”Man reist nicht um anzukommen,sondern um zu reisen.”
Johann Wolfgang von Goethe
「人が旅するのは到着するためではなく、旅行するためである。」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
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あの紙ヒコーキ くもり空わって(台湾・台北)
氷の上に立つように(台湾・台北)
ビーナスの誕生(台湾・台北)
或る街の群青(台湾・台北)
歩いていこう(台湾・台北)
西川口狂想曲(台湾・台北)
壊れかけのレイディオ(台湾・台北)
楽園ベイベー(台湾・台北)
海角七号 君想う、国境の南(台湾・台北)
悲しきティーンエイジャー(タイ・バンコク)
カウンターの応酬(タイ・バンコク)
燃えよドラゴン(エジプト・カイロ)
限りなく透明に近いブルー(エジプト・ダハブ)
ロンドン・コーリング(イングランド・ロンドン)
なんでだろう(イングランド・ウィンチェスター)
アビィロード(イングランド・ロンドン)
ブルートレイン(イングランド・ロンドン)
パリより愛をこめて(フランス・パリ)
民衆を率いる自由の女神(フランス・パリ)
小便小僧の恋物語(ベルギー・ブリュッセル)
パルプフィクション(オランダ・アムステルダム)
ラッシュライフ(オランダ・ハーグ)
ライヤーゲーム(オランダ・ロッテルダム)
ローレライの乙女(ドイツ・バッハラッハ)
ロマンチックがとまらない(ドイツ・ローデンブルグ〜ミュンヘン)
Wake me up when September ends(チェコ・チェスキークロムロフ)
陽はまたのぼりくりかえす(オーストリア・ザルツブルグ)
ビロード離婚(スロバキア・ブラチスラバ)
サティスファクション(ハンガリー・ブダペスト)
いい湯だな(ハンガリー・ブダペスト)
やさしさに包まれたなら(クロアチア・ザグレブ)
アンダーグラウンド(スロベニア・リブリャーナ)
ヴェニスの商人(イタリア・ベネチア)
冷静と情熱のあいだ(イタリア・フィレンツェ)
ローマの休日(イタリア・ローマ)
境界線(バチカン)
どか〜ん(イタリア・ナポリ〜アマルフィ海岸)
白い雲のように(イタリア・バーリ)
Taiwan
台北へのフライトは、一番安かったチャイナエアラインを選んだ。そのそもエアチャイナと同じ会社だと勝手思い込んでいたぐらいで、台湾の会社であることすら、今まで全く知らなかった。既にチケットはブッキングしているのだが、一応ウィキペディアでチャイナエアラインを調べてみたところ、こんな記述があった。
『退役空軍パイロットを操縦士としているせいか、事故率が異様に高く、
日本乗り入れ航空会社の中では一、二位を争う程の危険度を誇る。
台湾政府の役人も、海外旅行の際は使用を避けるとさえ言われている。』
飛行機に乗る前に見なきゃ良かった…。
今日は強風のために、機体がよく揺れる。色々考えてしまうと、本当に笑えないシチュエーションだ。イヤフォンからは、アークティックモンキーズが『the view from the afternoon』を奏でている。それを聞きがら、俺は全力で気を紛らわそうとしていた。
実際のところ、機内は非常に綺麗であり、機内食も結構美味しく、サービスも悪くない。CAも綺麗で、なんといってもチャイナ服仕様の制服が、なかなかどうして悪くないではないか! 笑い方を忘れてしまっていた僕ですが、いつの間にか鼻の下がすっかり伸びていた。まぁともあれ、飛行機は無事に台北の空港に着いた訳ですが。
空港には国光客運という、台湾最大手のバス会社の窓口があった。チケットは百二〇NT$。経路はよくわからないが、とにかく終点は台北駅らしかったので、おそらくこれでOKだろう。
少し渋滞こそしていたが、エアコンの効いたバスは、車体も綺麗で、とても乗り心地が良かった。俺の隣にはサラリーマン風の親父が座った。日本では見た事のないソニーエリクソンの最新の携帯を手にもった彼は、身なりもきちんとしており、外見からすると、ちょっといい会社の管理職といったところだろう。
渋滞の中、ふいに車中の掲示を見ると、知らなかったが台北空港には第一、第二ターミナルがあるらしく、発着は国毎に分かれているようなことが何やら書いてあった。そもそも自分がどっちについていたのかすら、分かっていない。次の便の事も気になるので、隣の親父に話しかけてみると、やはり親父は少し英語が話せた。どうやらアメリカ(美)、オーストラリア(澳)、カナダ(加)、日本(日)は第二ターミナルから便が出ており、それ以外は大体第一ターミナルかららしい。
なかなか親切な親父で、台北駅に着いた時も、宿の地図を見せると、丁寧に方角やら近道やらを教えてくれた。
『シングルなのに、一泊五〇〇NT$なんだ。すごい安いでしょ?』
と言うと、親父は少し驚いた表情で、
『へぇ~、そりゃとても安いね。』と言った後、『だけど、きっとすごく良くない宿だろうね。』 と、少しあきれたような表情を浮かべ、苦笑した。
『だろうね!』と言って俺は同意し、そして少し笑ってみせた。
時刻は十九時を過ぎたあたりであったが、空にはまだ充分な明るさが残っていた。宿は台北駅から歩いて一〇分程のところに位置し、その名を『泰龍閣賓館(ロイヤルパークホテル)』という。王室の庭、かぁ・・・。
例えば、横浜桜木町のロイヤルパークホテルの場合であれば、ランドマークタワー内にあり、素晴らしい夜景の見える一流のホテルとして知られている。確か一部屋、一泊二~三万ぐらいはする筈である。
さて、そんな素晴らしいホテルと同じ名を持つ今夜の宿だが、場所は少し路地裏に入った雑居ビルの並びの、随分とわかりにくいところにあった。むろん名前が同じだからといって、間違っても桜木町のロイヤルパークと比べてはいけない。そこには、バックパックを担いだ貧乏くさい風体の俺と、英国王室のウィリアム王子ぐらいの差があるに違いない。
フロント(と呼べる程、立派なモノでもないが)には一人、ねーちゃんが座っていて、TVで少し昔の『名探偵コナン』の字幕放送をダルそうに見ていた。英語を全く話せる人はいないらしく、頑張って付け焼刃の北京語でチェックインを試みた。
『ニィハオ、ウォー ジァオー リンティエン ジョシュ、 ウォー シ ツォン リーベン ライダォッ』(→こんばんは、日本から来た林田と申します!)
彼女は少し戸惑いを含めた表情で、予約表のカレンダーを確認し、『リンティエン?』と再度、俺の名前を確認した。俺が肯くと、彼女は何やら中国語で話し始めたが、俺はよく分からないということを身振りで示した。とにかくパスポートの提示、そして宿泊代金の支払いを求めていることは分かったので、俺はパスポートのコピーと五〇〇NT$を差し出した。なにやら彼女がもたもたと宿泊台帳を見たり、手続きをしたりしているのを待ちながら、他にする事も無いので、ボぉ〜と画面を見ている。事件は既に解決したらしく、小松未歩がエンディングの曲を歌い始めた。
氷の上に立つように 危なげな事もしたい
思い描いてた夢も形にしてみたい Forever My Destiny
宇宙船が目の前に降りたら
迷わず手を伸ばし その船に乗り込みたい
その日 一日を悔やみたくないから
この曲の歌詞を初めて意識して聞いたのだが、一見まともな曲のようであって、よくよく考えると、なんともチャレンジャーな歌詞なのだろう。その日一日どころか、三頭身の宇宙人達に、体の隅々まで身体検査をされて、未歩ちゃんは一生悔やむかも知れないのに…。しかしその他の部分は、概ね共感出来る曲でもある。今の俺もまた、まさに夢を形にするその過程にいると言っても過言ではない。
最後にサインをして手続きを終え、そして部屋の鍵を受け取った。エレベーターを六階で降りると、俺は鍵の番号を確認し、自分の部屋の扉を開いた。宿の基準は色々あるが、この宿は以下の点において優れていた。
・好立地(駅、繁華街から徒歩約一〇分)
・浴室付(なんと贅沢にもシングルタイプ)
・低価格(シングルでは台北市内で最も安い)
・空調付(温度は不明だが、スイッチはある)
以上。なんとも素晴らしい宿ではないか! そして残念ながら、以下の点において、劣っていた。そう、絶望的に。
・クソボロい(建物がかなり古い。電球も歯抜けで、天板も外れている。)
・クソ汚い(ろくに掃除されてる様子もない)
・クソ狭い(ベットの他にはほとんどスペース無し)
・うるさい(壁がペラペラなので、音は筒抜け)
・安全面(一応ドアに鍵はあるが、グラグラ)
・カユい(ベットにダニが永住)
ベットは一見それほど汚くはなさそうに見えたが、シーツをめくると、大量に女の髪の毛が挟まっていた。(床にもバスタブにも髪の毛は大量にあった) しかも、ところどころに血の跡。そういえばホテルの入口に
『宿泊五〇〇元,休憩二五〇元』
との表示があった。つまりここは連れ込み宿としても使われているらしい。昼間、誰かがSEXしたベットで寝るというのも、何だか微妙な気分だ…。
やはり横浜のロイヤルパークと比べると、値段以外で勝っているところなど、一つもない。何を隠そう、俺だってウィリアム王子に勝っているところなど、髪の毛の量以外は一つもないのだが…。そしてロイヤルファミリーのウィリアム王子と、兵庫の山奥で生まれ育った俺とを比べること自体が、やはりそもそもの間違いなのだ。
まぁこんな宿ではあるが、この時点での俺の印象は、『悪くない』だった。なぜなら、俺はもっとヒドイのを予想していたからに他ならない。汚い、ボロいといっても香港のラッキーハウスよりは随分マシだし(笑)
何はともあれ、今夜の寝床は確保出来た。旅という日々において、毎回必ずホッとする瞬間である。とりあえず荷物をチェーンでベッドにくくりつけ、そして空腹を満たすべく、俺は早速、夜の街へと繰り出す事にした。
台北の街はやはり行き交う人々の熱気で、活気付いていた。宿から歩いて十五分程のところにある西門街は、日本でいうなら、原宿といったカンジの若者の街の雰囲気だ。学生風情の奴らがやたらと多い。
何やら列が出来ている店があったので、俺もそこに並んでみることにした。阿宗麺線という名のその店のメニューは、台湾風あんかけ極細麺(大・小)のみであった。俺は大を注文し、五十五NT$を支払う。道端での立ち食いスタイルだが、この店の麺はなるほど、確かに美味で、行列の理由は、たやすく納得出来た。しかし恐ろしいほど熱々のスープで、口の中を火傷することになったのだが…。
麺線だけでは少し物足りなかったので、近くの屋台で袋入り唐揚げを、そしてジュース屋で絞り立てのグレープフルーツジュースを購入し、通りのベンチに腰を掛けた。俺が唐揚げを美味しそうに頬張っていると、隣にかなりカワイイ子が一人で座っているのに、気が付いた…。彼女は特に誰かを待っている様子でもなく、暇そうに思えた。俺は時計を持っていなかったので、彼女に時間を尋ねてみた。英語は通じないようだったが、手首を指差すしぐさを交えると通じたようだ。彼女はニコリと笑って、見せてくれた左手のデジタルの時計は二十一時半を表示していた。俺はついでに食べきれない唐揚げを『ハオチー(美味しいよ!)』と言って、彼女に勧めてみた。彼女は最初は遠慮していたが、俺が、もう満腹で食べきれないんだ、という風に見せると、感じ良くハニかんで、そしてその唐揚げを頬張り、『謝謝』と言った。
色々話そうと試みたが、どうしても言葉の壁は高く険しい。それでも何とか、俺が暫く台北にいることぐらいは伝わったようだ。長らく話した後、彼女は立ち上がり、時計をチラリと見て、
『そろそろいかなくちゃ。良い旅になるといいね』
みたいな事を言ったと思う。そして『再見!(じゃぁ、またね)』と言い残し、やはり可愛らしく微笑みながら、街の雑踏へと去っていった。ザイジェン…。
結局、その後の滞在期間中、彼女に出くわすことは無かったが、なんとなく台湾という国を好きになる予感があった。
何か少し切ないような寂しさを抱えたまま、ボロ宿に戻ったのは、二四時近くであった。今日一日でたっぷりとかいた汗を洗い流すべく、シャワーを浴びる。バスタブこそひどく黒ずみ、ヒビ割れてボロボロだったが、意外にもシャワーからは、ちゃんとお湯が出た。これまたヒビだらけの壁のタイルに目をやると、そこにはボッティチェリの『ビーナスの誕生』が描かれていた。シャワーを浴びながら、このボロ宿にあまりにも似つかわしくない名画をまじまじと見る。やれやれだ。ギリシャ神話の女神ヴィーナスは、西風の神ゼピュロスに吹かれ、その髪は美しくなびいている。だが皮肉にも、西回りで世界一周を目指してる俺には、まさに逆風ではないか。
風呂からあがり、ベットに横たわりながら、地図を眺めていると、右隣の住人がバカみたいにデカイ声で、携帯で喋っているのがよく聞こえる。さすがの壁の薄さだ。さらに左隣の部屋からは一定のリズムでベットがきしむ音と、女のあえぎ声が聞こえてきた。おまけに空調の通気口もなにやら不定期なリズムでうなりをあげている。折角のシングルルームにも関わらず、耳栓が欲しいような状況だ。
明日以降の予定は全く決めていない。とりあえず明日は市内観光でもするとしよう。宿探しは面倒だが、この宿にもう一泊は…。などと考えている内に、物音など全く気にならないようになり、そしてだんだんと睡魔が訪れてきた…。
このボロ宿でもう一泊しようかどうか決めてから、昨夜は眠るつもりだったが、知らない間にすっかり寝落ちてしまったらしい。窓の無い部屋で、外の明るさは分からなかったが、八時過ぎには起床した。夜中に何度か痒くて目が覚めたため、まだ少し眠い。
ベットから起き上がり、痒みを感じた太ももを見ると、小さく赤く腫上がっていた。どうやら南京虫ではなかったようだが、かなりダニがいたようだ。バスルームの半分程に欠けて小さくなった鏡で確認すると、背中にも数箇所同じような跡が残っていた。歯を磨きながら、それでもまだ延泊するかどうか迷っていたが、バスルームから戻ると、巨大な黒いゴキブリが俺の枕の付近を元気に徘徊していた。これを見て、俺はあっさり延泊を諦めた。
フロントには昨日と違う四〇歳ぐらいのおばちゃんが朝刊を読みながら座っていた。俺の姿を見かけると、中国語で話かけてきたが、分からないという素振りを見せると、『あぁ…。』という表情を浮かべ、『Good Morning!』と挨拶してくれた。俺はチェックアウトの旨を伝えて、部屋のキーを渡し、そして『謝謝(ありがとう)』と感謝の言葉を述べて、出口へ向う。おばちゃんは俺に
『Have a good day!』と言い、
『You too!』と俺は笑顔で返した。
異国台湾を旅する俺の今日と、路地裏のボロ宿のフロントの彼女の今日。それぞれの描く『良い一日』とは、どういうモノなのだろう…。そんな下らないことを考えながら、大通りを歩く。頭上の太陽は強く地表を焦がしていた。まだ九時半にもなっていなかったが、ビルの掲示版が『34℃』と表示していた。急速な発展を遂げる台北の街に乱立する無機質な鉄筋コンクリート群。そのビルとビルの間を見上げると、入道雲が張り出し、いかにもといった感じの夏空が広がっていた。そんな天気と荷物のおかげで、台北駅に着いた頃には既に汗だく状態である。
期待通り駅の地下街でコインロッカーを発見し、周りの見よう見真似で無事に荷物を預ける。そして地下鉄,バス等の公共機関が乗れるスイカの様な非接触プリペイドカード『悠遊カード』(Easy Card)を購入する。
俺はMRT板南線に乗り、市政府駅で降りた。そして世界一高い場所を目指す。
当たり前だが、MRTの駅から降りても相変わらず死ぬほど暑い。荷物がなくてもやはり暑い。吹き出す汗を拭いながら、駅から歩いて十五分。ついに目の前にその巨大建築物は姿を現わした。
TAIPEI・101
高さ五〇八mを誇るこのビルは台北市内のどこからでも見えるため、適当に歩いていると辿り着いた。入り口は隣のショッピングセンターの五階と結構分かり難かったが、あちこち聞いて、何とかチケットを購入し、いざ展望フロア、八九階へと向かった。
八九階からの眺望は本当に素晴らしいもので、じっくり二時間程、展望台で過ごした頃、丁度お腹の虫がうずき出したので、101の近くにあるショッピングセンター『紐育紐育(ニューヨーク・ニューヨーク)』に入ってみる。
地下のレストラン街はフードコート形式になっており、俺は排骨(スペアリブ)の乗ったランチプレートを注文した。台湾ではよくあるタイプの定食らしい。台湾は世界一の親日国家であり、また日本の植民地時代には、学校教育も日本語で行われていたことの影響もあって、カタコトの日本語が通じることが多々ある。この店のおっさんも驚く程、日本語がウマかったが、味の方はというと、まぁまぁぐらいで、決して驚く程はウマくなかった。
午後はMRTで台北まで戻り、淡水線で士林駅へと移動。そこから面倒だが、バスに乗り換える。一応、それらしきバスに乗る際、運転手に『グゥクンホーウーエェン?』と行き先を確認すると、なんか肯いたっぽいので、そのまま乗車してみた。(本当に通じたのかどうかは不明)
バスに揺られること約十五分、それらしき建物が見えてきたので、慌てて降車ボタンを押し、そして何人かの現地の人々に混ざり、バスを降りる。陰ることない太陽の下、目の前には世界四大博物館の一つ『故宮博物院』があった。
入場チケットの百六〇NT$に加え、ちょいと奮発して一〇〇NT$で、受話器のような音声ガイドの機材を貸りた。展示品については、ここでは到底書ききれる訳もない。何しろ四フロアを跨る館内は恐ろしく広く、時代もジャンルも多岐にわたっている。三時間ほど、殆ど休憩無しで回った。一番興味を抱いていた王器・彫刻に関してはそれなりに時間をかけたが、それでも後半は流さざるを得なかった。大体、中国の悠久の歴史をたった三時間で巡ろうというのがそもそも無理な話だ。
台北の駅まで戻った頃には既に十八時を大きく回っていたが、気温の方は、まだまだ下がる気配は無かった。さて、ここから今夜の宿探しをしなくてはならないのだが、北京語が出来ないので、とにかく直接宿を当たるのしかない。安宿を探すのにタクシーを使うのも、おかしな話なので、噴出る汗を拭いながら、俺はひたすら歩いた。とにかく歩いた。
最初の宿は満室ということで断られた。まぁ、夏のハイシーズンなので仕方がない。また外に出て、次の宿を探すために歩き回る。夕暮れ時になっても、日中にこれでもかと言う程、熱せられたアスファルトが地表を冷ますことはない。高い湿度と相交わり、うだるような不快指数の高い空気を保っている。
続いて2軒目、そして3軒目も残念ながら満室であった。疲れは倍々ゲームで増えてゆく。そして、必死の思いで行き着いた四つ目の宿は、既にもぬけの殻となっていた。これが精神的に効いた…。無計画な旅の悪い面がモロに出たという感じだ。
そうこうしているうちに、外はすっかり暗くなっており、俺はかなり焦ってきた。額を伝う汗が、その焦りを助長する。そして体力も消耗し、もう歩く気力が無くなってきた。
そんな時ふと、以前に耳にした日本宿があるという噂を思い出し、慌ててネット屋で調べてみた。スカイプで電話をかけると、日本人のオーナーが出て、しかもドミトリーのベットが一つだけ空いているとのことだった。俺はヘトヘトになりながら、その宿へと向かった。
ようやく今夜の宿に辿り着いた俺は、ドミトリーの二段ベットの上の段を確保した。オーナーは非常に優しく、宿探しに疲れきった俺には本当に神様のように、後光が差して見えた。奥さんは台湾人で、挨拶程度の日本語なら通じる。
で、とっても可愛らしく、人懐っこい娘さんがいるのだが、彼女は三歳にして既に日本語と北京語を話せるバイリンガルで、おまけにロビーでディズニーの英語のDVDを見ていた。そして俺の帽子を偉く気に入ったようだった。
一時間程、宿で休憩した頃、安心してお腹が空き始めた。昨夜の余韻が残っていたのかどうかは覚えていないが、この日もまた俺の足は自然と西門街へと向かっていた。大きな道路沿いにある、いかにも大衆的な麺屋が賑わっていた。『鴨肉扁』というガチョウスープの麺屋で、店内に入ってはみたものの、言葉が全く分からない。周りの客が注文している麺と肉皿のセットを指差すと、店員が鍋のところまで連れて行ってくれて、麺の種類を選ぶよう言われた。俺は細麺を頂く。鶏ガラの出汁のしっかりと効いたスープは、口の中に旨味が溢れ、しつこくないのに充分な深みがある。この店もまた美味であった。
その後、屋台で焼きトウモロコシとマンゴジュースを買い、食べながら、街を歩いていると、ビジュアル系の黒い軍団に遭遇した。街角に流れる安室奈美恵のPV、蛯原友里の看板、ジャニーズのポスター、そしてアニメの看板に踊る『MOE~!』の文字。
改めて日本文化の浸透を感じる夜となった。
宿に戻って、ロビーで缶ビールを飲みながら、同じドミトリーに泊まっている鈴木君と談笑していた。鈴木君はかつては台湾文学を専攻し、また交換留学生の経験もある。台湾の情報に常にアンテナを張っており、経済や時事ニュースはもちろん音楽、芸能情報にも精通している。今回は語学留学の下見がてら、台北にやってきたらしく、そんな鈴木君とは実に色々な事を、熱く語りあった。
・李登輝のアイデンティティの何%かは日本人なのだろうか?
・台湾における国民党の支配とその悪政
・二二八事件の地方隆起の仮定
・台湾経済の反映と日本企業の衰退のモデル
・蒋介石はいかにして衰退したのか? …等々。
ってのは、もちろん最初の一割ぐらいで、やはり、
『いかにして、台湾の女の子と仲良くなるか?』
というのが、我等の議論のメインテーマであり、鈴木君が中国語を猛勉強しているモチベーションは、まさにそこにあった。そんな不純な動機を追い風に、今や中国語を片言程度は話す事が出来るようになった鈴木君は、昼間は以前に交換留学生として通った大学の図書館に出入りして、時には大学生なんかに声をかけ、真面目に中国語の語学力を磨いていた。もちろん夜は夜で街へ繰り出し、真面目に可愛い子を探しているのだろう。
『いやぁ~、この前、夜店の女の子と仲良くなってね〜。あとちょっとでデート、誘えそうなんですよねぇ~。』
ドミに帰ってきた鈴木君は、やはり少し自慢げにそう語った。そんな夜店の可愛い子ちゃんとのやりとりの甘酸っぱい一部始終を聞いた俺は、尊敬の眼差しで鈴木君を見た。いや、もちろん尊敬というのは、建前上の表現というか、言葉のアヤであって、根本にあるのは単に羨ましい以外の何ものでもなかった。だから、俺はとても真剣に聞いていた。いかにして、そこに辿り着くかを。そのテクニックを盗むために。
しかしある日、鈴木君のベッドの傍らに、どう見ても夜店で買わされたと思しき土産物の箸が二〇セットぐらい転がってるのを見て、少しテンションが下がった。さらに
『いやぁ~、俺、彼女いない歴イコール年齢っすよ』
ってのを聞いて、尚更テンションが下がった。確かに中国語を操っている時の鈴木君は、格好良く、輝いてみえた。が日本語を話している時の鈴木君は、全く輝いていなかった。女の子とも縁遠く思え、その縁の遠さは、日本から台湾どころか、下手すればブラジルぐらいの距離があるのではなかろうか?
鈴木君に失礼の無いよう、随分回りくどい書き方をしたが、要するにどうみてもモテなさそうなオーラをまとっていた、ということだ。台湾には四回もイッたことがあるのに、女性とは一回もイッたことがない、というのは切な過ぎるだろう。
結局、夜店の女の子とは結ばれること無く、鈴木君が帰国する朝がやってきてしまった。身の回りの持ち物全てと、そして大量の土産物の箸を詰め込んだバックパックを担いだ鈴木君。その別れ際に、埼玉出身の彼にお別れの言葉と、精一杯の助言を送った。
『鈴木君。台北もええけど、西川口もきっと熱いぜっ!』
ドミトリーの二段ベットは連れ込み宿の染みだらけのベッドのような痒みは無く、夜中一度も起きる事もないまま、朝を迎えた。ぐっすり眠れたお陰で、六時過ぎには目が覚めてしまった。そのまま外に散歩に出かけて見る。朝の街は静かだ。まだ気温も上がっておらず、街が動き出す前の空気は実に心地良く、時間がゆっくりと流れていた。
中山駅近くにある牛乳大王という店が開いていたので、そこで朝食をとることにした。トースト、目玉焼き、パパイヤミルクのモーニングセット。台湾ではチェーン展開しているが、日本には、まだ支店がないのは非常に残念。味は文句なしで美味い。
宿に戻ると、オーナーさんがちょうど起きて、玄関を開けていた。俺は顔を洗ってから、もう一度ベットに横になり、今日は何をしようかと考えていたが、満腹であったためか、再び眠ってしまった。
向かいの教会から聞こえてくる賛美歌で、俺は二度寝から目覚めた。時刻はもう一〇時を回っている。俺はゆっくりと起き上がり、そして屋上の洗濯物を取り込んでから、再び中山駅へと向かう路地を歩き出した。今日も太陽はやはり、怠ることなど微塵も無く、暑く、熱く、元気に輝いている。
そして台北からMRT淡水線で約一時間、どこか日本の温泉街のような雰囲気を匂わせる街、淡水へと向かった。川沿いには食べ物屋やら射的やら、りんご飴屋が立ち並び、何やら楽しげな活気のある街である。しかし暑い・・・(汗)
以前の会社の同僚はこの街に住んでいたらしく、是非ともムール貝を食べてみるよう、言っていた。地図を確認すると、どうやら対岸にお店があるらしい。船着場のチケットカウンターにいたお姉さんに、対岸を指差し、『ハチリ!(八里)』と俺は言った。
彼女は『はぁ!?』という表情を浮かべ、俺の指先を見て、『あぁっ、パリ?』と言った。なるほど、パリか…。ただここからは凱旋門とやらは見当たらなかった。
往復分のチケットを手にし、俺の乗り込んだ船は、対岸に十五分程で到着した。ただパリはパリでも、俺が目指していた船着場とは五〇〇m以上離れていた。相変わらず勢いの衰えを知らない太陽は、俺の表皮を焦がし、心をげんなりさせた。
ムール貝のニンニク蒸しは、香りが素晴らしく評判通りの美味であった。が、往復のチケットの為、また遠い船着場まで戻らないといけない事が、更に俺をげんなりさせた。
更に更に屋台で買った臭豆腐のまさにウ●コのような臭いが、トドメとばかりに俺をげんなりさせた。
夕方、涼みをとりに宿に戻り、何人かの宿泊客とロビーで旅行話に花を咲かせていた。そうこうしているうちに、時計は十九時半を指し、腹時計の方もお出かけのアラームが容赦なく鳴り出した。
MRTの劍潭駅を降りると、凄い数の人々が北へ向かって歩いていた。皆が向かっていた先は士林夜市である。夜市には、服やら雑貨やら、色んな物が集まっており、屋台も豊富で、日本の夏祭りのようだ。
・出来立てアツアツの胡椒餅(四〇NT$)
・日本とはひと味違う関東煮(二五NT$)
・もぎたてのマンゴーミルク(三〇NT$)
・夏の夜の思い出(プライスレス)
あと、『ガキの使い』のDVDが字幕付で店頭で流れていた。果たして日本の笑いは台湾でそのまま通じるのだろうか…?
本当に日本の夏祭りのような、賑やかでいて、そしてどこか甘酸っぱい、そんな雰囲気だった。これが毎日だなんて、本当に素晴らしい。その帰りの電車の中、俺の頭の中では徳永英明が歌っていた。
『華やいだ祭りの後、静まる街を背に・・・♪』
何も聞こえない、何も聞かせてくれないラジオは、壊れかけじゃなくて、完全に壊れているんじゃないか?と思いながら、俺はただ車窓を流れる景色を眺めていた。
綺麗な光の筋が、窓から部屋へ差し込んでいる。今朝も台北は快晴だ。昨日まで一緒の部屋だった方から頂いたドラゴンフルーツを朝食に頬張ると、キウイに似た食感とあっさりとした甘みが口の中に広がる。顔を洗い、早々に仕度を整え、外へと出かける。
市内で一番大きな大安森林公園を目指してみることにする。MRT忠孝復興駅から歩いて二〇分くらいと結構遠く、例によって、朝っぱらから汗だくである。あまり人はおらず、俺はベンチに腰掛け、一時間半ほど、ただボ〜ッと過ごす。
小鳥のさえずりが聞こえる。蝉は必死で鳴いている。雲はゆっくりと東へ流れる。
『ピンフだぁ・・・。』 ※中国人に通じるかどうかは不明。
台湾といえば小龍包、小龍包といえば県泰豊。ということで、かなりベタだが、公園から約五分の永康街の入り口に店にある本店に向かう。行列を避ける為、店に入ったのは十一時くらいと結構早かったのだが、それでもほぼ満席という賑わいぶり。店員は観光客慣れしており、ほとんど全員、日本語がちゃんと通じる。小龍包,エビ焼飯,酸辣湯スープを頼む。どれもこれも噂に違わぬ味に舌鼓を打つ。台湾、好きにならずにいられない。
満腹中枢が極限まで満たされた俺は、運動がてら、再び歩いて忠孝復興駅まで戻った。そこからMRTを二本乗り継ぎ、約一時間程かけて台北郊外にある、新北投温泉駅に辿り着いた。この辺りは台湾有数の温泉地だ。
バケツを引っくり返した様な雨と言うけれど、駅につくとまさにその表現がピッタリの土砂降りであった。雷鳴は一、二分おきに轟き、激しく地面を打ちつける雨音が、街のノイズを掻き消している。折り畳みの傘は持っていたが、あまりに激しい雷雨のため、暫く雨宿り。二〇人ぐらいの人々が、同じように雨が治まるのを待っていたが、西洋人の小さな子供がはしゃいで、走り回っているのが、実に無邪気であった。
俺は灰色の空を眺めながら、リップスライムを口ずさんでいた。
♪水着のギャルっ~ 俺に群がるぅ~
一遍に愛されちゃ俺も困るぅ~っ
常夏の楽園べいべぇ~♪
さて、三〇分程すると、ようやく雨の勢いも弱まり、人々は各々、駅を後にする。俺もお目当ての公共の温泉施設まで歩いて向かう。すばらくすると太陽が現れ、先ほどまでのどしゃ降りがウソかのように、気温は一気に35℃まで上昇。再び炎天下がやってきた。
暑い…。
気合いを入れ、さっさと水着に着替え、期待を抱いて、混浴の温泉に飛び込む。
熱い…。
で、温泉で目撃したタイワニーズギャル… まさかのゼロ…。
寒い…。
宿に戻ると、オーナーさんと新しい宿泊客の女の子がロビーで、サッカーの日韓戦を観ていた。ちょうど後半を開始するところで、俺も椅子に腰掛け、一緒に観ることに。オーナーと俺は日本の惜しい場面や危ない場面で興奮し、共に一喜一憂していたが、彼女はなぜか少しリズムが違っていた。話しかけると、彼女はヨンという名の韓国人であった。なんか非常に微妙なシチュエーションだ…。
後半早々に韓国のプレーヤーに二枚目のイエローカードが与えられ、退場処分となる。おまけに判定に抗議した韓国の監督,スタッフまでもが退席処分となった。ヨンは思いっきり興奮して、何やら訳のわからんハングルを叫んでいた。怒っているのは容易に分かった。でも結局何を言っているのかは分からなかった。俺はコンビニで買っていた缶ビールをオーナーさんとヨンに差し出し、とりあえず三人で乾杯をした。ヨンに少しだけ笑顔が戻った。
翌日、台湾最後の夜。食べ残した物はまだまだあったが、その中でも、台南名物の担仔麺を食すことにした。ちょっと遠いが、MRTの忠孝敦化駅近くにある度小月が評判がよいとのオーナーさんお助言に従い、足を運んだ。折角なのでヨンも誘って。
期待を裏切らず、ここの担仔麺もなかなかの絶品であった。途中、台湾人のカップルが相席になった。彼の方が大きなバッグを持っていたので、俺は自分の荷物置いていた椅子を譲った。しばらくすると彼女の方が俺の食べていた鮫の燻製を指差し『コレは何?』みたいな事を言ったが、相変わらず中国語は喋れないので、『どうぞ』と少し皿に取り分けてあげた。お礼にビールを注いでもらい、とりあえず四人は乾杯をした。彼の片言の日本語と彼女の片言の英語で、どうにかこうにかコミュニケーションを取りながら、台湾最後の晩餐は実に楽しく、素晴らしいものとなった。
翌朝、宿を発つ際にはオーナーさんとヨンが見送ってくれた。未使用分のEasy Cardをヨンに渡し、空港行きのバスに乗り込む。出発の三時間前には空港に着いてしまった為、バーガーキングで昼飯を取ることに。日本では専らクアアイナだったので、キングはものすごく久しぶりだ。
いよいよ台湾を去る時がきた。テイクオフした後、眼下に消えゆく陸地を眺める。そして心の中で呟いた。
『再見、台湾!!』
Thailand & Egypt
再びバンコクに戻った。次のフライトは数日後なので、またカオサンでいつものような怠惰とも呼べる日々を過ごす。ちょうど今、ネットカフェで時間を潰している俺の隣に座ってるのが、ジェリーという名のタイ人の女の子だ。俺が彼女と遭遇するのはかれこれ五回目ぐらいで、いつも俺に異常に愛想良い。そして彼女は、この界隈の日本人には、ちょっと顔の知れた存在だ。
彼女は聾唖者だ。
彼女はいつも明るく気丈だ。
彼女は十九歳らしいのが、見た目は十三~十四の中学生みたいな幼い顔をしている。
彼女は指差し会話帳のタイ語編を持ち歩いている。
彼女は日本人を見つけると、その会話帳でコミュニケーションを取りたがる。
彼女はよく日本人の男性と、この辺りを歩いてる。
彼女は日本人専門の売春婦だ。
喋ることが出来ないから、身振り手振りで必死に『あたしのアソコは小さいのよ。』とか『さっき、日本人と3Pしたとこよ。』とか説明してるのには吐き気を覚える。彼女に、というよりも、こんな子供みたいな女性を買いあさってるクソ野郎な日本人男性諸君に。
生活のためとはいえジェリーは本当に強い子だ。俺には彼女をとがめることも出来ない。救う事も出来ない。何も出来ない。そう、何も…。
同じ人間に生まれても、それぞれが違う環境で育ち、違う問題を抱え、違う価値観で生きている。それぞれに事情というものがあるのだ。俺はちょっとの旅の間に、色んな国の事を知ったような気になっていた。でも、それは表面的な薄っぺらな部分だけで、実際は本質的な事は何も知らないのだ。いや、正しくは知る事など決して出来ないのだろう。きっとこの先も…。
ヨーロッパを旅するなら、やっぱり夏だ!ということで、バンコクからロンドンを目指すのだがエジプト航空が安かったため、カイロ経由となる。値段も変わらないし、せっかくなので、エジプトにもストップオーバーで一週間程の滞在を予定した。
『英国入国審査の際に、出国のチケット及び十分な滞在費を所持していないと入国拒否される場合がある』と、チケット購入の時に注意があった。ロンドンまで着いて入国拒否なんてシャレならんぜよ。よ〜し、しっかり準備してやろうじゃないか。
さて、バンコク空港のエジプト航空カウンターにて、チェックインを行う。受付のネーちゃんにチケットを見せると、帰りのチケットの提示を要求された。もちろん持ってないし、今から向かうのはエジプトだから関係ないだろうと。だが、それではすんなりとはいかず、偉そうなマネージャーのオヤジのところへと連れて行かれた。
『出国はどうするんだ?』と聞かれたので、正直に英国からはヨーロッパ本土に船かバスで渡るから持っていない、ヨーロッパには最低でも二ヶ月は滞在するから、その後のフライトチケットは今は持っていない、と主張した。自信満々に答えたが、これでもかなりモメた。今思うと、そりゃ駄目だろう。
更に所持金を見せろといわれ、俺はこれまた自信満々待ってました、と言わんばかりに用意していた英国二百ポンドと三百ユーロをテーブルに広げてみせた。(計約八万円)
『えっ、こんだけ?』
親父は、マンガでしか見た事ないような、ぽかーんとした表情で言った。
『えっ、どーゆこと?』
と返事した俺はもっとポカーンとした表情だっただろう。
親父が追撃する。
『お前、ヨーロッパの物価わかってんの?』と。もう百パーセントの呆れ顔になっている。今思うと、ごもっとも!である。
親父は、もう全く聞く耳を持たず、チェックインもさせてもらえず、そこにはただカウンターの前に立ち尽くす無力な子猫ちゃん、つまり俺がいた。
なんとかしなければ…。とりあえず手持ちのクレジットカード、キャッシュカードも全てカウンターに並べ、俺は雄弁に吼える。
『金ならあるわい! ゴールドカードやぞ!』
が、親父はだんだん他の客の対応で忙しくなってきて、まともに取り合ってくれない。そうこうしてる内に、隣にオランダ人のミスターが新たにやってきて、マネージャーとやりとりしている。いやいやいやいやいやいや、俺、今大変な場面やねん! ミスター、後にしておくれよ!
と言いたかったが、オランダ人のオッサンは家族全員分の予約が、手違いで入力されていないらしいと、かなり怒っている! こりゃ大変だ、とマネージャー。いやいやいやいやいやいや、俺もまぁ、かなりのピンチなんですが?
周りのスタップも慌しくなってきた。フライトまでの時間は刻一刻と迫ってきている。局面は一向に改善する気配すらみせない。というか、俺、完全にないがしろ…。
媚びるような声で、泣きそうな声で、はたまた猫なで声で、俺は『プリーズ、プリーズ、プリーズ、プリーズ、プリーズ!』と繰り返した。他にこれという単語を知らないかの如く。しかしながら、どいつもこいつも、もう全く取り入ってくれそうもない。
もう搭乗時間まで時間は殆ど残されていない。再度、マネージャーに、『幾ら見せたら飛行機乗せてくれんねん、こらっ! 後ろのATMでなんぼでも降ろしてきたるわい!』と強気の作戦で攻めてみた。続けざまに、ごちゃごちゃごちゃごちゃ怒鳴りちらしているが、特に誰も聞いてくれてもいないようだ。しかし、他に手もないので、もう何でもいいから、とにかく喋りまくった。とにかく、とにかく。
親父はというと、もう俺なんかに構ってるどころではなく、終いには面倒くさそうな表情を浮かべ、そして無言でスタッフに、『このどーでもいい日本人、ウザいから、さっさとチェックインさせろ』といった風にアゴで指示した。
えっ?
あっ? いいっすか?
なんとかカウンターでのバトルを経て、無事に乗り込んだエジプト航空であったのだが、このエジプト人だらけの機内はなんとも無茶苦茶な状態であった。
俺の一つ前の席に座っているおっさん、コイツが本当にやりたい放題なのだ。最初は周りの乗客全員を巻き込んで、漫談のように話しまくって、大爆笑を誘っていた。明石家さんまのエジプト人バージョンといったところだろうか?
次第にエスカレートしたおっさんは、勝手に飲み物は取ってくるわ、CAをナンパしようとするわ、消灯時間になっても全くそのトークは止む事がなく、挙げ句は通路の地べたに寝転がって寝ようとしていた。本当に落ち着きの全くない、CA泣かせの困ったちゃんだった。こんなにザワついた飛行機は後にも先にも初めてだった。
ってことで、気がつけば真夏のエジプトにやってきました。もちろんクソ暑い。でも暑さには滅法強いのが俺である。
つい一ヶ月前までは、全く興味無くて、当面行く予定もなかった。だが、実際来てみると、もの凄く良くて、大好きになりそうな国だ。世界3大ウザイ国と言われているが、町にいるエジプト人は皆、超フレンドリーで良い人だらけである。
最初はアラビア文字が読めず、少々困惑したが、数字さえ覚えてしまえばなんてことはない。基本的に物価は非常に安く、そして意外とエジプト飯は美味い。庶民のソウルフードといえば、コシャリという食べ物なのだが、これには相当ハマった。米にマカロニ、スパゲティをミックスした炭水化物の三冠王みたいな食べ物で、栄養価を全く考慮していないため、恐ろしく腹持ちが良い。それにレンズ豆とひよこ豆を具とし、挙げたタマネギにトマトソースとビネガーをかける。
さらに街角のマンゴジューススタンド、これにも随分とお世話になった。通りには、とにかく幾つものスタンドが並んでおり、どこのスタンドでマンゴジュースを飲んでいても、『お前ブルースリーだよな?』と、毎回売店のガキどもが聞いてくる。(日本人見たら全員に聞いてくるのだろう) 毎回披露していたお陰で、いつしか俺のブルースリーのものまねは、竹中直人並みのレベルに達してしまっていた。
あと、やはり街角で数回、『今日ウチで結婚式あるから、お前も来いよ~』というお誘いもうけた。初対面なのに。もう親切なんだか詐欺なんだか、この時は訳わからなかったが、中東の人々は見ず知らずの人間でもフレンドリーに結婚式やパーティに招く習慣があるのだった。
そしてカイロの目玉といえば、ピラミッドや考古学博物館のツタンカーメンに代表される、エジプト文明の残した産物であろう。
太陽は今日も乾いた地平線に沈んでゆく。そんな四千年前の人々と同じ黄昏風景を眺めながら、人生で二度と訪れることのない、今という瞬間を強く握りしめた。
近年では大晦日の風物詩としてダウンタウンが、『絶対に笑ってはいけないシリーズ』の番組をやっているが、カイロからの夜行バスというと、まさに『絶対に寝てはいけない夜行バス』というのにふさわしかった。
バスがカイロのターミナルを出発したのは、夜の八時半ぐらいだった。今回は国内の移動になるのだが、検問所でのパスポートチェックが四回もあり、これは毎回バスを降りて、パスポートを示す必要があった。そして警察が乗り込んできてのチケットのチェックが三回。食事のための休憩が一回(全員容赦なく起こされる)、そして走っている最中には爆音のDVDの映画が三本立て(アラビア語で、字幕もなし)と、どうしても寝かせてはくれないシステムになっており、もう最後は笑うしかなかった。
セキュリティチェックが厳しいのは、近年続いていてる沿岸部でのテロの影響であろう。エジプトといえど、中東圏の大国であり、ガザ地区という戦火の絶えないイスラエルとの国境を接し、イスラム過激派の活動も決して少なくはないのだ。ただの観光立国、ではないことを色んな側面から実感させられる。
日の出の後は、寝る事もすっかり諦めて、窓の外の移り行く景色でも眺めようとしていたが、どうにもその景色は移り行くことなく、ひたすら単調で、色彩の乏しい岩砂漠が延々と続いていた。思えば、生まれて初めて砂漠というものを見る。しかしテレビや雑誌等で見る美しい砂の砂漠なんてのは、地球上の砂漠全体の一割にも満たない。殆どがこういった退屈で、特に礫や岩の転がっただけの、ただの荒廃した大地なのである。そこからは陰のイメージしか伝わってこなかった。
バスは昼前に目的地、ダハブに到着した。この町は世界中のダイバー達の憧れの海であり、『世界一の透明度を誇る』と称される紅海への玄関口になる。タオ島でのダイビングの日々の中で、その噂を聞いて、乗り込んできたダハブ。紅海は紅いどころか、『限りなく透明に近いブルー』だった。
朝から夕方までダイビングに興じ、紅い海に抱かれ、極上の贅沢を満喫する。各ポイントともに本当に素晴らしい場所ばかりなのだが、とくにキャニオンと呼ばれる珊瑚で形成された水底に生じた亀裂の渓谷は、驚愕であった。豊かな魚影や珊瑚、その独特な地形もさることながら、内部のケーブには午前中に潜ったダイバー達のエアが溜まり、それが裂け目から少しずつ漏れ出すことで、バブルの壁がそこに広がっているのだ。この景色は本当に、この世に二つと存在しえない場所であろう。実に圧巻であった。
またダハブはダイビングの重要な条件である、天気の良さも相当嬉しい。俺がこの町に来てからは毎日快晴が続いている。そもそもエジプトに来てから、一欠片の雲すら目にしてはいない。ダイブショップのスタッフの兄ちゃんに、尋ねてみた。
俺『この辺りってどれくらい
雨降るの?』
男『二時間ぐらいかな。』
俺『二時間って?』
男『年にね。』
England
ダハブでのダイブな日々を満喫し、例によって眠れないバスで九時間かけてカイロへ戻ると、同じドミトリーには偶然にもタオ島で会ったイサオちゃんが居た。我らはルクソールビール(クソまずい)で再会を祝した。いやぁ、地球って狭いもんだなぁと。
そして翌朝俺は、荷物をまとめカイロ空港へと向かった。通りで捕まえたタクシーのおっちゃんにあらかじめ調べておいた値段で交渉し、空港に行きたいと告げる。おっちゃんは、アクセル全開で、カイロの市外を百二〇キロでぶっ飛ばした。文字通り、飛びそうになるぐらい踏み込んだ。今からロンドンまで何時間も飛ばなければならないのに、今ここで飛ぶ必要なんて全くないのだけれど…。
つくづく思ったが、カイロ市内のドライバー達の運転は本当に乱暴である。郊外ではラクダに荷物を積んで、のんびり移動している人だっているのに。とにかく、これ見よがしに良い格好をしたいのだろうか?
その問いの答えはイエスであった。が、それだけではなかったのだ。空港に着くなり、おっちゃんは、『バクシーシ』を連呼し、お金をせびってきた。出ました、必殺バクシーシ作戦! バクシーシとは正確には感謝を表すチップという訳ではなく、裕福な者が貧しい者に分配するという喜捨に近いものである。文化の違いとはいえ、イスラム世界に存在するれっきとした習慣であり、バクシーシを要求するエジプト人は、もらった額が少ないと、自分が馬鹿にされたと感じて怒ることさえある。一方、あまりに気前よく支払ってしまうと、カモを見つけた!といわんばかりに、しつこく、時には集団で迫ってくるという。
まぁ、きっちり時間前にも着いてくれたし、ちょうど少額紙幣も余っていたので、それを渡すと、おっちゃんは非常に良い笑顔を見せてくれたのが嬉しかった。搭乗手続きを終え、空港の待合室で、あれこれ思案してみる。これからチップが必要となるヨーロッパに飛ぶのだ、物価の安いエジプトでのバクシーシをケチって、節約出来たと思うよりも、チップや喜捨の本当の意味を考えさせてくれたことに感謝したいと思った。
そしてカイロからヒースロー空港に飛んだ。そう、ダハブでのダイビングに浮かれた毎日の中で、すっかり入国審査のことなど忘れたままの俺、という愚か者が。
その件は、機中でふと思い出した。そもそも記録があいまいで、いつもの楽観的な考えが脳みそを支配してしまう。俺には切り札のゴールドカードがある。チケットで何か言われたら、それを見せれば大丈夫なんだ、と。だってバンコクの空港でも確かそれで、なんとかなったし・・・
アレ? そうだっけ?
いや、事実は、ゴールドカードを見せたからOKだったのではなく、オランダ人のおっさん家族が大変だとわめいていたからであり、面倒だから俺なんかどうでもいいや、という理由で飛行機に乗せてもらったのだが、そんな一切をエジプトに着いてからはすっかり忘れていた。実際に知り合いの中でも、入国拒否となった奴らがいたという前例も含め。
現金も二百ポンドと三百ユーロのみ、もちろん片道航空券しか持っていない俺は、その事を機内で思い出してからは、気が気でなかった。空港到着後もそわそわしながら、入国のゲートをかなり慎重に選ぶ。インド系とおぼしき審査官のいる列を選んだのだが、俺の順番まで来ると、まず親父は俺の顔をジロジロと眺め、パスポートとのにらめっこを始めた。
さらに親父は俺がヤングマガジンの巻頭のグラビア写真をなめ回すのと同じぐらい慎重に、上から下までまじまじと見ている。そしてご多分に漏れず、入国審査の際に帰国のチケットのチェックが、
無し。 あれれ?
というのも、なんと偶然にも同じタイミングで東京から全日空の便が着いて、大量の日本人に紛れた形で、すんなり入国させてもらえたのだ! なんたる幸運☆
で、オレ、今、ロンドン。この街が俺を呼んでいたのだ!
こちらロンドン! LONDON CALLING!!
二四時間、海パン一丁で過ごしたエジプトから、人々がコートを羽織っているロンドンへ。北緯四〇度から一五度へ。もう一回言おう。オレ、今、ロンドン!
おぉ〜っ、なんて芳しき響きだ、ロンドン。もう完全に名前負けしちゃうぜ! もしもコンパなんかで会った子が『私、ロンドン育ちなの。』なんて言った日には、もう魅力3割増である。『社長秘書』だとか『女子大生』だとかってぐらい攻撃力のある言葉だ。
俺は『限定販売』って言葉に弱い。
ベトナムで仲良くなったシェーンは、確かロンドン近郊に住んでるって言ってたので、とりあえずメールしてみた。彼女はロンドン近郊のウィンチェスターという片田舎の町に住んでるらしく、厚かましいが、泊めてもらえそうか聞いてみると、
『もちろん好きなだけ居て良いわよ。』
と二つ返事でOKだった。まぁとにかく、ロンドンから電車でウィンチェスターって町を訪ねてみる。ちなみにイングランドの電車はなぜだか分からないが、片道料金と往復料金が殆ど変わらない。なんでだろう?
まぁそんな疑念を抱きながら、往復切符を手にし、そして昼前に辿り着いたウィンチェスターの駅。シェーンは駅まで車で迎えに来てくれていて、一緒にダンナさんのジェシーもいた。観光地として有名なウィンチェスター大聖堂やら、礼拝堂やら市内のあちこちを車で案内してくれたところで、さてビールでも飲みましょうかと時計を見たら、まだ十五時前。うむ、さすがブリテン! 福屋工務店ばりに仕事が早い!
そして必ずパイントサイズ。まぁしかしイングランドのビールって、いつ飲んでも美味い! 正確には昼間に飲むと尚更、美味い! って、現地の奴らは、平日昼間っから、こんなにも皆して、パブで飲んでるというのは不思議でならない…。なんでだろう?
その後、ウィンチェスターの美しい田園風景をドライブして、ママのお家へ。イギリスの田舎の家って、ホンマにおとぎ話に出てくるような、オシャレで小綺麗で可愛らしい!と軽く感激☆ ママは張り切ってキッシュなんか作ってくれたりして、
『英国伝統料理を味わってね』
って、キッシュはフレンチではなかったかという疑問を抱いたりなんか決してせずに、とにかくいただきまーすっ!
『うぉーーー、美味い!』 巷では、英国料理って不味くて不評らしいのに、全くそんな事ないじゃないか! なんでだろう?
そして田舎に来ると、イギリス人みんな超いい人だらけじゃないか! まぁとにかく飲めや食えやの毎日だ。昨日もポーツマスに連れいっててもらい、やっぱりここでもフィッシュ&チップス&紅茶&ビール&ビール&ビール&ビール&ビール。
なんて最高な国なんでしょう、グレートブリテン! ジェシーもシェーンもママも、今日も俺とビール飲みながら、優雅な午後を過ごしてます。
ところで、この家は…誰も働いていないのは、なんでだろう?
イギリス映画は007以外は、さほど思い入れもない。トレインスポッティングが世の中を席巻していた頃でも、その作品に心打たれる事は決してなかった。ただし音楽は別だ。イングランドは、いわば俺の音楽の嗜好を決定づけた全てがあるといっても過言ではない。ルーツ、というヤツだ。
大学を出た頃からオアシスはよく聞いていたし、日本を発つ前は、ステレオラブやクークス、古いところではモッズに系統し、ポールウェラーやスモールフェイセス、その流れでO・C・Sなんかもお気に入りのバンドだった。 ローリングストーンズやザ・フーのレコードもたくさん持っていたし、ピストルズだってクラッシュと並び最高のパンクバンドだと信じている。そういう意味ではシド&ナンシーは最高の映画である…。そう、ピストルズは特別な存在だった。
キングスロード四三〇番地。
この地こそがピストルズ生誕、いわばロンドンパンク発祥の地である。ヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンが『SEX』という名のショップを構え、社会への挑発的なメッセージを書いたTシャツをデザインし、ジョニー・ロットンやポール・クックと出会い、ピストルズを結成することになった場所。七六年にデビューしたピストルズだったが、電光石火のごとく七八年、つまり俺が生まれた年にはジョニーの脱退によって、事実上の解散に至る。そしてシドはその二年後には亡くなってしまった。現在でもこの場所には、ヴィヴィアン・ウエストウッドのショップ『World's end』として店舗は残っており、目の前に立つと、感慨深いものがある。
そしてイギリスの音楽シーンにおいて、最も大きな功績を残したバンドといえば、ビートルズといっても、誰も反対する人間はいないであろう。俺が好んでビートルズを聞き始めたのは、十歳ぐらいの頃からで、ピストルズよりもストーンズよりも、よっぼど付き合いが長い。(ストーンズを聞き出したのは、九〇年に初来日した頃からだ。)
生まれて初めて買ったCDも、ブルーハーツと、そしてビートルズであった。この頃、NHKでエドサリバンショーの古い放送がやっていたり、来日当時の話をおかんから聞いたりして、その熱は上がるばかりであった。ちなみに武道館でのライブの前座は、内田裕也と、あとドリフターズだったらしい。まさかロンドンの地でいかりや長介や加藤茶の顔を思い出しながら、『ドリフって、ホンマに凄かったんやな。』と思うとは…。
リバプールこそビートルズの始まりの地であるのだが、俺とビートルズとを結ぶ場所といえば、部屋に飾っていたアビィロードのレコードのジャケットの風景だ。これはまさに、ロンドンのアビィロードスタジオ前の横断歩道であり、今日はジャケットと同じようにターコイズブルーの澄んだ空が広がっている。ここを四人が渡っている姿がジャケットになっているのだが、ポール一人だけが裸足で歩いており、そこから死亡説が流れたために、音楽史上、最も有名なジャケットの一つになったのだ。
片側一車線づつの普通のこじんまりした道路。そう、ごく普通の横断歩道。よく芸能人を生で見ると、『テレビで見るより小さかった』と言うのと同じくらい、想像してたより、ずっとずっと普通の道路だった。たまに観光客がやってきて、同じ構図の写真を撮ろうとするが、交通量も普通なので、なかなか難儀している。そう、とにかく普通のその辺りの横断歩道と、なんら変わらない道路。でもその横断歩道を渡る時、何十年もの思いが頭の中を駆け巡った。ずっと見てみたかった場所。いつも部屋で眺めていた場所。そこを今、俺が歩いているのだと。
道路の向こうのスタジオの白い門扉には、世界中のファンからのたくさんのメッセージが書き込まれていた。本当に愛に溢れたメッセージだった。世界中から愛されていた。いや、今も愛され続けるバンドなのだ。
俺も一言だけ書き残し、そしてもう一度横断歩道を反対側へと戻った。そのままセント・ジョンズ・ウッド駅へと歩いて向かいながら、なんだかぼんやりと思い出していた。
確か一曲目はカム・トゥギャザーだったっけ?
確かこれが最後から二作目のアルバムだったっけ?
確かリリースは六九年だったっけ?
確か・・・
マーク・チャップマンは『ライ麦畑でつかまえて』を愛読してたんだっけ?
そして心の中で時代を憂いた。
そう、ジョンレノンはもうこの世にはいないのだ、と。
Come together,
right now over me!
今日のロンドンは、よく晴れた爽やかな日曜日。空に広がる青。よく混んだロンドンのチューブ。そして車内にもやはり群がる青。ディストリクト線のフラム・ブロードウェイ駅にて、青の軍団とともに下車する。
プレミアリーグ08ー09シーズン開幕戦、チェルシーVSポーツマス。意気揚々と練習から見る気で試合開始の二時間前到着を予定してたのだが、地下鉄のトラブルでまず三〇分遅れ。まぁあと一時間半あるし。で、ゲートにチケット持って入っていくと、
《Invalid Ticket!》 との表示! はぁ!?
スタッフに文句言うと、とにかくチケットオフィスに行ってください、だと。どうしようもないけど、まぁ長蛇の列にならび、窓口へ。Noticeには、
『Fから始まるイケナイ言葉を使った人は、即効つまみ出しますので、よろしくね!』
と注意書きがあった。さすがフーリガンの国。ここは騒ぐ場面でもないので、大人しく順番を待つ。ふと横を見ると、警備隊員は黒くてクソでっかい馬に乗ってるではないか! まさにザ・英国風。そして間近でみると、馬も警備員の顔も相当いかつい! ラオウとコクオウ号って、実在したんですね。
試合開始二〇分前、なんとかチケットにデータを再入力してもらい、再びゲートへ。
《Invalid Ticket!》 との表示再び! はぁ!? はぁ!? はぁ!?
どないなっとんじゃ、ぼけっコラっーっ!!
うっ、もしや、ニセモノなのか? という一抹の不安がよぎる。人気チームの開幕戦、チケットは正式ルートでは即売り切れなので、知り合いを通じてディーラーに手配したものだ。とにかく再度チケット窓口へ。あれ!? 依然、というか、先ほどよりも更に長蛇の列が!
どうやら今年からバーコード読み取りの新システムを導入したのだが、それが上手く機能していないらしく、同じように怒り狂ったイギリス人どもがわんさか押し寄せている。しかも奴等はお高いシーズン券を買っているのに駄目らしく、さすがに開幕戦ですんなり見れないとなると、長いオフシーズンの間、この日を待ちに待っていた生粋のサポーター達の怒りっぷりは尋常じゃなかった。四方八方から、Fから始まる四文字を枕言葉に文句言いまくっている。っちゅうか、全ての名詞の前にFから始まる形容詞がことごとく付いている! もう試合前から暴動が起こりそうな状態である! 周りは騒然とした雰囲気になってきた。
待ちきれないサポーターが、大声で合唱しながら、リズムに乗せて、フェンスを叩きまくったり、暴言吐きまくったり。まさにこれをフーリガンと呼ぶのだろう。そしてTVで見るリアルフーリガン達が、スタンフォードブリッジのゲート周辺に集結しているのだ。そう、何万人も! なんとう殺伐とした現場なのだろう! マジでヤバくなってきた・・・。そしてコクオウ号もなんだかさっきよりも小さく見えてきた。
試合開始の時間を過ぎると、本当にいつ暴動が起きてもおかしくないようなピリピリした雰囲気があったが、結局なんとか試合開始後十五分ぐらいしてから、俺は無事にスタジアム内に入ることは出来た。むろん、その後ゲートの外は、どうなっていたかは知る由もない。
今、目の前に広がっているのは、憧れのプレミアの舞台。そして驚く程ピッチが近い! ラインアウトになったボールや、外れたシュートなんか楽勝で観客席に飛んでくる。臨場感が半端ない。そしてベンチ横の席なら、普通にプレーヤ-に触れるぐらい近い! シェフチェンコは今日もベンチスタートなので、サインぐらい貰えるんじゃないだろうか?
試合はというと、前年度六位と躍進したポーツマスであったが、本当に全く試合をさせてもらえないぐらい、チェルシーのチーム力はまとまっていた。クラウチは完全にテリーに潰されていたし、ポールポゼッションも相当チェルシーに寄っていた。世界最高のキーパーと称されるツェフが仕事をする場面もない。ジョーコールが躍動し、スイスイとDFをかわしていく。ランパード、デコ、バラックが中盤以降にボールを下げない。アネルカがチャンスを逃さず、ゴールネットを揺らす。
スコア 四 対 〇
めちゃくちゃ、おもしろかった! 観客席も多いに盛り上がって、興奮しまくった。そして試合中で、大声出しているヤツとか、相手サポーターに中指立ててるような奴や、暴れそうな観客は、容赦なく次々と何人も警備員に連行されていくのだ。その度、英雄をたたえるような拍手が起こるのだが…。
両チーム、フェアプレーに徹した試合はイエローカードも殆ど出ず、クリーンな試合であった。ただし、観客席には数えきれない程のレッドカード出された。(笑) これぞ、プレミアリーグといったところだろう。
France & Belgium
スタンフォードブリッジでチェルシーの快勝を観たその夜、まだ覚めやらぬテンションの俺は、荷物をまとめ、ビクトリアコーチステーションに向かった。俺を乗せたユーロラインは2時間程すると港に到着した。イギリスは出国審査はないが、港でフランスの入国審査を行い、バスごとフェリーに積載された。そして、真夜中のドーバーを越える。
オレ、今、パリです。
ん? ナニナニ? よく聞こえなかったかな? では、もう一回言って差し上げましょうか? オレ、今、パリ。パリパリ。おフランスの首都、パリ。花の都、パリ。俺の都、パリ。
おーーーっ、なんて優雅な響きなのだろう。パリ。どっかで見たパターンだ。もしもコンパなんかで会った子が、『私、パリ育ちなの。』なんて言った日には、もう五割増である。『絵画オークション』だとか『舞踏会』だとかってぐらいエレガントな言葉だ。
うん、『全面皮張り』って言葉も悪くない。
爽やかな日射しの下、パリの市内を散歩する。モンマルトルの丘へと階段を上り、若かりし頃のピカソが入り浸っていたというカフェに入り、コーヒーを啜る。広場では似顔絵書きが観光客を相手に、随分と賑やかにやっている。
丘を降り、またしばらく歩くとセーヌ川沿いにシテ島、そしてノートルダム大聖堂が姿を現す。初めて来る街だが、テレビや雑誌で散々みてきた街並みそのものが、現実に俺の目の前に広がっている。
まだまだ歩く。ルーブル美術館やオベリスクが見事なコンコルド広場を経て、シャンゼリゼ通りへと入る。おー、シャンゼリゼ。通りを歩いているパリジェンヌ達も少々ダサい格好をしていても、シャレオツに見えてしまう。パリというだけで完全に名前負けしてしまうのが、東洋の小さな島国からやってきたミーハーの悪い癖だ。
通りを進むと、街の中心、凱旋門とやらに出くわす。またしばらく南へと歩いてセーヌ川へと戻る。そしてエッフェル塔とご対面。この辺りはまさにパリの象徴といえるエリアだ。
歩いているだけでも、お金なんて使わなくてもパリはパリ。間違っても台北のパリ(八里)とは、似てもにつかない。
さて、芸術の都、パリ。地下鉄に乗ってても、アコーディオンやらラッパやら持った奴等が乗り込んできて、演奏してる。街を歩けば、そこかしこに美術館。そしてそこかしこで絵を描いている芸術を志す人たち。ほんと素敵だ☆ (すまん、フツーの感想で。)
この街に点在する美術館には、教科書に載ってるような、世間で名画といわれている作品が数えきれない程、溢れているのだ。犬も歩けば棒に当たる、大阪歩けばたこ焼きやに当たる、そしてパリを歩けば名画に当たるのである。
ルーブルには、特別な思いを抱いて乗り込んだ。館内では当然、モナリザの前におびただしい人だかりが出来ていた。しかし絵心の無い俺にはあまり興味が湧かないというか、その良さを理解するのは少々難しい。一体アレのどこが名画なんだろう? ゴッホには燃え滾るような力がある(ような気がする)し、エルグレコにしてもダリにしてもピカソにしても、本当に素人にもバシって伝わってくるモノがある(ような気がする)けど、ルノワールとかスザンヌとかモネとかの印象派だったり、ダビンチなんかの良さは、まだ若輩者の俺にはわからないようだ。
実は俺がルーブルを切望していたのには、どうしても実際に見てみたかった名画があったからだ。具体的に見たいと思った理由は覚えていたい。ただ幼心に、強烈なインパクトを受けた事は確かであるし、その絵にはなぜか惹かれてしまう魅力があった。美しさ、迫力、生活の中で目にする頻度、そういった全てのファクターによるものとしか説明出来ないのだが。九九年に日本に来た時に見れなかった後悔もある。
その絵というのが、ドラクロアの有名な作品『民衆を率いる自由の女神』である。彼の他の作品も教科書等で見た事はあるが『サルダナパールの死』にしても『キオス島の虐殺』にしても、それ程まで特別な思いは抱かなかった。ただ、どうしてもこの絵だけは自分の目で見たいと強い衝動を抱いたのだから不思議だ。そしてついに、実物の女神と対峙出来たのだ。
二・六×三・二メートルの巨大なキャンバスに描かれた女神の姿は、本当に圧巻であった。しかもこれだけ有名な絵にも関わらず、館内があまりに広く、他にももっと有名な作品がいくらでもあるため、人だかりなど全くない。ルーブル恐るべし、である。
フランスでは『栄光の三日間』ともよばれるフランス七月革命。学生、労働者を中心にしたパリの民衆は圧政への不満を爆発させ、ついには武装隆起した。国王シャルル十世は国外へと亡命し、新たな王としてルイ・フィリップが立つ。ここにフランスは立憲君主制に移行し、正統主義の部分的崩壊の影響は、その後周辺諸国へと飛び火することとなる。
あらわになった胸元も気にとめず、裸足で死者の上に力強く立つ美しき女神。手に掲げた風にたなびくトリコロール。一枚の絵画から伝わるカリスマ。そして革命という歴史的事実もまた、俺を強く惹きつけて止まない要素の一つなのかもしれない。
徒然草の如く、心に映りゆく由無し言をそこはかとなく、書き綴ってみるとすれば…。
俺はビールが大好きなのです! 三度のメシより、市内観光するより、そしておねぇちゃんよりも!。(ごめん、ウソ。)
で、逆にワインがどうも苦手だ。味もそうだが『ワイン』っていう響きが、なんだかお高くとまってるカンジでどうもねぇ...。というなんとも保守的、典型的、古風な日本人気質の男、いや、漢なのである。なので俺は、
ワインよりビールの方が、
ネコよりイヌの方が、
ピザよりお好み焼きの方が、
巨人より阪神の方が好きだ。
そしてなんといっても、沢尻エリカより長澤まさみの方が好きなのだ!
まぁとにかく俺にとってのヨーロッパの旅は、美味いビールを求む旅。って訳で、一昨日からベルギーに入り、そして毎日昼から飲みに行くのである!
さて、この街でもっとも有名な観光スポットといえば、かのヴィクトル・ユゴーが『世界で最も美しい広場』と称したグランプラスである。国内最高傑作の市庁舎をはじめとした、目を見張るような美しいゴシック様式の建物に囲まれた、いかにも西ヨーロッパといった雰囲気の広場。その周りをお洒落なオープンカフェが取り囲み、人々は名物ムール貝をつまみに、ワインやアルコールを楽しんでいる。ちなみに元来、Rのつく月(九月 September 〜 四月 April)がムール貝が美味しい季節と言われてきたらしいが、今は養殖や保存・輸送技術の発達で、八月でも充分美味しく頂けるらしい。通りにはニンニクの良い香りが漂い、俺の食欲を強烈に刺激する。そりゃ、飲むしかない、となる訳である。そんなレストランで世界遺産の広場や建築物を眺めながら、ビールを頂くというのは、別に観光をしていない訳でなく、まさにどっぷりと観光している行為だ、とユゴーではない誰かが言っていた。
そして『世界三大がっかり』と称されるションベン小僧。確かに小僧の像なので、小さいなといは思うが、がっかりという程でもなく、季節によって色々着せ替えしてもらってたり、それなりに可愛くて見る価値はあると思うのだが。周りはチョコレートとワッフルの香りが漂い、これまた甘いものがつい食べたくなる。
実は、その直ぐ近くに、ションベン少女の像なるものもあるが、特に目立たない路地に設置されていて、あまり観光客の姿もない。ただ、ここの目の前にあるビアバーが、ギネスブックに載っているということもあって、ひそかに有名なのだ。その理由というのは、この店でビールを注文しようとすると、なんとその品揃えの数、二千種類以上! メニューはまるでタウンページのような分厚さになっている。とりあえず無難にラガータイプの銘柄を注文し、ちびちびの飲みながら、メニューに目を通しているだけでも、かなり楽しめる。
昔、同じ職場で働いていた人が、ベルギーの研究施設に留学する際に話題になったのが、この国のビール文化であった。日本でも近年、カクテル感覚で飲めるフルーツビールの台頭の甲斐あってか、ベルギービールというのは、随分と名の知れた存在にはなった。しかし本場では、各ビールに対応した各グラスが用意されており、ビールがあってもグラスが切れていると、品切れになってしまうのだとか。温度、泡立ち、容量、開口径、高さ、シルエットなどありとあらゆる要素を計算して設計されたグラスによって、その味と香りが最大限に引き立ててられているのだ。
ただこの店では、香り伝えるために綿密に計算され尽くしたグラスも、店内に異様に漂うガンジャ臭によって、全くその意味をなしていないのだが(笑)
Holland & Germany
スクリーンの中のマフィア、ジョン・トラボルタは、三年間アムステルダムで過ごしたという設定だった。そのオープニングのシーン。彼は車の中で、相棒のサミュエル・L・ジャクソンに、もちろんドラッグについて語っていたのだが、その他に二人の会話の中でこんなくだりがあった。
『ヤツ等、フライドポテトに何つけて食うと思う? マヨネーズだぜ?』
ケチャップじゃなくて? と驚くサミュエル。俺はこのなんだか無駄話ともいえるやり取りのシーンがとても好きだった。以前、勤めていた会社の上司がオランダ人で、職場の飲み会をT・G・I・フライデーズでした時には、確かにマヨネーズをつけることを勧めていた。
タランティーノの映画は幾つか観た。レザボアドッグスもかなり良かったが、きっとパルプフィクションが俺の中ではもっとも素晴らしく、そしてきっとこの映画を超える、タランティーノ作品はもう二度と生まれない、そんな予感がした。
ところで、八月はヨーロッパの学生達にとっても夏休みシーズンである。では、そんなヨーロッパ中の若者達が何をするかというと、一番の人気パターンはアムスを目指すのである。『いざ鎌倉へ』ならぬ『いざアムスへ』ということである。ただし鎌倉時代の武士が鎌倉へ馳せ参じたのは、幕府に一大事があった場合であるが、学生がアムスへ向かうのは、特に一大事があったからではない。いや、アムスは毎日が事件なのである。
俺にとってもオランダで過ごした日々というは、エキサイティングであり、ダーティであり、クレイジーであり、やはり他の国とは一味違っていた。昼間っからコーヒーショップでハイになり、大好きなオランダビアを飲みまくり、カジノで暇を潰し、通りを散歩しながら、たまに真面目に美術館に観光しにいったりなんかした。そう、そういった周辺諸国の学生達と別になんらやることに変わりはないのだ。
昼間っから、かなりブッ飛んでるアムステルダムであるが、夜になると街はまさにその本当の姿を露にする。無数の運河が街中に張り巡らされ、美しい欧風な建物が建ち並び、古くから貿易港として栄えてきたアムステルダム。各国から訪れる商人が行き交い、移民を受け入れ、そして何より船乗り達の安らぎの場として、街は歴史を重ねた。
そんな長い航海を経て、辿り着いた港には、船乗りの男達のための盛り場があった。飾り窓地区(英語ではレッドライト・ストリクト)と呼ばれるそのエリアは、日本で言う赤線というヤツだ。通りに面した建物に、電話ボックスぐらいの大きさの窓が並んでおり、その内側にはショーケースのように、綺麗なお姉ちゃん達が水着をまとった姿になっている。そして艶かしい目線で、行き交う男達を手招きしているのだ。飛田新地の遊郭も凄いが、いやはや異人種の混在するオランダでの、この光景はなかなか凄いものがある。
さて、飾り窓地区をブラついていると、やたらと観光客が長蛇の列を作っていた。これが、飾り窓地区で二、三箇所あったので、どうにも気になって、何の列に並んでいるのか、尋ねてみた。するとそれは、『SEX SHOW』なるものであった。
なんじゃぁ〜、そりゃ!?!?!? めちゃめちゃ面白そうやんけっ! っと、俺はもう迷うことなく、列の最後に加わった。入場料は五〇ユーロでワンドリンク付きということで、もちろん旅の予算はオーバーしているのだが、見逃す手は無い。店内に入ると、中央付近の席につき、充分に冷えたハイネケンの生ビール飲みながら、ステージでのショーをじっくりと拝見させて頂く。グラスが幾分汗をかいている。その興奮からか、俺の手のひらも、早くも汗をかいてきたようだ。
さてさて、このショーはネーミングは全くヒネリ無しのそのまんま、ド直球なのだが、内容はというと打って変わって、かなりの嗜好?が凝らしてあった。
まず最初に、金髪の男女がペアでステージに姿を現した。なかなかの西洋美人である! 背もスラリと高く、スタイルも素晴らしく、まさに我々が想像するオランダ人という感じだ。そして大勢の客が囲む舞台の上で、早速二人は普通にセックスを始める。って、いやいや、全く普通ではないシチュエーションなのですが…。
他の国や地域でもストリップやなんかはあっても、人のセックスを目の前で見ながら、酒を飲むってのは、なかなか珍しいシチュエーションだ。(なかなかどころではない)
店内の雰囲気は、固唾を飲んで見守るでもなく、拍手が起こる訳でもなく、スポーツバーみたいなところで、ちょっと興味が有る程度のフットボールのマッチが流れている、程度の感覚で、周りの客は皆それぞれ、酒を飲みながら、にこやかに談笑している。そして、最初のそれが終ると、続きまして、男同士のホモセックスショー。(コレはあんまり観たくなかった。)
まぁさすがの俺様も、これはほどほどに見る程度であったが、さらに続けと女同士のレズセックスショー。(これは見るに値した、うむ。) やはり金髪美人と、黒毛のラテンっぽいお姉ちゃんがステージ上で戯れている。
大体、この辺りまでが、いわゆる普通のコースになっていて(って、しつこいが全く普通ではない!)ショーは後半に入るに従い、その嗜好はどんどんと偏って行く。時には、スペシャルコースとして、複数人数でのプレイや、道具をつかったプレイ、果ては、動物との『獣姦』プレイまで。ん〜、もうそれ以上は、僕ちゃんの口では言えない、あんな事やこんな事まで・・・。どうなっとるんじゃい、この街は!?
もうアムスは狂ってる。ただただ狂ってる。そう結論つけないと、この目の前の光景が現実とは思えないのであった。
バックパックの中には常時、文庫本が二〜三冊は入っている。そして旅先で日本語の書籍を置いているような場所に行ったり、日本人に出会ったりした際には、互いが読み終わった本を交換してもらうのである。つまり他の旅人も読む本を欲しており、しかもこれは日本人の旅人のみならず、欧米人も同じなのである。現代社会においては、活字離れが危惧されて久しいが、バックパッカーにとって読書というのは、旅を続けてゆく中で、空いた時間をどうやって有効に使うか?(つまりは、いかにしてお金を掛けずに暇を楽しくつぶすか)という観点からすると、非常に重要な行為なのである。そして本のトレードという、普段の生活では殆ど存在し得ない行為が、旅人の間では当然の行為として成り立っているのだ。
伊坂幸太郎は旅人の間でも、最も人気のある作家の一人であろう。彼の作品自体がもちろん数多く売れており、広く世に出回っているという事実もバックボーンとしてあるのだが、そもそも旅人に適した理由というのが揃っているのだ。ストーリーは軽快で、かつ若者好みのスピーディーな展開、そして理解力を要する難しすぎる表現も少なく、登場人物の描写や言葉はシュールで格好良くまとめられている。要するに面白くて読みやすい、ということなのだが。
ラオスで読んだ一冊、『ラッシュライフ』はやはり人気の伊坂作品であり、エッシャーの有名な騙し絵が本書のテーマになっている。兵士達は『上昇と下降』に描かれたパラドックスの世界の中で、その行進を繰り返す。その姿は矛盾に溢れた現代社会とリンクし、四人の登場人物のそれぞれのストーリーは複雑に織りなし、かつ兵士達のように堂々巡りをしているようでもあった。元々エッシャーの個性的な作品自体に惹かれていた部分も多く、デンハーグの街に来た時には、絶対にエッシャー美術館へ足を運ぼうと、随分と前から楽しみにしていたのだ。
館内に足を踏み入れると、どこかでみたことのある有名なエッシャーの騙し絵が、ずらりと展示されていた。エッシャーの絵は、小難しい絵画の知識がなくとも、単純に見て楽しめる作品が殆どだ(この辺りは伊坂作品に通じるとも言える)。遊び心たっぷりの絵画上のトリックにワクワクしてしまい、騙しというところばかりについつい着目してしまうが、展示作品の多くは版画であり、そこに描かれた繊細なテクニックは本当に驚愕すべきものだった。
版画というのは、もちろん色んな種類があるのだろうが、エッシャーの作品の多くは実にシンプルに思える。白い紙に黒のインクの版を押す。細かい技法はよく知らないが、とにかく単純明快なのだ。ただ、技法はシンプルであっても、そこに描かれているの世界は、凄まじく繊細で緻密だ。本当にこれが版画なのか、と信じられない程に。
事前には予想もつかなかった事だが、館内で最も俺を惹きつけたのは、お得意の騙し絵ではなく、木々の向こうに聳える城を描いた一枚の版画だった。版画という制限のある技法を用い、忠実に描かれた景色。それは『あ〜、版画で書いているんだね。』なんて、直ぐには思えないほど、美しくリアルだ。じっくり鑑賞し、頭で考え、そうして『あっ、これって版画なのか!』と驚く。そんなプロセスを経て、ようやく現実を受け止める。なんだか騙されているような気分だ、実に心地よく。
エッシャーといえば『騙し』の代名詞のようになっている。しかし彼ほど正確に、目の前の景色を描写している版画家はいないのではなかろうか?
ある晴れた日のロッテルダムにて。昼下がりに川沿いを散歩していると、一人の男が俺に英語で話し掛けてきた。歳の頃は四〇歳ぐらいだろうか。がっしりとした体格で、蓄えた口ひげはアゴ髭と繋がっており、かつて新日本プロレスで活躍したスコットノートンにそっくりである。
『この先のナントカってホテル、知ってるか? 三〇分程前にアジア系の二人組の男が、
ニセのUSドルを両替したんだ。で、今、聞き込み調査を行っている。』
と、彼は警察のIDカードを俺に見せてきた。なんかテレビドラマみたいなシチュエーションだが、実際に自分が職務質問なんてされるとは、さすがに驚いた。なんだかんだいっても、自分は異国オランダにいるのだ。だんだん旅が長くなってきたことで、旅慣れしてきているが、ロッテルダムの治安だって、日本に比べれば何百倍も悪い。
『すまないが捜査に協力して頂きたい。とりあえず君のIDか名前の確認出来るものを、
何か見せてくれないか?』
と言ってきた。いきなり知らない奴にIDを見せるのも嫌だったが、『持ってない』とか拒否したりすると、外国人がID不携帯で、あーだこーだと、余計にややこしくなりそうだなと思い、ここはとりあえずIDを彼に見せた。なにより俺は犯人でないので、この場は普通に堂々と振る舞うのがベストであろう、と判断した。
彼は携帯でどこかに電話し、『確認がとれたら、五分程でコールバックがくるから、しばらく待ってくれ。』と述べた。言い方も特に高圧的な態度でもなく、いたって紳士的である。その間、俺は、事件の細かい状況の説明を彼に求め、彼はそれに応じ、一つ一つ丁寧かつ真剣に説明してくれた。
一度コールバックがあった後、さらに『ドラッグは持っていないか?』、『USドルは持っていないか?』、『カバンの中身は何だ?』 と、まぁいかにもという感じの事を聞かれはしたが、差し支えない程度に答えていた。そして、
『今、ユーロキャッシュをいくら持っている?』
との質問が。まぁ実際に三〇ユーロぐらいしか持ってなかったので、正直に答えた。が、瞬間、ふとバンコク空港でのやりとりが頭をよぎった。しまった! これはマズい!
『三〇ユーロだけか? そんなんでどうやってヨーロッパに滞在してるのか?』
とまず、俺の返事に不振を抱き、『クレジットカードは持っているのか?』と尋ねてきた。
『今は無いよ。友達の部屋に置いてる。』
と、これも正直に答えた。実際に見せろと言われると、どうしようもないので、正直に答えるより他に仕方がなかったのだ。少し雲行きが怪しくなっているのを感じた。
『それは少し問題だな。何か確認が出来るものがないと、疑いがかかる!』
彼は厳しい目つきで、俺に話しかける。あらぬ疑いを掛けられ、取り調べ室にご同行なんて、最悪のシナリオにはならないだろうか? とにかく、この疑われている状況をなんとか打破しなければならない。
『はぁ? なんでやねん! それにキャッシュカードやったら今持ってるし、それやったら手持ちの現金が少なくても、問題ないやろ!』
と、俺はイラつきを込めて返答した。しかし、会話のやりとりの中で、だんだんと自分が疑われ始めているという不安、相手の方が数枚上手である英語力、そしてバンコクでの経験、そういった全ての要素が不利に働き、やりとりは完全に相手のペースで進んでいった。細かいことをごまかそうと小さなウソをつけばついたで、状況は益々暗転している。これは本当にヤバくなってきた。
『オーケー。キャッシュカードがあるなら問題ない。が、それが本当に君のカードなのかどうか、確認が必要だ。偽造カードも最近流通している問題だしな。』
と、もはや完全に犯人扱いな対応ではなかろうか。やばい、コレはマジでやばい! 俺は本当に嫌だったが、財布からシティバンクのカードを取り出し、クソ野郎に示さざるを得なかった。さっきであった見知らぬ外国人に、旅行の半分以上の資金がはいった命綱とも言えるキャッシュカードを見せる。もうこの時点で完全な負け戦である。
『とりあえず不法滞在でないことを示す何か身分照会が必要だな。』
と言い、携帯でカードを見ながらプッシュを繰り返し、その携帯を俺に渡して、
『身分照会のためPIN(暗証番号)を入力する必要がある。』とほざいた。
そうか、PINさえ入力すれば、本人確認出来るので、やっと無罪放免となる訳か。ふぅ、危なかったぜ。危うく、こんな遠い異国で冤罪となるところだったよ・・・。よし、わかった。えっと、この携帯に4桁の・・・
って、あんっ!?
先ほどまでは不安と相手のペースに押され、いかにこの状況を乗り切るかで必死だった俺の脳みそは、九九%以上、その男の話を信じきっていた。しかし俺の中にあった一%未満の疑念が、その瞬間に一気にMAXへと駆け上がった。そう、ピンコードだけにピンときた!そして、男に逆に求める。
『ちょっと待て。さっきの警察のID、もう一回見せてみろよ!』
俺はしつこく迫ったが、彼はちぐはぐに、はぐらかしている。そして急に、俺が言っている英語がよく分からないだのなんだの、見当違いの事を言い始めた。いやいや、警察のIDをもう一回、じっくりと見せてくれ、と言ってるだけなんだよ、親父! ショウミー・ユア・アイディーでんがな! 俺のつたない英語(英検準2級止まり)でも、これぐらいは分かるでしょ!
『あー、なんだ、君は学生だけど、オランダじゃなくて、日本の大学にいってるんだね。そっか、それなら問題ないよ。散歩中なのに、悪かったね。』
とついには、なんだか訳のわからん言い訳を述べ、さっと踵を返して歩き出した。やっぱり奴が持っていた警察のIDカードはニセモノだったんだ! その豹変した態度が何よりの証拠だ! もう、俺の中にあった一%未満の疑念は、完全に確信に変わっていた。
『ちょっと待たんかい、ワレ! このニセポリスが!』
ブチ切れて、奴の後姿によっぽどそう言いたかった。が・・・
・・・言えなかった。何故なら、俺が見せたIDカード(学生証)も…。
キツネとタヌキのほにゃらら。
オランダからはユーロラインのバスでドイツへ向かう。ここでも学生IDが大活躍で、チケットが三〇%オフとなるのであった。そして大聖堂で有名な街、ケルンから始まったドイツの旅。宿で聞いた噂を頼りにライン川を船で逆上してゆく。その船には二〇人ぐらいのジャーマンキッズと俺の他には数人しか乗客はいなかった。ドイツでも田舎の子は外国人ってのが少し珍しいのか、いつの間にか周りを囲まれる。やはり日本という遠い国に興味があるのあろう。しかし、みんなホントに無茶苦茶可愛い。
その中の一人、アンは俺の直ぐ隣に座っていたが、たどたどしい英語で一生懸命話しかけてくる。そして、彼女の提案で、皆で一緒に歌を歌いましょうということになった。ちょうどライン河は緩やかに湾曲し、ハインリッヒ・ハイネの詩で知られるローレライが姿を現した。では、皆で唱いましょう、ローレライ!
ではなくて、なぜかマイボニーだった。船の甲板で、流れ行くローレライの景色を眺めながら、キッズ達とみんなでマイボニーの大合唱。
My Bonnie is over the ocean.
My Bonnie is over the sea.
My Bonnie is over the ocean.
Bring back my Bonnie to me.
本当に皆、人懐っこくて楽しい子達だった。アンはまだ十歳とのことだったが、メールアドレスをもっており、それを俺の手帳に書き記した。俺は絶対に彼女に連絡することを約束し、そしてたどり着いた、とある小さな小さな村で船を降りた。船着き場からアン達を乗せた船を見送り、その姿が見えなくなるまで、手を振っていた。
『なんでローレライの曲じゃなく、スコットランド民謡だったのだろう?』
その船が見えなくなった後、ふと疑問に思った。きっと最近学校で習ったばかりなんだろう、なんてことを甲板では思っていたが、そうではない気がしてきた。ローレライはドイツの歌、ドイツ語の分からない俺のために、わざわざ英語の曲を選んでくれたのだ、と。本当に頭の良い、優しい子だ。全く、こっちが関心させられてしてしまう。
そしてローレライの口笛を吹きながら、船着き場を去る。
Die schönste Jungfrau sitzet, Dort oben wunderbar,
Ihr goldnes Geschmeide blitzet, Sie kämmt ihr goldenes Haar.
Sie kämmt es mit goldenem Kamme, Und singt ein Lied dabei;
Das hat eine wundersame, Gewaltige Melodei.
(訳)
かなたの岩にえもいえぬ きれいな乙女が腰おろし
金のかざりをかがやかせ 黄金の髪を梳いている
黄金の櫛で梳きながら 乙女は歌をくちずさむ
その旋律(メロディ)はすばらしい ふしぎな力をただよわす
乙女と呼ぶにはいささか若すぎるかもしれない。しかしその黄金の髪をライン川の風になびかせ、歌をくちずさんでいたアンには不思議な力があった。そんな事を想いながら、今夜の宿にとりあえず向かう。
ここはライン川を見つめるか酒飲むぐらいしかやることのない静かな静かな村、バッハラッハ。ここのユーゲントヘアベルゲ(ユースホステルのドイツ語)は小高い丘の上にある。五百段ぐらいの階段からなる山道を、二〇キロの荷物を持って登るのは、相当くじけそうになる。これで受付に『今夜は満室よ!』なんて言われた日には、もう立ち直れない…。(ので電話いれといた) そうして、汗だくで辿り着いたお宿は、、、シュターレック城!
お〜っ、なんじゃこりゃ〜っ! 完全に中世の城やんけ! きっと大昔は芳しきシュターレック嬢が住んでたに違いない。見晴らし最高! 王様気分!(部屋がドミトリーなのはさておき)
翌朝、俺は朝焼けに向かって、ディカプリオのように叫ぶ。(この旅で二回目) 今度こそ、この台詞は、ばっちりとキマるだろう。
『I'm the king of the world!』
ロマンティックあげぇ~るよぉ~♪
ドラゴンボールはヨーロッパでも、大変な人気があるらしい。中世の人々が築いたローマへと続く道、ロマンティック街道。早朝のフランクフルトを発ったバスは、土曜の朝の静寂に包まれ、市街地を南へ南へと向かっている。そんな車窓に流れる美しい田園風景を眺めていると、一人で異国を旅をしている事実をふと実感する。俺は今、ドイツという名の遠くの国にいるんだな、と。ずっと長く夢見ていた世界一周という旅路。その夢の道中に今、まさにいるのだと。不思議したくて冒険したくてウズウズしていたあの頃の俺は、今の俺をどんな風に見るだろう?
バスの窓をほんの少しだけ開けてみると、ほんの僅かに冷気をもった九月の風が車内に吹き込んだ。秋の気配をたっぷりと含んだ空気を深く吸い込むと、胸の奥のほうがスーっと気持ちよく、落ち着いて行くのがわかった。
欧州の秋は随分とせっかち訪れ、道路脇の木々を早くも紅葉に染め始めている。三時間程すると、のどかな山あいの風景の中に、周りを城壁で囲まれた小さな町、ローデンブルクが現れた。石畳の上に築かれた町では秋の祭りが催されており、そこではまさにおとぎ話の如く、人々は伝統衣装を身にまとい、フルートやらアコーディオンを奏で、そしてビール片手に陽気に踊る。ローカルなスナックを頬張りながら、目抜き通りを散策し、ローカルなビールを飲みながら、和やかな夜を向かえ、ローカルな豚料理に舌鼓を打つ。ドイツという国は、俺がイメージしていたヨーロッパというものに最も近いと思う。出会う人々も皆親切だし、西洋の洗練された雰囲気もたっぷり存在する。出来ればこの国には、もっと居たい。しかし欧州屈指の先進国。宿は決して安くはない…。
誰かぁ~ロマンティック♪ 泊めてぇ~ロマンティック♪
ロマンチック街道を沿いの幾つかの町を足早に訪れながら、俺は南へ歩みを進めた。ドイツでの最後の訪問地となったのは、一番楽しみにしていた街、ミュンヘンだ。そこはイスラムにとってのエルサレム、高校球児にとっての甲子園、そしてオタクの青年にとっての秋葉原の如き存在。そう、世界中のビール好きにとっての聖地なのである。
爽やかな青空に浮かぶ羊雲の下、旅の疲れをブッ飛ばす、そんなビールを求め、俺はドイツ最高の地についにやってきたのだ。そして世界中の強者が集まるこの街きってのビヤホール、ホフブロイハウスへと足を踏みいれる。ここは元々、『バイエルン国王のためのビール』として一五八九年に宮廷醸造所として創設され、現在では南ドイツの文化遺産としても登録されているような、由緒正しきビアホールなのである。
ラッパやらドラムやらのバイエルン音楽がガンガンに響きわたり、『乾杯の歌(Ein Prosit)』の演奏が始まった。早速、俺はかけつけ三杯ぐらいのテンションで臨んだのだが、いきなり面食らった。というのも、デカい!
テーブルに置かれたのは1リットルの巨大ジョッキ。これぞミュンヘンスタイルだ! そして重い! なんかジョッキを口に運ぶ度、筋トレ気分だ。そしてこれを一気に十五杯ぐらい運んでいるのが、若いおね〜ちゃん! 豪腕、凄まじ! (ゲーリーグッドリッジもびっくりだ。)でもって、美味い! でもって、店中ウルサい! もうあっちもこっちもお祭騒ぎである。これが九月も終わりになると、街中このテンションでバカ騒ぎ! いやぁ、ドイツ、こりゃ本当にたまらんですな。
ビールに始まり、ビールに終わる。しかしながら、最高の思い出はビールの泡のようには消えない。ドイツであった全てにチューズ! ダンケシェーン!
Czech & Austria & Slovakia
『チェコダァー! マチダァー!』
韓国語で、スゲェよ! 最高!って意味の言葉です。という訳で、チェスキークロムロフっていう、チェコのマチにやって来ました。(ごめんなさい。)
リンツから恐ろしく訳の分からん乗換えの連続で6時間。チェコは未だユーロを導入していないが、EUには加盟しているため、パスポートチェックも無いまま、いつの間にか俺はチェコの国の地に辿り着いていた。そして、そこには目の前にはうっとりとするような美しい街並があった。個々の鮮やかな色が織り成す色彩は、本当に絵画に描かれた世界のようだ。
統一された屋根のオレンジ。 教会や家々の壁のホワイト。丘に広がる草原のグリーン。
快晴の空が表すブルー。 そして、グラスに注がれたゴールド。
ビール大国チェコ、バドワイザーの故郷。これまでの西ヨーロッパのの国々からすると物価も安めで、二日酔いになるための条件は揃ってる。きっと神の思召しだな、そういえば目の前には教会が凛と佇んでいるではないか。俺はそういう大きな波には逆らわない。逆らえない。
季節は急速に移ろい、中欧の秋は日に日に深まる。九月が終れば、もうすっかりと。遠くから、流れてくるグリーンディの歌詞がそれにリンクした。
Summer has come and passed
夏が来ては、また去って往く
the innocent can never last
人は純粋なままにいられないらしい
wake me up when september ends
九月が終わったら、起こしてくれ
ホロ酔いの中欧の旅は続く。少し冷たいチェコの夜風に吹かれながら。
クラシックな国、オーストリア。
モーツァルト、ワーグナー、シュトラゥス、ハイドン、シューベルト…。数多くの偉大な音楽家がこの国で生まれ、そしてクラシックで育った。
♪俺は東京生まれぇ~ ヒップホップ育ちぃ~
悪そうなヤツは 皆トモダチぃ~♪
ザルツブルグ、リンツ、ウィーン。どこの街を歩いても何かしら音楽が耳に届く。今日もどこか遠くから、アイネクライネナハトムジークを奏でるバイオリンの音が、澄み渡った蒼空の下に優しく、そして優雅に響いている。
音楽に彩られた美しき国。そしてまた郊外の自然も素晴らしい。山と湖に囲まれたザルツカンマーゲートが魅せる風光明媚な景観。澄み渡る湖、水面に映る雲を散りばめた青空、木々の深い緑、透き通った空気。そびえるシャークベルクの山嶺は天にも届きそうだ。
♪The voice whirled away, Everything'bout pleasure and sorrow far reaches of da sky♪
ザルツブルグのホステルで一人の日本人青年に会った。彼はクラシックピアノを専攻しており、モーツァルト学園の入学試験を受けに、たった一人で来たらしい。大学受験のために、夏休みに一人でヨーロッパまで試験を受けにやってくるなんて、俺が高校生の頃には、微塵も想像出来なかっただろう。
ドイツ語もまだ殆ど理解出来ないというが、一八歳の青年の素晴らしいチャレンジには感心させられるばかりであり、心からの敬意を表したい。俺のように、働かずに酒ばっかり飲んでるフーテンのアンチャンは見習うべきだろう。もし試験に合格したら、彼は日本には帰らずに、そのまま残って部屋探しをするとのこと。
♪陽はまたのぼり 繰り返してゆく 僕らの上を 通り過ぎてゆく
行き急ぐとしても構わない 理由がいる人は残ればいい♪
ピアノ青年に見送られながら、俺はヒップでホップな国を後にした。
『アバYOッ!』
『スロバキア』ってゆーたら、皆さんお馴染み、もちろんアレだよね?
・
・
?
って何もわかんね〜! 俺がスロバキアについて知っている事といえば、
『チェコスロバキアのスロバキア!』 以上。
ってゆーか日本人の九割以上がソレ以上、知らんよな? 首都すら知らなくて、バスのチケット買う時も行き先伝えるのに随分苦労したわ。
で、実際のこの国の感想? えっーと、・・・微妙~っ! 覚えてることといえば、駅で巨大な犬のウンコおもっきり踏んだ事ぐらいだ。かなり大変でした…、ウン。
Hungary & Croatia & Slovenia
ドナウの真珠こと、ブダペスト。
その真珠の名には全くふさわしくなく、通りは何だかやたらと汚い。何か政治的な事情があるのかもしれないが、とにかく通りの至る所に粗大ゴミがたくさん積まれている。訳あって、夜逃げや引っ越しが相次いでいるのか? それとも何ヶ月もゴミ収集車がやって来ないのか? うむむ…。とにかくそんな街はやはり、物乞いの数も今までのヨーロッパの都市と比べると、やたらと多い。本当にしょっちゅうお金をせびられるのだから、きっと治安も良くないのだろう。
さて、そんな荒廃したかのように思えるこの街であるが、この二~三年で、かなりの物価の高騰があったようだ。電車のチケット、メシ代、宿代、等々。とにかくどれもこれも三〇%ぐらい高くなっており、美術館に至っては、無料だったのが、五ユーロとかになってしまっている始末。全てが西ヨーロッパと同じレヴェルなので、ロクなモンは口に出来なかった。
こんな状況だが、以前に耳にした安くで泊めもらえる闇宿があるという噂に従い、あるアパートを訪ねてみた。その名は、エレナハウス。
動いているのが不思議なくらい怪しいエレベーターで3階に着くと、そこには年齢不詳のマダム、エレナが待っていた。(こちらも動いてるのが不思議なくらい怪しかった) 六〇歳だか七〇歳だか…? もう、皺が多すぎて、全く分からない。結構なババァであるが、その絵本の魔女のような笑い方はかなり胡散臭さであった。ヒッヒッヒィーっ。 オーナーが胡散臭い宿というのは、香港のラッキーハウスですっかり懲りたので、まっぴらご免なのだが、素の顔に戻った時には、なんかミックジャガーにも似てる(笑)ので、なんとなく宿泊を決めた。
ババァは俺をドミに案内すると、『とりあえず飲みなっ』って感じで、レンジでチンしたコーヒーに、問答無用に砂糖をコーヒーがカップから溢れそうになるぐらいまでテンコ盛り入れてくださった。『砂糖多過ぎねぇ?』っとツッコむと、
『じゃぁ、混ぜなければOKよ!』 うーん、なるほど、その手があったか! って合理的なんだろうか? しかしまぁ、ドミ8ユーロという久しぶりにお財布に優しい宿、背に腹は変えられぬ。結果、大満足だったかというと・・・久しぶりにカユいぜ、うんやっぱりな。
ブダペストは温泉がかなり有名である。移動続きの旅でたっぷりと披露の蓄積した体にご褒美をあげるため、久しぶりにゆっくりと湯船を満喫すべく、早速市内でもっとも歴史のあるセーチェーニ温泉に足を運んでみた。
ここはヨーロッパ最大の温泉であるが、いかにも大衆浴場という雰囲気が良い。そして建物はバロック・リヴァイヴァル建築で、歴史的にも重要な文化財となっている。そんな中で浸かるお風呂というのは、なんだか優雅な気分に浸れる。何百年も前の人々も、同じ湯船に浸かっていたのかと思うと、太古のロマンを感じずにはいられない。あ〜っ、平和平和! いい湯だなぁ〜♪ アビバ ノンノン♪
だが、リラックスする場所であっても、油断は大敵である! ここにもデンジャラスなローカルルールが存在するのだ。それは、湯船の中央にいると、それは『俺はOKですよ!』って意思表示になるらしい、同性愛の。
ホント、この手の情報は事前に調べておかないと、ツーリストインフォメーションやガイドブックではなかなか教えてくれるものではない。俺自身には何も被害はなかったものの、そうとは知らずに、温泉でリラックスしまくっていた。そういえば、なんとなく熱い視線を感じなかったような気もしなくもない。あれは何に温浴効果ではなかったのかな? まぁでも、こ〜ゆ〜文化があるってのが、興味深いではないか。男同士の出会い系サイト、ということですかね?
久々の湯船で疲れも癒え、風呂上りにひもじい財布と相談しながら、ブタペスト西駅を改装したマクドに入ってみたのだが・・・あれ? 入り口間違えたかな? 僕ちゃん、マクドナルドという名のファーストフード店を尋ねて参ったのですが…。
店に入った瞬間、随分と場違いなところにきてしまったのでは、と焦った。店内はクラシックな高級レストランのような内装で、天井は凄まじく高く、そして存在感が溢れ出すような、壮大な建築になっている。なんとも、かんとも、とんでもなくゴージャスなのだ!

ここは元々駅舎として使われていた建物をマクドに改装しており、後で見たロンプラによると、元々、かのエッフェル塔で有名な建築家ギュスターヴ・エッフェルの設計によって、現在の駅舎は建設されたらしい。鉄パイプとガラスをふんだんに用いて(ロンドン万博会場のクリスタルパレスなどと同様)外から内部が見える構造となっている。きっと建設された当時においては、非常に斬新なデザインだったのだろう。『世界一美しいマクド』と称してあったが、たしかに納得だ。その言葉に偽りなし!
そして今宵も、そんな優雅な場所で、百円バーガーを頂くとしよう。
モグモグ。
長距離の際は、ユーロラインバスでの移動が続いていたヨーロッパだったが、ブダペストからは久しぶりの電車でクロアチアへ向かうことにした。同じヨーロッパといっても、EU加盟国、シェンゲン協定加盟国、ユーロ通貨導入国、とそれぞれがバラバラになっており、どれに引っかかるのかはよく知らないが、電車の中で国境を越える際、パスポートチェックが入った。実際は次々と国を跨いでいるにも関わらず、パスポートに印が押されるのは、ドーバー海峡を渡って以来となる。
のんびり6時間以上の移動となるが、同じ4人掛けのボックス席には、クロアチア人のお婆さんと5歳ぐらいの女の子が座っていた。英語も全く通じないが、子供にチョコレートをあげると、とても喜んで、愛くるしい笑顔を見せてくれた。こういう何気ないシーンに、旅情を感じることが多々あり、この笑顔もまた強く印象に残った。そんな優しい思い出を伴いながら、ようやくザグレブの駅に着いた訳だが、クロアチアってゆったら、アレだよな? サッカー、旧ユーゴ、カズ。(昔ザグレブにいたよーな)、そしてミルコ。
そうやん、ミルコやん! クロコップやん!とゆー訳で、クロアチアン警察署の前のユースへとチェックインする。本当はドブロブニク(魔女の宅急便のモデルと言われている)まで行きたいのだが、随分と回り道のルートになるし、ランプニッツは先日オーストラリアでザルツカンマーグートの湖を散々満喫したし、特にこれという目的もないので、とりあえずはザグレブの街を散策してみる。
空はいかにも東欧という様相で、決してすっきりと晴れ間が広がることはない。建物もまた色彩のバリエーションを少し欠いた、落ち着いたトーンの街並。しかし、この街は何か少し居心地の良さを感じる。きっとそれは、人の良さなのか? それともベッドが痒くないからなのか? それ程寒くないからなのか? ブダペスト程、街が汚くないからなのか?
いや、その答えの核心はおそらく飯の美味さだろう。アドリア海に面し、海の幸も豊富なクロアチア。その食文化はイタリアからの影響を大きく感じさせる。イカスミのリゾットを注文すると、本当に美味でしっかりと海鮮のだしがきいた、絶品の代物であった。ピザにしても、ハンガリーやスロバキアとは、チーズもソースも一味違う! トマトに粗挽きの胡椒とたっぷりのニンニク、そしてバジルがアクセントされ、イタリアンそのものといっても過言ではなく、見た目も美しい。
そして女性も美しい。 うん、、悪くない(村上春樹風で)。
リブリャーナの宿は実にユニークで、どうやらここは昔刑務所だったトコロをリフォームしたゲストハウスらしい。かなりお洒落に改装されているものの、部屋や廊下の作り、随分と高い塀、窓枠の構造など、所々に元刑務所だった時のなごりを感じさせるモノがある。
ドイツで泊ったホステルも、中世のお城を改装したユースだったし、ハンガリーのマクドも駅舎を改装したものであった。本当に世界、特にヨーロッパの建築、デザインという分野においては、色んな斬新なアイデアが溢れているな、とつくづく感じる。
さて、街を散策していると、空が随分と厚い雲に覆われてきた。そんな空を見ていると、なんだかこっちまでどんよりとしてしまう。ポツポツと地面を濡らし始めた雨粒を避けるため、三盆橋の側のカフェで、エスプレッソを啜りながら、俺は物憂げに、ラオスで会ったセルビア人、デキと語り合った夜を思い出していた。
セルビアもまた、旧ユーゴの民族紛争の戦火にさらされ、多くの隣人同士での殺戮が続いた。彼がラッキーだったのは、たまたま幼い頃にドイツに移住していたということ。ただし彼は、非常に強いセルビア人というアイデンティティを持ち、今なお、貧しい祖国の現状を熱く語ってくれた。
旧ユーゴ諸国の中には、コソボ自治区のように未だに争いの火種が消えていない地域もあるが、スロベニアはすっかりEUの一加盟国として独立し、内戦は遥か遠い日々の出来事のようだ。その爪痕は微塵も感じない、残された町並みも、行き交う人々も。
すごく安っぽい表現だが、誰もが世界中が平和であってほしい、と切に願ってる。しかしながら現実は大きく異なる。
グルジアへの武力行使は避けられなかったのか?
チベットの人々への弾圧など必要なのか?
この世にテロなんて必要なのか?
イラクやアフガンの組織と和平への道を歩めないのか?
イスラエルとパレスチナの共存はあり得ないのか?
秋葉原で通り魔になるような奴が何故育つのか?
アメリカやイランや北朝鮮は核保有の放棄を出来ないのか?
疑念は尽きない。
いつの間にか雨はすっかり止んでいた。店を出て、丘の上にそびえるリブリャーナ城への道を掛け登ってゆく。眼下に広がる旧市街は、やはり中欧独自の美しいソレであって、いつまでもそこに居座りたくなる。
日本にずっと居たら、考えることも無かっただろうな。モンテネグロが独立しようがカンケーないし、NATOの空爆がなんで必要だったかとか知らんし、スロベニアとスロバキアのどっちがどっちかすら分からん。俺はずっと考えていた、抽象的な、哲学的なことを。
俺がこれだけ色んなリスクを背負って、これだけ多くの時間と金とパワーを費やして続けている『旅』って何だ?
その答えが少しだけ見つかった気がした。
(旅とは大人の遠足である。おやつは三百円まで)
Italy & Vatican
ベネチアの景色はテレビでみるそのままの美しさで、街中を蜘蛛の巣のようにはりめぐる運河を行き交うゴンドラ船を見てるだけで、どこか心が落ち着く。そんな情景にぼぉっとしていると、隣で親父が、何か知らない魚を釣り上げ、はしゃいでいる。そんな無邪気なイタリアーノ。
イタリアは暖かくてよい。人も天気も実に陽気なのだ。東欧で感じた秋の足音など、イタリアに来た途端に、どこか彼方へ消えてしまったらしい。ただお寒いことに、イタリアのトイレには8割以上の確率で便座がない。なんで? 現地の人もよく知らないらしいが、おそらく誰かが盗んでいくのだろう、と。(ん〜、便座を抱えてウロウロしている奴なんて、怪し過ぎて直ぐ捕まりそうなものだが…。)
さて、同じドミに泊っているロマーノは、フランス人だ。いや、正確には親父がイタリア人なので、ハーフということになる。とても親日家な彼とは、もちろん直ぐに仲良くなった。なんせ日本語を勉強するために、東京に3ヶ月程いたことがあるとのことで、日本語が話せるのだ。結構話せる。というか、たった3ヶ月のくせに、こんなに話せるとは、なんとまぁ凄すぎる!
そしてロマーノと一緒に来ている彼女は中国人だ。二人は中国語でずっと会話している。そっちの方が日本語よりも、もっと流暢である。カリブ海の島で幼少期を過ごしたこともあり、ルームメイトのスペイン人とは、スペイン語で話す。そんな調子なのでラテン語系のポルトガル語はもちろん話せるし、英語、ドイツ語も話せるという八カ国語スピーカーということになる。俺の人生で知り合った中で、コイツ程語学に優れた奴は、未だかつていない。そしてきっと今後も現れる気が全くしない。
ヨーロッパという他言語地域、ハーフという血のアイデンティティ、幾つかの国で育ったという生活環境、その要因は様々であるが、二四歳にして八カ国語を操る人間の存在というのは、本当に驚きだ。その偉才には無限の可能性が感じられ、そしてさらに驚くべきことが、彼にはまだある。
こんな普通ではない男、ロマーノの職業は、ごく普通のピザ屋の店員なのである。
イタリア女性は褐色の肌がセクシーだ。今まで色白の女がいい、とかいってたけど、いやいや、南国の女性もなかなかど〜して素敵じゃないか!
ドゥオーモのクーポラ(聖堂の丸屋根)には三〇歳の誕生日を迎える、愛しのアノ娘が待っているのかもしれない。しかし今、この街で俺を突き動かすのは、そんなアノ娘ではない。冷静のブリュ(青)でもなく、情熱のロッソ(赤)でもない。このヴィオラ(紫)だ! フィオ・レン・ティナ!
セリエAのビッグ4に追随する名門クラブ、フォオレンティーナ。かつてはイタリアの至宝、ロベルト・バッジオを擁し、九〇年代後半にはバティストゥータやルイ・コスタも所属し、数年前には中田英寿もプレーしていた。カルチョ・スキャンダルにより、下部降格を経験するも、昨シーズンは4位とルカ・トーニの大活躍により好成績を残し、さらに上位も狙える位置にいる。今シーズン前にはチャンピオンズリーグを見越した大型補強も敢行された。
とにかく今夜は試合があるということは分かったが、チケットはない。チェルシーの時のように特別な試合でもないので、まぁとりあえずはどうにかなるだろうと、スタディオ・アルテミオ・フランキ(フィレンツェのホームスタジアム)に足を運んでみたのだが、チケット売り場が全く分からん。通常はスタジアムに併設されているであろうチケットの窓口が一向に見当たらないのだ…。
こうなると周りのイタリア人に散々聞きまくるしかない。こんな時、ラテンの人々は気兼ねなく、陽気にあっちだ、こっちだと親切に教えてくれるのだが、楽観的過ぎて、知らなくても親切に教えてくれる。散々違う方向を教えてもらった挙げ句、最後に駅のキヨスクみたいな小さな売店に連れて行かれた。いやいや、俺が買いたいのは、スナックやタバコじゃなくて、チケットなんですが…。
これは本当に難解だったのだが、セリエAのチケットは、実はこういった普通のキヨスクやタバコ屋で買うのである。パチンコやの景品交換所みたいな小さな窓口があり、パスポートとお金を一緒に渡すと、チケットが購入出来る。世界屈指のスポーツリーグにおいて、こんな不可解というか、分かりにくいチケットの買い方はセリエAぐらいだろう。
日本にいるとプレミアやリーガの人気、近年の成績に押され、存在感が弱くなっている印象があったが、なんのなんの。実際のスタジアム内の熱気は凄まじいものがあった。席は八割程度の埋まり具合で、試合は非常に見やすかったのだが、あちこちで発煙筒が炊かれまくり、爆竹が鳴り響き、独特の緊張感が走っている。
この試合ではムトゥとイタリア代表のエース、ジラルディーニョ(現地ではジーニョの愛称で呼ばれていた)が2トップを務めたのだが、期待通りにジーニョが先制点を決めると、スタジアムは歓喜の渦に包まれた。もう、全員が飛び跳ねながら、ジーニョコールを連呼し、歌い、踊っている。これぞ、セリエA! サッカースタジアム! という盛り上がりだ。
格下のチームを相手に押し気味に試合を進めるホームのフィオレンティーナ。そのチャンスに、シュートに歓声がこだまするスタジアム。いつしか周りの紫色したイタリア人達とも仲良くなり、一緒に声を張り上げ、声援を送る。改めて思うが、今年のフィオレンティーナは本当に良くまとまっており、いよいよスクデットも現実味を帯びてきているのではなかろうか。
結果、2対0でこの夜は完勝し、ティフォージ(地元の熱狂的サッカーファン)と共に勝利の喜びを分かち合った。
スポーツというのは世界共通言語だ。そしてまた日本人をみるや『ナカータ、ナカータ』と喜ぶイタリア人達の陽気さ(といい加減さ)が良いスパイスになる。
そんななんとも幸せな雰囲気の中に、俺はいた。冷めやらぬ興奮を抱いたまま、俺はスタジアムを後にする。明日の朝は電車でローマへ移動だ。電車に乗る前にガセッタ・デロ・スポルト紙を買わないとな、と心の中で呟いた。
ローマという街にたどり着くと、ご多分に漏れず俺はスペイン広場を訪れ、そこの階段に腰をかけ、ジェラートを頂く。そしてトレビの泉に小銭を投げ込んで、真実の口に手を突っ込んで、ワクワクしたりなんかするわけで。それは映画の中のグレゴリー・ペックとオードリー・ヘップバーンさながらではないか、と思ったのだが、隣には誰もいなかった。果たして俺のアン王女はどこにいるのだろう?
ホステルの同じドミにはアン王女はいなかったものの、イタリア料理を目指す青年ユージが泊っていた。彼は一年程、ジェノバで修行をしていたらしいが、日本に帰国する前に、せっかくだから少しだけ観光を、ということでローマを訪れたのだ。彼と色々とイタリア(特に料理の話)で盛り上がっている内に、そういえば今日もラッツオの試合があるぞ、ということで、二人でスタジアムに向かうことになった。
スタディオ・オリンピコはASローマとSSラツィオのホームスタジアムであり、収容人数は七万人を超える本当に立派なスタジアムである。その雄大な姿は、市内に溢れる他の歴史的な建築物と比べても全く退けを取らず、凛とした存在感を放っていた。その周辺では、やはり通常のチケットカウンターは見当たらない。
少し困惑気味の表情のユージの隣で『ふふふっ、まぁどうにでもなるぜ』と先輩面した俺は、セリエAのチケットの特殊なシステムを説明する。ユージはイタリア語を少し話せるので、もうこのコンビで楽勝だ! とタカを括って、その辺りを歩いているサポーターに尋ねてみるのだが、今度はどうにもこうにも売店が分からない。挙げ句は、『もうチケットは無いよ。』なんという馬鹿チンまで出てくる始末。ASローマならまだしも、ラッツオの普段の試合で完売なんてことがあり得る訳がないだろう。
しかし、探せど探せどチケットの売店は見当たらなかった。ダフ屋もいない。その内、キックオフの時間も過ぎ、前半が終わったところで、途方にくれた俺たちは諦めることにした。後から分かったのだが、このスタジアムでは当日券を販売しておらず、市内の代理店で前日までに購入する必要があるのだ。例によって身分証明書の提示・照会が購入時および入場時にも必要なので、ダフ屋も居ないという訳だ。本当にセリエAのチケットシステムはややこしい。ややこし過ぎる!
ピンチはチャンス、我々は浮いたチケット代を手に、ローマの下町の食堂を探す事にした。サッカーや歴史的な遺産だけでなく、イタリアといえばやっぱり料理を外す訳にはいかない。どんなこじんまりした食堂でも、きちんと二皿以上でサーブしてくれるし、どこで食っても充分に美味い。そのクオリティは同じ値段(ランチ八〜九ユーロ)であれば、絶対に日本より上であろう。この事実は、世界中探しても、本当に数少ないことなのである。日本というのはそれぐらい、食の先進国なのだ、ということを海外に出て初めて、実感している。
色々と小さな裏通りをうろついている内に、凄くローカルな感じで賑わっている一軒のお店を見つけた。ローマ料理は白ワインをベースにしたものが多いのだが、子羊やウサギなんかもメニューにたくさん並んでいる。アンティチョークもローマが有名だし、もはや世界中で定番となっているカルボナーラやペンネアラビアータもこの辺りの料理らしい。我々は店のオススメの品を適当に注文し、安い白ワインを軽く飲み始めた。
この夜はミラノダービー(インテル対ACミランの直接対決)が行われており、ローカルの人たちに混じって、大きな画面に映し出されたミラノダービーの試合を見ていた。ローマであってもミラノダービーの様子は皆気にしているらしく、選手の挙動に一喜一憂していた。カカと加入したばかりのロナウジーニョの活躍により、最後はミランの勝利に終わった訳だが、この小さな食堂で過ごした時間には、まさにイタリアという要素が詰め込まれた、実にボーノな夕食であった。
バチカン市国は、カトリック教会と東方典礼カトリック教会の総本山であり、ローマ法王がいらっしゃる場所である。国土面積はローマの市内の一角に収まっているぐらいで、世界で最も小さな国としても知られている。
国と言っても、入国のための審査なんてものもなく、まずはその敷地内には入り口から観光客であっても普通に入れるようになっている。そもそも国境自体、ただの低い鉄柵が並べられているだけだ。跨いで超えれる国境、というのも何だかなぁ。境界線を越えるのに、鳥になる必要もないという訳だ。
サンピエトロ広場の噴水の近くに立ち、それを囲む建造物をぐるりと見渡す。この景色が驚くほど壮大であり、大きな衝撃を受けた。ドーリア式の円柱を楕円状に並べた柱廊、その上には百体を超える見事な聖人像が広場の中央を見つめており、その広場の中央にはオベリスクが立つ。これまでのヨーロッパでの道中、有名な教会や寺院等、幾つも尋ねてはきたが、これほどまでに計算し尽くされた神々しい建築物は類希であった。
そして入り口での手荷物検査を経て、サンピエトロ大聖堂の内へと進む。内部の見事な壁面や天井の装飾に見とれながら、順路に従い、その最大の見所であるピエタに辿りついた。ピエタとはキリストを抱く聖母マリアの大理石像であり、これはミケランジェロが二五歳の時に作成したもので、世界でもっとも知られているピエタの作品であろう。
夕暮れ時にバチカンから出国する。ともすると、ローマ市内の観光地の一つ、のように捉えられてしまうような小さな国バチカン。しかし俺には何か特別なパワースポットのように感じられた。それは、きっと燃えるような夕陽に印象づけられたからだけではないだろう。
と一発、やってみよ〜うよ♪
一人で旅を続けている内に、間違いなく磨かれたものがあった。それは嗅覚である。嗅覚と言っても、普通の匂いを嗅ぎ分ける能力ではなく、それはなんというか『危険を察知する嗅覚』というのが正しい表現であろう。日本よりも平和な国など世界には存在しない。しかも違う言葉しか話せない異国の地では、程度に大小はあるものの、常に危険に対してアンテナを広げておかないといけない。
ナポリの駅を降りると、それまでのイタリアの他の街にはなかった緊張感が漂っていた。世間では第六感という言葉がよく使われるが、それは嗅覚を含めた感覚と経験から来るものだと思う。汚れや落書き、街並みや歩く人々の目つき、格好、そういったビジュアル的なもの。街のノイズの種類、雑踏、喧噪を伝えるサウンド的なもの。そこに漂う空気のよどみ、温度と湿度と新鮮さ、といったセンス的なもの。そして匂いとこれまでの経験。駅から程近いホステルにチェックインし、ソファに腰掛けながらゆっくりとしていた昼下がり。その二発の怒号は突如、轟いた!
『ドッカーーン!』『ドッカーーーーーン!』
マジで爆弾でも爆発したのではないかと驚いて、窓から街の様子を伺った。とりあえず宿のある建物には爆発もトラックが突っ込んできた様子もなかったが、オーナーのおばちゃんと顔を見合わせて、ホントびっくりしたな〜、と。
ナポリの街は、店も鉄格子してるのに、窓が割られてたり、品の無い数多くの落書きがあったり、ピリピリしている雰囲気が漂う通りが多い。アフリカからの移民が多いエリアのせいとのことだが、イタリア人も行くの嫌がる治安の悪い街のようだ。通りのあちこちで偽物のイタリアブランド品が売られている。ただ、ダーティではあるものの、ゴシック建築の綺麗な建物ばかり続いたヨーロッパも少し飽きてきてたので、俺にとっては逆に新鮮でもある。
オーナーのイタリア人に聞いた話では、シチリアってマフィアで有名だが、その人達は一般人には無害で、まぁいわばヤクザみたいな感じである。しかしナポリにはもっと中途半端な輩がいて、カモッラと呼ばれる、まぁチンピラみたいな存在が幅を利かしている。こいつらが実にヤバいのだ。電車は破壊するわ、直ぐに銃を引き抜くわ。
そんな街を歩くと、未だにナポリ時代のマラドーナの写真やユニフォームが売られていたりする(笑)。そしてこの街のピザは安く、どうしようもなく美味い。ローマ風のピザは薄めのクリスピータイプで、ビールと一緒に楽しむのだが、ナポリ風ピザはふんわりとした厚めの生地で、対して具がトッピングされていなにも関わらず、チーズと生地の味がしっかりしており、なるほど美味いのだ。
俺がこの地を訪れた目的の一つは、世界遺産にも登録されている南イタリアの海岸線である。ナポリからソレントへはまず電車で移動し、そこからバスに乗り換える。このバスは普通のローカルバスなのだが、アマルフィまでの海岸沿いを走る絶景が楽しめるのだ。ソレントを出発してから程なくすると、外には地中海が姿を現した。南欧らしい良く晴れた日に臨む地中海の紺碧は、深く濃く、息を飲むような美しさを漂わせ、陽光が水面にキラキラと反射している。バスはどんどんと海岸線を南に進む。道はいつしか断崖を這うようになり、ちょっとしたスリリングなドライブとなっている。
そうしてたどり着いたアマルフィは非常にユニークな街並で、やはり断崖絶壁に囲まれた小さな浜に、山を這うように建物が並んでいる。もう十月は直ぐそこまで迫ってきているというのに、ビーチにはパラソルが並び、何人もの水着姿の西洋人達が休暇を満期している。そうさ、夏はまだまだ終わらない、地球の裏側で。
地図を広げて次なる目的地を考える。ロンドンから始まったヨーロッパの旅は、紆余曲折を経て、そしてイタリア半島を南下してきた。さて、ここからシチリアを目指すのか、それとも引き返してバルカン半島を目指すのか、もしくは…。
地中海の地図をじっと見ると、たくさんの航路が示されている。すると、その中の一つルートが俺の目に留まった。半島の反対側まで電車で移動し、バーリという街からアドリア海を船で超え、そしてギリシャのアテネを目指す。これはなかなか面白そうだな、と思った。すぐさま近くのネット屋でフェリーの運行スケジュールだけ確認すると、そのまま駅に向かい、そして翌日の午前中のバーリ行きの電車のチケットを押さえた。今思うと、列車のチケットを押さえるなら、なぜフェリーのチケットの事に考えが及ばなかったのだろう。
とにかく、俺はバッグパックを抱え、あまり乗客もいないバーリ行きの電車に一人、乗り込んだ。車窓からの眺めは南イタリアらしく、のどかなな田園風景が柔らかな日射しの下に広がっていた。澄んだ青空は夏模様で、白い雲がゆっくりと、少しずつその形を変えながら遠ざかっていく。まさに旅だな…。猿岩石のそんな歌を口ずさみながら、のんびりとした移動を俺は楽しんだ。
バーリの街に着くと、フェリー会社のオフィスを探す。イタリアといってもの、この辺りは有名な観光地ではないため、英語は全く通じない。そりゃまぁ日本だって、例えば舞鶴にいって函館行きの船に乗りたいんだけど、と英語話せる人を探そうとしても難しいだろう。幸い、バーリの中央駅から港までは1キロ程度だったので、とりあえず港に向かってみた。スタジアムにチケット売り場はなかったが、港にはフェリーチケットの売り場はきっとあるだろう、と信じて。
港にはやはり船会社のオフィスがあったのだが、まず言葉で苦労した。そしてチケットはあるにはあるのだが、予約していないので、残っているのは雑魚寝する場所も無い、ただの入船券のようなクラスしかないようだ。まぁバックパッカーの俺には、お誂え向きといったところだろう、はい喜んで!
乗船後、荷物の置き場だけ確保し、甲板に出て出発を待つ。沈み行く夕陽を眺めていると、大きな汽笛が響き、それが俺の旅情を一層かき立てた。旅だ、これが旅なんだ、と。そして美しい南欧の黄昏に包まれて、船はゆっくりとアドリア海へと進みだした。
Greece
国際航路であるこの船は大きく、それほど揺れも感じない。船内はなかなか豪華ではあったものの、お金に余裕のない俺には別にどうでも良いことだ。アドリアの海上に夜が深まったところで、その辺のシートをフラットに繋げて雑魚寝していると、クルーに起こされて、シアタールームみたいなところへと追いやられてしまった。まぁ、それでも充分快適ではあったのだが。
十五時間かけて、パトラというギリシャの港に無事に着いた。ここからアテネへはバスが出ているらしい。行き先の表示を探していたが、全て英語ではなくギリシャ語表記になっている。物理や数学の教科書で散々見てきたギリシャ文字だ。その中から『Αθήνα』というバスを見つけた。頭のAと英語の発音記号でみなれたシータ(θの文字。thの発音)の組み合わせでなんとか理解出来た。
パトラから四時間程かけて、バスはアテネ市内のターミナルに着いた。そしてオモニア広場の裏手に、国際ユースホステルは位置していた。オモニア広場自体にも、アフリカから流れてきた不法難民が、偽者のブランド品を広げていたが、この広場から宿へと向かう道がなんとも怪しい。それはナポリの裏通りで感じた緊張感にも似ていた。
落書き、割られたガラス、散らばるゴミくず等から感じる視覚的要素。街の喧騒が遠いたにもかかわらず、生活音も存在しない聴覚的要素。生臭く、ドラッグのような、かすかに鼻を突く匂いが漂う、嗅覚的要素。とにかく、ヤバそうな雰囲気が蔓延していた。
その夜、タベルナ(ギリシャ式食堂)に夕食を食べに出かけた。日本にいる時にはギリシャ料理なんて殆ど馴染みのないものであったが、これが実に美味い! オリーブオイルをふんだんに効かせたのがギリシャ料理の特徴で、それがキツ過ぎて口に合わないという人もいるかもしれないが、俺は直ぐに気に入った。ムサカもピタも美味いし、海鮮も最高だ。オリーブやフェタチーズをトッピングしたグリークサラダも良い。そんな料理とともにローカルの酒、ウーゾを飲み、宿へと戻る。少し酔ってたのと、面倒だったので、迂回せずショートカットにあたる、その通りを抜けることにした。通りには、数人の胡散臭げな男のグループがいた。ホームレスらしき親父の姿も点在する。面倒臭がらずに迂回すべきだったかと途中まで来たところで後悔したが、とにかく誰とも目を合わさず、パーカーを目深に被り、そして早足で通り抜ける。
が、通りの中間あたり、一人の男が話しかけてきた! ゲッ、最悪!
が、そいつは別の男を取り調べているポリスだった。ロッテルダムでの経験から、充分に猜疑心をもって接していたが、どうやら彼は本物のポリスらしく、普通のいい人だった。幾つか質問されたが、オランダ人程英語も達者ではないので、すんなりと帰ってよろし、と言う運びに。
で、最後に忠告されたのが、
『とにかくこの通りは絶対に二度と通っちゃダメだ!』
そのまま真っすぐ宿に戻ると、シャワーを浴び、すっきりとした気分になった。そしてドミトリーのベッドの上で、目をつぶり、ふと反省した。リスクを恐れてばかりでは何も出来ない。時には飛び込む勇気も必要だ。でも常にリスクに対して、ケアはしていなければならない。さもなくば、旅がいつ終わってしまってもおかしくない。
この旅は自分の夢であり、今、自分は夢の中にいる。その夢の終わりを自ら早めるなんて愚の選択肢、誰が選ぶものか。
アクロポリスの丘の上には、アテネでもっとも有名な観光地であり、歴史的にもっとも重要な場所があった。紀元前に建設され、ギリシア古代建築を現代に伝える数少ない貴重な世界遺産、パルテノン神殿である。このギリシャ観光最大の名所を訪れずして、ギリシャにやってきたなどと誰が言えよう。
ドーリア式建造物の最高傑作であるこの神殿は、旅行好きでなくとも、テレビや映画、マンガなんかでその形と名前は知っているであろう。そして施された装飾彫刻はギリシア美術の象徴とも言よう。悠然と丘の上に立ち、何百年もの間、アテネの街の姿を見守り続けた神殿。そこにはギリシャ神話の神ゼウスとメティスの間にできた子アテーネーが祀られている。古代の神々がこの地を舞台に、幾つもの神話を形成している。神殿を目の前にすると、なんだか色んな思いが頭の中を駆け巡る。くれぐれも変な事を思って、髪の毛を蛇にされないように気をつけないと、なーんてね。
アテネを発つ日は、航海にふさわしい雲一つないような爽やかな空だった。アテネの港を昼過ぎに離れ、空の色を映した美しきエーゲの海を船はゆく。波しぶきの白さがその青に鮮やかに映え、見事なコントラストを成していた。水面にキラキラと煌めく太陽も、我々と同じ速度で並んで飛んでいる海鳥も、甲板を心地よく吹き抜ける潮風も、それら全てが『これぞ憧れエーゲ』というような爽快な印象を齎していた。
季節は一〇月に入り、シーズンも終わりに差し掛かっている。乗客も少なく観光客など全くいない船だったが、出発早々、一人ギリシャ人の青年と仲良くなった。彼は名をニコラスといい、学校の先生をしているらしい。夏休みでたまたまアテネに出てきており、この船で島に帰るのだという。そしてこの船に乗っている、唯一の英語を話せる人間でもあった。
俺が目指すロードス島までは十五時間程かかる予定だ。船は途中の島々に立ち寄り、その中の一つの小さな島に彼は住んでいる。彼にしても到着は深夜になってからなので、のんびりと家路を楽しもうと、ギターを手に歌っている。それはこの海にぴったりのルベッツの古い曲だったり、知らないギリシャの曲だったり、名もなくただコードを奏でているだけの曲だったり。そんなBGMも全てがこの船上の雰囲気と調和していた。
時々ニコラスと話す以外は、特にこれといって何もせず、ただただ海と雲を眺めながら過ごした。そんな穏やかな時間を過ごし、やがて夕陽は水平線近くまで落ちてゆく。水面は青からオレンジにグラデーションし、世界はトワイライトへ変わっていた。
日がすっかり落ちた後、二人で食堂にいって夕食を食べた。定番のギリシャ料理ばかりが並んだセルフサービス式で、俺は安くあげるため、ムサカをプレートに盛り、そしてミソスビールを一本だけ飲む事にした。ニコラスはウーゾを注文し、二人で軽く乾杯をした。
夕食を終え一時間程してから、本でも読もうかと、やはりほとんど倒れてくれないリクライニングの座席に移動した。ニコラスも通路を挟んだ席で本を読んでいたが、ほどなく眠りに落ちていた。そして俺も、活字を追っている内に、すぐに眠りに落ちていたようだ。
夜中に島に着く度に、何度も起こされた。しかしアナウンスは全てギリシャ語で全く不明だ。ニコラスは毎回『まだ大丈夫』ということと、そしてどうやら船自体が遅れていることも教えてくれた。そして、その繰り返しの何度目かに、ニコラスの島に船は到着した。連絡先のメモを俺に渡し『ロードスで何かあったら直ぐに連絡をしてくれ。』と述べて、ニコラスは船を降りた。程なくして、到着予定の時間にセットしていた腕時計のアラームが鳴りだした。やはり船は少なからず遅れているようだ。
ニコラスがいなくなってからは、やはり島に着いてもどこだか分からず、船員や他の客に必死で聞き回るしかなかった。うかうかして降り遅れたなんてことになったら、船では取り返しがつかない。しかし体は正直な物で、いざ違う島と分かると、やはり直ぐに瞼が降りてきて、時間を要せず眠りの底に案内されるのであった。
ロードスへは実に七時間遅れで到着した。夜中の三時の到着予定だったはずが、柔らかな日射しの朝に変わっていた。そこは三六〇度、全てが美しかった。
俺は猛烈に腹立たしく感じてる。自分の表現力の欠如と、伝えきれないこの想いに…。凄いのだ、とにかく凄いのだ。
青。まっさお。ザ・青。
どんだけ一眼レフの凄い良いカメラを買ったとしても、この鮮明な色はファインダー越しには到底伝わらない。生の青。ド青。めちゃくちゃ悔しいのだが、的確に形容する言葉がこの世には存在しない。とにかく青。アオ。ロードスのビーチからみたエーゲ海の青は水平線の彼方まで、深く濃く。
最高じゃないか! 楽園じゃないか! これを楽園と呼ぶのだろう!
遠くまで広がる青。近くに目をやるとヨーロピアンの金髪のねーちゃんたちの…
ピンク。どピンク。
おっぱい丸出しじゃないか!
最高じゃないか!
楽園じゃないか!
これを楽園と呼ぶのだろう!
さて、世界遺産にも指定されているロードス島の中世都市。その街並みは古いながらもキリっと格好良く、実に絵になる場所である。古典古代における世界の七不思議の一つとして、ロードスの巨像が数えられているのは有名な話だ。今日では残念ながら、巨像は完全に破壊され、その跡形も残っていない。紀元前三世紀に建立された、太陽神ヘーリオスをかたどった彫像は台座も含めると高さ五〇メートルもあったというから、当時としては人々が仰天するような代物であったのだろう。日本なんてまだ縄文時代で、土器を派手に作るのがやっとのこと。人々は竪穴式住居に住み、ドングリよりもクリが食べやすいことにやっと気付き、そしてウホウホと狩りに出かけていた時代だ。もし五〇メートルもの巨像を見たなら、きっと度肝を抜かれたに違いない。巨神兵がドーン!ってな感じであろう。
さて色んな事を思案しながら散策していると、賑やかな広場に出てきた。観光客相手の店も幾つかあり、郵便局や銀行なんかも並ぶ町の中心。そこに表示されていた為替ボードに目をやる。かつてニュースなんかで最後に『今日の為替と株』なんてのが報じられていても、FXに興味もないので、ただの傍観者として眺めているだけの事が殆どであった。しかし海外を放浪している今は、為替というのが非常に大きな関心毎になっているのである。
ボードの上から何番目かに、ユーロ/円の為替が乗っている。数字を確かめると…あれ?
なんじゃ〜、コりゃ!?
数日前にアテネで見た値よりも十五%以上、円がいきなり強くなっている。何かの間違いだろ? と何度見直しても、計算し直してもおかしい。まっ、、、まさか、この島は世界から切り離された、独自の通貨システムを採用しているのか!?
収入を得ず、ただ貯金をすり減らしながら旅をしている俺にとって、これはつまりいきなり貯金が十五%以上増えたのと同じ意味を持つ。おー、マイゴッドネス! 神様、素敵な島に連れてきてくれてありがとう! 僕は夢を見ているのでしょうか?
という形で俺は、リーマンショックを痛烈に体験したのであった。(数日後にようやく意味が分かったのだが。)
翌日、俺を乗せた船は早朝の港を発ち、東へと東へと舵を切る。後ろに小さく消え行くロードスの城壁を、朝焼けがキラめく橙色に染めていた。新たな旅立ちの朝に、実にふさわしい色だと思った。こうして俺のヨーロッパの周遊はひとまず終わりを迎え、そして次なる地、トルコへと足を踏み入れたのである。
Jul. 2008
28th @ Taipei, Taiwan
Aug. 2008
1st @ Bangkok, Thailand
4th @ Cairo, Egypt
6th @ Dahabu, Egypt
10th @ Cairo, Egypt
11th @ London, England
14th @ Winchester, England
16th @ London, England
18th @ Paris, France
21st @ Brussel, Belgium
24th @ Amsterdam, Holland
26th @ Den Haag, Holland
28th @ Rotterdam, Holland
30th @ Koln, Germany
Sep. 2008
[weak]1st @ Bacharach, Germany
3rd @ Frankfurt, Germany
6th @ Rothenburg, Germany
7th @ Munchen, Germany
9th @ Salzburg, Austria
11th @ Linz, Austria
12th @ Cesky Krumlov, Czech
14th @ Linz, Austria
15th @ Wien, Austria
17th @ Bratislava, Slovakia
18th @ Budapest, Hungary
21st @ Zagreb, Croatia
23rd @ Ljubliana, Slovenia
24th @ Venice, Italy
26th @ Firenze, Italy
27th @ Siena, Italy
28th @ Roma, Italy
29th @ Vatican
30th @ Napoli, Italy
Oct. 2008
1st @ Amelfi, Italy
3rd @ Athens, Greece
6th @ Rodos, Greece
2013年11月10日 発行 初版
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