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手元にあった一冊の写真集。
なんとなくだけれど、その地の自然には私を呼ぶものが無いように感じていた。
木々の緑は濃く、海は穏やかで、降り注ぐ陽の光にあふれた風景。
その存在を心の端で気にしながら数年が過ぎた。
何処かへ行きたいという衝動に駆られることがある。
定期的という訳ではないけれど、私にとっては繰り返し訪れる季節のようなもの。
その季節がやってくると何処へ行こうかと思いを巡らす。
はじめのうちは、温泉でのんびりしたいとか、高原の空気を吸いたいとか、美味しいものを食べたいとか、見知らぬ土地をただ旅したいと計画する。
けれども、そのうちに遠くで呼び鈴が鳴っていることに気づく。
なんとなく腑に落ちなくて、計画を迷う。
「そのサイン」はむしろ自分の欲望とはべつの所から聞こえてくるので、なぜこのプランではいけないのか、どうして関心もないその地が気になるのか、なかなか答えを見つける事ができない。
そして、実行するには面倒だけどしなければならないことが付いて来たりする。
だから答えを見つけ観念するまでには少し時間がかかるのだ。
今回の行き先もまた、「まだ準備ができてない」という感覚があって、行くには面倒が付いていた。
けれども、呼び鈴を聞いた私は「じゃあ今行かないでいつ行くの?」と気持ちが固まった。
これから先のことを考えると、今行かなければ。
そして何度も行けるご縁があるかどうかと考えて、正式参拝をしようと思い至った。
始発電車に乗り東京駅へ向かう。七時台の新幹線で名古屋へ。
近鉄特急に乗り換えて十時には伊勢市に到着。
荷物をロッカーに預けて歩きだした。
正式参拝するとなると、ふらりと行ってかなうものでもない。
色々調べて支度を整えた。
正装、めったにしないのでこういうことをいつも煩わしく思うのだが、今のように一般人が御垣内参拝をできるということ自体が歴史の中でも希有なことだと聞き、そこはきちんとしようと思った。
考えたあげく、黒のスーツを家から着て出かける事にしたのだった。
真珠のイヤリングも身につけて。
伊勢市駅から外宮まではほんの数分の距離。
火除け橋を渡り、境内を進む。ここでは左側を歩く。
立派な大木がそこここにすっくと伸びていた。
神楽殿の御造営資金受付に並び遷宮のための御奉納をする。
初めてなので説明を受ける。
そして特別参拝証をいただいて正宮へ。
鳥居の両側にまるで天を指すような杉の巨木が二本あった。
門番のように私たちをじっと見下ろしているのか、それとも天の一点を指し示しているのか、それは強烈な印象だった。
左手の宿衛屋で記帳を済ませ、お祓いを受け御垣内へ。
玉石の上、歩を進めるたびに緊張する。
転ばないように気をつけなければならないほど玉石は大きい。
御正殿の正面、お白石の上の端に立ち参拝。
御垣内を歩いていた間に流れていた時間は気が遠くなるようでもあり、一瞬であったとも思う。
続けて土宮、多賀宮、風宮とお参りした。
雨風に晒されたお社の柱の色、屋根に生えた苔もそのままにされているのを見て、前回の遷宮からの歳月を感じた。
それと同時にそのまま、ありのままを保たれているのだと感心した。
周辺の森もよく手入れされていて、下生えの草は無く深く落ち葉が積もり、老木も若木も生き生きとしていた。
満員のバスに揺られて内宮へ。
週末の昼どき、老いも若きも伊勢詣で。
お天気もカンカン照り。
いざお参り、の前にハプニングが・・
ここで急いでも仕方ないので問題を解消することに。
観光気分で賑やかなおはらい町の人混みの中を逆行して用を済ませると、ろくに食事もしていなかったことを思い出した。
アイスコーヒーを一杯、とにかくひと息つくことにした。
やっとここまでたどり着いた。宇治橋を渡る。
右手に進んで五十鈴川のほとりで手を清め、参道へ戻る。
これだけの人で溢れているのに、それ以上に木々や宮内の気には圧倒されるものがあった。
すべてがご神木といえるのではないだろうか。
近くを通ったツアーのガイドさんが、「神宮の巨木はあの伊勢湾台風を生き抜いた木々なのですよ」と話していた。
内宮の正宮への石段に着いた。
参拝者の列ができていたので後ろに着く。
正面に着いたところで列からはずれ特別参拝の受付を済ませる。
列を追い越して先に行った人達は複数人集まって御垣内へ案内されていたので、すこし遅れて着いた私は人が集まるまで待つのかと思っていたが、待ったのは前の人たちの参拝が終わるまでで、一人で参拝させていただくことになった。
御垣内参拝をすませて内宮を後にするとき、ふとこんな思いが湧いた。
日本各地でたくさんの震災や災害があったのに、こうして晴天の空の下伊勢に大勢の人々がお参りできること、それでも日本が「大丈夫」であったことに感謝したいと思った。
早朝からの移動と暑さと慣れない靴のためか少しバテた。
もう一社、伊雑宮まで今日は足を延ばしたい。
混んだバスを避けようと五十鈴川駅までのつもりでタクシーに乗った。
行き先を告げると「伊雑宮までこのままいかがですか?」と運転士さんに営業され、疲れも手伝って片道だけお願いすることにした。
ここから二十〜三十分で行けるという。
内宮の裏手、神域である山のわきを抜けて行く。
乗っている間、運転士さんが色々と案内してくださった。
折しも出雲の遷宮がされたばかり、伊勢でお宮が移されるのは十月だそうだ。
神宮やたくさんあるお社の周辺以外はそれはそれは静かな田舎町だった。
のんびりと時が流れていた。
山を下り、田んぼの広がる平地から海へ向かい、線路の手前少し坂をのぼったこんもり茂る森の中に伊雑宮はあった。
午後の日差しの中、細い参道の入口は暗がりの中にのびていた。
常緑樹の森には鳥たちのさえずりが響く。
お宮は守られているようにひっそりとしていた。
私の行く前をアゲハ蝶がひらひらと舞い、一羽の小鳥がひゅうっと地面へ降りてきた。
こうして伊勢に来てみて、参拝して感じたことはー
お宮の中、あるいは背後に何も感じなかったということだ。
権威も装飾も思惑も、三種の神器さえも意味を持たないもっと精妙な何か、あの写真集の中にあった海原のような、ただ空があるような気がしたのだった。
無人駅で電車を待つ間、特急が2本通過した。
伊勢市駅まで戻り、キャリーケースを持ってパールピアホテルへ。
夕飯には早いが近所へ伊勢うどんを食べに出た。
メニューには伊勢うどんと讃岐うどんの麺が両方。
そしてきしめんもある。
つゆもお好みで両方から選べる。
ここはちょうど食文化の境目なんだろうか。
そのまま食後の散歩に河崎町の方へ。
古い倉庫や問屋街、夕暮れの川沿いをのんびりと。
古本屋、和菓子屋さんにカフェもあった。
満腹でなければこのあたりで夕飯かお茶でもしたかったけど。
五時起きして外宮へ。
外宮へと向かう鳥が二羽私を追い越していった。
一羽は鷺のようだった。
空気がひんやりとして気持ちいい。
早朝の境内は人気もまばらで落ち着いて歩くことができた。
参拝して、お札をおさめる簡易神棚を2棟いただいてきた。
これで三社まつりができる。
計画する時、この静かな時間に正式参拝できたらと思っていたのだけれど、ご挨拶は最初が肝心ということらしい。
あそら茶屋でお粥をいただいてみたかったけれど、この朝の空気が残るうちに内宮へ向かおうと思うと時間がなかった。
二日目の今日は朝の参拝と半日はおはらい町でお土産を買う予定。
荷物をまとめて宅急便に出してホテルを出た。
駅前からふたたび内宮へのバスに乗る。
日は高くなりすっかり明るくなったけれど、まだ人は少ない。
昨日寄ることができなかった風日祈宮へ。
朝は参道を掃き清めたりお水を撒いたりと忙しく働く方の姿をたくさん見た。
あれだけの人が押し寄せながらこの気を保ち続けるのは容易ではないだろうと思う。
正宮、荒祭宮とお参りし、休憩所で一杯のお水をいただいて境内を後にした。
ちょうど帰る頃には遷宮の工事車両が入ってきたり、トンカン音が聞こえだした。
おはらい町のお店がぽつぽつ開きだしたところを見てゆく。
後はお土産を買って帰るだけなので気楽だ。
祖母のためにお目当ての鮑を。
しばらく行くと赤い竃と大きなやかん。昔の帳場の残るお店が目に止まった。ここが赤福の本店か。
もちろん甘いものの引力には勝てず吸い込まれていく。
店の奥は五十鈴川に面していて赤い毛氈をひいたベンチがある。
お座敷と川の間を風が吹き抜ける。
私は涼しい畳に腰かけてお茶をいただいた。
この辺はつばめが多く、あちこち巣をかけているのを地元の人は大切にしているようだ。
ちょうど時期で、店の中の梁と川の間を忙しく行き来し軒先をかすめて飛んでいた。
おかげ横丁には食べ物屋さんがたくさんあったけれど、赤福を三粒ほおばった後では既にお腹いっぱいだった。
お土産には伊勢醤油とうどん、若布に妹用の赤福、夕飯にと松阪牛コロッケ、最後に郵便局で切手を購入。
まだ日は高いけれど、昼過ぎには伊勢を後にした。
2015年1月23日 発行 初版
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1970年4月21日生