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第一章 化け猫の楽しかった思い出。それは、千年も前の事だった。
二人の男女と一匹の獣の子供は満天の星空を見る事も、はっきりと見える綺麗な満月を見る事も無く、焚き火の火を見つめていた。旅で歩き疲れたのだろうか、それにしては傷の手当てした包帯が多い。それに、包帯が新しく血が滲んでいる。まるで、今手当てをしたようだ。それだから、連れの傷の具合が心配なのだろうか、それとも、痛みを感じて、その痛みを紛らわせる為だろうか、女性は男性に話を掛けた。
「ねえ、鏡、今度は西なの、それとも東、何処に向かうの。私、西に戻って都を見物したいわ。通り過ぎるだけで、何処も寄り道もしなかったからね。思い出に残る物を目に焼き付けたいの。ねえ、鏡、いいでしょう」
「そうか、う~ん」
鏡は腕を組んで考えた。
「そうしましょう」
「なら、天猫、お前は何処に行きたい?」
「天はね。余り人が多い所は行きたくないなあ。化け猫扱いされるしね。でも、鏡兄ちゃんと静お姉ちゃんが一緒なら何処に行っても楽しいから、でも、どうしてもって言うなら北がいいかな、僻地で人が住んで居なそうだしね」
この者達は、先史文明の最後の生き残りだろう。だが、純血で無く、この地に適応するように遺伝子操作された者だろう。それでも、元の支配者だった者だ。そして、祖先から代々退治屋をしていた。まあ、現代風に言うなら探偵であり、何でも屋だ。だが、好んで退治屋をしていたのでは無い。それは、先史文明が存在していた過去にあった。出産率が低下し続け、もう種族と名のれない程まで人口が減った。その時だ。心の安らぎや全ての職業の担い手を得る為に様々な動物の遺伝子を使い、擬人を造った。それから時が流れるにしたがい、猿の遺伝子で造られた擬人だけが増え続けた。心の安らぎの為だけに造られたからだろうか、それとも、本当の自分達の子、子孫と思ったからだろう。猿の擬人に、この地上の支配権を快く明け渡した。そして、又、長い時が流れ、先史文明が在った事も、自分達と同じように造られたはずの擬人の事も忘れてしまった。それだけで無く、他の擬人を化け物と呼び恐れた。恐れたが何も出来ず逃げ回るだけだった。その様子を見かねて、先史文明の元々の地上の支配者だった者達は、退治屋として猿の遺伝子がある者を守る事を考え行動する事を決めた。それから長い時が流れ、元々の支配者の子孫は何故、擬人を倒さなければならないのか、そして、自分達の故郷は何処なのか、と全ての答えを知りたくて旅を続けていた。
「そうか、なら南に行こう」
「きょ~う、それは、何なのよ。誰の意見も聞かないって、どう言う事なのよ」
「何となくなぁ」
「何となく、それは、理由になって無いでしょう」
「理由はあるぞ」
「何なのよ。言ってみなさい」
「天猫が行きたくない方向には、何かあるって事だろう。動物の感を信じなくてはなぁ」
「まあ、南に行くなら、天と話が出来そうね。南でいいわ」
「ありがとう。静お姉ちゃん」
「天は悪くないからね。鏡が期待をもたらせるから悪いの。気分が悪いから、先に寝るわ」
そうつぶやくと、静は横になった。
「おやすみ、静お姉ちゃん」
「あっ、天、鏡が変な気持ちを考えそうだから、見張っていてね」
「うん、大丈夫だよ。見張っているから安心していいよ」
「天、そんな馬鹿、相手しなくていいぞ」
静は疲れているのだろう。横なると直ぐに寝てしまったようだ。もし、起きているのだったら苦情を言ったはず。それも、言葉でなく平手打ちくらいしたはずだ。
「静、寝たのか。そうだな、今日の獣は手強かったからな、ありがとうなぁ。おやすみ」
その言葉を聞き、天は言葉を無くした。戦いの時、恐い思いをしたのか、それとも、戦っている時に足を引っ張ったのだろう。それでも、ひと声だけ、泣き声を上げた。恐らく、ごめん、と謝ったのだろう。そう思えた。
「天も、頑張ってくれたな、これからも頼むぞ」
また、天猫は小声で鳴いた。人の言葉を話せるはずだが、難しい言葉は話せ無いのだろうか、それとも、感情が高ぶると獣の言葉になるに違いない。
「如何した。可愛い鳴き声を上げて、寒いのか、それなら、私の膝の上に来るか?」
「うん、膝の上に乗る」
「いい子だ。いい子だ」
鏡は、天猫が膝の上に来ると体を撫で回した。すると、天猫は気持ちいいのだろう。目を閉じ、猫の様にゴロゴロと喉を鳴らしていた。
「天、て~ん」
(鏡兄ちゃんが呼んでいる。ああ、あのまま気持ち良くて寝ちゃったのか?)
もう今は膝の上で無く、鏡の上着の上で寝ていた。熟睡していると思い、鏡が上着の上に寝かせたのだろう。
「ガチャガチャ」
(何か音がする。何だろう。ああ、刀や武具を身に着けている音だ。ああまだ眠いなぁ。でも起きなければ駄目だ)
眠そうにうっすらと目を開けた。やはり鏡と静は武具を身に付け、そして、焚き火の火を消していた。直ぐにでも出掛けるのだろう。
「天、て~ん、て~ん」
主人の鏡が、声を上げているが、何か変と感じた。怪我が治っているのも変だが、身に着けている武具が多い。記憶では、確か、長旅になるから鏡は長剣だけ、静は短剣と弓矢だけのはず、なのに、重装備だった。
「天、て~ん」
また、声が聞こえ、今度はハッキリと目を覚まし、主を見つめた。そして、
「うわあああ」
驚きの声を上げた。それは驚くはずだ。鏡が二人居るのだから、片方は静の隣で笑みを浮かべながら手を振っている。何故か声が聞こえ無いが、「出掛けるからおいで」そう言っているのだろう。もう片方は宙に浮いて笑っているが、ハッキリと言葉が分かる。
「やっと気が付いてくれたか、それにしても夢を見るなら、彼女とかの楽しい思い出が無いのか、私達の事を思い出してくれて嬉しいが、千年も生きてきて楽しい思い出が、私達では素直に喜べないぞ」
「えっ、ええ、千年?」
天猫は意味が分からず問い掛けた。
「自分の姿を見てみろ、念願の立派な大人の獣になっているぞ」
その言葉を聞くと子猫だった姿が、みるみると大きくなり、巨大な牙が生え、ライオンの様なたてがみが生えてきた。どう見ても子猫にも普通の生き物にも見えない。誰が見ても化け物と思い逃げ出すはずだろう。それほど、恐ろしい年老いた獣に変わった。
「あっ本当だ。強そうだ。これなら、鏡兄ちゃんと静お姉ちゃんと一緒に戦えそうだ」
自分の姿を上から見ているのに、天猫は不思議に思ってないようだ。
「それでだ。助けて欲しくて頼みに来た。他に頼める者が居ない。聞いてくれないか?」
「いいよ。今の姿なら何でも出来そうだ。前の様に助けてもらうような足手まといで無いから、安心して何でもするよ。でも静お姉ちゃんは如何したの?」
「静なら今も近くに一緒に居るぞ。その事は話が長くなるから今度ゆっくり話しをするよ」
「うん、いいよ。それで、助けて欲しい事って何かな?」
「詳しい事は会ってから話をする。まずは、山田 海と言う男の所に来てくれ、住所などを言っても分から無いだろうから、私の気をたどって来てくれ、今は、その男の守護霊として体の中に居る」
「そうなんだ」
「目覚めるまで、楽しい夢の続きを楽しんでくれ、いろいろ忙しくなると思うからな」
その言葉を聞き終わると、天猫は目を覚ました。そして、大きな欠伸の後、手足を大きく伸ばし、まるで、長い眠りの為に使わなかった感覚を取り戻そうとしているようだ。
「スンスン、スンスン」
真っ暗な洞窟の中だから臭いを嗅いで、出口を探そうとしているのだろうか、何度も何度も円を描くように臭いを嗅いだ。そして、主が居る方向が分かったのだろうか、それとも出口の方向が分かったのだろうか、そして、笑みのような表情を浮かべた。人なら満面の笑みだ。最後と思える擬人を倒す時に、共に擬人と時の狭間に落ちてしまった。その主人を千年も待ち続け、そして、夢に現れてくれたのだ。それだけでなく、念願だった主の力になれる喜びが表情に表れたのだろう。
「シャアア」
洞窟から出ると、天猫は声を上げた。千年も生きてきた老猫だから気持ちを引き締めようとしたのか、それとも、残りの命を主の為に使う。そう決めた意気込みだろう。
「グルルル。ヴァルル」
また、今度は、何か呪文のように思える声を上げた。すると、子猫としか見えない姿に変わり、歩き出した。
第二章
真っ暗な部屋に朝日が照らされたお蔭で、室内の様子が分かるようになった。影の形で判断するなら、窓側に事務用の机が一台と、その向かいにもう一台があり。その二台で部屋を半分に仕切っているように置かれ、残りの半分には応接間のようにソワーが二台と長いガラスのテーブルが置かれていた。恐らく、事務用の机は簡易台所を隠すのが目的と思えた。このような室内の影は、まあ、何処にでも有るだろう。疑問に思うのは一番長くて細長い影が有るからだ。見た感じでは人か、等身大の人形と思えば納得するのだが、洋服屋でも無いのだからマネキンと判断するのは変だ。どのように考えても物を売る店、と、言うよりも事務所だ。それなら人だろう。そう思うだろう。真っ暗な部屋にいるのは個人の自由だが、まったく動か無いのだ。呼吸をしているのかは影では判断が出来ないが、 おかしな仕草をしている。まるで突然に時の流れが止まったかのような姿だ。
そして、朝日が室内を明るくなるにつれて、それが、若い男性と分かった。はっきりと分かると、益々、その男性が人か、人形か判断が出来ない。何故だろう。そう思うはずだ。それは、左手に飲みかけの水が入っているコップを持ち、飲み終えて唇から離れて直ぐの状態だ。そして右手には、飲み終えた薬の袋を持っていた。本当に時が止まってしまったのだろうか、そう思うだろうが、そうでは無かった。正確に時間を知らせる。そう思えるほどの力強い時計の音が響いているからだ。
「ドンドン」
「俺様のお帰りだぞ。早く鍵を開けろ」
建物の玄関の方から扉を叩く音が聞こえてきた。恐らく、酔っ払いが間違って扉を叩いているのだろう。
「ん」
男は、その音と言葉を聞くと不審そうに顔を歪めた。そして、微かに身体も動き、これで人間と判断が出来たはずだ。
それなら何故、この男は病気なのか、そう思うだろうが、そうでは無かった。この男は生前に父から渡された。遺言書と書かれた本。その本の通りにしか生きられない人だった。それだけでなく、人から命令をされなければ行動する事も食事を摂ることも出来なかった。それは突然に病気になったので無く、幼い頃、いや、生まれた時から自我が無かった。乳を与えるにも、母親が手元まで抱きしめ、口元まで導かないと駄目だった。それだけでなく、最後に命令のように細々と、口の開き具合から含み加減まで言い。そして吸って飲みなさい。と、言うように指示をしないと乳も飲めない赤子だった。それを見続けて育てた両親は、歳が取れば普通の子供のようになってくれる。そう思っていたのだが、七歳を過ぎても治らなかった。その事に悲しみと息子の事が心配になり、父がある本を作成したのだ。それが、遺言書と言う。それが本の題名だ。人として生きられるように思案をして作成した。それはロボットを動かすような計算式のような内容と、全ての事柄を思案しなくても良い。辞書のような物だった。両親は、まあ、特に父親が本のおかげで人間らしくなったはず。そう思い、一万冊、いや十万冊以上と思える数を書き残していた。まあ、母は、合っても要らない物で無いから何も言わずに好きにさせていたが、本心は友達と遊んで自然と治ってくれたと思っていた。
それでも、今は、男の意識や自我は無い。そのように生まれた男を哀れと思い神が使わしたのだろうか、別の人間。いや、男の先祖で、男は生まれ変わりだった。ある男が意識を支配しながら夢を見ていた。それと同時に、友人であり旅の仲間でもある。旅の友の動物も同時に同じ夢を見ていた。まあ、それは夢と現実の合わさった物だった。
「凄く強そうな獣になった。あれを見たら静かも驚くだろうなぁ」
鏡は、身体が無いからだろう。人々の夢の中を幽体離脱のように渡り歩き続けた。そして、やっと、昔の旅の仲間だった。天猫に会い。又、子孫であり、生まれ変わりの男の身体に戻って来た。
第三章
北国にある最大の都市、その酒場通りに何をしているか分からない商いの店があった。看板が無いと言う訳でないが、有ってもペンキが接がれて読めないのでは意味がないはず。それでも、五年ほど前までは、この界隈では有名な、探偵事務所として営業をしていた。その主が依頼された事件を解決が出来ずに、そのまま四年間も行方不明になった。その間の心労で母が他界し、一年前に父が亡くなったと知らせが届いた。だが、亡くなった原因は、不明では無かった。酒を止められていたのだが、依頼の捜索している時に、酒を飲んだらしく。突然に倒れて入院していたのだ。亡くなる寸前まで身元が分からず。亡くなってから息子に知らせが届いたのだ。それから、その建物の一室は何をしているのか分からなくなっていた。常に電気が点いているから誰か住んでいるのだろう。それでも、誰か判断が出来た。亡くなった男の一人息子のはずと思われていた。その男を最近に見た者は居ないが、天涯孤独になった為に、毎日泣いているのだろう。そう思われていたから、誰も不審とも思わなかった。それでも、生きていられるのは、男の幼馴染の女性が毎日訪れていた為と、その建物の中にある数件の部屋を貸し出して、賃貸契約金が入るからだろう。そう思われていた。
「ふう」
若い女性が扉の前で身だしなみを整えていた。急いで来たようだ。寝坊でもしたのだろう。そして、頷くと扉を叩いた。だが、部屋の中からは何も返事も音も聞こえてこない。何故か、その理由が分かるかのように大きな溜息を吐き、泣き出しそうな表情を浮かべた。そして、扉を開けた。部屋の中には男性が居る。それを見付けると、嬉しそうに言葉を掛けた。
「おはようございます」
動く気配も無く、返事も返ってこない。まるで、人形のように立ち尽くしている。それも、左手にコップを持ち、口から離れた直ぐの状態だ。そして、右手に飲み終えた薬の袋を持ち、机の上にも同じ薬が入っていた袋の屑がある。それを飲んだ後だろう。また、大きな溜息を吐きながら、自分の席に腰を下ろした。机の上には書類と伝票があり。整理をしていると、柱時計が九時を知らせた。
「海さん、おはようございます」
柱時計の音に気が付いたのか、それとも、女性の言葉が自分に言われたと感じたのだろうか、コップを机に置き、何か呟いた。
「遺言書、第一巻第二章、言葉を掛けられた場合は返事をする。第一巻第一章、礼儀編、朝、昼、夜の挨拶をする」
そう真顔で言葉を吐いた。
「田中 沙耶子さん、おはようございます。今日もよろしくお願いします」
海は、女性に体を向け、深々とお辞儀をした。他人行儀の挨拶だが、二人は幼馴染だった。それで、沙耶子は、泣き出しそうな表情を浮かべていたのだった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「沙耶子さん、今日の予定は有りますか?」
「何も有りません、電話が掛かって来るのを待つだけですわ」
「そうですか」
「はい、そうです」
用件が終わり、又、海が固まると感じたのだろう。楽しそうに話を掛けた。
「海さん、今日は何が飲みたいですか?」
「ミントの紅茶が飲みたいです」
「いいですよ。それでは、席に座って待っていてくださいね」
「席、う~ん。ああ席ですね。はい、座って待っています」
海は、今始めて、席が有るのに気が付いたような感じを表した。その間、電話も来客も有るはずもなく無言のまま、ピクリとも動かず待っていた。
「お待ちしました。どうぞ」
「遺言書、第三巻第二章、あいさつ編」
「いいですよ。堅苦しい事を考えなくても、ありがとう。で、いいの。そして、美味しかったら、美味しいでいいのよ。もう少し欲しければ、おかわり。そう言ってくれたら、私も嬉しいわ。それに、それだけで意味も伝わります」
幼い子供と話をするような感じだった。
「はい、ありがとう。美味しいです」
返事を聞いて、大きな溜息を吐くが、それでも、話しが出来て嬉しそうな笑みを浮かべ自分の席に座った。そして、時間だけが過ぎて行くが、ニコニコと紅茶を飲んでいた。仕事も無く、好きな紅茶を飲んで給料が貰えるのだから嬉しいだろう。そう思うだろうが、そうでは無かった。葬式、相続税などで、海の資産は消えるはずだったが、沙耶子の父が肩代わりしてくれたのだ。亡くなった海の父と沙耶子の父は友人であり、頼まれた事もあったが、娘と幼馴染であり、娘が好意を感じていたからだ。そのような理由があるから事実上の経営者は沙耶子と考えていいだろう。
「海さん、お代わりは有りますよ。言って下さいね」
「はい、わかりました」
海は、また、カップの紅茶を飲み終わると人形のように固まってしまった。その姿を見つめていた沙耶子も、惚けているように見つめ続けた。
「はっあー」
室内には沙耶子の溜息だけが響いている。そう思われるだろう。だが、そうでは無かった。海と沙耶子が無言の時、と言うより、思考してない時や夢を見ている時は守護霊の意識が目覚めるのだった。だが、二人には、いや、普通の人には聞こえ無いが、二人と瓜二つの守護霊が会話をしていた。
「天猫に会ってきたぞ。立派な獣に成長していた」
「そうなの。早く会って見たいわね」
「昔みたいに、天猫をオモチャにしたら食われるかもしれないぞ」
「それを言うなら、鏡でしょう。寒いからって一緒に寝ていて潰されたのでしょうね。よく、ムギュと泣いて出て来るの、何度も見ていたわ」
「え、嘘だろう」
「本当よ。その姿を見たら同情したわ」
「静だって、天猫に変わったリボンとか服を着せられて、泣きそうだったぞ」
「それは嘘よ。ありがとう。そう言ってくれたわ。本当に喜んでいたわよ」
「静が恐くて、嘘を言ったのだろう」
「私が恐いって、何を言っているのよ。そんなはず無いわ」
「私は何度も愚痴を聞いたぞ。怒らせると、嫌いな食べ物を食べさせるってなぁ」
「もう、嘘よ。天に直接に聞くわ。いつ来るの?」
「静が恐くて、会うのをためらっているのかもなぁ」
「そうなの、私、天に嫌われていたの。それで、時間が掛かっているの。ゲッホ、グウ」
静かは、悲しくて、嗚咽を漏らした。
「ごめん、嘘だ。天も、静に会えるのが楽しみだって言っていた」
「だって、私、私のこと」
「本当だって、私が一人で会いに行った時、静おねえちゃんは、そう聞かれたぞ」
「そうなの」
「嘘で無いぞ。それにだ。近くに来ている。気配は感じているのだが、何をしているのか?」
「何故なの、やっぱり、私なの?」
「悪かった、私が言った事は忘れてくれ、本当に静に会えるのを楽しみしていたぞ」
「うん。なら、何故なのかな」
鏡と静が不審を感じているが、天猫は三日も前には、二人が居る建物の近くに着ていた。自分の気配を分かるように何度も気を送っていた。部屋の鍵を開けて欲しい為にだ。それが出来ないのなら窓でも開けてくれれば、部屋の中に入る事が出来る。今も、早く会いたい為に、意味が無いのは分かっていたが玄関の扉を引っ掻いていた。だが、建物の玄関であり、部屋の扉でない為に二人には伝わって無かった。
「うううっ、何で開けてくれないのだろう。俺が近くに居るのは分かっているはずなのに、何故なのだろう。ひょっとして、監禁されているのかな」
そして、又、どうすべきかと建物の周りをうろついていた。何周目だろうか、歩き疲れたのだろうか、玄関の前で丸くなり眠ってしまった。
(父さん、母さん)
寝言で判断すると、幼い時に亡くなった。二親の夢を見ているようだ。恐らく、自分の姿と同じように、父は、牙があるライオンのような大きい猫と、牙が無いだけが違う大きい猫だ。そして、時々、身体をくねらすのは、二親に身体を嘗められているに違いない。まあ、人間で例えるならば、転んで泣いているような些細な理由で、駄々をこねて、親を困らせているのだろう
「天、歩けるだろう。ご主人様が待っているのだ。少しでも早く着かなければならない。分かるだろう。天、泣き止んでくれ、もう少しで着くはずだから歩いてくれよ」
「お父さん、少し休みましょう。天、休んだら歩けるわね」
「そうだ、天、黒飴が好きだったな、黒飴か分からないが何か飴を貰ってきてやろう」
「お父さん。力を使って良いの」
母猫が不審そうに夫を見つめた。
「だから天、もう少し歩けるな。民家があったら貰ってきてやるからな」
「天、お父さんが飴を貰ってきれくれるって、だから、もう少し歩こうね」
「仕方がない、母さんや歩こう」
そう言うと、父は、息子の首を銜え歩き出した。だが、獣道から外れ、街道に入り民家の方向に歩き出した。まあ、夢だから直ぐに民家が現れたが、天も泣き続けていたのだから、どの位歩いたか記憶は無いはずだ。そして、天は飴が食べられたからか、人間に姿を見られても驚かれなかった。その驚きなのか、自分でも憶えてなかったが、嬉しくて、御主人に会うまで泣いた記憶が無く、そして、術や狩の話しを聞いたのを思い出していた。
「そうだ。催眠術を掛けて、この扉を人間に開けてもらえばいい。そうしよう」
様々な昔の記憶を思い出し、良い考えが浮かんだからか、それとも、その後の事を思い出したく無いからだろうか、直ぐに行動を起こした。
「確か、人間語で、ヴァと言えばよかったはずだ。そして、指示を伝えるはず」
誰に、術を掛けようかと、通り過ぎる人に視線を送り探していた。
「やはり、女性がいいな。それも一人で歩いている人がいい。う~ん、誰にしよう」
しばらく、キョロキョロと見ていると、一人の女性が、天猫の所に向かって来た。猫がキョロキョロしながら鳴いているから興味を感じたのか、それとも、この建物に用事があるのか、それは分からないが、天猫も、その女性に術を掛ける。そう決めたようだ。
「どうしたのかなぁ。子猫ちゃん」
(今だ)
「ヴァ」と声を上げ、そして、(術を掛かれ)そう、念じた。
「えっ」
女性は、術が掛かったのだろう。立ち尽くした。
(術がかかったかな、ええっと、ここで猫語だったはず。人間語だったかな、子供の時の記憶だからなぁ。駄目だったら人間語でやり直せばいいや)
「私の言うことを記憶しろ。我を抱え、この建物に入れ、そして、右側にある扉を叩き、我と共に部屋に入るのだ。そして、我がヴァと言ったら、全てを忘れ、帰るのだ」
と、猫語で話し終ると、「ヴァ」と声を上げた。そして、女性は
「おいで、おいで、中に入りたいのね。入れてあげるからおいで」
「にゃにゃ」
その声が合図のように天猫を抱えた。
「いい子ね、いい子ね。入れたわよ。ん、まだ、抱っこして欲しいの」
何度も、猫の頭を撫でながら建物の中に入った。直ぐに床の上に下ろすつもりだったのだろうが、衣服に爪を引っ掛けられてどうしたら良いか考えていた。
「私ね。用事があって来たのよ。仕方ないわね。一緒に行く」
「にゃ」
「そう、そう、嬉しいのね」
又、猫の頭を撫でると、扉を叩いた。表札には、山田 省吾、探偵事務所。と書かれていた。その名前は、山田 海の父の名前だ。
「変ねぇ。誰も居ないのかしら」
又、扉を叩くと、中から声が聞こえてきた」
「ああ、いらっしゃいませ。直ぐに開けます。待っていて下さいね」
「ああ、はい」
初めてのお客なのだろう。驚きもあったと思うが、対応が分からずに、沙耶子は扉を開けもせずに大声を上げた。それに、釣られたのだろう。女性も大声で返事を返した。
「いらっしゃいませ。どうぞ、中に入って下さい」
「あっ、はい。失礼します」
「にゃにゃにゃ」
「ああ、もう、抱っこは嫌なのね」
天猫を、そっと床の上に下ろした。
「うわぁ可愛い、子猫ですね」
「私の猫ではないのよ」
「そうなのですか、あっどうぞ、立ったままでなく、腰掛けて下さい」
「あっそうですね。ありがとう」
二人の女性の周りで、天猫は、何度も何度も大声で鳴き叫んでいた。
「ヴァ、ヴァ」
(何でなんだ。術を解いたのに何故、帰らない)
「あっ、そうそう、美味しい紅茶があるのです。ちょっと待てて下さいね」
「あっあのう」
「そうそう、猫ちゃんには、ミルクを上げるわね。そんなに鳴かないのよ」
そう言うと、沙耶子は、女性と天猫の様子を勝手に自分で判断して台所に向かった。そして、先に天猫にミルクを与え、三つの紅茶を用意した。
「海さん、どうぞ」
机の上に、そうっと、紅茶を置いた。
「あ、あ、り、が、とう」
「美味しそうな紅茶ね。頂きます」
「ねえ、ねえ、どのような用件で、いらっしゃったの」
海が珍しく返事を返したと言うのに、その事よりも、初めて訪れた。お客の方に興味を感じていた。
「あ、あの、その、お願いしたい事があります」
「そうなの、何でしょう」
「ええ、その、猫を探して欲しいのです」
「ねこ、猫ですか、ええ、あの、すみませんが」
「ここの探偵事務所の噂を聞いて来たのです。どんな事でも真剣に相談を聞いてくれて、解決をしてくれる。それが、子供の話でも、親身になってくれるって聞いたわ」
困った顔をされて、自分の相談を断られる。そう感じたのだろう。一気に話し出した。
「それは確かに、そうなの。ですが、その話は先代の事なのです。今は、息子が後を継ぎまして、何て言っていいか」
「お金の事を言っているのですね。猫は、私の家族です。どんなにお金が掛かろうとお金は払います。心配しないで下さい。信じられないのなら前金を払いますよ」
顔中を真っ赤にしていた。恐らく、動物の病院のように、先払いをしなくては何もしない。そう言われたと感じたのだろう。
「あああ、ごめんなさいね。お金の事ではないのです。私が言いたかった事はですね。始めてのお客さんなのです」
「はい、そうです。初めて相談しにきました。それが、何か?」
「そうでは無いのです。先代が亡くなり、息子が探偵を開業してから、貴女が始めてのお客さんなの。それで、依頼が完遂した成功例はありません。勿論、完遂するまで、捜索します。それは、心配しないで下さい。それを、承諾して欲しいのです」
「そうなの、今の話を聞いて安心しました。息子さんも優しい人なのですね。それに、本当に、私が初めてのお客なら親身になってくれそう。だって、私の依頼を完遂しだいで、これからの探偵業の宣伝になるのでしょう」
「まあ、そうなりますわね。それで、本当に宜しいの」
「はい、お願いします」
「それでしたら、このノートに名前、住所、猫の特徴、最後は何所で別れたか、詳しく記入して下さいね。あっ、それと、今写真とかありますか、あれば、お借りしたいわ」
書き終わると、バックの中から写真を取り出した。
「斉藤 恵利子さんって言うのね。一人暮らしなの。それで、帰宅して、直ぐに猫、シロちゃんを散歩に出したのね」
恵利子が写真を取り出す間に、ノートの記載を読んだ。
「違います。私は、家に閉じ込めるような飼い方はしないわ。近所に親が住んで居るから、仕事に出勤する時は、親の家に預けてきますわ」
「そうでしたか、済みませんでした」
「もういいですよ。分かってくれれば、あっ、これが、写真です」
「はい、拝見しますわね。うわあ、本当に真っ白で可愛いわ」
「ありがとう。でも、日本猫の雑種なのよ」
「可愛い物に、雑種とか血統証は関係ないわ。そうでしょう」
「そうですけど、探偵を雇う程の猫かと、言われるかと思いましたわ」
「安心して下さい。初めてのお客さんですから格安で探しますからね」
「本当ですか、ありがとう。でも」
「安心して、本気で探しますわ」
「ありがとう。お願いします」
「今日から探しますから電話を待っていて下さいね」
「はい、ありがとう。待っています。お願いします」
恵利子が、席を立ち帰ろうとした。
「あああ、ちょっと待って、この子猫どうするの?」
「そうよね。ここに置いていったら困るわね。でも、飼い猫みたいよ。たぶん、この建物の誰かが飼っている猫と思うわ。玄関の前で鳴いていたから家に帰りたい。そう思って入れてあげたの。邪魔よね。なら、私が飼い主を探しますわ。このビルと思うから」
「そう、それで、泣き止まないのね。おいで子猫ちゃん。家を探してあげるからおいで」
「待って、猫って捕まえようとすると逃げるから、扉を開けてあげたら出ると思うわ」
「そうなの、そうしますわ。ありがとう。
あっ大丈夫よ。この子猫も、恵利子さんの猫も探しますから安心してください」
「あっ、はい、済みません。お願いします」
沙耶子に深々と頭を下げた。そして、
「さよなら子猫ちゃん。もう建物から出ないのよ」
自分の飼い猫と重なっているのだろうか、何度も何度も頭を撫でていたが、探偵の仕事の邪魔と感じたのだろう。名残惜しそうに帰っていた。
「猫ちゃんもお帰り。ん、どうしたの?」
先ほどまで、敵意を感じる程の騒ぎ回っていたのに、今は、悲しい泣き声を一声上げるだけだ。そして、沙耶子を見つめていた。
「どうしたの。まだ居たいの。そうねえ、扉は開けておくから、好きな時に帰っていいわよ。お姉ちゃんは仕事があるから、またね」
そう言うと、沙耶子は机に向かった。暫く、子猫は様子を見ていたが、自分に興味を持ってくれない。そう感じたのだろう。一声泣いた。恐らく、さよなら、そう言ったのだろう。そして、悲しそうに、沙耶加と海に視線を向け扉から出ようとした。
第四章
「鏡兄ちゃんと話をしたのは夢だったのかなぁ」
天猫は、扉から出ると溜息を吐くような声で鳴いた。
「天猫、待ってくれ、全て、聞こえていた。故意に無視していたので無いぞ」
「そうよ、天ちゃん。聞こえていたわ。でも、話す事が出来なかったの。ねえ許して、お願いだから帰ってきて、昔のように楽しい話をしましょう」
沙耶加と海の意識は守護霊に変わっていた。海は、先ほどまで会話が聞こえ、ぴくぴくと体が反応していたが、室内が無言になり思考しなくなった。何故、沙耶子も、そう思うだろう。先ほどまでペンを動かし、海を動かす為の行動計画書を作成していた。それは、まるで、パソコンの計算式の指示書のような猫の捜索計画書だった。その思案から妄想に変わってしまったからだ。
「鏡兄ちゃん、静お姉ちゃん、天猫だよ。天の姿が見えていたの。ねえ、聞こえるの?」
「聞こえるぞ。今どこだ、早く部屋に来い」
「聞こえるわ。早く部屋に戻ってきて」
「うん、そうする」
千年も二人に会っていないのだ。嬉しくて声も出ないのだろう。嗚咽のような鳴き声を漏らしながら部屋に中に戻ってきた。
「鏡兄ちゃん、静お姉ちゃん、戻ってきたよ」
天猫が室内に戻ってきたが、先ほどとまったく変わってなかった。数分だから当たり前だ。そう思うだろうが、そうではなかった。二人の男女が指一つも動いてないからだ。海は、ビデオの一時停止みたいに動かず、沙耶加も、妄想に夢中で心は体の中に無い状態だった。そして、二人の男女の体の周りには陽炎のような光の屈折が、それは、鏡と静のはずだ。そして、嬉しそうに天猫は見つめているのだろう。天猫しか分からないが、はっきりと、二人の姿が見えているに違いない。それは、天猫の嬉しそうな表情で感じられた。
「鏡お兄ちゃん、静お姉ちゃん、会いたかった。うっうう、会いたかったよ。うっうう」
「泣かないの。泣かないで、私も泣きたくなるでしょう」
「ここに来るのに時間が掛かったな、何か遭ったのか?」
「それは、鏡お兄ちゃんが、扉も窓も開けてくれなかったからでしょう。酷いよ」
「そうなの、私の事ではなかったのね」
「静お姉ちゃん、どういうことなの?」
「何でもないわ」
「ねえ、なに教えて」
「もう、天ちゃん。男には分からない、女性の悩みなの」
天猫は、これ以上聞かなかった。怒らせると恐い。それもあるが、目が笑っていると感じて、冗談と感じたからだ。
「天、済まなかった。だが、自分の体も無く、この状態では何も出来ないのだ」
「そうなのよ。天ちゃん。許してね」
「もういいよ。やっと会えたし、それより、これから、どうしたらいいの」
「頼みと言うのは、この男、海は、私の一族の者だ。ひょっとしたら最後の生き残りかもしれない。それでだ。海の助けになって欲しい」
「そうなんだぁ。いいよ。そうしたら、鏡お兄ちゃんの助けにもなるのでしょう」
「私の事は気にしなくていい。海のことを頼みたい」
「俺は、海なんて関係ない。鏡兄ちゃんと静お姉ちゃんの為に来た」
天猫は、怒りを表した。
「天、落ち着いて話を聞いてくれ、私は、海が生まれた時から一緒に過ごしてきた。産声も小さく、泣いて駄々をこねる事もやらない子だった。だが、物心がつく頃になってやっと普通でない事に気が付いたが遅かった。海は、自分で考えて行動することが出来ない。と、言うよりも何も興味を感じない子だった。それでも馬鹿ではないぞ。教える事や最低の教育などは一度で憶え、決して忘れない。そして、父親は息子の将来のことが心配になり遺言書という本まで作った。その本を記憶して、少しはまともになってくれたのに、父が亡くなったのが分かると、幼い頃と同じになってしまったのだ」
「そう、それが、鏡お兄ちゃんと静お姉ちゃんに、何か関係あるの」
「もう、今では自分の息子、いや、自分の身体みたいに思えるからだ」
「だって、他の空間、時の狭間って所に、二人の身体があるはずだよね」
「たぶん、あるだろう」
「それなら、探そうよ。子供の時と違うよ。守ってくれなくても、今なら何でも出来るよ」
「もし、私の身体を探すにしても、海をまともな人にするか、最低でも、行動が出来るようにしないと、何も出来ないぞ」
「わかった。身体を手に入れる為だね。なら、真剣に手助けするよ。ねえ、鏡お兄ちゃん。また、昔みたいに旅をしよう。今なら、二人を背に乗せて走れるよ」
「そうだろうなあ」
鏡は一瞬微笑んだ。天が大人になったと感じたのか、それとも、なにか思惑があっての微笑みだろうか、それは、鏡にしか分からない。でも、喜んでいる。それは確かだった。
「そうなの、私達を乗せるくらい大きくなったのね。乗ってみたいわね」
「いいよ。乗せてあげる。でも、落ちないようにしてよね。怪我をしたら困るから」
「天、私が、それ位の事で、怪我をすると思っているの」
「よかった。昔の通りの、天の知っている、静お姉ちゃんだ」
「そう、褒められたと思うわね。ありがとう」
「これから、何をしたらいい」
「そうだな、先に、沙耶加を正気に戻さないと駄目だ」
「そうねえ、早く、海を動かす為の行動計画書を作成してもらわないと駄目ね」
「どうしたらいい」
「騒いだり、ひっかいたりしたら目覚めるだろう」
「女性の身体に傷を付ける。そんな事冗談でも言う人だったなんて信じられないわ」
「なら、静お姉ちゃん。どうしたらいいかな」
「そうねえ。肩に上って耳元で鳴いてみたら、どうかな」
「鏡兄ちゃんの考えよりいいね。それ、やってみるよ」
即、机に跳び、そして、肩の上に跳び上がった。何度も耳元で鳴き声をあげているが、起きるようすがない。それでも、何やらぶつぶつと呟き始めた。天猫は、起きる前兆と思ったのだろう。声に驚き足を滑らせた。必死に落ちないように我慢したが、女性の象徴にしがみ付くと言うよりも乗っていた。
「いやぁ」
沙耶加は、顔を赤らめた。身体の感触から夢の内容が変わったのだろう。夢を見る事は出来ないが想像は出来る。恐らく、幼子の男女がブランコに乗っていたのが、突然、今の歳になり、公園の芝に押し倒された。そんな夢に変わったはずだ。
「やめてよ」
男性が、その人物は海だろう。その手が胸に触る。身体の感触は天猫の後ろ足の感覚だ。
「やめて、馬鹿」
猫と思ってない。好きな男性だが、心の底から恥ずかしくて平手で頬を殴っていた。それと同時に現実世界では大声を上げ、目を覚ました。
「あああ、私寝ていたのね。早く、行動計画書を作成しなくては駄目だわ」
「あら、猫ちゃん。机の上に上がっては駄目よ。大事な物なの」
天猫は、沙耶加が目覚めると机の上に飛び移っていた。
「にゃ」
「いい子ね」
そうっと、天猫を抱き床の上に下ろした。そして、もう、先ほどのような妄想でなく、歩数や町の方向などの数式の為だけに思考が働き、行動計画書を作成することに集中した。書き終えるのは数時間後、正午を知らせる時計の音が鳴るまで掛かった。
「天、出来上がったようだな。また、暫く話が出来なくなるが、後は頼んだぞ」
「にゃにゃん」
(大丈夫だよ。任せて)
天猫は鳴き声を上げた。その意味は、鏡だけが分かった。
「何を鳴いているの。お腹が空いたのね。今、作るから一緒に食べようね」
「にゃ」
「そう、嬉しいのね。でも、猫って何を食べるのかしら、ああ、それよりも、海に行動計画書を暗記して貰わなければならないわ」
沙耶加は楽しそうに猫と話をしていたが、突然に真剣な表情になると、書類と持ち、海に視線を向けた。顔を見ると微笑んだが、何も変わらない表情を見ると、悲しみと思える表情を浮かべた。そして、大きな溜息を吐くと机の上に書類を置いた。
「海さん、正午になりましたよ。直ぐ昼食は作りますが、出来上がるまでの間、この書類を見てください。初めての仕事ですから頑張って下さいね」
静の声を聞くと、耳だけをピクピクと動かしながら思案しているようだ。
「遺言状、第一巻第二章、言葉を掛けられた場合は」
「いいのよ。海さん、ただ、はい。でいいの」
「はい」
沙耶加は、海の言葉を遮った。そして、海は意味が分かってないような返事を返した。
「でもね。次のように言ってくれるなら食事の後でもいいわよ。
ゴホッン。沙耶加の料理を待ちながら資料を見る。それは、耐えられない。匂いや何の料理かと思うだけでも思考が出来ないのだからな。それほど沙耶加の料理は美味だ」
海の声色を真似て呟いた。
「はい、沙耶加の料理を待ちながら」
「もう、いいわ」
海の感情が感じられない言葉を聞き、涙を浮かべた。
「二通りの命令は、どちらを優先したら良いのか、良いのか、遺言書、ゆい、ごん、しょ」
「ごめんなさい。私が悪かったわ。資料を読んでいて、げっほ、ぐっふ」
沙耶加は、あまりの悲しみの為に嗚咽をもらした。それでも、海が料理を食べる時の美味しそうに食べる表情を見たい為に料理を作り始めた。だが、海は、その事にまったく気が付かずに、資料を記憶する事に集中していた。それほど、集中する程の事が書かれているのか、そう思うだろう。普通の人なら始めのページで嫌気を、いや、馬鹿にされたと感じて怒りを感じるはずだ。何故、そう思うだろう。それは、まるでパソコンの計算の指示書のようだったからだ。例えばだが、三歩だけ歩くだけでも、片足を上げる速度から角度、高さと指示書に書いてあるからだ。そして、二人と一匹は食事を食べ終え、ゆったりと紅茶を飲んでいる時だ。突然に、椅子を倒し、海が立ち上がった。
「如何したの、海さん」
「十三時です。行動しなければなりません。十三時です」
壊れた再生機のように何度も繰り返していた。
「海さん。まだ、いいのよ。そうねえ。全ての計算の指示書を三十分後に修正しなさい」
「はい、三十分後に行動します」
「はっああ、幼稚園の時なら面白い人って思ったけど、もう記憶は戻らないのかしらね」
二人の両親が知り合いで、幼い時から共に遊び、学んだ。静と一緒にいろいろな経験と遺言書で、普通の人と同じようになったのだが、最後の肉親、父が亡くなると、知り合った当時の状態に戻ってしまった。だが、海の父は、別に不審な亡くなりでは無い。過労と酒の飲みすぎからだった。それでも、家の中や病院で、息子や知人に看取られてでは無かった。浮気調査をしている時、医者に止められていたのに酒を飲んで発作が起こったのだ。
「海さん、行くわよ」
扉を開けたまま、手を振って本当に楽しそうだ。
「はい、分かりました」
「海さん、部屋から出るのは久しぶりでしょう」
「久しぶりとは何日間の事を言うのでしょうか?」
確かに、部屋から出なかった日時は、今日で三百八十一日です」
「おおお、日数を数えていたの。何も興味がないと思っていたわ」
沙耶加は驚きの声を上げた。
「止めてください」
突然に海が叫んだ。
「えっええ何を、如何したの」
「扉を閉めるのは、私の役目です。指示書に書いてありました」
「ああ、そうね。お願いするわ」
海は、子供が始めて部屋の鍵を貰った時のように、十分過ぎるくらい確認をし終わると、沙耶加のほうに振り向き、うなずいて確認の終わりを知らせた。
「終わったのね。なら行きましょう」
沙耶加は、海の確認の知らせを聞くまで、くすくす、と笑っていた。我慢して真顔にしたのは、海の気持ちを考えてだろう。でも、その感情が分かるのは、まだ無いはずだ。
「はい、捜索を開始します」
「猫ちゃん、家を探してあげるからおいで」
「ニャ」
「そう、嬉しいの、そうね。家に帰れるのだからねえ」
そう、つぶやくと猫を抱え歩き出した。そして、歩いているのか、止まっているのか分からない動きをしている海に声をかけた。
「待っていてくれたの」
「遺言状、第一巻第二章、言葉を掛けられた場合は返事をしなければならない」
「え、私、考えないと分からない事を言った?」
「私は、指示の通りに行動しています」
「あああ、そうなのね。海さん、指示書の全ての行動速度を三十五パーセント上げなさい」
「はい、分かりました。そう変更します」
沙耶加は、海が待っていてくれた。と喜んだが、その動きはナマケモノの動物と同じ動きだった。その事に恥ずかしいような怒りのような複雑な気持ちだった為に、つい、怒りを表し大声を上げたが、それでも、普通の人の歩き回る速度には足りなかった。
「海さん、指示書の全ての行動速度を、更に五十五パーセントまで上げなさい」
そして、海の確認の声が聞こえ、二人は並んで階段を上がった。
二階の一号室に着くと、沙耶加は、そのまま通り過ぎようとした。だが、海は扉を叩く仕草に気が付くと止めさせた。
「この部屋は空き家だから調べなくていいわ」
「はい、その指示に従います」
そして、海はまったく感情が感じられない言葉を返した。沙耶加は、その言葉を聞くと大きな溜息を吐きながら二号室に向かったが、恐らく、指示書に書いてなくても空き家なら、そのまま通り過ぎてくれる。それを期待したのだろう。
「二号室に行くわよ。今度はお願いね」
二人は扉の前に着き、トントンと、海は扉を二度叩いた。「は~い」と女性の声が聞こえるが直ぐには出てこない。海は、その叩いた仕草のまま指示書に書いてあるように人が出てくるのを待っていた。
「海ちゃんね。久しぶり~元気だった。如何したの、何があったの」
部屋の主は、驚きのような表情を浮かべた後、不安そうに尋ねた。
「はい、済みません。用件があって伺いしました。猫を飼っているか調べているのです」
「えっ、ペットを飼ってよかったのですか、確か飼っては駄目でしたよね」
「遺言状、第一巻第二章」
「ああ、その猫の飼い主を探しているのね。私の猫ではないわよ」
海を幼い時から知っているから驚きもせず、笑みを浮かべて答えてくれた。このように二人は三階まで有る。残りの九部屋を訪ねたが、飼い主が見つかるはずが無かった。
「仕方が無いわね。部屋に戻りましょう。猫ちゃんは、何時でも出られるように窓を開けておきましょう。そうすれば自分の家に帰ると思うわ」
「はい、指示に従います」
「仕方が無いわよ。落ち込まないで、捜索願の猫と一緒に探しましょう」
海は感情が無いのだから落ち込んでいたのではない。それでも、沙耶加は自分が落ち込んでいた為に、海も落ち込んでいる。そう、思ったからだった。
「ん、どうしたの。抱っこに飽きたの?」
天猫は、大人しく沙耶加に抱っこされていたが、全ての部屋の捜索が終わると、話も出来ないし、有るはずの無い。自分の家を探すって言う馬鹿ばかしい事に疲れたのだろう。さっさと階段を降りてしまった。
「うああっあああうわああ」
沙耶加は、天猫が階段を降りる姿を見ると声を上げてしまった。それもそうだろう。転がり落ちると思うぎりぎりの角度で降りて行くからだ。
「沙耶加さん、悲鳴を上げて、何が怖いのです」
海は頭で思考してから行動をするのだが、今は違った。悲鳴と感じて体が反応したのか、それとも、心の微かな隅にでも好意を感じている思いが残っていたのだろう。その理由は海の表情から判断が出来ない。だが、沙耶加は心配してくれた。行動指示に書いてない。人間らしい行動をしてくれた喜びで抱きついてしまった。
「ありがとう。ありがとう。正気に戻ってくれたのね。よかった。うっうう」
あまりの喜びで嗚咽を漏らしていた。
「遺言状、第一巻第三章、女性の涙を見た場合。話を聞き、そして助けなければならない」
「もう馬鹿、部屋に帰るわよ」
海よりも、その父に怒りを感じた。遺言書の中身は子供の作り方まで書いてあるのではないか、そして、その睦言の内容まで書いてあるに違いない。そう思ったからだ。
「はい、その指示に従います」
「今日は行動する予定はありません。休んで下さい。明日からの、猫の捜索計画書は、遅くても明日の昼までは作成しますから安心して下さい。
それから、海さん。明日から町内を捜索しますからいいですね」
「遺言状」
「はい、それだけでいいの。わかった」
「はい、その指示に従います」
海の返事を聞かずにさっさと階段を降りてしまった。そして、部屋に入ると無言で、部屋の片付けを始めた。普段なら、海を正気に戻す為に介護任とも思える。いや介護任と家政婦のような仕事をして帰るのだが、握り飯だけを机に置き帰ってしまった。余程、先ほどの言葉に怒りを感じたのだろう。女性の涙を見た時の対処方法まであれば怒りを感じても仕方がない。もし、あの言葉を聞か無かったとしても、本当に正気に戻った心の底からの喜びから、治ってなかった事の落差で悲しみなのか恥ずかしいのか自分でも分からなくなってしまい。そして、怒りに変わったはずだろう。
第五章
次の日、昨日の自分の気持ちも冷め。握り飯を食べているのか気がかりで、普段より早めに探偵事務所に向かった。だが、一人になれば思考しなくなり鏡に代わる。そうなれば自由に体を動かす事は出来ないが、体の機能維持の本能だけなら体を動かすことが出来る。だが、その事は知らないのだ。扉の前に立つ沙耶加は、顔色が青ざめているのは急いで着た為ではないだろう。
(お願い食べていて)
そう思いながら扉を叩いた。
「おはようございます」
挨拶をしながら部屋に入った。何時ものように返事は無い。それでも、今日は椅子に座っていた。そして、机に視線を向けると、おにぎりは無く、空になった皿が目に入った。
(食べてくれたのね。よかった)
そう思い。暫くすると何時もの挨拶をしてくれた。
「海さん、今日は何が飲みたいですか」
「コーヒーが飲みたいです」
「はい、ミントの紅茶ですね。分かっています」
「コーヒーです」
「えっええ。コーヒーですか、はい、少し待っていて下さいね」
驚くのは無理がなかった。前の海なら気分によって飲み物を変えていただろうが、今のような状態になってからは、ミントの紅茶しか頼まなかったからだ。驚きはしたが、普段と違う行動や言葉は前に戻る前兆と思い嬉しかった。だが、今頼んだのは鏡だ。海が治る前兆か分からないが、原因は昨日の沙耶加の言動だろう。沙耶加がおにぎりだけを置いて帰ってしまったから悲しかったに違いない。確かな感情は無いだろうが、心の隅に少しずつ人間らしい感情が積み重なっていたのだろう。それが砕けたのかもしれない。
「お待たせコーヒーですよ。どうぞ」
「遺言状」
沙耶加の言葉を聞くごとに鏡から海へと意識が移りだし、海に変わった。
「ありがとう。それだけで意味は伝わりますよ。私は行動計画書を作成しますからゆっくり飲んでね。お代わりが欲しい時はお代わり。そう言って下さいね」
「ありがとう。頂きます」
室内は無言になり。海が飲み物を飲むにしたがい、鏡に意識が移りだした。ただのコーヒーだが、心がこもっているのが感じたのだろう。海は安心したように感じられた。
「て~ん、天、出て来てくれ、何処に居る?」
意識が鏡に変わったが、先ほどのように声を出す事は出来なかった。恐らく、沙耶加がいるから、そして、普段のように優しくしてくれるから以前の気持ちに戻ったのだろう。
「にゃあ~」
(居るよ。何かな、鏡お兄ちゃん)
本棚の隅にある段ボールの中から鳴き声を上げながら出て来た。恐らく、寝ていたのだろう。その鳴き声が聞こえると、沙耶加は手を止め席から立ち上がった
「ああ猫ちゃん、ごめんね。ご飯忘れていたわ。直ぐあげるわよ」
沙耶加は、天猫が美味しそうに食べるのを確認すると、又、机に座り作成を始めた。
「にゃ、にゃあ」
部屋の中は猫の声だけが響き、鏡と天猫だけが分かる話をしていた。
「あのなあ。天」
「鏡お兄ちゃん、言いたい事は分かるよ。あの猫を捜せばいいのでしょう」
「それも、そうなのだが、天、寝ている時間が多いのは気のせいなのか、身体が悪いって事は無いのか、チョット心配でなぁ。大丈夫なのか?」
「鏡お兄ちゃん。猫は寝るのが仕事って聞いたこと無いの」
「そうかあ。だが、無理だけはするなよ」
「大丈夫だって、ちょっと近所のボス猫にでも聞いてくるよ」
そう言うと、天猫は逃げるように窓から外に出て行った。すると室内は無言となった。勿論、鏡も相手が居無いからだろう。無言で沙耶加の様子を見つめていた。
「公園でも行ってみるか、恐らく、公園ならボス猫がいるだろう」
堂々と自分が一番強い。そう思わせるかのように尻尾を垂直に上げる。この姿を見れば猫なら興奮か怒りを感じるはず。でも、この時間の飲み屋街では猫も人も居ない。そのまま堂々と歩き続け予定の公園に着いた。すると何かを探すように辺りを見回し、そして、大きく息を吸い。そのままの大きく開いた口で叫び声を上げた。その泣き声はまるで発情期の猫の鳴き声によく似ていた。暫くすると「シャー」と威嚇の声を上げながら猫が現れた。野良とは思えない丸々に太った灰色の猫だ。だが、汚れてなければ真っ白い猫に違いない。この猫は可愛いメス猫が来たと思ったのだろう。出て来たが、オス猫と気づき餌場を荒らす猫が来たと感じたはずだ。
「お前は、この近辺のボスか、なら話がある」
「うるさい。黙れ」
そう叫ぶと、天猫に襲い掛かった。だが、天猫の右の平手打ちで十メートルは飛ばされただろう。そして、直ぐに起き上がり人間なら土下座と思う様子を示した。
「貴方は天猫様でないでしょうか、主人が次元の底に落ちたが、戻ると信じて待ち続けた。伝説の最強の猫ですね」
「え、確かに天猫だが、それ程、俺は有名なのか」
「有名なんて言葉では足りません。猫の守護神とも神の使いとも言われています」
「そうなのか」
「そうです。それで、話があるようですが何でしょうか」
このボス猫は、いや全ての猫と言ったほうがいいだろう。負けると伝説の名前を言うのが普通だった。相手に敬意を払うと言うか、完全に負けを認める言葉として使われていた。
「ああそうだ。メス猫を捜している。名前はシロ、親から命名された名前は知らない」
「それだけですか」
「飼い主の名前は、斉藤 恵利子と言う。恐らく、飼い主が嫌いで逃げたのだろう。だが、帰ってきて欲しい。まあ、直ぐに逃げてもかまわないがなぁ」
「ううん、見つかれば説得はします。それと、もう少し、猫族としての特徴は無いですか」
「そうだな。猫族の古い種族分けは知っているか?」
「ああ分かります。動物の名前で十ニ種族に分類していたのですよね」
「そうだ。写真で見た感じでは、ネ族と、トラ族の混血と思えた」
「ネ族とは珍しいですね。それなら、二匹ですが心当たりがあります」
「おお、会わせてもらえないか、それはメスか」
「一匹は私です、もう一匹はメスです。夕方には寝床を探す為に現れるはずです」
「夕方か、俺は一度帰らないと行けない。必ず戻って来る。引き止めておいてくれないか」
「はい、わかりました。天猫様、お待ちしています」
「済まない」
本当に済まないと感じているのだろう。深々と頭を下げると、また、堂々と力を誇示するかのように探偵事務所に向かった。そして、同じように窓から戻ると、沙耶加は食事の用意をしていた。天猫は時間が思っていたよりも過ぎていたからだろう。驚きなのか、それとも謝っているか一声だけ鳴いた。
「猫ちゃん、お帰り。今ご飯上げるから待っていてね」
ニャと鳴き声を上げた。
「良い子ね。返事が出来るのね。直ぐだから待っていてね」
天猫は返事を返したのでは無かった。鏡を呼んだのだ。
「天、何かあったのか?」
「探している猫に会えるかもしれないよ」
「おお早いな。もう探し出したのか」
「夕方になれば公園に来ると言われたから探しに行かなくてもいいよ」
「そうかあ、だが、伝える事は出来ないからな」
「仕方ないか付き合うよ。どうせ海のリハビリの為に猫を捜すのでしょう」
「済まない」
「気にしないでいいよ。あの二人では探し出す事は出来ない。俺が何とかしないとなぁ」
天猫が鳴き止まないからだろう。料理の手を休め、先に天猫に食事を渡した。
「お腹が空いているの。仕方が無いわね。先にあげるからね」
天猫は又、鳴き声を上げていた。
「食べていいのよ。でも本当に頭がいいわね。頂きますまで言うのね」
そうではなかった。
「鏡お兄ちゃん。俺一人で夕方になったら公園に行って会ってくるよ」
「頼む。何故、逃げたか理由も聞いてきてくれ」
「いいよ。聞いてくる」
そう言うと天猫は食事を少し食べ始めた。まあ猫の体で考えれば可なりの量だろう。食べ終えると、もう要らないと言う意味だろう。ガリガリと爪を研ぐように床を引っ掻いた。
「もう要らないのね。分かったわ。ハイハイ、本当に頭がいいわね」
本当に嬉しそうに頭を撫でた。そして、天猫は満腹なのだろうか、それとも、歩き疲れたのか、ふらふらと歩き、ダンボールの中に入り寝てしまった。
「あらあら猫は寝るのが仕事だって言うわね。私も食事を済まして作成しないとね」
黙々と行動計画書を書き始め、終えたのは三時を回っていた。心底から疲れたのだろう。大きな溜め息を吐いた後は、直ぐには海に計画書を渡さずにお茶の用意を始めた。勿論、海に何が飲みたいか聞いた後だ。
「海さん、飲みながらでいいから話を聞いてね」
「遺言」
海の言葉を遮ると、又、話を続けた。
「聞いているだけでいいわよ。あのね、今から渡す計画書は三日間の行動の予定なの。それを全て記憶して欲しいわ。海さんなら出来るはず、でもね。心配なのは計画書の通りに行動するよりも、危険を感じたら自分の身の安全を優先して欲しいの」
「はい、その指示に従います」
まったく感情が感じられない返事を返した。
「飲み終わってからでいいわ。これだから読んでいてね」
海がうなずくと、机の上に書類を置いた。
「沙耶加さん、全て記憶しました」
海は声を上げた。「えっ」、と沙耶加は声を上げはしなかったが、直ぐに時計に視線を向けた。予定していた時間より早いからだろう。本当に読んだのか。そう感じて、一瞬だが疑いを感じる視線を向けたが、誤魔化す事があるはずがない。まあ、嘘でもつく感情があれば、こんな書類を作成しなくてもいい。それが分かるからだった。
「そう、読み終わったのね。なら気分転換に公園に行きましょうか」
「遺言状、第ニ巻」
大きな溜め息を吐くと、苦笑いのような笑みを浮かべ返事を返した。海が不審を感じて何かを言う。そう感じて、自分が何か変な事でも言ったのかと言葉を待った。
「第一章、意味が分からない事は悩まず。再度、聞き直すか、問い掛ける」
「え、如何したの、私が何か変な事でも言ったの?」
「気分転換の意味が分かりません。もし、私が想像している意味だとしても、公園に行く事に意味があるのでしょうか」
「あのね。部屋から出てないでしょう。だから、公園で何も考えないでお日様に当たって、森の中で美味しい空気を吸いましょう。気持ちがいいわよ。そう言う事よ」
「美味しい空気、美味しい空気?」
「ん、海さん、どうしたの」
「遺言状」
「海さん。行動計画書、第一計画を五分後に始めます」
「はい、その指示に従います」
沙耶加は怒り声を上げてしまった。先ほどと同じ事を聞かれる。そう感じたからだ。それでも、言い過ぎたと思い言葉を掛けようとしたが、自分で時間を決めた事を思い出し、急いでお茶の片づけを始めたが、海が時間になった事を知らせて来た。それは全てを流し台に入れ終わると同時だった。
「ふっ終わった。行きましょう」
「指示の通り行動を始めます」
そう答えると、海は即座に行動した。その後を沙耶加は猫を抱えながら部屋から出たが、建物の玄関を開けた時だ。海がビクビクと怯え。辺りを見回しながら不審そうに音を聞き取っていた。
「如何したの、行きましょう」
沙耶加は、海の様子が変だと感じて声を掛けた。
「このような状態では危険で歩けません」
「え、なんで」
「指示の通りに自分の安全を考えると、今すれ違った人が殴って、いや蹴りかかって来る可能性もあります。もし、刃物などで襲い掛かって来られたら避けられません」
「考えすぎよ。大丈夫だから行きましょう」
「なら動く鉄、確か車と言われているはず。あれが、私達に向かってくる可能性も」
「もう、又、幼稚園の時と同じ事を言うの」
どの様にしたら良いのかと、いろいろ考えていたら昔の事を思い出した。
(もう、あの時は幼かったから出来たのよ。今では恥ずかしくて出来ないわ。それに、男女が腕を組みながら歩くのは、女性が男性を引っ張って歩く事では無いわ。あれは、女性が楽しそうに男性の腕を組み、そして、頭を腕に付けうっとりしながら男の顔を視るの。男性に全てを任せる。そう言う風にするものよ。男性を引っ張って歩いたらお嫁に行けなくなるわ。まあ、海さん以外と結婚する気持ちは無いけど、でもね。やっぱり嫌だわ)
沙耶加は妄想で完全に我を忘れていた。顔は火照り赤くなり、目じりを垂れ下がっていた。その表情を見て、海は信じられない行動を取った。何も思考してないのに行動したからだ。何の感情か自分でも分かって無いだろう。でも、沙耶加が死んでしまう。そう真剣に思ったはずだ。突然に手を掴み、その場に座らせた。それでも沙耶加は正気に戻らない。
「沙耶加さん、確りして下さい。余りにも音がうるさくて理性をもてなくなったのだな。ああ、それと併用して排気ガスで呼吸が出来なくなったのか、大丈夫だ。私が何とかする。だから決して寝たら行けない。寝たら死んでしまう危険があるのだぞ」
沙耶加は話の途中で正気に戻ったが何が起きているのかと、想像も出来なくて何も言えないでいた。でも、頬を叩かれ、余りにも訳の分からない事を言われ、恥ずかしくなったのだろう。海の頬を殴って建物の中に引き返してしまった。
「あっ」
建物に入って直ぐに、自分を心配してくれての行動だと思い。だが、恥ずかしいのだろう。戻る事は出来なかった。その時だ。天猫が暴れて腕に噛み付き、引っ掻かれた。つい手を離してしまったが、猫が外に出るのを止めようと追いかけた。
そして、海の顔を見ると猫の事は忘れてしまった。
「ごめんなさい。私は大丈夫だから公園に行きましょう」
「はい、その指示に従います」
もう先ほどのような自我は表してくれなかった。
「如何したの、行くわよ」
沙耶加が何度も同じ事を言っても、同じ返事を返すだけで動こうとしなかった。
「ああ」
沙耶加は突然に右手を上げて指を鳴らす仕草をした。音は鳴らなかったが、何か良い考えでも浮かんだのだろう。
「海さん、見える物や聞こえる音の危険度、安全度を考え全てを記憶するのです。そして、最大の危険度を感じたら即座に自分の安全を守りなさい」
子供や犬や猫のように物や餌で気持ちを変えさせられる。微妙に違うだろうが、思考や恐怖を感じる事を記憶する事で紛らわそうと考えたのだ。だが、動こうとしない。仕方がなく海の手を引っ張った。一歩だが踏み出すと安全だと感じたのだろう。それからは行動計画書の通りに歩いてくれた。その後を天猫は尻尾を振り振りと楽しそうに歩き出した。そして、海が考えた危険などあるはずも無く無事に公園に着いた。
「海さん、着いたわね。ねえ、ここの滑り台で遊んだ事を憶えている」
沙耶加は、久しぶりに海の微笑みを見て喜んだ。
「憶えています。今までの全ての事は記憶しています」
「まあ、本当なの。そうよね。そうだと思っていたわ。だって遺言書だけ憶えているなんって変だと思っていたのよ。よかった安心したわ」
余りの嬉しさで沙耶加は声を上げたが、海の話は続いていた。
「指示の通りに全てを記憶しています。行動計画書と今までの記憶を重ねれば何の問題もなく行動が出来ます。心配でしたら一人で帰ってみせますが、勿論、貼り紙も出来ます」
「いいわよ。行動計画書の通り進めます」
沙耶加は涙を浮かべた。これでは人間ではない。そう感じたが、部屋の中にいる時より、今の表情は笑みを浮かべているようにも思えた。それを見て、
(楽しいのね。よかったわ。私以外に海の支えになる人はいないのだから頑張らないとね)
その後、尋ね猫と書かれた紙を貼りながら帰ったが、何事も無く事務所に戻った。
沙耶加は、海の事だけを考え、そして、悩んでいた為に天猫の事を完全に忘れていた。顔の表情で判断すると、まるで事務所に着き鳴き声で思い出したような感じだ。
「本当に頭の良い猫ちゃんね。抱っこが嫌だったから放したけど、大人しく後を着いて来ていたのね。驚いたわ。お腹が空いたのかな、待っていてね」
天猫は水と食事を急いで食べると窓から出かけた。探している猫が公園に来るからだ。その姿を、沙耶加は見つめていたが時間を知らせる音が聞こえると、何時もの夕飯などの用意をして帰宅した。
第六章
天猫は待ち合わせの時間にあまり気にしてないように思えた。恐らく車や人など避ける為に慎重に歩いている為か、猫神と言われた事で威厳を感じる歩き方をしたいのだろうか。そして、可なり時間が過ぎて公園に着いた。
「おお猫神様、お待ちしていました」
強さを感じる堂々とした歩き方で、野良ボスの前に現れた。
「それで、あの猫は来ているのか?」
「はい、今日の寝床を探しています」
「そうか、ああ縄張りがあるからな飼猫では探すのが大変だろう。仕方が無い。私が間に入ってやろう。まあ、そうすれば野良になりたい理由も話してくれるだろう」
「まあ、その」
「ん、如何した?」
「まあ、あの猫に会えば分かると思います」
野良ボスは何かを隠しているように思えた。それでも、微かに笑みを浮かべているのだ。身の危険は無いはずだろう。そう考えた。
「それで何処に居るのだ」
「滑り台に居るはずです」
大きな溜め息を吐きながら答えた。思い出したくも無い事を思い出したのだろう。
「そうかあ、寝床には適さない所だな。まあ、飼い猫では仕方ないか」
「自分は、そろそろ寝ます」
「ああ済まなかった。本当にありがとう。おやすみ」
二匹は別々の方向に分かれた。天猫は滑り台のある公園の中心に、野良ボスは木々が多くある公園の隅の方に歩いて行った。
「何だ。何を騒いでいるのだ」
一匹や二匹ではなく大勢のオスとメスの騒ぎ声が聞こえてきた。それは、滑り台がある遊戯場がある方に近づくにしたがいハッキリと聞こえてきた。
「何をしているのだろう」
天猫は驚きの声を上げた。一匹の猫が滑り台の上から声を上げているからだ。まあ猫では想像が出来ないだろう。人間で例えるならば偉そうに胸を張り、高笑いを上げながら指示や苦情を言っているのだ。そして、階段の下に居た猫が、階段を上がり頂上の猫に何かを差し出していた。そして、何匹かの一匹は滑り台から蹴り下ろされていた。恐らく、気に入らない食べ物でも持って来たからに違いない。
さらに天猫は近づいた。すると、この場の秩序を守ろうと指示をしている黒猫がいた。そして、その猫の元に行き全てを話した。
「あああ、その猫なら確かにシロ様です。ですが、好んで野良になりたくて家出したのでは無いのです。主の弟が変な病気に罹ってしまったのです。一番遊んでくれたのが弟さんらしくて治す為に神の見使いを探しているのです」
「そうなのか」
「それも、自分の為だけで無いのです。我々の元の主や野良に優しい人達まで病気に罹り、その人達の病気まで治す為に探してくれているのです」
「それで会えたのか」
「いいえ、まだです」
「そうかあ、それで、シロさんに会わせてもらえるのかな」
「うう、シロ様はお疲れで、これから休まれる予定ですので、お引取り願います」
そう答えた後は沈黙が続いた。本当に体の事が心配なのだろう。それに、自分では決められないのも確かだった。
「オオホホホ、私に会いたいのね。二号いいわよ。会いますから上に通しなさい」
高笑いをあげながら言葉を掛けた。だが、何か勘違いと思える。そんな考えをしているような様子だ。天猫は、何も気が付いてないようだ。そして、ゆっくりと階段を登り、シロの前に立った。
「私がシロよ。オホホホ、貴方は何を持ってきて、私の気を引こうとしたのかしら」
「え」
天猫は意味が分からず驚いた。
「何も持ってきてないように見えるわね」
「何を言っている意味が分からないぞ」
「私と話がしたいなら美に関係がある物を持って来る事ね。出直しなさい」
「俺が来たのは、何故、家出したかだ。だいたいの理由は、タマに聞いたが帰れないのか」
「人間の医者が役立たずだから、私が御主人様の病気を治すために行動しているのです」
シロは楽しそうに話をしていたが、天猫の言葉を聞くと怒り声を上げた。
「え、御主人様だと、俺は、お前の御主人から依頼されて来たのだぞ」
「ああ御主人様のお姉さんね。あの人は違うわ。美を求める同士みたいな者よ」
「同士?」
「そう、美にしか興味が無いの。私にもオモチャのように飾られたわ。でも、今では綺麗になるのは楽しいわ。だって、御主人様が綺麗だって言いながら撫でてくれるわ。それに綺麗になってからはもっともっと遊んでくれるようになったのよ」
「それでだが、どのようにして病気を治そうとしているのだ」
「私の曾祖父の話では創造主に会えたら、どんな願いも叶うって聞いたわ」
「ほう、その話を詳しく聞かせてくれないか」
「話をしたら、私の邪魔はしませんね」
「邪魔はしない。もしかしたら手を貸せるかもしれない」
「ありがとうございます。曾祖父の話は代々語り継がれた話です」
「そうかあ。聞かせてくれるか」
「私の先祖は神官で、あの伝説の天猫神の両親の友人でした」
(ほう、私の両親の事なのか)
そう考えたが、天猫は話を遮ると思い、口には出さなかった。
「同じ村の住人で、私の先祖は神官で、伝説神の両親は戦士だったと聞きました。伝説として名前は残していませんが、当時の猫族では最強だったらしいのです。共に猫族の為なら命を捨ててもかまわない。そう誓ったと語られています。ですが、私の先祖はお告げを聞き、天猫神の両親は創造主の居る地に向かった。何か使命を託されたのでしょう。その内容は伝わっていません。帰ってきませんでしたし、先祖も神のお告げだった為に話す事は出来なかったらしいのです。それでも先祖は、あの家族は猫族の為に行き、創造主の願いを叶える為に命を掛けたはずだ。そして、創造主に会えるだけでも、どのような願いも叶うのに、その見返りは、自分の家族の願いよりも村の為、猫族の為の願いを言ったはず。そのお蔭で村は幸せに暮らす事が出来たのだから忘れてはならない。そう語り継がれているのを、曽祖父から聞きました」
「ほう、そうなのか」
「私は、私は、創造主に会えれば願いが叶う。そう思い出したから、それで、御主人様の病気を治してもらうのです」
「理由は分かった。それでどうやって探しているのだ」
「語り継がれた話しでは、創造主は自分と同じ姿の物に心が宿っているらしいのです」
「そうかあ」
「でも、同じような物が多くて、どれが創造主の姿を現しているのか分からないのです」
「そうかあ、私達なら探し出せるかもしれない。普通と違う気を探せばいいのだろうからな。だが、その前に御主人に会わせてくれないか、私たちの知識で治せるかもしれないぞ」
「本当ですか」
「可能性はある。だが、本当の御主人の所に帰る。それを約束してくれないと困るな」
(創造主と言ったな。もしかしたら鏡兄ちゃんの生まれ育った所かもしれない。それなら丁度いい。それも探していたのだからな。良いことを聞いた)
そう思う感情を隠して、シロに提案した。
「あの女性の所にですかぁ」
「そうだ」
「分かりました。ですが、御主人の病気が治る。それが分かってからなら戻ります」
「駄目だ。もし、私達の知識で治らない時は、宿っている物を探すのだぞ。そして、創造主に会わないと分からない。それまで帰らないつもりなのか。それでは困る」
「分かりました。帰りますから必ず治してください」
「分かった。必ず何とかしよう。それでだ。もし、宿っている物を見付けた場合どうすればいいのだ。何か鍵や呪文があるのだろう?」
「ありません。創造主の名前を言いながら心の底から祈れば伝わるはずです」
「名前は何と言うのだ」
「知らないのですか、有名な月の姫ですよ。知らないのなら教えるわ。輝くと書いて、ひかる。輝さん。私のお願いを聞いて下さい。そう言えばいいのです」
「分かった。それで何時頃、会わせてもらえる。そして、何時帰るのだ」
「明日にでも会わせます。そして会わせた後に帰ります」
「そうだな。なら明日の十一時に、この場所に来てくれ。私に考えがある」
「はい、必ず来ます。あっ」
「おっ」
二匹はやっと周りの状態に気が付いた。何十匹の猫は殺気を放っていた。それもそうだろう。シロの気持ちを引こうとして貢物を持って何時間も順番待ちをしていたのだからだ。
「オホホホホ」
この場の雰囲気を誤魔化そうとした。
先ほどまでの自信に溢れたような笑いではなく。子供が学芸会で演技をするような笑いに変わっていた。恐らく、主人の病気を治す為に死ぬ気の行動だったのが、安心した為に気持ちが変わり、元の、まあ、元も少し変だったが元の猫に戻ったのだろう。
「オホホホホ。皆さん集まってくれてありがとう。でも私、家に帰る事にしました。皆さんも家に帰って下さい。今まで楽しかったわ。また会えましたら宜しくねぇ」
シロは先ほどまでの威圧感、高揚感など自信に溢れていたのだが、今は恥ずかしさが滲み出ていて言葉まで丁寧になっていた。
「チョット待ってくれ~、あああ」
天猫は、この場に集まっている猫の手助けを欲しかった。だが、今のシロの言葉で天猫に怒りや嫉妬をしていたのだが、全ての感情が消えていた。まるで、暗示が解けたようだ。
「うわぁああ怖かった。少しずつだけど帰ってくれたわ」
「今からでも遅くない手助けを頼んでくれ」
「えっ何故なの」
「私が一人で創造主の宿っている物を探せと言うのか」
「あっそうよね」
「頼む」
「あっでも皆さん帰ってしまいましたぁ」
「はああぁ仕方ない。まあ良い。明日、この場所に十一時だぞ」
天猫は念を押した。
「午前ですよね」
「そうだ」
「はい、分かりました。それでは、私は寝ます」
「それが良いだろう」
そう答えると、天猫は探偵事務所に向かった。
次の日の朝、天猫は苛立っていた。沙耶加が普段より遅く来たからだろうか、だが、遅刻したのではない。ギリギリの時間だ。それでも、天猫が鳴き叫んでいたので食事は、海より先に作ってもらい普段の通りの時間だったはずだ。
「如何したの。そんなに鳴いて喉が渇くわよ。ああ喉が渇いたのね。待っていてね」
天猫は沙耶加が現れてから鳴き続けていたのだ。それで食事を求めている。そう感じて食事を与え。それでも鳴き止まない。その声を聞いていると、声が掠れているように思えミルクを与えた。だが飲まない。それで、今度は水を与えたが飲んでくれたのだが鳴き止んでくれなかった。
「如何したの」
天猫は鏡に話し続けていた。
(鏡兄ちゃん。早く出ないと待ち合わせに間に合わないよ)
(そう言われてもなぁ)
(もう、のんびりとしているから一時間も経ったよ)
(まあ、昨日と同じならまだ間に合うだろう)
(この二人だよ。何が起きるか分からないよ)
(そう言われてもなぁ)
(どうしたら良いのかな)
(まあ、何も出来ないが、天が騒いでいると余計に時間が潰れると思うなぁ)
(うっうう)
(そうだろう)
(そうする、箱の中で寝たふりでもしていようか)
(そうだな。それが良いだろう)
天猫は、そう言われ、のそのそと箱に中に入りゴソゴソと体を動かしていた。沙耶加は音が気になり覗いてみた。何故か天猫は手足でタオルを踏み踏みと体を動かしていた。
「ああ寝床を直して欲しかったのね。ごめんね。今直してあげるわ」
一度天猫を抱えて箱の外に出すと、タオルを平らに直した。
「どうしたの。入っていいのよ」
天猫は嫌々とハッキリと分かる姿で箱に入った。入ったのを確認すると沙耶加は机に向かい、今日の行動計画書の修正と出掛ける準備を始めた。時々、天猫がガリガリと爪を研ぐ音が聞こえた。よほど時間を気にしてイライラとしているのだろう。そして、五分、十分と時間が経つほど爪を研ぐ時間の間隔が短くなった。もう我慢が出来ない。そう天猫が感じて起きようとした。その同時刻、十時十分に沙耶加は立ち上がり、書類が完成したのだろう。その書類を海に手渡した。
(やっと終わったかぁ。十時半に出れば何とか間に合いそうだな)
天猫は大きな溜め息を吐きながら呟いた。
「あらあら起きてしまったのね。でも、丁度よかったわ。これから出掛けるわよ」
「ニャ」
(やっとかぁ)
「そう、私の言っている事が分かるの。本当に頭がいいわね。でも、少し待っていてね。海さんが読み終わったら直ぐ出掛けるからね」
「沙耶加さん、全て書類の変更を記憶しました。何時でも行動が出来ます」
「はい、ご苦労さん。それでは出掛けましょうか」
「指示の通り行動を始めます」
二度目の外出だからだろうか、「遺言状」その言葉を吐くことは無かった。それは、何も思考をすることなく無事に公園に着いた事を表していた。
「シャー、シャー、シャー」
(早く降ろせ。俺は時間がないのだ)
「どうしたの。あっ痛い」
天猫が、沙耶加の腕を引っ掻いた。地面に着くと二人に振り返る事も無く一目散に滑り台がある方に駆け出した。
「如何したのかしら、まあいいわ。海さん。シロの捜索を開始しますよ」
「はい、指示に従います」
その言葉を吐き終わると、公園の入り口から捜索を開始した。
「シロちゃん。出て来て」
と、沙耶加が声を上げる。その後に脅しているように海も呼びかけた。
「シロ、今直ぐ出て来なさい」
そして、段々と天猫とシロが居る。公園の中心にある滑り台に近づいて行った。
その頃の天猫は、シロに五分遅れた事に謝っていた。
「私、遅いから帰ろうとしていたのよ。何なの、私を待たせたのに謝罪もしないの」
「済まない。それより、もう近くまで知り合いが来ているのだ。私の話を聞いてくれ」
「何なの、そんな謝罪なんて、悪いって気持ちがないの」
「あのなぁ。うっうう、本当に遅れて済まない」
天猫は仕方がなく尻尾をたらし服従の姿を示した。それは、人間で例えるなら土下座をした。それほど時間が迫り。今直ぐでも沙耶加と海が現れてもおかしくなかったからだ。
「まあ、いいわ。許してあげる。それで何なの話があるのでしょう」
「話しと言うのは、お前の捜索を依頼された探偵所の者が来る」
「そうなの」
「そうだ。それでだが、その者達に捕まらないように飼い主の所に行って欲しい」
「飼い主って誰よ。誰の事よ。まさか」
「弟さんの方だ」
「そう、それならいいわよ。任せて」
「着たら頼むぞ。私がお前を追う。上手く逃げて案内してくれよ」
「うん、案内するわ。だから必ず病気は治してよ」
「相談が出来る者が居る。会わせれば何か良い答えを出してくれるはずだ」
そう言い終わると滑り台から降り、沙耶加、海の所に向かった。
「ニャニャニャニャ」
(鏡兄ちゃん、鏡兄ちゃん)
今、身体を動かしているのは海だ。いくら叫んでも鏡には届くが返事が返ることは無い。それでも叫んでいるのは少しでも早く来て欲しいからだろう。
「猫の鳴き声だな。シロだろうか」
と、海が天猫に気が付き、沙耶加も直ぐに気が付いた。すると、天猫は行動に移った。それは、天猫がシロを追い掛けるような行動をしないと行けない。そう二人に思わせた。そして二人は、その思惑の通りに行動するようだ。
「シロちゃんなの?」
「ニャ」
(追いかけて来いよ)
「あああ、海さん居たわ。シロちゃんかも、滑り台の上に居るわ」
「遺言書、遺言書。この場合の遺言書では」
「行動計画の変更、即座にシロを追います」
「はい、その指示に従います」
その様子はオスの天猫が発情期で、メスのシロを追い掛けるようだった。
二人は二匹を追い掛けた。公園を出て、歩道に出た時ははらはらした。何度も車に轢かれると感じたからだ。それでも走り続ける。でも二匹は離れず、常に姿が見える。ある程度の距離を取っているとは、二人は気が付いていないようだ。そして、二匹は街中を過ぎ住宅街に向かい。ある家に入るのを見届けた。そして二人は、その家の前で悩んでいた。
「あのう何か用でしょうか」
年配の女性に声を掛けられた。
「その、あの、私、沙耶加と言います。二匹の猫が、この家に入って行きまして」
「えっ、その猫って真っ白でしたか」
「はい、そうです」
「帰って来たのだわ」
そう言うと満面の笑みで家に駆け込んだが、直ぐに玄関から姿を現した。
「もし、時間があるのでしたら家に上がりませんか」
婦人は満面の笑みで声を掛けるが、開けると同時に猫の鳴き声が聞こえてきた。それも悲鳴のような助けを求めるような泣き声だった。
「あっはい、ありがとうございます。それでは少しお邪魔します」
沙耶加は鳴き声を聞くと不安を感じたが、トラ猫を引き取らないと行けない。それに、シロの飼い主かを確かめないと行けない。そう思案して家に入った。
「あのう、お連れの方は立ち尽くしていますが、如何したのですか?」
「ああっ海さん。行動計画書を白紙にします。これからは、私の指示に従い、即座に、今から言うことを実行してください」
「はい、その指示を従います」
「歩道を歩く速度で玄関に入り。その場で立ち止まり、靴を脱いで部屋に入ってください。もし判断が出来ない場合は、探偵事務所の畳敷き部屋に入るのと同じ行動をするのです。それでも判断が出来ない場合は、今までの経験と記憶で判断するのです。これは、もし、私を見失った場合の行動計画書の第ニ章です」
「あのう。沙耶加さん」
婦人は驚きの顔を浮かべた。だが、直ぐに目をキラキラと光らせて二人の様子を見続けた。悪巧みと言うよりも救われる。そう思える表情だった。
その婦人の様子に、二人は気が付いていない。海は気が付くはずも無いが、沙耶加は、海が心配だった。その様子は子供が心配で母のように見つめ続けるようだった。
「お邪魔します」
ロボットが話しをするような挨拶をして家に上がり、沙耶加の隣に座った。その間も猫は鳴き続けていた。
「私達は、山田探偵事務所の者です。シロと言う猫を捜していて、この家に来ました」
「やっぱり、シロなのね」
「お聞きしますが、もしかして、斉藤恵利子は、娘さんでしょうか」
「そうですよ。何故です」
「私達は、娘さんからシロちゃんの捜索を依頼されました」
「あああ、それで探し出してくれたのですね。ありがとう」
「それでですが、シロちゃんなのかを確認してくれませんか、それを確認すれば失礼したいと思います。ああ、それとですね。捜索している時に気が付いたのですが、トラ猫と仲良くなった為に家に帰らなくなった。そう思います」
「そうなの」
「それでですが、もし、それが嫌でしたら対策を考えます。その時は又、依頼して下さい。そう娘さんに伝えて頂けないでしょうか」
「はい、伝えておきます。でも確認する必要は無いですわ。シロに間違いないです」
「そうですか、それは良かったです」
「チョット待っていてください。私から聞きたい事があるのですが」
「なんでしょうか」
「あのう。お連れさんは、今流行りのロボット病でしょうか」
「ロボット病?」
「そう。えっ、まさか知らないのですか、身体の機能も脳波も全て正常なのに、自分で思考して行動できない病気です」
「海さんと、同じような様子ですね」
「お願いします。どうやって快復したか教えて下さい」
「快復させられるか分かりませんが、見せて頂けませんか」
「どうぞ、こちらに来て下さい」
母は、そう言うと隣の部屋に案内した。
「はい」
沙耶加は思案しているような表情を浮かべながら後を着いて行くが、海も着いて来た。まるで、使役ロボットのようにフラフラと歩いてくる。
「どうぞ、私の息子の謙二です」
母は、猫が出入り出来るように少し襖を開けていた。その隙間から部屋の中を覗かせた。
「う~ん。チョット判断が出来ません。部屋の中に入っていいですか」
「はい。どうぞ」
沙耶加はゆっくりと襖を開けて中に入った。すると猫が三人に気が付き鳴くのを止めた。そして、沙耶加は謙二の様子を見ていたが突然に手を叩いた。
「反応が無いわ。海さんとは違うわね」
「そうですか」
「食事とかはどうしていますか」
「決まった時間に、目の前に置くと食べてくれます」
「そうですか。なら指示をしたら動けますか」
「指示ですか」
「そうです。見ていて下さいね」
「はい」
「謙二君、右手の親指を顎に当てなさい。動かす速度は任せます」
謙二は無言で、その指示に従った。だが、まるでロボットのような動きだった。
「おー海さんと同じですわね」
「この病気は可なり増えてきているらしいのです」
母は、息子が玩具にされた。そう感じて少し怒りを表したように思えた。
「そうですか」
「でも何故なるのか分からない。そう言われました」
「済みませんが、私には何も出来ません」
そう沙耶加が言葉を返した。
すると突然に、人間の言葉が分かるのか、シロが鳴き出した。
「どう言う事なの、会わせたら対策を考えてくれるって話しでしょう」
「それは、この女性では無い。後ろに居る。私の主だ。だが、今の状態の海ではないぞ」
その鳴き声に天猫も鳴き声を返した。
「それなら、それなら」
「まあ、主の言葉が時々聞こえたが、何か邪気を感じたらしい」
「邪気なの、鬼、化け物」
「そうだ。そう言う者だろう。恐らくだがなぁ」
「なら、治るのね」
「退治が出来ればなぁ。まあ、主と相談してみる。それからだ」
「また、一緒に遊びたいから必ず治してよ」
「何度も言わせないでくれ、主と相談してみる。だが、出来る限りの事はする」
「はい、はい」
その鳴き声で二匹の猫は鳴き止んだ。
「まあ、お別れの挨拶をしたの。本当に頭が良い子ね。なら帰りましょう」
そう言うと、また、シロが鳴いた。その後、天猫が一声だけ鳴いた。
「外で待っているよ」
天猫が鏡と静に言った。正確に言うなら海と沙耶加のはずだろう。
「今度は、トラちゃん。あなたの家を探さないとね」
その意味が分かったのか、天猫は部屋を出る。そして、一人で玄関まで出て行ってしまった。それを追い掛けるように、沙耶加と海も後を追い掛けた。
「それで、娘さんに宜しく。それと息子さんの方も何か分かれば知らせにきますね」
「お願いします。お願いします」
何度も何度も頭を下げながら見送った。
「待って、待って、そんなに急いだら危ないわよ」
猫が急いで帰るのは、これから忙しくなる。それを、鏡と静に伝える為だったのだろうか、その事はまだ、二人には分からなかった。 第六章
探偵事務所に帰宅すると直ぐに天猫が鳴き叫んだ。それは、食事の要求でも、部屋から出たい為でも無かった。友であり、昔の主人と会話をしていたのだ。それは変だと思うだろう。海の意識が無い時だけ、鏡は話が出来るはず。だが、それは、一年ぶりに外出したからだった。様々な物を見て出来事が会った為に頭の中で整理と言うか思考していたのだ。全てを記憶する為にだ。それは、夢を見ているような状態だった。それで、どのような話しをしているのか、それは、楽しい思い出の話しでは無い。命を懸ける。そう感じる真剣な鳴き声だった。それは、主に邪気があると言われて、今までのシロから聞いた話を全て伝えていたのだった。
「そうかぁ」
海の体の中にいる鏡がうなずいた。だが、体で表現したのではない。言葉だった。
「鏡お兄ちゃん」
「ん、なんだ」
「今話した事って本当だと思う」
「お前の本当の姿を見れば、誰でも信じるよ」
「ありがとう。そうでなくて創造主の話しだよ」
「あああ、何でも願いが叶うって話しのだなぁ」
「そう。それって、鏡お兄ちゃんが住んでいた所かなって思ったよ」
「俺が住んでいた所だと」
「そう憶えていないの」
「憶えていない」
「何時からか分からないが天と二人で旅をしていた。その前は記憶が無い」
「はぁー。そうなの、初めて会った時は、海と同じ様子だったよ。あの時は本当に疲れた」
「嘘だろう。なら、その前の事は憶えているのか?」
「あまり憶えていない。初めは、父さんと母さんと三人だったよ。そして、大きい建物がある所に着いてから鏡兄ちゃんが旅の仲間になっていたよ」
「そうかぁ」
「でも、何故、天と鏡お兄ちゃんだけになったか憶えてない。その時は悲しいとか又会えるのか、そんなこと考えていられなかった。その時の鏡兄ちゃんは常識が無かったから、でも、その時から強かったよ。化け物とか獣とかに会った時は、別人のように体が動いて退治してくれたからね」
「そうかぁ。その話が本当なら、何でも願いを叶えてくれる。その創造主は、その地に居るかもしれないなぁ」
「本当だよ」
「分かっている。神とか創造主など居ないと思うが、その地に行けば何かが分かるはず」
「それで、どうやって行くの。何も憶えていないよ。場所も建物の形もね」
「まあ、そのような化け物が行くような不思議な所が何箇所もあるはずがないからなぁ」
「化け物、まさか天の事?」
「うん、まあ、そうだな、って、俺が言いたいのは、そうでなくてだなぁ。いろいろ言われている地は、一箇所だと言いたいのだぞ」
「うん」
「恐らく、神社か寺に、その物が有るはずだ。あっ、もしかしたら、今は公園として使われているかもしれないなぁ」
「この近くに、いや、この地に有ればいいけど」
「それは大丈夫だろう。近くに有るはずだ」
「何故、そう考えられるの」
「シロの一族が、この地で代々生きてきたと思うからだ。それなら、その話は、この地の伝説だろう。それなら、この近くに有るはずだ」
「なら、何故、見付からなかったのかな」
「恐らく、猫の置物か、猫と考えて捜したからだろう」
「えっ」
「そう思わないか、もし、天の形を取ったとして猫と思えるか、子供の姿なら猫と思うが、今の大人の姿なら猫には見えないぞ」
「そうだね。でも、そうすると数が多過ぎて探しようが無いよ。如何したら良いと思う」
「私達と最後に別れた時の事を憶えているか、あの時、獣の住処を探したのは天だぞ。まあ、正確に言うなら住処では無く、次元の入り口だったがなぁ」
「あああ、あれと同じような物を探せば良いのか」
「まあ、一人では無理だろう。野良猫たちに助けてもらえ」
「うん、でもね。猫に分かるかな?」
「あの時の天は、マタタビに酔ったような不思議な気分になった。そう言っていただろう」
「あああ、そうそう思い出した。それなら猫でも捜せるねぇ」
「天、探し出したら知らせてくれ。皆で行こう」
「知らせるよ。俺、野良ボスに頼みに行って来る」
「天、頼んだぞ」
その言葉を最後まで聞かずに窓から出て行ってしまった。
「あら、ご飯を食べずに行ってしまったのね。ご飯を置いておけば食べるわね。それに、嫌いな物だったら困るから、カリカリも置いて置きましょう」
独り言をつぶやき終わると、何時ものように海の夕食などをして帰宅の準備をした。
「海さん、私はそろそろ帰宅します。明日も出社しますので、宜しくお願いします」
「ゆい、ご、ん、じょう。第」
沙耶加は、帰る時は無言で帰るのが普通だったのだが、今日は違っていた。何だが喜んでいるようにも思えた。恐らく、海と同じ状態の人が多い。それを聞いたからだろう。まだ、海の様子が軽い症状と思えたから、言葉を掛け続ければ元に治ってくれる、そう感じたからだろう。
「いいのよ。頭を下げるだけでも、出来たら、お疲れ。って、言ってくれれば嬉しいわ」
そう言うと、恥ずかしくなったのだろう。海の返事を聞かずに何度も何度も頭を下げながら扉を閉めた。その頃、天猫は公園に着き大きな鳴き声を上げていた。
「おおい、おおい、野良ボス」
何度も呼んでいたが現れなかった。天猫は、相手が会いたくない。それに気が付いていないようだ。親友に会うかのように嬉しい鳴き声をしていた。まあ、野良ボスが公園に居るか、それは分からないが天猫は公園の中を探し続けた。そして、公園の敷地の中を半分くらい探した頃、一匹の黒猫と会った。
「ああ、済まない。チョット聞きたい事があるのだが、いいかな」
「おおっ天猫様、わっ私に用があるのですか、な、な何でしょうか」
唇を震わせ、どもりのような返事を返した。心底から怖いのだろう。
「野良ボスを探しているのだが、分からないか」
「わっわっ分かりません」
「うっ、それなら、もし会ったら伝えてくれないか、話したい事がある。と、私は、これからシロに会ってくる。その後に会いに来るから待っていてくれ。そう伝えてくれ。ああっ、野良ボスは公園が寝床だよな」
「はい、公園が寝床です。はい、勿論、帰って来なければ探してでも伝えておきます」
「頼む」
「はい、必ず伝えます。安心して下さい」
先ほどまでは、尻尾を垂直に上げて気分よくメス猫でも捜していたのだろうが、今の尻尾の状態は身体に付き、細められるまで細めながら怯えていた。その状態は、天猫が目線から消えるまで続けるはずだ。その事にまったく気が付いてない天猫だが、なぜか突然に走り足した。もしかして、黒猫の気持ちに気が付き目線から消えてあげようと考えたのか、そうでは無かった。蜥蜴を見つけて走り出したのだった。恐らく、シロの手土産にするため捕まえようと考えたのだろう。
「ねえねえ、ママ、見てみて猫ちゃんが何か銜えて歩いているよ」
「本当ね。頭の良い猫ね。近くに御主人様が居るのかもね。それとも、家に持ち帰って、御主人様に、いい子、良い子をしてもらうのかもね」
天猫は、シロの家に向かっているのだが、蜥蜴を銜えながら堂々と街中を進んでいた。二人の親子が楽しそうに話題にしていたが、その人だけでなく回りの人々も興味深げに視線を向けて驚きの声を上げている。その姿を見ると、ますます誇らしげに歩いていた。
そして、天猫は顎と首の痛みを感じながら歩き、シロの家に辿り着いた。
「えっ、もう病気の原因が分かったの」
自分の家のように、器用に右手で部屋のガラスの引き戸を開けて入ってきた。
「おお、居たか土産だ。食べるにしても玩具にするにしても好きにして良いぞ」
そう言うと口を大きく開けてトカゲを放した。
「にゃー」
シロは、喜び溢れる鳴き声を上げて蜥蜴を追いかけた。だが、蜥蜴の尻尾を踏んだ為に切れて逃げられてしまった。
「まあ、家の中だから逃げられないだろう。後でゆっくりと探してくれ」
この様子を家の者が見たら悲鳴を上げながら逃げ回るはずだろう。いや、それでは済まないはずだ。恐怖のあまりに気を失うに違いない。
「済まないが、主の原因が分かったから来たので無い。シロに頼みたい事があって来た」
「ふっ、シャー」
蜥蜴に逃げられたからか、それとも、天が頼みに来たからだろうか、怒りのような不満のような態度を示しながら天の話しに耳を向けた。
「何、私に頼みたい事って、私、主様から離れたくないのよね」
「そこを何とか頼む。前に主の為に猫の置物を探したのだろう。今度は、そうでなくて、ある物の近くに行くとマタタビのような気分になる場所を探して欲しい」
「また探すの、無いと思うわよ」
「そこを頼む。主の為だろう」
「うっ、うっ、分かったわよ。私は何をすればいいの」
「前のように沢山の猫に探させてくれ。私も、野良ボスの仲間に頼みに行く」
「そう分かったわ。また友人に頼んでみる。それで、探し出したら如何するの?」
「その場所に無理に近寄るな。まあ、酔った状態になるから近寄る事は出来ないはずだが、直ぐに野良ボスに知らせてくれ、そうすれば私に伝わる」
「でも、まあ、あれほど探して無かったのよ」
「もう一度言うが、物でも、建物でも、何でも良いが、マタタビが無いのに、同じような気分になる場所か物があったら知らせてくれ」
「わかりました。そう言って探してもらいます」
「頼む。私は、野良ボスに頼みに行かなければならない、これで失礼する」
この言葉を最後に、入ってきた時と同じように部屋から出て公園に向かった。
その頃公園では、野良ボスが悩んでいた。
「クロ。天猫が、私に話しがあると、そう言っていたのか」
「あれが噂の天猫様ですね。怖かったよ。今でも震えが治まらない。確かに伝説の偉大な猫ですよね。でも、影の噂もありますよね。確か」
野良ボスは恐ろしさの為だろう。気持ちを落ち着かせる為に、クロの話しを遮り話し始めた。クロも恐ろしくて逆に黙った。その様子を見ていると、自分から声を出すと過去に起きた事が自分に降りかかる。そう感じているのだろう。
「そうだ。確かに猫の鏡だ。主人の為に命を惜しまない。猫の中の猫。猫神と言われるのは当然なのだが、裏では脅威の食欲で村の食料を全て食い尽くし、そして、同族の女性にはだらしなかったらしいからな。もし、気分を壊したら何が起きるか、それを想像するのも嫌になる」
「そそ、そうですよね」
まあ、天猫から言わせれば他部族の猫から村を守る。その謝礼が好きなだけ食料を払う。それが約束だったのだ。そして、一人で村を守った事でメス猫から好意を持たれただけだった。まあ、オスから見れば、いいように思いたくも無かったし、良い事を伝える気持ちも無かったのだろう。でも、強く、約束を守り主人に最後まで尽くした。その言い伝えは猫のメスが語り継いだはずだろう。
「何か遇ってからでは遅い。力自慢している猫を至急に集めてくれ。もしもの時、取り押さえて欲しいからな、天猫が来る前に頼むぞ」
「安心して下さい。叫び声が一番大きい猫に緊急呼集を知らせます。十五分もあれば集まるはずです。それでは失礼します」
「頼む」
ボス猫は、五分も経たない時、叫び声を耳にした。一瞬だけだが安心した表情をしたが、その後は、天猫が来るのを恐れたのか、大勢の猫が来てくれる事を心配したのだろうか、それとも、集まる時間が間に合うか心配したのだろう。同じ所を何度も回っていた。
「ボス。何があったのです」
叫び声が終わると、一匹、二匹と猫たちが集まって同じ事を尋ねた。そして、十五分後には百匹以上の猫が集まった。野良ボスはやっと安心したのだろう。歩き回るのを止めて、集まるように声を上げた。
「他町内のボス、力自慢の勇者猫。皆に集まって頂きありがとう」
「何があったのだ。馬鹿馬鹿しい話しだったら、この場の猫たちに殺されてもいい。そう思って、皆を集めたのだろうな」
この場で一番の年長の猫が声を上げた。力では役に立たないだろうが、知り合いなどに集まるように説得したが、心配になって一緒に来たのだろう。
「伝説の天猫様が現れた。そして、皆に頼みたい事がある。そう言っていたそうだ」
「嘘だろう。あの、あの伝説の猫なのか、もし、本当なら」
「長老、一大事なのか」
「間違い無い。全ての猫族の命に関わるかも知れないぞ。それほど恐ろしい猫だ」
「嘘だろう。本当なのか」
「間違いは無い。天猫様です」
全ての猫が呻きのような、雄叫びのような声を上げた。興奮を押さえられないのだろう。
「間もなく天猫様が来ます。静まって下さいませんか、刺激を与えたくないのです」
野良ボスが大声を上げると、静まったと言うよりも耳を済まして、何時、来ても良いように心構えしているように感じられた。一分、五分、そして、三十分が経つと、やっと天猫が現れた。
「天猫様、お待ちしていました」
「野良ボス。まさか、私の頼みの為に皆を集めてくれたのか、ありがとう」
「シロと言う猫を知っているか、シロと同じ願い事を頼みたいのだ。もう一度探してくれ」
「ああ、女王シロ様の事ですね。神に会って願いを叶えてもらう、その為に猫の像を探してくれ。あの話しですか」
長老だけが声を上げた。人生の経験で怯える事も恐怖を感じる心は克服しているのだろう。堂々と問いかけた。
「そうだ。だが、今度は、マタタビが無いのに同じような感じをする場所か、その物を探して欲しい。まあ、もし、知っていて秘密にしている猫もいると思うが、猫族、いや、人の為だけでなく、全ての生き物の為なのだ。探して欲しい。頼むから力を貸してくれ」
全ての猫は自分の周りの猫に視線を向けて、如何したら良いか様子を見ていた。
「何をしている。命に関わる事だぞ。直ぐに探しに行くのだ」
長老がまた声を張り上げた。もし、野良ボスが言っても、他の猫が言っても、その場から皆は動かなかっただろうが、だが、年長の言葉だからだろう。皆は即座に行動した。
第七章 (一月一日)
シロは、天猫の頼みを聞いたはずなのに出掛けることはしない。頼み事を忘れていのか、主の膝の上に乗ったまま何ども、何ども頭を膝に擦り付けていた。主の膝の上が暖かいのか、それとも安らぎを感じるのだろうか、ごろごろと気持ちいい鳴き声を上げていた。
そして、何分だろうか、いや、何十分だろうか経った時、主の顔を見て鳴き声を上げた。
「主様、又、出かける用事が出来ました。直ぐに帰ってきますからね」
シロは何度も、何度も振り返りながら引き戸の所まで行った。
「待っていて下さいね。私が必ず治してあげますからね」
天猫がしたように右手で器用に引き戸を開け、体を擦りながら引き戸を閉めた。
「お婆ちゃん。もう寝てしまったかしらね。起きていればいいけど」
そうつぶやきながら隣の家に向かった。そう思うのも分かるように思えた。時計を見る事が出来て、もし、時計の意味が分かれば夜七時になっていた。天猫が探偵事務所から出掛けて二時間が経っていた。
「お婆ちゃん、起きて。おばあちゃん、話があるの、開けて」
シロは隣の家の裏に周り。ガラスの引き戸の所で丸くなって寝ている猫を見つけると、ガラスを引っ掻きながら何度も頼んだ。
「ふぁあ、あらシロちゃん。如何したの」
老猫は大きく背伸びをすると起き上がった。そして、家人の女性の主に鳴き声を上げた。
「あらあら、シロちゃんね。遊びに来たの。はいはい、今開けてあげるわよ」
そう言いながら扉を開けてあげると、二匹は縁側に寝そべった。家人は面白いテレビでも観ていたのだろう。また、テレビの前に戻って行った。
「また、お願いを聞いて欲しくて、又きました」
「なぁに?」
「話って主様の事なの」
「そう、私に出来る事ならいいわよ。なぁに?」
「又、探して欲しいの。今度はね。マタタビのような感じになる物が場所を探して欲しいの。それが分かると、前に話した。神様に会えるかもしれないの」
「いいわよ。私はシロちゃんのファン一号だからね。なら二号、三号にお願いしましょう」
「ありがとう」
「シロちゃん。主様が心配でしょう。家で待っていなさい。クロの二号を向かわせるわ」
「うん、うん。ありがとう。待っています」
何度も、何度も頭を下げながら老猫の所か去り、家に帰って行った。
そして、家に帰り。引き戸を開けて入り、閉めようとした時に黒猫が現れた。その猫はシロの集会のような集まりをしていた時の指示をしていた猫だった。
「シロさま、話しは全て聞きました。私に任せてください。必ず見付けます」
「何度も御免なさいね」
「謝らないで下さい。私は、シロ様の喜ぶ事なら何でもしたいのです。それが、私の、いや、皆の願いなのですよ。」
「ありがとう」
「シロ様は家で待っていて下さい。私が必ず知らせにきます」
シロのうなずきを確認すると、即座に走り足した。シロは、その力強く鬼気とした走りを見て、一瞬だが、顔の表情を変えた。それと同時にゴロゴロと喉を鳴らしている。興奮しているのだろう。そして、又、主の膝の上に戻った。
「主様。知らせがくれば治りますよ。また、一緒に遊んでくださいね」
そう、つぶやきながら先ほどと同じ表情を浮かべた。主は声も表情も変えないが、シロは気にしていない。目を閉じて病気の前に遊んでくれた事を思い浮かべているのだろうか、それとも、治った後に遊んでくれる様子を夢で見ているのだろう。また、ゴロゴロと喉を鳴らしながら表情を変えた。主に喉を撫でられたのか、それとも、一番好きな良い子、良い子と言われながら頭を撫でられたのだろうか、猫の表情は判りづらいが、やはり先ほどの表情は笑みと思えた。このような様子では黒猫が来ても目を覚まさないだろう。
その頃の黒猫は、シロファンクラブの会員番号順に家や空き地と猫を探し回っていた。何故か頼りになる猫となると見つからない。それでも探し回り何件目だろうか、伝説の天猫が現れて猫を公園に集めていると耳にした。
「ありがとう。俺は公園に行ってみる。本当なのか確かめなくては話しにならないだろう。会員番号三十九番。シロ様の頼みごとを残りの皆に伝えて欲しい」
「分かりました。任せて下さい」
黒猫は半信半疑で公園に向かうが、途中で探していた猫と会った。
「おう、会員番号三番探していたぞ。シロさまの願いを伝えに来た」
「そんな状態では無い。猫族の危機なのだ」
「まさか、本当の天猫なのか」
「間違いない。その天猫なのだが、何故か、シロ様と同じような頼み事を言われたよ」
「えっ」
「マタタビが無くても、同じような気分になる物か、場所を探してくれ。そう言われた」
「えっ。シロ様と同じ頼み事だ。何故、同じなのだろうか?」
「同じなのか、今回は天猫の頼みを優先しなくてはならない。その理由は分かるだろう」
「伝説が本当なら食料を食べつくし、それだけでなく、メス猫に誘惑の呪いでも」
「全てを言うな、口にしたら本当に起こっては困る」
「そうだな、済まなかった。だが、俺は、シロ様を優先させる。真っ先に知らせるぞ」
「仕方ないだろう。気にするな。もういいな、時間が惜しいから探しに行くぞ」
「済まなかった」
「ああ、そうだ。まだ、公園に居るはずだ。会ってみたらどうだ」
「そうだな、会ってみるよ」
「驚くぞ。一緒に行って驚く顔を見たいが、早く捜索しなくてはならないからな。残念だ」
「えっ、そうなのか?」
「ああ、又な」
会員番号三番と言われた猫は、親の死に目に間に合ってくれ。それと同じような真剣な様子で駆け出した。長老の一言で、ここまで変わったのだ。若い頃の長老は、それほど凄い猫だったのだろう。黒猫も、余ほどの事だ。そう感じたのだろう。尻尾を垂らし、恐怖を感じながら公園に入ろうとしていた。
「あああ、あの時は、どうも。シロの話しを聞かせてくれて助かったよ」
天猫が、黒猫に話しをかけた。
シロを呼びすてにされて一瞬、顔を顰めた。
「あああ、あの時の。シロ様の気持ちを変えさせた。あのバカ猫」
「えっ、バカ?」
「あああ、何でもないです。私事です。気にしないで下さい」
「そうか、それで、呼び出しの鳴き声で来たのか」
「呼び出し?」
「違うのか」
「ああ、そう、そうです。伝説の天猫様が、いらっしゃっていると聞きまして」
「伝説のか知らないが、俺が天猫だ」
「えっええ、天猫様なのですか」
「そうだ」
「私は、シロ様の願いで、天猫様と同じ物を探しますが、シロ様にしか渡しません。それを、言いに来ました。それで、構いませんよね」
黒猫は視線で殺せるような鋭い視線を送った。恐らく、死ぬ気で話しをしたのだろう。
「ああ、いいぞ。頼む」
「えっ」
「驚いているようだな。シロには、私から頼んだのだ」
「そうでしたか、私は、これから、探しに行きます」
「おお、頼むぞ」
そう伝えた。公園から出る時の後ろ姿を見ると、心底からガッカリしているように感じられた。それも、そのはずだろう。シロの為なら何でも出来るが、頼み事は天猫なのだ。
「天猫殿。知らせが来たら、お知らせしますぞ。見つかった後は行動しなければならないはず。帰られて休まれた方が良いと思いますぞ」
「言う通りだな。休ませてもらうよ。それで、連絡先だが、山田 省吾、探偵事務所に住んでいる。その家まで知らせに来てくれ。分かるか?」
「ああ、分かります。最近に主が亡くなり。息子が後を継いだはず」
「そうそう、その家だ。知り合いだったのか」
「その主に、ちょくちょくご飯を貰いましてね。よく憶えています」
「そうだったのか」
「はい、お知らせしますので、ゆっくりお休みください」
この場に居ては邪魔と思うような慇懃無礼な態度で勧めた。
「そうするよ」
天猫は、今頃思い出したのか、やれることは全て終わり安心したのだろう。疲れたからでなく空腹を感じて家に帰る気持ちになった。頭を軽く下げるとフラフラしながら歩きだした。余ほど空腹を感じているのだろう。
「やれやれ、やっと帰ってくれたか。はっあー立っているのは腰にくるなぁ。やっと休める。まあ、寝る訳には行かないが休まなくては体がもたない」
老猫のだからか目が悪いのか、見送るのが正確的に嫌いなのか、視線を向ける事はしなかったのだが、公園から出たのを耳で感じ取ったのだろう。直ぐ寝そべり寛いだ。
そして、天猫は、探偵事務所に帰り、ゆっくり明日の朝まで寝られるのだが、朝、驚きの叫び声で強制的に起こられるのは分かるはずがなかった。
「ウギャルニャギャ」
何百の猫が同時に同じ叫び声を上げた。それはまるで、発情期の声と恐怖の驚きの叫び声を合わせたような鳴き声だった。その声で天猫は飛び起きた。まあ、近所の人間も何事が起きたのかと目を覚ましたはずだ。そして、全ての家に住む人や動物はうるさいと叫び声を上げた。その気持ちも分かる気がする。まだ、朝と言うよりも夜明けだ。朝日がようやく昇って間もない時間だった。だが、外の様子を見ると口を閉ざし、これは夢だ。そう思いながら怯えるように寝ようと努めた。
「何故、このような数で知らせに来るのだ」
天猫だけが理由を知っているからだろう。窓の外を見続けた。まあ、その数は日本中の猫が集まっている。そう思うほどの猫が集まり、何度も何度も叫び声を上げていた。
「知らせてくれてありがたいが、もう叫ぶのは止めろ」
頭痛がするような不快を感じる起こし方をされ、天猫は怒り声を上げた。
「おおお、天猫様。指示された物と思える物。いや場所を探す事が出来ました」
「済まなかった。後はゆっくり休んでくれ」
「天猫さま、私達はお供を致します」
「いや、気にしなくて良いぞ」
「猫族の一大事と聞きました。お供させて下さい」
全ての猫が深々と頭を下げた。だが、何だか興奮しているような声色だった。天猫は気が付いていないが、この場の猫はマタタビと同じような気分になれる。それを知っている猫と一緒に行き、その場所を知りたかったのだ。恐らく、楽園と考えているのだろう。
「これ程の数で行動が出来るはずが無いだろう。直ぐ帰れ」
天猫の殺気に怯え。一匹、二匹、と次々に帰って行った。だが、野良ボス格の猫だけは帰ろうとしなかった。マタタビなどよりも用件が終われば、この地から消えてくる。消えてくれれば何も災いが起きない。それを確認したいのだろう。
「天。まさか、もう見付けたのか?」
鏡が驚きの声を上げた。
「うん、見付けたみたい」
天猫も驚いていた。まあ直ぐ見つかるのは当たり前だろう。先にシロが大勢の猫達で探せる所は探した後だし、マタタビの関係なら誰かが知っているはずだ。それを説得するだけの時間が必要だったはずだからだ。
「鏡お兄ちゃん。場所を教えてもらってくるよ」
「そうだな。それがいいだろう」
天猫は窓から外に出た。畏まっている猫の前に現れると、
「お待ちしていました。それでは、お連れします」
長老が言葉を掛けてきた。
「案内して欲しいが、まさか、ぞろぞろと大名行列のように移動するのか」
「それは、ありません。今集まっている猫が、邪魔されないように散ります」
「ほう」
「マタタビと同じような物です。例の場所に猫が常に集まっていられては困るはず。それを、防ぐためにボス猫を残させたのです」
「そこまで考えていなかった。済まない」
「ご案内を致します」
長老が声を上げると、全ての猫が忍者のように方々に散った。それが、合図のように長老が歩き出し、その後を天猫が歩き出した。
「はっあー」
天猫は大きな溜め息を吐いた。長老は、それに気が付かずに歩いている。確りした歩き方なのだが時々足を止めて、ボス猫たちが見張りをしているか、それを確かめている。そう、長老は装っているが、天猫だけでなく見た者は腰が痛くて休んでいるとしか思えなかった。また、天猫は溜め息を吐いた。何度目だか思い出せないほどの回数だ。
(これでは、いつ着くか分からんぞ。案内を誰かに代わってもらうか)
「天猫様、如何したのです?」
殺気でも感じたのだろか、突然に振り返った。
「えっ。ああ、何でも無い」
「そうですか、それでは、案内を続けます」
二人は立ち止まると、溜め息を吐く。と、何度も同じように繰り返し道を進んだ。そして、近郊の大きい百貨店の駐車場に案内された。この建物と駐車場は最近に建てられた物で、その前は工場で、その前は神社だった。名残が駐車場の隅にあったが、長い年月で何の像か分からなくなっていた。それでも、今まで残されたのは、何か分からない像だった為に壊すことも移動させる事も出来なかったからだ。祟られるのを恐れたからだろう。
「これか」
天猫は興味を感じて近寄ろうとした。
「そうです。ああ、でも近寄らない方が良いですぞ」
それ見て、長老は引き止めた。
「そうだな。今、酔ったら大変だからな」
うんうんと、首を上下に動かしながら納得した。
「この像、いや、この場所で良かったのでしょうか?」
「ああ、間違い無いだろう。まあ、主に聞いてみる」
「それでは、我々は、全ての用件が終わったと考えて良いのですか?」
「ああ、そうだ。済まなかったな、ありがとう」
長老は、天猫を一人残して歩き出すと、周りで複数の猫がいるような音が聞こえた。恐らく、邪魔されないように見張っていた猫が去ろうとしたのだろう。
「さあ、帰るか。鏡お兄ちゃんに知らせなければない」
近寄らないが、その像の隅々を記憶した後に、事務所に向かった。
「ああ、もう、沙耶加さんは来ている頃だな」
そう、独り言をつぶやくと歩き出した。
「一人なら、いや、子猫の案内でも半分の時間もあれば着くぞ」
一歩、歩くごとに愚痴をつぶやきながら歩き続けた。そして、考えられるだけの愚痴を言い終わる頃、探偵事務所に着いていた。
「あらあら、やっと帰ってきたのね。お帰り」
ニャと、窓枠の上から声を上げた。ただいま、お腹が空いた。そう鳴き声を上げたのではないが、沙耶加には、そう、聞こえたのだろう。だが、違っていた。
「鏡兄ちゃん。見てきたよ。ああ、駄目か、話し出来ないか」
天猫は仕方なく、遅い朝食を食べる事にした。
第八章
天猫の気持ちでは九割は終り、後は鏡に知らせるだけだ。そうすれば、全てが終わり。また、一緒に旅が出来る。そう考えていた。その喜びの為だろう。ゆっくりと味わいながら食べていた。その同時刻の公園の近くでは、猫たちがマタタビと同じ気分になる場所の話をしていた。
「聞いたか?」
「何がだぁ」
「本当に合ったらしいぞ。マタタビが無くても酔うことが出来る夢の場所だよ」
「ああ、私も、その場所が知りたくて、ボス猫の集まりに参加したのだが、追い出されたよ。でも、その場所に行かなくて良かったよ。聞いた話では、神の罰か、神に気に入られたか、それは分からないが、この世から消えてしまうらしいぞ」
「嘘だろう」
「本当らしい。捜索していた猫も一匹消えたらしいぞ」
「そうなのか、行かなくて良かった。まだ、死にたくないからな」
その会話を木の上から見ている者が居た。
「ああ、もう、探し出されたのか、シロ様に何って報告したらいいか」
黒猫の会員番号二番は、複数の猫が話をしているのを聞いて悩んでしまった。
「仕方ない。猫の噂話で知られるより、私が知らせた方がましだな」
猫達が、この場から消えるまで考えていた。そして、一人になると一目散にシロの家に向かった。木の上では長くも短くも無い時間だったが、無心で行動すると決められる時間はあった。だが、家に着くと、ある事を思い出した。
「まずい、午前中には会えない。正午が過ぎるまで、主の膝の上で寝るのが日課だった。それを、邪魔したら会員を剥奪される。それは、死ぬと同じ事だ。待つしかないな」
時間がある。そう思ったからか、体の機能が反応して空腹を知らせた。
「家に帰るか」
「二番。何をしている。もしかして探し出したのか?」
隣に住む。老猫、会員番号一番が声を掛けてきた。
「はい。私では無いですが、探し出されました」
「手柄を立てそこなったな。本当に残念だったが、がっかりするな」
「いいえ。残念ではありません。私でなくても、これで、シロ様の笑顔が見られます。それが、一番の喜びですから」
「うんうん、腹が空いているだろう。さぁ、追いでよ。食べさせてあげる。その後は、私にも詳しく教えてくれよ。私も、噂の場所には興味があるからな」
「はい。でも、出掛ける用事があったのではないでしょうか?」
「無い、何となく誰かに会うような気がして出てきただけだ」
そして、老猫の家に上がり。老猫の食事なのだろう。咽るような勢いで食べ始めた。
「あらあら、友達に上げていたの。そうそう、なら、お代わりがいるわね」
そう、家の女性の猫の主は、別の皿に同じ物を持ってきた。
「はいはい、お水も持ってきたわよ。さあ、お飲みなさい」
二匹は食べ終わると、縁側で楽しそうに鳴き声を上げていた。家の女性の主は分からないだろうが、黒猫は、今までの全ての事を老猫に伝えているに違いない。そして、全てを伝え終わると、黒猫は疲れていたのだろう。寝てしまった。そうなる事は分かっていたのだろう。起こさずに、老猫は正午を過ぎると、シロの家に向い代わりに伝えた。
シロは、全てが終わったと安心したが、それは、直ぐに終わって無い事を知る事になる。それは、天猫が現れて、また、シロから頼み事を頼まれるからだった。
「天、天、聞こえないのか?」
鏡は何度も、何度も、天猫に言葉を掛けていた。だが、天猫には聞こえ無いのだろう。食事を食べ終えると、気持ちよさそうに寝てしまったからだ。それにしても、変だ。主の言葉が聞こえなくても、直ぐに話しかけていたはずだ。それなのに、なぜ、直ぐに鏡に知らせないのか、本当に疲れて寝てしまっているのだろうか、そう思うだろうが、その理由は、鏡と静、二人に知らせたかったからだ。鏡とは話しは出来る。だが、静と話しをするには、沙耶加を妄想に夢中にさせなければならない。その為に部屋を無音にして、海の事だけを考えさせる。そうすれば静が出てくるはずだ。そう考えていたのだ。
「天、どうした?」
「鏡、何時まで騒いでいるの。天ちゃんの気持ちが分からないの」
天猫が寝床に入ってから一時間が経とうとしていた。
「おおお、やっと出てきたか。天、静が出てきたぞ」
「天ちゃんの気持ちが分からないようね」
「静お姉ちゃん。久しぶり元気だった」
「天、大丈夫なのか?」
「何度も呼んでくれたけど、無視してごめんね」
「気にするな」
「鏡は、天ちゃんの気持ちが分かってないようね」
「分かっているよ。静と話しがしたかったのだろう」
「なら、何故?」
「まさか、静、静って、呼べないだろう」
「何故よ?」
「まあ、あれだよ」
「何よ?」
「そうそう、呼んでも返事もしない者に声を掛けるはずないだろう。そうだろう」
顔を真っ赤にして、嘘とはっきり分かる言い訳をしていた。
「そう、分かったわ。そう言うことにしてあげる」
「鏡お兄ちゃん、静おねえちゃん。ねえ、話は終わった。もう話していいかな」
「いいわよ。天ちゃん」
「天、良いぞ」
「探していた門を探し出したよ」
「門を探し出したのか?」
「天が勝手に門と言っているだけ、最後に分かれた場所に似ているから門と言ったよ」
「そうかあ」
「天ちゃん。門でいいわよ。続きを話して」
「話しって言っても何も調べてもいないから何も無いけど、二人をどうやって門の所に連れて行くか、それを相談したかったから」
「体が動かないから無理だな」
「鏡お兄ちゃん。そんな」
「鏡、それを、相談するのでしょう」
「そうだが」
「う~ん」
「静、何か良い考えでもあるのか?」
鏡は、静が悩む姿を見て、悩むと言う事は考えがある。そう感じた。
「確か、シロちゃん。だったわよねぇ。その猫に手伝ってもらうしか考えはないわね」
「ほう、面白そうだな、聞かせてくれないか」
「天ちゃんが、シロちゃんと愛し合っているように思わせて、駆け落ちをしたように思わせて探がさせるのよ。まあ、依頼されるか分からないけど、無くても探すでしょうね」
「ええ、静お姉ちゃん。嫌だよ」
「天、美人なのだろう。良い話でないか」
「鏡お兄ちゃん。人事だと思って、何、笑っているのだよ。酷いよ」
「天ちゃん。本当に恋愛しなさい。そう言う事でないの。シロちゃんが頻繁に事務所に来るようにして、沙耶加さんに気づかせるの。そして、二人が消えれば探すはず」
「ああ、前に、シロの家を導いたように門に連れて行くのだな」
「鏡、そうよ。いい考えでしょう」
「そうかぁ」
「静お姉ちゃん。それはチョットね」
「他に考えあるの。二人は何も考えないで何よ。それなら、どうするよね。そろそろ、正午よ。沙耶加が目覚めるわ。なら、如何するのよ」
「天、仕方ない。それしかないな。がんばれ。また、門で会おう」
「がんばってね。天ちゃん」
二人は言いたい事を言うと、消えてしまった。その後、天は、ブツブツと愚痴らしき事を言っていたが、数分で諦めるしかない。それに気が付いた。それは、正午を知らせる音が響いたからだった。
「あら、私寝ていたのね。でも、いい夢だった。昔の海さんに戻らないかなぁ」
「ニャ」
(仕方が無い。頑張るしかないな)
嫌だと思う気持ちを振り切る為だろうか、天猫は何度も首を振っていた。
沙耶加は、まだ、夢の余韻を楽しいでいるようだった。恐らく、海が、今より人間らしい頃の夢を見ていたのだろう。だが、天猫の一声で完全に目を覚ました。
「ああ、もう正午なの。早く海さんに朝食の用意をしないと駄目ね」
海には聞こえていなかった。先ほどは、時刻を知らせる音が響いて姿勢が変わったが、今の呟きだからだろう。動く事も、返事を返す事もしなかった。
「天。本当に済まない。がんばってくれ」
その代わり鏡が、天を勇気付けた。
「鏡お兄ちゃん。気にしなくていいよ。静お姉ちゃんの考えの通りに、シロに会って来る」
「頼む」
その言葉は天猫には届かなかった。もう、窓に飛び乗り、外に出ていたからだ。
「ああ、何て言えばいいのだろう。恋人の振りをしてくれ。何て言えないぞ」
心底から嫌なのだろう。その様子が現れていた。まるで、酒にでも酔っているかのようにフラフラと歩いていた。そして、突然に歩くのを止めて、頭を抱え考えるような態度を表した。何か嫌な考えが浮かんだのだろう。
「もし、シロの親衛隊にでも知られたら命がないぞ。ああ、どうしたらいいかなぁ」
天猫がブツブツと呟きながら歩いていたが、何も良い考え浮かぶ事も無く、シロの家に着いてしまった。
「おっ、天猫様、どっどうしたのですか?」
この場所で、会うとは想像も出来なかった。と言うよりも、一生の間に二度と会いたくなかった猫に会い、なぜ、この地域にいるのかと驚きの声を上げた。
「シロさんは、居るかな?」
「はい。ですが、今は、お会い出来ないと思います」
「そうか、仕方が無い。待たしてもらう」
「何か用件があるのでしたら、私が伝えておきますが」
「ああ、そう言ってくれて嬉しいが、シロさんと私の問題だ。話をする事は出来ない」
天猫は、時間が惜しい。そう感じたのか話しを遮った。
「済まないが、通して頂くぞ」
「あっ、お待ち下さい」
「今の事が、シロの本心か聞いて良いのだな。本当なら、改めて出直す」
「うっ」
その一言が、良いと、判断して敷地に入った。
「シロさん、重大な話がある。話を聞いてくれないだろうか?」
「え、話って、まさか、主様の話でしょうね」
即座に、ガラスの扉の前に現れた。
「んっ、まあ、その関連の話しだ」
「どうぞ、入って来て」
猫語でも、人にも分かる。本当に興奮を表した。鳴き声を上げた。
「先に言っておくが、嬉しい話では無い。頼みを聞いて欲しくて来た」
「またなの。いい加減にしてよ。主様の為だから仕方が無いから聞くけど、今度は何なの、本当に、これで最後のお願いにしてよ」
「簡単に言うと、女性の主を探偵事務所に呼びだしたい。そして、また、探偵依頼をさせる為に協力して欲しいのだ」
「女性の主って、ああ、美を追求する同士。あの女性ね」
「その、女性だ。それを誘き出す為に、惚れ合っているように見せたいのだ」
「えっ、何故よ。何を考えているの。ふざけないでよ」
「今直ぐって事では無い。今は、その考えしか浮かばないからだ。もし、良い考えがあれば、そして、承諾してくれるなら、明日の昼まで事務所に来て欲しい」
「シャー」と、声を上げた。
その言葉は、猫の耳で聞いても、人が聞いても同じ言葉だった。最大の怒りを表し、即座に家から出て行け。そう叫んでいた。
「シロ様、如何したのです。何があったのですか?」
「この失礼な、バカを叩き出して」
「あっ、待て、分かった。帰るから」
そう全てを言う前に、殺気を感じて駆け出した。そして、天猫の気配が消えると、会員番号二番は、シロに理由を聞いた。
「えっええ、それは、何ですか、信じられない。あの者に頼む事はありません。これから、私が、その門を調べて見れば分かるはずです。私が主様の病気を治してみせます。あの、猫を信じる事はしては行けません。シロ様の主の事を聞いて、邪な考えで、シロ様の気を引こうとしているだけです。間違いありません」
「そうよね。門を調べれば分かるわよね。私も、行くわ。直ぐに出掛けましょう」
二匹は門の場所に向かった。だが、二時間後、シロだけが、天猫がいる探偵事務所に向かう事になってしまうのだ。
「お願い助けて」
シロは、行った事はないが、大体話を聞いていたから事務所の場所は直ぐ分かった。そして、天猫が出入りの為に使っている窓から、シロが突然に現れて叫び声を上げた。
「二番が消えたの。理由は分からないけど、突然に消えたの。お願い助けて」
「二番?」
「助けてよ。早く来て」
「頼むから、落ち着いてくれ、何が消えたって」
「あの、だから、私の親衛隊の一人よ」
「あああ、もしかして、私を家から叩き出した。あの猫か?」
「そうよ。お願いだから助けて」
「助けてやる。だから、落ち着いて話を聞かせてくれ」
「だから、門に行ったのよ」
シロは直ぐに落ち着く事は無かった。それでも、話をするにしたがい、段々とだが落ち着きを取り戻し始めた。
「今の話だと、自分達だけで解決しようと思い。シロさんと会員番号二番と、門に行ったのだな。それで、調べていた時に、目の前で突然に消えた。そう言いたいのだな」
「そうよ。だから、早く助けに行きましょう」
「駄目だ。それは分かるだろう。だから、俺は、あれほど、主と共に行く為に協力して欲しい。そう、頼んだだろう。なぜ、無茶をした」
「なら、早く、主様を連れて行きましょうよ」
「だから、何度も言っているだろう。俺は、猫の言葉も、人の話も、人と話をする事も出来るが、今は話す事は出来ない。それをしたら化け物と騒がれるからだ」
「それなら、助けてくれないの」
「必ず助ける。だから協力してくれ」
「天猫さんの彼女の振りをするのね。分かったわ」
「本当に助かるよ。ありがとう」
「それで、明日からでいいですか、主様の顔を見たいわ。そして、何日か会えなくなるのでしょう。理由を話しておきたくて」
「え。正気の時は猫の話しが分かっていたのか?」
「いいえ。ただ、気持ちを伝えたくて、何でも、伝えていたから」
「そう」
「そうよ。正気の時は悲しい事があったと伝えると、普段より優しくてね。それでね。何度も頭を撫でてくれるのよ。本当に優しい主様よ」
「そうかあ、いいよ。明日でも」
そう、シロに伝えようとした時だ。話の途中で、鏡が話しを掛けてきた。
「一人で行かせるな。一人にさせるな」
「えっ」
シロは、突然に聞こえて来た声に驚いた。
「シロさん。今日から泊まりなさい。気持ちが変わる。そう思っているからでない。シロさんの主は気持ちが分かるのだろう。それなら、嫌な気持ちを伝えない方が良い」
「あなたは、誰よ」
「天が、あるじ、主と言っている。その一人だ」
「貴方なの」
「そうだ。もう一人は、そこで書類を作成している女性だ。ほとんど話しは出来ない。まあ、俺は、話は出来ても体を動かせないのだよ。俺からもお願いする。協力して欲しい」
「そう、主様の身体に悪いなら泊まらせて頂くわ。それで、私は、何をすればいいの?」
「何もしなくて良い。ただ、天に寄り添って、楽しそうにしてくれれば良い」
第九章
そして、一晩、シロは泊まった。その朝、
「シロちゃん。昨日は帰らなかったの。まあ、それでは、電話で知らせなくちゃ」
沙耶加は、普段の通りに出勤して来て驚きの声を上げ、その響きが室内に響き渡った。
「海さん、おはようございます。今日も宜しくお願いしますね」
「お、は、よう」
そして、事務所に入ると、直ぐに電話を掛けた。その内容はシロの事だろう。その後、時間を気にしながら朝食の用意を始めた。勿論、シロの食事の用意を忘れるはずはない。何故、それほどに時間を気にしているか、そう思うだろう。それは、シロの事で、依頼者と、その母に謝罪をしなければならなかったからだ。それだけではなく、普段なら買い物から集金やいろいろの支払いなどは、リハビリを兼ねて一緒に出掛けていたのだが、初めての探偵行で全てを後にしていた為に、今日、全て終わらせるしかなかった。まあ、買い物は、今日でなくていいだろう。そう思うが、また、行動計画書を作成して、一緒に出掛けたのでは時間が掛かり過ぎるし、冷蔵庫が空だと言う理由もあったのだった。
「私、もしかしたら、今日は夕方まで事務所に戻れないかもしれません。それで、昼職は用意しておきますから食べて頂けますか」
「はい、その指示に従います」
「食べ安いように、おにぎりを作っておきますね」
「はい、ありがとうございます。指示の通りに食事を済まします」
沙耶加は、時間に追われていた為に、海の様子に気が付かなかった。昨日までと比べて正気のような状態と思えた。思考もして無いのに返事を返したからだ。もしかしたら、一人にしないでくれ、と、脳内で悲鳴を感じているのだろうか。それとも、沙耶加の行動計画書やリハビリで散歩などのお蔭で、段々と正気を取り戻し始めてくれたに違いない。それなのに、視線も向けずに、又、声を上げた。
「海さん。ごめんなさいね。私、時間が無いの。もう出掛けるわね」
「・・・・・・・・・・・・」
海は、声を掛けられたが返事は出来ない。そして、何故、一人にされるのかと、沙耶加が部屋を出るのを、不審そうに見続けているように思えた。
「これなら、手土産の菓子を買って行ける時間はあるわね」
扉を閉めると、ペンダント型の小さい懐中時計を開いた。そして、蓋を閉める時。
「ごめんね、海さん。本当は、一緒に行きたいのよ。許してね」
沙耶加は、蓋の裏の写真に向かって話しを掛け、大事そうにポケットにしまった。恐らく、いや、絶対に一番の宝物のはずだ。まだ、海の両親が健在の時、海は、今より、少しは人間らしかった。その時に、物語を聞かせてくれて、そして、懐中時計を選んでくれたのだ。その物語の内容は憶えていないだろう。だが、ある部分だけは憶えているはずだ。それで、今でも使用しているのだろう。それは、願うほど欲しい物や好きな人の写真を入れておくと、願いが叶う。そう言う話しをした為に、今まで、大事に使っているはずだ。まあ、物語の話しよりも、宝物でも探すように街中を歩き回った事や嬉しそうに物語を話してくれた。あの笑顔、その思い出が一番の宝物だろう。
「うわあああ」
菓子店に着くと、驚きの声を上げた。
「如何しました?」
「ごめんなさい。まさか、限定の菓子が残っているなんて想像も出来なかったから」
「そう言う人は多いですから、気にしなくていいですよ」
「そう何ですか」
「そうですよ。喜びの余りに、気を失った人もいましたしね」
「うっそー」
「それで、お買い求めするのですね」
「はい、そうです。その残り二個をね。それで、お願いがあるのですが」
「はい、なんでしょう」
「あの~ですね。昼過ぎにもう一度、店に来ますので取って置いてくれませんか」
「あああ、構いませんよ」
「ありがとうございます。それと、Aの菓子詰め合わせを一つ下さい。それは、今、持ち帰りしますから、包装もお願いしますね」
「はい、畏まりました」
そして、五分位待っていると、菓子を手渡された。その時に限定の菓子の代金は前払い。と言われ、合わせた値段を言われた。
「ありがとう」
「あっ、お名前を聞かせて下さい。交代する人に伝えておきますから」
「田中 沙耶子です」
「はい。田中 沙耶子さんですね。またのお越しをお待ちしています」
「うん。又、必ず来ますわ」
これから、苦情を聞きに行くと言うのに、沙耶加は嬉しそうだ。何故だろうか、まるで、思い人にでも会いに行くようだ。まあ、恐らく、限定菓子の事を考えているはずだ。あの菓子は美味しくて好きなのだが、特に、海が一番好きな菓子だ。それで、海が美味しそうに食べている姿を想像しているのだろう。そして、満面の笑みで「ありがとう」と、言葉を掛けてくれるのではないか。そう思っているはずだ。
「はっあー」
沙耶加は、長い溜め息を吐いた。今思っている事が夢だと感じてしまったのか、それとも、懐中時計の写真と、思い描いている満面の笑みと比べようとしたのか、懐中時計の蓋を開けた。
「あっ、もうこんな時間、急がないと駄目ね」
写真を見て、視線を文字盤に移すと、惚けていたのだが、一瞬で真顔に戻り早足で歩き出した。それでも、様々な商店の前を通ると視線を向ける。海に何を作ってあげようかと考えているのだろうか、それとも、安売りの物でも探しているのだろう。どちらでも、海の事を考えているのは確かだった。住宅街に入ると、興味を引く店が無いからだろう。それで、予定通り少し早く着いた。
「こんばんは、探偵事務所の者です」
そう言葉を上げて、暫くしてから呼び鈴を押した。
「はい、お待ちしていました。どうぞ、お上がり下さい」
慇懃無礼のような話し方だ。シロの事で不快な思いをしているからだろう。
「本当に済みません。上がらせてもらいます」
「どうぞ」
沙耶加は、来るには着たが何も考えていなかった。猫と話しが出来るはずも無く、でも、二匹を離さなければならない。それは、分かっていたが、それを、どうすしたら良いかと、今でも考えている為に、目線を合わせられなかった。
「どうぞ、座って寛いで下さい」
前回の時は、応接間のような客として扱ってくれたが、今回は居間に案内された。それならば、親しみを感じてくれている。そう思うだろう。だが、冷たい視線からは、言い訳は聞かない。納得が出来る話を聞くまで帰さない。そう感じられた。その為に自分が疲れない部屋に案内をしたのだろう。
「沙耶加さんでしたね。シロちゃんが居ると、息子の謙二は嬉しそうな顔をしているように思えるの、何とかシロを返してくれませんか、無理でしたら、もう一匹の猫も飼ってもいいのですよ。その方が、謙二も喜ぶような気がします」
「もう一匹の猫も飼い主を探しているのです」
「そうなの」
「野良猫と分かれば、それが一番いいですね。その時はお願いします」
「それで、肝心な話ですが、シロちゃんは帰って来るのですね」
「それですが、私の所に来ても、この家に連れ帰しに来ます。何度も、そうしていれば、駄目だと分かるはずです。それか、この家に二匹を連れて来るかです」
「私は、二匹を飼うのはいいですよ」
「ですが、もし、飼い主が見付かった時は、返してもらいますよ」
「仕方ないわね」
「それでは、二匹を連れて来ます。それで、いいのですね」
「はい、お願いします。娘にも、そう伝えておきますわ」
「よろしくお願いします。それでは、これで、失礼します」
何かに急いでいるような口調だ。恐らく、沙耶加は、適当に話を合わせた事に気が付かれる。そう思い、急いで家から出たいのだろう。それは、家を出ると態度を表した事ではっきりと分かった。胸に手を当てて、心臓の鼓動を静めようとしていた。そして落ち着きを取り戻すと、歩き出した。
「今日は何にしましょう。肉にしようかな、魚にしようかしら」
別人のような満面の笑みを浮かべながら呟いた。
「えへへ、海さんが好きな限定の菓子もあるわ。嬉しそうな表情を見せてくれるかな」
さらに顔が緩んだ。妄想していたが、買い物も菓子を取りに戻る事は忘れるはずもなかった。それも、普通に買い物を済ましたのでは無い。まさか、と思うはずだろう。それは、この家を向かう途中に妄想しながら店を見ていたのは、海の好きな物を思案していたのではなかった。時間限定の品物を記憶していたのだ。それに、驚くのはまだある。走り回るのでなくて、妄想状態でのんびりとした歩き方で全てを買うことが出来たのだ。恐らく、海の行動計画書を書いていたからだろう。自分の歩く速度から道の距離や全ての妨げになることを一瞬で判断したから出来たはずだ。これほどまで心底から楽しみにして帰宅したが、海は、限定の菓子を食べても微かに微笑むだけだった。酷い。そう思うだろうが、ここ何日の行動計画書のお蔭で、少しは人間らしい感情は表れていた。それでも、一瞬の微笑みだったが、それでも、沙耶加は心底から喜んでいた。
「海さん。もう一つあるわよ。どうぞ」
この後に、海の一言で驚きの悲鳴を上げた。
「あり、が、とう。私は満腹です。沙耶加さんが、食べてください」
沙耶加は、失神するほどの驚きを感じた。やっと、自我のある言葉を聞いたからだ。
「海さん。全ての記憶があるのは分かるわ。正気に戻ったの?」
「正気?記憶?」
「そうそう。いろいろ憶えているの?」
「確かに記憶はあります。遺言書以外の参考の項目に、沙耶加の忘れちゃ駄目よ。三か条も記憶してあります」
「えっ?」
「沙耶加の忘れちゃ駄目よ。三か条、第四十章。甘い物は、女性の栄養源と言われました。男性は一個。もし他に残っている場合は、それは、女性の物だと命令されました。その事でしょうか?」
「バカ。ああっ幼稚園の時のことね。命令ではないわよ」
「はい。そのように変更します」
「馬鹿。もう、いいわよ」
「馬鹿?」
「もう、海さん。遺言状を初めから復習しなさい」
「はい、指示に従います。第一章、第一、全ての事柄は、朝の挨拶から始まる」
海は、沙耶加の指示で父が残した遺言書の内容を叫んでいた。その様子を、沙耶加は残りのケーキを食べながら楽しそうに見つめ続けた。暫く、見続けていたが、
「シロちゃん。そろそろ、家に帰る時間よ。一緒に帰りましょうね」
そうつぶやいた。シロを抱え上げると、不審そうに天猫に向けて鳴き声を上げた。
「海さん。遺言書の復習は中止。シロの家までの道順は憶えていますね」
「はい。全てを記憶しています。危険、注意の項目も記憶にあります」
「それでは、シロを家に帰しますから一緒にきて下さい」
探偵事務所の外を出ると、沙耶加は、何時ものように恥ずかしい気持ちを味わった。今なら慣れていたが、子供の時は、いろいろ愚痴を言っていた。それが、積もり溜まったのが、沙耶加の忘れちゃ駄目よ。三か条だ。海の記憶だけで本にはしてないが、もし、本にしたとしたら軽く百冊分はあるはずだ。それで、なにが恥ずかしいのか、そう思うだろう。海と一緒にいると確かに目立ち、視線も感じる。今回は、行動計画書も与えずに好きに行動させていたから普段よりも変な行動をしていた。
「海さん。そんなに警戒しなくても、大丈夫よ」
沙耶加は、海の行動を見ていると、まるで、自分が護衛をされるような人物にでもなった。そんな気分を感じた。探偵事務所を出る時は、先に出たのだが、カギを閉めている間に、海が、危険や注意を感じる所を探し周り検査していた。それからは、海が先を歩き、少しでも危険や注意を感じる物を検査していた。まあ、恥ずかしい気持ちになるが、嬉しい気持ちにもなっていたが、全て、海の身の危険から守る為。そう思うと、少し悲しい気持ちになっていた。
「沙耶加さん。私の周り百メートルは五分の間は、何も危険はない。一緒に歩く事が出来ます。次の百メートル先を進みます」
「はい、はい」
この様に,百メートル歩く毎に危険、注意と思う箇所を検査していた。それでも、沙耶加は嬉しかった。今回は行動計画書が無い。自主的に行動してくれたからもあるが、少しだが、沙耶加の安否も気遣ってくれている。そう感じることが出来たからだ。
「確認が済みました。次にいきます」
「ありがとう」
このように何度も同じ事を繰り返し。やっと依頼主の家に着く事が出来た。
「まあ、おかえり。シロちゃん」
今まで、シロを探していたのだろうか、それとも、シロを連れ帰る。そう連絡が来たからだろう。それで、待ちきれなく玄関の外で待っていたのだろうか、シロが視線に入ると、会える喜びで駆け寄って来た。つい先ほどまで心配で顔が引きつっていたが、会えた喜びだろう。満面の笑みに変わっていた。
「約束の通りにお連れしました。それでは、後はお願いしますね。それと、トラちゃんが、外に出たいようなら出して下さい。トラちゃんなら何も心配しなくて大丈夫ですからね」
「はい。そうします。安心して任せて下さい」
「それでは、私は帰ります。また、シロちゃんが来るようなら、又、連れてきますね」
「よろしくお願いします」
「それでは、失礼します」
沙耶加は、深々と頭を下げると、海に視線を向けた。
「海さん。帰りますよ」
「はい、その指示に従います」
海は、置物のように立ち尽くしていたが、沙耶加が声を掛けると、喜んでいるかのように表情を浮かべ歩き出した。
「はっあー、また、同じように確認するのね」
沙耶加は、先を歩く海を見ると大きな溜め息を吐いた。そして、愚痴のように独り言をつぶやいた。このように同じ事を、三日、四日と続け、五日の朝、驚きの声を上げる事になる。それは、同じように出勤して、扉を開けて直ぐだった。
「海さん。おはようございます」
「沙耶加さん。今日も」
海の元気な姿を確認が出来たからだろうか、沙耶加は、挨拶を最後まで聞く事なく、忙しそうに日課を始めた。それでも、普段は真っ先に海の朝食の準備を始めるのだが、この数日は、天猫とシロの朝食から初めていた。恐らく、初めての仕事の依頼だからだろう。
「トラちゃん。シロちゃん。朝ご飯よ」
両手に、二匹の朝食を持ちながら寝ているはずのダンボールの箱に視線を向けた。
「えっ。トラちゃん。シロちゃん。何処なの?」
やっと、二匹が居無いのに気が付いた。
「うぁああああ、シロちゃんが居無いわ」
叫び声と同時に電話が鳴った。
「はい、山田 省吾、探偵事務所です」
「シロちゃん。シロちゃんは、事務所に居るわよね。起きたら居なかったの。今までの通りに連れて来てくれるわよね。大丈夫よね。本当に大丈夫ですわよね」
「はい、大丈夫です。お連れします」
つい、心底から心配しているような怒りのような声で、嘘を付いてしまった。
「良かったわ。事務所に居るのね。良かったわ。よろしくお願いしますね」
嘘を付いた事で、心の正気を取り戻したのか、そうでは無いだろう。電話口の依頼者の落ち着いた話し声で、沙耶加も正気を取り戻す事が出来たはずだ。
「あっ、済みませんが、今日は、今までの通りの時間にはお連れ出来ません。別の依頼者の依頼がありまして、済みませんが夕方にお連れします」
「え、え、でも」
「済みませんが、元々、依頼者の娘さんの帰宅時間までお連れする。それが、依頼内容でしたはずです。必ず、夕方までお連れします」
「えっ。ああ、分かりました。シロちゃんは、事務所に居るのですね」
「夕方に必ずお連れします」
「そうなのね。シロちゃんは居るのですね。分かりました。待っています」
「それでは、失礼します」
沙耶加は、落ち着いたように嘘を突き通していたが、それでも電話を切り終えると
「うぁああああ、どうしましょう。どうしましょう」
頭を抱えながら叫び声を上げてしまった。
「沙耶加さん?」
海は、囁いた。悲しみが伝わったのだろうか、それで、微かな自我が現れたのだろうか、海は沙耶加の元に近寄り、沙耶加の頭を優しく撫でた。
「海さん?」
「行動計画書の行動時間がきました」
微かな自我は有ったと感じたのだが、行動計画書の行動だったようだ。
「ほんとうに~もうー、海さんの馬鹿」
沙耶加は、海の変な行動のおかげで、完全に元の自分を取り戻せた。そして、正気の状態でゆっくりと思案が出来た。
「う~ん。どうするか、夕方まで時間があるわ。でも、探し出せるか、海さんにも手伝ってもらうけど、まあ、今の海さんは、記憶だけは良いから、ねね。海さん」
「は、い?」
海は、予定に無い言葉を聞き、思案よりも驚き声をあげた。
「ねね、シロとトラの特徴は憶えている。会えば、二匹だと判断が出来る?」
「記憶はしてあります。会う事が出来れば、シロとトラなのか判断が出来ます」
「そう、分かるのね。それなら、シロの家の往復と同じ行動計画書でね。ある地図を見せるから同じように行動と、捜索して欲しいの。まあ、距離は五キロくらい有るから範囲は広いけどね。それで、一番の肝心なのは、歩いている時、猫を見付けたら、全ての猫を記憶して欲しいの。出来るかしら?」
「はい。指示の通りに行動が出来ます」
「ああ、海さん。行動計画書には書いて無いけど、二匹と会ったら全てを無視して、二匹が落ち着く場所、その範囲を記憶して、待ち合わせ場所に来て欲しいの。待ち合わせの場所は、そうね、公園にしましょう。ブランコの前で待っていて。私は、公園の周辺で探します。ちょくちょく行くから安心してね。それでは、そろそろ、出掛けましょうか」
海は、大人しく話を聞いていた。最後にうなずいたのだから話しの内容が分かったのだろうか、それとも、微笑みを浮かべて話をする姿に見惚れていたのだろうか、それは、今の海の様子では分からないが、それでも、海も楽しみを感じているようにも思えた。
第十章
その頃のシロと天猫は、待ち合わせの場所の神社だった。今は駐車場になり、その隅で時間潰しだろう。昨夜、事務所から出る。その間際の話しを思い出していた。まあ、話しと行っても猫語と、幽霊が話しをしているような感じだ。もし、事務所の中を人が見たとしたら、二匹の猫が鳴いている。お腹が空いて、猫が食事でも催促している。そんな感じに思えるはずだ。
「鏡お兄ちゃん。大丈夫かな?」
それは、昨夜、二匹が事務所から出る時の、確認の為に聞いた内容を思い出し、本当に来てくれるか、その不安な気持ちを心の中でつぶやいたのだった。その気持ちはシロにも伝わったのか、それとも、同じ気持ちだったのだろう。
「ねね、本当に、二人は来るのでしょうね。鏡と静だったわね。大丈夫なの?」
突然に天猫が無言なり、それで不安になり、シロは問い掛けた。
「大丈夫だよ。鏡お兄ちゃんが話しをしてくれただろう」
「そうね。たしか」
シロは、天猫に、言われて、昨夜の事を思い出していた。それは、ハッキリと思い出せた。その人物が、自分の主と同じ様子だったので、忘れる事は出来なかった。
(天。もう、行動を開始するのか、まだ、早く無いか?)
(鏡お兄ちゃんが、まだ、駄目だと言うなら待つけど)
(あのう。どうやって、海さんと沙耶加さんを連れ出せるのですか?)
シロは不安と好奇心で胸が一杯だった。それで、問い掛ける事が出来なかった。それでも、主人の病気が治るかもしれない。そう思い。勇気を絞り出した。
(まあ、難しい事ではないぞ。普段の海に食事を食べさすのと同じ事をするだけだ)
(そうなのですか、出来たら教えてくれませんか?)
(まあ、海を自由には動かせる事は出来ないが、食事を食べさすように誘導する。簡単に言うなら、沙耶加さんの行動計画書みたいに、右の手で箸を持ちなさい、左の手にお椀を持ちなさい。箸を使い口に運ぶってね。まあ、私の場合は、体の神経に話しを掛ける。と言えば分かり安いかもなぁ。そのように自然と体を誘導するのだ)
二人は、今の記憶を一瞬で思い出した。それを思い出したからなのか、二人は和やかな気分になったのだろう。
「笑ってくれた。鏡お兄ちゃんも静お姉ちゃんも頼りになるから、大丈夫だよ。安心しろ」
「そうね。でも、何時頃に来るのかしら、その間、この場所で待ってないと行けないのよね。お腹が空いたらどうしますの?」
「うっ」
(そうだな、俺も思うが、まさか、事務所に帰れないし、シロの家に行ったら計画が駄目になる。まあ、俺なら何でも食べるが、姫様のように育った飼い猫では無理だろうなぁ)
「ねえ、ちゃんと計画あるのでしょう」
「うっ」
「あっ」
シロは驚きの声を上げてしまった。
「どうした。大声を上げるほど、空腹なのか?」
「まさか、何も考えてない。そのようなことは無いわよね?」
「もう少し待ってくれ必ず来る。その後ゆっくり食事をしよう」
「それで、いいわ」
天猫は、何とかシロを説得した。まあ、シロが一瞬の笑みを浮かべた事に、少しだが、不審を感じたが、静と鏡が、何処から来るのかと、周りに視線を向けて探すのに夢中で、それほど、深くは考えてはいなかった。
その頃、沙耶加と海は何をしているかと言うと、沙耶加は、公園の捜索を三十分で捜索しないと行けない。そう考え、かなり焦っていた。勿論だが、その理由は、海にあった。五キロの範囲の捜索する時間は三十分もあれば終わって帰って来るからだ。もし、二匹に会えば、時間はずれるだろうが、それでも、今の海なら生真面目だ。恐らく、いや、必ず三十分で帰って来るはずだからだ。
「ふっ、公園には居無いわね。何処に居るのかしら?」
探し終えた後だが、音がすると目線を向けて、シロとトラ猫かと探してしまう。
「それにしても、海さん。遅いわね」
ペンダント型の小さい懐中時計を見ると、三十分が過ぎようとしていた。それで、愚痴をこぼしてしまった。沙耶加は心配しているが、海は決められたように捜索をしていた。
(海、どうした。私の指示とは違うぞ)
鏡の言葉が聞こえても指示には従わないと思うが、それでも、鏡は、普段の食事を食べさせる時よりも、かなり真剣に指示を送っていた。何故、同じように行かないか、それには理由は分かっていたはずだった。
「ぶち猫を発見。二匹とは違う。再度、この道を進む」
(又か、左に行け)
何も思考してない時と、思考している時と違うからだ。それにだ、行動計画書が無くても、シロの家に向かう前回の行動計画書と同じように行動しようと思う思考と、沙耶加の指示を優先させようと、体が動くからだ。十歩くらい歩かせると、突然に、自分の思考した動きを示してしまい。鏡はかなり、体を動かすのが面倒だった。
それでも、やっと、天と待ち合わせの神社の近くにきた。
「鏡お兄ちゃんだ。静お姉ちゃんが居無い。まさか、一人で来たの。二人でないと意味がないのは分かっているはずなのに、何を考えているのだ」
二匹の猫には分からないだろうが、鏡は、心底から疲れ、やっと連れてきたのだ。
「天、言いたい事は分かる。もう少し待っていてくれないか」
天の冷たい視線を感じて、二匹には伝わらないのが分かっているが、つぶやいてしまった。そして、また、鏡は驚きを感じたのだった。
(ん、どうした)
海が、二匹を視線に捕らえると、立ち止まってしまったからだ。
「二匹を発見。三つの指示がある。一つ、三十分で沙耶加の所に帰る。二つ、二匹が、どこに向かうか調べなくてはならない。だが、動いていない。三つ、出会った場合全てを無視して、沙耶加の所に帰らないとならない。どうすれば良いのか、遺言書では、遺言?」
海は、思案をしている。と言うよりも、まるで、驚きの余りに、脳内が混乱状態で、思考判断が出来ない状態だった。
(何を言っているのだ)
鏡は、必死に、海の身体を動かそうとしていた。
「如何すれば、良いか、遺言、遺言」
その時、何かが切れたような不気味な音が響いた。
「三つの指示を同時に進める。その為には後五分間の間に、この場所の全てを記憶して行動すれば、時間の通り公園に着くことが出来る」
先ほどの音は、海の脳内の血管が切れた音のようだ。何本も切れて、強制的に繋がったように感じられた。その後、写真機でも手に持っているかのように、周りの景色や二匹の猫を写真にでも撮っているかのような行動を始めた。そして、五分後、何も無かったかのように、元来た道を歩き始めた。
「うわああ。静お姉ちゃんが居無い。如何しよう、鏡お兄ちゃんだけでは、如何しようもないぞ。どうしよう。でも、何故、一人で来たのだろう」
「あの男、帰って行くわよ」
シロは不審そうに問い掛けた。
「え,何故?」
「ねえ。これから、如何するの?」
「もう少し待ってくれ、静お姉ちゃんを連れてくる為に帰ったはずだよ」
「そう、でも、お腹が空いてきた。朝って言うか夜から居るのよ」
「分かっていますよ。だから、もう少し待ってくれ」
「そう言うなら待つけど、まさか、昼にはならないわよね」
「そうだな」
二匹が居るのは、神社の像。分かり安く言えば、狛犬のような像と思ってくれれば分かるだろう。だが、雨や風などで、何の像なのか分からなくなっていた。それでも、四足で座っているのが分かる。恐らく、動物だと分かるだけだ。だが、二体あるのだが、その二体は同じ時に作られたとは思えなかった。片方が、酷い位に状態が悪いからだ。もしかすると、一体だけは、守り像か、御神体だったのが、建物もなにも無くなり。像だけが残った物を壊す事も出来ない為に、今の御神体の守り像として使われた。そう感じられる雰囲気だった。
「分かったわ。待っています」
天猫の話しを聞き終わると、海に視線を向けた。早く帰ってきて欲しいからだろうか、姿が見えなくなるまで、祈っているかのように見つめ続けた。
二匹の気持ちが分かるはずも無く、海は歩き続けた。そして、また、何故、そんな事が分かるのかと不審な言葉をつぶやく。その言葉とは
「待ち合わせの時間まで後、十五分だ。このままでは、十分遅れる」
海は、時計も、勿論、携帯も無い。なら、何処かの店などの時計を見た。そう思うだろうが、それは、無い。それでも、時間が分かった。それは、何故。そう思うだろう。普通なら分かるはずがないのだ。その答えは、自分の心臓の鼓動で時間が分かるのだ。信じられないと思うだろうが、常に心臓の鼓動を数えているのだ。十分で何回だから何分経った。そして、今は何時何分と分かるのだ。そして、つぶやいた時間。公園に予定の通りに十分の遅れで来る事が出来た。
「海さん。ここよ~」
沙耶加は、嬉しそうに手を振って、自分が居る場所を教えた。
「遺言書。第一巻第一章、自分の過ちは素直に謝罪しなければならない。
沙耶加さん。済みません。十分遅れました」
「いいのよ。海さん。その位の時間なら遅れた事にならないわ。謝らないでいいの」
「はい。そう、記憶します。これからは、致しません」
「あっあ」
沙耶加は、海の返事で涙を浮かべた。それも、そうだろう。人としての温かみが感じられないからだ。心底から泣きたかったが、泣くと、海が悩むから堪えたに違いない。
「沙耶加さん?」
「何、何、如何したの。海さん」
沙耶加は、海が首をかしげるのを見て、微笑みを作った。
「指示された事の内容を聞かないのですか?」
「いいのよ。簡単に探し出せ無いのは分かっているから、気にしなくていいのよ」
「私は、指示された二匹を探し出しました」
「えっ、何処で、なら、そこに案内して下さい。直ぐに行きましょう」
「はい」
海は、後ろを振り向いた。だが、靴跡が綺麗に重なった。それを見て、沙耶加は
「あ」
(まあ、まさかね。今横を向いたのも、歩く速度も、行きと帰りの行動や目の視線、全てが、まったく同じなんてね。考え過ぎね。そこまで、人間離れして無いわね)
沙耶加は、靴跡だけで無く、海の仕草を見て驚きを感じていた。確かめられないが、行きと、今帰ってきた行動や仕草が、まったく同じように思えたからだ。
第十一章
その頃、天猫とシロは大人しく神社で待っていたのだが、待ちきれないからだろう。シロが叫び声を上げていた。上げた時間は、海と沙耶加が公園を出た時だった。
「もう、我慢できない。お腹が空いて死にそう」
「もう少し待ってくれないか」
「もう、駄目、駄目、死にそうなの」
「そう、言われてもなぁ。事務所にも家に帰る事も出来ないのだぞ。後で、好きな物を食べさせてやるからなぁ。もう少し待ってくれよ」
「そんな事が出来るの?」
「うっうう。なら聞くが、シロさん。何が食べたい?」
「誰にも言わないでよ」
「内緒にするよ」
「本当ね。私、噂で聞いたのだけど、ネズミとか蜥蜴って食べたら美味しいのでしょう」
「え」
天猫は、驚きの声を上げた。意味が分からなかったのだ。それで、再度問い掛けた。
「聞き間違いで無いよなぁ。ネズミか蜥蜴を食べてみたいのか?」
「そうよ」
「それは、焼くのか煮るのか、それとも生で?」
天猫は、冗談で聞いてみた。何かの料理と思っている。そう感じたからだ。
「出来たら、生がいいわね。狩ってするのでしょう。それすると、美味しさが増すのよね」
「そうかあ、安心しろ。食べさせてやる。狩も教えてやろう」
「待つって一分なの、それとも五分?」
と、真剣な表情で問い掛けられ、降参するしかなかった。
「はっぁ、五分待ってくれ」
(仕方が無い、狩をすると言って、海が帰りに歩いたと思われる道を歩くしかないな)
「分かったわ」
そして、五分が経ち、精神的に疲れたのだろう。
「さあ、行こうか」
天猫は溜め息を吐くような言葉を掛けた。
「はい、楽しみです」
「狩は命がけだから」
「ええ、危険なの?」
天猫の話しを、沙耶加は、悲鳴のような声で遮った。
「意気込みの話だ。それ位は真剣な気持ちでないと、ネズミは捕まえられない」
「捕まえるの。そうよね。生で食べるのだし生きているわね」
今までの、沙耶加の話では、ネズミと言う生き物は、何なのか分からないようだ。
「そうだ。生きている。その為にだ。俺の指示には従う事。それは守って欲しい」
「はい。従いますわ」
「はあ、行くか」
自分の気持ちを引き締めるような言葉を上げ、歩き出した。
「ねね、どの店屋なの?」
シロは、魚屋、肉屋など何件かの店屋の前を通るたびに興味の視線を向けていたが、どのような食べ物なのか考えるだけに我慢出来なくなったのだろう。天猫に話しを掛けた。
「えっ、何の話だ?」
「ネズミを探しているのでしょう」
「えっ、ああ、そうだぞ」
「どの店屋なの。狩って何なの?」
「店には置いて無い。狩と言うのは流れの珍味を売る店屋だ。それを探す事だし、そして、美味しい物か不味い物か見極めて値切るのだぞ」
「お金が必要なの?」
「違う。必要は無い。犬の大好物だし、犬が護衛している。犬からも猫からも守らないと行けないからな。その犬の分を分けて貰うのだ。それが、交渉って意味だ」
天猫は、話しをしている内に、何を言っているのか分からなくなってきたのだろう。最後の方では、早口になり無理やり話しを合わせよう。としている感じだった。
「そうなの。それで、何かを探しているように歩き回っているのね」
「そうだぞ。安心して付いて来い」
「はい。何だろう。楽しみにしています」
シロは、長年楽しみにしていた物が食べられる。そう思っているからだろう。空腹を忘れ、愚痴もこぼすことも無く、笑みまで浮かべながら歩いていた。
「ああ、いたわ」
沙耶加が安堵の声を上げた。二匹の猫を見付けたのだ。それは、シロと天猫に間違いなかった。
「これで、帰れるのね」
「良かった。やっと、二人で来てくれた。心配したよ。静お姉ちゃん。鏡お兄ちゃん」
天猫は、二人が視線に入ると、鳴き声を上げた。それでも、鳴き声が聞こえ無い。そう、分かったからだろうか、いや、違う。聞こえていても、沙耶加と海では意味が無い。二匹を捕まえる事しか考えていないからだ。それで、二人を神社まで連れて行かないと意味がない。そう考えて、二人を導く為に走りだした。
「シロ。あれだ。狩をするぞ」
「え、どこ、えっええ、狩をするの」
「そうだ。付いて来い」
「シロちゃん。待って、待って」
沙耶加は、二匹が走りだしたので捕まえようと駆け出した。
「はあっ。はっあ。やっと逃げないでくれた。怖かったの。大丈夫よ。私を憶えているでしょう。向かいに来たのよ」
「にゃ、にゃ」
シロが鳴き声を上げた。まあ、沙耶加に分からないだろうが、恐らく愚痴を言っているはずだ。「ネズミは、どこ?」とか「元の神社に帰ってきたわよ」とかを、天猫に言っているのだろう。それを分かるはずもなく、沙耶加は二匹に近づこうとした。
「そうそう、いい子ね。迷子になっていたの。探したのよ。さあ、帰りましょう」
沙耶加は、猫の鳴き声が自分の考えていると同じに思い。何度もうなずいていた。
「にゃ、にゃあ」
シロが、鳴き声を上げるが、二人に近寄る事はしなかった。天猫の方をみて、鳴いているのだ。それを、心配になり、静が、怖がらせないように二匹に近づいた。
「にゃ、にゃにゃ」
天猫は、シロに脅すような鳴き声を上げた。
(シロ、それ以上近寄るな。その場に居ろ。もし、俺や、二人が消えても、近寄るなよ。そうなった場合、主が居る家に帰れ。全ての事が終われば、話しをしに行く。良いな)
「にゃ」
(はい)
シロは、天猫に向かって、何ども頭を下げていた。
「如何したの。おいで、お腹も空いたでしょう。帰りましょう」
沙耶加は、猫語が分かるはずも無く、自分が呼ばれていると思ったのだろうか、それとも、怪我でもして動けないのかと心配で、二匹の気持ちを落ち着かせようと言葉を掛けた。
「にゃああああ」
天猫は、シロが沙耶加に捕まりそうになった時、像の身体の上に飛び乗った。そして、シロも飛び乗った。だが、二匹は乗る事も出来ず。シロだけが直ぐに降りてしまった。と、同時に沙耶加は、捕まえようとしていた為、止まる事が出来ずに像に触れてしまった。
「きゃああああ」
沙耶加は、静電気よりも強めの痺れを感じて大声を上げた。その声を聞いて、海が駆け出した。その時、海の体を動かしたのは、海なのか、鏡なのか分からないが、沙耶加の腕を像から離そうと、像に触れた。
「うぉお」
悲鳴なのか、驚きなのか分からないが、海も声を上げた時、天猫が像の上から消えた。
「ここは、何処だ?」
天猫は、一瞬の内に、像の上で無く、暗くて身体が浮いているような感じを味わった。何処か分からないが、先ほどまでいた世界とは違う所にきた。そう感じた。
「あっ。鏡お兄ちゃん。静お姉ちゃん。大丈夫?」
時間にして一分位だろうか、すると、光苔のような幽霊のような二体を見つけ。それが、誰か分かったのだろう。言葉を掛けた。
「大丈夫よ」
静は、天猫を安心させた。
「天、今いる場所が、何処か分かるか?」
「分からないよ。でも、何か、憶えあるよ。最後の獣を倒す為に入った所と似ているよね」
「そうだな」
「きゃ」
静が悲鳴を上げた。
「静。どうした。うぉー」
「どうしたの?」
「身体が引っ張られる。天、来るな」
「そうよ。天ちゃん。来ないで」
「でも」
天猫は、心配で、二人を見続けた。
「俺の身体が見える」
「あっ、私も」
「身体に帰れるの?」
天猫の、言葉が最後まで話し終える前に、二人は、消えた。だが、天猫の目には見えていた。それは目で見ているのか、頭の中で感じたのか、まるで夢のように二人の様子が見る事が出来た。二人肉体は、マネキンの人形のように血の気が無かったのだが、だんだんと、人間のように温かみが感じられてきた。それを見て安心したが、完全に身体を動かす事が出来ない。それでも二人は、首を振り、腕を回し自分の身体を確かめているように感じられた。そして、不思議な影を見て言葉を無くした。
「ほう、帰ってきたのか」
「嘘だろう。最後の獣だ。今助けに行くよ。待っていて」
天猫は声を上げるが、言葉は届いているとは思えない。二人が聞こえているとは思えない態度だったからだ。
「うっ」
天猫は、体が引っ張られる感じを受けた。二人の場所に行ける。そう感じたのだが、行けない。何故かそう感じた。二人の姿がだんだんと見え無くなってきたからだ。
「嫌だ。何処にも、行きたく無い」
大声を上げた。でも、何か、声のような感じで聞こえ。それに意識を集中した。それで、それ以上は声を上げなかった。
「ん。誰?」
「如何したの。貴方が来るのは、ここよ。早くおいで」
母のような優しい声が聞こえてきた。
「お前は誰だ。それよりも、俺は何処にも行きたくない。鏡お兄ちゃん達の所に帰せ」
「でも、貴方は、私の所に来ないと駄目よ。さあ、怖がらないで、こちらに来なさい」
「嫌だ」
そう答えたが、突然目の前が眩しくなり。女性の元に来たと感じた。天猫は、周りを見るゆとりは無かった。それ程、二人の事だけしか考えられない為だろう。
「貴方の夢は何、その為に来たのでしょう?」
「何を言っている。なら、鏡お兄ちゃん達の所に行きたい」
「何を言っているか分からないけど、ここはね。猫の天国なのよ。あなたの寿命は、そろそろ終わるの。私はね。猫が好きだから、この、猫の天国を造ったの。出来る事をしてあげたいのよ。それだけなの。猫の望みなら私でも出来る事が多いからね。ねね、何が食べたいの。好きな猫でも居たのかしら、何でも言っていいのよ」
「お願いです。鏡お兄ちゃんと静お姉ちゃんの所に連れて行って欲しい。二人は命の危険に会っているはず。出来たら、二人を助けて欲しいのです」
「ご主人様の所に帰りたいの。でも、ここなら少しは長く生きられるのよ。そして、主の一生を見守る事が出来るわ。時間の流れが違うの。まあ、言っても分からないわね」
「そんな事はどうでもいい。俺の命が短くなってもいいから早く連れてってくれ」
「そう、元の世界に帰りたいの」
「そうでは無い。さっき居た場所に帰してくれよ」
「そう言われても、どこの場所?」
「だから、さっき俺達が居た場所だよ」
「俺達、と言われても、貴方だけが居たのよ」
「そんなはずは無い。鏡お兄ちゃんと静お姉ちゃんと一緒に来たはずだ」
「あの道は猫しか通れないわ。人は通れないのよ」
「ああ、人と言うか、幽霊みたいな感じかな」
「そうなの。それなら通れるかもしれないわね。でも、それなら、どこかに弾き飛ばされたかも知れないわ。幽霊なのでしょう。探しようが無いわ。物とか人なら・・・」
「ああ、そうだ。人を探してくれ、自分の身体に帰ったよ。それなら大丈夫だろう」
「なんか分からないけど、幽霊でなくて人を探せばいいのね」
「そうだ。早くしてくれ、鏡お兄ちゃんも静お姉ちゃんも殺されるかも知れない」
「何で、危ないって分かるの?」
「殺されるかもしれない。そう言っているのに早くしてくれよ」
「もしかして、今、二人の様子が見えるの?」
「今は見えない。さっきの場所では見えたぞ。頼むから早くしてくれ」
「見えたのなら探しだせるかも、この場所から猫の主とか、思い人の様子を見られるから」
「説明などいい。早く連れて行ってくれ」
「あらあら、忙しい猫さんねぇ」
「ふざけないでくれ、二人の命が危ないのだぞ」
「そうよね。ごめんなさい。それでは何とかしてみるわね」
「出来れば急いで下さい」
「ああ、そうそう、名前を聞いてなかったわね」
「はあー。あのう。はい、天猫と、言います」
女性の態度をみて、何を言っても無駄。そう感じたのだろう。大きな溜め息を吐いた。
「天猫さん。こちらに来て。そして、その台に乗ってくれませんか」
天猫が台に乗ると、手馴れたように機械の操作を始めた。
「これで、行けるのですか?」
「行けないわ。でも、二人がいる場所が分かるかもしれないわ」
「だから、俺は、鏡兄ちゃん達を見るので無く、その場所に行きたいと言っているのだぞ」
「そうよ。行くには場所が分からないと行けないでしょう。それを探すの」
「それで何をすればいい」
身体の数箇所に聴診器みたいな物を付けられ嫌な気分を感じているようだが、二人を助ける為だろう。進んで指示を求めた。
「これと言ってする事は無いわ。ただ、二人と別れた様子を思い出して、そして、それだけで無く、二人の事を詳しく思い出すの。二人の意識と貴方の意識が一致すれば、装置が反応するわ。そうすれば、二人が見えるはず。見えたら教えて」
「みっ、み、見えた」
「良かったわ」
「うぁああ、鏡お兄ちゃん。危ない。逃げて」
天猫は、鏡と静が横になり寝ているよう姿を見た。それだけなら、安心して見守っていただろうが、そうでは無かった。恐竜の尻尾のような物が鞭のように、二人の顔すれすれに飛び回っているのだ。そして、気まぐれのように身体ぎりぎりに打ち付けていた。
「如何したの」
「もう待って居られない。直ぐにでも助けに行かせてくれ。駄目なのか?」
「確証はないけど、神社の像の行き先を、二人が居る場所に繋げてみるわ。行けると思うわ。それで、私が居る所にこられたのだからね」
「何でもいい。直ぐに試させてくれ」
「いいわ。今、入れ替える。行ってらっしゃい」
「うぉおお」
天猫は叫んだ。痛みを感じたからでは無い。二人が居る場所を目で見ていたのだが、突然に目の前に近づいたように感じたからだった。
「消えたわね。行けたのかしら?」
そうつぶやきながら又、機械の操作を始めた。恐らく、行き先を確かめているのだろう。
第十二章
「まだ、動けないようだな。聞こえているのか。聞こえて無いようだな。まあ、聞こえていようが、いまいが、まあ、いいか、動けるまで待ってやろう」
「鏡お兄ちゃん。静お姉ちゃん。助けにきたよ。大丈夫」
天猫は、二人の危機に間に合った。
「おおっ、お前は、二人を助けに来たのか。んっ?」
「俺が相手になる」
「あっはっははは、お前は、あの時の子猫か、前は、若すぎて相手にもならなかったが、今度は、爺かぁ。まともに歩けるのか、大丈夫なのか」
「うるさい」
「うっううう」
鏡と静が呻き声を上げた。
「おお、主は動けるようになってきたようだぞ。待っていてやろうか、それとも」
獣が、そうつぶやくと、尻尾は、二人めがけて振り落とそうと向かってきた。
「ぎゃん」
天猫は、二人を助ける為に、自分の体で尻尾を受け止めた。勿論受け止める事が出来るはずもなく、天猫は、数十メートルも飛ばされた。
「わっはっはは」
獣は、予想通りの行動だったのだろう。高笑いを上げた。
「天、大丈夫か?」
「天ちゃん。大丈夫なの?」
天猫の悲鳴が聞こえたのだろうか、それとも偶然なのか、まだ身体は動けないようだが、必死に声を上げ安否を確かめた。
「おお立ち上がったか、身体は頑丈になったようだな。だが、フラフラだぞ。大丈夫か」
「うるさい。お前を倒す」
「威勢がいいな。そうかあ。今度は、如何するのかな」
又、獣は尻尾を振り回した。
二人は動けるようになると、殺気を感じたのだろう。直ぐに戦う構えをした。だが、同時に獣の尻尾が鞭のように襲い掛かってきた。そして、直ぐに尻尾が届かない所まで移動した。安心したのだろう。二人は天猫に視線を向けた。
「天、久しぶりだな」
「天ちゃん。大きくなったわね。少し怖い位よ。もう、抱っこは出来ないわね。残念だわ。それよりも、身体は大丈夫なの?」
「再会を嬉しがるのも良いが、これは逃げる事が出来るかな」
「天」
「天ちゃん。逃げて」
今度は、天猫に尻尾を向けた。だが、立っているのがやっとだったのだろう。
「ぎゃにゃあ」
天猫は、逃げる事が出来なかった。そして倒れると、立ち上がる事が出来なかった。
「天、大丈夫か?」
「天ちゃん。大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。まだまだ、大丈夫。今度は、俺が、鏡お兄ちゃんと静お姉ちゃんを助ける番だからね。俺、強くなったよ。安心してよ」
天猫は死ぬ気で立ち上がった。
「天猫さん。お二人さん。早く、こちらに来て下さい」
女性の姿は見え無いし場所も特定が出来ない。もしかすると辺りに全てに響いているようだ。その証拠に獣も、天猫も鏡も静も辺りを見回したからだ。
「また、邪魔が入ったようだな。その老猫に免じて、今回は引いてやろう。老猫とは完全な身体の状態で戦いたくなった。早く完治しろよ」
「何をしているの。早く、いらっしゃい」
「何をしている早く逃げるが良い」
「こっちだよ」
天猫は、二度目の言葉で場所の判断が出来たのだろう。何も無い空間に、二人を導いた。そして、天猫は、首を振って場所を教え、二人が消えるのを確認すると自分も飛び込んだ。
「ありがとう」
最後の天猫が消えると、女性の声が響いた。何故、そう言ったのか分からないが、その声色で判断すると心底からの感謝の気持ちだけだと思えた。
「天ちゃん。ここは何処なの、それより、身体は大丈夫なの」
「天、本当に大丈夫なのか、それにしても、ここは何処だ?」
「なんか、猫の天国と言われたよ?」
二人は、まず、直ぐに後ろを振り向いた。獣がまだ居ると思ったのだろう。殺気を放ちながら振り向いたが居なかった。あるのは、扉のない入り口、それも真っ暗だった。暫く、それを見つめていたが、友の身体が心配だったのだろう。それを、先に優先した。
天猫も、先ほどは二人の事だけを考えていたからだろう。やっと周りを見て、二人と同じように驚きを感じていた。
「天国?」
「そうなの?」
「そうだよ。静お姉ちゃん。猫の天国らしいよ」
「それにしては、安らぎを感じるような所では無いな」
部屋は真っ白で清潔感だけを感じる雰囲気で、診察台のような物だけが中央に置いてあり。その周辺には心電図を調べる。いや、もっと脳波まで調べられる程のコードなどがあり。壁には様々な映像を映す画面や操作盤などがあった。そして、二人と一匹は会話を楽しんでいるようにも思えたが、視線だけは、ここに来た入り口では無く、一つだけある扉を見つめていた。
「そうね。私も、天国って花畑などあると思ったわ」
「静、猫ならマタタビの林で無いのか、ふっふふ」
「まあ、鏡は綺麗な女性が居れば、どこでも天国でしょうね」
静は笑われたからだろう。一瞬だが、顔をしかめた。
「どう言う意味だ」
「天ちゃんも男だけど、鏡みたいな男にはならないのよ」
「二人は、今、椅子を出しますので、暫くの間、座って少し待っていて下さい。それより、天猫さん。身体を診ますから、扉から入って、こちらに来なさい」
女性は姿を現さなかったが、二人の険悪な雰囲気を和ます為で無いだろう。だが、良い頃合に話しを掛けてきた。話が終わると、壁からゆっくりと簡易椅子が現れた。
「いいわよ。行って来なさい。ここで待っているから大丈夫よ」
「俺達は、何とも無い。少し寝すぎたような感じがするだけだ。安心しろ」
「うん、診てもらって来る」
天猫は、扉の方に歩き出した。すると、扉は自動で開いた。静かは、それを見ていたが、扉を開けてくれ無い。そう感じたのだろう。開けようとして一歩だけ踏み出すだけだった。
「もう、我慢しなくていいのよ。死ぬほど痛いでしょう。そのクッションの上に横になりなさい。直ぐに細胞の修復時間を早くしてあげる。直ぐに治るわ。でも、私がいいと言うまで目は開かないでね」
天猫が横になると直ぐに部屋中が黄色い光に包まれた。
「もう、目を開けていいわよ。でもね。身体の傷は直ぐに治して上げられるけど、死期は変えられないのよ。それに、今回の事で死期は早くなったはずよ」
「分かった。二人には何も言わないで下さい」
「言わないわよ。でも、もう、ここで最後を迎えなさい」
「それは出来ないよ」
「何故なの?」
「長く生きると分かるよ。お姉さんもそうでしょう。歳を取り死期が分かると、余計に、何かをしたくなる。分かるよね。それで、お姉ちゃんは猫なのでしょう。私は、鏡お兄ちゃんと静お姉ちゃんなのだよ」
「二人には、私が出来る限りの事はしてあげるわ。お願い。ここに居て」
「なんで、そこまで」
「天猫さんの大人になった姿を見ると、私の親代わりをした猫と同じなの。私、今まで、猫以外に生きている者には会った事が無いの」
「え、まさか、その猫の名前は、竜男。たつお、でないよね」
「えっ何で分かるの」
「やっぱり、俺の父だよ」
「嘘」
「本当だ。俺、ここに一度、来た事あるよ。父さんと母さんと俺でね。記憶は無いけど、この都市のはずだよ。出る時、父さんは居なかった。母さんと鏡お兄ちゃんと一緒だった」
「え」
「あああ、鏡お兄ちゃんは、ここの人だよ」
「鏡って擬人よね。それって、どの位前の事なの。調べてみるから教えて」
「俺が生まれて間もない頃だから千五百年くらい前かな」
そう、言われると、壁面にある機械を操作した。
「擬人が居た記録は無いわよ。それって本当に、ここの都市の事なの?」
「父さんが居たって事は、この都市の事だよ」
女性と天猫には分かるはずも無かった。当時の事や昔に理由があった。今は、当然のように輝いている月は、何万年前には無かった。月人と言われていた人々の箱舟だった。何故、この星に来たか理由は分から無いが、恐らく、自分達の星が住めなくなったからに違いない。それでも、星に、いや、楽園に着いたと言うのに直ぐに降りる事はしなかった。楽園を自分達の星と同じにしたく無かった為に、必要な時だけ降りれば良いと、だが、それは、長くは続かなく、楽園に住む。住まない。それで、言い争いが起こり、月に残る者と楽園に住む者とに分かれた。そして、また、時が流れ、同じように同族で言い争いが起きた。今度は月でなく、楽園に向かう時に使用した。都市、いや、都市型の船と言う物の中で争いが起きた。都市に残る人々と降りる人々に分かれてしまった。なら、何故、この星の主になってないのか、そう思うだろう。元々、自分達の星が住めなくなった段階で、滅びる運命だったのだろうか、星に降りると出産の低下が始まったのだ。それでも、労働力と人々の補佐の代わりに獣人を造り繁栄するかと思われたが、滅びの歯車は止まらず。最終手段として、自分達の遺伝子と猿の遺伝子を使い擬人を造った。心の安らぎと子供の代わりとして、だが、その為に致命的な諍いが起こってしまった。何故、何が起きたのか、そう思うだろう。遺伝子が繋がっているのだから考えられるはずだったのだが、月人と擬人が結ばれたのが原因だった。その結果、純血族だけで生きる者と、擬人、獣人と、共に生きる者とに分かれる事になり。純血族だけで生きると考えた者だけを都市に残し、都市から出て行ってしまった。その時に、都市に残った純血族は、今頃になって箱舟の事を思い出され、助けを求めようとしたが遅かった。月が動いていないのだ。人口重力を造る為に月が回っていないと行けないのに、止まっているのが分かった。もう誰も生存しているはずが無い。そう考え、都市の人々は滅亡する。それを感じながら、それでも、生きる希望を無くすはずも無く、この地に体が合わない者は、遺伝子を組み替えて都市の外で生きる事を決めた。その時、羽と赤い感覚器官を無くした。それが、鏡、静達の祖先だったのだ。そして、第二の月の箱舟が来ると信じて生きていた。そして、月日が経ち、都市に住む者は、父と娘だけが最後に残った。父も最期の希望だったのだろうか、それとも、娘が一人で生きなければならない。その悲しみが分かっていたからだろう。輝くと書いて。ひかる。と娘に名前を付けた。全ての出来事が楽しい輝く思い出になるようにと、そう感じられた。それほど、大事に思っていた娘の為だからだろう。都市から出てまで擬人や昔の同族から乳を分けて貰っていた。その女性の子供が鏡だった。それから、何ども村に行き乳を分けて貰っていたのだが、乳離れする頃になると、その女性は流行り病で亡くなり。その子供は天涯孤独になった為に、子供を都市に連れてきて育てた。そして、父も死期が近いと分かると、獣族の誰かに後を頼もうと都市から指示を送った。だが、それは、無理だと感じていたが、願いを込めての指示だった。まだ、擬人、獣人と共に暮らしている時なら絶対服従の指示なのだが、都市から出る時に、それは解除されていたのだった。それは、変だ。危険だ。そう思われるだろうが、二手に分かれた同族は、共に生きると考えた者に強制指示を認めるはずも無く。それで解除したのだった。それでも、何故だが、猫族だけに伝わり、一家族だけが都市に現れた。それが、天猫の家族だ。父は、命が尽きる間際に天猫の家族に全てを伝え、息を引き取った。鏡だけは、擬人と共に暮らす事が一番だろう。そう考えられ、鏡と天猫と、天猫の母とで都市から出された。
「そう、なら確かめたい事があるわ。正面の入り口なら全ての記憶が残るはず。鏡が入れれば、居たと判断が出来るわ。それに、天猫さんにも見せたい物があるわ。竜男の墓をよ」
「え」
「お墓お参りしたくないの」
「したいです。お墓参りしたいです」
「そうよね。なら都市の外に出るから、鏡と天猫さんで、私の後を付いて来て」
「静お姉ちゃんだけを残して行くの?」
「無理よね。いいわ。皆で、私の後に付いて来て」
「はい。今、連れて来る。少し待っていて」
天猫は、扉に向かい。また、自動で開いた。そして、二人の前に行くと、「天の父の墓参りに行くから一緒にきてくれない」そう、簡単に用件だけを伝えた。
「そうかあ、俺も天の父に言いたい事があるから、喜んで行くぞ」
「私も行きたいわ。気にしないで」
その言葉を聞くと、満面の笑みを浮かべ歩き出した。二人の男女は、扉の前で一瞬だけだが戸惑った。扉が開か無い。そう感じたからだろう。
「なら、行きましょうか」
「こんな所に猫がいるぞ」
扉が開くと、足を置こうとした。その真下にクロ猫が寝ていた。それは、会員番号二号だった。恐らく、シロと楽しい夢でも見ているのだろう。それには、天猫は気が付かなかった。だが、もし気が付いたとしても、幸せそうにしているのを壊すはずもなく無視しただろう。
「それは、そうでしょう。猫の天国よ」
「それは、そうだな」
輝は、確認も取らずに歩き出した。そして、光も点ってない細い道を進み。その間に大小の何も無い部屋があった。もしかしたら倉庫に行く道だろう。何故、そう思うか。と言うと、何も無い広いだけの室内が何部屋もあったからだ。まだ、都市として機能していた時の食料などを貯蔵していたはずだ。その両脇の道を奥へ、さらに奥へと進み。突き当たりまで進んだ時だ。
「着きました。ここから外に出ます。風が強いと思いますので、身に着けている物が飛ばされないように注意して下さいね」
「うぁああ」
輝に言われていたが、想像していたよりも風が強く、輝、以外の者は声を上げてしまった。輝だけは人工的に起こしている風だと分かっていた。恐らく、都市の空調などを調整するための機械だろう。そして、今度は、都市の周りを歩き正面の入り口に向かった。
「天猫さん。あれよ。ここで待っているから、私は、後でお参りしますわ」
輝は、天猫に言った。と、言うよりも二人の男女に言ったように思えた。言わなければ、天猫と一緒に行くと感じたからだ。
「あっ」
鏡は、静に手を?まれ、意味を悟った。
「天ちゃん。私達の事は気にしないで、ゆっくりと話をしてきなさい。
「うん。ありがとう。でも、直ぐに帰ってくるよ」
そう言うと満面の笑みで向かった。輝は、時間が掛かる。それは分かっていたのだろう。暫くしてから、二人に話しを掛けた。
「あのね。連れて来た理由は、墓のお参りもだけど、鏡さんには、そこにある門に入って欲しいの。天猫さんの話しでは、この都市に居たらしいと聞いたわ。それを確認する為に、門に入って欲しいの」
「俺が、この都市に居た?」
「鏡が、ここに?」
「そうみたいなの」
「何で、なの?」
「理由はないわ。私が確認して安心したいだけよ」
「あの、そうでなくて」
「静さんでしたね。何かしら」
静は、違う意味で問い掛けた。何故、この都市に居たのか、それを聞きたかったはず。でも、故意に、話を逸らしたように感じて、再度、問い掛ける事は止めた。それは、静の考え過ぎだった。だが、輝は、天然だが、正確に答えられないのも確かだった。
「天ちゃんとは、面識があったの」
「無いわよ。天猫さんの、父が、私の育ての親なの」
「そうなの」
「ほう」
「鏡さん。それほど、驚かなくても、天猫さんの話しでは、鏡さんも、天猫さんの母さんと一緒に旅をしていたのでしょう」
「えっ鏡。本当なの?」
静は、この都市に来てから驚きの連続だったが、今の話が一番の驚きのようだ。
「俺は知らない。初めて聞く話だ」
三人で話しをしていると、天猫が頭を下げながら帰ってきた。丁度良いと言うのか、一番肝心な所を邪魔したとも思えたが、それ以上の話しをするのを、三人は止めた。
「天ちゃん。おかえり」
「天。天の母さんの事だが」
「え。何?」
「鏡。今は、その話は止めなさい。天ちゃんも、もう一度お参りしましょう」
「うんうん」
輝は、二人と一匹の方を見つめていた。初めて男性を見たからか、人を見たからか、どちらでも無いはずだ。天猫を見ると竜男の事を思い出してしまい。涙を浮かべてしまうのだろう。一人と一匹だ。それに、天然のようだが心が優しい人だ。本当に大事に、愛されて育てられたのだろう。それは、輝を見たら分かるはずだ。
「待たせて、ごめんね。入り口の所に行こう」
「もういいの?」
「うん」
「そう」
「俺が、あの扉に入れば良いのだろう。ええっと、何て名前でしたかな」
「ああ、言って無かったわね。ひかる。輝くと書いて、ひかるよ」
「俺は、きょう。鏡と書く。隣の女性は、静だ」
「よろしく、ひかるさん」
「大人しく無い女性だが、静と書いて、しずか。と言う」
「何よ」
「鏡お兄ちゃん。静お姉ちゃん。いい加減に行こう。輝さん。呆れているよ」
「ゆっくりでいいわよ。正面の入り口から入るだけだしね」
「そうかあ」
鏡は、胸を撫で下ろしたような気持ちになっているのだろう。誰でも、訳が分からない事をさせられると思うと、恐怖心が湧き上がってくるはずだ。
「鏡。何をして居るの?」
「鏡お兄ちゃん。いい加減に行こう」
静と天猫は、鏡が、輝に色目でも使っている。そう感じて催促した。
「はいはい。行きますよ」
肩を竦めると、鏡は歩き出した。
「静お姉ちゃん。先に行っているよ」
天猫は、遊んでいるかのように駆け出した。
「身体は大きくなったけど、天ちゃんは、昔のままね」
「昔から知っているのね」
「そうね」
「ねえ、静さん。天猫さんは、お父さんに会いたいとか言っていませんでしたか」
「まったく話題にした事は無いわ。生きているとも亡くなっているとも知らなかったしね」
「私の為に、お父さんに会えなくて、死に目にも、亡くなっているのも分からなかったのよね。寂しかったわよね。怒っているでしょうね」
「怒っているかもしれないけど、寂しくは無かったと思うわ」
「怒っているのね。それで、この都市で暮らしたくないのね」
「たぶん、怒っている意味が違うわよ。お父さんに怒りを感じているはずよ。何の連絡もしないからでしょうね」
「そうなの」
「そうね。でも、今の話をしたら本当に怒るわよ。あのね。今の天ちゃんをみて思ったのだけど、今では、私達の方が若いのに、お姉ちゃん。お兄ちゃんと言うのは、兄弟と思っているのよ。もしかしたら、輝さんは、妹と思っているのかもね。妹なら父が一緒に暮らすのは当然でしょう」
「うん。ありがとう」
輝は、今の話を聞いて安心したのか、心底から嬉しかったのだろうか、涙をぽろぽろと流しながら嗚咽を漏らしていた。
「泣かないで、天ちゃんに、私が怒られるわ」
「うんうん」
「そろそろ入り口よ」
「大丈夫。それまでには涙を止めるから安心して」
二人が立ち止まったからだろう。天猫が駆け寄ってきた。
「如何したの。遅くて、鏡お兄ちゃん。怒っているよ」
「直ぐ行くって言って」
「うん。あっ、何があったの。目が赤いよ」
「もう、天ちゃん。男には分からない、女性の悩みなの」
「うん。分かった。鏡お兄ちゃんに直ぐ来るって伝えるね」
天猫は、静の癖のような言葉を聞き、怯えるように入り口に向かった。
「遅かったな。俺の悪口でも話しでもしていたか」
「そうよ。よく分かったわね」
「鏡お兄ちゃん。違うよ。男に分からない、女性の悩みだってよぉ」
「それが、悪口なのだよ。女性の悩みって言うと、男の悪口って決まっているのだぞ」
「なら、天の悪口も言っているのだね」
「大丈夫。天ちゃんの悪口は言ってないわ」
天猫と話しをしながら、鏡には片目のまぶたで合図を送った。鏡が何か合ったと思い。あのような事を話し出したのだろう。それが分かり、「鏡、話しをそらしてくれて、ありがとう」でも、伝えたのだろう。それは、鏡も同じ合図をしたから伝わったようだ。
「そう」
「話は、それ位にして、俺は如何すれば良いのだ」
「ねえ、輝さん。如何したらいいの」
「あっ、手の平で、扉を二度ほど叩いて下さい。それで、開くはず。でも、開かないと思うわ。試してくれるだけでいいの」
「うぉ、開いたぞ。良いのか」
「う~ん。天猫さんの話しは正しかったのね」
「何だって」
「何でも無いです。どうぞ、お入り下さい」
「うぉ、光が点いたぞ」
鏡が、一歩、床を踏むと、導くように廊下を光が照らした。それと同時に驚きの声を上げたが、静と天猫は、光によりも、鏡の声の方が驚いたようだ。
「うぁわあ、猫が沢山いるわね。寝ているようだけど歩いたら起きないかしら」
大げさのようだが、廊下の隅や真ん中と、人が真っ直ぐには歩けないような所に猫が寝ているのだった。
「気にしないで、光が点灯している廊下を進んで下さい」
「ねえ。聞いていいですか」
「何です、天猫さん」
「父の像、何処かで見た感じするのだけど、気のせいかな」
「そうそう、私も、それ気になっていたの」
「あると、思うわよ」
「ええ、まさかって考えていたけど、あの溶け崩れていて何の像かわからない。あの来る時に触った。あの像なの」
「そうですわ」
「像も綺麗だったし、花も飾っていた。それに、周りには花も咲いていたね。もしかして、輝さんがしてくれたの」
「そうよ。綺麗って言ってくれて、私も嬉しいけど、かなり汚れているでしょう。もう、作ってから何百年も経っているのよ」
「ありがとう」
「いいえ。私の父と同じだし当然よ」
「千五百年後には、この都市も無いのか」
「馬鹿、鏡、何を言っているの」
「そうね。でも、都市って言っても、これ船なのよ」
「嘘、船なのか」
「でも、天ちゃん。良かったわね。千五百年後にあって、それに、何の像か分かって無いだろうけど、守り像みたいに思われているから大事にされていたのね」
静は、鋭い視線で鏡を睨み、故意に鏡の話しを無視した。
「うん」
「この都市は、いろいろな時の流れや他空間には行けるわ。都市の中なら時間の流れも遅いけど、その頃になると、私は死んでいるのね」
輝は、ぼそぼそと、独り言をつぶやいた。
「違うよ。結婚したから、船で綺麗な花が咲いている所に行ったのだよ」
「天ちゃん。そうね。そうよ」
「ありがとう」
「おっ、廊下の光が途中で消えているぞ」
「あっ、光の点いている部屋に入って、軽い食事を用意しますから」
「おお、腹が空いていたのだ。ありがとう」
「鏡。失礼よ」
「ありがとう。輝さん」
「いいのよ。気にしないで、椅子に座って待っていて、ああ、ごめんなさい。天猫さんは、そこにある、ソファーに寝ていて。天猫さんの父が好きで寝ていたのよ」
三人と一匹は部屋に入った。部屋と言うよりも、監視室と休憩室が一緒のような部屋だ。何故だろうか、この部屋だけが生活感が感じられた。お気に入りの猫が居るのか、一人だから入り口の監視が必要なのだろうか、すべて違うだろう。恐らく、父とも友達とも思っていた。竜男が、天猫の父が最後に居た場所だろう。
「うん。ありがとう」
「座って待っていましょう。あらら、ここにも猫が居るのね」
椅子を引くと、太ったシロ猫が寝ていた。
「何処にでも居るなぁ。やっぱり猫の天国なのだな」
「そうね。何匹いるのでしょうね」
「猫ですか、そうね。五千匹は居ると思うわ」
輝は、食事を出すのに時間が掛かると思ったのだろう。先に飲み物を持ってきた。
「うぁわあ。脅かさないでよ。聞いていたの、凄い数ね」
「それほどの数では餌を与えるのは大変でしょう」
「そうでもないわよ。この部屋に居る猫だけは、私が与えるけど、他の猫は、都市の機能が働いて、自動的に餌を与えてくれるから大変ではないわよ」
「そうなの」
「それで、天猫さんは、この都市に住むと思うけど、鏡さん。静さんは、これからどうするの。私に出来る事なら何でもしたいと思っているわ。もし、この都市に住むと言ってくれるなら、私も嬉しいわ。どうします?」
「俺は、この都市には住まない。さっき言っただろう。それにだ。俺が住んでいた所のシロに約束した。主の病気を治してやるって、でも、それが、終わったら、鏡お兄ちゃんと静お姉ちゃんが住むなら、俺も住みたいな」
天猫は、一瞬だが怒りを現した。何ども同じ事を言われたからだろう。
「俺は、身体が戻ったしなぁ。また、旅がしたいな。それに、海も心配だな」
「そうね。二人が幸せに暮らせる。それが分かったら、また、旅がしたいわね。でも、獣を何とかしないとね。ここ何百年は何もしてないようだけど、何かを考えているはずよ」
「そうだな。何とかしないと駄目だな。何かを起こすとしたら、海が住んでいる所になるな。そうなったら大変な事になるぞ」
「そうね。昔みたいに民家がまったくない森や林なんって無いしね」
「そうだな。現れる前に、あの変な所に行くしかないな」
「あの身体があった所ね」
「輝さん。お願いがあるのですが、聞いてくれますか」
「私に出来る事なら」
「お願いです。私達を、あの場所に連れて行く事は出来ますか?」
「出来ますわ。戦いに行くのですか、勝てると思って行くのね」
「俺達は退治屋だから何とかするしかないよ」
「そうね。今度は、天ちゃんもいるしね」
「そうだな、何とかなるだろう」
「あっ、でも、天猫さんは」
「大丈夫。頑張るよ」
天猫は、輝が自分の寿命を言われると感じて、大声を上げて遮った。
「天猫さん」
「何かな」
天猫は、人を殺せるような視線で、輝を睨んだ。輝は、その意味が分かり言葉を飲み込んだ。それでも、輝は、命が心配で涙を堪えながら見つめ続けていた。
「輝さん。戦いが終わったら少し都市で休養していい」
「そうだな。それがいい。休養しながら何処へ旅をするか考えるのも、いいよな」
「そうね。そうしましょう」
「本当に生きて帰って来る。無理はしないのね」
輝は、天猫に言ったのだが
「大丈夫だよ。まだ、死ぬ気はないよ」
「そうよ」
「うん」
天猫は、真剣な顔で何どもうなずいた。
「私も、出来る限りの事はします。都市の武器を渡せたら、いいのだけど、都市の身分証と指紋の認証が無いと使えないの。何か使えるのがあれば良いのだけど、探してみるわ」
「旅の支度と食料だけでいいよ。後、あの場所に行ければ良い」
「大丈夫よ。行けるように繋げます。繋げたら、何時でも都市に帰れるから、食事も旅の支度も要らないわよ」
「おお凄いな、何処にでも行けて、宿も要らないのか」
「凄いって言われても、私、行きたい所も無いから意味ないわ」
「まあ、俺も行きたい所があって旅するのでないから意味が無いかぁ」
「そうね。何があるか分からないから行くのだしね」
「そうなの」
「そうだよ。野宿もいいよ。満天の星空が見られるよ」
「そうよね。天ちゃん。本当に綺麗よね。輝さんも、今度一緒に見ましょう」
「うん。見せてくれるのね。それなら、本当に無事に帰って来るわね」
「だから、大丈夫だって、心配しょうだな」
「それで、いつ頃、出掛けるの」
「食事を食べたら出掛けたい。どうする?」
「いいよ」
「私も、そう考えていたわ」
「そう、私の手料理をご馳走しようと思ったけど機械に任せるわ。適当に料理が出て来るから好きな物だけ食べていて、私、その間、何か使えそうな物を探すわ」
輝は、二人と一匹に伝えると直ぐに機械の操作を始めた。それと同時に機械的な音が響いた。一瞬、皆は輝に視線を向けたが、慌てるようすが無い。それで、安心したと感じたのだろうか、ニヤと笑みを浮かべると音がする方に歩き始めた。その後は、輝は機械の操作に夢中になり、二人と一匹も出てくる物を食べ、写真で紹介されている物を押すと出る。それが分かると、都市の食料を全て食べようと考えているように口の中に押し込んでいた。
第十三章
「うう、これも駄目ね。これで武器の項目は終わなの。予想していたけどやっぱり駄目ね。なら、せめて乗り物だけでも」
輝は、必死に機械の操作をしていたが、隣の部屋では恐ろしい事になっていた。食べ物などで、部屋が埋まっていたのだった。それは、言葉の通り埋まっていた。何も知らないで操作した為に、二人前、四人前と同じ物が出れば一皿だけ食べて残し。残りは置ける場所に適当に置くのだ。それは、まだ、いい方だ。一皿でも食べるのだからましだ。酷い事になると、四人前も出て、味見だけして気に入らないと一口だけ食べて適当な所に置いて他の物を食べようとするからだ。この状況を見たら何かをしてあげたい。そんな気持ちなど吹っ飛ぶに違いない。ああっ、この状態では片付けるのに丸一日は掛かるだろう。
「これ面白い。適当に置いても落ちないね。何なのかな」
下げ膳テーブル機と言うと思うが、車輪は無く。五十センチ位の高さで浮いているのだ。鏡は、その台の上に料理が入っている皿を置き、指示を与えると他の箇所に移動する。それが面白くて遊んでいる姿を見て、天猫は無邪気に笑っていた。
「何だろうな。それに、呼ぶと来るから楽しくて止められなくてなぁ」
「鏡お兄ちゃん。それに乗っていいかな」
「壊れないか?」
「小さくなって乗るから大丈夫だよ」
「なら大丈夫だなぁ。乗ってみろ」
「うん」
「天、どうだ」
「うぉお、おっ、おっ、これ、凄いね」
天猫は飛び乗った。皿の時よりも大きく揺れた。だが、天猫は落ちる事が無かった。それは、天猫の運動神経が、いいからだろう。そう思うだろうが違った。大きく揺れた後は小刻みに揺れ、上に乗る物の事を考えているような動き方だったからだ。
「天、大きくなってみろよ。如何なるか様子が見たい」
鏡は、何か考えがあるのだろう。真剣な表情で言った。
「壊れないかな」
「大丈夫だろう。感じはどうだ。出来たら飛び上がれるか」
「鏡お兄ちゃん。何かね。自分でバランスを取っているような感じは無いよ。身体が動く前に機械が動いているみたい。飛び上がっても最適の位置に来るね。これ凄いね」
「静。お前も乗ってみろ」
「嫌よ。天ちゃんは飛べるのよ。だから出来るのよ。それに、体重も」
「なら、俺から乗るから、次は静が乗ってみろよ」
「仕方ないわね」
「これは、良いな」
鏡は、飛び乗った後は、天猫よりも興奮して遊んでいる。飛び上がるのは当然だが、ギリギリまで身体を傾ける。でも、落ちる寸前になると機械が勝手に動き直立の姿勢にさせるのだった。まるで、何かの実験か検査をしているようだ。
「まるで、子供ね」
「でも、動きが遅いな。チェ、使えないか」
「動きが遅いのは当たり前でしょう。早く動けば皿などは落ちるのよ」
「おい静。酔っているだろう。まさか酒があるのか」
「酔って無いわよ。酒なんかある訳が無いでしょう」
「それ、よこせ」
「嫌よ」
「なら、どれを押したか教えろ」
「その赤いのよ」
静の指示で、鏡は喜んで押した。だが、出るのを待つ間、静を見つめているが、本当か嘘かの疑いで無く、もし、間違っていたら奪い取る。そんな視線だった。
「おお、これか」
「同じみたいね」
「甘いが酒のようだな」
「ああ、駄目だ。これでは、出掛けるのは、明日だな」
二人は、久しぶりの酒だと喜んで酌み交わしていたが、昔の思い出を思い出すたびに、笑い、泣き、怒りと変わると、もう、何を話しているか分からない。この状態になると何を言っても無駄なのは、天猫は、長い付き合いで分かっていた。それでも、楽しく飲んでいるのは分かっていた為に、後は、酒が無くなるか、寝るまで好きにさせるしかなかった。
「天猫さん。鏡さん。静さん。来てくれませんか」
輝は、大声を上げるが、それ以上の、鏡と静の笑い声や叫び声で隣の部屋には届かなかった。何故なのかと機械操作の手を休めると、やっと気が付いたようだ。そして、恐る恐る隣の部屋を覗いた。そして、今まで始めて、いや、生涯一度の驚きを感じるのだ。
「何なの。何があったの?」
先ほどの部屋の状態より酷い事になっていた。先ほどまでは料理の原型があったが、二人は酔いで騒ぎ、皿は壊れ、料理は床や壁に散らばり。散らばった料理は血痕のように感じたはずだ。まるで、戦の跡のような状態だった。
「輝さん。酒を出すのを止められる」
「えっ」
「赤いボタンで出る。甘くて青い飲み物だよ」
「赤いボタンの出るのを止めるのね。少し待っていて」
「お願いします」
天猫に言われ、また、先ほどの機械に向かった。
「止めて来たわよ。天猫さん。何があったの?」
「二人が酔っ払って暴れた。輝さん。ごめんね」
「酔っ払ったの?」
輝には意味が分からなかった。自分も酒を飲まないし、酔った姿を見るのも初めてだったからだろう。それでも、猫が騒ぐのと同じだろうと思い。それ以上は何も言わなかった。
「そうだよ」
「猫みたいね」
「そうだね。酔った姿は人って言うよりも獣だね」
「あれ、酒が出ないわね。もう無いの?」
「静お姉ちゃん。もう、お酒は無いよ」
「そう、なら、私寝る」
「ひ、かり、さん」
「鏡お兄ちゃん。輝さんに頼んでも駄目だよ。もう酒は無いよ」
「天、違うぞ。輝さんが来たらなぁ。あの動く乗り物。もっと速度を出せるように頼んでくれないか、出来れば高度もなぁ。あれなら、空を飛べそうだ」
鏡は、夢と現実が重なっているはずだ。目の前に、輝が居ると言うのに気が付いていないのだから、もしかすると天猫が、どこに居るかも分かってないだろう。そして、全てを
話し終わると、寝てしまった。
「あのう。鏡さん。あれは、乗り物で無いのですよ」
輝は、鏡の様子を見て驚いた。目の前に居るのに自分に気が付かないのだ。初めて酔っ払いを見たのだから仕方ないだろう。それで、何かの冗談と感じて話しかけた。
「輝さん。もうこの様な状態になると、起きないからいいよ。それに、言った事も忘れているから気にしなくていいよ」
「でも、あのような物が欲しいのでしょう。乗り物としてあるのか検索してみるね。もし、無ければ改造できるか試してみるわ」
天猫に言葉を賭けると、また、先ほどの部屋に向かった。
「変な頼み事して、ごめんね」
隣室から機械の操作の音が聞えてくる。天猫には、子守り歌とでも感じたのだろうか、それとも、待ちきれなかったのだろうか、天猫も眠ってしまった。
「うわ、この種類なら沢山あるわね。引越し用、玩具と、全て見せましょう。テーブルも、私では改造は出来ないけど、規制を削除すれば、鏡さんの希望に近いかな。でも、かなり危ないわね。でも、後は、二人に確かめてもらうだけね」
今まで、都市で一人暮らしていたからだろう。隠すと言う事はした事が無い為に思案も愚痴も全てを口にしていた。
「後は、部屋を片付けるだけね。はぁ、それが一番大変そうね」
輝は、天猫達を起こさないように片づけを始めていた。皿は、動くテーブルに載せて、汚れは、機械が掃除してくれるが、仕分けと、天猫達の周りだけは自分でしないと駄目だった。もし、室内に誰も居なく、機械に任せる事が出来たら簡単だっただろう。
「あっ輝さん、済まない。仮眠のつもりだったが、可なり寝ていたようだな」
「そうね。半日は寝ていたわね。ねえ、鏡さん。出来たら片付けを手伝ってくれませんか」
輝の後ろから付いてくる。動くテーブルを見て、鏡は、驚きの声をあげた。
「おお、それは、そう使うのか」
「あっ、そうそう、言われたようにしたわよ。それと、似た物も有ったから試してみて」
「ありがとう。そう言う事なら片づけを早く終わらせないとなぁ」
「天猫さん達を起こさないで、片付けましょう」
「輝さん。声を上げて動くのは分かるのですが、どうしたら細かい移動の指示を出せる?」
「詳しい事は後で話をしますから、天猫さん達を起こさないようにしましょう」
「ふぁあ」
「よく寝たわ」
二人の会話の声で、天猫と静は目が覚めてしまったのだろう。
「はっああ。起こしてしまったわ。ごめんね」
「起きたのか、なら、部屋の片づけを手伝ってくれよ」
「鏡。起こそうとして大きな声を上げたでしょう」
「天ちゃんも、そう思うでしょう」
「うん。静お姉ちゃんの言う通り騒がしかったね」
「でしょう。でも、いいわ。私達が、散らかしたのだしね。天ちゃん。片付けましょう」
「えっ」
天猫は、驚いた。静も鏡も似た者だと気が付いたからだ。
「はい、はい」
まあ、天猫には、何も手伝う事は出来ないが、それでも、静と鏡は、皿を一枚でも運ばて、出来る限り手を抜こうとしていた。
「後は、機械でも大丈夫みたい。終わりにしましょう。見せたい物があるから廊下に出て」
廊下には、様々な物が置かれていた。鏡が興味を感じた。あの、下げ膳テーブルから子供の玩具など、元は同じ機械の改良された物が置かれていた。
「輝さん。済まない」
「気にしないで下さい。さあ、好きな物に乗って試して下さい」
「静、そうしようか」
「そうね。本当に、ありがとう。輝さん」
鏡と静は、廊下に置いてある物を玩具とでも思っているのだろうか、乗っては極限の性能を試していると思うが、まるで子供の様に興奮していた。
「どうですか、気に入った物がありましたか?」
「この馬のような乗り物は乗り安いが速度が遅いな。これでは、空を駆け回ると感じない。それに、一番の問題は動かすのに両手が必要では戦えない」
「そう、でも、制御を外せば、自分の思考だけで動くように出来るわよ」
「そうかあ、だが、この乗り物では、飛び乗る事は疲れる。他の物にする」
この乗り物は、今で言う自動二輪を馬のように飾った物と思ってくれたら分かるだろう。そして、鏡は他の物に興味を向けた。それが分かると、輝は、静に言葉を掛けた。
「これって、暴れ馬のように動くけど、何の用途の物なの」
「それは、乗り物で無いのです。荷台車なの。特に高い所に運ぶ用途の物よ。この場にある物の中では、一番頑丈で、高い所まで浮くわよ」
「でも、こんなに激しい移動では、荷物が落ちるわよ」
「試しに、制御を外してみたの。他の物も制御を外せば似たような状態になるわよ」
「そう、全て同じような状態になるのね。でも、この荷台車は駄目ね。足元に留め金があって危険だし邪魔よ。それに固定帯も邪魔。これでは、荷台の上で飛び跳ねられないわ」
静は、用意されている物を次々と乗り。二人に感じた事を伝えた。
「それか、俺も、そう感じた。やはり、移動テーブルしかないな。隅に適度の曲がりがあって足場になるし、上の面にも邪魔な物が無いからなぁ」
「そうね。私も、そう感じたわ」
静は、何どもうなずいた。
「分かりましたわ。制御を外した物を二つ用意しますね」
「済まない」
「ごめんね」
「いいのよ。気にしないで、用意が出来る間、臨時の登録証明書を作成するから、私の後を付いて来て、それがあれば、少しは扱いが楽になるわ」
「そう」
静は不審そうに視線を向けた。男性だからだろうか、鏡は好奇心で一杯と思える笑みを浮かべ、後を付いて行った。
「静さん。何も怖い事は無いわ。入り口の扉の裏に両手を付けるだけよ」
「そっそそうなの」
「そうそう、登録が終わったら用意が出来るまでお酒を飲んでいて、また、先ほどのように赤いボタンを押すと出るようにしたわ。勝利祈願として好きなだけ飲んでいいわよ」
「おう」
「うぁあ、そうなの、それを先に言ってよ」
輝は、静の不安を感じ取った。戦っている時よりも不安を感じていたのだ。それで、酒を飲んでいる時の笑顔を思い出して、勝利祈願の名目で飲んでもらい。今の不安を消そうとした。でも、一番の気持ちは、もう一度、笑顔が見たいと思ったからだ。
「鏡さん。そんなに慌てないで、「ピ」って鳴るまで手を押し付けて下さい」
「おお、終わったぞ。静、先に飲むぞ」
「いいわよ。私も直ぐに行くから」
酒が飲める気持ちだろう。先ほどの不安は全く無くなっていた。
「これで、登録が終わったわ」
「うゎあ、飲めるのね」
満面の笑みを浮かべ、静は駆け出した。
「天猫さん。行きましょうか」
「俺は、飲まないよ」
「そうでなくてね。天猫さんに手伝って欲しいの。それは、二人の為よ」
「そうかあ、いいぞ。それで何をするのだ」
「簡単よ。移動テーブルの上に乗ってもらうだけ、それで最低の設定値を決めるの」
「それが、二人の為になるか?」
「そう、天猫さんなら、空を飛べるでしょう」
「飛べるぞ」
「なら、自分の体重も変えられるわね」
「出来るぞ」
「正確で無くてもいいのよ。二人の体重に近い値でいいの」
「いいけど、静お姉ちゃんには内緒だよ」
「そう、そう言うなら内緒にするわ」
首を傾げながらつぶやいた。一人で育ったから太っているとも標準の体重など意味が分からないのだ。それで、恥ずかしいと思う気持ちも無いからだった。
「その移動テーブルに乗ればいいのか?」
「少し待っていて、他を片付けるから、そして、設定を解除して、設定値を決まるわ」
用意した、様々な物が動きだした。元にあった場所。倉庫や使用用途の場所に自動で動きだした。通路に残されたのは、移動テーブルだけだ。そして、数分が経ち、移動テーブルは床に下りた。
「乗っていいわよ」
「先に鏡お兄ちゃんの体重でいいのか」
「好きな方でいいわ。でも、私が良いと言うまで降りないでね」
天猫は、うなずくと移動テーブルに乗った。
「天猫さん。体重が変動して設定値が決められないの。体重の固定は出来ないかしら」
「少し待ってくれ」
「はい」
「この位のはずだ。輝さん、決まったからいいよ」
「はい。私が良いと言うまで降りないでね」
輝が、操作しているのだろう。大きく上がったり下がったりを繰り返していた。そして、上下運動が小刻みになり、止まると、輝が声を上げた。
「いいわよ。降りて。そして、次の移動テーブルに乗って」
先ほどと同じように天猫が乗り、同じ事を繰り返した。
「ありがとう。終わったわ」
輝の言葉と同時に、二台の移動テーブルは浮き上がり。鏡と静の膝の高さ位で止まった。
「なら、二人の様子を見て来るかな」
「天猫さん。無理はしないでね」
「俺だって、死にたくないよ」
返事を返すと、二人が居る部屋へ、歩き出した。
「天、どうした。遅かったなぁ」
「移動テーブルの設定が終わったよ」
「おお、そうか、乗ってみるか」
鏡が乗る。そう思考したからだろう。目の前まで、移動テーブルが来た。
「鏡お兄ちゃん。そんなに飲んでいたら無理だよ。危ないよ」
「おおお、来たぞ。これは凄い。天、大丈夫だ。安心しろ」
千鳥足で、鏡は移動テーブルの上に乗った。
「天猫さん。大丈夫だから心配しないで、鏡さんが酔っていても思考すれば、都市の機械が脳波で感じ取って、思った通りに移動テーブルが動くわ」
「う~ん」
天猫は、鏡が、まるで、川の流れに流れている木の葉のような状態を見て止めようかと、思案していた。その様子を見て、輝は、天猫を安心させようとした。
「ああ、言い忘れたけど、絶対に落ちる事は無いわよ」
「何だ。それなら、心配する必要ないな」
二人と、一匹の話し声が響いた。それは、静かの所にも聞こえていた。
「うるさいわね。何を騒いでいるの?」
「あっ、静お姉ちゃん」
「うぁあ、楽しい事をしているわね。私にも乗せてよ」
鏡の時と同じように、静かの方に、移動テーブルが向かって来た。
「どうぞ、考えるだけでいいの。好きなように動くはずよ」
「そうみたいね。楽しそう」
女性と登録したからだろうか、それとも、床に着くように思考したのだろうか、静が乗り安いように床に着き、静が乗ると浮いた。
「乗り物で無いのに、二人とも上手いわ。これなら大丈夫ね」
「鏡、これ、面白いわね」
「あ、静お姉ちゃん。鏡お兄ちゃんが、乗ったまま寝ているよ」
「あら、そうね。寝ているわ。でも、本当に落ちないわね。まるで、ゆり籠だわ」
ゆり籠もある。中の機械の用途はかなりの数があるが、静が知らないだけだった。
「静お姉ちゃん。どう、扱い安いのかな」
「ふぁああ。何か眠くなってきたわね。天ちゃん。ごめんね。私も寝るねぇぇぇ」
静かは、天猫と話しをしていると言うよりも、独り言をつぶやいているように思えた。
「天猫さんも、体を休めなさい」
天猫は、断ろうとしたが、輝の有無を言わせないような視線を感じ取り、言葉を飲み込んだ。そして、その場でうずくまった。輝は、天猫に声を掛けようとしたが、静と鏡が見える所がいいのだろう。そう感じて何も言わなかった。
第十四章
都市の中の、全て猫が集まったかのような数が、天猫の周りや見える場所で寝ていた。同じ仲間と思い。心を落ち着かせようとしているのだろう。今まで来た猫も、初めての場所で不安な気持ちも感じるはず。そして、今まで住んでいた所には帰られないと聞かされ、それだけでなく、死期も近いと言われれば、体が疲れるまで暴れ、騒ぐのが普通なのだろう。そして、疲れて眠ると、同じように来た猫達が、心を落ち着かせようと集まったはずだ。まあ、起きた後は、人間なら自己紹介でもするだろうが、猫なら、マタタビの森でも連れて行くと思える。その森だけが縄張りが無いと知らせる為もあるはずだ。
「鏡。起きたようね」
「えっなん」
「しっ」
静かは、人差し指を唇に付け、鏡の言葉を止めた。
「何が起きた」
「もう少し声を落として、もし、天ちゃんが起きる前に周りの猫が起きたら大変よ」
「そうだな、考えたく無い事が起きそうだな」
「そうでしょう」
「だが、何が起きた。まるで、猫の絨毯のようだぞ」
「そうね。でも、ゆっくり寝かしてあげましょう」
「そうだな」
「ねえ」
「何だ」
「竜を倒せそう」
「難しいな、竜以外なら大丈夫だが、竜のウロコは硬い」
「どうするの?」
「難しい考えだが、天と静かで、竜を惹きつけてもらい。俺が竜の下に入り腹を裂く」
「無理よ」
「それしか考えられない」
「鏡お兄ちゃんが、そう言うなら頑張るよ」
「天ちゃん。起こしてしまったわね。ご免ね。うるさかったでしょう」
「違うよ。うるさく無かったよ」
「おおお、どうしたのだ。猫が帰って行くぞ」
「何でも無い事だから気にしないで、挨拶だよ。縄張りとか情報を知らせに来ただけ」
「そうだったの起きたら猫が沢山いたでしょう。少し怖かったわよ」
「でも、事情が合って、この都市に来るから、それで、心を落ち着かせようと集まってくれる。全て優しい猫だよ。それだけで無いよ。二人の話を聞いて、怖い思いさせてごめんねって、謝っていて。そう言われたよ」
「ごめんね。怖いなんって言ってね」
「いいよ。分かってくれれば、でも、怖い思いをさせて、ごめんね」
「天、済まない。聞いているとは気が付かなかった。済まない。そう伝えてくれないか」
「うん。ありがとう。会ったら伝えるよ」
「天、ありがとう」
「鏡お兄ちゃん。静お姉ちゃん。もう、気にしなくていいからね」
「うん。分かった」
「ありがとう。天ちゃん」
「天。そろそろ戦いに行くが大丈夫か、出られるか?」
「何時でもいいよ」
「私も、何時でもいいわ」
「分かった。輝さんに、挨拶したら出かけよう」
その話が聞こえていたのだろうか、輝が現れた。
「戦いに行くのね」
「はい。私達が居た。あの場所に連れて行って下さい」
鏡は、この都市に来て初めてだろう。真剣な表情で心の思いを伝えた。
「そう約束だったわね。都市の登録が済んでいるから、何時でもいいわよ」
「登録?」
「そう、扉に手を押し付けたでしょう。それの事よ」
「ああ」
「移動テーブルから降りて、私の後を付いて来て、来た時と同じ部屋に行くわ」
「輝さん」
「ああ、移動テーブルでしょう。心配しなくていいわ。倉庫に移して置けば、脳波で繋がっているから呼べば直ぐ来るようにしておきます。慣れれば考えただけでも来ますよ。それでは、部屋に行きましょう」
「お願いします」
鏡が代表のように頭を下げた。そして、鏡達は、戦いに行く気持ちだからだろう。周りを見ず、輝の背中だけを見ているように思うが、そうで無いだろう。死ぬかもしれないのだ。今までの思い、戦いの後の事。一番の考えは、どのようにして倒すかだろう。
「その扉よ。扉に入れば目的の場所に着きます。戦う気持ちが出来たら入ってください」
鏡が真っ先に入ろうとした時だ。静が鏡の服の一部を掴んだ。今までのお詫びとお礼の気持ち表さなければならない。それが、礼儀と感じたのだろう。頭を下げ簡単な挨拶をしていた。その脇をすり抜け、天猫が真っ先に扉に向かった。それに、輝は気が付いた。
「天猫さん。帰ってきてよ。お父様の写真とか、まだ、見せて無いから見ましょう。天猫さんのお父さんの思い出も教えてね。後、墓の前の花も一緒に増やしましょうね」
「俺は、死ぬ気は無い。帰って来るよ。父の話を楽しみしています。行って来るよ」
「はい。気をつけて」
「腹が空いたら帰って来るよ。その時はよろしく」
「輝さん。心配しないで、帰って来るから、今度はゆっくり入浴させてね」
「何時でもどうぞお待ちしています」
輝は、天猫が育ての親と姿が同じだからだろう。亡くなった事を思い出したのだろうか、それとも、死期が近い事を思い出し。これで最後と思ったのだろうか、涙を堪えていた。それが、分かったのだろう。静と鏡は、本心で無いだろうが、冗談のような言葉を話し終えると、笑いながら扉の中に入った。
「天。この都市に来る理由がある。前、そう言っていたな。天も理由があったのか?」
「そうよ。天ちゃん。まさか、私達に言えないような事で無いわよね」
「おかしな事を言うね。連れて来られたので無いし、誘われたので無いよ。天や鏡お兄ちゃん達は来たくて来たのだよ。それ、忘れたの」
「そうね」
「そうだったな、済まない。忘れてくれ」
「気にして無いから、いいよ」
天猫の気持ちを考えていたからだろう。回りの雰囲気が変わったのに気が付かなかった。でも、敵意では無かった。それでも、不気味と言うか不快は感じられた。
「なんか、湿地帯を歩いているみたいね。硬いような軟らかいような場所ね。それに、洞窟の中を歩いているように薄暗いわ」
「そうだな。考えたく無いが、足元から根っこが動き纏わり付かれそうだな」
「嫌な事を言わないでよ。でも、そうね。小さい根っこの上を歩いているようね。
前、体があった場所も同じだった?」
天猫は、二人に問いかけた。
「憶えて無い。体を動かすのに必死だったしなぁ」
「私、気持ち悪いから、あれを呼ぶね」
「ああ、そうだな」
鏡は、移動テーブルの事を完全に忘れているようだった。もしかしたら、静が言わなければ思い出さなかったに違いない。
「うっちゃん。来て」
「えっ、何だ、それは、何を考えている」
移動テーブルは、静の右側から現れた。そして、頭の高さから足元くらいまで落ち、そのままの高さで前方の足元に移動した。それは、まるで、意識があるように自分の場所を教えて、乗り安いように移動したと感じられた。
「ありがとう」
静は、現れた行動に驚き、礼儀を言ってしまったが、それは、静が考えた事、と言うか一瞬の思案だった。先ほど、「うっちゃん」と名付けたのは、突然に現れるだろうから、私に一度姿を見せ、乗れる高さまで決め、自分を乗せて浮き上がる。その最後の浮きの「う」だった。そのように考えたのだ。その様子を見た鏡も、恥ずかしいのだろう。誤魔化すように大声を上げた。
「来い」
一言だけだった。
「ゴツ」
「痛てぇえ」
「何をやっているのよ。馬鹿ね」
移動テーブルは真後ろから速度を落とさず後部に当たった。鏡は何も考えてなかったのだろう。移動テーブルは脳波を感じるまま、進んできたように感じられた。そして、笑われたからだろう。鏡は視線を静かに向けると、ブランコに乗るように座って笑っていた。
「早く乗りなさいよ」
「今乗る。おい、止まれ」
鏡は、何度も足を上げて乗ろうとしていた。だが、滑るように避けるのだった。それで、指示を伝え。やっと乗る事が出来た。
「乗れたわね。鏡、生きている物と考えて、名前を付けてあげてないから逃げるのよ」
「そんな恥ずかしい事が言えるか」
鏡は、静に聞こえないように愚痴を吐いた。
「鏡、今、何か言った」
「何も言う訳がないだろうぉ」
「天ちゃん。そうなの」
「言ったよ。静お姉ちゃん」
「天、言ったら殺すぞ」
「何て言ったの。鏡、聞こえ無かったわ。私の悪口でしょう。そうでしょう。天ちゃん」
「違うよ。戦い前の意気込みだよ」
「そうなの?」
不満そうに、天猫に話を掛けた。
「当たり前だろう」
鏡が大声を上げた。
「そう。それは、もう、いいけど、何で乗ったり降りたりを繰り返しているの?」
「別にいいだろう。性能を試しているだけだ」
静は、(何をしているのだろう)鏡の、様子を見て、そう考えた。まるで初めて移動テーブルを見た時と同じように、遊んでいるとしか思えないからだ。だが、そうでは無いだろう。真剣な表情で、両腕を大きく左右に広げバランスを取っているのだ。まさか、鏡の移動テーブルの上は滑るようになっているのか、それとも、移動テーブルが乗せるのを拒否して斜めに傾けているのだろうか、だが、その二点は考えられない。そう思案している時、
「うぁあああああ」
鏡は、大声を上げて、移動テーブルの上から落ちた。
「鏡。まさか、乗れないの?」
「そうだ」
鏡は、心底から不愉快そうにうなずいた。
「何故よ?」
「分かれば苦労しないのだがなぁ」
「もう一度乗ってみて」
鏡は、乗ったが、また、落ちてしまった。その様子を見て、静はうなずいていた。
「あああ、何故か、分かったかも。試しに、もう一度乗ってみて、今度は何か呟いている言葉を大きな声で言ってみて」
「乗るから止まれ」
移動テーブルは、鏡の膝の高さで止まった。
「そうそう、そのままだ。動くなよ」
片足を乗せると、自動調整の動きと、鏡の指示で動いたり止まったり繰り返した。
「動くな、ああ、右を上げろ。うぁあああ」
移動テーブルは落ちないように微妙に動いたのだが、鏡の指示で大きく右側を上げた。移動テーブルは指示の通りしているのだが、大きく傾いた為に、鏡は落ちた。
「簡単な事よ。移動テーブルを信じればいいの」
「信じなければ、乗り物として使いたい。そう考えるはずが無いだろう」
「そう言う事で無いの」
「なら何だ」
「うっちゃんは、落ちないように微妙に動いているの。でも、鏡が指示を与えるから傾けるの。それも、どの位まで傾けるか指示が無いから落ちるまで傾けるのよ」
「無言なら良いのだな」
自分が悪いのだが、怒りが込み上がってきた。
「鏡、お酒を飲んで酔っている時は乗れたのよ」
「それは、確かに記憶がある」
「そうねぇ。あああ、歌を歌いながら乗ってみて」
「えっ、歌」
「別に声に出さなくてもいいわよ」
「試してみるよ」
不振そうな表情をしながら口を開いたり閉じたりをしていた。歌を歌っているのだろう。今回の移動テーブルの動きは指示が無いからだろう。細かい左右の動きだけだった。
「乗れたでしょう。鏡。それでいいのよ」
「・・・・・・・」
鏡は、声を出さずに、何でもうなずいていた。恐らく歌を歌っているのだろう。その真剣な様子を見て、静は、それ以上、話を掛けるのを止めた。
「天ちゃん。あの竜を倒す、何か良い考えある?」
「あの硬い甲羅が、俺の牙で砕ければ倒せるはず」
「そう、そうね。今の大人の牙なら砕けるかもね」
「大丈夫だよ。安心して、静お姉ちゃん」
「うん。でもね。先に鏡の考えを試してみましょう」
「いいよ。どんな考えなの?」
「簡単なのよ。私と天ちゃんで、竜を引き付ける囮になるの。その間に、鏡が竜の腹の下に入り、剣で腹を裂くのよ。腹なら剣で裂けるはずだって言ったわ」
「今度は、天だけで無く、静おねえちゃんも、鏡お姉ちゃんも飛べるから良い考えかもね」
「上手く行けば、後は、私と天ちゃんで竜の傷を広げれば勝てるわ」
「でも、静おねえちゃん。一番の問題は、鏡お兄ちゃんが、移動テーブルを上手く操作が出来るかだね。今の状態では竜は無理、小物の獣も倒せないよ」
「鏡、聞いているの?」
「早く乗りこなす為に真剣なのだね」
「駄目ね」
静と天猫は、不思議そうに鏡の様子を見続けた。簡単なはずなのだ。何故、ただ乗っているだけで、機械が調整してくれるはずなのに落ちるからだ。静は、上手く乗れる対策は、何度も言った。声に出さないで乗てって、どのように動かすか考えるのはいいけど、声に出さなければ落ちないように乗れると、伝えたはずなのだが、性格なのだろうか、声を上げて、移動テーブルと一人喧嘩をしてしまう。
「鏡の事だから直ぐ覚えると思うけど、もし、獣が襲って来たら頼むわね」
「うん。分かっているよ」
「まあ、私が全て倒すけどね」
「そうだね。静お姉ちゃんは強いからね」
鏡の真剣な様子とは違い。静と天猫は鏡の様子と昔の思い出でも話しをしているのだろう。笑いながら飛び続けた。だが、それは、誰かが亡くなる暗示にも思えた。まるで、悲しさを忘れる為に、生前の楽しい思い出を話しているように思えるからだった。
第十五章
「鏡。落ち無くなったわね。でも、まだ、ふらふらよ。剣も抜けないわ。それではね」
「うるさい」
「そうよね。話をしていたら落ちるものね」
「うるさい」
「静お姉ちゃん。変な気配を感じるよ」
天猫は、静と鏡に合わせて楽しそうに笑っているが、小声で囁いていた。
「天ちゃん。分かっているわ。私達に合わせて、気が付かない振りをして」
「天、気が付いている安心しろ」
「うん。そう思っていたよ」
「五匹のようだな」
「そうね」
鏡と静も、気が付かない振りで会話をしているが、時々、囁き声で伝え合った。
「この擬人がああ」
五匹の牛の頭をした者達が、槍を振り回して向かって来た。
「私が弓で倒すわ」
静は、叫び声が聞こえると、弓を手に持った。
「分かった」
「うん」
静は、一瞬の内に背中の矢筒から三本の矢を取り出して右手に持ち、次々と三本の矢を放った。矢は正確に眉間に突き刺さり絶命した。残りの獣は、仲間の獣が亡くなったと分かると、先ほどの殺気よりも目を血ばらせて向かって来る。その様子を見ても平然と又、背中の矢筒から二本と取り出し、即座に放った。
「あっ手が滑ったわ」
「俺に任せろ」
一匹の獣は同じ眉間に刺さったのだが、もう一匹の獣と言うか矢は頭をかする事もなかった。その矢を見て、いや、静の言葉だろうか、鏡は聞こえると同時に駆け出した。
「ひっ」
獣は、一瞬で四人の仲間が倒されたのを分かると、悲鳴のような声を上げながら逃げ出した。振り向かずに走り続けたら助かると思うのだが、後ろからの恐怖があるのだろう。何度も振り返る。矢の恐怖は無い。そう感じたのだろう。一瞬だが笑みを浮かべた。だが、振り返るにつれて、鏡が移動テーブルに乗って向かって来る。もう追いつかれる。そう感じたのだろう。逃げるのを止めて立ち止まった。その時、鏡は移動テーブルから落ちた。
「ぐっふ」
命が助かった喜びよりも、鏡を馬鹿にしたような笑みを浮かべた。獣は、矢の心配をしなくていいからだろうか、振り返る事をせずに逃げ出した。
「何をやっているのよ。逃げられてしまったでしょう」
「鏡お兄ちゃん。何で右から行くぞ。何て叫ぶの」
「・・・・・・・・」
鏡は、何も言い訳を言わなかった。と言うよりも恥ずかしくて言葉を無くしているのだろう。その様子を見て、静が、助け舟のような言葉を掛けた。
「そうだったわね。馬を友と思い、人と同じように馬にも、言葉を掛けながら戦っていたわね。でも、それを直さないと乗って戦えないわよ。はっあー」
静は、心底から疲れたような溜息を吐いた。
「鏡お兄ちゃん。もう、慣れる時間がないよ。直ぐにでも、獣が大勢で来るよ」
「それは、鏡も分かっているから倒しに行ったのだし、でも、失敗したけどね」
「・・・・・・」
鏡は、聞こえない振りをしていた。いや、それとも、移動テーブルを乗りこなす為に、真剣に格闘しているから本当に聞こえ無いかもしれない。
「シャアー」
猫の怒り声のような蛇の威嚇の声が混じった声が響いた。
「来て欲しく無い。大物が来たわ」
「そうだな」
「鏡お兄ちゃん。下がっていて、静お姉ちゃんと二人で戦ってみるから」
「そうね。それがいいわ」
「何だと、俺が邪魔だと言うのか」
「そうよ。今の鏡の状態では邪魔よ」
「計画はどうする。計画が無くても勝てるのか?」
「そんな事を言っていられないでしょう」
「だが・・・」
「なら、鏡と天ちゃんで、囮になって、私が腹に入るわ」
「うっうう。分かった。それしか無いだろう」
「そうだね。静お姉ちゃん。俺、囮になるよ」
話が終わると、即座に、静を頂点として、鏡は右の方向に向かい、天猫は左に向かった。それで、常に三角の間合いを取る考えだ。鏡と天猫で、前と後ろを取る。取れ無くても、三点の内の一人でも相手の隙を取って切り裂く戦いは何度もしていた。だが、今回は、竜には通じ無いだろう。誰かが隙を取ったとしても、移動速度が速く無いと駄目だからだ。始めの予定では、天猫と静が威嚇として常に前後を取り、隙をうかがって、鏡が腹に入り傷を与える。与えた後は、仕上げに静が、炸裂玉を使用して傷を広げる。その考えだったのだが、鏡が役に立たない。それで、傷を与えるのも仕上げも、静が一人でしないと行けなくなったのだ。それなら何故、獣の天猫を使わないのか、そう思うだろうが、幼い天猫しか記憶がないからだ。力量が分からないと役に立たないのもあるが、二人の気持ちでは、まだ、幼い獣と思う気持ちが強いからに違いない。
「まだ、居たのか。威嚇の声を上げれば逃げると思ったのだが、それほど死にたいのか」
「うぉおお」
天猫は興奮を現した。鏡と静は、畏縮した訳では無い。竜が平常心を乱す為に言っているのだろう。そう考えたからだ。だが、竜は殺したく無い。その言葉は本心からだった。
恐らく、竜は、人で例えるなら猫や犬のような愛玩動物と思っているのだろう。まあ、この本心のほうが分かれば、天猫も、鏡と静も怒りを感じるはずだろう。
「ほう、面白い物に乗っておるな。それで、勝機があると感じたのか」
「シャー」
竜は戦う気持ちが無いからだろう。天猫が威嚇の声を上げても、動じる事が無かった。
「どうしたのだ。戦うのでないのか、それとも、戦う気持ちが失せたのなら去れ」
天猫は、何度も何度も威嚇の声を上げ、鏡は、攻撃に出たかったが出来なかった。その場で囮として自分に敵意を向けさせようと、刀を構えたまま鋭い視線を向け続けた。
「去るなら去れ、わしは、追わん」
自分に向かって戦いを仕掛けて来ない為に苛立っているのだろう。だが、竜を知る者がいれば、苛立っているが、それは、殺意で無い。そう判断しただろう。
「逃げる訳ないでしょう。あんたを倒す為に来たのよ」
静は、思案していた。竜が仕掛けて来ないのは、仲間を待っていると結論を出した。このままの状態では、竜の思いの壷にはまる。そう考え、矢を放った。何も行動せずに待つよりは、体に矢が当たれば怒りを感じて向かって来る。そう考えたからだ。
「普通の矢で倒せると思っているのか、戦う気持ちがあるのなら、以前のように炸裂玉を使ったらどうだ。矢に付ければ速度が遅くなる。当たるはずもないが、まだ、戦っていると感じるぞ」
「お前が任せてくれと言ったのだぞ。倒してないのか」
「主様」
「相手が小さく戦い難いのだろう。お前は下がって、船の盾になれ。他の獣達に任せる」
「思った通りだったわね」
静は苦虫を噛み潰した。鏡と天猫は、先ほどと同じく、竜に敵意を向け続けた。
「主様。その指示に従います」
竜が下がり、船を守るように正面に着くと、同時に船の両脇から獣が現れた。その数は何千とは大げさだが数えられない程だ。その獣が三方に分かれ、鏡、天猫、静に向かった。まるで、蟻が角砂糖に向かうような状態だ。
「逃げるのか」
鏡は声を上げたが、獣達の声で消された。いろいろの獣は、殺気を放ちながら叫ぶのだ。親の敵、兄の敵だ。と叫ぶ。その後には皆が同じ事を言う。何故、それ程まで、俺達を憎む。俺達は、誰も来ない森の奥で獣のように暮らしていたのに、何故だ。俺達の怒りが分かるか。もう、理由などいい。今度は、俺達がお前らを殺す。総ての擬人を殺す。これ程の殺気で、大勢だ。何度も、鏡が大声を上げても届くはずが無い。もし届いたとしても、竜は戻るはずも無い。それにだ。もう竜の事などよりも大勢の獣が目の前に来ているのだ。総てを倒すことだけしか考えられなかった。
第十六章
「流石に真剣になった時の鏡は凄いわ。完全に乗りこなしているわ」
鏡だけでなく、静も天猫も竜以外は空を飛べない為に、百近い獣と戦い続け、まだ命があった。移動テーブルの使用で、空中を気持ちよさそうに舞い。隙を見せている獣を、カモメが魚を獲るように倒す。それでも、獣達は逃げない。まだ、数で勝っている。そう思っているのだろうか、それとも、あまりの怒りで倒す事しか考えられないのだろう。
「全ての獣よ。どけ、我の船の武器で倒す」
時が経つほど獣が倒されていく。その様子を見て考えを変えた。
「主様。お待ちください」
「うるさい。黙れ、黙れ。直ぐに退けろ。そうでなければ今直ぐに光を放つぞ」
竜は、船から少しずつ離れるが、銃身から離れたのでなかった。獣を庇うように立ちふさがった。それは、まだ、怒りに体が支配されているような状態の獣が戦っていたからだ。
「主様。それは使ってはなりません。それは人が使う武器と言うよりも種族を滅ぼしかねない兵器です。この時代には相応しくない。と言うよりも、造られてはならない物だったのです。それほど危険な物なのです。それで、月人は禁忌として封印したのです」
「黙れ」
叫び声と同時に、銃身から光が放たれた。その光は竜のウロコに当たると跳ね返り、上空に消えた。後ろの居た獣も鏡達にも届かなかったのだが、獣達は我を忘れた。
「主様が乱心された」
光を見た者、見なかった者。それぞれ居たが、竜が地に落ちる音は全てが聞いた。そして、何が合ったのか判断が出来た。竜のウロコが全て剥がれ落ち、裏側の肉が焼け焦げていたのだ。その様子を見た全ての獣は、叫びながら船にある銃の射線から逃げ出した。
「貴方は何考えているの。部下だけで任せられずに現れただけでなく、あのような危険な物まで使用して、貴方は、貴方達は、何をしたいの?」
輝は、これ以上の係わりをする気持ちは無かった。それでも、天猫と、静と鏡が心配で都市から様子を見ていた。だが、光が放たれたと同時に、都市が悲鳴のような音を発した。その都市の悲鳴よりも恐ろしい光に驚き、船の主と、全ての獣に問い掛けた。
「誰だ。お前は、誰だ」
場所も、人も特定が出来ないからか、それとも、相手に返信の操作が分からないのだろうか、先ほどと同じように全てに聞こえるように声を張り上げた。
「恐らく、貴方と同じ種族と思うわ」
「なら、俺に力を貸せ」
「嫌ですわ」
「何だとぉー」
「貴方は、恐ろしい武器を使いましたね。私は恐ろしい武器を使えないように来たのです。都市の全機能を使って、もし都市の機能が止まろうとも、貴方の船の制御を強制的に止めます。出来るのですよ。元は、都市に有った船だと分かりました。都市の全機能が動けば船は都市の指示にしたがいますわ」
「我が武器を止める。都市を動かすな」
竜が話し終わる前に、都市は姿を現した。そして竜は、都市が現れると、体の傷の為だろうか、それとも、現れた事に全てを諦めたのだろうか、また、地面に体を下ろした。
「何だ。何をした」
船の操舵画面は外を映さずに、輝の全身画面が現れた。
「驚く事は無いわ。元々姿を見ながら話が出来る物なのよ」
「ほう、俺と同じ姿だな。月人の象徴の背中の羽もあり、左手の赤い感覚器官もあるな」
輝には、気づかれないように光を放とうと操作を始めた
「また、恐ろしい光を使うと考えているの。無理よ。貴方の船と同調しました。船の半分は、私の指示に従いますわ」
まだ、半分だけの同調だ。だが、重要度から変更しているのだろう。
「そんなはずは無い。今直ぐ光を放って消してやる。放て」
「無理よ」
「放て、放て、放て、放て」
「諦めなさい」
「主様。戦いは止めるのです。都市のお嬢さん。擬人、獣人よ。我の話を聞け。私は、月人が始めて作られた獣だ。そして、都市から出る時の月人の護衛であり。そして、都市の外の情報を知らせる役目もあった。だが、時が流れるつれ都市からの指示も無くなり。都市の人々は全て亡くなったと判断した為に、最後の月人の主様に従うと決めた。私は、最後の一人と思い。好きな様にさせようとしたのだ。命がある者に連れ合いが無い。それは、死んでいると同じに思ったからだ。だが、都市にも生存者が居た。それだけでなく、赤い糸が見えると言う事は、赤い糸が繋がっている。それが分かった。まだ、月人に未来がある。主様の未来がある。獣達も復讐をするなら、主様に頼るな。復讐をしたいなら自分の力だけでやるのだ。だが、この空間から出た後、復讐をするなら、この場に居る。擬人達、都市のお嬢さん。そして、我が退治に行くと思え。復讐など考えずに静に暮らせ。月人に未来があるのが分かったのだ。お前らの孫、その子孫の頃に、主様の子孫が良い考えを出してくれるだろう。恐らく、楽園を造ってくれるはずだ。その夢を思って静に暮らせ」
また、意識を無くした。
「そんな話など聞かぬ。全てを消し去ってやる。船を動け、動け、動け」
「そうね。背中の羽。左手の感覚器官が、私にも見えるわ。同族ね」
「同じだと、なら、私の邪魔をする。猿の擬人が何をしたか分かっているはずだ」
「知らないわ。同じと言っても、元をたどれば同じ血が流れているだけだわ」
「それを同族と言うので無いのか?」
「私が言っているのは、遠い昔は一緒に住んでいたのでしょう。それが、分かれたのでしょうね。私の両親の記憶では、いや、都市の記憶では、貴方が言っている擬人でしょうね。全ての擬人と船から出てったらしいわ。私達の同族と一緒にね」
「何だって」
「都市の記憶では、私の同族は、同族だけで暮らす事を考え都市に残ったわ。貴方がたの一族は擬人と共に生きると、船を出たのよ」
「それは分かっている。だが、猿の擬人は、私達を騙し僻地へ追い出した。それだけで無く、女や子供を人質にとり、我が一族を自殺に追い込み、全てを殺したのだ。それを、許せるか、そうだろう」
「確かに、自分で命を捨てたのでしょう。同族の子供でも、擬人の武器などで殺せるはずがないわ。もし、子供達を殺せたとしても、身を守る力くらい子供でもあったはず」
「だがら、騙され。全てを殺したのだ」
「もしかして、貴方は、同族と暮らした事がないわね。擬人としか暮らした事がないのでしょう?」
「確かに、記憶が無いが、それが何だと言うのだ」
「貴方がたの一族は、一族が生きるよりも、生きた証を残す為に命を捨てたのよ」
「それが、どうしたと言うのだ。私を残し全てが死んだのだぞ。それが分からないのか」
「分からないわ。私達の一族は、生きた証は何も残っていないわ。ただ消えるだけ、貴方がたの種族は、存在していた事が残っているでしょう。それを選んだのよ。種族が生きるよりも、自分達が生きていた、その存在を残す為に命を捨て、擬人に、この地を渡し。語り次がれる事を願ったの」
「そうだとしても、俺は許さない」
「仕方ないわ。どうしても戦う。そう言うなら、私が擬人の手助けをするわ」
「なら、お前とも戦うしかないな」
「そう、でも、貴方は負けるわ」
「何故、分かる」
「それも、分からないの。貴方の船も、私の都市も、相当古いわ。でも、貴方の船は、全ての機能が作動して無いようよ。それで、私の都市と戦えるのかしら、同じ古くても、私の都市は、全ての機能は生きているわよ」
「何だと」
「私は悲しいわ。初めての同族が、貴方のような人で、私は会えるのを楽しみしていたのに、私はね。生きているのを見たのは猫しかいなかったの。それで、私は、怖くて猫としか会おうとしなかった。でも、会いたいとも考えていたのに、残念だわ」
「そうか、なら、俺の助けになれ」
「ねえ、貴方の左手の赤い感覚器官は、何かを感じているはずよね」
「それが、どうした」
「そんな事も忘れたの。私の感覚器官も感じているわ。私の連れ合いだと示しているの。竜も、先ほど、貴方に、そう伝えたはずよ」
「連れ合いだと」
「そう、赤い感覚器官は、連れ合いを探す為にあるの、背中の羽は、それを探す為に移動する力よ。もう、殺し合いは止めて、一から始めましょう。全てを忘れましょう。私達の祖先がしたように、擬人に全てを託して楽しく生きましょう」
「船など使えなくても構わん。身一つで、この空間から出て復讐をする」
「そう、なら一人でも戦いなさい。この空間から出ます。天猫さん。鏡さん。静さん。獣人の方達も都市に入りなさい。一緒に出ましょう」
都市の全ての扉が開いたが、獣たちは、正面の入り口には入ろうとも近寄る事もしなかった。それは、鏡、静、天猫が、輝の所に向かっているからだろうか、輝は、都市の中に勧めてくれたが、その他の者は、先ほどまで敵として戦っていたのだ。顔を合わしたくないのだろう。
「まだ、空間から出るのは困る」
鏡は、輝に会うと直ぐに思いを伝えた。
「もう、主と言われていた人は戦えないわよ。まさか、殺し足りないの?」
「そうでは無い。元の世界ではロボット病が流行っているのだ。その原因は竜にあると考えていた。主なら皆殺しを考えるだろうからな」
「それなら、大丈夫と思うわ。もう、治っているわよ。恐らくねぇ。あの主、船を空間から出そうとしたのよ。それで、出る為に無茶苦茶に入り口を作ったと思うわ。その影響で、擬人の脳内と船が居る空間と複雑に連結したのね。脳内は、時の流れと繋がっているわ。聞いた事ない。過去や未来が観えるとか、予知とかあるでしょう。それね」
「輝さん。それ、本当なの」
「間違いないわ。同じ事をするつもりでも、私の都市からの指示を送らないと船は動かないわ。これで、天猫さん、もう何も心配ないから都市に住めるわよ」
「これで、帰れるわね。海さん、治っているかしら、それとも、病気でなくて元々の性格だったりしてね。でも、私達の身体を取り戻したし、生身では帰るかしら?」
「帰れるだろう。だが、昔に戻りたいな。また、旅がしたいな」
「そうね。昔に戻りたいわね」
「約束は出来ないけど、近い時代に帰れるようにしてあげる。それでも、一度は元の世界
に帰り、ロボット病に罹った知り合いが治ったか確かめに行くのでしょう」
「そうだな。治ったか確かめないと、安心して旅に出られないしなぁ」
「そうね」
「それでは、中に入って下さいね。帰りましょう」
全ての獣が入り終わるのを見届けると、都市の中に誘った。
「輝さん。獣は何処に居るの?」
「倉庫に入るように通路を示したわ。大丈夫よ。安心して会う事はないわ」
静は、殺すほど憎い訳ではないが、先ほどまで戦った相手だ。直接に会えば戦いになる。そう感じたのだ。その事は、輝も考えていたのだろう。獣が入った通路は、隔壁を下ろすことによって一つの通路になり、倉庫以外には入れないようになっていた。
「調べてみるわ」
天猫達が入り口に入ると、輝は、先ほどの監視室か、休憩室のような部屋に入った。そして、直ぐに機械操作をすると、壁面に映像が映し出された。
「ねね、この男女の事を心配していたの?」
「あっ」
「自我がある。治ったようね」
その画面には、海と沙耶子が映っていた。それだけでは驚くはずも無い。何故、驚いたかと言うと、海が沙耶子の手を引っ張り、ある場所を案内しようとしているからだ。何処に案内するか分からないが、海の表情には笑みが感じられた。表情だけで無く、人を案内するとは、自分で考えて行動しないと出来ない。その様子を見て元に戻ったと感じたのだ。
「輝さん。シロ猫の飼い主は映し出せない。確か、謙二君だったはず」
「天猫さんが、行った場所や記憶があれば、映し出せるわ」
輝は、操作を続けた。謙二を画面に出し、様々な物や人物も次々に映し出した。
「輝さん。ありがとう。ねえ、鏡どうする。会いに行く」
「好んで行かなくて良いかな。海は、私の事が分かるはず無いしなぁ」
「そう。でも、天ちゃんは帰りたいでしょう。可愛いメス猫だったものね」
「静おねえちゃん。シロの事を言っているのかな」
「そうそう」
「何で、そう思うのかな、天は、あの猫には二度と会いたく無いよ」
「私も、無事を確認したから無理して帰らなくてもいいかな。ねね、ならどうする?」
静は、鏡と天猫に問い掛けた。
「そう帰らなくてもいいの。それに、行く場所も無いのね」
輝は、微笑みを浮かべた。一緒に都市で住んでくれる。とでも思ったに違いない。
「本当に帰りたい場所なら、今の身体が生きていた場所だな」
「そうね。あの場所しかないわね。天ちゃんも、そうでしょう」
「うん。あの場所に帰れるなら旅の続きがしたいね」
「天猫さんの記憶がある場所なら行けるわよ。その場所にするの?」
「面倒と思うが、お願いします」
鏡が、代表のように答えた。
「簡単だから大丈夫よ。天猫さんの記憶から時と場所が分かるから気にしないでね」
大きな溜息を吐き終わると、機械操作を始めた。でも、先ほどまでの神業のような操作ではなかった。恐らく、別れが悲しくて少しでも一緒に居たいからだろう。
「変ね。如何したのかしら?」
「無理なの」
「大丈夫よ」
「どうした?」
「何故、都市が移動先を示さないの。なぜ、動かないの?」
静の返事では無い。自分の心を落ち着かせる為の声だと思えた。そして、同じような悲鳴を何度も吐いた。壁面には移動先の映像を映し出すのだが、都市が移動の支持を受け付けないのだ。移動行動の設定だけが、初期状態に戻ったように原点を入力する指示を何度も知らせるだけだ。まるで、都市は、星も見えず、居場所を知らせる機械も、そして、駆動系も壊れてしまった。ただ、何も出来ずに、海に漂う船の様だ。
「え」
輝は、全ての生き物も、頭痛なのか言葉なのか、と思う感覚を感じた。その感覚が何度も続いた後に、はっきりと言葉と感じた。
「移動できるはずが無い」
竜が意識を取り戻した。
「主が乗る船と同じ状態になったはずだ。船は、都市を原点として時間、距離を決める。それが、この空間では時間の流れが不規則の為に、都市の原点が取れなかったのだ」
「なら、如何したら原点を復帰できるの?」
竜は、話の途中で苦痛のような言葉を吐くと、女性の問いを答える前に、また、気絶してしまった。
「映像が映っているのに行けないのか?」
「例えばね。海で、船の羅針盤が壊れ、星も見えなくて漂っていても、テレビは映像を映すわ。無線も壊れてなければ話が出来る。でも、場所が分からなければ向かう先も、救助の助けも呼べないのよ。それと同じなの」
「でも、映像が観られるなら、予想で時間とか場所が分かるのだろう。適当に設定しても行けないのか、少しくらいの違いなら気にしないぞ」
「手動や頭で計算が出来る距離の乗り物なら、その考えも良いでしょうけど、最低の設定の数値でも、何百年も違ってしまうわ。その地に着けば良いけど、着かない場合は、時の流れの中を永遠に漂う事になるわ」
「馬鹿な真似はするな。船と違い、都市なら初期設定からやり直せばで、この地で原点の設定が出来るはずだ。我の程の大きさで、永く生きている物なら原点として設定が出来るだろう。だが、一点だけでは認識はしないはずだ。今の都市の場所と、我の二点なら再認識するはずだ。そして、短い距離だが、最低設定値が確定できれば正常の時と同じように起動してくれるはずだ」
竜は、輝の話を聞いていた。自殺行為と思い、痛みを堪えるような声で説得をした。
「原点として確定したわ」
「だが、一つの時の流れしか現れないだろう。それでも、我の脳波が反応している間だけだ。そろそろ、我の身体の治療の為に仮死状態になる。もしかすると、命が尽きるかもしれない。我の意識がある内に、早く、この時が止まった空間から時が流れる世界に行くのだ。だが、出入り口は、一つのはずだぞ。我が、最近に時の流れを感じた場所だ。それは、擬人の男女と猫が、この空間に入ってきた。その時と場所だろう」
「分かったわ」
「それと、鏡と静かと言ったな。戦いの目的だと言った。ロボット病だが」
「何故、それを知っている。お前の仕業か」
「お嬢さんが言ったように、原因は、主様が、復讐の為に、この空間から船を出そうとして、無茶苦茶に入り口を設定したからだ。もう船の制御は都市の指示しか受け付けない。
すでに、ロボット病になった者は、元に戻っているだろう。それは、安心しろ」
「信じよう」
鏡が、即答した。
「主様」
「何だ」
「主様も、船を捨て共に出るのです」
「我は、この船で閉じた空間から出る。そして、復讐をするのだ」
「無理よ。この空間から出られないわ。貴方の船は、都市の指示しか受け付けないわ」
「うっうううう」
室内の音声機械から泣き声が響いた。
「出られないでしょう」
「お嬢さん。主様を頼む」
竜は、最後まで話し終える前に、仮死状態になったようだ。
「大丈夫よ。一人だけ残すのも心配だから安心して」
「・・・・・」
「竜さん?」
「輝さん。竜には伝わっているよ。それで、俺達は竜の頼み事、主様と言う者を連れてくる。その間、出発の準備を頼む」
「はい。準備をしておきます。それでは、お願いしますね」
第十七章
「天、如何した。元気が無いぞ。ほら、行くぞ」
「天ちゃん。大丈夫なの?」
「静お姉ちゃんも鏡お兄ちゃんも、天は大丈夫だから心配しないでよ」
「そうかあ、なら行くぞ」
鏡、静、天猫が都市から出たのを確認すると、輝は、都市から船に指示を与え、船の全ての扉を開放させた。
「おおお、開けてくれたか、ありがたい。静、何処から入る?」
「輝さんが、扉を開けてくれたのですから、見学気分で正面から入りましょう」
「そうだな」
通路に入ると、驚きの余り言葉を無くした。それ程の絵が通路の両脇だけでなく上下にも描かれていた。船や都市が製造される以前の歴史だろう。鏡と静には意味が分からなくても、心からの興奮を感じる程の物だった。そして、一つずつの部屋を開ける度に、室内の調度品を見て驚くのだった。誰が見ても、この船に乗っていた人々は高貴な人の船だと感じるはずだ。
「うぁああ、綺麗ね。凄いわ。王族の持ち物って、この様な作りよ。多分だけどね」
静の考えは当たっていた。都市から出て暮すと考えた人々は、一族を支配する王族だった。船や調度品を見なくても予想は出来るはずだろう。都市から出ると考えた人々の護衛に竜を付け、船まであるのだからだ。普通の人々なら身一つのはずだろう。
「確かに、無駄に金をかけている。それは分かるなぁ」
鏡は、驚きはしたが興味が無かった。だが、綺麗な瓶でなくて樽型の酒だったならば興味を感じて飲み干しただろう。そして、静も調度品などを見慣れてきた頃、いや、感覚が麻痺する程の時間が過ぎた時だ。都市から輝の悲鳴が響いた。
「お願い、出来る限り早く帰ってきて」
輝は、機械操作に夢中で、自分でも気が付いていないが、心の思いを呟いていた。その悲鳴の理由は、都市の原点の数値が安定してない為だった。このまま数値が下がれば、都市の移動が出来なくなる可能性があったからだ。その理由を考えながら機械操作を続けていた。都市の外を見る余裕があれば、そして、竜の姿を見れば想像が出来たはずだ。まるで、蛹のように固まり始め、だんだんと、生物と言うよりも石の彫刻のような状態になっていたからだ。恐らく、都市の機能は、いや、時の流れの意思は、原点は、生物なら生きてきた分の数値を判断が出来るのだろうが、石になってしまったら、新規の原点となるのだろう。その為に、都市と竜の数値が下げ始めていた。
「静、天、聞えただろう。急がなければならないなぁ」
「もっと、いろいろ見たいけど仕方がないわね。主様と言う人を探しましょうか」
「天、大人しいが本当に大丈夫なのか?」
「鏡お兄ちゃん大丈夫だって、主様と言う人の気を探していただけだよ。感じ取れたから後に付いてきて、でもね。何か興奮しているから気をつけてね」
「だろうな。何も思い通りに行かず、まして、一番信頼していた部下が裏切ったと思っているはずだからなぁ」
「なら、行くよ」
天猫の後を、静と鏡がついて行った。
「動け、我は仇を討つのだ。動いてくれ、動け、動け」
主様と言われた者は、操舵室に居た。天猫が言ったように興奮を現し、船を動かすのに全神経を使っているようだ。天猫達が、操舵室に現れたと言うのに気が付いてないのだ。
「うぁああ」
静は、操舵室の中を見ると驚きの声を上げてしまった。ただ一人いる者。主様と言われた者の狂った様子を見たので無く、室内が金を掛けられるだけ掛けた室内だった。一つだけ例を挙げるとしたら、一番豪華を挙げてみる。それは、船を操舵する物だ。ただのハンドルでも、レバーでも良いはずなのだが、ただの丸ハンドルでは無く、純金で真ん中には、一族の花押なのだろう。この世にある宝石を惜しみなく使って、トラ猫とマタタビの木が描かれていた。目がサファイア、毛は金で一本一本を細部まで小まめに現していた。
「誰だあぁ」
静の声を聞き振り向いた。
「もうあきらめろ。迎いに来たぞ。一緒に来い」
「ふざけるな、我は、船と共に空間を出るのだ。邪魔をするな」
全てを話し終える前に、鏡と静に向かって銃弾を放った。鏡は、男に目線を向けていた為に危険を感じて逃げる事は出来たが、静は、室内の豪華な調度品に心を奪われ気が付かなかった。それを感じて天猫が、静を助ける為に身体をぶつけた。
「天ちゃん。何をするのよ。えぇ、大丈夫?」
銃弾は静には当たらなかった。だが、その銃弾は天猫の腹に当たってしまった。
「天、大丈夫か?」
「天ちゃん。天ちゃん」
静は、我を忘れたように泣き止まなく。鏡が容体を確かめた。だが、直ぐに主様と言われた男に鋭い視線を向けた。
「助けに来てやったと言うのに、何を考えているのだ」
即、駆け出し、男の腹に蹴りを入れた。
「げっほ」
男は、その場に崩れて折れた。
「静お姉ちゃん。泣かないで。鏡お兄ちゃんも怒りを抑えて」
「殺して無い。竜の頼みでもあるし、輝と同じ一族でもある。一番の気持ちは、あの馬鹿を殺す価値が無い。天、安心しろ。怒りは無い。それより大丈夫なのか?」
「天の話を聞いて」
死ぬほどの怪我では無い。と胸を撫で下ろした。そして、天の話を聞きながら、男の元に向かった。
「天は、この怪我でなくても、寿命で死ぬのは分かっていたよ。でも、都市まで連れてって欲しい。少しでも父さんの近くに居たいから連れてってお願い」
「天、話すのは止めて、都市に行けば、輝さんが治してくれるわ。確りしてよ」
その話を聞きながら静は都市に連れて行けば治る。そう思って移動テーブルの上に載せようとしていた。そして、鏡は、静に天猫を任せ、気絶した男を乱暴に移動テーブルの上に乗せると、船を後にした。
「早く来て、時間が無いの。早く出ないと空間から出られなくなるわ」
輝は、鏡たちが、何時、船から出て来るかと待ち続けていた。そして、姿を見ると、悲鳴のような言葉を上げた。その悲鳴が聞えたからで無いだろう。恐らく、耳に悲鳴は届いて無いはずだ。ただ、天猫を助けたくて、急いで都市に向かっているようだ。
「輝さん。お願い天ちゃんを助けて」
都市に入ると、直ぐに大声を上げて助けを求めた。
「てって天猫さん。撃たれたの」
都市の監視映像機から、天猫の腹から血が流れ出ているのが見え、輝は悲鳴を上げた。
「天ちゃんを助けて、何処に居るの。何処に行けば良いの?」
姿は見え無いが、声が聞こえ周りを振り向いて探した。
「今から行くわ。その場で待っていて」
普段から居る。監視室か、休憩室のような部屋から直ぐに現れ、天猫の容体を診た。
「ねね、天ちゃんは大丈夫よね」
「直ぐに診察室に連れて行くわ」
「俺の事は気にするな。この空間から出ないと不味いのだろう」
天猫は痛みで気絶していたのだが、声を上げた。だが、まるで別人のような老人のような声で、皆は、傷の容体よりも驚きを感じた。
「え」
「天?」
「天猫さん。話をしないで傷に響くわ」
「天猫には違いないが、別人かもしれない。俺は、老衰で間も無く死ぬ。それで、なのだろう。全ての未来を感じ取った。時の流れも生きている。一つの流れでは無いのだ。まして、この空間は時の流れから外れているから、時の流れに戻れば、時の自動修復が働くだろう。大人の猫と子猫が同じ猫なら、そして、同じ時の流れに現れれば、修正がやり易い子猫のほうに流れが変わり片方が消えるだろう。子供なら記憶や生きて来た時の流れが短いからなぁ。それは、他の者にも言えるぞ。今までの記憶が消え、新しい時の流れで生きる事になるはずだ」
天猫が呟いた。死期が近いからだろう。時の流れの意思を感じたのだろうか、それとも、死とは、全ての事柄が分かるのだろう。そう判断が出来る事を話し出したのだ。
「でも」
「俺の事は気にするな。だが、願いがある。空間から出る時、俺が亡くなっていたら亡骸はだけは、一緒に連れて行ってくれ。同じ時の流れに戻れるかもしれない。出来たら、又、一緒に旅が出来るのを楽しみしているよ」
皆は、急ぎ空間から出る為に行動していた。天猫の命を助ける為、それもあるが、都市の原点の数値が下がる時間が早くなってきた。その二点の為だ。
「駄目だわ。この数値では都市の移動は出来ない」
「出られないのか?」
代表のように鏡が問い掛けた。
「安心して、獣人と天猫さん達だけは、空間だけでも開いて出られるようにするわ」
「輝さん。ありがとう」
「えっ、ちょっと待ってよ。輝さんを、一人だけ置いて行くの?」
「私の事は気にしないで、都市から出ても、どうして生きて行けば良いか分からないわ」
「でも、都市では生きられないのでしょう?」
「生きて行けるわ。ただ、好きなように行動が出来ないだけ、だから、気にしないで空間から出て、今、先に獣人を空間から出しているわ。その後に直ぐにでも行ってね」
「鏡、信じられない。本当に輝さんを一人置いて、この都市から出るの」
鏡は、何も返事をしなかった。天猫の状態が気になっているのか、だが、静の話を聞き終わると、一瞬だが、笑みを浮かべた。その笑みの理由は分からないが、静は、話を止めた。何か考えがある。そう思ったのか、天猫の身体に影響がある。そう考えたのだろう。
「輝さん。何か操作する事でもあるのですか、何も無いのでしたら身体を休めて下さい。一人だけ残すにしても、元気だと分かるなら安心して出て行けます。それとも、今から難しい操作でもあるのですか?」
「もう、何もする事は無いわ。そう言われるなら少し横になるわね。でも、出る時は起こしてね。お見送りしたいから起こしてよ。絶対よ。起こしてね」
「大丈夫ですよ。安心して下さい。忘れたりはしませんからね」
鏡は、笑みを浮かべながら返事を返した。だが、悪魔が何かを企んでいるような笑みだった。そして、時間が過ぎ、獣人が全て都市から出ると、静は、鏡に視線を向けた。本当に輝さんを一人残すの。と言うような視線を向けた。それに気が付か無いのだろうか、天猫を大事そうに移動テーブルに載せていた。
「天ちゃんは、大丈夫?」
「生きているようだ。だが、表情が無いと本当に年寄りと感じるなぁ。老衰は本当なのだろう。確かに、千年は生きている計算だからなぁ」
「そうねぇ」
「静。頼みがある」
「何なの?」
「主様。だと言うあの者を背負いながら天を連れて出られるか?」
「寝ていたら起こすのは、静は嫌だろう」
「まさか」
「俺も女性を起こすのは嫌だ。静のように寝起きを見たのとか、何かしただろう。とか言われるのが怖い。寝ていたら抱えてくるよ。後の理由は静に任せるぞ」
「その為に寝かせたのね」
「そこまで考えていないよ。疲れが顔に表れていただろう。それでだよ」
「なら、私が輝さんを抱えてくるわよ」
「いいが、もし、起きたら無理にでも連れて来られるのか?」
「天ちゃん。行くわよ。扉を出たら、どのような所なのかしらねぇ」
静は、鏡の話を無視して、この都市に入ってきた部屋へ、扉に向かった。笑みを浮かべているが、その笑みは、行き先の思いでも、天猫の容体でも無いだろう。目覚めて、輝に怒られる事になるだろう。その全ての理由は、鏡に押し付ける。その事を思い出しての笑みだと思えた。そして、扉を潜った。その時、気持ちでは戦いになるかもしれないと判断した。先に獣人が出たのだ。仲間の仕返しを考える者や何かの諍いが起きるかもしれない。そう考えたからだ。
「えっ、ここって最後の戦いに入った場所ね。昔に戻ったの?」
背中に背負っている男を無造作に下ろし。周りを見渡した。後ろを向くと扉は無く、洞窟があった。
「おお同じ場所だなぁ。又、旅が出来るなぁ」
「何をにやけているのよ。嫌らしいわね。何時まで抱えているのよ」
「あああ、この場所に戻って来た。喜びでなぁ。それに、輝さんは軽いし、忘れていたよ」
「私が、重いと言いたいのかしら」
「お、誰か、来るぞ」
「ええ、あれって、私なの、子供の天ちゃんも居るわ」
「そうだなぁ」
「あっ」
「なんだぁ」
鏡と静は、四人の男女と子猫を見ると、立ちくらみを感じた。そして、その場に倒れてしまった。そして、歩いて来る鏡と静も、二人の男女も子猫も驚きの声を上げた。
「これって、俺か?」
「私なの?」
「あっ、輝さんと瓜二つの女性ですね」
主様と、言われた同じ男性の空が声を上げた。
「空さんと同じような人も居るわね」
「大きい猫だぁ。天も、この猫のように強い猫になりたいなぁ」
四人の男女と子猫が声を上げると、その場に倒れてしまった。それと同時に、この地に現れた。大人の天猫から始まって、鏡、静、輝、主様と言われていた空が突然消えた。全ての者が消えると、四人の男女と子猫が起きだした。
「なんで、この場所で寝ているの?」
先に静が起きた。そして、鏡を起こした。
「鏡、大丈夫」
「大丈夫だ」
鏡は頭を振って記憶を思い出そうとしていた。だが、皆も同じように起きたが、同じ人が居た事を思い出す者は、誰も居なかった。その事より、気を失っていた為に、そして、特に目立つ物が無い為に、北から来たのか、南から来た事も分からず。行き先を決める為に話を始めた。
「輝さん。空さん。赤い糸は、どの方向に向いていますか、私達には見えませんので教えて下さい」
鏡が、二人に話を掛けた。
「北ね」
「東だ」
輝と空は、同時に声を上げた。だが、それは、二人とも嘘を言っていた。
「ああ、済まない。北だった」
空が訂正した。
「間違いです。東です」
また、二人は同時に答えた。そして、二人は顔を見合わせ。照れたように笑みを浮かべた。それは、まるで、恋人のような思いやる姿に思えた。
「ねえ。本当に赤い糸の方向を言っているのか?」
鏡が問いかけた。
「そうよ。なら、先に東に行きましょう。空さんの連れ合いを先に探しましょう」
「済まない」
空は、恥ずかしそうに答えた。
「いいのよ」
輝も、笑みを浮かべながら楽しそうに答えを返した。
「二人が赤い糸が繋がっていたら旅をするまでないのにね」
静が、問い掛けた。だが、もし、静が赤い糸が見えていたら、二人の糸は、常に、相手の糸の方向に向いているのが分かっただろう。
「俺も、何処にあるか分からない。生まれた里を探すから、東でも北でもいいよ」
鏡が、いい加減に答えた。
天猫も、会話の流れに入って来た。自分の旅の目的を忘れられている。そう感じたのだろう。そして、答えを待つかのように、四人の男女に視線を交互に向けていた。
「天ちゃん。大丈夫よ。忘れて無いから、もし、二人の相手が見付かったとしても、私も鏡も旅が好きでしているから、天ちゃんの里探しはするからね」
「そうだぞ。天。安心しろ。必ず、父さんと母さんと仲間に会わせてやるからなぁ」
時の流れは残酷な事をしたのだろうか、全ての事を忘れていた。そして、人生の目的も全てが変わってしまったのだ。それは、神の考えなのだろうか、だが、四人の男女と子猫の楽しい会話や表情を見ると、全てを忘れた方が良かったと思えるだろう。そして、新たな旅の目的は最適と思えた。それは、新たなる旅の始まりであり。全ての事柄の始まりでもあった。
2013年12月25日 発行 初版
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羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。