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運命の泉 中 (前編)

垣根 新

垣根 新出版



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運命の泉(左手の小指の赤い感覚器官と羽衣)
 第四十六章
 そう部下に問い掛けた後、スタスタと何一つ迷いなどなく歩き出した。その行き先は、調理室に向っていた。その後を、皆が付いて行った。だが、徴兵隊だけが、心配そうな表情を浮かべていたのは当然だろう。その様子や態度は、あの野菜の姿煮を作った者と同じ雰囲気を感じたからだ。そして、同じ料理を作るのだろうと、疲れた表情を浮かべていたのだ。だが、この後から徴兵隊の皆は、誰一人として隊長とは言わなくなるのだ。だが、礼儀や隊長を軽んじることではなく、今よりも崇拝する気持ちで接するようになったのだ。「ほうほう、我々の食材よりも良い物が用意されているな」
「今日は何の料理を作るのでしょうか?」
 調理室の中の様子も物などの置き場所も同じなのだろう。既に前掛けを付けて食材を吟味していたのだ。その様子は分かっていたのだろう。何も指示されていないのに、まるで、見習い料理人のように調理を作るための補助の指示を待っていた。
「中華料理を作ることに決めたぞ」
「隊長」
「何だ?」
「今から昼食の準備するのでしたら出し汁の用意が間に合いません」
「何を言っている。我らの調理室から持って来れば良い事だろう?」
「そうでした・・・・・それと、一つ聞いても宜しいでしょうか?」
 上官の指示に疑問を感じた。だが、普段の通りに無言で用意したかったが、人数分の用意するのを考えて、恐る恐ると、本当に言い辛そうに問い掛けたのだった。
「何だ?」
「我々も、この食堂で一緒に食べるのでしょうか?」
「当然、そうなるだろう。それが何か不都合なことがあるのか?」
「いえ。何も問題はありません」
 高々と何を作るのかと伝えた後は、部下達が即座に、料理の下拵えを始めたのだ。そして、当然のことだが、部下がする下拵えの様子を確認に回り、時には指導もしていた。その様子を徴兵隊の皆は驚きの表情を浮かべながら見ていた。と、言うよりも、入りたくても入ることも、言葉を掛けることも出来るはずがなかったのだ。それだけでなく、徴兵隊の者たちは、この様子を見て料理を食べた後は、誰一人として隊長とは呼ばずに調理長殿と言うことになる。だが、それは、冗談などでなく、尊敬と崇拝の形だと分かっていたので、誰も注意する者がいなかった。それでも、言われる本人は、と思うだろうが、微かな笑みを浮かべて敬礼を返してくれるのだから嬉しかったのだろう。
「調理長殿。ご馳走様でした」
 一番の早食いと言う訳ではないだろう。本当に美味しかったのであっと言う間に食べつくしたに違いない。それと同時に、食堂に居る中で一番の感銘を感じたのだろう。つい、立ち上がって思いを投げかけてしまったのだ。
「龍次。何てことを言うのだ。失礼だろう」
 達也が食事中だったが、立ち上がって謝罪したのだ。
「・・・・・」
 何も問題はない。その様に感じ取れる敬礼で返事を返したのだ。そして、何も無かったように、また、食事を食べ始めた。その様子を見て安心したのだが、一瞬だが、殺気を感じて周りを見回すが、何も無かったように食事を食べていた。もしかすると、隊長が侮辱されたと感じたが、本人が無関心だったからだろうか、部下達は気持ちを押し込めているのかもしれなかった。その気持ちに気が付かない他の徴兵隊は、食べ終えても興奮を表していた。それほどまで美味しく、初めて食べる料理だったのだろう。
「先に行っているぞ。後の片付けなどは徴兵隊に任せた」
「はい」
 徴兵隊の者達は、即座に立ち上がり完璧な敬礼を返したのだ。やはり、上官に心酔すると敬礼も完璧にできるようだ。そして、そのままの姿で見送った。当然と言うのも変だが、徴兵隊以外の全てが食堂室から出て行くまで敬礼は続けていた。
「片づけが終わり、十七時の夕食の準備まで自由にして構わない。だが、分かっていると思うが、明日からは正規な時間割で全てを進めることになる。だから、今日中に寸法直しと帽子や靴の交換などは終わらせることだけは忘れるなよ」
 副長が食堂から出て行こうとした時だった。何か忘れたかのように振り向き、念を押したのだ。
「はい」
「それなら、宜しい」
 交換する部屋や手続きだけでなく、寸法直しなどができるのか、それを伝えたのだが誰も聞くことをしなかったために、本当に分かっているのかと、溜息を吐きながら後にしたのだった。徴兵隊の皆は、姿が消えても足跡が聞えなくなるまで敬礼を続けていた。その後、席に座り直して食事を続ける者もいたが、殆どの者が食べ終えていたからだろうか、囁きのような会話の声だったのだが、次第に大きくなる声の響き、そして、これからのことを話題にした会議のように大きな言葉に発展したのだ。
「寸法直す者は何人いるのだ」
 達也が言われたことに気が付き、真っ先に話題を挙げた。すると、八人が手を上げた。
「一人で直しが出来るのか?」
「はい」
 自信なさそうに八人が手を上げた。
「大丈夫なら良いのだが・・・・・・仕方がない。皆が食事を食べ終えた。その後、この食堂で教えよう」
「はい」
 先ほどの返事より声高に嬉しそうに返事を返していた。
「それと、交換する者はいるのだろう。手を上げてくれないか?」
 十二人が手を上げた。そして、達也が・・・・・。
「そんなにいるのか?」
 自分のことのように困ったと悩んでいた。すると・・・。
「いいですよ。僕が付いていきます」
「そうしてくれるか、新殿。済まないが頼む」
「気にしないでください」
(僕って・・・人に教えるだけでなく、人に頼られる。そんな物事が出来る人だったかな・・・・でも、嬉しい)
 新は、頼られることに嬉しそうだった。これも、自分では思ってもいないだろうが、これも、時の流れの導きの一つになっていた。皆と心を一つに、そして、自分を頼れる者だと感じてくれなくては、この先の徴兵隊の危機を救えないからだ。だが、新も誰一人として、そのことを考えも、思う気持ちもないだろう。もしかすると、時の流れの修復のために、寸法直しだけでなく、靴などの合わないのを選ぶような人を時の流れの神が選んだのだろう。それと、時の流れの自動修正は、何一つとして狂わずに予定の通りに流れていた。
「それでは、新殿たちが帰って来るまでには終わらすぞ」
「その後は、料理長殿に、これからの講義をお願いしようではないか」
 半数くらいが不満そうに答えていた。だが、達也の思い。これから何をするか、何をされるかを聞いておかなければならない。その気持ちを数人でも分かってくれたことに、少しは安心したのだ。恐らく、今日一日なら何か失礼なことをしても許してくれる。それが、達也と、数人の者たちは感じたからだ。
「新殿。その者たちを頼む。それまでには、食堂室に残る者たちのことは終わらせておく」
「分かりました・・・・・・・それでは行きましょう」
 達也と話をしている間に、手に交換する物を手に取って、新の周りに集まって居たのだ。そして、話が終わると、自分の後に付いてきてください。そう態度を表して歩き出した。行き先は、先ほどの建物の靴などを渡された部屋に違いない。なぜか、部屋で勝手に好きなのを選んで、交換している場面と料理長に伝えている姿を見えた。そう思ったのだ。それと、もう一つ気が付いていなく、後で感じることだが、言葉のやり取りだけの時の流れの修正の仕方なのか、それが分かるのだった。
「頼む」
 達也は頭を下げて、新たちが食堂から出るのを見送った。その後、食堂にいる物に視線を向けた。
「それでだ。食事も食べ終わっただろう」
「・・・・・・・」
 食べている者いれば片手を上げるだろう。だが、誰もいなく、達也の次の言葉を待った。
「寸法を直す。その八人以外で全ての片づけをしてもらう。確かに、嫌と思うだろうが、これから何かと助け合いですることが多くなるだろう。食事の片付け程度ならいいが、怪我でもした場合は、肩を貸すくらいのことがあるだろう。皆で協力して無事に、それぞれの村に帰ろう」
「・・・・・・・・・・」
 この先で自分たちが怪我でもするのか、そんな嫌な想像をしたのだろう。だが、肩を貸してくれる仲間、自分を励ましてくれる仲間たちを考えしてしまったに違いない。それで、素直に頷いて片づけを始めたのだ。その姿を達也は見ると、八人の元に行き、縫い方を丁寧に教えるのだ。想像以上に不器用な八人だったために、食堂の食器などが洗い終わるだけでなく片付けも終わっても、まだ寸法の直しが終わっていなかった。それでも、新たちが帰って来るころにやっと終わった。
「終わりましたよ」
 新たちが食堂室に帰ってきた。
「済まない。こちらも、今終わったところだ」
「そうでしたか」
「座ってくれ」
「少ししたら料理長殿の所に行こう」
「あの・・・・・」
「どうした?」
「軍服を着て行きませんか?」
「何でだぁ・・・・・・ああ・・それがいいかもしれないな」
 数人が、ネクタイを不思議そうに見ていて、それで、新が、何が言いたいか感じ取った。
「それでしたら、報告もありますので、料理長殿に講義をしてくれるか聞いてきますね」
「すまない」
「気にしないでください。それでは、聞いてきます」

 第四十七章
 新は本建物に向かい。喫煙室と談話室が一緒の部屋に向った。それは、徴兵隊の建物では玄関の広間にある。前に登と一緒に行った。切手と封筒を渡した受付よりも正面玄関を開けて直ぐだった。徴兵隊の建物では正面玄関から裏口まで見通せるのだが、本建物では、その中間に無理やりのように部屋を置いた。そんな作りだったので一人でも迷わない。
「新殿が、料理長殿を連れてくるまでに着替えていようか、あっ・・・・飲み物もあった方が良いかな?」
と、達也は思案しているのか、皆に問い掛けているのか、分からない話し方だった。それでも、聞えた者がいて気を利かせて用意を始めたのだ。
「あっ・・すまない」
 この様に料理長が来るのを待っていると、それに時間的にも、そろそろ来る頃だろうと入り口を見ていると、新が食堂室に入ってきた。その後に当然のことだが、料理長が現れたのだ。
「ありがとうございます。料理長殿」
 達也は心底から心酔しているのだろうか、それとも、指揮官として部下の手本と言うよりも、自分と同じようにして欲しいと感じる怒声とも思える声量だった。
「ありがとうございます」
 その気持ちに気づいたように少し遅れて感謝の言葉を伝えた。
「今日一日は客分として扱う積もりだったのだが、講習を頼むとは感心な事だぞ」
「忙しいところ済みません」
「いいや、構わない。明日にでも話をする考えだったのだ。それが早くなっただけだ」
 この様に言っているが、仮に用事があったとしても、新に頼まれたら断れるはずもなかった。それだけ、新の名前が大きかったのだ。その気持ちを、新は感じたのか・・。
「本当に、ありがとうございます」
 新も、もう一度、頭を下げたのだ。
「それと、一つ言っておくが、飲み食いは、朝、昼、晩の食事時以外は自由時間の時だけだ。今回は、俺に気を利かせて、特例として皆も飲み物を許す。だが、登殿が来ようが、主様が来ようが、何も出す必要はないぞ。勿論、自分たちも飲めないのだぞ。間違って飲み物を上官に出した場合は怒鳴られるだろうが、自分たちが飲もうとした場合は、命の危険を感じた方がいいぞ」
「決してありませんので、忠告、ありがとうございます」
「それだけは注意して欲しい。仮にあった場合は、俺が注意を受ける可能性があるのだ」
「決して、そのようなことは無いように致します」
「それなら良いが・・・あった場合は、徴兵隊の指導に手を抜いたのかと思われて、どのような処罰を受けるか想像もできないのだ。当然、徴兵隊も同じ処罰を受ける」
「・・・・・・」
 徴兵隊の者たちは言葉を無くしたようだ。誰でも想像もできない。そのような処罰と言われれば死を覚悟するはずだからだ。だが、料理長は、親しい人でしか分からない。微かな笑みを浮かべたのだから過大なことを言ったのだろう。だが、なぜ、嘘を言ったのかは、兵員教育には良くある。浮ついた気持ちをなくすための心身共を引き締めだろう。
「明日からは・・・・全てが時刻を知らせる音で始まる。それから・・・」
(少し脅かせ過ぎたかな)
 徴兵隊の表情が真剣に変わったのを確かめると、やっと本題を話し始めた。すると、徴兵隊の者たちは、ますます顔をこわばり話が耳に入っているのかと感じて、せめて、声色だけでも柔らかくして少し気持ちを解そうとした。すると、顔色に赤みが少し戻ると、話が聞えているかのように頷く者も増えてきた。
「訓練期間は、一週間。その間に、軍隊の礼儀、正しい行進に仕方。この二つだけは確実に憶えてもらう。それが出来た後は、体術、剣術、棒術、弓術をしてもらうことになる」
「・・・・・」
 頷くが、憶えることが出来るだろうかと、不安そうな表情を浮かべていた。その様子を見て、料理長は、本心を伝えるか、それとも、恐怖を感じさせて少しでも憶えさせるか、思案していた。
「全てを一週間で憶えることはできない。良くて礼儀、行進、それと、弓術を憶えるので限界だろう。そして、そのまま警備隊として赴くことになるだろう」
「・・・・・・・・・・」
 不安な気持ちが心を占めて、頷くだけだった。その姿を見て、やはり、明日からでなく今日から指導するか、そう感じたようだった。その気持ちを右手に込め頭上に上げると・・・・・。
「上官が、何か言った場合は・・・・・」
 右手を急激に下ろして食卓を強く叩いた。
「はい」
 驚いて、悲鳴の様な一言だけ吐き出した。
「承知しました。とだけ言うのだ。頷くだけ、いいえ。と言う言葉を使うことは許されない。軍とは、そう言う所なのだ」
「承知しました」
 真っ先に、達也が答えた。
「承知しました」
 それに遅れて、全ての徴兵隊の者が同時に答えた。その様子を見て、料理長は・・・。
「それで、宜しい」
「ありがとうございます」
 今度は、一声に答えることができた。
「そうだ。承知しました。ありがとうございます。その二つだけで良い」
「承知しました」
「それでは、今日は、これで終わる」
「ありがとうございます」
「宜しい。良く出来た。その褒美とは変だが、好きな料理を作ってやろう。何がいい?」
「ありがとうございます」
「終わりと言ったのだ。それは、上官と部下でなく、同じ軍の仲間になる。その時は無礼講と言うことになる。思いをぶつけて良いのだぞ」
「ありがとうございます」
「分かった。それでは、夕食を楽しみにしていてくれ」
 食堂から出ようとした時だった。
「あっ・・・だが、調理をするのは手伝うのだぞ。後は、迎いが来るまで自由に寛いでくれて構わない」
「ありがとうございます」
(本当に、二つの言葉しか使わない考えなのか、これでは、飴と鞭が通用しないようだ。むむ、今までに会ったことの無い連中だな。何やら大変なことになりそうだな)
 表情には表していないが、複雑な思いのまま食堂から出て行った。そして、夕食が作られる時間まで徴兵隊は寛ぐのだが、その様子は身体だけで心は休めないようだった。

 第四十八章
 徴兵隊の宿舎では、温泉に入る者、会話を楽しむ者と、自由時間を楽しんでいた。だが、数分毎に、大きな溜息を吐くのだった。それと同時に、中庭が見える者は、中庭に視線を向ける。見えない者は、室内の入り口に視線を向けて、また、溜息を吐くのだった。徴兵隊の皆が同じ行為をしているのは、料理長から指示を伝えに来る者を待っているからだ。だが、喜びではなかった。恐らく、恐怖に近い感情だろう。その知らせが怖いのでなく伝えに来る者に失礼の無い対応をしなければならない。その気持ちからなのだ。と同時に、料理長が現れる可能性もあるので神経を研ぎ澄ませているのだ。そんな状態の時に・・・。
「カラン、カラン」
「うわぁ」
 三時を知らせる音が響いた。誰の声と判断するのが出来ないほどの者が悲鳴のような声を上げたのだ。それは、当然だろう。気持ちを集中している時に大きな音が響いたのだ。
「自由時間の知らせか・・・・そうなると、三十分後には遅くても知らせが来るな」
 この言葉も、口にする者、心の中でつぶやく者といた。それは、もう既に調理長から時間割を聞かされているからだ。そして、休憩時間の時には来るはずがない。それで、少しだが安堵したのだが・・・・・・・・。
「達也。達也と言う者は居るか?」
「あっ・・・・・・・・」
 玄関から叫ぶ男がいたのだ。玄関で喫煙している者、会話している者といた。その場にいた者だけでなく、自室にいた者まで心臓が止まる程の驚きを感じた。
「呼びに行ってくれないか」
「・・・・・・・」
 結局、心底から正しい敬礼をすると身構えていたのに、誰一人と出来る者はいなかった。
「承知しました」
 自分に視線を向けられた。そう龍次が感じて驚きのまま敬礼した。と同時に、その場から走り出した。
「隊長~隊長~たいちょう~」
 三回目の名前を呼ぶと、駆け出す男が、一人から二人に増えて、その響きは玄関の広間で止まるまで響いた。
「達也です。何でありましょうか?」
「隊長が菓子を作ってくれたのだ。それで、徴兵隊の皆の分があるから食堂に来てくれ。そう言われたのだ。それで、来られるか?」
「今すぐに行きます。そう伝えてください」
「承知した」
 二人の男は、自分が言葉にするのと同時に敬礼を返しあった。その様子を見ている者が、一人、二人と増えてくる。
「もう来ていたか」
 徴兵隊の全てが、先ほどの叫び声や足音を聞いて玄関のホールに集まっていた。
「料理長殿からお呼びが掛かったぞ。我々に菓子をご馳走してくれるらしい」
「おお」
 喜びとも、驚きとも、恐怖とも感じられる。そんな声が皆から漏れた。そのような気持ちのまま向かいの建物に行くのだった。すると、向かいの建物の裏口の前で、先ほどの男が待っていて食堂室まで案内をすると言うのだ。その一言の後に真剣な口調で、嫌いな物があっても食べるようにと、それを伝えに来た。と言うのだった。この男の一言で、ますます恐怖が増幅するが後を付いて行くしかなかった。まるで無実の犯罪者が牢屋か刑罰所にでも赴くような様子で歩き続けるのだ。だが、目的の場所だろうか、近づくにしたがい笑い声が聞えてくる。何故かと不審を感じると同時に、笑い声がする部屋でありますようにと祈っていたのだ。そして、皆の気持ちが神にでも伝わったのだろうか、目的の場所と笑いが聞える部屋と同じ所だったので安心した。それでも、何が楽しいのかと、不審を感じることが増えたのだ。それでも、室内に入らなければならないので入ってみると、嗅いだ事も無い甘い臭いが感じられて一つの不審は消えた。だが、何の話題で盛り上がっていたか分からないが、もしかすると、料理長が作った。様々な菓子なのかと感じることができた。それも、料理の補助をしていた。何人かの部下が手伝ったのと、料理長が一人で作ったのでは出来上がりが違う。または、部下でも年季の入った者が作ったのは料理長に近い出来上がりだと、笑いながら食べては会話を楽しんでいたのだ。それほどまで夢中だったからだろう。徴兵隊が来たことにも気が付かなかった。だが、男が徴兵隊を連れてきたことを知らせると、笑い声は消えて一瞬の間が過ぎると祝福の拍手に変わっていた。徴兵隊を椅子に手招きして座らせると、いろいろな菓子を食べるように勧めるのだ。まるで、酒宴のように馬鹿騒ぎに発展するのだった。その中で、軍の厳しさ、礼儀、料理の方法、全てを上官の視線からでなく、今度は、料理長の部下から同じ下級兵士の視線から教えられるのだ。この酒宴のような会は、無事に村に帰る時まで、いや帰れなかった者も、生涯で忘れることができない楽しい会になるのだった。そして、聞かされるのだ。他にも隊員はいるが、この部隊だけが、都市の警護隊で登と長い付き合いであり。友であると、そして、登だけでなく命を掛けて都市も市民も守ると、そのついでに客分である徴兵隊を守ってやる。そう笑って言うのだが、その口調には、冗談でなく本気で守ると感じられた。勿論、徴兵隊の皆も、敵は戦の玄人だ。その者たちには敵わないが、何日かの軍隊の訓練で自分の命だけは守れるようになろう。この料理長の隊からは怪我人も出したくない。そう心に誓うのだった。そして、そろそろ、菓子が無くなる頃、誰が決めたと言うことではないのだが、料理長が作る。それの補佐、雑用の班が二つ決定していた。最後に、料理長は作るのと、食べてくれる笑顔が好きで、三食の料理を作るが、残されるのが嫌いで、材料も無駄にするのが我慢できない。それを、伝えられるだけでなく、時間にも厳しく、特に個人の自由時間を大事にすると、だから、料理長の口癖で、自分は料理が作るのは好きだが、担当でない時は、個人の時間を楽しめ。それを、忘れるな。そして、戦う技能よりも、料理を憶えて、村に帰った時には、妻や子供にでも教える気持ちで料理を憶えて帰れ。笑いながら言ってくれたのだ。その気持ちのまま、夕食の料理を作り、そして、楽しく食べて、その日、客分としての一日が終わった。
「カラン、カラン」
 次の日の朝、時間割では不定期の時間に起床すると決められた時間の中でも一番早い時間に音が響いた。まだ、辺りは暗く、当然、朝を知らせる鳥も鳴かない時間だった。建物の玄関からぞろぞろと、眠そうな様子だけでなく寝巻きのまま中庭に出てきた。そして、昨日に言われたように班ごとに並び、点呼を取って大隊長に全員の起床を伝え、大隊長が登に伝えるのだ。そして、徴兵隊は知らないことだが、登の毎朝の決まり言葉を聞くことになる。その話しとは・・・この起床と点呼には意味がある。雨、雪、いかなる場所でも、戦いができるようにする訓練だ。それに、全員が無事に済んだ。後は、朝食まで身支度を整えることを許す。だが、今日の調理の班は、朝食の準備を遅れるな。以上だ。解散。この登の言葉を毎朝、同じ文句で聞くことになるのだ。それと、驚きがあった。徴兵隊と料理長の隊とは別に、二つの隊が両脇にいたのだ。その理由を、朝食を作る時に、その徴兵隊の班が聞いて知らされることになる。他の二つの隊は、職業軍人を雇ったのだと教えられ、交代で都市と都市の警護のために行き来していると、普段は、片方は昼と夜が逆で寝ていると、もう片方の隊は都市にいるのだが、登の用事なのか、それか、徴兵隊に顔見せのために泊まったかもしれない。その宿舎が、両隣の建物だと、そう言われたのだ。そして、朝食も食べ終え、初の体験であり、一日の始まりの訓練が開始されたのだ。その始まりは、朝と同じく班ごとに並ぶのだった。だが、違うことは、登がいないことと、職業軍人の二つの班がいないことだった。
「料理長殿。徴兵隊の全員を確認しました」
 達也が伝え終えると、同時に時間を知らせる音が止んだ。時間にしたら九時だった。
「よろしい」
「ありがとうございます」
「右回りで、第一隊、行進」
「承知しました」
「徴兵隊は、その場で待機。第一隊の行進を見た後は、同じ事をしてもらう」
「承知しました」
「それでは、第一隊の行進を開始。徴兵隊は待機」
「承知しました」
「承知しました」
 二つの隊は同時に答えるが、徴兵隊の声は、第一隊の大声で聞こえなかった。それに、料理長は不満を表したが、自分の隊の完璧な行進を見て不機嫌な感情は消えた。その気持ちは徴兵隊にも感じられ、同じように行進はできるだろうかと、思っているようだった。
その行進も中庭を二周すると、元の場所に戻ってきた。
「次、徴兵隊の行進を開始」
「駄目だ。駄目だ。やめろ」
 数歩だが歩いただけで、行進の中止と言われたのだ。それは、当然だった。一人一人が、第一隊の真似をしているがバラバラの足並みで手の振りかただった。その感じは、小さい虫か生き物がウジャウジャと勝手に走り回る。そんな、虫唾が走る感じたった。
「承知しました」
「見ていなかったのか、隊の動きは、一つの生き物のような動きだぞ。もう一度、行進だ」
 今度は、手を大きく振り、足も速く大股を開いて歩き出した。だが、・・・。
「駄目だ。駄目だ。やめろ」
 先ほどよりも、もっと酷い行進だった。その行進は我慢できない感じだったのか、一人で建物に歩いて行ってしまった。そして、徴兵隊と第一隊は、後姿を見つめ続けた。
「・・・・・・・・」
 その気持ちに気が付いたのか、料理長は振り向いた。
「第一隊の者たちに指導を受けろ。少し時間を置いてから見に来る」
「承知しました」
「承知しました」
 また、徴兵隊の返事は第一隊の声で響かなかった。
 隊長が建物に入ると、部下たちが徴兵隊に近づいた。そして、手は水平にあげる。足は太股まで高く上げる。などと伝え。歌を歌いながらが良いとか、一,ニと掛け声が良いとか、詳しく指導と言うよりも気持ちが和らげで丁寧な教え方をしていた。だが、これが二度、三度となった時も、同じ様に教えるかは分からない。それでも、何度か行進した時、初めての時よりも綺麗な行進だが、料理長が満足するか分からなかった。それから、結局、十時の休憩を知らせる音が響いても戻らなかった。だが、上官の命令がなくても音が響けば次のことをする。それが決まっていたのだ。だから、休憩を取るのが当然だった。まあ、流石に建物に入って普段のように寛げないが、それでも、中庭で茶などと喫煙するための灰皿を持ってきて休憩を取っていた。その時、徴兵隊の一人が訓練のことを聞こうとした時だった。誰と言うことでないが、休憩の時は訓練のことを聞くなと注意を受けた。それで、徴兵された者たちの村のことや自分たちの出身の村の話しなどで休憩が終わったのだ。
「隊長は、まだ、来ないか。なら、仕方が無い。行進の練習でもしていよう」
 徴兵隊は、その指示に従って中庭の外回りを行進した。少しでも時間を潰そうとしたのだろう。そして、半周を回った頃に・・・・・・。
「始よりは良くなっているな。お前らの指導が良いのだろう」
「ありがとうございます」
「これくらい出来れば、登隊長も何も言わないだろう。なら、次は、盾と弓や剣を持って歩けるかだな。これが出来なければ何も始まらない。お前らも付き合ってもらうぞ」
「承知しました」
「そして、徴兵隊の物は準備ができていない。三日くらい掛かるだろう。その間、行進する時で良いのだ。貸して欲しい」
「承知しました」
 即座に、武具を取りに建物に向って走って行った。それを見た後に、徴兵隊の行進の中止を叫び、自分の所に来るように指示をしたのだ。そして、次の訓練の内容を伝え。そして、最後に、初めての行進としては良い出来だと褒めた。その頃になると、自分の隊員が武具を手に持ちながら後ろで整列していた。
「命令の実行が完了しました」
 料理長は後ろを振り向いた。
「これが、盾、弓、剣だ。これが最低の持ち物となる。その他に水筒なども持つことになる。それで、最低でも十キロの行進ができなくては困るのだ。出来ない場合は、一週間以内に持てるように訓練を考える。試しとは変だが、我が隊の武具を借りて行進をしてみる」
「承知しました」
 武具の鉄の鈍い光を目に入り。徴兵隊は恐怖からだろう。それと同時に、男性特有の闘争本能の気持ちが高ぶり。やっと同じような声の高さの敬礼と声をあげることができた。
そして、武具を手渡そうとして近寄った。その時、自分の守る大事な物だから手荒に扱うなと、言葉を伝えながら渡したのだ。手渡されると、重さよりも数えられない程の矢尻や刀傷があったことで、恐怖からだろうか、重さを感じないような持ち方をした。それで、逆に武具を渡す方が驚いていたのだ。
「大事に扱うのだぞ。武具は本人が手入れをするのだからな。それでは、行進を開始」
「承知しました」
 徴兵隊の行進は、始に行進した時よりもぎこちない動きだった。だが、重くて立ち止まる者や地面に盾などを下ろす者がいる。そう考えていたが誰一人としていなかった。恐らく、命の次に大事な物と考えたのだろうか、いや、そうではなかった。農作業などで体力が付いていたのもあるが、村ごとの自営として最低の訓練もあったからだろう。それほど、頻繁に脱走兵や盗賊などが多かったのだ。それを証明のように苛烈なほどの勢いで徴兵をされていたから分かるだろう。そして、その様子を見て、料理長は頷いていた。もしかすると使える者たちか、そう思案しているような表情を浮かべていた。
「後、一周した後、目の前に整列」
「承知しました」
 返事では疲れたような声を上げるが、行進の勢いは変わらなかった。
「宜しい。武具を返した後に、その場で休憩を許す」
 武具を渡された方は、少し驚きのような苦笑いのような表情を浮かべながら良くできた。と、声を返す者が多かった。その者たちは、もしかすると、何周も武具を持って行進ができなかった者か、地面に下ろしたことがある者だったかもしれない。
「それでは、模範として、我が隊の行進を見せよう・・・・・行進を開始」
 準備できるのを待ち、終わると命令を発した。
「承知しました」

 第四十九章
 皆は、確かに、模範的な行進だった。二周目になると・・・・・。
「盾を上」
「・・・・」
 命令を伝え終わると同時に、盾を頭の上に上げた。
「これが、上空から弓が来る場合の構えだ。そして・・・・・盾を右。次は左」
 誰一人として乱れることもなく、遅くも早くもなく即座に左右に動かした。
「この指示に遅れた場合は、自分だけでなく仲間にも矢が身体に当たる可能性がある。そして、言いたくはないが、剣や弓は使えないだろう。いや、やらない方がよい。勝てるはずがないからだ。それだけでなく、そのような局面には会うことがないはずだ。だから、自分の命を守るために、今の動座だけは確実に覚えて欲しい」
「承知しました」
「頼むぞ。誰一人として無事に村に帰してやりたいのだ」
 真剣な表情は同じだが、目は潤んでいるように思えた。もしかすると、今までに命が消えた。多くの仲間を思い出しているのだろう。それで、徴兵隊は無事に帰したい。その二つの思いがあったので、涙を我慢しているとも思えた。だが、この思いのために・・・それは・・・・神が決めたことだった。
「・・・・・・・・・」
 命令と感じられないからか、いや、自分たちの命が大事だと感じられたのだろう。それで、その気持ちが心に染み渡り声が出せなかったのだろう。
「先ほどの場所に待機」
「承知しました」
 中庭の中で円を書くように行進していた。その開始した。その区切りのあるところまで行進した後、料理長の後ろに整列した。
「良くできた」
 振り向いた。そして、笑みを浮かべて褒めた。そして・・・・。
「ありがとうございます」
「そろそろ、昼だな。何が食べたい」
「・・・・・・・・・」
 何て答えようと考えたのか、それとも、答えられなかったのか、その両方に感じられた。
「分かっている。先ほど、登殿の許可を取ってきたのだ」
「・・・・・・・」
 想像ができているのか、笑みを浮かべる者たちもいた。そして、答えを待った。
「午後からは、徴兵隊と第一隊での焼肉を開始する・・・・・・と同時に。酒を飲む許可を貰ってきた。久しぶりに飲もう。普段なら出発する前日に飲むのだが、今回は、徴兵隊の体調もあるが、都市の帰り道に、何かの任務があるらしい。それで、今日だけが飲む機会なのだ。それと、徴兵隊の歓迎会も兼ねてでもある。無礼講で飲み尽くそう」
「うぉおおお~流石~隊長殿」
 第一隊員は、料理長の笑みを浮かべた。その時から無礼講と思ったのだろう。敬礼などを無視して、悲鳴のような奇声を上げて喜びを表した。それに反応して徴兵隊の者たちも喜びを表したのだ。徴兵されてから何日も酒を飲んでなかったのだろう。飲めない者も焼肉を喜んだのか、酒と同等の飲み物が飲める。そう感じているようだった。
「いつもの様に準備を頼むぞ」
「分かっていますよ。隊長殿」
「だが、徴兵隊は、準備ができるまで訓練をするぞ。第一隊から武具を借りて行進だ」
「承知しました」
「宜しい。焼肉だ。俺は手伝わないぞ。飲み尽くす気持ちだ。だから、任せた。徴兵隊に手渡した後は、解散して準備だ」
「うぉおおおお、任せてください」
 この様に興奮してはしゃいでいるが、それでも、武具を渡す時は真剣な表情で大事そうにして手渡していた。やはり、自分の命を守る物だからだろう。それでも、手渡した後、酒を飲もうな、そう言うのだった。だが、その言葉によって余計に武具などの重みを感じたのだ。これを持つと言うことは命を掛けることなる。そう思うのだ。
「行進を開始」
「承知しました」
 一周、二周と中庭を行進した。そして休め。そう言われるが、武具を地面に付ける者がいなかった。その気持ちと疲れを感じ取って、料理長も地面に下ろしていいと、言うのだが、それでも、誰一人として地面に下ろす者はいない。地面に下ろしたら不吉と感じると同時に、下ろしたことにより命の危険が起こる。そう思っているようだった。
「分かった。行進はやめよう。その代わり準備が出来るまで武具を地面に下ろすな」
「承知しました」
 そして、昼を知らせる音が響く。だが、準備ができない。結局、一時間くらい持ち続けた時に、自分の担当の材料などを持ってくると、一人、二人と武具を返してもらって建物の保管に収めに行く、中庭に戻ってきては、準備の続きを始めるのだった。そして、最後の一人が手渡し終わると・・・・・。
「好きにして構わない。訓練は終わりだ。そして、無礼講だから楽しめ」
「承知しました」
「俺も楽しむぞ。酒は、どこだ。早くよこせ」
 徴兵隊の者たちを押しのけるように叫んだのだ。よほど、料理長は酒が好きなのかもしれない。それと、皆の楽しむ顔を見て、自分も楽しくなったのかもしれない。
「お前ら、剣と弓は分からんが、盾の防備だけは完璧に覚えられそうだ。あれなら、俺たちが守らなくても、自分のことは自分で守れそうだ」
 酒を飲んだからだろう。口が滑らかになり。思いを口にしていた。
「ありがとうございます」
「無礼講だぞ。堅苦しい事を言うな。酒を楽しめ。勿論、焼肉もなぁ」
「美味しいですね」
「新殿。飲んでいるか?」
 料理長は、自分の部下だけでなく、徴兵隊の全てに声を掛けていた。そして、何人目だろうか、新にも言葉を掛けてきたのだ。その新も、嬉しそうに答えていた。そして、その表情には、思いが感じられていた。徴兵隊の人たちも、第一隊の人も、誰の怪我も命も消えて欲しくない。もし、そのようなことがあれば、自分ができることで守りたい。そう思っているように感じられたのだ。そして、新、意外の者たちも同じ気持ちなのか、それは、分からないが、心底から楽しいのだろう。だが、それでも、終わる時間は来る。それを知らせるのは・・・・・。
「カラン、カラン」
 朝と同じ音が響く。今日で何回目だろうか、それを考えられないほどまで飲んで酔っていた。だが、一日の時間割の終わりであり、焼肉会の終わりでもあった。そのことは分かったようだった。だが、夕食の時間の知らせでもあるが、誰一人として食べたいと思う者はいるはずもなかった。身体がだるそうに、眠そうに、吐きそうな者まで嫌々と感じるように体を動かしては、辺りに散らばるゴミになった物を片付けていた。自分たちは急いでいるのだろう。普段なら十五分もあれば片付けられる程度の散らかりなのだが、一時間、いや、ニ時間が過ぎても終わらないように思えた。それでも、片付けを終わらせなければならないために、料理長は、愚痴の一つも言わずに見守っていた。もしかすると、部下たちの姿が楽しいのかもしれない。確かに、ゴミ一つ拾うのに片手を伸ばせば転ぶ者や目が悪い者がコンタクトを探すようにしてゴミを拾うとするのだ。だが、部下に目が悪い者は誰一人いない。それでも、一つのゴミが拾えないのだ。それだけで終わるはずもない。酔いが回ったのか、自分の口から又、汚物を吐き出しては掃除が増えるのだ。このような姿を見れば最高の道化芝居だろう。それに、気づかずに真剣にすればするほど楽しくなるのは確かだった。
「終わったようだな・・・・・・ご苦労だった」
 回りを見回してゴミが無いのを確認すると、皆に労いの言葉を掛けた。結局、三時間を少し過ぎた頃に終わった。勿論、返礼をしたかったが呂律が回らず何を言っているか分からなかった。
「それだけ、動けば空腹を感じただろう。何か軽い食事でも作ってやろう」
「・・・・・」
 恐らく、ありがとう御座います。そう言っているのだろう。
「その間、お前ら風呂にでも入って来い。可なり臭いだけでなく、ドロやゲロ臭い。着替えた方がいいぞ」
 部下の返事を聞かずに歩き出した。そして、部下たちは命令だと感じたのだろう。別々の建物に歩き出した。その時、料理長は振り向いた。
「あっ・・・徴兵隊と一緒に入った方がいいな。二箇所の浴室の掃除は大変だろう。それに、徴兵隊のところなら誰も来ない。掃除なら明日でも構わないぞ」
「・・・・・・・」
 その気持ちが分かったのだろう。本建物では、登もいる。それだけでなく、主が来る場合もあるし、客人が来る可能性もある。そのために、掃除は可なり念入りにしなければならない。そう感じて言ったのだろう。それに、思い出とは変な言い方だろうが、一緒に釜の飯を食べただけでなく、裸の付き合いもさせたかったのかもしれなかった。その気持ちは第一隊の皆も汲み取れたが、徴兵隊の方では嫌だと分かる表情を浮かべて、新に助けを求めた。だが、新は・・・・・・。
「大勢でお風呂にはいるのは初めてです。何か楽しそうですね」
 助けたを求めた相手が、破顔して喜ばれては何も言うことが出来なかった。それだから、皆は諦めた表情を浮かべた。だが、何かを思い出したかのように笑みを浮かべたのだ。恐らく、村にいた時を思い出しているのだろう。どの村でも情報のやり取りの場は風呂だったはずだから会話を楽しもう。そう感じているような微かな笑みを浮かべた。その後、仕方ない。一緒に入るか、そう、表情を変えて建物の方に歩き出した。その時だった。第一隊が一つに固まって何かを話していた。何を相談しているのか、それは、分からない。だが、一分くらいだろうか話が終わると、数人の者たちが自分の建物に向ったのだ。
「待たせてすまない。行こう」
「皆で入るのでないのですか?」
 数人が駆けている後ろ姿を見て、不審に感じたのだろう。達也は、誰に話しかけるのでなく視線が合った者に問い掛けたのだ。
「ああ、皆・・・かなり汚れているだろう。着替えを持ってきてくれるように頼んだのだ」
「えっ・・着替え?」
「徴兵隊の宿舎を汚したくないからな」
「ああ、それで・・・」
 遠くからだったが、数人の服装が汚れていないのが感じられるのと、酔っているように見えない走り方を見て、皆の着替えの服を持ってくるのか、そう感じ取れたのだ。その言葉が合図の様に、二つの隊は同じ建物に向った。そして、男だけだからか、心底から汚した後の掃除が嫌なのか、玄関広間に服を脱いで浴室まで駆け出したのだ。それも、無邪気に、まるで、子供が夏のプール開きの初日のような喜びに感じられた。それでも、二つの隊の全てが入れるはずもなく、徴兵隊は、第一隊に譲って脱がれた服と自分の物と一緒に洗濯をすると決めたらしい。手の空いた何人かは、タオルなどを渡しに行き、背中を流して欲しいと言われた者は一緒に入ることになったが、徴兵隊の者たちは嫌々ではなく、胡麻磨りでもなかった。もうこの時は、一緒に釜の飯を食べた中だけでなく、馬鹿な所を見せて一緒に風呂まで入るまでの仲になったのだ。もう、この頃では、血族の家族のような感情になり、もし怪我でもしたのなら命を懸けて仇を討つ。そこまで親しみを感じていたのだ。その気持ちがあるために、誰が、兄、弟との上下がなくできることを支えあう。そう考えて喜んで洗濯などしたのだ。その気持ちは、第一隊も同じで半分程が風呂から上ると、洗濯の続きを代わるだけでなく、風呂に入るのを勧めるのだ。勿論、風呂に居る者たちも同じ気持ちだったのだろう。進んで背中を流すのだった。そして、風呂から上った後でも、直ぐに徴兵隊は自室に、第一隊は本建物に帰ることなく、消灯まで会話を楽しんだ。そして、久しぶりに家族と話ができた。そのような満ち足りたりた笑みを浮かべて、皆は自室に向かい。今までは苦痛だった。あの明日の一日が始まる音の響きを楽しみにして眠りに落ちるのだった。

 第五十章
 「カラン、カラン」
 徴兵隊が、この敷地に入って三回目の朝を知らせる音が響いた。三回も聞けば慣れる。そう思うだろうが、どんな状態でも強制的に起こす。その音が慣れる者は、誰一人いないはずだろう。それ以上に、今日の響きは強烈だったようだ。殆どの者が頭痛を感じる者や吐き気を感じる者までいたのだ。この様な状態になるのは、誰もが分かることだった。それでも、点呼のために中庭に出なくてはならなかった。それよりも、驚く事があった。
「遅かったな」
 昨日、誰よりも多くの酒を飲んだ。料理長が、一番に来て二つの隊が来るのを待っていたからだ。それだけが驚くことでなかった。誰よりも大きな声で誰よりも元気なのだ。
「遅くなりまして済みません」
 皆は、二日酔いだからだろう。一人一人の様々な謝罪をするが、頭痛のために頭を押さえる。耳をふさぐ者。まるで、二日酔いの症状の発表会だった。その様子を料理長は・・・・・。
「まだ、響きが終わってない。時間内だ。謝罪することはないぞ」
と、言いながら笑っているのだ。まるで、発表会の採点でもつけるようだった。
「一、二、三~」
 料理長の前に、二隊が横に並び、右端から番号を言うのだ。そして、最後の者が番号を言うと、料理長が頷くのだ。
「皆の起床を確認した。朝礼まで自由を許す」
「ありがとうございます」
「だが、徴兵隊は、全員で朝食の準備だ。一時間後に食堂室に集合だ」
「承知しました」
 この言葉で、徴兵隊の一日の時間割が始まった。それから、昨日と同じように歓喜の声が漏れるほどの朝食後、武具が渡されて、防御を兼ねる行進の指導を受けるのだった。この指導では完璧とは言われないが、褒められる程度の行進だった。もしかすると、自分の専用と感じて心構えができたのだろう。そして、このくらいの日数での習得なら剣と弓も期待できる。そう考えたのだろう。確かに、弓は満足が行く腕前だが、剣は構えが出来る程度だった。それに、盾を持ちながらの弓と剣の腕前は、子供の遊び程度だったのだ。それでも、残りの日数で鍛えれば使い物になる。そう考えたのだろうが、最終日になっても腕前は変わらなかったが、盾や武具などを装備しなければ弓だけなら満足が行く腕前なのだが、軍人としては致命的だった。結局、猟師としての自己流で個人の技では意味がなく、人に矢を放つのも無理かもしれない。そう感じてしまったのだ。
(本格的な戦いでは役に立たないが、警備と補給隊の見せ掛けの数合わせなら使い物になるだろう)
 料理長は、心の中で思ったが、口に出すことはしなかった。もし口にすれば戦意が消えるだけでなく、自分たちが最前線に出るのか、そう恐怖を感じては、今以上に役に立たなくなるからだった。それと、まだ、思案することがあったのだ。この状態の全てを、登に知らせるべきか、そう考えていたのだ。そして、その思案の答えは・・・・・・・・・。
「隊長。指示された訓練が終わりました」
「ご苦労。今の訓練で全て終了だ」
「ありがとうございます」
「そろそろ、登隊長も来るだろう。その場で待機を命じる」
「承知しました」
 その場に腰を下ろして登を待った。直ぐ来ると思ったのか、本建物の裏口に視線を向けて何分くらいだろう。それは、皆が待ち疲れて溜息が漏れるくらいだった。その時、また、時を知らせる響きがなった。
「あっ」
 誰と言うのではないが、登と思える者が裏口から出てきたのだ。
「ん。どうした。あっ・・・・・来たようだな」
 料理長は、部下の視線が誰か来たと感じとって振り向いた。待っていた者。登が現れたのだ。そして、目が悪いのか、暫くの開いた視線を向け続けた。もしかすると、言葉が聞える所まで待つ気持ちとも思えた。
「登隊長。ご苦労様です」
「・・・・・・・・」
 登は聞えないのか、返礼だけはするが声には口にしなかった。
「全隊員は起立、登隊長に敬礼」
 料理長だけでなく、全隊員は、登が進む方向に視線を向け続けながら敬礼をしていた。
「ご苦労。休みをとってよいぞ」
「その場で、待機して良いぞ」
 やっと、料理長の隣に立つと、登は口を開いた。そして、全隊員は敬礼を解いて直立した。その後に、料理長から座ることを許されたのだ。全隊員が座るのを確認すると・・。
「明日は、我が都市に戻り、補給地か都市の守備に就いてもらう。徴兵隊は、この都市と、我が都市との中間にある共同補給所の守備に就いてもらう予定だ。その場に着いてから詳しい説明をする」
「承知しました」
「普段なら慰労会をするのだが、今回は、都市に帰る途中で任務がある。それで、心身ともに完璧な状態でいて欲しいのだ。そのために・・・・・慰労会はない。本当に済まない」
 指揮官として堂々と指示内容を伝えていたが、伝え終わると、最後に謝罪するのだが、本心から済まない気持ちからだろう。全隊員に向って深々と頭を下げたのだ。
「あっ・・・・それで・・・なのだが・・・・・」
 料理長は、上官が部下に頭を下げる姿を見て、驚きであり不快な気持ちを感じて、言葉に詰まっていたが、それは上官に頭を上げさせようとしたのだろう。もしかすると、料理長は、登の説明した後、直ぐに、登の考えで何かを催す予定がある。と考えているような感じに思えた。
「料理長。どうしたのだ?」
「昨夜。登隊長の指示で、最後の夕食は好きな食材を使用して何を食べて良い。そう言われた記憶があるのですが、違っていましたか?」
「・・・・・・あっ、それで構わないぞ」
 料理長の気遣いに気が付き、登は笑みを浮かべて感謝の気持ちを伝えた。
「ありがとうございます」
「それと、明日の起床訓練の開始の合図は鳴らない。それだけでなく、九時からの朝礼まで自由を許す」
 全てを伝えると、皆に解散を許した。そして、暫く部下達を、いや、新に視線を向けて何かを問い掛けたかったのか、だが、新が笑みを浮かべて楽しそうに話をしていたからだろう。諦めたように建物の方に歩き出そうとしていた。その姿を始から見る者がいた。それも、怯えるように見ていた。その視線には、笑みを消えないでくれ、視線を向けないでくれ、そう願うように見つめる料理長の姿だった。その願いは、恐らく、新と徴兵隊の指導の結果を聞かれるのが恐ろしかったのだろう。その恐れの気持ちは、登が建物の中に消えるまで続いていた。そして、安心したのだろう。
「第一隊は、明日の朝礼まで自由を許す。だが、徴兵隊は、料理などの雑用を命じる。それと、明日の朝礼の時に、登隊長から言われると思うが、これからも、都市を出た後も、料理の準備と雑用などは、徴兵隊の仕事と考えて欲しい」
「承知しました」
 徴兵隊は、即答した。その様子は戦いをしなくて良かった。安堵の表情を浮かべたのだ。
「隊長。我らは、許しの通りに自由を楽しみたいと思います」
 第一隊も、喜びの表情を浮かべたが、今からの自由の楽しみでなく、雑用の面倒から手が離れた。その安堵とも思えた。
「許可する」
「ありがとうございます」
 第一隊が、本建物に向って歩き出した。料理長は見送っていたが、言葉が届かない所まで待つのが目的だったのか、その判断はできない。だが、それくらいの距離が離れると・・・・。
「それでは、行こう。今回の夕食は、二つの隊の食事を半分の人員で作るのだ。頑張らないと間に合わないぞ」
「承知しました」
 それから、料理長の指示で、二つの隊の食事を作ることになる。そして、料理長は、また、思うのだ。この一週間で徴兵隊が満足にできるのは料理だけだ。隊の補佐的なことなら十分に役に立つだろう。まさか、北東都市でも、二つの都市の連合軍隊に戦を仕掛ける考えはないだろう。そこまで、馬鹿ではないはずだ。
「料理長。どうしました?」
 料理長が手を休めて、刻まれた野菜を見つめ続けているので、何かの手違いでもあったのかと、新が問い掛けたのだ。
「何でもない。あっ・・・・・そろそろ料理ができるから第一隊を呼んできてくれないか?」
 自分の嫌な考えを忘れようとして頭を横に振った。そして、この場でする事を考えて、新に伝えたのだ。その言葉を聞いて、新は、嬉しそうに調理場から出て行った。その後、直ぐに、他の徴兵隊にも指示を出したのだ。
「出来た料理を並べてくれないか」
「承知しました」
 様々な料理を食堂に並べ終わる頃に、第一隊が現れた。そして、料理長の挨拶で食べ始めた。そして、徴兵隊の者たちは、料理長に対して胡麻磨りではないが、料理を作る手捌きから始まり、料理が美味だと褒めるのだった。その言葉で気分を良くしたのだろう。徴兵隊での村での生活や想い人のことを聞いたのだ。恋人や結婚している者は嬉しそうに話をするが、相手がいない者は楽しい村の話をするのだった。
「必ず、無事に村に帰してやるから安心しろよ」
「ありがとうございます」
 一人の話が聞き終わると、同じように言葉を掛けるのだ。言われた者は嬉しいからだろうか、それとも、村の楽しい事でも思い出しているのか、食事の手を止めて何もない空間を見続けるのだ。まるで、その空間に様々な想い出が見えるかのような感じだった。その順番が、新にも回ってきて、記憶を無くしたことから徴兵された時の出来事まで全ての話をするのだった。当然、新も同じ様に何もない空間を見るのだった。その空想も、第一隊の食器の音を聞くと、一人、又、一人と現実に返るのだ。
「新殿。記憶が無いと言っていたが、もしかすると、北東都市の出身の可能性があったとしても、戦えるのか?」
 新だけでなく徴兵隊の者も目の前の現実が見えている。その目の輝きが戻ったのを確認すると、言葉を掛ける者がいた。その中の一人の料理長も同じように感じて、新に問い掛けたのだ。
「大丈夫です。今の僕の心の中にある思いは、美雪さんのことだけですから・・・・・誰とでも戦えます」
「そうか・・・分かった」
 新は、人を殺せるか、一瞬だが考えた。だが、それをしなければ、何も始まらない。そう考えたようだった。その姿を料理長は見て、敵に知り合いがいないようにと、祈るように答えたのだった。その気持ちが、新にも伝わったのか・・・・。
「ありがとうございます」
「えっ・・・・何のことだ」
 心の中で思ったことが分かったのか、そんな驚きを表した。
「あっ・・・その・・・北東都市に知り合いがいるか、心配してくれましたので・・・・」
「あっああ・・・・そのことか」
 ほっとして胸を撫で下ろした。
「はい。あっ・・・・水を持ってきます」
 料理長が、驚きから喉が渇いたのだろう。コップの水を飲もうとして、手に持ったが水が無かった。それを見て、新が立ち上がり水差しから注ごうとして持ったのだが、その水差しにも水が無かった。それで、水差しを持って汲みに立ち上がって、料理室に向った。
「あっ・・・・・ああ」
 井戸の水を汲み、水差しに入れようとした時だった。水が左手の小指に流れ落ちた。すると、電流が身体に走る感覚を感じたのだ。そして、有り得ない感覚を感じた。
「美雪さん」
「えっ・・・新さん?」
 運命の泉だろう。泉の中から外を見る。そんな光景が見えた。それと、美雪の言葉も聞えたように感じた。
「僕です」
「新さん。新さん」
 美雪は、泉の力だろうと考えて、右手で水を汲んで何度も飲んだ。飲めば呑むほど感じられる。そう考えたのだろう。だが、声だけが聞こえ見えない。そして、もっと多く飲めば、そう感じて今度は両手を泉に入れて水を汲もうとした。もしかすると、水でなく左手の小指が原因だったのか、新の姿が見えたのだ。
「新さんの顔が見えます。良かった。元気そうですね」
「僕は元気だけど、美雪さんは、痩せたように思うよ」
「そうかしらね」
「ちゃんと食事は食べているのですか?」
「安心して・・・わたしは食べているから何も心配しないで・・・・ぐふぐふ」
 嬉しいからだろう。嗚咽を吐くように咳き込んだ。
「分かった。それでね。隊の隊長さんから料理を教えてもらったから村に帰ったら作ってあげるね。本当に美味しいのですよ」
「戦う練習でなくて、料理を習っているのですか、それは良かった。本当に良かった。新さんが帰ってからの楽しみしていますね」
 益々、嬉しいのと同時に安堵から涙が止まらなくなった。
「うんうん。楽しみしていてね。だから、泣かないで、ねえ、お願いだから泣かないで」
「嬉しいの。嬉しくて涙が止まらないの」
 新の左手の小指の水が乾いたのか、それとも、美雪が涙を拭おうとして両手を泉から抜いたからだろうか、不思議な繋がりは消えた。
「あっ・・・美雪さん。美雪さん」
 新は、何度も名前を呼ぶが、もう返事は返ってこなかった。だが、新には分からないことだが、美雪も同じそうに何度も名前を呼ぶのだが、もう聞えない。新の顔が見えない。それでも、美雪は、新は死ぬ覚悟で戦っている。そう思っていたので、食事も喉に通らなかったのだが、今の新の言葉と表情を見て、心底から安心したのだ。これで、食事も食べられるだろう。もし、この一瞬の出会いがなければ、美雪は心配のあまりに病気になっていたかもしれない。そして、新が村に帰るまで生きていなかったかもしれなかった。これも、美雪の命を助けるため。新と結ばれる時間の流れに戻す。その運命の糸の修正の一つなのかもしれなかった。
「あっ」

 第五十一章
 新は、夢のような感覚を味わったが、その思いが脳内に記憶されて薄れるにしたがって左手に持つ水差しの重さが感じられてきた。それと同時に、何をしに調理場にいるのかを思い出してきた。全てを思い出すと、直ぐに調理室からでて食堂に戻った。
「ありがとう」
 水を料理長に注ぐと同時に謝罪したのだ。
「可なり時間が掛かってすみません」
「え、何を言っている。二分も経ってないぞ」
「えっ」
 新の感覚では、二十分間以上は過ぎていると、感じたのだった。
「汲み上げて直ぐだから冷たくて美味しいぞ。ありがとう」
「いいえ」
 正直に言ったとしても、分かってもらえない。そう感じて頷くだけだった。
「それでは、我が隊は、そろそろ帰るとするか」
「承知しました」
 料理を食べ終えて、徴兵隊との会話を楽しみたかったのだろうが、殆どの者が惚けているかのような態度だった。明日からの任務のことでも考えているのか、それとも、村での楽しかったことでも思い出しているのだろう。もしかすると、その両方かもしれないが、皆は、惚けていたのだ。そのために、第一隊は何をすることもなく、料理長の退室を待っているだけだったので、即座に席を立ち即答したのだった。
「後の、片付けは頼むぞ」
 そう徴兵隊に聞けるように大きな声で指示を伝えると、第一隊が付いて来るのを確認もしないまま席を立って歩き出したのだ。
「料理長。承知しました」
 新と、数人の者が返礼をした。だが、料理長は、何も気にしていないのだろう。後ろ向きのまま歩き続けて片手を振っただけだった。その後を部下たちが残念そうに付いて行くのだ。そして、食堂室には徴兵隊だけになり、第一隊の者たちと同じ沈黙に耐えられなくなった者と、新が・・・・・・・。
「そろそろ、片付けませんか?」
「そうだな。それでは、各人、自分の食器とは別に一人分の食器を片付けてもらう」
 一人、又、一人と二人分の食器を手に持って席を立った。そして、洗って片付けた。その後は、一人一人の行き先は違っていた。中には数人が固まって風呂にでも入るかと話をしている者たちがいたが、殆どの者は、明日から何が起きるのかと不安なのだろう。それで、一人になって気持ちを落ち着かせようと考えているのか、それとも、今日が一人になれる最後の時間なのだと感じて、様々な思いと、家族や好きな人の思いだけを感じて過ごしたいに違いない。その中の一人、新も同じ気持ちだった。
「美雪さん」
 食堂から小さい一つのグラスに水を入れて持ってきた。それを大事そうに両手で持ちながら胸の前で祈るように呟くのだった。
「浴室の方が良かったかな、でも、人の視線を感じると駄目なように思うし、思ったことを言えそうにないからな・・・・それより、グラスの水だけで思いが繋がるかな?」
 独り言のように呟いた。その後、嬉しいような恥ずかしいような表情を浮かべながら一口だけ水を口に含むのだった。
「ゴクリ」
と、隣に人が居たら驚く程の音を鳴らしながら飲み込んだ。それほど、緊張は当然かもしれない。自分から意思してできるのか、その思いと、覗き見する気持ちもあったのだ。もしかすると、風呂でも入っていたら、そんな考えも浮かんだかもしれない。
「コップ一杯の水では駄目かな・・・・でも、先ほどは、水滴ほどの水でも見られた。それとも、美雪さんも水に触れてないと駄目なのかな・・・・・なら・・・もう一口」
 もう一度、心の底から祈って、また、一口飲もうとした時だった。
「美雪さん」
「新さんなの?」
「はい。僕です。本当に美雪さんなのですね?」
「そうですよ。私ね。私ね」
 嬉しくて、何を言う積もりなのか自分でも分からないほど興奮していた。
「うんうん」
「私ね。また、新さんの言葉が聞えると思ってね。運命の泉の水を水筒に入れていたの」
「そうなんだ」
「そうよ。そうよ。それだけでなくてね。暇さえあれば水を飲んでいたのよ」
「そうなんだ」
「そうよ。そうよ」
 美雪は、少し気持ちが落ち着いたのだろう。新が何かを言いたい。その気持ちが伝わったようだった。そして、新は・・・・。
「僕も、先ほど、美雪さんの声が聞こえたから試してみたのだよ」
「そうなの。それで、危険なことはしてないの。身体に怪我などないのでしょう?」
「大丈夫だよ」
 新は、今日までのことを話して、明日から本格的な任務に就く。そう伝えたのだ。
「そうなの。明日から警備するのね」
「そうなると思うよ」
「危険は無いの?」
「警備らしいから戦いは無いと思うよ」
「本当なのね?」
「間違いないよ」
「うぁああ」
 心底から安心したからだろう。感情が爆発して心がはち切れたような叫び声を上げたのだ。余程、会えない気持ちや心配していたのだろう。涙まで流して止まりそうになかった。この様子を、新には見えないが、何か興奮しているように感じ取ったのだ。
「美雪さん。大丈夫。何かあったのですか?」
「心配したのよ。毎日、毎日、危険な戦いをしている。そう思って運命の泉に、新さんの無事を祈っていたのよ。もう、今まで研修で明日から警備だと知っていたらお祈りなんてしなかったわ。何か、損したみたい」
「えへへへ」
「何を笑っているのよ」
「無事をお祈りしてくれたお礼として、何かお土産を買ってきてあげるよ」
「本当・・・・・むむ・・・なら・・・・(無事に帰ってきてくれるだけで)
「その代り、美味しい饅頭が食べたいな。美雪さんには作れるかな?」
 美雪は、最後まで思いを言うことができなかった。恥ずかしい感情もあって喉から言葉が出ないこともあった。だが、新が沈黙に耐えられなくて冗談を言ったのだ。でも、言われた相手、美雪の方は、内心では冗談と感じていたが、言葉にして体から出た時は、怒りとして現れていたのだ。
「作れるわよ。その代り、金のネックレスが良いわね。新さんに買えます?」
「うん。分かった。金のネックレスだね。お土産を楽しみしていてね」
「えっ・・・私に嘘をついていない。そんな即答するなんて、何か怖い」
 何か変だと感じた。まさか、今までの話は嘘で、金のネックレスを買えるくらいの危険な任務に就いているのかと思ってしまったようだった。
「高いか安いか分からないだけだよ。でも、正直に言うと、金が駄目な時は、金よりは安いはずの銀でもいいかな?」
「もう・・・何も分かってないのね。新さんが買ってきてくれた物なら何でも嬉しいわよ」
 二人は肉声で会話しているのでない。心と心の会話なので嘘を言うことができなかった。それでも、新が嘘を言うことができるのは、赤い感覚器官があるのと、ただの繋がりの違いのはずだった。
「そうかぁ。でも、金のネックレスを買うようにするから楽しみしていて」
「うん。うん。楽しみしているわ・・・・・でも、そのために危険なことしないでよ」
「大丈夫だよ」
「うんうん」
「そろそろ、話しが出来なくなるかも」
「何で?」
「水が、そろそろ飲み終わるから・・その水が切れたら・・多分・・話ができないと思う」
 何て言っていいのかと、悩み、悩みながら言葉にしていた。
「水?」
「多分だけど、水に触れると話ができるみたい。でも、確実ではないかも、時間、場所、水と、美雪さんが、泉に居る時だけなのかな?」
「わたし、今、運命の泉には居ないわよ」
「えっ・・もしかして、その・・・風呂?」
「馬鹿ね。違うわよ。でも、わたしがお風呂にいて何か感じるなら・・・・入った時は、言葉が聞えるようにお祈りでもしようかぁ。えへへ」
「その・・・あの・・・たぶん、分からない・・・かも」
「もう・・・恥ずかしがらないで、わたしの方がもっと恥ずかしいのよ」
「でも、新さんが、その方がいいなら・・・・お風呂の時は・・・言葉が聞えるようにお祈りするわよ」
「たぶん・・・関係ないかも」
「そうなの。でも・・・わたしが原因かも・・・わたしね。最近、運命の泉の水を水筒にいれて飲んでいるの。だからかも」
「ああ、それかも」
「新さんも運命の泉と似たのを飲んでいるの?」
「飲んでないよ。それなら、何か原因が重なった時だけか、僕がほっとした気持ちで、どうしても話がしたいと、感じた時なのかな?・・・・でも、あの時・・・水を汲みに行った時は・・・・あっ、やっぱり美雪さんのことを考えていたからだ」
「ありがとう」
「えっ?」
「わたしのことを何時も思ってくれていたのでしょう?」
「あっ・・・うん」
「わたしも何時も思っているわよ」
 と、突然、言葉が聞えなくなった。だが、二人が思っていることだけは聞き取れて安心した。そして、水が原因だと感じたのだ。それが証拠のように二人の喉は水を欲しがっていたのだ。美雪は、残りの水筒の水を何度も飲んだが、言葉は聞えてこなかった。新も、調理場に戻って水を飲んだのだが、美雪と同じだったのだ。もしかすると、同時に飲んだ時か、水に同時に触れた時なのかと、新と美雪は感じたのだった。そして、誰も気が付く者はいないが、ある者が、ある人に許可を許したことで、時の流れが、また、自動修正が始まろうとしたのだった。

 第五十二章
 ある一人の男が調理場から出てくるのを見て驚きと同時に不審を感じた。その男は酔っているかのように顔が赤いからだった。だが、不審を感じても、その男が調理酒を飲むはずがないからだ。それなら、病気なのか熱でもあるのか、そう感じたが、目を見ると嬉しそうに夢でも見ているようだった。だが、寝ぼけた感じでなく死んでいるような目ででもなく、喜びのような興奮したようなキラキラと、何かの意思と生気を感じる目をしていたからだろう。何も言葉を掛けずに何も見なかった。そんな様子で通り過ごしたのだ。その者は、新であり。美雪を分かれた後、調理場に戻って残念そうにしながら湯呑を片付けた。そして、登に頼むに行くところだったのだ。今、新が行動しなければ、明日の朝まで緩やかな時間の流れだった。そして、行き先は、登の居る場所が分かっているのか、誰に聞くことなく喫煙所に向ったのだ。当然と言うべきなのか、予定されていた時の流れのように、登と数人の者たちが煙草を吸っていたのだ。
「おお、新殿。どうした?」
「あの・・・その・・」
「あっ、隊長。俺達は、先に風呂に入って良いでしょうか?」
「構わんぞ」
「ありがとう御座います」
 数人の隊員は、新が何か大事な話がある。そう感じ取って、この場から席を外そうと考えた。その気持ちに、登も気が付き、簡単な敬礼で(気を使わせて済まない)と気持ちを込めて返したのだ。
「それで、新殿。何があったのですか?」
「言い難いことなのですが?」
「構いません。何でも言ってください」
「あの・・・・買いたい物が・・・あるのです」
「ほう・・・何を買うのだ?」
「その・・・あの・・・」
「言い辛いなら言わなくてよいです。だが、敷地から出ることは許す事はできない。それでも、様々な買い物などを頼んでいる出入り商人を紹介しよう。その者に欲しい物を言えば購入してきてくれる。勿論だが、費用は気にしなくていいぞ。金なら会計から受け取って欲しい。そう言ってもらって構わない」
「ありがとうございます。それで・・・・・」
「何だ?」
 登が、一つ返事で許可してくれて嬉しかったが、買う物の値段を聞くべきなのか、それを悩んでいたが、商人なら値段を知っているはずだし、庶民的な手ごろな物を買ってきてくれるだろう。そう考えたのだった。
「何でもありません。僕の頼みを聞いてくれてありがとう」
「まあ、何を買うか想像も出来ているし、買った物などを村に送るのだろう。金貨二枚は前渡しする考えだったのだ。だから、何も気にしなくていいぞ」
「金貨二枚?」
「そうだ。足りないのか?」
「いいえ。十分です」
「まあ、金貨は見たことがないだろうが、大銀貨で五枚。中銀貨では二十五枚だ。それだけあれば、何を買っても釣りは来るはずだぞ」
「そうですね。ありがとうございます」
「出入り商人が来たら、徴兵隊の建物に行くように言っておく。その間、何を贈り物するのか考えているのだな」
「贈り物?」
「村の彼女にでも贈るのだろう。それとも、全て送金する気持ちだったのか、まさか・・・だろう。何かを買ってあげるほうが良いぞ」
「はい」
 新は彼女にと言われて顔を真っ赤にして頷くだけだった。その様子を見て、登は笑いながら手を振りながら席に座った。それは、一人になって彼女のことでも考えろ。そう言っていたのだ。新が、この場から離れるのを見ると、また、煙草の火を付けたのだった。そして、一時間が過ぎる頃・・・・・・・。
「新さんは、いらっしゃいますか、登隊長から言われてきたのですが・・・・」
 徴兵隊の玄関に入り、何人かの人に視線を向けて、新を探しているようだった。その声が聞こえたのだろう。椅子に座っていたが、手を振って近づいた。
「中庭で話しましょう」
「そうですね。人の恋人の話しなんて聞きたくないでしょうしね」
「あ・・・そうですね」
 二人の行き先は、正確には中庭と言うよりも、玄関から声が聞こえない所まで離れた所で、新は話をしようとしたのだが、出入り商人が、建物の横の影の中で、と勧めるのだった。そして、新は、頷くと、後を付いて行った。
「それで、何を買い求めたいのでしょうか?」
「金のネックレスが欲しいのですが、値段的に買えるか悩んでいたのです」
「それは、男性用でしょうか、それとも、女性用でしょうか?」
「僕のでないですよ」
「婚約者に贈るのですね?」
「まあ、僕の気持ち的には、そうです」
「それでは、金メッキや模造品に近い商品は買わない方がいいですね」
「そうなのですか?」
「そうですよ。婚約者なら婚約指輪を贈るべきだと思います。それで、最近の流行では、婚約指輪を金のネックレスに通して、二つ贈るのが普通なのですよ」
「二つですか?」
「はい。婚約を承諾する時は、指輪を女性が手にとって、金のネックレスは男性に渡すのですよ。ですが、男性には金のネックレスなど似合わない。と言って、婚約者の首にかけてあげるのですよ。そして、婚約者の名前を言いながら・・・最高に綺麗だよ。似合っているよ。そう言うのですよ。すると、嬉し涙を流しながら抱きついてくるはずです」
「そう・・・そうなのですか」
 まるで、酒にでも飲んだように真っ赤な顔で、美雪との甘い夢でも見ているようだった。
「ですが、用意できる金額によりますね。普通は、自分の給料のニ~三ヶ月が普通ですね」
「それって、金貨二枚で足りますか?」
「わたくしが、金貨二枚で足りるように探しますよ」
「「そんな、無理を頼んでいいのですか?」
「他の仕入れで儲かっていますので、今回は赤字覚悟で探しますよ」
「それでは、お願いします」
 何一つ疑問に感じずに満面の笑みを浮かべて頼んだのだ。
「お金は、今お持ちなのですかは?」
「今は、ありませんが、会計の人に言えば渡してくれます」
「そうですか・・・・・・それでは・・・・・」
「駄目なのですか?」
「何とかしましょう」
「あの・・その・・・」
「何でしょう?」
「明日には出発しますので、今日中に何とかなりますか?」
「むむ・・・はっふぅ・・・・・」
 大きな溜息を吐いて、可なり難しい。そう言っているようだった。
「無理な頼みをしてすみません」
「まあ、会計が九時までですので、その時間まで何とかします」
「二時間くらいしか時間が無いですが大丈夫ですか?」
「もし・・・駄目な時は、諦めてくださいよ」
「分かりました。その時は、金のネックレスだけでも・・・・」
「金のネックレスだけなら何とかなるかもしれません。ですが、人手を頼んでも、金のネックレスに婚約指輪を用意してみます。それでは、時間が惜しいので失礼します」
「お願いします」
 新は、心の気持ちを表すように何度も頭を下げていた。その様子を見て、出入り商人は、急いで立ち去ろうとしたが、何か思い出したのだろうか・・・・突然、振り向いた。
「先ほどの所で待っていてくださいね」
「分かりました」
 新は、徴兵隊の建物の玄関に戻り、近くの椅子に腰掛けた。それも、興奮しているのか、一秒でも待てない。そんな気持ちなのか、溜息を何度も吐きながら玄関から視線を逸らせることができなかった。そして、出入り商人が言った。二時間後に・・・・・・・・。
「新さんは、いらっしゃいますか?」
と、玄関から声を上げたのだった。
「用意できたのですね」
「はい。それでは、先ほどの所でお見せしましょう」
「はい」
 新には値段の相場を知らないが、綺麗な化粧箱には、金の指輪と金のネックレスが入っていた。だが、自分が持っている砂金の重さと比べると、何か軽そうに感じるのだった。それでも、模様に金が掛かっていると感じて・・・・・・・。
「これなら、喜んでくれるよ。本当にありがとう」
「それでは、会計から金貨二枚を頂いていいですね」
「構いませんよ」
「ご購入して頂きありがとう御座います。又、何か会った時は何時でも言って下さい」
「本当にありがとうね」
 出入り商人は、新が、はしゃぐ様子を見続けた。それは、玄関の中に消えるまで・・・新が入ると、出入り商人は、本建物に向って歩き出した。そして・・・・。
「金貨。二枚ですか」
本建物に居る。全ての者に聞える位の声が響いたのだった。
「嘘では、ありませんよ。新さんって人に商品を購入して頂いたのです」
「ちょっと、待ってください。上司に聞いてきます」
「分かりました」
 上司を呼びに行くために席を立とうとしたが、先ほどの悲鳴のような声で、登の耳にも届き、何があったのかと駆けつけたのだった。
「何があった?」
「金貨。二枚の請求されたのです」
「それは、構わないぞ。送金と、何かのアクセサリーの代金だろう」
「そうではないのです。二枚の金貨が請求されたのです」
「えっ・・・・・・」

 第五十三章
 登も驚き、何て言って良いのかと、考えてしまった。
「はい。確かに購入して頂きました」
「その品物を見せてもらっても構わないか?」
「新さんにお渡ししました」
「ここで、少し待っていてくれないか?」
「構いませんよ」
 登は、新に会うために駆け出した。そして、今度は、徴兵隊の建物で、登の声が響いたのだった。
「新は居るか?」
「登さん。どうしたのです?」
「買った物を見せてくれないか?」
「いいですけど、これですよ」
 中を開ける前に、化粧箱を見たが、高そうで女性が興味を感じる物だった。そして、中を見た。男性の価値観でも、金のネックレスと金の指輪を鑑定するように見るのだが、中身よりも粧箱の方が高そうに思えたのだ。そして・・・・言い辛そうに・・・・。
「今回は、断った方が良いと思うぞ。街にでたら違う物が欲しいと感じるはずだ」
「えっ・・・これ偽物?」
「それは、無いだろうが、少し高すぎると感じる・・・・・・何て言ったら良いか・・・・あっそうだ。砂金を交換した時を憶えているだろう。あの時、安く渡されるところだっただろう。それと、同じかもしれない。そう感じたのだ」
「あっ・・・そう言うことですか」
「そうだ。あっだが、あの出入り商人が悪い者ではないぞ。女性のアクセサリーなんて商品を扱ったことがないだろう。それで、相場が分からないかもしれない」
「ですが・・・街には出られず。明日が出発なら・・・仕方ないですが・・少しくらい高くても・・・もう買う機会もないでしょうから・・・」
 新は、言い方を考えて言うのだが、何て言っても、登が街に出るのを許してくれないからだと、言っているように思えて、しどろもどろのような答え方になっていた。
「明日に言う考えだったのだが、午前中だけ自由の時間を与える気持ちだったのだ。時間にしては二時間くらいの短い時間だけだが、思い出と言うか、それに、この都市の名物料理も食べさせたかった。俺は、当日に言って驚かせたかったのだ。そのために、この様な事になるとは、本当にすまなかった・・・・許してくれないか」
「登さんが悪いのでないのですから、何も謝罪する必要はないですよ」
「ありがとう。それなら・・・・・徴兵隊の皆にも今から言うことにする」
「えっ、何を?」
 登は思案した後、言い難そうに言葉にした。その言葉の意味は、新の謝罪の気持ちも込めているのだが、新には伝わらなかった。
「明日の予定と、徴兵の契約のことだ」
「ああ、それなら、皆は喜びますね」
 登は、自分の気持ちが、新に伝わらなかったからだろうか、少々不機嫌な言葉使いだった。それにも気づかずに、新は、嬉しそうに答えるのだった。
「それでは、先ほどの商品は返品していいな?」
「それだと、商人さんが、困ることになるのではないですか?」
「それは、大丈夫だろう。長年商人をしているのだ。この様な時の対応策も考えているはずだ。だから、心配はしなくて良い」
「それなら、いいのですが・・・・」
「それよりも、徴兵隊の者たちを呼んできてくれないか」
「えっ・・・・呼んで来る・・・誰を?」
 新は、商人を心配していたからだろう。登の話を聞いていなかった。
「徴兵隊の者たちに、契約のことと、明日のことを伝えたいのだ」
 二度も同じことを言ったからだろう。少々の怒りを感じられた。その程度で済んでしまうのは、新だったからなのだ。もし、徴兵隊や一般隊員なら可なりの怒鳴り声になっただろう。新は、それに、気が付かない。それでも、登を不審そうに見て感じたのだろう。登が不機嫌だと、そして、急いで呼びに行かなければならい。と思った同時に駆け出していた。それを見て、微かな笑みを浮かべてしまうのは、部下でなく、友人だと思っているからだろう。その気持ちだから、少々の待ち時間など気にしないはずだ。それでも、少し遅すぎないか、そう感じた頃に・・・・。
「登殿。お呼びと言われ、皆を連れてきました」
 真っ先に敬礼をして、達也が、謝罪の気持ちを伝えるのだった。その言葉で、一瞬、登は不審を感じるのだが、直ぐに気が付くのだ。新は、理由を話す時間が惜しいと、それで、自分が緊急の用事がある。そう言ったのだろうと・・・そして・・・。
「そうだ。契約のことと、明日の予定を伝えるために来てもらったのだ」
「そうでしたか、ありがとう御座います。それでしたら、食堂で話をした方が良いのではないでしょうか、飲み物の用意を致しますが・・・・あっ」
「何だと」
「すみませんでした」
 達也は言葉にした後に、以前に言われたことを思い出したのだ。食堂で上官と話をすることになった場合でも、飲み食いを用意しては駄目だと言うことを、一声上げると同時に思い出したのだ。それで、言ってしまったことと、失礼な一言を上げた。その気持ちを何度も頭を下げて謝罪したのだ。
「そうだな。中庭でもなく建物の影では、罰を与えるような感じだな。飲み食いは駄目だが、食堂で話をしよう」
「分かりました」
「だが、訓練ではない。知人として話したいのだ。だから、飲み物だけは許そう」
「ありがとう御座います。直ぐに用意を致します」
 達也が最後まで言う前に、数人の者が駆けだした。恐らく、調理場に行ったのだろう。そして、徴兵隊は、感謝の気持ちからだろうか、登が先に歩き出すまで頭を下げ続けた。後に、登を先頭にして後ろを付いて行くのだが、まるで、その列は、自分の意思が感じられない連結されている列車のような動きだった。
「全ての用意を整え終わり、登殿をお待ち致しておりました」
 先に行った徴兵隊は、扉の前で待っていたのだ。
「ご苦労だった。中に入りなさい」
 登は視線だけで室内を見た後、待機していた数人の徴兵隊たちに中に入るように勧めた。そして、徴兵隊が入るのを待つよりも、一人で中に入ったのだ。それには訳と言うには大袈裟だが、登が座るべき椅子が用意してあったのだ。別に椅子や食卓の上に自分の名前などが書かれているのではなく、一つの椅子と食卓の前に、何かを教わる生徒の教室にように椅子や食卓を並べ変えていたのだ。それで、登は、その一つの椅子に座って、皆が座るのを待った。その間に、先ほど飲み物の用意していた者たちが、食卓上に空の湯呑を置いてある。その人数分の湯呑に紅茶を入れていた。入れ終わる頃には、徴兵隊の皆は座り終えていた。
「そろそろ・・・良いようだな・・・それなら・・・話を始めるぞ」
 皆が座るのを確かめ終わると、皆に心積もりを確認した。
「大丈夫であります」
「新殿から相談されて、出入り商人から聞いた話なのだが、皆は商人から何かを購入した者はいるか、居る場合は、正直に言って欲しい」
「・・・・・・・」
 登は、全ての者の顔を見た。新以外の者は、何の事なのかと驚く表情を浮かべていたのだ。それで、誰一人として購入した者がいないことが分かった。
「誰もいないようだ。それでは、本題に入る」
「はぁぁ」
 徴兵隊の者たちは、何を言われるのかと、緊張からの溜息を吐いてしまった。
「皆は、自分の村に、送金したい者や何か購入したい者は居るだろう。それで、此れから軍で働く気構えを高めるために、明日の昼は、この都市の名物料理を食べる考えなのだ。それまでの、数時間だけだが、自由行動を許そうと考えている。それだけでなく、 一日、小銀貨一枚(七千円)なのだが、今回は特別として一週間分で、金貨一枚(現代で言うと、二十五万円)を褒賞として払う。これは、新の提案でもあるし、家族に送金したい者や何か欲しい物があると考えて、前渡しとして金貨一枚、合計で二枚の金貨を渡そう。
「うぉおお」
 徴兵隊も者たちは、想像もしていなかったことを言われて、可なり失礼なことだが、感情の制御ができずに驚きの声を上げてしまったのだ。
「はっはは。何も気にしなくていいぞ。その声で満足したと感じられるからな。だが、それだけで、驚かないでくれないか、まだ、続きがあるのだぞ」
「・・・・・・・」
 今度は、それ以上の驚きがあると分かり。先ほどとは逆に息を飲み込んだのだ。
「それで、続きとは契約の内容の話しだ。三十一日で一日一枚の計算として、小銀貨で三十一枚(約二十二万)、大銀貨(五万円)で四枚と中銀貨(一万円)で一枚に、小銀貨(七千)一枚になる。だが、新殿の知人と考えて、月で金貨一枚(二十五万)を払おう。そして、満期を終了した時、別に金貨五枚を貰えるように交渉しよう。もし、貰えない場合でも、一年の契約で金貨十二枚は破格の値段だと分かってもらえるはずだ。それと、例えで言うのだが、料理長と呼んでいる部下の隊員である。一般兵と同じだ。それは、一人前の兵員と同じ給金だと分かって欲しい・・・・・・・喜んでくれているようだな」
 徴兵隊の者たちは、驚き、興奮して喉が乾いたのだろう。殆どの者が紅茶を飲み込んでいた。そして、破格の値段なのには何かの理由があると考えて、今度は青ざめたのだ。皆の内心では、もしかして・・・・・・。
「何を言いたいのか分かるぞ。この値段を払うなら補給隊の警備でなく、兵員として敵を倒すことになる。そう思っているのだろうが、それは、無いぞ。だが、敵が想像もできない戦いを挑んできた場合は、自分の身を守る場合がある程度の話しだ」
 内心の気持ちが分かった。そんな驚きよりも、手にした時の興奮を思い描いていた。
「それでは・・・これで話は以上だ・・・・何か質問はないだろう」
「・・・・・・・」
 登が全てを伝えると席を立った。そして、皆の顔色を見て何も問題がない。そう判断して食堂から出て行くのだった。本当なら、敬礼するための立ち上がるのが礼儀のはずなのだが、まだ、夢心地なのだろう。誰も、立ち上がる所か敬礼も忘れていた。そして、登は自室に帰るのだ。だが、登は身体を休めることはできなかった。明日の朝までに終わらせないとならない。可なり面倒な仕事があったからだ。その仕事とは、徴兵隊たちの契約書を作成しなければならなかったからだ。その面倒なことを証明する証拠として、登の部屋の灯りは夜明け近くまで灯っていたのだった。

 第五十四章
 今までと同じ朝に起床訓練の音が響いたが、徴兵隊だけは何も苦痛を感じなかったはずだ。それは、破格の給金がもらえる。その嬉しさからに違いない。恐らく、妻や子供たちの嬉しい笑顔が想像できて脳内に焼きついているのかもしれない。それとは、逆に、一番の苦痛を感じたのは、登だっただろう。床に就いたと思ったら起床の響きで強制的に起こされた。それでも、何事も無かったように洗面台に向って、今日一日の始まりの行動を始めたのだ。勿論、部下から朝の挨拶をされても、不機嫌な様子もなく、普段の表情を浮かべながら挨拶を返すのだった。
「今日の朝食は何かな?」
 この言葉は、登の口癖だったが、別に好みの食事を要求しているのではなかった。部下達の共通の興味である。朝一番の話題を口にしたのだった。
「それは、まだ、分かりません。今日から徴兵隊が全ての兵員の食事を作ることになっております。自分が、至急に献立を聞いてきましょうか?」
「そこまで、する必要はない」
「承知しました」
 登は、部下を見た。その部下は、余計なことを言って気分を壊させた。そんな表情を表して緊張していた。その気持ちを解そうとしたのか、それとも、本心なのか・・・・。
「朝食が楽しみだな」
 そう言うと、自室の方に向って歩き出した。その姿を見送る部下は、今度は余計なことを言わないと考えているのか、敬礼だけで気持ちを返したのだった。そして、話題に上げられた徴兵隊たちは、この会話など知らない。もし知らせに来たとしても、事実上では始めての朝食を作っていたのだ。それも、二班に分かれて、徴兵隊の食事と、他の隊員たちの食事を真剣に作っていたために、誰の言葉も耳に入らないはずだろう。それを、証明するかのように・・・・・。
「新殿。俺たちの朝食の用意は目途がついてきた。本建物の方の様子を何人か連れて見てきてくれないか、もし人手が足りないようなら向わせる」
 真剣な表情で料理のことだけを心配しているのだった。
「分かりました。向こうの様子を見てきます」
 新は、調理場に来ると直ぐに頼まれた。だが、内心では料理を作りたかったのだ。これでは、自分が邪魔だから適当な用事を頼んだ。そう思えたが、他の用事で時間に遅れた事もあるが、やはり一番は、朝食を時間まで作り終えるのが肝心だと感じるのと、達也の真剣な頼み方をされたので頷くしかなかったのだ。
「すまない。頼む」
 達也は済まないと、頭を下げるのだった。新は、その頭を下げる姿を最後まで見ることなく、調理場から出て行った。その後から五人の男がついて行くのだった。
「終わりましたか?」
 新は、急ぎたい気持ちはあったが、建物の中を走ることなどできる筈もなく、気持ちだけは焦っていたからだろう。扉を開けると直ぐに思いを口にしていた。
「あっ・・・新殿。もう少々ですが時間が掛かります」
 龍次と新が話をしている内容など関係ないと感じたのか、後から来た五人は、調理している者たちに直接なにをするか聞いて料理の補助に付いたのだ。
「達也さんが言っていました。徴兵隊の食事は目途がついたから人手が欲しいなら言って欲しいと、言っていましたよ」
「そうでしたか、それなら言葉に甘えたいと思います。料理を作る者は足りますが、何人でも良いですから出来上がった料理を運ぶ人が欲しいです」
「分かりました。達也さんに伝えてきます」
「本当に済みません」
「構いませんよ」
 新は、龍次の気持ちを解そうとしたのだろう。笑みを浮かべて答えた。その後は来た時とは違って、一人で帰って行った。
「どうでした」
「料理を運ぶ人が欲しいと言っていました」
「やはり、そうでしたか、直ぐに人を向わせます」
「それでしたら、僕も・・・・」
「いや、何度も行き来させて済まないと思っていますので、こちらで、一緒に料理を運びましょう。その方が良いでしょう」
 そう言って、達也は紅茶が入れられた容器を手に持って食堂に行った。
「分かりました。そうします」
 やっと、自分も仕事に就ける。そう思ったのだが、殆ど食卓の上には並べられていたのだ。それだけでなく・・・・・・・。
「俺たちは、手伝うことが無くなったようだ。紅茶でも飲んでいよう」
 新が、食堂に入って見たのは、何人かが料理を運ぶ姿と、達也が持って来た。その紅茶の容器から二つの湯呑に注ぐ様子を見たのだった。
「ですが・・・・」
「何も気にする必要はないのだぞ。逆に、俺たちが料理を運んで、部下が何をしていいかと、聞きに来られても困るだろう」
「そう・・・ですね」
 そう言われても、新は不満だったが、言っていることが正しく、席に座るしかなかった。
「気持ちが落ち着かないようですね」
「いえ・・・別に・・・・」
「それでしたら、そろそろ、食事を知らせる音が響きますが、登殿に朝食の用意ができました。と、知らせに行きますか?」
「まだ、用意が終わったのか・・・分かりませんよ」
「終わっているようですよ」
「えっ」
「手伝いに言った者たちが帰ってきていますからね」
「あっ」
「行って来ますか?」
「はい」
「それでしたら、朝食は、こちらで、それとも向こうで食べますか?」
「こちらで、皆と食べますので帰ってきますよ」
「そうですか、それでは、朝食の用意をしておきます」
「済みません」
「いいえ」
 頭を下がると、登の部屋に向った。そして、真っ先に食堂に向かい用意が終わったのを確認すると、通り道だったからだろう。喫煙所にいる者に食事の用意が終わったのを知らせたのだ。その後に、登の部屋に向かい。偶然のことだが、扉を叩くと同時に朝食の知らせの響きが響いたのだ。
「誰だ?」
「新です」
「あっ・・・少し待ってくれないか、後少しで仕事が終わる所なのだよ」
 登は、徴兵隊の契約書を作成していたのだ。
「分かりました」
 本当に、響きが止むと同時に、登が現れたのだ。
「何の用でしたかな?」
「いいえ。朝食の用意ができたと、知らせに来たのです」
「そうだったのか・・・一緒に食べようと誘ってくれたのですか?」
 微かな表情だったので分からないが、喜んでいるようだった。
「いいえ。知らせに来ただけです」
「そうだったか・・・・それなら、朝食の知らせの響きで、皆が集る。知らせに来なくても構わんぞ。恐らく、自分の部下にも知らせに行ったかな?」
「はい。行きました」
「今のような平時の時なら来られるだろうが、任務に就いた場合は、少しでも体を休めたい。そう感じるはずだ。この様に知らせるのが当然だと、皆が思ってしまっては、後が大変だから止めた方がいいな」
「分かった」
「もしかして、料理も盛り付けまでしたのか?」
「勿論、盛り付けました」
「それは、止めたほうがいい。料理を作るだけで良いですぞ。自分たちが盛り付ける。誰でもとは変だが、、盛り付けて直ぐの温かい料理が食べたいと言うはずだ」
「あっ・・そうですね。済みませんでした。それはでは、皆に伝えておきます」
 新は、自分の場合を考えて、当然だと頷くと、逃げるように駆け出したのだ。そして、徴兵隊の宿舎に向うのだが、途中で、俯きながら歩く徴兵隊たちと出会うのだった。だが、新は、落ち込んでいる様子を見ても、何て声を掛けていいのか分からず。そのまま、一緒に無言で歩くことしかできなかった。
「どうした?」
 達也は食堂で、本建物に朝食を作りに行った者たちを待っていた。予想では皆は最高の仕事をしてきたと興奮を表して帰って来ると思っていたのだ。それなのに、ガックリとうな垂れて、まるで、最愛の危篤でも聞いたような様子なのだ。それで、何があったか思案するよりも言葉が口から出ていたのだ。
「それが・・・・」
「後からでいい。先に食事にしよう」
 龍次が、上官の命令と感じて、心身ともに奮い起こす様子で言葉を履いたので、時間を少し置いてから何があったのかと聞くと考えたのだった。
「座ってください。自分たちが料理を持って行きますよ」
「だが・・・皆も・・・同じように疲れている・・・だろう」
 龍次だけは、本建物の料理を任された。最上官なのだと思っているからだろう。可なり、心身ともに疲れているが、皆の代表として気持ちを伝えなければならない。そう感じているようだった。
「大丈夫ですから座ってください」
 徴兵隊の宿舎に残った者たちの全てが、席から立ち上がって食事の用意を始めたのだ。
「龍次。それと、皆も言葉に甘えろ」
 その様子を見るに見兼ねて、達也は優しく言葉を掛けた。
「分かりました」
 龍次は、素直に応じて椅子に座った。その様子を見て、夢遊病のようにフラフラと歩いていた者たちも同じ様に椅子に座った。そして、腰掛けた順番から食事を持って来ては、気持ちを解そうと言葉を掛けるのだ。そして、全ての食事が用意されると・・・・・。
「ご苦労だった。ゆっくり味わって食べてくれ。勿論、お替りはあるぞ」
 普段の状態だったら歓声を上げるのだが、同僚の落ち込んだ様子が心配なのだろう。誰も、食事に手をつけようとはしなかった。
「何があったか知らないが、朝食を食べてから話を聞きたい。せっかく・・・皆で作ったのだ。美味しいと思うぞ。なぁ・・朝食を食べよう」
 そう皆に言った後、空腹だったのだろうか、一人、二人と食器の音を響かせて食べ始めたのだ。もしかすると、言われたことが薄れてきたのだろう。その気持ちを感じ取ったのか、食器の音を聞いて安心したのだろうか、達也も食べ始めたのだった。そして、皆が食べ始めたのが分かったのだろうか、何があったのか、新に聞いてみたのだった。
「新殿。何があったのですか?」
「僕も何があったか知りませんが、僕は、登さんから言われましたよ」
「何て言われたのですか?」
「それは・・・・・ですねぇ・・・」
 何か理由は知らないが言い難そうな様子だったので、新が話し始めるのを、達也は無言で待った。その様子を、徴兵隊の者も自分たちと同じ様に言われたのかと、不思議そうに視線を向けていたのだ。
「登さんに言われたのです」
「登殿に?」
「そうです」
「何て?」
「それは、料理を作るだけで良い。と、料理の盛り付けも、それに、料理が出来上がったとしても、呼びに来る必要はない。そう言われたのです」
「そう・・・かぁ」
「それと・・・今は余裕があるが、任務に就いた時は料理を作るだけで精一杯のはずだろう。その時は、一分でも身体を休みたくなる。だから、余計な気遣いはしなくて良い。もし料理の盛り付けや知らせるのが当然だと思われたら大変なことになるぞ。そうなると仕事が増えると、体を休める時間がなくなる。その言われたのです」
「皆も、同じ様に言われたのか?」
「はい。ですが・・・登殿からではなく、一般の兵員からです」
 また、龍次が答えた。
「料理長や部下からなのか?」
「いいえ。他の兵員からです」
 達也は、皆に問い掛けた。そして、泣きそうな表情で頷くのだった。その様子を見て、可なり、厳しい言い方をされたと感じたのだった。
「盛り付けはしなくて良い。まさか、少しでも食器の片づけがしたいのか?」
「冷めた物を食わすのか・・とか」
「俺たちに命令するのか・・・・それに・・・」
「毒でも入っているのでないのか・・・・それと・・・」
「分かった。もう・・それ以上言わなくていい。お前らの気持ちが分かった。そこまで言われたのなら落ち込むよな。もう・・・・だから気持ちを落ち着いてくれよ」
 一人が口を開くと、その場のことが思い出されたのだろう。皆は、怒りとも恐怖とも思える表情を浮かべながら話し続けた。そんな興奮した雰囲気を達也が宥めたのだ。
「ゆっくりと食べてくれ」
 そのように皆に言うが、達也の内心では、言葉はきついが、もしかすると、嫌々な表情を浮かべながら料理を盛り付けていたかもしれない。確かに、食事が一番の楽しみのはず。その時に、雰囲気を壊す者がいたのなら出て行って欲しい気持ちは分かる。それと、徴兵隊に、二度と気遣いをさせないための言葉だったのかもしれない。そう思っているが、まさか、言葉にできるはずもなく、皆が食事を食べ終えるのを見続けていたのだった。そして、食事の美味しさから気持ちが解れたのだろう。それとも、言われたことを忘れたのか、皆が、食事を食べ終わる頃には、笑みを浮かべて食器を片付けていたのだ。それも、終わると、自由時間の買い物のことでも考えているのだろう。何をするのでなく虚空を見ていたのだ。それから、朝礼を知らせる音が響いて、皆は待っていたかのように中庭に駆け出したのだ。当然と言うべきだろうか、徴兵隊が一番初めに整列をして、登が来るのを待っていた。すると・・・・・・。
「・・・・・・・・・」
 次に現れたのは、料理長の隊ではく、他の隊が現れた。それも、先ほど徴兵隊に忠告した者たちだった。二つの隊が会った時、殺気とは違うが、冷たい視線を向け合っていた。だが、流石、いや、当然と言うべきだろうか、徴兵隊に完璧な敬礼で挨拶したのだ。それに遅れるだけでなく、慌てて簡易礼で返礼をしたのだ。そして、そろそろ、知らせの響きが止むと思われる頃に、こちらも、完璧な敬礼をしながら料理長の隊が現れた。この隊には尊敬と好意を感じているからだろうか、徴兵隊の者たちは、先ほどと比べては良いできの敬礼を返すことができたのだ。この様子を確かめるためだったのか、それとも、今まで用事が終わらなかったのか、知らせの響きが止んで少々の時間が過ぎた時に、登が箱を手にして現れたのだ。
「登隊長に敬礼」
 料理長が、全隊員に対して指示を叫んだ。
「ご苦労・・・・・・休んで宜しい」
 皆の敬礼に気持ちを良くしたのだろう。嬉しそうに返礼をした後、皆の敬礼を見た後に、皆に休むことを許したのだ。
「まあ、これからの予定を話しても、自由時間の楽しみで浮ついた気持ちでは意味が無いだろう。だから、早く用件を済ます」
「承知しました」
「それでは、新殿。今すぐに、一人で自分の前に立ちなさい」
「承知しました」
 新は、即座に敬礼を返した後に、登の前に立つが、理由が分からず首を傾げていた。
「今から手渡す物は、これから一年の雇用契約書だ。大事な物だから肌身から離さずに無くすなよ。それと、後で確認して欲しい」
「・・・承知しました」
 少しの間は、恐らく、これで正式な軍人になる。命の心配をすることになる。そう思ってのことで、言葉が出てこなかったのだろう。
「次の者の名前を呼ぶ。達也。前に出てきなさい」
「承知しました」
 新と同じように手渡して、次は、龍次と、役職がある者から次々と手渡したのだ。そして、最後の者に手渡すと・・・・・・。
「一つ、言っておくが、今の順番には給金の序列はない。皆、同じだ。中には不満を感じる者もいるかもしれないが、今回の給金は、一つの隊として使い物になるだろう。特別の価格だと考えてもらいたい。だが、不満だからとして手を抜いた場合は、自分の命だけでなく隊の全て命が消える。そう考えて欲しい」
「・・・・・・承知しました」
 先ほどよりも長い間だったのは、心の中で愚痴のような考えが過ぎったのだろう。俺たちは、好きで戦いに志願したのでない。それでも、命の危険を考えなければならないのか、そう言葉にしたかったのだろう。だが、心の思いをぶちまけることはできなかったのだ。もし、新や登に会わなかった場合は、格安の命の値段で、今よりも過酷な任務に就くのは当然だったからだ。
「それでは、一時間後に荷物と兵装を整えて、この場に整列だ。そして、この屋敷から我が都市に帰る。勿論、約束した自由時間はあるから心配するな。その時になれば知らせる」
「承知しました」
「それでは、一時間後だ。解散」
 登は全てを伝えた後は、皆の返事など聞かずに、本建物に向って歩き出した。皆は、返事をする前に歩き出したので、無言の敬礼で見送ったのだ。その後、それぞれの隊は、自分の宿舎に帰って行ったのだ。そして、時間は、あっと言う間に一時間が過ぎた。

 第五十五章
 安物の機械人形が甲冑を着ているような音が響いた。それも、一体、二体でなく可なりの数の歩く音だった。その者たちは、同じ目的の場所を目指しているのだ。だが、その場所には、すでに可なりの者たちが待機していたのだが、避けて進もうとはしなかった。もしかすると、真っ直ぐしか進めないのかもしれない。そして、待機している者たちは、笑いを堪えるようにして道を譲るのだった。だが、その中の一人、皆の前に立っている者だけが、大きな溜息を吐いたのだ。
「この数日間だけでは甲冑の動き方は取得できないか、やはり、自由時間の行動で少しでも慣れてもらうしかないだろう。それも、好きなことで動き回るのだ。少しくらい甲冑の感覚が掴めるはずだろう」
 その一人とは、登だった。それも、独り言のような呟きなので、誰にも聞えていないはずだろう。その証拠のように笑いを堪える。そんな、皆の表情で分かることだった。
「まだ、動き辛いか、確かに新品では当然かもしれないな。それも、自由時間で好きなように動き回り。そして、西都市に着く頃には、丁度良い感じに解れるだろう」
 登は、独り言を呟いた後に、徴兵隊たちが、整列するまで少々の時間を呆れるように見ていた。そして、何度目の溜息を吐いた頃、やっと整列したので言葉を掛けたのだ。
「・・・・・・・・・・・」
 これだけの動きで息が切れたのだろうか、それとも、何て答えて良いのかと思っているのだろうか、いや、この苦痛が何日も続くと思って言葉を無くしているに違いない。
「それでは、徴兵隊を先頭にして出発するぞ」
 登が歩き出すと、その後を徴兵隊が続き、そして、少しの間隔を開けて、料理長の隊が続いて屋敷の門に向って歩き出した。すると、門が開いているだけでなく、一つの部隊が待機していたのだ。それだけでなく、何十台の馬に繋がっている荷台と、数頭の馬が待機していた。その部隊は、西都市が雇った傭兵部隊で、徴兵隊を落ち込ませる言葉を吐いた者たちだった。だが、口は悪いが腕は確かで、登の主力部隊であり。裏方の仕事を任されるのが多かった。服装も、料理長の部隊が正装の甲冑と言うなら下級武士のような地味な様子だったが、使い込まれているだけで、もしかすると元は同じ甲冑なのかもしれなかった。そして、登が、その者たちと視線が合うと、簡易的な敬礼をすると、予定されていたのだろう。同じように簡易的な敬礼を交わした。その後、登たちが街の中心に向う道とは反対に歩き出した。それは、都市から出る方向に向ったのだ。恐らく、別行動するのでなく、都市の外で待機する指示が下されているのだろうか、それとも、傭兵などする動悸になったであろう。金を無駄に使いたくないだけなのだろうか、そのような雰囲気など、徴兵隊は分かるはずもなく、と言うよりも必死に歩く事だけを考えていた。それでも、料理長たちは、今回も一緒に街で楽しまないのか、その様な感情を表しながら、敬礼だけは忘れてはいなかった。
「新殿」
 門から歩き出して、後ろから付いて来る。料理長の部隊と徴兵隊の間隔が縮むだけでなく、早く歩くように無言で急かすような表情を浮かべられる。そう感じる頃・・・・新は徴兵隊の先頭を必死に歩いていたが、突然に、登から声を掛けられたのだ。
「はい」
 新は、苦しそう声色で返事をしたのだ。
「あれを見てみろ」
 長旅で服装がぼろきれのようになったのか、それとも、服装よりも手に入れたい商品に金額に使うためだったのか、ある店で、貴金属店と洋服店を覗いていたのだ。恐らく、どちらかの店で買うかと迷っているのだろう。だが、商品に詳しくないのか、それとも、値段を気にしているのか、二つの店の前をうろうろとしていたのだ。すると、不機嫌そうな表情で店主が現れた。その様子を見ていると、金があるのかと、問い掛ける姿も可なり威圧的で、まるで物乞いでもする者のような態度で邪険に扱うのだ。それでも、何かを買いたいのだろう。手の平に数枚の銀貨だろう。それを見せて、買えるなら買いたいと頭を下げていたのだ。そして、店主は仕方なさそうに、格安(その男は知らない)だけを入れているワゴンに指を向けて、もう一枚出せば買える。そう言っているような場面を、登は言ったのだ。
「新殿。都市で両替したことを憶えているかな?」
「はい」
「それなら、あの男を助けてあげては、どうかな?」
「助ける?」
「そうだ。新殿が、あの篭の中にあるのは、いくらかと尋ねるだけでいいぞ」
 新は不思議そうに首を傾げるが、男を助けたい気持ちもあったので頷いたのだ。
「分かりました。そう聞いてみます」
 新が歩き出すと、登は徴兵隊の皆に視線を向けて・・・・・・・。
「あの店主の様子を見ていろよ」
 そして、新は、ぼろきれを着た男が、もう一枚の貨幣を渡すか悩んでいる所で、登に言われたように篭を指差して値段を聞くのだった。すると、店主は真っ青な表情を浮かべた。驚きよりも恐怖を感じているようだった。そして、何度も頭を下げながら値段を言うのだった。その隣の男は逆に真っ赤な表情をして怒鳴った後、一枚の貨幣を渡しただけでなく、男の手の平の上につり銭を渡したのだ。そして、男は何度も頭を下げて、新に感謝の気持ちを表していた。すると、新は、男に二つの店を覗いていたから買う物があったのでないか、そう問い掛けているようだった。やはり、新が問い掛けた通りで、男は先ほどよりも深く頭を下げて。新に隣の店にもお願い出来ないかと、聞いているようだった。新は喜んで承諾した後、洋服店の中に入っていた。直ぐに、店主と一緒に出てきて、男と三人で話をするのだった。直ぐに男は笑みを浮かべて店主に貨幣を渡すのだった。その後、感謝の気持ちだろう。新に貨幣を渡そうとするが、受け取るはずもなく逃げるようにして、登の所に駆け出したのだ。男は、それを見送るように深々と頭を下げるのだった。
「どうだ。面白いことになっただろう」
 振り向いて、徴兵隊の皆に言うのだった。
「ありがとうございます」
 満面の笑みを浮かべ、自分たちも好きな店屋に行こうとしたのだ。
「まだ、続きがある。軍服を着た者には嘘が言えないのだ。もし法外な値段を吹っ掛けられたと分かると、怒鳴り込む者もいるだろうが、それよりも、都市では兵員が一番のお得意さん。でもあるから、高い店だと知られると誰も買ってもらえないのだよ。それと、兵員の姿をしていると、店屋の主人から商品を買って欲しいと話をかけてくるはずだ。だから、そうだな・・・三軒くらいは店を回ってから決めた方が良いぞ」
「ありがとうございます」
 徴兵隊の者たちは、真剣な表情で頷いた。そして、登が昼まで自由を許すと、それぞれが求める店屋に向った。全ての徴兵隊が、この場から消えると、新が帰ってきた。
「新殿。おかえり」
「登殿が何を言いたいのか分かりました」
「それなら、良かった」
 自分の事のように喜んでいた。
「徴兵隊の人たちは?」
「好きな店屋に行ったよ」
「行ってしまったのですか」
 共に行きたかったのだろう。新はガックリと肩を落としたのだ。
「新殿も行くのだろう」
「はい」
「それでは、我々は、この辺りでたむろしている。好きな店屋を見てくるとよいだろう」
「ありがとう御座います」
「皆にも言ったが、昼までは戻ってくるのだぞ」
「承知しました」
 美雪の笑顔を想像しているのだろう。嬉しそうに返礼を返した。そして、直ぐに視線を店屋に向けると、まるで子供のように目を輝かせて歩き出すのだった。もしかすると、全ての店屋をのぞくような感じだった。登は、その様子を見ていると・・・・・・・。
「隊長。我々もいつもの場所で・・・・」
「お前も好きだな」
「隊長も来るのでしょう」
「まあ・・・・・あの女将は優しいし、面白い話をする会話上手な人だからな」
 登が口篭もるには理由があった。その店に集まる女性たちは接客業をする者たちで、自分たちの店に来る客人を喜ばせるために、楽しい話題の情報を集めに来る者や客人たちを喜ばせる会話術を学びに来る女性たちだった。
「そうですね。ですが・・・・隊長も女将の評判を聞いて集まる若い子が目当てでしょう」
「まあ茶も美味いし、手作り団子も美味いからな。それだけでなく、異国の食事も出るな」
「そう言うことにしておきます。それでは、皆も待っていますので行きましょう」
「そうだな。それで、何人くらい行くのだ」
「二十人ですね」
「ほう、多いな」
「当然でしょう。彼女が出来たと噂もありますし、何日も男だけで生活してきたのです。女性と話しがしたい。そう思うのは当たり前です」
「それで残りの者は?」
「前に、女将の所に来る女性たちに釣られた者たちが、贈り物を買いに行っていますよ」
「上手くやったようだな」
「いや、上手くやられた。と言うべきでしょう」
「そうだな。行こう。」
 そう言った後、登は歩き出した。その後を二十人の男がぞろぞろと付いていった。その行き先は、店屋街の外れと言うか、飲み屋街の始まり。そんな感じの所にあった。その店屋は元貴族の家で、噂では、一人の少女だけを残し血族が絶えて廃絶。だが、少女と乳母で町人の行儀見習いが始まりで、今は女性(元貴族の少女)一人で団子屋(現代で言う喫茶店)になっている。客は多く来るのだが、主の女性は会話や話題を提供するだけで、接客は、客である女性たちがするのだった。その女性たちに釣られたのが、登の部下と、その他の男たちだったが仲には結ばれて結婚までした者もいるのだ。殆どの男の客人は、女性の夜働く姿も良いが昼の姿も見られる。それで、可なり評判だったのだ。このような男の楽園と思える店では、徴兵隊が、昼まで時間を潰したとしても、もう昼なのか、もう少し居たい。もう時間なのか、まだ、物足りないぞ。そう思うに違いなかった。そして、あっと言う間に時間は過ぎるだろう。そのことを知らない徴兵たちは、買い物をしてきて帰って来ると、誰も居ないために不審を感じるはずだ。
「この場所で良かったのだよな?」
「ここで分かれたはずだ」
 徴兵隊の何人かが買い物を済ませて戻って来た。だが、誰も居なくて困惑していたのだ。
「探しに行った方がいいのだろうか?」
「いや、この場に居たほうがいいだろう」
 時間が過ぎるにしたがって、一人、二人と徴兵隊の者たちが帰って来るのだ。そして・・・。
「どうしました?」
「登隊長たちが、何所にも居ないのです」
 新も帰ってきたのだ。すると、徴兵隊の人たちが、うろうろと歩き回っていた。
「ああっ、それでしたら、この近くの店で時間を潰しているはずですよ」
「新殿。探しに行った方がいいでしょうか?」
 新だからでなく、何かを知っているような話し方だったので、問い掛けたのだった。
「止めた方が良いでしょう。僕たちと同じように楽しんでいるはずですからね」
「そうだな。楽しんでいるのを邪魔するのは、後が怖いな」
 達也は、二人の話を聞いていたのだろう。戻って来るのと同時に会話の中に入って来た。
「達也さん。お帰りなさい」
「ただいま」
「あの達也さん」
「何だ?」
「どうしたら良いでしょうか?」
「それは、周りを見たら分かるだろう」
「周り?」
 新は、辺りを見回したが、言っている意味が分からなかった。再度、問いかけようとした時・・・。
「他の者たちは、自分が買った物を見ては、渡す者の嬉しがるようすを楽しんでいるだろうし、買った物を見せ合っている者もいる。だから、急ぐ理由はないだろう。登殿が戻って来るまで、ゆっくり寛ぐのも良いのでないか?」
「あっ・・・そうですね」
 周りと言われたので、店屋や他の人たちに視線を向けていたので、徴兵隊の仲間まで視線を向けなったのもあるが、仮に見たとしても何も感じなかっただろう。皆が集まるのを待っていると・・・・。
「徴兵隊の皆は帰ってきたか?」
「あっ料理長。いえ、まだ、数人が戻ってきていません」
「そうか」
「もしかして、登殿が呼んでいるのですか?」
「呼んで来るように言われましが、急がなくても良いですよ」
「ですが、登殿の指示なら・・・」
「登隊長も遊んでいますし・・・・まぁ・・・呼んで来るように言われたのは、徴兵隊の者が、待ちくたびれて都市中の歩き回るのを心配しただけです」
「徴兵隊を心配してくれたのですか・・・・うっうう」
 達也は、嬉し泣きをするが・・・・・。
「いや、都市の人々に、徴兵隊の情けない姿を見せたくない。だけ、だと思うが・・・・」
 達也は、料理長の話を聞いていなかった。そして、五分、十分と過ぎると、一人、二人と帰ってきた。それから、また、時間が過ぎて、予定の正午の少し前には、皆が揃った。
「皆が集まったようだな。それに、予定の時間的にも丁度良い。登隊長の所に行こう」
「承知しました」
 料理長が何所に行くのかと、徴兵隊の者たちは辺りを見回しながら付いて行くのだ。

 第五十六章
 ある店屋街は、昼と夜では雰囲気も開店時間も違っていた。そんな境目にある店屋の前では、何十人かの男たちが不満を表していたのだ。もしかして、酒に酔って早く店を開けろ。と騒いでいるのか。それは、誰一人として酒を飲んでいるようには見えない。それなら、酒が飲みたいから開けろ。そう騒いでいると思われるだろう。それも違っていた。それなら何事なのか、その問いは、男たちの会話を聞けば分かるはずだ。
「お客さん。ごめんね。昼からは貸し切りなのよ。だから、また、遊びにきてね。もしよければ、わたしの店にも来てよね」
「勿論行くさぁ。でも、昼の食事を楽しみに来たのだぞ」
「そう言わないの。新規のお客さんが大事なのは分かるでしょう」
「それは、分かるけどよぉ」
 男たちは、昼の姿の女性たちが目当てだったのだ。昼間の時間に女性たちと会うと、少々邪険にされるが、この店屋で会えた場合は、夜の時のように優しく接してくれて、昼食くらいなら一緒に付き合ってくれるのだ。だが、今日は、男たちに冷たく接するのだ。それでも、男たちは諦めることができず。もう一度、言葉を掛けようとした。すると、料理長を先頭に、ぞろぞろと、徴兵隊の者たちを引き連れて帰ってきたのだ。
「予約って、西都市の部隊兵だったのか?」
「そうよ。兵隊さんたちよ」
「それでは、諦めるしかないな」
「そうだな。登さんの予約では、何日間の貸し切りでも諦めるしかない」
「納得してくれたのね。それでは、明日の昼でも、今日の夜でも良いわよ。遊びにきてね」
「必ず行くよ」
「お待ちしていますわ」
この場の全ての男たちは、登の名前が出ると、何一つとして言葉を吐く事なく。それぞれの行くべき場所に帰っていた。登は、それほどまでの店一番の常連なのだろう。
「やっと帰ってきましたわね」
「遅れて、済まなかった」
「お腹が空いたでしょう。昼食の用意は出来ているわよ」
「それは、済まない」
「二度も頭を下げなくてもいいわよ。偉い隊長さんなのでしょう」
「俺は、隊長でない。ただの部下だよ」
「そうなの。まあ、そんなことより、早く中に入ってよ」
 この手の女性特有だろうか、相手の話を聞いてない素振りで腕にしがみ付くのだ。自分だけを考えてと言っているのか、それとも、隊長が寛がないと、部下も寛げない。それが分かっているからの態度とも思える様子だった。そして、料理長が何かを話しかけていたが、無視するように甲冑を脱がせていたのだ。
「貴方たちも、甲冑を脱いだら、この部屋に置くのよ」
 女性は、礼二の甲冑を部屋に置くと、身振り手振りで部下たちに置き方を指示した。
「おおぉ、来たか」
 登が新と徴兵隊の姿を見ると言葉を掛けたのだ。そして、多くの女性が、徴兵隊の者たちに席を勧めた。全ての者たちが席に着くと、登が自慢するかのように腕を組んだ。
「この様な店は、大都市でも海での交易している所にしかないのだぞ。何が良いかと言うと世界中の名物料理が食べられるだけでなく、世界中の美女と話しも出来る」
「・・・・・」
 徴兵隊の者たちは、登の自慢が本当なのかと、室内にいる女性たちに視線を向けたのだ。
「それで、今日の食事は何だ?」
 女将に視線を向けた。
「勿論、世界中の誰もが喜ぶ。カレーライスと言う物よ。皆さんには丁度よいと思うわ。いろいろな香辛料が入っていて、体の疲れも取ってくれるわよ」
「本当に、美味いぞ」
「そろそろ、食事の用意をしても良いかしら?」
「頼む」
「・・・・・・・」
 女将を除いた女性たちが料理を並び始めた。並べられた料理を見るだけでなく、臭いを嗅ぐと、苦痛のような表情を浮かべて周りを見た後、登に食べ物なのかと不審そうに見るのだった。確かに、強烈な臭いに、見たこともない色の料理では当然かもしれなかった。
「皆に並べ終わったようだな。どうだぁ。美味しそうだろう」
「・・・・・・・・」
 皆から視線を向けられた。その行為を食べて良いのかと、誤って判断したようだった。
「いつ見ても、食欲を感じる色に、良い香だ。それでは、頂くぞ」
 登は、うっとりと料理を眺め。大きく臭いを嗅ぐと、もう我慢できない。そんな表情を浮かべた後に、匙(さじ)を手に持ったのだ。
「頂きます」
 徴兵隊の者たちは、嫌々と口の中に入れたのだ。すると・・・・・・。
「美味い」
驚きの表情を浮かべるだけでなく、興奮を表しながら声を上げたのだ。
「そうだろう」
「お替りなら沢山ありますので言ってくださいね」
 まるで、子供のように食べ物から視線を逸らす事も、手の動きは食べ終わるまで止まらなかった。そして、直ぐに、誰もが同じ言葉を吐くのだった。その言葉とは・・・。
「お替りをください」
「はい、はい。直ぐに持ってきますわ」
 女性たちは嬉しそうにお替りを持ってくるが、それでも、溜息が出てしまうのは忙しいからではないだろう。恐らく、食事を食べながら楽しい会話を期待していたのだろうが、男たちは、無言で食べ続ける姿を見て、少し詰まらなかったに違いない。
「こんなにも、美味しい食べ物は初めてだ」
 言葉が自然と出ていた。それに、自分でも驚いた後、皆は何かを考えるように虚空を見るのだった。それは、新も同じだった。そして、皆は同じように考えている言葉を口に出したかったのだろう。だが、無理だろう。と表情を浮かべた後に、今度は、残念そうに俯くのだ。その気持ちが分かったのではないだろう。それとも、自分に正直すぎるのだろう。
「この料理は、自分でも作れるでしょうか?」
「この料理を作るのですか?」
 今まで誰からも言われたことが無かったので、女性たちは驚いた。男が作りたいと言われる言葉よりも、普通なら企業秘密だから教えてくれない。そう思うのだが、新は、その思案よりも、美雪に食べさせたい。その気持ちだけが心に満たされただけでなく、思いが弾けて口から出てしまったのだろう。
「おぉ」
 徴兵隊の皆も、俺も子供に食べさせたい。親に食べさせたい。想い人に食べさせたい。と、新が言った後に叫びたかったが、女性たちの困った表情を見て、言葉を飲み込んだ。
「料理的には簡単に作れるけど、材料が・・・・特に香辛料が手に入らないわね。もし手に入れられる所まで来るのなら、その場所で食べた方が良いと思うわよ」
「香辛料?」
「そう、味付けみたいな物ね。どうしても知りたいのなら教えますわよ」
「その香辛料と言う物が買えそうにないので諦めます」
「そう・・・まあ、ここに出入りする女性なら、皆が知っているから作る時は聞いてみるのね。喜んで教えてくれるわよ」
 この場にいる女性たちは笑みを浮かべて頷くのだった。
「それでは、そろそろ行くとするか、女将。今日は貸し切りを頼んで済まなかった」
 皆が食べ終えたのもあるが、部屋の雰囲気が変わったからだろう。登が謝罪をした。
「良いのですよ。わたしも楽しかったわ。また、貸し切りして下さいね」
「そう言ってくれると、俺も嬉しいよ。必ずまた来るよ」
「絶対ですわよ」
「うん」
「気をつけて行って来てください」
「ありがとう。あっ」
 登は何かを思い出した。そんな声を聞いて、女将も忘れてはいけない事を思い出した。
「登さん。言われていた物を作って置きましたわよ。忘れないで下さいね」
「ありがとう。街の外の者たちにも食べさせたくて、本当に無理を言って済まない」
「いいのよ」
「徴兵隊・・・達に・・と言いたいが、料理長。頼んでいいかな?」
「はい。喜んで持って行きまとも」
 登は、徴兵隊に頼むつもりだったが、自分が買った物を見て惚けている姿を見ては頼むことはできなかった。
「それでは、お渡ししますので、裏口に行ってくださいね」
「女将。また、来るぞ」
 登は立ち上がり、自分の武具が置いてある部屋に向った。他の部下たちと徴兵隊の者たちも武具を身に着けに行った。
「少しは鎧も解れてきてようだ。やはり好きなことで体を動かすのが一番だな」
 登は外に出て、女性たちと別れの挨拶をしている時だった。徴兵隊たちが歩ける程度まで鎧に馴染んでいる姿を見たのだ。
「そうですね。西都市に着く頃には、着馴れた服のようになっているでしょう。それだけでなく、肩や体のこりを解すのに武具を着たまま背伸びまでするかもしれませんよ」
「そうだな」
 全ての者が鎧を身につけ、裏口からも何個かの大きな鍋を持って現れてきた。それをみて、出発の用意ができたと感じ取った。
「女将。また来る」
 登が、笑みを浮かべながら手を振っていた。
「身体には気をつけてくださいね」
「又のお越しをお待ちしています」
 女性たちの見送りの言葉を聞きながら部隊は、都市の西の門に向った。その途中で、登は、新の困った表情を見ると、声を掛けるのと同時に肩を叩いた。
「何か困ったことでもあるのか?」
「欲しい物は買ったのですが、村に帰るまで無くさないかと心配していたのです」
「ブハハハ」
 登は、爆笑した。その笑い声に徴兵隊の者は、不審と驚きを感じて、二人の会話に聞き耳を立てたのだ。
「笑わなくても・・・酷いです」
 新は、何故、笑われたのかと分からず。泣きそうだった。
「ごめん、ごめん。もしかして徴兵隊の皆も同じように思っているのか?」
「そうだと思います」
「いろいろな品物や貨幣も渡したい人に送ることが出来るのだぞ」
「えっ?」
 夢にも思わなかったことを言われて、新は驚いた。それだけでなく、徴兵隊の者たちの耳にも届き、同じように驚いていた。
「ブハハ」
 新の驚く表情と、都市の者なら誰でも分かることだったので笑ってしまったのだ。
「僕をからかったのですね」
「違う。違う。本当に知らなかったようだな。都市の門の出入り口には受付があるから頼んでみなさい」
「本当ですか?」
 新だけでなく、徴兵隊の全ての者が悲鳴のような声を上げた。
「重さや距離で送る料金は違うけどな」
「登さん。送りたいのです。少し時間を頂けませんか?」
「構わんぞ」
「俺たちも、いいですか?」
 徴兵隊の全ての者が問い掛けた。
「当然だろう。構わないから送ってくるといい」
「ありがとう御座います」
 などと話をしていると、西の門に着いた。
「向こうに、荷馬車の絵を描いた看板があるだろう」
 登は指差しながら場所を教えていた。
「はい」
「そこの主人に、送る村の名前と、届けたい者の名前を言うだけだ」
「それだけで、良いのですか?」
「そうだ。それで、村の距離によって値段が違うから言われた値段を払うだけだ」
「ありがとう御座います。それでは、行為に甘えて店屋に行ってきます」
「行って来い。俺たちは、門の外で待っているぞ」
「分かりました。終わり次第ですが直ぐにでも行きます」
 皆は、登の視線の先を示した店に行くのだった。新よりも先に店の前に着く者はいたのだが、新に悪いと思っているのか、それとも、初めてのことだし、やり方が分からないからか、それとも、詐欺に合うとでも思っているか、新が来るのを待っていた。その様子を見て、新は不審そうに視線を向けた後に、店の扉を開けるのだった。中に入って見ると、客に顔も向けずに何か執筆でもしているのか、頭を下げたまま声を掛けるのだ。
「都市の中の配達なら銅貨一枚ですよ。荷物は大きな籠に入れて、隣の籠に銅貨を入れてください。明日中には届けられますよ」
 中年の男は、恐らくだが、格安で儲けが少ない。都市の中だけの配達が多いために、いい加減な接客態度が当然と思っている様子だった。だが、いつもなら貨幣と貨幣が当たる音が聞えてくるはず。それが聞えないために荷物だけを置いて帰ろうとしているとでも思ったのだろう。それで、客を引き止めて料金の請求をしなければならない。そんな表情を浮かべながら顔を上げたのだ。だが、視線に入ったのは、新が言われた意味が分からない。そんな表情を浮かべながら室内を見回していた。もしかして、料金の値段表でも探しているか、そう感じられた。それと同時に、遠くの町か村の配達に違いない。それなら、可なりの儲けになるだろう。その内心の表れから不気味な笑みを浮かべながら猫撫で声を上げたのだ。
「どんな辺境な村にでも配達しますよ。お客さんが届けたい所は、どこでしょうか?」
「鏡泉村に届けたいのです」
 新は結局、捜し求める表がなく。主人に声を掛けようとした時に声を掛けられたのだ。
「それでは、小銀貨一枚になります」
「はい。お願いします」
 主人は、客人が何のためらいもなく小銀貨を渡そうとするので直ぐに受け取らなかった。  そして、普段は言わないのだろうが、この客人に言わなくては損をする。そう感じたのだろう。
「それとですね。普通の届け先は、村長宅とか町の地主に届けるのですが、直接本人に届けることができますよ。それだけでなく、届けた証拠を発送人に送ることもできます。勿論、受取人の想いがこめられた手紙ですよ。もし物書きができない人でも、自分が代書もしますから安心してください」
「そ・・それをお願いします。ですが、値段は・・・高いのでしょうね」
 新は、登が何度も教えてくれたことを完全に忘れているだけでなく、商人の策略にはまったことにも気が付いていなかった。
「今回は特別に、込みこみで中銀貨二枚と言いたいのですが、一枚でいいですよ」
「一枚にしてくれるのですか、それで、お願いします」
 新は、喜んで中銀貨を渡すのだ。そして、店の主人は中銀貨の重みを感じた後は、笑みを浮かべながら受取人の名前と、発送人の住所を聞くのだ。それが西都市にいると聞いた後は、一瞬だけ顔をしかめるが、直ぐに笑顔に戻った。その顔をしかめた。その訳は、新の居場所であり。手紙(お届け確認通知と送った者の感謝の返事だった)の送り先が、いまだに戦場の地域だったからだ。
「これで、確実に届けることができます。それでは、送る荷物を頂けませんか?」
 新は、懐から両手に収まる程度の箱を取り出した。そして、受け取りながら更に破顔をするのだ。それは、想像していた通りの箱の大きさだったからだ。
「壊れ物ですか?」
「いいえ。でも、手荒に扱われるのは困ります」
「それは、大丈夫ですよ」
「安心しました。宜しくお願いします」
 新は、何度も頭を下げながら外に出るのだった。出てみると、徴兵隊の者が一列に並んでいた。そして、心配そうに見つめられるので・・・・。
「良い人でしたよ。荷物を確実に届けてくれます」
 徴兵隊の者は、順番の通りに安心して中に入るのだった。それを見届けると、新は、門に向って歩き出し、都市から出るのだった。

 第五十七章
 この都市は陸と海の両方の交易のために特有の街の作りなのだろう。陸の交易だけならば、ある程度の時間を掛けて人柄と商品を吟味するのだろうが、船での交易では大量の商品を積むために、陸での交易と違って時間を省くためだろうか、書面だけのやり取りが多くなるのだ。そのために荷馬車が多くなり街の外で待機できるような作りになっていた。確かに、荷馬車の待機場でもあるが、それだけで門の外に大きな敷地を作ったのでない。街の防衛の考えもあった。それは、篭城する場合には広い敷地で隠れる場所が無い平地ならば街から攻撃が安易にできるからだ。勿論、簡易な組み立て救護天幕も設置もできるだけでなく、軍の儀礼場としても使用されていたのだ。このような様々用途に使える敷地だったので、西都市の小部隊が待機していても迷惑になるはずがなかった。それも、只の待機でなく食事を食べていても、誰からも迷惑にも注目されることもなかったのだ。だが、今、門から出てきた者は、驚きよりも迷惑を掛けてしまったと、悲しい表情を浮かべたのだ。確かに、自分たちは、女性の接待を受けながら珍しい食事を食べたのだ。同じ食事だとしても、食べる場所の雰囲気が違えば美味しい物でも不味くなるだろう。
「登さん。もしかして、徴兵隊が共に食事を食べたので仕方が無く、この場で食べているのですね。それなら、何て謝罪したらよいのでしょうか?」
 新は、今にも泣きそうな表情で何度も頭を下げていたのだ。
「えっ何のことだ?」
 登は意味が分からずに問い掛けてしまった。
「僕たちと同じ物。カレーですよね。この場所でしか食べられなかったのですよね」
「違う。違うぞ」
「えっ?」
「あの者たちは、人と付き合いが苦手なのだ。だが、それだけでなく、仮に、食事に誘ったとしても、自分たちは軍での簡易食事でいいから、その代りに食事に使う費用が欲しいと言うだろう。だから、何も気にする必要はないのだぞ」
「そうですか」
「そうだぞ」
「それと、何か変わった食べ方をしていますね。あれが兵士の食べ方なのですか、僕たちも同じように食べるのですか?」
 傭兵の生活が長いためだろうか、水や食料が貴重だと考えているのだろう。食べた食器を水やお茶などで掃除するように綺麗に食べた後には、布で綺麗に拭って片付けているのだ。その様子を見て、新は、様々ことを考え、自分にも出来るのかと心配になったのだ。
「えっ?」
「食器を洗わずに片付けていますね」
「ああ、あれか、何て言えばいいか、戦い方を覚えるには、天性の武人から自己流的な戦い方を習うか、軍隊で正式に習うか、僧侶になって習うか、いろいろな方法があるが、傭兵の殆どの者は僧侶となって習うのが一般的だ。特に金が欲しい者は生まれ育った都市から出て働く。そうなると、家族の無事を祈るために僧侶や寺に行く事になる。そこで、自然と身体に身に付くことになるのだ。そして、最終的には、傭兵が一番の稼げる職業だと考えてしまうのだ。
「・・・・・・・・」
 新は、今の話を聞いて悲しくなった。
「それと、街の外で食べるには、もう一つ理由がある。街の中を歩き回って知人に会いたくないのだ。もし会えば、家族に傭兵をしていると知られることになるだろう」
「そうですね」
「だが、同情はするなよ。傭兵たちは人を殺しているのでない。傭兵している者たちを助けているのだ。契約期間内に死ぬことになれば、倍以上の金が家族の元に届くだけでなく、苦しい思いをして戦っていることを止めさせることができるからだ」
「分かりました」
「だから、何も気にするな。お前ら徴兵隊は、村に帰って普通に暮らすことだけ考えればいい。特に、新は、絶対に生きて村に帰る理由ができたのだろう」
「はい。あっ登さん」
 先ほどまでの気持ちが吹っ切れて、急に自分のこと考え出した。
「何だ?」
「僕だけかもしれませんが、残りのお金を村に住む人に届けたいのです」
「そうか、それなら、西の都市に着いてからが安心だな。それに、一月後の給金を貰える時にしたほうがいい。何も買わないだろうが、金が懐にあると無いでは気分が違う。それに、貨幣が懐にあったお蔭で命が助かったと良く聞くからな」
「どう言うことですか?」
「懐の貨幣のお蔭で矢が体に刺さらなかったのだよ」
「ふははは、まさか、それは無いでしょう。えっ」
 新は、自分の笑い声と同時に大勢の笑い声が聞えて、笑い声が聞える方向に振り向いた。
「皆・・・・」
 新は、驚いた。
「着ていたのか、俺たちの話を聞いていたのか?」
 登も驚いた。そして、新に話したことを全て聞かれたと思って、恥ずかしそうに笑っていたが、直ぐに真顔に戻り。新に言葉を掛けた。
「新殿。街からでたら指示を頼むぞ」
「分かりました」
「それでは、そろそろ出発しても良いだろうか?」
「お願いします」
そして、新の言葉で西都市の部隊は出発した。先頭には、新と登、その後に徴兵隊が荷馬車を交代で動かすだけでなく、護衛のように歩くのだ。そして、後尾に料理長の部隊が徴兵隊の尻を叩くような感じで続くのだった。
「新殿。何をしているのですか?」
「・・・・・・・・・」
 新は、自分の左手の小指の赤い感覚器官を見ていた。何かの指示があると考えたが、何も起きなかった。それでも、見つめ続けていると、機械人形の裕子が言ったことを思い出していた。時の修正は森の中に入る前に枯葉をばら撒くだけでも起きると、それならば、試さなければならない。そう考えたのだろう。直ぐに、その場でしゃがんだ。少し慌てるように両手で枯葉を集めると、上空にばら撒いたのだ。だが、何も起きることもなく、枯葉は、重力に逆らう事もなく地面に落ちたのだ。だが、新も他の誰一人として気が付かないが、全ての枯葉が上に向いて地面に落ちるのだ。そのようなことが起きることがあるはずがなかった。それは、まるで、時の流れの修正を開始する出来事の合図とも思えた。恐らく、この枯葉は、時の流れの修正をする数に違いない。その中には、命を奪わなければならない数や命を助ける者の数だけでなく不思議と思えることの数だろう。だが、このことには、誰も気が付かずに枯葉を踏みつけて行進するのだった。
「前に言われた。二十里(八十キロ)の所で篝火を焚く以外する事はあるのか?」
「今の所は、何も感じません」
 新が真っ先に感じたことでもあり。登に篝火を頼んだことの理由が起きようとしていた。それは、ここから西に二百キロの所から北東都市が兵糧攻めのために軍を動かして西に向ったのだ。
「それは、良かった。だが、徴兵隊が荷物を運びながらだと二日は掛かるぞ。それでも、間に合うのか?」
「大丈夫のはずです」
 新は、大丈夫と言うが、間に合うか間に合わないかのぎりぎりの時間だった。遅れた場合は東都市と西都市が分断される。もし早ければ計画がばれたとして死ぬ物狂いで拠点を奪いに来る。すると、登の部隊と徴兵隊の部隊は全滅するはずだ。
「それならいいのだが、一つ聞きたいことがあったのだ」
「何ですか?」
「篝火と言うからには、一箇所で盛大に焚くのもいいが、全ての道の両側に焚くほうが良いと思うが・・・・・・駄目なのか?」
「駄目です。僕が置いて欲しい所だけにして下さい。ですが、この件が終わった後でしたら好きなように置いても構いません。だから、今回だけは僕の指示の通りにして下さい」
「分かった」
 そして、所々で休憩を取りながら何事もなく歩き続けて夕方になろうとしていた。
「あっ」
 新が左手を押さえて蹲ったのだ。
「新、どうした。大丈夫か?」
 登が驚くのは無理がなかった。新と二人で楽しい会話とまで言わないが、それでも、少々の疲れを顔に表していたが、特に不満もなく歩いていたのが、突然、苦痛を表したからだ。
「お願いします」
「何だ?」
「この先に、風もないのに不自然に木の枝が揺れている木の根元に篝火を焚いて下さい。それも両側に、そして、一メートル間隔に四十八本の篝火をお願いしたいのです」
 新は、痛みを感じると同時に、目の前に陽炎のような景色が見えた。直ぐに直感した。この景色と同じように篝火を焚かなくてならないはず。そう思うと同時に声を上げていた。
「分かった。直ぐに人を呼んで探させよう」
「駄目です。このまま行進して下さい。見えて来るまで行進を続けましょう」
「そう言うなら・・・・そうするが・・・・」
「ですが、二本の篝火だけは直ぐにでも焚けるように用意だけはして下さい」
「それは、大丈夫だ。五十本くらいなら用意はできているはずだ」
「そうですか・・・・それでも、確認してもらってもいいですか?」
「構わないが・・・作ろうと思えば直ぐにできるぞ」
「四十八本は、同時に焚きたいのです」
「そこまで言うのなら仕方が無い。確認させよう」
「すみません」
「おおい・・誰か・・・来てくれ」
 登は振り向き、近くの者に手を振った。すると、直ぐに、一人の男が走ってきた。
「登隊長。何でしょうか?」
「篝火を焚きたいのだが、何本あるか確かめてくれないか?」
「承知しました」
 男は駆け出して、徴兵隊が引いている荷車に近寄り調べ始めた。そして、直ぐに帰って来たのだ。
「五十二本がありました。足りませんか?」
「済まない。いや、足りる。だが、作ってもらう場合がある。その時は頼むぞ」
「承知しました」
 そして、新は正面から目を離さなかった。と言うよりも、目の前に見える陽炎のような景色と、現実の景色とが、まるで、指紋の適合を確認するかのように同じように重なるのを見続けたのだ。だが、何歩も歩くが重ならない。それでも、重なるのを信じて歩き続ける。そろそろ、二十分くらい過ぎただろうか、精神的にも疲れ、諦めるべきかと思った時だった。一瞬だけだが、自分が願ったからの夢か錯覚かと思った。だが、何秒いや何十秒が過ぎても重なりが幻のように消えない。やっと見つけた安堵と本当に重なったからの驚きで声を上げてしまった。
「あった」
「え?」
 登には意味の分からない言葉だった。
「登さん。目の前に見える。一本の木が枝を揺らしていますよね。その木の根元に篝火を焚いてください。それと、向の木にも同じように焚いてください」
「えっ・・・・・・・・・揺れている・・・・・・・・・どの木が・・・・」
 登は、新が嘘を付くはずがないと、可なり真剣に探した。もしかすると五分は探し続けたかもしれない。だが、そんな木はなかった。
「えっ、見えませんか、皮が少し剥がれている木ですよ」
「確かに、その木はある。だが、揺れていない」
「そんな馬鹿な?」
「恐らく、新殿しか見えないのでしょう。それは良いとして、皮の剥がれた木の根元に篝火を焚けばいいのだな」
「はい」
「直ぐに篝火の用意だ」
 登は駆け出した。そして、その木の目の前に止まり。手を振って場所を教えるのと、時間が無いと急がせたのだ。その声色に態度で部下は余程のことだと感じ取って、死に物狂いで速やかに用意をして篝火を焚いたのだ。
「その向の木にもお願いします」
 登も部下も分かっているのだが、新は急がせた。そして、陽炎のような目の前の景色と同じになると、その景色は消えた。

 第五十八章
 そろそろ、夕日が隠れる頃の時間帯に篝火を焚いた光を見た者がいた。もしかすると山であり、多くの木々の中で光を遮られたためだろう。そのために、少々の遠くからでも篝火の灯りが見えたに違い。だが、新と登だけでなく誰一人として、その者の姿も逃げる音には気が付く者がいなかった。
「お頭」
「何だ。どうした?」
「近くに敵がきています」
「人数は?」
「それが、篝火が焚かれて、直ぐに、鬨(とき)の声が聞えたので逃げてきたのです」
 斥候をしてきた男は、鬨の声と言っているが、徴兵隊が、篝火を焚いたために、休憩が取れると、安堵の声だった。
「人数は分からないのか・・・・・それで、方向は?」
 男が指差すと、微かに篝火の光が見えた。
「えっ?」
 驚くのは確かだった。指差すと同時に、篝火が、一つ増えたのだ。そして、また、一つ、また、一つと、増え続けたのだ。それだけでなく、自分たちに近づくように増え続けているように感じたのだ。
「何をしている。そんなに大声を上げたら敵に聞えたら・・・どうする・・・あれは何だ?」
「仁(じん)上級兵士殿。我々が斥候として来たことに気付かれました」
「何だと?」
「直ぐに逃げた方が良いでしょう」
「だが、お前が、斥候しろと言ったではないか、何一つ情報が無くて帰れるか」
「これも情報です。一つの篝火で、二百人はいると考えていいはずです。それが、三十、いや、五十近くありますので、一万の兵が向って来ていると考えて良いでしょう。それを知らせるだけでも手柄になります」
「そうか」
「はい。そして、一万近くの兵が奇襲に来るだけでなく、西都市からも兵が来た場合は挟み撃ちにされて全滅すると、その可能性のために直ぐに撤退をお願いします。そう言えばいいのです」
「そうか、わかった。帰るぞ」
「はい」
 (この主では、駄目で北に行ったが、北の新天祖北国は中立を守る考えで金にならない。仕方なく戻ってきたが、この主は出世払いと言われては、何とかしても出世してもらわなくては完全の赤字だ)
 作次は、苦笑いを浮かべて返事を返したのは内心の考えを隠すためだった。
「何をしている。一緒に行かないのか、それとも、何か作戦でもあるのか?」
「仁上級兵士殿と一緒に戻ります」
 頭(作次)は大きな溜息を吐きながら部下たちに付いて来るように手招きした。そして、本陣に向うのだが、予想していた通りに、拠点を確保できたと浮かれ騒ぐ声が聞こえてくるのだ。これでは、撤退は簡単には行かない。そう感じてしまうのだ。
「仁上級兵士殿。少しお待ちください。自分に良い考えがあります」
「長くて面倒だろう。仁殿と呼ぶのを許す。それは、何だ?」
「その前に、自分自身で足か腕に傷を付ける覚悟はありますか?」
「あるぞ」
「それでは、刀傷を作ってください」
「分かった・・・・だが・・・どの程度か傷か分からない。頭がしてくれないか?」
 仁は、足に刀を触れるが、恐怖のためにできなかった。そして、すがるように頭を見た。
「分かりました」
「痛いぞ」
「すみません」
「構わない。それで・・・」
 頭は、他人の体と思っているのだろうか、あっさりと腿に刀で切りつけた。その後に、これからすることを話し出すのだ。
「そして、計画は・・・・・」
 仁は、敵の篝火を見つけると、斥候としての任務のために命を掛けて敵に近づき、様々な情報を得るために部下を置いて一人で向った。だが、敵に発見されて足を切られたが、任務のために死ぬ覚悟で部下の所まで何とか戻ってこられたが、それ以上は動けず。それでも、本陣に情報を伝えるために作次だけに全てを伝えた。そして、自分の怪我のことよりも本陣に知らせに行かせた。
と、仁に話したのだ。
「だが、皆で行くのでなく、一人で行かせた方が良いのか?」
「それは、当然です。複数で行った場合は、正しく伝わらない可能性があるのです」
「そう言う者なのか、それでも、俺の手柄になるのか?」
「なります。刀で切られてまで、斥候としての任務を果たすからです」
「わかった。全てを任せよう」
「出来る限り速やかに迎いに参ります。ですから、この場でお待ち下さい」
「信じているぞ。確実に大将にな!」
「必ず参ります。仁殿を頼むぞ」
(この計画を話して一度で承諾して撤退してくれるといいのだが・・・恐らく無理だろう)
 主に深々と頭を下げた。その後、自分の部下に指示を下した。そして、作次は、本陣に向って走り出したのだ。本陣に着くと、目眩を感じるのだ。
「酒まで飲んでいるのか・・・・確かに、初めの計画では数百人程度のはずだった。その人数なら撃退した後、西都市に攻めるか、兵糧攻めに考えだったのだ。それでも、まだ、こちらの状態に気が付いてないのが救いだな」
 辺りの兵士に鋭い視線を向けながら独り言を呟いていた。などと思っていると、この部隊を指揮する大将がいる天幕に着いていた。
「何をしている。むっ・・・・仁の部下だな。何をしている。斥候に行ったのでないのか?」
「赴きました。ですが、仁上級兵士殿は、敵に切られ動けません」
「敵だと、近くにいるのか?」
「一日、いや、半日の距離まで近づいています」
「それで、兵の数は?」
「一万の兵が、この場所に向っています」
「一万だ・・・・と」
「安心してください。仁上級兵士殿の計画があるのです」
「この状態の兵で戦うのか・・・・無理だ。全滅だ」
 敵の数に錯乱して、作次の言葉を聞いていなかった。確かに当然かもしれない。周りには酒に浮かれ騒ぐ者たちの姿しか見えないからだ。そして、脳内の思考では絶望しか考えられず。その場で頭を抱えながら膝を地面に付けた。もしかすると、神にでも祈りたいのだろう。その姿を見て、作次は、また、同じ言葉を吐くのだ。
「安心してください。これは、仁上級兵士殿が考えていた。予定の範囲内なのです」
「えっ・・・意味が分からんぞ。予定が違うから命を掛けて逃げてきたのだろう」
部隊長は、時間が過ぎて気持ちが落ち着いたのだろう。やっと、二度目の話しで、作次に耳を傾けてくれた。
「それは、違います。予定と違い十倍になったので慌てただけらしいのです。ですから、また、計画の通りに実行できると言っていました」
「だが、殆どの兵士は酒に酔っているのだぞ。千でも勝てるか分からんぞ」
「それも、予定通りだと言っていました。もし自分が本陣に帰っても、全ての兵が酒を飲んでいない場合は、飲ませるようにと指示されたのです」
「何だと・・・・どう言う意味だ」
「仁上級兵士殿は、何故、この場に本陣を置くことを願ったのか、それは、多くの兵士の足跡や本陣が有ったか痕跡を残すだけの目的だったのです。そして、兵が適度に酒に酔った時に、本陣を西都市の前に移動するのです。その様子を西都市の者が見た場合は、援軍が撃退されて酒宴を開いていると感じるでしょう。それで、西都市の者たちは何の情報も得られずに希望を無くすでしょう。もし、援軍の一万の兵が攻めてきたとしても、自分たちの都市が陥落したと感じて、直ぐに攻めることはできないでしょう」
「元々、その考えだったのか、ほうほう」
 先ほどまで、恐怖を感じて青ざめていた表情が、今では興奮でもしているのか、赤みを通り越して真っ赤だった。
「そうです。ですから、ゆっくりと出発の用意をしても間に合います。ですから、西都市の前に本陣を置く許可と、全軍の今すぐの出発の許可をお願いします」
 そのように言った後、深々と頭を下げて返事を待った。
「わかった」
 作次は、望んでいた返事を聞いたが頭を上げることはなかった。もし頭を上げて安堵の表情を見せて気分を壊したら計画が水の泡として消えることを恐れたのだ。それでも、その返事の声色からは声色がうわずっていると感じられたので、計画は上手く行くと感じたはずなのだ。それでも、頭を上げないのは天幕の中の様子を知りたいからだ。今のように頭を下げていれば上官からの返事を待つ。待機の姿勢と、誰もが感じ取れるからだ。そして、天幕の中からは、この部隊の最高位の大将の悲鳴のような声が聞こえたが、直ぐに歓喜の声に変わったのを聞いて安心した。直ぐに頭を上げそうになったが、中から外に出る足跡が聞えたために出てくる者を待った。
「喜んで良いぞ。全てが上手く行った。お前は安心して主殿を向かいに行くがいいだろう」
「その言葉を仁上級兵士殿に伝えれば心底から安心するでしょう」
「そうだろう。そうだろう。あっそれと、今回のことも全てだが、お前の主殿の考えだと伝えておいた。だから、全ての手柄はお前の主殿だと教えるのだな」
「ありがとうございます」
(本当に有りがたい言葉だ。失敗すれば命がない。と言う意味だな。まあ、失敗するはずがないから出世も間違いないだろう)
「それでは、部隊の移動の指揮しなければならない。また、会えるのを期待しているぞ」
 先ほどまで、笑みを浮かべていたが、最後の言葉には、必ず主を連れて来い。それは、失敗した場合でも連れて来るのだぞ。その感じられる。殺気を放つ視線を向けたのだ。
「自分の命を掛けても、必ず連れてまいります」
 そして、主を迎いに歩き出すと、後ろから出発の指示をする言葉を聞くのだ。そのまま歩き続け主に会う頃には、無事に全部隊は出発を終えて、西都市が見える所まで移動していたのだ。だが、規則正しい無敵な軍隊のような行進でなく、だらだらと行進する様子からは、まるで、全ての戦が終結して個人の自由を満喫するような不規則な行動だった。
「このような兵士の様子で大丈夫なのか、もし戦いになれば全滅だぞ」
「予定の通りのことです。全ての部隊が揃ったならば、再度、西都市の前に陣を配置して酒宴を開くのです。それで、第一段階の計画は終了です」
「そうなのだな。分かった」
 二人の男は、主従の関係だが、まるで同じ魂から分裂した同じ人のような思考だった。全てのことを他人に任せて、次に何をするのかなど考えていなかった。
「それでは、西都市に着く頃です。自分は、陣の指揮を執らなければなりません。退室するのをお許し下さい」
「構わんぞ」
 主様から問い掛けられる度に顔の表情を引きつらせていた。もしかすると、主様に言ったことは嘘で、即座に退室したいからの言い訳とも思えた。だが、偶然なのか、それとも、策略などは出来ないが、長い軍隊生活からの感なのか、いや、部隊を動かす指揮に関しては優秀なのだろう。口から出した言葉の通りに、先頭部隊は西都市の前に着いていた。
「天幕を中心に渦巻き陣形で待機。その後は、酒宴の準備だ」
 やはり、部隊の指示では優秀だった。勿論、それは下士官にもあった。詳しい陣の指示をしなくても、西都市からの弓矢の攻撃が届かない。ぎりぎりの場所に陣を置いたからだ。そして、完璧な指示の通りにしたのか、その確認だろう。部隊の中を歩き回っていた時だった。部下が酒に酔っているから出来たことなのだろう。酒と杯を持ってきて共に飲みたいと言う者もいた。そのような者は少ないが、それでも、出会う度に乾杯と声をかける者は多かったのは、使える者だと分かると、歳が若かろうと、下士官だろうと、区別も差別もせずに重用するのだ。まあ悪く言えば、自分にとって使える時は使うが、役に立たないと分かれば、即座に切り捨てる。人を道具と思っているのかもしれない。それでも、部下からの話は良く聞くと慕われているみたいだが、その対応も部下に任せるために、本当は、ただ、面倒なことをしたくないだけかもしれない。
「只今、戻って参りました」
「戻ってこられたか、安心したぞ。傷の状態は良いのか?」
「はい。今では不自由はありません」
「それで、お前の計画の通りにした。この後の計画はあるのだろうな?」
「えっ・・・・・・当然です。計画はあります」
 作次が、主の体を小突いたことで、計画があると判断したのだろう。笑みを浮かべて答えたのだった。この今までの様子を他の都市の者が見たら、最高位の大将だけでなく、側近も、下士官も同じような者の集まりだと笑うかもしれない。

 第五十九章
 顔を真っ赤にした集団を見て恐怖を感じる者がいた。その者たちは顔色だけで判断すれば極限の怒りを我慢しているのかと感じたからだ。だが、直ぐに恐怖は消えた。それは、その集団を見れば当然だった。何故か、虚ろな目をしているだけでなく、身体もふらふらとしながら歩いているのだ。もしかして酒に酔っているのかと、それも何故、と不思議に感じて見るだけで、誰も危機を感じずに、何が起きるのかと見続けたのだ。そして、渦巻き状態の陣形を見て、やっと危機を感じたのだ。
「小津殿に連絡だ。大部隊が陣形を置いたと報告だ」
 そして、一人の男は高い塀の上からだから安心しているのだろう。笑みを浮かべるだけでなく声を上げながら楽しそうに集団を見ていたのだ。だが、急に恐怖を顔に表すと同時に、後ろを振り向いた。そして、塀の下に向けて叫んだのだ。
「わしなら隣にいるぞ」
 叫ぶ男を落ち着かせようと、隣の男が肩を叩いた。
「小津殿」
「そんなに驚くことではないだろう。これ程の奇人の集団なら誰でも見たくなるだろう。わしが居ても変ではない。と思うのだがなぁ」
「そうですが・・・・陣形を整えたのですよ」
「そうだな。念の為に全ての都市の門を閉じて様子を見るか」
「全ての門を閉じろ」
 即座に、全ての兵に聞えるように指示を下した。すると、都市の中では少々の動揺を感じる響きが広まった。それでも、何をするのかと集団を見続ける者が多かった。例え、陣形を整えたとしても、足腰がふらふらの集団の相手では負けると思えなかったからだ。
「えっ・・・・・この場で酒宴を開く考えなのか?」
「その様ですね」
「それにしても、どこの国・・・どの都市の軍なのだろうか?」
「異国の大商人の集団でしょか?」
「それはないだろう。酒に酔っているようだが、指示の通りに乱れのない行動だな」
「異国の国の使節団でしょうか?」
「その可能性が高いな」
「それでしたら、こちらから使者を出しますか?」
「少し待って。もしかすると、油断を誘って都市を攻める可能性もあるからな」
 直ぐに駆け出そうとしたので引き止めた。
「まさか」
 信じられないと、首を振った。
「可能性の問題だ。暫く様子を見よう」
「承知しました」
 小津は、指示を告げると、塀から降りるために歩き出した。行き先は勿論、主人が居る屋敷のはずだ。
「小津。何の騒ぎだった」
 小津は玄関の扉を開けて入ると直ぐに声をかけられた。おそらく、何時に帰って来るかと待っていたのだろう。だが、直ぐに答えは響かなかった。恐らく、主人が居る部屋に向っているのだろう。
「大規模の交易商人らしい人たちでした」
「そうか、危険はないのか?」
「大丈夫かと思われます」
「そうなのか、安心した。それでは、ゆっくりと本が読めるな」
「ごゆっくりと、お過ごし下さい。後ほど、お飲み物をお持ちいたします」
 小津の言葉の後は、扉の開け閉めの音だけが響き。主の言葉は響かなかった。おそらく、夢中で本を読んでいるのだろう。そして、・・・・・。
「騒がしいぞ。今度は何だ?」
 二時間くらいが過ぎた頃に、玄関を叩く音が響いた。
「北東都市の旗と乙国が掲げられました」
「何だと、また、攻めてきたのか?」
「違います。先ほどの集団が、北東都市の軍隊でした」
「何だと・・・・どう言う意味だ・・・意味が分からんぞ」
「御主人様。落ちついで下さい。自分の目で確かめて参ります」
「頼むぞ」
 主には落ち着いている様子を見せていたが、激しい扉の開け閉めに、何人かの走る駆ける音からは、可なりの動揺に恐れを感じられた。
「何が起きたと言うのだ」
 少しでも状況が知りたいのだろう。塀を駆け上がりながら叫んでいた。
「見てください。確かに、北東都市の旗と乙国だと思います」
「確かに、北東都市と乙国の旗だな・・・・・どう言う意味なのだ?」
 小津は思案していた。策略なら嘘の書簡で異国だと偽れば都市の中にはいれただろう。と、そして、一番の不審は、何時戦いになるか分からないのに酒宴を開くだけでなく、兵を酔わしては防御も攻めることも出来ないはず。そう思案していたのだ。
「何を考えているのだ。戦いする理由が無くなったのか、莫大な財宝でも発見でもしたと言うのだろうか、それなら、戦いをする理由は無くなるだろうが・・・・分からん」
 思案していたが、深く考える程に、少しずつ口から声が漏れ出した。
「戦いの意味が無くなった。まさか、登殿の部隊が全滅して・・・その祝宴では・・・」
 小津の囁きのような言葉を聞いて、恐ろしいことを考えてしまったのだ。
「まさか・・・・まさか」
 小津は、否定をする考えが浮かばなかった。それでも、逆のこと、登の部隊が全滅の可能性だけが、幾つも浮かぶのだった。
「それ以外に、祝宴の理由が浮びません。そうでなければ、わざわざ、我が都市の前で祝宴を開くなどありえません。もう、この都市の全てを奪った気持ちなのでは・・・・」
「だが、登殿が、だが、登殿なら・・・だが・・・」
「小津殿。落ち着いて下さい」
「すまない」
 部下の叫び声で正気に戻った。
「その動揺では、小津殿も同じ考えなのですか?」
「いや、登殿なら例え、全滅の可能性しかない場合でも、西都市に何の知らせも寄越さないのは変だ。だから、その可能性は薄いだろう。だが、予定では、そろそろ、帰って来ても良い頃なのだが・・・・・何かあったのだろうか?」
「それでしたら、登殿は近くに来ているはず。こちらから使いを出しますか、酒に酔っている。今の北東都市の軍では簡単に逃げ切れます」
「いや、止めた方が良い。何かの企みの可能性が高い」
「それでしたら・・・小津殿・・・・・」
「何かの行動を起こすはずだ。それを、待つしかない」
「ですが、このまま酒宴が続けば、都市内に動揺が広がります。それだけなら良いのですが、危険が無いのなら都市から出たい。そう言われる可能性が高いですぞ」
「明日の朝まで待とう。何かの行動を起こすだろうし、登殿の使いが来るかもしれない」
「分かりました。明日の朝まで適当な理由を考えて誤魔化してみましょう」
「すまない。後を頼む。わしは、御主人様を安心させてくる」
「承知しました」
 部下の言葉を聞いた後に塀から降りる時だった。小津は、危うく階段を踏み外す所だったのだ。その様子を見て、殆どの者は疲れているだけでなく、慌てていたからだろう。そう感じていたが、ある一人の部下だけは、可なり面倒で複雑な思案をしている。その原因は、北東都市の軍隊のはず。それが、はっきりと感じたのだ。だが、自分に出来ることは、登が早く帰還することを祈るだけだと、悔しそうに拳を握るだけだった。
「御主人様。只今、戻って参りました」
「また、戦になるのか?」
「戦の可能性は低いですが、まだ、何とも言えない状況です」
「本当に、何なのだ。先代も先々代も何事も無く代が替わったと言うのに、俺の代になってからは、ゆっくり本も読めないぞ。俺が年若いからなのか?」
「その可能性が無いとは言いませんが、歴史の中には、人の思いに関係なく戦乱の時代と思われるのがあるのです。それが、今なのかも知れません」
「時代だと」
「はい。そう思われます」
「そう言う意味でなく、我が一族には、当主だけに伝わる言葉と本があるのだ」
「確かに、本なのか知りませんが、先代から託された鍵はあります。その事でしょうか?」
「恐らく、それだろう。俺には父上から言葉だけ託された。だが、父上も笑いながら言ったことだったので忘れていたのだ。俺も聞いて、ただの世紀末を語る人としての戒めくらいにしか思っていなかった。だが、今の時代と聞いて藁にも縋りたくなったのだ」
「それは、何と言われ続けていたのですか?」
「いつ世の時代に、都市と人々の最大の危機が訪れる。だが、本の力を信じれば救われる」
「歴史書でしょうか?」
「違うらしい。馬鹿馬鹿しい程の子供の夢物語らしい」
「そうなのですか、歴史書なら参考にもなったでしょう」
「それでも、救われることが書かれているのなら読んでみたい」
「だが、二十歳になるまで、鍵を渡すなと、先代のご命令です」
「それなのだ。我が家系は、殺しても死なないと言われる程の長命なのだ」
「それは、聞いています。地獄の神に嫌われているかのように百歳まで生きる家系だ。そう言われていましたね。ですが、前代の突然死には、国中の者が驚いていました。そして、最後には、西都市の神がかりな力が消えた。と、この言われ方にも北東都市が攻めて来る理由にもなっているのでしょう」
「それなのだ。もし先代が生きていれば本を読んでいるはず。そして、本当に救いが書かれているのならば、様々な不吉なことが起きる前に解決できるはず。だが、父上は早く死に、読んでいても実行できない。それだけでなく、本を読む前に、代を引き継いだ。これは、本の力の意思か、それとも、今の時代に本の救いを求めろ。そう俺は感じるのだ」
「御主人様が、そこまで言うのでしたら金庫を開けましょう。ですが、まだ、鍵はお渡しできません。それで、宜しいでしょうか?」
(今の状態を落ち着かせるだけでなく、気持ちが和むのなら本を読ませましょう。先代様、お約束を破るのをお許しくださいませ)
「構わない」
「それでは、御主人様。共に参りましょう」
「どこに行くのだ?」
「蔵ではないのですか?」
「違う。長老の間と言われている何も無い部屋だ」
「あの部屋にあるのですか、あの部屋なら誰も来ない。隠すなら最適な所ですね」
 その部屋は名前のように長老の部屋だった。子供が三十歳になると、当主の座を子供に譲って、長老として子供を支えるのだ。だが、それは建前で、残りの可なり長い生涯を満喫するのだった。そして、その部屋は、別名では、落伍者の部屋とも言われていた。長老になると、殆ど家に帰ることなく外で遊び続ける。時々帰って来ると、二晩くらい寝起きして何の用件かと聞くと、金が無くなったので欲しいと言うのだ。この様な状態では、金になる物が部屋に残るはずもなく、本当に布団だけしかない部屋だったのだ。
「欠かせずに掃除はしておりますが、それらしい物はありませんでした」
 普段から隅々まで掃除をしているが、それらしき物の心当たりが分からず。それでも、主から目的の物があると言われて、隅々まで視線を向けていた。
「いつ見ても何も無い部屋だ。これでは、代々の長老が外に出たくなる気持ちも分かるなぁ・・・・・・・それで、鍵はあるのか?」
 小津と同じにように視線を見回すが考えることは違っていた。
「確かに、ここに?」
 自分の胸を叩いて、ある場所を示した。主は鍵の確認をしたかったのだろう。だが、頷くだけで部屋の中に入った。それでも、一瞬の不安を感じて振り返ったが、長年の忠実な仕事をしてくれていることを思い出したのだろう。後は、何も不審を感じることなく、押入れを開けた。当然かもしれないが、上段には布団の一式が入れてあるが、下段には何も置かれていなかった。そして、主が中に入ってしまったので出てくるのを待った。
「小津。中に入って来い」
「はい。御主人様」
 主は出てこないが、呼ぶ声が聞こえたのだ。それほどの大きな金庫なのかと不審を感じた。それと、同時に、常に掃除をするのは、自分だったのだが、その様な物など無かったのは記憶していた。だが、呼ばれたのだから行かなければならなかったのだ。そして、押入れの中に入ると・・・。
「隠し扉ですか?」
 驚くのは当然だった。普段は何の変哲もない押入れなのだ。それなのに、木目にそって綺麗に一メートル四方に分かれて金庫が見えたのだ。
「らしいな。そしてだ。我が出来るのは、ここまでだ。後は、金庫を開けて見なければ分からない。その鍵は、小津が持っているのだろう」
「はい。確かに持っております」
「どうした。鍵を穴に入れて開けてくれないか?」
「ですが、先代様は、ご主人様が三十歳になってからと・・・・言われていました」
「今、そんなことを言っている場合ではないだろう」
「そうでした」
 先代からの最後の言葉を思い出したのだろうが、今の状況と、今の主人の言葉が優先だと感じた。そして、大事そうに鍵を首から外し、主に手渡した。
「ありがとう」
 鍵を穴に差し込んだ。すると、甲高い音が響いた。
「開いた」
「開いたようですね」
 二人の興奮を表したが、暗くて中の物が見えなかった。
「小津。灯りを持ってきてくれないか」
「畏まりました」
 直ぐに持って来られたのは、室内に有ったのだろう。
「すまない」
 灯りを中に向けると、三冊の本と、水だと思われる物が入っている小瓶と墨と硯だけでなく、公的に使われる申請用紙かと思われる。高価な白紙の紙片が何枚か入っていた。
「全て取り出しますか?」
 主が、三冊の本を取り出して、不審そうに押入れから出ようとしたので声を掛けたのだ。
「本だけで良い」
「鍵は、このままの方が宜しいのでしょうか?」
「あっ・・・そうだなぁ・・・閉めておこう」
「鍵は、どうしましょうか?」
「小津が持っていてくれないか、我だと、無くしそうに思うからな」
 小津が、何か悲しそうに鍵を手渡そうとした。おそらく、先代の形見とでも思っていたのだろう。それを、感じ取って受け取らなかったのだ。そのことよりも、三冊の本の方に関心が向いていたのだ。なぜかと言うと、一冊だけは読んだと感じられたが、他の二冊は紙に包まれてあり。誰も読んだようには思えなかったのだ。
「承知しました」
 心の支えが戻って来たかのように首から提げるのだった。
「我は、自室で本を読むことにする・・・・あっ・・紅茶でも持って来てくれないか」
 何かを思い出したかのように振り返った。すると、小津は、微かな表情の変化だったが、嬉しそうに感じられたので、飲み物を直ぐ持って来るように指示はできるはずもなく、お願いをしたのだった。その後は、直ぐにでも本を読みたかったのだろう。急ぎ足で部屋に向ったのだった。

 第六十章
 ある部屋に居る者は日の出の光を求めるように明るい方に明るい方にと本を向けるのだ。まあ、電気も無い時代なら当然と思われるだろうが、室内の様子を見れば可なりの金銭的に裕福だと感じられた。この部屋に居る者なら一日中でも金の掛かる灯りを使用したとしても困りそうに見えないのだ。それなのに、外の明かりを求めるのは、おそらくだが、一晩中、その本を読んでいて灯りが消えたのに、灯す時間も惜しいために外の明かりを求めていると思われた。それほどまで面白いのか、その判断はできないが、興奮の余りに声に出していたのだから面白いのかもしれない。そして、その内容とは・・・・・・・。
 この書物を誰が始めに読むか分からないが、自分は、七千年後の未来から来た者だ。そして、自分の生まれた時代には帰れないだろう。だが、何も不満はない。夢にも見ていた。憧れの過去に来られたのだからだ。それで原理を言っておかなければ成らないだろう。信じられないだろうが、水蒸気爆発だ。馬鹿ばかしいと本を閉じるのは構わない。だが、本当のことだ。それも、長く氷り続ける物には時のエネルギーが蓄積されると思われるのだ。恐らく、氷の屈折が原因で蓄積されるのだろう。だが、なぜ、夢物語のような水蒸気爆発など実行したかと言うと、三つの要因があった。一つは、自分が生まれた時代なのだが、南極に探検なのか調査なのか、それとも、趣味なのか詳しく憶えていないが、その者は遭難しただけでなく片足を骨折したらしく動けなかったのだ。それも、信じられないことに逸れてから一月後に救助された。その間は水だけだったらしい。普通は一週間が限度らしく奇跡の生還だけでなく、身体を検査してみると、どう考えても一週間くらいの衰弱した体の状態だったらしい。それで、一月の間は何をしていたかと聞いてみると、冷たい物が飲みたくなかったために、氷を溶かして呑んでいたと言うのだ。それでも、日にちが過ぎると飲む気力もなくなったらしいのだが、湯気に当たるのが気持ちよくて固形燃料が無くなるまで沸かし続けた。このことはテレビで放送されたので誰もが知る事だった。そして、ある学者は、不思議に思い氷を調べたのだ。すると、驚くことに、その氷は一万年前のだと調べて分かったらしい。もしかすると未知の細菌か未発見のプランクトンが原因だろうと、研究する者もいたが何も発見されなかったのだ。この放送を見て、もしかと思ったのだ。二つめは、海上で飛行機や船が不自然な消え方をすると、子供の時に本を読んだことを思いだした。三つ目が最大の動機だったかもしれない。先祖代々と受け継がれた書物を偶然に見付けた。そして、その書物の続きのような書物。その本の内容を試したくなったからだ。今考えたら自分が書いた書物を誰かが読んで書き直ししたのか、書き足したのか分からないが、自分の手にした本には、自分以外にもタイムスリップしたらしいことが書かれていたのだ。それで、自分は機械を作って実行した。その時、自分は過去に飛ぶと感じた時に、実験室だけでなく建物まで爆発する様子を見て、自分は死ぬと思ったのだが、死ぬことがなく過去に飛んだと実感したのだ。そして、先祖と係わりあってしまう。もう少し正確に言うのなら、代々、当主だけに渡され続けてきた。あの書物(架空の物語と考えられた。だが、この当時には紙の本などは作成されているはずもなく、珍品として受け継がれていたらしい)驚くことに、その内容、(第二巻を読んで欲しい)と同じ場面に係わり合うのだ。そして、書物と同じ行動をした場合は、自分の命は助かる。そのはずだったのだが、信じられないことに、さらに、過去に飛ばされた。だが、もう何も心残りはない。今直ぐ死んでも良い。そう思うほどの場所と物を見てしまったのだ。今でも信じられないのだ。謎と思われた歴史の全てが分かるだろう。その証拠が自分の隣にあり。その者、いや、物だろう。それを修理して全ての謎を知ることができるはずなのだ。だが、その前に、自分が読んで行動を起こす原因になった書物であり。代々と受け継がれる。その書物の作成と珍品を作成しなければならない。筆は、時の流れの不具合に丁度良い。この時代の生まれでなく未来人の俺の髪が最適だと考えた。紙は、この時代の物を用意したが、問題は水だった。出来れば、何千年の前の氷だと良いと考えたのだが、簡単に洞窟が見付からなかった。それで仕方なく、暇つぶしでもあり。未知の文明の科学力も見たかったこともあり、その者と言うべきか物と言うべきかを修理を始めたのだ。この考えが正しい選択だった。その者は、この廃墟の施設の末端機能で、念願の知識だけでなく、様々な補助の役目をしてくれただけでなく、長い時の流れを過ぎた水なら廃墟の都市の水は氷で保存されているから最適だと勧めてくれたのだ。そして、予定の三点の用意が終わった後に、この書物を書いているのだ。頼む。我が子孫たちよ。この書物を必要とされる子孫まで大事に守り続けて欲しい。その時が訪れた時には、他の二冊の書物に書かれた通りにすれば、全ての悩み事は解決する。最後に、もう一度、お願いするが、この書物の言葉を信じて守り続けて欲しい。
「小津。小津は居るか」
 一冊の書物を読み終えると、人を呼ぶと言うよりも悲鳴のような叫び声を上げた。
「御主人様。どうされたのですか?」
 何事が起きたのかと、部屋の前まで駆けつけ、扉を叩いた。
「中に入ってきてくれないか」
 叫んだからだろうか、先ほどよりは落ち着いて、指示を伝えることができた。
「お邪魔いたします」
 小津の顔を見ると、直ぐに言葉をかけた。
「この本を読んでくれないか?」
「それは、先ほどの書物ですね」
「そうだ」
「それでしたら、自分が読む必要はありません。御主人様が決断するのでしたら、それを従うだけです」
「そうか」
「はい」
「分かった」
「あっ紅茶が冷めているようですね。入れ直して参ります」
 主が書物を置いて、二冊目の書物を手に取ると、今、思い出したかのように言った。そして、邪魔しないようにカップを手に持って室内から出て行った。勿論、当然だが、扉の開け閉めは無音だった。それでも、書物の包み紙を破ける音だけが響いた。
「この書物を読んで居る者よ。救いを求めるために読んでいるはずだ。それだけでなく、同国の中の都市のはずなのに、北東都市が宣戦布告してきたはずだ」
「嘘だ。ありえない」
 始に読んだ書物の内容に興奮していたので、声を上げて呼んでいたが、今の現実の状態を書かれていたために、興奮を通り越して、恐怖を感じたのだろう。それと、同時に、この書物は誰にも見せられない。その内容を隠すために、興奮する感情を抑えながら声を出さないようにと、続きを読み始めた。すると、小津。達也。新の名前が書かれているだけでなく、宣戦布告されてから今までの出来事が全て書かれていたのだ。
「嘘だろう。なぜ、分かるのだ?」
 驚きを取り越して、恐怖から顔が青ざめるだけでなく、身体も震え寒さも感じてきた。そして、三冊目を読むか考えていた。直ぐに本に手を出さないのは当然かもしれない。これから起きることが書かれているかもしれないのだからだ。もしもだ。本を読んで、自分の死が書かれているかもしれない。それとも、自分の都市が北東都市に占領されると書かれていたら、それだけでなく、知人の死が書かれているかもしれない。様々なことを思案すると直ぐに読む気持ちが出てこなかった。その時だった。
「小津です。紅茶をお持ちしました」
「入れ」
 主人の言葉を聞いて、自分で扉を開けて入ってきた。
「御主人様。どうしました。何かあったのですか?」
 主人の青ざめた顔を見て病気と感じたのだろう。だが、直ぐに違うと感じた。近寄って見ると、涙を流していたからだ。
「何か悲しい事でもありましたか?」
「この書物に信じられないことが書いてあったのだ。俺の心の中だけで納めるには耐えられないのだ。お前も読んでくれると助かるのだが・・・・・・・・駄目なのだろう」
 小津の言葉を待ったが、表情も変えないために諦めるしかない。そう感じたようだった。
「自分は、御主人様が書物を読んで、今のような状態になるのを分かっておりました」
「何だと、それでは、この書物の中身を想像できていたのか?」
「そう言う意味ではありません。代々の家の当主だけが読むことが出来る。それだけでも、重要なことが書いてあると分かっていましたので、苦しみや泣き叫びたくなるだろう。そう感じていたのです。ですが、誰も助けることはできないのです。自分一人だけで思案して行動しなければなりません。それでも、お約束します。御主人様のお手伝いはできます。どのようなことでも、最後までお手伝いしますよ。ですが、本を読んで答えを出してくれないか、これだけは、絶対にできません」
「分かった。一つ聞くが、この書物は預言書で、小津が死ぬ時間と場所まで書いてあると、そう言っても読まないのだな?」
「はい。読みたくありません。自分の行動を制限したくないからですよ。御主人様」
 小津は、即答した。それも、笑みまで浮かべているのだ。誰が、その表情を見ても、嘘を言っていると思う者はいないだろう。
「分かった」
 少し怒りの表情を浮かべていると、小津は感じた。そして・・・・・・。
「それでも、御主人様。助言はできます」
 小津は笑みを浮かべた。自分の生徒でも思っているのか、それとも、血の分けた子供とでも思っているのか、嬉しそうに話しだすのだった。
「何だ。どんな事だ?」
「もしもですが、預言書だと言うのならば、一気に読まないことです。一つ一つ解決するように読んだ方が良いと思います」
「なぜだ?」
「選択肢が増えるからです。もしもですが、全てを読んで自分の命か都市か、それとも、親しい者の命を選ぶ場合は、御主人様だと何もできなくなるからです。それでも、一つ一つ解決して行くのでしたら全てを得ることも出来ると思います。それに、その場合だと、自分だけでなく、他の者も手助けができると思います」
「それだと、誰かの命を助けたために預言書と違うことになる可能性があるだろう」
「それは、予言なのですから良いのでないでしょうか、それに、代々の当主様は、三冊を読まなかったのは、自分の人生は誰にも決めて欲しくない。自分の好きなように生きる。そう考えていたから読まなかったと感じられます」
「確かに、代々の当主は好きに生きてきたな。だが、預言書の通りにすれば都市の命運が変るかも知れないのだぞ」
「そうですね。御主人様は、好きな本が読めれば良いのでしょう。それなら、都市なんて売って好きなように生きても良いのですよ。勿論、自分は、どのような所でもお供いたします。それに、最後まで読んで見ないと分からないことです。もしかすると、書物だけ持って都市を捨てて逃げろ。そんな結末が書いてあった場合は、その通りにしますか?」
「それは、嫌だな」
「ですから、一気に読んだら、御主人様なら何も出来なくなります」
「そうだな。そうしよう」
 何を悩んでいたのかと、馬鹿馬鹿しくなったのだろう。満面の笑みを浮かべて頷いた。
「お茶が冷めました。入れなおしてきましょう」
「いや、このままでいい。喉が渇いていたのだ」
「それでは、退室したいと思います」
 冷めている紅茶を一気に飲み干した。そして・・・・。
「小津。待て」
「何でしょうか」
 振り向いて、主人を見ると、嬉しそうに空になった容器を下に向けて振っていた。
「お替りを持ってきてくれないか」
「はい。直ぐにお持ちいたします」
 そして、小津が退室すると、三冊目の包みを破いた。今度は、普段の物語を読むように嬉しそうに本を開いたのだ。その内容を読んで見ると、やはり完璧な未来を書かれているとしか思えなかった。今度は、都市の前に、なぜ陣を置いたのか、なぜ、酔っているのか、その理由が書いてあった。それだけでなく、登の隊は無傷で都市に向っていると、その証拠が、光の道を作りながら都市に帰ると、書いてあった。そこで、小津の通り、本を閉じた。そして、気持ちが落ち着いて、少しの時間が過ぎると、扉を叩く音が聞えたのだった。
「御主人様」
「待っていたぞ。入って来い」
 小津が来るのを一秒でも待ちきれなかったのだろう。最後まで挨拶を聞かずに部屋に入ることを求めた。
「はい」
「外の北東都市は偽りの宴だ。登の隊も無事だし何一つの軍略の成功もない。そして、陣を置いたのは、我が都市と登の隊の挟み撃ちされることを恐れて偽りの宴を開いているだけだ。だが、一つ気に掛かるのは、西から光の道を作りながら登の隊が帰って来るらしい。それと同時に、北東都市が撤退するらしいのだ。だが、その光の道が分からんのだ」
「そうですか・・・・それなら、西に監視人を多く置きましょう」
 主人は、興奮しているが、小津は何事もなかったかのように茶器を用意して、紅茶を注いでいた。
「そうだな。それがいいな。何かあったら知らせに着て欲しい。至急にだぞぉ」
「心得ています。連絡があり次第、自分が報告に参ります」
「そうしてくれ」
 全てを伝えて安心したのだろう。趣味の本を手に取った。その様子を見て、小津は安心と同時に笑みを浮かべて、読書の邪魔をしないように無言で返礼をすると、部屋から退室したのだった。その様子には気が付かないまま本に夢中になっていた。そして、時間が過ぎて、何時間も掛かりそうな分厚い一冊の本を読み終わりそうだった。その時・・・・・・・。
「御主人様。御休みの用意ができました」
「小津」
 扉越しから知らせたのだ。恐らく返事が無い場合は、抱えて寝室に連れて行く気持ちだったのだろう。だが、返事が返ってきたが、その声色は眠気を感じられたのだ。それで・・。
「御主人様。趣味の本を読んでいるのでしたら、そろそろ本を閉じて御休み下さい」
「だが・・・」
「光の道でしたら、監視人から発見の知らせが届き次第、自分が寝室まで起こしにきます」
「だが・・・」
「寝られる時に寝ておくのが良いでしょう。そうでなければ、いざと言う場合の時に指示が出来なくなります。それだけでなく、恐らくですが、光の道が現れるのは、深夜の可能性が高いと思います」
「分かった。小津が、そう言うのなら・・・その通りに仮眠を取ろう」
 部屋の中から隣室の扉が開くのが聞えた。小津は、それ以上は何も言わずに控え室に戻って行った。だが、少し考え過ぎだろうか、普段よりも足音が高いのは、仮眠を取るか、そのまま本を読むのか、それは、主人に任せる。そう感じる足音だった。

 第六十一章
 月の明かりも雲に隠れて地上を暗くしていた。だが、ある一部の地表の場所だけは、東から西の方向に向って光の道が出来ていた。そして、その光は東から消えて行くが、変わりに、ある一点に光が集中し始めた。まるで、光の蛇がとぐろを巻くような状態に感じられたのだが、別な視点、人の目から見る者には、一万位の軍隊の行進に見えるのだ。
「登隊長。この地には無数の足跡がありました。それも、数千の軍が陣を置いていたと思われます。恐らく、自分たちに気が付いて近くに陣を移したか、撤退をしたと思われます」
「えっ?」
 登は、部下の話を聞くと、新に視線を向けた。
「付近を調べるために人を向わせますか?」
「そうだな。頼むぞ」
「承知しました」
 部下が、登の指示を実行しようと駆け出した。その姿を見た後・・・・・。
「新殿。あの篝火は、この場所から敵の陣を移動されるためだったのか」
「いや、それだけではないはずです。まだ、都市に帰るまで篝火を焚かなくてはなりません。まだ、何かあるはずです」
「そうか・・・・篝火を誰かに見せるためなら夜に移動した方が良くないか?」
 登は、何か思いついたのだろう。新に問い掛けた。
「そのための指示なのかもしれません」
「それなら、今まで休憩だけだったこともあるし、近くの警戒と探索しなければ移動はできない。この地で一日くらいの休みを取っても構わないか?」
「構わないです。ですが、この場で盛大の篝火は忘れないで下さい。そして、何かして欲しいことが起きた場合は頼んでもいいですか?」
「勿論だ」
「それと、都市に帰るまで篝火を焚き続けます。その用意をお願いします」
「分かった」
 頷いた。その後に、全ての部隊に聞えるように明日の夕方まで休みを取ると叫んだのだった。勿論、新の頼みである。篝火の用意の指示も忘れるはずがなかった。直ぐに、部隊が三つに分かれた。徴兵隊には、篝火に関することと食事の用意に、傭兵部隊には何が起きても行動できるように臨戦の態勢を取らせた。そして、料理長の部隊には、この地の周りを詳しく調査と偵察の指示をしたのだった。
「僕は、皆の手伝いに行ってきます」
「そうだな。それがいいだろう」
 登に許可を取ると、新は徴兵隊の元に駆け出した。登も指示の伝え忘れでも思い出したように歩き出すが、新のことも心配になり立ち止まって振り向いた。その視線の先には、新が、皆と楽しそうに篝火の作成をしているのを見ると、安心したのだろう。また、部下達がいる方に歩き出したのだ。その視線に気が付いたのだろうか、新も立ち上がって登の後ろ姿を見ると安心して、また、作業を始めるのだった。結局、予定の数の篝火の作成は、夕食の用意が出来る頃でも終わらなかったが、皆の疲れた表情を見て、登は、今日は、早く睡眠を取ることを勧めた。新も可なり疲れていたのだろう。祈るように左手の小指の赤い感覚器官を見て、何の反応もないのを確認すると、喜んで頷いたのだった。それでも、全ての隊が同時に睡眠を取れるはずもなく、傭兵部隊は、徴兵部隊の様子を見て交代で見張り番することを買って出てくれたのだ。そして、次の日の昼頃には篝火の作成が終わると思われたが、夕方まで掛かってしまった。それでも、都市から篝火が見えるまでの距離は、まだだったのと、日数的にも、一日の余裕があったからだろう。新の左手の小指の赤い感覚器官は何も反応はしなかった。この理由までは、新は知るはずもなかったからだろう。篝火を焚く時間に間に合うのかと心配する表情が現れていた。その表情を見て、登たちは、都市に着くまでは仮眠程度で我慢すると覚悟を決めたのだった。
「新殿。何も心配しなくていいぞ」
「えっ」
 新は、登に言われた。その意味が分からなかった。
「篝火の用意」
 新に笑みを浮かべて、全ての部隊に聞えるように叫んだ。
「承知しました」
「点火と同時に、この場所から出発して西都市に帰るぞ!」
「準備は完了しております」
 徴兵隊が答えた。その後・・・・。
「うぉおお」
 部隊の全員が掛け声と同時に、全ての部隊が歩き出した。先頭には篝火を持つ者、点火する者、次々と手渡す者と、手際がよく行動していた。新と登は、その様子を確認しながら先頭を歩いていた。
「無理なお願いをしてすみません」
「気にしなくていいぞ。先ほどの所には中継部隊を西都市と東都市の両方で部隊を出し合って置くことを考えていたのだ。それだけでなく、篝火を置くのは良い提案だと考えているのだ。その試しだと思っているから何も心配する必要はないのだぞ」
「登さん。ありがとう」
 新は、これ程までの大掛かりなことを頼んで済まないと感じていた。そして、何の意味があるのかと考えていたのだ。その心の思いが伝わったのだろう。
「それより、一つ聞きたいのだが・・・・・・」
 登は言い難そうに言うのだった。
「何でしょう?」
「新殿は、篝火を置く。その理由や結果は分かっているのですか?」
「分かりません」
 新は即答した。
「やはり、そうだったか・・・・・・・」
 登は、新は未来が見えるのかと、考えたが、そんなことがありえるはずがない。それに気が付き、残念だと思ったが、直ぐに、新のことが心配になった。
「はい」
「今は、戦乱の時代なのか、悪い方、悪い方と進む傾向がある。それでも、新殿が、何かすると、良い方向に進む感じがするのだ。だから、俺は、新殿が、今度は何をするのかと楽しみを感じているのだぞ」
「ありがとうございます」
「皆も楽しそうに篝火を焚いているだろう。俺も同じ気持ちだ!」
「それでも、行進するだけでも疲れるのに、この様なお願いをして大丈夫かな?」
「この様に何かをしての行進なら緊張感もあるし、疲れ時も分かるので休憩も取りやすいのだぞ」
「そうですか・・・・えっ?」
(途中で倒れなければいいけど)
 突然、登が大きな溜息を吐いたので内心の気持ちに気が付いたのかと驚いた。
「毎回、この道を通る時の緊張感のない行進を見ているだけで疲れを感じていたのだ。それが、この篝火が良い理由になったよ」
 新は心配したが、登が楽しそうに笑うので心配していた気持ちが消えてしまった。その気持ちが伝染したのか、皆も笑っていたのだ。新には分からないだろうが、大勢の行進だとしても、日が暮れてからの歩きは恐怖を感じるのだ。獣が出るのでないか、敵に襲われるのでないのかと、だが、篝火で昼間のように明るいために、恐怖を感じることなく安心して道を歩けたのだ。そして、適度に休んでは歩き続けて、そろそろ、篝火の明かりが西都市の見張り塔からでも発見できる。そんな距離に着こうとした時だった。
「料理長。何か不安を感じる。誰か、西都市に使いを向わせてくれないか?」
 登の不安は当然だった。今まで周囲を索敵したが、不審な部隊の発見はできなく、罠らしき仕掛けも、待ち伏せもなかった。確かに、足跡から判断した結果では、酔っているかのように乱れた足跡だったから、何かの罠かと用心のために索敵しながら行進してきたが何事もなかった。それなのに、突然に何故と思われるだろうが、人として指揮官としても仕方ないことだろう。確かに、大部隊の痕跡が西都市に向っているのだ。それで、少しの不安を感じてしまい。少しでも早く使いの者から何事もないと聞いて安心したかったのだ。
「承知しました」
 料理長は、自分の隊から足の早い者を三人選んで西都市に向わせた。その後を何事もなかったように全部隊が篝火を灯しながら行進していた。そして、何度かの休憩をして、そろそろ日付が変わろうとする時だった。一人の男が顔を青ざめ、死ぬ気で走ってきたかのだろう。夜だと言うのに汗を滝のように流すだけでなく、足腰もふらふらな足取りだった。
「登隊長。大変です。都市の前で大変なことが起きています」
「何だと、何が起きたと言うのだ。やはり、敵の策略だったのか?」
 登は驚いただけでなく、怒りを表した。その怒りを恐れたのでなく、知らせに来た者が、新がいるのでは話せない。そのような視線を感じた。それで、新は・・・。
「徴兵隊の様子を見てきます」
「ああ、そうしてくれ」
 登は怒りのために、新が感じたことに気が付かずに、知らせに来た者に問い掛けるだけだった。だが、その者は息を整えようとしたのか、新に聞えない所まで移動するのを待ったのか、それは、本人に聞かないと分からないことだが、息の整えが終わると・・・・。
「北東都市の軍が、西都市の前で陣を置いているのです」
「何だと、それで、都市は、西都市は大丈夫なのか、まさか、まさか」
 登は、想像もしたくない地獄を考えてしまったのだろう。先ほどまでは怒りで真っ赤な顔していたが、今は顔を青ざめて倒れそうだった。
「西都市は何一つとして被害は無いようです。ただ、不思議な事に・・・・・」
「何だ。何が不思議なのだ?」
「酒宴を開いているのです」
「酒宴?」
 想像も出来ない事を言われて、同じ事を聞き返してしまった。
「そうです」
「なぜだ?」
「分かりません。ですが、数万の軍勢です。まともに正面から戦いになれば勝てるはずがありません。この場に仮の陣を置いて、東都市の援軍を待つのが得策かと思われます」
「策は、後で考えるとして。それよりも、東都市に援軍の要請だ」
「それでは、敵の陣の様子を見てきた。自分が行きます」
「料理長はいるか~ぁ」
 斥候から帰った者には、視線と手の仕草で、その場に待機を命じて、部下の名前を叫んだ。だが、登は心配していたが、料理長は、二人の会話の内容までは聞えなかったが、斥候の慌てる様を見て、想定外のことが起きたと感じたのだろう。その為に、如何なる主人の命令にも対応できるようにと部下に命じていたのだ。
「如何なる対応にも直ぐに行動を起こせます」
「それは、安心した。この者から話を聞いて、東都市に援軍の要請を頼んでくれ」
「承知しました・・・・・ですが」
 料理長は、登の指示を承諾した。だが、顔を上げようとはしなかった。まるで、何か伝えなければならない。そんな態度を表していた。
「何だ」
 緊急の状況で何が不満なのかと、登は少々不満を表していた。
「援軍の要請には時間が掛かるかと思われます。先に援軍の要請だけ向わせて、何が起きたかの内容の知らせは、現場の状況を見た本人の口から内容を伝えた方が良いかと・・・。その方が、援軍の要請が早く下りる可能性があります」
 登の殺気を放つ声色から言い難そうに指示の変更を願い出たのだった。
「そうだな。お前の自慢な料理を食べさせながらでも話を聞くと良いだろう」
「承知しました」
「全軍に伝える。即座に行進を停止。この場で野営する」
 登の指示が全軍に響き渡ると、新が左手の手首を押さえながら悲鳴を上げた。
「登さん。行進を止めては駄目です。危険です。行進を止めては駄目です」
 新は痛みと同時に目の前に陽炎の様な映像が見えた。それは、登の部隊が行進を止めると、煌々と篝火の灯りが太陽のように周囲に広がっていたのが、時間が過ぎるにしたがって篝火の数が減り続けた。そして、何時消えても当然と思える。まるで数本の蝋燭の灯り
が灯るような状態まで無くなり。篝火の灯りがぼんやりとしか見えなくなると、西都市は大軍に見せる策だったのかと、怒りを表しながら北東都市の全ての軍勢が襲い掛かるのだ。それは、戦いでなく殺戮を楽しむような地獄となるのだ。当然、その勢いのまま西都市も同じような状態になってしまう。その場面が見えたのだ。
「登さん。行進を止めないで、止めては駄目です」
 新は、登の元に走り続けながら叫び続けた。
「新殿?」
 二人の叫びを聞いて、部隊全体で戸惑っていた。新は、やっと登の前に着くが、息切れの状態のまま話しだすのだ。
「今の命令を取り消してください」
「分かった」
 即座に、登は命令の撤回を叫んだ。
「登さん。行進を止めては駄目です。篝火も焚き続けてください」
「大丈夫だ。命令を撤回したよ。それでも、このまま煌々と篝火を焚き続けたら敵に発見されるのだ。それに、行進を続けたら正面同士で戦いになるのだぞ。そうなると、勝ち目はないのだ。だから、東都市の援軍を待ちたいのだぞ」
「なぜ、取り消しを頼んだか、その理由を言います」
 新は、先ほど目の前に光景を全て伝えた。
「嘘だろう」
 驚きのために、登は、それ以上は言葉にできなかった。
「それで、僕が頼んだ結果が・・・・話した通りなら朝日で篝火が見えなくなるまで焚き続けて欲しいのです。それと、隊は西都市が見えるぎりぎりまで行進して待機しましょう」
「そうだな。それが最適な考えだな」
「はい」
「それに、東都市の援軍が直ぐに許可を出してくれれば、それが、真っ先に騎馬隊だけでも駆けつけてくれれば、部隊の行進停止する予定の場所に、朝には着てくれるだろう」
 新と登は、未来と思える出来事を知っているから安心している。だが、他の部隊員は不安を感じていた。それは、当然かもしれない。斥候に行っていた者の話しが部隊中に伝わっていたからだ。それでも、新と登が何事もなかったかのように笑いながら昔の話しで盛り上がっているので、部隊の指揮には影響にはならず。騒動にもならずに安心していられた。もしかすると、故意に笑顔を振りまいているのかもしれなかった。

 第六十二章
 一人男が泣きながら荷台と繋がっている棒から馬を外そうとしていた。
「空(くう)よ。命令はしたが、それほどまで嫌なのなら他の者と代わっても構わんぞ」
「大丈夫です」
 馬は繋ぎ棒から外されて自由になった喜びだろうか、嬉しそうに男を見て鳴くのだが、男は、嬉しくないのだろうか、先ほどよりも、もっと、悲しくて涙を流すのだった。
「馬は荷馬車から外れて嬉しそうだな。もしかしたら、お前と遊んでくれると思っているのではないのか。ここまで馬に好かれているのなら、やはり、お前が適任なのだが・・・」
「自分が行きます。他の者に死に水を取らせたくないのです。自分でなければ・・・・・」
「えっ・・・病気なのか、それとも、年寄りの馬なのか?」
「そうではありません。まだ、少々歳は取っていますが、一番強い馬です」
「そうなのか?」
「はい。ですが、荷台を引く馬ですから東都市まで走ることになれば必ず死ぬでしょう。この馬は自分が無理をさせる。それを分かっているのですよ」
「だが、この馬・・・嬉しそうにしていないか?」
 料理長は、馬が喜んでいるように見えた。今直ぐにでも駆け出したい。もう我慢できないと鳴くだけでなく鼻息を荒くして興奮しているように感じられたのだ。
「喜んでいるでしょう。自分が嬉しい時も悲しい時も、この馬に乗っていましたから、だから、もしかすると、自分を息子とでも思っているのかもしれないです。また、私の背に乗せて気持ちを落ち着かせよう。私で背でないと泣き止まない。そう感じているのでしょう。ですが、今回は、遊びではなく、必ず死ぬのも分かっているのです」
「そんなに大事な馬なら他の馬にしたら・・・どうなのだ?」
「他の馬では役に立たないでしょう。この馬なら、もしかしたら東都市まで走り抜いてくれるかもしれません」
「お前の言う通りに荷を引く馬だけでなく、軍馬を一頭だけでも連れてくるのだった。済まない。だが、頼む」
「承知しました」
 男は、頷くと、馬の背に乗った。そして、馬の命など考えていないように、直ぐに全力疾走したのだ。料理長は、その姿を見て一度だけ頭を下げると、斥候から戻って来た。あの男の元に向った。そして、一時間遅れて、東都市に向わせるのだ。
「皆の為なのだ。一秒でも早く着きたいのだ。頼むぞ」
 その気持ちが伝わったのか、一鳴きだけした。もしかすると、大丈夫だよ。必ず間に合わせるからね。そう言ったように思えた。馬は、それを証明するかのような走り方だった。まるで、間に合うためなら命など捨てても良いと、そんな気迫を感じられたのだ。だが、その意気込みでも、篝火の灯りがある所なら問題なく走れたのだろうが、篝火が燃え尽きた所では、月明かりだけだからだろう。走る速度が可なり落ちてきた。確かに、疲れもあるのだろうが、草食動物と言うだけでなく、夜目が利かないために怖いのだろう。それでも、恐怖を堪えて走り続けているに違いないのだ。
「苦しいだろう。ごめんな。ごめんな」
 馬の首を撫でながら必死に頼むのだった。それでも、限界は来た。もし昼間なら東都市まで休まずに完走はできたかもしれない。馬は、白い息を吐きながら歩く事しかできなくなってしまったのだ。それも、まだ、半分の距離だったのだ。仕方なく水を飲んで休むかと考えるほどに、男も喉も渇き、身体も可なり疲れを感じていた。そして、馬に水を飲ませて、自分も飲んで少し休んだ。だが、ゆっくり煙草を吸うなど心のゆとりはなかった。結局、水だけを飲んで、一本の煙草を吸う時間も休まずに、また、走り出したのだ。馬も、その気持ちを感じたのだろう。全力疾走の時のような速さはないが、それでも、気持ちに答えてくれた。それでも、時間が過ぎるごとに速度も落ちて、ついに、立ち止まると同時に倒れてしまった。男は、涙を流しながら何度も謝っていた。そして、涙が枯れるくらい泣いた後、決断しなければならかった。馬を置いて自力で走り抜けると・・・・・。
「どうしたのだ?」
 男の泣き声が聞えたのだろうか、男の言葉が聞えたのだ。直ぐに振り向くが、月明かりが雲に隠れて、遠くが暗くて見えなかった。
「むむ?」
 男は不審を感じて、暗闇の先を、言葉を掛けた者の姿を見ようと目を凝らした。
「可なり無理をしたのだな。狼か山賊にでも襲われたのか?」
 この者は、一騎だけで先を走り、後続の本隊が無事に走れるかの偵察していたのだ。だが、戦場でないのに必要なのか、そう思われるだろうが、戦場でなくても、夜の行動では欠かさずにするのが普通だった。
「自分は、東都市に援軍の要請に向かう途中なのです」
「援軍だと、この先で戦っているのか?」
「まだ、戦いにはなっておりません」
「そうか、それは、安心した。我が隊は、東都市の騎馬部隊だ。暫くすると本隊が来るだろう。安心するが良いぞ」
「そうでしたか、助かりました」
 男は、立ち上がった。
「待て、それ以上、馬を走らせたら死ぬぞ。水を置いていくから、自分の身体と馬を休ませた方が良いだろう」
「あっ」
 男は何て返事をして良いか迷った。だが、一秒でも早く伝えたかったために一歩を踏み出すが、直ぐに力が入らずに、地面に膝を付けてしまった。なぜか、身体が言う事を利かなかったのだ。仕方が無く、この場で待つ事にした。もしかすると、思考とは別に脳内の機能が馬から離れるな。そう身体の器官が拒否したかもしれない。この場から馬を置いて行けば、馬は役目を果たしたと考えて、生きることを諦めたかもしれない。その感情を人間の本能で感じ取って、思考と反対の指示を身体全体の感覚器官に送ったと思えた。
「どうした」
「何でもありません」
 男は、身体が動かない。そんなことを言えるはずがなかった。
「そうか、なら良いが、俺は、この先の偵察に行かなければならないのだ・・・・行くぞ」
 馬と男の様子を見ていたが、本当に命の危険はない。そう判断すると、任務のことだけを考え、前方の暗闇の先の偵察に駆け出したのだ。そして、馬の呼吸を整えようと、身体を撫でてから十分くらいだろう。過ぎると、乱れている呼吸は落ち着いたのだが、まだ、立ち上がってはくれなかった。これで、死ぬことはない。そう、安心していると・・・・。
「何をしている?」
 誰だが知らないが、威圧的な言葉を掛けられたのだ。
「自分は、東都市に援軍を頼みに行く途中の者です」
 男は、丁寧に自分の任務を伝えた。だが、先ほどの男の言葉を思い出し、この場に居る者は東都市の者しかいるはずがない。そう思っているからだろう。馬は、恐怖からではなく、同族に伝える喜びを表していた。だが、主以外の者に恐怖を感じているのか、それとも、この者から殺気を感じたかのように立ち上るだけでなく、主を守るように前に進み出たのだ。
「どうした?」
 男が自分の馬に声を掛けた。
「そうか、それが本当なのなら何が起きたのだ?」
「西都市の前に、北東都市らしき軍隊が陣を置いたのです」
「それで、軍の規模は、交戦は始まったのか?」
「それは・・・・」
 何も聞いていないのだ。言えるはずがなかった。
「どうした。言えないのか?」
 男を不審と感じて、刀に手を伸ばし、いつでも抜ける態勢を作った。
「自分は、要請を求めるのが任務で、状況は、別の者が来る事になっています」
 男は、両手を前に出して、待てと言う動作と同時に、戦いをする気持ちがないと、態度を示したのだ。だが、戦闘態勢を解こうとはしなかった。馬は、戦いになる。そう感じたのだろう。威嚇のように嘶いた。
「馬の足が痙攣しているな。可なり無茶な走り方をしたのだな。この馬の様子を見て、お前が言っているのを信じよう」
 やっと刀から手を離した。
「何かあったのか?」
「偵察に出た者が、交代時間が過ぎているのに帰ってこないのです」
「そうなのか・・・・・それで、その男は誰なのだ?」
「この男のことよりも、直ぐに部隊の停止をお願いします。偵察に行った者が帰ってこないのです。この先で何か考えたくないことが起きているかもしれません」
 この者は、本当に男のことなど、どうでも良いかのように扱い。真剣な表情を表しながら上官に報告するのだった。そして、忠告を聞いて部隊を停止させた。
「もう暫く待っても帰ってこない場合は、自分が偵察に向います」
「そんな、カリカリとするな。確かに休暇の願いを出していたのは知っていたのだ。だが、お前ら二人の偵察能力と思案能力が必要だったのだ。お前らの忠告なら信頼できる。今でも、これからも騎馬隊の最大の力を発揮できる。勿論、二人が戻って来るまでは行動はしない。この場で待機する考えだ」
「自分は、部隊が第一に考えています。休暇願など、完全に忘れていました」
「そうか、悪かった。それで、その男のことなのだが、暗くて良く見えないが、西都市の軍服に似ていると思うのだが・・・・・・・」
「確かに、軍服は似てはいます。ですが、可なり不審な者です」
 この言葉を聞いて、男は全てを話しだした。それを、聞いて、騎馬隊の隊長は何か感じることがあったのだろう。少し考えた。その後に・・・・。
「もしかすると、時間まで帰って来ないのは、この男が原因かもしれないな?」
「その可能性が高いです。ですから、自分が様子を見てきます」
 東都市の騎馬隊から誤解されている。その男は、嘘を言っていない。信じて欲しい。そう何度も叫んでいた。だが、完全に無視されていた。それでも、騎馬隊の隊長は、男のことを信じようとしているようだった。
「その馬、可なり疲れているようだな。水と飼葉を与えよう。だから、少し落ち着いてくれないか、言っていることを信じないのではないのだ。ただ、確認を取るだけだ」
「ありがとうございます。それでは、水と飼葉のことは言葉に甘えたいと思います。自分は使いです。詳しいことは、現場を見た本人が知らせにくるはずです」
 男は騒ぎ疲れたのではないが、馬が死ぬ気持ちで、自分を守ろうとしている。その様子を見て、自分が落ち着かなければ、馬も落ち着かない。そう考えたようだった。
「飲んでいいのだよ」
 馬を撫でながら落ち着かせてから水と飼葉を与えた。先ほどは、水筒の少しの水だけだったから喉の渇きも満足できなかったのだろうが、桶で飲み干せないほどの水と飼葉で元気になったように感じて、男は喜びを表した。
「・・・・・・・・・・・・・・」
 男の笑みを見て、少しは男の話を信じてもいいと感じたのか、何かの策略かと思っていたのだろう。その考えで、いつ、仲間の様子と偵察に行くかと思っていたのだろうが、今の男の様子を見て、自分が、この場から消えても安心だと感じたのだろう。
「それでは、様子を見てきます」
 馬に乗ると、馬の足音が聞えてきたのだ。それも、これから向う先の暗闇から・・・・。
「何だ。俺を探しに行くところだったのか、俺を信じてないのだな」
 待ちに待っていた。偵察に行っていた。その男が声を掛けてきたのだ。
「遅かったな。何か遭ったのか?」
「えっ・・援軍の要請に、西都市の者は誰も来なかったのか?」
「あっああ」
 今、話題にした。その男が来たと、頷いた。
「それで、大丈夫なのか?」
「何が?」
「敵が攻めて来ているのなら戦う準備か、撤退をして都市に知らせる。とかの話しだ」
「ああっそれは、大丈夫だ。この者から全てを聞いた」
 後ろに乗っている。その男を指差した。そして、その男が、この馬にいる者に、自分が西都市で見たことを話したのだった。
「むむ、何を考えているのか分からないが、確かに脅威だな」
「それでは、都市に知らせに帰りますか?」
「それは、無理だ。西都市から援軍の要請をされているのだ。向うしかない。それと、同時に、東都市にも知らせにも行く。それは、お前らの、どちらかに行ってもらう」
「承知しました」
 当然、東都市に帰るのは、交代をするはずだった。身体の疲れていない。片方の男が帰るのは当然だった。
「東都市の騎馬隊の名誉に掛けて、西都市を助けに行くぞ」
 隊長の掛け声で、全ての隊の者が自信に満ちた声で答えたのだ。そして、誰も知らないことだが、また、新の赤い感覚器官の指示の結果で、また、一つ、行動が結びついたのだ。

 第六十三章
 赤い感覚器官は、新が望むように時の流れを変えようとしていた。元々、遠い過去に滅ぶべき種族だったのだ。それが、恐らく、この時代では一人だけのはずだろう。この新が存在しているために時の流れが狂うことになったのだ。それでも、生まれた地から旅立つことがなければ、いくつかの村と里が消えるだけ。それと、国の内乱が数年延びるくらいのことだった。だから、長い時の流れでも、この時代の時の流れでも、特に影響にならない程度のことなのだ。それでも、新が旅立ったためだけでなく、消えるはずだった里の娘を好きになってしまったのが、最大の原因だったはずだろう。だが、もしかすると、その里、いや、その女性は、遠い昔に分かれた同胞のであり。過去で結ばれなかった。不幸な男女の生まれ変わりなのかもしれない。その可能性は高いと考えられる。それを証明するかのように、美雪は死ぬ事なく、里が戦場になっても残った。そして、内乱が早期に収まる結果になった。最大の原因は、都市と都市を結ぶ街道に篝火を灯した。その結果で、夜も昼と同様に交易も安全になるだけでなく、部隊を迅速に派遣することも、様々な情報も伝えることができたのだ。何もかも、新の赤い感覚器官が、泉に石を投げた。その波紋と同じように広がり続けているのだ。この他に何が起きるかは、赤い感覚器官だけが知ることだった。
「登隊長」
「そのように慌てて何が起きたのだ」
 部下から驚きの知らせを受けることになるのだった。それは・・・。
「東都市の騎馬隊が到着しました」
「えっ・・・今・・何と言った?」
「登隊長が、東都市に援軍の要請をした。その騎馬隊が到着しました」
 部下は、上官に同じ事をゆっくりと伝えた。
「早すぎるだろう。何が起きたのだ」
「それは、俺から言ったほうが分かりやすいだろう」
 一騎だけで、登の部隊の先頭に現れたのだ。
「おお、竜二郎殿。いや、騎馬隊長(りゅうじろう、きばたいちょう)殿が来てくれたのですか」
 東都市の最強部隊であり。主人を守る近衛隊と考えて良い部隊だった。
「我が主人の命令で来たのだ」
 馬から降りながら答えていた。そして、馬の手綱を持ちながら歩き出した。
「えっ・・援軍の要請が来るのを知っていたのですか?」
「まさか、そうではない。都市民が、西都市の軍が森に火を点けながら逃走していると、噂が流れて、何が起きているか、その理由を調べて来いと言われたのだ」
「森に火を点けて・・・・逃走・・・・そんな・・・」
 登は信じられないと、同じ言葉を問い返した。
「それは、市民の面白がっての噂だ。我々も、我が主人も何が起きているか想像は付いていたのだ。元々、街道に篝火を点ける計画はしていたのだ。だが、火事になる可能性があったので実行をされなかった。それで、西都市が灯している。その篝火は安全なのか、危険かを調べて来い。そう命令をされた。そして、調べていた途中で西都市の使いと出くわした。そう言うことだ。だが、あの篝火は良い出来だな。それに、昼と同じ様に騎馬隊を走らせることができたぞ。これで、主人に安全だと報告ができる」
「そうでしたか、お騒がせして本当に済みません」
「構わない。あのような篝火が作れるのなら教えて欲しかったぞ」
「我が都市でも、都市間の国境まで配置する予定で開発していたのです」
「勿論、その作り方は教えてくれるのだろう」
「当然です。共同の中継点の軍の配置を承諾して頂いたこともあり。当方で、都市間の街道に篝火を配置しましょう」
「すまない。それよりも、西都市の前に、北東都市の軍が陣を置いているのだろう」
「そうです。それも、酒宴を開いているので、何を考えているのか」
「それなのに、なぜ、ゆっくりと行進しているのだ?」
「それが、明日の朝、篝火が日の光で見えなくなるまで灯すのです。それと同時に、都市に着くまでの街道でも篝火を灯し続けないとならないのです」
「占いか何か・・・それとも・・・・何かの計画の試しか?」
「まあ、そのようなことです」
 新の提案なのだが、出来る事なら新の名前を出したくなく、それとなく、誤魔化したのだった。
「それでは、我が騎馬隊の最大の利点が発揮できないぞ」
「部隊が発見されると同時に即効で敵部隊に一撃を与え、その勢いのまま部隊中を駆け巡り、相手を撹乱させて、再度、一撃を与えて逃げる。そうでしたね」
「そうだ。だが、歩兵の部隊行進とは、のらりのらりと歩くのは疲れるな」
「普段は、もう少し早いのですが、たしかに、騎馬部隊から見ると、そうでしょう。ですが、騎馬部隊だけでは、戦には勝てませんぞ」
「それは、分かっている。そう言う意味ではないのだ」
「分かっておりますとも、チョットした冗談です」
 登は本当に心底から済まなそうに笑うのだった。
「今の冗談は、助けを求めている者から言うことでは無いと・・・感じるぞ」
「済みません」
 その場で、土下座でもするような状態だったので・・・・・。
「それは、俺も分かっている。冗談だ」
 先ほどの怒りは冗談だと、ただ、登に、やられたことをやり返した。そう楽しそうに笑うのだった。
「話は変わるが、あの篝火は、本当に灯し易いだけでなく周囲の安全にも適しているのだな。それで、使え捨てなのか?」
 先頭を歩く者たちが、手際よく篝火を焚いているの見て、驚きを表していた。
「いえ。薪を足せば、また、使用できます」
「良く考えた物だな。可なりの製作日数が掛かった事だろう」
「いえ、隊の者が、見回りの手間を省きたいだけで、バケツを重ねたのが始まりです」
「まさか、鉄桶の片方はまるまる底を切り抜き、下の鉄桶は適度に穴を開けただけか?」
「着想は、そうです。ですが、いろいろと改良はしましたがね」
「西都市の者は、いろいろと、知恵者がいて良いことだな」
「ただの、面倒くさがりの、変人ですよ」
「そうか・・・・・・だが、遠くから、この篝火を見たら大部隊の行進に思うだろうな」
 東都市の隊長は、暇つぶしの会話を楽しんでいたが、ふっと何かを思い出したかのように後ろを振り向いた。そして、想像していた光景を見て、頷くのだった。その光景は、恐らく、現代で言うのならば、長いトンネルの中で輝く照明が、出口の方で一点の光になるまで続く光の頼もしさと、驚きの明るさを見たのだ。そして、登も振り向いて確認した。
「気付かれましたか」
「ああ、そして、都市が見える場所に着いて、我が騎馬隊が駆け出せば、勝ち目がないと逃げるのは確実だな」
「その時は、よろしくお願いします」
「任せてくれ」
 この瞬間だけ、真顔になったが、後は、くだらない会話に夢中になった。その笑い声が、二つの隊にも伝染したが、咎める者はいなかった。それは、無言の隊の移動だったのならば叫べと命令を言う考えもあったのだ。なぜかは、大部隊の騒音を周囲に響かせなければならない考えだったからだ。そして、勿論、何事もなく都市が見える所に着こうとした時だった。さすがに、作戦が北東都市に見破られ、敵が待ち構えている可能性を考えて、斥候を送ったのだ。それから、一時間くらい過ぎると、無事に帰ってきた。
「今、戻りました」
 登の前にきて畏まった。すると、登と新と、数人の者が立ち止まった。後の者は、行進を続ける。勿論、篝火を焚くのは続けられていた。
「待っていたぞ。どうだった?」
「それが、まだ、酒宴は続いていました。それだけでなく、何を祝っているのか盛大に踊り騒いでいました」
「えっ・・・」
「どうします。登隊長殿?」
「何をだぁ?」
 登は、北東都市のことと、部下の問い掛けで、二度の驚きを感じた。
「戦いの準備を致しますか?」
「ああ・・・だが、戦支度もしてない者たちを攻めることは出来ない。むむ」
 登は、これから先、何をしていいのかと悩んでしまった。そして、救いを求めるように新に視線を向けたのだ。その理由を感じ取り、新は頭を横に振ったのだ。そして、登は・・。
「新殿。日の光で、篝火が見えなくなるまで、と、言いましたね」
「それでは、昼近くまで、その場で様子を見ることにする。それで、大丈夫かな?」
「大丈夫だと思います」
「それは、危険だと思うぞ。北東都市が、こちらの兵員の数が分かれば、即、攻めて来るだろう。我が隊で、酒でも持参して挨拶でも行くか?」
「それも、良い考えですが、目的の場所に着くまでは、何も行動したくないのです」
「そうか、もし必要なら言ってくれ。直ぐにでも行動を起こせる用意はしておくからな」
「すみません。その時は、お願いします」
「だが、長期で、西都市には居られないぞ」
「分かっています。昼までには決着させます」
「それが、良いだろうな」
「はい」
 登の返事の後、無言になったので、話題を変えようと、東都市の隊長は、中継部隊の話題を挙げたのだ。
「まさか、このような事になるとは・・・・出来る限り早く部隊を置いた方が良いと思います」
「だろう。それで、今の状態を全て東都市に報告すれば、直ぐにでも、中継部隊を置くために部隊を派遣されるはずだ。どうする。使いを出すか?」
「お願いします」
「だが、それだと、同じ規模の部隊が駐屯していないと困る。それか、西都市の主か、代理として要請があれば問題はないのだが・・・・」
「それだと、主様に聞かないと、なんとも返事ができません」
「それでも、このような状態だ。先に少しの部隊でも着て欲しいだろう」
「はい」
「それなら、登殿が、西都市の主人の代理として書簡を出して見ないか?」
「主様に内密で・・・か?」
「そうだ。それなら、我が騎馬隊が都市に帰ったとしても、直ぐに駆けつけることができるぞ。どうする?」
 登は、新を見て助けを求めた。だが、横に首を振るだけだった。それで、仕方が無い。そう判断する表情を表して、言葉にしようとした時だった。
「痛い」
「新殿。どうしたのだ?」
 新は、一言だけの悲鳴を上げた。左手の手首を掴んでいた。恐らく、新と美雪が結ばれる時の流れでなく、違う時の流れに変わる。それで、新に修正を求めたのだろう。
「その書簡は、到着予定の場所に着いてからでは駄目なのですか?」
「別に、何時でもいいが、少しでも早く要請すれば、それだけ、早くなるのだぞ」
「それでは、登さん」
「分かった。始の計画の通りにしよう」
「登さん。すみません」
「かまわない。気にするな」
 新も、登も、他の誰もが、まだ、何も知らない事だが、予定の場所に着くと、驚くことと言うべきなのか、それとも、時の流れの指示とでも思えることが起きるのだった。

 第六十四章
 ある部屋で、一人の男性と言うか、少年と言った方が適切な者が、都市中が祭りのように騒いでいるのだが、それに、気が付かずに寝ているのだ。確かに、町外れであり。大きな建物だから玄関で騒いだとしても、その部屋までは届かないだろう。それでも、ある一室までは、玄関を叩く音だけでなく、悲鳴のような声が届いた。もしかすると、その男は誰か来ると知っているので起きていたのか、それとも、元々、仕事場件私用の部屋が玄関に近いだけだったのだろうか、それにしては、驚くほどまで落ち着いて玄関を開けるのだ。
「どうした?」
 玄関から出てきた者は、小津だった。
「光の道が現れました」
 部下は、神が降臨されたかのような興奮を表していた。同じように驚くかと思っていたのだろう。だが・・・・・・・。
「ご苦労だった。ご主人様に知らせてくる。この場で少し待っていろ」
「承知しました」
 小津は知らせを聞いたはず。その後なのだが、それでも、何事もなかったかのように落ち着いたままの様子で、扉をゆっくりと音を立てずに閉めるのだった。
「御主人様」
 普段は、言葉を掛ける前に扉を叩くのだが、やはり、先ほどの部下の報告には驚いていたのだろう。それで、動揺して、扉を叩くのを忘れたに違いなかった。
「何だ?」
「御主人様が言った通りの事が起きました」
「何だって」
「おっ御主人様」
 主が出てくると思わなかったのだろう。だが、主人の方も自然と身体が勝手に動いたに違いない。部下の言葉だけでは信じられず。顔の表情を見よう。再度、本当なのかと問いかけようとしたのだが、小津の驚く顔を見て笑ってしまったのだ。
「御主人様。どうしました?」
 主人が、突然に笑い出したので、予言が当たったために頭が変になったのかと心配したのだ。だが、主はまだ少年であり。先代が生きていた時は、本を読んで楽しかった。悲しかった。驚いたと嬉しそうに言う姿を思い出したのだ。それを思い出して、小津も笑みを浮かべてしまったのだ。
「小津。嬉しそうだな」
「御主人様の予言が当たったのですから嬉しいのは当然です」
「そうか」
「前代様が、まだ、御元気の頃の御主人様を思い出しておりました」
「それは、どう言う意味だ」
「よく、本を読まれた。その後、嬉しそうに話をしてくれたことを思い出したのです。それほどまで、本が面白いのかと分かりませんでしたが、今回の知らせを聞いて本の楽しみが分かりました」
「そうか・・・・知らせに来た者が外で待っているのだろう」
 小津の言葉を聞いて、恥ずかしそうに視線を逸らすのだった。
「はい」
「中に入って休むように伝えてくれ。これから直ぐに本を読んで指示を伝える」
「はい。ですが、時間など気にせずに、ゆっくりとお読み下さい」
「そうする」
 先ほどまでの少年らしい表情から変わり、真剣と言うよりも、恐怖を感じているようだった。それは、当然かもしれない。次のページには、誰か親しい人の死が書かれているかもしれないからだ。
「それでは、紅茶をお持ちしましょう」
「頼む」
 そう答えると、後ろを振り向き、扉を閉めずに本が置いてある机に向うのだ。そして、
その中身とは・・・・・・。
 西都市から東都市を結ぶ、西東(せいとう)第3号街道と言うのは正式名称だが、親しみを込めて、森の道と呼ばれる。その街道の始まりの木の根元に、手紙を矢に付けて放たなければならない。それも、日の出が昇るまでと時間まで指定されるだけでなく、人の名前まで書いてあった。先の赤い矢のやり取りで西都市では一番の弓矢の使い手と言われるようになった。その哲司(てつじ)でなければならなかった。そう書かれてあったのだ。そして、問題の書く内容なのだが、西都市の主の命令を伝える。北東都市の軍営に酒を持参してご機嫌をとって欲しい。これだけだった。これが成功すれば、北東都市の軍勢は大人しく撤退する。今回は、可なり短かった。もしかすると、部下が待機をしているのが分かっての簡潔な内容なのかと不思議に思うよりも、次のページの内容が気に掛かると同時に、早く部下に指示を伝えなければ時間が間に合わない。そのために、不審な考えまでは思考することができなかった。その思考が証拠のように机の上の隅にある。鈴を鳴らすのだった。それは、小津を呼ぶための物だった。
「ご主人様。何でありましょうか?」
「用意して欲しい物があるのだ。至急に赤い矢と、それに必要な用紙を頼む」
「承知しました。直ぐにご用意致します」
「頼む」
 扉を閉めたと思ったら・・・本当に直ぐに持って来たのだ。
「赤い矢の方は、手紙が出来次第に直ぐにでも用意できます」
「分かった。直ぐに書き終わるから待っていてくれ」
「承知しました」
 頷いてから一分も過ぎてないだろう。小津が驚くほど早く手紙を手渡されたのだ。
「矢を放つ者は哲司だけだ。それと、森の道と呼ばれる。街道の始まりの木の根元に・・・・・・」
 手を離すと同時に、主人が真剣な顔で話しだしたのだ。その内容は本に書かれてある通りの内容を話したのだ。
「時間が無いぞ。礼儀など良いから早く行け」
「はっ・・・その者は・・」
「何をしている。早く行かぬか!」
 小津が何か伝えようとしていた。だが、その様子を見て、主は退室や命令の復習などの長々とした礼儀でもする。そう感じて怒りが爆発する寸前だった。
「その者は、もう、この屋敷にいます」
「本当か?」
「はい。もし宜しければ、この場にお連れ致しましょうか?」
「むむ・・だが・・時間が・・」
「その者は、先の赤い矢での作戦で・・・」
「分かった。その者に直接に伝える。早く連れて来い」
「承知しました」
 可なりの苛立ちを身体の全機能で表していた。まだ、手紙を渡してから一本の煙草を吸うほどの時間も流れていなかったのだ。その感情は小津が消えてから扉の前でうろうろと身体を動かすことで抑えているようだ。その限度を超えたのだろう。扉を開けようとした時に、扉が開いたので少しの驚きを感じたことで、少しの苛立ちが消えたようだった。もしも、先ほどまでの感情で接していたら、哲司の前で無様な姿を現したかもしれなかった。
「お連れ致しました」
「この者か?」
「どのような御命令でも・・・なんなりと・・・」
 主の顔を見られない程まで緊張を表していた。
「先の赤い矢での功績をした。哲司だな」
「はい。自分であります」
 哲司は、主から功績を認められたことで、やっと、少しの緊張が解けて顔を上げることができた。
「その腕前を、もう一度だけで良い。西都市の為に貸して欲しいのだ」
「何度でも、お役に立ちたいと思っていますので、自分を好きなようにお使い下さい」
「そう言ってくれると助かる。今回は一度だけの機会しかない。失敗できないだけでなく、矢の狙い場所と時間も決まっているのだ。これは、哲司でしか出来ないと思っての頼みなのだ。やってくれるか、出来るか?」
「お任せください」
「それでは・・・・時間は、日の出と同時でなければならない」
 小津に伝えたことと同じことを、哲司にも教えた。
「出来るか?」
「おっお任せください」
 可なり変わった指示だったので、驚いたが、自分なら出来る。そう自信を持って答えた。
「あまり時間がないが頼むぞ」
「それでは、退室させて頂きます」
「頼む」
「玄関まで見送りに行ってまいります。その後に、紅茶をお持ち致します」
 二人は、殆ど同時に、主の部屋から退室した。
「今度も成功するだろうか?」
 椅子に座り、いつもの癖のように趣味の本に手を伸ばして手にするが、本を開くことが出来なかった。そして、自分でも気が付いていない。何度目かの溜息を吐いただろうか、その数は多かった。もしかしたら結果が出るまで止まらない。そう感じるほどだった。
「紅茶をお持ちしました」
「入れ」
 小津が来た事で溜息は止まったが、結果を心配する気持ちと、本当に本の通りのことが起きるのか、その両方のことで少々興奮しているようだった。さすが、小津は、付き合いが長いからだろう。主の精神状態にも気が付いているようだった。
「あの本のことで気持ちが落ち着かないと思いまして、ミントの紅茶をお持ちしました。この葉の成分は気持ちを落ち着かせる働きがあるのです」
「わかった。飲んでみるから置いていってくれないか」
 小津の話が長くなると感じて途中で言葉を遮り、指先でテーブルの上に置いて欲しいと伝えたのだ。
「それでは、明日の朝食の時間に起こしに参ります」
「むむ、分かった」
 小津の明日と言った言葉を訂正しようかと思ったが、早く一人になりたかったために、返事を返すだけで他には何も言わなかった。それでも、喉が渇いていたのだろう。紅茶を飲みだすが、味を楽しむ余裕などなく、外に視線を向けるのだ。まだ、外は暗いが、日の出が出るまで窓から視線を逸らす事が出来るはずがない。
「本の通りに成功してくれ・・・・お願いだ」
 哲司に願うと言うよりも、全能の神に、いや、違うだろう。本に宿る神に願っているに違いない。そして、その頃・・・・・。
「はっはぁ、はっはぁ」
 西都市の主から大事な任務を任された。哲司は、監視する建物の最上階に急いで登っていた。その気持ちは当然だった。一度しか機会はない。それだけでなく、矢を当てる目標とする木が見えるか、それが一番の心配だったのだ。もし見えなければ、見える場所を探さなければならない。それも、何箇所も探す時間がないために、見えて欲しいと祈りながら登っていたのだ。
「駄目か・・・・いや・・・」
 森の道の始まりの木ははっきりとは見えなかった。だが、何度も見慣れた入り口の木でもあり、暗闇に慣れれば、後は、長年の経験の感で目標に当てる自信があった。だが、もう少し明るくなってくれれば、そう思った時だった。光の道が、まるで、その木を照らすように近づき、哲司が指示したかのような場所に止まったのだ。一瞬、誰かの指示でもしているのかと、後ろを振り向いてしまうほど驚いたのだ。だが、そんな冗談かのような感情を直ぐにでも消して、弓矢に意識を込めなければならない。それは、指示された時間が、一本の煙草を吸うほどの時間も無い。それを思い出したからだ。そして、今、弓を引き、大きな息を吸って、息を吐きながらゆっくりと標的に矢を合わせようとした時、目標の木の両脇に篝火が置かれた。驚いたが、そのお蔭で完全に目標を捉えた。後は、息を六分まで身体に残して、矢を放つだけだった。その六分だけ息を残すのは体の機能や筋肉の安定だけでなく、最大の集中力にも繋がり、矢を放つ時の手ぶれが無いのだった。
(当たれ)
 矢を放った後は、心で祈るのと、矢が的まで飛ぶ姿を見続けることしか出来なかった。
「カッツン」
と、矢が木の根元に刺さる音が聞えたような手応えを感じた。それほどまで、狙った場所に命中したのだ。それを確認した後は、心底から疲れたのだろう。立ち上がる力もなく、同じ建物の階の下で待機している者に・・・・・。
「御主人様に、使いに行ってくれないか、指示の通りに矢を放ちました。それだけで、いいから頼む」
 三人の男が待機していたが、その二人が、一人の男に視線を向けた。恐らく、三人の中では階級が下なのだろう。その男は、頷くと、急いで建物の中から消えた。

 第六十五章
 夜が明けるのを知らせのように少しずつ辺りが明るくなり始めた。その頃、光の道の輝きも、日の光に吸収されているかのように目立たなくなるのも同時だった。それでも、光の道の輝きは何かの使命がある。その使命を遣り抜かなければ、日の光に吸収されてたまるか、それを、証明するかのように輝きを放ち続けて、森の道を昼間のように明るくさせていた。その輝きが、森の道の入り口であり、出口でもある。始まりの木を照らし始めると、一人の男が叫び声を上げたのだ。
「登さん。今直ぐに、あの木の根元に、二個の篝火を置いてください」
 登は、新から何かの指示がある。又は、何か起きる。そう感じていたので、どのような対応でも出来るように気持ちを引き締めていたのだ。その通りに意味の分からない指示を言われたが、何も疑問に思わずに迅速に指示の通りに終わらせた。その篝火が置かれるのを待っていたかのように赤い矢が木の根元に刺さった。隊の皆は、驚きよりも、北東都市の奇襲かと恐怖を感じたのだ。だが、赤い矢だと気が付き安心したのだ。直ぐに戦いにならない。また、再度の宣戦布告の知らせだろう。それで、安心したのと同時に、なぜ、宣戦布告などせずに奇襲を掛けないのかと不審を感じていた。だが、その矢に付いていた手紙を読むと、西都市の主からなのに驚くが、それ以上に、手紙の内容に驚愕したのだ。
「何て書いてあったのだ?」
「それが・・・・」
 登は驚きのあまりに何も言えなかった。その様子に不審を感じて・・・・。
「東都市の軍の代理として、その矢文読ませてもらうぞ」
 自分の軍を守ると同時に、軍を指揮する者としては当然だろう。少々強引に手紙を奪った。そして、登と同じように言葉を無くしたのだ。
「酒を持参して・・・・・ご機嫌をとれ・・・・なぜ?」
「主様の命令だ。不審を感じたとしても実行しなければならない」
 少しでも早く手紙を読んだからだろうか、それとも、主の命令だからか、その両方かもしれないが、登は正気を取り戻した。それでも、助けを求めるように新に視線を向ける。だが、新は、手紙の内容は知らないはずなのだが、何度も頷くのだった。その理由は、先ほど、行動を起こして結果が来たのだ。それに、従って欲しいと言う意味に違いなかった。
「ふざけるな。こんな馬鹿馬鹿しいことをする考えなのか、まさか、西都市と北東都市は、手を結び、東都市を攻める考えでないのか?」
「そんなことは考えられません」
「それでは、なぜだ。酒を持参するならまた許すくらいの気持ちはある。だが、ご機嫌を取れだと、それは、同盟を結んだ確約と同じ意味だ。それも、西都市から頼んだような形だぞ。その様子を、この場で、俺が、いや東都市の部隊が見ていた。その噂が、我が主の耳に入れば、反逆したと思われるのだぞ。それが、分かっているのか?」
「だが・・・・主様の指示では・・・我が部隊は・・・・」
 登でも主の意味が分からず。説得しようとしても何も良い考えが浮ばなかった。
「その指示に従うのなら、我が部隊は、即座に東都市に帰らせてもらう」
「待ってくれ。今、兵を退かれては、攻める口実を与えることにある。西都市の軍では行かない。俺が一人で行くから、この場で待機してくれ。頼む。お願いだ」
「承諾はしない。だが、直ぐに撤退もしない。それでも、少しでも様子が変な場合は、即、東都市に帰る。それは、同盟を破棄すると言う意味だぞ。忘れるなよ」
「はい。それで、構いません」
「僕も一緒に行きます」
 新は、登の様子が変だったために、声が届く所で聞いていたのだ。
「分かった。分かった。嘘を言っていないのが分かった。この少年が行くなら俺も行こう。一人では、接待と同時に、新を守ることは出来ない。だが、俺と新は、酒を置いたら帰るぞ。それで良いな。後は、好きに接待でもして酒でも共に飲んで殺されるのだな」
 言いたいことを言った後は、馬鹿笑いをしたのは、登を信じる。その証明だった。
「本当に、済まない。新を頼む」
 深々と頭を下げた。その後、死ぬ気持ちの覚悟なのだろう。殺気を放ちながら部下に指示を下した。その指示とは、一台の場所に全ての酒を積み上げろ。それだけの指示だった。そして、部下から指示の通り完了した。それを聞くと、荷馬車を引きながら歩き出した。その後を、一頭の馬で新と竜二郎(東都市の指揮官)が付いて行った。勿論、後ろに乗るのは新だった。
 そして、馬車は、森の道から出ると、直ぐに北東都市に発見された。それを証明するかのように狂喜の叫び声は消えた。それで、一番安心したのは、味方と思っていた部隊から攻撃される心配がなくなった竜二郎だが、それ同時に、一歩一歩と踏み出すたびに命の危険度は上るのも当然だった。
「新殿。何があっても馬から降りるなよ」
 新に囁いた後、登に視線を向けた。その視線には、疑ってすまない。そう言っているようだった。それは、登にも伝わり。頷くが、今、一番心配なことは・・・・。
「新を頼む」
 それを、竜二郎に頼んだ。そして、そのまま進み続け、西都市の城壁から北東都市の陣までの中間まで来ると・・・・。
「我は、北東都市で一番の武人と言われている。仁と言う者だ」
 三人は、正確に言うなら登と竜二郎だが、聞いたことが無い。その言葉を言っては戦いになる。その言葉を、苦しそうに飲み込んだ。その表情を見て、仁は、武人としての武勇が伝わっていると感じたのだろう。自慢を表すように頷くのだった。それと、仁の弁護ではないが、北東都市は、重装備の歩兵が有名だが、それは、特出した者が居た場合は戦いの邪魔になってしまう。歩兵の戦い方だったからだ。それは、忍耐強く、いかなる戦いでも乱れの無い。一つの生き物のような手足のように動かなければならない。その戦い方だったためだ。
「それでは、我も、西都市の登だ」
「我は、東都市の竜二郎だ」
「えっ」
 仁が驚くのは当然だった。誰もが知る。西と東都市の最強の武人だったからだ。それを隠すように大声で問い掛けるのだった。
「これ以上は勝手に進ませることは出来ない。それと、ここまで来た理由を述べてもらう。その理由によっては力ずくで引き返してもらう」
「我が主人が、祝宴をしていると知らせを聞き、これからの友好のために酒を贈るように仰せつかったのです」
「そうでしたか、それは、ご苦労でした。それでは、陣の中に」
と、ホットしたのだろうか、笑みを浮かべたのだ。そして、全ての言葉を伝えようとした。
「主様。手紙を預かってきました」
「何だ?」
 作次は、有名な西と東都市の二人の武人を見て、計画に支障がある。そう感じたのだ。そして、その場で手紙を書いた後、仁に駆けつけて手紙を渡した。
「えっ」
 その手紙には、近くに西と東都市の大部隊が待機しているはずです。それで、この場に来た理由は、本当に酒宴で酔っているか、それとも、何かの策略などを考えているか、それを探りにきたのです。もし本当に酔っているのが本当だと知られれば即座に攻める考えのはず。ですから、至急に撤退の準備をしてください。その時間は、自分が適当な理由で時間を稼ぎます。そう書かれていた。
「我が、主人に、二つの都市の贈り物を頂いて良いのか伺ってきます。その間、すみませんが、作次に、この場を任せたいと思います」
「お任せ下さい」
 作次が、頷くと、二人の武人は喜んで笑みを浮かべた。その陰から新は、無言で何度も頷いていた。
「構わんぞ」
「そうだな」
 登が答え、その後に、竜二郎も承諾するのだった。その後、仁は悟られないようにゆっくりと陣の中に消えて行く。そして、作次は、仁に指示されたように装って、ゆっくりと荷を解きながら検分するのだった。
「何か騒がしくないか?」
「まあ、酒宴ですから少々の騒ぎはお許し下さい」
 一般兵には、酒の追加などがされて酒宴は再開されたが、陣の中心部では、仁の計画で退却の準備をしていた。だが、そのことを知っている者は、近衛隊と上級兵士以上(部隊を指揮する中隊長以上の者。または、その血筋や身分のある者だった。この名称を使われる者は、ほとんどが、名目上の身分だ。だが、それでも、主が開く様々な会議の席に座れるほどの身分でもあったのだ)だけだった。それでも、大隊長は主と共に行くが、中隊長は残り、主が退却するのを隠すだけでなく、もし敵が攻めてきたら酒に酔っている兵士で殿として指揮しなければならない。
「本物の酒だろう」
「まだ、全ての検分が思っていませんので、もう少々お待ちください」
「もう少し急ぐことはできないのかな」
「何か急ぐ用事でもあるのですか?」
 登は、はっきりと分かる時間稼ぎに苛立ちと同時に不審を感じていたのだ。もしかすると、捕虜として捕らえるためか、それとも、考えたくないが、自分たちを包囲して矢で撃ち殺すのかと、それなら、敵の陣の中に入り酒の酌などをして、敵の兵の胡麻をするほうが安全だと考えたのだ。それにしては、作戦の成功を考えて興奮していると言うよりも、何かに恐れているとしか思えない様子だったのだ。それで・・・・。
「いや、そのようなことはない」
「済みませんね。これも任務なのです」
 登は、自分たちに知られて困ることなら気が付かない振りをして様子を見ようと考えた。
「構わないぞ。好きなように検分してくれ」
 作次の方も、時々振り返って陣の様子を見るが、何も陣の様子が変わらず、自分の作戦が失敗したのかと気に掛かっていたのだ。それで、登の内心の気持ちまで気が付かないでいたのだ。そして、そろそろ、荷台の荷物の検品も終わろうとしていた。全てが終わったら何の理由をつけて時間を稼ごうかと思案していた時だった。陣の様子が微かだが変化を感じ取ったのだ。先ほどまでは喜び溢れた歓声だったが、変化後には、同じ歓声に思えたが、何か芝居しているようなぎこちなさを感じたのだ。
(そろそろ、お偉方は退却したか?)
 作次が内心で考えたのは、北東都市の主が退却して兵が不審を感じたのだろう。それと同時に、上官から「偽の酒宴を続けて敵を騙せ」そう指示が広がり、全ての兵に広まる頃には無事に逃れた。その証拠と同じだったのだ。
「確かに本当の酒以外ありませんでした。せっかくのご好意を疑いまして」
「もう気持ちは分かった。当方は何も気にしていない。そろそろ、荷を開けて共に飲みたいのだが宜しいのだろうか?」
「えっ?」
 登と竜二郎と新は、今度は話しで時間稼ぎをするのかと少々疲れを感じてきた。そして、登は仕方なく、作次の話を遮って話を止めさせる考えで思いを伝えたのだが、想像よりも驚きを表して言葉を無くしてしまったのだ。
「一般兵士と共に飲むのが希望でしたか?」
「そうだ」
「そうでしたか、それでは、直ぐに共に飲みましょう」
 作次は、心底から安心したのだろう。手招きしながら破顔を表して喜ぶのだった。そして、その後を三人が付いて行くのだが、直ぐに人が集まって来た。不審を感じて集まって来たと言うよりも、ふらふらと酒の臭いに釣られてきたように感じられた。それで、作次の許しを得てから仕方なく、この場で酒を配るのだったが、登と竜二郎は長年の癖だろうか、つい、陣営の形や陣の奥に興味を感じて酒を注ぐ手を休めてしまった。
「どうしました。誰かをお探しかな?」
「いえ、そう言う意味ではないのです」
 この場に集まっている者たちは作次の考えでなく、それぞれの部隊長から臨機応変で主が逃げやすいように対応して欲しい。その指示で、三人の男達を陣に近づけない考えで集まって来たのだった。
「どうしました。共に酒を飲む気持ちはないか、それとも、我らが三人を殺すと考えなら心配ないですぞ。いかに、敵だとしても、酒宴の席に祝い品を持ってきた者を騙まし討ちするなど考えていません。もし、そのような考えなら失礼と思いますが、違いますか?」
「確かに、そのような考えはありません。自分も酒が好きで共に飲みたいのだが、主様か上官の許しがないと飲みたくても飲めないのです。それは分かって頂けると思うのですが、それとも、飲まないと不都合ですかな?」
「そのようなことはありません。こちらが失礼でした。お許し下さい」
「いいえ。構いません」
 酒を飲まないと分かると、故意にと思われるように陣の奥を隠すように酒を注いで欲しいと言う者やくだらない話をする者が多くなった。だが、三人は、酒を飲んでいる者の表情からは本当に酔っているからなのか、指示されての行動なのか分かるはずもなかった。それから、どのくらいの時間が過ぎただろうか、酒も残り少なくなると・・・・・。
「それでは・・我々は、そろそろ陣に帰ろうと思います」
「そうですか・・・・残念ですね。もう少し話がしたかったですな」
 登に言葉を掛けられた。その男は、三人に悟られないように陣の奥を見るのだった。そして、上官が頷く姿を確認すると、三人に向って残念そうに頷くのだった。
「機会があれば、一緒に飲みたいですな」
「そうですな」
 登は馬車から馬を外しながら新と竜二郎に帰ることを伝えた。そして、馬に乗って自分の部隊に向うが、後ろを振り向く事はしなかった。それは、振り向くと命の危険と感じるように緊張していた。
「隊長。無事のお帰り安心しました」
 森の道に入ると、数人の部下が声を掛けてきたのだ。
「何て言って撤退させたのですか?」
「えっ?」
 木の陰から北東都市の陣の方向を見ると、九割の軍が撤退した後で、残りの数百人だけが荷馬車を囲っていたのだ。だが、それも、のろのろと数人単位で荷馬車から移動するのだ。そして、空の荷車だけが残されるのだった。

 第六十六章
 二種類の軍服を着た軍隊が、森の道から現れると、都市に居る全てだと思える人々の歓声が辺りに響いた。それは、当然の反応だろう。二万を超える北東都市の軍を三人だけで撤退させたのだからだ。だが、人々は本当のことを知らない。西都市の主が人々と都市を守るために預言書と思われる本に書かれてあることを実行したことを知らないのだった。
「騒がしいぞ。何があったのだ」
「登殿が、東都市の騎馬隊を連れて戻ってきたのです」
「そうか・・・それでは作戦は成功したのだな」
 まるで他人事のように眠そうに呟くのだった。
「はい。何一つとして被害も怪我人も出ませんでした」
「分かった。朝食の時でも詳しく教えてくれ」
「承知しました」
 深々と礼を返した。その後、洗顔の用意から服装の着付けなどが終わり。自室に朝食の用意を終わらせた時だった。主はやっと目が覚めたようだった。
「それで、何があったか詳しく教えてくれないか」
「はい。矢を放ち。その後、十分後くらい過ぎた。その後に、一台の荷馬車と一頭の馬が現れたのです。荷馬車には、登殿が乗り。一頭の馬には新殿と東都市の最強の武人と噂される。あの竜二郎殿が供として従ったのです。そして、御主人様の計画の通りに酒を載せた荷馬車が陣の前に着くと、すると、なぜか、北東都市の最強の防御の陣形とされる渦巻き陣形が中心から崩れだしたのです。恐らく、北東都市の主と近衛隊だけが逃げ出したのでしょう。そして、砂糖に群がる蟻のように人々が荷車に集まりだしました。ですが、酒が欲しかったのでなく戦うためでもないようでした。まるで、渦巻きの中心の部隊を隠すのが目的としか思えなかったのです。撤退が完了した後には、群がる蟻のような人々も小部隊単位で後を追いかけたのです。ですが、百人程度の人々だけが、登たちの視線を遮るように最後まで残っていました」
「そうか」
「ですが、北東都市は何を恐れていたのでしょうか?」
「それは、森の道に輝く光の線の全てが、西と東都市の軍隊の列と考えて恐れたのだろう。だが、部隊の規模が分からず疑心暗鬼していた。そして、その証拠のように西都市の代表の登と東都市の代表の竜二郎が現れては、光の道は軍隊の列の証拠と思い。二つの都市の連合部隊では勝ち目がない。そう判断して撤退したのだ」
「そうでしたか」
 その後に、「そう書物に書かれていたのですね」と、問いかけはしなかった。時間があれば聞いたかもしれないが、主が本に手を伸ばして読もうとした姿を見たのも問い掛けない。一つの理由でもあったのだ。
「それでは、朝食の食器を片付けた後に、紅茶をお持ち致します」
「頼む」
 好きな物語の本を手に取りながら答えた。
「承知しました」
 主の部屋から退室して食堂室に向う間に歓声が聞えた。
「登殿。良くやってくれました。ありがとう」
 自然と聞える方向に視線を向けると、内心の思いまで言葉にした後に、何かを思い出したかのように調理場に向って歩き出したのだ。
「御主人様が本を手に取ったのです。寛いで読んで頂くには、早く紅茶を持っていかなければ・・・・」
 などと、西都市の主と小津は、外から響く歓声などに関心を示さずに、普段の通りに過ごす考えのようだった。二人が無視する屋敷の外では、都市の全ての住人と思えるほどの人々が祭りのように興奮を表していたのだ。その叫び声は、登と竜二郎を称える声だけでなく、北東都市を可なり蔑む言葉も多かった。確かに、登と竜二郎の二人、いや、正確に言うならば、新を入れて三人だけで北東都市の軍を撤退させたのだ。だが、新は馬の背に乗っていただけだったからだろう。誰も話題にはしなかった。そのことに、新は何も気にしていない様子だったが、北東都市の話題を出しては馬鹿笑いするのは我慢が出来なかった。この感情を感じるのは、登と竜二郎も同じ感情であったが、都市内であり、指揮の向上にも役に立つだけでなく、普段から勝利の酒宴では同じように敵を蔑む言葉は普通だったので止めはしなかった。だが、他にも数人だが、共に酒は飲んでいるが顔の表情では笑ってはいなかった。それでも、上辺だけでは祝福していた。何が不満なのだろう。都市の危機だけでなく、命拾いしたはず。それなのに、なぜ、と思われるだろう。その者たちは、北東都市と懇意する交易人だったのだ。そして、この者たちは、酒を酌み交わしながら都市の外に出ようとしていた。この浮かれ騒ぎで、全ての門は開放されていただけでなく、祝福の言葉と酒を酌み交わせば、誰でも出入りは簡単だった。それでも、この祭りのような騒ぎで不快感を表す者ならば不審を感じて調べる者もいただろう。だが、交易相手の品物の期限が決められていたために直ぐに交易に出なくてはならない。そのための不満と感じてくれたのだ。もしかすると、不審者を調べる者も酒や会話に夢中で適当だったかもしれない。その証拠のように北東都市がある方向に小隊が向うのに気が付いていないのだ。
「この方向に来るのでしたら北東都市に向われるのでしょうか?」
 街道を進んでいると、どこからか声が聞こえてきた。それも、西都市が見えなくなるほどまで歩き続けて、そろそろ辺りには村も無くなり偶然でも人気が通ることもない街道に入ろうとしていた。まだ西都市の領地であり。北東都市に比べれば安全な街道だが、それでも、もし山賊などに襲われた場合は、西都市の警護隊も助けに来られないだろう。それを知って声を掛けてきたはず。普通なら恐怖を感じて荷物を置いて逃げるのだろう。例え、北東都市との知人だとしても襲われる可能性が高い。だが、なぜか、ホットしたように言葉を返すのだった。
「北東都市の軍の方ですか?」
 この隊の主らしき者が辺りを見回していた。
「そうだ」
 どこから見て言葉を掛けてきたか分からなかった。
「それでは、北東都市の軍に全ての交易の品物を引き取って欲しいのですが」
「それは、ありがたい。それでは、軍まで案内をしましょう」
 驚くことに、目と鼻の先の茂みから数人の男が現れた。
「おっ」
 当然の驚きだろう。
「我々の後に付いてきて下さい」
 男達は草木を退けていた。何をするのかと皆は見ていたが驚くことに道が現れたのだ。恐らく、正式な街道ではない。西都市を攻めるために隠れ陣地を作成した。その行き来する道だと思われた。そのまま後を一時間くらい歩いただろうか煙が見えてきたのだ。そろそろ時間的には夕食を食べる頃だったので食事を作る煙だと思えた。そのまま進み陣の中に入ったのだった。まだ、酒宴の余韻が残っているのか、それとも、体から酒が消えていないのか、軍として戦える状態には思えなかったのだ。それでも、軍の規律は緩んでいなかった。
「このまま荷馬車で進んでもらっては困る。厩の前に置く決まりだ」
 その指示に従い、使用人と荷馬車を置いて、数人の主人たちが陣の中心に向って歩き出した。そして、この陣の主の天幕に着くと、交易人たちを待っていたのか、警備なのか分からないが言葉を掛けてきたのだ。
「ご主人様に用件なのか?」
 天幕の前で立っていたのは仁だった。撤退は無事成功したが、結局は仁の作戦は失敗と同じだったために、天幕の中には入ることを許されなかったのだ。
「はい。北東都市の主様に大事なお知らせたいことがあります」
「許されるか聞いて来てやる。この場で待っていろ」
 交易人に言う言葉とは裏腹に、仁は怯えるように天幕に入ろうとしていた。
「仁。何の用件だ。まだ入室を許していないぞ」
「それが、交易人が御主人様と面会を希望しています」
「そうなのか・・・・聞きたくない事ばかり耳に入り気分が滅入っていたのだ。丁度良い所に来た。旅での楽しい話しでも聞かせてもらう。中に入るように伝えろ」
 主の言葉は外まで聞えていた。それで、天幕に入ることを許されたのは分かったが、それでも、仁からの指示がなければ入れるはずがなかった。それが、身分がある者の対応なのは長年の付き合いで分かっていた。
「中に入ることが許されたぞ」
 仁は、これで少しは主の気分が和むだろうと感じていたが、そうは成らなかった事に後で知ることになるのだ。
「ありがとうございます」
 仁に深々と頭を下げた。その後、恐る恐るとして中に入ろうとしていた。
「何をしている。中に入って構わんぞ」
 主は嬉しそうに手招きするのだった。
「ありがとう御座います」
 中では軍人との軍略の会議ではなくて側役だけで酒を飲んでいたのだ。
「酒のつまみでもなる話しだと良いのだが・・・それで、何の話なのだ?」
 主から希望の話を催促されたが、違う話しだったので話しの切り出しに悩んでいるようだった。だが、長く待たせることが出来るはずがなかった。
「北東都市の主様。お話上げることは、西都市で聞いた話なのです」
「西都市・・・・・だと・・・それは何だ」
 先ほどまでは穏やかな表情だったのだが、ある言葉で急に不機嫌な表情に変わった。
「それが・・・西都市で、二人の男が怖くて北東都市の軍勢は戦いもせずに逃げ出した。と、祭りのように浮かれ騒いでいたのです」
 西都市での話題を教えた場合は命の保障があるかと悩んだが、このまま無言でも同じ状態になる。それなら、全てを話してスッキリとした気持ちになりたかった。
「我が・・・・たった・・・二人の男のために・・・・逃げ出しただと・・・」
 あまりの怒りのために言葉がすんなりと口から出てこなかった。
「それだけでは、ありません」
「まだあるのか・・それで我を何と言っているのだ?」
「腰抜け」
「何だと」
 立ち上がり怒りを表した。
「自分たち思っているのではありません」
「分かっている」
 怒りは消えないが、それでも、落ち着きを取り戻した。そう見せるために腰を下ろした。
「それだけでなく、子供の幼稚な思考だから戦いに来ても何度でも勝てる。そう笑いながら言っていました」
「笑っていただと、それだけでなく、何度でも勝てるだとぉ」
 家臣は血の気をなくした表情で、自分の主を落ち着かせようと酒を注ぐのだ。それだけでなく、この場の殺気に満ちた雰囲気で、緊張した客人の気持ちを和ませるためにも酒を注ぐだけでなく食事も勧めたのだ。始の内は緊張と殺気を感じて怯えながら話をしていたが、言葉にすればするほど催促するように酒や食べ物を勧める。そんな接待されては、だんだんと口は滑らかになり、噂になっていないことまで話しだしたのだ。それに、人と言う者は、人の褒めることには数の限りもあるだろうが、悪口なら制限無く言葉に出来る。そんな見本のような者たちの酒宴が何時間も続いたのだ。さすがに、長い時間の間、怒りを我慢しては、頭の血管でも切れたのか、北東都市の主は、その場に倒れた。その様子を見ても、客人立ちは、まだ話し足りないようだったが、部下達が主の容態が心配になり。駆け寄るだけでなく、慌しく医者や様々な人が駆けつけたために酒宴は終わるのは当然だっただろう。
「うぉおお。うぉおお」
 極限の怒りを超えたのだろう。気を失っているはずなのに叫び声だけは止まらなかった。それでも、部下達は落ち着かせようと必死だった。だが、数時間叫び続けてから意識を取り戻したのだ。
「北東都市の全軍で西都市を攻め滅ぼす。今直ぐに都市にいる全ての軍隊を呼び寄せろ。それだけでなく、北東都市を商人たちにくれてやる。それで、出来るだけの軍資金と物資をかき集めてこい。夢と思い描いていた。市民が選んだ代表者が都市を統治する。市民だけの都市が作れるのだ。全財産でも寄越すだろう。我は北東都市を捨てる。どんな事をしてでも西都市を攻め滅ぼして、我の都市にするだけでなく、我を侮辱した者を死んだ方がまし。そう思わせてやる。必ず、必ず実行してやる」
 また頭の血管が切れるかと部下達は心配した。だが、今回は怒りを発散する物があった。それは、何かの賞状のようでもあるが、世界に一枚だけの豪華さであり。その用紙を見ただけで頭を垂れてしまう程まで神々し物でもあったのだ。そして、下級兵士ではその用紙は何か判断できないが、ある程度の仕官階級の者なら誰でもが分かる物でもあった。
「主様。お待ち下さい。その用紙に名前を書くと言うことは何をするか分かっているのですか、都市も身分も渡すと言うことですぞ」
「我々が必ず西都市を攻め滅ぼします。どうか、それだけはお止め下さい」
 この場にいる全ての家臣が止めさせようとした。だが、もう正気でないのだろうか、嬉しそうに満面の笑みを浮かべて言うのだった。
「西都市を必ず攻め滅ぼすのだろう。それなら、北東都市など無くても構わないだろう。そうではないのか?」
 全ての家臣は何も言えなかった。
「・・・・・・・」
そして、ある者が死ぬ覚悟で口を開こうとした時だった。
「西都市を滅ぼして我の者になれば、北東都市など直ぐに奪い取ることができる。いや、北東都市の全ての者が頭を下げて頼み込んで来るだろう。我の領民になりたいとなぁ」
「・・・・・」
「北東都市の歴史だけでなく歴代の王の方たちに何て報告するのでしょう」
「だから、速やかに西都市を奪い取れ、そして、北東都市も取り返せばいいのだ。これ以上何も言うな。我が許さん」
 などと言い争いしている間に、用紙には名前と領主の印を押していた。
「これを北東都市に持って、速やかに軍資金と物資と全軍を引き連れて来い」
 もう誰も諫言できるはずもなく、北東都市の主は、視線を向けて眼を逸らさない一人の部下に指差すと、世界に一枚の用紙を手に持たせ北東都市に向わせた。

 第六十七章
 一人の武将とその部下の少数の隊は必死な表情で馬に乗って走っていた。それも、馬が疲れて動けなくなった時のために替わり馬を用意している割には馬の速度が遅いように思えた。それでも、特に、この隊の指揮官が進めば進むほど苦しそうな表情を表すのだ。そして、隊の中の一人の部下が不審を感じて言葉を掛けるか迷っていた。それでも、自分たちが馬を操るのが遅いための我慢をしていると感じたのだろう。
「聖(ひじり)隊長殿。代わりの馬を用意するほどの緊急の任務だと思います。もし自分たちの馬の技量を思って走る速度を合わせているのでしたら死ぬ気持ちで走りますので大丈夫ですから急いでください。自分たちは死ぬ気持ちで付いて行きます。それを信じてください」
「あっああ」
 部下から言葉を掛けられて適当に頷いているのだ、何かを考えているのだろう。必死で思いを伝えようとしているが、部下の言っていることが分からないようだった。だが、部下達には教えてないのだから分かるはずがない。その内心は、北東都市から全ての軍を移動することと、都市での全ての権利を放棄しろ。その勅命を家族に何て言って伝えるか迷っていたのだ。それでも、自分たちの家族は不満を表してでも納得するだろうが、他の者たちは納得ができないだろう。だが、都市の商人連盟に書簡を渡すと、全ての領地を持つ者たちは権利を無くす。だが、商人たちは相場の倍の値段で買い取るだろうが、即、領地からだけでなく都市から退去を命じるはず。そのことまで主は分かっていないだろう。たしかに、全ての軍を集結した場合は十万を超える軍隊になるだろう。だが、その三倍の数の非戦闘員が同行することになる。その指示には従えない。もし従ったとしてもまともな戦いが出来るはずがないだけでなく、家族の生活や家族を危険な目に合わせられないからだ。それと、考えたくないが都市内の軍が不満を感じて戦いを起こす可能性もあるが、もしかすると商人の会話の話術で、西都市の占領は安易などと夢を見せて都市から追い出すかもしれない。などと、様々なことを思案して思いが尽きたかと思うと、また次々と湧き上がり思案が終わらなかったのだ。
「・・・・・」
 部下達は命令の言葉を待った。だが・・・・・・・。
「あっああ・・・そうだな。急ぐとしよう」
 何か重大な任務なのだと思い。隊長を信じて、それ以上は何も言わずに付いて行くのだった。それでも、隊長と言われる者は、例え、思案しながらの馬捌きでも部下たちには付いて行くのがやっとだった。
「隊長。都市が見えてきました」
 部下たちは目的の場所が見えて安心した。それでも直ぐには言葉にしなかった。それは息が乱れての言葉では上官に失礼と思ったからだろう。それで言葉に注意しながら上官に知らせたのだ。
「あっああ。ご苦労だった」
 部下の知らせを分かってのことか疑問だったが、確かに、疲労は当然だった。深夜に出発して、普通の行程なら一日なのだが、一度も休まずに走り続けたからだろう。それでも、月の明かりがあったから約半日で着くことができた。
「はっはあ、はっはあ」
 都市の中に入ると、先ほどまでの疾走はできるはずもなく、人が歩く程度の速度まで落として進むので、やっと部下たちは息を整えることができた。だが、一つ不審を感じるのだ。なぜ、軍の宿舎に行かないのかと感じていたのだ。この先は、市民たちの代表者たちが集まる市民の集会場があるが、この時間では建物の管理をする警備人しかいないだろう。それに、軍から命令を下すだけの市民はず。それなのに、隊長が直接に訪れる場所ではない。もし用件があるとしても、軍の宿舎で身体を休ませてから部下に使いを出させて市民の代表者を呼び出せば良いはず。そして、部下たちは問い掛けるように隊長に視線を向けるのだ。まだ、何か思案をしている表情だった。もしかすると、この変な様子と関係があるのだろう。そう感じるが隊長を信じて無言で後を付いて行くしかなかった。
「隊長・・・・隊長?」
 やはり、想像の通りに市民の集会場の扉を叩いたのだ。直ぐに・・・・。
「なんだ。こんなに朝早く。誰だ?」
 扉が開かれる前に、警備人の言葉が響いてきた。
「済まない。開けてくれないか?」
「隊長殿。お待ち下さい。この様なことをしなくても」
 驚くのは当然だろう。一般の市民に頭を下げると同じことをしたのだからだ。その話しの途中に扉が開けられた。
「えっ・・・・何の御用でしょうか?」
「済まない」
 警備人は扉を開けると想像もできない者がいて驚くのは当然だった。この武人は見たことはあったのだ、それも、都市の支配者と共に席に座れる者。それは、雲の上人と同じ意味だった。そして、その者を尊敬から御席(ごせき)と呼ばれているが、特に最上の七人の者を御席七軍神(ごせきななぐんしん)と言われていた。その様な者と会話できるだけでなく、一般の市民の者に頼みを願ったのだから何が起きたのかと恐れを感じたのだ。
「あっ・・・・えっ?」
「隊長。この様なことは我々にお任せください」
「構うな」
「ですが・・・」
「頼みたいことがあるのだ」
「なっなぁ何でしょう」
「できる限り早く市民の代表者と話がしたいのだ」
「分かりました。それでは中にお入り下さい。席の用意とお飲み物の用意を致します」
「この場で構わない」
「それでも、外でお待ち頂いた場合は、自分が叱りを受けます」
「頼む。出来る限り早く話がしたいのだ。このような時間を費やすのでなく直ぐにでも呼びに行って頂けないだろうか、この通り頼む」
「隊長。このような者に頼むのでなく、自分たちに頼んで下さい」
 部下たちは嗚咽を吐くように涙を流して悲しんだ。その感情は当然だろう。なぜ自分たちに頼むのでなく、頭を下げてまで一般市民に頼むのか理解ができずに頭が変になりそうだった。だが、帰ってきた返事は、人を殺せるような視線を向けられて・・・・。
「黙れ、その場で待機していろ」
 普段の通りの耳の鼓膜が破れるのでないか、そう感じるほどの怒鳴り声だった。
「指示に従います」
「ひっひっ」
 一般の警備人は悲鳴を上げながら駆け出した。恐らく逃げたのでなく全ての代表者を連れに向ったはずだ。
「隊長」
 男が掛け逃げる。その姿を見て問い掛けた。
「構わん。この場で待つ」
 男を信じて待つ。そう気持ちを表すように腕を組んで頷くのだった。
「御席七軍神殿」
 男を信じたように一人の老人が息を切らせながら現れた。まるで親の危篤、いや、それ以上の慌て様だろう。確かに、今まで生きてきて今日ほどまで驚いたことはないはずだ。
「このような時間に呼び出して済まない」
 自分の主に接する時と同じように正式な礼をするのだった。そのような姿を見ては・・・。
「いや、いや、私たちのような者に頭を上げてください。直ぐにでも頭を上げてください」
「こちらからお願いすることがあるのだ。当然のことだ」
 地面に平伏す気持ちだったが、あまりの驚きで思考できず。正式な招き方を頭の中で考えているのだろう。恐らく、まずは建物に招き、椅子を用意して、そして飲み物に菓子。などと思考しているのが口から出ているのにも気が付いていないだろう。
「それよりも、何かの御用でしたら私たちが赴きますのに・・・・・それよりも建物の中にお入り頂きまして、直ぐに飲み物と菓子の用意を・・・それにても一般市民の飲み物と菓子では失礼だろうか・・・・あの男は建物に招き入れて椅子も勧めなかったのか、首にするしかないか・・・まあ、慌てた気持ちも分かる。その証拠のように泣いていたからな」
「それよりも、十二町の代表者とは会えるだろうか?」
「それは、間違いなく直ぐにでも集めます。お願いですから中にお入り下さい。このよう場で立ち話では恐れ多くて話しも耳に入りません」
「分かった」
 余りにも怯えている姿を見て、少しだが、自分が主を招く時のことを思い出したのだろう。大きな溜息を吐きながら建物の中に入るのだった。だが、部下たちには視線と腕の仕草で、その場で待機を命じたのだ。
「どうぞ、お供の方も中に・・・・」
「それだけは、承服はできない」
 老人の言葉を最後まで言わさずに、鋭い視線で拒否させた。恐らく、まだ、部下には知らせたくないのだろう。などとしている間に、一人、二人と老人が集まりだした。皆、同じように、服のぼたんの掛け間違いや片方とも違う靴を履いた者もいた。やっと椅子に座って頂き飲み物と菓子を用意する頃になると、十二人の男が集まった。
「今回は、このような場所に・・・・何て言いましょうか・・」
「こちらがお願いすることがあって集まってもらったのだ。知人と思って話をしてもらって構わない。そのような話をするために来たのだ」
 大きな溜息を吐いた。もしかすると、自分の主と話すよりも精神的な負担を感じたような本当に大きな溜息だった。それとも、書簡の内容を何て切り出すか迷っているとも感じられもした。
「そう言って頂きまして嬉しい気持ちです。それで、私たちに何の御用なのでしょうか?」
「まずは、主様から命じられた書簡を読んでくれないか、詳しい話は、その後で伝える」
「この書簡を頂いて宜しいのでしょうか?」
 誰が見ても、体が竦むほどの豪華な書簡であり。末代までの家宝になるのは当然の物だったので、指紋や汚れが付いて良いのかと顔色を伺っていた。
「これ位のことで驚かないでくれ、書簡の内容は、それ以上のことが書いてある。汚れなどの心配よりも、心臓が止まらないようにして欲しいぞ」
 このように一々驚いていては、真面目に書簡を見たら心臓が止まると思ったのだろう。軽い冗談のように言って気持ちを落ち着かせようと言ったが、別の感情が膨れ上がった。それは、町を仕切る主と言うよりも商魂としての気持ちだった。その視線を見て、武将は心臓が止まる心配は消えた。まるで、戦場での戦いを感じるほどの殺気だったのだ。
「分かりました。この書簡を読ませて頂きます」
 先ほどまでの怯えは消えて、まるで剣を抜き相手の隙を窺うような様子だった。
「信じられない」
 一人が読んで、次の者にと次々と書簡を手渡すが、皆が同じ言葉を吐いたのだ。そして、皆が同じように腕を組んで考えるのだ。
「むむ・・・・むむ」
「この返事はいつまで決めればいいのでしょうか?」
「主様の印が押されているはず。それは、決定事項と考えて欲しい」
「ですが、この書簡の内容に見合う金額だと、想像も付かない金額になると思いますが?」
「それは、今この都市にある全てだと考えて欲しい」
「それだけでは見合わないと思いますが・・・・それで足りない物を毎月か年毎に払うのでは、今までの状態のままが良いと思いますが・・・・ですが、何が起きたか、そして、何に必要なのか言ってくれるのでしたら書簡を破り捨てて、お助けすることもできます」
「全て伝える気持ちはある。だが、主様は都市を捨てる気持ちは本当だ」
「それでは、西都市を占領されたのですね。それでしたら、祝いとしていくらでも物資を送ります。そして、この都市を商人だけの都市にするのなら喜んで従います。ですが、さすがに、今から都市の全ての物資とは行きませんがね」
「違うのだ。主様は、放浪を覚悟で、人生を掛けてまで西都市を奪い取る覚悟なのだ」
「このようなことは失礼だと思いますが、そのような覚悟などは忘れるように諫めるのは家臣として当然のことではないでしょうか?」
「確かに、そうだろう。だが、今、全ての軍で攻められるなら可能性があるのだ。それだけでなく、武人の名誉に係わることでもあるのだ。それは、この都市にも明日には主様がなんて言われているか分かるはずだろう。例えで、商人の言葉で言うのなら北東都市の商人は偽貨幣で交易するだけでなく、詐欺行為から人を殺してまで金を得る集団だと言われているのと同じことを言われているのだ」
「ですが、足りないと後で言われる可能性を考えると・・・・失礼なことですが・・」
「ふざけるな。その書簡は主様の命と同等だぞ。それにだ、商人は証文を書いた後は、商品が後で莫大な値打ち物だったとしても、追加の値段を言うのか、それと同じことだぞ」
「その通りです。ですが、正直に言わせて頂きます。七軍神殿には想像も付かないことですが、貴族様、いや領地持ちも大貴族様でも、証文を無視して貸したお金を払わないだけでなく、再度、証文の期限の催促をしただけで、貴族を信じないのかと無礼だと叫び、新たな証文を作らせて金を持って行く者もいるのです。そのために我々は身分の無い都市を作りたい。そう願ってきました。その夢と思っていたことが書簡に書いてあるのは嬉しく舞い上がりたい気持ちですが、身分の差とは簡単に約束を破っても何もできないのです。それを誰に訴えればいいのでしょう。誰も居ないのです。だから、私たち商人は証文と金に頼ってきたのです。それを、全部ですと、もし、それを使い果たした時は武力で訴えないと誰が信じるのですか、それをお聞きしたいです」
「分かった。その証拠として、都市から全ての貴族は消えるのだ。明日にでも全ての資産を差し押さえして構わない。それは、七軍神の一人として保障しよう。だが、代々の家宝や持ち出せる物までは許して欲しい。それと、信じられないと思うが、その書簡は、この都市だけのことではない。他の都市の主に見せたとしても、今の主様と同等の権威がある。それを破って何かをした場合は、他の都市に、都市の主として正式に軍の援助を求めることができる。それが、西都市にでも同じだろう」
「そこまで・・・・」
「もう一つ言うが、今まで主様は、難癖をつけて西都市に攻めているが、それは、西都市に非がある。それで攻めているが、その書簡の内容が知られれば、賊と同じになると言うことだ。そこまでしてでも侮辱されたことを取り消ししたい。名誉を取り戻したいのだ」
「分かりました。全ての物資と都市の全ての貨幣を軍資金として渡しましょう。ですが、その後は、米一粒として渡しません。もし破るようでしたら、今戦っている都市にでも、この書簡を渡して助けを求めますぞ。良いのでしょうか?」
「構わない。主様は書簡では、もう北東都市の主ではないのだからな。だが、十六歳以下の男子と女や子供は城で待機とさせてもらう。そして、城内だけは、今までの通り主様の権限は許してもらう。勿論、待機している者も同じ待遇なのも当然のことだ」
「勿論、土足で踏みにじる気持ちはありません。城は都市の象徴と残す考えです」
「そして、その人たちの生活費は、我の領地や全てを財で補いことを約束しよう」
「それは頂けません。期限付きですが、私たち都市で生活は保障致しましょう。それと、五日の間で軍資金と全ての物資を用意させます。その前に城に残る者、軍として出兵する者は都市から出て行って頂きます。それで、宜しいですか?」
「それで構わない」
「それでは、お願い致します」
「それでは、全ての貴族と領主に知らせに行く。これで失礼するぞ」
「戦に勝つことを祈っております」

 第六十八章
 人々は町の何箇所もある賽銭箱のような所に金を入れて行くのだ。その時に祈る者、泣く者や嬉しそうにはしゃぐ者と様々な感情を表していた。半日も経つと箱は一杯になり直ぐに替わりの箱を用意しては、また、直ぐに満杯になるのだった。それだけでなく、子供も居て。食料を置く者もいた。もしかすると都市の全ての者が自分で出せる全てを置いていると思えるほどだった。そして、到る所で祭りのような騒ぎになっていた。まるで、これ以上の幸せがない。そのような感情を表していた。その逆に貴族と領主たちは、自分の身分が消えたのだ。それを復活させるには、西都市を攻めて奪い取らなくてはならない。不満はあるが、主の命令なら従わなくてはならなかったのだ。そのことで大人しく五日も待つ者は殆どいなかった。有力貴族や領地持ちの者は功績を認めて欲しいために持てる物資などを全て荷馬車に詰めて直ぐに主の所に向ったのだ。その他の者は一つの軍として集まり。ある程度、人が集まると直ぐに出発していた。
「七軍神殿。予想以上も早く軍資金と物資が揃いそうです」
 市民の集会場で一人の武将の聖が、腕を組んで誰かを待っているようだった。そして、現れたのは、あの朝に一番初めに現れた。二の町の代表の老人が知らせに現れたのだ。
「済まない。何の謝礼もできないが、本当にありがとう」
「それと、これは内密にして欲しいのですが、今まで渡した軍資金などは一般市民だけです。これから大商人が持っている全財産を出しますが、もし軍資金が切れた場合は、一度の戦くらいの軍資金を出せます」
「それは、ありがたいが、都市の人々の生活もあるだろう。その気持ちだけ受け取る」
「商人を甘く見ては困りますね。商人とは都市にあるだけでないのです。他の国や都市に貸付や商品の前渡し金などがあるのです。来月に入荷の商品分は全て前渡し金です。それだけでなく、今、主様の人気は凄いですぞ。皆は、自由都市を作るための戦をしていると、誰の噂か知りませんが、都市中に広がっています。ですから軍資金が切れたからと自棄にならずに相談だけはして下さい。出来る限りのお助けをしたいと思っております」
「むむ、だが、それに見合う謝礼はできない」
「自由都市、身分の無い都市とは、それほどの夢なのです」
「分かった。この場の話は、二人だけの心に納めることにしよう」
「お願いします」
 二人の男が納得すると、聖は城の方に歩き出し、二の町の老人は、恐らく自宅だろう。向って歩き出した。本当に老人が言ったように辺りでは祭りのように浮かれ騒いでいた。
「金も食料の余裕など無いのだろうに本当に嬉しそうだ」
 聖は老人の言われたことを肌で実感していた。
「・・・・それにしても、この辺りは無人の廃墟のようだな」
それと逆に城に向うほど騒ぐ者たちの数が減ってきた。と言うよりも、この辺りになると身分のある貴族や領地を持つ人たちの屋敷などがあるので、今では成人男性の全ては戦いのために居ない。それだけでなく、その家族は城に移動していたのだから無人の廃墟と感じるのは当然だった。そして、人が住んでいない町並みを見ながら城に向かい。城内に入って見ると、直ぐに女性たちが、聖の所に集まってきたのだ。
「わたくしたちのお願いを聞いて下さい」
 全ての女性たちが、泣きそうな表情を浮かべながら話を掛けてくるのだった。
「どうしました?」
「市民が怖いのです」
「えっ」
「そうです。今は、まだ軍人さんが居ますけど、何日後には全て戦いに赴くのですよね」
「そうなります」
「そうなると、市民の人たちが襲いに来るはずです。ですから、七軍神の一番の武将の聖殿が居てくれると嬉しいのですが・・・・・駄目でしょうか?」
「もし駄目でしたら、わたくしたちの警護隊でもいてくれたら助かるのです」
「どうか、お願いします」
「そのようなことになりません。都市にも秩序と安全を維持する組織がありますぞ」
「それは、市民の方々でしょう。市民を守っても、わたくしたちは守ってくれませんわ」
「そのようなことはありません」
「ですが、噂を聞きましたわ。わたくしたち家族は、軍資金や食料などの物資を返すまでの人質と、皆が言っていますわ」
「それを証明するように側使いの者たちが、誰一人として来ないのです。恐らく、わたくしたちを襲う計画があるのですわ」
「それは誤解です」
「それでも、わたくしたちは怖いのです。どうか、聖殿。城に残ってくださいませ」
 聖は、何度も説得しても信じてくれなかった。市民たちは、城に居る者たちと係わりたくないと感じて、誰一人として、この地域に誰も近寄りたくないと思われているのに、城に居る者たちは、余程、市民たちに恨まれることをしていたのか、それを実感しているのか、それとも、自分たちでは何もできために、命令を聞いて実行してくれる者がいないと生きている実感がないのか、様々な思いがあるだろう。だが、皆の共通の思いは、上に立つ者の義務と言うべきことを何一つしていないだけでなく、市民を同じ人と思ってないために、森で出くわす獣のように恐れているのだろう。
「分かりました。自分が一人だけで残りましょう。それで宜しいですか?」
 女性たちが縋り付ききながら泣くだけでなく、承諾しないと何時までも自分から離れてくれない。それで、仕方なく承諾したのだ。それでも、最後の軍が出発する時にでも、再度、説得しようと考えていたのだ。
「はい」
 皆は嬉しそうな溜息を吐きながら笑みを浮かべるのだった。それなのに、この場から一人、二人と離れる時に、チラチラと聖の方を振り返るのだ。本当に居てくれるのね。わたくしたちを助けてくれるのね。そんな態度を示すのだ。まるで、聖の心の思いを感じ取ったような様子なのだ。そんな女性たちを見て、聖は特別な良いことを考えた。そんな表情を浮かべてから城から出て行くのだった。なぜか、歩き出す方向は、先ほど来た道を戻って行ってしまった。
「七軍神殿。そろそろ顔を現す頃だと思いました」
「なぜだ?」
「城にいる人々が怯えているのではないか、それと、困りごとを頼みに来るのではないか、そんな考えが頭に過ぎったのです」
「確かに、その通りだ」
「それでは、舞踏会を開きましょうか?」
「構わないのか?」
「構わないのですが、この騒ぎですから侍女や賄人などは誰一人として来ないでしょう。それでも、必要な物は全て用意を致しますが、自分たちだけで着付けや料理が出来るのでしたら何日間でも開く用意をしても構いません」
「だが・・・」
「それが自由と言う者です。金銭的に合わないなら仕える者が選べるのです。それに、この都市に住むのなら出来なければ生活はできませんぞ」
「むむ」
「ご気分を壊しましたか?」
「いや、違う」
「町の代表として、皆に城に手伝いに行ってくれ。そう頼んだら行くと思いますが、頼みますか?」
「た」
(頼む)
 聖は・・・・と言うつもりだったのだろうが・・・・・・。
「ですが、もしかすると、貴族の女性たちは気分を壊されるかもしれませんよ。元、行儀見習いに行っていた者や召使の者は、主の落ちぶれた姿を見たくないから来ないはず。ですから、手伝いに来る者は、その姿を見たい者。まあ、出来る限り人を選びますが、それでも、手伝いに行く。そんな感じですから接する態度に現れるでしょう」
「・・・・・」
「もし、宜しければですが、私の妻と娘を行かせて、ままごと遊びのようにして習う。そんな形にしては、どうでしょうか?」
「むむ・・・・仕方がない。そうしてくれ、だが、皆も腹を空かせているだろう。食料は少し持って行きたい。それで、明日の朝までは野点のようにして楽しませれば気持ちも落ち着くと思うのだ。可なり落ち込んでいるのでな」
「領地から全財産が、戦の軍資金として無くなるのですから、ですが、戦に勝てば元の、いや、それ以上の領主になれるのですから良いことです」
「だが、何ヶ月、何年と掛かった場合は、この都市で生活しなければならない」
「それなのです。食料などの物資なら城に用意させましょう。ですが、今までの通りに市民に雑用などをやらせては、都市に不満が広がり。考えたくないことになる場合があるかもしれません。我々の少ない食料をお渡しするのですから・・・・」
「済まなかった。そうだな、食料などを分けてもらう立場だった。分かった。貴族でも料理など作れる者もいるだろう。貴族だけで生活するほうが良いな」
「それが、宜しいと思います」
「済まなかった」
「裏の蔵から好きなだけ持って行ってください。直ぐ誰か手伝いを向わせましょう」
「気にしなくてよいのだ。食料くらいなら一人で持っていけるからな」
(舞踏会は諦めるしかない。それよりも、これからの生活だ)
 聖は、一人で蔵から必要な分だけを考えて荷台に載せた。そして、一人で馬を引きながら城に帰るのだった。城に着くと、直ぐに自分の妻と娘の所に向かい。先ほど聞かされた話を全て話しするのだった。
「そうでしたか・・・この荷台にある全てが・・・・町の人たちのご好意なのですね」
「ああ」
「大事にしなければなりませんね」
「それで、皆は?」
「少々武術の心得がある女性たちが、皆を守ると、先ほどまで騒がしかったのですが、今は静ですね。もしかすると、お腹が空いて大人しいのかもしれませんわね」
「それで、調理場にいたのか?」
「まあ、何か食材がないかと探していましたの」
「そうなのか」
「はい。それで、この食料のことは、男の方から言うよりも、わたくしたち女性から伝えた方が穏やかに伝わると思いますわ」
 そんな家族で話をしている時だった。
「何をしているのです。皆で固まっていなくては危険なのですよ」
 数人の男装をして剣を腰に差した女性が心配そうに現れた。
「わたくしの旦那様が食料を調達してくれましたわ」
「そうでしたか、誰か料理を作れる者がいれば良いのですが・・・・・それにしても、なぜ、召使たちがいないのですかね」
「それでは、わたくしたちが、誰かいるか探してきましょう」
「お願いするわ」
 共に来た。その中の一人の女性が、調理場から駆け出した。
「そのことなのですが、いろいろと、旦那様から聞いた話なのですが」
「理由を知っているのね」
「待て。このご婦人は・・・・」
 聖は妻が話しだすのを止めようとした。
 この女性の家は、男子が生まれなかったために女性として家の爵位を継いだだけでなく、何かと、いろいろな噂に上る人だった。その中でも歳の離れた義理の弟に爵位を継がせるために、ある貴族と決闘する寸前にまでなったらしいのだ。それで、領地も爵位もなくなり、貴族の中では一番怒りを感じているはず。そのような噂のある者に市民の立場や、今の状況などを知らせても、貴族としての地位を守るために市民と戦う。そう感じてしまったのだ。そのような噂は、自分の妻も噂は聞いているはずなのに、嬉しそうにお願いするようすだったのだ。それで、妻を引き止めなければならない。それで、声を上げたのだ。
「何です?」
 今すぐにでも怒りを爆発させる。そんな不満を表しながら刀に手をかけるのだった。
「待て」
「そのような殺気を放って待てとは、どう言うことだ?」
「分かった。今の状況を全て話そう。だから、刀から手を放してくれ」
「それは、わたくしからの方が良いと思いますわ。御主人様は、料理などに心配せずに他に仕事がありますでしょう。わたくしたち女性にお任せ下さい」
 ここまで言われては、この場を任せるしかなかった。それでも、男装の麗人が怒りだすのを恐れて、荷馬車から荷物をゆっくりと降ろし、話しの様子を窺いながら保存庫に入れるのだった。
「そのような理由があったのですか・・・・・市民の自由か・・・良いではないか、我ら貴族は市民の手本にならなければならない。生前よく父上が言っていた。それを証明できる市民の姿が見られるとは、父上が生きていたら泣いて喜んだだろう。その気持ちは自分にもある。喜ばしいことだ。確かに、領地と身分はなくなるが、西都市を攻め滅ぼし新たな領地と身分を主様から頂けば良いことだ。
 気難しそうな表情を浮かべていたが、何かを思い出したように満面の笑みを浮かべて、祝福の言葉まで述べたのだ。
「そうですわね」
 男装の麗人が本当に心底から嬉しそうに言うので、聖は、この場を女性たちに任せる。そう心で決めたのだろう。それが行動に現れたように荷台から一気に下ろし、その勢いのまま保存庫に片付けたのだ。そして、陰から女性たちの様子を見てから城内の全てを見回った。その途中で驚くことになるのだ。妻の所から離れて一時間くらいは過ぎただろうか、なぜか、何をしたのか、城内の全ての者に話しが伝わっていたのだ。後から妻から聞いた話しだが、女性特有の伝染病のような話題の伝わりの驚きだけでなく、女性の警備隊と男装の集団とで、貴族の女性たちと少々の諍いがあったと言うのだ。だが、男装の麗人の貴族としての生き方の信念で市民は守らなくてはならない。まるで貴族の女性たちと逆の話しで揉めたらしいが、貴族の誇りを心情する女性たちが説き伏せたらしい。と言うのは、今この場で自分たちを守れるのは、警備隊と男装の集団だけしか居ない。そのために渋々と頷いたと言うのだが、それでも、城には女性と子供たちだけなので、もしもの仮にと話題に上げて言ったらしい。市民の中には、邪な考えがいるかもしれない。その者たちが怖い。それを聞き、男装の麗人は城の中にいる全ての者を守ると誓い。騒ぎは収まったと聞かされたのだ。まだ、そのようなことを知らない。聖は・・・・・・。
「探していたぞ」
 城内の様子を見ていた時に、男装の麗人と鉢合わせしたのだ。
「何でしょうか?」
「舞踏会を開きたいのだ。宜しいだろうか?」
「私の許しを求めなくても良いと思いますが・・・・・んッ?」
「この状況で、この城内では、貴殿が最上官と思ったのだ」
「私の許しで良いのなら何も問題はない。好きにして構いませんぞ」
「済まない」
 男装の麗人は、深々と頭を下げると、また、誰かを探すように立ち去って行った。
 そして、三日が過ぎるのだった。

 第六十九章
 城内では、最初で最後の質素な女性と子供だけの舞踏会が行われていたが、確かに、名称なら舞踏会なのだが、舞踏会と言うよりも子供の園遊会と思われた。それでも、子供が寝静まる頃からは、形だけは舞踏会のように踊りを楽しむ者もいたが、全て女性だけだったのだ。それと、いくつかの違いがあった。音楽を奏でる者も、給仕のようにする者も全て貴族がしていた。そして、一番の違いは、普段の舞踏会では音楽だけが辺りに響く雅てきな雰囲気なのだが、今の状態は、女性の歓喜の悲鳴が響いていたのだ。まるで、この世で許されない同姓を愛する饗宴のようだった。
「キャ~」
 女性だけの参加と思っていた所に、男の聖が現れたので、女性たちが悲鳴を上げたのだ。
「聖殿ではないか、舞踏会に出席に来たのか?」
 男装の麗人が言葉を掛けてきた。
「いえ、最後の補給部隊がでます。それで、皆様方にお別れの挨拶にきたのです」
「どう言うことですか?」
「男装の麗人と、その親衛隊がいれば、自分は必要がない。そう思ったのです」
「待って欲しい。我ら女性と子供だけを城に置いて行くのか?」
「一人でも多く軍人が必要なのです」
「部隊を残してくれと言っているのではないぞ。聖殿だけで良いのだ。この場に残って欲しいのだ。頼むから残ってくれないか・・・頼む」
 男装の麗人が深々と頭を下げると、親衛隊だけでなく、この場の全ての女性かと思える者が集まってきたのだ。そして、女性の代表のように・・・。
「ご主人様。城に残ってくれるのでないのですか?」
「うっ」
 自分の妻に言われて、戦に行くと、即答できなかった。
「ねえ、ご主人様。残るとお約束したのですよね。わたくしも、そう聞きましたわ。それが、なぜですか、突然に戦に行くなんて、そんなことを言うのですか?」
「だが、自分は軍人なのだ。だから・・・・・」
 女性たちの悲鳴のような言葉の嵐を受けて、思いの全てを口にできなかった。そして、足にすがる者までいたのだ。それで、身動きもできず。聖は観念するしかなかった。
「分かりました。自分だけが残ることにします」
「本当ですね」
「ですが、主様に書簡を送り。戦に赴く指示が来た場合は戦に行きますぞ」
「それなら、大丈夫ですわよ」
「えっ」
 穏やかであり。自分が何を言っているのか、その言葉の意味が分かっているのか、疑問に思う声色で言葉を掛けられたのだった。その者は・・・・。
「妃さま」
 聖は驚きの声を上げていた。姫は読書と花が好きで、殆ど部屋から出てこないので有名なのに、この場にいたからだった。
「ほら、始に城に残ってくれる。そう言ってくれましたでしょう。それは、一軍人が勝手に決められないと思って、都市の主様に、聖殿が城に残ることを許されるように書簡を送ったのですよ。それが、昨日、返事が届いたの。ですから、城に残れるのですよ。それですから妻と子供とも一緒に居られるのですよ。本当に良かったですね。そう言う訳ですから警護を頑張ってくださいね」
「あっ・・・・」
 聖は頭が痛くなってきたのだろう。その場で頭を抱えてしまったのだ。それは当然だろう。主に送ったと言う。その書簡には何て書いたのか、いや、想像はできた。妻と子供がいつ死ぬか分からない病気にでもなったために帰れないとでも書いたはずだ。それも、誰が読んだとしても嘘だと分かる内容だろう。
「どうしました」
 この姫は、もう良い大人なのだが、本当に無垢の少女のように問い掛けるのだった。
「何でもありません。城内の警護の件は、しかと、お受けします。少しの不安も感じさせずに万全の警護に当たります」
「お願いしますわね」
「王妃様。新しい菓子が出来たようです。美味しそうですよ」
「それでは、行きましょう」
「はい」
 アヒルの子供が親の後を付いて行くかのように、ぞろぞろと姫の後を追ったのだった。そして、聖は一人だけ残された後、何か不満でもあったのか、それとも、菓子が食べたかったのか、菓子があるほうを見つめていた。
「都市の代表に、自分が城の警護を正式に任されたと伝えに行くか、それと同時に、もう少し食材を頼みに行くか」
 聖の視線の先には、菓子を見ていたが食べたいのでなく、かなり質素だと感じたのだ。普段なら食べられないほどの料理を車輪付き食卓の上に並べて出させるのだが、今は、一人の女性が両手で抱えられる程度の器に菓子が並べられていた。おそらく、皆に均等に分けるとしても、一人に渡るのは一枚か二枚程度しかなかったのだ。そして、誰も見ていないだろうが、女性たちに向って退室の礼なのだろう。簡易な礼をすると部屋から出て行ったのだ。恐らく、城を一回り見回りした後に、町の代表者と面会するのだろう。
(だが、追加の食料を頼んでも頂けるだろうか)
 そんな思案しながら城の見回りしている時だった。
「聖殿。お探ししていました」
「一の町のご老人ではないか、何かあったのか?」
「はい。少々お願いすることができました」
「何があったのだ?」
「それが、少数の者たちなのですが、羽目を外す者が増えて困っていたのです」
「代々決まっていたことを変えると、そう言う者たちが現れるのは分かるぞ」
「私どもも、予想はしていて町ごとに自警団を組織したのですが、何て言いましょうか」
「ほうほう、それで・・・」
 老人は、自分たちの恥だと感じているのだろう。言い難そうにしているが少しでも早く解決したいために城まで来たことでもあり、気持ちを切り替えて話を始めたのだ。
「それはですね」
 書簡が届いて直ぐに、号外が撒かれるだけでなく看板や人々の噂で、その日の昼前には都市の全てに広まっていたのだ。それと同時に、貴族と付き合いのある者や貴族に金銭の貸付が消える恐れや敵意を感じている者たちが騒ぎを起こすと思われて、町ごとに自警団を組織したのだが、町ごとで対抗意識や知人だと感じて逃がす者が多く、まったく機能していなかったのだ。そのために、組織を仕切れる長がいれば正しく機能するだけでなく、騒ぐ人たちの抑止にもなり、その者たちの気持ちを抑えることになる。そう感じたのだ。それで、恥を忍んで願いにきたのだった。
「そうだったか」
「それで、お受けして頂けるのなら・・・・そうそう、城を見回した所、何かと必要な物が欲しいと思われます。その引き換えとしました。何なりと御用を致しますよ」
「ふざけるな。商人や都市民は金が一番の考え方かもしれんが、我ら貴族は、真っ先に考えるのは家と自分の名誉を汚さない事だ」
「それでは、お受けして頂けない。そう言うことでしょうか?」
「だが、女性や子供たちだけでなく、弱い者たちが被害に遭っているのならば、それは、貴族として手助けしなければならないことだ。だから、真っ先に金銭の話しなどせずに助けを求めれば、それで良いと言うことなのだ。まあ、それでも、確かに、必要な物があり。頼みに行くところでもあった。だから、その話し受けよう」
「ありがとうございます」
 それ以上は何も言わずに何度も頭を下げるのだった。
「少し待っていてくれないか、行き先を告げてくる」
 恐らく、警護している者に自分の行き先と、食料だろうか、何かの物資を渡したい者に用意ができたから心配するな。それを、伝えに言ったのだろう。そして、まるで、聖が子供のように嬉しそうな表情を浮かべられては出来るだけのことをしよう。そう老人の笑みからも感じ取れた。二人は似た者同士なのだろう。それだけでなく、聖が話を受けたことで、この先の出来事、特に、自分の主が助かることに繋がるのだった。
「待たせた。それでは行こう」
 老人は、安心しきって笑みを浮かべているが、聖は気難しい表情を浮かべて戻ってきたが、微かに引きつっているのは、恐らく、妻か子供からでも言われて無理に表情を作っているように思えた。
「こちらがお願いしたのです。何時間でもお持ちします」
「もう用事は済んだ」
「それでは、行きましょう」
 二人は町に帰るまでの間に、特に老人の方が話しかけているが、これからのこと、聖に頼む予定を話し合っていた。老人の方では、今すぐにでも行動を起こしたいと考えているに違いないが、先ほどの嬉しい表情を見ては言えるはずもなく、明日の朝から頼みますと伝えた。真っ先にお願いしたことは、十二町の自警団の団長を務めて欲しい。その発表には明日の朝一番で就任の挨拶をお願いしたいと言ったのだが、我々庶民と貴族では起きる時間が違うこと(召使が朝食の用意から着替えに目覚めの飲み物が用意されて、窓のカーテンが開けられてから起きる時間だった。その時間は普通では朝の九時頃が当たり前だった。そして、ゆっくりと朝食を食べ、手紙などがあれば読み、やっと朝一番の行動が始まるのが十時過ぎだった)言ってから気が付くのだった。それで、軍属に就いている者なら我々庶民と同じように起きるはず。それを遠まわしに伝えれば、少しでも早い時間に起きてくれると判断したのだ。
「明日、自警団の就任の挨拶のために朝一番に迎えに窺います」
「分かった。それでは、十時頃までには支度を終わらせておくぞ」
 だが、気持ちは伝わらなかった。いや、老人は家に帰り、妻に愚痴をこぼした時に分かるのだった。今は、召使がいない。貴族たちだけで朝食などを作って食べるのならば、かなり早い時間に指定したと気が付くのだった。
「お待ち下さい」
「どうした?」
 聖は、食料の追加を言うことができず。手ぶらで帰ろうとした時だった。
「裏の蔵に追加の食料を用意してあります。お持ち帰りください」
「あっ・・すまない」
「明日の朝一番に伺いします」
「わかった」
 聖は、老人の前では当然の謝礼と無表情だったが、馬車を動かせて荷の重さを実感すると、少しだが微笑を浮かべていた。その笑みは妻にしか分からないだろう。そのまま荷馬車を走らせて、先に自分の屋敷に寄るが誰もいなかった。
「屋敷にいるはずがないか」
 屋敷と聞いて、変に思うだろうが、まだ、聖は屋敷と全財産の処分がまだだった。それでも、屋敷などの譲渡の書類は作成してあったが、都市に残ることになり。そのままの状態だったのだ。それでも、聖が一人で寝に来るだけで、妻と子供たちは城内なのだが、妻が聖の世話に寄っていると思ったのだ。
「皆と一緒に城のはずだな」
 聖は誰もいないと分かると、直ぐに馬車を走らせて城の調理場に向った。そして、調理場に着くと、誰も居なかったが、荷馬車から荷を下ろし保存庫に入れていた。
「ご主人様。ありがとう御座います」
 自分の妻が歓喜の声を上げていたのだ。
「何がだぁ?」
「小麦粉や食材です」
「あっああ、欲しかったのだろう」
「はい。皆さん方は、不安や不満を解消しようと、よく食べますから・・・・」
「そうか」
「はい。ご主人様も空腹ではないのですか・・・何か作りましょうか?」
「ああ、それでは、頼む」
「ご主人様」
 料理を作りながら主人に問い掛けていた。
「何だ?」
「料理を作っていると、若い頃を思い出しますわ」
「そうだな。爵位があるだけの没落した貴族だったからな」
「また、武勲をたててください」
「そうだな」
「楽しみしています」
「楽しみにしていろ」
「はい。それで、明日は、何か御用があるのですか?」
「明日の朝一番に、屋敷に町の代表者が来る」
「そうでしたか、その時間に間に合うように準備をしておきますわね」
「頼む」
 妻は料理を作っていて見えないのだが、聖は頭を下げていた。
「簡単な料理ですが出来ましたわ」
「ありがとう」
「いいえ」
「頂きます」
 聖は、そう言って食べ始めた。妻は嬉しそうに夫が食べる姿を見て、今までの生涯を思い出したのだろう。本当に嬉しそうに話しかけてくるのだ。聖は恥ずかしかったのか、ただ、空腹だったのか、その両方だろうか、急いで食事を済ますと、城内と外を見回りしてから屋敷に帰ると、そう言うのだった。

 第七十章
 北東都市の中では、祭りのような賑わいは、一日、二日、三日と過ぎても収まる様子がなかった。もしかすると、一週間、いや、一月が過ぎても終わらないかもしれない。そんな様子の町から珍しく乗合馬車が走っていた。それも、大勢が乗る物でなく、数人が乗る専用の馬車が都市の中心に向っていたのだ。まだ、城には主が居て、貴族たちの屋敷に人が住んでいる時ならば頻繁に行き来していたが、今では荷馬車が一日に一度か二度、そんな程度しかなかった。勿論、その荷馬車は聖なのだが、なら、乗合馬車は、それも、誰もが想像できたし、馬車の形からでも判断ができた。それは、町の代表者が乗る公用馬車だったのだ。それも、殆ど使われない祭典用の物だった。そして、聖の屋敷の前で止まり、馬車の客室から出てきたのは北東都市の公用の正装を着た。一の町の代表者だった。
「聖殿。迎いにまいりました」
 老人は、呼び鈴を鳴らし待った。
(少し早かったか?)
 などと、考えている様子を表していた。それでも、それ以上、呼び鈴を鳴らすのでもなく、静に待っていた。
「あっ来ていたか」
「はい・・・・・・今、来たところです。あっそれと、馬車を用意してきました」
 玄関の扉が開けられて、聖が出てきたが、それと同時に、柱時計の時間を知らせる音も聞えてきたのだ。恐らく、呼び鈴を鳴らしたのと同時であり。約束の時間に聖は出てきたのだろう。
「どうしたのだ?」
 一の町の代表は、何か不満でもある言い難い表情を浮かべていた。
「北東都市の軍礼服に驚きました」
「自警団とは、軍と似た事をするのだろう。それなら、式典と言えば軍礼服だと考えたのだが、そうではないのか?」
「確かに、そうなのですが、何て言って良いか、これからの北東都市は身分の無い軍組織を考えていまして、貴族を象徴する軍服では不似合いでないかと・・・・」
「戦いなどをする任に就くなら軍礼服を着る。これは、自分の誇りであるから妥協はできない。嫌なのなら他の者に任せるのだな」
「お待ち下さい」
 馬車に乗ろうとして扉を開けたのだが、侮辱を受けたと感じて屋敷に帰ろうと振り向いた。それを、引き止めようと、縋るように言葉をかけた。
「何だ」
「聖殿の言うことが正しいと気が付きました。今までの軍の組織を参考に自警団を作りたいと思いますので、軍のことを教えて頂けませんか?」
「構わないが、今回の北東都市と西都市の戦いが終わるまでで良いのかな?」
「当然です」
「承知した」
 少々まで不安を表しているが、それでも、馬車の中に入るのだった。そして、一の町の代表も共に入ると、御者の者が降りてきて扉を閉めた。すると、聖が話し始めるのと同時に馬車が走り出した。
「なぜ、自分が必要になったのか分からない。それでも、少し考えてみたのだ。もしかすると、組織として結束がないのではないか?」
「確かに、それもありますし、まだ、威圧で騒動を治める力が無いのです。それで、戦う訓練と、聖殿が組織の長に就いて頂ければ威圧効果があると考えたのです」
「他の都市の軍組織はしらないが、我が北東都市は全てが爵位持ちなのだぞ。末端の兵士でも、剣を拝領した時点で軍爵(ぐんしゃく)となるのだぞ。それは、誇りであり。死ぬまでの生涯を剣で戦い抜くと言うことなのだ。それを、一日や二日などで、騒動の鎮圧を威圧で黙らせるなんてありえない。まあ、腕に覚えがある者の集まりと思うが、相手も同じような者達なのだから納められるはずがない」
「確かに、その通りだと思います。それで、私たちが考えた結論では、騒動を治めに向った者たちが正しいと、それを認めさせるために聖殿を長にしたいと考えたのです。聖殿なら品行方正な方だと噂もありますし、相手も過ちを認めるでしょう。それに、聖殿が指揮する組織なら敵うはずがない。それを、期待しているのです」
「そう言うことなのか」
「はい」
「時間がある限りだが力を貸そう」
「お願いします」
 二人が話しに夢中になっている間に馬車は止まったのを感じた。だが、まさか、話を途中で止めることができるはずもなく、そのまま話を続けた。
「構わん。それよりも馬車が止まっているようだ。外に出た方が良いのでないか?」
「そうでした」
 一の町の代表は先に席から立ち上り扉を開けた。
「自警団は待機していないのだな。なぜだ?」
「それは、聖殿を歓迎するために、各隊長は建物の中で待っております」
「歓迎だと?」
「はい。我々の噂では、貴族様方は、祝賀とは立食しながら乾杯すると」
「ふざけるな。直ぐに、全ての自警団を建物の前に集合させろ」
 聖は指示を叫んだ。その後は腕を組んで、一秒でも早く整列させろと不満を表しているようだった。
 一の町の代表は直ぐに建物に入った。すると、建物から隊員が出てきて方々に散ったのは、代表が指示を飛ばしたからだろう。そして、慌てる姿を見せながら自警団が集まり始めた。真っ先に各隊長たちが戻り、時間が掛かる理由を述べようとしたが・・・・。
「何も理由を言わなくて良い。勿論、何も聞くな。黙って整列しろ」
「・・・」
 各隊の隊長は、聖の不満を感じ取り。隊員の数を数えながら苛立ちながら待つのだった。その中で、隊員が揃った隊は、隊長が無言で頷くことで聖に知らせていた。そして、そろそろ十分が過ぎようとした時だった。後は一人だと苛立ちを表していた。最後の隊長が聖に頷くことで、全ての隊員が建物の前に整列したことが分かった。総勢で千人以上が無言で聖を見ていた。それだけでなく、その数が道をふさぐために市民は何が起きたのかと、立ち止まる者も可なりの人の数だった。勿論だが、道をふさがれたことで騒ぎ出す者もいるはずもなかった。その理由の最大の一つには、聖の軍礼服を着た姿に興味があったのだろう。それで、皆は、聖に視線を集中させて言葉を待っていた。
「自分は、全ての自警団の隊長となった。これからは・・・」
 聖は、今までの軍での生活だけでなく、上官や部下たちの就任の挨拶を思い出していた。自分も数えるのが嫌になるほど繰り返してきた。その挨拶は、頭の中では難しい計算式を考えていたとしても一字一句として間違えるはずがない。そんな慣例の挨拶を述べ始めたのだ。だから、挨拶には感情が入るはずもなく。今での部下や同僚と同じように挨拶を聞いているのか分からない無表情で視線を向けだけ。自警団も同じ態度だろうと考えたいたのだが、自警団の者たちは興奮を表すだけでなく感心して頷くのだった。確かに、少々軍の礼儀では失礼な態度だが、述べる者にしては嬉しいことだった。そんな感情も頂点まで達して最後の締めを飾ろうとした。
「我が主様に絶対の忠誠を」
 その気持ちを証明するかのように大声で叫び、左手で真っ直ぐに上に向けて刀を抜き、拳が心臓の所まで届くと鞘から抜くのを途中で止めた。それは、主の危機や主命がある時は命を掛けて刀を鞘から抜くと言う意味だった。だが、慣例の通りとは変な言い方だが、今までなら掛声で周囲の建物にひびが入るのではないか、それ程の声量なのだが、誰一人として言葉を返さないのだ。不思議に思って自警団の全員を見てみると、緊張したように身体を固まっているだけでなく俯くように地面を見ていたのだ。それだけでなく、周りにいた一般の人々も同じ様子をしていたのだ。それで、何が起きたのかと・・・・。
「どうした。なぜ復習しないのだ?」
 聖が問い掛けて、誰一人として無言だったが、それでも、少しの間の後に一の町の代表の老人が答えた。
「私たちも、主さまと言っても宜しいのですか?」
「それでは、何とお呼びしているのだ?」
「都市王さま。または、都市の象徴さま。とお呼びしています」
「そうなのか?」
「私たち、都市の市民は都市王さまの声を聞くことも、見ることも許されていません」
「そうだったのか、だが、自警団になったのだ。主様と呼んでも良い。勿論、それだけでなく主様を見ても構わない」
「うぉおおおお」
 自警団の全員の叫び声が辺りに響いた。その声量は初めて聞き、聖は失礼なことだが両手で耳を塞いでしまったほどだったのだ。
「主様に絶対の忠誠を」
 自警団の者たちは、同じ言葉を何度も嬉しそう叫んだ。だが、これ程まで喜ぶのは、都市の主が善政を施したのではないのだ。都市を興した始祖を神とも悪魔のように畏怖してきた。勿論、その末裔も同じだ。そのために同じ人とは感じられずに祟りを恐れるように崇めてきたのだ。唯一、主が人として接する事ができる者たち。それが、眷族のような貴族だけだと思われてきた。それが、自分たちも許された。何て言うべきか、主との距離が消えて親しみを感じただけでなく、貴族のような身分になった。そんな気持ちをくすぐる。何とも心地好い気分を感じていたのだ。そんな人々の中で、数多く歳を取ってきたことで感覚が鈍っているのか、それとも、脳内の隅々まで、これからの都市の未来を考えていたからだろうか、一人だけが正気と思える言葉を吐いたのだ。
「聖殿。都市中の皆にも、自警団のお披露目をよろしくお願いします」
「お披露目?」
 一の町の代表の言葉で正気を取り戻した。そんな驚きを感じる問い掛けだった。
「そうです。都市の主要な街道を歩き、自警団の設立を知ってもらうのです」
「分かった」
「よろしくお願いします」
 一の町の代表が深々と頭を下げた。聖は、その様子を見て頷きで返した後に・・・。
「我の後に、全ての自警団は後に続け」
「主様に絶対の忠誠を」
 全ての自警団は同じ言葉を吐きながら行進を始めた。
「主様って誰?」
 市民たちは、自警団の言葉を聞いて、近くの者や知人などに問い掛けるのだった。
「都市王さまのことだと思うわ」
「でも、自由の都市になったのでしょう?」
「そうね。あたしも、そのチラシを見たわ」
「そうでしょう」
「もしかすると、都市王さまを助けるために自由の都市になったのかしらね」
「それだと変よね。都市王さまを守るのが、貴族様たちよね」
「もう、あたしにも分からないわ。でも、これから都市を守るのが自警団なのは確かよ」
「そうなのよね。今よりも悪くならないと良いわね」
「それは大丈夫と思うわ。聖さまが自警団の隊長ですもの安心していいわ」
 都市の人たちは、自由の都市になって浮かれ騒いでいたが、それと同じように不満を感じて、様々なことを問いかけ合っていたのだった。そのような問い掛けなど知らずに、自警団は主だった道を全て行進し終えて出発した所に戻るとかと思われたが、聖は向かわなかった。その行き先は無意識の行動だったのかもしれない。それとも、都市の中では最適な場所とも思える。それは、都市の中にある。今では無人の兵舎に向っていた。
「解散した後は、それぞれの、町の代表者に指示を仰いでくれ。それと、自警団の教育を任された。これから教えるつもりだった。だが、疲れているだろうし、代表者から指示を受けている者もいるだろう。そのために、明日の朝一から訓練を開始する」
「・・・・・」
 皆が頷く姿を見て・・・・。
「承知しました。そう言えば良いのだ」
「承知しました」
 聖は、頷いた。そして・・・・。
「解散」
 聖は、指示をした後は建物の方に振り向くと、懐かしそうに笑みを浮かべるのだった。恐らく、初めての訓練から今まで経験してきたことを思い出しているのだろう。その笑みを見た自警団たちは、安心と同時に、聖のような男になりたいと思うのだった。その思いのまま、それぞれの町にある自警団の詰め所に向うのだった。勿論、十二の町の代表者たちから祝賀は成功だったと言われるのは間違いなかった。それを証明するように町の見回りに行くと、敬うように礼をされるだけでなく、諍いや喧嘩などからの「この場から解散」
と指示をするが、今までは無視されていた。だが、今日は、すんなりと解散するだけでなく、些細や指示にも従うので驚くのだった。この時から十二の自警団の結束と、都市の治安が戻るのだった。だが、治安の安全の一番の理由は、一の町の代表の考えのように、聖の人気と、皆も知っている武勇のお蔭なのは当然だった。このことに聖はまだ気が付かない。それでも・・・・。
「やはり、代々の継承で軍に就くのと、自分で志願したのでは気迫が違う。これからが楽しみだぞ。勿論、その気迫に合う厳しい訓練を考えなければ失礼かもしれないな」
 本当に嬉しそうに笑みを浮かべる。だが、その表情を同僚や軍隊の部下が見たとしたら、過酷な戦いに出向く時の笑みと感じたはずだ。まるで、狼が獲物を捕らえた瞬間だった。だが、部下達は、強い殺気を放ちながらの笑み。それを見ると安心と同時に力が漲ってくるのだった。
「剣の稽古を重点にするか、いや、軍の礼儀だな。俺だけの時はいいが・・・・」
 初めての挨拶をした時のことを思い出していたのだ。
「あまりにも感情が表しすぎだ。他の者なら怒鳴り散らすだろう」
 聖は、誰も居ない。兵員の宿舎に入っていた。もしかすると、遠い過去の初めての訓練を思い出すために宿舎の傷跡に頼ろうとしたに違いない。それを証明するように建物の傷跡を撫でると、何かを思い出したように笑みを浮かべて何かを紙に書くのだった。それは、恐らく、厳しい訓練だったはず。それを忘れたことを思い出して自警団に教える考えのはずだ。
「カランカラン」
 兵員の宿舎の自動の時刻を知らせる鐘がなった。その知らせが無ければ、いつまでも思いに耽っていただろう。そして、鐘の音に驚き、急いで城に帰るのだ。城に着くと、警護、荷下ろし、苦情などを聞くことになり、城の外、城の中と忙しく動き回るのだ。全てが、終わり寝床に着く頃は、次の日になろうとしていた。やっと寝られる。今日は目まぐるしい一日だったと、感じているはず。だが、まるで、遠足の前の幼稚園の子供のように興奮して眠れないようなのだ。もしかすると、初入隊の頃を思い出すだけでなく、その当時の感情も戻ってしまったのかもしれない。それとも、同じ初めてでも、初教官の時を思い出して、明日の自警団の教育と、当時の思いと重なっているのかもしれなかった。時々、苦笑いを浮かべるのは、失敗したことを思い出して、明日はしてはならない。そんなことを思い出しながら段段と瞼が重くなり眠ることができるのだった。
「ボーンボーン」
 屋敷の中にかなり大きな柱時計の鐘の音が響いた。この時計は一時間毎に鳴るのでなく、朝九時の朝食の時間から始まり、夜九時のまで鳴るのだった。その時間は幼い頃の子供たちが就眠する時間だった。
「しまった。寝過ごした」
 起きると同時に、誰にと言う訳でないのだが声を上げて、言い訳のように呟くのだった。
「妻や娘たちは、今日から城にいるのだった」
 何かを感じたのか、軍服を着ながら窓の外を見た。すると、十二人の男が庭の中で待っていた。直ぐに、その者たちの雰囲気で自警団の隊長と感じられた。そして、慌てて着替えて玄関の扉を開けたのだ。
「着ていたのを気が付かなくて済まない。まだ、着替えが終わらないのだ。本当なら茶でも出して待ってもらうのが当然なのだが、今は、自分しかいなく用意ができないのだ。済まないが、もう少し待ってくれないだろうか?」
「構いません。どうぞ、ゆっくりと着替えてください」
「ありがとう」
 さすが、心底からの軍人魂と感じられた。軍では特に服装の乱れは許されないと、新兵の頃から叩き込まれたのだろう。それで、今でも実践していたのだ。それでも、急ぐ気持ちはあった。その気持ちから五分と掛からずに玄関から現れたのだ。
「済まなかった。それでは、行こう」
「もし宜しければ・・・なのですが、共に食事を食べて頂けないでしょうか」
「構わんぞ」
「その時に、軍での心構えなどを話して頂くと嬉しいのですが・・・・」
 十二人の自警団の隊長たちは、町の代表の老人たちに、朝八時まで行けと、そして、煙突から煙が出ていない場合は食事がまだのはずだから食事に誘うのだと、言われたのだ。
「良い機会だから教えよう。それと、これからの計画予定も伝える考えだ」
「ありがとう御座います」
「それで、他の者たちは?」
「代表の提案で、兵員宿舎で待機しております」
「それは、手間が省けてよかった。じっくりと鍛える気持ちだったからな」
「ありがとうございます。期待に答えられるように頑張ります」
 十二人は深々と頭を下げたのだ。
「良く言った。その言葉に違えない。それを信じているぞ」
 一日目の午前は食事と挨拶で過ぎるが、その日の午後から自警団の地獄の訓練が始まった。そして、二日、三日と訓練は続くのだ。だが、苦痛や苦しみを感じる表情を浮かべるが、誰一人として言葉にする者はいなかった。皆は、本心から都市の治安を守る。その意気込みからだろう。体力的にもなれるだけでなく、礼儀も漸く見られる程度になった。この訓練をしたことで、後に、自由都市の新軍隊の基礎となるのだった。そんな、訓練が続き、四日目の昼に、北東都市の主の書簡が城いる。王妃に届いた。その内容は、重大な二つのことが書かれてあった。一つは、全戦力で西都市に攻める日と時間が書かれてあり。もう一つは、自分が戦で命を落とした場合は、聖に助けを求めろ。それは、北東都市の主からの遺言だった。王妃は、その書簡を読み終わると、聖を城に呼んで書簡を手渡した。その内容を読んで聖は驚くのだ。だが、それ以上の驚きも感じた。まるで、城内は、勝利の祝いのように舞踏会を開いて浮かれ騒いでいた。ある意味では当然かもしれない。北東都市の全軍で戦うのだから負けるとは考えられなかったのだ。だが、かなりの質素な舞踏会だった。それは、戦に勝つための意気込みとしての良い暗示なのか、それとも、質素な舞踏会なのは戦に負ける。悪い暗示なのか、それは、誰にも分かることが出来なかった。

 第七十一章
 人の群れが砂糖に群がる蟻のように一つの場所に集結していた。それも、酒も飲んでいないのに狂った饗宴のように浮かれ騒ぐのだ。その中には戦いが始まってもいないのに勝利したかのように雄叫びを上げる者もいた。たしかに、北東都市では、これほどまでの規模の軍事行動はなかった。それで、負けることを考えらないのも当然の反応なのかもしれない。
「貝伯爵(かいはくしゃく)が率いる。第二十連隊は本陣に到着しました」
 部隊の先頭を歩く下士官が、緊張しながら本隊陣営の門番に陣地に入る許可を求めた。
「構いませんよ。どうぞ」
 普段の門番なら同じ様に緊張しながら返礼するのだが、酒でも飲んでいるのかと、疑問に感じるほど士気が緩みきっていた。何があったのかと問いかけようとしたが、陣内から浮かれ騒ぐ声を聞いてホットしたと言うよりも、戦士として命を懸けて戦う。そんな心積もりをしていたはずの殺気が消えてしまった。
「騒がしいぞ。何の騒ぎだ?」
 貝が馬車から姿を現した。
「それが・・・もしかしたら・・・戦う前の英気を養っているのではないでしょうか?」
 下士官は、何て答えていいのかと悩みながら答えるのだった。
「それにしても、この騒ぎは酷すぎるぞ。これから戦う気持ちがあるのか?」
「・・・・・最後の楽しみではないでしょうか」
「むむ・・・そうだな。俺は、主様に北東都市の最後の部隊である。第二十連隊の到着を知らせに行く。それで後の、物資の荷下ろしなどのことは頼むぞ」
 軍組織での部下は、上官から問い掛けられたら答えなければならない。だが、返答に困り、かなり悩んだが末に思い付きを口にした。貝は、そのことに気が付き、部下に問い掛けたことを謝罪するかのように頷くのだった。
「承知しました」
 貝は、部下の返礼を確かめた。その後、主がいる天幕に駆け出した。
「主様に、伯爵家の貝が来たと伝えてくれないか」
 天幕の前に居る。立番に言葉を掛けた。
「少々お待ち下さい」
「うむ」
 男は天幕に入ったかと思うと直ぐに出てきた。すると、右手で中に入ることを勧めると同時だった。主は待ちきれなかったのだろう。
「何をしている。貝、中に入ってきて構わんぞ」
 天幕の中から言葉を掛けられた。
「はっ」
「いつ来るかと待っていたぞ。貝が来なければ出陣ができないからな」
「ありがとう御座います。この最後の戦いなのは分かっております。勿論、死ぬ覚悟で戦い必ず勝ちましょう」
「頼もしいぞ」
「それで、二、三、お聞きしたいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」
「構わんぞ」
「陣の配置と作戦内容を・・・・ですが、その前に、陣の中では何が起きているのです」
「陣の中だと?」
「そうです。全ての兵が正気を疑う饗宴をしていますぞ。あれが、戦う前の様子とは思えません。本当に、この戦が最後なのだと分かっているのでしょうか?」
「分かっているだろう。必ず勝つ戦いなのだからな」
「必ず勝つ・・・・ですと、そのような考えなのですか?」
 主の正気を疑う言葉を聞いて、我慢できずに叫び声を上げてしまった。
「失礼だぞ。伯爵。控えろ」
「そうだ。軍籍での経験もなく、ただの騎士の戦いしか知らない者が、多勢力での戦い方と言うのがあるのだ。控えるのだな」
「騎士では分からないだろうが、多勢力の戦い。軍の戦いとは、敵よりも多くの兵を用意できる軍が勝つと決まっているのだ」
「なっなぁ」
「伯爵。そんなに心配するな。作戦もあるのだぞ」
 主は、部下の青白い顔を見て不安を感じているのだろうと思い。安心させようとした。だが、それは違っていた。あまりにも的外れの考えだったので怒りを我慢していたのだ。
「作戦の内容を聞けば安心するぞ。それはなぁ」
 自信満々に何の不審を感じない。そんな表情で言うのだった。その内容とは・・・。
 全ての街道を封鎖して西都市を兵糧攻めで降伏させる計画だった。何本の街道はあるのだが、その中の一番の要の西都市と東都市を結ぶ第3号街道を封鎖しなければならなかった。そのために、敵から挑発などでも絶対に部隊を動かさない。気性の大人しい者を選ぶこと。そして、都市に向っては矢を放ち続ける。だが、火矢だけは決して放ってはならない。もし、そんな事をした場合は、恐怖の感情を通り過ぎ、死ぬ覚悟で都市から出て戦うことになるに違いない。そのようなことになれば、多大な損害が出るだけでなく、考えたくないが北東都市が負ける場合があるのだ。死を覚悟した部隊は、それほどまで危険で恐ろしい。と、作次は、仁上級兵士に何度も念を押したのだ。だが、前回の失態もあるが、雲の上人のような北東都市の主に側役と軍将での軍会議では何も言えるはずもなく。仁上級兵士は提案するだけで終わってしまったのだ。
「それと、我の権限として、西都市と東都市の道を塞ぐために一連隊だけで良いのだが、城攻めは向かない奴がいるのでな。それで、倍の二連隊を置くことに決めたのだぞ」
 嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら自信満々に言うのだった。
「それは、誰です」
「丹(たん)公爵と比(ひ)子爵だ」
「え」
 貝が驚くのは当然だった。二人の男は作戦を命じされたとしても、些細なことで我を忘れて猪のように突進するだけの武将だった。それだけでなく、特に二人の男は犬猿の仲だと皆が知る者なのだ。そんな二人が協調するはずもなく、直ぐに相手を貶めて、自分の功績だけを考えて戦うのは誰もが分かるはず。
「そして、先ほど、豊富な軍歴を語ってくれた。三人の連隊が本陣の護衛と、予備の兵力になり。他の十五連隊で西都市を包囲しながら矢を都市内に放ち続けて、じわりじわりと兵力を減らす考えなのだ。恐らく、一週間も過ぎれば降伏するはず。それでも降伏しない場合は火矢でも放てば、直ぐにでも降伏するはずだろう。そんな簡単な戦いなのだぞ。だから、何も心配はするな」
(あの二人では街道の占守などできるはずがない)
「主様。その作戦は、誰が考えたのですか?」
 貝は、思考と同時に声を上げていた。
「仁上級兵士だ」
 本人が、この場にいたら、俺の作戦とは違う。そう叫ぶかもしれなかった。
「たしか、西都市を攻めるように作戦を考えた者だったと記憶しております」
「そうだぞ。あの者は書物を読むのが好きで奇抜な作戦を考えるからな。何かと重宝している。だが、前回の作戦の失敗で処分を考えていたが、今回の作戦を聞いて処分を保留にしたのだぞ。中々良い作戦だと思うだろう」
「主様の思案の通りだと思います」
 何か言いたそうに顔を歪めた。
「どうしたのだ。まだ、心配しているのか?」
「あっ・・いえ・・・その・・・どのような戦いになるのかと考えていましたら・・少々の恐怖を感じたのです」
と、返事を返すが、内心では・・・。
(どのような馬鹿馬鹿しい作戦でも十倍近い兵力では負けるはずがないか・・・・・少し俺の考えすぎかもしれない。だが、負ければ全てを失う・・・・諫言した方が良いのか?)
「疲れているのだろう。明日までゆっくりと休め。そして、明日の正午に作戦を開始する。その時には、恐怖心を吹っ切れるのだぞ」
「お気遣いを感謝しております。当然ですが、戦の前の武者震いであります。明日の戦いでは一番の戦いを期待してください」
 貝は、主の気遣いを感じ取り、諫言などの思案は消え、戦いだけを考えたのだ。
「その気持ちを忘れるな」
「ハッ」
「勿論、明日の戦いでの働きを期待しているぞ」
「命を懸けて、北東都市の勝利のために戦ってみせます」
 貝は、内心の許しを求めるように額を地面に付けて謝罪しているようだった。
「退室してよいぞ」
 頭を上げるのだが、自分の感情では、まだ許されるはずがない。その謝罪の表れなのだろう。腰を落としたままで、身体は正面を向けながら、ゆっくりと出口に向かい。そのままの態度で退室するのだった。これは、今では殆どの者が使わなくなった。古風な礼儀だった。それでも・・・・・・。
「貝は、どうしたのだ。何か失態でもしたか?」
 先ほどの古風な礼儀は、何か失態した場合にだけは使われていた。
「何も無いでしょう。恐らく、戦いの前に恐怖を感じた。その謝罪の気持ちでしょう」
「そうか・・・そうだな」
「それでは、今、到着したこともあり。貝には、後詰めとして任に就いてもらおう」
「それが、宜しいでしょう。恐怖を感じる者がいては士気に影響がありますからな」
「それを踏まえて、陣営の作戦を続けたい。皆の知恵を頼むぞ」
「承知しました。お任せください」
 そして、陣形が書かれた図面を開いて会議を再開したのだった。その図面は仁上級兵士が持ってきた物だった。その中には、貝の配置が第3号街道の封鎖任が適任と書いてあったのだ。
「第3号街道の封鎖は決定したので良いが、他の配置だな」
「はい。主様が考える。陣営の配置は間違いありません。自分も同じ様に考えておりました。必ず勝てるでしょう」
「そうだろう。そうだろう」
 頷くと、図面を皆に見せたのだ。すると同じように頷きで答えた。だが、会議が終わった後の図面は、まるで違った物に変わっていた。おそらく、適正適所などでなく、武将たちが戦から避けるために配置移動を願ったとしか思えない内容だったのだ。
「それでは、明日の朝九時に陣から出発。そして、西都市との決戦は明日の朝十時とする」
「はっ、仰せのままに」
 天幕の中にいる全ての武将が承諾したのだった。
「それでは、我々は、これで・・・」
「良い。だが、末端の兵まで指示の徹底を頼むぞ」
「承知しております。後は、御安心して寛いでください」
「そうする」
 武将達は退室の礼儀をして天幕から出て行った。主は一人だけになり。酒でも飲むのかと思われたが、明日で自分の運命が変わるからだろう。酒の瓶には興味を示さずに簡易机に興味を示した。もしかすると、遺言でも書き残したい。そんな心境なのだろう。

運命の泉 中 (前編)

2014年1月13日 発行 初版

著  者:垣根 新
発  行:垣根 新出版

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垣根 新

羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。

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