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夢か現実か幻か

垣根 新

垣根 新出版



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 第一章
結婚式まで一週間前
 時間の狭間にある竜宮城の住人と地球の住人との数々の運命の出会いがあった。その中の一つの出会いの物語である。それは、遥かな昔でも、未来でもない。勿論、平成の現代でもない。この都市は時間の狭間に存在していた。その為に、何時の時間の流れにも存在が出来た。その影響で住人も、何時の時間の流れにも存在が出来るが、普通の人とは違いがある。それは、左手の小指に赤い糸のような感覚器官が、そして、背中に蜉蝣の羽のような器官があった。そのような人々でも、霞だけを食べるのではない。平成の現代人のように様々な物を食べる。
そんな都市の午後。ある料理店に、二人の男女がいた。女性は髪を伸ばして後ろで束ねた。深窓の麗人のような人だ。名前は江見と言い。赤い糸の感覚器官と蜉蝣のような羽がある都市の住人だ。向いに座る者は、男性で、オールバックにしている。色男には見えないが、目が細くて優しい顔だ。男性でも女性でも不審を感じない表情だ。この手の男性が色男と言うのかもしれないが、同じ同族でなく普通の平成の現代人だ。そんな二人の男女が会話をしている。男性は嬉しく、女性も嬉しさを感じるが、微かに不審とも怒りとも感じる表情を表していた。
「江見。私は本当に理想郷があるのに驚いているよ。素晴らしい都市だね。この都市で死ぬまで生活できるのだろう」
「そうよ」
「それだけでも幸せなのに、ここは、物語と思っていた。あの竜宮城なのだろう。羽衣の伝説も、赤い糸も作り話ではないのだからな。本当に驚いているよ」
「私も驚いているわ。薫が、こんなにも女性を喜ばせる人になるなんて驚いているわ」
「え、私が何かしたのか?」
「ふっう」
 江見は、怒りを抑える為だろう。大きな溜息を吐いた。
「ん、褒められている。そう思って良いのかな?」
「あのねえ。斜め向いの女性が、携帯白粉の容器の鏡で、薫を見ていたでしょう。それは良いわ。いい男として見ていたのだからね」
「そうか、気が付かなかった」
「そうなの。知らなかったの。ふ~ん」
「ごめん、気が付いていました」
 薫は、微笑みを浮かべながら話を聞いていたが、話の意味が理解したのだろう。真剣な謝罪と思わせる為だろうか、細い目を大きく開いて、何度も頭を下げていた。
「そうでしょう。私が驚いているのは、前の薫だったら気が付かなかったわ。それだけでなく、おでこを掻く振りをして、目で合図を送ったでしょう。それも二度もね。私は、本当に驚いているわ」
「私の事ではなかったようだぞ」
「なぜ分かるの?」
「私を見て笑っていたし、私の斜め後ろの男性の連の女性が帰ると、同じ席に移動したからな。そう感じたぞ」
「薫。そんなに、その女性に夢中では、私の話を聞いて無いわね」
「聞いているよ。私が、ここに永住する事への、祝いをしてくれるのだろう」
「そうよ。薫の世界で言えば結婚式と同じ儀式よ」
「おお結婚式なのか、その日が早く来ないかな」
「本当に、そう思っているの?」
「本当に思っているよ。何故、そんな事を聞くのです。うっうう」
「昔の薫なら泣き真似は通じたわ。今は嘘を誤魔化しているみたい」
「信じてくれないか、本当に愛しているよ」
 薫は、今にも泣きそうな江見の顔を見て優しく本心を伝えた。
「本当に、そう思っているの?」
 江見は、鋭い目を向けた。
「心の底から愛しているよ」
「本当?」
 ますます、鋭い視線を向けた。
「私からも、一つ聞いて良いかな」
 薫は、江見の事が本気で好きだか、今のように気分を壊すと何を言っても無駄な事だと知っていた。それで、苦し紛れに問い掛けた。
「え、何?」
「竜宮城には、赤い糸を信じない人も居るのだろう。それなら、赤い糸が繋がっている人を探す旅には、出かけない人も居るのかな。そう、今まで考えていたよ」
「それは、居ないわよ。必ず探しに行くわ」
「そうか、巡り合わなかったから、同族と結婚するのかな?」
「違うわ。可なり長い間、時の流れの中を探し回れば必ず巡り合うわよ」
「そうか、それなら何故、赤い糸を信じないのだろう。なあ、江見」
薫は、完全に話しを逸らす事が出来た。そう思い、何気なく問い掛けた。
「それはね。薫のように女が好きで、だらしない人がいるからよ」
「あの、江見」
「なに」
 江見は満面に怒りを表した。
「何でも無いです。何か話しがあるのでしょう。何かな、ねえ、何だろう」
「そうよ。男って皆同じ。私が幼い頃から好きだった人も同じだったわ」
「あの、江見」
「だから、なによ」
「その、昔の想い人は赤い糸が繋がってなくても好きだったのか?」
「え、言わなかった。旅立ちの門を通らなければ赤い糸は現れないの。それで好きな人が居る人は、二人で門を通るのよ。薫のお母さんに会う為に一緒に通ったでしょう」
「あああ、あれが、そうか」
 薫は、話しの意味が解り、笑みを浮かべた。と、言うよりも、江見の怒りが和らいだからだろう。それで、安心したからに思えた。
「それで、その男は何かしたのか?」
「信じられない男だったのよ。私と、その男が、赤い糸が繋がっているかの旅なのに、薫の世界に行くと直ぐに、女性を見かけると声を掛けるのよ」
「うんうん」
 薫は、何も答えずに頷いていた。何か声を掛けると、江見の気分を壊しかけない。そう思ったからだろう。
「そうでしょう。でもね。赤い糸だけを信じる一途な人。そう思って、ますます好きになったわ。だって、赤い糸が繋がってなくても。私、女性の象徴も大きいし、顔も性格も良いでしょう。それなのに、他の女性を探すから、そう思うわよ。そうでしょう」
「うんうん」
「でも。その男は、女性に声を掛けていた理由は、赤い糸を探すのでなくて、私が固い女性だから遊びで声を掛けていたのよ。私、偶然、睦言を聞いてしまったの。その男の口から出る言葉は全部、私の悪口だったわ。頭にきて、赤い糸だけを信じる事にしたのよ」
「うんうん」
「薫も酷い人と思うのね。あれは、神の試練だったのよ。あの男の名前も全て忘れて、赤い糸を心の底から信じたら、違う場所、別の地の時の流れに飛んでいたわ」
「そうか、突然に別世界に行ったから、甲羅が割れて探す事になったのか」
「違うわ。あれは、二年前」
「え、時の流れを飛んでいるのに、正確な日時が分かるのですか、え、何故です」
 薫は、驚きの声を上げた。
「そんなに、驚かなくても分かるでしょう。時を飛んで、その世界の均等を崩さない為に世界に合わせて若返ったりするわ。連れ合いと会うまで死なないけど、肌の荒れと言うか、筋肉の衰えとかで歳を取ったって感じるわ。それに、竜宮城を出たのが、桜が満開だったでしょう。あの彼氏の名前忘れたけど、二人で着いた地では桜が散っていたわ。あの男と分かれたのが、間もなく桜が咲く時期よ」
「なるほど、誤差はあるが、そう考えれば分かる。最低でも約一年の間、その地に居たのか。うんうん」
「でしょう。私、何か桜に縁があるみたい。薫の、ご両親に会った時も桜が咲いていたわ」
「そうだね。桜が満開だった。竜宮城では夏だったから覚えているよ。あの時は本当に驚いた。二ヶ月位しか居なかったのに、帰ったら桜が満開だっただろう。もう、親が死んだ時代かと考えて泣きたくなったからな」
「時の流れの誤差はあるけど、それ程の誤差を作るなら、玉手箱で時間の指定しない限りありえないわよ」
「そうか。ねえ、それで」
「えっ。ああ、亀の甲羅ね。やっぱり、一人で別の時の流れの地でも桜が咲いていたわ」
「そうなんだ」
「そうなの。でも、それに気が付いたのは、もう少し後、亀の甲羅を探す時だったけどね。それでね。私が始めての地に着いた所は海岸だったわ。そこで、禁忌を犯してしまったの」
「な、なにをしたのですか?」
「前回の地では、いや、旅立ちの始めての地では、名前も姿も忘れた彼が、起点を作ってくれていたわ。私は、頭の中では解っていたわよ。起点を作る事をね。でも、あまりにも可愛くて、いや、かわいそうでねえ。つい、両手で生き物を掴んでしまったの。ああ、両手と言っても解らないでしょうね。始めての地で形有る物を始めて両手で触ると、起点となるの。普通は大きい植物に付けるのが普通なのよ。切られても根っこは残るからね」
「あのね。江見さん。起点って何でしょうか?」
「言ったままの意味よ。出発点を確保するの。それが無いと竜宮城にも帰れないし、別の地にも行けないの。起点が無くなるか、動くと、時の流れの中から一生出られないか、着いた地で一生過ごすしかないのよ。それほど重要な物なの。それを、私は動く物に付けてしまい、その地の人達に殺され、壊されてしまったの」
「そうか、大変だったね。それで、私の居る世界に偶然に来たのか」
「そう、運命の出会いよね」
「うん、そうだね。おっ」
 薫は、店の玄関からお客が入って来た人物に興味を感じた。
「どうしたの?」
「えっ、何でもないよ」
「そう、ん?」
 江見は、好奇心を感じて、薫の視線の元を探した。
「違うぞ。巨乳の女性を見たのでないからな。あっ」
 薫は、つい、本心を言ってしまった。そして、段々と顔を青ざめた。
「え、ふっーああっ」
 江見は、薫の姿を見て、本当の事と感じたのだろう。我慢ができず怒り声を上げた。
(この人が、神が選んでくれた。私の理想の人なの。始めて会った時は、頼り無い人と思ったけど、浮気の心配だけはない。私だけを愛してくれる人。そう思ったのに。やはり、赤い糸は、神も信じない無信者の話しの通りなの。「赤い糸は遺伝子だけの理想だ」そう訴えていたわ。やはり、そうなの。赤い糸を信じた。私が馬鹿だったの)
 そう思いながら、初めて会った時の事を思い出していた。

 第二章
結婚式まで十五日前、薫との運命の出会い。

 朝日が昇り、日の光が地上を明るくし始めた頃、一人の女性が平成の現代に現れた。場所は宮城県の仙台と言う所だ。その都市の外れ、何処にでもあるような森だった。
「ここは何処かしら、あっ、今度は間違えないようにしないとね」
 そう呟きながら目の前の太い木に両手を触れた。言葉の内容の今度。それは、酷い手違いで、江見が、この地に来た理由だった。でも、その話しは後で思い出すだろう。今は、薫の出会いだけが思い出されていた。そして、人工物がある方に向かった。森と道路しかない為に正確な町名は判断が出来ないが、何処にでもある田舎道だ。
「けほっ、けほ。まあー嫌だわ。戦の後のように土煙が凄いわね」
 その、人工物は道路しかない所。その両脇に広がる森の片側から、少女と言うよりも成人の女性が口を押さえながら現れた。姿は艶かしい着物姿で、髪型は長く腰まであり、後ろで束ねていた。そして、何かを探すように辺りを見回した。その人物は、江見だった。
「この方向のようですわね」
 江見は、時計を見るように左手を見た。と言うよりも小指を見た。小指には指輪なのだろうか、赤い糸が巻き付いているような形をしていた。もし、他人が見たとしても小指の指輪もあるのだな。そう感じるだけだろう。だが、何故か、生き物のようにぴくぴく動いている。その動きは方向を示しているようにも見えた。江見は、この物の事を言っているのだろう。そう呟き終わると道沿いを歩きだした。暫く歩いていると、声を掛ける者が居た。江見は、自分の事なのか。そう不審そうに振り向いた。
「如何しました。財布でも落とされましたか、もし、そうなら、家に着いてからお金を頂いても良いですよ。如何します」
 お客を乗せる事を生業とする車が止まった。
その男は不審そうに声を掛けた。余程、今日の稼ぎが少ないのだろう。近くには民家も店屋もないのだ。もし、歩く人が居るとしたら、車の故障か、拉致されて逃げて来たか、幽霊かと感じるはずだ。この道を通る大抵の営業車は、もし、人が居たとしても、手を上げないでくれよ。そう祈りながら走るのが普通だった。
「乗せて頂けるのですか、変わった籠ですねえ。どうやって乗るのかしら?」
「ひっ、ひ~」
 男の運転手は、籠、その言葉が耳に入ると、即座に窓を閉めて逃げ出した。男は幽霊と感じたのだろう。
「あらあら、如何したのでしょう?」
 江見は、首を傾げながら歩き出した。可なり、長い間歩いていた。その間、何台も車が通る。その中に、人を乗せる生業の車もあったが、止まる事は無かった。
「籠と言ったから悪かったのかしら、だけど、あれ、籠よねえ。それとも自動籠と、そう言えば良かったのかしら?」
 そう呟いた。このまま町まで歩き続けるのだろう。可なりの距離があるはずだが、籠と言う言葉を吐くのだ。歩き慣れているのだろう。それは、声色からも、確りした歩き方からも苦は感じられなかった。
「まあー想像していたよりも、進化した文明なのね。それにしても、気分が悪くなるほど空気が悪いわ。あの自動籠が原因ね」
 江見は、車道脇の歩道を歩き続けた。恐らく、二十キロは歩いただろう。段々と都心に近づき、長町と言う町に入ると、感想を口にした。キョロキョロ辺りを見回していると、ある男を見て疑問を感じた。
「ん。書物を読める所なのかしら?」
 男は数冊の本を手に持ち、店から出てきた。
「この国の事を調べる必要があるわ」
 その書店に向かった。
「あらあら、交換する物がなくては行けないのね。まあ、お金と言うの、残念だわ」
 店内に入ると、驚きの声を上げた。入り口の隣に、周りを囲まれている所があり。その中に女性が立って、親子と女性の金銭のやり取りが見え、それで、そう感じたのだ。
「まぁー読む事も出来るのね。そうなの」
 ふっと周りを見回すと、立ち読みを見かけ、喜びを表しながら店内を歩き回った。そして、一つの本に目を止めた。
「羽衣伝説。私の事。それとも、同じ竜宮城の方々達なのかしら?」
 そう、呟きながら手を伸ばした。
「あっら」
 江見と男が、本を取る為に手が触れた。
「えっ、まさか、この本だったのですか、私が買っても良いのですか?」
「はい」
 そう返事をするが、男を目線で追い続けた。
「う~ん」
 男は本を買い求め。店内を出てしまった。
(なんで、なの。言葉を掛けるどころか、振り向きもしないの。この世界は、男女の係わりが厳しいとは思えないのに、それに、この町は服装からも町並みでも、人々は裕福に感じるわ。貴族の町に思えるのに(女性は、そう感じたが、何処にでもある普通の住宅街の商店街だ)何故なの。貴族でなくても、男なら女性に声を掛けるのが普通よねえ。なのに、何故。私に魅力がないの。まさかねえ。私の女性の象徴は大きいわよ。何故、本当に分からないわ。それとも、目が悪いのかしら?)
 そう思うと、自分の胸に手をあて、納得したのだろう。そして、男の後を追った。
「居たわ」
(何をしているのかしら?)
 男は、歩道で立ったまま呟いていたからだ。それを見て、江見は不審を感じたが、現代人なら不審に思わない。男は携帯電話で話をしていただけだった。
(物の怪と話をしているのかしらね。だけど、物の怪は見えないし感じないわ。ん、店外から店内を見ているの?あっ、そうだわ)
「えへへ」
 江見は、ニヤリと笑みを浮かべた。何かの悪戯を考えたのだろう。同じ笑みを、男なら鼻の下を伸ばす。それと同じだ。だが、女性だと色っぽくて可愛いらしかった。
(あっもー、女性とは話す事も直接見る事も出来ないのね。もー、可愛いわねえ)
 そう思いながら、男が見ている大型の食料品店に入り。ガラス越しから男を見た。
「おいでよ」
 男には聞こえないのは分かっていたが、窓越しから話を掛けながら手を振った。
「ほんとうにっもぉー見えないの。なんなのよ。もー、私を馬鹿にしているの」

 男は、別に馬鹿にしているのではない。女性から見れば、目線を向けているように見えるが見ているのではない。電話に夢中なのもあるが、この手の何年も異性がいない男は、女性が怖いのだろう。女性を見詰めていれば、
「やだー。私を見ているわよ。気持ち悪い」
 そう言われるに違いない。それが怖いのだ。
「えっ。何処に行くの?」
 男は、電話が終わったのだろう。歩きだした。江見は慌てて店外に出て男の後を追う。
店外に出ると直ぐに見つける事が出来た。交差点で待っていたのだ。江見は、男の隣に近寄り。そして、男に目線を向けた。
「ごほん」
 偽りの咳を吐き、男に合図を送った。
男は周りを見回すが、知人が居ない。そう感じると歩き出した。女性は怒りを顔中に表しながら後を追い。男の家まで来てしまった。怒りの為だろう。始めの考えを忘れている。そう感じられた。元々、羽衣の関係などを聞くだけだったはずだ。
「如何しようかな」
 男が家に入ると怒りも消えてしまい、玄関の前で考えてしまった。そして、急に疲れを感じたのだろう。その場に座ってしまった。
(何か、眠くなってきたわ。少し寝てから考えよう)
そして、数十分後。
「なんだ。如何したのだ。開かないぞ」
 男は何ども扉を押すが開かない。それで仕方なく、壊れるのを覚悟で、力ずくで押した。
扉は、壊れる事がなく開いたから安心したが、開くと同時に恐怖のような驚きを感じた。
「なな、何をしているのですか?」
 江見が俯いた姿勢で座っていた。それで驚いたのだ。
「やっと、私に気が付いてくれたのね」
「え」
「覚えていないの。羽衣伝説の本を手に取る時に会いましたでしょう」
「あっああ。それで、何の用件でしょう。そっ、それより、ここから離れましょう。私が紅茶でも奢りますからね。それとも、一緒に昼食を食べます。ねえ、そうしましょう」
 男は急に恥ずかしさを感じた。慌てて鍵を閉めながら声を上げる。何故、部屋に入れないのか、そう思うだろうが、頭の中では昼食を済ませる事と、女性と二人でいる。そう思うと恥ずかしくて、この場から逃げたい一心だった。
「えっ良いわよ」
「それでは行きましょう。そこで、ゆっくり話しを聞きますからね」
「分かりましたわ」
 男は返事を聞くと歩き出した。手を差し伸べる事もしない。さっさと前を歩き、時々振り向くが、付いて来ているのかを確認しているのだろう。そして、二人は、二十四時間営業の大型飲食店に入った。
「あの本の事ですね。私が読んでからなら差し上げますよ」
「う~ん」
 食卓の上に肘をついて何か考えているのだろうか、だが、顔の表情から判断すると挑発しているようにも感じられる。
「だけど、初版本では無いのに、多分だけど、他の店屋を探せば置いてあると思いますよ」
「そうなの。ただねえ。私の知っている物語と同じなのか知りたかったの。それが分かれば要らないわ」
「そうなのですか、それなら、その手の本は何冊かあります。良ければ、私の家に行きますか、ん、どうしました?」
 自分の興味の話題が出てきたからだろう。満面の笑みを浮かべた。それなのに女性は、不審な表情を表した。
「え、家に居られたら困るから、ここに来たのでしょう。又戻るのですか、何故、何故です。それとも違う家に向かうの?」
「えっ、その、あの、狭い部屋に女性と二人では行けないような気がしまして、そう言う事です」
「まあーあれね。自分を抑えられない。そう言う事なの。なら今度は大丈夫なの?」
「え、その、あの」
「なんか悲しいわ。それとも私が、そのような、いかがわしい女性と思われたのですね」
「えっ、その、あの」
 男は、自分が言ってはならない事を言った。そう思い、顔を真っ赤にするが、江見の話を聞けば聞くほど顔を赤らめ、言葉を無くす。
「あの、一つ聞いても良いですか?」
 周りのお客や店員の視線が気に掛かり、とっさの考えを口にした。
「なんです?」
「その左手の小指は指輪ですよね。だけど、そのぴくぴくするのは何ですか?」
「まあ、まあ、まあ、まあ」
 一声を上げる後に顔を赤らめた。よほど嬉しいのだろうか、それとも、心の底から恥ずかしくて声が出ないようにも思えた。
「どうしました?」
「まあっ、まあっ、まあっ」
「大丈夫ですか?」
「みみっ、見えるのですよねえ」
「見えますよ。確りして下さい」
 男は、江見の様子が変だと感じて、席から立ち上がり体を何度も揺す振った。そうしていると、声が大きかったのだろうか、それとも、揺す振っている姿が喧嘩していると感じたのだろう。店員から声を掛けられた。
「お客様、如何なさいました?」
「あっ、何でもありません」
「そうですか、他のお客様からの苦情がありますので、少し会話の声を低くして頂けないでしょうか、それで、宜しければ注文を取りたいと思います」
「あっ済みませんでした。紅茶を二つお願いします、それと、日替わりを二つ」
 店員は注文を繰り返しながら最高の営業ほほ笑みを浮かべた。だが、目が笑っていない。注文した金額が安いからではないだろう。恐らく、他の客からの苦情内容や自分の感情だろう。女性を泣かし、怒らせる。それが我慢できない。そう感じた。それでも、江見の言葉使いが優しいので許したのだろうか、そうでは無かった。
「紅茶を楽しみにしています」
 江見が、満面の笑みで、そう言ったからだ。
「あのね」
 江見が問い掛けた。
「ん」
「しつこいと思われるでしょうが、もう一度聞きますね。本当に見えるのですね」
「見えます。それで、それ何です?」
「貴方に取って良い事の始まりの印ですよ」
「えっ。そうなのですか、何です。ねえ何です。教えて下さい」
「それは、後の楽しみよ」
「分かりました」
「本当に期待していて良いわ。それより。貴方の事、何てお呼びすれば良いのかしら?」
「あっごめん。田中 薫です。よろしく」
「たなか かおる」
「そうです。貴女の名前は何です?」
「私は江見です」
「えみ、江見さんか、可愛い名前ですね」
「名字はありません。結婚しなければ名字を名乗れないのです」
「そう、いいよ。気にしないからね。それより、如何します。今、この本を読みます。待っていますから気にしないで、外で読もうとして持ってきたしねえ」
「う~んん。食後の美味しい紅茶も頂いたし、薫の家に行きましょう。そこで読むわ」
「はい、良いですよ。なら、お金を払ってくるね。外で待っていて、直ぐ行くからね」
「外ですか、そこですね」
 江見は、ガラスに向かって、指を示しながら尋ねた。
「はい、そうです」
 薫は指で示すと、江見は頷いた。
「ごめん、待たせたね」
 薫は会計を済まし。少し慌てるような感じで、江見の元に向かう。少しでも遅れると居なくなる。そう思っているのだろう。
「う~んん。待ってないわよ。行きましょう」
「江見さんは、羽衣の話が好きなの。それとも、羽衣の関係などを調べているのですか、だけど、この本は完全の作り話ですよ」
「本物と偽物があるの?」
「全て作り話と思いますよ。ほら、だけど、神話や古文書などあるでしょう。あの歴史的価値がある。資料って言うか、現本かな、普通は、本当の物語。そう言うでしょう」
「ふ~ん。そうなの」
「この本は嘘です。て、言うか、空想の話、読む人を楽しませる本でしょうね」
「はい、言っている事は分かりましたから良いですよ。その本が嘘なのですね」
「はい、そうです」
「そう、本物も偽物も見せてくれるのね」
「本物は国宝級ですから見せられないけど、中身が同じ物はありますから、まあ、私が持っている物を全て見せますよ」
「ありがとう。ねえ、歩きながら話をしましょう。早く家に行きたいしね」
「あっごめん、ごめん。そうですね」
 薫は、無我夢中で興味を引こうとしているのだろう。店の前にいる事を忘れている。江見はそう感じた。何故、家に行く。そう言ったのに動かない為に提案した。薫は歩きだしたが、江見と居る事が嬉しくて話は止まらない。その様子を見て、江見も微笑みを浮かべて本当に楽しそうだ。
「今日買った本は、作者が好きで必ず買うのですよ。そうですね。この本を読んでから、神話などの資料を見た方が楽しいかもしれませんねえ」
「そうなの、そうしますわ」
 江見は、一度行った家だから指示をされなくても歩きなれた道のように歩く。まるで長い付き合いの恋人のようだ。
 そして、薫の家にたどり着いた。
「ほぉー凄い部屋ですね」
 薫の部屋は散らかっていた。独り者の部屋だからか、そう思うだろうが違う。ゴミや布団が敷いたままでは無い。それでは何故。そう思うだろう。もし、この部屋に本が全くなければ清潔で何もない部屋。そう感じるはずだ。部屋の四隅は本棚で埋まり。窓も見えない。それだけで足りずに、足の踏む場所も無いほど本が積まれているのだ。
「江見さん。本の上に座った方が楽ですよ」
「良いの。大切な物なのでしょう?」
「良いですよ。私が大切だと思っているだけで、まったく価値がない物ですから」
「そうなの?」
「そうです」
「だけど、仕事の本でしょう?」
「違いますよ。楽しむだけの本です。あの時に買った本と同じです。ん、まだ開封してなかったのですか、開封して読んで良いよ」
 薫は、部屋に入ると、直ぐに飲み物を作る為に湯を沸かしに行き、江見と湯を沸かす容器を交互に見ていた。
「そう、読みますね」
 江見は、本を開き、パラパラとめくった。
「如何したのです?」
「私には読めません」
(さっき、題名は読めたのに、なぜ?)
「ん、そう。私が読んであげますね」
 この言葉を男性から聞いたら、馬鹿にされている。そう感じて殴りかかったはずだ。だが、女性だからか、と言うよりも、江見に好かれる為だろう。理由など考えない。そして満面の笑みで、声を上げながら本を読み始めた。

 第三章
 結婚式まで十五日前、本の中の物語、第一巻き。
今から四千年前の日本、縄文後期と言われた時代。現代では、宮城県塩釜市鳴瀬町と言われている所だ。その浜辺に、一人の女性が現れた。自分では、江見と言ったらしい。だが、その名前は後世まで残る事は無かった。理由は様々ある。復讐神とも災害神とも言われ、その名前を口にすれば、復讐を果たせる代わりに、酷い災害が見舞われるからだ。その為に祭る者は居ないが、二度と開けられないようにする為の封印に使われた事があった。その、最後に封印を使用され、一つだけ残された神社が、宮城県仙台市太白区の八木山神社だ。その事は、この女性は知らない。そして、この地に来て始めて、江見は声を上げた。
「うわー、まあ、可愛い」
 江見は、悲鳴のような声を上げながら駆け出した。向かう先は砂浜を歩く海亀だ。
「うわ、大きくて重いわ」
 欲望のまま、海亀を抱え上げた。
「うわあー、いたぞ」
 数人の子供が、江見の元と言うよりも、海亀を見つけ駆け寄ってきた。
「何をしているの。お姉ちゃん。海亀探しは、子供の仕事だよ」
 この地の特有なのだろうか、子供が、食料件占いをする為に海亀を捕まえていた。
「これ、あなた達の亀なの、そう」
「ん。そう言えば、そうだよ。亀を持って来るのが仕事だしね」
「う~ん、そう、ごめんね。返すね」
 江見は、言い方が間違っているのに気が付いて無かった。でも、まさか、食料にすると考えないだろう。それは仕方がない事だった。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「また、触らせてね」
 そう、江見は、言葉を返して子供達が帰るのを見続けた。
 突然だが、現代の薫の部屋に戻る。江見が驚きの声を上げた為に、本から江見に視線を向けたからだった。
「え、嘘、江見、何で?」
 江見は、不審を感じて声を上げた。
「如何しました。ああ、同じ江見で驚いているのですね。作者が好きなのでしょうね。何か、江見と言う名前に何か思い出があると思いますよ」
薫が真剣に物語を読んでいたが、江見が大声を上げたからだ。薫は驚き、問い掛けた。
「何でもないわ。続けて」
「そうですか、それなら、続けますね」
「えーと、何処からだっけかな」
「早く、早く続き」
 江見は、本の内容を聞き、驚きの声を上げた。益々興味を感じて耳を傾けるが、顔色は真っ赤だ。驚いているのか、怒りを感じているのだろうか。
「はい、はい」
 薫は、慌てて、又、読み始めた。
 本の中の物語 第二巻き 旅立ちに必要な起点探し。
「大変な事をしてしまったわ。どうしたら良いの」
 子供達が、居なくなると、と言うよりも海亀が居なくなると。海亀の興味、いや欲求が消えて、江見は、正気を取り戻した。
「あああああ」
 突然に悲鳴を上げた。そして、頭を抱えながら、その場に座り込んだ。
「痛い、痛い、痛たたぁ」
 一時間位は悩んでいただろう。突然に痛みを感じた。それはそのはずだ。江見は気が付いて無いが、今、起点を付けた亀が死んだのだ。起点を付けた事で体の一部になり何かあれば体に痛みを感じるのだ。それでも、亀の生死に関係ないのが幸いだった。
「こんな事をしていられない。亀を探さなければ成らないわ」
 江見は、痛みを感じたからか、それとも、起点が付いている為に、海亀の苦痛が感じられたのか、そのどちらかだろう。完全に正気を取り戻した。そして、砂浜を歩き出した。
「どこ、どこ、あの子供は、何処にいるの?」
 キュウと、砂浜の足音が鳴ると、顔を上げて鋭い目線で辺りを見回す、だが、何も人口物が見付らない。それが分かると、がっくりとうな垂れる。それを何ども繰り返していた。
「おっ、小屋だわ」
 三十分位は歩いただろう。すると、自分の目に信じられない物、いや、探していた物と言うべきだろう。やっと見つける事が出来た。それで、嬉しくて駆け出した。
「すみません。すみません」
 江見は、息を整える事よりも、扉を叩いた。
「誰だ、なんの用だ。誰?」
 部屋の中から男の声が聞こえると、江見は、扉を叩くのを止め、出て来るのを待った。
「誰。誰だぁ」
 男は愚痴を言いながら出てきた。若い男だ。ひょっとしたら成人になっていないかもしれない。恐らく、十五、十六歳だろう。そして、江見を見ると、声を無くした。
「あっ、あの、あの」
 この男でなくても、驚き、声を無くすはず。それほど、江見は美しいのだった。この時代、江見のような肌が白くて綺麗な容姿は、貴族の女性しかいなかった。貴族の女性は、外に出ること無く、容姿を綺麗にする事だけを考えていたが、江見が、同じようにしていたのではない。そう感じたのは、貴族と一般女性が余りにも、掛け離れていた生活をしていたからだ。
「私、海亀を探しているの。ねえ、この近くに海亀を飼っている子供を知らない?」
「あっ、あの、あの」
「それなら、子供が海亀を捕まえたら、何処に連れて行くか知らない?」
「あっ、あの、あの」
「ねえ、お願い。何か知っていたら教えて下さい。私の命に係わる事なの。ねえ」
「あっ、貴女様の命に係わる事なのですか、なな、何でもします。貴女様の為なら」
 この男は、余りにも美しい女性を見た為に惚けていたが、命に係わる。そう耳に入ると、やっと現実に存在する女性と感じて、話す事ができた。
「ねえ、お願いよ。海亀を探しているの。子供が海亀を連れっていたのよ。その亀をどうしても探さないと行けないの。何か知っていたら教えて、お願いよ」
「えっ。子供が海亀を連れてった」
 男は、惚けて赤い顔をしていたが、声を上げるにしたがい顔を青ざめ始めた。
「そうよ。そうなの」
「それでは、もう、生きて無いかも知れない」
「えっええ。な何でなのぉ」
「もう、食べられていますよ」
「えっ」
 江見は、顔を青ざめ、足をがくがく震わせると、その場に斃れた。
「おおうわ。大丈夫かぁ」
「うっうう」
 想像も出来ない事を聞かされて、江見は気を失った。
「生きている。大丈夫だな。ふっ、良かった」
 そう呟くと、江見を抱え、寝台に寝かせる事にした。
「やめて、お願い。お願いよ」
 目を瞑っているのに涙を流しながら悲しい声を上げ始めた。
「海亀が食べられる所を、夢で見ているのか。それほど大切な物なのだね」
(この人の為なら何でもする。例え、自分の命を犠牲にしても)
 男は呟いた。その後の言葉は口を動かすだけで声は響かなかった。江見に聞こえると恥ずかしい。と感じたのだろうか、それとも、誓いと考えた為に口にしなかったのだろう。
「うっうう」
 江見は、夢の中で絶望的な場面を見ているのだろう。そう思えた。呻き声が段々と小さくなっていくからだ。恐らく、自分が死ぬ場面を見ているのか、それとも、絶望を感じて生きる気持ちが消えかけているのだろう。どちらかの場合でも死を感じているはずだ。
「死ぬな。死なないでくれよ」
 益々、小さくなる呻き声を聞き、聞こえ無くなると死ぬ。そう感じたのだろう。それで、如何したら良いかなど考えてなかったが、大声を上げていた。その声は、江見の思考には感じ取れなかったが、体の機能では感じ取った。だからだろう。今まで見ていた幻想が突然に消える。と、同時に目を開けた。
「えっ、ここは何処なの?」
 江見は、部屋の中を見回した。元々は、網など漁業の道具を入れて置く為と休憩の小屋だった物だ。それを、家として住んでいるに違いない。所々に壁の穴から網などが見える。それも、古くて使用できないはず。もし、出来たとしても蜘蛛が巣を作っているほど長い時が流れているのだから。可なり修復しなければならないはずだ。
「私の家の扉を叩いて直ぐです。斃れてしまいましたよ」
「そう、ごめんなさい。あっ」
 江見は、寝台から落ちそうになった。寝台と言っても長椅子を並べただけの物。偶然に椅子と椅子の間に手を入れてしまったからだ。
「大丈夫ですか、寝ていても良いですよ」
「私、何をしに、この家に来たのかしら?」
 江見は、現実と夢の悪夢の事で記憶が混乱していた。朝の、寝起きの状態に近い。
「な、何を言っている。本当に大丈夫かよ」
「え、すみません。大丈夫です。それで、貴方は誰でしょうか?」
「ああ、言ってなかったなぁ。俺は、かかり、と言います。名前の意味は分かりません。俺の親が付けてくれたのか、村の人が付けたのか分からない。物心がつく頃は、この小屋にいたから、でも、微かな記憶では大人の女性と住んで居た記憶があるよ。たぶん、お母さんと思う。病気になると思い出す。綺麗で優しい人だよ」
「そう、いいお母さんだったのね。病気で死んだのでしょう」
「違う」
 かかりは、怒り声を上げた。
「ん」
 江見は、かかり、に問い掛けた。
「生贄にされたよ。海神様のねえ」
「え」
「村の人達の噂を聞いたよ。お父さんとお母さんは、この村に逃げて来たって。そして、お父さんは病気だったらしくて、何日も経たずに死んだって聞いた。お母さんは何で、生贄にされたか分からない。けど、無理やりに生贄にされたはずだ。絶対そうだよ」
「そう、酷いわね」
「ありがとう。そう言ってくれるだけで嬉しいよ」
「きゃー」
 小屋の外から、いや、隣の部屋だろうか、凄い音が響いた。
「大丈夫だよ。風で隣の部屋のガラクタが崩れたか、村の子供の悪戯だよ」
「子供なのね。ああっ海亀の事を聞かなければ」
「まって、村の人は知らない人には冷たいから、何も考えないで話し掛けても、無駄だよ。もっと酷い事になるよ。俺に、理由を聞かせて、そしたら、俺が、何とかするよ」
「かかり、分かったわ。私は竜宮城と言う所から来たの。何故、この地に来たかと言うとね。運命の人を探す旅をしているの」
「竜宮城、かあ。何か良い響きで、住んでみたくなる所だね」
「ありがとう」
「それで、運命の人って何なの?」
「結婚する相手よ。左手の小指にある赤い糸が見える人を探しているの。それが見える人と結婚したら幸せになれるからなの」
「ねえ、お姉さん」
 かかりは、名前を知らないから、恥ずかしそうに問い掛けた。
「あっ、私は、江見よ」
「江見様」
「もう、馬鹿ねえ。江見で良いわ」
「うん、江見」
「それで、なに?」

「ねえ、江見。左手を見て良いかな、嫌ならいいよ」
「ううん。見て欲しいわ。見て、赤い糸が見えたら教えてね」
「小指だよね。おれには見えないやぁ」
「そう、見えないの。でもね。かかりには、かかりの運命の人がいるわ」
「本当かな」
「ガッカリしないでね。必ずいるわ」
「うん、江見。俺も、運命の人を探す旅に一緒に行って良いかなぁ」
「えっ、それはねえ」
「海亀は旅に必要なのだろう。俺が何とかしてやるからな、な。良いだろう」
「う~ん。もし、運命の神様が許してくれるならねえ」
「それは、如何すれば許してくれる」
「何もしなくて良いの。神様は何時でも見ているからねえ。ただ、自分がして欲しくない事をしなければ良いだけよ。そうしたら神様は許してくれるわ」
「わかった。嫌だと思う事はしないよ」
「そうよ。ん、又、音がしたわね」
「風だよ。子供なら悪戯が成功したと思って、笑い声を上げるからな」
「そう、何か足音にも、思えたわよ」
「こんなぼろ小屋に、人なんか来ないよ。気のせいだよ」
 江見が言った事は間違えなかった。男の足音だった。小屋の隙間から覗けば男が走り去るのを見る事が出来ただろう。
「へえへへ、ガキ達が言っていた以上の、いい女じゃないか。左手の小指に赤い糸が見える。そう言えば良いのか。それで、俺の女になるのか。へえへへ、楽しみだぞ」
 男は、小屋から離れたからか、それとも、欲望の為に気持ちを抑える事が出来なかったのだろうか、心の思いを口にしながら村の方に駆けて行った。
「外ばっかり気にしているね。直ぐ、村に行こうか」
「そうじゃないわ。音が聞こえたから」
「良いよ。時間を潰してごめんね。行こう」
 かかりは、心の中で溜息を吐き、扉を開いた。
「ごめんね。かかり」
「良いよ。俺も、早く旅に行きたいしなぁ」
 部屋の中では、不安や苛立ちを感じる青い表情をしていたが、外の新鮮の空気を吸ったからだろうか、いや違う。海亀の所に行ける為だろう。江見は、喜びを表していた。
 その、江見の表情を見て、かかりは幸せを感じた。何故、笑みだけで、そう思うはずだ。親が生きていた時は、笑みを返してくれただろうが、幼い時だから記憶が無かった。それで、今までの人生で、始めて、自分に向けられた笑みと感じたからだ。
「なんか、楽しそうね。かかり、どうしたのよ」
「なんでもないよ」
「そう」
「うん。ねえ、同じ海亀でないと駄目か、違うので良いなら、直ぐに捕まえてくるぞ」
「ありがとう。でも駄目なの。同じ海亀でないと帰れないのよ」
「う~ん、海亀でないと帰れない。その、意味が分からないけど、海亀が絶対に必要なのが分かった。村の人は、俺の話を聞かないからなぁ。でも、何とかする」
「ありがとう」
 二人は、小屋を後にした。村に着くまでに、同じ様な小屋を何度も見かけた。それも、一つや二つではない。住人全ての数。それは大袈裟だが、可なりの数だ。恐らく、住居から持ち出すのが面倒な事もあるのだろうが、小屋に、修理道具と網を共に置けば、清潔な生活ができ、漁をするにも適しているからだろう。
「なにか、感じの悪い村ね。私達を見ようともしないわ。何故かしらね」
「それは、俺が、一緒だからだよ」
「かかりが、何かしたの?」
「なにもしていない。俺が、よそ者だからだよ」
「えっ、おかしいわよ。同じ住人でしょう」
「この村は、カイ一族だけが住んでいるから、血が繋がって無い者には冷たいよ。特に、俺は、嫌われている。網も船も使わないで魚を獲るからだろうなぁ」
「そう、凄いわね」
「そうでもないよ。自分が食べる分だけだよ。それが、長老も村人も頭にくるらしい」
「何で?」
「皆は、長老から網と船を借りて大量に魚を獲る。半分は長老に、残りは、自分が食べて、残りを他の物と交換する。確かに、借りた方が楽だけど、何か嫌だから」
「そう、でもね。村の人と仲良くした方が良いと思うわ。一人では寂しいでしょう」
「そうだけど、でも」
「なんだ。友達がいるじゃない」
 江見は、かかりと話に夢中で周りを見てなかった。それで、何処の建物から出て来たか分からないが、正面から笑みを浮かべながら近寄ってくる男の事を言った。
「えっ、誰?」
「ほら、嬉しそうに向かって来るでしょう。友達でないの?」
「か、かい、」
 かかりは、驚きの声を上げた。
「やっぱり友達ね。は~い」
 江見は、嬉しそうに、その男に向かって手を振った。
「かかり、探したぞ」
「ああ」
 かかりは、言葉を掛けられても、俯いたまま顔を上げなかった。何か、理由があるだろうか、それに、江見は気が付かなかった。
「大漁祝いに来て欲しくて探したぞ。なあ、かかり、食事会に来てくれるのだろう」
「ああ、頼みたい事あるから行く」
 苦渋な表情で呟いた。かかりは、心の底から悔しいのだろう。
「ありがとう。楽しみにしているよ。彼女も連れてきてくれな。それと、あれもな」
「えへへ、彼女だって」
「分かっている。必ず行く」
「かかり、他にも伝える人いるから先に行っているな。来いよ」
 かいは、二人に伝えると、即座に走り出した。そして、誰かに声を掛けられたのだろう。手を振りながら建物の中に消えた。
「いい友達じゃないの。かい、って言うのね」
「かい、見たいのが好きなのか?」
「馬鹿ねえ。私は容姿とかでは判断しないわ」
「そうか、そうか。海亀の事は、かい、に頼んでみる。場所が分かれば盗んででも、江見に渡すから安心して良いぞ」
「盗むのは止めてね。私は、この村から居なくなるけど、かかりが心配だからね」
「だって、旅に連れてってくれるのだろう。違うのか?」
「それは、運命の神様しだいよ。私は、海亀を手に取ると、突然消えるかもしれないわ」
「そうなのか」
「でも、別れの挨拶くらいの時間はあるからね」
「仕方が無いな。神様が決める事だ」
「かかり、ありがとう」
「うん、いいよ」
「小さい村だと思っていたのに、凄い人の集まりね。ヒョットして有名はお祭りなの。それで、他の村か町から人が来ているの?」
「何処の村でもやる。大漁祝いだよ。でも、本当に人が多いな、何故だろう?」
 二人だけが、理由をしらなかった。この村を含め、近隣すべてを治める領主が来るからだ。その警護もあるが、勝利祈願と領主の二心ある考えを選ぶ為の占いだ。その結果しだいで行動を起こす為の陣営の準備だった。その二心とは、もう、今では無い国だ。平成の現代では、北海道、青森王国と借りの名称で言われている所だ。その国は滅ばされたから国名が残らなかったのではない。神の末裔や人などが集まる所、と国名はなく。ただ、八百万と言われていたからだった。元々、先史文明の時代、地球の事は地球と呼ばれず。八百万と言われていた。その名残もあったからだった。その国、八百万は、今の領主の祖父の頃は、現代の富士の裾野の辺りまでを、そう言われていた。だが、年が経つ毎に、北へ北へと追い詰められ。父の代では、現代の北海道と青森県だけになり。今、占いにすがる。今の王は、数日前に全てを失った。二心の一つは、最後の一兵まで戦い続ける。もう一つは、曾祖父の頃に袂を分かった。その同胞に仕えて生き残る。それを、決める事だった。
「あれが、村長の家だ」
 海岸から山に向う道に沿って、家々が建てられていた。その山の裾に長老の家が建てられ、その道の奥の山は、領主が勝利祈願と占いをする神社がある。村人には、漁の安全と大漁祈願をする馴染み深い神社だ。
「言われなくても、そう思える大きい家ね」
「そうだね」
「ねえ、眼つきの鋭い人だけが、山に向かっているけど、何かあるの?」
「神社があるよ」
「そう。あの方達、神社に何の用なのかしら?」
「さあ、分からないよ。それより、行こう」
「そうね」
 長老の家に行くまでの間には、様々な食べ物が用意されていた。酒、握り飯や様々な汁物があった。平成の現代のお祭りの様に、屋台が並べている。そう考えてくれれば分かるはずだ。だが、全て無料で食べられた。豊作や大漁の時や何か行事などの時に、村長や網元が仕事の励みの為に惜しみなく振舞った。その中にある。一つの屋台を任された男が声を掛けてきた。だが、好意的な話し方には思えなかった。
「おい」
「ねえ、知り合いなの?」

「気にしないで行こう」
「おい、何をしに来た。自分で獲った物しか食べないのだろう。冷やかしに来たのか?」
「ねえ、良いの?」
「行こう」
「ねえ、お嬢さん。隣の馬鹿は相手しないで、何か食べてってよ」
「えっ、でも」
「ここに有る物全て、振る舞い物だから、誰が食べても何も言いませんよ」
「そうなの、無料なのね」
「えっ無料。ああ、お代は要らないよ」
「そうだって。ねえ、ねえ、かかり食べましょう」
「要らない、行こう」
 かかりは、食べ物の匂いを感じて、体の機能が悲鳴を上げた。
「ん」
「んっもう。かかりったら」
 その音を聞くと、嫌味しか口にしなかった男が、笑い声を上げた。
「腹の音を鳴らして何を格好つけているのだ。腹を空かしているのだろう。馬鹿な奴だな。ほら、ほら食べろ」
「うん」
 江見以外の微笑みを見た事がなかった。かかりは嬉しくて泣きそうな表情にしながら容器を受け取った。
「美味しいの」
 江見は、嬉し泣きを始めて見たのだろう。自然と言葉が口から出ていた。
「お嬢さんも食べませんか」
「美味しそうね。頂きますわ」
「勝也。美味しい所をかかりにも食べさせてやったらどうだ」
「俺の肉の焼き方は普通と違う。全てが美味いぞ。ん、かかり食べたいのか?」
 勝也は、渋い顔で愚痴を言っていたが、かかりに顔を向ける時には、微笑みを浮かべていた。かかりは、その微笑を見て、ますます、顔を崩すし頷いた。その楽しそうな様子をみて、隣の女性も声を掛けてきた。
「男の料理で嬉し泣きかい。私のあら汁を食べてみないと、本当の料理の味は分からないだろうね。どうする。食べるのかい?」
「おかみさん。私、食べてみたいわ」
 江見は、かかりが頷くのを見るのと同時に、自分の分を要求した。
「そうか、食べてみなさい」
 おかみは楽しそうに、二人に容器を手渡した。
「ん、どうしたのだい。泣くほど美味いのかい?」
「美味い、美味いよ」
「おかみさん。本当に美味しいわ」
 かかりは泣いていた。食べ物の味よりも優しい言葉を掛けてくれた。その事が一番嬉しいのだろう。そう思えた。母や父の事は記憶が無い為に、人の優しさが分からないのだ。その気持ちを始めて感じたからだ。かかりは心の底から嬉しさを表した。
「そうだろう。男の料理との違いが分かったかい。分かったのなら早く行きなさい。あれを目当てに来たのだろう。ほら、無くなってしまうよ」
 かかりと江見は、その意味が分からなかった。だが、確かに人が、ある場所に集まって行く。何かあるのだろう。二人は好奇心で皆の後を付いて行った。人が多いからだろうか、それとも、ある場所が、まだ、遠いからだろうか、何が始まるのか、何があるのか分からない。だが、突然、大太鼓の音が響き渡った。それは、時間を知らせているように思えた。始めはゆっくりと、そして、段々早く鳴らし始める。何の集まりか分からなくても、皆に、太鼓の音で何かを知らせているのは確かだ。
「かかり、何が始まるか分かる?」
「ごめん、村の人と係わり合わないようにしていたから分からないよ」
「お、何か始まったようね」
 突然に音が変わった。太鼓の乱れ打ちが始まった。
「そうだね。何かが始まったみたいだね」
「おっ」
「歩くのが止まったわね」
「そうだね。でも、この場所からでは何が何だか分からないよ」
 二人の会話は周りの人に聞こえているはず。だが、二人を知っていて故意に無視をしている。そうではなかった。真剣に考えているからだ。その場所に早く行きたい。その気持ちしかない為に周りに関心が向かなかったのだ。
「お、歩き出したわ。もう、終わったのかしらね」
「そうでは無いみたいだよ。皆帰らないで、向かっているからね」
 二人は、皆の歩く速度は遅いが、気には成らなかった。速度よりも周りを見回していたからだ。ヒョットしたら、その場所から帰ってきている人がいるかもしれない。その人達を見たら何か分かるかもしれない。その気持ちで一杯だったからだ。
「かかり、かかり」
 男の野太い声が響く。
「ん。かかり、呼ばれているわよ」
 二人の斜め前方からカイの声が聞こえて来た。それも、人々を追い払うように無理やりに進んでくる。その姿をかかりと江見には見えないが、カイの声と、カイは子分と考えているだろう。その友人の声で何が起きているか想像が出来た。
「気にしなくていいよ」
「そう、そうなの」
「あっあんな奴」
 かかりは、怒り表し言葉を出し掛けたが、江見が居る事に気が付き、言葉を飲み込んだ。
「でも、友達でしょう」
「そうだね。でも、今は、行列の先に何をやっているかの方が楽しみだろう」
「私の事は気にしなくていいからね」
「俺も、楽しみだから、江見も気にしないで」
「そうなの?」
「そうだよ」
 だが、長い間、カイ達を無視する事は出来なかった。江見が、この地の成人男性と同じ背丈があり、色白で、余りにも目立つ容姿だったからだ。それは、人ごみの中の巨人。そう思ってくれれば分かるだろう。
「おお、かかり、探したぞ」
「ああ、そうか、探していたのか気が付かなかった」
(カイの奴、来たのかよ。何の用件だ。まさか用件も聞かずに、あれを寄越せと言いたいのか。確かに、村の中に入ったのだから用件がある。だか、簡単にはやらんぞ)
 かかりは、言葉を返したが、目線を合わせる事はしなかった。余程、カイの事が嫌いなのだろう。まるで、親の敵のような表情を浮かべていた。その為に、カイの表情には気が付かなかった。始めの挨拶の時は、かかりに親しみを感じる表情を浮かべていたが、その後は、江見の姿を上から下まで眺め回しながら涎を垂らしているように見ていた。
「確か、カイさんですよね。かかり、そうでしょう」
 江見は、始めてカイに会った時は気が付かなかったが、今の姿や視線は、男が性欲を表す欲望そのままと感じ取り、背筋が寒くなったのだろう。それで、かかりに助けを求めた。
「カイ、俺たちは、行列の先に有る物を見る為に並んでいる。用件なら後で聞くよ」
 そう言うと、江見の手を掴み、先ほどと同じく歩き始めた。
「待て、私を無視する気なのか」
 カイは、満面に怒りを表した。それを見てカイの連れも、周りの人々も驚きの声を上げていた。長老の一人息子である為に好き勝手にしていたが、それを、誰も諌める者がいなかった。そう言う生い立ちもあるが、女性の前では怒りを表す事はない。それなのに、怒りを表したのは、同じ村人と思われていない者に、無視をされ、諭されたからだ。
「江見さん、行きましょう」
「待て。何が合っても村の中に入らなかったのに、村の中に入って来たのは何か用事があるのだろう。私を無視して、その用件が叶うと思っているのか」
「その為に、あれを持ってきた」
「ああ、赤い勾玉だな。本当に欲しかったのでない。かかりには似合わない物だし、赤色は我が家の象徴だから持って欲しくなかっただけだ」
「うっう」
「それにだ。お前の指の手入れもしていない長い爪で、江見さんの手に傷を付けたのでないのか、糸のようの血が流れているだろう。手を離せ」
「えっ、糸のような血」
 江見は、驚き声を上げながら、かかりの手を離した。
「大丈夫ですか、痛いでしょう」
「この赤い糸が見えるのですか?」

 第四章
現代の江見の様子。
 江見は、大声を上げた。
 平成の現代の江見も驚きの声を上げた。その声は、薫が読み上げる声と同時だった。
「馬鹿な」
「えっ」
 薫は、江見に問い掛けようとした。
「良いから続けて」
 そして、顔色は真っ赤から青に変わる。まるで、全ての予想が当たり、恐怖を感じて青ざめているようだ。
「はい」
 薫は、江見の真剣な表情を見ると、何も答えずに読み上げた。

 第五章
 本の中の物語 第三巻き 命と同等の起点の危機、赤い糸の出会い?
 太鼓の乱れ打ちから神を招くような綺麗な音に変わった。すると、村人や下級の武人は満面の笑み浮かべながら踊る者や歌い始めた。本当に神が来てくれると思っているのだろうか、それとも、今日の宴で嫌な事を忘れ、又、明日からの生きる糧にするのだろう。
 だが、全ての人々が浮かれ騒いでいるのでは無かった。村の有力者や領主や上級武人は真剣な表情で神社がある階段を上がって行く。
「領主様」
「ん」
「あっ、上様」
「気にするな、領主で良い。今まで隠れていた意味がなくなる」
「はい、首が晒され死んだと思っていましたが、ご無事で何よりでした」
「酷いことをするものだな。似た者を探して殺したのだろう」
「影武者でなかったのですか?」
「影武者だと、我が一族は卑怯な事はしない。いや、あの戦まではしなかった」
「分かっています。ですが、私達も、この地だけはお守りする為に名前も誇りも捨てました。この地は上様の即位の地ですから、私達は、私達は、お会い出来たのが嬉しいです。三年も軍備を整えていたとは思いませんでした。それで、今日は戦の日をお決めになる」
「そうだ。占いの結果しだいで、死ぬか生きるかを決める」
「最後の戦いをなさる覚悟ですか」
「最後の戦いだが、数日前に父とは袂を分かった」
「何故です。いいえ、聞かない事にします」
「気にするな、三年で人は変わる。父は、全てを捨てて、始祖の地に帰ると言い出したのだ。同じ考えの部下と家族を連れて行った。恐らく、半分は海を渡るまで持たないだろう」
「それでは、占いの結果しだいでは後を追うのですか」
「例え、海を渡る事が出来ても死しか道はない。恐らく無人の廃墟のはずだ。まだ廃墟ならまだ良いかもしれない。土の下に埋もれてなにもないだろう。我らも含めて全ての一族で行ったとしても結果は同じだ。いや、もっと酷い事になるだろう。一族全ての食料を生産が出来るとは思えない。うっう、父上、父上、私は、父上の希望を考えて残ったのですよ。一族が別れれば希望が持てるでしょう。誇りの為に死んだとしても、何処かの地で生きている。そう思えるでしょう。それに、分かれれば救いの手が来ると、夢も持てるはず」
 村長の言葉は届いていなかった。父と別れる時の事が思い出しているのだろう。恐らく言い争いをしたはずだ。自分の気持ちは共に行きたかったはず。だが、一族の中では誇りを捨て切れない者やこの地に残りたい者、仇を考えている者もいたのだ。一族全てで行動すれば途中で分裂して始祖の地まで行けるはずがない。父の為に一族を篩にかけたのだ。それでも、始祖の地の夢を壊すことだけは言わなかった。言ったとしても信じるはずもなく、それだけは言いたくなかったからだ。
「うぇ、領主様。占いが出来る地に着きました」
 村長は、愚痴のような話しを耳にしたが、何も言わずに聞かなかったような態度だった。
「そうか」
 山の頂上に着くと社が建っていた。質素と言うよりも普通の新築の民家と同じだ。長老の家よりも小さい。だか、何故か土台は立派な作りだった。恐らく、強制的に壊され、他神を強制され、前の建物を材料とされ、そして、土台として社を建てたのだろう。
「こちらの席にお座り下さい」
 最上階段に白装束を着た幼い巫女七人畏まっていた。村長と上様の一行が現れると、それぞれの受け持ちがあるのだろう。言葉を掛けてきた。
「そうか」
 上様が声を上げると、他の六人は、巫女の後を付いて行った。椅子は横にやや三角に並べられ、その前方十歩位前に祭壇があり。その前に祭司が腰掛けて待っていた。その頂点に上様、村長が左に、右に若武者を装っているが、長女の百合が座り、残りの椅子に上級武将が席に座った。全てが座り着くと、祭司が上様の前に行き畏まった。
「これに、占い事を書き記してください」
 供物代の上に紙と筆と墨が置かれていた。それを恭しく差し出した。
「そうか」
 そう呟くと紙と筆を取り、一瞬考えたのちに娘に顔を向けた。娘の微笑みを見たからだろうか、それとも、娘が頷いたからだろうか、全く迷いがない筆の運びだった。
「はっ」
 父から占い事を見せられ返事を返した。百合は男装だからか、それとも、元々の性格なのかハッキリと男装に恥じない言葉だった。だか、父は血が繋がっているからだろう。娘の声色に微かに喜びを感じて微笑みを返した。
「願い事は書いた。頼むぞ」
 そう、言葉を返しながら紙片を四つ折にし、供物代の上に置いた。
「はい、畏まりました。上様、答えは神のみが知る事です」
 そう、畏まりながら呟いた。だが、頭を上げる事はしなかった。
「そうだな。答えは神の言葉だ。責任も咎める事もしない。心配するな」
 祭司の言葉で顔を顰めた。だが、目線の下で震えながら畏まっている姿を見たからだろうか、そうとは感じられない。子供に話し掛けるような柔らかい言葉だった。
「はっ、全身全霊を持って神に訊ねます。それではお預かりします」
 畏まりながら供物代を持って下がるが、目線を合わせないのは儀式の様式の為とは思えなかった。それは、声色には恐怖が感じられたからだ。
「七巫女、儀式の用意を頼む」
 祭壇の上に供物代を置くと呟いた。
「はい、畏まりました」
 七人の巫女の内の一人は、何かを取りに行ったのだろう。階段を下りるが、残りの六人は細々とした薪を祭壇の周りに置き始めた。その中心で、祭司は祝詞を奏上している。
 そして、残された六人の巫女も、自分の段取りが終わったからだろう。次々と階段を下りて行く。恐らく、七人の巫女が向かった先は同じ所のはずだ。
「祭司様、お持ちいたしました」
 七人の巫女が全て階段を下りると同時に祝詞が終わり。初めに階段を下りた巫女が亀の甲羅を手に持ち現れた。
「私の元へ」
 祝詞を奏上していたからだろう。祭司は興奮しているような声を上げた。
「畏まりました」
「薪の中に収めなさい」
 祭司は隣に巫女が現れると指示を与えた。
「畏まりました」
 巫女は納め終わると、周りにある篝火から一つの松明を手にした。
「準備が整え終わりました」
「上様、これから占いを始めます」
 祭司は、巫女の言葉を聞くと、振り向き、始まりを知らせた。
「宜しいでしょうか」
「始めなさい」
 巫女は、七つ有る薪の中の一つに松明を入れた。即座に火が盛大に燃えた。恐らく油らが掛けられていたのだろう。火の激しく燃える様子は、まるで神の怒りとも神の光臨とも感じられる。それほど、激しくて、目を奪われる。そう思うほど綺麗だ。
この時の同時刻、麓では、江見が驚きの声を上げていた。
「本当に、左手の糸が見えるのですね」
「見えますが、見えると行けないのでしょうか」
「いいえ。行けなくありません。私、私は嬉しくて心がはち切れそうです」
 江見は、先ほどカイが嫉妬を表した醜い様子も、男性特有の力任せの態度も、カイの一言で、統べての出来事を忘れてしまった。
「その糸は綺麗ですね。心が洗われるようです。何故か運命が変わるような気がします」
 カイは、江見の表情から自分に好意を表している。そう感じ取ると、嫉妬と怒りの感情は消えていた。江見を自分の物にする。その欲望だけしか頭になかった。
「私も、カイ様の御顔を見ていると、心が安らぎます」
「ありがとう。例えば、何処が安らぐか聞いても宜しいでしょうか」
 カイは、江見に話しを返したと言うよりも、かかりが悔しがる顔を見たいからに思えた。
「そうですね。例えば、どのような事でも諦めない強そうな意識を感じる目」
(へっ、欲望しか感じない嫌らしい鋭い目だろう)
 かかりは自分の意思に関係なく、心の思いを囁いていた。
「ん」
 カイは、かかりの言葉は聞こえなかったが殺気を感じた。
「全ての生ある者を慈しむ優しい声色」
(女なら誰でも良い、能天気な頭と言葉使い)
「貴族、いや、王のような雰囲気と優美な仕草や容姿」
(親の力で能天気に遊んでいる馬鹿で、日焼けを嫌うオカマ)
「そうですか、そうですか。ですが、今の統べの言葉は貴女に当て嵌まる事です」
「まっまぁままあー、嫌ですわ。もうーカイ様ったら恥ずかしいですわ。もうー」
「嘘ではないですよ。それほど、貴女は美しいのです」
「まっ」
 江見は恥ずかしくて言葉を無くした。
(真顔で言えるのだからカイは普通でないよ)
 かかりが心の中で思った。
「それで、祝い物を食べに来たのでしょう。普通に並んでいたら無くなってしまいますよ。私と一緒なら一般以外の参拝道を通る事ができます。早く行きましょう」
「まあ、そんな事をしてもカイ様は大丈夫ですか、心配ですわ」
「江見さんの為なら何でもできますよ。心配しないで下さい」
「まっ」
 江見は頬を又、赤らめた。
「かかりも一緒に来るのだろう」
「いいのか?」
「何を言っているのだ。友達だろう。気にするなよ」
「とっと、友達、う~ん」
(江見さんが綺麗なのは分かるが、女性と一緒だと、これほど変わるのか)
 思案していた為に言葉を上手く伝える事ができなかった。

「それでは、江見さん行きましょう」
「あ、俺たちは食べて来たから、屋台を覗きに行くよ。いいだろう」
 取り巻き立ちは、カイの視線が帰れ。そう言っていると感じ取った。
「そうだな。一度行ったのに付き合わせたら悪いからな気にしなくていいぞ」
「おう、又な」
 取り巻きが消えると、江見に言葉を掛けた。
「行きましょう」
「かかり行くわよ」
 三人は、人が並ぶ最後尾まで戻り、カイの自宅、村長の家に向かった。村長の家は板壁で仕切られ、中の様子が見えない程の高さがあった。その板壁に沿って右側に向かえば村長宅の門が見えるが向かわずに、道なりに真っ直ぐ山の方に向かった。すると、赤い鳥居のような小さい門があり。その前の立て札に、神社関係者以外は立ち入り禁止と書かれていた。この出入り口は神社の巫女などが食料品などを買出しに使用している所だ。木々で何も見えないが、丁度、村長宅の裏に当たる。入ると直ぐに神社に向かう坂道と下ると祭りが催されている広場に行く事ができた。三人は太鼓が響いて聞こえてくる、坂道を下った。もう五分位前だったら巫女が亀の甲羅を手に持ち坂を上っていくのが見えただろう。
「おわー、何か配っているわね。あれを頂く為に並んでいたのね」
 森を抜けると、人々は何列も並んで炊き出しの様に順番に器を貰っているのが見えた。
「そうですよ。祝い物だから欲しがるが、数には限りあるのです」
「そうなの。残念ね。かかりは食べた事があるの?」
「無いよ。祭りに来たのも始めだから」
 かかりは、江見に問い掛けられたが、何も答える事ができなくて俯いた。
「江見さん。私と一緒なら並ばなくても頂けます。心配しないで下さい」
 カイは得意げに言葉を掛けた。
「そう、でもね。私、何をやっているか分かったから良いわよ」
「江見さん。本当に気にしなくていいのですよ。折角きたのだし食べましょう」
 カイは予定通り、江見が喜ばないからだろう。声色からも態度からも苛立ちを表した。
「でも、並んでいる子供に悪いわ」
 江見は、子供の泣き声のような言葉と子供に連れ添う親の冷たい目線を感じ取った。
 もし、カイと一緒でなければ並んで待て、そう言われながら叩き出されたはず。そう思うと、カイが居なくなった後の事を考えると、この場から早く離れたいと思った。
「江見さんは優しいですね。ここで待っていて下さい。今、持って来て上げます」
 カイは勝手に解釈した。江見は、回りの人に何かされる。そう思って恐がっていると、普通の人なら諦めるのだが、カイは違っていた。取り巻きと同じだと感じたのだ。虎の威を借りたい。そう思っているはず。取り巻き達も始めは、今の江見と一緒だった。恐いと言っていたのだった。だが、一度味を占めると、次回からは、自分から要求するように変わるからだ。カイは、江見から離れようとした時だ。かかりが驚きの声を上げた為に振り返った。恐らく、自分の分も欲しい。そう言うはず。そう感じる表情を浮かべていた。
「亀の甲羅だ」
「えっ」
 江見は、振り返り、巫女が甲羅を抱えている。それを見て、顔を青ざめた。
「ん、如何した亀の甲羅が珍しいのか、かかりの分も持ってくるから心配するな」
「カイ、まさか、亀の鍋か」
「そうだが」
「あっ」
 江見は探していた亀が食べられた。そう考え、めまいを感じた。
「江見さん、大丈夫ですか?」
 カイは、言葉を上げるよりも即座に体を支えた。それと同時にかかりが声を上げた。
「江見さんは、自分の亀を探していたのだよ」
「そうなのですか、江見さん」
「責めて、甲羅だけでも取り戻さなければ」
「甲羅が欲しいのですね。私なら何とか出来ますから心配しないで」
「江見さん、確りして、甲羅を取り返さないと駄目だろう」
 カイとかかりは、ほぼ同時に声を上げるが、正気に戻したのは、かかりの声のはずだ。それほど、真剣に殺気をも感じる言葉だったからだ。
「居ないわ。何処なの、さっき、巫女が甲羅を持っていたわ。行き先は分かる」
「ごめん。分からない」
 かかりは、何度も首を振って答えた。
「江見さん。私に任せてください。取り返して上げます」
「分かるのね」
「はい、分かります。私が言えば直ぐに返してくれますよ」
「何処、何処、早く、私の亀を取り戻したい」
「は~あっ、江見さんが、そこまで言うのなら直ぐに行きましょう」
 カイは、色気の楽しみもなく、遊ぶ楽しみも無い事に肩を竦めた。
「カイ、俺も行くぞ」
「いいだろう」
そう呟くと、江見に視線を戻した。
「江見さん、行きますよ。歩けますか」
「カイ、今来た道を戻るのか?」
 かかりは言わなくても分かる事を呟いた。それは問い掛ける。と言うよりも、江見の肩や腰に手を添える事に気持ちが許さない為と感じられた。それでも、許しているのは、自分では恥ずかしくて女性に触れる事ができない。もし、できたとしても、カイは気分を壊したら案内を断るはずだ。それに、江見は、自分の運命の人。赤い糸が見える者が隣にいる事で安心している。その姿を見ると何も言えなかった。
「そうだ」
 カイは、つい大声を上げてしまい、江見が不審な顔を向けた。
「何でもないよ。安心して、私に全て任せていれば大丈夫だからね」
「うん」
 江見は、運命の連れ合いだからだろう。何も心配を感じられない笑みを浮かべていた。
「何処に行く?」
「えっ戻るのだろう」
「上に行くぞ。神社にあるはずだ」
 かかりは、先ほどの赤い鳥居を抜けた所、三股に分かれる道でカイに指示をされた。
「神社だな、分かった」
 かかりは、江見に、かっこ悪い所を見せたと感じて、それを、隠す為だろう。やや早歩きで階段を登っていった。三十段位だろうか、登ると階段が無く、何かが有ったかのように小山で塞がれていた。この丘は、元々は城が建てられていたのだ。恐らく、この小山は砦の址だろう。もし、小山を登れば、兵を速やかに移動する為の道があるはず。だが、壊されているに違いない。それでも、痕跡は見る事ができるはずだ
「カイ行き止まりだぞ」
「左側に獣道みたいのがあるだろう。それを行ってくれ」
「分かった」
「江見さん。狭いですから一人で歩けますか、もし、駄目なら」
「大丈夫です。気持ちも落ち着きましたから歩けます」
 江見は、カイの言葉を遮った。何を言われるか分かったのだろう。いい歳の女性が男性に背負われる事が恥ずかしかったに違いない。
「本当に狭いわね。もしかして本当の獣道なのかしら、熊でも出たら恐ろしいわ」
「それは、大丈夫ですよ。獣道でないですから、人が歩く度に土が固まり、邪魔な木々が折られて道みたいになったのです」
「そうなの」
「そうです」
 先に歩いているかかりを心配する事無く話しをしていると、かかりが立ち尽くしているのを目に止めた。カイと江見には見えないが、かかりは階段の前で二人を待っていた。
「カイ、これから、どう進んだらいい」
「かかり、階段は使わない。階段を横切り、又、森の中に入ってくれ」
「わかった」
「え」
 江見は、不安を感じて、カイに視線を向けた。
「あの、ですね。このまま階段を登って占いを邪魔したら、理由を聞かずに叩き出されます。だから、私が、父の様子を見ながら声を掛けます」
「そうなの。信じていますから心配していませんよ」
 カイを先頭に、三人は森の中を歩き出した。

 第六章
 カイ達が森に入る十五分前、
神社の前では、六つの薪が燃えていた。
「祭司様、甲羅をお持ちしました」
 白装束の巫女が階段を登り終えると声を掛けた。
「薪の中に収めなさい」
「畏まりました」
 巫女は納め終わると、周りにある篝火から一つの松明を手にすると、松明を薪に入れた。
 今と同じ事を、五分後とに巫女が現れ繰り返していた。
 祭司は七つ目の薪が盛大に燃えた事を確認すると、一番初めの薪に目を向けた。
「占いの結果を伝えます」
 そう、祭司は声を上げると、祭壇から長い金槌の様な物を手にした。そして、薪の元に近寄る。薪は燃え尽きて炭のように成っていた為に、甲羅が焼けてひび割れを見る事ができた。もっとハッキリ見ようとしたのだろう。手にした長い金槌のような物で甲羅を引きずり出した。
「一つ、吉とでました。神様が願いを聞いてくれるそうです」
 司祭は、甲羅を足元まで引き寄せ、筆で煤を掃うと言葉を告げた。
「そうか、願いを聞いてくれるか」
「はい、上様」
「二つ、凶と出ました。時間が大切。そう出ました」
「そうか、う~ん」
「三つ、吉と出ました。早く行動。そう出ました」
「わかった。早い方が良いのだな」
 上様と言われる者は、告げられた言葉を繋げ、答えを出した。
「四つ、吉と出ました。女性と子供。そう出ました」
「ほう」
「五つ、凶と出ました。女性が重要。そう出ました」
「う~ん」
「六つ、吉と出ました。命が大切。そう出ました。
「血を流すなと言うのか」
「占いには、そう出ています」
「それで、我が一族の運命はどうなる」
「きゃああああ」
 女性の悲鳴が響いた。
「なに、司祭、我々の他に誰かいるのか?」
「居るはずがないです」
「なら、占いに関係ある女性なのか?」
「それは、無いはずです」
「今、悲鳴を上げた女性を連れて来い」
「はっ」
 四人の武将は即座に立ち上がり森の中に向かった。
悲鳴は、江見の悲鳴だった。
 カイ、かかり、江見は、音を立てないように森の中を歩いていたが、突然、江見が悲鳴を上げた。どうしたのかと、江見を見ると胸に手を当てて苦しんでいた。
「大丈夫ですか」
 カイは、振り向き、江見に問い掛けた。
「痛みが治まったから大丈夫です」
「何があった」
 かかりが、江見の元に近寄った。
「分からないわ。突然に、胸に痛みを感じたの」
「わわわ、まずい、誰か来る」
「カイ、俺が囮になるから、江見さんを頼む」
「うっん」
 カイは逃げ腰で、返事と言うよりも呻き声のような声を上げた。
「向うだ。私はこのまま進む。お前らは散開して囲め」
「わかった。向うを頼む」
「居たぞ。向うに行った」
 森の中は、何人もの男の声で反響していた。何処から聞こえるのか、何人なのか分からない。それと同時に草や木々の擦れる音で、三人は益々恐怖を感じた。
「わわわ、こっちに来る。どうしよう」
 カイは、恐ろしさの余りに、江見の事を忘れていた。
「カイ様。立っていたら見付ってしまいますわ。早く、こっちへ」
「うわあああ」
 自分の名前を誰が言ったか、それも判断が出来なかった。自分の名前を言われた事で恐怖を抑える事ができず。江見を見捨てて逃げ出した。
「捕まえたぞ」
 カイが真っ先に捕まった。それも、そのはずだ。叫びながら走っていたからだ。
「女は、まだ居るぞ」
 カイを捕まえた男は、カイに当て身で眠らせ、又、捜索を始めた。
「ぎゃあああ」
 又、江見が悲鳴を上げた。その声は恐怖と言うよりも苦痛の響きに感じた。
「えみ~」
「これで、統べてのようだな」
「ぐっふ」
「キャー」
 かかりも江見も当て身を受け気絶した。後、三人を上様の下に連れ出した。
「先ほどの声は、この者か?」
「はっ、指示を」
「そうか」
「カイ?」
 村長は、息子の顔を見ると声を上げていた。
「知っているのか?」
「息子です。ですが、一族の為なら指示にしたがいます」
「心配するな、占いでは、殺す事も血を流す事もできない。縛っておけ」
「はっ」
「済みませんでした」
「気にするな、同じ一族だ」
「はっ」
「占いの続きを頼む」
「暫く、お待ち下さい。甲羅が大き過ぎるのです。焼き上がるのに時間が掛かります」
「そうか、待とう」
 上様の声が響いた後、静寂が訪れた。暫く薪を見続けると、薪の燃える音だろうか、それとも、甲羅の焼ける音だろうか、その音で静寂が破れた。
「パッキ」
「キャアー」
 破れた音と同時に悲鳴が響き渡った。それは、江見の声だった。江見は体中に痛みを感じて悲鳴を上げたのだ。それは、薪でなく、甲羅が焼けて、ひび割れた音と判断ができた。
「気が付いたようだな。そちは、何故この場に来たのだ」
「か、め、かめ、亀が」
「どうしたのだ」
「おい女、上様の問い掛けに答えろ」
 家臣の男は、江見に問い詰めようとしたが、上様の鋭い視線で受け、その場に留まった。
「あっ、良かった。私の亀で無いわ」
 江見は、祭司の足元にある六個の亀を見ると、一瞬の間だが我を忘れた。
「ん、亀が如何したのだ」
「お願いです。私の亀を返して下さい」
「村長よ。この者は何を言っているのだ」
「キャアー、うっうう。うっうう」
「何だと言うのだ。又、苦しみ出したぞ」
「お願いです」
 江見は、苦しみながら声を上げた。
「うっううう。痛たたぁ」
 カイとかかりは、江見の悲鳴で気が付いた。
「カイ、気が付いたか」
「父上、父上」
 カイは、泣きながら父に縋った。
「カイ様、カイ様からもお願いして下さい」
「俺は知らない。俺には関係ないぞ。許してくれよ。赤い糸が見える何って言ったのは嘘だったのだよ。ちょっとからかって見ようとしただけだ。かかりには勿体無い、いい女だと思って、つい、嘘を言ってしまった。許してくれ、ごめん。ごめんなさい」
「えっ、そんな」
 江見は顔を青ざめて、今直ぐにでも泣き出しそうな顔だ。だが、その気持ちは体の痛みと亀の甲羅の事で忘れられる事ができた。
「カイ、家に帰っていろ」
「はい、はい」
 即座にカイは走り出した。
「返してください。代わりの海亀を必ず用意するからお願いです」
 甲羅がひび割れる度に、悲鳴を上げた。かかりも縛られているが、江見と一緒に大声を上げて頼み続けた。火が段々と弱火になるが、二人の声は大きくなる。その姿に見兼ねたのだろう。
村長が、祭司の耳元で囁いた。
(上様を待たしておけない。これ以上、二人の様子を見たら占いに支障がくると感じるだろう。何か理由を言って、この場から、いや、占いが終わるまで時間を潰す事を言ってくれないか)
「わかった。そこまで言うなら代わりの亀を用意すれば渡そう」
「村長様、祭司様。ありがとう御座います。おれ、直ぐ獲ってくるから、江見さんは、この場で待っていて、心配しないで、いいからな。一緒に来られても邪魔になるからな」
「それは困るな。江見さん、その理由が分かるはず。あなたが何かを感じる海亀でなくては困ります。大事な占いに使うのです。何処にでもある海亀では困るからな」
 祭司だからだろう。占いの結果しだいでは、言いたくない事も言うのが仕事だからだろうか、先ほどから表情は変わらなかったが、二人がこの場を去った後、微かに表情が変わった。口元を微かに吊り上げた。恐らく上手くいったからだろう。それは笑みと思えた。
「最後の占いの結果は分からないのか?」
「済みません。最後の甲羅が間もなく焼き上がります」
「上様、三人の乱入の為に占いが中断されました。やり直しをお勧めします」
「構わない。益々、真実と感じる。普段なら、あの三人を切り捨て、占いのやり直しを考えただろう。だが、今回の占い事はやり直しが出来ないのだ。死ぬか生きるかだ」
「上様」
 祭司が、再度、占いのやり直しを勧めようとした。
「気にするな。あの三人の事も統べての出来事は、神が、私を試しているのだろう」
「分かりました。間もなく火が消えます。燻るまでお待ちください」
「そうか」
 上様は、深々と頷くと、真剣な表情で薪を見続けた。

 第七章
 本の中の物語、終章。 亀の甲羅を取り戻せるか、江見の生死は?
 その頃、江見とかかりは、信じられない速さで階段を駆け下りていた。江見は命に係わる事だから死ぬ気で走っている。それは分かるが、かかりには他人事だ。江見に付いて行けるのは男で若いからだろう。そうとは思えない表情をしているのだ。それは、普通は真剣に走るなら疲れや肉体の限界が顔に表れるはず。それなのに、笑みを浮かべていたのだ。その表情を江見が見たら、この状況で不謹慎だ。そう感じて怒りを感じる程の嬉しい笑みだ。恐らく、自分の肉親ができた。それを助ける為と言うよりも、好きな異性を助ける為なら命を捨てても悔いが無い。そんな祝福の笑みに思えた。
「ん、江見さん。立ち止まって足でも挫いたのか?」
「いいえ、桜が咲いていたのね。気が付かなかったわ」
 江見は、先ほど階段を横切った所で足を止めた。
「時間が無いのに、何か意味があるのか?」
「何かが起きる時って桜が咲いているから、お願いしていたの。桜の精霊に好かれているのかな。そんな気がする。だから亀も直に見付ると思うわ」
「そうか、綺麗だね。本当に神様か精霊でも居る見たいだね。うん、江見さんの言う通りに、すぐ見付りそうに思えてきたよ」
「そうでしょう」
「うんうん、でも、余り時間ないから急ごう。私の家に向かって」
「はい」
 丘から村に入っても走る速度は落ちない。もう十数分も走っていた。二人は、その事に気が付いていないはずだ。それほど真剣なのだろう。
「着いたね。直ぐに捕まえてあげるから心配しないで」
「ごめんね。私と係わった為に付き合わせて」
「ううん。好きで付き合っているから気にしないでいいよ」
 二人は、家に着くと直ぐに、喉の渇きを満たし、息を整える。それでも、時間が惜しいからだろうか、息を整えながら話し始めた。
「そろそろ、行こうか。俺に付いてきて、いい場所を知っているから」
「はい、ありがとう」
「江見さん。亀を見つけたら教えて、あっ泳げるよね」
「大丈夫よ。心配しないで泳げるわ。かかり、似ている亀を教えるからお願いね」
「行こうか」
「うん」
 二人は息を整え終わると、海に向かって駆け出した
 江見とかかりは、真剣に海に潜り海亀を探した。それも、何度も、海亀を捕まえては逃がして、と、何度も繰り返した。何匹目かだろうか、江見は潜るのを止めた。自分から止めたのでなく、似た海亀を知らせるよりも、かかりが捕まえてくるからだ。
「ねえ。この亀は違うの」
「う~ん、もう少し大きかったわ」
「待っていて、又、捕まえてくれるから」
「でも、私には分からないわ。何かを感じるって言っていたけどなんだろう」
「大丈夫。神様が、これだ、と言うのを教えてくれるよ。それが、分かるまで何度も捕まえてくるから気にしないでよ」
「はい」
 かかりは可なり疲れているだろうに、嬉しそうに声を掛けるのだ。そして、又、海に向かって走り出した。それを、江見は見続けた。
「ごめんね」
 江見は、心底から済まないと感じたのだろう。そう囁いた。その声が聞こえたのだろうか、だが、聞こえるはずがない。でも、何故か、かかりは振り向き手を振ってくれた。
「今度捕まえてくるのは大丈夫だからね。待っていて」
 かかりは、江見の言葉が聞こえて振り向いた訳でない。亀の大きさなどの予想ができたからだ。今度こそ捕まえて来る自信があるからだった。
「大きいわね。見せて」
 かかりが、十九匹目を江見に渡すと、江見が苦しみを顔に表した。
「江見さん、やっと見つけたのですね。それですか、ん、違うの?」
「かかり、私、私」
 江見は、最後まで言葉にする事ができず。気絶した。
「これだ、この亀だ。この亀がそうだね」
 かかりは、江見をこの場に残し、家に向かった。そして、直ぐに縄を手に持ち、江見の所に戻ってきた。
「江見さん。甲羅も江見さんも、祭司の所に連れて行くからね。安心して寝ていて」
 そう呟くと、江見を背負い、可なり大きい亀だが、縄で縛り首から下げた。
「これで、旅に出られるよね」
 かかりは亀の甲羅を祭司様に渡せば旅に出られる。その気持ちで夢心地でいた。そのお蔭で、休まず亀を探し、神社まで行く事も、亀の甲羅を首から下げる事を苦に感じていない。江見を背中に背負う事は辛くないのか、そう思うだろうが、それは、逆に夢心地を向上しているはずだ。
 かかりが向かう神社では、最後の占いが始まろうとしていた。
「上様、最後の占いを始めます」
 薪の火は消えて、煙が出始めると、祭司が言葉を掛けた。
「頼む」
「始めさせて頂きます」
 長い金槌のような物で甲羅を引き寄せた。そして、直ぐに出したからだろう。急激に冷やされて亀の甲羅にひびが入った。これで、江見は気絶したのだ。江見に何が起きたか、祭司には分からない。もし、知ったとしても儀式は続けたはずだろう。そして、筆で亀の甲羅の灰を取り除いた。
「七つ、吉と出ました。願いが叶う。そう出ました」
「願いを叶う。叶えてくれるか、どちらかを、私が選ぶのだな」
「複数の願いを書いのでしたら、そう成ります」
「そうか。結果は、時間、早く行動、女性と子供、女性が重要、命が大切。だったな」
「そうです。上様」
「決断は早く、女性と子供の事を重要に考えるのだな。それでも、血を流すべきでない」
 占いで出た結果を組み合わせ。答えを出した。
「はい、そうです。上様」
 占いの結果は、そう出たが、自分で答えを出す事はしなかった。勿論、占い事を読んで無いないから分からないが、もし、読んだとしても、自分の保身の為に答えを言うはずが無い。それは、即座に簡潔に感情が感じられない言葉で判断ができた。
「余は、誇りの為に死ぬ事は考えない事にする」
 この決断で一族が滅びないで済んだ。二世代ほど昔に袂を別れた同族の下で家臣として生きるのだ。それが結局、良い方に良い方に運を変えたのだ。
「父上」
「お前に一族の運命を委ねる。敵の大将の息子だが許す。好きな男に嫁げ」
 この場にいる祭司以外の男は、誇りを捨てる事に泣いた。
「父上」
「気にするな、これも運命なのだろう。戦で怪我をしていたのが、大将の息子とは思わなかった。そして、お前が看病して、助けた」
「父上」
 悲しいような嬉しい気持ちで、言葉を口にする事ができなかった。
「娘よ。父と言うのは、今の言葉で最後にするのだ。私は先の戦で死んでいる事になっているのだぞ。これからは、側用人として生きる。良いな、忘れるなよ」
 これで、一族統べての者が名前を捨てて、敵の家臣になる。だが、子が生まれると二種族が一つになり、この国を支配する。その子供の側に居るのは、占いで自分の運命を決めた者だった。その者は、時間を掛けながら次々と、自分の一族を役職に就かせた。そして、運命の通りに、事実上の主になっていた。この事は、まだ、神しか知らない事だ。
 その時、階段の方から声が聞こえてきた。
「来てしまったようだ頼む」
 七つ目の亀の甲羅を持ってきた巫女だけが、今まで儀式の助手をしていた。他の六人は指示が聞こえる所で控えている。突然、祭司は苦い顔を浮かべた。もう間もなく儀式が終了する時に声が聞こえてきたからだ。そして、隣に控えている巫女に言葉を掛けた。その祭司の一言で七番目の巫女が、他の六人の巫女を連れて階段に向かった。
「祭司様。甲羅を持ってきました」
 階段から聞こえて来た声は、かかりが声を上げていた。それも、何度も何度も、階段の頂上に登るまで同じ言葉を繰り返していた。本当に嬉しい。そう感じる声色だった。だが、それは、階段の頂上に着くまでだった。ある物を見て言葉を失ったのだった。
「祭司様。まさか、その亀の甲羅は、江見さんのですか?」
 かかりは声を上げるが、この場に居る者は聞こえない態度で、儀式を進めていた。
「祭司」
 統べての事が嘘だと感じて、かかりは怒りを満面に表し、祭司に近寄ろうとした。
「儀式が間の無く終わります。この場でお待ち下さい」
 七人の巫女が、かかりの行く手を阻んだ。
「あの者と何か約束をしたのか?」
 上様は、怒りを抑えていると分かる声色で問い掛けた。
「いいえ」
 祭司が即答で答え。
「そうか」
 上様は頷いた。
「上様、最後の儀式を始めます」
 祭司は、先ほどから手に持つ長い金槌のような物で足元にある甲羅を叩いた。
「きゃー」
 甲羅を叩いた音と同時に、江見の悲鳴が辺りに響いく。
「かかり、私、私」
 江見は胸を押さえながら、かかりに何かを伝えようとした。悲鳴を聞いても祭司は何事もなかったように、又、長い金槌のような物を叩きつける。

「キャー」
 江見は苦しそうにわめく。
「甲羅を取りに戻るから、それまで」
 祭司は、又、長い金槌を叩きつけた。三度目には、甲羅が七つにひび割れた。江見は体を震わせながら声を出そうとした。だが、口から出るのは悲鳴だけだ。
「かかり、必ずこの地、この世界に戻るから、それまで甲羅をお願い」
 江見は最後まで伝える事ができなかった。
「江見さん。大丈夫だよ。亀の甲羅は、来るまで預かっているからね」
 江見は、一度だけ口を開くが、それ以上、口を動かす事も出来ないのだろう。頷くと突然に消えた。それは、完全に亀の甲羅が綺麗に七つに割れたのと同時だった。
「江見さん」
 かかりは、江見が消えると、その場で泣き崩れた。
「祭司、何が起きた。消えたぞ」
 上様は、席を立ち、錯乱気味に声を上げた。
「上様、何の問題もありません」
 祭司は、何事もないような態度で答えた。
「そうとは思えないが、何が起きたのだ?」
 村長が祭司に詰め掛けようとした。恐らく、自分の息子。カイが、江見と係わっていた為に自分の責任と考えたのだろう。
「上様、これは、吉兆です。亀の甲羅に神の使いが宿っていたのです。その事で、凶と出た事は神の元に持ち帰りました。消えた事が証拠と判断ができます。もし、災いなら事を起こす為に残るはずです」
 司祭は何事も無い事のように話しをするが、心の中では死の恐怖を感じていた。もし、親しい人が、祭司の話し方を聞いていたら震えを隠している。そう思ったはずだ
「う~ん」
 皆は、上様の言葉を待っていた。その言葉によっては村長と司祭の首が落ちるだろう。そして、誇りの為に一族が最後の戦いになる。
「父上。いいえ、てんが、と名付けます」
「てんが、祭典の典に、雅かな。そうか、そうか」
「そうです」
 上様と言われていた者は満面の笑みを浮かべ、何度も頷いた。
「典雅、占いの結果は出たのです。掲示に従うべきです」
「はい、従います。月姫様」
 典雅が臣下の礼を示すと、他の者もそれに倣った。
「祭司、占いは統べて終わりなのか?」
 月姫は、祭司に問い掛けた。
「皆様方に、甲羅の破片をお渡しすれば終わりです」
「祭司、甲羅を分けるだと、それは江見さんのだぞ」
 かかりは泣きながらうずくまっていたが、甲羅を分ける。その言葉を耳にすると、叫びながら甲羅の上に覆いかぶさった。
「誰にも、渡さない。江見さんは帰ってくると約束した。必ず来る。絶対に渡せない」
 かかりは、この場にいる者に鋭い視線を向けた。その視線は、例え、死んでも、甲羅の上から動く事も、甲羅を渡す事もしない。そう感じられた。
「かかり。そう言う名前でしたね」
「はい、そうです」
 かかりは、月姫の気品はあるが柔らかい言葉に惹かれて答えていた。
「統べての事柄が終わった後には返します。もし、終わらなくても、江見が帰って来た時は、二人で私に会いに来なさい。即、返します。その証拠として、私の甲羅だけは、儀式が終わりしだい。かかりに渡します」
「・・・・・・」
 かかりは、先ほどまでは、鋭い視線を回りに向けていたが、月姫の話しの後は地面に顔を向け動かなかった。恐らく思案しているのだろう。
「かかり、心配する事はない。今まで儀式を邪魔した事も亀の甲羅の事も罪と考えているのなら心配しなくて良い」
「ん」
 かかりは、月姫に不審そうな顔を向けた。
「私の願い事は叶ったから要らないの。私の亀の甲羅は儀式が終わりしだい渡します。ねえ、だから、甲羅を渡して、儀式を続けさせてくれない。統べて持って無くても一つでも持っていれば大丈夫でしょう。江見さん帰ってきたら返すわ」
 かかりの不審そうな顔を見ると、月姫は子供を宥めるような話し方をしていた。
「うん。分かった。それなら、見ていても良いよね」
「かまわないわ」
 月姫は、三度も説得した。そして、かかりの返事を聞くと、祭司に言葉を掛けた。
「最後の儀式を頼む」
「はい、始めさせて頂きます」
 そう言葉を返すと、祭司は七人の巫女に視線を送った。巫女は即座に意味が伝わり。儀礼を返した後、祭司の下に集まった。
「甲羅に宿る力よ。人を選び給え」
 祭司は甲羅に手を翳すと声を上げた。そして、一つの甲羅を手に取った。
「一の巫女、これを、差し上げてくれないか」
 一の巫女に手渡すと、又、地面から一つの甲羅を手に取った。その間に、一の巫女が居た場所に二の巫女が立ち。一の巫女が上様の下に、いや、典雅に差し出した。
「二の巫女、これを、差し上げてくれないか」
 二の巫女も、一の巫女と同じ事を、三の巫女も、四の巫女もと、七人の巫女が、それぞれを案内した人の下に甲羅を手渡した。
「月姫様、占いは、統べて終了しました」
 七の巫女が甲羅を手渡し終わると、祭司は、月姫に伝えた。
「祭司、ご苦労でした」
「無事にお勤めが出来たことが嬉しいです」
 祭司は、この言葉を言えた事で、心の底から安心を感じた。それも、そのはずだ。儀式が失敗すれば、この地の支配者に命を取られるからだ。
「かかり、私の元にきなさい。甲羅を渡します」
「はい、月姫様」
 かかりは、月姫の前に行き屈んだ。礼儀は知らないが出来る限り低い姿勢をしなければならない。そう感じたからだ。
「これを渡します。もし、江見さんが現れたら一緒に来なさい。統べての甲羅を渡します」
「はい、約束しましたから、江見さんは必ず来ます」
 かかりは、不満そうな言葉を吐いた。そして、受け取ると自分の家に向かった。
「そうね。必ず来るわよね」
 月姫には分からない事だが、これから死ぬまで、無邪気な満面の笑顔は、これで最後だった。それは、一族の為、子の為、そして、生涯、人々の上に立った事を第一に考える為に、自分の感情一つで何事にも左右されると考えたからだった。
「姫様、それでは、即、宴の用意を致します」
 村長が言葉を上げた。同族だが、今の立場を考えれば、少しでも早く帰って欲しいのだろうが、息子の失態を許してもらう為と感じられた。
「典雅、如何したら良いと思う。私は、出来うる限り早く一族の名を捨て、一武将の一人として、臣下の礼をした方が良いと考えています」
 月姫は、父に問い掛けた。父の考えの通りに、相談役として家臣としての態度を示した。
「はっ、私も良いと思います。武装したまま、この地に居るのは凶と思います」
 父は、いや、典雅は、祭司の話し方を真似た。これから生涯、吉、凶と答えるだけどで、誘導はするが、直接の答えは言わない事を通した。
「武装は良くないか、それなら、八百万は武器を捨てて北に逃げたとします。そして、武器などは戦利品として献上します。四将、先に行き、武具の解除を伝えなさい」
 父の言葉を聞き、思案し、それを、武将に伝えた。
「はっ」
 武将は即座に走り出し、この場所から消えた。
「それでは、行きます」
 月姫は残りの者に視線を送った。
「はっ、いや、私はまだ、この場で仕事があります。終わりしだい。直ぐに向かいます」
 村長は、最後の親子だけの話しをさせようと気を使った。その事は姫には分からなくても、父、いや、典雅には分かったのだろう。村長に頭を下げた事で理解ができた。
 二人は階段の中ほどまで無言で歩いていた。
「これで最後にします。父上と言って良いですか?」
「許そう」
 典雅は、厳しい声色で話はしたが、嬉しいのだろう。笑みを浮かべていた。
「父上、先ほどの、私の指示は正しかったのでしょうか?」
 月姫は、幼子が叱られているかのように上目遣いで問い掛けた。
「正しかったぞ。満点だ。もっと自信をもって指示をしなさい。それだけが心配だった」
「はい、父上。そうします」
「そろそろ、人目も付く、階段を下りたら、父と思う事は忘れなさい」
「はい、父上」
「はっー、私は、死んでいるのだよ。これで最後にしなさい。いいね」
 月姫が無邪気に答えるのを見て、心配のような嬉しいような複雑の表情を浮かべた。
「典雅、良き相談の相手になって欲しい。頼むぞ」
「はっ、月姫様」
 二人が階段を降り終えると、統べての一族が控えていた。先に四人の武将を行かせたからだろう。武具は手にはない。そして、直にでも出発が出来るように用意は終えていた。
「月姫様、何時でも良いように出発の準備は出来ております」
「済まない。それでは、出発するぞ」
「はっ」
「馬を頼む」
 今の、月姫の言葉を最後に、この地から八百万の一族は消えた。

 第八章
 一族が消える三十分前、
四人の武将は、部下に出発の準備と武具などの整理を任せると、有る場所に向かった。その場所は、四人の武将の言葉で判断できるだろう。
「かかり、月姫の言葉を伝えに来た。外に出て来てくれないか」
 そう呟きながら扉を叩いた。中でゴソゴソしている音が聞こえる。だが、中々出て来ない。再度、扉を叩こうとした。
「まだ、江見さんは帰って来ていませんよ」
 目には涙の痕が残っていた。恐らく、旅にも行けず、江見とは強制的に引き離された為だろう。泣いていたに違いない。
「そうか、その事で来たのではない」
「そうですか、俺は、その事以外では話す気持ちなどない。帰ってくれ」
「甲羅は持っているか、それが心配で来た」
「ある、中にあるよ。それが何か?」
「そうか中にあるか、それは良かった。甲羅を返して貰うぞ」
「なにぃ、ぐっほ」
 四人の武将は無理やり中に入ろうとした。邪魔なかかりを、まるで、物を退けるように腹に一撃をあたえ。四人は中に入った。
「あった。これだ」
 甲羅は寝台のような所の上に置いてあった。それを取り上げ小屋から出ようとした。
「かえせー」
 かかりは、甲羅を取り戻そうとして、甲羅を持つ左の手に掴みかかり、取り戻した。
「何をする」
 一人の将が、かかりを蹴り飛ばした。小さい小屋だから板壁に叩きつけられ、うずくまった。痛みの為と言うよりは甲羅を腹の下に隠すように思えた。四人の武将に殴られ蹴られるが、動こうとしない。それでも痛みは感じるのだろう。苦痛を感じる悲鳴だけ、何度も響いた。そして、顔面に蹴りが入り仰向けになったが、甲羅は手から離さなかった。
「ごめん。かかり」
 カイが、江見とかかりの事が心配で小屋の近くまで来ていた。だが、かかりの虐待を見ると又、逃げ出した。
「誰かが来たようだぞ。早く事を済まして、この場から消えるぞ」
「そうだな」
「私達だと思われると厄介だからな」
「遊んでないで捕まえていろ。私が甲羅を取る」
 この言葉を最後に、かかりから無理やりに甲羅を毟り取った。そして、かかりは声も上げずに仰向けのまま動かない。唯一の希望が消えたのだから仕方が無い。
 この事を知る者はカイしか居ない。そのカイは誰にも告げずに家で震えていた。それでも家に居るのだ。父が帰るのを待っているのだろう。その頃の父は、まだ、神社にいた。
「村長、全ての村民が、この地から消えるのか?」
「我々が共にではお邪魔になるだろう。我らは陰から一族の為に働かなくてはなぁ」
「私も毎日、お祈りを致します」
「お願いします。それだけが一族の心の支えです」
「私も、他家の名前を名乗っていますが、同じ一族です。気持ちは同じですよ」
「そうでしたな」
「行かれるか」
「そろそろ、親子の会話も終わった頃でしょう。見送りに行かなくてはならない」
 そう呟くと階段に向かった。階段を半分くらい下りた頃だ。
「もう行かれてしまわれた。それほどまで急がれなくても、だが、この気構えなら占いは叶いましょう。これからが楽しみ。そう思っているでしょう。私もそうです。上様」
 木々の隙間から人々の行列が見えた。
「それでは家に帰るか、カイは自分の部屋で震えているだろう。これで懲りてくれればな」
 村長は、江見、かかり、カイが通ってきた道を逆に進み、家に向かった。
「カイ、カイ居るのだろう。出て来なさい」
 家に入ると、直に大声を上げた。普段なら誰かは居るのだが、祭りの為に誰も居なかった。それを知っているから大声を上げたのだろう。
「父上、父上、助けてくれよ。俺も、俺も、かかり見たいに殴られ蹴られるのかな」
「今、何と言った」
 息子が泣き叫ぶ声を聞き流していたが、余りにも物騒な話しを聞き、問い返した。
「だから、父上なら、俺も、かかりも助けられるだろう。あれでは死んじゃうよ」
 かかりは、父の足に縋り付いた。
「本当に邪魔をする者がいたのか、刺客がいるのか?」
「え、刺客」
「それは何時だ」 
 息子の顔を自分に向かせた。
「え、三十分くらい前かな」
「カイ、どこだ。その場所を教えろ」
「えっ」
「いいから、案内しろ」
 そう、息子に問い詰め、かかりの家に向かった。
 玄関の前で、かかりは倒れていた。それを見るとカイは立ち尽くした。最後に見た場所から動いたように見えなかったから死んだと感じたのだ。そして、村長は息子を落ち着かせると、かかりに駆け寄り抱き上げた。呻き声を上げているが、誰が見ても助かるとも思えなかった。それでも声を掛け続けた。
「かかり大丈夫か、確りしろ」
「うっうう、許さない」
「誰に遣られた。えっ」
 何か言っていると感じて、口元に耳を近づけた。
「許さない。うっうう、許さない」
 恨み事を繰り返すだけだった。
「カイ、私の家に運ぶから誰かを呼んで来てくれ」
「はい」
「甲羅は盗られたのだな、私にも、一族の為にも必要な物だ。必ず取り返す。もう心配するな。もう話しをするな」
「うっうう。許さない」
 もう、村長の声は、かかりの耳には届いていない。二人になって数分くらいだろう。カイが現れた。恐らく自宅でなく。近くの家か、祭りを楽しんでいた者に頼んだのだろう。数人の男女が戸板を担いで現れた。
「村長なにがあったのです」
 現れた中の一人の女性が声を掛けながら水筒を手渡した。
「占いの甲羅が盗まれた。誰か、月姫に知らせに行ってくれないか」
「はい、分かりました。あなた、行って来てお願い」
 女性は、一人の男に声を掛ける。男は頷くと駆け出した。女性の連れ合いだろう。
「かかりに出来る限りの事をしたい。私の家まで手を貸してくれないか」
 戸板に乗せ、村長の家に向かうが、かかりは恨み言を呻き続ける。その間に人々が何事かと見に来るが、恨み言を耳にすると、係わりたくない為に直に離れた。それなのに、村長の家に着くまでには、村人の統べてと感じる人々に噂が広まっていた。それでも、祭りは続いていた。止められるはずもない。神に感謝する行事だ。それもあるが、不吉な事を払えればと、その思いで騒ぎが大きくなったようにも感じられた。
「奥に寝かせてくれないか」
 家に着くと、村長は指示をした。その場所は客間と思えた。
 かかりは恨み言を吐き続ける。それなのに、誰の言葉にも反応しない。それだけでなく、腕や体を動かす事もしない。もう、痛みも感じてないのだろう。
「村長、甲羅が姫の所にありました」
 日が沈み、祭りも終り、幼子が母などの手を引かれ家路に向かう者や夕食を作る煙が多くなる頃だ。村長が使いに出した者が帰ってきた。時間にして三時間くらい経っただろう。
「何故、月姫様の手にあったのだ」
「それは、姫の考えを間違って判断して、無理やり取り返した者が居たらしいのです」
 村長の言葉を伝え。それで帰って来るだけなら一時間半もあれば十分なのだが、手にある書状の為に倍の時間が掛かったのだろう。
「そうか」
「詳しい事は、これに、書いてあるそうです」
 男に労いの言葉を掛けると書状を読み出した。それには、月姫が問い詰め。統べての事が書かれていた。そして、月姫の指示が書かれている。直には会えない事、一番重要な事は、占いが凶に変わる事を恐れて、社を建て、甲羅を祀るようにと書かれていた。そして、この書状の事を統べて、かかりに伝えて欲しい。そう書かれていた。
「かかり、月姫は嘘を付いていないぞ。甲羅も返してくれたぞ」
 村長は、そう言葉を掛けるが、かかりの耳に入っていない。今も恨み言を呟くだけだった。それでも、村長は、かかりの手当てを続けた。でも、かかりは、朝日を見る事は出来ずに息を引取ってしまう。この後、直ぐに村長は、祭司の所に向かった。
「そのような事が起きていたのですか、う~ん」
 祭司は、顔色を青ざめた。不吉な事を感じたのだろう。
「祭司様、占いに影響がありますか?」
「そう成る可能性はある」
「なら」
 村長が問い掛ける。
「それなら、かかりを神の見使いとして祀り上げる事が最善かと思う」
「う~ん」
 今度は、村長が考え始めた。
「甲羅を祀るなら、かかりを側に置いておかないと凶になる可能性があるぞ」
「う~ん。やはり、それは出来ない。盛大に弔ってやろう。それだけだ」
 村長は、祭司の提案を断った。
「分かりました」
 祭司は不満そうだが、返事を返した。
 かかりを弔い。数日後、魚が取れなくなり、異常な天候も続いた。村人は、食事が偏る者や食べられない者が増え、死ぬ者もいた。この統べての事が、かかりの怨みの念だと騒ぐ者が多くなり、日にちが経てば、経つほど、その数が増え続けてしまった。仕方がなく、村長は無視する事が出来なくなり、祭司に相談を持ちかけた。
「やはり、かかりを祀るしかない」
 祭司は、即答した。
「それしかないか」 
 村長の言葉で、その日の内に祀り上げる儀式をした。すると次の日、天候も変わり、魚も大漁になり。かかりの事は一部の者以外は忘れられた。その一部の者は、それは怨みを生業にする者達だった。何故か、かかりに怨みの願いを言うと、願いが叶ったのだ。その為に、近隣から心の底から怨みを思う者が訪れるようになった。それから、数年が経つと、桜が満開の時期に限り、甲羅の欠片を持つ者から一つ、一つ手元から消える事が起きた。かかりの祟りだ。江見の祟りだと噂が広まった。その事件は、かかりの甲羅の欠片だけになるまで続く、その頃になると、八百万の人々の事も忘れられ、典雅が政治を仕切り、月姫の孫が、この国の二種族の、ただ一人の王の直系とされ、将来が約束されていた。これで、統べての占いが叶った為に、かかり、江見の事など書き記す者もいるはずもなく、二人の事は忘れられた。それでも、怨み言が叶う神社として、平成の現代まで語られていた。

 第九章
 結婚式まで十五日前。江見の過去、そして、薫と江見で最後の亀の欠片探し。
「江見さん。どうです楽しかったですか、物語に出てくる物や話の元に使われている資料の本がありますよ。見てみますか」
「それより、この作者は、羽衣の関係の話を好んで書いているの」
「余程、この作者が気に入りましたね。確かに面白いですからね。だけど、この本は初期の作品です。幼い頃に祖父に聞かされた事を参考にして書いたそうですよ。それで、最近、古い書物が家から見付り、書き足して、豪華本で出版されたのです」
「そうなの。今の物語は、私が体験した事よ。主人公の江見は、私の名前だしね。相手の赤い糸が見えると嘘を言った男の名前もカイよ。土地の名称も全て同じなの」
「だけど、神話を元にしているけど、現実では滅亡した国です。それに、種族名を変えて復興なんて出来るはずないですよ。それに、この本には書いてないが、初版本には、主人公は竜宮城から来て、その竜宮城は、時の流れの狭間にあるのですよ。これだけでも信じられないのに、過去、未来、多次元を飛び回るなんて信じられませんよ。それなら、江見さんは、竜宮城から来たのですか」
「そうよ。竜宮城から来ました」
「何かの機械で」
「いえ、羽衣の力でね」
「へえ、今」
「まって、一々聞かれても困るから、私から全て話します」
「はい」
「私たちは、八百万の神々の仲の一種族なの。そう言えば分かるでしょう。勿論、元は薫の世界に竜宮城はあったわ。だけど、薫のような心の綺麗な人や好きになってしまった人間を助ける為に、神々同士で戦いが起きたの」
「えっ、本当に竜宮城はあったのですか」
「だから、最後まで聞いてから問い掛けて」
 そう言ってから、江見は、又、話を始めた。
「六千年ほど前に栄えた。先史文明の生き残りである八百万の神々は、子孫を残す事が難しくなると、自分達の遺伝子と猿の遺伝子で人間を造った。その、自分達の遺伝子の有る人間達を守る為に戦争が起り、竜族だけは最後まで中立を守り、人を見守る事を通したが、その為に、他の神々の怒りを受けてしまい。竜族以外の全ての神々の力で、竜宮城だけでなく、島ごと時の流れの中に閉じ込められてしまった。その住人が江見の一族だった。別名は天人族と言われていたが、その住人は、時の中に閉じ込められたからだろう。体の機能が変わり、背中に蜉蝣の羽と左手の小指に赤い感覚器官が現れた。羽の力で、様々な時の流れを飛ぶことができる。そして、左手の小指に赤い糸のような感覚器官があり。その感覚器官で連れ合いの導きと、行動の指示の働きをしていた」
 江見は、教科書にでも書かれていたのだろう。感情を込めずに思い出しながら語る。そして、終わった訳ではないが、一息付いた。それを待っていたのだろう。薫は、即座に口を開いた。余程、問い掛けたくて仕方がなかったに違いない。
「たしかに、ここまでは同じ内容です。現実では、戦いで王が殺され国が滅んだはず。この本でも同じです。だが、信じられない事は、死んだのは王でなく影武者だった。復讐と復興の為に、一族全てが自国も名前も捨て、自国を滅ばした国の家臣に入る。そして、その主を、謀反を起こすようにそそのかし、負けるように計画を考え。それで、仇の首をとり終えると、まだ幼い、仇の主君の元に娘を嫁がせて、影から国を支配する。こんな歴史は聞いた事がありませんよ」
「う~ん。何て言えばいいのかな。正しい時間の理論は忘れたけどねえ。私達のような一族とか、これより先の未来では、過去などの世界に行けるのです。それが原因で、複数の時間の流れができたと聞いたわ。私達や未来人が一度でも過去に行くだけで、時の流れが変わるらしいの。私たちの学者が確認をしたわ。それはね。ある文明の知識を憶えさせて、文明の不審な点を確認させに行くと、考えた通りの事が起きるの。だけど、学者だからでしょうねえ。ある考えが浮かんで実行したのよ。それはね。ある文明の知識がない者と知識のある者を同じ所に送ったの。だけど出来ないの。必ず、片方が敵国に行ってしまうの。知識のある者は、歴史の通り確認と取ってくるわ。だけど、知識がない方は、羽衣伝説の本のような歴史を体験してくるのよ。
 それで学者は、時間の流れを変えられないように常に二通りの流れがある。そう結論をだしたわ。そうでしょう。この死ぬべき王が生きていようと死んでいようと、娘は、君主と結婚するのだからね。影で操っていたと言う相談役も、仇を討ち取った事は娘の実の父とは公然にしてないでしょう。二通りの歴史でも、最後は、補佐役は、若い二人を守り抜いた。そう書かれているはず。
「分かりました。そうなのか、それでは、兄弟争いで殺された者とかは死んでないのか、海を渡ったとか、別の地で生きている。そう言う伝説は本当なのかな」
「そうよ。死ぬ物狂いで高い地位に付いても、好きな人ができて止めてしまうか、戦いの準備だけで終わってしまうのよ。だから、未来人が歴史を変えようとしても無駄らしいわ。二つの時間の流れが柔軟に重なるからね」
「ほう」
「ひょっとしたらね。私と言う異分子が、この世界に来なければ、薫は死んでいたかもね。歴史に関係ないような人でも、時の流れには必要なのよ。薫を見て、怒り、笑い、泣く。
それだけでも、ある人物の人生の力に関係するわ。信じられない。そうねえ。もしよ。些細な交通事故で薫が死んでも、犯人が政治に関係ある人なら歴史に影響あるでしょう。私が言いたいのは、そう言う事よ」
 薫は、江見から、死んでいた。そう言われた事が気にかかり、思考にふけった。
(私は死ぬ運命だから竜宮城に行けるのかな。
はー、痛いのかな、苦しいのかな、でもでも、江見さんと一緒に居られるならいいか)
「そうかー、分かりました。それで、江見さんは直ぐに故郷に帰るのですか?」
「えっ何で?」
「そうでしょう。私は、江見さんの生涯、ただ一人の連れ合いでしょう。もう連れ合い探しの旅は、必要ないはずですよねえ」
「う~ん」
 江見は返事に困った。
「私は、あの本のようなカイとは違いますよ。嘘は言いません。本当に見えますよ。それに、江見さんの為なら何でもできます。何か機会があれば証明します。必ずします」
「本当ですのぉ?」
「ほっほっ本当です」
 薫は、一瞬だが、命の危険を思い浮かべて、言葉に詰まった。
「それなら、泥棒になって下さい」
「えっ」
「出来ますわよね」
「江見さんの為ならやります。ですが、理由だけは、教えて下さい。お願いします」
「そうよねえ。確かに、連れ合いが見つかれば帰れたわ。ですが、ある失敗をしてしまったの。その事を解決しなければ帰れません」
「なんですか、それは」
「それは、竜宮城に帰る時の起点なのです。普通は、動かない物に付けるのですが、私は亀に付けてしまったのです」
「亀ですか」
「そう亀です。それも、食べられてしまいました。せめて、甲羅が残っていれば良かったのですが、占いに使われバラバラにされて何処にあるのかわかりません。もし、連れ合いが見付かっても帰れません」
「信じてくれないのですね」
 薫は、悲しみを浮かべた。
「私の話の流れで、連れ合いと感じたのなら謝ります。でもね。私の故郷、竜宮城の住人でも神を全く信じない人はいるの。勿論、赤い糸も信じないわ。でも結婚はしますよ。楽しい人や頼れる人などでね。その人達の理屈では、神が決めた相手は遺伝子的に合うだけ。そう言っているわ」
「それで、江見さんは、どちらですか?」
「う~ん。内緒」
「あの、あの、何でもしますから、赤い糸の導きを信じて下さい。私は嘘を付いてないですよ。信じて下さい」
 薫は、心の底から悲しそうに問うた。
「そうねえ、考えとくわ。まず先に、亀の占いの事を調べてくれますか、まずは、それからね。出来ますか」
「はい、はい、分かりました」
 薫は、無我夢中で本を読み始めた。一つでも関連の本を見付ると、興奮を表しながら話を始めた。
「ありがとう。そうなの、それなら、占いで使われた亀があるか、調べられる」
「出来ますが、それを調べるなら機械の方がいいでしょう」
「機械ですか」
「そうです。皆はパソコンと言っています。それなら、詳しく調べられますよ」
「そう、ぱ、そ、こ、ん。ふ~ん」
「そうです」
「分からないけど。それでも、良いわよ」
「それなら出掛けましょう」
「出たり入ったり、忙しいわね」
「私は持ってないのです。済みません」
「別に良いわよ。出掛けるのでしょう。それなら早い方が良いわね」
「早く見付けて、私も竜宮城に行きたいですからね。見付ければ行けるのでしょう」
「そうねえ」
 薫は目を血走らせて興奮を表したからだろうか、江見は気のない返事を返した。
「分かりました。早く済ませましょう」
 それから二人は直ぐに部屋を後にした。それほど町の中を歩き回らずに、パソコンを貸す事を生業にしている店に着いた。
「ほう」
 江見は驚きの声を上げる。薫が、店員と長い時間が過ぎたから、そう感じたからではないだろう。それでも、薫が異性と話すのは気分が悪いに違いない。暫く見詰めていたが、薫が怒り声を上げているのを見て、色恋事でない。そう感じたからだろう。時間を潰す為に店内を見回し、興味を感じたからだ。
「だから、私だけがパソコンを使用するのです。連れは何もしないで椅子に座っています。ですからひとり分でいいでしょう」
「お客様、二人で室に入るのですね。それではお金を頂くのは規則です。お連れ様はパソコンでなくても楽しまれる物が有ると思います。そうお伝えしてみてはどうです」
「そうですか、それでは、他の店に」
 薫は本気で帰ろうとした。
「お連れ様は興味を引かれたようです。良かったですね。それでは、二人分を頂きます」
「はい、分かりました。一人分は割引券で」
「ああ、お客様。お一人で来店に限り、割引券が使えます」
「うっうう、はい」
 薫は何も言い返す事が出来なかった。
「有難う御座います」
 薫は、お金を払うと、店員の話を最後まで聞かずに、江見の元に向かった。それも怒りを表しながらだ。普段は一人で来る為に分からなかったのだろう。
「どうしたの。時間が掛かっていたわね」
「何でもないよ。冷たい物か温かい物にするか迷っていました。冷たい物でいいよね」
「冷たいので良いわよ。ん、でも、この茶碗」
「あっ江見さん。この茶碗で、好きな物を自分で持ってくるのです」
「どこですのぉ?」
 手で場所を示したが、始めて機械を見たのだ。分かるはずない。それで、問い掛けた。
「ああごめん。一緒に行きましょう」
 薫は、江見に丁寧に教えた。それも心の底から楽しくて、嬉しそうな様子だった。
「え、飲み放題なの?」
「そうですよ。冷たい物なら何でもね」
「凄いわねえ」
「それでは、座って調べましょう」
「そうねえ」
「ああ、ここがいいですね。私の隣に座っていて下さい。今調べますからね」
 薫は、隣り合わせの二席を探し、座った。
「おっおお、凄いわね。その機械は亀の甲羅が出てくるのねえ」
 江見はパソコンの画面を見て驚いた。
「えっ、そう言う訳ではないのですよ」
「そう、ごめんね。でも、探してくれるなら、占いに使われた。壊れた物をねえ」
「はい、え~と、千年ほど前で、占いに使われて、壊れた物で、場所は特定しない」
「そうです」
「うわー。何千件もでてきた。江見さん、この国だけの限定でいいよね」
「そうねえ」
「それでも、三十件もあるなあ」
「そうなの」
「一個ごと見せますから、違うようなら言って下さい。いいですか」
「はい」

「これは違うかな」
「う~ん、これは違うわねえ」
 薫が、亀の甲羅を画面に出すと、喜びの悲鳴を上げながら画面を見る。欠片だけを見ても分からないと、そう思うだろうが、そうではなかった。だいたいの予想ができた。
「そうですか、この五個が似ているのですか、直接見られれば分かるでしょうね。だけど、展示されている施設は場所が遠いのや、公開していない物もありますね。どうするか」
「ん、その画面に直ぐ出てくるのに、行けないほど遠いの。それに、公開とは何ですか?」
「えぇ~とですね。今地図を見せますね。今、私達がいるのが、日本と言う国で、東北の宮城県です。宮城県には三個あります。それで、四個目の場所は北海道で、最後の一個の場所が東京です」
「そうねえ。距離の感覚は分からないけど、離れているわね。遠いのは見て分かるわ」
「でしょう」
「でも、公開ってなんですか?」
「それは、古い物や貴重な物を見せて、お金頂く商売です」
「ほう、ああ、分かりましたわ」
 悩んでいたが、その謎が解けたような嬉しい笑みを浮かべ頷いた。
「それでは、今日は、この店を出て、明日でも県内の博物館や神社に行きましょう」
「何で、明日なの?」
「今日は土曜ですから、昼では、もう公開の時間が終わっています」
「そう、見られる時間があるのね」
「はい」
「そうなの。見られないの?」
 江見は、心底からガックリとうな垂れた。
「でも、帰り道に博物館の前を通るから、建物の外見だけでも見ましょう。ねえ」
「ありがとう。見てみたいわ」
「外観を見ただけでも驚くと思いますよ。もし、江見さんが言っていた物なら盗むのでしょう。これでは無理だ。そう感じますよ」
「そう」
「そうですよ。今の世の中、泥棒と言う商売は難しいですよ。ああ、ごめんなさい。商売ではないですね」
「わあはは、良いわよ。謝らなくても、言っている事は分かるからね」
 薫は、江見と話すのが楽しい。それは、心底から感じる。でも、歩きながら話は止まらない。話を止めると嫌われる。そう思えるような話し振りだ。そして、目的の場所に着き、博物館の説明を始めた。まるで、本職の博物館任の人、その者のようだ。
「そんなに厳しい警護とは思えないけど、警護人も五、六人でしょう。そして、隠れて様子を見る機械と鍵で閉めてあるのよねえ。一番の肝心な護符が貼ってないから、誰でも簡単に入れると思うわよ」
「え、護符、護符ですか」
 薫は、江見の言葉の意味が分からないのだろう。不審な表情を表した。
「そう、護符よ。何を驚いているの?」
「護符を貼って、何か意味があるのですか」
「薫、何を言っているのよ。一番の肝心な事でしょう。本気で言っているの?」
「だって、江見さん。紙に文字が書いてある。あれでしょう。ねえ、そうでしょう」
「もうー、時間世界では常識でしょう。人の世の未来世界とも契約したはずよ。だって、薫も、していたでしょう、パソなんとか、あの機械の箱で文字を記入していたはずよ」
「未来って、何時の。この現代に関係ないでしょう。え、パソコンが、何ですって」
「さっき、薫が、使っていたでしょう。契約の番号や偽の名前ですよ」
「えっ、あああ。あれが何ですか」
「もうー本当に知らないの?」
「お願いですから怒らないで下さい。でも、あれは、制限のある所に入る為の番号と名前ですよ。それと、護符と、どうして同じなのですか、教えてくれませんか。出来れば小声でね。閉館した前で大声を上げていては、変と思われますよ。歩きながら話しましょう」
「そうねえ。目立つわね」
 閉館の前で、薫と江見は大声を上げていた。人々は、話の内容は分からないはずだが、恋愛の末期を見ているような視線を向けられた。
「本当に知らないのねえ。分かったわ。私の亀と同じ仕組みです。その時代に無い物は固定や反発するの。それで、文字や絵で時間の流れを緩和させるのよ。出来れば、三点全てを持ち込めれば完璧ね。水と紙と墨ね」
「ほう、でも。それと、番号と名前が関係あるのですか、無いように思えます」
「元々護符はねえ。人の出入りを制限する物だったの。絵が書かれていて、その紋章の家だけが入れるようにしていたの。始めは、何の効力も無かったわ。ただの絵が書かれている紙だったの。でも、多次元や未来から人が訪れ、そして、行けるようになると、偶然に護符が信じられない働きをするのを発見したの。薫が先ほど自分専用の番号などを書いたと同じ様に絵や文字を書かないと入れないのに気が付いたのよ」
「それが、本当なら凄いですね」
「嘘は、言ってないわ。そうねえ」
「ん、どうしました」
「あの建物に入りましょう」
 江見は、ある銀行の十五階の建物に指し示した。薫は、驚きの声を上げた。そう感じるのも仕方が無いだろう。警備員がいて、最新と思える警備体制と機械がある建物だからだ。
「閉まっていますが」
「だからよ」
「ほう、護符でも使うのでしょうか」
「あっらぁ、何の処置していないわ」
「え」
「好きな所から入れるわよ。入ろう」
「チョト待ってください。入れるはずが」
「大丈夫よ。付いてきなさい」
「あの、もし、チョト、あの、入れたとしても警察に通報されたら、あの、ですね」
 薫は、江見の話を信じていなかった。だが、それでも、江見のような綺麗な女性に出会える事は、もう無いだろう。そう思い、真剣に亀の甲羅を探して手渡したかった。そうすれば生涯の連れ合いになる。それなのに、ここで警察に通報されて捕まれば全て終わりだ。それで、必死になって止めようとした。
「警察。ああ、犯罪だから捕まる。そう思っているのね。大丈夫よ」
 江見は、薫の気持ちも知らないで、建物の裏へ裏に歩き出す。裏口にでも行こうとしているのだろう。
「江見さん、計画を考えてからにしましょう。入れるのは分かりましたからお願いです」
 薫は、必死で止めようとして、肩を掴もうとした時だ。
「え」
 何もない壁の中に、江見の体が半分消えた。
「大丈夫よ。早く手を繋いで、入れるから心配しないで、早く来て」
「うっ」
 薫は恐怖の為に目を瞑り、壁の中に入った。
「ねえ、大丈夫でしょう。目を開けても良いわよ。もう、建物の中よ」
 建物の中は警備の為だろう。窓が閉められていて、真っ暗だった。
「何も感じなった」
「でしょう」
「これは、夢か幻か、本当に現実なのか?」
「馬鹿ねえ。現実に決まっているでしょう」
「おっ」
 薫は靴音を聞いて、顔を青ざめた。
「どしたの。あっ、大丈夫だから」
 警備員のはずだろう。携帯の電灯の光と同時に、足音も近づいてくる。薫は、益々顔を青ざめるが、江見はまるで、おばけ屋敷の脅かし役のような喜び顔で待ち構えていた。
「駄目だ。来る、来るぞ。これで、私の人生は終わりだ。ああ犯罪者になってしまう」
 薫は、江見に微かに届くような声で、独り言を呟いた。
「えへへ、もう少しよ。もう少し」
 江見は薫の言葉を聞いたはず。だが、返事を返さない。何故か楽しんでいるようだ。
「え」
「面白いわよ。見ていて」
 江見は、壁に当たる携帯の電灯の光を見続ける。その光の輪が大きくなるにしたがい、心を躍らした。逆に薫は、光よりも曲がり角を見続けた。何時、警備員が出てくるかと心配しているのだろう。
「3、2、1、どろろろろぉ」
 江見は、警備員が来る時間を考え、それに、合わして声を上げた。
「ひ、ひ、ひ~」
 警備員は二人現れた。一人は声を出す事も出来ずに、腰を抜かし、口から泡を吐いていた。もう一人は腰を抜かしながらこの場から逃げようとしている。だが、手や足を動かしているが、全く進めないでいた。
「ゆぅうれいぃ、幽霊。来ないでくれ、私は何も悪い事もしてないぞ。お願いです。取り付くことも、逆恨みもしないでください。お願いです。助けてください。助けてください」
「幽霊、ん。何で、見えないのか?」
 薫は、不審な声を上がる。薫からはハッキリと二人の警備員が見えたからだ。
「ひっひっひぃー」
 同じ場所で悲鳴を上げている。それも、そうだと思える。江見と薫の姿が透け、壁に貼られている紙の文字が見えるのだ。それだけでなく、陽炎のように姿が揺れながら声も震えて聞こえるからだ。
「面白いでしょう。自分の意識しだいで、自分の姿を見せる事も、他人の姿を借りて見せる事もできるのよ」
「ほう、それは凄いですね。それでは、そろそろ、家に帰りましょう」
「え。甲羅を見に行かないの?」
「は~あ、もう、これで大騒ぎになりますよ。直ぐに、民族資料館に入れば捕まります。それに、出る時に見られたら~、どうするのですか、それで、」
「大丈夫よ」
「はい、はい、誰にも見られなければ、そうしましょう」
(何で、そんなに簡単に思えるのかな)
 薫は、心の中で愚痴をこぼした。
「そうねえ」
 江見は、頷くと、壁に視線を向けた。
「あのう、江見さん」
「チョット、待っていて」
 そう言うと壁を見続ける。不審を感じる程の時間の為だろう。薫が声を掛けた。
「今なら大丈夫よ。行きましょう」
「え」
 江見が突然に大声を上げた。壁を見ていたのでなく、壁の向う側の人通りを見ていたのだろう。そして、人が居ないのを確認と同時に、薫の手を掴み外に向かった。
「ほっ、誰も居ない」
 深い息を吐いた。それも、心の底からの安心が感じられた。恐らく、犯罪者にも化け物のような扱いもされなかったからに違いない。
「ん、何をしているの。行きましょう」
「その場の思い付きでなく、少しは考えてから行動しましょう」
「心配しょうね。大丈夫、大丈夫よ」
 そう問い掛けたが、まったく気にする気持ちが無く、今来た道を戻り始めた。
「江見さん。チョット待って、待って下さい。何処に行くのですか?」
「何処って資料館でしょう」
「え、今から見に行くのですか」
「そうよ。なぜ聞くの?」
 江見は、薫から問い掛けられるが、立ち止まることなく歩き続ける。
「でも。もし、もし、何かあったら困るでしょう。計画を決めてからでも遅くないはず」
 嫌な予感を感じて、江見の手を掴み引き止めた。そして、必死に説得し続ける。
「ん、あっ」
 江見は、薫の真剣な表情を見て、自分も必死に説得した時の事を思い出された。
(そう、甲羅を返して、そう何度も言ったわ。私も、薫のように真剣に頼んだ。お願いだから止めて、返して、別の亀を捕まえてくるからと、何度もお願いしたのに駄目だった。そうよね。私も、今の薫のような表情をしていたはずだわ。だから、薫の気持ちがわかる)
「そうね。薫の言ったように計画を決めた方が良いわね。それなら、薫の部屋に早く行きましょう。そこで、ゆっくり考えて行動しましょう」
「ほっ、分かってくれたのですね。良かった。本当に良かったよ。うっうう」
「ハハハ、何を泣いているの。バカッねえ」
 江見は笑って、自分の気持ちを誤魔化していた。昔を思い出して、怒りとも悲しみとも思える思いを感じていたのだ。もし、あの時の人が、少しでも、今の私のような気持ちがあれば、複雑な旅をしないで済んでいたはずだからだ。
「本当に恐かったのですよ。犯罪者になるのか、もう、どうしたら良いのか真剣に考えました。どうやって説得しようかと~」
「え、私の為なら何でもするのでしょう」
「でも、でも」
「いいわ。だから確りして」
 誰が見ても、薫の姿は情けないが、それでも、一つは克服ができた。普段の薫は、人目を気にしてビクビクしていた。話す相手がいるか、何かをしていれば何でもないが、一人だと人が恐いのだ。それで、外に出る時は必ず本を持ち歩き、本を読んで人との係わりを隔てようとしていたが、江見が生涯の連れ合いなら心配はないだろう。江見だけを思い考えれば良いのだからだ。
「おおおお、江見さん。私は大丈夫です」
「正気を取り戻してくれて良かったわ」
 二人は、薫の部屋に向かった。薫は情けない姿を思い出したのだろう。江見に弁解をするかのように話し続ける。「いいのよ。いいのよ」と答えながら頷いているが、聞き流しているようにも感じられた。余程、甲羅の事が、気にかかるのだろう。

 第十章
 結婚式まで十五日前。薫と江見で最後の亀の欠片探し行動開始

「えええぇ、この部屋で一夜を過ごすの」
 二人は薫の部屋にたどり着いた。そして、江見が部屋での最初の声を上げた。
「そうですよね。この部屋で、朝まで二人で過ごすのは嫌ですよね。常識に考えれば当然ですね。なら、私は外で寝ますよ」
 江見は、薫の話を最後まで聞かずに、話を遮った。それも、不審を感じて、問い掛けるように話を掛けた。
「だから、そうでなくて、何で明日の朝まで部屋に居るの。まだ、太陽が沈む時間は、まだまだ先ですよ。その意味が分からないわ」
「先ほども言いましたでしょう。資料館が閉館していますから、開館まで待たなければならない。それで、これからの事を、二人で話し合いをしましょう。そう言う事です」
「その意味は分かりますわ。それなら、今から遠い地の亀の甲羅を見に行かない」
「でも、そこも、たぶん閉館していますよ」
「この地から、それほど遠いのなら大丈夫でしょう。薫だって事は分からないわよ。ねえ、先ほどの建物のように入りましょうよ」
 薫は、我を忘れる程考えを巡らした。顔の表情を歪めるほどに、それでも、考えが思い浮かばなかったのだろう。だが、突然に微笑みを浮かべると話を始めた。まるで、神経や血管が切れて、思考回路が変わり、本当に別人のように変わってしまったようだ。
「分かりました。それでは、宮城県に有る物だけは、幽霊のように入るとして、もし有れば、それでいいですが、無ければ、様子を見て、大騒ぎになるようでしたら考えて行動しましょう。それでいいですね」
「それで、良いわよ」
 江見は微笑みを浮かべながら肯いた。でも、意見が通った為の微笑みではない。まるで、理想的な男性に会ったような感じに思えた。
(どうしたのかしら、別人のようねえ。でも、凛々しいわ。この様な感じなら赤い糸が繋がって無くても惚れてしまいそう)
「江見さん。それでは行きましょう。始めに向かう場所は、先ほどの所でなく、この都市の外れ名取市と言う所に向かいます。恐らく、銀行の周囲は警察が動いているはずです。資料館には向かわない方がいいでしょう」
「何故、その警察と言う者が来て、騒いでいると思う訳なの?」
「それはですね。先ほど試しに入った建物は銀行と言う所で、もう、警察に通報されているはずだからです。例え、幽霊だと思われても、詳しく調べているはずです」
「そうなの?」
「ですが、名取に行く途中で資料館を通って様子を見ます。騒ぎになって無ければ二番目に確かめる。そうしましょう。いいですね」
「でも、何故、始めに遠い所に行くの?」
「それは、三番目に行く所は、地図で場所を確かめた所、交番の隣にあるのです。出来れば最後にしたいです。それに、二番目の場所の理由は言わなくても分かってくれますね」
「そうね。警察の本部がるの。分かったわ」
「まあ、本部でないけど、常に居るのは確かです。そう言い理由です」
「ごめんなさい。もう何も言わないわ。信じて全て任せます」
「ありがとう」
「あっその前に、地図を見せて下さい。もしはぐれてしまった時の為に、大体の場所を記憶しておくわ」
「わかりました。その方がいいですね」 
 そう言うと、地図を食台の上に開いた。
「私達が、今居る所は、どこなの?」
「長町中学校の裏です。私の家までは、この地図には載っていませんが、もし、はぐれた時は、そうですね。太白区役所にしましょう。それなら、誰に聞いても分かるはず」
 薫は話をしながら、地図に二点の場所を指差して教えた。
「そう、忘れないように憶えておくわ」
「それで、これから行く所は、名取市の愛島と言う所に向かいます」
「愛島、愛島」
 江見は地図を見て、その場所を探すのに指差しながら探した。
「ここです」
 薫は目的の場所を指差した。
「あっ、可なりありますね。この場所なら行き帰りで日が沈むでしょうね」
「片道二十キロです。でも、歩く訳でないから、何事も無ければ行き帰りで二時間もあれば大丈夫でしょう」」
「えっ、なら、自動籠に乗るのですね。あれは、本当に早い物ですよね」
「え、自動籠。ああ、自動車と言うのですよ。人を乗せる事を生業にしている自動車です」
「そう、楽しみです。えへへ」
「その神社を確認して帰って来ても、三時までは帰れるでしょう。一番の問題は簡単に確認できるかです。それは、江見さんが幽霊のように建物に入り、確かめるまでの時間です。それが早く済み、何の問題も無ければ、資料館を調べます。予定では三十分もあれば十分でしょう。それから、交番の隣の神社。そこは向山と言う所です。えーとここです」
「ほう近いわね。それなら、薫の家に寄ってから行くのかしら」
「いいえ。資料館を確認したら、そのまま向かいます。そこに無ければ、北海道か東京ですね。そこに向かうには、二、三日待ってください。必ず行けるように、何とかしますから信じて下さい」
「薫。多分大丈夫よ。私が、この地に来たのは、薫に会う為だけのはずがないから、たぶん、薫が住む宮城県に有ると思うわ」
「感ですか。それとも、赤い糸の感覚器官で分かるのですか」
「今までの破片探しは、そうだったからね」
 江見は、簡単に亀の甲羅を探し出したはずはないが、薫を安心させようとした。
「有ればいいですね。宮城県に有るように祈りましょう」
「そうね」
「そろそろ行きましょうか」
「はい」 
 二人は、薫の部屋を後にした。
「そうだ。私の近所では、あの自動籠は通らないから、待ち合わせの場所を見ましょう」
 薫は、ある言葉を恥ずかしそうに呟いた。家の中でなく外を歩いているから、誰かに聞かれ、笑われると感じたのだろう。
「もう薫。籠で良いわよ。それで分かるわ」
「はい。それで、神社に着いた時に料金が分かるので、その時にお金を渡しますから、それを使って太白区役所に来て下さい」
「はい」
 江見は、その場所に着く十分間の間いろいろと、薫に問い掛け続けた。それも、本当に楽しそうに会話を楽しんだ。よほど、この世界の事に興味を感じただろうか、それとも、薫がいる世界だから必死に憶えようとしている。そう感じる事もできた。
「この建物です」
「ねえ、薫。この建物は、何をする所です」
「ここは、この国が決めた規則を申請や受け取る施設です」
「ああ、あまり係わりたくない所ね」
「そうですね。楽しい所ではないのは確かな所です」
 そう答えると手を上げた。
「何をしているの?」
 江見が問い掛けた。
「あああ、籠を止めるのです。手を上げると、乗りたいです。そう知らせているのですよ」
「そう。もし、私も乗る時はそうすれば良いのね」
「誰も乗ってなければ止まってくれます」
「はい」
「あっ、江見さん。止まってくれたから乗りましょう」
「おっ、自動で開くのね。おもしろいわね」
「江見さん。早く、早く乗って」
 江見は、立ち尽くしていた。恐怖を感じたのか、それとも、乗りなさいと、そう呼ばれるのを待っていたようにも思えた。
「はい」
「お客さん。行き先は何処でしょう」
 二人が席に着くと、即座に声を掛けてきた。
「愛島までお願いします。あっ熊野堂を通る道を行って下さい」
「畏まりました」
「済みません。それと、長町民族資料館の前を通ってくれませんか」
「分かりました」
 運転手は、ややご機嫌な声色で言葉を返してきた。片道二十キロも走るのだから当然だろう。そして、嬉しそうに資料館を通る間際に言葉を掛けた。
「お客様。長町資料館の前に、一時的に止まればいいのでしょうか?」
 益々、ご機嫌なのは、恐らく、暫く停車すれば料金が高くなる。そう考えたのだろう。
「いいえ。前を通るだけでいいですよ。待ち人が着ているか、確かめるだけですから」
「え」
 江見が驚きの声を上げた。即座に薫が片目を瞑って合図を送った。江見は、その合図に気が付き、それ以上声を上げなかった。そして、資料館の前を通り、何の騒ぎもなかった。そして、そのまま通り過ぎ、目的の場所に向かった。
「お客様。そろそろ、愛島ですが道なりに進んでいいのですか?」
「はい。この道路沿いに神社があるはずなので、そのまま走って下さい」
「お客様。もしかして亀神社ですか、それなら間もなく見えますよ」
「そうです。亀神社です」
「はい。亀神社ですね。分かりました」
「薫。もう着くの?」
「うん。間もなく着くみたいです」
「そう」
「お客様。見えてきました。あの、小さい丘がそうです」
 そう、運転手は言葉を掛けながら反対車線の駐車場らしき所に入ろうとしていた。
「おお何か、本格的な神社と思える雰囲気ですよ。ねえ、江見さん」
「当たり前でしょう。神社なのですから」
「お客様。二千五百円です」
「あっはい」
「三千円からね。ありがとう御座います」
 江見は、扉が開くと、何かに興味を感じたように、車外に出た。
「チョット、チョット待って」
 薫は、お釣を財布に入れる時間も惜しいのだろう。江見の元に向かった。
「薫。道を造る為に、本宮以外は削られたみたいよ。酷い事をするわね」
「そうなのか、この砂利を敷いてある所は駐車場のはずないよな。昔は車なんてある訳ないしね」
「そうよ。あっ車が行ってしまうわよ」
 江見は、疑問に感じて回りを見ていたからだろう。車が走り出した事に、今気が付いた。
「大丈夫。又、別の車に乗ればいいよ。それよりも、神社に行こう」
「はい」
「この石段を見ただけでも、そうとう年代を感じる神社だ。それにしても、この石段百段はあるぞ。上るのが大変だな」
「そうね。だけど、削られる前は、厳かな雰囲気を感じた神社だったはずよ」
「そうだろうね。だけど、ここなら欠片あるよ。神社の名前からして有りそうだしね」
「そうねえ」
「そうだよ。あっ、それと、三千円を渡しておくね。何かあった時使って」
 二人は石段を上りながら話をしていた。先に薫が上り終えると、驚きの声を上げた。
「えっ」
「無さそうね」
「でも、確かめないと分からないよ」
「そうね」
 二人は社を見た。木々が社を隠すように茂っている。まるで、神がいるような雰囲気があるが、三畳くらいの無人の社だけしかなく、それも、今にも崩れるような社だった為に欠片がない。そう感じたのだろう。
「江見さん。私は、ここで人が来ないように見張っているよ」
 薫は、一緒に見に行く。そう言えなかった。遠目からも社の扉が開かれて甲羅が見えたからだ。そして、江見の落ち込んだ様子を見たくないからだろう。薫は、心の底から探している甲羅でありますようにと、祈りながら石段のある方向に体を向けていた。
「薫。違ったわ」

「そうか、帰ろう。民族資料館に行こう」
「はい」
 二人は石段を下りると、数台の車が止待っているのに驚いた。その中の一台が自動籠だった。何故止まっているのかと、気が付かれないように視線を向けた。
「あっ休憩しているのですよ」
 全ての車の運転手が助手席で仮眠を取っていた。そして、薫は乗せてくれるか聞こうとして、車の窓を叩いた。
「ん」
 運転者が目を覚ました。
「済みません。休憩しているのに済みませんが、長町資料館まで乗せてくれませんか」
「ああっいいですよ」
 運転手は不機嫌そうに聞いていたが、地名を聞いて、微かな笑みを浮かべた」
「ありがとう。江見さん、早く乗りますよ」
 二人は車に乗っても、走り出しても話をしなかった。江見が、外も見ずにうな垂れていたので、薫は言葉を掛けなかった。勿論、運転手も雰囲気を感じ取り、声を掛けない。
「お客さん、着きましたよ」
「ありがとう。休憩の邪魔をしまして、そのお詫びとして、少ないけどお釣はいいです」
「ありがとう御座います」
 二人は資料館の前に着いた。薫は、資料館の周りの様子を見たかったが、江見が落ち込んでいる姿を他人が見たら、何かあったと不信がられる。それで、直ぐに資料館の裏手に向かった。
「江見さん、入れそう」
「大丈夫」
「江見さん、人は居ない」
「うん、居ない」
 そう言うと、一人で、幽霊のように資料館に入り、ある物に目を止めた。
「なんだ。忘れられたのでは無いのね」
 それは、八百万の神々をかたどった置物だった。 
「良かった。安心したわ」
 江見は甲羅が無くて落ち込んでいたのではなかった。昔は、人から神と言われた。その
八百万の神の末裔が、江見だ。その事に誇りを持っていたが、先ほどの神社を見て落ち込んだのだった。だけど、今は、甲羅の事を忘れているような感じで、資料館の全ての展示物を見て回っていた。
「あっ、江見さん。有ったのですね」
 先ほどより喜びの表情を浮かべていた。それで、見付けたと感じたのだった。
「無かったわ」
「そうか、なら、直ぐに、もう一つの神社に行きましょう」
「うん」
「籠を止めますね」
 江見に分かりやすい言い方をした。
「ああ、私が止めてみたいわ」
「いいですよ。どうぞ、お願いします」
 そう言葉を返すと、江見は楽しそうに手を上げて振っていた。
「おわあ、止まったわ」
 江見は手を上げて直ぐに、籠が止まったので嬉しかった。そして、扉が開くと乗り込み、
薫が乗るのを満足顔で待っていた。
「向山交番までお願いします」
 薫は籠に乗り込んだ。そして、扉が閉じると行き先を伝えた。
 二人は、宮城で最後に探索して出した神社の前に現れると、落胆の表情を浮かべた。そして、呆然と神社を見続けた。何故、そう思うか。それは、こぢんまりとした神社。そう言えば想像できるだろう。それでも、まだ、神社と思えるが、目の前の、それは、社と言うよりも祭壇としか思えない。何故か、立派な鳥居があり。小石が敷き詰められている。この二点があるから神社と名前が残されているのかもしれない。だが、歩道と二十四時間の食料品店、交番の駐車場に挟まれて見えなくなっていた。
「ここなの?」
 二人が、いや、誰が見ても、この神社では神が居るとは思えないだろう。
「地図の通りに来ましたから、間違いないです。これが、目的の八木山神社です」
「何処に置いてある。まさか、あの鳥小屋のような所なのかしら?」
「そうだと思います。江見さん。確かめないで帰りますか、どうします?」
「ここまで来たのですから、確かめて見るわ。もしもの為にね。有ったら馬鹿をみますからね。そうでしょう」
「そうですね。そうしましょう」
 薫は同意すると、社の元に歩き出した。その後直ぐに、江見も後を付いて行くが、苦痛のような表情を浮かべたのは隣の交番が気になる為だろうか、まさか、名前だけの神社に何かあるとは思えないからだ。
「ねえ、江見さん。見えますか、私は中が暗くて見えないけど、どうです?」
 薫は、鳥かごのような社の扉の隙間から覗きこんだ。
「ん」
 江見の言葉が聞こえない為に振り返った。
「駄目。信じられないけど凄い結界が働いているみたい、目を開けていられないわ」
「江見さん、分かりました。隣は交番ですし、目立つ事はしないで下さい。お願いしますよ。時間をずらして、又、来ましょう」
「そうねえ。そうしましょう。それにしても、ここは何を祭っているの。それに、由来は分かる。それが解れば対策もあるわ」
「私も、先ほど由来を書かれているはずの立て札を読もうとしたのですが、墨文字が薄くなって読めませんでした」
「そうなの。それなら、やっぱり強制的に術を破らなければ駄目なようね」
「止めて下さい。隣は交番ですよ。大騒ぎになってしまう」
「それなら、薫が鍵を開けられるの?」
「開けられないけど、社を壊す位なら鍵を壊して、警察に捕まった方がましに思えます」
「そうなの?」
「江見さん。甲羅を見るだけでも無理ですか、それが分かれば、この場の問題は解決しますでしょう」
「ここの祭り神の名が分かればね。主神でなくても副神でも良いのだけどね。それが分かれば見るだけなら出来るわ」
「ああ、あの時の幽霊のように、ですね。分かりました。何とか調べてみます」
「私は、この場所でいろいろ調べているわ」
「駄目です。私と一緒に来て下さい。隣が二十四時間営業の食料品店です。不審な事をしていると強盗と誤解されますよ」
「ぐっうう」
 江見は、心底からの苛立ちを現した。
「何をしているのです。行きますよ」
 江見は顔中を真っ赤にして動こうとしなかった。何かを考えているようにも思えるが、恐らく怒りの余りに聞こえていないのだろう。
「ぐっううう」
(最低な科学技術しかないのに、宇宙にも時の流れにも、他次元にも行けない世界なのに、全てを空想としか考えてない人達なのよ。本当に疲れるわ。この世界はね)
 この女性が呟く妄想も嘘ではなかった。薫の世界は、まだ、中世と同じ扱いをされていた。それだけでなく、時の流れの中では一番の不人気だった。時の流れを変えたいと思う犯罪者も、一国家の力が強すぎて邪な考えを実行しようと思う者も無く、歴史的な芸術家も無く盗む者も居ない。過去や他次元からの時間犯罪移民者も、物価も高く、自然環境も最低の為に訪れる者も居なかった。この世紀は時の流れの中でも簡単に入れるのだが、その為にスリルを感じないからだろう。誰一人来る者が居なかった。この女性のように強制的か事故の為に来る者ぐらいしか来ない。
「江見さん。行きますよ」
 薫は二度同じ言葉を掛けた。顔を赤らめ、頬を膨らませながら何かを呟いているから聞こえない。そう思ったからだ。
「聞こえていますわ。何度も言わなくても聞いていますわよ。本当にっもぉー嫌になるわ」
(まあ、役に立たないのに、薫は、逃げる時は早いのね)
 そう心に思い、薫に鋭い視線を向けた。
「ん。どうしました。ああ、大丈夫ですよ。恐らく、昔は、この山全体が、一つの神社だったと思います。直ぐに主神が分かるはず」
 薫は、江見の視線が問い掛けと思い、即座に自分の思い。微かな希望を答えた。
「それは本当なの?」
「そうだ。交番に聞いてみましょう」
「え、大丈夫なの。係わりたくなかったのでしょう。それなのに、私の為にありがとう」
「気にしないで、私の為でもあるでしょう。江見さんのような綺麗な人の為なら何でも出来るさあ。そう言ったでしょう」
「んっもー、そうね。ありがとう」
「隣だしね。直ぐに行きましょう」
「薫。本当に良いのね」
「何もしてないのだから大丈夫だよ。犯罪者以外は優しいからねえ」
「そうなの。それは良かったわ」
 江見は、完全に全てが終わった気持ちになっていた。この世界の事や地域の事が分からなくても、隣に有る物を隣の人に聞くのだから知っていると思うのは当然のはず。それは、薫も同じ気持ちだった。江見は、そのような気持ちだからだろう。嬉しくて薫の腕に抱きついた。余程、興奮を隠せなかったに違いない。二人は、そのまま交番に向かう。
「江見さん。先ほど言いましたように恐くないですから心配しないで下さいね」
 薫は、江見が抱きついてきたのは恐怖の為だ。そう勘違いした。それで、そのまま隣に向い、扉を開いた。
「すみません。聞きたい事があるのですが、いいでしょうか?」
「あっお願いします」 
 江見も厳粛な空気を感じ取り、自然と言葉が出ていた。
「構いませんよ。何でも聞いて下さい」
「忙しいところ本当にすみません」
「それにしてもいいですねえ。新婚旅行でしょうか、仙台はいい所でしょう」
「あ、その」
「えっ、う~ん。新婚旅行?」
 江見は言葉の意味が分からず問い掛けた。
「やはりそうですか、私も半年前に結婚しましてね。でも、私の連れ合いは、腕は組んでくれませんよ。結婚したらしてくれるかな、そう思っていたのですがしてくれません。何故なんでしょうねえ」
「あっ、その違います」
 江見は、所々の言葉の意味が分からず聞いていたが、やっと全ての意味が分かったのだろう。顔中を真っ赤にして手を離した。
「騒がしいぞ。何かあったのか?」
 不機嫌そうに上司が現れた。隣室で仮眠をとっていたのだが、騒がしくて事件と思ったのだろう。まあ、ほとんど笑い声の方が大きかったから、その注意とも思えた。
「いえ、何もありません。この男女が聞きたい事があるそうです」
「そうか、大丈夫だな。俺はもう少し仮眠をとるから頼んだぞ」
 大きい欠伸を上げながら隣室に消えた。
「それで、何を聞きたいのですか?」
「あの、隣の神社の事です。由来などを知りたいので立て札とか、資料館があれば教えてくれませんか」
「資料館はないですね。立て札なら社のそばに有りませんでしたか?」
「あるには有ったのですが、墨文字がぼけて読めませんでした」
「そうですか、う~ん。あっそれなら、神主さんにお会いしますか、気難しい人だから会ってくれるか分かりませんがどうします。行くなら教えますよ」
「行きます。行きます。教えて下さい」
 江見は、抱きつくのではないか、そう思える勢いで声を上げた。
「お願いします」
 薫も同じ気持ちなのだろう。同時に何度も何度も頭を下げていた。
「これが仕事なのですから気にしないで下さい。え~と、交番を出て右に行くと郵便局があります。その裏です。名前は、神野平蔵さんです。神野さんは果物が好きだから郵便局の隣の果物屋がありますので、買われたらどうでしょう」
「そうします。ありがとう御座います」
「ありがとう。あの、その」
 江見は礼を言いたいのだろう。だか、名前が分からず。戸惑っていた。
「お巡りさんでいいですよ。幸せになってください。お嬢さん」
「ありがとう。お巡りさん」
「神主さんと話が出来たらいいですね。もし、会えなくても仙台を楽しんで下さいよ」
「はい、そうします」
「それでは、江見さん。行きましょう」
「はい」
 江見は満面の笑みを浮かべた。
 江見と薫は、何ども頭を下げながら交番を出た。そして、二分位だろう。歩くと目的の郵便局の前に着き、隣の果物屋の勧める果実を購入して、神野家の前に着た。
「すみません」
 薫は、そう声を上げると同時に扉を叩いた。暫くと言うよりも可なり長い時間、玄関の前で待っていた。
「何か、御用があるのですか?」
 これ以上不機嫌な顔を表せない。そう思える感じで現れた。
「あの、ですね。神社の由来を聞きたくて、神野さんに会いにきました」
「何だと」
 益々顔をしかめた。
「あのう、神主さん。これをどうぞ」
「ん、何だ。それは?」
「ええーその、果物です。神様のお供え物を持ってきました」
「そうか、そうか」
 女性だからか、それとも果物と聞いたからだろうか、顔の表情が柔和に砕けた。
「どうぞ、神主さん」
「神様も喜ぶでしょう。茶でも出しますから上がりなさい。話があるのだろう」
「ありがとう御座います」
 二人は同時に声を上げた。

「さあ、上がりなさい」
「はい」
 二人は靴を定規で測ったかのように、揃えると、神野の後を付いていった。
「この部屋で待っていなさい」
 二人は部屋で待て。そう言われたが、とても落ち着ける気分でなかった。神社の由来を聞くからではない。座る事が出来ないからだ。何故か、それは部屋の中は年代物と思える壷や触れば壊れるような剣や息を吹きかけたら崩れるような文献や掛け軸が無造作と言うよりも隙間があれば置いているように思えた。これが本物か偽物かそう考えるよりも、客人を待たせる部屋とは思えないからだ。
「立ったままでどうした。寛いでくれていいのだぞ。由来を聞く為の礼儀としても、立ったままでは話し辛い」
「はい、そうですね」
「ああ、その食台を取ってくれないか、茶を置きたいのだ。それ、それだ」
 薫と江見は、神主に言われたが、指差すが普通に使用できる物か分からなかった。
「ふー、茶を持っていてくれないか」
 不機嫌そうに呟いた。
「はい」
 二人は頷き、何を使用するのかと、視線を送り続けた。驚いた事にゴミのように壷などを払いのけて、有る物の中では使用出来そうな物を引っ張り出した。
「驚いているようだな、やはり分かるか。この食台は年代物だぞ。由来を聞きに来るだけはあるようだな」
 二人が驚きの表情をしたのは机の事ではない。壷や剣が崩れ壊れたからだ。
「どうした。座りなさい」
 もう、二人は呆然とした。今度は食台を置く広さや三人が座る場所を作るのに、無造作に足で退けていたからだ。
「はい、はい」
 二人は頷く事しか出来なかった。
「由来だが、正確な事は分からない。時代が変わる度に権力者に文献を没収されてしまった。そして、昭和の空襲で殆どが焼けてしまったのだよ。それで、口伝で良いのならば話は出来るが、それで宜しいかな」
「はい、お願いします」
「今の話で分かってくれると思うが、正確な年代は分からないが、若い男の漁師と、ある国の姫と思える二人を祭っている。この男は姫の願いを叶える為に亀の甲羅を命懸けで守ったのだ。だが、一欠けらしか守れなかった。そして、怨み言を言いながら死んだ。結局、姫は現れない。恐らく、その姫は戦の勝利祈願の祈りを阻止したかったに違いないと思われていた。これだけなら神社は建てられなかったのだが、噂が広まったのだ。男の死ぬ間際の言葉だ。本当に呟いたかどうか分からない。
「姫が、この地に有る。この亀の甲羅の欠片と全ての亀の甲羅の欠片を取りに必ず戻る。その度に、私は生き返りお助けする」
「そう言いながら死んだらしい。そして、不規則な年で、何故か桜が咲く時期に甲羅が消える。すると、魚が獲れなくなり、飢饉、災害が起きたらしい。それで、恐ろしくなり、最後の亀の甲羅の欠片を守り神にして、そして、若い男と姫を神として祭り、この神社を建てた。と伝わっている」
 江見は、話が終わると、全ての意味が分かった。そう思える表情を浮かべた。
「ありがとう御座います。良い参考になりました。それで出来れば、福神と主神の名前を教えてくれませんか」
「主神が、江見神。福神が、かかり神」
「えええ」
 薫は、驚きの表情を浮かべた。
「ありがとう御座います。私達は、これで失礼します」
 江見が、薫の口を塞ぎながら声を上げた。
「そうか、幸せになりなさい」
「あっ、今からお参りしても良いですよね」
「好きにしなさい」
「ありがとう」
 そう言うと、薫を置き去りのような感じで、急いで神社に向かった。勿論、薫も神主には何も言わずに急いで後を追った。
「私と同じ名前ね。まさか、私の事。このような話は記憶に無いけど、主神の名前が分かれば、それで十分よ」
 そう呟きながら胸元から筆箱と札を取り出した。
「江見さん。待って下さいよ」
 薫が神社に着くと、もう江見は、社の扉に自分の名前を書いた札を貼り、両手でいろいろな形を、手で作りながら祈りを上げていた。 
「はっ」
 江見は、最後に気合を上げた。
「江見さん。見えましたか、それとも、甲羅の破片を取り出せたのですか?」
「何故、封印の術が解けないの?」
「駄目でしたか」
 江見が心底落ち込んでいる為に、それ以上言葉を掛けられなかった。
「何故、墨も水も以前使ったのが残っていたわ。紙も、この世界の物でないわ。何故なの三点の物は全て違う時代の物よ。全てが揃っているのよ」
 江見は不審に思うのは当然だった。違う時代や世界の物があれば、時の流れを止められる。例を挙げるならば、薄い紙でも時の流れを止めれば鉄でも切れる硬度になるのだ。今回は空中にある原子を固めているのだろう。そして、封印を解くのは同じ文字や数字を書いて解除と付け足すだけで良いのだが、文字か何かが足りないのだろう。
「江見さん。ガッカリしないで」
 薫は慰めの言葉を掛けようとした。その時に後ろから声が聞こえてきた。
「どうして泣いている。何かあったのか?」
 神主は不審と好奇心で後から追いかけて来た。
「えっ、その」
 薫は、理由を言えずに言葉を無くした。
「お嬢さん。理由は知らないけど、恐らく、この男から何か言われたのだろう。大丈夫だから安心しなさい。御神体を触らしてあげよう。この御神体に触ると必ず結ばれるか、運命の人が見える。そう言い伝えがあるから試してみなさい」
「え、本当ですか」
 江見は、驚きの声を上げた。だが、言い伝えでなく、甲羅を触れられるからだ。
「何代も前から封印されていたらしい。ご利益はあるだろう。それに、あなた方が来てくれたから壷が割れたのだ。その欠片の中から鍵を見つける事が出来た。これも、何かの縁だろう。心の底から信じなさい。願いが叶うはずだ」
「はい、願います」
 その言葉を聞くと、神主は頷き。握り締めていた鍵を、扉の鍵穴に入れた。
(あっ、鍵に文字が刻んでいる。江見と書かれていた。四重に術が仕掛けられていたの。これでは、術が解けるはずないわ)
 神主は、亀の甲羅を社から取り出した。
「心の底から信じなさい」
 そう呟くと、江見の手の平に載せた。すると、硝子が割れるような音が響く。と、同時に、虚空に残りの破片六個が現れた。その様子は幻のような蜃気楼のようにゆらゆらと揺れていた。まるで、シャボン玉の中にある絵の様に、その玉が弾ける度に、手の上にある甲羅と繋ぎ合わさった。それと同時に、二人の姿が溶けるように透け始める。
「何が、起きたのだ?」
「神主さん。言い伝えの女性。江見は、私の事のようです」
「あれは、本当の事だったのですか」
「恐らく、先ほどの話は記憶にないけど、長い時間の為に違う話しになったのでしょう」
「江見様の言う通りでしょう」
「そして、先に謝っておきます。私達が消えれば、この場の事は記憶に残らないはず」
「そうか、残念だな」
「今まで、亀の甲羅を守ってくれて、ありがとう。私は生まれ故郷の竜宮城に帰ります」
 そう言い終わると、江見と薫は、神主に視線を向けてない。もう神主が見えないはずだ。
(やっと帰れるのね)
 江見の目には忘れた事の無い。故郷の姿が見えると、嬉しさの思いがこみ上げてきた。
「江見さん。今、おぼろげに見えるのが、江見さんの故郷、竜宮城ですね」
「薫にも見えるのですね。そうよ」
 二人は、まるで、空間に溶け込むようだ。そして、全ての甲羅が繋がると、二人は消えてしまった。
「そうなのか、早く行きたいです」
「でも、行ってみてガッカリするかも、だって、薫の世界と変わらないからね」
「そうか、でも、私は、江見が住んでいた所の空気と言うか、雰囲気かな、それを感じたいから、心配しないで下さい」
「そう、それなら良かったわ」
「はい、楽しみにしています」
 全ての破片が揃い、体が空間に溶け込んだのに竜宮城の世界に入れない。まだ、ぼんやりと見えるだけだ。そう、不審な顔を浮かべながら話をしていた。
 突然に、二人は竜宮城の世界に吸い込まれた。まるで、何かの言葉を言ったからのように思える。だが、それは分からない。江見の満開の笑顔なのか、それとも、薫の決心の言葉を上げたからなのだろうか、それとも、江見が、薫の手を握り締めたからか、全てが重なったからだろう。そう感じられた。

 第十一章
 竜宮城

「やっと帰ってきたわ」
 二人が現れた所は竜宮城にある、江見の自宅の前だった。
「ここが、江見の家ですか」
「ここで待っていて」
 江見は、薫の声が耳に入らないようだ。自分の言葉の返事も聞かずに、直ぐに駆け出した。それほど、嬉しいのだろう。
「はい、分かりました」
 江見は、駆け出しながら大声を上げる。
「お父さん、お母さん。私、帰って来たわ。居ないの。私、帰ってきたわよ」
 でも、玄関を叩く事も取手を回す事もなく、裏庭に向かった。
「江見ね。江見よね。あなた、江見よ。江見が帰ってきたわよ」
 裏庭の方から、江見の母だろう。悲鳴のような声が聞こえてきた。心の底からの喜び溢れて涙まで流している。そう思える声だ。
「はっあー」
 薫は、自分も両親に最後の別れをしてくるのだった。そう、思いが込み上げてきた。
「おお帰って来たか。ん、どうした。まさか一人で帰って来たのか?」
「違うわ。玄関で待っているわ」
「会わせられないほど酷い男なのか」
「違うわよ。いい人よ。格好よくて、優しい人。浮気どころか、一生、私だけしか愛せないわね。まあ、それは、歳を取っても変わらないわ。そう思う人なの、だって、凄くウブなの。だから、女性と目も合わせられないのよ。本当に可愛いの」
「そうか、そうか、良かったな。もし、変な男だったら、玉手箱を渡して帰すところだぞ。それも、未来の時間にずらしてなあ」
「あなた、それは昔の事でしょう」
「今でも出来るぞ。わははは」
「それは本当の事だったの。お父さん、気に食わないからって、勝手に帰さないでよ」
「大丈夫だから、早く連れてきなさい」
 薫の居ない所で、薫には聞かされない話をしていた。
「薫、待たせてごめんね。今からお父さんとお母さんを紹介するね」
「うん、楽しみだよ」
「でも、お父さんを怒らせないで、気に入らなければ薫の世界に帰す。そう言ったわ」
 先ほどの父の話が思い出されて、不安を感じたのだろう。小声になり顔も青ざめていた。
「大丈夫だから、大丈夫だから、気に入られるように頑張ります」
「うん、うん。ガンバッテね」
 二人で、江見の父と母が待つ裏庭に向かった。
「お父さん、お母さん。この人が薫よ」
「ほう」
 江見の父は骨董品を鑑定するように薫を鋭い目で見詰めた。
「江見、この家で共に住むのだから家に上がるように勧めなさい。お父さん良いわね」
「そうだな」
 父は気難しそうに答えた。
「お邪魔します」
 そうハッキリとした大きな声を上げて、薫は家に中に入った。そして、江見の父は、
「薫君だったね」
 そう、言葉を掛けると、上から下と見詰め、まるで、値踏みを付けるようだった。
「はい、そうです。お父さん」
「むっ、ご両親には何と言って、竜宮城に来たのだね」
 始めて会った男に、ならなれしい言葉を掛けられて怒りを感じた。
「あっ、その、何を言いませんでした」
 薫はしどろもどろで答えた。
「君は何を考えているのだ」
 薫に掴み掛かるのか、と感じられた。
「お父さん、そんなに大声を上げなくても、ねえ、江見」
「なに、お母さん」
 父を無視するように答えた。
「勿論、薫さんの両親には、ご挨拶したのよね」
「えっ、会ってないわ。だって、会いたくても、直に竜宮城に飛ばされたから」
「なんだぁ~とぉ~」
「あなた、私に任せて」
 江見の父は怒りを表したが、自分の連れ合いに諭され怒りを静めた。
「そうか、おまえが、そう言うなら」
「江見」
「なに、お母さん」
「学校で学ばなかったの。最後に、二人で通る門は、確認の門とも言われているでしょう」
「うん」
「江見は、薫さんと出会い、そして、助けて貰ったはず。今度は、薫さんの為に何かをしなければならないわ。そうでしょう」
「うん、でも、何をするの?」
「さあ、何でしょうね。行ってみたら分かるわ」
 何が起こるか分かっているのだろうか、楽しみ溢れた笑みを浮かべた。
「うん」
「いってらっしゃい。ご両親を連れてくるのよ。私達は準備をして待っているわ」
「うん。お父さん、お母さん、行ってきます。薫、行こう」
「江見、行ってきなさい。薫君、江見を頼みます」
 江見の父は、薫に頭を下げた。
「お父さん。江見さんは、私が確り守ります。安心して下さい」
 父は、頭を下げたが、まだ、父と言われるのに抵抗があるのだろうか、顔を顰めた。
 そして、二人は歩き出す。江見がやや先頭に、薫が後ろから付いて歩く。江見は微笑みを浮かべながら歩くが、薫は不安顔だ。それもそのはずだろう。薫は、江見の家の前に突然に現れたのだ。恐怖を感じるはずだ。まるで、二人は異国に来たおのぼりさんのようだ。江見は、旅立ちから変わってないなあ、とでも考えて町並みを見ているのだろう。その後ろの薫は、顔を痙攣させていた。恐らく、突然に声を掛けられるとでも思っているのだろう。身分証がありますか。とでも、そして、戦時下のスパイのように連行され、拷問でもされる。そんな事を考えているような顔色だ。
「ねえ、江見さん」
「なに、あああ、あれ美味しいのよ。食べてみる」
 江見は、そう言うと買いに行こうとした。でも、財布が無いのを思い出し、又、別の建物に視線を向けた。今、薫の顔を見たら、別な言葉が出たはずだ。大丈夫なのと、それほど、死にそうな顔をしていたのだ。この気持ちがあったからだろう。門を通るのに死に物狂いで、江見の手を放すものか。その事を感じるのは、後、数十分後だった。
「ねえ、江見さん」
 薫が恐怖を感じているが、別に恐がるような人物が歩いている訳でもない。建物も普通の平成の現代を探せば、何処にでも有るような造りだ。それだから余計に、恐ろしい過去などを考えて、不安を感じているとも思える。
「だから、なに?」
 江見は、久しぶりに故郷を見て楽しんでいる所を何度も声を掛けられ、苛立ちを覚えていた。それを気が付かずに、薫がやっと言葉を上げる事ができた。
「ねえ、江見さん、段々と、建物も無くなり寂しい所だね。どこに向かっているの?」
「門よ」
「そうだよね」
「そうよ。どうしたの?」
「ねえ、その門てぇ、通行証とかいるの?」
「要らないわよ」
「そう、良かった。門を通る時って命に係わる事はないよね」
「うん、無いわよ。確かね」
「え、確かなの」
「冗談よ。でも、想像も出来ない。別々の地に着く事くらい有るかもね」
「えっ」
 薫は言葉を無くした。
「薫、あれよ。あれが門よ」
「おっ」 
 薫は、江見が指差した所を見て、綺麗と言うか寂しい所と思えた。それを見ると、自分が住んでいた所で同じ所は、イギリスのストーン・ヘンジだと感じた。
「どうしたの、行くわよ」
「少し、待って下さい。気持ちを落ち着かせる時間を下さい」
「まさか、さっき私が言った事を信じたの。馬鹿ねえ」
「え、嘘」
「そうそう、恐がりなのねえ。手を繋いであげるから行くわよ」
「そうなのかぁ。はい、行きます」
 江見が笑いながら手を差し出して来た。薫は、その手を掴み、門の中に一歩踏み出した時、江見が振り返りながら声を上げた。 
「でもね。何が起きるか分からないから手を離さないでよ」
「えっ、うっおお」
 薫は、門に入ると体が潰されるような感覚を感じた。そして、今度は浮き上がるような感覚を感じる。薫は乗った事もないが、飛行機が急上昇、急降下を繰り返して、目的の場所を探している。そう感じた。普段の薫なら恐れと痛みで手を離していただろうが、竜宮城に来て、知らない町を歩いていた時の不安と恐怖を思い出す。もし、一人で別の地に行き着いた時を考えると、恐ろしくて、恐ろしくて、死ぬ気で手を握り締めていた。
「顔が青いわよ。大丈夫?」
「えっ」
 薫は、いつ地面に着いたか分からなかった。体の機能や感覚では一時間くらいと思えたが、恐らく一分も経ってないだろう。まだ、体の機能が上下に動いたような感覚がある為に思考する事ができない。その為に、江見の言葉の意味を判断する事が出来なかった。
「大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
 言葉の意味だけが判断が出来て、自分が何処にいるか分からない。そのような答え方だ。
「そう、なら手を離してくれる。痛いわ」
「手、うわああ。ごめん、ごめんなさい」
 薫は、江見の手を繋いでいたのが恥ずかしかったのだろうか、それとも、恐怖を感じて、それを紛らわす為に、強く手を握り締めていた事に恥じたのか、慌てて手を離した。
「良いわよ。謝らなくても」
「ねえ。薫の部屋に入らない」
「え、えええぇ」
 やっと統べての事が判断できたようだ。薫は、自分の家の前にいた。一瞬で、今までの事が理解できた。恐らく、上下に動いた感覚は、他世界から、薫の世界に入る為に危険な物や、この世界の人々に不審を感じさせない為の場所や時間を探していたのだろう。
「うん、そうだね。入ろうか」
 薫が、そう言葉を掛けながら家に向い、部屋に入った。
「何か飲む」
「うん、飲む」
「何がいいかな」
「薫と同じ物で良いわ」
「分かった。適当に座っていて」
 薫は部屋に入ると、直に、江見に言葉を掛け、湯を沸かしに行った。
「凄いねえ、江見さん」
「なにが」
 薫は、台所から部屋に入る途中で、時間と日付を確認した。
「神社から消えたでしょう。あれから一時間くらいしか経ってないよ」
「そう」

「驚かないのだね。どう考えても五、六時間は経っているはずだよ」
「それは、そうでしょう。薫は、この世界の住人なのだしね。時間の流れの自動修正で支障が無い時間に入ったのでしょう。時間も生きているのよ。人のように不純物が入れば外に出したり、正気を保てないなら忘れたりするでしょう。それと同じよ」
「ほう」
「そう、でね」
「うん、なに、ちょっと待っていて、湯が沸いたから紅茶を作ってくる」
 その間、江見は、薫を見詰めていた。
「どうぞ」
 紅茶を手渡し、自分も座った。
「薫の両親は何処にいるの?」
「近くにいるよ。でも、歩いたら可なりあるけどね」
「そう」
 江見は、何が不安なのか声が微かに震えているようだった。
「直ぐ行く?」
 その様子を見て、薫は、江見に聞いた。
「出来れば、そうしたいわ」
 満面の笑みを浮かべていた。
「紅茶を飲み終わったら行こうか」
「そうね。そうしましょう」
 二人は数分の間だが無言で紅茶を楽しんだ。
「行きましょうか、江見さん」
「はい」
「あっ、先に言わないと行けない事があります」
「何ですのぉ」
「私の母の事です。絶対に母と言わないでください。それだけは守って下さい」
「何て、お呼びすれば良いのですか?」
「お姉さん、とでも」
「薫は何て呼んでいるの」
「涙姉さんです」
「ほう、はい、分かりました。私も涙お姉さんと呼びます」
 一瞬、思案しだが、江見は同意した。
「ほっ、安心しました。それでは、江見さん行きましょう」
「はい」
 江見は余りにも嬉しくて、そして、恥ずかしくて、やっと声を出しているようだ。
 さっさと薫は玄関から出ると、何故、出て来ないのかと首を傾げていた。
「ごめんなさい。今行きます」
 江見としては、一つだけを約束してくれ、そう言われ承諾したのだから、普通の人なら喜びの余りに口付けくらいすると思ったのだろう。それなのに、薫は不審そうに見つめているだけだ。仕方がなく、微かな溜息を吐きながら玄関から出てきた。
「江見さん、大丈夫、転びそうだったよ」
 江見は、薫の態度やご両親に会う。そう思うと心が動揺して足が縺れてしまった。
「大丈夫よ」
「良かった。私の家に行くから後に着いて来て、逸れたら大変だからね」
「はい」
 声色からは喜びを感じる声だが、薫の背中に向けて口を尖らせて不満を表した。
(心配なのでしょう。なら何で手を繋いでくれないの?)
「ああ、そうだ。お金を渡していたでしょう。それを使うからね。私が払うより自分で払って見たいでしょう。私が出したのと同じのを出してね。たしか、この硬貨二枚だからね」
 薫は突然振り返った。体の機能では何かを感じたのだろう。だか、思考では家に着いた時の事、着くまでの事を考えていた為に、体の機能、感情までは届かなかった。
「はい、それと同じのね」
 不満を隠す為に慌てて硬貨を探した。
「そうそう、それそれ」
 同じ硬貨を見ると頷いた。
「何に使うの、又、自動籠に乗るの、それにしては違うわね。前は紙を出したわ」
「ああ、あれとは違うのを乗ります。前は数人用だけど、今度は大勢が乗るのです」
「そう、楽しみですわねえ」
 二人は話しをしながら近くのバス停まで向い、たどり着いた。そして暫く、その場で待つ事になった。江見は、薫が無言だったから不審、いや不満を感じて言葉を掛けた。
「あのねえ、薫。立ち止まって何をしているの?」
「ん、此処で待っているのはね」
「キャアー」
 薫が突然に顔を近づけたので驚きの声を上げた。
「ごめん、あのねえ。自動籠を待っているのです」
 薫は、自動籠と言いたく無いからだろう。江見の耳元で囁いた」
「そうなのね。うんうん、楽しみにしています」
 悲鳴を上げた事を隠す為でないが、本当に楽しそうに車が来る度に、薫に視線を向ける。そして、薫は、まるで、猫や子供の無邪気な仕草を見て楽しんでいるかのように、何度も何度も首を振って答えていた。
「江見さん、来たよ」
「えっ、何が」
 江見は、意味が分からないと言うよりも、自分が乗るとは想像もしてなかった。その不細工な乗り物を無視していた為だった。
「あれに乗るよ」 
「あれなの。そうなの、分かりましたわ」
 江見はがっかりした。
 バスが着き、扉が開くと、江見が乗ろうとしたが手を掴み引き止めた。江見は不審を感じたが、薫の頷きを見ると頷き返し最後まで待った。恐らく、自分の仕草を見せる為だろう。不思議そうに仕草を見詰め、回数券を取り。同じように手すりに?まった。
「薫、開いたわ」
 バス停に着く度に扉が開く、そして、薫に視線を向ける。江見も何度目か忘れて外を見ていた時だ。突然に肩を叩かれ、薫の後を追った。
「面白いわね」
「良かった。でも疲れなかった」
「いいえ、楽しくて忘れていたわ。ん、又乗るの」
「そうだよ。もう一度乗ったら着くから」
「そう、面白いから良いわよ。えへへ」
「良かった」
 先ほどと同じ様に待ち、そして、バスに乗った。
「降りるよ」
「はい」
 バス停の名前は中田一丁目と書いてあった。そして、降りると直に薫が話しを掛けた。
「此処から少し歩くから、付いて来て」
「はい。ねえ、聞きたいことがあるの、いいかな」
「いいよ、なに」
「薫、この世界は、親の事をお姉さんって言うの?」
 二人は歩きながら話しを始めた。この理由は後で分かることになる。薫も驚くのだった。
「違うよ」
「そうなの、なら何でなのぉ?」
「それはね。幼い頃に怒られた事があってねぇ。でも、それから、今まで一度も怒られた事も大声を上げられた事もないよ。でも、今でも怖いからお姉さんって言い続けている」
「そう」
「でも、恐くないよ。優しいよ」
「それは、薫も優しいから、同じ様に優しい人と思えるわ」
「でも、父は恐いよ。よく怒られた。今でも怒られるけどね」
「私の父もそうよぉ。会ったから分かるでしょう」
「そっ、そうだね。でも、いいお父さんと思うよ」
「ありがとう。本心と思うわね」
「嘘でないよ」
 薫は、嘘を隠すように大声を上げていた。
「分かっているわ」
「うん、ごめん」
「もう、いいから、怒って無いわ。そろそろ着くのでしょう。変な所を見られたくないわ」
「うん、そこ曲がったら直だよ」
「え、もう、着く前に教えてよ。心を落ち着かせる時間が欲しいわ」
「そんな事を言われても、時間を潰せるような店なんかないよ」
 薫は困り果て泣き声を上げた。
「ごめんなさい。いいわ、行きましょう」
「うん」
「でも、薫、連絡とかしたの、家に居れば良いけど、この世界の人は忙しいのでしょう」
「大丈夫、猫が心配で何時も家にいるよ」
「本当、見てみたいわ。名前は何ていうの?」
「シロ」
「そう、シロちゃんって言うの、見てみたいわ。可愛いのでしょうね」
「うん。ああああ、忘れていた」
 一瞬だが、何かを思い出して我を忘れた。
「なになに、どうしたの?」
「年に一度だけ、理由は分からないけど必ず出かける日があるのを思い出した。急ごう、もし、今日だったら大変だ。私達の今の状態では日付なんて当てに出来ない」
「そうよね。急ぎましょう」
 二人は駆け出した。と言っても一分も走らずに家に着いた。
「ここなの?」
 そう、江見は問い掛けた。薫が居た部屋と同じような造りだ。少しは規模が大きいように思えるが、同じ共同住宅だったからだ。別に豪邸を期待していた訳ではない。
ただ、江見の考えでは、いえ、竜宮城では家族が離れて暮らす事はない。そして、家の規模は大小あるが、家と家が繋がった物など無かったからだった。
「薫、薫なの、珍しい事もあるわね。どうしたの?」
 薫が、自動ドアの暗証番号を打つ時だ。母が自動ドアから出てきた。
「涙姉さん。あっ、その、会わせたい人がいるから、それで、」
「うふふ、そう、そこに居る。女の子ね」
 息子の話しを聞くと、突然に笑みを浮かべた。何故か、魔女が良からない事でも考えているような笑みだった。
「うん、そうだけど」
(姉さん。何かあったのかな、何か怖いよ)
「早く、部屋に入りましょう」
「涙姉さん、だって、出掛けるのでしょう」
「いいわよ。暇だから散歩しようと思っただけ」
「あっのう、私」
 江見は、自分の事を話そうとした。
「立ち話ではなくて、部屋でゆっくり話しましょう」
「はい、涙お姉さん。そうさせて頂きます」
 江見は、非の打ち所がない、礼儀を返した。
「まあ、まあ、いい人ね。薫」
 礼儀よりもお姉さん、そう言われたからだろう。破顔して喜んだ。
「うん、そうでしょう。そうでしょう」
 三人は、箱型の昇降機に乗り、部屋に向い、玄関を開けた。誰も居ないはずだが、出迎えの声が聞こえた。
「にゃ、にゃ、にゃ」 
 恐らく、寂しかったよ。何所に行っていたの、置いていかないでよ。そう言っているはず。意味が分からなくても、そう思えた。シロは一人になったから、悲しくて鳴いたのだろう。余りにも鳴き疲れて、やっと声を上げているような掠れた声、本当に悲しみが伝わってくる鳴き声だった。
「ごめんねえ。ごめんねえ。寝ていたから煩いと思ったから出掛けたのよ」
 そう言葉を掛けながら抱き上げた。
「うわあ、可愛い」
「シロ、元気だったか」
 江見と薫は、シロの鳴き声が、ころころ変わるのを楽しみながら何度も撫でた。
「玄関で立ってないで、どうぞ、中に入って下さい」
 そう呟くと猫を下に下ろした。嬉しそうに猫は居間に向かう。三人は、子猫が親を追うように家の中に入っていった。
「今、飲み物を淹れるわねえ。何が好きなの?」
 紹介されるのが待ちきれず、興奮を表していた。
「涙姉さん。父さんが帰ってから言うつもりだったけど、彼女は江見さんと言います」
「そう江見さんと言うの、名字は何て言うのです」
「それは、宗教上の事で名字は無いのです。勿論、日本人でもないよ」
「そうなの。ねえ、それで何を飲む。薫はいつもの紅茶でしょう。江見さんは何する」
「そうだ、江見さん。コーヒーにしてみたら、涙姉さんが淹れるコーヒーは美味いよ」
「はい、そうします」
「そう、美味しいわよ。待っていてね」
 薫は、二人だと恥ずかしいのか、間を持たせようとしたのか、新聞に手を伸ばした。
「やはり、明日だ」
 新聞を手に取ると、即座に声を上げた。日付の欄だけを見たのだろう。
「え、どうしたの?」
「さっき話した事です。一年に一度だけ二人で出掛けるって」
「うん」
 シロは、出掛ける。その言葉の意味が分かったのだろう。又、置いて行かれる。そう感じて、鳴き声を上げながら膝に上がってきた。
「お、シロ、いい子だな、いい子だな」
 新聞を下に置き、何度も何度も頭を撫でた。
「うわあ、可愛いわ。ごろごろ言っている」
 二人が猫と遊んでいると、涙の言葉が響いた。
「お待ち、うわあ、良かったわね。シロちゃん、遊んでもらっていたの」
「にゃ」
 そうだよ。と、でも言ったのだろう。それが、可愛くて、又、何度も撫でられていた。
「薫、テーブルの上を片付けて、置くから」
「はい、私が」
 薫は猫に夢中だったからだろう。江見が、それに答えた。
「はい、良いです。置けますよ」
「ありがとう、江見さん」
「いいえ、涙姉さん」
「ねえ、二人で何の話をしていたの?」
 そう、声を掛けながら、薫には紅茶を、江見と自分にはコーヒーを手渡した。
「涙姉さん、明日は出掛けるのでしょう」
「そうね」
 涙は、悲しみの表情を浮かべた。何か隠し事があるのだろう。それが、言えない為の苦しみと思えた。それでも、声色からは微かだが、喜びを感じられた。涙は、毎年出掛けるのだから楽しい事なのだろう。
「それで、父さん。今日は、帰りは遅いかな」
「何で?」
「父さんと涙姉さんに話しがあって、今日、父さんが遅ければ、明日も話しが出来ないだろう。それで、何時頃に帰ってくるのか、知りたくて」
「そう、話しがあるの。そうねえ。なら、江見さんと薫も、明日は一緒に出掛けましょう」
「えっ、今まで、必ず二人で出掛けていたのに、なんで、父さんに聞かなくて大丈夫なの?」
「そんな事、聞かなくてもいいわよ。まさか、行けないなんて言わないわよね」
「涙姉さん、行きますわ。行きます。楽しそうです」
「勿論、行くよ。何だろう。楽しみだなぁ」
「そう、ありがとう」
 二人が義理で言っている。そう分かるはずなのだが、何故か、涙を流していた。
「どうしたの、涙姉さん」
「何でも無いわよ。薫が始めて女の人を連れて来たから嬉しいのよ。もう、馬鹿」
 涙を拭きながら笑みを作ろうとしていた。

「そうなのですか、始めて、そう、そう」
 江見は、生まれてから、これほどの驚きは始めてだった。
「江見さん、そんなに驚かなくても大丈夫ですよ。病気とか変な趣味はないからね」
「そう、そうなのですか、あっ、別に、そのような事は考えていません」
 言葉と違い。驚き、ホットしていた。
「涙姉さん。夕飯を食べて行きたいけど、いいかな」
 二人から話しを逸らそうとした。
「珍しいわね。彼女が出来ると、やっぱり変わるのね。いいわよ。でも、薫の嫌いな辛口のカレーよ。それでも良いの」
「薫、辛い食べ物は嫌いなの」
「そうでないよ。カレーの辛さだけはあまり好きでないだけだよ」
 薫は大きな溜息を吐いた。そして、心の中で父が早く帰るのを願った。
自分から話題を逸らそうとしたのだろう。だが、それは無理のはずだ。二人の問題だが、今、話題の中心は薫だからだ。江見は助けを求めるように視線を向け。もう一人、涙は好奇心と悲しみを感じる視線を向けているからだ。
「お腹が空いたでしょう。父さんが来る前に食べる?」
 薫は、涙と江見を交互に視線を向け、言葉に困っていた。
「私も、お腹が空いたから食べようかな」
「うん、食べる。江見さんも食べよう」
 普段なら帰りを待っている。たが、血を分けた息子だ。その気持ちが分かったのだろう。
「それなら、私も手伝います」
「いいわよ。温めるだけだから、そう、なら、お皿を出してくれる」
 涙は、両親に始めて紹介された時を思い出したのだろう。その時の不安の気持ちと、一生懸命に家族になろうとした時の事を、それで、考えを変えた。
「はい、分かりました。このお皿で良いのでしょうか?」
「そうそう、それ、ご飯を盛ってくれる」
「はい、涙姉さん」
 薫は、二人の姿を見て微笑みを浮かべていたが、何故か時々顔を顰める。恐らく、父が帰って来たら、竜宮城で住む事、江見と結婚する事、一番の問題は、どうやって、二人を竜宮城に連れて行く事だろう。それを考えると頭が痛い。二親が心の底から祝いたい。行きたいと願えば行けるだろう。そうでなくても、薫と江見が、この世界から離れる時に二人の手を握っていれば、竜宮城に飛ばされるだろうが、その方法だけは考えたくなかった。
「頂きましょう」
「はい」
「頂きます」
 テーブルの上に料理が用意され、涙の言葉で食べ始める。無言で食べているが、美味しくて言葉を忘れている。そうではなかった。心の思いを伝えたいが、どう言えばと悩んでいるような食べ方だ。そして、食後は、甘い物を食べたから気持ちが解れたのだろう。心の思いは口にはしないが、楽しい会話を楽しんでいるように感じられた。
 食後から二時間後、玄関の方から、
「涙、何処にも寄らずに帰って来たよ。今日はカレーなのだろう」
 大人の男の猫なで声が聞こえた。
「父さんだ」
 薫が席を立ち上がった。だが、涙から、私が行くと視線を感じた。そして、頷いた。
「涙、誰か、来ているのか?」
「そうね、父さんが帰って来たわね」
 涙が立ち上がった。そして、声の元に向かった。数分後、驚きの声が響いた。
「え、薫が彼女を連れて来た」
「馬鹿」
「わしは、本が恋人かと、本気で思っていたが、普通の子だったか、安心したよ」
 そして、居間に涙だけが入って来た。父は着替えをしているはずだ。
「冷たくなったでしょう。今度は何を飲む」
 そう、薫と江見に声を掛けながら、カレーの鍋に火を点けた。
「江見さん、何を飲む。私と一緒に紅茶にする」
 そう言葉を掛けた。頷くのを見ると、薫は、
「涙姉さん。私と同じ紅茶を飲むって」
 江見は、薫の父が帰って来たから、と言うよりも、父の驚きの言葉で驚いたのだろう。
「そう、わかったわ」
 もう一つ調理器具で湯を沸かした。その音と同時に、居間の扉が開いた。
「ひさしぶりだな、薫、何か用があって来たのか」
 下手な会話をしながら入って来た。それも首や体を動かしながらだった。まるで、始めて着た服のように思えた。恐らく、普段は寝巻きを普段着と併用しているのだが、涙に言われたはずだ。それで、滅多に着ない服を着てきたのだろう。
「おお、薫の、彼女か可愛い人だな」
「父さん、江見さんと言います」
「そうか」
「外国人で、宗教的な理由で名字がないのです」
「そうか」
「宜しく、江見と言います」
「そう硬くならないで、気が早いと思うけど家族と思ってくださいね」
「はい」
 江見は頷いた。
「いいから、いいから、座って、座って」
「ありがとう」
 江見は、笑みを浮かべ、椅子に腰を下ろした。
「はい、お父さん、出来たわよ」
「涙、ありがとう。江見さん、済まないが、ここで食べさせてもらうよ」
「どうぞ、気にしないで下さい」
 江見が、そう答えた。
「ありがとう。ねえ、江見さん、薫とは同級生、部活動とかで会ったのかな?」
 カレーを二口ほど口に入れると問い掛けた。
「違うよ。父さん」
「そうか、アルバイト先とかかな」
 また、二口ほど口に入れると問い掛けた。
「紅茶が出来ましたわ。父さんも食べるのか、話すのか、どっちかにしてよねえ」
 自分と二人に紅茶を渡すと、父に鋭い視線を向け、言葉を掛けた。
「ごめん、ごめん、そうだったな」
「ありがとう。涙ねえさん」
「頂きます。涙姉さん」
 薫と江見は、ほぼ同時に言葉を掛けた。
「どうぞ、そう、同級生でなかったの」
「うん、本屋でね。欲しい本を手に取ろうとしたら、同じ本を取るところでねぇ。それで、手が触れて、顔を見たら綺麗な人だな。そう思って声を掛けたよ」
 薫は嘘を伝えた。
「そうなの」
「そうです。私も、そう感じました」
「それで、彼女になって、そう言ったのね」
「いやあ、結婚して、そう言った」
 薫は、本当の事が言えない為に、思い付く事を口にした。
「まあ」
 江見は真っ赤な顔を現した。
「まあ、気が早いわねえ」
 涙は驚きを表した。父も、その言葉を聞き、喉を詰まらせた。
「父さん、大丈夫、水、水を飲んで」
 江見の顔をみて、二親は承諾したと感じた。
「そう、江見さんは、良い、そう言ってくれたのね」
「うん、それでね。結婚式に出て欲しい。それで、家に帰ってきたよ」
「そう」
 涙は、笑みを浮かべているようだが、悲しみを表しているようにも思えた。
「まさか、江見さんの両親は知らないのか?」
 薫は、父が不安を表したので、答えた。
「父さん、安心して、許可は取ったよ」
「そう、それなら、何の問題もないわ。出席しますわ。ねえ、父さん」
「そうだな」
「でも、明日、一日は、私達に付き合ってね」
「そ、そうだな。でも、涙、いいのか?」
「父さん、もういいの」
「そうか」
「それで、何時なの?」
 涙が問い掛けた。
「出来れば、直にでも来て欲しい。明日の用事が終わったら直でも」
「そう、いいわよ。父さんは大丈夫?」
「上司が駄目、そう言っても出席するよ」
「そうね」
「そうだろう」
「父さん、ありがとう」
「気にするな、こう言う時の為に必死に働いてきた。何日でも休むよ」
「うん、うん」
「それでは、父さんは風呂に入ってくるな、今日は泊まってくのだろう」
「うん、そうする」
「なら、薫は、父さんの部屋だな。江見さんは、薫の部屋で休んでもらいな」
「そう、そうね。それがいいわね」
「はい、そうします、涙ねえさん、お父さん、ありがとうございます」
 父は仕事で疲れたのだろう。風呂から上がると、簡単な挨拶で寝室に入ってしまったが、薫、江見、涙、三人が、大きな欠伸をするのは夜遅くまで掛かり、それまで、会話を楽しんだ。そして、次の日、やはり、年配だからか、朝早く起きるのが慣れているのだろう。誰よりも早く起きて、涙は朝食の準備をしていた。小鳥が朝の挨拶をしているような時間になると、先に、薫を起こさないようにして、連れ合いを起こした。恐らく、二人だけの話しがしたかったのだろう。
「おはよう、コーヒーを飲むでしょう。どうぞ」
「ありがとう」
「お父さん、薫に全て話すわ」
「そうか、そうだな。まだ、子供だが、結婚するのだし、大人になったような者だしな」
「そうでしょう。これから、私達と同じ事が起きるかもしれないでしょう」
「そうだな、親として話しをしていた方が良いな」
 二人は、そう言葉を返していたが、段々と声の音が低くなった。コーヒーの香りを楽しんでいるようにも思えたが、薫の今までの思い出を楽しんでいるのだろう。
「父さん、涙姉さん、おはよう」
「薫、おはよう」
「おはよう」
 二人の親は、何時間、いや、何十分だろう。時間を忘れていたが、薫の挨拶で、現実を思い出した。そう感じられた。
「薫、江見さんは起きていた」
「涙姉さん、覗く訳無いでしょう」
 涙は、笑みを浮かべていた。恐らく、返事が分かっているように思える。自分が、始めて、連れ合いの両親を紹介された日の事を思い出しているように思える笑みだった。
「そうね。起きてくるのを待ちましょう。知らない家で疲れているでしょうからねえ」
「うん」
「三人だから、丁度良いわ。薫、私からお願いがあるわ」
「なに、涙ねえさん」
「ん、涙」
「あのねえ。私の事、涙姉さんでなく、お母さんって、呼んで」
「え、なんで、どうしたの?」
 薫は顔を青ざめ、驚きの声を上げた。
「あのね、薫が言いやすいなら、って、今まで思っていたけど、そろそろ、お母さんって呼んで欲しいわ。駄目ならいいけど」
「えっ、だって、お母さんって言ったら怒られたから、今まで呼ばなかったよ」
「え、嘘、私が怒った?」
「憶えてないの、私が幼稚園に入った時だった。帰りに、何かの食事会に一緒に行って、その時、会場に入る前、恐い顔して、この店に入ったら、お母さんって呼ばないでね。涙お姉さん。そう言うのよ。分かった。そう言われたよ。憶えてないの?」
「え」
 話しの意味が分からなかった。
「今だから、何の食事会か想像できるけど、たぶん、同窓会と思う」
「あああ、そう、うん、うん、そうかも、私、早く結婚したから、あの時期は子供がいる。そう言われるのも、そう思う事も恥ずかしかったからだわ。なんだ、そんな、理由だったの、馬鹿ね。そう言えば良かったのに」
「涙ねえさん。今でも、あの時の事を思い出すと、背筋が寒くなる。本当に恐かったよ。会場に入って、誤って、お母さん、そう言った時の涙姉さんの顔、鬼のようだった」
「何となく思い出したわ。初恋の人と会えた喜びと、やっと話しが出来て、あの時は足が地に付いて無いほど舞い上がっていたけど、怒った記憶は無いわよ」
「えっ、分かったよ。もういいよ。母さん、そう言えば良いのでしょう」
 薫は一瞬だが、言葉を無くしたが、逆らえない事に気が付き、承諾するしかなかった。
「ギッギギ」
 扉の開く音が聞こえた。親子の会話が大きくて、江見は、その声で起きたのだろう。でも、内容まで聞こえていないようだった。もし、聞いていたら笑ったかもしれない。
「遅くて、済みません。おはようございます」
 江見は、何度も頭を下げていた。
「おはよう、座ったら、江見さん。コーヒー飲むでしょう。紅茶の方がいいかな」
「ありがとう。涙姉さん。薫さんと同じな紅茶にします」
「そう、どうぞ」
 涙は、江見に紅茶を手渡した。三人は、江見の紅茶を飲む姿を見ていた。別に楽しいとか、変わった飲み方ではない。ただ、新しい家族が出来た喜びと、これから、長い連れ合いの、今の姿を忘れない為だろう。
「ねえ、お母さん」
 薫が問い掛けた。
「えええぇ、かっか薫、さん」 
 江見は、心の底からの驚きの大声を上げた。
「江見さんは、好きな呼び方でいいわよ」
「はい、お母さん」
 薫が突然、言い方を変えた理由を知りたかったが、会話の流れに合わせた。
「ありがとう、嬉しいわ、江見さん」
「ねえ、お母さん」
 先ほどは、江見の驚きの為に話がそれたが、再度、問い掛けた。
「なに、薫?」
「今日は何処に出掛けるのかな」
「涌谷町って言う所よ。朝食を食べたら直に出かけるわ。途中で弁当を買って、夕方まで河原で過ごす予定よ」
「ふ~ん、そうかぁ。いいよ」
 それ以上は聞かなかった。現地に行けば分かるだろうし、その場に着けば、たぶん、理由を話してくれる。そう思ったからだった。

 第十二章
結婚式まで十一日前。薫は両親を連れて行けるか、年一度の出掛ける理由は?

 そして、四人は、朝食を終えると、車に乗り目的の場所に向かった。
「すん、すん」
 涙は、車が目的の場所に近づくにしたがい、目が潤み、泣いているように思えた。
「ねえ、江見さん、国は何処なのかな?」 
 涙が泣く理由を避ける為か、それとも、この場の雰囲気を変えようとしたのか、運転しながら、薫と江見に話を掛けてきた。
「あの、ああ中国とチベットの中間にある国だよ。新楼蘭王国だったはず」
 薫は、思い付く事を並べて、嘘を伝えた。
「えっ」
 江見は、突然の事に戸惑った。
「ねえ、そうだったよね」
「はい、はい、そうです。新楼蘭王国です」
 話しの意味が分かり、その嘘に同意した。
「う~ん、そう、まさか、お姫様」
「いいえ、違いますよ。でも、人口が少ないから血は繋がっているはずです」
「ねえ、お父さん、今日の昼食はなに?」
 涙は、この場の話しに驚きもしないで、自分の思いを口にした。これから行く場所の事だけを考えていた為に、耳に入らなかったのだろう。
「今日は、洋食らしいぞ」
「そう、楽しみしているわね」
 涙の言葉では、自分が楽しいとも、行き先に、誰か居る。そうとも感じ取れた。
「薫も江見さんも楽しみしていてくれ、美味しいぞ。私の友達がホテルの料理長をしているから、毎年、毎年、美味しい弁当を作ってくれるのだぞ」
「本当、楽しみだね。江見さん」
「うん、楽しみです」
 四人が乗る車は、国道四号と言う道を北へ、北へ進み。古川市に入った。そして、あるホテルの駐車場に車を止めた。父親だけが車から降り、そして、数十分後、腰の低い男が父と現れた。恐らく、料理長と思えないから給仕だろうか、父と二人で料理を持ってきた。
「養子でも貰ったのか?」
 後部の荷物入れに料理の袋を入れながら、男は父に話を掛けた。それも小声でだが、驚きを感じる声色だ。でも、車内に聞えないほどの声だった。
「私の息子と息子の嫁になる人だ」
「そうか、何時も二人だから子供が居ない、そう感じていたよ。そうか、なら、今日の主役は喜ぶだろうな。弟に会えて、その嫁さんにも会えるのだからな、良かった。良かった」
「そう思うかな」
「そう思うよ。楽しんで来い。食器などは来年でもいいからな、ゆっくり楽しんで来い」
「うん、そうするよ。ありがとう」
「父さん、今の人が料理長なの?」
 車が発進すると、薫が問い掛けた。
「そうだぞ。本当なら一人一万円近くする料理だからな、それを材料費だけで作ってくれているのだぞ。本当に美味しいからな」
 薫は、人柄で判断して聞いたのだった。人の上に立っているようには見えなかった。まるで、見習いと思えたからだ。
「着いたぞ」
「ん?」
「はい」
 車内に父の声が響いた。ホテルを出て一時間位だろう。薫と江見は、車の中が心地よい温かさで寝ていたのだ。何処か分からないが河原に車が止めてある。車外では涙が料理を並べている。そして、並べ終わったのだろう。何故かカメラを手に持ち、待っているように思えた。二人は寝ぼけて車外を見ていたが、それが薫と江見を待っていると分かると、即座に車から降りた。
「ごめん、お母さん」
「すみません」
「いいわよ。行きましょう」
 そう言うと草むらというか、小さい丘を登っていく。土手からでは判断が出来なかったが、誰が見ても墓地としか思えなかった。江見は好奇心で辺りを見ているが楽しそうだった。薫だけが、不審な表情を表している。祖父や祖母の墓は、この地で無いからだろう。まったく、誰の墓なのか、それとも、他に何か理由があるのかと感じていたからだった。
 そして、ある墓の前に、母と父が立ち止まった。やっぱり墓参りだったのか、そう感情を表していた。でも、誰だろう。そう、表情を変えていた。そして、誰かを聞こうとしたのだろう。その時、
「薫、この墓は、お兄さんよ」
「え」
 薫は、始めて聞かされて驚き、言葉を無くした。
「江見さんも、私の話を聞いて。この墓は、薫の兄の墓なの。事故でね。一才で死んだの。名前は徹、とおるって言うの」
「はい」
 二人は、一言しか言えなかった。そして、父と母の様子を見詰めていた。
「徹、今日の料理は凄いぞ」
「徹、嫌いな物あったら残していいからね。ゲッホ、ごめんね。好きな物も嫌いな物も分からない駄目な、お母さんよね。ゲッホ、ゲッフ」
 本当に目の前にいるかのように、言葉を掛けながら墓の目の前に料理を並べた。涙は昔の事なのに亡くした事を思い出したのだろう。嗚咽を漏らしていた。
「涙、私が写真を撮るから」
「大丈夫、大丈夫だから」
 涙は嗚咽を漏らしたから、少し気持ちが落ち着いたのだろう。写真を撮り始めた。それでも、一枚は失敗したのだろう。ごめんね。そう呟き、もう一枚写真を撮った。
「お父さん、これ」
 涙は、直に写真が見られる物だから選んだのだろうか、それとも、今の新しい物は難しくて使えないのだろうか、それは分からないが、カメラを連れ合いに渡し。写真の写りが浮き出てくるまで、見詰め続けた。
「徹、お父さんとお母さんは、河原でご飯を食べてくるね」
 その写真は、墓石の前に料理が並べてある物だった。確りと写っているのを確認すると、墓石に言葉を掛けた。
「薫、江見さん、待たせたね。車の所に戻って昼食を食べよう」
「はい」
「うん」
 江見は悲しみの為に声が出なく、頷いた。もし、事故なら、私か私達の一族、竜宮城の時を飛び、連れ合いを捜す為の犠牲か、そう感じてしまった。
「ごめんね、江見さん。私達は正気だからね。ただ、薫には言えなかった。死んだと言えなかったの。薫が歳を取るにしたがい、何て、何て言うかを墓の前で相談していたら、このようになってしまったの。確かに分かっているの、変な事だって、でも、私達が変だからって、薫を嫌いにならないでね。お願いね」
 涙は、江見が言葉を無くした。その理由が自分達にある。そう感じたのだろう。薫の事が心配になり、その心の思いを、江見に伝えた。
「いいえ、そのような事は考えていません。一才で亡くなった事が悲しくて、声が出なかったのです。本当に悲しくて、悲しくて、ゴッフ」
 江見は、自分達が原因だ。そう、又、考えてしまい嗚咽を漏らした。
「ごめんなさい。変な事を聞いて、さあ、食事にしましょう」
 涙と江見は、二人で支え合いながら、前を歩く二人の男の後を追った。
 そして、車の所に着くと、徹の話題を口にする事が無く。これから、食べる料理の話題だけで盛り上がった。朝食を軽くしか食べなかった事もあったのだろう。夢中で食べていた。少し空腹が癒されたのだろう。視線を弁当から紙袋に興味が移った。薫が、袋の中に包みがあるのを見つけた。
「なんだろう。お菓子かな」
 そう呟き包みを開けた。その音で、二親は気が付いたが遅かった。もう包みが破られたからだった。江見も気が付き振り返った。それは、写真を入れる物だった。
「お父さん、お母さん。写真を入れて立て掛けよう。毎年しているのでしょう。お兄さんにも見せているのでしょう」
「だって、薫も江見さん、あまり気持ちの良いものではないでしょう。いいわよ。気持ちだけで嬉しいわ。ねえ、お父さん」
「そうだよ。もう、秘密でない。誰にでも言えるし、一年に一度でなくても来られるから」
「気持ち悪くないわ。私のお兄さんですもの。この景色も見せたいしね。会話にも入って欲しい。お兄さんに、私の事も分かって欲しいわ」
「そう、それなら」
 写真を、写真立てに入れ。誰でも視線に入る所で、景色も見られる所に置いた。又、楽しい会話と食事を始めた。今度は、自然と徹の事が出てくる。時間もあっという間に過ぎ。日が沈みかけた頃、
「薫、江見さん、私達、徹の食器を片付けてくるね」
「あ、いいよ。父さんと母さんは休んでいて、俺が片付けてくる」
「薫、高そうなお皿よ。壊したら大変よ。お父さんとお母さんに任せましょう」
「うん、そうだね。ごめん。父さんと母さんに任せる」
 薫は、江見に腕をつねられ、意味を理解した。
「ありがとう。江見さん」
 涙が言葉を返した。
「え、何です。私、不器用だから壊したら大変。御免なさいね。お願いして」
「うん、うん、片付けてくるわ。待っていて」
「涙、行こうか」
「うん」
 二親は、墓のお前に着くと、徹が居るかのように話しながら食器を片付けていた。息子と嫁が居ない為に涙腺もゆるくなったのだろう。それに、息子も嫁も気持ちの優しい。それも嬉しかったに違いない。その間に薫と江見は、自分達が食べたお皿などを片付けて、二親を待っていた。
「ねえ、江見さん、どうやって竜宮城に連れて行く事が出来る。それ専用の機械かなにか持ってきた。それで行けるのかな」
「機械は持って来ていないし。使わないわ。私と薫が心の底から願えば、確認の門が連れて行ってくれるわ。でも、出来れば、古い門か家があれば良いわね」
「そうか、なら適当な神社にしよう。そこを親戚の家とでも言って連れて行こう」
「いいわよ。向うに着く事が出来れば適当な嘘も付けるし、本当の事を言っても良いわ」
「大丈夫よ。帰りは玉手箱を渡して、時間の修正や記憶の修正もしないと駄目だから」
「そうか」
「ごめんね。薫が住んでいる所より文明が進んでいるから、機械など見たら分かる人は分かるらしいの。それを利用されると困る事になるわ」

「そうか」
「うん、でも、竜宮城の事や、もう帰らない事とか、それを話すのは薫に任せるわ」
「分かった。それなら、神社は最後の欠片があった所にしよう。あそこなら一度飛んで竜宮城にも行った事があるからいいだろう」
「そうね。あの神社なら大丈夫よ」
「そうだろう。それで、これからの事を願うとか行って、一緒に願ってもらおう」
「そうねえ、そうしましょう」
「なら時間は明日の昼にしよう」
「なに、何の話をしていたの、明日がなに、何かあるの?」
 薫と江見は話しに夢中になり、二人が帰って来たのに気が付かなかった。それでも、竜宮城の事は聞かれなかった事に胸を撫で下ろした。
「ああ、明日ね。これからの事とか結婚式を無事に挙げられるとか、それで、お参りしたい。そう話しをしていたよ。ねえ、母さん達も一緒にお参りに付き合ってよ。駄目かな」
「そうね、いいわね。ねえ、でも無事に式を挙げるとか、って、物騒な話ね」
「そうだな。まさか、本当にお姫様で命が狙われている。それは無いよな」
「あはぁははは、無い、無い、江見さん、綺麗だろう。結婚式の時に男が現れて、連れられるような気がして、それで、お参りでもしょうかなってね」
「そうか、そうか」
「そうかもね。薫、心の底からお願いしなさいよ」
「もう、母さん。酷いよ」
 父と母は満面の笑みを浮かべた。今はもう、普段の父と母だった。
「そろそろ、出掛けようか」
「そうねえ、お父さん」
 涙は嬉しそうに写真を胸に抱きしめながら答えた。
 途中で寄り道をしなくていいからだろう。高速道路を使って家に向かった。
「薫、お父さん。今日、すき焼きにするから材料買ってきて」
「え、何で、家に着く前に言ってくれれば良いのに」
「嫌なの。疲れているのは分かります。私も疲れているわ。だから、すき焼きにしたいの。お父さんは買ってくるだけでしょう。私達は料理をするのよ。これからね」
「買ってきます」
「薫、薫も一緒に行ってきなさい」
「え、涙姉さん」
「もう、お母さんでいいから行って来なさい」
「はい」
「薫、一番高い肉を買ってこよう」
 涙は、連れ合いが言った言葉は聞こえているはず。だが、表情を変えない、言葉を返す事もしなかった。まるで、使いに出すのは口実に感じられた。車が走り出す音が聞こえると、二人が出かけた。そう感じたのだろう。江見に話しを掛けた。
「江見さん、二つだけ、言っておいた方が良いと思うから伝えるわねぇ」
「はい」
 江見は畏まった。
「一つ目はね。なるべく怒りを溜めて、時々怒りを表したほうがいいわよ。ここって時に使えば、怒りも発散が出来るし、何でも聞いてくれるわ」
「あはは、すみません。そうします」
「いいのよ。さっき見たいにねえ」
「はい」
「二つ目は、薫は料理の事は何も言わないで食べるわ。嫌いな物は無いみたいに、それほど何でも食べるわ。でもね。カレーだけはいろいろ言うのよ」
「そうなのですか」
「そう、だから、カレーの作り方を教えるわ。そうすれば、何も言わないと思うの。それだけが心配だったから、今から作りましょう」
「はい、でも、すき焼き作るのですよね」
「カレーはねえ、一晩は置いた方が美味いの。それに、もし、失敗しても食べなければ良いでしょう。大丈夫よ。私と一緒に作るのだから失敗はしないわ」
「でも、作り終わる前に、薫とお父さん、帰って来るような気がします」
「それは大丈夫よ。高い肉を買う。そう言っていたでしょう。選ぶのに何件も店屋を回るから、可なり時間は掛かるはずよ。お父さんは、そう言う人だからねえ」
「はい、お願いします」
「まず、ジャガイモの皮むいてくれる。私、にんじんを切るから」
「はい」
「料理は出来るのね。ジャガイモの皮をむいた物を見たら分かったわ。ごめんね。試すような事をしてね」
「いいえ、でも、何でも作れる訳ではないですから」
「そう、カレーは作った事はあるの。あっ、水は多めに沸かすからね。もっと入れていいわ。そして、いろいろ切った野菜を入れる。野菜が煮えたら肉を入れます」
「はい」
「今はインスタントのカレーがあるから、それを入れて終わり。私、ここで、蜂蜜を少々いれて、すりおろした林檎を入れるの。後は、ある程度水分が無くなるまで煮込んで終わりよ。何度か作って物足りない。そう感じたら、私がもっと専門的な作り方を教えてあげる。そして、肝心なのが、香辛料が嫌いだから、最後ににんにくを入れて誤魔化すのよ」
「うん、ありがとう。薫、美味しい。そう言ってくれるかな」
「大丈夫よ。今まで作っているところを見ていたけど、問題ないわ」
「涙姉さん、薫とお父さん、遅いわね」
「そろそろ、来るわ」
「あっ」
 家の中に車の排気音が聞こえて来た。
「ねえ、帰って着たでしょう」
「はい、涙姉さん」
 玄関の扉が開く音が響くと同時に、
「お母さん、お母さん、お母さん」
「どうしたの、薫、何か遭ったの、薫」
 薫は、居間に駆け込んできた。
「父さんが、父さんが、百グラム二千円の肉を買ったよ」
「ほう、そう、良かったわね」
 声色では正常を装っているが、眉がピクピクと痙攣している。怒りを感じているはずだ。
「それで、父さんは、何をしているの」
 涙の眉はますます、痙攣した。
「今呼んで来る。父さん、父さん、お母さんは怒ってないよ」
 
「涙、この肉はすき焼きには合う。そう言っていたぞ」
「そうでしょうね。早くもってきて準備するから、まっ、まさか肉だけでないでしょうね」
「大丈夫だ。買って来たよ。今、持ってくる」
「はっあー、疲れる」
「美味しそうな肉だろう」
「そうね。でも、何なの、この山はなんなの」
 涙は頭を抱えた。肉もだが、野菜も四人では食べられないほど買ってきたからだ。
「え、必要な物を揃えたぞ」
「あのねえ。この分量はなんなの、って聞いたのよ」
「ああ、多く買うと安いって言われたからな」
「お母さん、お腹が空いたよ」
 薫は、二人に苦情を伝えた。
「ああ、もういいわ。私が言ったのは冷蔵庫に入れて、他は物置に入れてきて、いいわね」
「はい」
 涙は、バナナの叩き売りのようにテーブルを叩きながら必要のない物を知らせた。
「江見さん、私以上、苦労しそうね。がんばってね。幸せを祈っているわ」
「お母さんからは、そう見えます?」
 二人の女性は、料理の準備をしながら会話をしているが、手元に狂いは無い。涙は当然だが、江見も、やや遅いが、それに付いてきている。料理が好きなのか、小さい頃から親に料理をならったのだろう。その手先を見て、涙は、微笑みを浮かべている。その笑みは、息子を安心して任せられる。そう感じられた。
「一人暮らしをしているのに、分からないのかしらね。何を食べていたのかしら」
「薫から、美味しい紅茶を頂きました」
「そう、なら家で何か作って食べているのね。少し安心したわ」
「う~ん」
 江見には、涙の話しの意味が分からなかった。この世界で部屋を見たのは、薫の部屋と薫の両親の部屋だけだからだ。一人暮らしの部屋は薫の部屋と同じく、部屋の中は本で埋まっている。それが普通と考えていたからだった。
「涙、終わったぞ」
「お母さん、終わったよ。まだ、食べられない」
 二人の声を聞き、涙と江見は手を止めた。
「お茶碗とか出していて、そろそろ、食べられるわ」
「もうー出来たら、先に食べるぞ」
「あの」
 薫は、言葉に詰まった。食欲と江見とどっちを取るか迷った。
「ごめん、江見さん、先に、馬鹿な男を食べさせるわ。このままだと暴れるかも」
「良いですよ。薫も、先に食べていて、良いわよ」
 数分後、全ての野菜を切り終え。四人全てが席に着いた。
「涙姉さん、徹さんが写っている写真を置いたらどうですか、お椀だけでは寂しいですよ」
「はっあー、ありがとう。でも、一才だったの。写真は一枚もないわ」
「ごめんなさい。それなら墓石の写真でもあったほうが寂しくないです」
「ありがとう。江見さんが、そう言ってくれるなら喜んで置かして頂くわ」
「はい、良いですよ」
 写真を置くと、話題は墓参りに戻り、徹の話で盛り上がった。そして、薫の話、江見となり。結婚式の話になった。二人は、竜宮城の話題では、ほとんど、嘘で誤魔化した。
「父さん、お母さん、神社でお参りしたいけど、付き合ってくれる。良ければ、明日、朝食を食べたら行きたいけど駄目かな」
 薫は、話を誘導が出来て、ホッとした。
「私はいいわよ。父さんは大丈夫なの?」
「息子の一大事だ。勿論、休んでお参りするよ」
「ありがとう」
 江見と薫は、同時に喜びの声を上げた。
「お風呂が沸いているわ。さっき点けて来たの、もう入れるわ。勿論、一人、一人入るのよ。分かっているわね」
「お母さん、何を言っているの、当たり前でしょう」
 その言葉を最後に一人、一人と汗と疲れを癒すために風呂に消え、寝室と消えていった。
最後は、涙だけが最後まで残り、徹の写真を見ながら呟いていた。
「やっと家に帰ってこられたわね。これからは何時でも一緒よ。徹、おやすみ」
 涙が、居間から消えると、写真はテーブルに置かれたまま、居間の灯りは消された。

 第十三章
竜宮城へ、結婚式まで十日、そして、薫と薫の両親の時の流れは

「涙姉さん、おはようございます」
 昨朝は始めての家で疲れていたのだろう。今日は鳥の朝の挨拶より早く起きて来たのだが、もう、涙は起きて朝食の用意をしていた。
「おはよう。江見さん、カレー美味しく出来ているわよ。これなら、薫も何も言わないわ」
「よかった。涙姉さんのお蔭です」
「二人が起きて来るのには、まだ、早いわ。紅茶でも飲みましょう」
「はい」
 また、涙から質問攻めを受けた。薫の事が心配なのだろう。少しは、私の事も気に掛けてくれている。そう感じる。でも、ヒョットして、もう会えない。そう感じているのか、それとも、中国の楼蘭って、それほど遠いのか、そう、考えてしまった。
 江見は、気が付いてない。楼蘭は実在しない事。それに、外国で住む。その気持ちも考えも浮かばなかったのだった。それが、分かれば、涙の気持ちも少しは分かっただろう。
 たしかに、一つの国だが、竜宮城は東京都くらいしかない。人口もほぼ同じだ。そして、人口が増える事も減る事もない。旅立つ人と、帰って来る人が同じだからだ。これでは、分かるはずがない。だが、江見は、真剣に耳を傾け、真剣に答えていた。
「母さん、江見さん、おはよう」
「おはよう。薫さん」
「薫おはよう、父さんは?」
「今来るよ」
「そう。紅茶、それとも、コーヒー。何にする」
「父さんは、コーヒーだろう。同じでいいよ」
「おはよう」
 江見が、挨拶すると、父は驚きだろうか、嬉しい。いや、恥ずかしかったのだろう。挨拶を返さなかった。それを隠すように、連れ合いだけには返した。
「父さん、おはよう。コーヒーが出来ているわ」
「ありがとう。あっ、徹にもあげたのか」
「一番先にあげたわ」
「何故、徹兄さんにコーヒーを、ん」
「子供はコーヒーを飲みたがるでしょう。薫も、そうだった」
「え」
 薫は、覚えがない事を言われ、何も言わずに、耳を傾けていた。
「そうだったな、結局は飲めないで、砂糖と牛乳で薄めていたな」
「そうでしょう。だから」
「そうだったのですか」
 江見は、くすくす、と笑ってしまった。
「お腹が空いた。そろそろ食べよう。カレーだろう。もう、出来ているはずだよな」
 薫は口を尖らせ、不満そうに答えた。好きな人に笑われたからだろう。
「そうね。食べましょう」
 そう、涙が答えると、江見と涙が用意を始め、それぞれが、食べ始めた。
「薫、食べ終えたら、直にお参りするのだろう」
「うん、そうしたい。父さん、母さん、いいかな」
「父さんが、いいなら、私も、いいわよ」
「問題はない」
「ああ、でもね。車では行きたくないなあ」
 薫は、慌てて頼んだ。頭の中で一瞬考えが過ぎる。突然消えるはず。車では、そのまま置いとく事は無理だ。そう考えたからだ。
「う~ん、まあ、そうしたいなら、構わない」
 息子の考えに一瞬だが悩んだが、承諾した。
 家族は、早々と朝食を食べると、息子の言う通り、個人所有の自動籠でなく、数人用の乗り合い自動籠で、八木山神社に向かった。そして、到着すると、母が驚きの声を上げた。
「えっ、この神社が、いいの?」
 やはり、母と父も驚きの声を上げた。
 誰でも、始めて来た者は驚く、余りにも小さく、鳥居と社しかないからだ。
「お参りしよう」
「そうねえ」
 鳥居の前で、まず先に、神様が話を聞いて貰えるか、その伺いに、手を重ね、二度お辞儀をした。そして、鳥居を通ると一瞬の内に、この地から四人は消えた。何故、今回は簡単に通れたか、恐らく、行きの確認の門に原因があった。江見と違い。何も問題がない場合は入れば、必ず同じように帰れるのだった。現れた所は、前回と違い、確認の門だった。恐らく、人数が多い為に、一番繋がりが強い所が門なのだろう。江見と薫は驚かなかったが、二親は何が起きたのかと、目を見開き、口まで開けたまま、立ち尽くしていた。
「父さん、母さん、信じられないだろうが、夢でも幻でもない。現実だから、この世界が、江見の生まれ育った所、竜宮城だよ」
 二人が驚くのは無理なかった。都心にいたはず、それが、何故か、草原に自分達が居たからだった。本当に何もない、ただ、門があるだけだ。
「えっ竜宮城って、あの、浦島太郎の、まさかね」
「そう、あの竜宮城だよ」
 薫が話しを掛けるが、父はまだ立ち尽くしていた。
「あの話は現実だったの」
「海の底でなく、時の流れの狭間に浮かんでいたのです」
「ほうう」
「もういいよね。江見さんの家に行こう」
「そっそう、そうね」
 涙は真っ青な顔で答えた。そして、連れ合いを見た。
「もう、父さん、大丈夫。江見さんの家に行くよ」
 そう声を上げながら、涙は、連れ合いの背中を叩いた。
「うわああ、ここは何処だ」
 叩かれたから驚いたのでない。まるで、頭と体の機能が切れていたが、叩かれた事で神経が繋がったかのようだ。それで、全く話が耳に入ってなかった。
「お父さん、落ち着いて、大丈夫だから落ち着いてよ」
 叫び声は大きくなる。もしかしたら演技か、いや、これは、雄の本能かもしれない。危険を感じて、叫び、暴れて、自分に全ての危機を招こうとしているのだろうか、これが獣なら危機を感じて、この場から離れるはず。だが、
「馬鹿、確りして」
 涙は、先ほどから涙を流しながら声を上げていたが、声が届かない。そう感じたからだろう。頬を叩いた。
「えっ」
「ここは、江見さんの生まれ故郷よ」
 薫と江見は、二人の様子を見ている事しか出来なかった。それほど、真剣に、涙は、連れ合いを正気に戻そうとしていたのだ。そして、涙の言葉を聞くと、二人は何度も頷いた。
「ほう」
「広いわねえ。このような所は日本には無いわ」
「そうだな、でも、もし、無理して場所を挙げるとしたらゴルフ場だろうなあ」
「そう、ゴルフ場って、この場所みたいなの、見てみたいわねえ」
「ヒョットして本当にゴルフ場か、それとも、何かの競技の場所かもなあ」
 涙の話を聞いてなかった。
涙は場所のお蔭か、うっとりと話をしていた。それが、自分の話を聞いて無い。それに気が付くと、大きな溜息を吐き、不満そうに口を開いた。
「行きましょう」
 涙の言葉で、薫と江見は頷く。
「もうー、父さん、行くわよ」
 涙は振り向くと、我を忘れている連れ合いに言葉を掛けた。
 江見も、薫と両親も知らないが、ここは神聖な場所だった。門しか残ってないが、初代竜族の墓所だ。それを中心に竜族の墓が在った。まだ、時間の狭間に落ちる前なら文献や口伝などで知る事は出来ただろう。狭間に落ちた時、いや、落とされた時は、生きるか死ぬか、それしか考えられなかった。落とされた理由も、元同族が原因だった。何百年、何千年も経ち同族と考えは薄れていたが同族には違いない。元々宇宙を放浪して、この地球に来た同胞だ。それが十二族に分かれてしまった。家族単位か、思想か、理由は忘れられたが、それでも、命を取り合う程の諍いは無かったのだが、突然に竜族以外の種族が戦を始めた。戦の理由も竜族が中立を守り説得するくらいなのだから些細な事だったのだろう。だが、竜族は謀られたのか、戦の巻き添えか、それとも、正常な判断が出来ないほど血に酔っていたのだろう。十一族の力で、竜族は時の狭間に落とされた。それから、長い時間が経ち、体が環境に順応して、背中に羽が、左手の小指に赤い感覚器官が現れた。もしかすると、祖先には合ったが、長い宇宙の漂流で消えた物が、時の狭間の為に先祖帰りしたのだろうか、それとも、閉鎖された環境の為に進化したのか、それは、判断は出来ないが、背中の羽で時の流れを飛び、赤い感覚器官で連れ合いを探していた。それでも、旅には出るが、生涯の連れ合いを赤い感覚器官の導きを信じる者は全てでは無かった。最後は自分の意志で判断し、導き以外の者を生涯の連れ合いとする者もいた。それでも、必ず、江見のように旅をして、故郷に帰ってくる。そして、又、新しい生活を始めるのだ。
「お母さん、行こう」
 涙の言葉を聞いて、薫と江見も頷き、歩き始める。
「お父さん」
 涙は、知らない地だから恐いのだろうか、それとも、連れ合いと離れ離れになる。そう感じているのだろうか、連れ合いの所に戻り、手を引きながら歩き出した。薫は一度歩いた所だから関心を示さない。だが、両親は、町に入ると、ますます、辺りを窺う。危険を感じているのか、それとも、ただの好奇心だろうか、周りをキョロキョロ見回している。二人は何かを探そうとしているようにも思えた。何度周りを見ても、見に覚えのある町並みだ。もし、日本を探して見れば何処にでもあるような風景だからだ。恐らく、眺め回しているのは、自分の記憶に有る物を探し、日本に居る、そう思いたいのだろう。
「やっぱり、親子ね」
 江見は、そう呟いた。
「江見さん、何か言った」
「いいえ」
 薫は、行きの時は違い。恐怖を感じずに、江見と楽しそうに会話を楽しんでいた。両親も、連れ合いがいるからだろうか、何かを探す為だろうか、疲れは感じていなかった。四人は、それから、数十分くらいだろう。歩くと、江見の家に着いていた。
「お父さん、お母さん、少し、ここで待っていて」
 江見が、二人に声を掛けると、薫の手を引き玄関に入った。

 第十四章 
再び江見の家

「涙、薫は大丈夫だろうか」
「え、何が」
「父親に気に入られるだろうか」
「何を言っているの、男だからだってね。薫は婿みたいなのよ。嫁を出す父親みたいに、気に入らなければ断る。そう思わせるように堂々としてなさい。始めが肝心なのよ。始めがねえ。お父さん、分かっているの」
「わかった」
 そう答え、(私も婿なのに、そんな雰囲気でなかったぞ)と、心の中で思い。涙に聞こえないように何かを呟いていた。恐らく、その当時の事でも思い出しているのだろう。
「遅いわね」
 涙は、愚痴を零す。だが、一本の煙草を吸い終わる時間も経ってなかった。
「お父さん、お母さん、お待たせしました。どうぞ、入ってください」
 二人は、玄関に入ると、ホッとした。懐かしいような気持ちになった。それは、古き良き時代と言うべきか、親しみを感じたのだった。昭和のやや終わり頃に思えた。黒電話が置かれ、その近くに走り書きのメモや店屋物を頼む時の食事の目録やチラシが壁に貼られていた。まだ、携帯が普及されていない。全ての連絡などは家に帰らなければ分からなかった時代だ。二人は気持ちが落ち着くと自然と家に上がっていたのだった。そのまま、江見の後を付いて居間に入ると、本当に竜宮城なのか、そう感じてしまった。一通り物があったからだ。テレビ、ビデオ、新聞、雑誌など思い付く物は全て置いてあった。でも、一つの驚く物を見つけ、涙が問い掛けていた。
「ここは竜宮城ですよね。何故、ここに、私達の世界のインスタントコーヒーがあるのです。それも、メーカ名も同じですよ。他の調味料も同じですわね。何故です」
「勿論、あなた方の世界から仕入れてきます。環境が全て変わると精神に異常を起こす人も居ますから、江戸時代風や未来風もあります」
「そうなのですか」
「薫さんは、私と同じような時代から来たのですね。今、ご両親の話を聞くと、そう感じられました。安心して下さい。仕入れ担当の部署に就けば定期的に会えますし、勿論、手紙なども届きます。まあ、薫さんが断らなければ仕入れ担当の部署に就きますよ」
「そうですか、ありがとう御座います」
「いいえ、それでは何か、飲みましょう。コーヒーにしますか」
「はい」
「それでは、豆もありますから挽きましょう」
「すみません」
「いいえ」
 カリカリと豆を挽く音を、暫く聞いていたが、問い掛ける事を思い出したのだろう。
「結婚式はするのでしょう。出席は、私達だけですか、知人とか呼べないのでしょうか」
「無理をすれば呼べなくないですが、出来れば控えて欲しいです。ですが、質素な式ではないですよ。竜宮城を上げての祝いです。それに、今回は三組以上の結婚式がありますので、竜宮城の象徴でもある。王室の全ての方がお祝いに来てくれます」
「ほう」
 驚きの為に言葉を無くしていたが、息子の青白い顔を見て、自分が問い掛けなくてはいけない。そう感じたからだ。
「それでは、どちらが主役か分からないわね」
「それは、私も涙さんと同じ世界から来た者ですから心得ています。安心して下さい。竜宮城に住む事は王の類縁になると言う事ですから、それに、結婚式をする者が三組以下だと、永住証明書を渡す者は王ではなく、王室の類縁の誰かになります」
「ほう、神父見たいな事をするのかな」
 一人事のように呟いた。
「おお、そのような感じです。今回は、本当に名誉な事なのですよ」
「そうですね。この地での一番に偉い人が祝ってくれるのですから有りがたい事ですわ」
「そうですよ。それで、結婚式は十日後です。その間は、この家に泊まり、竜宮城を楽しんで下さい。まあ、今、言わなくても分かるでしょうが、買い物などする時は、薫さんの名前を出すか、私の娘の名前を出して下さい。それで、済みますから」
「ありがとう。そうします」
「あっ出来れば、明日からにして下さいね。
明日には隅々に、薫さんと、江見の結婚式の事が伝わります」
「はい、分かりましたわ。勿論、お父さんもいいわよね」
 涙は、隣に座る連れ合いに声を掛けたが、何故か、夢中で新聞を見ていた。
「ん、何か言ったか、見てみろ。面白そうな映画をやっているぞ」
「はっあー。そうね。楽しみね」
 涙は大きな溜息を吐いた。今まで話をしていた事は全て聞いて無かったからだ。
「うん、どのような映画なのだろうな」
「父さん」
「何だ」
「はっあー、何でもない」
 薫は、父の姿を見て呆れ返った。
「お父さん、私の父も映画は好きで、可なりの数が家にあるはず、観てみますか」
「まあ、竜宮城で作られた物ですから面白いか分かりませんよ」
「おお、それはいいですね」
 この言葉で七人は、自分の趣味から子供の育つまでの思い出などを交互に話しを始めた。七人もの思い出だからだろう。思い出を話す事で一日が終わっていた。
 二日目の朝、怒鳴り声と悲鳴のような声が響いた。
「母さん、何をするの」
 窓を開け、布団をめくり、娘を起こした。
「当たり前でしょう。薫さんの、ご両親が居る時くらいは全て自分でやりなさい。何も心配がありませんから任せてください。そう行動を見せて分かっていただくのよ」
「何で、こんなに朝早くよ」
「あなたが、何も出来ないのを知っているから、その為に早く起こしてあげたのよ」
「何を騒いでいる。お客さんが居るのだぞ」
「お父さん」
 二人の女性の声が重なった。
「理由は聞かない。二人の声で、もう起きて来るぞ。朝食の用意は出来ているのか?」
「はい、今から」
「その事で」
 二人の女性は、何かを言いたいのを我慢しているように言葉を飲み込んだ。
「済みませんね。私も何か手伝いますわ」
「あっ、お母さん」
「起こしてしまったようですね。すみません」
 娘の声で驚いたと感じて、父は何度も何度も頭を下げていた。
「構わないで下さい。息子さんを任せる事が出来るか、厳しい目で判断して下さい」
「分かりました。そうさせて頂きます」
「そうだ。朝食の後、息子さんと竜宮城を見学してみてはどうですか」
「見学はしようと考えてしました。ですが、連れて行っても、息子も分からないはずですから意味がないでしょう。二人で楽しく歩く事にします」
「そうですか」
「江見さん、朝食も楽しみにしていますからね」
「はい、頑張ります」
 薫と両親は、台所に近寄らなかった。いや、近寄れなかったのだ。盛大な親子の言い争いが聞こえてきたら普通は入れないだろう。それが聞こえてくると、江見の父は恥ずかしそうに咳の真似や話題を挙げて誤魔化そうとしていた。それでも、朝食を食べる時の江見と母は、偽りの笑みを浮かべていた。それは誰にでも感じる事が出来るはずだ。目が、視線が殺意を感じられたからだ。このような食卓では、食べ物が美味しく喉に通るはずがない。食卓から逃げるように食事を済ませると、薫と両親は家を出た。
「薫、あなたは出て来なくていいのよ。新しい家族でしょう。戻りなさい」
「えっ、あの、お母さん。ねえ、お父さん」
 薫は、玄関から江見と両親の怒鳴り声が聞こえ、恐怖のあまり助けを求めた。
「薫、戻るのよ。分かったわねえ。それでは、お父さん、行きましょう」
「そうだな」
 二親は声を掛けると、振り向きもしないで歩き出した。残された薫は、如何する事も出来ずに、その場で立ち尽くしていた。そして、数分後
「薫さんですか?」
 薫は、女性の優しく、柔らかい声を掛けられ振り向いた。
「えっ、あのう」
 顔から下まで均整のとれた体、この様な人が何故、私を知っているのか、それを考えると言うよりも、呆然と見惚れていた。
「私、江見の友人の明日香と言います。江見に話があったのですが、忙しいみたいね」
「そうですね。今、会ったら命の危険を感じると思います」
「ホホホ、面白い方ですね。薫さんなら、人と違う事を言ってくれるみたい」
「え」
 薫は、何故、笑われたか分からなかった。
「もし、良ければ、私の悩みを聞いてくれませんか?」
「はい、いいですよ」
 明日香は、薫の手を取り歩き出した。
「えっ」
薫は惚けている為に、何を言われたか分かっていないようだ。二人は、住宅街から商店街へと歩き、喫茶店に入った。もし、薫が惚けていなければ驚きの声を上げたはずだ。
「薫さん、何かを飲みましょう。飲みながら、私の話を聞いて欲しいわ」
「そうですね。それでは、同じ物をお願いします」
「それでね。私の、人ね。ああ、お父さん、連れ合いね」
「はい」

「もう、一月も、私の体に触れてもくれないのよ。浮気しているかも知れないわ」
「そうなんですか」
「そう、それでね。浮気の事はあきらめるわ。喧嘩しても仕方ないし、私も浮気すればいいと考えました。ねえ、分かりますよね。私が言いたい事、ねえ」
 明日香は、薫を誘惑するように話を掛け続けた。
 同じ時間、薫を見捨てた。二親は、驚きの声を上げていた。
「おおおお、何なんだぁ。あれは?」
「わああ」
 江見の家の周囲では分からなかったが、数分歩き、通りが変わると、暖簾、旗、看板などで、薫の結婚式と同族になる事の知らせをしていた。それも、信じられないほど目立つ、まるで、芸能人、いや、それ以上の知らせ方だ。でも、薫だけでなく、三組の結婚式の知らせだった為に、少し不満を表していた。それでも息子の名前が出ているのが嬉しくて、又、違った看板があるかも、何処まで続いているのかと、歩き続けた。
「ねえ、お父さん、ここは食堂よね」
「そうだろうな」
「うわあ、薫の名前が付いた物があるわよ。魚料理かしら肉かな、食べてみましょう」
「そうだな、だが、支払いは気にしなくてもいいと言われても、後々の事を考えると」
 涙は、連れ合いの話を聞かずに、店に入ってしまった。このように一軒、一軒見て回るのだ。時間を忘れて、直に一日が終わってしまう。
「そろそろ、日が沈むわ。もう帰らなければ行けないのですね」
「そうだな」
 二人は、一度見た物だからだろう。帰り道は、時間は掛からず家にたどり着いた。
 その、向かう家では滅多に鳴らない電話が鳴っていた。江見だけが理由が分かるのだろうか、どきつい漫才のように料理を作っていたが、突然、手を休め駆け出した。
「江見、言われた通り連れ出したけど、口説く事はしなかったわよ。真面目で、江見だけしか愛さない人みたい、良い人を見つけたわね。でもね。帰り道が分からなかった見たいだから玄関まで連れてきたわ。でも、家に入らないの、何故かしら、後は任せるわね」
 明日香は、電話では爽やかな声で、穏やかな内容だが、喫茶店から出た後は、言葉で駄目なら雰囲気のある場所に連れて回し、何度も何度も誘惑した。それは日が沈むまで続けられ、飽きたからだろう。それで、江見に電話をしたに違いない。
「薫どうしたの。まさか、一日中、ここに居たの?」
「え、なに、ああ、居なかったよ」
(あっ今、話しを思い出すと、明日香って人は、私を誘っていたのか、まっ、まさか)
薫は、惚けたまま立ち尽くしていた。
「あら、お母様、お父様、お帰りなさい」
 江見は、明日香からの電話を切ると、玄関の外に走り出し、薫と家族に会った。
「何か、薫が変なのよ」
「お母さん、私もそう思います。薫、どうしたの、家に入りましょう」
 江見は知っているはず、薫が夢心地のような、熱があるような様子の理由をだぁ。
「さあ、お母さんもお父さんも家に入りましょう」
「そうね。お父さんも行きましょう」
「食事も、間もなく出来ますから待っていてくださいね」
「あら、江見さん、何かあったの、御父さんが、変よ」
 玄関に入る前、涙は庭に視線を向けた。すると、江見の父が、何故か庭に椅子を持ち出し、耳を塞ぎながら座っていた。
「涙、薫を頼む。私は、江見さんの父の様子に想像が付く、少し話をしてみたい」
「そう、分かったわ。お願いね」
 妻の言葉を聞くと、一人で庭に向かった。そして、自分の息子が悩んでいる時のような感じで、後ろから肩を叩いた。
「ん」
「私にも耳を塞ぎたくなる気持ちはわかります。妻が料理を作る様子を見聞きしたくないのでしょう。私も、薫が生まれるまで、同じ気持ちでしたよ」
「あ、貴方も、なのですか」
「あ、済みませんでした。私の事は田中でも、進でも好きな方で言って下さい」
「気を使ってくれてありがとう。私も、田中さんと同じ世界の者です。家の様子を見たら想像が付くと思います。田中さんは、私より未来でしょうか、過去でしょうか?」
「恐らく、未来でしょう。ですが、数十年後くらいと思いますよ」
「そうですか、私の名前は、卓です。この閉鎖された別の空間の為でしょうか、それとも、ここの住人は名前しか使わないからでしょうか、名字は忘れました」
「そうですか、私は変な勘ぐりなど感じていませんから、気にしないで下さい」
「ありがとう」
「卓さん。今日、始めて台所に入ったのですね」
「そうです。妻が、娘と、怒鳴り合うのは何度か聞いた事はありました。だが、台所で、あれほど、豹変するはと驚き、いや、恐怖を感じました」
「そうでしょう。顔、髪、衣服、台所の様々な所に、血や汁などが付いていたはず。それだけでなく、怒鳴りあっているのに、手元も見ずに包丁を扱う姿でしょう。私も、あれを見た時は、心臓が止まる思いでした。私を殺す為の料理か、それとも、人の肉でも料理しているのかとね」
「うわあああ」
「卓さん、思い出したのですね。あの台所の場面を、だが、忘れるしかないのです」
「うっうう」
「私も、代々の家訓を破らなければ見る事が無かったのです」
「家訓とは、男は家事に係わるな。その事ですか」
「そうです。家訓には理由があったのです。夫婦が円満に暮らせる為に必要な事が語り継がれているのだと感じました。私も、あの場面を結婚する前に見ていたら、夢も希望も消えうせて、独身を貫き通したはずです。今、思えば、家訓を破らなければ楽しい夫婦の生活が出来たはずです。私は馬鹿でした」
「そそ、そうですね。あれは戦場でした。私に、家訓を教えて下さい。それを役立てたいのです。娘の為、いや、薫さんの為、二人が楽しい夫婦生活をして欲しいからです」
「そうですか、構いませんよ。まず、第一、男は何があっても台所に入ってはならない」
(薫、婿は大変だぞ。私も婿だから気持ちが心底から分かる。全てを守ってくれないだろうが、台所の関係だけは守ってくれるに違いない。少しは楽が出来るようにしたからな)
 二人は泣き、笑い。そして、真剣に家訓の事を話し、憶えようとしていた。それは、二人の連れ合いが心配して現れるまで続いていた。
 このような日々が二日、四日と過ぎていく、このままだと、十日が過ぎても、息子の為に偽の家訓を伝える考えも、江見が薫を試す事も、薫の両親が竜宮城を全て見て回れない。そう思えるほど、あっと言う間に時間が過ぎてしまった。

 第十五章
 そして、結婚式、当日

「あら、私と出かける時はお洒落しないの。今まで出かける時は毎日お洒落していたでしょう。もう私は逃げないから捕まえようとしないのかしら」
「いや、違う。考え過ぎだよ。これから式だよ。向うでいろいろしてくれるだろう。それで今、髪型や服装を選んでも、向うで又着替えるのに無駄だよ。愛しているよ。チュ」
「何かあった。前は、愛しているって、簡単に言わなかったわ。それに、人前で、キスなんて、恥ずかしくてしなかったわよ」
「人前って、私の親の前だよ。江見の親の前では恐くて出来ないよ。でも、江見から言ったのでしょう。家の中なら出きるはず、何度も言ったの、江見だろう」
「そうだけど、でも、何故か、いい気分しないわ」
「早く行こう、時間なのだろう」
薫と薫の両親はまだ気が付いてない。恐らく、自宅の周囲は生活に支障ないように決まっているのだろう。前日までは、暖簾や看板だったのだが、今日は当日だからだろう。人が信じられないほど集まっている。まるで祭りだ。道路の脇に隙間なく立ち、その前を警備のような武人、それも、礼装のようなきらびやかだ。後ろの人々は手を振り、叫び、興奮を表しているが、人々を見ても演技には見えない。
「お乗り下さい」
 勲章のような者を多くつけた武人、隊長格だろう。その人物が馬車の前で呟く。人々との境が無いのだが、境があるように人々がいない。その所に、馬車が置いてあった。
「はい」
 薫と両親は驚き頷くだけだった。
「ご苦労様、ありがとうねえ」
 生まれ育った所だろう。江見も、両親もタクシーに乗るような態度だ。
 馬が鳴き声を上げると走り出した。そして、江見も両親も楽しそうに手を振る、その脇で、顔を引き攣りながら、薫と、薫の両親も、ぎこちなく手を振っていた。五分、十分と手を振り続く、だか、人々の数は増え、叫び声も大きくなる。馬車からは見えないが、他の馬車も合流したのだ。やや離れた所を一緒に式場に向かっていた。このような大袈裟な、いや、人違いをされているような騒ぎと感じて、薫と両親は、ちらちらと、江見と両親に視線を向けるが、向けられた方は、薫達の事を忘れているように手を振り、声を上げていた。薫達の気持ちが分かったのだろうか、段々と、騒ぎ声も低くなり、見物人より武人が多くなって来た。そして、突然に馬車が止まった。すると、江見と家族は窓をしめ、真剣な顔を作り、衣服を整え、深呼吸をしたのち、何かを待つように椅子に腰掛けた。
「トントン」
「新婦様、新郎様、私の後に着いてきて下さい。これから、お召し替え致します」
 先ほどの隊長格の人物が扉を叩き、待っていた。
「はい」
 薫は意味が分からず、江見に視線を向け続け、江見が答えると、それに従った。
 三人は、馬車が止まった所の左右に大きな建物があり。大きさは三階建ての建物くらいあり、円筒形の櫓の様な作りだった。そして、左の建物に向かった。
「分かっていると思いますが、今日は両竜王様が祝いに来られております。その為に白以外のお召しは禁止になっております。女性の場合は、この建物の中にある物から選んで頂きます。男性も隣の建物の中から選んで頂くのですが、今日の場合は決められていますので、この建物の中の別室にある物を着て頂きます」
「はい」
 江見はこの世の幸せと思える笑みを浮かべていた。その横で薫が、何処に行けば良いのかと視線を向けているが、もう、薫の事は完全に忘れていた。
「ごっほん、新郎様、どうぞ、こちらへ」
 薫が、連れ合いの顔を見て惚けている。そう感じたのだろう。それで、仕方が無く、薫を正気にさせようとした。そして、薫は、一着しかなくて選ぶ事もない為に、江見を待っていた。その横で、隊長格の人物が、江見に時間が無いと伝えている。
「うわあ、凄いわ。おおこれも、着てみたい」
 江見は、ぎりぎりの時間になっても、着替え室から出てこない。仕方なく、薫に部屋に入ってくれ、そう話をかけようとした時だ。江見は、満面の笑みで現れた。その姿を見て、薫が声を掛けようとしたが、即座に、馬車に入る事を勧められた。
「うん、うん、衣服の乱れはないようですね。そちらの男性が、新しく一族に入られる方ですね。それと、ご両親ですね。あっ、返事はいいです。ただ耳を傾けて頂くだけで良いのです。これから先、声を上げてはなりません。礼をされても、頭を下げなくて構いません。ただ、最後に、証明書をいただく時だけ、頭を下げて下さい。その前に、礼儀と感じて、頭を下げる事の方が失礼ですから、それだけは、守って下さい。良いですね」
 馬車に入り、一分も経たない時だ。又、扉を叩く音が響いた。
「・・・」
「そうです。それでいいのです。無視して下さい」
「・・・・」
「暫く、すると馬車が動きだし、又、扉が開きます。薫様と、江見様だけに、手を差し出されます。その者に従い、歩いて下さい。ご両親は、お子様の後を歩いて頂きます」
「・・・・」
「そうです。お名前を聞かれますが、礼はしないで下さいね。証明書を頂く時だけ、簡単に会釈してくれれば良いですから、お願いしますよ」
 そう、一人で話し終えると、老人は、だが、可なりの身分があるのだろう。今まで見てきたなかでは、勲章の数も、そして、見事な竜の刺繍がしてあった。そして、会釈をすると馬車から消えた。又、馬車は動きだすが、直に門が開き、そして、閉じる音がすると馬車は止まった。すると、又、扉を叩く音がした。
「これから、扉を開けますが、決して、声を上げる事も礼儀を返す事はしないで下さい。良いですね。それでは、これから、ご案内します」
 そして、扉が開けられた。開けると同時に、何の模様も勲章らしき物もない。真っ白の上下の服を着た若者が現れ手を差し出してきた。それと同時に、耳を塞ぎたくなるほどの拍手の音が響いた。どこから見ても身分があるような人々達が立ち並び、手を叩いていた。
「・・・」
 薫と両親は声と同時に頭を下げそうになったが、それを隠そうとしたのだろう。やや、首を上げた。空を見る。そう思わせた。そして、今度は逆に目を見開き、口を開ける所だった。信じられない程の神殿が目に入ったからだった。金銀、宝石があった。そう言う事でなく、大きく、素晴らしい彫刻の模様が彫られている。誰が見ても、この地に入れるのは、限られた者だけ、恐らく二人だけだろう。そう思える所だ。それが一番に感じるのは入り口だ。それは、二匹の竜が口を開き、神殿を絡まっているような彫刻だ。恐らく、女性と男性の入り口だろう。それも、一人だけしか入れない入り口のはずだ。
「ふー」 
 薫と江見と両親は、深呼吸するように息をすった。そして、視線を竜から真ん中の小さい扉に視線を向けた。そこから入ると考え、歩く準備をしたのだろう。
「足元に気をつけてください。ご案内します」
 男性は、薫の手を取り、歩き出し、女性は江見の手を取り歩きだす。その後ろを両親が付いて行く。そして、すぐに、驚きのような顔色を作ったのだった。真ん中に進まず。竜の口に向かう。それも、薫、江見が、それぞれの入り口に手を引かれたからだった。だが、二人の両親は、真ん中の小さい扉の方に向かわされた。
「・・・・・・・」
 そして、拍手はさらに大きくなる。入り口の近くになると、武人でなく役所で働く人なのだろうか、竜の刺繍だけの人が多くなった。そして、三組の結婚する者は中に入った。
「ふわー」
 入り口に入る時、益々、緊張したのだろう。大きく息を吐き中に入っていた。
 口の中、竜の体内、通路の中は、彫刻が施されていた。恐らく想像だろうが、始祖から代々の歴史が彫られている。それを見る、心のゆとりは無い、ただ、出口の光だけに視線を向けて歩いていた。
「・・・」
 通路の出口に行き着く。そう感じて、心が落ち着いた時だ。
「ここでお待ち下さい」
 それぞれに、分かれた江見と薫は、声を掛けられると、不安な気持ちで待っていた。
「仮扱いの四竜族の江見、新郎の薫、中に入りなさい」
 数分後、大きい声で呼ばれた。
「行きますよ」
 真っ白い服の若者に声を掛けられ出口に向かった。
 江見と薫が真っ先に目に入った物は、劇場のような舞台の上に出て、その真ん中に二つの椅子に座る年配の男女だった。はっきりとした年齢は分からないが、自分達の親よりやや年配だろう。そう感じた。その者、二人は薄い水色の上下の衣服で金糸の刺繍の竜が描かれていた。誰が見ても、この地の最高の権力者か、身分が一番高いのだろう。そう感じられた。その二人の前に手を引かれながら歩いて行く。前に付くと、若者は手を離し畏まった。それと同時に、椅子に座る二人が、江見と薫に声を掛けた。
「仮扱いの四竜族の江見、新郎の薫。二人を四竜族の血族に入る事を許す」
「・・・・」
「江見、薫、おめでとう。私の元に来なさい」

「おめでとう」
 二人に祝福を言われ、江見と薫は近寄った。
「これが証明書だ。幸せに暮らしなさい」
「おめでとう」
 二人から、証明書を頂いた。そして、満面の笑みを浮かべながら何度も頭を下げた。恐らく、礼儀は一度で良かったのだろう。そして、普通考えれば、何度か礼儀を返して、元の所に戻るはず。それが、何度も礼を返していた為に、案内をした若者は苦笑いを浮かべながら二人の元に行き、手を引きながら中段の所に行った。二人の両親の元に連れて行き。
「四竜族の江見、新郎薫、退室を許します」
 江見、薫と両親は嬉しくて抱きしめ合った。と、同時に拍手と同時に指示を言われた。今度は、竜からの出口でなく、舞台から降りる階段から降りた。その下には、大勢の人達が拍手で迎えてくれた。恐らく、竜族の直系の一族だろう。四色の竜の刺繍が描かれている。だが、薄い水色の者は居なかった。あの二人は特別の人と感じたはずだ。二人は出口に出るまで拍手が止む事が無く。その後、江見と薫と両親は気が付かなかったが、別の名前が呼ばれていた。例を挙げるなら、同じ様に
「仮扱いのニ竜族の健二、新婦の美沙、中に入りなさい」
 江見と薫と同じく証書を貰う、儀式が進んでいた。だが、出口に出た。といって終わった訳では無かった。又、馬車まで戻るまで、拍手が止む事は無かったからだ。
「お幸せに、おめでとう」
 そう、若者に声を掛けられ、馬車の扉を閉じられた。それでも、声を上げる事はしない。
行きと同じように神殿を出るまで無言が続き、そして、自宅に帰り着いた。
「凄かったわね。まるで、大奥の世継ぎの母にでもなった気分だったわ」
「うん、お母さん、俺も、そう感じて本当に緊張した」
「江見さん、何故、あのように盛大にするのですか」
「え、お父さん。一族に入るのですから、皆で、祝いするのは当然ですよね」
「確かに」
「薫さんのお父さんも、お母さんも、それくらいにして、ゆっくり寛ぎましょう」
 江見の母の言葉で、思い出と今日の出来事を肴で、酒や食べ物や菓子などで会話を楽しんでいた。その中の話題の一つ、薫の兄の話を聞くと、何故か、突然に、江見は、父に勧められて席を立った。そして、父の書斎に入って行った。
「江見に任せるが、薫君のお兄さんを助ける事が出きるぞ。だが、薫が生まれて来るか分からないが、でも、薫は、竜宮城に来たのだ。時間の流れから離れたから、何事も無いはず安心しなさい。そうすると、もし、薫君が、生まれた所に帰っても、両親に会えなくなるだろうがなあ。まあ、必ず、そうなるか分からないが、どうする?」
「う~ん」
「江見、普通の玉手箱は、この地に連れて来る前に記憶を戻す。勿論だが、時間も戻す。それで、薫君は、遠い地で暮らす事になった。そう記憶を入れ替える。どうせ記憶を入れ替え、時間を戻すなら、お兄さんを助けた方が嬉しいだろう。私は、そう思った」
「薫と、薫のお父さんとお母さんに相談する」
「そうか、だが、間違いなく、薫君を取るぞ。それでも、相談するのか?」
「相談したい」
「そうか、私は、薫君の両親に済まないと思っている。会いたくても会えない。その気持ちを考えるなら、始めからやり直した方が喜ぶと思ったのだぞ」
「でも、私一人では決められない、話をしてくる」
 江見は、そう、父に言葉を掛けると、居間に向かった。
「江見さん、涙なんか流してどうしたの?」
「あのう、お母さん、もし、お兄さんが生き返るとしたら、どうします?」
「え、もう、冗談は言わないの」
「それは、本当ですよ」
「おっお父さんも冗談を言わないで下さい」
 そして、娘に言った事と同じ事を話し始めた。
「私は、薫の命と引き換えに、徹を助けたいと思わないわ」
「薫君が死ぬ事はありません。ですが、薫が生まれないか、別の薫が生まれる可能性があります。新しい時の流れになりますから、どうなるか分かりません」
「えっ」
「明日の朝まで答えを決めてくれればいいです」
「え、明日、帰らないと行けないのですか」
「済みません、式の次の日に帰る事が、規則なのです」
「そんな、私達の気持ちが落ち着くまで、居させて下さい」
「その気持ちが分かるから、私の独断で、お兄さんが生き返る玉手箱を用意したのですよ」
「でも、まだ」
「寝室に、玉手箱を用意しておきました。左が、お兄さんと新しい生活、右が、今の記憶が残ります。ですが、少し記憶が変わります。薫君は、元の世界の遠い国で暮らす。そう記憶になりますから、竜宮城の事は記憶に残る事はありません」
「どちらにしても記憶は消されるのですか、酷すぎます」
「必ず消えると言う訳ではないです。可能性が一番高い場合を言いました。それでは、私は用事がありますので、明日の朝までユックリ寛いで下さい」
 威圧的な言葉が部屋に響くと、皆は沈黙した。
「江見さん。私達は明日には帰らないと行けないのですか?」
 その一瞬の沈黙後に、心の底から疑問を感じたのだろう。涙は、心の中の疑問を江見に話しかけた。
「そうです。規則ですから、どうする事も出来ません」
「そうなの」
 涙は悲しそうに俯いた。
「お母様、明日まで、まだ時間がありますから楽しみましょう。そうだ。薫の好きな食べ物の作り方を教えてください。駄目ですか」
 江見は、元気つけようとして、言葉を掛けた。
「でも、言葉だけでは分からないと思うわよ」
「私の母なら分かると思います。分からなければ母から聞きますからお願いします」
「えっ、分かると思うわよ。でも、私が、あなたに教えるの、はっきり言って無理ね。あきらめなさい。薫さんには、私が作りますから、教えてくれませんか?」
「もうー」
 皆が笑い声を上げた。でも、薫の二親は苦笑いだったが、少しは気分が解けたようだ。
 この笑い声から会話が弾み、朝方近くまで電気が消える事は無かった。一人、二人と、その場で寝てしまったが、江見だけは、薫の両親に、自分の料理を美味しい。そう言って欲しくて、寝ずに、何度も朝食を作り直していた。
「お母さん、お父さん、起きてください。食事も出来ましたし、そろそろ時間ですよ」
「え、そう、帰る時間なのね。ありがとう。直ぐ行くわ」
 涙は、どちらの箱にするか決められずに、二つの箱を持って現れた。
 そして、皆で食卓に座り、食事を始めた。
食事はまるで通夜のようだった。そろそろ食べ終わる頃、江見は恐る恐る声を掛けた。
「お母様、お父様、私の父が時の管理人に掛け合って、玉手箱を用意しましたのは憶えていますよね。それで、もう一度言いますね。右が、お兄様が助かる世界。左が竜宮城の記憶は無いですが、今の薫と会える世界です。その玉手箱を開けると、そく世界に戻ります」
「何なの、そんなに、私達を元の世界に帰したいの。私達はねえ、薫と江見さんの幸せな顔を見たいだけなのよ。心は決まっているわ。薫の命を犠牲にしてまで、徹を助けたいと思いません。左で構いません」
 涙は、怒りを表しながら左の箱を開けた。そして、箱から白い煙が吹き出てきた。
「ああっお母様」
 江見の制止の声と同時に、ピキ、時の流れの修復する音が重なった。
 江見が崩れるように倒れる所を、実の父が抱きとめた。
「心配するな、こうなるのは分かっていた。私が右と左を入れ替えてある。徹君は助かるから、江見は、何も心配しなくていいから、いいからなあ。泣かないでくれ」
「でも、でも、お母様、怒っていたわ」
 江見は、煙が消え、二人が消えた事が分かると、父の胸の中で泣き崩れた。

 第十六章
終章、新しい時の流れ

 薫の両親は十年前に戻された。

「ああ」

 二人は声を無くした。夢にも見ていた。徹が死ぬ寸前の場面を、幽霊のように宙に浮きながら見ていた。

「涙が欲しがっていた。あの指輪を買ってもいいぞ。少し大目にボーナスが入ったからな」

「えっ、本当にいいの。まだ、売れ切れてなければいいわね」

「そんなに急ぐな、何かあったらどうする」

「あっ」

 急ぐあまりに、足がもつれた。そして、乳母車から手を離してしまった。

「大丈夫か」

 妻を抱き止めた。だが、乳母車は前、前と進んで行く。

「あっ、私の赤ちゃん」

 あまりの驚きでぎこちなく歩くが届かない。それでも、二人は、乳母車を止めようとして、手を伸ばすが、乳母車は段々と早くなり、手に掴めない、このまま進めば水路に落ちてしまう。幽霊のような二人は、その場面を、空中から見ていた。

「何度も、この場面に戻りたい。そう思っていた。だが、どうすれば良いのだ」

「何を言っているの。赤ちゃんを助けるの。赤ちゃんを助けるのよ」

 二人の頭の中では、竜宮城の事も幽霊のような自分の事も、思考できなかった。ただ、自分の子供を助ける事だけだった。本能のように乳母車に体ごと向かうが、掴む事も触る事もできない。ただ、通り抜けるだけ、それでも、必死に通り抜けるが、何度も乳母車の前に戻り、何度も止めようと繰り返した。

「お願い、止まって」

 止まることは無かったが、速度は、だんだんと、遅くなっていく。自分の行動が過去の世界では、風を起こしている。それが分かると、もっと必死に祈りながら止めようとした。すると、神に祈りが届いたのか、それとも、玉手箱の力だろう。

「うわー」

 過去の二人は、突然の突風を顔に受け、目を閉じた。

「止まったわ」

「止まってくれた」

 幽霊のような二人が、赤ん坊の笑みを確認するのと同時に、過去の二人は目を開いた。過去の二人も同じような笑みを浮かべると、幽霊のような二人は、過去の二人の体の中に吸い込まれた。時の流れが変わり一体になった。
 そして、時が流れ、徹が自由に言葉を話す頃、弟が欲しいと言う事になる。弟が生まれ、時の流れが、薫と結び付く事になる。そして、時が流れ、江見と会う事になるはずだ。

夢か現実か幻か

2013年12月7日 発行 初版

著  者:垣根 新
発  行:垣根 新出版

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垣根 新

羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。

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