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稲穂が光り輝く秋の9月23日、鹿児島市花尾町の田園風景に突如現れる花尾神社で行われる「秋の大祭」を、オーストラリア人アーティスト リチャード・バイヤーズが取材、地域に伝わる伝統芸能を写真と映像で記録した。また、2012年に東京から鹿児島に移住したコンテンポラリー・ダンサー JOUによる地域の伝統芸能へのテキストを掲載、鹿児島の豊かな文化へのあたたかなまなざしも垣間見える。
人々が長い間守り育ててきた文化を記録し、地域の豊かな文化を再考する。

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<地域×アートシリーズ>

人、祭、花尾神社

リチャード・バイヤーズ、JOU
かごしま文化情報センター(KCIC)

KCIC BOOKS



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 目 次

文化の交わる場所—。 


花尾神社を訪ねて—

 花尾の太鼓踊り 

 大平の獅子舞 

 岩戸の疱瘡踊り 

 西上の太鼓踊り 

 蟻の花尾詣で 

以上、各写真:リチャード・バイヤーズ
       テキスト:四元朝子(KCIC)

花尾神社 秋の大祭 写真・テキスト:リチャード・バイヤーズ







伝統芸能を学ぼう 写真・テキスト:JOU

「唄をうたいなさい」 
  テキスト:四元朝子(KCIC)
  写真:リチャード・バイヤーズ

謝辞

文化の交わる場所—



「鹿児島は文化の接点なのです。」

鹿児島の各地に息づく踊りや祭を訪ね歩き、地域に伝承されてきた民衆の文化を記録してきた南九州の民俗学における第一人者 下野敏見氏 のひと言。下野氏は高校教師時代に、種子島に赴任し、その際に、地域の方に誘われて地元のお祭りを見に行ったのをきっかけに、1つの島の中でも多くの芸能が存在することを知り、地域の民俗芸能に魅了されたのだと言う。以来、何十年もの間フィールドワークを重ね、現在は、それを伝えるべく、執筆、講演会を重ねている。


「接点」、その意味とは、日本という島国に点在する多様な文化が鹿児島に集まってきた、ということ。北のアイヌに通ずる南からの古層文化が流れ、また、北からのヤマト文化圏の南端に位置し、沖縄を中心とする琉球文化圏とも接触し、古来、日本における数々の文化が交流する中心であったのだ。

氏曰く、この地は、国内の民俗文化の「吹き溜まり」であったという。


さて、鹿児島県薩摩半島の「踊り」に目を向けてみる。
荒々しく勇ましい男踊りの「太鼓踊り」や「兵児踊り」に、優雅にゆったりとした女踊りの「疱瘡踊り」など、地域の多様な芸能があり、お正月やハレの日に全国で見られる「獅子舞」も地域の踊りとして、この地オリジナルの物語をもって存在する。

これらは、大人から子どもへ受け継がれ、長い間、多くの人々の間を生き抜いて現代に至る。地域に住む者が、その伝承者となり、家族ぐるみで、振りを、唄を、演奏を身体で覚えているのだ。

県内の民俗芸能は、優に1,000はあるだろうとも言われていることもあり、

下野氏曰く、

「鹿児島は日本一、伝統文化が豊かな場所」。



地域の魅力をひとつひとつひも解いて行く過程として、今回は、秋に多くの人手で賑わう「花尾神社」の祭から、地域に古く伝わる踊りと行進を取材した。

花尾神社を訪ねて—

鹿児島市中心街から北西へ車で30分強、花尾町の「花尾神社」は山々に囲まれた集落を超えてたどり着く閑静な場所である。目の前に延々と続く田んぼの中に、突然、現れる「花尾神社」の真っ赤な鳥居。これをくぐり、さらに、行くと、花尾神社の本殿がある。
ここでは毎年9月23日に4つの地域の民俗芸能と1つの時代行列を奉納する「秋の大祭」がひらかれている。

秋の花尾神社周辺は、稲穂が実り、あたり一面が金色に染まる。道端には、彼岸花も咲き、鳥居の“赤”とともに、光り輝く稲穂に囲まれ、目を見張る美しい風景が広がっているのである。

花尾神社は、絢爛豪華な建築で知られる。その美しさは日光東照宮に例えて「薩摩日光」とも称されるほど。深い緑の森に囲まれ、赤や緑、黄色、白と、鮮やかな色の装飾が目に飛び込み、訪れるものを魅了する。
創建は建保6年(1218年)と伝えられ、古くは「花尾権現」とも呼ばれた。相殿祭神に清和天皇、主神は源頼朝と、島津初代藩主・忠久の生母である丹後局、従祀神に僧永金を祀る由緒ある神社である。
参道の途中には、丹後局の荼毘所跡と伝えられる石塔、また局の墓と言われる多宝塔もあり、山奥の荘厳な空気を感じさせる。


9月の大祭では、参道から境内まで多くの人でにぎわう。地域で大切に受け継がれてきた芸能や時代行列が見られるのだ。
戦へと出陣する武士達を鼓舞するために始まったと言われる太鼓踊りを花尾と西上(にしかみ)の2つの地域から、また、疫病を追い払う祈りの疱瘡踊り、そして、大平(おおひら)の獅子舞に、蟻の花尾詣でが加わる。

多くの踊りの担い手がこの祭に集まる。
この地に生を受けたものはもちろん、嫁いできた女性も、必然的に、踊りの継承者となる。公民館に行き、これまで踊りを続けてきた保存会の人々に混ざり、ひとつひとつ丁寧に振りを習いながら覚えるのだ。
集落に住む人々が、親から子へ、家族ぐるみで地域の伝統を守り続ける。
そして、9月23日の秋の大祭では、日々練習を重ねて来たその成果を各々が奉納する。参列者たちは、境内脇に張られたテントで他の保存会の踊りを、酒を酌み交わしながら眺め、語らう。


我々のような外からこの地を訪れたものはこの大祭で、地域に住む人々が、古くから伝わるこの地の踊りを丁寧に身体に記憶し、それを守る美しい姿、その喜びを分かち合う風景を目の当たりにする。

花尾の太鼓踊り

武将に見立てた鉦(かね)打ちと、兵士の太鼓打ち、約30〜40名の壮・青年男子による踊り。小刻みに跳躍しながら演奏し、軽やかな足付きが目を引く。同時に背中に背負った色鮮やかな矢旗が大きく揺れる。

空高くまでのびる矢旗、高い鉦の音、地面から突き上げるような太鼓の音に併せて飛び跳ねる演者。細かく刻まれるリズム、勇敢な踊りが見るものを高揚させる。

文禄元年(1592年)の豊臣秀吉の朝鮮出兵に出陣した島津義弘公が、軍の士気を鼓舞するために打ち鳴らせた鉦と太鼓を、後に踊りに振り付けたと言われる。

現在は、この踊りを、地域の小学生は授業で習うという。この地では、子どもからお年寄りまで親しみ深い民俗芸能となっている。

大平の獅子舞

花尾神社より車で5分の大平地区で踊っていたのは、南九州各地に多く現存する棒踊りと、この獅子舞である。
東に花尾山、北に八重山がそびえ、そこから南に川田川が流れる自然豊かな地域。この大平の獅子舞の物語は、踊りでよまれる口上から下記のように読み取ることができる。

昔、ここの田畑は、猪に農作物を荒らされ、農民が困っていた。そこで、狩の名人「彦蔵」が立ち上がり、退治に山にでかけたが反対にかみ殺されてしまったのだ。
その息子は、悲しみにくれて、日々、猪を仇討ちするために身体を鍛えた。数年経ったある日、いよいよ憎きその猪を討取るという武勇談に由来する。
散々苦しめられていた集落の人々は、喜び泣き、「彦蔵」の武勇をたたえ、その手柄を後世に伝えるために獅子舞を踊り継いでいるという。

世間一般に風流化されている獅子舞と比べ、この大平の獅子舞は、衣装、踊りともに素朴な庭狂言で、民俗学的に貴重な芸能と言われている。

岩戸の疱瘡踊り

藩政時代(300〜400年前)より踊り継がれていると言われる女性の踊り。当時は天然痘が流行し、多くの村人が亡くなった。人々はこれを恐れ、ある地域では集落の入り口に「道切りの縄」を張り、塩・米のほかに胡椒をつり下げて悪霊を払ったという。また、さらにこの「疱瘡踊り」を行うことで、天然痘の治癒と軽減を祈願した。

その唄の歌詞には「踊り踊ればおほそ(=疱瘡)も軽ろし」との思いも込められている。シベと呼ばれる大小の棒を手にした黒装束の女性3人と手ぬぐいで顔を隠した踊り子たち10数名が、さっきょんと呼ばれる滑稽な動きをする先導役2人の踊り手に導かれて踊り、天然痘の防除と軽減を祈る。
これは、近世中・後期に隆興を極めた「お伊勢参り」の様子を芸能化したとも言われている。

西上の太鼓踊り

花尾神社から南へ3キロ、西上集落で踊られる「太鼓踊り」。慶長時代に、島津義弘公が朝鮮遠征出兵者の祝賀や、関ヶ原の合戦に出陣して行く島津軍兵士が敵陣で勇敢に戦う姿を描き、また、その兵士達を激励するためのものである。その後、昭和初期には、「五穀豊穣」「病害虫防除」祈願や、一之宮神社の『島津忠久主祭』奉納のためにも踊られていた。

現在の踊りの伝承については、昭和41年に保存会が結成されたと記録されているが、その後、昭和53年頃から、本格的な活動が始まったと言われ、現在も若手の担い手により、力強く勇敢な踊りが受け継がれている。
大きな太鼓を前に担ぎながら、鉦と太鼓の音に合わせ、テンポよくリズミカルに跳ねて踊る姿、左右に空を切るように揺れる矢旗に、男らしい強さを感じる踊りである。

蟻の花尾詣で

鹿児島市の中心地に位置する鶴丸城跡地から花尾神社までの17.5キロを歩いて参拝する。その始まりは780年前の鎌倉時代に遡り、熊野(和歌山)の「蟻の熊野詣で」と同様、参拝の様子が、蟻が列をなして行き交う姿に似ていることからそのように呼ばれるようになる。
花尾神社への参拝は、歴代藩の崇高厚く、また、琉球使節団など多くの人たちが訪れ、当時は大変賑わったという。現在は、地域の協力者により復活し、花尾神社の秋の大祭の日に行われ、2013年で12回目を数える。

ここでは、甲冑を纏った武士、山伏に導かれて、神輿に担がれた丹後局役が並び、長い行列を続けながら闊歩する。

花尾神社 秋の大祭

2013年9月23日 リチャード・バイヤーズ

金緑色に染まる花尾町の一面の水田地帯
緑の森と青い空を背景に
花尾神社の朱の鳥居が朝の光を受けて立っている

鳥居からほど近い丘へと歩みを進め、花尾神社に至る
境内は一日の行事の準備を進める人々の声でざわめいている
郷土の食べ物を売る小さな出店も並んでいる

社殿から太鼓の音が轟く
伝統の祭りが正式に始まることを告げる祈りの音だ

丘陵に抱かれたやしろ
杉の高木が作り出す深緑の谷間のような空間に木漏れ陽が射し入る

伝統衣装を身にまとった演舞者たちが賑やかに集まってきた
各自が背に担いでいるのは目にも鮮やかな装飾を施した竹の竿
それらは周囲の木立と同じく天に向かってそびえている

祭りが始まった
独特な間合いで掛け合いを繰り広げる鼓と鐘の音が空中に響きわたる
そのリズムに合わせ、光に満ちた中央の広場に演舞の一団が入場する
そのエネルギーに私はすっかり心を奪われている
カメラを手にした観客や私以外の写真家たちも
スチールやビデオの撮影に夢中だ

地元の子供たちが自慢の英語力の腕試しとばかりに私に話しかけてくる
それに比べて私の日本語はたどたどしい
彼らは面白がって笑う
そのにこやかな表情はどうやら私がこの場にいることを容認してくれているようだ

朝に始まった祭りは、昼下りの光に照らされながら、
なお続く男、女、子ども、さまざまなグループが
音楽と舞によって織り成す物語を観衆たちは心から楽しんでいる

世代を越えて受け継がれる舞楽の伝統
ここは企業スポンサーも多国籍広告も無縁の世界
誇り高き郷土の祭りだ

この秋の大祭をどうかご自身の目でご覧いただきたい
関わることで伝統がさらに未来へと受け継がれるように

プロフィール:

リチャード・バイヤーズ

1974年豪州メルボルン生まれ。メディアアーティスト。

シドニーの工業デザイン・コンサルタント企業でクリエイティブ・ディレクターを務めた後、5年前にフリーのアーティストとして活動を開始。近年は欧州、日本、豪州の各地を拠点とする。写真、線画、インタラクティブな映像インスタレーション等、様々な表現方法を用いて作品を制作。音楽家、舞踊家等、ジャンルを超えたコラボレーションも多い。2012年、在オーストラリア大使の招聘でリヒテンシュタインのシャーンにてライト・パフォーマンス「sound.transmission.light」を発表。また、のべ5ヶ月を宮城県石巻市で過ごしアートプロジェクトを展開。2013年、石巻市の日和アートセンターにて個展「光とつくる」を開催。2013年12月には、鹿児島在住のピアニストとのコラボレーションも行った。
http://www.richardbyers.tk
http://sound.transmissionlight.tk

伝統芸能を学ぼう

2013年11月 JOU

大隅半島に移住して来た2012年3月、肝付町波見で初めて、「棒踊り」を見た。歌と踊りのリズムは別々になっていて、複雑な組み合わせが面白い。2人組が基本の動きで、隣の組と交わったりもする。複雑で高度なダンスに目を見張った。

しかも、本物の鎌や鉈を持ち、剣のように上手にさばきながら踊るのだ。剣の訓練の所作を舞踊化したかのような「サムライ・ダンス」だ。かつて集落では祭り踊りにかこつけて、農民が訓練をしていたのではないか?と大いに刺激された。そこには、コンテンポラリーダンスにも通じる3つの要素があった。

① コミュニケーションとしてのダンス〜神様への祈願や感謝であると同時に、地域の心を共鳴させる作用がある。同時に親子3世代が集う練習風景は都会人からみたら、本当に羨ましい時間だ。

② 基礎訓練としてのダンス〜伝統芸能には、身体の動きの基礎を習得できるファンダメンタルなトレーニング効果がある。踊りとして継承される「身体知能」でもあることがとても興味深い。

③ 個性としてのダンス〜集落ごとに、踊りの動きやリズム、衣装など、様々なバリエーションが見られる。日本人の個性として、国際社会でアピールする時の武器にもなる。

これらの要素をそれぞれ追求していった時に、伝統芸能全体がより魅力溢れる無形文化資源として、鹿児島の財産になっていくだろう。鹿児島の伝統芸能の魅力は、可能性に満ちている「眠れる獅子」のようなものだ。

ダンス史上の重要人物でドイツの振付家、ピナ・バウシュもかつて東北に滞在し、伝統芸能のリサーチをして作品を作った。伝統芸能は、外国人からみた時、ミステリアスな魅力に満ちている。「伝統芸能を習いたいと思っているが、機会がない」という舞台人は、国内でも海外でも案外多いのだ。各地に点在する伝統芸能を今後、どのように保存・発展させていけるかは、鹿児島にとっての重要な課題にひとつだといえる。

都会からプロの舞台人達を連れて来て、夜は地元のおじさんに踊りを仕込んでもらい、昼は農業体験や地元の子ども達に特別授業を行なう「研修制度」はどうだろう。教える側の地元にとっても、「都会のプロが踊るとこうなるのか」と、様々な発見と自信につながるに違いない。県下の棒踊りを集めた「棒踊り大会」なども楽しそうだ。

Photos.JOU
Photos.JOU

プロフィール:

JOU

コンテンポラリーダンス作家、振付・演出家、舞踊家
2012年鹿児島へ移住

23才で踊り始める。ダンスで人やモノや場をつなぐ作品作りをする。2008年ソウル国際振付祭にて外国人振付家特別賞を受賞。パフォーマンスキッズ・トーキョーのゲストアーティスト講師として、都内の小学校での特別授業も行なっている。2011年IDILL2011(ベルギー)に原正之監督との共同作品「浅草ダンスビデオ」がノミネートされ、ヨーロッパで上演された。昨年2012年より拠点を東京から鹿児島県に移し、大隅半島、肝付町の踊る地域おこし協力隊として活動開始。劇場舞台の枠を越え、地域交流を興すダンス活動を創作中。2013年1月、おおすみ踊る地域案内所(肝付町川上)でフランス人と発表したダンスを、同年3月、ジュネーブで国際共同創作し、2013年4月スイス3都市にて上演するなど、国内外をつなぐ活動を展開中。
武蔵野美術大学(東京)非常勤講師。
JOU日記: http://odorujou.net 
大隅文化生活osumiart.exblog.jp/

撮影:小熊 栄

「唄をうたいなさい」

2013年11月 四元朝子(KCIC)

「地域の文化」をテーマに、今回の電子書籍を制作するにあたり、
鹿児島を知るべく、様々な方に話を聞きに行った。
鹿児島の民俗芸能の専門家、役所の方、保存会、そして踊り手ー。

現代の私たちが祭の中で見る「踊り」や「唄(うた)」は
地域の歴史上、生活から生まれる必要性から誕生していた。

出陣、疫病、自然ー、様々な困難に直面して、
その時代の人々は、踊りを踊ることで
生活にある不安を取り除き、鼓舞し、
コミュニティの中でその想いを共有してきたのである。


それらが、数百年という時間を、世代を超えて伝えていくために
何人もの人々のちからや想いによって守られていることを知った。

踊りには、意味をたどると、数々の決まりがあるのだが
「地域の担い手を存続させるために」、と、
幼い孫娘に男踊りの衣装を着せている方にも出会った。
踊りをより多くの人に楽しんでもらうために
衣装を少しずつ現代に併せて変えていることも知った。
そして、本書前半でも記述したが、地域の小学校では
体育の授業で、生徒全員が踊りの一部を習うという。


様々な事情から、
昭和30年代、踊り手がやめてしまったことがあったという
保存会の方にお話を聞く機会を得、
その後、10年もの時間を経た昭和40年代後半、
新たにその貴重な文化を復活させるために、
努力した方々にお会いした。

酒を酌み交わしながら同士を集め、
時間をかけて当時の踊り手を探し出して、
唄を書き起こし、
身振り手振りでその踊りを習ったのだと言う。

その復活の鍵となる、
消えかかった踊りを今の時代に伝えた
90歳の踊り手の言葉に深く感動した。


地域の若者が踊りをやめたとき
彼は、文化が途絶えることを心配をし、深く悲しんだという。
そして、たとえ踊らないにしても
「唄はうたいなさい」と、みなに声をかけた。

畑を耕しながら、台所にたちながら、唄だけは日常の中で
うたうことができる。

そして、年月が経ち、この踊りが復活するとき、
残っていたのは、彼の言う通り「唄」だった。
多くの人が、唄をきっかけに振り付けを思い出し
手振り身振りで踊りをまた再現できたのである。

日常から生まれた、民俗芸能ー、
この無形の文化を数百年を超えて
伝承して行く地域の方々の強い想いを知る。

さて、それでは、いまを生きる人たちが生み出す現代の文化を、
私たちは時代を超えて伝えるときに何が必要なのだろうかー
次の時代を作るために、これからのことをじっくり考えてみたい。

謝辞

本書刊行にあたり、ご協力いただきました下記の方々、関係機関の皆様に深く感謝申し上げます。(敬称略 順不同)

末吉幸治、末吉信子、薗田利清、岩戸洋子、原口チミヨ、大平晴男(郡山支所市民係)、河野誠郎(ふるさと学ぶ会)、大野由夏



参考資料:
「郡山郷土史」
 編集:郡山郷土史編纂委員会 発行:鹿児島市教育委員会
「花尾校区文化財マップ」
 企画・編集:ふるさとを学ぶ会花尾校区会員

人、祭、花尾神社

2013年12月7日 発行 初版

企画:KCICアートディビジョン

取材・コーディネート:早川由美子、四元朝子(KCIC)

執筆:リチャード・バイヤーズ、JOU、
   四元朝子(KCIC)

翻訳:宮本眞紀

発  行:KCIC BOOKS

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KCIC アートディビジョン

2013年8月10日、鹿児島市役所内にオープンした「かごしま文化情報センター(KCIC)」に所属する「美術」部門。アートを軸に、ジャンルを超えた表現活動を発信します。

かごしま文化情報センター(KCIC)
892-0815
鹿児島県鹿児島市易居町1-2
鹿児島市役所 みなと大通り別館1F
TEL. 099-248-8121
FAX.099-248-8127
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火曜〜日曜開所 ※月曜休所 10:00〜16:00

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