたような気持ちにさせてくれる、そんな1枚だ。(乾和代)
もともとは鳥取で結成され近年関西へ。大きな話題こそないが、今や現代の関西歌ものバンドとして、白い汽笛と双璧をなす(?)存在感を放つようになった3人組(G、B、Dr)のファースト。メンバーがかわるがわるとるヴォーカルは、山本精一のソロ作品にも似た寂寞感、静かな躍動を讃えており実に情感豊か。さらに室内における音の響きや広がりなどを考慮したような3人の演奏と残響を生かした録音がまた素晴らしく(京都のライヴ・ハウス『アバンギルド』などでレコーディング)、音楽性こそ異なるが、スモッグやデヴェンドラ・バンハートらの作品を思わせる柔らかく湿った音の質感が大きな武器となっている。
ほんの少し『ブルー・マスク』あたりのルー・リード作品にも通じる大人の男の色気を実感させてくれる作品でもある。だが、最近では木津川市のプラネタリウムで行なわれたライヴで槇原敬之やSMAPなどのJポップをカヴァー。指向の間口はかなり広そうだ。(岡村詩野)
10-FEET。京都を代表するミクスチャーロックバンドである。TAKUMA(G&Vo)、NAOKI(B&Vo)、KOUICHI(Dr&Cho)からなる京都出身、在住の3ピースバンドで、2013年にバンド活動16年を迎えた。10-FEETと言えば京都大作戦だ。彼らは野外ロックフェスが定着していなかった地元京都に、大規模な野外ロックフェスを2007年に立ち上げた。そして京都大作戦と言えば、初年度が台風の接近により中止となった、挫折から始まったフェスでもある。翌2008年に無事リベンジが果たされた京都大作戦に、2007年に出演予定だったアーティストが全員集まったというエピソードはファンの間では有名だ。以降毎年、10-FEETの呼びかけのもと、ロック、レゲエ、ヒップホップ、パンクなど様々なジャンルの強者たちが宇治市太陽ヶ丘に集まっている。
そんな10-FEETの現時点での最新作が、7作目のオリジナルアルバムである『Thread』だ。本作はリリースが2012年だったこともあり、やはり3.11の震災の影響を感じずにはいられない。そもそも10-FEETの音楽にはいつもどこかに寂しげな影がある。本作から滲み出ているのも、メインコンポーザーであるTAKUMAの胸にずっと張り付いている深い悲しみだ。どんなに悲しくても日々は過ぎていく無常さ、寂しさ、悔しさが、ドクドクと流れている。ただこれまでと違うのは、そこに思いを重ねるリスナーがいるということを強く意識し、それならばその人たちの悲しみも共に連れて前へ進めるような音楽を鳴らそうという気概を感じることだ。“その向こうへ その向こうへ 君の声も その思いも”と叫ばれる「その向こうへ」には特にそれを感じる。言葉が強く響くのだ。震災後の間もない頃、職場のUSENから流れてきたこの曲にハッとさせられたことを私は今も覚えている。
言葉が響くのはサウンドによるところが大きい。本作はミクスチャーとはいえとてもシンプルで、メロコアに主軸を置きつつ、レゲエの持つ温かさや、パンクの持つ悲しみをも振り切るような強さなど、それぞれの音楽要素の一番美味しいところをスパイスとして加えた、削ぎ落とされたミクスチャーロックという印象を受ける。しかもそのスパイスは、歌詞をより強く伝えるために最も適した音楽要素をチョイスしているように感じる。そしてこれこそが、様々なジャンルの音楽が集まる京都大作戦で、それぞれの音楽のどの部分が人々の胸を打ち、熱くさせるのかを主催者という立場から毎年じっと見つめてきた、今の10-FEETだからこそ鳴らせる音だ。過去5回の京都大作戦を成功させた10-FEETがここで鳴らすのは、悲しみを包む強さを携えた、研ぎ澄まされたミクスチャーロックだ。(小川あかね)
2014年3月1日 発行 初版
bb_B_00117261
bcck: http://bccks.jp/bcck/00117261/info
user: http://bccks.jp/user/125933
format:#002y
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
岡村詩野(音楽評論家)が講師を務める「音楽ライター講座in京都」は2012年4月にスタートし、月1-2回ほど京都市内で活動しています。
https://www.facebook.com/kyotomusicwriterschool
・筆者一覧
岡村詩野
山田慎
峯大貴
森豊和
小野早紀
カワダユウミ
小川あかね
吉田紗柚季
椎名あかね
松浦未来
中野
堀田慎平
坂本花央理
乾和代
藤本碧
杢谷栄里
杉山慧
高木真一
富樫重太
のざわみき
監修:岡村詩野
編集:峯大貴
表紙デザイン:カワダユウミ