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早く月に帰りたい

垣根 新

垣根 新出版



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 第一章
老婆が一人椅子に腰掛けていた。
 その椅子は老婆の専用の物だろう。背もたれが付き、肘掛は扇状に作られ、小さなテーブルで、椅子の高さは踵が着くか付かないかになっていた。その椅子は特種の椅子に見える。全体の様子から既製品を加工した物ではない。椅子には素人の雰囲気が感じられたが、多分この椅子は、老婆の主人が作った物で思い出の有る椅子なのだろう。古い物だが見た目と違って、座ると壊れるとは誰も感じられないがっしりとした作りだ。
 その椅子は長い間使われて、そのお蔭でますます使いやすくなった感じがした。
 例を挙げれば、使っている間に少しずつ座る部分が丸く削られて、長い間座り続けても疲れは感じないだろう。一番の興味を沸くのは、左右が均等になっていない所に、誰が見ても二人の物語があり、均等に作れなかった箇所が、面白い思いが目に浮かぶ事だろう。
 妻の注文通り作ったのか。それとも、妻の要求で修正が効かなくなったのかは分からないが、主人の愛情が感じられてくる。その主人の渋い顔を想像できるが、妻は、この様な会話が一番の楽しみだ。そう思う場面が、この椅子には目に浮ぶだろう。老婆の寝顔は満面の笑みを浮かべている。恐らく、その時の楽しい場面を見て寝ているのだろう。
「おばあちゃん。天使のお話をきかせて」
 五歳位の男の子が、息を切らせながら走しって来る。この位の歳が学ぶ学校からでも走って来たのだろうか。老婆の前で息を切らせながら声をだした。
「天使ではないのよ。おじいさんよ」
 老婆は起こされたのが不満なのかは分からないが、一言ずつ大きく話した。
「お母さんは天使様だと言ったよ」
 子供は少し頬を膨らませながら話した。
「ねえ。おかあさん」
 子供は大きな声で言われたので怒られたと思ったのか。台所にいる母に助けを求めた。
「また、その話ですか」
 自分でも近いのは天使だと思い。そう話した。
だが、どのように答えて言いか解らず目線で母に助けを求めた。
「男の子だからでしょうか。それとも、近頃の子供はみんな物語りとしか考えないのですね。夢を見ないのかしら。私が幼い頃に聴いた時は、満月の日か、今日か、明日か、何時かは月から迎えが来ると思って、夜も眠れませんでしたわ」
 少し頬を赤くさせながら話し掛けた。
「お前には話さない積もりだった」
 溜め息を吐き、躊躇いながら話し出した。
「だがねえ。あの時のお前を見ていたら、若い頃のお父さんと同じに消えてしまう様な気がしてね。話をして置けば消える事は無いと思い話したが、急に色気づくし態度も変わり気持ちが悪いと思っていたが、そんな事を考えていたのか」
 今の話を聞いて、若返ったよ。と言いたげに心の底から笑っている様だ。
「おかあさんが天使と言ったのはね。前におかあさんに、ご本を読んでもらった本に天使が出て来たでしょう」
 老婆はこんな事が昔にもあったなと、昔を重ねて、本当に嬉しそうに感じられた。
「うっうんん。出てきた」
 毎日、母に読んで貰って入るのだろう。数が多過ぎて考えて答えているようだ。
「明は大好きな人が要るかなぁ?」
 孫のコロコロ変わる表情を見たい為か分からないが、少しずつ話しかけて、これ以上顔が崩れないかな。そう思う笑顔に思えた。
「いるよ。香織ちゃん」
 名前を言うだけで嬉しいのだろう。笑顔で答えた。
「香織ちゃんに、明ちゃん嫌いだよ。そう言われた事あるかな」
 老婆は返ってくる言葉が、解る様な笑みを浮かべていた。
「んん。言われた」
「謝って、仲良しになりたい。又、一緒に遊びたい。それで、仲なおりしたい。と思って、家に行ったりしたけど会えなかったでしょう。
 だけど、知らないうちに遊んでいて、何で嫌いと言われたか忘れていたはずでしょう。
 それはね。天使が忘れさせて会わせてくれたのよ。おじいさんは、天使と同じ事をしているから、おかあさんは天使と言ったのよ」
 老婆は段差の違う肘掛のテーブルを撫ぜて昔を思い浮かべているのか。ポツリ、ポツリと微笑みを浮かべて、明が頷くのを待ちながら話し始めたり、止めたりをしていた。
 老婆は目を瞑り。孫の為に、祖父の事をもっと詳しく話しを聞かせようと、心が昔に戻っているように感じられた。
 老婆の孫は、老婆の顔の表情で話を聞く前から心が躍っていた。
 孫は、老婆の目が開くのを待っている。孫が老婆の心に入る。又は、心が見える事が出来たならば、次の様に感じられた事だろう。

 第二章
それは、満月では無いが、満月の時のような月明かりを地表に照らし、照らされた在る場所はまるで、鏡の床に黒い絨毯を敷き、神々の使いの大男が、腕を広げて大地に命の光を与えているように見える。それは、ただの細い農道に、綺麗に水を張っている田んぼに、休憩場所として残されたであろう。大松の事だった。自然の悪戯だろうが、田んぼに当たる月明かりが、一本の大松にだけに照らされていた。人々は不思議な松を見て、子供達に夢物語として話し聞かせていた。
「昔は、此処に位の高い人の屋敷があったのよ。その松は庭の飾りの一つだったの」
 親は、自然の悪戯とは言えずに、自分の親から聞かされた夢物語を、そのまま語り聞かせた。人々の中には屋敷が在ったと思い調べた者も居たが、何も出る事がなく自然の悪戯だろう。そう結論をだした。その大松に、先程までは誰も居なかった筈なのに、雲が月を隠している間に、大松の下に人が現れたのか。それとも始めから居たのか。この光景を見た者が居たら、神々の他に居ないだろうが、この男の為に何も出来ない代わりに、せめて足下だけでも照らして上げようと、仕掛けが出来たと思うだろう。それとも、此方に向かって来る女性の為だろうか。
「ゆ」
 女性は何気無く松を見て、在りえない者でも見たのか。目を擦っていた。
「ゆ、幽霊」
 瞬時に声を吐き、精神の安定を考えた。 
「始めから大松の所に居たのよ。そうよ。よっ、酔っ払いよ。この松の場所は明るいし、綺麗だから酔いを醒ましているのよ」
 この場所から逃げようとしたが、女性の家は松の木を通り、この一本道の先に在った。
「聞いた話によると、幽霊には声を掛けられたら返事はしてはいけない。見えたとしても、見えて無いようにすれば消えてくれる。気のせいよ。見たら居るかも知れない。居るかも知れないが、見なければ気のせいで済む。もし幽霊なら話さない。否、酔っ払いよ」
 知らない間に声が出ていた。
 頭の中では、呪文のように同じ事を考えていた。本人は声が出ている事に気が付いていない。走って逃げれば良いだろうと思うだろうが、運悪く松の木の前で転ぶ事を考えると走れなく、早歩きをしていた。
 幽霊と勘違いされた者は、変わった服装をしている。それはシーツを半分に折り。折った所から首を出せる分だけ切り。袖は腕の太さで切り、袖口を紐状に切り結ぶだけ。胴は余った布を巻きつけて紐で結ぶだけだ。良く言えば、何処かの民族衣装と言える身なりだが、髪と髭が全てを台無しにしていた。
 男は何日も。いや一月は体の汚れを落としていない様な感じに見えた。髪はともかくとしても。髭は濃くなく、伸びていても女性顔と判る顔立ちをしていた。剃っていれば自分の美意識の趣味の服か、役者の民族衣装を着替えずに着ていると思えるだろう。
 その男は月を見て泣いていた。
 幽霊に勘違いされた者は、心は楽しかった日々に置き忘れ。体は人形のように、此れから先は時が進まない。いや進みたくないと考えて泣いているようだ。
 月が雲に隠れると同時に微風が吹いた。
「春奈さん」
 男の頬に微風が触れ、呟いた。
 微風に在る人の心が運ばれ、手の平に乗っている鈴に乗り移ったように、手の平から落ちた。「昔の事は忘れて前に進みなさい」
と、伝えるように感じられた。
「お守りが」
 地面に落ちる寸前に、男は鈴を取ろうと動いた。その時、女性が松を横切ろうとした時と、同時だった。
「キャアー、来ないでー」
 女性は声と同じに蹴りが、その蹴りが、男の下腹に入ると、女性の方に倒れた。又殴り、蹴りを何回か繰り返した時、男は仰向けに倒れ、女性は正気を取り戻した。
「人だったの。白い服を着ているからてっきり、幽霊と勘違いしたのね」
 女性は言葉が返って来ない事に思い当たり、途中で喋るのを止めた。幽霊には殴る蹴るをしても良いのか。幽霊に祟られる。そう思わないようだ。状況が男性の場合なら、幽霊には必ず祟られ、本当に女性を殴ったとしたら問題が発生する。だが、女性なら限度は有るが、幽霊と思いましたの。済みませんでした。と、丁寧な態度で謝れば済む。そう考える女性なのかは、顔色で判断が出来た。この女性は間違いなく済むと判断する人間だ。
「ねえ。大丈夫よね」
 女性は取り返しの付かない事をした。やっと、顔色を変えた。様子を見ようと男の方に足を向けた時に、陶器の鈴を踏んだ。
「キャアー」
音に驚き悲鳴と足を上げた。
足下に気持ちが行き、男の事を完全に忘れ、足下には陶器の破片があり。元の形は解らない。陶器の破片を無造作に一つ取り上げて見ると、破片の下から白い紙が現れ、紙を手に取る。男は気が付いてもいい位の音が響いたが、目を覚まさない。死んでいるのだろうか。女性は男の事は忘れて、白い紙に意識を向ける。白い紙には、今書かれたような艶があり。古文で書かれていた。
「月神様よ。この輪が正しい道を進めるように足下を照らして下さい。私が代わりに祈ります」
 それは、近くの神社のお守りに書かれる見慣れた文字だ。輪と書かれた所を、自分の名前や子供の名前に置き換えて使われている。女性は文字を暫く見つめ、幼い頃を思い出したのだろう。そして、文に、輪の文字が書かれていたから思い出したのか。男に視線を向けた。
「あら、小指に赤い糸、今の流行かしら」
女性は男の容態よりも、小指に関心を向け触ろうとしたが止めて、指先から順に身体を見詰めた。怪我の容態を診ていると思える。
「靴は履いて無いわね。服は白だから、死に装束として丁度良いわね。木に紐を括り逃げようかしら。もし生きていたら、私がやったと言われ兼ねないわ」
女性は物騒な事を呟き考え込んだ。男の容態を気にせずに、生きていたら止めを刺して逃げる様な感じだ。
「趣味の感覚は別として。背丈に、身体の感じは良いわよね。肝心の顔はボコボコで分からないけど。ちょっと惜しいわね」
自分がボコボコにしたと言うのに、今度は自分の趣味に合うかを考え始めた。
「う、うう」
男が声を上げた。女性の呟きは聞こえて無い筈だが、声を出さなければ止めを刺され兼ねない。と、本能で感じて声が出た感じだ。
「生きている」
 生きていては困る様な驚きだ。
「擦り傷と思うが、ハンカチを濡らして看病の振りをして持ちましょう。
 自分で歩いてもらわないと困るわ。 それに顔と声を確かめなければね」
 ハンカチを出し、田んぼの水で濡らしていた。自分が田んぼの水で顔を洗われたら半殺しにするだろう。他人事だからか、子供がお腹にいる母の様な笑顔を浮べて、顔を見るのが楽しいのか。それとも看病するのが楽しいのかは分からないが、本当に楽しそうだ。 
「流行でも、赤い糸付けるなんて恥ずかしく無いのかしら」
男の小指を見ながら呟いた。
「本当の赤い糸って、右、左かしら。こんな事も分からないから、まだ一人なのよね」
自分の世界に入っていた。濡れたハンカチの雫は、男の顔に掛かっている。
男の容態はかなり悪い診たいだ。顔は可なり腫れているが、雫が掛かれば気が付きそうなのに。頭の打ち所が悪かったのだろうか。
「本当の赤い糸って。私にも有るわよね」
 小指を見ながら溜め息を吐いた。
「まさか、この人って事はないわよね」
男の顔を見詰めて初夜の事が浮かび、顔と耳が赤く目尻も下がり、大声を上げた。
「やだー」
 恥かしさを隠す為に、男の顔を叩いた。
「痛い」
 男は声を上げた。
 少しでも早く意識が気付かないと本当に殺されてしまう。本能で感じたようだ。
「貴女様は」
 男は起き上がろうとしたが、腹部に痛みが走り。又、横になろうとしたが、人の気配が感じて声を上げる。
「大丈夫ですか」
女性は男の背中に腕を回したが、支えきれず、体を寄せた。
「す、みません」
男は痛みで何を言われたか分からず。気に掛けられた事に感謝の声を上げた。今の言葉で人柄を感じて、女性は一瞬笑みを浮かべた。
「もう少し休まれた方が宜しいですわ。顔も冷やした方が宜しいですしね。遠慮なさらず力を抜いて下さって良いのですよ」
女性は背中を支えていた腕をそのままにして後ろに下がり、男の頭を膝に移した。
「うっわ」
男は痛みを感じたのか、それとも後ろに倒されたのが怖いのか分からないが声を上げ、寝てしまった。身体が危機を感じたのか。膝枕が心地良い為なのか。判断出来ないが、ボコボコの寝顔から見ても、膝枕は気持ちが良くて、痛みも和らぐ楽しい夢のはずだ。

 第三章
万華鏡で見たような無数の地球。その回りを回る月は一つしか存在しない。何故かは解かれていないが、月は地球をそのまま小さくしたように植物も動物も同じ生物が存在しているが、住人だけが違っていた。背中には蜉蝣のような羽が有り。小指には糸のような赤い感覚器官が付いている。その羽のような感覚器官で次元を飛び。糸のような感覚器官の導きで連れ合いを捜し、月に連れ帰る。生まれた月でなければ子孫を残せない為に、何故、我々の月だけで子が生まれるのか。住めるのか。その思いは、総ての月人が幼い頃から思い描いていた。その為に月人の興味は連れ合いを探す事。月の歴史を探る事。一番の楽しみは連れ合い探しの旅で体験した物事だ。地球人でもある。連れ合いは、途中で諦めるしかなかった。その夢を趣味として、人生を使い切る事しか考えていない。月は楽園には違いないが、住人は悪魔の如く完全な自己中心的な人々の集まりだった。
「妻が、煎餅を息子に食べさせたいと言い出して。劉さんは、月での第二の人生は最高の菓子を作ると聞いたのですが」
 斎は酒と自分が栽培した花を持ち現れた。
「詳しい話は中で、突然言われるとは、何か有りましたか」
 劉は奥を指し、話しながら歩きだした。
「私の息子が糸の導きに出掛けます」
 斎は旅立ちが悲しいのか。恥ずかしいのか複雑な顔をしていた。
「おお、おめでとう。年が過ぎるのは早いものですね。それで」
 儀礼で答えたが、目には悪戯心を感じた。
「息子は旅行気分で土産の話になりまして、煎餅の土産を持って来たいけど、食べたことがないから持って来られない。そう、泣かれましてねえ。それで、食べさせてやりたい。そう思って来たのですが、作って頂けないでしょうか」
斎は相手の顔色を窺い話し始めるが、物々交換の代わりの要求を考えると声が小さくなった。
月人は最低限の主食の生産、衣服、住居は共同で作られ分配する為に、貨幣制度はなく。趣味で菓子、酒などを作り、欲しい物は物々交換していた。文化水準が低い訳ではない。宇宙の果てまで行けるのは嘘ではなく。その船は有るが、新たな新品の船を造るのには、月人全員の協力があれば造れるのだが、人々は自分の趣味の事だけを考える為に、協力は無理、だが、機械製品の土台は古いが年々性能は増していた。性能が増す理由も、土台が古いのも、月人の連れ合いに依る。その理由は月世界よりも遅れている世界から来た場合は理想郷と思うから良いが、そうで無い場合は改良出来ないか。と、考え性能を向上させていた。
「煎餅ですか。見た事も無い物は作れませんよ。今度の共同作業で知っている人が入るかも知れません。煎餅の話しは、その時に聞いて見ましょう。そうそう、妻が花の事で話し有ると言っていましてね。今呼びますから上がって寛いで下さい」
綺麗に部屋が片付けてあるが、所々に思い出の品と思える物が置いてあり。元は子供の部屋だと感じた。糸の導きの旅に出た家では死んだ者として、少しの思い出の品を残し片付けるのが普通だ。だが、永遠の別れではない。月人は連れ合いを見つけた時、二人は強制的に月に飛ばされる。その時、数日間だけだが、子と新たな家族と暮らす事が出来た。月日が経ち、親が生きているのかと思うだろうが、親は子が旅立ち、一時の再会をするまで死ぬ事がない。子供は別れた時の姿で月に帰り、親を見つけるのに時間が掛かるが、親は直ぐに再会できた。この数日だけ再会できるのか調べは付いていない。様々な理由が考えられていたが、恐らく連れ合いが見つかると、次元を飛ぶ力が増大して月に帰る。又、力が弱まり飛ばされるのだろう。そう考えられていた。
「庭の花を見ても枯れていない様ですね」
その部屋を談話室として使い、客人と自分達の思い出を重ねて空想を楽しむのが普通だったが、斎は娘の事は記憶になく、何を話して良いのかと戸惑っていた時、自分の花が大事にされているのか分かり、声が弾んだ。
「斎様。夫の作った菓子です。冴子さんと輪君の分は包んでおきますから遠慮なさらず。花のお礼ですから食べて下さい」
妻は微笑みを浮べ部屋に入って来た。花の話が出来る事が楽しいのか。それとも夫の菓子を食べた後の顔を見たい為か、それは分からないが、心の底から楽しさが滲み出ていた。
「頂きます。花を見ましたが教える事は無い様です。話が有ると言われましたが」
斎は話が見えなく不安な顔をしたが、菓子を一口食べると、笑みを浮べた。
「美味しいでしょう」
妻は微笑から、満面の笑みを浮かべながら本当に嬉しそうに声を弾ませた。
「はい。美味しいです」
菓子を食べるのに夢中なった。
「内の人。地球では軍人をしていたの。知っていましたかしら。
それも代々の軍人の家系で、料理どころかお茶を淹れた事も無かったのですよ」
 妻は目が虚ろになり、話をしている。と言うよりも、昔を思い出の場面にいるようだ。
「軍では誰でも食事を作る。私も食事を作っていた」
 劉は自分の人格が疑われたと思い、立ち上がり怒鳴り声を上げた。
「あれは、食べられると言う物です。料理とは言えません。そうよね」
 妻も立ち上がり、口調は先程と変わらずに目で訴えていた。
「お前の言う通りだ。分かった話を続けろ」
 劉は疲れたように椅子に腰掛けた。
「菓子を本格的に作り始めたのは、月に来てからなのですよ。それも、料理を始めた理由が、地球で孫が作った菓子を食べて、孫が私に始めて笑い掛けたと言って。私に言いに来ましてね。私も詳しい事は知らないのですが急に料理を始めましてね。あっ、もちん血は繋がっていないのですよ。養子を貰っての子ですから」
 妻は、夫に口を手の甲で急に塞がれ、不思議な顔をした。
「私が話す」
 劉は疲れた顔をして声を上げた。
妻は夫の言葉で頬を膨らせた。
「私達が言いたいのは、月に来て歳も若返り、本当の第二の人生が出来て嬉しくないのですか。義務と言っても最低の衣食住ですよ。  
 我々が必要な分を作るだけ。贅沢品は趣味で誰かが作っている。欲しければ物々交換か情報で交換すれば良い。斎さん見たいに、第二の人生でも同じ事をする人は稀です。青いバラを作りたいと言っていたはず。他の方々も自然交配で作りたいのだろうと思って、皆は何も言わないのですよ。もし、人為的に作るというのなら、月人の文化は次元宇宙一のようです。私の世界は此処より遅れていたから解りませんが、宇宙の果てまで行ける科学力が有ると、皆も思っているはず。科学という力で探して見てはどうですか。他の地球や他の星では青いバラが咲いているかも知れません。調べて見てはどうです。
 私は最高の菓子を作ると言ったのは、自分が菓子を食べたいから作っている。作るのも楽しい。食べたい者には食べて頂く。食べたくない者に食べられる物を作る事はしない。交換しなくても良いが相手が気にする。だから、物々交換する。他の皆も私と同じはず。自分の遣りたい事だけを遣る。皆も夢が叶ったと言っているはずだ。貴方も自分の遣りたい事を遣れば良い。子は何時帰るか分からず。子の為に何も出来ない。自分の名を残そうと思っても何も残せない。空き家を見れば分かるはずです。使われていたまま、誰も手を付けず土に返るだけだ。
 斎さんも皆と同じく、冴子さんに振り回せながらも、趣味だけに生きたら良いのに」
 劉は話が途中のようだが止め、微笑みを浮かべた。この人は変わらない。趣味より振り回されるのが楽しいのだろう。そう思い。自分の作った菓子を食べ始めた。
「お前が言いたいと思っていた事は、言ったと思うが、他に言い足りない事は有るかな」
 劉は妻に顔を向け訊ねた。
「他には言う事は無いわ。私は聞きたい事が有りますの。冴子さんが何か始めたと聞きましたわ。家にこもって何をしているの。今度はどんな楽しい事を始めたの」
目を輝かせて問い掛けた。
「煎餅作りです。輪とは、これが最後ですから真剣に考えています」
斎は、懐中時計を見ながら答えた。
「冴子さんに言いなさい。此れから皆に尋ねて、取り掛かるから。と」
劉は溜め息を吐き、疲れたように肩を落とし答えた。
「ありがとう。冴子に伝えます。失礼と思いますが、陳さんに、酒のお返しに新しい徳利が欲しいと言われていまして、此れで帰ります。
煎餅の事はお願いします。失礼します」
斎は話しながら椅子から立ち上がり、頭を下げて帰ろうとしたが、菓子を忘れた事に気が付き、思い出したように菓子を取り上げた。
「劉さん菓子頂きます。英美さん新しい花を作りましたら持ってきますから」
 斎は疲れが取れたように笑みを浮かべた。話が付いたからか。それとも家族が菓子を食べる時の顔を思う為かは分からないが、家に帰るのが楽しみに感じられた。
「時計や車を使うのは斎さん位だろうに、さて、私も出掛けるか。英美も来るか」
 劉は楽しそうに笑っていた。
「はい」
 英美も劉の顔を見て気持ちが伝わったようだ。答えはしたが、心は此処に無いようだ。
「劉さんも同じでしたよ。この部屋を見て壁は写真で埋まっていますよ。この場所には歩いて行ったかしらねえ」
 恥かしいそうに名前を呼び。劉の顔色を見ると、笑いを堪えるような話し方をした。
「そうだったな。車は我が家にも有ったな。さて、車は動くかな」
「劉さん。車が動かなくなった時の事憶えています。劉さんは時間や景色の話で、私の顔をほとんど見ませんでしたよ。車が壊れて初めて、私の顔を見ましたよね。時間が掛かった方が良いものが見られるかも知れませんよ。時間は有るのですからゆっくりと。それでは、私はお茶でも入れますわね」
 二人は話しを止め。昔を思い浮かべた
 英美は椅子から立ち上がろうとしたら、劉は手をつかんだ。
「お茶はいいから。窓を拭いてくれないか」
 二人は同じく立ち上がり。出かける用事を忘れているようだ、昔の思いを話しながら部屋を出て行った。

 第四章
男は数日後で二十歳になる。その日が来れば糸の導きの旅に出る事になる。そうなれば親とも生まれた月にも帰れなくなる。それなのに今まで育った月での想いを心に刻む事ではなく、今まで夢に見ていた世界の女性や話に聞く景色ばかりを思い浮かべ、夢遊病のように常に足が地に付いない状態に見えた。それとも悩みでもあるのだろうか。恐らく、今いる場所も分からないだろう。此処に来られたのも生真面目に、起床、就寝時間から始まり訓練所の行き帰りのまでの歩数に、扉の開け閉めまで数十年間一秒も狂い無く生活をしてきたお蔭で来られたようだ。
「他世界に入ると、運命の人が居ようと居まいと、その者がその世界に入る事で時間世界の均等が崩し、起こした事により、他世界での滞在の年月が違う」
 託児所のような騒がしい教室の中で、講師は資料をめくりながら話しをしていたが、その資料は話す内容と違っていた。
「ねえ、武叔父さん。お爺ちゃんになるまで、その世界に居る時があるの」
「先生と言いなさい。これから話すから」
 講師は呼び方よりも、話しを聞いていた事に驚いたように感じられた。
 今居る訓練所の講師は、施設を使用する者が教える規則になっていた。教えると言っても生徒の年齢が十九歳までと決まっているだけで、子守と監視と言っていいだろう。
「他世界入ると、人々と同じく歳を取り外見も同じように老けるが、子供を残すまでは死ぬ事は無い。世界の均等の修復を終われば別の世界に飛ばされて、二十歳又は、その世界の適用できる年齢に戻るが、運命の人が見付かるまで、永久に他世界の移動を続けなければならない」
 今も講師は資料をめくりながら話しをしていたが、資料に興味深い事でも見つけたのだろうか。話しが途切れると、「世界の均等の修復」と、教室中に問い掛ける声が響いた。
 講師は驚き資料から目を離して、子供達に視線を向けた。
「その意味か。言い方をかえよう」
 講師は資料を閉じて、ようやく講師らしく話し始めた。
「他世界では虫一匹でも殺せば世界が狂ってしまうが、少しの物事なら自動で修復してくれる。だが、必ずと言って良いだろう。自分で修復しなければならない。これがその意味だ。ついでに言うが、次元世界一の科学力有る月での知識は、身に付けても他世界を狂わす可能性があるから意味がない。まして、月での常識は通じないぞ。何を覚えれば良いかなどないのだ。だから、旅立つまで、好きなように遊び、思い出を作りなさい」
 講師は、男を見た。姿勢正しく椅子に座り、聞き入っているのか、それとも、寝ていると思い。起こそうと声を掛けるが、言葉は返さず。人形のように瞬きもしなかった。その様子を見て、皆は慌てた。病気か。それとも死んでいるのか。訓練所全体で騒ぎ出したが、最低帰宅時間が来ると瞬きを始めた。正気でも、その時間は解らないはずだが立ち上がり歩き出した。
 周りが騒いでいるが、気が付かずと言うよりも、心が訓練所に、いや月にもいると思ってない。操り人形のような行動をしていた。人々はその姿を見て、死人が動いていると感じた。
男が帰宅すると、家の周りでは、心配する者や野次馬が押し掛けていた。二親はその対応に追われて、十数年間初めて夕食が遅れたが、男はその間、苦情を考える訳もなく。人形のように椅子に腰掛けて待っていた。
「ごめんなさいね。直ぐに用意するから」
 家の周りは未だ騒がしいが、冴子一人が笑みを浮かべ家に入って来た。皆から悪戯が大事になり怯えているだろうから、安心させなさい。そう言われたに違いないが、扉を開け息子の顔を見るまでだった。言葉は返らず。息子の顔色を見ながら調理場に向った。調理の音を立てながら泣いていた。
「後、幾日しか無いのよ」
目から一粒の涙が零れ、呟いた。
 この女性は冴子と言い。男の母だった。嗚咽を堪えるような作り笑いで料理を並べたが、息子は表情も変えなかった。
「お父さんは皆と外で話しがあるから、先に食べていてくれって。食べて良いのよ」
 独り言のように呟くと、暫く息子を見詰めていたが、料理が冷めると思ったのか。一人で食べようとした。
「頂きます」
「い、た、だ、き、ま、す」
 今まで声を掛けても反応しなかったが、食事の挨拶を呟くと、機械人形の動力が切れかけた動きと声を上げ、食べ始めた。
「輪。気が付いたのね。もう心配したのよ」
 初めて赤子の顔を見た時のような、微笑を浮かべ訊ねたが、一言も返さず食べ続ける。食べ終えると、又、夢遊病のように風呂に入り寝てしまった。
「何でこんな風になってしまったの。月では病気など無いのに。旅にも行かずに、このまま死んでしまうの」
 悲しみに耐えられないのだろう。独り言のように問いかけた。
「輪。劉さんが、煎餅を持ってきてくれたぞ」
 斎も家に入り。連れ合いの悲しみの表情で、息子が治ってないのが分かった。そして、妻の心を和まそうと言葉をかけた。
「煎餅を食べるのだろう。紅茶を飲むのなら、薬草を取ってこようか」
「あなたが最終日には元に戻る。そう言うから任せたのに、どうするの。明日が最後なのよ」
 立ち上がろうとしたが、声を掛けられ座りなおした。
「すまない」
 息子の容態が変わらないからだろう。夫に対して、完全の八つ当たりである。
「今からでは、明日の料理には間に合わないわ」
 冴子は、酒でも飲んでいたのだろうか、今度は泣き出した。
「私も手伝うからなあ。なあ」
「本当ね。本当なのね。なら、今から用意するわ。あなたは、倉庫から野菜と肉を持ってきて」
 冴子の指示にしたがい、倉庫にある野菜、肉を全て持ってきた。そして、指示にしたがい容器に料理や野菜や肉を刻んだ物を入れていた。
「私の時はねえ。一週間は月での思い出を作ったのよ。ほんとにっもぅー。劉さんの写真を見たでしょう。劉さんなんて一月よ。月世界ではねーもー。菓子だけで終わったら、どー、するのーよー。料理はまだ半分なのに、明日までもー。もおー。ほんとにっもぅー」
 冴子は自分で何を言っているか分からないようだ。たが、斎に当り散らしながらも、料理を作る手は休めないでいた。
斎は妻の後ろ姿を見て、劉が家に来た時の事を思い出していた。
「言いですか。今日一日何が有っても。はいとも、いいえとも言うなよ。ただ、ああと答えていれば、何事も無く終わるはずだから。あっ、息子さんに、これ持って来たから」
 劉は、この世にありえない者を見た思いを思い出したように、青い顔して、此処に居ると命の危険を感じるような話ぶりで、自分が持ってきた物を手渡して、逃げるように帰っていった。
「あのう」
 斎は妻の後ろ姿を見て、料理を作ると言うよりも獣と格闘しているように感じた。
 それで、本当に料理を作っているのか聞こうとしたが途中で止めた。今声を掛けると身の危険を感じたからだ。予感と同時に父の話が思い出され、身体に寒気が走った。
 幼い時に、飼い犬に噛まれた事があった。理由は忘れたが、確か自分が悪かったはずだったが、気持ちが収まらず報復を考えていると、父親に諭された事があった。
「お前に噛み付いた犬が特別危険と言う訳ではない。犬や獣は食べている物を途中で取り上げると、噛み付くのは当たりまえだ」
 あの時の話は、私を説得しているように感じられなかった。噛まれた時も始めに声を掛けたのは犬にだったなぁ。此処で何か声を掛けると、想像できない事が起きる予感がした。私が悪かった事だったが、もしも、誰かにこの事を話して、私の思っている答えが返ってきたら、そう思うと怖かった。それからは、自分に身の危険を感じると思い出すようになった。今回も自分から係わらなければ、心も体も傷が付かない。何事も起きないはず。と、考えていた。
何を言われても、「ああ」と呟くだけでいい。
(劉さんも今の気持ちを味わったのだろうな。これで、煎餅が無かったと考えると怖くなる。劉さんには、心からの御礼をしなければならないな)そう心の中で思った。
「ふっ。はーあ」
 斎は溜め息を漏らした。二親は、昨夜から起きていた。
「おはよう。一緒に食べようと思い待っていたぞ」
 拷問から解放されたような顔をして、冴子に聞こえるように大声を上げた。
 輪は機械人形のように歩き、席に着いた。螺子巻きが切れ掛けたような動きだ。
「朝食の前に、輪に食べさせたい物が有るのよ。美味しいのよ」
 冴子は、斎に接する態度と息子とは、鬼と仏ほど違い、口調は幼い子供に話すようだ。
「・・・・・・」
 輪に物を目の前で見せても、話しを掛けても息をして無いような無表情だった。
「駄目だ、食べよう」
 斎は俯きながら、冴子に話し掛けた後、嗚咽のような声を呟いた。
「頂きます」
と、辛うじて聞き取れる声で、冴子は俯いたまま、涙をボタリ、ボタリと流し。祈る気持ちで、夫と同じ食事の挨拶をしようとしたが、言葉にも声にもならなかった。
「い・た・だ・き・ま・す」
 輪は、食事の挨拶の言葉で反応し、声と体が動き出したが、今まで以上にかすれた声を途切れ途切れに呟いた。機械人形が、もし、死ぬとしたら、この様な声を吐きながらだろうと感じられる。手の動きも止まりながら、口元まで運べると思え無い。そんな動き方だ。そして、役目をかろうじて果たし、手は、口に入れられた食べ物の残りを持ち、動きは止めた。
「パリ、ポリ、カリ、パリ、カリ」
食べ物を口に入れ、舌が味覚を感じた。すると、機械人形が人間になる様な感じに、青白い肌が口元から赤みが広がり始め、食べ物を噛むほどに目の色、微笑みと、人らしくと言うよりも、物が人間になっていく感じがした。
二親は息子が別人の様な片言の挨拶を上げ、煎餅を食べる姿を見ずに頷いていた。
「駄目だった」

「うっうげほ。うっ、うげ、ほげ、ほ」
 斎は一言上げ。冴子は声も出ずに、悲鳴のような嗚咽を漏らした。
二親は輪が死んだと、同じに思い。目を瞑ると、自然と今までに一番嬉しかった事や驚いた事は、息子の事ばかり。夫婦は笑みを同時に浮かべ、それを見ると、心の中で同じ幻影のような夢を見ているように感じられた。
思い出の幻影や夢は段々と遡り、息子の産声の場面で、耳に、息子の大声が聞こえた。
「これが、せんべい」
口に入れた物を全て食べ終わると、全身に赤みが広がり終え、輪は大声を上げた。
その言葉は、二親には産声と感じた。
「生まれた」
と、斎は大声を上げた。夢の中での産声と息子の声とが重なり驚きを感じだ。
「そうよ。美味しいでしょう。劉さんが作ってくれたのよ」
 冴子は夢と現実が分からなくなり。口を開けたまま、何が起きたかを考え、微笑みを浮かべ、息子に返事を返した。
「美味しいよ。美味しいけど、涙が出るほど美味しいかなー」
 輪は首をかしげながら訊ねた。
「お前が」
 斎は、冴子が首を横に振るのを見た。話すなと感じ取り、話を途中で止めた。
「今日で最後よ。好きなら好きなだけ食べなさい」
 冴子が話し掛けた。輪が、今まで二週間の事を憶えているか、輪の顔色で確かめた。
「最後、何が」
 輪は少し考え、首をかしげて聞き返した。
「今日が、糸の導きの日よ」
 冴子は二週間の苦しみと悲しみが、顔に表れ悪魔の様な笑みを浮かべた。
そして、笑いをこらえた。そんな話し方をした。
「今日、な、何で?」
 輪は、母に聞こうとしたが、恐ろしい顔を見て直ぐに、父に顔を向けた。
「ああ」
 斎は、息子に目で訴え掛けられたが、冴子の顔を見て恐怖を感じ、一声を上げて頷いた。
「何も聞かないから普通に戻ってよ。今日が最後なのでしょう。何日かの記憶が無いのは気に掛かるよ。それより、母さんたちの事が心配で旅に集中できないよ。もし、出来るなら、母さんの料理を食べ尽くしたい。多次元の事で参考になる事も聞きたいしねぇ。良いでしょう。母さん」
 輪は、瞳から涙が零れそうな目を母に向けて、くぐもる声で話した
「話は後にして、朝食にしましょう」
 冴子は、輪の話で気分が良くなり、先ほどの顔と比べれば、天使の様な微笑みを浮かべた。
「母さん」
 輪と、斎は同時に言葉を吐いたが、言いたい心の中の気持ちは違っていた。
「二人してどうしたの。汗なんか掻いて、温め直すから、二人で汗を流してきなさい。急がなくても良いからね」
「・・・・・・」
 二人は声を出そうとしたが、冴子は又、先ほどとは違う悪魔の様な笑みを浮かべた。
その為に又、恐怖で冷や汗を掻き、二人は無言で浴槽に向かった。
「味を確かめないとね。濃くはないと思うけど、涙で見えなかったのよねえ。今日の食事を想い出にすると言われたのですから。もしも、隠し味が入っていたらと思うと、確かめないとねえ。だけど、何で汗を掻いていたのかしら。ううむ。私は助かったけど」
 独り言を呟いている時に、浴室から笑い声が聞こえてきた。
「好かった。ホントにっもぅー。味を確かめているのに、又、隠し味が入っちゃう」
 浴室からの声を聞き、嬉涙をポツリ、ポツリと流しながら、独り言を呟いた。
「とん、とん、こと、こと」
 浴槽に、調理をする音が響いてきた。
「輪、調理をする音が聞こえるだろう」
「うん」
「父さんはなぁ。この音が目覚まし時計として起きているのだぞ。ああ、勘違いするなよ。冴子が恐ろしい料理方法ではないぞ。生き物はなぁ。特に人は、熱、音、匂いの三段かで目覚めるのが体に良いのだぞ。太陽熱で冬眠から覚める生き物のように、程よい暖かさと、調理の音は、小鳥の春のさえずりの様な音で耳をくすぐる。料理の匂いは、花々の春の匂いに、羽虫が花に惹かれる様な香りで、嗅覚をくすぐるのだ。これが、理想の目覚め方だ」
 父の話を聞いて、母の料理の音を聞いても同じ様な気持ちにはならなかったが、でも、父の話の通りなら気持ちが良い朝になるだろう。そう感じた。そして、風呂から上がり、朝食は男二人だけで食べえていた。冴子は、息子の為に、昼と夜の料理の為に夢中になっていた。その為だろうか、料理は可なり香辛料の効いた食べ物だった。それで、冴子が立って居た調理場からの甘い匂いには気が付かなかった。男二人は朝食を食べ終えて、お茶を飲みながら話をしていると、今まで一度も話題にしなかった。斎の花畑が見たい。そう言われたからだ。
「どうしてだ」
 斎は尋ねた。視線は途中で息子から、連れ合いに視線を送った。
「別に理由は無いよ。ただ何となく花畑が見たくなっただけ」
 妻に用事が有るか尋ねようとしたが、様子か変だと感じたが、まだ眠いのだろうと思い、何も言わずに連れ出す事にした。
 輪は先に玄関を出て、開いている扉から父を催促するかのように見ていた。
 斎は靴を履き、靴箱の上に有る鍵掛け箱から玄関の鍵を取り、いつもの癖をしていた。
 癖とは鍵を取り出すと、鍵束の輪を右の中指に掛け回して音を立てる。
「シュウ。カチャン。シュウ。カチャン」
 斎は合図を送るように何度も鍵束で音を立てる。そして、何度も母を見る為に振り返り名残惜しそうに扉を閉め、玄関を出た。それほどの興味とは何だろう。そう思うだろうが、それは、無事を祈る。冴子の接吻だった。
 冴子は鍵音に反応する可のように、壊れた時計の針のように、首を父に向けたり、虚空を見たりを繰り返しの仕草をしていた。
「ギイイ。バタン」
 扉が閉まる。その音は合図だったのだろうか、冴子は動き、椅子に座ると、虚空を見詰めていた。その動きは操り人形の糸が切れて、偶然に椅子が有り、座ったと思う動き方だった。
そして、少し時間が経つと、調理場の方から音が聞えてくる、目覚ましのような大きな音。
「チィン。チィン。チィン」
と、音が室内に響いた。冴子は首を左右に振り、音と匂いの元に向かった。
「あれ、パンが出来ているわ。何でかしらねぇ。え~と」
 冴子は、目を大きく開けた。今起きたのだろうか、それとも、パンに驚いているのだろうか。そして、少し考えていたが、匂いに負けて考えるのを止めた。
「わあー。いい匂い。朝食の時よくあるのよね。食べたい物が出来上がっているのって、お父さんよね。私の分まで料理作ったの。まあー、そこが良いのよねー、えへへ。本当に優しい人、明日から二人きりになるわねー。ぐっ、えへへ」
朝食の後片付けをしながら、二人が聞いたら腰を抜かすような言葉を吐き、これ以上ないほど顔を崩し、涎まで垂らしていた。自分の妄想で恥かしい気持ちを隠す為に、食卓を叩き皿が落ち割れるまで、夢を見ていた。
「今日は何の紅茶にしましょう」
 食欲に意識が行き、周りが見えていないようだ。自分が壊した皿などを器用に避け、朝食の用意を始めた。
 もし、家の周りに集まった野次馬が、冴子の独り言や朝の出来事を前から見ている者が要れば、あの輪の行動が月人全員に広まる事は無かっただろう。ただ、「親子だね。」と笑い話で終わっていただろう。
 その頃、父と子は、花に水や花の手入れをしていた。斎に言わせると作業ではなく、子育てをしている。と、真剣な顔で話すだろう。
(何があったか、聞いてみるか)
 朝の入浴で絆が深まったと思ったのだろうか、心の中で思案していた。
「休憩にしょう。お前の下に有る薬草を摘みなさい。紅茶に入れるから」
 斎は水撒きを途中で止めて話を掛けた。
「お父さん。これで良いの?」
 斎の目線に入らないはず。だが、全ての花や薬草が何所に有るか解るかのように、的確に指示を出した。
「そうだ。十枚ほど取りなさい」
小さな物置を兼ねる小屋から、手招きをして輪を呼んだ。
「ここ数日、何か考え事をしていなかったか、純粋な月人では無いが答える事は出来ると思うぞ。悩み事を言ってごらん」
 息子を椅子に座らせると、薬草を洗いながら話を掛けた。
「悩み、悩みねえ。うっ、ううっう」
 父が真剣な顔で話すので、考えこんだ。
「悩みと言う、悩みはないよ。如何してもと言うなら、父さん達が煎餅を食べたいと言った事位かなあ。どの様な食べ物なのか考えていたよ。それ位かな」
 輪の記憶の中では昨日の事でしかない為に不思議そうに呟くしかなかった。
「えっ」
 輪の数日の行動を見れば、誰でも世ほどの事が有ったと思うだろう。それで、斎は、息子に訊ねたが、帰ってきた言葉が予想と違い驚きの声を上げた。
「母さんがね。旅に出掛ければ一生会えなくなるが、連れ合いが見付かると、月の導きで一度だけ月で会える。その時に、土産物は煎餅が良いなぁって、お父さんも食べたいと言ったから、どれほど美味しい物なのかなぁーって、少し考えていた。それだけ」
 輪の記憶の中では、一昨日の事だ。親が忘れて要る事で大声を出すが、話の最後は済まなそうに、頭を下げ途中で話を止めた。
「どうした」
 済まなそうな顔をして聞いていたが、突然言葉が切れて。又、病気が始まったと思ったのだろう。席を立ち息子の元に行こうとしたが、声が聞こえ肩を落とした。
「父さん。母さん楽しみにしているけど、お土産物は月に持ってこれ無いって」
「そんな事を誰が言った」
 斎は掴み掛かる勢いで声を上げた。
 息子の話を聞くと、月人の中でも問題の家族だった。その家族は他人の話を全く聞かない。それでも、人とは付き合わずにひっそりと暮らすなら問題がないのだが、そうではなかった。何かの事件があると必ず原因は、その家族なのだった。関わらなければ済む。そう思うだろうが、口が達者と言うか、暇があれば話をするのだ。それも、三人家族の全てが、知識があるから問題だった。

知識でも、噂話でも、会話では誰も言い負かす事が出来ない。一言、言葉を掛けると百は言葉が返ってくるのだった。そのような家族と話をして、息子が自殺しなかったのが安心だったが、自我が崩壊するほど、言葉を掛けられて夢遊病になったと分かったのだった。
「息子よ。安心していいぞ。煎餅は持ってこられる。勿論、時の流れが違うと言っても腐る事も、消えることはない。それは、髪が伸びたり縮む事はないし、着ている服がぼろぼろになったりしないと同じだ。それに、煎餅が無い世界もあるだろう。その地で煎餅の話題や作り方を教えれば確かに時の流れは変わるだろう。だが、輪が、その世界に入るだけで世界は変わってしまうのは分かるな。それを修正しないと他の世界に行く事が出来ないのだぞ。何か問題があれば修正すればいいのだ。難しく考えるな。ああ、あの親子の口癖も合ったな。確か、他世界では、ある人物が王の世界と、死んでいる世界が在る。そして、自分から世界を変えようとして入ると、殺そうと思う人物は死んでいるか、存在していない世界に入るはず。だから、何をやっても世界は変わらない。また、何かを作ろうと行動しても、全てが先に起こり。何も出来ないはず、連れ合いを探す旅は、その世界を、自分の思う世界に変える世界だ。例えば、煎餅職人になれる世界。または、自分がある物を壊したい。ある動物を殺して食べたい。そのような世界が存在するはず。だから、その世界を探しだすまで、他世界を飛び続けるはず。
 それに、飛ぶ理由も言っていたな。十個だけ入る所に、一つが入る事で狂う。その一つと言うのが、輪の事だ。自分が思う世界ならば、そのまま居られて連れ合いとも会える。何故、別の世界に飛ぶのか。それは、謝って世界に来た為に、自分が来る前の状態に戻さなければ成らない。
自分が、この世界に必要で無い者にする為、いや、自分で、その世界を壊して飛べるようにしている。そうとも、言っていたな」
「お父さんの話を聞いて考えていたら、頭が痛くなってきて、ああっ思い出すのも嫌だ。       
 土産物を持って来られるのは分かったから、何を言われても気にしない。もう言いでしょう」
 涙を浮かべ、嗚咽を吐きながら叫んだ。
「分かった。母さんの所に行こうか」
 斎は食器を小さい台所に入れると、輪の肩を叩きながら声を掛けた。
「いくぞ」
 輪は気持ちが落ち着くと歩き出した。そして、家に近づくと想像も出来ない。物凄い音が聞こえ、走って家に向かった。
「どがが、がんがん、どどどっ、がご」
 家に居る冴子は、野菜と肉とで格闘しているように感じられた。見ようによれば手際の良い料理人に見えなくも無いが、包丁の音が外まで聞こえ、音に殺気が感じられた。
「怖い。母さんって、こんなに怖い顔をする人だったのお父さん。あの肉、人間の肉だと言われれば冗談でも。誰でも信じると思よ」
 輪は驚き、父に囁いた。
 親子は玄関の扉を開けようとしたが、家の中から殺気を感じ取り、外から中の様子を窺った。
「あのねえ、お父さん。お母さんの様子を見たら友達の話を思い出したのだけど、糸の導きの旅って嘘で、門を通る人を食べているって話は嘘だよね」
 輪は青い顔をして、父の返事を待ったが返らないのは本当の事なのかと思い。身体の震えが止まらなくなった。
「自分の子供を食べる親がいるはずがないだろう。何を考えている?」
 斎は顔を真っ赤にして声を吐き出した。
「何をしているの」 
 斎は何も考えずに大声を吐き出したが、妻の声で最後まで話す事は出来なかった。
「他人の肉なら」
 血が付いたままの母の微笑や前掛けの血を見て、父に問いかけようとしたが、先ほどよりも恐ろしくなり、言葉を飲み込んだ。
「パンが焼けているわ。入りなさい。あっそうだ。家散らかっているから外で食べましょう。父さん用意してね。そうそう、夕飯も門の前だから食べ終わったら持って行ってね。お願いね」
 冴子は、料理の準備が一段落したからだろうか、嬉しそうに言葉を掛けてきた。
「はい」
 父と子は女性と違い血が怖いのか。それとも、冴子の顔は作り笑いと感じたのだろうか、青い顔をして頷く事しか出来なかった。
「今日のパンは果物を入れてみたの。美味しいでしょう。沢山あるからお替りしてね」
 冴子は優しい声音で話し掛けたが、料理を作る手は休めず、振り向きもしなかった。
 父と子は調理の音に恐怖を感じて、逃げるように食事を済まし、夕食の準備に行くと告げ、車に乗り込んだ。
「お父さん。お母さんは真剣な顔をして、何を作っていたのかなあ」
 車の運転の緊張をほぐすのは、普段は母の役目だが、母のように話し掛けたが安心させる事が出来ない。それでも話し続ける。斎は聞こえていたが、自分でも何を作っているか分からない。それに息子が言いたい事は、あの場面を思い出してくれ。そして本当に人の肉を使って無いと答えてくれ。そう言って欲しいのだろう。だが、息子に人肉の事は忘れろ。と、話すと又、あの時の妻の顔を思い出す。その顔だけは二度と思い出したくなかった。
「お父さん。お母さん食べられる物を作っているよね。何でこんな事を思ったかと言うとねえ。訓練所で噂になっているよ。月人の若さの秘訣は人肉を食べているって、そう言うのだよ」
「・・・・・・・」
 息子には悪いが、運転に集中して気が付かない事にした。
 父と子の行き先は旅立ちの門と言われている所だ。砂浜に近くて波の音が届く松林の中に在る。昼間は見付かり難いが、日が隠れて松林の中に入ると、月の光が門に反射するのが見える。その光を辿れば直ぐに分かった。門を中心に半径百メートルは草木も生えてない。清掃など勿論していないのだが、新築のような綺麗な所と言うよりも。作られた時から時間が止まっていると思える感じだ。人々は門の用途も何時造られた物なのか解らない為に、七不思議の一つとされている。
そして、人々は親しみ込めて様々な名称で呼ばれていた。多く使われている名称は旅立ちの門と言われていた。月には何ヶ所も次元の歪みが在るが、ここだけが次元の歪みが緩く子供の遠ざかる姿が見える事から、安心して見送る事が出来るからだろう。わざわざ門で過ごすと考えたのは、冴子の気まぐれで始まったのではない。月人なら当然の行事だった。誰が始めたのか定かではないが、稀に子供が旅を嫌がり逃げ隠れする者がいた為に始まったのだろうが、二十歳を過ぎて月には居られない。門以外の場所で時間が来ると一瞬に消える為に、旅に出たと言うよりもこの世から消えた様に思える。その為に、監視ではないが、最後の日には門の近くで家族と思い出を作り、子供を旅に送り出すのが普通だった。
「輪、着いたぞ」
 寝ている我が子の肩を叩いた。
「ううう、んんん」
 呻き声を上げると辺りを見回した。何時の間にか寝ていた事に気が付いたようだ。
「早く荷物を降ろして、母さんを向かいに行くぞ。早く手伝え。ほら早く」
 息子が又寝ると思い。荷物を運びながら言葉を掛け続けた。
「おーい。帰るぞー」
 息子が荷物を解いていたが声を掛けた。
「このままで言いの」
 荷物を指差して声を上げた。 
「大丈夫だから来なさい」
 二人は車に乗り家路に向かうが、息子は行きで話し掛けても返事が返らないからだろう。直ぐに寝息を立てていた。斎はこの周囲には月人がいないと分かっている筈だが、周囲を見すぎると思うほど見回し、カチカチに緊張しながら運転をしていた。怒りを覚える息子の話しでも緊張が解れていたのを気が付いていなかった。
「信号は有った方が良いなあ」
 突然呟き。ふっと考えが過ぎった。
(妻は景色が見えないから、馬車と同じ速度で走って欲しい。何か興味の惹く物があると止まってと言い出すが、今思うと危険と思う所では理由を付けて止まるように考えてくれたのだろうなあ。そう言えば、妻と乗る時より速度を出しているかぁ)
 速度計を見て、心で思った事が正しいと感じた。そして有る事を、妻に話さなければと考えている内に、家に着いていた。
「玄関に有る物は積んだが、他にないのか」
 斎は息子を寝かせたまま。玄関に積み上げた荷物を車に積み終わると、妻に聞こえるように大声を上げた。その頃の冴子は、用意が終わったらしく、身だしなみを整えていた。野菜や肉などの切り分けの時に汚れた為か、それとも、輪の記憶に残る最後の日の思い出に残るように、念入りに化粧をしていた。
「他にはないわよー」
 声を上げて直ぐに、やけに服装を気にしながら玄関に現れた。幼い時に息子が好きだと言った服なのだろう。月人は子供が旅に出なければ年を取らないが、体型は変わるからだろうか、複雑な表情からは、恥かしいのか怒りなのか、判断は出来なかった。
「あのさぁ」
 普段の斎は、運転すると無口なのだが、今は妻が車に乗るのを待っていたように感じられた。
「交通法規を作る事に協力して欲しい。せめて信号機だけでも良いから」 
 妻は景色を見続けて興味を示さないが、話を続けた。
「欲しいのなら話はしますよ。だけど、九割の人は要らないと言うわ。人口九十万人の内で車を動かしているのって、私達だけよ。誓っても良いわ。確かに、人口の半分は車を持っているわ。だけど自動制御よ。考えてみて、此処に来る前は車も見た事のない人がいるのよ。それに誰が教えるの。他の人の事を考えた事ある。あなたが月に来た時、自然が溢れて懐かしい。いや理想の世界だって言ったけど、逆にあなた達の思う未来世界だったら、そして全てを覚えろと言われたら出来ます。その人が、月に来て始めて鉄を見た人だったら、考えてみて」
 話しの途中とも思えたが、冴子は話しを止めた。門に着いたからなのか、斎の考えに呆れて止めたのだろうか。車から降りようともせずに、暫く車の中は沈黙が続いた。輪はこの雰囲気に嫌気を感じて、父と母に視線を向けた。父は俯いたまま気が付かないが、母に向けると、言葉を掛けてくれた。
「輪、火を熾せる。旅に出れば必要だから熾せないのなら、お父さんに聞きなさい」
 視線を感じると、微笑を浮かべ囁いた。

父と子は微笑を浮かべて頷くと、それぞれ、分担して食事の準備を始めた。火を熾すと、冴子は簡単な料理から作り始め。真っ先に息子に勧めた。
「お母さん。ただ肉を焼くだけなのに、外で食べると美味しいねえ」
 輪は空腹の時は考え無かったが満ち足りると、旅立ちの不安が膨れ上がってきた。
「どうした」
 先ほどまで、この世にこれほどの幸せがないと思える笑顔を浮かべていたが、笑みが消えた為に声を掛けた。
 親に気遣う息子を見て、自分の顔か、態度が怖いのかと考えた。二親は同じ事を考えていたのだろう。同時に連れ合いの顔を見たが、言葉に出さずに微笑を返した。
(私達は悪くはない、息子の性格だろう)
と、心の中で思い合った。
 輪は誰にも言った事は無いが、その微笑が怖いと思う。特に目と目を見つめ合い微笑みを返し合って頷く事が、何か良からぬ策略があって、微笑を浮かべ、背中には刃物を隠し持っている。もし、目線を逸らしたら襲い掛かり食べられるのではないか。旅立ちは嘘で、私を食べる罠ではないか。そう考えてしまう。
「明日から何を食べれば良いのか。そう思うと心配になって」
 輪は恐怖を感じた事は言わずに、別に考えていた事を口にした。
「空腹を感じるが、月人は子が生まれて旅立つまで死ぬ事は無いが、食べたくなれば狩りをしてでも食べなさい。私も肉や魚の捌き方は糸の導きの旅で覚えたのよ」
(それで料理を作る様子は、格闘をしているような調理方法なのかな)と、心に思う事は口に出さずに違う事を言った。
「生き物を殺す事はいけない事だって」 
 母のとろい語り口が終わったと思い、声を出して問うた。
「私もその事で悩んで、悩んで旅をしていたけど、在る人に言われて止めたの。輪も旅をすれば分かるわ。一つ良い事を教えるわね。生き物に遭って判断出来ない時は、導きの糸で傷を付けなさい。傷を付けられない生き物は、助かりそうも無いと思っても助けるようにしなさい。輪が来た為に怪我をしたのだからねえ。その逆は分かるわねえ。あれこれ考えるのは止めて連れ合いの事だけを考えなさい」         
 母の語り口調は同じだが、微笑に恐怖を感じ、一言だけ声を出した。
「はい」
 家族は、輪が数時間後に旅に出る事を忘れているのか。普段と同じに接していた。父と子は食事を残すと、冴子が怒るので犬のように食べ続ける。それとは反対に、母は「美味しい、美味しい」と、ゆっくりと味わって食べるのが普段の様子だった。そして、斎が食事から酒に替わる頃に、輪が部屋に戻るのが普通だった。今も、そう思っているような様子だ。    
 今までならこれで一日が終わるが、最後の日だからか、父から酒を勧められて、始めて父と飲み交わしていた。
「輪。その位で止めなさい」
 母に言われて飲み物を替えた。残された時間は、昔の想い出の話しで過ぎていった。
「行って来るね。お土産持ってくるから」
 輪が話し出すと同時に、母は息子に視線を向けた。母も月人だから時間が分かるのだろう。斎は一瞬意味が解らず考えた。そして、月では斎だけしか使用しない腕時計を見て、嗚咽を吐くような声を上げた。
「時間が来たのか」
 輪は席を立ち上がると脇目もふらずに門に向った。二親はその後ろ姿を見て頼もしく思ったが、駄々をこねるように何度も振り返って、別れを悲しんで欲しかった。一歩、二歩と門に入る。このまま振り向きもせずに行ってしまうのか。心は此処には無いのだろう。千鳥足だが確かな足取りを見て我慢出来なくなり、声を掛けようとした時、輪は振り向き笑顔で大声を上げた。
「お土産楽しみにしていてね」
 先ほど飲みながらの話を聞き気持ちが吹っ切れたのだろう。旅に行く事が楽しくて、楽しくて、これほどの楽しみがない。そう思う笑顔を浮かべた。
 輪は二親に別れの笑みを送った後、門の形に切り取った様な、月明かりも射さない夜の闇より暗い通路を千鳥足で歩いている。
 親の温かい心遣いが、気づいて無い事が良く解る。酒の力が無ければ門に入る事が出来なかっただろう。良くても手探りで歩いていたはずだ。輪はとても闇の中とは思えない歩き方をしている。目は開いているが白昼夢を見ている感じだ。多分、連れ合いに出会った夢か。月女神が、輪を渡り安い様に手を引いてくれる夢か、その、どちらかだろう。まるで、幼い子を寝かせる為に物語を聞かせ、夢を観させて寝かせるようだ。それで、酒を飲ませたのだろう。程よい酒の力と、楽しい旅だけを考えさせる為に、その様子を、二親は光も届かない門を見続けた。まるで、水と油の様にはっきりと、暗闇から輪の姿を現していた。一歩、歩くごとに小さくなる。その姿を闇が渦を巻いて消えるまで見送り続けた。

 第五章
「・・・さん」
 囁くような声で聞き取れなかったが、笑みと口調から女性の名前と感じたのだろう。
「信じられない。膝枕をして上げているのに他の女性の夢の代理に使うなんて」
 女性は、自分が原因だと言うのに怒り声を上げ、膝の上の輪の頭を肘鉄でどかし、地面に叩き落とした。
「ううううっうう」
 目を覚ましたが、全身の痛みで一瞬息を止めた。何が起きたのか分からないが、痛みで声も出せないでいると、綺麗な手ふきが近づき顔に触れた。痛みと冷たさを感じると、同時に声が聞えてきた。
「大丈夫ですか」
 女性は声が聞えると誤魔化す事に決めたようだ。今にも泣き出しそうな顔。手は振るえ、身体全体が心配していますよと変貌し、瞳を潤ませ、搾り出したような声を上げた。
「何が有りましたの」
 女性は又変貌した。恥かしそうに首を少し横に傾けながら笑みを浮かべ、少女が異性と始めて話をするような声色で話を掛けた。
「私にも分からないのです。何故、身体中が痛み、寝ていたのか」
 輪は、女性の笑顔を見詰めた。笑顔は妖艶とも天使ともいえる笑みで、均整のとれている身体は言う事はなく。歳を問わずに男性総ての心を捕らえるだろう。勿論、輪も目を逸らす事も、他の事を考える事も出来なかった。
「此処に連れて来られたと言う事ですか」
 大げさに驚き回りを見渡した。
「そう言う事では無いのですが」
 段々と記憶が蘇ってくる。真っ先に思い出されたのは肉体の感覚だった。官能的な暖かさに、柔らかさ。まさか、目の前の女性に触れていたのか。顔が火照りだして、恥かしいような、済まないような気持ちになり。目線を合わせられなくなった。
「この近くに用事があるのですか。近くには私の家しかありませんよ」
 演技ではなく。眉まで寄せ首を傾げた。育ちは良いみたいだが、お頭が弱い。そうなのかしらねえ。それともいかがわしい事でも考えて、誤魔化しているのかしら。
 女性は顔色を変えずに考えを巡らした。
「私は在る人を探して旅をしています。此処には来たくて着た訳で無く。あっ攫われて来た訳では在りませんから。何て言えば良いのか、探している人が」
 二人が話していると、女性の家の方から車の光が見えた。輪は話を途中で止めて、女性と車を交互に見詰めた。
 女性は眉をしかめている。誰が来るのか知っているらしいが、顔色から判断すると来て欲しくない人らしい。これから何が起きるか時の流れに任せるしかない。今まで何回も時を飛んでいるのだから)そう、思案すると、車の光を見続けた。
「今から来る車ね。私の父だと思うから、もし父に何かを聞かれたら、「人を捜して旅をしています」後は、言い訳みたいに言わなくて良いわよ。それ以上何か言うと、私も貴方も困る事になると思うわ。お願いね」
「はい」
 女性の話しを聞いている内に、女性の顔が料理を作る血の付いた母の顔と重なり、恐怖を感じて言い返す事が出来なかった。
 女性の話が終わると、何も話さず車が来るのを見続けた。
「又なのか」
 月の光に照らされた。松の木と二人の姿を見付け、運転する男は呟いた。
 二人の指の数を全部数える事が無く、車が着いたが直ぐには下りて来なかった。車の光が消えると同時に男が降りて来た。その男は六十歳位で不機嫌そうな顔している。この時間なのに堅苦しい服装で、服装の乱れもない。輪の経験だと軍人だと感じた。この手の人には何を言っても話しが噛み合うはずが無い。先ほどの女性の話に納得して、父が何を話しても、女性の話の流れに任せる事にした。
「骨には異常は無い。傷は有るようだが大丈夫だろう。打撲だけだな。起きられるか」
 父は地面に寝ている輪の元に着て、体を調べ終わると、冷たい視線を娘に向けた。
「・・・・・・」
 娘は一瞬の間を措き、頷いた。
「君。この時間では泊まる所を探すにしてもこの身体では無理だろう。私の家に泊まりなさい。迷惑だろうと思う気持ちは分かるが、怪我をしている時は、声を掛けてくれる人の話を聞くものだ。分かったかね」
 女性の父は、先ほどまでは一区切りずつ話を選んで語るようだったが、今の話し方は別人のような感じと言うよりも、役者が役を演じると言うよりも、まるで使い慣れた言葉を話すように感じられた。
「起こすからお前も手伝え」
 輪の返事を聞かずに、親子は手馴れたように車の後部席に運んだ。
「すみません」
 輪は先ほどの女性の話を聞いていた為だろう。一言だけ口にして大人しく従った。
 車は直ぐに走り出した。女性の父が煙草を一本吸い終わると止まり、一人で車から出て行った。その後ろ姿を目で追っていくと、玄関を開けて戻って来た。視線は家で止まり不思議な造りの家と思いはしたが、言葉にはしなかった。輪は玄関が二つ有る家を見るのは初めてだった。この世界の伝統の家か新築らしいので解らないが、嬉しくなり傷が少し癒されたような感じがした。
「すみません」
 車から降ろす時は乗せる時と違い、死体でも降ろすような表情をされて、恐怖を感じ取り。自分を落ち着かせる為に声が出ていた。
「奥の部屋に床を用意してくれ」
 左の玄関に入ると直ぐに父が声を上げた。
「分かりました」
 父の妻だろう、直ぐに声が帰ってきた。
「床を用意していますから、此処に居てください。先ほどは暗くて解らなかったが、もう一度傷の具合を診ようと思います」
 父は薬品を捜しながら、言葉を掛けた。
 輪は部屋に入ると薬品の匂いはするが、何も無い部屋に驚いた。待つ間に部屋を見渡した。部屋は六畳位で、奥にも部屋が見えるがその奥は解らない。隣の部屋から音が聞こえてくる。床を用意しているのだろう。この部屋には生活感が無い。家が新築して荷物が来るのを待っているような感じがしたが、薬品の匂いに関しては考え付かない。不審に思い親子に視線を向けたが、女性に口止めされていた為に声を上げなかった。
「氷水と手拭を持ってきてくれ」
 父は部屋の隅に有る薬箱を持つと、思い出したように娘に声を上げた。
「あっ、それと何か着る物も頼む」
 父の声に返事を返さないが、一瞬振り向いたので聞えたのだろう。娘に声を掛けながら輪の手を回したり、足を動かしたりと一通り身体を診ていると、女性が現れた。
「大丈夫なの」
 輪は答えようとしたが、痛む箇所を触られて悲鳴を上げるのと同時に父が声を上げた。
「念の為に明日医者に連れて行く」
 女性は話を聞きながら父の側に行き、持って来た物を父の隣に置き、椅子に座った。
「その服に着替えなさい。食事が出来たら呼ぶから少しでも冷やしていた方が良い」
 父は話し終えると立ち上がり、娘に鋭い視線を向けた。先ほどから父の視線が何を言いたいかが死ぬほど分かる為に、輪の元を離れたくなかったが、今の視線には逆らえなく。父と部屋を出ようとした。時に、
「出来ましたわよ~」
 母の気が抜ける声が聞えた。
「私は、部屋の外に居るから着替えたら教えて。一緒に行くから」
 話の口調から分かったが、何やらほっとしているように感じられた。
「先に行くが、お客には言い忘れるな」
「分かっています」
 輪は、何故に親子が真剣な顔になったか解らないが、不安な気持ちで親子が部屋を出て行く姿を見続けた。
「終わりました」
 輪は着替え終え、診察室のような客間六畳から出ると直ぐに、真剣な表情で母の料理を残さずに食べてくれ、そう言われたのだった。輪は、喜んで返事をしようとしたが、女性の話は、まだ続きがあった。それは、母の料理は、この世の物と思えないくらい不味い。そう言われたのだった。それでも、死ぬ気持ちで食べて欲しい。返事をためらっていると、女性は、また、悲しそうに呟いた。母親は料理を作るのが何よりも好きだが、自分の出産の時に舌の感覚が麻痺してしまい。それを伝えると、母の笑顔が見られなくなるから隠し通してきた。それを聞くと、輪は喜んでうなずいた。
「お願いね」
 また、確認をすると、輪の体を支えながら八畳と六畳が並ぶ短い廊下の突き当たりの部屋。二世帯住宅の食堂兼居間に案内された。
「冷めてしまったわ」
 扉を開けると直ぐに話し声が聞えてきた。その声は女性の母の声だった。幼さが残る少女のような声色だったが、素顔が分からない程に頬を膨らませ、視線で人が殺せる目で見詰められた。
「もー食べられませんわ。折角作りましたのに勿体ない事ですわ」 
 身体は蛇に見詰められた蛙のように動けなくなったが、女性に手を強引に引かれて椅子に座った。その時には、父親は涙を流しながら美味しい、美味しいと呟きながら食事を食べていた。そして、女性も同じ様に食べ始めた。その様子を見ると、輪は、先ほどの話は冗談だと感じて、満面の笑みで食事の挨拶をした後に、一口食べたが、味覚の表現を考えられない程の不味さだった。
「あら、涙が出る程に美味しいのねえ」
 母と娘は同時に声を上げた。
 娘の方は本当の涙の理由が分かっているのだろう。輪の背中を叩き飲み込ませた。
「お代わりはありますわ。言って下さいね」
 女性の母は少女が始めて料理を作り、褒められた時のような笑みを浮かべた。
 輪は、母親が今の顔から鬼の目に変えないように食べ続けた。舌が味を感じる前に飲み込み、吐き気と息をする時は、「美味しいです」
と、声を吐き出す。その姿は女性の父とまったく同じだった。
「まあ、まあ、まあ」
「あっはは、お父さんとそっくりだわ」
(お母さん本当に嬉しそう。お代わりを勧めれば勧めるだけ食べてくれるからね。だけど、このままでは死んでしまう。母の料理を美味しいと思う人は母しかいないはずだわ)
「あら、これで終り見たいね。大丈夫です直ぐ作りますわ。待っていて下さいねえ」
 輪は、あまりの不味さに気を失い無意識で口に運んでいた。もし、母親の顔を見ていたら血の付いた自分の母の顔を思い出して、衝撃のあまり心臓が止まったはずだ。
「お父さん」
 止めてくれると思い。父に声を掛けた。
「君もそろそろ酒の方が良いだろう」
 父親のいつもの癖を言った。ほとんどの客人は食事よりも酒なら喜んで承諾するだろう。勿論、下戸でもだ。輪の場合は意識が無く、条件反射のように茶碗を前に出していただけだった。
「おお酒にするか。茶碗は粋じゃないぞ。母さん。一番大きい杯を持ってきてくれ」
 母親が料理を作る為に席を立つが、止めさせる為に父が声を掛けた。母は頬を膨らませながら返事を返し、杯を持ってきた。輪は意識が無いのだが無意識で杯を受け取ると、直ぐに父親は酒を注いだ。それを、輪は一気に飲み込んだ。味覚は麻痺して分からなかっただろうが、その酒はアルコールの純度の高い酒だった為に、杯の酒を飲み終わると仰向けに倒れてしまった。
「お父さん」
 父に大声を上げて、輪の容態を確かめた。
「急に倒れて寝てしまったよ」
 父は悲鳴のような声を上げた割には、笑っているように感じられた。
「お父さん。医者を呼ばなくて良いの」
「大丈夫だろう。規則正しい寝息をしているから部屋で寝かしなさい」
 娘の心配する顔を見て、父は微笑みを浮かべて話した。
「お母さん。私、風呂に入ってくるから、後で部屋に連れて行くの手伝って」
 輪をそのまま寝かしたまま、女性は風呂に、そして、夫婦の楽しい会話だけが部屋に響いた。
「お父さん寝てしまったの」
「そう、寝てしまったわ」
 母親が困っていると娘が風呂から上がってきた。
「後で。お父さんもお願いね」
「はい、はい。重い、お母さん手伝ってよ」 
 二人の女性は微笑み浮かべた。母と娘は父と輪を部屋に運び終えると、女性だけが部屋に残り、怪我をさせた償いだろうか、輪の顔を冷やしていた。
「ごめんね。ごめんね」
 女性は小声で何度も囁いた。
「ありがとうね。ありがとうね。お母さんの料理をあんなに食べた人初めてよ。お母さんがお代わりを作ると言った時は驚いたけど、嬉しそうな顔は久しぶりに見たわ。ありがとうね」
 女性は、腫れている所を冷やしながら嬉しいのか、悲しいのか、解らない表情で呟いた。
「うっうっうう」
「お母さん」
 輪は苦しそうな声を上げた。すると、身体の部分の箇所が透けたり、透けなかったりし始めた。女性には痙攣しているように見えたのだろう。痙攣を抑えようと触れたまま、大声を上げて助けを求めた。扉の方を見詰めながら助けを待っている時だ。輪の身体は全てが透けた。人型の窓のように夜の森が見える。そして、吸い込まれるように別の世界に二人は飛んだ。 
 突然だろうが、輪が食事を食べた事で修正が終わったのだ。何故、そう思うだろうが、母親は引きこもりに近い状態だったが、輪の食べっぷりを見て新しい料理を考えたのだ。それで、外出をすると、気持ちが解れて引きこもりも直り、近所、友人たちが料理の犠牲になる。輪が、この世界に来た事で、違う時の流れに変わったのだ。

 第六章
二人は、知らない世界に現れた。それも、地表から数センチ所に現れた。
 女性は意識が有った為に地表に立つ事が出来たが、輪は立てなく女性に寄りかかった。
「キャアー」
 女性は、突然の恐怖と、輪の手が胸に触れて、恥ずかしい気持ちと恐怖で、身体の機能が身体を守る為に動いて、輪を殴り倒していた。そして、正気に戻ると驚きの声を上げた。
「ここ何所なの」
 女性は周りを見たが月明かりしか無く、目が馴れるまで一点を見詰めた。目が成れてくると松明の明かりを、人魂と勘違いをして気絶した。女性が気絶せずに月を見ていれば、人工的な満月から新月に変わる姿が見えただろう。その正体は、輪の親が乗る月人の乗り物だ。この世界では天空浮船、かぐや姫の車、天の鳥船。その乗り物を見分ける事は出来ないが、人々は親しみを込めて言われていた。この世界では月からの乗り物だけではなく、地球の未来、他次元世界からと見慣れている物だった。女性の世界では他世界から来た。飛ぶ舟を見たなどと言えば。頭の横で指を回し呟くだろう。
「この人これ」
 そして、笑いながら立ち去る事だろう。
 この世界では親しみを込めて、省略して話題に上げる。
「あら、あら。かぐや姫のお帰りかな」
「それは無いでしょうね」
「それとも旅好きの尊様のお帰りかな」
「それなら仕事を早く終わらせて、尊様の話を聞きに行かないとねえ。
と、笑いながら話を弾ませる事だろう。
 月夜に浮かぶ月人の乗り物は、色から形まで亀をそのまま大きくしたような乗り物だ。
 大きさは四トンのトラック二台繋げた位で、重さも二台分とほぼ同じだ。見た目は、亀が千年生きたとしたら、これ位は老けると思うほど皺くちゃな顔をしている。甲羅は泥か砂で覆われ甲羅が少し見える程度だ。顔以上に年月を感じる。まるで化石のようだった。
「何故なの、今機械に反応があったのに、何処に消えたの?」
 亀の形の乗り物に窓でも有れば、中で人々が慌てている様子が見えただろう。特に、輪の親、冴子の目が血走り、気が狂ったかの様子だ。
「我々が来た事で、時の流れが狂い飛ばされたようです」
 遺言男の父親。訓は淡々と話した。
「そんな。導きの糸が赤くなれば、二人で飛ばされるはず。そうでしょう」
 冴子は一人で悩むと、仲間に尋ねた。
「斎さんのお子さんが、導きの人に会えたが想いを伝える前に我々が来たために、他世界に飛ばされ出会いから始まったのかも、それとも我々が来た為に、この世界の人と結ばれるはずが、強制的に別世界の、同じ遺伝子がある人の所に飛ばされたか、我々が来た為に、簡単に結ばれるはずが、時の流れが複雑になり、新たな障害が出来たか?」
 それともこの世から」
「もおおー。いい、いや、やめて」
 冴子は髪をかきむしり悲鳴を上げた。訓の慇懃無礼の話し方とやり場の無い怒りで興奮していた。訓は冴子の悲鳴でも話すのを止めない。冴子は、訓の首を絞める事で、何とか話を止めさせた。冴子は気が付いてないが、輪の夢遊病の原因は、訓の家族が原因だったのだ。ある意味、復讐を果たしたのだ。それでも、興奮は収まらず言葉を吐き出した。
「私の子は何処。私の子は何処・・・私」
 冴子は同じ言葉を話すが、声が段々と小さくなり落ちつきを取り戻した。
 亀船の中は、やっと静寂を取り戻したと言うのに、今度は機械音が響いた。
「この世界の時間の歪めが現れたようだ。冴子さんの息子さんかも知れない」
 訓の言葉で静寂が破れた。別の言い方があるだろうに、故意に気持ちを高ぶらせて遊んでいるかのようだ。冴子は瞬きもせずに呟き。その意味が分からないのか。言葉を探す為に幼い時の遠い昔まで遡って要るような時間を費やした。
「私の息子?」
「冴子。家に帰ろう。家で、息子の連れ合いの事を楽しみながら考えて待とう。糸も赤くなったのだから、それほど時間も掛かるまい。それに今顔を見たら、楽しみが無くなり帰って来るまでの時間が長く感じると思わないか。そうだろう。なあー帰ろう」
 斎は、妻の思いを変えようとした。だが、虚空を見詰め心が身体にないような妻に何を話して良いか。ふっと、息子が旅立った時に慰めた言葉が自然と口にしていた。
「十歳の時では、好きな顔と言えばお前見たいにふっくら顔の東洋系しか書かなかった。それが、年頃になると、急に月には居ない何洋系か分からない子供を書き始めた事を覚えているだろう。理由を聞いても答えてくれなかったが、もし、その子と結ばれるとしたら、どんな子になる。それにどんな美人だと思う」
 斎は笑みを作り、嫁と孫の想像を話した。
「私の時は貴方を月に連れて行くと、親がどんな顔をするのか一番の楽しみだったわ」
「なあ帰ろう」
 冴子は、始めの内は声が心に届いていないようだったが、自分の時と重なったのだろう。突然に笑みを浮かべ言葉を返してくれた。そして、斎は、妻が考えていると思い。少し待ち、声を掛けた。冴子は自分の親もこんな気持ちだったのかと感じて即答した。
「帰りたい。そう思うのは勝手だが、最後まで付き合ってもらいますよ」
 訓は不満顔で問いかけた。
「それなら確かめないで良いのですね。それでは、次は誰の順番でしたかな」
「あっお義母さん。私達が住んでいた家見てみます。私の母も見えるかも。此処からなら、それ程離れていませんよ。どうしますか」
 亀舟の乗員は若い時の事。今も外見は若いが、糸の導きの旅で他世界を狂わさないように行動しても、修正が大変だった事を忘れているようだ。特に聖は、輪の赤い糸を見たと言って、この世界に来る原因を自分が作ったというのに、自分だけ笑顔を浮かべて本当に嬉しそうだ。
「婿が、どの様な暮らしをしていたのか知りたいのは山々ですが、私達がこの世界に居ても大丈夫ですかねえ。斎さんはどう思います」
 義理の息子、聖の提案に、問いを掛けなければ今にも機械操作をして、その場所に行くのではないかと思い言葉にした。月世界では、好きな歳から始める第二の人生でも、それまでの記憶が有るはずだが、第二の人生が楽し過ぎて辛い過去を忘れてしまったのだろう。他世界で何をしても。今の自分達が修正をする事は無いが、少し昔を思い出せば分かるだろうに、修正しなくてはならない事を、それなら誰がするか。自分達の子がすると考え付かないでいた。
「私達は今すぐにも帰りたいのですが、約束は約束ですから、ちゃんと守りますよ。好きな所に行って下さい」
 亀船は移動している姿が見えた。世界を狂わす事を生きがいのように、冬眠する生き物がいれば、この音と光では強制的に覚めるだろう。まるで、真冬の深夜から真夏の昼のような変りようだった。もしも、導きの神が存在するのなら肩を竦めて、次のような事を呟くだろう。
「古代の月人が、いや、古代地球人が犯した罪で、時の修正をしなければ子孫を残せなくなったと言うのに。やれやれ、私が甘いのか第二の人生を与えた事が原因だろうか。しかし、三家族の内、二組は帰ろうとした。このまま好きにさせるか」
水の流れを感じない小河のような時間の流れが、亀船が動いたと同時に、突然に大きな岩が川に現れたように、渦を巻き、水飛沫が飛び散るように変わった。輪の周りに月の光が屈折して見える。気絶しているのに、身体が動いているように痙攣して見えた。まるで小河の渦が、水飛沫に巻き込まれた微生物のように感じられた。そして、女性を一人置いて、輪は消えた。 
 もし、この時に女性の意識が有れば、元の世界に返れると思い。輪の身体に触れた事だろう。でも、女性は動かなかった。もし女性の意識が有るなしに係わらずに身体に触れていたら、輪も、女性も。輪と係わった人々は、違う生き方をしていたはずだ。輪の取っては不幸な事。いや、嘘を付く必要がなく、両手の華。そう喜んだかもしれない。

 第七章
白い壁、白いカーテンと清潔を考えて汚れが解るような部屋に、輪は現れた。その部屋には一人の女性が寝台に横たわっていた。意識が有るが目は瞑り腕を胸に組んでいた。
「夢の中でも良いですから。残りの命が燃え尽きるほどの恋がして見たい。家族の様子から判断すると、永くは生きらそうに無いようです。夢で良いです。出会いから始まり、看取られるまでの普通の一生を体験したいのです。在る人から聞いた話では、人が死ぬ時は自分の一生を見ると聞きました。嘘で、いいのです。普通の恋を夢で見せて下さい。神様お願いします」
 女性は寝る時に、願いをしていた。今日は心に思うだけでは効き目が無いと思い、自分の耳に声を聞き取れるか分からないほどの声で呟いた。その言葉に導かれたかのように、輪は意識の無いまま女性に倒れこんだと、同時に歪みが現れ、二人を包み込む。女性は体に重さを感じて悲鳴を上げたが、歪みの為に、この世界には響かず。歪みが消えると、二人はこの世界から消えた。二人は、先ほど女性を置いて消えた所に現れたが、女性はまだ気絶したままだ。歪みの一部が地面に付くと同時に歪みが消え。病弱な女性が、自分の世界で上げた悲鳴が、この世界で響いた。
「キャー、何を考えているのよ」
女性は、声を上げると同時に、輪の顔を殴った。今の様子では病弱には思えない。
 輪は、川の渦のような時間の渦に巻き込まれて、この場所に病弱な女性を連れて戻って来たようだ。空を見上げる者がいれば亀船が見える。輪を包んだ時の歪みと同じ光が粒になって、月から亀船までを光の竜巻が横になったように見えた。その亀船は、輪の親たちが乗る船だ。
「ちょっと、起きてえぇ。ちょと、ちょと」
 初めに連れて来られた女性は、今の女性の悲鳴で目を覚ましたが、不安を感じて、輪を起こそうと、何度もゆすったが起きない。一人で一瞬考えたが何も浮かばない。もう一人女性が居たが何を考えているのか。自分が映画の主人公のようだとか訳の解らない事を騒いでいた。頭でも打ったのか。それとも恐怖で狂ったのだろう。相手にしても仕方が無いと思い無視する事にしたが、恐怖と、不安が消えたのでない。必死に輪を起こそうと何でも頬を叩いた。
「早く起きてよ。お願いだからねえ」
 病弱な女性は、女性の悲しい声が聞こえ、女性の元に行き声を掛けた。
「私に何か出来る筈ですわ。これが夢で無いとすると神が私の夢を叶えてくれたのです。信じてくれないと思いますが、私は満足に歩く事も出来なかったのですが、それがこの通りです。私には力があるはずですわ。任せてください」
 この女性は病室の時は気弱で行動的では無いと思っていたが、まるで別人のようだ。病気でなければ何事にも興味を示した。行動的な人になっていたのだろう。女性を安心させるために話したのだろうが、誰が聞いても不安が増すだろう。
「私が触れば起き上がりますわ。任せてくださいねえ」
 女性の願い事は恋がしたいと頼んだはずなのに、何を考えているのか、自分に本当に力が有ると本当に思っているようだ。偶然と思うが触ると、輪の意識が戻った。
「うううっう」
 輪はうめき声を上げ起き上がった。
「此処は」
 輪は辺りを見回し無意識に声が出た。
「あのう、何故、私達は森に居るのでしょうか、此処は何所なのでしょう」
 輪は未だに顔が腫れている為、舌を噛んだような話し方で、女性に自分が解らない事を総て訊いてみた。もう一人の女性にも問いかけようとしたが、体を動かしては納得をして、木の棒を持ち、掛け声を上げて楽しそうにしていた。何が楽しいのか分からないが、聞いてもまともな答えが返らないだろう。それに見た感じ、心配を感じていない。女性の話を聞いてから考える事にした。だが、自分の原因で、二人の女性を連れて、他世界に飛んだのだろう。今まで、この様な事は無かったのだが、まず、二人の女性を安心させなければならない。そう考えた。
「それは、私が聞きたいわよ。気が付くと、貴方が寝ていて、この女性が騒いでいたわ。そうそう、私の家で、貴方の顔を冷やしている時に、貴方の身体が痙攣を起こしたの。それから、何が、どうなったのか、分からないわ」
 女性は首を傾げながら話し出した。
「そうですか。それなら想像が付きますから、何も心配はしないでください」
「話が有ります。私の近くに来て下さい」
 輪は、二人の女性に声を掛けた。
「此処は、貴方達が住んでいた世界ではないでしょう。それで帰る方法ですが、私の話を聞いている途中で、自分の世界に帰れるかもしれません。そして、帰れば夢と思うでしょう。但し、私の話を全て聞いても帰れない時は、少し面倒な事になりますが、話の内容を聞いて約束を守ってくれれば帰れます。良いですか。少し時間が経たなければ分かりませんから、時間を潰しと思って聞いて下さい」
 輪は、二人の女性は不安な顔色だが、恐怖を感じて無いので安心して話しだした。
「始める前に、私は輪(リン)と言います。貴女方の名前を聞きますが、名前以外に家名や国名は言わないで下さい。世界によっては同じ血筋の者だと勘違いする人もいます。もし国名も在って敵と思われても困りますから」
「私は秋奈と言います」
 初めに紹介を始めたのは、元の世界では病弱だった。そう語った人だが、健康そのものだ。
「私は夏美よ」
 落ち着きがなく声を上げた。 
「それでは話します」 
「このまま、この場所で聞くのですか」
 夏美は周りを見ながら話した。
「すみません。帰るには現れた所に居る必要がありますので、此処に居てください」
 輪は、地面に頭を付くと思うほど頭を下げて説明を始めた。
「言いたい事は分かるのですが、早く森から出たいの。蛇や毛虫がいるのかと考えるだけでも駄目なのです。こんな気持ちで話をされても頭に入りませんわ」
 夏美が、落ち着かないで立っていた意味が分かり、輪は、一瞬の間だけ思案した。
「分かりました。それならこれを」
 背中に両手を持って行き、背中を掻く様な仕草をした。「バリ、べり。バリ、べり」と、ガムテープを接がす様な音を上げ、腕を背中から前に持って来た。その手に持つものは、綿菓子をトンボの羽のように伸ばした物のような、透き通るマフラーにも見えた。二人の女性は、暫く輪を見詰めていたが、手に持つ物に視線を移し問いかけた。
「これは何です。虫の羽のように見えますねえ。こんな大きな羽の虫が要れば、だけど」
 二人は、輪の手と顔を交互に見詰めた。
「だけど、ふわふわして温かそうねえ。触っても良いの」
 夏美は声を掛けたが、秋奈は言葉を待たずに手に取ろうとした。
「これを二人で持っていて下さい。虫にも蛇にも咬まれませんから。いろいろな事から貴女達を守ってくれます」
 輪が手に持つ物は生き物では無いが、二人は可愛い猫などを見せられた時のようだ。
「わぁー軟らかい。重さが感じられないわ」
 二人は同じに声を上げた、手に持った瞬間に、身体全体に薄い透明な膜が覆った様に思えた。
 何故、そう感じたか、それは、月光が屈折して見えたからだ。
「うぁー気持ちがいい。雲の上に乗る事が出来たらこんな気持ちよねえ」
「雲と言うよりも。卵の中の方が近いと思うわ。卵の中てこんな感じよ」
 我を忘れて喜び騒ぎだした。そして、宙に浮いた。秋奈は自分で思う様に、雲の寝台に寝ている感じに、夏美は卵型の椅子に座る感じのような、母の胎内にいるような感じで、少し背伸びをしたような格好をしていた。
「これって。何ですのぅ」
「私達は、羽衣と言っています」
 夏美の問いに、輪は即答した。
「羽衣なの。そっ、それなら飛べるの」
「秋奈さん。夏美さん。今浮いている事に気が付いて無いのですか」
 輪は首をかしげた。
「これは浮いていると言うよりも。物に腰掛けていると思うのですが」
 夏美は答えた。
「うん。うん」
 秋奈はもっともだと言うように、首を上下に動かしていた。
「それは、夏美さんが、物に乗ると思ったからです。それは、飛ぶのが目的では無く身体を守る物なのですよ」
 輪は即答したが、自分で考えて話した訳ではなかった。それは輪の体に付いている物。手足の動かし方を聞かれたと同じ事で、羽衣が体から離れて使い方を問われると、今のように声が自然と出たように感じられた。
「卵の中に入りたいなんて考えなかったわ」
 夏美は、人格を疑われたと思ったのだろう。輪を殴り掛かるように感じられた。
「そのような話は良いですから。飛ぶにはどのように使うの」
 秋奈は、夏美と輪の間に入り頼み込んだ。
「空を泳ぐように身体を動かして下さい」
 輪は身体を動かしながら言葉を掛けた。
「こうかしらねえ」
 秋奈は声を上げた。
「そのような感じです」
「待って、私も行きます」
 輪は、何回も同じ言葉で励まし続けた。秋奈が、夏美の背丈を越えると、夏美も同じ行動をした。二人は高さが怖いのか、泳ぐのに疲れたのか、それとも、輪の声が届くまで行けると思ったのだろうか、その高さまで行くと、泳ぐのを止めてしまった。
「ひっ。降りるにはどの様にするの」
 秋奈は一瞬悲鳴を漏らし、助けを求めた。
「何もしなければ降りられます」
 秋奈は、少し前かがみで降りているのを確かめながら、這うように降りてきた。夏美も同じ理由なのだろうか、同じ高さ位になると同じ格好で降りて来た。そして、興奮を表し、惚けていた。
「どうでしたか」
 二人の女性に声を掛けた。
「降りてくる時はねえ。降って来る雪に乗っている感じで良かったわ。昇る時は何て言うかねえ。足の裏は触れている感覚が全く無くて、少し気持ち良かったけど。浮いている感覚が無くて、ただ立って手を動かしている感じで、全然面白く無かったわ」
 夏美が話し、秋奈が愚痴を零した。
「目を瞑っていたら、自分のしている事が馬鹿らしくなって止めると思うわ。それに、あれだけ身体を動かしてあの高さでしょう。これを使って栗の実でも取るとしたら、木を蹴る方が楽かも知れないわねえ」
「栗の実?」
「降りる時は良かったわね。無重力ってあんな感じかも。気持ちよかったわー」
「無重力って、貴女達の科学力は宇宙に行けるのですか?」
 輪は栗の実を知らないのだろう。二人の女性に途中で声を掛けたが、気が付かれないでいた。片方が喋ると頷き。又話して頷き合う始末だ。褒める場面になると、輪を思い出したように視線を向けるが、輪を話の中に入れる事は無い。輪の役目は、二人が嬉しさを隠す為に、背中を叩かれるだけの役目しかなかった。そして、輪は大声を上げたが、それでも、耳を貸さない。そして、赤い糸が回転して異変を知らせている。早く修正してください。そう知らせていた。だが、二人にこれからの事を話さなければ行動に移せなかった。
「咽が渇いたわねえ」
「そうねえ」
 二人は視線を輪に向けずに、声を上げれば給仕が用意する様な態度だった。
「聞こえていないの。咽が渇いたのよぉー」
「咽が渇いたわ」
 二人は当然の要求のように、輪に詰め寄り催促した。
「先ほど飛んだ時に、川が見えませんでしたか?」
 輪は、二人に問いかけたが、何故だか怒りを感じている。その意味が分からなかった。
「川の水を飲めと言うの」
「そんな水を飲んだら病気になるでしょうが、何を考えているのよ」
「なっなななななな」
 夏美は、極度の怒りの為に声を出せず。口を開けたり、閉じたりしていた。その代わりのように、秋菜が答えた。その、理不尽な言葉を聞くと、輪は、精神の安定を保つ為だろう。大声を上げた。そして、二人は、輪の様子を見ると信じられない行動をした。
「いい子ね。いい子ね。良い子だから怒らないでね。良い子だからねえ」
 二人は真剣な表情で正気を疑う言葉を上げながら、輪の頭を撫でた。
(この二人は、この二人、うゎああ。こっお)
 輪は、心に思う事を声に出そうとした。だが、極度の怒りの為に言葉にならず。脳の血管も限度を超えて切れてしまい。輪は、気絶した。
「秋奈のいい子。いい子で頭の傷に触れ、それで気絶したのよ」
「違うわ。夏美が咽を撫でるから息苦しいく、我慢の限界が来て倒れたのよ」
 二人は、輪の背中を叩かないと話せないのか。話題に上げた事を実行するが、撫でるではなくて首が折れる位動かすわ。咽を撫でるではなくて殴りつけていた。この様な事をされれば、死んでいる者も生き返るだろう。
「いい加減にして下さい」
「ごめんなさい」
 二人は心からの謝罪ではない。ただ、驚いて声が出ただけだった。その様子を見た輪は、驚きの仕草が心からの謝罪と思い、それ以上の言葉を飲み込んだ。そして、輪は、二人が話を聞く気持ちなったと思い。地面に腰を下ろした。そして、二人は、輪を上から見下ろすと、顔の痣や傷が増えている事に気が付いて、首を傾げていた。恐らく、記憶がないのだろう。話し疲れたのか、それとも、痣や傷は、自分達が原因と感じたのだろうか、正座をして言葉を待った。
「秋奈さん。夏美さんも、自分の世界に帰りたいと、思っていますよね」
 二人は頷いたが、本心は分からない。輪の顔の表情や目線からは帰らせてやる。と感じられ、恐怖で首を上下に動かしたように感じられた。
「先ほどは、時間が経つと戻れると言いましたが、今まで待っても、帰れないのですから駄目だと思います。貴女方が帰る為には、私が今までして来た事を、遣らなくては帰れそうもないです。ただし、貴女達は何もしないで下さい。理由を言いますから、この世界に私達が入り世界を変えてしまった為に、私達が必要とする世界に変わってしまったのです」
「必要ですってえー」
「やはり、その為に呼ばれたのですのねぇ」
 夏美は悲鳴を上げた。秋奈は嬉しそうに呟き終わると、はしゃぎ回り喜びを表した。

「その事について、今話します。貴女達は宇宙まで行ける文明社会から来た人たちですから、祟りだとか、神隠しと言う誤魔化した言い方はしません。今、私は必要と言いましたが、秋奈さんが思っている事とは違います。そうですねえ。例えば、この木を指に乗せると釣り合いますよね。この木がこの世界と思ってください。そして土が、私と夏美さん。秋奈さんです。付けると釣り合わないですよね。土を取らなければ指から落ちてしまいます。この木は、一秒も待っていられません。その為に私達の代わりに、別の生き物が犠牲になりました。私達はこの世界の住人として、一つの歯車にされたのです」
 二人の女性が話の途中に大声を上げた。
「元の世界に帰れないの」
「私は嫌よ。此処の住人として暮らすなんて絶対に嫌ですわ」
「話の続きはまだあります。この住人に成りたく無いのなら、出来る限り草木を折る事も、虫を殺す事も絶対に駄目です。これ以上世界を壊さないで下さい。この世界が、夏美さん。秋奈さんの住む世界に関係していたら、次元世界の自動修正で、夏美さん。秋奈さんが不必要とされて、存在が出来なくなる恐れもあるのです。まだ、今なら私が修復できます」
「分かりました」
 輪は全てを話し終えると、二人の言葉を待った。秋奈は直ぐに答えてくれたが、夏美は話の間も終わった後も、悩む姿を解いてくれなかった。
(何故、何を悩むのだろう。先ほど、存在出来なくなる。そう言った事だろうか?) 
「それなら、果物を取って食べる事も」
 悩める仕草のまま首だけを動かして、艶っぽい話し方で問い掛けてきた。
「わ、わっ私に言って下さい。私が確認すれば果物くらいは用意しますから」
 輪は、恥かしくなり視線を逸らした。何故、大袈裟に言ったかを忘れているようだ。一時間も経たずに、三人が居る場所が変わり果てた姿になったはず。
「分かりましたわ」
 その時に、二人の女性は悪魔の様な笑みを浮かべた事に、輪は気が付かなかった。
「此処で朝まで休みます。それとも移動しますか。羽衣があれば怖くありませんよね」
「私、本当に咽が渇いていますの。探して下さるのなら一緒に行きますわ」
「私も、それなら良いわよ」
「湧き水が見つかれば休むとして。それでは出かけますか」
 輪は、腕時計を見るみたいに左手を動かして、小指に有る赤い糸に視線を向けた。赤い糸は方位磁石のように北東に向いていた。指を真後ろ北東に向け、二人に声を掛けた。
「行きましょうか。こっちですよ」
 二人は声を返さないが、顔色では不満だと分かる表情をしていた。二人の表情を見て声を掛ける事を止めたが、それでも、後ろに居るか、変な事をしてないか、と何度も振り返り確かめていた。足よりも、首が疲れを訴えるほど歩いた時に、小指に針を刺すような痛みが走り、腕を動かし小指を見た。赤い糸は北東から北に変わっていた。
「何かしませんでしたか。いや、何か起こりませんでしたか?」
 二人が何かをした事は確かだが、追及すれば二人の事だ。理由に関係なく騒ぐだろうと考え、これ以上、この世界を壊されたくない為に言葉を飲み込んだ。
「いいえ。何も」
「少しの間、此処で休んでいて下さい」
「何かありましたの」
「何もありません」
 輪は、早く場から離れたい為に、二人の話を遮ったが、振り向くと顔を青ざめた。
「ねー。何が、あったのよぉー。ねー」
 夏美は枝を振り回しながら呟いた。
「いつ折ったのです。その枝」
 輪は声を震わせながら指差した。
「蜘蛛の巣が有ったからねえ。それで」
「枝を折らないで、そう言いましたよね。勿論、虫も。それだけでも世界は変わってしまう。本当に止めてください。私は直ぐに帰って来ますから、夜も明けた事ですし。この場で何もしないで休んでいて下さい。良いですね。お願いしますよ」
 輪は丁寧な話し方だが、よほど悔しいのだろう。涙を浮かべ、利き腕の拳は震えていた。二人は、輪の気持ちが全く解らない。枝や蜘蛛が世界を狂わす。限度は有ると思うが泣くほどの事なのか。そう、考えたが、輪の姿を見て言葉を飲み込んだ。二人の俯く姿を見て安心して、輪は、修正する為に行動に移った
赤い糸は、この世界の悲鳴(世界の自動修正が効かなくなる事)だ。三人が、この世界に来なければ死ぬはずのない命の悲鳴。それを受けて、修正する場面を見せる。目を開いていても見えるが、画像は透ける為に日常生活も支障はない。例えば手のひら位の幽霊が目の前で劇をすると考えれば近いだろう。輪の目には二つの場面が見えていた。狐が雲雀を襲う場面と、狐が罠に掛かり死ぬ場面が見えていた。この世界に、三人が来なければ、狐は餌を探し周り罠に掛かるはずが、三人の話し声や枝の折る音で、狐は偶然に雲雀を見つけてしまった。修正とは、雲雀を助けて、狐を罠に掛ける。大声を上げれば良いだろう。そう思うだろうが、それだと、森中に騒ぎが広がり雲雀は助かるが、狐も助かってしまう。自然に逃がす為に、動物が獲物に近寄る時に似た。いや、幽霊の様に無音で、糸が示す場所に向かわないとならない。突然に止まり座り込むのだから、目的の場所に着いたのだろう。その場所は、二人からはそれ程離れていない。大声を上げれば聞えるだろうが、木々が邪魔で見えない位の距離にいた。
「枯葉で間に合えば良いが」
 心で思い。枯葉を生き物のように優しく両手で掴めるだけ掴み。拝むように頭上に上げた。風は微風ほども吹いてない。だが、枯葉は一枚一枚が蝶のように舞い上がった。
 時の流れ自身では何も出来ない。だが、自動修正は物などを動かし、事件や物事を大事にする。例えば、焚き火だった物を山火事にする。そして、力を与えられた枯葉は赤い糸の示す方向に飛んで行った。輪は座っていた為に、舞い上がる姿しか見えないが、枯葉は、木々を蝶のように避け。人が見える限界ほどまで飛び。枯れ木の枝に一枚一枚止まった。その枝は、狐と雲雀の直線上の真ん中にある。総ての枯葉が集まると鳥が木から飛び立つ時に似た。いや、少し大げさな音を立てて、枯葉は飛び散った。その音に驚き、雲雀は真上に飛んだ。枯葉は飛び散った後、地面に点々と微かな枯葉の山を作った。修正が終わったのだろうか。だが、輪は、緊張を解いてない。雲雀の羽ばたき音が止むと、枯葉の山々は狐を誘うように、兎が飛び跳ねる足音に似た音を上げた。狐の耳は風の音か獲物かと、確かめるように何度も動かしている。耳を頼りに一歩を踏み出しのだから獲物と考えたのだろう。だが、それ以上動かない。枯葉は狐に向って行く。兎が狐に気が付かないで、向うように。狐は兎と認識したのだろう。隠れようと後ろに数歩下がった時、片方の後ろ足の自由がなくなり悲鳴を上げた。その悲鳴が聞えると緊張を解いた。修正が終わったのだろう。微笑みと同時に溜め息を吐きながら立ち上がった。一歩を踏み出した時に、視線のような殺気を感じて、腕時計を見るように小指の赤い糸を見た。
「考え過ぎか」
と、呟いた。輪は二人が何かをしたと考えたのだろうが、反応は無い。思い過ごしと思い、二人が待っている方向に一歩を踏み出した時だ。輪を呼ぶ大声が聞えた。
「やっと、修正が終わったと言うのに、あいつら」
「何が有りましたの」
「大丈夫ですかー」
「きゃあ。きゃあー蜘蛛よー」
 輪は、嗚咽のような声を吐いて、頭を抱えた。二人は手に棒切れや小石を持ち、大声や悲鳴を上げて輪を捜しているが、その手に持っているのは、輪を助ける為ではなかった。虫が死ぬほど嫌いな為に、虫に石を投げ、棒切れを振り回して蜘蛛の巣を払い退けていた。人を探すというよりも、未開の地に道を広げているようだ。輪は生き物の悲鳴を感じて立ち上がった。
「いましたわよー。此処よ。此処」
「あれ、あれ、何所、何所。居たわ」
 辺りは阿鼻叫喚のような惨状だ。輪は、その惨状を見て、硬直した。
「良かったわ。怪我は無いようねえ」
「木から落ちるような音が聞えたから、貴方が落ちたと思って心配したのよ」
 夏美と秋奈は、輪の元に着くなり同時に言葉を掛けた。輪は問いには答えなかった。声を出せば怒りの言葉しか出ない。だが、ぎりぎりの均等で保っている。この場所が、二人がいれば又、自然を壊すのは間違いない。そして、修正をする羽目になる。自分を殺して一言だけ吐き出した。
「此処から離れます」
 二人に顔を合わせずに歩き出した。
「怒っているみたいね」
「そうみたいね。理由は解らないけどねえ」
 二人は本当に解らないようだ。二人が歩いた後を見れば、自然を愛していない人でも理由は思い付くはずだ。それなのに、今度は、輪の態度に腹を立て、愚痴を言い始めた。
「水まだ見つからないの。ねえ」
「水もだけどねえ。お腹が空きましたわ」
 秋奈も夏美の話に同意した。
「ねえ。聞いているの」
 輪は、夏美の問いに困っていた。水の事など忘れていたからだ。二人が自然を壊した為に、怒りを静めようと歩いていたからだ。それを、二人に正直に言えば、先ほど以上の地獄を見ることになる。あの惨状は森の中を歩いただけで起きた事だ。怒りを現し発散したら、どのようになるか考えたくもない。二人が、話し疲れて悪魔の笑みを作るまでに、回避する方法を考えなければならなかった。
「えっ」
 二人の話し声が途切れ、視線を向けた。
「ふふっ・・・・」
 夏美と秋奈は、輪が死にそうな顔を向けられ、気持ちを解そうとしたのだが、輪には、邪な考えを隠す悪魔のような笑みに感じて、その極限の恐怖の為に、聴覚が鋭く発揮され、聞えるはずのない水が流れる音を聞いた。三人は、その場で耳を澄ました。秋奈は落ち着きが無くなり、二人の手を取ると、二人を急かした。輪は、気が疲れないように左手の赤い糸を見て、水の音がする方向と同じと分かり安心した。
「わああ。川の底まで見られるわね」
「気に入りましたか。魚を獲りますが、焼き魚は食べられますよね」
 秋奈と輪は、川が見えると駆け足で向かったが、夏美は疲れているのか、二人の後をゆっくりと付いてくる。輪は、川に着くと直ぐに火を起こし始めた。秋奈は子供が始めて親に川に連れてこられたように、目を輝かせ川を見ていた。すると夏美が近寄り声を掛けた。
「それで、この水飲めますの?」
「まだ飲んでなかったの。美味しいわよ」
「そうねえ。美味しそうよね。だけど、ずいぶん深そうねえ」 
 夏美の言葉には感情が感じられなかった。それとは逆に、秋奈は落ち着きがない。夏美に水を飲むように勧めたが、確かめもせずに、輪の元に向かい嬉しそうな声を上げた。
「釣竿は作るのよねえ」
「いいえ。潜って捕まえます」
「そうなの」
 輪の言葉で一瞬悲しそうな表情をする。それを心配したのか、夏美が近寄って来た。
「美味しかったでしょう」
 秋奈は微笑みを浮かべ問うた。
「水が怖いのですね。大丈夫ですよ。羽衣は自分が危険と思うものは避けますから、試しに、水に入ってきて見てはどうです。私は、その間に魚を捕まえますから。ゆっくりと遊んできて下さい。私の方も、三人分は時間が掛かると思いますからね」
「輪さん。あのねえ」 
 秋奈は恥ずかしいのだろう。顔を赤くして、輪に声を掛けたが伝わらない。手を伸ばし中指で輪の肩を叩き。自分に振り向かした。
「なっ、何ですか」
 輪は少し驚き振り向いた。
「今までに一度も泳いだ事ないの、それで泳ぎ方を教えてくれませんか」
 輪は、秋菜に頼まれたが、自分も泳ぎが得意でない為に、羽衣を使用すれば、息をしながら底を歩けると話した。だが、何故か、秋菜は悲しみの表情を表した。その理由は、自分にあると思い、どうしたら笑みを浮かべてくれるかと考えていた。だが、そうではなかった。秋奈は、本当の自分が思い出されたからだ。この世界では健康だが、生まれた世界では病院暮らしで、学校には行けない日の方が多かった。そして、輪の話し方や顔色が、時々見舞いに来てくれる友人と全く同じで、腫れ物に触るような態度と感じたからだ。
「あっ」
「早く行きましょう」
 秋奈は、突然に左手に温もりを感じて、後ろを振り返った。それは、夏美が、秋奈を元気付けようと、川遊びに誘う為に手を握ったのだ。
「飛び上がる事や水の上を歩く事はしないで下さいよ。お願いしますよ」
 秋奈は、満面の笑み浮かべ、喜びに満ちた声を上げた。川に行く事よりも、その温もりを放したくないのだろう。逆に手を引き催促をしていた。輪の声は届いているはず。だが、返事は返って来なかったが、輪は始めて、笑顔と殺気を感じる微笑みの違いに気が付き、その笑顔を見ていると、秋奈が可愛いと感じて姿が見えなくなるまで見続けた。

 第八章
「ふっ」
 輪は、自分の溜め息で、見惚れていた事に気が付き焚き火に集中した。
「これ位火が付けば、しばらくは消えないだろう。さて魚を捕りに行きますか」
 輪は呟くと、川に向い潜り始めた。
 赤い糸で何十匹も魚を突いていた。傷も付かない事を何度も、何度も。それなら手で捕まえれば良いだろう。それは誰でも思うだろうが、赤い糸で傷が付くものは修正の為に殺さないと行けない。それを探して何度も川から出たり入ったりを繰り返していた。そして、焚き火の所に戻ったのが、何度目なのか覚えていないが、二人は戻ってきて居た。それも、殺気を放ちながら不機嫌そうな症状で輪を待っていたのだ。その理由は、食事だ。落ち着かせる為に、二匹しかないが焼いて食べさせたのだが、満ちるはずも無く不満を高めるだけだった。魚では時間が掛かるので、仕方が無く、鳥を捕まえるからと気持ちを逸らした。だが、信じられない事を言われた。現代人なら当然の事なのだが、輪には考えられない事だった。それは、鳥を食べるのは好きだが、血の一滴、羽一枚も見たくない。そして、鳥が解体された場面を想像も出来ないようにしてくれ。そう言われたのだ。これには、心底から悩んだ。
「さあ。私達も時間を潰しましょう」
 二人は、あれ程、注意されたのに、
川の上を飛び、川の上や底を歩き回り、好き勝手に遊んでいた。輪が、この様子を見ていれば、泣きながら魚や鳥は逃げ出します。と喚くに違いない。そんな、二人は心の底から楽しんでいると感じられたが、秋奈が突然に泣き出しそうな顔色で浮かんで来た。夏美は、秋奈の様子が気になり、近寄ると真っ先に怪我をしていないか、目線で身体を確かめた。怪我がない事に安心したが理由が分からない。出会ってから間もないが、子供のような無邪気な様子しか見た事がなくて心配になり声を掛けた。
「どうしたの」
 秋奈は嬉しかった。気を使われる事は何度も有ったが、今までは顔を青ざめて声を掛けられていた。私が死ぬと思ったのだろう。今は違う。心配して青ざめているが、話し合うだけで解決が出来る。そんな顔色だ。
「私ね。羽衣を外して水浴びをしようと考えていたの。汗を掻いて気持ち悪いでしょう」
「私も思っていたわ。それで?」
「だけど、急に悲しくなったの」
「なんで?」
「今の姿では考えられないと思うけどね。この世界に来る前は、病気で自分の家にも帰れなかったわ。毎日、毎日、いろいろな事を想像しながら病室で過ごしていたの。夏美さん達と会ってからは、楽しくて病気の事は忘れていたわ。本当に忘れて、羽衣で泳ぐ真似をしていたら、川の水を肌で直接感じて見たくなったの。だけど、一人で御風呂も入った事がないのを思い出したら、水が急に怖くなって悲しくなってきたの」
「そぉだったの。そぉーねえ」
 夏美は考える時は、顎に人差し指を付ける事が癖のようだ。だが、今は悩むというよりも、悲しみを隠す顔色から、恐怖を表す顔色に変わり、悪戯を考えている子供のような表情を浮かべた。
(私も幼い頃は水が怖かったわ。今も別の意味で怖いわ。海の水は大丈夫なのよ。川で底が見えないと、川で溺れた友達を思い出すわ。今は、それよりも気を士気しめて、秋奈の笑みを取り戻さなければ行けないわ。確か、遊びながら恐怖を克服したのよ。簡単な遊びなのよ。何の遊びだったかしら。あっ、思い出したわ)
「潜り遊びしましょう」
 夏美は心の底から子供に戻っていた。笑みには邪気が全く感じられずに、逆に癒しが感じられた。もし、秋奈以外に人が居れば、女神と思って癒しを求めたはずだ。
「えっ」
 秋奈は、夏美の笑顔で驚いた。夏美の笑顔を見ると驚きはしたが笑いたくもなった。顔が面白いと言う訳ではなくて、幼児の無邪気の笑顔で心が安らいで、釣られて笑ってしまうようだ。秋奈はその笑顔で総ての悲しみが消えた。
「どの様な遊びなの」
「本当は水に潜るのだけどねえ。水に顔を付けるだけでもいいのよ。そして長く息を止めていられた方が勝なの」
 秋奈の無邪気な笑みを見て安心した。
「分かったわ」
 秋奈は即答した。そして二人は、ほぼ同じに無造作に羽衣を近くの木に掛けた。
「先に汗を流してから始めましょうねえ。あの岩陰なら、輪が来ても見えないわ」
 二人は羽衣とは違い、折り目まで気にして丁寧に衣服を脱ぎ、最後に履物を衣服の重石に置いた。二人は確認の為か、女性の癖か分からないが、同じ仕草で辺りを見渡し、悲鳴のような歓喜のような声を上げて川に入った。
「うわあ。気持ちいい」
「本当に気持いいわねえ。友達が嬉しそうに話していた気持ちが分かるわ」
 始めの内は入浴のようにやや大人しく入っていたが、準備運動の為と思うが突然騒ぎ始める。まるで、二人は幼子に戻ったような感じで、水を掛け合い騒ぎまくった。
「そろそろ始めるわよ」
 二人は騒ぎ疲れたようには感じられないが一瞬沈黙して相手を見た。秋奈の笑みが合図のように、夏美が勝負の掛け声を上げた。夏美は顔だけを付けて競っている内は、秋奈に勝たせていたが、何回目だろう。二人は潜るようになり、夏美は真剣に競い始める。その事が秋奈は嬉しいのだろう。何度も何度も競い合う遊びをしていた。だが、人の気配を感じて、二人は奇声を上げた。
「キャアー」
 秋奈は悲鳴と同時に、聞えた方に振り向いたが、身体は硬直して声を出せなくなった。
「輪さん、よねぇ」
 夏美は震える声で訊ねたが、心の中では輪ではなくて、熊や、この世界の住人なら自分の命に係わるだろう。そう感じて、心の底から輪であってくれと願がったが、心の底の底では、輪なら後で殺す。と、思いもあった。そして、夏美は、声を掛けてから数秒なのだが、長い時間に感じた。再度訊ねたが返事が返らない。何を思ったのか目線を衣服に向けた。一度深い息を吸うと、秋奈に視線を向けたが硬直したままだ。慌てて左右を確かめ衣服のある場所に向かう。その間も何度も辺りを確かめては、秋奈に手を振ったが、目線を向けるだけで動かない。仕方がなく一人で行き、素早く着替えた。終えて手を振ると安心したのだろう。秋奈は硬直が解け、何度も頷いていた。夏美には届かない声を上げ、動き出したが中腰の為だろうか、いや慌てている為だろう。犬掻きとも、潜っているとも思える。そのような格好で進んで来た。二人は、着替え終わると同じに悲鳴を上げたが、夏美は輪を呼ぶ為に、秋奈は羽衣が一つ無くなり、人が居たと思い恐怖で上げた。
「今行きます。今行きますから」
 輪は鳥を捌くのを止め、近くに転がすと、大声を上げながら走り出した。
「アッハハ」
 夏美は安心したのだろう。輪の死に物狂いで来る姿を見て笑い声を上げた。秋奈にも見せようと肩を叩いたが、秋奈の真剣な表情を見て首を傾げる。意味が分からず。幼児に声を掛けるような微笑みを浮かべて訊ねた。
「どうしたの」
「あれ」
 と、声を出して指を指した。
「えっ」
 夏美は意味が分からず視線を向けたが、意味が分かり言葉を失った。
「大丈夫ですか。何が遭ったのです」
 輪は辺りを見回しながら訊ね。秋奈の示す場所を見ると意味が解り気を失いかけた。
「羽衣が、羽衣が」
 秋奈が硬直したままで呟く。
「あーっ、うぁーっ、ぎゃあー」
 輪は気が狂う。そのような声を上げた。
「ごめんなさい。私が悪いの。私が無理を言ったからなの。私が川に入る事しか考えてなくて、無造作に羽衣を置いたのがいけなかったの。人が来たような感じはしたわ。だけど、怖くてどうする事も出来なかった」
 秋奈は、輪が泣き狂う姿を見て、大切な物を貸してくれた。そう感じて、心底から謝罪した。
「謝ってもらっても。私は、これからどうすれば良いのか、考えが思い浮かばない。あれは私の連れ合いに渡す物なのですよ。もし連れ合いが見付かっても、あれが無ければ、月に連れ帰る事も、証明する事も出来ない。私はどうすれば、私は、私は、うぁー」
 輪は、我を忘れて泣き崩れた。
「私は、何をすれば許してくれるの。犯人を見付けるにしても、誰か分からない」
 秋奈は嗚咽を漏らしながら話す為に、何を言っているのか解らなかった。
「あなたは、男でしょう。いい加減にしなさいよ。悩んでも仕方が無い事でしょう」
 秋奈を宥めながら、輪に大声を上げた。
「私は、私は」
 輪の耳には何の音も入らない。ただ自分の世界に入り、訳の解らない事を呟くだけだ。
「秋奈だけが悪い訳ではないの、私の羽衣かもしれないわ。大丈夫だから、私が見つけてくるから、気をしっかり持つのよ。私は出掛けるけど、危険を感じたら逃げるのよ。輪なんか気にしなくて良いからね。良いわね」
 夏美は片方の羽衣を使い飛び上がった。そして、秋奈は、夏美の言葉で気持ちが落ち着いたのだろう。泣くのを止めて、夏美が飛び去る姿を何時までも見続けた。
「このままなら行けるわ」
 無我夢中で飛び上がったが、使い慣れないのだろう。始めは目線と違う方向に飛んでいたが、何回か修正をしている内に、感をつかんだように感じられた。
「人が持ち去るという事は、村が近くに在るはず。まず、それを探すとして、あっああ、羽衣の力を偶然に使って空に浮かんでいるかも、見落とさないようにしなければ行けないわね」
 夏美は枝を踏み台にして飛び跳ねる。まるで、ノミのように飛んでいた。それは前方方向を確認する為と、飛び慣れないからだろう。
「おかしいわね。村らしい所か、一つの家も見付からないわ。それ程、時間は過ぎていないのよ。羽衣を持つ人が居ると思ったのに、どうしよう。何所を捜せばいいの」
 夏美は飛ぶ事に疲れたとは思えないが、飛び跳ねるのを止めて、座るような姿で空に浮かび思案していた。暫くの間その場にいたが、一瞬、光を感じて目線を向けた。
「あっ、いたわ」
 先ほどまでの青白い顔から比べると、別人のような顔色だ。まるで、幸運の女神が取り付いたような輝いた笑顔を浮かべ、目線を向けると同時に行動を起こした。だが、まだ慣れない為と、慌てている為に、真直には進めない。その人物の後を付けるのがやっとだ。羽衣を持ち去った人物は、走る後ろ姿を見ると男だろう。何故、突然姿を現したのか。夏美は気が付いていないが、それは、夏美の飛びながらの行動で、木々のざわめきや枝の折れる音が聞え、何かの獣が現れたか。後を付けられていると思ったのだろう。身の危険を感じて隠れていたが、音が聞こえなくなり。辺りを見回しながら出て来た。それを、夏美が見付け。その人物は、この場所に居る事に恐怖を感じて、少しでも早く逃げる為に、死ぬ気で走っていた。
「このー泥棒―待ちなさいよー待ちなさい。たっ、らぁー待ちなさい」
 夏美は大声を上げるが、勿論、死ぬ気で走っている人に聞えるはずはない。聞こえていたとしても。逃げている者が待つと思えない。それでも、夏美は声を上げないと気が済まなかった。
「もー待ちなさいったらあーもぅー」
 夏美は髪を振り乱して、鬼女のような様子で羽衣を持つ人物を追っているが、顔色には微かな追う楽しみというよりも。捕まえた時の虐待を考えての笑みと感じられた。その頃、秋奈は、輪の姿を見つめていた。夏美の姿が消えてから、ただ立っていても疲れを感じるほどの時間が過ぎた。自分と輪を守る為に、辺りに気を配るのだから疲れを感じているはずだ。その様には見えない。羽衣を盗まれてしまった謝罪の為に、心から出来る事をしたい、そう思っての事だろう。もし輪が、正常な心が少しでも有れば、羽衣の無い秋奈の様子を見て、赤い糸が繋がって無くても、自分の人生を投げ捨て一生守ってあげたい、そう思える様子をしていた。
「お願いです。正気にもどって」
 秋奈は祈るように呟いていると、突然に足下を見回した。手ごろの木を見付けると、ある一点を見詰め続け、震えながら構えた。危険を感じる事があれば、輪に伝えれば良いと思っていたのだろう。秋奈の顔の表情で感じられた。鋭い目線をしている。風で枝の擦れる音が聞こえれば怯えた表情になり。輪に視線を向け、また、鋭い表情に戻る。今の輪の状態では、自分が守らなければならない。そう感じて奮い立てているのだろう。秋奈は、何かが変だと感じた。先ほどまで鳥達の響きの良い声が心を和ましてくれたのに、今は耳を塞ぎたくなる。鳥達が何かを訴えているように感じて気合を入れた。鳥達の囀りが更に激しくなると、輪は痙攣を始めた。特に小指の痙攣が激しい。恐らく、赤い糸が身体全体に痛みを走らせて、強制的に正気を戻させようとしているに違いない。世界の修正をさせる為に、神か、時間世界の意思か、それとも輪の中の、月人としての生命の叫びか分からないが、輪は正常な月人に少しずつ戻り始めた。
「秋奈さん。夏美さんは何所にいます。すみません、聞くまでも無い事でしたね。この様子を見れば分かる事でした」
 輪は突然起き上がり辺りを見回した。肩を竦めると、先ほど捕まえた鳥を捌き始めた。
「輪さん。それよりも、この状態を何とかしなくても良いの」

そう話し掛けたが、何か変だと感じた。
(まだ正気に戻ってないの。先ほどは森を歩いただけでも(輪に言わせれば像が我を忘れて走り回ったようだ)怒りを現していたわ。それなのに、先ほど以上に酷い状態なのに何も無かったような態度をしているのって、まだ、正気に戻っていないの)
「ねえ、輪さん。聞いていますか、この世界の修正をしないと行けないのでしょう」
 輪が冷静な態度で料理をするのを見て、少し怒りを感じて大声を上げてしまい。恥かしさを隠すように頬を膨らました。
「心配してくれてありがとう。鳥を食べる事も修正の一つです。食べる為に殺したのですから食べなくてはいけないのです。勿論。食べ終わったら、夏美さんを追いかけながら修正をしますよ。それに、早く夏美さんを見付けなければ、飢えて人を襲ったら困ります。あっそうだ。鳥が焼き上がるまでの間ですが、川釣りをやってみませんか」
 輪は、落ち着いているが、羽衣の事を忘れた訳ではない。先ほどの惨状、この場の惨状、これからも酷い事になるはずだ。それは試練と感じていたのだ。普通の修復では収まらないと覚悟を決めたのだ。その為に羽衣が自分の手から離れた。そう感じたのだ。そして、一番の肝心な事は、夏美、秋奈を好きなように行動させない。そう考え、まず秋奈に、食料の確保を兼ねた遊び、釣りを提案した。予想以上に喜んでくれて、輪も真剣に釣り竿を作った。秋奈は無邪気に喜んでくれたから、輪も楽しくなり魚釣りのやり方を細やかに丁寧に教えた。それでも、材料も間に合わせの代理品で作ったので、魚が釣れるとは思えなかった。
「キャアー」
 今聞えた響きには温かみが感じられた。
「まさか、魚が釣れたのか」
 悲鳴の意味がわかるのだろうか。聞えたと同時に手を休め、呟きながら立ち上がる。
 川の方に顔を向けた。その顔色には驚きとも不審とも思える顔色をしていた。
 そう思うのは当然だろう。今、川に向ったのだから、時間にして一本の煙草を吸い終わるか。終わらない位だ。だが、悲鳴は悲鳴だから心配なのだろう。様子を見に行こうとした時に歓喜の声が聞えた。
「見て、見て。釣れましたわ」
 秋奈は釣り糸に魚が繋がれたまま、興奮を隠し切れないほどの喜びで姿を現し、声を張り上げながら駆け寄って来た。その姿を見て、羽衣の件で沈んでいた秋奈が、出会った時のように元気になってくれた。心の底から喜びと同時に、微笑みに見惚れてしまった。
(自分の連れ合いも、秋奈さんのように綺麗な満面の笑みを浮かべる人ならいいな)
「こんな短時間で釣るなんて、秋奈さんは天才ですよ。そんな大きな魚を釣り揚げるなんて、初めてと言うのは嘘ではないですか。普通は糸が切れて逃げられますよ」
 輪は自分の事のように喜びの声を上げた。
「クラスの男が見舞いに来てくれた時に、何度も話を聞いていましたから、釣り上げる時が肝心で、一番わくわくする時だからって、本当に嬉しそうに身振り手振りで教えてくれたわ。その通りにして見たの。釣りって本当に楽しいのねえ」
 今の秋奈の姿を見ていると、恐らく話題に上げた男と同じ事をしている事に、気が付いていないだろう。それでも、興奮をした事に恥かしいと感じたのだろうか、無理に隠そうとして真剣な顔を作るが、隠しきれずに顔色に表れていた。
「魚は食べるのでしょう。焼いときますからもう少し釣りを楽しんできますか」
「いいえ。魚の焼き上がるまで見たいわ」
 秋奈の笑みを見ていると、問いの答えは想像出来たが訊ねて見たくなった。私も、父に始めて魚釣りに連れてきてもらい。釣り上げた時は、私も焼き魚を食べたかった。今の秋奈のような様子をしていたのか、そう思うと嬉しいような恥かしいような複雑な気持ちが込み上げてきた。
「焼き上がったのね」
 秋奈は真剣に焼き上がるまでを見続け、満面の笑みを浮かべながら喜びの声を上げた。
「はい。最高の美味と思いますよ」
 秋奈は受け取ると隅々まで見回した。焼き上がりを見ているのか、それとも、何所から食い付こうと考えているようだ。おもむろに口にすると、これ以上の幸せがないと思える祝福の笑みを浮かべた。食べ終わると、満足したのだろう。これからの事を、輪に問いかけた。
「勿論。夏美さんが心配ですから、修正をしながら後を追いますよ」
「そうね。私の原因で本当にごめんなさい」
「そんなに気にしないで、それよりも、羽衣が無いと命に係わります。私から離れないで下さい」
 輪は本当に危険だと知らせる為に、笑み崩し真顔で語った。
「ハイ。分かりましたわ」
 ほんの一瞬、命の危険と言われて我を忘れそうになったが、焼き魚一つ、焼くにも真剣になれる人なら命を預けても問題はないと感じた。
「それでは出かけますか」
 輪は腕時計を見るように赤い糸に視線を向け、導き通りに歩き続ける。と、言うよりも。自然破壊の後を辿っているようだ。辿ってきた中で周りが破壊された姿しか見えない所で、突然に止まり、辺り見回した。秋奈もつられて見回した。(竜巻の痕なのかな)そう思い描き、輪に視線を向けた。真剣な顔で火を熾している。手伝おうとして木々を拾い始めると、真剣な顔で手を振られて、立ち尽くした。
「私が良いと言うまでは、此処で動かず、声も上げないで下さい。良いですか」
「はい」
 秋奈は、鋭い別人のような視線に恐怖を感じて、微かな声になりながら頷いた。その姿を見て安心したのか。輪は落ち葉を両手で掴めるだけ掴むと、大声を上げながら空にばら撒いた。
「空を飛ぶ生物よ、この場所に帰りたまえ」
「地を歩く生物よ、この場所に帰りたまえ」
 今度は落ち葉を掴み地面に撒き散らした。
「その生物に係わる生物達よ、この場所に集り、弱りし生物に力を与えたまえ」 
 今度は、落ち葉を何度も焚き火にくべながら声を上るが、落ち葉が多すぎたのだろう。火種が見えない。輪は気にせずに空を見上げた。
「あっ」
 秋奈は驚き声を上げてしまったが、輪には届かなかったようだ。偶然だろうと秋奈は感じたが、風が吹いたと感じると、煙が盛大に上がる。風が渦を巻きながら煙を巻き上げると、破壊された全体に拡がる姿を見た。終わったのかと思ったが、まだ声を掛けられない。輪の後ろ姿を見続けた。
「我の導き通りに修正したまえ」
 今度は囁きながら木切れをくべた。直ぐに燃え尽きるとは思えないが、何故か、火は勢いを増す。突然虚空に視線を向け頷いた。
「修正したまえ」
 囁きながら枯葉を出鱈目に辺りに撒いた。
「修、正、し、た、ま、え」
 一言ずつゆっくりと気持ちを込めて声を上げる。同じにまた、枯葉を焚き火に投げ込んだ。
 輪は微かな鳥の囀りが聞えると、秋奈に柔らかな口調で言葉を掛けた。
「良いですよ。終わりましたから」
「えっ。修正が終わったの。なによ、焚き火をしただけでしょう。煙は不思議だったけどね。これから修正すると思いましたわ。それなのに、終わったの。そうなのね。ふっふ」
 秋奈は、不満のような表情で、馬鹿にしているようにもとれる感じだ。
「そうですよ。修正のやり方はいろいろ有りますが、今のも、その一つですよ」
 輪は笑みを浮かべながら、問に答えた。
「私は修正すると言うから、てっきり破壊された森を、元の状態に瞬時に戻すと思ったわ」
 秋奈の声色には怒りを感じられた。
「それに近いですよ。このような酷い状態でも。私の言葉で少しずつですが、鳥や動物と昆虫が帰って来てくれました」
「そうなの」
 話された事に感心して周りに耳を傾けた。
「私がした事は、この場所にいた生き物に帰って来るようにお願いしたのです。この場所に生物が居なくなると世界が変わってしまうからです。勿論、植物の芽や枯れそうな植物や怪我をした生物達に、生命力を分けて回復させます。その力は時の流れの自動修正の力ですが、私が生物にお願いをして意志の力を集めなければ働かないのですよ」
 熱弁を振るいながら修正の結果を語った。
「あのね。聞きたい事があるの」
「何ですか」
 輪は興奮していた。修正した事で高揚しているのか。他の場所の修正を考えているのだろうか。それとも、秋奈から賛美を期待して邪な事を考えているのだろうか。まさか(その赤い糸は何です)そう言われる事を期待しているのか。連れ合いは好きか嫌いかでは決められない、赤い糸が見える人だけだ。そう思うのは勝手だが、運命の女神がいたとしても、こんな結末を考えるはずがない。
「何故、声を上げる事や動く事がいけないのです。私は緊張どころか恐怖を感じたのよ」
 秋奈はホットして。思っていた事が自然と声に出たという感じだ。
「それは、すみませんでした。秋奈さんの声で、私の声が途切れて伝わると困るからです。動かないで、と言った事も。今言った事と同じような意味です」
 秋奈の話が期待と違う為か、謝罪する為だろうか。輪は気落ちしていた。
「私だってー。あれが修正なら枯葉や木切れを集められますわー。それよりも、私はがっかりしました。なんなの、私の命が危険かも知れない。どこがなの、危険なんて言うから、気絶するほどの物を見せられるかもしれない。それどころか死ぬほどの事が起きるかもしれない。それなのに焚き火をして、枯葉を撒いて大声を上げるだけですもの。私をからかっています」
 秋奈は、姿や口調からも分かるほどの失望感と言うよりも、邪魔者扱いされた事に腹を立て、不満を解消する為に喚き散らしているようにも感じられた。
「雨乞いや厄払いや祈祷とか、見た事や聞いた事はないですか」 
 秋奈が落ち着くのを待ち、輪は言い訳見たいに話し掛けた。
「無いわよ」
 冷たい笑みを浮かべ、きっぱりと鋭い口調で答えた。
「・・・・・・・・・・」
 輪は何も言う事が出来なかった。輪に見詰められて、自分は悪くないと言いたげに声を掛けた。
「夏美さんを早く見付けに行きましょう」
 輪は何か言い掛けたが止めて、腕時計を見る仕草をして、赤い糸が示す北東の方向に指を差した。
「この方向に進みます」
 秋奈は離れるに当たり、何気無く一瞬、釣竿に目を向け溜め息を吐いた。輪は、その姿を見なかった事にして心の中で思った。(秋奈さん。又作りますよ)二人は黙々と自然破壊の中を捜し歩く、自分で歩く歩数を数えられる位の時間だった。夏美は自然破壊の境目にある。折れた巨木にうな垂れていた。夏美を見付ける事は出来たが、その姿を見ると声を掛ける事を躊躇っていた。一瞬の間の後に、秋奈に視線で物を言われ、うろたえながら声を掛けた。
「あのー夏美さん。何かあったのですか?」
 夏美は顔を上げて何か言い掛けたが、輪の顔を見ると、又、俯いた。
「もしも、羽衣の事でしたら・・・・」
 輪は話しを掛けたが、夏美に遮られた。
「私、浮かれ過ぎていたようね。本当に御免なさい。だけどね。少しは気持ちを分かって欲しいわ。貴方はいろいろな世界に旅なれているのから良いわよ。私達は始めてなのよ。秋奈は、ここに来る前は病気で寝たきりだったと聞いたわ。だから、貴方の力で見付けるのではなくて、私が見付けて風の悪戯だったと伝えたかったの。それなら何も気にしないで楽しんでくれると思ったの。だから真剣に探したわ。それで、羽衣を持ち去った人物を見付けたのよ。だけど、見失ってしまったの」
 又、俯いてしまったが、夏美は気持ちを切り替えたように目線を向けた。
「輪さん。秋奈の物が無くなったと思っているようだけど。違うわ。私のよ、だからね。この世界に居る時くらいは、健康なら出来た事を好きにさせて欲しいの。その為ならなんでも協力しますわ」
 夏美は心の底から済まないと感じているからだろう。話をしながら目線を向けたり、逸らしたりをしていた。
「私も、そのような気持ちは受けました。秋奈さんは全ての物事に喜びを感じて、瞳を輝かせていたのは、そう言う事だったのですか、ねえ、お腹が空きませんか、秋奈さんは釣りが上手いですよ」
 夏美の話で考えを変えた。私の補助の為に二人が来た。それならば、全ての事に納得できる。秋奈や夏美が自然破壊や殺傷したはずなのに修正が簡単に終わるからだ。恐らく、秋奈や夏美の行動の全てが、時の修正の一つになっているのだろう。
「ありがとう。釣った魚を食べて見たいわ」
 何も不安が感じられない満面の笑みで、夏美が答えた。それが合図のように、三人は食事の準備(秋奈と夏美が遊んでいるとしか思えないが)を始めた。
「ガサガサ」
 三人は食事の余韻を楽しんでいた。その時に草木の擦れる音が聞え振り返った。
「此処で何をしています」

この女性は、焚き火の煙を見て走って来たのだろう。息を切らし、微かだが顔色には人を案じる様子が感じられた。恐らく普段から表情を変えないように努めているのだろう。いや、感情を表す事を忘れたに違いない。顔色からそう思えた。
「なっ、何故、輪様が、この場所に居るの。突然いなくなり心配をしたのですよ」
 焚き火をしている人を見て驚きの声を上げたが、先ほどとは態度が違う。知人だからか、人間味に溢れる、喜びの混じる驚きを表した。
「春奈巫女様こそ。何故ですか」
 輪も、驚きではなく喜びを表した。
「私は巫女ですから当然です。この場所は神様が降りたとされる神聖な場所、私の仕事は、神様が何時お帰りなられても良いように、清潔に保つ仕事があります」
 春奈は不審な顔で答えた。
「そそそそうでしたね」
 忘れては行けない事なのか。慌てていた。
「それより、警備の人々が来ない内に早く離れて、私が後始末をしますから早く立ち去って下さい」
「巫女様。そう言う訳には行きません。山に無断で入った者は調べる規則です」
 春奈が慌てて駆けつけた事や心配顔も、この事を避ける為だった。この男達も焚き火の煙で気が付いたのだろう。
「それでは、輪様と女性の二方は、此方に来て頂きます」
 この男が指を示すと、部下が三人を囲んだ。
「輪様を知っている筈です。私達を助けてくれた人です。その方の連れなら宜しいと思いますが」
 春奈は心配だった。巫女だから、皆は普通に接してくれない事は分かる。特にこの森で、この者達に連れ去れた後は様子が変わり、もう、三人は笑みを見せてくれない。私も幼い時の様に、焚き火の前で、笑みを浮かべながら楽しい話をしたい。
「春奈様。後で話したい事があるのですが」
 警護人が、春奈に退礼をして三人を連れ去ろうとした時に、輪が話し掛けた。
「ハイ。良いですわ」
 春奈はこれほど嬉しい事がない。そう思える笑みで答えた後、感情を表して行けないのだろうか、即座に真顔に戻した。
「ああありがとうございます」
 輪は、何度もしつこい位お辞儀を繰り返して、どもりながら言葉を返した。
「ふうん。輪さんは違うと思っていたのに、このような方が好きなのね。やーねえ、男ってえぇぇ」
 輪の顔と、春奈の胸を交互に見て、夏美は声を掛けた。
(私の方が輪よりも歳は上みたいだし。あれ程胸が大きく無いわ)と、心の中呟いた。
「違います。春奈様に失礼ですよ」
 輪は顔を真っ赤にして、大声を上げて否定した。春奈を馬鹿にされたと思った為か、恋心を抱いているのか、自分でも分からなかった。
「あの時別れた所で、又、待っています」
「なんだぁー。振られたの」
 輪は、春奈の頷きを確認すると、夏美に一瞬鋭い目線を向け、又、何ども頭を下げた。
「それでは、我々は失礼します」
 警護頭は、春奈に退礼を伝えると、部下に鋭い視線の合図を送った。三人を、この場所から強制的に連れ出せ。その合図だ。警護人が向かっている場所は、高さ300~500メートル位の大小の三つ重なる小山の真ん中の山だ。その三山の一つは神が現れたと伝わる現山。そこで、三人がこの世界に現れ破壊した(夏美が殆どだが)山だ。そして、春奈や警護頭に会った山は、神が言葉を告げに来て住まわれると伝わる。来山と言われていた。最後の山は、山の中腹にある洞窟の前で願い事を話すと、神が直接聞いてくれると伝えられている為に、願い事が叶うと思われていた。その為に人々が参拝に来る事から参山と言われていた。その参山の洞窟から願い事も聞こえず、姿も見えない所に、小さい小屋が建てられていたが、別に監視の為ではなかった。お参りに来る人は願いを聞いてくれるのだから、神様が近くに居ると思い、幻聴や幻覚を感じて失神する人が多い為に設けていた。その小屋に三人は連れて来られた。
「我々の仕事は参山の監視以外に、貴方方のような人が理由は別にしても、無断で入り込む人を排除するのが主な仕事です」
 警護頭は連れて来た理由を簡潔に伝えた。
「輪様は祈祷の旅を続けていると伺いましたが、途中ですか。それとも帰りですか」
「祈祷の途中です」
「そうですか、それで、二方の関係を知りたいのですが」
「私の助手ですが、何か問題でも」
 警護頭は慇懃無礼に問い掛けた。輪も同じように簡潔に答える。
「夏美さんと秋奈さんでしたね。巫女様には嘘を言っても、総て考えている事が分かるのですよ。人の心の中が分かるのですから」
「えっ」
 夏奈と秋奈は、警護頭の話しを自分の世界で聞いたのなら笑って聞き流すが、この世界なら有り得ると思い。輪を見たが首が横に振られない。事実と判断した。
「・・・・・」
 警護頭は、一瞬不信な顔をしたが何も言わず、手を扉の方に向けた。その仕草をみて、三人は帰れと判断して小屋を出た。三人が居なくなると、警護頭は椅子に腰掛け溜め息を吐く。先ほど自分が話した春奈の事だ。幼い頃は共に遊んだのだから普通の人だと知っている。だが、役目で話さなければならない事に嫌気がさすのだろう。春奈の力とは、警護頭の脅しの言葉ではない。此処を治める血族が、住人や他国から春奈の血筋は特別だと思わせていた。人の心が読める。神の声が聞ける。神の力を使い天罰を起こせる。と、春奈一人を犠牲に神格化に装い。祭り上げる事で、人々から畏怖される様にしていた。その事で心変わりする人を見ると春奈は心寂しい思いをしているのは、誰も知らないが、する者が疾しい考えをしているとは、春奈は気付いていなかった。それで、三人は、警護頭に開放されて向かった場所は、誰でも入れる。参山の御神体のような老木の近くに居た。三山では、焚き火は禁止されていたが、修正の偶然の結果で薬草などの植物の収穫を元に戻した事で、輪は許されていた。二人の女性は近くの川で釣りを楽しんでいた。輪は、老木に寄りかかりながらそわそわしていた。釣れた時の為に焚き火を焚いて待っているように装うが、視線は川の反対側を見続け、人を待っていると分かる様子だ。五本の枯れ木が炭になる頃に、春奈が現れた。
「輪様。他の方々は、何所に」
 首を傾げながら問うた。
「近くの川で釣りをしていますよ。二人の声が聞えませんか」
 川の方に指を向け、耳に手を当てた。二人のはしゃぎ様子では、魚が逃げて釣れるとは思えないが、二人の嬉しさが自分にも伝わってくるのを感じられた。
「聞えますわ。本当に楽しそうな声ねぇ」
 春奈は、クスリと笑い。輪に微笑みを返した。
「来て頂いて。本当にすみません」
 座ったままだが、礼を返した。春奈は、首を横に振って気にしないでと伝えた。
「あっ、お腹が空いていると思いまして、握り飯を持って来たのですが、食事は済みましたか」
 春奈は、一緒に食べようとして握り飯を持って来たが、川遊びに夢中になっている為に食事は終わったと思ったのだろう。少し悲しげに俯きながら話をしていた。
「まだですよ。握り飯ですか、二人も喜びますよ。此処に着てからは、自分が釣った魚や果物でしたからねえ。二人を呼んできます」
 輪は目を輝かせながら、二人を呼びに川に向かうが、余りの喜びを感じて途中で振り返り、心の中で感じたまま声を上げていた。
「春奈さんも一緒に食べますよねえ」
 今の輪の姿を、誰が見ても告白の呼び出しと感じるだろう。輪の心の中では恋心を感じている。だが、赤い糸が見える事が確認できなければ、月人と言う事も、それに係わる総てを告白する事が出来ない。もし、月人を捨てる気持ちで赤い糸の見えない人に、それが相思相愛だと感じても、時の世界の自動修正の流が、輪の邪魔に入る。自分だけに降りかかるのなら、もう一度試みるだろうが、総てが相手に降り掛かかる。あの時の悲しみを二度と味わいたくなかった。
「お邪魔でないようならば、一緒に食べようと思います」
 春奈は、親しみを込めた呼ばれ方や、父以外の食事は幼い時以来だった。話し方では遠慮しているようだが、嬉しくて頬が熱くなり、身体からも喜びが溢れていた。
「夏美さん。秋奈さん。釣りよりも握り飯を食べませんか。春奈さんが持って来てくれたのですよ」
「えっ、握り飯」
 二人は一瞬、輪の言葉の意味が分からなかった。山の中に居た為に、この世界で米を栽培しているとは思えなかったのだろう。夏美と秋奈は即座に返事をした。その頃の春奈は、焚き火の前で荷物を置くと、落ち着きがなくうろうろしていた。帰ろうか。待っていようか、考えているようだ。春奈には長い時間に感じた。輪が離れてから、一本のタバコを吸う時間も過ぎてないはずだ。それなのに(私、握り飯を置いて帰ろう)春奈は悲しみを堪えたような呟きを吐いた。春奈の心の中では、今までの事が思い出されていた。巫女にされて、山を降りる事を禁じられた事。人々と同じ人と思われない様にする事。人々と山で会うと敬うしく礼をされるが、通り過ぎた後の、緊張からの溜め息や畏怖からくる引きつった顔を見た時だ。父や血族は畏怖や敬いを望んでいた。その為に自分は巫女にされてしまった。そして、今までの事を思うと、輪や二人の連れは隠れて、自分が立ち去るのを待っているに違いない。そう考えて帰ろうとした。ふっと振り返り、三人が喜び溢れた顔で駆けてくる。それに釣られて、春奈は、微笑を浮かべ手を振っていた。
「春奈さん。お待たせしました」
 輪は何度も頭を下げ言葉を口にした。
「美味しそうね」
「これ、春奈様が作ってくれましたの」
 輪が謝罪している時に、二人は籠を開けながら声を上げていた。
「そうです。お口に合うか分かりませんが食べて下されば嬉しいわ」
 春奈の言葉で食べ始めた。食べながら下らない話で盛り上がっていたが、話も尽きろうとした時に、春奈が話を掛けた。
「輪様。お話があると言われましたわ。どの様な話しなのでしょうか」
 首を傾げながら嬉しそうに問うた。
 二人の女性は、その様子を見て悪魔の様な笑みを浮かべた。
「春奈様に謝らないといけない事が」
 輪は俯きながら言葉を詰まらせた。
「何故です」
 春奈は不思議そうに問うた。
「春奈様から頂いたお守りを、失くしてしまいました。本当にすみません」
 輪は何度も頭を下げながら話を続けた。
「それは酷いですわ。あれは亡き母から頂いた物だったのですよ」
 春奈はくすりと笑いながら偽りを言った。
(私が願いを込めて作った鈴です。壊れたか、失ったのなら、輪様の身代わりになってくれたのね)
 本当に楽しそうな笑顔で会話を楽しんでいた。これほど笑った事は幼い時から考えてない。そう感じていたが、輪は俯いている為に気が付いていないはずだ。
「輪ちゃんは何を考えているの。好きな人からの頂き物を失くすなんて」
 夏美は猫撫で声を投げかけた。自分が鈴を踏みつけて壊した事を知っていて、輪を玩具として遊んでいるのなら恐ろしい人だ。
「何を言うのですか、春奈様に失礼です。私は赤い糸が見え、いや、赤い糸が繋がっている人以外は連れ合いになれないのです。私は赤い糸の導きに逆らえませんから」
 輪は感情を剥き出して、全てを言いそうになったが、恥ずかしさと、時の修正の事を思い出して言葉を詰まらした。
「もう、恥ずかしい人ねえ。貴方も良い年でしょう。そんな事子供でも言わないわよ」
「・・・・・・・・・」
 秋奈は恥かしくて、顔を真っ赤にして黙ったまま俯き。夏美は赤い糸と言うだけでも恥かしくて頬を赤らめた。況して、赤い糸が見えるのだから恥かしさを堪えきれずに、輪の背中を叩き続けた。
「赤い糸。それは何です?」
 春奈は真剣な表情で、夏美に尋ねた。
「本当に分からないの?」
 夏美は話の流れで嘘を言っていると思ったが、春奈の真剣な表情を見て問いに答えた。
「簡単に言うとねえ。結ばれる人と人には目に見えない。運命の赤い糸が小指と小指に繋がっている。そう言われているの」
 自分の話で火照りを感じて、頬に手を当て火照りが冷めたと思ったのか、気の所為と思ったのか、一瞬で手を離した。
「目に見えない赤い糸が、小指と小指に」
 春奈は真剣な表情で小指を見ながら、頬を赤らめながら笑みを浮かべた。
(輪様の赤い糸って、私も小指にあるの)

三人の女性は同時に同じ事を思ったのだろう。輪の指を同時に見詰めた。輪は気付いていないが、想像も出来ない事が起きていた。もしも、運命の女神が存在して哀れに思ってくれたのなら、次ぎのように語るかもしれない。そなたの親や友人が悪いのです。あの亀船で、この世界の均等を崩し過ぎて世界が絡み合ってしまった。その為に歳や育ちは違うが、同じ遺伝子を持つ者をこの世界に連れて来てしまったのです。これを直すには、そなたが行なう普通の修正では直りません。それに、今回は一人の力では直す事は出来ないはず。赤い糸の導きを信じなさい。そう語るだろう。
「何ですか。皆して見詰めて」
 輪の問いで、三人の女性は我に返った。三人は微妙に違うが、ほぼ同じ事を心の中で思い浮かべた。(赤い糸など物語の中だけだわ。今見えているのは目の錯覚よ。いや、本物かな、それにしても不思議よねえ。あれ程目立つのに、皆は何も思わないのかしら。まさか、私だけに見えるの。そんな馬鹿な、おとぎ話のはずよ)
「羽衣が盗まれてしまったのです。名前を言っても解らないと思いますが、夏美さんが肩から掛けている物と同じ物が、盗まれて捜しているのです。あれが無いと世界の修正が出来ずに、この世界に影響を及ぼします。春奈様なら、人とお会いする機会も多いと思いまして、もし見掛けたら教えて下さい」
 本当は告白をしたかったが出来ず。違う話しをする為に顔が痙攣していた。
「修正が出来ないと言いましたわね。又、薬草が取れなくなってしまいますの?」
「その可能性はあります」
 輪は即答した。
「それは早くしなくては成りません。そう思いますが、見た事も聞いた事もありませんわ」
 春奈は悩んでいた。首を傾げて指を額に付けるのが考える時の癖のようだ。
「春奈様。輪様。御連れ方々様失礼します」
 警護頭は、苦い顔で割り込んできた。
「何かありましたのですか」
 皆と楽しい会話の邪魔をされて、誰も気が付かなかったが、春奈は溜め息を吐いた。
「父上様が御呼です。身支度を整えしだいきて欲しいと、だが、巫女姿では無く。そう伝えるように言われました」
 警護頭は理由を知っての苦い顔なのか、それとも、春奈の思いを一生隠し通す為か。
(巫女姿が行けないなんて、何故かしらねえ。嫌な気持ちを感じるわ)
「身なりの整えが終わりしだいお伺いします。そのように伝えて下さい」
 春奈は心の中で呟き、警護頭には心と違う事を言った。 
「畏まりました。そうお伝えします。それでは、これで失礼致します」
 春奈に礼を返し、伝えに向かった。
「輪様。羽衣の事は、私も探してみます。見付かりしだいお知らせしますわ。あっそうそう、鈴の事なら気になさらないで下さい。私が作ったお守りですから又、作って差し上げますわ。何かあれば警護頭に、気難しい顔をしていますが、優しくて頼れる人なのですよ。私は、父の元に行かなくては、それでは、失礼致します」 
 春奈は、輪や彼女達と楽しく過ごした事で、毎日が楽しかった幼い頃を思い出した。特に幼馴染の警護頭の事が、私の知る昔から不機嫌な顔しか記憶になかったが、自分の家族の前でも変わらないだろう。と、遊び仲間の話題にもなっていたが、悪く言う人はいなかった。何か在れば頼りになる人。そう思われ、気持ちの優しい人で相手の心を感じ取り、それとなく力を貸す人だ。とも、思われてもいた。春奈はその時の事を思い出しながら話しをしている為なのか、聞いている相手の心が安らぐような笑顔を浮かべていた。

 第九章
「父上様。参りました」
 巫女服以外は一つしかない。母の手作りの服に着替え父の元に現れたが、目線を合わせずに俯きながら告げた。それが礼儀なのだろう。親と子の接し方には見えなかった。
「それは亡き母が作った衣だな。その衣を渡す時にも言っていた。巫女などになって欲しくはなかった。好きな人が出来た時に、この衣を着て欲しい。そう言っていたな」
 父の声色は楽しい昔を思い浮かべているようには感じられない。今までは、母の事は禁句と言っていたはずだ。それなのに、父は突然に話しを持ち出し驚いていたが、俯いていた為に、父は娘が驚いているに気が付ない。
「御話があると伺いましたが何でしょうか」
 俯きながら問うた。
「それでだ。そなたの母の言っていた事が気に掛かっていた訳だ。お前に良い相手を見付けなければ成らない。そう思い。相手を控室に待たせた。これで心の気遣いが取る。良い思い付きだろう」
 心にも無い事を言っている。それは、誰もが感じる態度だった。
「なっ・・・・」
 春奈は驚き、一声上げ、父を見た。
「良いな」
 父は喜ぶ姿を想像していたが、不満そうな顔を見て、鋭い声を上げてしまった。
「はっ」
 室内に居る家臣は目線で物を言われ、返礼の声を上げ控室に向かった。数分も経たない間に家臣が現れて、一人の男を連れてきた。その人物は身分が在る。誰もが見ても感じる様子だ。服装から判断したのではない。目線や態度で現れていた。その者は自分以外の人を、特に家臣と思える人を同じ人とは見ていないように思えた。家臣の導きが終え、部屋の主を見ると微笑を浮かべたが、やっと人に会えた。そう思える感じだった。  
「参りました。私が礼家の嫡男です。気が早いと思いますが、父様とお呼ぶしても宜しいでしょうか、私の事は礼と呼び捨てて下さい。家長だけ使える名前です」
「良い。良い」
 父は、礼が話す時に髪を弄くる姿を見て、一瞬言葉を詰まらしたが、春奈が幼い時の恥ずかしい時の仕草と同じ為に、この者も恥ずかしいのだろう。そう思い快く答えた。
「準備は出来ているか」
「はっ。出来ております」
 家臣は即座に答えた。
「何時まで脹れている。行くぞ」
 父は娘に声を掛けたが、娘は結婚を決められた事に、ささやかな抵抗をしていた。父には伝わらなかった為に立ち上がり、後を付いて行きながら考えを巡らせていた。(母が亡くなってからは、食事の時は二人だけで過ごしてきたのに、まさか、この男を呼ぶはずがないわ。先ほど母と私の事を気遣っていたもの。まして、私の一生の事ですもの聞いてくれるわ。二人だけになったら、巫女のままが良いというわ。今さら普通の女性に戻れる訳ないもの)
 礼が父の後を何所までも付いて歩く。その後ろを不審な表情を浮かべて、春奈も付いて歩くが、突然顔色が変わった。(まさか)と、大声を上げそうになった。(何故、あの男が食室には入るの。 ああ、顔見せをするのね。その後に、二人で食事をしながら訳を言ってくれるのねえ。父の考えが分からず悲しくなったが、心を落ちつかせ、共に食室に入った。春奈は決められた椅子に座り、先ほどは畏まって居た為に声しか聞えなかったが、人目見て、父が息を詰まらした理由に気が付いた。礼は成人の男子のはず、成人の証は髪を上げて額を出すのが一般的な男子の姿だ。だが、髪を下げ幼い子供のような、男とも女とも見える中性的な姿は巫女に似ていたからだ。父が息を詰まらすほどの嫌悪感は姿かと思ったが、何かの動作をする後とに、前髪を弄らなければ出来ないのか、その事もあるはず。春奈も嫌な感じを受け、その事を父に伝えようとしたが、男は、食室から出る気配がない。顔見せは終わったはず、まさか食事を一緒に食べるの、と、父に目線を向けたが気が付いてくれない。それでも見続けるが、食事が少しずつ運ばれて来るたびに、目頭が段々熱くなり、総てが運び終わる頃は目から涙が溢れでてくる。それを止める事が出来なかった。
「如何したのだ。春奈よ」
 父は、娘が涙を流す姿を見て声を上げた。
「父様。部屋に戻っても宜しいですか」
 此処に居る事に我慢が出来なかった。
「構わん。戻って休むとよい」
 娘が苦しそうに話す姿を見て、最後まで聞かずに言葉を掛けた。
「・・・・・・・」
 春奈は悲しみの為に声が出せなくなり、仕草だけの最高の礼を返して食室を出た。自室に戻る間に警護頭に声を掛けられたが、会釈が精一杯のような姿をして自室に入った。室の前で警護頭は扉を叩こうか、警護する元に場所に戻ろうか、何度も繰り返していた。思い切って扉を叩こうとした時に、部屋から嗚咽声が聞えて何を思ったのか、扉を叩く事も警護する場所とも違う方向に走り出し、自室に駆け込んだ。警護をする場所から離れるという事が、どのような事になるか分かっているはずだ。警護頭は自室から、布のような物を手に取り、真剣な表情から突然に微笑を浮かべた。
(昔を憶えていますか、まだ、共に幼かった頃に言いましたよね。春奈様と同じ歳ですが警護をするのが代々の役目です。春奈様の好きなように振舞って下さい。どの様な事が起きようと、命を懸けて守る事が役目です)
 微笑の間は昔を思い出していたが、突然に苦顔に戻ると自室から駆け出した。何かが吹っ切れたのか、無邪気な少年のような笑顔を浮かべながら、春奈の部屋の扉を叩いた。
「どなたですの」
 春奈は啜り泣き声で問うた。
「私です。春奈様、警護頭を務めている者です」
 警護頭は、春奈の泣き声で昔の思い出と重なった。春奈は幼い時、血筋の為か、それとも、幼い時に良くある、枝が揺れただけで恐怖を感じて、幻覚を見ては、私に石を投げた事が遭った。そして、私です。春奈様、もう大丈夫ですから落ち着いて下さい。その私の言葉で我を取り戻していた。
「何の用件ですか」
 扉を開け、涙を隠すため、俯きながら問うた。
「春奈様。これを使って下さい。これを使えば飛ぶ事も、身を守る事も出来るようです。別の地で新しい生活する事も、輪様達と一緒に旅立つ事も出来ます。後の事は、私が何とか致します」 
 警護頭は笑みを浮かべながら羽衣を手渡すと、警護する場所に向かった。警護の場所に何事も無く戻れた為だろう、微笑を浮かべていた。その笑みに気が付く者は、見慣れている親だけだろう。
(主様が、現われになられた)
 警護頭は靴音が聞え畏まった。この奥の扉は食室で扉は二個あるが、入り口と出口用だ。使用出来る者は二人だけだ。春奈様と、この地を治める最高権力者だけだ。足音は、段々近づいてくる。そして、信じられない事が、それは、自分の目の前で足音が止まったのだ。
「警護頭、何所に行っていた。ん。良い事があったか、お前でも喜びが顔に表れるのだな。今回は珍しい顔が見られたとして許すが、次は無いぞ」
 人を殺せる様な鋭い目線を放ちながら言葉を掛けた。警護頭は恭しく面を上げた。その顔を見ると不思議な物を見たように驚き、微笑みを浮かべた。
「はっ」
 声を掛けられると、即座に畏まる為に膝を折ろうとしたが許された。
「良い、良い。そのまま警護を続けろ」
 恐怖に引きつる顔では、親でも心の隅の喜びは感じ取れないはずだが、さすが、この地の最高権力者だ。顔色で心の隅々を見抜かなければ治められないのだろう。再度許しの言葉を掛けると、娘の部屋に向かった。
「春奈入るぞ」
「父様、何の御用ですか」
 怒りを感じている為に扉越しに声上げた。
「春奈よ。まだ泣いていたのか、二人だけで食事をしないか」
 自分で扉を開けて、娘の元に向かい、頭を触ろうとした時に言葉を掛けた。
「私の部屋に来たのは初めてですね。此処まで来て結婚を勧めに来たのですか、理由を聞かして頂ければ命令と思い従います」
「理由など無い」
 娘に命令と言われて大声を上げた。娘は、父の顔を見ると涙が次から次に溢れ出た。
「あっ、わっ、悪かった。大声を上げて悪かった。理由は本当に無いのだぞ。お前に普通の女性のように、お洒落や会話をしながら食事を楽しんで欲しいだけだ。巫女など辞めて、笑顔の溢れる生活をして欲しいと思っているだけだ。理由など無いのだぞ」
 春奈の涙が止まるまで、笑みを浮かべ、出来る限りに優しく言葉を掛けた。
「何故、礼なのです」
「お前に似ているからだ」
「・・・・・」
 春奈は意味が分からず言葉を詰まらせた。
「言い方が悪かった。嘘が付けず、直ぐに顔や仕草に出てしまう。お前のように嘘を言う必要が無かったのだろう。違う意味で、お前と同じに世間知らず。そう言う意味だ」 
 真剣な表情だが、声は優しい口調のまま話しを続けた。
「結婚をして巫女を止める事でなくて、ただ、巫女を止めて普通に暮らす事は行けないのですか」
 父の言葉が止むと直ぐに問うた。
「今は、私が要るから良いが、私が死んだ時に女一人では何も残せない。結婚をして婦人となれば理由を作れるからだ」
「父様は体が悪いのですか」
 父の話の途中で遮り問うた。
「いや。どこも悪くは無いが、お前くらいの女性が子と楽しく暮らす姿を見ると、私も見たくなった。私が思うのだから、お前も感じていると思い相手を探したが、巫女を辞めたくないのか、だが、私が死ねば強制的に辞める事になるのは確かだぞ」
 春奈の言葉を待った。
「父様。普通の暮らしをして見たいと思いますが、礼では、心が躍る気持ちになりません」 
「心の中に思う人がいると言う事か?」
 春奈のコロコロ変わる顔色や仕草を見ていると、作り笑いでなく無邪気な子供のような笑みを浮かべてしまう。
「あのう、すみません。何て言えば良いのか、礼を見ても楽しみたい事が想像できないのです。想像ができなければ父様が思っている。楽しい笑みが溢れる生活はできません。そう言う事です」
「喜ぶと思ったが、嫌か。礼だが、知る限りの女性には評判は良いと聞いたのだがなあ」
 娘の為に、自分の考えを要れずに、知る限りの女性の考えを聞いていた。
「礼のような軟弱な人でなくて一番強い人と結婚したいです。それで父様にお願いがあります。人を集めるだけ集めて一番強い人と結婚したいと思います」
 春奈は警護頭が勝つと考えていた。噂で、賭け試合では上位三人が常に同じ為に、賭け試合が暫く行なわれていないと聞いたからだ。それに、警護頭は思う人がいるらしい。残り二人は結婚をしている為に、誰が勝っても結婚しなくて済む。そう考えていた。
「春奈は、それで良いのだな。礼のように嫌とは言えないのだぞ。もし、それで礼が勝ったらどうするのだ。礼は、あれでも強いぞ」
「えっ」
 春奈は、礼の見た目と違いに驚いた。
「お前は世間を知らな過ぎる。結婚は保留にする。周りの人々の話を聞いて見ろ」
 娘に失望した。
「父様。世間を知るために、輪様と旅をする事をお許し下さい」
「結婚を保留にしたはずだが、何が気に入らないのだ」
 怒りよりも悲しみが感じられた。
「私は、今気付きました。結婚をすれば、国を治めるか、連れ合いの補助をしなければならないはず。私は人の上に立つ運命です。それならば、世間を知らなければ行けないと気が付いたのです」
 そう話したが、心の中では、輪様たちと共にいれば、幼い時のような喜びが感じられる。春奈は初めて嘘を付いた。悪魔の囁きを聞いてしまい。一瞬だが、魂が奪われた様な笑みを浮かべた。その時に、左手の小指に痛みを感じた。声を上げる程ではないが、小指の皮膚の切れる感覚だった。自分では気が付かないが悪魔に魅入られて、運命の歯車を狂わせられた者だけが、気が付く痛みだ。
「分かった。お前の連れ合い候補で一番近い礼が、供を承知したら考えよう」
「分かりました。それと、巫女頭は明日で辞める事にします。次の巫女頭は、修練頭が適任だと考えます。それ以上の役職だと我らの血族です。使命すれば承諾するでしょう。後々問題が起こる可能性があると思います。明日の夕方までに総ての巫女と話し合って決めますが、恐らく修練頭に決まると思いますが、父様が最終の決定を決めて下さい」 
 巫女の時は、何かを伝える時には巫女言葉を使っていた。父に失礼と考えたが、説得力があると思い。巫女言葉を口にした。
「そうだな。血族には、それとなく聞く事にする。殆どが、娘可愛さで丁重な断りの便りが届くだろう。決定は、夕方までに警護頭に伝える」
 父は、娘の事は頭の隅に置き。政治の事でも考えているのだろう。上の空で部屋から出て行った。居なくなると、明かりを消し床に入ったが、明日で巫女を辞める。そう思うと心が躍って寝る事が出来なかった。話で聞いた様々な景色を思い。知らない内に夢と重なり、夢の中で楽しんでいた。

 第十章
「この服は、もう着る事が無くなるのね」
 春奈は最後の仕事を終え。自室で巫女服を眺め一日を振り返っていた。
「だけど、父の知らせが来る前に、警護頭以上の家々から使いが来て親戚が総て辞めるなんて、何か遭ったの、まさか、私が居たから遣りたく無い巫女をしていたの。それより父が、母の部屋にこいなんて、亡くなってから誰も入れなかったのに、今さら入れると言っても嬉しく無いわよ」
 春奈は独り言では嬉しく無いと呟いているが、母の部屋に入れる嬉しさは、顔色に表れていた。その姿を見かけた。警護人や御用人が話しをしていた。
「春奈様の笑みを始めて見るが、何か良い事が合ったのだろうなあ」
「知らないのか。今日巫女の御役目を、お辞めになったと聞いたぞ」
「気疲れが取れたのだろうか?」
「笑みでなく笑顔が見られるぞ。俺、今日の昼に警護頭の用足しで、春奈様の服や見た事も無い綺麗な首飾りを運んだからな。早く着た姿を見たいな。綺麗だろうなー」
「それだと、礼様と結婚の用意だろう」
 上役が現れると、警護人達は話す事を止めた。見回りの時間なのだろう。その場の残る者や別の場所に向う者と別れていった。 
「父様、父様」
 母の部屋の扉を叩き、声を上げた。その時、約束を忘れているのかのように、父は食室で二人の男と話しをしていた。
「噂は真でした。八尾路頭本家が幼児の双子を残し総て殺されました」
「だが、弓や刀では殺せないはず」
 春奈の父は顔を青ざめていた。
「それが、」
 男は苦やしそうに話し始めた。

 第十一章
「此処はどこだ・・・・・む」
 空中から自分を見下ろしていた。
「病の為に、無意識で力を使ってしまったのか、約束を違える事は出来ない。我ら十二人が総て死ななければ、一族を助ける事が出来ない。純血族の者なら止めを刺せるはず、約束したのだ。守らなければならない、総てを擬人に渡すと決めた事だ」
 半幽霊のような姿をしている者は、足音を立てながら苦しそうに、一人事を呟きながら洞窟から地上に出ようとしていた。
「擬人との混血で力が弱わり、力を持つ者も少なく成ってきた。仕方がないのだ。いずれ力を持つ者が生まれなくなる。今なら、まだ神と思われている内に総てを渡せば、八尾路頭家の血族が生き残る可能性はまだある。だが、何故だろうか、我らの遺伝子を使っているのに、殺し合い、奪い合いをするのか、恐怖から来ると思い、我らは親しみを込めて護って来たはず。今度は我らを怖がるとは分からぬ。我らと同じ遺伝子が八割も有るのに、たかが、二割の猿の遺伝子がここまで変えか」
八尾路頭本家の祖は、月で住めなくなり、この地に移り住んで来た。月と言えば、輪もだが、輪の月の住人は、八尾路頭本家の祖と分かれて、月に残った者だ。八尾路頭本家の祖は、この地が身体に合わない為か出産が減少した。子孫を残す為に動物を改良して、自分達と似た擬人を作り子孫を残す事を考えたが、血族は少数しか生まれなかった。逆に、擬人の子が自然と増えてしい。月人は自身の子が生まれない為だろう。擬人を自分の子のように考え、支配と言う形だが、独り立ち出来るように手助けして来た。だが、擬人同士の争いを止める為に、月人の命が一人、二人と消える事を考え、擬人は擬人に託して永い眠りに入る事を、最後の純血種十二人が、次のように説得した。
「反対する者もいると思うが、我々が擬人を作り十万年経つが擬人は増えて、我らは減る一方だ。総てを託して眠りに就こう。擬人独自の高度な文明が築く未来か、月から離れた同胞が訪れるまで待とう。祖が良かれとした事を十万年も費やしたが変わらないのだ。我の提案に全員が賛同して欲しい。一人でも係われば、我々と似た文明に成り兼ねない。それでは同じ事の繰り返しだ」
 地上の光が見えてくると、昔を振り返るのを止めた。
「何が起きたのだ」
 辺りは焼け跡が広がり。まだ、遠くの方では火が燃え盛り消える事が無く、広がって行く姿が見えていた。
「この地を捨てたのか、だが、あの地は未だ作られていないはず。それよりも、我が生きている事が分かれば一族全ての命が危ない。我の命を早く絶たなければならない。何か声が聞こえる」
 無言のまま。微かに聞える方に夢遊病のように近づいていった。
「話が違うではないか」
 現八尾路頭当主が怒りを表して、問うた。
「違う事はありません。総てを譲ると言われました。総てを譲り受けるだけですが?」
 無表情で淡々と語った。
「全てを渡した。お前らが恐怖を感じるだろう。そう思い。純血種十二人も命を絶った。この地も捨て、何もかも総て渡した。早く子供達を帰してくれ」
「私は総てと言ったのですが、神の力は無くなったが、名は未だ残っている」
「意味が分からぬ。お前らが守護八首竜を殺した事で、我らの名は地に落ちたはずだ」
「神の子の力が、まだ渡されていない。神の子がいれば、王とも神とも言われた十二人を殺されて、何もかも総てを取られた。と言われる恐れがあります。そう考えると微かに残る力が、我らは怖いのです。神の子の彼方がたも死んでいただければ、子供はお助けしましょう。子供だけでは生きられないでしょうから、力を持たない者は助けます」
「我々は恨みなど抱いていない。十二人が死ぬ事も総てを譲ると言った事は、我らから言ったのだぞ。我らは、どの様な約束でも違える事はないぞ」
「私は総てが欲しいのです。本当の神の子がいては神の子に成れません。神の子の名前が欲しい」
「神の子の名前もやろう。元々、父の後を追うつもりでいたのだ。父を埋葬して、新しい地で子供が喜ぶ姿を見た後に、力が有る者は全てが命を絶つ。そこまで、言う必要が無いと思い。言わなかっただけだ。安心しただろう。子供達を放してくれるな」
「後からでは怖いのです。それに、今欲しいのです」
「我らが約束を違えると思っているのか」
「今欲しいのです。駄目なのですか」
「分かった。その前に子供達を放せ」
「何故、先に放せと言われる。やはり恨んでいるのですか、それとも、私を信じられないのですか」
「そうではない」
「それでは、良いではないですか」
「分かった。そなたらの矢で、刀で、なのか?」
「神の矢が有ると聞きます。それで、終わった後で、それも譲り受けて欲しいのです」
「あれは遣れぬ。壊す事にしたのだ。渡したところで使えぬぞ。我らの力を高めて放つ物なのだ」
「ですが、力の無い人でも使えると聞きましたが」
「そなたには、分からないと思うが、力にもいろいろ有るのだ。渡しても役に立たない。意味が無いのだぞ」
「それでも、欲しいのです。そして見てみたいのです」
「そうしよう。持って来てくれ」
 振り向き、一人の女性に声を掛けた。
「はい。今、持って参りますが、駄目だと思います。それでもですか」
 子供達を一瞬見て、聞き返した。変な事を呟くようだが、力が無い者は心が読めるのだ。擬人の心を読んで、皆殺しを考えている。そう言ったのだ。
「頼む、約束は破れぬ。そして後を頼むぞ」
 目で訴えた。
「誰からだ」
 同族が同族を殺す事に涙を流した。
「並んでいる。順番で良いと思いますが?」
 擬人の指示で、八尾路頭家の者が、神の武器と言われた物で、同属の命を絶った。
「これで、子供達を」
「矢を放て」
 神の子と言われた人々の、全ての命を絶った後、振り向きながら呟くが、最後まで話す事が出来なかった。何が起きたかと言うと、神の武器で同属の命を絶った人々を、約束を守らずに、擬人の矢で命を奪ったのだ。最後の一人が倒れると同時に声を上げた。
「後は分かっているな」
「一組の双子を」
「言う必要は無い。後を任せる」
「何所に行かれますので」
「お前らは、お前らのする事をしろ」 
 初めて、人らしい表情を表したが、役目が終り安心した為か、それとも、神の武器を早く手に取りたい。その気持ちが現れたのだろう。
「やはり使えないか、だが神の力を得た」
 死んだ女性の手からはぎ取った。
「総ての計画が終わりました」
「帰るぞ」
 人々は、住みなれた所に戻れる喜びを表した。だが、陽炎のような半透明の者が近づいて来るのを、誰も気が付かないまま、この地を離れた。陽炎のような者が、この場に現れた時には、足跡と死体だけが残るだけだった。
「ひどい・・・・子供まで、惨すぎる」
 一人ずつ意識を確かめては涙を流し。知り合いを思い浮かべては、この場に居ないでくれと願いを込めて歩き回った。
「双子だけが居ない。隠されているのか?」
 耳を澄まし気配を探った。
「移動している。まだ歩け無いはずだ。助けなければ成らない。だが、半不随では追いつけない。八首竜の力が届けば、うっ」
 気配がする方向に体を向けた。その身体は痙攣のような、消えかけているようにも見えた。それが終わると段々と大きくなり、八つの首を持つ恐竜のような光の形が現れた。大地に振動を起こしながら、双子の気配がする。野営の篝火に向って歩き出した。
「この騒ぎ声は何だ。あの音は何だ?」
 渦巻きのように簡易小屋が並び、それを囲むように篝火が焚かれていた。その中心の小屋を一人で使う者が、苛立たしく外に聞えるように大声を上げた。
「八つの首を持つ竜が、双子を渡せと叫びながら、此方に向ってきます」
 警護人が小屋に入り、問いに答えた
「まさか、倒したはずだ」
 声を上げながら、小屋から出た。
「透けて見える。化けて出てきたのか。今すぐに、此処から離れるぞ。我を忘れている者は置いていけ。準備を急がせろ、直ぐに出るぞ」
「その声は富山神家の第二子だな。今すぐに双子を帰せ」
 直接声を聞いた訳ではなかった。相手の心を読み、心に伝えた。
「誰だ。私は約束を交わされた通りにしているだけだ」
「全て殺しただろうが、何が約束だ。お前は知らないだろうが、力を持たないと思っている者は心が読める。お前の心の中を知っていても、信じたのだぞ。我々でも心の中は邪な事を考える。まして、確かな約束を交わし、同じ血の流れる者だ。邪な事を考えるが、殺すはずがないと最後まで信じていただろうに、何故、何故、何故だ。何を言っても仕方が無いが、双子を我に返せ。返せば、全てを忘れる事にする」
「準備が出来たようです」
 合図で知らされ、隣の主人に知らせた。
「行くぞ」
 声と同時に駆け出した。
「待て、双子を帰せ」
 一歩、二歩を踏む時に、突然に半透明な竜が消えた。
「力が途切れたか、助けるまで死ねない。最後の血族だ。この地に一人だけでも残さなければ成らない。一緒に月から離れ離れになった。同胞に知らせなければ、そうしなければ、何も無くなった月が、故郷だと言う事をだぁ」
 半透明な人に戻り、何かを探すように辺りを見回しながら呟いた。
「人だと良いのだが、無理だとしても、何か、鳥か、仕方ない暫く借りる」
 鳥を見つけると、拝む仕草をしながら呟いた。呟き終わると半透明の者は消え、鳥は人々が逃げる反対の海の方向に飛んで行った。

 第十二章
「その双子は、富山神家と八尾路頭家との初の子なのか」
「その子です。そして、その子を掲げて、富山神家から天祖家と改めるようです」
「良いか悪いか別にして、戦は無くなるだろう。血族の男は一人。従うしかない」
 話し終わると、皆は手を合わせ祈った。突然に扉を叩く音が響き、声が聞こえた。 
「礼です」
 男二人は目線で退室の礼を送ったが、春奈の父は、手の仕草で良いと伝えた。
「入れ」
 礼は、床に跪く二人を故意に無視して、椅子に腰掛けた。
「父様。御用があると聞きましたが?」
「父と言うのだから、従うか」
「喜んでお受けします。春奈と結婚すれば一夫多妻になれる。この地が好きですから」
 礼の言葉を聞き、父は眉を顰めた。
「娘を好きだと聞いたが、あれは嘘か」
 他人事のような口調で問うた。
「嘘では無いです。あれ程の美人です。二十五年。いや二十年は春奈一人を愛せますが、その後は分かり兼ねます」
「ほう。如何するのだ」
 口調には、微かに怒りを感じられた。
「善き理解者。良い夫。良い父になれます。ですが、その歳ですと。うっ、ううむ。女性と思えるか分かり兼ねます」
 礼は悩んだすえに、きっぱりと言った。
「今の話を春奈が耳にした場合、春奈は破談したいと言うと思うが」
「言っている意味は分かり兼ねますが、愛する気持ちがあれば、何の障害も無いと思います。それとも、私の愛に嘘があると」
「分かった、分かった。何かと忙しいように感じるが、夕食は共に食べるのかね」
 礼に、春奈の旅を止めるように説得を頼もうと呼んだが、この礼に総てを話しても、春奈に付くか、我に付くか計りかね。成り行きに任せる事にした。そして、人を見る目が落ちたと嘆きながら、夕食に来ない事を祈った。
「私は忙しくありません。夕食は共にと考えていました」
 大げさに考える仕草をして、声を上げた。
「退室して良い」
「はっ。御用があれば何なりと」
 手で退室を示したが、伝わらず言葉を掛けた。礼は育ちの為だと思うが、即座に完璧な返礼をしたが、大げさな仕草は不満を表したように感じられた。
「御用がなければ」
 二人の男も退礼をした。
「春奈が旅に出る事になるだろう。それも合わせて、引き続き頼む」
「はっ」 
 男二人を退室させて、自分も亡き妻の部屋にいるはずの、春奈の元に向かった。
「父様」
 扉を叩くが返事が返らない。中には居ないのだろう。父の使いが、この場に居ないのなら間もなく来るはず。何気無く時間を潰す為に辺りを見回すと、昔を思い出した。 
(母を困らせる為に草花に隠れていたわ。だけど、虫も、扉が見えなくなる事も怖いから、隠れるというよりも、今立つ場所で目線の届かない所を見付けて屈むだけだった。母は、私を捜す時には決まって神様に祈って、直ぐに隠れていた場所を見つけたわ。あの時は不思議だった。母に聞くと、目を瞑り神様にお願いするとね。目を開けた時に、居る場所を見せてくれるのよ。そう笑って答えてくれた。今考えると、この場所に立つと、私が見えていたのね。子供の目線と大人の目線では見える範囲が違うから、でも、今では確かめようが無いわね。
「春奈よ。何を見ているのだ」 
 娘が荒れた庭を見ていたので、不審に思った。
「何も、幼い時を思い出していただけよ」
 父の声の驚き振り返った。
「あれが亡くなってから何も変えていない。どうした部屋に入らないのか」
「この箱は何です?」 
 部屋に入ると箱が目に入った。直ぐには数えられないほど積まれていた。 
「巫女服の代わりに作らした物だ。着たくなければ着なくても良い」
「えっ」
 春奈は、父の話しを聞き驚いた。そして、二人はしばらく部屋の中を見回した。
(あれも、あれも有るわ。あの櫛で母は、私の髪を梳かしてくれた。えっ、あの髪飾りは母が作ってくれた物、でも、巫女になる時に髪を短く切るから、似合わないと言って投げ捨てたはず。本当はあの時、巫女が嫌で八つ当たりで投げたわ。後で捜したけど見付からなかったのに。父様が?)
 父を見詰めて、問い掛けようとした。すると、父から鍵を渡された。
「今までは、巫女の生活があったが、これからは、この部屋で、母が楽しんだように暮らすが良い。まあ、今日は無理だろう。明日は、一日付き合っても良いぞ。それとも人に任せるか?」
「えっ・・・・・本当に手伝ってくれるの」
 笑みを浮かべているが、不信そうな目をして問い掛けた。
「嘘は言わない。この思い出の部屋に、他人は入れたくないのだろう」
「開けて良いの。夕食に着て行きたいから」
 父の優しい顔は始めて見る気がして、駄々をこねるような仕草をした。
「構わないが、汚れるのではないのか」
「此処では着替えません。見るだけです。父様のお勧めはあるの?」
「箱に赤い丸の印の付いている物だ。それだ、時間は経ったがこれで約束は守ったからな」
 春奈のしゃがむ姿が幼い娘の大きさと重なり、幼い時の娘が泣いてせがむ姿に思えた。
「綺麗な服ね。だけど、特別綺麗な服でも珍しくも無いわね。母様との思い出の服なの」
「ううっう。春奈よ。旅に出てしまうのか。父がここまでしても出掛けるのか。ううっ、ううう」
 幼い時の事を忘れた事は悲しいが、巫女の時は表情を変えなかった娘が、喜びで光り輝く姿を見ると、嬉しくて涙が止まらなかった。それを、隠す為に芝居で誤魔化した。
「父様は、芝居が本当に下手ね。父様も人目が無いとふざけるのね。初めて見たわ」
「駄目だと思ったが、やはり駄目か、皆に聞いたのだぞ。娘を止める方法は何かないのかと、そしたら鄭が、娘は、私が泣き顔になると、心の底から心配してくれます。春奈様も、主様の泣き顔を見れば、気持ちが変わるのではず、そう言われた。鄭の初めての提案を試したのだが、駄目か」
「鄭、知らないわね」
「分からぬか。何が楽しいのか、何時も笑っている者だが」
「あーあの人なの。私も声は聞いた事は無いわ。鄭に伝えてください。少しは心が動いたって」
 春奈は、笑いが止まらないのだろう。話す声よりも笑い声の方が多かった。娘は、巫女の時は笑い声など聞いた事がなかった。その声、今の様子を見て気持ちが変わった。
「春奈よ。礼が行かなくとも許す。だが、最長でも一年だ。それに、供は付けるぞ」
「ありがとう。父様」
 満面の笑みで、答えた。
「春奈よ。出掛ける前に、服を着た姿は見せてくれるのだろう」
「はい。夕食の時に必ず。明日の朝食の時もお見せしますわ。それから旅にでます」
 父の芝居のお返しだろう。幼い子がする。ぎこちない会釈で返した。
「そうか。楽しみにしている」
 娘に声を掛けると、部屋を後にした。春奈は、父の後ろ姿を見て、何時もの威厳は感じられず、悲しみを感じた。
「父様御免なさい。口では恥ずかしくて言えなかったけど、父に初めて駄々をこねた服を、憶えていてくれたのですね。父様、ありがとう)
 心の思いを口にしていた。笑みを浮かべながら、母の部屋に入った。
「私も、そろそろ仕度をしないと。だけど、あの服を着るのは少し恥ずかしいわね」
 その服は、子供服を特別に大人用に作ったものだ。父に勧められた服を手に持ち、自室に行った。
 春奈は着替え終わると、自分の姿が恥かしくなり暫く考えていた。
(父様よりも先に食室に入れば、誰にも合う事は無いわ。私を警護する人はいないはずだから)
 春奈は、泥棒か夜逃げでもするかのように、少しずつ扉を開け、人がいないと分かると、扉から少しずつ体を出して部屋を出た。その不審な行動は食室の入るまで続けた。部屋に入ると。父と礼が酌み交わしていた。春奈は、時間に遅れたので無いので、簡潔に礼をすると椅子に座った。そして、料理が並べらあったので食事の挨拶をすると食べ始めた。父は、言葉で言ってくれないが、私の姿を見ると嬉し涙で目が潤み。恥ずかしいのだろう。それを誤魔化そうと、料理を一口食べると目頭を押さえて呟くのだ。
「今日の料理は辛いな。うっうっ」
 私を見ては、何度も繰り返した。礼も褒めてくれるのだが、勘違いをしているように感じられた。
「私を喜ばす為に、その服を着てくれるとは最高の喜びです。うっうう。私も着ていました。今も着たいと思うのですが、人から嫌な目線を受けますでしょう。特に女性は変人扱いですからねえ。春奈様が着ると知っていれば、私も着て来たかった。今からでも許しを貰えれば、相手役の服を着てきますが、宜しいでしょうか」
 礼は、変な礼儀を見せた。
「今の仕草は何です。礼の所では、今の様な礼儀をするのですか?」
 首を傾げて、尋ねた。
「春奈様。その服を着ているのに、知らない振りをしなくても良いのですよ。あの芝居に、あの役者を思い出します。父も母も、あの時は優しかった。父は、私を喜ばす為に専用の芝居小屋を作ってくれたのですよ。家族だけで良く見ました。そうそう、今でも、あの芝居をやっているらしいです。春奈様と二人だけで見に行きましょう。その時は、私も、男性用を着て来ますからね」
 父と礼は幾ら時間が経っても、訳の分からない話や泣き続ける。仕方なく。父に退室の許しを掛けた事で、我に返ってくれたから良いが、言葉を掛けなければ何時までも続いていたはず。春奈は、退室する時に、父に、先ほど礼に、旅の供の話しをしたら承諾してくれた。そう伝えた。礼には、楽しみしています。と、伝えた。何故、満面の笑みを浮かべながら話をしているのか、意味が全く分からなかったが、何所かに連れて行きたい。その言葉だけが意味が分かり。社交辞令で返した。
「春奈さま。おめでとう御座います」
 警護頭は扉が開かれる音を考えると胸が高鳴っていた。巫女に羽衣を渡して逃げるように勧めた事が明かされて、捕らえにくると思う気持ちではなく。数十年間お洒落をした事がなかった。その姿が見られる。そう思うと心が躍っていた。完璧な礼を三歩離れるまでの十五秒間続けた。普段なら労いの言葉を掛けてくれるのだが、我を忘れているように感じられた。
(もー、恥かしいなあ。そんなに見ないで)
 春奈は子供服を着ているのを見られて、恥ずかしくなり、母の部屋へ、慌てて駆け出した。
「春奈様。私も、その気持ちを味わっていました。あの服を着ると、その人物になりきり夢のような心地でした。うっ、うっ、うううっう、春奈様は着て見たい、楽しみたい。その思い殺して、我々の為に青春を捧げてくれた思いを忘れません。一生御仕えします。私は心に決めました」
 使用人の鑑のようだ。表情には表さないが感激の余り、心の中で泣き叫んでいた。
(父様が作ってくれた服に、輪様を悩殺できる服あるかな、うふ。父が選んだのですもの無いわね)
 春奈は、部屋の前に来ると、今まで服を見られて恥ずかしかった事を忘れているようだ。お洒落をする思いは人格を変えるのか、女心は本当に分からない。夢心地もまま母の部屋に入った。
「これを着ようかしら。これも良いわ。この全ての服って、着て歩いている人見たこと無いわ。そういえば、結婚をした友人から言われたがあったわ。結婚生活はママゴトの延長よ。楽しいから貴女も結婚しなさい。そう話した後は、私の事なんて忘れて、楽しそうに、夫に服をせがんでいたわ」
 服を手に取っては、夢想にふけていた。

「うわあ、何これ、殆ど裸じゃないの。このような服があるという事は、裸前掛けの話しは本当の事なの。それでは、この服は全て結婚した人が着る室内着なのかしら」
 輪に、悩殺する気持ちを考えていたのだから想像していても良いと思うが、着た姿を考えたのだろう。恥ずかしくなり体が硬直した。春奈は服を手に持ち、立ったままの状態で夜が明けていた。鳥の囀りで少しずつ硬直が解け出し、深い眠りは、朝日の柔らかい暖かさで少しずつ眠りを覚ます。時計がない時代の天然の目覚ましで起こされた。
「夜が明けているわ。何故なの?」
 時間が過ぎている事に疑問を感じるが、それどころでなかった。食事の時間に遅れる。それで、慌てて箱の中から適当に服を手に持ち、湯浴み場に向った。そして、湯浴みが終わったと言うのに出ようとはしなかった。あれほど時間が無いと慌てていたはずだが、と、言うよりも、適当に持ってきた着替えは、我を忘れた服以上の露出度の高い服で、それを見つめ、立ち尽くしていた。
「巫女様も湯浴みですか、今までの習慣は止められませんね。朝の湯浴みは気持ちいいですからね。うわあ、綺麗な服ね。チョト着るには恥ずかしい気持ちになるけど。私も欲しいわあぁ」
 巫女と話しが出来て嬉しい顔をするが、心の中では悪態を吐いた。
「何故、共同湯浴みにいるのよ。私と違い専用湯浴み場が有ると耳にしましたわ。それに、あの服なかなか手に入らない物じゃないの。私なんて巫女辞めて、この服を一着だけ買ってもらえたのよ。家では巫女服だと言うのに、良いわね」
「結婚していないのに、本当にこの服が欲しいのですか、それとも結婚の予定があるの?」
 目線は相手の服に、そして、春奈だけしか分からない事を呟いた。言われた女性は意味が分からなく、一言だけだが、意味を聞き返した。
「この服と交換してくれませんか、私の服で結婚が破談や迷惑を被った場合は、私が謝罪をします。いや、父に全面的に協力してもらいます。この服も上げます。私が帰ってからで良いのでしたら、貴女が選んだ服を好きなだけ上げますから、それと、それと」
 それを着ないと死ぬかのような姿で、期待の返事が返るまで話し続けたが、話が詰まり、最後は嗚咽を吐くように声を出し続けた。
「結婚、破談、迷惑、謝罪」
 真剣な表情で訳の分からない事を言われて戸惑ったが、何かを説得されているのが伝わり、落ち着かせる為に返事をした。
「分かりましたから、私が出来る事はしますわ。落ち着いてくださいね、ね」
「本当に良いのですね」
 服にしがみ付いて問うた。
「ううう、うん。うん」
 意味が分からないが、承諾してしまった。
「これを、後は、私が帰ってから好きな服を何着でも良いですからね」
「えっ、この服が欲しいの?」
 肩を撫で下ろされ、満面の笑みを浮かべて寄越された服の値段を考え始めた。
「有難う。この御恩は一生忘れません。残りの服は帰ってから、必ず約束は守ります」
 服を奪うように取って着替え終わると、振り返りながら声を上げた。
「私急ぎますから。これで失礼しますわ」
 急いで食室に向かったが、食室では父と礼は席に付いて待っていた。
「遅れてすみません」
 私が席に付くと、父は食事の準備の鈴を鳴らしたが、何も声を掛けてくれなかった。
「昨夜が女傑なら、今日は深窓の麗人ですね。麗しい人は、何を着ても似合いますね」
 礼は昨夜と同じく話し続ける。褒める言葉が尽きないものだと感心していたが、心の声を伝える訳にも行かない為に、笑みを浮かべ頷いると、心の底から考えが膨らんできた。苦労して着飾ってきたのに、父は何も言ってくれないからだ。
「父様は、褒めてくれませんのですねえ」
「鈴音。鈴音」 
 虚ろな目で鈴を鳴らしながら、耳を澄まさなければ聞えない声で囁いていた。
「父様、父様」
 食事の催促の為に鈴をならしている。そう思っていたが、違うと気が付き声を掛けた。
「え。すず、ね。母様が如何したの。父様」 
 礼の声と鈴の音が煩かったが、耳を澄まして聞き取った。
「今着たのか、今まで待っていたのだ。昨夜よりも洒落だな。おおっ母に似てきたな本当に綺麗だ」
 春奈の声で正気を取り戻した。
「えっ、何を言っているの」
 父が記憶の無い事に驚いた。
「少し酔ってきたようだな、声まで鈴音の声に聞えてくる」
 娘が亡き妻に重なり、動揺を誤魔化す為に手酌で飲み続けていたのだが、酔いで段々と娘の記憶が薄れてきた。
「鈴音。鈴音や酌をしてくれないのだな」
「父様。何を言っているの、私は春奈よ」
 酔っているように見えないが、突然、母に間違えられ驚いた。
「え、春奈。す済まない。母に本当に似てきたな、髪を下ろす髪型は、瓜二つだ。鈴音と思ってしまう」
「父様。お酒を止めて食事にしましょう」
「ああ、そうだなぁ。食事にしよう」
 虚ろな目で答えた。
「礼様も話よりも食事にしませんか」
 礼は話と言うよりも、自分の世界に、春奈を入れて一人事を呟いている。春奈は聞いた振りをして頷いていた。
「鈴音。春奈はもう寝たのか?」
「父様。いい加減にしないと怒りますよ」
 顔を赤くして怒りを抑えた。だが、今の春奈の言葉は耳に入らない。耳に入ったのは次の言葉だ。
「この時間に起きていれば、怒らなければ行けないのですよ」
と、娘の話が違う内容で耳に届いた。妻の幽霊が居るのか、酔っての聞き違いなのか、目を開けて白昼夢を見ているのか、それは本人も分からない。だが、妻の声が、姿が見えていた。
「そうだなぁ。寝ていて当たり前だな。時間を考えていなかった。悪かったな、済まん」
 心から愛しい思い出。見詰めながら呟いたが、娘を見る目線ではなかった。
「父様も礼様も、いい加減に悪ふざけを止めて下さい。父の人柄は分かっていますわ。顔の表情が変わらないどころか、瞼も閉じない。蛇よりも冷たくて、血も通わない人のはずです。お酒や可笑しな姿くらいで、表情を変わるわけが無いはずだわ。それに礼様も、何事にも第一に考える事は美しさで、人に笑われる事が死ぬほど嫌のはずです。それとも、私を女性とは思ってないのですね。何時ものように仕草は神々しく艶やかで、話す声は花々のような香りを放ち。蕩ける甘い囁きのはず。私には幼児の様な接し方だわ。男性の接し方のように無視してとは言いませんが、大人として扱って欲しいです。私は、食事も頂きましたから出かけますわ。長くとも一年で帰る約束は守りますから心配しなくてもいいですわよ。あっ、そうだったわ。父様は心配などしませんわねえ」
 春奈は立ち上がり怒鳴り声を上げた。その声で、父は驚き正気に戻った。礼は始めて女性に怒鳴られて気落ちしている。それだけでなく、心に秘めた趣味まで一緒で無いと言われ、女性不審になりそうだった。
「礼様。時間に遅れても待っていませんよ」
 食室を出ようとした時に、何かを忘れたように振り向き、礼に声を掛けた。
「はっはい。遅れません」
 忠実な飼い犬に噛まれたような、脅える様に答えた。
「礼君済まない。世間知らずで礼儀と本心が分からないのだろう。今の事で春奈の供は心変わりしましたかな?」
 謝りの言葉を掛けているが、普段のように表情を変えず、答えしだいでは殺気も表せずに斬りかかる。そう思える話し方だった。
「変わりません。姫を思う気持ちは同じです」
 この場の雰囲気を変える為だろうか、大げさな仕草で、芝居の役を演じているようだ。
「そうか、頼む」
「此れで失礼します」
 簡潔だが優美な返礼を返し自室に向った。
「鈴音。見守ってくれな」
 食室に残る父は、容器に残る最後の酒類を飲み干し終わると、虚空を見詰め呟き。愁い顔から無表情に戻して、食室を後にした。
「姫。お待ちして折りました。御手の物は私奴に、御気遣いなく」
 正式な礼ではなくて、芝居小屋で評判を得る。特に女性に受ける派手な礼をした。 
「礼。お願いね」
 満悦な笑みで答えた。
「有り難き幸せです」
 優美に受け取った。
「ふふうん。ふん、ふん」
 気分は、るんるんで鼻歌まで歌い。輪と二人の女性が待つ、思い出の場所に向かった。
「輪様。羽衣が見付かりましたわ」
 老木が見えると駆け出した。
「行ってしまったの」
 辺りを見渡すと、居ないと思い、一粒の涙を流した。
「巫女様、巫女様。遊びに来たの」
 二人の女性は走りながら声を掛けた。
「夏美さん。秋奈さん。又作ってきましたのですが、食事は済みました」
「まだですよ。早く食べましょう」
 秋奈と夏美は喜びの声を上げた。
「輪様は何所に、渡す物があるのですが」
「食べ物を探しに出ていますが、悲鳴を上げれば直ぐ来ますわ」
「すううっ、きゃー」
「きゃー」
 二人の女性は、輪が現れるまで交互に叫び声を上げ続けた。
「大丈夫ですか」
 顔や手足に木々の擦れ傷を付けて現れた。
「巫女様。輪が来ましたわよ」
「さあ、早く食べましょう」
 二人の女達は、輪の姿を見ても何も感じもせずに、食事の準備を始めた。
「輪様。羽衣と言うのは、これですか?」
 巫女は着替えを入れている背負袋を、背から下ろして、自分でその中から取り出した。
「そうです、それです。見付けてくれて本当に有難う御座います」
 手を震えながら手に取った。
「え。羽衣を探してくれたの。本物なのね。良かった。夏美さん羽衣が見付かったって」
「うん、うん、うん」
 喜びの為に声も出ずに頷くだけ。出てくるのは頷くたびに、一粒ずつ涙が零れ落ちる。
「夏美さんが悪い訳ではないのですよ。泣く事ないじゃないですか」
 輪は、夏美の前で屈み、慰めた。
「あのう。食べませんか」
「夏美さん食べましょう。先ほどまで二人で言っていましたでしょう。又、巫女様の料理が食べたいなって、ねえ、秋奈さん」
「本当ですのぉ。嬉しいですわ。幾らでも食べてください」
 夏美は食事に釣られたのか、礼の姿を見た為だろう。普段の夏美に戻った。
「巫女様。畏まって控えている方を、此方に呼ばないのですか」
 輪が巫女に話すと、夏美たちは、礼に聞えない声で、歓喜の声を上げて紹介を頼んだ。
「礼も此方に来なさい。許します」
「はっ。麗しき姫方々と共に食せる喜び、心より感謝いたします」
「きゃあ。私、姫なんて言われたのは初めて、何て快い響き、そう思いませんか、夏美さん」
 秋奈は頬を赤らめて、うっとりと呟いた。
「私も始めてよ。下心が有っても、この様な人に真顔で言われると、心が動きますわね」
 平常を装っているが目が潤んでいた。
「下心とは何ですのぉ」 
「もう。私に聞かないでよ。輪に聞いて」
 春奈の問いに、夏美は頬を赤らめた。
「輪様。下心とは何ですのぉ」
「子孫繁栄の事と思います」
 春奈が問い掛ける方も変だが、真顔で答える方も変と思うだろう。だが、まだ今の答えは良い方だ。この男は始めての連れ合いと思う人に、次のように答えたからだ。貴女の赤ちゃん製造工場に、原料を入れても良いでしょうか。と、本当の自分の事が言えずに、咄嗟にこのように答えた。勿論、その女性に殴られて終わってしまった。
「子孫繁栄ですか、それよりも、私を、修正の旅の供に加えてくれませんか、父の許しを得ました」

会話の流れで問うたが、言われても意味が分からない。ただ、話すきっかけが欲しかっただけだ。
「巫女様。この方を紹介してくれませんか」
「春奈さん。供の事は嫌だと言わせないから安心して、それで、この方は誰なのです」
 秋奈が熱い視線を、礼に向け声を上げた。夏美も同じだった。
「礼と言います。私の供というよりも、監視人いや護衛人見たいな人です。私も最近知り合いましたので、よく分からないのですが、父には気に入られていますね。礼。後は自分で話しなさい」
 何を言えば良いのか、しどろもどろしていたが、どうでも良くなり、礼に話をふった。
「有り難き幸せです。食事の席だけでなく。私の名前までも心に刻で下さるのですね。私は幸せです。この喜びを、姫方々に、どの様に表したらよいのか。考え付きません」
 世界に一人の天才役者が同じ仕草や言葉を言っても。この男より美しく、人を惹きつける事は出来ないだろう。これで、下心を考えての台詞なら、運命の糸が有ろうが無かろうが、神や悪魔の強制的な力を借りての恋心でも、この男に心を奪われる事だろう。
「礼さん。それ程まで気を使わないで下さいねえ。これで友人になれたのですから」
 夏美は年長者だけはある。平常を装っているが、目も声にも熱い思いが表れていた。
「あっふうう。あっ、ふうう」
 秋奈は、礼に夢中で、顔を真っ赤で瞼を閉じる事もできない。礼から目線を外したくないのだろう。片手で地面を支えてなければ倒れてしまう程に、身も心を奪われていた。
「そうですよ。夏美さんの言う通りです」
 礼は、輪の言葉で一瞬、眉を顰めたが、誰も気が付かない。男と話す事が死ぬほど嫌なのだろう。
「気を使う」
 気を使う事も、された事も無いと思っている為に、言葉の意味が分からなかった。人が聞けば笑い話と思うだろう。だが、今までに、春奈が声を掛けて返る言葉は、仰せのままに、畏まりました。
この、類義語しか聞いた事がなかった。この地を治める父の社に生活していれば当たり前だと感じるだろうが、箱入り娘と言う訳では無い。幼い時に見習いとして巫女修練社に入って歳の近い人達と同じく。いや、それ以上に厳しい修練をして来た事で、誰も世間知らずと思う人はいないはず。だが、巫女修練所は僅かな賃金だが払う為に、朝食から始まり、日が沈むまでを奉仕時間と決められていた。勿論、厳しい規則が有り、礼儀作法の取得から、神聖な三山の施設の人員や清掃などをしていた。奉仕時間内は、私語を話す事が出来るわけもなく。その為に、父の社と変わらない生活をして来たが、皆が、春奈と同じ生活ではない。夕日が沈めば完全な自由だ。稀に、闇夜に一人で自宅に帰り、日当を渡しに行く者もいるが、多くは無料施設で過ごしている。位の高い者は迎えが来るが、巫女の修練で知り合った友人と楽しい時間を過ごす為に、修練所に泊まる者や、時間を遅らせて帰る者が殆どだった。春奈だけは、警護の問題で夕日が沈む少し前に、父の社に帰る事になっていたが、故意にされていた訳ではないだろう。父親の手の空く時間は、警護やその他の交代時間の少しの間だった。春奈はその時間に、間に合うように帰ってくるが、友人がいたとして、友人と過ごす時間と、父の時間を選ぶとしても、父と過ごしたいと答えるだろう。だが、夕日が沈んだ後の修練社では話し声や歓声が聞え、別世界のようになる事を春奈は知らない。もしも、知っていれば友人と過ごしたいと言っただろうか、そして、過ごしていれば、礼が夢中で話した事や、一般常識の欠落はなかったはずだ。
「有り難き幸せです。これで生涯、唯一の友が出来ました」
 礼は大げさな仕草で言葉を返した後に、春奈を一瞬、見詰め、又、話し始めた。
「幸せに思いますが、巫女様の父君様から、如何なる場合でも礼儀を忘れるな。それが、供の条件だと言われています。姫様方々、御気に為さらずに、言葉を掛けてくれた事を心の底から幸せに思い。一生涯忘れません」
 礼以外が、今のように話せば感謝を表していると感じるが、礼が話すと愛の詩に聞えるのは、顔が良いからか、支配する血筋の気品か、大げさな仕草や話し方なのだろうか、全てが合さった結果なのだろうが、春奈だけを除き、二人の女性は聞き惚れていた。
「私は夏美といいますの」
 夢心地で話しを掛けるが、輪に言われた事は忘れていなかった。貴女方の過去の可能性がある為に、名字を明かすと祖先にしわ寄せが行き、世界が狂って元の世界に帰れなくなるか、貴女方が消えてしまう可能性ある。その事が辛うじて頭の隅に残っていた。
「私は、礼と言います。私の心情は女性に使えるのが喜びの為に、名字はありましたが忘れました。礼と御呼び下さい」
「私は輪と言います」
「私は秋奈と言います」
 礼を見て釣り合う女性像を考えていた。元の世界では本を読む事しか楽しみが無かった為に、無数の女性像が頭の中で浮かぶ、その中の深窓の令嬢と決めて、心から演じた。
「秋奈さんは魚釣りが上手いのですよ。私が釣り竿を作りますから、礼さんも、巫女様も魚釣りをやりませんか」
 輪は二人に声を掛けた。
「ほほほ、輪さん何を言うのですのぉ。私は魚釣りなどした事が有りませんわ」
 秋奈は鋭い目線で輪を睨んだ。
「輪様。私を御仲間に入れてくれる。そう言う事のですのねぇ。有難う御座います」 
 破顔して呟いた。
「巫女様。おめでとう御座います」
 礼は畏まって、祝いの声を上げる。
「輪様」
「何でしょうか」
「釣竿を作られると聞えましたが、聞き違いでしょうか、本当でしたら教えを乞いたいのですが」
 話をするたびに顔が痙攣していたが、そのたびに笑みを作り誤魔化していた。それ程、輪と話をするのが嫌なのに続けているのは機嫌取りと思う。それとも、何か良からぬ考えが有るのだろうか。
「良いですが、そうですね。です。ます。それは癖でしょう。止めてと言っても無理でしょうから、輪様。その呼び方は止めて下さい。それなら、喜んで教えますよ」
 礼をどのように考えても、育ちが良いのはわかる。それなのに、幼稚な竿かも知れない物に、教えて欲しいと言われ、喜びで顔が崩れた。
「輪さん教えてください。此れで宜しいでしょうか」
 引く攣りながら笑顔を作る理由が分かる気がした。嫌いな人に敬語を話すのは何でもないと思うが、笑顔を浮かべて、喜びの声色まで作るのは苦痛だろう。だが、二人の女性には、慣れない事を強制されて困る仕草に見えていた。その照れ笑いが可愛くて受けていた。
「私も、夏美と言ってくださいねえ。言わないと仲間と認めませんわよ」
「私も、私も。秋奈と言わないと認めませんわ」
 礼の照れ笑いが見たくて興奮していた。
「二人の美しい姫に言われては光栄に思います。それでは、夏美、秋奈、これで、友と認めてくれますでしょうか」
 照れ笑いもせずに真顔で答えた。
「あっ、ふう」
 秋奈は夢心地で溜め息を吐いた。
「貴方は何を考えていますの。礼儀が生きがいの人と思っていましたのに、本当は下らない考えをしていますの?」
「下らない事と言われても意味が何通りも有ります。数ある中で一番の侮辱の言葉と、夏美が言っている事が一致しているならば、私は心の底から考えていません」
 考え、考え言葉を伝えた。
「何故、恥ずかしくもなく真顔で言いえますの?」
「言っている意味が分かりませんが、貴女方の話し方の方が恥ずかしいです。名前を呼び捨てにして、気を配らない言葉を使う。な、なんて、まっ、まるで夫婦の睦言そのままの会話なんて恥ずかしくて言えません。巫女様も気持ちは同じはずです」 
 話の最後は顔を赤くして慌てて気持ちを伝えたが、これが演技で顔を赤くする事が出来るのなら、生き方を替えた方が、この男の為だと思う。巫女に話しを振ったが、春奈は、ぼんやりと輪を見て、話題に出た言葉の意味を考えていた。気を配る言葉、普通の言葉、愛の言葉、何を言っているの。方言なのかしら。春奈は馬鹿ではない。知識が偏っているだけだ。例えば、薔薇の花が綺麗ね。そう言われても、花の名前が分からない為に、赤くて綺麗な花ね。と、しか考え付かない。幼い時は花の名前も分かっていただろうが、会話と言える話は父とだけだからか、それとも母が亡くなり悲しみを忘れるために、巫女修業に打ち込んだ為だろうか、春奈は、全て忘れていた。春奈は心の中で格闘していた。言葉を、どの様に置き換えても話が繋がらない。その為に、礼の言葉は耳に入ってなかった。
「くす。本当なのね。御免なさい。癖だろうけど大げさな表現や仕草は止めてください。愛の唄の様な、素敵な言葉を聞くのは心地良いけど、私が聞きたいのは礼さんではないわ。聞き慣れして、言って欲しい人が言ってくれた時に感動が薄れるのは嫌だわ。それに、秋奈を見て何も感じませんか、これから一緒に旅をするのですから一番の問題は、貴方が話すたびに、今のような夢うつつの状態では命の危険の恐れが遭って困るわ。私が言いたい事は分かりますでしょう」
 夏美は、礼が顔を赤らめて話すのを見て笑ってしまったが、本心と思い提案をした。
「分かりました。話す時は考えて言葉を選びます。それで宜しいでしょうか」
 いつもの癖の様な仕草が出たが、途中で止めて髪を弄る事で紛らわした。
「巫女様。如何したのです。難しい顔をして何か有りましたか?」
「輪様。聞きたい事が有るのですが宜しいですか。気を使わない言葉、普通の言葉、愛の言葉とは、何を言っているのです」
「巫女様。これから旅に出かけますよね。今答えを言われるよりも、旅の中で、少しずつ自分で見つけた方が楽しいと思いますよ。今気付きましたが、巫女様の父親が旅を許した理由が少し分かったような気がします。私も、礼さんと一緒に必ずお守りしますから、自分で遣りたいと思う事を好きなだけして下さい。知らずに分かってきますから、楽しいかもしれませんよ」
(私が、この世界に戻って来た理由に、関係あるかも知れない)
 最後の言葉は、心の中で呟いた。
「秋奈さん。そろそろ出かけますよ」
「ハイ」
 寝起きのような声を上げた。
「輪様。何所に行きますの」
 春奈は目を輝かせて問うた。
「何所に行く当ては有りませんが、この方向を進みます」
 左手の小指を見て呟いた。
「此方の方向ですと、海に行くのですか?」
 声を弾ませて問うた。
「そうですね。海に行くかも知れませんね。巫女様が行きたいなら必ず行きますよ」
 春奈に問うたが、心の中では違う事を思っていた。巫女様が行きたい。そう言う訳ないのは分かっていますよ。そろそろ秋奈さんが騒ぎ出し、行く事になりますから、あれ、何時もの騒ぎ声が聞えず、秋奈の方を振り向いた。
「秋奈さん。気難しい顔して、何か不満な事でも有るのですか」
「夏美さん。理由が分かりますか」
「海と言えば水着でしょう」
 輪の問いに答えた。
「ねぇ、水着でしょう。海に行くのですもの泳ぎたいわよ。大丈夫。輪さんが何とかしてくれるわ」
「えっ。水着て何ですのぉ」
 小声で呟き、傾げた。
「巫女様。泳服と思います」
 礼は呟きが聞えた訳ではなかった。顔色で判断して言葉を掛けた。
「私が、皆の泳服を持ってきますわ」
 女性の物の為に礼に頼めなく、自分で取りに行く為に、館を振り向きながら呟いた。
「巫女様。港町では色々な泳服が有ると耳にします。港町買われた方が宜しいと思います」
 礼は、巫女に言葉を掛けて引き止めた。
「港町で本当に手に入るのですね。それでしたら、そうします」
 巫女は、全ての言葉の意味が分かって無いだろう。ただ手に入ると言う言葉に頷いただけだ。
 礼も、巫女の不自然な態度を感じ取り、笑みを浮かべた。心の中で、港町で泳服を買い求める時の姿が楽しみだと思った。怒るか、失神するか分からないが、想像して楽しんでいた。
「巫女様。良いのですか」
 輪は肩をすくめ、済まなそうにしていた。
「構いませんわ。私の護衛をする御礼と思って頂ければ、それで宜しいです」
 輪と二人の女性は、今までの会話で春奈の生い立ちと、生活の全てが感じられた。全ての物事に、一瞬の間や手を止める事がある時に、付き人が間に入り全てを補佐されるのだろう。まるで、映画や本の中の人物のように、指を鳴らすだけで自分の考え通りにしてくれて、歩きながら、その部屋の似合う服を着替えるに違いない。と、夢心地に思いに耽り。

一度でいいから映画の中の人物のような生活をして見たい。そう思い。夏美と秋奈は溜め息を漏らした。
「礼。大丈夫なのですね」
 礼に確認を取った。
「巫女様。私達の分まで気配って頂き、有難う御座います」
「いいえ。良いのですよ。私も海に行く楽しみは同じですわ」
 春奈は本当に嬉しそうに、話をしていたが二人が喜んでくれたからでは無いだろう。山から出た事の無い為に、何が何でも行きたかたが、自分からは言えなくて諦めていた。それが、知らない内に行く事が決まり、嬉しくて顔や声に表れていた。
「それでは、そろそろ行きますか」
 掛け声を上げてから、夏美に声を掛けた。
「夏美さん。お願いがあります。今持っている羽衣を、巫女様に渡してくれませんか」
 私が持っていると心配なの、思う事を言葉に出来ず。羽衣を渡しながら別の思いを問い掛けた。
「輪さん。必ず私を守ってくれますね」
「心配しなくても大丈夫ですよ。羽衣は夏美さんを記憶しています。秋奈さんと二人で使っても、飛ぶ事が出来なくなる位ですから、ただし、秋奈さんの声が届く範囲にいてください。あまり離れると人体に影響が無い物は反応してくれません。例えば、蜘蛛とかは避けてくれませんよ」
「分かりましたわ」
 輪の話しを聞くと頬を膨らまして、不機嫌そうに答えた。夏美の気持ちが分かるような気がする。礼の様な言葉を期待していた訳では無いが、もう少し言い方があると誰もが思うだろう。 
「秋奈さんと夏美さんを守るのですよ」
 秋奈の肩にある羽衣に、手を触れて呟いた。羽衣は返事に答えたのか、白から桜色に変わった。
「巫女様。その羽衣は持っているだけで疲れを癒してくれます。私の大切な物ですから失くさないで下さいよ」
 輪は、春奈に総ては伝えなかった。この世界の物や人には係われないからだ。壊れる物は壊れる。死ぬ運命の者は死ななければならない。だが、間接的には助けようと思っていた。例えば、弓の矢が飛んできて危ない避げろと伝えたとしても、当たるかは春奈しだいだろう。羽衣の力で疲労を感じなければ災難を避ける事は出来るだろう。そう考えて、羽衣を渡す事にした。
「私も巫女ですから意味は分かります。御祓いやお守りは、私自身が何かをしなくては何も解決しないのは、分かりますわ」
「そうですね。行きましょうか」
 春奈の解釈に笑みを浮かべ、心の中では、秋奈さん達の場合は赤い糸が無くても、他世界の人ですから弓矢を跳ね返す力が働きます。巫女様。それでも本当に効きますよ。此処から海まで何日あるか分かりませんが、歩きで二日掛かるとして、全力で走り通しても息も上がりません。そうですねえ。今言われた通りに、思ってくれているのなら考えている以上に効くはずです。
 心の中で呟き。この地を後にした。

 第十三章
輪は、二人が旅の仲間に入れる事を心配していたが、この世界の流れに逆らう事が出来ない為に仲間に加えるしかなかった。今では二人が来てくれた事に感謝している。巫女様と礼が着てから、二人の女性は、別人のような変わりようだ。確かに、私が原因でこの世界に連れてこられたのだから、不満をぶつける事は分かるが、人の話はまったく聞かない、注意しても自然を破壊する。もし、世界を自分の物したいと思う魔女がいたとしても。ここまで自己中心な人では無いはず。そう感じていた。それが、二人が大人しくなった理由を挙げれば思い付く事は有る。巫女様の旅の費用で、人並み以上の食事や宿に泊まる事も出来る。大げさかも知れないが、総ての女性に好意を持たれると思う。気品のある付き人がいる。礼を見ていると本当に少しだが、私にも原因が有ったような思いがしてくる。私と礼以外の他の三人は、羽衣の力で超人のような者になっているが、食欲やストレスが無くなる訳ではない。礼は女性に労をおしまない性格なのか、それとも自分の為なのだろうか、定期的に咽を潤す物を買い求めてくるし、宿の手配までしてくる。今思えば宿に着く時間や一日の休憩のような時間は同じ回数だった気がする。旅での休憩の取り方は、珍しい鳥の鳴き声が聞えるから鳥の歌を聞きましょう。心地よい風受けながら花の香りや美しさで心を癒しましょう。そう言って休憩を取るのだ。それだけならば、私にも出来るような気がする。驚くのは何時、用意したのか、飲み物や軽食まで出される。ここまで出来れば、二人が不満を言う暇がない。それに、私に対しての八つ当たりと思うが、辺りを破壊しながら悲鳴なのか、雄叫びなのか分からない笑い声を上げない。それが、一番助かっている。二人の八つ当たりがないのは、礼の飽きさせない会話術のお蔭だ。それと、まさかと思い考えないでいるが、蜘蛛や蛇を見ての悲鳴が聞えないのは偶然出会わないのだろうか、礼も、まさか、そこまで出来ないだろう。そう思う出来事は総て夢。五人で旅に出た日から、今まで本当に何事も起きない為に、何日過ぎたのか分からない。と、言う事は、日がそれだけ過ぎていないのか知れない。私は歩きながら白昼夢を見ているのだろうか、それとも旅の初日は、巫女様のお蔭で、始めて宿に泊まる喜びの余り。まだ初日に夢の中なのだろうか、それでも構わない。夢ならいずれ覚めるはずだ。穏やかな日々が一瞬でも感じられるのなら、夢でも満足だ。あああ、恐怖の笑い声が聞こえてきた。夏美と秋奈の声だ。だが、指に痛みが感じない。自然破壊の木々の悲鳴も聞えて来ない。変わりに心を穏やかにする声が聞こえてくる。やはり夢だったのか。目を覚ましたくない。
「輪様。輪さま。輪さま」
「み、巫女様」
「急に何も言わなくなり、如何されたのですか、何か心配事でもあるのですのぉ」
「間も無く港町に着きますから。それで、どの様な所なのか、思い浮かべていました」
 輪は、自分の顔を抓る代わりに、夢か、本当に港町に着くのかを、春奈で試した。
「巫女様、間も無く港町です。その前に茶店が有りました。御団子でも食べませんか」
「輪様。どうします」
 春奈が問うた。
「休みましょう」
 礼を見ていると、今まで幾つの次元世界に行ったが、運命の人が見付からない原因は自分にあるのか、時の神が礼のようにするのだと諌める為、この世界に来させた。そう思えてくる。
「巫女様。宿代からこんな物まで払ってくれて頂いて、何て言ったらいいのか」
 上目遣いで話した。先ほど、自分を変えようと考えたはずなのに、忘れているような話し振りだ。
 礼の勧めで五人は茶店にいる。茶店といっても普通の家の前に、手ごろの大きさに切った丸太の椅子と、旗に、御茶と、書いてあるだけの作りだ。旗が無ければ普通の民家と思い通り越すだろう。
「いいえ。私の方が、輪様に謝らなければならないと思っていましたわ」
 深刻な表情で話し掛けられた。
「え」
「礼の事ですわ」
「礼さんが、何をしたのです」
 礼の様子を見ながら原因を考えた。
「礼さんは、皆に、本当に良く尽くしてくれています。私も見習わなければ、そう思っていました」
 輪は、照れ笑いのような笑みを作った。
「礼を見習う。何を言っていますの。輪様も感じていると思っていましたわ。私は、輪様が何時怒り出すのではないかと、ハラハラしていましたのです。礼の人柄が分かっていたら連れて来ませんでしたのに、幼い子供でも、礼よりは礼儀を知っていますわ」
「巫女様。ちょと、待ってください」
 意味の分からない事を喚かれて、落ち着かせようとした。
「輪様、な、何でしょうか」
 輪の声で驚いた。
「あのう、巫女様。礼さんに付いてもう少し分かりやすく、と言うか。どの様な所が?」
「どの様な所と言われても。挙げれば切りがありませんのよ」
「私が注意しますから言って下さい」
 輪は一瞬、礼に視線を向けた。
「皆は疲れていないのに、礼が休みたいといえば休む事になりますし、勝ってに出かけ菓子など持って現れますでしょう。挙句の果てにだんだんと調子に乗って、この地に来て、あれを食べなければ恥です。と、言い出して、道を遠回りするはめに成った事もありましたわ。今では悪知恵を働かせて、先に夏美さんと秋奈さんに話をして、後押ししてもらっていますね。その位ならまだ提案をしているのですから仕方ないと思います。私が我慢出来ないのはあの話し方ですわ。幼い子供でも、もう少しましな話し方が出来ると思いますわ。あのような話し方をするのは、輪様を怒らせる為にしているはずです。私は、どうしたら良いか、考えていたのです」
 告げ口をしているような気がしてきて、話の最後は恥ずかしくなり俯いていた。
「巫女様。私は、礼さんが気を遣わなくなって喜んでいたのですよ。私と、巫女様にはまだ、気を遣っていますね。夏美さんや秋奈さん見たいに、まったく気を遣わないで欲しいと思っています」
 輪は、春奈の心の中を打ち明けてくれた事が本当に嬉しかった。
「輪様は、幼い子供のような話し方をされるのが嬉しいのですか、礼は悪巧みを考えて故意にしていると思いますわ。その事や考えが気を遣わない事なのですか?」
「いいえ。巫女様が話しをしてくれたように、心の中で考えている事を、一々整理して話すのでなくて、心の言葉を出す事や、笑みを浮かべる人もいます。人それぞれですよ。巫女様は心が躍っていませんか。言いたかった事言って楽しくないですか、礼さんも楽しんでいるのですよ」
「楽しんでいるのですか」
「そうですよ。遊んでいるのです。巫女様。会話だけでなくて、今やって見たいと思う事がありましたら、直ぐに行動してみたらどうです。旅に出たのですから旅の楽しい思い出を作りましょう」
「そうですわね。私も遊ぶ事にしますわ」
 春奈は、礼と始めて言葉を交わした時の事が思い出された。あの時の礼は、馬鹿にしたのでなくて、私と親しい友人になろうとしていたのね。
 輪は、春奈が幼い子が悪戯を考えた時のような無邪気な笑みを見て、気持ちが伝わった。感じた。
「礼」
 大声を張り上げた。
「はっ、巫女様」
 即座に畏まり。頭を下げ言葉を待った。
「私は旅を楽しむ事にします。礼も旅を楽しみなさい。私が許します」
「有り難き幸せです」
「その話し方もしなくても宜しい。初めて言葉を交わした時の口調でかまいません。礼の好きなようにしなさい。私は友人に対する時の礼儀を憶えました」
 夏美と秋奈は何が起きたのかと、きょろきょろと周りを見ていたが、春奈の言葉を聞くと肩を竦めた。礼は先ほどまでの春奈と輪の会話が聞えていた為か、許しを頂いたお蔭だろうか、一瞬苦笑いを浮かべると、自分の耳にも届かない声で呟いた。
「この方には、どの様な事をすれば伝えられるのだろうか、気持ちが疲れるとか楽しむ事は考えないのだろうか、友人の礼儀を憶えたと言われては話にならない。私が馬鹿を装い話したくない。輪と話すのは分かって欲しかったからだ。好意のある人には砕けた話し方になるはずだろう」
「礼。何故、気難しい顔をしているのです」
 許しを与えたのに、何故かと傾げた。
「巫女様。私は泊まる宿を考えていました。友人の礼儀を憶えたと言われましたが、それでは港町に入る前に泊まる宿は、どの様な物にしたら良いだろうか、悩んでいました」
「何故にですか」
 春奈が呟いた。
「このまま行けば昼過ぎに港に着くのでしょう。早く水着を買って泳ぎたいわ。泊まる所は夕方までに探せば良いでしょう。ねっ」
「港町では予約を取らなければ泊まれないのですか?」
 礼は、夏美と秋奈が不満を表したが相手にはしない。と、言うか。聞えてないようだ。
「巫女様。港町では言葉の伝えも無く、昼過ぎに宿を探すのは、疾しい人と思われるのです。普通は港町に入る手前の宿に泊まり。主人の紹介を得るのです」
「そうですか。なら泊まる事にします」
 無表情で答えた。何も疑問に感じず。ただ泊まる事が規則と思って、答えた感じだ。
「巫女様が港町で、どの様な事をするかに依って宿も変わります」
「何故にですか」
「巫女様みたいな上流階級の方は、上級用の宿が有ります。普通の方でも雰囲気を味わう為に泊まる方もいますが、水着を買って泳ぐだけなら、この手の宿は使わない事を勧めます。

豪遊して目立ちたいと言うなら話は別ですが、どの様にいたしましょうか?」
 夏美と秋奈は、豪遊と聞き騒ぎ始めた。それ見て、輪は顔面蒼白になり頭を抱えた。
「豪遊ね。豪遊ね。豪遊にしましょうねえ」
「私、一度でいいから究極の暮らしをして見たかったの。豪遊にしましょう。ねえ」
「私の事よりも。輪様が、何時でも行動出来る宿にして下さい」
「分かりました。小金を貯めて港町に遊びに来た事に、宿は中の上の位に致します」
 礼は、用件を聞いたが行動に移さずに、悩み事があるような姿で立ち尽くした。
「巫女様。気分を害す恐れがありますので話して措きますが、巫女様の顔が港町では知られていない為、と、言うよりも、此方から明かさなければ信じないと思います。その為に話を掛けられる事があると思いますが、その方々は邪な考えはないのです。人は一人では生きていけない、助け合わなければならない、そう思い話しかけてくるのです。嬉しい事があると幸せを分けよう。そして、相手の悩みを聞いて、幸せの手助けをしよう。そう考えているのです。その方々とお会いした場合は、夏美さん達と接する時のような、態度や話し方をして欲しいのです。ただし、男の場合は、私に話し掛ける時と同じにした方が良いと思います。今話した事は必ずお守り下さい。お守り頂けないと、輪様が困る事になるかも知れません」
「輪様に迷惑を掛けるのですね。分かりました。必ず守ります」
 此処が密室にでもいるかのように、二人は、自分達の世界に入っていた。春奈は、使命感に燃えるように真剣な表情で答え。礼の立ち去る姿の礼儀が、扉の開け閉めに見えたのは冗談なのか」
「巫女様。誰にも迷惑は掛かりません。気にしないで楽しんで下さい」
「大丈夫です。輪様には心配を掛けません。礼が話していたように、女性のような弱い者は助け。見掛けにこだわらずに礼儀を尽くします。輪様を貶める事は致しませんわ」
「えっええ」
 巫女の言葉の意味が分からなかった為、夏美と秋奈は、驚きの声を上げた。
「ねえ。礼の話していた事って、女性の友達は歓迎しますが、男は駄目だ。そう言ったのよね」
 夏美は、自分の考えに自信が無い為に小声で、輪の耳元で話し掛けた。
「・・・・。巫女様。出かけましょうか」
 輪は答えに困り、話を逸らした。
「夏美さん。秋奈さん。如何しましたのですか、行きませんの?」
 巫女は、二人が席を立たない事に疑問を感じて立ち尽くした。
「夏美さん。秋奈さん。礼さんが何か用意しているかも知れないですよ」
 輪は二人の不満な顔は、先ほどの礼と巫女の話に入れなかった為だろう。二人が暴れ騒ぐ前に猫撫で声で、礼に関心を向かせた。
「二人とも、体の具合でも悪いのですか」
「何でもないわ。港町の事を考えていただけ、早く泳ぎたいなって、ねぇ、秋奈もよねぇ」
「そっ、そうよ。海で泳ぐのって初めてだから、綺麗な所なら良いなと考えていたの」
 二人は、礼や春奈の事よりも、輪に無視された事に腹を立てていたが、礼や春奈の前では馬鹿な事は出来ないと思い。渋々席を立ち上がり、四人は茶店を後にした。それ程歩く事もなく、礼と合流すると、驚き立ち尽くした。礼と早く会えた事でなく豪華な馬車が並んで停まっていたからだ。 
「春名様。御待ちしておりました」
 礼と御者の他に、何の為に連れてきたのか十四人が、一斉に同じ声音で答えた。
「礼。その礼儀は良いです。友人の礼儀で」
「うわあ、礼さん有難う。やっぱり、私達の話を聞いていたのですね」
「私の意見を聞き入れてくれたのね。その方達は、私達の世話をしてくれる人でしょう」
 春奈は、夏美と秋奈の悲鳴のような声が重なり、最後まで話す事が出来なかった。
「そうですが」
「礼さんは、豪遊出来る方を選んでくれたのですよ。秋奈楽しみね」
「そうよね。迎えがこの豪華さですから宿も食事も、豪華な衣装も着られるのかしらね。私はこれ以上想像できませんわ」
「秋奈はテレビを見た事はないの。モット豪華よ。ひょっとしたら天蓋の付いた寝台や雲の上を歩いているような感じがする絨毯が敷いてあるのよ。私ね。聞いた事があるの。その絨毯は足首が埋まるらしいのよ。ああ早く感触を楽しみたいわ」
「夏美さん。私が思うには、この地では和風の物しか無いと思いませんか、確かに洋風の馬車に見えますが、近くで見ると和風に近いですよ。私は想像出来ないのですが、夏美さんは和風の豪華と言えば、何を浮かべます」
 夏美と秋奈は世話役が声を掛けられるまで浮かれ騒いでいた。
「御名前は伺っていますが、どの様に御呼びしたら宜しいでしょうか」
 それぞれの馬車の模様の服を着る世話役四人ずつが、女性三人の前で畏まり。同じ言葉を伝えると、声を掛けられるのを待っていた。
「礼さん。豪遊遊びをするつもりですか」
 輪は、礼の耳元で囁いた。
「これでも女性には普通の接待ですよ。男の方は世話役が一人です。馬車も一台で相乗りすると言ったのですが、男性は際限がない為に、接待は止めたそうです」
 礼は、輪に耳元で話され、一瞬渋い顔を表したが、直ぐに親しい友人の顔に変化した。
「御二方の荷物が無いのでしたら、私達は帰らせて頂きます」
 世話役の二人は慇懃無礼に話した。
「ああ、言い忘れていました。本当なら女性の館には入れないのですが、巫女様達と離れないで要られるように、話を通しましたから安心して下さい」
「礼さんには、本当に、いろいろとしてくれて済みませんね。安心しました」
 輪は心からの感謝の現れだろう。話ながら何度も頭を下げていた。
「あの二人の男変わっているよ。金を払ってまで使用人をしたいと言ったのだろう」
「金持ちの家では珍しくないらしいぞ。常に人に命令していると、命令されたくなるらしい。それにな、金持ちの家では成人の儀式で、人に使われる事を学ぶ家訓があるらしいぞ。もっと驚く話を聞いた事がある。雲の上のような人の生活は、箸よりも重い者は持った事が無いらしい」
「えっ。食べる時には茶碗は持つだろう」 
「それが持たないらしい。全ての食べ物を毒味する為なのか、美しい盛り方にこだわるからなのか解らないが、一つの皿には、二口分しか盛らないらしい」
「それで箸以外は持たないのか、味噌汁の時は、如何するのだろうなあ」
「解らない。私らには想像も出来ない食べ方をするのだろう」
 輪の世話役に来た二人は、話し声が聞かれない位離れると、輪達と話していた真剣な表情から顔を崩して話し出した。二人が、この場所から離れる事が合図だったのか、今まで畏まっていた十四人が、再度、声を掛けた。
「どの様な御名前でも御使い頂けます。例えばですが、巫女様と、御呼びする事もできます」
「えっ」
 三人の女性は、ほぼ同時に驚きの声を上げた。春奈だけは意味が分からない驚きだろうが、夏美と秋奈は、自分達の世界ならどのような言葉を使っても聞き流してくれるだろう。だが、この世界では命懸け。それは大袈裟ではないはずだ。それなのに、本当にその言葉を使っても大丈夫なのかと考えが過ぎった。
「春奈さん。三人で巫女様にしませんか?」
 夏美は真剣な表情で話しながら、春奈の表情を窺った。私も含めて咄嗟に使う恐れが有ると思い提案をしたが、今、此処に立つ地での最高権力者の目の前で、夏美の心臓は破裂するのではないか、そう感じた。春奈が笑みを浮かべてくれたので、心から安心した。
「構いませんが」
 春奈は、何故、自分が出てくるのか分からなかった。女性に対しての最高の尊敬語だろうと頭の中で解釈しながら、三人で巫女を演じるのを楽しみに感じた。 
「面白そうね。秋奈巫女様かしら、それとも言い難いから、秋巫女様かしらね」
 秋奈が嬉しそうに呟いた。 
「秋奈さんが、秋巫女様なら。私は春巫女様ですわね」
「私は、夏巫女様にしますわ。それで本当に宜しいのですね」
 世話役人を心配して、夏美は確認を求めた。
「仰せの儘に」
 十四人は畏まり。問いを返した。
「春巫女様」 
「夏巫女様」
「秋巫女様」
「この輿にお乗り下さい。館まで御連れいたします」
 四人の中の、それぞれの長が声を掛けた。そして、三人の女性が輿に乗り終わると、世話役は自分の模様と同じ輿を囲み、それぞれの、世話役の長が輿の小窓を叩いた。
「ん。これを開けるのね」
「宜しければ、出発致します」
「宜しいですわ」
 世話役は許しを得ると、先頭の者に手で合図を送り、小窓を閉めようとした時だ。
「閉めないで、聞きたい事があるの」
 世話役は声を掛けられると、手を止めた。 
「何なりと。私を呼ぶ時は、伊と、他の者も腕章の字の通りに、呂、葉、煮、と呼んで頂けたら直ぐに参ります。夏巫女様」
「分かりましたわ。伊。ですね。伊。巫女様って偉い人なのでしょう。私達は良いとしても、貴方方は、巫女様に怒られませんか?」
 小窓から、春奈に聞えないように囁いた。
「この地来られる方は、必ず問いかけますが、心配はありません。この趣向は、現巫王様と亡き巫女様の提案です。この港町は、巫王と巫女様が御結婚された時に、差別の無い夢の町を作る考えで、この土地を選んだのですが、旧町の有力者の賛同がえられず。人々を集める為に、この遊びを提案されました。先巫女様が亡くなられると、現巫王様は変わられましたが、港町だけの遊びとして許されています」
 他人事のように感情を表す事が無かった。
「そうなの。解りましたわ。それなら、私は心行くまで我が儘をしますわよ。うっ、ふふっふ」
 小窓を自分で閉める目的は、魔女の様な笑みや笑い声を隠そうとしたからだ。
「謹んで、お受けします」
 小窓を閉めながら言葉を掛けた。輪と礼と、規模の小さい大名行列は、太陽が微かに傾くほどくらい進み、館に着いた。
「ほおう。私の世界の倉庫にトラックが乗りつける時見たいですわね。特権階級は、この様な生活をしているのかしら。それとも、この世界が特別なのかしら」
 館の扉が開くと驚きの声を上げた。
「お待ち致して下りました」
「ちょっと。えっ」
 夏美達は声を上げる暇もなかった。
「人の道が切れるまで進みください」
 襖を開けられると、真直ぐに、廊下に女性が両脇に並んで畏まっている。広さは人が並ぶと四人位の大きさで、廊下の先は走ると数十秒は掛かるだろうが、それで驚いた訳では無かった。畏まる女性が手に何かを持ち。私が目の前に来ると立ち上がり、靴を脱がし、衣服を歩きながら着替えさせたからだった。廊下の突き当たるまで、この接待が続いた。突き当たりの襖を開けると、大きい宴会場には、輪と礼が、伊の服と同じ格好して待っていた事に、夏美達は驚いた。
「意味は解りませんが、世話役をしなくては行けないみたいです」
「夏美さん。秋奈さん。春奈さん。何か用がありましたら、私と礼に伝えてください。私達が館の者に伝えます。私達に言い難い事は襖の前で畏まっている人に伝えて下さい」
「温泉が有るらしいの。ほら、春巫女さんも行きますわよ。秋巫女も早くして」
 三人の女性は、輪の話しを最後まで聞いていなかった。
「礼さん。私達は、如何しますか?」
 輪と礼が話しをしていると、年配の女性が襖を開けて入って来た。
「御連れの女性は、此処に戻られるには時間が掛かるでしょから、戻って来られる前に入浴や食事を早めに済まして下さい」
 不満が有るのか、時間に追われているのだろうか、話を伝えると慌しく出て行った。
「待って下さい。湯は何所に有るのです」
 輪は追いかけて尋ねた。
「聞いてないの。付いて着なさい」
 年配の女性の後を付いていくと、館に入る時に通った。従業員専用の出入り口に連れてこられた。
「ここよ。後は中で聞きなさい」
 二人が連れて来られた所は、良く言えば警護人の休憩所と思えたが、薪や食料が詰まれ物置にしか思えなかった。
「こっちに来い。男は、この先に入れんからな、何時、来るのかと食べずに待っていたぞ。早く来い。我慢の限界だ。ほれほれ」
 荷物が置かれた。その置くに、何も囲いのない囲炉裏から手招きされた。
「あのう。湯船は何所でしょうか?」
 量だけを考えた鍋物を、五人で食べながら輪は話し掛けた。

「風呂か。その扉を開けて見ろ。湯が溜まっているだろう。それだ」
「えっ」
 輪が驚くのは当然だった。湯が溜まっている所は、城壁の様な壁から湯が漏れ出して池にしか見えない。それも、普通の家で作る質素な作りで囲いもなく。景色でも楽しめるかと思ったが、館の裏しか見えず最悪だった。
「嫌な顔をするが、それでも、大金を払って入る者もいるのだぞ。女性の残り湯は万病の元に効くと喜んでなあ」
 輪と礼は食欲と疲れでよく食べた。湯に入り。無理やり湯に入らされたが、逃げるように、春奈達が居る部屋に向った。
「ああ、お腹が空いた」
「そおねえ」
 秋奈が夏美に話し掛けたが、上の空で答えられ、春奈は心配になって問いただした。
「如何しましたの?」
「お腹が空き過ぎて話すのも嫌なのでしょう。私も死にそうなの。早く食べましょう」
 三人は歩きながら着替えから全ての身支度を整えられて、部屋の前に着いた時には、又、別の室内着を着せられていた。
「食事が無いわ」
「あら。輪様が食べてしまったのかしら」
 部屋を開けると、輪達が雑魚寝していた。
「秋奈さん。あっ、いや。秋奈巫女様、春奈巫女様。やっと来られましたか」
 輪達は待ちくたびれて寝ていたが、声が聞えて飛び起きるが、世話役の鋭い顔を見て言い直した。
「食事なら、此方です」
「ほおー」
 世話役は案内をする為に待っていたかのように、向いの部屋の襖を開けた。
「すごーい。此処の世界に来て食べられないと思っていた物まで有るわ」
「あれは何でしょうか。食べ物なの」
 皆は驚きの声を上げるが、特に、春奈は旅に出てから始めて感情を表した。
「輪様。後で話が有ります。少しの間待っていて下さい。直ぐ戻りますから」
 春奈は世話役から、輪は食事を済ましたと言われて、自分だけ部屋に入った。
「男性の方は、食事は済まされたはずです」
 輪は豪華な食事を見て入ろうとしたが、慇懃無礼な話し方をしながら襖を閉められた。そして、一時間くらい経っただろうか、三人の女性が現れた。
「輪様。何をしていますの?」
 輪は余りの豪華な食事を見て、意識が遠くなり襖の前で立ち尽くしていた。
「春奈巫女様。食事は食べないのですか?」
「食べましたわ」
「綺麗な女性を見て、我を忘れて楽しい夢を見ていたのでしょう。やぁね。男って」
「輪さんも変見たいだけど、夏美さんも変なのよ。又、落込んじゃったわ」
「春奈巫女様。立っていないで座りませんか。話が有るとか言っていましたでしょう」
 春奈に、部屋の中に入るように勧めた。
「此処で遊ばれるのですね。それでは酒宴の準備をいたしましょうか」
「そうね。果物で良いから少し欲しいわ」
「心得ました」
 世話役が部屋を出ると、用意されていたように、即座に食べ物が運ばれてきた。
「又、だわ」
 夏美ががっかりして、呟いた。
「凄い数の料理ですね」
 料理が並べ終わるまで誰も話さなかった。
「それでも、先ほどよりは少ないわよ」
 部屋が夕食の時より小さい為だろう。それでも、五十人分は有るように見えた。
「踊りや楽隊は、何時頃が致しましょうか」
「大事な話が有りますから。遠慮します」
「御用があれば、御呼び下さい」
 全ての世話役が居なく無くなると、輪が礼に話し掛けた。
「礼さん。これで本当に普通なのですか」
「普通です」
「夏美。あっ。済みません。夏美巫女様。元気ないようですが、何か有ったのですか」
 輪は、ふっと。目線が夏美に向き言葉を掛けた。
「私の考えって、独創が無いのかと考えていましたの。馬車に乗った時から、遣りたい放題の我が儘をしようと考えていましたわ。私が声を掛ける前に、何から何までしてくれるのですもの。我が儘をしている気がし無くて、何だか虚しくなってきたの」
「独創はありますよ。夏美巫女さん程に、人を困らせる考えを思いつく人はいません。いろいろな人と会いましたが、夏美巫女様より自己中な人はいませんでした」
「そうね。想像力は豊富なのはわかるわ。ん。今、自己中とか、何か言わなかった」
「えっ。えっ。えっ」
「話題の豊富な、貴婦人と言いたかったのです。違いますか」
 輪は、自分の心の中の不満をぶつけたが、良い言い訳が思い浮かばず慌てたが、礼の機転に助けられて、夏美が納得するまで首を前後に振り続け、話題を春奈に逸らした。
「春奈巫女様。話しとは何でしょうか」
 春奈の話とは、旅の目的を忘れている。優先するのは輪の修正です。と言う話だった。輪はその話を聞き感激したが、旅の目的は一人でも出来ますから旅を楽しんで下さいと話し、明日の港町の事で話しが盛り上がった。
この部屋を見聞きしていたかのように、話し疲れた頃、最高の頃合に世話役が現れた。
「御休みの用意が整いました」
「有難う。今、呼びに行こうと思っていたのですよ。明日の為に休みましょう」
 輪が話し掛けた。皆が、この部屋を出ようとした時に世話役に止められた。
「正気なのですか。此処からは女性の部屋なのですよ」
 輪と礼に数人の世話役が立ちはだかった。
「男性の方の寝室は、食事を頂いた所で聞いて下さい」
 輪の視線を感じ取り、世話役が答えた。その話を聞き、輪は不安な気持ちで向かった。礼は何が楽しいのか笑みを浮かべていた。やはり出迎えたのは、あの男だった。
「寝室は何所でしょうか」
 輪は相手の気分を壊さないように、引きつきながらも最高の笑みを作ろうとしていた。
「そんなに気を遣わないで下さい。私たちが接待する方なのですから。二人は酒を飲めますね」
「はい」
 輪は、早く床に入りたかったが、話の流れで断れ切れなかった。
「ほう、かなり飲めますね。貴方が普通の方ではないのは分かっています。私達が心を込めて出来る限りの接待をします」
「私は寝室の場所を教えてくれるだけで結構ですから」
「貴方のような方は、此処によく来られますから何も言わなくても良いです。身分の継承に必要なのは分かっています。私達も仕事です。手を抜く事は致しませんが、最後まで出来れば、新人研修修了証を御渡しますよ」
 元軍人と思える年配者の世話役は、輪の話しを全く聞かずに、話し続けた。   
「貴方のような上流階級の人は、この館にいる間だけで済みますが、私達には一生続くのです。何も心配する事はありません。私達が御手伝いすれば必ず最後まで出来ます。第一は、朝まで酒を飲み続けなければなりませんが、一人でなら出来ないかもしれませんが、私達は仕事と割り切っていますから酔う事はありません。さあー飲みましょう。杯を出して下さい」
 輪は今の話を聞き、礼に理由を目線で問いかけたが、礼は真顔で首を振り、分からないと伝えられ、もう少し、礼を見ていられたら、真顔の引きつる様子を感じられただろう。それはまるで、子供が悪戯に成功して笑いを堪えているように見えた。
「もう、飲めないのですか。仕方がないですね。朝までは時間はまだあります。仕方がない。次の段階に行きますか、歌や踊りをして下さい。飲む方が楽しいと思うのですが、仕方がありません」
 輪は理解出来ない理由で強制的に、朝まで飲み続け。終わったのは、女性の世話役の言葉で、やっと終わった。
「三人の巫女様が朝食を供にしたいと言われていましたが、無理のようですね。分かりました。辞退すると伝えときます」
「最後段階です。身だしなみを整え終われば、新人研修終了証を御渡します」
 輪は貰わなくても良いのに、むしり取るように証書を受け取り。早く海に行き眠るぞ。と、心の中で考えた。
「早く出かけましょう」
「えっ。分かりましたわ」
 三人の女性は、輪の別人のような顔付きに驚き。一言しか声が出せなかった。
「礼さん。輪さんは、何故、殺気を放っていますの。分かります」
「早く海に行き、貴女方の永服を早く見たいからと思います」
「まっ」
 夏美は顔を赤らめた。
「何をしているのです。早く行きますよ」
 輪は普段の通りに話しているが、皆には別人としか思えなかった。普段は頭のネジが緩んでいるような笑みと、幼稚園の女性教師が子供をあやすような話し方をする為に、輪を困らせて見たいと思う人が多い。7話を掛けても聞き流されるが、今日の様子は殺人狂が人をいたぶるように感じられた。行動も変だった。今までなら先頭を歩き、所々で振り返り顔色を窺っていたが、今日の輪は、私達の後を、今にも死ぬような歩き方で付いて来る。そして、私達がよそ見をすると、まだ着かないのですか。殺気を合わせながら話し掛けてくる。これでは、町並みを見るゆとりも、会話を楽しむ事も出来ずに、無言で歩き続けた。輪は店に付いても様子が変わらず。何所を見ているのか一点を見続けた。この緊迫感を破ったのが、春奈だった。
「この泳服、裸と同じではないですか」
 顔を赤らめ驚きの声を上げたが、他の客と夏美さん達は、笑みを浮かべながら熱い視線で泳服を選んでいた。声を上げた事に恥ずかしく思い。考えを変えた。これは体を綺麗に見せる強制服なのよ。泳服の中に着るはずよ。こんな姿を人に見せられるはず無いもの。と、心の中で呟き。店内に視線を動かして永服を探すと、輪の視線に気が付き、その元を探した。
「まっ」
 今まで見た物より肌が露出する物だった。輪様は、この強制服を着た姿が見たいの。と、心で思い店員に声を掛けた。
「強制服の他に泳服はないのですか」
「強制服は分かり兼ねますが、店内にある物は全て泳服になっております」
 店員の言葉で気絶しそうだったが、気持ちを落ち着かせて、妥協出来る物を探したが、有るはずがない。如何する事も出来ずに立ち尽くしていた。
「春奈巫女ちゃん。迷っているの。聞いて挙げる。礼さぁん。二枚買っても良いわよね」
「秋奈巫女様。ちょと、その、あの」
 礼は大声に気が付き、頷いた。
「良いってよ。私も二枚にしましょう」
 秋奈の余計な親切で決められた物を見て気絶しそうだった。
「終りましたか。早く海に行きましょう」
 店員が、三人の物を手に取り集計が終わると、輪が声を上げた。
「春奈巫女様。大丈夫ですか」
 礼が支えながら歩く。
「店を出たのですから大丈夫よ。私も店の中の熱気に耐えられない為に、買う物を言って店の外にいましたもの」
「大丈夫です」
 春奈は勝手に決められた泳服の事で、夏美が何を言っているのか分からなかった。ただ、何度も自分に言い聞かせた。大丈夫。大きい湯船と思えば大丈夫。大丈夫。大丈夫よ。湯船と思えば。
「礼さん。いい加減に離れなさい。春奈巫女様の気持ちが落ちつかないでしょう」
 秋奈が、春奈に肩を貸して、礼に問うた。
「礼さん。それにしても、何であんなに夏美巫女の機嫌が良いの。分かります」
 礼は、二人の変わりようを分かっていた。輪は二日酔いで、夏美は、輪が水着を見たいのだろう。と、自分で話した事だ。礼の笑みには、輪の困る姿が見たい。そう思えた。
「輪の態度の変わりようは、何かがあったのかも知れませんが、私には分かりません」
 輪と夏美の後を、春奈は心あらずのように付いて行き。その後ろを秋奈と礼は話しをしながら歩いていた。二人を心配していた訳ではない。ただ気持ちが悪い為に近寄りたくなかった。二人の姿は、夏美は水着を胸に抱き。恥ずかしそうに輪の後を歩いて行く。輪は潮の香りを頼りに死ぬ気で歩く姿はまるで、戦地にでも行くような鬼気迫るようすをしていた。
「私は、此処で休んでいます。好きなだけ遊んできて下さい」
 砂浜に着くと、気力が尽きたのか、千鳥足が縺れたようになり。海が見ると倒れこんだ。
「分かりましたわ。此処にいるのですのねぇ」
「私も此処で休んでいます」

礼も同じ言葉を上げた。
「分かりましたわ」
 三人の女性は、水着店の専用更衣室が在る館に向っていった。
「海に行けば分かる。そう言っていたけど凄い館ね。私ね。掘っ建て小屋と思っていましたわ」
 三人は金銭感覚が分かっていない。巫女は同然だが、二人は少し考えたら分かると思うが、店にいた客は熱い視線を向けるだけで買い求める人が少なかったはずだ。他の店では同じような物で半額以下、そして、安い宿まで借りられる値段だ。
「輪さん。一緒に泳ぎましょうよ。えっ、輪さん如何なさいましたの」
 夏見は、輪の容態が気に掛かり近寄った。輪が気持ち良さそうに寝息を立てていた。
「本当にもー、何寝ているのよ」
「如何しましたの」
 少し遅れて、春奈。秋奈が現れた。
「この男寝ているのよ。私の水着を見たかったはず、そうじゃなかたの。ほんとにもー」
「それで、礼はどこに?」
「私は此処に、夏美巫女様が、一人で現れましたので、この場に居たら邪魔と思いまして」
「この馬鹿はほっといて遊びましょう」
 輪の連れ達が、この場所から離れた事が合図のように、赤い糸が奇妙な動きをした。だが、輪は目が覚めない。赤い糸は一点の方向を示したが、輪は気が付かない。そして、赤い糸は指を締め付けたが、一声を上げただけだった。又、赤い糸は奇妙な動きをしたが、それは、人が考える時の姿に見えたが、一瞬で解けて、先ほどとは違う海の方向を示し、輪を引きずって行った。海に沈められて、輪は、やっと目を覚ました。
「ああっ、はあ、眠い。修正をするのか」
 赤い糸の示す方向に歩き出したが、眠いのだろう。目を擦り、呟き。それを繰り返していると連れの喜びの悲鳴が聞えてきた。
「きゃあ。あはは。もー止めてよ」
 輪は振り返った。大声を上げようと手を口に当て、修正に出かける事を伝えようとしたのだろうが、遊びに夢中なら、その間に、修正を終わらせる事に決めた。
「この指の締め付けだと、かなり気が付かないで寝ていた見たいだ。今からではするべき事は過ぎた後だ。簡単な修正で済んでくれれば良いが、無理だろうなあ」
 輪は呟き終わると顔色を変えた。耳を澄まして目を血走らせ、辺りを見回しながら歩き出した。この姿を見る者がいれば、変人と思われて騒がれるだろうが、この時期の海にしては数える位しか人はいなかった。お蔭で、もし、輪を見かけても飼い犬や猫を探していると思うだけだろう。
「時間が経ちすぎて修正は無理なのか。赤い糸の導きのまま歩いているが、何も見付からない。今までなら一点を示すが、今回は一帯を示すだけだ。今まで通りの修正は無理なのか。寝過ごした為なのは分かるが、大事だけはならないように祈るしかない。それにしても、なぜ人がいない。水着が売られているのだから、泳ぐ楽しみがある筈なのに、この状況も修正に遅れた為なのか?」
 輪は探し疲れたが、休まずに独り言で疲れを癒しているように感じられた。その話を、この土地の者が聞いていたら、ほとんど意味が分からないだろうが、一つは輪を安心させる話をしてくれるはずだった。それは、海岸に人が居ない理由を笑いながら聞ける事だろう。左海岸ではなく右海岸を端まで歩けば分かりますわよ。輪がその話を聞き、歩けば、店屋と人が増えてくるが、段々と粗末な店屋と同じ水着を着る人が増え、自然と店屋ごとに人が分かれる事に気が付くはずだ。極端な例を挙げれば、誰でも好きな所で泳ぎ楽しめるが、もし家族で左海岸の一番豪華な店の前で泳ぎ楽しんでいる時、子供が一杯の飲み物を頼んでしまった。と、する。心臓が止まるほどの金額を請求される事になる。人々は左に行くほど商人の売り込みは際どくなる事を知り。自然と商人魂を避けるように、右側に人々が集まるのだった。輪は、鳥の羽ばたきを聞き駆けつけた。鳥は怪我をしていないが痙攣していた。脅かさないように近寄ったが、突然飛び立ち、輪は、驚きの声を上げた。
鳥が飛びさると、地震のような、津波が来るような音が、頭の中で声が響いた。
「我は、八尾路頭。我の双子を帰せ、一週間の間に帰せば、全ての事は忘れる。我に帰さない場合は、全ての地を水没させる」
 輪は、頭の中で何度も同じ言葉が響き。頭痛を感じながら修正を試みた。
「力ある者よ。我には効かない。ん。先ほど、我の心が入っていた鳥を助けようとした子だな。昔の擬人は全て心優しかった。お前のような者が、まだ要る事を知った。我は怒りを静めよう。一週間後、我は現れる。その時の話しだいでは怒りを現すぞ」
 又、地震のような津波が来るような音がすると頭痛が止み。言葉が止むと、輪は、即座に連れの元に向かったが、途中で逃惑う人々に出会い。何所に、こんなに人が居たのかと驚いた。
「輪さぁん。此処よー、此処よー」
 秋奈が手を振って、輪を導いた。
「礼さんは、何所にいるのです」
「私が、父に伺いに出しました」
 春奈が、即座に答えた。
「礼さんが帰るまで、此処で待ちましょう」
「礼の事は良いのですよ。輪様の仕事を優先して下さい」
「私には手に負えません。私、いや、夏美、秋奈、私が、この世界から消えるのを待ちます。その間は、巫女様の用事を手伝ますから」
「消えるのですか。故郷に帰るのですね」
 春奈は言葉の意味が分からず。首をかしげながら問い掛けた。
「輪さん。修正に失敗しましたの」
 今度は、夏美が、輪に問いかけた。
「はい」
 輪は、簡潔に答えた。そして、安心させようとした。
「そうです。失敗してしまいましたが、二人を必ず元の世界に返します。今回は時間に遅れて無理でしたが、今度行く修正では気を抜きません。必ず帰れますから安心してください」
「私が言いたいのは、焚き火で失敗したのでしょう」
 夏美は、輪を諭すように話した。
「焚き火をしていた訳ではないですが、それに近いですが、それが、どうしたのです」
「それよ。焚き火で駄目なら山火事を起こしなさい。分かった。それを言いたかったの。一度失敗したからって落ち込まないでよ」
「なな、夏美さん。八つ当たりで山火事を起こさないで下さいよ。諦めないで、もう一度やって見ますからお願いしますよ」
「何時ものにやける顔になったわね。苛める楽しみが湧き上がってきたわ。先ほどまでは幽霊よ」
「ねえ。あれ、礼さんじゃないの」
 逃惑う人々と逆に、礼が悠然と歩く姿を見て、秋奈が声を上げた。今までの重い雰囲気が消え、礼を心待ちした。
「礼、早いですね」
 春奈は、礼が近寄ると即座に声を掛けた。
「あの話は相当な広さに伝わっています。私が巫女様の言葉を、緊急連絡人に伝え行った時には出た後でした。これなら、今日中に、御父上から連絡が来るはずです」
 礼は完璧な礼儀で報告していたが、突然立ち上がり、春奈に海水を浴びせた。
「礼。何をするのです」
 意味が分からず驚きの声を上げた。
「これで旅は終りですよ。最後の少しだけの時間です。飽きるまで遊びましょう」
 礼儀の欠片もない態度に、礼は豹変した。
「礼。今の状況が分かっていますか」
 礼は、春奈の話を途中で遮った。
「分かっています。御父上の考えも、貴女の考えも、このままでは貴女の答えは一つ、御父上の考えの通りにするのだろうが、私は嫌ですね。貴女の本当の気持ちなら別ですが。はあー、表情も変えませんね。もう一つの答えもあります。それは御父上も用意しているはずです。この人達と一緒に、共にしていたのなら分かるはずです」
 輪達は、礼の豹変に驚き何が起きたのか。黙って話を聞いていたが、春奈を侮辱しているというよりも、家出をした子供を諭すようにも感じられた。春奈は、どの様に感じているか分からないが、首を傾げる時もあったが、普段通りに話しを聞いていた。 
「楽しい言葉遊びは終りですか?」
 夏美は言葉が途切れると声を掛けた。 
「ん」
 礼と春奈は振り向いた。
「私は、何時お別れしても良いように、楽しい事だけを考えていますわ。今もねえ。終わったのなら、私の話を聞きませんか」
 夏美の話で、輪は、働き蟻のようだ。だが、嬉しそうに走り回り。秋奈は、輪の手伝いをすると言って釣りに夢中だ。礼、春奈は何をしているか分からないまま、夏美の指示に従っていた。夏美は旅の終りを待つのではなく、楽しい旅の続きのままで、終わって欲しいと思うだけだった。
「来たようですよ。春奈さん」
 夜が更け、月明かりや海の音に慣れてきた頃に、鳥が鳴くような砂の音が聞えてきた。
「はい、聞えます。私は海に来てこの音が一番の驚きでした。海の広さや波の音は話に聞いていましたから。でも、砂浜を歩く音ほど驚きませんでした。私は鳴き砂のような鳴く鳥を飼って、輪様達や海での楽しい思い出を浮かべながら生きようと思います」
 鳴き砂の聞こえる方を向きながら呟いた。
「巫女様。御父上から御手紙をお持ちしました。それでは失礼します」
 畏まりながら手渡すと、男は立ち去った。
「えっ」
 夏美は、驚いた。男は供として残る。そう感じたが、手紙を渡すと立ち去ってしまったからだ。
 一つ、武道試合を行なう。
 試合後、最高上位の者に家位級を授ける。
 二つ、新都建設を行なう。
 三つ、春奈の帰宅後、退位を行なう。
 と、書かれていた。
「今直ぐに帰るのですか」
 手紙から目を離さない理由を尋ねた。
「いえ。私の好きにして良いようです」
「私達と旅を続けるのですね」
 秋奈が喜びを表した。
「はい、あっ、手紙を見ますか」
 秋奈に答え、夏美の目線に気が付いた。 
「見たいですわ。あら古語ですわ。それなら読めるわ。かいきゅう、と言うのかしら」
「そうです」
「身分の事ですよね。どの位の地位なの」
「分家の扱いです。血の繋がりが無くても親戚になれる事です。今までは賞金でしたが港町から全ての人々を非難させる為の、一つの考えだと思います」  
 春奈の話の口調には、不安が感じられた。
「素性の知らない者を、親族に入れて大丈夫なの?」
「父に何か考えがあるのでしょう。新都の計画も代替わりの者が決めるはずです。それを作るのですから非難場にするのでしょう。全てが終わった後は何かの施設として使い。その者に任せるはず」
 夏美の問いに答えると言うよりも。自分を安心させるように感じられた。皆は、春奈が帰らないと分かると、明日の行き先や手紙に書かれた意味などを話し合っていた。普段の野宿なら闇に浮かぶ月が傾くほど、口数と同じに焚き火の光も弱まり、二人の男だけが残って交代で休むのだが、今日の焚き火は弱くなる事はなかった。

 第十四章
「探す所は無いわよ。もう止めようよー」
 秋奈が愚痴を零した。春奈は旅を続けられるが、全ての人々が避難したかを確かめるのに協力して欲しい。そう言われ、二日、四日と捜し歩いた。勿論、遊びながらだが、秋奈は飽きたのだろう。
「巫女様。長が動けば士気は上がりますが限度を超えれば邪魔になるだけです。秋奈さん達の言い方は悪いですが、友人と思い話し掛けていると思いませんか?」
「分かりました」
 礼は、言い終わると、春奈の話を聞かずに二人の女性の機嫌を取り始めた。その後を、春奈は暫く歩いた。警護人が町を探索しながら無駄話をしている声が聞え、耳を傾けた。それは、警護頭が試合で上位に残り、明日が最後の試合だと聞いた。皆にも聞え、警護頭の話題になった。礼の話が中心で、口から出るのは悪口だけだ。春奈は黙って聞いていたが、心の中では、幼い頃から最近までの事が思い出され、そして、侮辱する話と重なるたびに、違う。違うと呟いていたが、我慢の限界を越え、大声を上げた。
「警護頭は、礼と闘っても負けるはずがありません。今まで試合に出ないのは、試合は、部下の夢の為にあると言っていました」
「ほう、凄い自信ですね。私に言っても良いのですか。これでも勘当されましたが、春奈さんと身分は同じです。元の身分を言えば勝者だけと闘えます。ああ、巫女様の護衛があるのでした」
 大袈裟な身振り手振りで、怒りを誘うように感じられた。
「私は帰りますから、闘ってみなさい」
「闘いましょう」
 最後の言葉と笑みには、全ての思いを伝え、心底から安堵したように思えた。
「輪様。私から頼んだ旅ですが、これで帰らせて頂きます」
「いいえ。私がお礼を言いたいほど、楽しい旅でしたよ」
 春奈が怒りを表しながら帰る姿を、輪は見え無くなるまで見送った。
「これから何所に行きます。港町を離れる意外なら、何所で行きますよ」
 三人は、残りの二日間は遊びに飽きたのだろう。何気無く過ごし、謎の生物が現れるのを砂浜で待つ事にした。
「今度失敗しても、自棄を起こさないでよ。私はこれで旅が終わると思うと少し寂しいから、慌てて家に帰らなくても良いの」
「私も、帰っても病院生活の戻るのだけだし、旅が長くなる方のが嬉しいわ」
 輪の気難しい顔をほぐそうとしたのか、別れの挨拶のようにも思えた。
「心配してくれて有難う。必ず帰れますよ」
 輪の話が途切れて不審に思った時に、頭の中で声が響いた。
「我の双子は来ていないようだが、話しの内容しだいでは、我に考えがある」
「夏美さん。秋奈さん。羽衣を返して頂きます。良いと言うまで林に隠れてください」
(赤い糸で傷が付かない事を祈るしかない。もし傷が付いても、あの化け物を倒せるはずがない)
 言葉を掛けると同時に、心の中で考え。手渡された羽衣を背中に付けた。その姿は飛ぶという姿ではない。妖精のように浮いているようだ。そして、巨大な恐竜に似た謎の生物に近づいた。
「お前は、何所から来た」
 幽霊でも見たような驚きの声を上げた。
「私は月から来ました」
「嘘を吐くな。月では住めなくなり、我々はこの地に来たのだぞ」
「嘘ではありません。ですが、過去か未来の月なのか分かりませんが、今見える月に係わりがあるのは確かです」
「そうか」
 話しを聞き終わると、全ての思いが吹っ切れた。すると、父や同族の顔が過ぎる。血を絶やすな。絶やさなければ、月で別れた同族と一つになれる。父の最期の言葉だ。そして、幾つかの物語。住めなくなった月に最後まで残り、遠い昔まで時を飛ぶ。そう考える同族もいた。今立つこの地のように、数限りなく、高等生物が生まれて滅んできた。月でも同じ事が起きたはずだ。生物の進化の時間は、月も、この地と同じと考え、後の月人に係わりが起きない昔まで飛び生きる。確かに時を越えられるが、代償の重さにより変わるらしい。そして、海水と地表を代償に使った。成功か失敗か分からないが、今の月になってしまった。月を見る子供を居ると、大人は夢物語のように話しを聞かせた。そうか、生きていたか、そして時間の狭間から出られなくなったか、だが、この男はどの様にして、この地に来たのだろう。初めて会った時は、同族の気配は感じられなかった。
「そこは、楽園なのか?」
「楽園です。今までいろいろな世界に行きましたが、私の生まれた月以上の楽園は無かったです」
「いろいろな世界に行った。と、言う意味が分からぬが、教えてくれないだろうか」
「私も詳しくは分かりませんが、この星の多重世界。いや、この星が無数に重なりあう空間に、私の住む月が一つだけ浮かんでいるのです。そして、連れ合いを探す為に、月を離れてこの星に入り、自分の意思に関係なく、いろいろな世界に飛ばされるのです」
 獣の声の響きが、段々と穏やかな囁きに変わり、このまま気持ちを静めてくれ。そう願った。
「そうか」
 八尾路頭家の生き残りが居れば、孫と話をしていると錯覚するほどの、心優しい響きをしていた。
この地に移り住んだ我々や、宇宙を永遠に彷徨っているかも知れない同胞と、時を飛んだのだろう。その中の同胞で、どの同胞が幸せだったのだろうか、考えても仕方が無い事だ。今まで我や、我の同胞は幸せだった。それで、良いのだ。
「我と、お前は、同じ月人の子孫だ。血族が生きているのならば、お前に従わなくてはならない。お前に全てを委ねるが、今際の言葉を聞いてくれ。我の一族は、幼い双子を残して全て殺された。今はまだ生かされているが、先は分からない。行く先々の時の旅で、双子が生きていれば、手助けしてくれ。頼む。それだけだ、さあ、好きにしてくれ」
「待ってください。双子の事も、私達の過去や月の事も、この星の事も何も分からないのです。知っているのなら教えてください」
「何を言っている。気が変わるぞ」
 輪は、嘘だと分かるが、慌てて考え直した。
「分かりました。私は、時の神に従って時の流れに任せるだけです。貴方が死ぬのか、他の世界に飛ばされるか、私には分かりません。勿論、御孫さんの事も、時の神が、私と御孫さんを合わせてくれた場合は、全ての力を使ってお助けします」
「そうか」
 他人事のように語り。予想を思案した。私は多分過去に行くだろう。月にだけに存在する守護獣が、何故にこの地に居るのか分からなかったが、我の事だと思えてきた。獣は、僅かな言葉しか語らず。殆どは眠っていたが、我の言葉なのだろう。そして、何も語らなくなったのは、我が死んだからなのか、それとも、時を飛んだ事により。我の生命の時間の流れが変わり、時折獣の体に入っていたのか、その答えはゆっくり考えるとしよう。時間だけはあるようだ)
「まだか」
「一つだけ教えて下さい。私達の本当の姿は貴方のような恐竜なのですか?」
 輪は顔を青ざめて、問うた。
「わははははは、違う、お前と同じ姿だ。安心していいぞ」
「分かりました。それでは始めます」
 話すと振り返り、大声を上げた。
「夏美さん。秋奈さん力を貸して下さい」
「えっ。何をすれば良いのかしら」
 木々の間から顔だけを出して、問うた。
「夏美さんが言った通りにします。好きなように騒ぎながら破壊して下さい」
「分かりましたわ。だけど、失礼よ。まるで、化け物のような言い方ね。でも、羽衣が無いのですから出来ないと思いますけど、それでも騒げと言うの?」
「羽衣は、二人に渡しますから、好きなだけ遊んで下さい」
 邪な考えを浮かべる魔女のような笑みを浮かべていたが、突然に悲しみを浮かべ、問うてきた。
「秋奈さんや輪さんとは、これで、お別れになるのですのねぇ」
「多分そうなりますね。成らないと困る事になります」
 輪の話に、夏美は頷いたまま話し掛けた。
「秋奈さん。元の世界に帰れば入院生活でしょう。悔いが残らないように好きなだけ遊びましょう」
「そうね。御別れするのですから、忘れられない思い出にしますわ。輪さんは、見ているだけなの?」
「夏美さんが、教えてくれた。最大な修正をしますよ」
「ふうん。始めから遣ればよかったのに」
「まだなのか」
 殺気を放つ声で呟いた。自分の死も、孫の事や一族の全ての気持ちを殺して、心を穏やかに努めようとしている側で、男女の楽しい騒ぎ声が聞えてくれば、心変わりを考えたくもなるだろう。
「今、準備をしております。少々お待ち下さい。言い忘れていましたが、歩き回っても構いませんから、もう少しお待ち下さい」
「そうか」
 話を掛けられると、肩を下ろしたように感じられ、そして、体を動かすと一点を見続けた。自分の生まれ育った方向にだ。始まったのか、輪が、焚き火と落ち葉を撒き始めると、二人の女性は空中を泳ぎ始めた。その光景を見て陶酔しているように感じられた。確かに数分の間は、昇天する者の気持ちを解し、天国に導いてくれる者と感じた。それは、雲の道を進みながら、大勢の遊女が美しい衣を纏い。歌や舞を踊りで、現世の事を忘れさせてくれる場面に見える。 
「何だ?」
 天国にいる心地だったが、明かりと暑さを感じて、我に返った。周りを見て見ると、火の粉が飛び、山は盛大に燃えていた。それでもまだ足りないのだろうか、二人の女性は火を点けて周、今度は体が熱いのだろうか海に潜り。飛び跳ねると海水は飛び散りまくり。所々に渦が出来上がっていた。今度は何を考えているのか、空中を信じられない速さで飛び回る。竜巻を起こしては、山火事を煽り、海水を巻き上げては歓声を上げていた。輪を見ると、祈りを捧げているようにも。頭を抱えて悔やんでいるようにも見えたが、輪が頼んだ事なのだから、儀式をしているのだろうと感じていた。この場面を二人の女性に言わせれば、海の中を行ける所まで潜りの競争をして、海の水を掛け合っただけよ。山火事は、海の中で遊び終わった後に、焚き火に当たるために、先に火を点けて置いたの。確かに、羽衣があれば寒さや暑さを感じなくても、気分で当たりたかったのよ。そして、飛び回って遊んでいたら、火が拡がったのね。そう、他人事のように言って、二人は頷くだろう。
 輪は余り事に放心していたが、竜が消える予感がして視線を向けた。一瞬の間だけ表情を見たが、笑っているような、驚きの余りに呆れているようだ。獣は、怒りを表しても、ここまでする気持ちはなかったぞ。と、言う目で見られたように思えた。
「楽しかったわ。さようなら」
 竜が消えると同時に、秋奈の体が透けて見えた。自分でも帰る事を悟り、羽衣と同時にお別れの挨拶が終わると消えた。輪は、秋奈の別れ顔を目に焼き付けた。羽衣があるのだから、汗を掻く訳が無いのに、清々しいく生き生きしている顔を見せてくれた。
「終わったようね」
「終わったと言うより。終わらせたと思いますよ。周りを見て下さい」
「あら、あら」
「えっ」
 この状況を見て、それだけですか。と、口に出さずに、心の中で呟いた。
「春奈さんの所からは見えないわよね。見たら、チョット遣りすぎ。そう言われるかも知れないわ」
「たぶん見えませんが、巫女様がこれを見たら、心臓が止まると思いますよ」
「二人で、少し遊んだだけなのに、心臓が止まるなんて大袈裟よ」
「そうですか。私には大袈裟に思えません。港町は全壊。砂浜は、竜巻で飛んで来た岩だらけ」
「止めて」
 夏美は大声を上げて話を止めさせた。
「ほんとにもー、私は羽衣の力を使ったとしても、女性としては恥ずかしい事をしたと感じているのよ。慰めてくれませんの」
「すみません。」
 とっさに、声が出ていた。
「輪様。赤い糸が見え、あっ、いや、赤い糸が繋がって欲しい。そう思える人がいたら、何て言うの。試しに、私に言ってくれませんか」
 恥じらいながら声にした。
「私には、まだ、そのような人は」
しどろもどろに伝えた。
「ほんとにもー、私以上の究極な美しい女性が、これから現れると思いますの」
 怒りを現し話したが、話し終わると恥ずかしくなり俯いた。
「究極。確かにそう思います」
 恐怖を感じて、頷いた。
「聞いて見たいの。私も元の世界に帰るような気がします。それで、月人の愛を伝える言葉を聞いて見たいなー、駄目なの。礼さん程の言葉は期待してないけど、思い出にしたくて、駄目なの?」
「分かりました。夏美さん。私の赤い糸が見えるのでしたら、私の生まれた所に遊びに来ませんか?」
 恥ずかしいのだろう。早口で語った。
「えっ、今のが、愛を伝える言葉なの。礼さんと共に過ごしきたのに、何も感じませんでしたの」
「何か可笑しいですか、母が父に言った言葉を言ったのですが?」
「女性なら良い伝え方ね。男が伝える言葉では無いわ。それで、誰かに言った事ありますの」
「何人かに言いましたが、駄目でした」
「何て言われましたの」
「帰ってこられますの。そう言われた事が多かったです」
「それで、どのように答えましたの」
「すみませんが、帰ってこられません」
「そう言ったの。信じられないわ」
 首を振りながら溜め息を吐いた。
「輪様。私に心を籠めて、礼のような言葉を言う気持ちがありますか?」
「えっ」
 意味が分からず、驚きの声を上げた。
「月人という人種は、貴方のような馬鹿しかいないの。それとも、輪だけが変わっているの。まだ分からないの。ほんとうにもー、輪と繋がっている糸が、締め付けて痛いのよ。分かった」
「えっ」
「私がここまで言ったのですから、礼のような心がときめむく言葉を言わなければ、許さないわよ」
「はい。はい。はい」
 驚きの表情をしていたが、目線は夏美の顔を見続け、何度も首を上下に振っていた。
「はい、は、分かりましたわ。早くして」
 声色は期待に満ち溢れていた。
「無数に在る時の流れの世界に、旅をして来ましたが、春、夏美さん。以上の美しい女性に巡りあった事がありませんでした。偽りではなく心から思う美しさ、理想を遥かに超え過去にも未来にも、これ以上の美しい女性は現れないはず。私の運命の人なのですね。この喜びに神に感謝します」
 目を見続け、手を取り、思いを伝えた。
「夏美さん。私の故郷に来てください。これからの人生に、悲しみを感じさせません」
「今、私の名前を間違えましたわよね。春奈と聞こえた気が、気持ちが変わりましたのかしら?」
 笑みを作っているが、目線や声色は殺気を放ちながら問うた。
「そのような事は」
 輪は竦んでしまい、声は出てこなかった。
「私に嘘を付き悲しませるの。素晴らしい人生を送らせて暮れるのでしょう」
 偽の笑みから泣き顔に変わりながらも、殺気を放ちながら話し続けた。輪は、夏美を見ていると、段々と血の気を失い体が縮んだ。人間を石にする魔法があるとしたら、この様な感じだろう。
「はい。春奈と言いました」
 恐怖を感じたために、息をするにも大変だったが、何故か声を出ていた。
「春奈さんには言ったの?」
「はい、言いました。母が伝えた言葉を言いましたが、赤い糸とは何ですのぉ。そう言葉を掛けられ、赤い糸が見えて無い。そう思うと気を失ってしまい。気が付くと夏美さんと出会いました」
「そう」
「夏美さんの方が素晴らしい女性ですよ。私は本当に幸せと思っています」
 夏美から殺気が消えて、本当に悲しい声色を出されると、恐怖が消え去り自分も悲しくなった。
「そう」
「夏美さん」
「そうよね。赤い糸が見えていたとしても振られたようなものよね。春奈の、あの話し方は警護頭を好きと言ったと同じですもの。それは良いとして、今まで一緒にいたのに、私には運命の人に言う言葉を伝えたい。そう思わなかったの。今幸せとか言いましたわよね。告白されたから嬉しいだけじゃないの。違うと言いたいのなら、先ほどの伝え方では納得しませんから、私が言葉で酔うまで、何度も言って貰いますからね。ほら、初めて」
 時の神が存在して、もし二人の祝福と時の修正も兼ねて、奇跡の贈り物を褒美として与えようとしても、厭きられて帰るだろう。二人は何時までも楽しい遊びをしていた。

 第十五章
「あー居たわ。遺言命の刺繍が背中に見えますわ」
 時の流れを絡ませた張本人達は、最後の目標物を捉えた。
「直接に会うのは止めて帰ろう。人目だけでも見られたのだからな、な」
 訓は、冴子の時とは違い理性が感じられた。自分の息子の事だ。自分が修正をしていた時の事が思い出されて、自分達が息子や同胞の修正の邪魔をしていると思った。それとも男親だからか、女親は男と違い、生命誕生の時の苦しみを思い出せる為に、理性が切れるのだろう。
「だけど、月を出てから可なりの時間が経つのに、連れ合い候補に会えたようにも、女性と係わったようにも見えないわ」
「何故、そう思える」
「あなたは息子が旅立ちの時言いましたわよね。世の中は善人だけではない、少し奇抜な格好をしていれば災難も避ける。そう言いましたわ。男の人の考えは分かりませんが、私や女性から息子の姿を見れば変人と思い近寄りませんわ。私達が伝えなければ、一生あの姿のまま、時の流れから開放されません。それでも良いのですか?」
 連れ合いの話に頷いているように思えたが、違っていた。地上を映す画面を見ていた。
「お前が話している間に録音しながら聞いていたが、運命の人に会ったようだぞ。観て見るか」
「はい」
 気持ちが落ち着くと恥ずかしくなり、小声で少女のような返事を返した。訓は妻の言葉を受けて、数ある中の液晶窓硝子の一つに映像を出した。
「御母さんが話してくれたような。正義の味方があそこで立っているよ」
「見ないようにしなさい」
「お母さんの馬鹿。もう飴玉は要らない。行ってくる」
 少女は、母が厳しい顔で、手を引っ張る気持ちが分からなかった。
「駄目よ。戻りなさい」
 娘は駆け出してしまい、見失った。
「御兄ちゃん。正義の味方だから術の力で、鬼を倒しているのでしょう。凄いよね。お金、ここにいれるね。がんばってね」
「ぶつ、ぶつ、ぶつ」
「御兄ちゃんは、鬼を倒すほど強いから、怖いなんて感じたことない思うけど、でも、箱にお金を一杯いれて欲しいのなら、指に赤い糸を付けないほうが良いよ。御本で読んだ事があるから意味は知っているけど、本当は糸なんて無いのだって、だからね。偽物を指に付けていると、変態と思われて箱にお金を入れてくれないよ。頑張ってね。御兄ちゃん」
 少女は、話を掛けても、呪文に夢中で何も言ってくれない為に頬を膨らませ、愚痴を零した。母親は、やっと娘を見付けたが、人込み挟まれ行く事ができなかった
「沙里華、沙理華。此処よ、此処よ」
「御母さん」
「大丈夫。何もされなかった」
「ん、大丈夫。あのね。いろいろな話しを聞きたくて話し掛けたのに、何も言ってくれなかったの」
「そうなの。御母さんは思うの。誰かを助けていたので、気付かないでいたのよ」
 親子は話しながら家路に向ったが、男の話しがでたのか、時々、男を見ていた。そして、人込みの中に消えていった。
「えっ、何と言った。誰だ、何所にいる」
 今頃気付き、辺りを振り返り見渡した。目線が合ったのは子供だけ、聞き違いと思ったのだろう。又、呪文を唱え始めた。
「なあ、合う必要がないだろう。間も無く帰ってくるから家で待とう」
「はい、帰ります」
 自動追尾録画機を使い、地上にいる息子の映像を妻に見せた。嬉し涙を浮かべて画面を見ていたが、息子の馬鹿な様子を見て笑みに変わり、全てを見終わると自分の時と重なったのだろうか、憂い顔で答えを返した。亀形の船は、夫婦が話し終わると、この世界から消えて、月に帰った。すると、同時に、輪と夏美も同時に消えて、二人が初めて会った大松の前に現れた。
「夏美さん。帰れましたね」
「そのね。これで旅も終りなのね」
「それよりも、夏美さんに聞きたい事があるのですが、教えてくれますか」
 今まで一緒にいて、最高に機嫌が良いと思い声を掛けた。
「なあーに」
「赤い糸は、何時気が付きました」
「ん。恥ずかしいから、内緒」
 夏見は、初めて会った時からに決まっているでしょう。そうでなければ、助けなかったわよ。あの現れ方に、あの姿を見たら幽霊か変態よ。誰だって無視するわよ。恥ずかしさを装って、頬を赤らめていたが、心の中では悪態を吐いていた。
「旅は終わったのでしょう。これから、何所に行くのかしら」
少し怒りを表して、言葉を吐いた
「分からないのです」
 夏美の怒りを感じて、苦しそうに吐いた。
「旅は終わってないのね。まさか、私を置いて消えてしますの」
「私は心底から、一緒に月に行きたいと思っているのですが、飛べないのです。何故なのか。母の話では、連れ合いが見付かれば、直ぐに月に帰れると聞いたのですが、何故、飛べないのだろう」
「あっ」
 突然、夏美が甘い声色の、ため息を吐くと、輪は、夏美の容態を確かめた。夏美は、何か言いたげに、輪の目を見続けた。だが、全てを言わなければ分からないの、そんな表情を浮かべ、泣いているように思えた。
「夏美さん。大丈夫ですか、顔どころか耳まで赤くして、熱でもあるのですか」
「何か重大な事を忘れていると、思うのですが気が付きませんか」
「ああああっ、煎餅を買わなければ」
「本当にもー何を考えているの」
「落ち着いて下さい。なんで、怒るのか分かりませんが、思い出したのです。父の土産は忘れましたが、母の土産を思い出したのです。それを買えば月に行けます」
「月に行って貴方の両親に会うのは分かりますが、私の両親に会って言わなければならない事ありますでしょう」
「何を言うのです」
「月に居る、輪さんの両親に、私を紹介して安心してもらうの分かるわ。私の両親にも会って結婚の許し貰って欲しいの。そして、私の両親に遠回しに会えなくなる事を伝えて欲しいのよ。この世界に帰って来られないのでしょう。何も言わないで居なくなったら心配して捜すわ。それも全てを投げ捨てても、そして、病気になり、嘆きながら死ぬわ」
「心配して捜す。子供が親から旅立てば会えなくなるのは当然のはず。それを捜すなんてそんな事をしたら、子供の人生が狂ってしまいますよ」
「貴方の場合はそうかもしれないわね。私の場合は、突然に消えたのよ。それにね。必ず捜すという訳では無いわ。私が幸せに暮らしていると分かっていれば捜さないわ。だからね。両親を安心させて欲しいの。嘘で良いからね」
「そうですね。芝居を打ちましょう」
「私の父は、簡単には結婚を承諾はしないと思うわ。婿になり家を継ぐと言えば許してくれるけど」
「婿。家を継ぐ。それは何ですか。私に出来る事ですか?」
「はっあー貴方は様々な世界に旅をしたのでしょう。月以外の常識分からないのですか、分かりましたわ。私の世界の常識を全て話しますわ。この世界ではね」

 第十六章
「お婆ちゃん。その後の話しは良いよ。お母さんが怒って、甲斐性無し、と、お父さんに言うと、必ずその話になるから聞き飽きちゃった。そして、さっきの、お姉さんのお父さんが、娘よりもお前さんの方が心配だから、娘を連れて行きなさい。そう言うのでしょう。それよりも、恐竜や綺麗な巫女様や秋奈さんには会ったの。秋奈さんは、やっぱり病院で暮らしをしているの?」
「そよね。別の話しをしましょうね」 
「明。何、大声上げているの」
「お婆ちゃんが別の話をしてくれると、言ったのに寝ちゃたよぉ」
「話し疲れたのね。外で遊んできなさい。起きたら話の続きを頼んであげるから」
「うん。起きたら教えてね」
 不満そうにしていたが、別の楽しみが浮かんだのだろう。外に駆け出した。
「はい、はい、起たらね」
 数十分後、家に帰ってきて、祖母の部屋の扉に視線を向けた。
「お婆ちゃんは起きた」
「まだよ」
「何時、起きるのかな」
 小声で呟いた。
「明、扉を見ていても起きては来ないわよ。それよりも、お母さんの手伝いをして」
 明は、母の手伝いや食事が終わるまでは、祖母の事を忘れていたが、食べ終わると不満を表した。
「まだ、起きて来ないよ。起こして来ようか、お婆ちゃんも、お腹が空いていると思うよ」
「明、お風呂に入って来なさい」
 食事を片付けながら声を上げた。
「もう少しで起きて来るかもしれないよ」
「眠くなったら入らないと言うでしょう」
「絶対入るよ」
「お婆ちゃんも起きて来たら言うわよ。お風呂が終わったらねって、今入らないと、もっと時間を待つ事になるわよ。そうなっても良いの」
「御風呂に入って来る」
 明は、風呂から上がり、祖母がまだ起きて居ない事を知ると、頬を膨らませ、扉を見続けた。その姿を見て、息子が可愛そうになり話し掛けた。
「お婆ちゃん。起きて来ないわね。お母さんも知っているのよ。何の話が聞きたいの、お婆ちゃんでないと駄目かなぁ」
「お母さんも知っているの」
 満面の笑みを浮かべた。
「そおよ。何の話がいいの」
「秋奈さんの話は知っている」
「その話は、まだお婆ちゃんも知らないでしょう。お爺ちゃんが帰って来ないと分からないわ。他に聞きたい話はないの」
「それなら、恐竜の話は知っている」
「恐竜なんて、お婆ちゃん話したの、ああー守護竜ね。何所まで知っているの?」
「消えた所まで」
「恐竜はね。遠い、遠い昔に言ったのよ」
「どのくらい昔に行ったの」
「そうね。このまえ神社に御参りに行って凄く大きい木を見て驚いていたでしょう。その木のお爺ちゃんの、そのまたお爺ちゃん位かな。そこにはね。恐竜の仲間が沢山いるの。だけどね、仲間は生まれた所に帰りたいって泣いているの。あらあら、寝てしまったのね」
 明を優しく抱き上げて、部屋に連れっていた。暫く寝顔を見詰めていると、扉の開く音が聞え確かめる為に、居間に戻った。
「お婆ちゃんなの?」
 恐怖で声を震わせていた。
「驚かせて済まない」
「あら、何をしているの、御父さん」
「お腹が空いて、食べ物を探していた」
 台所から離れ、食卓に腰を下ろした。
「何か作りますね」
「婆さんは」
「寝ています。明に、昔話を聞かせていたのですが、疲れたのでしょう。早くに休みましたから、そろそろ、起きると思うわ」
「やっと終わったよ。最後の秋奈さんに会ってきた。婆さんが起きたら話すからな。先に言っとくが話の途中で消えても、心配するなよ。月に帰るのだからな。お前も月人の連れ合いがいるのだから、分かるだろう。それとなく、明には誤魔化してくれな」
「はい。あの父さん。私の時も、こんなに時間が掛かるの?」
「私達の場合は特別だ。三つの世界が絡まって締まったからだ。お前は大丈夫だ。安心しろ。だが、婆さんが居なくなると子守をしてくれる人もいなくなるし、歪みが消えるから他世界に行く事になるだろう。憶えていないか。三人で他世界を飛び回っていたのだぞ」
「憶えているわ」
 俯き、涙を堪えていた。両親を亡くした事を思い出したのだろう。
「大変だと思うが頑張れよ。運が良ければ、月で会えるだろう」
「そうよね」 
 悲しみの表情から笑みを浮かべ、呟いた。
「ちょっと婆さんを見て来る」
 部屋に入ると、寝具が二台置いてあり。その一つに夏美が眠っている。起こさないように静かに寝具に腰を下ろした。寝顔を見詰めていると気配を感じたのだろう。
 顔の表情が寝覚めるような動きをした。
「あっ、帰っていたの」 
 目を開けると、輪の顔があり、驚いた。
「ああっ、皺のある顔を見ていた」
「やあね、馬鹿。本当にもー何考えているのよ」
 若い時なら、恥かしさを隠すのに平手打ちをしたのだろうが、目線を逸らすだけだった。
「その皺顔が見られないと思うと、目が離せなくてなあ、忘れないように見ていた」
「秋奈に会ったのね」
 破顔して、言葉を待った。
「会ったよ」
「元気だった」
「ああ、それは後で話すから」
「旅は終わったのね」
 喜びというよりも、悲しみが顔に表れた。
「待たせたね」
 二人は扉を叩く音に気が付かなかった。 
「直ぐ、月に帰るの、明にね、秋奈さんの話を聞かせる時間はある」
「明は寝てしまったよ。私達は明日まで入られない。身支度を整える位の時間しかないよ」
「そう」
「私は食事を食べるが、婆さんはどうする」
「もう出来上がっているだろう。冷めてしまう。行こう」
 輪の問いに、夏美が頷くと、支えながら部屋を後にした。
「済まない」
 料理を食卓に並べて、娘が待っていた
「お酒もあるわよ」
「いいよ」
 輪は食事をしながら、秋奈の話を語っていたが、途中で夏美が名残惜しい様に席を立った。娘が気を遣い浴室の用意をしてくれていた。
「綺麗ね。御母さん」
 浴室から上がると声を掛けられた。
「有難う。話は全て聞いたの」
「はい。明の喜ぶ顔が浮かぶわ」
「婆さん行こうか」
 輪は夏美の手を取り、玄関に向った。
 その後ろ姿を見ながら、玄関を出る。その時、別れの言葉を上げた。
「御父さん、御母さん。本当の娘のように育ててくれて有難う」
「私の娘だろう。何を言っているのだ。なあ、婆さん」
「そうよ。月で今度会ったら、妹か弟に会うだろうね。楽しみでしょう」
「うん、うん」
 声を出そうとしたが出せなくて、何度も頷きながら、代わりに涙が零れ出ていた。二人を見送ろうと顔を上げたが、涙目では、もう何も見えなかった。二人にも見えなくなるのが分かっていたのか、手を取り合い楽しそうに話しながら、もう振りかえる事をせずに歩き出した。
「途中までしか聞けなかったけど、秋奈さんは元気だったの」
「他世界に行った事で、病気が良くなったと喜んでいたよ」
「えっ、何で、なの」
「病名や専門的な理由は分からないが、普通の人には何でも無い科学物質が、秋奈さんには毒となり体内に溜まり。それを直すには化学物質の無い所で、生活しながら汗と一緒に毒を出して、体を鍛える事だったそうです。秋奈さんの世界には、その様な場所は無くて、治療の方法も病気名も、知らされなかったそうです。それが一日いなくなって、現れると治っているのですから、皆は驚いて全てを話してくれたそうです」
「秋奈は他世界に行った事を話したの」
 輪に問うたが、答えが分かっていたのだろう。悲しい顔をしていた。
「話をしても信じないと思い、自分でも分からないと言ったそうです」
「そうなの。喜んでいたでしょう」 
「病気が治り本当に喜んでいましたよ。秋奈さんと別れる時に言われたよ。私と又会えて、話もできて良かった。私が現れなかったら、夏美さんと楽しく過ごした事を、夢と思い忘れていたって、そして、私も幸せに生きるから、夏美さんも幸せになって、そう言われたよ」
 輪と夏美は、身体が月明かりに溶けるように消える。まるで、月までの階段があるように空を昇っていた。

早く月に帰りたい

2013年12月6日 発行 初版

著  者:垣根 新
発  行:垣根 新出版

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垣根 新

羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。

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