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  この本はタチヨミ版です。

 あらすじ

 円城ユリアンは若会市の高校に通う普通の少年。ちょっとした事情で生粋のドイツ人でありながら苗字だけ日本名を使っている。
 ドイツ人なのに故郷を知らない。ドイツ人だけど心は日本人。忘れた母国語。
 悲しむ余裕はあるけど、癖の強い『両親』と仲間たちを見ていると、そういう気分も消えていく。
 弄ったり弄られたり、女性に恋をしてしまったりしながら進む物語の開幕です。








 序章  六

 その一 一一

 その二 五二

 その三 九九

 その四 一四三

 その五 一七二

 最終話 二〇二




 登場人物

 円城ユリアン (Julian Allhoff)
 若会市内の高校に通うドイツ人の少年。一年三組。
 経緯は不明だが物心が付く前にドイツから若会市の養護施設に引き取られ、九歳まで四年間を過ごす。
 ある事に熱心だが、予防策的な意味合いが大きい。
 世界的な和食として有名なアレが苦手。

 円城茂樹
 若会市内の調査会社に勤務するユリアンの『父』。

 円城結衣
 歳の離れた茂樹の妻でユリアンの『母』。夕方になると市内のスナックに出勤する。

 井口喜一
 おかっぱ頭が特徴で、ユリアンの担任からは独裁国家の指導者にたとえられユリアンは内心で黄色い果物がコンビ名の片割れかアシカかトドみたいだとか、日曜日の夕方に放送しているアニメのヒロインみたいだと思っている。一年一組。
 
 笠原さくら
 白羽の妹。何故か喜一を敵視している。一年五組。

 笠原白羽
 一年三組の担任で数学担当。口調が荒くユリアンを『ぼっち』だと決めつけている。
 学生時代はニートだった。

 野田吉郎
 一年一組の担任で英語担当。二十代後半頃から髪の毛が薄くなり始め、それ以来、常に育毛剤を持ち歩いているが、喜一に悪戯される事がしょっちゅう。カツラを付けるか真剣に検討している事は一部の親しい教諭しか知らない。

 ペトラ・ローレンツ (Petra Lorenz)
 ユリアンと同じ訳ありドイツ人。
 若会市内の施設で育ったため、簡単なドイツ語しかわからない。
 市内の保育園に勤務している。

 澤近静流
 養護施設育ちの少女でユリアンに日本語を教えた教育係。ドイツ語と英語が堪能で施設の職員たちからは重宝されていて、若干八歳で『財務大臣』の肩書を与えられるほどのやり繰り上手。
 季節を問わず肌の露出を避ける。原因はまったく不明。
 現在も養護施設で暮らしている。

 序章


「あなた、いつまで便所に入ってるの。後が支えるから早く出てちょうだい」
「無茶言うなよ。まだ入って十秒経ってないぞ。今出たら確実に悲惨な末路に発展する。朝の排便くらいゆっくりさせろ。それから便所って言うのやめろ」
「煩いわね。あなたがどういう末路を辿ろうが知ったこっちゃないけど、便所が駄目なら肥溜めでいいかしらね?」
「尚更悪いわ。何なんだお前は」
「円城結衣。三十七歳。ヒト科に属する日本人ですけど……何か?」
 俺の両親の朝の会話はいつもこんなで、八割の確率で父さんが負ける。
 今日もそうだ。下痢だったのか、四十五歳にしては若い顔をげっそりさせながらトイレから出てきた。
 そこを逃さまいと母さんが消臭スプレーを二回吹き掛けた。
「……俺は洗濯物か? 爽やかな気分になっっちゃうだろうが」
 そのたとえにピンとこなかったらしく、母さんは目を瞬いていたけど、
「早くしないと遅れるわよ」
 俺の前にコーヒーカップを置きながら冷静に告げて人差し指で玄関の方向をビシッと指した。だけど父さんは懲りず、
「無視するな。何で息子の前で毎日素人漫才見せなくてはならないんだ」
 腹を片手で撫で回しながら問いかける。これ職場の女性社員に見せたら引くだろうなあと思ながらコーヒーを飲んでいると、
「あら、そんな覚えありませんけど? ね、ユリちゃん?」
 思わぬカウンタークエスチョンに、ぶっ、と咽ってしまい、
「あ、そ、そうだねっ」
 バラエティ番組で見かけるシチューがコンビ名の片割れみたいな反応をしてしまった。
「おいおい、ユリアンに話ふるのは反則だろう。休みの日くらいゆっくりさせろよな」
 父さんの言い方だと僕も参加しているんみたいだけど、お断りだ。
 あなたたち二人の存在自体反則みたいなものじゃないか。
 母さんは何も言わない俺を特に気にすることなく、父さんを玄関まで力ずくで引っ張っていくと、靴を履く猶予も与えることなく追い出してドアを閉め施錠。
 この光景が当たり前になるのかと思うと怖いけど、慣れるしかないんだよね。俺の精神が崩壊しないことを祈りながらに自室に戻った。

 その一


「お前の父ちゃんぶっ飛んでっけど、母ちゃんもぶっ飛んでるよな」
「疲れる。毎日タダで漫才見せられてるようなものだもん」
「いいじゃねえか。笑う事って大切だぜ。俺の親なんか口も利かなけりゃ、むすっとしてんだから。それとユリアンの親にその言葉は似合わねえよ」
 あっちっち、と慌てて口に付けたコーヒーの缶を彼は離した。
 日本人特有の黒髪を肩の少し上の辺りで短く切り揃えている彼のヘアスタイルは日本語で言えば『おかっぱ』であり、英語で言えば『ボブカット』だ。担任曰く「北朝鮮の若き指導者がもう少し髪伸ばしたらこういう感じになるんだろうな」と言っていたが、日曜日の夕方に放送してる「いつまで小学三年生やってんだ」と、ツッコミたくるアニメのヒロインにたとえた方がわかり易いだろう。
 でも、俺の場合は黄色い果物がコンビ名で片割れがぱっと浮かんだのだけど、何故かアシカとトドも同時に浮かび却下した。
 そんな彼の名前は井口喜一と言って、若会第一高等学校の入学式の日に喜一から接触してきたわけだけど、これというきっかけがあったわけでもないのに、どういうわけか仲良くなり、クラスは違うけど学校に居ればつるむ確率は非常に高い。
「えっと……倦怠期?」
「倦怠期! それは違うな。ユリアンの親にその言葉は似合わないねえよ」
「じゃあ、何?」
 屋上の鉄柵にもたれながら訊くと、
「天然以外考えられない」
「天然……」
 あの二人が? と首を傾げる僕に構わず喜一はコーヒーを一口飲んで続けた。
「ああ。俺がユリアン家に行った事があっただろ? お前の母ちゃん俺に何て言ったと思う?」
「さあ」
 首を傾げる僕に苛立つわけでもなく、真顔で、
「大木●人」
 そう言った。
「――――ごめん。誰それ?」
 本当にわからなかった。
 喜一は携帯電話を取り出すとネットに繋いで、
「こいつだ、こいつ」
 とい言いながら液晶画面を俺に向けた。たぶん有名人なのだろうその人をこいつ呼ばわりする喜一に半分呆れ、半分感心しながら見てみると、おかっぱ頭と眼鏡をかけたスーツ姿の男性が写っていた。
 背景が真っ白ということは宣伝写真だろうか。とにかくこの男性が、母さんが喜一を一目見るなり「大木●人」と言ったご本人様ということだ。
「似てるか? 俺こんな顔でかくねえと思うんだけど」
 失礼だよと思いつつ、確かに顔の幅は大木さんのほうが広い。未成年と大人を比較すること自体無理があるけど。……広い人は広いけどね。学年に何人かいるし。
「そうだね。でかくはないね。でも」
「で、でも、何だ?」
 気になるから早く答えろとせっつく喜一に動じることなく、
「おかっぱ頭は否定できないね」
 俺は正直な感想を口にした。
 すると喜一はこの世の終わりみたいな顔をしながら、
「可笑しいべ! 好きでこの髪型してんじゃねえんだからよおおおおおっ」
 天に向かって吼えた。校庭で部活動に励んでいた運動部員の視線が一斉に屋上に集まったので、俺は慌てて五歩後退した。
 喜一の馬鹿、と内心で罵倒し、
「あっ」
 彼が片手に持っていたコーヒーの缶の口が下を向き、残っていたコーヒーが地面に零れていた。
 びちゃびちゃびちゃ、と。
 目を瞑って聴いたら絶対いけない想像しちゃいそう。……はしたない。
「お、落ち着こうよ喜一。ほらほら、缶握り潰してる。あまり力入れ過ぎると怪我しちゃうよ」
「落ち着いてられっか! こ、この髪型はなあ、うちの――」
 喜一が身振り手振りを交えながらそこまで言った時、屋上の出入り口のドアがバンっと開き、
「あんたらさっきからうっさい。漫才なら他でやってくんない? 執筆の邪魔」
 喜一の絶叫は校舎中に響いていたらしく、苦情を言いに来たようだ。タイの色から二年生だと一目でわかる女子生徒は、ロングヘアを脱色していて、ほぼ茶髪。後ろで一本に結っている。
 執筆って、学生の傍ら作家活動をしているのだろうか? 細かい事は気にしないで素直に「どうもすみませんでした」と、何故か俺が謝ると、女子生徒は「気をつけてよ」と言い残して去って行った。
「……もう。喜一のせいで怒られちゃったじゃないか」
 振り返って文句を言う俺に、
「見たか?」
「な、何を」
「は? 今の女子知らないのか?」
 ここ入って何ヶ月経ってると思ってんだ、と喜一は不満顔で言う。知らないものは知らない。それにまだ二週間しか経ってないじゃないか。
「……誰なの」
 溜息を吐いて訊ねた。
「ああ。あの女子生徒は――」
 そこまで言った時、今度は下校を知らせる放送が流れ、喜一の言葉を遮った。あまりのタイミングの良さに、誰かが近くで監視しているんじゃないのかと思ったけど、そんな事は一切なかった。
 校舎内に戻った時に三度目の正直とばかりに、何が何でも教えようとした喜一だったけど、一組の担任に呼び止められて屋上の地面に零したコーヒーを綺麗に処理するよう注意され、俺は解放された。
 共犯者とか裏切り者とか酷い事を言われたけど、こればっかしは喜一の責任であって俺は無実だ。たぶん。
「助かった……」
 駐輪場に向かいながら喜一が聞いたら殺されかねない言葉を口にして、誰が告げ口したんだろうと考え、一人の女子生徒がぱっと頭に浮かんだ。
 茶髪のロングヘアの三年生。
「あの人だ」
 九割強の確率で違いない。
 気にはなるけど、学校という閉鎖された箱に居れば嫌でも情報は自然と入ってくる。
 俺は携帯電話を持っていない。それは未成年ということもあるが、『両親』に負担をかけたくない。これが最大の理由。というか、欲しいなんて言ったら根掘り葉掘り理由を追及されそうで怖い。
 あの二人だ、やりかねない。
 パソコンは父さんと母さんのがあるけど、これに関しても理由は同じだ。
 ネットカフェは行こうと思えば行ける。でも条例だ何だって地域によって未成年は肩身の狭い思いを強いられている。若会市はそんなことないと思うけど、お金無いしね。
「お腹空いたな。バーガー食べてこ」
 時刻は十六時十五分。夕飯の時間までまだあるけど、さっきのひと騒動のお蔭で腹が減ったので、全国展開しているファストフード店に寄る事にしてペダルを漕いだ。


 俺の故郷はドイツ連邦共和国のヘッセン州だと聞いている。はっきり断言できない理由は、記憶に無いからだ。
 物心がつく前はドイツに住んでいたのかもしれない。その証拠に今みたいに日本語の読み書きができなかった(日本語自体話せなかったから無理なんだけど)。『両親』に引き取られて猛特訓させられて、話せるようになったのは九歳の時だったと思う。
 その方法は喜一風に言えば、「お前の親ぶっ飛んでんなあ」だろうか。
 一日中部屋に閉じ込められ、食事とトイレと風呂以外は部屋から出られない。
 早い話が監禁された。
 こんな事をするなら駅前留学させてほしかったと中学生の時抗議した事があったけど、
「明神商店街にあるのに駅前もクソもないじゃない。それとね、日本語は受講内容に盛り込まれていません。そうね、ユリちゃんがキムチとパンダの国、どちらかに亡命を希望するなら考えてもいいかな」
 と、特に後半の部分をもの凄い笑みを向けられながら反論され黙るしかなかった事を昨日のように憶えている。
 確かに、駅前に教室を構えてなければ意味はない、という部分に関しては納得しているけど、日本のサブカルチャーを犯罪染みたことに使っちゃいけないと思う。というか、いけない。
 その手法が数年前東京の地下鉄で無差別テロを引き起こした宗教団体の修行法だったか洗脳法とそっくりだそうで、
「敵に回したくねえよなあ。俺だったら精神崩壊すんもん」
 そう言うと喜一はずずず、と、お茶の代わりに缶コーヒーを啜り俺に向かって合唱した……という事があった。
 やっぱり話すんじゃなかったと後悔しても遅いんだけど、母さんが怒る相手は俺じゃなくて父さんだ。そこは杞憂ですよと今はどうしているのかわからない女の子に向かって内心で呟く。
「でも、気をつけないと」
 母さん怒ると怖いしね。しょっちゅう親の部屋から父さんの叫び声が聞こえるし、用心に越したことはない。
「気をつけるのは貴様だ」
 その忠告と同時に俺の視界がブレ、直後に頭に痛みが走った。
 叩かれたことに気づいたのは、
「貴様が何を妄想しようと関係ないが、今は授業中だ。集中しろ馬鹿」
 一年三組の担任で数学教師の笠原白羽先生のハスキーな声だった。二十六歳で短気な性格が災いして男に飢えている、と上級生が噂しているのを喜一が耳にしたことがあるらしい。
 俺は叩かれた頭を撫でながら後ろを向き、
「ついポロッと出ちゃったんですよ。そんなに声大きくなかったと思いますけど」
「そうだな。ボソッとして如何にもぼっちです誰か構ってください、って訴えてる憐れな奴みたいだったな。ま、その独り言が運悪く私に聞こえてしまったというわけだ」
「そのたとえ意味がわからないんですけど……。俺ぼっちじゃないし構ってちゃんでもないですからね」
 美人数学教師の目を真っ直ぐ見て抗議。一方、笠原先生は、
「男のツンデレなんて気持ち悪い」
 一言そう吐き捨てて教壇に戻って行く。
「……」
 意味が。意味がわからない。男でも語尾に『ね』を付けたらツンデレ認定されてしまうのだろうか。黒板に数式を書いていく笠原先生は苛立っているのか、何かブツブツ口にしていた。
 笠原先生の方が明らかに危ない人だけど口は禍の元。小さく溜息を吐いて、ノートを取った。
 その乱暴な口調、直した方がいいですよ、と内心で思いながら。


 放課後、明神商店街の神社に寄った。奮発して五百円硬貨を奉納し、学力向上と健康祈願をして境内を後にした。
「ユリアンって信仰深いよな」
 神社の出入り口で待っていた喜一が感心した口調で言った。
「そんな事ないよ。月初めに来てるってだけで、信仰心とかは無いもん」
「ふうん。そっか。ま、俺もどっちかっていうと無えかな。たまーに神社とお寺に行くってだけだし」
「へえ。喜一も行くんだね」
 そういう事に興味が無いと思っていたので意外だ。本人は不服そうな表情をして、
「悪いか? 行かない方が可笑しいだろ。日本人なら行くのが常識なんだよ」
「常識なんだ……」
 決めつけだよね、と思ったけど口にはしなかった。神社の前で言い争うのは罰が当たりそうで怖い。
 それから、
 ――俺、日本人じゃあないんだよね……。
 外見はどこからどう見ても日本人ではないし、名前だって『両親』の苗字を名乗っているけど本名ではない。その『両親』は二人とも日本人だ。
 日本人同士から異国人は生まれない。
「そういえばよ、この前屋上に文句言いに来た女子いたろ?」
「え? ああ、うん」
 急に話を振られたのでサドルに跨ろうと振り上げ動かした右足がリアキャリアにぶつけてしまい、危うく自転車ごと転倒しそうになった。
 平日とはいえ人通りはそれなりにある。同じ高校の、恐らく上級生だろう男子が俺を指差しながら笑っているのが視界の端に見え、穴があったら入りたかった。
 冷や汗を掻きながら、
「ああ、うん。そんな事あったね」
 ポケットからハンカチを取り出して額の汗を拭きながら俺は言った。
 今日は四月十五日。あれから一週間経っている。日々『両親』と暴力教師に振り回されて、すっかり忘れていた。
 喜一は気づかず、
「名前は磐梯茉莉。クラスは三年三組だ」
「く、詳しいね」
「いや、有名だからなあ。なんせ本来なら先月卒業してんの。わかる? この意味」
「……留年しちゃったんだね」
「そうそう。執筆に専念するあまり、その学業が疎かになっちゃったわけ。その割にデビュー作止まりみたいだけどな。あれだ、スランプってやつ」
 一体、どこから仕入れた情報なのか知らないけど、一通り喋って水●黄門みたいに笑う彼の横顔は満ち足りていた。
 たとえるなら事業に成功した時の父さんみたいだった。
「それと、本人の前では苗字で呼ばない事を推奨する」
「何で?」
 上級生に馴れ馴れしく下の名前で呼ぶ事なんてできないし、呼び捨てなんて言語道断だと思うんだけど、
「そりゃあ、瞬殺されっからだよ」
 と言うけど、俺の顔にはてなマークがいっぱい浮かんでいたのか、嘆息一つして理由を教えてくれた。
「『磐梯さん』だぜ? 会津地域はもとより福島県の象徴、宝の山と同じ呼び名になるってわけ。……噂じゃ俺らが入学する前、磐梯と同じクラスだった男子が、うっかり口にしちゃったみたいでさ、股間に膝蹴り喰らったって話だ。気をつけないと俺ら男子は玉無しになっちまう」
「……」
 磐梯山が福島県を代表する山と言っても過言ではないだろうけど、留年した女子生徒の苗字が山と同じ発音だからといって、暴力沙汰に発展するとは思えない。
 変だな。股間がムズムズするのは気のせいか? あれ、こういう台詞のCMがあったような……。
『玉無し』って下品な響きだ。
 バッターがスイングして掠ったボールが運悪くキャッチャーの股間を直撃した時の事を想像して、今度は寒気が全身を襲い、ぶるっと震えた。
「何か犬みたいだなあ」
「う、煩いな。何でもないよ」
 誤魔化してペダル漕ぐ速度を上げた。


 母さんが喜一と邂逅を果たすちょっと前、某宗教政党の党首が夕方の報道番組で演説する様子を流していて、

「この人、そっくりさんやった方が儲かると思うのよね」
 大好物の鯖の味噌煮をご飯と一緒に食べながら唐突に言ったことがあった。
 俺は政治にほとんど興味無いから、誰がどの政党所属かなんて知らない。
 だけど、印象的な顔立ちをした議員はどこの政党所属かくらいは憶えている。
 母さんの餌食にされたのは、政府与党の革命党党首。
 誰に似てるかというと。
「バ●ボンのコスプレしてさ、支持者の前に出てくの。それでね、『これでいいのだ!』てお決まりの台詞を言うの。ほら、この人喋り方が独特じゃない? きっと盛り上がるわ」
「……」
 その時の母さんはものっ凄く輝いていて、とても三十七歳にしては若いのに、更に若く見えたなあ。
 ――あとで神社行かなくちゃ。
 この時の俺はどうしてかそう思わずにはいられなかった。厄除けの意味を込めて明神商店街の神社と市内の神社にお参りに行き、ついでに父さんの下着一式を買って帰ったら号泣された。
「……」
 何でこんな事を思い出したんだろう、と首を傾げながら、数学の問題をどうにか解き終え、シャープペンを机に置き、一息吐いたところで四時間目終了のチャイムが鳴った。
 待ちに待った昼飯の時間だと皆が油断したところに、
「明日、テストな。点数悪かった奴は連休返上で補習するから、覚悟しとけ」
 笠原白羽先生が堂々と宣言した。何故か俺の顔を見ながら。
 あと一週間もすれば大型連休。即ちゴールデンウィークだ。
 教室内に響く絶叫は地獄の閻魔様のお言葉に真っ向から立ち向かう天使たちの軍勢みたいだ。
 笠原先生は知った事かと鼻で笑い、教室を出て行った。
 俺も購買部でパンを買うため席を立った。何人か後に続いたけど、不満を言う人が大半で、特に女子は笠原先生の性格に難があるからいつまでも恋人ができないんだよと繰り返し批判していた。
「……個人攻撃はやめようよ」
 独り言を呟いて購買部でカレーパンを買って屋上に向かった。
 だけど。
「……雨降ってきちゃった」
 あまりにもタイミングが良すぎるけど、一年三組に戻る事にした。
 でも、さっきの事があるしピリピリしてそうで居づらそうだし……。
「ここで食べよう」
 ドアの横に腰を下ろしてカレーパンの包装を剥がし、少しずつ食べていった。
たまに独りで食べるのも悪くない。場所が場所なので、ちょっと埃っぽいけど、背に腹は代えられない。
「傘、持ってこなかった……」
 自転車通学なので、帰りまで止んでくれるといいんだけど、この勢いの良さからするとそうもいかないだろうな。
 ずぶ濡れになる事を覚悟しなきゃならないと思うと憂鬱な気分になるけど、仕方ない。
「調子いいんだから、あの天パインチキ予報士」
 政治家の父を持つ関東ローカルの男性天気予報士で、朝の情報番組で県内と中継を結んで信じた天気予報がこれだ。
 おみくじにたとえると末吉だろうか。
 まったくついてない。
 カレーパンを食べ終え、授業が始まるまで昼寝をすることにした。
 まさか、見られているとは、この時知らなかった。


 案の定というか、頭のてっぺんから爪先までびっしょり濡れて帰った俺は真っ先にシャワーを浴びた。
 風邪をひいて明日学校を休むなんて事になったら、自動的に補習が決定してゴールデンウィーク返上で補習漬けにされる。あの先生ならやりかねない。
 着替えて苦手な課題に取り掛かろうと、二回の自室に向かおうとした時。
「ユリちゃん」
 母さんが呼ぶ声がして、俺は階段に上げかけた足を下ろしてリビングに向かう。
 どうでもいいんだけど、名前を省略するのやめてほしい。まるで女の子じゃないか。俺の場合は、悲しいかな、ユリでもアンでも、他人が聞いたら勘違いすることはほぼ違いないのだ。
 ちなみに綴りは「julian」と書く。
 英語圏の人はジュリアンと言うだろうけどユリアンだ。どっちも女の子っぽい名前だなと嘆息した。
 ソファに足を組みながら腰を下ろす母さんはすっかり夜のお仕事の勝負着姿だった。上下ブラックのアンサンブルのスーツで、スカートは膝丈だけど、俺を引き取る前日まで激ミニだったと父さんから教えてもらったことがある。
 外見若けりゃ何でも似合うんだろう。多分だけど。
「どうしたの、母さん」
 隣に座った俺を見て、
「ユリちゃんぼっちじゃない?」
 仮に血の繋がりが無くても親子という立場にありながら、前置きも無しに『ぼっち』という単語を笑顔で言う母さんの神経を疑ってしまう。
「……意味わかんないんだけど」
「ごめんなさい。もうすぐゴールデンウィークでしょう? 親戚が遊びに来るの」
「親戚? 母さんの?」
「それは秘密かな」
 何故だ。何か触れられたくない事情でもあるのだろうか? 訊いてみたいけど、掘り過ぎて地雷を踏んだらまずい。
「そ、そうなんだ。うん、わかった。でも、それと俺がぼっちなのは関係無いような気がするんだけど……」
 そう疑問を口にする俺を無視して、
「母さんね、職場の人たちと新潟に二泊三日の研修で家空けるのよ。父さんは会社に缶詰状態で帰って来れない予定だから、五日間だけ相手してやってちょうだい」
「はあ。いいけど……」
 何だろう、母さんの予定は研修という名の休暇で、父さんの場合は予定とは言えないんじゃないか。軟禁状態に置くって言ってるように聞こえる……。
 母さんは「じゃあよろしく頼んだわね」とまだ一週間先の約束を交わして仕事に出掛けた。
 気が早いと思いながら自室に向かった。


 かくして、ゴールデンウィーク。
 数学のテストはギリギリ合格。補習は免れたものの、喜んではいられない。
 母さんは予定通り職場の人たちと新潟研修という名の小旅行に出掛け、父さんについては昨日から家に帰ってきていない。いや、たぶんだけど母さんが帰らせない状況下に置いたに違いない……。何度も会社と携帯電話に連絡しても出ないし。
 心配しなくても父さんの事だだから、ひょいと帰ってくるだろうと思う事にして、あと数分したら訪ねてくるという母さんの親戚が気になって仕方ない。
 まずは性別。男なのか女なのか。
 次に年齢。俺と同い年なのか年下なのか。はたまた年上なのか。
 カッコイイのか可愛いのかについてはまだわからない。
 午前中に来るって言っていたけど、あと十分で正午になる。
 遅いなと思っていると、玄関のチャイムが鳴った。
 来た! と声を出しそうになるのを堪え、はーい、と返事をして玄関に向かい、ドアを慎重に開けた。
 果たして、そこに居たのは……。
「ハロー。話は聞いてるよ。同じドイツ人同士、仲良くしましょう?」
 無言のままドアを閉めた。
 ちょっと。ちょっと待ってくれ。意味がわからない。母さんは日本人だ。何で俺と同じドイツ人が訪ねてくるんだ?
 母さん親戚という事は姉か妹が存在するわけだけど、片方だけが外国人なのか? そんな馬鹿な。もしもそうだとしたらギネスに申請できるじゃないか。
「ねえ、開けてくれない? 地味に目立ってるんだけど」
「あっ、い、今開けます!」
 そうなんだよね。住宅地に外国人がぽつんと佇んでいたら、そりゃ目立つ。慌ててドアを開けた。
 すると、女性の「捕獲」という言葉とともに腕を引っ張られ、何か軟らかいモノに顔が挟まった。その正体を知らないわけがないじゃないか。
「ぐぉおおお……」
 これが漫画なら九割方相場は決まっているんだから。
 変な呻き声を上げるのは苦しいからであって決して興奮しているわけではない。
「私はペトラ・ローレンツ。仲間に逢えて光栄だわ」
 自己紹介するのは構わないんだけど、苦しい。さっきより更に力が加わったような気がするんだけど……。
 仲間というのは兄弟と同じ意味だろうけど違和感がある。
 下手に顔を動かすと大変な事になるので、じっとしながら女性の、ペトラさんの言葉に耳を澄ます。
「あなたのお母さんに頼まれたの。――――――監視しろって」
「……」
 笑えないぞ。何だ、監視って。俺は犯罪者か?
 反論したくて自由が利く手でペトラさんの二の腕をぺちぺち叩き、「発情盛りの年齢だもんね」とわけのわからない事を口にしながら解放してくれた。
 改めて眼前に立つペトラさんを見る。
 黒髪で瞳はグリーン。まだ早いんじゃないのと思うけど、ホワイトのノースリーブとデニムのショートパンツ。
 ……高校生には刺激が強すぎる。
 鼻の奥がツンとしてくる前にペトラさんを家の中に招き入れ、リビングに通した。
「ヤー、狭いね」
 開口一番がそれかよ。いや、いいけど。何せ築父さんの稼ぎじゃリフォームする余裕もない。会社の社長なのに一体どういう事なんだろう。不思議。
「す、すいません」
 六帖しか広さが無くてとは言わなかったけど、何で我が家なのに謝らなきゃならないんだろうと首を傾げた。
 ソファに座ったペトラさんは、その長い脚を組みながら、俺でも知っているブランドのバッグから扇子を取り出し、ぱっと広げパタパタ扇ぎ始めた。ロングヘアが微かに揺れ、片方の頬何房か張り付き、吐息を漏らす。
 それだけでも官能的だ。
 俺の視線に気づいたペトラさんは、
「突っ立ってないで、飲み物ちょうだい。後でいくらでも見せてやるからさ」
 と、にやつきながら言う。俺が凝視していたことに気づいていたのか……っ。
「い、いいですっ。結構です!」
 片手をぶんぶん振りながら断ってキッチンに向かった。
「何しに来たんだよ……」
 冷蔵庫の扉を開けながら独り言を呟いた。母さんの親戚っていうけど、絶対に違う。知り合いなら筋が通る。
 未開封の紅茶とアイスコーヒーのペットボトルを見つけ、どちらにしようか悩んでいると、
「こっちでいいわ」
 背後から声がしたと同時に手が伸び、五百ミリリットルの紅茶のペットボトルが右手から消えた。驚いた俺は声を上げる事もできなかった。
「遅い。何でもいいから持ってくればいいのよ。冷たいジャパニーズティーでもオッケーよ」
「……ドイツ語で日本はヤーパンって――」
「ヤーパンティーなんてローカルな呼び名、浸透するわけないでしょ。ていうか、日本育ちなのによく知ってるわね」
「それくらいは知ってます。最初から日本語が話せたわけじゃありませんから」
「ああ、そっか。ごめん」
 俺が日本に来た理由は母さんから聞いているようだ。ペトラさんは日本流に謝った。
「い、いえ、いいですよ。そんな」
 こっちが悪い気がして、そそくさとリビングに移動し、疑問を訊ねる事にした。
 母さんめ、赤の他人に俺の個人情報をべらべら喋ったな……。
 長年の日常生活に置いて日本語と和製英語に慣れてしまったため、ドイツ語なんてヤーパンしか理解できない。はっきり言うと忘れた。
 ああ、最近覚えたのは農業協同組合を英語に翻訳し、更に短く略するとドイツ語で『はい』という意味なんだなって事か。
 某お笑いトリオが登場時に「やー!」って掛け声を口にするけど、ドイツ人やドイツ語圏の人たちが聞いたら、「はいー!」って、何ムキなってるの? って感じなんだろうけど、俺にはエ●パー●東が持ちネタの鞄の中に入って、見事脱出成功した時の掛け声に聞こえるけど……。
 何でこんなたとえしてるんだと自分に呆れながら、正面のソファに腰を下ろし、
「あのう、ペトラさんは母さんとどういう関係なんですか」
 率直に疑問をぶつけた。
 だけど。
「イケない関係」
 真面目な顔をしながら言うペトラさんに俺は一瞬目が点になった。
 そんな俺を見て、ペトラさんは苦笑いして「嘘よ。見ての通り、私は外国人であなたのお母さんと親戚関係じゃあないの」
 その論理からいくと俺も母さん実の子じゃないわけだけど、耳を傾ける。
「あなたのお母さんが務めるお店の常連さんよ。普段は保育士をしてるの」
「保育士……」
 人は外見で判断しちゃいけない、と小さい頃父さんに教えてもらったけど、確かにその通りだと思う。でも、何だろう。父さんが言うと説得力があるにはあるんだけど、生々しく聞こえる。
 とにかく、話を軌道修正するとペトラさんは母さにお守りを頼まれたということのようだ。
 高校生になってお守りをされるなんて屈辱だな……。
「あの。ペトラさんは来日して何年になるんですか?」
「二十四年かな」
「………………え?」
 さらっと答えられたので、『二十四年』の意味がわからなかったけど、ペトラさんの年齢イコール滞在期間という意味であり、要するに、
「私はずっと若会市に住んでるの。施設育ちだから本当の両親の顔も知らない。ドイツ語なんてあなたと違ってヤーパンしか理解できないわ」
 そういう事のようだ。
 何度も言うけどヤーパンしかわからない。
 施設育ちと言うけど、俺がお世話になった芦牧温泉近くの養護施設にはいなかったから市内に幾つかある施設で育ったのだろう。



  タチヨミ版はここまでとなります。


R & P

2014年9月21日 発行 初版

著  者:takahito
発  行:garden

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福島県会津若松市在住。
本名を正しく呼んでもらえない。

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