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数冊の本と運命の泉

垣根 新

垣根 新出版



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序章、(ある都市の本の歴史の抜粋)

抜粋の一。
遠い、遠い過去には、赤い感覚器官(かんかくきかん)と背中に蜉蝣(カゲロウ)の羽を持つ種族がいた。七千五百万年に遡る。その時代の地球には月(衛星)が無い為に、地球の重力が今の十分の一しかなかった。その重力が低いために、現代でも謎の一つとして述べられる。時より、化石などでしか発掘されない巨大な生物の世界だったのだが・・・。
抜粋の二。
月が天文学的な確立で偶然に地球の衛星になったのではなく、ある銀河の惑星の衛星だったのを長い宇宙の旅ができるように造り替えて地球に向かったのだ。それでも、月は、単なる宇宙を移動する宇宙船ではなく、聖書に書かれている箱舟だった。なぜ、それほどまで大掛かりなことをしたかと言うと、子を思う親の気持ちだったのだ。まだ、普通の親と子なら何も問題ではなかっただろうが、王家の血筋で障害者では許されなかった。それでも、王家の血筋では権力を得ようとする者達に祭り上げられる可能性があり。父親でもある王は、血の涙が流れる程の悲しみに耐えて、仕方なく、ある星(地球)に赴任させたのだが、星を箱舟にする程の科学技術がある文明でも、その星を観測するのが精一杯の遠い星だった。それでも、無事に到着するのだが・・・・。
抜粋の三。
地球を第二の故郷として繁栄を謳歌していた。だが、地球だけでは足りずに、一族の象徴として月を保存していた。それを船から人が住める星に造り替えたのだ。運が良く、ますますと謳歌するが、衰退は必ず来るのだった。その時には、子孫を残せなくなってきたことで、地球の様々な生息していた生物の遺伝子を使用して擬人(ぎじん)を造りだして、様々な産業の担い手に、人によっては愛玩動物(特に猿の遺伝子を持つ擬人)とする者もいた。だが、神をも恐れる禁忌の所業のためだろうか、種の限界なのか、地球の環境に身体などが適さなくなったのだが・・・。
抜粋の四。
地球と月を捨てる考えになるのだが、その時の様々な方法の一つで、他次元に逃げる馬鹿げた手段を実行する者達がいたのだ。その時のエネルギーに利用されたのが月の地表だった。偶然の発見で、重さに比例して他次元の扉が開くのを発見されたのだが、利用方法に失敗したことで月は次元にの底に落ちた。だが、何時の時代の月なのか分からない。そこでは、無数の地球がある多重次元世界が存在したが・・・。
抜粋の五。
不思議なことに無数の数の地球はあるが、月は一つしかなかった。その異常な世界の不具合がらなのか、月人には、左手の小指に赤い感覚器官(赤い糸)と背中に蜉蝣の羽(羽衣)があり。子孫を残す方法も変わってしまった。赤い感覚器官の導きが示す。運命の異性だけしか子孫を残せないのだ。それほど過酷な運命のために、赤い感覚器官は、赤い糸とも言われ、伸び縮みして剣や槍になるだけでなく拳銃の弾まで弾き返すことができた。もう一つある。蜉蝣の羽は、羽衣とも言われ、空を飛ぶことも、他次元にも過去や未来に飛ぶこともできたが・・。
抜粋の六。
長い時間が流れ、その種族が、擬人の助けや擬人の敵などになる。そんな、様々の出来事も神話として微かに残るだけになった。その地名を現代で例えるのなら有名な名称の遺跡がある。青森、北海道王朝であり。連携都市が、岩手、秋田、宮城、山形を含めた所だったのだ。そして、まだ、発掘されていないが、一万年以上も前から存在する。この一帯の国の発祥地の遺跡は宮城にあったのだが・・・・。
抜粋七。
山岳地帯の小さい村、現在では、宮城、山形の県境である。未だに国道が通るだけで開拓も発掘もされていない。その村は、いや、里よりも住人が少なく、一族だけがひっそりと住んでいる。同じ姓を持つ家族だけだった。だが、それでも、その地には千年も続く神社があったのだ。もう少し正確に言うのなら文献と神主の系図の記録として残っているだけで、口伝まで信じるのなら六千万年以上から続いていた。それを証明できる遺跡が残されている。それが、三角山神社の裏山の三角山であり、神がお休みになっている山として崇められていた。そのような由緒ある里(神休み村とも天祖村(てんそむら)なのだが、新天祖南国(現在では福島)と天祖北国(現在では山形)の戦争で、二つの国の県境だったことで、里の成人男性の殆どが徴兵されたのだ。だが、徴兵を命じる国は、神社よりも新しい国で、千年の間に三度も国名が変わった。新興国なのだった。戦争が激戦しても二つの国の神官や書物が有る時は、国を興した発祥地として敬う気持ちだけはあった。そして、書物を守る神官が殺され、書物も無くなると、辺境に暮らす蛮族の里としか思われなくなってしまったのだ。それで、徴兵される者が増え始めた。だが、数十年前まで神社の関係者の数十人だけになるが歴史を知る者もいたが、あっ、と言う間に疫病が里中に広まり・・・。
抜粋八。
自分の生涯の中で最高の興奮を味わっていた。自分は未来人なのである。だが、微妙に自分の知る過去と違う場合がある。もしかすると無数の時の流がある。一つの枝分かれの時の流なのか、まあ、そんなことは、どうでも良い。子供の時に読んだ。一番の興奮を感じた本を自分が書いている。その興奮と、目の前には、完璧な人型の機械人形があるからだ。これを修理したくて興奮しているのだ。いや、修理する為に部品を探す。との名目で、しめ縄を切って都市の中に入る。その興奮なのかもしれない。それとも、この本が先祖代々の蔵にあった。と言うことは、運命の人と出会い。この時代で暮らすことになる。それ程の絶世の美女に出会える。その喜びなのだろうか・・・・。

第一話(裕子と別れ)

天祖村の一つの建物から人工的な機械音が響いた。何かを知らせる音らしい。
「ピューピュー」
 だが、真っ黒で誰も居るとは思えない。それだけでなく、窓もないのだから地下室だろう。その音が何なのか、それを探そうとしても、地下室にはガラクタだろうと思える物が多すぎて探し出せない。もしかすると壊れた機械が何かの拍子で鳴っているのかもしれない。そう判断するのが当然かもしれない。必要ならばごみ置き場のような地下室に置くはずがないからだ。
「充電が完了しました。一日の行動計画を実行する時間です」
 カタカタと、凄く原始的な茶運び人形が動くような音が響くのだ。もしかすると、機械として動くのには限界なのかもしれない。そんな音が響いた。この音なら地下室に人が居れば場所の特定ができるだろう。そして、質素な飾りのない椅子に、白い巫女服の様な現代でも若い女性が好んで着そうな服を着た。少女のような女の子が座っているのが分かるだけでなく、人が背伸びするように両腕を上に上げて身体をそる動きをした。まるで、隅々まで電力を行き渡せるような感じを見ることができるはずだ。
「実行」
 少女のような女の子が許可するような言葉なのだが、なぜか感情が感じられない人工的な声だった。だが、数分が過ぎても何も起きる様子がなかった。そのためだろうか、自分の両腕を後ろに回して、ゴソゴソと何かをしているようだった。その後に、人工的な音が響いた。その音は、配線が接続されていた物を強制的に抜いたような音だった。そして、椅子から立ち上がったような音が響くと、老婆とも思われる片足を引きずるような歩き方の音に変わった。その様な身体機能の欠陥で、どこに向かうのだろう。その者は地下室を出ても止まる気配も、行き先を探すでもなく歩き続けてから、ある扉の前で止まった。そして、ゆっくりと腕を動かして扉のノブを掴んだ。これが、第二段階なのか、感情があるかのように笑みを浮かべたのだ。それだけでなく、先ほどのゆっくりの動作でなく、人らしい動きで扉をあけて、寝ている者の寝顔を見た。そして、寝台に近づくのだ。だが、動きを早くしたからだろうか、無理矢理に機械を動かす鉄の擦れる音が微かに聞こえた。やっと、と言うべきだろう。寝台に着くと直ぐに右手を動かして、寝ている者の頭を優しく撫でるのだ。もしかすると、笑みを浮かべた理由だったのだろうか、だが、優しい触り方なので、触られた者は起きることはなかった。それでも・・・。
「御主人様。朝ですよ。早く起きてください」
 先ほどと同じ者なのだが、感情をはっきりと表し、可愛い少女のような若い声色だった。もしかすると、寝ている者の寝顔に反応したのか、それを確かめることは出来ないが、優しく起こされている者は、背中に蜉蝣に似た羽(羽衣)があり。左手の小指に赤い感覚器官(赤い糸)を持っていた。その感覚器官は、蛇のように動いて運命の相手がいる方向を方位磁石のように示すだけでなく、運命の相手と結ばれるための試練も示し、身体に危機がある場合は、伸び縮みして拳銃の弾もはじくのだが、当然というべきか、伸び縮みして剣、槍のような武器にもなるのだ。この蛇のような不快を感じる感覚器官を持つ者は、邪な事を常に企む顔をしている者。そう思われるだろう。だが、違うのだ。女性のような柔和な顔で、身体も細身で筋肉もなく戦う事に適していない者だった。最適な職業と言えば僧侶だろう。それを神も感じて、千年は続く三角山神社の跡取り息子として誕生させたはず。その名は、天家(あまけ)新(しん)だった。それなのに、新を一人残して里の者は全て亡くなった。それなら、男を起こす者は幽霊かと思われるだろうが、似たような者だった。今では信じる者は、神社の跡取りの男以外は、誰も居ないが、一万年以上も生きていると、少女は秘密を打ち明けたことがあるが、主と認めた者と家族だけだと、そう言うのだった。
「御日様の光は気持ちが良いですからね。早く起きないと損をしますよ」
 それを証明しようとして、片足を引きずって歩くだけでなく、老婆のように前屈みで歩いて窓のカーテンを開けていた。勿論と言わなければならない。この時代では空を飛ぶ機械も地を走る機械もない。地を歩くか、馬車しかなかった。だが、驚くことに、少女としか思えない若い表情で、服装も見た目も少女のような姿なのだ。だが、耳を澄ませば、歩くと歯車の音と鉄と鉄が擦れる音が聞こえる。それと、口癖のように・・・・。
「御主人様は、雲よりも上の宇宙と言う世界から現れた末裔なのですよ。何を子供のように駄々をこねるのです。御日様を体に感じるのは幸せな事なのですよ」
「分かった。直ぐに起きるから朝食の用意を終わらせてくれ。その間だけ寝る。その後は必ず起きるから頼むよ。もう少し寝かせてくれよ!」
「分かりました」
 また、歩くと機械仕掛けの音が響くのだが、何歩だが歩いた音がした後・・・・。
「また、その・・・・朝食の用意をした後に起こしにきます」
 演技なのか、それとも、苦労して作ったとしても、起きるのを待つとなると、料理が冷めるのが心配なのか、悲しそうに言うのだった。そして、新は、自分が泣かす程の悪い事をしたと感じて起きるのが毎日だった。
「悪かった。本当に悪かった。裕子(ゆうこ)。直ぐに起きる」
 寝具から飛び起きると、直ぐに裕子が用意した着替えを着た。だが、普段着とは違っていた。
旅装の服の様であり。狩り用の服にも近く、袈裟の様でもある白い服だったが、特に気にせずに、窓に近寄った。
「朝の御日様は気持ちがいいな!」
 カーテンを開けてもらった窓から太陽の光を浴びながら背伸びするのだった。
「そうでしょう。なら、朝食を作って食卓に並べて置きます。その間に顔を洗って目を覚ましてくださいね」
「分かった。分かった」
「御主人様が好きな料理を作るのですから早く来てくださいね」
 また、老婆のような動きで機械仕掛けの音を響かせながら部屋から出て行った。その様子を見送った後は、急いで寝具を整えて洗顔するのに井戸に向かった。変だと思われるだろう。御主人様と言われる者が、自分で井戸の水を汲んで洗顔をするのかと、洗顔は良いとしても、なぜ、寝具を整えるのかと思われるだろうが、若々しい声だが動き方が老婆としか思えない様子だったことで、少しでも長生きして欲しいために、自分で出来る事は、自分でする。これが一番の理由だが、それに、任せても時間が掛る。そう言う理由もあったのだ。
「今日は何だろう?」
 井戸で洗顔を終えて、使用後の桶を脇に置いて、台所の方に視線を向けると、小窓から顔が見えた。それは、本当に嬉しそうに料理を作っていたのだ。その顔を見るのも嬉しいが、笑みから判断すると、自分の好きな料理を作っていると判断が出来た。嬉しくて駆け出したかったが、転ぶと危ないと、子供のように心配するのだ。確かに、幼い頃に裕子の誕生日を聞いた時に製造されて一万年は過ぎました。と言われた。その意味は分からなかったが、一万年は生きているお婆ちゃんなのかと驚きと同時に、自分が大人になっても子供のように接するのだろうと感じてしまった。そう思ったのは正しかった。
「裕子。出来た?」
 本当なら「裕子お婆ちゃん」と言いたいのだけど、子供の時に泣きそうな表情を浮かべたのと、自分を「新坊ちゃま」と言われるのが嫌で「御主人様」と言う代りに「裕子」と呼ぶと、二人で指切りまでして約束したのだ。
「まだですよ。紅茶を作って置きましたので飲みながら待っていて下さいね」
 食卓の上に、紅茶専用の容器と湯飲みが置かれてあり。自分で湯飲みに注ぎ飲みながら待つことにした。そして、食卓の上に一品の料理が置かれたので、自分で御飯と味噌汁を装って食べようとしたのだが・・・・。
「御主人様。待って下さい。後、二品があります」
「凄いな。今日って何か特別の日だった?」
「いいえ。何か今日は、どうしても御主人様の笑顔が見たいと思ったのです」
「そうか」
「はい」
 本心から嬉しいと、まるで、微塵も邪気のない赤子のような笑みを浮かべたのだ。
「頂きます」
 まあ、何て言うべきか、新の食べ方は、美味しく食べていると感じるが、美しい礼儀があるとは思えない。リスのように口の中に貯めて蛇のように飲み込んでいる姿だった。だが、料理を作る方では気持ちの良い食べ方とも思えた。
「凄い食欲ね。美味しい?」
「うんうん」
「良かったわ。でも、食べ終えたら嫌いな歴史の勉強の続きですよ。この地では最後の赤い感覚器官を持つ者なのですからね。先祖代々の歴史を後世に伝えなければなりません」
「その最後の血筋が僕なのだよね」
「そうよ。でも・・・・・正確に言うのなら・・御主人様の・・先祖・・・・」
 その星(地球)が観測され始めてから数十年後に、やっと、地球に、人が着くのだが、星を一目だけ見ると同時に、赴任者の長の命の火が消えてしまった。それでも、供と婚約者の一族は生まれ育った星に帰れるはずもなく、主の転生を信じて全ての者が地球の地で生きる事を決めた。それから、数千年も地球の第一文明として謳歌した。だが、その頃になって、何故か奇病が発生したと言うよりも、体内の遺伝子が拒否反応を示し、先祖帰り的な祖先の星の気候の遺伝子に戻る症状が発症した。この原因を調べた結果で、地球には衛星がなかったのを無理矢理に衛星にした。その反動で、今頃になって地球の修正の能力が現れたとからだ。と、様々なことを叫ばれたが、何も症状の改善がされることなく、致命的な人体の拒否反応から出産の低下が始まり。子供の人口が加速的に減り始めたのだ。確かに、微かな重力の変動でも生物に影響が出ることは、先祖が月を箱舟にして地球に来たことで証明されていた。だが、元々は、地球の巨大生物と共存を考えて、地球に影響がでないように計算して、ゆっくりと地球に近寄ったはずなのに、微かな月の引力の変動で巨大生物は絶滅した。その生物と同じように絶滅を恐れて、人々は逃げるように月に帰ったことで、事実上、地球での第一文明は滅亡した。
「ああっ、そうだったね。それから・・確か・・・」
 第一文明が滅亡してから数千万年後、月でも人口が増えて、また、地球の地に降りる事を考えた。これが、地球での第二文明の始まりだが、地球に降りると、やはり、予想された通りに出産機能の低下が始まった。最後の手段として、地球の生物の遺伝子と自分たちの遺伝子を結合して子孫を残そうと考えだされた。これは成功した。その直系の子孫が新であり。現代の地球文明の先祖であった。だが、その為に、純血族は消えたのだ。
「そうです。御主人様。第二文明からが正確な先祖です。そして、今が第三文明です」
「その文明の区切りが複雑だよね。憶えるのが複雑で嫌になるよ」
「御主人様。何て事を言うのですか!」
「ごめん、ごめん。あっ、そうそう、神社の裏山が、第二文明の名残だったね」
「憶えていましたか、うっうう、安心しました。それで・・」
 第二文明が滅んだ原因は、極端に血族を愛し続けたからだった。それも、自分のお腹を痛めて生まれた子だけでなく、遺伝子の繋がりだけの血族をも愛し続けて、最後には自分たちの命も犠牲にする程まで愛情を示したのだ。なぜ、そこまで、と思われるだろうが、理由があったのだ。第二文明の末期には、純粋の血族が一万人に一人の確率でしか生まれなかった。それもあるが、心底から命がある全てを愛する人々だったのだ。だが、現代人には理解が出来ない思考だろう。例を挙げるならば、猫に自分の遺伝子を入れて誕生したとしても、自分の命や同族の命まで犠牲にして守るはずがない。それも、顔が象や牛など様々な遺伝子を持つ者だった。もしかすると、地球の全ての生物の遺伝子を使用したはず。その者達を擬人と呼ぶが、特に愛されたのは、猿の遺伝子を持つ種族の擬人だった。確かに、猿の遺伝子の擬人は、獣としての力がなにも備えていなく、誰かが守らなければ真っ先に滅ぶ運命だった。それ程までにかよわい者達であり。自分たちに似ていることもあり。第二文明の多くの人々が擁護した。だが、擁護だけで済まずに、第三文明の主と考えて、守ると同時に、他の擬人を攻め滅ぼし、第二文明人との同士討ちまで発展して滅亡したのだ。
「裏山にある遺跡が、その流れの一つの一族だね」
「そうです。それだけでなく、おそらく、最後の生き残りが、御主人様なのです」
「うん」
「それも、最後の赤い感覚器官を持つだけでなく、第二文明人の直系の子孫なのです。これだけは、絶対に忘れないで下さい」
「分かったよ。それよりも、また、豪華な食事を作ってくれよな」
 口の中の物を一気に飲み込んで、一番の興味あることだけを悪がきのような言葉使いでハッキリとと伝えた。おそらく、照れ隠しだろう。その気持ちには、裕子も気付いていたのだろう。ニコニコと、幸せ一杯の笑みを浮かべながら頷くのだった。
「はい。本当に・・・・美味しく食べますわね。料理を作る・・私も嬉しい・・・で・・・す」
 裕子は、まるで、玩具の機械人形が、電池が切れたように、ぎこちない動きのまま固まった。
「お替り!。あっ、眠いのか、なら、自分で御飯をよそうよ」
 食欲に気持ちが優先しているのだろうか、だから、裕子の様子には気が付かない。いや、今まで不審に思っていたことがあった。裕子が寝ている様子を見たことがなかったので、人らしき様子を見て安心と同時に、本当に眠いと感じたのだ。だから、気遣ったのだ。
「ご馳走様・・・・ん?」
 食欲が満ち足りて、やっと、裕子だけに関心が向いた。裕子は、顔だけは視線を向けていたのだ。本当に嬉しそうに微笑む笑顔で、新が一番好きな表情だった。でも、顔だけでなく身体全体を見ると、気持ち良さそうに寝ているとは思えない。まるで、突然に時の流が止まったように動かない。変な様子なのだ。
「寿命が来たのか?」
 新は、信じられないと、何度も同じ言葉を呟きながら涙を流していた。
「・・・・」
 でも、裕子は何も答えない。
「里の皆が疫病で死んで、もう十年が過ぎた。その間は少しも寂しいと感じなかったよ。だって、いろいろな話もしてくれたし遊んでもくれた。洗濯が大変と言いながら一緒に泥まみれにもなってくれたよね。本当に楽しかった。
「・・・・・」
 何も答えてくれないが、笑みを浮かべたままなので話を聞いてくれていると感じたのだ。
「今まで僕のことが心配で寝ていなかったのだね。だから、眠くなったのだよね。だって、一万年以上も生きていたって、なら、死ぬはずがないよ。だから、動いて、動いて、動いてよ」
 何度も同じ言葉を吐きながら泣き続けた。それも、一時間、五時間と泣き続けた。普段なら空腹を感じる頃なのだが、裕子が笑みを浮かべたままの姿を見つめ続けた。もしかすると裕子の笑みを見るだけで満腹を感じるのか、それは分からないが、目も瞑っていないのかと思えるくらい動かずに、裕子を見続けて涙だけを流し続けた。もしかすると、走馬灯のような感じで昔の夢でも見ているのかもしれない。
「そう言えば、小さい頃は憶えていないけど、一度だけと思うけど、里を出たい。旅に出たいと泣き叫んだことがあったね。あの時の裕子は悲しそうな表情を浮かべたね。でも、今考えても何が理由で喧嘩して旅に出ると叫んだのだろう。僕は憶えていないけど、裕子は憶えているのだろう。でもね。憶えてないけど、何て言われて泣き止んだか、それは、憶えているよ。成人の歳なれば、嫌でも旅に出ないと駄目だって言ったよね。もしかして、今日の料理は大人になったのだから旅に出なさいと、それを言うために気持ちを落ち着かせようとしたのかな?。それとも、怒る気落ちだったのかな?。もしかして、大人なのだから自分で決めなさい。それで、黙っているのだね。うん。分かったよ。左手の小指の赤い感覚器官の導きを信じて、人生の連れ合いを探す旅にでるよ。でもね。裕子よりも美人で優しくて料理が上手い人はいないと思うな。だから、旅の支度をしてくるよ。用意が出来たら直ぐに旅に出るね。そして、運命の人を探し出せたら必ず裕子に会わせるために連れて帰るからね」
 涙が枯れたのか、泣いていると心配すると思ったのか、もう泣き顔でなく微かだが笑みを浮かべていた。そして、支度が終わると・・・・・。
「行って来ます」
 新は、顔の筋肉が引きつりながら出来るだけの笑みを浮かべて、手を振りながら部屋から出て行った。そして、家から出ると、玄関の鍵を閉めるかと悩んでいたが、裕子が寝ていると思いたいのだろう。その眠りを邪魔されないように鍵を閉めると決めた。そして、誰も徴兵から帰って来ないと思うが、もしも、帰って来た時の場合に里の者だけが分かる場所に鍵を隠した。
「東か!」
 左手を腕時計でも見るようにして、左手の小指の赤い感覚器官を見た。それは、蛇のようにくねくねと動いていたが、突然に固まったように動くのを止めて、東の方向を示したが、道は北の方向にしかない。山でも登って東の方向に向かうかと、一瞬だけ考えたが、東に向かわずに北の道を歩き出した。そして、身体が疲れを感じる頃・・・・。
「東に向かう道があると思ったが、北に真っ直ぐに向かう道しかない。どうするか?」
 途方に暮れて悩んでいたが、思案すると言うよりも、裕子が隣にいると思い。まだ、自分で考えて行動する考えもない。まだ、親鳥がいないと何も出来ない雛鳥と同じだ。それとも、まだ、亡くなったと思えない気持ちなのだろう。
「ねえ、裕子。どうしたらいいかな?」
 つい、裕子が声の届く範囲にいると思ってしまった。

第二話(旅立ち)

男は、雛鳥が巣から落ちて親鳥を探すように辺りに視線を向けては、女性の名前を叫ぶのだ。だが、返事がない。水でも探しに行ったのかと、そんな表情を浮かべるが、心細くなり涙を流すと、、涙腺が脳内の記憶を刺激したのか、ある記憶を思い出して泣き出した。
「あっ、そうだった。もう裕子はいない」
 正気に戻ったのか、涙が枯れたからなのか、もう泣くことはなかったが、何か呟くのだ。それは、生前の頃の・・・・。
「あれを言われたのは、確か十歳の時だったね。飼っていた猫が消えて泣いている時だった」
 その時の十歳の頃を思い出すことで目を瞑った。だが、猫のことでも、泣いている自分でも詳しく思い出そうとしているのではない。裕子だけを思い出そうとしていた。
「どうしたの?」
「シロが居ないから呼んでいたよ」
「そうなの。外にでも遊びに行ったのかな?」
「違うと思う。この時間なら寝ている時間だよ。だって、今までは、シロは夜遅くまで遊んでいるけど、寝る時は、僕の寝台の上で寝ていたよ。でも、今日はいないから・・・・」
「そう。あっ、もしかしたら、運命の連れ合いを探しに行ったのかもね」
(たぶん、自分の寿命を感じ取って死ぬのが分かったのでしょうね。だから、その姿を御主人様に見せたくなかった。でも、それは、言えないわ)
「連れ合い?」
「そうですよ。御主人様にも左手の小指に赤い感覚器官があるでしょう。それと同じに、猫なら髭かしらね。連れ合い探しの旅に行きなさい。そう指示が来たのね」
「そうなのかな・・・なら・・・僕は嫌われたのだね」
「それは違うわね。好きだから黙って行ったと思うわ。だって、好きな人に別れを言って泣かれたら心配で行けないでしょう。だから、驚かせようと考えたのよ」
「驚かせる?」
「そうよ。自分の奥さんを連れて来て、御主人様を驚かせるつもりなのよ」
「赤ちゃんも見られるかな?。何時ごろ来るかな?。今日かな、明日かな?」
「それは、どうでしょうね。でも、何時かな何時かなって考えていると出て来られないわ」
「そうなの?」
「だって、それだと驚かせることが出来ないでしょう」
「あっ、そうだね」
「それと、御主人様も旅の準備をしましょう。何時、シロちゃん見たいに突然に連れ合いを探す旅に出なさいと、指示が来るかもしれないでしょう」
「なら、直ぐに用意するね」
「そうね。でも、沢山は持っていけないわ。大事な物だけよ」
「うん。分かった」
「そう。なら、出来たら見せて下さいね。本当に必要か調べます。それと、私から考えて必要と思える物を背負い袋に入れておきますので、旅に出る時は必ず持って行くのですよ」
「うんうん」
「用意は出来ましたか?」
 裕子は、一時間が過ぎたのに何も言わないので心配になった。
「もう少しだよ」
 少し心配になり部屋の中を覗いてみた。
「御主人様。まさか、その箱に入っているのを持って行くのですか?」
「うん。でも、まだまだあるから、もう少し待っていて」
 自分が入れる程の大きさの木箱に玩具を入れていた。
「御主人様。それは無理ですよ。自分で持てる物だけですよ。それと、私が用意した背負い袋だけは必ず持って行くのですからね」
「えっ、一人で行くの?」
「そうですよ。御主人様だけで行くのです」
「無理だよ」
「そうですか、でも、御主人様よりも小さいシロちゃんは、一人で行ったのですよね」
「あっ、そうだね。なら、もう少し大事な物を減らすね。でも、その背負い袋は重そうだね。減らす事は出来ないのかな?。それが出来たら、少しでも大事な物を持って行けるのだけどな」
「御主人様。それは、無理ですよ」
 裕子が珍しく怒ったような声で言われたので怖い思いをした。その恐怖を思い出すと同時に、ある事を思い出した。それは、自分の肩から提げている物のことだった。
「ああああっ、そう言えば、まだ、背負い袋の中身を見てなかった」
 そう言うと路肩の大きい石に座り、背負い袋の中を開けた。
「えっ、リンゴ、バナナもある。何で?」
 驚くのは無理もなかった。自分の思いでは何年、何十年前から中身が変わってないと感じていたのだ。それなら何で持ってきたと思うだろうが、緊急避難用の時に持ち出す程度の物だと考えたからだった。確かに、裕子は、赤い感覚器官の連れ合い探しの旅の話題が出ると、必ず「背負い袋を持って行くのよ」と、耳が痛くなる程までしつこく言ったからだ。
「どう考えても、二、三日以上は過ぎているとは思えないぞ。もしかして、裕子は、僕の為に何時でも旅に出られるようにと、毎日、背負い袋の中身を入れ替えていたのか?」
 驚くのは当然だった。リンゴでも正確な時間は判断できないだろうが、バナナは、まだ、食べ頃の黄色のままだった。今日の朝でも背負い袋に入れたとしか思えない。黒い染みが一つもなかったのだ。そして、泣きながらバナナを食べながら感謝を感じていた。
「地図?」
 地図を見て驚いたが、背負い袋の中に入っていたので驚いたのでなくて初めて見たからだった。里の簡単な絵が描いた地図らしき物を見たことがあるが、本格的な地図を初めて見たからだった。それだけでなく、初心者の新が、地図の見方が分かるように方位磁石の置き場所まで絵で描いてあり。一番近い街まで赤い線が描かれてあった。その線では街まで一本道だが、街まで行けば四方向に進めると書いていただけでなく、地図の見方を教えるように止まる場所まで描いてある。一本道なのに必要かと思われるだろうが、道は一本だが直線ではない。その場所で方位磁石を使わせて使い方を教えたかったのだろうが、休憩を取らせる考えも兼ねていると思えた。
「後は、短剣と乾パンみたいな菓子と干し肉と水か、うっ、これは・・・」
 手袋ほどの大きさで可なり重い袋の二個と軽い袋の三個が入っていたのだ。不思議に思い開けてみると、塩と胡椒と砂金が入っていた。そして、砂金の袋の中には小さい紙切れが入っていた。それを開けてみると、文字が書かれてあり読んでみた。
「街に着いたら両替屋と言う店を探しなさい。そこの店主に十グラムの金を貨幣に交換したいと言うのですよ。それから、好きな菓子でも買って食べてみなさいね。お勧めは仙人の霞の饅頭(せんにんのかすみのまんじゅう)ね。美味しいわよ。それと、最後に文字を読む時は声に出さないで読むのですよ。もう私と二人だけないのですから恥ずかしい事ですからね」
 新は、注意書きのように声を出して読んでいたので、ふきだしてしまったが、裕子の悪戯かと感じて、近くで見ているのだろうと、辺りを見回してしまった。それ程まで文字に書かれた通りだったことで驚いたのだ。
「行くか」
 短剣を腰の帯革に吊るすと、残りは全て背負い袋の中に戻した。そして、歩きながら裕子が言った様々な事を思い出していた。恐れく、常に昔を思い出していないと不安や寂しさに耐えられないからだろう。そんな、大事な思い出の一つ・・・・。
「御主人様。私も全ての都市の記憶は知らないわ。でもね・・・」
「都市の記憶?」
「ああっ、あのね。余りにも昔の事は憶えていないのです」
「そうなの?」
「そうですよ。御主人様。それで、連れ合い探しは人によって過去や未来だけでなく他の世界に行く可能性もあるのです。ですが、行かなくても、赤い感覚器官を持っているだけで時の流れを変える働きがあるのです。もしもですが、直ぐにでも連れ合いが探し出せたとしても結ばれるには、全ての定められた時の流の修正をしなければならないのです」
「修正?」
「はい。そうです。例えば、湯飲みの中に満杯まで水があるとします。普通の人や世界は湯飲みの中の水なのです。その中に一つの貨幣を入れると、水は溢れますよね。その貨幣が御主人様なのです。そして、溢れた水を元の湯飲みに戻すのが、時の流の修正なのです。もしもですが、溢れた方に運命の相手が居たら、過去か未来か他世界に行かなければならないのです。そこまでの時の流の修正は、殆どないと聞きますが、溢れたのが獣でも人でも、全てが赤い感覚器官が結び付いているのです。その繋がりを感覚器官が指示を下し、御主人様が修正すると手繰り寄せることが出来るのですが、自分以外の命の火を消さなければならない場合があるのです。人の命の場合はないと思いますが、仮に熊でも倒さないとなりません」
「そんなの無理だよ!!」
「大丈夫ですよ。全て赤い感覚器官が指示をしてくれます」
「指示?」
「そうです。時の流も柔軟性があるのです。それを手伝うだけで良い場合があります」
「手伝ってくれるの?」
「手伝います。とは言ってはくれません。切っ掛けを作るのです」
「切っ掛け?」
「例えばですが、御主人様が森に入ったとします。その音を聞いて、鳥や狐が逃げてしまうのです。これが、赤い感覚器官が無い者なら問題はないのです。時の流で起きる出来事だからです。ですが、御主人様が森に入らなければ、鳥の一羽の命が消えるだけで、狐の命は消えないのです。不思議に思うでしょうが、原因は、枯れ木を踏む音に驚いて鳥は逃げてしまうのです。それと同時に狐も逃げるのですが、人が仕掛けた罠に掛って命の火が消えてしまいます」
「ああ!」
「それで、修正とは何をするか、簡単な事なのです」
「森に入らなければ良いのだね」
「違います。この世界に誕生した事や世界に居るだけで、起きる予定と言いましょうか、時の流では、御主人様のことは予定されてしまっているのです。だから、それを起きらないように修正するのです。例えばで言えば、森に入る前に枯葉を集めてばら撒くのです」
「それだけで良いの?」
「そうです。後は時の流の自動修正が手を貸してくれます。時の流の意志も起きると困るのです。木の枝のように無数にある時の流を少しでも減らそうと、そのために、御主人様と関わりがあるのかもしれません。もしもですが、時の流の意志があり。自我があるのなら早く修正してくれと、言うかもしれません。勿論、そんな事を言うはずもないですが、枯葉を空中にばら撒くと、一枚一枚が蝶のように舞って、鳥が逃げないようにすると同時に、狐が逃げる方向を変える。その先には、美味しい鳥がいて、狐に気が付いていない。絶好の機会を作るのです」
「そうか!。それなら、森に入る前に枯葉をばら撒けばいいのだね」
「御主人様。それは少し違います。ばら撒く場所が決まっているはずです。恐らく、赤い感覚器官は、方向の指示から何歩だけ歩きなさい。その場に伏せなさいなとど、詳しい指示があるはずです。その指示を間違わずに枯葉をばら撒くのですよ。もしも、遅れた場合や時間に間に合わない場合は、凄い痛みを感じさせて、強制的に、直ぐに、実行しなさい。と罰があるかもしれませんね。それは、かなり痛いらしいですよ」
 新は、これから何をするか全てを理解した。
「裕子。僕は頑張って修正するから連れ合いを探して里に連れ帰るからね」
 そして、立ち止まると、左手の小指の赤い感覚器官を見た。

第三話(初めての外の世界と時の流の修正の起点)

裕子の気遣いで制作した地図と様々な思いやりで小まめに休憩の目印を印した。と言うのに目印の地点から歩きすぎたのだ。もしもだが、裕子が見ていたのなら・・・。
「御主人様。本当に確りして下さいよ」
そう嘆いたかもしれない。その時だった痛みを感じると同時に、目の前に蜃気楼のような景色と言うか映像が見えた。その通りにする指示だと感じて、周囲から枯葉を一か所に集めてから蜃気楼の景色の通りになるようにと願いながら上空に撒いた。すると、枯葉が操り人形のように不自然な動きで飛び続けるのだ。そして、一枚一枚が磁力に引かれるように周囲に散った。その先は、蜃気楼のような映像の通りに、動物、昆虫と様々な命を助けるための働きや獲物を捕獲し易くするためと、様々な原因を起こさせる働きをするのだ。一分くらいだった。実際に体験して、裕子の言う通りだと実感したのだ。だが、初めてのことで立ちくらみを感じた。その理由もあるが、全ての修正が終わったことの合図でもあった。これで、本当に村から出て外の世界に旅立つことの本当の第一歩だった。この後は、赤い感覚器官の修正の指示がないまま何も起きることなく無事に、目的の街、いや、都市が見える所まで着いた。
「確か、両替商を探すのだったな!」
 新は、簡単に考えていた。都市の中に入れば、赤い感覚器官から指示が与えられて簡単に探せると考えていたのだろう。その思考のまま様々な希望、いや、欲望だろうか、心を弾ませながら都市に向かい。そして、都市の門の中に入って行った。
「あれ、あれ?」
 左手を腕時計でも見るように小指にある赤い感覚器官を見つめては手を振っていた。その様子は、まるで、自動巻きの腕時計が止まったので振って動くように祈っている様子だった。
「どうしました?」
 検問所に務めている男が不審を感じて声を掛けてきた。
「えっ、えっ、えっ!」
「もしかして、誰かと待ち合わせでしょうか?」
 不審と感じるのは当然だった。門から出ると直ぐに辺りを見回して手を振っているのだ。不審に感じない方が変だろう。
「えっ、その、あっ、両替商を探していたのです」
「そうでしたか、それでしたら、あの店です」
 新には分からないことだが、この都市の特有で両替屋や貴金属などを扱う店は警備や密輸などを防ぐために検問所の近くに店を構えていた。それと、よそ者を都市の奥に近寄らせない目的もあった。この当時では絹は高級品で製法は都市の最高機密だった為に、よそ者が利用する店や施設などは全て入口の近くにあったのだ。
「ありがとう」
 新は何度も頭を下げながら感謝を表していた。この当時の大人にしては素直で感情表現も豊かで礼儀正しいのは、裕子の教育が良かったのだろう。次の行動も普通なら扉を叩く必要はないのだが、何度も扉を叩いて店主が出て来るのを待っていた。
「どうしました?」
 先程の検問所の男が笑みを浮かべながら声を掛けてきた。
「あっ、何でもありませんよ。店の主が出て来るのを待っているだけです」
「もしかして、旅は初めてかな?」
「はい」
「それでは、一つ教えましょう。殆どの店は扉を叩いても主人は出てきません」
「何故でしょう?」
 本当に不思議そうに尋ねるので、男は何も疑問に思わずに答えた。
「強盗や命の危険を感じるからですよ。まあ、我々が目を光らせているから何事も起きませんが用心のためですよ」
「それでは、どうしたら宜しいのでしょうか?」
「ごめん。いや、失礼する。と入れば宜しいでしょう」
 新は頷くと・・・。
「ごめん。失礼する」
 初めての劇でもする素人のように両替屋の扉を開けて中に入った。
「いらっしゃいませ。何の御用でしょうか?」
「砂金を貨幣に交換したいのです」
「何キロでしょうか?。何グラムでしょうか?」
「三十グラム位を交換にきました」
「それでは、きりの良い三十五グラムで、小銀貨で九枚に・・・・ゴッホ、ゴッホ」
「ごめん」
 検問所の男が外で誤魔化しがないか聞いていたのだ。それで、相場では小銀貨十枚が普通なのだが、店主が安く言ったので中に入って来たのだ。
「毎度、どうも」
「どうした。気にしないで続けてくれ」
「三十五グラムだから小銀貨十枚になります」
「それ位が、まあ、相場だな。そうそう、名前は何と言いましたかな?」
「新と言います」
「それなら、今の遣り取りで九枚から十枚に変わったのが分かりましたか?」
「はい」
「登(のぼる)さん。それは言わないで下さいよ。手数料を取るか取らないかは、店の主人が決めていいことになっているはず。それに、自分の店は、朝の相場から上がろうが下がろうが同じ値段です。店の第一の理念は、お客様を待たせないのが信条ですからね」
「分かっている。分かっている。チョットなぁ。青年に教えようとしていただけだ」
「そうでしたか、お客さん。交換屋に来て砂金と正直に言わない方がいいです。その前に、それとなく、店の主人から値段を聞いて他の店と比べるか、自分で相場を憶えると良いでしょう」
「はい」
「まあ、言い訳ではないですが、時間に急ぐ人や相場など面倒な人が多いので、当方のような両替屋がある。そう考えて下さい」
「ありがとう御座います」
「本当に良い青年ですね。それで、この都市に来たのは何か買い物でもあるのかな?。あるのならお勧めしますよ」
「あります。この都市の仙人の霞の饅頭(せんにんのかすみのまんじゅう)を買いなさい。と勧められました」
「饅頭ですか・・・ああっ、十年程前なら茜(あかね)婆ちゃんの手作りが有名でしたなぁ」
「もう今はないのですね」
「孫が引き継いで作っているが、茜婆ちゃんよりは美味しくないらしい。まあ、今は食べていないので本当か分からないが、最近の子は、洋菓子が好みらしい」
「俺も子供の時は美味しくてよく並んで買って食べていたぞ。だが、最近は噂も聞かないし店の前に並んでいる者たちもいない。それでも、食べたいと言うなら紹介します。どうします?」
「教えて下さい!」
「そうか、なら、地図を描いてやろう。いや、俺が連れて行く。何だが無性に食べたくなった」
 そう言われて、登の後を付いて行くが、新は不審を感じていた。検問所がある都市の門の大通りから外れて裏の通りに向かうのだ。その道は旧大通りで、殆ど住民しか使用していなかった。その訳なのか、倒壊しそうな店が多かった。その中でも一番の年季を感じる店の前で、登が止まって指を示した。店の看板には「仙人の霞の饅頭」と、書いてあった。
「この店だ!」
「あっ、登おじさん。ひさしぶり」
「久しぶり。元気そうだな」
「うん。元気よ。でも、おばあちゃんの時みたいには売れないわね」
「そうか、頑張れよ!。それと、饅頭を一個くれないか」
「あっ・・・ありがとう・・・どうぞ」
 一つの饅頭を手渡してから・・・・。
「そう言えば、生前におばあちゃんから噂を聞きましたわよ」
「何を?」
「登おじさんが子供の頃は常連さん。だったって」
「まあ、子供の時は甘いのが好きだったからな、今は酒に代わったよ」
「それがね。薄皮饅頭が出来たのは、おじさんのお蔭だって作る度に言っていたわよ」
「それは、初耳だぞ」
「子供の頃のおじさんは、毎日一個の饅頭を買ってくれたらしいわね。それで、ある時に友達は、二個、三個って買っていたらしいけど、それを見て驚く事を言ったのよ」
「何か言ったか?」
「うん。同じ値段で皮はあるか無いかでいいから餡を多くしてくれよ。そう言われたらしいわ。それで、一個の値段で二個分になるって叫んだって、笑ながら話をしてくれたわ」
「そんな事を言ったか?」
「まあ、皮より餡の方が高いのだけどね。でも、良い提案を教えてくれたから、一人で買いに来た時だけは、一個の値段で二個にしてあげたって嬉しそうに言っていたわよ」
「ああっ、変だと思っていたよ。突然に一個おまけって言われたからな」
「それに、まだあるわよ」
「あっ、又後でも来るよ。案内しに来ただけだ。済まんな。直ぐに戻らないと駄目なのだよ」
 いかにも、今、用事を考えたような話の仕方で店から離れて行った。恐らく恥ずかしかったのだろう。それは、酒も飲んでいないのに顔が真っ赤なのが証拠と思えた。
「それで、お客さんは何が欲しいのでしょうか?」
「今の人と同じ饅頭を三個ください」
「分かりました。直ぐに御用意しますので、少々お待ち下さい」
「はい」
 二分位だろうか、新は女性の手先を見つめていた。それも、子供のように無邪気に見ていた。女性は、それに気が付いて、何かを迷っているようだった。
「はい。どうぞ、あまりにも美味しそうに見るから特別に一つおまけしましたよ」
「えっ、本当に、ありがとう」
 紙袋の中に手を入れて、一つの饅頭を取り出した。
「頂きます・・・・美味しいね。餡も甘すぎなくて丁度いい感じだし、皮も薄くもなく厚くもなくて凄く美味しいよ」
「そうでしょう。そうでしょう。味の分かる人がいて嬉しいわ」
「ありがとう。また、、買にきますね」
「お待ちしております」
 女性の満面の笑みを見て少し恥ずかしそうに頷くと、その気持ちを隠そうとしたのか、それとも、饅頭が食べたかっただけか、饅頭を咥えたまま店から離れて行った。
「ぼっぼぼう。ぼっぼぼ」
 何処からなのか、ほら貝の音が聞こえてきた。その響きが聞こえると、懐から書面を取り出す者や家の中に駆け込む人だけでなく顔色を真っ青にして立ち尽くす者もいたのだ。
「なんだろう?」
 人々の様子も気になるが、何かの理由で鳴らしているのが分かるが、理由が気になって音が聞こえる方向に歩き出した。それでも、新は幸せそうに饅頭を食べながら歩いているのだから何も恐怖や自分に係わるなどの心配をしているとは思えない様子だった。
「あっ、街の門が閉じる?」
 都市の門と言うよりも城壁の様な頑丈な門だった。その閉じる所を見て、出られなくなると思って駆け出したが、大勢の人が門の前に居たので出る事も近寄る事も出来なかった。

第四話(不明な多くの軍勢)

人々の叫びは、戦が始まるのかと問い掛ける声だけだった。そんな、人々の後方では、新が遠くに視線を向けていた。
「あっ、先ほどの人だ。たしか、登さんだ!」
 暫く様子を見ていると、人々が怯えたように震えながら人垣から出て来る。新も何か嫌な予感を感じて、無理矢理に人垣を掻き分けて前に行った。すると、登が書面を掲げながら叫んでいたのだ。その話を聞くと、この都市の支配者は都市王(としおう)とも領主とも呼ばれている通りに、大国の中の一つの街だが、支配されているのでなく税を納めてもいない。同じ神を信じるだけで、都市の一つ一つが好きなように治めていた。だが、二つの事だけは守らせていた。都市同士の戦は禁止と他神を崇める者たちが攻めて来た時は共に戦う。との確約だけだった。それなのに、何故、都市の人々だけでなく商人や旅人が慌て騒ぐのだろう。それは、都市の政策にあった。支配者の領地では岩塩と絹の交易で莫大な収入があるので、通行税だけでなく全ての税を取らなかったのだ。その代りに、都市の危機が起きた場合は傭兵となり都市のために戦う。と、通行手形の裏面に明記されていた。それでも、誓約書が作成されたのは先代の先代の事であり。殆ど儀礼的な事とされていたので読む者などいなかった。その為に人々は本当に戦に参加するのかと詰め掛けてきたのだ。
「良いか!。三十分以内に、この場に集まれよ。女子供もだぞ。女子供は炊き出し班と救護班をしてもらうからな!」
 登は、この場から離れる者達に叫んだ。
 ほら貝の音と書面の理由を伝え終わると、集まってきた者達は納得ができなかったが、今回の出来事が決着されない限り門が開かれない。それだけでなく、傭兵などの働きをした後に完了したとの署名ががない者は都市から出られないことが分かった。
「登、あっ、指揮官殿。誰かが向かって来ます」
「何だと?」
 見張り塔から部下が叫んでいた。それを確かめるために門の上に登った。すると、一騎だけで走って来る姿を見たのだ。そして・・・・。
「誰も弓を放つなよ」
 階段を上がりながら叫んでいた。まだ、誰なのか確かめもしないのに注意の指示をするのだ。この言葉だけでも戦いなど考えてもいなかった。そして、頂上に登ると同時に、一騎の者も着いたのだろう。何かを叫んでいた。
「頼もう!」
「何だ?」
「我は、北東都市(ほくとうとし)の都市王(としおう)の命で西都市(にしとし)に宣戦布告を伝えにきた。戦いは明日の正午から開始する。それでは、確かに伝えたぞ!」
 自分の力を誇示したいのか、槍を地面に刺した。
「待て!。同じ神を崇める都市ではないか、何故、戦わなければならないのだ!」
「それは、この書簡を主人に渡してからでも直接に聞くのだな」
 槍を地面に刺して強さを表したかと思ったが、柄の所に書簡が結ばれていた。そして、槍を刺したまま帰って行った。
「誰か、書簡を取ってくるのだ!」
 一人として動く者は居なかった。見える範囲に多くの兵が陣を構えているからだ。それでも、弓が届く範囲ではないのだが、兵の数と言うよりも戦いが怖いのだろう。
「やれやれ」
(軍隊経験も訓練もしていない者には無理か、警備は警備しか出来ないか、仕方がない)
「人が通れる程度の隙間だけ門を開けよ。俺が取りに行く!」
 心底から疲れた。そんな様子で階段を下りた。そして、門の前に立つと開くのを待った。
「もういいぞ」
 自分が入れる程度くらい開くと、部下に指示を伝えた。すると、まるで猫の様に通り抜けたと思ったら直ぐに現れた。
「閉めていいぞ。だが、ほら貝の笛の音は交代で兵が消えるまで鳴らし続けろ!」
「承知しました」
「俺は、手紙を主様に渡してくる。その間に誓約書を持つ人々が来たら警備の心掛けでいいから伝えておいてくれ。それと体を適当に慣らしていろよ」
 そして、街の中心に体を向けた。都市王の屋敷は中心を超えて、その奥だった。
「登さん!」
「先ほどの青年・・・どうした?」
 一度だけ利用した。あの両替屋の軒下で、新は、登を待っていた。
「僕。どうしても東に行かなければならない。だから、一緒に行きたいのです」
「何故、俺に言うのだ。俺は、都市から出ないぞ!」
「でも、行くような気がする」
「何故、占いか?」
「いいえ。その手紙から何かを感じるよ」
「感と言うやつだな」
「そうかもしれません」
 新は本当の事を言えなかった。頭の中で響く事・・・。手紙を持った男を探して共に東に向かえ。そう響いたのだ。そして、その男だと伝えるように赤い感覚器官は、登を示した。
「俺も、若い時は感を頼りに旅もした。それだけでなく、戦争の時も感で生還もできたが、今は何も感じない。それで、青年。その第六感で、外の兵に何か感じないか?」
「何も感じない。でも、登さんと一緒に行けって!」
「それ程までして東に行きたいのか?」
「はい。僕の運命ですから!」
「運命か、それを探すのに旅に出たのだな・・・・仕方がない。付いて来い。だが、主様が旅に出ろと言われた場合は、旅の供として都市から出るのを許そう」
「はい」
「それで、感じたと言うのは、初めて会った時からか?」
「いいえ。ほら貝の音なのですかね。あの響きを聴いてからです」
「そうだったか」
 二人は、都市の中を歩き続けながら話をしていたが、屋敷が視界に入ると、登は、無言になった。それは、新の話が本当ならば、都市王の指示で都市から出なくてはならない。何の命令か分からないが危険なのは確かだ。その心構えだった。
「ねぇ、僕も入っていいのかな?」
 そう思うのは当然だった。大小の木が塀のように並んでいるだけでなく、扉はないが門のように作られているからだ。
「構わんぞ。公園みたいな所だからな」
「それなら良かった」
 何年も手入れをしていないのだろう。初めて見た者なら公園とは思えないはずだ。
「この奥には人工の泉がある。この都市の水源だ」
 登は歩き続けて視線も向けないが、右の方向を示した。
「左は?」
 新が問い掛けた。
「左の奥には、代々の都市王の墓地がある」
 それだけ言うと、また、無言になった。そして、豪華な模様が彫られてある木製の大きな長い塀が見えてきた。その門の前に着くと・・・・。
「ここで待っていろ。好きにしていいが、この場から声が届く所には居てくれ」
「分かりました」
 その返事を聞くと、自分で門を開けて入って行った。当然、自分で開けたのだから門の扉も閉めた。その中は白い小さい石が敷き詰められてあり。広さは二十歩位の四角の広さだった。そのまま歩き出すが、正面の豪華な玄関には向かわなかった。何回も来たことがあるはずで要件がある場合は右側と決まっていたのか、それとも、もしかすると、豪華過ぎて自分には不釣り合いとでも思っているのかもしれない。この様子を見て笑うかもしれないが、普通の者でも豪華過ぎて、左右の扉に使用人でも居ないかと助けを求めるほどの豪華過ぎる扉なのだ。
「何か御用でしょうか?」
「主様に書簡を持ってきました」
「もしかして、ほら貝の音と関係あるのでしょうか?」
「はい」
「御主人様は、その知らせを待っていられました。どうぞ中へ」
「はい」
 右側の扉が開けられた。その中に入ってみると、玄関と同じように白い小さい石が敷き詰められていたが、一メートル位の狭い通路だった。もしかすると、屋敷の周りに同じようにあるのかもしれない。その事は、登には分かるはずも興味もなかった。そのまま男の後を歩いて行った。どの位の歩数を歩いたのだろう。もしかしたら建物の裏まで着たかと思う時だった。
「ここで待って居て下さい」
 若い男は建物の中に入った。
執事にしては少し若い。只の雑用をする使用人なのか、その判断にも登には興味がなかったが、多くの太陽の光が当たる場所だと感じていた。
(この部屋で昼寝でも出来たら気持ちがいいはずだ)
 などと、昼寝の方に興味が向いていた。
「やっと、来たか、誰だ?」
「はい。登であります」
 都市王の言葉が聞こえるが、どこか分からずに辺りを見回していた。
「おおっ、登か、待っていたぞ」
 先程、登が昼寝をしたら気持ちが良いと感じた部屋の窓が開けられて都市王が顔を出した。
「あのほら貝の理由を知らせに来たのだろう」
「はい。都市を包囲するように多くの兵が集結しています」
「そうか」
「明日の正午に開戦すると声明されました」
「それで、開戦の理由は述べたか?」
「はい。恐らく、書簡に理由があるかと・・・・」
「書簡が力を誇示するように槍の柄に括られてありました」
「小津(おづ)読んでみろ。今は良いところなのだ。だから、本から目が離せんのだ」
 若い男が入った所から年配の男が現れた。
 戦争の開戦と言う言葉が分からないのだろうか、主様と呼ばれている者は、まるで他人事のような態度だった。もしかすると、兵員の補給するための値切り交渉でも思っている感じに思えた。それは、当然かもしれない。戦争など、自分の祖父の時代の話だったのだ。
「御主人様。北東都市からの書簡のようです」
「それで、何て書いてある?」
「それが・・・」
「あっ、この都市での補給交渉の値切りだと言うのなら任せるぞ!」
「それが、税の統一と書いてあります。応じない場合は・・・・攻め滅ぼす」
 何かが落ちる音が響いた。恐らく、読んでいた本が手から落ちたのだろう。
「確か、北東都市は、我が都市と違って塩だけの交易のはず。その統一の意味は何だ?」
「恐らくですが、塩の交易をしていますが、北東都市は通行税も、交易にも全てに税を徴収しています。ですが、御主人が治める都市では税がありません。その為に交易する人々が減って来た為に同じ税を徴収するように要求か、または、この都市を自国の領地にする為の兵を差し向けたかと思われます」
 この男は都市王が慌てていると言うのに冷静に問いに答えた。
「小津。どうしたら良いか?」
「もし要求に答えても、次々と要求が増えるでしょう。もし出来れば兵を引かせる事ができれば宜しいのですが・・・・自分は・・・・商い以外は分かりません」
 都市王が若いから冷静な態度を表しているのか、元々の性格なのかの判断は出来ないが、恐らく、先代からの部下だったのだろう。それで、どの様な態度をしたら、自分の主人が困るのか分かっているのだろう。その心の中で葛藤が左手の指に現れていた。悔しいのか、恐怖なのか、もしかすると両方かもしれないが、自分の着衣を握り締めて震えていた。
「登。兵の規模から考えて、都市を守れるか?」
「三千、いや、四千は居るでしょう。直ぐに都市の中まで攻められないと思いますが、一か月が限界でしょう。援軍が来ないと分かれば都市の中から崩れます」
「都市の中?」
「そうです。武装の放棄が起きる可能性があります」
「何故だ?」
 驚きの表れだろう。部屋の窓越しだったのが、部屋の扉を開けて出てきたのだ。
「当然です。予想される事です。この都市には軍隊はありません」
「警護隊が居るだろう」
「確かに、警護隊はありますが、軍隊ではなく警護人ですから戦いの役にはなりません」
「意味が分からんぞ。それだけでなく、誓約書を持つ交易人も警護するのだろう。戦力になるだろう。それだけでは足りないのか?」
「一言でハッキリ言いますが、軍人は人を殺せますが、警護人では人を殺せません」
「どうしたら良いのだ?」
「一か月なら持ちましょう。それまでに他の都市から援軍を要請するしかありません」
「狼煙で知らせれば来てくれるだろうか?」
「無理でしょう。この都市で何が起きているのか、その全ての現状を伝えて、次の標的が他の都市にも向かう可能性があると、他の都市王に知らせに行けば七割の可能性で援軍を寄こしてくれるでしょう」
「それでも、七割なのか?」
「主様。いや、都市王様。何もしなければ一月後には、都市の住民も交易人も助かりたい一心で武器を捨てて城門を開けるのは間違いないでしょう」
「我はまだ若いのだ。主様で良い。それよりも、それなら、援軍を要請するしかないだろう」
「はい。ですが、主様。誰に行かせるか決めなければならないでしょう」
「誰でも良いではないか、交易人でも金額を積めば行くだろう」
「無理だと思います。恐らく、逃げるでしょう。義理堅い者なら、ある都市に行って書簡を渡すでしょうが、援軍の期待はできません」
「登。何故だ?」
「それでしたら・・・もしもですが、主様が援軍の要請が届いたとして兵を送りますか?」
「書簡の内容によるが、偽の書簡で敵の策略の可能性もある。直ぐには無理だろう」
「その通りなのです」
「あっ!」
 自分の現状は混乱しているので正常な判断はできないが、他人と考えを置き換えたら冷静な判断ができた。それで、頭を抱えてしまったのだ。
「誰を行かせるかだな!」
 登と小津は無言で頷いて返答をした。自分たちしか居ないと分かったのだろう。
「その答えは出ている。登か小津しかいない。だが、小津では高齢で旅は無理だ。それでも、登が居なくては指揮する者がいなくなる」
「自分が行っても大丈夫と思います」
「だが、登以外に誰が指揮をするのだ!」
「小津殿なら大丈夫でしょう。交易人にも顔が利きますし、警護人たちにも信頼があります。それだけでなく、もしかしたら戦争の経験もある。そんな人だと感じます」
「確かに、若い時に戦争を経験しましたが、見ていただけです。ですが、書物の力と登殿の作戦案を一緒にすれば、一か月なら持ち堪えてみせましょう」
「小津。登。頼む」
「承知しました」
 二人は即答した。その言葉から意気込みがわかった。
「直ぐに書簡をお願いします。その間に小津殿に考えられる事態を全て伝えます」
「分かった。直ぐに用意する」
 都市王が部屋に戻ると、二人の男は時間が惜しいのだろう。その場で話を始めた。それだけでなく、近くの木から枝を折り、地面に敷き詰められた石をどけて何かを書きはじめた。
「登殿。状況が分かりました。都市に攻めて来た場合は作戦の通りにします。ですが、自分の本文である交渉で時間を稼ぎましょう」
「それが、良いでしょう。都市の事は頼みます」
「必ず。援軍を引き連れて戻って来るのを信じて待ちます」
 二人の話が終わると同時に、都市王が書簡を手に持って現れた。
「頼むぞ。登!」
「はい。必ず援軍を引き連れて戻ってきます」
 その言葉を吐くと、返事を聞くのも惜しいと思ったのだろう。この場から直ぐに退去した。

第五話(援軍の要請と運命の歯車の開始)

豪邸の内部を駆け足の音が響く、何が起きたのかと不審に思う男がいた。
「やはり、居たか、旅に出る事になった。かなり危険だぞ。それでも来るか?」
 屋敷の門を開くと、新が待っていた。
「行きます」
「直ぐだぞ」
「このまま行けます」
「なら、行こう。あっ、その前に饅頭を買いに行こう」
 登は、普段なら任務の成功を祈る時に酒を飲むのだが、青年に合わせて店にある全種類の饅頭で代用にする気持ちだった。そして、店に着くと・・。
「全種類の饅頭を買いにきた」
「えっ!」
「本当だ」
「それで、驚いたのではないわ。あのほら貝の音に関係しているのでしょう。戦争が起きるって本当なのね。それで、饅頭を買うのはお別れの挨拶なの?」
「それは、違うぞ。青年に食べさせたいだけだ」
「本当なの。また、買いに来てくれるのね?」
「本当だ。だが、明日とかは無理だ。少しの間だけ使いに行ってくる」
「そう」
「金を持ってくる。直ぐに来るから作っていてくれ」
「はい」
「美味しそうだね」
 登の行く方を見ていたが、新の声が聞こえて視線を向けた。
「美味しいわよ。先に食べる?」
「後で、登さんと、一緒に食べるよ」
「そう・・でも、お金を取りに行っただけにしては、少し遅いわね」
「そうだね」
「出来たわ。それで、一つおまけよ」
と、新に紙袋を持たせると、一つの饅頭を口の中に入れた。
「むぐむぐ」
 恐らく、美味しいか、ありがとう。とでも言っているのだろう。
「お前ら何をしているのだ?」
「あっ、先に食べているのでないよ。一つおまけだって言われたから・・・」
 紙袋を両手でなく片手に持ち変えて、食べかけの饅頭を口から取り出した。
「それは、どうでもいいのだが、まあ、何でもない。行くぞ」
 娘は知人と言うか、恩人の娘とも思って心配したのだ。だが、男性の素性などは知らない。だが、命懸けの旅になる。もしかすると、今生の別れになる可能性が高い。それで、都市でのことを良い思い出でも作らせようとしたが、男と娘の、どちらを心配して良いのかと迷った挙句に、無視することに決めたようだった。
「また、必ず買いに来ますね」
 旅に行くと決めて、登の後を歩き出したが、饅頭の誘惑だろうか、いや、一個の饅頭だったが、お礼が言いたくて振り向いた。大声を上げながら手を振っていた。新の幸せのような笑みとは違って、登は何かを悩んでいるようだった。
「どうしたのですか?」
 新は問い掛けたが、聞こえていないのか返事はなかった。その事で悲しくなったのか、出来立ての饅頭が食べられないからか、両方の気持ちなのか、無言のまま後を付いて行った。そして、門が見えてくると、大勢の人々が・・・。
「隊長!」
 その中の一人が大声を上げながら近寄ってきた。この一言で、この場の大勢の人々も視線を向けて何か言いたそうだったが見つめるだけだった。
「何かあったか?」
「いいえ。特に変わった事はありません」
「そうか」
「それと、指示の通りに、皆に心構えと、簡単な体操で身体をほぐしておきました」
「そうか、良くやってくれた」
 登は、略式の敬礼で労った。その後に同僚だけで分かる仕草で、二人だけで話がしたいと伝えた。その部下も承諾を会釈で答えると、登は満足したかのように笑みを浮かべた。そして・・・・。
「暫く、この場で待機していてくれ。だが、女性と子供は救護室で仕事の内容を聞いた後は寛いで構わない。それと、恐らくだが戦いにはならないだろう」
 この登の言葉で、殆どの人々は安心したのだろう。安堵の吐息が広がった。その後少しの間だが、ざわめきが広がったが、一人、二人と救護室に向かって人の流が続いた。それに紛れるかのように登と部下が歩いた。その後ろを、どこに向かうのかと思いながら新も付いて行った。それでも、隊舎であり。検問所でもある建物に向かうと予想していたのだろう。特に驚く事もなく一緒に中に入るのだった。
「すまないが、隊長と話がある。少しの間だけ休憩室を貸してくれないか?」
 登の部下が、休憩室に居た者達に言った。そして、中の者は不思議そうに出てきた。
「何があったのだ。もしかして紙袋を大事そうに持っている青年が理由なのか?」
「それよりも、なぜ、隊長室を使わないのだ?」
「まさか、隊長は降格したか、それで、隊長室が使用できない?」
 直ぐに建物中に噂が飛び交うが、誰一人として意味が分かる者はいなかった。そんな、休憩室の中では、三人は茶を飲みながら饅頭を食べていた。もしかすると、登は、給湯がある室を選んだだけだったのかもしれない。だが、部下の表情が緩んできたことで、今なら全てを伝えても柔軟に受け止めると感じたのだろう。
「俺は、今の状態を主様に伝えてきた」
 そして、都市王と会ったことから、小津と二人で決めたことまで全てを話した。
「そうでしたか、我らは、隊長が都市王の代理で、手紙を東都市の都市王に届け、援軍が来るまでの一か月を北東都市の兵から西都市を守れば良いのですね」
「そうだ。その間は、小津殿が隊長となるが形だけになるだろう。悪い例えだが、小津が頭となり。お前が身体となって行動して欲しいのだ」
「確かに、御高齢ですし、何となく意味は分かります」
「頼むぞ」
「隊長の頼みです。死ぬ気で小津殿の補佐を致します」
 その時だった。突然に扉が開かれた。
「死なれては困ります。ほどほどに頑張りましょう」
 小津が、突然に現れた。
「小津殿!」
 新を除いて、二人の男は驚きのあまりに立ち上がった。
「何時から居たのです」
「それよりも、まだ、行かれていなかったのですね」
 登に鋭い視線を向けた。御主人様の指示を軽く考えていると感じたのか、登が、心底からの謝罪の気持ちから頭を下げていると感じて、何か理由があるのかと、不審な表情に変わった。
「すまない。直ぐにでも向かいたいのだが、門から出る方法がなくて思案していたのだ」
「そうでしたか、それなら・・・」
「良い考えがあるのですか?」
「まあ、開戦を遅らせる一つとして、書簡のやり取りで時間を延ばせると、そう、考えていたのですが、北東都市の陣営まで書簡を持って行かなければならないのです。それを誰に行かせるかと悩んでいたのです。それで、この隊舎の中をブラブラと、人を探していた時に、死ぬ覚悟で、この騒ぎに挑む。そう聞こえて部屋に入ってきたのです」
「それなら、自分が行きましょう。もしも邪魔する血気盛んな者たちが居ても数人くらいでしょう。叩き伏せてでも必ず届けましょう。その後に、一目散に東都市に向かいます!」
「それだと、困るのです。書簡を渡す者を出来るだけ、殺さずに、怪我もさせずに、怒らせて欲しいのです」
「えっ?」
「何と言いましょうか、命乞いの書簡だと思わせることと、西都市に戻る時は、書簡を渡すが門が開くのを待てなくて逃げたと演じて欲しいのです。そうする事で二回目の書簡は相手の陣営まで届けなくてすみます」
「ほうほう、書簡の届け任が逃げるのだからな」
「分かって頂けましたか、次回からは矢に括り付けて放つだけです」
「やろう。出来る限り挑発しよう」
 小津から書簡が手渡された。
「隊長。馬を用意します。荷物は今あるのだけですか?」
「そうだ。頼む。それで、青年!」
「何でしょう?」
「これから、直ぐに門が開くが馬が通れる程度だけだ。そして、馬が出ると同時に門が閉まるが、その間に門から出て近くの壁に立っていてくれ。それが、出来るか?」
「大丈夫です」
「俺は、書簡を届けなければならない。その後に直ぐに迎いに行く。少しの間だが待てるか?」
「待てます」
「なら、行こう」
「はい」
「そうだ。饅頭が残っていたな、持って行こう。今度は二人だけでゆっくり味わって食べよう」
「はい。あっ、それと・・・」
「何だ?」
「青年では呼びづらいでしょう。新、と呼んで下さい」
「分かった。新、だな」
 二人の男が隊舎から出ると・・・。
「隊長。用意が出来ました!」
「感謝する。直ぐに門を開けろ。馬が通れる程で良い。そして、直ぐに閉じるのだぞ」
 部下は駆け出した。その後を新も追いかけた。だが、登は馬に乗ったままで動かずに隊舎の扉を見ていた。
「何している。なぜ、行かないのだ!」
「大事な用件が残っているからだ!」
「それは、なんだ!。早く済ませて行ってくれ!」
「なら、早く手を出せ!」
「手?」
「仕方がない」
 登は馬から降りると、小津の手を摑まえて握手をした」
「後のことは頼むぞ」
「あっああ・・・・」
 小津の言葉を待っていたが、何も言わないので耳打ちした。
(何をしている。知らない者が見たら、俺を追い出して隊長になったと思われるぞ。何か適当な事を言って、皆を安心させてくれ)
「登殿。都市王からの緊急の使命の無事を祈っております。そのお帰りまで隊長職の代行をお任せください。都市王様だけでなく、全ての都市の人々の命は必ず守ります。何も心配などせずに使いを完遂して下さい!」
「後は頼む」
 再度、馬に乗ると門に向かって駆け出した。

第六話(小津の可笑しな交渉?。(戦争回避術)前編)

登が叫ぶと、門が開き始めた。そのままの速度を落とさずに門を通り抜けた。一瞬だけ新が門を出るのを確認すると、後は何も悩まずに敵の陣営に向かった。
「西都市の都市王から書簡を持参した!」
 何度も同じ言葉を叫び続けた。その言葉を聞き一人の上級兵士らしき者が叫び返した。
「降伏の書簡でも持ってきたか!」
「都市王様の書簡を読むはずがないだろう。馬鹿が、だが、降伏の書状ではないのは確かだ」
「何だと!」
「お前などの下士官に話す気持ちも、書簡を渡す気持ちもない。直ぐに上官を出せ!」
 常識的な交渉任なら低姿勢な態度が当たり前なのだが、小津に言われた通りに威圧感を剥き出しにした。
「侮辱は許せん。弓を放て!」
 正式な命令ではないために全ての弓隊が放たなかったが、それでも、とっさに数えられない程の矢が放たれた。普通の者なら矢が身体や馬に当たるのだが、登の剣さばきと馬の扱いが上手い為に、一つの矢も当たらなかった。そして、数人の兵士を蹴散らしながら進み続けて、先程の上級兵士の目の前にたどり着くと・・・。
「書簡だ。お前の主人に渡せ!」
「うぁあ!」
 登は、神業のような馬の操舵で、上級兵士の横をすり抜けると同時に、衣服の隙間に書簡を差し入れた。だが、入れられた方は気付かずに、怒りを表して叫び声を上げた。
「何をしている。早く弓を放て、放てと、命令が聞こえないのか!」
「何を騒いでいるのだ!」
 部隊長だろうか、騒ぎを聞いて天幕から出てきた。そして、部下の姿を見ると、衣服に書簡が挟まっているのを見付けた。
「それを早く寄越せ!」
「えっ?」
 自分の衣服に視線を落とすと、衣服と衣服の間に書簡が刺さっていた。
「ぶざまだな!」
 書簡を手渡したが、同時に屈辱的な言葉が返された。上官が立ち去ると直ぐに、自分の部下に視線を向けた。
「御安心下さい。門が開くのを待って居る時に、弓を放つように指示をしました!」
「良くやった!」
「必ず打ち取れるでしょう!」
「そうだな」
 二人の男と弓隊は、登の後ろ姿を見続けた。そして、多くの矢が身体に刺さっている姿を想像していたのだ。だが、予想していた時間が経ったのだが止まる気配がなく信じられない光景を見るのだ。その驚きは二つあった。一つ目は、何時から居たのか壁に人が居るのに驚き、二つ目が、壁に立っている者に突進する勢いのまま走り続けて追突する。そう思うギリギリの所で、急激に馬の向きを横に向けた。そして・・・。
「新。手を伸ばせ!」
 先程以上の神業を見せた。それは、馬の最大速度と思える速度なのに、登は片手と両足で馬を操作しただけでなく、新がいる方向に落馬寸前まで身体を傾けたのだ。一瞬だが、登の意味が分からなかったが、直ぐに意味が分かった。突進してくる馬には怖かったが、確実に手が届く範囲まで二歩進んだ。そして、頭の中で想像していた事と同じ事がコマ送りの映像のように見えた。本当に馬の背に乗れるのかと考えてしまったが、まるで、磁石と磁石の磁力で密着するように手を手が結ばれるだけでなく、強く腕が引っ張られた。と感じた時には、馬の背に吸い込まれるように無事に乗っていた。、安堵する気持ちになる前に、都市側の方から凄い驚きの叫びが聞こえたのだ。人々は興奮していた。その中で,恐らく一人だけ冷静に見守る者がいた。
「上手く行ったようだ。だが、限度と言うことがあるだろう」
 小津だった。登が、新を片手で持ち上げて自分の後ろに乗せた。その奇跡を見たからだ。だが、二人が逃げて行く姿を見て何度も頷いていたのは危機が回避された。その安堵したのだろう。人々は、馬が見えなくなるまで興奮を味わっていたが、小津は、城壁から降りる階段に向かった。その時に部下に顔を向けた。
「赤い矢を放ってくるはずだ。その矢が届いたら知らせてくれ!」
「赤い矢ですと、我々が放つのでなく、届くのですか?」
「そうだ」
 部下が驚くのは当然だった。普通は劣勢側が降伏する条件を求めるのに放つ、それが、有利側が放つ理由は一つだけ、無条件で降伏するのなら命だけは助ける。その意味しかないからだ。それなのに、その赤い矢を待つとは、死ぬ場所は自分で選べと言うことになる。
「小津殿。待って下さい。籠城して援軍を待つのではないのですか?」
「何を心配している。籠城しか考えていないぞ」
「ですが、赤い矢が放てられた場合は・・・」
「何も心配するな。良い考えがあるのだ。だから、赤い矢が届けば知らせてくれればよい」
「承知しました」
 小津が笑いながら城壁から立ち去るので信じるしかなかった。それから、二時間が過ぎると、驚く事に言われた通りに赤い矢が城門に突き刺さった。隊長補佐は、直ぐに隊舎に向かった。
「小津殿。城門に赤い矢が刺さりました。それだけでなく、文らしき物が付いております」
「威嚇だとしても、矢など放てられる危険はない。だから、直ぐにでも取ってきてくれないか」
「はっ、承知しました」
 直ぐに隊長補佐は城門に向かった。赤い矢が届くよりも文が付いているのに驚いていた。そして、開戦の合図だと知っているはずなのに、城門の脇の小門でなく堂々と正門を開門してから、数人の兵が嬉々として矢を取りに行った。それは、返信のように赤い矢を放つまで開戦はしない。そう暗黙の了解があるから安心していたのだ。
「お待ちしました」
「ありがとう・・・・ほう・・・分かった。やはりな・・・・」
 文を渡されて読むと、儀礼的な開戦の文だった。その内容は分かっていたのだろう。不敵な笑みを浮かべた。
「赤い矢を放つ準備をしてくれ!」
 文を握り締めながら指示を伝えた。
「はい。ですが・・・・文は宜しいのですか?」
 開戦の開始と感じて青ざめながら問いかけたのだ。
「要らない。だが、饅頭を括り付けろ」
「饅頭?」
「そうだ。昔風に仙人の霞の饅頭を二個用意しろ。それも、油紙で包んだ物と薄絹で包んだ物を括り付けて放つのだ!」
「はい。ですが・・・それでは、相手が怒りを感じるのでは・・・・」
「理由は聞くな。これが成功すれば、何日かの時間を稼ぐことができる。援軍が来るまで間に合うはずだ」
「作戦だったのですか、済みませんでした。直ぐに用意して放ちます」
「頼む」
 直ぐに隊舎の隊長室から出て、扉の外に居る部下に指示を伝えた。
「小津殿の計画に必要なのだ。直ぐに用意しろ」
「あっ・・・・待ってくれ!」
「何でしょうか?」
 隊長補佐もも退室して饅頭の手配を自分でする考えだったのだろう。だが、小津から引き留められたのだ。
「赤い矢に饅頭を括り付けた物を放てば、直ぐに赤い矢が来るはずだ。それにも、文が付いてくるだろう。直ぐに隊長室に持ってきて欲しいのだ」
「承知しました」
「わしは、次の返信の文を書く。何か変わった事でもあれば知らせて欲しい」
「何か飲み物でもお持ちしましょうか?」
「要らない」
 直ぐに書簡を書き始めて、隊長室には小津だけが残り。隊長補佐は、仙人の霞の饅頭の店に向かった。だが、今では全種類の饅頭は包まずに販売している事で、紙屋と生地屋と走り回らなくてはならなかったのだ。そして、包む材料を用意した後は、饅頭屋に戻って包んでもらったのだ。やはり、部下に任せなくて良かったと、安堵感だろうか、内心の気持ちを口に出したが、小声での呟きだったのには、まだ、冷静な判断力がある証拠だった。勿論、謝罪と迷惑料としての金額を提示して、女の店主が納得して頷かれると、今は時間がないからと、隊舎まで取りに来て欲しいと伝えた。急いで城門に向かうが、矢が放たれてから三十分が経過していた。直ぐにでも城門に登ろうとするが、身体が自由にならず息を整ていると・・・。
「隊長補佐。全て話を聞いています。一番の弓の名手を待機しております」
 まだ、息苦しいが、命令の要件が終わっていない。死ぬ気持ちで城壁を駆け登る思いだったが、部下が城壁から駆け下りてきたのだ。その言葉を聞いて、驚きと同時に、自分の部下も使える者がいると安心したのだ。
「饅頭を括り付けて、敵陣に赤い矢を放て!」
「はい。お預かり致します」
 そして、城壁を駆け戻り、名手に饅頭を渡して自分で括り付かせたのだ。それは、当然だった。弓を放つ者でなければ釣り合いが分からないからだ。
「まだか!」
 隊長補佐が痺れを切らした。
「今直ぐに放ちます」
 弓の名手は弓の弦を引いて上官の言葉を待った。隊長補佐が時間を急がせたが、饅頭を預かってから五分も経たなかった。赤い矢は、綺麗な放物線を描くように飛び続けた。その結果だが、弓の狙いは、正確に、赤い矢が放たれた場所まで飛んで行った。直ぐに、敵陣では慌しく騒ぎが起きていた。
「西都市から赤い矢が放たれました。恐らく、文の返信だと思われます」
 北東都市の弓の名手は、直ぐにでも赤い矢が放たれると判断していたのだろう。赤い矢を放った場所から移動することなく待っていたのだ。地面に刺さった矢を見て周囲では騒ぎになっていた。その騒ぎを聞いて、登に遊ばれた。あの上級兵士が現れた。
「饅頭だな?」
「・・・・・」
 周囲にいる部下も頷くことしか出来なかった。そんな、饅頭の意味を思案している時だった。天幕から部隊長が現れて、何が起きているのか状況を伝えろ。と叫ぶのだった。
「そのまま引き抜け、その状態のまま都市王様に見せる」
 天幕に着くまでに何て伝えるか思案していた。確かに、可能背が高いのは、饅頭は重りで飛んでいる途中で書簡が落ちた。なら、いいが、もしもだが、西都市に放った書簡が途中で落ちたことで意味が伝わらず。その返答に困り饅頭を括り付けた。後者の理由では、自分の首が飛ぶ。などと思案していると、天幕の前に着いていた。
「何をしている中に入れ!」
 都市王の言葉で中に入った。そして、当然の事を言われた。
「それは、何だ?」
 天幕の中に居た。武将に、側使いの者達は、赤い矢と饅頭を見たが、何て答えて良いのかと思案していた。その答えが出るはずもなく、だが、都市王の命令を無視できるはずもなく、持参した者に答えさせようと、皆は視線を向けた。その視線の理由には、誰でも感じ取れることで、恐る恐ると答えた。
「饅頭だと思われます」
「それは、分かっている。その意味は何だと聞いたのだぞ!」
「・・・・・」
「誰も分からないのか?」
 この場の全員に問いかけている感じだが、視線の先は十人の武将にだった。それ程まで信頼しているとも言えるが、その視線には耐えられなく俯くことしか出来なかった。
「仕方がない。年寄り衆を呼べ!」
「ですが・・・・」
 現武将としては引退した者の意見を聞きたくなかった。もしも相談して答えが出された場合は、今後、自分たちの意見は通らないだけでなく、これからも、何かと年寄りたちは意見を述べるに違いない。そうなれば、自分たちの降格もありえる。それで、言葉を詰まらせたのだ。
「直ぐに呼んで来い!」
 都市王が苛立ちをぶちまけている。だが、武将たちは畏まっているだけで行動することはしないのは当然だった。年寄り衆に頼みに行くも嫌だが、もしも、行く事になる者は降格が決定されたと同じだからだ。それで、都市王と視線を合わせず畏まり。自分でなく他の者にと、だけでなく、年寄り衆を呼ぶのを諦めて欲しい。と祈っていたのだ。そんな、武将の中で任命されるのが一番近い者。それは、赤い矢と饅頭を持ってきた者の直属の上官が・・・・。
「何を立っているのだ。元々は、今回のこともお前の提案だったはず。その返信で悩んでいるのに何も答えずに居るだけだ。その挽回のためも含めて、都市王様は、年寄り衆を呼んで来い。そう命じている意味が分からんのか?」
「ひっひっひっ」
 心底からの恐怖のために言葉にすることも身体も動かなかった。
「仁(じん)よ。命が聞こえないのか、直ぐに呼んで来るのだ!」
 現武将たちは、少し気持ちが緩んだ。年寄り衆が来るのは不満だが、都市王の怒りの矛先が新たに武将の列に入るかもしれない者だったことで、安堵と同時に失態を喜んだのだ。
「仁。何をしている。直ぐに行け!」
「ひぃ!」
 二度も名前を呼ばれたからでなく、自分が立っている所から近くて耳に届いたのだろう。いや、都市王よりも、普段から自分の様子を見ている上司の怒りが、爆発寸前の殺気を感じ取り正気を取り戻したと思えた。
「直ちに!」
 本当に逃げるように立ち去る。それを表す様に駆け出した。そして、周囲には同じ様な天幕が何個もあるが、誰に聞かずに年寄り衆の天幕が分かった。何故かと思われるだろう。その天幕だけが酒宴で浮かれ騒いでいたからだ。
「都市王の命です。直ぐに天幕に赴いて下さい!」
「やれやれ、まだ、我らの知恵がないと駄目のようですな」
「その様ですな。仕方がない。よいしょ・・・と」
「仕方がないでしょう。助けてやりましょう」
 三人の老人は、都市王が聞いたら刀を抜くかもしれない言葉を吐きながら腰に手を当てながら椅子から立ち上がった。だが、本気で都市王を愚弄しているのではない。本心は、隠居して余生を楽しめ。そうと言ってくれるのを願っている。だが、先代からの重心でもあり。幼子の頃から様々なことを教えた。その師と思ってくれているのだろうが、自分が選んだ家臣たちと同じ様に接して欲しい。まあ、それが言えないのが、本当の孫以上に愛しく感じるのだった。
「どうしたのだ?。一緒に来ないのか?」
「自分は一緒に行けません」
 先程の言葉を思い出しているのだろうか、怯えながら返事をした。
「そうか」
(わしらも同じ家臣なのだ。都市王としての覇道の意気込みをぶつけて欲しいの)
「そうか、挽回の機会を与えて欲しいと、そう申しておく。頑張るのだぞ」
「ありがとう御座います。自分は、この天幕の前でお待ちしております」
(あれが、達人までに達した者の微笑と言うのだな。もしかすると、腰を痛そうにしていたのは油断を誘うための演技かもしれない。恐ろしい、恐ろしいぞ)
「さて、何が遭ったのだろうかな」
「そうですな」
「お前ら楽しんでいるだろう」
「それは、お前も、そうなのだろう」
「確かに!」
 三人の老人は、上級兵士の気持ちなど分からずに、笑いながら都市王の天幕に向かった。

第七話(小津の可笑しな交渉?。(戦争回避術)中編)

三人の老人たちは、頭が禿げてあご髭だけの者。白髪頭で口髭だけの者。白髪で髭がない者がいた。その中で一番の年長者は口髭がない者だった。
「御呼びと言われまして、我ら三人参りました」
「待っていたぞ。早く中に入れ」
 三人の老人が中に入ると、天幕の中は酒の匂いが広まった。
「・・・・・」
「酒を飲んでいるのか、それで、頭は働くのだろうな」
「何の支障もありませんぞ。それで、何事があったのでしょうか?」
「この赤い矢に饅頭が括ってある物を放って来たのだ。この意味が分かるか?」
「ほう、面白い事をしますな」
 最年長の老人が笑って楽しんでいた。
「意味が分かるのか?」
「むむ・・・分かりません。ですが、仙人の霞の饅頭は西都市の特産だった物です」
 その笑いに関心を示されて、都市王が問いを求められたのだ。
「確か、特産品は絹と思っていたが・・・・違うのか?」
「絹が特産品は確かです。ですが、饅頭を作っていたから絹の生地が出来たのです」
「何だと、それで、理由は知っているのか?」
「はい。自分たちが若い時では、かなり、有名な話題でしたので・・・」
「その話題を聞かせてくれないか?」
「当時の仙人の霞の饅頭は、かなり有名で遠方からでも買いに来る者が多かった。ですが、油紙で包んでいる時は、薄皮饅頭と言う名称で、どこの都市にもある物でした。まあ、売れいていなかったから発想と工夫を考えたのでなく、油紙だと直ぐにカビが生えて長期の保存が無理だったのです。それで、軽くて風通しの良い物は、と考え出した結果が、絹だったのです」
「それは変だろう。今でも高級な物だ。その当時では見る事も出来ない貴重品だろう」
「確かに、そうでした。ですが、あの頃は引っ張れば破けてしまう程度の物だったのです。元々の発想が蜘蛛の糸で布を作るのでしたので、編み棒での手編みでしたから丈夫な物が出来るはずもなかったのです。それでも、作った物は使用しなければならない。それで、饅頭屋の話に飛び付き使用が始まったのです。それは、霞のような物に包まれた饅頭でしたので、珍しいだけでなく、仙人が食べる物。仙人の霞の饅頭として爆発的に売れました。それから、直ぐのことです。饅頭屋の前で、姉(機械人形の裕子)と弟(新の父)の旅の者が驚きの使用方法を見せたのです。別に特別の事ではなかったのです。姉の方も深い意味はなかったでしょう。誰でも弟が転んで怪我をしたら何かで拭って血を止めようと考えるはず。それが、自分が饅頭を食べた包みだったのです。まあ、姉は、何でも良かったのでしょう。それを看護婦が偶然に見て医療の包帯に適していると、医師の先生に伝えたのです。それでも、直ぐに破けるのでは役に立たない。需要が増えれば製品を作るのに人も増やすことになる。そうなれば、様々な思い付きや工夫を考える人の声も増えて製品も改善されて、包帯から下着も作られて、手織りから木枠で糸と糸とを絡めるだけだったのが、今では糸を引き締める手織り機が作られると、大量の衣服が作られているのです」
 次の事は、噂にも記録にも残されていないが、饅頭の包みを包帯の代りにした者とは、姉と弟は、天家の新。その父親と一万年は生きている。機械人形の裕子だった。そして、看護婦とは、新の母親なのだ。この騒動は、父親の左手の小指の赤い感覚器官の導きで、絹を広めることと、二人を結ばせるための出会いの演出であり。時の流の運命の修正だった。
「そうだったか、だが、これ程まで詳しい話が伝わっているのに、なぜ、我が都市では絹の服が作れないのだ」
「それは、肝心なところが分からないのです。手織り機を手に入れたとしても降り方が分かりませんし、肝心な蜘蛛の巣を見て考えたと言われても、蜘蛛の糸のはずもなく、虫なのか、毛なのか、植物なのか分かりません。これでは、何も分からないと同じです」
「そうなのか・・・・それで、赤い矢の饅頭の意味が分かったのか?」
「恐らくですが、仙人の霞の饅頭と絹の服の作り方を教える。そう伝えたいのでしょう。ですが、かなり強気な態度だと思われます。それでも、強気の態度の裏には有無を言わせずに戦いになった場合は、全ての資料を焼き捨てる考えだと感じ取ることができます」
「それでは、意味がないのだ。饅頭の製法は良いとしても、絹の服の資料は欲しいのだ!」
「分かっております。それなら、赤い矢の饅頭の返信として、こちらは、赤い矢に白紙の書簡を括り付けましょう」
「それは、どのような意味になるのだ?」
「特に意味はありません。向こうが強気で答えを求めるのならば、白紙の書簡で何て言って来るか確かめるのです」
「それは、良い考えだ。白紙の書簡を放ってくれ。あっ・・・・上級兵士は、どうした?」
 名前は憶えられていないが、それでも、何かと重宝がられていた。
「わしらを呼びに遣わした者ですかな?」
「そうだ」
「仕方がない。わしらが都市王の命があると伝えましょう。それと、失礼だと思いますが、天幕に戻った後は、こちらに戻らないことの許して頂けるでしょうか?」
「構わない。突然に呼び立てて済まなかった。ゆっくりと寛ぐと良いぞ」
「わしも、退室させて頂いても宜しいでしょうか?」
「三人とも構わないぞ。だが、赤い矢が届いた内容によっては呼ぶ場合があるぞ」
「何時でも御呼び下さい。直ぐに赴きます」
 三人の老人が退室した。そして、数分後に息を切らせて現れた者がいた。
「都市王様。共に赴かずに遅れてすみませんでした」
「構わない。直ぐに赤い矢を放って欲しいのだ。それには、白紙の書簡を括り付けるのだぞ」
「御意」
 簡潔に答えてから恐怖から逃げるように立ち去ったが、男の表情からは笑みを浮かべていた。まるで、これ以上の人生の幸せがない。そのような笑みだった。
(都市王は、俺を必要としている。都市王は、俺を、おれを!)
「何事があったのですか、上級兵士殿」
 驚かれるのは当然だろう。眼は血走りながら極限の状態を超えたような走りで、自分たちが控えている陣地に向かって来るからだ。
「赤い矢を放つ準備をしてくれ!」
 まだ、興奮が冷めないのだろう。隣に居るのに、この場にいる全ての兵に伝えるような叫び声を上げたからだ。
「分かっております。もう少しお待ち下さい」
 隣に居るのに叫び声を上げるので、時間が定められていると感じて一般の兵士たちは急いでいた。だが、急がせているのではない。その証拠のように笑みを返すのだ。
「確実に城門に刺されば、それで良い」
 それでも、引きつった笑みだったので、男の部下は、何時もよりも恐怖を感じていたのだ。
「早く放て!」
 まあ、矢を放つだけなら数分の事だと思われるだろうが、普段から赤い矢が有るのではないのだ。普通の矢に赤く色を塗ってから放つのだ。それでも、十分間は掛らないことだった。
「用意ができました」
 色を塗り終えて、弓を引き絞ると声を上げたのだ。
「放て!」
 上級兵士の気持ちが込められたかのような勢いで、弓矢は半円を描くように飛ぶのでなく、殆ど直線で弓矢が飛んで行き城門に刺さった。
「ドッン」
 都市の全ての者に弓矢が突き刺さる音が聞こえる。そう感じる音が響いた。
「また、赤い矢が突き刺さりました!」
「書簡は有るのか?」
「あります」
「直ぐに城門を開けろ。俺が取りに行く!」
 上官から言われるのが分かっていたのだろう。指示されると同時に城門が開き始めた。そして、堂々と門から出て矢を抜こうとするのだが深く刺さり過ぎて鏃まで抜くことができずに折ることになった。小津は何も言わないだろうが、作戦の失敗する暗示に思い。少しでも不安が晴れるように死ぬ気で走った。
「小津殿。赤い矢が届きました」
 小津の癖なのか、それとも、直ぐに赤い矢が届くと確実に思ってのことか、隊長室の扉は開けたままで、小津が椅子に座っているのが見えたが、そのままの勢いで廊下を走り続けた。
「ありがとう」
「ですが、鏃が抜けなかったので折ってしまいました」
「それは、良かったではないか、敵の策略を赤い矢を折ったことで防いだのだからな」
「ありがとうございます」
 小津の冗談で気持ちが落ち着いた。そして、心底から謝罪をした後に、赤い矢を渡したのだが、退室することが出来るはずもなく、小津の表情を見続けたのだ。恐らく、いや、確実に表情を見れば内容が分かると感じたからだ。
「心配しなくていいぞ。予想の通りに白紙の書簡だった」
「えっ、白紙?」
「そうだ。白紙の書簡か、怒りを爆発して開戦か、その二通りしかなかったのだ!」
「それで、我々は、次の行動は、どの様にするのでしょうか?」
「また、赤い矢を放って欲しい」
「承知しました」
 返礼した後、少々の時間が掛ると思ったのだが、直ぐに書簡を手渡された。それも、内容が分かるように開いたままの書簡だったので、文字から目を離せなかった。
「白紙の書簡が届きましたが、貴方が求めていた情報を手に入れたのならば、兵を撤収して頂きたい。そう要求を致します」
と、書かれていたが、意味が分からずに首を傾げながら小津に視線を向けたのだ。
「意味が分からないだろう。だから、時間が稼げるのだ!」
「赤い矢に括り付けて、敵陣に放てば良いのですか?」
「そうだ。恐らく、今度は一時間くらいの時間が稼げるはずだ!」
「えっ・・・・」
 小津は、笑みを浮かべて話し出すのだ。問い掛けた者が変な事を言ったのか、それとも、普通は、あの文面で意味が分かるのだろうかと、不思議がっているようだった。それでも、その笑みを見たからだろう。計画が想定の通りに進んでいると思うと同時に、恐らく、敵の武将も同じ通りに思案するに違いないと感じているようだった。
「補佐役の表情を見て確信した。何も心配する必要はない。援軍が来るまで時間を稼げる!」
「それでは、放って参ります」
「急がなくて良いぞ。だが、確実に陣営まで届かせてくれよ。それと、今までの通りに城門を開けて、堂々と赤い矢を取りに行って欲しい。それでは、頼むぞ!」
 そう言われたが、ゆっくりと歩く気持ちになれるはずもなく、五分後には、敵陣に赤い矢を届かせたのだ。そして、小津の想定の通りに一時間後に赤い矢が城門に刺さった。
「ドッスン」
 矢が刺さる音が聞こえると、指示の通りに堂々と城門を開けて、赤い矢を取りに行ったのだが、今回は威嚇のつもりなのか、赤い矢を抜こうとして掴んだ時だった。左頬に触れるかと思われるぎりぎりの所に二度目の赤い矢が刺さった。驚いて、敵陣の方を振り向きたかったのだが、小津の言葉を思い出し気持ちを抑えた。勿論、足が震えていたが、城門が閉まると、部下にも知られないように、小津の所に向かったのだ。
「想定の通りに一時間後だったな。それで、威嚇するような事が起きたかな?」
「はい。赤い矢を抜いている時に、もう一つの赤い矢が放たれてきて頬を掠めました!」
「ほうほう、それは驚いただろう。その詫びとして書簡を読んで良いぞ」
「貴方の勘違いです。当方は何一つとして情報は頂いていない。至急に情報を提供しない場合は、当方は考えを変えなければならない。と要求する」
 次の書簡も開いたまま手渡したのだ。
「当方としては、饅頭を見ても分からない場合は教えることが出来ない。それとも、勉学の為に人を遣す。そう考えて良いのでしょうか?」
「えっ、まさか、敵兵を都市に入れる考えなのですか?」
「来るなら、面白い考えがあるが、誰も来るはずがない」
「面白くても、敵兵を都市内に入れる考えだけは止めて下さい。兵士だけでなく、他の者たちも恐怖を感じます」
「分かった。その計画は止めておく、そろそろ、赤い矢を放ってくれ」
「すみません。直ぐに放ってきます」
「頼む」
 小津の陣営から矢を放つと、北東都市が、次の矢が放つまでには三時間も過ぎたのだ。それには、上級兵士が、当初の計画と違って、何一つとして情報が手に入らなく、都市王に知らせるのが遅れたこともあるが、天幕の中でも対策に時間が掛っていたのだ。そして、小津の陣営では、赤い矢が届くと直ぐに、小津に手渡したのだ。そして、読み終わると・・・・。
「読んで見るか?」
「はい」
 書簡を開くと、小津に聞こえる声で読み上げた。
「当方は、その要求には応えられない。至急に情報の提供を要求する」
「都市の中で好きなように学べと言っても来るはずがないのだよ」
「それは、なぜです」
「開戦を開始したら必ず勝てる戦なのだぞ。それなら、命を掛けて都市の中に入る者はいない」
「あっ」
 驚きと言うよりも、難問の問題を解き明かした。その様な表情を返したのだ。
「何を言っているか分かった様だな。この都市の兵力なら死ぬ危険度も少ない。それで、殆どの兵士は戦いの後のことを考えているのだ。その感情を知っているからこそ、赤い矢の作戦がを実行しようと考えた。それが、この書簡から本格的なに実行する内容なのだ」
「えっ!」
「読んでみたいだろう。構わんぞ!」
「それでは、読ませて頂きます」
 書簡を手渡されて書面を見ると、今までの文字数とは違って長文だった。
「当方と、貴方では考えが噛み合ってない。もしかすると、当方の都市規約を知っての書簡のやり取りと考えていた。そうではないのか?。知らないはずがないと思うが、当方では、商人と旅人の強敵的の兵員になる法律のために軍事機密は全公開と法で定められている。この法律のために赤い矢での書簡でも、全公開するために詳しい情報を送る事ができない。だが、貴方が全公開での情報のやり取りを希望の場合ならば情報を公開する考えがある。そうなると、誰もが知る情報となり商品価値が消えると思われる。それでも良いと言うのならば当方は構わない。貴方の返答を求む。だが、一つ当方から提案だが、当方も全公開では、これからの商いに支障が起きる可能性が高い。その提案とは、当方と貴方だけの書簡のやり取りを続けるが、当方が、貴方に分かるように書簡で知りたいことを暗号として書いて知らせる。これならば、情報は当方と貴方だけで情報の秘匿になると考えたのだ。貴方の返答しだいで、即、実行したい」
 書簡を読みあげると、部下に託して、即、赤い矢に括り付けて敵陣に放ったのだ。

第八話(小津の可笑しな交渉?。(戦争回避術)後編)

補佐役は、手を震わせながら書簡を読んでいたが当然の反応だった。書簡に書かれている情報とは、都市で極秘の最高機密であり。小津が勝ってに決められない内容だったからだ。もし情報を漏らしたとして最高刑の死刑が宣告されるからだ。
「小津殿。本気で極秘情報を教えるつもりではないですよね。それとも、都市王の許可があって教えるのですか、もし違う場合は逮捕しなければならりませんぞ!」
 顔を青ざめているのは怒りからか、それとも、重罪犯罪のための驚きか、恐らく、両方だろう。だが、心底の気持ちは、自分も犯罪者となる可能性がある。それが、一番の恐怖を感じているからに違いない。
「書簡を読んで、今の返事が聞けて安心した。命が惜しさに黙認するのかと少し考えたぞ。だが、何一つとして都市の機密を教える気持ちはない。適当な書簡を書いて、のらりくらりと誤魔化す考えだ。それで、援軍が来るのを待ち続ける!」
「それなら問題はない。ですが、信じないのではないが必ず書簡を読ませて頂きますぞ」
「それなら助かる。少しは気持ちが安らぐよ。それと、頼みたいこともあるのですがね」
「何でしょうか?」
「のらりくらりと誤魔化す。その文面も考えてくれると助かる」
「面白そうですね。喜んで協力します」
 小津の本気か、冗談か分からない頼みで、二人の精神的な気持ちが解れた。それを証明するかのように笑い声が室内に響いた。
「その前に、この書簡を敵陣に放って欲しい。今頼んだことは相手の返事が届いてからのことだからな。恐らく、いや、必ず喜んで承諾すると、書簡が届くはずだ」
「そうでしょう。その情報が欲しくて戦を起こしたはずですからですね」
「頼むぞ!」
「承知しました」
 今まで何度も赤い矢を放つために、書簡を部下に渡す時に殺気を放っていた。だが、今は笑みをとも思える表情を表していた。その表情を見て部下も商人も戦争が起きないかもしれないと、安堵の表情を浮かべ始めた。
「用意ができました!」
「放て!」
 今の補佐役の声色は、はっきりと明るい希望と言うか、勝利を確信した時の響きだった。そして、殆ど待つことなく、赤い矢が城門に刺さるのだ。即座に、小津の所に届けた。
「読んでみると良い」
「ああっ・・・・提案の件だが直ぐに実行して欲しい」
 そう書簡に書かれていた。
「それでは、何を書くか考えなければならないな」
「そうですな。都市の生い立ちからでも書いてみるのも面白いかと・・・」
「面白いが、こちらが考えている計画が見抜かれる恐れがあるぞ」
「なら、仙人が食す。その霞から出来ている。と噂も流れていますし、それか、霧を濾した残りかすが原料だとも思われているのですし、その取り方は駄目でしょうか?」
「ほうほう、霧とは面白い。それに決めよう」
「それでしたら、まず初めに投網が必要と書いてみては、どうでしょう」
 二人の話題は冗談でなく本当に書簡に書いた。当然、赤い矢に括り付けて放ったのだ。普通なら冗談だと思って怒るだろうが、今回の場合は攻められている方からの命乞いの妥協として提案されてきた交渉のために本気で信じたのだ。その赤い矢のやり取りは十回を超えても不審に思われなく続き、そろそろ、百を超えようとした時でもあり、日付が変わろうとしていたからだろう。双方とも続きは朝日が昇ってから始めると決まった。
 そして、朝日が昇った。その頃に、赤い矢が西都市の城門に刺さっていた。その内容とは・・・。
「貴方が、代々の秘匿として守ってきた。その歴史は分かるが、そろそろ本題に入って欲しい。このまま歴史を語るのなら情報を公開する意思がないとして開戦を決行する」
と、書かれてあり。小津と補佐役は、これから来る書簡のことで話し合っていた。
「赤い矢が城門に刺さっていました」
 小津と補佐役は、これから届く書簡のことで話し合っていた。その時、廊下を走る音が聞こえていたが、書簡が届く時間には早いと思っていたので気にも掛けなかったが、扉を叩く音と同時に叫ぶ声が聞こえたのだ。それでも、驚きや恐怖とかではなく、戦の終了だとでも思っている喜びに満ちた興奮を表していた。
「もう刺さっていたのか・・・早すぎるな・・・まさか、面倒になり開戦でも考えたか?」
「入って良いぞ」
 小津は、書簡を持って来た者の興奮する言葉よりも、予定よりも早かったことに驚くだけだった。その様子を見て仕方がないとでも思ったのだろう。補佐役が、扉の外の者に指示を伝えた。何度も同じことを叫ぶことを止めて、扉を開けて入って来た者は兵士ではなく、中年の男で商人か旅人に違いない。恐らく、予定されていた旅先の宿の予約か、商談の日時に遅れていたことを諦めていたが、手元の書簡で自由になれるとでも思っている様子だった。そして、部屋の中に入ってみると、誰に渡していいのかと迷う視線だけでなく、書簡も交互に向けていた。
「俺が受け取ろう。ありがとう」
 補佐役が、受け取ると同時に言葉を掛けるが退室する様子がない。恐らく、男は内容を知りたいのだろう。だが、直ぐに書簡を読んだとしても知らせるはずもない。それに、気付かない程に興奮しているようだった。
「どうした?」
「あっ・・・・済みませんでした!」
 やっと、気持ちが落ち着き、自分が何を考えていたか思い出したのだろう。何度も頭を下げながら退室しようとする時だった。
「直ぐに書簡を手渡すから外で待っていてくれないか?」
「分かりました」
 部屋から出てから扉の外で五分が過ぎただろうか、すると、扉が少しだけ開けられると、書簡を持つ手が出て来たことで受け取るのだった。数秒の間だが書簡を見詰めるのは中身を読みたい気持ちもあるが、この書簡で戦争は回避されて都市から出られる。そう思っているはず。なら、直ぐにでも敵陣に放ってもらう気持ちで真剣に駆け出した。
 その手に持つ書簡の返信前のことだった。
「赤い矢を放ってきました」
 現代的な時間で言うと、北東都市での陣での深夜二時頃だ。敵の城門に赤い矢を放った。その書簡には、赤い矢のやり取りの続きは明日の朝日が昇ってから開始したい。との内容だった。そのことを都市王に伝えに天幕に向かった。その位のことなら部下に頼んだら良いだろう。そう思うだろうが、辺りは、殆どの兵士が木に寄り掛かる者や地面の上で寝ている者が大半だった。だから、頼み辛いと感じたのか、それとも、都市王に少しでも気に入られようとしての考えなのか、いや、その両方なのだろう。
「赤い矢を放ってきました」
 天幕の中に入りたかっただろうが、都市王が寝ていると感じたので外から言葉だけを伝えた。
「頼みがある!」
「何でしょうか?」
 都市王は、床に入っていたのだろうか、元々の口調なのだろうか、半分寝ている感じの声色だったことで、聞き取りにくいと、感じているようだが、許しもないのに中に入れるはずもなく、聞き違いでもしたら困ると、天幕の布に耳を押し付けていた。
「年寄り衆に、書簡の翻訳が出来ているか聞いてきてくれないか、何が原料なのかだけでも良い。それが、知らないと眠れそうにないのだ!」
「承知致しました」
 都市王の言葉が終わると、一瞬だけだが目を瞑り、何を言われたか命令の確認をしていた。目を開けると、年寄り衆の天幕に駆け出した。だが、五分も経たずに戻って来たのだが、何故か、泣き出しそうな表情で現れて、天幕の周囲をうろうろと歩き回っていた。
「聞いて来たのか?」
 やはり、寝ていると感じたことで、自分に気付くのを待っていたのだった。
「はい。今、戻りました」
「それで、何の原料なのだ?」
 布団から飛び起きたような音が聞こえた。その後に、興奮尾を隠せないような声色で問い掛けたが、相手は、何て言っていいのかと迷っているみたいに歯切れが悪かった。
「聞こえんのだ。ハッキリと言え!」
「はい。翻訳はまだでした」
「それは分かっている。書簡が貯まり翻訳が出来ないのだろう。だから、明日からと言ったのだ。だが、原料だけで良いから聞いて来いと言ったのだぞ!」
「はい。そうです。ですが・・・・その・・・・」
「聞こえんと、言っているだろう!」
「はい。年寄り衆の話しでは、歴史だけが書かれていて、肝心の原料の作り方は書かれていない。そう、言われました」
「何だと!」
「すみません。今一度、赤い矢を放ちます。原料や作り方を教えなければ開戦だと!」
「当然だ。そうしろ!」
「はい。直ぐに放ちたいと・・・思います。ですが・・・・」
「なぜ、直ぐに行動しない!」
「はい。はい。書簡をお願い出来ないでしょうか?」
「そうだったな。直ぐに用意しよう。少々待て!」
「ごゆっくりと、何時でもお待ちします」
 天幕の中では、一人だと思ったのだが、誰かに指示している事と灯りが灯された。その者は男か女か分からないが、数分後、天幕の隙間から書簡だけが出された。もしかすると、女性で裸なのかもしれない。それだけでなく、兵士であり。既婚者なのかもしれない。それで、声色で誰か分かる者なのだろうかと、考えながら手紙を掴んだ。
「頂きました。直ぐに放って参ります」
「届いたら、直ぐに知らせろ!」
 この書簡が、朝一番に、小津の手に届いた物だった。それから、書簡が届くのを朝まで待つことになるのだが、この男にも部下はいる。その者達に指示をした後、仮眠を取るのだが、寝られるはずもなく起き出してきた。それも、不機嫌そうにも、何か考えているようにも感じられた。そして、部下たちを見回した後に・・・・・・。
「起きている者は居るか?」
「はい。我らは夜に生きる者ですので、何なりと・・・」
「そうか、なら、馬に乗って書簡を届けに来た者を憶えているか?」
「はい。憶えております。そろそろ、仕留めたと知らせが届く頃だと思われます」
「お前の部下が、もう既に向かったのか?」
「はい。戦以外でも、お役に立てるのでないかと、それで、誰の指示もありませんが、命を取りに向かわせました。いけませんでしたか?」
「構わんぞ。良い考えだったぞ」
「安心しました。それで、誰がお金を払ってくれますかな?」
「俺の出世払いでは、駄目か?」
「まあ、考えておきましょう。今回の仕事は、我々の宣伝として無料にしておきます」
「俺では、出世できないと、思っているのか?」
「あっ、部下が帰って着たようです」
 故意に無視したのか、偶然か、それは、分からないが紙の飛行機が飛んで来た。それを片手で掴み。広げて読んだ。
「出世の好機かもしれませんぞ」
「何だと!」
「書簡を届けに来た。あの武将の連れが、西都市の都市王でした」
「それで、命を取ったのか?」
「崖から落ちましたので、命は無いでしょう」
「そうだな。それなら知らせてやるか!」
「それは、少し待った方が良いでしょう」
「なでだ?」
「二つの理由があります。都市王が亡くなったと知った場合は死ぬ気で戦うはず。それだけでなく、こちらが欲しい情報も燃やす可能性があります」
「それでは困る。だが、手柄が無かったことになるぞ。良いのか?」
「まあ、仕方がありません。名前が売れただけで良いと考えていますが・・・・」
「ん?・・・まあ、これからも仕事があるだろう」
 何かの返事を待っている感じに思えたが、考え過ぎだと感じた。
「その時は、いつでも御呼び下さい」
 人を殺す生業の者とは思えない。まるで、世間知らずの紳士のようだった。
「この陣の中で控えてくれ」
「はい。それでは、失礼致します」
 そう言うと、ゆっくりと歩き林の中に消えた。部下と合流する考えなのだろう。
「ご苦労だった」
と、声を掛けたが、その後は、囁きのような言葉が続いた。
「この陣の者達では金にならないし、この場の仕事は終えた。別の戦場を探すとしよう」
「お頭が、そう言うのなら・・・」
「俺の考えだが、援軍は想像よりも早く来るだろう。そして、この騒ぎは終結する。だが、泉の波紋のように戦は発展するだろう」
「なぜ、お頭には分かるのですか?」
「援軍を派遣するだけでも金は掛るのだぞ。誰が払うのだ?」
「援軍を頼んだ方の都市からか、戦を仕掛けた方から無理矢理に取ると思う」
 男は、悩みながら、少し、少しと話し出した。
「そうなると、援軍が来ると当時に戦わないで逃げるだろう。だが、追いかけるだけでなく都市を攻めるはずだ。そうなると、際限なく戦場は広がる」
「それで、お頭は、どこの都市の陣営に入るか考えているのだろう」
「考えていない。今のように適当に掻き回して、高く金を払うところを決める考えだが、金はまだある。直ぐに命の危険にさらす必要もない。暫く遊んでいようか、と悩んでいるが・・もしかすると、別の仕事が入るかもしれん・・・まあ・・・・届けばな・・・」
「それと、お頭、なぜです?。北東都市の都市王の指示みたいにしろ。そう言ったのです?」
「西都市の手助けでは時間が掛り過ぎるし値段に合わないからだ。襲う方が時間的に早く、金払いが高いからな。まあ、つまらない話は止めよう。北の方でも行って様子を見よう。北都市までは戦端は広がらないはずだ」
この場の者たちは、陣に戻らずに林の中に消えた。

第九話(新の赤い感覚器官の修正の発端)

時は遡り、北東都市から宣戦布告されて、登と新が東都市に援軍を要請に行く。もう少し詳しく言うと、登が、小津の計画に必要な書簡を敵陣に渡し、逃げる振りをして援軍を求めに向かった時だった。この時に、時の複数の流は重なった。もしも新と出会うことがなければ、いや、旅の同行を許さなければ、登が一人で援軍の要請に向かう時に、矢の嵐から避けられずに身体に刺さり死ぬ気で逃げ続けるが、谷がある所で追いつかれる。普段の登なら余裕で剣戟をかわすのだが、矢の傷のためにかわすことが出来ずに谷から落ちるのだ。それで、援軍が間に合わずに西都市は占領されてしまう。だが、この時の流は存在しない。別の時の流とは・・。
「二人を逃がすな!」
 北東都市の者達は、矢の嵐を降らせることで気持ちを表した。それと、この場面を見て、もう一つ答える声が聞こえた。だが、それは、新にだけに聞こえる言葉が脳内に響いたのだ。
(左手を水平に、敵の陣営を射抜くように指差すのだ)
「はい」
(風車の回転を思い描きながら腕を回すのだ)
「はい」
 新の言葉と同時に、北東都市の陣営から飛んでくる矢を全て叩き落とした。この叩き落とした物は、左手の小指の赤い感覚器官だった。だが、誰一人として見えた者は居なかった。もしかすると、新の身体の感覚器官なのに、本人も高速のために見えていなかったかもしれない。
「なに?」
 全ての矢が叩き落とした音で、やっと、登が矢のことに気付いた。
「矢だったのか、それにしても何が起きたのだ?」
 だが、呑気に思案ができる状態ではなかった。一秒でも惜しいだけでなく、一メートルでも遠くに逃げなければならなかったのだ。それでも・・・・。
「新。大丈夫か、まさか、矢が当たったか?」
「大丈夫です。饅頭が数個だけですが、こぼれ落ちただけです」
「うぁあははは!」
「どうしました?」
「何でもない」
(この青年を連れて来て正解だったかもしれない。一人だと使命や焦りなどで、思考も身体も疲れも限界まで無理して途中で倒れたかもしれない。だが、今は力が湧き出るように思うのは心底から笑える精神の安定からだな)
 馬の背に乗る二人は気持ちが落ち着いた頃で、馬が、主人が指示をしても速度が落ちる頃だ。
「この辺りまでくれば大丈夫だろう。そろそろ馬も限界だ。少し休もう」
「はい」
 登は辺りを見回しながら呟いた。
「休める場所はないだろうか?」
 辺りに気配が感じない。それなら、休めると安堵した。だが、二人と馬は気が付いていないが、数人の囁く声があった。
「お頭の言う通りであった。やはり、東都市に援軍の要請だったか」
「今、行動を致しますか?」
「いや、もう少し待て、暫く様子を見よう」
「承知しました」
 この後、囁きが消えた。だが、会話が続いているのか分からない。それは、登の声が大きかったことで聞こえなくなったかもしれない。
「馬から降りて歩くぞ」
「えっ」
「馬を休ませなくてはならないからだ」
「そうだね。かなり疲れているみたいだね。歩くから止まって!」
 登は、新を降ろすためと、自分も降りるために馬を止めた。
「よしよし、疲れただろう。もう走らないからな」
 そう言葉を掛けながら馬の身体をさすった。
「落ち着いたか、なら、もう少し歩こう」
 馬の息が整ったのが分かると、手綱を持ちながら歩き出した。
「ねぇ」
「何だ?」
「東都市って何時間くらいで着くのですか?」
「何時間では無理だ。替えの馬を何頭も連れて馬の命など気にしないで走りつめれば一日で着くな。まあ、普通は馬で二日と考えて旅の予定を考えるだろう」
「二日ですか」
「何か不味いか?」
「寝る所と食事は、どうするのですか?」
「今日は野宿だな。明日は宿屋に泊る予定だぞ」
「野宿?、宿屋?」
「本当に知らないのか?」
「はい。何か変ですか?」
「まあ、いいか」
 普通は子供でも分かる事なのだが、新が本当に不思議そうに答えるので、それ以上は聞かずに、これからの旅に必要な事を教えなければならない。そう思ったのだ。
「野宿と言うのは雨露などを防ぐ人工物のない。その辺りにある地面の上で寝るのだ。その反対に、宿屋と言うのはお金を出して寝泊り専用の建物だ」
「ほうほう」
 心底から関心を表して頷いていた。
「一つ聞くが、野宿も宿屋も知らなくて、どの様にして旅をする気持ちだったのだ?」
「むむ・・・」
 言われた事に驚き、そして、何て答えていいのかと悩んでいた。その姿を見て、登は、複雑な事情があるとしても、両替する程の金があるのなら商家の倅か、貴族の若様に違いない。何かの遺言の試練かと思ったのだ。それ以上は、その事に触れずに、自分の趣味、とくに、紅茶の話題を話したのだ。それも、暫く進んだ先に川があり。そこで休むと、その時の休憩の時に紅茶を御馳走すると言った。すると、本当に嬉しそうに楽しみです。そう言うのだが、驚くことに、川の流れる音が聞こえると、一人で駆け出したのだ。
「うん。先に行っているよ」
 登は、手を振る事で承諾した。
「うぁあ!」
 新の悲鳴が聞こえた。
「大丈夫か~ぁ」
 悲鳴が聞こえる方向に駆け出した。すると、ずぶ濡れの姿で現れたのだ。何が遭ったか聞くと、水を飲もうとして、川に落ちたと言うのだった。
「本当に心配したぞ」
 そう呟きながら火を熾し始めた。その脇に湯を沸かす容器も置かれていた。
「ごめんなさい」
「分かった。服を乾かしてやるから早く、こっちに来い!」
「はい」
「寒いだろう。これを着ていろ」
 濡れた服を脱ぎだした。そして、全ての服を脱ぎ終わると、登は立ち上がり、自分の上着を新の肩に掛けた。
「ありがとう」
「焚火にあたれ」
「はい」
「背負い鞄は大丈夫だったのか?」
「落とすような感じがして降ろしていたから大丈夫です」
「そうか、それも勘みたいな感覚か?」
「違うよ。子供の時に川で遊んでいると、いろいろな物を落としたことがあったから!」
「そうか、あっ、それなら、饅頭は大丈夫なのだろう。そろそろ、食べようか」
 お湯が沸くと思い出したように声が出ていた。
「大丈夫だよ。持って来るね」
「ああ、頼む。紅茶を作っておくよ」
「持ってきたよ」
「ありがとう。下に置いてくれ」
 新は、紙の袋を地面に置くと、登から紅茶が入ったカップを手渡された。
「あっ、熱い!」
 容器が金属だったので熱さを感じたようだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ」
 そして、息を吹きかけて冷ましながら一口飲んだ。
「砂糖は一個入れたが、足りないのならあるぞ」
「苦いや。砂糖二個もらっていいかな?」
「好きなだけ入れても構わんぞ」
「俺は、何の饅頭を食べるかな」
 それから、饅頭を全て食べ終えて、容器の中の紅茶も飲み終える頃には服も乾いていた。
「それでは、そろそろ行こうか」
 新と登は東に向かった。行き先は、港町の東都市だ。それを追うように数人の男達が、姿を隠しながら後を追っているのには気づかないでいた。追われる男は歴戦の剣士であり武官なのに気がつかないのは、青年に気持ちが向いているからなのか、追う方が特別な忍術でも会得しているのだろう。そうとしか思えなかった。
「疲れたか?」
「大丈夫だよ」
 新の様子は息が荒れて大丈夫とは思えなかった。
「そうか」
(まだ、三分の一か、このままでは二日では着けない三日は掛りそうだ)
「どの位まで来たのです?」
「そうだな。三分の一くらいかな」
「そんなに来たのだね。良かった」
「そうだ。馬の鞍にある鞄は大事な物なのだ。落ちないように支えてくれないか」
「いいよ」
 そう言うと歩きながら鞄の下を押さえた。
「もし出来れば馬に乗りながらの方が良いのだが、駄目だろうか?」
「いいけど、馬が可哀そうかもしれない」
「馬も落ちないように歩くのは疲れると思う。もしもだが乗って荷物を支えてくれた方が馬も歩くのに楽かもしれない」
「そうか、それなら、いいよ」
「大丈夫か?」
「落とさないから安心しいいよ」
「ありがとう。助かるよ」
(これで少しは距離が縮みそうだ)
「ねね」
「何だ?」
「東都市って、どんな所なのかな?」
「そうだな。港町だから漁業と船での交易が主かな」
「住人は多いのかな?」
「西都市の何倍以上の人々が住んでいるぞ」
「大きな都市なのですね」
「そうだぞ。迷子になったら二度と会えないかもしれないぞ」
「うそ!」
「それだから、俺から離れるなよ」
「うん。絶対に離れないよ」
 馬に乗って歩かなかったからだろう。その代りに口が滑るように話すのが多くなったが、登としては退屈を紛らわすにも、笑う事で疲れが取れると感じていたのだ。そのお蔭だろう。太陽が傾くのが分かるほどまでとは大袈裟だが、予定よりも早く距離が進んだのは確かだった。
「予定の森の入口まで来られたぞ。後は、この深い森を抜ければ東都市の領地だ」
「暗くて何かが出そう」
「確かに、狼など出るぞ」
「えっ!」
「それで、普通なら森に入る前に野宿をするのだが、もしかすると、追っ手が居るかもしれない。それで、何も隠れる場所がない所での野宿は危険なのだ」
「森の中で野宿するのですね」
「そうだ。だが、安心してくれ。焚き火の火を絶やさなければ動物は近寄ってこないが、もしもだが、狼などに襲われたとしても命を懸けて守ってやるからな!」
「うん」
 新は、怯えるように頷くが、登は恐怖など微塵も感じない。そんな表情を見ると安心した。
「それでだ。もしもだが、一人で旅をすることになったとしたら夜の森は絶対に歩くな。それだけ危険なのだ。それだけは、絶対に忘れるなよ。良いな!」
 登の真剣な表情を見て、新は、絶対に守りますと、言いながら頷くのだった。

第十話(新の赤い感覚器官の修正と時の流れの自動修正の開始)

森の中に入るまでは、新の口は滑らかだったが、森の中に入ると別人のように変わり、逆に登の方が滑らかになり話しが止まらなかった。そして、そろそろ、夕日が傾く頃に・・・。
「この辺りで野宿をしよう」
 すると、新は、安堵したのだろう。直ぐ、適当な木の根元に向かい座ってしまった。登は、仕方がないと感じて、一人で周囲から薪になる木々を集めて火を熾すのだ。
「紅茶は飲むだろう」
 湯が沸くと、新に話を掛けたが、返事がなく、寝ていることに気付くのだ。
「寝たのか・・・確かに、今日は、いろいろあったからな。そろそろ、俺も寝るとするか」
 登は、自分の外套を地面に敷き、新を起こさないように動かして外套の上に寝かせた。その隣で木に寄り掛かり座って寝るのだった。もし、新が起きていれば、自分のために座って寝るのですか?。そう言うだろう。だが、旅の時の癖だと、俺が教えられた軍隊教育では、どんな時でも敵が現れて対処できるように座って寝ることを教えられた。と、それは、何年前の頃なのだろう。軍隊の教育は忘れているようだ。確かに、近くで歩く音がするはずなのだが、気付いていないようだった。その音は人なのか、獣なのだろうか、もしかすると、獣と感じての無視している。とも思える。だが・・・・。
「直ぐに、襲いますか?」
「待て。まだ寝て直ぐだ。もう少し様子を見よう」
 そして、三十分、一時間、二時間と過ぎた。隊長らしき者は、二人の男を愛しているかのように見続けているが部下たちは痺れを切らしていた。
「そろそろ良いだろう。行動するぞ」
「はい」
「俺に続け。だが、音を立てるなよ」
 六人の男達は、登が寝ている場所に向かったが、走り方は音を立てずに走る。まるで、何か
の忍術を取得した。それも神業と思う程だったのだ。これでは、登が感じるはずもない。それなのに、後、数メートルの距離で立ち止まった。もしかすると、感付かれたかを確認しようとしているのか、いや、成功が間違いないと感じての勝利の感覚を先に味わっているとしか思えない。そう笑みから判断ができるのだ。残忍で人が血を流すのを見るのが好きだ。そして、想像だけでは我慢が出来なくなったのか、それとも、部下に指示を伝える為なのか、ゆっくりと一歩を踏み出した。その時!。
「俺は、男に寝ている姿を見られるのは好きではない。それだけでなく、男の寝姿を見て笑みを浮かべる姿も見たくはない」
 怒りからなのか、ゆっくりと思いを伝えたが、右手には剣を掴み、左手で、新の身体を揺すっていたのだから怒りではなく、新を起こす時間が欲しかったはずだ。
「気づいていたか?」
 隊長らしき男は、先程の殺気から怒りに変わり、人としての最高の怒りが爆発寸前と感じた時だった。登は、直ぐに起き上がると同時に、新に言葉を掛けた。
「起きろ!。そして、死ぬ気で走って逃げろ!」
「はい」
 殺気と耳の鼓膜が壊れると思う叫びだったので目覚めたが、まだ、寝起きのために意識がはっきりとしていない。登の言葉が耳に残っているので行動しているが、何が起きたのかも分からないし、周りの様子も真っ暗なので手探り状態で森の中を逃げた。
「気をつけろ!」
 敵が六人では、全てを自分に引き付けることなど出来るはずもなく、数人の男が、新が逃げた方向に向かったのを見た。
「何が?」
 何に気をつけるのか分からない。だが、前へ前へと進み続けるしかなかった。
「うぁああああああ!!!」
「どうした?。大丈夫か?」
 新の悲鳴を聞いて、登は正気を失くした。
「お前ら何をした!」
「分からない。だが、何か遭ったようだな。ふっふふ」
「貴様。死を覚悟しろ。殺してやる!」
「ほうほう、我の可愛い部下が帰って来たぞ。何が起きたか聞いてやろうか?」
「貴様。貴様!」
 登の我慢の限界だったが、生死を確認したく気持ちを抑えた。
「殺したのか?」
「ぐっ・・・」
 剣の柄を握り締めて我慢した。
「いいえ。崖から落ちたようです。恐らく、助からないでしょう」
 登は、一瞬だけ思案した。自分の片腕や片足を失くしても、新を助け、東都市に書簡を届けるには、どうするかを悩んで、そして、一つの思案を決断した。
「おのれ、御主人様を、御主人様を・・・ぐっ・・・」
 上手く行くか分からないが、新を自分の主人である。都市王だと思わせることを試みた。
「やはり、西都市の領主は逃げ出していたか、そうだと思っていたのだ。自分が馬に乗らずに少年を乗せていたのだから可能性だったがな。それで、一つ提案したいが、聞くか?」
「なんだ。自分の命乞いか、それは、無理だぞ!」
「俺も、お前を殺したいが、今の状態では何人の部下が殺される分からない。それで、今直ぐに剣を鞘に納めれば命は助けてやる。元々、東都市からの援軍を来ないようにするのが任務だ。それは達せられたからな」
「・・・・・・・」
「思案しているのか、だが、時間が無いのだぞ。直ぐに返事を聞かせて欲しい。それと、もしもだが、今なら、まだ、遺言くらいは聞けるかもしれないぞ。ふっふふ」
「分かった。剣を収めよう」
「では、行くぞ」
 現れた時とは違い。故意に足音を立てて、不快を感じる笑い声まで聞こえてきた。
「ふっ、上手く行った」
 登は、直ぐに新が落ちたと思える崖に行ったが、夜の闇が広がっているために下まで見えるはずもなかった。だが、当然のように降りる場所を探す時間などあるはずもなく、落ちたと思える同じ場所から下りて行った。暗い為に落ちそうになったが、一秒でも早く探し出されば命を助ける事が出来ると、死ぬ覚悟で降りて行ったのだ。
「新。大丈夫か?」
と、叫びながら辺りを見回して、又、祈る様に何度も叫んだ。
「頼む。返事をしてくれ!」
 登は叫び続けた。だが、返事は返って来ない。それでも、諦める事ができるはずもなく、夜が明けても探し続けていたのだ。だが、見付からない。そして、辺りが明るくなってきたから分かった事なのだが、落ちた辺りには血痕がなかった。恐らく、運良く川の中に落ちて流されたと思うしかなかった。それは、自分勝手な願いだったかもしれないが、これ以上は、この場に留まる事ができないからだ。それでも、街道に戻り東都市に行くことはできない。歩き難いが川岸を歩いて東都市に向かった。当然の気持ちだが、途中では野宿だけでなく睡眠時間を削りながら新を探すが会う事はなく、悔しいが、予定通りに昼前に東都市に着くのだった。
「東都市に着いてしまったか・・・・」
 登は、落ち込みと同時に、都市に着いたことの安堵感があった。その気持ちが、とぢらが多いかなど考ええるゆとりもなく、急いで東都市の都市王が居る建物に向かった。
「西都市の都市王から緊急の書簡を持参した。至急に面談がしたいと伝えて欲しい!」
 都市王が居る建物の警護人に簡潔に伝えた。すると、直ぐに建物の中に通された。それだけではなく、直ぐに東都市の都市王が会ってくれる。そう使いが来て、その後を付いて行った。
「中でお待ちです。お入り下さい」
「すまない」 
 礼を言った後、ゆっくりと扉を開けた。すると、三十前後の男が玉座に座っているのを見えた。そして・・・・。
「至急の面談の願いを叶えて頂きまして、本当にありがとう御座います」
「構わない。礼儀よりも書簡を早く読もう。そうして欲しいのだろう?」
「はい。書簡の内容を叶えて下さい!」
 一人の警護人なのか、執事なのか分からないが書簡を取りに来た。そして、書簡を手渡すと当時に、登は、先程の願いを大声で言ったのだ。それは、取りに来た者にではなく、玉座に向かっての願いだった。そして、書簡が玉座に座る者に渡ると、深々と頭を下げながら読み終わるのを待った。
「分かった。書簡の願いを叶えよう」
「ありがとう御座います」
「構わない。それよりも、涙を拭きなさい」
「えっ・・・・・涙?」
 登は涙を流しているのを今やっと気が付いた。
「辛い事があったのだな。だが、その涙を流しているから直ぐに会ったのだぞ」
「涙が・・・・・」
「そうだ。書簡を持って来た者が、涙を流しながら面会を求めていると知らせが来たのだ」
「涙が止まらない」
「今日は身体を休めた方がいい。明日にでも援軍の準備をしよう。それで良いのだろう」
「涙が・・・・」
「部屋まで付き添ってあげなさい」
「承知しました」
近衛隊の五人に命令を下した。その中の近衛隊の隊長の瑞(ずい)が返事を返した後、扉の所に控えている部下に視線を向けた。すると、簡易礼をした後に、登を連れて退室した。
「この部屋で御寛ぎしてください。私は、外で控えております」
 部屋に案内されて、一人になると少し気持ちが落ち着いたのだろう、
(何故だろう。どうしてだろう。これ程まで涙が流れるのだ)
 登は知らないのだ。確かに悲しい気持ちになっている。だが、涙が流れるのに理由があった。新が東に向かう理由であり。時の流の自動修正であり。左手の小指の赤い感覚器官の修正でもあった。新も登も気が付かないままの自動修正だった。その修正とは、新と会ったことから始まり。新が崖に落ちることも、今の登の精神状態や体の機能を変化させて涙を流す理由でもあった。それでなければ、援軍が西都市に向かうまで数か月は掛る。それが、涙を流しての面談ならば、次の日に援軍の準備を始めてくれる事になり。これで、西都市には予定通りに援軍が間に合う。西都市の危機は回避されるだろ。それだけではない。全ての都市に知らせるだけでなく、開戦の準備も整うのだ。そして、涙を流した原因である。その新と再会は、時の流の枝分かれの途中だった。まだ、時の流は決まっていない。
「それよりも、西都市は大丈夫だろうか、明日から準備だとして、早くて五日後に都市だな・・・。そうなると、一週間が過ぎる。小津殿は都市を守れるか・・・・むむっ・・・少数の馬隊だけでも、先に出発するしかないだろう。だが、出してくれるだろうか・・・・ん?」
 数人の走る足音が聞こえてきたが、扉の前で止まった。その様に感じられた。

第十一話(東都市の援軍が西都市へ)

東都市の客室が並ぶ廊下には、まるで、大名行列のような感じで人の列が出来ていた。先頭では、目的の客室の前で護衛人との問答があった。その客室と言うのは、登の室であり。不審そうに扉越しから聞いていた。すると・・・。
「落ち着きましたかな?」
「大丈夫です。ですが、何か不具合でも・・・・」
 扉越しから声を掛けられて、登は返事と当時に扉を開けると、驚きの余りに口を開けたままで何も言えなかった。多くの女性が飲み物などを載せたワゴンが目に入ったのだ。それだけではなく、大きな壺を抱えた者が多かった。恐らく、湯が入っているのだろう。目線と表情で必要がないと訴えていたが、警護人らしき男に重大な話があり。女性たちには何も言わなかった。
「お願いしたいことがあるのです」
「もしかして、馬と数人の兵士を借りたいと、都市王に願いに行くのですか?」
「そうです」
「それでしたら食事を食べて、身支度と身体の汚れや疲れを取ってからにして下さい」
「そんな時間はないのです」
「安心して下さい。自分は、竜二郎と言います。今回の部隊の長に命じられました。登殿の都市の危機と同時に、都市間の検問所が心配であり。本隊よりも先に千の騎馬隊を連れて向かいます。勿論のことですが、登殿も行くだろうと迎いに来たのです」
「それは、ありがたい。直ぐに行きましょう」
「直ぐに来られても困ります。いろいろと準備もありますので、登殿は、食事と湯殿に入って下さい。必要がないとは言わないで頂きたい。都市から出たら休むことも出来ませんし、途中で空腹を感じたと言われても用意することも時間もないのです。もし拒否するのでしたら連れて行くことは出来ません」
「分かりました」
 登が承諾する頃には、湯殿の用意も食事も食卓に並べ終わり。次々と女性たちが部屋から出て行くのだ。
「それでは、出発の用意が出来次第に、お迎えに参ります」
「お願いします」
 扉を閉めた後に、苦情の内心の気持ちを呟きながら衣服を脱ぎだした。確かに、精神的にも肉体的にも湯殿で疲れを取りたい気持ちはあったのだ。だが、一秒でも早く帰る。そのことだけが脳内が占めていた。それでも、湯殿に入ると、全てを忘れる程の気持ちの良さに安らぎの言葉が出ていた。そして、西都市の城門が閉じられた原因から新との別れまでを走馬灯のように思い出された。
「このままなら援軍は間に合う。それは、新が共でなければ出来ないことだった。だが、あれ程まで涙が出たのは何故だろう・・・・もしかすると、主様の代理にした罪からか、だが、死なないでくれ、それだけを祈るしかない。今度、また、会えた時は恨まれるかもしれない。あれ程まで大声で、新の名前でなく、主様と言ったのだからな必ず新の耳に聞こえたはずだ」
 亡くなった者への謝罪と言うよりも、口調では、まるで、友や上司と酒を飲んで愚痴を言った後の次の日に会う時の動揺と思えた。また、目の痛みを感じて涙があふれ出る。そう感じた時だった。空腹を知らせる悲鳴が響いた。
「子供の時以来だな。まるで、新が饅頭を食べたいと言っているようだ。うん。そうだな。自分は元気だと伝えているのかもしれない。だから、心配するのは止めだ。必ず生きている。人に助けられたか、川の流れに流されたはずだ。後で必ず会えるはずだ」
 腹の虫が鳴る程の空腹だったのか、いや、新の赤い感覚器官の導きで重要な人物だったことで、新の無事を確認か、不安を解消しなければ、この先の未来が変わるからだ。そんな状態の登は、何かを感じたのか笑みを浮かべた。その表情からは、微かな不安も抱かずに全力で行動すると誓ったようだった。それを証明するかように普段は野菜を食べないはずなのに、食卓の上にある全ての食べ物を身体の中に入れた。
「ふぅ~」
 食べ終えて、簡易風呂から出ると、一本の煙草を吸っている時・・・・。
「お迎えに来ました」
 煙草の火を消すと、無言で扉に駈け寄った。
「待っていた。直ぐに行こう」
「行きましょう」
 登は、どこに向かうのかと無言で付いて行った。兵舎か馬小屋にでも向かって部下を紹介するのか、自分に馬を選ばせてくれるのか、と思ったが違って城の外に向かったのだ。
「おお!」
 登が驚くのは当然だった。千の騎馬隊もだが、先に部下を行かせて、自分と隊長は馬車で向かうと思っていたからだ。だが、一番に向かうのは検問所で西都市ではないはずだ。それなのに、千の騎馬隊が、自分を待つと言うことは真っ先に西都市に向かうのか・・・・。
「敵の数は分かりませんが、この場に千の騎馬隊と検問所の五百の騎馬隊を併せて千五百の騎馬隊なら本隊が来るまでなら持つでしょう」
「やはり、先に検問所に・・・・」
「いや、真っ先に西都市に向かいます。その途中で部下に検問所に伝えに行かせますので、殆ど同時に合流できるでしょう。それでは、時間が貴重ですし直ぐに出発しましょう」
「そうですね。お願いします」
(これから行くとして、開戦予告から四日目の昼か、まあ、考えても仕方がない。小津殿を信じるしかないか)
 そして、登の頷きを確認後に、千の騎馬は隊長を先頭に駆け出した。
登は馬の背から落とされるのではないか、そう思うほどの暴れ馬と感じた。自分の手綱の指示の通りなのか、それとも、先頭を走る隊長の馬を追っているだけとも感じた。自分も馬の操舵には自信があったが、名馬でなく普通の馬での技量だったのだろうか、いや、名馬だからでなく、この騎馬隊の技量は達人だとしか思えない。流石と言う程の東都市が誇る騎馬隊なのだが、余りにも早く辺りを見るゆとりもなく、どの場所なのかも分からない。ただ、馬の背から振り落とされないようにと走り続けていると、ほら貝の音が響いた。恐らく、検問所に知らせに行った者達が、検問所の部隊を連れて、先に西都市に着いたと感じられたのだ。
「ブォオ!」
 また、同じ音が響いた。その音が段々とハッキリ聞こえてくる。そして、馬がやっと止まり休憩かと思って辺りを見ると、何年も見慣れた城門を見た。その驚きよりも、太陽を見た驚きに比べたら天と地の開きがあったのだ。それは、早くても到着は昼と考えていたが、太陽の昇り方で判断すると、数時間も早く着いたと感じたのだ。この時間の驚きを現代で例えるのならば、東京から青森行きの新幹線に乗った時に、もう仙台に着いたのかと感じたのが、到着してみると、二時間で青森に着いたのか!。その同じ驚きだった。
「やはり、驚きましたか」
「良い部下をお持ちですね」
「部下もだが、我が都市の馬よりも早く走れる馬はいないはずだ」
 などの会話をしている間に、東都市の先行の騎馬隊が、西都市の城門が見えるところに到着した。すると、ほら貝の音だけでなく、銅鑼を叩く音が響くのだ。その音が聞こえると、殆どの人々が青白い表情を浮かべながら恐怖を感じていた。だが、一人だけが戦が楽しいのか、笑みを浮かべていたのだ。
「おっと、この様なことをしてはいられない。全部隊を並列並びで待機だ!」
 その一人とは、登の隣に居る。部隊の隊長だった。まるで、好敵手に会えたような感じで喜んでいるようだった。なぜ、これ程まで恐怖を感じる者や喜ぶ者がいるかと言うのは、味方なら安心を敵なら恐怖を感じる。ほら貝と銅鑼の音の響きだ。その響きを人の言葉で表すのなら「槍重装備(やりじゅうそうび)隊。陣を囲え」と指示をしていたのだ。そして、音が止むと同時に、二つの陣営の陣の整えが終わった。
「ほう、流石だ。歩兵では最強と言われた。槍重装備隊だな。だが、勝たなければならない!」
 重そうな鎧に折れそうもない長い槍を構えたまま微かな動きもなかった。その姿や陣を見ただけで敵は怯えるのだ。これ程の部隊があるから西都市に攻めに来たのだ。だが、騎馬隊の隊長の笑みも理由があった。こちらの騎馬隊も騎馬では最強と言われていたのだ。
「この機会を楽しみにしていたぞ。どちらの部隊が最強なのか決着がつけられるからな!」
 その言葉が聞こえたのだろうか、いや、ありえないが、殆ど同時に、また、銅鑼の音が響いた。その意味は「槍重装備は、殿として敵の攻撃を防げ」だった。
「ほうほう、逃げるのか、だが、今までは味方だったことで戦う機会はなかったが、この機会で、最高を決められそうだな!」
 その言葉を聞いて、登は・・・・。
「逃がせて欲しい。まだ、被害らしい被害はないようです。ですから、お願いします」
「だが・・・」
「同じ国王を敬い。同じ都市国家ですよ。本当に内乱に発展させる考えですか?」
「うっ、むう・・・・国王には連絡は行っているぞ。それでもか?」
「そうです。国王の勅命が下りれば別ですが・・・・」
「だが、我らが引き上げた場合、また、攻めに来るかもしれないぞ。その時は、どうするのだ。同じ様に助けを求めに来る考えなのか?」
「・・・・・・・・・・・」
「まあ、今は、俺だけの気持ちで決められるが本隊が到着した場合は無理だぞ。主様から部隊の最高指揮権を託されているが、俺と同格の者たちが従うとは思えない。それでもなのか!」
「・・・・・」
「それ程まで無茶苦茶なことを言っているのだぞ。登殿に言うことではないが、恐らくだが、今回の戦費の費用の全額は西都市が支払うはずだ。それでも、逃がせと言うのだな!」
 良かれと思ったことを否定されて、かなりの大声で叫んでいたからだろう。城壁の上まで声が届き、小津が言葉を掛けてきた。それでも、登の言葉が聞こえていたかは疑問だった。
「その事は何も問題はないはずだろう。北東都市は再度の戦費はないはず。そして、恐らくだが、元々の考えは絹の情報を第一に考え、運が良ければ都市を占領する考えのはず。もし占領をしたとしても、一つの都市の援軍ぐらいでは都市を取り戻すなど出来るはがない。そう考えて一か八かの勝負に出たのだろう。それを証明するかのような逃げ方だと、自分には判断ができる。だが、こちらからも頼んだ援軍なのだから強制的な命令はできない。それでも、敵を追い詰めて死ぬ覚悟で戦いになった場合は、かなり被害が出る場合がある。その時の保障はできないが、当方が、考えが分かっての戦いなら好きにされて構わない。その結果で、今の状況では被害はないが、もし敵を追い詰めたことで、当方に被害が出た場合は責任をとって頂くぞ!」
「・・・・・・・・・・」
「まあ、先程のことは建前です。貴方は西都市を助けるために駆け続けたことでしょう。少々身体も馬も疲れているはず。都市の中で休まれてから追いかけるか、追いかけないか決めても遅くはないでしょう」
「まあ、そうだな。少し休ませて頂こう」
 小津の話を聞いたことと、周りの部下の様子に馬の様子を見た結果で、直ぐに敵を追うのは自殺すると同じだと感じたのだろう。その言葉を聞いて、小津は満面の笑みを浮かべた後に・・・。
「開門」
 小津は、嬉しそうな表情を浮かべるのと同時に、安堵した声色で部下に命じたのだった。
「さあ、都市の中に入って寛いで下さい」
「すまないが、部下と馬にも疲れを取れる場所を提供して欲しい」
「当然です。安心して下さい」
 城門が開かれる間に、小津は下に降りて出迎えた。そして、先程の説得の侘びと同時に、援軍に来てくれたことの感謝の気持ちを表しながら握手を求めた。
「同じ国王を敬う。国の中の都市と都市なのですから当然です」
「都市王の代りに、心底からのお礼を申し上げます」
 そして、小津は手を離すと、隣では、登と補佐役が抱きしめながら無事を喜んでいた。
「登殿。新殿は、本隊と一緒にに来られるのですかな?」
「新・・・殿。それは、誰です?」
「・・・・・・」
 東都市の隊長は、新に会ったことがないのだ。驚くのは当然だった。だが、登は何て答えて良いのかと悩んでいたが、新のことを隠せるはずがなかった。そして、全てを話し出そうと心を決めた時だった。
「このような外ではなく建物の中にでも入りましょう。いろいろな話は、美味しい茶でも飲みながらゆっくりと・・・」
 登の表情で、簡単に話が終わらないことが起きたと感じて、まず、誰にも聞こえない建物の中に手招きながら補佐役には、この場の後のことを頼むと伝えた。そして、補佐役が直ぐに行動してくれたことを確認すると、三人は建物の中に入って行った。

第十二話(新の行方)

小津は、二人を隊長室の中に入るように勧めて、自分は最後に入って扉を閉めた。
「直ぐにお茶を入れますので寛いで下さい」
「お疲れでしょうが、自分の話を聞いて頂けると助かります」
「登殿が、そう言うのなら・・・」
 登に言われて椅子に腰掛けた。だが、直ぐに話が始まらない。もしかすると、小津のお茶を待っていると思って待つのだ。そして、一口、二口と飲んでいる姿を見るが、なぜか話しださなかった。ならば、雰囲気を変えようとしたのだろう。そうすれば、話しだす切っ掛けになると思ったに違いない。
「小津殿でしたな。これからの戦の参考として、開戦を遅らせた作戦を教えて頂きたい」
「構いませんが・・・」
 小津は、登に視線を向けた。だが、俯いたまま頭を上げようとしなかった。
「まあ、相手が何を欲しいか分かっていたことで出来たことです。それだと、戦の参考になるか分かりません。それでも、宜しいのでしょうか?」
「勿論です。ぜひ、話が聞きたい」
「そこまで言われるのならば、喜んで話をしましょう」
 本当は話をしたくて堪らなかったのだろう。それを証明するかのように席から立ち上がり身振り手振りで、登が都市王から書簡を持参したところから始まった。そして、登が都市から出て赤い矢の第一矢を放ったのだと、自分が放ったかのような様子話すのだった。
「ほうほう、そのような赤い矢の使い方もあるのか、確かに、赤い矢を放たられたら休戦するのが慣わしだったからな、機会があれば試してみるか」
 小津の話を聞いて驚きを表すが、小津には聞こえなかったのだろうか、口の開閉は止まらずに話を続けた。そして、第二矢、第十矢、第百矢と続き、開戦を決行すると予定とされた今日の朝には、第二百矢を数えるくらいにまでになっていたと話をしたのだ。
「ほうほう、それで、饅頭の後に届いた矢には何て書かれてあったのです?」
 登も興味を感じて、二人して関心の視線を向けた。
「それが、直ぐに情報を渡さない場合は開戦すると書かれてあったのです!」
「そして、何て返事をしたのだ!」
「確かに、返事は迷いました。ですが、知られても困らない情報なら。編み機を教えることにしましたが、細かく八百枚くらいの書簡にパズルのように作成したのです。それも、一枚の書簡に編み機の幅と高さだけを推理遊びのように作製した書簡や背板だけの書簡には釘を使わないのが理想と伝え、木製の釘の大きさに道穴の深さに穴の大きさなどの書簡を用意したのです。この書簡で怒りを爆発され、直ぐにでも開戦だと書簡を寄こした場合は、私が直接に陣に出向き、可能の限り時間を掛けて編み機を作成に行く考えだったのですが、逆に細かい内容で感謝すると書簡が来た時は笑いが止まりませんでした。
「それは、そうだろう」
「小津殿。まるで、無邪気な子供が悪戯しているようですぞ」
「不謹慎でした。戦であり。命のやり取りが掛っていることを忘れておりました。本当に済みませんでした」
「いや、我も、真剣になる程に楽しさが込み上げてきます。だから、何も気にする必要はない。それにしても、この様な時間の引き伸ばしが可能なのか、うむうむ」
 一人は関心を表し、もう一人は笑いを堪えていた。そして、小津は・・・。
「それでも、千回以上の赤い矢のやり取りでした。そして、編み機だけは教える結果になりましたが、もし援軍が、後三十分も遅れていたら原料まで教える結果になっていたかもしれません。本当に、馬の蹄の音が聞こえた時は心底から安心しましたぞ!」
「そうでしたか、ぎりぎりでしたか・・・本当に間に合って良かった」
「それで、登殿。新殿は本体に居るのですかな?」
「それは・・・・途中で刺客に襲われて・・・新は・・・崖から・・・」
「崖から落ちたのですね。だが…不思議な事に・・・新殿は居なかったのですね?」
「そうだ。探したのだが・・・川に落ちて流されたとしか思えない・・・」
「自分が考えるなら・・・」
「生きているはずなのだ。血痕も無かったのだぞ!」
 登は、死んだ。その言葉を考えるのも嫌だっただけでなく、その言葉も聞きたくなかったのだ。それで、小津の言葉を遮ったのだ。
「確かに生きているはずです。自分の足で歩いて移動したのでしょう」
「崖の下にも刺客がいて連れ去られたか?」
「それは違うでしょう。ですが、怪我もしなかったのに、なぜ、登殿に会わずに消えたのか、もしかすると、他にも人が居て助けられたかもしれませんぞ」
 小津は可能性を述べた。
「それなら良いのだが・・・」
 登は、その可能性を信じたかった。だが、それなら、何故、新は無事だと知らせてくれないのか、何故、自分たちの前に現れないのか、そう考えたが答えは出るはずもなった。小津が述べたことが正しいのか、それは・・・・。
 あの夜に戻る。もっと、正確に言うのなら崖から落ちる寸前まで戻る。
「何に気をつければ良いのだろう。狼?」
 新は逃げながらだが、登の声は聞こえていた。
「誰か来る。でも、一人ではない。今来る人たちから逃げないと駄目、でも、どこに?」
 闇雲に走り出した。それが原因だった。運が悪く崖の方向に駆け出したからだ。同然のことで、暗闇の中を走っているのだから崖から落ちるのは当然だろう。
「うぉああああ!」
 新は落ちると同時に、風圧と恐怖で空中の間で気絶した。そのお蔭で、登が思ったように川の中央に落ちるだけでなく流されたのだ。それは、どこまでも流され続けて、登が歩いている反対の岸に流れ着いたのだが、月も雲に隠れた為に闇になり、登の視線には入らなかった。それだけなら東に向かうはず。そして、東都市で再会できるはずなのだが、運が悪く流されていた時に石が頭に当たり記憶をなくしたのだ。それでも、岸に付いてから一時間くらいで意識は戻ったのだが、なぜか、川下ではなく川上と歩いて行った。なぜか、南の方向に進むのだ。初めは夢遊病のようにふらふらと岸辺を歩いていたのだが、突然に目的があるかのように山を登っただけでなく、森の奥へ奥へと進み続けたのだ。もしかすると、怪我のために身体の機能が悲鳴を上げて、無意識に一番近い村に向かった。そうとしか思えない行動だった。
「・・・・」
 一人の女性が昼を過ぎた頃に山菜採りをしている時だった。夢中で地面を見ていたので、何時、どこから現れたかしらないが、顔を上げた時に、ふらふらと、新が頭から血を流しながら村に入ろうとして歩いて来るのを見て悲鳴を飲み込むほど恐怖を感じた。だが、腰を抜かすような軟弱な女性ではなかったので、その場に山菜を置いて村人に知らせようと村に帰った。その女性が特に顔が広いからではなく、新が村の中に入る前には全ての村人に伝わっていた。それは、何故だと感じるはずだ。その村が閉鎖的だからではないが、滅多に人が訪れない辺境の村だったので話題が乏しいために直ぐに広まったのだ。
「来たわ。あの人よ」
「一人だけだな?」
「本当に怪我をしているぞ」
 数人の男性と、村に知らせに来た女性が様子を見に来ていたのは、何かの用心のためと、新が怪我をしているので倒れた場合の介護と運ぶためだった。
「この様子では何も危険はないだろう。なら、あの男を助けに行っても構わないな?」
 女性の話を聞いて、五十歳くらいの男の医者が一緒に来たのだが、誰も警戒するだけで助けに行こうとしないために我慢の限界を超えたのだろう。だが、医者の男は助けようとして一歩を踏み出したら、新が突然に倒れたのだ。直ぐに容体を確かめて息があることに安堵するのだ。
「うっうう、うっうう」
 医師は、直ぐに新を背負って歩き出したが、怪我の状態を考えてのことなのだろう。村長の家に連れて行った。医師なのだから普通なら自分の家に連れて行けば良いだろう。そう思うだろうが、入院する設備がないために、村で一番の屋敷であり。介護をする者も食料も薬品も普通の家よりもあるために連れて来たのだ。それで、肝心の男の状態は、頭から血を流しているが危険な状態ではなかったことで、そのまま寝かせて、皆は隣室に集まった。
「先生。男の状態は大丈夫と言いましたが、何時頃なら起きるでしょうか?」
「怪我よりも疲れているから寝ていると思われます。まっあ、明日の朝には起きるはずです」
「村長。それに、先生!」
「何だ?」
「えっ?」
「男が起きた後は、どうするのです?」
「そうだな。ボロボロな服を着ているが素材から判断すると裕福な家の者だろう。恐らく、元は貴族で、戦争で領地を奪われて追っ手から逃げる途中で部下とはぐれたのだろう」
「確かに、長老の考えが正しいだろう。治療する時に下着を見たら紋章のような絵柄の刺繍されていた。恐らく、元貴族と考えて間違いないと思う」
「それでは、どのように接すれば良いのだろうか」
 長老宅に集まった者達は、同じように頷いていた。
「暫くは、村の客人として様子を見よう。もしもだが、何かを頼まれでもした場合は叶えてやりたいと考えている。その時は協力を頼む」
「村長が、そこまで言うのなら協力しますよ」
「まあ相談も対策も終わった。今日は解散して男が起きてからでも、その時にでも考えよう」
「分かりました」
 皆が頷くと、一人、二人と自分の家に帰って行った。
「あっ、ですが、先生には居て欲しいのですが?」
「はい。分かっていますから大丈夫です」
「すまない」
「気にしないで下さい。それにしても、自分が今までの記憶では初めての客人ですね」
「そうだな。だが、わしが子供の頃に一度だけだが客人が来たのを憶えているぞ」
「そうでしたか、その時は面倒な事でも起きましたか?」
「いや、迷子の若様でな。家臣が村に現れて連れて帰ったが、その時に迷惑料として驚くほどの謝礼金を貰った。だが、日の出と同時に村人を集めるために、ほら貝を鳴らすのには、驚くのと同時に困った人達だったよ」
「そうでしたか、また、迷子の若様だと良いですなぁ」
「そうだな」
 長老と医師は笑いながら頷くのだった。この笑いが台所まで届いたのだろう。それで、相談の終わりだと感じたのか、長老の奥方が夕食の用意をしていいのかと現れた。勿論だが医師にも勧められたが、医師は丁寧に断って自宅に帰る。そう言うのだった。その別れ際だった。医師は、新の怪我の状態もだが、心身ともに疲れているだろうから明日の朝まで起きないはず。その頃を見計らって、長老の家に来ると、長老に伝えてから自宅に帰って行った。
 そして、次の日の朝だった。
「うぁあああ!」
 新の叫びが長老宅の隅々まで響くのだった。恐らく、崖から落ちた夢でも見ていたのだろう。
「どうされた?」
 長老が、新が寝ている部屋の扉を開けた。すると、部屋中をキョロキョロと見回していた。
「おっ、頭から血を流しながら村に現れてから直ぐに倒れたのですぞ」
「あっ、痛い」
「まだ、寝ている方が良いですぞ。それよりも、何が遭ったのです?」
「あっああ・・・」
「それでは、名前は何と言うのですか?」
 新は、無言で悩んだ。自分の名前だけでも思い出そうとしている感じだった。
「記憶喪失か、これは、大変だぞ」
 すると、二世帯住宅のような感じの長老宅だが玄関から入るのではなく、治療室として使われている。もう一つの扉が開けられて医師が現れた。直ぐに新の様子を見て、長年の診断から記憶喪失だと気付くのだ。だが、新の視線には医師を見ているのでなく、女性が心配そうに後ろから見ている方に視線が向いていた。
「裕子お姉ちゃん!」
 これが、新と美雪の運命の出会いだった。
「キャー!」
「う~む・・・記憶がないと思ったが、まさか、知的障害者なのか?」
 医師は、女性が悲鳴を上げて助けを求めていると言うのに、他人事だと思っているのか、思案に夢中だった。
「裕子お姉ちゃん。何か身長が縮んでない?」
「身長って・・・と言うよりも、裕子って、誰のこと?」
「誰って、何を言っているの。裕子お姉ちゃんは、裕子お姉ちゃんでしょう」
「えっ、私、私に言っているの?」
「そうだよ」
「そう、そうなの・・・・・そろそろ、抱き付くの止めてくれる?」
(本当に、純粋で無邪気な子っているのね。目がキラキラと輝いているわ)
 まあ、美雪が寛容でもあるが、男性として性欲が芽生える以前の子供に触られている感触でもあるし、抱きしめる両手が震えていることで、この場の自分の置かれた状況に恐怖を感じているのでは突き放すことが出来なかったのだ。
「ふむ、ふむ。それで、名前は、そして、歳は何歳なのだ?」
 医師は、まるで、実験体にでも話し掛けているようだった。
「僕の事?。七歳だよ。名前は、新と言うよ」
「ほうほう、頭を打ったことで幼児後退でもしたのか、面白い。面白いぞ。貴重な症例だ」
「そう、七歳なのね。名前は、新ちゃんか!」
「どうしたの?。そんなことで驚いて、ねえ、裕子お姉ちゃん。まさか、身体の中で電気がショートでもしたの?。大丈夫なの?。ショートすると、再起動するって、言った後に、当たり前のことを聞くよね。本当に大丈夫なの?」
「なになに、ショート?・・・えっ、もう一度お願い。何て言ったの?」
「あっ、もう一度?・・・でも、元に戻ったようだね」
「そう・・もう、いいわ・・・そういえば、ねえ、長老様」
「何だ?」
「大事な用件があるからって来たけど、もしかして、この男の子の事ですか?」
「いや、祭りのことだ」
「えっ、農作物などの不作で何年も開催していないのに、どうしたのです?」
「それは、皆が集まった時にでも話すよ。それで、美雪に、聞きたかったことなのだが、以前に、仙人の霞の饅頭を再現したと聞いたのだが、今回の祭りに、皆に手渡したいのだが作れるだろうか?」
「どうでしょうかね。確か、明子(あきこ)の祖母が、実家の片づけをしている時に、昔に再現した時の調理方法の帳面が出てきたので作ってみただけ、だから、今もあるか・・・」
「その帳面がないと作れないのだな?」
「そうですね。まあ、同じ仕事の班の仲間だし、休憩の時でも明子に聞いてみますね」
「それも、出来れば、急いで欲しい。祭りの開催の日は、二週間後にしたいのだ」
「えっ、急ですわね」
「そのために、田畑の仕事は休みにして、祭りの準備だけしてもらう考えだ」
「え!。そんなことすれば田畑が駄目になりますよ」
「分かっている。だが・・・・いや、何でもない。それで、祭りの事を男衆には、わしから伝えるが、女衆には、美雪から伝えて欲しい」 
 長老の話は、歯切れが悪く、何かの思いを隠しているようだった。だが、思いを打ち明けようとして、食器棚に無造作に置かれた書簡に視線を向けていた。それは、豪華に金文字で書かれた長老の宛てであり。何かの命令書のように印が押されてあったが、この村の領主である都市王ではなく、上位の国の印が押されてあった物だった。この時だった。外が騒がしくならなければ、美雪は、長老の視線の先に気が付く事で書簡のことを問いかけただろう。
「あっ、もう時間なのね」
「男衆が来たようだの。なら、祭りのことを伝えに外に出るとするか、美雪も女衆が集まる空き地に行くのだろう。祭りのことは必ず伝えてくれよ」
「は~い。わかってま~す」
 長老が外に出るよりも早く、美雪は、直ぐに駆け出し空き地に向かった。その後を・・・。

第十三話(美雪と新の恋の芽生え。その前編)

空き地には、大きな農機具は周囲に置かれてあるだけでなく、五坪の小さい六つの小屋は扉が開けらたままで、着替えや個人の私物などが見えていた。その空き地の中心で女性だけの集会が行われていた。その物陰から男女が見ていたのだ。いや、正確には、女性の後ろに隠れて男性が居たのだ。
「美雪!。もう隠れているのは分かっているわ。早く出て来なさいよ」
「ごめんなさい。でもね。長老に相談があるって言われたから遅れたのよ。それも、凄い知らせがあるわよ。勿論、皆が驚くことよ」
「きゃあああ!」
 この場の全ての女性が悲鳴を上げたが、美雪の話を聞いたからの興奮ではなかった。美雪の後から男が現れたからだ。当然と言うのも変だが、女性だけだと思ってあられもない姿をしていたからだった。
「えっ、一緒に付いて来たのね。もう、駄目でしょう」
「でも、いつも、裕子お姉ちゃんが言っていたでしょう。一人だと危険だから側から離れないでって・・」
「そう、裕子さんが、そう言ったのね。でもね。わたし、美雪なのよ」
「それは、分かっているよ。何百年も、それ以上だったかな。だから、主人が変われば、名前を変えるって教えてくれたでしょう」
「もう、良いわ。それよりも、直ぐにでも後ろを向いて、皆が恥ずかしがっているわ」
「後ろを向けばいいのだね」
 新が振り向くと、女性たちは、直ぐに小屋に駆け込んで上着を羽織って出て来るのだった。すると、皆が、美雪の所に集まるのだ。
「その人は、誰よ!」
「どこかの若様みたいよ」
「そうなの。ねね、大人に思えるけど、先程からの話を聞くと、子供見たいな話し方なのだけど、もしかして、知恵遅れなの?」
「理由は知らないけど、一時的な記憶喪失からの幼児後退らしいわ」
「まあ、そう言うことなら見学を許すわ。皆も良いでしょう」
「そうね。嫌らしい視線が感じられないし。良いわよね」
 この場の長が皆に問いかけた。すると、一人が代表のように返事を返した。すると、皆も同じ気持ちだったのだろう。頷くことで同意を表した。
「それで、美雪。凄い知らせって何なの?」
「それはね。何年かぶりのお祭りを開催するのだって!」
 この場の全ての女性が悲鳴のような叫びで喜びを表した。
「それで、開催日は何時なのよ」
「二週間後よ」
「早いわね。そうなると、田畑の仕事と祭りの準備との両立では死ぬ覚悟が必要になるわね。でも、祭りのためよ。頑張れるわね。いや、頑張るのよ!」
 女性特有の興奮を爆発させたような甲高い悲鳴で返事を返すのだ。そんな中で、美雪だけが落ち着いた様子で、長老の指示を伝えるのだ。だが、皆も美雪と同じく、長老の考えが理解できないと悩むが、祭りの楽しみを考えると一瞬で気持ちを切り替えた。その感情のまま一人の女性に視線を向けた。もう一つの長老が提案したこと伝えたからだ。
「明子!。仙人の霞の饅頭を作るわよ」
「ひっ・・・・祖母に聞いてみるから・・・だから、そんなに睨まないで、怖いわよ」
「僕、仙人の霞の饅頭って食べたことあるよ。美味しいよね。ここでも食べられるの?」
「それは、本当なの?」
「本当だよ。それよりも、ねえ、裕子お姉ちゃん。まだ、振り向いて駄目なの?」
「もう、美雪だって言っているのに、ふっう・・はいはい・・・振り向いてもいいわよ」
 周りの全ての女性に伺いを立てるように視線を向けていた。だが、仙人の霞の饅頭との言葉が出ると、まるで、人を惹きつける魔法の呪文のように、皆の気持ちが新に向くのだった。
「今の話は本当なのね」
「本当に食べたよ」
「それなら、他の饅頭を

第十四話(美雪と新の恋の芽生え。その中編)

明子は、祖母の命令に迅速に答えようとするが、蔵の中は代々の家宝と言うかガラクタが散乱していることもあるが、殆どが、祖母が大事にしてきた物だったことで、邪魔な物を移動するにも、細心の注意を払っていたのだ。だが、蔵の外からは、祖母の催促の叫びが聞こえてくる。だが、突然に静かになった。すると、明子は、探し疲れて狂ったのか、周囲にある物を乱雑に退かし始めた。なぜかと言うのは、無言になると、祖母の我慢の限界が近いからだ。それが、弾けた後は、誰にも止められないのは長年の付き合いで分かっているからだ。そして、祖母は、「ねぇねぇ」と、もう我慢の限界なのよ。そう伝えているとしか思えない言葉を吐くと同時に、明子は、直ぐに蔵から出て来られた。まるで、時限爆弾の時間ぎりぎりの様な安堵感を表しながら巻物を手渡すことができた。そんな、孫の様子など微塵にも気に留めずに、この場に居る男女に指示を下した。
「ねね、裕子おねえちゃん。僕は、饅頭の味見をするだけでないの?」
「・・・・・・・・・」
「女性だけに任せて、男のお前が何もしたくない。そう言うのか!」
「でも・・・・」
「それに、女性の腕に抱き付いて助けを求めるなんて、信じられん・・・・ん?。その女性は大丈夫なのか、何か熱でもあるかのように顔が赤いぞ・・・ん?・・・まさか、美雪か?」
「はい。そうです」
「それにしても、何が遭った?。普段の明るくて元気な様子とは別人だぞ。もしかして、風邪でも引いて熱でもあるのか?。それか、まさか、この男に・・・・」
「あっ、それは、ないです」
「それなら、まあ、良い。だが、仕事をしてもらなければならない。そうだな・・・・普通の状態と思えんので、そうそう、その軟弱な男が逃げないように捕まえていろ」
「えっ、はい。その指示に従います」
 美雪は、祖母の言葉を聞いて、新の様子と反応を見ようとしたが、身体も首も動かなかった。もしかして、祖母の言う通りに病気なのかと考え始めた。すると、見られない。そう思うと、新の顔を思い出すのだ。すると、心臓が爆発するのではないか、そう思う程にバクバクと鼓動するのだ。死ぬかと思う程なのに、なぜか、心地良いのだが、身体が動かないのに不審を感じていた。その理由は、良くあることだった。初恋と言うべきか、運命の人との出会いと言うべきか、恥ずかしくて、嬉しために起きる。恋愛の初期の症状だった。。
(仕事なのよ。だから、動いて、首だけでもいいから、もう一度だけでもいいの。キラキラと光る目が見たいの)
「痛いよ。裕子お姉ちゃん。どうしたの?」
 新が腕を組んでいた腕を離れないように体で押さえた。
「この場で、皆がすることを見ているの。大事な、仙人の霞の饅頭の味見の役目ですからね」
(力を入れることは出来るのね。でも、顔が見られない)
 美雪は、知らないし、気付いていないが、恋の芽生えの第二段階が始まったのだ。だが、祖母だけは、何かを感じ取っている感じだが、他の者たちは、指示された命令をこなすのに必死だった。勿論、それは、仙人の霞の饅頭の原料だった。黒砂糖、水、上白糖、小麦、重曹などなどが持ち込まれた。
「そろそろ、最低の材料が揃ったようだ。まず、初めに、四十個を作ることにするが、わしは監督として見守る。だから、明子の指示に従え。さあ、開始だ。開始だ!」
 祖母は、明子に視線を向けて、巻物の通りに指示をしろ。そう伝えた。
「ねえ、裕子お姉ちゃん。あの粉をふるいにかけるのって楽しそう。僕もしたい」
 六人の女性は、材料の運びで疲れを表していたが、そんな様子などお構いなしに、祖母は厳しく、明子に、指示を伝えろと、視線を向けていた。小麦粉をふるう者、火を熾し鍋で砂糖と醤油を裏ごしする者、重曹と小麦粉を混合する者が忙しく動いていた。すると、祖母が、一段落したと感じたのだろう。
「少しの休憩をとる。その後は、餡子を作ることになるが、それまで、ゆっくりと休んでいろ」
 祖母は、皆が休む姿を見ると、作業の確認を直接に触って確かめていた。そんな様子を新は美雪が何も答えてくれないために暇つぶしで見ていたのだ。だが、ある一言で、新にしては故意でも何の意味もなかったのだが、早く食べたい。その一言が、祖母の耳に届き、餡子の作成の開始を命じるのだ。それは、休憩時間が終わったことを意味していた。これからが、本格的な仕事が、いや、予定の立たない過酷な任務が開始するのだ。普通なら男の仕事なのだが、薪割から始まり。大きな鍋に水と砂糖で煮詰めて、乾燥飴を入れる。そして、強火の火で熱さを我慢しながら混ぜるのだ。などと、していると、やっと、薄皮饅頭を生地で包むところまで終了するのだが、仙人の霞の饅頭の出来上がりの見た目からも、作った本人たちも満足の完成度が低すぎると思うのだったが、新は、喜んで手を伸ばして口に入れるのだ。
「美味しいよ」
「そうなの?」
 美雪が、見た目から判断したのとは違った反応だったことで驚くのだ。
「まさか、それが、仙人の霞の饅頭なの?」
「仙人の霞の饅頭ではないけど、美味しいよ。でも、もしかしたら餡子を作る時に塩を入れ忘れていない?」
「えっ!」
「塩って入れるの?」
 新は、二個目を取り。今度は、味わってゆっくりと、何かを思い出そうとして食べた。すると、段々と、柔和な幼子の表情から知的な凛々しい表情に変わってきたのだ。まるで、幼子の子供から少年に変わるようだった。それは、味覚から刺激されて脳内の変化だったのかもしれない。もしかすると、このまま食べ続ければ記憶が思い出されるのではないかと思える。そんな兆候に思えた。
「裕子も食べてみなよ。美味しいよ」
「えっ!」
(お姉ちゃんではないのね。どうしたのだろう。でも、何か、凛々しくなったと思うのは、私の考え過ぎかしら?)
 やはり、新は、糖分が良かったのか、味覚の刺激か、脳内の記憶が過去と現在で混合していた。そのために、村の外の祭りの準備でも見学しているとでも思っているようだった。
「今の話を聞いていたな。直ぐに作り直すのだ。残りは、お前らが食べるのだぞ」
 二度目、三度、五度目と、試食が繰り返した。さすがの新も苦痛を感じ始めた。このまま正確な味覚の指示をしなければ死ぬかもしれない。そう感じたのだ。だが、その恐怖、いや、苦痛が人体と脳内を活性させたことが原因で記憶が戻ることになるのだった。
「これが、この味が、仙人の霞の饅頭なのだな!」
「はい。そうです」
「本当に、美味しいわね。新さん。協力してくれてありがとうね」
「裕子・・・・・いや、そっくりだけど違うね。貴女は誰ですか?」
「そう、そうなのね。記憶が戻ったのね。本当に好きな人を思い出したのね」
「えっ!」
「良かったわ。記憶が戻って・・・初めまして・・・わたしは、美雪と言うのよ」
 大きなため息を吐きながら悲しそうに自己紹介するのだった。
「裕子が好きとかでなくて、僕が、運命の人を探すために旅に出たのです」
「えっ!」
「それは、貴女のことだと思います」
 二人の周囲にいる女性たちが興奮のあまりに気勢を上げて、美雪の周りに集まったのだ。
「まあ!まあ!」
「美雪。これは、運命の泉に行かなくては駄目よ。直ぐに確認しないとね。そうでしょう」
「何を言っているのだ。村の皆に最低でも二個を配るのなら千近い数を作るのだぞ。そんな遊んでいる暇などない」
「それでも、もう夕方です」
「まあ・・・・仕方がない。今日は終わるが、そうだな。明日の午後までに戻るのなら、運命の泉で確かめてくるのを許すが、その後は仕事をするのだぞ!」
「それは、十分に分かっています」
「それなら、良い。さあ、解散だ。明日に備えて帰るのだな!」
 祖母は、女性たちの後ろ姿を見て微笑んでいた。当時、仙人の霞の饅頭を作っていた。その理由を思い出したのだ。あの当時の自分と他の女性たちも見に行ったが、運命の泉には何も映らなかったことで落ち込んでいる姿だった。恐らく、明日の朝一に運命の泉に行くはずだ。そして、何て慰めるかと考えての微笑の理由だったのだ。だが、女性たちは、泉の水面に映る前提での結果だけが心の全てが占めていた。自分たちの好きな本命なのか、第二、第三候補なら一生独身を通す。などと馬鹿馬鹿しい思案をしていたのだが、思案を一人だけで内心に留めることなど出来るはずもなく、普段なら村中の灯りが消える時間には、村中の女性たちに運命の泉のことが広まるのだった。その頃・・・・。
「なんで、こんなにも心臓がドキドキとするのよ。それに、病気なのかしら・・・目を瞑っても目を開いていても、新さんの顔が見えるのよ」
「・・・・・・」
 部屋には誰も居ないはずの独り言のはずだが、誰かに問いかけているようだった。だが、何かの問いの答えが聞こえたのが、ガッバって起き上がった。
「もう~この特効薬は、新さんに会うしかないわ!」
 美雪は、寝巻から普段よりも派手で衣服に着替えた。それは、現代で例えるのなら勝負服だった。二親が何事かと引き留めるが、何も聞こえていないかのように家から飛び出し、新が居る長老宅に駆け出した。着くと直ぐに、親の危篤で帰ってきたかの様な感じで玄関の扉を叩くのだった。寝ていると思っているのか、何度も叩く。
「分かった。分かった。開けるから落ち着け」
「仕事の話なら帰ってもらってよ」
 玄関の扉越しから長老の声と、居間か、寝室からなのか、微かに、奥方の声が聞こえた。
「奈々子おばあちゃん!」
 扉が開けられる前に、長老の奥方が起きていると感じて叫んでいた。
「もう遅い時間だ。何か用事があるのだろうが、その話は明日にしれくれないか・・・・」
「どうしたの?。こんな時間に来るなんて、何かがあったのね」
 奥方は、先程の指示を忘れたのか、長老を押しのけて、玄関を開けたのだ。
「その・・・・新さんが、その・・・心配で・・・」
「そうだったの。まだ、起きていると思うわよ」
「別に、会わなくてもいいの・・・だけど・・・・寝られないかなって、そう思っただけなの」
「美雪は、寝られなかったのね。でも、こんな時間に男性の部屋に女性は入れられないわ。でも、この長老宅に泊まるのは許してあげるわ」
「本当なの!」
「それだけでも、良いわよね」
「勿論よ」
「それと、部屋はないから、私たちと一緒の部屋よ」
「キャ~一緒なんて久しぶりね」
「まだ、そう言ってくれて嬉しいけど、布団を敷くのは手伝ってくれるわね」
「もう、大人よ。布団が重い何て言わないわよ」
「それよりも、この年寄りに夜道を歩け、そうなるのだな」
「えっ、何で?」
「両親には黙って来たのだろう。今頃は、必死に探しているだろうよ。親とは、そう言う者だ」
「でも、でも、良いわよ。どうせ、長老の家に来るわ」
「そうだろうな。だが、わしらが、やっと、眠った頃だろう」
「何も気にしなくていい。朝一の相談が、今になっただけだ。ゆっくり寝ていなさい」
「そうよ。寝ましょう。もう安心して寝られるでしょう。想い人が、壁の向こう側にいるのだからね。そうでしょう」
「はい」
「えっ、想い人だと、そうだったのか!」
「もう!」
「二親には言わないから安心しなさい。では、月も出ているし雲に隠れる前に行って来る」
 長老が出かけると、奥方は待っていたかのように、新の話題を上げた。確かに、新が夢に出て来る程の惚れようでは、誰でも驚くことだ。だから、問いかけたのだ。すると、悩みながら理由がないことに、美雪も驚くが、それでも、一言だけ、目がキラキラと光るのに心が奪われたと言うのだ。美雪は、変かと問い掛けたが、奥方は、首を横に振った後に、布団の上に横になりながら自分の初恋の話をした。その話の最後に、初恋なんて似たような感じだと、そう伝えられて少し悩んでいると、奥方は知らない間に寝ていた。美雪は、その初恋とは誰なのかと横になりながら考えていると、それが、良い寝物語だったのか同じように寝てしまうのだった。
「ボォオオ~ボォオオ!」
 村中に聞こえる程のほら貝の音が響いた。おそらく、鶏が鳴くよりも早い時間のはずだ。特に、長老宅から近くから鳴らしているからだろう。家の者は全てが起きていた。正確には、長老が不在だった。美雪は、布団の中で寝ている驚きよりも、同じ部屋の中で、長老の奥方と三人の子供たちが何かの相談をしていたのだ。
「起きていたのね。あっ!。あんた達は、外に出ずに、自室に戻っていなさい!」
「えっ、はい」
 美雪が、なぜ、起きているのに、布団から出ずに聞き耳を立てるような感じだったことの理由が、女性だから分かったのだ。未婚の若い女性では、寝起きの衣服の乱れた姿を男に見せたくないことに気付いたのだった。

第十五話(美雪と新の恋の芽生え。後編)

村に響き渡るほら貝の音は止まることがなかった。まるで、村人の全てが集まるまで止める気持ちがない。そう思われる不快な響きだった。だが、何かの危機的な状況を知らせる響きとも思えた。だから、男たちだけが、長老宅の近くの空き地に集まって来るのだ。
「隣の男を起こした方が良いかもしれない」
「えっ、奈々子おばあちゃん。それは、何でなの?」
「それは、村人が鳴らしているのならば、こんな人迷惑な時間に鳴らすはずもないだろう。それに、鳴り止まないのは、村人全てを集めるためなのかもしれない。そうなると、その理由が考えられるのは、隣の部屋で寝ている男の関係者だろう。それ以外しか考えられん」
「そうですね・・・・でも、どうしよう。外に出られないのは困ります。これから、皆と運命の泉に行く予定なのです」
「それは、丁度よいではないか、直ぐにでも男と一緒に行くと良いだろう」
「まあ!まあ!」
 美雪は、顔中を真っ赤にそめた。
「そんなに、恥ずかしがるな。いや、喜んでいるのか?。まあ、どっちでも構わんが、男が起きて外に出るのが心配だ。早く起こして共に運命の泉に行くとよい。だが、男の顔を隠して外に出るのだぞ。その理由は、先程に言ったのだから分かるな!」
「はい。分かっています。念の為に、台所から出て行きます」
「泉に映るのを祈っている。だから、何も心配せずに早く行きなさい」
 美雪は、大きく何度も頷きながら居間を出て玄関の方に向かう。その途中の廊下に新が寝るている隣の部屋の扉があった。治療室が主な部屋なので外からと家の中からの二つの入り口があった。扉を開けてみると、新は、まだ、簡易な寝台の上で寝ていた。
「起きて下さいませ。ねえ、起きて下さいませ」
 美雪は、新が仰向けで寝ている。その胸を揺すぶった。直ぐに、新は目を覚ますが・・・。
「裕子。後、五分でいいから寝かせてくれ」
「えっ、記憶が戻ったのでないの?」
「あっ、ごめん。でも、声も姿も本当にそっくりだ」
「もう、もう!」
「起こしにきたのは、外の音に関係があるのだね。何の騒ぎなのかな?」
「分からないわ。でも、何かで顔を隠してね。だから、着替えて、直ぐに行くわよ」
 新は、恥ずかしい気持ちもあるが、何を着るか、何で顔を隠すか迷っていた。だが、美雪には、新の気持ちが分からず。それでも、顔を隠す布を視線で探すと同時に、棚にある着替えと手拭いを一緒に手渡すのだ。新は、一瞬の間だけ悩むが直ぐに着替え始めた。
「手拭いで顔をグルグルに巻いて、何か聞かれたら怪我のために隠している。そう言うわ。だから、一言も話をしないでね」
 新は、何度も頷くと、両手を前に伸ばして何かを探す様にしていた。美雪は、その手を優しく握り、自分の左腕に両手で掴まらせた。そして、ゆっくりと立たせた。
「私に全て任せて」
 新は、頷くと、二人は台所に向かい。裏口から外に出た。だが、外で待ち構えていると心配していた者達は、村人たちの人垣に隠れて発見されなかった。それでも、寄り添いながら村の女性たちが集まる場所に向かうのだった。
「もう、美雪たらっ遅いわよ」
「ごめんなさい」
「良いわよ。それよりも、その人は怪我でもしたの。それに、このほら貝の音は何なの?」
女衆の隊長の静香が腕を組んで怒りを表していた。
「怪我ではないわよ。ほら貝を鳴らず人たちに会いたくなかっただけ、でも、目的は分からないけど、商人の人以外に、村を訪れる人なんていないと思うわ」
「そうね。美雪、ごめんね」
「いいえ。こちらこそ、心配させてごめんなさい」
「それなら、泉に行きましょう」
「はい」
「何しているのよ。相手がいる人が初めに確かめるべきでしょう。我々は、相手がいて確かめるのではなくて、自分に運命の相手がいるか、それを確かめるだけなのよ」
 静香は、女性らしく振舞っていた。友としての会話だからか、それとも、運命の泉を見ることで、運命の神に少しでも印象を良くしようと、考えてのことと思えた。
「ねえ、これから行く先って何をするのですか?」
 新は、女性たちの興奮の高まりから生贄でもされるのではないかと、不安を感じて問い掛けたのだ。一瞬だが、美雪は、悩んだ。たしか、新に理由を伝えた。そう思ったが・・・。
「それはですね。運命の泉に行くのです。その泉は、運命の相手が水面に映ると言い伝えの泉なのです。ですが、もう長い間になりますが、泉に運命の相手が映ったと聞いたことはないのです。でも、今回は、いや、その、私だけは映りそうに思うのです。その・・・相手が隣にいますでしょう・・・だから・・・・」
「そうだね。必ず映るね」
「そうでしょう。そうでしょう」
「もう、そのくらいで良いでしょう。早く行って!」
 静香は、新と美雪の他人から見たら怒りを感じる程の熱烈な会話を止めさせて、先頭を歩かせたことで、やっと、他の者も自分の夢に思う期待を膨らませながら、二人の後をぞろぞろと、女性の集団が付いて行った。だが、泉が見える所に着くと、女性の集団は止まり。新と美雪の様子を見守るのだ。まるで、自分たちの夢を叶えてくれる神に祈るようだった。
「着いたわ」
「おおっお!」
 新が見た物は楕円形の泉だった。長い所で三十メートルもあり。短い所でも二十メートルもある。普通の泉だと水の出入りがないために透明度はないのだが、なぜか、同じような泉なのだが驚く程まで透き通る綺麗な水に思えた。それも、相当な深さで底が見えない。それだけが驚くことではなく、泉の水面を見られるように周囲が人工的に作られていたのだ。恐らく、水面に波が起きないようにしているのだろう。それと、ある西洋に存在する遺跡で、周囲の断崖の場所が客室で、この泉では座れずに断崖なのだが、泉と周囲の調和で、ある野外劇場と錯覚する感じの泉だった。
「綺麗でしょう」
「ああっ、綺麗だね。それよりも、水の出入りする所がない割には綺麗で驚いているよ」
「それは、泉の底が、どこかに繋がっているらしいわ。それに、湧水なのよ。中央辺りに水が湧いているような感じが見られるでしょう」
「うん」
「その湧水が、もう少し勢いが会った時は、誰にでも、泉に運命の相手が映ったらしいの」
「ほうほう、その湧水が原因かもしれないな」
「そうよね。でも、どうすることも出来ないわ。それでも、映るかもしれないって、祈る気持ちで見に来る人は多いのよ」
「そうか」
「そうよ。だから、私達も水面を見ましょうか?」
「そうだね。でも、作法があるのだろう?」
「特にないわ。手を繋いで祈るだけ、でも、真剣に心の想いを泉に込めるのよ」
 二人は、どっちが先と言う訳ではないが、自然と手を動かして殆ど同時に手を繋いでいた。そして、数分くらい祈るように泉を見詰め続けた。
「駄目みたいね」
「そうだね」
 只の迷信で普通の泉と思うだろうが、以前は、本当に運命の相手を映していた。だが、泉に不思議な力がある時だった。恐らく、その切っ掛けは、何千年後の未来では時を飛べる機械が作られて、その過去の時代には場違いな工芸品を置き忘れたて、泉に偶然に落ちた。その異物が時の流の不具合を起こした結果だったが、長い年月で運命の相手を映す働きで力を使い果たしたのだろう。そして、何気なく、泉の温度でも測るつもりだったのか、新は左手を泉に入れた。すると・・・。
「うっ・・・・わぁ!なっなななな!」
 左手の手首まで入れると、何かが刺さるような痛みを感じたのだ。それで、一瞬だけ目を瞑って目を開けると、泉に美雪の姿が見えたのだ。それも、ポロポロと涙を流していた。余程のなにか、嬉しいことでもあったのだろう。満面の笑みを浮かべる姿だった。
「どうしたの?」
 美雪は、新の意味不明な声に驚き顔を向けた。すると、水面には何もないはずなのに、何かに驚いているのだ。それで、何だろうかと、また、泉に視線を向けた。だが、先程、新が泉に手を入れたことで、水面に風が当たった時のような感じに揺れていた。だが、普段とは何かが違う。まるで、何かを映そうとするかのように七色の光が屈折するので、波が収まるまで見続けたのだ。
「見えるわ。新さんが見えるわ。新さんもあたしが見えるわよね」
「うん。美雪さんが見える」
 恐らく、泉は、新の赤い感覚器官を媒体にして、時の流と繋がり、時の自動修正の力が流れ込んだのだろう。それで、力が復活したとしか思えなかった。そんな理由など知らずに、二人は、走馬灯のような映像が消えるまで、泉から視線を動かすことができなかった。
「美雪さん。何か聞こえましたか?」
「いいえ。泉の水面に、新さんが見えただけよ。なんで?」
「僕には聞こえた」
「なんて?」
「片方の羽衣を渡すようにと・・・それで、運命の人を守れると・・・そう聞こえた」
 本当は、それだけではなかった。膨大な量の言葉が流れてきた。それは、まるで、インターネットで検索した時に表示される全ての情報が音声で流れたような感じだったが、あまりにも早口だったことで、意味不明な呪文の言葉としか判断ができなかった。だが、初めに聞こえた言葉だけが意味が分かり耳に残った。それを美雪に伝えたのだ。
「羽衣?」
 美雪には初めて聞く言葉なので何なのか考えていた。
「そうです。今から渡す物は、美雪さんを守ってくれる物です。そして、僕が、何処に居ても無事が分かるらしいのです。それで、美雪さんの次に大事な物ですから失くさないで下さいね」
「分かりました」
 新は、美雪の言葉を確認すると、両手を背中に回して何かを取る仕草を始めた。
「?」
 美雪は、新の仕草を見て不審を感じた。
「これです」
 背中の羽を取り外すには痛いと感じるだろうが無痛だった。それに、剥がしても、また、湿布のように貼り付けることも可能だった。などと思うと、人工的な物と思われるだろうが、昆虫の羽根のようであり透明だった。そして、布のように柔らかく軽いのだ。その証拠と言うべきか、新の両手の掌の上で微風なのに反応して、直ぐにでも羽毛のように飛びそうだった。
「えっ?」
 美雪には、新が両手を広げて何かを持っている仕草をするが何も見えなかった。だが、新が嘘をつくはずがない。そう思いながら見続けると、何か光が屈折するのが見えた。もっと、注意して見ると、布のような物があるのが分かった。錯覚かと感じたが、恐る恐ると、手を伸ばして触ってみようとすると、新が、美雪の両手に羽衣を手渡した。驚くことに微かに重みを感じて、羽衣があると実感したのだ。
「軽いわ!。それに、透き通って綺麗ですね」
 まるで、トンボの羽根のような透明な絵柄で、光が当たると七色に輝き、触り心地は絹のように柔らかく、羽毛のように舞い上がるのではないかと、手を離すと舞い上がるだけでなくて勝手に浮き上がるのを感じたのだ。
「それは、僕の背中にある羽なのですよ」
「そうなの?!」
 美雪には信じられなかった。もし信じたら好きな人が人ではない。そう判断するしかないからだ。だが、新が言うのだから何かの理由があると、だから、信じたが、もしかしたら、異国の物で、街では普通に売っている物かもしれないと同時に思ったのだ。
「この羽衣を常に身に着けて下さいね」
「はい。勿論です。新の代りと思って大事にしますわ」
「それと、一つ聞きますが、赤い糸って分かりますか?」
「キャー!。分かるわよ。でも、男の人が話題にするなんて初めて聞きましたわ。運命の人にしか見えないと言う。あの左手の小指にある赤い糸のことですよね」
「そうです。羽衣を見に着けている時だけ赤い糸が見えます。それだけでなく、赤い糸の方向を示す先に、僕が居ます。勿論、僕が無事なのか、それも感じ取れますよ」
「そんな事ができるの?」
「そうです。ですが、出来ると言うよりも意志に関係なく感じ取れます」
「それにしても、本当に綺麗ね。この世の物とは思えないわ。何で出来ているの?」
「虫の羽根や蜘蛛の糸に近いと思います」
「そう・・・・それで、身に着けるって言うけど、どうするの?」
「そうですね。首から垂らすか、腰にでも巻いてください」
 恐る恐ると、まるで、蛇でも巻くような感じだが、それでも、好奇心と驚きも感じている複雑な思いを態度と表情で表していた。

第十六話(羽衣と赤い感覚器官)

美雪は、羽衣を肩掛けのように左肩から垂らした。すると、身体が痙攣したような動きをした後に、左手の小指に痛みを感じたことで、腕時計でも見る動きで左手を見た。
「えっ、これって・・・何?」
 左手の小指には、真っ赤な毛糸のような感じの生き物のような物が、ピクピクと動いているのだ。それでも、恐怖や険悪感などを感じることがないのは、目の前に居る愛しい人の感覚を感じたからだ。そして、もっと、新の感覚を感じたくて目を瞑った。
「分かるわ。目を瞑っても居る場所を感じるの。何て言うか手を繋いでいるような感覚なのよ。それに、身体が浮いている感覚を感じるの。本当に不思議だわ」
「そうでしょう。今度は、ゆっくりと、目を開けてみて」
「キャッ・・・・嘘・・・・浮いているわ」
 新の言葉で頷くと、目を開けたのと同時に悲鳴を上げる程に驚いた。自分の体が、新を見下ろすように空中に浮いているからだ。それだけでなく、羽衣を中心に透明な膜のような感じの中に居たからだ。
「でも、空中に浮く程の力は、僕と一緒に居る時だけです」
 美雪は、空中でクルクルと回っていた。これも、羽衣の力で出来ることなのだ。だが、自分の意志ではなく、まるで、宇宙遊泳でもしている感じと同じ状態だった。自分の想像も出来ないことで、驚きの余りに顔色が真っ青になり助けを求めるのだ。
「落ち着いて下さい。そうですね。腕も足も動かさずに、大きな岩の上に立っていると思って下さい。そうすれば、回転が止まるはずです」
 新の言葉で、目を瞑って指示の通りにすると、本当に回転が止まり空中で立っていると感じられた。それは、目を開けても回転することがなかった。
「ねえ、このような大事な物をあたしに渡しても身体に影響はないの?。それに、危険なことが起きても守れるの?」
「大丈夫ですよ。それは、片方の羽ですから、もう片方の羽があります」
「それなら、良かったわ」
 二人は、興奮のあまりに抱き付き合う寸前だったが、二人の悲鳴を聞いて、心配になり、少し離れた所に来て、待っていた。女性の一団が、咳払いをするのだった。
「もう、運命の泉に運命の人が映ったのでしょう。そろそろ、あたしたちに順番を回してよ」
 新と美雪は、恥ずかしそうに頷くと、泉から離れた。勿論だが行き先は、明子の家であり。その家で、祖母が、仙人の霞の饅頭を作るために待つのも限界の時間だった。その祖母の心境が分かっていたので、急いで向かったが、やはり、怒りを爆発寸前だった。だが、運命の泉の結果を教えると、自分のことのように喜んでくれて機嫌も良くなった。そして、一人、二人と女性たちが戻って来ると、驚くことに運命の相手が映ったと知ると喜んだ。それから、全ての女性が報告に来て同じ結果だと聞いて驚くのだ。そんな、精神状態では仕事など手を付けられないと思うだろうが、それは、逆だった。殆どの女性たちが、告白される者も告白する者も舞台は、祭りの時だったことで仕事が普段よりも可なりはかどるのだった。夕方までには予定された全ての数量を作り終えて、後は、当日に蒸すだけだった。
「仙人の霞の饅頭は作り終えた。だが、まだ、他の祭りの料理の準備は終わっていないが、それは、男衆の祭りの準備の進み具合で決めるのが良いだろう。その指示は静香に任せる」
「はい。いろいろと、御指導して頂きましてありがとう御座います」
 静香と祖母の解散の指示を聞くと、女性たちは家路に向かった。だが、新は当然としても美雪も一緒に長老宅に向かったのだ。確かに、運命の泉に映ったと言うことは、神までが認めた恋人なのだ。だから、離れたくない程まで愛する気持ちが高まっていたのは分かる。だが、そんな気持ちも冷める程に、長老宅の近くの空き地で、男衆たちは絶望を感じているのか、俯いたまま暗い表情をしていた。それでも、この場にいるのは、長老に救い求めているからだ。
「それでは、祭りを楽しもう。だから、解散してくれ」
 長老は、皆が求めていた言葉を言わなかった。それでも、男衆は解散するのだ。美雪は、そんな様子を見て、何か、嫌な気持ちを感じて、男衆が家路に向かう人波に隠れながら長老宅に入るのだった。
「ねぇねぇ、奈々子おばあちゃん」
「どうしたの?。まさか、泉に映らなかったの?」
「そうではないの。外の男衆の様子が変だったの」
「ああっ、まだ、居たの。まあ、自分の命や家族の命を考えるなら、朝から今まで何度も説得されても納得できるはずはないわ。それに、明日になれば皆が知ることになる。それなら、今直ぐにでも、美雪に知らせても良いのかもしれない。けど、どうしても、知りたい?」
「何か、遭ったのね」
 美雪が奥方に問い掛けていると、長老が、客人に振舞うために、酒、酒と叫ぶのが聞こえた。
「まあ、もう仕方がないわね。だから、行くわ。後でね」
「酒だと言うのがわからんのか!」
「本当にっもう!。要件が済んだら一緒に食事にするから待っていて」
「はい」
 美雪は、不満だったが、明日には、誰にでも分かることだった。王からの徴兵の命令に不満で、男衆が、朝から夕方まで説得していたが無理なのは分かるはずだった。まだ、都市王くらいの命令なら伺いを立てるくらいは出来ただろう。だが、権力機構では、村長、領主、都市王、王となり。その最高の階級から命令では、向かうだけでも遠すぎる距離であり。決定を覆すのは百パーセント無理だった。それは、誰にでも分かることだった。それでも、長老が接待するのは、徴兵の人数と出発の日を伸ばしたかったのだ。最低でも、村人全員で祭りだけは参加させたかった。その思いがあったのだ。そのために本当なら村の若い女性に酌でもさせたかったが、家族や恋人との思い出を作らせるための邪魔をしたくなかった。それでも、酒だけは切らせずに満足以上に飲ませ続けた。その結果で、徴兵される人々の出発は、祭りの最終日までの延長を確約させたのと、徴兵の人数を半分までに妥協してもらえたのだ。
 一時間も過ぎると、奥方が現れた。
「遅くなって、ごめん。ごめんね。先に、子供たちに食べさせていたのよ」
「いいですよ。それよりも、長老と客人との要件は終わったのですか?」
「まあね。酒の用意だけよ。若い女性なら別だけど、老婆では居るだけで酒が不味くなると思って、直ぐに席を外したわ。だから、何の話し合いなのか知らないのよ」
 奥方が、台所と居間を往復して食事を用意している。その合間に話を掛けていた。だが、奥方は、二人に嘘をついた。いや、伝えるのが面倒だったのかしれなかった。
「そう、そうなのですか・・・・」
「何か、私用でなく、長老としての要件でもあったのなら呼ぶ?。けど?」
「いいえ。大丈夫です」
「そう・・・ねね、それよりも、本当に運命の泉に映ったのよね」
「はい。でも、皆も、今回は泉に映ったらしいのだけど、なぜなのか、一人だけが映るのでなくて、二人の人や三人の人が映った人がいたの。だから、不思議がっていたわ。もしかしたら離縁されるのかしらって、泣いていたわ」
「やっぱり、そう、そうなのね」
「えっ?」
「あっ、ごめんなさいね。何でもないのよ。それよりも、運命の相手って・・・」
「まさか、何人もの人が映るってことは、運命の人が死別するってことなの?」
 美雪は、奥方の話を遮って心に思っていた疑問を口にした。
「それは、正直に言うけど、誰も分からないわ・・・・まあ、明日になれば、誰もが知ることになるけど、村の客人って、村々から徴兵を集める役人よ。確かに、徴兵された者が戦死するかもしれない・・・だから・・・・」
「はい。友達には、何も言いません」
 美雪は、友人の気持ちを考えたのだろう。ポロポロと涙を流した。
「もう泣かないで、僕は、何があっても美雪から離れないからね。だから、だからね」
「うん、うん」
 新は、美雪の頭を優しく、何度も、何度も撫でるのだった。そんな様子を奥方は黙って見ていたが、泣き止むと、本当に済まなそう表情を浮かべた後に・・・・。
「ごめん。ごめん。食事の前に話すことではなかったわ。さあ、食べましょうか!」
「そうしよう。ねえ、美雪さん!」
「うん」
「そうそう、新さんは、村の人ではないから徴兵されないはずよ」
「そうよね。そうよね!」
 美雪は、奥方の話を聞いて安堵した。すると、死ぬほどの空腹を我慢していたかのように食べ物を口にするのだった。そんな様子を新と奥方は驚くが、直ぐに笑みを浮かべながら一緒に食べるのだった。それでも、美雪の気持ちを考えて徴兵の話題を避けるが、夕食は楽しく笑みが消えることはなかった。その食事も一時間も過ぎると終わり。余韻を楽しんだ後に、新だけが、元々は治療室なのだが、今では新の個室であり。室内の簡易寝台に寝に戻るのだった。その後の居間では、女性特有の会話でもしていたのだろう。新の個室の灯りが消えても、居間の灯りは遅くまで点いていた。それでも、一日の始まりを知らせる。鶏が鳴き終えた頃には・・・・・。
「新さん。起きていますか?」
 美雪は、新を起こすために、長老宅の中から入れる扉ではなく、外に出て治療室の外側の扉を叩いた。だが、返事はなく、それでも、二度目を叩くことなく扉を見詰めるのだった。恐らく、異性として認めたから寝起き姿を見るのが恥ずかしかったのだろう。それに、微かな声も聞こえたのだ。前回と同じ「裕子。後、五分でいいから寝かせてくれ」と言われたからだ。
「遅くなってすみませんでした」
「おはようございます」
 本当に五分で出てきて丁寧に謝罪するのだから同じように返事を返した。
「おはよう」
「行きましょうか、今日からは、男女混合の祭りの準備をしますよ。本当は、男衆の方に入ると良いのですが、知り合いもいないでしょうから無理して男衆に入る必要もない。そう言われました。でも、もし、嫌でしたら男衆の人に伝えますよ。どうします?」
「何の問題もないですよ」
「それなら、行きましょう」
 美雪は、自分と一緒に居られることを喜んでいると思い喜びを表した。それは、新の左腕に抱き付いて歩き出したのだ。行き先は、女衆が集まる空き地なのだが、目的の場所に着いてみると誰も居なかった。それでも、女衆は、集合時間が近づくと集まりだすが、男衆は、作業開始の時間が過ぎたが、誰一人として現れなかった。だが、男衆の仕事は、櫓などの力仕事だったことで、共同でする必要は特になく、殆ど、出会いの場としの意味合いが強かったのだ。それでも、布地の簡易小屋や屋台などの催しの設置をするが、現代で例えるなら学祭の規模と変わらないが子供のためであり。大人たちには、酒宴と異性との踊りと告白の場が目的でもあるために仕事にたいしての熱意が普段とは違っていた。そんな理由で、女性だけの役目の仕事など午前の内に終わってしまった。
「仕事が終わったのでしょう・・・・なら、どこ行くのです?」
「たぶん、男衆の集合場所だと思うわ。それって、長老宅の前の空き地なのよ。だから・・・」
「行きたくない。って言っても駄目なのだよね」
「確かに、男衆が仕事の放棄なんて初めてのことだし・・・何か嫌な気持ちを感じるのは分かるけど・・・他に行くところって・・・」
「ごめん。いいよ。一緒に行こう」
「うん。なんか、ごめんね」
「いいよ」
 新と美雪が立ち尽くしている両脇を女衆が通り過ぎる。それも、秩序がある行進ではなく個別の好きな人同士が集まって、男衆が集まる場所に向かった。その一番の後方から、新と美雪が付いて行くのだった。すると、何人かの女性が泣きながら戻って来るのだ。いったい、何が遭ったのかと不審になるが行進は止まることはなかった。それでも、近づくにつれて、女性の悲鳴のような叫び声のような声が聞こえてくるのだ。    
「長老様。徴兵って、どういう事なの?」
 新と美雪が着くと、叫び声の意味が分かるだけでなく、長老と役人の話を男衆は俯きながら全てを諦めたかのように聞くのだが、その周りの女衆が納得できないのか、何度も狂ったかのように叫び続けるのだ。だが、突然に、役人が叫んだ。男衆は、役人が指し示す方向を邪魔しないように集団が二つに割れた。その後ろの女衆も男衆と同じ行動をするのだ。
「長老。先に言った話と違うではないか、全ての村の男を集めて徴兵を決める。そう言ったから納得したのだぞ。これでは、約束が違う。あの男も候補に入れろ!」
「待って下さい。あの男は村の者ではない。村の客人なのです」
「我らは、それを証明することが出来ない。それに、今までの村でも徴兵させたくない者を隠すのは、どの村でも同じだった。だが、長老は、全ての村の男を集めて抽選でも、我らが好きに決めて良い。その言葉を信じて、徴兵の数も減らすだけでなく、祭りが終わるまで待つ。それを許したが、やはり、他の村と同じに、我らを騙したのだな!」
「違う。本当に、客人なのです」
 長老は、必死に説得しようとしたのだが・・・。
「それなら、他の村から来た者ならば、村人よりは世間慣れしているはずだし、一人旅なら少しの武術の心得もあるはずだ。それなら、この男が徴兵には最適だとしか思えない。それだから、連れて行くことを承諾するならば、先程の長老の提案を受け入れよう。だが、偽りの説得で時間稼ぎするのなら考えがあるぞ。だから、即答して欲しい」
 長老が、必死に説得している時だった。美雪は、狂ったかのような悲鳴を上げた。

第十七話(新の決心)

この場に居る女衆も男衆も、全ての者が新に視線を向けた。だが、美雪だけが、泣きながら新に縋り付いて願うのだった。
「新さん。私は嫌よ。絶対に嫌よ。だから、承諾しないでよね。お願い。お願いよ」
美雪は泣き続けているが、男衆も女衆も他の者も、新が何て言うのかと、無言で見続けた。それでも、美雪以外の者は、承諾します。この言葉しか考えていなかった。
「美雪さん。ごめんね。本当に、ごめんね」
「まさか・・・・」
 美雪の目をしっかりと見て頷いた。
「長老様。僕は、徴兵に応じます」
 新は、この場の全ての者に聞こえるように叫んだ。もしかすると、理不尽なことを強要されることでの怒りが込められていたかもしれない。
「そう男が言うのならば、長老との約束を認めよう。だが、これ以上、また、何かを隠していた場合は問答無用で村人の半分の成人男性を徴兵するぞ」
「はい。もう何も問題はありません。それでは、男衆も女衆も、祭りの準備をしてくれ。実行できしだいに直ぐにでも祭りを開催しよう」
「・・・・」
 普段なら、興奮と喜びで喝采するのだが、新と美雪の気持ちを考えて、頷くことだけで喜びを表した。
「それでは、新と美雪は、この場に残って欲しい。他の者は、解散だ。解散して祭りの準備だ!」
 殆どの者が、新に感謝の気持ちとしてだろう。お辞儀をしてから、この場から移動するのだが、その本人は、諦めているのだろうが、美雪が、新の代弁の気持ちなのか、皆に、怒りをぶつけるのだ。全ての者が居なくなると、長老が、新と美雪の所に向かってきた。
「本当に、済まない。ここだけの話だが、徴兵に応じずに、美雪と二人で逃げても良いぞ」
「えっ」
 美雪は、長老の話に驚くが、新に全てを任せる気持ちで、新に視線を向けた。
「あっはは、大丈夫ですよ。美雪さんの村ですし、村のために働きますよ」
 新は、美雪には頷き、長老には、冗談と思ったのだろう。一瞬だが笑ってしまった。
「そうか、そうか、すまないな。まあ、祭りを楽しんでくれ」
「・・・・・」
「美雪は、怒っているようだな。まあ、それでは、美雪の両親が許してくれるなら、わしの離れを貸そう。それで、許してくれないか?」
「まあ、まあ、まあ~本当ですの?」
「本当だ」
「それでは、今直ぐに、両親の許しをもらってきます。さぁ~行くわよ。新さん!」
 美雪は、長老に適当な感謝のお礼を言ったの後に、新の右手を握ると、無理矢理に引きずる勢いで自宅に向かうのだ。だが、その途中で、祭りの会場を通り過ぎる時だった。自宅に戻る理由が目に入った。
「わたし、新さんと一緒に住むわ。勿論いいわよね。では、さよなら」
 それは、母と父だった。二人は忙しく仕事をしている所に近寄って、簡単に伝えると、その言葉を聞いているのかなど確かめもせず。勿論だが、返事も聞かずに、言うだけ言うと、さっさと、長老宅に戻るのだ。
「長老様。親の許可をもらってきました」
「本当か・・・信じられん。まあ、そうか、許されたのなら構わん。好きなように使うと良い」
 長老は、懐から鍵を探しながら話しているが、本当に、両親に確認してからがいいのかと迷っていたが、幼子からの知っているために嘘を付く子ではないのも知っていた。それに、夢に満ちた煌めく目を見ては鍵を渡すしかなかった。
「ありがとう」
「あっ、だがな・・・その、感情的に流されることなく、身体を大事に、と言うか、その・・」
「えっ、なに?」
 美雪は、離れの事に夢中で何も聞いていなかった。
「まあ、いや、長く放置していたことで、掃除しなければならない。そう言いたかったのだ」
(大丈夫だろう。まあ、二、三日で身体を許すまではならんだろう)
「分かってま~す」
 長老の気持ちなど分からないままに、新の手を握りながら離れに向かった。そして、鍵を開けて中を見ると、無数の蜘蛛の糸あり。まるで、蜘蛛の巣のような状態だけではなく、天井や畳の上などに埃が積もっていた。気が強く、無神経な女性でも、中に入るには抵抗を感じる状態なのだが、新と住める。その感情だけが満たされていたのだろう。適当な木切れを拾ってクルクルと回しながら蜘蛛の巣を駆除するのだった。その後、箒や雑巾を使って掃除をするのだが、その間は、新は、何かに驚いているのか、いや、何をしていいのかと、立ち尽くしていた。
「どうぞ。中に入って下さい」
(本当は、わたしを抱っこして家の中に入りたかったけど、仕方がないわよね)
「はい。綺麗になりましたね」
 新は、部屋の中をキョロキョロと見回しながら入るのだ。
「うん。頑張ったわ。ねね、新さん。お腹すいたでしょう。わたしが何か作ってあげようか」
「はい。お腹が空きました。あっ、なら、薪でも割りましょうか」
「いいわ。それなら、長老の物置場にあるから持ってきて下さい。わたしは、食材を奈々子おばあちゃんからもらってくるわね」
 二人は、料理を作るために分担した。美雪は、直ぐに戻ってきて材料を切り出して調理を開始したが、新は、何日、この離れに居るか分からず、何かと湯を沸かすことが多いだろうと思い。美雪の料理が終わるまで薪を運び続けた。
「薪は、もう良いわよ。十分だから、でね。奈々子おばあちゃんには、もう話してあるから布団をもらってきてよ。その頃には食べられるように用意しておくわ」
「分かりました」
 離れは、居間と寝室の二部屋だけで、新は、寝室に布団を乱雑に置いた後に、まだ、美雪の料理は卓袱台に並べられてないが座って待つことにした。
「今、料理が出来ました。直ぐに並べますわね」
「はい」
 料理は並べられた。正確には鍋だった。それも、現代で例えるのならすき焼きなのだが、足りないと思っての肉や野菜と卵を多めに用意したのだ。普通なら食事の挨拶である。頂きますを言うのだが、二人は、隣の寝室に視線が行って同じような妄想を思って無言になってしまたのだが、誤魔化す気持ちからだろう。無言で食事を始めたのだ。それでも、同時に、美味しいね。と言った後は、すらすらと、会話が続いた。そして、美雪は、突然に真顔になり。
「わたし、羽衣を、新さんと思って片時も離さずに帰って来るのを待ちますわ」
「本当ですか!」
「もう馬鹿ね。子供の様に無邪気に喜ばないの!」
「済みません。本当に心底から嬉しくて、本当に嬉しく・・・て・・」
「もう泣かないの。気持ちは分かったわ。もうわたしが心配したのが馬鹿みたい」
「心配してくれたのですね」
「当然でしょう。戦争よりも、村を出れば、他の村や街には綺麗な女性に会う機会ああるのでしょう。そうなったら、わたしの事なんて忘れて・・・村に帰ってこないかも・・・」
「そんな心配はしないで下さい。僕は必ず帰ってきます!」
「うん。そうね。でも、浮気しても良いから必ず帰ってきてよ。遊びなら許すからね」
「浮気なんてしませんよ」
「でも、戦争って相手の命を奪うのよ。そのような命のやり取りをしていたら優しい心が消えてしますわ。だから、遊びなら許してあげるから優しい心を無くさないでね」
「大丈夫ですよ。美雪さんが思っているままの心も気持ちも変わらないで帰ってきます」
「うんうん」
 美雪は、嬉しくて涙を流しながら俯いていた。普通の恋人同士なら抱き合って接吻するはずなのだが、新は、恥ずかしいのか、美雪の頭を撫でながら謝るだけだった。
「美雪さん。そろそろ家に帰らないと、お母さんとお父さんに怒られるのでないのかな」
「はっあぁ、何を言っているのよ。許可を取ったでしょう。大丈夫よ。それよりも、わたしと一緒に居るのは、嫌なの?」
 美雪は、大きな溜息を吐いた。当然のことだ。戦に行く前の思い出を作ろうとして、新の行動を待っていたのだ。それでも、嬉しい事を言われたし、大切な物も頂いたけど、やはり、接吻くらいの甘い思い出が欲しいのは、女性でも分かるのに、軟弱で天然の新には分からなかった。その理由で、天然の新でも分かるように泊まる気持ちだったのに気付いてくれずに、怒りを感じる程の溜息を吐いたのは当然のことだった。
「嬉しいよ。嬉しいけど、結婚前の女性が男性の部屋に居るのが分かると、お母さんやお父さんが怒る。いや、心配するでしょう」
「新さん。わたしと居るのが嫌なのね。違うなら、本当に嬉しいのなら自分の想いを表すだけでなく、わたしに抱き付いて接吻でもしてよ。それくらいの気持ちを表して欲しいわ!」
 美雪は、怒りを表した。
「気分をこわして、本当にごめんなさいね。僕は、心底から嬉しいのですよ。でも、戦に行くのです。もしかしたら死ぬかもしれないのです。その時、美雪さんが、僕以外の人と結婚する時に迷惑が掛るようなきがしたのですよ」
「もう馬鹿!。わたしは、新さん以外の人と結婚する気持ちはありませんわ。そんな、他人行儀な考えよりも、抱き付きながら接吻でもして思い出を下さい。それだけで、わたしは一生、新さんだけを想って生きて行きます。もう馬鹿、馬鹿!。女性のわたしに、このような事を言わすなんて・・・うっううう、うぁああ!」
 新の気持ちが分からないために怒りを感じた。そして、泣き出してしまった。
「ごめんなさい。美雪さん。本当にごめんなさい。もう泣かないでください」
 美雪の思いとは違うけども、新が抱き付いて慰めてくれるので涙は止まったが、新の気持ちは慰める気持ちではなく、恐らく、この場から駆け出して逃げ出すとでも思って引きとめているのだろう。それでも、美雪は嬉しかった。
「もう痛いわ。何処にも行かないから、大丈夫ですから、少し力を緩めてください」
「あっ、ごめんなさい」
 新は、自分の行動に驚いて直ぐに、美雪の体から両手を離すと同時に飛び離れた。
「もう馬鹿ね。そこまで離れなくてもいいわよ。でも、凄い力だったわ」
「本当に、ごめんね」
「もう料理が冷めましたわね。だから、温めてくるわ」
 美雪は、新が頷くと、鍋を持って竃に行った。何か言われたような気持ちがして振り向いてみると、なにやら惚けているので言葉を掛けた。すると、満面の笑みを浮かべて近寄ってくるのだ。まあ、食事のことや今までの思い出などのくだらない話をしながら温め終わるまでの時間つぶしをするが、食事を食べ終えた後には、二人は、朝まで貴重な時間を有意義に、人生で最大の思い出を作るはず。それは、誰も邪魔する者も咎める者も現れるはずがなかったのだ。
「新さん。おはよう」
 美雪は、新が起きそうだったので挨拶をした。
「あっ・・おはよう。美雪さん。もう起きていたのですか・・・早いですね」
 新は、二人で朝まで起きて思い出を作る気持ちだったが寝てしまったのだ。だが、美雪は寝る事ができなかった。それも当然の気持ちだった。新は、徴兵への覚悟はできているが、美雪は、一分でも共に居たかった。それも、祭りが開始された。その次の日の朝に徴兵隊は出発するからだ。そのような気持ちもあるが、愛しい人だから寝顔も見ていたかったのだ。
「わたしも、今ですよ。起きたのはね」
「そうなんだ」
 新は、寝起きで、脳内は、まだ夢の中にいるのだろう。自分で何を言っているか分からないようだ。そして、数十秒後・・・・。
「ごめんなさい。昨夜は、寝ずに思い出を作ろうと、僕から言ったのに、知らない間に寝てしまって本当にごめんなさい」
「いいのよ。それよりも、早く顔を洗ってきて、一緒に朝食を食べましょう」
「うんうん。食べます。食べます」
「それにしても、外が騒がしいわね」
「そうだね。なんだろうね」
「まさか、もう、祭りが開催するの?」
 すると、玄関の扉が叩かれた。二人で、玄関を開けてみると、立って居たのは、長老の奥方だった。両手に何段も重なる菓子箱があった。それを渡す時に、今日の夕方から祭りが開催する。そして、次の日の朝ではなく、二日後の朝に徴兵隊が出発すると、それだけでなく、普段の祭りとは変わるために、参加したくなければ参加しなくても良いと言われるのだ。
「はい。少し考えてみます。知らせてくれて本当にありがとうございます」
 奥方は、後は、何も言わずに、悲しそうな表情を浮かべながら静かにゆっくりと玄関を閉めた。新は、それを待っていたかのように・・・・・。
「祭りに行かないの?・・・・ねえ、美雪さん。あんなに、祭りを楽しみにしていたのに・・どうしたのですか?。もしかして、僕が原因なの?」
「今回の祭りは笑顔の祭りでなくて、涙の祭りになると思うわ。だから・・ぐっふ・・・なんで、なんでなの。この村から徴兵なんて酷いわよ」
 美雪は、悲しみを我慢していたのだろう。それでも、新が、心配そうな表情を浮かべるから我慢に耐えられなくなって咽び泣くのだ。
「僕は、大丈夫だからね。必ず帰って来るからね。だから、心配しないで、祭りに行きたいでしょう。もし、一緒が嫌なら、この離れで留守番しているから祭り行ってきなね」
 新は、自分が原因だと感じて、何度も同じ事を言って気持ちを解そうとした。

第十八話(美雪と新の別れの前夜)

長老宅には、村に住む。男の子供を持つ母が訪れていた。夫の徴兵は諦めていたが、息子の徴兵を心配していたのだ。特に、年齢の制限があるはず。それが何歳からなのかと、長老に確かめに来ていたのだ。それが、まだ、長老は、徴兵の選別も年齢制限も決められずにいた。だが、母たちが訪れたことに困るのではなく良い相談ができると喜んだのだ。それに、現代なら村民の全ての年齢が届けられて分かるのが普通だ。もしかしたら、この時代でも他の都市や村なら記帳されて保存しているかもしれないが、この村では、そんな組織も仕組もなかった。その為に、村長は、年齢制限に悩んでいたのだ。もし、成人と認められる十六歳以上だと決めた場合に村に一人しか該当しなかったことを考えると、その子が可愛そうだと思ってしまったのだ。それが、二十歳以下の息子がいる母が全て集まったことで、年齢制限の目安が決められると安心しただけでなく、徴兵の選別の方法も良い案が出る。そう思ったからだ。そして、長老は、正直に悩んでいることを打ち明けると、この場の全ての母親が、この村には二十歳以上でも二十五歳以上でも同じだと言うのだ。それで、長老は、徴兵の年齢は二十五歳以上にすることにすんなりと決まった。後は、徴兵の選別だが、そう言うと、母親たちの全員が即座に、抽選にしたら良いのでは、祭りも開催するのだし、祭りの目玉でもある。景品のくじ引きに抽選に当たった者が徴兵されるなら、子供などに徴兵を知らせたくない者にも、景品と同時に、徴兵選別の札を渡すのも誤魔化せる。それに、くじ引きも、今まで使われた物を使えば、何も手間も掛らないはずだと、そう言うのだった。だが、この時に、長老は、自分の子供である。三兄弟の誰か一人は、抽選に外れたとしても、必ず徴兵に参加させると、皆に宣言したのだ。すると、母親たちは安心したのだろう。
「静かになったね」
「そうね」
 新は、美雪の気持ちが落ち着くと、やっと、外の様子に気持ちを向くことができたが、外の騒ぎとは、長老に徴兵のことで相談に来た者たちだった。そして、安堵した気持ちで自宅に帰る時に、長老の奥方が離れから出て来る姿を見て、三人の息子のことが思い出されて、丁寧に頭を下げる。それくらいしか気持ちを伝えることが出来なかった。
「それ、菓子だよね。それも、仙人の霞の饅頭でしょう。ねぇ、食べようか」
「そうね。せっかく、出来立てを持って来てくれたのだしね。食べましょう」
 二人は、包みを開けると、中身が思った通りの物だったので頷き合うのだ。そして、一つずつ手に取って口に運んだ。想像以上の美味しさだったので無言で食べた。二つ目を取る頃には興奮も落ち着いたからだろう。新が、口を開くのだった。
「ねえ、祭りって何なの?」
「知らないの?」
「うん」
「そうね。豊作の感謝の気持ちを神様に捧げる。だった・・・かしら・・ね。まあ、そう言うことは長老たちに任せるっていうか、殆どの村人は、そんなこと知らないと思うわ。皆は、一晩中踊るだけでなくて、神様に捧げる舞を見て楽しむのだけど、一番の関心は出店なのよね。それも、そのまま食べても甘くて美味しい。その真っ赤な林檎を飴で包むの。これは、本当に美味しいわよ。次に、女や子供は金魚すくいね。これは、私の家が、魚の養殖だから金魚すくいの担当をするの。他の家々からもいろいろな出店が出るわ。その中で男の子たちは射的を楽しむわね。そして、祭りで最大の関心は、異性に告白する場なのよ。それも、いろいろと趣向を凝らしているのが傑作なのよ。でも、今回は無理ね。徴兵されて戦地に行く人は諦めて言えないし、行かない人も友達の気持ちを考えて言えないはずだわ」
「そう、良く分からないけど、楽しそうだね。見てみたいね。そうでしょう。ねえ、行こうよ」
「でも・・・ねえ・・・」
「なら、リンゴ飴だけでも買いに行こう」
「そうね。リンゴ飴だけなら、子供たちの催しをするために、夕方でなく、午後からするわね」
「それなら、行こうよ。行こう」
「もう、分かったわ。そんなに行きたいのなら・・・・そうね。昼を食べてから行きましょう」
「うん」
 祭りに行くことに約束したのだが、新は、祭りの話をせがむのだ。美雪は、仕方がなさそうに聞かせるのだが、前回の祭りが開催されたのは、何年も前のことであり。子供の視線からの雰囲気だけで、大人の祭りとしては、年上の先輩などの話しでしか分からなかった。それでも祭りの楽しさを伝えている内容は、自分の期待と想像を膨らませた内容だった。そして、新の村の祭りは、と尋ねたのは、そろそろ、昼になる時間でもあり。話し疲れたことも話題が尽きたこともあるが、内心の一番の気持ちは、他の村の祭りを知りたかったのである。
「僕の村は、裕子と二人だったから分からないのです。ごめんね」
 美雪は、残念な気持ちだったが、話題を逸らそうとして、昼は何が食べたい。そう聞くのだった。新が悩んでいると・・・。
「そうね。なら、蕎麦にしましょう。祭りで食べたい食べ物のがあるの。男性と違って女性は沢山食べられないから昼は我慢するわ。新さんにも一人前ではなく半分にしたわ。一緒に食べられるようにね」
「そうなんだ」
 新が食べ終えて、丁寧な食事の礼を言うと、美雪は、少々慌てて食器を片づけるのだ。やはり、祭りが楽しみにしていたと、誰もが分かる様子を表すのだ。だが、新は、気付かない振りをして少しでも早く出かけられるように手伝うのだった。そんなことをしらない。美雪は、思っていたよりも早く祭りに行くことが出来ることに喜んでいたのだ。そして、玄関から出ると新の手を握るのだが、淡い恋からの感情からではなく、少しでも早く会場に着きたい気持ちだと分かる様子だった。着いて見ると、何の店から寄るかと興奮が抑えられないのだろう。その場で立ち尽くすのだ。それ程の盛大な祭りかと言うと、そうではなく、現代で例えるのなら蚤の市よりも小規模なのだが、美雪が思っていたよりも出店が多かった。その理由について、美雪には想像できないだろう。だが、子供や愛する者がいる者なら店主の表情から判断できる。まだ、徴兵の発表されていないが、店主たちは覚悟を決めていたのだ。愛する者に微かなことでも良いから思い出として記憶に残って欲しい。それだけの考えだったのだ。
「それにしても、凄い人の多さだね。でも、祭りって、こんなにも人が集まる程に楽しいの?」
「勿論、人生が変わる程に楽しいのよ」
(でも、こんな早い時間に大人が集まるのは変ね。それも、大人の男性だけなんて・・もしかしたら村の全ての男性なの・・かしら・・・)
「どうしたの。突然に黙って・・・ん?」
「えっ、あっ、何の出店から行くか考えていただけよ」
 美雪が思っていた通りに、村の全ての男性が集まっていたのは徴兵を決めるくじ引きのためだった。祭りでは、告白の場の次に人気のある豪華景品が当たる紙札のくじ引きで景品を受け取る時に、徴兵されることに決まりました。そう告げられた。泣き出す者もいたが、家族、特に、子供には嬉し涙だよ。お前が好きな菓子が当たったのだよ。そう告げるが、くじ引きが外れた者も、がっくりと残念がるが、徴兵のことは告げられない。喜ばしいことに徴兵にも外れたのだ。両方の男性は微妙に様子が似ているが、違う点は、親、妻などの大人たちは、愛する人が徴兵されたと分かると、その場で泣き崩れる者の反応が違うのだった。
「これが、リンゴ飴!」
「美味しい?」
「うん。本当に美味しいね」
「なら、次ね。次に行くわよ」
 美雪は、新が食べ終わると、焼きそば、お好み焼き、焼き鳥と、次々と、連れて行っては食べ続けるのだ。もう食べられないと言い合いながらも出店の前に来ると、注文して食べてしまうのだ。そんなに、多くの金銭を持っているのかと思われるだろうが、村の共同財産の分配で無料だったこともあるが、結局二人は、全ての出店を食べることになり。そして、腹ごなしだと、祭りの全てを見て回るのだ。それでも、美雪は、父がする金魚すくいだけは避けていたのだが、幼子の女の子が集まっていたので、新が寄りたくなるのは当然で、仕方がなく行くことになるのだった。
「よ~!。娘よ。ごめんな。大好きな菓子のくじ引きには外れたよ。ごめんな!」
「えっ!」
 美雪は、驚いたと当時に安心した気持ちもあった。家に帰れと言われると思ったのに、何も言わずに頭を下げた。自分にと思ったが、新にだと思えた。それは、徴兵を承諾した感謝の気持ちだったのだろう。そして、娘に視線を向けて、徴兵に外れたと、遠回しに伝えたのだ。
「新さん。金魚すくいをしてみる?」
「いいのですか?」
「はい。好きなだけしていいですよ」
「いや、三度だけだ。金魚が取れなくても直ぐに帰れ!」
「何で、そんなことを言うの!。もしかして、私の好きな人だからなのね」
「そんな人ではないわよ」
「お母さん!。なんで居るの?。まさか!」
「今、叫ぼうとしたことは、どうでしょうね。徴兵に不満な人はいるから何とも言えないわ」
 父も母も村の警護隊の一人だった。だが、母はと言うか、女性の警護人は覆面をして影で任務をこなし家族にも内密するのだった。それでも、母だけは、幼い頃から男勝りだった理由もあり。誰もが知るのだった。そんな母が、祭り会場にいるだけでなく見回りをしている感じだったので、やはり、徴兵を命じられた者たちが納得できずに騒ぎを起こす可能性が高いのだろう。それで仕方がなく、父の言われた通りに長老宅の離れに帰るのだった。
「美雪さん。祭りって本当に楽しいね」
「そうでしょう。でも、本当は、祭りの最後は男も女も一緒になって踊るのよ。そして、終わった後の告白するのは見ている方でも興奮するわ。まあ、承諾してもらうためにね。いろいろと、考え抜いた趣向を凝らすのよ。当時、子供だったけど興奮したわ」
「子供でも参加できるのだね。凄いね」
「違うわ。親に黙って家から抜け出すのよ」
「小さい時は、お転婆だったのですね」
「もう、気にするのわ。そっちでは、ないでしょう」
「えっ、声が小さくて聞こえなかった。何て言ったのです?」
「何でもないです。でも、その・・・・もう、何なのよ!」
 美雪が、思いの希望を伝えようとした時だった。玄関を叩く音が響いた。
「ごめんなさいね。お酒をお持ちしたわ。まだ、飲んだことがないでしょう」
「えっ!」
 長老と奥方が現れたのだ。そして、長老は、二本の瓶を手渡すと、奥方の方が何かを誤魔化すかのような少々息の荒く声も大きかった。
「若い子たちがね。お酒を出す前に、それも踊りを始める前に、何か不満があったのでしょうね。少々な騒ぎになってね。仕方がなく、祭りは中断してお酒を配って家に帰したのよ。だからね。家に帰らない人もいるから・・・その・・もう外には出ない方がいいわ」
「・・・・」
 美雪は、何か不審を感じて睨んだ。
「まあ、邪魔してごめんね。そんなに、怒らないでよ。ゆっくりと、二人でお酒でも飲みながら思い出を作るといいわ。あっ、それとね。新さんに、全員の徴兵者は決まったわ。明日の朝一に紹介するから外の広場に来てと、そう伝えてよね」
「あっ!」
「どうしたのです?」
「外から名前を呼ばれたような気がして・・・」
「気のせいよ。なら、新さんに伝えてね。それでは、帰るわね」
 長老夫婦は、慌てた感じで玄関を閉めるのだった。確かに、美雪と新と名前を呼んでいるのだが、目的は、二人に告白するために来たのだ。それに、騒ぎとは、二人だけでなく未婚の男女の全てが同じ行動していたのだ。その為に、酒が入ると、騒ぎは大きくなると感じて、男女とも相手がいる者には酒を渡して家に帰した。特に、美雪と新は人気があるだけでなく、他人の感情に流れやすく本命の気持ちも一緒に流してしまう。それを長老夫婦は心配したのだ。だが、室内の様子が聞こえて安堵するのだった。それでも、済まなそうに、離れの玄関に向かって何度も頭を下げるのだった。
「新。本当に済まない。明日の朝まで誰にも邪魔をさけない。だから、許して欲しい」
 長老は、何か重大な事を隠しているようだった。それは、新に関係あるはずだ。

第十九話(美雪と新の別れ。当日)

一室に一つだけ簡易な寝具があり。その寝具に寄せるようにして一組の布団が畳の上に敷かれていた。直ぐにでも寝られる準備なのだが、二人は、寝台の上に腰掛けて話をしながら起きていたのだ。普段の村では、この時間では起きている者はいないのだが、祭りだからだろう。多くの家の灯りも消えていなかった。
「ねえ、初恋って、いつだったの?」
「美雪さんは?」
「わたしは、新さんが、初恋の人よ」
「子供の時もいなかったの?」
「まあ、村の風習っていうか、運命の泉に映る人って考えがあったから・・・でもね。大人になると、運命の泉に映るはずがない。そんな、少女趣味など忘れて、見合いで結婚するのが普通なの。だから、間違いなく、新さんが、初恋の人よ。それよりも、新さんは?・・・」
「僕は、物心が付く頃には、裕子との二人暮らしだったから・・・誰もは会ったことが・・・」
「そうなの。ごめんね」
「いいよ」
 この頃になると、新は、眠気を感じているのだろう。ほとんど、頷くだけでなく、横になって聞いては、返事を返す時に起き上るのを繰り返していた。そして、眠気に耐えられなくなり。新は、寝てしまった。美雪は、そんな様子に不満そうだったが、寝顔を見ると、嬉しそうに見つめ続けた。それも、何時間も過ぎた頃だった。日が昇ったからか、自分も空腹を感じたからなのか朝食の用意を始めるのだ。
「新さん。おはよう」
 新は、包丁などの料理を作る快い音で気分良く目を覚ました。
「あっ・・・おはよう。美雪さん。もう起きていたのですか、早いですね」
 寝起きで、脳内は、まだ夢の中なのだろう。自分で何を言っているか分からないようなのだが、十秒後、今まで寝ていたことに恥じるような表情を浮かべた。
「ごめんなさい。昨夜は寝ずに思い出を作ろうと、僕から言ったのに、知らない間に寝てしまって本当にごめんなさい」
「いいのよ。それよりも早く顔を洗ってきて、一緒に朝食を食べましょう」
「うんうん。食べます。食べます」
 美雪は、新を見つめ続けた。
(まさか、顔を洗わずに水で濡らしただけ、それに気が付いて不潔な人って思ったのかな?)
 新は、美雪の視線に耐えられず内心を打ち明けようとした時だった。
「ねえ、新さん」
「ごめんなさい」
「えっ、どうしたの?」
「何でもないよ。それで、何を言い掛けたのですか?」
「あのね。朝食を食べ終えた後ね。お父さんとお母さんにお願いしようと思うの」
「お願いですか?」
「そうよ。新さんが、徴兵に出発するまで、新さんの部屋で生活するのを許してもらうの」
「えっ・・・・ええ!」
(そんなこと言ったら、僕は殺されるよ)
「嬉しいよ。でも、結婚もしてないのに許すはずがないよ」
「新さんは、何も心配しないで喜んで待っていればいいのよ。わたしが心底からお願いをすれば、親だろうが、誰だろうが、分かってくれるわ。だから、大丈夫だからね」
「うっ・・・・・ん」
(それって、脅迫って言うのでないかな・・・何か後で困ることが起きそうな感じがするよ)
「新さんは、だから、何も心配しなくていいの。それよりも、さあ、朝食を食べましょう。今日は忙しい一日になりそうだわ。だって、親は許してくれるはずだし、この家も新居になるのよ。綺麗に掃除しないと駄目だしね」
 今の返事には答えられずに無言で食べて誤魔化した。もし何か一言でも答えると何倍にも返事がくると予想ができたからだ。
「美味しい?」
「うん」
「お替りは良いの?」
「うん。お腹いっぱいです」
 そんな時に、扉を叩く音がした。新が出ようとしたのだが、美雪が文句でも言うつもりなのか、頬を膨らませて出るのだ。すると、長老だったので、手で口を隠して挨拶をするのだ。普段の長老なら笑って冗談を言うのだが、真剣な顔して、新に直ぐに来て欲しい。そう言うのだ。仕方がなく、新に長老の言葉を伝えるのだ。
「わたし、この家で待っているわね」
「う~でも、直ぐに用事が終わるか分からないよ。もしかしたら、夜遅くになるまで掛るかもしれないよ」
「大丈夫よ。わたしは少しでも早く会いたいから、この部屋で待つわ!」
「そうか、それなら、お母さんとお父さんの許しが出たら部屋で待っていて!」
「分かったわ」
「なら、良かった。そろそろ、行くね」
「あっ、ちょっと待っていて、朝の残りだけど、昼食の弁当にしてあげる。直ぐに詰めるから持って行ってね」
「ありがとう。行ってくるね」
「いっていらっしゃいませ」
 新は、嬉しそうに弁当を両手で大事そうに持って玄関から出るのだ。美雪も嬉しそうに見送るのだが、これから先のことをまだ知らないのだ。これが、別れの最後の会話であり。新の満面の笑みを見るのも最後になるかもしれない。それを知らずに忙しい一日が始まるのだ。真っ先に、実家にいる。両親を説得と言う脅迫をしに家に帰り。承諾させると、新の家に帰り掃除と洗濯などを嬉しそうに始めて、全てが終わると夕食の料理を作るのだ。その頃になると、今日一日は何も食べてない事に気が付くのだ。だが、新と一緒に夕飯を食べたいからだろう。腹の虫が鳴らない程度だけ口にして玄関に出て待つのだ。村で決められた一日の計画労働の予定ならば、そろそろ、帰って来る頃なのだが何時間も待っても帰ってこない。それでも、待ち続けて、次の日に日付が過ぎようとする頃だった。
「美雪。家に帰ろう」
「遅いから迎いに来たのよ」
「でも、新が帰って来ないの・・・」
 二親に声を掛られると、その場で泣き崩れた。
「その理由は、お父さんが聞いて来たわ。それを教えるから家に帰りましょう」
 美雪は、親が言ったことを拒否すると言う考えで立ち上がったが、気力の限界だったのだろう。その場で気を失ってしまったのだ。それは、当然だろう。空腹であり。一日身体を動かし続けたのだからだが、新の笑みが見られると思っていたから出来たことなのだ。そして、二親は泣きそうな表情を浮かべながら娘を抱えて家に帰った。父親は娘の自室に寝かせて部屋から出て来ると、妻に言うのだ。
「寝かせてきたよ。明日の朝まで起きないかもしれない」
「そう」
 それなのに、二親の話し声で目が覚めたのか、美雪が起きてきた。
「お父さん。お母さん。何か知っているのでしょう。今直ぐに話を聞かせて!」
「いいわ。でも、お腹が空いたから食べながら話をするわ。美雪も食べましょう。いいわよね」
 美雪は、ゆっくりと頷いた。母の空腹とは嘘で、美雪に食べさせるためだったが、それ程まで、美雪は、理由を知りたかったのだ。すると、既に、夕食の用意が出来ていたのだろう。直ぐに食卓に料理は並べられた。美雪は食べようとしなかったので、二親は、先に料理を口にしてから、美雪も食べろ。と視線を向けた。直ぐに話を聞きたかったのだろうが、食べなければ話をしない。そう感じたので、仕方がなく食べ始めた。その様子を見て・・・・。
「先に言っておくわ。私たちは何もしていないからね」
「分かったから早く教えて!」
「お父さんがね。美雪の帰りを待っても、待っても家に帰って来ないから、新君が原因だろう。それで、長老宅で厄介になっているはずだと、文句を言いに行ったのよ。そしたら、朝一で村から徴兵隊が出発したと、長老は、悔しそうに理由を打つ明けたって・・・」
 王からの使いの役人は、一週間の間は村にいると約束したのは嘘ではなかった。勝ち戦だったことで、それでも、戦では何が起きるか分からない為の予備兵力の徴兵の任務だった。それが、今日の朝、緊急の使いが村に現れたのだ。戦況が突然に変わって味方が撤退を始めた。それで、至急に徴兵の兵が必要だと口頭だけでなく書面を見せられた。と言うのだ。
「そんな酷いわ。挨拶も出来ないのなんて!」
 美雪は、人としての心がないのと、思うのだが、王の使いの役人も人の気持ちはあった。長老の接待をされたからではないだろうが、好意の気持ちから最低の一年だけの契約期間にしただけでなく、徴兵の開始の期間も融通してくれたのだ。普通なら現地に着いてから契約の開始が開始日なのだが、村から出た時からにしてくれたのだ。
「そう思うわよ。でも、役人さんもね。人の気持ちもあると思うわよ。それはね。兵士でなくて補給隊の部隊に組み入れてくれるらしいわ。だから、死ぬような戦いにはならないらしいの」
「でも、でも・・・」
「気持ちが収まらないのなら、新君の部屋に行っても良いわ。一年も誰も入らなければ人が住めなくなる程まで汚れるだろうからね。その掃除に好きなだけ行ってもいいから、だから、夜だけは帰ってきなさい。ねぇ、分かってくれるわね。大丈夫よね」
「はい」
 嗚咽を吐くような返事だったが、気持ちだけは伝わったようだった。
「それでは、もう寝なさい。朝一には新君の家に行くのでしょう」
 美雪は、ゆっくりと頷いた。少しは気持ちが晴れたのだろう。言われた通りに自室に戻り床に入った。そして、二親が思った通りに、いや、それ以上だった。二親が起きる前には起きて朝食の用意もしてあった。当然だが、娘は居なく、新の部屋であり。長老宅の離れに向かったのだ。それ程まで早かったのだから、もしかしたら寝ていなかったのか?。そこまで分からないが、二親から何も言われないように全てを終わらせて自宅から出て行ったのだ。
「もう居ないわ。もう、新君の部屋に行くななんて引き止めたりしないのに、朝食くらい一緒に食べてくればいいのに・・・」
「そうだな」
 二人は悲しそうに、娘が特にお気に入りの得意料理を作っていった。その料理を食べた。そして、美雪は、何をしているかと言うと、運命の泉に居た。新の様子が感じられるかと思ったからだった。
「確か、新さんは、左手の小指の赤い感覚器官が示す方向に居ると言ったわ。でも、朝起きて寝台の上で、新さんを感じようとしたら赤い感覚器官は見えなかった。だから、泉に来たのに見えないわ。どうすれば良いの?」
 泉の周りを動きながら腕時計を見るように何度も同じ仕草をした。だが、見られないからって簡単に諦めることができるはずもなかった。そして、泉の神様に失礼な事をしていると、そう気が付いたのだ。直ぐに、正式な作法を始めた。早く新の無事を知りたくて、慌てたこともあり何度も失敗したが、それでも、最後の一つを残すまで作法を終わらせていた。そして、祈る様に最後の作法をしようとした。それは、泉の水を一口飲むことだったが、慌てたことで口からこぼしたが何とか飲むことができた。
「感じたわ。北西の方向にいたわ。でも、もう自分が知る村ではないわ。それに、段々と遠くへ、遠くへ、と離れて行く・・・一言でも別れの挨拶がしたかった。それも許されないのですから・・・神様・・・」
 美雪は祈った。少しでも早く、でも無事で帰ってきてと、心の底から願った。言葉にしたら願いが叶わない。そう思ってのことか口も開かずに、もしかすると自分でも気が付いてないのだろう。息も止めて真剣に願ったのだ。その願いが通じたのか・・・羽衣の力か、新が行進している姿が見られた。それだけだったが、美雪の気持ちは落ち着いた。

第二十話(旧知との再会)

新と同じ村の徴兵隊は、他の五か所の村に寄っては徴兵を続けながら一週間後に東都市に到着した。
「凄い。何て人の多さだ。全てが徴兵された兵員なのか?」
 東都市の人の多さに驚いていたが、今回の戦で特別に徴兵されたために人が多いのではなかった。元々、陸路、海路の両方の交易で、関係者や交易する者立ちが多く居たのだ。それを証明するのように服装や髪形などで様々な国の者たちだと分かるはずだ。
「この都市では、殆ど徴兵された兵員はいない。休息と派遣先が決まれば直ぐに都市から出発するからな。まあ、この隊では家族と別れの挨拶も出来ない者が多いだろう。一日くらいの自由時間は頂けるはずだ。その時に手紙と同時に土産でも送ってやるのだな」
「・・・・」
「ああっ、安心すると良いぞ。我らの主様は気前が良い人だ。先に半年分の契約金は自由時間が取れた日に頂ける。だから、好きな物を買って送ってあげるのだな。勿論、海路でも陸路でも送料の代金は、主様が全額負担するぞ!」
「うぉおおお!」
 先程まで死んでいるのかのように青ざめていたが嘘のように興奮を表した。もしかするとだが、先程までの状態では兵員として役に立たないのが分かっていたのだろう。それで、士気を上げるのと同時に、他国の交易人に戦争でも交易に問題がないと、知らせることの二つの目的なのだろう。確かに、交易人たちは、交易に関する税を安くしたとしても訪れてくれない。中には命を掛けても金が第一だと考える者もいるだろうが、殆どの一般交易人は長い旅で会えない家族に、特に子供に交易での楽しい思い出を聞かせながら客の笑顔を思い出したいのだ。その楽しみで交易を続けてこられたはずだ。そのために、徴兵された者たちは、村から出たことも、交易人を初めて見る人が多いので、最高に適した客でもあり。新たな交易の開拓にもなるのだった。
「それでは、宿舎に案内しよう。今日は、疲れを取って寛いで欲しい。明日の朝一には迎いに行く。そして、この戦の最高指導者の労いの言葉と、配属先を決められるだろう」
 都市の大事な用途だけを案内しながら様々なことを話し続けている時に・・・。
「新なのか?」
 新も他の徴兵隊も珍しそうに辺りを見回していた。すると、こちらに駈け寄って来る者を見続けるが記憶になかった。自分の気持ちとしては、全ての記憶が戻ったと思ったが、誰なのかと考えると頭痛がした。
「やはり、無事だったのだな。本当に心配したのだぞ。今まで、どこに居たのだ?」
「・・・・」
「どうした?・・・・忘れたのか、俺だ。登だよ」
「のぼる?」
 新は、初めて口にする感じなのだが、心の中では安らぎを感じる思いだった。
「もしかして・・・・記憶が無いのか、やはり、崖から落ちたのが原因なのか、それで、探しても、名前を叫んでも答えてくれなかったのか、そうか、そうか、そうだったのか!」
 徴兵隊の隊列が乱れたからだろう。新と登の所に駈け寄って来る者がいた。
「なぜ、隊列を乱すのだ。まさか、脱走する考えなのか!」
「すまない」
「えっ、まさか、登殿・・・・・この者と知り合いなのですか?」
 登は、深々と頭を下げた。その姿を見たから男が低姿勢な態度に変わったのではなかった。登は、東都市の客分の扱いだが、事実上では、近衛隊を除いた。東都市の全ての隊の副官だったのだ。それには、少々理由があった。西都市と東都市を結ぶ第三街道での共同での利用であり。警備も共同のだったために副官の対応で指揮ができるようにしたのだ。それと、登が東都市にいるのも、西都市に正式の軍の編成する準備でもあったのだ。そんな状況を知る。だけでなく、上官と言うよりも、雲の上の人々と感じるほどの上官だったからだ。
「貴方の仕事の邪魔をして済まなかった。出来れば名前を教えてくれないだろうか?」
「名前など、勿体無いことです。邪魔ではありません。好きなだけお話し下さって構いません。時間など気にせずに、どうぞ、どうぞ!」
「そう言う意味ではない。この徴兵隊を自分の隊に編入したいのだ」
「えっ・・・それは・・・・」
「それで、名前を聞きたかったのだ」
「うっ・・・・そうでしたか・・・それでは、こちらで手続きをしておきますので、何も気にせずに徴兵の兵員をお連れ下さい」
 名前を言って恩を売らないのかと考える者も多いと思うが、ある程度の上官なら伝えるかもしれないが、これ程までの上官では、名前を覚えられるのは逆に恐怖を感じてしまったのだ。
「ありがたいことなのでしょうけど、我々は、この男の言った徴兵契約でないと困るのです」
「内容・・・だと・・・・新。それは、どう言うことだ?」
 登は意味が分からないので、新に問い掛けた。だが、新は、徴兵隊の隊長に視線を向けて言って良いのかと視線を向けるのだが、なぜか、関わりになりたくない。その様な態度で視線を合わせてくれなかった。それで、登の話を断ろうとしたのだが、他の徴兵された人たちの視線を感じて、仕方がなく全てを話したのだ。
「ほうほう、特例として期間を短くしてもらったのか、それなら大丈夫だ。そのようにしよう。だが、新は駄目だぞ。一緒に西都市に帰ろう。小津殿も心配しているのだぞ。勿論だが都市の皆も同じ気持ちだ。それに、約束の饅頭も食べさせたい」
「西都市?」
「そうだ。その事もある。いろいろと話がしたい事があるのだ。お前が好きな饅頭を食べながら話をしよう。あれから、新にいつ会っても良いように饅頭を持ち歩いているのだぞ」
「饅頭って、仙人の霞の饅頭?」
「なんだ。記憶があるではないか、それなら、饅頭を食べたら全てを思い出せるかもな!」
「・・・・」
 何て答えて良いのかと悩むと同時に、詐欺師か誘拐犯なのかと、完全に他人と感じていた。
「新。なぁ西都市に帰ろう」
「・・・・」
「余程のことがあったのだな。俺が守れなかったのが原因なのだろう。だから、償いとは違うが西都市で気持ちを解そう。前のように満面の笑みを浮かべながら饅頭を食べる姿が見たいのだ・・・駄目なら諦めるが・・・・」
 登は本気で心配し、また、無邪気な笑顔が見たかった。そんな、気持ちを新にぶつけたのだが、微かな表情も変えてくれなかった。仕方がなく諦めようとした時だった。
「自分は、新と同じ村の者です。新には、好きな人がいて可能な限り直ぐにでも村に帰りたいのです。その気持ちが心に満ちているので、他のことには関心が向かないのでしょう」
 新と登の様子を見て、新の態度の理由を伝えなければならない。そう感じた。
「そうだったのか、それなら紹介してくれよ。なあ、新。西都市の皆も喜ぶぞ!」
「・・・・」
 登は大袈裟のように言うが、自分の内心の気持ちだが、本当のことだった。
「はい。皆も一緒で良いのでしたら行きたいと思います」
「安心しろ。西都市から東都市に行く道の警護をしてもらうだけだ。戦いにはならないだろう。なら、俺と一緒に来てくれるのだな?」
「・・・・」
 新は、不審そうに、登を見続けた。
「皆も一緒なのは当然だろう。と言うよりも、俺を信じて、今直ぐに俺と一緒に来てくれ、後からでは、別の指揮系統に組み込まれた時では助けられない。だから、一緒に来てくれ!」
「分かりました」
 新は、皆に視線を向けて頷く姿を見ると、登に頭を下げた。そして、登は、嬉しそうに何があったのかと聞くのだが、初対面のような態度は同じだった。それでも、村の話を嬉しそうに話をするのを聞いていたが、突然に、登は、興奮を表した。
「結婚式は、まだなのだな。それでは、西都市で結婚式をしないか?」
 新は、少し首を傾げて、登に何か問うように視線を向けた。すると・・・。
「記憶を無くしたとしても、西都市の人々は、新のことなら喜んで祝福してくれるぞ!」
「そうですか、それ程のことを自分が何かしたのですか?」
「正直に言うと、何かをしたと言えばしたが、何もしていないと言えばしていない」
「それだけのことなのに、都市に住む人の全てが祝ってくれるのですか?」
「何があったかは全てを話そう。それよりも、そろそろ、この場から移動しないか、何事なのかと見物人も増えてきたし、俺を信じてくれないか」
「あっ、驚いているだけです。もう信じていると言うか、信じたいのが本心です。自分の命だけでなく、皆の命も助けてくれるのですよね」
「正直に言ってくれて嬉しいと同時に悲しい。本当に泣きたいくらいだ。それでも、訂正しなければならない。命を助けるのではないのだ。徴兵の契約を白紙に出来ないが、戦いになる確率の低い部隊に赴いてもらうだけだ。それでも、戦いになる場合もあるぞ!」
 登は、鼻をすすっていた。本当に悲しいのだろう。確かに、友や家族に、新のような態度で言われれば、殆どの者が怒りを超えて泣きたくなるはずだ。
「それでは、行こうか!」
「あっ、もし出来れば、今まで歩き続けて身体が疲れているのです。直ぐに出発するのではなく、少し休ませて欲しいのです」
「安心しろ。西都市の宿泊施設に向かうだけだ。その施設で身体の疲れを取って、明日にでも出発しよう」
(俺が知る新とは、まるで別人だ)
 登は、新に言葉を掛けるのではなかった。そう思い始めている。もしかすると、あの崖のことだけでなく、俺や西都市でのことは、嫌な思いだとして忘れたのかもしれない。それか、もしかしたら別人なのかと・・・・それで、あることを聞こうとした。
「安心しました。それで・・・・ん?」
 登が何か言いたそうにしていたので、新は、それ以上は言葉を口にしなかった。
「一つ、聞いてもいいかな?」
 登は、以前に、共に行動する運命を感じると言ったことを思い出して、もしも別人でなければ、方向か、行動の理由などを言うと考えたのだ。
「はい」
「何も感じないか?」
「感じ?」
「そうだ。行かなければならない方向か、何かの運命を感じないか?」
「それを・・・なぜ・・・分かるのですか?」
「新が、何かの運命をを感じると言って、俺と一緒に西都市を出たのだ。その途中で刺客に襲われて、逃げる途中で崖から落ちて記憶を無くしたはずだ!」
「あっ・・・そう言う理由が・・・それで、無事を喜んでくれたのですね!」
「そうだ」
「確かに、この都市に来る運命は感じていました。それで、好きな人にも別れの挨拶が出来なくても、何一つとして言葉にせずに命令のまま都市に来ました」
「そうか、そうか、また、何か嫌なことでも起きるのだろうか?」
 登は、新の話を聞いて涙を流した。
「それは、自分には分かりません」
「そうか、だが、ここまで大人らしくなって、本当に、いろいろな事があったのだな。俺が一緒なら助けてやれたのに・・・もっともっと・・・捜せばよかった。本当に済まなかったな・・」
 涙を流していたが、叫ぶような嗚咽にかわっていた。
「もう気にしないで下さい。それも、運命だったのです。そのお蔭で運命の人と出会えたのですから、自分は、喜んでいるのです。だから、何も気にしないで下さい」
「それ程までの女性に出会えたのだな。機会があれば紹介してくれよな!」
「はい。勿論です。それよりも、自分で何とかするか、それとも、誰かに相談するかと悩んでいたことを、それを聞いてくれますか?」
「勿論だ。何でも言ってくれ!」
「この都市から西に向かう街道があるはずです。その街道の二十里の所に盛大に篝火を一晩中たいて欲しいのす。それと、何十個の小さい篝火も用意をお願いします。そして、一晩が終わった後も盛大でなくて良いので、西都市の不安が消えるまで続けて欲しいのです」
「第三号街道のことだな。その約半分の距離だな。中継地点の事か?・・・それも、一晩中かぁ~かなりの薪が必要になるな。それに、小さい篝火もか~分かった。何とか用意しよう。だから、何も心配するな!」
「用意が出来ると思っていいのでしょうか?」
「安心しろ。必ず実行する!」
「自分の勝手なお願いを聞いてくれて、本当にありがとう御座います!」
「そこまで、新が言うのだ。特別な理由があるのだろう。それで、肝心なことだが、日時の指定や場所の指定もあるのか?」
「あります。今直ぐにでもして欲しいのですが、遅くても、三日以内に、最低でも小さい篝火だけでも焚いて欲しいのです」
「それなら、大丈夫だ。その頃なら西都市に帰還するのに街道を進んでいる頃だ」
 登の返事に、新は、心底からの安堵の表情を浮かべた。

第二十一話(篝火の設置)

登の隊と新と徴兵隊は、東都市で一日の休息をした。その次の日の夕方に慌しく帰還することになった。それでも、徴兵隊には、前金として契約金の一部が払われて、東都市で観光と家族に土産や送金をする寛ぎの時間はあった。勿論、それ以上に、登の隊の者は十分に楽しんだ。「東都市から西都市に帰還するぞ。また、皆で東都市に来ようぞ!」
「うぉおお!」
「出発!」
 登の号令で西都市へ部隊は出発した。先頭には、新と登、その後を徴兵隊が荷馬車を交代で動かすのだ。そして、後尾では、本隊であり。料理長と言うあだ名の副隊長が徴兵隊の尻を叩くような感じで行進していた。
「新。街に入ったら指示を頼むぞ」
「はい」
 新は、返事を返すが、何時、指示が来るか分からなかった。それでも・・・。
「昨夜に言われた。二十里(八十キロ)の所で盛大に篝火を焚くことと、何十個の小さい篝火の設置以外にすることがあるのか?」
「今の所は、何も感じません」
 新が昨夜に、登に頼んだことの理由が起きていた。それは、北東都市に関係していた。
「それは、良かったが、徴兵隊が荷物を運びながらだと二日は掛るぞ。それでも、間に合うか?」
「大丈夫のはずです」
 新は、大丈夫と言うが、間に合うか間に合わないかのギリギリの時間だった。
「それならいいのだが、一つ聞きたいことがあったのだ」
「何ですか?」
「篝火と言うからには一か所で盛大に焚くのもいいが、道に適当に篝火を置くのは駄目なのか?。明るくて良いと思うのだが・・・駄目なのか?」
「駄目です。僕が置いて欲しい所だけにして下さい。ですが、この件が終わった後でしたら好きなように置いても構いません。だから、今回だけは僕の指示の通りにして下さい」
「分かった」
 そして、所々で休憩を取りながら歩き続けていると、街道での入口でもある。木の林が永遠と続くような感じの道が見えてきた。そして、そろそろ、太陽が完全に沈もうとしていた。
「あっ!」
 新が左手を押さえて蹲った。
「新、どうした。大丈夫か?」
 登が驚くのは無理がなかった。新と楽しい会話とまで言わないが、それでも、少々の疲れを顔に表していたが、特に不満もなく歩いていたのだ。それが、突然として苦痛を表したからだ。
「大丈夫です」
 新は、痛みを感じると同時に、目の前に陽炎のような景色が見えた。それだと、直感した。この景色と同じに篝火を焚かなくてはならないはず。そう思うと同時に声を上げた。
「四十八本の篝火を、同時に焚きたいのです。ありますか?」
「そこまで言うのなら仕方がない。確認させよう」
「すみません」
「おおい!・・・誰か!・・・来てくれ!」
 登は振り向き、近くの者に手を振った。すると、直ぐに一人の男が走ってきた。
「登隊長。何でしょうか?」
「篝火を焚きたいのだが、何本あるか確かめてくれないか?」
「承知しました」
 男は駆け出して、徴兵隊が引いている荷馬車に近寄り調べて、直ぐに帰って来たのだ。
「五十二本がありました。足りませんか?」
「済まない。足りる。だが、作ってもらう場合がある。その時は頼むぞ!」
「承知しました」
 新は正面から目を離さなかった。と言うよりも、目の前に見える陽炎のような景色と、現実の景色とが、まるで、指紋の適合を確認するかのように同じに重なるのを見続けた。だが、何歩も歩くが重ならない。それでも、重なるのを信じて歩き続ける。そろそろ、二十分くらい過ぎただろうか、精神的にも疲れが、諦めるべきかと思う時だった。一瞬だけだが、自分が願ったからの夢か錯覚かと思ったが、何秒、いや、何十秒が過ぎても重なりが消えない。やっと見つけた安堵と本当に重なったからの驚きで声を上げてしまった。
「あった!」
「えっ?」
 登には意味が分からない言葉だった。
「登さん。目の前に見える。一本の木が枝を揺らしていますよね。その木の根元に篝火を焚いて下さい。それと、向かいの木にも同じように焚くのをお願いします」
「えっ・・・・揺れている・・・・・どの木が・・・」
 登は、新が嘘を付くはずがないと、かなり真剣に探した。もしかすると五分は探し続けたかもしれない。だが、そんな木はなかった。
「えっ!。見えませんか、皮が少し剥がれている木ですよ」
「確かに、皮が剥がれた木はある。だが、揺れていない」
「そんな、馬鹿な?」
「恐らく、新しか見えないのだろう。それは、良いとして、皮の剥がれた木の根元に篝火を焚けばいいのだな!」
「はい」
「直ぐに篝火の用意だ!」
 登は駆け出した。そして、その木の目の前に止まり。手を振って場所を教えるのと、時間がないと急がせたのだ。その声色に態度で部下は余程のことだと感じ取って、死に物狂いで速やかに用意をして篝火を焚いたのだ。
「その向かいの木にもお願いします。それと、街道の両側に三本の木の間隔を空けて篝火を焚いてください。五十本はあるのでしたね。初めは、それだけでいいです。お願いします」
「ああっ何とかしよう!」
 登も部下も分かっているのだが、新は急がせた。全ての設置を終えると、新の目の前の陽炎のような景色と同じになると、その景色は消えた。
 新も登も、この場の誰も感じないが、この場の篝火を見て恐怖を感じる者がいた。その者は北東都市の斥候だった。驚くと同時の恐怖は当然だった。指差すと同時に、篝火が、一つ増えたのだ。そして、また、一つ、また、一つと、増え続けた。それだけでなく、自分たちを目標に近づいているかと思うように増え続けたのだ。一つの篝火で二百人として、五十の光があると言うことは、一万の軍勢が奇襲に来ると、即座に、斥候たちは知らせに向かった。
 西都市の前の北東都市の本陣では、何時でも西都市を攻められる体制の陣が置かれていた。その陣の中心で少々騒がしかった。その原因は、斥候から戻ってきた男の情報を聞いたからだ。
「一万の軍勢が来ても、この陣は持つのか?。その軍勢に勝てるのか?」
 天幕の中にいる十人の部隊長に、一人、一人に問い掛けた。だが、俯くだけだったが、最後の一人に問い掛けると・・・。
「もしもの場合を考えて、都市王様には、我らの補給地まで撤退して頂きます。それと、一つの許可を許して頂きたい」
「分かった。撤退しよう。それで、許可とは?」
「酒宴の許可を許して頂きたいのです」
「馬鹿な!。酒宴だと!」
「その方が、拠点いる隊との無事に合流が出来ます。恐らく、必死に逃げて来るはず。それも斥候を放ちながら街道の後方からと、西都市からの隊の挟み撃ちを心配しながらですから、相当な心身ともに疲弊しているでしょう。ですが、本陣で酒宴を開いていれば安心するはずです。それに、戦に勝った者たちの勝利の祝いと、西都市の者は錯覚し、東都市から帰還する隊が全滅したと思わせることになるでしょう。もし思わなくても、西都市と第三号街道から来る部隊との合流は避けられるでしょう。それに、我ら北東都市の全軍が無傷で退却が出来るのは、この作戦しかない。そう思われます」
「分かった。許そう」
「それと、酒宴だと感じて奇襲される心配を考えて渦巻き陣に変更します。その渦巻き陣が完了後に、酒宴に紛れて、都市王様と近衛隊だけは・・・・」
 北東都市の主は、部隊を置いて行くことに恥じているのか、頷くだけだった。そして・・・。
「それでは、作戦を実行して参ります」
 一人の部隊長が天幕から出て行った。直ぐに、全部隊に聞こえる命令が響いた。
「第一の天幕を中心に渦巻き陣形で待機。その後、酒宴の準備だ!」
(問題は、拠点に居る同胞が、馬鹿な逃走などしないことを祈るしかない)
 この男が心配したことだが、良いことに、指揮官は馬鹿ではなかった。逃走では指揮できるはずがなく、何とか本陣まで無事に撤退したいために、まるで、この男の気持ちが届いたのかと、そう思う程の指示を下していたのだ。部下たちには、拠点の駐留は一時的だがは成功した。と、それは、勝ったことと同義だと、全部隊に、本陣に凱旋すると叫んだのだ。
北東都市の部隊が拠点から退去した。その一時間後のことだった。登は、念の為に中継拠点に斥候を放った。その斥候は、顔色を青ざめるだけでなく慌てた様子で戻って来た。
「どうしたのだ?」
「中継拠点には、数千の部隊が駐留した痕跡がありました。もしかしたら西都市は・・・」
「それは、ないだろう。西都市は無事だ。だから、安心して隊列に戻れ」
 登は、部下が隊列に戻ると、新に視線を向けた。
「新。あの篝火は、この場所から敵の陣を移動させるためだったのか?」
「どうでしょう。まだ、都市に帰るまで篝火を焚くのです。まだ、何かあるはずです」
「そうだな」
 登は、新が言った。まだ、何かある。それで、最悪の状態を想像と回避を思考した。

第二十二話(家宝の本と現実の出来事。前篇)

西都市の城壁から矢が届かない場所であり。都市の正面では大部隊が駐留していたが、旗もなく、正体を示す物もなかった。西都市は仕方がなく用心のために全ての城門を閉めて様子を見るのだった。すると、突然に部隊が動いたかと思うと、戦う構えだろう。渦巻き陣形を造り陣形を整えた。だが、変な事に、酒宴を始めたのだ。
「小津。何の騒ぎだった!」
 小津は、主人の命令で西都市の外の騒ぎの様子を見に行った。そして、主人の部屋の扉を叩いた。すると、直ぐに声を掛けられて中に入るのだった。
「大規模の交易商人かと思われます。それに、自衛の兵員組織もありました」
「そうか、危険はないのか?」
「大丈夫かと思われます。兵員組織の程度は分かりませんが、酒宴を模様しているので戦う意志はないでしょう」
「そうなのか、安心したぞ。それでは、ゆっくりと本が読めるな」
 小津が退出した。その後、二時間後だった。小津が部屋の扉を叩いた。
「騒がしいぞ。今度は何だ?!」
「北東都市の旗と乙国の旗が掲げられました」
「何だと、また、攻めて来たのか?」
「先ほどの集団が北東都市の軍隊でした」
「何だと・・・・どう言う意味だ・・・意味が分からんぞ」
「はい。最悪の結果を想定しますと、酒宴は、東都市からの帰還中の登殿の部隊が全滅して・・」
「登の隊が居なければ、西都市は占領されたと同じだな。だが、何なのだ。先代も先々代も何事もなく代が替わったと言うのに、俺の代になってから戦だと、ゆっくり本も読めないぞ。俺が若いからなのか?」
「その可能性はあるかもしれませんが、歴史の中では、人の思いに関係なく戦乱の時代と思われるのがあるのです。それが、今なのかも知れません」
「時代だと!」
「はい。そう思われます」
「そう言う意味でなく、我が一族には、当主だけに伝わる言葉と書物があるのだが・・・」
「確かに、書物なのか知りませんが、先代様から託された鍵はあります。その事でしょうか?」
「それだろう。俺には父上から言葉だけ託された。だが、父上も笑いながら言ったことだったために忘れていたのだ。俺も聞いて、世紀末を語る人としての戒めくらいにしか思っていなかった。だが、今の小津が言った。時代と聞いて藁にも縋りたくなったのだ」
「それは、何と言われ続けていたのですか?」
「いつの世の時代に、都市と人々の最大の危機が訪れる。だが、書物の力を信じれば救われる」
「歴史書でしょうか?」
「違うらしい。馬鹿馬鹿しい程の子供の夢物語らしい」
「そうでしたか、歴史書なら参考にもなりましょう。ですが・・・・夢物語では・・・」
「それでも、何かの救われることが書かれているのなら読んでみたいのだ!」
「ですが、御主人様。三十歳になるまで鍵を渡すなと、先代の御命令です」
「それなのだ。我が家系は、他の者から殺しも死なないと言われる程の長命な家系なのだぞ」
「その噂は聞いています。地獄の神の弱みを握っているために百歳まで生きる家系だ。そのような噂を聞いています。ですが、先代の突然の死には国中の者が驚いていました。そして、皆は、西都市の神がかりの力が消えた。まあ、この噂で北東都市が攻めて来たこと、その一つの理由でもあるでしょう」
「それなのだ。もし先代が生きていれば書物を読んでいるはず。そして、本当に救いが書かれているのならば、様々な不吉なことが起きる前に解決できるはず。だが、父上は早くに死に読んでいたとしても実行できない。もし書物を読む前に、我に代を引き継いだとなると、その両方だとして、自分の命の次に書物が好きな者に当主をさけたかった。などと考えると、書物の意志を感じないか、それと、内心では、今が書物の時代なのだ。そのための書物なのだ。直ぐに書物に救いを求めろ!。そう感じるのだが・・・・」
 主人は、小津の言葉を待った。
「御主人様が、そこまで言うのでしたら金庫を開けましょう。ですが、まだ、鍵はお渡しできません。それで、宜しいでしょうか?」
「ああっ構わない」
「それでは、御主人様。共に参りましょう」
「どこに行くのだ?」
「蔵でないのですか?」
「違う。長老の間と言われる何も無い部屋なのだ!」
「あの部屋なら誰も入らない。何かを隠すなら最適な所ですね」
 その部屋は、名称の通りに、子供が三十歳になると、当主の座を子供に譲って、長老として子供を支えるのだ。だが、建前で、人生の残りである可なり長い生涯を満喫するのだった。別名では、落伍者の部屋とも言われていた。殆ど家に帰ることなく外で遊び呆ける。時々帰ってくると、二晩くらい寝起きして何の用件なのかと聞くと、金が無くなったので欲しいと言うのだ。この様な状態では、金になる物など残るはずもなく、本当に布団だけしかない部屋だった。
「頻繁に掃除はしておりますが、それらしい物はありませんでした」
「いつ見ても何も無い部屋だ。これでは、代々の長老が外に出たくなる気持ちも分かる・・それで、鍵はあるのか?」
「確かに、ここに!」
 小津は、自分の胸を叩いて場所を示した。主は鍵の確認をしたかったのだろう。だが、頷くだけで何も不審に思わず。手渡せとも言わずに押し入れを開けた。上段には布団の一式が入れてあるが、下段には何も置かれていなかった。そして、主が中に入ってしまったので出て来るのを待つしかなかった。すると・・・。
「小津。中に入って来い!」
「はい。御主人様!」
 主は、叫ぶが、一人では運ぶことも出来ない大きな金庫なのかと感じた。それと、自分が常に掃除しているが、その様な物が有っただろうかと記憶を探りながら押し入れの中に入った。
「隠し扉ですか?」
 驚くのは当然で、普段は何も変哲もない押し入れだった。それが、木目に沿って綺麗に一メートル四方に別れて金庫があった。
「ああっそうだ。早く鍵を差して開けてくれないか!」
 小津は、大事そうに首から外して、鍵穴に差し込むと、甲高い音が響いた。
「開いた!」
「その様ですね」
 二人は興奮を表したが、暗くて中の物が見えなかった。
「小津。灯りを持ってきてくれないか!」
「畏まりました」
 小津が、直ぐに持って来られたのは室内に有った物だろう。主は受け取って直ぐに中を見た。すると、三冊の書物と何かの液体が入った小瓶と墨に硯だけで、後は、金目の物はなく、公的に使われる申請用紙かと思われる。高価な白紙の紙片が何枚かあるだけだった。
「全てを取りだしますか?」
「書物だけで良い」
「鍵は、挿したまま開けておきますか?」
「あっ・・・そうだな・・いや・・・閉めておこう」
「鍵は、どうしましょうか?」
「小津が持っていてくれないか、まだ、三十歳にもならない子供だから失くすと困る」
 小津は何か悲しそうに鍵を手渡そうとした。恐らく、先代の形見とでも思っているのか、主は、そんな気持ちを感じ取って受け取らなかった。それよりも、三冊の書物の方に関心が向いていた。驚くことに、一冊だけは、誰かが読んだのだろうか、紙の包装がされていなかった。
「承知しました」
 鍵を金庫から抜いて、心の支えが戻って来たかのような表情を浮かべながら首から下げた。
「我は、自室で書物を読むことにする・・・・あっ・・・手が空いた時でも紅茶を頼む」
 何かを思い出した様に振り向くが、小津は、微かな表情の変化だったが、何か嬉しそうな様子だったので、飲み物を直ぐに持って来るように指示を出せるはずもなく、小声で聞こえても聞こえなくても良いと、お願いをするのだ。それよりも、直ぐに書物を読みたかったのだろう。急ぎ足で部屋に向かった。
「これは・・・」
 夜も更けても部屋の灯りは消えなかった。その部屋に居る者は西都市の主なのだが、変なことに、月の光を求めるように明るい方に明るい方にと書物を向けるのだ。まあ、電気もない時代なら当然と思われるだろうが、室内の様子を見れば可なりの金銭的に裕福だと感じられた。この部屋の主なら一日中でも金の掛る灯りを使用しても困るとは思えない。それなのに、月明かりを求めるのは、夜が更けても書物を読み続けて室内の大きな灯りは消えないのだが、机の手元の灯りが消えたのに、再度、灯す時間が惜しいために外の月の灯りを求めていると、そう思われた。それ程まで面白いのか、その判断は出来ないが、興奮のあまりに声に出しているのだから面白いのかもしれない。
「本当のことなのか!!」
 その内容とは・・・。
 この書物を誰が読むのか分からないが、自分は、七千年後の未来から来た者だ。そして、自分の生まれた時代には帰れないだろう。だが、何も不満はない。それは、夢にも見ていた。憧れの過去に来られたからだ。原理を言っておかなければ成らないだろう。信じられないだろうが、水蒸気爆発だ。馬鹿馬鹿しいと書物を閉じるのは構わない。だが、本当のことなのだ。それも、長く凍り保っている物には時のエネルギーが蓄積されると思われる。恐らく、氷の屈折が原因で蓄積されるのだろう。だが、なぜ、水蒸気爆発など命に係わる事を実行したかと言うと、三つの要因があった。一つは、自分の生まれた時代なのだが、南極の探検なのか調査なのか、趣味なのか憶えていないが、その者は遭難しただけでなく片足を骨折したらしく動けなかった。それも、信じられないことに一月後に救助された。その間は水だけだったらしい。普通は一週間が限界らしいく奇跡の生還だけでなく、身体を検査してみると、どう考えても一週間は過ぎていない衰弱の状態だったらしい。それで、一月の間は何をしていたか聞いてみると、冷たい物は飲みたくなかったために、氷を溶かして飲んでいた。それでも、日にちが過ぎると飲む気力もなくなったらしく、湯気が当たるのが気持ち良くて固形燃料が無くなるまで沸かし続けた。このことはテレビで放送されて誰もが知ることだった。そして、多くの学者は、不思議に思い氷を調べた。すると、一万年前のだと分かったらしい。もしかすると未知の細菌か未発見のプランクトンが原因だろうと、研究する者もいたが何も発見されなかった。この放送を見て、もしかと思った。二つ目は、海上で飛行機や船が不自然な消え方をすると、子供の時に本を読んだことを思い出した。三つ目が最大の動機だった。先祖代々と受け継がれた書物を偶然に見つけた。そして、その書物の内容を試したくなったからだ。今考えてみたら、自分が書いた書物を誰かが読んで書き足したか、書き直したか分からないが、当時の自分は、タイムスリップしたと書かれてあり。その通りに機械を作って実行した。その時だった。自分は過去に飛ぶと感じた時、想定外の水蒸気爆発で実験室だけでなく建物まで爆発する様子を見て、自分は、この先の未来はない。だが、死ぬことなく過去に飛んだと実感したのだ。そして、先祖と係わりあってしまう。もう少し正確に言うのなら、代々、当主だけに渡され続けてきた。あの書物は(架空の物語と考えられた。だが、当時では紙の本など作成が出来るはずもなく、珍品として受け継がれたらしい)驚くことに、その内容と同じ場面に係わり合うのだ。そして、書物と同じ行動をした場合は、自分の命は助かる。そのはずだったが、信じられないことに、さらに、過去に飛ばれた。だが、もう何も心残りはない。今直ぐに死んでも良い。そう思う程の場所と物を見てしまったのだ。今でも信じられない。謎と思われる歴史の全てが分かる。その証拠が自分の隣にあり。その者、いや、物だろう。それ(裕子)を修理して全ての謎を知ることが出来るはずなのだ。だが、その前に、自分が読んで行動を起こす原因になった書物であり。代々と受け継がれる。その書物の作成と珍品を作成しなければならない。まず、筆は、時の流の不具合に丁度良いのは、この時代の生まれでなく未来人の俺の髪が最適と考えた。紙は、この時代の周辺の建物から拝借するつもりだ。問題は水だった。最低でも数千年前の氷が良いと考えたが、洞窟が見つからない。それで仕方がなく、暇つぶしでもあり。未知の文明の科学力をみたかったこともあり。その者(裕子)と言うべきか物と言うべきか修理を始めたのが正しい選択だった。周囲の廃墟の施設の末端の端末だったのだ。念願の知識だけでなく、様々な補助の役目をしてくれただけでなく、長い時の流を過ぎた水なら廃墟の都市の水は氷で保存されているから最適だと勧めてくれた。そして、作成予定の珍品の三点の用意が終わった後に、この書物を書いている。頼む。我が子孫たちよ。この書物を必要とされる子孫まで大事に守り続けて欲しい。その時が訪れた時には、他の二冊の書物に書かれた通りにすれば、全ての悩みは解決する。
「小津。小津はいるか!」
 一冊の書物を読み終わると、人を呼ぶと言うよりも悲鳴のような叫びを上げた。
「御主人様。どうされたのですか?」
 何事が起きたのかと、扉を叩くと同時に部屋に入った。
「この書物を読んでくれないか!」
「それは、先程の書物ですね。それでしたら、自分が読む必要はありません。御主人様が決断するのでしたら従うだけです」
「そうか、分かった」
「あっ、紅茶が冷めているようですね。淹れなおします」
「ああっ、頼む」
 主が書物を置いて、二冊目の書物を手に取ると、今、思い出したように言った。そして、邪魔しないように紅茶の容器を手に取って室内から出て行った。

第二十三話(家宝の本と現実の出来事。後編)

豪華な一室の中では、書物の包み紙を破ける音が響いた。後は、静かに時間が流れた。
「嘘だ!。ありえない」
 西都市の主は、扉が叩かれた音にも気が付かずに、驚きの声を上げた。
「御主人様。どうしました。何か遭ったのですか?」
 小津は、主の危機だと感じて室内の部屋に入り。紅茶を手に持ちながら主の前に立っていた。
「あっ、小津。書物に信じられない事が書いてあったのだ。俺の心の中で収めるには耐えらないのだ。お前も読んでくれないか・・・・・駄目だろうか?」
「自分は、御主人様が書物を読んで、今のようなな状態になるのは分かっていました」
「何だと、この書物の中身が分かっていたのか、確かに、小津と登の名前があった。それだけでなく、北東都市から宣戦布告されただけでなく、今の状況も・・・・」
「御主人様。そう言う意味ではありません。代々の当主だけが読むことが出来る。それだけでも重要なことが書かれてあると分かっていましたので苦しみや泣き叫びたくなる。そう感じていたのです。それは、誰も助けることは出来ないのです。自分一人だけで思案して行動しなければなりません。それでも、お約束します。どのようなことでも最後までお手伝いします。ですが、書物を読むことは絶対に出来ません」
「分かった。一つ聞くが、この書物は予言書で、小津が死ぬ時間と場所まで書いてあると、そう言っても読まないのだな?」
「はい。読みたくありません。自分の行動の制限したくないからですよ。御主人様」
 小津は、即答した。それも、笑みまで浮かべているのだ。誰もが、その表情を見ても、嘘を言っていると思う者はいないだろう。
「分かった!」
「それでも、御主人様。書物を読まなくても助言はできます」
「何だ。どんな事だ!」
「もしもですが、予言書だと言うのでしたら、一気に読まないことです。一つ一つ解決してから続きを読むと良いと思います」
「なぜだ?」
「選択肢が増えるからです。もしもですが、全て書物を読んだことで、自分の命か、都市の命運か、または、親しい者の命を選ぶことになった場合は、御主人様だと何もできなくなるはずです。それでも、一つ一つ解決して行くのでしたら全てを得ることも出来るはずですし、自分だけでなく、他の者にも手助けを求めることが出来ると思われます」
「それだと、誰かの命を助けたことで、予言書の結末と違うことになる可能性があるだろう」
「その可能性もあるでしょう。ですが、御主人様は、好きな本が読めれば良いのでしょう。そらなら、都市など欲しい者に適当な値段で売って好きなように生きるのも良いでしょう。勿論ですが、その時は、どのような所でもお供いたします。もしかすると、書物だけ持って都市を捨てて逃げろ。そんな結末が書いてあった場合は、その通りにしますか?」
「それは、嫌だな」
「それでしたら、三冊の書物を一気に読んだ場合は、御主人様なら何も出来なくなります」
「そうだな・・・・そうしよう。小津。続きが読みたくなった。退室しても構わんぞ」
 小津が退室の礼儀をした後、一人になると、三冊目の包みを破いた。今度は、普段の物語を読むように嬉しそうに書物を開いた。やはり、完璧な未来が書かれているとしか思えなかった。ある個所まで読むと、小津の言う通りに書物を閉じた。すると、偶然なのか扉が叩かれて、小津が紅茶のお替りを持ってきたと伝えるのだ。主は、直ぐに中に入るようにと命じた。
「御主人様。まずは、紅茶でも御飲み下さい」
「ああっ、そうしよう。それでな、小津。書物の内容では、外の北東都市と乙国は偽り宴だ。登の隊も無事で何一つの軍略の成功もない。それに、渦巻きの陣形に変更したのも、西都市を攻めるのではなく、我が都市と登の隊での挟み撃ちにされることを恐れたことである。だが、一つ気に掛かることがある。東から西に光の道を作りながら登の隊が帰って来るらしい。すると、同時に北東都市と乙国が退却するらしいのだが、その光の道が分からないのだ!」
「そうでしたか・・・・それなら、東に監視人を多く置きましょう」
「そうだな。それがいいな。あっ、その時間は明日の朝だ。それまで、仮眠を取ろうと思う。だが、何か変わったことが有れば直ぐにでも起こして欲しい。必ずだぞ」
「はい。畏まりました」
 深々と頭を下げてから丁寧な退室の礼儀を返した。部屋から出ると、直ぐに部下を呼びつけて、東の方向の監視を強化しろと、そして、必ず光の道が現れるはず。その光が現れたら知らせろと、命じるのだった。そして、一時間が過ぎた頃であり。都市から東の方向では・・・・。
 先程まで雲一つもない星空だったのだが、雲が突然に現れて月を覆い隠し地上が暗くなった。だが、ある一部の地表の場所だけは、東から西の方向に向かって光の道ができていた。それでも、その光は東の方から消えて行くが、ある一点に光は集中し始めた。まるで、光の蛇がとぐろを巻くような状態に感じられたが、別の視点からと言うべきか、人の視点からでは違う判断ができた。特に斥候者の目では、一万以上の軍隊の行進に見えたのだ。
「新。何も心配しなくていいぞ」
「えっ!」
 新は、登に言われた。その意味が分からなかった。
「今、中継地点に偵察に向かわせた者が戻ってきた。その話しでは、どの軍隊なのか分からないが。大部隊が陣を置いたような痕跡があった。だが、何かに恐れて逃走したと、だから、安心して中継拠点で盛大に篝火を焚くことが出来るぞ。これで、不安は消えただろう?」
「いや、西都市に帰るまで、第三街道の両脇の木には篝火を焚き続けて下さい」
「そう言うのなら分かった。そうしよう。だが、中継地点では休息を取って良いのだろう」
「駄目です。中継地点で盛大に篝火を焚いた後は、直ぐに西都市に向かいましょう。第三街道の出口に、朝日が昇るまで着きたいのです」
「新。だがな、皆も疲れているのだぞ。それに、この中継拠点に陣を置いたのは、北東都市の軍だと思うが、逃走したと言うことは・・・・」
「うっ、痛い」
 新は、痛みと当時に目の前に陽炎の様な映像が見えた。恐らく、左手の小指の赤い感覚器官は修正の支障が起きると感じ取ったのだろう。それは、登の部隊が中継地点で休息すると、第三街道の篝火の灯りは段々と消えて数が減り始め。全てが消える頃になると、中継地点の灯りも弱まる。その後は、小部隊の集まりだと分かる。まるで、数本の頼りない蝋燭の灯りのような状態になってしまう。すると、北東都市は、西都市は大軍に見せる策だったのかと、怒りを表しながら中継地点の登の隊を攻めかかり。隊を倒すと、その勢いのまま西都市にも軍勢が襲い掛かる。もう、それは、戦いではなく殺戮を楽しむ地獄となる。その場面が見えたのだ。
「大丈夫か?」
 登は、新を説得しようとしたが、新が苦しそうに蹲る姿を見て話を止めた。
「はい。痛みは治まりました。大丈夫です。ですが、なぜ、それ程まで時間を気にするかと言うと・・・信じられないと思いますが・・・今から話しをすることを避けたいからです」
 新は、先ほど目の前に光景を全て伝えた。
「嘘だろう。篝火の灯が軍隊の規模の見せ掛けか、それで、中継地点の軍が逃走したのか、ああっ、やっと、全てのことが理解できたぞ。なら、急がなければならんな!」
「はい。お願いします」
「だが、今のこともだが、この先も、俺以外の者には何も言うなよ。頭が変だと思われる」
「はい。そうですね。勿論、そうします」
「それで、この先に何が起きるのか、それは、分かるのか?」
「分かりません。ただ、朝日が昇り、朝日の日の光で篝火が見えなくなるまで焚き続けることと、でも、重要なのは、朝日が昇る前に、第三街道の入口の少し手前に隊を止めて、木の根元に篝火を焚く事だけです・・・何が起きるかは・・・してみないと分かりません」
「分かった。そうするしかないな!」
 登は命令の訂正を叫んだ。このまま止まらずに、第三街道の入口まで行軍を続けると、念のために斥候の数を増やし、報告の代わりに、中継地点で盛大に篝火を焚け。そう伝えたのだ。
「全部隊。行軍を続け!」
 隊は、篝火を作成しては、篝火を焚き続けた。このまま何事もなければ、十分な時間で第三街道の入口には着くことができる。新も、登も、誰もが、まだ、何も知らないことだが、予定の場所に着き、新が実行すると、時の流の指示とも思えることが起きるのだった。
 ある部屋で、一人の男性と言うか、少年と言った方が適切な者が、都市中が祭りのように騒いでいるのだが、気付かずに寝ているのだ。確かに、町外れであり。大きな建物物の中だから誰かが玄関で騒いだとしても部屋まで届かないだろう。それでも、ある一室までなら玄関を叩く音だけでなく、悲鳴のような声まで届いた。もしかすると、その一室に居る男は、誰か来るのを知っていたので扉か窓でも開けて起きていたのかもしれない。それにしても、驚く程まで落ち着いて玄関を開けるのだ。
「どうした?」
 玄関から出てきた者は、小津だった。
「光の道が現れました!」
 部下は、神が降臨されたかのような興奮を表していた。小津も同じように驚くかと思っていたのだろう。だが・・・・。
「ご苦労だった。御主人様に知らせてくる。この場で少し待っていろ!」
「承知しました」
 小津は知らせを聞いたはず。それでも、何事もなかったかのように落ち着いたままの様子で、扉をゆっくりと音を立てずに閉めるのだった。
「御主人様!」
 普段は、言葉を掛ける前に扉を叩くのだが、やはり、先ほどの部下の報告には驚いていたのだろう。それで、動揺して扉を叩くのを忘れたに違いなかった。
「何だ?・・・・まさか!」
「はい。御主人様が言った通りのことが起きました」
「本当か!」
「御主人様。どうしました?」
 主が、突然に笑い出したので、予言が当たったために頭が変になったのかと心配したのだ。だが、主はまだ少年であり。先代が生きていた時は、自分に、本を読んで楽しかった。悲しかった。驚いたと、嬉しそうに言う姿を思い出したのだ。それで、小津も笑みを浮かべたのだ。
「小津。嬉しそうだな」
「御主人様の予言が当たったのですから嬉しいのは当然です」
「そうか!」
「はい。それに、先代様がお元気だった頃、その頃の御主人様を思い出しておりました」
「それは、どう言う意味だ!」
「その頃、本を読まれた。その後に、嬉しそうに話をしてくれたことを思い出したのです。それ程まで面白いのかと分かりませんでしたが、今回の知らせを聞いて本の楽しみが分かったような気がします」
 小津の言葉を聞いて、主は恥ずかしそうに視線を逸らし、誤魔化すように指示を伝えた。
「屋敷の外に、知らせを伝えに来た者がいるのだろう。その者を屋敷の中で休ませろ。今から書物を読んでから直ぐに指示を伝える」
「承知しました」
 小津が退室すると、書物が置いてある机に向かって続きを読み出した。すると、今、この都市に著者がいるかのような文面だった。
「ほうほう」
 その中身とは・・・。
 西都市から東都市を結ぶ、西東(せいとう)第三号街道と言うのは正式名称だが、親しみを込めて、森の道と呼ぶ者や第三街道と言う者もいた。その街道の始まりの木の根元に、手紙を矢に付けて放たなければならない。それも、日の出が昇ると同時だと、時間の指定までされるだけでなく、人の名前まで書いてあった。その者は、先の赤い矢のやり取りで西都市では一番の弓矢の使い手と言われるようになった。哲司(てつじ)でなければならなかった。そう書かれてあったのだ。そして、問題の書く内容なのだが・・・。西都市の主の命令を伝える。北東都市の陣営に酒を持参してご機嫌をとって欲しい。この一行だけだった。これが成功すれば北東都市の軍勢は大人しく撤退する。今回は、かなり短った。もしかすると、部下が待機をしているのが分かっての簡単な内容なのかと不思議に思うよりも、次のページの内容が気に掛かると同時に、早く部下に指示を伝えなければ時間が間に合わない。そのために、不審な考えまでは思考することができなかった。その思考が証明のように直ぐに机の上の隅にある。鈴を鳴らすのだった。それは、小津を呼ぶための物だった。
「御主人様。何でありましょうか?」
「用意して欲しい物がある。至急に赤い矢と、それに、書簡を書くために必要な用紙を頼む!」
「承知しました。直ぐに用意を致します」
 扉を閉めたと思ったら、本当に直ぐに持って来たのだ。
「赤い矢の方は、手紙が出来次第に直ぐに用意できます」
「分かった。直ぐに書き終わるから待っていろ!」
 小津が頷くと、一分も過ぎない。小津が驚く程に手紙が直ぐに手渡されたのだ。
「矢を放つ者は、哲司だけだ。それと、森の道と呼ばれている。街道の始まりの木の根元に・・・」
 手紙から手を離すと同時に、主は、真剣な顔で話し出した。その内容は本に書かれてある通りの内容を話したのだ。
「何をしている。早く行かぬか!。時間がないのだぞ。礼儀など良いから早く行け!」
 小津は、何か伝えようとしていた。だが、その様子を見て、主は退室の礼儀や命令の復習などの長々とした礼儀でもする。そう感じて怒りが爆発する寸前だった。
「その者なら、もう、この屋敷にいます。この場にお連れ致しましょうか?」
 主は、その者に会うと、だが、至急なのだと、仕草でも伝えた。

第二十四話(北東都市の都市王の狂気。前篇)

小津に明日の朝に起こせと言ったが寝られるはずもなく、命令の訂正と同時に、喉が渇いたので新しく紅茶を入れ直せと指示を思いついたが、窓の外の光の蛇みたいな光景から視線を逸らすことができるはずもなかった。
「書物の通りに成功してくれ・・・・お願いだ」
 哲司に願うと言うよりも、全能の神に、いや、書物に宿る神に願っているに違いない。そして、大事な任務を任された。哲司は、その頃・・・・
「はっはぁ、はっはぁ」
 哲司は、既に、監視する建物の最上階に急いで登っていた。その気持ちであり。その覚悟は当然だった。矢を放つのは一度しか機会がない。それだけでなく、矢を当てる目標とする木が見えるか、それが、一番の心配だった。もし見えなければ、見える場所を探さなければならない。それも、何か所も探す時間がないために、見えて欲しいと祈りながら登っていたのだ。
「駄目か・・・・いや・・・暗闇に目が慣れれば可能か・・・・だが、他を探すべきか・・・」
 森の道であり。第三街道の木はハッキリとは見えなかった。だが、何度も見慣れた入り口の木であり。暗闇に目が慣れれば、長年の経験と勘で目標に当てる自信はあった。だが、もう少し明るくなってくれれば、そう思った時だった。光の道が、まるで、その木を照らすように近づき、哲司が指示したい。伝えたい思いが伝わったのかのような場所に止まった。一瞬だけだが、誰かの指示でもしているのかと、後ろを振り向いてしまう程に驚いたのだ。だが、そんな冗談のような感情を直ぐに消して、弓に意識を込めなければならなかった。指示された時間が一本の煙草を吸うほどの時間もない。それを思い出したからだ。そして、今か、と弓を引きながら大きな息を吸って、息を吐きながらゆっくりと標的に矢を合わせようとした時に、目標の木の両側に篝火が置かれた。驚いたが、そのお蔭で完全に目標を捉えた。後は、息を六分まで身体に残して矢を放つだけだった。その六分だけ息を残すのは身体の機能や筋肉の安定だけでなく、最大の集中力にも繋がり、矢を放つ時の手振れがないためだった。
(当たれ)
 矢を放った後は心で祈るのと、矢が目標まで飛ぶ姿を見続けることしか出来なかった。
「カッツン」
と、矢が木の根元に刺さる音が聞こえたような手応えを感じた。それ程まで狙った場所に命中したのだ。それを確認した後は心底から疲れたのだろう。立ち上がる力もなく、同じ建物の階の下で待機している者に・・・・。
「御主人様に使いに行ってくれ、指示の通りに矢を放ち当たりました。それだけで良い。頼む!」
 三人の男が待機していたが、二人が、一人の男に視線を向けた。恐らく、三人の中では階級が下なのだろう。その男が頷くと、直ぐに建物から消えた。そして、この行動の結果から少し時間だが遡る。それは、奇跡のような結果の謎解きだ。
 夜が明けるのを知らせるように少しずつ辺りが明るくなり始めて、光の道の輝きも日の光に吸収さえるかのように目立たなくなるのも同時だった。だが、光の道の輝きは意志でもあり使命があるかのように輝き放ち続けていた。その輝きが、森の道の入口であり。出口でもある。始まりの木に近づくと、一人の男が叫び声を上げた。
「登さん。今直ぐに、あの二つ木の根元に一個ずつ篝火を置いて下さい」
 登は、新から何かの指示がある。または、何かが起きる。そう感じていたので、直ぐに対応できるように気持ちを引き締めていた。やはり、想定していた通りに、意味の分からない指示を言われたが、何も疑問に思わずに迅速に指示の通りに終わらせた。すると、驚くことに、篝火が置かれるのを待っていたかのように赤い矢が木の根元に突き刺さったのだ。隊の皆は、驚きよりも、北東都市の奇襲かと恐怖を感じたが、赤い矢だと知ると安堵した。それでも、矢に手紙が括り付けてあったことで不審を感じた。だが、誰も想定外のことで動けなかったが、新だけは、何事もなかったように木の根元から赤い矢を抜いて手紙を手にした。
「誰からだ。何て書いてある?」
「それが・・・西都市の主様からなのですが・・・その・・・北東都市の軍の陣地に酒を持参して・・・・ご機嫌をとれ・・・そう書いています・・・・でも・・・何故でしょう?」
 新は、手紙の内容に驚いた。それでも、登に伝えなくてならい。だが、正直に言えば怒鳴られると思うと、怖くて、少し話しては、登の顔色を窺いながら、やっと、全てを伝えた。
「主様の命令だ。不審を感じたとしても実行しなければならない。だが・・・・ご機嫌をとれとは、まるで、同盟を結んだ確約とも思えるが、主様の意志なら仕方がないことだ!」
 登は、部下に指示をした。隊にあるだけの酒を馬車に積めと、その指示に部下たちは不審な指示だと思うが、上官の命令なのだからと実行したのだ。
「二台の馬車になりましたね。なら、登さん。僕が、もう一台の方の馬車の御者になります」
「それは、危険だ。だが、もしかして、それも、勘なのだな?・・・・ん?・・・それにしても、後方が騒がしいな。何が起きているのだ?。だれか、調べて来い!」
 登は、近くに控えていた。何人かの部下に指示を下した。その集団の中の一人が、部隊の後方に向かって駆け出して姿が消えると、一騎の馬が向かって来るのが見えた。
「まだ、開戦はしていないか、良かったぞ。何とか間に合って、本当に良かった」
「えっ、あっ、なぜ援軍の要請もしていないのに、なぜ、竜二郎殿が、この場に・・・・」
「それは、西都市の部隊が、第三街道に火をつけながら逃走していると、市民から情報を聞いたのでな。その調査に来たのだ。だが、我が主様は、そんな市民の声など信じずに、西都市が助けを求める合図だと思って、千の騎馬で助けに向かえと、そう言われたのだ」
「本当に、援軍に来てくれて心底からの感謝をする」
「やはり、再度、北東都市は攻めてきたのか・・・・だが、それにしては、その馬車に積んであるのは酒樽だろう。何か意味があるのか・・・・もしかして、また、小津殿の作戦なのか?」
「いや、小津殿ではなく、主様の指示なのだ。北東都市の軍に酒を届け・・・ご機嫌をとれ・・・・」
「それは、どう言うことだ!。まさか、西都市と北東都市は手を結び、東都市を攻める考えでないのか、まさか、もう既に!」
「そんなことは考えられません!」
「それでは、なぜだ?。酒を届けるのなら、まだ、許す気持ちはある。だが、ご機嫌を取れだと、それは、同盟を結んだ確約と同じ意味だぞ。それも、西都市から頼もうとしたとしか思えん感じではないか、もし自分がこの場で様子を見ていたと、我が主様の耳に入れば反逆の証拠になるのだぞ。その意味が分かっているのか?」
「だが・・・・主様の指示では・・・我が部隊は・・・・」
 登でも主の指示の意味が分からず、何とか説得しようとしても良い考えが浮かばなかった。
「その指示に従うのなら、我が部隊は、即座に東都市に帰らせてもらうぞ!」
「それは、待ってくれ。今、兵を退かれては攻める口実を与えることになる。この状況で西都市だけの軍では対応ができない。それなら、俺が一人で酒を届けに行くから、この場で待機してくれ。頼む。お願いだ!」
「承諾はしないが、直ぐに撤退は考え直そう。だが、少しでも様子が変だと感じた場合は、即東都市に帰るぞ。それは、同盟を破棄すると言う意味だぞ。忘れるなよ」
「それで、構いません」
「僕も一緒に行きます」
 新でも変な指示だと感じていたことで、二人の話が聞こえる所にいたのだ。そして、自分も係わらなくてはならない。そう感じたのだ。
「分かった。分かった。嘘を言っていないのが分かった。この少年が行くのなら俺も行こう。一人では、接客と同時に少年を守れない。だが、俺と少年は、酒を置いたら帰るぞ。それで良いな。後は、好きなように、ご機嫌を取りながらでも共に酒でも飲んで殺されるのだな!」
 竜二郎は、言いたいことを言った後は、馬鹿笑いしたのは、登を信じる。その証明だった。
 登は、感謝の気持ちから深々と頭を下げた。その後、二台の荷馬車を馬に繋ぎ歩きながら操舵するのだ。竜二郎も愛馬に新を乗せると、登と共に歩いて北東都市の陣に向かった。
「新殿。何が遭っても馬から降りるなよ」
 登の一行が第三街道から出ると、北東都市の酒宴の馬鹿騒ぎは収まり敵意が感じられた。それでも、酒宴が終わるのではないが、竜二郎の西都市の主に対しての不審が消えた。そうなると、北東都市からの攻撃が想定されて、登には視線で、新には言葉で危険を知らせた。その覚悟のまま、一歩、一歩と近づき、弓矢の射程距離まで近づくと・・・・。
「我は、北東都市で一番の武人と言われる。仁と言う者だ!」
 登と竜二郎は、仁の噂など聞いたことがなかった。正直に知らないなどと言えば戦いになると思い。苦しそうに言葉を飲み込んだ。仁は、その苦痛の表情から自分の武勇が伝わっていると満足そうに頷くのだった。
「それでは、我らも名乗ろう。西都市の登だ!」
「我は、東都市の竜二郎だ!」
 仁が驚くのは当然だった。誰もが知る。西と東都市の最強の武人だったからだ。その驚きを隠すかのように大声で問い掛けるのだった。
「我が陣に何の用がある。その理由を述べよ!」
「我は、西都市の主様の指示で、酒宴が催しされている知り。友好の気持ちから酒を贈るようにと仰せ付かったのだ」
「そうでしたか、ご苦労さまでした。どうぞ、陣の中へ」
「感謝する」
「だが、部下に本当に酒なのか検分するが、それでも、宜しいだろうか」
「勿論だとも!」
 この場を部下に任せると、仁は、北東都市の主の天幕に知らせた。当然だが、天幕の中に入れてもらえずに、まるで、用意されていたかのように直ぐに書簡を渡されたのだ。直ぐに、部下の所に戻った。
「西都市の主ではなく、御仁に手渡せと・・・」
「あっ、はい」
 その書簡には、酒を持参したことの祝いの感謝の言葉と共に酒宴に参加の願いだった。登には書簡の内容に不満だったが承諾するしかなかった。それでも、何かの策略があると考えたことで、犠牲は自分だけで良いと、直ぐに、新と竜二郎を先に隊に戻すのだ。だが、書簡の意味は、この場から離れると意味を理解するのだ。
「なんだと、登は、退却のために人質だったのか?」
 登の周辺だけに多くの人が集まり。その人の垣根で後方を隠していたのだ。登には分からないが、渦巻き陣営が何かの卵が割れたような状態になり。先に出て来たのが近衛隊で主を守るように密集していた。まるで、蛇の頭と胴体のような行進を開始したのだった。。その頃、登は何も知らずに極端な丁寧な検分を受けていた。検分が終わると、無理矢理に酒宴に参加されていたが、適度な時間の後に無事に退却が済むと、登は解放された。何が起きたかは、隊に戻ると、竜二郎や部下から聞かされたのだ。だが、西都市の城壁の方からは、登の奇策で北東都市を退却させたと、周囲に歓声が響くのだった。その浮かれ騒ぐ都市の中には、北東都市の間者も多くいた。その騒ぎに隠れるようにして全ての間者が北東都市の主の下に向かった。
 その頃、北東都市の陣営では、無事に退却が成功して、西都市から近くにある補給地で対策を考えていた。いや、主のご機嫌を宥める酒宴だった。その途中で、間者が帰ってきて様々な報告を聞いていたのだ。だが、あまりにも正直な報告だったことで・・・・。
「なんだと、西都市で、何の話題で浮かれ騒いでいただと!」
 間者は、無事に帰還したことで、主から酒を振舞われたが、一人の者が酒に酔って正直に全てを伝えてしまったが、主の怒りの様子を見て、一気に酔いが冷めた。
「それが・・・・北東都市は、西都市と東都市の二人の武勇に恐れて、全軍で逃げだした。その話題を酒の肴のように酒宴を開いていました」
「そうか、北東都市は、二人に恐れて逃げ出したか、そうか、そうか」
 主は、笑っていた。だが、笑声は長くて終わりそうになく、段々と、狂ったような笑い方に変わり。この場の者が主の様子が心配になり声を掛けようとした。その時だった。
「乙国は、殆どの物資や軍資金を持って行きやがって・・・・おのれ・・・おのれ・・・」
「これでは、再度の西都市に攻めることは・・・・」
「分かっている。だが、まだ、軍費の都合の当ては簡単にある。我が都市を北東都市商人組合に譲渡すればいいのだ。夢の民主国家誕生だと喜んで、二度や三度くらいの戦費を寄こすぞ」
「ですが、負ければ、流浪になります。それだけは、お辞め下さい!」
「我は、二人の武人に負けたと、笑われているのだぞ。それに、耐えられんのだ!」
 この場の全ての者が諫言しようとするが・・・。
「お前らの話など聞かん。直ぐに北東都市に戻り。全ての兵を連れてこい。それと、今から金の書簡に、北東都市の全てを北東都市商人組合に譲渡する。それを書名する。直ぐに命令を実行しろ。国境警備兵も全てなら十万を超えるだろう。たかが、全軍を集めても数万の西、東都市連合に、これで、負けるはずがない。だから、この補給地に全軍を集結させろ。それも、一週間しか待つことはできないぞ!」
 金の書簡とは、都市の主に一枚だけ作られる物だった。一般的には遺言書として使われるが通例だが、過去に、都市と都市の戦いで無条件降伏の時に使われたことがあった。この金の書簡を北東都市商人連合に渡されると同時に、地上の全ての国々から民主国家誕生を承認されるのだ。それだけ、重要な書簡なのだ。
「都市王の命令なら従います。ですが、一時間で構いません。主様一人で思案して下さい。その後、気持ちが変わらない場合は、筆頭長老である。聖が、直ぐにでも実行を致しますが、酒の所望でも、相談したいとしても、どんなに叫んでも、誰も来ないように致します」
「分かった。そうしよう」
 天幕から主だけを残して、全ての者が退室した。五分も過ぎると、酒を所望だと叫ぶが、勿論、誰も向かわず。暫くすると、叫び続けて喉が枯れたのだろう。大人しくなるのだ。一時間が過ぎると、現武将と年寄り衆が天幕に現れた。主から許可が許されると天幕の中に入るのだ。
「主様。気持ちは変わりませんか?」
「ああっ、変わらんぞ」
 主が心変わりをしない。そう聞いたことで、皆は項垂れた。その姿を見たはずだが、主は聖だけを呼びつけて、金の書簡を手渡すのだった。

第二十五話(北東都市の都市王の狂気。中編)

新と美雪が結ばれるために必要な時の流の修正の波紋は広がり続けて、ついに、北東都市の君主制は崩壊し大陸初の民主国家が建国された。その知らせを聞き西都市の市民は安堵するのだが、数日後に、北東都市の一万の部隊が現れたが、陣形を整え終わると、また、一万の部隊が現れた。などと、続きことで十の部隊が現れた。その全軍は十万を超える規模で、西都市の周囲に陣が置かれた。
「聖は、まだ、来ないのか?」
「それが、王妃様に引きとめられて城で警護されております。ですが、作戦案も陣形も全ての指示が書簡に書いてありますので、何も問題はありません」
「それが、これか!」
 天幕の中に少々大き目な長方形の机が置かれてあり。その上の書簡のことだった。
「そうです。ですが、聖殿の陣形では少々の無理がありますので修正をしました」
「そうだったか、なら、これで、西都市に勝てるな!」
「はい」
 現武将たちは、聖が居ないことで、年寄り衆にも同席を認めないだけでなく、自分たちの一族や知人の保身のために部隊の配置を変えていた。聖の考えでは、今回の作戦の要でもある。第三街道の保持を任せた二つの部隊の長は、何が起きても任務に忠実で、例え、部隊の崩壊になったとしても、命を掛けて最後まで任務を続けるだけでなく殿までも進んで務めてくれる頼れる者だった。それに、二人の部隊の長は親友であり。阿吽の呼吸のように二つの部隊だが一つの部隊のように動くことができた。だが、変更された者たちは、猿と犬よりも仲が悪く、疑心暗鬼で、自分の命と功績しか考えない。猪のように突撃を得意としていた。そんな人物には、絶対に、第三街道の守備など任せられない者だった。他の箇所の配置も似たような感じだった。そんなことなど知らずに、北東都市の主は、大部隊でもあることで、絶対に勝てると安心していた。だが、戦う相手である。西都市の主は・・・・。
「御主人様。宣戦布告の書簡が届きました」
 小津は、扉を叩く合図も忘れて慌てて室内に入り。主に書簡を手渡すと同時に、礼儀を忘れる程の理由も伝えた。矢に書簡を括り付けた物が地面に刺さると同時だったと、十分後に十万本の矢を放つ。と狂ったように笑いながら宣言された。と、主は、書簡を開くよりも驚くのだ。
「小津。その矢の嵐は、今も続いているのか?。死傷者は出たのか?」
「それは、狂った者が、十分後と言うこともあり。皆は直ぐに建物に隠れたことで、誰も死ぬ者はいません。ですが・・・・」
「そうだろう」
 主は、書簡を開きながら返事をするのだった。その書簡には、小津も興味を感じ無言で見つめた。すると、書簡を開き、小津に見せたのだ。
「死にたくなければ、西都市を明け渡せ。とは、交渉する気持ちがない。そう言うことですね」
「そうなるな。それよりも、登は都市に居るのだろう。我の考えよりも、先に対策を考えてくれないか、人目が気になるのなら館に呼んでも構わん。その間に・・・・」
「はい。直ぐに対応できるように、登を呼んでおきます。そうでね。主様の邪魔にならずように離れをお借りします。それでは、書物を読み終わるのをお待ちします」
 小津が退室すると、待っていたかのように直ぐに書物に手を伸ばして読み始めた。だが、何度も読んだが意味が分からないと、そう思える表情なのだ。まるで、解けない数式を考えているようにしか見えない。いや、その通りで、何かの原理の法則が書かれてあった。悩んで、悩んで出した結論は、書かれてある材料を用意して、誰かに聞くことだった。まずは、小津だと・・。
「小津。部屋まで来てくれ!」
 離れにいることで、呼び鈴では聞こえないために、自分の声を上げたのだ。、
「小津です。参りました」
「小津には済まないが、金庫を開けたい。良いだろう。その中に五つの物を出したいのだ。そして、都市の中にいるはずの五人の絵師を探せ。その者たちに、都市の塀の内側の全てを使用して、龍の絵を描かせるのだ。それで、何かが起きるらしい」
 主は、小津が扉の前で立っている姿を見ると、話をしながら近寄り。その横を通り過ぎて目的の部屋に向かった。その後を小津は付いて行くが話は続いていた。おそらく、小津を説得しているのだろう。そこまで、気遣いはしなくても良いと思うのだが、まだ、子供であるために悟っていないのだ。勿論とは変だが、部屋に入ると直ぐに鍵は手渡された。何も問題なく、金庫から五つの物を取りだして、小津に鍵と一緒に預けるのだった。
「登は、離れにいるのだな。少し聞きたいことがある」
「この五つの物のことですね」
「ああっ、そうだ」
 二人は、離れの中に入ると、一人ではなく、新と登が待っていた。だが、新は、登の供として来ただけで、館の外で待つ気持ちだったのだが、小津から主が待っていると言われために一緒に入ったのだ。それでも、何の理由で西都市の主に呼ばれたのかと、不安で怯えていた。その姿を見たはずなのだが、直ぐに、視線を登に向けて外の報告を求めたのだ。すると、悔しそうに、涙を堪えながら、外では、正確に一時間ごとに十分間だけ、十万の隊の全ての者から矢の嵐が降ると、そのために、都市の中は地獄にあるとされる針山と同じだと言うのだ。恐らくと、言っていいのかと、登は視線を主に向けて頷くのを確認後に、この戦い方は、二つの考えがある。一つは、都市の中にいる者たちの精神を狂わせて自滅させる。二つ目は、勝てないと自覚させて白旗を上げさせることだと言うのだ。登の話が終わると、五つの物に縋る気持ちだったことも忘れて、主は俯いてしまった。小津は、主の気持ちを汲み取りテーブルの上に、五つの物を乗せた。すると、新は破顔して頷くのだ。
「僕は、このために来たのだね。この五つの使い方なら分かるよ」
「なんだと!」
「今、実演してあげるよ」
「お願いする」
 五つの物を手に取り、何をするのかと見ていると、普通に習字をしただけで終わったのだ。それでも、呪文でも唱えるのか、と思ったが、扉に張り付けるだけで、終わったと、その後に笑みを浮かべながら扉を開けてみて、と言うのだ。主は、期待していた気持ちを裏切られたことで怒りが爆発寸前で声も出ない。それでも、都市の主の自覚から気持ちを落ち着かせてから、やっと、仕草で、試しに開けてみろ。と小津に伝えた。すると、扉を引くが開かないのだ。
「蹴ってもいいし、机を投げつけてもいいよ。それに、刃こぼれしてもいいなら刺してみても切ってみてもいいよ。絶対に、扉には傷の一つもつかないよ」
「何だと!」
 登は、扉に刀を刺したが折れてしまったが、扉の方には傷もつかなかった。
「それと、面白いことに、閉じる。を書かれてあるのを×で消して、開くって書き足してみな」
 新の言う通りに、小津が書き足すと、軽々と開いた。これを見て、西都市の主は確信した。
「小津。登に説明して、直ぐに、先ほどの指示を実行しろ!」
「承知しました」
「あっ、待て。矢の嵐は、今で何度目だ?」
 主は、書簡に理解が出来ない内容だったが書かれてあったことを思い出したのだ。いくつかの一つの意味だった。その中の十回の嵐が過ぎるまで終わらせろ。と書かれていたことだった。
「確か、三度目のはずです」
「そうか、なら、十回目の矢の嵐が終わるまでに完了させろ」
 小津の説明を聞き終わると、登と新は、主の命令を即座に実行するために針山のような状態になった都市に戻るのだった。それも、大量の矢の嵐だったことで、殆どの市民は一般の家などよりも強固な公共施設に避難していたことで、部下に指示を伝え歩くよりも、安易に、五人の絵師を探すことができたのだ。
「俺は、龍の絵柄の構図などの指示をしなければならない。新には、墨を作って欲しい。恐らくだが、濃度と濃さも必要なのだろう」
「そうだと思います。そうですね。戸板で確かめましょう。戸板が金属のような硬度になるような状態になれば問題はない。そう思います。それと、龍の絵を描くのに必要な墨汁の容量を教えて下さい」
「それは、聞いておく。では、後は任せる。頼むぞ!」
「はい。頑張ります」
 登と別れて墨汁を作っている時だった。すると、十五分くらい過ぎると、登から普通の桶で五個は必要だと知らされたのだ。。その後は、戸板の硬度を測るために、何度も矢の嵐の中に入っては晒して痕跡を調べるのだ。そして、何度目かの矢の嵐の時に微かな痕跡も付かないまでの最高の硬い硬度になったのだ。新は、頷くことで完了したと、登に知らせた。
「絵師の方々よ。頼む。竜の絵を塀に描いてくれ。もし弓矢の嵐が降ろうとも身を守ってみせる。我れらを信じずとも、この戸板の効果なら信じられるはずだ。そして、我らは何があっても頭上に掲げた戸板を支え続ける。わしと部下を信じてくれ」
 絵師たちは、描く事を渋っていたのは、都市の中を見れば当然だった。だが、登が部下を信じてくれと、深々と頭を下げることで、部下たちは感涙の涙と同時に叫びを上げたのだ。この部下たちの意気込みに心が打たれて、手足の震えが消えたこともあり。承諾したのだ。それでも、筆は一本だと困惑していたが、皆が先生と呼ぶ最年長の老人が五人に指示をした。一人に輪郭を描かせて、他の者は、手形で鱗を表し、微妙な調整は指ですれば良いと、言うのだった。一瞬だけ迷ったようだが直ぐに笑みを浮かべて、楽しそうだな。そう言って描きだした。さすがに、年長であり職人の絵師だからできるのか、まだ、輪郭が描かれていない状態なのに、正確に、龍の鱗の箇所を判断して両手で手の平を押し付けていた。それでも、都市の周囲の塀は長すぎることもあるが、絵師たちは高齢でもあり。矢の嵐が止む一時間だけでも体力の限界だった。それなに、十分だけの短い休憩だけで直ぐに描きだすのだ。そんな、状況を何度か繰り返し、九回目の弓矢の嵐が始まろうとしていた。だが、龍の絵は八割しか終わってなかったために弓矢が雨のように降り注ぐ中でも描き続けるしかなかったのだ。そして、最後である。十回目の矢の嵐が始まろうとしていたが、五人は、腕が上がらない程に心身ともに疲弊していたのだ。それでも、旧式な機械仕掛けのような動きで、一つの手形を押し付けるのが限界だったのだが、輪郭だけは描き終わっていたことで、都市の一般市民が、絵師たちが何をしていたか理解ができた。いや、完成の期待と同時に興奮していたのだ。そんな、感情だったために、誰の指示でも、誰かの行動の真似るのでもなく、殆ど同時に、五人の絵師たちの下に集まり指示を求めた。さすがに、何が起きたのかと、五人は驚いていたが、時間的な余裕もなく、後、十五分も過ぎれば矢の嵐が降るからだ。それでも、心身とも疲れていたとしても、的確に指示を伝える声だけは十分に皆に伝える声量だった。
「押せ!」
 都市に居る全てと言っても当然の人々が、絵師たちの一声で壁に手形を付けたのだ。勿論だが手形を塀に付けるのと同時に、散り散りに矢の嵐が降る前に建物の中に隠れた。
「ん?・・・・完成したはず・・・何も起きない?」
 登だけが上空と周囲を見ては首を傾げていた。他の一般の市民は、矢の嵐で壁の絵が傷つかないのかと心配していた。だが、五人の絵師は、登の隣に近寄り。謝罪をするのだ。そして・・・。
「済まないが、まだ、完成はしていない。龍の目と龍が持つ玉に絵としての命とも言える印が入れられていないのだ」
 登は振り返って問いかけた。すると、絵に命を入れられる絵師は、最年長の先生でないと無理だ。だが、手が震えて描けない。痺れが止まるまで待ってくれと、そう言われ、登は時間がない適当でも頼む。そう言うと、逆切れされて怒鳴られるのだ。それでも、龍を描く理由は知らなくても急ぐ気持ちが分かったのだろう。渋々と頷いた。そして、最年長の先生と言われた者だけを戸板で矢を防ぎながら塀に連れて行って描かせるのだ。だが、素人のような筆の動きで目だけは描いたが、なぜか戻って来たのだ。
「もう手が動かないために限界でもあるが、龍が持つ玉には、署名が良いと思ったのだ。四人の絵師と、市民たちの代表として、登殿にお願いする。五人の署名を書いてくれ!」
 全てを伝えると、崩れるように倒れた。皆は心配するが、寝息を立てていたことで、寝やすい場所に移動させてから、登は、新の方が適任だと、新に託してから部下を呼びつけた。即座に、戸板を用意させて両脇に部下を配置と、五人を守れと指示を伝えた。そして、五人は、塀に向かい。龍が持つ玉に、一人が署名すると、また、一人と、最後に新が署名した後に・・・。
「矢の嵐が止んだ」
「いや、空を見ろ。空中で矢が跳ね返っているぞ!」
「そうではない。空中で矢が止まっている!」
 人々は、それぞれのことを叫ぶが、都市の上空には、強度のある透明なビニールと類似する物が、矢を跳ね返すだけでなく、何かに刺さったかのように空中で止まり、北東都市の軍から放つ全ての矢を防いでいた。その数が増える程に、弓矢の芸術作品のような透明な状態だが形を現し始めて、まるで、透明な龍に似ていた。都市の外では何が起きたのかと騒いでいるようだったが、恐怖からだろうか、今までよりも多くの矢を放っていた。それでも、都市の中に居る者だけが、塀に描かれた龍と瓜二つだと感じだと、人々は興奮するが、一人一人が歓喜のように自分の手形の痕が矢を防いでいると自慢するのだ。そして、矢が刺さる個所がなくなる程までに矢が刺さると、残りは、跳ね返して、北東都市の上空から降り注ぐのだ。すると、塀に描かれた龍の右手に持つ玉が光り始め、上空には、黒雲が現れて集結し、龍に似た感じになる。本態なのか影なのか、その判断はできないが、雷が落ちる前兆のように光るだけでなく音も響くと、塀に描かれた玉と上空の光とが繋がった。
「何が起きているのだ!」
 この周囲に居る。都市の中でも外でも同じ言葉を叫んだ。
「これが、主様が考えていた事なのか?・・・・これで、不吉な現象だと感じて退却してくれると良いのだが・・・・」
 登は上空と塀を見て、祈るように呟く途中で、突然に、目が暗み、耳の鼓膜が破れる程の光と音が響いた。何事かと、いや、直ぐに分かった。今までに経験もしたことのない凄い雷が落ちたのだ。それも、北東都市の軍営の真ん中にだった。だが、直ぐに、二度、三度と落ち続ける。だが、落ち続ける場所は、北東都市の陣営だけで、まるで、上空から雨粒が降るような無数の数えきれない程の雷が狙っているかのように落ちるのだ。

第二十六話(北東都市の都市王の狂気。後編)

北東都市の陣営では、誰一人として戦う意志を持つ者がいなかった。それだけでなく、雷から逃げるために一欠けらの鉄片も残さないために一枚の下着姿で逃げるのだ。いや、恐怖を感じ死にたくないために狂ったように逃走したのだ。
「北東都市が逃げて行くぞ!」
 西都市の塀の上では歓喜して踊るように、皆に知らせたのだ。だが、この現象の理由は、西都市でも、勿論だが、北東都市の者が上空を見る余裕もないが、仮に見たとしても分かるはずがなかった。この状況を全て理解が出来る者は、西都市の主だけだ、それも、全ての書物を読んだら時に分かる。それは、西都市の主の子孫が無理矢理に、歴史上で初の過去の時の流を遡ったことで時の流が不具合を発生した。だが、時の流の意志には、自身では何も出来ない。人のような固体的な意思がないからだ。例えで言うのならば、時の流は、山から海まで流れ落ちる川のように上から下に流れるだけで偶然に川の流れに塞がれた石が不具合と考えるのが近い。そのまま放置しておくと川の流れが変わる。これが、時の流ならば未来もだが過去も変わってしまう。その修正のために時の流れの意志は、植物のように動けないために動ける動物や昆虫に全てを任せたかのように、時の流の意志も同じように誕生させていた。それが、新の一族であり。運命の相手を過去、未来、他次元などの時の流に入り探さなければならない。それだけではなく、自分が存在できる正しい時の流を修正するのだった。まるで、コップの中に水がある。その中にコインを入れて溢れた水を戻すような働きをするのだ。それが、透明な龍と龍のような黒雲であり。雷であった。だが、今回は、時の流が複雑に絡まり。何点かの原因が、書物であり。墨などの五点の物だった。それが、今回は、不具合と不具合が大きかったこともあり。人が見られる程の現象が発生したのだった。恐らく、この先の未来では、龍神宗教が起きる。それも、善神として救いの神と悪神として破滅の神と、だが、こままでは、正しい修正にならない。新が、北東都市の兵が無抵抗に死んでいく様子を見て正気を失ったからだ。
「新。北東都市の軍は崩壊して逃走した。もう雷を止めるか、龍を消しても良いのではないか?。あの主の屋敷で実験した。扉のように・・・・ん?」
「けっけけ、もっとだ。もっとだ。雷を落ちろ。ほら、向こうの人の集まりにもだ」
 登は、新も自分と同じに惨い惨状を止めなければと、そう思っていると感じて声を掛けたのだが、小声で何を言っているのか分からないが、正気でないのを感じ取った。
「おい。おい、大丈夫か?」
 何度も、新の体を揺するが何も様子は変わらなかった。仕方がなく、新の左手を掴み、小津や竜二郎の所に連れて行こうとしたのだ。もしかしたら怪我か病気かと思ったからだが、すると、微かだが、女性の声を聞いた。いや、感じたはず。だが、周囲で、西都市の市民や兵士たちも、北東都市の擁護の言葉と同じことを叫んでいたことで、気のせいかと感じて聞き逃したのだ。それでも、女性の声は、段々と大きくなり。はっきりと聞き取れた。
「新さん。もう誰も死なさないで、ねえ、お願いよ。止められるなら止めて!」
 通常なら美雪の声が聞こえるはずもない。それは、赤い感覚器官が修正の変更をしようとして、あらゆる手を下した結果だった。それは目に見えない手探りだが、赤い感覚器官と同義の運命の泉に干渉した結果だった。それも、運がよく美雪が泉に入っていたから出来たことだ。
「お前は、誰だ?」
「私は、自分の命よりも、新さんの命の方を大事に思っている者よ」
「新が愛する人か!」
「もう~時間がないの。鏡を出来るだけ多く集めて欲しいの」
「何をする考えなのだ」
「なんか、女神信仰を復活させるらしいわ」
「何だと!」
「新さんが、赤い糸の指示を聞かないらしいの。意識が切離れた。とか、もう~早く集めて」
「何だか分からんが、分かった。直ぐに用意しよう」
「待って。鏡を集めたら、黒雲の隙間から太陽の光がもれているでしょう。その光を鏡で集めて、上空の龍の玉に光を当てて欲しいの。それで、解決するらしいわ」
 登は、新の左手を離すと、妙な感覚が消えて気のせいなのかと、そう思ったが、先ほどの記憶は残っていたことで、直ぐに、近くの部下に伝えると同時に、その場で出来るだけ大声で叫んだのだ。皆は、外の状況に気持ちが向いて、登の話など聞いている者は少なかったが、何かを必死に叫んでいると感じ取ってくれて鏡を持ち寄って何をするのかと、登を見詰めていた。すると、部下が用意できたと、登の指示を待っていた。先に部下に的確に指示を徹底させて実行させた。やや、光が集まったことで目印ができたからだった。
「皆には済まないが、手に持っている鏡で太陽の光を当てて、上空の龍の玉、いや、部下たちが集めている箇所に光を当ててくれ!」
 すると、本当の太陽が現れたかと思う程の光が集まった。何も起きない。そう思った時だった。光の中心に黒い黒点のような物が現れて、段々と大きくなった。そして、人の形のように感じるようになり。それが、女性だと判断できるようにもなった。その大きさは止まることはならず、上空の龍と見劣りしない程になった。
「黒龍さん。雷を落とすのは、もう止めて下さい。お願いです」
 都市の中も外も、上空の女性に見惚れていたが、綺麗な女性と言うだけの理由ではない。龍に祈るような姿をすると、雷の落ちる数が減ったからだ。それでも、雷の数が減ったとしても北東都市の陣営、いや、既に、個別の集団と言い直すべき所に落ち続けた。だが、女性が視線を向けると、雷は落ちる前に消えるのだ。それで安堵して逃げる者、その場で、女神様と叫んで祈る者もいた。そして、女性が祈り続けた結果で雷は止んだが、上空に龍と女性は存在していた。すると、女性は、何か話をしているような口の開き方だったが、新にだけに届いていた。いや、正確には、言葉でなく、人の内心である。新の心に伝えるために言葉ではなかったのだ。
「新さん。もう村に帰ろう」
「うっうう・・・」
「私にも、運命の泉の力で、この先のことを見えているのよ。まさか、新さんには、見えていないの?。違うでしょう。もう全てが終わったのよ」
 美雪には、運命の泉の力で、今から先の時の流のことが走馬灯のように見ていたのだ。特に二人の結婚式の場面で喜び、新の生まれ育った村に育ての親と同じ裕子に会って子供の時などの話を聞く場面などを見ていたのだ。その美雪の感情が、新に伝わって同じ走馬灯のような場面を見たからだろう。
「うっ・・・そうだね。村に帰ろう」
 新は、やっと、正気に戻った。そして、返事を返すと、壁に描かれた龍が持つ玉の光が、新の方に移動した。上空の龍が持つ玉の光は、上空の女性に吸い取られるように移動した。すると、二つの玉の光は消えた。と、同時に、女性と上空の龍も消えた。新は、全てのことが終わったと感じたのか、周囲を見回した。その後に、何度も頷くと、新も西都市からは消えて美雪の隣に現れるのだ。
「おかえり、新さん」
「ただいま、美雪さん。それと、助けてくれて、本当にありがとうね」
「それよりも、あたしたちのことを両親に挨拶をして下さいね」
「えっ?」
「もう仕方がないわね。それは、一般常識なのよ。それをこれから教えるわね」
 美雪は、不満そうに頬を膨らませるが、新の全てを知ったことで、一般常識が知らないのは当然だと、直ぐに笑みを浮かべると、手をを繋ぎながら運命の泉から出るのだった。この先からは、赤い感覚器官の指示も、誰にも邪魔されることなく、二人は楽しく暮らすのだった。

数冊の本と運命の泉

2013年12月25日 発行 初版

著  者:垣根 新
発  行:垣根 新出版

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垣根 新

羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。

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