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第十一章
「雪の感覚器官よ。お前の主が困っているぞ。助けてやらないのか?」
「自分は、本当の修正のことだけしか伝えない」
「そうだな。二つの感覚器官が、勝手に指示を与えていては、本当の修正が出来なくなるからな、仕方がない、自分が指示を与える。だが、本当の赤い糸の修正の方は頼むぞ」
「言われなくても分かっている」
「それでは、雪の言葉を話す器官を借りるぞ」
「私たちは、あなたに言葉を伝えに来たのです」
雪は、内心で驚いていた。自分では驚きのために口を閉じている。だが、信じられないことに、考えてもいないことが、勝手に口から言葉が吐き出ているのだ。この言葉は、昌の赤い感覚器官だった。
「そうなのか、何の話だ」
「それは・・・・・・・・」
雪は、自由になった口で、一言だけ口にすると、続きの言葉が脳内に響くと思って待った。内心では数十分と思う時間が過ぎたと思ったが、ほんの数秒だった。
(良いか、これから伝える通りに話しなさい。貴方様は、五百年も待ち続けている。天猫様ですね。この時から五百年後に、主の言葉を聞く事ができます)
雪は、脳内に響いた言葉を同じように声に出して伝えた。
「それだけかぁ」
「そうです」
「分かった。付き合ってやろう」
「えっ?」
四人の男女は、猫のような獣の言葉の意味が分らなかった。
「我の眠りを覚ましたのだ。その言葉だけの理由とは思えない。お前たちは、もしかすると旅は初めてだろう。それに、まだ、日数も経ってないのではないのか?」
「はい、そうです」
「むむ、少しの間だが旅の供になってやろう。そして、これだけは心に刻め。今回は、我に言葉を伝えるだけだったが、赤い感覚器官の命令は絶対だと言うことだ。もし、我のような獣を殺せと命令されたら必ず殺さなければならないのだぞ」
「えっ?」
「ふぅ、やれやれ」
天猫は、大きなため息を吐いた。
「赤い感覚器官は、二人だけの問題ではないのだぞ。二人が結ばれないために世界の均等が狂う。それだけでなく、時の流れも狂うのだ。それを修正するために神が持たせたのだ」
「世界、時の流れ、なぜ?」
「そうだな、例えばだが、雪と言うのだったな。我から見たら分らないが、人としては絶世の美人だと思う。その絶世の美人が独身だと思えば、男たちは恋こがれて夢現になり人生が狂うだろう。自分の妻にしたいためにだ。ある者は諦める者もいると思うが、それでも、思い続ければ、神が考えた時の流れで妻となるはずだった者が、他の男性と結婚してしまい。その子が、子孫が、神が考えた時の流れを狂わせる者になってしまった場合。それは、恐ろしいことになるだろう」
「そうね。でも、殺生は大袈裟のように思う。だって、私が、神が選んだ人でなくて、他の男性と結ばれたら、その人を殺すのでしょう」
「神も、それほど極端ではないはずだ。神が選んだ者を好きになるように行動させるはずだ。その男性が、女性の危機から助けるなどをして、女性の気持ちを動かそうとかだな」
「そうなの」
「雪。この場所で、我と会うのが赤い感覚器官の指示だとしたら、そして、先ほどの言葉だけを伝えに来たとは思えない。我は、主が帰って来るのを待たなければならない使命があるのだが、五百年後でないと主に会えないのだったな。何年だろうと、供として付き合ってやろう」
「えっ」
「お前らは、赤い感覚器官の指示は絶対なのだぞ。それが、雪の与えられた指示なのだろう。もし、雪でなく、他の男性か女性なら、我と戦いになっていただろう。今は、我の心は落ち着いたが、先ほどまでは、主でない者に起こされて怒りを感じていたのだぞ」
「うっ」
四人の男女は、雪の足跡だけを歩くように強制したのは、この危機から避ける為だったと思い。恐怖を感じたのだ。
「むむむ、そうだな。赤い感覚器官などの事が何も知らないようだ。なら、良い相談役を紹介しよう。俺たちも旅に出る前に相談した人だ。勿論、赤い感覚器官を持つ御仁だぞ」
「え」
「驚く必要はない。その御仁は西の方角の人だ。当然だが、赤い感覚器官の指示も西に向かえと方角を示しているはずだ」
「うん、本当みたい。西を示しているわ」
雪は、この場にいる猫と、三人の男女に視線を向けられて、驚くように頷いた。
「当然だ。我は嘘を言わない。なら直ぐにでも向かうぞ」
「ちょっと待ってよ。馬車も荷物も他の場所なのよ。直ぐ近くだとしても荷物が心配よ。
先に荷物があるか確かめてからか、誰か一人でも馬車に残ってないと駄目よ」
「徒歩でなく、馬車だと、豪勢な旅だな。まあ、それならば、我は、少々空腹も感じたことだし、軽く食べてからでも行くとしよう」
「そう・・・・・・ネコちゃん。その方の家って遠いのですか?」
「徒歩では、少々遠い」
「雪、今度は距離を感じないのか?」
新は不審そうに問いかけた。
「ごめんなさい。何故なのでしょうね。方向だけで距離は感じないのよ」
雪も、何て答えていいのかと、迷っている表情を表わしながら首を傾げた。そして、猫に、本当に済まなそうに視線を向け、喉に何かが詰まったかのような感じで問い掛けた。
「ねぇ、猫ちゃん。その、理由は分かりますか?」
「初めに言っておくが、我は、猫ではない」
「あっ、ごめんなさい。なら、何て呼べば良いのでしょう?」
「先ほど、我の名前を言ったと思うが忘れたのか?」
「その、その、あの・・・・・・」
雪は、猫の名前を思い出そうとしているが思い出せなかった。まだ、自分の記憶で、自分の口での言葉なら脳内の記憶にあるだろうが、先ほどは、赤い感覚器官が呟いたことだから分かるはずがなかった。それでも、心底から必死に思いだそうとしていたからだろう。答えが口から出ない代わりに涙があふれ出してきた。
(獣の分際で、分際で、雪様が愛称を考えてくれたのだぞ。それを嫌がるだけでなく泣かせるとは万死に値する)
「キャー」
雪の赤い感覚器官が、槍の様に鋭く細くなって長く延び、猫の体を貫いた。
(死んで償いをしろ、死ね。死ね)
何度も、射しては抜いては射しと繰り返した。
(やれやれ、またかぁ。切れると直ぐ攻撃を仕掛けるからなぁ。これを見たくないから、赤い感覚器官の指示を逆らってまで、結ばれる為の計画にしたがっていると言うのに)
(昌の感覚器官よ。手伝え)
(無理だ。俺の機能は防御系だ。お前の攻撃系とは違う)
(この獣を許せると言うのか)
(だから、本体の指示がなくても出来るのは防御だけなのは知っているはずだろう。お前の場合は、攻撃系だから出来る。俺は出来ない。切れると、その事も忘れたか)
(許せん。許せん)
「あの、その、痛くないのですか・・・・・・」
「大丈夫だ。この様子は、恐らく、我と、雪にしか見えないはずだ。もしかすると、昌も見えるのか・・・・・・・」
「それと、お名前を、もう一度だけ教えてください」
「我は、天猫だ。それにしても変だな、普通は子供の時だけのはず。なぜ、赤い感覚器官は、自動防衛するのだ」
「えっ」
「このために、赤い感覚器官は完全の指示が出来ないのかも知れない」
「そうなのですか」
雪と天猫は、普通に会話をしているが、その間も、赤い感覚器官は攻撃を続けていた。
「本当に何も知らないのだな。今の状態を見たら分かると思うが、赤い感覚器官の指示がない者や生物は、殺そうと思って攻撃しても傷一つ付けられないのだ。これが世界や時の修正で倒す者、倒しては駄目か、それを判断が出来るのだ」
「はい。それと、この状態は・・・・・いつ収まるのでしょうか?」
「このような状態は初めてだが、たぶんだが、自分の感情が収まれば終わるだろう」
「そう・・・・なのですか?」
(雪の感覚器官よ。そろそろ止めろ。無駄なのは知っているはずだ)
(だが・・・気持ちが収まらないのだ)
(そうかぁ。だが、軟弱で臆病の、俺の本体が恐怖を感じ始めたぞ。このままでは計画の支障の恐れがあるぞ。それでも良いのか?)
(わかった。本当に軟弱な男だな)
四人の男女と獣には赤い感覚器官の会話は聞こえていなかった。
「収まったようだな」
「雪、何の話をしているのだ?」
「そうよ。悲鳴を上げたと思ったら、痛みはないのですかと聞くし誰の事なの?」
「見えなかったの?」
「見えないと思う。と、言うか、何を見えなかったと言うのかしら?」
明菜が問い掛けた。
「偽人には見えない。余程の達人なら別だろう。それに、同族でも見えるのは、青色に変化して攻撃か防御の状態の時だけだ。この様な為の理由で、偽人どもが、運命の人以外は見えないと思われているのだ」
「ああ、確かに、先ほどの状態は青色でしたわ」
雪は、何度も、何度も上下に動かして、自分で納得していた。
「だが、極限の状態の戦いでは、色を変えないのが普通だぞ」
「それなら、運命の人以外見えない。その噂は嘘なの」
「それは、本当に見えない。だが、考えてみろ。武器とは見せるだけでも恐怖を感じるだろう。例えが悪いが、猫の爪の出し入れと似ているかもしれない」
雪と天猫は、故意に無視していたのではないが、この話題では仕方がないだろう。
「そう、左手の赤い感覚器官の話しをしていたのね」
「俺達では何も言えないし。雪、獣だが相談する相手が出来て良かったな」
「そうね。いろいろと経験してそうだし、旅の役に立ちそうで良いと思うわ」
明菜、新は、何か寂しそうに、天猫の旅の同行を承諾した。昌だが、まだ、何か言いたそうに、天猫を見ては、自分の赤い感覚器官を交互に見ていた。そして、男女四人と一匹は無言で歩きだした。だが、誰の耳には聞こえない囁きがあったのだ。それは、雪と昌の左手の小指の赤い感覚器官たちの囁きだった。もし、その言葉を四人が聞こえていたら、これから先の旅はなかったかもしれない。
「雪の器官よ。昌は、獣だと知っていても庇うように行動したぞ。雪に好きと言えない軟弱者だが、雪の危険などがあれば、自分の命も投げ出すほど惚れているようだ。どうかな、少しは昌の評価点数は上がったかな?」
「考える程度にはなぁ。だが、俺は許せないのだ。雪は何度も枕を涙で流していたのだぞ。昌が一言だけ好きと言えば泣くこともなかったのだ。それも、五年も恋こがれて枕を涙で流し続けたのだぞ。五年だぞ」
「それは、分かっている。だから俺が、昌に偽の指示を出し、目に映る物や声も導き先も違うことを伝えているのだろう。やはり俺たちが考えた通りに死の恐怖を与えれば、心底にある想いのまま行動する。その考えが当たっていた」
「その為に、世界や時の流れなどの修復する事になったのだろう」
「と、言うよりも、二人が結ばれないために、我々が自我を芽生えたのだろう。余程、先の未来では、時間の流れを変えるほどの子供が生まれたのか、それとも、この世界で、二人の容姿や姿形などが、他の男女の結ばれる妨げになるのだろうか?」
「いや、俺は、二人の行動にあると思うぞ。二人は頑固だからな」
「そうだな。だが、俺が、昌の心底の気持ちを爆発させて、雪が好きだと言わせるよ」
「わかった」
「その時は、一言、はい。と返事をして欲しい」
「それは、雪の気持ちしだいだ」
その言葉と同時に、新の空腹を知らせる音が鳴り。四人と一匹の会話が響いた。その後の赤い感覚器官たちの会話が続いていたのか、終わったのかは、赤い感覚器官たちにしか分らないことだった。
第十二章
「何だ~これは~」
天猫は河原に着くと興奮を表していた。恐らく、何が食べられるのかと想像していたのだろう。だが、それは、四人が乗ってきた馬車を見ると、悲鳴とも驚きの雄たけびとも感じられる声を上げた。
「どうしましたのです。天猫さん?」
「なんだ。なんだ。何があった?」
「今の悲鳴は何?」
四人の男女は食事の準備を止めて、それぞれの驚きを表したが、昌だけが恐怖の表情に戻った。まだ、猛々しい獣の姿が見えるのだろう。
「これの事だ。これは何だ?」
猫のような姿だが、器用に右足を上げると馬車を指差した。
「馬車よ。どうしたの?」
「馬車だよな?」
雪は、新と明菜に天猫のことを任せると、食事の用意に戻った。当然、昌は天猫と係り合いするはずもなく、雪の手伝いに戻った。と言っても会話などをするはずもなく、焚き火が消えないように見ているだけだ。
「これが、馬車に見えるのか?」
「新、これは馬車よね」
「うん」
(確かに戦車だ。猫でも分るのなら・・・これから先は誤魔化しようがないか、だが、佐久間さんが用意してくれた物だし、それに、これから危険なことが起こるかもしれない。まあ、なんとかなるだろう)
「我は、確かに長い時間を寝ていた。それだから何も分らない。その間に文明も発展したと思うが、だが、これは、馬車でなくて戦車と言うはずだぞ」
「・・・・・・」
明菜と、新は何も答えることが出来なかった。
「あのな~、まあ、我の言い方が悪かったと思うが、この馬車が旅に向いていると思うか?」
天猫は、馬鹿にされていると感じたが、それでも、心を落ち着かせて再度、二人に問いかけた。
「・・・・・・」
明菜は、再度の問い掛けに何て答えて良いか分からず、新に視線を向けた。それに、新が明菜の様子に気が付き・・。
「確かに、鉄で覆ってあるから重くて多くの荷物は積めないし、馬には悪いと思う」
「この時代、いや、この地域は物騒なのかと思ったが、お前らの旅姿を見ると、その様には見えないが、まさか、王族などの関係者なのか?」
「まさか~違うわよ。嫌ね。何を言うのよ。それ程に高貴な育ちと思うのね。もう馬鹿~」
明菜は恥ずかしいのか、それとも、嬉しさを隠そうとしているのか、なぜか、新の背中を叩いて気持ちを落ち着かせようとしていた。
(違うぞ。高貴な生まれに思うはずがないだろう。我が思ったのは、普通の常識がないと感じたのだ。ある意味、常識が知らないのだから高貴な育ちなのかも知れないがなぁ)
「まあ、時間は掛かるが、安全を優先すると思えば良いことだな」
「なぜだ?」
「当然だ。この重量では整った道しか走れないだろう」
天猫は、溜息を吐きながら首を横に振っていた。
「ああ、なら・・・・・・」
「なにしているの。食事の用意が出来たわ。早く食べに来て」
新は、天猫に何かを言うつもりだったのだろうが、雪の言葉で中断した。それでも、無理して大声を上げれば会話になっただろう。だが、天猫は食事が出来たとの言葉を聞いて
興奮した姿を表わしたので、何も言うことはできなかった。
「食べたら直ぐに出発しましょうね。でも、お替りは沢山あるから腹一杯に食べてよ」
雪は満面の笑みで呟いた。その笑みからは何一つ心配する気持ちが感じられなかった。そして・・・・「私は食べるのが遅いから大丈夫です」と言っては・・・・・・・。
三人の男女と猫のお替りと言われれば喜んで立ち上がり渡すのだ。まあ、この行為は、昌と猫だけが知らない。まあ、猫の方は、これから旅を続けて様子を見れば分かるはずだ。その理由とは、昌の食べる姿と言うか、好きな男から視線を離したくないからだった。
「ありがとう。もう結構だ。本当に美味だった」
「美味しかった。ごちそう様」
「ごちそう様でした」
「雪って本当に料理が上手いわね」
「馬車の中にあった。新鮮な材料のおかげよ。後、調味料もね」
「そうなの?」
「そうよ。だから明菜も同じように作れるわよ」
「それでは、そろそろ行こうではないか?」
天猫は、会話が終わりそうにないと感じて問い掛けた。
「それで、天猫さん。どの方向に向かえばいいのかしら?」
「当然、赤い感覚器官が示す方向だぞ。何度も言わせるな」
「それで、雪、昌。二人が示す方向は同じだと嬉しいのだが?」
新が二人に問いかけた。
「東」
と、雪は指を指して即答したのだ。勿論、昌が居る方向を指したが、昌は、指に唾をつけて風の方向を探すようにして、左手を上に下に左右と、それだけでなく辺りを走り回る。その奇妙な行動が何分位過ぎただろうか、痺れを切らした新は・・・・・・・・・・・。
「昌、どの方向だ?」
昌以外、分からない行動だが、雪に指示されて恥ずかしさを堪えようとしたのだ。
「・・・・」
当然だが、方位磁石のように常に、赤い感覚器官は雪を示した。
(やっぱり運命の相手は、雪さんなのかな?)
問い掛けられると立ち止まり、無言で雪に指先を向けた。向けられた雪は、恥ずかしそうにうつむいた為に、誰も頬を赤らめている姿には気がつかなかった。
「おお、同じ方向だな、それは良かった。良かった」
「昌の馬鹿」
雪は隣に居る新にも聞こえない程の声で囁いた。
「雪、何か言ったか?」
新の問い掛けに無言で、雪は首を左右に振った。
「それでは行くことにしよう」
と、天猫は声を上げると、真先に馬車の中に入り寛いだ。その後に、四人の男女が馬車に向かった。今までなら御者席に座るのは、新だけだったのだが、昌も腰かけた。恐らくまだ、天猫の恐怖が消えないのだろう。
「お~い、猫。東には道がないぞ。東南方向ならあるが東南方向で良いのか?」
「仕方がないだろう」
「喜べ、明菜。この方向だと街に行けるぞ」
「キャー」
明菜は興奮を表した。希望していた街遊びができるからだ。
「やれやれ、我や、我の主人は、赤い感覚器官が東と指せば、木々を切り裂きながら進んだのだが、これでは何時になれば着くのやら」
「えっ、切り裂くの。だって先の話しでは、赤い糸の指示がなくては駄目なのでしょう」
雪が不審を感じて声を上げていた。
「はっ、あぁ~勿論だ。指示がある物だけを切り裂くのだよ。先程は、我に怪我の一つも付かなかっただろう。だが、木々に傷が付く場合は倒さなければならないからな。まあ気にするな、赤い感覚器官の導きの指示だけを信じていれば良いのだ」
天猫は、心底から疲れたと感じたのだが、それでも、幼い孫に教えるような優しい声音を作りながら答えた。
「ねね、雪は街に着いたら行きたい所はあるの?」
明菜は、二人の会話を邪魔した。と言うか、街に行ける興奮で、二人の会話が聞こえていなかったに違いない。
「えっ私・・・それは、最新の流行の服があるらしいから見てみたいわね」
「そうそう、私も・・なのよね」
「ふっう~」
天猫は、がっくりとうなだれた。それは、当然だろう。自分の運命の相手よりも、衣食住に一番の関心を示したのだからだ。そして、気持ちを奮い起こし、二人の女性にまた視線を向けたが、猫の仕草だから気がつかなかったのか、それとも、衣食住の欲だけにしか思いがないのだろう。次々と欲望の話題を上げ続けていた。その姿を見て何を言っても無駄と思ったのだろう。何も言わずに天猫は目を閉じると眠ってしまった。新は、一瞬だけ馬車の中を見たが、昌の呟きに気が付き視線を向けた。
「あの猫を信じては駄目だ。今は猫だが、化け物だ。気を許せば襲うはずだ」
何を言っているのか分からない。だが、俯きながらだから寝ていると思い。何も声を掛けずに正面に向き直り、馬車を操ることに集中した。そして、馬車は舗装された道だからだろうか故障なども無く進み続けた。勿論、襲われる事もなく無事に街の近くまで近づいた。何故、近くまで来たと判断できるのか、そう思うだろうが、それは、進むにつれて歩く人々が多くなってきたのもあるが、荷馬車の荷物が鮮度を優先する物だったからだ。
「このまま何も無ければ夕方には街に着くだろう」
その思いを、皆に大声を上げて知らせようとした。だが、新は真剣に手綱に集中していたからだろう。三人の男女と猫が寝ているのに気が付かなかった。仕方がなく又、手綱を持ったが、馬車が進む毎に、辺りを歩く人々に視線を向けられるのが多くなった。
「雪や明菜が話題にしていたように様々な品物が多そうだな」
この国の首都だからだろう。いろいろな服装の男女や子供が、歩きや馬車や馬などに乗って同じ方向に向かう。新は街の様子を考えて思いを膨らませたが、何故か人々の表情が硬いと感じてしまった。恐らく、旅の疲れだろうと思うことにしたが、街に入る前には浮かれ騒ぐ気持ちを抑えるようにと、仲間に伝えようと考えた。
「そろそろ街に着くようだな」
「なぜ、そう感じる?」
「お前が呟いていたと同じ理由だ」
「ほう」
「我は、これで人の言葉を話すのを最後にする。猫として通すぞ」
「え」
「驚くこともないと思うが、そうだろう。猫が人の言葉を話すかな?」
「ああ、そうだ。猫が人の言葉を話すはずがないなぁ。なら話をする猫の本性は何だ?」
「・・・・・・・」
天猫は言いたくないからなのか、それとも、猫なのだから会話が出来ないと考えてなのか、それは分らないが何も答えることはしなかった。そして、夕方までと言うよりも街に入り本物の話題の物を見るまで、女性二人の会話は続いた。男性の方は、一人は、ブツブツと独り言を唱え続ける。もう一人は、女性たちと同じに興奮を表しながら夢心地で馬車から見える物や女性を見続ける。当然の事だが、天猫は一言の鳴き声を上げることもなく眠り続けた。それでも、ある一言で、一人の男性が我に帰るのだった。
「荷馬車を検める。それと、身分を証明する物と、街に来た理由も聞く」
我に返る言葉は、検問をする警備隊の者だった。
「それなら、馬車の横にある紋章では駄目でしょうか?」
新は、いや、新たちは佐久間の領地から出たことがなくて馬車を止められた意味が分からなった。それでも、噂では検問があると言うのは分かっていたが、想像以上の物々しさで驚きと同時に少しの恐怖も感じていた。
「紋章だと?」
「はい」
新は、馬車の側面に指を指した。
「鳳凰(ほうおう)の・・・・・・・・紋章」
警護人は、紋章の絵柄を見て驚きのためだろう。それ以上の言葉が喉から出すことが出来なかった。それは当然かもしれない。前国王の弟でもあり。数十年前の戦乱の時に自分の領地が保有する軍事力だけで、主力軍が戻るまで敵国から国土を守った英雄でもあったのだ。その結果で国力の維持ができ、敵の侵攻を退かせるだけでなく、敵国の一部を奪って有利な講和まですることが出来たのだ。それ程の功績をしたのに自分の領地の運営には干渉をしないで欲しい。それだけの確約だけだった。甥と叔父の間なのだから口約束だけで良いのだったのだが、臣下の礼義として何を変えるか書面まで作成して提出したのだ。元々は戦争孤児の新、昌、明菜たちを養子にする考えから始まったのだろう。それだけでなく、敵国の軍を撃退する時に奴隷に命を救われてから奴隷だけの軍組織を作り最大の効果を上げた。その理由から奴隷を平民にする考えを実行したのだ。当初は書面の内容では成功するはずがないと思われていたが、年月が過ぎるにつれて領地は豊かになったのだ。そして、国王は、国の象徴として鳳凰(ほうおう)の紋章を授与したのだ。その様な理由から検問の警護人が驚きの表情を表した。
「この紋章は本物でしょう。ですが、他に自分を証明する物はないでしょうか?」
警護人は、心底から恐縮していたが、任務ですと何度も頭を下げていた。
「それなら、このペンダントでは駄目でしょうか?」
新は、衣服の中に手を入れて出した。それは、佐久間が施設に居る全ての者に身元を証明する物として鳳凰の紋章の絵柄を渡したのだ。そして、裏に名前が明記してあった。
「何て書いているのでしょう?」
「新と書いてあります。私の名前です」
警護人は文字が読めないのではない。もし、盗人なら文字が読めないのが当然だからだ。もし、読めれば危険な盗みなどするはずがないからだった。
「失礼なことを何度も済みませんでした。その償いとして言います。また、同じような詰問された場合は、ペンダントを見せながら文字に書かれてある通りの新だと言えば面倒な事にはならないでしょう」
「ありがとう」
そして、やっと馬車は都市の中に入ることができた。
第十三章
「うぁああああ」
都市に入ると直ぐに人々の歓声が聞こえてきた。その理由は国の象徴であり。王家の紋章の獅子の銅像が置かれていた。それだけの理由で騒ぐのかと思われるだろう。その理由は金銀、宝石を大量に使われた物だったからだ。作られた当時は、近隣諸国の軍事力が均等していたためもあるが、異国との交易で豊だったためだろう。軍事力よりも国の豊かさを競っていたのだ。なら今の世まで残っているのかと疑問を感じるだろう。それは民の噂に関係があったのだ。その象を見た者や触った者は夢が叶うと言われ続いていたからだ。
「なになに?」
歓声の声で二人の女性は我に気がついた。と言うよりも、明菜の話しに雪が頷いていただけなのだが、やっと夢などの思いの話から現実に目を向けたのだ。
「何を騒いでいるの?」
明菜が馬車から顔を出しながら問い掛けた。
「たぶん、獅子の像よ」
雪は、明菜の問いに答えた。それも期待を顔中に表わしながらだ。
「あああ、あれね。夢が叶うって象ね」
「そうそう。そうよ。ねね、新」
雪は明菜と話をしていたが、何かを思い出したかのような感じで、新に視線を向けた。
「なんだ。雪?」
「今日は泊まるとしても、明日の朝には出かけるのよね」
「予定では昼過ぎ頃には街から出ようと考えている」
「そう」
「でも、街にいるのが飽きないのなら、もう二日、いや、一日くらいなら」
「うん」
「でも、明菜には内緒だぞ。今の事を言えば何日も街にいることになるからなぁ」
「そうね。明菜には内緒にするわ」
「なになに、何か言った?」
明菜は馬車の外に興味を感じて視線を右に左と動かしていた。
「えっ、あっ、皆で一緒に獅子の像を見に行こうって話をしていただけだよ」
「そう、それは楽しみね」
新は、明菜の問いかけに動揺した。そして、明菜の顔に視線を向けてみると、何か思い悩んでいるように感じて聞いてみた。
「何か不安でもあるのか?」
「なんかね。像がある場所から離れて歓声が聞こえないからかなぁ。歩く人たちの表情が暗いって感じたの」
「それは、俺も街に入る前に感じた。でも、獅子の像を見に来ている人々の歓声を聞いたら思い違いと感じたよ。でも、街の奥に入ると、また、同じ気持ちを感じてきたな」
「確かに主都よね。見たこともない服を着た人や品物が多いけど、幸せを感じられないわ」
「そうだな。貧富が激しいのがはっきりと分かる。まだ、俺達が住んでいた所の方が豊かだと感じる。最低限度の衣食住だけは保障されているからなぁ」
「確かにそうねぇ。豪華な服や装身具はないけど、もしかして、運命の人と会いたい。そう獅子の像で祈るのって、私達だけなのかも・・・・・・他の人は衣食住なのかな」
佐久間の領地では、最低の衣食住は保障されている。だから夢だけを思い続けられる。恋も物欲も様々だ。そして、物欲の中には子供の遊び程度の商品など売り物にならない物が多いが、中には商品として異国などに売るのだ。だが、売上の殆どは衣食住を買うために消え、後は、新製品の開発と言う名目の夢の遊びの資金に使われる。
「明菜、気にするな。誰も心の中の思いは分かるはずがないのだぞ。明菜は自分の思いを信じて獅子の像に祈ればいいよ。後で、皆で行こうなぁ」
「うん」
「そうよ。運命の人に早く会いたい。そう一緒に祈ろうね。ねえ、明菜」
「うん」
「なら早く宿を決めて、食事を食べて、風呂で疲れをとって、明日は街の中の散策だぁ」
「うん」
二人の女性は泣きそうな表情をしながら頷いた。
「ねね、猫も一緒に宿に泊まるってことはないよね」
猫の恐怖から錯乱して、今までの会話を聞いていなかったのだろう。一人だけ違う話題を上げながら顔の表情をひきつらせていた。
「どうだろう。宿によっては駄目だろうなぁ」
「そうね。普通は食事も提供するのだし、猫は駄目でしょうね」
「まあ、その時は、馬車で寝てもらうしかないわね。でも、天ちゃん。食事は持って来るから安心してね」
「にゃあぁ」
四人の男女の話に不満だったのか、名前の訂正を求めたのか、空腹だと言ったのだろうか、それとも承諾したのか分からないが、また、眠ってしまった。それから直ぐのことだった。まるで猫が人を招いたかのように旗を振る女性が声をかけてきた。
「宿は決まったの?」
「えっ」
「安くするよ。食事付よ。それに、私の宿では猫も大丈夫よ。他の宿では動物は泊まれないの。ねね、私の宿に決めなさいよ」
「嫌だぁ。猫と一緒は嫌だ」
真先に、昌が否定した。
「でも、猫ちゃんはお腹が空いているのでない。口元を舌で舐めているわ」
「ひっ・・・・ガチガチ」
昌は、自分が食べられると感じたのだろう。歯を鳴らしながら怯えていた。
「お連れさんも寒いのでしょう。直ぐにお風呂に入れるから。その後は直ぐ食事にするわ。だから、私の宿にしなさいよ。ねぇ。それにね。私の宿では女性用のサービスで異国の服が着られるわ。勿論、無料よ」
「きゃあぁぁぁあ」
最後の言葉で二人の女性は喜びのあまりに奇声のような声を上げた。その声を聞けば泊まることに決定するしかなかった。
「まあまぁ、その嬉しそうな表情では承諾したと考えていいのですね」
「はっぁ~、は~い、泊まります」
「そうですのねぇ。それでしたら私の後を付いてきてください」
まだ若い三十代後半の女性だが、恐らく宿の女将だろう。それは、満面の笑みを浮かべているので判断ができる。もしかすると、この街で一番の繁盛していない宿に間違いないはずだ。それが分かるからだろう。新は大きな溜め息を吐いたのだ。
「女将?」
「何でしょう?」
「もう可なりの距離を進んでいますよ。まだ距離があるのでしたら馬車に乗りませんかぁ」
「良いのですかぁ。それでしたら正面に見えている山に向かってください。その麓にあるのですよ。まあ、着いてから教えようとしていましたけど、うちの宿は若い男女には有名なのですよ。運命の相手が映る泉があるのです」
「それほど有名なら、今から私たちが行っても泊まれるのですかぁ」
「大丈夫ですわ。相手が見えた人しか泊まりませんのでね」
「きゃあぁぁぁあ」
二人の女性の興奮を表した奇声のために「大丈夫」。その言葉だけが、新の耳に入った。
「ねね、女将さん。今の話の由来などあるのでしたら教えてくれませんか」
明菜は、雪と違って赤い感覚器官が無いからだろう。真剣に問い掛けていた。
「いいわよ。でも、そろそろ着きますから資料などをお見せしながら話をしましょう。そして、食事を食べて、お風呂で疲れをとってから池を見た方が良いでしょうね」
新は、麓までは距離があるのに、女将が話をしないのは嘘だと感じた。だが・・・・・・・・・・。
「あっ、その空地に馬車を停めてください」
そう言われて、新は、嘘か本当か見極めることができなかった。
「大丈夫ですよ。もう敷地内ですから直ぐです」
新が不審そうに首を傾げている姿を見て、女将は安心させようとしたのだろう。その言葉の通りに四人と猫が馬車を降りると、砂利が敷かれているのに驚いていた。そして、回りを見回すと、二度の驚きを感じるのだ。まるで、宿というよりも神社と思う程の、砂利の道に御神木と感じるほどの木が何本というよりも森林の全てと思うほどの数だった。
「そうそう、この砂利道を真っすぐに行くと、池があるのです。そして、ここが宿です」
女将の指し示す先には御神木と同じような古さの木で出来ている門だった。
「女将。まさか宿でなくて、神社の儀式などを体験するのでないでしょうね」
「大丈夫よ。確かに、宿をする前は、駆け込み寺だったの。その前は、何かの神社だったらしいわ。その資料はないけどね」
そう話ながら扉を開けた。門の中は篝火が焚かれ、明るく、少しは宿らしき雰囲気を感じられた。それでも、古風だと感じる雰囲気だった。
「お客さんを連れてきたわ。直ぐに夕飯の準備をお願いね」
玄関の前で、女将と同じくらいの男性が立っていた。客を待っている雰囲気よりも女将が心配で帰ってくるのを待っているようだった。
「はい、直ぐに用意します」
男は頭を下げると中に入っていった。
「部屋をご案内します。どうぞ」
「・・・・」
「はい」
「ほう」
「天ちゃん。おいで部屋に行きましょう」
雪は、少女のような声色で本物の猫を呼ぶように話しかけた。そして、天猫も本物の猫がするように喉を鳴らしながら近寄った。そして、抱きかかえると、女将の後を追った。
「男性は、こちら、女性は向かいの部屋を使ってくださいね」
女将は、廊下の一番奥の左右の部屋を勧めた。その途中に六部屋があったのだが奥の部屋を勧めたのは、客が居ると思わせる見栄だろうと感じられた。
「あの」
「分かっていますわ。異国の服でしょう。女性の部屋には箪笥がありますので好きな着物を着てください。それと、男性の方も部屋に室内着を用意してありますわ」
「食事は直ぐにできませんよね。できれば先に風呂に入りたいのですが?」
「それでしたら、部屋に入れば直ぐに分かりますわ。襖を開けて外を見れば露天風呂が見えます。残念だと思いでしょうが、混浴ではありません。時間で男性用と女性用に変わりますが、待てない場合は、部屋に付いてある。浴室を使用してください」
「運命の人の」
「ああ、そうそう言い忘れていましたわね。文献などの本は、この棚にありますので勝手に読んで頂いて構いませんわ」
突き当りの引き戸を開けながら中の物を指差した。
「ありがとう」
「食事は出来次第。お持ちします」
「はい」
新と昌は、返事を返すと、本棚に視線を向け数冊の本と絵巻を手に取っていた。
「食事の時でも本の内容を教えてね」
雪は、二人に声をかけた。
「ねね、雪。早く服を見ましょうよ」
「うんうん。新。昌さん。食事の時に着た姿を見せるわね」
「楽しみしているよ」
「うん」
二人が部屋に入ると直ぐに興奮を表す声が響き渡った。
「この声を聞いていると楽しみだなぁ」
「うん、そうだね」
昌は、本の内容や絵巻に夢中になり、新の話が聞こえていないようだった。
「建物も周りの様子も変わっていませんね」
「建物の絵巻があったのか?」
「はい、三百年も前の絵巻です」
「そんなに古いのか」
「絵巻では一番古いですね。書簡での年表では、この地に主都と決めた理由が、あの池の近くにある石碑らしいです。その時に一緒に作られたのですから五百年は過ぎている計算になります。まあ、修復しているはずですが、ああ、やはり、石碑も含む、その前の資料はないですね。それでも、建てられた目的は、この地の部族の神の怒りを鎮めるのが目的らしいです。それで、尼寺になったのは最近の話です。まだ、五十年くらいです。まあ、年表での判断です。もっと、詳しい書簡でもあれば・・・・・ありました。これかも・・・」
新と昌は、初めは絵巻から見ていた。まあ食事が出来るまでの時間つぶしとでも考えている様子だったのが、古い絵巻を見て興味を感じたのでしょう。次に本当なのかと年表を探して、次ぐに書簡を探し始めた。まあ、新は、現代語しか分らないので翻訳版とか絵巻を探していた。その時、二人が一冊ずつ手に取り上げた。昌が原本らしき物、新が翻訳版だろう本を見せ合うと読み始めた。
第十四章
新と昌が手に持っている。その本の題名「運命の相手を映す泉」の内容は、四色の旗を持つ部族と四つの旗を統括する一つの部族の五種族の内容だった。それも部族同士の抗争の終結から始まっていた。
「我が白色の旗を持つ部族は、何も要求はない。だが、石碑だけを守りたいだけだ」
「そうか、なら、赤色の旗を持つ我々は、この地の代々の歴史などの書簡。その全ての保管の管理を要求したい。それは、先の王の勅命でもあったのだ。それを実行したい」
「黒色の旗を持つ我々は、我が領地の保障するのなら全ての事を承諾する」
「青色の旗を持つ我々は、我が孫の結婚を承諾して欲しい。それだけだ」
三人の部族の長が、青色の部族長に鋭い視線を向けた。恐らく、争いの原因は、先代の統括長(王)の孫との結婚から始まったのだろう。この様に四種族が同じ席に着いたのは、一番の勝者が全ての書簡だけを欲しいと要求するだけだからだった。
「赤の族長よ。我が白色の旗族は、赤色の旗の臣下となるが、石碑の周辺だけでよい。領地として認めてくれないだろうか、そして、提案だが、石碑の山の麓に社を建てて四種族の統括長の最後の血筋を住まわし、我が部族が警護してもよいぞ。知っていると思うが、我が部族が四種族の中に入ったのは石碑を守りたいだけ、それに、大事な書簡の内容は口伝で伝わっている。だから書簡がなくても構わない」
「それなら、我が、黒色の旗を持つ我々は、同量の領地を保障するのなら領地替えでも構わない。青と白色の種族に接する領地でもよいのだが?」
「我は、赤色の旗の臣下となるのだ。領地など欲しいとは思わない。神官と名目でもしてもらい。一族でなく家族だけで住む気持ちだぞ。統括長の血筋だけなら一族でなく家族だけで十分に警護ができるからな」
「むむ」
黒色の旗の長は何も言うことが出来なかった。
「赤色の旗を持つ長よ。決めて欲しい」
三種族の長に言われ思案していた。
「赤色の旗を持つ長よ。我が部族は臣下となったのだ。この席に座る資格がないと思う。我は退出した方が良いのでないか?」
「うっ」
「我の本心を証明するために、白の旗と宝物室と書簡室の鍵も持参してきた。その二つを手に取るのなら承諾したと思い。直ぐにでも退出するぞ」
「承知した。神官と決める。それと、我が建物と敷地の整備などの費用だす。それも維持費も出そう。だが、領地は石碑がある山だけだが、それでよいのだな?」
「構わない」
「それなら、家族だけで城から出てくれないか、書簡を確認した後に神官を証明する書を渡そう。それと同時に、書簡以外の代々の家宝などがある。宝物室にある全ても付ける。だが、神具としてだから、もし処分した場合は戦の準備だと考える。その場合は何も言い訳を聞かずに直ぐに討つぞ」
「構わない」
「確かに、白の旗と二つの鍵を受け取った」
白色の旗を持つ族長は、赤色の旗を持つ族長に手渡すと室から退出した。それから一時間も経たない内に、黒と青色の族長も室から出てきた。黒色の旗の族長は最後まで領地の保障を叫ぶために半分の所領にして、欲しいのなら隣接する国から奪えと言い渡し、青色の旗の族長には一族は領地から出ることは許さない。直系の家族だけで白色の旗の族長の所に向かい。指示に従えと言い渡した。これで、四種族は事実上では一つになり。赤色の旗の族長が世継を残せずまま亡くなった後は、その長の妹と、白色の旗の族長が結婚して、石碑がある山を中心にして帝都として街を築いた。そして、当然だろう。四色の旗を一つの絵柄として国旗とした。そして、時が流れ、白、赤、青は同じ帝都で生活していると同じだったからだろうか、一つの血筋となり。そのお陰で国は豊かになり他の国々からは攻められることはなかった。黒色の旗の血筋は強欲だったのだろう。時が流れる度に同族で争い。三百年も過ぎると小規模の地方領地として血筋が残るだけだった。それから、また、月日が流れて石碑を守る一族の血筋も絶えたのか、無人の建物になったからだろうか、それとも、白旗の旗の一族の最後の血筋が女性だったのか、詳しいことは何もわからないままだが、自然と建物の名称が尼寺と呼ばれることになったのだった。
長い前置きだったが、これからが、昌と新が探し出した書簡の題名。「運命の相手を映す泉」だった。その泉は湧水が溜まったものだった。それよりも、驚くのが、天から何かが落ちて水が湧いたらしい。誰からの言い伝えか、書簡には残されていないが、今、この地の建国当時からなのは確かだった。その当時から尼寺として使用され続ける間は、女性は、親が結婚の相手を決めるのが普通だった。それでも中には親の決めた結婚がしたくないために、この建物に逃げてくる者がいた。そして、親などに連れさられるのを恐れて、藁にでも縋ろうと思ってのことだろう。何を祭ったのか、何の神なのか分からないのだが、女性たちは石碑を抱えて泣く者が多かった。その涙で池ができたとも言われていたのだった。その思いや願いの念の力が水に宿り運命の相手を映すまでになったと言われていたのだ。その中でも有名な逸話の話が書かれていた。その女性の名前は、静と言う人で、幼馴染の男が好きだったが静の時代では長い戦が続き正規兵だけでは間に合わないほどだった。その様な理由のため徴兵の制度ができた。それで、静の村にまで知らせが届き、幼馴染が徴兵されるか、その結果を待っていたのだ。そして、その夜の事・・・・・・・・。
「あのな、静、俺も徴兵されることになった」
徴兵されると死ぬかもしれないが、なぜか笑みを浮かべていた。
「えっ・・・・・嘘」
それとは逆に静は真っ青な表情だった。
「静。そんなに心配しないでくれよ。俺たちの村の者が戦に行っても誰一人として死ぬ者はいないのが分かるだろう」
「えっ」
「俺たちの村には運命の相手を映す泉があるだろう」
「あるわ」
「男性は、泉に近寄らないのが決まりだけど、今回だけは泉の力に願うことにしたよ」
「でも、なぜなの?」
「そうだろう。俺が泉を見て、静が映るか確認した後に、静も泉を見て俺が映っていれば、結ばれて結婚するってことだ。それってことは、戦から生き抜いて村に帰って来られるってことだろう」
「そうね。そうよね。でも、真剣に信じる人が何人いるかしら、特に男性が信じるかな?」
「それでだ。始めに女性が泉を見る。その後に男性が見て想い人が映って入れば信じるしかないだろう。それに、俺もだが映っていれば生きて帰れる証拠にもなるのだぞ」
「そうよね。証拠にもなるわね」
「だから、験を担ぐため、戦に行くからって結婚式はしない。頼むから待っていてくれ」
「勿論よ。待っているわ」
「ありがとう。それに死なないのが分かっているから沢山の敵を倒して勲章や功労金を持って来るからな。何でも好きな物を買ってやるぞ。それに結婚式も盛大にしよう」
「うん、楽しみして待っているわね」
「だから、俺は戦に行くが何の心配しないでくれよ」
「分かっているわ。それで、いつ泉に行けばいいの?」
「明後日に、村中の女性だけで泉に行くことになっているはずだよ」
「そう、でも、全ての人が泉に顔が映ればいいわね」
「そうだな」
それは死ぬ運命だと分かることなる。それだけの苦しみではない。死ぬ以上の苦しみ、運命の人と結ばれないと分かるからだ。
「でも、初夜も戦に帰ってからなのでしょう。なんか寂しいわね。せめて接吻だけでも・・」
想い人が今にでも泣きそうな表情を見て、和まそうとしたのだろう。それでも、静は俯き恥ずかしそうにしながら無理やり絞り出すように声を出していた。
「し・ずか」
「なに?」
「月の明かりが眩しくないか?」
「えっ、あっ痛いくらい眩しいわ」
静は想い人の言葉の意味が分かったのだろう。頬を赤らめながら目を瞑った。その時、雲が月を隠し辺りは暗くなったために唇と唇が重なったのか分からない。だが、二人は目を潤ませながら月を見ている姿を見ると、戦から帰れる日までの思い出ができたのは確かと思えた。それから、何分くらいの時間が過ぎたか、男は静のことが心配なのだろう。
「そろそろ家に送るよ。家で心配しているだろう」
「そう?」
「怒られる姿は見たくないからなぁ。それに、夜の女性一人歩きは物騒だし送るよ」
「そう」
静は心配している気持ちは分かるのだろう。それでも残念そうに俯いていた。そして、男は、静の手を取ると歩き出した。
「ありがとう。おやすみなさい」
静は家の玄関に着くと、男に礼を返してから家の中に入った。その様子を男は見ていたのだが、まだ玄関を見続けていた。その様子は別れを惜しむよりも父親の怒鳴り声が響かないことを祈るようだった。
「おやすみ」
男の周りには誰もいない。それでも呟いたのは心残りを抑えるためだろう。だが、もう一度、二人が会えたのは明後日の夜だった。それほどまで愛しているのに会えない理由があったからだ。静は泉を見るための禊ぎの儀式のため、男は徴兵の手続きだったからだ。そして、泉を見た後のことだった。
「もう来ていたのね」
静は、満面の笑みを浮かべながら男の元に駆け寄ってきた。その表情では男の顔が泉に見えたのか、会える喜びなのか分からなかった。
「うん。家で待ち合わせまで時間が過ぎるのを待つよりも、この場所で、月を見ながらなら待っていられると思ったからだよ」
「そうだったの」
「それで見えたのか?」
「見えたわよ。嬉しくて叫びそうだったわ」
静は興奮のあまりに声が震えていた。
「そうかぁ。俺も明日が楽しみだ。見えるはずだからなぁ」
「うんうん」
「それで、聞き辛いが、他の女性の様子は見えた感じだったか?」
「泣く人が居なかったし、落ち着いていたから、皆も見えたのかもしれないわね」
「そうかぁ。なら徴兵に行く者は死なずに帰ってこられるなぁ。安心したよ」
「そうよね。そうよね。戦争に行く人は無事に帰って来るって意味だしね」
「うん。うん」
男は涙を流していた。その涙の理由は結ばれることなのか、戦から無事に帰れる喜びなのかは、男自身も分からなかった。
「それでね。今日は、泉が見えたお祝いで家に帰れないって言ってきたの。それも、女性だけの祝いよってね。だから、時間は気にしなくていいわよ」
「そうかぁ」
「うんうん」
先ほどの様な言い訳を考えなくても親には分かるはずだ。むしろ、この様な村の状態で家に居るほうが心配するだろう。そして二人は、と言うよりも村の人々は、そろそろ朝日が昇ろうとする時間まで思い出を作っていたはずだ。
「ねえ。考え過ぎと思うけど、私の顔が泉に映らなくても、この場所に来てよ」
「その様なことはないだろう。安心してくれ必ず来るよ」
「うん、分かったわ。安心したし、そろそろ帰りましょう」
「まだいいだろう」
「だって、寝ないで泉に行って、泉を見る時に寝ていて見られなかったから、ごめん。そのように言われるのは嫌よ。でも、禊に行く時間には一緒に行ってあげるわ」
「うん、そうかぁ」
「楽しみしていて」
今度は、前の夜と違って静が男の手を取り歩き出した。それでも、静を先に家に帰してから男は一人で家に帰ったのだ。それから、何時間か睡眠を取った後、約束の通りに静が現れて、二人は途中まで一緒だったのだが、別れることになる。何故と思うだろう。それは、女性と二人で来るのは数えるくらいしか居なかったから男が恥ずかしくなったのだ。だが、それでも何故、男一人で来るのか、その理由は後で静は分かるのだった。その様な複雑な思いなど、明日の結果だけが心に占めているからだろう。簡単な見送りで家に帰っていった。そして、禊が終わり。泉の水を見終わってから待ち合わせの場所で出会う。
「ねね、見えたのでしょう?」
「見えたよ。静の顔がハッキリと見えたよ」
「よかった」
「これで、何の心配なく戦に行けるよ」
「待っているわ。その間、母から料理を教えてもらうわ。だから、戦場の食べ物が不味くても我慢しなさい。戦から帰ってきたら、私が美味しい料理を食べさせてあげるからね」
二人は、この会話の後、将来の話を飽きるまで話し続けた。また、前に会った夜のように朝日が昇る頃まで思い出を作った。そして、五日後に男は戦に行くのだった。
第十五章
村の男たちが戦に行ってから数年が過ぎた。この頃になると片腕や片足が無くなった者が一人、二人と帰ってきたのだった。それだけでなく、静には想像も出来ない知らせが届く。それは、村人の戦死の知らせだ。その度に何故なのと考えるのだ。確かに、戦に行く全ての村の男は、泉に想い人の顔が見えたと言っていたからだ。
「何故なの?」
「何が?」
「だって、裕子は泉に好きな人の顔が見えたって、それなら死ぬはずないはずよ」
静は、親友の想い人が戦死したと、その知らせを聞くと涙が止まらなかったのだ。それなのに、本人は涙一つこぼさないのだ。冷たい女性と言う訳ではない。それは顔の表情に表れていた。その表情には涙が枯れる程まで流した。それも数年も泣き続けた。その様な表情だったのだ。もう気持が落ち着いていたのだろう。それで、自分のことで泣いている静を落ち着かせる気持ちがあったのだ。
「静。あのね。今だから言うけど、私、あの時、泉を見た時ね。二人の男性が見えたのよ。
変だと感じたけど、結ばれる相手と結婚をする人が見えた。そう感じたの。あの時は、誰にも言わなかったわ。でも、分かったの。あの人は戦死するってね」
「えっ」
静は何年も過ぎても想い人が帰ってこない、それでも、静は待ち続けた。その様子を見て、親友は、言葉を掛けようかと迷っていたが、丁度よい機会と思ったのだろう。
「そう言う感じなのよ。だからね」
静は、最後まで聞きたくなった。それで、話を遮り自分の思いを話した。
「でも、私は、一人しか映らなかったわ」
「そう。それなら必ず帰ってくるわね」
静が唇を噛みしめている姿を見て、何も言う事はできなかった。それでも、好きな人の想いがあるのなら変な考えはしないだろうと感じた。
「そうでしょう」
「それでね。たぶん、一月くらい過ぎたら、また、見合の話が来ると思うの。私、今日の知らせは来ないと信じていたわ。でも、知らせが来てしまった。だから、今度の見合いの相手は、泉で見た人だと思うの。私、その人と結婚するわ」
「そうなの」
「私、今日の日が来るまで、嘘だと信じていたけど、でもね。毎日のように泣いていたわ。だから、もう、泣かないように決めたの。だって、身体が無くなっても霊として帰って来るような気がするわ。その時、泣いていたら心配するわ。だから、心配させないように笑っていようと思うの。安心させてあげたいの」
「そう、うん、わかった。結婚式の時は必ず行くわ」
「ありがとう」
静は、約束の通り親友の結婚式に行って祝福した。その時に笑顔を浮かべたからだろう。親友にも他の友達にも他の人との結婚を勧められたが断った。泉を信じると言ったのだ。
それから、また、一年、三年と経った時、その頃には何の連絡がないのは、静の想い人だけだった。その様な理由で、親にも友達にも他の人との結婚を勧められたのだ。静も半分は諦めていたのだろう。それでも、半分の想いがあったからだろう。
「私、もう一度だけ泉を見てくる。それで、他の人が見えたら結婚するわ」
「そうだな、それがいいだろうな」
親にも許してもらい。もう一度だけ見るのだった。
「お父さん。お母さん。私見えたの。顔に傷があって直ぐには分からなかったけど、あの人だったわ。村に向かっている様子まで見えたの。一度だけ行った町だったわ。もう少しで帰ってくるわ。後、もう少しで会えるわ」
そして、静の話の通り、二月後に静の想い人は帰ってきた。そして、静は三人の子供も出来て幸せに暮らしました。
二人は、殆ど同じように本を閉じた。それから、記憶に残る場面を語り合い。それは、本の最後まで同じだと分かったのだ。その頃になると、二人の女性も風呂から上がり、異国の服も全て着たのだろう。そして、異国の服を着て異国にいる雰囲気を味わう夢心地もさめたのだろうか、それとも食欲だろうか、新と昌がいる部屋に入ってきた。
「食事は、いつ頃って言っていたの?」
やっぱり食欲だったようだ。明菜が大声を上げながら入ってきた。その気持ちは雪も同じだと思うが、二人が手にしている本に興味を感じたのだろう。
「その本って、女将が言っていた。「運命の相手を映す泉」の本よね。もう読み終えたの?」
「そうなのね。ああ、なら詳しい話を教えて、泉を使用する注意とかあるの?」
二人の女性に言われて本の内容を話して聞かせた。全てを話し終えると興奮を表した。
「これって、祖母が話してくれた。原本なの?」
「分からないわ。そんなことよりも、泉に相手が映れば何だっていいでしょう」
「そうね」
今直ぐでも見に行きたいと叫ぶような声を上げた。
「行ってもいいが、食事を食べてからにしないか?」
「ひっ」
二人の女性の声が悲鳴とでも思ったのだろうか、天猫が部屋に入ってきた。その姿を見て、昌は恐怖の表情を表していた。
「お前も、腹が空いたか」
「にゃ」
天猫は猫のまま通すようだ。
「ねぇ。新、何時になるか聞いてきてよ。もう我慢の限界なの」
明菜はお腹を押さえながら声の高さもだんだんと低くなっていった。
「仕方がないなぁ」
言葉では嫌がっているが、自分でも空腹なのだろうか、それとも、運命の相手を映す泉に興味があるために、早く泉の場所に行きたいのだろう。そうとしか思えなかった。
「あっ」
新は、扉を開けると、女将が座っていたのだ。
「お客さん、食事の用意は女性の部屋に用意を致しました」
「なっ、なんで座っている。一言だけでも声を掛けてくれよ」
「でも、お客さん。一つの部屋に男性と女性が一緒の場合は扉を開ける方も勇気が要りますし、言葉を掛けろと言われても良い雰囲気の場合も迷惑になるのでは、そう思いました」
「いや、それで扉の前で座っていられるのも怖いのですがねぇ」
「まあ、お客さん。食事は部屋に置いておきましたので食べてください。ご飯とみそ汁でしたらお替わりがありますので言ってください。それでは、私の用事は終わりましたので御用がある時は下の管理人室までよろしくお願いします」
「あっ」
新は、一気に話す女将の内容が半分もわからず返事に困った。
「ああ、布団の用意でしたら運命の相手を映す泉に行くのですよね。その後、泊まりたいと思うのでしたら用意を致しますので言ってください。それでは、失礼します」
女将の普通と違う態度は、開店当時からの客の態度にあったのだ。女将が完璧な接客をしても、どんなに心底から愛していると見える男女でも、運命の相手を映す泉を見た後は、泊まらず帰ってしまうからだ。それだけなら女将も完璧な接客をするだろうが、運命の相手が映らないのを女将が悪いと癇癪を起す人が多かったからだ。それでも、旅館を閉店させない為に呼び込みをしなければならなかった。だが、女将は結果を知っているのだった。開店当時から誰一人として運命の相手を映す泉に相手が映ったと喜ばれたことがなかった。なら、偽物と思うだろうが違っていた。確かに相手は映るのだが一緒に見に来た相手ではなかったのだ。
「泊まるわよね。その為に来たのに何を言っているのかしらね」
「その様なことを考えるよりも夕食を食べましょう。冷めてしまうわ」
雪は他人事のような冷めた話し方は、赤い感覚器官が昌だと教えているからだろう。
「そうだな」
「猫に、猫に先にご飯を上げてください」
今も恐怖で震え続けている昌だが、部屋から出てって欲しいのだろう。死ぬ気で声を絞り出しているようだった。
「そうだな。何年も食事も食べないで寝ていたのだろう。先に食べさすか」
テーブルの上に用意されてある料理から適当に取り出して皿に盛り付けていたが・・。
「ねぇ、新。それって猫が食べるのかしら?」
骨付きの鶏肉を皿に盛りつけようとしていた。
「うるせえなぁ、ならお前が盛り付けろよ」
「仕方がないわね」
新は、明菜に押し付けると真っ先に食事を口に掻っ込んでいだ。二人の女性は獣の様な食べる姿を見て愚痴を呟くのが忙しいのだろうか、完全に天猫の食事を忘れていた。その隣では天猫が早く食べ物をよこせとでも言っているのだろうか、猫の鳴き声のままだが腕を伸ばして指示らしき態度を表していた。そして、やっと、二人に気が付いてもらい盛り付けてくれる物を食べているが、まるで、その様子は芸をして餌を与えられている動物にしか見えなかった。
「面白いわね。これも食べる?」
「キャー可愛いわね。これも食べる?」
自分が食べるのも忘れるほどに天猫を玩具として遊んでいた。それでも、空腹を感じてきたのか、遊びにも飽きた頃だ。天猫は皿をがりがりと引っ掻いてお替りは必要ないと伝えた。それから、眠そうにふらふらと歩くと、女性の部屋に入って寝てしまった。
「さあ、雪。私たちも食べるわよ」
「ごちそうね」
「あれ、昌。まだ食べていなかったの?」
「これから食べるよ」
「ねぇ、昌。ちょっと聞くけど、天ちゃんと一緒に旅を始めてから変よ。どうしたのよ?」
三人が食べ始める頃には、新は満腹になったからだろうか、旅の疲れだろう。横になっていた。会話に入らないのだから寝ているのだろう。
「前から猫が嫌いだったっけ?」
「・・・・・」
「違うはずよ。子供の頃に捨て猫を拾ってきてね。佐久間さんに飼いたいって相談しているのを見たわ。だから嫌いではないはずよ」
「そうなの」
「あいつは猫でない。獣だよ」
「まあ、人の言葉を話すのだから猫ではないわね」
「そう言うことではない。俺達を保存食料と思っているはずだ」
昌の話しが終えると、二人の女性は爆笑した。
「何を言っているのよ」
「そんな馬鹿なこと言ってないで早く食べてよ。泉を見に行くのだからね」
「うん」
「新も話は聞いているのでしょう。食べたら行くからね。分かったの?」
「うう、うんうん」
新は眠そうに答えた。その言葉で二人の女性は食事を再開した。もしかすると二人の男を警護人とでも思っているのだろうか、それで、安心したのか、二人の男や泉のことを忘れていると思うくらいに食事の話題しか出てこない。その話題も十五分くらいは話し続けた頃だった。なぜか突然、明菜が手を叩いたのだ。
「御馳走さまって挨拶よ」
「えっなぜ?」
「だって、雪。もう食事は食べないし、私の話よりも泉に早く行きたいって顔に表れているわよ。だから、もう食べないわ。泉に行きましょう。その合図よ」
「明菜の、ば・か」
「さあ行くわよ。新、早く起きなさい。昌も浴衣のまま行くのでないでしょう。早く準備をしなさい。雪も外は寒いかもしれないわ。上に何か着なさい」
明菜が手を叩いた後は、戦場の伍長のように指示をするのだった。始めの指示は、新が起きるまで蹴り続ける。昌には衣服を投げ与え。最後の雪には優しく服を肩にかけた。
「明菜、ありがとう」
「いいの。さあ、泉を見に行くわよ」
階段を下りる途中で女将にあった。階段下の部屋まで出発の準備という騒ぎ声が響いたのだろう。そして、泉に映らなかった訳を言い合って、男女のもつれに発展した。そんな騒ぎと感じたのだろう。
「お客様、どうしました?」
(はっぁ、また、食事代だけね。それにしても、凄い騒ぎだったから落ち着かせないと、殺人まで発展されては困るわ)
「やだ、下まで響きましたのね。ごめんなさい」
「まあ、泉に運命の相手が違う人でも友情は大切と思いますわ。それとですね。もし、別々に帰りたいのなら替りの馬車を御用意できますわよ?」
「女将さん。私たち、これから見に行くのです。でも、見てからも泊まりますので安心してください。それと、床の用意をしておいてくださいね。結果しだいでは直ぐ寝たいの」
「まあまあ、そうですのねぇ。本当にごめんなさい。あっ、もしもです。仮にですが相手が泉に映らなくても変な考えだけはしない方がいいと思いますわ。遊びと思って軽い気持ちで見てください。それとも、誰かお供でもつけましょうか?」
「えっ」
「ああ、ごめんなさい。失礼なことを言ってしまったわ。それでは失礼をした。その、お詫びとして地酒のお酒をサービスしますので楽しみしていてくださいね」
(泉を見に行くだけで、あの騒ぎでは、泉を見たら、この人たち殺し合いかねないわ)
「はい」
四人の男女は不審を感じた。女将が真っ青な顔で顔を引き攣らせているからだ。
「女将さん。分からない場所にあるのですか、それとも、危険な場所ですのぉ?」
「ごめんなさいね。違うのよ。ほら、男の人って月夜の晩には狼になるって言うでしょう」
「そうなの?」
明菜と雪は、女将の話を聞き、二人の男に冷たい視線を向けた。
「まさか、そんなことはないです。ないない」
「女将さんも変な冗談を言わないでくださいよ」
「本当にごめんなさいね。お酒を用意しておきますので楽しみしていてくださいね」
そして、女将は逃げるよう調理室に駆け込んだ。
「あなた。もう今度は駄目かもしれないわ」
「やっぱり見えなかったのか?」
「違うの、まだなの。これから見に行くそうよ」
「それなのに、あの騒ぎなのか」
「それで、私、怖くて、怖くてね。お酒をサービスするって言いましたの」
「それは、良い考えだ。火を吐きそうな度数の高い酒を飲ませて寝かせよう」
「そうね。それがいいわね。一口で寝てもらいましょう」
この会話は、四人の男女には聞こえなかった。もし聞こえていたら泉を見ないで逃げ出しただろう。この企みを知らない四人の男女は興奮を表しながら玄関から出て行った。それも、心底から相手が誰かと分かっている様に期待していた。まあ、昌と雪は、赤い感覚器官があるのだから見える相手は一人しか考えられないのだろう。
第十六章
四人の男女は、旧華族の庭園の様な旅館の庭を抜けて玄関の扉を開けようとしていた。はやらない旅館だろうが、近くに運命の相手を映す泉がなければ古風な旅館として繁盛しただろう。それ程に、素晴らしい建物であり庭だった。それなら、最低でも庭だけは記憶に残るだろう。そう思うはずだが、建物に入る時も、出る時も心の中にある思いだけが一杯で、景色などに視線が向かなかったのだ。それなのに、扉を開けると驚きの表情を浮かべたのだ。なら、何に驚いたのか、それは・・・・・・。
「おお、この都市では有名なのだな」
「そう見たいね。でも、新が今驚いたのは女性の胸の大きさに思えたけどね」
男女が団体で歩いているのではない。一人一人が上り下りしているのだ。上る物は希望が一杯の幸せの笑みを浮かべる。だが、下りてくる者は生きる希望がなくなったかのような失望を表しているのだった。
「明菜、それは考えすぎだよ」
「そうなの?」
「そうだって、なら行こうかぁ」
新の言葉で四人は上に歩き始めた。この時、また、赤い感覚器官が・・・・・・。
(ほほう)
(また、変な考えを思いついたのか?)
(雪は美人だ。生きる希望がなくした者も雪を見て、連れ合いなら嬉しいと泉に戻る男が多いぞ。まあ、女性も昌を見て同じ考えをする者もいるがなぁ。それでだ。今度は嫉妬を利用する作戦にしようかと考えた。昌は自信がなく常に俯いているから顔が見えない。だが、顔だけなら色男の部類だろう)
(まさか、嫉妬をさせて雪に告白させる考えでないだろうな)
(違う、昌に自信を持たせ、そして、雪が絶世の美人だと分からせるのだよ。早く告白しなければ他の男性に取られると思わせる考えだ)
(俺は手伝わないぞ)
(大丈夫だ)
この会話は、四人の男女にも周りの人々にも聞こない。二人は人でなく昌、雪の感覚器官なのだが、普通は自我があるはずない。それには訳があった。限度を超えた軟弱な昌は、赤い感覚器官が様々な告白の仕方の指示などをしても出来なかったのだ。正しくて予定されていた時の流れでは、告白を終え、二人の甘い時間の流れのはずだったのだ。そして、二人に嫉妬する者、喜ぶ者、感謝する人、夢に生きる者。と様々な時の流れの中心の原因になるべき立場だったのだが、二人は友人から恋人に発展しなかった。その為に神の意志か時の流れの自動修正のためだろうか、赤い感覚器官が自我を表したのだった。
「ねね、新」
「なんだ?」
囁くように明菜は新に問いかけた。
「泉に見に行く人だと思うけど、皆・・一人みたいよ。四人で行っても大丈夫なのかな?」
「大丈夫でしょう。駄目なら女将が言うはずと思うぞ」
「やっぱり一人で行くのが決まりのように思う」
昌も明菜と同じ考えだったのだろう。誰も何も言わないから沈黙していたようだった。
「なんでだ?」
「凄い複数の視線を感じる」
「わたしも、暑苦しいく、重い視線を感じるわよ」
晶と明菜は、首を動かせば視線の人たちに気が付かれると思い。目線だけで視線の先を示そうとした。
「美人は大変だなぁ。まあ、気にしないで泉に行こう」
新は、返事の答えなのか、違うのか、分からない事を呟くと先頭を歩き始めた。もしかすると、三人を守ろうとしての行動とも取れた。確かに、生きる希望をなくした男女が俯いてくるのだ。晶、雪と衝突する直前に気が付かれるよりも、新が先頭に歩くことで衝突の危険がないのだから安全だろう。
「ねえ、新」
「今度は明菜かぁ。何だ?」
「泉を見る前に、儀式と言うか、お供え物とか必要かなって?」
「なぜ?」
「だって、泉の神様にお願いして見せてもらうと思うから・・・私・・・・どうしても運命の相手を確認したいからよ」
明菜は、声を出すにつれて恥ずかしくなってきたのだろう。最後の言葉はほとんど聞き取れなかった。
「大丈夫だと思うぞ。誰も手ぶらだしなぁ。それに、儀式をしなくても心底から泉を信じて、神がいると思って真剣に感謝を込めれば大丈夫だと思うぞ」
「そうよね」
「もし、心配なら・・・・そうだな、神様の前って言うか、敷地内の礼儀としてお喋りは駄目かと思う。良くあるだろう」
「うん」
新の言葉で口を開けることも止めた。それから四人の表情は都市の人々と同じ表情を表していた。恐らく、泉を見るまで好きな人が映るようにと祈っているのだろう。それから、泉の前まで数十分は過ぎただろう。直ぐに泉を探せるとか感じていたのだろうが、その心配はなかった。泉の周りの岸では人がぎっしりと泉を覗いていたのだった。その光景を見て驚きの声を上げそうになったが言葉を飲み込んだ。打ち合わせはしてないが、四人が座れる場所が開くまで、その場で待つことにした。それから、やっと場所が開き、泉を覗いた時だった。
(見えないわね。呪文でも言うのかな、それに、これ程まで湖面が揺れていても映るの?)
四人は、同じ思いを心の中で呟いた。それからだった。囁きのような声だったが、時間が過ぎるにしたがい声が大きくなり、四人以外の全てと思える声が辺りに響いた。
「あの四人の男女が悪いのよ」
「泉の神を怒らせたのね」
「今まで湖面が揺れるなんて始めてよ」
「もしかして、最大の禁忌を犯した?」
「それしかないわ。結婚しているのに、別の人と再婚ができるか尋ねたのよ」
「いや、旦那の浮気の相手を知りたくて、それを尋ねたのよ」
泉の岸にいる全ての者が立ち上がり、鋭い視線を四人に向けた。
「私たちが原因なの。何か禁忌でも犯したの?」
「そう思われているみたいね」
「言い訳を聞くような状態ではない。危険だ。直ぐにでも、この場から離れよう」
「うん」
新の言葉で、三人は頷いた。
「待て」
「えっ」
「一人ずつ、皆と同じように走らずに俯きながら歩いて離れよう。それだけでなく、他人のように生きる希望が無くなったかのようになぁ」
明菜が先に歩きだした。その後に、雪、新、昌と続いた。立ち上がった人たちは、明菜の演技とは思えない態度だったために、他の誰が原因なのかと探しているようだった。その様子は当然だろう。運命の相手が映らなくて心底から消沈していたのだったからだ。
それなら、雪も同じだろう。そう思うだろうが、雪と昌には赤い感覚器官がある。泉に映っても映らなくても同じ結果だからだ。
「ここまで来れば大丈夫だろう。もう、演技はいいぞ」
「新、私たちが原因なのかな?」
「明菜や新は関係ないわ」
「私や昌が居たからよ。私たちには赤い感覚器官があるでしょう。もしもよ。泉に運命の相手が映って理想と違う相手だったとして結ばれたくない。旅もしたくない。その様な感情を思わせないために、赤い感覚器官の力が映さないようにしたのよ」
「そう、もういいのよ」
「本心よ。明菜、新の二人だけで行けば映るはずだわ」
「慰めようとしてくれるのね。ありがとう。本当に嬉しいわ」
「その証拠の様に、騒ぐ声が聞こえないわ」
「違うわ。映るように真剣に祈っているのよ。それに、また、見に行く勇気は無いわ。映らなかったら嫌だし、映ってもデブで、不細工な男性だったら嫌だしね。だから、いいの」
「そう」
「なら、旅館に行って酒でも飲みながら明日の予定でも考えようかぁ。それに、まだ、この都市には、獅子の像があるぞ。夢が叶う象があるだろう」
「そうだったわ。獅子の像があったのよ」
「そうね。でも、運命の相手のことは祈らないことにするわ。また、泉と同じことになるのが嫌だわ。ねえ、だから、明菜、私も行ってもいいわよね」
「雪が原因ではないわ。好きなことを祈ればいいのよ。今度は夢が叶う象なのだからね」
「ありがとう」
(でも、他のことを祈るわ。安心してね。明菜)
新と昌は、二人の女性の話を無言で聞いていた。一言でも声に出したら、二人の友情が修復されないと思っていたのだ。
「新、昌。どうしたの?」
「もう気分は晴れたのか?」
「うん。昌も心配してくれたの?」
「そうだよ」
(雪さんの赤い感覚器官の指示は、私だと知らせていないのですか?)
昌の場合は、正しく言えば、明菜を心配していたが、一番に思っていたのは、雪の考えに悩んでいた。赤い感覚器官を信じないのかと、それに、運命の相手は自分でないのかと、悩んでいたのだった。
「それじゃ、心配してくれた。そのお礼として、二人の美女がお酌してあげるわ」
「そうね。そうしましょう」
「雪さん。本当なの?」
「そうよ。でも、そんなに嬉しいの?」
「当然だよ」
四人は話ながら旅館に向かった。四人はある事に気が付いていない。それは、もしかすると泉から旅館と言うべきか、馬車の置場と言うべきだろうか、その道の長さは考えて作られていると感じられたのだ。それは、四人が旅館に着く頃になると笑みを浮かべていたからだ。他の人も同じような頃合いで、何かに吹っ切れた様な表情と言うか、何かを心に決めた。その様な表情を浮かべたからだ。本人たちは気が付いていないだろう。もしもだが、何も関係ない人が調べるか、馬車の置き場で下りて来る人を見た場合は、心に新たな出会いの決心ができた。それが出来る決められた距離だと納得するはずだろう。
「あっ、お帰りなさい」
(あら、笑みを浮かべて帰って来るなんて初めてよ。想い人が映ったのね)
「おっ女将さん。どうしたのです?」
四人は満面の笑みを浮かべながら扉を開けた。すると、扉の直ぐの所で女将が立っていたのだった。
「驚かせてごめんね。あなた達が心配だったの。本当にごめんなさいね」
女将は最高の接客の表情を浮かべていたが、その表情とは違う事を思っていた。
(本当に心配したわよ。泉を見に行く前から騒がれたのは初めてだったからね。もしも酷い状態だったら逃げるつもりだったわ。八つ当たりで殺されたくないからね)
「本気で心配してくれたのですね。帰りも必ず泊まりにきますわ」
四人は同じ気持ちだったが、雪だけは涙を流すほどまで信じてしまった。
「そうそう、約束の地酒は部屋に用意して置きましたので味わってください」
「ありがとう。味わって頂きますわ」
新が代表のように返事を返した。
「あっ、そうそう、言い忘れていました。この地方の飲み方は、グラスに注いて一気に飲むのが作法ですよ」
「そうする。立ち話で体も冷えてきたし、部屋に戻って酒を頂くことにするよ」
「あっああ、そうですね。すみませんでした。ゆっくり寛いでくださいね」
女将は、先に四人を建物の中に進ませるために一歩だけだが下がり、先に歩かせた。その後は、女将が居ないかのように、四人だけの会話をしながら建物の中に入った。
「キャー」
「明菜、何があった?」
新が階段をかけ上がり、明菜の隣に立った。
「可愛い菓子があったの。それと、お酒も」
「そうかぁ。なら、座ろうかぁ」
「それでは、約束の通りにお酌するわね」
四人の男女は席に着き、男性はグラスを、女性は酒びんを両手で持ち上げた。明菜は新のグラスに酒を注ぎ、雪は昌のグラスに注いだ。そして、男性は感謝の笑みを浮かべた後、グラスを置いた。
「今度は、俺達が酒を注ぐからグラスを持ってくれないか」
「はい」
二人の女性は、グラスを手に持ち注がれるのを待った。そして、注がれた後・・・・。
「それでは、明日の獅子の像に気に入られることを願って、乾杯だぁ」
四人は、女将の言われる通りに、一気にクラスの中身を飲み込んだ。そして、可なりの度数の高いアルコールを飲んだのだから当然の結果だろう。寝てしまったと言うよりもショックのために気絶してしまった。勿論、当然だが女将の計画の通り。四人の男女は朝まで起きることはなかった。
第十七章
四人の男女が呻き声を上げていた。一つの部屋に男女がいるのだ。何かの催しなのかと思われるだろう。だが、豪華な食事も催しに合う様な飲み物もない。テーブルの上には食べた様子もない菓子がある。なぜ、それが分かるのか思われるだろうが、規則正しく並べられた洋菓子が並べてあるからだ。もしもだが、食べられたのなら少しくらい並べられた位置が移動してもよいはずだからだった。もう一つ変な事があった。ある人は、グラスを手に持ったままテーブルに俯いている者や喉を手で押さえている者もいた。他の二人もグラスを手に持ったままうつ伏せのまま寝ている様だった。この様な部屋の状態で判断するのなら毒物を飲まされて死んでしまうのか、その様にしか考えらない状態なのだ。
「頭が痛い。なぜだ?」
一人の男性が起きだした。そして、目を開けて直ぐに室内を見た。
「ゆき~大丈夫か?」
直ぐに動いて状態を確かめたかったのだが、声だけは出るが体が思うように動かない。そして、自分が出した声で頭痛が酷くなった。三人の男女も同じ状態だった。
「昌、大声は止めろ。頭に響く」
「昌さん。心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから大声は上げないでね」
「馬鹿、大声を上げるから頭に響くでしょう」
「お前の声も響くぞ。それにしても凄い度数のアルコールだったなぁ」
「そうね。私、死ぬかと思ったわ」
三人の男女は、この状態になった原因に気が付いたらしい。それでも、起きる事も声を出す力もなかったのだろう。だが、最後に目覚めた男は、同じ状態なのに起き上がりかけて、言葉まで出せたのだ。自分の命よりも助けたいと思う気持ちだったのか、それとも、四人の男女の中では酒に強い体なのだろうか、その両方なのかはわからない。だが・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・」
「昌、どうした。大声でなければ話をしてもいいのだぞ」
「あ・た・ま・が痛い」
昌は、先ほどとは違って囁き程度の声だった。
「え、何だって?」
「新、痛いって言ったと思う。その様なことはいいの。お願いだから少し大人しくして寝ていましょう。話するのも聞くのも嫌なの」
「・・・・・・」
「分かってくれたのね」
三人の男女は、明菜に無言で返事を返した。そして、四人の男女は、女将が様子を見るために、朝食の用意など出来ていないのだが、朝食が出来ました。と扉を叩く音が耳に入らない程に熟睡して正午まで寝ていた。
「お客様。昼食の用意は出来ました。その時で宜しいのですが、正午を過ぎましたので延長するのでしたら昨日の分を払って欲しいのです」
「・・・・・・・」
女将は返事が返らず。また、扉を叩いた。
「お客様、起きていらっしゃいますか?」
「はい、聞こえています。身体の調子が悪くて起きられないのです。今直ぐの用事でしたら部屋の中に入って来てください」
「そうだったのですか、昼食の用意が出来たのでお知らせに来ただけです」
「ああ、今直ぐには食べられそうにないです」
「それでしたら、必ず誰かは、食道室に居ますので、何か食べたい場合は言ってください。作るように指示を伝えておきます。それでは、ごゆっくりお休みください」
「・・・・・」
(昌、昌よ。起きろ。雪と結ばれたいのならば水を用意するのだ)
昌の赤い感覚器官が指示を与えようとしていた。
「水?」
(そうだ。まあ、最適の飲み物は、雪が好きな冷たい紅茶なのだが、今回は、良いだろう。水を用意するのだ。それも、至急だぞ)
「水、水が飲みたいわ」
(雪が起きてしまう。昌、立ち上がれ至急に用意するのだ)
(お前は赤い感覚器官なのだな。分かった。雪のためであり。時の修正なら仕方ないな)
昌は心の中で行動することを決めて、即座に立ち上がろうとした。だが、頭の頭痛から始まり平衡感覚がなく、自分の足とは思えないほど自由に動いてくれない。
(俺は、これで死ぬのか、だが、一瞬でも良い。雪の笑みが見たい。そのためなら~)
昌は、始めた酒を飲んだのだ。それに、酒を飲んだ後の症状も見たことも、聞いたこともなかった。それで、今の症状は病気と思っていたし、生きられる時間も限られている。その様に思っていたのだ。普通なら親と生活していれば親が酒を飲むか、知人が飲む姿や話題などで症状はわかるのだが、子供だけの生活で知ることは出来なかったのだ。
(駄目だ。歩けない。蛇の様に這うしかないか、雪のためなら~)
この姿を見る視線があった。それは、天猫だった。
「何の音かと思ったら馬鹿が這っていたか、それにしても、我を殺気で驚かすほどの者だったのか、もしかすると我の主以上の力があるかもしれない。まあ、危険はないみたいだ。また、寝るとするか、女性たちが起きなければ食事も食べられないのだ。寝るしかない」
天猫は、不審な音と鋭い殺気を感じて、扉を少し開いて様子を見ていた。
「もう少しで階段を下りられる。そしたら直ぐだ」
そして、階段を下り終わると、まあ、当然だろう。不審な音は女将の部屋まで響いていたのだった。それで、様子を見て判断はできた。酒の飲みすぎで立てないのだろう。それでも、何をしているのか想像できない。もしもだがトイレだったら無視しているのがよいだろうと思っていた。それでも、見続けたのは吐き気の場合は容器を差し出すと考えていたからだ。すると、食堂に向かっているので声をかけた。
「お客さん。何をしているのです?」
「水を下さい」
「はい。水ですね」
「あっ」
「何でしょう?」
「出来れば、冷たい紅茶がよいのですが、頂けますか?」
「宜しいですよ。少々お待ちくださいね」
女将が食堂に向かうと、昌は立ち上がろうとしていた。それも、何度も何度も、まるで、生まれて直ぐの動物が母の乳を飲むため生きて行くのに必要なほどの真剣な気持ちだった。それでも、女将が冷たい紅茶を持ってくる頃には立ち上がって食堂に視線を向けていた。
「あっ、お持ちしました。どうぞ」
女将は部屋まで持っていこうとしたのだが、昌が立っていて手を差し出したので、そのまま手渡した。すると昌は、相当な重量が有るかのように苦しい表情を浮かべ頷いた。
「ありがとう」
立っているのがやっとなのに荷物を持つことなり、ますます平衡感覚が狂う。階段を一歩上がるために右足をあげて踏みしめると、力が込められなくて右に体ごとよろよろと動く。それは左足でも同じだった。その行動を何度も繰り返して、やっと部屋の前まで来た。
「雪さん。冷たい紅茶を持ってきました」
もう昌は、死ぬ気で動いていたのだが、テーブルにポットを置くと力尽きたように倒れて直ぐに、驚きの声が耳に届いた。
「お客様、二日酔いだと思い薬を用意しました。それと、失礼と思いますが気持が悪くなった場合は、この容器を使用してください」
と、後ろから女将の声が聞こえてきたのだった。そして・・・・・・・。
(俺は、何のために死ぬ気で持ってきたのだろう)
「お客様、私がお持ちしようと言うよりも薬の用意が先と思ったのです」
昌は心の中で呟いた。だが、この経験をしたことで、これから先の旅の途中で危機から脱出できる。そんな感覚を感じたのだから良い経験だと思うことになるのだった。
(まあ、本心は言えないわよ。吐かれたら困るから容器を探していたなんてね)
「ありがとう」
昌は納得ができない。その様な表情を表わしながら礼だけは返した。
その言葉が響き終わると、四人が居る部屋は、また無言になり三十分くらい過ぎた頃に、また、うめき声が響いた。
「水、水・・・・が飲みたい」
「雪、飲み物を持ってきたぞ。それも、冷たい紅茶だよ」
昌は動きたくないほどの酔いを感じているが、雪を安心させようと痩せ我慢していた。
「ありがとう」
「起きられそう?」
「うん。でも、頭が痛い。それに気持ち悪いわ」
「薬もあるよ。先に薬を飲んでから冷たい紅茶を飲んだらいいよ」
昌はポットからコップに紅茶を注いだ。それから、薬を見せた。
「そうね」
「大丈夫。起きて薬が飲めそうかな?」
好きな紅茶が飲める。それで少し気持ちが良くなったのだろう。嬉しそうに笑みを浮かべて、頷くと、起き上がって薬を飲んだ。
「楽になるはずだよ。紅茶もあるよ」
「ありがとう。あっ・・・・もう」
新と明菜が、二人の様子を見ていたのを、今、気が付き恥ずかしそうに俯いた。
「新、明菜、起きていたのだね」
「女将の声が大きくてね」
二人は、同時に同じ返事を返した。
「その様子なら気持ち悪いのは落ち着いたようだね。でも薬は飲んだ方がいいよ」
「今日の昌は、よく話をするね。何か良いことでもあったの?」
「それとも、猫が居ないからかな。なぁ、昌、そんなに猫が怖いのか?」
「・・・・・」
「俺たちが寝ている間に良いことがあったと思うことにするよ」
「そうなの。教えて、なに、なに?」
「ニャー」
明菜は心の底から興奮を抑えられない様子で問いかけた。その時だった。天猫が部屋に現われた。恐らく、四人の話し声が聞こえたから食事が食べられると思ったのだろう。
「ヒッ」
昌は、怯えるように部屋の隅に逃げた。
「何があったか知りたかったなぁ」
「そうね。でも、雪は聞いたのだろう。俺たちより早く目が覚めていたらしいし」
「いいえ。起きたのは、新たちと変わらないわよ」
「それは後の楽しみとしても、今日も泊まらないと駄目ね」
「明菜。それは助かるよ。今の体調では無理かと思っていたからなぁ」
「それなら良かったわ。昼過ぎまで寝ていたでしょう。だから獅子の像に行くのは無理かと思っていたから嬉しいわ」
「一緒に行こう。だが、もう少し寝ていたい。そして、食事を食べてからにしないかぁ」
「そうねぇ。まだ気持ち悪いし、寝てからにしましょう」
「天猫さん。ごめんね。起きてから一緒に食べましょう」
二人の女性は本当の自分たちの部屋に向かった。天猫も二人の後を付いていくが不満なのだろう。無言のままだった。それから、二時間後、四人は熟睡していた。だが・・・・。
(昌、起きろ)
赤い感覚器官が指示を告げていた。
「うっううう」
(空腹を感じているのだろう。他の三人も同じだぞ。それで、今起きて女将に食事の用意を伝えて、雪が起きると同時に食事の用意が出来ていれば、昌の株が上がるのは当然だろう。だから起きるのだ。まだ眠いだろう。まだ気持ちが悪いだろうが、起きて告げるのだ)
「雪が喜ぶのか?」
(そうだ)
「わかった」
昌は、赤い感覚器官の指示に従うことに決めると、頭痛と身体を動かすのにも苦痛を感じるが我慢して起き上がった。そして、ふらつきながら階段を下りた。下りる間に不審な音が響いたのだろう。下りると直ぐに女将が声をかけてきた。
「お客様。どうしました?」
「食事の用意をして欲しいのです」
「はい、招致しました。それでですが、夕飯には早い時間ですが、夕飯の献立として用意して宜しいのでしょうか?」
「その意味が分からないのです」
「簡単に言いますと、夕食の料理は、朝、昼、晩の中では一番豪華な食事なのです」
「なら、一番豪華な食事を用意してください。女将の用意した薬を飲んだので体調が良くなりました。それに、私もですが、他の三人も昨夜から何も食べていませんので喜ぶはずです。それと、なるべく早くして欲しいのと、部屋で食べたいのですが大丈夫でしょうか?」
「大丈夫ですわ。一時間後くらいで用意ができますので部屋でお待ちください」
「はい」
そして、また、自分の身体とは思えない苦しそうに階段を上がって行き、部屋に入った。
「おはよう」
「おう、どこに行っていた?」
「早いのですね。紅茶と薬を飲みましたわよ。そのお陰で大分よくなりましたわ」
三人は、それぞれの挨拶をしたが、起きた時に居ないので不信を感じていた。
「女将に食事の用意を頼んできただけだよ。夕飯用の食事を用意するって一時間くらいで部屋に持ってくるって言われたよ。それで、三食の内で夕食が一番豪華らしいよ」
「おお、それは、楽しみだなぁ」
「うぁあああ楽しみですね」
「それ、本当なの?」
「間違いないと思う。一時間くらいなら話でもしていたら直ぐだよ」
「そうね。それなら、食事が来るまで予定を決めておきましょう」
「そうだな」
「勿論、当然だと思うけど、四人で獅子の像に行くのよね」
他の三人に言っているようだが、目線では昌に向けていた。これで二度の不審と思える行動だったからだ。それで、昌だけは一人だけの行動がしたい。そう言うと思ったのだろう。だが、逆に、三人から不思議そうに見つめられてしまった。
「明菜、一人で行きたいのか、それとも女性だけで行きたい所があるのなら構わないぞ」
「いいえ」
「そうかぁ」
「ねね、獅子の像の正しいお参りの仕方ってあるのかな?」
雪は、今の雰囲気を変えようと、四人の一番の関心事を話題に上げた。
「それなら、女将が食事を持ってきた時でも聞いてみよう」
「そうよね。それがいいわね」
「他に行きたい場所があるか?」
新が二人の女性に問いかけた。
「そうね。都市の全てを見るって無理だろうけど、服や可愛い小物など見たいわね」
「わああ、私も見たい。首都だから最新の物があるはずよね」
二人の女性は興奮を表しながら次々と話題を上げたが尽きることはなかった。
第十八章
運命の相手を映す泉がある。一番近い場所の旅館の一室で、四人の男女が興奮を隠せないほどの会話を楽しんでいた。正確に言うのなら二人の女性が話し続けていたのだ。その会話の響きは階段の下まで響いていたのだ。それは、四人は知らない。そして、四人が知らない所でも様々な事が話題にされていた。
「凄い響きだな。暴れたりしないだろうか?」
「それは大丈夫よ。昨夜と今日で騒ぐだけなのが分かったのよ。だから安心して」
「泉に行ったのだろう。四人は映ったのだろうか?」
女将の旦那でもある。料理長の心配は、様々な客を見ていたからだ。泉に他の女性が映ったから付き合いは終わりだと言われる者もいた。それだけなら問題はないだろうが、好きな男と結ばれないと分かると、自殺を考える者が多かったからだ。
「分からないわ。それよりも、何年かぶりのお泊りしてくれる客なのです。最高の豪華な食事にしたいわ。四人の味覚、聴覚の全ての記憶が残るほどの食事です。旅の帰りも泊まるって言ってくれましたし、旅の途中で話題にしてくれたら宣伝にもなりますわ」
「わかった。私が出来る最高の料理を作るぞ」
「それに、豪華な料理を出せば料金を高く言う事も出来るから、普通よりもふっかけて沢山のお金を頂くわ」
「そうできるのか?」
「大丈夫ですわ。だから料理には手を抜かないでね」
「安心しろ」
「ふっふふ」
「ぐへへへ」
二人の男女は毒殺でも考えているかのような笑みを浮かべながら上に視線を向けた。その方向は二階の四人が泊っている部屋だった。だが、他にも、他の場所で四人の事を話題にしている者が居た。旅館から遠くはなれた場所で女性が怒りを爆発させていたのだ。
「私の一六年の希望が、夢が、あの男のために無駄になった。許せない。許せないわ」
「良い考えがあります。あの四人の幸せを壊すのです」
「ほうほう」
「聞きたい。教えろ」
「四人の想いを断ち切るのです。男は浮気な生き物です。女性が何人も言い寄ってくれば気持が揺らぎます。もしも男が一筋の想いでも女性は不審を感じて男から離れるはずです」
「それは、面白いな、どうずるのだ?」
「それは、簡単に言いますと、姫の親衛隊と昨夜の泉にいた全ての女性を利用するのです。必ず協力してくれるでしょう。理由を話せば憎しみが込み上げて進んで手を貸してくれるでしょう。簡単なことなのですからね。昨夜の男女の仲を裂くために男を誘惑するだけでいいのです。もしも危険を感じたら逃げても構わないのです。それを承諾したら喜んでしてくれるでしょう。それ程の重大な儀式を台無しにしたのですからね」
「だが、それでも危険ではないのか、我の想い人以外の男性は獣の様な死ぬほど女性が好きだぞ。もし、誘惑だけの計画が、もしも襲われたら謝罪だけではすまないぞ」
「それは、大丈夫でしょう。四人の中では一番軟弱な者を選びます」
「それならよい。直ぐに計画を実行しろ」
「皇女さま、承知しました」
畳三畳くらいの狭い部屋。その部屋は逃走用の隠し部屋だろう。それを皇女が見つけて人に聞かれたくない話や一人になりたい時に利用していた。支持を伝えた後、女性が消え、一人になると男性の抽象画を見て大きなため息を吐いた。恐ろしい計画を考えるが、他にもまだいた。昌と雪が信頼している者と言うか、自分の体の一部だ。左手の小指の赤い感覚器官だった。
「これで、三人が昌に不審を考えさせることができた。全ての準備ができた」
「何をした?」
昌の左手の小指の赤い感覚器官が、本体に気がつかれない声だ。それと、雪の同じ左手の感覚器官も同じだった。
「チョットな、この都市の第一皇女を怒らせた。泉に運命の相手が見えなかったからだ」
「お前がしたのか、そのようなことができるのか、それが、計画なのか?」
「まあ、偶然だ。泉にある力と、我々の感覚器官が反発したのだ。考えてみれば当然だろう。糸の導きの指示がなく、泉に運命の相手が映れば旅をすることも、赤い感覚器官の指示も従わなくなるのだからな」
「なぜだ?」
「当然だろう。もしだが、デブで背が低く二度と見たくない容姿なら結ばれたくないと思うはずだからな、それが、人と言う者だ」
「そう言う者なのか?」
「そうだ」
「お前は恐ろしい、俺と同じ赤い感覚器官なのか信じられない」
「我々が、自我が芽生えなければならないほど、昌は軟弱な男なのだよ。まあ、我々の自我も二人が結ばれるまでだ。それまで楽しもう」
「何度も言うが、我は手伝わないぞ。正しい時の流れの自動修正の指示だけだ」
「分かっている。だから、私が好きなようにできるのだ。狂い過ぎた場合の修正は頼むぞ」
「・・・・・」
呆れたのだろうか、係わりたくないと思ったのだろうか何も返事を返さなかった。
「これで、想像できない数の女性から声を掛けられるだろうなぁ」
全てが終わったからだろうか、昌の感覚器官は無言になった。いや、終わりでなく始まりの音が響いてきた。その音は、旅館の女将が料理を持ってきたのだ。
「お客様、料理をお持ちしました。扉を開けて頂けませんか」
「待っていたわ」
明菜は、女将の言葉を最後まで聞かずに扉を開けた。
「お待たせしました」
女将が持ってきた物は、一つの鍋だった。それをテーブルの上に置くと、四人の男女は鍋の中を覗いた。だが、中には水だけなので、四人は不思議そうに女将に視線を向けた。
「お客様、安心してください。これから鍋の具を持ってきますわ。一番時間が掛かるので用意しているだけです。鍋が出来上がるまでには、他の様々な料理もテーブルの上に並べられます。その間、お酒の用意を致しますね」
「えっ、お酒は飲みません。用意しなくていいわよ」
四人は、今まで苦しい気持ちを感じていたからだろう。女将に、それぞれの言葉や態度を表しながら即答で断った。
「そうですか、それでしたら紅茶と果実の飲み物でも用意しますわね」
女将は、固形燃料に火を点け終わると、承諾を聞いた後は部屋から出て行った。そして、直ぐに飲み物と前菜を持って現れた。
「うぁあ、美味しそうね」
二人の女性は同じ言葉を吐き喜びを表したが、二人の男性は、食欲の限界だったのだろうか、無言で前菜を食べ続けていた。
「ありがとう。それでは、次ぎの料理を持ってきますわね」
女将が言ったとおりに次々と料理は運ばれては食べていたが、驚くことが四つもあった。
一つは、何時まで待っても鍋の具を持ってこないのだ。その代わりに、次々と料理の種類がテーブルの上に増え続けるのだ。鍋の用意が出来ないのなら、まだ、運ばれると言うことだ。それでは、何品の料理が出てくるのだろうかと驚いていた。二つ目は、東都市、北都市、西都市、南都市と四方の名物料理が出てくることだ。三つ目は、料理、建物、庭だけで考えるのなら高級旅館と考えてもよいのだ。それだけでなく、運命の相手を映す泉がある有名地なのに何故、女将が町まで出て客引きをするのかと、四人は思って居たのだ。四人は知らないだろう。当初の旅館の時は四方の料理を作る人が最低でも四人は居たはずだ。それは、当然だろう。都市や国では食材によっては食べられない物もあるからだ。それなのに、旅館に宿泊する予定だった人達は、泉に想い人が映らないために泊まらずに帰ってしまう。それで、経営難になったはずだ。そして、四つ目の驚きは、一時間後で食事を食べ終えた後だった。
「あっふぅ。種類があるわ。お皿には一人前だからいいけど、そろそろ限界かも」
「そうだな。あっ、また、違う料理を持ってきたぞ」
「うそ、もう駄目かも」
「ねね、天猫さんに少し上げようかな?」
「雪、それは無理だ。満腹になったのだろうなぁ。チョット前に女性の部屋に戻ったよ」
「えっ、そうなの・・・・なんか酷い」
「そうだなぁ。そうそう、女将さん、鍋は何時頃食べられるのですか?」
新は、雪の返事なのか、三人同時の返事なのか分からない返事を返すと、逃げるように女将に問い掛けた。
「後、一品で終わりですので、もし残り物があれば鍋に入れて食べるのですよ。それと、同然ですが、食後の口直しもありますわ。楽しみしていて下さいね」
女将が最後の一品を取りに部屋から消えると・・・・・・・。
「鍋も食べるの、もう無理よ。どうせ残り物でしょう」
「そう言うなって、味見だけでもしようなぁ」
「お待たせしましたわね。これが最後の料理で、冷たい杏仁豆腐ですわ」
「うぁああ、美味しそう」
二人の女性は、杏仁豆腐を見ると興奮を表した。先ほどまで吐きそうな仕草までして満腹だと言ったのだ。やはり、甘い物だけは別腹と言うのは本当のようだ。
「それで、最後の鍋ですけど、私の旅館のお勧めなのですよ」
二人の男性は、食べるのを断ろうと思っている表情なのだが、二人の女性は、食後に食べなければならないと思っているからだろう。我慢している様にはみえなかった。もしかすると、食後の口直しを食べるために体の器官が強制的に解かして身体の中に吸収したかのようだ。これが、女性特有の別腹と言われる器官なのだろう。
「最後の鍋は美味しかったわ。余り物とは思えないわ」
「そうね。本当に美味しかったわ。それでは・・・・・・・・」
「ああ、お客様、最後の口直しを食べる前に、昨日と今日の料金を払って欲しいのです。お客様たちは違うと思いますが、全ての料理を食べると突然に消えてしまうお客様がいるのです。それで、食事を食べ終える前に払う規則になっているのです」
「そうなの。それでは仕方ないわね」
雪は、明菜に視線を向けた。お金の管理は明菜だったからだ。
「大丈夫ですわ。今払います。それで、最後の口直しが食べられるのね」
「あっ、そうですわ。もしお替りが欲しいのでしたら、私からの気持ちで三個まででしたら無料にしますわ」
女将は一瞬だが意味が分からなかった。無理に全ての料理を食べなくてもよい。それに、杏仁豆腐を食べながらでも清算しても構わないのだ。だが、四人は、全ての料理を食べて、清算してからでないと食べられないと勝手に思っていると感じたからだ。
「本当、ありがとう」
「それでは、これが請求書です」
「はい、これで良いのですね」
「えっ、ちょっと待って・・・・」
「何?」
明菜は、金額を本当にみているのだろうか、新が驚きの声を上げて止めようとしたが、明菜と雪の鋭い視線を感じて言葉を飲み込んだ。
(予想の十倍だぞ。たしかに、佐久間の領地では政策で安く寝泊りできる施設などある。それで、他では高いと想像していたが、佐久間の領地での宿泊代金の十倍だとは考えられないから待てと言うつもりだったのだが、普段の節約する明菜が鋭い視線を向けられて何も言う事が出来なかったのだ。)
「はい、確かに頂きました。もしも杏仁豆腐のお替りが欲しい時は言ってください。直ぐに用意を致します。それでは、御用をお待ちしています」
女将は満面の笑み浮かべながら部屋から出て行った。恐らく、営業スマイルではないだろう。自分のふっかけが成功して心の底から嬉しいに違いない。
「そんな大金を何も聞かないで払うなんて・・」
「そんな事言っても仕方が無いでしょう。泊まって食事も食べたのよ。女将が言ったように払わないで逃げろって言いたかったのでないでしょうね」
「それは違う・・・その・・」
「仕方ないでしょう。食べなければ損よ」
「そうよね。お金は払ってしまったのですし、食べなくては損よね」
「・・・・」
二人の男性は、明菜の殺気を放つ視線に負けたと言うよりも、まだ、食べられるのかと不思議そうに見つめ返していた。
「食べないの。美味しいわよ」
「なら、男性の分も食べましょうか、ねえ、雪。そうしましょう」
「そうね。残すのは勿体無いわね」
二人の女性は、自分の分は喉で味わおうと思っているのか、それとも、男性たちが食べると言い出すとでも思っているのだろうか、杏仁豆腐を喉に流し込んだ。その後は、男性の分を手に取る前に視線で食べるわよ。と伝えると、先ほどよりは味わって食べるのだった。その姿を見て、新は、女性は恐ろしいと思うのと同時に、残りの十二個も食べるのだろうと感じ取り立ち上がった。行き先は、女将に杏仁豆腐の追加を言うために部屋を出た。その後を、昌も付いて行きたかったが、明菜に鋭い視線を向けられて思いを感じ取ると立つことをやめた。恐らく、その視線の意味は、男たちが部屋を出るのは階下の食堂でゆっくり杏仁豆腐を食べるのだろう。そう言っていると思ったのだ。
「全て食べるのだろう。持って来てやったぞ」
「キャッ」
雪は、興奮を表した。
「新、ありがとう」
「気にするな。それでだ。食べ終えたら行くのだろう。大丈夫なのか?」
「えっ、行く?」
明菜は、一瞬だけだったが、杏仁豆腐に夢中で意味が分からなかった。
「獅子の像には行かないのか?」
新が問いかけた。
「行くわよ。ねえ、雪」
「うん」
一個食べる毎に食べる時間は遅くなるが、満腹でなく味わって食べている。そう思える嬉しい表情を浮かべていた。
「美味しかったか?」
新は、二人の女性に話をかけた。
「うん」
雪が頷き、明菜は、名残惜しそうに容器を見つけていた。だが、お替りがないのが分かったのだろう。新に感謝の気持ちでも伝えようとしたのだろう」
「美味しかったわ。また、食べたいわね」
「また、機会もあるだろうし、まだ、旅が始まったばっかりだ。もっと美味しい物が食べられるはずだ。旅を楽しもう」
「うん」
「二人は、また、着替えるのだろう。この部屋で待っているから好きな衣服を選んできな」
二人の女性は部屋に戻り。一時間くらいは過ぎた頃に・・・・・・・・。
「いいわよ。行きましょう」
二人は、恥ずかしそうな声色の様にも感じられたし、褒めてくれると思っているからだろう。興奮を我慢している様にも思える言葉だった。
第十九章
二人の女性は扉の前に居た。一人は、着物姿だが、ピンクの色で洋風の様な百合の十字架の紋章が前に複数と後ろに大きく一個が描かれていた。派手な服装だから恥ずかしいのか、それとも、扉の向こうに見せたい人でも居て感想を想像して恥じらいでいる様にも思えた。何故、そう思うのか言われるだろうが、それは、俯きながらも見える視線の先の絵柄が歪んでいると直しているのだから見せたい者が居る証拠だからだ。二人目は、中国の象徴とも思われている。ある部族の服装だった。女性が馬に乗るために開発されたと言われている有名な服装だった。こちらの服装の方が女性から思えば恥ずかしい気持ちを感じられるはずだ。足元まで丈は同じなのだが、腰から足下まで裂けているのでハッキリと素足が見えてしまうからだ。それなのに、胸を反らして足まで一歩前に出している。まるで男性を挑発するように胸と素足を見せる姿だ。可笑しなことだが、二人の服装の文様は同じ百合の十字架の紋章なのだが、片方は女性らしく見せるのに、片方は、まるで騎士のように猛々しく思えるのだった。二人の性格と言うよりも見せたい相手によるからと思える。猛々しいのは、相手の男に大人の女性と思わせる為、もう一人は、相手の男に好意を感じているから告白してね。と誘う様に思わせたいのだろう。そして、二人の女性には一時間位に感じただろうが、本当は、三分位だった。
「おう」
新と昌は、扉を開けると同時に驚きの声を上げていた。そして、視線を上から下と三度も姿を見てしまったのだ。
「雪さん、綺麗です」
昌は、雪から視線をそらすことが出来なかった。それ程まで美しいと感じたのだ。
「明菜、女性らしい服装だが風邪を引きそうだなぁ~大丈夫か?」
雪は恥ずかしそうに俯き、明菜は頬を膨らせて不満を表していた。
「雪は、良いとしても、明菜、その姿で外に出るのか本当に大丈夫か?」
「大丈夫よ・・・・・なによ・・・新の馬鹿」
不満を消化するように真っ先に歩きだした。それだけでは気持ちが修まらないのだろう。愚痴を吐きながら階段を下りて行った。
「おい、明菜、待てって」
新は、慌てて追いかけた。
「綺麗です」
「うん、うん」
雪は、嬉しい気持ちと同時に恥ずかしく頷くことしかできなかった。だが、昌は、想像以上に美しい雪を見た驚きで心が体から抜け出してしまった。それでも、「綺麗です」の言葉を何度も言うことができるのだから蜘蛛のような細い糸で、心と体が何とか繋がっているようだった。そして、雪は、その様な状態に気が付いてないからだろう。心が破裂しそうな気持で、昌の次の言葉と行動を待っていた。
「雪、昌、どうした。獅子の像を見に行かないのか?」
「本当に、も~」
雪は、昌の言葉で夢心地だったが、新の言葉と昌の次の行動を待ち切れなかったのだろう。完全に正気を取り戻した。そして、怒りの感情を爆発させたからだろう。昌の手を掴むと一気に階段を駆け下りて、新と明菜の所に向かった。
「綺麗です」
昌は、まだ、先ほどの状態のままだった。
「きゃ、雪に言っているのよね」
明菜は、新に向けて真っ赤な顔で怒りを表していたのだが、昌の一言で真っ赤な表情は同じなのだが違う意味で興奮していた。
「雪、もしかして邪魔してしまったか?」
「あの・・・・あの」
昌は、何を思ったのか、新の獅子の像と言う言葉に反応したのだろうか、雪の手を強く握り返すと、旅館の玄関から出て正面の門に向って歩き出した。
「あっ昌、獅子の像の場所が分かるのか?」
「私たちも行きましょう」
「そうだな、まあ、分からなくても有名な所だ。人が集まっている所に向かえばいいよな」
「そうよ。急がなくてもいろいろ見て回ってもいいしね」
「そうだな、昌の後でも付いていくかぁ」
「あの、あの、昌さん。チョット痛い。ゆっくり歩きましょう。ねえ、昌さん」
昌は、雪を引きずるように正面の門を開けた。
「は~い」
若くて均整のとれた身体の女性が色っぽい仕草で声を掛けてきた。
「えっ」
「ほう」
「誰?」
三人の男女は不審を感じた。昌だけは、まだ、夢心地で呆けている。
「わ・た・し・よ」
と、女性が言うと、昌の身体に抱きついた。
「何なのよ。この女?」
昌になのか、女性になのか分からないが、怒りの感情からだろう。まるで、別人の様な表情で酷い言葉を吐き出した。
「ねぇ、昌。この女性は誰なの?」
「昌は、いいな。気持ち良さそう」
明菜が声を上げると同時に、新も心の思いが口から出てしまった。
「今、何って言ったのかしら?」
明菜は、新の襟首を?まえながら問い掛けた。と言うよりも脅していた。
「昌さん。この女と知り合いなの?」
「あっらぁ。彼女がいたのね。なら、またの機会にするわね。バイバイ」
(皇女さまの頼みだからしたけど、もういいわよね。四人が仲間割れしているのだしね)
「雪さん・・・・綺麗だ」
昌は、まだ、夢心地の状態だった。それで、女性に抱きつかれたのも夢と思っていた。それだけでなく、その感触は夢と重なり、雪が抱きついたと思っているのだ。
「あ・き・ら・さ・ん。私の問いかけを誤魔化すの?」
雪は、昌が何度も言ってくれる言葉を告白と思っていたのに、同じ口から人違いだと言って欲しかったのだ。なのに、先ほどは舞い上がるほど嬉しい言葉だったが、今は、全てを誤魔化す言い訳にしか思えなくて、心の中では怒りが収まらずに爆発寸前だった。
「バッシ」
昌は、夢を見ているのと同じ行動をした。それは、雪が抱きついてくれたので嬉しくて、自分も雪の身体を抱きしめようとした。だが、現実では、雪は抱きついていないのに、両手を開きながら伸ばして、雪を抱きしめようとしたのだ。先ほどの女性が居なければ抱きついても殴られはしなかっただろう。その痛みで目覚めることは出来たが、雪の怒りを我慢している姿と、明菜が新の首を締めながら男を軽蔑している表情を見た。
「えっ」
「何を驚いているの。先ほどの女性なら消えたわよ。本当に残念だったわね」
「雪。男たちは、私たちを女とは思っていないみたいよ。可愛い女の子を探したいみたいね。仕方がないから獅子の像には、二人で行く?」
「そうよね。邪魔者って思われたくないわ。仕方がないわね」
「待ってくれよ。確かに、一瞬だが、先ほどの女性に心を奪われたが、四人で獅子の像を見て、一緒に喜んで騒ぎたいぞ」
「本当なの?」
「本当だ」
「昌さんも、そうなの?」
「本当だよ。雪さんと、一緒に見たい」
「もう、馬鹿」
「あっ、四人で獅子の像に行きたいです。本当に四人で行きたいですよ」
「昌、いいのよ。気持ちが分かったからね」
「そうだぞ」
明菜と新は、昌の言葉を聞くと、喧嘩するのも馬鹿馬鹿しくなったのだろう。二人は、先ほどのことなど忘れて笑ってしまった。
「なら、行きましょう」
「そうだな」
明菜の言葉で、明菜と新が先頭に歩き、雪と昌も後に付いて行く。だが、四歩くらい歩くと、また、女性が、昌に話しかけてきた。
「わ・た・し・よ。憶えているわよね」
「ひさしぶりね。元気だったの?」
「待っていたのよ」
三人の女性は、昌の手を掴む者、抱きつく者、女性の象徴を見せる様に腕を組んでいた。
「あ・きら・さん。誰なの?」
怒りを感じるよりも、雪は、何かの間違いだろうと、視線を向けた。
「誰ですか。私に言っているのですか?」
雪は、昌に言葉を伝えたと思っているだろうが、心の動揺から声は大きく出るはずもなかった。それに、三人の女性の言葉が大きく、何が起きたのかと驚きも重なったために、雪に視線を向けることもできなかった。
「もう、いいです」
雪は、涙を流しながら明菜の身体に抱きついた。
「昌」
「おい、昌。その女性たちは誰だ。」
「なに、この人たち、嫉妬しているのね。さぁ行きましょう」
「そうよ。そうよ」
三人の女性は、明菜、新、雪など無視する様に、昌を自分たちの興味がある方向に誘い出そうとしていた。
「昌、聞こえないのか、もしかして、まさかだと思うが、一人で早く起きたのは女性たちに会うためだったのか?」
昌は、新の大声で、やっと、雪の状態に気がついた。
「雪さん。何があったのです」
「この人たちなんて無視して面白い所に行きましょうよ」
三人の女性たちは、それぞれの思いを口にしていた。だが、昌は、雪が心配で少々強引に三人を振り退けて、雪の下に向かった。
「どうしたのですか、なぜ、泣いているのです?」
「もう良いですから、あの女性たちと行ってください」
雪は、震えながら明菜に抱きついている。その震えは心の想いと違うこと言うからだ。
「その様なことを言わないでください。雪さんと一緒に行きたいです」
「どこに?」
「獅子の像に行きたいです」
昌は、何て言うか迷っていた。そして、四人の共通の行先を言ったが、心の思いとは違っていた。
「バイバイ」
「なにさぁ」
「付き合っていられないわ」
三人の女性は、二人の男女を馬鹿にする様な仕草や言葉を吐くが、目が潤んでいた。恐らく、自分の想い人でも思いだして泉に映るのを祈っているはずだ。
「本当に言っているのなら行ってもいいわよ」
「ああ、アホらしい」
「そうね。行きましょう」
明菜と新は、死ぬほど疲れた表情を浮かべながら昌と雪の後を付いて行った。そして、獅子の像に着くまで、百人は超えるだろう。昌は、女性に声をかけられたが無視していた。その態度で女性たちが諦めたのでない。雪の鋭く冷たい視線で計画の実行を諦めたのだ。
「凄い人だかりね。少し様子を見る?」
新と明菜は、人だかりから少し離れた所にある。洋服店の店先の服を見ていた。
「そうだな。それより、どうする?」
「何が?」
新は、昌と雪に視線を向けた。明菜も意味が分からなかったが、視線の先には、雪と昌が手を握りながら順番に並ぶか、新と雪が居る方向に向かうか悩んでいる様子が見えた。
「待っているみたいだし、並びましょう」
「そうだな」
店から離れ、二人の所に行く所だったが、女性だけの一群が昌と雪を囲もうとしていた。それを見て、直ぐに駆け出して守ろうとした。
「貴方たちねぇ」
女性の集団が、四人を囲むと、一人の女性が声を上げながら現れた。
「なんだ。なんだ」
新が、三人の仲間から興味を離そうと大声を上げた。
「何を考えているの?」
女性の一群から先頭に立つと、新たちに指を向けながら怒りを表していた。
「何のことを言っているのだ?」
新は意味が分からず辺りを見回した。人違いと思ったからだ。
「だからね。あなた達は惚れあっているのに、なぜ、運命の相手を映す泉を見に行ったのよ。それで、泉の神さまが怒ってしまったの。それで何も映さなくなったのよ。責任を取ってよ。私は、泉を見るために十七年も待ったのよ。庶民の様に好きな時間に好きなだけ見に行くなんて無理なのよ」
「キャー」
明菜と雪は、惚れあっていると言われると、恥ずかしくなり手を離してしまった。
「惚れあってなんかいません」
「そうです。只の旅の仲間です」
顔中を真っ赤にして否定しようとした。
「わははははは、そうだったの」
皇女は、四人の様子を見て笑ってしまった。当然だろう。まるで小学生の男女だからだ。
「なら、用事はないだろう。早く囲みを解いてくれよ」
(なんか、この女を見ていると腹が立つぞ。早く消えろよ)
新は、女性の群衆に向かって指差した。
「それは、私が言う台詞よ」
「どう言う意味だ」
「皇女として命令します。この都市から出て行きなさい」
「待ってくれよ。俺たちは何もしていない。ただ、獅子の像を見にきただけだ。それに、宿代は払ってしまったから明日には都市から出るよ。それで、良いだろう」
「ふざけないで、あなた達は、運命の相手を映す泉の神を怒らせただけでなくて、今度は、獅子の像の神も怒らせるつもりなの?」
「俺達は・・・・・・・」
「出ていかないのなら、近衛中隊を動員して叩き出すわよ。それでも宜しいの?」
「分かりました。直ぐに都市から出るわ。でも、先に払った宿代は返して頂くわよ」
「倍の値段を払うわ。だから直ぐに消えて欲しいわね。検問所の人で伝えておくわ。それと水と食料も用意するわ。後は、何も要件はないでしょうから直ぐに出て行ってよ」
新、昌、雪、明菜は、皇女の指示の通りに直ぐに宿に戻ると、理由を女将に伝えて直ぐに検問所に向かい。倍の宿代の返金と食料と水を積み終わると都市を出た。
第二十章
一台の不審な乗り物は馬車なのか戦車なのか分からないが、東に向かいたかったのだろう。だが、舗装された道では南に進むことしか出来なかった。それと、もう一つ不審なことがあった。四人の男女しか乗っていないのに、六人の言葉が聞こえるのだ。だが、二人の声は、誰でもが聞こえるのではなかった。それは、人ではなかったからだ。
(計画の通りだっただろう)
(確かに、結果はでは計画の通りだった。主も少しだが心の想いを出した)
(そうだろう。主も心の想いを少しだが口に出した。一つくらいは階段を上がっただろう)
(そうだな、百、いや千段くらいある一段と思うぞ)
(そうか、だが、上手く行った。また試してみるか)
(またするのか、好きにすればいい。だが、手伝わないぞ)
二人の言葉は、昌と雪の左手の小指の赤い感覚器官だった。その言葉が聞こえていれば、四人の男女は怒りを感じるかもしれないが聞こえてはいなかった。それが証拠の様に、違う話題を上げていた。
「猫ちゃん。目的の場所には何日くらいで着くの?」
「そうだな、あの時は歩いて四日で着いた。だが、直線だったからな。馬車の道なら七日もあれば着くだろう」
(良い相手が居た)
(また、変な企みを考えたのか?)
(まあ、前と同じ様に見ていてくれ計画は成功する)
(分かった。何度も言うが計画に邪魔になるとしても、主には正しい修正はしてもらうぞ)
(構わない)
左手の小指にある赤い感覚器官が会話を始めた。
「痛い」
「昌、どうした?」
「赤い感覚器官の指示みたいだ」
(一キロ先にいる女性に話をかけろ。そして、相談を聞いて解決するのです。それだけでなく、出来るのなら仲間になるように勧めるのです)
(そんなことが出来るはずがないだろう。都市での出来事が、まだ不審だと思われていると言うのに出来ない。無理だ)
昌が悩むのは当然だった。都市から出てから女性が通り過ぎると、鋭い視線を昌に向けるのだ。一度、均整の取れた女性に見とれていたら殺気を放つ様な言葉を掛けられたのだ。
「あら、二人の男さんたち、今の女性に声をかけなくて宜しいの?」
そう言われたのだ。確かに、名前を言われたのでないが、二人の男とは、昌と新だけだ。それからは、女性に視線を向けない様にしていたのだ。それなのに、「女性に声をかけろ」その様な指示は殺すと言われても嫌だろう。
「それで、何の指示だ?」
「むむ、魚を捕まえる。それだけの指示でした」
「近くに川でもあるのか?」
「分かりません。ですが、指示に従わなければなりません。だから、馬車を置いて歩くしかないと思います」
昌は、適当に思いついたことを口にしていた。
(上手く行くかな、でも、馬車から下りて森の中を散策していれば女性とは会わないはず)
「森を散策するのね。どうする。ねえ、雪?」
「何が?」
「昌に指示が来たらしいの。魚を捕まえるのだって、それで、四人で行かなくてもいいでしょう。って、雪に聞いたのよ」
「私には、指示が来てないけど、もしかして昌さんは、北の方向に向かう指示なのでしょう。それでしたら、私も同じですわよ。ですから、四人で行った方がいいわよね」
「ああ、そうそう、北の方向に進んで魚を捕まえるのです」
雪には、昌が嘘を言っているのが分かった。好きな相手だから全ての癖まで覚えているのだろう。全てが楽しい思い出になっているはずだ。
(やっぱり嘘なのね。でも、何を考えているのかしらね。もしかして魚釣りがしたいだけだったりしてね。まあいいわよ。それも楽しそう)
「馬車を停められる場所あるかな」
「無理してでも森の中に入れるよ。だって直ぐに指示に従いたいのだろう」
「あっ、うんうん」
「それに、無理やりでも森の中に入れたら馬車も見付かり難いしだろう」
「ごめんね」
「気にするな」
新は、昌に返事を返すと、三人を馬車から降ろして無理やりのように森の中に入った後、適当な木切れで馬車を隠した。そして、天猫は寝ていたので何も伝えなかった。
「それで、どの方向だ」
昌と雪は、嘘を言っているのだから咄嗟の時は重なるはずがなかった。
「えっ、二人で方向が違うのか?」
「私は、魚でなくて鳥を捕まえるのが指示だから飛んだから変わったかも知れないわ。
頭の回転が速いのだろう。雪は即座に話を合わせた。
「そうかぁ、雪は、鳥かぁ」
「はい」
一言だけ返事を返した。他に何か言うと嘘がばれると判断したのかもしれない。
「雪、鳥を見付けたら教えてくれな、それと特徴とかわかれば良いのだが?」
雪は一瞬だけ思案した後、偶然にも鳥を見付けると・・・・。
「あの鳥ですわ」
「わかった。任せろ」
新は駈け出した。
「鳥は新さんに任せて、私たちは魚釣りをしましょう。ねえ、明菜も行こう」
「うん、仕方ないわね」
明菜は、新の後ろ姿を見ながら首を傾げていた。少し不審を感じたのだろう。それでも、自分には、嘘か本当か判断が出来ないので、二人の後を歩くしかなかった。
「ねね、昌さん。どこに川があるの?」
昌には川の方向が分かるはずもなかった。それは当然だろう。嘘で始めた行動なのだから、だが、言葉にすると嘘がばれると思ったのだろう。微かに首をかしげながら指で方向を示した。雪は嬉しそうに頷くが、明菜は不審そうに視線を向けていた。
「うぉおおお、川だぁ」
昌は、驚きの声を上げた。それも当然だろう。五分も歩きもしないのに川の流れる音が聞こえて川まで見えたからだ。
「綺麗な川ですわね。いろいろな種類の魚がいそうですわね」
「そうですね」
二人は、珍しそうに川を見ていたが、明菜は興味がないのか、新が心配だったのだろう。
「疲れたから座っているわ」
明菜は、適当の大きい石を見つけると座った。それでも、昌と明菜が心配なのだろう。視線を暫く向けていたが楽しそうに会話をしているのを見た後は、新を探しているのだろうか、辺りを見回した。
「あっ、痛い」
「雪さん。どうした?」
「赤い感覚器官の指示みたい」
雪は痛みを堪える表情を浮かべながら左手の小指の赤い感覚器官に視線を向けた。
「大丈夫なの?」
明菜は、雪の様子が変だったので近寄った。
「大丈夫よ」
(違う方向です。指示に従ってください。このままでは正しい修正が出来なくなります)
「それで、何て指示なの?」
「ミミズを捕まえなさいって」
「えっ、嘘」
「昌は?」
「竿を作るって森の中に行きました」
「新と昌の帰りを待ちましょう?」
「なら、私が探すわ。どこに居るのか教えて」
「分かったわ。嫌だけど一緒に探してあげるわ。たぶん、石の下に居るらしいわよ」
二人は何度か石を持ち上げては下すのを繰り返していた。そして、新が消えてから一時間も過ぎた頃だった。
「この鳥でいいのだろう」
新は、顔中に傷や土などで汚れだけでなく心底から疲れた表情で現れた。
「はい」
「後は、魚だったな。それで昌は?」
「釣り竿を作りに行ったわ」
「え、嘘だろう。確か、小さい時に一緒に釣りに行ったが、目的の魚以外が釣れると困るって竿は使わなかったはずだぞ」
「そうなの?」
「チョット探してくる。明菜、それと鳥の調理を頼む」
「えっ」
二人の女性は驚きを表した。
「捕まえたら食べなくてはならないのだろう?」
「それで、何で、私が鳥の調理をしないと駄目なのよ」
「なら、ミミズを捕まえるか?」
「なんでミミズと分かるの?」
「餌を探しているのだろう」
「ああ、分かったわよ。ミミズよりましね」
「任せたぞ。俺は昌を探してくる」
「うぁあああ」
昌は、叫びながら向かってきた。
「どうした?」
「蜂、はち」
「ハチ?」
新は、昌の言葉の意味が分からなかったが、昌が走り抜けた後に、恐怖の小さい物体とブンブンと恐怖の音を聞くと駈け出した。
「あきら~何をした?」
「竿に丁度いい木があったから折るつもりで動かしたら上の方に蜂の巣があって」
「わかった。川に出たら潜るぞ」
二人は、そのまま逃げ続けた。そして、計画の通りに水の中に入った。
「おかえり。あれ、どうしたの?」
「竿を作りに行ったのよね。なぜ濡れているの?」
二人の女性が、二人の男性の姿を見て不審を感じた。
「聞くな、言うのも疲れる」
「・・・・・」
二人女性は、それ以上は聞かなかった。そして、昌も走ったことで疲れたのだろう。その場で息を整えていた。
「昌、竿は用意しなくていいだろう」
「うん」
「なら、もう一度、潜るか」
「うん」
新と昌は、疲れた様な態度で、また、川に戻った。そして、二人の女性が鳥を食べられる様にして、そろそろ焼きあがる頃だった。
「うぎゃあああああ」
昌と新の悲鳴が聞こえてきた。それも、死を感じる心底から震えていると思う声だった。二人の女性は、悲鳴が聞こえる方に視線を向けていた。何があったか分からないが、逃げる準備だけはする気持ちで見ていたのだろう。それから、悲鳴は聞こえるが段々と小さくなり聞こえなくなると、昌が青白い表情を浮かべながら現れた。それだけでなく、髪には枝や草や蜘蛛の巣などが刺さっていたので何をしてきかた分かる様子だ。恐らく、何かに逃げる為に森の中を直線で走ってきたからだろう。
「何があったの?」
「新は、どうしたの?」
明菜と雪が問いかけても、何が遭ったか知らせていのだろうが声が出ないのだろう。それ程の恐怖を感じたのだろう。それでも、身振り手振りで教えようとしていた。
「お前な、お前な、お前なぁ~」
「よかった。助かったのだね」
「新、おかえり」
「おかえりなさい」
新は、昌よりも凄まじい姿だった。殆ど、衣服が残ってない状態だったので、二人の女性は、何が遭ったかと聞くのも恐れて笑みだけを浮かべて座るように勧めた。
「私たちは逃げなくても大丈夫なの?」
新の息が整った後に、気持ちが落ち着いたと感じてから問い掛けてみた。
「大丈夫のはずだ。だが、死ぬかと思ったよ」
「ねね、何があったの?」
「昌が何を考えてなのか知らないが、熊と争っていたのだよ」
「うぉおお、凄いわ。熊が怖くないの?」
「俺が思うのには、多分、川の中にいたので川岸に熊がいるのが分からなかったのだろう。そして、魚を捕まえた時と同時に、熊も魚を取ろうとして片腕って言うか爪が魚に刺さり、昌と同時に魚と一緒に川岸まで飛ばされたのだろう。熊の方も一瞬の間だったので変わった魚だと思ったのだろう。だが、昌が魚を手に持って立ち上がったので、熊が餌を取られると感じて威嚇した。それを見たのなら逃げればいいのに、魚も離さずに枝でも手に持ち威嚇を熊に返したのだろう。まあ、ここまでは想像なのだが間違いないと思う」
「その通りです」
「それで俺は、昌を助けるために、熊に石を投げ付けて、昌に向けている怒りを俺に向けたのだ。まあ、その後は、死ぬ気で逃げて、当然だが熊から逃げ勝った」
新は、自慢の様に話をしたが、二人の女性は前半の話は信じたが、後半の話は嘘だと思えた。それは、新が現れて、昌に会った直ぐの叫びで想像が出来たからだ。
「凄いわね。何か会ったら助けてね」
(多分、違うはね。新の近くに熊の子でも居た。子供が逃げ隠れるまで親の熊が新を追いかけた。後は、子供の匂いが届くか届かない位まで離れ、そして巣穴に戻ったのでしょう)
「任せろ」
「皆、無事だったのだから鳥と魚を食べて早く馬車に戻りましょう。天猫さんも心配して待っていると思うわ」
「そうだな」
四人は、全てを食べ終えると、鳥と魚に感謝の気持ちで合掌した後は埋葬した。そして、馬車に戻る途中、腹が満腹になったからだろうか、先ほどの出来事を笑い話の様にして笑いながら歩いている。だが、その場には居ない男二人の会話も混じっているのだが、四人の男女には聞こえていない。その者たちは何を言っているのか、それは想像ができた。今回の作戦は、なぜ、失敗したのか、次の計画はするのかを片方が話し、もう片方は、計画などしないで、普通の修正した方が良いのではないかと返事を返しているはずだ。
第二十一章
「ピュウウ、ピュウウ」
夏鳥が鳴いていた。クロツグミだろうと思えるが、なぜだろうか変な飛び方をしていた。もしかすると初めて空を飛んだとも思える。それとも、親を探しているのだろう。この小さい夏鳥には興味がないだろうが、森の中に四人の男女が入って来た。
新、昌、雪、明菜が都市を追い出されてから六日が過ぎようとしていた。熊と格闘してから五日が過ぎた。四人は、天猫が勧める所には行く気持ちがないとしか思えなかった。六日の間に朝昼晩と好んでいるかのように森に入っては赤い感覚器官の修正と言う名目の遊びとしか思えない事をしているのだ。その証拠に、天猫だけは本当の修正なら手伝うが、遊びなら付き合っていられない。そう思ってのことだろう。馬車の中で寝ているはずだ。だが、昌、雪は、まだ知らないが、今回は、正しい修正をする事になるのだ。それでも、左手の小指の赤い感覚器官が指示を与えるが、今までと違って時の流れの自動修正での強制的な行動だった。
(何度目の計画の失敗だ。そろそろ、計画を止めてもらわなければ大変なことになるぞ)
(その時は、正しい修正を伝えてくれ)
(あのな、都市から出て指示を与えるが一度も従っていないぞ。諦める気持はないのか?)
(無い。だが、なぜ、指示に従わないのか?)
(まさか、遊んでいるのではないよな。当然だと思うが、二人を結ばせるのを第一に考えて指示を与えているのだろうな?)
(当然だ。結ばせるための指示しかしていない)
(それなら、良い)
二人の赤い感覚器官は沈黙した。と同時に小さい夏鳥の命が消えた。この鳥はまだ、命が消えるはずがなかった。成鳥して仲間の鳥の先頭で飛ぶはずだったのだ。だが、四人の男女が森で好き勝手なことをしたために時の流れが変わってしまったのだ。この夏鳥が原因なのか、問い掛ける内容がなくなったのか、それとも、普通の赤い感覚器官の様に自我がなくなり指示を与えるだけの器官に戻ったのだろうか、もしそれなら、時の流れの危機が来るはずだ。この事は、四人の男女と猫も知らない。
「雪、聞きたいことあるのだけど」
「なに?」
「本当に赤い感覚器官の指示なのよね。何か食べたい。遊びたいとかではないのよね」
「勿論よ」
「なら、二人に聞くけど方向は、どの方向なの?」
「北」
即答すると指先を北に向けた。
「南」
昌は、明菜の問いに動揺した。それでも、方向を言わなければならない。雪と同じ方向になってくれと祈るように声を上げた。だが、違っていた。それよりも、なぜだろうか、左の腕が勝手に動き方向を示していたのだ。
「まあ、言葉と左腕が示す方向が違うけど、信じるわ。それで、また、鳥を探すの?」
「あの鳥のはず」
昌が大声を上げながら指で示した。と同時に雪が頭を抱えた。
「雪。どうしたのよ。大丈夫?」
「頭の中で声が響くように聞こえるの」
(時の自動修正には余裕がなくなってきた。正しい修正方法を実行しろ)
左手の小指の赤い感覚器官が、雪に伝えた。それだけでなく、雪に教えるためなのだろか、左手を動かし、小指の赤い感覚器官を伸ばした。それが、昌が示した鳥までの数十メートルまで伸びて突き刺した。だが、鳥は何事も無かったように鳴き続けた。恐らく、メスに何も危険は無いから大丈夫だよ。そう鳴いている様に思えた。
「大丈夫なの。何て言っているの?」
「明菜。ありがとう。大丈夫よ」
(これが、正しい修正なのね。赤い感覚器官で傷も付かない獣は殺しては駄目なのね。そして、傷が付く獣なら熊だろうと虎でも倒さなければならないのね)
「そうなの?」
(あれが、最初で最後なのね。次から正しい修正するわ。だから指示だけはお願いね)
雪は、左手が勝手に動いた感覚と、頭に声は響かなかったが何となく感覚で感じ取った。
「あの鳥は駄目だわ」
雪は、殺気とも思える真剣な表情になると、四人の先頭を歩きだした。そして、鳥を見付けると、拳銃でも撃つかのように左手を向けて左手の小指の感覚器官を伸ばしていた。
「明菜、雪は何をしているのだ?」
新は、先ほど明菜と雪が話してから変わった行動を始めたので聞いてみた。それとだが、赤い感覚器官は、新と明菜には見えなかった。
「分からないわ」
「そうかぁ。むむ、昌に聞いてもまともな返事は期待できるはずないしなぁ」
「そうね」
昌は、無邪気な表情を浮かべながら雪の左手の小指の赤い感覚器官を見ていた。その表情を見れば、誰でも呆れるか、願が叶うのを祈ってやるから無視してくれと思うはずだ。
「あの鳥を捕まえるのを手伝って」
新と明菜が話をしていたが答えが出なく悩んでいた時だった。
「なに?」
「どの鳥だぁ。あれかぁ」
新は、雪の指し示す先を見た。
「ねね、私の正面で百メートルくらいまで誘き寄せることは出来そう?」
「むむ、何とか頑張るよ」
「私も何とかしてみるわ」
「あっ待って」
雪は目の前に陽炎の様な、立体映像の幽霊の様な映像が見えた。それは鳥の未来の行動予想だった。その映像は当然だが、雪にしか見えるはずがなかった。
「鳥は十分後に北東に向かって飛びます。私がいる南に向かわせるのならば、先回りして北東の場所に行き騒いで欲しいのです。それも十分間の間に音を立てずにお願いします」
雪は何も考えずに、コマ送りの映像を見たまま全てを伝えた。
「何とかしてみる。明菜は念のために北西の方向で待っていてくれ、もし向って来た場合は叫ぶなどして雪の方向に誘って欲しい」
「あの」
雪は、新の考えは意味がないと伝えようと迷ったが、もう二人は目的の場所に向かって行った後だった。一瞬だけ後ろ姿を見ると時間がないと思ったのだろう。今の場所から少し離れた場所の草むらに隠れた。そのままの状態で十分が過ぎた。
「うぁあああ」
新は両手を高く上げながら叫んだ。鳥は予想の通りに雪の所に向かって来た。
「当たって」
雪が叫ぶと同時に左手を前に突き出した。赤い感覚器官は体の一部だからだろう。雪が思い描いた通りの箇所に赤い感覚器官が刺さった。
「落ちたぞ」
「雪、上手く行ったの?」
二人には、鳥が空中で突然に暴れたと思ったら、そのまま落ちた。その様にしか思えなかった。不思議と感じたが、雪が考えていた通りの結果だったので何も言うことはしなかった。もし問いかけても困ると思ったからだった。
「成功したな」
「うんうん、良かったわ」
「あれ、昌さんは?」
「川に向かったぞ。魚でも捕るのだろう」
「嘘、止めなければ、今回だけは決められた物以外は駄目なの」
「えっ」
「決められた物?」
「理由は言っても分からないはずなの。でも後で言うから、だから、昌さんを止めて」
「わかった」
「あ・き・ら~」
「あの、騒がないで、森を壊さないで修正をしなければならなくなるの」
雪は言うが遅かった。二人は直ぐに駆け出しながら叫んでいたからだ。昌は、二人の声で振り向き手を振っていた。雪が心配していた事は、まだ何もしていなかった。何をしていたかと言うと自分の左手の赤い感覚器官と川を交互に見ていたのだ。恐らく、雪の先ほどの出来事を見て同じ様にして魚が捕れるだろうかと考えていたのだろう。
「昌さん。あの・・・・頭の中で指示が響かない?」
「それは、どんな意味ですか?」
「なら、いいの。何となく聞いてみただけ」
「そうか」
「うん。なら、何もしないで、私がする事を見ていて」
「はい。それで何をするのですか?」
「今は、なにも指示がないから鳥を食べる下準備かな」
「それなら、焚火でも焚くかな」
「お願いね」
雪は、焚火が焚かれるのを見ながら鳥を食べる様に下準備をしていた。その時、明菜と新は、雪から頼みごとを言われると思って二人の様子を見ていたのだが、何も言われないので、二人が居る所に近寄って来た。
「雪、俺たち何したらいい?」
「何か言われると思って待っていたのよ」
「ごめんなさい。まだ、何も指示が来ない・・・・・・・・・・の」
「雪さん。どうしたの?」
突然に雪が頭を抱えた。昌は、その姿を見て驚くような表情を浮かべて声を掛けた。
「大丈夫。少し待っていて指示が来たわ」
また先ほどと同じ陽炎の様な場面が見える。だが今回は、森の景色を重ねる様に川が見えるのだ。それも、コマ送りの様な場面が見えていた。それと同じ場面を現実でしなければならないのだ。今回は、繰り返して覚える事をしなかった。即座に、計画の指示だけを、新、明菜に指示を言うことを考えた。
「新、川に枯れ葉を流して欲しいの」
「それだけでいいのか?」
「私が手を上げたら流してよ」
「わかった」
「それで、私は何をすればいいの?」
「向こう岸に魚を飛ばすから拾ってくれればいいわ」
「わかったわ」
「昌さんは、焚火の火を消さないようにしていてよ」
「安心して消さないようにするよ」
「何をして何が起こるか教えるわ。それで話が終わったら位置についてね」
「・・・・・」
三人は、雪の話を聞くと無言で頷いた。そして、直ぐに指定された場所に行きまった。
「・・・・」
雪は無言で、新に体を向けると両手を上に上げた。新は頷くと枯れ葉を一枚だけ川に流したのだ。流れに沿って枯れ葉は流れる。雪は、一メートル毎に枯れ葉が流れるのを見ると頷く、時間を計っているのだろうか、恐らく、陽炎の様なコマ送りの映像と同じなのだろう。枯れ葉は順調に流れる。そして、雪は、問題の箇所なのだろう。渦に枯れ葉が入ると左手を渦の方向に向けた。と同時に、魚が水面の上まで飛び跳ねた。鳥の時と同じに左手の小指の赤い感覚器官が真っ直ぐに伸びて魚を飛ばした。次の受け持ちの明菜が、岸に魚が落ちると直ぐに両手で捕まえた。
「雪。捕まえたわ」
「ありがとう。なら、直ぐに焼ける様に枝を刺していて、終わったら同じ事を四回するわ」
雪の言葉の通りに、同じ事を四回続け、当然だが四回とも成功した。
「うぁわああああ、雪、成功したぞ」
「雪、凄いわ。手品見たいね。なぜ出来るの?」
三人は、全てが終わると昌の下に集まった。そして、明菜は、四人に魚を手渡した。
「雪、種明かししてくれよ」
新は、興奮を抑えられないからだろう。自分の魚を焼くよりも、雪に答えを頼んだ。当然だろう。明菜、昌も手を休めて、雪に興奮した視線を送った。
「まあ、いいわ。あのね。私がしたことは、左手の小指の赤い感覚器官を持つ者の義務で時の修正と言うらしいわ。なぜ、修正をするのかと言うと、時の流れと重なっている為に、虫や枯れ葉を一枚動かすだけで時の流れが狂うらしいわ。それを修正するのよ」
「赤い感覚器官?」
「そう、赤い感覚器官って、赤い糸の事なの」
「修正?」
三人の男女は不思議そうに首を傾げたが、昌だけは興奮が冷めた様に頷いた。恐らく、左手の小指の赤い感覚器官が答えを教えたのだろう。
「そうよ。時の流れを狂わすけど、修正も同じ様に些細な事で修正が出来るらしいの。でも、時の流れには自動修正があるのだけど、何かの出来事の補助でなければ駄目なのよ。それで、今回の例で答えるのなら、枯れ葉をある場所から移動して川に流すことだったの。動かす事で、その近くに存在しては駄目な物を移動した事になって、一つの修正。川に流す事で、川の中に存在しては駄目な物を誘き寄せる為に、枯れ葉が餌の影に見せたの。これで、二つの修正。魚を捕える事で、狂う前に戻す事になり、三つの修正。そして、焚火を燃やしながら魚を焼いて食べる事で修正の確認と確定になるの」
「何となく分かった気がするよ」
「なら、雪に相談しないと枯れ葉の一枚でも動かしては駄目なのね」
新は、明菜と違い。魚が焼けたので食欲に興味が向いて適当に頷いた様だった。
「それは違うの。左手の小指の赤い感覚器官がある者だけが原因なの。持たない他の人は何をしてもいいのよ。それは、予定されている行動になっているらしいわ」
「大変ね。また、何か手伝う事があるのなら言ってね」
「その時は、お願いするわね」
「うん、ありがとう。そうするわ」
「それなら、食べ終えたし馬車の所に帰ろうか」
「そうね。そうしましょう。それに、天ちゃんが食事は何時だろうと待っていると思うわ」
明菜は、空を見上げて呟いた。今は何時なのかと思っての仕草だろう。
「そうね。朝は寝ていたから起こさなかったけど、もう昼なのね」
雪も太陽が真上よりも少し移動しているのを確認すると頷いた。
第二十二章
一匹の猫だろう。馬車と思える物の周りを歩いていた。それも、怒りを感じる歩き方だ。
「あいつらは何をしているのだ?」
周りに誰も居ないから安心して本性を現したのだろうか、それとも、空腹だから我慢ができなかったのだろうか、驚く事に猫の言葉でなくて人の言葉を話したのだ。これ程の怒りの表情から考えれば、飼い主にでも噛み付きだけでは収まらず食い殺しかねない。それ程の怒りを表している時だった。主らしき者たちの声が聞えてきた。それも、猫と同じ様に興奮を感じる会話だ。だが、猫とは違って楽しみや嬉しさの興奮状態だった。
「何をしていたのだ?」
「ひっひひ」
昌は、天猫の怒りの表情と殺気を感じて腰を抜かした。昌には本当の姿が分かるのだ。猫でなく荒々しくて猛々しいライオンの様な大きな獣の姿が、雪には見えるか問い掛けてないが、明菜と新には猫にしか見えてなかった。
「お前らは、我が勧めた場所に行く気持ちがあるのか?」
「そう怒るなって直ぐに食事の用意をするからな」
「天ちゃんが寝ていたから起こさなかったのよ。もう直ぐ用意するから怒らないの。それで食べ終えたら行きましょう」
「天猫さん。これから先は、寄り道はしないわ。だから、怒らないでください」
「まあ、そこまで言うのなら分かった。今までの事は忘れよう」
駄々をこねると食事が貰えないと思ったのか、それとも、二人の女性に抱っこや撫でられたからだろう。態度を豹変した。
「それでは、最後に仕上げをするから少し待っていてね」
「何をするのだ」
「私たちが、この森に入らなかった事にするの」
「その様な事が出来るの?」
「出来るわ。見た目は変わらないわ。でも、私が良いと言うまで何一つ声を上げないでね」
三人の男女は頷いた」
雪は、念のためだろう。天猫にも、人差し指を口に当て無言の指示を伝えた。
「それと、一つお願いがあるの。枯れ葉を集めてきて欲しいの。昌さんもお願いね。出来れば綺麗な形がいいわね」
三人は頷き直ぐに枯れ葉を丁寧に集めようとしてくれるのだが、痛みでも感じるのかと思っているのだろう。怯える様に集めていた。
「大丈夫よ。何も痛みを感じないわ。ただ、指紋が付いていればいいの。指紋を付けた者を、森の周辺の時の流れから末梢するの」
「・・・・」
三人の男女は無言で頷き、枯れ葉を雪に手渡した。
「ありがとう。念の為に、天猫さんの足跡も下さいね」
雪は、二枚の枯れ葉を持ち、天猫の前足二本を枯れ葉に押し付けた後、まだ、枯れ葉が足りないのだろうか、雪も枯れ葉を集めた。それから、焚火の前に戻り腰を落とした。
「風よ。枯れ葉を導いて」
焚き火の前で祈りの様な事を始め、少しの枯れ葉を焚火の中に入れた。すると風が吹き、焚火の煙が不自然な動きを始めた。そして、集めた殆どの枯れ葉を両手に掴むと両手を重ねると直ぐに開いた。不思議な事に、風が全ての枯れ葉を拾い集める様に包み様々な場所に飛んで行った。
「時の流れの自動修正よ。枯れ葉を代用にして時の流れの修正をして下さい」
雪は、心底から祈る様に足元に残る枯れ葉を適当に投げた。
三人の男女と天猫は、雪の様子を見続けた。これから何が起きるのだろうと興味を感じて見ているが、何も奇跡の様な事は起きない。だが、森の中に消えた。数十枚の枯れ葉は次の様な事になるのだった。
「私たちが森に入った為に、ごめんなさい。許してください」
雪には、コマ送りの様な映像が見えているのだろう。祈る様に呟いた。
枯れ葉の一枚一枚は獣や虫などの所に向かう。例を上げるのなら一枚の枯れ葉は虫が川に落ちる寸前に枯れ葉の上に落ちて、そのまま地面まで運んで行く。次の枯れ葉は蝶などがクモの巣に絡む寸前に枯れ葉が優しく衝突してクモの巣に絡むのを助けた。また、次は小さい鳥がキツネに見付かる寸前に数枚の枯れ葉がキツネの目を隠して鳥を助けた。そして、捕まる予定だった鳥に視線を向けさせた。他にも同じ様に助けるが、それだけでなく、違う獲物に興味向けさる事もした。
「終わったわ。もう声を上げてもいいわよ」
「え、何も変わった様には見えないぞ」
新には雷や地震などが起きると思っていたのだろう。そして、雪に問い掛けようとしたが、雪は何て言って良いのか困る仕草を見ると何も言わなかった。
「終わったのでしょう。なら、行きましょう」
明菜が、雪を助ける為だろう。大声を上げながら手を差し出して、二人は一緒に馬車の中に入っていた。その後を天猫は自分の力で飛び乗った。
「・・・・・」
昌は落ち込んでいた。自分にも同じ物が左手の小指にあるはずなのだが、何の指示もないからだ。それで、自分の物は偽物なのかと思っているのだろう。
「昌、行くぞ」
新は、昌を御者に勧め、自分も御者に座ると掛け声を上げた。雪の時の流れの修正と天猫の怒りを見たからだろう。馬車の中も外も話をする者は居なかった。だが、人でない者の言葉は響いていた。
(うぉおお、苦しかった。やっと自由になった)
(そろそろ、計画を諦めろ。その為に、あれ程の修正が必要になったのだぞ)
(むむ、だが・・・・・なぁ)
(今回の事で感じた事はなかったか?)
(なにを?)
(今回の事で、我々は赤い感覚器官には自我がないのが普通ではないのかと感じた)
(何となくなぁ)
(だろう。都市から出てから指示を知らせても行動していないのだ。諦めたらどうだ)
(ううう)
(修正だけに集中した方が早く結ばれる様に思えるぞ)
(今回は多くの会話をするな。今思ったのだが我の主が好きでないために結ばれるのを邪魔しているのではないだろうなぁ)
(何を馬鹿な事を言うのだ。我は修正しかしないぞ)
(そうか。今回の事もあった。少しの間は大人しくする考えをしている)
この言葉の後、馬車の中と外、不思議な人々の会話も沈黙した。後は、馬車が走る音と自然の風などの音楽だけが響くだけだった。この沈黙に耐えられなかったのか、それとも、小さい細道が現れたからなのか、それは分からないが、新は問い掛けた。
「雪、昌。確認のために方向を教えてくれないかぁ」
「南」
二人は同時に答えた。
「なら、このまま分かれ道が有っても南に進めばいいのだよな?」
「一言いいかな、我の思い出では道沿いに大きな風車があったはずだ。二人の指示がなかった場合は、我が導く。その風車が見えたら教えて欲しい」
「天よ。場所も地名も分からないのなら風車があっても分からないのでないか?」
「それは、ないはずだ。六日も指定した方向を歩いているのだ。あって当然だな。それに、我が見れば直ぐに分かる。今でも何の意味か分からないが、電気を作る為に風車が必要だと言っていたのを憶えている。だから、見たらわかる」
「電気を作る?」
新は、意味が分からずに悩んだ。
「そうだ。分かるのか?」
「きゃああ、それは本当ですのぉ」
「明菜は分かるのか?」
「ああ、佐久間学級の学科が違うから分からないのね。佐久間さんが直接に教える。未来学科ってあってね。領地を電気と言う力を使って装置を作り、夜を無くしたいと言っていたわ。まだ、夢の段階だったのに、その人は完成しているなんて凄いわ」
「それ程、興奮の悲鳴を上げる程の楽しい物だったか・・・・私には良い記憶がないぞ」
「それは、当り前よ。まだ、夢の段階なのだし見ても普通の人なら分からないはずよ」
「まあ我には関係ない事だ。それ程に楽しい物なら夢にでも描くのだな」
天猫は言いたいこと言うと寝てしまった。その後、四人の男女は昔話に盛り上がっていた。話題は、確かな記憶なのか分からない子供の時の話から始まり、最近の出来事の話までしていたが、話題も尽きようとする時だった。
「そろそろ日も暮れる。この辺りで野宿の準備でもした方が良くないか?」
新が話題を断ち切った。
「そうね。まだ辺りが見える時がいいわね」
「あの」
雪は困った表情を浮かべながら言っては良いのだろうかと悩んでいた。
「雪、安心してくれ森には入らない。何時までも保存食だからって残しておけないだろう。だから食べなくては駄目だ。それにだ。他の町などでは違う保存食があるだろうし、その時、保存が残っていて買えないでは旅の楽しみがなくなるだろう。だから安心しろよな」
「ありがとう」
四人の男女たちは空腹だったのか、日が暮れるのを心配してなのだろうか、まるで映画などを早送りで見る様な忙しさで食事を食べるだけでなく片付けも終わらしていた。
「私たち馬車で寝るわ。当然の事だと思うけど、まさか、駄目と言わないわよね」
まだ、時間的には夜中と言うよりも夜になったと思う時間だった。佐久間の所で生活している時なら同じ消灯時間なのだから早くはないのだが、旅を始めてからは夜遅くまで起きているのが使命と感じる歩ほどまで起きていた。それなのに、今日は早く床に入るのは、雪の修正を見て神経が疲れたのもあるだろうが、明日は予定されていた場所に着く可能性があり、今日よりも何かが起こるのだろうかと、想像して神経が参ったのだろう。
「好きに使ってくれて構わない」
そして、二人の女性と猫が馬車に入り、明菜が入口のカーテンを閉めた。
「分かっているでしょうね。言っておくけど覗いたら殺すわよ」
明菜が、カーテンを閉めたと思ったら直ぐに顔だけを出して殺気を放った。
「さっさと寝ろ」
二人の男は、簡単な天幕を作成していた時に言われたので、新は苛立ちを感じていた。
そして、作り終えると、昌は横になり目を瞑った。
「寝たのか?」
「まだだけど」
「そうかぁ、なぁ、最近は空を飛びながら月を見てないのか?」
「そう言えば見てないな」
(雪さんと離れる事もなくて、何時も話しかけたいって思っているからかな)
「聞いているかぁ?」
新は、一人になれないから飛ばないのかと問い掛けたのだが、昌は、自分の思いに耽っていたのだ。
「何なに?」
「最近は、月を見るのに空を飛ばないのだな。もしかして気を使っているのか?」
同じことを二度も言うからだろう。少しだが怒りを感じる言葉だった。
「違うよ。旅に出てから心が苦しくなる事がないからだよ」
「ならいいが、たまには飛んでみろよ」
「そうだね」
「機会があれば、雪を誘ってみたらどうだ。たぶん喜ぶと思うぞ」
「キャー」
新が問い掛けたが返事がなかった。だが、小さい声で女性の喜ぶ悲鳴が一瞬だけ聞こえた。恐らく雪だと思うが、肝心の昌の返事はなかった。もしかすると想像でもしていて我を忘れているのもしれない。もし起きていたとしても、そのまま寝てしまうだろう。この女性の悲鳴の後は、朝まで風などの自然の響きだけが奏でるだけだった。
「新さん。おはよう」
新は驚いた。二人の女性が、何かあったのかと思える満面の笑みを浮かべる姿を見たからだ。それだけでなく、朝食の用意まで出来ていたのだ。
「新さんはコーヒーがいいのよね。出来てあるから飲んでね」
「新。昌は、まだ寝ているの?」
「そうみたいだな」
「そう」
三人の話し声が聞こえたからだろう。昌が起きてきた。
「昌さん。おはよう。紅茶を作っておきました。飲んでみてくださいね」
雪は、新に満面の笑みを浮かべた以上の笑みを昌に向けた。その笑みは、この世の幸せを見た様な、感じた様な笑みだった。だが、その笑みは食事を食べ終えるまでだった。食べ終えた後は何が不満なのか、怒りとも、世の終わりを知ってしまったかの様な表情を浮かべながら馬車の中に入った。そして・・・・・・・。
「私たち、朝早く起きて朝食の用意をしていたから眠いの。後は宜しく」
第二十三章
二人の男性は、と言うよりも一人の男と言った方がいいだろう。物を片付けながら百面相をしていた。始めは不審、悩み、最後は怒りを表して声まで上げていた。その理由は、自分にあるのに、それには気が付いていなかった。だが、正確に言うのなら二人の男が原因だった。新が、話題を上げた事で始まって、昌の態度だったが原因だった。
「確かに作ってもらって嬉しかったし、自分が作るよりも美味かったよ。だが、あの態度はなんだ。そして、当然の様に片づけを命令して、眠いから寝るだと、ああ頭に来る」
(雪さん。今日の貴女は綺麗でした。それに、温かくて柔らかい手でした)
昌は、雪から紅茶を手渡しされて、偶然に手に触れた事に興奮していた。だが、昌は偶然だと思っているが違っていた。雪が故意にしたことだ。昌の手を触りたい為に考えたのだ。もっと正確に言うのなら明菜の考えだった。その考えとは、「溢すと熱いですよって言いながら故意にカップを微妙に揺すりながら両手で手渡そうとするの。すると大抵の男は女性の片手に手を触れて震えを止めてから、もう片方の手でカップを取るのよ。でも、普通はするはずだけど、駄目な場合は、カップを持ちながら震えている両手のまま、男の手の上に両手を乗せるの。そうすると、片手は女性の手を支え、もう片方の手でカップを取るはずなのよ」と言う考えだったが、昌は、普通ではないのだろう。最後の考えを実行したのだった。その様に、我を忘れて夢心地だったために、新の話など聞いていなかった。
「おい、話を聞いているのか?」
「なに?」
「何でもない。全てを忘れろ」
「はい」
昌の不抜けた態度に怒りが爆発寸前だったが、その感情を片付けに向けた。
「やっと片付けが終わったな。なら、出発するぞ」
(結局、俺一人で片付けることになったな)
御車に座る頃には落ち込んでいた。もしかすると片付けするのに全ての感情を発散して使い果たしたとしか思えなかった。この気持ちが分かったのだろうか、いや違う。昌は、雪と自分が主役の白昼夢を見ている為に無言だったのだろう。そして、二人の女性と天猫は寝ている為に無言だった。
「行くぞ」
と、声を上げるが、誰からも返事があるはずがなかった。ただ、馬の歩く音と馬車の振動と車輪の音だけが耳に届くだけだった。それから、無言で、単調な馬車の音の響きと程よい天気の暖かさで、眠気を感じて我慢できなく頃だった。
「ふぁああ」
「痛い」
「きゃ」
新の欠伸と、昌と雪の悲鳴が同時だった。何故と思うだろうが、二人の悲鳴は赤い感覚器官の指示を知らせるためだった。それでも、死ぬ程の苦痛でなく注射の針が刺さる程度の痛みだった。新は、二人の悲鳴で目を覚ました。先ほどまでは目を開けて見ていても認識する事が出来なかった。だが、今は違う。そして、遠くに視線を向けると・・・・・・・。
「あれが、風車だよな」
地平線の先に小さく回る羽らしき物が見えた。
「やっと着いたか、我の言う通り七日だったな。それで、二人は何と指示が来た?」
「男らしい人と話している様子が見えましたわ。今回は方向などの指示もないし、詳しい内容もないのです。もしかすると天ちゃんの指示に従うって意味なのかもしれません。それで、昌さんは?」
「痛みを感じただけで何も見えないし、指示もなかったですね」
昌は、後ろを振り向き馬車の中に視線を向けた。
雪と昌が嘘を言ったのではないし、赤い感覚器官が指示を誤ったのでも、自我がある器官が手を抜いたのでもなかった。もしかすると天猫の野生の感が便りなのかもしれない。何だかんだと話をしていると風車の前に着いていた。
「可なり大きい物だな。だが、何か変でないか?」
新は驚きを表した。不思議に思うのは当然だった。普通なら土台を兼ねる様に麦などをすり潰す為の小屋らしき物が有るのが普通だったからだ。土台は確りしているが、人などが出入りする扉もなく本当に風車を回せるだけの用途しかなかったからだ。それだけでなく、風車の回りには道らしき物がないと思えるほどに草木が茂っていたのだった。
その声が聞こえると天猫が・・・・。
「あっ」
一声だけ声を上げると、天猫は昔を思い出して涙を流した。
「違うのか。動いている様だが人が出入りした様子が見えないな」
「間違いない。主と供に来た場所だ。それにしても当時もお化け屋敷の様な状態だったが、風車がなければ人も入らない不毛の地だぞ。何があったのだ?」
「私も見たいのです。天ちゃん。早く降りてよ」
「それよりも馬車の置き場所だな」
「隠さなくても大丈夫だろう。この様な変な馬車に近寄ろうとする者は居ないと思うぞ」
「だが・・・・」
新は悩んだ。
「それならば、歩いてみて置き場所を探してみたらどうなのだ?」
天猫は興味がない態度だった。気持ちは主との思い出がある風車を見たいからだろう。
「新、地面は固いわよ。そのまま入ってきなさいよ」
明菜が百メートル先の雑草の森の様な所から手を振っていた。
「なら、我も行くぞ」
「天ちゃん。抱っこしてあげようかぁ」
天猫の後から雪が降りて、雑草の高さに隠れている姿を見ると言った。
「我は、構わん」
「遠慮しなくていいのよ」
と、言うと、天猫の言葉を無視して抱えた。そして、馬車の御者では・・・。
「昌、頼む。先に降りて馬を引きながら様子を見てくれないか?」
「いいよ」
そして、一番奥に進んでいる。明菜が手を振りながら方向を示していた。恐らく、馬車が隠せる空地らしき所を見付けただろう。
「天ちゃん。建物って風車から遠いの?」
昌、新、明菜の様子を見て、時間の潰しからだろう。天猫の頭などを撫でながら聞いていた。天猫は撫でられるのに嫌がっている様な感じの表情にも思えるが、余りにも思い出の風景と違っているので何て答えて良いのかと迷っている様子だった。
「分からん。だが、風車が見える所だったはずだ」
「そう」
「確か、風車の前に道があったのだ」
「この草むらね。木がないから道だったのかもね」
「そうだと思う。この道の突き当たりに建物があったはずなのだ」
「そうなの」
雪は辺りを見回しながら天猫の話を聞いていると、馬車を隠し終えたのだろう。昌、新、明菜が、雪の所に集まって来た。
「この辺りを見ても、誰かが住んでいる様な感じには見えないわね。もしかして、引っ越しでもしたのかな?」
と、明菜が不審そうにしていた。
「それは無いと思うが、もしそうだとしても、風車を捨てて行くとは思えない」
「それ程に大事な物なのね」
「その様に感じた」
「それで、どこに行く?」
新が、天猫に問いを掛けた。
「突き当りになるまで進むしかない」
「そうかぁ」
天猫が言った通りに四人の男女は進んだ。そして・・・・・・・・・。
「変だ。この辺りなのだが、建物が無い。何故・・・・・・・・・」
「それって何時の事なの。何年前の事なの?・・・・・・・」
「主と別れ・・・・そして、待つために眠り、何年待ったのか分らない」
「仕方がないわね。この近くなのでしょう。皆で辺りを探しましょう」
それから一時間は経っただろう。天猫の悲鳴が辺りに響いた」
「なぜだぁあああああ」
驚くのは当然だろう。天猫の考えでは、時間が過ぎたとしても数か月くらいだろうと考えていたのだ。だが、以前に訪ねた。その館の雰囲気は数年いや、数十年は経っている様子なのだ。木々や草などで館を隠すように茂っていたのだった。
「この館なの?」
「そうだ」
「この様子では、人が住んでいるとは思えないわ。まるで古代の遺跡よ」
「俺たちが、初めて建物を見た時も、古びて壊れそうに思えたが、それでも、建物の中だけは生活感はあったのだぞ。中は綺麗かもしれない」
天猫は、何故なのかと思案していた。それと同時に、雪、昌、明菜、新も思案し始めた。それぞれ、思案の内容は違うが、誰一人、辺りに声も物音一つ響かせる事はなかった。それから、何分だろう過ぎた時だった。
「ん・・・・・・。泣き声が聞こえる」
四人の男女は、天猫の言葉で思案するのを止めて辺りを見回した。
「違う、建物の中からだ」
もしかすると、無言に耳が慣れて、小さい音も聞こえる様になったのかもしれない。
「うそ。この遺跡のような建物の中からなのか、人が住んでいるのかぁ」
真っ先に、新が声を上げていた。
「そうだ。嘘ではない。この建物の中からだ」
四人は、特に二人の女性は心底から入りたく無いと、はっきりと分かる表情を顔に表した。その表情を見て、仕方ないと思える表情を表したのは、新だった。
「昌。俺と、二人だけで中の様子を確かめに行くぞ」
「え」
昌は、驚きの声を上げかけたが、天猫の驚きの言葉と同時だったので、誰の耳にも入らなかった。
「何をふざけた事を言っているのだ。赤い感覚器官が有る者が行動するのだぞ。その為の旅だろうがぁ」
「おい、猫。女性に、この不気味で崩れかけた建物に入れと言うのかぁ」
「赤い感覚器官が有る者なら当然だろう」
「そうよね。入るわ。でも、お願いよ。皆も一緒に来て欲しいの」
「雪、安心しろ。誰も行きたくないとは言わないはずだ。当然、猫も来るよなぁ」
新は、雪を安心させる為に呟いた後に、昌、明菜に視線を向け。頷いたのを見た後に、天猫には鋭い怒りを込めて睨んだ。
「それは当然だろう。この建物の主の姿を知るのは、俺だけだ」
そして、四人の男女は建物の入り口に向かって歩きだした。天猫は自分の小幅では遅れるとでも思ったのか、それとも、建物の中を案内でもする考えなのか、恐らく両方だろう。駈け出して中に入った。この行動は当然だとでも思ったのだろう。四人は何も言わずに天猫を先頭にして歩きだした。
「本当ねぇ。泣き声が聞こえるわ」
建物の中だから声が響くのだろう。その声を聞いて、雪が驚きの声を上げた。
「俺は、嘘は言わない」
「猫、嘘ではなかったのだな。悪かったよ。許してくれ」
その言葉を聞くと、天猫は歩くのを止めて振り返った。
「その事は良い。もう忘れた。それよりも暗くて歩きづらいだろう。お前が手探りで触っている壁に出っ張りが有るのを感じたはずだ」
天猫は、猫の獣なのだから暗闇もはっきりと見えていた。
「この出っ張りかぁ」
新は、壁に手を付けていたが、その手を離した。そして直ぐに両手で辺りの壁を撫でまわすと、何か分らないが突き出ている物を見付けた。
「そうだ。それを押して欲しい」
その言葉の通りに、新は、突起物を押してみた。
「うぁあ」
天猫以外は驚きの声を上げた。それは当然だろう。人口の明かりが灯り。周りがはっきりと見える様になったからだ。それを確認すると、また、天猫は歩きだした。
「泣き声と言うよりも言葉のようね」
奥に進めば進む程、言葉がはっきりと耳に届き始めた。
「私の愛する人・・・・・何時になったら帰って来るのです・・・・・・」
四人と獣は、歩く音が響かないようにゆっくりと言葉が聞こえる部屋に向かった。そして部屋を覗いた。すると、女性は潔癖症なのだろうか、それとも、虫などが徘徊していると感じたのだろう。
「キャー」
「何なの、この部屋は・・・・・・・・」
明菜と、雪が部屋の中を見て驚きの声を上げた。まるで蜘蛛の巣だった。新と昌も驚いているが声を上げるよりも、呟く男性を見つめ続けた。特に新は、何かが遭っては困ると身構えた。その様子に気が付いてないかの様に、天猫は、男性に近寄った。
「礼司かぁ」
「蘭さ・・・・・・・・・ま?」
男性は声が聞こえ振り向いた。
「キャー」
また、明菜が悲鳴を上げた。だが、先ほどと違い。興奮を抑えらない様な、それだけでなく喜びの様に感じられた。
「え・・・・・・」
明菜も、先ほどは部屋の中が埃や蜘蛛巣などで、数年、数十年は誰も住んでない様子で驚いたのだろうが、振り向いた男性の姿を見て言葉にする事が出来なかった。それは、女性なら当然かもしれない。誰もが一目で恋をしてしまう。そう思える程の整った顔立ちの男性だったからだ。
「綺麗」
蜘蛛の巣が髪や体に付いていても似合う者は、この世で探しても、この男だけだろう。それは、淡い光で蜘蛛の糸が微妙に煌めく姿だった。
「誰?」
「我だ。憶えてないか?」
この男性は、四人に視線を向けたが悩む表情を浮かべた。そして、言葉が床の方から聞えるのを感じ取ると、声の方に視線を向けた。
「天ちゃん。久し振り・・・・・・振りねぇ」
男性は、機械の様に正確に記憶ができるのだろう。年数だけでなく秒数まで言うのだった。普通の人なら驚くが、二人の女性は呆けているので耳に入るはずもなく、男性は、部屋の様子に気持ちが取られていた為に聞いていなかった。
「それにしても、この部屋の様子を見て驚いたぞ。何があったのだ?」
「私の大事な主様が、蘭様が返ってこないのです」
「そうなのかぁ。それでは困った」
「どうしたのです?」
「あのなぁ」
第二十四章
「我の主様の時と同じに相談に来たのだ」
「蘭様が、帰ってこないのです」
「それは聞いた。何があったのだ?」
「主様の友人が尋ねに来たのです。そしたら、理由も言わずに一緒に行ってしまわれた」
「場所はわかるのか」
「多分、都市の遺跡です」
「なぜ、場所が分かるのに迎えに行かない」
「ここで待っていろ。そう言われたのです」
「この部屋で待て。と言われたのか?」
新が、男と天猫の話しを邪魔するかの様に冗談として問い掛けてみた。
「そうだと思います。私は・・・・それで待っているのです」
この男は、真顔で答えた。天猫は頷くと、新に鋭い視線を向けた。恐らく、「邪魔をするな」と、言っているのだろう。
「主の指示は絶対なのは分かる。だが、あまりにも遅すぎる。主を迎い行くしかないぞ」
「分かりました。以前にお会いした時に、天ちゃんの指示にも従うように言われていましたので、主の代理の言葉と考えます。それでは行きましょう」
天猫だけは気が付いてないが、四人の男女は何か変な返事だと感じたが、何も言わずに成り行きに任せた。
「行こう」
天猫が頷くと、男は立ち上がった。
「私の後に付いて来てください」
天猫は、何も気にせずに直ぐ後ろを歩くが、男女四人は、蜘蛛巣だらけの姿を見て少し嫌気を感じているのだろう。言葉が届くぎりぎりの範囲までしか近寄りはしなかった。そして、食糧庫なのだろう。地下の階段を降りて行く。なぜ、外に出ないのかと思っているが付いて行った。それでも、まだ、奥へ、まだまだ、奥へと進んで行った。
「私が先に入りますから扉が開いたら一人、また、一人と入ってきてください」
突然に振り向くと言葉を掛けてきたが、男以外は意味が分からなかった。扉などない壁としか思えない前に立っているからだ。そして、小さい声で聞こえなかったが、まるで魔法の呪文の様な言葉を呟くと、扉が開いた。恐らく、起動する暗証の言葉なのだろう。それよりも、四人の男女が驚いたのは、扉が開くと同時に自然の光ではありえない。真っ青な光を見たからだ。もし、最低限度の掃除でもしてあったのならば、壁でなく硝子の扉と感じるだけでなくて、男の身体から蜘蛛の巣や埃などが風で飛ばされ姿を見えただろうが、今の状態では埃などで壁にしか思えなかった。五分くらい過ぎた時だった。扉が開くと何の不安もないのだろう。堂々と天猫が入っていた。それから、また同じ様に時間が過ぎると扉が開くが、天猫とは違って堂々とでなく、部屋の汚れや埃、蜘蛛の巣などから早く逃げたいからとしか思えない様子で早歩きで中に入った。
「ここは何?」
現代で言うならば地下鉄に乗る構内と思える場所だった。清潔な所だが自然と思える物は花一つもなかった。明菜以外は、問い掛けるよりも辺りを見回す事にしか頭が働かなかった。男は何も答える事はしないで歩きだしたが、何を思ったのか突然に振り向いた。
「そうそう、お腹が空いているでしょう。食事を食べましょう」
と、主の事など忘れたのだろうか、満面の笑みを浮かべていたのだった。と言うよりもまるで、旅行会社の添乗員の様な笑みとも思えた。
「まあ・・・確かに・・・・でも急ぐのでないのか?」
新が代表の様に返事を返した。それでも、何て答えていいか迷っている様だった。
「大丈夫です。食事を食べるくらいの時間など気にしないで下さい。それに移動する乗り物の準備に一時間くらい掛かりますのでゆっくり食べてくださいね」
「それなら・・・どこで食べる?」
(あの状態では何も食べていなかったのだろう。希望を持ったから空腹を感じたのか)
と、新が、いや、男以外の全てが同じ気持ちだったに違いない。
「私の後を付いて来てください」
構内には様々な店舗がガラス越し何の店なのか分かった。それでも、人が居る様には思えない。まるで駅が造られて新装開店前の構内としか思えない状態だった。四人の男女が何から何まで不思議としか思えない状態なのに、男は気がついていないのか、それとも、お勧めの場所に向かう気持ちしかないのだろうか、だが・・・・。
「キャー」
二人の興奮した叫びが聞こえると立ち止まった。何を見ているのかと興味を感じて近寄って来た。それは、洋菓子と和菓子の写真と模型だった。
「それ程までに食べてみたいのでしたら、この場所に決めましょう」
そう言うと、先に一人で中に入ってしまい。構内が見える所に座ると、ガラス越しから手まねきして、四人を呼んだのだのだが、席に座ると、先ほどの興奮が冷めたのだろうか、店内をキョロキョロと見まわして落着きがなかった。
「どうしました。先ほどの菓子が食べたかったのでしょう。それに他の食べ物もありますから選んでください」
男は、視線が合うのを待ってから料理の品目が書いてある物を開いて見せた。
「さっきの見ていたのは、これと、これですね」
それでも、不思議そうに見るだけで、何も言わないのを見て、男は指をさして教えた。同じ様に指でも差すのかと思って待っていたのだろう。だが、選んだ物を見詰め続けるだけで何も言わないので、仕方なさそうに頷くと、男はテーブルの中央にあるマイクらしき物に向かって注文する物を話した。暫く無言だったが、男は、壁に沿ってレールが有る方に指先を向けた。
「頼んだ物が来ましたよ」
テーブルの真横に止まると、手を差し出して取るテーブルの上に並べた。四人は、また、室内を見回した後、男がした行動を真似るような視線を向けると、また、菓子を見つめるだけだった。
「食べていいのですよ」
我慢できなかったのだろう。明菜が真っ先に手を差し出して洋菓子を手に取り食べ始めた。そして、他の三人に嬉しそうに言うのだ。
「美味しいわね」
その姿を見て我慢が出来なくなったのだろう。雪が手を伸ばして和菓子を手に取り食べ始めたのだった。
「うんうん、本当に美味しいわね」
「そうだろうなぁ」
新は、二人と違う物を取った。昌も釣られて食べようとするが迷っていた。そして、一口だけ食べて感想を言う積りだったが、三人は、他の料理の品目は見ては、中央のマイクに向かって注文していたのだった。
「昌さん。どうしました。好きな物を食べていいのですよ」
「はい、そうします」
男は最後まで聞かずに、天猫に視線を向けると、同じ様に言葉を掛けた。空腹だったのだろうか、それとも、料理がなくなるとでも思ったのが、テーブルの上に飛び乗ると、同じ様に注文していた。昌は、まだ天猫が怖いのだろう。男が座る向かいの席に移動した。
「もう食べられないわ」
「そうね。世の中に、この様な食べ物があるなんて驚いたわ」
「そうだな。俺も、食事を食べるのに興奮したのは始めてだ」
「そうだね。美味しかった」
昌は、皆に視線を向けて、誰に言ったのか分からない態度だった。それでも、天猫には視線を向けることはしなかった。
「昌。まだ、天が怖いのか?」
「うん、まだ、チョットね」
「そうかぁ」
「それでは、行きましょうか?」
「えっ、あの礼司さんでしたわね。まだ、何も食べていないわよ」
雪が心配そうに何て言っていいのか困っていた。
「私は、いいのです。主様と一緒に食べたいですからね」
「そうなの?」
「そうですよ。なら、行きましょう」
「はい、美味しい物を頂きありがとうございます」
佐久間の教育が行き届いているのだろう。四人は殆ど同時に立ち上がり態度と気持ちで食事のお礼を返した。嬉しい笑みが見たかったのだろうか、それとも、心底からの気持ちが込められている。嬉しいお礼を見たからだろう。もしかすると主の顔と重なっているのだろう。男は、嬉しそうな笑みを浮かべて楽しんでいるようだった。
「さっきも、こんなのあった?」
「無かったと思う。でも、これは何だ?」
明菜、新は、店を出て直ぐに驚きの声をあげていたが、雪と昌は、何かを考えていたのだろう。男が進むまま付いて行き直ぐ側で見たのだ。驚きが二人と違って声も出すことも出来なかった。それ程まで驚くのは当然だった。まだ、馬車の時代なのに、地下鉄と思える物が目の前にあったのだからだ。
「何をしているのです。早く乗ってください」
四人が、驚きの為に立ち尽くしている姿を見て、乗り物の中から声を上げていた。
「乗り物なの?」
「そう見たいだな」
「あっ、昌と雪が入ってしまったわ」
二人は助けようとしたのか、乗り物の中に駆け込んだ。
「座ってください」
男は席に座っていたが、立ちつくす四人に向かって席を叩いて座る様に勧めた。乗った者が座ると、重量で感知したのだろうか、汽笛の様な音が響くと、乗り物は動き出した。すると、まるで子供の様に、天猫も含めてだが、窓から外を見ていた。まあ、地下を走るのだから楽しい景色が見られるのではないのだが、それでも、馬などの移動する景色よりも早く移動する景色に心が奪われていた。その興奮も三十分くらいで終わった。
「着きました。それでは、降りますよ」
また、汽笛の様な声が響くと、男は立ち上がり乗り物から出た。その後から四人と天猫が降りるのを確認すると、男は歩きだした。
「こちらですよ」
なぜか、男は落ち込んでいる様だった。恐らく、着いた所が、殆ど廃墟と同じ様な状態だったからだろう。もしかすると、男は理由を知っているとも思えた。四人は、その表情を見たから悲しくなったのか、それとも、辺りの景色が廃墟で悲しくなったのだろう。無言のまま、男の後を付いて行った。そして、男は壊れた箇所を避けながら階段まで行くと地下へ、地下へと降りて行った。もう歩けないから少しでも良いから休みたいと、二人の女性が言う頃だった。
「後、一階段だけ下りれば着きますから頑張ってください」
四人は疲れているからだろう。頷くだけで無言のまま後を付いて行った。そして、一番の階の下に着くと、この世の終わりでも見たかの様な驚きの表情を表した。男を見た。それは、当然かもしれない。今まで降りてきた階の中でも酷い状態だったからだ。
「あるじさま~ぁ」
男は、今まで落ち着いていたが、突然に、叫び声を上げながら走りだした。まるで瓦礫など無いと思う程の進み方だった。
「どうしたのだろう?」
「何か見たのかな?」
「心配だから見に行きましょう」
「・・・・」
「俺が先に進むから同じ様に歩いてこいな」
新が足も元に注意しながら中に入っていた。その後を、三人は恐る恐ると中に入った。すると、新が立ち止まった。自分たちが入ったのが分かったのだろうか、いや、違っていた。視線の先には、男が蹲って泣いている様に思えた。それを見て、新は歩く事ができなかったのだ。
「礼司。どうした?」
天猫が雪の腕から下りて、男の所に向かった。この時だった。天猫が飛び降りた場所が悪かったのか、それとも良かったのだろうか、機械の音だろうか、切れている配線が繋がったのだろう。そうとしか思えない事が起きた。闇だった壁の裏が不思議な事に隠れた場所から小さい光が点灯を始めた。その数が段々と増えていく。
「礼司。どうしたのだ?」
「この状態では、主様は・・・・・・・もう」
「目的の場所は、ここなのか?」
「は・・・い。私は・・・・主が居ないのでしたら機能を停止・・・し・・」
「おう、遅かったなぁ。もっと早く来ると思っていたぞ。私の可愛い子猫ちゃん」
「にゃあ~」
男性は、女性の言葉を聞くと、先ほどまでの死を考える様な表情からは想像も出来ない。まるで、無邪気な子供の様に笑顔を浮かべながら女性の所に駈け出した。
「この宝塚の男性役の様な話し方や態度は、間違いない。礼司の主だ」
「ほう、天猫ではないか、久しぶりだな。主たちは一緒ではないのか?」
「主様たちとは、戦いの最中で」
天猫は昔を思い出しているのだろう。涙を流していた。
「おお、まさか、新、明菜、雪、昌ではないだろうな」
この女性は、天猫の話など初めから興味がなかったのだろうか、それとも、それ以上の興味の対象があったからだろう。天猫のことなど完全に忘れている様に思えた。
「なぜ、俺たちの名前を知っている?」
「本当に、若い時の姿に似ている」
「俺の話が聞こえないのか、俺の問いに早く答えろ」
「生きていてくれて本当に良かった。希望だけはあったのだが探せなかったのだ。これで、友に会える。良い男。良い女になっていると言う事が出来る」
「えっ、今何と?」
「主様。何と言う事を、まさか、この世から消えると言うのですか?」
男は、主の足元の側で畏まっていたのだ。
「礼司。もう食べる事も出来ないのだ」
「何て言う事を・・・・言うの・・・・です」
男は、泣きながら主の足に縋ろうとした。だが、すり抜けてしまった。
「え」
四人の男女と天猫が驚きの声を上げた。
「嘘・・・なぜ・・・主様・・何があったのですか?」
男は、気が狂いそうに頭を掻き毟った。
「お前と同じになったのだ。だが、心配する事はない。共に壊れて風化するまで居よう」
「主様。私は嬉しいです」
「いい加減にしろ~」
新は、何度も同じ事を言っても返事が返らないので怒鳴り声を上げた。
「そうだった。忘れていたのではないぞ」
「礼司。少し大人しくしていてくれ、大事な話があるのだ」
呼び名によって状況や態度を変える様に設定しているのだろうか、戦国時代の小姓の様に主の言葉が掛けられるまで畏まっている姿だった。
「新、明菜、雪、昌。の両親とは友だった」
第二十五章
四人の男女は、一人の女性と言うべきなのか、元は人間だった女性と言うべきなのか、その問は後にしても、その女性の言葉を聞いて驚きの表情を表したのだった。それは当然の反応だろう。何一つ、自分たちの事が分からなかったのだからだ。
「それだけでない。自分が、お前らを戦争の被害にならない場所に置いてくる指示を与えた者なのだ。それと信じて欲しいのだが、お前らの両親は、自分の子供を守るためにした事なのだ。自分に手渡す時は、泣いて別れを惜しんでいた。それ程までの大事な使命があったのだ。それを今から教える。
「我々は、人類などを造り上げた。文明の子孫なのだ。恐らく、四人が最後の血族かもしれない。もう少し正確に言うのなら直系の子孫と言うべきかもしれない。まあ、世界中を捜し歩くか、前文明の機械が正確に作動すれば、もしかすると、もう少しは居るかもしれないが、自分が知る限りでは、四人だけだ」
「え」
「驚く事はない。赤い感覚器官や背中の羽がない。そう言いたいのだろう。始まりの祖は、初代の民族は、赤い感覚器官や背中の羽があったかとは、自分にも分らない。だが、この都市に住んでいた者たちは、直系の子孫のはずなのだ」
「それなら、私たちは血が繋がっている兄弟であり姉妹なのですね」
「それは違う。四人とも親が違うのだ。なぜ、親が子供を手放す事になったかと言うと、十人の男女の諍いなのだ。四人の感覚器官の無い者と六人の有る者の別れから始まった。四人は、人と同じ姿だ。自分たちは、人の事を擬人と呼んでいる。同じ姿なのだから都市から出て人と暮らす。そう言って出て行った。その時、赤い感覚器官が有る者も一人だけ共に行ったのだ。これが全ての始まりだった。
その者が、擬人を好きになってしまった。それも、戦争で国を無くした。姫を好きになってしまったのだ。その女性の生い立ちを聞いて。新たな理想の国を造ろう。と考えて都市に帰ってきたのだよ。その話しだけなら問題がなかったのだが、都市にある文明の遺産を使って国々を征服すると言った。その様な話を誰も賛成する者がいなかった。我を忘れる程まで女性が好きだったのか、理想の国と言う夢に、心の全てが飲まれてしまったのだろう。今思えば、擬人たちの戦争を見たのか、巻き込まれたのかもしれない。それで、夢に縋るしかなかったのだろう。だが、我ら九人は反対したので、そいつは、子供を人質にしても都市の遺産を使う考えだった。それを知って、私だけを置いて都市から出て行った。それから、二年くらい過ぎた頃だった。夢に我を忘れた者以外は、都市に帰って来たのだ。その理由を聞いて、自分は泣きたくなった。
それは、姫の家臣と男が、子供を人質にするために襲ったのだ。どこに逃げても追いかけられた為に、都市に帰って来たと言われたよ。そして、自分に子供を託して、男と話し合いに出たのだ。それから、自分は思案した。都市で育てるか、擬人と暮らした方がいいのかと、そして、出た決断は、知人の擬人に託すことだった。だが、その者も襲われてから消息が分からなくなった。そして、自分は、無事を祈る様な気持ちと、静に暮らすために礼司と共に暮らす事を選んだ。それから、天猫にも会えて楽しかったのだが、九人の中の一人が訪れてきた。姫の家臣と男が、文明の遺産の一部を使って理想の国を造る戦いを始めたと、言われらのだ。その頃の自分は礼司と暮らしたいだけだった。どちらでもよかったのだ。だが、都市機能を壊しても遺産を使うのを知って仕方がなく協力したのだ。都市の機能が壊されたら、礼司は停止するからだ。その為に都市に戻ったが遅かった。都市の機能の八割を壊して自動機械人形を持ち出した後だった。それでも自分は、都市の機能を回復するために都市に残り修復している時だった。八人が返って来たのだよ。戦争を止めるために武器が必要だったらしい。その時に、子供たちの事を聞かれたが、擬人に預けて幸せに暮らしているはずだと嘘をついた。その時、八人が子供の幸せを思い描いて満面の笑みを見せられたら協力するしかなかったが、八人は言ってくれた。闘わなくても構わないから遠隔操作で人形を止めてくれと言われたのだ。それは都市の機能が八割も壊されていたので無理だった。それでも、一つだけは止める方法があった。自分の身体を機械に繋げて修復の指示をする事なら可能だった。それを実行したのだよ」
「・・・・・・・・・・」
四人の男女は涙を流しながら俯いていた。その姿を見て、戦争を止められなかった事の謝罪の気持ちなのだろう。
「両親の姿を見たくないか、戦争の時の作戦資料のために記憶されている映像だが、もしも見たいのなら流すぞ。だが、戦争の場面だから心に凄い衝撃を感じるかもしれないぞ」
「見たいです」
新だけが声に出したが、他の三人も何度も頷いていた。
「分かった。今見せよう」
その映された映像には、擬人同士の戦場の場面だった。恐らく、男の想い人の姫の連合軍と征服した軍勢の場面だった。そして、姫の連合軍の前面には鉄の人形が二千体は居るだろう。刀を上へ、下へと繰り返しながら動かして前進する状態が見えた。甲冑だろうと思い者がいるだろうが、感情が感じられないのだ。普通ならば弓が飛んでくれば避けようと身体を動かす者や刀の動きなどに微妙な動きや止める者がいるだろう。だが、その二千体には、規則正しく歩き、刀の上下の運動も同じなのだ。それだけでなく、刀で身体を一刀両断される者や切りつけられて倒れる者を石でも踏みつける様に歩き続けるのだ。それも、鉄の人形が横一列から食み出る事なく規則正しく進んでいる。時間が過ぎれば過ぎるほどに、征服した軍勢が後退し始めた時だ。八人の男女が、他の軍人と違う服装で、変な武器で鉄の人形を倒し始めたのだ。その場面がでると・・・・・・・・・。
「この八人が、新、明菜、雪、昌の両親だ。忘れない様に目に焼き付けておけよ」
恐らく、雪と昌の両親だろう。背中のカゲロウの羽(羽衣)の力で空を飛び上がったと思えば、下りると繰り返しながら赤い感覚器官で刺し、叩きすけ、切り裂きと倒し続ける。新と明菜の両親は、恐らく、当時ではありえない飛び道具で鉄人形の身体に穴を開けるだけでなく、遠くに吹っ飛ばしていた。この様な事を無限に出来るはずもなく、顔の表情には苦痛を感じ始めた頃だった。鉄人形が突然に止まった。その後は、八人が巻き込める様に擬人同士の戦いに発展すると映像は消えた。
「ここまでしか映像はない。自分と機械が繋がった事態で強制的に電力を止めたのだ。この後の八人は、どうなったのかは分からない。不思議に思うだろうが、礼司が現れた時、私が目覚めたのだ。当時の記憶がないが、礼司が現れたら起動する様にしたのか、何かの偶然に起動したか、電力が充電できたのか、自分にも分らないのだ。だから、済まないが許してくれないか」
「十分です。一生忘れない様に目に焼き付けました」
「ありがとう」
「顔や姿などが見られただけでも嬉しいです」
「目を閉じれば思い出せますから心配しないで下さい」
四人の男女は同じ様な事を言いながら礼を返した。
「もしもだが、旅の理由がなくなった時に、補助機能として作られた都市に行ってみたら、どうかな。その都市の近くには、自分が預けた擬人の町でもあり、八人が最後に守った町でもある。何かの消息があるかもしれないぞ。それと反対の事を言うのだが、十人の中では、自分が一番若かったのだ。仮に他の者が生き延びていたとしも、今も存命か分らないぞ」
「今、何歳なのですか?」
「女性に歳を聞くのは失礼よ」
「すみませんでした」
新は、即座に頭を下げた。
(この人は、先ほどまで男の様な態度だったのが、自分の都合で女性になるのか)
「確かに、今では高齢になっているわね。それに、佐久間さんの話しでは生まれて直ぐの赤ちゃんが玄関に居たので、引き取ったと言っていたけど歳の数が合わないわよね」
「佐久間さんって、興味がある事なら憶えるけど、興味がない事は憶える気持がないわ。それに、可なり変な人の部類に入るわよ。私、秘書も兼ねていたから分かるのだけど、館に犬がいたでしょう。知人とか客人に犬を紹介する時ね。何年過ぎても一歳の子犬って紹介していたわ。その理由を聞いたら、小さいから一歳で良いのだ。そう言っていたわ」
「お茶目な所もあったのね」
「だから、今思ったのだけど、犬と一緒で、私たちも小さい赤ん坊だから一歳と言っていた可能性があるかもって思ったのよ」
「ありえそうね」
明菜と雪は、話が逸れてきたのを気がつかないまま、興奮度も上がり続ける。それだけでなくて声の音量も上がり続けた時だ。それとは、反対に不満や不快感が膨らむ者が居た。
「礼司。自分は、これ以上の無駄な時間を潰す気持ちがない。直ぐにでもお客さんを送り届けなさい。そして、あの建物を片付けて早く帰って来るのです」
全てを言い終わると、立体映像の女性は消えた。
「承知しました」
この言葉は、恐らく、女性の耳には届いていないだろう。
「久し振りの再開を打ち壊して済まなかった。許して欲しい」
「気にしないでください。どうしたら、二人の会話を終わらせるかと考えていたのですから、それをしなければ主様と二人になれない。それを、主様が代わりに言ってくださったのです。喜ばしいことです。ですから、何も気にしなくて良いのです。それよりも帰りましょう。それと、二人の女性の不満の解消を考えていた方が良いと思いますね」
「それは・・・」
新は、馬車に戻った時の事が目に浮かんだ。それは、不満が解消されるまで雄叫びの様な会話が続く物だった。
「あの女の人が消えたわよ。まさか、幽霊だったの?」
「それは、分かりません。それよりも帰りましょう。もし又、菓子が食べたいのでしたら寄ってもいいですよ」
男には立体映像だと分かっていたが、説明が大変だからだろう。それと、新が拝む姿を見て話を逸らしたとも思えた。そして、昌に視線を向けると、男は近寄った。
「これで、最後だと思う。だから伝えたい事があった。雪と赤い感覚器官が繋がっているのか、それは分からない。だが、短い付き合いだったが思う事があった。それは、雪だけでなく女性と仲良くなりたいのならば、女性に答えを求めては駄目だ。今までの旅では猫が居たから良かったと思うぞ。その恐怖で打ち解けないのだと思われているかもしれないが、俺が見た感じでは、何て答えて良いのか迷っていた為に、会話に入れなかったのが感じ取れた。例えばだ。ある喫茶店でのことを思い出してくれないか、あの時は、洋菓子と和菓子を頼んだはずだ。真っ先に手を取って食べたのが、明菜だった。その時に何て言ったか憶えているか、明菜は、三人に「美味しいわね。」と、問いかけた。だが、まだ、誰も洋菓子は食べていなかった。それで、直ぐに返事を返したのが、雪だったが和菓子を食べていたのだ。だが、明菜に、「そうよね。」と返事を返した。まだ、誰も食べていなかった。
それから、新が、洋菓子でなく和菓子に手を伸ばしながら返事を返した。「そうだろうなぁ。」とだぞ。三人は、誰ひとりとして、明菜の問いかけに答えていないのだ。それなのに、昌は、何て答えていいのかと、迷っている間に、話題が変わり。無言で終わってしまったのを憶えている。俺は会話など興味がないのだ。女性の笑みが見たいだけだからな。昌は違うだろう。それに、新は何を求めているのか分からない。だが、問い掛けられた返事は、好きなように取れる返事を返していただろう。それを真似た方が良いと思うぞ。これだけが言いたかったのだ。頑張れよ」
昌に伝え終えた。すると、先ほどまでの様な態度で、三人の所に戻った。
「どうしたの?」
雪が、心配そうに、男と昌に交互に視線を向けた。
「何でもないですよ。何を食べるのかと聞いただけです」
「キャー」
二人の女性は、食事と言う言葉に興奮を表した。
「直ぐに行きましょう」
誰一人として帰りは愚痴を溢す者がいなかった。菓子と言う欲求不満を解消する妙薬とも思える物があったからだろう。そして、当然だが何事もなく馬車まで着いたのだが、二人の女性は、別れの挨拶よりも、また、菓子が食べられる予約の話しかしなかった。
「いいですよ。また、お会える機会があればお連れしましょう」
「楽しみしているわね。またね」
「帰りには、必ず寄りますわ」
男は、手を振るだけで何も言わなかった。と言うよりも何て言うか困っているのだろう。それは、主の指示で建物と風車を壊すのだ。もう、二度と会えるはずがないからだ。もしかしたら、馬車が消えるまで手を振っていたのは、二度と会えない悲しみとも思えた。
「主様と同じ見たいに美味しそうに食べる人たちだった」
男は機械だからなのか、人の笑みを浮かべられる様にするのが第一の考えだった。だが、主は、自分と同じ機械になった為に、人の笑みが見られないと落ち込んでいたのだ。それで、名残惜しくて馬車が見えなくなっても見続けているのか、それとも、四人の楽しみを消したくない為に、建物などを爆破させる音が聞こえない距離まで待っていたのだろう。
「何か、変な音が聞こえなかった?」
「何も、どんな音だ?」
男は、機械だから正確な計算が出来るのだろう。建物と風車などの全ての痕跡を残さない様に爆破の用意をしてから建物の中に消えた。その後に、予定された時間に爆破が実行された。その事を知らずに馬車の中と御者で、これからの事と菓子や食事の話をしていたのだが、爆破した時間の一瞬だけ会話が途切れた。そして、突然に天猫が・・・・・。
「今度、休憩の休憩が終わったら洞窟に帰る。もう我は必要がないだろう」
四人の男女は驚きの声を上げたが、言い終わると寝てしまい。何一つも言う事が出来なかった。天猫の言う通りに夕方になると休憩を取って、食事を食べ終わると「さよなら」の一言だけ言うと闇の中に消えて行った。
その頃、都市の遺跡では・・・・・・・。
「ただ今戻りました」
「おかえり。私の可愛い子猫ちゃん」
「普段は、何も聞かずに飲み物の準備か食事の用意をするのですが、私は、何をしたら宜しいでしょうか?」
「そうね。掃除をしましょうか、周りの様子を見て直ぐには終わりそうにないわよ」
「その様ですね」
男は、主の言葉を聞くと、周りに視線を見回した後、主を見た。すると、食事を食べている時の笑みを浮かべていたのだ。その笑みを見て同じ様に笑みを返した。男は機械の心なのに、その笑みには、前と同じ様に楽しい時間を過ごせる。その様に感じられた。
「私は手伝えないけど、頑張ってね」
そう言うと、少女の様に嬉しそうに笑っていた。
「安心してください。なるべく早く片付ける様に致しますね」
「いいのよ。時間はたっぷりとあるのだしゆっくりしなさい」
男は、主の指示を聞きながら嬉しそうに片付けていた。この二人は、いや、二体の機械と言うべきなのか、もしもだが片付けが終わったとしても、修理や修繕などで、二体の身体が風化までは大げさだが、起動しなくなるまでの時間を潰すのには十分過ぎる程の廃墟だった。
第二十六章
四人の男女が天猫と別れて一週間が過ぎようとしていた。その間、今まで進んで来た時と違って、普通の旅と言うのだろうか、何事もなく道を進んでいた。まあ、確かに、雪は寝る前に、焚火に枯れ葉を燃やしながら呪文の様な事を呟く事をしているので、恐らく修正をしていたのだろう。それ位だけで後は、記憶が残らない程の時間の過ぎかただった。
「天ちゃんは、洞窟に着いたかな?」
明菜は、馬車の奥から新が座っている後ろに腰を下ろした。そして、新の後から外の景色を見ながら呟いた。
「もう別れてから一週間だろう。もう着いたと思うぞ」
「そうね。もう一週間も過ぎたのね」
「それよりも、どうしたのだ。突然に、天猫の話題なんか出して」
「だって、次の町って国境でしょう。他の国の事を考えていたら、今までのいろいろな事を思い出したの」
「帰りたくなったのか?」
「どこへ?」
「帰ると言えば、佐久間さんの領地しかないだろう?」
「そうね」
「まさか、洋菓子などを食べた。あの場所に住む気持ちだったのか?」
「違うわ。これから生まれた所や同族が居る町に行くのよ。でも、あの場所もいいわね」
「もしかして怖いのか?」
「新は、怖くないの?」
「確かに、国境を越えれば何が起きるか分からない。それでも、明菜と雪の言葉を借りるのなら、もっと、美味しい菓子があるかもしれないぞ」
新は、冗談だと言う様に大笑いして、明菜にも笑みを浮かばせようとした。
「もう、馬鹿」
(私って、そんなに食いしん坊に思われているの?)
「安心しろ。俺が命に代えても守ってやるから、明菜は楽しいことだけを考えていろよ」
新の考えでは、笑みを浮かべてくれると思ったのだが、逆に、落ち込んでしまったので、それ程までに国から怖いと感じた。それで、落ち着かせる考えと同時に、心の想いを明菜に囁いた。それも、雪、昌に聞こえない様に、耳に唇が当たるまで近づいて言った。
「おっと、落ちるところだった」
昌の声と馬車が大きい石を乗り越えて、大きく揺れるのが同時だった。
「キャー」
「大丈夫かぁ」
明菜は、昌の声で驚いたのか、揺れた事に驚いたのかは、本人だけが分かる事だったが、頬を赤らめているので、新と自分の二人の会話が聞こえたと思っているのだろう。
「明菜、顔が赤いよ。もしかして馬車の中は暑いのかな、暑くてもいいから場所を代わってくれないかな、少しでいいから中で眠りたいか・・・駄目ならいいけど」
「いいわよ」
「ありがとう」
(もしかして聞こえていたから言っての?)
明菜が、一瞬だけ考えたが、恥ずかしさ爆発したのだろう。八つ当たりの様に、昌に大声を上げていた。
「でも、雪が寝ているからって変な事したら馬車から叩き出すわよ」
「しないよ。横になりたいだけだから信じてよ」
「どうしたの。もう町に着いたの?」
「違うわよ。昌が突然に馬車の中で寝たいって言ったのよ」
「そう、いいわよ。なら、私も御者に座って風に当たるわ」
「そう」
明菜は詰まらなそうに返事を返した。
「駄目?」
「そんな事はないわよ」
「今度の町を出ると国から出るのね。何も起こらなければいいけど」
「変な事を言わないでよ。嫌な気持ちになるでしょう」
「ごめんなさい。でも、今思ったの。佐久間さんが、変な馬車を用意したのって国から出る用心の為なのかなって、思ったからなの」
「そう、ならいいわよ。でも、今まで物騒な事ってなかったからね。雪が思うのも当然かもね。でも、あまり不吉な事を口にしないで怖いし、本当になったら嫌だからね」
「そうね。ごめんなさい」
「でも、左手の小指の赤い感覚器官が伝えたのなら教えてよ」
「大丈夫よ。その時は、はっきりと言うわ」
「うん。そうしてね。ねね、新?」
雪と話をしていたのだが、突然に、新に顔を向けた。
「どうした?」
「町に着くのは、いつ頃なのかな?」
「今までの、道の間隔と同じなら夕方には着くだろう」
「それなら、昼は馬車の中で簡単に済ませて、町に早く着きましょう。そして、町で美味しい物を食べない?」
「そうしよう」
今は誰も町での楽しい過ごし方を考えているが、雪の言葉が本当に起こるのだった。それは、赤い感覚器官は知らせていない。それは、天猫と再開するか、再開しないかの時の流れの間だった。時の自動の修復も思案している状態なのだろう。全ては、町に着いてから時の流れが決まるはずだ。
「おお」
新が驚きの声を上げた。その言葉を聞いて三人の男女も御者の席にまで出てきた。
予定どおりに夕方には町に着くと、驚いて声を上げていた。それでも、四人の男女は、同じ国の者から比べれば驚きの様子は軽いと思われる。それなら何故なのかと思われるだろうが、運命の相手を映す泉にある旅館に泊って異国の服を見たからだ。特に女性たちは、自分たちが着た着物は室内着と思っていた為に、頬を赤らめながら視線を向けていた。男たちは同じ様に視線を向けていたが、女性たちとは違って性的な興奮を表していた。
「やぁねぇ。男の人ってね」
「そうね」
二人の女性は、男性の興奮から来るよだれを飲み込んだ音でも聞こえたのだろう。それで、視線を向けてみると、千年の恋も冷めるような表情を浮かべていた。
「鳳凰の紋章をお持ちの新さま。どう致しました?」
馬車が前に進まない為に、検問所の者が不審を感じて近寄って来た。それでも、鳳凰の紋章を持つ人なので、頭を掻きながら何て言うかと困っていた。
「え」
新は、声に驚いて左を向いた。そして、検問所の者は、新の笑みで理由が分かった。
「分かりますよ。考えなくても女性に視線が向くのですね。でも、気をつけてくださいね。この町は、この国の者と言うべきなのですが、別名、別れの町と言われているのです。男性が想い人以外の女性を見てしまい。女性が愛想を尽かす。そう言われているのですが、それは、何も知らない者だからです。そこで、色付き眼鏡を使用すれば危険度が低くなるのですよ。想い人の視線など気にしなくても女性を見放題です。ぐへへへ」
検問所の者は、新の耳まで近寄って囁いた。
「ありがとう」
「何か言われたの?」
新は、笑みを浮かべながら検問所の者に礼を返すが、明菜が不審そうに問い掛けてきた。
「この町は、異国の人が多いから気をつけて下さい。そう言われただけだ」
「ああ、聞いたことがあるわ。集団でする窃盗ね。怖いわね」
「そうそう、それ、それだ」
新は慌てて頷いて見せて、馬車を走らせようとした時だった。雪の悲鳴が響いた。
「キャー」
そして、雪は痛みを堪えるためだろう。左手の手首を押さえたのだが、なぜか、痛みを堪える表情と言うよりも不思議そうに悩んでいる表情を表していたのだ。
「雪、どうした?」
「赤い感覚器官が変なの」
「それでも、指示は来たのか?」
「ないのです。それだけでなくて方向も示さないで回転しているのです。何て言えばいいのか、まるで、危険を感じて直ぐにでも防御が出来る様な感じなのよ」
「そうかぁ。なら、昌も?」
新は、昌の方に振り向いたが、何故か放心状態だった。その様子に気がついて真っ先に、雪が、昌の容態を確かめに行った。
「昌さん。大丈夫?」
昌は、心底から愛しい人の言葉だからだろう。痛みも消えて、少し正気を取り戻した。
「左手が凄く痛くて」
「もしかして、赤い感覚器官が回っているのでない?」
「えっ、雪さんも?」
「うん。これでは、どうしたらいいの?」
「むむ」
昌は、返事に困っていた。なら、赤い感覚器官は何をしているのか?
(今回は、なにもするな)
(それは、当然だ。この状況ではしたくても出来ない。空から限りなく雨の粒が落ちて来る様な時間の流れの粒があるのだ。もし、粒に触れて時間の流れに吸い込まれたら困るからな。触れないように逃げるのだけで精一杯だ)
(それにしても、これ程の数の時間の流れがあるのだな)
(そうだな、面白いのが見えたぞ。雪が未来に飛ばされる時の粒もある。それに、他国の王妃候補なんて場合もある。おおお、雪が女神に祭り上げられて大陸の征服の旅なんてこともある。そして、昌と結ばれるのが七十年後だと、子孫を残せるのか?)
(確かに、時の流れの粒を見ていて楽しいのはわかる。だが、触れるなよ。もしもだが触れて、その粒の時の流れを実行する事になったら恐ろしいことになるぞ)
(分かっている。触れた為に永遠に時の流れを彷徨いたくないからな)
(なぜ、この様な状態になったのだ。もしかすると男性とは粒の数のほど心が動くのか?)
(何とも言えない。女性は、どうなのだ?)
(まあ、その問い合うよりも、避ける事に真剣にならないか)
(そうだな。今回は、主たちの気まぐれに任せるしかないだろう)
赤い感覚器官には性別はないのだが、主と言うか、身体の本体の意識から女性的な男性的な思考がある。それなのに返事を避けたのは、主の名誉を考えたからだろう。この様な会話は、雪と昌は分かるはずもなかった。
「そうそう、この町の人の様な品物を買ってみないか?」
新は、馬車の雰囲気を変えようとした。特に、昌と雪の気持ちなのだが、視線は、何故か、明菜に向けているのは、邪な考えがあるからだろう。
「品物?」
「そうだ。例えば、胸に付けている飾りとか、首に巻いている布など買ってみたらどうだ。殆どの女性が付けているぞ」
「そうね」
「そうだろう」
(これで、色付き眼鏡が手に入るぞ。なら、サッサと買わせるしかない。そして、探している間に、俺は近くの店で適当な色付き眼鏡を買う。これしかない)
「明菜、あの店なんて良くないかぁ」
「新が、そこまで言うなら・・・・雪も、あの店に決める?」
「いいわよ」
「でも、新が、女性の装飾品に興味があったなんて知らなかった。ねね、それで、何と付けているのが見たいの?」
「そうだなぁ」
(ここで周りの女性を見たら駄目だ。その女性が好きだと思われる。何とか適当な装身具を言わなければ駄目だ。だが、周りの女性を見て同じ物がいいと言えれば簡単なのだが、これが運命の分かれ道なのだろう)
雪と昌の赤い感覚器官が、もしもだが返事が出来たのならば、手を叩きながら声を上げたはずだろう。この様な状況で指示を与えて強制的に行動をしていたら、恐らく、破局の可能性もあったと叫んでいたはずだ。
「首に巻くのが、可愛いと思う。胸に付けるのも良いと思うぞ」
(死ぬ程まで考えたが、女性の装身具など分かるはずもなかった。仕方がなく、先ほど、自分が言ったことを繰り返すだけだった。そして、新の予定の通り二人を店の店員に押し付けて、即に、近くの色付け眼鏡を売っている所に走った。そして、自分の考えと一緒だと思い。昌の分も買うと、明菜と雪が居る店に戻った。だが、まだ、装身具を決めていなかった。新は気がついてないが、新の好みを聞きたかったからだとは、想像もしていなかった。
「ねね、新は、どれが好みかな?」
「そうだなぁ。もう少し明るい色がいいかも、それに、大きな花柄が似合うかもなぁ」
その言葉を聞くと、選んでくれた物を嬉しそうに手に持って店員の所に向かった。
第二十七章
新は、色付き眼鏡を買う。それしか考えていなかったのだろう。自分がいる店に女性だけしか居ないと気が付くだけでなく、色付き眼鏡を使用する時の事を考えていたので、視線の先にあるのが何かとは考えてもいなかった。
「もしかして、その下着を買えって言わないわよね」
「えっ、言う訳ないだろう。俺は、馬車にいるから好きな物を選んでいろ」
「それが、良いわね。そうしてくれる方がゆっくり選べるわ」
と、雪が恥ずかしそうに答えた。そして、明菜が締めくくった。
「後で、装身具は見せてあげるからね」
新は、頷くと慌てて馬車に駆け込んだ。
「おおい、昌の物も買ってきたぞ」
新は、興奮を表しながら、昌に小さい箱を手渡した。
「これなに?」
「これだよ。同じ物を買って来てやったのだぞ。これで、自由に視線を向けられるぞ」
新は、黒色の眼鏡を指差した。
「俺も色付き眼鏡をかけるの?」
「欲しかっただろう」
「あっ、うん。ありがとう」
一瞬だけ意味が分からなかったが、男だからだろう。その利用方法が直ぐに分かった。特に新はと言うべきだろう。首を動かさないまま女性に視線を向け続けていた時だった。明菜と雪が帰って来た。
「待ちくたびれたでしょう。珍しいのが沢山あって見ていたの。ごめんね」
「気にしなくてよかったのだぞ」
「今度からは、そうするわね。それで、これから、どうするの?」
「そうだな、宿を探すかぁ」
「でも、格安の宿はやめようよね」
この町に来るまでに、一度だけだが宿に泊まったことがあり。始めて泊まったのが高い宿と言うか、ぼったくりではないかと思っていたのだ。だが、格安の宿も酷い状態と感じてもいたので、その為に、中間の値段にしょうと話し合っていたのだ。そして、宿の値踏みを考えながら馬車で移動している時だった。
「そうそう、今思い出したのだけど、この町ね。眼鏡の売り上げが、国内で八割らしいわよ」
「ほう、八割なのか」
「それも、日差しが眩しくもないのに、色付き眼鏡が売れているのよ。何故なのでしょうね」
「何故だろうなぁ」
「新は、何故、買ったの?」
「むむ、見ていたら欲しくなってなぁ」
「やはり、そうなのね。佐久間さんに会えたら言わないとね」
「調べるように言われたのか?」
「違うわよ。授業の時に話題に上がったのよ」
「俺は、始めて聞いたぞ」
「だって、新は、市場分析科って希望しなかったでしょう」
「面白そうだな、機会があれば受けてみるよ」
「ねね、宿は探しているの?」
雪は、 新と明菜の会話を聞いていたのだが、宿の話が出ないので心配になったのだろう。
「探しているわよ。良い宿が合ったの?」
「うん。店の構えもほどほどに凝っていて、人の出入りも多くて人気の宿みたいよ」
「そこに決めるかぁ」
「昌さんは、良いと思う宿はありましたの?」
雪は、どこでも良かったのだが、昌が好みそうな所を探していただけだった。
「綺麗だ」
「えっ、そうね。綺麗な玄関の扉ね」
雪は、一瞬だが、自分の事を言われたと思い頬を赤らめたが、直ぐに違うと思い直して後ろを振り向いた。すると、宿の扉が綺麗な細工だと感じて頷いた。それでも、雪が思ったとおりに、昌は、雪を見て呆けていたのだ。
「昌も、気に言ったのか、なら、その宿に決めよう」
「そうね」
明菜と新は、宿を探していないのを隠すためだろうか、直ぐに馬車から降りて馬車の移動係に泊まる事を言いに行った。
「お客様。必要な荷物を持ち馬車の鍵を閉めてください」
伝え終わると、四回の指音を鳴らした。すると、旅館の扉がから四人の男が現れた。
「いらっしゃいませ。お荷物があるのでしたらお持ちしますので中にお入り下さい」
四人は、気が付いていないだろう。格式が高い宿なのを、だが、運命の泉の近くの宿よりは安いはずだから喜んで泊まるはずだ。
「安いわね」
手続きが終わると、指定された部屋に移動している時だ。明菜は、三度目の宿の値段が中間の値段だったために嬉しくて声を上げていた。その言葉を女将に聞かれてしまった。
「ふっふふ、世間知らずのお嬢様たちね。儲けさせて頂くわよ」
上等な部屋だけは、女将自ら花を生けていた。そして、終えて部屋を出ようとした時に、言葉が聞こえて来たのだ。それから、部屋の前を通り過ぎた音を聞くと、こっそりと顔だけ出して、誰なのかと確かめた。
「キャー」
女性の悲鳴を聞いて、女将は何事なのかと部屋の前まで来ていた。その悲鳴の原因は、先ほどまで女将がしていたことだ。花だけでなく、花の香りを強調する様な香木も焚いていたからだ。この様な客のもてなしは、女性なら誰でも喜ぶはずだろう。
「ねね、明菜。本当に、運命の泉の時に泊まった。あの宿よりも安いのね」
「そうなのよ。花や香木だけでなくて部屋も広くて綺麗なのに安いの」
二人の女性は興奮のために声が部屋の外まで漏れているのに気がつかないでいた。そのために、女将が、邪悪な表情を浮かべながら笑う声に気が付くはずもなかった。
「最高のお持て成しをしてあげるわ。それも、宿の料金以上の値段を頂くけどね」
女将も興奮しているために、心の思いを隠すことが出来なかったのだろう。声に出したまま受付係の事務所まで歩いて行った。
「一番番頭。菊の部屋にお泊りのお客様に観光案内を実行しなさい」
「えっ、はい。それでは、松竹梅のどれを実行するのでしょうか?」
「松を実行しなさい」
「えっ、菊の部屋で松ですと、料金的に考えて赤字になる恐れがあります」
「構いません。それだけでなく、旧王宮にもお連れしなさい。恐らく、あの話し方では、領主の姫様のお忍びのはずです。当然、お客様に料金を請求します」
「おう、その様な方がお泊りになっているのですね。招致しました。出来る限りの事を致します。女将、安心してお任せ下さい」
「上手く行けば、特別報酬よ。ふっふふ」
女将の表情は成功した後の売上金の事を想像していた。恐らく、邪な笑みの意味は、愛人との旅行でも行くことでも想像しているのだろう。そして、一番番頭は、女将の笑みを見て相当な特別報酬になると思いながら次々と、計画を実行するための予約を取るのに部下を町中に走らせた。
「どの様な方々なのか、挨拶を兼ねて確かめて来ることにするか」
そして確かめるために部屋に向かった。この宿は、確かに安いと評判だが、格安でなく中級の上の値段で観光の案内も含めると安いと言われていたのだ。観光もいろいろあるが、それは、お客と話し合って料金に合う案内を勧めていた。
「お客様」
一番番頭は部屋に着くと、興奮を隠そうとしない会話の声が聞こえて、普段の口調よりも大声を上げることになった。だが、返事がないのが予定されていたのか、会話の内容が分かったのだろうか、その理由は態度だけでは分からないが、何故か何度も頷いていた。
(ほう、初めての旅の様だ。それに会話から判断するとお金に余裕もありそうだな。それに、時間に追われているのかと思ったが、それも無いようだ。なら、全てのお勧めの場所を案内させてあげるとするか、ぐへへへ)
「お客様」
今度は、会話が途切れる一瞬の間を狙って、言葉と同時に扉も叩いた。
「は~い」
明菜が声を上げて扉を開けた。
「会話のお邪魔をしてすみません。私は、この宿の一番番頭を務める者です」
「そうなの。それで?」
「宿のお勧めがありまして、お客様の承認を得にきたのです」
「そうなの?」
「はい。食事は二種類がありまして、宿で食べるか、観光しながら外で食べるのと二種類があるのです。それを選んで欲しいのです」
「そうなの、なら」
「外で食べる場合は別料金になりますが、殆どのお客様は外で食べるのが普通となっております。それは、最高の旅の思い出になるからです」
一番番頭は、明菜が返事を返すのを遮り話し続けた。まるで、誘導する様な話し方だったが、その事には気がついていなかった。流石、一番番頭を務めるだけはある。
「最高な思い出ですか。それ、それがいいです」
「ありがとうございます」
(この女性が財布の紐を握っているのだな。この女性にだけ話しすれば上手く行く)
一番番頭は頬が緩みそうだったが、必死に我慢した。
「それでしたら衣服は用意した方が良いでしょうか?」
「服?」
「そうです。この町の一番のお勧めは、旧王宮での食事と音楽鑑賞なのです。まあ、王宮と聞いて驚くでしょうが、この国の王族とは関係ありません。今は存在しない王国の物ですので一般の人が入っても問題がありません。まあ、一般の人が入れる質素な物だと思われるでしょうが、そこは失望させる事はありません。誰でも、王族の気分を満喫したと喜んでお帰りになります」
「そう、そうなの」
明菜は興奮して気持が高ぶっていた。
「それで、なのですが、服はお持ちの物でも構わないのですが、殆どの方が有料の服を借りて楽しんでいます。ご用意した方が宜しいのでしょうか、それとも」
「するする。借ります」
明菜は、話を最後まで聞かずに即答していた。
「それでは、お客様もお疲れでしょうから、少々身体のお疲れを取った後、二時間後くらいが宜しいでしょうか?」
「はい、はい。お願いします」
明菜は、完全に舞い上がっていた。その様子に気が付き三人の男女も集まって来た。
「それと、借り衣装は最上階にありますので好きな物を選んでください」
「あっ言い忘れていました。有料なのですが、女性の方の限定で、化粧から御髪の整いも致していますので入浴する前に伝えてください」
「そそ、そこまでしてくれるの」
「はい。それをご利用して頂けるのでしたら服は選び放題になります。まあ、男の私には分からないのですが、服によっては一人で着られない物があるらしいのです」
「ああ、そうですね」
「意味が分かって頂いたのですね。それでしたら、化粧などをする時に詳しく言われるので指示に従ってください。最後になりますが、一番番頭の私が観光案内を致しますので、宜しくお願いします」
深々と頭を下げた。その姿勢は扉が閉まって歓声の声が響くまで続いていた。その後、これ以上まで顔の筋肉が緩むのかと思える程に顔を崩しながら女将の自室に駆け込んだ。
「女将」
「その様子では上手く言ったのね」
「はい。それだけでなく、観光の案内と称して特産品の食べ歩きをして頂き、全ての店屋から宣伝費も頂きます」
「ほう、それは良い考えね。それなら、観光案内所に計画を作成して推薦金も頂きましょうよ。上手く行けば、計画の立案者として利用金が貰えるかもしれないわ」
「そうですね。ぐへへへ、その時は、特別報酬も宜しくお願いします」
「わかっているわ。頑張って案内してきなさい」
「はい。それでは失礼します」
一番番頭は部屋から出ると直ぐに、先ほどの部下を町中に走らせた人数よりも倍の人数を追加で走らせた。その様子に気がつかない四人の男女は、時間に間に合うのかと違う意味で慌てていた。町中と宿の中以外にも驚く者がいた。正確には者とは言えないだろう。それは、雪と昌の左手の小指の赤い感覚器官だった。
「何も指示をしなくても上手く行きそうだ」
「そうだな、信じられない程の数だった。時の滴が、もう数える程しか残ってないからな」
「もしかすると、これが時の自動修復なのかもしれない。そう思えないか、四人は自分では行動を決めていない。全ての行動は他人が決めているからな、だから、四人の様々な未来の時の滴が消える原因だと判断できる」
「そうだな、このまま宿の悪巧みが成功すれば町中の騒ぎになる。それなら誰を見ようが、誰に見られようが関係がなくなる。上手い修正の仕方だな。我々では無理かもしれない。まあ、それが、時の自動修復なのだろう」
「そうだな、だが、二人が結ばれる方法に進んでいるのだろうか、それが心配だ」
「大丈夫だろう。結ばれないと未来で不具合になるので、我々が自我として現れたのだ」
「そうだな、もう暫く様子を見るとする」
「それが、良いだろう」
雪の赤い感覚器官が最後に返事を返すと、二つの感覚器官は沈黙した。
第二十八章
町中の関心が、ある宿の集中していた。今での店の雰囲気とは違い、慌ただしくて騒々しくなっていた。女将の指示を知らない者が見たら借金の取り立てかと思える様な人まで出入りしていたのだ。まあ、その人たちは臨時で雇った者だろう。本当に町中の宣伝が出来る物と思える全ての店に使いを出したと思えた。その影響で常連客は入る気持ちになれず。殆どが新規の客しか泊まっていなかった。老舗の宿だから考え過ぎかもしれないが、この計画が失敗すれば閉店に追い困るのではないのかと思わる泊り客と出入りの人だった。だが、それでも、常連客の中では新たな接客方法と聞いて予約する者や新規の泊まり客も旧王宮での舞踏会と聞いて予約する者もいたのだから成功するかもしれない。新規の接客方法の費用を払う。その四人は何も気がつかないで時間に追われていた。まあ、正確に言うのなら二人の女性だけで、二人の男は召使とでも思っているのだろうか、使い走りをさせられていた。それでも、二人の女性の綺麗になっていく姿に見惚れているのだから楽しんでいるとも思えるのだった。
「新、私って何を着ても似合うでしょう」
「昌さん。私の姿は似合っていますか?」
二人の男女は頷くだけだった。一瞬、二人の女性は不満を表したのだが、無言なのが呆けていると感じ取って満足していた。そこまで男を呆ける姿は何なのか、そう思われるだろう。現代の時の流れで言うと、古き良き時代の、西洋の貴族の舞踏会で主役が着る様な豪華な服装だった。それから、二人の男性の呆けている姿を見ていて飽き始めた頃・・・。
「お客様。支度は終わりましたでしょうか」
一番番頭が迎えに現われた。そして、返事が聞こえてくるのを暫く待つと・・・。
「入って来てください」
「うぉおお、お似合いです」
一番番頭は演技でなく心底から感心していた。
(この姿なら最高の宣伝になるぞ)
内心の気持ちとは違って、表情では完璧な接客対応の笑みを浮かべていた。
「まあ、本心でなくても嬉しいわ」
「私の本心を信じてくれなくても、町中の男性の視線は釘付けになるのは確かですよ」
「はい、はい。ありがとう。建前の挨拶はいいわ。まだ行けないの?」
「準備は出来ております。それでしたら行きましょうか」
「そうね。そうしましょう」
「あっ、それと、言うのを忘れていましたが、貸衣装は全て当時に使用された本物ですので、宝石が無くなった場合は弁償して頂くかもしれませんので注意して行動して下さい」
荒々しく声を上げるが、歩く姿とは違っていた。金銀宝石がふんだんに使用しているから重くて動きづらいのだろうか、まるで、本当の深窓の麗人の様だった。もしかすると、宝石が落ちて無くさない様に注意して歩いているのか、それとも、当時の服装の設定は、明菜の様な、いや、それ以上の気性の荒い男性の様な女性でも、深窓の麗人に見せる設定機能だったと感じてしまうのは考え過ぎだろうか。
「明菜、大丈夫かぁ。凄く歩きにくそうだぞ。それで観光が出来るのか?」
「大丈夫よ」
「雪さん。本当に綺麗ですね」
「えへへ、ありがとう」
雪は、明菜の疲れた表情以上の表情を浮かべていたのだが、想い人の言葉を聞いて眩しい笑みを返したが、もしかすると女性服の発展は、今の様な想い人の笑みが原因だと思えた。だが、その一瞬の笑みだけで小国が買える位の服の製作費を出すのは男性なのだ。そう考えると、限度を超えていると思うのは両方なのだろうか、だが、女性の方は体力だけでなく、服の種類では体を壊す者がいると言われているのだから女性の方が異常なのだろうか、そう言えば、観光案内計画を考えたのも女将で女性であり、今回の費用を払うのも明菜たちと言うが女性が払う。考えると切りがないが、それでも、今回の観光案内計画は成功するのは確実なのは確かだ。
「何だ。これは~」
「・・・・」
歩きやすいからだろう。男性が先に玄関から出てきて、馬車を見て驚きの声を上げた。
「うゎあ。お姫様の馬車みたい」
新が驚くのは当然だった。その馬車は、現代で言うのなら超高級車で、金銀宝石を使用できるだけ使用した車で、電光飾を使えるだけ点灯させているのだ。確かに、姫さまの車と言われてば、そうかもしれない。この車を作成して乗る者は、一代の成金か思考のずれた貴族しか乗らないはずだ。
「乗りたくないの?」
「出来れば・・・・嫌だ」
新が、心底から嫌だと表情に表れていた。明菜は、その姿を見て何かを感じた。
「そうね。あなた達の衣装は、執事みたいな服装だから一緒に乗っても召使としか思われないし、それでも、なんで、その地味な服装を選んだのよ」
「まあ、あるにはあったのだが、仮装衣装と思えない物はあったぞ。それを、着てくれ。と言われたら死ぬ方を選ぶ。それ程までに酷い物だった」
「お客様。早く乗ってください。予約の時間に遅れます」
一番番頭は、人の視線があるからだろうか、慇懃無礼に伝えた。
「昌、新。早く乗ってよ。予約時間があるのだって」
「昌さんも早く乗ってね」
「は~い」
「・・・・」
新は渋々乗り込んだ。そして、十分間位の時間が過ぎた時だった。馬車が止まり。一番番頭が声を掛けてきた。
「お客様。目的の場所に着きました」
「お城に着いたのね」
「違うみたいよ。明菜さん」
「そうだな」
「これを食べろと言われるのかな?」
新、明菜、雪は、到着したと言われ出て見ると、そこは、何処にでもある商店街だった。それだけでなく、三十メートルはあるだろうと思える長いテーブルが置かれて何かの食べ物が置いてあったのだ。それを見て意味が分からずに呆然としていた。だが、昌だけは雪の姿を見て呆けていたので、それ以上呆けるはずがなく正気の様な言葉を吐いた。
「試食の遊びです」
「遊び?」
「そうです。王様や上に立つ者は、収入源の特産品を食べて味が落ちていないかの確認をするのです。そして、一番上手い物を選び手本にする様にと推薦するのです」
今思い付いた事をもっともらしく大声で伝えた。
「それが、遊びなの?」
「そうです。面白いでしょう?」
(馬鹿にされたと怒鳴られるかな、まあ、その時は賞金でも付けるかな)
「まっ・・まさか、一日警察署長みたいのかな?」
明菜は、冗談としか思えない計画にのってしまった。
「そうです」
慇懃無礼の態度崩して、それだけでなく、腕を大きく振りかざしながら指し示してしまうほど喜んでしまった。
「おいおい、正気か?」
新は、頭を抱えて蹲ってしまった。その姿を見なかった様な態度で、一番番頭は、明菜に視線を向けた。そして・・・・・。
「それでは、侯爵さま。どうぞ、席にお座りください」
と、明菜に、席を勧めた。そして、雪に視線を向けた。
「公爵さま。どうぞ、席にお座りください」
伝え終わると、同じ様に、伯爵と言うと、新に伝え。子爵と言うと、昌に伝えた。
「伯爵さま。どうぞ、席にお座りください」
「子爵さま、どうぞ、席にお座りください」
と、二人の男にも席を勧めた。そして、長いテーブルの上にある物を一品、一品と四人が座しているテーブルの上に載せてきた。
「それでは、四人の爵位さま。お確かめの儀を宜しくお願い致します」
また、慇懃無礼を装いながら計画を進めていた。それから、百品の試食を済ますと、一番番頭は、四段階の評価をして欲しいと四人に伝えた。全てを書き終えると・・・。
「公爵様。御用達の一品」
「侯爵様。御用達の一品」
「伯爵様。御用達の一品」
「子爵様。御用達の一品」
と、板に書かれた文字を読み上げた。そして、四人が一番美味しいと評価した物の店屋まで行き、表札の授与をしたのだった。全てを渡し終えると馬車に戻り。同じ様な観光と名目のお試し試食の遊びを五回も繰り返した時に・・・・。
「ラッタラタララ、ラッタラタララ」
楽団の音が響いた。四人の男女は後から何の音かと聞いた時に、この町は、今は存在しない国の王都で、その国家の歌だと言われたのだ。
「ウォオオ、キャー」
その歌が聞こえてくると町中がお祭りの開始の様に騒がしくなった。それは、予定されてなかった事が、証明されているかのような言葉を、一番番頭が声を上げたのだった。
「ヤッター。この騒ぎまで重なれば間違いなく、この計画は成功するぞ」
と、叫び声を上げてしまった。一番番頭だけでなく町の住人も祭りの様に興奮を表して浮かれ騒いでいるのだが、この時、全ての城門が閉じられた。当然だが、城門が閉じる音も兵士たちの戦が始まるのかと思う殺気を放つ雰囲気は、兵士だけが分かる事だった。
「我は、飛島(アスカ)連合王国。第七十四代、飛天(ヒテン)王の第一皇子。第七十五代の王として、飛河(ヒガ)王と名乗る者だ」
名乗りを上げると、隣に控えている女性に視線を向けた。
「飛河さま。それで宜しいのです。国も王都も無い王ですが、名乗りを上げる事が重要なのです。それでは、前回と同じ内容を大声で伝えるのです」
この女性は、春香と言う者で、遠い異国の国名を言われても分からない国の大商人の一人娘だった。それだけでなく、美しい容姿だけでなく商人としても軍略にも優れていたが、不思議な事に飛河の事が好きなのだ。それなら何故、国も無ければ親も金も無い者が出会えたのか、それは、何も無いから出会えたのだ。最後の王族のため命を狙われて逃げ続けた結果だった。
「我の王族は、千年も続く近隣諸国よりも古い王家だ。それを証明する」
と、話し始めた。飛河は、王家の財宝を返して欲しいだけだった。代々千年も守り続けた家宝なのだ。自分の代で無くなるのは耐えられないし死ぬ事も出来ない。当然、始祖代々に顔を会わせる事も出来ないからだ。だが、その理由を知っているはずの春香が作成した声明文からは挑発して会戦するとしか思えない内容だった。それも、始祖からの正しいとされる年表の歴史から始まり、故意に格下と思わせる勝利戦だけの年表を述べる。それだけなら無視すれば良いのだが、書簡に同じ内容が書かれている物を、町の領主に渡して間違いがあるのなら修正しろと町中に聞こえる様に伝えるのだ。これでは、領主の体面だけでなく国の威信に係わるために修正して同じ様に読み上げるのだ。当然、飛河も納得が出来るはずもなく同じ事を言葉と書面で繰り返すのだ。これを一月間も続けるのだ。
「春香。これ良いのだな」
「そうです。飛河さま」
「このやり取りを、又、繰り返すのだな」
「そうです」
「これには意味があるのか?」
「あります。第一の理由は飛河さまの無事と、蜂起する力がある事を方々に散った同族に知らせる事もできます。そして一番大事な事は民に希望を与え、飛河さまの国なら住みたいと思わせる事が大事なのです」
「出来るのか?」
「私の計画が成功すればできます」
「そうなのか?」
「お任せください」
飛河だけでなく、誰ひとりとして意味が分からないだろう。春香の考えは、生まれた地で生きて行けるだけの考えだった。それには民の人気と民の経済力を上げる事だった。それが実現できれば、自然と飛河を祭り上げられ蜂起するだろう。その様な事が簡単にできるのかと思われるだろう。それは、均衡している国々の経済力と軍事力なので可能だった。町を包囲する兵も居ないのだが、勝手に他国の旗を使用しての計画と地方領主だから権限がない事にあった。その理由は馬鹿馬鹿しい計画なのだ。千人が超える位の兵士の数で六つの城門の前を包囲する感じで、六つの他国の旗を掲げるだけなのだ。誰が見ても考えても偽の兵士と旗だと分かるのだが、弓矢一本も放つことが出来ないのだ。もしもだが、弓矢を放つか城門を開けるだけで、六カ国との会戦を始める事になり、本物の六カ国の軍が同時に攻め入ってくる。それが現実になると戦争になるはずもなく略奪だけの地獄になり。国土も六分割にされるのが確実だ。それを恐れる為に一月の間中は町から出る事も入る事も許さずに閉じ籠るしかなかった。だが、それなら、町の中が飢えなどで騒ぎが起きるだろうと思われるだろうが、春香の策略と言うか商才と言うべきだろう。親の商館から大量の商品を町の商人に売り付けて領主に買い取る計画を伝えたのだ。その様な夢物語を信じるはずがないと思われるのは当然なのだが、第一回目の時は町の商人に売り付けるのでなく保管して欲しいと、それだけでなく、大量の商品の為に一週間で売れ切れない場合は、殆ど只の様な値段で引き取って欲しいと話を付けたのだ。当然、売れるはずもなく八日後に、飛河が六つの旗を掲げながら現れ、兵糧の為に領主が全て買い求めるのだ。これを、六カ国の国で不定期に繰り返していた。一番恐ろしいのは、春香の考えなのか偶然なのか判断は出来ないが、時が流れるに比例して領主と国の財政は少しずつ減り、民の経済力は増えていき、飛河を国の象徴として祭り上げて蜂起するのだ。
「分かった。春香を信じることにする」
「嬉しくて涙が出てきます」
第二十九章
四人の男女は、王侯や貴族の生活体験と言われて観光を楽しんでいると思うが、恐らく、いろいろ体験しながら試食を食べちゃうぞ。が、正しい正式名称だろう。そして、町中の商店を回っていたが、それも、そろそろ終わろうとしていた。
「爵位をお持ちの方々、庶民の体験はお楽しみ頂けましたか?」
一番番頭は、昔に、今の様な場面を見た気がした。それは間違いなかった。幼い時に、同じ様な事があったのだ。この街の旧統治者であり当時の王は、自分の子供の誕生日には、庶民と一緒に祝っていたのだ。まあ、全ての商店には行かないが、働く姿を見せては商売の体験をさせていたのだ。
「余は、満足じゃ。うぁははは」
明菜が、真っ先に返事を返した。その後、明菜と同じ様に自分が思っている王や貴族の真似と思う態度を表しながら返事を返していた。
「それでは、城に向かいます。宜しいですね」
四人の男女が馬車の中に入ると、一番番頭は演目の続きを始めた。
「よきにはからえ」
四人の男女は同じ様に笑いながら返事を返した。
「御意」
と、深々と礼を返した後は、再度、客室の扉が閉まっているのを確認してから御者に腰かけた。そして、馬に声を掛けたのか、自分に集中するためだろうか、一声叫んだ後は、城に向かって馬車を走らせた。
「そろそろお着きになりますが、景観も楽しみの一つですので窓を開けて見てください」
一番番頭が言った通りに、一度でも見たのなら一生の思い出になり忘れないはずだ。それほどまで美しいのかと問われるだろうが、もしもだが人で例えるのなら女性的で、貴婦人の様な雰囲気を感じるはずだろう。その通りだった。妃の墓であり、教会でもあったのだ。それだけでなく建物の裏側が住居と使用されているが、その建物の二割くらいでしかなく、当時の人々は、結婚式や祈りの場としても使用されていたので豪華な王宮城と考える人々は少なかった。それなら、警護などは大丈夫なのかと思われるだろうが、建物を掘りで囲まれているだけでなく、一つの建物なのだが正面と後ろの二つの入口だけで中では繋がってはいなかったし、城内に入るには堀を一回りしなければ入れないために警護的には十分と思われる作りだったのだ。
「うぁああ、本当に綺麗ね」
四人の男女は堀沿いを馬車に乗りながら王宮に向かっていた。
「白鳥双子宮城(ハクチョウフタゴキュウジョウ)と言われています」
「白い建物だから白鳥って分かるけど、双子って意味があるの?」
「そうです。そろそろ見えると思いますが、裏側も同じ作りなのです」
「うぁああ、本当ね。まったく同じ物だわ」
「あれみたい。なんでしたっけ、切っても同じ切り口に模様が出る棒状の飴」
「ああ、確かにそうだな。商品名は思い出せないけど、似ているなぁ」
「でしょう。それに驚くよりも、これから、あの宮城に入るのよ」
「まあ、早く入りたくて興奮してきましたわ。宮城の中の様子なんて想像が出来ないわ」
「私も、想像も出来ないわ。でも、一晩でもいいから泊まってみたいわね」
「そうね。天蓋(テンガイ)寝台ってあるらしいわ」
「へぇ、雪って詳しいわね」
「噂を聞いて売り物になるか考えたの。でも、佐久間さんに、話にならないって言われたわ。その手の物を買う者たちは値段で買うのでない。そう言われたの」
「そうなの。安ければ売れそうだけどね」
「なんかね。職人名と世界に一台しか無い物だけを要求するのらしいわ。そう言われたわ」
「それでは、安く作っても意味がないわね」
「でしょう」
「公爵さま、侯爵さま。宮城に着いてから伝える気持でしたが、一泊だけでしたら泊まれます。ですが、宿代以外に別料金がかかりますが、宜しいのですよね」
「キャー」
「えええっ、本当なの?」
二人の女性は、興奮を通り越して悲鳴を上げていた。
「はい。承諾したと思って宜しいのですね。それでは、その様に手続きしておきます。そして、明日の夜九時にお迎えに伺います」
「うんうん」
「そうしてください。まさか、新、昌。駄目だと言わないわよね」
御者台に視線を向けたが、二人の男性の思いが感じたのだろう。直ぐに視線を向けた。
「駄目だと言ったとしても、二人だけでも泊まるつもりなのだろう」
「長い付き合いだから、私たちの気持ちが分かっているわね」
「だから、好きなようにしろよ」
「ありがとう」
「それでは、そろそろ宜しいでしょうか?」
「何が?」
「到着したのです。お話が終わるのを待っていた方が宜しいと思いましたが、終わりそうにありませんでしたので、もう暫くお待ちした方が宜しいでしょうか?」
「大丈夫です。直ぐに行きたいです」
「待ち切れなかったのですよ。直ぐに行きたいです」
「はいはい」
「あっはぁ。いいですよ」
二人の女性と違い。男性の方は興味がないのだろう。それが、顔の表情に表れていた。
「それでは、お楽しみ下さい」
と、声を掛けながら腕で、階段の最上階にある玄関に立っている者を指示した。すると、玄関に居る者が深々と頭を下げて返してきた。そして、それが合図の様に、精一杯に貴族らしいと思える歩き方で階段を登って行った。
「いらっしゃいませ。お待ちしていました」
「ありがとう」
そう言うと、馬車が通れる程の大きい扉を開け始めた。そして、四人は、言わなくてもいいのだが、礼を返してしまった。何かしてもらえば礼を返す。当然の事だが、出来ないのが普通なのだが、佐久間の教育が行き届いているのだろう。その言葉を聞いて、男はクスリと笑った。だが、その笑みには軽蔑ではなくて子供が正しい事をした時の親の笑みに思えた。そして、一瞬の間だけ考える表情を浮かべた後に・・・・・。
「今日は、爵位がある体験ですので、何一つ礼を返さなくていいのですよ。当然の様に好きに振舞って構わないのです。それが貴族ですからね」
(これが当然のことなのだろうな、当時の我々も一つの礼儀を返していれば、最低の職業として馬鹿にした道化師をしていなかったかもしれない。だが、満面の一言だけの礼だが嬉しいものだな)
「そう、分かりましたわ」
「教えてくれてありがとう」
「ありがとうございます」
最後に、新だけが恥ずかしさを隠す様に、友人にする様な腕を振って敬礼の様に返した。
「おおお」
「綺麗」
「凄いわね」
「うぉ」
四人の男女は、館に入ると驚きのあまりに一言しか声に出来なかった。それ以上、何も考えられずに言葉にする事もできなかったのだ。それは、当然かもしれない。これから何十年と生きたとして、これ以上の金銀宝石を見る事はできないはずだからだ。
「このまま歩いていいのよね」
「さっきの人、好きなように振舞って構わないって、だから良いと思うわ」
二人の女性が見た物は、床は白の大理石、壁と天井は絵や文様などが金銀宝石で作られているのに目を奪われた様に驚いたが、二人の男性は、女性たちの驚きと違って金銭的の驚きだった。もしもだが足跡を残したら弁償させられるのではないかと立ち尽くしていたのだ。四人の男女は、それぞれの驚きの為に正面に、三人の男が居る事も、扉を閉めた男性が入って来たのも分からない状態だった。
「安心してください。もしも傷を付けたとしても弁償などありませんよ」
また、扉を閉めた者が、四人の心を読んだ様に言葉を掛けてきた。
「そうですよ。公爵様」
四人の中で一番若い男性が声を掛けてきた。
「あっ、はい」
と、明菜が返事を返してしまった。それが、合図だったかの様に・・・・・。
「どうぞ、侯爵様」
「どうぞ、伯爵様」
「どうぞ、子爵様」
雪、新、昌と同じ様に言葉を掛けられた。他の三人の男性も、非の打ちどころのない最高の礼儀で言葉を掛けてきた。この四人の男は、ただの案内人には思えない。それなら、執事の教育を受けたのかと思うだろうが、それは違っていた。何故か、貴賓を感じるのだ。それは当然だろう。元は、本物の爵位がある者たちだからだ。
「私が、建物に居る間だけですが、公爵さまの下僕です。何なりとお申し付けください」
「そうします。なら、執事と思えば宜しいのかな、それとも、同じ貴族の男性なのかしら」
明菜は、右手を動かして胸に当て、貴族なら手を差し出してと態度を示した。
「それでは、お嬢様。ご案内を致しますので、邪魔な上着はお持ちいたします」
男は、執事としての態度を表した。そして、他の三人も、同じ態度を表した。新と昌は、興味が無い様な態度で、明菜の後を歩きだした。その後を執事の様に従ったのだが、驚く事に、本人に気付かれずに上着を脱がして手に持ったのだ。
「どこに行くの?」
雪は、心細くなり、昌に声をかけたのだが聞こえなかったのだろう。だが・・・。
「舞踏場に行く前に、どの程度の腕前なのか確認するだけです。その後は、想い人と、二人だけの踊りが楽しめますよ。だから安心してください」
「それでは、楽しませて頂くわ。その前に、上着が重くて肩が痛いの」
「はい、承知しました」
男は、優しく丁寧に上着を脱がした。その後、雪は、堂々と誇らしげに、昌の後を追った。だが、四人の男女は、貴族の様な態度は少し歩くだけで崩れた。声が聞こえれば振り向き、一瞬の光の煌きを感じると部屋、壁と目線が奪われるのだった。
「他にもお客がいるのね」
「はい、お嬢様。少々お金に余裕がある者は遊びにきます。それだけでなく、子供の将来を思って礼儀の勉強とさせようと城に来る者もいるのです」
「そう」
「それでは、これからの予定を申し上げます。まず先に、踊りが、どの程度なのか確認したあと簡単に教え致します。その後、菓子などを食べながら食事の作法を教えます。その後は、自由にして頂いて構いません。もしもですが、礼儀作法を教えて欲しいのなら教え致します」
「はい」
「そして、質問や用事がある場合は、執事と言ってくれれば、直ぐに駆けつけます。それと、常に側に居ますが、居ない場合は、わたくしと同じ服で赤い帯を付けた者は、執事見習ですので、簡単な用事でしたら言っても構いません」
と、他の三人の段背も同じ様に伝えたはずだ。その後は、明菜は、絵や文様などの由来などを聞きながら案内されるまま進んだ。恐らく、雪、新、昌も同じはずだ。
「御案内する部屋に着きました」
「ほう」
その部屋は、畳で表すのなら五十畳くらいの部屋で、周りには椅子が並べてあるだけで、他には何もなかった。だが、内装は質素ではなく、廊下と同じ様な模様で作られていた。
「四人が揃うまで椅子に腰かけてお待ち下さい」
五分くらいだろうか、過ぎると、新が隣に座ってきた。
「豪華な廊下だったが、部屋も凄いな」
「そうね」
が座ると思ってのことだろう。
「雪は?」
「自分 そして、昌が現れたが、明菜の隣に座らずに一人分の席を開けて腰かけた。恐らく、雪の後を歩いていたから直ぐ来るよ」
「そう」
その通りに、雪が現れて、明菜の隣に座った。
「ねね、明菜。今まで綺麗って思って使っていた言葉が失礼みたい。だから、もし言葉にするのなら凄いって言葉になるみたい」
「そうね。この様な部屋に住んでいる人たちがいたら美意識も変わるわね」
城に入ってから気持が落ち着かなかったのだろう。椅子に座れたからなのか、些細な会話をしたからだろうか、少し気持ちが落ち着いたが、部屋の様子に、また、心が奪われた時だった。
「それでは、座ったままで宜しいので、わたくしたちの踊りを見ていて下さい」
「はい」
四人の男女は意味がわからなくて頷くことしかできなかったのだ」
「それでは、わたくしが、明菜様の女役をしますので憶えてください。他の人も執事が男性役と女性役を致しますので、私の踊る姿と比較してみてください」
「・・・・」
「直ぐには憶えられないと思いますが、様子だけでも見て感じて下さい」
その様に伝えると、四人の男性は、男性同士でダンスを始めた。そして、五分くらいだろう。踊り終えると踊りの要点を伝え。四人から分からないと言われれば、また、同じ踊りを始める。そして、質問が同じ内容になってくると、執事たちは憶えてきたと判断したのだろうか、後で、本人が踊ってから聞くと言うのだ。そして、四種類の踊りを見せて、同じ様に要点を教えるなど繰り返した。執事たちは疲れたのではないだろうが、踊りを始めてから一時間くらいは過ぎただろう。漸く、本人たちが踊る事になった。当然、相手は、明菜は新と、雪は昌と踊り始めた。まあ、素人同士で初めての踊りなので、足を踏み、足を絡みなどは当たり前のことだ。四人の男女の表情は楽しみと言うよりも苦痛だけだ。それだけでなく、普通は無言での踊りなのだが、悲鳴と怒声が響き渡る。そろそろ、喧嘩になるだろうと思う時だった。
「それでは、わたくし達と踊りましょうか、少しは楽しみを感じると思います」
執事たちは、また、最高の礼儀作法で女性に踊りの許可を求め。新と昌には、女性役をしながら踊りを教えると言うのだった。数分間の踊りだったが、明菜と雪は楽しい表情を浮かべた。新と昌も踊りの楽しさを感じた。だが、四人の楽しみの表情は、執事と踊った楽しみと言うよりも、明菜は新と、雪は昌との踊れる喜びからと思える感じだった。それは、表情からだけでなくお互いの視線を向け合う熱い視線から感じられたのだ。そして、何度目かの踊りの後だった。執事から何の踊りを憶えたいですかと言われて、簡単とも思えたのだろうか、それとも、頬を寄せ合う程の踊りに興味を感じたのだろう。即答で、四人は同じ踊りがしたいと言うのだ。それから、時間が過ぎる。何度目かの踊りの後に、少しは踊りの形が出来たと思ったのだろう。執事たちが、頷きあうと・・・・。
「それでは、休憩にしましょう」
と、言って、隣の部屋を勧めた。四人は、不思議そうに扉を見ていた。それは、扉としては役目を果たしているのかと疑問を感じて歩き出そうとはしなかった。何に驚いているのか、そう思うだろうが、それは当然だった。この時代ではまだ、透明な硝子は想像だけで、作られているはずがないと思っていたからだ。それが、目の前にあるのだ。金銀宝石よりも驚く物だった。だ、が、それだけではなかった。扉にしては何故、透明なのかと、そして、もしかしたら、扉でなくて窓なのかと思って、執事が案内するのを待っていたのだ。
第三十章
「どうしました?」
と、言いながら硝子の扉を開けて、中に入る様に勧めた。
「あっ」
(扉だったのね)
と、男女四人はお互いに視線を向け合って、同じことを思っていたのだと感じ取った。
「椅子に腰かけてお待ち下さい。直ぐに、軽い食事と紅茶と菓子の用意を致します」
執事は、四人の男女に伝えた通りに直ぐに紅茶を持って現れた。そして、無言で紅茶が容器に注がれるのを見ていた。そろそろ、四人分が注ぎ終わると言う時に、二人の執事が現れた。一人は、皿などの食器を持ち、もう一人は、大きな皿に食べ物を持って来た。恐らく、ハンバーグーステーキだろう。だが、町の店屋では、ハンバーガーとして食べる物を手で食すのは不潔だと思われて、別々に食べるのが貴族流なのだろう。その理由は分からないはずだ。と言うよりも何が出てくるのかと、考えるのに集中している様だった。そして、全てが、そろえ終わると、四人が食べようとした時だった。
「食べ方を教えます」
「えっ」
四人の男女は、仲間だけで食べられると思ったのだろう。だが、違う為に何も言う事が出来なかった。もし言えたとしても城内の雰囲気で、途中までしか言葉に出来なかっただろう。
「紅茶でも飲みながら見ていて下さい」
全ての料理が一口の大きさの為に、料理が冷める前には食べる作法を見せる事ができた。
「初めてでは無理でしょうけど、将来のためと思って覚えた方が宜しいと思います。それに、夕食は、他の部屋に居た人と一緒に食べることになりますし、食べ方の流れだけでも覚えた方が宜しいと思います」
「えっ」
また、考えと違うために驚きを表した。
「それでは、我々は後ろで控えていると同時に、間違った作法でしたら注意を致します」
そして、無言の食事が終わろうとしていた。
「注意しようと思うところもありましたが、まあまあ合格点です」
「はっあぁ」
四人の男女は、気持ちが解れたのだろう。大きな溜め息を吐いた。
「それでは、我々は扉の外で控えていますので御用がある時は声をかけて下さい」
再度、紅茶を注ぎ足すと部屋から出て行った。
「貴族って、こんな面倒な事をしているの?」
「それは同感だ。食事を食べても美味しくないし楽しくもないぞ」
「そうね。でも、少しだけど、佐久間さんの最低の礼儀を教えてもらったから助かったわ」
「それは言えるね。でも、礼儀の教育の時も笑いながら食べていたよね。貴族って会話が嫌いなのかな。それとも、作法がなれると話しながら食べるのかな?」
「意外と、その家々の流儀があるのかもしれないわ」
「そう言えばね。子供の時ね。その子の名前は忘れたけど、兄弟が多くて会話なんてしながら食べていたら、自分の物まで無くなるから無言で食べる事に集中するのだって」
「それとは少し違う様に思うが、食事は楽しい方がいいよな」
「そうね」
もしだが、この場に、佐久間が居たならば、四人の男女の様子を見て納得しただろう。確かに、佐久間の子供時代の経験もあっただろうが、貴族としての心づもりがない者には、礼儀、踊りなどの教育をするには、適度の休憩が必要だと思っていたのだ。それで、当時の自分を重ねて最低でも数時間毎には、友達などと菓子や紅茶などを飲みながら不快感を発散させなければならいと感じていたのだ。だが、当時の佐久間には、知人は居たが友達はいなかった。それに、溜め息一つ吐くことも許してもらえなかった。なら、どこで気持ちを落ち着かせられたかと言うと、便所だけだった。だが、それ程までして佐久間家の当主になりたかったのか、そう思われるだろうが、夢があったのだ。確かに、当主になって上位の爵位の夢もある。だが、心底からの夢は、王から褒章記念品を頂けることだったのだ。それは、上位の爵位になることや勲章を頂けるよりも名誉だった。そして、その記念品は末代までの家宝になるからだ。初代の佐久間は爵位もなく、只の騎士だったが、家系では一人だけ褒章記念品を頂いた者だった。何かの話題がでると、王の家来でなく友人の証だと言っては七つの金の釦(褒章記念品)を知人に見せていたのだ。それも、父が誇らしげな表情を浮かべてだ。それを見て、自分も父に褒めて貰いたい。それに、子孫が、自分の事を誇らしげに話題に上げて欲しいとも思っていたから我慢が出来たのだ。この様な理由などが知るはずもなく、四人の男女は会話が終わる様には思えず。益々、会話が弾んでいた。そして、佐久間と同じ気持ちが分かる者たちが、扉の外で畏まっていた。部屋の中にいる。四人には分からないだろうが、元、本物の爵位持ちなのだ。
「どうする?」
四人の中で一番若い者が懐中時計と部屋の中を交互に見ながら問い掛けた。
「何が?」
一番年長の、明菜の下僕と名乗った者が、先ほどの柔和の顔からは信じられない程に不快な表情を浮かべていた。それだけでなく、オイルライターの蓋を開けては閉めてと繰り返していた。もしかすると、建物の中は禁煙なのか、それとも、仕事なのでタバコが吸えないから苛立っているのだろうか、それで、蓋の開け閉めで気持ちを和ましているのだろう。そして、二人の問い掛けの答えが分かっているのだろう。当然、二人も分かっているはずだが、それを、仲介しようと、杖を持っている者が言っていいのかと悩んでいた。だが、杖を持っているが、まだ若く、四人の中では中間の年だ。そして、元、第二位の爵位の侯爵だった。
「公爵が言いたい事は、そろそろ休憩を終わらしたらと、そう言いたいのだろう」
「そうなのか?」
オイルライターを鳴らしていた者が不機嫌そうな表情から笑みとも取れる表情を浮かべた。
「今の言葉は私用か、それなら、四人の中で最下位の子爵なのだから礼儀を守って欲しいな」
「公爵、子爵。何度も言うのだが、城内に居る場合は笑みを崩すな。奉仕でなく報酬を払っているのだぞ。それにだ。そろそろ、元の爵位でなく、苗字か名前で呼ぶ事にしないか?」
「構わないのだが、それでも、公爵と知っている者なら最低の礼儀は守って欲しいのだが?」
「確かに、礼儀は大事だ。元の爵位で呼ぶのも変だ。普通ならば年上を羨むのが当然だろう。そう思わないか、公爵殿?」
「その性格が嫌いなのだ。子爵殿」
二人は、益々、険悪な雰囲気が増してきた。
「侯爵殿。あの四人を見て、昔を思い出しました。当時の王と皇太子様が、庶民の仕事の参加と言う遊びです。当時は、下品だと共に笑っていたのですが、あの四人の様子や会話を聞くと、我々、貴族も変な事をしているのに気がついたのです」
二人を無視するかの様に故意に違う話題を上げた者は、元、第三位の伯爵だった。
「伯爵殿。私も、ですが、当時の私は、庶民の仕事の体験が嫌でした。同僚などから笑われましたからね。でずが、今思えば楽しい思い出ですよ」
「うっううううう」
伯爵には、涙もろいのが分かっていたのだろう。先ほどの態度からは信じられないことだが、公爵と子爵は涙を流していたのだ。まあ、二人は同じ性格なのだろう。もしかすると、子爵の子供の頃は公爵の様な感じで、公爵が歳を取ると子爵の様な人になると思えた。
「公爵、子爵。何を泣いているのだ」
伯爵は、思惑の通り成功したからだろう。微かだが笑みを浮かべていた。
「当時の皇太子の様子が目に浮かんだのです」
と、子爵が、そして、公爵が・・・。
「懐中時計(褒章記念品)だけでなく、思い出が欲しい」
「公爵殿。父上から思い出は聞かされなかったのですか?」
「侯爵殿。父上から話しは聞かされましたが、自分の目で見た思い出が欲しかった」
「そうか、そうだろう。その気持ちが分かるぞ。公爵殿」
「伯爵殿。出来たら、本にでも・・・それは無理ですね。なら、人々に語り続けたいので、後ほど、詳しく教えてくれないでしょうか?」
「構わないが、仕事は手を抜いては困る。それに、何故、子爵には、あの態度なのだ」
「・・・」
「まあ、良い。子爵も煙草が吸いたいのだろう。構わないから吸ってきなさい。だが、戻ったら笑みを崩してもらっては困るぞ」
「それでは、少々時間を頂きます」
伯爵に頭を下げると、一瞬だが、微かな笑みを浮かべていた。恐らく、タバコが吸えるからだろう。そして、やや急ぐ様な歩き方で部屋から出て行った。
「それでは、少々時間が出来たな、公爵が聞きたいと言われた話しを語ろう」
「感謝する」
公爵が頭を下げると、伯爵は話し始めた。一番の思い出は、王から頂いた。ブローチの話しだった。自分は只の騎士だったのだが、伯爵の姫と結ばれたいと願っている事は、全ての騎士や貴族の間では有名だった。当然だが両想いなのだが爵位がなく領地もない者との結婚は娘を幸せにできるはずがないと、自分でも分かっていた。だが、王は、理由がわかり悲しんでくれた。それだけでなく、姫の家名と、自分の名前だけの騎士の家名を刻印して、ブローチを作ってくれたのだ。そして、褒章記念品を持って結婚の許しを伺えと言ってくれたのだ。そして、自分は心の底から勇気が湧き出して、褒章記念品に誓って手柄をたて、姫を幸せにすると言ったのだ。許してくれたが、自分の気迫よりも王から頂いた。
褒章記念品のお陰なのだと、今でも思っている。その様な王なのだ。他に頂いた者も、頂いた理由はわからない。質素と思われるだろうが、勲章や褒章記念品なども、その人物が使用している物を作り贈ってくれるのだ。二番目と言うのだろうか、姫と結婚はできたのだが、子供が出来なかった。それだからだろう。皇太子が初めて庶民体験した話を嬉しそうに話した。それから、二年後に、戦争の発端が何か分からずに始まり、見た事も聞いた事もない機械仕掛けの人形が攻めてきたのだ。だが、弓も剣も役に立たなかった事を話し、城に攻められる寸前に、見た事もない異国の服と不思議な武器を持った八人の男女が、突然に現れて機械人形を薙ぎ倒した。だが、全ての兵を倒せるはずもなく倒れてしまった。そして、一気に城に攻め入られると思われた時に、機械人形が突然に崩れ倒れたのだ。それで勝機が消えたと思ったのだろう。機械人形を残して兵士達は消えたのだが、この地の今の支配者が卑怯にも近くに待機していたのだ。そして、頃合いを計ったのだろう。城に攻め込んできた。その時、王も討ち死にしたのだが、近衛騎士団が皇太子を守りながら逃げてくれた。そして、王も皇太子もいない城では併合されるしかなかった。だが、この国は質素倹約が家訓の様な王家だったために、国民の支持が強かったのだ。それでは統治するのに支障があると考えたのだろう。それで、王家の信頼を無くすために、城の内装を金銀宝石で作りかえて、豪遊な生活をしていたと広めようとした。それだけでは足りないと感じたのだろう。都市に居た貴族が命の保身のために、王家の信頼を無くす計略に協力することで命を助けると確約させたのだ。
「なら、都市の外から皇太子が叫んでいることは全て本当なのですね」
「そうだ」
「何て卑怯な、許せん」
全ての話が終わった時だった。元、子爵が煙草を吸い終えて帰って来た。
「また、その話しをいているのか、卑怯だと語り続けても兵もない。国もなく支援してくれる国もなくて何が出来るのだ」
「何か出来るはず。それに、皇太子が生きているのです。兵を上げる旗印があるのですから兵も集まるでしょう。もしかしたら近隣諸国の王が支援をしてくれる可能性があります」
「支援してくれる可能性はない」
「何故です」
「皇太子が、何をしているか考えたらわかるはずだろう。近隣諸国の七カ国の全てに脅迫しているのだぞ。その様な者に、家臣だった貴族も手を貸すはずがないだろう」
「ですが、何か思惑があって皇太子は行動しているはずです」
「先ほどとは別人だな、夢でも出来たか?」
「私は、皇太子から褒章記念品を頂きます」
そして、元、公爵は、この会話がきっかけで、本の作成と同時に内容を語り続けるのだ。これが、七国の国民が叛乱する第一歩だった。
「そうか・・・・・ん?」
四人は、話をしながらでも四人の男女がいる部屋をチラチラとみていた。そして、子爵が、明菜が硝子越しから自分たちを見ている姿を見るけた。
「会話にも飽きた様ですね」
「その様だな」
「それでは、大広間にご案内しましょうか」
伯爵が、この場を仕切る様に言葉を掛けた。
その頃、四人の男女は話も尽きたのだろう。明菜が硝子越しに見ている姿を見つめていたので部屋は無言だったのだが、雪と昌の左手の赤い感覚器官が会話をしていた。
赤い感覚器官は・・・。
「うそだろう。あの若者の「許せん」の一言で、一つを残して時のしずくが消えたぞ」
「もしかすると、今回は、我らが邪魔させない為と、主の行動の全てが時の流れの修正だったのかもしれない。そして、あの若者の気持ちを変えるのが一番肝心だったのだろう」
「そうだな、だが、一人ではないだろう。四人の心を動かすのが役目だったはずだ」
「そう言う事にしておこう」
赤い感覚器官が話を止めると、室内が完全に沈黙した。と同時に、伯爵の言葉が聞えて来た。そして、明菜が硝子の扉を開けた。
第三十一章
「それでは、本番と言うのは変な言い方ですが大広間に行きましょう。本当の貴族の気分が味わえますよ。それと、貴族が食べていた菓子なども用意されています」
四人の男に導かれて、四人の男女は後を付いて行くが、顔の表情は硬くて楽しみを期待している様には思えなった。貴族の様に大勢の中で何かをするのに慣れていたいからだろうか、それとも、歩き辛い服を着ながらの練習に疲れが出たのだろう。
「こちらです」
「えっ」
「うそ」
「ほう」
「なっな」
伯爵と、子爵が両扉を片方ずつ受け持ち、開けながら手で中に入る様に勧めた。そして、四人の男女は室内を見ると、驚きの声以外は出て来なかった。それは当然かもしれない。サッカー場と同じ広さの部屋だったからだ。だが、当時は、謁見の場、謁見する貴族の待機場、下士官の待機場と別れていた部屋だったのだ。それを、旧王家の信頼を無くすために作られたのだ。だが、これ程までの費用を使って大丈夫なのかと思われるだろうが、二つの計画が成功したので心配がなかった。その一つが旧王家の信頼を無くす事。そして、豪華に作れば作るほどに、観光客が大量に金を落としてくれるからだ。それで、国一番の観光としての役割も完全に成功していたのだ。
「どう致しました。中に入って宜しいのですよ」
四人の男女は、部屋の大きさでの驚きは納まって来たのだが、壁側に並ぶ無数の料理の食台の数と、その数と同じの見習の執事の数だけでなく、室内の隅の方に楽団までいて演奏までしている様子を見て圧倒されていた。
「それにしては、踊っている人が少ないが、練習中なのか?」
新が真っ先に正気を取り戻したからだろう。子爵に問い掛けた。
「全てです。この様な遊びに大金を払う人は多くないですからね」
「大金?」
この言葉を聞いて、新は完全に正気を取り戻したのだが、まさか、途中で止めるとも言えない。それに、値段を聞くのも怖い気持ちもあるが、三人が値段を聞いて正気にさせるのも悪いと思う気持ちもあったのだ。
「さぁ、入りましょうか」
「なら、大量にある食べ物は、九割は残るでしょう。捨てるのですか?」
「それはないです。一つの食台に二人の執事見習いがいるでしょう。残った物は食べても売っても構わないのです」
「なら、残した方が喜ばれるのだな?」
「それはありません。残った物を全ての人で分けますし、食べて頂くと言うことは、接客が良かったと判断しますので、減った分は点数として数えて割増しで貰えます」
「そう言う仕組みなのか」
「ですから何も心配しないで好きな様に振舞って構いません。これは本心からです」
「わかった」
「それでも、私たちは、貴族としての礼儀を教えるのが役目ですので、礼儀に関する事は注意を致しますがね」
執事と最後まで話を聞いていたのは、新だけだった。他の三人は、夢心地なのだろう。様々な食べ物、音楽、部屋の内装と好奇心が無くなることがなかったからだ。
「それと、今は、雰囲気だけを感じて、食事を食べてから存分に楽しんで下さい」
「そうだな、一番の楽しみは食事だからな」
「それは、人それぞれと思いますが、女性たちは違う様にも思いますよ。何やら先ほどから、こちらを見ています。室内の豪華に圧倒された気持も落ち着いて、次の楽しみの踊りをしたい。と、その様に、私は感じますがね」
「そうなのか?」
「そう思います。三曲ほど踊りましたら食事に致しましょうか」
「そうだな。そう三人に伝えておくよ」
「ですが、三曲でなくても、本当に好きなだけで構わないのですよ」
「三曲でも多いと思うよ。それ以上は身体がもとない」
「そうですか」
「食事の用意を頼む」
「承知しました」
新の言葉を身体全体で承諾した後、三人に視線を向けた。
「食事の用意か、予定通りの時間の範囲なら大丈夫だ。それにしも、あの四人、何となく形になってないか?」
「そうだな」
「好きな者と一緒だからでないのか」
「まあ、それは、そう感じるが、それよりも踊りがずれていないか?」
「楽しければいいのでないか」
音楽と
「うん。本当に楽しそうだな」
「そうだな」
子爵と新が言った通りに、三曲が終わった後は、四人の男女は汗を流していた。そして、壁に近寄り、見習い執事に酒類でない飲み物を伝えて飲み終わると、四人が畏まっている所に戻って来た。
「どうでした?」
子爵が代表の様に言葉を掛けた。
「余は満足じゃ。食事をお願いするぞ」
明菜が、本気で言っているのだろうかと、正気を疑う言葉なのだが、表情には本心から満足した笑を浮かべていた。残りの新、雪、昌は、恥ずかしそうに俯いていた。
「畏まりました」
四人の男性は同じ様に態度で承諾した。その後・・・・。
「それでは、お連れ致します」
子爵がそう言うと、残りの三人が扉を開けて、伯爵と公爵が扉の中に残り、数十人が踊りをしている所に向かった。恐らく、食事に時間だと伝えに向かったのだろう。そして、侯爵が、二人の行動を確認した後は扉を閉めて、子爵の後を追ったはずだ。そして、子爵が案内した。男女四人は・・・・・。
「ほう」
「触っていいのよね」
建物、廊下、練習室、大広間など驚き続けていたはずなのだが、巨大な食卓に用意されている食器などを見て、今まで以上に驚いているのだ。何故かと言うと・・・・。
「これって銀食器よね」
「だろうな」
「銀って触ると掃除が大変なのよね。なら、手袋を付けて使用するのかな」
「そうだとしても、手袋はないよね」
男女四人の会話は漫才ではなかった。全てが銀の食器に純金の飲み物の容器だったのだ。当然、全ての会話が本心から言っている言葉だった。城内を見れば想像もできるはずだし、豪華な物を見なれたと思うはずだろうが、それは、見ただけと、手に触って使用するとなると、感覚が違うから驚きよりも恐れを感じているのだろう。何故、と思う人もいるだろうが、飲み物の容器だけでも弁償する事になれば、一生の収入分以上だからだ。
「どうしました。酒類でなくて紅茶でもお持ちしましょうか?」
「チョット聞きたい事あるのだけどいいかな?」
「なんでしょうか?」
子爵は、明菜が青ざめるほどに悩んでいる姿を見て、何を言われるのかと恐れた。
「金や銀の本物の食器よね」
「そうです」
「貴族の人って、金や銀などの食器を使う時って、手袋を付けて食事を食べるの?」
「えっ何故でしょう?」
「だって、銀の食器って指紋が付くと、掃除が大変なのでしょう」
「えっ・・・・」
「それに、金とか銀の飲み物の容器を使用して欠けでもしたら弁償が出来ないと思う」
「もし落とされて欠けても弁償の心配はありません」
「そうなの。よかった」
「それに、銀の食器に指紋などが付いて汚したとしも気にしなくて構いませんよ。それに、落としたとしても、汚れたとして無理に使用する事もありません。その時は、私たちが、喜んで交換をいたしますので気にしないでください」
子爵は、想像が出来ない事を言われて、笑うのを堪えていた。
(この様なことは言われたことがないが、今までの客が手を震えて食べていたのは、弁償などを考えていたからなのか、庶民とは変わったことを思うのだな、これからは、先に伝えることにするか)
四人の男女が二杯目の酒類を飲み終わろうとした時だった。公爵は他の客を伯爵は見習い執事を連れて来た。そして、見習い執事が客の椅子を座り安い様に動かして、全て客が椅子に腰かけた後は、壁側に立って様子を見ていた。そして、全ての容器に酒類を注ぎ終わると、金銀の食器の弁償も汚れが付いても構わない。そう伝えたのだった。すると半分くらいの者が笑った。冗談と思ったのだろう。その後、執事以外の全ての者は気持ちが解れた表情を浮かべた。そして、正式的な料理の順番に料理が出された。まあ、全ての者が正しい作法で食べられるはずもなく、その度に礼儀の作法を教えたのだが、今回の者たちは、嬉しそうに食べているのは、食事の前に全ての事に構わないと、言ったからと思えた。
「それでは、今日の礼儀の教えは終わりです。また、明日に致しますが、この後は、好きな様に寛ぐなり、朝まで踊るのも構いません。当然、執事の我々も接待を続けます」
子爵が話している間に、三人の元、爵位もちが食事の後の紅茶を注いでいた。そして、全てを伝え終わると、それぞれの仲間同士で、この後に何をするのかと会話が弾んだ。
当然、新、明菜、雪、昌も同じ様に会話が弾んでいた。
「新。当然、踊るわよね」
「踊りたいのなら構わないぞ」
「ねえ、雪と昌も、踊るのでしょう」
「うん」
「いいよ」
昌は、雪に視線を向けられた。その意味は一緒に踊りたいと感じてしまい即答で答えた。
「大広間の方は任せてくれ。後は、侯爵に任せる」
「承知した。伯爵は見習い執事を頼む。公爵は、この場に残り。それぞれの対応を頼む」
「承知しました」
と、公爵と侯爵が完璧な返礼を返した。
「他に、踊る人が居るのでしたら、一緒にお連れ致します」
そう、子爵が言うと、十六人の者が手を上げた。そして、人数を確かめると、廊下に出る様に導く挨拶をするのだが、まるで、貴族が貴婦人を招く様な仕草とも思える優しい招き方だった。
「それでは、ご案内を致します」
「はい」
「ほう」
子爵の様子を見て、女性は見惚れ、男性は感心した。
「なら、行きましょう」
雪は、他の客も、自分たちの仲間も動こうとしないので言葉を掛けた。何故、雪だけが正気かと思うだろうが、赤い感覚器官を持つ者の思考なのか、ただ、趣味でなかったのか、その気持ちは、雪だけが分かる事だ。それでも、昌の手を掴んで廊下に出るのだから、心底から昌が好きなのかもしれない。他の者たちは、二人の様子を見て、自分たちの連れ合いと踊りたい気持ちが膨らんだのだろう。喜んで廊下に出た。その様子を、三人の執事と執事見習が、視線を向けていた。その時、侯爵が、伯爵に視線を向けたのだ。その意味が分かったのだろう。
「我々執事も退室する事に致します」
そう言うと廊下に出て行った。当然、その後に、見習い執事も同じ様な仕草をした後に部屋から退出するが、最後尾の二人が両扉を閉めた。
「それでは、半分の者は休憩して宜しい、残りの者は、大広間に向かう」
それだけを伝えると、伯爵は歩きだした。その後、執事見習は、一言、二言だけ呟くと、綺麗に半分に分かれて付いて行った。恐らく、仲間内で決まっていたのだろう。残りは反対方向に向かって歩き出した。自室か、従業員の食堂にでも向かうと思えた。
「キャッ」
「ふふ」
「ほう」
と、まだ、部屋に残って者たちの会話が扉から漏れ出ていた。中の者たちは、会話と酒類を楽しみ、寝室に帰るまで居るはずだ。そして、二人の執事が残った理由は、一人、二人と部屋に帰る者を案内する者と、酒類など接待のためだろう。そして、その頃・・・・。
「あの人たち、踊りが上手いわね」
「そうだな」
「本物の貴族かな」
「それは違うと思うぞ。恐らくだが、大商人の子息と子女だろう」
新と明菜が踊りながら会話も楽しんでいた。昌と雪の声が聞こえないが、二人と同じ様に楽しんでいるはずだ。
「疲れないかぁ」
「少しだけど疲れてきたわね」
「なら、椅子に座ろうか」
「そうね」
そして、踊りを止めて、飲み物を手に取り椅子に腰かけた。
「ねえ、新」
「なんだ」
「雪と昌、旅に出てから変わったと思わない?」
「雪が積極的になったかな」
「そうね。昌は、どう思う?」
「ここ数日は話をする様になったが、旅に出てから会話が減ったな」
「元々、お喋りではないけど、口数が減ったでしょう」
「そうだな」
「ねね、昌と話をしてみてよ」
「何て?」
「何があったのか、でも、良いから」
「俺が思うには、雪が行動的になったと言うのかな、あれだよ。赤い糸の修正だったかな」
「ああ、左手の小指にあるらしい赤い感覚器官ね」
「そうだ。その修正しているのが、殆ど、雪だろう。それで、男として立つ瀬がない。そう思っているのだろう。もしかすると、雪に助けられているとでも感じているのかもなぁ」
「それなら、どうしたら良いの?」
「そうだなぁ」
と、新と明菜、雪と昌。そして、他の人たちも、それぞれに楽しんでいたのだが・・・・。
第三十二章
城内では、不釣り合いの音が響いた。その音が軍靴の音だと感じたのは、子爵だけだった。それは当然かもしれない。城内で戦を経験したのは、子爵だけだからだ。そして、一人だけで大広間から廊下に出た。それも、何事もない様子で、まるで、チョット一服でも吸いに行くような感じだった。その為に、誰一人として大広間から消えたのに気がつく者が居なかった。そして、子爵は、ゆっくりと玄関に向かった。当然、玄関に着く前に鉢合わせするのは当然だった。
「この建物は、上級士官クラス以上か貴族と同等の資産がある者だけ、まあ、はっきり言えば貴族と同等の金がある者だけが入れる所だ。もしかすると、一生の思い出として遊びに来たのでしょうか、先に言っておきますが貴族の遊びは安くはないですぞ」
子爵は不機嫌に話し始めた。当然、相手を挑発する様な内容だった為に、相手も怒りを表すのは当然だった。
「名だけの貴族が偉そうに吠えるな」
数人の軍人姿の者で一番の上官らしき者が叫んだ。
「確かにそうだ。だが、我々は城から出られないが、城の中では貴族の身分だ。それと同時に貴族の身分と言うことは、軍の身分では上級士官クラス以上だ。そうなると、お前らの上官だと言うのは分かっているのだろうな。この身分の証明は、お前らの国王から授けられたのだぞ。この地で言うなら地方領主の次の身分だ。まあ、城内と言う牢獄だな。それは良いとして、我に用事はない。直ぐに出て行ってくれ」
子爵が言い終わると振り返り、大広間に戻ろうとした時だった。
「待って、我らは、名だけの貴族様が言っていた。その上官である。領主からの書簡を持って来たのだ。それでも、立ち去れと言われるのかな?」
「何だと」
子爵が振り返り、不機嫌だとはっきり分かる表情を表した
「これが、書簡だ。それと受け取らない場合があるので、先に言う様に指示されたことがある。書簡の内容に従えば、城から出歩く許可を与える。それだけでなく、町の中だけなら許可を取ることなく自由を許すそうだ」
「何て領主様に、返事をしたら宜しいかな?」
「承諾したと伝えてくれ」
「分かった。そして、承諾した場合は、この書簡を渡す様にも言われた」
初めの書簡は、町人が使うような質素の物だったが、次に渡したのは、国王に渡すような国の象徴の旗の印が縫い付けられていた。
「何故、象徴の印の物を我らに?」
「知らない。書簡を読んで見るのだな、不吉な内容でない事を祈ってやるよ」
数人の軍人は、笑いながら出て行った。
そして、子爵は書簡を開き中身を読もうとした時だった。
「あの軍人は何だ。何かの苦情でも言いに来たのか?」
「・・・・・・・・」
子爵の殺気でも感じたのか、他の公爵、侯爵、伯爵と、何故か、新、明菜、雪、昌も後ろにいたのだ。そして、不思議な事に言葉を掛けたのが、新だった。まあ、他の名だけの貴族は後から来たからもあるが、子爵は読むのを止めて不思議そうに、新を見詰めた。
「お客様。何の問題もありません。お楽しみを続けて下さい」
「だが、その内容は、俺たちに関係があるらしいのだ」
「何だと?」
「何て言うのか、まあ、書簡の内容を読んだらわかるよ」
新は、雪と昌に言われたのだ。それは、二人の左手の小指にある赤い感覚器官が、書簡を持って町の外に出ろ。その様に指示が来たと、それでも、意味が分からなかったが、四人は踊りを止めて廊下に出てみると、子爵と軍人が険悪の雰囲気を見て、話しが終わるのを待っていた。そして、軍人が出て行くと、新が声を掛けたのだった。
「分かった。読むから待て」
子爵は書簡の帯を解くと読み始めた。その内容を読みにつれて不快感を表して、読み続けると、今度は、不審を表したのだ。それほどまで表情を変える内容とは、書簡を町の外で待っている不明の軍隊の長に手渡せと書いてあった。その他には、四爵位の中の誰かが一人で行く事。数人の供は許すと書いてあった。それも、一時間以内と時間まで指定して合ったのだ。この内容では何があったのかと分かるはずがない為に、子爵は不審を感じたのだ。なら、何故、領主は正確に書かなかったのか、それには、領主の勝手な理由が合った。もう何度も同じ交渉をしていた為に、指定の時間ギリギリまで気が付かなかったのだ。何故か、今回は、不明の軍隊の長の側に、見た事もない獣が控えているからだ。当然、領主が行くはずもなく、なら部下なら命を掛けるだろうと思うだろうが、下士官では、不明な軍隊の長を不快にさせて交渉にならない。普段は親族に行かせていたのだが、今回は行くはずもなく、位の高い家臣も何かと理由をつけて断って来たからだ。それで、仕方がなく、交渉の相手の長の同族であり。名だけの貴族だが、貴族には違いないと考えられたのだ。だが、相手の同族に交渉が出来るのかと思われるだろうが、只の書簡のやり取りだけで終わるはず、それで何も問題がないと考えたからだ。
「それだけ?」
「そうだ」
「なら、簡単じゃないの。さっさと書簡を渡しに行こう」
明菜は、隣に座る人に煙草の火を付ける様な感じとしか思えない様子だった。
「隣に住む者に手渡すのなら頼むが、町の外に居る者となると命の危険も有り得るのだぞ」
「大丈夫、大丈夫よ。女性を殺すとは思えないしね。だから、サッサと終わらせて踊りの続きをしましょう」
「まだ、頼むとは考えていない」
「分からない人ね。雪と昌が行かなければ駄目なの。だから行くのは確定の事項なのよ」
「相手が誰か分かるのか?」
「知らないわよ」
「あの、子爵殿。言っている事が変だと思われるでしょうが、雪と昌は、好きか嫌いかなどに。それに関係なく、変な事件に巻き困る。だが、全て解決している。だから、信じてくれないか」
新は、精一杯の演技で説得していた。それも、考えながら話しをするので、話が途切れ途切れになるのだが、その様子が、心底から苦しい思い出を語っていると思われた。それで、子爵も、今回の事を一緒に行くか、やっと、考え始めた。
「そうなのか」
「一人で行くのは無理だろう。それに、一時間後なのだろう。そろそろ、準備を始めないと間に合わないのでないか?」
「わかった。一緒に行こう」
子爵は、新から時間と言われて直ぐに懐から懐中時計を取りだして見ると、頷いた。
「それと、良い物がある。それを見れば、事件に巻き込まれていると思うはずだ」
「だが、宿の番頭に預けているので、今は無いのだが・・・」
「あの番頭か、知人だ。安心してくれ、直ぐに用意する」
「良かった」
新の話の流れで一緒に行くのが決まったと感じたのだろう。明菜が興奮を表した。
「それで、服装は、このままでいいのかしらね」
「気に行ったのなら構わない」
「本当に良いの。新も良いと思う?」
「時間が無いのだし仕方ないよ」
「相談は終わったか、なら、少し待っていてくれないか?」
「待てと言えば待つが、時間が無いのだろう。大丈夫なのか?」
「直ぐ来る、仲間に挨拶してくるだけだ」
子爵は、三人の意見を聞こうと振り向いたが・・・・。
「子爵殿。大体の話は聞いていた。何も構わずに行ってくれ」
侯爵が、子爵の気持ちを落ち着かせようとした。その会話を公爵が聞いていたが、何か不満の様な様子だったが、時間が無いのは分かっていたからだろう。渋々と頷いたようだ。
「子爵殿。後は任せて下さい」
伯爵も即座に答えた。そして、子爵も、三人の承諾を得たのが分かると、深々と頭を下げた。それは、これから自分がする行動で、四人の人生が変わるのが分かっているからだろう。その気持ちが伝わる様に、ゆっくりと頭を下げて祈る様な時間を置いてから、また、ゆっくりと頭を上げた。その表情には、今までに見たことのない真剣な表情を、三人は見て安心したのだろう。笑みを浮かべて返した。
「行こう」
四人の男女が頷いた。
「それで、先に馬車が必要なのだろう?」
子爵は扉を開けて庭に出ると、何十年振りで城の敷地から出られるので喜んでいるようだった。その表情を見ると、四人の男女は不安を感じるが何も言わずに付いて行った。
「船酔いは大丈夫かな?」
「大丈夫よ。でも、この服装には似合わない船ね」
「そうでした。公爵様。少々の時間ですので乗って頂けませんでしょうか?」
「良くてよぉ。ほっほっほほ」
明菜だけは、まだ、貴族遊びの気持ちが残っている様だった。
「豪華な城にある船にしては可なり質素に思えるが、他の船も同じなのか?」
「そうね。船遊びもあるのでしょう?」
「城にある船も、庶民の船も同じ規格の船だけです」
「えっ。何故、その様な事を?」
「良い利点もあるのです。船と船を繋げると様々な用途の水上の敷地になるのです。その利点を利用すると、公爵さまが言われた様な水上舞踏会にもなります」
「うぁあああ、それは楽しみね」
「そうでしょう。これから行う事が成功したなら企画書を出してみましょう」
子爵は、まだ、執事の様に振舞っているが、視線は冷たかった。これからする事に命の危険もあると考えているのだろう。その気持ちが、やっと明菜も感じ取った。そして、四の男女と子爵は、無言で向かう先を見続けた。
「着きました。恐らく、馬車の駐車場にあるので出発の用意をしていて下さい。私は、宿の番頭に使用すると一言だけでも伝えてくることにします」
子爵は、少々丁寧な言葉使いをしていた。元々の言葉使いなのか、それは、分からないが、まだ、先ほどからの殺気を放つ視線を放っていたが、三人の男女が貴族風の姿で目立つ姿なのと、自分が執事の姿をしているからだろう。普通の執事の振りをしているが、誰が見ても周りの人々から誤魔化そうとしているとしか思えなかった。四人の男女は、その気持ちが分かったのだろう。無言で出発の準備をしていた。それが終わると馬車の中で、子爵の帰りを待った。
「ほう」
子爵は、数ある中で馬車を探そうとしたが、直ぐに馬が繋がっている馬車を見て驚きの声を上げた。もし、全ての馬車に馬が繋がっていたとしても、戦車の馬車を見れば直ぐに分かるだろう。
「凄い物を持っているのだな、これなら、もし何が起きたとしても安心していられる」
「・・・・」
子爵が馬車を閉めようとしているからだろうか、それとも、執事の計画が始まったと思って邪魔しないために無言なのか、いや、恐らく、恐怖を感じて声を出せないのだろう。
「なら、走らせるぞ。返事をしなくてもいいが、このまま町から出る。そして、扉を叩いたら出て来てくれないか」
「・・・・・」
執事は、試しに扉を叩いた。
「この様な感じで、聞こえたら出て来てくれ」
そして、執事の話が終わると、扉を叩いて返事を返した。馬車の中では、四人の男女が扉を叩く音が、何時、響くのかと耳を澄ましていた。馬車が走りだす音から始まり、町の人々の商売の掛け声、笑い声と、それも、進めば進むほど途切れ途切れになって、ついに、人の言葉が聞こえなくなり馬車の走る音と、馬の蹄だけになった。もしかして、目的の場所に到着したのかと、感じた時だった。
「領主さまから話は聞いている。通って宜しい。だが、何か渡されるはずだ。それは、此方で届けるので寄こしてもらうぞ」
と、緊張している様な恐れを感じている様な言葉は馬車の中でも聞こえてきた。その後に、何かが動く音が長く響いた。恐らく、城門の扉を開ける音だと直ぐに判断が出来た。この音が二度響き、今度は、城門を閉じる音のはず。そして、音が聞こえなくなった。その後、馬車が動き出す音が響くが、何故か、大勢の兵士の叫び声が聞えて来たのだ。その為に、恐ろしさと、計画の失敗なのかと感じたのだろう。それで、もっと、外の声を聞こうとして、馬車の扉に耳を押し付けた。すると・・・・・。
「戦車だ」
と、大勢の者が大声を上げる声が聞こえてきた。それだけでなく、何かの合図の様な笛らしき音も、武器らしき金属の音も響いた。この音が聞こえると戦が始まると感じ取った。
「うぉおおおおお」
「えっ」
馬車の中でもハッキリと聞こえる獣の声を聞いた。何故か、外を見ていないのに、天猫だと思えたのだ。だが、居るはずがない。洞窟に帰ったはずだから驚いたのだ。そして、また、笛の様な音が響いた。すると、人々の叫びの様な声が聞こえなくなった。恐らく、軍隊で言う所の整列なのだろうと感じられた。すると直ぐに馬車が止まった。
「トントン」
執事が扉を叩いたのだろう。少し外の様子が気になったのだが、一瞬だけ悩んだ後、新と昌が、後ろに居る。雪と明菜を庇うようにして扉を開けて出てきた。
「ほう」
新と昌は、凹の様な陣形で両方から馬車を挟むように、そして、奥には大きい獣と背の高い知性的な女性と若い青年が立っていた。
「もしかして知略の子爵なのか?」
御者の席に座っている者に、青年が声を掛けた。
「そうです。良くご無事で何よりでした」
即座に御者から降りて、最上の貴族らしい返事を返した。その後から新と昌が降りて子爵の横に並んだ。そして、危険は無いと感じたのだろう。雪と明菜も降りて来て、雪は、昌の後ろに、明菜は、新の後ろに隠れる様に控えた。
「知略の子爵のお陰だ。あの船の用途には驚いたぞ」
皇太子を逃がすために、町にある全ての船で、水上に馬を走られる為の道を作ったのだ。
「それ程のことで、褒めて頂き幸せです」
「感謝していたのだぞ。それよりも、子爵よ。この四人は誰だ?」
「私の主だと思わせる人たちです。私は執事ですので」
「そうだな、今の子爵は、確かに、執事の様だ」
「殿下」
「何だ?」
「町の領主から書簡を渡すように言われました」
「ああ、あの書簡の返事か」
「その様です」
子爵から渡された物を、確かめもせずに、隣に控えている女性に手渡した。
第三十三章
貴族の紳士と淑女の様な服装を着ている四人は、何故か、執事の服を着ている男の部下に思えた。貴族の服を着ている者は、辺りを気にする者、対面している者に恐怖を感じているのか怯える表情を浮かべる者、どの様な態度をして良いのかとそわそわしている者がいるからだ。それなのに、執事の服を着ている者は、堂々と貴賓まで感じるからだ。
「子爵よ。領主に言付けを頼む」
「何なりとお申し付け下さい」
「我は、代々の家宝の管理を放棄して、その家宝を売り払い、戦の準備をしていると噂を聞いて駆け付けたのだが、勘違いだったようだ。だが、噂が嘘だと確認するために一月の間は、この地に留まる。と伝えて欲しいのだ」
「ごっほん」
承諾の返答をしようとしたが、咳きこむ声が聞こえ、そのまま畏まった。
「それとだ。書簡も渡して欲しい」
「承知しました」
隣の立つ長身の女性が咳をして、自分に関心を向けさせた。そして、他の者に気がつかれない様に、主に書簡を手渡した。そして、何事も無かった様に、子爵に書簡を手渡した。だが、子爵は体が固まった様に動かなかった。と、言うよりも動けなかった。
「獣よ。どうしたのだ?」
貴族の様な男女の周りを、獣は匂いを嗅ぎながら歩いているのだ。
「天猫さん。お願いだから雪だけは助けて欲しい」
昌は、恐怖の表情のままなのだが、それでも、死ぬ気持で喉から言葉を吐き出した。
「えっええ」
「天ちゃんなの?」
新と明菜は、殺気とも威嚇とも取れる表情から驚きに変わった。そして、雪も、恐怖の表情から驚きの表情に変わった。昌は、三人が驚く表情を浮かべると、何故か、安堵の表情を一瞬だけだが浮かべたのだ。恐らくなのだが、やっと天猫の本性に気が付いてくれたとでも思える表情だったのだ。昌には、出会ってから今でも、天猫の姿は今の姿しか見えていなかったからだ。
「そうだ。それにしても、馬車の中からは、お前らを判断が出来たが、何故、変な匂いや可笑しな姿をしているのだ。別人かと思ったぞ」
「変な匂い?」
「可笑しな姿?」
新と昌は、男性だから気にしないのか、それとも、庶民から見れば貴族の姿も香水なども変だと感じていたかもしれない。だが、雪と明菜の様な女性たちには、庶民の姿が変に見えるだけでなく、貴族の姿などは憧れであり、女性なら当然の姿なのだろう。
「飛河さま。何も心配はありません。恐らく、知人に会えたので、再開を喜んでいる様子だと思います。それよりも、子爵様に寛ぎを許された方が宜しいかと・・・」
「そうだった。子爵よ。寛げ」
「はい。有り難き幸せです」
「我も、幸せだ。今では、子爵の様な礼儀をする者は居ないのだ」
「何ですと、それでは」
子爵は隣にいる女性に鋭い視線を向けた。
「構わないのだ。子爵も今では貴族ではないのだろう。我に会うのに死を覚悟したのではないのか、心では主君と思ってくれている様だが、今まで町で生きてきたと言う事は、我を裏切っていると思っていたのだろう。言いたくない事を言わされ、それだけでなく、行動も強制されたはずだ。だが、それでも来てくれた。それが嬉しいのだ。それで、我も今まで生きてきてわかったのだ。春香の話も聞いたが、王とは命令するのではない。観察して導く者だと感じたのだ。もし我が、王の様な地位に戻ったとしても、誰にも命令する気持ちはない。人々の人として正しい行いをする象徴として見守る考えなのだ」
「神になられるのですか?」
「違う。人とは上も下もないのだ。頭を垂れる時は、感謝の時だけで良い。それに気がついたのだ。だから、正しい行いをして、人々を導くだけの人になりたいのだ」
「そうでしたか」
「分かってくれたか」
「そして、まさか、獣とも人と同じ様に接ししているのですか」
「違う。今の話をすると、半数の貴族が違う意味に判断をするのだ。それで、我が襲われた事が何度かあったのだ。その時、助けてくれたのが、この獣なのだ」
「そうでしたか」
「我は、身分を無くすと言ったが、地位も財産も没収するとは言ってはいない。地位などは、正しい行いをする者なら自然と礼を返してくれるはずなのだが・・・・」
「殿下。そうですとも、そうですとも」
「分かってくれたか」
「はい。殿下」
「それでは、書簡と言付けを頼む」
「承知しました」
子爵が馬車に乗って町に戻ると、四人の男女に言うと・・・・・・。
「駄目。殿下の命が危ないわ」
「そうです。正面の門に居る人々だけは信じていいけど、他の六ケ所の門に待機している人々は、殿下を襲います。これは、確かな事ですから信じてください」
「そうなのです。馬車が走りだしたら矢が放たれて戦になるわ」
雪と昌は、左手の小指の赤い感覚器官からの指示があった。それも、時間が迫っているからだろう。言葉でなくて脳内に響く様な感覚だけだった。
「何だと」
子爵は、本当だと確認した。この四人が町を一周したなら分かるが、普通は居ない。と言うよりも、軍属だけの門もあるのだ。それだから、町に六か所の門がある事を知らないはずだからだ。
「何を言っているのだ?」
「殿下。急いで馬車の中に隠れて下さい」
雪が悲鳴のように叫んだ。そして、馬車の中を指差した。すると、春香が殺気を感じたのだろうか、主君の腕を掴み馬車の中に駆け込んだ。
「馬車を囲め」
子爵が叫んだ。そして、何が起きても対応できる様に辺りを見回した。
子爵は、まだ、この時は知れないが、数年の後、人々から執事の騎士と言われたからだろうか、いや、違う。執事の服を着て過ごしていた事を忘れないように寿命が尽きるまで、執事の姿を脱ぐことはなかった。
「殿下。町に入って第五門から抜け出て下さい」
「待て、その者たちの話を信じるのか?」
「確かな事を言っていると判断ができます」
「そうなのか、信じよう」
「それでは、貴婦人さん。第五門の場所はわかるな。殿下を頼むぞ」
三人の承諾の言葉を聞くと、何故か、四人の男女が馬車から出てきた。
「何をしているのだ。一緒に馬車に乗って町に入れ」
「それは、出来ません。私は、この場にいて行動をしなければならないのです」
「何を言っているの?」
「それに、執事さんと、私たちが居れば、殿下と交渉していると思わせる事ができます」
「そう思うが、だが・・・・」
「安心してください。自分の身は自分で守れます」
雪は、そう言うと、左手で背中を掻く様にして、片方の羽を剥ぎ取った。それは、別名、羽衣と言われている物で、同族でない者を身の危険から守る為に渡す物だった。
「キャー。何これ・・うぁあ、でも綺麗」
雪は、羽衣を剥がすと、明菜に手渡そうと腕を向けた。だが、明菜は何故、手を向けてきたのか意味が分からなかった。それは当然だった。羽衣は透明で手に触れないと見られないからだ。そして、明菜は、突然に手に重みを感じたのと、雪が腕を伸ばした意味が分かり驚くのだ。だが、軽くて透明で、この世の物とは思えない綺麗だった為に破顔した。昌も同じ様に羽衣を背中から剥がして、新に手渡した。この時になってやっと、明菜が興奮している意味がわかったが、四人の男女以外は何をしているのか分からなかった。
「これは、羽衣という物なの。羽衣が体に触れていれば空を浮いて移動する事も、それに、身体に触れられたくない物は弾くわ。だから、私が側にいなくても命の危険はないわ」
雪は、昌が、新に羽衣を手渡して、自分に向かって頷く姿を見ると話し始めた。
「ほう、戦の前の心構えは出来た様だな、それにしても、架空の羽衣を誓いの証とは、綺麗な誓い文句だな。それとも、女性とは、そう言う者なのかな?」
「・・・・・」
四人の男女は何も言えなかった。もしも本当にあると言って信じるはずがないからだ。
「だが、安心しろ。かすり傷の一つでも付けさせる気持はないからな」
「はい」
四人の男女は、頷いた。だが、雪と昌の感覚器官が防御とも攻撃の構えとも思える様に長く伸びて、鞭のようにしなり、または、盾の様に回転して弓などを弾く様に動いていた。だが、赤い感覚器官は、雪と昌の二人しか見えない。その為に、真剣な表情を浮かべている理由が、執事の言葉で、戦の恐ろしさからとしか思われていなかった。
「新」
「明菜。俺が盾になっても守るから安心しろ」
「ありがとう。でも、雪の羽衣があるから大丈夫と思うわ」
明菜は、命の危険を感じ取ったのだろう。新に心の想いを伝えようとしたのだが、普段のふざけた表情と違って、真剣な表情を見て笑ってしまったのだ。その為に、何を伝えようとしたのか忘れてしまった。
「雪さん。僕も雪さんの事を、命を掛けて守るからね」
「そうね。昌さんは防御系だから安心して任せられるわ」
昌は心底からの想いを呟いた。それは、雪に告白として呟いた言葉なのだが、先ほどの、新の言葉の後だったために、冗談としか思われなかったようだった。
「わかった。安心していいよ」
「うん」
周りの人々の中から笑い声などが聞こえて、四人の男女は恥ずかしくなり俯いてしまった。だが、頼りないはずの女性の雪の言葉で、簡単に戦に勝てる様な雰囲気が周りに伝わり。執事は安心した。
「それでは、殿下。そろそろ、お逃げ下さい」
「わかった。この雰囲気では戦になるはずがないな。それでは、先に帰っているぞ」
四人の男女以外は、敬礼をして見送った。だが、挨拶でなく無事に逃げられる様にと祈りに近い行為だったのだ。そして、もしこの時に、家臣に向かって返礼をしないで馬車の中に隠れていたら、時の流れが変わっていたはずだ。だが、家臣と言うよりも友人と思っていた為に、それは無理な事だった。
「家臣を置いて逃げるぞ」
「逃がすな。弓を放て」
「何処の国が手を組んだのだ」
「何処の国を滅ぼすのだ」
「敵は、何処の国だ」
二門と三門を守る人々が怒声を上げ始めた。そして、次々と、四門、五門と連鎖し続けた。これは、何時か起きる事だったのだ。何処かの一国を滅ぼす為に国々の間諜の集団だからだ。だが、何処の国なのか分からずに混乱と言うよりも錯乱していた。
「前衛は、楯で囲いを作れ。他の者は、盾を頭上に上空からの矢を警戒しながら後退だ」
子爵は、慌てる事をせずに、的確な指示を下した。もし、他の国々が統制のとれた軍だったなら数分で壊滅しただろう。それでも、五倍の軍勢なので防ぐのがやっとだった。このまま状態が続けば、一人、二人と倒され続けて壊滅するだろう。だが、その時だった。
「赤い感覚器官よ。全ての矢を弾け」
昌が叫び声を上げた。すると、部隊の上空を赤い感覚器官が伸びたと思えば短くなり、まるで、巨大な扇風機の羽の様に回転して矢を弾き始めた。
「なぜ、矢が弾かれるのだ」
「上空に何かあるのか?」
「我々は、夢を見ているのか?」
「もう俺たちは死んだのか?」
「悪魔が悪戯しているのか?」
敵の軍勢よりも味方の軍が恐怖を感じていた。考えたくない事だが、その理由は、悪魔は矢で遊んでいる間は良いのだが、矢が無くなった場合は、自分たちに襲い掛かってくると考えてしまう。それだけ、想像も出来ない事が起きているのだ。
「昌さん。流石ね。防御系だけはあるわ。私では全てを弾く事は出来ないもの」
赤い感覚器官は、雪しか見えない。だが、武器の状態なら同族は見えるが、この場には、雪だけしか居なく、何が起きているかは、雪と昌だけしか分からなかったのだ。
「今度は、私の番ね」
雪は、昌の感覚器官と同じ様に伸びては縮む。それを繰り返しては、他の軍隊の人々が持つ武器を弾き返していた。それだけでなく、赤い感覚器官は、攻撃して来る人々の身体にも刺さるが、死ぬ物や怪我をする者は殆ど居なかった。不思議に思うだろうが、当然の事だったのだ。赤い感覚器官は、時の流れに必要な者を殺す事が出来ないからだ。それが、二人を結ばれる為に必要な修正なのだからだ。
「この状態を維持しますので、後退してください」
「お前らがしているのか?」
「私たちを信じて、お願いだから後退して」
雪と昌が指示を出すのだが、誰も動こうとはしなかった。だが、何十年も前に、四人の男女の親が戦った姿を見た者が居た。
「大丈夫だ。安心しろ。今まで語り継がれた。あの超人の様な人たちの子供たちなのかもしれない。これなら、無事に後退できるぞ」
「うぉおおお」
「おぉおおおおおお」
年配の下士官が言った事で命が助かると思ったのだろう。味方の指揮が上がり混乱もなく少しずつだが後退を始めた。その頃、問題の馬車は何をしていたかと言うと・・・。
「騒がしい」
「そうですね。殿下」
「戦になっているぞ」
馬車の中から外の会話が聞こえて現状が分かった。
「ですが、殿下。今は逃げるしかないのです」
「だが、第五の門に居る者たちは、敵でないのか?」
「それは、行ってみないと分かりません。ですが、子爵の話を信じましょう」
「そうだな」
急いで馬車を走らせているのだが、町では祭りの騒ぎで道は込んでいる。だが、城壁の近くに近づけば市民はいないのだが、逆に同じ様に騒がしく思った通りに馬車は進めなかった。それは、当然だろう。市民には知らせてないが、城壁の向こうでは戦が始まっているのだからだ。それなのに、五門の近くまで来ると変だと感じた。籠城していると思っていたのに、門が開いていて中と外の服装の違う兵士が共同で、三門に居る兵士と六門に居る兵士と戦っていたのだ。それを見てやっと、殿下と貴婦人は分かったのだ。
「子爵は知っていたのね。五門に居る兵だけは、絶対に裏切らない同盟軍だと」
「だが、どうするのだ?」
「このまま進みましょう。そして、その時々の対応に任せるしかありません」
第三十四章
五門の検問所の建物の窓から顔を出したかと思えば、引っ込めている者がいた。それほどまでに恐怖を感じているのなら門から逃げれば良いと思うのだが、何故か、同じ事を繰り返していた。
「何をしているのだろう。早く来てくれないだろうか?」
その時、扉を蹴破る様な勢いで男が現れた。
「何している。まだ、来ないのか、このままでは、我軍は壊滅する。それだけでなく、町にも攻め入られるぞ」
「子爵に言われた。戦になった場合は、五門に向かわせるから頼むって」
「呼びに行けないのか?」
「無理だ。ここを離れて、もし来たら会えなくなるぞ」
「どの様な人なのだ?」
「宿の客だ。そうそう戦車に乗っていた」
この男は、宿の一番番頭だった。子爵は馬車を使用すると、一言だけを店に伝えに行った時に、もし戦になった場合は、四人の男女を逃がすから五門にいる兵と一緒に逃げるように伝えて欲しいと言われたのだった。そして、先ほどから騒いで居る者が、五門で待機して居た兵士の隊長だったのだ。
「もしかしてあれか?」
男の視線の先には、驚きの物が見えるだけでなく、不思議な物が段々と近寄ってくるのだ。このままでは、戦っている人々の中に突入するのではないかと思った時だった。止まれと叫ぶ寸前に、自分が居る検問所の近くで止まってくれたのは良かったが、また、驚く物を見てしまったのだ。貴族の貴婦人なのかと思う。若い女性が御者席で手綱を操っていたのだ。場違いと思うだろうが、馬車だけを見るのならば、戦場に適した物だろう。放たれた矢を完全に弾く様な、全面に鉄で覆われた物だった。戦車とは見たことがないが、この乗り物は戦車だとしか思えない物だったからだ。
「えっ、あっ、そうそう。あれだよ」
と、一番番頭が叫ぶと、検問所から出て、馬車まで駆けだした。当然、その後に、先ほどの隊長も駈け出した。
「遅かったな」
御車に座っていた者は、二人の男に気が付いて居ない様子で後ろを振り向き、馬車の扉越しに声を上げた。
「何が起きても自分から出ないで下さい。私が、必ず扉を叩いてから扉を開けますので待っていて下さい。
「分かった」
扉越しからだからだろうか、怯えているのかくぐもった声が聞こえてきた。
「おい、俺の話が聞えないのか?」
「この五門から逃げられるって聞いたのだが本当なのか?」
「俺は、その為に待っていた。だが、四人の男女は馬車の中か、と言うか、お前は誰だ?」
「私のことなどよりも、馬車の中の者を直ぐに逃がすことを考えてくれ」
「何をしている。先ほどから時間が無いと言っているだろう。ナンパなど後にしろ」
「四人の男女は中にいるのだな」
「そう思ってくれて構わない」
「何かと癇に障る言い方するやつだな」
「もういい加減にしろ。連れていくぞ」
「お願いする」
隊長は、女性の頷きを確認すると、御者に座り手綱を操りながら走りだした。
「馬車を囲え。そのまま退却だ」
この言葉が響くと、この町の五門の警護たちは門を閉める機会が来たと感じて一気に士気が上がり、馬車が門から出ると直ぐに門を閉めた。それと同時に、馬車を囲む五門に控えていた兵が退却するのを掩護した。援護と指揮官の適切な指示で少しずつだが町から離れることができた。普通なら両脇から敵に囲まれたら逃げられるはずがないのだが、本国からの指示がなければ門から離れる事ができない理由があった為だった。
「後、少しの距離だ。頑張ってくれ。そしたら逃げられるぞ」
この時、偶然だろうか、片方の部隊が散り散りに逃げだした。恐らく、指揮官が死んだのだろう。この兵たちの行動を見て、他の部隊も連鎖的に、自分たちの国が在る方向に逃げだし始めた。だが、馬車を追う様に、一つの部隊が近付いてきた。
「ちっ。良い指揮官の様だ。まったく乱れがない駄目か?」
諦めようとした時だった。ホラ貝の様な音が響いた。
「来たか。合図の音を鳴らせ」
第一門に居た兵が逃げてきたのだ。味方だと知らせた音に返信の音が返ってきた。
「機会が来た。このまま一緒に隠れ里まで逃げ切るぞ」
二つの部隊が合流したのもあるが、四人の男女の中の雪と昌がいるお陰で、安全な所まで逃げ切れたからだろう。怪我人の治療と体を休める為に、一息をついたのだった。
「やはり、五門に控えていたのは、お前だったか」
「久し振りです。隊長」
「それで、殿下は大丈夫なのか?」
「殿下?まさか、馬車の中に居たのですか?」
「そうだ」
「それでは、直ぐに迎える支度を・・」
「待て。あの女性の指示にしか従わないだろう」
話しを途中で遮って考えを伝えた。
「そうなのか」
「これで、二度も殿下を助けてくれて感謝する」
「国境の領主なんて自国の王も敵国の王も信じてくれないのですよ。だから、この様な任務を命令されるのです」
「大丈夫なのか、一度は、王都から逃げる殿下を助け、また、今回も・・・・」
「まあ、その時は、お前の殿下に正式に使えるよ」
「それは、楽しみだ」
本当に嬉しいのだろう。言葉だけでは興奮を抑える事が出来なくて両手で肩を叩いていた。その姿を見て、別の機会にでも本心を言う積りだったのだろうが、この男も我慢が出来なかったようだ。
「正直に言うと、もう使えている様な感じなのだが」
「それは、どういう意味だ」
「殿下が隠れている場所は、俺の領地なのだ。まあ、俺も最近になって気がついたのだが、その里は、誰とも交流しない隠れ里と言うか、不明の遺跡を守る人々の里なのだ」
「そうなのか」
「そうだ。これから、その里に帰る。一緒に来るのだろう?」
「行きたいのだが、城に仲間が待っていてなぁ」
子爵は心底から悩んでいる時だった。
「まだ、城があるのか、俺は噂で聞いたが、見世物小屋になっているって聞いたぞ」
「確かに、それは本当だ」
「なら仲間とは変な話しだな?」
「その城で道化師をしていた」
「え、嘘だろう。それでも帰りたいのか?」
「書簡も渡さなければならないのだ」
「今さら意味がないだろう。もし良ければ、俺の部下に頼んでもよいぞ」
「うぅむ」
「正直に言うと、俺では、二つの軍を一つにすることは出来ないぞ」
「うぅむ」
「殿下の事を考えるのなら残るべきだ」
「わかった。書簡と城に使いを頼む」
「分かってくれたか」
男は一瞬だけ笑みを浮かべた。まるで計画が成功したと思える笑みだった。その後直ぐに、一人の部下を指名して呼んだ。
「それと、四人の男女も町に返して欲しいのだ」
「だが、それは危険でないのか、可なり活躍したのだろう」
「そうだが、このままでは本格的な戦になる可能性がある。それで、出来るだけ早く逃がしてやりたいのだ」
四人の男女の話題が聞えていたはずはないだろうが、何故か、二人の男の所に向かってきた。それに、驚いて無言のまま見続けてしまった。
「どうした。食事は食べたのか?」
「まだ、食べていない」
明菜、雪、晶は、何故か落ち込んでいるので、新が答えた。
「一番の功労者なのだ。大威張りで好きな物を食べていいのだぞ」
「ありがとう」
四人の様子を見て、何かがあったと感じ取った。それで・・・・。
「俺たちもまだだ。いっしょに行こう。子爵も来るのだろう」
「そうだな。行こう」
四人の男女は、まるで子供が恐怖を感じて母のスカートの裾を掴んで助けを求めるような顔色を表わし、子爵の後を嫌々と歩いている様子だった。その様子を、二人の男は気がついてないのだろうか、それは、判断ができないが、そのまま歩き続き食事を配給している所まで来た。
「美味しいぞ」
「そうそう、肉は好きだろう。多く貰えるように言ってやろう」
「料理長。今の話しは聞こえていただろう。頼むな」
「はい。承知しました」
体格の良い男で、何故、食事を配給しているのかわからないが、まるで鬼の軍曹と思う姿だった。
「如何した。受け取って良いのだぞ?」
「はい」
新だけは声を上げたのだが、他の三人は頷くだけだった。それから、新、明菜、雪、昌と並んで食事を受け取っていたのだが、雪が食事を受け取ろうとした時に、鬼の軍曹の様な男は、何故か、手を震えながら渡そうとしので、雪は受け取れるはずもなく、地面に落してしまった。
「うっううう」
雪は、食事を受け取れなかったので泣いたのではない。先ほど前まで、左手の小指にある赤い感覚器官で、皆を助けた事にあった。それは、同じ人間と思ってない。まるで化け物を見ていると感じ取ってしまい泣いてしまったのだ。それは、昌にも感じ取り、その場から逃げようとした時だった。そして、明菜は・・・・・・・。
「何なのよ。あなた達は、雪と昌に命を助けてもらったのでしょう。そのお礼が、この態度なの。また、襲われたら助けてもらうのでしょう。それって酷くない?」
「それは、誤解だ。料理長は、あの姿だが血が怖いのだ。恐らく、子爵殿の腕の怪我を見て怖かったのだろう」
「でも、今は、子爵さんが居るから笑みを浮かべているけど、さっきまでは、苦痛の様に顔を歪めて無視していたでしょう?」
「それも、誤解だ。料理長は、人を殺す事も殴る事もできない優しい男なのだよ。それに、先ほどの事なら、砂糖もミルクも料理長に没収されて、苦いコーヒーを飲んでいたからだよ。その没収した物で、料理長は、お前たちにホットケーキを作って食べさせたかったのだ。だが、貴族の姿をしていたから、粗末な食べ物なんて食べないと言われると思って、誰も声を掛けなかったのだ」
「もう、それ本当なの?」
明菜が、満面の笑みを浮かべた。
「食べたいわ」
「うん。僕も食べたい」
雪と昌は、先ほどと同じ様に涙を流しているが、今度は嬉し泣きだろう。
「食べてくれるのか、なら、今の食事を食べていてくれ直ぐに焼き上げるからな。だが、蜂蜜もバターも無いから、砂糖水をかけて食べてくれよな」
「うん。待っている」
明菜の言葉に、雪、昌、新も照れながら頷いた。それから、今度は、料理長も怯えるはずなく、四人に手渡した。
「どうだぁ。美味しいか?」
「美味しいよ」
四人の男女が食べていると、兵の誰か一人が言ったのでない。殆どの者が同じ様に話しかけてくれた。子爵は、その様子を見て何かを言うか、言わないか、悩んでいる様子だった。それでも、満面の笑み浮かべながらホットケーキを食べる姿を見て、伝えないと駄目だと感じ取った様だった。
「あのな」
「な~に?」
明菜が、子爵の言葉に耳を傾けた。
「これ以上、我々と関わらないほうが良いと思う。それでな、書簡を届けに行く者と一緒に帰った方が良いと思うのだ」
「何で?」
「これから本格的な戦になるかも知れないからだ」
「私たちは帰りたくないかも」
「何故だ?」
「何かねぇ、今思うと、旅館代が可なり高い様な気がしてきたの。だから、このまま帰らない方が良いのかなって思い始めたのよ」
「その事は心配しなくて良いぞ。一番番頭に会った時、料金は領主に請求してくれと言ってきたよ。だから、安心して帰りなさい」
「明菜さん。もういいわ。ねぇ、子爵さん。私たち、いや、私と昌さんは、結ばれるためには定められた行動をしなければならないの。その理由を全て言えればいいのだけど、私も何て言えばいいのか分からなくて、だから、お願いです。一緒に連れて行ってくれませんか、私と昌さんは、先程の様に死ぬ気持で、皆を助けるからお願いします」
「そうか、それは、矢を空中で弾いた事や、手を使わずに敵の武器を払い落す事だな。それと、殿下が連れていた。獣にも関係しているのだな」
「はい。そうです」
「許そう。料理長の下働きとしてなら隊にいる事を許そう。もう一つある。死ぬ気などと言う言葉は絶対に使うな。それに、戦いを甘く考えるなよ。子供の口から守るだと、戦をする者からは侮辱だと言う事も忘れるな」
「すみません」
「いや、大声を上げてすまない。許してくれな」
「いいえ、私が悪かったのです。本当にごめんなさい」
「気にするな、ゆっくり食べなさい」
子爵は、心の思いを叫んでしまい恥ずかしかったのだろうか、それとも、書簡の事が気掛かりだったのだろう。簡単に会釈すると、この場から立ち去った。そして、雪、明菜、昌は、怖かったのだろうか、涙を流していたので、新が慰めていると、料理長や周りにいる兵士たちも、優しい言葉を掛けてくれた。それから、偶然だろうか、四人の気持ちが落ち着くのを待ってくれたかの様に休憩が終わって、目的の場所に向かう事になった。その途中で、敵に襲われる事も、危険もないと思ったのだろうか、天猫が四人の前に現れた。
「久し振りだな」
第三十五章
「久しぶりね」
「でも、驚いたわ。その姿が本当だったのね」
「まさか、心配になって追いかけてくれたのか?」
「僕は、初めて会った時から、この姿しか見えなかったのだよ」
「そうかぁ」
「うそ、そうだったの。なら怖かったでしょう」
昌の話しで三人三様の驚きの表情を見て満足していた。特に、雪が心配してくれたので嬉しそうに頷いていた。
「そうか、済まなかったな」
「大丈夫です。天猫さん」
昌は緊張しながら答えた。
「ねね、天ちゃん。私たちを追いかけてきたのでしょう?」
「初めは、その気持ちだった。だが、今は、男を助けたい気持ちなのだ」
「そうなの」
「あっ、皆と一緒に霧の隠れ里に来るのだろう。その里に着いたら案内をしてやろう。お前らにしたら良い事だから楽にしろ」
「何、どう言う事なの?」
「着いてからのお楽しみだ。またな」
天猫は、喉を鳴らしながら楽しそう離れていった。恐らく、男の所に行くのだろう。
「何なのかしらね。天ちゃんが言っていた。良い事って?」
「そうだなぁ。あの天の様子では期待してもいいかも」
「うん」
一行は、四人の男女と天猫の気持ちに気が付かないまま、山岳の方向に進み続けた。その途中に、道が二つに分かれていて、その片方には関所が見えた。
「隊長。俺は、これ以上は行けません」
「そうか、領主も大変だな」
「殿下を頼みます」
「安心しろ。それで、この先の事を分かる程度でいいから教えてくれないか」
「なぜ、最近に村があると分かったのは、この先の地が特別だからだ。その山岳の向こうは行き来する者がいない未開の地とされている。それでも、地図の上では、山岳の裾までは、俺の領地とされているのだ。それで、俺側の国王の指示で殿下の捜索を指示されて裾野まで調べなければならなくなった。まあ、その地を偶然に見付けたと言う事なのだ。
「それでは、何も分からないと言う事か」
「済まない」
「気にするな」
「ありがとう。ああ、殿下に託を頼む。恐らく、いや絶対だろう。五カ国から使いが来るはずなのだ。また、同じ様な書簡のやり取りと声明を読み上げる事をするのかと聞いて欲しいのです」
「わかった。必ず伝える」
「気をつけろよ」
と、言うと分かれ道の片方を進んで行った。
「そうする。・・・・えっ」
子爵は、歩きながら答えたのだが、振り向いて「なにをだ」と問うつもりだったのだが、すでに、会話が届かない距離だったので悩みもせずに簡単に諦めた。ただの挨拶だと感じたからだった。それでも、殿下への託だと思いだしたのだろう。男の事など忘れたかのように駈け出した。それも、殿下が居る部隊の先頭までだ。
「子爵。どうしたのだ。何かあったのか?」
「はい。この地の領主から託を託されました」
「ああっ、五門を守っていた。あの男だな?」
「はい、そうです」
「あの男は、何かと良くしてくれている。託までしての願なら叶えてやろう」
「はっ」
「それで、何と言ってきたのかな?」
「あの男は、願いでなく、殿下を心配しての託です」
「そうなのか」
「あの男は、今回の六カ国連合の崩壊を気にしていました。もし急ぎの連合の修復をするのなら、直ぐに手配をするとの事でした」
「そうか」
と、頷きながら隣の女性に視線を向けた。
「殿下。安心してください。今までの様に六カ国の王から書簡が届くはずです」
「そこまでしても領地を増やしたいのか」
「それもありますが、他の五カ国の情報が欲しいのです。自分だけが連合に参加しなかったなら攻められると思っているのでしょう」
「そう言う考えで兵を寄こしているのか?」
「はい。まあ、私の策略で思わせているのですよ。殿下」
「そうだったのか」
「七カ国を一つにして、殿下を国の象徴にしてあげますわ」
「ありがたいが、民の血を流す事だけは止めてくれよ」
「分かっております。殿下」
「それなら、良い」
「殿下」
「何だ?」
「そろそろ、竜巻の時間です」
「もう、その距離まで来ていたのか。子爵、直ぐに部隊に指示を送れ」
「何と?」
「地面に伏せろ。早くしろ」
子爵に指示を与えると同時に地面に伏せた。
「はっ、地面に伏せろ」
子爵が振り返ると、時間と場所に気が付き半数の者が伏せていた。だが、恐らく、残りの者は指示があるまで伏せる気持ちがなかったのだろう。そう思うのは、年配者だけが支持を待っている様に感じられたのだ。もしかすると、指示がなければ動けない程まで、体の隅々まで教育が残っていたからだろう。
「殿下は、まだ、良い部下をお持ちだ」
子爵は、安心と同時に不安を感じていた。その不安は、自分の指示が遅かったために怪我をしてないかと祈る気持ちだったのだ。
「子爵。起き上がっても大丈夫だぞ」
今度の子爵は、先程と違って起き上がると同時に指示を与えたのだが、不信を感じた。
「参謀殿。聞きたい事があるのだが、良いだろうか?」
部下の様子を確かめてから問うたのだが、今までの雰囲気などで、子爵の心の中では貴婦人から参謀に昇格していた。それは、何も考えずに自然と口にしていたのだ。
「いいわよ。でも、参謀って言うのは止めて、もし誰かに聞かれて計画に支障があると困るから、春香って呼んでもらって構わないわ」
「承知した」
「それで、何を聞きたいの?」
「決まった時間に、竜巻が起こるのか」
「そうよ」
「それにしては、少し変ではないか?」
「殿下も気がつきましたか、確かに消えるのが早いですね。今までなら、あの大岩に着くまで起きていたはずなのですが、不自然に消えた様に思いました」
「そうだろう」
「・・・・」
子爵には、会話の意味が分からなかった。そして、答えを待っていたのだが・・・。
「子爵。それに、そろそろ砂嵐の時間だな。兵に前方に注意と支持をしてくれ」
「えっ、はい」
殿下と春香の会話の通りに砂嵐が現れて周囲が見えなくなった。
「やはり変だな」
「そうですね。今までは周囲を隠す様にも、進むのを止めさせる様な砂嵐だったはずなのに、一瞬で消えましたわ」
「あっ、殿下」
「なんだ。天猫。どうした?」
「確かめたい事があります。私の知人の四人をお連れして宜しいだろうか?」
「構わないだろう?」
春香に視線を向けながら言うが、返事は春香の言葉に託した。
「天猫さんの知人なら大丈夫でしょう」
「それなら、直ぐに連れてくる」
天猫は駈け出した。それも、後方へ、後方へと思案している表情を浮かべながらだった。
「天ちゃん。慌ててどうしたの?」
「チョット来てくれないかな」
「いいわよ」
「雪だけでなくて、四人で来て欲しいのだ」
「まさか、命に係ることか?」
新は、明菜の事が心配になり鋭い視線を向けた。
「それは、ないから安心してくれ」
「分かった。行こう」
「疲れるだろうが許して欲しい。時間が惜しいのだ」
新の返事で、四人の男女は、天猫の後を追った。
「四人とは、貴方たちだったか」
「殿下の危機を救ってくれてありがとう。でも、何か又、無理なお願いをするようね」
「それで、天猫。四人を連れてきた理由はなんだ?」
「もしかして鳴子にでも触れたのかと感じたのだ。
「鳴子?」
天猫は、四人の男女と殿下と春香に、不審を感じた事と、これから何をするのかと伝えた。それは、里に入る時と出る時の二回しか経験していないが、同じ様に竜巻などが起きたのを記憶していたのだ。だが、今回は、同じ様な事が起きたが、消え方が変だと感じたのだ。まるで、何者かが無理やりに消した様に感じた。もしかしたら、誰かを迎える為に、警報装置を切った様に思えた。それで、前回と違うのは、四人が居なかった。ならば、部隊の先頭に立ち、真っ先に鳴子に振れた場合は何も起こらないか、違う現象が起きるかもしれない。その事を詳しく語ったのだ。
「もしそれが本当ならば、常に里の周りに濃い霧があるのが晴れると言う事なのか?」
「何とも言えないが、何かが起きるはずだろう」
殿下と春香は、今までとは現象が違うのもわかる。そして、何かの原因があるのも分かろうとしたが、四人が原因とは考えられなかった。もし赤い感覚器官の話をすれば、そして、その赤い感覚器官が見えれば納得するだろう。それを言わなくても、第一門の戦いを見ていれば興奮して何が起きるのかと期待するはずだ。そして、普段の里に行く目印など気にせずに奥へと進んでいただろう。その様にしていれば時の流れが変わっていたはず。
「何も起きなかったな、里を出る時でも先頭を歩けば竜巻くらいは消えるだろう」
里の門が見えると、子爵は、気落ちしている天猫に言葉を掛けた。
「・・・・・・」
「信じていなかった訳ではないぞ」
「詰らない思い付きで済まなかった。許して欲しい」
「気にする必要はない、霧の里から出る時に試してくれると嬉しい」
「承知した」
「そうよ。天ちゃん。何をするのか分からないけど、里から出る時にでも何をするのか教えてね。指示をしてくれたら何でもするわ」
雪は、天猫を慰めようとした。だが、気まずい雰囲気を感じ取ったのだろう。天猫は、自分だけ走り出して門を抜けたと思ったら見えなくなった。その代わりの様に、老人や女性たちと子どもが迎いに現れた。
「殿下。御無事で何よりでした」
村の長老だろうか、女性や子供が殿下を無視して連れ合いを迎えるとでも思ったのだろうか、真っ先に出迎えの挨拶を口にしていた。
「直ぐに食事の用意を致しますので、その間に湯船でお疲れをお取りください」
「長老。ありがとう。そうする。それと、四人の男女に命を救われたのだ。些細な宴で良いのだ。出来ないだろうか?」
「そうでしたか、里の皆で祝いを致しましょう」
「すまない」
殿下は、心底からの気持ちだろう。深々と頭を下げた。この様に誰にでも素直に感謝をする人だから閉鎖的な里だが助力して上げたくなったのだろう。
「お母さん。お父さんを迎いに行っていい?」
「馬鹿。何て事を言うの。殿下さまをお迎えしてからでしょう」
数人の子供が我慢できなくなったのだろう。母の手を離して駈け出そうとしていた。
「気にするな。里に着いたのだから、我も皆と同じ子供だ。無礼講で構わないぞ」
そう笑いながら春香と共に館に入って行った。それを見届けてからと感じられる様に、女性と子供たちの興奮している様な叫び声が響いた。
「無事に帰ってきたのが嬉しいのは分かるが、宴の用意をしてくれないか」
皆が興奮していて、長老の言葉が聞えないだろうと思えたが、思い人の無事を確認すると、それぞれの役目が決まっているかの様に準備を始めた。その様子を見て、四人の男女と子爵は、何かを手伝わなければならないと感じたのだろう。辺りを見回していた。
「わたくしの後に付いてきてください」
「いや、皆の手伝いをしたいのだが・・」
「私たちも、御馳走になるだけって嫌ですわ」
「だがなぁ。知らない者たちが居ても邪魔になるだけだ。だから気にしないで欲しい」
と、返事を返すが、相手の返事など構わないように進み続けた。それに、渋々と、何処に連れて行かれるのかと付いて行った。すると、温泉の匂いがするので風呂場の屋形へ、予想通りに長老が屋形に入り、「湯殿の準備をして欲しい」と声が聞こえた。少し待たされた後に、一人で現れた。
「それでは、共同浴場ですがお入りください」
「ですが、皆が働いているのに・・・・・」
明菜と雪が困る表情を浮かべた。
「それなら、言わせてもらうが、客人と一緒では、他の皆が寛いで入れないですな」
「そう言うことなら、喜んで先に入らせて頂こう」
子爵は、軍での生活で上官と部下の気持ちが分かり。すんなりと承諾した。それで、四人の男女は、一番の年長でもある子爵の言葉に従う事にした。
「いらっしゃいませ」
五人が中に入ると、無愛想な老人が声を掛けてきたが、有料の施設ではなかった。ただの挨拶なのだが、五人は有料だと思った。だが、里の貨幣などあるはずもなく、どうしたら良いのかと少し悩んだ後に、懐から自国の貨幣を出そうとした。
「ただの挨拶ですわぁ」
老人は、冗談だったのを本気にされて本当に楽しそうに笑っていた。笑いが収まると、それぞれに合う浴衣などを渡して、ゆっくりと体の疲れを取ってくださいと伝えた。
第三十六章
五人の男女は、温泉の匂いと温かい空気に誘われて扉を開けた。男湯の中の様子は想像よりも大きい。一度に二十人は入れるだろうが、露天温泉の様な作りで天井だけある作りだ。それに、湯の色も白くて体の隅々までの疲れが取れそう温泉だった。
「気持ちがいい。体の疲れが解れるのがわかるようだ」
子爵は、眠そうに目を瞑りながら肩などの凝っている所を揉んでいた。それに釣られる様に、新と昌も浴槽に入ってきた。一瞬だけ女湯の方に視線を向けるが見えるはずもなく、それでも、天井の作りが同じだったので、想像だが同じ作りに違いないと感じ取った。
「本当に良い温泉だな」
「そうですね」
「・・・・・」
新は何かを考えているのだろうか、無言で頷くだけだった。その悩みは、天猫が考えた。鳴子の事に違いない。
「あのな、突然かもしれないが、もしかして佐久間家の血族なのか、でも、あの当主は、独身だったはずなのだが、何か関係でもあるのか?」
「ああ、僕たちは学徒の一人です」
「そうだぞ」
まだ考えているのだろう。だが、答えが出ないので不機嫌そうに頷いた。
「四人だな、えっなら」
「そうだ。四人がどうした?」
新は、子爵の驚きに、自分の問いなど忘れてしまっているようだった。
「もしかして四天王なのか?」
「四天王?」
「天王?」
「学徒の主席であり。佐久間の養子でもあるのだろう。その四人を、四天王と呼ぶ。その様な噂だぞ」
「まってくれよ。四天王は止めて欲しいぞ。もし呼ぶなら四人の騎士が良いかも」
「騎士などありふれているだろう。噂では、天と名称などで呼ばれるのは王族だけのはずなのを、その四人だけは国王の許可を得ていると聞いたのだが」
「噂は、どうかしらないが、佐久間家の養子は本当だ」
「そうです。ですが、僕たちは、勘当されたような者なのです。だから、もし支援などの要請を考えているとしても、僕たちでは何もできませんよ」
「そうだな、もしかすると、旅に出た時点で親子の縁が切られたかも」
「それと、僕たちから話題にしないけど、さっきの四天王って言われているのは、雪さんと明菜さんには内緒にしてくれませんか」
「そうだな、もし言ったら、ダサイ、古い、気持ち悪いと言うだけでなくて、自分の気持ちが収まらないからと言うよりも、噂の元だと思われて殺されるかもしれないぞ」
「うん。明菜さんなら有り得そうだね」
「そうなのか」
(それはないだろう。旅に普通の馬車でなくて戦車を寄こすのだ。心底から心配しているのだろう。それに、紋章まで入れているのだ。その紋章には何かあれば、佐久間家が全力で守ると言う意味だろう。それが分からないと言う事は、まだ子供だと言う事かも)
子爵は心の思いを伝える事はしなかった。それを言うのは、佐久間の気持ちを伝える事になる。それでは、四人が、佐久間の親心を思う機会がなくなることになるからだ。それは、佐久間の思いが消える事にもなり、楽しみが消えるからだ。
「間違いなく、抹殺されるな」
「わかった。気をつけよう」
「その話はいいとして。今まで考えていたのだが、鳴子ってなんだ。俺たちに関係あるのか、何度も考えたのだが、意味が分からないのだ」
「俺も分からない。里に来たのは初めてだからな」
「そうだったのか、御免、忘れてくれ」
「気にするな。あっ、人が来たようだな。出るとするか?」
「そうだな」
「僕も出るよ」
会話が聞こえるが入って来ない。恐らく入りづらいのだろう。仕方ない気持ちもあるが、そろそろ、のぼせそうと思う時間も過ぎてもいたのだ。
「どうも」
「どうぞ」
「先に入らせて頂いたよ。気持ちが良かったよ。本当に良い湯だった」
新と昌は、まだ、礼儀と言う事が分からないかもしれない。そう子爵は感じ取り、普段なら部下と思える者には、規律もあるが声も掛けるのを控えていたのだ。それは、自分も末端の兵士の時は、楽しい会話も話題も忘れる程まで緊張していたからだ。だが、今回は父親の様な気持ちになり、普通の感謝の礼を見せたのだった。
「いえいえ、私たちがお邪魔したようですね。温泉は二十四時間いつでも入れますので入ってください」
「そうするよ。ありがとう」
「本当に良い湯でした」
「ありがとう。また、入りにきます」
子爵の気持ちが届いたようだった。そして、明菜と雪がまだ上がってきてないと、老人から言われると、新と昌は休憩場で待つことにした。
「失礼する」
子爵は、殿下からの要件がないので行く訳にも行かない。まさか、四人の男女と共にいる事もできない。仕方ないので酒宴をすると言われた場所で待つことにしたが、場所が分からず。辺りを歩くことにした。そして、適当に歩いていると・・・・。
「お客さん。どうしました?」
長老が、どこから現れたか気がつかなかったが、後ろから声を掛けられた。
「チョットな、温泉で火照った体を冷やそうしただけだ」
「ですが、程々にしなければ湯冷めしますぞ」
「そうだな」
「そうそう。酒宴の前祝いで、一献でも、どうでしょうかな?」
「それは良いですな、頂きましょう」
「それでは、私の部屋へ」
子爵は、長老の言葉が変に感じた。普通ならば家と言うはずなのだが、部屋と言ったのは何か意味があるのだろうか、と感じたが、何も言わずに後を付いて行った。まあ、長老と言われる人なのだから一番大きい家だろうと考えながら歩いていた。
(ほう、あの家かな)
「あっ、長老様。お捜ししていました」
「なんだ?」
「あのう」
「どうしたのだ?」
「宴の用意ができましたら、私たちが、殿下をお迎えした方が宜しいのでしょうか?」
「その事か、用意が出来たら知らせてくれ、わしが迎いに行く。だが、その前に、二人で一献したいのだ。用意をしてくれないか」
「はい。分かりました。直ぐにお持ちします」
その様に伝えあった後、長老の家と思っていた家に入らずに過ぎると、小さくて古い建物に入って行った。何か先ほどの温泉に似た作りに思えた。
「ぼろ屋だが寛いでくれると嬉しい」
「もしかして、殿下の為に、ぼろ屋に移ったのか?」
「そうではない。この歳だと家から温泉に行き来するだけでも応えるのでなぁ」
「そうかぁ。温泉の匂いがするのだから近そうだな」
「近いと言うよりも、あの温泉が作られる前は、今居る所が共同浴場だったのだよ」
「ほうほう、それで似たような作りなのか、それにしては建物の中は普通の家の様だな」
「湯船が小さくて、待ち部屋なのだよ」
「そうでしたか」
一通りの訳を話し終わる頃に、扉をたたく音が聞こえてきた。
「お持ちしました。開けても宜しいでしょうか?」
「よい、よい」
「それでは・・・」
扉を半分くらい開けると、二つの膳が押し出された。姿を見せないのは自分の姿を見せたくないと言うよりも、中にいる二人に、いや、子爵に気を使っている様に思えた。恐らく、女性の恥ずかしそうな声色から判断するなら、元は温泉と使われていたので湯上りと想像を巡らし裸体に近い姿だと思ったのだろう。
「済まない」
「ありがとう」
「キャッ、いいえ」
女性は、礼を言うのに扉を開けられるとでも思ったのだろう。喜びの様な悲鳴を上げた。
「どうしました?」
「お酒が無くなりそうな時間が過ぎた頃に、もう一度お持ちいたしましょうか?」
「その心配はしなくていいぞ。その頃には酒宴の用意も終わっているだろう」
「そうですね。それでしたら、酒宴の用意が出来ましたらお知らせにきましょうか?」
「その心配も良いぞ。その頃には殿下を迎えに行かなくてはならないからな」
「そうでしたか、失礼しました」
長老の声色が変わった事に気が付き、不快を与えたと感じたのだろう。女性は、怯える様な声を上げながら即座に消えた。
「それで、長老殿。何か聞きたい事があるのだろう」
「分かりましたか」
「何となく、それで・・・」
「四人の男女の事が知りたいのだ。殿下と同行しているが戦を好む人たちにも思えないし。それに、あの馬車だけで判断するのならば、貴族の支援と思ってよいのかな?」
「違うようだ。何か旅に出なければならない理由があるみたいだ」
「ほうほう。それで、昌と言う者は、髪が短くて癖のある毛なのか、手入れのしてないのか分からない。それで活動的な男の事か?」
「違います。昌は、耳を隠す程の長くてサラサラな女性見たいな髪で大人しい方だよ」
「そうなのか、それなら、雪とは男性の様に短くて、そうそう、昌の様な髪の女性か?」
「違います。髪が長い方ですよ。後ろで縛っているから長さは分かりませんがね」
「ほうほう、雪とは見かけの通り日本的な女性で結婚したら夫に尽くしそうなのだな」
「それは、どうでしょうかね。部隊を助けたのは雪ですし、でも、明菜よりは女性的でしょうけど、日本的な女性で尽くすと言うよりも共同で何かをするなら助ける感じですかな」
「ほうほう、なら、明菜とは夫に尽くすって女性なのだな」
「どうでしょうかね。仲間内から聞いた話では、何か機嫌を損ねると殺人でもしかねるらしいですな。まあ、大袈裟だと思いますが、恐らく、金などの管理でもしていて気を使っているのでしょうね。ある意味しっかりした人物だと思いますね」
「ほうほう、二人の女性は見かけで判断できないが良い人物なのだな。だが、結婚したら夫に尽くさずに、自分の好きな様に生きる。結婚相手には最低だと言う訳だな」
「まあ、この里の様な大人しい女性ではありませんね。でも、自分は礼儀など教える事を生業にしていますが、最近の女性は、二人の様な女性が殆どですぞ。時代が変わったのでしょうかね。尽くすよりも、共に働き、助け合いながら二人の夢に生きるって感じですね」
「そうなのか」
先ほどまでの驚きは嘘としか思えなかった。今は目を見開いて芸を忘れている様だった。
「まあ、男性が軟弱になったのでしょうかね」
「ほうほう、昌と新は、男らしい男でないのだな」
「どうでしょうかね。新は、最近の男としてはしっかりしていますぞ。女性たちが好き放題できるのも、常に先を感じて支えている様に思えます」
「そうなのか、昌とは軟弱で男らしくないのか」
何故なのか、自分の孫の事を言われたようにがっくりと項垂れた。
「ですが、もう一人の部隊を救ったのは、昌ですよ。それに、自分の軍人の感では、相当な戦闘能力と感じました。心底から力を出せば、四人の中では一番でしょう」
「ほう、経験と自信がないのだな」
「そうでしょう。ですが、それほどまでの戦になれば、でしょうけど」
「男二人も、女性の方も良い相手を見つけてやるしかないかぁ。うんうん」
「チョット今の話は内緒ですぞ」
「わかっている。わかっている」
子爵の話を最後まで聞いていないのだろう。それと当然だが、最後の願いも聞いていると思えなかった。
「この村には良い女性も、良い男もいる。四人に紹介させよう。そうそう、子爵殿にも良い相手を紹介してやるからな。安心していなさい」
「あのう」
「酒も無くなったし。そろそろ酒宴の用意も終わっているだろう。ならば、殿下をお迎えにしなければならないな」
「ああ、先ほどの事は・・その」
「膳は、そのままでいい。行きましょう。まだ、飲み足りたいでしょう。さあさあ、立ってくださいな。行きましょう。行きましょう」
長老は、まるで本当の孫の事の様に楽しそうに笑みを浮かべていた。だが、子爵からには邪な考えを浮かべている悪魔の様な笑みに思えた。
「分かりましたから引っ張らないでください」
長老は、まるで駄々をこねる子供の様に、子爵を建物から連れ出した。そして、長老の家だと思っていた。あの屋形まで共に行くと・・。
「この家で酒宴をするから、先に入っていてくれないか。好きな様に飲んでいてくれ」
「あっああ」
子爵は、自分の気持ちなど問題がないかのように勝手に決められると、玄関の前に置いて行かれた。そして、仕方なく建物の敷地に入った。
「あっ、一人なのですか?」
「長老なら殿下を迎えに行きました」
「そうです。それなら一人で酒宴に来たのですね。さあ、ご案内しますわね」
「ありがとう」
「やっぱり、先ほどのお酒では足りなかったのですね」
「ああ、お酒を持ってきてくれた人でしたかぁ」
「そうですよ」
「ありがとう」
「いいのですよ。今度は、私がお酌してあげるわね」
「いや、別に一人でも・・」
「いいの、いいの。気にしなくていいのよ。あっ、そうそう食事が先の方がいいわよね」
女性は、子爵の言葉など聞いてないように話し続けた。その様子を見て、首を傾げながら何かを考えているようだった。もしかすると、その考えは、この村の住人は人の話を聞かない者の集まりか、それか、人の話を聞かないので村八分にされて村に住めなくなり。そして、村に辿り着き、この村に住むしかなかった。とでも、考えているはずだろう。
2014年1月13日 発行 初版
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羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。